酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第八部-2 弁天 2 

えもん坂・船出・洲崎・港崎・波銭

 根岸和津矢(阿井一矢)


        

 ・ えもん坂

今日からワットマンさんは嘉右衛門さんのところで働くことになりました、マリーとともに前田橋の近くの倉庫の隣に小さな家を立て夫婦でそこに移り住みました。

マリーは相変わらず義士焼きの店で働いています、嘉右衛門さんのところではこれで腕のよい職人を得て洋館の建築にも手を出していけると喜んでいるそうでございます。

月が変わりたいそう寒い日が続き居留地では冬支度に石炭や薪を買い入れる店が増え日本人街の燃料を扱う店はどこも大忙しでございます。

ジラールの店でも石炭と薪の仕入れに奔走しているようでございます。

「コタさん石炭をもう少し入れておかないと来月には足りなくなりそうだぜ」

「そうか、春に言って青木町に余分に買い入れておこう」

「頼んだぜ、薪も今年は大量に仕入れておいてくれよ」

「そんなに薪が必要かい」

「ストーブは炭や石炭より薪の方が家にも煙突にも煤がつきにくいから掃除がらくだそうだ、それで薪が安いからそっちにする店が今年は多くなりそうだ」

「しかし火力は弱いんじゃねえのか」

「大きな部屋なら石炭がいいだろうが小さな部屋なら薪で十分だそうだ」

「わかった、相模屋さんや綿屋さんにも手を回して今年は余分に買い付けると話して置こう」

寅吉はアルと必要な品物の話をしてその品物の手当てを弁天町で吉岡さんに指図して野毛に戻りました。

先生は長州との談判から京にお帰りなられたそうですが、慶喜公からは疎外されて居られるようでございます。

談判に差し向かわせておいてから頭越しに天子の命により休戦の通達を出すということをなされ先生がまとめたことは無駄足となされてしまいました。

伝次郎の連絡によりますと坂本さんの亀山社中は相変わらず赤字続きだそうで、薩摩からの援助が頼りということに陥っているそうでございます。

お慶様の援助や小曾根様からの援助もありどうにか商売ができる程度では大勢の方たちを食べさせるのがやっとという有様だそうです。

船を失った痛手から回復するのは大変なようでございます。

先生の留守宅では四郎様の容態が悪化してきたそうで、養繧堂さんでも心配しているという手紙が琴から参りました。

かねさんの産み月も近づき先生の留守宅では大変なことになっておりました。

寅吉は野毛で仕事の段取りをつけ江戸にでようか相談しましたが橋本さんが、

「今だんなが江戸の先生のお宅に行っても使い走り以上のことはできないでしょう、それより連絡要員を何人か送り込んでお手伝いさせたほうがよいと思います」

「それもそうだな、では橋本さんが選んで何人か送り込んでください、金だけは多めに持たせて困ることの無いようお願いいたします」

「わかりました、ブンソウにも連絡して向こうからも人を手伝いに出させましょう」

千代と納品に出てきていた藤太郎を連れて吉田橋を渡りました、この間来た時に父親には了解を取っているので今日は泊りがけで仕事の勉強と遊びに連れ回る予定です。

弁天通りの店で吉岡さんとも連絡の確認をして、店の者たちと蓮杖さんの店の繁盛を話し合いながらうまさが増した大里庵の天ぷらそばを食べました。

本町通りに出て相模屋さんで薪に炭、石炭の買い付けをして石炭は青木町、薪炭は野毛に納めてもらうことにしました。

「コタさん、そんなに多く買い付けてどうしなさる」

「今年は少し早めに手当てをしておこうと思いまして、火事が多くなりそうなのも心配ですがあちこちの店と倉庫に分散して確保しておくことにしました」

「そんなら私たちも便乗して買い付けを増やして置きますかな、太田陣屋の先に倉庫がありますが、もう少しどこかを借り受けて買い付けておきましょう」

「助かります、私のほうも例の馬場の跡地に建てている倉庫が完成すればジラールの分はそちらに入れる予定です」

寅吉達はその後便船で青木町に渡り、笹岡さんに先ほど橋本さんや吉岡さんと話し合ったことを便へてから石井本陣の先の綿屋さんによって仕入れと納品先の確認をしていると、出て来た若旦那の辰太郎さんに誘われて港崎に向かいました。

この若旦那なかなかの商売人で、午前中は真っ黒になって炭団の世話から配達に駆け回るかと思えば、午後はりゅうとした身なりで居留地に出入りして相場にも手を出すという男でございます。

大旦那の話では「大きな相場は張らないらしいが、店の金に手を出さないのに、小遣いに不自由していないということはそこそこに儲かっているらしい」と、にこにこと話してくれました。

どうやら話を聞いていたらしく「今日はコタさんのおごりで飲み食いができるようで助かるぜ」

「おや、若旦那のおごりで連れて行ってもらった記憶はありませんぜ」

「よせやい、人聞きの割りい事言うなよ。先だってビールをおごったじゃねえか」

「まいりましたね、あんときゃその後で品川の芸者を10人も呼ばされて花代はこちら持ちでしたよ」

「あれそうだっけ、マそんでも煮売り屋でご馳走したのに間違いはないさ」

調子のよいことも部類の若旦那でした。

夕暮れ時の渡船は風が冷たく早くつかないかと寅吉は腕を組んでいました。

「コタさんよ聞いたか、カション神父がパリ宣教会離脱を申し出たそうだぜ」

「本当ですか、通訳としてパリ万博の使節団と同行するというのにどうしたんでしょうね、神父であったほうが何かと便利でしょうに」

「ロッシュ公使の入れ知恵じゃねえかともっぱらのうわさだぜ、コタさんが知らねえとは言わせねえぜ」

「マァナでも俺だってすべての情報に精通してるわけじゃねえよ」

船が波止場について陸に上がり本町通りから弁天通りへ出て千代に寅吉が五十鈴楼に行くと野毛にも連絡をつけさせました。

「千代やい、店で俺たちが港崎に入ると連絡してきな、野毛にも人を出して連絡をつけるように頼んできな」

「あっしはどうしましょう」

「後から追いついてきてくれよ大門に入る前には追いついてこれるだろ」

「それでは、ゆっくりとおいでなさってください」

3人で田舎者が見物に来た様子を気取ってあちらの見世こちらの店と顔をのぞかせながら歩んでいきました。

えもん坂を港崎に向かう途中にも多くの店が立ち並び坂下町も新道も大勢の人が忙しそうに行き来していました。

豚や牛の肉を焼く店が何軒も並び居酒屋も数多く出来ていて、人があふれていましたし、もう酔っ払って千鳥足で歩く人足も見受けられました。。

千代も追いついてきて4人で仲に入り、五十鈴楼に登楼して夜遅くまで騒いでこの日は泊まることになりました。

 

 ・ 船出

朝から冷たい雨が降り続き寅吉は早々と出したコタツに入り、朝の粥を啜っても仕事に出ず、のんびりと本を広げて紅茶を飲んでおりました。

「旦那様、よろしいのですか店に出なくとも」

「アア今日は特別何もなさそうだし、雨の中出かけるのも億劫だしよ」

「ホホなんか今日の旦那様はお年寄りくさいですわ」

お松津さんにそう言われてもコタツに入って、誰か連絡が来るまではここにいようと考えていました。

勝先生が昨日の夕刻に横浜に到着し船を乗り換えて品川に渡ったのをお見送りして、何か力が抜けて行くような気がしたのは、「コタよ、またも慶喜様に出し抜かれたよ、どうやら将軍宣下もま近いらしくおいらが京にいると邪魔のようで追い払われたよ。一翁さんの話だと海軍塾も何もかも原市のせいで取り潰しだっそうだが今となっては夢を見ていたようだぜ。あの話も後2年足らずで現実となるのは間違いなさそうだ」

船が出るまでの短い間でしたが力を落とされ、疲れた先生の様子に寅吉も「やはり慶喜公は将軍職の辞退と大政の奉還はいたさないでしょうか」

「原市たちの側近が許さないだろうよ、相変わらず一翁さんや春岳公は奉還されるように建白を続けるといっていたが、ここまで来るとだめだろうな。コタが教えてくれたように将軍宣下があると天子の交代が近いということになるんだろうぜ、そうなればすべてが水の泡さ」

本を読んでいても頭の中ではそのような昨日の会話がよぎって集中できず、ごろりと横になって天井をぼんやりと見つめるばかりでした。

「歴史は大きな河の流れと同じで小細工が聞かない」というジジの言葉が改めて思い起こされる寅吉です。

後になって知ったのですが次男の四郎さんが先生の到着を待たずにこの日の未明にお亡くなりになっておりました。

先生がお屋敷に帰りついたのは八つ過ぎだったそうですが、お目出度である筈の四男の七郎様が生まれたのもこの日でした。

卯三郎さんがおいでになったのは昼にはまだ早い時間でしたが来年の万博のための最終準備の打ち合わせをいたしました。

1月に横浜を出港するのにあわせ柳橋の芸者を3人連れて行くというお話でございますし、手代も4人そして幕府からの拝借金二万両のほかあちこちから集めた品物も出来るだけ売って帰ろうという算段なので後、向こうで金に成りそうな物をもう少し都合して呉との相談でした。

140箱分の荷造りも完了して、空が17箱分用意してあるからもう少し品物を入れようという話でした。

刀剣、弓矢、陣羽織などの武器、武具や鍼療具、釣道具、化粧道具に箪笥、提灯、農具、酒、醤油、茶、、鏡、人形、屏風、絵本、などなど総計四万両ほどの金高になるそうでございます。

董君が挨拶に来ました、いったん江戸に出てこの20日に一同うちそろい江戸より横浜に向かうとのことです。

彼は17才ながら通訳もかねるという栄誉を与えられています。

「これからヘボン先生とクララ先生に挨拶に伺います」

「それなら卯三郎さんも交えてホテルで昼飯を食べようぜ、先にヘボン先生のところまで挨拶に行こうか」

先生のお宅には董君の父親の佐藤泰然さんに岸田さんもおいでになりました。

「コタさんよ、出発は18日に決まったぜ、董君たちは25日の船だそうだね」

「あれぇ、もうそんな話まで皆さんご承知ですか、僕は20日に江戸を立つということしか聞かされていませんよ」

「オイオイ、船がそんなにあるわけじゃあるまいし、お前さんたちは松井源水の一座と同じ船だそうだぜ、長い船旅もそんなに退屈しなくともすみそうだぜ」

寅吉は吟香さんに200ポンドの小切手を渡して「上海で書付にある本が見つかったらこれで買ってください」

「董君への餞別はいい機会だから今日渡しておこう、時計を持っていないらしいから俺のトビアスの金時計を上げよう、それから200ポンドは君が欲しい本が有ったら買うための費用だよ、400ポンドのほうは俺の頼んだ書付にある本があったら買って送ってくれよ」

「いいんですかこんなにいい時計をいただいた上200ポンドもいただいて」

「もらっておきなさい、遠慮なんてすることはないよ、コタさんは金持ちだから」

ヘボン先生はそういって泰然先生と大口を開けて「ワッハッハ、ワッハッハ」と豪快に笑うのでした、もちろんウィンクしてみなを笑わせながらでしたが。

「これからお祝いにホテルで食事をしに行くのですがご一緒いたしませんか」

「アリャ、こりゃ残念なことじゃ、わしと泰然はシモンズ先生が来るのを待って手術があるんじゃよ」

「代わりに俺が行きますよ」と、吟香さんが申し出て4人でコマーシャルホテルに向かいました。

席について董君はジンジャービール、大人はワインで乾杯しました。

この日のランチは肉の煮込みと温野菜フレンチポテト添え。

吟香さんがヘボン先生から伝授された目薬を董君に渡し「潮風で目をやられたらこれで眼を洗うんだよ」とビンに入った目薬を3本ほど渡されています。

ゆっくりとランチを食べて満足した4人はピカルディに向かいハンナたちに旅立ちの日には会えないかもしれないのでとお別れの挨拶を交わしました。

今日は横浜に泊まりあす江戸に向かうという董君や吟香さんに別れ、卯三郎さんと寅吉はゴーンさんの店によってフランス人好みの品物について話し合うのでした。

「紙子の羽織は入れましたか」

「オッ、あれはいいね、この間妹に送ったらたいそう喜んだという手紙が来たよ」

「そうかあれなら軽いし畳めば数が入れられるな、急いで100枚ほどあつらえよう」

「後はやはり陶器だろうな、清国からも数が出るだろうが絵付けに凝ったやつをもう少し集めておこう、簪と櫛ももう少し欲しいな」

「そいつはいいが高いものはそんなに売れないでしょう、見栄えがよくて安いものにすれば会場で売れるでしょうが、高級品は難しそうですね」

「どうもそうらしいな、カション神父の話だと貴族階級の人間ほどしまり屋ださうだ」

「神父ですが何でも教会から離れるそうじゃありませんか」

「そうらしいな、商売人か政治家にでもなろうと考えてでもいるのかも知れねえぜ」

うわさは居留地を飛び越えて相当広がっているようでございました。

 

 ・ 洲崎

雅に辰さんを連れて江戸での四郎さんの葬儀に出た寅吉は夕刻に青木町に戻り、羽田やで会合を開きました。

朝吉や光吉たち会計責任者五人を集めて大阪、名古屋での資金の相談にてんぷらを揚げさせての会合です。

来年5月をめどに連絡所から二人が常駐する支店への格上げと二人への貸付金などの割り振りを今からそれぞれの会計からとりおく相談もすんで、後はこれからの商売の見通しと人員の割り振り、暮れの割増金の準備、居留地内の洗濯屋の開業などについても話し合いが続きました。

明日には春と太四郎の二人を呼んで、朝吉と広太郎を交えて寅吉が場所や資金と人間についての相談を行うことになりました。

広太郎の話ではジョセフ彦が新聞を休刊してから元気が無く「どこかで雇われたほうが気楽だから商売を止めようか」等愚痴をこぼしているそうで場所としてはいいのではないかと話しています。

「朱さんが洗濯屋のことを何か話していたな、清国人で下職をしていた人間が何人か渡ってきているそうだ」

「はい私も聞きました、旦那どうでしょう居留地の中だけなら清国の人間を雇って働かせるのも好いんではないでしょうか」

「春に相談してみよう、何事もそれからだ」

「はい、わかりました。それで彦さんですがあの場所は確保いたしますか」

「そうだなそれは朱さんに相談してあの人に骨を折ってもらいなよ。春がよければ共同経営を持ちかけてもいいじゃねえか。それも春しだいにしょうぜ」

後はみなが満足するまで食べて飲んで町の噂話などをした後、会計たちはまだ相談や話し合うことがあるというので、野毛まで籠を連ねて帰させてから寅吉は青木町に泊まりました。

翌朝、笹岡さんに昨晩の話をしながら朝飯を食べ終わると、洲崎大神に二人そろってお参りいたしました。

「これはお珍しい、コタさんにここで会うのは何かのご縁だ、ちと付き合ってくださいよ、何そんなに時間のかかる話じゃありませんさ」

青木町の青物問屋の、たからや惣兵衛さんでした、居留地にも青物などをおろす大きな店の主とも思えぬ気さくな様子で人足たちにも評判のよい方でございますし、大神の氏子として総代として祭りだけではなく、近在の者などの面倒見がよいことで知られております。

亀の甲せんべいを商う若菜屋に入り、煎餅に香煎を出してもらって旦那の話を聞く事にしました。

「横浜開港から六年たち、多くの人間や店を居留地に取られてしまい宿が寂れてくる中、コタさんたちがここ青木町に昔と変わらず店を構えてくれていることに感謝していますよ。お前さんの千里眼としての眼力に頼ってすまないことだが、この宿はもう昔の繁栄は望めないのだろうか。本当のことを教えてほしい」

しばらく腕組みして考えていた寅吉は「街道の宿場としては後20年がよいところでしょう。横浜は奥の埋め立てが済めばさらに人が集まるでしょうし、この前の入り江もいずれ埋め立てられるでしょう」

「本当かい、ではこの町はいずれ寂れてしまうということか」

「世の中の流れからすれば、蒸気船が増えればここでは便が悪く横浜に勝てないでしょう、さらにこの間バンドでみなが見た陸蒸気と呼ばれていたあの機械が走ることになれば旅のものも神奈川で泊まることが無くなるかもしれません。昔のように飯盛り旅籠なり遊郭が出来ればともかく、今のままでは活気が磨り減るばかりでしょう」

「お前さんがかねがね言っている、例の居留地に火事があっても横浜の繁栄はここに移ってはこないのかねえ」

「火事はいずこでも起こることです、それに私は火事が必ず起きるというのではなく火事に備えるために人家が建て込む中、火の取り扱う店に始末のために注意しております。これからは埋立地が次々と繁栄する土地として人を呼び寄せるでしょう」

「では、埋立地を目当てに商売を考えるのが商売人としての心得になるということかい。目先のことにとらわれるのは好きではないが、取り残されるのだけはごめんこうむりたいしな」

「左様でございますね、ここは本店として売店としての小さな店を増やすことがよいのではないでしょうか」

「考えておこう、いやよい話を聞かせてもらった。必ず役立たせていただくよ」

寅吉は渡船を使い横浜に渡ると、雅を使いに出して午後1時に元町に春と太四郎を越させるように連絡をつけさせました。

「野毛にも出かけて朝吉たちと連絡をつけて夕刻に桜花亭で食事をしながら昨日の話の続きをすると便へてくれ、時間は五つ半、暮れ六つ過ぎに芸者を五人ほど揚げると桜花亭につたへて人選は任せるといって置けよ」

「それでこちらの人数はどうしますか」

「お前もでられるなら出てくれ、橋本さんに千代も時間が有れば出ること、お怜さんも連れて行くからこれで七人後は会計たちの五人で十二人になるか」

「わかりました、そのように桜花亭にも連絡をつけさせておきます、私は元町に行きましょうか、それとも代わりを出しましょうか」

「お前でも都合のつくものでもいいよ、夕方までは好きにしなよ」

「はいそういたします、ではお先に行かせていただきます」

雅は弁天町から野毛に回らせ寅吉はスミス商会でマックと相談があり居留地に入りました。

連絡網は次のようになっていました、弁天通りに入った寅吉の言葉はその連絡員が次に行く場所以外のピカルディ・元町・青木町・野毛にそれぞれ連絡員が向かって、大まかな時間と行き先を知らせておきます。

つなぎが必要なときは寅吉が行く場所にあらかじめ話が先行し誰かが待ち受けるということになっておりました。

寅吉が生まれ育った伊勢佐木町の時代には電話も通じていて、ジジや父親がどこにいても瞬時に連絡がついたことにヒントを得て、連絡網を電話の変わりに使うことにしてあります。

ここ横浜では江戸よりも狭いので、飛脚屋よりもじかに使用人を走り回らせる店が多くなっています。

スミス商会では陳君が指揮をして掃除に余念がありません「ほらほらその茶箱をどかして後ろ側もきれいにしてくださいよ」年かさの清国の人間も陳君に指揮されて辮髪を振り振り店から倉庫から毎日掃除に余念がありません。

「いらっしゃいコタさんの旦那、マックさんは庭で体操していますよ」

「忙しそうじゃないか」

「はい、掃除は朝の仕事です9時までに終わらせないとね、時々それより早くにお客様が来ても掃除の邪魔ね」

「ハハ、邪魔はよかった、庭に通るぜ」

裏の庭に出てマックとお茶を飲みにピカルディに出かけることにしました。

「最近スワンプにお誘いがないじゃねえか」

「俺は何度も行っているがマックと違って忙しいんだよ」

「そりゃどういう話だ、忙しいからいけるなんておかしいじゃねえか」

「火事のための避難路や消火の話もあるから足繁く通ってるのさ、今晩同行するかい」

「遊ばしてくれるなら陳君たちも誘ってつれてってくれよ」

「いいともさ、俺のほうは会合が終わり次第顔を出すが8時ころになるぜ、だから元さんに伍左衛門さんを一緒に遊ばせに連れて行っておいてくれ、時間は7時でいいかな」

「それなら仕事が終わってゆっくりと出かけられるな、いつもの五十鈴楼でいいのか」

「そうしようぜ、ちょっと元さんに都合を聞いてみよう」

話をパルメスさんにしにいくと、どういう加減か自分も行きたいというので「どうせならここと隣も誘って行きたい者は全員招待してしまおう」

なぜか寅吉はそんな気持ちになって全員に声をかけ女たちでも行こうという者は連れて行くと話をしました。

港崎は男の遊び場と思う人も有りましょうが、当時は女性のための娯楽場、社交場の役割も果たしていました。

五十鈴楼には男たち岩亀楼には女たちと振り分けての宴会を企画いたしました。

すぐさま元町にも連絡をして、お怜さんは寅吉たちと会合をした後で港崎に向かうということにしました。

「今日は忙しい一日になりそうだ、日暮れ前に野毛で会合、暮れ六つから宴会とこなしてと、8時までに港崎か」

「今日の暮れ六つは何時ころだよ」

「今の時期だと5時10分くらいだろう、7時には野毛を出れば十分だろう」

「スワンプのことをみよさきと言ったりこうざきと言ったり中にはみよざきと言うのがいて日本の言葉はよくわからん」

「それわよう、ここに来ているやつは日本中から来ているのでお国訛りで言葉が濁るものもいるのさ、お前さんの国だってロンドンっ子は江戸っ子みたいに独特の言葉があるんだろう」

「そうか、コックニー訛りは同じロンドンにいてもよくわからんものな」

マックとスミス商会に戻り陳君や買弁のものにも、今晩寅吉の招待で遊びに行くと通達いたしました。

「店の留守番はどうしましょう」

陳君が不安げに言いますと、マックが引き受けて「藩さんの所から番人を二人だしてもらおうぜ、だから全員参加してくれ、6時に店を閉めたら一張羅に着替えて6時半に出かけるぞ」

陳君が働く買弁や日本人たちに通訳して伝えると、期せずして歓喜の声が上がりました。

表から中の繁盛を見ても中に入る余裕の無いものが多いのではじめてのものが多いようです。

マックがこの出費に寅吉の懐を心配しないのは先ごろ寅吉が2000ポンドの利益が出た取引を個人で行い、まだそれを換金していないことを知っているからでしょう。

「この間の儲けを使って遊ばせてくれるんだろ」

「そうさだから遠慮することなど無いさ、マックが半分は儲けさせてくれたようなものだからな」

「それなら大威張りで好き勝手に遊ばせてもらえると言うことか、しかしあんな話からよくあんなことを思いつくもんだ。話をしたこちらもそれで金が儲かるなんて思いつきもしなかったぜ」

「最初は俺だって半信半疑だったよためしに500ポンド投資したら10倍になるなんて、うそみたいなもんだぜ、そのうち半分は回収できたから後はどうなろうと、損することなど無いさ」

「しかし尻馬にのってこれから金山に投資してももう遅いんだろ」

「あれは最初の株だけさ、1口が一人10株で500ポンドと言うのは法外だが半年で配当が出るなんて誰も信じやしない話だものな」

「しかし金の変わりにダイヤが出るなんて誰が聞いても驚きだな、だからコタさんのことを千里眼だとうわさが飛ぶのかも知れないな」

「しかし後からその株を買うにしても最初の株を分割して売るしかないんじゃ、株の値段はまだまだ上がるだろうな、一株500ポンドだとそう買いきれるものじゃないな」

「俺は後5株あるがこれからはどうなるか誰にもわからねえよ、例のアーサーの父親の導きかも知れねえな」

「そうかも知れねえな、俺も度胸があれば投資してもよかったがそこまでの度胸はないからなぁ」

ラクシュマンさんを頼って株への投資を持ちかけてきたのはイギリスの軍人でインドでの軍役の後アフリカでの金山への投資を打診してきたものでした、アーサーの名で父親の死と日本人が投資を自分の代わりにするという話をつたへ、ボンベイに渡る船へ500ポンドの小切手を委託すると言う冒険を寅吉が決断したのは今年の春のことでした。

思いもかけず半年足らずでダイヤの鉱脈にいきあたり、ロンドンでの株売却を打診してきたので半分を売り払ったものです。

スミス商会の本店が仲介してオリエンタルの2500ポンドの手形が届いたのは10日ほど前ですぐさま細かく分割してオリエンタルの手形10枚ほどにいたしたものです。

夕刻桜花亭に集まった店のものと相談もすぐにまとまりました。

居留地内のこともあり朱さんに共同経営を打診して同意していただくことに寅吉が相談すると言うことにして、彦さんの跡地に洗濯屋と倉庫に何か商売の店を考えることにしました。

金は横浜物産会社から出し、借り入れが必要なときは寅吉個人から借用すると言うことで会計も承認いたしましたし、責任者は春が引き受けることも決まりました。

「春よお前も忙しいだろうが、各店舗の責任者を早く養成してお前がすべて引き受けなくとも済む様にしろよ。太四郎も名古屋と大阪が決まれば忙しいだろうがよろしく頼むぜ、神戸が開港すれば喜重郎さんと同時に支店を出すからお前が出張るんだぜ」

「サァ話が決まったら芸者衆を呼び入れましょう」

お怜さんが手をたたいて座が一段と華やかになりました。

台ものも運び入れられそれぞれが盛り上がったところで「俺たちは約束があるから後は朝吉が責任者でここで十分遊んでいってくれ」

7時半近くに寅吉と千代にお怜さんそれと橋本さんがついて港崎に向かった後、宴席は若い者たちで盛り上がったようでございます。

港崎でもお怜さんは岩亀楼へ寅吉と千代と橋本さんは五十鈴楼に向かいました。

この日二つの店は夜遅くまで管弦の音が響いておりました


 ・ 港崎

前日の夜品川から戻った寅吉は青木町で目覚めた、風が強く波も荒いので「歩いてゆくか」と同行していた千代と話しながら茶漬けをかきこんでいた。

「旦那北東の風だから火事が心配でやすね」

江戸っ子の千代は丑寅の風は大火の元と心得ているのでそのようなことを口に乗せた。

「そうだな、火の用心に越したことはないな、誰か先に野毛に出て特に今日は注意するように各店に人を回らせろよ、必ず火事があっても見物になぞ出るなと言うことやいつもの注意を新しいものにも徹底させろよ」

千代がすぐさま3人の人間につたへて人を走らせました、7時ころには野毛に行き着くでしょう。

「この風だ、歩きではなく早足で頼むぜ」

「合点でござんすと」足自慢の3人はすぐさま野毛を目指して出て行きました。

「旦那はどういたします」

「10時ころに風がやんだら船で行くし、強ければ歩いてゆくさ」

「何か用事でもありましたか」

「心配だから神奈川で人を集めたり船の手配などしておきたいからな、あちらは毎度注意してあるから連絡さえ着けば練習にもなるから気を置いてくれるだろう」

「居留地の石橋の旦那も最近はユナイテッドクラブのスミスの旦那と協力体制が出来たそうです、辰さんもこのような日はいつも八組の頭連中と見回っておりますようで」

「それなら向こうは俺がいなくても普段どおりでいいだろう、笹岡さんすまねえが御船方に話を通して気をつけるようにしてください」

「わかりました、こちらから申し入れた日は何事もなければ慰労会を開いてくれるから小者も喜んで協力してくれると立花様も協力してくださいますのですぐさま伺ってまいります」

笹岡さんを御船手に回して寅吉は会所に向かい町役人に協力をお願いいたしました。

「コタさんにはいつも世話になって居るし、物見を交代で昇らせましょう。このような日には宿のものにも注意の知らせをまわして起きましょう、家の外で火を使わぬよう特に気をつけさせることに人も回らせましょう」

当番の太田屋さんがすぐさま町ぶれを回してくださいました。

笹岡さんが戻り「番所には話を通しておきました、あちら様でも風を見て漁師達の方から心配だと言う話が聞こえてきたので船を集めたり人を集めたりして居りました」

「そうか、毎度のことで気を置いて下さっているのだろう網元の佐兵衛の旦那のところは直接俺が行こう、笹岡さんは松風の親分のところで人を集める算段をして置いてくれ、用事がなくともこれだけ出して無駄でも人を集めてくれるようにしてくれよ」

普段の財布にある20両とさらに10両出して奉書に来るんで預けました。

「では宿まで出かけてまいります、開蔵さんここはお前に任せたよ、義士焼きの店は本日休業として人をこちらに集めて備えにしてくださいよ」

笹岡さんも寅吉の不安が乗り移ったか心せくままに二人の共を連れて神奈川本陣裏の松風の親分の元に出かけました。

浜に降りて佐兵衛さんの元まで向かい訪れると門の前で海をにらんでいる佐兵衛さんに出会いました、彼はまだ30前ですが体が大きく寅吉と並んでも遜色がありませんし腕周りなど人の倍は有るかと言う相撲取りでもかなわぬ腕力でありました。

「オオコタさんか、いかんな今日は横浜に向かって丑寅から風が吹き付けている、こちらは漁に出ても戻れないといけねえから船止めをして済むが、宿や横浜は火事が心配じゃ。お前さんがいつも言うようにこんな日は火をつかわねえで済めばいいが朝のしたくは済んだころだから後は昼時が心配だな」

「左様ですね、料理屋が支度をする八つ時が危ないと見ております」

「大きな店はそれだけの心配をするだろうが、寝ぼけ眼の小僧たちがおき抜けでたきつけたりするとあぶねえな」

「アッ、そうか小さな店の小僧たちはけぶりで目が痛いから外で七輪に火を起こすやつが多いですもんね、そいつは気が回らなかった」

「何だコタさんともあろうものがそいつに気が回らなかったか、千里眼がなくぜ」

「千里眼はうわさだけでござんすよ、なぜか品川で商売していても昨日から胸騒ぎがして仕方ありませんでした」

「やはり今日が危ないかな、漁師達も昨日から海がおかしいと盛んに言っていますぜ。四つを過ぎたころから風が回りそうで一回りするまで心配な風になりそうだ」

「そりゃどういうことですか」

「このめえ辰さんと千代さんとも話したんだが、このあたりでは丑寅からの風が吹くと海が冷えて、陽が出てしばらくすると西風に変わりまた北の風に変わると言う風に風が回るんだぜ、あぶねえので海に出るのが怖いのさ、だがよいつも頼まれてるように居留地に火が出れば必ずありったけの船を出して人を向かわせるように漁師も承知しているよ」

権現山で鐘が響き火が出たと知らせています、浜からは見えませんが擦り半でなった後、二つ、二つ、三つ後は擦り半でなりまた繰り返します。日本人街だというしるしです。

「いかん人を集めよう」寅吉はすぐさま千代を先に走らせました。

御船手に向かい挨拶もそこそこに集まってきた店のものが押すポンプを積んだ船は次々に横浜に向けて漕ぎ出します。

「火が見えませんね」

「山から見えてもここからは見えねえんだろうぜ、無駄足でもいそいでくんなよ」

「承知しました、任せてくなさいよ」

四挺櫓の船は風の力にもまれながらも負けずに渡船場に目指して進みます。

半鐘の音がようやく聞こえるとこまで来て寅吉があたりを見渡すと、かく浦の漁師達と思しき船が続々と横浜を目指しておりました。

港から沖の大船に向かう船やバッテラが降ろされて水夫が乗って居留地目指す船が見えます。

この日の朝五つ刻、末広町のえもん坂の中ほどで豚肉料理屋の鉄五郎方では遅い朝の仕度にかかっていた、前の晩遅くまで飲んでいた鉄五郎はいつもの習慣で土間の戸を開け放して煙がこもらないようにして焚きつけの火を移した。

それこそあっという間に燃えた火は鉄五郎の足元を走り土間に有った渋紙に燃え移った。

半天で消そうとした鉄五郎はあたふたとしているうちに店にまで火が回り土間からはいずりだすのがやっとだった。

それでも「かじだぁ火事だ。火が出たぞ」と叫んで隣近所に知らせるだけの分別は残っていた。

火はえもん坂を駆け下るように広がり木戸口から坂下町に燃え広がったところで風が変わり、太田町通りへ向かい新道をさかのぼって港崎の大門にも向かうのだった。

火元の鉄五郎の上に燃え残った人家も火に包まれ人々は沼地伝いに逃げ惑うのだった。

野毛では寅吉の連絡を受けて非番のものにも召集をかけ、各店にも火の気に気をつけるように人を回らせていた。

「旦那が今日は特別に心配だと言いなさっている、千里眼のうわさは伊達じゃないんだ、みなも気を配って火が出ぬようにしておくれ」

橋本さんも、お怜さんもそれぞれ口伝で店のものに触れ回らせて、ことさらに水や砂などのほかに厚めの半天を数多く出させるのだった。

「火に気をつけていつでも炊き出しが出来るように米を磨いでおきなよ」

さらに女たちには、たすきがけでまるで戦ばに向かうやうな仕度までさせています。

「食べ物は十分に用意しておきな、漬物や火を通さずに食べられるものは残さず出しておきなさいよ。何無駄でもまた買えば済むじゃないか」

ピカルディでは連絡を受けてパルメスさんがクロワッサンを大量に焼きだしました。

これは罹災者に配るときに数多くわたるように指示が出たときは売れ残る心配よりもまず焼いておくと言う打ち合わせでした。

ジラールやカーチス、マックにも通知が届き、それぞれが火の用心と最悪の事態に備えをしだしました。

先生夫妻のいないヘボン塾にも話をして留守を守る佐藤先生は門人たちを指図して備えを完了したまさにそのとき天主堂から日本人街の火事を知らせる鐘がなりました。

居留地内の火事は1撃、日本人街2撃、弁天の海岸よりは3撃、元町方面4撃ときめられていました。

2撃の鐘が休み休み聞こえるさまはまるで火事を知らせるさまではありませんでしたが、ガワー氏指揮する消防隊は3台のポンプ車を居留地の境まで押し出し坂下町、太田町通りから来る火を消すべく堀から水を上げて放水を開始いたしました。

この日牧場の牛や避難する人たちはポンプ車の脇を抜けて前田橋や製鉄所方面に向かいました。

火の手は一度そこで食い止められていましたが、気がついたときには沼の向こうの遊郭が火の手に包まれておりました。

逃げる人の中から何人もの男たちが半分乾いた沼に入り逃げてこられた女郎衆たちに手をさしのばして順送りに居留地側につれてきました。

五十鈴楼の三階の窓には何人もの女たちが泣き騒ぎながら助けを呼ぶ声が沼を伝わって聞こえてきます。

「助けておくれよう、火がそこまで来てるよう」

「飛び込め、下は沼地だ布団もしいてあるんだ、怪我などしやしねえよ」

「はずかしいからいやだよう、怖いようなんとかしておくれよ」

「馬鹿やろう、そんなことを言ってる場合か」

その声に押されるように気の強いものは何人か飛び降りて助かりましたが、なまじ身支度などに気を使うものたちは髪に火が移り半狂乱のままで火に巻かれてしまうのでした。

男たちの中には辰さんもいて塀を壊し、垣根を壊し逃げ遅れたものを引っ張り出しておりました。

岩亀楼を嘗め尽くした火は五十鈴楼もあっという間に焼き落とし仲の町付近はそれこそ半時の間に壊滅してしまいました。

朝、とまりの客を送り出し寝入りばなの火事も坂下町と聞いて油断している間に、五十鈴楼では旦那が声をからして三階の女郎衆に降りてくるように声をかけても寝ぼけ眼の姉女郎たちは仕度に気を使い火が回る速さに驚くばかりでございました。

善二郎さんは若い衆と女たちを家から引き釣りださんとばかりに沼地の中に追い出してきましたが三階の女たちの叫ぶ声にまた火の中に飛び込み行方がわからなくなってしまいました。

西側の跳ね橋の木戸口の番人は鍵をかけたまま行方がわからず、消防のものが沼地から回ったときはもう火の手が回り塀を壊すのも間に合わず、火が回って大勢の女郎に男たちも立ち往生していました。

外からようやく塀を壊したときには塀を乗り越えられたもの間に合ったもの以外は大勢のものが打ち重なるように倒れておりました、煙に巻かれたもの髪や夜着に火が燃え移り落ちてきた屋根瓦や柱に打たれたものなど目を覆う惨状でありました。

後で調べたところ十八軒の妓楼と局見世八十四軒に千五百人ほどいた遊女に男衆の内四百人ほどが行方がわからないそうですし、なきがらは港崎の内だけで四百体以上見つかりました。

寅吉が渡船場から上がったときにはもう港崎の方面は火が回り、人垣をかきわて弁天通の店に入ったときにはもう太田町通りの四丁目から先には人が進めず、手がつけられない状況になっていました。

風は吹きまわり昼過ぎには太田町通り、弁天町、本町の五丁目を中心に海岸に向かいました。全楽堂さんの所も四丁目の店は機材を持ち出すのがやっとで二丁目の出店に非難してきました、そして弁天の境内と馬場では逃げてきた人であふれておりました。

二丁目の虎屋に横浜物産会社では多くの人員が詰め、女たちは野毛での炊き出しの手伝いに出向いております。

ピカルディでは元町からの応援も集まり火の手に備え、近隣の住人とも連絡をして居ります。

ポンプの備えも火の勢いに負け火の中心は日本人街の四丁目からは遠ざかり高札場から運上所付近に広がりました。

アーネストの居る家あたりまで火の手が廻ったのは昼頃、人手を回して運び出した荷物はバンドにまで運び出しましたが、後で聞くと番人が居たにもかかわらず盗まれたり火が其処まで回り焼けてしまったものが多くあり、後で聞いたところでは400ポンドあまりの家財が燃えてしまったりなくなってしまったという話でした。

夕刻まじかには風が収まりだしましたが、火の手は居留地の壱番館二番館をなめて天主堂付近に燃え広がりだしました。

元のマックのいた28番もゴーンさんの店があった76番も燃え落ち、ほむら道付近で停まり天主堂までは届きませんでした。バンドではフランス波止場付近まで燃え落ちその惨状は眼を覆うばかりでしたが、幸いにも寅吉の知り人は居留地の中では犠牲者が出ませんでした。

各店舗では避難して来た人間にお結びに沢庵等を渡して付近での泊まる所のない老人子供を預かることにいたしました。

アーネストは寅吉が誘いましたがいち早くMr.フォスターに誘われて其処に避難していて何人かと同居する事にして居りました。

奉行所でも民家の無事な家には被災者をかぜの当たらぬところで保護するように各町に指示を出しています。

春が買い入れてあった毛布などは倉庫に非難してきたものに暖かい粥とともに配って歩いていますし、大里庵の親父も蕎麦をあるったけゆでて道を行きかう人にまで振舞っています。

「食べてゆきなよ、代はとらねえよ、腹が冷えては動くのも大変だろう。遠慮するなよ見世が空になるまでどんどんゆでてるんだ、あまっても仕方ねえよ、焼けたと思えばどうって事ないんだ、あったまったゆきな」

被災者、救援のものかまわず振舞う男気は後々の人間の記憶に残りました。

春が寅吉に相談をして野毛の店でも職人が蕎麦を打ったりうどんをこねたりと夜を徹して暖かいものを振舞いましたし、春が大里庵で数が足りないと話を聞くと人足たちが進んで配達してどんぶりを洗う手伝いまでしておりました。

乾麺のうどんや蕎麦もありそれも倉庫から出して大里庵に差し出して洗い場など雑用は変わり番子に出しますから品物がなくなるまでお振る舞いを続けてくださいとお願いいたしました。

「いいともよ、では女たちを仮眠させる間だけでもお願いするぜ」

不眠不休の振る舞いに暖かい気持ちになった人も多く、進んでどんぶりを洗う人たちが多く見られました。

フランス公使館でも弁天の境内の避難してきた人々に暖かいものを振舞っておりましたしパンを食べられる人には冨田屋で焼いたパンを買い上げて振舞っておりました。

ピカルディでも天主堂付近で盛んに配っておりますし多くの人がとおりに出てスープやビスケットを配っておりました。

日本人街の被害は坂下町・太田町・弁天通・南仲町・本町・北仲通・まですべて四丁目の東がわ海岸通は二丁目まで・外国人居留地1地番から70番までのうちフランス波止場以西が全焼して、71番からほむら道までも焼けた家が飛び飛びに見られました。

午後10時にようやく鎮火しましたが人々は眠れぬ夜をすごすことになりました。

 

 ・ 波銭

一夜明けて寅吉は惨状のなかを見回り、弁天町で指図してから渡船場から青木町に向かった。

笹岡さんが品川と江戸に使いを出して、途中の経過を知らせてあると言うことを聞き、改めて昨日の惨状を書いた手紙をだすのだった。

「残念だよ、これだけ消防施設に金をかけたのに、風で煽られた火元に近づけないうちに延焼範囲が広がってしまうなぞ、人間の力が小さいもんだという事がよくわかった」

笹岡さんたちと後始末に向かう人手を集めながら寅吉の落胆は大きかった。

船を仕立ててまた居留地に渡りフランス波止場からピカルディに顔を出して皆と無事を喜びあいこれからの方策についても話し合うのだった。

ここにも焼け出された知り合いが何人も来ていて部屋を分け合って泊まっていました。

力になることをその家族に約束して元町に向かい、そこでもいろいろ相談してから野毛に向かうことにして谷戸橋を渡った。

倉庫の食料は後わずかしかありませんという話を聞き「それは笹岡さんが手配してくれたよ、今日中には近隣から買い付けた米もそばも届くはずだよ」

「居留地の倉庫のほうはどうですか」

「あそこは無事で今日からジラールやウィリーが人を集めて必要な人には分配してるはずだよ、マダムノエルもベアトリスも子供たちを任せて倉庫に来て配布の手伝いをしてくださっているそうだよ」

「あの方たちはよく働いてくださっておられますわ、昨日も夕刻にこちらへおいでになられ野毛は無事ですが、こちらと弁天町はいかがですかと聞かれておゆきになりました」

それぞれが助け合って災難から早く立ち直ろうと懸命に立ち働いておりました。

イギリス軍もフランス軍も兵をだして跡片づけと、死体の始末など進んで行ってくださっております。

奉行所の下役も人足と混ざり町の再建のために奔走してくださっておられ、お奉行も公使、領事の方々と再建について盛んに話し合っておられます。

どうやら港崎の再建はここには認めずに吉田橋の先の埋立地に決まりそうでございます。

それと居留地との境は大きな道を作り延焼を防ぐことになりそうだといううわさがもうこの夕刻にはでだしておりました。

町には続々と日用取りに近在から人が集まってきており、丸高屋さんでも大急ぎで大工と人足仕事で60人ほど雇い入れましたが、その宿舎を作るので大騒ぎでございます。

材木の値上がり食料の値上がりを防ぐ手立てもないまま、火事場泥棒ならぬ大もうけの機会と乗り出してくるものまで早くも現れておりました。

丸高屋さんと共同でジラールの貸家付近に積んである材木を狙われるといけませんので番人も置かなければならず、喜重郎さんも大忙しで飛び回っておられます。

「江戸から30人の大工と、人足の取締りが出来るものが3人明日にはつくそうだ、先ほどお春から新門のほうと家から人を集めて送り込むと連絡があったぜ。クラークさんからも洋館を作るのに材料の調達を20軒分集めてくれと連絡が来たよ」

「オッ早いな、あの火事騒ぎの最中よくそこに気がついたもんだ」

「いやなに昨日の昼に江戸に出るものがいたので、何が何でも江戸に急げと昼前に送り込んだのさ」

「ワットマンさんのほうもだいぶ注文が入ったそうだし、岩吉さんにも英一をどうかと打診があったそうだ、フライ商館の幸兵衛さんのほうにも注文が来て棟梁は寝る間も無くなりそうだとよ」

「お互い忙しい日が続きそうだが体を大事にしようぜ、儲けだけが商売のやり方じゃねえからな、しかし30軒分の材木が寝かしてあるから、やっつけ仕事はしなくともよさそうだ、レンガも五軒分はありそうだぜ」

「この際だ少しは融通しておかないと後で恨まれるからこっちの注文以外は回してやってくれよ」

「俺っちもそのつもりだよ、商館はほかに任せてホテルや人家に限ろうと考えているんだぜ、クラークさんや太四郎がモデルを作ってくれているから、それを見て選んでくれれば作り上げるのも早く行くんだ」

「瓦の買い付けは今日の船で永吉が名古屋に出かけるからあちらからも入ってくるよ、鶴屋さんと淀屋さんには昨日のうちに早の早で瓦と釘を送ってくれるように頼んだよ。それと木場の旦那衆にもこちらに回せるものは回してくださるように連絡をつけたし、品川の春駒屋さんからも明日には何か来るだろう」

暗くなって野毛に戻ると能見台からと言う人たちが五人も「お手伝いを言い付かってきました」と言って立ち働いておりました。

藤吉さんも来ていて、店の者が出払った後を引き受けて橋本さんと応対に忙しく立ち働いておられました。

「とりあえず担げるだけの米と卵を持参しました」

「いやすまないな、橋本さんに必ず損のない代金を支払ってもらうよ」

「いえそのようなことをお気になさらずにお納めください、これは隠居からも言い付かっておりますが金よりもまず食料と言うことで、待てるものを持参しただけですので、御気にせずお納めしてください」

「ありがとうございますではありがたく使わせていただきます」

ここにも人のために役に立ちたいと言うありがたい篤志家の人たちが居られました。

お怜さんが横浜物産会社のほうに来て「旦那、小麦粉と小豆はたんと有りますが義士焼きとして出しますかうどんにこねてだしますか」

「明日になれば落ち着きも出て甘いものも欲しくなるだろう、明日一日は1個四文にして売れるだけ売ってしまいなよ」

「いいんですか後で値上がりして儲かるどころか損が出ますよ」

「大丈夫だよ四百ポンド分損が出ても埋め合わせが効くように手当てしておいたよ」

「それなら大丈夫ですね、四百ポンドと言えば1000両ですかしら、何ただで配れと言い出さないだけましかもしれませんわね」

お怜さんが笑いながら「1000両ね義士焼きだけだといくつになるんだろう」と小首をかしげておりました。

「それなんだよ、ただで配ると余分によこせと騒ぎになるといけねえから、たとえ波銭が1枚でもだせば余分によこせと騒ぐこともないだろうさ」

「では今晩のうちにあたしの管轄の店に通知を出しておきますわ」

「そうしてくれよ、できるだけ早くに売り出して早く閉まってくれるように通知してくれよ」

能見台からの人たちはとらやの店の寅吉が使う昼間の部屋に泊まっていただき、お松津さんが何くれとなく世話を焼いておりますし、横浜物産会社の広間では子供や年寄りが布団を並べて50人ほどもいるので、人足たちは自分の家がないものは面倒でも青木町に泊まりに出かけていますので普段よりは静かでございました。

明日の仕事も多いだろうと思いながら、ゆったりと風呂に入れる幸せをかみ締める寅吉でした。

翌朝とらやの前に出ると、

ぎしやき ひとつ 波銭ひとつ四文にて

商い申し候につき

売り切れごめんになる前に

お早くお求め下されますよう

板戸に大きな字で書かれたものが立てかけられていました。

「旦那これは二代目が昨日のうちに書いてくださいましたのさ、今朝も早くから各店にも同じものを書きに出かけてくれましたよ、それと旦那に無断でございますが20番で焼き上げた物のうち、冷めたものは水屋のものに頼んで子供たちにふるまうため弁天の境内でただで配らせることにしました」

「さめたものなら仕方ねえさ、この再だ波銭ももたねえ子供には勝てねえよ、ほかの見世からもかき集めてかまわねえよ、ただし店の前ではやらねえでくれよ」

「アイ承知さ」

昨晩自分に出来ることはないかとお怜さんの元にきた喜斎さんが早速に書いてくださったものだそうです、夏に出た横浜の絵(武陽横浜一覧)が好評でしたのにあれが繁栄の証の最後になってしまうのでしょうか「いや俺の生まれ育ったころの横浜に必ず復興させてやるさ」寅吉は心に誓うのでした。 

なぜか来年は神奈川が燃える様子が眼に浮かび、それも何かジジに教えられていたのだろうかと記憶のそこを探る寅吉でした。

亜米一からの連絡で来月納入の石鹸と小麦粉はまだ船がついておらず無事納入できるはずとピカルディに連絡がまいりました。

亜米一も小麦がないとあちこちで困るだろうと気を聞かせて知らせてくださった模様です、寅吉の情報では22日の到着予定ですが「そうか今日が22日なので船が着いても倉庫の心配か」と気がついてマックから連絡をつけさせました。

陳君がウィンザーハウスに泊まりこんでいるトマス・ウォルシュさんとフランク・ホールさんに「前田橋の倉庫に品物をお預かりいたしますから遠慮なくお使いください」と便へました。

二人の紳士がすぐさまスミス商会を訪れマックに感謝の握手を交わしたのは言うまでもないことでした。

   
   

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 其の二十二 Femme Fatale
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