「雑誌は残り難い」
雑誌は多数あるが、保管されにくい物が多い。
全体が雑文や寄せ集めで、当時の情報誌になっている。
あとから見れば資料性とも言えるが、当時の読者には再読は考え難い。
それは今も同じだろう。
その中に小説が紛れ込むことも多い。
総合誌ならば、小説や各分野のエッセイも入れたい。
雑誌自体が捨てられやすく、中の小説等も見逃されやすい。
いつまでたっても新発見があるのは、その様な発表の時だ。(2016/11/11)
「「新青年」趣味」
雑誌「新青年」は戦前戦後を通じ長く発刊された雑誌だ。
綜合雑誌だが、探偵小説との関係も深い。
多く残されている雑誌だが、なにしろ量が多い。
それ自体及び、関連作家とその時代を研究するグループが生まれ、会誌を発行している。
号を重ねると、関連の部分も増えて、その時代の作家の研究の傾向になっている。
不思議な事に、次第にページ数が増えているようだ。
同人誌なのだろうが、体裁は商業雑誌を越える。
戦前の作家への興味がどれ程あるのかは掴みにくいが、そのきっかけになる。
作品の復刊もゆっくり進むが、こちらも需要は不明だ。(2016/11/26)
「新聞掲載小説」
文芸雑誌と綜合雑誌は異なるが、新聞はより異なる。
ただ新聞連載小説の歴史は古いし、短編や中編の掲載も多い。
著名作家はその後に単行本で出版されるが、マイナー作家は初出のみもあるようだ。
その全貌は、調査自体が困難だ。
ただ、徐々に明らかになりつある面もある、存在と調査が重なった時に明らかになる。
新聞も多様で、全国紙や著名なものは調査がされていても、それ以外は抜けている。
地方紙や業界誌はその代表だ。
それに小説がどの程度載るかと言えば、少ないだろう。
それだけに未発見が残るようだ。(2016/12/11)
「現代表記に変えて復刊」
日本語表記は時代と共に変わっている。
新語・造語・カタカナ語の新規使用も大きい。
他方では、使用しなくなった漢字やひらかなも多い。
旧仮名使いや漢字が、発表時の雰囲気を出すと思う人もいる。
ただ読める・読みやすい事は大事だ。
そこで復刊時に、漢字やかなの口語体表記を、現代の文字使いに変える事が一般だ。
翻訳ほどではないが、専門的なスキルは必要だろう。
同時に電子化も行うが、ワープロ又は類似ソフトで記述するが入力ミスも起きる。
そのミスの校正もれがある程度は生じ、見逃す事が起きている。(2016/12/26)