横浜幻想
 其の四 遷座祭 阿井一矢




登場人物 (年齢は数えと満とに分かれています1870年)

ケンゾー 1949年( 嘉永2年 )生まれ 22歳
      
( 吉田健三 Mr.ケン )

正太郎  1856年( 安政3年 )生まれ 15歳

清次郎 13歳 花 9歳 まつ 7歳 (正太郎の弟妹)

おかつ 玄三 勝治 千寿 辰次郎 寅吉 容 春太郎 千代松 伝次郎

井関盛艮(知事・もりとめ)安部弘三 斉藤敬之

佐藤政養(與之助)  佐藤新九郎(立軒) 

亀次郎 倉 駒形町新地 → 尾上町

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太  ( 街の子供たち ) 

小春 小勢 松吉 吉弥 初弥 野毛町芸者

つね 京 すみ こよ     野毛町の子

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト 

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 6才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 26才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 27才

天下の糸平    ( 田中平八 )

海坊主の伊兵衛親方( 丸岡の親方 )俊 境町二丁目

喜重郎      ( 丸高屋の親方・高木喜重郎 )駒形町三丁目

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地

内田清七     ( 京屋 清七 )真砂町 


 遷座祭

遷座祭の準備で横浜は忙しかった、県庁脇では桟敷が作られて14日の大祭初日には居留地の各国公使、領事に要人も其処から出る花車、山車の行列を見物することになっていた。

山車の多くは豚屋火事で燃えてしまい、新たに作るのもまだ間に合わないので各地から借り集めて来たり、新調するだけの金を払って買って来りする町内もあった。

花車に山車を合わせると十五台、踊り屋台が二十二台も出るのでその人手の確保に大童で町内の役員は飛び回っていた。

なんせ子供の手古舞は三百人以上、芸者手古舞が百六十人其れを山車や花車の前に配置して歩かせるため山車の順番を決めるだけでも大騒ぎで夜っぴて会合が開かれる始末だ。

この祭りで使われる金は五万両を下るまいという噂が飛び交っている。

若い女衆の町内揃いの浴衣にパッチ、粋にエド好みの豆絞りの鉢巻きを後ろ上がり鍬形にきりりと巻く様も近頃はさまになってきていた。

「相場師の多い横浜では前下がりなど口が裂けても言うこっちやない」

そういきがる人も多いのだ。

深川、神田、浅草と祭りの中で育ったような容にとっては水を得た魚のような楽しい日の連続だった。

明子を抱いた元という子守を引き連れては子の神社での朝と夕の踊り屋台での所作の指導に忙しかった、お鳥の組とお容の組であわせると五十人もの踊り手の指導を引き受けていた。

朝の踊りが終わると一休みして今度は手古舞だ、芸者が十人と町の娘さんたちが二十人木遣りや里謡の声を揃えて歩く練習だ。容は初祢という芸者をリーダー格に選んで最初の唄いだしの調子の合わせ方を教えていた。

野毛の役宅の子供たちも踊りや手古舞に混ぜてもらうことに否やを言う大人の居ないくらいどころか進んで連れてくるほど盛り上がってきていた。

踊り屋台の娘たちを容は上手な組とそれほどでもない組を朝と夕に分けたのだ、本人たちは其れを知らないが屋台が違えばそれほどでない子でもそれなりに見栄えがするのだ。

笛や太鼓に合わせて三味を弾く容を見てはしゃぐ明子に、教わる子達も気持ちよく練習できていた。

練習風景は元町でも関内の随所でも毎日のように見られるのだ。

そのような喧騒の最中に吉田新田地主吉田勘兵衛と吉田常次郎、弁天通の越前屋惣兵衛、同の橋本屋弁蔵、本町から福島屋長兵衛に松屋伊助が吉田新田沼地を約七万坪にわたり埋め立ての上で拝借の儀を神奈川県知事にお伺いを立てた。

しかし県庁からは他に埋め立て希望者がおるやも知れずと簡単に許可が降りてこなかった。

先月、喜重郎さんの丸高屋に相談に来た勘兵衛老人に東京の寺島外務大輔を紹介して会いに行かせたのはその場に居た石川寧だ。

井関知事に待ったをかけたのは表向き外務卿の沢宣嘉で、裏は誰なのか推測でしかなかったが、山城屋から埋め立て工事の人員の確保について真砂町の京屋清七こと内田清七に打診があったのでそうでは無いかと其のとき誰もが思ったことだ。

「しかし外務卿が何で埋め立てに対して口を挟むんだ」

誰もがそう感じても不思議ではあるまい。

水曜日の昼に船で戻った老人は其の足で越前屋へ向かい「どうやら此方の工事見積もりを正当と認めてくれそうだ。ただ滝頭へ掘割を切り開いて水を落とすように知事閣下へ申し送りがなされるが、我々の言い分が通る事は間違いない」と胸をなでおろしていた。

実は民部、大蔵卿はこのとき伊達宗城で大蔵小輔の伊藤博文へ手を回したのは寅吉だった。

伊藤は大隈とはかり鮫島を通じて寺島を動かして外務卿の沢に「このようなことを為されますと横浜の発展に支障がきたします」とやんわりと釘をさしてもらったのだ。

「横浜の発展はわが国のため多大な税収をもたらしてくれます。今まで新田開発埋め立てで実績もあり、其の手腕の確かなものにさせるほうが無駄もありません」大隈と寺島の理路整然として、地図で指し示した埋め立て計画と掘割の利便さは横浜へ何度も足を運んだことのある政府の高官には直ぐ理解できたのだ。

山城屋の仲間が出してきた案では政府からの援助を持って一気に埋め立て、其処を希望者に売り渡すという人頼みの虫のよい案でしかない事が一目瞭然だった。

此処まで話が進むのに10日ほどで勘兵衛老人が戻って来られたのは早く片がついたほうであった。

此れが旧幕府時代だとこうは行かないと新政府を持ち上げるものは多かった。

東京府に和泉要助たちが人力車営業の認可届けを出したのが3月17日、認可が下りたのが22日という仕事の速さにも其の有効性が現れていた。

横浜では4月20日以降の営業という達しが出て蓮杖さんは東京へ出て和泉たちへ渡りをつけて高山から製作の許可を受けて帰ってきた、車輪は馬車の物を使い座席を工夫すれば同じように作れると踏んで直ぐ製作依頼を丸高屋へ出してきた。

ワトソンさんはTJと相談して駒形町三丁目の仕事場で早速試作品を一台製作した。

寅吉が松蔵と見物に寄ると少し座席の位置が不安定で改良の余地が有りそうだった。

蓮杖さんも含めて相談の結果座席の前を二段にして足台を置いて乗りやすくしたし後ろにひっくり返らぬ用心に尺あまりの用心棒をつけて見たし、車夫が座席で休まないように其の足台を腰掛けに利用させることと座席にケットを置いて客の膝に掛ける事にしたのは蓮杖さんのアイデアだった。

「コタさんよ裏の附いたケットを30枚ほど買うから大きさを六尺の四角で縁を飾りつきでかがってくれ」

「分かった、羅紗のblanketでいいな、色は緑と赤があるがどうする」

「重くなければ二枚重ねでどうだ、裏と表がわかっていいぜ」

「冬はいいがこれからは夏だぜ」

「そうか何とかならんか」

「羅紗の赤にシルクの緑をつければ軽くてすべりもいいぜ」

「オッそいつをいただきだ、其れで頼む。高いのは駄目だぜ」

「いつものことだ、任せておきな。ところで馬車の客にもどうだ」

「まずは30枚だけ頼む、リキシャは10台だけの認可なのでまだ先の事は判らねえよ」

「そういいながら30枚作るのはなぜだ」

「そりゃ」と其処で一息ついてやっと考えがついたか「そりゃ、お前ぇ洗い替えだよ。其れと車引きと後ろから押す奴とで駕籠担きの相性のいい奴を組ませて走らせる予定だ当分は其のやり方で道や車の扱いを覚えさせる」

どうやらリキシャを大分増やして馬車の先行きの不安を払拭しておく算段のようだ「このやり方なら新しい奴が入るたびに後ろの助をやりながら勉強になるぜ」

「ところでリキシャの責任者は自分でやるのか」

Hackに任せることにした。会社の株を二百両として俺は半分だして佐野屋が五十両、Hackがどう工面したか五十両持参した、そいつでとりあえずリキシャを十台作って車夫に駕籠担き宿の米兼(マイケン)から人を借りて始めることにした。あちらもそうしたいが今のところリキシャを作る金の工夫がつかないそうだ」

「駕籠担き宿と上手く付き合って融通しあいなよ」

「分かっているさ。俺も喧嘩をしてまでやるのは好きじゃねえのさ」

そういうやり取りの後「俺のほかにももう町を回って認可を受ける準備をした東京からのリキシャは二十台がとこ走らせるといっていたぜ」

「当たると踏んだ奴は多いようだ」

ワトソンさんとTJは此方の話には加わらず盛んに細工の工夫を話し合っていた、後五日はどうせ町が喧騒で大工の方は屋台やもろもろの作り物に借り出されているので二人は他にやる事がないのだ。

「一台出来たのはHackと甚五郎で十二天付近で交互に引く練習をさせておこう。馬車は他のものでも間に合うからな」

そう話すと出来あがったリキシャを自分で引いて成駒屋へ帰っていった。

遷座祭が四日後に近づいた真砂町の町田房蔵の店ではアイスクリンと氷水の販売を開始した。

大きな台に据えた氷を清潔な鉋で削り取り、ガラスの鉢へ入れて其処へ砂糖水や小豆の甘く柔らかに煮上げた物を入れて出すのは大当たりであった。

其れはこの二日ほど前からの異常な暑い陽気のせいもあって、氷が解けるのが先か削り取られるのかわからないほど暑い中を職人が懸命に働かなければ間に合わないのだった。

もうお祭り気分で着飾った子供を連れて「汚すんじゃないよ」という親には房蔵の神さんが縁台に座らせ、紐のついた風呂敷を渡して首の前にかけさせてから氷水やアイスクリンを渡していた。

水兵など各国のものが入り混じってアイスクリンを食べに来ていた。

それに混ざり、リキシャを預けてきた蓮杖さんも早速食べて「こいつはいい。コタさんが作ってくれたものより数段旨い」と絶賛した。

店が開かれる前から口コミで安く食べられるという評判が船員に広がっていたので、商船の乗組員までがアイスクリームメーカーを廻している町田を見ながら出来上がるのが待ち遠しいという顔で見世の周りでたむろしていた。

寅吉と松蔵が覗きに来ると手を休めず廻しながら「二台の器械では間に合いませんぜ」

「そうは言っても下手な奴が廻してもいいアイスクリンにはならないだろう。あと何台あればいいんだ、借りてきてやるが廻す人間が居るのかよ」

「大丈夫ですよ。ほらこいつが俺より上手に廻しますから」

そういってやっと出来上がったアイスクリンを若い男に渡すと直ぐに待っている水兵に神さんが売り始めた。

氷水の方はあずきに人気があるようだ、砂糖水と同じ値段ならと小豆入りを注文するらしい。

「九字に開けてからひっきりなしですぜ。替わり番子に廻しているので何とかやっていますが明日からもこの調子では早めに助の人をお借りしないとこっちが倒れてしまいます。もう少し高くすれば少しは客が減りますかね」

「ばかなことを考え為さんな。助は東京から午後の馬車で来るから明日からだよ」呆れた寅吉は其れでも「とりあえず二台は借りてきてやるよ。一台で十人分くらいしか出来ないからせいぜい気張って稼いでくれ」

「頼みましたぜ、先ほど氷の追加も横浜氷会社へ出したくらい忙しいですよ」

房蔵は一休みすると裏へ入り、中の容器に砂糖二斤と氷の入れた茶箱で冷やしておいたミルク五合を量り入れてから、生クリーム湯飲み一杯と卵黄二つを更に入れて外側へ氷と塩を入れてやっとアイスクリームメーカーを持って客の見えるところへ出てくると懸命に取っ手を廻し始めた。

「松造さんよう、お前さん作り方を教えただけでなく自分でもやればいいのになぜやらないのです」

自分の胸を指し示しながら「実はここをやられてなあ、病気持ではいかんだろう。だから房蔵の手伝いもしないのさ」

「それほど病のようには見えませんが」

「咳が出ると中々とまらんのだよ、特に急に飲み物を飲んだりするといかんな、後自分のつばでも咳き込んだりする」

「医者に見せましたか、自分の判断だけではいけませんぜ。今は異国の医者もいいのが多く居ますから一度見せたらいかがですか」

「いや、いいのだよ。俺は昔の事もあるから今の時代に生きたいとも思わんのだ」

「そんなことをいわずに勝先生もあなたの事を心配されていましたよ」

「其れより例のことを頼むよ」

「いいですとも、必ず探して身の立つようにお世話します」

「横浜に居るはずと思うのだがどうしても見つからんのだ」

「お容にとっても元のご主人でござんすから、横浜に居れば必ず探してごらんに入れますぜ」

「弓太郎は確か今年で二十歳だ、上野の戦の後仙台までは足跡があるが函館へは行かずに行方が其処から分からんのだ。昨年江戸で横浜へ行くと友人へ手紙が来たということだけで、どこから出されたものやら分からないのは玄関先へ投げ込まれていたそうだ」

「せめて最近の顔つき背の高さとかが分かればいいのですが」

「俺も上野のとき以降どのように変わったか知らないしな。あの年頃の若者は三年もたてばすっかり変わる」

「投げ出してはいけやせんぜ。お希和様の事もありますからお容にとっては二重に縁のあるお方だ。必ず身の立つようにして差し上げますぜ」

「頼んだよ、横浜ではお前さんしかこのような事は頼めんのだ」

馬車ではなく船で帰るという出島松造を寅吉は見送りに波止場へ出た。

「もしかしたら蝦夷地へ開拓に渡るかも」

「え、本気ですか」

「北海道開拓使へ奉職する様に要請されている、亜米利加帰りの語学力が役立てばいいが」

寅吉はくれぐれも医者に掛かるように勧めて波止場から小型船でエド号へ向かう松造を見送った。

さてどちらへ行こうかと考えていた寅吉の前へケンゾーが現れて声をかけた。

「旦那どういたされました。最近お一人のことが多いですね」

Mr.ケンか。最近は連絡員も遷座祭の手伝いで駆る出されることが多いのだよ」

Mr.は勘弁してくださいよ」

「いいじゃねえか。其れよりどこから現れた」

「伊太利亜領事館で頼まれていたものを納めながらVeneziaGlassを入れる相談です。Mr.Andreisじゃ埒が明かないので直接買えないかあたりに来ました」

「アントレースのおっさんは抜け目がないからな、しかしバーターで持ちかければ案外と手数料を安くしてくれるぜ」

「そうでしたか、ではもう一度当たってみましょう」

「そうしてやんな。俺のほうは知り合いをエド号へ送りに来たのさ。今艀で船へ向かった所だ。これから町田さんに追加を頼まれてジェラールとヤールのアイスクリームメーカーを借りに行くのだが一緒に行くか」

「お供いたします」

「正太郎はどうした」

「弟に妹を迎えに程谷へ出かけました。今日は向こうへ泊まらせるので明日の昼には帰ってきます。妹二人は馬へ乗せて来るそうです」

「大丈夫なのか」

「この間出かけたときに知り合いの伯楽に頼んで乗せた所が大層喜んだそうで心配は無いそうです」

「いっそのこと馬車を頼んで迎えに行けばよかったのに」

「まさかそんな贅沢なことをさせてはいけませんよ。向こうの宿の人たちが腰を抜かしかねません」

はははと大きな声で寅吉が笑うのでケンゾーもつられて「大げさでしたかね」とやはり大きな声で笑ってしまうのだった。

「其れとConsulに聞いたのですがアヘンが出回っているそうで御座います」

「またか、それで今度は規模が大きいのか」

「まだ居留地には少ないようですが、清国人に喫煙経験のあるものが紛れ込んで来ているらしいそうです」

「確か探索に支那人を雇ったんだろ、そっちでは見つけられないようなのか」

「英吉利があれだけ清国に流し込んだ影響は簡単に排除できないようです。吸えば其れが癖になって仕舞には働くことも出来ないほど体を蝕まれるそうで、癩や瘡よりも始末に悪いそうです。後上海からの情報で天然痘が流行りだしたそうで御座います」

「そいつは困ったことだな。今からだと三月もすれば横浜へ来るだろう、うっかりすれば大変だ早矢仕先生やニュートン先生に言って早めに牛痘の種を集めていただかないといけねえな。うちの明子や知り合いの子供たちには必ず接種を受けさせよう」

「其れがよろしいでしょう。牛痘をすれば万人に一人くらいしか発病しないといわれていますから」

道々またもアヘンのことを話しながら進み安部にも話してポリスの居留地への目配りも頼んでおこうということになった。

三百人の県庁職員のうちポリスを入れても横浜町と居留地を犯罪から守るのは僅か二十人ほどで後は臨時に駈使を使う位なのだ。

後は各町の目明かしが頼りだ。

ベンソンの指揮下のものは犯罪にはあまり関与しないのだった。

「其れより旦那、この間紹介してくださった魯文さんですが明日から横浜へ遊びに来ると手紙が来ましたがどうにも泊まる宿屋が取れません。どこを聞いても生憎と言われる始末です」

「お前のところはどうなんだ。部屋は余裕があるのだろ」

「正太郎の部屋に子供たち全て入れても足らないのです。なんせ魯文さんは八人で三日間世話してくれと言ってきているし、手紙を出して直ぐにこっちへ向かったそうです」

「いつものつもりなんだろうな。仕方ねえなぁ、思いつきで祭り見物としゃれ込んで遊んでこようという算段だろう。岡本も長崎屋も駄目だったか」

「どちらも遷座祭が終わるまでは相部屋でもという客でもう二進も三進もいかないということでした」

「新吉原で遊ばしてそのまま泊まらせるのもこの時期は無理があるしな、桜花亭も満杯だし仕方ねえ元町の俺の部屋と後は事務所にBedを運び込んで寝かせるか」

「それでいいでしょうか」

「仕方ねえだろ、この際寝る所が確保できれば文句を言わせる請っちゃねえさ。朝飯はまかないで夜は中川で牛鍋でも食わせて置けば十分だろう。風呂は地蔵湯へ行かせれば済むしな。野毛だって手古舞の小さな子をいくたりも今日から泊まらせるのさ、そいつらの家では客が尋ねてきても泊める所は自分の家しかないからな」

「ですが伊藤さんもこられるのでしょう。あの人はどういたします。大勢でこられるかもしれませんよ」

「伊藤さんかあの人は偉くなっても物置部屋でも寝られる人だよ」

「まさか本気で人足部屋へ」

「そんな事はしないよ。山手のほうには勝先生や資美様が何時来ても泊まれるように余分に部屋があるから其処なら十人は大丈夫だ」

「よかった心配しましたよ。だんなのことだ大部屋で雑魚寝など本気で行いそうだと思ってしまいましたよ」

「俺や勝先生とならそれでもいいがそうも行くまい。伊藤さんはどうせ何人かは連れてくるから俺と容は明子を連れて野毛で篭城さ。其れより今晩高島さんと會芳楼で食事会があるがケンゾーも来るか。Mr.MorelMr.Diackにうるさ型のMr.Englandの三人を高島さんが招待したんだ。他の技師の十五人ほどはMr.Whatmanが番頭の大島さんと率いて神風楼で遊ぶそうだ。明日から五日間は特別休暇で予備測量も休みなんだそうだ」

「いよいよ本格的な測量と線路の位置が決まりそうですか」

「そうなりそうだ。今晩お前さんに来て欲しいのは線路のゲージ幅をスタンダードにしてほしいと説得してもらいたいからさ。なんせ親玉が例の大隈様で予算に厳しいからな」

「そうでしたか、インドで見たゲージ幅はイギリス本国に比べて大分狭くて輸送力が落ちてしまうようでした。4 feet 8.5 inchのスタンダードなら申し分ないのですが」

バンドを二人で鉄道のことを話しながらジェラールの事務所へついたのは一字を十分ほど過ぎたころだった。

スジャンヌが客の相手をしていたので少し待たされたが用件を話すと奇麗に包まれた容器を直ぐに出してきた。

「此れはコタさんから借りたままだから一応お返しするということでお預けいたします」

「おや、其の言い方だとまた持って帰るように言われて居るようだ」

寅吉がふざけてそういうと「もちろんよ、旦那はそうでも言わないと忘れてしまうでしょ。来月には私も自分で作りたいしお友達とパーティを開くのには此れは必要よ」

「分かった分かった。間違いなく今月一杯で持ってくるよ。壊れたら今月末には新しいのが入って来るから任せておきな」

「あらそれなら新しいのがいいわ」

「仕方ねえなぁ、中古を引き取って新しいのを貸すのかよ」そうぼやきながら、ケンゾーに持たせて元町へ出るとジェラールの水屋敷へ寄った。

「せいが出るな」

ジェラールは人を何人も使ってラム酒の空き樽に水を詰めていた。

ケンゾーが珍しそうに見ていると「家の水は高いという奴にはこういうところを見せて水が腐らないようにするんだ、それなりに高いのはしょうがないというんだ」そういってラム酒を樽へ注いで満遍なく廻してから松明のように作った棒にもラムを注いで火をつけて樽へ点火した、あっという間に炎が上げるが直ぐに消えてラムの香りだけが工場に漂った。

「其れで直ぐに水を入れて栓を厳重にするのさ」

其の樽へ水を入れる大きな漏斗へ上から水が注ぎいれられた、溢れてくる水を其の侭に栓が打ち込まれた。

ほらこの栓の上に孔があるだろうこの孔に鉄棒を差し込んで捻りながら栓を抜くと取れるようになっているのさ。この栓さえ抜かなければ二月は持つのだよ最低でもコロンボまでは受けあうぜ。後は船の水桶に入れる分は割安だが鮮度は保障しないというんだ、そうすると船長は自分用にこいつを買ってくれるのさ」

ジェラールにスジャンヌからアイスクリームメーカーを借り出したことを寅吉が話して、さらに馬の話やレンガに瓦工場の話をしてようやく水屋敷を後にした。

箕輪坂から石川家の門前をとおり山手に上がり左手へさらに登ると右にはロベルトスミスの六十七番館、入り口にはバラが咲きだしていた、其の上がヘクト邸の六十八番館、早くも南側の井戸付近ではビール工場が試験稼動していた。

「せいが出るな」

指図していたヤールに声をかけると「コタさんの旦那お珍しい。ケンゾーとテニスでもなさりに来ましたか、それとも再来週の競馬の打ち合わせですか」

「テニスか其れもいいな、少し汗でも流していくか」

ケンゾーが驚いた、家の旦那テニスもやるのかと「旦那何時の間にテニスを始めました」

「まさか、冗談だよ。例のラケットなぞ持った事もないぜ」

「驚きましよ。テニスもやられるようになったかとね」

二人のやり取りを聞いていたヤールは笑いながら「コタさんそれでは競馬のほうですか」

「実は此れだ」そういってケンゾーが持つ荷を指し示して「アイスクリームメーカーが至急必要になってハンナに預けて有る分を借り出しに来たのさ」

競馬の話はこの際放って置くことにしたようだ。

「其れでしたらコートの方へお回りください。MissMayerと一緒に居ます」

一段高い場所に作られたコートへいくと二人は何人かの見物客の声援を受けながらコートを走り回っていた。

暫く見ていると決着がついたかMaidのヨンが差し出したタオルで汗を拭き拭きコートから出てきた。

「コタさんの旦那ようこそ。テニスをなさります」

「俺は遠慮しておくよ。其れよりアイスクリームメーカーを貸してくれないか」

「急ぎますか」

「どうしたい」

「今舅が食べたいというのでリンダが子供たちを手伝わせてハンドルを廻していますの」

「終わってからでいいが半月くらい借りて行っていいかい」

「今日が終わればいいですよ。そう毎日アイスクリームを食べさせるわけには行きませんもの」

台所へ行くとリンダが自分の子や遊びに来ている子供たちの前で懸命にハンドルを廻していた。

「あら旦那お久しぶり」

「ヤア元気そうだな、もう直できるのかい」

「後5分くらいでいいのかしら、でも皆にまわす分でも足りないので旦那の分は次の回よ」

「材料は有るのかい」

「後二回分は其処の箱に氷と一緒に入れてあるのよ」

「そりゃ都合がいい」

そういってケンゾーに包みを解かせて直ぐに寅吉が材料を入れてリンダの前に陣取って作り出した。

子供たちは大喜びでハンナとMJBを呼びに行った。

「アラアラ、旦那もこういう事は大好きね。Maison de bonheurでも直ぐに自分で始めると聞きましたよ」ハンナが来て呆れてそう話し出した。

「俺がやるとな人より固まり方がいいんだ。やわらかくて直ぐ溶けるよりしっかりしたほうがおいしいぜ」

自慢する寅吉に「其れでは後で皆さんに採点してもらいましょ」そうリンダが挑戦してきた。

「望む所だぜ、だが此処ではアイスクリームメーカーを借り出すのは難しいな」

「どうして、いいのよ別に」

「いや今日の俺の味をMJBに食わせたら毎日でも食いに現れるぜ」

寅吉は強気に出てリンダを牽制していた。

「舅は凝り性ですものね。其れとMr.Copelandにけしかけて俺のほうとビールの味比べをしようと盛んに煽っているわよ」

「オイオイ、いくらこっちは採算度外視の醸造だからといって赤字になるのは困るぜ、競争するのも程ほどにな」

「平気よあちらも乗り気で盛んに沼の周りの整地をしているわよ」

天沼の南側はほとんどCopelandが借地権を手に入れていたし北側は寅吉の思惑通りNoordhoek Hegt親子が抑えていた。

元の寅吉の土地は今はMJBNoordhoek Hegtに大半の借地権が移っていたしマックとジェラールが同じように借地権を箕輪坂と貝殻坂の間に広く獲得していた。

「まぁ、房蔵さんには一台だけだったといっておこう。俺のほうに来た客を此処で接待してくれないか。東京から絵師のグループと政府の役人とそれぞれが十人ほどで来るんだがどちらも洋館での接待は喜ぶだろうしな」

寅吉はアイスクリンで接待もしてくれるならと思いついたようだ。

「いいわよ、でも遷座祭の最初の二日の間はいやよ」

「明日と明後日の二日high teaの時間でどうだろう」

「いいわよ四時でどうかしら」

「いいだろう必要なものは勝治に言ってくれ、半蔵と二人へ伝えておくから十分好きなものを買い入れておいてくれ」

「やった、此れで当分お酒と食料品に困らないわ」

「脅かすなよ、一月分の賄いをそれで間に合わせようなどとしないでくれ」

「そういうからには半月分くらいならいいと言うことよね」

リンダと顔を見合わせて嬉しそうにあれこれと話しているうちにどうやらリンダの方のハンドルが重くなってきたようだ。

「出来たわよ。MJBを呼んで来てね。コタさんのほうもすぐ出来上がるからハンナはplateの用意をしてね」

先ほど子供たちが呼びに行ったがMJBはまだ来ていなかった、それぞれがうきうきと支度をして子供たちはリンダが小皿に取り分けてくれる順番を待った、ヨンも分けてもらえると皿を渡されたので顔が崩れるくらいニコニコしていた。

「こっちも出来るぞ」

「やはり男の人のほうが早いわね。もう一回お願いできる」

「いいともこっちの容器は持って帰るので食べたら洗ってくれよ」

どんどんと食べさせては「サァサァ、追加のアイスクリームは無いのよ終わったらコートからEricaを連れてきてね」

MissMayerと三人の婦人が現れて新しく出来上がったアイスクリームをおいしそうに食べておしゃべりの花が咲いた。

ようやくとMJBが来てアイスクリンを嬉しそうに食べだしたが、寅吉とケンゾーは夫人連のお喋りに閉口してさっさと退散することにして元町へ降りていった。

虎屋で勝治へ先ほどのことを伝えてピカルディで休んでいるとハンナが追いかけるように馬で降りてきた。

「明日もリンダとエリカにジョーが来てくれるわ、シャーロッテにソフィアは明日も来るから手伝うそうよ。後は何人か声をかけてドレスでお茶を出してくれそうな人を呼んでおきますわよ」

「そりゃすごい、しかしソフィアもシャーロッテも可愛くなったよな。あのまま遷座祭のパレードに出したいくらいだ」

「其れはいいわね、本気で考えようかしらなんてね。これからメアリーに言って明日の二人の衣装を借り出してくるの。今日のうちにジョーがパーティ用に手直ししてくれるそうよ」

「程ほどに頼むぜ」

ハンナが勝治に渡した書付を覗き込んで寅吉が呆れたようにハンナに伝えたが「いいじゃないのお祭りなんだから」そういって谷戸橋のほうへ馬の手綱を引いて歩いていった。

連絡員が飛び回って寅吉のこれからの予定がそれぞれに伝えられた。

昼過ぎに程谷へ入った正太郎は伯楽の溜まり場へ行くと望太郎という知り合いの博労がおりよくそこにいた。

「ボウタさん、明日は大丈夫かい」

「ああ、今のところ何もないぜ。明日連れて行くのかい」

「朝五つに家に来てくれると助かるんだ」

「いいとも迎えに行ってやるよ。お前の妹はたいしたもんだ、初めての馬の背に乗っても怖がらなかったものな。其れで正太と弟は歩きかよ」

「勿論さ、清次郎はもう十三だ、歩いていけるさ。馬に負けないくらい歩けるぜ」

「よしきた、がんばって附いて来させるんだぜ。なにもう一人くらい乗せたって俺の黒兵衛は大丈夫だがな」

話がついて正太郎は弘明寺道の我が家へ帰った。




朝五つ約束通りに望太郎が馬を引いてやって来てくれた、子供たちが乗りやすいように奇麗なケットが掛けられていたし鞍も小さなものが二つ載せられていたり、振り分けの荷物の駕籠も提げられていて落ちない工夫が随所に見られた。

「荷物籠に足を乗せられる様にしたぜ、此れなら踏ん張れば馬の上で立つ事も出来る」

まさか曲芸をするわけじゃあるまいしと正太郎は可笑しくなったが直ぐに親切な望太郎に感謝するのだった。

はしゃぐ弟や妹達に母親は「あんちゃんの言うことをよく聞いていい子で居るんだよ。お祭りだからってあまりはしゃぐんじゃないよ」そう心配そうに言うのだった。

昨年からは正太郎の仕送りも増え子供たちの着る物も横浜へ出しても此れなら恥ずかしくないという支度が出来て安心出来たのだった。

「正太よう程谷道を行くかい」

「いやあそこは願成寺があるから、東海道で浅間下まで行って横浜道で行こうと思います。平沼から野毛に抜ける前に新しい眼鏡橋から馬車道で横浜に入ろうと思います」

「そうか海岸ぷちを通るのも天気がいいから面白いだろう。お花坊、今日は蒸気船の大きいのがたくさん見えるぞ」

「うん、どのくらい大きいのか見たことないからわかんないの」

「そうか煙突から煙が出ているといいな」

「其れ、怖くないの」

「大丈夫さ、毎日正太は其の近くで仕事しているんだからさ」

望太郎は盛んに横浜は面白いぞと子供が退屈しないように馬子唄を歌ったり話しかけたりしているうちに横浜道に入り其処から神奈川から横浜にかけて数多くの帆掛け舟に混ざり大きな煙突から煙を吐く船や、バーク型の3本マストに大きな帆を満帆に張った船がすべるように港を出て行った。

清次郎も女の子二人も「すごいね」「すごいな」と言葉を交わして望太郎が馬を停めたのも分からないくらい興奮していた。

平沼にあるとらやの茶店で厠を借りて団子でお茶を飲んで一休みをさせたのは其のためだった。

石崎橋の先を左に折れると新しい馬車道へ通じる眼鏡橋。

「此処から海を埋めて道を作って蒸気で動く機械を通す鉄道というものを作るんだよ。沢山の人を一辺に運べるようにするんだ、ケンゾー先生が絵や写真を沢山持っているから見せてくださるように頼んであげるよ」

駅予定地の新地に入ると馬車道を往来する人に混ざってケンゾー先生いわくBoneshakerに乗って颯爽と走る人が見えた。

近づくとなんと寅吉の旦那だった、向こうも正太郎に気がついたかスピードを緩めて五間ほど手前で停めて「正太郎、お前の兄弟かい」と大きなとおる声で尋ねてきた。

望太郎が気を利かせて馬を左の空き地に寄せると寅吉も車を引いてきた。

正太郎が女の子を降ろそうとすると「いいよ其の侭で」と止めさせた。

「旦那、此れが弟の清次郎です。清次郎、五月からお世話になる寅吉の旦那さまだよ」

「清次郎と申します。働かせていただけるそうで嬉しく存じます」

「オオ、中々出来た子供じゃねえか、それだけ口が聞けるならMissノエルも喜ぶぜ」

「それから後ろが花で前の小さいほうがまつで御座います」

「横浜でタンと遊んでいきなよ。兄貴は金持ちだからいろんなものを買ってもらいなよ。いいだろうこれはよぅ」

そう寅吉は言って車を正太郎の正面に置いた。

「驚きました旦那がBoneshakerに乗っているなんて」

「似ているけどこいつは違うぜ、今朝マックから受け取ったばかりだ、去年売り出されたばかりのPhantomと言うんだぜ。辞書で引いたらファントムとはマボロシという意味合いの名前なんだそうだ」

正太郎には区別がつかなかったが「ほらこの輪っかにゴムが貼り付けてあるんだぜ、ボーンシェイカーより乗っていてすごく楽だぜ。後で迎えに行くから境町で待っていな、馬車に乗せてやるからよ」

「ありがとう御座います。では家でお待ちして居ります」

「オオ、そうだお前さん名前は」と馬子に尋ねた。

「望太郎で御座いますが」

「其の馬に子供を乗せる工夫はお前さんが考えたのかい。子供たちが馬の上でも安心しているじゃねえか」

「ありがとうござんす、前に子供たちを馬に乗せて横浜へ連れて行きたいと正太に頼まれて工夫いたしやした」

「たいしたもんだぜ、おいらは横浜物産会社の寅吉というんだが今度横浜へ来たら寄っておくれよ。少ないが子供たちに換わって俺が駄賃を出すから受け取ってくれ」

「いけやせんよ旦那、もう正太に先払いで貰っちまいましたし、正太に内緒でお袋からも二朱いただきやした」

「ハッハッハ。正直もんだなお前さんわよう」

このころ程谷から馬で横浜へ入るのには銀五匁だった、五年前と比べると大分高くなっていたのだ。

袖口から二分金を一つ出して望太郎につかませ颯爽ときびすを返して野毛の町へ消えていった。

「たいしたお人だね」手のひらの二分金を眺めて望太郎がつぶやいた。

「おいらの尊敬する旦那さまだもの」

金のやり取りよりも伯楽にも対等に口を聞く旦那に正太郎は嬉しい気持ちが湧き上がるのだったし、子供が新しいおもちゃを与えられた様にbicycleで喜ぶ旦那も好きであった。

東京ではバイシクルに自転車という名をつけて製作の届けを出した人が出たと読売が書いていた。

「なにかい清次郎も横浜で働くのかい」

「エエ、僕が居た孤児の家で子供の世話をしながら通訳の勉強と商売の基本を二年間学ぶんです」

「働きに出るんじゃなくて勉強に来るのかい」

「いえ今の寅吉の旦那の店で雇われて、孤児の家の世話をしに行かされるのです。それでも勉強しながらお給金が出ます」

「いいなぁ、いい旦那だなぁ。おめえたちは幸せもんだぁ」

「はいそう思います、僕だけでなく弟までそうしていただけるなど思っても居りませんでした」

桜橋を渡り駒形町新地へ入って正太郎が先にたって相生橋までまっすぐと進んで境町三丁目の家に着いた。

望太郎は横浜で買い物をして帰るといって直ぐに馬を引いて戻っていった。

おかつさんが沢山卵をお土産に持たせたのは言うまでもない。

おかつさんと玄三に三人を紹介して家を隅々まで案内して、荷物を部屋に運んで片付けていると表で寅吉の声がした。

「馬車に乗せてくださるといっていたから迎えに来たんだよ」

附いてきていたおかつさんにそう話して揃って玄関へ出た。

蓮杖さんの所から借りてきたんだろうと思っていたが違っていた、奇麗な屋根がついた素敵な馬車だ、前にゴーマー提督が乗っていた奴だった。

「驚いたかい、こいつはゴーマーさんが帰国するときに譲って貰ったんだぜ。勝先生や資美様が来たときに使うつもりだったが伊藤さんが来るというので奇麗に洗ったのさ、お前たちで乗り心地を試すんだぜ」

試すなぞというが正太郎たちが今日来ると昨日ケンゾーと馬車の話をしたときに思いついたものだ、それで普段根岸に置いてあるのを今朝野毛まで持ってこさせたのだ、寅吉も遷座祭のためか気持ちが高ぶっているようだった。

昨日夕刻についた魯文さん一行は今日はケンゾーが附いて町を見物して廻った後high teaに山手のHegt邸へ向かうはずだ。

伊藤さんたちは今日12日の木曜日夕方までに東京から馬で来るという話になっていた、役所を早めに抜け出して横浜で打ち合わせという名目を作ったようだ。

準之助さんが御者台に乗っていたので挨拶して寅吉が開けてくれたボックスに弟妹と入った。

中はいい匂いのする百合が奇麗に飾られていて四人が座席に落ち着くと「では出発」と声をかけて寅吉は御者台に登った。

天主堂の脇を右へ其処からほむら道を進んで前田橋から左へ曲がると堀川沿いの白いクライストチャーチ「此れは英吉利の人のためのお寺でさっきのは仏蘭西の人のだよ」幼い妹たちには無理だろうと思ったが、素直に兄の言うことを繰り返す花とまつだった。

「此処がヘボン先生という偉いお医者様の家で横浜の街で一番尊敬されているんだよ」

馬車はゆっくりとグランドホテルを廻りバンドを象の鼻まで進み英国総領事館へ出た、其処から更に海岸の倉庫の間を抜けて仏蘭西公使館まで海岸通りを進んで伊太利亜領事館の前で馬車が止まった。

「皆降りておいで」寅吉の声でそこから馬車道を弁天町まで歩いてとらやのお店で一休みした。

甘いお茶を入れてくれドーナツを食べて、お手洗いの使い方を見世に来ていたお怜さんが子供たちに教えてくれて奇麗に手を洗わせた。

馬車に乗って馬車道に戻ると角の相影楼に居た蓮杖さんに「駒形町に行くが来るかい」と寅吉が声をかけた。

「何か用でもあるのか」

「有るとも来れば分かるぜ。ワトソンさんに少し調べさせていることがあるんだ」

「直ぐ行くから先へ行ってくれ」

「じゃ先に行くぜ」御者台からそう答えて駒形橋を渡ると左へ折れて三丁目の丸高屋の作業場へ馬車を停めた。

「さぁさぁ、此処でまた降りなさい」

そういって喜重郎さんの部屋でくつろいでいると蓮杖さんが来たので仕事場へ出て行った。

「どうだいワトソンさん」

「物になりそうだ、ナ、TJ」

「そうだなこいつはいいクッションになる、車にばねをつければ馬車のように軽快になるが其れでは軟らか過ぎるがこのゴムならいいかも知れんな。此れなら車輪が痛まないからゴムの張替だけで済みそうだ」

正太郎は驚いていた、先ほど乗っていたbicycleからもうこの車への転用を思いつく旦那はすごい人なんだと。

「どうだい蓮杖さんゴムなら今すぐにでもMJBさんの見世にあるぜ」

「いいだろう物はついでだ東京の奴らに負けないものにしてくれ、あいつらのは大八を手直ししたくらいのつまらねえものだ。しかしこのバイシクルという奴はいいなあのがたがたの奴とか、ぎこぎこと小うるさいのは御免だが何時手に入れた」

「今朝の荷で入ったばかりだよ。全部で三台入れたが向こうの売値が四十二両だ、後二年もすれば半値以下だろうがな」

「そんなにするのか、おもちゃにしたら高いものだな。この車輪もう少し強靭ならリキシャに使えそうだ、誰か作れる奴でも出ねえかな」

蓮杖と言う人もすごい人だと正太郎は感心した、どういう事情かよくわからないがついこの間、町を試しで走っていたものを直ぐに作らせて更に改良することをもう考えている。

「正太郎、このリキシャだが遷座祭が終われば町を走ってもいいそうだ。これからは馬車よりも手軽な町の乗り物になるぜ、駕籠で移動する人なぞ居なく成ってしまうさ」

また馬車に乗って相生橋をわたれば直ぐ其処が境町三丁目「明日は晴れていたら昼に子の神社まで来るんだぜお容と明子が十一字に待っているよ」寅吉はそう告げて準之助が手綱を取る馬車に乗って去っていった。

「あんちゃん、とってもやさしい人だね。二百人以上の人を使うお店の旦那とはとても思えないよ」

「そうだな。普段から怒ることの少ない人だけど、お店の支配人や役員の偉い人たちは旦那を尊敬しているんだよ。仕事では人に負けないくらい働くしね。今日みたいに遊んでいるように見える時でも必ず商売に結びつける何かを見つけるんだ」

おまつやお花を手洗いに連れてゆき用意しておいた迷子札を出かけるときは首にかけるように教えた、お祭りの人込みではぐれた時の用心だ。

ウィリーは帰ってきて子供たちにおどけたしぐさで習いたての日本語で挨拶をしたりして少し付き合ってから約束があると着替えて出かけていった。




夜遅かったケンゾーと子供たちが挨拶をしているとウィリーも起きて来て朝のコーヒーを飲みだした。

子供たちには甘くして正太郎が飲ませたが、なれないせいであまりおいしくは無いようだった。

おかつが用意してくれた朝のご飯を食べて正太郎は三人を連れて公園予定地へ出て行った。

「おそかったじゃんか」

「うん、こいつらとゆっくりと寝ていたもんだから。こいつが弟の清次郎と妹のまつに花だよ」

「よろしくな、俺は由太郎、他のものは由坊と呼んでいるぜ」

「始めまして清次郎です」

「お花です、よろしく」

「おまつだよ。よろしくお願いします」

「おっ、よろしくな。こっちが清次で向こうが紋太だ」

「よろしくな」二人同時に挨拶をするとおまつとお花がぺこりと可愛く頭を下げたしぐさが面白かったのかみんなが大きな声で笑い出した。

「真砂町のアイスクリンを食べたか」

「お店が開くとは聞いたけどまだだよ。由坊は食べたのかい」

「まだだよだけどおいしいらしいぜ、居留地の異人たちや水兵が沢山食べに来ていたぜ。おいらたちはアイスクリンが高いので氷水の小豆入りを食べたのさ。十五人でいったから三十匁だったがよ」

「よくそんなに小遣いがあったね」

「あたぼうよ、なんていえねえがよう実は伝助親分のおごりで連れて行って貰ったのさ、店に入る前にアイスクリンは高いから氷水で我慢して呉れだってさ。氷水四杯とアイスクリン一杯が同じじゃそういうよな、俺たちにとってはあんなに冷たくて甘い奴は初めてだったよ」

子供達がいうように二朱のアイスクリンに氷水は二匁、銭なら三百二十文細かい銭の相場は難しいが一分で二千五百文だから一朱は六百二十五文だ、銀一匁は百六十文あまり細かい相場は小さな商人には影響なく大体の計算で行っていた。

正太郎がケンゾーから聞いた話では両から圓(円)になって一圓が百銭、一銭が十厘となるはずだった。

一両が一圓だと一分は二十五銭一朱は六銭二厘五毛だそうだが毛は貨幣としては作らずに単位だけが有るらしいそうだ。

ややこしいお金の勘定がなくなるだけでも商人にはありがたいだろうし、銭相場で泣かされる事も無ければ町のものも助かると言うことだよ、そうケンゾーは正太郎に説明した。

由坊に替わり紋太が「ほらこの間のキンチャッキリを伝助親分たちが捕まえたろあのお礼に異人たちがお礼を出し合ったのさ其れが伝助親分の所にも廻ってきたということさ。前にも俺たちに親分が小遣いを呉れたけどあれは親分の持ち出しだったのに、またおごってくれるなんて豪勢なもんさ」

他の子も話しに加わって「家のおっかあの話だと、皆が出し合って三十ドルもお礼が出たのを阿部様が三人の親分に全部分けたんだとさ。其れを子分にも分けて、おいらたちにもおごっちゃ親分の懐に少ししかのこりゃしないよな、でも正ちゃんは特別だから、絶対アイスクリンをごちにならなきゃ駄目だぜ」

「そうだ」「そうだ」と賛成の声だ。

中々穿ったことを言う子供たちに自分も子供ながら感心する正太郎だった。

子供たちに別れて正太郎たちは子の神社に向かった。

少し遠回りだが大きな商店の並ぶ南中通りを歩く事にして三丁目までいくと山城屋の看板がひと際大きく目を引いた。

政府被服御用・兵部省被服御用と大きな字が目立っていた。

中では大勢の人が立ち働き服の採寸を座敷で採る人も見えた。

角店に沿って本町通り南仲通と小店の続く路地を弁天通り二丁目まで進むと買い物に集まった人で野沢屋の前は溢れていた。

馬車道側へ進むと横浜物産会社の周りでは船から降りた荷の仕分けをする人足が倉庫と店の路地を行ったり来たりと忙しそうだった。

馬車道を横切り虎屋で「鴻上さんはおいでですか」と聞いて見た。

「今奥に居るから入っておいきよ」顔見知りの茂助が指し示したので事務所まで四人揃って通してもらった。

奥から射す日差しは暖かく事務所は笑い声が出るほど和やかだった。

「ごめんください」

「オッ、正太郎君かどうしたい」

「今度Maison de bonheurで手伝うことになりました弟の清次郎が横浜の遷座祭の見物で出てきましたのでご挨拶をさせに参りました」

「ご苦労様。小左衛門さん正太郎の後のMaison de bonheurで手伝う子ですよ」

「ご苦労さん。正太郎君もケンゾーさんの書生で忙しいのかな」

「いえ僕のほうは吉田先生が用事の無いときは町の噂話を集めたり商売につながる話を聞き集めるぐらいで勉強時間がたっぷり取れます」

「居留地の図書館の会員にもWHスミスさんの推薦で為れたそうだね」

「はいあそこにはいろいろな国の本が揃っていて勉強になります」

「そっちの女の子も君の妹かい」

「はいそうです。挨拶しな」

「清次郎です、よろしくお願いいたします」

「おまつです」「お花で御座います。よろしくお願いいたします」

「コリャご丁寧にありがとう。私が虎屋で支配人をさせていただく鴻上春太郎です。君たちに名刺を上げるから名前を覚えてくださいね。でも呼ぶときは春さんでいいよ。此方のおじさんは弁天通りの虎屋の番頭さんで綿海小左衛門さんだよ」

「小左衛門と覚えてくださいよ。正太郎君は私たちの希望の星だから君も見習ってよく勉強してください」

正太郎は恥ずかしそうだが小さい弟妹は兄がほめられて嬉しそうだった。

事務所の時計は十字十五分「十一字に旦那と野毛の子の神社で会う約束なので此れで失礼させていただきます」そう断って事務所を出てお客の応対をしている茂助たちに頭を下げて新地へ向かい桜橋を渡って野毛へ向かった。

幼い子の足でも子の神社の入り口へ付いたのは五十分に少し間があった。

時計はこの間の船やポンプの取引の後ケンゾーが中古を一つ正太郎に買ってくれたのだ。

境内では手古舞の練習に余念が無かった、見物をしていた寅吉が見つけて寄って来た。

「遅れずによく来たな」自分の時計を見ながらそういって正太郎の時計と比べて見た寅吉が「いい時計だ。俺のと一分と違ってないぜ。大事にしなよ」

時計を返しながら「きょう来てくれてよかったぜ。実は手古舞に予定していた娘が今日になって風邪を引いて寝込んでしてしまったんだ。まさかふらふらと鼻をたらして歩かせることも出来ないので困っていたんだ。明日出られればいいがと心配なんだが、衣装は予備が有るんだがお前の妹を出して呉れまいか」

「家のは田舎の娘で真っ黒で見栄えがしませんよ」

いつの間にかお容さんが傍に来て二人の子を見ながら「あなたたち長い時間我慢して歩けるかしら」

「あたいは大丈夫ですがおまつがどうかしら」

町場の娘よりは歩けるだろうさと寅吉がお容さんに言うと「お二人を少しの間貸してね」

お容さんが神社の脇の座敷へ連れて行って十五分ほどで衣装に着替えさせてお化粧をして連れてきた。

「お勝さんとお松津さんが手伝って仕上げてくれましたよ」

正太郎が見ても此れが妹たちとは思えないほど粋に化粧され紅まで差した顔は輝いていた、二人も鏡で自分を見て嬉しくなったようでニコニコとしていた。

「やぁ、すっかり見違えたよ、おまつにお花とはとても思えない」

清次郎にそういわれてにっこりした様子は横浜の娘たちにも負けないくらいだった。

「さぁ、新しい娘が来たから仲良くしてね。おつねちゃんとお京ちゃんは鼻水が止まったらこの子達の前を歩かせるからあなた方もお願いだから風邪を引かないでね。そして神様に明日全員で行列に参加できるようにお願いしましょうね」

お容に引きつられて十八位の芸者から七つのまつに、すみ、こよの三十人ほどの手古舞姿も板に付いた連が、並んで明日からのよいお天気と二人の娘の無事に手古舞への参加をお願いするのだった。

「大国主様どうぞ明日と明後日は晴れて風が吹きませんようにお願いいたします。おつねちゃんとお京ちゃんが明日には元気で参加できますように」

お容は少しの間お鳥に後を託して二人の特訓を開始した。

「正太郎、二人はあたしが預かるけどそれでいいかしら。あなたたちも私と手古舞の皆さんに負けないように練習してくださるかしら」

やさしそうな寅吉旦那のお上さんという事もわかって二人は「お願いいたします。私たち懸命に覚えますから教えてください」お花に続いて「お願いいたします」とおまつもお容に頼んだ。

列は小さい子からだんだんと大きな娘が並ぶのと間に笛が入って後から芸者が声を揃えて歩く様子で狛犬の周りから拝殿までを廻ってはお鳥から注意を聞いてまた同じように廻るという繰り返しだ。

三十分ほど手取り足取りと教えていたお容が「二人を間に入れてもう一度お願いね」そう声をかけてよく通る声で歌いだした。

弟(おと)を若い芸者の小勢と小春が続けた、このところの練習で息が合ってきている、普段は兄を小春が行いおとを小勢が続けるのだ。

残りのものは側として声を張り上げた。

ヤレーェーコーオリャーァーァーサイノォーゥー  (エーェー)

  めでためでたがぁ〜 三つ重なればぁ〜  (ヤーァー)

     庭にゃぁ〜鶴亀ぇ〜  五葉の松ぅ〜  ヤァーレコリャーァーエーェー 

おまつは二人の同年代の娘の後ろから同じように金棒をジャランジャランと付いて懸命に歩いた、はじめて揃っての行進だが後ろの娘の邪魔にならない程度には上手に歩けたようだ。

後ろに居たきよという娘が「あんた上手よ。後はあまり力を入れないで杖を突くといいわよ。無理に音を出さなくてもいいのよ、自然にほかの人に混ざって鳴る様になるから」そう教えていた様子を見てお容は満足そうだった。

お花も隣の娘と後ろの娘からいろいろと教えてもらいながら用意されていたラムネを飲んでいた。

「明日は厠があるところまで長い時間が掛かるから、お水を家で飲み過ぎないように気をつけてね。夕方からは暖かいものしか呑んでは駄目よ」

お鳥からも改めて注意が行われて「今日は夕方からもう一度今度は野毛坂から清正公まで歩くから衣装を汚さないで頂戴ね。七つの鐘の後此処に来て頂戴ね。其れから芸者の人たちと新しいお二人は後少し残ってね」

おまつに「また後でね」「がんばってね」そう声をかけて街の娘たちは家に戻っていった。

明子を抱いたお元がお容にラムネを渡して寅吉に明子を渡した。

「正太郎と清次郎にはすまねえことをしたな。今朝まではお容に紹介したらMaison de bonheurに挨拶に連れて行こうと思っていたんだが予定がくるっちまったな。もう直に伊藤さんたちを連れに山手に行く時間だから正太郎がついてMaison de bonheurに挨拶に連れていきな。馬車で俺の家まで連れて行くからよ」

明子に「いい娘にしていなよ。父さんは人と約束があるからな」と言い聞かせて元に渡して、正太郎たちに妹たちに話をさせてからとらやの裏手の家で着替える間待たせて馬車に乗った。

準之助が心得て長者橋から車橋まで真っつぐに進み石川町を下って地蔵坂から上に登った。

昨日と同じ馬車馬は力強く大きいアラブ馬だった。

寅吉の家で正太郎と清次郎は寅吉に別れを告げてMaison de bonheurへ下っていった。

マドモアゼルノエルに、マドモアゼルベアトリスは街ではマダムといわれているが本当はMissなのでMissノエル、Missベアトリスと言われる方を好んだ。

「もっと頻繁においでなさいよ」

出迎えたミチはそういって先にたって教員室へむかった、最近はマドモアゼルノエルの発案で勉強の手助けをしてくれる人が増えたので、其の人たちの休憩室に与えられた部屋だ。

フランス語は二人が教え、英語を居留地の婦人たちが交互に教えに来てくれているし、毎日一時間日本の言葉と筆の使い方も子供だけでなく居留地の子供たちに教えていた。

他にも48番ではバラ夫妻が塾を開いていて多くの子供達が通っていた。

「マドモアゼル、正太郎が弟と一緒に挨拶に来ました。遷座祭の見物に来たので顔を覚えてもらうために連れてきたそうです」

「あらそうなの、ではあたしたちの部屋で待っていてもらってね。直ぐ行きます」マドモアゼルベアトリスからそう答えが返ってきてみちが隣の棟の応接室兼用の居間へ案内してくれた。

ミチは「正太郎からいろいろ聞いているでしょうが、小さい子が多いの。大きな子でも養子に望まれたりして今は八才の男の子二人と女の娘が三人後はそれ以下の子が二十人此処で生活しているのお世話しているのは私、ミチと呼んでね、それから十三になったナツとハルがマドモアゼルたちのお手伝いに来てくれているわ。それからおばさんたちが五人洗濯や食事の世話に来てくださっているのよ。男の人は丸高屋さんや虎屋さんから臨時に来てもらうほかはおじいさんが一人いるだけであなたがする仕事は小さい子の世話とおじいさんのお手伝い。それからお勉強の時間は毎日三時間は厳守それ以上は余っている時間なら好きな授業に参加していいの」

清次郎はうなずきながら聞いていたが「ミチさん来月から来ることになっていますが。早く来てもいいのでしょうか」

「其れはいいけど何時頃から来たいの」

「妹たちが遷座祭が終われば家に戻りますからそれを送った足で戻ってまいりますから、遅くも二十日の日にはこちらに来られるのですが」

「いいわね正太郎、清次郎はあなたよりしっかりしているわ」

「私のほうはかまわないのですが寅吉の旦那がどう言うでしょうか」

「今日、春さんが夕方までに来てくれることになっているから話しておくわ、大丈夫私たちも大きな男の子がいてくれると助かるといえば春さんが旦那に話してくださるわよ」

マドモアゼルノエルとマドモアゼルベアトリスが入ってきて話しに加わり清次郎は二十日の日には此処に来ることになった。

「おっかぁはお前が早く此処に来ると淋しがるだろうな」

「でもあんちゃんおいら早く勉強して早く働けるようになって、あんちゃんの負担を減らしたいんだ」

「俺のほうは負担だなどと思っていないよ。清次郎の勉強に必要なものは直ぐにでも揃えて上げられるだけの余裕はあるから、遠慮しちゃ駄目だぜ。俺がお前たちに小遣いを少ししか渡さないのは、いくら今は収入が多くなったからといってお金を余分に使うのはよくないと考えているからさ」

「ありがとうあんちゃん。でもおいら勉強をするのが楽しみだよ」

二人は地蔵坂で植木場を覗いて様々な花が咲く樹を眺めて歩き、七つの鐘が聞こえて車橋から清正公へ向かった。

清正公ではまだ行列は来ておらず、どちらの橋を渡るか聞いていなかったので下流へ向かい野毛橋の袂でようやく木遣りの声が野毛の町筋から聞こえだした。

橋を渡った行列は新吉田町で一休みして踊り手が声を揃えて野毛の山を披露した。

野毛町と一くくりだが、新吉田町、元吉田町、吉田町、長者橋筋八町、姿見町が合同しての山車と花車其れと踊り屋台が二台で、新吉原は独自に花車に踊り屋台を出すのだ。

正太郎たちを認めたお容さんが傍に来て「明日と明後日は他にもいろいろな歌と踊りが街外れでは必ず披露されるのよ。弁天の空き地がお勧めの見物場所よ」そう教えてくれて列の先頭でたたずんでいる先達の人に合図をしてまた行列が進みだした。

先頭は総代が羽織袴で進みたっつけ袴も勇ましく片肌脱ぎの手古舞姿の女の子、後ろは野毛の芸者蓮、右と左に五人ずつ並びこの人たちは左手に名前入りの弓張り提灯小さな子はそこまでは大変なので提灯は持たないのだ。

明日からは各町内がとりどりの衣装や山車に踊り屋台を繰り出すので今日は最後の練習を町内で行っていた、神田囃子に葛西囃子と彼方此方で練習に余念がなかった。

新旧二つの吉田町の間を進んだ行列は左へ曲がり清正公へ入ると太鼓が鎌倉を打っておかめの面をかぶった小さな子が二人日の丸の扇子をかざして踊りだした。やんやの喝采の後お容さんの先導で手古舞姿の芸者たちがめでためでたの若松様よ〜と唄い納めをして解散となった。

お花におまつは元気に正太郎たちのところに飛んできた。

「お上さんが今晩はあたしと一緒に野毛に泊まりなさいというの。それでいい」

「いいとも、じゃ着替えをこっちに持ってこないといけないな」

お松津さんが明子を抱いたお元とともに傍でお容さんを待っていたが「心配は要らないわ。うちで後四人の小さな子を預かるから其の子たちと一緒よ。着替えも、もうお容様が全て手配したわ。境町から既に届いているのよ」

正太郎はお容さんも旦那と同じでやることが早いと驚いたが「ありがとう御座います。二人ともお松津さんの言うことやお上さんの言うことを守って遷座祭の手古舞を楽しんでおくれ」

「はいあんちゃん、もうお友達もできたし、お休みしている人のおっかさんからもがんばってね、家の子も歩けるようになったら出てこさせるからとやさしく声をかけて頂きました」

二人の妹に弟もすっかり大人になったと正太郎は横浜に連れてきてよかったと感じていた。

男の総代代表は羽織袴の人がそうだろうと正太郎には見えたが、黒の無紋の長羽織のお容さんたちのほうが総代よりも偉そうに見えてしまうのだった。

お容さんとお鳥さんが先達の役員と打ち合わせも終わり戻ってきたので「ありがとう御座います。二人をお預けいたします。よろしくお引き立てをお願いいたします」

「お礼を言うのはこちらよ。いい子達であたいも嬉しいの。明日からはもっと上手に歩いていて皆がうらやましがるわよ。野毛の町内では女の子は総出でお祭りに参加しているのよ。町の男の子は踊り屋台の綱を引きに明日から力仕事だから今日は手古舞や踊り屋台の見物で楽をさせたのよ」

それで踊り屋台は大人が引いていて男の子供は誰もいなかったのかと納得する正太郎と清次郎だった。

清正公にはもう縁日がおとといから開かれていてお祭り気分を盛り上げていた。

寅吉は伊藤に鮫島が連れてきた薩摩長州の若手官僚と68番のヘクト邸でハイティーを楽しんでいた。

MJBと共に立派なひげのキンドンが御者で寅吉の屋敷へ迎えに来たので二台の馬車に分乗してやってきたのだ。

ウーロン君は東京の芝高輪泉岳寺前の公邸と横浜公使館の間を行き来していたが前日伊藤たちと連れ立ってやってきた、昔いた場所はホテルが建ち山手に家があるが其処と東京を行き来するのは不便だと盛んに訴えていた。

パークス公使も同じ気持ちらしく横浜は領事館だけにして東京に公邸も公館も同じ場所其れも皇城の近くに建てたいと運動を続けていた。

アーネストサトウは休暇でロンドンに行っているが元の泉岳寺近くの高屋敷は其の侭になっているそうだ。

「まいったぜ入舟町新地の高島屋へ昨日の夕方に漸うたどりついたら、申し訳御座いませんどうにも十人様の手当てがつきません。虎屋さんからもしこられて部屋の割り当てが附かない時には弁天通りの店においでくださいと申し付かって居りますと言われた時にはコリャ冗談でなく人足と雑魚寝かと思ったぜ」

「伊藤様だけなら其れもよろしいでしょうがお歴々もご一緒ではさようなわけにはまいりません。せめて10日前ならまだしも二日前の連絡ではではどこも大変で御座います。お役宅でも板の間くらいしか空きが無いそうです」

「イヤイヤ、旅籠に負けぬよい家で御座ったゆえ不自由など御座らぬ」

此れは50近い老練の無骨な方ですが、どうやら江戸勤番だったらしく歯切れのよい口調の方だった。

鮫島も「斉藤様コタさんは金持ちじゃからよかでごわす」と話を引き取って「おかげで今日はこのように洋館でのパーティを開いてくれて良い思いをさせていただいておる」と斉藤という人に同意を求めた。

ヘクト邸では着飾ったご夫人に可愛いドレス姿のソフィアにシャーロッテが客間に案内したので伊藤たちは喜んで二人に話しかけては「ウンウン、なるほど」とうなずいていた。

伊藤たち長州の人間はMJBもキンドンも顔なじみだがまさか御者になって現れるとは思わなかったようだ。

最初はコーヒーにバニラの匂いが仄かに香るパウンドケーキが出、其の後ハムと野菜にフレンチポテトがテーブルに並べられて飲み物はブランディとウイスキーが給仕された。

「あまりお酒が強くない方は此方のパンチをどうぞ」とワインで造られたパンチが用意された。

「パンチとはなんですかな。Get a punchpunchですかな」

「さぁ、詳しいことは知らないのですがお水、砂糖、お酒、レモンスライスかオレンジジュースそれにスパイスとして胡椒を加えます。台所に今日の手伝いにインターナショナルホテルから人が来ているので知っているか聞いてきましょう。パンチが効いているというのも語源かもしれませんね」

「いやぁ其れにしては甘い飲み物のような気がするが」と先ほどの老武士が口を聞いた。

台所からアーサーが呼ばれてきた「オー、インドの若者か」伊藤さんと鮫島さんが英吉利への旅で見かけたインド人と直ぐ分かったようだ。

横浜には多くのインド人がいるが普段ターバンを巻いているのがインド人と思い込んでいる人がほとんどだった、白い服で頭にコック帽を被ったアーサーを見てターバンを連想したのかもしれない。

Punchというのはインドの言葉で五つを意味しています。お茶に五種類の果物を入れたのが最初です。最近ではラムかブランディとお茶を混ぜますが本当はお酒を使いません。本日は赤ワインを使わせて頂きました、それはウイスキーとブランディを別に給仕させていただいたからです」

「ホーよく考えている」「なるほど」と口を揃えて人々はアーサーの機転をほめた、この当時長崎ではポンスと言われて飲物から料理の味付けへと変化している物と元は同じだ。

ビスケットにアイスクリンが出されて「スプーンで掬って乗せてお食べください」リンダがそれぞれに自分用のスプーンと冷やされた銀の容器が氷を使った台の上に載せられ、ワゴンで運び込んで小さなテーブルに載せた。

立ち上がって其のテーブルを囲み「オー、よく冷えている」ビスケットにアイスクリンを乗せて口に運んでは何度もほめ言葉を述べながら盛んにスプーンを使って食べだした。

「もう無いのか」鮫島さんは残念そうにスプーンを置いてビスケットを食べだした。

「残念ですが一度に作れるのはこの量が限度なのです。次は最後の料理です」

アーサーとリンダはホテルのコースに関係なく日本人が食べやすいように少しずつ目先の違う簡単なレシピのもので種類を増やしていた。

料理というよりオードブルというべきだろうかとフランス料理の好きな寅吉は考えていた「俺なら最後はビーフシチューだ」そう一人ごちていたがhigh teaに其処まで準備はしないかと思った。

アーサーは寅吉好みを知り尽くしていたためかホテルで下ごしらえしてもらってきたビーフシチューを大き目のカップに入れて給仕した、此れなら食べやすくスプーンで掬えるように具材は小さく刻まれていた。

寅吉は台所で温めていたシチューの匂いでも嗅ぎ分けていたのだろうか。

「ビーフシチューですが、スープといってもいいようなあまり煮込まないものにしました。お気にいるといいのですが」

そういうアーサーに伊藤を筆頭にウーロン君までもが「最後に此れは嬉しい物だ。後でまた酒を飲む者も胃に負担が掛からない」

まだまだ今日は付き合いで飲むつもりのようだ。

2時間ほどのhigh teaは気持ちよく散会となった、歌も音楽も無かったが客も接待する側も満足する時間だった。

ウーロン君は家が近いので歩いてきたのでそのまま帰るというので門の前で別れたが、寅吉の馬車とMJBの馬車に分かれて寅吉の家に戻った。

「コタさん、横浜為替会社に金券および洋銀券の発行が許可されたぜ。二種類の洋銀券の発行高は百弗札百四十二万弗、十弗札八万弗が発行される予定だ」

「やはり決まりましたか」

「外国銀行の銀行券が通用していては困るからな、こうでもしないと洋銀相場で貨幣価値がめちゃくちゃにされかねないからな。其れから前島密という男を知っているか」

「兵庫時代に大政奉還と幕府領削減というすごいことを献策したお人でしょう。確か伊藤さんの下で税のことを任されているのでは」

「そうなんだが、飛脚の替わりに英吉利のように政府が全国一律の値段で手紙を届ける業務を行うべしといって来ている」

「いいことでしょうが実現には膨大な金が掛かるでしょう」

「では難しいかな、租税権正と駅逓権正を兼務することになって其方の事も調べさせることになったし、今横浜にいる上野君とイギリスに渡って鉄道の借款と車両の輸入の下調べと膨大な仕事を与えられているのだ。めげない精力的な男だ」

「行うべきでしょう。鉄道が出来れば手紙を届けるのに北から南まで時間も掛からずに届けられるようになりますから、双方を連動して行えば利便性は間違いありません。それと飛脚屋を優先的に其の業務に雇えば争いが起きることも無いでしょう。まずは距離で手紙の価を決めて、順次其の格差を少なくすることです」

家についても鉄道と飛脚のことについて鮫島を交えて議論は続いた、役目上の位を感じさせない真剣な話し合いは「夕食の支度が直に出来ますが先に風呂へ入りますか」と家の差配を任せている波奈が部屋に来るまで続いていた。

 


いよいよ遷座祭の朝が始まった。

ケンゾーは朝早くに元町から魯文、芳幾、広重という面々に見物させるために庭から屋根にかけて乗せた見晴らし台にビールやつまみの重箱を用意しておいた。

晴れた穏やかな朝がケンゾーの気持ちをゆったりとさせていた。

ウィリーまでもがうきうきとした様子で県庁に用意された桟敷へ向かった。

正太郎と清次郎は朝から二人で出かけていたので客が来るまでコーヒーを飲みながら読売を広げていた。

本町五丁目筋の人形は天照大神、山車は唐破風屋根。   

本町四丁目筋は人形が日本武尊。山車は他の町内と同じ江戸型の収まりのよいもの、旗指物を加えるとその高さは五間を越える。
本町三丁目筋の人形は神功皇后で囃子台の舳先に金の鳳凰が乗っている。

本町二丁目筋は人形が八幡太郎義家、囃子台上部は欄間仕立になった見事なものだ。

人形と山車は都梁斎仲秀英の工房の製作だ、一台が五百両を下らないという代物。

 (作者注 丁目と山車に付いては本文下部の書きいれを参照してください)

などなど各町の総代、総行司の高島屋、宝田屋など事細かに書かれていた。

其れと目玉は各町内の美人番付や手古舞の衣装の町別の色合いまでが乗っていた。

ケンゾーは最初聞いた時にはどのような町割りになっているかよくわからなかったが長次が教えてくれたことによると筋とは海岸通り、北仲通り、本町、南仲通り、弁天通りをあわせて丁目ごとで区分けをしたのだそうだ、二丁目筋とは一丁目から二丁目のことで五丁目筋とは四丁目から五丁目だということになるそうだ「何も丁目で分けなくてもね、其れで弁天も仲通りも名前が出ねえんでやんすからね」と一応弁天や海岸通りの商店の肩を持った言い方をした、それらが粛々と海岸通りに集まりだした。

伝助親分の言うことには「本町が横浜の中心とあそこに店を構えるのが大店と自負しておられる人が多いのでござんすよ」だそうだ。

本町筋の山車に続き南北の仲通りの花車、其の後からは弁天通りの踊り屋台、更に太田町、駒形町、相生町、高砂町、真砂町、野毛町などの踊り屋台に山車と花車、其の準備に北芝居町の角から馬車道に延々と続いていた。

最後は元町の武内宿禰の山車だ、一本柱万度型と後で名がついたもの、緑の鮮やかな衣装の宿禰が今にも踊りだしそうに周りを睥睨していた。

イタリア領事館では敷地内に桟敷が設けられて県庁前の桟敷に乗り切れない人たちが此処を通る山車や踊り屋台を見物に朝早くから集まってきていた。

「まだまだ」役員の半纏を羽織った総代たちが唄い出す人達を押さえて廻っていた。

英吉利公使パークスがデンマーク公使フラン・ウエックリンを伴って現れて各国の公使領事の予定者は全て揃ったのを合図のように船から花火が打ち上げられて最初の行列が動き出した。

先頭は露払いの消防組が纏を八本掲げて威勢良く進み総行司の高島嘉右衛門さん副えの宝田太郎右衛門、その後から衣冠束帯に身を固めた龍山親祇さんが二人の可愛い娘の手古舞に先導されて進んできた。

横浜各神社の神職が続き更に後ろには各町から選ばれた手古舞の二十名ほどがたっつけ袴に若衆髷も凛々しく左手に町の名入りの高張提灯右手に金棒を突いて背には花笠姿で進み、年のころなら十五六ほどの娘手踊りが二十名ほど華やかに続いた。

此処までは横浜代表とも言うべき人たち、其の後を本町五丁目筋の天照大神の山車がケットで飾られた三頭の牛に曳かれてやって来た、其の両脇を若い衆が引き綱を肩にかけてゆったりと通り過ぎた。

各町内の山車、花車十五台の間には娘手踊りが入り後からは踊り屋台が手古舞の先導で子供たちの手で引き出されて続き、手古舞姿の者達が声を張り上げて唄い上げた。

公使たちは其の声には閉口したようだが幼い子達の手踊りには目を細めて喝采をしていた。

野毛の山車は清正虎退治、牛は同じ三頭だが角には緑の布が巻かれ豆絞りの鉢巻きがかけられていた。

牛方も緑の半纏に野毛町の白抜き、紅梅の襷がけで下はだん袋に草鞋がけ。

「面白い牛だな」海岸の倉庫付近で見ている人たちは面白そうに見ていた。

踊り屋台を引く男の子たちはそれまでのねじり鉢巻きを取って喧嘩被りに変えだした、羽左衛門の家橘時代を知るお容が教えたお祭り佐七だ。

羽左衛門から家橘になったのが文久三年今は五代目というだけで通じる菊五郎の若き日の当たり役。

半纏は卍模様に杜若、黒の腹掛けは袈裟に緑の筋入り、黒股引きに雪駄を草鞋掛けにと今日まで隠しぬいた町の心意気だ、襷は緑も鮮やかに長めにたゆっていた。

ケンゾーたちのいる境町を廻った行列は本町の通りを入り馬車道へ向かった。

行列が本町の通りを一丁目に到達したときはまだ、最後の元町の踊り屋台に花車が其の前をふさいでいた。

総行司の高島嘉右衛門が飛んできて残りの行列をつめてもらって馬車道へ入る大騒ぎの一幕もあったが吉田橋付近では見物の人で道が狭く為り出し、借り出されていた伝助や長次たちは汗みずくで道へはみ出さないように声をからしていた。

金は取らない今日だけは車乗せるやかねの橋などと落首まで貼られている橋を渡って関門を抜ければ吉田町、野毛橋は直ぐ其処だが見物の人は橋を渡る様子を見るために川筋に溢れていたし、船で特等席とばかりにマストに登るものさえいた。

野毛橋を渡り坂下で山車と踊り屋台は先頭の行列とわかれた。

先導の纏もちと総行司、総代会の代表、祭主に付き従う手古舞姿の子供達が県庁の役人に守られるかのように野毛の切り通しへ進んだ。

此処からは待っていた着飾った人々が大勢付き従って大神宮へ入り式典が行われるのだ。

大神宮では行列が来る前から舞台の上で既に祝いの踊りが行われていて其方を見物に訪れた人々を楽しませていた。

野毛坂に行列が現れたとの情報に境内はいやがうえにも盛り上がるのだった。

各町内の山車と手古舞、踊り屋台は長者橋へ向かい清正公で関内へ向かう山車や屋台に姿見町へ向かう山車に屋台と更に車橋へ向かう組にと三方向に分かれた。

いつもの弁天の空き地ではおなじみの子供達が大勢現れて其処にある出店から買い食いをしたり仲間たちと群れていた。

正太郎は清次郎とそこにいた、公園予定地で妹たちが通り過ぎた後、製鉄所の前の吉浜橋を回って大岡川沿いにここまで先回りしていた。

姿見橋を渡る山車を大騒ぎで見て顔見知りの町の子が目の前を通ると声を掛け合っていた。

此処で見物しているこの子達の住まいは戸部や平沼に北方、根岸なので山車に屋台は出さないので特別に手古舞や親戚のお呼びが無い子は祭りに直接参加していないのだ。

「オー由坊だ。よしたろーかっこいいぞー」紋太が大声を出して若松町の踊り屋台を引く由太郎に声をかけた。

「中々いなせじゃねえか」いつもの仲間の祭り姿に興奮してわぁわぁと騒ぐ様子に正太郎も興奮していた。

野毛町の屋台が来て姿見橋手前の空き地で屋台が止まり手古舞姿からいつの間にか着替えてきた小春、小勢、松吉、吉弥、初弥の野毛町の芸者たちが屋台の上で踊りを披露して其処を通る別町内の踊り屋台からも盛んに声援を受けていた。

太鼓が響いて昨日のおかめの娘が二人躍り出てきた、笛に合わせて盛んにおどけた足取りで踊り、広げた扇子を煽ぐ様にかざした様子は見ているものにおかしみを覚えさせるのだった、野毛では神田囃子が取り入れられて演奏され底抜け屋台が大活躍の場が弁天の入り口で広げられた。

胡弓と三味線の鳥追い姿で弁天の境内で人を集めていた人たちも見物に来た。

花笠を背中にかけ緋縮緬の笠紐も粋な手古舞姿の妹たちは「此処で休憩」といわれていて、弁天の裏へ用意された幕内の厠へ急ぐ人たちに混ざって奥へ進んだのを見送っていた正太郎に「正ちゃんの妹は運がいいぜ。おれっちは伝が無かったから清次や由坊みたいに出ることが出来なかったからよ」

「いいじゃねえか、その代わりこの間の時計の中で持ち主の判らない奴が総行司のものだとわかって、俺たちに小遣いまで呉れたから懐は十分暖かいのだろ」

「そうさ、俺でも由坊のおかげで一朱も貰ったぜ。俺たちの仲間へと伝助親分が一朱の銀を二十枚も届けてくれたのさ。驚いてあいた口がふさがらなかったさ」

「其の口をラムネと義士焼きで直ぐ塞いだの誰」

気安い仲間のお半がつぶやくように言ってさっと後ろへ消えていった。

「なんだもう買い食いしてしまったのか、しょうがねえなぁ。お守り代わりにとっておけば後でいい事もあるだろうに」

「駄目なんだな其れがよ、おっとうと同じで直ぐ何かつかわねえと落ちつかねえのさ」

「正ちゃん今日から清正公でやっている東京から来たおかしな踊りを見たかい」由坊の仲間では無いが気心の知れた八ちゃんと呼ばれる子が声をかけてきた。

「いやまだ見てないよ。今日はなんかやっているのかい」

昨日には催し物の予定が張り出されているはずだったが気がつかなかった。

「縁日が出ているので見に行ったんだそうしたら浴衣で尻っぱしょりでかっぽれかっぽれと掛け声をかけながら十人くらいが踊っていたぜ」

東京は神田橋本町から来た平坊主、梅坊主の一連だ、住吉踊りから江戸に入って粋になったと自負しているのだ。

深川節と言う粋な物とおかしな振りのかっぽれを交互に演出して見るものをあきさせなかった。

お花とおまつが子供たちと戻ってきた、手にはレモネードを持って嬉しそうに正太郎の所へ来た。

「お友達になったの。こっちがおすみちゃん、それでこの人がおこよちゃんよ。今日お京ちゃんの様子が大分よくなって来たので明日は参加させたいとお家から言ってきたけどお見舞いは行ってはいけないそうなの」

「そうだよ、風邪をお見舞いに来た人に移してしまったらおうちの人が困るからね」

「そうなんだって明日出てきたらお京ちゃんにもおつねちゃんにもお友達になってほしいの」

小さい子達は背中に枝垂れ桜が描かれた黒の長羽織がひと際に引き立つお容さんとお鳥さんの周りに集まってこれからの予定を改めて聞かされ、行列の先頭には重ね着の下を金赤に換えて早変わりした初弥が少し牡丹を覗かせた扇子で口元を隠すように粋な声を聞かせて野毛橋のほうへ歩き出した。

初弥の客たちは其れを見て「オッ誰が金子元だい、見ろやい粋に着替えやがったぜ」と騒いでいたが此れも全て町の演出だ。

野毛の芸者にはこういうのもいるんだぞと目を引かせるために明日は小勢がその役目だ。

後ろには小さな子たちが背の順に並んで最後は野毛芸者の松吉、掛け声に応ずるように提灯を振っていて、小さな子は扇子を半開きにして差し上げて応じている、羽織袴の橋本団蔵さんや町の総代たちが其の後から続き姿見橋手前を左に折れて川筋まで真っ直ぐに進みそこでまた右に折れると野毛橋。

大岡川にかかる野毛橋を渡って直ぐに右に折れ米河岸沿いに駅予定地へ向かい桜橋で馬車道に入り少し新地を廻れば石炭倉に続く役宅の人たちが大勢見物に出ていた。

吉田橋から桜橋へ廻った山車に屋台も既に五台ほどが来ていて総代の手で順番が決められて踊り屋台では様々な出し物が披露されていた。

道化踊りの組が済むと花車に取り付いた茶摘み風の衣装の娘さんが茶摘み歌を披露しながら通り過ぎた。

役宅の前には桟敷がしつらえてあり県庁や公使館領事館に勤める人たちがやんやの喝采を浴びせていた。

其のころには無事遷座式の終えた総行司に率いられて皇大神宮に向かった一行も紅葉坂を降り紅葉橋を渡って馬車道を此方へやって来た。

祭主の親祇さんは大神宮にとどまり明日の屋台巡行には参加せずに見物に廻ることになっていた、大神宮の初代神職は戸部杉山神社の神職が勤めることになっていた。

正太郎と紋太たちは傍にいた子達を誘って清正公へ行って見た。

 ♪ ハア コリャコリャ
     エー奴さんどちら行く ハア コリャコリャ 旦那あ迎えに
      さても 寒いのに供揃い 雪の降る夜も風の夜も サテ
     お供は辛いね いつも奴さんは 高端折 アリャセ コリャサ
      それもそうかいな エー ハア マダマダ

  ♪ エー姐さんほんかいな ハア コリャコリャ きぬぎぬの
     言葉も交わさず 明日の夜は 裏の窓には私独り サテ
      合図はよいか 首尾をようして 逢いに来たわいな
     アリャセ コリャサ 
      それもそうかいな エー ハア コリャコリャ 

其処では三味線に合わせて三人ほどが舞台で面白おかしく踊っていた、笑いながら見ている大人に混じって正太郎たちも笑いながら見ているとかっぽれかっぽれと声がして舞台の左手の幕の前で捻じり鉢巻きの若い男の人を先頭に大げさに踊りながら出てきた。

本当に可笑しげな踊りで見るものを飽きさせなかった。

幕前の板には多くの商家からの寄付とともに唄に踊り、話し家の出の時刻が張り出されていた。

「熱いのをおくれよ」と手ぬぐいの上に乗せてもらい、正太郎は紋太たちと手軽なあんこ巻きを買って食べた、最近出てきたもので鉄板に薄く小麦の粉を溶いたものを焼いたり、蕎麦の粉で焼いたものに小豆餡を巻いた物だ、一つ十二文というのは義士焼きの半分、物足りないが「ひとつおくれ」と子供たちの縁日での買い物には手ごろだった。

紋太たちと別れて正太郎と清次郎は元町へ向かった、さっきチラッと見た武内宿禰の山車が帰ってくるころだろうと思ったのだ。

西の橋から元町へ入っていくとほむら道に居留地を抜けて来る踊り屋台と其の後ろにそびえるような山車が見えた。

前田橋の土手道に勢ぞろいした元町の行列はそこで踊りを披露して前田橋を渡って元町へ入っていった。

正太郎と清次郎はほむら道をたどって境町に戻るとまだまだそのあたりはいろいろな出し物をする人たちで溢れていた、三丁目の家ではまだまだ盛んに張り出しで大騒ぎを繰り返していたが、かまわずに家に入りおかつさんに清正公で見たおかしな踊りを身振り手振りよろしく真似て話しをした。

「そりゃ明日はぜひ見に行かなくちゃ」玄三とおかつは面白がって清次郎が懸命に手を振る様子を笑いながら何度も何度もせがんでやらせるのだった。

「お花ちゃんとおまっちゃんの手古舞も見たし、ありゃぜひとも写真に撮りたいもんだね」

「でも写真は十数えるくらいの間動いちゃいけないから行列の写真は無理なんです。蓮杖さんやベアトさんのスタジオかどこか日当たりのよい場所で行列からはなれて取らないとね」

「なんとかならないのかねぇ」

正太郎は本当に動いている所を取れたらいいだろうなと思った。

張り出しでは魯文が「ケンゾーさんあそこでおかしな踊りをしてるやつ、さっきから何度も来ては踊る様子を見せると直ぐやめていなくなるかと思うとまたやってくる」

「どれだい」

「あの楠の下の奴だ」

豆絞りの手ぬぐいの今日はどこにでもいる銘仙の着流しを尻っぱしょりにして浮かれている様子肩には花柄の長羽織を振り分けにかけている。

どうやって見分けたのかケンゾーが目を凝らしても分からなかったが芳幾までもが「そうだなあの縞の銘仙には何かきな臭いにおいがする」と言い出した。

断りを行って下に降りたケンゾーは何気ない振りをして男に近づいた。

「壱か弐か」

「何のことだ」

「何踊りの手ほどきじゃねえのか、それならとおりな」

おかしな物言いの男にやはり胡乱なものを感じてポリスステーションの所へおお回りをしていくとおりよく阿部様が居た。

訳を話して見知りの駈使を二人普段着に着替えさせてケンゾーの家の張り出しへ連れてきた。

「ほらあいつだ、また出てきたぜ」

ケンゾーはどこへ行くか住処を突き止めてもらうことにした「すまないね、とんだ無駄足かもしれないが、祭りの日におかしなことをされては街にも迷惑だ。少ないが駕籠や馬車を使うかもしれないからこれを使ってください」

二分金や一朱の銀をいくつかを包んでそれぞれに渡して頼み込んだ。

「いつもすまないね。阿部様にも言われてきたんだなに簡単に突き止めてみせやすよ」

そういって手馴れた様子で裏から出て角に居る男の様子を伺いだした。

人が近寄ると連れ立って何処かに消え、また現れては不思議な手振りで踊るように樹の下でうろうろとしていた。
二人の駈使は離れた場所で別々に監視していたが男が二人現れて連れ立って出かけたので其の後をつけだした。

「手が足りなそうだ、俺たちが行こう」広重さんと芳幾が出て行って駈使の一人と打ち合わせをしてもう一人につなぎを付けて新たな二人の方を引き受けたようだ。

男だけが戻ってきた、ケンゾーが見ると離れた場所で二人の駈使はなおも不審な男を見張り七つの鐘がなると男がほむら道を天主堂のほうへ入っていくのをつけた。

男は八十番の天主堂の裏を右に曲がり二つ先の角の百四十八番小倉虎吉の西洋理髪所へ入っていった。

「あそこは確か鄭亜莊が地主だったな」

「そうだ、しかし髪結いに何も怪しい節はないはずだ」

「確かに、このままでは埒が明かん。入ってみる」

「しかしただ入るというわけにも行くまい」

「このさいだ髷を切るという事で入ってみるさ」

「そうか致し方なかろう。それなら俺は外であいつが出てくるのを待つ」

「頼む」

二人の内三枝木という駈使が西洋理髪所へ思い切って入って見た、先ほどの男は虎吉の手で髪を短く刈って貰っていた。

「いらっしゃいやし、髷を落とされますか」

「ウム、頼む」

「其れで誰かご指名でも」

「いやよく知らんので誰でもよいのだが」

「では、今松本は手がすきましたのでやらせていただきます」

虎吉が、松本に声をかけて整髪をさせることにした。

「髪は短めにいたしますか」

「そうしてくれ」

「かしこまりました」

簡単にもっといをはさみで切り肩まである髪を無造作に襟足まで切り落とした、頭の中ほどで左右に櫛で分けると耳に被るほどの所で切り出した。

不思議な鋏が取り出されて髪の先を掬い取るようにして切りそろえた。

「おひげは当たりますか」

「いや其れは其の侭でよい」

口ひげには手を入れさせずに髪だけの手入れは簡単に済み額と襟足はさっと剃刀が当てられた。

「髪の毛の短いのが中に残りますことがありますので風呂にて丁寧にシャボンで洗うことをお勧めいたします」

「ありがたい、大分頭がすっきりとした。中々思い切れなかったがな。価はいくらだ」

「一分二朱を頂戴いたします」

「さようか」高いと感じたがよく見ると大きく新規料金の書かれた紙が下がっていた、いまさら高いとは居えず「ケンゾーさんの金で払うか、此れも後をつける経費のうちだ」そう一人ごちて先ほどの金のうちから支払った。

先ほどの男も終わって「アアさっぱりしたぜ。此れで頭も洗ってくれるともっといいが」といいながら金を払って出て行った。

三枝木が表に出て相棒の柚木の後をぶらぶらと附いて歩き出した。

男は西の橋を渡ると石川町へ向けて右に曲がっていった。

三枝木が追い越して今度は前に出て柚木は少しあとに下がって歩き出した。

追い越すときに三枝木と半纏を交換したのを男は見ていなかった、西の橋では立ち止まって後ろから来る二人を確認されたためだ。

車橋を渡ったところで振り向いたが三枝木の上着が違うためか先ほどの客とは思わなかったようだ、柚木はずっとさがっていた為か其方に注意は行かなかった。

其の侭夕暮れの道を新吉原に向けて歩く男は少し早足になった。

柚木が早足で追いついて三枝木を追い越して其の男を追い越す勢いで迫った、男が振り向いたが「失礼するぜ」そう言って追い越していった

柚木は新吉原の番所で顔見知りの者を頼んで替わりに後をつけさせるつもりのようだ。

向こうから長次と玉吉がぶらぶらやってくるのを見つけると新吉原の橋を渡りながら差し招いた。

「ありゃ柚木さんじゃござんせんか」

「しっ、今三枝木と怪しい男をつけておる。今通る散切りで花柄の長羽織だ」後ろを見ずに二人に告げると「今通りましたぜ、それじゃ三枝木さんと替わってあっしたちがつけやす。清正公の茶店は遅くまで開いておりやすから其処でお待ちください」

「頼んだぜ」と二人を送り出して暫くして清正公へ入った。

暮れ六つの鐘が響きわたる清正公では篝火が明々と焚かれていまだ芸人の高座に上がるのを見に人が来ていた。

待つことしばし三枝木と長次が戻ってきた「参りやしたぜ例の山城屋の妾の家ですぜ」

「そりゃまいったな。あの家はこの間の事件のとき大参事の桜田様の家というので手が付けられなかった家だろ」

「そうなんですぜ。困りやしたぜ」

「阿部様とケンゾーさんに相談してからこれからのことにしよう。玉吉も呼び戻して境町まで付き合ってくれぬか」

「よろしう御座いますよ。ではひとっ走り玉吉につなぎをつけて後を追いますのでお先においでください。ケンゾーさんのところでよろしいですね」

「俺が其処で待つ間に三枝木に安部様へ報告をしてもらう」

話が決まり二手に分かれたのはもう丸い月が高みへ上がりだすころだった。

長次が玉吉と境町へついたときケンゾーたちは帰ってきた芳幾と広重の話の要点を書き出していた。

張り出しで騒いでいた連中は魯文を残して宴会の続きをしに中川へ予定通り繰り出していったのだ。

「なにが始まりだしたんですかい」

「いやまだよくわからないのだが、また山城屋が絡んでいるとなると面白いことじゃないだろう」

芳幾と広重がつけた男は五十八番マルセル商会の隣で小さな雑貨屋に入った。

様子を伺うと札を提示して奥に入って行ったがさほどの時間を要せずに戻ってきた、其の足で海岸へ出ると日本人街に戻り、本町二丁目大通りの伊勢屋の裏手にある和田屋重兵衛へ入った。

其処まで見届けて戻り早速二人で不審な男も含めて三枚の似顔絵を書いて提示したのだ。

安部が三枝木とともに現れて「なにやら可笑しな雲行きだな。ケンゾーさんの感は当てになるし、絵師の人たちの眼におかしく見えるという事は普通じゃないということだろう。しかしあの家は因縁がありすぎだな、知事閣下も大参事に遠慮するのも元はといえばお公家様の出だからなのでな」

「あの方相当な家柄だったのですか」

「イヤイヤ、羽林家の風早公紀様の庶子だよ。旧幕時代は三十石の蔵米取りさ確か父君は大和権介に任じられていた所から正四位と位は高いのだぜ」

正四位といえば大名といえど雄藩の当主でさえ中々為れない物だったのだ。

「中野様のほうから何か打つ手でもありませんかね」

ケンゾーが安部に相談を持ちかけた「例の四十八番にある雑貨屋ですが私の聞いた話では怪しい商売を上海経由で行っているようですが」

「此処にいる人たちを信用して話すがね、其の店阿片取締のチェンイェンペイがあそこは太平天国の乱のときに暴れまわった天地会の残党が上海に作った組織の出先機関だと報告して来ている。ポリスの斉藤君も密かに内定をしているようだ、チェンは陳炎倍と漢字で書くそうだ」陳炎倍と紙に書いて示した「チンエンバイと読んでしまうのでかなで書いて張り出しておかないと誰を呼んでいるのかわからんといわれてしまうのだ」

「もしかしてグリーンギャング、あそうかチンパンのことかホンパンの事でしょうか」

「確かそんなような名前だったな」

芳幾たちにはチンプンカンプンになってきたようだ「なんですかね其のギャングだとかチンパンだとか言うのは」

「支那でね、今の清国に対抗する漢民族が作った秘密の組織だよ。青い幇とかくのだぜ」字を書いて「太鼓持ちの幇間のほうという字だよもう一つ付け加えると清国の清という字を当てる事もあるそうだ」と説明をした。

「何ですかい清国と言うのはチンと読むんですかい」

「そのようだぜ。もっとも俺も正太郎君に教わったんだがね。ホンパンのほうは赤という字を当てるんだそうだ」


そうなのだ太平天国の乱が失敗に終わったあと義民といわれる人たちは赤幇や青幇を結成して相互扶助を目的とする会を作ったのだしかし上海のフランス租界を根城とした青幇の一部が麻薬の密売や密輸品の売買を始めようとしていた、目的を忘れ同胞を食い物にし始めたのだ。

其の話は明日安部がポリスの斉藤と話して引き受けるからケンゾーたちは深入りしないように注意された「子供たちには内緒だぜ」と安部は念を押した。

桜田と同じ大参事の中野は肥前の出身で大隈や江藤と連携して井関知事に善後策を打ち出すだろうとも話してくれた。

兵部大輔の前原が長州といっても山城屋を重用していないように見られる節もあるのでもう少し情報を集めてみようと安部が受けあった。

同じ長州出身でも木戸様は山縣を買っているようだが伊藤は山縣を信用して居ないと寅吉はケンゾーに明言していた。

其の山縣は遊学中であり山城屋は伊藤や井上よりも山縣に近いためか兵部省に其の力が利用されているようだ、しかし前原は山城屋が近づくのを警戒して自身は接待にも応じていないようだ、山城屋が横浜では木戸様に近い支配人の大川に商売の方を抑えられていて、わがままが効かない様だが其の枷が外れればなにを仕出かすか危ないとケンゾーは見ていた。

何事も遷座祭が終わらないと始まらないと安部が言うために不審な男と雑貨屋の監視は続けることで其の日は分かれた。

夜遅く寅吉からの連絡を順次郎が伝えに来た「明日の夜はご馳走を届けるから正太郎と清次郎にケンゾーは夕食を家で食べるように旦那から連絡が来ました。それでお勝さんと玄三さんの分も入れて八人分ほどは都合をつけるそうでござんす」と連絡が来た。

何のことかよくわからなかったが魯文さんと芳幾に広重は此処で食事をしていたので明日の夜も付き合うように勧めた、それで丁度八人分だ。


遷座祭二日目の朝、もやっていた海も朝日が高くなる七字には見通しもよく雲ひとつ見えない上天気となった。

各町筋では朝早くから人々が昨日の余韻が残る高揚した様子で山車や花車の周りで話しに打ち興じていた。

「元町のたけしうちのすくねは中々のものだった」

「神功皇后こそ三代目都梁斎の傑作で群を抜いているぜ、それに三丁目の娘たちの手古舞姿にはぞっこんだぜ」

「いや野毛の手古舞の芸者はなかなかのものだ」

「其れを言うなら駒形町の那美や富美のほうが一等だ」

盛んにもう売り出されている読売を見ながら岡目八目美人評判に打ち興じた。

正太郎と清次郎は朝から野毛に出て行った、吉田橋は行き来する人で朝早くから込み合っていた。

とらやの裏に廻りお松津さんへ挨拶をして妹たちに朝の挨拶をしたときにはもう何時でも出の合図があれば其の侭出られるように草鞋を履いていた。

麻裏の厚手のもの途中で履き替えなくて済むように紐も丈夫な縒りをかけたもの、昨日の衣装と違い白地に青の細かな吉原つなぎを肩肌脱ぎ、下は緋鯉の滝登りを背中に胸と袖には赤い薔薇の重ね着で黄八丈のたっつけ袴、捻じり鉢巻きも勇ましい若衆髷。

「あんちゃん、此方はおつねちゃんとお京ちゃん今朝早くお家の方がついてお見えになったのよ」

鼻に綿を詰めても出させてくれといわれて断るお容さんではなかった、今日を逃せば後何時の日に機会が廻ってくるかわからない。

二人の妹も、もう既に友達扱いの野毛に吉田町界隈の子供たちが揃って出のしたくも済んで縁側に座る子縁台でおしゃべりに興じる子其の中にひと際目立つ野毛芸者の面々、今日は子供たちと同じ衣装で望む様子。

時刻は九字になれば横浜全ての山車、花車、踊り屋台の出発時刻、それぞれが打ち合わせた順路を町役人の指図で廻る約束、野毛を出るこちらの組は長者橋から清正公、新吉原を抜けて弁天で余興の披露、姿見町をぐるっと廻ってまた清正公から町筋を進んで車橋を渡れば石川町其処から続く元町へ入り百段の下で踊り屋台が止まり太鼓に笛とで騒がせて、谷戸橋からはヘボン先生の家によってからバンドを通り県庁から公園予定地、相生橋から駒形町さらに新地で馬車道から桜橋、昨日のように駅予定地で各町内の順番待ちでまたまた踊り屋台の見せどころ、米河岸から子の神社後は町内を経巡って暮れ六つ前に子の神社で解散の予定、子供たちはもう一晩お容さんが預かるという話を立て板に水でお怜さんから聞かされた。

「だけどお怜さんは元町の手伝いに出なくてもよいのですか」

「わっちは家が野毛だもの、妹に姪っ子も含めてすべて野毛だよ。元町は全て勝治と半蔵に任せたのさ」

既にお容さんを含めて三十分前には支度が出来「さぁでかけるよ」一斉にいつもの順に並んで表で待つ橋本さんと高松さんに率いられて出て行った。

「あれ辰さんはもう出たのですか」

「おや知らなかったのかよ。辰さんは今日旦那とともに火の番で百段の上で遠眼鏡を使って町を睨んでいるよ」

正太郎は知らないようだが寅吉が昨日は高松と人足数人で百段に陣取って火事の出ないように祈りつつ陣取っていた、県庁では安部が居留地ではキンドンが祭りの喧騒を他所に町を守る配置についていたのだ。

其れは野毛にも、灯明台役所にも人が配置されていたのだ。

お容さんはじめ虎屋の関係者の女連は昨日と違い長羽織は猩々緋、其処に墨痕鮮やかにすっきりと野毛町とかかれたもの、其れが三十人以上も手古舞の前後を歩いて子の神社まで歩く様は見物衆の目を引くに十分だった。

「お怜さん昨日の枝垂れ桜もよかったのにどうして着ないのですか」

「あれはね五人分しかないんだよ、だから帰りに桜橋を渡る前に着替えるのさ、其の手配も済んで荷物持ちは大忙しさ、他に手古舞も昨日の衣装にバンドのインターナショナルホテルで着替えるのさ、踊り屋台を引く子供たちはグランドホテルが断ってきたのでヘボン先生が場所を提供してくれたので先生の所でも踊りを披露することにしたのさ」

野毛坂に掛かる横浜道に勢ぞろいした行列の先頭は3月26日にハワイから戻ったばかりの上野敬介景範が馬で友人の鮫島尚信とともに並んで進んだ。

昨晩伊藤たちと遅ればせながら帰国祝いをおこなったとき、上野が野毛町から頼まれて陣羽織で馬に乗って先頭に立つことを話して「実は後一人誰かいないかという話しなのだ」ということで鮫島に共に並ぼうという話になった。

「上野君は前島君と共に英吉利に渡って鉄道のための起債と輸入車輛の選定をしていただくことになった。横浜にとっても大事な人間の晴れ舞台だ」

そう手放しで上野を褒め称えたのは伊藤だ。

その日の祭りは遊びに横浜を訪れた者も入れれば十八万人は下らぬくらい居ただろうと読売は翌日に書き立てたほどであった。

江戸の瓦版、読売と似てはいるが衣装に凝った様子では横浜が先んじていたようだ。

正太郎と清次郎はあちらこちらと先んじては現れて野毛の行列の妹たちを声援した。

夕刻野毛に戻る行列とわかれ「お容様妹たちをもう一晩お願いいたします」二人で頼んで弁天の空き地へ行って見た、此処には芝居小屋が出来る予定だそうで子供達が遊べるのはあと少しの間、多くの子供達が弁天に並ぶ縁日からあふれ出してそこにいた。

正太郎たちはその子たちに声をかけてから姿見橋を渡って境町に戻った。

「釜吉さん、お久しぶりです。祭りに来るとは聞いて居りましたがどこにお泊まりでしたか」

「勝治さんに頼んで元町に泊まらせてもらっていたよ。正太郎も元気そうでよかった」

釜吉は蕎麦屋の修行を終えて藤沢で店を開いていた、東海道から江ノ島へ向かう高台の休み茶屋の並ぶ一角に小さな蕎麦屋を開いたが銀治の仕込みで料理も手ほどきを受けていた。

「今日は祭り料理を旦那から命じられて此処で披露さ」其の話どおり、おかつさんに後二人のものが手伝って普段の食堂のテーブルには所狭しと料理が並んでいた「後は人が揃ったら暖かい物と鰹の支度だよ」台所の大きな桶には氷が入れられて何本かの鰹が差し込まれていた。

「こうやって頭を下にしておくと身に血が廻らずに上手いままで食えるのさ」

釜吉はそういって茶を上手そうにすすった、相変わらず酒には強くなっていないようだ。

「此れは俺の女房さ」そういって働く粋な女性を紹介して「あいつは俺が妹だ」と可愛い十六くらいの襷掛けの娘を紹介した。

「幸枝と申しますのよろしくお願いしますね」

「あたいは嘉代です、兄さん同様によろしくお願いします」

「正太郎です。釜吉さんには此方へ来るに附いて他人とは思えぬ親切をいただきました」

正太郎は釜吉を真実の兄貴同然と慕っていた、其の気持ちは挨拶を聞いていたもの全てが感じられるのだった。

ウィリーは招待で今晩も留守になったが広重さんたちが連れ立ってやってきて人が揃ったので釜吉は鰹を捌き出した。

「ケンゾーさんを呼んできてくれ、鰹の食べ方で龍馬さんたちから習った土佐風の調理方法で仕度をしてくれるということだ、竈も十分熱くなったし藁も用意した」

正太郎はケンゾーが捌いた鰹に金串を刺して竈の上にかざすとその下に藁を入れて火加減を調節しながら皮の方をよくあぶり身のほうはさっと色が変わるくらいにして桶の氷水に潜らせるのを興味深げに見ていた。

大きめにぶつ切りした後、酒や酢で調味されていた汁を手のひらで掬ってはひたひたと切り身を叩いた、其れを釜吉が大ぶりの皿に奇麗に盛り付けおかつさんに渡した。

ケンゾーは更に水にさらしていた薄刃のナイフでにんにくを薄く切りだした。

座敷では既に料理が並べられたお膳が出されていた、テーブルの足を切りそろえた物という奴で寅吉が誂えた虎屋特有の宴会膳だ。

広重や魯文は何度も人足たちとの宴会を経験して不思議でもなんでもないがケンゾーは始めて見たとき違和感を相当覚えたのを思い出した。

「鰹の料理でこういうのは始めて見た」江戸からあまり出ない芳幾は土佐風のかつお料理は初めてのようだ「西国に行くとこいつににんにくをはさんでしょうが醤油で食いやすぜ。中々おつなもんだぜ」

「そうですそうです、土佐の人たちは長崎でもこいつで豪快に酒を飲んでは詩吟で盛り上がっていました」

ケンゾーにも広重にも勧められたが魯文たちはにんにくと聞いただけで二の足を踏んでいたが意をけっして鰹の間ににんにくを薄くきったものをはさんで食べて「ほうこいつはいい、ときがらしで食べる物と相場は決まっていたがいくらでも食べられる」

金目の煮付けに鰹の刺身が更に出てくるとときがらしではなくしょうが醤油で食べて「こいつもいいぜこりゃ今日はいい思いをさせてもらったが、こいつはどこの鰹ですい、えらく新鮮だ」

ケンゾーは知らないので釜吉を呼んで話してもらった「新鮮で今海から上げたように旨い」という芳幾に「こいつは今朝方に大島と城ケ島の大灯篭の間の海であがりやした。今灯台が作られている先の海面でさぁ、旦那が前々から漁師に手を回して今日が晴れていたらその場所で鰹にかわはぎそれと金目なら幾等でも12日の横浜相場で買いつける、後は値段次第で何でも買い付けると蒸気船を頼んで文弥さんと文平さんが乗り込んで待機させたのでござんす。昨日出た蒸気船が昼に戻って魚市場へ出すほかに虎屋一同に振舞ったものでござんす。だんなの話では市場へ出すのは少しでも船の借り代を出すためで実は店の人たちや人足への振る舞いでさぁ。鰹は頭を下にして大だるに氷と共にいけてそのほかの魚も氷の入った茶箱で運びやした」

広重は驚いた、鰹片身を買うために江戸の時代に大枚をはたいたと言う話はあったが蒸気船で買い付けに出るというのは他にないだろう。

「では虎屋さん一同で今日は新鮮な魚で宴会かい」

「それだけではありやせんぜ皆さんがご所望なら肉料理に、鳥料理といくらでもだしやすぜ、肉は支那風の東坡肉こいつは朝から仕込んで後もう一度火を通すだけ、鳥は寅吉旦那に教わった弱火で鳥皮の油が十分鉄皿に出てしまうまで焼いたやつなど直ぐに用意いたします」

その鳥の焼いた奴を食べてみたいというので直ぐに台所へ釜吉が入った。

台所のテーブルでは女たちと玄三が自分たちの食事を始めていた、先ほどの鳥がご所望だそうだという釜吉に「こいつは良いな下地をちょぴり付けると胡麻の香りが引き立つて鳥がこんなに旨いとは思わなかった」

「なに其れはあの村の鳥がいいからだよ、藤太郎さんはじめおかつさんの家の人たちの丹精のおかげさ、捌いて塩で焼いただけでも旨いものさ」

摺り胡麻と醤油をあわせただけだが中々の風味だ。

釜吉は其の二通りの調理をして玄三たちのテーブルと座敷へは幸枝という釜吉の女房に持たせた。

座敷では大人たちはビールで鳥と東坡肉を楽しみ始めた。

「刺身は酒がよいがこいつはビールがよく似合うな」

宴はたけなわ、しかし其のころ寅吉は伊藤と斉藤の呼び出しを受けて219番の自分の家にいた。

 

咲き残っているチューリップの花壇と杜若に菖蒲が咲く池を見て「いずれがあやめ、杜若か同じ紫だと夜には区別がつかねえな」自分の家の花を夜にこうやって見ると昼と違う趣があって暫くたたずんでいたが馬を長佐に預けて家に入った。

「実は前々から横浜の阿片について井関知事からの要請もあり内偵を進めているのだ。居留地内はうかつに捜索が出来ぬが先ほどポリスの斉藤敬之と安部が訪ねてきた。前に要注意とされた不審な家だが大参事の持ち家で山城屋の妾が住んで旅人宿を営んでいるそうだな」

「はいそのように聞いて居ります」

「其の家の手入れを彈正台と我が刑部省で行うことにした。話は通じて居ないかも知れないがわしはポリスの斉藤の叔父で土佐藩の中仕置役を勤めていた斉藤利行である。現在は刑部大輔をこの二月から拝命しておる。兵部大丞の川村君が兵部省を代表して十名の部下と共に明日横浜入りをする。彈正台からは三名が目付役として同行するはずだ。この際大参事の桜田を左遷して其の家を取り壊す予定だ。彈正台は全て此方にゆだねるということになって手は出さない手はずになった。この裏には外務卿の澤様に害が及ばぬようにとの刑部卿正親町三条実愛卿のご内命である。事が大きくならないうちに芽を摘むことにしたのは前原兵部大輔と新しく兵部卿になられた有栖川宮熾仁親王も其れを望んでおられるからである。山城屋に手が付けられぬのは残念だがこの伊藤君も其れを苦慮しておるが必ず尻尾を出す日が来ると信じて其の機会を待つことにした」

「承知いたしました細かい事はともかくとりあえず阿片の害の及ばぬうちに危険なことを排除したということで納めるわけでござんすね」

「其の通りだ、細かな経緯は人に漏らすときには省いてくれ、ポリスの斉藤を通じて安部と井関知事に大参事の中野には話を明日中に通すことにした。打ち込みは明日夕刻五字を持って横浜の兵を警備に当たらせた上で行う、翌日には消防組の特別訓練と称して家を取り壊したい」

「承知いたしました、町名主と消防組は知事閣下からご内命をされますようお願いいたします」

「承知した。桜田の移動命令は午後四時、県庁に本人を留め置くように知事に命令書が届く予定だ。まずは此れで街中への阿片の蔓延は防げるということである」

電光石火とはこのこと、既に横浜入り以前に伊藤も鮫島も了承して後は機会をうかがっていたようだ。

寅吉はなぜ自分に打ち明けたのか考えた、どうやら真相の一部を関係者に明かしてこれからも眼を光らせるようにとの配慮かもしれないと思い当たった。

「まだまだ根が深いと見ているようだ。勝先生が言うようにもう仲間割れが深刻になって来たということだな」

刑部大輔とは従三位だ県知事でさえ従四位と二ランク下だといまさらながら大物を送り込んできた意味の重大さに気づいた、役宅を県知事に開放しろと一言言えばすむ身分の人が高島屋に寅吉の家で面倒見ると言われた言葉にも唯々諾々と従い、伊藤さんや鮫島さんが口を閉ざしていた理由も此れで判明した「裏は大隈さんが政府の主導権をとろうと画策しているかも知れねえな、さて大久保参議と広沢参議がどう動くかな。副島参議は大隈さんや伊藤さんの味方だとして佐々木参議はどっちにつくのかな。大参事の桜田さんは相当の人脈の上に乗っていたということか、山城屋を含む長州の人達と対立して伊藤さんは大丈夫だろうか」

木戸様の子分ともいえない伊藤さんや井上勝さんに井上馨と名を改めた聞多さんの事も心配になる寅吉だった。

ケンゾーたちには明日の朝にでも早速話しておかないといけないと思いながら満月の明かりの中を馬で野毛に戻った。

家ではまだ子供達が興奮から覚めやらぬ様子ではしゃいでいる様子が家に入る前から伝わってきた。

「子供たちは早めに寝かさねえといけねだろうに」

「仕方ござんせんよ、あちきだって深川のときはそりゃ一晩中眠れるもんじゃありませんでしたよ。前の晩よりも終わってからのほうが疲れているだけ反対に眠れやしませんのさ」

そういえば神輿を担いだ興奮は俺もそうだったとお容と顔を見合わせて笑ってしまう寅吉だった。

「風月堂さんがガトロールというお菓子をもって来てくれたので子供たちは大喜びですわ紅茶を甘くしておいしそうに食べたので女将さんも大喜びで帰れました。あなたも召し上がります」

「俺にはコーヒーを入れてくれ」

「では私もコーヒーをご相伴します」と台所の清に言いつけて支度をした。

「ほうロールケーキか」

「いえガトロールと仰っておられました」

「アア其れはフランス人に習ったんだろうよ。イギリスではロールが巻いてあるでケーキは生菓子のことさ仏蘭西でガトーというそうだ」

「あらそうでしたか、生菓子がガトですか練り切り等は其れに当たるのですね」

寅吉はコーヒーでガトロールをお容はコーヒーだけを飲んでいた。



遷座祭の最初の二日が終わり朝の関内は静かだったが、既に片づけを終わった香具師たちは町を離れる準備を終え大八へ荷を積み込んで江戸へ戻るものが新地の馬車道に溢れていた、祭りはまだ続くが他の高市(たかまち)へ店を出すのだろう。

駒形町三丁目の丸高屋へ着くと既に呼んでおいたケンゾーも来ていた。

「旦那こんな朝からどういたしました」

「長十手の旦那と伝助親分が来てから話すよ」

そういって喜重郎の上さんのお采さんにコーヒーを入れてもらった。

二人の目明かしが現れると五人でテーブルを囲んで昨日の話をした寅吉は「まだまだこれからなにが起こるか判らねえがとりあえず此れで幕引きとしたいようだが、番頭の大川はともかく山城屋はどう動くか皆目見当もつかねえ。山縣が帰国すれば木戸様は情に負けて兵部卿に据えるだろう、そうすりゃまたぞろ山城屋の策動が始まるぜ。抑えられるのは国へ戻ってしまった西郷さんだけだ」

「出てきていただけるでしょうか」

「弟の従道さんか大久保さんが呼び出しに行けば可能性があるさ。でも俺は長州の策謀に嫌気がさしてまたぞろ引っ込もうと言い出す気がするんだ」

「其の話だと山城屋が直接阿片とは関係がないのかい」

喜重郎さんは政府がなにを隠そうとしているのかを危ぶんで聞いた。

「俺も其のあたりまでは聞かされなかったが、仙台に出かけている番頭の大川さんが帰れば何か判るかもしれない」

「番頭も留守、山城屋は東京、怪しい男は誰かも分からない。可笑しな話だ」

「俺もそう思うよ。しかし兵部と刑部が合同で其の男を取り押さえるという事はとんでもない奴かもしれんとは感じたのだがね」

「コタさんでも見当が附かんか」

一同は納得出来ないが政府の方針が阿片の蔓延を防ぐというのが目的であれば、今はそれでいいのかもしれないと思った。

「俺たちではどうやっても御公家様や元のお大名に対抗は出来ないからな。今は薩摩長州に肥前が勢いもあって土佐の人たちは陰に回っているからな」

ケンゾーの方を見て長十手の旦那がため息をついた。

広沢参議様なら木戸様に対抗できるが平和論者で会津寛典の意見をも入れられず参議とはいえ高杉直系の井上、伊藤のほかには味方がいない有様だった。

明治政府は肥後の横井小楠を昨年一月に、大村益次郎を十一月に亡くしと幹部の暗殺に手を焼いていた。

木戸に西郷が中央に戻る日其れは日本の為になるのだろうか。




今回の遷座祭の様子について鳥居民さんの横浜富貴楼お倉を参照させて頂きました。

山車について資料の丁目に従えば一丁目筋(旧五丁目)・天照大神/二丁目筋(旧四丁目)・日本武尊/三丁目筋・神功皇后/四丁目筋(旧二丁目)・八幡太郎なのですが本文では丁目変更以前のため旧丁名に従っています。

 横浜幻想 遷座祭 其の四 了 2007−3−15

天照大神(長崎大学 目録番号1756)

八幡太郎(御大典市中奉視記念 本町通リノ花車 Yokohama’s Memory)

武内宿禰(元町の山車 長崎大学 目録番号2954)

酔芙蓉の番外編としてのお話いかがでしたか、これからも番外編の主役はコタさんからケンゾーと正太郎に移り、横浜の街の事件簿としていく予定です。  
 阿井一矢 ( 根岸 和津矢)

幻想明治 第一部 
其の一 洋館

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

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明治3年1870年
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明治4年1871年
 
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明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
   横浜真景一覧図絵
明治2471891
 


カズパパの測定日記