幻想明治 | ||
其の五 | 明治18年 − 参 | 阿井一矢 |
子之神社 |
根岸寅吉 (根岸虎太郎) 1911年 明治44年4月18日生まれ(天保14年1843年) 横浜市末吉町5丁目54番地に生まれる。 根岸 容 弘化5年1月5日(1848年2月9日)生まれ 江戸深川冬木町に生まれる。 根岸明子 明治元年12月10日生まれ(1869年1月22日) 久良岐郡野毛町三丁目に生まれる。 佐伯 琴 (根岸 幸) 1920年 大正9年9月9日生まれ(嘉永5年1852年) 横浜市末吉町5丁目54番地に生まれる。 根岸了介 1877年 明治10年11月7日生まれと届出 神奈川県久良岐郡横浜町末吉町5丁目54番地に生まれると届出。 (神奈川県第1大区4小区) (明治10年5月5日山手220番生まれ) 根岸光子 1885年 明治18年5月31日生まれ |
|||||||||||||||||||||||||||||||
この日の横浜はお祭り騒ぎさながらだった。 天皇陛下が山口、広島、岡山の三県へ御巡幸のため午後一時横浜より三菱会社汽船横浜丸に御乗船のためお召し列車で駅に到着のご様子を見に来た人で溢れていた。 御陪乗に北白川宮、伊藤宮内卿が従い御用邸に入られるまで沿道には大きな歓声が続いた。 孟春、筑紫両艦、ロシア、オーストラリア両国軍艦、神奈川砲台が祝砲を撃ち横浜丸が港を出た後も見送りの政府高官が駅へ向かうのを見物する人で混雑が続いた。 寅吉は氷で冷やした十八番ラムネを了介と其の友達に振舞うとケンゾーと三階へ上がった。 「ケンゾーどうやら洋銀相場も収まりがついたようだな」 「あらかたの店は撤退しましたよ。後は銀行くらいな物でしょうかね」 「しかし取引所の近辺の寂れようはひどいな」 「特に食べ物屋に酒場がいけませんね、その代わり伊勢佐木町が大賑わいで寄席に芝居と人が押し寄せてくるそうです。旦那が手を貸した賑座ですが漸くこの夏から大入りとなったそうです」 「失敗したのは最初に呼んだ成駒屋を筆頭に玄人受けはしても横浜の町の者にはなじまねえのさ」 成駒屋(芝翫)播磨屋(時蔵)松島屋(我童)を看板にすえた三月の興行は散々の不出来だった。 其のあと左團次が五月興行に呼ばれた頃から賑座にも人が集まり五代目との鋳かけ松は大当たりだった。 「例の新会社は日本郵船会社と名前が決まったそうで森岡昌純さんがそのまま社長になるそうです」 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社の合併により明治18年9月設立と決まり設立時の船腹量は58隻六万四千六百十総トンとなる予定だとメモも見ずにケンゾーが寅吉に伝えた。 この会社は明治18年(1885年)9月29日に設立され明治26年12月1日に商法会社編実施に伴い社名を「日本郵船株式会社」と改称した。 「そういえば伊藤様のお屋敷へ陛下が臨幸されたそうですね」 「高輪の家だろ、大分自慢されたよ。そのとき陸奥さんの事もお尋ねがあったそうだ。丁度オーストリア公使の西園寺様から手紙で猛勉振りを伝えてきていたので其の手紙を披露したそうだ」 「何時ごろ戻られるのでしょうね」 「正太郎からの手紙だと年内のうちにウィーンを発つ予定だそうだ。3月までには戻るだろう、其の頃には政府も伊藤さんが初代総理ですぐお役に付かせるはずだ」 「わが国は外交官が不足していますから先生の学んだ法制はすぐ役に立つでしょうね、伊藤様西園寺様と同じシュタイン教授の法制が日本に根付くと良いですね」 二人は新しくなる政府の仕組みとその後に来るだろう選挙の時代について話したりした。 寅吉は正太郎の家族がアメリカ旅行からパリへ戻った後で出した手紙の事を話した。 「正太郎と其の家族が今頃オリエント急行という長距離列車でヴィエンヌ(ウィーン)に着いた頃だろうよ」 「あの豪華列車ですか」 「アメリカの大陸横断鉄道に倣って作られた物でイスタンブル(コンスタンチノープル)まで鉄道を乗り継いでいけるそうだ。今はジュルジュという大ブルガリア公国の街までが同じ客車でいけるそうだ。イスタンブルまでこの10日に出かけて6日かかるそうだ、帰りは彼方此方と見物するので15日かけて戻る予定だと手紙には書いて有ったよ」 二人が其のあと投資の相談をしていると夕刻になって珍しくマックと従道が連れ立ってやってきた。 従道は陛下の見送りにきてその後牧場へマックを誘って出かけていたそうだ。 まだ陽が落ちないうちに月が東の空に昇りだしてきた、まだ暑さが引かない末吉町は蝉の声が喧しく聞こえていた。 「山手に行ったら此処だというので飯を奢らせようとやってきたぜ」 「鰻なら安上がりだ」 「五十銭のうな丼では駄目だ。其れと牛鍋も願い下げだ」 鰻はこの頃ゲテな店で十銭、座敷で五十銭、重箱へ入れて女中がついて酒を飲んでも一人二円も掛からなかったがそれでも警官や小学校教師の初任給七円からすればたいそうな額だ。 ビールは四合ほどのビン入りで十五銭ほど、上酒二合六銭天ぷらそば天丼で五銭ほどだ。 炭酸水が二合ほどの壜で中身が三銭、きゅうり壜というコルクで栓がされた神戸のシム商会十八番館のラムネに日の出鶴のレモネードが横浜では五銭、子供が普段飲める値段ではなかった。 寅吉は玉入りのコッド壜千本を1本立ての充填装置10台と共にマックに頼んで輸入したが、きゅうり壜の五銭に比べ1本一円についたため買い手が殆どなく大半が倉庫に眠ったままだ。 それでも正太郎が送ってくるワインが一円から十円で飛ぶように売れるのが不思議といえば不思議だしケンゾーが引き続き一番館から入れるウィスキーも高い物は二十円もした。 一円で卸すワインの壜が後で二十銭で売れるのが人気の的なのかもしれない。 「競馬の話もあるから落ち着いて話せるとこがいいな」 結局近くの川角で飯を食べてと言うことに話しが落ち着いて席について春競馬の話となった。 話題の中心はあい変らず強い墨染の事だ。 不忍池では岩川に2回と飛燕に負けたが5レースで2勝(岩川と同着を含む)2着3回、ここ根岸では五月の春競馬では岡治善騎乗3日間で5レースに出て5勝と負け知らずだ。 「しかし参加馬が少ない」 「困った物です無理して走らせて負けるよりと出さない馬主が多いですしね」 「マックたちが出せば良いだろう」 「うちの牧場では連投は出来るだけ避けるようにして予定のレース以外は出走させないことにしてありますからね」 現に春の不忍池では岩川の強さに4回目には賞金200円が掛かっていたが単独でのタイムトライアルとなってしまった。 「其れもそうかおいもダブリンの事では反省もしてるが軍馬育成という面から見れば多少の無理の効く馬でないと困るのでな」 「騎兵の事ですか」 「ウムアメリカの騎兵隊か、フランスの騎兵、イギリスのドラグーンを誰か学ばせようと巌さんと相談してるところさ」 「龍騎兵という奴ですね」 「そう翻訳してる奴がいたな」 「誰か適任者がいますか」 「騎兵中尉で陸軍大学に秋山という男がいる伊予の生まれでいいひきがないのが欠点だが教官の受けは良い様だ」 「ドイツ騎兵ですか」 「いかんか」 「出来ればフランス式のほうが良いでしょうがね」 マックもわが国よりも騎兵の活用はナポレオンの昔からフランスに妙味があるようだと口を添えた。 ロシアでの冬将軍に敗れるまでのフランス龍騎兵活用はナポレオンの天才的運用と共に定評があった。 「しかしなぁ、今陸軍はドイツ式に切り替えの最中だ、出世を諦める事の出来る者でないと無理だよ」 「新納様と話されたら如何ですか」 「そうか一度山川君や巌さんとも相談しておこう」 川角に野毛から伝次郎がやってきた。 「もう食事が済んだからどこかで飲みなおしだ」 「そう思って私の家に誘いに来ましたよ」 伝次郎は一丁目の子神社脇の自宅を今年新しく建て直したばかりだ、近くには春も昔の寅吉の家を手を入れて大事に使っていて「春さんも呼んで良いですか」之は従道に聞いて五人で野毛へ川沿いを歩いた。 伝次郎の家を通り越した一同は二丁目角虎屋の店に居た手代に聞くと御自宅に居られますというので連れ立ってとらやの角から入り玄関から春太郎を呼び出し一丁目に戻り伝次郎の家へ入った。
神さんに六人分の支度をさせ涼しい洋間へ従道を誘った。 よい香りのする洋間の外では出る時に支度をさせたものか蚊遣りの煙が漂っていた。 「蚊が寄り付かんな」 「あの煙を通り抜けられるほどの根性は野毛の蚊には無いようで御座います。部屋に入ってもこの香りの中の成分が蚊を追い払うようで御座います」 「そいつはいいな。わしにも分けてくれんか」 「宣う御座います。明日にもすぐに上目黒のほうへお届けいたします。昼には使いの者がお屋敷へお伺いいたします」 「昼だとわしより早いな」 磊落な従道は大きな声で笑いながら井戸で冷やされたビールを陶製のカップからぐびぐびと飲みながら嬉しそうに笑った。 長く伸びた髭からタオルで泡をふき取り伝次郎がすすめたシャボーエクストラスペシャルを飲み「氷が欲しいな」と言う言葉にぶっかき氷を竹挟みで摘んでグラスに落とした。 「おぬしも飲まんか」 人に勧める神さんと伝次郎へわざと壜を持って笑いかけた、伝次郎が一滴も飲めないのを承知の上だ。 「私は駄目ですが家内は酒豪一族の出で兄達とはり合うほどですので替わりに受けさせましょう」 笑いながら「伝次郎の家内の十三代と申します」とサイドボードから自分用と言う小さめのグラスを伝次郎が手渡しそれに氷を落とすと従道が注いだシャボーエクストラスペシャルを美味しそうに空けた。 「こいつは話し以上にいけそうだ。それにしてもいい酒だ」 空に近づいた壜を灯りにかざしていたがマックに注ぐと空になった。 十三代が棚に飾ってあったルイ・トレーズを持ってきて「シャボーエクストラスペシャルは同じブランデーでもアルマニヤックですが此方はルイ・トレーズというコニャックで御座います」と薦めた。 「昔村田君や川路君に聞いた事がある。えらく高い酒だそうだな」 「然様で御座います、先ほどのもので五円此方は二十円の卸し値段で御座います」 「パリの酒場で15年の昔でも30フランしたというからそのくらいになるのかな」
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
6人全てハイスクール卒業資格が得られアキコとヒナに桂木玉の3人がボストン大学の試験を受けることにしたこと、菅沢常はマウントホールヨークで受け入れが決まり残る民家春、岡崎芳香はモンローコンセルバトリーオラトリー(雄弁・音楽[美術]学校)に入学が決まった事が記されてあった。 玉はボストン大学の神学部、明子は経営学、雛は芸術学部を目指す事 ボストンユニバーシティの学長はウィリアムフェアフィールドウォーレンでキャスの案内で大学を訪れた6人を温かく迎えてくれ、試験は其れほど難しくないが入った後のほうが大変だよと笑いながらキャスと共に学内を案内してくれた事。 それぞれの下宿先が変わるかもしれないが自分と雛は今の場所から動くつもりはない事。 それらの報告と6人がミーナにジーンを含めてジリヤール夫妻の別荘に招待されエジソン親子に紹介された事が簡潔に記されていた。 6月30日ウッドサイドパークのジリヤール家別荘にはエジソンを囲んで20人ほどの若い男女が招待され賑やかだった。 主催はジリヤール夫妻、昼間は入り江でのヨット遊び日暮れからは別荘の庭に続いた波打ち際でのキャンプファイヤーが予定されていた、ミーナはエジソンと気が合うのか彼の話すことに夢中だ。 「アキコ、彼あたしにモールス信号を教えると言うのよ。手紙を其れで交換しましょうだって」 「マァ其れって秘密の通信をしませんかと言うことね」 「彼私に気があるのかしら」 「わたし達の中では貴方が一番年上だし、それに貴方私が見ても魅力的よ。ヨットの中で一番輝いていたわ」 「ううん。ジーンのほうがセクシーだったわ」 「セクシーと言うのが私にはよく判らないけどジーンの場合は男の人にはそう見えないようよ」 「何で」 「ほらバイスクルの宣伝の時でも輝いて見えたけど健康的過ぎると言うのかしらお友達として楽しい人という安心感があるようだわ」 明子たちの傍にエジソンの3人の子供たちがやってきて流木拾いに行こうと誘った。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
横浜ではウイルソン・ウォーカーを筆頭株主としてジャパン・ブルワリー・カンパニーが設立されていた。 この会社の資本参加はタルボットにアボットなどが大口出資者で勿論マックの手でアーサーの資金が投入され、ジェームズ・ドッズを議長としての7月22日発行の設立趣意書では資本金5万香港ドルで香港での法人登記とされる事が決まった。 設立趣意書にはさらに設立に至った経緯について、仮重役会の構成について、土地・事務所について、ドイツ式醸造法を採用するため熟練したドイツ人醸造技師を雇い入れること、株式の公募についてなどが記載されて事務所は本通り七十番に決まった。 土地は山手で105B、123、240A、240B、240Cの5区画(土地権利書によれば2,776坪、建築技師ダイアックの測量では3,350坪)で、アボットから購入した。 マックのグループは現時点で436株の内名義人を分散してウイルソン・ウォーカー100株を筆頭に赤門70番のカール・ロデ商会30株カークウッド25株と20株プレイフェアー15株ウィンスタンレー10株ベアー5株ゴードン5株の210株を払い込んだ。 グラバーは岩崎彌之助に10株の参加を求めさらに増資が行われる時には多くの日本人に参加させるようにするつもりだと寅吉に話に来た。 三菱の常任顧問の彼は富三郎ことトミーが勉強好きで良い息子だとニコニコと寅吉と容に話した、 「星のマークのビールに此方はなにをシンボルにしようか考えているんだが大宰府というところを知っているか」 がらんどうの工場は三人の番人によってきれいに掃除がされていて新しく生まれ変わる日を待っていた。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
明治18年(1885年)8月20日木曜日 今日は野毛の子神社宵宮、了介は伝次郎の家に招待されていた。 四時頃から春の家には虎屋に横浜物産などに混ざり氷川商会で働く者たちが集まり大人の宴会が始まり、同じ頃から伝次郎の家では多くの子供たちが招待されて十三代や千寿がラムネにレモネード、炭酸水などを氷の入れられた樽から出しては海苔巻きやいなり寿司と共に「お替りは自由だけど冷たいものはあまり飲みすぎては駄目よ」と言いながら手渡していた。 20人ほどの子供たちのおなかが膨れた様子を満足そうに見つめていた十三代が「之はうちの旦那様から貴方たちへのお小遣いよ。無駄遣いしないように神社で遊んでからおうちへかえるのよ」とざるに入れたお捻りを一人一人に手渡しては宵宮でにぎわう町へ送り出した。 了介は浩吉の手を引いて伝次郎の次女の京(ケイ)三女の須磨(スマ)と4人で裏木戸を出るとそこは子神社の裏参道の中ほど、一度表通りへ向かい鳥居脇の夜店を覗き幾つものランプで照らした台の上で山雀が引いてくる御神籤と交換にもらう麻の実を止まり木でこつこつと突っついて殻を割って中の実を食べるのを見た。 「可愛いわね」 スマの言葉にうなずく一同に「おじょうちゃん御神籤を引きなさらんかね」と山雀使いの老人が勧めた。 京が二銭をわたすと「いいくじをもっておいで」と老人が左端の山雀の籠の戸をあけた。 「おじょうちゃん手を出しなさいよ」と老人が京の手のひらに麻の実を置くと山雀は京の手に持ってきた籤を置いて替わりに麻の実をついばむと自分の籠へ戻って行った。 籤を読むと京は嬉しそうに二銭出して「今度はこの娘の分」と妹を指差した。 「どの鳥がいいかね、おじょうちゃん」と今度はスマの気を引くように老人は竹棒で三つの籠を指した。 「真ん中が良いわ」 先ほどと同じように麻の実と交換した御神籤を読むとスマは大きな声で笑った。 「どうしたのよ」 「だって大吉なのは嬉しいけど、良縁近しだなんていやだわ」 十二才のスマに老人は「おじょうちゃん貴方の運勢はそこじゃなくてその下に書いてあるほうじゃよ」と竹の棒で其の部分を指し示した。 そこには友に恵まれ金運上昇と記されてあった。 「坊ちゃんはどうするね」 「僕はやめて置きます、浩吉君はどうする」 京が黙って二銭出して「其の子の分よ、右の籠の山雀にしてあげて」と老人に頼んだ。 姉妹は浩吉に替わって大きな声で読み上げた、籤は同じ大吉でも武運に恵まれ学業に成果ありと書かれてあった。 「男の子の籤らしいわね」 「ほんとね」 四人は山雀に「さようなら」と声をかけて後ろの人と入れ替わった。 春は寅吉と家の事を話し合っていた。 「官舎が全て取り壊しになれば此処を広げて家を建てようと思うのですが」 「いいんじゃねえのか。この家も随分と古くなってきたからな。今から手を廻しておけば二,三年のうちにはどうにかなるだろうぜ」 「そんな先になりますか、林光寺の和尚さんはもう直の事のようにおっしゃっておりましたが」 「林光寺も引っ越しらしいとは聞いたがすぐという話でもなさそうだ。今が十八年、三年先の二十一年まで掛かるだろうぜ、県令の沖様にも話しをしておくこった」 「其方はケンゾーさんが根回しをしてくれる手はずです」 「いそがねえことだよ」 春は其の寅吉の言葉にうなずき「三年などあっという間で御座いますね」と傍らのお映に「家はお前に任せるから今から建てる家の工夫をしておきな」と笑顔で伝えた。 「旦那ありがとう御座います」 お映も嬉しそうに寅吉に頭を下げた。 「おいらは何も手助けできねえが精々気張っていい家にするんだぜ」 なに寅吉は口で言っても何かと面倒は見るつもりのようだ。 客が帰ったあと子どもたちも戻り家族でどのような家にするか話す春は「旦那が三年先というからにはもしかすると野毛に火事が起きるかもしれないよ。辰さんや千寿さんにも話してみな火の用心に努めるんだ」と言い出した。 「ほんに旦那様が其れらしい事を言う時は殆ど当たります。高嶋様の易よりも信じてよいですわ」 子供たちも火の用心に気を配りますと両親に伝え其の後は縁日でどういう事があったかを話し合った。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
容には了介を連れて野毛の子神社に向かわせ家には波奈とお松津さんに残ってもらった。 「之は政府の重職の方々おそろいで電信を見て首を寄越せといわれるかと肝が冷えました」 「よく言うぜ、わしが昔スナイドルを寄越せと詰め寄った時も平気な顔で応対したくせに」 巌に言われて首の後ろを仕方なさそうに掻く寅吉だ、山川はじめ大鳥と村田経芳と小沢武雄が後ろで笑っている。 洋館の応接間で皮バケツに氷を入れて冷やしたシャンペンをあけて勧めながら「それで首でなければなんでしょうか」と聞いた。 村田が大きな包みを開いて二丁の銃を出した、ナンバー70001と80001が刻印され菊紋入りのインフィニティとショートライフルだ。 「紀元2540年式村田銃と似ていますが少し軽めのようですね」 「グラース改良の十三年式十六年式をさらに改良した物だ、銃身は鋼材を輸入しての国内生産だ」 「ほうついに出来ましたかライフルが国内で刻めるなら鋼材調達が国内となればベルギーに頼らずに済みますね。11mmですね」 「そうだ昔のシャスポーからすれば格段の進歩だぜ」 大鳥もあの白磨きと紙薬きょうにはてこずったぜおまけに5000gだと笑った。 「やはりボルトアクションが一番ですね、ただ騎馬兵もボルトアクションでは辛いでしょう」 「其れだがね、量産するためにはリムファイアーと両天秤といかんのだ」 村田はふたつの銃を寅吉に手渡した、寅吉は両手で代わる代わる重さを量るようにもって見てテーブルに置くと仔細に点検して見た。
「わが国の一般的な兵にはまだ重いようですが兵を鍛えれば扱えるようになるはずですね、無煙火薬でしょうね」 「いやまだそいつは無理なのだよ。それでまだ手に入らないがここならあるだろうと踏んできたんだがLebel M1886を購入していないか」 「まだ1885年ですよといいたいところですがちょっと待ってください。おとといついて昨日試し撃ちをしましたが何処でばれましたか」 幾ら此処が居留地でもそういう話は秘密というわけにいかないようだ。 寅吉は母屋の離れで小十郎夫婦が番をする部屋を通り倉からLebel M1886を二挺持ち出した。 「此方は8mmですが八発のチューブマガジンで射程3200m最大4100mだそうですが一貫と百七十六匁ほどもあります、4410グラムだそうです。村田様の新しい銃より百匁ほど重いですね。試し撃ちでは320mで私は誤差が最大70cmでました。初速が速く其の分の反動が大きいのが響きました」 昨日寅吉とケンゾー、ファヴルブラントにマックの四人で試し撃ちに出かけ320mで60センチ的の10センチの芯を四人共々打ち抜いた事は黙っていた。 ファヴルブラントが銃の腕前では一番で最近はケンゾーの腕が寅吉を追い抜きそうだが村田は陸軍一と今でも言われているようだ。 「もうそこまで来たか射程がわしの倍もあると言うのか、もう改良に手をつけるようか」 村田は其の無煙火薬を使った銃の性能にうなった。 「それでフランスは之を制式銃に指定したのか」 「まだです、カンプノンはあまりこの銃に関心を示さなかったそうですがブーランジェは強力に推薦していますのでクレマンソーの後押しのあるブーランジェが大臣になればこの銃に決まるでしょう」 一同はカンプノンがジュール・グレヴィーの元での陸軍大臣と認識していたがブーランジェが何者かを知らなかったようだ。 「ところでコタさんは最初紀元2540年式村田銃といったが十三年式と村田君が言っても不思議そうな顔もせんで聞いていたが」 「其れは新しい銃が出来れば前に遡って名称を十三年式、十六年式と新たにされるという噂がでているからですよ」 「もう聞いていたのか。油断できんな」 「ところでそれだけの用事で横浜までおいでですか。何か特別に私でなければ困る事でも」 寅吉が銃器を自由に扱うために居留地内に寄留している形で住んでいる事は伊藤はじめ此処に顔をそろえた面々は承知だ。 伊藤が村田と顔を見合わせて肯いたが共に口を開かずにいたので寅吉から疑問に思っていたことを聞いて見た。 「松葉バネからコイルバネへの変更は出来ないのですか」 「銃身は出来たがバネの国産が出来んよ。鋼材の輸入に頼っている間はなあ、松葉なら技術者もいて壊れても簡単に修理交換が出来るのだ」 本題に近づいたようで伊藤が漸く口を開いた。 「其のコイルバネだ、秘密裏に輸入できんかね」 「Lebel M1886と同じ物でいいのですか」 「そうだ」 「と言うことは無煙火薬、8mmを基本に考えているのでしょうか」 「まだ其の事は明かすわけにいかん」 「Lebel M1886の欠点を先にお話しますとチューブマガジンは最初の八発はともかく充填に時間をとられるし接近戦での命中精度がよくありませんよ」 「そいも考慮に入れる予定だ」 「其れでしたら必要数をおっしゃってくだされば手に入れます」 「年内五千、来年二万」 「判りました。承りますがドイツ式を取り入れることではないのですかモーゼルM71/84の改良型ではいけませんか」 「あの国は自国の物を輸出はしても高いことを言うのだ。寅吉はドイツのほうが進んでいると見るのかね」 「フランスのレベルモデル1886は無煙火薬使用のクロパチェク(Kropatschek)方式のチューブラーマガジンを装備しての8mmラウンドノーズ弾です。同じようでも黒色火薬のドイツの先を進んでいる事は確かです」 「昔コタさんが薦めたウインチェスターに近いようだな」 「其の通りですが、無煙火薬はこれからの主力になるでしょうが其れを銃器に適応するためにはまだ二年ほど掛かるでしょう。先取りで入れたこの銃ですが初速が速い分ブレも大きくなりますしウインチェスターと同じく重心点の移動をクリアーに出来るか問題です私はガトリングの1883モデルのような供給器の小型化をして取り付け可能ならと考えます」 その後も代わる代わる秘密裏に必要な装備品などについての話しを交互にして漸くその日の目的が済んだようだ。 「ところで其の銃を譲ってもらっていいか」 「良いでしょう村田様へ差し上げます、71/84 German Mauser もあるので持ってお帰りください。」 寅吉が持ち出してくると嬉しそうに組み立てなおした十八年式と四挺の銃を分けて仕舞い「銃弾も頼む」と催促した。 「海軍の陸戦隊はマルチニーヘンリーライフルからこの銃に変更できるのですか」 「いやまだ其処まで話も予算も進まんよ。今年の騒動で戦艦と陸軍の装備に予算が優先だ」 宮内卿の伊藤がそう言って大山と西郷を「暫くは物騒な事は慎んでくださいよ」と笑顔で言って「山川君たちは村田さんの護衛で夕刻帰るから其のあと例の郵船の事でお倉をとっちめましょう」と西郷と大山を誘った。 五時に四人が従道から聞いて寅吉にねだった4本のルイ・トレーズに六挺のライフルを持って帰り、夕暮れの富士を見ながらあい変らず飲み続ける三人の相手をしていた寅吉は富貴楼へ使いを出して七時半の予約を取らせた。 富貴楼は尾上町五丁目七十八番地にあり湊町に続く離れには大岡川から船で上がれるようにしてあった。 陽も落ちた七時過ぎ満天の星と南に進み膨らみかけた月を見ながら馬車へ乗り込んだ、月の左上にはアルタイルが輝きだした。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
「スネルさんの事何かお聞きですか」 座が決まり芸者が席についてすぐお倉は唐突に寅吉に言い出した。 「兄貴のヘンリーは一回り昔にアメリカへ行ってその後行方がわからねえし弟のエドワルドは3年位前に店じまいしてリンダウさんの誘いでパリへ向かったらしいがよくわからねえよ」 「正ちゃんから何も言って来ませんの」 「リンダウさんと付き合いは無い様だぜ。何か連絡したい事でもあるのかい」 「いえつい昔の事を思い出しましたのさ。ほら麦酒会社に投資しなさったウォーカー兄弟の弟さんのほうが今度の競馬会に向けて新しい馬を購入したのをご存知でしょ」 「ああロバート・ネールのほうか」 「そうですよ、サムライというあの頃活躍したリンダウさんの馬の名をつけましたのさ」 「そうなのかい、そいつは知らなかった」 「マァ、たんとおからかいなさいまし。旦那が知らないはずないでござんしょうに」 傍で伊藤はひざを叩いて大笑いだ、「おいおいお倉、コタさんだって知らない事もあるだろうさ」そういう伊藤に「でも御前この人は馬と言えば仕事をほおりだしても駆けつけますでござんすよ」となおも言いつのった。 「サムライとは懐かしい名前だがお倉さんはどこで其の名を聞いたんだ」 寅吉がリューセーの生まれたのが慶応元年だったがサムライは慶応3年のデビューでそれは根岸競馬場の第一回の開催の初日だったという話しをはじめた。 「確か3年で20回ほども一着になったように覚えてるが。その前にリンダウはバタビアという馬でも活躍したんだ。それにはエドワルドが乗ったんだぜ、あいつと最初にあったのは文久四年ごろだ、プリュインさんの前田橋の牧場やスイス領事館で働いていたんだ」 「ですからその弟のスネルさんから聞かされていましたのさ」 「其れでサムライという名からエドワルドの事を思い出したのか」 漸く話しに合点が行った寅吉だ。 「そうか思い出した新潟で裁判を起こされて政府のなけなしの金をふんだくった男だ」 伊藤が新潟の倉庫の物品を政府軍が略奪したという裁判に負け明治6年にメキシコ銀四万ドルという不足がちのなけなしの金で支払った事を一同に話した。 「そういえばマリヤ・ルーズ号の事件で大騒ぎの真っ最中でしたね」 お倉は伊藤と寅吉に交互に話しかけた、大山と西郷はわれ関せずと芸者が注ぐウイスキーを楽しんでいた。 「それでコタさんの旦那は何時ごろから競馬に参加なさいました」 「俺たちの牧場はさっき話した根岸の慶応三年の一月にオレンジという馬達が最初だ」 「ではスネルさんの方が先輩でござんすか」 「そういうことさ。新田にあった競馬場や弁天の馬場やそのほかの小さな馬場でも乗ったと言っていたぜ。リンダウさんは自分で競馬馬の牧場も作ったし清国から競馬用に馬を買い入れてもいたぜ」 巌に従道も話しに加わり磨墨の子孫だというオレンジの話、其の仔のミカンや孫の墨染、リューセーにその子供たちと話しが膨らんだ。 「ところでスネルさんはサムライにも乗られたのですか」 「どうだったかな、あの頃はもうあちらこちら飛び回っていたからレースには出なかったように思うぜ。リンダウさんがフフナーゲルからバタビアを譲ってもらってエドワルドを乗せて新田の競馬場で活躍したが根岸ではスネル兄弟は乗らなかったはずだ」 「競馬の話はともかく野毛の山に貯水場を作るというがどうやって水を上げるんだ。ポンプを使うのか」 「そういえばもう工事が始まっていますがそんな話はとんと聞きませんよ」 「コタさんは知ってるようだな」 「江戸の水道と同じで高いところから低い横浜へ水を持ってくるんですよ」 「いや、だから山へ水を揚げる方法さ」 寅吉は初歩から説明しろと伊藤に言われてお倉に紙と筆記用具をそろえてもらった。 まず水準点から説明した。 「御用邸前の水面は一番低い時を零点と定めますと一番潮が満ちた時がほぼ四尺、今回の野毛山測量地点は百六十九尺と聞きました」 「随分高いのね」 水道用管の総延長は28.9マイル、相模川左岸津久井郡三井村字川井道志川接面に揚水ポンプを設置した。 横浜海面から三百五十四尺あり其処から送られた水は野毛山貯水池に高低差を持って湧き出すがごときに注がれるはずであった。 三井(みい)用水取入口は明治20年に完成したわが国で初の近代水道である横浜水道創設時の取入口。 道志川と相模川の合流する地点に2個の突堤で小湾口を設け、1日最大5720立方メートルの水を鉄管2条で抽水井に導き、そこからポンプで沈澄池に揚水していた。沈澄池からは、ずい道と導水管により自然流下で、約44km離れた横浜市内の野毛山浄水場まで送水していた。 「途中に幾許かの高低があっても野毛山まで問題なく送られる計画です」 絵で其の高低差を書き表し漸く納得をお倉がしたのは一時間ほどしてからで伊藤は途中から飽きて芸者を相手に昔話を始めた。 思い出したように伊藤が「おいお倉、お前今度の郵船の事で大分儲けたらしいな」と切り出したのは何時ものようにイギリス行きの話しを一くさり聞かせ、大山さんや西郷さんのときとは違い自分や寺島さんの頃は苦労が耐えなかったと自慢してからだ。 「いやですよ、御前私のほうは持ち出しばかりで儲けてるのは岩崎さんの方でござんすよ」 「六対五でもまだ儲かると言うのか」 「ご自分の株を売って共同の株を大分買いなさっていたようでござんすよ」 寅吉たちも大分三菱を買ったが自分たちは売っていたとははじめて聞いた話だ。 「よく判らん話だな」 「私もどういうことか判りませんのさ」 何かからくりでも有るのかと皆で話したがどういう風にして儲けを出すのかわからなかった。 「松方さんにでも聞かんとわからんな」 「そういえば松方さんと川田がよく会っていると聞くがその辺で話しが出来ているのかな」 大山が重い口を開いた、普段はよく喋るが酒を飲むほうに夢中だったようだ。 鹿鳴館は情報を集めるのに便利なところもあるが自分の事も知られてしまう欠点があった。 「困りましたな、あなた方御三人が政府を動かしておられるはずですぜ」 「そうでもないのさ、井上さんと松方さんに頼っている部分が大きいのだ」 「と言うことは井上さんの頭脳が益田で松方さんの方が川田と言うことになりますかね」 寅吉の言葉にうなずく三人だ。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
話は正太郎のパリから大分ときも過ぎました。 横浜幻想のアンテロープ編の1872年(明治5年)からだと12年後(第1回時点)の横浜です。 今回の話の中心は了介と明子になります。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||
2010年01月22日(金曜日) 了 |
|||||||||||||||||||||||||||||||
幻想と現代社会へ続く歴史の真実との狭間を探してくださいね。 教授からの原稿を小出しながら更新中 アイ |
幻想明治 | 第一部 | ||
其の一 | 洋館 | ||
其の二 | 板新道 | ||
其の三 | 清住 | ||
其の四 | 汐汲坂 | ||
其の五 | 子之神社 | ||
其の六 | 日枝大神 | ||
其の七 | 酉の市 | ||
其の八 | 野毛山不動尊 | ||
其の九 | 元町薬師 | ||
其の十 | 横浜辯天 | ||
其の十一 | |||
其の十二 | Mont Cenis | ||
其の十三 | San Michele | ||
其の十四 | Pyramid |
酔芙蓉−ジオラマ・地図 | |||||
神奈川宿 | 酔芙蓉-関内 | 長崎居留地 | |||
横浜地図 | 横浜 万延元年1860年 |
御開港横濱之全圖 慶応2年1866年 |
|||
横浜明細全図再版 慶応4年1868年 |
新鐫横浜全図 明治3年1870年 |
横浜弌覧之真景 明治4年1871年 |
|||
改正新刻横浜案内 明治5年1872年 |
最新横浜市全図 大正2年1913年 |
横浜真景一覧図絵 明治24年7月1891年 |