横浜幻想
其の九 安愚楽鍋 阿井一矢


登場人物 (年齢は数えと満とに分かれています1871年)

ケンゾー ( 吉田健三 Mr.ケン )

1849年(嘉永2年)生まれ 23才 

正太郎 (前田正太郎)1856年(安政3年)生まれ 16才

おかつ 玄三 勝治 千寿21才 辰次郎30才 源太郎19才

寅吉29才 容24才 春太郎23才 千代松24才 伝次郎30才

井関盛艮(知事・もりとめ)安部弘三(取締) 

斉藤敬之(居留地ポリス) 杉浦譲(駅逓権正)

佐藤政養(與之助)    佐藤新九郎(立軒) 

亀次郎 倉 (富貴楼)駒形町新地(明治3年)→尾上町(明治6年)

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太 松太郎 孝 ( 街の子供たち ) 

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

Augustin Van Buffet Goone ゴーン 1834年生まれ37才

Mary Van Buffet Goone ゴーン夫人1837年生まれ 34才

Sophia Van Buffet Goone1856年生まれ 15才

JohnJackyMac Horn 1838年生まれ 33才

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト 1821年生まれ 50才 

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 7才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 27才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 28才

天下の糸平    ( 田中平八 )1834年(天保5年)生まれ38才

海坊主の伊兵衛親方( 丸岡の親方 )俊 境町二丁目・入舟町(常盤町五丁目)

喜重郎      ( 丸高屋の親方・高木喜重郎 )駒形町三丁目(相生町三丁目)

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地(常盤町五丁目)40才

内田清七     ( 京屋 清七 )真砂町 

益田徳之進 ( 中屋徳兵衛・進・孝徳・孝 )24才

大谷嘉兵衛 27才  西郷小兵衛 25才  西郷従道 29才

伊藤博文  31才  陸奥宗光  28才   勝安芳  49才

 

安愚楽鍋

午後の居留地はスミスの結婚式で大騒ぎだった、前田橋から馬車で元町へ入り、箕輪坂から上がった馬車はスミスの農園から山手公園を廻り桜道に出て坂を登り本通りから公園に入り其処で行われていたドックショーと植木市に花を添えた。

ケンゾーに正太郎は公園でスミス夫妻が馬車から降りるところへ出会ったが何時もなら真っ先に写真機を構えるベアトが居ないのでなんとなく寂しさを感じた。

「今頃は朝鮮でガラスが足りなくなるくらい船や水兵の写真を撮っているだろうな」

「そうですね提督や偉い人ばかりでは直ぐ飽きてしまうBeatoさんでしょうから朝鮮の人たちまで被写体にしている事でしょうね」

WillGertieの新婚夫婦は大勢の友人に囲まれて幸せ一杯だった。

ガティの父親のMr.Brookeは嬉しそうに馬車の御者台に乗り隣にはガティの妹のMiss.Mabelが白いドレスに大きな花をつけた帽子で乗っていた。

「しかし驚いたね、スミスさんがまだ三十三だったとわな」

「ほんとですね噂では三十八という話でしたのにね。それだけ落ち着きがあるのでそう見られていたのですかね」

「正太郎だけじゃないさ、マックさんやカーチスさん達でさえそう信じていたそうだからな。しかしスミスさんのHHenryだというのもはじめて知ったよ」

「そうでしたね、WH・のWilliamは知っていてもHは謎でしたものね」

その夜は健三と士子の婚約祝いだ。

参加者は立軒先生に士子さん陽美さん、政養先生、旦那とお容様、おつねさん、お怜さん、正太郎、に健三とウィリーの十一人だ。

皆の紹介が済むと料理が運ばれて宴会が始まった。

朱さんが料理を運び込んできて「今夜のお祝いに少しわが国の詩を詠ませていただきます」と家族を呼び寄せて琵琶を弾かせながら七言絶句を聞かせてくれた。

春宵一刻直千金  しゅんしょう一刻 あたい千金
花有清香月有陰  花にせいこう有り 月に陰有り
歌管楼台声細細  かかん楼台 声せきせき 
鞦韆院落夜沈沈  しゅうせん いんらく 夜ちんちん

朱さんの朗詠の後を続けて旦那が日本の読み下しで吟じて其れを二人の姉妹が楽器をつけて再度旦那が吟じた。

「春の宵をうたったら次は春の暁だね」

朱さんに立軒先生が催促して孟浩然の五言絶句の春暁を朗詠してもらった。

そして政養先生が読み下し文で吟じて又其れを姉妹の伴奏でもう一度政養先生が吟じてくれた。

春眠不覺曉  春眠 暁を覚えず
處處聞啼鳥  
処処 なく鳥を聞く
夜來風雨聲  
夜来 風雨の声

花落知多少  花落つることを知らず多少ぞ

旦那が「こうなったら楓橋夜泊を聞かずには済みませんぜ。確か張継でしたか立軒先生」

「そうだ、しかしこの詩には説が二つあるのを知っているかい」

「いえ存じませんが」

「朱大人はいかが」

「おおすばらしい。そうです私の先生は月が烏諦に落ちると教えてくれましたが、普通は月落ちて鴉が啼くと解釈するようです」

「では大人がお国の言葉で朗詠をされた後娘に吟じさせましょう。士子は特にこの歌が上手で御座る」

そして一般の鴉鳴くと吟じた後もう一度、月烏啼に落つ霜は天に満ち、として姉妹の伴奏で吟じた。

月落烏啼霜満天  月落ちからす啼いて しも天に満つ
江楓漁火対愁眠  こうふう ぎょか 愁眠に対す
姑蘇城外寒山寺  こそ城外の 寒山寺
夜半鐘声到客船  夜半の鐘声 かくせんに到る

「しかしわが国に置いては唐の七言絶句を解釈するに二字、二字、一字、二字もしくは最後を一字と解釈するのが習いでこの詩では月落ち、烏啼き、霜、満天と分けることになっておる。我が父からもそのようの教えを受けたが昔の支那の人たちは返り点などなくそのままの読み下しが通例と聞かされた。さらに一説として二語、二語、三語でもあると」

「さようです。ツァン・ジのフェンクァオイェドをもう一度読み下します」

ユェゥオ・ウチ・シュアン・マンティン

ジュアンフェム・ユフォ・ヅィチョウミァン

グス・チュエンウィ・ハンサンシ

ユェバン・ズォンスェン・ダオ・ケチュャン

と正太郎には聞こえた、漸く広東語に寧波語そして江蘇語にも慣れてきてはいても難しい昔風の発音はまだ良く聞き取れないのだが意味はどうにか通じるのだ。

その後も二胡にあわせてインリンとメイリンが歌を披露してくれて楽しい時間はあっという間に過ぎていった。


朝から大神宮のお祭りに町は浮かれていた、正太郎はもう町を一回りして各町内の山車を見てきていた。

「おはよう御座います先生、昨晩の先生の婚約祝いと会長の歓迎会で珠街閣での宴は楽しかったですね」

「そうそう朱さんの詠んだ詩も良かったけど愛玉さんの琵琶と聖玉さんの二胡もすばらしかったね、あの七言絶句は有名で知ってはいたが蘇東坡がトンポウロと関連があるなど初めて聞いたよ」

「フランス料理で音楽を聴きながらというのはありましたが清国の人たちもあんな粋な事を昔から行っていたんですね」

「そうだね、旦那が日本はやっと人間が住み始めたころには支那には立派な文明が栄えていたし、この蘇東坡という人がいた宋の時代は日本では鎌倉に頼朝公が幕府を開いたころという話も聞けて面白かったよ」

その宴で披露された蘇軾の春夜はそしょくの詩といわれていたが朱さんたちがソォブと聞こえるような発音で支那でも北と南では名前でさえ発音の仕方が違うという事も話して呉れた。

今日は宵宮、野毛は大神宮へ参拝する人で賑やかだった、昨年に負けないくらいの山車に花車、踊り屋台に底抜け屋台とどこもかしこも横浜は浮かれていた。

清正公では舞台で様々な芸が披露されて昼間から宵宮の賑わいにつられてそぞろ歩く人が絶えなかった。

羽衣町の弁天でも下田佐野松では多くの諸国から集まってきた芸人の出し物に見物人が入れ切れず外での演芸にも多くの人が集まって打ち興じていた、正太郎も何時もの仲間たちと見物に出てきた。

トンプソン夫人が子供たちを見つけ顔なじみの正太郎に声をかけてきた。

「ねえショウタローあの子達にお菓子を買ってあげたいけど細かいお金も持っていないし、よくわからないからあなたが代理でお金を払ってくれる」

「良いですが、あの子達に何か用事でもありますか、それともカーニバルのプレゼントですか」

「そうね、今日はカーニバルだから私からのプレゼントよ、主人が今度エドホテルを一年契約で引き受けるからそのお祝いよ」

「築地ホテルのことですか、テリー奥様からということでよろしいですか」

「いえ別のホテルよ、去年出来たばかりなのよ、ほらサザーランドのエドメイルの馬車の発着所に建てられたのよ。それから私からということは特別言わなくてもいいのよ」

渡された二朱銀六枚を持って子供たちのところへ行くと「あそこの121番のホテルの奥様が皆にカーニバルだから御菓子を買ってくれと三分呉れたよ。高君に一分渡すからあそこの餡子巻きでこの金がなくなるまで買い占めてくれ。お慶ちゃんは飴やのあたりで頼むよ。紋太君は冷やし飴で同じように頼むよ。それで他の子は彼方此方まわって触れておくれよ」

「いいとも三分とは豪儀だ」

「それで君達には四字に港屋でアイスクリームを食べるからしばらく我慢しておくれよ、十二人でいいだろ」

「アア、今来ているのはそれだけだよ。だが後で清次も由坊も来るはずだよ宵宮だからその頃には来られるそうだ」

「いいとも、少し増えても懐は暖かいのさ。東京で大分稼いだから今日明日はお大臣だ」

子供達が散ると正太郎が附いて順番に屋台へ廻って頼んだ後、トンプソン夫人の所へ戻り「ホテルの事もはなして奥様からのおごりだからとあそこにある屋台で子供たちに振舞ってくれることにしました」

正太郎が子供たちに手を振ると心得たもので子供たちは貰った菓子を持ちながら此方へ手を振って答えた。

「ありがとうショウタロー。良い事をした後はとても気持ちがいいわ」

「子供たちも喜んでいます。お金が足りないといけないので店で勘定を見張りに行きますので失礼します」

「足りなくなったら私に言ってね。今度家に寄ったらレモネードをおごるわ。此方の方は新しく横浜に来られたストランドバーグ夫人よ70番にゴールデン・ルール・ホテルと名前を変えたホテルの経営者よ」

「アリスこの正太郎はいろいろな商売の人と知り合いだから便利な子よ」

正太郎はストランドバーグ夫人に自分の名前を告げて何か細かな用事や必要な事が出来たら使ってくださいと自分の名刺を受け取ってもらった。

Mr.Thompsonが東京へ出たらヨコハマホテルも引き受けるから忙しくなるのよ。いろいろお願いしたいから時々は顔を出してね」

「ありがとう御座います。カーニバルを楽しんでくださいね」

友人の人たちと演芸を楽しむ夫人達と別れ屋台でお金が足りないかどうかを聞いて回って歩いた、居留地でお金を子供たちに恵むというのが流行っているというよりは優越感に浸る心地よさをこういう形で表す人は多かった。

アリスさんはMr.Greenの妹でヨコハマホテルを引き受けると聞いて正太郎は「ゴールデン・ルール・ホテルで腕試しというところかな」と一人ごちた。

子供たちと話しに興じていると松ちゃんが傍に来た。

「正太郎君」

「なんだい、松太郎君」

「最近町の測量をしているけど何があるのかな」

「ああ、あれは関内の町筋をきちんと整理して県庁に近いほうを一丁目にして丁目を変更するらしいよ」

「又変更があるのかい」

「今度は町の名前はそのままで一丁目とかのその丁目だけだそうだよ。ただ馬車道の筋を昔風に本町と言ってはいけないそうだけどね」

「ふぅん、お役人っておかしなことばかり考えるんだね」

「そうだね三丁目はそのままらしいけど外の人たちは大変さ、自分の番地を覚えてもらうまでは大変だよ。でも何時ものことだけど町の名を変えないというのは噂だけのように思うね」

関内はこのお祭りが終わると月のうちに変更が有るというので今から大騒ぎなのだ、物知りの松太郎にしてはこのことを知らないのは変だと思ったら一昨日まで厚木の祖父の家に出かけていたそうだ。

正太郎も暫く東京に居てそのことを知らなかったのだ。

この月には戸籍法が太政官から出され横浜町は5つの行政区に分区、戸長・副戸長が置かれることになり来年には新しく戸籍が作られ町役人も惣年寄りから戸長へと変わる事も決まったのだ。

旦那とお琴さんが明子さんの手を引いて弁天の境内に来た。

「あら正太郎は屋台のお手伝いなの」

屋台の傍で店のおばさんと話している正太郎に声をかけてきた。

「いえ、居留地のトンプソン夫人が子供たちのために奢って呉れましたのでその勘定の精算です」

「あらそんな事もあるの」

「ええ、居留地の夫人たちは時々そうして虚栄心を満足させています。町の子供たちも心得たもので遠慮なくおごってもらうのです」

「其れで足はでなかったの」

「大丈夫のようです。このおばさんとも顔なじみで大分負けてくれましたから子供たちも十分満足したようです」

明子のお付きのお元にお琴についてきた志ずが楽しそうに色とりどりの派手な衣装で踊るかっぽれの人たちを見ていた。

野毛町長者町などの花車と踊り屋台に山車が境内の前について今年も呼ばれて来たおまつにお花の可愛い手古舞姿が見えた。

「お琴、あの先頭の二人は正太郎の妹たちだよ。お容が気に入って今年も町の子達に混じって参加させたのさ」

「アラ可愛いわね。野毛の子達も中々粋なものね」

「そうだろう、神田っ子に負けないくらい最近は粋な娘が多くなったぜ」

「明子ちゃんも来年あたりは手古舞に出られるわね」

「琴叔母ちゃんほんとう、明子も手古舞大好きよ。母さんと一緒に練習できると嬉しいな」

「そうだな来年あたり川のこちら側が分離するようだから野毛は独自になるので明子も参加させても良いな。歩きは無理でも花車にでも腰掛けさせてもらうか」

「あきこうれしい」

長者町、福富町、羽衣町、姿見町は零細なものが多くまだ野毛と共同だが吉田町を中心に山車を作ろうと寄付を募っているようだ。

二人は外の子たちの品定めも一通りしてから明子たちを引き連れて正太郎に別れを告げて境内を出て行った。

別れ際に「正太郎明日は去年みたいに海の幸満載の夕食だぜ、ケンゾーと相談して十人ほど呼んでも賄えるくらい届けるぜ、釜吉が昼過ぎには支度に行くそうだから期待しなよ。何でも伊勢海老が沢山用意できるとさ、其れと江ノ島からサザエやしったかなども沢山と届くそうだ」

「ありがとう御座います。先生と相談して食事に何人か招待させていただきます」

釜吉さんは昨日から元町に来て祭りを楽しんでいるようだ。

正太郎たちは由坊や清次が祭り支度のままお役目から解放されたと行列から分かれてきたので何時もの仲間に集合をかけると十五人が集まった、吉田橋を渡って港屋でアイスクリンを注文して代金を正太郎が払った。

「お辰さん一つ二朱で十六人分二朱銀が16枚と」

「そうですよ正太郎さん。今年は景気がいいのかい」

「いえね、東京へ仕事で出たので特別に収入があったのですよ。お祭りの日くらい何時も世話になる友達に奢る事にしたのですよ」

「みんな良い友達を持ってよかったね、これからもご贔屓にしてくださいよ。先ほど珍しく長次さんが女づれできていたよ」

「十日程前に所帯を持ったんですよ」

「アラァ、知らなかったわ。それならお祝いを言って置けばよかった、知らないものだからあまりお愛想も言わないようにしていたのよ」

おときは子供たちとも長次とも顔なじみだ。

順番が来たものから皿とスプーンをお辰から貰って台に座って美味しそうに食べる子達は楽しそうだった。


今日は15日で本祭り、金曜日なので県庁は開いているが運上所はお休み、食べ物屋以外の商人たちの多くは店を休んで軒を的屋に貸していて通りはどこもかしこも朝から賑やかだった。

去年と同じに県庁前から出た行列は本町通を馬車道へ出て桜橋から桜木町へ出て建築中の駅前で二方向に別れて野毛町を廻った。

大神宮へは紅葉橋から神主と選ばれた稚児行列が向かい野毛へ向かう行列は野毛橋で又二手に分かれた。

ホムラミチは元町へ廻る山車に花車、踊り屋台が続き見物の人間が溢れていた。

先年で味を占めた広重や芳幾が今年も魯文と一緒に境町へアメリカ帰りという男と共に遊びに来ていた。

宿は早めに長崎屋へ今朝までの部屋を取り今晩はケンゾーたちと過ごして明日の午後の船で東京へ帰る約束「去年はいろいろあって面白かったが今年はただの祭りだけだ」そういう魯文に「何があった」と聞いたのはアメリカ帰りという萬蔵という男。

「萬さんはしらねえだろうから」と昨年の可笑しな男の話と探索の為に散切りにした駈使の話を一くさり面白おかしく魯文が聞かせた。

「横浜は物騒だとSan FranciscoSeattleでも話題だったが来てみればそれほどでもないが、火事騒ぎが多いのは江戸並みだそうだな。俺の居た所では金掘りをだますばくち打ちやそいつらを目当ての酒場での女たちとの馬鹿騒ぎの毎日だった」

「そいつに近い事は此処も起きているぜ、ただこっちは生糸に茶、其れと弗屋達の相場だがな。居留地では博打がおおっぴらでカードにビリヤード、それとボーリングにまで賭けるやつが大勢居る」

「矢張り博打か相場はてつとり早いからな。大分前のことだがSan Franciscoのドイツ人で横浜に暫く居たという男と知り合いに為ったがそいつは抜け目のない奴だったが、話すことといえば夢のような昔の遺跡を掘り返すことばかりだったぜ。何でもギリシャやトルコには大昔の城砦の跡がお宝ごと土に埋もれて残っているそうだ、確かシュリーマンとかいったな、弟が亡くなってその遺産の精算にアメリカへ来たが自分でも金の仲買を始めた奴だ。サクラメントでは九ヶ月で四十万ドル儲けたと豪語していたぜ」

萬蔵は手帳を出すと間から紙を出して皆に示した。

「日本に来たときの事が新聞に出たという話だ、ほら此処に1865年6月10日付けThe Japan Herald其れとThe March of the Tycoonと記してあるだろその新聞の約文が此れだ、6月10日午前9時00から午後2時00まで横浜在住の外人がピクニック気分で目的地までぞろぞろ行列を作って歩いたとある。何でも家茂様が京へ上がる時の行列を見物したらしい」

その紙の裏には上海からPeking号に乗ってSchlesmannが1865年の6月4日夕刻横浜に着いたと書いてあったが横浜をいつでてSan Franciscoへ向かったかは書いてなかった、それを魯文に言われて「しまったそいつは聞き逃したな。いまさら戻って聞くというのも出来ないし其処まで聞いて置く気も無かったからな」ワッハッハと豪快に笑った。

「おい萬さんよ裏の此処に小さくFourth of Julyと書いてあるのはなんだい」

「7月4日はアメリカの独立記念日だが可笑しいな、なんだろうこの日に横浜を出たのかな記憶が無いぜ」

「お前さんの字ではないようだから向こうで書き付けたんじゃねえのか」

「そうかもしれんな。なんせ言葉が堪能な奴でプロシャ人なのに英語にロシア語おまけにフランス語はぺらぺらで日本語まで片言で話すんで驚いたぜ。だがこの話をしたときはバーで二人ともすっかり酔っ払っていて俺ときたらはいずるように部屋へ戻ったくらいだったしな」

ケンゾーと正太郎に「この萬さんというのは昔リズレーという人に連れられてアメリカへ渡ったが欧州へ渡る一座と別れてアメリカ中を五年近くも放浪していたんだぜ、芸人でばくち打ちだが本当は巾着っ切りだ」

「ヘヘッ芸人といってもした働き同然でたいした事はできないのさ。出発前は寅吉っあんのお宅へ居候した御仲間でござんすよ」その後カードゲームでミシシッピーのあたりで稼いだり、資金がなくなると移動してNew YorkBostonで掏摸をして稼いではまた南部や西部へ移動したという話を面白おかしく話してくれた。

「魯文さんよ、お前この話は書くなよ。チャッキリの仲間が大勢向こうに渡ったりしたら大事だ、そのうち日本人を見たら巾着っ切りだと思われて商売あがったりだ」

女も俺のような東洋人でも金離れが良くて博打に強いと附いてくる奴は多くて振り解くのに手を焼いたなど、そのような与太話をするうちに釜吉の支度も済んで去年のようにケンゾーが鰹のたたきを作ってテーブルに伊勢海老のお作りといろいろな皿を並べた。

ウィリーが弟のワタリさんことジムを連れてきて同席した。

ジムとはJamesの愛称で横浜と神戸の間を忙しく飛び回る毎日だ、主に茶の買い付けと羽二重を寅吉の勧めで扱うことにしているが今は生糸の買い付けでは横浜での第一人者だ。

その生糸の鑑定ではケンゾーと共に横浜の有名人の一人なのだ、それでも今アメリカへ出ている増田屋には負けるとケンゾーは糸平や平専に何かあるごとに話していた。

鰹のたたきとSweetmeat Castleから買い入れたローストビーフを溶き芥子に山葵や生姜、にんにく、mayonnaiseと様々に試しながら赤ワインと芋焼酎其れとジムが買い入れてきた剣菱で賑やかな食事が始まった。

ジムが「mayonnaiseはフランスで出来たと思ったら神戸で会ったスペイン人がSPAINMENORCAと言う島が発祥地だと自慢していたぜ兄貴」

「フンSpain野郎は何でもおらが国だからな」

それでもマヨネーズソースに芥子醤油を混ぜ鰹のたたきをつけて食べて「こいつはいいな。そっちの生のもやってみよう」試して気に入ったようで盛んに正太郎にも勧めては盛んに飲み食いを楽しんでいた。

隣の台所でもおかつに玄三と釜吉夫妻がおかつの甥や姪たちと食堂に気を配りながら同じように宴を始めていた。

ほとんどの料理は出来上がっていたし後は次々に空の皿を新しい料理の盛られた皿に換えるだけだ、ジムとウィリーは金目の煮つけをお替りしていた。

長崎からおくられてきたカラスミと豌豆の茹でた物はすでになくなり、魯文さんの可笑しな話は台所までも聞こえ笑いが絶えない三字間近い食事も漸く終わりが近づいた。

このところ魯文の西洋道中のシリーズものは大当たりで続編を早く書き上げてくれと催促されていたのだがご本人は遊び歩くのに忙しかった。

辛未春と言ってもつい先日万笈堂から第三巻が売り出されたばかりだが既に三千冊は売り捌かれたそうだ。

其れと牛店雑談安愚楽鍋は誠之堂から明治四年卯月五日に出されて十日あまりですでに二千冊が捌かれるほどの人気者なのだ。

天地は万物の父母。人は万物の霊。故ゆゑに五穀草木鳥獣魚肉。是がと始まる本編を口ずさみながら魯文は東京では上酒正一合二百三十文に対してビールが二合ほどで十八匁シャンパンが二十匁もするそうだ、横浜に比べてビールは随分と割高のようだと又もビールをお替りした。

「どんなに高い店でも十八匁も出せば四合ほどは出てくるはずだ」とケンゾーも口を揃えた「十八匁はこの頃三千文ほどの銭相場だから六倍以上ではとても手が出せない」などと懐が暖かいはずの魯文がビールを盛大にお替わりしながらおだを上げた。

虎屋での卸値からすると一分で一升位のはずだから五倍以上の小売値はひどいぼったくりだと広重も憤慨していた。

中川屋で出される牛鍋とビールに比べ浅草や神田あたりでは三倍は覚悟しないと店に入れないと芳幾も江戸っ子らしくなく横浜びいきをひけらかした。

初編自序に世界各国の諺に 仏蘭西の着倒れ 英吉利の食だふれと食台(ていぶる)に並べて、と大きく書いてわが国の肉食の事情をわらい飛ばしてある本の人気は上々だ。

「生文人の會話の息も突かせぬくろのはおりの書画会れん中という男、あそこまで描写されるのはちとやりすぎの気もしますが読み手の此方としては楽しい語り口に引き込まれてしまいます」

「ハァケンゾーさんはよく読まれましたな。俺なんぞ呆れて投げ出したくなりましたぜ」

「萬蔵さんは向こうが長かったから日本の文字が読みづらくなっただけですよ」

「そうだそうだ、昔からおまさんは本など仕舞まで読んだことが無かったからな」

「そんなこと無いぜ八犬伝や支那の水滸伝の話しなぞ大好きなんだが、お前さんの今の世に合わせた話に附いていけないのさ」

「なんだ洋行帰りのくせに昔の話がすきなのかよ」

「そのようだ、だからシュリーマンのいう昔の遺跡の話に共感したのかもしれんな」

まだまだビールがある間は話が続きそうだ。

この日寅吉は久しぶりに横浜へ出てきた大山弥助と安倍川で大鳥の処遇について相談をしていた。

三月に欧州から帰った大山はアメリカへ渡った黒田に替わって二人の赦免後の生活と政府への出仕について駿府の勝や伊達公黒田公の後押しをお願いして廻っているのだ。

「後半年の辛抱だそうだ」
「其れは確かですか」

「廃藩置県が終われば、欧州視察へ岩倉卿が代表でお出かけになられる予定だ。細かな人選はまだだが大久保先生、木戸先生が随伴されて徳川のときの不平等な条約の改正を求める予定だ」

「矢張りそうなりますか、そうすると森様、鮫島様では相手国に対して位階が低かったのがどうやら重しの聞く人がお出ましで良い結果が出ればよいのですが」

「コタさんは上手く行かないと見るのか」

「私には手順が違う気がいたします。先に大物を欧州に送り筋道をつけてから岩倉様が出ればよい結果が見込める気がいたします。高島さんの卦でも鮫島様、森様では相手国がアメリカならともかくイギリス、フランス、には効果がないでしょうと出ています」

「そうか千里眼のコタさんや高島の易断でもそうなるか。実は伊藤くんや信吾もそういうてきていたんだ、わしが欧州から先月帰ってきて向こうの情勢を話しても相手国の実力を軽んじる人ばかりだ。実際に欧州を見てきた山縣でさえ相手を甘く見て木戸先生にそう吹き込んでいる始末だ」

二人は先行きの明るい話と暗い話の両方を余人を交えずにかわしその夜遅くまで安部川にいた。


市場村の名主添田七朗右衛門が嘉右衛門に勧めた二ヶ領用水からの取水も決まり鹿島田村に幅十二間に三十一間の砂留が作られることに為り横浜上水は鉄道用地に沿って横浜へ木樋で曳かれてくる事になった。

狸坂上に避病院が建てられコレラやそのほかの伝染病らしき患者が出たときは其処へ送られることになった、早矢仕先生や松本先生の尽力だ。

関内の丁目変更は五月一日と通達が出たが州干町は州干通り、海辺通りは元浜町、新埋立地には海岸通りとなる事も町ぶれが廻った。 

同時に太田屋新田の埋立地の町名が大幅に変更された、吉田橋際から順に港町、真砂町、尾上町、常盤町、住吉町、高砂町、相生町と区域も大幅に変更された。

太田町以北も丁目が変更されると同時に県庁に元標が置かれた、元の一丁目は五丁目と六丁目に分割された、洲干町と同じく入舟町はなくなり変わりに入船通りの名前が残されることになった。

正太郎たちはこの町ぶれを眺めながらため息をついていた「まいってしまうぜ、噂と全然違うじゃねえの。此れじゃ町の名前を覚えるまでに又変わるんじゃねえのかい」

「本当だ、由坊の言うとおりだぜ地図を持たないと町を歩く事もできないな、この間モモタ町をオオタマチと間違えて迷っている人に会ったよ」

「そうだぜ、どうして太田と書いてモモタと読むんだか訳が分からんとこぼす人が多いよ」

「仕方ないのさ佐野屋の五葉舎万寿老人の地図でさえ前にOOTAMATIと地図に書いたくらいだぜ、出すたびに町の名前が違っていては面食らうのが当たり前だよ」

「だけど末広町は尾上町相生町などの一丁目になってしまうんだろ、名前だけ残るけど実際は通りだけじゃないのかな」

「そうみたいだね、入船や洲干と同じで後になるとどうして此処にその名前が有るかわからなくなりそうだ」

子供たちでさえこんなため息が出るくらいだ住んでいる人たちも大騒ぎだろう、五葉舎万寿老人は今度も小林銀治の吟香と組んで新しい地図を出すのでもう版を組んで刷るだけになっているのだ。

Mr.Thompsonがエドホテルを引き受けるについて旦那達の組合に大幅な予定変更が起きた。

インターナショナルホテルのライオネル・オルセンがカーチスと話し合ってトンプソンについて東京へ出るあとをボナのSweetmeat Castleがホテル内に開かれることに決まった。

Mr.トンプソンの移動は遅くも年内、全てはその予定で動き出したが新しいグランドホテルの予算は調度品に金が掛かることになりそうで三万ドルになりそうだった。

アーサーも独立するために英一の世話で八月には香港に渡りホテル経営の基礎から学ぶことになった。

愛玉の清国人たちのためのホテルの計画も進んできていて西洋式と中国式の折衷になる予定だそうだ。

「早く婿さんを迎えて支配人にしたらいいじゃねえか」

旦那が顔をあわせるたびにそういうそうだがショウタローには「あたしを満足させるだけの働きがある男などめったにいないわよ。当分女主人で旅籠の切り盛りをするつもり」笑いながらそういっていた。



新しい貨幣の条例が10日に公布されると噂が広まった。

昨年から大阪の造幣寮が本格的に稼動して金価格1.5グラム一円となり新金貨二十円(33.33グラム金含有量30グラム)と五円、二円と、新銀貨一円、五十銭、二十銭、十銭、五銭が作られだしていて今年に入り十円(16.66グラム金含有量15グラム)金貨と一円金貨をも製造される事が八月からと決まった。

このうち一円銀貨は貿易専用で開港市のみでの通用との制限がかけられ既に今年に入り鋳造は始まっていた。

明治通宝が百円、五十円、十円、五円、二円、一円、半円、二十銭、十銭の額面紙幣とされて独逸の印刷所で製造されて送られて来る事も決まったがデザインはあちら任せになりそうでそれに此方で印を上書きする予定だそうだ、其れを通用している太政官札藩札と引き換える事も通達された。

それに従い為替相場が新しい貨幣に対して変更されるという噂で横浜の弗屋は大騒ぎになっていた。

矢張り旦那が予想したとおり一ドル一円、一ポンド四円五十銭になりそうだ。

すぐさま街の弗屋でもポンドはすごい勢いで値上がりしだした、思惑での取引が横行して其の日の内に一分以上も値上がりして三両三分二朱の指値が入ってもポンドが出る気配が無かった。

明治五年四月より新紙幣が流通され今までのものとの交換をしながら当分は両方が流通することになりそうだ。

横浜売買はドル建て相場が主で取引には大きな影響は出てこなかった。

それでも支那・安南米百斤(60キログロム)2ドル25セントの値になった、此れは九州米金一両に付き壱斗四升五合と比べると僅かに安いというくらいで引き取り手は渋い顔で「まだまだ米相場は下がりそうだというのにとんだ思惑違いだ」と嘆いていた。

「九州と比べて上総米はまだまだ値が下がるだろうし今でも輸入米より安いくらいでは誰が支那米を引き取るというのだ」

輸入もとの米惣では困り顔だが既に両総の米は輸入米を下回っていたので思惑で米を輸入した米惣の番頭は困り果てていたが不思議なことに参万斤の安南米が悉く米惣の倉庫から消えたそうだ。

「大分叩かれたがこの際積んでおくよりましだ」

米惣ではこれで百二拾両ほどの損が出たが大怪我をしないで済んだのは幸いだった。

「エッ引き取り手ですか、そいつはご勘弁を」

番頭はそういうが山城屋の手で兵部省の太田陣屋へ運ばれたのは人足たちの話で街へ広まっていた。


朝九字ジャパン号が投錨した。

県庁で消防ポンプの納入で旦那と共に阿部に会っていたケンゾーはそろそろ伊藤さん達が帰ってくる頃だからこの船に乗っているだろうと話していた、横浜から出かけた貿易商たちも同じ船で帰って来たはずだ。

当にその船から降りてきたのはすっかり垢抜けた様子の増田嘉兵衛、吉田幸兵衛、鈴木保兵衛、橋本竹蔵の四名と大蔵、民部の役人に伊藤其れと紀州和歌山藩から欧州へ派遣されていた陸奥、中島の一行だった。

イギリス波止場はその人たちであふれていた、噂を聞きつけた町の人たちで運上所の周りは大変な騒ぎになっていた。

政府の関係者はすぐさま県庁へ移動し東京へは電報が打たれた。

「井関さん馬車を仕立ててくださらんか、船はもう沢山だすぐさま東京へ出るからとりあえず全員でなくとも良い、俺とあと必要な五人ほどがすぐさま東京へ出たい。サンフランシスコで聞いたが新しい貨幣制度が銀本位とされるらしいが大隈さんに諸外国は金本位であるからそうしたほうが良いし悪くとも二本立てで望むことにしないと相場の違いで苦しむことになる。アメリカから意見は送ったが心配なのですぐさま東京へ出たい」

「分かりました、では県庁の馬車をお使いくださいそれで三人すぐさま後は調達でき次第順に東京へ出ていただきます。新しい外務省へ向かわせますので其方で全ての片がつき次第宿舎などの手配をお願いいたします。今日中には全ての方を送り出させていただきます」

「新しい外務省は確か黒田様のお屋敷でしたな。民部省の後ですな」

「さようです、では支度が出来次第お呼びいたしますが、その前に風呂にでも出かけませんか」

「其れはありがたい船ではゆっくりと風呂に浸かる事も出来なかった」

井関は手分けして駈使に案内させて旅館、湯屋に分けてそれぞれを案内させてその間に成駒屋にコブ商会さらにサザランドに使いを出して馬車を集めた。

伊藤達を先頭に集められた馬車に分乗して順に東京へ向けてすべての者が出たのは四時を過ぎていた。

その騒ぎの中寅吉とケンゾーは陸奥と中島を境町の家に連れて戻った。

食堂でビールでの帰国祝いの乾杯をした後改めてケンゾーは二人に挨拶をした。

「陸奥先生、中島さんお久しぶりで御座います。壮健でのご帰国おめでとうございます」

「イヤイヤ、吉田君も元気でよかった、アメリカではニューブランズウィックのラトガースCollegeで学んでいる白峯君と菅野君とも会ってきたよ」

「お元気でしたか」

「アア元気元気、大層なもので矢張り船のことから離れられずに卒業したら造船所で働く事も決まっているそうだ」

寅吉は二人を富貴楼へ誘おうと話にはいった。

「そうですか、其れは良かった。お二人とも今日は横浜で垢を流していかれますか。東京へは使いを仕立てますがいかがされますか」

「そうするか先ほどの騒ぎでは馬車に船も満杯だろう。な作太郎もそうしないか」

「はい、どうせ東京には家もありませんし藩邸への帰国報告は明日でよろしいでしょう」

「俺のほうも明日和歌山藩に顔を出すから今日はコタさんのおごりで飯でも食おう、久しぶりだ日本の酒に魚がいいな」

寅吉はケンゾーに「フッキローに部屋を取るから五時頃二人を連れてきてくれ。陸奥さんこの見世は最近東京から腕の立つ料理人を呼んだとかで評判が良いです。昔の佐野茂ほどでもないのですが抱えの芸者も中々の美形です」

「芸者といえばお前さんの神さんとも久しぶりに会いたいな。其れと木挽町の芸者屋は繁盛しているのかい」

「はい私のほうとお容の友達の、ほら淀屋の孫娘の所も大分儲かって居りますぜ」

「そいつは良い東京に居る間は其処を根城にでもするか」

はははそいつは陸奥さんらしくていいですねと寅吉は笑いながら家を出て翔風舎でリキシャを頼んでコマカタ町へ向かった。

富貴楼で時刻を告げて部屋を取って吉田橋から野毛へ廻り店に顔を出すと、安倍川に松本良順が父親の佐藤泰然と弟の林董三郎を連れて来ていると千代から聞いて寅吉は挨拶に向かった。

董三郎は明治学院から今はデ・ロングアメリカ公使に通訳として付いていたが土曜日で退職したので久しぶりに兄と共に横浜に出てきたのだ。

「ホウ小次郎も帰ってきたか、港の周りが賑やか過ぎてこっちに来たが後で宿に顔を出してみるか」

「コマカタ町のフッキローに呼びますから暗くなる前においでになりませんか」

「いいだろう、どうせ親父様の前では大騒ぎするわけにもいかんしな」

「なにを言うか、普段から頭を丸めていても医者らしくも無く無頼漢そのままの癖に」

「父上其れはあんまりです」

普段豪快な良順も父親の前では大人しかった。

「コタさん僕も一緒に顔を出していいですか」

「勿論よろしいですとも、海援隊と函館軍と言っても良順先生とも顔なじみの間だ人数は多いほうが楽しいですよ」

「では此処では酒を控えて食事だけにしておこう」

そうは言っても大分ビールのビンが空いているのを見て寅吉が笑うと「何ビールは水と同じだ、これからウィスキーでも飲もうと思っていたのだ」と豪快に笑い飛ばした。

野毛に居たお容と明子をリキシャに乗せて富貴楼へはいると五字少し前「もうお三人様お着きですよ」「そうかい容と明子は直ぐ帰るが別に二人暗くなる前に来るから頼むよ」部屋へ案内されるとケンゾーに中島に陸奥がすでに来て羊羹でお茶を飲んでいた。

「何ですかねえ、陸奥さんとも有ろうお人が羊羹に茶とは」

「別に俺が頼んだものでは無いぜ洋行帰りと聞いて此処の女将が用意してくれたものだ。久しぶりで旨い物だぜ」

お容が陸奥に挨拶をして明子を引き合わせると「オオ、良い娘じゃねアキコちゃんかい。小父さんのお膝においで」明子は母親の顔を見てからとことこと陸奥の膝へ座った「良い子じゃないか気に入ったよ。コタさん俺の息子の嫁にくれないか」陸奥は唐突にそういって明子の頭をなでた。

「はは、陸奥さんも気の早いことで明子は元年生まれの四歳で御座いますよ」

「俺の子はその翌年三月生まれだ広吉というんだ俺より数段男前だぜ。明子ちゃん覚えて置いてくださいよ」

その後暫く明子を膝に四方山話をした後明子は容に連れられて野毛へ戻っていった。

「今日良順先生が横浜においででした」

その話の後を引き取るように「そいはよかことを聞いたぜひにも会いたいものじゃね」

「そいつは良かった、実はここのことを話したら会いたいというので弟の董三郎君を連れてこられます」

「そいはよか、董三郎君というと英吉利へ留学した人じゃね」

「そうですそうです。ヘボン先生のところに居て戊辰のときは函館まで出かけた血の気の多い人です」

「良順先生もそうだがあそこの人は皆さん血の気が多いですな」

中島はそういうが何海援隊の面々も人後には落ちない人ばかりだ。

一渡り酒もまわり芸者の数も増えて賑やかになってきた頃松本に林の兄弟が現れて更に座は賑やかになった。

食事に酒そして芸者の唄に踊りも一渡り済んで座が落ち着くと「俺と作太郎も欧州から亜米利加へと廻ったがいかんせん言葉が肝心の所で通じんのだ。語学に才能がないのかもしれん、和歌山でこれからの諸外国との付き合いの責任を任せられるに附いて英吉利の語学と文書の翻訳に達者な人を雇いたいがコタさんに良い人を紹介してほしい」

「そりゃ横浜には大勢人が居ますがね、給与を弾まないと上方へは行きませんぜ」

「伊達君いや陸奥君俺の弟はどうだ。こいつなら給与の事はあまり言わんぜ、な董三郎」

「先生、そいつは董三郎君に悪いですぜ。かれの語学力は此処横浜でもぴか一で中屋の益田にも引けをとる事では有りません、董三郎君よりはちと程度が下がる和吉君でさえ唐津で月百両貰っていますぜ」

「あの大酒のみのダルマめそいつは貰いすぎだ、ついこの間まで箱屋か芸者のひもか分からぬ生活をしていたんだぜ、確か董三郎よりしたの十八位だ」

「先生董三郎君なら歓迎しますよ給与は百が無理でもできるだけの事はいたします。私と一緒に働いてくれませんか機会があれば欧州へ留学できるようにお手伝いもいたします」

「オオそうか、董三郎ももう一度欧州へ渡りたいといっていたからそういうことなら否やは無いでしょう。どうだ良い話だと思うが」

「はい、お引き受けいたします。陸奥先生どうぞお引き立てのほどをお願いいたします」

ひょんなことで董三郎青年は陸奥の元で働くことになった。


明治4年5月10日に新貨条例が太政官から布告され、伊藤が亜米利加から意見具申をした金本位は採用されていた。

貨幣の基準単位を「両」から「圓(円)」に切り替え旧一両を新一円とする。

旧貨幣は漸次廃止する。

補助単位として「銭」「厘」を導入する。

百銭一円、十厘一銭の十進法とする。

本位貨幣を一円金貨とする金本位制とする。

一円金貨の含有金を純金二分すなわち1.5g、一アメリカドル相当とする。

一円銀貨は七月発行ということになり、金銀比価は16対1と決められた。

ケンゾーが聞いた話では円直形38.58mm、26.96g銀の品位0.90銀含有量24.21グラムだそうだ。

そのケンゾーの元に築地の42番で開業したH.Ahrens&Coから取引が持ちかけられた、岩蔵が開いた京屋のことを聞きつけたものらしい。

ケンゾーは紹介者のペギューのオテル・ド・コロニーへ向かうことにして築地へ船で渡った。

話を聞くと検討してみるとだけ話して資料に渡されたパンフレットに価格表を持ってその日のうちにリキシャを乗り継いで横浜へ戻った。


英一の運送船に安政元年1854年亜米利加で進水したサガムと名づけられた老朽船があった。

三本マストの機帆船で880トンこれを兵部省で買い入れる話が進んでいた。

ケンゾーはそんな老朽船を買うより新しい船のほうが良いと思っていたが従道さんを通じて山縣兵部小輔が此方を名指しで購入を持ちかけてきたのだ。

「何か思惑でもあるのでしょうか」

ケンゾーは旦那に相談をして見た。

「今政府は鉄道や諸外国との付き合いにと金がいるし、本格的な新しい船を買う金の工面がつかないのだろう。其れと大隈さんが一度は投げ出した大蔵大輔に再任されるとの噂もあるしこの際安い蒸気船でも買い入れて視察や政府御用の役に立てようと白羽の矢を立てたのだろう」

「噂では山城屋が更に兵部省の金を借り出したとの話も有りますし、あんな老朽船ではそう長くは持たないでしょう」

「だが昨年機関も新しくしたし南軍の鹵獲船とはいいながら大きな損傷を受けた事も無いからそのあたりで目をつけてきたのかもな。神戸往復をこの間三日で行ってそのあたりが耳に入ったのじゃねえか」

「そうかもしれませんがウィリーが七万ドル以上なら売ってもいいかといっています。それでは少し高いと思うのですが」

「そのあたりがあの船の上限かもな。六万まで下がれば従道さんも面目が立つだろう」

「ではそのあたりで兵部省と話し合いをして見ます」

「参議の斉藤様にそのあたりの事も相談しておくよ」

「お願いいたします。刑部大輔から参議へ普通なら出世なのですがあの方にとっては追い払われたとの思いがお強い様でこの辺の事情もお詳しいかもしれません」

「そうなのだ、土佐と佐賀で長州を目の敵にしたと木戸先生あたりがへそを曲げていたのを大久保様と西郷先生が説得して東京へ出てきたから少しはよい方向へ向かうだろうぜ」

間にはいっていた従道が横浜に出てきたのは金曜日の午後、ケンゾーをジャーディマジソンに尋ねてきて「この間の船のほかに帆船をもう一艘購入予算が下りた。程度の良い800トン級の運送船がないか」

「本当ですか、香港から話があって売り込めないかと近々横浜へ着ますよ。タイミングが良すぎますね」

「本当だ、山縣さんや大隈さんはどこでそんな話を仕入れたのかな」

「もしかすると井上馨様あたりかもしれません」

「何か心当たりがあるかい」

「最近横浜の中徳の益田さんと付き合いが出来たそうでそのあたりかもしれません」

「ホウあれか。大蔵へ有能な人物を推薦してきたというのが元幕臣の益田という若い男だと聞いたがそいつがそうか。梁山泊は油断がならんな」

「築地はいまや日本の情報の集積所だそうで」

「そうだ有象無象、玉石混交、良くも悪くもあそこが日本を動かしちょる」

「では船がつきましたらご連絡しますその船が来れば予算のほうもご相談に応じます」

「頼むよ、鉄道を長州が押さえて船を薩摩にあてがって川村君などを筆頭に飴をしゃぶらせるつもりだろうが、それなら上手い飴をしゃぶらせてもらうさ、函館で軍艦は大分無駄にしてしまったからな。ただし袖の下なぞ必要ないぜ、どうせ買い入れた後で山城屋を筆頭に長州御用達の御一同が拠って集って装備品で儲けるに決まっている」

「其れが分かっていてもどうにもなりませんか」

「砂糖に集る蟻は追い払っても替わりが直ぐに来るのさ。幕府以上に西国のありは始末に終えんよ」

南国といえば薩摩、土佐、西国といえば佐賀に長州しかしその蟻は同じ西国の佐賀がいくら追い払っても払いきれないのだと従道は声を潜めてケンゾーに言うのだ「梁山泊は西国のねぐらだ。追い払う側と追い払われる側が共に集うのはおかしな話だとケンは思わんかね。兵部省は陸軍と海軍に分かれてその統合を参謀本部が行うというが主導権は陸が持つことになりそうだ。川村君は海の上に追い払われるのさ」

「しかし兄上がそれでは承知いたしませんでしょう」

「そいつが木戸先生に遠慮して名前だけの陸の親玉にされそうだ。兄貴は細かいことにはこだわらんからな、国が立ち行くなら少しくらいの蟻が集るのには見てみぬ振りだろう。わしらには山縣や木戸先生其れと大久保先生には歯がたたん」

「うちの旦那は大山様が戻られたのでお二方のお力で長州は抑えられると言われて居りますが」

「弥助ドンは政治向きより自分の力量を上げる事に熱心すぎる嫌いがあるからな。学者向きだと昔から兄貴が言うのさ、其れと薩摩では先人を押しのけて我勝ちに人をこき使うのが上手くないのだ、大久保さんのような人はまれだよ」

その夜英一では営業会議が開かれ二隻の船は売り渡される方向で値段の交渉はケンゾーに任されることになった。

機帆船Sagamu880トンは六万ドル以上、帆船Elk885トンは四万ドルでの売り渡しが決定したがいくばくかの上下はケンゾーに一任された。

昨年売られたフランス郵船のテーボール号の九万ドルに比べれば老朽船とはいいながらお手ごろ値段だ。

「しかし今政府が買うなら高島屋さんのレーン号の高島丸を買ったほうがよっぽどお買い得だな」

ケンゾーは夕食のときにウィリーと正太郎に経緯を説明しながらそのように話した。

「先生反対に大きすぎるから小ぶりなものを入れるということではありませんか」

「そうかもしれないね、だがあんな老朽船を買い入れるなんて俺には無駄づかいの気がしてならないのさ。築地の海軍操練所の富士山丸のほうがまだましだぜ」

「ケンゾー買ってくれるというのだあんまり言うなよ。こっちのほうもそれで新しい輸送船が買えるから助かるしな」

「其れもそうだ、俺が心配するのはいまの政府は安物買いの無駄使いばかりで本当に国のためになる買い物をしない事が気になるのさ」

「今は我々英吉利や亜米利加も含めて日本の国を侵略することは無いという事は判って軍艦を急いで買わなくてもいいだろうと分かってきたのさ。しかし陸軍に莫大な予算を計上するというのは良くわからん理屈だとは思うがね。兵部省は金が余っているのだろ」

「まだまだ国内は彼らにとっては不安なのさ。今度行う廃藩置県でさえ裕福な藩や地方での叛乱が起きないかびくびくしているのさ。しかし山城屋だけかね外にも金を引き出している奴らが大勢いそうだが噂に上るのは山城屋だけだね」

「本当だ、彼だけ噂に上るのは可笑しいな。あいつが生糸相場で損を出し続けているのにまだ余裕がありそうだからそんな噂が騰がるのかもしれないぜ」


六月に入り居留地に多い名前の一つMr.Clarkの本町通りのクラーク氏が加わったボストン氷が売り出された。

わずらわしいことだが62番のクラーク氏の事務所で手形を購入して43番の製氷所で朝六字から一字間、夕六字から一字間の間だけ受け取るというわずらわしいものだった。

おまけにその手形の手数料まで取られるというのでは買い手にとって不便この上ない代物だったので人気うすだ。

ロンドンまでの上等船室での往復料金は先払いで八百ドルと新聞広告が出た、此れにはロンドンでの参ヶ月の滞在費が含まれるそうだが申し込みはイギリス飛脚船会社か活版社でも受け付けるそうだ。

此れも百名の船客が集まれば船を仕立てるというのでは人が集まるかは疑問だ。

新円切り替えに備えて弗が少しだけ値上がりして100ドルに対して三百四十分まで来たが其処で足踏みして下がる見込みの人が多くなってきた。

海外でもポンドの力は強く寅吉の予想通りの動きが見え出したがドルは一両一ドルとまでは上がる気配が見えなかった。

「日本の金の力が無いのは世界に分かってしまったが弗がこんなに弱いとわな。ポンドだけが一人がちだな」

「フランスもプロシャも戦争で疲弊して国力を維持するのが大変になりそうですね」

「矢張り戦争というのは武器商人の懐を肥やすか、投機の対象としての悪徳商人が儲けるだけだな」

「いまや文明が進んで戦争で勝ったからと言って相手国の財力を根こそぎ奪うなど出来なくなりましたからね。仕掛けたほうも仕掛けられたほうもその反動は大きく影響してしまいますね」

「戦はしないのが一番さ」

寅吉は勝先生と同じように戦をなくして平和裏に外交交渉で物事を解決していかなければ国力のない日本は立ち行かないとケンゾーや正太郎にことあるごとに話もするし、軍備は必要だが其れを恫喝の道具に使わない軍人を育てるには教育しかない、しかしこのControlが一番難しいと横浜に出てきた伊藤博文、西郷従道に話していた。

この日も珠街閣でその伊藤、西郷、ケンゾーに正太郎、ヤール、を招待してその話をしながら世界情勢を分析する予定だ。

くらげや鮑の冷菜に焼き豚、ハムなどを盛り込んだ大皿が二つ奇麗に盛り付けられて席に着くや否やビールとともに運び込まれてきた。

「此れは店のおごりね、コタさんから予約が入って直ぐに支度を始めたよ」

「其れはすまないな。皆さん店のおごりだそうだから早速いただきながら今日の食事はなにがお勧めか聞いて注文を出しましょう」

「おいは老酒があれば後はお任せ申す」

「ハハ、信吾さんは料亭ではうるさ型でしたがな」

「そうじゃがな。だがこの見世はいつ来ても何が出ても不満がない。それならどれにするか頭を使う必要がない、呑んで上手いものを出てきた順に食べるほうに専念したほうが気分は良い」

「それじゃわしもコタさんに任せてしまおう」

二人がその気ならと次々にメイリンと相談して注文を伝えてはビールを飲みだす寅吉だった。

「九月になれば上海蟹が美味くなりますからそのときにはぜひともおいでください」

メイリンはそういってもう食い気にはまっている寅吉たちの気を引いた。

「蟹かこの前の海で上がるモズク蟹も上手いが上海からのものは高いだけあって最高だな」

食い物と酒にはうるさい伊藤はもう九月が待ち遠しいという顔で西郷と老酒を楽しみだした。

フカヒレの煮込みとツバメの巣のスープはインリンが出てきて勧めるので其れも頼んだ。

「良かった、コタさんの旦那から予約が入ったときに私が進めて支度をしたのに注文が無いので心配しちゃった」

「メイリンが牛肉料理と鳥を勧めて下がったから次はなににするか考えていたのさ。毎度同じ東坡肉だけでは寂しいからな」

「では東坡肉はやめにしますか」

「駄目駄目、そいつも出してくれ」

西郷はあわてて東坡肉を注文した。

インリンは正太郎の為にジンジャービールを運んできた愛玉に今の注文を伝えて調理場へ伝えてもらった。

メイリンも出てきて取り皿の交換と空の皿を下げてよいかを聞いた上でテーブルの整理をして新しい料理を運びやすくした。

「コタさん、ここだけの話だということなんだが」

「はいなんでしょう」

「もしかしてコタさんの情報網には引っかかったかもしれんが。八月には東山鎮台と、西海鎮台を廃止される事が決まった」

「矢張り四鎮台案が通りましたか」

「知って居ったか、そうだその通りだ、小倉は廃止して熊本に移すが石巻は名が東北と変わるだけだ。東京鎮台、大坂鎮台、鎮西鎮台に東北鎮台となる、主力は薩摩、長州、土州の藩兵を解散して新しく御親兵として北から南に十の分営を置く事も決まった。来月には懸案の廃藩置県も行われるし西郷さんは当分忙しくなるだろう」

「なに俺の忙しいのは兵の指導だけで実務は木戸先生と山縣がやらせてくれんよ。あわよくば追い払われるのが落ちだ」

「駄目ですよ。狂介を抑えられるのは信吾さんだけですぜ。わしや聞多は鉄道のことなどで有ること無いことを穿り返されてその防戦で手一杯ですよ」

「山縣は頭が切れるからな、伊藤さんたちが煙たいのさ」

「ねえお二人とも気をつけてくださいよ。佐賀を使って伊藤さんや井上さんを追い落とそうと画策しているとの噂もありますし、梁山泊でのやり取りも兵部へ筒抜けとの噂もありますぜ。佐賀の人たちはVerbeckの影響で先を急ぐきらいがありますので其方も危なそうですがね」

「そいつは承知だ、そうだコタさん石巻へ送られた米がまずいと兵が苦情を言ってきたが何か知っているか」

「知っているも何もあれは安南米ですぜ、横浜の兵部の陣屋で三万斤がとこ買い入れて五月の半ば頃百石ほどが仙台へ送られていきましたぜ」

「なんだそうか。それなら仕方ない、さぞや安い米でも買い入れたのだろう」

「そうじゃ有りませんぜ。あれは米惣が百二十両ほど損をしましたがそれでも上総米と同じ値で兵部が買い入れているはずですぜ。会計を調べれば直ぐ分かることですが、二百五十石の米が六百両で米惣から売り払われてそのまま入ったとは思えませんぜ」

「そいもそうじゃな。新聞に相場がでとるそうじゃからばか高い値段をつけたとは思えんが」

「値段はそうでも量が全て帳簿どおりとは限りませんからね」

「そいつは気がつかなかった。買い入れが二百五十石となっているかそれとなく調べてみよう」

「気をつけてくださいよ。今の兵部は長州の人が会計を抑えていますから。アッこれは伊藤さんも長州でしたね」

「なんじゃ白々しい。わしの顔を見ながら言って居ってからに」

伊藤は可笑しげに大口を開いて笑いながら老酒の追加を頼んだ。

「それでどのくらいなら国は損をしないのだ」

「そうですな、おおよそ八百両でしょう」

「なんじゃたった二百両でそんなに手が込んだことをしちょうるのか。呆れたもんじゃ」

「山城屋の悪あがきで御座いましょう。私の見たところ二十万両ほどの損をしているようです」

「そいはおおきかことだ。今年の兵部の総予算は五百八十五万両じゃぞ。話を聞いたところではそのうちから十五万弗が貸付金として出て居るそうじゃから其れを上回っているではないか」

「もしお二人様、気を確かにしてお聞きくださいませ、酒席のざれごとではございませんぜ。二十万両というのは国内の事でござんす。兵部の貸付は五十万両をはるかに超えていますぜ」

「まだ有るというのか」

二人の顔が青ざめていくのが正太郎にも分かった、うすうすは分かっていたことでも情報屋としても国外の事情通としても千里眼の寅吉の事は今までのことで信頼できる情報をこれからはなすのだという事が判ったようだ。

「イタリーとイギリスフランスからの情報によりますと山城屋、オルトの二人の損害は百二十万フラン今の相場でおよそ二十三万両だそうですが此れが全ての投資額なのか今までの損害額で他に資本が投下されているのか良くわかりません。しかしオルトは既に全てを失ったという噂も有ります。そうすると昨年春にオルトの資産は六十万ドル有ったという噂ですから山城屋も同じだけの資産を失った可能性もあります。今の相場で五十万両をはるかに越えますぜ」

「五十万両じゃと」

二人は同時に声を揃えていうと暫く考え込んでいたが「よし分かったわしに出来る手は出来るだけ打って見る」伊藤はそういうと「この話は此処まで、気を変えて今晩は酒と料理を楽しもう」そういって厠へ立った。

「コタさん。俺も腹を決めたよ。ロンドンとパリベルリンにも個人の名でそれぞれに手を打ってみよう。今晩は俊介の言うように食事と酒を楽しもう。万事は東京へ戻って廃藩置県が済んでからだ」

そいいうと後を追う様に厠へ立った。

二人とも豪傑だなと正太郎は思った、此れだけの話を聞けば東京へ直ぐにたって動き出すかと思ったが動ぜずに厠へたつ二人はすごいと思ったのだ。

朱さんが挨拶がてら出てきて旦那に耳打ちすると「分かった、朱さんそいつは内緒だよ。二人ともこれから本格的に呑むだろうから少し暴れても大目に見てください」

「其れはかまわないね。しかし二人ともたいした人だね、青い顔して出てきたが今は冷たい水でからだをごしごしこすって何か決心したように二人で笑っているよ」

その二人はさっぱりした顔で戻ると「まずビールを貰おうか」そういうと「コタさん今度は諸外国の景気の動向を聞きたいな」

先月アメリカから戻ったばかりの伊藤がそう切り出してイギリスは景気が持ち直したこと、フランス、プロシャの景気が後退しそうな事、生糸種紙は暴落が止まらないだろうということなど例を挙げて細かく説明しだした。



朝東京から帰ってきた寅吉はその足で境町の家に来た。

「ケンゾー俺は昨日不思議なものを見たよ。伊藤さんの招待で大蔵省で新しい金貨を見せてもらったが先走りしすぎて刻印を明治三年で作ったがもったいないとその刻印で作られた金貨があったぜ」

「貨幣条例では来年一月からの実施で御座いましょう。まだ十分間に合うでしょうに。其れと大阪では来月からの製作開始と聞きましたが」

「俺もそう聞いた、しかしキンドルが先走ったか山尾さんが焦ったのか貨幣条例が出された日に間に合わせようと二十円金貨だけでもと作ってしまったらしい」

「相変わらずどたばた続きで御座いますね。その金貨町へ出るのでしょうか」

「二十円金貨では町で買い物も出来やしないぜ。せいぜい取引に使うか記念品の飾り物さ。昔の幕府時代の大判と同じで流通はしないだろう」

「そうでしょうね、町では一円以上は札が主体になるでしょうね。どうやら太政官札も権威が安定しましたから新しい札も額面どおり通用できるでしょう」

「銀貨、金貨と同じ価値が札になければ日本も駄目になるというわけさ。だが一ドル一円が近づいたが其れもいつまでかな、この国もジパングといわれたゴールドの国というのも実態がないと分かってきたからな」

「それより旦那が東京へ出ている間に図書館が仕舞になりました。あの水町通りの横浜パブリック・ライブラリー&リーディング・ルームズです」
「そりや正太郎がガッカリしたろう」
「ええ、本についてはMr.ポンチが預かってまとめて引き取ってくれる人を見つけるそうです」
「そうか俺のほうでというわけにも行かないからケンゾーも誰かその本を有効に使ってくれそうな人を探してくれないか」
「承知いたしました。心がけておきます」
寅吉はその足でスミス商会へ出向くと出て行った。

東京では御親兵が全国から集められて廃藩置県に向けて準備が始まり全国の知事も11日までに東京へ集められることになった。

13日天皇への奏上即日認可、よく14日に通達が行われる事が決まっていたのだ。
アメリカから多くのお雇い外国人たちとともに黒田が横浜に帰ってきた。

中でも大物はMr.ケプロンだ開拓顧問兼御雇教師頭取という肩書きだがアメリカ農務省局長という職を辞してまで黒田の蝦夷地開拓を手伝うことになったのだ。

エルドリッジは秘書であり医師、ワルフィールドが土木、アンチセルが鉱山技師などを引き連れてきていた。
嘉右衛門が出迎え高島屋へ皆を泊まらせるために馬車を引き連れて向かった。


昨7月9日の早朝に横浜を襲った暴風雨は多くの建物の屋根を吹き飛ばして過ぎ去った。

瓦葺を指導していた県庁も応急手当の為に板葺きでも許可を出さざるを得なかった。

グリーン夫人からワーグマンを通じて持ち株会に今月一杯で神戸へ引き移ることにしたと連絡が入った。

今までの株主と相談の上グリーン夫人とMr.オルトの株2000ポンド分を1500ポンドで引き取ることに為り新しく参加希望者へ割り当てることになった。

とりあえずスタッフはそのまま半年は営業を続ける事も決まった。

Mr.ベアトが朝鮮から帰る予定の九月には総会を開いて取り壊し時期と営業再開の予定を決めることになった。

新しいホテルへは株式参加希望者が目白押しだがベアト、ワーグマン共同の筆頭株主を脅かさないという約束が出来ており、WHスミスも其れを了解していた。

ベアト、ワーグマン組は三千ポンドに加えて新規株式の割り当ての三千ポンドも引き受けるとワーグマンが受けあった。

グランドホテルは総予算一万三千ポンド現在の株総数は一万ポンドで倍に増資する事はベアトも了承済みだ、予測どおり行けば四万五千ドルの価値があるはずが資産の目減りでホテルの価値は半分になってしまったのだ。
それでも新規株の分として五千ポンドの
積み立ては既に集まりマックのスミス商会が運用していて来年には元本共で五千八百ポンドになるのだ。

寅吉はアーサー名義の株を含めて十名分二百二十株と新規割り当て二百二十株を引き受けるが議決権はベアトに委託するという約束をしていて其れを守るつもりだとクラーク氏に誓約書を預けていた。

「旦那あの誓約書は1880年まで10年間という奴でその後はどうなさるつもりですか」

千代が心配して聞くと「アーサーがマックとの契約でその年まで資本を預けてあるのでその後アーサーがグランドホテルの経営権を手に入れたいというなら60パーセントの株を抑えられるように工夫してあるのさ。この間話し合ったがアーサーもベアトがスミスとうまくやっている間は介入したくないと言っていたよ」

「この間、陳君が言って居りましたが、アーサーの資本の半分を投下すればグランドホテル規模なら三つは建てられるといっていましたが本当でしょうか」

「そうだな、そのくらいには増えているかもしれないな」

ケンゾーも「旦那一人の資本で出来ますものをわざわざベアトさんたちにやらせるのは歯がゆくて仕方ありません」と口を挟んできた。

「そういうなよ。今はSweetmeat Castleの方にも金を出しているしインターナショナルホテルのほうにも出している上グランドホテルだぜ。人任せでは見ているほうは歯がゆいだろうが居留地の事はあまりでしゃばらないほうが身の為さ」

「しかしボナもよくカーチスさんと組む気になりましたね」

「あれはボナが海岸通りに出たいとカーチスに近づいたのさ。グランドホテルにも色気を出していたが自分で海岸通りにホテルを開くつもりだろう」

「それじゃカーチスさんと長続きはしませんか」

「クラークさんもそう見ているよ。ミュラオールの弟の腕が良いようだからボナも彼方此方食指を蠢かしてるのさ」

横浜の街ではあと四日後に迫った廃藩置県に際して何か騒動が起きないか各国の公使、領事たちは情報の収集に走り回っていた。

アメリカ婦人一致伝道教会宣教師としてピアソン、プライン、クロスビーと三人の婦人が来浜して先月県庁に敷地借り受けの依頼があったが山手48番に798坪の土地が割り当てられていたJH・バラ氏の土地にミッションホーム、日本名を亜米利加婦人救援所を開設する事に決まった。

イギリス軍のレジメント隊が横浜から撤退していったが国内でも六浦藩の藩兵の解散も噂されていた、これは廃藩置県の影響だそうで県兵もポリスと八月には改称される事も決まった。

そして15日は横浜・神戸・長崎・函館・新潟の5港に郵便役所が開設される、横浜では弁天通3丁目41番地鹿島屋亀吉方で駅逓療、県庁から差し遣わされる人により事務が執り行われるのだ。



帰国後和歌山県権大参事に就任していた陸奥がお呼び出しを受けて東京へ出て神奈川県知事就任を要請された。

明後日12日には井関知事と交替して知事公舎へ入るため家族共々高島屋へ今朝入った。

林董三郎は伊藤の推薦で岩倉卿の通訳として欧米への出張が決まり十月から民部省への出仕が決まり其れまでは陸奥とともに県庁での仕事を手伝うことになって横浜へ出てきた。

この月、横浜は次々に行われる新政策で大騒ぎであったが学校の開設、税関の県庁から大蔵への移管、横浜関内各町を5区に分け名主管理区の改定。

これは一区名主小野兵助、二区名主島田源次郎、三区名主太田源左ヱ門、四区名主岡本鉄之助、五区名主梅田半之助が選ばれて陸奥さん共々横浜の町の発展へ協力することになった。

「俺は知事になったら管内の関所、関門は全て廃止の方向だ。此れは民部、兵部の賛同も得てきたから後は番人を置いて事件がおきたときだけ閉めるようにすることにするよ」

「それは良いですね、では居留地への出入りも楽になりますね」

「そういうことさ今でも井関盛艮さんのおかげでうるさい事はいわないそうだがね。商売にも見物にもそのほうが良いのさ、しかし商売女の出入りが多くなることになりそうだが其れだけが気がかりだ」

「それだけはどのように取り締まっても抜け道を見つけるのにたける奴がいますからむしろ放置したほうが取り締まりやすいかと思いますぜ」

「そうかも知れんな。受け継ぎが終わっても井関さんには半月は横浜にいてもらっていろいろ指導してもらうつもりだ。アアそれからいろいろ問題があった兵部の太田陣屋だが陸軍だけでなく海軍も使うことになったから会計に眼が届くようになるだろう」

「其れはよう御座いました。山城屋関係の不正に漸く手が入ることになりますかね」

「そいつはどうかな、山縣さんらの長州関係者がひた隠しに隠しているからな」

話は兵部省が買い入れて東京丸という名がついた機帆船と春風丸と名がついた帆船の話になった。

「新造船を買えば良いのに政府はなにを考えているやら」

「本当ですよ陸奥さん。帆船のほうはまだ新しいだけましですがいくら機関を新しくしても安政元年の建造船なぞ買い入れたいと聞いたときは本当とは思えませんでした」

二人でいまどきは幾ら位で新造船の1000トンクラスが手に入るかという話になった後話題は人事のことなどに変わった。

「ところで陸援隊の大江を知っているかね」

「はぁ、私と入れ替わりに長崎へ出た人ですね」

「そうそう、坂本さんのあだ討ちに俺たちと三浦さんを襲った後高野山での挙兵に参加したりした後土佐に引きこもっていたそうだが賤民のことについて大隈さんへ直訴していたのだが、其の事が引き金となって月末には穢多、非人を平民として扱われることに決まったよ」

「さようでしたか、此れで全国の人別外の人たちにも職業身分の差別を受ける事が無くなればお国にとっても喜ばしいことです」

「そうなのだが大隈卿は先を急ぎすぎる、大江君の理想は正しい、しかし何百年来のしきたりを二年、三年で転換しては後に弊害が起きるだろう。大江君は遊女売女のものの開放もすべきと唱えている」

「確かにアメリカが行った奴隷解放という大方針もわが国に引き比べてみれば小作、水呑身分、商売女も農奴、奴隷と同じことなのかもしれません。しかし陸奥さん穢多非人身分と此れを同じように解放しても食べていく事が出来ません。小作、水飲みに田畑を与えること、売女のものに職業をという事はわが国の事情を見れば簡単には行かないでしょう」

「そうなのだよ、でもかれの手腕を俺の手で開花させてやりたい。いきなり参事というわけにも行かないが出来るだけ手腕を振るえるようにさせてやりたいのだ君も協力してやってくれたまえ」

「分かりました、私のできる事は何なりとお申し付けください」

「頼んだよ、其れといま大阪府の参事に奉職している土佐の竹内綱という名前を覚えておいてくれ」

五月に着工されていた横浜機関庫は八月八日の末広がりグレゴリオ暦9月22日金曜日に完成披露された、出席しているMr.モレルの顔色が悪いのに出会った人々は病の重さに改めて驚かされた。

東京に出たときは同年民営化されていた築地ホテルを宿舎にして様々な医師が入れ替わり立ち代わり診察に訪れたが有効な治療方法が見つからなかった。

機関車は早速機関庫で組み立てられて即日釜焚きの訓練と試運転が始まった。

コロジオン伯の参加した朝鮮遠征の米国アジア艦隊ロジャーズ提督率いる軍艦5隻と海兵隊1200人はシャーマン号焼き討ちの報復として朝鮮に侵攻したが、江華島砲台を占領したものの被害も大きく40余日で撤退して横浜に戻ってきた。

横浜へ出てきた松本良順は順と一字名に改めたと陸奥へ告げて軍医頭に任命された上で早稲田蘭疇医院がそのまま陸軍病院となったことを告げた。

Mr.Edmund Morelはコタさんの言うマラリヤが正解かも知れんがキニーネを処方したくもイギリスの医師が許可をしないのだ。一応はあちらさんの言うような治療法を試すしかないが、有的もドイツで有効だというキニーネでの治療しか有効では無いだろうという意見だ」

「ほかに手立てはありませんでしょうか」

「駄目だな、其れと此処まで来てはキニーネを使っては体のほうが持たんよ。あれは強すぎて初期ならともかくあそこまで体が弱っては一か八かの勝負的な薬だな」

「それでも危険に賭けてまでという事はできないでしょうか」

「わが国の人間ならともかく英吉利人だからな。いくらお雇いでも危険な薬に関しては思い通りにはいかんのだ。あちらさんから見れば日本の医療は遅れていると見られているからな。おまけにプロシャの医師の事も信じていないのだ、例の脚気の事も栄養の偏りだと俺が言ってもそれは実証されていないというばかりで話をまともに聞いてくれんのだ」

「脚気には困りましたな、あいつらはパンを食べていればそんな心配は無いというし」

「そうなのだ、江戸わずらいという呼ばれ方もあるとおり白米の食べすぎが原因だろうから大麦に小麦、もしくは玄米を食べておれば大丈夫なのだが、感染症と判断されることが多いのでもう少し大々的な検証の機会がないと彼らを納得させられんのさ」

陸奥が横浜へ赴任されるとともに人事も大きく動き出していた。

神奈川県奏任出仕堀尾重興を神奈川県権大参事に任じた井関盛艮は更に外務権少丞本野周造を神奈川県大参事に迎えた、この人事は新しい税関への布石で大蔵省租税寮が新設されて運上所の事務を移管して其の事務を本野にさせるためだ。

陸奥の着任後には上野景範が横浜運上所事務総裁として初代の横浜税関長に就任の予定だと県庁へ達しが来ていた。

「ケンゾーさん異人たちは新しい事務総裁をDirectorもしくはGeneral of the Customsと呼ぶそうだがどういう意味だい」

「ディレクターは長官でジェネラルが総督という意味なのでカスタムをまとめる役人ということだよ」

伝助や長十手の重四郎と大里庵でもりを手繰りながらポリスの話から新しい運上所の話題になった。

「どうもイギリスの言葉は難しい言い回しが多い」

「重四郎の旦那あちらさんはあちらで日本の役名が年がら年中変わるのでややこしいとこぼしていますぜ」

重四郎は安部の誘いをまたしても断ったのだ「もう50も過ぎましたしこのまま町の治安のお手伝いが身相応で御座います」そう告げてあくまで奉職を避けた。

「新しい事務総裁はあのハワイへの移民引き取り騒動で大活躍したし、遷座祭の野毛の行列の先導を勤めたことで街では名を知らぬ人なぞいないくらい有名ですが総裁と聞くと雲の上の人のように聞こえますぜ」

「そうだな幕府時代は総裁といえば老中に匹敵する役目だったからな。それだけ税関という役目が重要だということにやっと気がついたのだろうさ」

「そうですね。外国と付き合うには公使、大使、領事も大事ですが運上所の事もわが国へ入る荷役が増えれば増えるほど重要になりますからね」

「しかし欧州やアメリカなどへの派遣される人たちの身分が低すぎるとケンゾーさんが心配していましたが苦労されているようですね」

「伝助さんも聞きましたか」

「ヘエ、イギリスやフランス、ドイツを一人で受け持つなど言語道断だとドイツクラブの人たちが怒っていると聞きましたぜ。アメリカへは一国一人でわが国には片手間の扱いとは何事だとね」

「プロシャは北ドイツ連邦を筆頭に血の気が多いからな」

「さようですぜ、フランスに勝ってから皇帝の権力が増大したし宰相さえも大きな権力を握ったと噂ですぜ」

取り留めの無いことなど暫く話してから其の日は伝助が勘定をして店を後にした。


築地のホテル・デ・コロニーの支配人ルール、料理長ベギューという二人のフランス人は築地ホテル、江戸ホテルよりも自分たちのホテルは料理、サービスとも優れていると宣伝に努めていて政府要人の訪れは次第に増えていた。

昨日から東京に出てきていたケンゾーと正太郎は林董三郎の招待で岩倉使節団の一員として欧米へともに出ることになった土佐の田中光顕と同席してディナーを取っていた。

董三郎は陸奥と横浜へ出てきたが伊藤の推薦で岩倉卿のお供で欧米順訪へ出かけることになって東京に出てきていた。

身分は二等書記官外務省七等出仕となり田中は今では戸籍頭であり理事官として参加が決まっていた。

「董三郎君にはいろいろ教えてもらっておる半年やそこらでは戻ってこられぬから少しは言葉が身につけばよいがなぁ」

「大丈夫で御座いますよ。アメリカの大陸を横断してニューヨークに着く頃には普段の会話に困らぬようになって居りますよ。難しい言い回しや書類上の事は皆で話し合うことによって徐々に理解できますから」

「董三郎君は簡単に言うが此れだけ大人数で出かけては日本人だけで固まっているわけじゃけん英吉利を喋らずに済ませる事もできるからな。進んで学ばんと何も身に付かんかもしれんぞ」

「又田中様は細かいことを気にし過ぎで御座いますよ。なぁケンゾーさん」

「さようです。習うより慣れろということです。進んでアメリカ人やイギリス人に混ざってしまうことで御座います」

田中も二人の話に漸く納得したか出てくる料理を口に運びはじめた。

「正太郎は三の橋の海軍兵学寮を見たか」

「はい、大きくて立派な建物でした」

「坂本先生が生きておられれば大層喜んだろうになぁ」

田中は在りし日の龍馬のことなどをケンゾーと話しながらも料理を楽しんでいた。

海軍兵学寮はこの年7月29日に増山河内守屋敷跡に竣工して此処に生徒教官が移動してきたのだ。

食事がすんで食堂から出るとティールームに西郷従道が弟の小兵衛とほかに若い人を3人ほど連れてワインを飲んでいた。

ケンゾーが従道に董三郎と田中を紹介した。

「田中君は何度か顔を見かけたがそちらの林君は始めてかな」

「左様です。この度の岩倉卿の外遊のお供に加わることになりました」

「そやよかった実はこん弟も参加させごとと上京させたが兄様がうんと言わんで今日は兄弟で自棄酒じゃ」

小兵衛さんは隆盛先生から「国で勉強しておれ」とあっさりと洋行のことを認めてもらえなかったと嘆いた。

最近横浜に来るとソフィアについてフランス語や英語を学んで少しは話が通じるようになったので残念だともみ上げを伸ばした若い精悍な人をケンゾーたちに紹介してくれた。

「こいつは山本権兵衛じゃ、俺よっか乱暴者で海軍兵学寮では薩摩きっての切れ者じゃ、勝先生にも師事したことがあるが兵学寮の教官をいじめて困ると川村先生から信吾兄さに苦情が来てな」

そう笑いながらその人の肩をたたいて笑った。

「この二人は今月兵学寮に入学するために国から出てきたんじゃ。日高壮之丞という、そのきかんきそうなんは有馬新一じゃ」

支配人のMonsieurルールがテーブルの用意ができたと西郷たちを呼びに来たので別れの挨拶をしてホテルを後にして田中はリキシャで家に戻るというので其処で別れた。

董三郎とケンゾーに正太郎は木挽町に出て吟香と約束した時間までの時間つぶしに五左衛門さんのピカルディを訪ねた。

娘のお英ちゃんとエイダ夫人がお客の応対に出ていた。

お客が帰り正太郎たちと挨拶をしていると聞きつけた五左衛門さんが出てきてエイダさんに「喫茶室にお茶の仕度をしてください」そう頼んで正太郎たちを店の続きのテーブルへ誘った。

話は董三郎の洋行から神戸のパルメスさんとさらに木村屋のパンの味についてと出された紅茶を楽しみながら弾んだ。

五左衛門はお客の応対に時々席を立ちながらもケンゾーと昔の長崎との比較や新しいパンの味をどのようにするかを話して「董三郎さんアメリカ、欧州のパンの味を覚えてきてお帰りのせつには店においでになってぜひ向こうの事情をお話ください」

「よろしいですとも、コタさんにも向こうの新しい菓子のことや新刊の本を送れと頼まれていますしこちらの要望も気を置いて調べてきますよ。私も食べることは大好きですからこちらで同じような物を作られるならお願いしたいくらいです」

二人は互いが気に入った様子で外人のように固く握手をして将来のパンや菓子のことについて話し始めた。

「アラアラ、家のだんな様はコタさんと同じで商売か食い気かわからないわね」

「ご新造さま、いや奥様には五左衛門さんと協力してぜひ欧米のパンや菓子の味をこの日本に定着させてくださいませ」

「アラたいそうなことで困りますわ。私などイギリスの片田舎で育ちましたので都会の味など判りませんわよ」

「まぁそういわずに私も向こうですべて覚えて帰れるわけでもありませんがぜひご協力を」

「そうですか、ではお帰りのせつは五左衛門さんとともにご協力させていただきます」エイダは子供を抱き上げて優しく頬ずりをしながら董三郎に約束をした。

「ところでショウタロー、桃介さんはアリスのこと何か言っていた」

「もうじき子供が生まれるということは聞いていますが」

「そう子犬が産まれれば家のジャックにとっては初孫ね。父親はCaine中尉のキャメルだったわね」

「そうですエイダさん。夫人のアイリスさんは雄が生まれたら一匹受け取れることになっています。旦那は雄が二匹以上生まれてほしいと桃介さんと話していました」

横浜ではまだ数が少ないビーグルは居留民の間でも引く手あまたの人気犬種だ、ウサギ狩りで根岸から金沢にかけてビーグルを連れて歩きたい人は大勢いるが寅吉の牧場にエイダが預けてある雄三匹のほかには寅吉の家の雌のアリスとケイン中尉のジャックのほかにストラチャンの雄二匹が親犬で最近持ち込まれたMcLeod大尉の子犬が三匹こちらは雌が2匹に雄が一匹だ。

雌はアリスとアリスの母親のメリーが成犬でMcLeod大尉の子犬が築地と横浜では知られているだけなのでトマス・トマスがアメリカとイギリスから今年中に輸入することにしたくらいだ。

マクラウド大尉の三匹は同腹なので交配のために自分の犬と交配できるかもと成犬になるのが待ち遠しい人が多いのだ。

アリスのおなかの仔はすでにほしがる人が多くて抽選をする予定だ。

メリーの今年の子犬は神戸の太四郎に全て貰われて行ってしまったのだ。

蓮杖もほしがっていたが譲ってくれる人がいないので寅吉に「雄だ雌だとは言わないから一頭は譲れ」と顔をあわせるたびにせがんでいた。

蓮杖は自分のダルメシアンをようやく六頭まで増やしてこの次の子供は寅吉に雌を譲ると約束をしながらビーグルを強請るのも忘れないのだ。

寅吉がダルメシアンをイギリスから何頭か輸入することにしていたのを聞いてその子供をも強請っているのだ。

「まるで蓮杖さんはねだるというよりゆすりにかけるようだ」

寅吉はケンゾーにそう話していた。

時間が来てピカルディを後に近くの初はなに向かった、吟香はすでに来ていた。

部屋に通ると横浜から同じ船だったという陸奥知事が同席していた。

「林君が来るというので仕事は速めに切り上げてきたよ、横浜には明日の一番の船で戻ることにしたから今晩は賑やかに遊ぼうぜ」

正太郎は旦那が陸奥さんは遊び好きで「遊ばせてくれるなら上海へでも付き合う」といっていた話を思い出した。

五人に芸者が八人もついてにぎやかな宴会が始まった。

小龍は陸奥さんが坂本さんとの神戸や長崎での話を盛んにして「本人が龍馬でその神さんがお龍、お前さんが小龍と聞いては贔屓にせずにはいられない」というと「嬉うござんす、私もたまには横浜へ遊びにいきとうござんす」というとうれしそうに「この正太郎の旦那のコタさんに頼んで遊びに来ればいい、俺も家族も歓迎するよ」と誘いをかけた。

「ありがとうございます。家のお母さんへそのようにゆって虎屋さんの旦那様へもそのようにお頼みいたします」

「小龍は町の育ちというより武士の家の雰囲気があるが」

陸奥は小龍の雰囲気からかそのように感じたようだ。

「お恥ずかしい話でございますが我が家はさる西国の大名家の江戸勤番それもわずか五十石取りの軽輩でございます。ご一新のあおりで家計の足しにと習い覚えたわずかな芸で身を立てております」

「そうか、その様な事情であったか」

陸奥はさまざまな武士の落剥した家の事情も知っていたが、そのような苦しさなど微塵も感じさせない小龍の心意気に何事か感じるところがあったようだ。

「おっ、小龍お前陸奥知事にほれたな」

吟香さんははやし立てるように杯を出して酒を注がして場を盛り立てた。

「はい惚れましたさ、わっちはこちら様が大好きでござんす」

そういって三味を取ってにぎやかに同輩を誘って野毛の山を歌いだした。

宴が終わりその日の宿へ分かれてリキシャに乗るときにケンゾーに「モレルさんはいよいよいけないようだ。松本先生も今月が過ごせるかどうか判らんといっていたぞ」陸奥はそういって「また横浜で会おうぜ」とリキシャを走らせた。



今日から秋競馬で居留地を含む横浜はお祭り騒ぎで朝から上がる花火を合図に根岸への道は人であふれていた。

陰暦9月26日はグレゴリオ暦1871年11月8日の水曜日だ。

マックの名義の牧場の寅吉たちの馬はこの日行われた七レースのうち三つを勝利して横浜に来たグラバーやサトウを喜ばせた。

キンドンたちのNicholas厩舎のモクテズマは初日に登録をしてきた、リューセーは初日を敬遠した。

寅吉は二日目ただ一回にかけていたのだ。

この日行われた日本産馬のみ参加のNippon Champion Plateはサムライとモクテズマが出ると聞いて敬遠する馬主が多く出て二頭の一騎打ちとなった。

サムライは初日二レース登録してきたがどちらも二頭のみの参加という結果になってしまった。

「いわんこっちゃない。何回出てもよいなんておかしなことにするからこんなことになる。競馬は楽しまなくちゃおかしい」

クラークさんは鬱憤の持って行き場が見つからず寅吉にそう零していたそうだ、しかし良識的な人達の意見で勝鞍を揚げた馬は錘を背負うことになり連続勝利は難しくなっていた。 

モクテズマは初日サムライに負けた上にE・ウィラーが招魂社競馬で見つけてきたタイフーンの勝利したレースで着外に落ちた。

サムライは初日二レースに出走してモクテズマとPaddy Whackに勝って二日目はPaddy Whackに負けて三着に甘んじ三日目はモクテズマともども棄権した。

タイフーンは二日目4分の3マイルの Netherland Cupでこの日二レース目のPaddy Whackに競り勝って二勝目をあげてMr.Wheelerを喜ばせた、二日続けて勝利した小さなタイフーンの鮮烈なデビューに見物の夫人たちはタイフーンをLittlemanと呼んで喝采を浴びせた。

ストラチャン&トーマスのThomas名義のSingerの登録名Wiil O'the Whispは今年は函館大経が乗らないので二日目の2マイルにのみエントリーしたがトーマス・トーマスが騎乗してあっさりと勝鞍を上げた。

リューセーは二日目のOneMile4分の3で七頭を寄せ付けずに圧勝して仲間に多くの利益を与えた。

オレンジの子達はこの年すべての参加馬が勝利したし牧場の馬たちもよく走って仲間たちは懐を暖かくしたのだった。


グレゴリオ暦11月4日号のウィクリーメイル紙に9月30日の月曜日に居留地の公園予定地内クリケットグランドで居留地外国人対コロラド号乗組員の野球試合が開催されたことが報じられた。
4イニングの試合は12対4の大差でコロラド号チームの勝利と報じられている。
太平洋飛脚船社のコロラド号は一時アメリカ軍に属して朝鮮への侵攻に参加した船でこの試合の後また定期航海の旅客を運ぶためにサンフランシスコへ向かった。

上野景範は運上所事務総裁に就任して横浜での仕事に精力的に働き出した、陸奥と協力して港湾整備、密貿易の根絶を目指しているのだ。

種紙の詐欺で逃亡していたプロシャの商人サイドがシンガポールで逮捕拘留されて商品が確保されたとの連絡が横浜に入ってきて品物が戻ることで安堵感が広がり関係者に笑顔が戻った。

オスカル・コロー氏とE・ザッペ氏が握手する絵が新聞に載り両国の協調に居留民の安堵が広がった。

横浜と神奈川の関門は完全に廃止されて番兵が置かれることもなくなった。
神奈川砲台の任務からは県のポリスが移動して後には元の金澤藩兵が配置された。 

先月9月23日鉄道建築師長モレルが病没した、発表は肺疾のためとされたが、葬儀を待たずに24日には献身的に看病に努めた奥さんのお梅さんが亡くなり悲しみが倍加された。

横浜と神奈川の間での試験運転も順調で六郷も橋が完成し八山の切通しも完成して品川駅の完成が目の前での悲しい葬儀に「せめて試験走行で品川から六郷を渡らせるところを見せたかった」と関係者は涙ながらに山手の墓地での二人の埋葬に立ち会い、人達は二人の在りし日のことなどを語り合った。

神戸の太四郎から来た定時連絡にはオルトとともに神戸へ移ったグリーン夫人は早速ホテルの開業にこぎつけたそうだ。

太田村は町家が増えて地区を改正して日ノ出・三春・英・初音・霞・清水・児玉の七ケ町とされた、横浜はさらに発展しているが犯罪も増えて県兵からポリスと呼び名が変わっても仕事は忙しくなるばかりだ。

その中に不思議な死に方をした者がいた。

今年に入って虚無僧の僧籍剥奪(普化宗廃止)が出された後も野毛に昔から庵を開いて尺八を吹いて街中を歩いていた老人が天蓋をかぶらぬ姿で石川村のはずれで行き倒れていた。

いつも野毛を出て太田町から石川村へそして元町から野毛に向かうときは鈴慕という曲を必ず吹き続けているので有名だった。

その鈴慕にもいくつかあってその日によって曲調が違うことに気がついた人が大勢いたようだ。

検視帰りに野毛の横浜物産会社へ寄ってお茶を呼ばれながら「普段のは鈴慕だ」と長十手の重四郎はケンゾーに教えてくれたが、そのほかの曲についてはよく知らぬようだったが伝次郎は「雨の日のは長崎でよく聞く調べです」と重四郎に話した。

「ではそれが筑紫鈴慕という曲であろうか」

「名は知りませんが私の故郷や長崎を回る人達は皆この曲は吹いておりましたし、中には日替わりでいろいろ聞かせる人や毎日同じものしか吹かぬ人がおられました」

寅吉が「あの老人は天気しだいで曲が違うので家の中にいてもその日の天気がわかるというものもいたぜ。それにしても天蓋はどこへ行ったのかな」

どうやら晴れの日、曇りの日、雨の日と曲が違うようだ。

話を聞いていた橋本さんが「あの老人は庵ではいろいろな曲を吹いており相当尺八の腕はあるようでしたな。ただ弟子というのはあまりおらないようで訪れる人はほとんどいないようでしたな」

其処へ遺体を浄光寺へ預けてきた伝助がやって来た。

新しい寺だが藤沢の時宗総本山遊行寺からの分院道場で山号も藤沢山と本山と同じだ。

伝助は寺の由来など一くさり聞かせて「まだ本堂もできていない新しい寺ですがね坊さんとは顔なじみなので仮通夜だけでもと預かっていただきやした」と重四郎に報告した。

「何だ旦那方は俺が所を連絡所にしなさったか」

寅吉は伝次郎と顔を見合わせて笑いながら尋ねた。

「そうさ、旦那の会社がちょうど梵論師の住まいの近くだしな、惣治と富治が手伝いのばあさんに聞き込みの帰りに待ち合わせにもちょうどいいのさ」

重四郎も笑いながら答えた。

「阿部様はじめ行き倒れでは事件性もなさそうだと俺たちに任せたが俺は死に方に疑問があるのさ」

「それは」

「そうだ、さっき旦那が言ったとおり天蓋笠さ、いつもかぶって出歩いているのに今日だけかぶっていないのはおかしなことさ。惣治たちが帰ってくれば家に残されているかも判るだろう」

「家にあるとすればなおさらおかしいな。それと見つけた時間からするといつもより早い時間に家を出ないとおかしなことだな」

「そうだそれさ。おかしなことは死んだ時間だがどう見ても見つけた二刻は前のように思える」

「おいおい旦那それじゃ見つけたのが七字と聞いたが死んだのは真夜中かい」

「そうだな、三字から四字、夜明け前にあの爺さんが出歩くなど見たこと聞いたことがないそうだ」

笹岡やケンゾーにも「聞き込んだことなどありましたら連絡をお願いしますぜ」重四郎は顔なじみの面々も利用するつもりのようだ。

「長次と玉吉は石川村から野毛あたりで朝早い商売の連中の聞き込みに回らせていますが、ワッチが小当たりに聞いたところじゃあの爺さんは夜明け前に出歩くことは無いそうで、明け六つの鐘で野毛を出て九つごろに庵に戻ってくるそうです。その後は家で本を読んでいるか人が来ると尺八の稽古などしていたようで、大雨とかが降らない限り一年中同じ日課だったようですぜ」

伝助はそこらあたりまでは聞き込んできたようだ。


梵論師の老人の死から10日が過ぎたが死因も、なぜ石川村で倒れていたかもわからなかったが、弟子という県庁雇い仏蘭西通訳の川内という中年の男が葬儀を引き受けてくれた。

「天涯孤独ということで生まれが江戸ということ以外はお名前が和田棟吾ということしかわかりません」ということだ。

陸奥が大いに気に入っていた木挽町の小龍がお容の誘いで五人の朋輩たちと横浜へ出てきた。

昨晩は富貴楼へ客として上がり昨年知り合った横浜芸者たちと一晩を楽しく遊んで今日は居留地から山手を巡り歩いた。

そろってハンナの家でMJBの接待で紅茶とドーナツから始まりビールをご馳走になりながらHigh teaとしゃれ込んだ。

小龍は陸奥が自分の馬車に乗せて紅葉坂の官舎へ日が暮れてから連れて行った。

「まぁよくおいでくださいました」

夫人の蓮子は三歳の広吉と生まれたばかりの潤吉ともども玄関先まで出迎えてくれた。

「坂本先生と同じ龍の字を持つ小龍という芸者でお前とよく似たしっかりした娘だ」そう夫人には話していて今晩連れて来ると連絡をしておいたのだ。

広吉はすっかり小龍が気に入ってそばを放れようとせず座敷でも父親にもう寝なさいといわれても部屋へ行くのを渋っていた。

「八字までと言わずに今晩はとまってゆかれればよいのに」

夫人が勧めても「今晩はハンナさんの案内でバンドや居留地の夜景を馬車で巡り歩く約束なのです。残念ですが外人さんたちとの約束を破るわけにも参りません」

「そう、仕方ないわね。それでどこまで送ればいいの。馬車の仕度をしますよ」

「いえ、奥様ここまでヘクトさんが迎えに来てくださいます。野毛の虎屋様に朋輩が仕度を直しに戻ってその間にあちきを迎えに来てくれるのでございます」

陸奥は夫人に小龍を紹介すればもう用は済んだとばかりに風呂に入って居候を決め込んでいた大江を相手に晩酌を始めていた。

「亮子さん馬車で夜景を見学とは豪儀だ。まだ石油ランプの明かりだが来年にはガス灯になるからそのときにはまたいらっしゃい」

「大江様は横浜へは鉄道寮のお仕事ですか」

「鉄道寮の仕事はすべて引継ぎが終わって陸奥さんに引き抜かれた形で神奈川県の役人さ。しかも七等出仕のままの横滑りだ」

「まあそういうな。次期に小参事、すぐに参事に引き上げるからそうすれば大参事、其処までは俺の力で何とかできるから作太郎ともども横浜の発展に力を貸してくれ。此処だけは長州のわがままが通らないように力を貸してくれ」

「そうは言っても伊藤さんや井上勝さんの鉄道寮は他の者が手を出せませんよ」

「あそこは大丈夫だ。近畿は佐藤先生が抑えているし伊藤さんと井上さんはコタさんのお墨付きだ」

「陸奥さんは寅吉をだいぶ買っているようだが勝先生といえども今の政府にはそれほどの力が無いでしょう」

「それをいえば仕方ないことだがせめてこの横浜を長州とお公家様連中の思い通りにさせないだけの力はあるさ」

「しかし広沢参議の暗殺には参りましたな。半年以上たつのにあの犯人はどうしても見つかりませんか」

「大きな声ではいえないが前年の木戸先生が襲われた事件と関連があるらしいぜ。伊藤さんがコタさんにそれとなく匂わせていたぜ。君も身辺に隠密が着かないか注意しながら政府のお偉方と付き合いなよ。副島はいいがあまり深く付き合うなよ。せっかく小龍がいるんだ少し難しい話はやめて町のうわさでも話そうぜ」

陸奥はそういって「まだ七字だ小龍の迎えが来るまで一字間はある。広吉もそれまではここにいてもいいよ」

広吉はそれを聞くとうれしそうに小龍の傍で寝そべった。

「それはそうと小龍のことを亮子といっていたが大江はいつの間にそんなことを聞きだした」

「あ、いけね。口が滑ったかこの間吟香と一緒に遊んだときに聞き出したんですよ。前は小兼と言う名で出ていてこかねでは金が小さい、儲けが少ないとお客に言われて待合の女将の昔の源氏名をその場で貰ったことなどね」

「驚いたやつだなその調子では手でももう握ったか」

「いやそいつはどうも吟香と二人で娼妓解放のことを大声で話して顰蹙を買いました」

「何だ芸者遊びをしながら開放だなぞあきれたやつだ」

夫人も小龍も口をそろえて笑い出すとよくわからない広吉までもが立ち上がってワハハと笑い出した。

その様子を楽しそうに見ていた陸奥は「しかしお前さん。芸者、遊女もなあ好きでなったとは言わんが開放されても食べていく道がないぞ。そのことも考えて行動してくれよ」

「判っています、そのことで吟香も私も行き詰っているのです。ところで佐賀は付き合うにはいけませんか。副島様は岩倉卿が外遊に出た後の外務卿になるそうですが」

「それがなぁ、コタさんの情報だと大隈、副島、江藤の佐賀藩の例の梁山泊関係者は先走りしすぎるからな。伊藤さんと井上さんはもうじきあの連中と袂を分かつだろうということだ。そうすると外遊組みと佐賀の上に乗っけられた西郷先生が危ないというのだ、長州では前原さんあたりが狙われそうだ」

「誰が狙うのですか」

「おっとまた話が物騒になってしまった続きはまた明日、明日だ」

小龍が流行の都都逸から野毛の山を陽気に歌い、大江におだてられた広吉もそれに合わせて行進して蓮子を笑わせた。

MJBが御者台ですましているのを陸奥が見つけたがハンナが「さぁさぁ、皆様お待ちかねよ。知事閣下では小龍さんはお預かりいたしますね」

「預けたからには返しに来いよ」

「いえ口が滑りました。お返し頂きましたと言うつもりでした」

「そうかでは仕方ない。お返ししたぞ」

軽口を聞いても御者台のMJBは済まして馬に鞭を軽く振って馬車を進ませた。

そのころケンゾーと重四郎は喜重郎に呼ばれ伝助を伴って元駒形町三丁目、今は相生町三丁目の丸高屋へ出向いた。

寅吉も来ていて人がそろうと喜重郎が「実は佐々木様から直接言われたのだがあの梵論師佐々木様の手のものだそうだ」

「えっ」と皆が驚きの声を上げた「あの老人は板垣様が土佐の殿様から直々におおせつかって長州の内情を探らせるために横浜へ常駐させていたということだそうだ。最近の情報では広沢参議の暗殺犯の一人と接触できそうだと連絡が来た直後だそうだ、斉藤様も横浜のポリスの斉藤様を通じて同じような手ごたえを感じていたようだ」

「しかし佐々木様は司法大輔ですがおおっぴらには捜査出来ませんかね」

ケンゾーは疑問に思って聞いてみずにはいられなかった。

佐々木は廃藩置県の際の配置換えで参議から司法の責任者となっていた、参議は木戸孝允、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助の四人のみだ。

「広沢様の事は例の浮気性の妾が何かを知っているだろうと腹の子が出てくるまで兵部で抑えているそうで近頃子供が生まれて追求が激しいそうだ」

「しかし何か知っているなら隠す必要があると考えているのでしょうか。陸奥知事のところへ居候している鉄道寮の大江さんは仲間内のいさかいで長州内部の揉め事かなと話していましたよ」

「ケンゾーさんそいつはないと思うぜ。広沢様といえば木戸参議の代理のような参議だったわけだろ、今長州では木戸先生に反対する勢力いないのじゃないのかな」

「ほらあの奇兵隊騒動のしこりではないでしょうかね。愛宕通旭様はあのころ東京にいたのではないのでしょうか。首謀者と目された大楽はその後久留米で暗殺されましたが彼らだけで軍の後押しもなくそのようなことを図るなどあきれたばか者としか言いようがありません」

「ケンゾーそいつは後ろで操って中川宮が動くだろうと糸を引いたものがいたはずだ。例の山城屋の金がすべて投機で損失を出したなどありえないと最近思えだしたぜ」

「やはり狂の字の仕業ですかい」

伝助もやはりそのあたりが山城屋と組んでの仕業かと思い出したようだ。

「参ったないまだ尊皇攘夷で異人達を追い払おうと考える人がいるのかね」

「重四郎の旦那ありえる話だ。あのときの長州は尊皇攘夷の親玉だいくら下関で外国の軍隊に負けて、装備だけでも外国に負けぬようにしようといっても先生の大村と違い狂の字は異国への留学から帰っても日本の精神はあいつらとは違うと、精神論で薩摩の若い者たちを煙にまいているようだ」

「精神論で言ったら薩摩の人達のほうが本場者でしょう」

「そうさ、でも薩摩の人達は精神論だけでは人は動けない動かすものとして金が必要なものには金、武器が必要なものには武器、教育が必要なものには教育と、それぞれの特徴と必要なものを分けている。しかし狂の字の精神論に影響されて西郷先生を担ぎ出せば何事も動くと思い込むものも出てきそうだ」

少し話が先へ進むようだが集まった五人は各自情報をそれぞれの伝で集めて見ることに落ち着いた。



伊勢山下に建築中の高島の学校がようやく完成が近付いてジョン・バラ師やスイス人のカドリー氏、日本人では慶応義塾から福沢門下の荘田平五郎・小幡甚三郎・三沢恭哉などが教授に就任することと旧暦12月吉日の開校が発表されて生徒の募集が始まった。

高島は箱館との定期航路をようやく軌道に乗せて今月はじめより月一回の往復を仙台経由で始め八面六臂の大活躍だ。

ようやく半月から膨らみ始めた月明かりの中インターナショナルホテルの庭のクリスマスの飾り付けを見に来る人が大勢いた。

今日は冬至でグレゴリオ暦の22日ボナの給仕するディナーとクリスマスのためのケーキが評判だ。

此処へ高島嘉右衛門が黒田の開拓史の留学生の女の子たちを招待した。

女の子たちが高島だけでは気詰まりだろうと支配人の竹蔵と相談して隣からソフィアを呼んで子供たちの相手をしてもらった。

一番の年上の子は上田悌16歳、年若は津田梅子の8歳だ満年齢で言えば後10日すれば7歳こんな小さな娘がと高島は自分が選定に一役買った留学生に期待とともに哀れさや切なさを感じた。

付き添いに頼んだデ・ロング夫人に昼間の岩倉使節団の送別会でくれぐれも子供たちのことを頼んで贈り物にも気を配った。

吉益阿亮は15歳、山川捨松はようやく12歳、永井繁は9歳この五人はアメリカの家庭にHomestayして幼児からアメリカ人としての教育を受けることになっていた。

ソフィアが料理にデザートなど子供が喜びそうなものを選びChefのボナに告げると「任せておきな。とびっきりの子供が喜ぶ料理を出してあげるよ。今日のケーキはイチゴのジャムのたっぷり入った素敵なやつさ。飲み物はなんにする」

「カーチスさんが作るパンチが飲みたいわ、ワインの香りは好きだけど酔わない程度にしてくださいね」

ボナも高島と子供というので躊躇していたが顔見知りのソフィアが一緒と聞いてほっとしていたのだ。

一昨日ごろから岩倉使節団の随員、留学生たちも続々と横浜に集まりだしLocomotiveの試運転に驚きながら井上勝や土肥の説明を熱心に聞くのだった。

Steam EngineというのはSteamShipだけでなく何でも動かせるなら馬車の馬の代わりにもなるな」

そういう留学生も何人かいた。

特命全権大使に右大臣岩倉具視、副使には参議の木戸孝允、大久保利通、さらに伊藤博文、山口尚芳が選ばれ、各省の俊才も加えて使節46名随員として18名さらに女子留学生5名、男子留学生38名の107名に及んだ。

横浜で奇人として有名だった中江兆民や大久保利通が養子に出した息子の牧野伸顕、木戸の養子孝正も留学生の一員だ。

神奈川裁判所で行われた送別会で大久保と木戸そして佐々木、伊藤の四人はポリスの阿部と斉藤をそばに呼んで木戸が代表する形で「佐々木君とも相談したが君たちと横浜のMr.ケンを中心に梵論師の事件の解決に心を砕いてくれたまえ、たとえ長州に累が及ぶにしても兵部の膿が噴出しようと我輩が後の責任を引き受ける。頼んだよ」

木戸はどうやら伊藤からケンゾーのことも含めて横浜のことを詳しく知っているようだ。

「山城屋のことは我輩も気にかかってはいるが、今すぐに手をつけることができんのだ。あまりにも上の人にまで影響が出て国の根幹が揺るぐかもしれない。しかしこのままでは国が食い物にされてしまう、岩倉卿に外遊中ならばおかしな話が伝わらないので帰国までに手を打てるように下準備をしておく。そちらでも遠慮なく探索をしてほしい。司法大輔の佐々木君も随行してしまうがよろしく頼む」

大久保も二人に「わしからも頼みましたぞ。どうしても困ったことがおきたら西郷さんにはそれとなく伝えておいたから困ったときは駆け込んでくれ」

三人は陸奥の呼びかけに応じて場を去ったが伊藤が「阿部さん、斉藤さん。頼みましたよ狂助の独断専行をとめなければ日本が危ない。いやこれは大げさではなくあいつは西郷先生でも罠にかけてでも自分の意見を通すことなどなんでもないことのように行う危険がある。今われわれがすぐに手を打てないのは木戸先生が貴重な兵制改革の人材の少なさから狂助でも大切な持ち駒としているからなのだ。彼を今失うことは10年は兵制制度の改革が遅れてしまう。広沢様がなくなった今これからの日本を考えると多少の瑕疵は西郷先生ならずとも目をつぶらざるを得ないのだ。貴方方が頼みなのだ。よろしく頼む」

伊藤も送別の宴席に戻ると阿部と斉藤はポリスの詰め所に戻り張り番を置いて今の話を二人でこれからの方策を交えて話し合った。

ケンゾーはその晩使節団の船出の様子を見物に来た魯文と芳幾そして広重の三人とともに境町の家にいた。

「なあケンゾーさん魯文さんは横浜毎日新聞で働かないかと誘われてその気になったようだが東京に日刊新聞が無いのも恥かしい話だ。私の知り合いに戯作者の山々亭有人というお人がいて貸本屋の辻伝右衛門とともに会社を興そうとしているが資金が集まらないので困っている。横浜で出資者が募れないだろうか」

「新聞は今までの読売と違って毎日出すとなると記事を集めるのも大変ですがそのあてはありますか」

「まぁ行きがかりじょう俺も参加するが問題は印刷機だ」

「そうか、吟香さんも其れらしき事を言っていたが印刷機は俺のほうで手配してその分を資本参加させてもらってもいいよ。しかしその印刷機を動かす人間はそちらで探してくれなければ困る。機械は来年二月までに入れておこう。しかし半年たってもめどが立たなければ八月には売り払うことにする約束でそちらもそのつもりで人と金を集めてください」

「参ったな、ケンゾーさんは男気があるということは判ってはいたが、その様なことを即決で決めてくれるほど大きな人とは知らないで付き合ってた俺たちは人を見る目が無いな」

「何を言うのです。あなた方は人を見る目も確かだし寅吉旦那があなた方を紹介したときから力になってやれといわれたそのことが今現実になっただけですよ。それに私自身も横浜はともかく東京で新聞が出せないかと考えていたし正太郎君を通じて吟香さんが浅草での店だけでは体が暇だというので新聞をまた出そうかという話も聞いていたからですよ」

「そうでしたか、経験豊富な吟香さんも参加してくだされば横浜に負けないよいものが出せるでしょう」

魯文は「俺は残念ながら前の知事の井関様に頼まれて横浜で働くことを承知したが俺が無理でも弟子筋のものには協力させるから是非がんばってくれ」

来年は鉄道の開通や大阪と東京を結ぶ電信も整備できて政府の布告や全国の記事が載せられれば購読者の拡大は間違いないと広重や魯文もその隆盛を請合った。

グランドホテルは予約客の最後の客が到着して新年早々には閉店と決まったので取り壊しの時期についての相談が行われた。

「ベアトさんアメリカからの人間の確保ができましたよ」

「そうかプリュインさんも最近連絡がないので不安だったんだ」

「プリュインさんもですがほら前に会津まで出向いてくれたボブが探し出してくれました。プリュインさんはバーテンの候補を試験した上で選び出したことも書いてありました。来年2月には日本へ出発させるというので旅費と先払い分の給与を出していただけますか」

「いいとも日本に来る前にたっぷりと遊んでこれるように三か月分を支払おう。これは役員が承知してくれればだがね」

反対者はなく日本に来てしっかり働いてくれるだろうとプリュインたちの人を見る目を信頼してのことだ。

地蔵坂下で古屋徳兵衛が石川町に鶴屋呉服店を開いた、この店は甲斐の国の出の徳兵衛が石川村の牛山家のとみという娘と所帯を持った後、自宅脇で布切れ端切れなどを扱わせていたが最近売れ行きも順調なので店を広げ徳兵衛も行商をやめて店に専念することにしたのだ。

植木場の光吉の神さんにとらやの神さん連もこの店の常連だ。

とみが乳飲み子を抱えて店に出ると漁師のかみさん、お茶場で働きかえりがけの女たちは子供をあやしながら物を買わずにはいられないのだった。

徳兵衛は甲斐から親族も呼び寄せて仕入れに走り回るほど店開きから十日あまりでこの店が大当たりだと予感させるほどであった。

店の柱には徳兵衛の字で子に伏し、寅に起きること、糸、ふきん、小切れの客は別段大切に早く取扱うべしと張り出されていてそのことはその言葉のままに実践されていた。

本町通59番館のドイツ商ワーゲン商会がはじめてチボリ麦酒・ストック麦酒などを輸入したが横浜産のビールの売れ行きは順調でコープランドは東京への本格的な売込みを考えていた。

外国にも海苔が売れるということが判り、川崎大師河原の漁師たちによって浅草海苔の人工養殖が行われだした。

横浜製鉄所は雇フランス人の首長ダルビェーおよび医師セループの尽力で機械の製作が順調であった。

横浜製鉄所本所詰の役人は製作中属山口成一郎同少属鶴太十郎、製作中師伊東栄之助、同少師上条八郎、製作少手谷口安太郎の5人が職工たちを指導して日本に技術が定着するように仕事に励んでいた。

明けて12日の朝アメリカ号へ乗り込む人達の見送りは人が多すぎて大変な騒ぎだった。

勝は昨晩から野毛の寅吉のところへ何人かと泊まりこんで見送りに来ていたが「なぁコタよ昨晩俺が富貴楼へ一人で上がったが見送りのお偉方で混雑していて布団部屋のような六畳に押し込まれてあてがいのようなお膳に酒が出されたきりで仲居も寄り付かぬ有様だったぜ」

「それは往生いたしましたね。あの見送りの人に使節団の人達では横浜の有名料亭はどこも満員だったようです」

「そうらしいな。お倉め一度顔を出したので、繁盛でよいなといった後をひっさらって今日は三条様のお座敷、伊藤様のお座敷など政府のおえらいさまで大盛況でございます。旦那様もご挨拶に出られますかなどどうやら見破られたようなので早々に退散したよ」

「ハハ、お倉め先生の顔写真でも持っているのでしょう。蓮杖さんに頼んでその様な重要人物の写真に似顔絵など普段に眺めてはうっかり名前を言わないように気を配っているそうです」

「何だ名前を言うのではなくいわないように気を置いているのか。面白いやつだな」

寅吉は勝にケンゾーと正太郎をあわせるために呼び出して山手の家に馬車で向かった。

ケンゾーは芳幾たちを珠街閣へ置いて正太郎とともに地蔵坂を上がって寅吉の家に向かった。

「先生、旦那の先生の勝様は何の用事でしょうね」

「もしかすると正太郎の留学のことかな」

「まさか先生からかわないでくださいよ。勝大先生と留学なぞ話が結びつきません」

「そうでもないぜ。先生のご嫡男の小鹿様や富田先生に高木先生はニューアークで学んでいるはずだ。正太郎はアメリカとイギリスではどちらがいいのだ」

「私は孤児の家の経験から一度はフランスで勉強したいと考えていました。お二人のマドモアゼルの故郷へも訪れたいと考えています」

「そうかそれもいいかもしれないな。留学のことなら俺も一肌脱ぐから旦那がその話しをしたら遠慮なくフランスのことを話すのだよ」

「先生ありがとうございます。でも旦那がここにしろといわれればそれに従おうと思うのですが」

「何遠慮することなどないさ。旦那もそのくらいのことはわがままだなぞといわないさ」

二人で坂を上り本通りに出て右へ曲がれば少し下がったところが寅吉の家だ、本当は居留地に指定されていて220番のガワーさん219番のスイフトさんの家として登録された地所だ、それぞれ三分の一に家を建てて残りが洋式庭園と日本庭園になっていた。

「何庭園とは大げさだ、ただの裏庭さ」寅吉はそういうがガワーさんたちも客に自慢するほど手入れが行き届いていた。

二人が波奈さんの案内で洋間へ行くと暖炉とストーブで暑い位だったが勝先生が「足元が寒いから早くドアを閉めろよ」と正太郎にいいながら足を暖炉のほうへ差しだした。

思わず正太郎がくすりと笑うと勝は「ほう正太郎はこんなことが可笑しいかい。コタは寒がりだが弟子のようなお前は寒くないのか」

「旦那の寒がりはお店でも有名ですが大先生まで寒がりとは知りませんでしたのでつい笑いました。お許しください」

「別にいいんだよ。俺はコタと違って冬でも厚着ができないたちだ。夏など裸で過ごしたいくらいで宮仕えはいやなこった」

「先生だめですぜ、東京で先生を呼び出すので窮屈でいやだでは家達さまがお困りでしょう」

「何上様はまだご幼少だ困りなぞしないよ。困るのは三条様や岩倉卿で俺の知ったこっちゃない。正太郎さっき寒いからといったのはコタのためさ、俺が足を火にかざしたのはさっき水をこぼした足袋を脱ぐのがめんどうだからそのまま乾かしたのさ」

本当かうそかわからぬ軽口を勝がたたいてくれ正太郎とケンゾーは気が安らいだ。

「今日二人に来てもらったのは正太郎の留学のことだ。正太郎に簿記や会計の仕事を覚えさせるのは人材の無駄だと勝先生の意見だ。ケンゾーはどう思う」

「旦那、実は私もそれを考えておりました。簿記会計の実務は今アメリカでそれを学んでおられる富田先生が帰国されればそれを学ぶことも出来ますし、さらに向こうから学校を開く意思のある方を招聘しても済みます。正太郎にはもっと大きなことを考える商人になって貰いたいと考えます」

「やはりそうか。コタも正太郎は政治家や先生よりも商売人として世の中の役に立ちたいと考えているというが本当にそうなのかい。自分の気持ちを正直に言いな」

「はい大先生その通りです。かねがね吉田先生にもお話していますが商売人として金を儲けその金で日本の教育に取り組む人達の援助がしたいと考えています」

「それで留学するとしてどこがよいのか考えたことがあるのかね」

「私は今斜陽の国といわれていますがフランスを希望しております。あの国の人達は芸術性や物事の本質を突き詰めて考えることができます。そして少ない横浜でのフランスの人達とのお付き合いで他の国の人が持ち得ないほどの豊かな人間性を感じました」

「ほお、よく観察しているな。アメリカ人はどうだ」

「あの国はまだまだ移民の人が多くメイフラワーの子孫という人達の過剰な自意識とバイキング特有の攻撃性が強く感じられました。そのせいかまだ国の特徴を言葉で言い表せない替わりにこれからの大きな発展が見込まれます」

「すごい観察眼だ。コタの千里眼も同じようにアメリカの将来性を俺に教えてくれたよ。確かにオランダや、フランスはドイツ、イギリス、アメリカに比べ大きく遅れをとるかもしれんが人間性の豊かさはイタリア、スペイン、オーストリア、ポルトガルなどの比ではないだろう。オランダ、ベルギーの商人の駆け引きに比べフランス商人は誠意を持って答えようとする。よい選択かもしれんな」

勝はさらに各国の将来性や人間性などについても正太郎に話して「フランスかこの少年の感性を磨くには最適かも知れんな」

「はいよいことだと思います。パリには鮫島様も赴任しており何かにつけてもよいかと思います。それとフランス人はこれをしたからお前もこれこれをして呉などオランダ商人の様な押し付けがましさがありません」

「まぁそんなにいうなよ。俺の先生の多くはオランダ人だぜ」

「これは失礼しました」

「いやいいさ、いいのさ。オランダ人ばかりでなく各国さまざまな人がいてよい人にめぐり合うかはそいつの運しだいだ。それでいつごろには留学に出かけられる」

「旦那、勝先生。正太郎にはいつなりと日本を後に留学できる用意があります。裁判所に書類を出せば今なら二十日後には出発できるでしょう」

「コタよ旅程はどうする。香港、スエズ経由にするかい」

「いえ、出来れば行きは太平洋航路でアメリカ横断の鉄道が本人も希望でしょう」

「そうなのかい」

「はい、かねてからアメリカの横断鉄道は写真や記事も見ていつかは乗りたいと考えておりました。旦那様が許してくださるならばぜひその行程でニューヨークまで回りたいと思います」

「よし今日のアメリカ号が今度戻ってきたらその便でサンフランシスコまでそれと大陸横断鉄道でのニューヨークとそこからロンドンそしてカレーからパリへ入る。コタよ大体そんなところかい」

「そうですね。サンフランシスコに三日、ニューヨークには船の便もあるでしょうから最低七日は滞在できるように日程を組みましょう」

あっという間に二月先に正太郎がフランスへ留学することが決まった。

 
 横浜幻想 ー 安愚楽鍋 了 2008 02 16
   

だいぶ安愚楽鍋編は長引きましたが正太郎はフランスへの留学が決まりました。
奇兵隊の事件の解決はまだ続きがありその場はパリでの新たな展開があります。
 阿井一矢

幻想明治 第一部 
其の一 洋館

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
   横浜真景一覧図絵
明治2471891
 


カズパパの測定日記