6月18日16時 大坂城
荒れ果てている大坂城は少し修復もされている様子が伺え、あの退去の日以来僅か半年で戻ってこられたことが榎本には夢のようだった。
出迎えたのは城代に任命されていた山内豊範であった。
容堂公が三条、岩倉を推す薩摩、長州の策謀で主流からはずされていたが、勝と大久保はこの若き藩主を新しい政府の重要人物の一人と数えていた。
会計判事に引き合わされ大坂城に軍事資金八十万両がありそれをどうするか相談されたが、一徳川の金では無いとそのまま新政府の資金としての保管を豊範の管轄下においた。
6月18日16時 京
大津から来た東軍は伏見に入り淀城を開かせてその周りに陣を張ることにした。
あの日この城が開かれていればと大久保忠誠は感慨深いものを覚えた。
出迎えたのは鳥羽伏見のときは江戸在府で留守であった正邦だった。
城主である稲葉美濃守正邦は苦しい立場を切り抜けてきて漸く此処に自分の立場が立った事に安堵を覚えていた。
それは大鳥に会ったときの安心した顔つきでも分かるのだった、其処には連絡を受けて春嶽も出てきていた。
そして大坂城に榎本が入っていると聞かされて騎馬隊のうちから太田の指揮する百二十騎がすぐさま大坂に下った。
大山、板垣は島津久光と山内豊信(とよしげ・容堂)の命令で京の町筋の警護にすぐさまついて不穏な動きが起きないように警戒態勢を固めた。
6月18日19時 大坂城
太田と城中で打ち合わせをした榎本は明日早朝共に騎馬で二条城に向かうことになった。
そのほかの兵は大坂城にそのままとどまることになった。
いままでここにいた兵は各藩邸に引き取られ城中は元の徳川時代からの働くものと事務職の必要な人員二百名に山内豊範配下の六十名だけに一時的にされる事になった。
6月20日12時 二条城
昨日の打ち合わせどおり大鳥、榎本は騎馬で二条の城に入った。
従うものは騎馬隊千八十騎の堂々たる入城だった。
すぐさま朝彦親王(ともよし)と熾仁親王(たるひと)が対面をして双方の協力を誓い合って共に大広間にお出ましになった祐宮睦仁親王(むつひと)にお目通りをしてお二人の宮様に政治向きの御委任を改めてお授けになったうえで、慣例を破り大鳥、榎本に目通りを許した。
睦仁親王は践祚(せんそ)したがいまだ即位の礼も無きままで今に至っていた、いままで徳川の悪いところばかりを吹き込まれていたが英明なる若き天子は勝の掲げる「天子は君臨すれど統治せず」と言う檄文を読んで国のためにも政争の具にしないという東軍の主張を受け入れる決心をしていた。
罷免されたとはいえ前の摂政関白の二条斉敬(なりゆき)を密かに呼び出して其の意思を伝えていた。
大鳥、榎本は感激して引き下がり二人の宮様と共に在京の諸藩代表とこの後のことについて相談を始めた。
勝、大久保から委任されたことと、江戸の裁可が必要な事の一覧を示し、祐筆が其のことを書いてそれぞれに示した。
そしてこれからは町の瓦版のようにすぐさま版を起こして同じ文章を閲覧できるようにすることも取り決め街から職人が集められて御用を承る事になった。
6月21日10時 二条城
配られた覚書は次のように為っていた。
1 郡県制 九郡四十三県
蝦夷郡 (分県予定地・渡島、十勝、石狩)
奥羽郡 (分県予定地・津軽、出羽、陸奥、岩城)
関東郡 (分県予定地・相模、江戸、武蔵、千葉、常陸、両毛、甲斐)
東海郡 (分県予定地・伊勢、尾張、駿府、信濃、岐阜)
北陸郡 (分県予定地・若狭、加賀、越後、越前・近江)
近畿郡 (分県予定地・山城、大坂、大和、紀伊、播磨)
中国郡 (分県予定地・吉備、安芸、山口、出雲)
四国郡 (分県予定地・土佐、阿波、讃岐、伊予)
九州郡 (分県予定地・鹿児島、日向、肥前、肥後、筑紫、豊)
「九郡とは大きなわけ方で御座るな」
春嶽も宗城も話には聞いていたが周旋人として細かいところを把握しなければと考えていた。
「はいそれらは草案でありまして、まずいまの大名家が領地飛び地の整理をしてそれ以降の分け方となります。まず徳川家が率先して領地の朝廷への返還をいたし各地の大名家に置いても其の領地を朝廷に返還いたしたうえで新しい国づくりが始まると考えられます」
「それほど簡単に版籍奉還と言うことが簡単に行えるだろうか」
「それを行っていただけませんと新しい政府の財源がありません。それと多くの藩が財源不足で立ち行かなくなっております。このことを通達すればすぐさま申し出る藩が続出いたすでしょう」
周旋人として春嶽、宗城の二人は即日在京の諸藩の代表にそれを示して版籍奉還についての意見をまとめるように指示した。
そして江戸に勝と大久保の上京を促すために、大坂より甲鉄に黒田長溥を座乗させて迎えに向かわせた。
前日使いを出して呼び寄せていた甲賀源吾が承り伏見から御用船で下って翌早朝には天保山沖を江戸に向けて出ることになった。
6月22日8時 甲鉄
準備が整い他の艦と別れの汽笛を鳴らして甲鉄は大阪湾を出て行った。
蘭癖とも言われるくらい新しい物が好きな長溥は興奮を抑えかねて船の内部まで甲賀に案内させて飽きることが無かった。
それも其のはず薩摩の斉彬公、久光公の大叔父にあたる方であったが斉彬公より年が下でその影響は大きかった。
この年58歳の長溥は船が外洋に出てゆれが大きくなっても平気でデッキに出て海を見ていた。
そして甲賀に政治局や勝が言う版籍奉還についても知っていることを聞くのだった。
知る限りのことを話してようやく船室で落ち着いてくれた長溥から開放されて甲賀は「この調子だと、江戸からの航海は勝総裁がずっと質問攻めだろうな」と塚本に笑いかけるのだった。
大坂で石炭を積み込んだので甲鉄は休むことなく機関を焚いて潮流にも乗って夕刻には遠州灘から駿河湾沖に入っていた。
長溥は夕暮れを見に出てきて「いまどのあたりだ」との質問で当直士官が海図を出して印をすると「もう此処まできたか、明日の朝には横浜についてしまうかな」
「其処までは無理でしょが浦賀までいければそこで休んで翌日浜御殿には昼にはつくでありましょう」
「いやいや、いかんぞ、このような大事な事態だ例え夜中といえど江戸までいけるものなら進んでもらいたい」
甲賀も塚本もこの人がそのようにこの使いを大事に思っていることに深い感銘を受けた。
「承知いたしました機関を目一杯焚いて江戸に一刻も早く到着させましょう」
「頼んだぞ、わしはこれから寝酒を飲んで寝かせてもらう」
二人が承知すると居室に戻り用意されている食事と寝酒を飲んで寝についたようだ。
6月22日22時 浦賀
浦賀に入ってきた甲鉄に明かりが多く向けられていた。
見張りが見つけ夜間に進入してきた船に警戒の神速丸が近づいて誰何してきたのだ。
「此方は甲鉄、艦長の塚本である。急ぎの用事で海軍操練所までまかりとおる」
龕灯やらランプの光が錯綜する中、相手を確認した神速の海藤は甲鉄の通過を見送った。
横浜でも誰何して来た船が先ほどと同じやり取りの後、甲鉄を先に行かせた。
起きて外にいた長溥は「よく訓練されているな。これだけの速度が出る舟の前方をふさぐ形で操船して誰何するなど大変なことだ」
警戒艦隊の中島提督が聞いたら喜びそうなことを長溥はさらりといって横浜の消えない灯台の光と品川の街道沿いの灯篭に「これだけ明かりが有ると夜間でも船の航行が不便を感じんな」
そのように改めて感心をするのだった。
いくら新物好きの長溥でも夜間の航海には一抹の不安があったのだろう、浜御殿の大灯篭が見えて信号灯が点滅してバッテラが降ろされたのを見てから船を降りる支度を御つきのものが勧め、船室で衣服を改めて出てきた。
大名の長溥は僅か五人の御つきのものだけを乗船させて来たのだ。
6月23日3時 浜御殿海軍操練所
甲鉄が沖について操練所では大騒ぎになっていた。まずバッテラで士官が十名と黒田藩の侍が二名上陸し長溥の休息所をしつらえた。
追いかけるように甲賀と長溥が上陸をして直ちに勝と大久保に使いが出て行った。
家達に慶頼、確堂が付いて江戸城に入っていて、大久保も勝も其々の居宅に休んでいたが甲賀からの使いで急いで浜御殿まで来たのは夜が白々と明けるころだった。
長溥から仔細を聞いてすぐさま馬で連れ立って千代田城に上がり、確堂、慶頼とともに家達に長溥は挨拶をした。
「黒田長溥で御座います。家達様にはご機嫌麗しく恐悦至極で御座います」
早朝にもかかわらず家達は機嫌がよかった。
「身が家達である。これからも国のために働いてくれるよう」
幼君の言葉ながら威厳有る言いように長溥は世が世ならこの人が将軍として此処に居られたのにと涙が零れるのだった。
家達が奥に入り勝と大久保が早速京に上がる手続きを始めたのを長溥は見ていて「甲賀提督、昔の幕府の時代にはこう簡単にはいかなかった。時代の流れとはいえ僅かの間に江戸も進んだものだ。一時とはいえ京の変わりようの有様もすさまじかったが行き過ぎが多く心配したとおりになった。江戸でもそのようなことが起きないように皆で気をつけて政局の運営をしてくだされ。年寄りの冷や水といわず、急いては事を仕損じるという言葉の意味をかみ締めてくだされ」
甲賀も其の長溥の言葉を心に留めて行動すると誓うのだった。
6月23日14時 浜御殿
急いで京での着替えなどを整えさせて二人の指導者は操練所までやってきた。
呼び出された稲葉正巳も其処で待っていて三人は甲鉄に乗り組んだ。
着替えといっても東軍は戎服が制服で俗に言うだん袋だった、衣紋も長袴も東軍では禁止していたのだ。
陸に上がることも無かった艦長の塚本たちに「済まんな急ぎ京に上がるのでご苦労だがこのまま出発してくれんか」
「了解しました。いままで機関の整備をしていつでも出られますが横浜で石炭に水その他の積み込みをする間は停泊させてください」
「分かった、横浜出航は明朝8時、それまでに積み込みを完了してくれ」
船は機関を焚いて横浜に出て石炭や食料を積み込むことになった。
6月23日17時 横浜
勝に大久保、甲賀、長溥は連れ立ってフランス波止場に降りてピカルディにやってきた。
「コタはいるかい」
いつものだん袋姿の勝に店にいたハンナは驚きもせず「元町に居られますから呼んで参りますからこちらでお休みください」そういって庭の大きな日傘の下でお茶とクッキーを用意した。
お茶にブランディを垂らして香りを楽しみながら四人は船の事、京のことなど話し合うのだった。
「勝さん」
長溥は友達にでも言うように気安く話しかけ「今晩はホテルと言うところに泊まって見たいな。年寄りには船で寝るのは堪えるこたえる」
「ハハそれは軍艦ですからないくらなんでも上等の船室といっても限度があります。今度亜米利加のコロラドかグレート・リパブリックにでも乗られれば船の旅もよいものだそうで御座いますよ」
「いらっしゃいませ」寅吉がいつもの法被姿でやってきた。
「オオ、コタよ、紹介しておこうこのお方は黒田長溥様だよ」
偉い方に出会っても物怖じしない寅吉は「虎屋の寅吉で御座います。お目にかかれて光栄に存じます」
「わしは耄碌爺の長溥じゃよ。お前さんの事はしっとるぞ。長州の伊藤がお前さんからSniderやボクサー式銃弾を買ったことや、亜米利加からの新式銃をたくさんそろえたことも、日本人がイギリスの相場で大もうけしたという噂もな」
驚いたことにそのようなことまでどこで耳にしたのかこの人が京の指導を撮っていたら、東軍の進撃も簡単にいかなかっただろうということをも感じる寅吉だった、すでに大坂、伏見に東軍が集結した知らせは横浜に伝わっていたのだ。
「詳しい事は後で言うが今晩ホテルに泊まれるか聞いてきてくれ」
寅吉は自分でインターナショナルホテルに出向いて部屋の交渉をした。
幸いにも続き部屋と別の二部屋が取れたので「今晩続き部屋で3人ないし4人、別に二人部屋で2部屋が空いて居りましたのですべて押さえました。夕食はお食べになるなら予約してきますが洋食がお嫌でしたら他をご案内いたします」
「ぜひ洋食を食べてみたいな。ぜひとも頼むよ」
長溥様は率先してそのように申し出て「わしの家来が二人泊まれるかな」と心配そうに聞いた。
勝は「長溥様とおつきのものに続き部屋に入ってもらい、大久保さんと稲葉さんが一部屋ずつ、わしと甲賀提督はコタのところで良いよ。お前も食事を付き合うのだぜ」
「そういたしましたら、都合八人の食事をご用意致せばよろしいですか」
指を折っていた長溥は「そうじゃ、わしの家来も食べさせてやらねばいかんな」
「ではテーブルを二つ人数は八人で予約をしてまいります」
「これこれ寅吉もわしの家来も同じテーブルで食べようぞ、遠慮するなど横浜商人にしては遅れて居るな」
闊達な殿様で御座いました、後ろで椅子に座る御家来も大口を開けてワッハッはと笑う様はこの御家来も豪傑に違いないと寅吉には感じられた。
ライオネルとアーサーに直接会って八人の食事と世話を頼むのでした。
「すぐにつれてくるから部屋に入れるようにしてくれるかい」
「任せなさい」
愛玉は胸を叩いて接客はあたしの持ち場だとばかりにアーサーとおみちを引き連れて各部屋の点検に向かった。
勝はとらやの店で勝蔵に頼んで下着の替えを買いに元町に行かせた。
ハンナに案内させて黒田様一行を先に行かせて寅吉は勝から経緯の詳しいことを甲賀が補足しながら話して「それが食事の話題に出たらどういたしますか」と聞いても「もちろん包み隠さず話して良いよ。甲賀提督この際だからぶっちゃけた話、黒田公にはこれから出来る政府の重職についていただかなければ為らぬから隠し事はなしだよ。此方の話はすべて知っていただいたほうが良いよ。軍備も聞かれたらすべて話したほうが抵抗する勢力に伝われば無駄な争いが起き難いだろう」
ハンナが戻ったので片づけを頼んでインターナショナルホテルへ向かった。
夏の暑い日も富士の向こうに落ちかけて風も涼しくなってきた。
勝蔵が換えの下着を二十人分ほど買い入れて勝に渡した。
「明日の朝までに下穿きを百人分用意して家の旦那に渡しておきます」
「頼んだぜ」
勝は何か考えがあるのか多くの下穿きをも買い入れていた。
部屋に案内されて長溥公の部屋に呼ばれた寅吉と勝はこれからの政府のことについて長溥に聞かれるまま答えるのだった。
「そうすると武士も町人も区別のない世の中を目指し、ともに外国の脅威に立ち向かうということかの」
「然様で御座います。いままでの武士だけの世の中ではこの時代外国からの脅威に立ち向かうにはいささか力不足であります。侍が戦の役に立たぬ事はあまりにも近頃の戦で証明されております。確かに一人ずつの力では侍は其の力を発揮いたしますが大砲、軍艦には立ち向かう事は出来ませぬ。日本の国の力を集めて天子の元すべての邦民が心を一つにせねば清国と同じ目に遭う事は明白であります。三条、岩倉両卿が幕府に変わり公家政治の復活を目指すことが全て悪いとは申せませぬが、行き過ぎた公家優先の政治ではこの国が成り立ちませぬ。此処はあくまで公武合体を一歩進めた邦民一体の国是を掲げて先の五ヵ条のご誓文の実行に邁進いたしとう存じます」
「そうすると岩倉、三条たちの追放と言うことと齟齬が生じはすまいか」
「私たちは追放ではなく現在の指導的立場からの一時的に免職すべき五人を選んで求めておりそれは実現されたと本日お話を承りました」
「然様である、岩倉、三条は前原が附いて京を退去いたしたがそれだけでよいのか」
「はい敵対して兵を戦闘に導かなければあえて討伐をすることは現在考えておりません、がしかしながら反乱を起こすことがあればそれを討伐せざるをえなくなります。大久保一蔵、木戸準一郎、後藤象二郎の三名に対しても免職後こちらの望む政府方針と総裁局の方針が摺りあわされれば適材適所の言葉どおりに国のお役に立っていただく所存であります」
其処まで話したところにドアがノックされ寅吉があけるとアーサーが「食事の用意が出来ました下へおいでください」とボーイ姿もりりしく外で直立していた。
外に出て鍵をかけさせて下へアーサーを先頭に降りてゆくとすでに大久保と甲賀がテーブルについていたが立ち上がって勝と長溥を迎えた。
刀掛けも用意されていて其処にそれぞれが置いて愛玉が椅子を示して長溥を座らせた。
「本日はフランス料理と中華からオムニバスでお召し上がりいただきます」
ライオネルが話してパンとスープが運ばれてきた。
それぞれがスプーンで少し音を出してすすっていたが真向かいの寅吉が音も立てずにスープを飲むのを見て長溥が「どのようにすするのだな」と聞いてきた。
「このように七分ほどスプーンに掬い舌の上まで持ってゆきまして流し込みます。飲むというより食べるというお気持ちのほうがよいと思います」実際に口に持っていく様を見せるとすぐにまねをして三回ほどで音が出なくなった。
次に温野菜とひらめの塩蒸しが出てライオネルは特性のソースと醤油の両方をアーサーに給仕させた。
温野菜とソースはうまくからみおいしいもので馬鈴薯の甘みとあっていた。
そして中華とライオネルが言っていた東坡肉とピラフが出てきた「この小エビがぷりぷりしてうまい飯だな」
寅吉は「なるほどナイフで切り分けずに済むような食事にしたな」とスプーンとフォークのみで食べられる食事は長溥の負担にもならず、おいしく食べる様は愛玉が見ていても口出しをしなくて済む楽なテーブルであった。
デザートにアイスクリームが出てこれには皆がたいそうお気に入りで毎日でも食べたいものじゃと長溥が言うほどおいしいものだった。
「勝さん前に亜米利加で食べたと使節で出向いたものが言うていたが、あちらと比べて味はどうじゃ」
「遜色がありませぬな。これだけのものが出せるのは横浜だけで御座いましょう」
コック帽を小脇に抱え、ライオネル・オルセンが出てきて食事の出来はどうかと聞かれて勝も長溥も口をそろえてほめるのだった。
食堂からサロンに出ると勝総裁が来ていると知った居留地商人たちが次々に挨拶に来るので困った挙句、長溥の部屋にコーヒーとブランディにクッキーを運んでもらって引き上げることにした。
それでも八人が入ると少し狭かったが愛玉が気を利かせてアーサーと竹蔵に頼んで長椅子を運び入れてくれて漸く落ち着いて座ることが出来た。
「船でもお話できますがこれからの方策を少しお話いたします。細かい外国の事は寅吉に聞けば本や実際の外国人からの知識でほとんどの事は答えられるでしょう」
「それならこの際乗船して京まで同行させたらどうだね。其のほうがいろいろ聞けてわしの好奇心も満足するわい」
勝は寅吉にアメリカやイギリスの最新情報を船で話させて置けば大久保や甲賀との打ち合わせの時間が取れると踏んで「コタよお前もこの再だ軍艦でお供しろよ」いくらあの時代に育って軍艦には驚かぬ寅吉でも甲鉄に乗れるチャンスはそうないと思い「承知いたしました。大坂と神戸の店にも廻りますのでお許しがあれば乗船させていただきます」
「甲賀提督よろしいですかな」
「良いですとも。コタさんなら大歓迎ですよ、甲鉄の士官たちも顔なじみですし、水兵たちは大喜びでしょう」
「なぜお客が増えて水兵が喜ぶんだい」
長溥は不思議そうに聞くのだった。
「コタは気前が良いから顔がつなげれば横浜に上陸したときに水兵が尋ねればご馳走にありつけるからですよ」
勝はそういって「長溥様も横浜に来たら寅吉のつけで豪遊なさいませ」と愉快そうに話すのだった。
「そうじゃな、なんせ百万ポンドのダイヤ鉱山の御大尽だそうじゃからな」
神戸で噂がだいぶ広がったようで「これはうかうかしていると大変だぞ」と思う寅吉だった。
長溥が懐からだした京で刷った郡県制のあらましを勝と大久保は細かく説明しだした。
それと実務は何人か大坂に呼び寄せて居留地とも折衝しなければならず人材は数多く必要なことなども話し合うのだった。
「そうすると江戸からも10人ほど大坂に呼び寄せるとして誰を呼び出すかな」
稲葉はそういってpencilと懐紙を出して大久保と呼び寄せる人間のリストを作り出した。
話が長くなりそうなので寅吉が先に辞去しようとすると長溥が引きとめ「寝るのは船でいくらでも出来るだろう。今日はもう少し付き合いなさい」
コーヒーとブランディが効いて饒舌に為った長溥は皆をなかなか部屋に帰さないのだった。
「では明日の支度のために人をやって連絡をしてきますので10分ほど中座をお許しください」そう断りピカルディで「連絡員を出来るだけ集めて来てくれ」五左衛門さんに元町に行かせ各店に指令がいくように頼みました。
二十分ほどで次々に現れる連絡員に長溥様も「これはまるでお庭番が出入りするようじゃな」とご満悦でした。
「わが国では身分の低いものが下になってものを承りますが外国では使用人が立ったままで用事を聞くので御座います」
連絡員が座ったままの寅吉の脇でたったままで用件を聞いては出て行くのをものめずらしげに見る長溥にそう稲葉が説明していた。
大久保と稲葉は何度か会って見知った千代に「面倒でも京極さんにこれを見せて江戸へ連絡させてくれ、それから船を捕まえ次第大坂に寄越すように伝えてくれ」
千代は急ぎ京極の役宅まで走り出した。
千代が帰ってきて「京極様がお手配をなされて江戸に早馬を出されました」その報告を聞いて「う〜ん、昔の幕府のころとは奉行の心構えもだいぶ違ってきたようだ。昔なら格式だのなんだので、役人が来てうるさく聞いてから漸く使いが出るくらいで物の役にはたたぬことが多かったからなぁ」と長溥様は東軍の勢いの源が理解できる事柄だなとひとりごちていた。
6月24日6時30分 インターナショナルホテル
朝の食事が済んだころ京極が現れ「お指図通り手配が完了いたしました。横浜に明日夕刻までに来るように便へましたので明後日の船で出られるように乗船手配をこれからいたします」
「頼みましたよ、手紙で書いたようにいろいろ複写したものも持たせてくだされよ」大久保はそういって稲葉と先にフランス波止場に向かった。
どうやらはしけに乗る時間も甲賀に聞いて書いてあったようだ。
京極は勝と打ち合わせながら波止場に出てさらに何事か打ち合わせていた。
甲賀はピカルディの事務所から先に船に向かい出港準備を塚本としていた。
最後は寅吉の先導で長溥が少しふらつく脚ではしけに乗って甲鉄に向かった。
見送った京極と千代たちはそれぞれの役目を果たしに帰っていった。
甲賀が来て「冷たい菓子が出来るのか、昨日のアイスクリンが出来ると士官たちも喜ぶぜ」と寅吉に話しかけた。
「マァマァなにが出来るかお楽しみにしてくだせぇ」今朝寅吉たちが積み込ませた氷の入った箱とさまざまな器械を士官たちはものめずらしげに見るのだった。
早速船の賄い方を使って小豆入りの甘いキャンディを作り出した。
お怜さんに頼んで多めに届けてもらったものだ、寅吉は「これなら二百人分は作れるかな」などと賄い方の五人と大きなcopper boiler(銅壷)二つに氷を砕いて入れだした。
ガラス管に二股の竹串を指して煮小豆の冷やしたものと砂糖水を入れて混ぜたものを箆でかき回してからガラス管に注ぎ銅壷に入れてガラス管の周りから塩化カルシウムを溶かした水を注いで作るのだ。
固まったものは取り出して手の空いたものから竹についた其のキャンディをもらい次々に入れ替わり食べに来た。
「こいつは良いな。この暑い日に氷をもらえるだけでもたいしたものなのにこんなにうまいものなど陸でもなかなか食べられないぜ」
寅吉が特別に輸入した四十本のガラス管は次々に冷やされて固まると陽だまりで温まった水につける、そうするとするりと抜けて渡された者は溶けない内にあわてて口に運ぶ様は寅吉の子供時代の縁日の様子そのままだった。
亜米利加人のお雇いの水夫も食べたことが無いと喜んで食べていた。
勝や稲葉も大久保もこいつは良いや、長溥様にも薦めてこようと船室で二日酔い気味だった長溥を呼んできて次々に出来てきたキャンディをもらい食べさせるのだった。
身分上下の差なく水兵に混ざり食べる様子は縁日に集まる子供のようだった。
塚本が気を利かせて機関の兵も替わり番子に食べに来て一回りしたころには残り少なくなったが「何人かまだ食べられますぜ」其の声に長溥や稲葉は出来上がる様子をしげしげと見ながら不思議そうに何くれとなく聞くが理解は出来ないようだった。
長溥や十人ほどに出したところで残り十本ほどになり「後はこれを作るものの分でおしまいでござんす」と言うと皆はそれぞれの仕事に戻り賄い方のものと寅吉とで両手に竹串を持って服が汚れないように顔を突き出して食べるのだった。
一騒動終わったころには甲鉄は早くも大島の近くを航行していた。
富士は夏の日差しで黒く見え船は伊東と大島の間を抜けだして遠くには新島が見えた。
伊豆沖を通り駿河湾から富士を後ろに見るころには日が暮れだしたが、なかなか落ちない夕日の中、甲鉄は機関を止めて帆走に入った。
「風がやめばまた機関を目一杯焚きますから休めるうちに休んでください」士官がそれぞれに伝達していった。
6月25日5時 紀州沖
夜になって雨が激しく降って見通しが悪かったが其の分暑さが和らいで船の中は快適だった。
朝、夜中の雨がやんで紀伊の山々が朝日に映えて木々の緑が輝いて見えた。
夜中にだいぶゆれて勝は閉口したが「勝さんあんた船は相変わらず苦手みたいだな。陸の方がよいかな」と稲葉にもからかわれていた。
「いやこればっかりは気合が足りないというしかないでやんしょう」
其処へ長溥が出てきて「聞いたらもう紀州沖に入っているそうだな。天保山には何時ごろ到着かな」
「この分なら15時には投錨できましょう」
「早いものだ江戸に向かうときは潮流に乗れるから一昼夜と聞かされたが帰りもほぼ変わらぬ時間でこれるとはたいしたものじゃ。帆走のときもだいぶスピードが上がっていたがあのアメリカ人たちもよく働くな」
お雇いとはいえ高ぶることのない水夫と機関員は本当に塚本たちと一体になって船を動かしていた。
6月25日17時 大坂城
甲鉄で江戸から入った勝と大久保に稲葉の三人は大坂城の変わりように驚くのだった、居留地のあたりから城内いたるところ荒れ果てており修復が進まぬ様子だった。
「これを昔のようにするのは時間も金もかかりすぎますな」
「やはり戦はせぬのが一番さ」
もっとも戦で荒れたのではなく暴民と化した一部の人間が放火したり泥棒となり城に入り込んだものだった。
江戸の町を暴徒から守ったのも町民なら幕府が撤退した大坂城を中心に居留地を荒らしたのも町民であった。
勝は今回この戦を起こすに附いて上野牧に戦場を持っていこうと考えたのも大坂で戦を出来るだけ始めないのも、大坂もしくは江戸を国の首都として残さなければいけないと大久保、稲葉共に賛同してのことだった。
山内豊範と後藤象二郎が出迎えて長溥の労をねぎらった。
「ご苦労様で御座います」
「イヤイヤ楽しい船旅で有ったよ。嵐にも遭わずうまいものも食べさせてもらったし横浜は良いところだよ、神戸はまだまだ整っていないからな」
京には明日の朝、馬で出ることになりこれからの政府のことについて此処まで出てきていた長州の伊藤俊介、薩摩の西郷信吾が話に加わり下話だがと断って軍事、民事、外事の三局の責任について相談を始めた。
勝が後藤、西郷、伊藤に示したのはまず軍事のことだった。
一、御親兵 ・・
近衛大隊(天子及び首都防衛軍)千六百名
一、陸軍 ・・ 八鎮台 (政府陸軍拠点) 一万千二百名
一鎮台千六百名
(盛岡・新潟・関宿・名古屋・大坂・広島・福岡・松山)
一、海軍 ・・ 七鎮台 (政府海軍拠点) 艦数未定
(秋田・仙台・横須賀・大坂・岩国・長崎・若狭)
一、騎兵 ・・ 四鎮台 (政府騎兵軍拠点) 九千六百名
一鎮台二千四百名(千二百騎千二百名・兵千二百名)
(佐倉・大垣・姫路・熊本)
「これを各藩から人員を出してもらい各地に配置する。ただしこれらの指導者は政府直轄として大名といえど人事に口出しをさせないこと。それから版籍奉還だが大久保一蔵を筆頭にこれはもうすでに織り込み済みで考えていたのだろう」
「はいそうです。すべて天子への奉還を前提に考えて居りました」
後藤が其のいきさつとこれからやろうとしていた進行の具合などを勝に話した。
「次に廃藩置県だが肥後の横井さんが言うようにこれは実行しなければならない。各藩主のうち太守といわれる方々は不満も出ようがすべて天子の下邦民すべてを平等にするにはここから始めないといけない。国を守るに公家も武士も町人も区別なく兵役を経験していただく」
「勝先生、それは大村が言っていた国民皆兵と言うのと同じですか」
「彼が言う皆兵とは武士ではなく農兵の活用を唱えていたようだがこれはこの国に住むもの全てが負う義務と考えてほしい」
「それでは宮様方も含めて、大名家のものもすべからく義務があるということでしょうか」
「そうだ、同じ教育、同じ理念を持って其処から育つ、国を守る気概を養うことが目的だ。ただこれだけではでは行き過ぎが出来るので私学を奨励して国の教える教育のほかにも思想理念があることを教えなければ為らない。これの釣り合いを取って国の方針を間違えないようにするのが政府の役目であり義務である」
勝は邦民だけでなく国そのものにも義務があるということを此処で明確にしたのだった。
「そうしますと、邦民、国双方に義務ありと言うことでよろしいでしょうか」
「さようでんすよ。邦民のため軍隊を養い天子のため邦民は義務を果たす。軍隊は天子、特権階級の公家、大名のために存在せず邦民全てのために存在しなければなりません」
「大名がなくなると其の軍隊を養う金の出所はどうしますか、大名の生活はどうなされますか」
西郷は不安そうに勝に聞いた、薩摩では藩侯の力が強く其の生活と政府への影響力が心配であった。
「大名、公家にいま直ちに町人、百姓になれということではありません。今までとは違うでしょうが生活を維持できる秩禄は保障しなければならないでしょう、しかし今と同じ数の人を養うことは無理なので、軍、郡県の吏員として政府と地方の役所で働いてもらうことになるでしょう」
「そうしますと大名家の家来から郡県の職員もしくは軍隊に所属するということでよろしいのですか」
「ただいまの武士階級全てを雇う事はできない。わが連盟軍は全てそれを納得承知のものしか加盟を許していない。したがって東軍と呼称している奥羽、越後の連盟とわが徳川連盟軍は版籍奉還、廃藩置県についてと武士階級兵士として参加したものでもその後、雇うこととは別々であるということを確認のうえで参加しているので官軍と呼称している西軍諸藩のみがまだこれらを呑んでいないのである」
「大山、板垣両人はそれらを承知で東軍と行動を共にしたのでしょうか、まだ彼らから詳しい話を聞いては居りませんが薩摩、長州、土佐藩は大筋では東軍の主張に合意しておりますが、しかし飽くまで藩侯のご身分を保証していただけないと内乱が起きる事は必定であります」
後藤はまだ板垣と話していないのか、とぼけているのかそのように言って勝に藩侯の身分保障を迫った。
「細かい事柄は後からわがほうの政策部員がやってきますからそれらと打ち合わせてください。今回私や大久保さん、稲葉さんが此処へ来たのは大筋合意のためで細かい事柄は其の係りのものの意見をすり合わせて齟齬のないようにしないといけないでしょう。そのための特別な役所の設置を行うことで今日はお開きでいかがかな」
大久保と、稲葉もともども「藩侯のご身分は出仕していただく役に拠るお手当てのほかは、いまの収入にかかわらずわが家達公に準じていただく、これだけは譲れぬことで家達公には生活用の私費として三十万石のお手当てを考えている、当然今までの徳川家の家来たちはそれぞれお手当てが減ることとなる」
「したがって島津公、毛利公、山内公についても家達様より多くの生活用の私費を支給する事は認めない」
夜も更け明日のこともあり其の晩は其処までとなり新政府の責任者についてはうやむやのままであった。
6月26日11時 二条城
昔の大名行列と違い勝たち一行は太田の指揮する騎馬隊三百騎に守られて伏見街道から京の町に入った。
町の者達も大勢見物にでてきたが騒動もなく松平春嶽、徳川慶勝の迎えを受けて二条城に入り有栖川宮熾仁親王と賀陽宮朝彦親王の待つ黒書院に通った。
「お上がお目にかかられるそうだがそれは今日呼び出した大名家、公家共々でよろしいな」
「遠路ご苦労であった、こたびはいくさを治めて新しい政府の基礎を固めるために来ていただいた。そちたちが言うように格式位階に捉われぬ国づくりにお上も協力するようにわれらに申し付けられた」
二人が交互に話をする様は短時日の間に意思が通じ合ってきたようだ。
「そちたち三人が揃って上洛に応じてくれた事は昨晩のうちにお上の耳に入り、危険を冒してまで求めに応じて来てくれたのをことさらにお喜びである。この時期どのような危険が待ち構えて居るかわしらにも不安があったし、勝、大久保に稲葉まで来てくれた事はうれしく思う。わが身と朝彦親王のお名前がそのほうらの名簿にあったが今回東軍と敵対した公家諸侯の罪は問わぬ、人材を求めて敵味方なく国の礎を築きたいと大山に板垣からも聞かされたがそれを信じてよいのか」
熾仁親王が改めて念を押され勝が代表して申し上げた。
「間違い御座いません。私たちは国のために適材適所の人材をあてがい邦民すべてが同じように天子の元一丸となり夷狄の脅威に立ち向かわなければなりません。開国は相手を夷狄と蔑むだけでなく遅れた文明と機械力を身につけて国を守る手立てといたす所存で御座います。彼らとて同じ人間で私たちに同じような文明の力を持つことを望んでいる者も居ります。またただの儲けの対称にしか見ていないもの、同じ宗教を信じていないものは人間以下と蔑むものも居ります。しかしながらわれらが文明を受け入れ東洋諸国が同じ志を持つときがいたればいたずらに彼らの思うようには為らなくいたせると存じます」
「勝は開国派とばかり存じていたが夷狄は嫌いなのか」
「好き嫌いではなく、彼らと付き合うには人を見て法を説くという諺を忘れないことで御座いましょう。勝はただただ国を守るということのみを考えて居ります」
「大久保に、稲葉も開国派だそうじゃが、その真意はいかに」
「大久保一翁謹んで申し上げます。先の将軍家存命の折から越前春嶽公共々何度も大政の奉還を建白いたしたのも、我が国を守るに附いて一徳川家のみが其の任に当たるには力不足であり天子の下一丸となり国の守りを行うがためでありました」
「稲葉正巳謹んで申し述べます。我が徳川家は勤皇の志半ばで賊軍となりましたが其の真意は天子の下一丸となって国の守りを固めることこそ目下の急務であると信じて行動を起こしました」
それぞれが自分の言葉で心のうちを二人の宮様に申し上げました。
「分かり申したぞ。暫くここで待っていただきたい。在京の大名達も城に上がらせて居るから天子の臨席を待ってそちたちの方針を申し述べてくれ」
三人が了承して黒書院で茶菓の接待を受けた、大久保も稲葉も勝も三人揃ってだん袋で羽織を羽織っているだけで格式にあった服装ではなかったが出迎えた春嶽も慶勝もあえて其のことを話題に乗せなかった。
廊下で待機していた其の二人が部屋に入りこまごまとしたことを車座になって話をした。
「勝さん京の変わりようも凄かろう」
春嶽は気安く話しかけ、慶勝とも昔ならこんなに端近で車座で話すなど有り得ない事だった。
「勝さん名古屋からの話を聞いて感謝しているよ。茂栄の城入りだけで名古屋を無事通過としてくれた事は我がほうの面目もあり、わしの立場もあり、あの方法が最適であったと思う」
庭の蓬莱島にはコウノトリが松の木に羽根を休めていた。
「まるで花札の鶴の絵と同じだな」勝は不思議とそんなことを思い出していたがなに有ろう「あの絵は鶴ではなくてコウノトリじゃよ」とこの庭で春嶽が教えてくれたことも同時に思い出した。
春嶽がそのような下世話なことにも通じていたことがおかしくて、其のことも含めて30分も話しただろうか朝彦親王が迎えに来て「大広間に諸侯が集まった、そちたちが来てくれれば直にお上もお出ましになる」そういって先にたって一の間に案内して廊下側に席を与えた。
身分からして三人は廊下と思っていたがお上に近く座敷の中に席がしつらえてあったことも驚きだった。
天子は慶喜の住居だった本丸御殿を離宮として住まわれていた。
お上が着座して「参名のもの苦労であった。新しき政府とやらの話が聞きたい。先に三条、岩倉たちが作り上げようとした政府と何か違いがあるのか」
朝彦親王が「直答してよい」と勝たちに促した。
「申し上げます。われらが目指す政府は邦民一体の政府であり、公家、武家、町方全てがこの日本のために働き其の義務と共に国の繁栄のおかげを受け取ることが出来ることを目指して居ります。まず太政大臣と申し国の政治向きの最高責任者の下、全ての国民が一致協力できる政府であるべきと存じます」
少し考えてからお上は「わしは若年ゆえ詳しい事は朝彦親王と熾仁親王が聞くであろう」
居並ぶ大名も勝がどのような方策を打ち出すか不安げだった。
「前に榎本、大鳥両人が差し出しました郡県制でございますが、詳しい割り振り、国替えの部分は江戸から諸役の者が参り改めて説明をいたしますが大まかな事はこの図の通りでございます」
用意してきた大きな地図に郡の領域が赤い線で引かれてあった。
稲葉が一枚をお上に差し出して朝彦親王が受け取りお上の元に差し出した。
諸侯には刷り物で作られたものを何枚か回してみてもらった。
「これはまだ試案でありますが、この郡県の総裁を宮様から選んでいただき、郡知事を九名任命いたします」
さらに各自に新しい刷り物を配り「これは一例であり人事はまだ確定しておりません」
政治・郡県局 総裁 賀陽宮朝彦(ともよし)親王(後に久邇宮と改称)
総裁は天皇の意思を尊重し郡、県の長を内閣府に従わせるために其の統率を図る。
郡知事 九名 (参議から県知事が推薦・20歳以上60歳定年)
県知事 四十三名(参議及び参与の推薦・20歳以上60歳定年)
共に20年をめどに地域内投票に移行予定のため国民の教育を指導する。
「現在の大名家は版籍を政府に奉還して後、領地の知事として藩内の指導を取るも、時いたれば藩は県に統合されて後、其の人物本位の職につかせることになります」
「版籍奉還後、秩禄として大名家・宮家・公家には20段階授与、士分(旗本・大名家家来)も20段階に分けて秩禄授与を行い全国一斉に廃藩置県を行います」
「そういたすと全てを政府が引き受けて天子の家来といたすのか」
「そうでは有りません。軍人として働くもの、民を指導して政府の税務、会計、などに働くものは職を得られますが、そのほかのものは殖産を起こし働ける道を探させることになります。全て仕事ができるものが優先され座して俸禄を受け取る事は許されません」
「それはお上に置いてもか」
「天子は国の象徴であり、君臨しても政治にかかわる事はご遠慮願います。しからば天子の仕事とは何かといえば邦民のために政府の政策に従って行動することを仕事とお考えください」
「具体的になにをせよと言うのか」
「天子はいままでは御所にお隠れで表には出られませんでしたが、これからは行事、祭事を問わずできるだけ邦民の前に出られることをお勧めいたします」
「天子を見世物にいたす所存か」
気色ばって熾仁親王が詰め寄った。
「それは御考え違いであります。徳川は武をもって国を治めましたが、天子は和を持って国を治める手本をお見せいただきます」
天子自らが話しに加わり「わしが邦民と共に新しい国づくりの手本を示すということなのか」やはりこのお上は勝たちが目指す新しい政府のあり方を是となさってのお呼び出しだったようだ。
「さようであります。天子自らが手本を示し、全国を回られて新しい国づくりに邦民一同が協力することを奨励いただくことが国を統一する最適な道であります」
そして勝は政治局についても話を進めた、話の細かいところは大久保が引き取り皆に聞こえるように大きな声で参議についてどの様に選ばれるかを説明した。
政治局上局 総裁 有栖川宮熾仁(たるひと)親王
上局は天子の意思を尊重し国民を内閣の指導に従わせるための協力を推進する。
参議 二十六名 (20歳以上60歳定年)
「役割は天子のお供と諸外国との付き合いに率先して動いていただくことで、政治下局のお目付けとお心得ください」
其処からは稲葉が説明をした。
政治局下局 総裁 (太政大臣・首席大臣)代議投票
(国民の投票に移行予定)
内閣府は統帥権を持ちそれは天皇から付託される
代議 六十名 (県知事、参議、参与の推薦・20歳以上66歳定年)
(国民の投票に移行予定)
「この代議と言うのは邦民の代わりに議事を取り扱い国の大方針、施策、立法を取り仕切り国の職員を直接指導する権限を有します、これも20年をめどに邦民の投票に移行予定であり郡単位で其の地の人口と租税の納める額により割り振りをつけます。政治の大権でありますが下局の総裁が太政大臣に当たります、私たちはその他の閣僚を大臣と呼びこの総裁を首席大臣として首相の字を当てようと考えています」
さらに勝が引き取り「配られた参の用紙をごらんください」
配られていた用紙を見ていただき首席総裁の下の部局について説明をした。
「ここに書かれている名前は暫定的に私たちが考えたもので政治局が成立するまでのものとお考えください」
軍事局総裁 勝麟太郎 (軍務局・海軍局、陸軍局、騎兵師団、近衛大隊)
民事局総裁 大久保一翁(教育局、宗教局、大蔵局、内務局)
外事局総裁 伊藤博文 (外国事務)
司法局総裁 江藤新平 (司法裁判)
宮内局総裁 高橋精一郎(皇宮警備、皇宮管理)
「このうち司法局は独立した機関で幕府の町奉行大目付とは違い他の部局の干渉を受けることを排除すべきと心得ます、司法局に対し、いままでの町奉行所の役目は内務局が承ることになります。宮内局でありますが皇室全般の経費人員の確保が目的であり見張り番ではありません。此処に勝、及び大久保に高橋の名を揚げましたが政治下局及び政府の仕組みが出来るまでの暫定的なものであります。後の細かいすり合わせは江戸からの人員の到着次第取りまとめたいと存じます」
「高橋について申し上げます。江戸ではただいま静観院宮様、天昌院様ご守護を賜って居ります」稲葉が引き取って伝えた。
其のとき天子が声を発し「熾仁親王、朝彦親王にこれからの事はゆだね皆も勝の言う新しい政府の成立に協力いたすようにせよ。政府の仕組みが出来るまでは軍事総裁に勝を任命し暫定的な政府の指導者といたす。勝と大久保そして稲葉は二人の親王と共に新しい政府の仕組みを一刻も早く樹立して諸外国に其の政府の認知を実行せよ、皆もいまの言葉を受けて協力して国のために働くよう。苦労である」
若き英主睦仁親王はそのように一同に苦労であると声をかけて本丸御殿に引き取った。
「新しき政治局のためにこれまでの仕組みと違う点そのほかの擦り合わせを本日から取りまとめる。在京の役職のものと留守のものの名簿を直ちに此処へ出すように各藩のこれまでの役職のものも部局ごとに順次此処へ参集のこと、遠侍の間で集まり部局ごとに呼び出すのですぐさま連絡を取るようにせよ」
朝彦親王が号令をかけ早くも政府の土台作りが始まった。
熾仁親王が「わが身が政府の総裁職と決まっていたそうだが三条と岩倉両人が副総裁で全てを取り仕切って、木戸、大久保とを交えて動かしていたそうだ。それで三条と、岩倉は京を引き払ったが、木戸、大久保、後藤の三名はいかがいたす所存か」
「三人のうち後藤とは大坂で会いましたが木戸準一郎、大久保一蔵両人とも早くに会ってこちらの事情と改めての仕事を依頼しなければ為りません」
勝はそういってさらに「まだまだわれわれが罷免したいものは多く居りますがこの三名に加え岩倉卿、三条卿など幕府取り潰し派と思われた方々でも出来うる限り適材適所の配置で仕事を分担していただく所存であります」
「では人員が揃わぬうちでも木戸と大久保に後藤とは此処で会ってくれるか」
「後藤は確か城内に居るはずですので出来れば三人が同時に面談をいたしとう存じます」
「分かった、では春嶽殿すまんが三名の者が揃ったところで此処へ呼び出してくれ」
春嶽は遠侍の間に出て三名を呼び出す手配をした。
「それと、そちたちと江戸で話し合ったが此方の人事はだいぶ替わっておった。改めて其の名簿とつき合わせて誰を任命するか早めに決めて置きたい」
「お上は軍事総裁に勝を指名されて居られる。われら両名はいかがいたせばよいか」
朝彦親王はそう切り出したので「まずただいまは新しい人事の周旋と任命を行っていただきます。其の後は細かい事は双方の熟練した者たちが腕を振るうで御座いましょう」
議政官と名が変わっていた議定職のうち岩倉具視、三条実美の両人を除き次の者たちはそのまま継続することになった。
中山忠能 |
正親町三条実愛 |
中御門経之 |
東久世通禧 |
徳大寺実則 |
鷹司輔煕 |
松平慶永 |
鍋島直正 |
蜂須賀茂韶 |
毛利元徳 |
長岡護美 |
山内豊信 |
伊達宗城 |
池田章政
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遠侍の間に出ていたものは呼び出され京に不在のものには連絡がつけられた。
次に参議として議政官の補佐と郡知事の候補として明日の呼び出しをかけた。
島津忠義 |
島津久光 |
浅野長勲 |
細川護久 |
池田章政 |
徳川慶勝 |
山内豊徳 |
長谷信篤 |
毛利慶親 |
黒田長溥 |
黒田長知 |
九鬼隆義 |
亀井茲監 |
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さらに参与のうち木戸準一郎と大久保一蔵に後藤象二郎を除き次の人たちに出てもらうことになった。
横井小楠 |
三岡八郎 |
広沢兵助 |
小松帯刀 |
福岡孝悌 |
岩下方美 |
阿野公誠 |
鍋島直大 |
副島種臣 |
大木喬任 |
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引き続き其の職に留まる事に決し二人の宮様立会で勝が「これからも新政府の基礎固めに尽力されるようお願いいたします」そのように出てきた方々に伝えた。
「京方のものばかりで東軍のものの名簿がないがいかがいたす所存か」
「まず此方の人事を固めそれと釣り合いが取れる員数で任命していただきます」
「さようか、吊り合いの取れる有能なものが多く出てくれるといい政府になるのう」
大久保、木戸、が城中に上がり後藤と共に大広間に出てきた。
「ヤァヤァご苦労様でんす」勝は挨拶もそこそこに本題に入った。
「版籍奉還と、廃藩置県を2年で完了させたい」
大久保たちが立案したこの政策を承知の上で切り出した。
木戸、大久保は目を白黒させていた、お叱りか押し込めの処置の通達でもあるかと思えばいきなり政府方針の相談だ、驚くのも当たり前だ。
「お三方には引き続きこの重大事項を担当していただきたい。難しいこともあろうかと思うが内政は大久保一翁殿が担当してくださるので協力していただきたい。ご身分は引き続き参与として政府にとどまっていただくことにした」
「私は体のこともあり国に戻り静養いたしたい」木戸が弱弱しくぼそぼそと答えた。
「それがしも藩侯のお世話で藩内の仕事がたまっており申す」
大久保が意地もあってかそう答えたが、後藤は沈思していた。
「さような事は許されぬ。お上が軍事総裁として勝を任命し、われら二人が任命権をお上から委託された。三名のものは勝の元で版籍奉還、廃藩置県の処置が済むまで自侭を許さぬ。もしお断りを申すならお上にじきじきに申せ」
「マァ朝彦様そのように強く言わずともよろしい、己が引き続き政府の重職としてとどまり居るのもひとえにお上有っての事じゃ。其方も力添えをぜひ頼む」やんわりと熾仁親王に言われて三人は平伏してお二人の宮に「謹んでお受け仕る」と声をそろえて申し上げた。
そして勝にも「この身を捧げて誠心誠意、版籍奉還、廃藩置県の達成に励みましょうぞ」と誓うのだった。
漸くにその日の連絡事項と面談が終わったのは22時を過ぎていて後は明日と言うことになった。
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