ルシタニア号事件

ルシタニア号事件

北 洋

「ロック」第2巻第3号(1947/3/1)

ルシタニア号事件

 光岡がパリに留学中の事だからもう十年も以前の事である。彼はコレッヂ・ド・ファランスの物理学教授博士の研究室でスペクトルの研究をやって居た。その頃新聞紙上にイギリスからやって来た経済科学使節団の記事がかなり大きく掲載されて人々の注意をひいた。

 それによるとこの一行のフランス来訪によって現在甚だ不安状態にあるドイツ・フランス間の関係を根本的に改善出来るであらうと新聞は強調してゐた。どの記事も非常に曖昧で人々にもつと重大なことがあることを暗示させて居た。

 この一行中にケンブリッヂ大学のD教授が居たが、彼の未知の偉大な発明をフランスの為に役立てることが出来れば独仏間の暗雲を除き去ることが出来るのだと云う様な噂がパリのまちにいつともなく広がつて行った。ところがこのD教授が、パリからジュネーヴに飛ぶ途中搭乗機ルシタニア号がブザンソン付近で墜落し彼は惨死したのである。

 この報道がパリ市中に伝はると異様な昂奮が全市を蔽ひ先の噂が全く事実であつたかの様に信じられたのである。そしてこの墜落事件の背後には何か国際間の陰謀がかくされてゐると人々が騒ぎ出した。このことはパリ警視庁のこの事件に対する異常な熱心さによっても裏書されると云つた者もあった。

 ところが飛行機の墜落事故と云ふのは大体その原因が判然としないことが多いのである。

 つまり事故の現状を知つて居るべき搭乗者が死んでしまったり、機体が火を発して焼けてしまつたりして調査の手のつけ様がないからである。ルシタニア号の場合もさうであつた。

 実際警視庁の外部からの探査によつて何らの手懸りも得ることが出来なかつた。この事故調査は航空評議会に委嘱された。博士もその委員に選ばれ、光岡が博士の助手としてこの調査を主として担当することになつたのである。光岡は警視庁のM警部から内々この結果が国際間に非常に重大な影響を与へることになると聞かされた。

 ルシタニア号がパリ出発の時は天候、機体、発動機何れも別条なく、乗組員乗客も皆元気であつたさうである。トロワを過ぎる頃から雨になり、ブザンソンの上空では盛に降り出して来た。機上から無電で「二時半ブザンソン通過今山にかかつた、だんだん雨降る、視界狭い」と報じて来たのをジュネーヴの無電局でキャッチした。

 その後は地上局から呼び出しても何等の応答がなく通信は全く絶えてしまった。墜落の報知がブザンソン飛行場に伝へられ救援の人々が駆付けたのは日も暮れんとする五時頃であつた。艇体の一部を破つてやつと担ぎ出した乗客乗組員は皆絶命していた。ルシタニア号は単葉の水陸両用の飛行艇で艇側の鰭から斜に支柱が出て翼の中程を支えて居る。翼幅二五米で六〇〇馬力の発動機二基を据付けたものである。

 墜落現場の山腹には長さ数百米の線上に破片が散逸してゐるので空中破壊であることは確かである。即時に組織された当局の調査員によつて地上に落散った残骸破片などは丁寧に取り集めて落ちた場所を記し尚そこの樹木等に目印をつけ、品物についた木の葉や泥、破れ目、疵なども大切にしてそつくりそのまま収容された。又墜落現場を各方面から種々の位置で沢山の写真を撮影した。

 さて破片の散乱した状態を見ると一見不思議に思はれる節が沢山あった。

 第一。左補助翼が艇体、主翼から五十米も離れた木の梢に引懸かり、而も殆ど無疵であること。(右補助翼の方は無残に折れ曲つて主翼と共に落ちて居た。)

 第二。主翼桁と艇体とは互に近くに落ちて居たにも拘らず翼布、小骨等が碎片となつて百米も離れた所に散乱してゐた事、(作者註以下略、航空研究所年報第五五六号参照)とにかく破片が各所に散乱してゐるのは地面と衝突して跳ね返つたものとしては余りに離れすぎ又それぞれの落下位置が何か特別の意味があるらしく思はれたのである。次に破片を点検すると此処にも幾多の疑問が起つて来る。

 第一、主翼桁の破片を集めて正規の位置に列べて見ると左右略対照の場所で破断してゐる。

 第二、一本の支柱、一張間の桁などが二箇所で破断して居る。その様な事は一寸考へられない事で、柱を圧縮すればある場合には二箇所以上に折れ目を生ずるが切れ離れて仕舞ふ筈がなく、之を引張るとすれば或一ヶ所で離れて其他の部はつながつてゐる筈である。ーー実際の支柱などは根元と中央から切れて互に遠く離れて落ちて居るのであるーー等であつた。

 尚発動機プロペラ等は可なりひどく破壊してゐるが、発動機の内部検査の結果は油の燃滓の附き方等から判断して発動機運転は順調で墜落の瞬間には前部発動機は全開で運動し後部発動機は閉鎖空転後停止してゐたものと認められた。

 以上の調査を見渡すと、機体の破れ方を調べるのがこの事故を解決するに最も大切な点であることが予想された。そこで計算、実験、損傷調査の各方面から機体の破壊に対して調査を開始した。

 調査開始後四五日たつたある日大学街の光岡の下宿へM警部がやつて来た。

「どうですか、調査は進行してゐますか?」

「今、いろいろの飛行状態で此の機体が破壊する速度姿勢の計算と、此の飛行機は幾何の速度で振動の不安定が始まるかの計算をしてゐますがね。」

 彼は気のない様子で聞いて居たが、

「実はね、困ってゐるんですよ。イギリス政府からパリ警視庁の怠慢を責めたものが警視総監の所へ来てゐるのですがね、全く手掛りがないので、一体単なる事故か人為的な陰謀によるものかそれだけ分つても元気が出るのですがね。昨日現場へ行つて調査して来たのですが、乗客にも乗組員にも別に怪しい所は一つもないのです。見許も精しく調査しましたし、ーーーーー尤もまだ調査の全部済んでないのもありますが ー携帯品ではD博士の外の二人がピストルを持つてゐたのが怪しいと云へば怪しいのですがね、乗組員に別に危害を加へたと云ふ様な事もなささうです。」

「さうでせう、審議会の調査でも墜落原因はもつと純粋に物理的な所にありさうですから、機体の破壊状態から何となく振動の為の破壊の様に思はれるのですが、振動の原因が何だかーーーああ、墜落当日をはさんで二・三日ブザンソンに滞在して居た人間を調べてごらんになりましたか?」

「いいえ、どうしてです?」

「ブザンソンを飛行機が通るのを待つて居り、思ひがけないその墜落を目撃して非常に驚いたと云う様な人間がありそうではないですか。」

「さうですか、まあ調べて見ます。それからあなたの方の調査の経過をなるべく早く僕に知らせて下さいませんか。」

「ええ、いいですとも。」

 M警部は帰った。翌日から光岡は操縦索を綿密に調査し出した。一方他の委員B博士はルシタニア号の主翼の翼振れの速度を計算した。その結果を記す。翼振れと云うのは、翼が羽ばたきの様な振動をすることで之は翼の撓みと捻れとの合成振動が翼の空気力の変化を伴ふ為め飛行速度がある限界を超えると振動が激成される。この限界速度を計算すると主翼が完全な時は毎時三百粁以上でルシタニア号の普通速度百七十粁よりも遙かに大きいが、もし補助翼の索でも弛むか或ひは切れたとすれば、補助翼がその軸のまはりに勝手に振動し得る為に、翼振れの限界速度は毎時百六十粁に低下することになる。

 そこでルシタニア号は水平飛行中急に補助翼索が切れるとすぐに翼振れを始めたと考へられるのである。この事は機体の壊れ方が振動の為めらしいと云ふ予想を裏書きするし、飛行経路から見ても艇体主翼よりも補助翼の方が早期に破断して落ちたらしい事とも一脈の連絡がある。と云ふのである。

 一方風洞中に於いて模型の翼振れをやらせて遂に破壊するまでの経過を活動写真に取つて仔細に点検すると、実物機体の損傷を説明するに非常に都合のよい経過を示してゐる事が分つたのである。

 光岡の操縦索の調査も機体損傷調査の結果と比較してやや確定的な結果を得たので(之に就いては後に順を追つて説明するが)彼はブザンソン・ジャーナル紙に掲載されてゐたルシタニア号墜落目撃者の談話を調べて見ると云つて大学の図書館で新聞を検索してゐた。所へM警部が緊張した面持で入つて来てちよつと来てくれと彼を連れ出し警視庁の一室へ招じた。

「あなたのおつしやつた予想は事実らしいですよ。あなたから注意された日すぐブザンソンへ行つて町中の宿屋を虱潰しに歩いて廻つたのですがね、その中の一軒ーー緑ホテルと云ふのですがーーにアンリ・クロチルドと云ふ名で投宿して居た男がそれです。ホテルの番人にそれとなく訊いて見ると、墜落のあつた日二月十五日の一日前にシュトラースブルグからやつて来たのです。十五日の当日は外套の上へレインコートを着て一日中外出して居たさうです。次の日も同様でその次の日十七日にパリに行つたさうです。ホテルの誰とも話を交したこともなくホテルに居る時はいつも内側から鍵をかけ何となく秘密を持つてゐるらしく思はれたさうです。年齢は三十八歳職業は会社員になつてゐます。詳しいことは省略しておきますが。ところが墜落当日をはさんで二、三日ブザンソンに投宿して居た人間と云ふのはクロチルドの他にもう一人居るのですがね、彼はパリの小間物商で以前にも二三度ブザンソンに来たことのある人間ださうです。宿の主人達も知ってゐる男なのであまり興味がないのですが。彼も十七日にパリに発って居ます。所でこのクロチルドと云ふ男なんですが、之がパリへ着いてからどこへ行つたのかまだわかつてゐないのです。吾々の唯一の手懸りですから全力をあげて探してゐるのですが。・・・しかし彼とルシタニア号とどう云う関係にあるんでせうかね。私にはまだ納得行きませんがね。」

「今にわかりますよ。審議会の調査がもう少し進行すれば。しかしあなたの方の調査が進めばこつちの方も大変楽になるんですがね。

 仮に墜落原因がわかつてもそれが全く偶然的な事故ならば問題はありませんがさうでないとすれば外に又その原因を求めなければなりませんからね。さうなると吾々物理屋ではもう手に負へませんから。・・・それからそのクロチルドと云う男ですが、彼は多分マルタン街十九番地ジュール・フェロディー方に居ると思ふんです。或ひはフェロディーが彼自身かも知れませんが。」

「え、わかつてゐるんですか、どうしてまた・・・」

 とM警部は少なからず驚いた。彼の配下の刑事がもう三日も探してゐるのに皆目見当がつかないと云ふ男の行方を光岡がこんなに容易に推察するとは。

「ただのあてずつぽうですよ。」

と云つてただ光岡は笑つて居た。

 航空審議会の機体損傷調査は次の様な区分で行はれた。即ち、A、各破片の破口が如何なる力によつて生じたか、B、各破片のプロフィルの変形は如何なる種類の力で生じたか、C、各破片に残つて居る傷痕は何物に由つて作られたか、D、かく破れたり傷ついたりする為には翼が如何なる順序に如何なる変形をなしたか、E、之がために飛行経路は如何に変化したか、F、破片が如何に地上に散乱するか。

 の六種類の問題である。どんな順序に皺が出来てどこから破れ出すか、振動によつて如何なる変形が起り何処から破壊して来るかと云ふ様な質的の破壊状態は実際に破壊して見なくては分からないので試片又は模型を破壊して見て実物の破れ方をしたものと同様の事が実物にも起つたと考へて調査されたのである。その経過は非常に興味深いものであるが、ここには省略しておく、(航空研究所年報第五五六号)この為には各資料の疵・条痕等に於いて丹念な調査が行はれ、何がどこへぶつかつたのか、どこから破れ出したのかに就いては大体の様子が理解出来たのである。この破壊過程から破壊を起した最初の原因である翼振れは補助翼が自由になると起り得るので、補助翼索が切れたとか弛緩したとか云ふ証拠が果して残つて居るかどうかを調べなければならない。光岡はこの調査を担当したのである。

 機体全体の破壊に先だつて左補助翼がちぎれて落ちたと云ふ事は、翼振れの際に左翼の方が振幅が大である事は理論的にも実験的にも証明される事で、ルシタニア号の場合でも左補助翼の操縦索が断絶したものと考へられたのである。

 そこで機体残骸に残った操縦索を全部調査した、当時の残骸収集に当たつた人達も、之があまり微細な部分であるため気が付かず、已に廃棄された部分が多かつたが、それに就いて見ると、操縦索の断絶した部分は相当深い損傷傷があり、その傷の略中央が張力によつて断絶した様になつてゐることを発見した。之が始めに断絶した部分か、何か飛行機の他の部分がぶつかつてから断絶した部分か不明であつたのでその擦過傷に就いて精しい調査を行つたのである。所がそこから意外な事が判明したのであつた。

 図書館で会つた日の翌日の夜、再びM警部が光岡の下宿を訪れた。

「マルタン街十九番地は高級アパート雄鶏荘と云ふんですが、昨日行つて見ると驚いたことにそこに大変な人だかりがしてゐるんです。その前夜そのアパートに盗難事件がありましてね。そのフェロディーと云ふ男が容疑者として拘留されたのださうです。之も妙な事件でフェロディーは十号室と十一号室を借りて居るのですが、十二号室から十五号室までメルラン夫人と云ふ未亡人が借りてゐるのです。この夫人の所へ強盗が入り未亡人をしばり上げ、宝石・現金類を強奪し、葉巻を一服吸つて悠々と退散したんですが、急報によつて馳付けた警視庁捜査課の警部の調査によると、外部から侵入した形跡がなく、犯人は内部の者で十三号室ーーメルラン夫人の居室ーーの鍵を合鍵で開けたらしいのです。そこで雄鶏荘からは一人も出さず、すぐに居住者全部の調査を行つたさうです。丁度ベルリンのマイエル探偵ーーこの私立探偵の組織的な捜査方法と鋭敏な頭脳はヨーロッパ各国の難事件を次から次へ解決し、素晴しく名声を獲て居つた。M警部も勿論彼を先生の如く崇敬してゐた。(作者註)ーーがここに住んで居る友人の許に居つたのですぐに協力してくれました。」

「彼はどうしてパリへなんぞやって来たんです。」

「丁度担当してゐる事件が皆方附いたのでパリへ遊びに来てゐたのだと云つてゐたさうです。それですぐに容疑者があがつたのですが、それは十三号室の机の上に葉巻の吸殻がごく僅か落ちて居たのをマイエルが気付き、その吸殻がトリチノポリのだと彼はすぐ断定したさうです。所がトリチノポリを吸つてゐるのはフェロディーなので彼はすぐ拘留され、マイエルがフェロディーの部屋を調べ上げた所、とうとうメルラン夫人の持物であつたダイヤの耳飾りを発見したのでフェロディーへの嫌疑がますます強くなったのです。彼はつかまへられるときに恐ろしく憤慨し、誰かのたちの悪いいたづらだ、俺を陥し入れようとする陰謀だと怒鳴り、拘置所の中でもひどく昂奮してゐるさうです。ダイヤの耳飾りを見せた時は、そんなもの見た事も、聞いた事もない、メルラン夫人の持物であると云ふことも知らないと云張つてゐるんですが、実際さうらしいのです。身許を洗つて見ると、彼はやはりマルタン街に絹織物等を売る店を出してゐるので、人の物を盗む程財政的に困つてゐるとも考へられないのですが。・・・」

「彼がクロチルドだとすると大分複雑になりましたね。」

 と光岡は何か深く考へ込んでしまつた。

 翌日になると雄鶏荘盗難事件はパリの新聞に報道された。所がその翌日、パリ警視庁当局の覚醒を促した匿名の一文が、タン紙に掲載されてセンセィションを引起した。それはかうであつた。

 フェロディー氏が拘留された当初の原因は雄鶏荘の居住者の中でトリチノポリを吸ふのは彼のみだとマイエル探偵が云つたからである。しかし忘れてはならぬ事はマイエル氏もトリチノポリを屡々用ひてゐると云ふ事実である。又彼は事件の起つた日の前日雄鶏荘へやつて来たのにも拘らずフェロディー氏がトリチノポリを嗜んでゐることをかくも早く知つたのは何故であらうか。少くとも彼がフェロディー氏をかくも注意して居た原因を吾々は知らねばならぬ。又もう一つの証拠耳飾りも彼自身が発見したものである。彼のポケットから出たものでないとは誰も云へないではないか。なほ後日余は右の予想を実証し再び読者諸君と相見えるであらう。

 その日昼飯時、光岡の研究室へM警部が訪ねて来た。彼もこのタン紙の匿名文に動かされたらしかつた。

 マイエル探偵は恐ろしく憤慨し「何故俺が夫人の宝石を盗む必要があるのか」と云つたさうである。早速この匿名投書の出所を捜索したが有力な手懸りは発見されてゐない。

 この日メルラン夫人の訊問が開始された。彼女の証言によると犯人は黒い絹のマスクをした労働者風の無雑作な服装の男で手袋をはめ、ソフトを眼深にかぶり何ら特徴を持たない用心深いーーかう云ふことにいかにも慣れてゐる様なーー男で、手にはブラウニングを持つて居たと云ふのである。

 それから彼女は魔酔薬を嗅がされて朝、ボーイが起しに来るまで意識を失つて居た。目が覚めた時はベットに縛りつけられてゐた。

 所でこの魔酔薬はフェロディーの部屋からは発見されなかつた。がブラウニングの方は彼のボストン・バックの中に入つて居た。之はS警部が発見したものである。

 マイエル探偵は訊問後やつて来てメルラン夫人に犯人の服装等に就いて精しく訊いたがメルラン夫人は具体的なことは何も憶えて居ないと云つた。だが彼女は考へながら落着いた答へをしたのである。又犯人の身長を聞かれた時はさう高い方ではなかつたと云つた。次でに云ふとフェロディーは背の男でマイエル探偵は恐ろしく高いのである。マイエル探偵の捜査によると十一号室の暖炉は一度消して又今度はマツチで火を付け何物かを焼却した形跡があるのである。又彼は十一号室の窓をあけて庭の植込を見て居たが、やがて庭に下り砕けたガラス片を持つて上つて来た。そのガラス片はクロロフォルムの匂ひがしたのである。ただそれが確かにフェロディーが持つて居たものかどうかはわからない。そのガラス片に付いてゐるであらう指紋を取ることになつた。なほフェロディーの部屋の棚には種々の薬びんがあつたのであるが、魔酔薬の入つてゐるものはなかつたのである。

 ダイヤの耳飾りは十一号室の床の上に落ちてゐてマイエルが見つけたのであるが、他の盗品が出て来ないので、マイエル探偵は遂に組織的に十号、十一号室のあらゆる家具、床、壁等を調査し始めた。彼は机の下にもぐり、床、壁を叩き、本棚の本を抜き取つて見、とにかくあらゆるものに手を触れた。机の引出は全部鍵がかかつてゐたが、驚いたことにマイエルは合鍵を使つてそれを悉く開けてしまつた。机の前にはモロツコ革の腕椅子があつたが、彼はその背革を留めてある鋲を八つ両手でおさへると背革がバタンと前に落ちた。中は勿論クツションになって居たが、彼はその中に手を突込んだと思ふと、指輪を三つ取り出してS警部に渡した。メルラン夫人に見せるとそれは確かに自分のものであると云つた。それから紙幣で三千五百フランを引張り出した。マイエル探偵の活動は遂に重大な手懸りを又しても発見したもである。

 この時警視庁調査課へやつた刑事が帰つて来て指紋鑑定の報告をもつてきた。それによるとガラス片についてゐる指紋はフェロディーの右手拇指、人指指、マイエル探偵の左拇指と未だ不明なものが二つもあつたさうである。もはやフェロディーの犯行は決定的である様に思はれた。S警部はタン紙の匿名氏はフェロディーの共犯者であらうと云つたがマイエル探偵はさうではないと云ひ切つた。ただ両者とも匿名文の出所を熱心に捜索してゐるのである。それにしてもM警部の腑に落ちないのはブザンソンのクロチルドとフェロディー或ひはルシタニア号事件と雄鶏荘事件との関係であつた。

 なほ翌日の新聞記事にはこのM警部の光岡に語つた事の他に、腕椅子の秘密戸棚の事をフェロディーが知らされると彼は卒倒せんばかりに驚いて真青になつたが、やがて今度は真赤になつてぢだんだ踏んでマイエル探偵を罵倒し、「もうだめだ。マイエル探偵のために無実の罪で殺されてしまふ。」と云つたさうである。

 パリ全市が待ち焦れてゐたタン紙の匿名投書が翌日の朝刊に掲載された。それは全市にまたまたセンセイションの嵐を巻き起した。

 余が聞く所によるとマイエル探偵は「どうして俺が泥棒する必要があるのか」と怒鳴つたさうであるが余がマイエル探偵に質問し度いのは、「どうしてマイエル氏は強盗まで犯してフェロディーに嫌疑をかけ、彼の部屋を捜査する必要があつたのか」と云ふことである。それに対して余は次の解答を与へる。

 諸君は二月十八日十九日の両日ブザンソン・ジュルナール紙に左の広告文が掲載されてゐたのを御存じであらうか。

 二月十五日ブザンソン南西部附近にて紛失せる鉄装小箱を左記までお届けの方は二千フランを呈す。

 パリ・マルタン街十九番地ジュール・フェロディーーーー。

 この鉄装小箱は何であるかは小生の関知する所ではないが、之が如何に重要であるかはその謝礼額でもわかると思ふ。しかももつと重大な事はマイエル氏もこの広告文に気附き之をフェロディー氏より奪はうとした事実である。彼はとにかくフェロディー氏がこの小箱を入手したことを探知し、之を着服するために盗難事件を造り上げたのである。余の探知する所によるとマイエル氏が雄鶏荘の番人に事件のあつた日の前日フェロディー氏を訪ねてブザンソンからやつて来た人があるかどうか尋ねたと云ふ事実がある。彼は何のためにこの小箱を欲しがつたか。それはマイエル氏の問へばわかるものであるが、彼は勿論云ふ筈がないから余自身解答を与へるべく努力中である。なほ余はメルラン夫人に対して二、三の事実を蒐集した。之はマイエル氏と関係して重大な意味を持つものであるが追つて次の機会に発表する。

 この記事はタン紙編集局の無電室へ無電で入つて来たのである。マイエル氏はパツミイ街のタン紙編集局前に変装して網をはつて居たさうであるが、匿名氏は賢明にも前回の様にメツセンヂャーを使ふことはしなかった。

 ブザンソン・ジュルナール紙の広告文に注意したのは匿名氏とマイエル氏ばかりでなくわが光岡もさうであつた。M警部へ、クロチルド氏の住所としてこのマルタン街十九番地を教へたのは、クロチルド氏とフェロディー氏との間に密接な関係あることを予感したからである。しかも十五日、それはルシタニア号墜落の日ではないか!。彼の注意は第一にそこにあつた。

 ルシタニア号の補助翼操縦索に認められた擦過傷が何であるかに就いての光岡の調査から発見された意外な結果はかうであつた。

 先に云つた様に接触疵を調べることと破壊の順序を模型試験から推測することによつて順次に各部の破壊の証跡を辿る事が出来たのである。が、接触疵を調べるために各種の部分を互に打付けたり摩擦したりして疵の模様を調べた結果、鋼と鋼、ヂュラルミンとヂュラルミン鋼とヂュラルミン等材質による相違及び固いもの、尖つた先端、稜縁、リベット頭等形の相違、引掻き、打撲、摩擦等接触の方式による相違につき鑑識し得る様になつたのである。特に鋼製のものとヂュラルミンとは塗料の色が異つてゐるので接触した部には互の塗料を残すと云ふ事が疵の鑑別に役立つた。

 さて操縦索の問題の疵は稜縁による引掻き、であると認められたが、何によつて出来たか他の疵の様子と違ふし塗料が残つてゐないので時にスペクトル分析を行つたのである。ルシタニア号機体の構成組子は全部板金製プロフィルで材質はクローム・ヴァナヂウム鋼とヂュラルミンである。それにも拘らず問題の疵には、『銀』のスペクトルが現はれたのである。明かに機体の一部が触れたのではない。

 して見ると他から加へられた疵である。ルシタニア号から銀製の稜縁のあるーー即ち、四角な箱の様なーー物体が投げられてそれが偶然操縦索に当たつたのであらうか。所が乗客の座席の窓は明けることが出来る様になつて居り、投げ出され方、或ひは飛行状態によつてそれが可能であることが確かめられたのである。それが果して索を最初に切つた原因であつたかどうか、又出航以前に着いてゐた疵であつたかどうか、そこまで審議会の調査は進められなかつたが、光岡はブザンソン上空で銀の箱が投げられ、それが機が不連続線に入つて振動を起し索が強い張力を与へられてゐた所へぶつかつて索が切れ、左補助翼をフラフラにさせ之が機に翼振れ振動を与へたものと判断した。彼はそれ故その銀の箱が墜落現場附近に投下した筈であり、それが故意に投げられたものなら受取る人間も居る筈であると推定した。

 彼はブザンソン・ジュルナールの例の広告文を見た。そして自分の推定の確かなることを認めたのである。だが広告文には鉄製となつて居た。

 この結果はM警部に報告された。M警部は緊張した。彼にとつて突然一切が了解された。この銀の箱はD博士のものであつて重要な書類が入つて居る。それを乗客の一人或ひは二人が盗み出し、それを持つて着陸すれば自分の犯行が顕はれる心配があるのでブザンソン附近上空で予て打合せておいた山腹に潜む地上の仲間に落したのであらう。彼等はそれを巧妙にやつた筈であつた。しかし不幸にもそれは操縦索を切断し彼等陰謀家の運命も断つたのである。

「それでその箱は一体フェロディーの手に渡つたのでせうかね。」

 とM警部は心配さうに光岡に聞いた。

「いやまだぢやないでせうか?。フェロディーに渡ればマイエルの手に渡る筈だし・・・」

「やはりマイエルがですか?。タン紙の匿名文はフェロディーの共犯でただ極力マイエル探偵の調査を無価値なものに印象づけ様と努力してゐるらしいのでマイエル探偵がその箱に対してどうと云ふことはなささうに思ひますがね。」

「いやさうぢやないらしいですよ。ブザンソンからフェロディーを訪ねて来た人間は確かにあるので、彼はその人間を尾行してブザンソンにまで行つてゐるのですよ。」

 と云つて光岡は笑つた。

「本当ですか?」

 とM警部は何が何だかわからないと云ふ様な顔付きをした。

「しかしね。フェロディーの手に何物も渡つてゐないことは確かです。マイエルも多分手に入れてないでせう。彼等は何しろ吾々に取つて最も大切な銀の箱を探してゐるのではなくて鉄の箱を探してゐるのですからね。どうもそこから彼等に取つてはとんちんかんなことになつてしまつたんでせう。ハハ・・・・」

 と光岡はさも可笑しさうに声をあげて笑つた。パリ全市の読者に予告した匿名氏の投書は二日おいて五月二十三日三度タン紙に掲載された。パリ市民の間にタン紙争奪戦が演ぜられた。

 余の探知した所によるとメルラン夫人と云ふのはフランス人ではない。彼女の夫は前ドイツ陸軍省秘密諜報部長ルードウィツヒ・フィツシャー氏であることが判明した。氏は二年前に物故した。彼女は以前の計画通り余生を華やかなパリ社交場におくるべく二箇月前にパリに出て来たのである。しかし彼女は未だ社交界へ入る努力をすることもなく二、三人の怪しげな訪問客と会つたばかりである。フィツシャー氏未亡人なるメルラン夫人がドイツ国から何等かの任務を与へられて当パリへやつて来たと推断することは必ずしも全く誤りではないであらう。なほマイエル氏は私立探偵になる以前は陸軍省秘密諜報部で二ヶ月ほどその敏腕を揮つて居たことは知る人ぞ知るである。マイエル氏がフィツシャー未亡人を知つて居たか否かと云ふことは余の未だ詳かにしない所であるが全く知らなかつたと云ふ事は出来まい、ここに至つて雄鶏荘盗難事件の全貌は明かになつたと信ずる。即ち、マイエル氏はフィツシャー未亡人と諜し合はせ予ねて彼等協同の敵であるフェロディー氏の活動を封じ且その部屋から追出し彼の部屋を捜査しようと巧みなる狂言を打つたのである。惜むらくはマイエル氏のこの計画は余りに粗雑に過ぎたし多少の誤謬もあつた。しかもメルラン夫人の曖昧なる陳述は彼等の予想を裏切り種々なる自己矛盾を生ぜしめてゐる。彼女は意外な程落着いて居た。それにも拘らず彼女は盗賊に就いては何一つメルクマールになる具体的な事を憶えてゐない。それは十三号室に盗難がなかつたすれば当然である。ブラウニングに魔酔薬に手袋、黒のマスク、それは盗賊の類型的、抽象的、新聞記事から出た陳述であつて何ら具体的な生の材料から出たものでない。彼女は単に頭に描いた典型的盗賊のタイプを陳述したに過ぎないのである。

 読者諸賢は或ひは反問されるだらう。クロロホルムの瓶の指紋と腕椅子の秘密棚は?。 それは確かにマイエル氏の敏腕を証拠立てるものである。腕椅子の秘密を発見したのはマイエル氏と同様後暗いフェロディー氏にとつては致命的であつた。だがその中には宝石などは入つて居ず、もつと重要な国際間の秘密書類が入つてゐたのである。彼は黙つてそれを着服し、代りに彼のポケットから盗れた筈の宝石を出して見せたのである。この手品によつてわがS警部はマイエル氏に軽く騙されたのである。正直なS警部よ。氏が居らなければマイエル氏は何事も出来なかつたであらう。クロロホルムに至つては云ふ必要もない簡単なことでマイエル氏がフェロディー氏の薬棚から適当な瓶を取り、それを庭に捨てたものに過ぎないのである。クロロホルムは拾つた時に彼がちよつとつけただけである。もしもS警部がはつきり眼を開けてゐたなら、フェロディー氏の棚から薬瓶が一個紛失したことに気附いたであらう。すべてフェロディー氏の犯行を証拠立てる品はマイエル氏の作つたものであると云つてよいのである。

 余は未だ盗難現場を調査する機会に恵まれてゐないので以上の定性的な事実しか述べることが出来ぬのを残念に思ふものである。しかし重大な事はフェロディー・マイエル両氏があれほど渇望してゐた鉄製小箱は果して氏の手に帰したかどうか。否である。何となればそんなものは始めからなかつたからである。ここに至つてマイエル氏の熱心な狂言は甚だ滑稽になつて来るのである。真相はどうか。読者諸君よ。乞ふ暫く余に裕予を与へられむことを。

 M警部はその日光岡に事の重大化を知らされて慌てて雄鶏荘にやつて来た。所が驚くべしマイエル探偵もその友人もメルラン夫人も消えて居た。逃げたと直感したM警部は早速手配したが行方不明であつた。雄鶏荘の番人は何も知つて居なかつた。彼等の部屋は散乱し、重要書類が処分された形跡があつた。しかし彼等は先づ目的を達したと云つてよいのである。マイエル氏が、フェロディーの秘密戸棚の中からもつと重要なものを拾い出し、着服して逃走したのであるから。しかしフェロディーは却つてその為に証拠不十分で強盗嫌疑とスパイ嫌疑から釈放された。光岡のルシタニア号墜落原因に対する推断が正しいとすればフェロディーは証拠十分であつたのであるがーーー後に報告された航空審議会のルシタニア号墜落原因調査にはそのことは書かれてなかつた。この詳細な研究報告は人々に多大の感銘を与へた。

 単なる探偵ではない科学者のT博士等委員は現品調査で見当をつけた考へを一々実験で確かめて行つたことは教訓的であらう。

 さて問題の銀の箱はどうなつたのであらうか。M警部はそれを聞く為に或る日光岡の研究室を訪ねた。

「あああれですか、正当な持主のもとへ帰りましたよ。確かに銅線によつて出来た傷痕がついて居ましたよ。中味ですか? 私は知りません。開けて見る必要も興味もありませんでしたからね。私もねフェロディーにならつてブザンソン・ジュルナールに広告文を出したのですよ。銀の箱拾得された方は・・・・と書いてね。之でも多少危険だと思つてブザンソンに人をやつて墜落現場附近から、拾得したかも知れぬと思はれる人間も探して貰ひましたが結局広告文を見て届けてくれた人があつたのです。フェロディーは拘留されてゐるし、マイエルは盗難事件に熱中してフェロディーの部屋にばかり気を取られて居るし、誰にも注意されなかつたのは幸ひでした。尤もブザンソンで偶然に鉄の箱を拾つた人はあるのですよ。その男のフェロディー訪問がマイエル探偵の判断を誤らしたのですが、勿論フェロディーの目指してゐる鉄の箱ーーそれは銀の箱と間違つたのでせうーーではなかつたのです。」

「それからもう一つあのタン紙の匿名氏はあなたぢやありませんか?」

「さあハ・・・・。」

 と彼は笑つた。事件の真相を解明すべき匿名氏の最後の投書は遂に発表されずに終つた。

 なほ附記しておきたいことは、光岡の科学的捜査法と鋭い推理に感嘆したM警部が警視総監マレシャル氏に光岡の事を推挙したので彼は本当の犯罪事件に対してもパリ警視庁に有力な助言をすることになつた。その為に私は二、三の今後記すであらう興味深い事件を読者諸氏に語ることが出来るのである。

(をはり)

北洋の作品について

北洋については、鮎川哲也著「幻の探偵作家を訪ねて」に詳しい。本サイトもそれを参考にしています。

没年から分かるように、本人ではなく遺族を訪問しています。

物理学者で、「物理トリックを特徴とする」ような事が書かれていますが、ひもとピンで密室を作る類の事では ありません。物理学・科学を題材にする・科学的捜査を行う等が正確でしょう。

その意味では、「ルシタニア号事件」はそれに合致していると言えますが、飛行機事故調査の部分はある程度の知識のある 人には面白いですが、ミステリ的にはもっと短くして全体のバランスを取るべきでしょう。

従って、本作は作者の特徴はよく現れていますが、アンソロジー等には採用されにくいのであろうと推察します。