清瀧川の惨劇(1)
北 洋
「ロック」第3巻第2号(1948/3/1)
清瀧川の惨劇(1)
一
昨年八月の初旬の日曜日であつた。清水警部と当時府の高等探偵嘱託であつた私は、休日の一日を利して大堰川へ鮎釣りに行つたことがあつた。秋津村の村長は警部の親爺の友人なので、この村長の家に土曜日の晩は泊めて貰ひ、翌朝村役場に届けを出して釣りに行く筈であつたのだ。所が生憎日曜日は朝から雨で、昼頃からは土砂降りになり、折角の休日が台無しになつたのをこぼしながら、村長の所から土産に鮎を三尾ばかり貰つたのに慰められてタクシーで帰ることになつた。大堰川の支流は清瀧川となつて美しい杉の植林の山峡を縫つて流れてゐるのだが、この川に沿ふて集落があり、従つて自動車道路もこの川に沿ふて蛇行してゐるわけだ。
この道路は京都から関山まで省営バスも通つてゐるが、雨の日や雪の日に地盤が緩むのと、視野が遮られるので、事故が多いのである。吾々が京都から三里ばかり手前の小野郷村と中川村との丁度中間位の稍視界が開けて、ずつと下の方に清瀧川と対岸の杉山が煙つて見える所へ来ると、川へ下りる斜面に数人の人が雨の中に蠢いてゐるのが見えた。気づいて見ると地元民が集つてがやがた云つてゐるし、警察官も来てゐるので、又事故が起つたなと察せられた。清水警部は車を停めて巡査から情況を聴取した。それによると、タクシーが一台真逆様に川中に転落し、運転手と乗客が即死したと云ふのであつた。
事故があつてから発見されるまでは数時間経つて居り、事故がどうして起つたかに就いては何等判つて居なかつた。ともかくハンドルを取り損ねて車を踏み外した跡は土砂の崩れから判断出来る。又ここは川までの斜面は石を積んで土砂の崩壊を防いであつたので、車を踏み外すと真直に川まで転落して、叩きつけられたのであらう。川までの斜面に植えてある杉木立にひつかかつて助かると云ふよくある僥倖も得られなかつたのである。従つて現場は惨澹たるものであつたさうである。
車体は屋根を下に大破してゐるのが道路からも望見された。運転手も乗客も全身に打撲傷を受け即死したものと思はれた。乗客は転落の途中で車からはうり出されたらしく、車よりは手前に落ちて居たのださうである。省営バスの事故があつた時、はうり出された車掌と乗客が助かつた例があるが、その場合も運よく杉木立にひつかかつた為である。はうり出されるといふのはどう云ふメカニズムによるのか、私には被害者が墜落当時生存して居て車体から必死に這ひ出したのではないかとも思はれた。丁度巡査からその話を聞いてゐるとき、この悲惨な犠牲者の死体が運ばれて来た。清瀧川の清流に血を洗はれた死体は異様に蒼白で、且つ傷口が露出して、それが致命傷と思はれた。私は何となく念の為傷口からサンプルを切取つて置いた。別にその必要もあるまいと思つたが、スペクトル分析にかけて傷が何によつてつけられたかを調べて見たかつたのだ。運転手の方もやはり前頭部その他全身にひどい打撲傷があつた。
この方もスペクトル分析の為のサンプルを取つておいた。乗客は所持して居た名刺からM製作所専務の三木氏と知れた。私は三木氏とは未知であつたが、製作所の技師をしてゐる息子の新吉君とは同窓であつたから彼の家を知つてゐた。それで吾々は三木氏の死体を運ぶのに吾々のタクシーを提供した。運転手の方は幸ひ後から来た空の車が丁度同じ「相互」タクシーのものであつたから、それに託された。
私は新吉君の悲嘆を思ふと、何と云つてこの悲しむべき事実を告げたらよいかと車中で思ひ惑つた。上加茂の三木氏の自宅へ着いてからの家族の悲嘆に就いては私は書く術を持たぬ。
三木氏はその日休みではあるが製作所へ行くと云つて、この家に同居してゐる秘書の江上君と一緒に、自分の車(卅年型フォード)で太秦の製作所へ出掛けたのださうである。三木氏は自分で自動車を運転出来る。江上君も同様ださうである。ところが昼過ぎてから江上君だけが独り自動車を運転して帰つて来た。江上君は三木氏から、今日は休みだからもう帰つてよいと云はれて帰つて来たのださうである。三木氏は夕方まで社に居るから五時頃車で迎へに来てくれと云はれたと云ふことであつた。三木氏が何故この清瀧川沿ひの関山街道をしかもタクシーで飛ばしたのか誰も理解が出来ないのであつた。勿論会社の用事とも考へられなかつた。
二
翌日私は事件室のスペクトロスコープで前日取つて来たサンプル−−−運転手の前額骨と三木氏の頭蓋骨−−−のスペクトルを調べた。運転手のは予期した通り、鉄及びニッケルのスペクトルが著しく出たので、自動車の車体で打撲傷を受けたと推定された。ところが、三木氏のに、鉄か或ひは岩にぶつかつたのならシリコンのスペクトルが顕著に出るだらうと思つて居たのが、意外にも鉛のスペクトルが著しく出たのであつた。タクシーの車体に鉛を使つてゐる所は恐らくあるまいし、又外へはうり出されたとして転落の途中或ひは河床で鉛の器物に打つかつた云ふのもあり得べからざる様に思つた。そんな所に鉛の器物があると考へられないからである。すると過失死ではなく他殺の疑ひが濃くなつて来るのであつた。
三木氏を一撃惨殺してタクシー諸共、後から突き落す残虐な殺人の光景が私の頭に浮かんだ。
驚いた私は早速三木氏宅を訪れ、新吉君に会つてすぐに私は切り出した。
「お父さんの持物で何か紛失したものはありませんか?」
「調べて見ませう・・・・・しかし何故です」
「まだ確かではありませんが、他殺の疑ひがあるんです。・・・・しかし之は誰方にも仰有らない方が良いと思ひます。」
新吉君の顔は瞬間色を失つた。そしてすぐに立つて行つた。やがて帰つて来て、
「今、母と小間使ひに訊いて見たのですがね、所持品は今朝出た時と変りなささうです。唯・・・・」
「え、何です?」
「唯、之は確かでないのですがね、父の事務室兼書斎になつてゐる部屋の鍵束ですが、之が全部あるかどうか判つて居ないのです。・・・と云ふのはこの部屋で使はれてゐる筈の鍵は、部屋のドアの鍵、机の鍵、小文庫の鍵と金庫の鍵と4つあると思ふのですが、3つしか見つからないのです。」
「失くなつてゐるのは何の鍵かお分かりになりませんか?」
「ええ。しかし調べて見ればわけのないことです。」
彼はすぐにその4つの鍵を持つてやつて来た。私も見てくれと云ふのでついて行つた。先づドアが鍵で開けられた。次に机の引出しが、次に手文庫が開けられた。鍵はもうそれでないのである。私共は顔を見合せた。ある同一の不安が私共の顔をかすめた。
「しかしその金庫の鍵と云ふのは誰方かごらんになつたことがありますか?」
「私はないのですが、母と小間使ひと江上君(云ひ忘れたが、彼の家庭は、彼及三木氏未亡人、女中二人、小間使ひ一人と秘書の江上君が同居していた)を喚んで来ませう」
不安な面持ちで入つて来た之等の人間に同じ質問が彼から発せられたが、金庫の鍵及び三木氏が金庫を開けてゐるのを見た者もないのであつた。従つてその鍵が紛失したのか、どこかに保管されてあるのか、判然としないのであつた。
この金庫の中には、少なからざる金額の現金、証券類及び多数の宝石類、その他に三木氏はもつと重要なものも入つてゐると云つたさうである。夫人のつける宝石類も三木氏自身が金庫から出し、誰の手によつても開けさせなかつたさうである。
私はともかく書斎及び金庫に注意すゆ様に新吉君に託して三木邸を辞し、府庁へ清水捜査課長を訪問した。彼は私のスペクトル分析と金庫の鍵紛失の結果を聞いてさつと緊張した。私は金庫を開けたいと云ふ新吉君の意向を伝へると、彼は早速嘱託の錠前屋を呼んで開かせようと云ひ出した。すぐに錠前屋に電話をかけて三木氏邸へ来る様に云ひ、さあ行かうと私を促してサイドカーで三木氏邸へ向つた。
三木氏の書斎は洋室で東と南が庭に面して居り、廣い窓があるが、厚いカーテンがかけてあつて熱気でムツとする。カーテンは四角い部屋のすべての壁を蔽つてゐるのである。机は東向きに、金庫は西側の壁にはめこまれてゐる。北側の壁には大きな暖炉がある。東側にドアがあつて廊下によつて他の部屋に接続してゐる。清水警部は一通り部屋の顔を記憶し、次に金庫に注目した。彼はポケツトから拡大鏡を取り出して鍵穴を精細に調べて腑に落ちかねる様に眉をひそめた。やがて錠前屋が来たので清水警部と新吉君と私の立会で金庫が開かれることになつた。彼は暑いこの部屋でーー警部の注意でカーテンは降ろしたままになつてゐる。ーー額に大粒の汗をかいて鍵を合せた。見てゐる方でも眼もくらむ様な気がした。しかし彼の専門的な熟練を以てしても金庫は開かなかつたのである。彼はちよつと普通の手段では開きませんとエキスパートの頑固さで断言した。清水警部は考へてゐたが、やがて、かう云つて私共を驚かせた。
「あの金庫はやはり普通の手段で開けるのではないのですね。金庫の鍵穴の附近にちつとも傷痕がないのですよ。鍵穴に鍵を入れるときには必ず傷がつくので、それでこれを最近開けたかどうかなどと云ふことがわかるんですがね。一つもついてゐないのですから、よほど注意して鍵を使つたか・・・いやそれよりももつと他の開け方があると考へた方がいいと思ふのですがね。・・・貴方はこのことに就いてお父さんから何もおききになつてゐないんですか?。さうですか。何か厄介なことがありさうですね。どうも、よく注意して居られた方がいいと思ひます」
新吉君はそれとなくこの部屋に注意することにし、警部はなぜ三木氏が関山街道をタクシーで飛ばしたかを知るために、M製作所へ行つて三木氏の足取りを調べてみると云つて邸を出た。
私はちょつと気がついたことがあつたので暫くこの部屋に残つた。
三
翌日朝、私が大学の研究室に来て間もなく、清水警部から電話があつて府庁へ来てくれないかと云ふので、早速行つて見た。
「どうでした?」
と私はM製作所での昨日の収穫をきいた。「いろいろの事が分りましたよ。三木氏の自動車はアルミニウム・ペイントで塗つてあつてよく分るらしいのですね。看守にきいたらすぐわかりました。一昨日日曜日に三木氏の自動車は確かに会社の門をくぐつたさうです。午前八時頃、所がね、十時頃又出て行つてしまつたと云ふんですがんね。それから二時頃帰つて来て又すぐに出て行つた。例の土砂降りのため誰が運転してゐたかは分らないと云ふんです。江上君の陳述と合つてゐるのは二時頃会社を出たと云ふ所だけですね。その前に自動車が出たとすると、その自動車には誰が乗つて居てどこへ行つたのでせうかね。之は一度江上君にきいて見る必要がある・・・。彼はどうかな、信用出来るかな。・・・それから「相互」タクシーへと寄つて見たのですがね、あの墜落した自動車、京3205番は午前十時太秦のM製作所から呼ばれて行つてその後帰つて来なかつたのだそうです。昨日の所はそんな所ですが、あのM製作所の内で何が起つたか、それが知り度いですね。今日はもう少し深入りして見よう思つてますが・・・ああ、それから云ひ忘れましたが、あの日は日曜日でしたから、会社は休みだつたのですが、会社の門をくぐつた事がわかつてゐるのは三木氏と江上君の他は庶務課長の金井氏と技師の並木氏は確かに憶えてゐると看守氏が云つてゐましたが、之は記憶しておいた方が良いかもしれませんね。ええと、之から江上君にきて貰つて精しい所を知りたいと思つてゐるんですが、貴方も立会つて下さい」
と彼は立つて三木邸へ電話をかけた。
「江上君ゐるそうですよ。すぐ来るでせう」
この課長室の吾々の向ひ合つて座つてゐる机の真上にシヤンデリアが下つてゐて、それにマイクロフオンが設備してある。この部屋で語られたことは隣室で秘密裡に記録することが出来るのである。之も私が清水警部のために設つてやつたのである。隣室には化学分析の装置と写真のための暗室があり、引伸機もおいてある。スペクトルスコープも置く様に云つてあるのであるが、スペクトル分析は少し熟練を要するのでまだ設備してゐない。しかし之だけでも他の警察部に対して清水警部が自慢出来るのであるから、わが警察界の科学的貧困さが知れるのである。
やがて江上君がやつて来たので昨朝以来の彼の行動が改めて訊ねられた。重複を避けて簡単に記すと、前に云つた様に彼は午前八時頃三木氏と自動車でM製作所へ入つた。
約二時間程事務室の隣室で書類の整理をして、退屈になつたのでーー三木氏から云はれた用事二三の手紙を書くことはすぐに済んでしまつたーー丁度やはり三木氏との用談が済んで手持無沙汰にしてゐた庶務課長の金井氏と近所の映画館へ入つた。映画館を出たのは一時半頃だつたと思はれた。三木氏は専務室に居たが、もう帰つて宜しい又五時頃迎へに来てくれと云はれたので自動車で上加茂の家へ帰つた。従つて三木氏の自動車が雨の中を製作所から出て又帰つて来たと云ふ時間には彼は映画館に居たことになるわけで、彼もその点に就いては何も知らないと云つた。
私共が三木氏の死体を見たのは四時ちよつと前と憶えてゐる。事故があつたのはそれから数時間前と推定されてゐるからーー之は検死の結果であるが、一方、二時に小野郷村を通過した京都行省営バスの運転手は事故のあつたことは知らなかつたーー時間の点では多少の食違ひがある様にも思はれた。それから三木氏には敵があつたかどうか訊かれたが、事業上の敵は勿論あつたと思ふが、卑劣な手段で事業を拡張したと云ふ話も聞かぬし、大体彼は温厚な技術畑出身の人であるから、敵と云ふほどの敵はなかつたと思はれると江上君は答へた。江上君には三木氏の死が他殺であるらしいと云ふ事は未だ云つてないのであるが、彼にもそれと察せられたらしく緊張して居た。
「実はちよつと思ひ出したことがあるんですが・・・」
と切り出した彼の話は意外の光をこの事件に投げたのである。
「十時前だつたと思ひますが、専務に電話がかかつて来たのです。丁度この時専務は庶務課長室に行つて居て留守だつたのです。それで唯伝へてくれればよいと云ふので、僕が聞いたのですが、何でも谷川と云ふ人からで、誰かが重態だから来てくれと云ふのです。確かユキコとか女の名前の人が重態らしいのです。それだけ伝へてくれればわかると云ふのでした。専務に伝へるとちよつと意外な顔をしてゐましたが、分かつたと云つて居られました。それから僕は映画館に行つてしまつたので知らないのですが、専務はその谷川と云ふ人の所へ行つたのではないでせうか?」
清水警部はフームと云ふ様に腕を組んだ。
「谷川氏と云ふのは貴方は心当たりがないのですか?」
「ええ、ありません。奥さんにでも聞かれたら如何でせうか?」
「さうしませう。仮にその人の所へ行つたとして、なぜ自分の自動車を使はなかつたのでせうね。そしてなぜ小野郷村なんかに行つたのかな。タクシーを呼んだのは貴方ではないのですね。」
「ええ、勿論私は知りません。僕は昨晩このことに気がついたので、地図を調べてみたのです。それでわかつたんですが、小野郷の少し先に高原療養所があるんです。谷川と云ふのはそこに居る人ぢやないかと思ふのです。」
「ああ、さうか、それには気がつかなかつた。確か白塗りの立派な建物で、府立の病院だ。さうだ、それだね、一つ高原療養所へ行つてみよう。・・・江上さん、どうも有難うございました。お蔭で大分判つて来そうですよ。」
と大喜びの清水警部は江上君に感謝した。江上君は帰つた。
「どうです高原療養所へ一緒に行つて見ませんか?」
「いや、それよりも三木さんの所へ行つて谷川氏が何者かきいて見た方が良くはありませんか。私も金庫の事で調べたいことがあるのでこれから行かうと思つてゐるのですが。」
「さうですか。何か心当りがあるのですか。ぢやさうしませうか」
と云ふので吾々は再び三木邸を訪れた。
例の書斎へ夫人と新吉君に来て貰つてこの谷川氏の何者であるか知つてゐる所を云つて貰つた。新吉君は全然知つて居なかつたが、夫人は漠然とではあるが、三木氏の友人であると断言した。しかし夫人は会つたこともないのである。多分十年程前外遊した時、三木氏がパリで知り合つた外交官であらう、又(ユキコ)由紀子と云ふのは彼の夫人であらうと思はれる、この人に就いても何も存じてゐないと云ふのが夫人の言であつたが、由紀子の名が出た時かすかに暗い蔭が夫人の眉をかすめたことを私は見てとつた。何か家庭上の不安な秘密があつたに相違ないと思はれた。従つて夫人の証言がどれほど信をおけるか疑問であつた。
異国に日を送つた者のみが知る、遣瀬ない人恋しさは往々旅する人のかりそめの友情を踏み越える場合があるのを、私は承知して居た。三木氏にもさう云ふ事が無かつたとは云えまい。
清水警部もその辺の事情について了解したらしくともかく高原療養所へ行つて見ようと私を促した。なほ私はこの書斎の中にある発見をしたのだが、それは後にわかることである。さて吾々は警部のサイド・カーに搭乗して小野郷村へ向つた。昨日の雨ははれて青々とした杉植林の美しい画廊の様な関山街道を疾走するのは快適であつた。
高原療養所の受付で入院者名簿を見せて貰うと確かに谷川由紀子の名があつた。二階の十七号室である。警部は
「この方は余程の重態なのですか?」
ときいて見た。すると看護婦は意外にも
「いいえ、まだ軽い方です。両肺に気胸されてゐますが、近い中にどうかうと云ふことはなく、却つて快復期にあると云つて宜しいでせう。」
と云つた。私達は顔を見合せた(疑ひ?)
丁度谷川氏が来て居られると云ふのでーーー彼は1日の殆んど全部をこの病院で過してゐるのださうであるーーー谷川氏に面会を求めた。応接室で吾々は初対面の挨拶をした後、警部は始めた。
「三木さんのことは御聞き及びでせうか?」
「ええ、知つてゐます。どうもとんだ災難でしたね。あれの責任の一班は私にもあるので申訳なく思つてゐます。丁度あの日家内がちよつと熱を出しまして、不愉快なものですからヒステリーを起こしましてね、三木さんに会つて話し度いことがあると駄々をこねるので、私も仕方なしに三木君に電話をかけたのですが、ーーーああさうさうその時は秘書の何とか云ふ方が電話口に出られましたーーー三木君はそれでここへやつて来る途中、遭難されたでせう。全く気の毒なことをしました。私が電話をかけなければよかつたのですべ。今日これから奥さんに御眼にかかつてお詫びを申上ようと思つてゐたのですが」
と元外交官であると云ふ彼の端正な顔が曇つた。彼は全然三木氏の遭難を信じてゐるのであつた。
「電話は何時頃おかけになりましたか?」
「さあ、十時頃と憶えてゐますが」
「日曜日なのになぜ御宅へ御電話されなかつたのですか?」
「以前からいつでも会社の方へかける様に三木君に云はれて居ましたので」
「失礼ですが、奥様にお眼にかかることは出来ないでせうか?」
「・・・いま寝んで居りますし、・・・三木君のことは・・・」
「さうですか、いいえ結構です。それでは大変失礼いたしました」
彼の答は明快であつた。私達は混迷を感じた。やはり過失死だつたのだろうか。しかし傷のスペクトルは?私共は帰りに念の為再び現場を調査することにした。今度は河床まで下りて大破した車体を隈なく調べて見た。血が水で洗はれてゐるので後部座席に血が附着してゐるか否かは判然としなかつた。勿論鉛の器物などは見当たらなかつた。私は車体の後部について居たペイントにある疑ひを持つたのでサムプルを取つてゐると、
「あつ危い!」
と警部が、私を斜面の石畳に押し倒し、自分もそこに伏せた。と凄じい物音がして、私共の背後に直径一米位の岩が二つ三つがらがら落ちて来たのであつた。岩は河床に当つてはね返り、飛沫を飛ばし吾々をぬれ鼠にしてしまつた。一丈以上もある斜面の上の自動車道路には今ギアをかけた一台の自動車がガソリンの煙を残し京都へ向けて疾走して行つた。タクシーは更に岩のため押し潰されて滅茶滅茶になつて居た。
「おお助かつた!畜生!ひどいことをする!吾々の後を跡けて来たんだ!」
と警部は唸つた。しかし、之も偶然と云へば云へるのである。尤も警部はもはや偶然とは思はなかつた。見えざる敵に対する闘志が勃然と満ちて来るのであつた。
「しかし向ふで動いてくれれば結局こつちには有利ですよ。手掛りを残して行つてくれますからね。」
尤も今度の私共の危難に対して彼等は何等の手掛りも残さなかつたのである。確かに自動車道路をその時黒エナメルの自動車が通りタイヤの跡を残した。しかしそれとこれとは何等の必然的関係もない。
四
それにしても清水警部は未だ憤怒が治まらない様であつた。彼は心の中で復讐を誓つてゐたのであらう。私は金庫の事に想を奪はれて居た。私はもうわかつてゐたのである。
「・・・金庫の鍵が漸く判りましたよ」
彼は唖然として、私の顔をみてゐたが、
「本当ですか? それは素的だ。鍵はどこにあつたんです? 早速あけて見ようぢやありませんか」
「ええ、さうしませう。ちよつと大学に寄つてくれませんか。七つ道具を取つて来ますから」
私は研究室からテスターや真空管を入れた鞄を持つて来た。之が電気技術屋の七つ道具である。三木邸へ着くと私は新吉君だけに書斎に来て貰つた。
「この金庫には始めから鍵はなかつたのですよ。実際清水さんの仰有つた様に、鍵は赤外線・・・(と私は机の上に載つて居たナショナル型四球のラヂオをボツクスから引き出した)・・・おや! 誰か之をいぢつたものがある。私が高原療養所に行つてゐる間です。新吉君、貴方ですか?」
「いいえ、僕はラヂオなぞ今始めてあるのに気付いた位です。誰ですかね。私はずつと注意してゐたのですが、この部屋には誰も入らなかつた筈です。」
「之は、重大です。後でそれとなく調べて戴けないでせうか。実は今朝伺つたときこの金庫の明け方がわかつたんです。ここに真空管の入る穴がありますね。ここに熱陰極電子管を入れてこのラヂオのスイツチを入れると、之から赤外線が発射されるのです。回路はラヂオのとパラレルに入つてゐるのです。赤外線が金庫の鍵穴から多分そこに装置してある光電管に作用すると、継電作動装置になつてゐて鍵は外れるのだと思ひます。さう気付いてからちよつと思ひついてラヂオの増幅用のと整流用の真空管を入れ変えておいたのですもし誰かが金庫をあけようと思つてスイツチを入れると真空管が間違つた回路に入れてありますから切れてしまう筈ですね。・・・ところが切れてゐるのです。ごらんなさい。スイツチを入れても球が点きません」
「さうですか、誰かな、すぐに聞いてみませう」
「いえ、それは後にしてこの金庫を開けてみませう」
私はテスターで回路の電流電圧を測つてから、持つて来た熱電子管から適当なものを選んで挿入し、スウィッチを入れた。ブーンと云ふブザーの音が何となく神秘的に響いて来た。金庫の把手を採り、廻すと静かに扉が開いた。扉は鍵穴のある側の方は開かなかつたが、その裏に光電管継電装置が設備されてゐるのであらう。開かれた扉の背後から桐で出来た四つの引出しが見えた。新吉君は一番上の段をあけた。何も入つて居なかつた。次の段・・・・も空であつた。・・・遂にどの引出しにも何等一片の紙片さへも入つて居なかつたのである。第四番目の引出しにはYと云ふ記号が入つて居た。
新吉君は真青になつて今にも倒れさうであつた。警部はフーと溜息をついたが、やがて拡大鏡を取り出し、引出しのあらゆる隅を捜査し始めた。後に金庫の把手に附着してゐる指紋を取つたが之は錯綜してはつきりしなかつた。
北洋の作品について(3)
北洋の科学知識は、犯罪捜査への利用に興味が向いています。
本作では、明確に科学捜査の重要性を述べています。
具体的な例として、赤外線分光学を利用しています。
戦後直ぐの時代では、まだ使用できる技術は限られています。
そのなかで、主として金属の分光解析と赤外線の利用が度々登場します。