酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第二部-1 深川  

深川・冬木町・十三夜・紅葉狩り・常盤橋・八百茂・亀清

 根岸和津矢(阿井一矢)

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・ 深川

この年の三月に井伊様が桜田門外で打たれた後、安政7年から万延元年となりました。

この年の初めから先生は咸臨丸で、メリケンに渡り、大老が討たれる事件の後の5月6日品川沖に帰ってまいりました。

岩さんと舟を見学に行ったときには、先生はもう御浜御殿に入られておりその日は会えませんでした。

やっとのことで将軍様が帰朝の謁見をされたのは、帰国からひと月あまり後の6月朔日でした。

後に勝は船酔いで何もしない、何も出来ないとんでもない艦長だと悪口を書かれた方が居りましたが、6月24日に天守番之頭過人、蕃書調所頭取助を命じられる(400石)という栄誉を授かっており、目付(隠密)が必ずつく幕府のやり方でそのような事があれば叱責こそ受けても褒められる事等ないはずです。

8月3日には三女逸子さんが誕生されました、母親は増田糸さんでした、後にお八重さんの母親になるいとさんとは違うお人です。

コタロウ君は先生が帰った後も勉強に商売にと忙しく立ち働いています。

前年海舟先生に紹介された、清水卯三郎さんとの交友も続き、商売も遊びもその道の先生としてコタロウ君は尊敬して居ります。

海舟先生と卯三郎さんはコタロウ君を交えて英語でのやり取りでコタロウ君が詰まるほどの理解力にすぐれた力を発揮されています。

そんなある日に、お容ちゃんが奉公先から戻る日が決まりました。

中秋の日にその連絡が入りこの月の25日と決まりました。

今日は18日、秋の洲崎におつねさんとおはつさんお文さんおきわさんのお供でコタロウ君、卯三郎さん、たあさんがついて行きました。

廿日余四拾両・盡用而二分狂言という読み本や芝居でもおなじみで暑い夏の日も過ぎ去り涼風が気持ちよく舟で木場の、但馬屋さんの隠居所に着くと、「よぉ来て下された」と

喜んで迎えてくださり「昼餉の支度を仕様ほどに必ず八つまでに戻ってきてくだされ」と念を押されました。

どうせどこかで食べようとの行き当たりばったりのお仲間ですから、その申し出を喜んで受けて「必ずやつまでに戻ります」と約束して出かけました。

門前東町から入舟町をとおり汐見橋を渡っておか喜の前をとおりと言えば時間が掛かりそうですがすぐついてしまいます。

松の緑も鮮やかに奇麗に波が打ち寄せる海岸は崖地もあり砂浜もありとそぞろ歩く皆が「良い眺めでございます」「左様でござる」と会話を交わす様もゆったりとしております。

洲崎弁才天の由来を卯三郎さんから聞き、「なんと、深川育ちの江戸のものより知っていなさる」と感心するのでした。

弁才天までついておまいりしてまたそぞろ歩いて浜に下りて江戸湊のゆったりとした景色に見とれていました。

房総の山が見え富士の山が見えと景色の雄大さにはたあさんも「さすがお江戸はひろうござる、これほどに眺めは江戸に来る途中でもお目にかからん」というたいそうな言葉に「たあさんはもう酔ってなさるか」卯三郎さんがからかいます。

「イヤイヤ、何の景色に酔うてござる」と風流人でもないたあさんまで見とれる江戸湊でした。

沖の白帆を掲げた舟が行きかう海が、あと何拾年かすれば蒸気船が行きかう騒々しい海になるなど知らぬいまが幸せかもしれません。

休み茶屋でしばらく過ごし、隠居のところに行くと、仕度ができて居りますとすぐさま迎え入れられ、海のものから山のものまでかわいらしく飾られて目で楽しみ、食べて楽しむという心地よい昼餉となりました。

「コタさんあんたのおかげで孫も戻れば柳橋にいつでも出られるし、いやならどこに出しても恥ずかしくない娘になって居るそうな、おすみが来て話してくれたが全てあんたのおかげだ」

「イヤイヤご隠居様あっしではなくここにいるおつねさんはじめ女衆のお力でござんすよ」

「いや、そうではなくてあんたがいるからおつねさんたちが力をあわせてくださる、隠居はそうにらんでおりますぞ」とコタロウ君を持ち上げます。

夕刻、陽が陰らぬうちと舟に乗り神田目指してかえりました
 

・ 冬木町

朝、七つ半約束の刻限に、おつねさんとコタロウ君がご門の前で待つうちに、中で挨拶を終えてお容ちゃんが出てまいりました。

いつもは腰元風の着物にこしらえて、使いに出る以外は見た事がなかったので、普通の町娘のお容ちゃんは見事なばかりの娘盛りです。

この日のために、奥様から頂いた花簪を前にさし、結城紬の市松模様の段だら染めの小紋小袖の帷子、少し肌寒くともいまはまだ袷を着ない江戸の風習。

荷物は岩さんと清吉さんが裏門から引き出して、此方ではお朱鷺様と、御用人様が門の内から「息災ですごせよ」 「お達者でお容さんが居ない今日からは寂しくなりますわ」 「蓉も皆様とお別れするのが寂しくってなりませぬ、奥様、お嬢様、若様にもよろしく蓉は町に戻ってもこちらで習い覚えたことを守り、元気に過ごす所存とおつたへくださいませ」と挨拶も終わり門外に出て、深々とお辞儀をするうちにご門が閉まりました。

「ご門から出していただくなんて、お容ちゃんは果報もんだぁ」とおつねさんも岩さんも口をそろえて言います。

「ほんにわちきは果報者で、お見送りにも皆様がお庭まで出られて下されて、挨拶も奥様までがお廊下を降りてくだされ言葉を掛けて下されました」

連雀町にはよらずに柳原土手を川に沿って下れば10町ほどで浅草御門ですが、其処まで行かずに上の新橋(あたらしばし)を渡り福井町2丁目のおはつさんの家に到着いたしました。

「サア、ここがあんたが芸者に出るときは根城になる御本丸サァ」

「ただいま戻りました」と虎太郎さんが声をかけ格子戸を開けると「お帰りなさいませ」とおはつさんおきわさんが並んで御出迎えしてくださいます。

長火鉢の奥におはつさんが座りその前にお容ちゃん、「お容さんあなたがここへ来るにはまず与吉さんのお許しを受けなければなりません、そうして芸者屋の芸子としてしきたりを守っていただくことからまた勉強が必要です、その覚悟と気持ちが固まったら皆さんがあなたがここに来ることを必ずや応援して、芸者としての道に進ませてひとり立ちの出来る、一本の女にして差し上げることをお約束いたしやす」と何時になく強い口調ながら愛情のこもった物言いのおはつさんに岩さんまでが4畳半で聞いていて、コタロウ君に「おりゃ長い付き合いだがおはつさんがアンナに真摯に口を利きなさるのを聞いたよ」というのでした。

「はいありがとうござんす、必ず父の許しを得て皆様にご厄介を掛けますが、よろしくお引き立てのほどお願い申し上げます」お容ちゃんも立派に答え、さらに岩さんが感心するのでした。

一休みしてから柳橋を渡り広小路に出て両国橋をコタロウ君、清吉さんがひく大八のうしろから岩さんがお供でおつねさんとお容ちゃんが歩きます。

一橋を渡り御船倉からさらに新大橋の近くでお籾倉から猿子橋を渡って、常盤町から右に折れて高橋(たかばし)を渡り、まっつぐにすすめば其処が永代島に渡る正覚寺橋(海辺橋)。

もうすぐ其処が冬木町。

「ただいま戻りました」「おけえりよ」とそっけない挨拶に表しきれない親愛の情が溢れ「はやくあがれよ」「うん」母親も目を潤ませ「元気じゃねえか」と素っ気なさでどういえばよいのか解らないほど嬉しい気持ちを表しきれません。

「では確かにお渡しいたしましたよ」とおつねさんが言い、荷を降ろすと神田に4人で戻ります。

「ヨオ、コタさんよ、親子ってえのはいいもんだなあ、口じゃなくて顔がないていたよ」「すまねえコタさんは親が行方がわからなかったんだ」と謝る清吉さんに「よろしいんでがすよ、必ず会える親ですから、気にしなくてもお琴もそのことは話してあります、すぐ先とはいえませんが会えるのは間違いありません」と断言すると「なんだかどこかの御落胤みてえだぁ」と皆を笑わせてくれます。

帰りも福井町により一休みしますと「コタさん鰻をおごんねえよ」とおきわさん、「なぜだい」とはコタさん。

「今日は丑の日じゃないか」 「この間も食べたじゃねえか、しかもいまは秋だぁ、夏の土用はとっくに済んだぜ」
「おや何時から鰻が嫌いに宗旨を変えたえ、今日は2度目の丑の日さ、夏でも秋でも丑の日は丑の日さぁ」とおつねさんが言うので、多喜川まで歩き5人ずれで上がりました。

「今日はたあさまが居られませんね」と仲居に言われ「あの人は鰻が嫌いになったとよ」「マァうそばかり、昨日も一緒じやござんせんか」とすっぱ抜かれてしまい、おきわさんなど笑いがとまらずむせこむ有様でした。

 

・ 永代寺

衣替えで今日からは袷に着替えます、9日には中に綿を入れて冬の着物になります。

お容ちゃんの戻った八百茂さんは活気のある毎日、今までとは違うお容ちゃんのいる家の中は華やかです、お玉ちゃんは嫁に行く先が決まりここから実家に戻らず嫁入りをするので、その支度をおすみさんがわが子をだす様に念入りに調えています。

「おかみさん、そんなに多くの荷物はいらねえよ」

「何いってんだい、着たきりすずめじゃあるまいし、衣装は一生もんだぁ」やはり地口遊びはこういうときでもやめられません。

お玉ちゃんが嫁に行くのが決まって末の妹の、おとよちゃんが、先月から奉公に来ています、この子は裁縫が苦手のお玉ちゃんと違い、器用に襦袢でも着物でも縫い付けてしまいます。

「おとよがいると支度が楽で、お玉ちゃんの着物は行李に一杯になるじゃねえか」

「あたいは裁縫が苦手だがおとよは、おっかさんから上手に教わってきたよう、あたいのときは子守で其処まで手が回らなかったんだぁ」と言い訳しています、それでもお玉も普通並には下着を縫えるのです。

同じ八百屋で八百春、其処の総領で八百喜での藤吉と奉公仲間の長兵衛、年は19でお玉と同じ、本所の松井町なのでここからはそう遠くはありません。

母親が秋口になくなり、小さい妹がいて男所帯で手が回らずという、其処で藤吉から話を聞いていた八百喜の旦那が仲人で話がつい先ごろ決まったばかり。

明日は晴れれば嫁入り、雨なら体ひとつでいける様に、金助が今日荷物を届けてくれます。

夕刻お玉ちゃんとおとよ、お容ちゃんの三人で八幡様と永代寺におまいりして深川から本所に移ることを報告してこれからもお守りくださいとお祈りしました。

「よい天気でめでてえなぁ」

「はいこれなら歩くのが楽でよいですわ」とおすみさん。

おすみさんとお玉がてに小荷物を持ち、高橋を渡り、二の橋までまっつぐに進み手前で曲がれば其処が松井町2丁目、八百春さんは今日も店を開けて早仕舞いにして八百喜の旦那が仲人で町内の方と待ち受けていました。

普段着ながら新しい鳶八丈の小袖のお玉ちゃんは晴れやかな顔でおすみさんに手をとられて上座に進みます。

顔見知りの藤吉さんも来ていてにっこりと微笑むお玉ちゃんは、集まった町内のかたも感心するいい女に見えます、明日からはここが自分の家。

三々九度もすみ、2階が二人の新居、宴席は楽しく哂いうたいと賑やかにすみお床入りの時間となって、客も家族も家を空けて、二人だけの夜となりました。

「あたいは田舎育ちで言葉もぞんざいだが自分で言うのもなんだが、からだは丈夫で働き者だから、可愛がってくださいよう」

「オウヨ、こちとらだって本所の八百屋じゃおめえと変わりなんか、ありゃしねえよ末永くよろしくたのまぁ」色気よりもこれから一緒に所帯を切り盛りしてくれる家族としての愛情がお玉に溢れてくるのでした。

手をとるのも恥ずかしげに二階に上がる二人は幸せでした。

  ・ 十三夜

後の月見を木場の隠居に誘われて虎太郎は深川まで夕刻に着く様に氷解塾を出ました。

木場の隠居と簡潔に言っていますが、住まいは門前東町、永代を渡ったのが七つ、いつものたあさんは都合がつかず珍しく一人。

「左様ですかそれは残念、マァしかしあなたが来て下されればそれで結構」と座敷に上がり縁先を見れば、前庭が広くあき、こぶりの松に小さな滝、池にはこぶりながら紅い鯉と白い鯉。
先ほどきたときとは庭の風情も変わり、花もなくなっておりました。

八百喜さんから届いたのか大振りの提手のついた盛り籠に季節の野菜と果物、花が清楚にいけられ、お饅頭が奇麗に盛られています。

「だんな、この鯉は大きくなりませんか」

「まさか、すぐ大きくなりますよ、だから毎年入れ替えてしまいます」

「見た目を貧相に見せての贅沢、恐れ入りました、箱庭とは違い中々風情があり面白い趣向ございますね」

「お気に召しましたか、それは結構、結構」と嬉しそうな隠居です。

「後ほど吉野屋さんがこられるから、それまで風呂でも入っていてくだされ」

街中ではとてもまねの出来ぬ広いヒノキの浴槽にどっぷりとつかる贅沢は、湯屋では味わえぬ贅沢です。

窓を大きく開け外を見れば、暮れなずむ空が夕焼けで茜色になり、星が瞬き出します。

風もなく若い虎太郎には肌寒さなど感じないほどで、熱い風呂を出たり入ったりして糠袋で垢をこすり落としあがってみれば、こぎれいな結城紬の袷が用意されていました。

上から下まで全て新しいものに着替え先ほどの座敷に戻ると「オオよくお似合いじゃ、年寄りの見立てでチト心配でしたが結構結構」 「お心遣い感謝いたします」と虎太郎は素直に感謝の気持ちを表します。

虎太郎は人の親切に大げさな感謝もしない代わり遠慮もしないので、付き合うかたが心を置かずに済むので、なおさら面倒を見たがります。

「遅くなりましたかな」と吉野屋さんが入ってきましたが「何のまだ月は当分出ませんぞ」と隠居が言い、「そろそろ支度をいいつけますか」

隠居が奥に入って何かを言いつけて戻るとすぐに、台の物が三つ届けられました。

「このじいさんは漁師上がりで無骨じゃが、料理の腕は最高ですじゃ」

「左様左様、但馬屋さんは口果報でござる」

照れる風もなく台を置くとお辞儀をしてスーット奥に入るさまは見事なくらいの振る舞いです。

「なかなか、見事に振舞うおじいさんですね」虎太郎が褒めると嬉しそうに「そうじゃろ、アレでもわしらと同い年で昔は御輿で喧嘩をよくしたもんじゃ」と喧嘩御輿の時代を懐かしそうに語りだしました。

「わしらの頃は木場の若旦那といっても川並衆に混ざり角乗りやいかだ組等お手の物じゃつた」昔話はそれくらいですみ。

「ソロソロ出るじゃろう」 「いやまだじゃろう」など言い合いながら酒を酌み交わすうち少し端がかけた月が顔をのぞかせるや、まもなく雲が流れてきて隠してしまいました。

「この間は人が大勢いたので言わずにいましたがの、例の小判の引き換えの後すぐさま買い付けに走り回らせ、損はないどころか大きな利益を得る事が出来ました、すべて虎太郎さんのおかげと、松嶋屋のご主人も喜んでおりましたぞ」と隠居。

「私のほうも自分用のへそくり以外は全て引き換えて、買い付けたヒノキの値が倍になるという騒ぎでどのくらい儲けになったものやら番頭がホクホク顔でな」とは吉野屋の老人。

「吉野屋さんは若旦那が買い付け専門だそうでな、旦那は名前だけで、わしと同じ隠居同然じやよ」「左様左様、私ゃ顔が物を言うときだけ出る唯のお飾りじゃ、家内が隠居はしても家にいなされというので、それならば隠居せずに、名前だけにしても同じこととせがれも言うのでな」 「与吉さんもおかみさんと最近は仲がもどられて出入りにしても、宗助(義弟)さんとも親しく口を聞かれるそうじゃ」

「この間はお容が来ての、アレには叔母に当たる美和とも話をしてくれてな、もうわしゃ思い残すことなどありゃせん」

「それで美和さんは嫁に行くこともお決まりだそうな」 

「うむ、ほれあの河合屋の堅物息子じゃ、どこがいいのか美和が気に入っての、どうでもあの惣次郎じゃなきゃ嫁にいかんと駄々をこねおって、母親も仲人を立てて話をしたら向こうも乗り気で来月は結納じゃ」

「宗助にも引き合わせたいがコタさんの都合はいかがですかな」

「あっしは夕刻には塾がしまいになりやす、それといまは一の日五の日を休みにさせていただいておりやす、おつかいを家か勝先生のところに下されば連絡がつくようになっておりやす」 「若い若いと人が言うがコタさん幾つになりなさった」隠居が聞くので虎太郎は頭をかき掻き恥ずかしそうに「やっと今年で18ほどになりやした、どうにもあの地震の時に頭でも打ったか、幼い時の記憶があいまいで」と話すと隠居が「さようかな、それでも、コタさんは勉強も塾では特別扱いと聞きましたぞ、教わるよりも教授並に扱われてるそうじゃないですか、聞きましたぞ、たあさんと卯三郎さんにな」

「吉原にも行くそうじゃが、相変わらず難しい本を読んでおられるらしく、吉里花魁が添い寝だけの身はどうにも気を使うて堪りませぬとこぼしておる様で」

「それはもったいない、どうして抱いてやりませぬ、まさか芳町通いのほうで」

「イヤイヤそれはなさそうですぞ、ほれ例のおきわの時も、あちらのほうは駄目でござんすと断ったそうじゃからの」など酒の入った老人は遠慮が有りません。

「ところで何を読んでいなさったと聞くの」で「ハァ、卯三郎さんにたのんで買っていただいた、アメリカのポーと言う人の書いた、マァ此方で言えば読み本の類で」

「なんとそりゃ勉強になりますかな」 

「はい英語の勉強には堅い話よりそのようなものの方が頭に入りやすうござんす」 

「それでも河嶌屋さんは、何かというとコタさんを吉原に連れて行きなさる」

隠居がさらに「家のせがれも本来ならここに呼んでほしいといって居りましたが、今日は木場の大事な寄り合いという名目の吉原がよいでな」と笑いながら話してくれました。

「なあコタさんや、あんたは金では動かんが商売をさせてくださるなら相談に乗るという話で、贔屓にしてる大店が何軒もあるそうじゃないか、お礼は金でなく取引で利を出すというのは商売人には堪えられんほどの嬉しい話じゃよ」二人の老人は笑いながら酒のつまみとばかり月はそっちのけで虎太郎をからかいます。

今日はここに泊まるつもりの吉野屋さんも落ち着いて酒を飲み、あまり強くない虎太郎はもう真っ赤で、何を言われても可笑しく聞こえ、受け答えも定かではありません。

四つの鐘が聞こえる頃には三人揃っての川の字でこの部屋で眠りにつきました。

 

・ 紅葉狩り

卯三郎さんの招きで下谷の正燈寺での紅葉狩りに、コタロウ君はおきわさんと出かけました、といっても二人だけではなく、たあさんも来てお容ちゃんにおとよちゃんと集まりました。

正燈寺で紅葉を見てから飛不動の恵比寿・弁天院の朝日弁才天を廻り笹の雪で豆腐料理を食べ、和泉橋からお容ちゃんたちは船で帰る算段。

「約束の五つには早いが出かけてくるよ」とおつねさんに断って土手の八兵衛さんのところまで鼻歌混じりに出かけてみました。

柳橋を廻り舟が神田川を遡ってくる約束、女三人でさぞかし賑やかに来るだろうと思うと共に、今日の紅葉と競うように装ってるかなとも思う虎太郎です。

船から地味な三人が降りてきたときにはがっかりもしたが、顔には出さず「待ちかねたぜ」 「アレまだ、五つの鐘はならないよ」というその時に、ゴ〜ンと捨て鐘を三つ打つ本石町の時の鐘が聞こえ、続いて5回、「ほれごらんな」とおきわさん。

「鐘を聞けばたあさんもお屋敷から出てるだろうからいこうぜ」

「アイ、それではいそぎゃしょう」とは言いつつもゆったりとした歩みは、いつも塾に行くときの早足の虎太郎にとって蟻の歩みと同じように思え、なぜか笑いがこみ上げてきます。

「どうしたへ、含み笑いなどして」と後ろを振り向いてお容ちゃん。

「なんだ後ろにも目えがあるのかい」 「ほれ其処に、たあさんがいなさるよ」

「おっとこんだぁ、後ろを向いて前が見えなさるか」など軽く口争いなどしながら、たあさんと出会い広小路を北へ進みます。

半時ほどで正燈寺について卯三郎さんが来ているかと紅葉と、道筋を交互に見ながら散策するうちに、なんと本堂から卯三郎さんが手招きしています。

「この寺は少し因(ゆかり)があるので茶など振舞われていたよ」 「ようおいでなされた、まず一休みしなされ」と住職に誘われ庫裏に回ります。

「少し葉もちり出したがマダマダ盛のうちじゃ」と住職が言うのももっともで見事な銀杏は黄色く色づき、もみじは赤く紅葉し落ち葉がその趣を誘うように全てを片付けずに残す風情は見事です。

住職が奈良平安の昔は紅葉と言えば黄葉と書いてコウヨウというたそうな、秋山に落つる黄葉(もみちば)、しましくは、な散り乱ひそ、妹があたり見む、と歌人も歌って居るでな」と学識豊かなところを聞かせてくれました。

「ではいこうか」と卯三郎さんに言われ皆は支度をして庭の木々を見ながら浅草のほうに出て飛不動に向かいます。

ここは難しく言えば、龍光山正寶院、名前の由来を卯三郎さんが教えてくれます。

「昔、住職が大和の大峰山で本尊の不動明王を安置して修行していたところを、一夜にして不動明王が江戸に飛び帰り、当地で祈っていた人々の願いを叶えたという、うそのようなうその話でしょうよ」 「アレお前様は信じんが浅い」とはおとよちゃん。

まったく卯三郎さんの博覧好奇(博覧強記・well-read)はとどまることを知りません。  

そう言うと「それも地口遊びか」とわらうたあさんと卯三郎さんでした。

well-read でござんしょうといってもお容ちゃんたちには珍聞寒風(ちんぷんかんぷん珍紛漢紛) jargon It's all Greek to meてところです。

これには、たあさんは完全にお手上げ、卯三郎さんも、もう一度発音してくれという始末。

恵比寿様は見えませんでしたので扉の外から不動真言を唱え、「ノウマクサマンダ バサラダンカン」と三回繰り返しておがみました。

「まじめなのかおふざけか、よくわかりやせん」とおきわさんにまで言われるほど。

などとふざけながら正燈寺方向に戻り、朝日弁才天で、観音真言で「オンアロリキャー ソワカ」と唱えてさらに、弁財天真言「オンソラスバテイ エイソワカ」と唱え技芸の上達を願いますとお参り。

卯三郎さんが「弁財天はやきもち焼きで男女二人でおまいりすると別れてしまうそうだ」といえば「ならあちきたちは6人連れ、それに良い仲というわけでもないから、でぇじょうぶ」たあさんが「オイオイ連れないことをいいなさんな」これにも皆が笑うことばかり。

大きな池では、「大蛇でも住んでいそうじゃござんせんか」と近寄らない女たちを無視して覗き込めばなに鯉が泳いでいるばかり。

笹の雪に向かう途中でおとよちゃんが思い出したように卯三郎さんに「恵比寿様の真言は聞かなかった、どういえばいいの」 「おおそうか恵比寿さんは日本の神様だから真言はないんだ」 「アレ弁天様はちがいますか」これはおきわさん。

「弁天様は、天竺の仏様サラスバーティと申し、でわが国では、筑紫の国に鎮座まします、市來島姫または市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)と同じとされておりこのように書き申す」と小枝で砂地に書いて教えてくれました。

さらに、「安芸の宮島の厳島神社、近江の琵琶湖は竹生島、相模は江ノ島の弁財天がわが国では三弁天と申すが、このほかに陸前の金華山弁天、大和の天河弁天がしられておる」

「あれ、ならほかは遠いからわちきは江ノ島に行きたいもんだ、コタさん連れて行っておくんなさい」 「そうはいくめえ、全体お前さんはおやっさんに柳橋の話をしたかえ、芸者になれば遠出も簡単にいくめえよ、出かけるなら日の長い夏場じゃなきゃ寒い海を見て何をする」 「だって洲崎くらいしか海などしらねえよ、おとっあんには明日にも言う算段さ、まだお屋敷から帰ったばかりで切り出しにくいやね」 「そうならいつかきっと連れて行くから我慢しねえ」という話で片がつき、豆腐料理で酒が飲めるたあさんはご満悦、まったくいい女のおきわさんがいるのに何してんだか。

卯三郎さんもおきわさんには一目置くようで普段の芸者遊びのようには行きません。

卯三郎さんのおごりで岐路につき、広小路で卯三郎さんは浅草に帰りお屋敷でたあさんと別れ、土手で八兵衛さんに舟を捕まえてもらって今日の遊びが終わります。

 

・ 常盤橋

昨日遊んで帰ると、啓次郎様よりお使いが来て、手紙をおつねさんが預かってくれていました。
朝、塾には休講の連絡をいれ、常盤橋内の上屋敷までいくために、4つ過ぎに連雀町を出ました。

いつもの茶室に通されて挨拶を交わしていると腰元に案内されて、鶴屋さんがおいでになりました、挨拶を交わし終わると若原様がおいでになり「さて今日は虎太郎に相談があるのじゃ」

「何か怖そうなお話のようで」

「いやそういう話とは違う相談じゃ、実は縁談なのじゃ」 

「若様のですかい」 

「まさかのう、若様の奥方になられる方はもう決まっておられる」 

「初耳でございます、それはしりませんですぜ」 

「此方だって昨日決まった縁談じゃからな」 

「では誰のですかい」 

「ほれ其処にいる鶴屋じゃ」 

「エッ、確か奥様が居られると聞きましたが、どういうわけでしょうか」 

「実は先の神さんは、三月ほど前にな、二年ほどわずらってなくなったんじゃ」 

「それは御殊勝さまで、存じ上げねえで失礼いたしやした」 話が行き違うばかりなので、若様が口を挟みます。

「オイオイ、コタよ、この鶴屋の親父に仲人口を聞いてやってくれというんだよ」

「わか様それはどうして私なので」

「おめえのよく知ってるお方に、この親父がぞっこん参っているんだとよ」

「まさか、おきわさんですかい」

「そうじゃねえよ、もちっと年ぃいってるやつだよ」

「わかりやせんよ、誰なんですか」

「鈍いぜ、コタよぅ、この親父が参ってるのは、おはつって云う芸者屋のおかみだよ」

「ゲッ、本当ですかい、そりゃ知りませんでした、それで少しは当たってみたんですか」

「いやまだそれらしいことは何も」と鶴屋さんは恥ずかしげにもじもじ。

「なぁ、コタよこのとおりだ、口を聞いてやってくれよ」

「縁談はよいのですがね、二親がいて江戸を離れるのは嫌がりますぜ」

「だからよ其処を何とか纏めてやってくれよ、鶴屋では一周忌が住んだら祝言を挙げて掛川に来てほしいというから、それまでは江戸に所帯を持って仮祝言でいいとよ」

「では住まいも来年の秋までは此方でいまの芸者屋を続けさせてもよいのですか」

「はい虎太郎さん、私のほうは話が決まれば来年の7月過ぎまでこちらに来たときに寄せていただくだけで満足でございます、出来ればご両親様も掛川に御出でいただきたいと考えて居ります」

「どこが気に入ったかしらねえが、こうきちゃ面倒見てやらざぁなるめえよ」

どうにも困った話ですが、とりあえずおつねさんを軍師に据えて話をしてみますと、約束しました。

例の羽織は好評で昨年も今年も生産が間に合わぬほど売れたようです、横浜に手を回し外人向けに虎太郎が売り出したバッグという袋物が大うけで形を変えて大きさも大小とりどり、内張りに富士と芸者の絵を貼り付けたのが受けたものでしょう。

その話も、若様には心地よく聞こえ、在所の裕福は必ずよい結果につながろうということを話し合いました。

お茶の生産も上がり品質検査も厳重にして、よい品を作るものは士分として名字帯刀を許すなど、名実ともに励みにさせ、その成果は見事に現れ、藩の力が充実しだしました。

 

・ 八百茂

「おとっあんもう店じまいしなよ」 
「オウもう直だよ」と八百茂さんも暗くならないうちに店をしまいます。

風呂に行くかい」
「あたぼうよ、汗を流して一杯飲むのが堪えられねぇよ」

「支度しておくから速く帰っておくれ」 「いいともよ」与吉さんは風呂へ。

「おっかさん、あたいは今日こそはおとっあんに例ことを頼むよ」 
「そうかい決心はついたんだね」 
「ええ、やはりあたいは芸者になりたい」 
「解った、お前からきちんと話すんだよ」と母子は話しながら夕食の支度をおとよに手伝わせて箱膳に並べます。

「おとよや、話が済むまで膳はこっちに置いておいておくれ」 
「はいそうします」

「なんだまだ膳も出てねえじゃねえか」与吉さんが帰り風呂で脱いだ下着をおすみさんに渡しながら部屋に入ると、お容がかしこまってすわります。
「おとっさん、話が有るので聞いておくんなさい」ついに来たかと与吉さんも覚悟を決め。
「まてまて、話はおすみも一緒に聞いてやる」二人がお容の上座に座りました。
「さぁ、言ってみな」

「いままで育ててくださり有り難く思いながら孝養もいたせず、心苦しいながらもこのようなお願いをいたすのは申し訳なく存じます」
改まった物言いのお容に、両親は口を挟みません。

「小さき頃より心に決めた芸の道への思いは捨てがたく、芸者としての道に進みたいと心より願う気持ちは変わりませんでした」

「お願いいたします、なにとぞ芸者になることをお許しくださいませ」

考える振りの与吉さん、しばらくして「わかったよ、好きにしねえ」与吉さんがにっこりして「苦労はこれからだぞ、しっかりやりねえ」といったのはお容が顔をあげてしばらくしてからでした。
「おとっさんありがとう、おつねさんに相談して此れからのことはお任せしようと思います」 
「いいとも、だけどよ芸者になってもこの家と縁が切れるわけじゃねえんだから時々は顔をみせろよ」

「お容、よかったね、気を入れて芸に励むんだよ」両親に許されお容は気も晴々と、此れからの苦労など物の数ではないとばかりに微笑むのです。
「おとよ、膳の支度だよ」とおすみさんが声をかけ台所に入り燗がついた酒も持って座敷に戻ります。

 ・ 亀清

「番頭さん昨日もお話したようにおきわさんに芸者屋をやらせてみてぇというのは、おつねさんも賛成してくれやした」

虎太郎は昨日帰る前に新川によって番頭の吉造さんに例の話をしたようです。

「ハイ、私もおきわに何時までも芸者をやらせるよりは、どこかに片付いてくれるかそのようにおかみにさせたいとは思っておりましたよ」

「あの子が好いた男でも出来ればと考えてみたのですがそれはいないようなので、コタさんの話は願ったりかなったりです」

「左様でございますか、して旦那はどういいなさった」

「ハイ、旦那様は全てコタさんにお任せしてよろしいと、もし手に余る事が出来たら呼び出してくれればそのときには出張るとおっしゃって御出でですよ」

「左様ですか、それはおかたじけねえことでございやす、昼間から店を抜け出させて旦那には申し訳ねえことで、昨日お会いできませんのでしたので、御出でいただけるかしんぺえしておりやした」

これから二人しておはつさんに縁談の話をして、おきわさんにその後をさせる算段。

おつねさんはもう着いた頃合と、食事も早々に済ませ福井町に向かいます。

「ごめんなさいよ」と格子戸を開けると出てきたのはお金ちゃん、「アレコタさんじゃないか、おつねさんも来ているよ」 

「おおいま川岸のかめせいで番頭さんとであったから一緒に来たぜ」と上にあがります。

「今日は鰻じゃないのかい」

「そういつもくっちやからだがほてっていけねえよ」

「おや利いた風なこと今日は言うじゃねえか」とおはつさん。

「番頭さんいらっしゃいませ」と挨拶して「おきわちゃんはいま髪結いにいってますよ」

「イヤイヤ今日はおはつさんに用がありましてな」

「おやなんでござんしょう」

「まずおつねさんから話しを聞いていただけますか」

おつねさんが昨日の話を事細かに話しますと「鶴屋さんのお気持ちはよくわかりました、その話はよく考えさせてください、だけどお容ちゃんを預かることを、約束したばかりであたいが抜けちゃ申し訳ない」

「サア其処だ、ねえおはつちゃんあんたが幸せになってくれるのが親孝行だとは思わないかい、先ほど離れに挨拶に行ってそのことを話したら喜んでくれたよ、年寄りのことは心配しなくともおはつが幸せになってくれる事が私たちの幸せ、そういってあたいの手をとっておっかさんが涙を流して、お願いいたしますと頼まれましたよ」

「だけどここは誰が面倒見るかい、おつねさんが見てくれるならしんぺえなんかしやしないよ」

「なら、鶴屋さんのことは承知だね」

「あたいだってあの人がおきわさんにしてあげたことを見て、誠実な良い方だということは真実思いましたよ、今聞けば長患いのおかみさんを看取ってなを、私に一年待ってもよいからと聞かされれば心が動かされやした」

さて問題のひとつは解決、あとはお容ちゃんをここに何時迎え入れるかと、誰をおかみにしてここを任せるか。

「おきわが帰れぬうちに」と先ほど打ち合わせた話しを番頭さんが持ち出し、「それならあたいに異存はありやせん」とおはつさんも承知。

「おや皆さんおそろいで」おきわさんが帰り、番頭さんが膝つめ談判。

「おきわ、今日はお前に話がある、もう、いい年をして芸者でもあるまい影ではお前さんの事が何をいわれているか承知だろう」

「おじさんあたいだってそれは承知の助さ、だけどもここに借銭があるんだ簡単にやめるわけにゃいかないのはおじさんだって承知じゃないか」

「金が片付きゃ芸者を辞めるんだな」

「アアやめますよ、だがねあたいはこの道以外しらねえんだ、どうなと勝手にすりゃいいさ」

「そんな口を聞くとこ見ると、好いた男の一人もいねえのか」

「ふんあたいは男なんかいらねえよ」

「コタさん後は任せたよ」

「何で其処でコタさんが出るんだい」おきわさんが不審顔で見ます。

「実はねえ、昨日若様に呼ばれて」虎太郎が鶴屋さんの話しをします。

「いい話じゃねえか、おはつさんは承知なすったかい」

「アア承知してくれたよ」

「それでここを店じまいかい、それじゃお容ちゃんがかわいそうじゃねえか」

「そこでおいらの出番だよ、おきわさんの借金は番頭さんの分はそちらで棒引き、おいらのほうも棒引きで、何にもなしだぁという話にして、皆さんからの預かり分の残りが120両、おきわさんが芸者屋のおかみをやるには不足はあるめえ」

「何かいあたしは、用無しでなくてここのおかみで雇われるのかい、それじゃ不足だよ」

「何が不足だ、そんな口を聞ける義理か」吉造さんが憤りますが知らん顔して。

「あたいは棒引きされるほど働いちゃいないよ、伯父さんとコタさんが抱え主でのおかみなら引き受けるさ」

「それでいいのか」

「アア承知さ」

「もってえねえよ、せっかくの借金無しになるとこをさ、もしかしてコタさんに気があるかい」おつねさんがからかうと。

「コタさんはひとつ布団で寝ても何にもしやしねえだろうよ」

「オイオイ、おいらだって足が触り手がさわりというときゃどうなるかわからねえぜ」

「フン吉里花魁との話は有名じゃねえか」

「ほんとはどうかわかりゃしねえぜ」

「ならお床入りでもしてみるかい」

こりゃ虎太郎に分がありません、なんせ10年もいろ里周りで生き抜いた男嫌いで有名なおきわさんには適いません。

「あやまった、それじゃ時機を見て芸者から身を引いてここに収まってもらうぜ」

番頭さんも一時はどうなるかと思うほどでしたが、ほっと安心して力が抜けたようです。

「ごめんくださいまし」

「あらお容ちゃんかね」と、おはつさんが言うとよく通るお金の声で「おやお容さん御出でなさいまし、おとよちゃん久ぶりだあ」二人を座敷に通して奥に茶の支度に入ります。

一通り先ほどからの話しをして見れば「それはそれは、おめでとうございます」

「私のほうは昨晩父親の許しが出まして、いつ為りと此方にご厄介になれる身となりました」そう報告いたします。

「よかったよう、おめでとう、それじゃ三月にお披露目ができるように日にちを打ち合わせて粗相のないように取り決めやしょう」おはつさんもおつねさんも口々にそう言います。

「お容さんしばらくは半玉、お酌で出るだろうけどすぐに一本になれる芸があるから楽しみだよ」

「お囃子の練習はしてるかい」

「あい、喜知弥師匠のところにこられる方と共に、おすわっておりやすわ」

このあと4人で打ち合わせもあるだろうからと男は退散とばかり辞去いたしました。

新川まで番頭さんと戻り旦那に報告をして、虎太郎は日本橋馬喰町の藍屋まで戻り、鶴屋さんを連れてまた福井町に行きます。

「ごめんくださいよ」

「アレコタさんまた来なさってか」

「オオサ、こんだぁ花婿を連れてきたよ」それには鶴屋さん消え入る様子で「失礼いたしますよ」そういって座敷にと入ります、人が溢れそうなのでとなりの6畳にお容ちゃんとおつねさんが座り、おとよちゃんはお金と台所へ。

「このたびは無理なお願いをして皆様にご迷惑、ご心配をさせ申し訳ありません、おはつさんが話しを受けてくだされ嬉しく存じます、ついてはご両親様にもご挨拶をいたしたいのでよろしくお引き合わせくださいませ」

「ちょいと待っていてくださいよ」と、おはつさんが先に離れで話しをして、鶴屋さんを案内して両親に引き合わせ4人で話しをいたします。

「今日は何もかも話がまとまってよい日だ」虎太郎がほっとしていうと「ほんに皆さんが幸せに、こんなめでてえ日なんざぁ、たんとはあるまい」おつねさんも大役が済んで安心。

次の朝虎太郎は塾への道すがら、若様に事の顛末を告げにより、若原様より告げていただきました。

 
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カズパパの測定日記


第二部-2 川崎大師

第二部-3 お披露目

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