酔芙蓉 第一巻 神田川 |
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第一部-1 神田川 神田川・小正月・七福神・連雀町・雛祭り・花見・更衣・七夕・影供・中秋 |
根岸和津矢(阿井一矢) |
・ 神田川 「与七ちゃん帰りまで待てるかい」 「いいとも、おつねちゃんのとこまで荷物も持っていくぜ」 「おやそりゃありがたい」 猪牙の上で、すみはお容を抱きながら船頭の与七にそんな話しをしながら和泉橋を過ぎて小さな桟橋のある土手に猪牙をつけてもらい船を下りて柳原土手に上がった。 荷物を抱えた与七と玉があとに続いて上がってきた。 裏の通りに抜けると其処がツネの仮住まいであの大地震の後、身寄りが見つからない二人の兄妹と3人で住む割長屋だった。 「お容ちゃん川風が寒かったろうよ」 「でぇじょうぶだい」 「深川っ子は川風にゃ驚きませんよ」とこれはお玉、すみも「この子は船に乗って歌でも歌わせときゃ、上機嫌さぁ」 「三味も上手なんだって聴いたぜ」与七が言うと容は機嫌よく歩きながら木やりを歌ってみせた。 声を聞きつけたツネが長屋から顔をのぞかせ、小さい子の手を引いて「お容ちゃん相変わらずいい声だね」といいながら出てきて「寒いからお入りよ、おやよひっぁんじゃないか、久し振りだ相変わらず元気じゃねえか」 「いっぱい引っ掛けてお行きよ」 「かたじけねぇ、お呼ばれしていこう」と中に入り冷やでいいかいという声を聞きながら「おかたじけ、そいつがいいや」といいつつ差し出されたかわらけから美味そうにごくごくと飲み干すと、「土手の八兵衛さんのところで待ってるぜ」と言い残して出て行った。 この日は師走の12日で富士の山は真っ白になっているのが見えた。 この年は12月が小の月で29日までしかなくあわただしい年の瀬がまじかだった。 「お幸ちゃんおんもであそぼう」と容は小さな幸の手を引いて外に出た。 長屋のかみさんたちと挨拶を交わして稲荷の祠の前で陽のさすところを見付け、二人で木やりを歌ったり、船頭の歌う川歌とでも言うかそのようなものを二人して歌うのだった。 「お容姉ちゃんは歌が好きね」「あたぼうよ、おいらおっきくなったら、芸者に出るんだ」「それって歌や踊りが出来る人がなるんでしょ」「だからおれっちはお稽古でしごいてもらうんだ」「きれいな着物が着れて好いな」「だろ、おつねさんも昔は深川で有名だっんだとよ」と二人で大人びた会話をしているが、まだ容は8才で幸は3才でしかなかった。 「おうちにお入り」と玉が迎えに来て、3人は家に入り暖かい飴湯を飲み終えると、すみは容を挨拶させてから長屋をあとにした。 「岩さんの家によって、お京さんに挨拶して帰るよ」「お京叔母ちゃん大好き」と容が言えば「おかみさんは女っぷりがいいもんね」と玉も言いつのるのだった。 表に出ていかにも火消しの兄いらしく、粋なうちの前で京に出会い「おすみちゃんじゃないか、寄ってお行きよ」と声を先にかけられ「もちろんだよ」と仲のよい幼なじみらしく気取りもなく入っていくのだった。 「おつねさんのとこかい」 「そうそう今荷物を置いてこれからけえるとこだよ」 「コタロウちゃんがまた色々荷を増やしておつねさんが売りさばくのも最近は堂に入って来て、利が多くなったそうだよ」 「そうなんだってさぁ、不思議な子達だよね、家の方たちは結局見つかんないそうじゃないか、アンナ若い衆が商売が上手なんて驚いたよ」 「うちのも驚いていたっけが、最近では若い衆たちも色々話を聞いたりしてるようだし、年の割りに大人びてると岩さんまで言うほどだよ」 「勝先生の塾に入ってから特にサァ、柔術まで習ってるようだし何かにつけて凄い子サァ」と京もほめるのだった。 「おつねさんまで最近は感化されて、近所のがきまで手習い師匠につけるように子供たちに駄賃を渡しちゃ何か用事をさせているんだよ」 「おかげで長屋じゃ皆が師匠に払うお礼を子供たちが出せるので親は大助かりさ」 「ところで今日は船かい」と聞かれ容が引き取って、「よひっぁんがのしてくれて、すぐ其処で待ってるよ」 「おやじゃちょいと挨拶でもしてこようか」と若い衆にあとを言いつけると和泉橋際の八兵衛の小屋に出かけるのだった。 何も打ち合わせなくとも居るとこは土手の八兵衛さんのところと知っている間柄だった。 挨拶もそこそこに「日のあるうちに船に乗りなせえよ」という八兵衛に従って見送られながら神田川を両国へくだるのだった。 |
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・ 小正月 小正月の朝、冷たい風がやんでどんど焼きに小枝に団子をさして急ぐ子達に混じり容も近所の子達と稲荷まで急いだ。 「ワーイ、ワーイ」「早く来いよー」と兄弟でもあるのか何人ものばらばらの背格好の子が大騒ぎしながら小枝をめいめいに持ちながら駆け回っていた。 大人たちが火をたいて集まった子達に甘酒を振舞っていたので来た順に手をだして湯飲みの茶碗を受け取りふぃふぅ言いながら飲んでいました。 賑やかに皆で小枝を火にかざし熱々を口にして、振る舞いの甘酒を何杯もお替りする子も居たが、容と多加は早々と家に帰り、三味線を抱えてお師匠さんのお家に向かうのだった。 「木遣りくづし」 つねりや紫食いつきゃ紅よあいた いつも習う歌だが、この月の端唄ということで文弥師匠がおさらいしてくれたものです。 昼前には三味線のお稽古も終わり、多加の家に行くことにした。 多加の家は容の家の真向かいで姉妹同然に普段から行き来していた。 「ただいま」 「お帰りお容ちゃん」 「ただいま」 「お多加はお昼を何時食べるかい、お容ちゃんと食べるならも少しまっとくれよ」 「うん」と二人で返事をして奥の座敷に入り二人でまた三味線の弾き比べをするのだった。 |
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・ 七福神 「お容、早くいかねえと置いてかれるぞ」 「おとっつあん、まだ早いよ」 「何言ってんディ、芳坊なんぞとっくにめえを通ってったぞ」 青物商を営む父親はもう朝の一仕事を終え一服つけながらいつものように容をからかいながら一休みしていた。 母親が握った梅の入ったお握りと、心尽くしの玉子焼きを持ってお多加の出るのを待って家を出たのです。 「風がなくていい塩梅だ」 「ほんとだ歩いていても寒くねえや」 「久米先生もこんなら腰がいてえなどいいめすめえよ」と大人顔負けの会話をして手習い師匠の家に行くのだった。 今日は朝から天気がよく手習い師匠に連れられて、深川七福神めぐりに町の子達8人が集まった、「これで全員集まったから出かけようね」と久米次郎栄が声をかけ高橋を渡りまず神明宮の寿老人へ向かいました。 万年橋を渡り、深川稲荷の布袋尊まで来て一休みして、竜光院の毘沙門天にきました。 「この神様は国を守り、悪魔を退散させる強い神様じゃから、皆もよく拝んで強い子になるんだぞ」と久米先生は長い間拝んでおりました。 円珠院の大黒天はあっさりと通り、心行寺の福禄寿で人望人徳が高くなるよう皆で拝みました。 冬木弁天堂に着いて、「芸事の好きな子達は忘れずに御願いすように」といわれ容は「立派な芸者になれますように」とお頼みしたのでした。 最後に、富岡八幡宮(とみがおかはちまんぐう)の恵比寿様におまいりしてから、持ってきたお弁当を開き、わいわいと騒ぎながら食べてお采を分け合って竹の水筒から水を飲み終わると半日の遠足が終わり、久米先生のお宅まで戻り今日の歩いた道すがらの出来事を話すのでした。 |
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・ 連雀町 「おっかさんもう桜がきれいだね」永代橋を渡り街中に入り行きかう人も春に浮かれたように歩いていた。 「今年はおつねさんも誘ってお花見にいこうね」 「ほんとかい、あっちは上野に行った事がないから、ぜひ行きてぇもんだ」 「好いともさ、お玉も喜ぶよ」 「おかみさん、玉もお供していいんですか」 「もちろんさぁ、お前が来なきゃはじまんねぇよ」やはり荷物を持つのはお玉のお役目ということでしょうねぇ。 「何時ごろになるの」 「さうさねぇ、おつねさんの都合も有るけど明後日の4日が見ごろだと、裏の太兵衛さんが言ってたよ」 「お多加ちゃんも誘っていいかい」 「もちろんさぁ、おみつちゃんも文三さんをお供に連れて行くという話になってるよ」 「おとっちゃんはどうすんだろう」 「おとっつぁんは、町内で別にいく約束が出来てるよ、何でも明日、飛鳥山に行くんだとさ」珍しく歩いて日本橋まで来て通りの賑やかさにも驚いたが橋を渡り、連雀町まであと少しのところで後ろから来た虎太郎が声をかけてきました。 「八百茂のおかみさんとお容ちゃんじゃないかい」という声に3人が振り返ると、3人のお侍さんと一緒に大またで歩く虎太郎さんが追いついてきました。 「どちらまで」と聞く虎太郎さんに「おつねさんのお店」という言葉に微笑む虎太郎さんが「私も直に帰りますからまた後ほど会おうね」とお容にいい「おかみさんも今日はゆっくりとしてお行きください」といって待っていたお侍さんと脇に入っていきました。 「虎太郎さん大人びてきたね」 「立派なもんだ、おさむれえと一緒でも堂々としてるじゃねえか」 「勝先生の塾のお仲間かねえ」と言ううちに養繧堂さんのお店の前に来ておりました。 ここは虎太郎さんの妹のお幸ちゃんが養女に迎え入れられて今はお琴ちゃんと言われていると、この間深川まで来たおつねさんと虎太郎さんがお春さんに話をしたと、聞かされたばかりでした。 先の須田町から連雀町に移り住んでまだひと月ちょっとで初めて訪れる家だったが、聞くまでもなく表になんともう虎太郎さんが帰っており待っていてくれました。 「早いお付きですね」とおすみ、「アハハ」と笑う虎太郎さんに「驚くじゃねえか、どこを抜けてきたんでぃ」となじるようにいう容でした。 「驚いたかい、皆と別れて裏から早足ですっ飛んできたよ」と笑顔で言う虎太郎さんはいたずらっ子そのままで店の内のおはつさんとおつねさんに「お着きだよと」声をかけると「またあとでね」といって分かれていきました。 皆で座敷に上がると「疲れたかい」と聞くおはつさんに「どうってことねえよ、あたいは歩くのが好きだ」ともう上野に連れて行ってもらうための強がりを言うお容でした。 「こんぺいとう(糖花)をお食べよ」 「珍しいものがあるね」 「虎太郎さんが唐物を仕入れたときに、ついでに買ってくれたのさ」 「容はでえ好きだよ」といいながら口の中で転がして口当たりを楽しむのでした。 「お玉ちゃんも遠慮せずにお食べよ」といいつつ、二つの懐紙に包んで「これはあんたらのお土産だから、別にしといてこの分は残さずお食べよ」とお容とお玉には小鉢にそれぞれ十粒ほども分けてくれました。 「お容ちゃんは虎太郎さんと今日が始めて会ったのかい」と聞かれ「そうだよでもすぐ様子でわかったよ」とお容「おやまぁ、どうして解ったか聞きたいくらいだ」大げさに驚くおつねさんに皆が大笑いするので不思議に思う容でした。 花見の約束も出来て、帰りは屋形船が迎えに来る約束「そろそろお京ちゃんのところに行って待っていなきゃね」 「よひっちゃんが来るかい」「何でも大事なお客を其処の昌平橋までのしてくるから帰りはぜひ乗ってけえれよといってくれてさ、八兵衛さんのところで待ち合わせだよ、お京ちゃんのところに連絡が付くようにしてあるからそろそろ行こうかね」と言い出したのは一刻ほど話が弾んだあとでした。 虎太郎さんも裏から出てきて振るやかに挨拶して家を出ました。 船の上で「おっかさん、お琴ちゃんにも会いたかったね」と思い出したように言い出すお容に「こっちまで時々はこられるからまた今後来たときゃ会えるよ」といわれ「そんならまた来たときにゃ会えるかね」と納得するのでした。 |
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・ 雛祭り 「雛祭りの飾がきれいに飾れたから家においでよ」と誘いに来たお多加ちゃんに「家のを先にみねぇよ」と家に上げてかわいらしく飾られた二つの人形と雪洞を見て「見たから行こうよ」と手を引くように道を横切り、横の路地から庭に入り縁側から上がると本当に奇麗に飾られた人形たちに「えらくおとっつあんが張り込んだもんだ」とお容が感嘆の声をあげると満足そうに「きれいだろう」とうれしそうなお多加ちゃんでした。 太治郎兵衛さんが座敷に来て満足そうに「お容ちゃん今甘酒があったまるからゆっくりしておいきよ」と子供たちに言うのだった。 「明日も天気がよければ言うことなしだ」と子供たちも明日の花見が待ち遠しく始めての上野のお山の様子を想像するのでした。 |
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・ 花見 上野のお山は振るわっていた、ここには酒を持ちこめないのでそぞろ歩く人たちも花を愛でゆったりとしていた。 御殿女中の一行でもあろうか頭に白い布をかぶった一行に付き従うお侍も多くきておりました。 花の下で余興にあげる歓声もどこからか聞こえてござや毛氈を抱えて場所探しの御供さんが大きな声で「こちらがようございます」と大店の旦那衆らしき一行に声を出しています。 お容たちは先に来ていたおつねさん達と清水観音堂で無事に出会へ、あちこち散策の上で人の少ないところで花が下にも上にも見えるという奇跡的に開いた場所でお弁当を広げるのだった。 おつねさんとお初さんはそれぞれが鮫小紋の黒襟をつけた粋な着物で来ていたし、おすみさんとお容ちゃんは市松小紋を小粋に着こなしています。 みつさんとお多加ちゃんは花散らしのあでやかな薄紅色の着物に赤い半襟と花と競うようなあでやかさでした。 虎太郎さんといえば今日はお供でございますという顔で、お玉や金助と文三たちと賑やかに笑って踊っておりました。 「そんなにハシャイデしらふとは恐れ入谷の鬼子母神でい」とお容が言えば「これが当世流行(はやり)のしらふの素踊りでござい」とおどけて金助が言うので皆で腹がよじれるほど笑うのでした。 お山は鳴り物やお酒の持ち込み禁止といわれていますが黒門を出れば酒を商う店が出ているので外に出ては一杯ひっかけると言う早業をするものもあるようでした。 昨日の八百茂の旦那たちのお弁当は豪勢でしたがこちらもなかなかのものです。 ( )のなかは旦那衆のほうには入り、こちらは入らなかったようです 一の重、かすてら玉子 (わたかまぼこ わか鮎色付焼) むつの子 早竹の子旨煮 早わらび 打ぎんなん 長ひじき 春がすみ(寄物) 二の重、(蒸かれい) 桜鯛 干大根 甘露梅 三の重、ひらめとさよりの刺身に、しらがうどとわかめを添え、赤酢みそを敷く 四の重、小倉野きんとん 紅梅餅 椿餅 薄皮餅 かるかん 割籠わりご、 焼むすび よめな つくし かや小口の浸物 どうですなかなかのものでしよう。 やはり大勢で出かけこのような豪勢なお弁当を食べる楽しみは行楽の中でも花見が一番でしょう。 お弁当の楽しさも終わり、お玉、文三さんたちが片づけをしている間に身じまいを直してお山をあとに筋違橋まで歩き、3人と別れて土手の八兵衛さんのところで屋根へ乗って深川に帰るのです。 「しゃみがなくて寂しかろう」と与七さんが言えば「くちじゃみせんがあらぁね」と負けぬお容ちゃんでした。 軽口をたたき、歌を歌い船の中までも振るやかに花見の続きで盛り上がるのでした。 大川から小名木川に入り掘割から仙台堀に行く途中の船宿の桟橋で降りて、家に着くまでみなの花見気分は続いておりました。 |
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・ 4月朔日 更衣 「早く起きて着替えておくれ」 「オイオイ今日はさみいからけえってからで良いだろうよ」 「寒けりゃ上に半纏でも半被でも着て行きなよ」てな具合で今日は衣替え、八百茂さんの家でも朝からお上さんに綿を抜いた袷に着替えさせられて明け六つの鐘と共に大八車を金助に引かせて大根河岸まで仕入れに出かけます。 永代橋を渡って左折し、豊海橋(乙女橋)で新堀川を渡り、北新堀・大川端町と隅田川沿いに進み新川沿いに西に進み「二の橋」を渡り霊岸島へ銀町から越前堀を左に見て進み亀島川沿いに、亀島橋を渡り八丁堀から京橋際の大根河岸に至りと書くと色々と複雑そうですが、毎日通る道はそれほど複雑でもなく半時とはかかりません。 「親方寒いと思ったけど日が出るとやっぱり夏がちけえや、汗が出ますぜ」 「そうか、おりゃまだあったかくなんてねえぜ」 「ハッハそりゃ親方ぁ大八のそばぁ歩いてるだけだからですぜ」 「ばかぁいえよ、空車引いてなにょほざいていやあがる」 「そんでももう日の上がり方が早いですぜ、夜遊びして来た日は眠くていけやせん」 「わけいんだから遊ぶなとわ言えねえけど、ほどほどにしときゃぁがれ」 「腰が抜けるほど飲む銭なぞありゃせんからでえじょうぶでぇ」 「銭ィ稼ぎたきゃ自前の店を早く持ちなよ、それにゃ早くかかぁを持ちやがれ」 「親もそうはいいやすがね、一人住まいが続くと気が楽でやめられやせん」 「例のコタさんを見ろやい、アンナ子供でもやる気が有るお人はどこか違うぜ、おつねさんまでアンナに働きが良いなんぞ見たことあんめいがよう、てめえでもやりゃ出来る見本だぁな」 「話ゃ変わりやすが旦那ぁ本当にお容ちゃんを芸者に出す気でやすか」 「あたぼうよ、一度約束したら守んなきゃしょうがあんめぇ、だけどよ親のこけんてぇもんがあるからホクホク顔で良いともなんていえやしねえ」 「例の久米先生の跡取りが駿河台の坂崎様のご用人だから其処にたのんで行儀見習いにだして様子を見なきゃゆるさねえとは言ったんだがよ、久米先生が11歳にならんとなぁと返事が来てよ、おりゃこまってるんだぁ」 「春米屋のお多加ちゃんも岩本町の市場様にどうかという話ですぜ」 「てめえそれをどこで聞いた、どうせ幸兵衛と博打場の馬鹿話の合間に聞き込んだか」 「おみとうしですかい」 「やっぱりそうかい、ほかで話すんじゃねえぞ」 ほぼ半時足らずで大根河岸について荷を仕入れて五つには大根河岸を出て店に戻るまで馬鹿話を交えて語る事がおおいようです。 与吉旦那も帰りは半纏を脱いで金助と交互に大八車を引いては、交互にあとを押して店に戻り荷を降ろして、ぼて振りの二人に荷を振り分けます。 二人のぼて振りは朝から店の昨日の売れ残りを担いで裏店を回って安く売りさばいてきています、これも先月コタロウ君の話を聞いてから始めたのですが割合と安いのでよく売れるし、店に威勢の悪い品物が見えないので評判も上々です。 |
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・ 七夕 今は秋といってもマダマダ夏の日差しがさす暑い日の七夕の夕方です。 6日の夕暮れ時お多加ちゃんとお容ちゃんは七夕の笹飾りを作り終えて、それぞれの家で庭先に飾りました。 「きれいに棚飾りが出来たね」「あたぼうよ、家は八百屋だぜよそから買うのはそうめんぐらいじゃねえか」廊下に置いたお供えの棚には西瓜、茄子、胡瓜、大根、里イモ、枝豆、生姜、茗荷などを供えます、庭先の笹にも願いを書いた紙やいろんな色の切れ地がさがりました。 「金の字今晩はそうめんを食ってけよ」 「金さん一杯つけるからね、そうめんはつけたりのようなもんだからあんしんおしな」 「ヘェ、頂いていきやす」と家族総出で空の星を見ながら廊下でそうめんをすすり、男は枝豆で酒を最近はやりの銚子から手酌で頂いています。 「おかみさん、こりゃよく冷えた上酒でやすね」 「お酒はおつねさんから分けていただいたやつで、新川の河嶌屋さんの灘の下り酒だよ、それに冷やし方はコタロウさんに教わった、秘伝だよ」 「驚きやしたね、あん人は酒も飲めるんでやすか」 「バカァお言いでないよ、おつねさんのために夏冷えた酒が飲めるように瓶に工夫して酒が冷たくなるようにしてくれたんだよ」 「家の宿六のためにと同じものを届けてくれたんだよ」 「凄いもんですね、これもやはりオランダ渡りの秘伝てぇやつですかね」 「そいつは聞かなかったねぇ」とおすみさんが考えながら話を進めながら、銚子のお替りをお玉に言いつけてもって越させました。 「コタさんは凄いお子さんでやすが、今日のシチセキ(七夕)の飾の野菜の工夫ナンざ驚きやした、ねぇ旦那」 「オオそうよなんたって極上が三十組、こりゃ金の字の売り込みのおかげで全部はけたからおめぇの手柄だぜ、上の組が八十六組おめぇ残りは売れネえんじゃなくてこちらが配ったもんだから残んなかったくれぇなもんだ」 「旦那あの安く売った分は儲けが出ないんでやしょ」 「おうさ、入れ物は十文野菜に二十文で三十文で長屋の連中に売りさばいたらなんと二百組も売れちまったもんなぁ」 「コタさんに聞きやしたが、あの竹篭は前にいた長屋の子達に一組10文で編ませて、あとは例の善爺さんが仕上げたそうで、コタさんは売るだけ損するそうですぜ」 「善爺さんが言ってやしたがね、コタさんが来てこういうものを作ってくれと頼まれたが日にち的に無理ですぜというと子供たちに網のほうは編ませるから籖(ヒゴ)作りと仕上げを頼むというので子供にゃ網目がそろわねえでしょ、というと考えてみようと一組を見本に編んで貰ってすぐに、でえく(大工)の長吉さんて言うところでくしの歯の大きくしたようなやつを何十枚もこさえてきて、善爺さんの孫娘にやらせてみたら爺さんビックリたまげたと言うくらい、きれいに編めたそうでやすぜ」 「オイオイ金の字、さきおとつい品物を取りにいきゃがっていつの間にそんな長話きいてきやがった」 「ヘヘヘ、コタさんがね、善爺さんが酒がだめで甘いものならいける言うのでお土産に買って来てくれた物だそうですがね、あそこにちょいと渋皮の向けた出戻りがいて金さんまあちょいとお茶でも飲んでいきなんし」 「バカァ言って嫌がる、手前甘いものも辛いものも何でもござれたぁ恐れ入る、鼻の下伸ばして茶を何杯も飲みやがったな」 「ヘヘお見通しのとおりでやすよ、上物の縁には朱に塗った竹ヒゴで編むなんて知恵をつけたのはお清さんだそうで」 「誰だよそのお清さんてぇのは」 「例の出戻りで、ちょいとコタさんにほの字気味見たいでやしたね」 「マタァ馬鹿いってやがる、コタロウさんはまだ十三だぞ、惚れたはれたの年じゃなかろう」 「其処がコタさんの凄いところで」 「金さん安心おしよ、あの後家さんはともかくコタロウさんは学問で頭の中は一杯だよ、商売は頭じゃなくて唯の行き当たりばったりだとさ、おつねさんがそういうからそんなもんかと皆が納得してるよ、だから女にゃまだ当分目が行かないから、金さんのほの字の後家さんはコタロウさんのほうで用なしさ」 「ヘッありがたやまのほととぎす」 「なんだなぁ、はや手回しに後家さんの手でも握ったか」 「エヘヘッ、おみとうしのとおりちょいと荷物を積むときに手が触れたついでに力を込めたら、金さん人が見るからなんてぽっと赤くなりやがってうぶなもんで」 「ほんにばかだよこのしたぁ」とおすみさんもあきれ返る金助の早業です。 「極上が籠に弐朱の取り分と聞いたときは驚いたぜ、売れないときは引き取りますから、壱分で話を進めてくださいと頼まれたときや信じられるものじゃなかったぜ、店の取り分が参両三分と来たら金の字のおかげもあるからの、おめえにご祝儀で三分だそうじゃねえか」 「エッ旦那本当ですかありがてえ」と早速手を出す金助に12枚の壱朱銀をおかみさんが手渡しました。 「お玉も今度は手伝ったからご祝儀だよ」とおかみさんが壱朱銀を3枚も大盤振る舞いです。 「ところで旦那今回はどのくらい儲かったんでやしょう」 「そうサナア細かいとこは省いてもざっと八両ほどは儲けになったろうよ」 「来年もいけやすかね」 「それサァ」とおかみさんが引き取り「来年は同じようなことするものが出るから高くは売れめえよと、おつねさんが言ってたよ」 とまあ与吉さんも金助もお玉ちゃんもホクホクの夜でした。 夜が明けて七日の朝になって、近所の子達が集まり大川に笹飾を流しに出かけました。 |
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第一部-1 神田川 完 | 第一部-2 元旦 |
酔芙蓉 第三巻 維新 | |||||
第十一部-1 維新 1 | 第十一部-2 維新 2 | 第十一部-3 維新 3 | |||
第十二部-1 維新 4 | 第三巻未完 |
酔芙蓉 第二巻 野毛 | |||||
第六部-1 野毛 1 | 第六部-2 野毛 2 | 第六部-3 野毛 3 | |||
第七部-1 野毛 4 | 第七部-2 野毛 5 | 第七部-3 野毛 6 | |||
第八部-1 弁天 1 | 第八部-2 弁天 2 | 第八部-3 弁天 3 | |||
第九部-1 弁天 4 | 第九部-2 弁天 5 | 第九部-3 弁天 6 | |||
第十部-1 弁天 7 | 第二巻完 |
酔芙蓉 第一巻 神田川 | ||||||
第一部-1 神田川 | 第一部-2 元旦 | 第一部-3 吉原 | ||||
第二部-1 深川 | 第二部-2 川崎大師 | 第二部-3 お披露目 | ||||
第三部-1 明烏 | 第三部-2 天下祭り | 第三部-3 横浜 | ||||
第四部-1 江の島詣で 1 | 第四部-2 江の島詣で 2 | |||||
第五部-1 元町 1 | 第五部-2 元町 2 | 第五部-3 元町 3 | ||||
第一巻完 |
幕末風雲録・酔芙蓉 |
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寅吉妄想・港へ帰る | 酔芙蓉 第一巻 神田川 | ||||
港に帰るー1 | 第一部-1 神田川 | ||||
港に帰るー2 | 第一部-2 元旦 | ||||
港に帰るー3 | 第一部-3 吉原 | ||||
港に帰るー4 | |||||
妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編 | |||||
幕末の銃器 | 横浜幻想 | ||||
幻想明治 | |||||
習志野決戦 | |||||
第一部目次 |
第二部目次 |
第三部目次 |
第四部目次 |
第五部目次 |
目次のための目次-1 |
第六部目次 |
第七部目次 |
第八部目次 |
第九部目次 |
第十部目次 |
目次のための目次-2 |
第十一部目次 |
第十二部目次 |
目次のための目次-3 |
1 | 習志野決戦 − 横浜戦 | |
2 | 習志野決戦 − 下野牧戦 | |
3 | 習志野決戦 − 新政府 | |
4 | 習志野決戦 − 明治元年 |
酔芙蓉−ジオラマ・地図 | |||||
神奈川宿 | 酔芙蓉-関内 | 長崎居留地 | |||
横浜地図 | 横浜 万延元年1860年 |
御開港横濱之全圖 慶応2年1866年 |
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横浜明細全図再版 慶応4年1868年 |
新鐫横浜全図 明治3年1870年 |
横浜弌覧之真景 明治4年1871年 |
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改正新刻横浜案内 明治5年1872年 |
最新横浜市全図 大正2年1913年 |