・ 江の島詣で 川崎宿
かつ弥の希望の江ノ島詣でが実現したのは4月になってからだった。
この月は参勤交代の大名行列も多く街道を上り下りするが、春駒屋さんが触れ書きを詳細に調べ宿の手配もしてくれて、この日に江戸を立ち1日目・川崎泊まり、2日目・藤沢泊まり・3日目お目当ての江ノ島、4日目も江ノ島に泊まり、5日目鎌倉から朝比奈を越えて金沢泊まり6日目横浜に出て虎太郎が手に入れた野毛の家に泊まり、7日目居留地の見物のあと野毛泊まり、8日目青木町の店を見てから品川泊まり翌日、家に戻るという9日掛かりの道中。
寅吉、かつ弥に淀屋さんの骨折りで、たか吉が行ける事になり、きみ香、おきわさんにお金、源司、たか吉の箱やの与次郎さん、この人は藤沢の生まれでこのあたりの入り組んだ道にも詳しいので色々と案内していただけるというので楽しみです。
辰さんがこの月から寅吉の元で働くことになり同行して帰りに横浜で千代のもとで働き始めるということになり、9人連れで出かけました。
朝おつねさんに見送られて寅吉と辰さんは柳橋に向かい、そこで江ノ島詣での一行と合流して出かけるのだった。
柳橋を渡り広小路から米沢町に出て、其処から通り塩町を経て堀留めから江戸橋へ出た。
其処からは楓川沿いに白魚橋に出てさらに三十間堀に沿って進み、出雲町で大通りに出て東海道を上ります。
新橋を渡れば其処は芝口一丁目増上寺まではすぐ其処、飯倉神明宮に寄って参詣。
「ここが、め組の喧嘩で有名な芝の大神宮かよ、始めてきたよ」おきわさんが言えば役者の見立てを話題にして寅吉を苦笑させるしで、それぞれが参詣を済ませるまで大分時間がとられます。
増上寺は安養院の三明様にお会いして旅立ちの挨拶をいたしました。
「コタさんや、この間いただいた懐中時計のお礼にな、同じような品のよい金張りと銀のものが買いたいというのじゃが二つでいくらくらいで買えるか帰りがけにでも知らせておくれ、何ひとつ100両とでも吹っかけて大丈夫だよ」
「では今懐にあるこれはいかがでしょうか、そのくらいの値打ちはあると思います」
この間手に入れた裏蓋に西洋美人の浮き彫りのある銀張り。
手にとって「おやこれは美人じゃがお連れさんがたには勝てませんな」
三明様は洒脱なお方でございます「聞けば川崎どまりなら時間はあるから、皆さんは本堂や境内を散策していなされ、コタさんはわしと来ておくれ」
其の足でこの間香木を買い入れてくださったお二人の内諌山様の居られる広沢院まで出かけ品を見せると目の色が変わるかと思うほど裏表を見て「この裏の機械は見る事ができるか」そうおっしゃれるので財布に入れてある機械用のねじ回しで開けて御見せいたしました。
「なんと細かい細工じゃ、すばらしいものじゃのう、なぁコタさんやこれを本当に手放してもよいのかな」
「はい此方さまにはお力にいつもなって頂いておりますので、私でできることはさせていただきやす」
「そうかでは、百金で手放してもよいかな」
「お任せいたします、それだけの値打ちは充分ある品物と自負いたして居ります、ただ同じ品物が手に入れるのは難しいので金張りのほうはあちらの建物がかかれたものになりますがそれでもよろしいでしょうか」
「ファッハッハ、あれなぁ董全さんは堅物じゃからこんな女子の絵姿は欲しがるまいよ、なぁ三明殿」
「左様でございますよ、諌山さんよ」
「マァ金を持っておいき」と百両の包みをを出してくださって「後でこっちがよいなどというといかんから花岳院まで行きましょうかの」と三人で董全様を訪ねました。
やはりこれではだめということで青木町においてあるTobiasというメーカーの写真を御見せいたしました、これは向こうのパンフレットを22番館で見つけて時計を2種類三台ずつも手に入れたときに頂いて財布に入れておいたものです。
「これはよい品らしいな、どのくらいで手に入るかな」
「これはイギリスでの引き札では21ポンド16シリング交換比率で計算すると55両となりますが横浜相場で80両となります。それと飾りつきはここに書いてあるようにあちらで32ポンド8シリング大体82両位でございます、横浜相場110両でございます」
「コタさんの儲けは入れていくらで手放すのじゃ、2つ買うから250両で渡して呉れれば買いたいものじゃ」
「ありがとうございます、それで今回は10日近く江ノ島へ詣でますので帰りがけに寄らせていただくか、だれかに届けさせましょうか」
「イヤイヤコタさんから手渡して欲しいから帰りでよいぞ」
「ではそうさせていただきます」しかし後の二人がパンフレットを食いつくように見て、わしらもこの飾り付きを買おうぞ、かおうぞ」と目の色が変わってきました。
「判りましたではこういたしましょう、董全様の片方は100両でお願いをいたして、飾りつきは私が三台330両で買い付けてきますからお一人弐拾両宛儲けさせてください」
「それでは儲けが少なかろう」とお三人が口をそろえておっしゃられますが「これで御願いできますれば私の果報でございます」きっぱりと申し上げると。
「よしよし、強情物め、ほかで儲けをよこせとの催促と取ってもよいな」と三明様が笑いながら言えば「そうじゃなこの間よこした、あく抜き用の石鹸を買おうじゃないか、ほや磨きは手がかかるが此方は小坊主が多いから石鹸だけでよいぞ、ランプは誰が掛かりじゃつた」董全様が二人に聞くと「善正坊じゃよ、あいつにランプを買わせさすのかよ」
「うむ、この間蝋燭よりも良いと言って居ったがどうしたか調べて、買っていなければ注文を出そうぞ」
「では春駒屋さんにご連絡をいただければ誰か人を差し向かわせますのでよろしく御願いをいたします、洗濯用のあの石鹸はお幾つ納入させましょうか、春駒屋さんには確か弐拾袋はあると思いますが」
「一袋に幾つ入っておる」
「1ポンドなので大体百二十匁のものが20個入って居ります」
「今20台のランプを買ってあるはずじゃから一台にひと月1個とすれば半年で6個じゃから120個で6袋納入させなされよ、それはすぐ入れて良いぞ」
「後ランプを買わせられればまた同じ計算で入れなされ」
「値段はそちらの思いのままといってもあまり儲けぬ男じゃからのう」と大口を開けて笑う三人の坊様でございました。
董全様とお二人にお礼を申し上げて境内を散策しつかれた様子のかつ弥たちを休み處で見つけ、山門から出ると笑いながら出てくる三人に出会い、それぞれの名を紹介して、お別れを致しました。
「コタさん連れがこんなに奇麗どころばかりでは気疲れで帰りの時計を忘れなさるな」とまた大笑いを背に表門を後に致しました。
古川に掛かる金杉橋を渡ると海が見え昼を過ぎて一行の腹がなる音が聞こえてくるようです。
「コタさんひもじくて腹が北やまだぁ」
「たか吉よ品川でうまいものをたんと食わすから我慢しろよ」
「義士焼が食べたいがこっちにゃ売ってないかよ」
「高輪の泉岳寺におまいりするかよ」寅吉が言うと、おきわさんまでが「腹がすいているから品川に早く行こうぜ」など言うので「先の月に泉岳寺門前にも義士焼の店を出したよ、そこの茶店で一人ひとつ宛て、食べてから八つには品川で昼飯たぁどうでえ」
「コタさんよそいつにしょうぜ、甘いものでも腹にはいりゃ歩くにも力がでらあ」
辰さんまでが腹がすいたようでございます、予想外にも増上寺で時間がとられましたから予定よりは遅れ気味。
先生と岩さんに説得され、千代も了解して辰さんは千代の下につきます。
呼び名は辰兄いでも、下っ端扱いは仕方ないと納得いたしての旅で岩さんにも「帰りの横浜ではコタさんを旦那といわねきゃいけねえ」と念をおされての遊山旅、根がお人よしで寅吉には信服しているのでそれは問題なさそうです。
源司に与次郎さんもほっとしたようでございます。
「コタさん、義士焼きの店は今いくつ出していなさるよ」
「待てよ数えてみねえとわからねえ、神田の最初の見世は共同で出したから勘定からはずしてと、其の後冨松町、深川八幡と永代寺、浅草は森田町に奥山、神田明神の近くが二軒、これで七軒、品川が二軒と泉岳寺に芝の大明神裏、青木町に野毛と居留地内弁天町2丁目で十四軒出してあるよ、後は惣兵衛さんとの半々の見世が五軒全部で義士焼は二十軒あるはずだよ」
「ここは春駒屋さんの方で人を出してもらってるから、おいらが出した見世とはしらねえだろうから、ここではその話は持ち出すなよ」
大木戸を過ぎれば高輪の泉岳寺はもう目の前、海辺から右手に入り、義士焼きの幟も新しい茶店に入り木陰の縁台に座ると、一人ひとつでは足りなそうで追加をして半分ずつ食べて、念をいれてあるのでここでは義士焼からの連想か泉岳寺にちなんで、芝居の仮名手本の話で役者の評判、昨年評判の四段目を、辰さんが声色で由良乃介の片岡我童にゑん谷判官を沢村訥升のまねで源司がやれば大星力弥の沢村田之助をおきわさんと芸達者には事欠きません。
仮名手本忠臣蔵の六段目は早野勘平の中村福助をかつ弥がやれば、女房おかるの尾上菊五郎はたか吉がやって見せます。
負けてならじときみ香が同じおかるをやるが、寅吉には誰かわからず聞けば「三段目の鎌倉殿中の場の裏門での道行きでござんす、腰元おかるでござんすよ、沢村田之助さぁ」おきわさんに呆れた顔をされてしまいます。
茶店の女たちも「お客様方はよくご存知で芸達者でいらっしゃいます、昨年は大層な大当たりでこのあたりからも泊まりがけで出かけるものまでありました」と大いに褒められ与次郎さんまで形を付けて早野勘平を坂東彦三郎で手を広げて睨みを利かせます。
これには見ていたものもそばにいたほかの老人たちまでやんやの喝采のうちに出かけます。
歩行新宿から北品川本宿を過ぎて、ようやく中の橋を渡り南品川本宿の春駒屋さんについて旦那に挨拶をすればお雪さんが出てきて、川沿いの道を「はるのや」まで案内してくれます。
「おせえじゃねえか何か事故にでも巻き込まれでもしたかとしんぺえじゃねえかよ」
言葉は乱暴ですが気が優しいお雪さんです。
おっかさんが出てきてくれて「サァさぁ、中へお通りください、お雪もなんですかご近所中に聞こえるような声を張り上げて」
「声が大きいのは最近義士焼で売り声の上げすぎで地声になっちまったよ」これは寅吉に聞かせるせりふ。
「すぐお仕度しますから此方でお寛ぎください」部屋は海が見渡せる二階の広間しきりに屏風を立てて有ります、涼しい風に屋根の上に張り出した台まで出て品川沖に浮かぶ白帆を見ていると黒い煙も勇ましい軍艦が近づいてきました。
「あれは順動丸だが先生でも乗っていなさるのかな」
後で聞けば矢田堀様が指揮をして3日の日に京阪に出動されたとのことでした、先生はこの頃は京で忙しく働いておりました。
頼んであった道中薬に海苔なども荷物に加え、ゆっくりと食事をしたので出たのは七つ頃になりましたが寅吉は時計を置いてきたので今の正確な時刻には換算できませんが日暮れまでには川崎に入れる予定。
先に皆を行かせ春駒屋さんで今日頼まれた石鹸の手配をお願いして、時計のことも報告をし旦那とお雪さんに別れて先に行く皆を追いかけて出かけました。
立合川を過ぎ鈴ヶ森も通り過ぎて梅屋敷の和中散の前で一行に追いつきました。
「船が出るよ〜」街道はすき始めていて船も待たずに乗れ、川崎側で一人十六文ここだけは幕府の統制で変わらないが、町の物価は恐ろしい勢いで変動していた。
寅吉が始めた蕎麦屋でもかけそばが何十年かぶりで十六文から弐拾文に値上げされたがこれだって統制から外れればいくらになるやら。
今日の宿は藤や、本陣を通り過ぎて問屋場の先の右側構えもゆかしい落ちついたたた住まいで客引きも出て「こちらが藤やでございます、お決まりですか部屋も空いて居ります」と客を誘います。
「予約してる虎屋でございます」と声をかけると「お待ち申しておりました、番頭さん寅屋様のご一行様だよ」一行がついたときには日も暮れ掛かる頃合で、おきわさんが心付けを弾んだか女将が挨拶に出て「お待ち申しておりました初旅の方ありとお聞き申しておりましたさぞお疲れでございましょう、お風呂が沸いて居ります男衆はこちら側から階段を降りた所にございます、女子衆は反対にこちら側から降りてくださいませ」右と左から降りて背中合わせに男女別とは豪勢な風呂に作り、五人ほど入っても洗い場にゆとりがあるというもの、ゆったりと湯に浸かり風呂で今日の汗を流します。
風呂から出れば春駒屋さんの顔が利いてか、豪勢な酒飯が並び全員が上下なく膳につき飯盛りの女子衆が何くれとなく世話を焼いてくれます。
女遊びは出来ないという宿を紹介されているので大人しく飯を喰いながらでも、色町育ちの男ばかり、其処は口がうまく給仕に出てる三人の飯盛りも笑わせながら食が進みます。
「お姉さん方は街道で道行く人に磨かれて江戸の女子しにも負けねえ垢抜けたもんじゃねえか」源司はこういう風に口はうまいがもう50に手が届くという老人の部類。
「あれ此方の旦那は口がうまくて私ゃほの字になっちまう」
「いいともどんどんほれてくれ、こう見えても江戸じゃかかあに子供が三人待ってるが、街道に出りゃこっちのもんだ」口だけ源氏という仇名の通り見かけは源氏の公達のように優男、箱やで家を支えているわけではなく神さんのやる小間物屋で所帯を張るという甲斐性なし。
年をとっておはつさん、おつねさんに拾われてからは、寅吉を大将と呼ぶほど入れ込んで尽くす普段ですが口は旅に出て地が出ます。
「明日は、五つ立ちだからよく足をもんで寝るんだよ」寅吉がかつ弥、たか吉によく教えて足の裏をもんでやり「後は交互にやるんだ」とつぼだけはお金にもよく教え込みます。
わらじ擦れもなく今日は楽に歩いての一日。
二つの部屋で男と女が別れ寝に尽きますが寅吉に青木町から連絡のつなぎが来ました。
「判った明日昼には付くから、笹岡さんに任せると伝えてくれよ、夜道は物騒だから気をつけてゆけよ、できりゃどこかにしけこんで夜明け前後に出て帰れよ、寝過ごすなよ」と懐から一分金を出して渡します。
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