酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第十部-1 弁天 7    

唐橋・イエローボーイ・枝豆・コロラド号・ダルメシアン

 根岸和津矢(阿井一矢)


        

慶応355186767日 木曜日

弁天 - 唐橋

菖蒲の節句のこの日、鯉幟に籏幟そして店内には人形など飾られたピカルディでは、賑やかに人で溢れていた。

別に安売りやサービスをしているわけではなく、孤児たちが引率されてここに見学に来ているのだった。

元店員だった夫人たちも来て、子供たちにお菓子を振る舞い、庭で遊ぶ子供たちの歓声が店にまで広がり、明るい雰囲気に包まれていた。

お土産を持たされた子達は、ガワーさんの好意で馬車に分乗して地蔵坂下まで送られて行った。

其処からは馬に負担が大きいので手を引いて歩くことにしてあり、子供達は正太郎やミチに促されて坂を登るのだった。

午後には寅吉と千代に永吉と幸助がそれぞれの店に派遣される手代と小僧を連れて船出を致します。

まず名古屋での開店を済ませてから幸助率いる三人の小僧と手代の瓢吉と言う若者と大坂に向かいます、勿論千代と虎吉も向かうことにしてあります。

ここからは船ではなく歩いての鈴鹿越えと致しました。

名古屋に船で着いたのは9日の夕刻、堀川をさかのぼり大須観音の北側お城寄りの納屋橋の際に新しく立ち上がった横浜物産会社名古屋店に入りました。

寅吉たちは北野新地にある玉屋で一行をねぎらいました、名古屋の店で働く手代たち五人と番頭とも顔をあわせてそれぞれの将来を楽しみにする寅吉でした。

番頭には永吉が横浜で手代として連れ歩いていた恭二郎と言う男が指名されました。

店は飯炊きや小僧たちも入れて12人と言う新規開店とは思えぬ大人数になるので永吉の手腕はいかにと虎吉も期待しています。

翌日は観音と日の出神社に参詣して町を歩いて見ました。

格段の話もなく名古屋では店開きもすみ、繁華な場所ではありませんが商売としての面白みが期待できそうに思うのでした。

12日の朝雨の中七人は支度を整え街道を京に登りました。

熱田神宮におまいりして渡し場の常夜灯は夕暮れが近づくと燈され翌日船が出るときまで消されることがないという話を聞いたりして、船着場で船に乗るのでした。

波もなく穏やかな七里の渡しを船で越えて、二刻ほどで桑名に到着いたしました。

春日神社の前にある知るべ石を眺めてから街道をたどり矢田の立場で少し休んで体を温めるのだった。

小さな川をよぎり常夜灯を見ながら四日市に入ると不思議な道標に出会った。

案内の書に寄ると江戸の辻といわれるらしいこの辻はすぐ江戸道、すぐ京いせ道と書かれた道標が立っていた。

どうやらすぐとはまっすぐ進むということらしいとわかった。

四日市からは海路十里で伊勢神宮にたどり着くのだった。

数多い宿の中から、蓬莱屋と言う明るい宿を選んでわらじを脱いだ。

足をすすぐ女中が「お客さんがたは何処から御出でなさいました」

「俺たちは横浜から来たんだよ、今日は名古屋から宮へ出てわたってきたのさ二部屋頼むよ」

「承知いたしました。雨の中大変でしたでしょう、すぐお風呂に致しますか、もう沸いておりますよ」

「そうしようか、貴重品を預かることは出来るのかい」

「ハイ内蔵がありますので、お客様のものは木箱に錠を下ろしてお預かりいたしております」

「では番頭さんに部屋に箱を持ってくるように便へておくれ、そうさなこの振り分けが二つ分くらいだよ」

現金は交互に番をして風呂に入り、書類に手形を預けることにしました。

これは危険を分散する用心に寅吉が半々にいつも用意して、街道を歩くために教えていただいたものでございました。

部屋で女中やほかのものへ、心づけとして二朱を渡して「風呂から上がったら食事と酒は一人二合宛てだすように」と頼むのでした。

普通一人二百五十文が普通で、三百五十文出せば良い宿に泊まれるこの時代、二朱の心づけは効いた様でございます。

宿賃とほぼ同額になるでしょうか、酒をあまり飲まなければ一人三百文等取るはたごは少なく、横浜になれた寅吉たち一行にはこんなに安くて大丈夫かと思うことも多いのでした。

寅吉と幸助が先に入り次々に風呂に入りました。

部屋もきれいに掃除されていて、食事も美味くて、いい宿を選んだと千代など喜んで居りました。

翌朝六っには宿を出て、日永の追分ではトビアスを見ると七時四十五分だった。

もうこの時刻にかかわらず茶店では女たちが旅の者に膝栗毛と同じように客を引いているのだった。

「お休みなさりやァせ、お休みなさりやあせ。名物の饅頭のぬくといのをあがりやあせ。お雑煮もござります」 

「まるで弥次さん喜多さんの話と同じだな」千代も読んだようで驚いていました。

横浜物産会社のものは船での移動が多く街道を隅々まで歩くことがなく、江戸と横浜間以外は幸助を除けば、初めてのものがほとんどでございました。

旅なれた幸助が案内して先に進み、追分も過ぎれば次は釆女、石薬師の宿と一里塚を過ぎて歩きました。

昼前には庄野の宿に入りここで早めに昼と致しました。

夕刻関に入り、坂ノ下に行くよりここで泊まることとして早めに宿に入りました。

落ち着いた町で宿の数は多くなくとも良い宿が並んでいる街道でございました。

13日はここまで四日市からほぼ七里、今日は休みを入れても九時間、夏なので歩く時間も取れて、道は登りとはいえまだ急な坂道もなく楽な日程で進んでいます。

明日は六里十五丁歩いて水口まで鈴鹿越えの山道で、足を伸ばして水口から三里十丁の石部に泊まる予定、ほぼ、今晩はゆっくりと休むことにしました。

鄙びた宿らしく川魚を焼いたものに野菜の炊きあわせと言う簡単な食事を済ませて早々と寝る一行でした。

翌朝トビアスでは6時という時間に宿を出て「坂下まで8時に着くでしょう」と言う幸助の言うとおり8時には坂下の宿場を通り抜けました。

本陣が参軒と脇本陣があり参勤のお大名はここに泊まる事が多かったろうと思われ、幸助に聞くと「坂の下では大竹小竹、宿がとりたや小竹屋にと馬子唄に有る梅屋本陣、松屋本陣、大竹屋本陣に小竹屋が脇本陣でございますよ」そう教えてくれました。

鈴鹿の山中では鏡岩が切り立ち今にも崩れてきそうな按配に見えるのでした。

常夜灯が見えて峠道は終わり、土山に入り時刻は10時、鈴鹿馬子歌の一節には、坂は照る照る鈴鹿は曇る。あいの土山雨が降るとあり広重の絵にも、その様子が描かれていました。

町は小さいながら本陣が二軒あり、幸助が「江戸からここまでが百十里と言われます」

大黒屋本陣を通り過ぎれば其処に一里塚があり江戸から百九番目の塚でございました。 

鈴鹿を越えて水口の宿場に入ったのはまだ二時でございました。

そこでやっと昼にしてまた道を石部目指して進みます。

水口の宿の有名な力石も見て城を脇に見ながら街道は汗ばむような午後の日差しでございます。

何時の間にやら一里塚も百十三番めの泉一里塚、常夜灯が見えれば横田の渡し。

この常夜灯は日本一といわれていて、夜間に野州川をわたる旅人のためのもので、見上げて見れば成る程と思う大きさでございました。

石部に入ったのは六時十五分、暮れ六つには間もありまだ街道は明るく、先を急ぐ旅人も見えるのでした。

ここはお半長右衛門恋の宿として有名になり、客を引く女中も番頭も其れをうたい文句にした時期があったそうでございます。

小島本陣の先の宿でここがよさそうだと千代が立ち止まると「先にはもう宿もすくのうございます、ぜひお泊まりなさい」

そう言って袖を引きつける娘に引かれるようにぞろぞろとその宿に入りました。

幸助が「二部屋」といつものように、二朱を握らせると「あい承知さ、取っときの上部屋だよ」八畳間続きの部屋を振り分けられました。

風呂に入り飯を食い明日は五つ立ちだと告げて早々と寝てしまいました。

寅吉が眼を覚ますと幸助の布団は空で、厠かと思いましたがそのまま寝てしまいましたが、しばらく戻らなかった様子でございました。

明け六つの鐘が鳴り障子が明るくなってきたころ、千代が「幸助さんよ、夜中に一時間あまりもいなかったなぁ」と廊下で低い声で話す声に眼を覚ましましたが、聞かなかった振りで布団から出ませんでした。

しばらくして二人が部屋に戻った気配で眼を覚ました様子で起き上がり「早いじゃねえか、もう顔を洗ったのか」

「旦那もう六つ半に近いでござんすよ」

トビアスを見ると五時五十分でした。

布団を脇に上げる間も無く、朝の支度を運び込んできた昨日の娘が幸助を見ると顔を赤らめたのでなんだそういうことかと、行きづりの恋に気が付く寅吉でした。

15日の今日、京の町に入らずに、大津の幸助なじみの加登屋に空きがあれば其処に泊まることにしています。

それほど無理をしなくとも京には入れますが、別に京が目当てではなく大坂に下る船に乗るのに昼前に乗れば夕刻には大坂に着くので幸助も名古屋から歩くときはそうしているというので決めたものでございます。

草津とのあいの宿の梅ノ木立場に和中散本舗があり、時間は早くとも店が開いていたので薬を求め一休み致しました。

草津では中仙道との分かれ道付近京から下る旅人のための、右東海道いせみち 左中仙道美のぢの道標が有り、人が多く行き来しだして、江戸横浜の間のように混雑をしてまいりました。

「中仙道に入りましてしばらく行きますと天大将軍之宮という社には相模一ノ宮の寒川神社とおなじご祭神が祭られております。中仙道の細見に寄れば祭神は石長比売命、寒川比古命、寒川比売命、伊邪那岐神、素盞鳴尊の五神であるとか」

ここでトビアスは10時05分を指していて、宿場には本陣二軒と脇本陣を持ち、宿の数も多く活気に満ちて居りました。

石部から大津まではほぼ六里の道でゆっくりと歩いても夕刻までにはたどり着ける気楽な一日でございました。

野路の一里塚まで行き、もうここまでくれば時間も余裕があることなので、あとに戻り先ほど見た道標のある姥が餅屋の軒下に寛政10年に建てられた道標右やはせ道、これより廿五丁に従い、渡し場まで廻りました。

「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋、と室町のころより言われた矢橋の渡しはここで御座います」

常夜灯付近で琵琶湖を眺め「これが近江の海か、なんと袖ヶ浦のように大きなものじゃねえか」千代は始めてみる琵琶湖の大きさに感心しています。

小僧の中にはすばしこいのが居て「旦那、この水は袖ヶ浦と違って塩辛くありませんぜ、川の水とおんなじでさぁ」

「そりゃそうだ、ここは海といっても池の大きいやつで湖と言うのさ、びわの形に似た広がりをしていて琵琶湖と言うんだぜ、ほらこの道中記にも絵が描いてあるだろう」

幸助が差し出す本を見て感心するのでした。

「近江八景のひとつで矢橋の帰帆、もしくは八の字を当てて、真帆ひきて八橋に帰る船は今打出の浜をあとの追風と歌われたところで御座います」

「細見にも出ていないことまで、よくも其処まで覚えているもんだ」

千代は幸助の頭のよさに感心しきりで御座います。

街道に戻り月輪池際の一里塚は百十九番目の塚で縄生を入れて其処からでも二十三番めで、海の七里を入れてこれで三十里の道をたどりました。

やがて瀬田の唐橋へたどり着いて「五月雨にかくれぬものや勢多の橋と芭蕉もここで一句読んでおりますし、数々の話の多い橋でございます」

「そういえば俵の藤太がムカデ退治の話もここが舞台じゃなかったかい」

「そうだよ千代さんは読み本をよく読んでいなさるね」

「其れとこの川が大坂まで続いているんだぜ、大坂で淀川と言うのがこの川の名前だよ、下に下ると何度も名前が変わるけどな」

初めてここまで来た小僧たちにもやさしく話す幸助です。

ようやくに唐橋を渡り鳥居川から粟津のほうへ行くには琵琶湖の岸に向かい進めば其処に鳥居川の一里塚「世人は粟津一里塚といいます」と何度かここを通った幸助が話してくれました、道中再見を開くと121番目の一里塚と知れました。

膳所の城まで、湖岸に街道が続き此方から見る琵琶湖は趣が違い、また風情のあるものでした。

「瀬田のせきしょうと申しまして夕方のこのあたりは格物見事な眺めだそうでございます」

「金澤の八景の本場は此方の近江八景だそうだし、また其れは清国の方からの写しだそうだ、シナでは此方と違って川幅が一里も有る川が流れていると、吟香さんがこの間話してくれたよ」

道は御前浜に出て昔は粟津浜と言う古戦場、粟津の晴嵐はこのあたりと幸助たちが話す中、膳所の城の勢多口総門前に出ました。

このあたり細かく曲がりくねった道が続き、近くには朝日将軍木曽義仲を祭った義仲寺があり、芭蕉もここに葬られたといわれているそうでございます。

旅に病んで 夢は枯れ野を 駆け廻る という辞世の句とともに人に知られておりますが、そこにはよらず大津の宿を目指しました。

石場と言う立場があり茶屋が数多く並んで居りました。

ここには船着場があり湖岸から対岸の矢橋までの渡船が行き来していました。

昼を食わずにここまで来て小腹がすいて来た一行は、軽い食事をとることにしました。

もう時刻はトビアスが三時四十五分になっていました。

「驚いたな、景色に見とれていたらもうこんな時間だ、小僧たちは腹がすいていたろう、気がつかねえですまねえことだ」

「旦那、私たちも湖に見とれていて、腹がすいていることを忘れていました。今旦那にここで休もうといわれたとたんに腹が泣き出しました」

とたんに力が抜け腹の虫が騒ぎ出したか焼餅をほおばる一行でございました。

幸助が寅吉に相談を持ちかけました。

「今晩は大津に泊まるとして、明日は京に入りますか、それとも伏見までじかに入って船に乗りましょうか」

「再見を見て考えようぜ、宿でゆっくりと相談しょうぜ、京で遊んでも良いが其れより大坂に向かうほうがいいのかい」

「私としては別に京に用事も有りませんし、伏見に出るほうが良いと考えるのですが」

茶も飲み終わり勘定は幸助が済ませて船着きの高さが五間ほどもある常夜灯を見上げて感心したりしてから、いよいよ大津の宿の中に入るのでした。

北国街道との分かれ道の札の辻は人で溢れていました、京にも近く多くの人が近在から買い物や商売に集まってくる場所らしくさまざまな人が歩いていました。

宿を決める前に町の中を歩いて見るのでした。

人馬会所の先に本陣が道を挟んであり、その先に脇本陣、旅籠は71軒を数えると再見には書かれています。

辻まで戻り先ほど幸助が前に泊まった事が有るかしわやという宿に泊まることにして声をかけました。

「マァ旦那さんは昨年大坂まで行かれた、江戸のお方ではございませんか」

「覚えていたのかい」

「もちろんでございますよ、あの時は確かお三人でお泊まりくださいました。異人の方が居られて記憶に残りました。本日は京にお上りですか東にお下りでございますか」

足のすすぎを手分けして取りながらいろいろと話しかける陽気な女中でございました。

「今日はまた大坂に出るんだよ、今度はうちの旦那様と一緒だよ」

「あれ、そうするとあしがおみ足をすすいでいなさる此方が旦那の旦那様かね」

自分で言っている言葉がおかしいことに気が付いたのか「フフフ、フフフ」とおかしさに堪えきれなくなったようで、足をすすいでもらっていたみなも大きな声で笑い出すのでした。

二間続きの良い部屋に案内され早速風呂に順番に入りに行きました。

「追分まで壱里2丁、其処から伏見までは三里6丁で四里と八丁あります。ここから三条大橋までは三里、其処から伏見の三十石舟の乗り場まで壱里5丁あまりなので四里5丁ほとんど距離的には変わりがありません」

「やはりそうか、それでどうして京の町を避けて進みたいのだい」

「理由はないのですが、なぜか琵琶湖を見たころからその様な気が致します」

「良いだろう、東海道は五十七次だという話も聞いた事がある。京街道を含めてだそうだがその道を言ってみようぜ」

その日は特別に料理を頼み皆で酒も飲んで楽しみました。

翌日16日は七っ発ちで大津の宿を後にしました、追分のひだりハふしミみち みぎハ京のみち の道標にしたがって伏見に向かいました。

伏見に入ったのはまだ八時四十分でした、薩摩藩の利用する寺田屋で坂本さんが襲われてその縁でお龍さんと結ばれたことなどを思い出し町並みをあるいていると、幸助が船の番がきたと告げにきました。

すぐ目の前を流れる宇治川派流から三十石船に乗って大坂天満の八軒家に着いたのは三時前でした。

「くだりは早いものだな、話では夜舟などもっとかかると聞いたがな」

「昼間はあまりくわらんか舟なども寄り付きませんので、早く下るということでございます」

其処から船を仕立て土佐堀川を下り、木津川に入って左に折れると立売堀、高橋の際にある船着きから上がり店に向かいました。

百間堀川を上れば雑喉場があり、立売堀沿いの鉄問屋の多い界隈に紛れ込んだように雑貨を扱う店には、番頭の亮太に太四郎が居りました。

「旦那お待ちして居りました」

「太四郎じゃねえか、何か大事件でもあったか」

「ともかく上にあがって下さいませんか、横浜から聞きこんだ事もありまして此方で情勢をつかもうと思って蒸気船の便をつかまえてまいりました」

わらじを脱いで、足を洗い幸助と千代も交えた話を聞くことにしました、事件ではあっても寅吉がそれほど心配すべきことでもないことのようで御座いました。

「最初から申し上げますと、坂本さんたちの亀山社中はやはり土佐藩に吸収されまして、海援隊と改めたそうで御座います。伝次郎さんからの連絡ではいろは丸を借り上げて商売の航海に使うことになったことは旦那もお聞き及びでしょうが、そのいろは丸は紀州の明光丸に讃岐箱ノ崎沖で、衝突されて沈没いたしました。先月の23日のことだそうで御座います。坂本さんたち乗組員は大丈夫ですが船とともに積荷が沈んでしまいました。陸奥さんからの連絡では、土佐の岩崎様、薩摩の五代様が間に入り交渉中だそうで御座いますが、話がなかなか進まないそうで御座います」

「相手は紀州様か、どちらの不注意か判断はついたのか」

「紀州様のほうの不注意と横浜での噂では聞こえてきましたがまだ決着が付きません」 

「そうか人のほうに被害がなかったのは幸いと言うしかないが、大洲では困っているだろうな」

「そのことで御座いますが、小松崎様も長崎で決着が付かなければ大坂に御出でになられると連絡がまいりました」

亮太が「土佐商会には知り合いも多く居ますし、詳しい話はすぐに此方にも届くように致しましたので何かあれば連絡が入ります」

「よくやったな、その様子なら幸助が留守を任せて安心していることが良くわかったよ」

亮太をほめ、やる気と才覚の良いことに満足すると寅吉でした。

土佐商会はここから僅か四丁ほどという近さにあります。

「そう言えば今年の春にアーネストがここに寄った言ってたな」

「はい、私と亮太が案内をして長堀川から心斎橋あたりを案内いたしました」

「あいつは好奇心が旺盛だから大坂に居留地が出来たときのために、町の様子を見て歩いたんだろう」

「江之子島の対岸の木津川と安治川に挟まれた州に作られるというお話で立ち退きが進んでおりますから、あと一年もしないうちに出来るようで御座います」

ジジが話していた船の事故のことを思い出し、賠償金で賄えたと言う話でしたから揉めても決着が付く話ですので心配で困るということにはならないでしょう。

ここでも遊びに出かけ、小僧とおさんどんを残し夜遅くまで芸者を上げて遊びました。

「だが幸助さんよ、今度のたびで驚いたが横浜と違い物の値段の安いのには驚いたよ」

「千代さん横浜に居ると金の値打ちがわからなくなることがありますよ、旦那と相談してこの大坂に来てから物価の違いに驚きました。横浜で売れる値段では此方で売れるかと心配しましたが金持ちは何処でも居るもんで御座います。でも旅籠で壱朱出せば豪勢な旅が出来ますが横浜ではビールを飲めば飛んでしまいます」

「ほんとだ、俺も勢いに任せて金を使うのを控えねえといけねえ」

聞いていた仲居が「そのビールはここでもありますよ」

「本当かい、それなら10本もだしてきてくれよ、水で冷やしてあるか聞いてきてくれよ」

「いつも井戸で冷やしてありますからすぐ頼みましょう」

仲居が下へそう言いに出て行きました。

「幸助はん、あんはんが壱朱だなんて言うからもう、お八つはんは下でそういって値段を吊り上げますよ」 

「しまったなあ、この店はもっと安く出していたのかい」

「左様ですよ、困った旦那はん」そういう若い芸者は幸助が贔屓にでもしているのか、べったりと幸助の傍について居りました。

案の定その晩の勘定は10人の芸者の花代を含めて12両も取られてしまいました。

「驚いたな、俺たちは横浜のお大尽だとでも思われたみたいだ」

吃驚はしましたが普段横浜で何人かで遊ぶと、すぐ何枚も小判が飛ぶこのご時世しかたないのかもしれないとすぐに納得してしまう寅吉でした。

寅吉たち三人も幸助とたちと共に店に戻りました。

「旦那、横浜ではあの辞書はすごいことになっていますよ、先ほどビールのあとで儲かった話をするのは控えましたが、私が横浜を出た九日の日までに書肆の分以外で120冊ほど捌けてしまいました。こっちでも20冊では足りないと亮太さんが先ほど申して居りましたよ」

「そうかでは吟香さんに話した年内五百冊はどうやら捌けそうか」

「ハァ、どうやらどころか予想以上に人気が出て読み本並に人がほしがるようでございます」

まさか読み本並みとは行かないまでも、来年には増刷を検討していただくようになりそうでございました。

翌17日は開店準備で皆が忙しく働く中、薩摩の下屋敷に弥助さんを訪ねました、顔なじみの千代も同行いたしました。

「やぁよくきたな」折りよく下屋敷に居られた大山様は気さくな様子で「外に出よう」とおっしゃられて同役の方に断られて出てまいりました。

新町遊郭に出て、つのくにや砂場で蕎麦を手繰りました、大山様は蕎麦はあまり食べずお酒のお代わりをしました。

「いいんですかい、昼間から飲まれて」

「よかんほいなら、良かんほいなら、たまになこれがんと屋敷に詰めとうばかいほいなら俺の商売にならん」

呆れたお方で御座いますが、幾ら飲んでも呑まれることのない弥助さんはご機嫌で「ちっと町をあうかんか、ちっと紹介したか商人も居うしな」

三人でふらふら歩きながら道頓堀日本橋詰東江入南側の本屋安兵衛方までまいりました。

店の主人の安兵衛さんに紹介されました。

先ほど差し上げた辞書を見せて「こや、こん間話したヘボン先生が上海で印刷すうとぃってぃた辞書だょ、横浜で十八両だそぅだが、安くは手に入らぬらしぃがこん男が扱ぅこっになったそぅだ」

「それはそれは、わいがこの店の主安兵衛で御座いますわ、よろしうたのんます」

「虎屋の寅吉と申します、このたび立売堀高橋際に横浜物産会社の出店を開きました。店には気の効いた者が居りますのでよろしくお付き合いください。本は私も好きで面白いものなどありましたらご紹介くださいませ」

店の住所と横浜の住所を書きつけ本の話で盛り上がるので御座いました。

店に本を探しに来た方が寅吉たちの話に入ってきました「卒時ながらお話しに入らせていただきますが、私、中村信輔と申して写真を勉強しておりますが、もしやして横浜物産会社の寅吉さんと申されると、アーネストサトウさんとお知り合いの横浜の方で御座いましょうか」

「左様で御座いますが、アーネスストをご存知で御座いますか」

「二月ほど以前、お持ちの写真機をお借りしてお旗本の方の写真を取らせていただきました」

「アア、トミーのことですか、そういえばアーネストが将軍家とパークス公使の会談のときの通訳をトミーがしたといって居りました。3月の末のことと聞いております」

「左様で御座います。実はあの写真機についてですがお譲りいただけないか聞いたところ、預かり物ゆえ困るということでした。そのときにあなた様の持ち物と効きましたが私にお譲りしていただけないでしょうか」

「あれはいま、アーネストが持ち歩いていますので困るのですが、後三台横浜にありますから一台はお譲りしても大丈夫で御座いますよ」

「本当ですか、それで何時頃お譲りいただけるでしょうか」

「後三日は大坂の店の開店で横浜に戻れませんが帰り次第こちらの店に回送いたしましょう」

「つかぬ事をお聞きいたして申し訳御座いませんが、幾らお支払いすればよろしいでしょうか」

「とりあえず、二台此方におくりますが、験し撮りをして気に入ったほうを25両でお買い上げいただけますか」

「エ、その様な安い、値段でよろしいのでしょうか聞く所によれば、英吉利では10ポンド以下で手に入らぬそうで御座いますが」

「其れは機械が違うものの値段でしょう、アーネストが持っていたものと同じ型はそれほど高価なものでは御座いませんよ」

「でもあれほどの機械はめったに見られぬ良いもので御座いましたが」

「あれは2年ほど前のもので四台をまとめて買い入れました、一台はいま蓮杖さんが練習用に使っていますよ」

「オオ蓮杖さんもお使いですか、ぜひ早く手に取りたいものです」

「友人が今仏蘭西に出かけていますから来年に帰る時には最新式のものを買い入れてくるといって居りましたが、どのようなものが来るのか皆目見当が付きません」

「左様で御座いますか、大坂ではいまは私一人のようで御座いますが、ぜひとも最新式のもが入りましたらご一報くださいますようお願いいたします。住まいが変わるかもしれませんがこの本屋さんは懇意なのでここには住まいが変っても判るようにしておきますので此方にご連絡ください」

「ガラスは予備をお持ちですか」

「あまり手持ちがないので洗って使うことが多いものでぜひとも数多く手に入れたいもので御座います」

「では、五十枚ほど予備がありますのでお分けいたしますが今値段が分かりませんので、此方に荷が来た時点で値段が折り合いましたらお買い上げください」

「何から何まで沖をお使いくださりありがとう御座ります」

弥助さんがそろそろ飽きてきたようなので、千代にいまの話を太四郎に便へて横浜に帰ったら早速おくる手はずをつけるようにしてくれと覚えさせました。

帰りは鰹座橋を渡り土佐商会の脇から高橋をわたり横浜物産会社に戻りました。

弥助さんはここから使いを出して、連絡はここにつけるようにして、百間堀川近くの椛やに太四郎もつれて上がりこみました。

何度も弥助さんは来たらしく仲居も顔なじみのようで、頼まぬうちから酒が出てきました。

「ここから見う夕日はよかもですよ、江之子島の先に落ちう陽を見ながら呑むのも良かもで、こん間は親父様と飲みもした」

雑喉場が近いせいか肴も新鮮な気がして美味しく戴けるのでした。

 

慶応3529186771日 日曜日

弁天 - イエローボーイ 

大坂から戻った日に寅吉は江戸に出てお容とまた横浜に28日に出てきた。

新婚気分の藤吉とおきわさんもついて来て、横浜で五日ほど祭り見物としゃれ込んでみるようです。

「こんなに度々往復していると足が太くならねえか」

「へんだ、あたしのうちは八百屋だよ。もともと練馬の大根とおんなじさ」

そんな軽口をたたき合いながら、名古屋から大坂までの道中のことを容に話しながら野毛に帰ってきた。

「友達の吟香さんが江戸と横浜の間の、蒸気船の運行の申請を出すために船を買うそうだ。そうすれば座ったままで往復できるぜ、其れと馬車も江戸に二刻でいけるということでこれも許可が下りるそうだぜ」

「でも馬車でがたがた揺られての二刻はつらいねえお前さん」

「なれれば歩くより楽だと人が乗りたがる様になるさ」  

29日の朝、伝次郎からの報告が届き、坂本さんが13日に長崎に戻られて万国公報の写しを手に入れられたとのことで、交渉に有利となるかも知れぬとありました。

小松崎様も長崎に滞留しておられて、大橋采女様、玉井俊次郎様も藩より差し遣わされたとのことで御座いました。

アドミラルゴーマーさんを坂本さんが訪ねたのはこの月の半ばだそうで、その際にも航法の正しきはどちらかをお尋ねして帰られたそうでございます。

この時期、土佐藩では後藤正二郎様、岩崎弥太郎さんが長崎に滞在されておられてこの問題もお二人が根回しをして良い方向に解決できそうだとの話しで御座います。

175番のゼームス・ファルブラントさんの店に行きました。

「なんだコタさんは俺とひとつしか違わねえのか」

「グレゴリオ暦だと1843年生まれのはずですから、二つ違いますよ、日本では生まれた年もひとつに数えるので勘定が厄介なんですよ。それに元号と言う厄介なものがありますからよほど気をつけていないと自分の歳や人の年を数え違いしてしまいます」

「そうなのかよ、スネルも若いが、コタさんも若いのによく遣るよ、ということは俺もその仲間だがな」

豪快に笑うゼームスさんはイギリス式にジェームスと呼ばれることにもなれて、どちらで呼ばれても気にしなくなりました。

「そうかあの時軽井沢から来た電報でジジがショックを受けたのは、このゼームスさんがなくなったことを知らせてきたんだった。俺と同じで長生きしていた仲間がなくなったこと、ジジにとってこの激動期を横浜で過ごした仲間を失い、つらかったんだな」

心の中でそう思いがつのりゼームスさんとの交流はこの後50年以上にわたって続くことを感じたのでした。

「それで弥助は何が欲しいというんだ」

「ガットリングだが、でもなぁ、其れを買う金でスナイドルなら百五十挺買えるからなぁ」

「そういうことだぜ、優秀な兵がいるなら機動力がある銃を持たせた兵のほうがいいだろうな。たとえば砦の関門を守る少ない兵にはガットリングは有効だが、それでも大砲で打ち込まれれば其れまでだよ。シャープスM1859カービンをスネルと共同で二千挺買い入れようと思うがどうだろう」

「確か40両で伊勢勝が扱っていましたね」

「そうだこの間ブリュインさんから百挺を2千dollarで買い入れたんだ、そのうちからスネルガ20挺を五百五十両で卸したのさ、ついでに1863のほうも百挺を二千四百dollarで買ったよ」

「大分儲けるじゃねえか、卸でそんなに儲けていいのかよ」

「コタさんよ、1859は小売が30両まで落ちるだろうからいまが儲け時さ」

しっかり先のことまで読んでの商売のようでございました、これなら大量に買い入れても大丈夫のようで御座いました」

「スナイドルを今三千挺買い入れるとどのくらいになるんだ、長崎のグラバー商会は百挺で二千二百両なら卸すといっていたぜ、前にジョンに渡したのは一挺二十四両だったが弾が100発おまけで付いて来たが、あいつが奮発して弾を安く売ったし経費も派手に使ったから手元には千二百両くらいしか残らなかったらしいぜ」

「う~ん、二千二百両は安いな、ブリュインさんがスネルに連絡してきたのは発送料込みで千二百挺が二万五千ドルだそうだ。ということは」

「壱挺あたり20ドル84セントくらいだよ、全部で一万八千七百五十両になるから百挺だと千五百六十二両二分儲けはグラバーと同じにして卸しても税引きで四百八十両三分三朱くらいだよ僅か半年でずいぶんと安く買えるようになったもんだ」

ゲボッとつばを飲み込んでむせるゼームスさんでした。

「なんだなんだ、どうやって計算したんだ、頭の中だけでそんな計算がすばやく出来るのか。コタさんとの取引は油断ができないな。競争相手が多いと値段が下がるのは仕方ないことだがな」

「なんだそりゃ、何処から油断が出来ないという話になるんだよ。大体送料込みで千挺が二万二千ドル以下なら買い得だとの話は皆が知っているぜ」

「だめだよ、日本人はそんなことしらねえんだから、リリアンタールや楠正兵衛が値を崩してるとうわさだぜ。あいつらヤーゲルを大量に買い付けたそうでな」

「よせやい、俺だって日本の人間だぜ、小売だってどんどん下がるさ、仏蘭西の銃が不便だから今は需要も多いが、亜米利加や英吉利が最新式と入れ替えている今が買い入れ時と言う事も知っているよ」

「まいるなぁ、コタさんが銃器を直接扱わねえので助かるぜ」

「それで大山様には幾らで卸してくれるんだよ、グラーバーだって俺がそういえば安く卸すぜ」

「仕方ないなぁ、現金を集めてきてくれれば二百挺なら四千両でどうだろう」

「いいだろうよ、スネルとゼームスさんが千両近くも儲けたことは黙っていて上げるよ」

「其れだもんな、コタさんが入ると売れるのが早いが儲けが減るぜ」

「そういいなさんな、言い値で買っている品物も多いはずだぜ」

「其れなんだよな、どういうことで儲かってるの良くわからんことがあると、ジョン・ヘンリーもエドワルドも言っているぜ」

「そういえばジョンは新潟にも進出すんのかよ」

「その気だそうだが、出るのはエドワルドのほうだよ」

「弟のほうか、どうも俺に情報を伝えるときに間違えているようだな」

「隠密からの連絡かよ」

「いや、これは商売仲間からだよ」

うちの連絡員をスネル兄弟やゼームスさんは日本の人から教わった隠密という言葉が気に入ってそう呼んでいます。

「ジョン・ヘンリーは会津と馬が合うみたいで、さっき話したカービンも会津が買うのかい」

「会津はプロシャからの銃にも興味があるようだが、どのくらい買うのかよくわからねえんだ。新潟で加賀か越前に売り込もうと目論んでる様だ」

「越後はどうだい」

「河合か。あいつは決断力があるから買うかも知れんな、ガットリングは売れたら払うという約束でないとだめだとブリュインさんに連絡して置いたよ、買えるもんじゃねえからなぁ。五台程どうだと言う話だが、どうするかはスネルとブリュインさんしだいだな、仙台はミニェーで良いと言うので十両で五百挺売れたそうだ」

「もうミニェーの時代じゃねえと言うのがわからねえでは困り者だが、同じミニエーといってもピンキリだし、いい物は高いし、そろえて訓練するには仕方ねえのかな、せめてエンフィールドを買ってスナイドルに改造できる藩なら良いんだがなぁ」

「蘭八のリリエンタールが秋田藩にゲーベルを百挺五百両で売り払ったそうだし、ハード商会にいた星が、あそこからスペンサーを二百挺買おうとしてるそうだ知ってるかい」

「そうなのか知らなかったよ、卸でもスペンサーは二十八両はするだろう、自分で交渉して高いものを掴ませられなきゃいいが、スネルは売り込まなかったのかい」

「藩のほうではミニェーで良いとしか言われなかったといっていたが、その後のことはジョンヘンリーが京や大坂から何も言ってこないので仙台の中のことは良くわからんよ」

「同じスペンサーでも騎兵銃は軽くて日本人には扱いやすそうだが入るのかい」

「今二十二挺持っているよ、買ってくれるなら五百両でいいよ」

「そうか200ポンドの手形でいいか」

「オリエンタルなら歓迎だよ、まだ使い切ってないんだろう」

昨年の小切手が有るはずもありませんが、それには触れずに聞かぬ振りをしました。

「よし決まった。俺の勉強部屋に運び込んでくれ」

「いいともこれからすぐ運んで遣るよ、弾はどうする56口径だよ」

14.6かそいつを六千発用意できるかい、14.5のスナイドル用が使えるな」

「弾もどちらでも今日間に合うよ、そうだな、スナイドルと同じものなら十分使えるのさ」

「では頼むよ、相場は1ポンドで30発だったな」

「そうだよ200ポンド払ってくれるなら1ポンド当り35発でいいよ」

「なんだ、今度は値切らないうちに安くしてくれるのかい」

「先にそうしておくほうが気楽だからさ、もっと欲しければ間に合わせるからそういってくれよ」

寅吉は自分の振り分けから200ポンドの手形を2枚取り出して渡しました。

やはりこの二つの銃のうちトマスと話したように旧式になりつつあるとはいえ、ミニェーに比べてボクサー式金属薬莢の使用出来るスナイドルとスペンサーは格段と性能がよく弾もスナイドルを大量に持つことでスペンサーの補充も緊急時にはつくことが出来ます。残念ながら騎兵銃のスタールカービンはさらに小さい口径で14.0のため弾を共有できませんでしたので大量販売には向かないとのことですがシャープス1859カービンが其れより小さい52口径(13.5)なのでその薬莢を使用することは出来ました。

シャープスの1859と1863は主にリンネル製の薬包のため雨に弱いので金属薬莢に交換できるように改良して使う事が主流になりつつあるのでした。

20番に入り二階の部屋に運ばれてきた銃と弾を箱に仕舞い込むと早速手紙を書き、細かいことは雅と順三に詳しく話して二人を急がせて、江戸は神田和泉橋通りにある大倉屋鉄砲店に向かわせました。

六月二日の洲干弁天の祭りの日、それまでほぼひと月の間横浜は大騒ぎだった。

大坂から戻った寅吉たちもいやおうなく其れに巻き込まれたのだった。

主な商人が使った金は一万弐千両をはるかに越えたし、四月には寅吉にも奉加帳が廻り、二百両を虎屋が出し横浜物産会社が百両、とらやが百両と奮発したのだった。

山車は二月前から手配して飾り立てられていた、燃えてしまった物も多く、各地から借りてきた踊り舞台に乗せる町の娘たちの人選で揉めそうになるなど、世話役は大忙しだった。

容もお鳥さんも借り出されて娘たちの最終仕上げに大童だった。

おきわさんも例外ではなく、藤吉など手持ちぶたさで町の中をうろつくだけで毎日を過ごすことになってしまった。

其れこそ横浜の町のすべての芸者が手古舞いに借り出されたのではないかと言う様子に、見物の人間が重なり合うようにあふれだしてきた。

後から続く山車を覗きに子供たちも大勢出てきていた。

洲干弁天を出た山車と手古舞は海岸に出て境町に出て、英一のところで周り、太田町に出た後馬車道を吉田橋に向かい代地を廻りまわって、弁天通りの二丁目から入り、境町にぶつかり本町通りを通り抜けて仏蘭西公使館のところで各国のお偉方に挨拶して、洲干丁から洲干弁天に入り各自の町内のお神酒所に向かった。 

寅吉は義士焼きも含めて見世をすべて休みとして、この日の祭りに参加したのだった。山車の巡行が終わると店の前には屋台が出て並び、人々の買い物のための賑わいが夜遅くまで続いたのだった。

前日の宵宮も賑わいを見せていたが、この日も祭りの余韻は冷めることなく飾られただしを見上げて見物に歩く大人に、飴や玩具を買えと騒ぐ子供たちの声が遅くまで聞こえるのだった。

祭りの後やっと新婚気分に浸れた藤吉夫婦は改めて英一や亜米一、亜米三を太四郎に案内されて巡り歩いてお土産を買いあさるのだった。

五日まで滞在した夫婦は荷をお容が発送してくれたため、身軽になって川崎大師におまいりして川崎で藤屋に泊まり翌日深川に戻ることになった。

6月6日は陽暦の7月7日土曜日で、横浜に黒羽藩の藩主の大関肥後守様自らがお引取りに現れて、イギリス軍営の先の射撃場で試し撃ちをなされました。

その日はゼームスさんも立会い寅吉と二人で取り扱いの説明を致しました。

大倉屋にはスペンサー騎兵銃を弐拾挺五百両、弾六千発を五百両と提示して、売り込み価格は聴いて居りませんが相当儲かったそうで御座いました。

寅吉の元には弐挺の銃と弾が1000発残りましたので試し撃ちをすべての銃で5発ずつ行いその100発はサービスいたしました。

喜八郎さんは越後新発田の生まれで今年三十になる壮年の才気溌剌とした方で御座います。

幸助とブンソウが手放しでほめる好人物で御座います。

同日寅吉のコレクションから、シャープスM1859カービンと、新しく手に入れた1863の試し撃ちも試みられ、その場で大倉屋さんに手に入るほうを至急20挺とのご下命が御座いました。

「この弐挺の銃はお土産にお持ちください、勝先生からも肥後守様のことは聞かされておりますので、これからもよろしくお付き合いくださいませ」

「よしよし寅吉のことは備中殿からも聞いて居るよ」

気さくな殿様で御座いました、付いて来たご家来も銃器には詳しく質問攻めに会うゼームスさんもたじたじの場面も有りました。

「寅吉さんいつ頃に手に入れられますか」

喜八郎さんが切り出したのは殿様が銃を持たれて、ご家来と江戸の屋敷に戻られて行くのを波止場で見送って、多満喜で早めの夕食となったときでございました。

「20挺なら今日にも集めてご覧に入れますよ。只値段を幾らで買い取るかと言う問題だけで御座いますよ」

「本当ですか、ではこれからご一緒して買い入れていただけませんか」

寅吉は承諾してエドワルド・スネルのところに、家にいるか千代を走らせました。

「亜米三の所か蘭八でもいいのですが、スネル兄弟が最近シャープスを手に入れたと聞いたものですから、新しい値段で卸してくれますから安く買えますよ」

「左様ですか、急いで買い付けたら値が下がったという話も聞きますから、見本以外は買い付けるのにも苦労致しております。寅吉さんの話を松本先生からお聞きして、ブンソウさんや幸助さんにお会いして話を聞き、お会いできて噂どおりと知り幸いでした」

人当たりの柔らかい人で御座いました。

長州の伊藤さんや井上さんも、後の噂に聞く人柄よりも皆様、人当たりの良い方たちばかりでした。

物はついでと井上さんの事、伊藤さんの事、同じときに英吉利に渡った井上勝さんたちのことなども話して、出来れば繋ぎがつくように勧める寅吉でした。

長崎のグラバーや坂本さんの話をしているうちに千代が戻りました。

「旦那、スネルさんは家でお待ちするとおっしゃっております」

「では大倉屋さんそろそろ出かけましょうか」

エドワルドは相変わらず三十二番のベリュウさんのところに間借りをしています。

「ヤァ、順調そうだな」

「コタさんこそ銃器は扱わないといいながら、今日は商売繁盛の続きですか」

「情報が早いな、ゼームスさんとでも会ったかい」

「帰りがけに顔を出したら、そういっていましたよ」

大倉屋さんを紹介して「これからはこの方が直接こられるだろうから、ゼームスさんと大いに儲けてくれ。というのは冗談だがこの人が儲かるように考えてやってくれよ」

「コタさんの手数料はいいのかい」

「俺はいいよ、その分負けるんだぜ」

日本の細かい言い回しも理解できるスネルは了解して手を出して「これからも互いに儲けようぜ」と大倉屋さんにいうのでした。

銃の交渉も簡単に済んでベリュウさんの倉庫からシャープスM1863カービンを出してきました。

油紙に包まれたその銃を寅吉が柔らかい布で油をふき取り、千代が持ってきていた分解用の器具でばらしてから組み立て直しました。

「ホウ、手際の良いものですな。寅吉さんに銃を扱わせたらかなうものはありませんな、私もこの銃の手入れの方法だけでも覚えておきましょう」

「なに、分解したり、手入れをするのが好きなだけで、戦の役に立つ男ではありませんよ、価格は先ほど殿様に説明したように1859が小売で35両、1863が同じく45両です」

「それで弾はどれを使うのですか」

寅吉に銃と弾の確認もするのでした。

「これは1863ですよ、1859がよければ其れもありますよ、薬莢は先ほど試しうちのときに使った可燃リンネル製ですが金属薬莢も装填可能です

先ほど試しうちをして金属薬莢の使い方を見ている大倉屋さんです、寅吉は1859でリンネル、1863で金属と使い分けどちらでも同じように交換可能とお伝えしてありました。

「いえ今回は此方を頂きますが、幾らお支払いいたせばよいでしょうか」

そうエドワルドに聞きました。

「コタさんの顔もあるから銃は1863が二十挺で六百八十両、弾はリンネル製と金属薬莢を半々で合計一万二千発千両になります、後払いでもコタさんが保障してくれればそれでいいですよ」

「千六百八十両で御座いますね、1859ですが弾は同じでしょうか」

「そうですよ、そちらもほしいのかい」

「出来たらば、10日だけ売らずに五十挺を確保できないでしょうか、弾も同じく一挺に六百発確保してくれませんか」

「いいよ、リンネル製と金属と半々でも良いかい」

「其れで結構です、価格はどうなるでしょうか」

「弾は1863と同じ価格で、六百発が50両、銃は五十挺なら千二百両用意してくれればいいですよ」

寅吉が計算してみると参千七百両になる取引でした。

「其れは助かります、壱挺24両とは思ってもいない安い値段で儲けが見込めて商売に励めます。先ほどの品の方は虎屋さんで保障していただけるでしょうか」

「いいとも今日の分は俺のほうで保障するからいつでも持ち出していいよ」

「では江戸まで運ぶのにどう致しましょうか」

「スネルさんのほうでお宅まで運びますよ、明日早朝には此方を出しますから、七日の日には店まで間違いなく届きますよ」

エドワルドがベリュウさんに相談に行き連れ立ってくると「任せなさい、あさっての昼に付くように請合うよ、嵐がこねいかぎり大丈夫ね、日曜でも日本人の運送者は関係ないよ、月曜には江戸に着くように運ぶよ」

ベリュウさんのおかしな物言いにも、安心した喜八郎さんは気が付かない風で御座いました。

「支払いは10日後の16日に次の品物を買えるかの報告と共に、此処にまいりますが其れでよろしいでしょうか」

「結構ですよ、あなたを信頼します。コタさんを信頼しているようにあなたも誠実な方だと信じることにします」

喜八郎さんを本町二丁目の倉の屋まで送り、寅吉と千代は野毛に戻りました。

翌日七日のドンタクの朝、江戸に戻る喜八郎さんが横浜物産会社に御出でに成り寅吉と打ち合わせをして馬の背に乗り切通しへ向かいました。

寅吉は陸軍奉行・海軍奉行と要職を歴任してきた大関様の明晰な頭脳と容姿を思い出し勝先生と同じ志を持もたれる事心から祈るのでした。

20番に周り自分の部屋で海を眺めながらホテルのことなど、ジジの言葉を思い返すのだった。

「20番にグランドホテルが出来た後、友人と帝国ホテルの資金を集めて参加した、あの人は金を集めるのも儲けるのも上手かったが、使うのも上手だった。俺と同じように慈善事業に金を大分使っていた。あるときは財団の資金に100万円を寄付したその金で2千人の人間が一年間生活できる金だった。だが俺のように影に陰に回れず敵も多くて苦労した」

誰のことだったんだろう、あの地震のショックとそれどころではないあの頃に、横浜の町の記憶を忘れた自分が悔しいくらい残念でならないのだった。

「維新の頃、津軽藩が函館軍と戦ったとき横浜から銃を二千五百挺調達して、銃弾も四拾万発積み込んで、蒸気船を俺が手配してそれで函館軍の軍艦の眼を掠めて弘前まで運び入れる冒険もした。やらなかったのは俺と同じで銀行くらいじゃないのかな。数多い敵の中に筆の立つやつがいて、濡れ衣でシナとの戦争のとき缶詰の中身が石ころだったと書かれて苦労した、そんな馬鹿なことをやる男でも無いしそんなことして、ばれれば困るのは会社だということくらい誰でもわかる嘘っぱちじゃねえか。戦争の後で木下とか言うやつがあの人をモデルに書いたと噂の本が出て、やっぱりそうかと疑われて困っていた。横浜に来ると富貴楼や千登勢にいるから来いと、人を走らせるので大いに飲んだ」

誰のことだったんだろう、寅吉の考えは堂々巡りを続けるのだった。

「函館戦争が始まるころになれば誰か分かるということか」

寅吉はそう気持ちを切り替えて、銃の手入れをしたり本を読んだりして昼過ぎまで其処でドンタクの日を過ごすのだった。

庭にハンナとヤールの声がしたので裏の窓から顔を出して声をかけました。

「朝顔を見に来たのかい」

「そうですわ、今年は大きな花が咲いてこの時間には、殆どが萎んでしまうので残念だわ。芙蓉と百日紅が盛りでとてもきれいですわよ」

ウーロン君も出てきてハンナたちとお茶をしているようだったが、寅吉は信司郎と元町に回りこの間から考えて置くと言っておいた話を、釜吉と改めてしに行くのだった。

部屋に釜吉を呼び出して「蕎麦屋だが銀治さんに使ってもらうか、大里庵に話を通すかどちらがいいんだ。だが給金は今の一割くらいしか取れねえぜ、それでも良いのかい」

「この間実家で両親とも話してきました。給金は今までのを貯めてありますし、独立できるだけのことを教えていただきましたら藤沢に戻り、父親の店の近くで店を開きたいと考えております。幸いにも仕送りをしなくてすみますので早い機会に藤見蕎麦の銀治さんの元で修行したいと思います」

「そうか惜しいがお前がその気持ちなら明日にでも銀治さんに頼んでやろう。返事は銀治さんが承知したら便へさせるからそのときは店を移れるように、今から仕事のことはほかのものに任せられるようにしておきなよ」

寅吉はこの青年が本心でそば屋の修行がしたいという気持ちを尊いことだと感じました。

此処横浜では、金を儲けるやつが一番と考えるもの、儲けた金を向こう見ずに使うもの、困った人を助けることに熱心なもの、この間の洲干弁天のお祭りに命がけかと思うくらいのめり込むもの。それぞれの生き様をそれなりに認める寅吉でした。

夕刻じめっとした雨が近い様子の掘割の道をたどり、お容と約束した藤見蕎麦で茶蕎麦とてんぷらを楽しむのだった。

銀治さんの手が透いた様子なので、上にあがってもらい釜吉のことを頼むのだった。

「任せておくんねえ、必ず江戸仕込みの技を伝えて、困らぬだけの職人にしてみせまさぁ」

江戸っ子の銀治さんは容と寅吉に請合うのだった。

「其れで何時から寄越しますか」

「そうだな、明日あさってと向こうの段取りが有るだろうから、10日にはこっちに来させよう」

「分かりました、二階が一部屋空いていますからそこに住み込ませます」

「そうしてやってくれ、遠慮せずに厳しく仕込んでやってくれよ」

容が支払いをして家に二人で戻りました。

「11日には江戸に戻る予定だから今回はその時に送るよ、次は月見がおわったらまたこっちに来られるようにしておいてくれよ」

「アイ、承知さ」

翌日8日早朝マックから手紙が届きました。

かねてからブリュインさんに頼んでいたウィンチェスターの新式銃がライフルとショートライフル其れとカービンそれぞれが三挺ずつ届きました。

1866年モデルは後にイエローボーイと名がついてジジがお気に入りの銃でしたので、寅吉はその銃に憧れを抱いていました。

さっそくにもマックの所に出向いて荷をほどきました。

ライフル    長さ 24 1/4inchO.A.L. 43 1/4" 重さ8 lbs. 8 oz口径 .38Spl44-40

ショートライフル長さ 20inchO.A.L 39 1/4"   重さ 7lb 8oz  口径 .38Spl44-40

カービン    長さ 19inch O.A.L 38 1/4"   重さ 7lb 4oz  口径 .38Spl44-40 

銃弾は3万発が入ってきました。

マックからブリュインさんに1000ドルの小切手が送られて、其のお金で新しい銃が出るたびに情報と買い入れをお願いしておいたものです。

九挺で315ドル、弾は1500ドルでonedollar当たり20発でした。

ヘンリーライフル銃の改良された物です。

「弾が安いと助かるな、送料込みで一発5セントなら英吉利の1ポンド30発の卸値と対抗できるだろう」

「そうだな、ポンドに直すと1ポンドで100発買えるから3倍以上か、大分儲けが出るな」

「只問題はこの銃弾と共有できる銃がどのくらいあるかだよ、其れと高いから売れるとは言えないのが問題だな、平均35ドルでは元値で26両二分だぜ」

「コタさんみたいな物好きや特殊な部隊でも作って装備するところがないと無理か」

「そうかも知れんな、銃を赤字覚悟で売って、弾で儲けるには戦争でも起きないと無理だから、この銃でやらずにほかの安物でやるだろうな。例の仏蘭西のやり方でプレゼントして弾を買わせる手かな」

「だがあれは銃の補充も高いし弾も高いからまず無理だな、この銃を50両出して買うのはいそうも無いか、ブリュインさんも弾も共有銃器が少ないから、スペンサーやスナイドルをスネルに売らせるといってきてるぜ」

「連発銃の性能はいまいちだと評判があるが、これは問題はなさそうだが分解してみるか、俺の部屋に運んでくれよ」

陳君が指揮をしてマックと共に寅吉の事務所に運び入れて、マックに早速手引書を読んでもらいながら分解して組み立てました。

小さな螺子ひとつ失くしても補充が利かないので慎重に行いました。

「いい銃だな、まだ改良するところはあるがいいかもしれない」

「コタさんは銃にうるさいやつだなぁ、これだけの銃だ何処を直したらいいんだ」

「そうだなぁ、同じ連発でもスペンサーより弾詰まりは起きないようだが、カートリッジで丸ごと弾が装着できるようになれば戦闘中に弾の補充が楽だろう。これだと一発ずつ押し込んでいる手間が掛かるだろう。其れよりあらかじめ繋がった弾をまとめて差し込めれば一番だよ」

「良くわからんな、どうやるんだ」

寅吉が考えていたのは、五発くらいの弾を立てにまとめておいて上から押し込んで、撃つと下から弾が上がる仕組みを絵にかいて見せました。

「これは自動で弾が上がってくるのか」

「そういうわけには行かないだろうが、この銃だとすると撃つとレバーを下げて次を装填するだろう同じ弾を送る動作だけでもこの方法は無駄が出ないと思うのだがな」

「そうか弾詰まりしたときの不便さをなくすということか、でも其れを改良するには時間が掛かりそうだな」

「単発のほうが戦闘中は弾込めが楽だと言うものがいる限り中々できねえかも知れねえな、まるっきり違うものだがそう謂う発想には結びつかないのかなあ」

「コタさんは銃の製作でもやらせたら、ほかのことなどやらずに年がら年中其ればかりやりそうだな」

「俺もそう思うぜ、機械いじりをはじめるとほかの事が眼に入らなくなるからな、いつも連絡員のものを側に置いて時間が来たらと、次の仕事にいかねえと自分が抑えられねえよ」

「連発銃の欠点を直すのは難しいかい」

「そうだよ箱型にしてその絵のようにしても、うまく収めるには上からでは無理があるし、横や下では何処につけるか難しそうだな、もっと銃を軽くしないとバランスが取れないだろうな」

「しかしこの銃はいいなぁ、真鍮に胡桃材か芸術作品だな」

「マックは本当に美術品的な発想ができる男だな、もっともそれで簪や櫛を俺から買ってくれたから横浜物産会社も此処まで大きくなれたんだから感謝してるよ」

「よせよ、恥ずかしくなるじゃねえか、俺だけでなくゴーンさんもコタさんからは大層儲けさせて貰ってるよ。茶だってコタさんが紹介してくれた掛川や伊勢の茶に今は伊豆からも入ってきて、それだけでロンドンの本店の伯父からも信頼が大きくて我が儘が効くのさ」

「そういえばこの間の祭りの日に、お玉さんとご一緒だったそうじゃねえか」

わざとご一緒などと丁寧に言うとマックの顔が崩れんばかりの笑顔になり「オオ、コタさんにも見られてしまったか、恥ずかしながら俺もこの歳であんな小娘に夢中になれるとは思ってもいなかったが、屋台の美しさや風景の感じ方など話していても二人ともあきねえんだよ。お玉さんが結婚を承知してくれたよ、だが一緒に住むのは待ってくれということだ」

「どういうことだよ、おめでとうとは言える事じゃねえのか」

「祝ってくれていいよ。親父とあの店をどうするか三人で話してみたが俺が居候みたいにあの家に通うことでどうだろうか、こっちに娘をやれば店を仕切っている娘がかわいそうだと親父が言うんだよ」

「よくわからねえな、親父はマックが婿としてくるのはいいが読めとして居留地にやるのは娘によくないと考えてるということかよ」

「どうも説明がしにくいが、正式な夫婦にするには宗教が違うから大変だという意見だそうだが、俺の理解力ではそのくらいしかよくわからねえよ。お玉さんはマリア様にも匹敵するいい女だからなぁ」

手放しでのろけるマックには寅吉も呆れるばかりで御座いまして「今度多満喜に行ったら話をよく聞いてみるさ。其れより毎日通ってるのかよ」

「まさかそんなことをしていたらあそこの商売によくないだろう。土曜と日曜の二日以外は客として誰かと行くくらいだよ」

「なんだ噂では二日と明けずに行くそうだから、結局殆ど行きっぱなしじゃねえか」

虎吉も呆れて話を打ち切り隣のゴーンさんのところで今年の茶の出来具合などを話すのでした。

「今年は例の茶壷入りの人気が高いそうだがどうなるんだい」

「此処は特別さ、マックがあと100本欲しいと言うので今年は1500本が造られるそうだよ」

「うちが600本でグラバーは300本マックが200本、それで後の400本が例のオークションと言うことか」

「そうだぜ、去年のオークションは平均で八両三分になったので大もうけさ」

「家への卸値は今年はどうなるんだい」

「此処とマックにトマスのところは、けさ早くに使いが来て鶴屋さんが七両二分と値段を指定してきたよ」

マックはまだ其れを聞いていなかったので「そんな値段で出してくれるのかよ、てっきり去年のオークションの値段だと思って本店にもそれで連絡して追加を注文したんだぜ。それならオークションで追加購入してもいいな」

ゴーンさんも「おれも買い付けるか、マックよあまり高い値をつけるなよ」

「そんなこといって、フォンだって抜け駆けはいやだぜ」

「今年も50本一単位の八組の競売かい」

「そうする予定だよ、指値の最低は五両札での投票で八組別々さ、其れと見本は一組に二本そのうちひとつは口を開けるのはひとつだけ、どちらを開けるかはキンドンとガワーさんが決めるのさ」

「あの二人はそういうことが好きだなぁ、この間の祭りでも二人とも大騒ぎだもんな」

「キンドンといえばあの刺青親父の娘をmaîtresseにしたそうじゃねえか、コタさんは聞いてるかよ」

keep a mistressと言うよりwifeにしたという話らしい、正式に結婚できるか領事に申し込んだそうだから返事待ちだそうだぜ」

épouseすることを大君の奉行は認めてくれるのか」

自分の事もあるのかマックも興味顔で寅吉に返事を待ちます。

「何でも奉行の上役から差し支え無しということが差し紙で届いたらしい。じきにこっちにも伝わるだろうが後は領事館の判断だな」

「では宗教のことが解決すれば結婚できるということか」

「そういうことさ、教会での告白をしないで結婚が出来るものには朗報さ、今この国はキリストを禁止しているから改宗しないと正式には日本人になりにくいだろうがな」

やはりマックはお玉さんと結婚することを考えているようです。

「う~ん。マックがそのことを気にしだしたということは多満喜のマダムと出来たということか」

「その様だな、この間の祭りの日の様子ではもう他人とは思えないということだったぜ」

「アレッ、コタさんは自分で見たのじゃないのかよ。コタさんに見られたと思って全部話してしまったのに何だ」

「うちの橋本さんが、奥さんの美音さんとバンドから馬車道と後を歩いているのを気が付かなかったのか。其れこそ当てられっぱなしで美音さんなどこっちが恥ずかしかったといっていたぜ」

「あの人ごみだ、後まで眼はねえよ。あんな込み合った中で手を繋いでいないとはぐれてしまうぜ」

「それでも日本の人間は町の中で手を繋いで歩きはしないよ。お玉さんだって恥ずかしかろうに」

「そうだそうだ、マックは人の眼を気にしなさすぎがぜ」

「そういうなよ、あの時はお玉さんのほうから手を差し伸べてきたのさ」

もう言うことも無い二人を尻目にマックの、のろけは延々と続きました。

「あるがいなくて幸いさ、あいつがいたら本気で怒るぜ」

「なぜ怒られるんだ。俺は何も悪くないぜ」

「これだもんな、そんなにのろけばかり言うんじゃねえよ。あん時にあるが手引きしてみなで話をまとめてやったんだ、いまさらのろけ話を聞かされるのはごめんだぜ。いっぱいおごらなきゃ聞いてられるか」

「それなら、今晩多満喜に行くかよ」

もう言うことがないとゴーンさんは荷物を片付けだす始末で御座いました。

 

慶応36151867716日 月曜日

弁天 - 枝豆 

坂本さんは長崎から京に出られるそうだと、朝10時にトマスの舟で来た長崎の手代の二郎助が申しています。

後藤様と今頃は瀬戸内の海路を取られている頃だそうで御座います、大洲の賠償は船の代価相当の金品と決まりあとは積荷と航海に掛かった費用の評価となりましたそうでございます。

「請求は八万両だそうですが、其れは無理があるという話が伝わっております。

この間海援隊はミニエー銃だけでも一万二千挺を売りさばいたそうで御座います。亜米利加からのエンフィールドが9割方を占めていたそうで御座います」

「商売のほうはうまく言ってるようだな、後は保証金が取れて大洲への支払いが出来ればどうやら息がつけるだろうぜ」

二郎助は長崎での取引の中でも茶を請負、新しい取引のために街道を歩いて帰りながら買い入れをしていくそうで御座います。

「出来れば壱等品と二等品で二万斤は集めて帰りたいものでございます。長崎の旦那様からは貫目にして三千貫くらいは、十分乾燥させたもので集めてきてくれといわれました」

「茶の単位は場所で違いがあるから気をつけて交渉してくれよ」

「はい、各地の換算表を持ってまいりました。供に付いて来た吉太郎は計算が早いのでだんな様も信頼しておりますから二人で貫目を間違わぬようにして交渉を致します」

「鶴屋さんを尋ねるのは何時頃になる予定だい」

「明後日の朝に此処をたって駿府には10日ほど先の予定で御座います。遅くも月末には掛川に入る予定でございます」

「そうかでは手紙にそう書いて出して置くから必ず顔を出してくれ。鶴屋さんで近在のあまり有名でないとこでも良い茶を出すところを探してくれているだろうから顔を出してつなぎをつけるように頼んだぜ」

懐から財布を出してわたし「これは彼方此方での、土産に金も掛かるだろうから伝次郎からも出ているだろうがもっていきなよ」

「ありがとう御座います。旦那から横浜の大旦那が財布を出したら悪びれずにもらうように言われてきました。頂戴いたします」

読まれていると寅吉は感じましたが顔には出さずに「二人の連れてきた小僧のうちどっちが吉太郎だい」

「背のちっこいのが吉太郎で御座います。おおきい方は朔太郎といいます。こいつは計算が苦手ですがめっぽう物覚えが良いので御座います。人の顔などいっぺんで覚えますし品物の取りあつかいも丁寧で御座います。

まだ二人で一人前ではございますが、これからのためにと今回の道中の供を旦那様が申し付けました」

寅吉は二人の小僧を呼び出して「吉にさくか、これは俺からの小遣いだ、今日と明日は仕事の合間に横浜見物をして小遣いもいるだろうから持ってゆきな」

おひねりに包んだ壱朱の銀を5枚ずつ渡してやりました。

「大旦那様ありがとう御座います」

「大切に使います」

それぞれが礼を申して、二郎助と共に千代に連れられて義士焼きの脇から入り部屋の割り振りをお松津さんにつけてもらいにいきました。

弁天通りから雅が連絡に来て「大倉屋さんが江戸からお見えになられました」

「そうか旅籠は何時もの倉の屋かい」

「ハイ左様で御座います、旦那の都合がよければどこかでお会いして、昼でもいかがかという話で御座います」

「分かった、北の月川でお待ちしていると伝へて案内してお前もきてくれ」

北仲通りの月川は小粋な店でたまに小人数で会うには良いお店で御座います。

店に上がり喜八郎さんを待つ間、仲居の美津をからかいながらビールを飲み枝豆を食べている寅吉です。

「お待たせいたしました、今日は江戸で寅吉さんが新しい銃を手に入れたと聞いて、友人と共に急いで出て参りました。この男、元は私と同じ店で働き、両替屋兼鰹節玉子の店を日本橋人形町で開いて居ります、安田屋の主の善次郎と申しますよろしくお付き合いください」

「安田屋で御座います。鰹節屋の小僧のときからと申しても、私はそのとき二十になって居りましたが喜八郎さんとは気が合いましてお付き合いが続いております。お見知りおきくださりませ」

「ご丁寧に恐れ入ります。虎屋の寅吉で御座います。私どもも乾物に卵を扱っておりますので、商売のほうもよろしくお付き合いください」

年上のお二人に丁寧に挨拶をされて寅吉は座を譲って座ろうとしますが、それぞれが譲り合い、最後には三人で笑い出すのでした。

「では歳の順と言うことで私が上に座らせていただきます」

遠慮がちに上座に座る喜八郎さんでした。

「ところで上に座ってしまいましたが、虎屋さんはおいくつになられました」

「恥ずかしながら安政の大地震のときに記憶がぼやけまして、天保の14年頃の生まれらしう御座います。妹と九つ違いであの時の妹は四つになって居りましたのでそのくらいかと。今年で二十五に相成ります」

「左様で御座いますか。私は天保八年で善次郎さんは九年の生まれで御座いますよ」

やっと安心したか江戸のことなど話すうちにビールに枝豆、天ぷらに玉子焼きなどが運ばれてきました。

「実は二人できたのには訳がありまして、江戸で虎屋さんが新式の銃を手に入れたと噂を聞きまして矢も盾もたまらず拝見いたしたく出て参りました。最もこの人は横浜見物が目的で御座いますが。明日はスネルさんのところで支払いもあり、一日早く出てきてもいいじゃないかと急ぎ出て参りました」

寅吉は江戸で銃のことはブンソウにも岩蔵にも話していないので、出所は備中守様と言う事で又聞きの肥後守様の家中からで御座いましよう。

「肥後守さまからの情報ですか」

「ホウ、やはりそう思われますか、さすが情報屋さんの事だけはありますな。左様でございます、おとついに肥後守様直々に呼ばれまして、見聞してくるように仰せ使いました。何でも備中守様が寅吉さんより手に入れたということですが、さすが御府内では撃てませんので、まさかこっちに寄越せともいえんのでお前が見て来い、と言う事になりました」

「今日は酒も入りまして危ないので、明日例の射撃場に行きましてご検分ください。スペンサーは台座に弾を押し込みますが、此方は銃身の下に差し込みますので扱いが少し違います」

「そうしますと重心は、いや此方は重さの重心ですが撃つ度に打ち手のほうに移るわけでスペンサーとは反対になるのですね」

「そうです、戦になれば単発で撃つ事も簡単に操作が出来てよいのですが、値段が高く大量に持つには不向きで御座います」

「そう致しますとエンフィールドとスナイドルのようにはいきませんか」

「シャープスやスペンサーよりも銃弾は小さく、ヘンリーライフルの改良型なのでそちらとは互換できますがその銃とてわが国には百三十挺と有りません。ヘンリーライフルは確か60両くらいしましたか」

「左様で御座います。ミニエーなら八挺買えると言われては、売るに売れず私のところでも扱いきれません、それでその銃の小売は幾らぐらいになるでしょうか」

「もし百挺を入れることが出来れば大倉屋さんに70両で弾を100発つけて渡せるでしょう。しかしそれでは小売を壱挺百両以下ではどうにもならんでしょう」

「安くなる可能性はあるでしょうか。今殆どの銃器は旧式になりつつありますから、出来るだけ新しい良い銃器を欲しいお大名方も大勢居られますし、お旗本の中でも個人でほしいとおっしゃられる方が大勢御お出でに成られます」

「其れは分かりますが、新式銃は実戦で大勢のかたがたが試してからでないと、欠点も良くわからないのですよ」

「それで寅吉さんが見て、今度の銃に欠点はありましたか」

「最大の欠点は銃弾が小さく、旧弊なお方たちには受けが悪いと見ました。殺傷能力よりもこの銃は戦闘力をそぐことが目的のようで御座います。腕も良いものが持てば心の臓や頭を打ちぬけましょうが、そう腕の良いものばかりそろえるのは難しいでしょう」

「ジャスポーは金属薬莢に改良が出来ないのですか」

安田屋さんがそう聞くので「大鳥様もためさせていますが無理のようです。安田屋さんも銃に関心がありますか」

「いえわたしは大倉屋さんの門前の小僧で、聞きかじりだけで御座いますよ」

「この間のカービンみたいに交換が効けばいいのですが、フランス人は他の国に真似されないようにするので難しいことに造るようで御座いますよ」

「ところで話を戻して今度来たライフルの試し撃ちはなさいましたか」

「ハイ、300ヤード先の的を撃つのに誤差は尺以内で収まるようで御座います」

「安田屋さんよ、300ヤードは大体158間くらいだよ。二丁と38間さ」

「其れは虎屋さんが撃ちましたか」

「ハイわたしが立ち撃ちと座撃ちを試みてそのあと台座で銃身を支えて、撃ちましたが、ほぼ同じようにぶれがありませんでした」

「其れはすごい、薬莢が小さいと反動も小さいのですか」

「左様です、44口径なので銃口の跳ね上がりはすくのう御座いました」

またもや銃の話で座が盛り上がり「試しうちは出来なくとも銃を見たい」という二人を伴い、下で待つ雅には連絡をつけさせて後から来るように言いつけ、20番に向かいました。

「驚きました。このような部屋は始めてみました、なにやら良くわからない機械の中に放り込まれた気が致します」

「そうですね、見たことのない珍しいものが多いですね。異国かぶれのお大名でもこれほどの部屋に入れば目を回しますよ」

二人とも事務所だけでこれだけ驚いていては、坂本さんや先生に備中守様が来たとき通す部屋では腰を抜かすかもしれません。

「まてよ、大倉に安田といえば、まさかあの大倉と安田か、そうか石ころ騒動で困ったのはこの人だったか」そう気がついた寅吉でした、大倉屋というのは江戸に数多くあっても安田と言う人と付き合いのある大倉はそういないはずと気がついたのでした。

「この場所は長崎のある婦人と約束しまして、先行きホテルとしての場所の確保のために今から借り受けております。将来そのグリーン夫人が横浜に参りましたときにはご紹介いたしますから、後援をお願いいたします」

「何をおっしゃられるやら、私どものような小商人には後援など手に余りますよ」

「いやいや、あなたたちは福運の奥様が御出でのようにお見受けいたしました。易はたてませんがその様にお見受けいたしました」

「ホウ、千里眼の寅吉さんがそうおっしゃられるなら、わたしたちも信じて毎日を商売に励みましよう。ナァ安田屋さん」

「左様ですよ、もしわたしたちがそのとき力に成れるなら、そのグリーン夫人のお役に立たせていただきますよ」

なんと千里眼の噂も聞きこんでいたようで、寅吉の感が当れば間違いなく二人は、明治を代表する財閥に成る事でございましょう。

奥の中二階から参挺の銃を持ち出してお見せしました。

「この黄色の色は引き立ちますね、真鍮のせいか高級感があるようで、明日の性能を試す時間が早く来ないか興奮いたします。手に取りますとそれほどの重さを感じませんが」

「それでも一貫目ほどありますから、馬上ならともかく、これをもって走るのは大変で御座いますよ、其処の隙間をこのように押して銃弾を補充いたします。不発弾もレバー操作でこのように上蓋が上がって排除しますので」

模擬弾を入れて操作方法をお見せ致しました。

備中守様もこうして楽しんでおられることを、さぞ楽しそうに肥後守様に話されたのでしょう。

「其れはいいですね、スペンサーより扱いやすそうですが、手に入れるのは難しいのですか」

「いえそれほどの事も無いようですが、弾の補充が此方で簡単に出来るか難しいところでしょう。44口径はまだほかに見当たらないので。其れとこれだけ小さい銃弾は細工がし難いでしょうから、英吉利あたりではまだ作れないようです。わが国でミニェー銃がもてはやされるのは此方で火薬も弾も補充できるからでしょう。」

「左様ですね。それでは亜米利加だけですか、玉を作るのは他の国はだめでしょうか」

「そうですね、五年もたてば各国が争って小口径の銃に研究費を投じるでしょうが、今は無理かもしれません。この銃とジャスポーの最大の欠点は弾の補給のことでしょう」

「金属薬莢を作るには日本中の飾り職でも作ることは難しいのでしょうね」

「機械があればともかく、製鉄所でも船を作る技術は教えてくれても、其処まで指導する人間は仏蘭西にはいないでしょうし、送ることも無いでしょうね」

ジャスポー銃やプロシャのボルトアクション式のドライゼ銃も持ち出して来て、リンネル製、紙製の欠点を話、シャープスM1859カービンに1863も出して金属薬莢に改造して使うことを勧めました。

寅吉が持つさまざまな銃を持ち出して、説明にも熱が入る寅吉でした。

Starr Carbineも試し打ちしたいという話なので、明日は何人か誘わないと持ちきれなくなりそうで御座います。

ウーロン君が帰ってきたのでヤング中尉に明日銃の試しうちをするが付き合ってくれるか聞きにいってもらいました。

すぐ戻って来たウーロン君は「オーケーですよ。出来れば朝8時前までに軍営に来てほしいそうです」

「ありがとう。喜八郎さん明日は七時頃宿に迎えを出しますから」

「ありがとう御座います。支度をしてお待ちします」

日の暮れ掛かる頃にやっと満足した二人は「宿に戻る前にスネルさんとの用事も済ませたい」というので雅に先に行かせて在宅の確認をさせてから外に出ました。

前回の勘定も横浜で通用する三井の手形で済んで「この間の銃のお約束の分も同じ三井の手形を持参いたしました。江戸への回送をお願いいたしたいのですが」

「いいですよ。明日には発送して、明後日もしくはその次の日には江戸に着くようにいたします」

ベリュウさんもお金が入りニコニコ顔で約束を致しております。

「其れとこの銃ですがあと五百挺入れていただきたいのですが、引き取りは三月に一回二百五十挺ずつにしていただけないでしょうか、弾は全てで10万発ほしいのですがいかがでしょう」

「支払方法はどうします。額が多いのでキャンセル料分を先払いという形で保証金にしていただけますか、そうすれば最初の分を二ヶ月後には取り揃えます。今かき集めても百挺を集めるのがやっとでしょうから、わたしのほうで一括して五百挺を入れておきますので引き取りは一括でも支払いは二回でもよろしいですよ」

「それで保証金はどのくらい入れましょうか」

寅吉に助けを求める目で合図するので「どうでしょう一割を保証金として入れることが出来ますか」

「其れでよろしいですが、お幾らになるでしょう」

二人を其処にいさせて、三人で奥に入り紙を広げて計算をすることにしました。

まずゼームスさんを呼び出してきました。

「ゼームスと三人でやるんだろう」

「そうなるよ、額も大きいが二千挺は三人で仕入れ、てジョンが売り歩く約束ができているんだよ」

「小売三十五両でこの間の卸は二十四両だろ、仕入れは20ドルだから15両か、でもな、俺の情報では今回は14ドルでブリュインさんは送料込みだそうだが、間違いないかよ」

「其処までわかって居ちゃ仕方ない。その通りですよ」

ベリュウさんとゼームスはあっさり告白してしまいました。

「そうすると、10両二分だな今回、数が多いから弐拾両にしてくれないか、其れの五百挺分で壱萬両、弾は壱両12発だろうが十二万発で壱萬両を、向こうでは十万発だというから、八千三百三十三両と壱分二朱くらいだろう」

紙で計算していましたが「その様だな、其れより、弾はポンドで計算して、請求しようぜ」

「いいだろうよ、1ポンドでいくつ出してくれる」

「リンネル十六発、金属十六発の32発」

「どうだサービスして1ポンド40発つけないか」

「二千五百ポンドかよ、少しきつい相談だぜ」

「仕入れが1ポンド五十発と言うことは知れているぜ、其れも横浜での税を払った後の値段だろ、それなら三千ポンド十万発でおまけが二万発でどうだ」

「待て待てコタさんの話は早くていけないから今計算してみる」

「だめだよ同じじゃねえか」

笑い出す四人の声に待っている二人もやっと胸をなでおろしました。

「どうやら交渉して値切ってくれているのでしょうかね」

「それならいいが、高く持ちかけられても、仕入れねえと困るんだろう」

「そうですがね、でも何とかなるでしょう、この間の値段でも五千両は堅い商売ですよ」

「儲けが出たらまた何か入れますかね」

「新式はやはり無理のようでしょうな。高すぎて売れないでしょう。肥後守様にはせめてでも壱挺は手に入れて帰りたいものですよ」

三人でああでも無い、こうでも無いとやっていましたが「負けたよ三千ポンドおまけが壱挺百発の所を二百発にするよ。それで十一万発だから勘弁してくれよ」

元の部屋に戻ってスネルがゼームスさんを改めて紹介して「もうコタさんに値切りに値切られたよ。銃は今回安くして弐拾両での五百挺で壱萬両、弾は七千五百両で十万発、おまけで壱挺当たり二百発つけます、本当はおまけなど無いのですがね。それで保証金は一割の千七百五十両となります。計算をして確かめてください」

二人は十露盤で計算をして「間違いありません。わたしたちの計算より二千両以上安く扱わせていただけるなど思ってもいませんでした」

「喜んでくれてうれしいですな」ゼームス・ファルブラントさんが代表して挨拶しました。

交互に握手して商談が決まりました。

「十日後にまた手形を持って参上させていただきます」

「お待ちしていますよ」

ベリュウさんもゼームスもスネルだって、いつ売れるか不安だったカービンのうち四分の一が決まってほっとしています。

其れはそうでしょう七千両は確実に儲かるのですから、お客が帰った後、笑いが止まらないのは目に見えています。

寅吉と雅が倉の屋まで二人を送り野毛には雅を連絡に行かせ一人でユナイテッドクラブに向かいました。

英吉利公使館の書記官のMr.ミットフォード、通訳官のMr.アストンと情報交換の約束のため八時に待ち合わせて食事をするためです。

7時半にクラブに入り、Mr.スミスに話をいろいろ聞いてみると、ジョンヘンリーがゼームス・ファルブラントさん達と、プロシャからドライゼ銃ともうひとつ寅吉も知らないSchaumburg-Lippeと言う小さな候国から新式銃を入れるという話を聞きました。

「彼らは俺には内緒にしていましたよ」

「そうなのか、最近儲けが多いものだから古い銃の販売だけで満足しないらしい」

「新式銃は、性能検査が済んでいませんから、どのくらい優秀かも売り込み文句からだけでは分かりませんから不安ですよ。それに大陸では相変わらずリンネルや紙の薬包を使う方式から変わりが無いでしょうしね」

「オイオイ、コタさんの千里眼でも無理なのかい」

「ジョンヘンリーはプロシャ公使館でまだ働いていることになっていますからその伝で入れることにしたんでしょね、明日プロシャのDreyseを含めていくつか試しうちをする予定です。

「何処でやるんだい」

「イギリス軍営の先の射撃場で江戸から来た商人二人とヤング中尉で亜米利加から来たライフルなどを試します」

「俺も行っていいかい」

「いいですよ、スミスさんが来てくれれば銃の性能もわかりやすいですからね。朝七時十五分にピカルディのほうにきてくれますか」

「判った、ではこれで失礼するよ」

二人の公使館員が来たのでスミスさんは別の人と話にいかれました。

「ヤァ待たせたね、遅れてすまん」

「それほどでもありませんよ。時間はまだ八時三分過ぎで待つという時間ではありませんよ」

「ハハハ、コタさんは日本人には珍しく時間が正確だから先に来ているぞと二人で急いできたんだぜ」

「今度の公館は山の上だから歩くにはつらいよ」

太っちょのMr.アストンはゼームス・ファルブラントさんと同じ歳ですが大層太っていて貫禄があり最初は30過ぎかと思うほどひげも立派で御座いました。

アーネストとは馬が合うらしく、二人は良く馬で遠出をするようで御座います。

「馬で来られたんでしょう」

「そうだよ来るときは下りで楽だが、帰りのことを思うと歩いてらん無いよ、しかし今日は暑いな、日本の夏はつらいよ。此処に来る前はインドでからからのとこで其れもつらいが、此処はむしむししてさらにつらい」

汗を拭き拭き食堂に入りまずシェリーで乾杯しました。

翌16日の朝も暑かった。

「今年、桜は早く咲くし、梅雨らしい雨の日も少ないし、日照で米の収穫もよくねえかもしれないと喜兵衛さんが話していたぜ」

ウィリーと谷戸橋のところで行き会い、そういう話をウィリーから聞かされたのは七時三十分頃だった。

「畑の具合はどうなんだよ」

「そっちは順調さ、今年のトマトは旨いぜ、枝豆も喜兵衛さんが見回ってくれて順調だし、にらなんぞ雑草のように伸びもいいんだぜ」

生育がいいカーチスのにら、という名前の野菜として清国人たちにまで売り込んでいるウィリーでした。

英吉利の軍営でヤング中尉に来意を告げるとすぐに出てきて「時間が正確だな。今丁度俺の時計で8時だ、スミス中尉おはよう御座います。何ですその格好は」

「これか、亜米利加の古着を買い込んだら、南軍の制服がたくさん入っていたんでな、今日は銃の試しうちだから着込んで見たんだ。似合うだろ」

「兵卒の軍服では拙いでしょう。せめて将校のにしてくださいよ」

「いや君が来るというので、俺はお供のことだからこれで丁度いいだろう」

そんなたわいのないことを話しているうちに射撃場について、銃の支度を雅と千代が始めました。

「こいつがこの間来たと言うやつか、なるほど良く出来ているな」

六挺のウィンチェスターをかわるがわる手にとって見ています。

一挺を寅吉が弾込めすると二人も次々に弾を挿入して重さを確かめています。

「小さい弾だな。至近距離でないと致命傷を負わせるのは難しそうだ」

「ブリュインさんからの手紙ですと、この系統の銃は致命傷よりも戦闘能力の削減が目的らしいです。負傷兵が出れば其れを打ち捨てておくことが出来ず後方に送るか、看病に手をとられることになり、前進する兵が減ることが目的だそうです。そして倒れた兵の付近に戦闘能力の高い兵が集まれば、命中確立は一段と高くなるということだそうです」

「そうかこの型の銃だと弾込めも戦闘中は単発でも楽に出来そうだ。スペンサーの銃より弾込めの時間が早くできるから1分もあれば十分に連発銃の役目が出来るな」

「この銃を十挺持てばミニェーの兵百人と対抗できるといわれています」

かわるがわる的を撃ち、命中するたびに感想を話し合いながら銃を交換して、三種類六挺のウィンチェスターを試しました。

「この間も試したが、ジャスポーのリンネルと紙の薬包は日本向きではないな。シャープスのように金属薬莢と両方使えるのが一番だな」

「そうだ、この大陸の銃は、仏蘭西もプロシャも同じような方式で鹵獲した弾と薬包を使われないようにしたつもりだろうが、補給が銃によっては難しいだろうな」

軍事的な専門用語まで飛び出して二人で用兵論までたたき合いながら、すべての銃を試すのでした。

「コタさん内緒だが、わが国でもこのレバーアクション型の銃を試作しているらしい。もうじき完成だそうだが亜米利加とスイスとわが国の最高水準の銃の専門化が知恵を絞った銃になりそうだ」

「そいつは早く手に入れたいものですね。民間に出てきますかね」

「亜米利加と違ってどうかな、売り出すとすれば旧式からが、わが国の方針だからな」

スミスさんは退役した今も情報通で、英吉利本国のことや各植民地の情報に通じています。

少しは話が理解できる千代が大倉屋さんに話をしているので、寅吉が英吉利の新式銃の話をしました。

「その話聞いたことがあります。何でもこの亜米利加の銃と似た作り出そうですが口径は今までと同じ様に大きいそうです。ヘンリ・マルチニー銃とか言う名前だそうですが初期のものは入ってくるという噂もあります。価格は50ポンド以上だろうと噂もあります」

通訳すると、二人も驚いて「本当の話か、銃の名前は其れにほぼ間違いないが去年から試作しだしたのにもう売るのか、そういうことだと、改良する余地が出来て最初のものを売り払ってしまうということかな。大陸では金属薬莢を開発していないとでも思っているのかな」

Starr Carbineは旧式銃になりだしましたが相変わらず使いやすさに定評のある銃で二人も「これをもって前進する歩兵は強いだろうな、マスケットのように重いものはこれからの戦闘には向かないな。連発でなくてもこのレバーアクションで簡単に排莢出来るしな、お偉方も銃剣突撃にこだわりがなくなればこれにするだろうが相変わらず戦術は銃剣の兵の全身を主体だからな」

「今はこのダブルアクションでは無くなってきたが別に連発にこだわらない兵ならこれで十分戦えるな」

「只、亜米利加では銃剣での戦闘を騎兵には望まないからこの方式だが日本では騎兵は戦闘に向かないのかもしれないな」

「でも日本ではまだ銃剣をつけて戦う訓練だ出来ていませんよ」

「将来はそうなるよ。だからスナイドルやエンフィールドが根強い人気があるのさ」

「やはりP1853の人気が一番でしょうかね」

「そうだ、わが国の銃の優秀性はこれでも証明できるよ。HollandBelgiumなどで造っているエンフィールド銃など耐久性も命中精度も格段と落ちる」

スミスさんの自国礼賛は何時ものことですが、買入価格でも三両は確実に高いのです。

話を聞いていた大倉屋さんが「P1853と言う証明が出来ると十八両なら買い手が飛びついてきます。この間コタさんが紹介してくださった坂本さん経由の時でも十二両から十八両の間で飛ぶように売れます。鉄砲鍛治が優秀な薩摩と佐賀でスナイドルに改造したものでも二十五両以上で売れてしまいます」

「でも危ないのはタワーミニェーの偽刻印があるものも出回っているらしいですよ。気をつけてくださいよ」

「なんだよ、そんなあぶない物も有るのかい。何処でそんなことしているんだ」

ヤング中尉は吃驚しています。

「何でもポートサイドで、亜米利加、BelgiumHollandのものを送ったのに、上海を出たときには影も形も無いというのでそんな噂が出ました」

「それだけわが国のものが優秀だと認められているのさ」

「そんなことで済ませては困りますぜ、ジャーディマジソンからグラーバーにはタワーミニェーを送っているのに、他の業者から安いエンフィールドが買えるのに何で高いと苦情が出ているそうですぜ、公使館でも偽者を突き止めるように上海まで人を送ったようです」

ヴィクトリア女王の王冠の焼印が付いている以上、やはり偽者を作るやつは許せんといえれば立派だが、ジャーディマジソンに負けまいと、デント商会の生き残りが上海で何かやらかしていると噂もあるし困ったことだ」

やはりMr.スミスはやはり細かい事情を知っている様子でした。

ヤング中尉が「でも壱挺二両や三両で其処までしますかね」

「焼印と刻印が有ると壱挺で二両だぜ噂では年内に五万挺は入ってきそうだと聞いたぜ」

「まさか其のうちのジャーディマジソン以外のタワーの刻印全部が偽者と言うことはないですよね」

「いや半分は怪しいと見たほうがいいな、少なくとも二万挺じゃきかないらしい。横浜の輸入はこの半年の様子だと年内で全ての銃を合わせれば10万挺は入ってくるそうだ、長崎はその半分くらいは行くだろう」

「スナイドルが安ければそんなことは無くなりますでしょうか」

大倉屋さんが聞くので通訳するとヤング中尉がこう答えました。

「この国に来て話を彼方此方の人から聞いたが、やはり先込めの薬包が作りやすいという利点はぬぐえないという話だよ。ボクサー式金属薬莢も今は輸入するしかないから補給の面から考えてミニェー銃の優位は変らんな、ブリチェット弾ならこっちでも造れるんだろ

「はい同じようなものは全国いたるところの銃器を扱うものなら簡単に作れます」

「だろ、ミニェーの銃にもいろいろあるがそのせいで進歩が遅れているのさ。一発ごとに銃弾を入れる時間を考えたら元込めの何倍も手間が掛かるのに、弾の補給が容易だという理由で旧式銃にこだわっているのと、とりあえず数をそろえようなんて安易なやり方だから遅れてしまうのさ」

今日のヤング中尉は過激で御座いました。

「スナイドルは今横浜の小売は三十二両で、仕入れは百挺そろえば二十四両、其れをもう少し安く世話するのがコタさんだよ」

「スミスさん困りますよ、そんな事言われたら、さらに安く紹介しなけりゃいけなくなりますよ」

「口利きだけで直接は口銭をとらないのがコタさんの身上だろ」

「まいるナァ、スミスさんは俺より仲間内のことを知っている気がするときがありますぜ」

大倉屋さんが「いい事をお聞きしました。せいぜいコタさんには安く紹介をしていただきましょう」

「そうしなさい、そうしなさい」

ヤング中尉までも銃の手入れをして布で包んで馬に背負わせながらそんなことを言う始末です。

ピカルディでMr.スミスは先にクラブに帰り五人で銃を事務所に上げました。

「コタさん銃を仕舞ったところでお願いが有ります」

「皆まで言わずとも判っていますよ。ウィンチェスターのことでしょう」

「そうです。どれでもいいですから壱挺だけでも譲ってくださいませんか」

「話はわかります。でもあの銃は高いということを承知の上でしょうか」

「ハイ、金に糸目はつけませんとは言えませんが、話の来たお方には恩も御座います。お役に立ちとお御座いまして、なにとぞお願い申し上げます」

土下座でもしかねない様子を見て寅吉は承知をするのでした。

「では三種類の銃を壱挺ずつお譲り致しますから金額が納得できましたらお持ちください」

「判りました、それでお幾ら出せばよろしいでしょう」

「今回は卸売価格を無視して自分が損をしない値段と言う事で壱挺55両ください。

弾を今回は壱挺千発までを壱両二十発でお譲り致します」

「まさか」「まさか」

二人が同時に吃驚した様子で話しています。

「いや驚きました。コタさんは気前がいいと聞きましたが、肥後守様がだめ元でもいいから聞いてきてくれといっておられたのが喜ぶ顔が目に浮かびます」

「驚きました。昨日今日と二日のお付き合いですが、兄弟同然のお付き合いをさせていただきたい気持ちで御座います」

「其れはうれしいお言葉です。では大倉屋さんが兄様で安田屋さんが中の兄、私が弟とということでこれからもよろしくお付き合いをお願いいたします」

「いヤァ、人というものは付き合ってみてはじめて判るといいますが、商売から始まったお付き合いが、このように気心を通じ合えるとはうれしいですな」

ヘンリ・マルチニー銃と同程度かそれ以上、昨日の話の70両以下では到底無理だろうから、壱挺だけでも肥後守様にお届けしようと安田屋さんと話して居りました」

「左様ですよ、せっかく手入れた銃をその様な値段でお分けいただけるなど大倉屋さんは果報者で御座いますよ」

「マァマァ、兄貴にはこれからも長いお付き合いになるでしょうから、砂糖もなめていただかないと」

「金平糖でもなめますかな」

三人で心から笑い気を置かずに付き合いが出来る人と感じる寅吉でした。

「ところでどう致します、どれがいいでしょうか」

「三挺頂いてもよろしいですか」

「勿論ですよ」

「銃が百六十五両だと弾を三千発で百五十両と言う事でよろしいですか」

「左様です、では合計三百十五両になります。銃と弾は今日お持ちしますか」

「銃は持てますが弾を持つ人間が居りません」

「其れは明日私どもから江戸まで、人足をお供につけますよ。江戸の店に行く用事のある手代もいますからご一緒させて宿駅の世話もいたさせます」

「其れは何よりです。支払いはスネルさんのところへ保証金の支払いのときでよろしいでしょうか」

「勿論其れで結構ですよ。実は先ほど話のあったヘンリ・マルチニー銃ですが長崎に二百挺入りましたそうですが、価格は小売百二十両だそうです。先ほどの五十ポンドくらいという話と符合しております」

「ホウそうでしたか、何時頃入ったのでしょう」

「話を聞いたのは昨日で御座います。船が長崎を発ったのが10日ほど前でしようから、

今月の五日より前でしょうか」

せっかく驚いてくれているので昨日長崎の店のものが来て聞いたばかりということは知らん顔をすることにしました。

「横浜には来るでしょうか」

「54番のベール商会に半分来るという噂ですが、昨日の船には積んでいないそうです。卸値の予想は百両くらいになるでしょう」

「同じヘンリーと言う名が付くということは亜米利加のヘンリーライフルと同じものでしょうか」

「同じようなレバーアクションの銃ですが此方はAlexander Henryと言う英吉利人が改良して付いた名です。もともとは亜米利加の確かピーポディとかいう人の考案した方式だそうです。亜米利加のヘンリーと言う人は難しくいうとヘンリー・リピーティング・ライフルという銃の開発者でその会社をウィンチェスター・リピーティング・アームズ・カンパニーと言う名前に替えて発売したのがこの銃です。それに英吉利のは連発式ではありませんよ」 

「エッそうなんですか、てっきり連発式だと思い込んで居りました」

「レバーアクションは空薬莢を弾き出す装置でrepeating が繰り返すという意味なので連発でしょう」

「先ほどの中尉がそれほどこの銃をほめないのは何か訳があるのでしょうか」

「英吉利では亜米利加ほど騎乗の戦闘に重きを置いていないことは原因でしょう。この銃はレバーアクションで立ち撃ちには向いていますが、塹壕などで歩兵が寝て撃つのは不向きです。本来はドライゼ銃のようにボトルアクションが歩兵にはいいのです、金属薬莢のこのタイプが出れば最高の銃となるでしょうね」

「造れるでしょうかね」

「大分先でしょうね、わが国では当分はスナイドルが中心でしょう」

「連発銃は流行りませんか」

「わが国でも兵が教養のあるものが多くなれば可能性がありますが、使い方が難しいものは普及しにくいでしょう」

「そうすると小さな藩が新式銃で武装するくらいなものでしょうか」

「そうなるでしょうね、黒羽藩程度の藩なら同じ銃で済みますが仙台あたりでは難しいかもしれません」

「庄内の酒井様のほうからもいろいろと問い合わせがあるのですが」

「あそこは御主君が幼いのにいろいろと面倒なお役目を押し付けられて大変だそうですが」

「左様ですな、新徴組も過激な人が多いそうで大変らしう御座いますよ」

「盛岡はいかがですか」

「あちらは、楢山様が伊勢勝をご贔屓で日本橋の店から最近もゲーベルやヤーゲルなどをお買い上げだそうで御座います」

「大倉屋さんは入れませんか」

「あそこは難しい御座いました。エンフィールドさえ用はないとまで言われてはお勧めすべき銃は私どもではミニエーの程度の良いものくらいで御座いました。でも秋田は久保田藩の右京太夫様はご贔屓に願って居ります」

「右京太祐様はご病身で京に出られていないそうですお体のほうはいかがですか。新庄は小藩とは言いながら、軍備にもご熱心だそうですがいかがですか」

「戸沢様ご家中もお取引願っております、エンフィールドを大分お買い上げいただきました。右京太祐様はお屋敷から出られぬ分私どもなどの武器商人や町のものたちをお呼びになり直接親しくお話を聞いてくださります」

「左様で御座いますか、佐竹の御家中は大分進んだお方が多いと聞いて居りましたが、出来るだけ良いものを勧めてください」

「ところで勝先生のご子息が亜米利加へ勉強に渡るとお聞きしましたが何時頃でございますか」

安田屋さんは寅吉と同じように情報を聞き集めるのが上手な様子で御座いました。

「来月末にはお出かけになられます。富田先生は仙台からの留学生として高木先生は庄内からの留学生として給付がなされるそうで御座います。太平洋航路でサンフランシスコに向かう予定で御座いますよ」

「たいしたもので御座いますね。旅費と滞在費で年幾らぐらい必要なので御座いますか」

「年間千両は見込まないと勉強するにも苦労されることになりましょう。あちらは物価が高くつきに三十両は無いと下宿も出来ません」

「其れは大変で御座いますね。異人たちが此方で五十両百両物ともしないのは、物の値段が違いすぎるからですか」

「左様ですね、同じ仙台からは高橋和吉さんに鈴木六之助さんが同行いたします」

「そのお二人はヘボン先生のところで勉強しておられた方ですか」

「そうですそうです、まだ子供ですが和吉君は根性がありますよ。将来が期待できますが六之助君は信五郎君いや董少年と言うほうがわかりやすいか、彼がいなくなってから少し勉強に身が入らないようでクララ先生も心配しておられました」

まだ少年の二人が小漉さんたちと同じ船で留学してもあちらでは別々になることで生活がどうなるのか寅吉は心配でございました。

「ヘボン先生のところのお二人はまだ押さないとお聞きしましたが、大丈夫で御座いますか」

「ヴァンリードさんが同じ船で亜米利加に仕入れと他にも用事が有るらしく同行して、ご両親の家に下宿させるという話だそうで御座いますよ」

とり合えず銃と弾を明日江戸に運ぶことにして旅籠に戻る二人を送り、千代と雅の二人を連れて弁天町で笹岡さんに明日の手配をお願いいたしました。

野毛に戻ると二人を帰して寅吉は硝煙が染み付いた着物を脱いで風呂に入り、着替えてからぶらぶらと出かけるのだった。

 

慶応37251867824日 金曜日

弁天 - コロラド号

前日24日の昼から寅吉の家では小鹿さんたち一行で賑わっていた。

オランダ総領事ファン・ボルスブル氏との教官雇い入れ問題も解決した先生も見送りに来ていました。

見送りに出て来た岩さんも、始めての横浜に驚いた様子で見物に廻り、昨日は夜まで小鹿さん達と出歩いていました。

先生は寅吉の20番の事務所で夜までこれからの先行きなどについてと亜米一を通じての送金などの打ち合わせをいたしました。

「龍馬にはあのことを話したんだろう」

「ハイどうしても大政が奉還されるしか道はなさそうなので、その後の京での活動について、出来るだけ町家にはお泊りになられないようにご注意申し上げましたが、死ぬるなら何処にいても同じぜよ、天が生かしてくれちゅうなら活かしてくれるぜよ。そういって笑い顔の坂本さんと別れて参りました」

「そうか、あいつは後の歴史がどうなろうと生かしておきたいやつのひとりだ」

「本当にそうです。私が覚えている歴史ではあの人がいるといないでは平和な世のなかを作り上げるのは難しいことで、本心から龍馬さんの延命を望んでおります」

小鹿さんの顔を極力見ない先生は明日の船出を見送るときにどのような顔をするのか、寅吉ならずともこの先10年に渡る留学のことを考えると心配するのでした。

25日の朝、連日の暑さも涼しげな風で救われる思いのなか、大勢の見送りに送られてアメリカ留学の一行はコロラド号へ艀で向かいました。

クララ先生も吟香さんも見送りに来られ、英吉利波止場は手をふる人で溢れていました。

9時に汽笛を鳴らしてコロラド号は横浜を後にして本牧の鼻を目指して進みだしました。船が見えなくなるまで其処にいた人たちも一人去り二人去りといなくなった後、其処には勝先生と岩さんに寅吉の姿がありました。

三人は20番の寅吉の事務所に上がり寅吉が作る小豆のアイスキャンディを食べながら、これからの江戸のことなどを話し合うのでした。

「するっていと何かい、コタさんが言うように、後一年と将軍家は持ちこたえられないのかい。江戸ゃどうなってしちまうんだよ」

「自分が生まれたときの歴史では西郷さんと先生の話し合いで江戸は燃えませんが、各地で小競り合いは起きました。江戸では寛永寺に籠もった人たちが戦を起こしますが、大きな火事にはなりませんでした」

「そうか、麟さんが活躍の場があるのかい」

「幕府は最後の責任者に先生を任命して打開の道を探りますが、将軍家は江戸での戦をしないように主戦論者を全て罷免して、あくまで恭順の道を選ばれました」

「しかし、何処がそれだけの兵をだして江戸を攻略に向けるんだよ」

「薩摩、長州が主体で西国の兵が殆どです」

「何かい紀州や尾張の御三家は動かないのかよ、薩摩は前から慶喜公の後押しをしていたのに、なぜそんなに反対に廻ってしまったんだよ」

岩さんはご存じないかもしれませんが、昨年末に、将軍に就任した慶喜公は、フランス公使ロッシェの進言により「日本を統治するのは、天子ではなく、将軍を頂点とする幕府であり、薩摩や長州等の外様を排し、老中を首座とする内閣制度を発する予定であり、外交は慶喜の判断で行い、勅許は不要である」と宣言したと伝えられています。

これは幼少の天子をないがしろにするもので、尊王の志を持つものには耐え難いことで御座いました。

フランスから軍事顧問を招き、洋式軍隊の編成に着手したことにより英吉利、阿蘭陀が幕府を見限る方向に転じたこと。
この年の3月、4月に各国公使を引見し、自分が日本の統治者と誇示したこと。

それで西国の外様諸侯から慶喜公は見放されてしまったこと。

さらに大きな問題は親徳川だった芸州藩(安芸)浅野候にも見放されてしまったことです、芸州は薩摩と盟約を結ぶに至って居りました。

「いまさら外様には政治に参加させないなどあまりにも自己中心過ぎます。先の将軍家にも長州出兵を強要したり、お公家さんたちを怒らせることを平気で行ったり、身内びいきが強すぎます。尾張、一橋、会津、桑名の御当主は皆高須松平の家からご出身で御兄弟です。そしてその方達は水戸家の御出身で今の将軍家とは姻戚関係が何重にも重なり合っています。さらに慶喜公は有栖川宮家、鷹司家のお血筋で天子の血筋で御座いますから余計気位も高いので御座います」

因幡鳥取藩池田慶徳公も備前岡山藩池田茂政公そして美作鶴田藩松平武聡公さらに下野喜連川藩喜連川縄氏公、妹君徳川貞子様は有栖川宮幟仁親王に嫁がれて居ります事も話しました。

「さすが情報屋だけのことはあるな、それで前の将軍家は水戸の方たちのなかで何も動きが取れなかったのか」

「其ればかりと言うわけでも有りませんが、十一代様のお血筋の方々は意見を言っても退けられることが多かったのも事実で御座いますよ。先の天子がご存命なら違う展開も考えられましたが、今となっては、ほかに動きはなさそうです」

さらに幕府は北海道を担保としてフランスから借金をし、雄藩を倒して中央集権国家を作るために軍備の拡張を始める計画が有るということを、薩摩藩の留学生からの連絡で知ったことも大きな一因で御座いました。

この話は卯三郎さんの手紙に寄るとパリ万博に薩摩藩と佐賀藩が物産を展示して、日本のなかの薩摩の国の太守で、幕府といえど将軍は同じ太守の一員で有ると喧伝されていたとあり、世論に押される形と仏蘭西の事情もあって流れてしまったそうです。 

「麟さんは戦をしないつもりかい」

「将軍家がしないと言うのにやるわけにゃいかねえよ。だがよ俺は侍のための戦はしないが、町のものが難渋するようなことを仕掛けるなら断固戦うのさ。そのためには岩さんやほかの火消し臥煙の者たちの力を借りたいのさ。その為の金はコタが用意する。今から来年のためにも各地の有力者に渡りをつけたいのさ。ついては岩さんの伝で彼方此方と俺と廻ってほしいのさ」

「そんなに切迫しているのかい」

「コタが知っている歴史では後半年あまりで政治の権を慶喜公は投げ出すそうだ。後のことは其の時にならねえとはっきりしねえが、慶喜公のやり方だとうまくいかねえのは目に見えているぜ」

「投げ出してしまえば何も難しいことは無いだろうに、何でだよ」

「其れはな、コタが龍馬たちと話したことだが、諸国の大名の互選で聡明な人を選んで政治の合議制に持ち込めればいいが、公卿や長州が手を回して慶喜公を除外しようとするだろうと読んでいるんだよ。コタだって12歳位でこっちに来たんでは良く判らねえことのほうが多いし、誰がどのように動くかまでは読みきれねえのさ」

「しかし江戸を薩摩っぽや長州のやつの好きにさせるっうのは業腹だな」

「其れを言うなよ、我慢しなけりや江戸が燃えてしまうんだ。あいつら天子が幼いからといって、其れをうまく動かそうとしやがって、可笑しな事に成らなければ良いがと心配だがな」

前々から其の時の事は先生とも何度も話し合ったことでした。

「薩摩、薩摩と言うがどれだけの侍がいるんだよ」

「大体五万の侍がいてそのほかの郷士を含めると動かせる兵力は五万人、そのうち新式の銃を持つ兵は今大体壱万人だろう」

「本当だとすると薩摩と戦うのは江戸のお旗本では無理があるのかい。それで、何時から廻る」

「江戸に戻ったら順番に顔つなぎだけでもして付き合いを広げておいてくれよ。薩摩だけならともかく長州、佐賀、土佐、が連合したらまづ五年は戦わないと決着はつかねえよ。だから日本中が戦場になるなどとんでもないことさ」

「岩さん、手土産やどこかで飯でも食おうとか、若い者達どおしの付き合いに使う金は順番に岩さんのところと、容にも預けるから遠慮はいらねえから、足らないときはおつねさんに言ってください。後六千両は現金がありますから、使いきった頃には江戸の行く末もわかるでしょう」

「よせやい、月に五百両使っても一年はあるぜ」

「今はそれほどでなくとも、もし天子の命で兵が来たときには混乱しますから、町のものが避難する順路や船の確保、修理をする人間を集める用意にも金が掛かります。川舟や漁師たちにも手を回すためには丸高屋さんやお春さん、芸人たちには顔の聞く一蝶師匠、淀屋さんを通じて、上総下総の方にも今から顔を売るためには人の移動が多くなるはずです」

「そうか、其れを何処まで打ち明けて人を動かせばいい」

「岩さんよう、おいらたち旗本はあてにならねえから、町を守るために今から協力して自分たちで守ろうという話で、連絡を取っているということででえ丈夫だろうぜ。町のためといえば火消し臥煙も協力するさ、将軍家のためなど言っても、そいつらには関係ない話さ。コタが覚えていたように江戸が燃えなきゃ後は同でもいいやな」

「麟さんは肝心のとこでいつも罷免だからな、今度ばかりは罷免したくとも人がいないだろう。薩摩、土佐ばかりかあちらこちらと顔が聞くのは江戸一番だからな」

「コタの話だと、大久保様も同じ貧乏くじの仲間だとよ」

「本当かよ、そいつは相棒としては願っても無いお方だな」

寅吉が小粒で二百両を出して岩さんに渡して「この後は出来るだけ小粒にして江戸まで届けておきます。容には火消しの御用に使う金と話をして一包み二百両をもうすでに五つ渡してあります、いっぺんに小粒に替えますと不審に思われますので、江戸でも人を頼んで行う予定で御座います」

「そんなに金を家に置いて大丈夫かよ」

「心配ありませんよ、先生のお宅にも丸高屋さんにも淀屋さんにも、新川の河嶌屋さん、木場の旦那衆にも話は通して、すでにお金も預かって頂いていますし、小粒に少しずつ換えていただいております。それにあの家は女たちが働く城ですから、生じっかの強盗など寄せ付けませんぜ」

コロラド号がパナマ経由で運んできた亜米利加の銃のリストを見て先生と値踏みをしたりして、二時過ぎまで此処で話し込んでから三人で弁天町に戻り、岩さんと先生は船で神奈川に渡りました。

岩さんは横浜についてきた若い衆には鉄砲の弾だからと言って、江戸まで金を担がせて街道を下って行きました。

青木町まで見送りについていった寅吉は船で戻り、106番のGerl(ゲルル)さんの店に向かいました。

「銃の整理はつきましたか」

「アア、コタさんか、全部で三千六百五十四挺有ったよ。十五種類あってこっちでthree bandは扱うよ。其れは三千挺あったぜ。その残りのカービンの六百五十四挺はコタさんのほうでいいのかい」

「そうですか、では売れたらお支払いはマックのほうにお願いいたします」

リストを見て個別の値段を計算して差し出して了解を得ました。

「いいのかいスプリングフィールドはもっと高くても十分引き合うぜ」

「いいんですよ、マックも私も銃で儲けるのは気が進まぬものですから。あそこにはスナイデルが二千挺入りましたが、其れも商売になるならお客を紹介いたしますよ」

「本当かい、あそこのはエンフィールド兵器工廠で造られた本物だろう。買い手は選り取りみどりだぜ、それにオーヤマに売らなくていいのかい」

マックに頼んで支払ったのは壱挺9ポンドで二十二両二分でしたし、銃弾は四十万発6200ポンドでしたから1ポンドで64.5発の計算でした。

合計は2万4200ポンド支払いは、注文時に2万ポンド支払ってあり、残りは昨日マックが送金を致しました。

「自分からは売りたくないので、最初二百挺で、つごう五百挺をゼームス・ファルブラントさんに紹介して売らせました。今は松木様が横浜に滞在していますがこのことはまだ知らないはずです。売れといってきたら遠慮なく売って構わないのですよ」

「そうだったのか、それでゼームス・ファルブラント商会の連中がまだどこか持っていないか探し回っていたのか。俺のところに回してうらまれないのかい」

「あそこは間に二人ばかりブローカーが入っていますから良いのですよ」

「仕入れ方が違うのか、それで何処に売り込むんだい」

「江戸の大倉屋さんに卸してくれませんか、いっぺんには無理ですが五百挺はいけるはずです。これも売れた分からの月々の支払いで結構です」

「大倉屋はスネルたちが食いついているんだろ」

「其れも大丈夫ですよ。あそこからも良いものが入ったら買わせていますから」

「そうなのか、大手と違って俺のところに回してくれて助かるぜ。ヴァンリードからだと金利をつけられるので、掛けでは高い買い物になるので数が買えんのだよ」

「ではこれからマックのところに廻って銃を引き取りませんか、わたしの分のはもう少しここにおいて人の目に触れぬようにしてください」

「良いとも、では後を頼んでくるから待っていてくれ」

銃はゲルルさんのところの倉庫に納められ、値段の交渉も済みました。

噂をすればなんとやら、翌26日土曜日の昼に弥助さんがモウサント号で横浜について寅吉のところに来ました。

「松木さんに会ったが、コタさんがスナイドルをどこかに大量に隠しているという噂があるそうだな」

笑い顔ながら目は鋭いものでした。

「もうばれましたか。ファルブラント商会から買えたのでしょうに、まだ必要ですか」

「あそこから安く買えたのは良いが、コタさんのSniderはエンフィールド兵器工廠から出た新品なんだそうじゃないか」

気負っているのか江戸弁が出て居るということは、目でにらむほど本心で怒っている様子ではありませんでした。

「高いですよ」

「其れは承知だ、英吉利では小売が十二ポンドだそうだ。其れ以上はだせんぞ」

「ゲルルさんは壱挺二十五両で卸しますよ、後三バンドのEnfieldの中古の亜米利加物が十八両」

「本当かど。千挺でんスナイドルの新品なら買うぞ、ファルブラントのは何処で改造したかわからん品物ほいならっでな」

「あれはボストンで改造しているものですよ。ブリュインさんが寄せ集めてきたものなので今回は特別安かったので御座いますよ。長崎でも中古でも弐拾両以上で無いと卸してくれませんよ」

「判っとう、五代の話だと新品のスナイドルで三十両、エンフィールド兵器工廠でん改造した中古で二十四両だそうだ」

さすがに買い入れに歩き回っているだけ有って値段はよくご存知で御座います。

「ジャーディマジソンやほかからも買い付けているのに、まだ買うということはいよいよ号令が掛かりますか」

「油断が成らんな、まだ知らんはずだぞ」

「昨日勝先生のご長男がアメリカに留学するので、横浜に先生も来られました」

「そうか、其処が情報でどっか。まこて勝先生は油断がならんな。其れよいスペンサーのカービンを買えんか、ファルブラント商会はあまい持っておらんらしか」

「あまりではなく今は何も無いですよ。気を引いてからどこかで探すのでしょう」

「そうかも知れんな、中古でん良かから年間五千挺は買いたい」

「ヘンリーRifleと言う連発銃やウィンチェスターはだめですか」

「見たこっがあうが、アメリカのヘンリーもイギリスのヘンリーも扱いずらい、ウィンチェスターは知らん」

「そうですか、ではファルブラントやスネル以外に扱わせても良いですか」

「ハード商会は高いからだめだ。出来れば小さいとこいに扱わせてくれ」

「ではこれから行く、106番のゲルル商会で良いですか」

「コタさぁが勧むう店なら其処でん良かぜ。今からだといつごろ入っんだ」

「新品中古かまわずでしたら100日後にはつくでしょう」

「まさかそげんに早く亜米利加から着くのかい」

「いえ五人ほど仲介するものに、上海で探すのと、カルカッタからニューヨークまで電報で当たらせますから電報を打つまで30日、亜米利加で探すのに10日、船が65日ということですが。弥助さんには申し上げますがパナマ経由でも入ってくるものもありますが、そちらは数とどの銃が来るかはわかりません。三千挺は中古でもう船が出ていますし、新品は五千挺を注文済みです」

「ゲゲッ、何処に売う予定だど。ほかに回さずに俺に売れよ、金は何とかすうぜ」

「弥助さんが来ればお話しする予定でした。千里眼の噂はご存知で御座いましょう。伊達に情報で飯は食えませんぜ、松木様には別口での購入もあるでしょうから口をかけておりません。」

二人でゲルルさんのところに出かけ、千五百挺のスナイドルの新品は弥助さんが買い付けることになりました。

後の五百挺もほしそうでしたが其れは予約済みと断らせてしまいました。

スペンサーは全てゲルルさんのところに卸されることになり、其処から弥助さんに中古を二千五百挺、新品を二千五百挺売り渡す契約を結びました。

中古は二十五両、新品が三十両で契約が済みました。

入ってくる弾は20万発の予定ですが、そのうち十五万発を九千三百七十五両で約束いたしました。

スペンサーは十三万七千五百両、弾と共で十四万六千八百七十五両。

スナイドルが参萬七千五百両と弾が10万発六千弐百五拾両。

〆て十九万六百二十五両となりましてゲルルさんは濡れ手で二萬両ほど手に入ることになりました。

「いヤァ安く手に入ってよかったぜ、Sniderの分は10日後に支払いに越させる。後から来るSpenserのほうは品物と交換に支払える予定だ、また買い入れるから頼みます」

「此方こそコタさんが品物も買い手も紹介してくださって、儲けだけが手に入ったようで、いうことなどありませんな」

「では、これからも安い値段で廻して下さいよ」

すかさず弥助さんに言われてつい承知してしまうゲルルさんでした。

「今年は無理だが来年にはまた新品のスペンサーを買い入れる予定だ、長崎でも五代さんが買い付けに廻って上海まで出かけても、いい物が安くは買えんとこぼして居った。頼むぜコタさん」

「新品は後どのくらいの数がはいるか聞いておきましょう、中古は品物が来れば後買えるかどうか連絡がつくでしょう」

「新品がつく日が待ち遠しいな、俺と連絡がつかないときは、あそこの人に連絡してくれよ」

二人が知る代理人ともいうべきあの人は薩摩の出だそうで、町にお住まいで御座いました、松木さんは其処には極力近づかぬようにしています。

二人で松木さんの家に行くと、寅吉とよく似た感じの背の高い若い人がいました。

「紹介しておこう西郷先生の末弟の小兵衛さんだよ」

「お初にお目にかかります、虎屋の寅吉と申します」

「俺は小兵衛だど。弥助の兄さぁからおまさぁのこたあゆうと聞かされて知ってうど。下の兄さぁも次の兄さぁも寅吉さぁとは会ってうそうだな」

弥助さんや松木さんと違い薩摩弁丸出しでとても何を言われたか判りませんでしたが、二人が笑いながらこういっていると教えてくれました。

「今年二十歳になったんだよな。少し遊びに連れ出してくれよ」

二人に言われても寅吉では、何を言われいてるかよくわからないお国訛りで御座いましたので、友次郎と言う若者をつけてくれて「こいつなら江戸弁でも英語でも何とか通じるから一緒に遊んでやってくれ」

そういわれて三人で新しく出来た新吉原まで出かけることにしました。

途中で長吉と出合ったので「新吉原の玉川楼に行くからお前で良いから、後で迎えに来てくれ」

そうつたへて大門をくぐり、中ノ通は右に折れたとこにある玉川楼に上がりました。

やり手に二分渡して「予算は十両、泊まらずに芸者遊びに賑やかしてくれよ。おいらんはあっちの二人しだいで後別に請求してくれ、任せるぜ」顔見知りのフジという中年のやり手は心へ顔で「お任せくださいな」請合って十二畳ほどの部屋に通されました。

普段泊まりはあまりない寅吉を承知の妓楼で、予算を話してあるせいかそれでも六人ほどの芸者が顔を出して、にぎやかせたあと御職の女郎達が何人も顔を出しては挨拶をして行きました。

「気に入った娘がいたら別の部屋に呼びますがいかがします」

「いや今日は十分楽しんだ、どっかで飯でん食もって眠いたい」

そういうので「では清国の料理か横浜独特の肉料理、もしくは西洋のホテルなど出かけて見ますか」

「ホテルと言うところはどのようなものを食べさせてくれますか、異人たちの物も食べてみたいもので御座います」

友次郎がそういうと小兵衛さんも賛成するので居留地のウィンザーホテルで食事を取れる時間か下に来ていた長吉を聞き合わせに先に行かせて、出かけることにしました。

「堀沿いから行って製鉄所を渡るからそのあたりまでなら迎えに来れるだろう」

長吉が飛んで出て行き、迎えに来たのは吉浜橋を渡った所でした。

「旦那、食堂は閉めるが一部屋用意して特別に給仕にアーサーと愛玉さんが付いてくれるそうです。オルセンさんと竹蔵さんが引き受けてくださいました」

「よくやった、大分お前も顔が聞くようになったじゃねえか。洗濯屋で飛び回らせるのは気の毒だな」

大いにほめられて気がよくなった長吉は「ヘヘッ、旦那にほめられるとうれしいですがね。おいらは誰かに追いまわらされて飛び回るのが分でござんすよ」

「コタさんよ、そのお人は分をわきまえて仕事に誇りを持っているようで、いい事でござる」

酔いが廻るに従い言葉がわかるようになってきた小兵衛さんの言い回しで御座います、普通の人は反対にろれつが怪しくなるのに薩摩の方々は酒が強い方が多いのでした。

ウィンザーホテルで部屋に通され、オルセンが用意した料理とシェリーに満足の様子の小兵衛さんと友次郎さんでした。

「今日はどちらから来られました」

チャイナドレスの愛玉に聞かれ「わいは薩摩から来もした」少し頓珍漢な応えに「いえ何処でお遊びのお帰りですかと聞きました」

「オオすまんことでごわす。ワイらは新吉原とかいうとこで、あんたとはちとおちもすが、きれいな娘さん達と酒ばのんじょりますた」

「マァ、それでコタさんご贔屓の玉川楼ですか」

「さようでごわす」

何のことはない全てしゃべってしまう小兵衛さんでした、新吉原で驚いたこと薩摩では見たことの無い横浜で驚いたこと、等など話しているうちに時間は11時になってしまいました。

「今晩は遅いですから此処に泊まりましよう。わたしと長吉は近くに部屋がありますからそちらに泊まりますから、お二人にはベットの用意を頼みますよ」

二人の薩摩人を愛玉とアーサーに預けて20番に戻りました。

五左衛門さんに鍵を開けてもらい、長吉は客用の寝室に寝かせ朝早くに野毛に戻ることにさせて寅吉は自分の部屋で休みました。

翌27日は日曜日、大倉屋さんに新三を連絡に出かけさせて、新しく着いた銃の金額と数を連絡しました。

そのなかにはMartini-Henryのカービンも入っていて価格は壱挺四十五両、七十挺入っていた事、弾は百万発までなら10月までに入ることも記しました。

其れとMartini-Henryの歩兵銃も安く買える事も記し、壱挺あたり四十八両で渡せることただし二百挺の価格という事も連絡致しました。

もうひとつスナイドルも入ってきて、エンフィールド兵器工廠から出た新品を二十八両で卸すと言う事も書きました。

ゲルルさんから会いたいと連絡が回って来たので、寅吉は103番に出かけました。

「日曜なのに仕事ですか」

「日本人は日曜も関係ないからな、スネルが来てコタさんのカービンを半分まわしてくれといってきたがどうする」

Martini-Henryとしてある分以外は全て売り払って構わないよ。箱を整理してみるか」

店のものに手伝わせてMartini-Henryを七十挺、ほかにStarr Percussion Carbineを三十挺どかして残り五百五十四挺はスネルに任せて好きなだけもって行くように連絡を入れました。

すぐに出てきたエドワルドは、銃のよりわけをはじめましたが「Mr.ゲルルこれ全部引き取るけど幾らでいいんだ。コタさんも安くするように言って下さいよ」

「いいとも、ゲルルさん全部引き取るそうだから儲けは少ないがこれでどうだい」

書付を見せてゲルルさんがうなずいたので「弾を別にして壱萬両でいいよ。2500ポンドだよ」

「掛けでいいかい、月1パーセントで出してくれるとありがたい」

「いいよ支払期限は半年でいいかい」

スネルが手を出して握手して話が決まりました。

「よくわからない銃があるので口径を検査して弾を探さないといけないな。家に無い物はこっちで探してくれるかい」

「アア、この銃に会うやつは全て来ているよ、売り切れないうちに調べてきてくれよ。安く出したんだすぐに売れるだろ」

「判った其れとthree bandのミニエーを五百挺分けてほしいが、出来ればスナイドルに改造可能のものがあるだろうか」

そちらの交渉は二人に任せて寅吉は20番に出て元町にも廻ることにしました。

気が代わった寅吉は三十二番のベリュウさんのところに向かいました。

お茶をご馳走されているとエドワルドが戻ってきました。

「うまく交渉が成立したかい」

「ヤア、こっに来ていましたか、大分安く買えましたよ。伊勢勝にも大分ミニエーを頼まれているので焦っていましたので助かったよ、あと五両出せばスナイドルを売ってあげるといってもEnfieldSpringfieldのミニエーで十分だというのでは仕方ないですよ」

「コタさんマックのところでSnider infantry Rifleの新品が安く入ったそうだが、其れは幾らだよ、幾つ入ったんだね」

ベリュウさんが新しい話をどこかで聞き込んだようです。

「あれは全部売り切れましたよ、もっとも五百挺はまだ予約だけですがね」

「うそだろう、船がついたのは四日前だろ、そんなに早く売れるには相当安く売り払ったのかよ」

「いや価格は五百挺の方には二十八両と連絡して返事待ちです。買い入れるということは間違いないですが、価格でどうかなと思っています」

「改造なら二十四両以下で売れるものな、EnfieldSpringfieldをブリュインさんのほうでにSnider改造してくれば大分安く売れるしな」

「そうですね、どのくらい銃に詳しいところが買うかで決まるでしょうね」

Sniderの弾は補充が利くのかよ、俺のほうはboxerが中々そろわないんだよ」

「長崎にいえばすぐに二十万発くらいは届きますよ。3ヵ月後には百二十万発までは大丈夫ですよ」

本当は二百万発以上を上海経由でグラバー商会が輸入して横浜に送り、ほかのagent経由で横浜へ二百万発届きますので10月には四百万発以上が確保できます。

さらに寅吉は亜米一に代理をさせてさらにいろいろな口径の銃を調べてその銃弾を百万発入るように手配をしています。

「なんだ、コタさんのほうで抑えられたのか、英一に言っても中々いい返事が来ないので困って居たんだよ」

「去年の火事の後、亜米一のMr.Thomas WalshMr.Frank Hallもそうですが、英一のMr. William Keswickだってマックには対等に付き合ってくれていますからね。直接にマックに言えばたいていのわがままは聞いてもらえますよ」

「そいつはもう試したよ。Mr.John Mac Hornha俺は銃や大砲は扱いたくないというんだ。仕方なく頼まれて入れているだけだから、コタさんに頼んでどうにかしてもらえとさ」

「なんだ、マックはうまく逃げるナァ。仕方ねえ足りないものは俺が手配してやるよ」

「そういうのを待っていたぜ。ジョンヘンリーが新潟に店を出したらよろしく頼むよ」

「うまいことやられたか、マァ仕方ねえ乗りかかった船だ俺のほうで間に合うものは回してやるよ」

ベリュウさんはスネル兄弟二人が動けば動くほど,儲けだけが懐に入るのでご満悦です。

寅吉は店では銃器を扱わず相変わらず仲介するだけにして、手数料も殆ど取らぬように心がけています。

幸助からの連絡が来て「坂本さんが広島へスナイドルを五百挺とミニエーを五百挺頼まれてその分は直接グラバー商会が収めたそうです、連絡員が来ていうには銃弾も共に弐拾万発を納めたそうです」といってきました。

芸州は辻様が軍備を強化しているという噂は横浜でささやかれていましたが、本当のことでございました。

ペガサス2世が上海から帰ってきて沖に船繋がりしたと連絡が入ったのは夕方で、長崎で荷を降ろして人を乗せてきました。

Mr.フレデリック・Z・リンガーが船から下りて20番で待っていると連絡が来たので弁天町にいた寅吉はまた居留地に入りました。

グラバーからの託と、Martini-Henry infantryの銃と銃弾と共に上海から付いてきました。

「銃はinfantryが三百挺、Carbineが百挺、銃弾が二十万発です。トマスから最初の契約より多いが半分をコタさんに回すから引き取ってほしいそうです。銃弾は来月にまた二十万発都合できるそうですから買い入れるなら注文をするようにいわれてきました。毎月弾を二十万発買う約束すれば年内は同じ価格で買えるそうです。最もSniderと共有できるので前の契約分だけでよければ次回分からは除外しても良いということでした。全ての価格は手紙に書いてあります」

「弾はその契約で年内分は確保してくれよ、支払いはそのつどでいいだろうから長崎で支払わせるよ」

infantryが18ポンドで5400ポンド、Carbineが17ポンドで1700ポンド、これはブリュインさんからも七十挺入っていたので都合170挺に成りました。

大倉屋さんには四十八両と四十五両だと連絡したので弾の値段は大分サービスできそうです。

ベール商会から先月買った人たちはこの値段を聞いたら腰を抜かしかねません、高い値段の噂を流しておいてから売りつけるやり方を寅吉は見過ごすことが出来ず、トマスやMr. William Keswickに頼んで英吉利から急遽買い入れました。

銃が7100ポンドで弾は3000ポンドだそうで1ポンドで57発ほどの計算でした。

「大分奮発して安くなってるいね」

「其れは、わたしを上海まで行かせた旅費などを請求していない、本当の元卸の買入価格だからだそうです。One pennyも儲けていないそうで運送料だけだそうです」

そんなことも無いでしょうが信じた顔で、オリエンタルの手形で一万ポンドを渡しました。

「あと100ポンドはこの手形だよ三井の250両の手形だ、長崎で面倒でも横浜物産会社で現金にしてくれ」

「確かにオリエンタルの手形で1万ポンド三井の手形で250両頂きました。今受け取りを書きます」

グラバー商会の受け取りを出して金額を記入して渡してくれ、握手をして「今晩はどうするんだい、金はしっかりと持っていないと今日は危ないぜ」

「脅かさないでくださいよ、明日荷物を渡すまでは気持ちが落ち着きませんよ。今晩はコマーシャルホテルに部屋を取ってありますから其処で休みます」

「其れでは遊びに誘うのはやめておこう」

笑いながらホテルまで送り、クラウンのヤングヘッドを三枚渡して「うまいものでも食って休みなよ、酒は過ごすなよ」

「大丈夫、今晩は呑まないです」

クロークで部屋が決まって其処で別れて寅吉は野毛に戻ることにしました。

久しぶりに一人でぶらぶらと歩きながら、太田町を通ると多満喜の前でマックと出会いました。

「コタさん飯を食ったのかい」

「いやまだだよ」

「ならここで食べていくかよ」

「いや、今日は先を急ぐからやめにしておくよ」

「コタさんがうなぎを断るなんて本当に急用みたいだな」

何、マックと女将がイチャイチャしている側で飯を食うのはたまらないので、誘いに乗らなかっただけです。

マックと分かれて馬車道を吉田橋のほうへ向かうと、弥助さんと小兵衛さん友次郎さんそれと二人の若者が歩いてきました。

「ヤァ、どこかでお遊びの帰りですか」

「大田陣屋で大鳥先生と会った帰りですよ」

「大鳥様は江戸ではなかったのですか、伝習隊の殆どが深川の演習地の方へ移ったはずですが」

「今朝此方にこられたそうで、松木さぁに会いたいと連絡が有ったで、いまずい陣屋にいたのさ。松木さぁはどっかで呑もうと誘われて二人で議論でんしてうのだろう」

「ではどこかで飯でも食べますか」

「この人たちは昨日の夜には洋食だったそうだが、今日はシナの料理でもご馳走してくれんか」

「いいですね、では例の珠街閣にでも行きますか」

「よかでん、よかでん」とばかりに六人連れ立ってまた居留地に逆戻りいたしました。

薩摩の人たちは紹興老酒に上海老酒でご機嫌になり、特に紹興加飯酒は壷ごとテーブルに載せて楽しんでおられました。

もう寅吉は飲めませんというのに飲み続ける弥助さんたちは、まだ料理がおわらぬうちに壷が空になってしまいました。

「しもた、もうおわってしもたぞ、今晩はこれっくらいで呑むのはやめて肉料理でも追加して食べるとするか。勘定はコタさん持ちじゃけんな、遠慮すっこたなかぞ」

でてきた東坡肉も鳥の丸焼きもあっという間に食べつくしてしまいました。

一息ついて「そうじゃ、今日はビールを呑んじょらんけんな其れも頼みもす」

まだ飲めるらしいので3本出してもらいました。

ふらふらで弥助さんたちが帰るのを見送り、また改めて吉田橋を目指す寅吉でした。

 

慶応38201867917日 月曜日

弁天 - ダルメシアン

今朝の薩摩の船で京の情報を海援隊の沢村さんがもたらしてくれました。

その中で伍軒先生が自宅で暗殺されたと伝へてくれたことには驚きました。

沢村さんは吉田健三郎という若者を連れてきて「坂本さんからの紹介状もあるから横浜物産会社で使ってくれ。この男はからだが弱くて船乗りには向かぬくせに気が強くてな、陽之助もコタさんに預けて商売人にしようと長崎から呼び寄せたのさ。なんせ弥之助とは気が合わないので置いておけんのだそうだ」

「判りました、本人は武士よりも商人として生きることに満足できるなら、必ず一人前の商人に育ててみせましよう」

「よろしく頼むぜ」

「なにとぞ宜しくお願いいたします。寅吉さんのことは坂本先生陸奥先生からもお聞きして居りました。長崎より横浜で身を立てたいとお願いしたものです。ぜひともお引き回しを宜しくお願いいたします」

話は決まり、その場で笹岡さんに相談の上、元町で働くことにいたしました。

釜吉も抜けて小僧から手代に上げるほどの人材が居ないので、すぐにでも役に立つ人間が居ると助かるでしょう。

早速、信司郎が連れて元町に向かわせました、後は勝治が仕込んでくれるでしょう。

五軒先生は慶喜公の懐刀の原市之進さんで御座います、同僚に刺されたという以外詳しいことはまだ判らないそうでございます。

慶喜公が独断で幕府、朝廷を人が居無きごときに動かすのはこの人のせいとのうわさがささやかれていた事もあり、そのせいだと沢村さんは船の中で考えたと話してくれました。

坂本さんがここしばらくは長崎に居られることになりそうで、長州からは木戸さんもこられて、何か動きは早まりそうな雰囲気が漂いだしたという話で御座います。

パークス公使もこの時期活発に動き回り、長崎から大坂そして高知と積極的にゴーマー提督のバジリスクに移動を命じて動いて居りました。

アーネストは横浜に戻ることなく今は土佐で何事かを命じられたらしく滞在して居りました。

「もっとも龍馬さんのしばらくは当てにならんぜよ、神出鬼没じゃけん」

必要な物資を集めるためファヴルブラント商会にご一緒いたしました。

色黒の田舎侍と思しき人と話していたゼームスさんが「オオコタさんこの人は、越後は長岡の河井さんだよ」

河井継之助だ、寅吉はガットリングの継之助の話を、何度父から聞かされたことかと思い出しました。

見たところ風采の上がらぬ田舎侍のこの人が藩政改革、軍事改革を断行できたことに驚きを隠せませんでした。

「驚いているね、お前さんが会いたがっていた河井さんだよ」

「お初にお目にかかります、虎屋の寅吉と申します。お見知りおき下されて、お引き立てを下されば幸いで御座います」

「知ってるよ、幸民先生からも聞いてるし、肥後守様にお目に掛かった時も話を聞いて大倉屋にも行った、そこで話は聞かせてもらってるよ」

土佐の沢村さんと紹介をして互いに挨拶を交わしたところで、ゼームスさんが話しに加わりました。

「例のガットリングを入れる話を聞いて来て下さったんだよ。後払いとブリュインさんに便へたらこの間三台だけ送ると連絡が来て、10月末のコロラドに間に合わせて入ることに成ったんだ。その話を大倉屋にしたら、この河井様が三台買いたいが幾らだという話なので一台七千両と話したら、買いきれないというので交渉中なんだよ」

「其れはそうだ、one second180発は魅力だが弾をone hour撃つと一万発以上消費してしまう。10日間の間、一日五万発消費すると五十万発だ。その弾を買うのに此処では一万五千ポンドだというじゃないか、冗談じゃない弾を買うのに三台分確保すれば、百五十万発四万五千ポンドだ十一万二千五百両など出せる訳ないだろう」

「では、河井はガットリングの値段ではなくて弾の補給のことで心配しているのか、七千両は弾が二万発付いての値段だよ」

「そうだ、二万発では話にならん、銃があっても弾の補給が出来なければMinieのほうがましじゃないか。この間EnfieldSniderを大倉屋からそれぞれtrois section分、三十六挺ずつ買い入れたが弾の補給は毎月三万六千発六ヵ月分の納品を引き受けてくれた。しかし此処では五十万発は年内には約束できんというではないか、それでは困る」

「コタさん何とかしてくれよ、値段も補給も俺ではどうにもならん、スネルもお手上げで仕事に戻ってしまって、どのようにすればいいのか話がまとまらんのだよ」

しばらく考えさせてくれと断り、茶を飲む間考えてみました。

「亜米利加の売値は1000ドル750両、送料に150両として合計900両、三台で二千七百両、一台残っても支払いには困らないと、長岡藩で一台故障しても直しが効くには二台買ってもらうか」と考えがまとまり、前のリンネル薬莢からリムファイアーの銅でケースに入れられたカートリッジを使うやつを送るとブリュインさんは言ってきていたしそれでいこうと決めました。

「ゼームスさん1865モデルに間違いないか手紙を見てください」

「これがそうだよ、間違いないが確認してくれ」

手紙を確認して金属薬莢の使える1865年モデルと言う事もカタログで確認しました。

「いかがでしょう、ガットリングを二台で八千両、弾を十万発で七千五百両、あわせて一万五千五百両これでガットリングがきたときに現金または三井の手形でのお支払いくだされば結構です、新潟開港のあと同地でスネルから後三十万発の弾を受け取るということでは」

「弾が倍はほしいところだが、四十万発の弾が手に入るならそれでもいいが、弾は何時になる」

ゼームスと話し合って慶応三年十二月七日の開港日に二十万発、年内は無理でもひと月以内に残り十万発を間に合わせることになりました。

「さすが寅吉は情報屋と言うだけのことはある。新潟開港日と銃弾の納品日を計算して集められると結論を出すのが早いな、あと十万発ほど2月までに入れられるのか」

「わたしが請合います、ジョンヘンリーにも連絡して必ず納入いたさせます。ゼームスさんそれなら入れられるだろ」

「そのくらいの余裕があれば大丈夫だよ、助かったよ、コタさんのおかげで二台売れればブリュインさんへの送金も楽になって弾を買い入れるのに安く供給できそうだ」

「ウ、それなら弾はもっと安く買えるのか」

「エッ、そんな事いいましたか」

「何を言うのか、今安く供給できるといったではないか」

「日本語の言い回しがうまく言えないが、コタさんの言った値段は十分安いですよ。普通は1ポンドで三十発が通り相場ですよ」

「10ポンドで三十三発くらいしか安くないではないか」

頭の中で計算するのか、あらかじめ調べてきているのか判りませんが、虎吉も驚くくらい切れるお方で御座いました。

悩んでいたゼームスさんが「同でしょう、亜米利加でSniderに改造された銃が有るのですが、其れを取引していただけるなら弾は十万発で七千両に値下げいたします」

「さすれば二千八百ポンドであるな、1ポンドで三十五発以上か、もう少し粘りたいがいいだろう、それで買い入れようではないか」

「それでSniderの改造のほうは幾つ買い入れていただけますか、ボストンでEnfieldSniderに改造したものです。Springfieldでは有りませんから命中精度はよろしいですよ」

商談がまとまったゼームスさんは言葉遣いも丁寧になって居りました。

「品物はあるのか」

「有りますよ、今でも倉庫には五百挺ありますよ、ほかのものでもよければCarbineもありますよ」

「単発か連発か」

「両方あります。単発はStarr CarbineSharps Carbineです。連発は数が少ないですがHenry Repeating RifleSpenser Repeating Riffleです」

「ヘンリーというのは単発の英吉利のもあるのか、値段と今ある数を知りたい、其れと銃弾の種類とそろえられる数も知りたい」

「英吉利のMartini Henry Rifleは高すぎて手が出せません。うわさでは100両ほどするようです」

「其れはうわさだけだろう、実際にベール商会で値段を聞いて来た者は居るが、英吉利ではそんなにしている筈が無いと大倉屋では言っていたぞ」

大倉屋さんに入れた銃を見たらしく値段も調べがついている様子で御座いました。

Starr Carbineは四十両です、口径は557Sharps Carbineは三十八両で口径は52です。Henry Repeating Rifleは六十両で口径は44Spenser Repeating Riffleは二十八両で口径は50です」

「口径が同じものが無いのかそれでは同じものしか買えんな、同じ連発なのになぜスペンサーはそんなに安いのだ」

「コタさんのおかげですよ、中古をだいぶ安く入れられたのでこの値段で出せます」

「新品ではないのか」

「新しいのは倍位に値段を出してもらわ無いと無理ですよ」

「そんなにはだせんよ、Henry Repeating Rifleは幾つある」

「今うちには10挺ですがすぐにでも入れられますよ」

「とり合えずその十挺が欲しい、弾は幾つ分けてもらえる」

「調べてみます」

帳面を見てロット番号を便へて出してきました。

弾は二万発ありました。

「銃が600両、弾は1600両で二万発の合計2200両」

「高い、それではだめだ、二千両なら今日三井の手形で払う」

焦ってベリュウさんのところへ人を走らせ、エドワルドが居たら来る様に便へました。

「どうしました、ヤァ、コタさんもいる所をみると値切られているね」

「俺は関係ないよ、ゼームスに聞いてくれ」

二人で相談していましたが、話がついて握手をして河井様は手形を差し出して確認させました。

「ありがとう御座います、この銃はどのように致しますか」

「家中の物が近くまで来ているから、夕刻までに馬に乗せられる程度に荷造りを仕手置いてくれ。また出直して引き取りに来る」

互いに挨拶をしてお別れを致しました。

外で手招きをするので出ると「Henry Repeating Rifleはコタさんも持っているそうだな。大倉屋に任せるから三十挺ほど別けてくれるか」

Henry Rifleの亜米利加の分と言う事も、同じhenryのイギリスのRifleと言う事もわきまえておられましたので、Henry repeating rifleMartini Henry Rifleの両方を持っている事もお伝えする事にしました。

「判りました、用意しておきますから、大倉屋さんを通じてお願いいたします。それからMartini Henry Rifleは入荷している事もご存知のようですが」

「大倉屋で聞いたよ値段もな、自分で直接売り込まないと聞いたとおりだな、自分で売れば儲けも多いのに変ったやつだ。これからも必要なものは大倉屋かファヴルブラント商会とスネル商会に頼むからよろしく頼むぜ」

「かしこまりました、お役に立てることはどしどしとお申し付けくださいませ」

店に戻り沢村さんのほうの用事に取り掛かりました。

寅吉には今年になって、まるで鉄砲屋になったようだとしみじみ感じるのでした。

「俺も人が悪いな、新品のWinchesterが入るのに中古のHenry Rifleを売る約束を平気で出来るんだからな。しかしジジのときより兵士に犠牲が多くなりそうなのは気が重いが、安っぽい旧式銃で戦わせて一方的にぼろ負けでは可哀想だからな」

ゼームス・ファヴルブラントさんと沢村様の取引も終わり、行くところが有るという沢村様と別れてマックの店に行きました。

Henry repeating rifleはこの間は十挺しか入っておらず其れはエドワルドにまわし、改めて10日の船で着いた分の六千挺余りのなかにあったものを三十挺ずつゼームスさんと分ける事にしたものです。

すぐに二十挺は売れたようで最近のゼームスはスネルと共に武器の売り上げは大きくなっています。

Infantryは改造Sniderをゲルルさんが二千五百挺、ゼームスさんが千五百挺と分てけ、残り六十六挺を直接大倉屋さんが引き取りました。

もっともファルブラント商会経由として少しは儲けさせる事も忘れない寅吉でした。

Spenser Repeating Riffle百五十挺も入っていたので、其れもゲルル商会の倉庫に預けてあります。

陳君が相変わらず店をきれいにしていてお茶の箱の荷造りに忙しそうでした。

「忙しそうだな」

「そうですよ、最近目方をごまかそうと乾燥をいい加減で持ち込む商人が居るので、立ち合せて乾燥させてから目方を量らなければ買い付けないと、裏で乾燥機まで回していますから休む間もありませんよ」

裏で乾燥機の番をしていたマックとお茶を飲みながら物騒な話をいろいろしてみました。

「其れでコタさんはまだ銃を入れる手伝いで忙しいのかい」

「そうだなあと一年は動きが読めないくらい忙しそうだ、其れでSniderのショートライフルは何時頃到着するんだよ」

「もう来る頃さ、例の株券は12000ポンドになったそうだぜ、前のときに売らなければBigな儲けになったな」

「そんなにうまくいくかよ、あれからまた五倍近くになるなんて驚きだぜ、最初の投資は500ポンド、途中で2500ポンド手に入れて合計14500ポンドだからな」

「15ヶ月で14000ポンドか、いまさらながらすごい金額だな」

話は大きいのですがマックも虎吉もその金を実際に手にしたわけでも無いので実感が沸かないのでした。

「どうしてShort RifleMartini Henry Rifleで無い方がいいのかい」

「軽いし、旧式になるというので安いからさ」

「そうか、弾の補給も上海でも間に合うから楽か」

「そうさ、改造のスナイドルのあるところでもいいし、スナイドルの新しいものを買ったところでも、同じboxerを使えるからな」

Martini Henry Rifleだがコタさんはよくないと見たかい」

「あれならWinchester のほうがいいよ、向こうのほうが安いしなんといっても連発だから百挺もそろえたら最強さ」

「本当に買い入れるのかい」

「五百挺おくるように金も先払いしたよ、9月の末には入ってくるとさ。それとこの間のSniderはすぐに売り払ったし、ほかの銃も今は全部つけも無いよ。あとは金の回収だけだからどうって事は無いさ」

「弾の補充は俺のほうはboxerだけでいいか」

「弾は亜米一と英一で入れて此処に卸す分もしばらくは預かってくれよ。金はこの間預けた2万ポンドから支払っておいてくれよ」

「いいぜ、面倒ごとはコタさんがやるし俺は金のやり取りだけだから、損も無いし楽なもんさ」

茶が十分乾燥したらしく大勢人が出てきて庭に広げて醒ましております。

「俺はこっちもただの番人でいいし、これでふとっょにならねえのが不思議なくらいだ」

若いときからすらりと背が高く、スポーツマンらしい肩幅の広いマックはゴーンさんとは対照的でした。

ゴーンさんも日本人から見れば背は高いのですが、最近は腹も出てきてメアリーに少しは呑むのを控えろとがみがみ言われております。

書付を事務所から持ってきて「これが例のSnider Riffleの値段だそうだ。荷を乗せる前の船で届いたぜ、10日後にリバプールを出るそうだからもう直に着くだろうよ。そうするとCarbineと同じ頃に着くかな」

Snider RiffleShort Rifleもあまり安くないようでした。

Martini Henry はグラバーのところで入れたらInfantryが18ポンドでCarbineが17ポンドだぜ、Sniderがこのあいだ9ポンドで今回のShort Rifleは8ポンド10シリングだろ。半分だぜそれで新品が来るんだから安いもんさ」

「手紙だと銃の製作所も部品を使いきれるし大助かりだそうだ、中古は本国にはあまりないそうだぜ、インドにはまだ新式銃が渡ってないのでアフリカでも探さないと無いそうだし、アメリカのあまり物はポートサイドでも探すしかないそうだ」

「いいよ、マックのところでは中古まで探さなくてよ。ブリュインさんのAgentが探し回って中古はゲルルさんの所へ俺の名前ではいることだし、あとはスネルが引き取っているからマックは新品だけ扱えばいいさ」

「俺も中古のガラクタはいやだから扱いたくないし、コタさんが頼んだらやってもいいかと考えたが、コタさんがいいというなら、無理に手を出さなくてすむから、奇麗事を言っていられるよ」

五百挺のSnider Short Rifleの価格は4250ポンド銃弾が四十万発で6600ポンドでした、送料込みなので銃弾のほうに其れが掛かっているようですが、ほかの業者がジャーディマジソンから入れるのは1ポンドで50発が平均価格でした。

スミス商会に預けてある金高は株券の売却のあとで2万5千ポンドになっていましたので、まだ1万4150ポンドも残りました。

その話をマックにすると「不思議だよな、どうしてそんなに金があるんだろうな。この間から買い物もすごいじゃねえか。儲けも多いから買っても買っても増えるということかよ」

「其れよりもな、銃弾を亜米一や英一でもほかの業者に卸すより安く出してくれるし、マックのとこでは本店の手数料だけで、別勘定にしてくれて儲けないから、それでずいぶん利益が出ているのさ。俺が仲介すれば安い銃と銃弾が買えるからスネル兄弟や、ゼームスさんとベリュウさんの三人は俺の仲介とブリュインさんから殆ど買い入れているから、そっちでも儲けが出るのさ。ブリュインさんは律儀にスネルたちの分も俺にコミッションをくれし、銃の支払いもスミス商会のボストン支店がやるから、ブリュインさんも現金で買い漁れてまた安い銃を集められるのさ。ほんとにお前さんの伯父さんと従兄弟には感謝しているんだぜ」

「だってよ、このまま行けば俺だって大きな戦が起きそうな物騒なことぐらいわかるぜ、俺の家系はもともとVikingだが、今の英吉利と仏蘭西は影でロスチャイルドに操られているだろう。其れを日本で二つの国を争わせてその反映をヨーロッパに持ち帰るんじゃねえかと従兄弟のMathewmoも心配しているのさ。あいつらの資産には太刀打ちできなくても江戸を救うために金を集めたいというコタさんに、俺もMathewmoも協力しているのさ。ただそのために戦う兵士が旧式の銃で新式銃の兵に太刀打ちできないから、せめて少しだけでも良い銃を持たせたいというのが少し不安だ、戦が長引きはしないかな」

Mr.John Mac Hornの従兄弟はヘンリー・マシュー・スミスと言う名でセカンドネームがあるのが家の特徴と聞いた事があります。

ヘンリーマシューという事もありますが単にMathewと書いたりMathewmomoと続ける事もあるので聞くと此方が正式だという事でした。

Mr.Henry Mathewmo Smithとは母親が姉妹だとも聞いた事がありました。  

「俺が踏ん張っても北の方の大名達はミニエー銃を買うのが精一杯さ、向こうさんは金がねえし、付けで買うほど物産を担保にも出来ないしな。金が出来そうなのは越後あたりと庄内付近かな。其れと大きな戦になるとすれば、フランスの士官が煽って蝦夷地になるだろうと先生も俺も予想しているのさ」

先生と叛乱の兵を蝦夷地まで行かせて戦わせるという作戦は、寅吉たちが習った維新戦争で五稜郭の戦いが一番の激戦だったと教わったからでしたが、其こまでは言う事が出来ません。

坂本さんも生き残ったら蝦夷地の開発をしたいと普段から周囲に話しておられます。

「仙台はどうなんだ、ハードに居た星が銃を買い付けていたそうじゃねえか」

「ヴァンリードに儲けられたのさ、あいつ彦さんや吟香さんが付き合うから仕方なく取引をしているが俺は信用してねえよ。来月にはサンフランシスコから帰ってくるだろうが何を仕入れてきてどうするか目を光らしてくれよ」

「そうしょう、どうせ南軍のあまり物をIndianからだまくらかして集めて売るだろう」

「オイオイ、マックだって油断がならねえやつと見ているじゃねえか。俺は其れとこの間コロラドに乗った二人のクララ先生の教え子が心配さ。ヘボン先生は大丈夫だといっていたがクララ先生なんぞ夜も眠れねえと心配しなさっているぜ」

「クララ先生は英吉利に信五郎が行ってしまったし、今度は和吉に六之助だろ、町の者も3人が居ないとさびしいと言っているぜ」

クララ先生の所で学ぶ少年達は町の人気者でしたし信五郎君こと董少年はことのほか居留地の奥様たちには人気がありました。

後で知った事ですが二人の留学資金はMr.VanLeadが預かり、船室は三等に入れられて大分苦しい旅だったのを富田先生が何くれと無く面倒を見たそうですが、和吉君は呑んだくれていて船の中からふて腐っていたそうです。

彼の苦労話は有名ですが、寅吉がいたあの時代の少し前には総理大臣にまでなっているので、苦労が人間を育てるといっていたジジの言葉が思い出され、寅吉は手助けをしない事にしたのでした。

お茶の売り込み商人とも話がついたらしく、後は陳君に任せてマックと二人で13番のスミスベーカーへ出かけました。

藤吉は運良くいて三人でお茶を飲みながら最近のお茶の事情や各地の様子などを話すのでした。

平専から此方に移り、今では立派なお茶商人として、Smith Baker Companyでは無くてはならない人間になりました。

その後28番に周りベル商会で新しいカタログを見て注文をしてから元の36番に戻り、昼抜きだったのでハイティーと洒落込みました。

陳君のかみさんの作るサンドイッチは卵や野菜などにハムが挟んであり、寅吉が子供の頃のものよりうまいもので御座いました。

「此処はいい料理人がいて幸せだ」

「ほめてくれるのはコタさんだけ、うちの男達はやれ塩が多いだとか、胡椒が足りないとかその日の気分で文句が多くて困る」

「男なんてそんなものさ、怒鳴って我慢しろといえばそれでOKさ」

「コタさんよ、何時もどなられているよ、朕君などそれで口ごたへなどできなくなるのはいつものことさ」

そうは言ってもうまいものが食えるのでこの家では外で外食するのは、マックをのぞけばいないようで御座いました。

千代が探しに来て大倉屋さんが何時もの旅館に入って、夜の食事をどうかと都合を聞きに来たので其れを機会に弁天町に戻る事にしました。

倉の屋で喜八郎さんと時間を決めて迎えに来ることにして、河井様も横浜に来ていることを話しておきました。

「だが、何処にいるか聞くのを忘れたぜ、夕方にファルブラント商会に行くとは言っていたが其れまで何処にいるかわからねえんだ」

「ハハ、コタさんでも情報漏れが有るのだね、河合様は此処で泊まっていなさったよ。もっとも私が此処にしなさいと紹介しましたがね、それでさっきまでお話をしてから横浜物産会社のほうに都合を聞き合わせに行きましたのさ。今は昼寝をなさっていますよ」

では後程といって寅吉は虎屋のほうに千代と向かい、角で蓮杖さんに捕まり長話のお付き合いを致しました。

最近飼い始めた犬の話しです、ダルメシアンを飼い始めたそうです。

前々から欲しかったそうで、やっと二頭仔犬を手に入れたと側にいた仔犬を抱き上げて頬づりまでしてご機嫌でした。

まだ黒い斑点が浮き上がるほどではなく、最初は白犬かと思ったそうです。

寅吉に山手の家ではダルメシアン(Dalmatian)とポインター(Pointer)にイングリッシュ・フォックスハウンド、(English Foxhound)それにビーグル(Beagle)まで居りました。

父がよくこのビーグルは俺が生まれる前からこの家にいた犬のひ孫だと訪れる人たちに自慢をしていたのを思い出しました。

そうすると俺が何処で手に入れて飼っていたと言うことかと、思い当たるのでした。

「ガイが飼っているやつがそうかもしれないな、エイダがお気に入りで今は六頭もいるから俺がそのうちのどれかを貰い受ける事になるかな」

そう思うとこの維新の動乱が終わったら犬と遊ぶのもいいかもしれないと思いつき、蓮杖さんのダルメシアンを見る眼も優しくなるようでした。

「だめだよ、そんなものほしそうな目をしてもやらねえよ」

その声に昔の家の犬たちと散歩した日々を懐かしく思い出すのでした。

「今は忙しくて自分で面倒を見られないから飼いたくても無理さ、もう少し落ち着いたらどこか庭でも広く取って飼うのも良いなと考えていたのさ」

「そうか、また遠くを見るような眼をしたり、犬を見る眼がやさしくなったりと変わって居たんでな」

蓮杖さんはさすが写真家らしく人の目の中まで覗けるようでした。

子供の頃、犬を呼ぶのに伊勢佐木のあたりの大人は「かめかめ」と呼んでいましたがこの時代まだその様に呼ぶ人を見た事がありませんでした。

馬車道を午後の便の馬車が江戸から戻ってきました。

コブ商会のRaymond Markが考えて六郷で折り返しということにして、江戸も芝から六郷まで、川渡しは特別仕立てで渡り、馬車を乗り換えて芝まで片道二刻あまりで行くので朝の便で行くと神田には2時ごろには入れました。

朝八時発と午後二時発の便が有りましたのでこれが走り出した月初めから急ぎは乗って良いということにして連絡員には乗らせだしました。

片道二ドル(壱両二分)というのは大変な料金ですが時間を買うと思えば仕方の無い料金でした、これまでも公使館などの公用馬車が江戸と横浜を走っていましたが、六郷で船にのせるのに時間が係り大変な事でした。

虎吉も三回ほど利用して「なるほど容が心配したように揺れが無ければいいもんだが、なれるまでは大変だ」と思うのでした。

「ほらほら、また遠くを見てるな」

「あの馬車さ、ゆれが少なければいいが、時間が早いだけで揺れはひどいし、金は高いしな。道がよければ片道2時間で走れるとマークは言ってるがまさか江戸まで石畳にする訳にはいかねえだろうし、街道は人も多いからあまり飛ばされると事故の元だとかを考えていたのさ」

「俺もやろうと考えてるが、コタさんも金を出しなよ」

「金を出すのはいいが、許可してはくれねえだろう。あれは異人たちのために必要だとパークスや、ロッシュがじかに将軍様に掛け合った成果だそうだぜ」

「そうなんだよな、俺たちではだめだと返事が来たんだよ」

「なんだもう申請してみたのか」

「神奈川奉行所でだめなら俺たちも将軍様まで直に頼んでみるかとは、酒のつまみに言ってみても、まさか直訴する事もできねえよ」

「時期が来れば出来るようになるさ、其れまでに馬の世話や馬車のdriverを仕込んでおく事さ」

「おっとしめた、コタさんがそう見るならできるのは間違いないな。このDalmatianも馬の前を走らせて道を覚えさせるのが目的だ」

蓮杖さんは幌なしの二人乗りの前を走る犬を見て、そう思いついて買い始めたようで御座います。

「コブ商会は八人乗りだがあの馬車を阿蘭陀九番フライ商館では百二十両でうけをったそうだぜ」

「そんなにするのかよ、一日二往復で壱両だと全て埋っても三十二両だぜ、二百四十両稼ぐには大変な騒ぎだな。思ったより儲からねえか」

「よせよ蓮杖さんは儲けを欲張りすぎだよ、半分埋っても十六両になるぜ四百両かけてはじめても一月で元が取れるぜ」

「エッそうなるか、厩とかそのほかで大分掛かると踏んだが本当だ、それじゃコブの半分にしても十分儲けが出そうだ、六郷あたりの茶屋と契約して馬の世話や客に茶を振舞っても二月で儲けになるか」

「其れより馬だって馬車を引く訓練をしなけりゃだめだぜ、俺の石川村の方の牧場の与助さんにでも頼んで博労も雇う事にしときなよ」

「オイオイ、やる事はたくさんありそうだな、江戸にもどっか待合の場所も確保しなきゃいけねえしコタさんが一枚噛んでくれねえと話が頓珍漢になりそうだ」

「仕方ねえナァ、場所や人なども含めて考えておくから丸高屋さんや太四郎とも相談してどこかで与助さんも読んで話し合おうか」

「頼むぜ出来るだけ早く頼むぜ」

「気が早いな、蓮杖さんは暇なのじゃねえのか、俺のcameraも帰ってこねえところを見ると弟子たちに仕事をさせてこうして無駄話で俺や客を待たせておくんだろう」

「ばれたか、天気のいい日には急ぎの客から割り増しを取って、焼き付けるまでこうして笑わせて待たせるのさ。今日は曇りでだめだからコタさんが良いお客さ」

側で聞いている千代など笑いが止まらぬほど冗談ばかりのような蓮杖さんの話は延々と続きます。

「まったく、それだけ儲かるなら俺のCameraは買ってくれよ。大坂では一台二十五両で二台売れたが、一台はアーネストが持ち歩いているし、あいつと来たらガラスが足りねえから至急送れなんといいやがっていい気なもんさ。蓮杖さんだっていい加減買ってくれるか帰してくれよ。俺の手元には一台も無いんだぜ」

「おっと、とんだ火の粉だ、そういうなよその分埋め合わせはするからよ。穂積屋が良いやつを持ち帰るか最新式をコタさんが買い入れたら、そのときは必ず買い入れるからよ」

まったく蓮杖さんには困ったおっさんとしか言いようがありませんでした。

野毛に向かう道すがらビーグルから思い出したのはダーウィンでした進化論とはどういう話だったか詳しい話を覚えておらず董君は英吉利に着くとすぐに本屋を巡り歩き自分用と寅吉が簡単にメモをした本を探してくれていました。

種の起源は英吉利ではだいぶ批判的だそうです。

野毛で風呂に入り着替えてから千代を待って倉の屋に喜八郎さんを迎えに行きました。

「今日は清国の料理を付き合ってください」

「ほう、良い店でもご承知ですか」

「ハア、前々から何かと付き合いのあるものが店を開きまして、行くいくといいながら中々顔を出せませんでしたので、良い機会なのでお誘いいたしました。今日は私どもの店の義士焼に茶店などの支配人も越させますのでお見知りおきください」

まさかお怜さんが支配をして切り回しているなど知らない大倉屋さんに、逢わせるのが楽しみでございます。

片方は姉とも頼む片腕、方やこの間義兄弟となろうと話した間柄、二人は姉と兄なのだから合わせるのに不都合ではないはずで御座います。

珠海老という店は良い腕の料理人で珠海出身で上海にいた若者を雇って、藩文杓が10日ほど前に開いたものです。

140番の珠街閣と隣の141番の洗濯屋に挟まれた入り口は二間半ほどですが奥が深く三十人は客が入れる店を開いて、お怜さんと約束してあったもので良い機会と喜八郎さんも連れて行ったものです。

まずビールで乾杯して寅吉の好きな金華火腿と水母の酢の物の皿が出ました。

待つほどもなく出てきた料理は珠街閣ではまだ食べた事がないものでした。

薑絲桂花蚌(ジャンシーグイホアバン)は海參腸とも言ってなまこの腸の炒め物だそうです。

陶盤上牛肉(タオバンシェンニュウロウニ)は中国野菜の上に薄切り牛肉を置き、沸騰させたスープをかけて食べました、香りもよく喜八郎さんもお怜さんも千代も驚くうまさでした。

こう書く寅吉はどうかといいますと、勿論そのうまさに驚いて藩さんに「うまい、俺もこれほどうまい肉料理は初めてだ」とほめますと料理人の黄昭堂(Huáng Zhāotáng)と言う人を連れてきました。

思わずクラウン銀貨を一掴み取り出して「これからもうまい料理を食いに来るから、ぜひ腕を磨いて日本で骨をうずめる気持ちで働いてくれ」其れを藩さんがよくわからないというので、英語でまた藩さんに言うと広東語で黄さんに訳してくれました。

「旦那様が下さったお金は私には過分で御座います」

「いいんだよ、この人は寅吉さんといって気前が良いことで有名なんだ、もらっておきな」といったそうです。

感激した黄さんが厨房に戻り次に出てきた料理は前のものに劣らぬものでした。

上湯刷龍蝦(シャンタンシュアロンシャー)なんと伊勢海老のスープで今まで食べた未消化の物が胃の中で解けてしまうほど旨い物でした。

「昨日から来ると約束していたからできるものですよ。いきなり来ても中々これだけのスープはお出し出来ません」

藩さんも此処まで来ると謙遜よりも自慢の料理人が腕を認められたことがうれしそうでございました。

ビールを飲みながら楽しく食事も進み、おなかの具合と相談して粽と中身のない饅頭を出してもらい東坡肉を勧められて一緒に食べました。

四人で2ドル50セントは出てきた料理と比べれば安いと感じましたが、寅吉は横浜では物が高いから仕方ないが、平均的な日本の家なら壱両壱分二朱はひと月楽に食べられる金額だと考えてもう少し安くならないと日本人の客は増えないと感じて居りました。

そうか、三人で珠街閣だと2ドルくらい採られるのに安いと感じるのなぜだろうとぼんやりとして居りました。

帰り道で「だんな勘定の後何を考えていたんです」お怜さんに聞かれ「珠街閣だと同じような値段でも安いと感じてしまうのはなぜだろうと、考えていたのさ」

「アララ、其れは旦那も男だからさ」

「なんだい、其れは」

「あそこは給仕に娘や双子のメイリンたちが愛嬌を振り歩くから雰囲気が明るいのよ。それに比べて藩さんはまだ腕の良い料理人に頼りすぎているからだめなのよ。今度行ったらそう忠告するように朱さんにでも言って貰う方がいいわ」

「イヤハヤ、驚きました。コタさんが俺の姉さんとも頼む、とらやを仕切る人だと紹介されても、様子のいい年増盛りの姉さんくらいだと思っていましたが、感服いたしました」

「あれはずかしうござんす。どういたしやしょう」

てれるお怜さんで御座いました。

翌21日の朝、珍しくジョン・ヘンリー・スネルが野毛まで二人のお侍とやってきました。

自分の部屋に通し二人のお侍に上座を勧めて「虎屋の寅吉で御座います」と挨拶をすると「此方は会津のお侍で、京から今朝の船で横浜にこられました」

何時もは尊大なジョン・ヘンリーが言葉もやさしい所を見ると会津でも身分が高いのだろうと思いました。

「山川大蔵(おおくら)である、そちの事は此方のスネル殿から聞いておる」

「こちらのお方は会津藩の表御用人を勤めておられます」

「其れは其れは、京が何かと忙しい時期によく横浜まで御出でくださいました」

「ウム、京は今一日足りとて開けるのは殿にも負担がかかり困るのだが、ぜひともこの横浜で銃と大砲の取引を進めるためにも出てまいった」

「此方のお方は広沢安任殿で御座る、それがしも会津公より平松武兵衛と日本名を与えられもうした」

どうしたのかヘンリーは侍言葉らしきものを話すのでした。

「日本名を名乗られる事にしましたか」

「ウム、軍事顧問をおおせつかった、付いては昨晩エドワルドとも話したがぜひ此処はコタさんに力に成ってもらいたい」

「どういうことですか」

「プロシャの銃の話は聞いていますか」

「前に見本を買った物かい」

「そうですよ、あれはまだ持っていますか」

「五挺残っているよ、弾がまだ来ないので使えないよ」

「其れはファヴルブラント商会でも聞いたが、三千挺に六十万発の弾を注文してあるので見本に分けてくれないだろうか」

「よろしいですよ、二十番にあるからもって来ましょうか」

「いや、向こうには他にも見本の銃がるそうだからいろいろと試し撃ちをさせてくれないか」

「よろしいですよ、馬で御出でのようですから、私の馬も来させますのでしばらくお待ちください」

馬の手配を言いつけてしばらく玄関口でお話を続け馬が来ると早速出かけました。

馬をヘンリーと並べながら話しながら馬を進めました。

「バウムガルテン銃と聞いたが町の噂ではSchaumburg-Lippeだという話だぜ」

Schaumburg-Lippeと言うのは候国の名前だよ、銃がバウムガルテン銃というのさ」

Zundnadel-GewehrChassepotに似ているが銃弾が共有できないのが難点だな」

「紀州でも買いたいというので、それぞれに三千挺を持って向こうから使節が来春までには来る事になっているんだ、其れまでに出来るだけ訓練をしたいのさ」

「それならいいが弾が補給できないとことだぜ、銃があれで言いと言うのは見ているんだろ」

「あのときの銃のうち2挺しか残っていなかったのさ、弾が無いと言ってもコタさんのことだ百や二百は残っているんだろ」

「ああ、そのくらいはあるだろう、あの時は壱挺に二百発しか付いてこなかったからな、どうにか百発ずつは残っているよ」

途中175番によってゼームスさんと落ち合い何丁かの銃を積ませた馬を従えて二十番に向かいました。

庭に馬を乗り入れまず寅吉の事務所に皆を誘い、銃を取り出して弾を数えると五百二十五発残っていました。

「これなら五挺ぜんぶ五発ずつ試し撃ちができるな」

其れをゼームスさんが下で馬に載せている間、他のゼームスさんは持っていない銃をだしてきました。

これが仏蘭西のChassepot伝習隊に配られたやつです、こっちはMartini Henry RifleSniderの後の英吉利の銃です。これはHenry Repeating Rifleで、その会社買った人の名が付いた改良型のWinchester Repeating Rifleです、Spenser Repeating Riffleも連発銃です。今日はこのくらいは試して見ましょうゼームスさんも何丁かもって来ているようなので早速弾を持って出かけましょう」

虎屋から荷物運びの馬も付いたので其れに寅吉の銃をつんで谷戸坂を登りました。

「1868年1月1日(慶応3年12月7日)の兵庫開港は間違いありませんか」

「其れは洋暦だな、12月7日で間違いはない、その日には使節団が銃と弾を持ってくる約束になっておる」

「カルカッタからは電報を打ちたくてもこちらには受け取る所がないから最近の情報は船がどこら当りかよくわからないので困るんだよ、プロシャから船で、スエズを抜けるのは大体10月の20日頃とは連絡が来たんだがそのためには9月はじめには向こうを出てもらわないと間に合わないので胃が痛む思いだよ、間に合わない用心にエドワルドがEnfieldMinieを集めているんだ」

Sniderではだめなのか」

「金だよ金が足りない、付けで買おうにも例のグラバーはもうだめだというんだ。今は注文が多くてそちらに付けでまわす余裕がない、現金なら幾らでも取り寄せるなどと言うんじゃ無理だぜ」

「フランス式イギリス式の調練のやり方は知らんが、俺の考えだと同じ銃か、同じ弾を使えるものを集めるか、今補給が効く銃を何種類集めるかの選択なんだろう」

「そうだよ、何でコタさんはそんな事までわかるんだ」

前の馬と少し下がって二人で馬の歩みを緩めて話しました。

「良いかヘンリー、銃弾は補給が付く、しかしどの銃での訓練をしたかで兵の強弱は決まるぜ、城から打ち下ろすならミニエーだろうとゲーベルだろうと其れはSniderと変りはない。しかし外で撃ち合うとなると銃弾の装填の時間が勝負を決めるぜ。お前さんが国で経験してきた塹壕から打ち合うというのは今の日本ではありえねえよ。そうなると立ち撃ちができて弾込め時間の早いSniderか、接近戦ならこの亜米利加渡りのSpenser repeating RiffleHenry Repeating RifleWinchester Repeating Rifleが有れば大分に差がつくぜ。こいつは弾が小さいが相手に与えるダメージが戦闘能力をなくすのさ。死ぬよりも戦闘能力のない兵は、相手の補給を食うし看病する兵もとられて二重にダメージを与えるのさ、だが其れはあの人たちに言うのは此処ではやめて置けよ。どうせ帰りも船だろうから、その船中で披露するんだぜ」

「よしきた、そうこなくちゃいけねえね。どうしてコタさんがそんなにその銃にこだわるのかエドワルドも不思議がっていたがようやく得心したぜ」

射撃場ではゼームスさんがもう銃の支度を始め、取り扱いを説明して居りました。

「ゼームスさんは何を持ってきたんだい。Repeatingの銃も持ってきたかい」

「アアSpenser repeating Riffleを持ってきたよ」

「そうか俺のほうもそいつも入れてきたぜ。では俺のほうのは仕舞って置いてそっちの持ってきたやつを先に試すか、弾入れの方法は面倒ですが、こうすれば単発でも取り扱えます」寅吉の銃で山川様に弾の装填方法を見てもらい、ゼームスさんのほうも同じように広沢様に見てもらいました。

一度連射してから弾を入れさせて撃って貰いました。

次はバウムガルテン銃これは五挺あるのでゼームスさんほか、五人がそろって立ち撃ちで五発ずつ撃って見ました。

「破壊力は思ったほどではないが精度の高い銃だ、これなら三百ヤードなら苦にならんな」

山川様はそういって「新しい銃が着くのが楽しみだ」とおっしゃって満足げでございましたがゼームスさんの方の単発銃のいくつかにも興味を示せました。

「今撃ったSniderの後釜に英吉利が据え様と開発しているのがこれで御座います。弾は同じですが反動が大きく響くのでまず私が試してからお試しください」

Martini Henry RifleinfantryCarbineをそれぞれ試してからお渡ししました。

Sniderより反動が大きいな兵はあちらのほうが使いやすいだろう」

「そうですあちらのほうが指に負担が少ないです、其れと此方の操作は簡単に見えていちいち肩からはずすので同じ事ですし焦ると指を挟みそうになります」

此処と此処が悪いと欠点もお話しました。

「これはHenry Repeating Rifleというやはり連発銃で弾は16発まで入れられますが装填もしていただくために、3発ずつ試してください。こういうように弾を押し込みましてこの筒に送り込まれます」

アッという間に三発を打ち終わり、交互に撃ち終わりました。

「最後は新式の1866年モデルのWinchester Repeating Rifleですがこれは銃身の長いほうは16発の玉が入ります。Carbineのほうは十二発でございます、これもそれぞれ3発ずつまずお試しください」

「300ヤードでは少し不安だな、半分に持ち込めれば威力は高くなりそうだ」

「さようで御座いますCarbineは主に騎馬の者が持って、出来るだけ近寄ってから仕留めるかに掛かっております、ゼームス・ファヴルブラントさんが持ってきた物のうちのSharps Carbineは一撃必殺を狙うためのもので、これを歩兵がもつときは前進しながら撃ちあうという事になるでしょう、そのときはこのWinchester Repeating Rifleのほうに分が出ます」

全弾を込めて打っていただきました、破壊力を選ぶには弱いとお考えの様子で御座いました。

寅吉の持ち帰るほうは荷造りをしながら「Spenser repeating Riffleは今日の記念にお持ちください、弾が装填してありますのでゼームスさんに取り出し方も教わってください。銃は必ず使う前と後で薬莢の確認をしてくださいませ」

「すまん、頂いて帰る」

二人はゼームスさんにはずし方、挿入の仕方をもう一度教わるのでした。

バウムガルテン銃のほうは包んだ後ジョン・ヘンリーに渡して「どうせもって帰るんだろうからゼームスさんのほうにつんでいきなよ、弾は帰りがけに渡すから寄っていってくれ」

「判った、銃は買値で良いかい」

「いいよ、弾の減った分はかんべんしてくれよ」

「そのくらい負けとくよ、冗談でなく本当に助かりました。これで何人かは中の到着前に訓練できます」

二十番に戻り弾を渡してから二人のお侍が「少し聞いておきたいことがあるので武兵衛殿は先にファヴルブラント商会まで戻っていてくださらんか。なにすぐに終わりますよ」

寅吉の事務所に御出でいただきお茶とビスケットをお出しいたしました。

椅子に座っていただくと刀をテーブルに置いて「この通り頭を下げ申す、ぜひ力に成っていただきたい。国許と京にと金がかかり銃の整備にまで手が廻らぬ、其処で貴殿を頼るようだがSniderを百挺ずつ国許と京に備えたい。其れも御貴殿が新しく英国から入れるというshort Rifleが欲しいのだ。武兵衛殿は弾の補給が付かないからミニエーにしろとうるさいのだ。ゼームス殿はinfantryという重いものを勧めるが其処まで歩兵として調練を施す余裕はないと見ている。御貴殿が薩摩、土佐と親しいのは承知で申すのだが彼らと戦になれば長崎からの補給を阻止できる余裕はこの間の長州への討ち入りでも明らかだ。他にも武器商人がいても何時払えるとも約束できぬ取引に弾の補給を出来れば10万発などと言える物でわないことは承知でお願い申す」

先ほどまでの尊大な様子と違い真摯な若者の国を思う気持ちにほだされました。

白虎隊の剣舞も悲惨な状況も話と知っている寅吉には見過ごす事のできない事は明白で御座いました。

「判りました。では支払いは100年間の均等払い利はおまけして置きますが銃弾は同じSniderの557で御座いますから私のほうでは十万発後用意させていただきます。其れと銃ですがSnider short Rifleを百挺、Martini Henry Rifleを百挺に他の銃を別勘定として贈らせていただきます。これは試験として使っていただくので私からの寄付とお考えください。Winchester Repeating RifleCarbineを百挺ご用意いたします」

二人の顔が輝き眼に喜びが溢れていました。

Winchester Carbineは弾を十万発後用意いたします。此方は全てお国元までお届けいたしますし、扱い方になれたものが銃と共に亜米利加よりまいりますので同行させますからそのものより習ってください。元の南軍兵士で銃にはなれている士官でございます。同時に同じ弾を使うHenry Rifleがあれば其れも持参するでしょうから二月は滞在できるでしょうから、その間に習得されるようにしてください」

「では京には二百挺のエンフィールド兵器工廠からの銃が補充でき申すか、しかも弾が十万発もその値段はいかほどで御座ろう」

Snider short Rifleは三千両Martini Henry infantry Rifleが四千八百両で弾についてですが今回分は値引きなしと言う事で三千三百両になります。合計は一万千百両で御座います。年に百十一両ずつ100年間お支払いください、また後の弾はスネルのほうで補充いたすでしょうが、其れはあちらと交渉してください。多分一両で三十五から四十発だしてくれるはずです。Snider RiffleEnfieldも手に入れられるなら彼が手配いたすでしょう」

簡単な支払承諾の書付を書いていただき話し合いは簡単に付きました。

「支払方法についてはジョン・ヘンリーにはお話なさいませぬようにしてください」

「判り申した。それで銃の到着後引取りはいかがいたそうか」

Martini Henry Rifleのほうと銃弾はお帰りの船に積み込ませます、Snider short Rifleは荷が着き次第大坂に回送いたしますのでお受け取りください。またWinchesterのほうは江戸藩邸に話が通じるようにしてくだされば、お届けいたしますから公用便でお国表に亜米利加人と通訳を共に向かわせてください。船でまわるより早いと存じます」

「会津は港に遠いからな、そう致すしかないだろう。通訳はいかがいたそう」

「私の方で手配いたしますから、旅費と滞在費はご負担をお願いいたします」

「判り申した」

二人をゲルルさんの店へ案内して銃と銃弾を船に積み込む手配をお願いいたしました。

ゼームスさんの店で待っていたジョン・ヘンリーの所へ二人を案内し、寅吉は二十番に戻り「まいったな、俺も甘いな。つい白虎隊の事を思い出してしまったぜ」

ブリュインさんから銃と共に来る二人の方は元南軍の士官でこの機会に日本での商売を考えているわけでなく、銃の取り扱いを教えながら日本を見て廻ろうというお方だそうですので、滞在費のほかには小遣い程度で十分な金持ちだとLetterには書いてありました。

「通訳を誰か頼まないといかんな。紘吉の所に誰か良いやつでも居ないか当っておこう」そう考えて南仲通りの通詞会館まで出向き話をして二人の会津行きの者を雇う事になりました。

「丁度いいところだった、この二人は会津の人で、もう此処を卒業して会津に帰るところだったよ、では船が着くまではコタさんのほうで宿舎も世話して貰って良いかい」

「いいともさ、それでとり合えず二人の亜米利加人が国に帰るまでの俸給だが幾ら支払えば良い」

二人の若者にも相談して年内いっぱいで月十両で宿舎食事つき、契約料は二十両と決まりました。

先払いという形で年内の分を一人六十両を支払う事で話がまとまり寅吉はその日のうちに金を届ける約束を致しました。

「本当に物入り続きだ。俺も何処までお人よしなんだろう。通訳まで自腹になるとは考えても見なかったな。備中守様にもWinchester CarbineHenry Rifleをやすく渡す約束だしマックの言い草じゃないがどこで儲けているかよく判らねえよな」

「オイオイどこに行くんだよ、独り言なぞぶつぶつ言ってよ。年寄りみてえじゃねえか、どうしたんだよ」

「オット蓮杖さんか、危うく曲がりそこなう所だった。いやな、自腹で通訳を会津まで送ることになって今契約してきた所さ」

「フゥン、コタさんが儲けそこなうなんて珍しいな」

「俺なんぞ最近は儲けなどでねえよ、春たちが稼いだ金をぶりまいているだけさ。困ったもんだ」

今日は忙しそうなので立ち話も其処で終わりにして開放されたので、一丁目の店で金を出させて南中通り四丁目の通詞会館に届けさせました。

   
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横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
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 其の三   Pickpocket
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 其の五   鉄道掛
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 其の十   Antelope
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 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid


カズパパの測定日記