酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第六部-1 野毛 1

トワンテ山・フランス波止場・オランダ坂・グラバー邸・開聞岳・野毛橋・福井町

 根岸和津矢(阿井一矢)


       ・ トワンテ山

先生たちが京に行っておられる間に、こちらでは文久4年のお正月が来て奥様にご挨拶がてら異国の珍奇な品物など携えて元氷川まで参りました。

供には橋本さんに吉岡さん、千代と太四郎、さらに春太郎と永吉がついて総勢7人での江戸入りです。

おつね母さんなど「寅さんのダンナなんて立派に」とついこの間あったばかりなのにまた涙など流され照れてしまいやした。

おつね母さんのところも隣も借り受けて虎屋が2軒分となって、とらやには雑貨小物も豊富におき京、長崎どころかロンドン、パリの品物まで置くので引きもきらぬ盛況でございました。

こちらには帳簿のつけ方を教え込んだ若者を二人会計責任者としておき母さんの負担も減り「やれやれ大きなお金の上で寝なくて済んでほっとするよ」など言いますので「金蔵でも作るかい」と冷やかしますと「何言ってんだい、店に金を必要以上に置くなったのはおめえさんだよ」と威勢の良いことは昔どおりでございます。

シナの香炉に外国の香水においの良いシャボン、スカーフなどお子様にも喜ばれる品物も多く取り揃えています。

この年1864年文久4年の春には先生のお子さんは、お夢さん18歳(19)、お孝さん15歳(16)、小鹿さん12歳(13)、四郎さん10歳(11)お逸さん4歳(5)の2男3女でまだ梅太郎さんは生まれておりませんでした。

パンとビスケットを焼いて、それもバターの香りのないやつと有る物を持参いたしました。

何の心配する必要もなくバター入りのほうがおいしいと評判でやした。

このバターも国内で調達したものだからでやしょうか、私が食べても元の時代のものと遜色が有りませんでした、お琴にも持っていきましたら幼いながら味に記憶があるらしく涙を流しながら食べてくれました。

少しあの当時の事情を少しずつ話し始めているので記憶がよみがえってきているのかもしれません、今年12歳になり頭の回転の良い子でご両親様にもかわいがられて育っており、ほかにお子が出来ない寂しさなど考えることなどない様子でした。

「寅ちゃんコリャいいや、時々届けておくれよ」と、おたみさんというほうが似合う口調で奥様に言われ月に2度は手代がお届けする約束をいたしましたが、年賀に来ていた岩さんと杉先生は煎餅のほうがよろしいですなんていっては、お子様たちに「文明に乗り遅れますよ」などいわれ困っておいででした。

三が日は江戸で過ごし福井町にも年賀に出向きそのついでといってはなんですが、森田町では卯三郎さんに生糸についての取引を委託しました。

丸高屋さんには3日の日に伺いお春さんと連れ立って馬道の親方に挨拶に伺いました。

「コタさんよおめえ品川には足をよく止めるそうだが、湊屋と言う店は行きなさるか」

「いえ私は揚がった事がありませんが、千代という若いものがよく行くといっておりました」

「其処にお倉といって知り合いの娘が芸者に出てるのだがよ、娘どころか大年増のくせしゃがって、いまだに芸者をやめねえのだよ。品川を通ったら俺がしんぺえしてるから同じ芸者を続けるならこっちに移る様に言ってくれねえか」

「言付けだけは承りますが、お約束までは出来やせんがよろしいでしょうか」

「なんどよコタさんは意気地がないねえ、首に縄をつけても連れてきますくらい言ってみなよ」

「オイオイおめえもおめえだ、無理を押し付けちゃいけねえよ」

「おじさんが甘いんですよ、コタさんはできることでもやるとは言わないんだからこれで100人からの人間を使うとは思えませんよ」

「はは、其処までいわれちゃコタさんも何も言い返せねえか」

「ハイ、お春さんには太刀打ちなどできやしません、うっかりしてると此方まで首に縄がかかる気がいたします」

思い切り二の腕をつねり上げられて声も出ない寅吉でした。

4日の日に横浜に帰るために道の途中、品川で昼から湊屋にお倉さんを訪ねました。

芸事も達者なら色事のほうも有名な話だそうで千代に聞くと、亭主がいるそうですがとんでもない遊び人だそうです。

思うよりも簡単に話がついて問題は借金をどうするかという問題でしたので、春駒屋さんに使いを出して、二百両を届けてもらって証文を巻いてもらいました。

千代と吉岡さんが附いてお倉さんには籠に乗っていただき馬道まで送らせました。

千代には8日までには野毛にもどれよと言って財布を預け「全部使う必要はないぞ」

「旦那其れは無理というもんじゃよ、千代に金を持たせれば空財布しか戻らないよ」

「そりゃそうだ」

春や太四郎までがそういうので「では遠慮なく使わせていただきます」もう千代は使う方策を考えているようでした「飛んでもねえやつに財布を預けたか」

「そうだよ旦那、俺のほうに預ければ貧乏じみた使い方しかしらねえから、残ったのによもう諦めなさい」

吉岡さんにもそのように言われてしまいました。

後で聞いたら半分づつにして二人とも奇麗さっぱりと使いきったそうです。

よく5日の昼ごろには野毛に戻ると橋本さんが店のものから留守中のことを聞いて掃除に掛かり、倉庫から帳場まで奇麗にし始めました。

「旦那は埃になるからどこかで遊んできなせえよ」

寅吉は追い出されてしまい仕方なく洲干弁天の周りを雅とぶらぶらと時間潰しをして歩きました。

「オイオイコタさん暇なら家によりなせえよ」

唐物屋の大和屋さんの旦那が声をかけてきました「お久し振りでござんすね」

「おめえさんが忙しくてこねえからこっちから訪ねようかと思っていたら、江戸に行ってると言うので帰るのを待っていたよ」

「おや、何か御用事でも出来ましたか」

「用事というほどでもねえが内緒の話もあるので寄ってくれよ」

「よろしいですよ、雅よ大和屋さんに寄るから一度野毛に報告して戻ってきてくれ」

最近イギリス軍の駐留している軍営がトワンテ山といわれてフランス軍の場所がフランス山ということなどから最近の洋服事情など話して、ようやく本題に入りました。

細かいことを寅吉は指図するように話してから、何人かの人を紹介するべく住まいと名前を書き出して大和屋さんに見せてから火鉢で燃してしまいました。

「お分かりいただけましたか」

「解った、恩に着るよ、だがコタさんはなぜ自分では生糸の相場も売り込みもしねえのだよ」

「虎屋と横浜物産会社では生糸はやむをえない場合、武器は扱わないという取り決めごとで商売をして居ります、まして相場は店をやめてからならともかく私のところに居る間はやらせぬようにして居ります」

「ばくち場に出入りするのは許しても相場はご法度なのかよ」

「左様なのでございますよ、博打と芸者買い、おじょろ(女郎)買いまで禁止しては働くものがいなくなります」

「人足まで自前で抱えていては経費がかさむだろう」

「丸高屋さんで力仕事に向かぬ者でも扱える仕事がこちらにはあるので、安くとも使って欲しいというものが多いので、それほどでもありやせん」

「掛川の鶴屋さんでやろうとしている絹物だが、生地から何か作れねえか考えているのだが少し此方に別けてくれねえか」

「白ものがよろしいですか、それとも絵入りの物でも」

「白地のほうがよいが100反ほど入れられるかい」

「そのくらいなら3日もあれば入りますよ」

「では早速用意してくれよ、こっちの店に持ってきてくれるかい」

「解りました、ではそのように申し付けて此方に届けさせましよう」

寄席に出ている噺家や芸人たちの話題をして時間をつぶしているうちに雅が迎えに来たので野毛に戻り、ようやくに飯にありつく事が出来ました。

 ・ フランス波止場

East Wharfが完成しました。

東波止場ですが、いつの間にやらフランス波止場と呼ばれるようになり、前からある西波止場はイギリス波止場と呼ばれ出しました。

小ぶりながら運上所も設けられています。

24日にイギリス特派全権公使オールコック(Sir Rutherford Alcock)さんが横浜について人づてに合いたいと連絡が来ました。

「勝さんと親しいそうですが連絡を取れますか、幕府に言うとおかしな詮索を入れられるのでお願いしたい」

「よろしいですよ、ご用件を承ります」

二人で30分ほど話し合いの結果、寅吉が長崎に行く途中で兵庫に先生を訪問するという形をとり口頭で伝えるということに致しました。

しかしながらいかに先生といえど、将軍様にじかにこのことを伝えて国内の騒動を纏める力はないことは明白ではあります、が努力をせずに出来ないということは先生も望まぬはずでございました。

3日後2月2日には横浜を出たハード商会の船で寅吉に幸助と千代の3人連れは7日に大阪につき、生田に先生を訪ねました。

先生は5日に操練所と摂海警備のお役目をいいつかったばかりですが、

「そうかよくわかった、話がつけば攻撃はしないという約束を長州が守れるかはわからずとも出来るだけのことはしてみよう」

やはり先生はこういって大阪に出かけてくれました、寅吉は幸助を先生に預け翌日に千代と大阪で便船を捕まえて、長崎に向かうことにしました。

「コタさんよ、長崎は好いころだそうだからたんと遊んできなさいよ」

陸奥さんに言われて寅吉は「支店が出来たら遊びにおいでなせえよ、まだ連絡所程度で伝次郎は江戸と行ったりきたりで忙しくて顔見知りがいねえでしょうが、顔を出してくだされば歓待いたしますぜ」

「其れはよいことを聞いた、遊びたくなったら長崎で遊ぶことにすれば金がかからずに済む」

「まさかここから遊びに長崎はちと遠いでしょう」

「遊ばしてくれるなら江戸も長崎もいや上海まででも付き合うさ」

「やはり先生のホラが乗りうつって来ましたか、あきれた人たちだ」

塾生の居合わせた人たちが時ならぬ大声で笑い転げるさまは何事が起きたかと人が覗きに来るほどでございました。

佐藤先生と坂本さんが各地から来ている人たちに朝から晩まで熱心に勉強の面倒を見ていました、ここで落ちこぼれていては幕府の操練所に入ることなどおぼつかないので必死で勉強をしていますが若い人たちは息抜きの遊びも金が掛かるのでは、ままならぬ様子でした。

賄いを担当している田中さんに金を渡しできるだけ栄養が偏らぬように気をつけてくださるようにお頼みいたしました。

10日に寅吉は千代と二人で大阪に戻り淀屋さんから紹介された何軒かの店と河嶌屋さんを通じて取引の有る店などを精力的に回りました。

翌日早朝に長崎に向かう便船を捕まえ二人は船上の人となりました。

瀬戸内の波は穏やかで島の間を縫って船は進み玉野の港でその日は一休みとなりました。

翌日海上は波が荒くなり船が出ないというので相船の人たちと陸の宿に移り船が出るまで休むか陸を行くか決めることとなりました。

翌日も波が高く大風も吹き荒れ宿で寝転んで過ごすのもつまらぬと二人は風のなかをあちこち歩いたりしていました。

14日になり波も穏やかになって島の間を行きかう船の多い中を進むうちに、塩飽水軍の本拠地であった本島を船頭から教えられました。

「ここが亜米利加まで最初に船を持って行った水夫の根拠地の塩飽の本島だすがよ」

「お前さんもここの出かい」

「親父はここで生まれて今は樽廻船の船頭をしてますだ」

「お前さんは何処に家がありなさる」

相船の年寄りに聞かれると、

「今はかかぁが長崎にいますだがね、餓鬼をよったりも生みやがって船乗りにしたいなど帰るとうるせえんでやすよ」

「いいじゃないか、これからは蒸気船も増えるからその勉強をさせなされ」

「さむれぇと違っておいらたちには海軍の学校に入れませんや」

「イヤイヤそういうものでもありませんぞ、これからはお侍だけでなく誰でもが習えるように直になるでしょうぞ」

「そういうもんですかね、蒸気船が一日機関を働かせると瀬戸内は一日で通り抜けるそうですが普段は帆船と同じでそれほどとは思えませんがね」

そういっているそばから大きな蒸気船が後ろから迫りあっという間もなく脇を通り過ぎて行きました。

艦橋で遠眼鏡を持ってこちらを見ていたのは紛れもなく坂本さん、

「千代よ、まいったなありゃ翔鶴丸だぜ、坂本さんがいるということは先生も乗って下関か長崎にでも行くようだ」

「旦那も気がつきましたか、こりゃ兵庫にいれば乗せてもらえたかもしれませんね、残念なことをしました」

「2日は遅れるか、マ仕方ねえさ此方は風しだい、後3日か4日で長崎につけるだろう」

「船頭さん、早鞆の瀬戸は最近物騒だそうだがどんな具合だよ」

「なぁに、異国の船以外は攻撃されるなんぞありゃしませんからなんてことぁござんせんよ」

「そうかい、それならあとは風がやまぬように祈っていようか」

「そうしてくださいやし、今日は佐賀関までは無理でも伊予の長浜に夕刻までにつけることと思いますよ」

「本当かいそれなら明日中に博多に行きつけるかもしれないなぁ、其処まで行けば風がやんでも歩いてもよいなぁ、なぁ虎屋さんいっしょに長崎まで歩きなさらないかい」

「よろしいですよ風が止まれば筑紫からなら歩くのもいいかもしれません」

「よし決まった全ては明日明日のことだ」

 ・ オランダ坂

この年は改元があり文久4年から2月20日に元治元年となりました。 

ようやくに寅吉たちは長崎が見えるところまで来ました、日見峠から見る雲仙は煙を吐きだしていました。

ここまで同行してきた二人の老人に昨晩もまた横浜の話しをさせられていた時に、

「寅吉さんよあんたにこれを渡すから自由に使いなされ、ただし証文としての効力はなくしてありますぞ」

厳重に油紙に包まれた分厚い紙包みを開けると其処には何枚もの証文に、中居屋重兵衛の署名で文久元年8月の日付で証文の効力はなくした旨とこの証文を持っているものに力を貸して欲しいと記されていました。

「まさかに中居屋の旦那さんでござんしょうか」

「ハイ、もう死んでしまいましたが生きている時はそう呼ばれていました、このものと二人で今は諸国を巡って神社仏閣を経巡るただの爺でございますよ」

真っ白な髪に似合わぬ健脚と思うのも道理で、まだ40台に入ったばかりの男盛りを行脚に明け暮れて居るのでございました。

「攘夷など無理なことでございますよ、尊王といっても色々ありましてわずらわしくなったのとあまりにも偽の尊攘浪士が多すぎるのに嫌気がさしましたのさ、その書付は見知らぬ老人から託されたとでも言ってくだされよ、見せられた者の力量と人間性がわかるだけでも寅吉さんの商売の助けになるでしょうよ」

「ただの相船の仲間と、旅の道連れになっただけの私ごときによろしいのでしょうか」

「そうじゃなァ、ただの気まぐれ程度に思ってくれてよいでしょうよ、あんたの人を使う姿勢にほれたとでも言おうか、そうじゃなぁ少しでも多くの人間に仕事と生きがいを与えたいというその気風(きっぷ)にじじいが惚れたのさ」

峠を降りてシーボルト先生の鳴滝塾のあった場所の辺りで二人はお別れを申し上げて長崎の町に入るのでした。

桶屋町に有る横浜物産会社の連絡所に入ると伝次郎が「中々お着きにならないので心配をしておりました」と店先まで飛んで出てきて大騒ぎですすぎをとらせます。

南山手11番地に出来たベルビューホテルにも訪ねなければいけないし、大浦屋さんにも顔を出さなければと訪ねるところは多く、長崎に来たからには思案橋とばかりに考えるよりも行動と伝次郎に動く順序と時間の割り当てを任せてその日のうちから積極的に歩き回りました。

翌日改めて油屋町の大浦屋さんを尋ね、今朝は御主人のお慶様にお目にかかりました。

大きな庭の有る客間に通されそこでご挨拶を致しました。

「昨日はお目にかかれませんでしたが横浜の横浜物産会社の寅吉と申します、以後お見知りおきくださいますよう御願いいたします」

「話には聞いておったとがほんにお若い、此方こそわい方の御ショーバイを参考にさせてもらうけんよ」

なんとなく坂本さんと似た話方でそれほど昨日から違和感もなく長崎の方言に溶け込んでいる自分にいまさらながら驚く寅吉でしたが、

「お上さんには伝次郎も一方ならぬ肩入れをしていただき、ありがたく存じます、聞きますれば勝先生も此方でご厄介になられたとお聞きいたします、師弟ともどもご迷惑でもありましょうがよろしくお頼みいたします」

「何を他人行儀なことを言いなさとる、勝先生に坂本さん近藤さん、それと今回来ていなさる千屋さん望月さんたちのおもしろか話を聞くのも楽しみでござとるよ、わいのことも毎度聞かされてとるし、これからは年の離れた姉弟としてのお付き合いをさせとっただきでひょ」

「今日は何処にこれから行きなされる予定やろか、うちの手代を案内に貸すっから長崎に居る間はお供させてくれんねな」

「ありがとうございます、ではご迷惑でもありましょうが10日ほどごいっしょさせてください」

「遠慮ない方と聞いておったとが、気持ちのよい返答気に入りたんやよ、多恵さん啓司郎を呼んでくれんねな」

座敷女中のお多恵さんが店に出てゆき手代の啓司郎さんを座敷に呼んでくれました。

「啓サァ、こん人に10日ほどついて長崎の案内をしながらショーバイの勉強もさせとっただきなさい、今店にいって番頭さんにも話してくるからお前も店で引き継ぎをしておきなさい」

ぞろぞろと店に出てそれぞれのはなしをつけている間に寅吉は千代と此れからの行き先などの確認をしました。

福済寺に先生たちが泊まっていることは伝次郎の話でわかっているので夕刻には訪ねることとしてとりあえずはベルビューホテルにグリーン夫人を訪ねることにして居留地の中に入りました。

大浦の弁天橋を渡ると高台に天主堂を建てている様子が伺えその先にはこの間写真を撮ってきたグラバー邸が垣間見えました。

ベルビューホテルにグリーン夫人を訪ねるとサロンでcoffeeをだしてくださり、伝次郎が住み込ませた吉太郎はよく働くし言葉を覚えるのも早いとほめてくださいました。

寅吉は始めてあうのですが物怖じのしないよい若者でやはり大村の出身だそうで、

「早くホテルというものの全容を覚えて一人前になりたい」と抱負を話す様子も好ましいものでした。

グリーン夫人はあと2年もしたら吉太郎を支配人にして横浜にも5年をめどにホテルを開くことにしたいから資金を集める算段をしてくれと寅吉に話すので、

「よろしいですよ、今カーチスという若いものが仕事に励んでいるのでそのものが情報を集めてくれていますから場所も探させましょう」

「その人もホテルを開くのですか」

「今はロイヤル・ブリティッシュ・ホテルの男爵が引退するのでそのあとの支配人に成らせる事に何人かで決めて、来月からコマーシャルホテルとして営業させます」

「そうですか男爵が引退しますか、横浜ホテルも支配人が替わったそうだし横浜はホテルの経営が難しいですか」

「まずは食事だと思います、今はコックが船員食程度のものしか出せませんからお客が喜んで泊まりに来ないのです」

「其れであなたたちのホテルは大丈夫なのですか」

「私たちはまずコックを探しました、フランス生まれの老人ですが気のいい男が居て煮込み料理が巧くお客を呼べると思います、それで夕食は日本人も食堂に入って食べられるようにしました」

「其れで泊まり客は納得しますかね」

「パンフレットにも店の前の看板にもその旨を3ヶ国語で書き出しました、でも日本語では態と書かなかったので英吉利語、仏蘭西語、阿蘭陀語が読めるものしか来ないでしょう」

「来ないお客を来させる方法は考えてあるのですか」

「いえ横浜に戻ってからになりますが、何とかなるでしょう、其れよりこいつはまだ肉料理がそれほど好きではないですが」

と、千代を指差しながら、

「私はビーフステーキの巧いやつを喰いたいと願っていましたが、長崎なら其れが食えますか」

「任せなさい、肉のいいやつも入っているし、私たちの料理人は飛びっきり巧く肉を焼きますよ今晩食べに来ます?」

「ぜひ御願いしたいですね、これから勝先生に挨拶して出直してきます」

二人にも通訳して「お前たちも付き合えよ」というと啓サァは「是非とも御願いします」というし千代は寅吉が食べるものは、食べられるようになりたいと思っていますから好き嫌いよりもまず食べるということにしています。

「とりあえず3人は夜の8時には来ますから追加の人間が出た時は誰か連絡によこします」

そう約束をしてホテルを出ると隣の宿泊所には多くの水兵がたむろしていました。

其処から海沿いに松ヶ枝橋まで出て梅ヶ先橋から新地に入り新地橋を渡り万屋町に出ました。

めがね橋まで出て桶屋町の店に顔を出して、一休みして打ち合わせも済み福済寺まで啓サァに案内を頼み出かけました。

福済寺には先生も居て話が弾みいつの間にやら夕刻になって「先生居留地でビフステーキが食えるのですが付き合いませんか」

「帰りに丸山で遊ぶつもりだろうがおいらは肉はいいよ」

「俺が付き合うよ」近藤さんたちが出てきて総勢8人になり千代と啓サァに先に行かせ注文を出させておきました。

「ドーナツを喰いたいな」坂本さんがそんなことを言うので其れも紙に書き出してジャガイモを大量にゆでてもらうようにも頼みました。

あとから寅吉たちが連れ立って居留地に入る頃には日も暮れ約束の時間までは余裕もあるが気がせくのか30分以上も前についてしまいました。

啓さぁが英吉利人らしき若者と話していて寅吉を紹介してくれました。

「オオ、あなたが寅吉さんですか、私はグラバーです、トマスグラバーね」

日本の言葉も巧みに操り私たち一行の名前などもすぐ覚えてくれたようです。

寅吉を隅の椅子に誘い、いろいろと取引のことなど話合うのでした。

「料理の仕度ができましたよ」

グリーン夫人が誘いに来たのでお別れしようとすると「ぜひ私の食事もこの人たちのと同じに出来ませんか」そうトマスが言うと「あなたのも同じものが注文なので大丈夫よ」

「では寅吉さんごいっしょにしてよいですか」

「よろしいですとも、今日の人たちは遠慮のない人たちですからどうぞどうぞ」

大勢で長いテーブルの両脇についてジャガイモの茹で立てを塩やバターで食べていると肉が焼かれて運ばれてきました。

グリーン夫人が「うちの料理人がソイソースをちょっぴりつけるとおいしいといってますよ」

そう告げるので一たらし垂らすとうまみが口に広がるようでしたが、ついてきたソースに温野菜が巧く溶け込み、食事にあきる事がありませんでした。

パンも美味く1時間の食事があっという間に済み、

「これから予定は」

そうトマスに聞かれ「丸山でも行きますか」

そう答えると「では私が丸山を引き受けますからここはご馳走になるということでよろしいですか」

「もちろんそうしていただけると皆が喜びます」

「近藤さん、丸山でグラバーさんの招待で遊びだそうですが付き合いますか」

「断るやつなど居ないよ」

あっさりとそう返事が来ました。

「小次郎のやつ今頃勉強しながらこういう事を想像して悔しがっているだろうな」

千屋さんがそういうと全員で大笑いをしてしまいました。

トマスたちが不思議そうな顔をしているのでグリーン夫人とトマスに陸奥さんの遊びなら上海までもという先ごろの話しをすると、今度は二人が笑いすぎで止まらぬ様子でした。

夜も遅くなりましたがグラバーさんが連絡をつけに啓サァを先に出してあとからゆっくりと歩き出しました。

「疋田屋の花月楼が開いております、お迎えに参りました」

遊郭の若い衆が二人提灯を持って途中で待っていて呉れました。

ここまで来る間にも例の調子の坂本さんはトマスと意気投合した様子で腕など組んでわけのわからぬ歌らしきものを歌っています、ほんの少しのウィスキーに酔ったとも思えぬのですがご機嫌な一行は引田屋の庭にある風雅な建物に入り、待ち受けた芸者衆に歓待されました。

啓サァに聞くと心づけもたっぷりと店の名前で弾みましたのでということでした、こうなればグラバー商会と大浦屋がついていると聞いて気も大きくなり明け方まで続く大騒ぎにトマスも嬉しそうでした。

 ・ グラバー邸 

朝、寝たかどうかわからぬうちに日が昇り朝風呂に付き合った一行は、茶漬けを食べて散会となった。

啓サァは店にいったん報告に戻り11時に横浜物産会社で会うことにした。

トマスに誘われて2番館に出向いた寅吉と千代は働くものの活気にも驚いたが、トマスの精力的な仕事の取り組み方にも感心するのだった。

「寅吉、きみのところは茶も扱うそうだが俺とも取引しないか」

「其れもいいが、大浦屋さんから買ったらどうだい」

「あそこは取引先が決まっているのでほとんどがアメリカに行くんだぜ、俺は英吉利向けの品質のよいものが欲しいのさ、薩摩の五代に聞いたが君のところは高品質のものしか輸出しないと聞いてぜひ取引をしたいとこの間から情報を集めていたのさ」

「情報を集めていたのでしたらご存知でしょうが私達は国内が困らぬ程度の輸出を心がけて居ります、国内の茶の値段が高騰している今横浜物産会社で扱うもののうち輸出用には今年の予定はあと2万ポンドまでです」

「其れをまわしてくれないか、予定はいつになる、価格はどのくらいだ」

「茶は伝次郎が担当なので今長崎に居るのでこれから店に行けば予定もわかるでしょう」

「そうかではこれからすぐに君の店に行こう、かまわないだろう」

「よろしいですよ、私の店では全てオープンで取引を行いますから、其れと早い者勝ちで品物を渡すということではないのでまず仮契約そして期日を設けて本契約として居りますのでご承知置きください」

「オーケーだとも、サァ行こう」

なんとも身の軽い男で通詞を一人呼び出して桶屋町まで出かけてきました。

伝次郎と茶の取引状況を話すと長崎で2万ポンド扱っても鶴屋さんの話ではあと2万ポンド収穫が見込めるという話でした。

「1ポンド16オンスでの2万ポンド、請け合えるそうだ」

やり取りを通詞からも聞いていてトマスの関心は価格に移っているようでした。

「昨年の品物で乾燥を十分聞かせたもので、一等品が5000ポンド二等品は1万ポンド、今年の4月の初摘みの予定の一等品1万ポンド二等品が1万ポンド後は今のところは未定だそうだ」

伝次郎が持ち出した見本は大村のものと掛川のもの伊予の物に武蔵のものと4種類でした。

「オイオイこれが二等品かい、よい品物じゃないか、ところで寅吉を呼ぶのに昨日からコタサンという人が多いがどうしてだよ」

「ナンダ其れは集めた情報には入っていなかったかい」

「そんなことまでは誰も教えてこないよ」

「俺の名前が子供の頃は虎太郎といったのさ、字はこう書いて同じTigerの意味の虎と寅の字を使って寅吉にしたのさ」

「子供のトラが大人のTigerになったというわけか」

「ソウソウ、そういうことですよ」

「よし俺もこれからコタサンと呼んでいいかい俺も日本に来た頃はトムとしか呼んでもらえなかったよ、今はトーマスかトマスと呼ぶかグラバーさんと呼んでくれるがね」

「それではトマス、これからはコタサンもしくはコタと呼んでください」

「コタかぁ、其れは発音しづらいなァコタさんの方が言いやすい」

「其れでいいですよ、茶の値段ですが昨年の値段は一等品が10ポンド一両2朱、二等品が10ポンド三分二朱でしたから現物を確認して押さえたら契約できますよ」

「品物は何処にありますか」

「昨年のものは全て大村に建てた倉庫に保管してあります」

「全ての品物が見本と同じならさっきの値段で買うよ、値引きしろなぞ言わないから俺に売ってくれよ」

ここまで喰い付きがいいとは思ってもいませんでしたが、長崎で売り払おうと大村の倉庫に集めておいたものですので、こんなに早く売り切れるなら支店開設資金に回す金が楽になります。

伝次郎とは阿吽の呼吸で駆け引きをしてるようには見えなかった様です、昨晩からずっと一緒に居て茶の話も先ほど出たばかり、どう見てもとっくにどう売りつけるかと話しをしてあったようには見えなかったみたいです。

「それからコタサン、横浜で売り出している壷入りの特級品は今年のはいつ売り出すんだ」

「おや其処までご承知ですか、あれは今年1200本ですよ、確か6月1日に横浜で入札があります、半分は前年の実績で割り振りがついているので400本をオークションにだします」

「それじゃあとの200本を俺に売ってくれ」

「ちょっと待ってください、伝次郎昨年保存したのはこっちに来てるのか」

「ハイここに30本置いてあります」

「1本だしてくれ」

みなの前で封を開けると馥郁とした香りが立ち上りトマスだけでなく居合わせたみながほっとするのでした。

「茶を飲まなくてもこんなに落ち着くなぞ初めての経験だ、これが鶴屋の特級品というのも肯ける、ところで幾つ売ってくれる」

「20本で140両」

「よし買った、この壷は人気が高いそうだが中身にもこれだけのものが入っているなら自信をもって送り出せる、しかしこの壷が5両程度で作れるのかよ」

「それ以上かけるとフランスで売るのに高すぎて買ってくれないからさ、口のあいたものは記念に持っていくかい、プレゼントするよ」

「いいのか、では早速封をしてくれよ、みなで一杯ずつは俺のおごりだ」

これにはあきれるやら笑うやらでした。

伝次郎が巧く入れてくれた茶をみなで飲んでから気がつきましたが大浦屋の啓サァも居たのに始めて気がつきました。

「啓サァいつから居たよ」

「壷の口をあけたときに来ました、私のところではこのような高級品は輸出しようにも買ってくれません」

「大浦屋さんにも高級品は入るのかい」

トマスが言うと、

「ええ入るのですが売れないので混ぜてだしています」

「そんなもったいない、高級品として買うから俺のほうに売ってくれよ、損の出ない値段で引き取るぜ」

「しかし量が少ないですよ、年に500貫位です」

寅吉が引き取って、

「500貫というと4000ポンドくらいになるじゃないのか」

伝次郎が紙と算盤で計算をして「目減りを計算してもそのくらいはいけるでしょう」

トマスの目の色が変わり「俺が買うからぜひ頼むよまわしてくれ」

啓サァに迫るのですが「お上さんに聞かないとご返事できません」というので、今度は伝次郎も同々の上で、大浦屋さんまでいくことになりました。

眠気など起きないくらい商売には熱心な男でした。

お慶様にあって話しをすると「直接は出せませんが横浜物産会社さんを経由して500貫を今年の特別品として出しましよう、価格は品物しだいということで、あとで」

「解りました品物が入ればそれでよろしいです」

「しかしトマス、英吉利では日本のお茶はあまり好まれないのじゃないのか」

「いや英吉利向きに俺のところに製茶場を作るから安いものは加工して出す予定だ、高級品はそのまま送って様子見の予定さ」

「眠そうな顔をしている」

寅吉を見てお慶様が言うのでトマスが「昼寝をするなら俺のうちに来いよ」

そう誘われて南山手のトマスの家に向かいました、坂を登ると見晴らしのよい高台に写真で見たグラバーの一本松邸がありました。 

明るい瓦屋根の洋館で春の日差しに映えるその家は建てたもののセンスのよさを彷彿とさせました。

「この家は女がいないが、そのうちいい人がいたら結婚する予定だ」

「当てはないのですか、お国からでもよばれたらいかがですか」

「いや俺は日本で骨をうずめる気でいるから日本の人を選んで結婚するつもりだよ」

「そうですか、いい人にめぐり合えるといいですね」

そういうと悲しそうな顔で、

「実は遊女だったが気のいい女と知り合って前の家に来てもらったが、男の子が生まれたがその子が亡くなってしまいすぐそのあとでその女も死んでしまった」

その時のトマスの顔は本当に寂しそうでした。

日当たりのよい庭先に椅子を並べ昼からビールを飲み少し転寝をして元気を取り戻した面々はまた仕事に戻ることにしました。

「寅吉の旦那、今晩は大浦屋でお泊まり下さるように言い遣っていますのでぜひ店にお戻りください」

「ナンダいつの間にかそんな話になっていたのかい、いいよ俺は何処で寝ても同じだが、千代は伝次郎のところで少し打ち合わせでもして明日の段取りを決めておいてくれよ」

「解りました、そうと決まれば伝次郎さん店に戻りましょうか」

「はいそうしましょう、啓サァよろしく旦那を頼みましたよ」

「かしこまりました、まだ時刻も早いですからどういたしますか」

「そうさなァ、この辺りの洋館で中に入らせてくれるところがあれば案内してくれないか」

「心当たりの有る家がありますし、領事館にも伝がありますからご案内いたします」

ウィリアム・オルトさんのお屋敷は広大でトマスの家と同じ建築家が立てているそうでまだ未完成でしたがよく考えられていました。

何軒かは家の中も見られてまたおいでなさいと愛想の良い家もあればにべもなくあっさりと外からならと言われるところもありました。

帰りがけに天主堂も見て夕暮れ時に油屋町に戻り風呂に入れてもらい伝次郎が届けてきてくれた着替えに替えて啓サァと夕食の膳につきました。

鰆の塩焼きがめっぽう美味しく小鍋に出された湯豆腐がまた美味くて、寅吉は感心するのでした。

「昨日のビフステーキも美味いがこの豆腐も鰆も格別だ、大浦屋さんは豪儀なものだね、お前さんも幸せだ」

「まさか、使用人の私たちが毎日このような美味いものを食べられませんよ、寅吉の旦那さんのご相伴ですからいただけるのでとてもとても」

「そうかあと7日ほどはいい思いをたっぷりとしておきなさいよ、その後の励みになりますよ」

食後お慶様の話し相手をさせていただき、ゆったりとした布団でぐっすりと休むのでした。

 ・ 開聞岳 

長崎はサクラが満開になりあちら此方で花見に浮かれた人たちが多く見られました、江戸とは違い浮かれすぎる人や酩酊して騒ぐものは少ないのですが、それでも人が浮かれて町をそぞろ歩くさまは同じでした。

先生は相変わらず各国の領事や船将達が長崎にはいるたびに出かけて交渉を進めているようです。

「ここで話がついても、長州が納得するように、纏めてくれなきゃ無駄になってしまうな」

「先生、それでも戦争になるよりはましですよ」

「そうだな、例のこともあるし、ここで戦争にならずに済めば無駄に金も人間もそこなわずに済むものな」

坂本さんたちと寅吉たちともこのようなやり取りのあとも各国の船との交渉ごとに歩き回る先生でした。

「いつごろ横浜に戻るんだ」

「あと3日もしたらめどがつきますから伝次郎と一緒にマセソン商会の船で、薩摩を回って戻ります」

「大浦屋ではいい顔だそうじゃねえか」

「あちらさまでは弟扱いで大事にしてくださいます、何が面白いのか横浜の話しを聞きたがります、むこうに支店でも出しますかと聞くと、代理店に横浜物産会社がなってくれれば十分というくらいで今が手一杯のようですね」

「あのおかみは、龍馬たちにも親切で散々金を使ってるからな、商売よりも若い衆の面倒を見たい口さ」

「そういえばグラバーも同じような人ですが、あちらは先行投資のようですね」

「ジャーディン・マセソン商会がバックにいるから、喰い付いたらはなさねえよ、今は船を売りつけてるがよぅ、武器をあつかわねえからまし位だが、亜米利加が終わればどうなるものか、おめえもあまりしらねえし、油断するなよ」

「はい気をつけて付き合いますが、薩摩の五代さんの事は頼みます」

「いいとも、卯三郎からも手紙が来てるし薩摩では罪人扱いではなく心配してるだけだそうだぜ」

「やはりそうでしたか、それなら隠れ住まずに名乗って出ても大丈夫ですね、あちこちで、その話しを坂本さんたちにしてもらえば出て来易いでしょう」

「明日までに手紙を書いておくから帰るときに薩摩で泊まる様なら大久保か誰か重役に渡してくれ、五代に松木は無事だと書いておくよ、卯三郎には手紙で知らせてはあるから松木を表に出すだろう、五代はたいていグラバーがかくまっているさ」

「私もそう思います、いつのことか言いませんでしたが私のことも五代さんから聞いたと、ちらと口に乗せましたから」

「そうか口が滑ったか、お前もお前だ知らん顔して聞き逃しておいたのか」

「ハイ左様です、他の者もいましたので知らん顔をしておりました」

「これはまだ内緒だが大久保は何人か英吉利に人を送り込んで勉強させるつもりのようだぜ、密航させるにもここか横浜だろうが人選で悩んでいるらしい」

「いいんですか先生そんなこと大声で話して」

「何、隠密がいるなら密航なんぞさせないようにすればいいのさ、誰でも自由に行き来させてしまえば誰が何処にいるかはっきりしてそのほうが楽じゃねえか」

「そりゃそうですがね、先生があんまりそんなことばかり言うとまたお叱りでも受けてしまいますよ」

「仕方ねえよ、おいら腹にためておくなんぞ小難しい事が出来ねえからよ」

先生達一行は今月一杯長崎におられるらしいとのことで、この次お目にかかれるのはいつのことかわからぬので打ち合わせにも時間をとり、先々の予想も坂本さんと三人で時間をかけて行いました。

希望は家茂公の寿命の永らえることと海軍塾の隆盛でございました。

翌日茶の取引もまとまり入金も済んで寅吉は、新座の作品の珊瑚に銀のぴらぴら簪と、道笑の銘の入った櫛のセットを渡して「これはトマスの未来のワイフにプレゼントだ」

「オオすばらしい出来だ、これもコタさんの店で扱ってるのか」

「そうだよ俺たちの店の本来の商品はこのような櫛や簪なんだぜ」

「そうなのか、このクシやカンザシをどのくらいの値段なら買えるんだ」

「伝次郎今卸せる物は入ってるのかよ」

「佐久間町に帰らないと正確な数字はわかりませんが櫛は、柴田是真の取り置きが25枚、道笑は虎屋のほうで35枚はあると思います、新座のかんざしと吉松さんのぴらぴら簪は注文以外に常時100本は確保してあります」

「簪は30本で30ポンドと50ポンドの2種類があるが、その上の製品だと1本で4ポンドするんだ、櫛はその渡したのと同じものは1枚で4ポンド、偽者が出るくらい有名なものだぜ、あとこの紅い櫛は1枚10ポンドだ」

「とり置があるということはあまり売れないのか」

これには千代を含めて伝次郎までが大笑いですが、トマスには何のことかわかりません。

「いや何さ、これは数が作れないので入荷したものの半分しか売らねえのさ」

「なんだいそのやり方は、売らなきゃ損をするだろう」

「この品物はいつの世の中になっても確実な品物だと見極めがついたのでそうしてるのさ、今月はこれきりというと来月の分はぜひ買いたいという金持ちや、特別に出せというわがまま物にはな、外のものを買わせて余分な買い物をさせることにしてるのさ」

「ひゃ、なんてやつだ、呆れてものがいえん、しかしうまい手だな、櫛は見栄えがよくて安いものもあるのか」

「同じものが揃わなくて良ければいくらでもはいるぜ、困るのは偽者がまざらねえ様に気をつける事と、仕入れに慣れないと難しいくらいかな」

「さっきの値段でそろえられるだけそろえてくれ、其れと今の話のバラの分もたくさん集めてくれよ、簪は50本ずつそろえてくれ」

「解りました、伝次郎は一度江戸にもどって来月また出てくるからその時に持参させましょう」

「頼むぜ値段と名前など細かく書き出してくれるか」

伝次郎が早速書き出した書付を財布にしまうとプレゼントを持って颯爽と帰るトマスでした。

寅吉は2枚の柴田是真を持ってお慶様にお別れの挨拶に出かけました。

啓サァともこれでお別れですが気のいい青年で此れからの事が楽しみな男でした。

「店から持ってまいりましたがお気にいれば幸いです」

そういって2枚の櫛をお渡ししてお別れの挨拶をいたし啓サァにも礼を述べて本心から「ぜひ横浜に商売においでなさい」と言う寅吉でした。

「今晩は店の者と別れの宴を張って明日は三人で船に乗ります」

「身体に気をつけて商売にも無茶をしないようにしなさいね」

お慶様は本当の姉のように寅吉のことを心配して何くれとなく世話を焼いてくださいました。

その足で先生を訪ね手紙を頂いてから店の近くの料亭で打ち上げの宴を張り、店の若者たちにも入れ替わりに江戸や横浜に出るように伝次郎と約束いたしました。

翌3日の日の船で長崎をたち薩摩を目指しました。

4日の朝方には開聞岳が見え早くも錦江湾(鹿児島湾)に入る準備が出来ましたが、約定により山川の港に入りました。

ここで来訪の目的を告げ商品の見本などの書付を渡し連絡が付く間停泊いたしましたが、長崎を出る前に連絡が取れていることもありふた時ほどで案内のものが乗り込み、船を案内して鹿児島の城下に向かいました。

港には寅吉も顔見知りの沢様が出ていたので手紙を渡し、

「勝先生からです、五代さんと松木さんについてのことです、大久保様にもご披見してください」

「わしが見ても良いのか」

「はい、宛名はありません、私が適当と思われる方に渡すかそのまま持ち帰るかどちらでも良いといわれて居ります」

なかを確認してちとまってくれと使いのものを走らせたようでございました。

大久保様がおいでになられ手紙を読んで寅吉に横浜から脱出した経緯等を聞かれました。

「心配していたが無事でよかった、あんひとい達はこれからも大事なお役目が控えとうで心配しておいもした」

外の方々もお二人が無事でいるということで喜んでいる様子は寅吉が見ていても、まことにうれしいものでありました。



「吉之助ドンも心配しておいやしから早速知らせてこごと」

「エッ、西郷様がご赦免になられましたか」

「ほいならお主吉サァをごぞんじか」

「いえお目にかかったことはありませんが、勝先生からお話は色々と伺っておりました、先生にお知らせしてもよろしいでしょうか」

「いや其れはまだ待ってくだされ、時機を見て此方からご連絡申し上げごと、おぬしだけの胸に収めて置いてくだされよ」

船はここで一晩泊まりよく早朝大勢の見送りの中横浜に向かいました。

同じ船で薩摩の方が3名乗船され、船の中で各地の情勢や横浜の様子など事細かにお話いたしました。

10日の朝には伊豆が見え大島の噴煙を見ながら穏やかだった航海に感謝する寅吉でした。

富士は何処からでも見えていますが、大島は浦賀にはいると見えなくなり夕刻時には横浜に到着いたしました。

その晩のうちに船から3人は降りて顔なじみのお役人に挨拶をして野毛に向かいました。

 ・ 野毛橋

野毛橋の南詰吉田町堤に番所が設置されていて戸惑いましたが家に戻ると中から卯三郎さんが出てきたには驚きました。

「勝さんから返事の手紙が来て松木さんたちを出してもよいということだが、川本先生に相談したら、大丈夫だというが心配で相談に来た」

「それなら安心してください、前日薩摩にも寄ってきましたが大久保さんたちも心配していましたが大事なお役目もあり早く出てきて呉とのことでした、どうも五代さんは長崎にいたようですが会えませんでしたが話は通じるようにしてきました」

「本当かよそりや良かった実はここに松木さんを連れてきているが、どのようにして薩摩の屋敷に行かせるか心配していたんだ」

奥の部屋で松木さんとも話し合うと、

「西郷先生も無事でございましたか、では明日にでも三田に出頭いたしましょう」

「鮫島尚信様というお方をご存知でしょうか」

「オオだいの仲良しです」

「今横浜にいますから、お会いして明日にでも同道されたらいかかでしょうか」

「なに、ここの町に来ているのか」

「ハイ同じ船で薩摩から来ました、今ホテルにいますから会いに行かれますか」

「ぜひ案内してくれ」

雅を荷物持ちに連れ出して、新しく名前も変わったコマーシャルホテルに4人で向かいました。

「ウィリー景気はどうだい」

先ほど鮫島さんたちを案内した時はいなかったウィリーがクロークに出ていて久し振りの挨拶の交換もそこそこに鮫島さんたちの部屋を訪れました。

ノックして寅吉が来意を告げるとドアが開き鮫島さんが顔を出されました。

「松木さんをお連れしました」

「本当か、早くあわしてくれ」

そうせかされるので下の食堂にいる卯三郎さん松木さんのところに案内すると、手を取り合って泣かんばかりの感激で無事の再開を喜ぶのでした。

「まっちよってくれ、いま愛之進と勘十郎を連れてくる」

身分年齢の差を越えた同士としての友情はまことに熱いものがありました。

3人に松木さんを託し此方の3人は野毛に戻ることにしました。

翌日朝早くに寅吉は報告を受けるのに忙しく食事もままならぬ有様でした。

「何も俺の決済は必要ねえだろう」とは言いながら代わる代わる訪れる手代や番頭、果ては出入り商人からまで話しを聞く寅吉でした。

「橋本先生、俺はもう逃げ出すよ、あとは頼むよ」

「旦那、今日はどちらに行きますか太四郎が配管の事で心配していましたよ」

「なにあいつは一人でできるさ、俺などいないほうが良い仕事をするさ」

「また旦那は、人を煽てて何でも押し付けてしまいなさる、伝次郎から聞きましたぜあっという間に長崎で茶も簪も売りつくしてしまったそうじゃ有りませんか」

「其れは伝次郎の謙遜さ、した準備をきっちり伝次郎がしてあるから俺が簡単に決められたように見えるだけさ」

寅吉が逃げ出せないでいるうちにも何人も来客がありました。

卯三郎さんは安心したか今日は江戸に立ち今日中に浅草に戻ると出て行きました。

話が伝わったと見えて太四郎が来たのを好機とばかりに「山手の仕事場を見てくるぜ」そういって雅を連れて三人で出かけました。

野毛橋の袂で4人の薩摩の方に出会い、立ち話なので「会う機会がありましたらゆっくりと飲みながら話しをお聞かせください」言うと「世話になった、卯三郎さんにもよろしく伝えてくれ」右と左に別れそれぞれの道を行きました。

道々話しを聞くと早くもジラールは水と食料を船に売りつけられないかお怜さんや春に相談をしているそうです。

「れいの娘とはどうなんだよ、大分お気に入り見てえじゃねえか」

「何でも18番のバルダンさんが後押ししてくれるようで、おまけに朱さんが手引きもしてくれて各商会の中国人買弁とも仲が良いみたいです」

「たいしたものじゃねえか、今度建てている反対側のがけ地のはやしからは水が沸きそうだが其処はどうだい」

「まだなかを見回っていませんが有望そうです」

「よしジラールが言葉を不便とは考えないならやらせてみようぜ、行きがけにゴーンさんにあって話をしてみよう」

話は進みジラールの店はバルダンさんの敷地に事務所をおくことにしました。

もとに話しを戻し、山手に向かい石川家で導水路の話しも決まり堀川に落としてよいことになりました、海までひかずに済んで経費がかからずほっとする太四郎でした。

長崎の土産をお子様達に渡して山の上から工事の様子を眺め丁寧な石組みに感心してみて居りますと寅吉が突然「オイあのいかつい男を呼んでくれ」寅吉が太四郎に言いつけました。

脇に連れ出し「お名前は存じませんが、下職などせずに店においでくださればお仕事の世話も出来ましたのに」

「イヤお恥ずかしい、あのような真似をしてしまいのこのこ顔を出せませぬ」

「そのようなこと恥でも何でもありァしませんよ、お貸しした金のことなど心配後無用」

「しかしなァ」

「実は頼まれ仕事なのですが、用心棒などはお嫌でしょうか、相当お使いと見えました」

「やっとこ免許でござるよ、しかし旦那のほうがわしより達人に見えたが其れでも用心棒が必要なのか」

「私ではなく唐物屋で大和屋さんというお方に頼まれて人を世話してくれないかといわれましてね」

「オオその人は知ってるぞ、この間酔っ払った人足に絡まれていたのを追い払った時そんなことも言われたがな」

「其れは好都合、ぜひ頼まれて呉れませんか」

「しかしなァぶらぶら人の後を付いて回るのは好きではないからなぁ」

「ではどうでしょうか大和屋さんに改めて紹介するということで顔つなぎだけしておいてくれませんか、私も其れで義理が果たせます」

「解った旦那には恩もあるし、顔は出しましょうしかし用心棒はもう少し待ってくれ」

「其れでよろしいですよ、仕事帰りに元町のとらやに顔を出してくれますね」

「解った、では仕事に戻るぞ」

なんとあの街道でであった辻斬りでございました、もっとも刀を抜かないから切り取り強盗辻斬りとは申せませんが。

夕刻、元町の店では先ほどの方を中に何人かの男たちとお怜さんが車座で酒を飲んで喋っておりました。

「わしは田中平八と申します、天保5年の生まれで当年31になり申した、侍の格好はしていても元は信州の農家のせがれでござる」

「私は虎屋の寅吉でございます、生まれ年は定かではございませんが22歳に相成ります」

「さすれば天保14年頃のお生まれであろうか」

「左様でございます、安政の大地震の頃以前の記憶があやふやで当時12,3くらいでありました」

「わしは練兵館で習いましたがやっと免許をいただきましたが、お情けでございます」

「私は剣を習いませんでしたが、柔術を勝先生のところに来ていた方から手ほどきを受けたくらいでございます」

それぞれの話も済み平八さんは身の上をきれぎれながらうちあけてくださいました。

紀重郎さんはそばで聞いていて「人足などしているのは惜しいよ、その用心棒などが気に入らなければうちで人足のとりまとめをしてみないか」

「ありがとうございます、暫くは様子を見て使える奴と思われたらお使いください」

「しかし今のままでは、あなたの借金は減りませんぜ、確実に金を稼ぐか、相場でも張るなり生糸をもう一度扱うなり出来るようにしなさいよ」

お怜さんも自分達は目的のために堅実な商売を進める癖に、時に寄っては他人には大胆に相場にも出るように嗾けたりもいたします。

「ところで、お怜さんは寅吉さんのおかみさんでございますか」

「イヤサ、私ゃ雇われ人でござんすがね、此方の旦那は雇い人といえど対等の人間として扱ってくださいますのさ、旦那と知り合った頃は信じられませんでしたがね、働けばそれだけの評価をしてくださいますし、儲けが出れば分に応じて配分もしてくだされるし、体が弱くて休み勝ちの者にも其れ相応の仕事に給金で働くようにしてくださるし、ずるいやつ以外はここで働くのは生きがいでござんすよ」

「それでお怜さんはどのくらいの金をいただいていなさいますか」

「先月には17両をいただけるようになりました、3ヶ月に一度役員の方が評価して決めてくださいますのさ」

「其れはすごい給金でございますな」

「お怜さんは他人の3倍は働きなさるし、この方の下で働く女子衆が守り立ててくださいますから、今義士焼きの店を五軒パン屋が一軒それと茶店を2軒面倒見ていますから安いくらいと考えています」

「いやだ旦那、あたしゃ見回るだけで済みますからそれほどでもありませんのさ、其れより春さんをそろそろ替わらせてあげてくださいな」

「考えているんだが、何か良い商売でもあるかよ」

「ホラ前に話した洗濯屋、最近始めた人もいるけどまだシナ人も数が少ないので商売としては始め時の気がするの」

「そうか水と洗濯か、ジラールが水売りと食品を船に売り込もうとしているから其れと組まして見るか、ホテルのlaundryの仕事も増えそうだから火熨しの聞いた洋服の必要もあるから其れがいいか」

「太四郎さんのことは考えてあるの」

「あいつは伝次郎が長崎の支店に行き詰めになる夏過ぎには向こうとこちらの連絡に行き来させようと思うんだ、その次に永吉が名古屋、幸助が大阪と出たらそれぞれとも連絡が必要だしな半端なやつに俺の代わりをさせるわけにはいかないさ」

「アラ旦那太四郎が聞いたら喜びますよ、そんなに期待していなさいますか」

「アアそうさ、俺は兵庫が開港して資金も余裕が出来たら太四郎に兵庫を任せる予定だ、紀重郎さんともこの間話したが共同で兵庫に出すものを養成するのさ」

「うちのほうでもコタさんが紹介してくれた、ワトソン(ルーファス Rufus Watson)さんが洋館の建て方を指導して徐々に熟練した大工も左官も増えたしな、わずか3月とは思えない進歩だぜ」

「今の土台作りもその新しい技法も取り入れているのですか」

「そうだよ、俺のうちは人足のおくりだしが仕事だが、もともとはお城の土台や石垣を作る仕事から出たんだ、其れと砲台などの西洋式の良いところを取り入れて、今はコタさんと家作りや埋め立ての人足を手配するのが主な仕事さ、神戸は是非とも先鞭をつけたいものさ」

「写真では巧く写らなかったが長崎の洋館の中の様子はわかるかい」

「アア何とかなりそうだワトソンに見せて相談してみよう、写真機ももう少し良くなれば奇麗に写りそうなもんだが」

「今の写真機じゃ無理だろうぜ、もっと明るい場所じゃないと無理のようだが直に良い写真機が来るさ」

そんな話で盛り上がっているところに吉岡さんに案内されて大和屋さんが来ました。

「帰ってきたと噂で聞いたが何処にいるかわからず往生したぜ、途中が物騒だからと橋本さんがこの人をつけてくださったが心強いもんだな、途中で口説いたが断られてしまったぜここの倍だすというのによ」

「其れは残念でしたね、ここにも候補がいるので紹介だけでもしておきましょう、此方は金子平八さん、斉藤弥九郎先生の門下でございますよ」

「オオそうですかでいつからきて頂けます、おやお前さんこの間のお人じゃないか、お礼もよく言わないうちにおゆきなさってしまって探しましたよ、しかし今日はかっこうが違うのですぐにわかりませんでしたよ」

「いやすまんな、どうもあんな弱いやからに力を振るって気恥ずかしかったものでな」

「それで私の用心棒になってくださいますので」

「済まんがもう少し此方で働かせてくれ、今の仕事が一段落したら会いに伺うからあきがあったらその時はよろしく頼みます」

「残念だなァ、腕はこの間見たから安心できるのに」

「何でそんなに用心棒を欲しがりますか」

「どうも私の顔が狙いやすいらしくてなんども危ない目にあいますのでなぁ、あちこちふらふら出歩くのもいけない様ですかな、今日は其れよりこの間の下穿きですよ、どんな具合ですか」

「良い具合でござんすよ寒い時期には必要になりますよ、これから工夫すればこの次の寒い頃には離せない年寄りが増えることは受けあいます、見本も何人かのお人にあげて来ましたが好評でした」

「そうですかあれが最初の5本でしたので具合を見てもらうのに旅に出るコタさんに差し上げて様子が聞きたくてうずうずしておりました、此方でも何人か試したがパッチのようにしまりがないとか足にまとわって気持ち悪いなど言われて腐っておりました、進んだお人と評判のコタさんが太鼓判なら自信がわきましたよ」

「夏用と冬用を作られるなら私のところで江戸、長崎などでも扱いますから多めに造ってください、お針の上手なものが必要ならすぐに集められますから」

「助かるよ是非お頼みします、ではこれで失礼いたします、吉岡先生店まで御願いいたしますよ」

「よろしいでは帰るとしょうか」

二人が忙しく帰りこちらは宴席がマダマダ続きます、小平さんなどまた他人に担がれて帰るほど酩酊してしまいました。

 ・ 福井町

この日伝次郎が先に江戸入りした後を追うように神田に帰ってきた寅吉は長崎で仕入れた品物の中から虎屋に会いそうなものを、おつねさんお文さんを相手に選んでおりました。

「これはなんだい、ふんわりと膨れたせんべいみたいだ」

「香りがよい菓子だね、饅頭のせんべいみたい」

お土産に買ってきた一口香という干菓子が気に入って店の者にも別けて、お茶を飲みながらの打ち合わせも済んで雅に千代と辰さんを連れて、養繧堂さんで昨年約束した横浜行きを大分に遅れましたがご都合しだいでご案内しますと約束をしました。

岩さんの家でも土産を渡し辰さんの話をして、福井町に来たのは夕暮れ時間近で、出のしたくもすんで、これから川端の料亭に出かける二人を送り出すところでした。

「気張ってお稼ぎよ」

二人にそう声をかけおきわさんに挨拶をして土産を渡し、明日昼時にまた顔を出すからとその日は吉松さんとの約束の佐久間町での夕食に回りました。

簪は良く売れるみやげ物として職人の手を増やして、自分は新しい工夫や細かい細工に専念できるので、吉松さんはご機嫌な毎日です。

「3日に一本は自分で作るようにしているが、おれ以上の作品を最近はつくる奴もいて独立させようと考えているんだ、星造と言う変わった名前のやつだから覚えておいてくれ」

「いいともそいつの名前で売れる製品が揃うなら、いつでも扱わせてもらうよ」

「よしきた旦那がそういうなら明日にでもその段取りをさせるがいいか」

「もちろんだ、吉松さんが薦めてくれた新座のように、売れるやつになれば此方も大助かりだ、ブンソウはあった事が有るかい」

「ハイなんどか話もしましたが、細かい細工も得意なら新しい工夫にも挑戦したいという面白いやつです」

「そうかそいつは楽しみだ、長崎からも輸出できそうだからマダマダ先の仕事は増えそうだぜ」

「前みたいにぶらぶら仕事をしていた頃が懐かしいぜ」

「ハッハ、なんてことを言いなさる、今でも遊んで仕事が出来るようになってるじゃねえか」

「そうは言うがね、お前さんもイネえ江戸じゃ何処にいくか自分で考えねえと行くこともママならねえよ、あの頃はコタさんが明日ここに来いよと言う所に行けば、奇麗どころに食事も付いて上げ膳据え膳だったからよ」

「じゃ明日は福井町にでも声をかけてどこかで大騒ぎデモするかい」

「其れより多喜川にご無沙汰だから昼にでもくわねえか」

「そうするかよ、四つ半頃には福井町に出かけるから出て来いよ、たっぷりと栄養をつけて吉原でも行くかい」

「吉原はいいから昼から芸者を上げて浮かれるのもいいな」

「ナンだ、かつ弥ときみ香でも呼んで呉と言う謎かよ」

「解るかい、俺は松家のたか吉のほうがいいが、そういうわけにはいかないか」

「あいているなら昼に呼び出して鰻攻めにしてみるか」

「鰻攻めは良かった、初音やでも明日コタさんが来れば鰻だろうと考えてることは明白だ」

「馬鹿を言うなよ、俺の顔が鰻でございという顔に見えるかよ」

「最近はくわねえのかい」

「横浜はまだ旨い店が少ないので月に4回から5回くらいさ」

「そいつは変だ、よく我慢できるな」

「さいきんは、牛や豚に鯨なども食うので精が付きすぎて、てえへんさ」

「横浜には何でもあるというが、モモンジィはどうも喰いなれねえせいか行く気になれねえよ」

「なれさ、慣れてしまえばなんでもねえよ、肉のにおいでも最初に不味い店で食うと嫌いになるやつが多いんだそうだ、力仕事をするやつらは肉をくわねえと体が持ちませんといっていたぜ」

「鰻もいいが、そろそろ泥鰌も美味い季節になってきたな」

「後3日ほどは江戸にいるから駒形辺りでやっつけるか」

「そいつはいいな、うちの職人や、新座のところの者にもご馳走してくれねえか、そうすれば息抜きにもなるしよ、今年は桜もアッと言う間に終わるし花火もねえし」

「今年も川開きの花火は無しかよ、そりゃ寂しいや、ブンソウ明日にでも人をやってあさっての座敷を約束してきてくれよ、佐久間町も休んで大勢で泥鰌でも喰いにいこうぜ、なに泥鰌はつまみで酒と言うやつにもたっぷり飲ませてやるよ」

「本当かよ、新座のやつはうわばみだぜ、あいつの酒は飲めば飲むほど陽気になって裸踊りが出るとやっと終わるくらいすげえもんだぜ」

「暴れたりはしねえのかい、のみすぎて訳のわからねえことをするやつが時々いるじゃねえか」

「新座は陽気になるだけさ、うちのほうにもあいつにかなう酒飲みはいねえよ」

「旦那が鰻で騒ごうといえば普通ですが、泥鰌で騒ごうたァ気が付きませんでした」

「何でもいいんだがよ、泥鰌の話が出たついでさ、簪ではこれからも儲けさせてもらえるし、仕事の量も増えるから少し煽てておかねえと不味いだろう」

「オイオイコタさん、煽てて値切りはなしだぜ」

「心配するなよ、地金の値上がり分はきっちり上乗せするからよ」

「おっとそう来たか、手間代まではむりかいなと来たか」

「そうでもないぜ、新しい工夫が出来たものにはその分高く買うよ」

「ひとつ聞きたいんだが、大振りのが受けたのはわかるが、ごてごてしたものより飾りが少ないほうが良いというのがわからねえ」

「其れわな、浮世絵の女たちがごてごてしたかんざしの女が描かれてねえからそういうやつを仕入れても売れない事が解って来たのさ、例の寅太郎さんにでも描かせて一緒に売るようにすればいい値段で売れるかもしてねえな」

「あいつにも最近あわねえから呼んでもいいかい」

「いいとも俺もあいつを横浜に招待しようと考えているから吉松さんも一緒に遊びに来いよ、なに寅太郎さんはなんども来ているから案内にはもってこいだぜ、そういえば今も重政を名乗っているのか」

「そうそう、今は半端仕事しかねえとさ、あんまり仕事がねえらしいぜ」

「そのうちいい仕事が回ってくるさ、諦めずに努力をすることさ、師匠がなくなってもう5年ほどか」

「そうそう、先代は高名だったが二代目は優しすぎていけねえといっていたな」

「優しいのと仕事がどう影響するかよ」

「やはり少し偏屈なやつのほうが自分の持ち味が出るぜ、どうしても師匠に似せた画風を書けと言われても断りきれねえようだ」

「そういえば国鶴という刺青の絵を描くのが旨い絵師もいたっけ、あの男とも仲が良いのか」

「大阪に行っていたが最近帰ってきたぜ、今は新門の親方が世話をしていなさる様だぜ」

暫く浮世絵師の噂話などしてからその日は分かれて帰りました。

   
   

 酔芙蓉 第三巻 維新
 第十一部-1 維新 1    第十一部-2 維新 2    第十一部-3 維新 3  
 第十二部-1 維新 4    第三巻未完   

     酔芙蓉 第二巻 野毛
 第六部-1 野毛 1    第六部-2 野毛 2    第六部-3 野毛 3  
 第七部-1 野毛 4    第七部-2 野毛 5    第七部-3 野毛 6  
 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
 第九部-1 弁天 4    第九部-2 弁天 5    第九部-3 弁天 6  
 第十部-1 弁天 7    第二巻完      

  酔芙蓉 第一巻 神田川
 第一部-1 神田川    第一部-2 元旦    第一部-3 吉原
 第二部-1 深川    第二部-2 川崎大師    第二部-3 お披露目  
 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
 第四部-1 江の島詣で 1    第四部-2 江の島詣で 2      
 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
 港に帰るー3      第一部-3 吉原    
 港に帰るー4          
    妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編  
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       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

 習志野決戦 − 横浜戦
 習志野決戦 − 下野牧戦 
 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid

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明治2471891
 

カズパパの測定日記



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第六部-2 野毛 2

第六部-3 野毛 3