酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第四部-1 江の島詣で 1

川崎宿・神奈川宿藤沢宿・岩屋洞窟・弁財天

 根岸和津矢(阿井一矢)

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・ 江の島詣で 川崎宿

かつ弥の希望の江ノ島詣でが実現したのは4月になってからだった。

この月は参勤交代の大名行列も多く街道を上り下りするが、春駒屋さんが触れ書きを詳細に調べ宿の手配もしてくれて、この日に江戸を立ち1日目・川崎泊まり、2日目・藤沢泊まり・3日目お目当ての江ノ島、4日目も江ノ島に泊まり、5日目鎌倉から朝比奈を越えて金沢泊まり6日目横浜に出て虎太郎が手に入れた野毛の家に泊まり、7日目居留地の見物のあと野毛泊まり、8日目青木町の店を見てから品川泊まり翌日、家に戻るという9日掛かりの道中。

寅吉、かつ弥に淀屋さんの骨折りで、たか吉が行ける事になり、きみ香、おきわさんにお金、源司、たか吉の箱やの与次郎さん、この人は藤沢の生まれでこのあたりの入り組んだ道にも詳しいので色々と案内していただけるというので楽しみです。

辰さんがこの月から寅吉の元で働くことになり同行して帰りに横浜で千代のもとで働き始めるということになり、9人連れで出かけました。

 

朝おつねさんに見送られて寅吉と辰さんは柳橋に向かい、そこで江ノ島詣での一行と合流して出かけるのだった。

柳橋を渡り広小路から米沢町に出て、其処から通り塩町を経て堀留めから江戸橋へ出た。

其処からは楓川沿いに白魚橋に出てさらに三十間堀に沿って進み、出雲町で大通りに出て東海道を上ります。

新橋を渡れば其処は芝口一丁目増上寺まではすぐ其処、飯倉神明宮に寄って参詣。

「ここが、め組の喧嘩で有名な芝の大神宮かよ、始めてきたよ」おきわさんが言えば役者の見立てを話題にして寅吉を苦笑させるしで、それぞれが参詣を済ませるまで大分時間がとられます。

増上寺は安養院の三明様にお会いして旅立ちの挨拶をいたしました。

「コタさんや、この間いただいた懐中時計のお礼にな、同じような品のよい金張りと銀のものが買いたいというのじゃが二つでいくらくらいで買えるか帰りがけにでも知らせておくれ、何ひとつ100両とでも吹っかけて大丈夫だよ」

「では今懐にあるこれはいかがでしょうか、そのくらいの値打ちはあると思います」

この間手に入れた裏蓋に西洋美人の浮き彫りのある銀張り。

手にとって「おやこれは美人じゃがお連れさんがたには勝てませんな」

三明様は洒脱なお方でございます「聞けば川崎どまりなら時間はあるから、皆さんは本堂や境内を散策していなされ、コタさんはわしと来ておくれ」

其の足でこの間香木を買い入れてくださったお二人の内諌山様の居られる広沢院まで出かけ品を見せると目の色が変わるかと思うほど裏表を見て「この裏の機械は見る事ができるか」そうおっしゃれるので財布に入れてある機械用のねじ回しで開けて御見せいたしました。

「なんと細かい細工じゃ、すばらしいものじゃのう、なぁコタさんやこれを本当に手放してもよいのかな」

「はい此方さまにはお力にいつもなって頂いておりますので、私でできることはさせていただきやす」

「そうかでは、百金で手放してもよいかな」

「お任せいたします、それだけの値打ちは充分ある品物と自負いたして居ります、ただ同じ品物が手に入れるのは難しいので金張りのほうはあちらの建物がかかれたものになりますがそれでもよろしいでしょうか」

「ファッハッハ、あれなぁ董全さんは堅物じゃからこんな女子の絵姿は欲しがるまいよ、なぁ三明殿」

「左様でございますよ、諌山さんよ」

「マァ金を持っておいき」と百両の包みをを出してくださって「後でこっちがよいなどというといかんから花岳院まで行きましょうかの」と三人で董全様を訪ねました。

やはりこれではだめということで青木町においてあるTobiasというメーカーの写真を御見せいたしました、これは向こうのパンフレットを22番館で見つけて時計を2種類三台ずつも手に入れたときに頂いて財布に入れておいたものです。

「これはよい品らしいな、どのくらいで手に入るかな」

「これはイギリスでの引き札では21ポンド16シリング交換比率で計算すると55両となりますが横浜相場で80両となります。それと飾りつきはここに書いてあるようにあちらで32ポンド8シリング大体82両位でございます、横浜相場110両でございます」

「コタさんの儲けは入れていくらで手放すのじゃ、2つ買うから250両で渡して呉れれば買いたいものじゃ」

「ありがとうございます、それで今回は10日近く江ノ島へ詣でますので帰りがけに寄らせていただくか、だれかに届けさせましょうか」

「イヤイヤコタさんから手渡して欲しいから帰りでよいぞ」

「ではそうさせていただきます」しかし後の二人がパンフレットを食いつくように見て、わしらもこの飾り付きを買おうぞ、かおうぞ」と目の色が変わってきました。 

「判りましたではこういたしましょう、董全様の片方は100両でお願いをいたして、飾りつきは私が三台330両で買い付けてきますからお一人弐拾両宛儲けさせてください」

「それでは儲けが少なかろう」とお三人が口をそろえておっしゃられますが「これで御願いできますれば私の果報でございます」きっぱりと申し上げると。

「よしよし、強情物め、ほかで儲けをよこせとの催促と取ってもよいな」と三明様が笑いながら言えば「そうじゃなこの間よこした、あく抜き用の石鹸を買おうじゃないか、ほや磨きは手がかかるが此方は小坊主が多いから石鹸だけでよいぞ、ランプは誰が掛かりじゃつた」董全様が二人に聞くと「善正坊じゃよ、あいつにランプを買わせさすのかよ」

「うむ、この間蝋燭よりも良いと言って居ったがどうしたか調べて、買っていなければ注文を出そうぞ」

「では春駒屋さんにご連絡をいただければ誰か人を差し向かわせますのでよろしく御願いをいたします、洗濯用のあの石鹸はお幾つ納入させましょうか、春駒屋さんには確か弐拾袋はあると思いますが」

「一袋に幾つ入っておる」

「1ポンドなので大体百二十匁のものが20個入って居ります」

「今20台のランプを買ってあるはずじゃから一台にひと月1個とすれば半年で6個じゃから120個で6袋納入させなされよ、それはすぐ入れて良いぞ」

「後ランプを買わせられればまた同じ計算で入れなされ」

「値段はそちらの思いのままといってもあまり儲けぬ男じゃからのう」と大口を開けて笑う三人の坊様でございました。

董全様とお二人にお礼を申し上げて境内を散策しつかれた様子のかつ弥たちを休み處で見つけ、山門から出ると笑いながら出てくる三人に出会い、それぞれの名を紹介して、お別れを致しました。

「コタさん連れがこんなに奇麗どころばかりでは気疲れで帰りの時計を忘れなさるな」とまた大笑いを背に表門を後に致しました。

古川に掛かる金杉橋を渡ると海が見え昼を過ぎて一行の腹がなる音が聞こえてくるようです。

「コタさんひもじくて腹が北やまだぁ」

「たか吉よ品川でうまいものをたんと食わすから我慢しろよ」

「義士焼が食べたいがこっちにゃ売ってないかよ」

「高輪の泉岳寺におまいりするかよ」寅吉が言うと、おきわさんまでが「腹がすいているから品川に早く行こうぜ」など言うので「先の月に泉岳寺門前にも義士焼の店を出したよ、そこの茶店で一人ひとつ宛て、食べてから八つには品川で昼飯たぁどうでえ」

「コタさんよそいつにしょうぜ、甘いものでも腹にはいりゃ歩くにも力がでらあ」

辰さんまでが腹がすいたようでございます、予想外にも増上寺で時間がとられましたから予定よりは遅れ気味。

先生と岩さんに説得され、千代も了解して辰さんは千代の下につきます。

呼び名は辰兄いでも、下っ端扱いは仕方ないと納得いたしての旅で岩さんにも「帰りの横浜ではコタさんを旦那といわねきゃいけねえ」と念をおされての遊山旅、根がお人よしで寅吉には信服しているのでそれは問題なさそうです。

源司に与次郎さんもほっとしたようでございます。

「コタさん、義士焼きの店は今いくつ出していなさるよ」

「待てよ数えてみねえとわからねえ、神田の最初の見世は共同で出したから勘定からはずしてと、其の後冨松町、深川八幡と永代寺、浅草は森田町に奥山、神田明神の近くが二軒、これで七軒、品川が二軒と泉岳寺に芝の大明神裏、青木町に野毛と居留地内弁天町2丁目で十四軒出してあるよ、後は惣兵衛さんとの半々の見世が五軒全部で義士焼は二十軒あるはずだよ」

「ここは春駒屋さんの方で人を出してもらってるから、おいらが出した見世とはしらねえだろうから、ここではその話は持ち出すなよ」

大木戸を過ぎれば高輪の泉岳寺はもう目の前、海辺から右手に入り、義士焼きの幟も新しい茶店に入り木陰の縁台に座ると、一人ひとつでは足りなそうで追加をして半分ずつ食べて、念をいれてあるのでここでは義士焼からの連想か泉岳寺にちなんで、芝居の仮名手本の話で役者の評判、昨年評判の四段目を、辰さんが声色で由良乃介の片岡我童にゑん谷判官を沢村訥升のまねで源司がやれば大星力弥の沢村田之助をおきわさんと芸達者には事欠きません。

仮名手本忠臣蔵の六段目は早野勘平の中村福助をかつ弥がやれば、女房おかるの尾上菊五郎はたか吉がやって見せます。

負けてならじときみ香が同じおかるをやるが、寅吉には誰かわからず聞けば「三段目の鎌倉殿中の場の裏門での道行きでござんす、腰元おかるでござんすよ、沢村田之助さぁ」おきわさんに呆れた顔をされてしまいます。

茶店の女たちも「お客様方はよくご存知で芸達者でいらっしゃいます、昨年は大層な大当たりでこのあたりからも泊まりがけで出かけるものまでありました」と大いに褒められ与次郎さんまで形を付けて早野勘平を坂東彦三郎で手を広げて睨みを利かせます。

これには見ていたものもそばにいたほかの老人たちまでやんやの喝采のうちに出かけます。

歩行新宿から北品川本宿を過ぎて、ようやく中の橋を渡り南品川本宿の春駒屋さんについて旦那に挨拶をすればお雪さんが出てきて、川沿いの道を「はるのや」まで案内してくれます。

「おせえじゃねえか何か事故にでも巻き込まれでもしたかとしんぺえじゃねえかよ」

言葉は乱暴ですが気が優しいお雪さんです。

おっかさんが出てきてくれて「サァさぁ、中へお通りください、お雪もなんですかご近所中に聞こえるような声を張り上げて」

「声が大きいのは最近義士焼で売り声の上げすぎで地声になっちまったよ」これは寅吉に聞かせるせりふ。

「すぐお仕度しますから此方でお寛ぎください」部屋は海が見渡せる二階の広間しきりに屏風を立てて有ります、涼しい風に屋根の上に張り出した台まで出て品川沖に浮かぶ白帆を見ていると黒い煙も勇ましい軍艦が近づいてきました。

「あれは順動丸だが先生でも乗っていなさるのかな」 

後で聞けば矢田堀様が指揮をして3日の日に京阪に出動されたとのことでした、先生はこの頃は京で忙しく働いておりました。

頼んであった道中薬に海苔なども荷物に加え、ゆっくりと食事をしたので出たのは七つ頃になりましたが寅吉は時計を置いてきたので今の正確な時刻には換算できませんが日暮れまでには川崎に入れる予定。

先に皆を行かせ春駒屋さんで今日頼まれた石鹸の手配をお願いして、時計のことも報告をし旦那とお雪さんに別れて先に行く皆を追いかけて出かけました。

立合川を過ぎ鈴ヶ森も通り過ぎて梅屋敷の和中散の前で一行に追いつきました。

「船が出るよ〜」街道はすき始めていて船も待たずに乗れ、川崎側で一人十六文ここだけは幕府の統制で変わらないが、町の物価は恐ろしい勢いで変動していた。

寅吉が始めた蕎麦屋でもかけそばが何十年かぶりで十六文から弐拾文に値上げされたがこれだって統制から外れればいくらになるやら。

今日の宿は藤や、本陣を通り過ぎて問屋場の先の右側構えもゆかしい落ちついたたた住まいで客引きも出て「こちらが藤やでございます、お決まりですか部屋も空いて居ります」と客を誘います。

「予約してる虎屋でございます」と声をかけると「お待ち申しておりました、番頭さん寅屋様のご一行様だよ」一行がついたときには日も暮れ掛かる頃合で、おきわさんが心付けを弾んだか女将が挨拶に出て「お待ち申しておりました初旅の方ありとお聞き申しておりましたさぞお疲れでございましょう、お風呂が沸いて居ります男衆はこちら側から階段を降りた所にございます、女子衆は反対にこちら側から降りてくださいませ」右と左から降りて背中合わせに男女別とは豪勢な風呂に作り、五人ほど入っても洗い場にゆとりがあるというもの、ゆったりと湯に浸かり風呂で今日の汗を流します。

風呂から出れば春駒屋さんの顔が利いてか、豪勢な酒飯が並び全員が上下なく膳につき飯盛りの女子衆が何くれとなく世話を焼いてくれます。

女遊びは出来ないという宿を紹介されているので大人しく飯を喰いながらでも、色町育ちの男ばかり、其処は口がうまく給仕に出てる三人の飯盛りも笑わせながら食が進みます。

「お姉さん方は街道で道行く人に磨かれて江戸の女子しにも負けねえ垢抜けたもんじゃねえか」源司はこういう風に口はうまいがもう50に手が届くという老人の部類。

「あれ此方の旦那は口がうまくて私ゃほの字になっちまう」

「いいともどんどんほれてくれ、こう見えても江戸じゃかかあに子供が三人待ってるが、街道に出りゃこっちのもんだ」口だけ源氏という仇名の通り見かけは源氏の公達のように優男、箱やで家を支えているわけではなく神さんのやる小間物屋で所帯を張るという甲斐性なし。

年をとっておはつさん、おつねさんに拾われてからは、寅吉を大将と呼ぶほど入れ込んで尽くす普段ですが口は旅に出て地が出ます。

「明日は、五つ立ちだからよく足をもんで寝るんだよ」寅吉がかつ弥、たか吉によく教えて足の裏をもんでやり「後は交互にやるんだ」とつぼだけはお金にもよく教え込みます。

わらじ擦れもなく今日は楽に歩いての一日。

二つの部屋で男と女が別れ寝に尽きますが寅吉に青木町から連絡のつなぎが来ました。

「判った明日昼には付くから、笹岡さんに任せると伝えてくれよ、夜道は物騒だから気をつけてゆけよ、できりゃどこかにしけこんで夜明け前後に出て帰れよ、寝過ごすなよ」と懐から一分金を出して渡します。

 

・ 江の島詣で 神奈川宿

 

朝五つ、藤屋の部屋でわらじを履き脚絆も厳重に締めて街道を神奈川に向けて旅たちます。

「お大師様へも寄りたいが、其処まで時間を掛けられないから今度初詣にでも来たいもんだ」おきわさんがそういうとすかさず「そんならわちきも連れてきておくんなさい」たか吉は初音やの仲間にもうどっぷりと浸かってしまい、物見遊山に遊びまわる事が好きな遊び盛の十六才、最近寅吉が知ったのは淀屋さんが外で生ませた娘が母親で父親が日本橋は通り一丁目の袋物問屋の佐倉屋長兵衛さん。

棒鼻が見え、鶴見橋を渡るとまた関門が見えた、あの事件があっても出歩く外人は多く、其の保護のための関門が数多く設けられた其の一つ、川崎の宿からでももう五つ目。

「仁助はどこらあたりで追いつくか賭けをしねえか」寅吉がそう言い出したのは街道を三十町も来た鶴見のサボテンの茶屋のあたりまで来たときだった。

「今朝早くに平右衛門町を出るんでござんしょう、夕刻に藤沢に着くのがやっとでしょうに、此方のほうが先着と思いやすぜ」与次郎さんがそう言うと源司は「あっちはね、昨日の歩きの様子じゃ、今日もあちらこちらで時間がかかり遊行寺の手前で追いついてくるんじゃねえかと思いやすよ」

「辰さんはどう思う」
「それじゃあっしはもう少し手前、影取(かんとり)の立場あたりではどうでしょう」延べ地図を開いてそれぞれが言いますと「景品は何をくれるよ」とかつ弥が口を出してきます。

「そうさなぁ、横浜土産に一番近いやつに金三両ほどの土産でも買ってやるよ、二番は壱両の土産だ」虎太郎が言うと「ではあたいは遊行寺の橋を過ぎて本陣の手前、お金はどこにする」立ち止まって延べ地図を覗かせます。

「あたしはもっと早く戸塚の宿場の中にします」

「エェツ、それじゃあたしはねぇ、原宿村の壱里塚」ときみ香。

「あたしは最後にするからたか吉がおいいよ」おきわさんが年長らしく言います。

「もっと近くて吉田橋の鎌倉道の分かれのあたり」

「おや皆そんなものかよ、あたいはもっと近くて、やきもち坂か品野坂下にしょう」

「だめだめ、ひとつだけだよ姐さんはそんなずるはいけねえよ」かつ弥がこうぎします。

「仕方ねえから品野坂下の降りたところで手を打とう、どうせそれより手前ならあたいの勝ちだ」とそれぞれ意見がきまり虎太郎は手控えに書き込みました。

「おいらは勧進元だが、書付だけはしておこう」と書いてからそれをおきわさんに預けました。

「追いついてきたら開きなよ、サァ行こうか」と立ち止まっての話しもすんで、街道を進みます、人が大勢休んでいる志からき茶屋で梅漬けの生姜と梅干しを買い求めて一休みして歩き出すと其処はもうつるみ村、家数は少ないがまずまずの家が多いように見えた。

この先の生麦の稲荷の先で去年8月に薩摩の行列が通りかかったとき、馬に乗ったまま通り過ぎようとした4人のイギリス人がいて、一人が切り殺される事件が起こった処と説明しながら通り過ぎた頃だった。 

いきなり空は曇り風が吹いて竜巻が起こり近くの田んぼを通り過ぎていった。

「驚きやした、肝が冷えたよう」など女供が大騒ぎで通り過ぎていく黒雲を見つめていた

 

その事件が遭った頃の寅吉はなんども神奈川横浜へ出かけ、先生に頼まれたジンキーの買い付けのための情報集めと青木町の店の開店の下ごしらえをしていたのだった。

居留地でも薩摩が切り込んできたときのための備えとか、いやこちらから軍隊を出して薩摩を追いかけさせろとか事件を拡大させようとするものも多くいたのだった。

その前後の日には、街道沿いに出かけないように、居留地に対して神奈川奉行から申し出があったのを無視して出かけた者たちがいても、止める権限を与えられていない奉行は事件があったことを知って歯噛みして悔しがったそうです。

 

「昨年はよ、忙しかったがこれからは、まだまだ忙しくなりそうだ、辰さんも身体が休まる間もねえかもよ」

「身体は丈夫だから何でも言いつけて追い回してくだせえよ」

「よいともよ、お前さんの大事な仕事は江戸と神奈川の間の飛脚みてえなもんだが、其のあたりは千代が心得てるから、マァ追々に役割がわからぁね」

「パン屋を開く準備をするとか聞きましたが、何時ごろになりやすか」

「職人を雇わねえと出来ねえことなので、今アメリカから日本で働く気のあるやつを呼ぼうと思ってるんだよ、英語なら何とかなるがフランス人じゃ言葉がつうじねぇよ」

「イギリスではブレッドというそうだがパンはフランス語だそうだ」

「ヘェー、何でエゲレスでやらねえんでやすか」

「最初に店を開いたやつがフランス人から習ったと言う話だがよ、あんまりうまかあねんで流行ってねえよ、だが呼び名がパンで定着したので皆そういってるよ」

「コタさんの旦那は何で先行きがよく言い当てなさるのに、横浜の生糸相場に手をださネえんですかい」

「相場はな生きもので手を出して大もうけできても、頭に乗れば大やけどするという困ったものさ、おいらは隙間を埋める小さな商売でやることにしてるんだ」

「コタさんの旦那が小さな商売というようじゃ大きな商売はどのくらいのことを言うんでしょうかね」

「そうさな日に千両の金を動かすような商売を大きな商いというようだ」

「だけど日に千両と言えば仲の金の動きと同じになりやすぜ」

「今の生糸相場はそのくらいの金が動いてるよ、何でもこの国からイギリス、フランスに持っていけば倍になるそうだから、船賃をかけてもいい商売だそうだ、おいらは一人で大儲けするよりゃ数多くの人間が食えるように商売の手を広げたいと、どんな世の中になっても生き残れる商売を考えてやるように、先生とも話してそうしてるんだ」

「それで次がパン屋ですかよ」

「こいつは俺が道楽のようなもんだ、旨いパンを食いたいという食い意地が先になる商売は二の次さ」

「旦那のうなぎ好きはうなぎ屋に結びつかねえんですかよ」

「そうさおいらがうなぎ屋をやるよりゃ、味が違う店を探して食べ歩くほうが気が利いてらぁ」

海が近く塩の香りがしてここは子安、一里塚があり日本橋より六里という事がわかります。

まだ四つを過ぎたばかりですが、日も高まり少し汗ばむ陽気になってきました。

「今日は後六里も歩くから気張って歩きなよ」寅吉が前を行くたか吉に声をかけ「後少しで神奈川だから其処で昼にするから、其処まではやすまず歩くんだぜ」

「あいなぁ、さっき休んだからまだまだ大丈夫さ」

神奈川台場が見え神奈川の由来の上無川を渡り、神奈川(石井)本陣の前を通ると滝野川。

滝の橋を渡る手前に高札場があり橋むこうの海側に青木(鈴木)本陣がある。

其の先洲崎神社の下に横浜物産会社の店があり其処に顔を出すと顔なじみの千代が出てきて皆に声をかけます。

「サァサァ、ちと休んでいきなせよ、まだ昼には間もあるしよ、田中屋は人をやって座敷を用意してありますから仕度ができれば呼びにくるように、雅が行っておりやすよ」

千代の気働きは最近はいっそうよくなって、これが町内の悪がきだったとはとても思えぬ進歩ですがまだこの年は十六才の少年で、見かけはこの一年で大きくなってもこれが人を弐拾人ほども動かしているとは思えません。

茶を振舞って一休みするまもなく雅が呼びに来ました「オイオイお前どうやって俺たちがつく時間がわかったよ」寅吉が聞くと「ヘエ、順吉を生麦まで出して旦那方が来るのを見て戻りすぐに台の田中屋で座敷の仕度を頼みました、昨日から大体の時刻を告げてあったのですぐに仕度をしてくださいました」

「そうか皆奇麗どころが来るから普段より動きがいいんじゃねえか」寅吉が言うと。

「そうでもありませぬよ、わしがここに来たときよりも皆がよく働くようになり気働きもできるのは普段からでございます」笹岡さんが店の前で見送りながら寅吉に言って居ります。

雅が先導して台の坂を上り見通しのよい田中屋の座敷で昼を食べて一休み、あそこが横浜だと袖ヶ浦の先を指差せば少しかすんだかに見える居留地が浮かんでいます。

店を後にして景色を見ながら進むと、神奈川台の京見附の関門があり其処から下り坂で降りれば浅間下この先にある人穴は富士まで続くといわれていますが江ノ島の洞窟と同じでまさかと、虎太郎は思っていますが与次郎さんの説明に辰兄いまでが感心して聞く有様です。

「この先の追分から大山詣での道がありますよ、厚木までは七里ほどで其の先の大山までは一日がかりの道中でございます」

「あれ大山詣では町内で毎年行くがそんなに近いとは知りやせんでした」

「左様でございます、大山の帰りに江ノ島に廻る方が多く六日ほどの日を取って廻ります」

「なら大山詣でだけならどのくらいで行きますか」

「四日在れば大急ぎで廻れますが、女子衆の足なら五日ほどあれば充分でございます」

「いつかは行きたいもんだ」

「おつねさんも行きたがっていたから、そのうち皆で行って見ようかよ」とおきわさんが言えば「一年に一度くらいは泊まりがけで遠出もいいだろう」寅吉がいいます。

「では来年はお大師様でその次は大山詣でに連れて行っておくんなさいよ」

かつ弥がすかさず約束させます。

芝生追分(しぼうおいわけ)の分かれ道を過ぎ、見付が見えて其処を越せば保土ヶ谷が近く帷子川を渡ると町並みが続きます。

もうひとつ川を越すと保土ヶ谷の宿に入り、本陣、脇本陣の前を通り過ぎ、一息ついて難所の権太坂を目指します。

また川があり先ほどの川が道をもう一度横切って茶屋橋というなの小さな橋其の先に一里塚「サァ後四里で藤沢だ日暮れのめえに入りたいから頑張って坂を越そうぜ、日に八里半はきついが気張ってくれよ」

それほどの苦労もなく権太坂をのぼり景色に見とれる間もなく越してしまいす。

境木の立場の茶屋で牡丹餅を食べて一休みして「サァここから先は相模の国に入るから武蔵の国とはお別れだぁ」そうはなして気を落ち着けて次に待つ、焼き餅坂を越すための英気を養います、先ほど昼を食べたのに若いものたちが多い一行は別腹があるのかよく食べます。

坂が多いこのあたりでも懸命に歩き焼き餅坂、信濃坂(品濃坂)と越すことが出来ました。

信濃坂の手前には一里塚がありまた道程が一里減りました。

 

・ 江の島詣で 藤沢宿

江戸見附を過ぎてここからは戸塚宿、吉田大橋の手前に一里塚、時刻は青木町で腰につけた時計で見ると三時、八つ半に間がある時刻道がはかどり予定よりは早く六つまえにはたどりつきそうでほっとする寅吉です。

かまくら道の道標を見て大橋を渡りきればすぐ集落があり其の先に戸塚の宿の町並みが続きます。

問屋場があり其の先に本陣、脇本陣と数多くの旅籠が並びまだ時刻も早いのに「藤沢の宿までは、日暮れまでにつきませぬからお泊まりなされませ」と街道を上る者に声をかけています。

どこかの大名の先触れが来ておりここでとまる予定か本陣からも人が出て前を清めて居ります。

千代が追いついてきたので皆を先に行かせ茶店で香煎を出させて話を聞きます。

打ち合わせも済み「仁助さんを見なかったか」と聞くと「青木町に顔を出されて一休みして昼を召し上がっているときに出ましたから、今頃は権太坂あたりに掛かる頃でござんしょう、足が速いと自慢しておいででしたからもう直に追いついてこられます」

「そうか、それならもう直にこれるな、たいしたもんだ、千代も足が速いがあの人もたいしたもんだ」寅吉が感心して千代に別れ一行を追います。

上方見附を過ぎ大坂を登ればすぐに原宿村、一里塚のところで後ろを歩く辰さんとお金に追いつく寅吉でした。

「もうこれで三人ほどは外れたがお金ちゃんはどこといったよ」

「戸塚といいましたのではずれでござんす、後は」というところで仁助さんが追いついて声をかけます。

「いやいや、皆様足が早うござんす、戸塚の宿で追いつくと思っておりやしたが、千代さんに行き会ってもう大坂を上る頃ころと聞いて、急ぎましたので息が切れます」

そういいながらも息が上がっているようには見えぬ仁助さんです。

前のものに声をかけ皆で影取の立場の茶屋で休み先ほどの書付を開いてみれば、虎太郎は戸塚先の大坂と書いてあり、きみ香の原宿一里塚、辰さんのかんとり立場、きみ香と辰さんの勝ち、一番最後の寅吉達は一里塚にいて、先頭の源司が影取の立場の入り口牡丹餅坂にいたので引き分けときまりました。

「嬉うござんす、これでお土産はコタさん持ちと決まりやした」

「ヘヘッ横浜土産を、頭に届けていただけるなんぞ餞別を使わずにすみやす」

「ナンダなんだ、おいらの足をねたに賭けをしてやがったか、一杯おごらにゃ勘弁できねえ」と仁助がむくれます「おいらがいっぺえおごるから勘弁しろよ」寅吉が笑いながら言い茶店を後にします。

すぐ鉄砲宿左は大鋸町、かまくら道の道標其の先に一里塚道が下り江戸見付を過ぎれば左に諏訪神社、右は遊行寺「本当の名前は藤沢山無量光院清浄光寺(とうたくさん むりょうこういん しょうじょうこうじ) 藤沢道場と申します、今下りてきた坂は道場坂と申します」と与次郎さん。

すぐ下の左側も大鋸で感応院という寺がありここは遊行寺より古くからあるということをこれも与次郎さんが皆に説明してくれました。

時間に余裕があるので脇から遊行寺に入り本堂で手を合わせて、長生院小栗堂そこで小栗判官と照手姫伝説を説明してくれます。

山門を出れば其処が宿の入り口、大鋸橋が掛かる境川を渡り右に道をとれば中屋の土蔵が聳え問屋場、など街道の賑わいと本陣、脇本陣も人の出入りが多く夕暮れ時の喧騒に満ち溢れて居ります。

春駒屋さんの紹介してくれた、問屋の鎌倉屋松兵衛さんへ寅吉が挨拶に伺い、春駒屋和助さんの近況などお便へした後今日の宿に案内の人を付けてくださいました。

國分やとある中程度の旅籠ながら中に入ると庭が手入れされた中々によい宿と判ります。

この家の娘か可愛らしい12か3くらいの娘が案内し「お部屋は此方でございます」と続き部屋へ案内してくれて部屋に皆が入ると廊下に膝まづいて。 

「お風呂の用意が出来て居りますが一時に3人ほどしかお入りできませぬので順にお使いくださいませ、男湯と女湯に別れ、暖簾が出て居ります、あの庭の向こうに見えますのが風呂場にございます」小庭の向こうに見える建物を指さします。

「お部屋は後二つ、女子衆のをご用意して居りますから、お食事の後でご案内いたします」そういうと障子を閉めて下がりました。

「コタさんの旦那マァ風呂で体をほごしてきやしょうぜ」与次郎さんがそういうと「ではお先に入らせていただきやしょう」と辰さんもついてきて3人が先に風呂に浸かります。

隣からきみ香たちの歌う声が聞こえ「姐さん方はあんまり疲れてねえようだ、今晩ぐっすりやすみゃ、明日の江ノ島詣では楽しみなもんだ」

♪ 春雨

春雨にしっぽり濡るヾ鶯の 羽風に匂う梅が香や

花に戯れしおらしや 小鳥でさえも一筋に ねぐら定めぬ気は一つ

 

わたしゃ鶯主は梅 やがて身まま気侭になるならば

サア鶯宿梅じゃないかいな サアサなんでも良いわいな

 

♪ たらちね

 たらちねの 許さぬ仲の好いた同士 

許さんせ罰当たり 猫の皮じゃと思わんせ

惚れたに嘘は夏の月 秋という字はないわいな

 

風呂から上がれば膳のしたくも出来て後は温かい物を出すばかり「お酒はどういたしますかチロリで出しますかお一人づつ別の徳利もありますが」女中がそう寅吉に聞くと。
「徳利で出してくんな、後で追加もするからよろしく頼むよ」

全員がそろい食事も済むと先ほどの娘が出て「先ほどお風呂場からよいお声で歌われておられましたが、お江戸の流行の歌などお教えいただけませんでしょうか」

「よいともさ三味がありゃ幸いだよ」

「ではお持ちいたしますので、しばらくお持ちください」

皆で今日の道中の話しをするうちに部屋に3人ほどが来る様子。

「ごめん下されませ、この家の女将でございます、こんにちはお泊まり頂きありがとう存じます、外出をいたしておりましてご挨拶が遅れ申しわくなく存じます、聞けばこの子がなにやら御願いいたした様子、ご面倒でもよろしく御願いいたします」二人の娘を部屋に入れると下がります。

しばらくおきわさん、きみ香が三味をかなでて、部屋を替えてからも続いて楽しんでおりました。
 ♪ あの花が  清元お葉 詞・曲

あの花が 咲いたそうだが 羨まし

さっと雨もつそのときは妾(わし)もあとから咲くわいな 

後で聞けば姉娘の縁談がまとまり其の挨拶に出ていたそうでこのような唄をかつ弥が思い出してうたったようです。

格調高く唄う声はたか吉。

♪ 御所車

香に迷う 梅が軒端(のきば)に匂い鳥 花に逢瀬を待つとせの

明けて嬉しき懸想文(けそうぶみ) 開く初音のはずかしく

まだ解けかぬる薄氷 雪に想いを深草の 百夜(ももよ)も通う恋の闇

君が情けの仮寝の床の 枕片敷く夜もすがら

最後に聞こえてきたのは昨日の芝でたずねた神明宮を思い出してか。

♪ 芝で生まれて

芝で生まれて神田で育ち 今じゃ火消しの アノ纏(まとい)持ち

金の中にも要らない金は かねがね気兼ねに アノ明けの鐘

離れ離れに歩いちゃいれど 何時か重なる アノ影と影

お月様さえ泥田の水に 落ちて行く世の アノ浮き沈み

嬉しがらせてそれゃ真心か 兎角女は アノ迷い勝ち

憎い人じゃと言うては見ても 濡れた昔が アノ忘らりょか

 

其の後も女将が加わり江戸の話しを色々と聞き夜が更けるまで語ったそうです。

 

・ 江の島詣で 岩屋洞窟

早朝に与次郎さんの案内でまた遊行寺に出かけたらしく虎太郎が布団から出たときにはもう皆が着替えて「なにを何時までも寝てるんだよ、早く食事にしなよ」と膳の前で待ち受けているのだった。

「なんだ早えじゃねえか、先に食ってもいいのに」

「コタさんが起きる前に一回りして来たよ、今帰ったとこさ」

「何だどこまで行ったよ」

「小栗判官照手姫縁の長生院でお二人のお墓におまいりしてきたよ」

「そうかなら飯にして江ノ島にゆるりと行こうか」

それならと手をたたいて女中にお櫃を持ってこさせ温かい汁も来て、賑やかな朝の食事となりました。

宿の玄関には総出で見送りに出てきて「お気をつけておいでくださいませ、またのお越しを楽しみにして居ります、街道をおいでのときはお寄りくださいませ」

お愛想だけでない人情に溢れた見送りを受け、江ノ島道に与次郎さんの案内で出かけます。

大鋸橋の前を通り過ぎて少し小高いところに観音堂の階段があり、このうえからは富士と江ノ島が見えるそうだが今は先を急いで町並みを抜け、蔵が建ち並ぶなかの与次郎さんの生家を訪ねた。

ここの三男坊に生まれ江戸は日本橋檜物町に養子に出たが火事に会い父母が亡くなり養家が没落し、実家に戻っても苦労をしたそうですが今は連れ合いに料亭をやらせるまでになり、自分は道楽半分の箱や渡世。

今は兄が仕切るこの家とも手紙のやり取りは続いていても、訪ねるのは10年ぶり連れがいるとの断り文句も素直に受け取られるほどのあっさりしたもの。

遊行寺門前より各所に建つ杉山検校の道しるべを頼りに道を進みます。

「この道標は検校が江ノ島の弁天様に感謝して48箇所の分かれ道に全て立てたといわれて居ります」寅吉たちが近くで見れば、そのすべてに次の銘が刻まれているとのことです。
       一切衆生
            ゑのしま道
                二世安楽

元禄の頃のものという割には字も奇麗に浮かび大切にされている様子が伺われます。

砥上が原と言われる所に出て川が広がるところで、後ろを振り返ると雲に隠れた富士が箱根の先に見えます。

「石上の渡しと言い昔は皮袋の渡しとも言われ、その昔はここをたどって鎌倉から京へと街道が続いていたそうでございます」

「あれ、ではあの富士までまっつぐと行く事ができるのかよ」

「そんなわけにゃ行きませんが、箱根の山はずっと見えるのでございますよ」

渡し舟で対岸に渡ると、かまくら道と江の島道に別れ川沿いを下ります、川上に荷舟が上り舟歌がのどかに聞こえます。

与次郎さんの話は続きその昔、鴨長命というお方がこのような歌を読まれています」

「浦近き 砥上が原に 駒とめて 片瀬の川の 潮干をそ待つ」
「渡しがない頃は引き潮を待ち浅瀬を渡ったのではないでしょうか」

など穿った事も言う与次郎さんは博識でございます。

山側に岩屋不動があり今は堂も残らぬようですが、昔弘法大師にまつわる伝説があったといいます。

其の先に諏訪神社上社と泉蔵寺があり道は山際を離れ川に沿って蛇行しています。

道が下り坂になるとすぐ蜜蔵寺が有り 弘法大師道 の道標を見てさらに裏を覗けば  向 江嶋道さらに進むともう幾つめのか忘れたが検校の道標が目に入るのでした。

このあたり由緒ありげな寺が並び、真言と法華が多いという話です。

西行戻り松という松の樹を見て、松の枝を京に向けて、京を思うという気持ちが寅吉には説明を聞いても納得が出来ません。

「この道標は唯一書いてある言葉が違い、さいぎょうもどり松記されて居ります」

皆で覗き込むとなるほどほかとは違い言葉が多いのが見えます。

大きく左に曲がると分かれ道の処にある道標に、

 願主 江戸糀町 

従是右江嶋道 左瀧口道」

と書かれていてここから山添に行けば日蓮上人縁の瀧口寺に行き着く事がわかります。

「まだ昼には間がありますから、少し遠回りですがお参りなさいますか」そう聞けば、法華の信者のおきわさんが真っ先に「あい、尋ねてみたいとおもって居りましたから、そんなに遠くなければ寄ってくださいな」話がまとまり左の山添に行けば見通しのきくところにで江の島が海の中に浮かぶ様が見え富士も先ほどよりくっきりとしてきました。

「本蓮寺、常立寺、法源寺、本龍寺、東漸寺、妙典寺、勧行寺、本成寺の8つのお寺を輪番八ヶ寺と申し瀧口寺の貫首を出して居られます」

俄か勉強とは思えぬ博識に驚く一行でございます。

法難にあわれた刑場後を周り山門を上れば聳える甍は壮大でございます。

門を出て海を見れば波が大きく立ち上がりまるで江の島を削るがごとくに打ち寄せています。

「本日は嶋に渡るのは危ないようですから宿でゆっくりと疲れをいやしましょう」

与次郎さんが皆にそういうと山門から川が見える道沿いにある宿が立ち並ぶ道をたどり、

江ノ島 恵比寿屋茂八 の看板を掲げる宿に入ります。

「品川の春駒屋さんから紹介されました虎屋の一行でございます」

声に応じて出てきた女将らしき年わかの人が「あれお前さん与次郎さんじゃないかい」

「左様でございますがどちらさんで」表の明るいところから土間に入ったばかりでよく見えない様子で目をしばたいて居りましたが「松さんかよ、しばらくみねえうちにいい女将のなったじゃねえか、おいらの家に遊びに来ていた頃はまだ10くらいだったかよ」

「もう15年にもなるがよく覚えていなさった、ここに嫁に来なさったか」

「まず皆様にすすぎをお出ししておくれな」店のものに言いつけると端に座り「まずまずようこそ御出で下されました、此方が恵比寿屋でございます本日は波も高く島へは渡りにくうございますので波が収まるまでゆるりとお休み下されませ」挨拶をいたし与次郎さんには「後で主人ともどもご挨拶に参じます」そういい置いてかいがいしく皆の荷物やら脱ぎ捨てたわらじの世話をいたします。

部屋に通ると主人と思しき中年の者とともに「ようこそ御出でくださいました、恵比寿やでございます、島内には本館がございますが本日は波が収まるまで此方でお休みくださいませ、この波は雲の様子から見ますと昼すぎには収まりだすと思われます、浜伝いに八つ過ぎには渡れますので、波が収まりましたらご案内させていただきます」

挨拶が済むと与次郎さんと別室でそれぞれの昔話をしておりました。

「寅吉の旦那、聞いたら蔵前に住んでいた幼馴染みがこの家に嫁いできたそうでなんと世間は狭いものでござんす」

蔵前といっても藤沢宿の与次郎さんの生家辺りとのこと、家数からしても少なく家々が親戚づきあい同然だそうで、長い年月が過ぎても覚えていてくれた事が嬉しく感じたようです。

昼をここで頂き休むうちに部屋から眺める海も穏やかになり引き潮時なのか島までの洲が伸びて歩く人がちらほら出てきます。

「お待ちどうさまでした、歩く道筋も乾いてまいりましたのでご案内させていただきます、お荷物は家のものがお持ちいたしますので玄関先に置いて、お歩き下されば本館までお持ちさせていただきます」心付けが利いたと言うよりは、本当の親切心の表れが見える旅館の人たちが、江ノ島詣での人をもてなす心からの行動と見え一行の心も温かくなるのでした。

「与次郎さ、江戸から持ってきた土産の品川の海苔はありがたく頂くよ、このあたりはひびやわかめは取れるが海苔は採れねえので貴重な物だからさ」

「それでもしらすの新鮮なやつが久し振りに食べたから腹が嬉しがってるぜ」

案内の主人を先頭に島へ渡り青銅の鳥居をくぐって、岩場に建つ本館の玄関先に荷を預け、其処からは番頭さんが先にたって島内を案内してくれます。

岩本院の前を通り抜けると先月の市村座の大当たりの狂言、青砥稿花彩紅画(弁天娘女男白浪)」で弁天小僧を演じた音羽屋のまねでかつ弥が足も止めずに、
   岩本院の稚児あがり、普段着なれし振袖から、髷も島田に由比ヶ浜
とやると案内の番頭はまだ其の狂言についてよくは知らない様子「それはどのような芝居でございます」そう聞くのでまってましたとかつ弥たちが先月の芝居についてのあれこれを話ながら歩きます。

「二世河竹新七の書いたものでまだ今年で2回目だからしらねえもんが多いのさ、あたいはこれは大当たりする狂言だと思い昨年一回こっきりしきゃ見てねえが見たもんにあえばどういう科白だか聞いてあたいが覚えた科白と確かめたから間違いはねえよ」

「今晩、宿の女将や他のものにきかせていただけないでしょうか」

「いいともさ、寅吉さんが迷惑ならほかの部屋に呼んどくれよ」

「おいらもしらねえから、一緒に聞こう」話はまとまり、いつの間にか辺津宮、中津宮と参拝も済み奥津宮へと入っています。

番頭さんが案内をしながら説明もしてくれ奉安殿、瑞心門と参詣してさらに先に進みます。

富士見亭にて一休みしてからいよいよ岩屋に降りて、洞窟の参拝をして稚児が淵の岩場で遊ぶ子供たちとそれぞれが賭けをして海へ投げた波銭を拾わせます。

これはこの島の子達のよい稼ぎで波が静かな人出の多い夏には日に200文くらい稼ぐのはざらにいるそうです。

夕暮れの陽が富士を照らし海に浮かぶ大島からは噴煙が立ち上り遠くは伊豆の方が見えるかというよい天気。

「先ほどまでの波の様子ではこの後3日ほどは晴天が続くと思われますので、明日明後日の名所見物には最適の日においで遊ばしました」番頭さんの言葉に気をよくした皆は宿に戻り其の晩は江戸の役者の見立てで夜のふけるのも忘れ騒ぐのでした。

 

・ 江の島詣で 弁財天 

虎太郎は夢を見ていた、父親と腰越に来ていた夢だ、其の夢の中で兄の頼朝にとりなしを頼むために、大江広元にあてて書いた腰越状の一節を父が読んでくれた、夢だと思いながら。
 

恐れながら申し上げ候ふ意趣は、御代官のそのひとつに選ばれ、勅宣の御使として朝敵を傾け、累代の弓矢の芸をあらはし、今会稽の恥辱をきよむ 
 
江ノ電の音がするガタゴトと家の軒を掠るように藤沢から腰越まできて、降りてから海に突き出た小高いところにある小動神社を尋ね、狛犬に頬かむりがしてあるのを見て笑い転げたことも、町を横切り線路を越すと満福寺がありそこで父の了介が腰越状を読んでくれた時のものだ。

道を海に出て父親と七里ガ浜を行合の駅まで歩いた、なぜか海に船が浮かび弁才天が三味を弾いていた、まさかそんなことは無かったぞ、というところで目が覚めた。

相模灘の波が緩やかに磯を洗う音が聞こえ、其の夢を見させたのかと気が付く寅吉だった。

 

となりの布団では大いびきで眠りこける辰さん、起こさぬように布団から出て、手拭を持って井戸瑞に出ると柔術の足裁きと夕立の型、テェの型クーサンクー、柔道の型と一人で相手を想定しての動きを続け、動きは緩やかでも汗はでて、その汗を冷たい水を頭から浴びて流して、髪は手拭で結び磯に出てみた。

対岸に見える小動の岬に朝日が照り映え海に流れるひかりが波にうねる様はあの頃の海と替わらないように見えた。

若様の先生でもあった篠崎さんに教わった柔術は寅吉がしっていた講道館柔道の元になっているのだろうかよく似た動きが多くお春さんから習い、一蝶さんに手直しをしてもらった首里手は、身体を鍛えるには一日少しずつでも続けるようにといわれ出来る限り身体を動かすようにしているのだった。

「おはようございます、今朝はよいお天気に恵まれ波も穏やかで宣うございます」

昨日案内してくれた番頭さんが寅吉に声をかけ岩場から網を引き上げなかの蛤など取り出して旅館に寅吉と戻りました。

「先ほど身体を色々動かしておいででしたが、岩本院にお泊まりのお客様も岩場でよく同じような形の動きをしておいででした」

「左様ですか、デどの動きが似ておりましたか」

「左様です左手を前に出して右の手を上から下に返しながら身体を捻るところなどよく似ておりました」

「よく見ておられます、同じような流儀を学ばれたのでしょう」

そんな話をして宿に戻り起き出して来たかつ弥と庭先で話すのだった。

「昨日と違いバカに早いじゃねえかよ」

「昨日は皆にバカにされたから気張って起きたのさ」

「あたいが船の中で三味を引いていたら、コタさんによく似た子供を連れた異人の格好をした大人が海辺を歩いてる夢を見たよ、だけど不思議なものが二人の後ろを動いていたので驚いて飛び起きたら夢と気がつきやした」

「そうか、おいらはおんなじようだがそれと弁天様が船で三味を引いてる夢を見たぜ」

「それじゃ同じような夢を見たのかい」

「そうかもしれねえ、一緒にいたのは俺が父親かも知れねえよ」

「会えればいいがよ」

「アア今すぐでなくともあえるはずだ」

二人が話していると「食事のご用意が出来ました」女中が呼びに来て朝の膳につきました。

今日は3つの組に分かれて島内めぐりに出ることにしました。

寅吉はかつ弥と辰さん、たか吉の4人、与次郎さんとおきわさん、仁助の3人、源司、お金きみ香の3人でそれぞれ別々にお昼過ぎまで廻ろうとの算段。

寅吉たちは昨日知り合った腰越の漁師の子達に船でとこぶしあわびを探させて、昼に食べようと出かけました。

辰さんと子供らが3人、後の3人でもう一艘こゆるぎの岬に向かい磯で子供らがもぐりました。

「ホイ、大振りのあわびが見つかったか、そりゃなんでぃ」

「しったかだよ、しらねえのかよ」

「なにょお、駄洒落を言ってやがる、そんなもの知るわきゃねえだろう」江戸育ちの辰さんは見たことの無い貝に「さざえの小さいのじゃねえのか」とぶつぶつ言っています。

ながれめもあったらとってこいよ」寅吉が言うと「あんちゃん、よく知ってるじゃねえか、とこぶが今のところに多く見えたから三人ですぐ10個くらいは採ってこれるから、そしたらながれめが多いところに行こうぜ」子供たちが数多く探してきた貝を持って恵比寿屋に戻り、子供たちには江戸のものをいくつかと駄賃をやって、八つ頃に稚児ヶ淵で会う約束をしました。

岩場で女中さんと番頭さんが仕度をしてくれた昼の集まりは豊富な貝と竹の子にアジのたたき。

「こんなに取れましたか、中々に子供たちもしっかりしていて気に入らないとこんなに多くは探してきません」

宿の女中がそういうので「奇麗どころが見てるから張り切ったんじゃねえのか」

「それだけではこんなにも多くはもぐりゃしませんです、小遣い稼ぎだけでは動かない子達ですよ、よほど皆さんの事が気に入ったようです」

「そうか、あいつら今日は機嫌がよい日なんじゃねえか、よい日にぶつかったもんだ」

貝は海草をかけて蒸したり焼いたりと色々仕度をして昼間から宴会気分ですが、さすがにお酒は控えました。

「やはり酒があるほうがこの貝の煮たやつは旨そうだ、少しだけだが一杯づつ頂こう」

そう寅吉が言って皆に一杯ずつの冷や酒が出されました、貝のいろんなものが堪能できて腹いっぱいたべて、部屋でしばらくまどろみ、また島内巡りの散策に出かけました。

案内の者がついてくれて、辺津宮は権現作りだそうで源実朝公の創建という話、中津宮は市寸島比賣命が祭られていてこの神様が弁天様に同じとされまして島の守り神であると説明してくれます。

「三女神全てが弁天様だといわれることもあるのですが」

奥津宮に回り説明にも力が入る中、寅吉は八方睨みの亀に魅入っていた。

今朝の夢の連想が寅吉を子供頃に戻したようだ。

八臂弁財天がここにあり子供のとき父ときたときには岩本楼に有ったのを思い出した。

「なぜだろう」言葉に出たのか「どうしたよ」かつ弥に聞かれたが「いやなどこから見ても亀に見られてるのはなぜかと思ってよ」とごまかすのだった。

あの日は岩本楼に泊まったのだ、お幸が生まれて間もないころの夏、親子4人で海水浴に腰越に来て鎌倉を経巡った思い出が沸々と浮かんできた。

今まで思い出しもし無かった記憶が次々に浮かび現在の自分とあの頃の幼い自分が同じような場所を見ている不思議な気持ちがするのだった。

案内の男ともわかれて富士見茶屋で菓子を買って、稚児ヶ淵に下りて今朝の子等と遊び、「金をためて自分の船を持ちたい」という夢を聞いたり、横浜や江戸の話をしてかつ弥とたか吉の歌を聞かせて遊び、夕暮れにようやく宿に戻りました。

 

「おきわさんよ、かつ弥はコタさんに気がねえのかよ」

「なぜさ、あの子はコタさんにほの字が丸出しじゃねえか」

「だってよう、ここの弁天様に男女一緒におまいりすると夫婦別れするというじゃねえか、常磐津の講中も、新内の講中も必ず男参りと女参りが別の日だぜ」

「何でも昔の話だが、この前の入り江が湖になっていた頃に、悪い龍を静めるために弁天様が夫婦になるから悪さをしちゃいけねえと言って、お静めになられて夫婦で、この島を守ってるそうだ、それだからこれから夫婦になるものが、来ても平気だと卯三郎さんに言われたからそんなとこじゃねえのか」

「それで平気でコタさんと歩いてるのか、しんぺぇして損したぜ」

「それよりコタさんさ、まるで妹くらいにしか思っちゃいないよ、これからどうなるか気がもめるよ」

同じような話はきみ香のほうでも出たらしく男連中は気がもめる様子。

皆がコタさんもかつ弥も好きな連中ばかりの江ノ島詣で。

「御膳がすみましたら、昨晩のお芝居の話を宿のものが楽しみにして居りますから、今晩もお聞かせいただけませんでしょうか、洲鼻の若夫婦もお聞きしたいがご都合をお聞かせくださいと申して来て居ります」女将がおきわさんに聞けば「いいともさ芝居のことは商売の芸者の話より好きな連中ばかりさ」

昨晩はいなかった洲鼻の恵比寿屋茂八夫婦も来て音羽屋が羽左衛門から家橘になったこと、弁天小僧は岩本院の稚児上がりの設定のこと、二世河竹新七が書く物は白波ものが多いこと、昨日のおさらいを一渡り話して昨晩は其処まで行かなかった5人が勢ぞろいする稲瀬川勢揃い/ツラネの科白。 

さてその次は江の島の 岩本院の稚児上り 平素(ふだん)着馴れし振袖から 

髷も島田に由比ヶ浜 打ち込む波にしっぽりと 女に化けて美人局 

油断のならねえ小娘も 小袋坂に身の破れ 悪い浮名も竜の口 

土の牢へも二度三度 段々潜る鳥居数 八幡様の氏子にて 

鎌倉無宿と肩書も 島に育って其の名さえ 弁天小僧菊之助。 

かつ弥の科白に合わせてなぞるように口ずさむ者もいて懸命に覚えようとしています。

「今年も大当たりはまちげえねえから、これからは来る人のうち芝居好きならきっと覚えていなさるだろう」かつ弥がそういえば

「芝居絵を買って送ってくだされ」与次郎さんに若夫婦が頼んで居ります。

夜が更けるまでまたも話が続く恵比寿屋のなかでした。

   
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第四部-2 江の島詣で 2

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