酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第三部-1 明烏      

明烏・森田町・増上寺・桜餅・三社祭・今川橋・川開き・鳥越明神

 根岸和津矢(阿井一矢)

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・ 明烏

寒風が吹き荒ぶ中、柳橋を渡りかつ弥は米沢町に向かっていた。

箱弥の源司が後ろから「ねえさん、寒かぁねえかよ」

「大丈夫サァ、しかしこんな日に広小路に人はいめえと思ったが、そうでもないんだねぇ」

「さようですねぇ、小屋の呼び込みも寒そうでござんすよ」

見世物小屋も冬枯れで、盛り場といっても日暮れ時に近いこの時間は閑古鳥が鳴きそうでございます。

両国橋を寒そうに渡る人を見ながら米沢町に入り、舟源さんの所についた時には日も暮れかかり、明かりが目立つようになっていました。

相仕のおさとさんが先に着いていて「まだ誰も来ちゃいないよ、さみいねぇ」と声をかけてくれます。

箱やの二人が「ねえさん、五つ半にお迎えに参上いたします」

「そんなに長いお座敷かい」

「そうきいておりやすよ」でふたりの箱やがかえります。

「どうでも、新しく仕込んだ新内であたしたちを扱いてやると旦那が言うからにゃ、簡単に返しちやくれめえさぁ」さとの贔屓の旦那で蔵前の若狭屋の若旦那の与之助さんの、お座敷です。

舟源のおかみが、お座敷で待つように言われているというので、二階に上がり三味の調子を合わせます。

紅木材に胴は花林(綾杉彫)で仕上げ、皮は両四ツという極上物の三味を大事そうにお里が糸を張り音色を調べます。

「いつもながらおさと姐さんのはよい音色だよぅ」

「かつ弥だってその三味で出す音色は天下一品だよ、あたいのは旦那がくだすった物だからしながよいだけで腕じゃねえよ」

「そんでも、そんな大層なものを弾きこなせるのはおさと姐さんだけさ」

そんなやり取りをしながら糸の調子を整えていると、外から聞こえる二上がり新内。 

♪ 二上り新内(端唄)

 悪止めせずとも  そこを離せ  明日の月日が無いじゃなし

 止めるそなたの心より  帰るこの身は

 エー  まーどんなに辛かろう

 来るとそのまま喧嘩して  背中合わせの泣寝入り

  「火の用心  さしゃりあしょう」鉄棒(かなぼ)の音に目を覚まし

  人の知らない  エー  ま  仲直りすりゃー  明けの鐘

三味線の本手と上調子は舟源に近づいて唄も明烏。  

♪  傾城に誠なしとは わけ知らぬ 野暮の口から いきすぎの
たとえこの身は 淡雪と 

共に消ゆるも いとわぬが
この世の名残に 今一度 逢いたい見たいと しゃくり上げ・・・

窓を開けてみれば、二挺三味線の二人連れで、弾きながら流して歩いてきたのは、男は吉原冠り(よしわらかむり)、女は吹き流し姿がこいきに決まりといいたいが、三升格子の袷姿も少し寒げに門口にたち、舟源の中に入ってきます。

「いやぁ外がさみいのにゃまいったまいった」あがって来てみれば若旦那とおさとさんとおなじ松葉屋のおすみ姐さん。

「こんなに寒くなるなら最初から座敷でやりゃよかった」という若旦那。

それでも皆が煽てては褒めるのでご機嫌な様子。

三味の調子にも口を出しながらの通人ぶり、それでも大事なお客様と若旦那に合わせてさまざまに座を取り持ち、五つ半まであっという間にすぎて箱やの迎えに席をたちます。


 

・ 森田町

卯三郎さんが引っ越しました、同じ浅草でも森田町、淀屋さんの持ち家です。

ここを直して五間間口の奥行き六間広い店で、国から呼んだ手代、使用人と共に諸国物産、海外物産を扱う店を開きました。

開店の引き札も出来、広目やをつかい江戸中に散らしまきました。

当日は胡蝶太夫が見世の前で手褄を見せ、一座の若い娘が呼び込みをするという派手な開店でした。

この日のいでたちは、背に菜の花の肩衣、黒の大振り袖、下に緋の袴、上は桃割れにして紅い大櫛、髪飾りはこの間虎太郎が作らせた牡丹の白い大輪が花開きその下がりには小さな異国の紅いバラの花の二本差し。

白い幕が張られた小さな舞台の上でさまざまな芸を見せ、上から垂れ幕が下がったと見る間に「ハーィ」との掛け声で幕が上がれば其処には紅い肩衣に、浅黄の小袖に黒い袴に早代わり、髪は割り鹿の子はし一の黒鼈甲をさして、前ざしのぴらぴら簪は粋に桜がちらほらとゆれます。

扇子を扇げば花吹雪が舞い散じいつの間にか垂れ幕が下がればまたも長く声がはって「ハーイィッ」と垂れ幕が上がれば先ほどの胡蝶太夫が胡蝶の舞を披露。

台から下がればすかさず一座の若い衆が台組みを片付け後を見ても、換えた衣装すら見えず見物していた方々も二度三度と歓声と拍手の嵐の中、「どちら様も本日は穂積屋の開店披露においで頂きありがとうござりまする、本日お招きにより紫胡蝶が店主に成り代わり御礼申し上げ奉りまする」挨拶が終わり本日の余興が終了いたしました。

その頃たあさんに虎太郎はお春と一緒に鳥越明神境内の茶屋で甘酒と団子を食べて一休みしています。

肩衣と袴は脱いで、鯨帯で前垂れをつけてその辺の娘風でも髪は先ほどのままの割り鹿の子のはし一の黒鼈甲、簪ははずして虎太郎に返しますが「いいってことよ取っておきねぇよ」と「ほんとにもらっていいかよ、こりゃ新座の誂えだろうに」

「このじゅう、横浜に牡丹が50とその桜が50注文が決まって50両は堅い商売が出来たお礼だぁな」

「そんなら遠慮なく頂いとくよ」

「アアそうしねえな」虎太郎は大様に言ってこの間の横浜を思い出すのだった。

 

最近雇った伝次郎に荷を担がせ、お春ちゃんに髪飾りを実際にさしたときの見本を見せるための同行してもらい、横浜を見物との理由で出てきたたあさんも来、丸高屋さんからは横浜に足がかりを築くためのお春お夏の兄の紀重郎さんと人夫小頭の小平、半次がついての一行総勢7人で賑やかに東海道を上りました。

その日は川崎の宿で泊まり明日の打ち合わせも済んでぐっすりと寝ます。

青木町の会所には虎太郎はなんども顔をだして顔なじみ「毎度お世話になります、本日はこの間御願いいたしました輸出用の見本と、人足の斡旋の丸高屋さんの人が下見においでのご案内をしてまいりました」

「ご苦労さんだね、虎屋さんこの間のは評判がいいそうだね、あの見本はうちの娘が大層喜んでね、これからも商売に励みなされ」会所の役人も丁寧に丸高屋さんに応対されて波止場から渡船に乗って無事に居留地に到着、かねてより虎太郎なじみのスミス商会でお春ちゃんに挿して見せれば若い娘の威力は絶大であまり値切られることもなく、今回も100本の簪が商売になりました。

期日は20日後、牡丹が2両2朱で50本、桜は1両2分三朱で50本違約は双方20両という約束、期日に遅れれば1日五両というきついものですが〆て200両の取引、船の便の関係でその日から五日後には舟が出てしまいます。

虎太郎の手元にはすでに品物がありますがそれは知らぬ振りの伝次郎と虎太郎。

紀重郎さんを此方の顔役に紹介して顔つなぎも済み、馬車であちこちと見物をさせてもらいパン屋に寄って何点か買い求めます。

帰りがけにフランスのゴーン商会によってまた見本を見せましたが此方はやすい物がほしいというので知り合いの髪飾りを扱う島田やさんを紹介する約束をいたしました。

丸高屋の三人は横浜に居残ってしばらくは此方で交渉することになり、虎太郎が斡旋した通訳も決まり関内から外に出て今夜は神奈川に止まり明日早朝に江戸に向かう算段。

「コタさん妹をよろしく頼むぜ」

「お任せください」と請け合えば「何がおまかせだぁ、手も出せねえ癖に」この間からどうも虎太郎に気があるそぶりのお春ちゃんがそういえば兄さんは「コタさんは女が嫌いで、お春は男嫌い、ちょうど言い取り合わせだぁな」

「何が女嫌いだ、あんなに女に囲まれて仕事していてよ」お春ちゃんはあくまで口が悪い。

たあさんと伝次郎は笑うばかりで道々の悪態の言いあいには参加しません。

神奈川でたあさんが思い出したように「コタさんよあの三十間堀の遠州屋ほれ肥前屋小助といったか小判の売買取引をとがめられたあいつはいまどうしているよ」

「もう三年ほどでご赦免に為りましょうよ、つるは先生の名で南の後藤様から入るようにしてありますから中でも易の勉強をしているようですよ」

「そうか、そいつが本当に役に立つ人間なら日本の為にも無事で出てきてほしいものだ、牢の中はつるがなけりゃてえへんださうじゃあねえか」

卯三郎さんが商売の先生なら遠州屋さんは商売の戒めを教えてくれるやり方の手本でした。

ジジから聞いていた高島嘉右衛門の事が得心できたのはつい最近のことなので、もう彼は牢の中でした、それでも先生の手ずるでどうにかつながりをつける事が出来ました。

伝次郎は虎太郎よりひとつ年上ですが肥前大村の生まれで目端が利き家業の陶器だけに飽き足らず次男なのをいいことに、江戸に出てきて虎太郎にめぐり会いました。

大村藩ではくらわんか茶碗などが知られていますが、唐津伊万里として海外に出たものが数多くあっても波佐見焼としては知られていないのが悔しいといいます。

青木町の会所に顔を出して宿に入り風呂の後は例の酒盛り。

神奈川の宿はいつもの羽多屋ここでアナゴにめごちのてんぷらを大量に食い「こりゃぁうまあもんじや、しばらくここにい続けたいもんだ」たあさんは酒に魚に神奈川が気に入ったようでございます。

「此方の店は地の魚と油には太白ごま油で揚げて居りますから新鮮で魚が生きて居りますよ」仲居が自慢しているので、揚げたてをどしどしと出させて4人で腹いっぱい食いのみして4人で泊まっても、お春ちゃんが渡したおひねりが効いたかわずか弐分壱朱。

今回のお春ちゃんは兄さんの顔つなぎに付いて来ての横浜見物がしたいというので、虎太郎の連れということで居留地に入れるようにしました。

「兄さんたちはどうせ岩亀楼か港崎遊郭のどこかにきまっていらあ、コタさんたちも往きゃいいのに」おはるちゃんが煽りますが虎太郎たちが笑うばかりなので「フンあたいはもう寝るから好きにしなよ」

何が気に入らないのか早々にとなりの部屋に引きこもります。

此方では布団は引いても酒に海苔と蛤の吸い物で此れからの打ち合わせ。

「ところでコタさんよ、今度はいつ品物を届けにくるよ」

「そうだなぁ、十日後じゃ早いからもう少し後にするか、十日に江戸を出てというくらいがいいかな、どうだい伝次郎よそれで」

「旦那そのくらいでようがしょう、それで島田やさんのほうにはいくらくらいのものを勧めましょうか」

「そうさな、ひとつ三分でこさえてもれえれば御の字だろうよ」

「それで利が出ますか少し無理がありますようですが」

「あちらは1両をきってくれれば買うと言うんだ、100本まとまれば三朱の利でも18両三分だぁね手間にしてはいい儲けになるだろうよ、島田屋さんが直接取引きをするなら自分で見本を持参するように話してくんな、此方は儲けより顔つなぎで次に儲けさせてもれえりゃいいさ」

「そういたします、では明日帰りがけに寄りますので六郷からは先に往かせていただきます」

「わしも勝先生にパンを届けるので先に行くから、コタさんが」ここで声を潜めて「じゃじゃ馬のお守りはコタさんが責任取りなよ」と笑いながらいいます。

明日は早立ちなので適当に酒盛りを切り上げお開きとしました。

 
・ 増上寺

「お先に往かせていただきます」

「では先に往くぞ」

二人がそういって先行したのは六郷を渡ってしばらくしてからだった、残った虎太郎とお春が品川を過ぎ高輪の大木戸を過ぎたのはまだ四つにならないうちだった。

「これなら日の暮れないうちに神田川を越せそうだ」

「コタさん疲れたよ、少しよ休もうぜ」お春が三日の旅で疲れたかそう言い出したのは増上寺が見えてからだった。

金杉あたりまではあれほど元気だったのがうそのように甘えだすのだった。

「しょうがねえ、すぐ先に座敷に上がれる茶屋があるがあそこでよければひと眠りして、午後に一気に浅草まで足を伸ばすが承知かよ」

「あい、お願いいたしやす」なぜか従順なお春に戸惑いながらも、こていな造りの門をくぐり中で交渉して一時の昼寝をするのだった。

元気になった二人は店の者のお愛想に送り出され東海道を日本橋まで急ぎます。

店を出てしばらくして腹が減ったのに気が付いて笑う二人に、道行く人が冷やかすような目で見ても、二人は気が付かぬ風情、飯屋で鯵を焼かせて昼にしました。

「あそこで飯を食って寝りゃよかったぜ」

「そんなこと気がつきもしなかったよ」

「コタさんは誰とあそこに往ったよ、それでなけりゃ知りもしめえ」

「まさか女と、じゃねえよあの近くの花岳院と安養院の坊様に頼まれて品物を納めに言ったときに招待されたのさ」

「ほんとにしておこうよ」

「何言ってやがる」

若い二人の食欲はひょんなときに起こるようです。

芝露月町から日本橋通り一丁目を過ぎた頃はまだ七つ半には時間が有り日本橋を渡って十軒店で右に折れて小傅馬町、二丁目で左に折れて岩本町を右に突き当たれば久右衛門町代地そこで左に曲がればもうすぐ新橋がかかる神田川。

「今日はよく歩いたねぇ」

「おおそうだぁ、お春ちゃんが疲れたというときにゃ今日のうちに、ご帰還とはいかねえかと思ったがよ、そんでもよく歩いたもんだ」

「ふんだ、自分だっていぎたねぇいびきをかいて寝たくせによ」

「聞いていたか、それは内緒に頼むぜ」

籠には乗らず歩きとおして柳原土手に到着。

昼前とは違い元気に歩きながら軽口も出て鳥越明神の前に着いたのが暮れ六つの鐘が鳴らないうち。

無事に家に送り届けて連雀町に帰り風呂に行って来るよと声をかけて虎屋を出ます。

辰の湯で今日の汗を流し、お春ちゃんのことを思い出しながらも商売の算段もするという虎太郎はまだ19の春でした。

 
 ・ 桜餅

墨堤の花見も例年のように人出が多く、かつ弥は今年、若旦那連のお供で出かけました。

「見ねえ、アンナに桜餅を買うに並んでいるぜ」

「しんぺえねえよもう買いに人をやってあるから茶店で一服しながら食べて後で酒でも飲もう」

与之助さんに喜之助さん、太四郎さん、庸太郎さんという蔵前の若旦那とその取り巻きの大店と言われる店の若旦那連。

酔狂なことは人に負けぬ人たちで、世の中がどうなろうと自分たちには変わりないと思っている、浮ついた人たちです。

酒はいただけ、女に目がなく、甘いものも頂くという何でもや。

若旦那連は紙子の羽織に粋に絵を描かせ、黒の袷に映えて羽織が目立ちます。

かつ弥におすみ、はつ、たか吉の4人を引き連れたいこのひっぱちに先導されての花見と来ました。

芸者連はそれぞれが打ち合わせての江戸褄の袷、桜に蝶として羽織は黒の無地、髪は島田に結って櫛は赤で揃え、簪はそれぞれの工夫という若旦那連に負けぬ粋な姿。

三囲から長命寺、川を渡って待乳山の聖天に参詣して船で桜を見ながら柳橋まで下り芸者は返してどこかにしけこもうという算段。

女たちでも「どこかに連れ込まれたり、猿若町で御放免は願いさげだぁ」

など話していたがそのようなこともなく唯奇麗どころを引き連れて、桜見物の面々をうらやましがらせてやろうという腹ずもり。

それでもかつ弥は三味を弾いて歌が歌えればお客が誰でも楽しくなれるので、このような日が有るならいつでも大歓迎。

その頃虎太郎は、東海道を品川を抜けてもう直に六郷にかかろうという頃。

今日はたあさんはいなくて伝次郎と二人で荷を背負い横浜に荷を卸に出かけてきました。

船を待つ間に伝次郎が「ねえ旦那外人たちの神さんたちは帽子をかぶるか髪は洗い髪のようなまとまりのない髪が多いでやすがその髪飾りや帽子につけて飾るようなのは工夫できませんかね」

「オオいいとこに気が付いたな、これからは日本でもそうなることになるだろうかも知れねえからいまから工夫しょうじゃねえか」

「誰にやらせましょうか、なんせ外人向けというだけで露骨にいやな顔をしやがるのまでおりやすから」

「年よりはだめだよ、若くてやる気のあるやつを探そうぜ、それとあと二人ほど近いうちに雇い入れねえと、品物を集めて回るのも容易じゃねえよ」

「心当たりがあるんですが、近いうちに連れてきてよろしいですか」

「いいともよ、おめえの目にかなうなら、後は給金の事を決めるだけだから何時でもいいぜ」

「旦那、旦那のところは働けば給金が上がる仕組みだからやる気があって仕事熱心の奴は喜んできますぜ」

「だけどよ、あまりはしっこいのはごめんだぜ、おいらはじっくりと商売をして自分にあった穴を掘る奴だけが望みだよ」

「解りました、そういうことならお任せください、先っ走りをしないものを選んでみますから話は旦那から御願いいたします」

「それでどこの国から出てきた奴だよ」

「越後生まれで、何でもおじを頼って出てきたが飯炊きの手伝いぐれいにしか扱ってくれないと嘆いていましたが辛抱強そうな奴で、今年17になる幸助というのがお勧めでやすよ」

「いまはどこに勤めてるんだ」

「三十間堀の俵屋という空き樽問屋で勤めていますが、わっちの国の者がいて小僧から今年手代に引き上げられましたが、そいつが言うには気が強くて物覚えがいいのに旦那に言っても、番頭に言っても引き上げてくれないそうです」

「オイそのお前の国のものというのはこのじゅう大国でうなぎを食ったとき来ていたやつかい」

「そうでございますよ、あいつももう17になります、永吉というやつで中々目端の利くやつでござんすよ」

「どうでぃ二人とも引き抜けるか相談してみねえよ、なんなら河嶌屋さんと淀屋さんに一度引き抜いてもらってから、此方に移るように話しを回そうじゃねえか」

「では一度会ってやってください」

「こっちは何時でもいいからどこか適当なところと時間を調節してくれよ」

舟が着いて乗り込み今日も商売に精を出します。



かつ弥の三味とすみの笛で賑やかに時間が過ぎてこの日の遠出は終わりに近づき、たか吉はまだ桜に未練が残るようでしたが船は墨田を下り何時の間にやら首尾の松を過ぎて蔵前あたり。

はつが歌えば皆がはやして船の中は大騒ぎのうちに米沢町に着き、小うた楼の下で船を下りました。

・ 三社祭り

「あたいは初めてだよ、三社様の宮入を見れるなんてよ」

「ほんにお招きでありがとうござんす、いつもは茅町で練り物を見たり、川岸から陸に揚がる御輿を見たりはしますがこんな近くでの宮入りを見れるなんて果報でござんす」

蔵前の大島やさんの旦那に皆がお礼をかわるがわる口にいたします。
かつ弥ときみ香は若旦那連の招きで仁王門近くの正覚院内にしつらえられた舞台の上から見物できることになった。

若旦那連は金の力でできることばかりではなく、このような金づくでは出来ない交渉も出きるという事が、証明したかったようで来ている同じ柳橋芸者の松葉屋のものや、松やのたか吉も嬉しそうにはしゃいでいた。

「かつ弥姐さん、今日はほんに楽しみな、もう歓声が雷門のほうから聞こえて来やした」

当の若旦那連は、浅草神社から宮出しされた三基の神輿に附いて、隅田川を舟に乗って下り、浅草橋から陸揚げされて町を練り歩いていた。

朝は六つの鐘と共に宮出しが行われそれはまた勇壮なものではあるが、それまで見たいというのは無理な相談であったようだ。

練り物が通り過ぎいよいよ一の宮の御輿を先頭に乗り込んできたらしく先駆けの鳶の者が「お通り〜お通り〜」と声を張り上げて通り過ぎ、吉原芸者の手古舞に続き、かわいらしい稚児による行列が続いて通りもう境内は興奮の渦に巻き込まれていた。

「コタさんよ、もちっとそっちへつめてくんな」新門の身内で勘吉という若い衆に言われ肩をずらして入れてあげると、威勢のよい声で「わっしょい、わっしょい」と声を張り上げだした、きっと誰か身内か知りあいが近くで見ているなと、ほほえむ虎太郎も同じように声を張り上げるのだった。

「コタさん今度の三社さまは担ぎなさるかい」丸高屋の紀重郎さんに言われたのはつい十日ほど前横浜に荷を届ける前日だった。

「わっちは神田の氏子で、此方を担いでもよろしんですかよ」

「伯父のところにお春が掛け合って、もう名前を書き出したそうだぜ」

「なんですそりゃ、伯父さんてのはどなたでござんす」

「おんや情報商売が得意のコタさんでも知らないとは驚きだ」

「おいら達のおっかあは、新門の一番したの妹だあね」

「コタさんよお春にかかったらもう逃げられやしねえよ、だから今年は三社様も鳥越の明神様も出て担ぎなされ」丸高屋の親方にも言われいつの間にやら氏子になってしまいました。

新門の身内は岩さんとのつながりでなんども行き来があり、親方とも顔見知りにはなって居りましたがそんな繋がりがあるとはしらない虎太郎でした。

宮入は喧嘩で立ち止まることもなくスーット仲見世を通り過ぎ、浅草寺の境内で三基の御輿を差して見物の歓声のなかを無事に宮入が終了しました。

虎太郎は紀重郎さんたちと共に新堀川に沿って丸高屋に戻りました。

「コタさんよおめえこの川を堀だと思っていたってほんとかよ」

「左様ですよ、まさか吉原田んぼから続いて流れているなどしりやせんでしたぜ」

「そのどこか可笑しいのは本当に地震のときからなのかよ」

「左様でござんす、あのあたりの記憶はまったくで、三味線掘りが不忍池から出た水の落ちところなんていうのも最近わかったくれいですから」

家に入るとお祭りの喧騒がうそのように静か「風呂に行って汗を流してこよう」と紀重郎さんと出かけました。

帰ればこのうちの身内がどやどやと集まりだしており、もうへべれけのものもいてにぎやかに騒いでおりました。

親方がもう皆はあっちの広間で騒いでいるからコタさんはこっちに来なせえと、いつもの座敷でお夏さんの注してくれる酒で料理を食べます。

「コタさん、例の囚人だがよ」名前を伏せて言っても誰のことかは一目瞭然。

「こんだ浅草の溜に移されるそうだぜ、あそこは知り合いが牢役人をしてるからつるも入りやすいからよ、それと今度のお奉行はあのときの池田播磨様とは違い黒川備中様は穂積屋さんとツーカーの小栗様と昵懇だというじゃねえか、もう直に御赦免の沙汰が出るかも知れねえ」

「そうなればよろしいですが後三年ほどは辛抱していただくようでござんしょう」

「オイお春はどこに行ってんだよ、いねえじゃねえか」

「あっちで皆に酒を注いだり喧嘩するやつの仲裁したりしていますよ、おとっさん」

「いつもならコタさんの顔を見りゃべったりなのに何でぃ今日は」酒が入りいつもより話が続く親方に捕まり、虎太郎は家に帰らずに泊まることになりました。

「あいつはよ、男に生まれりゃこの家業を継ぎたかったなんていってやがるが、なぁに女でもあいつならやれるだろうと紀重郎も言うし、どちらかが横浜で仕事をしてもう片一方がこの家を継ぐことにしようと思うがよ、コタさんも応援してやってくんなせえよ」

「判りました、あっちも常々にお春さんなら人を束ねていけると思っておりやした、手品のようなあの人使いの巧さとととと」口の瑞(はた)をつねり挙げられあとが続きません。

「誰が手品のような人使いだよ、何でぃこれでも気を使う商売だぁ」

いつの間にかお夏さんと入れ替わっていたのかお春さんが後ろにいました。

「うまい、人を使いながら気を使う商売のこつだぁね」また今度は二の腕をつねられ

「お春さんの亭主になる人は手っ甲脚絆でいつもいなきゃあざだらけで風呂にも行けねえぜ」さらにつねり挙げられ「あたいがコタさんにもらってくれと何時ゆったよ、とんでもねえこった」

「それよかあっちで兄さんや半次が呼んでるからこいよ」

乱暴に言うと手を引っ張って広間につれてゆかれます、此方ではもう十人ほどに減った下戸や酒豪の連中が「コタさん待っていたぜ、今日のコタさんは見直したぜ、だってよ普段は力仕事なぞ無縁だと思っていたがよ、新門のやつらに負けねえ位御輿を差し上げたときゃ、うれし泣きが出るくれいだったぜ」

「そうだぜあいつらは背のでかい相撲取り見たいのが大勢いやがってよ、鳥越の千貫御輿は担げなくとも差しをしたときゃ手が届かなくて往生したもんだ」

「コタさんの上背でその上あの力瘤はあいつらも文句が言えねぇ位かっこよかった」

話すうちに自分の言葉に酔ったか小平は泣き出す始末だった。

「小頭ともあろうもんがみっともねえ、なくなよそんなことでよ」

「お春さん、言っちゃ悪いが男が男に惚れて泣く男泣きだぁ、勘弁してくんねぇ」

さらに同調するものもいて酒宴だかお弔いだか収集がつかないのでまたも、お夏、お春につれられて二階の部屋で寝る事になりました。

 

・ 今川橋

虎太郎はこの日、塾からの帰りに常盤橋に啓次郎様をたずね家督相続され、太田備中守資美公となられたお祝いを申しあげました。

「御代替わりが滞りなく御すみの事お祝い申し上げます」

いつもの茶室でお祝いを若原様と、啓次郎様に申し上げました。

「コタさんよ、殿様なんぞなるもんじゃねえぞ、わずらわしいことばかりで自分の時間なんぞありゃしねえ」

「殿、そんなわがままを申してはいけませんぞ、あなた様に掛川は期待しておるのです」

「判ってるよ、コタさんぐれいしかおいらの愚痴を言う相手がいねえだけだよ」

これからおきるであろう激動の時代に備えて力を養い、上下合わせて力を尽くされるよう御願いをいたし日が落ちる頃に、虎太郎は神田に戻るため神田橋ご門より鎌倉岸に出て、竜閑川沿いに今川橋に出て、最近売り出された今川焼きを買って家に戻ります。

おつねさんたちと茶を飲みながら「榮太樓のきんつばよりゃ、しっとりとしてあたしゃこれがいいね」というお文さんの言葉を聴きながら十五個の今川焼きがあっという間になくなりました。

「夕食前にこんなに食べちゃ御膳がおなかにはいらないよ」

「1個でやめりゃいいのに半分個なぞ言って食べるからだよ」

「人数分だけかってくりゃいいじゃないかよ」

など食べた後で文句が多いおばさんたちです。

「それじゃしばらくやすんでから飯にしょう」話はそういうことなので風呂に行くことにしました。

風呂でいつも会う惣兵衛という親父が「最近仕事が減って」というので何をしてなさると聞くと「銅壺細工の店をやってるがよ」というので今日食べた今川焼きの話しをして、今は丸の型を置いて焼いているが型を抜いたものを作れないか聞いて見ました。

図を引いてくださらんかというので明日家で相談しようと約束してわかれました。

後日、片側づつ10個焼いて、合わせるように工夫した銅版で焼けるように作り、惣兵衛さんが「忠臣蔵の陣太鼓見たいだぁ」というので義士焼と名づけ惣兵衛さんの店の脇で売り出したところひとつ16文ながら日に300以上売れるようになりました。

まねをされても困らないのは型を惣兵衛さんが売りますから同じことでした。

後に虎屋でも横浜のパン店の並びで売り出したところ人気の品で外人さんも並ぶほどでした。

 

・ 川開き

「船の仕度ができたよ」

「アイ、お待たせしやした、コタさんたちはどこで乗りなさる」

「何でも4番堀で待っていなさるそうだ、卯三郎さんも乗るとよ」

「首尾の松から見る花火なぞはじめてだぁ」これはたか吉で初音やのかつ弥、きみ香に混ざり淀屋さんが船に誘ってくださいました。米沢町から蔵前まで上がり首尾の松の棒杭につかまって花火を見ながら旧交を改めようという話。

最近虎太郎が忙しく初音やにも使いのものが来るばかり。

卯三郎さんが淀屋さんに話して二艘の船で隣り合わせに見物。

「今年も厠舟がそばに来たりしたらまいるぜ」

「ほんに去年は往生したもの」

去年は若旦那連がかつ弥たちを誘うこともなく、紙問屋の番頭さんが誘ってくれたはいいがおわい舟が近くで船のなかで催したものからのお呼びを待っていて風にその匂いが漂い、困りましたようで。

若旦那連は舟が二艘調達できず、かつ弥たちまでお誘いはありませんでした。

此方は淀屋さんにかつ弥、きみ香、たか吉、おきわさん、河嶌屋さん、番頭の吉造さんの七人。

あちらは、卯三郎さん、おつねさん、お文さん、虎太郎、お琴ちゃん、吉兵衛さん、お初さん親子三人が乗り、七人。

この日から遊覧の舟が川に出られるとあってそれはもう人並みも船の混雑も並大抵ではありません。

「あれコタさんたちはまだ陸の上だよ」目のいいおきわさんがそういう方向を見れば、四番堀の桟橋でこれから船に乗るところ、かつ弥がその方向を見ると卯三郎さんが手を振ってくれます。

ひとり陸に残り舟に乗った虎太郎と何か話していますが、「此方のかつ弥をみるときびすを返して蔵のほうへ去ってゆきます。

舟が近づけば全員いるので、「どうしなさった」淀屋さんが聞くと「今のは丸高屋さんのお春さんでまだ乗れるから、乗りなと誘ってみましたがふられてしめえやした」虎太郎が此方に身を乗り出して話します。

暮れ六つが近づいてあたりが薄暗くなり、花火が揚がります。

「鍵や〜」川下から声が響きど〜んと腹に響く鈍い音が川面を伝い響きます。

「色がさびしいなぁ」何気なく虎太郎がつぶやいたのを、卯三郎さんが聞き逃さず「何かいい方法があるか」と聞きます。

「そうですねえ、金属性の粉末を入れると色が出そうに思いますが、燃える位に細かくするのが手間がかかりそうですね」

「金属が燃えるのか」

「エエ、ほら金属同士が打ち合うと火花が散るでしょうあれがそうですよ、勝先生にもう少し詳しく聞けばどの金属がどの色を出せるか調べが付くかも知れやせん」

「その話もらった、俺が工夫して何とかしてみよう」卯三郎さんはもう夢中で揚がる花火を見ては何か心に刻みつけていました。

そんな話しをよそに女たちはもう夢中で上がる花火の品定めです。

「ほれ今度のしだれは見事じゃねえか、さっきのは途中で消えたがこんだぁ水の上まで尾を引くように見えらぁ」

花が咲き丸みが取れないまま四方に散るのを見た卯三郎さんが「おいコタさんよ、あれがまっるくできりゃ見ている方向にかかわらずどこからみても同じように見えそうだ」

「アッ、そうですそうです、マリのように四方八方に同じように広がりゃ見ている場所に拠らずとも奇麗に見えますぜ」

「花火は丸いたまだろなぜ球のようにひろがらねぇんだ、こりゃ調べる価値がありそうだ」

そんなやり取りをして中休みがあり、舟瑞を乗り越えてかつ弥がこっちへ来ました。

「コタさんよ大層持てなさるそうで、忙しい請った」

「よせよ俺が持てるなんぞうそにきまっていらあね」

「おやさっきの美人は誰だい」

「遠くからどうして美人だとわかるよ」

「遠くとも立ち姿がよけりゃ美人だろうが」

「そんならかつ弥も立ち姿よしと最近噂だそうな、美人の仲間入りだぁな」

「あたいのことよりありゃコタさんに気がありそうだ」

「焼けるかよ」

「何をいっていなさる、おかしなコタさんだぁ」

またふなべりを乗り越して向こうの船へ戻ります。

「鍵や〜」まだ揚がらぬ花火にもう気配でか歓声を上げる声が聞こえます。

「コタさんもてるのも疲れるようだね」淀屋さんが声を潜め船端にいる虎太郎に笑いかけます。

「ほんにコタさんは男にも女にも好かれて身がいくつあっても忙しい請った」

これはおつねさん、「三社さまに八幡様に明神様が神田に鳥越とみこしを担ぐのもいいが大概にしねえと身体を壊すぜ」とはおきわさん。

「なんだコタさんは三社さまも担ぎなすったかよ」たか吉が聞くので「アア中のみこしを担いでいたよ、宮入のときは新門の若い衆と混ざっていたがよ」

「あれわっち達は正覚院内で舞台の上で見ていました、もう勇壮で興奮いたしやした」

「それはいいところでみたもんだ」

「はい、両子屋の若旦那とかも担ぎなすったそうですが会いなされましたか」

「あの人ごみじゃ誰が誰だか見等もつかねえよ」

「左様ですは、わっちもコタロウさんも若旦那もまるっきりどこに居られるかわかりやせんでした」

また花火が揚がりだし話は途中で眼がそちらにひきつけられます。

卯三郎さんはまた先ほどの思案に入ったか真剣に打ちあがる花火に見入ります。

「兄さん奇麗だよ」お琴の声でわれに返った虎太郎は元の時代で色とりどりの花火が揚がる浜のことを思い出していた自分に気が付きました。

「おおそうだね、今の柳は奇麗に紅葉が混ざった見てえだ」

「あれ兄さん何を言いなさるありゃ柳ではなくて藤のように見えます」

「ハッハッハ、コタさんは目がそっぽを向いていなさるようだ」河嶌屋さんに言われそうかあれは浜のイメージが残っていたのかと目と記憶がごっちゃになっていた自分に気が付きます。

「卯三郎さん、丸い球のヒントがつかめそうですぜ」

「そうか忘れねえうちに話してみなよ」

「花火の中を見ないとよくわかりやせんが、こういう具合にと平面に丸くなるように銭を並べ、これがどこから見ても均一になりゃ開くときの力でまぁるくなると思います、後は火薬の量の調節で近間と遠くが同時に点火できれば」

「そうかそりゃ工夫次第でできるかも知れんな」

揚がる花火より、挙げる花火をあれこれ品定めしている二人でした。

お琴が「あにさん丸く開くなら色が付いたら奇麗でしょう」と期待でわくわくした気持ちに成ったようです。

まだ船は混雑しているので虎太郎達は鳥越川を上って柳鳥橋で陸に上がり歩きました。

今年11になったお琴は何事にも熱心で手習い師匠もべた褒めしてくださるそうです。

ご両親は行儀見習いには出したがらず家で婿を取るためにも、家業の勉強をさせたいと虎太郎に話します。

「医薬のことを学ぶのはよいことと存じます、お琴も勉強が好きのようならば、私には依存なぞございません」

「兄さん琴は本を読んで薬の事を学ぶのが楽しくて仕方ありません」

「そうかい、それは楽しみだなぁ、勉強して役に立つ人間になってくれよ」

「はい、琴は必ず人のお役に立つ事ができるように勉強いたします」

吉兵衛さんもおかみさんもこれを聞いて嬉しそうに肯きあっていました。

 

・ 鳥越明神 

「かつ弥姐さん早くいかねえと御輿が行ってしまいますぜ」源司にせかされ裾を片手で引き上げ茅町の通りに出ると人が前に出してくれて「ヨッ姐さん今日も粋にきまってるよ」と八番ほ組の印半纏を引っ掛けて整理をしているデェボという老人をはじめ、かつ弥たちへ声をかけるものが多くいて、すっかり町内の人気者になっているのだった。

千貫御輿が須加橋からこちらに来るところに間に合い、威勢のよい「わっしょい、わっしょい」という掛け声でと近づいてきたときにはもう興奮で自然と「わっしょいわっしょい」と掛け声がでて、担いでいない群衆まで巻き込み地響きが起きるように思うかつ弥だった。

「かつ弥よう前花にいるのはコタさんじゃねえかよ」きみ香の声にわれに返り先棒を見れば紀重郎さんと共に先棒は虎太郎が担いでいた。

「コタさ〜ん」思わず声をかけると「わっしょい、わっしょい」という喧騒の中でも声に気づいた虎太郎がこちら見てにっこりと笑うのだった。

「どうしてコタさんがこっちの御輿を担いでいるんだよ」きみ香も不思議そうに家に戻る途中で首をかしげていた。
この間の船の中の話しを二人は花火に夢中で聞いていたはずが覚えてはいないようだった。

初音やでおきわさんに言うと「丸高屋さんの誘いで仲間に入ったんだよ」

そういうことも虎太郎ならあるかもしれないと思いながらあそこの次の娘が虎太郎に夢中だという噂も思い出し心が騒ぐかつ弥でした。 

御輿は新橋まで川岸を進み三味線堀に向かう途中、冨松町のお神酒所で肩が変わり虎太郎は吉松、紀重郎さん小平たちと酒を酌み交わし威勢をつけて御輿の後を歩くのだった。

伝次郎がこの間紹介して雇い入れた永吉、幸助もこの冨松町に住まいがきまって氏子としては新参ながら御輿に取り付いて汗を流していた。

千代と呼ばれる千代松が虎太郎たちにまとわり付き「なあおいらも千貫御輿が担ぎてえよ」と早く御輿に取り付きたいと後を付いてくるのだった。

吉松が「俺より背がでかくなったらよ、取り付かせてやるから早く大きくなりねえ」といえば「そんなにでかくなるにゃあと五年はかからあ、早く背がでかくなる方法がありゃおせえてくれ」と無理を言うので虎太郎が「次のお神酒所はお先手組の前だから、子供たちでも台に乗ったままなら棒に触らせてくれるからそれで我慢しとけよ」

「そんならそれで手を打ってやる」町の子は生意気ですが大人の言うことはよく聞きます。

お先手組の前では例年、高い台に差しておくので子供の背でも台に乗れば肩が触れるのでそこで御輿の担ぎ方を教える古老に従って順に御輿の下に入れるのです。

いつの間にかお春が虎太郎たちのそばに来て「汗臭いのと酒くさいのにゃまいるぜ」などいいながら肩をぶつけてきます。

「お春よう、お前ぇみっともねえからそんなにじゃれ付くなよ」紀重郎さんに言われてもお春は平気で付いてきます、手古舞の衣装に髪は桃割れ手には釋杖「お春さん、前に出なくともよいのかよ」吉松に言われ「次のお神酒所から最後までが受け持ちさ」とそばを離れません。

「姐さんコタさんのおかみさんかい」千代に聞かれ「生言うんじゃねいよ、そんなもんと違うよ」

「そんなら、れこかよ」というが早いかお尻をひとなでして、仲間と風のようにすっ飛んでいきました。

「もう餓鬼どもめ、手が早いんだから親の顔が見たいもんだ」

「すまねえこんなかおだぁ」と顔を出したのは、を組の印半纏も新しい、安部川町に住む纏持ちの仁助兄い「ありゃ仁助兄さんとこにあんなすばしこい子がいたのかよ」

「おおそうだ、あいつはおいらが17のときに出来ちまった総領で15になってもよぅ、餓鬼みていでこまらぁ」そういわれてみればまだ12くらいにしか見えないがよくこの近辺で会うということは行動範囲が広いようです。

「火消しにゃ、しないのかい」お春が聞くと「足が速くてよいがあの背丈じゃまといは振れめえ、御店で商売を覚えさせてえと奉公に出したがあの通りの落ち着きがなくてけえされてしまったよ」

「コタさん、お前さん小僧さんが必要だといってたじゃないか雇っておやりよ」

「俺んとこでよけりゃいつでもよこしてくんねえ、仁助さんの子ならきっと人を纏められる男になるだろうよ」

「ほんとかよ、恩に着るぜ、明日にでも連れてゆくがそれでよいかよ」

「明日といわず今日丸高屋さんに立ち会っていただいてうちに奉公に出すというのはどうですかい、おかみさんと相談しちゃくれませんかね」

「かかあですかい、それなら話が早いや、それそこで器を持って歩いていやすぜ」

おかみさんを手招きして今の話しをしますと「あの子を仕込んでくださるなら、喜んで今日から奉公に出します、宮入が済み次第に丸高屋さんに連れてゆきますから、お願い申します」

「兄さん仲立ちで話しをきちんと決めてやってくださいよ」

「まかしとけよ、それが家の商売じゃねえか」

「おやほんにそうだった」

これには廻りじゅうが笑いの渦で千代がみなから好かれている事が実感できます。

夜に入り丸高屋さんで派手に打ち上げをしている中に、仁助さんとおかみさんのお浜さんに連れられて千代松が来ました。

「よろしく御願いいたします、生を言いましたら腕の一本や二本折っても言うことを聞かせてください、紀重郎さんにもどうぞこいつを引き立ててやっておくんなさい」

二親の真剣なまなざしときかぬ気の子供を見て丸高屋の親方が「オオこいつぁ久し振りに見るいい面つきのがきだ、コタさんこいつは使い物になるぜ」

それを聞いた千代が「おいらを使うにゃ、それなりの力があるかここがきれなきゃだめだぜ」と自分の頭を指すので「このがきゃ」と手を振り上げる仁助さんの手を虎太郎が押さえて「千代よお前腕力と技とどちらが強いと思う、力なら相撲取りにゃかなうまい、技なら柳原土手の天狗にゃかなうまい」というと昔の噂を子供ながら聞いているらしく「子供の天狗など噂でしきゃねえだろう、見たやつなんぞどこにもいねえじゃねえか」

「じゃあ見せてやろう」虎太郎がそういうと庭に出て「よく見ているんだぜ」そういうと軽くトンボを切り庭の松に軽く手を触れてそのまま屋根に飛び上がります。

「やってみなこれが出来りゃおめえにも天狗になれる力があるんだぜ」

こんな虎太郎を見た事がない丸高屋の人たちも唖然としていましたがお春が「コタさんあたしと手合わせしてくださいよ」そういうと手古舞の衣装のまま庭に下り空手の型を見せて厚い板を兄に持たせて試し割をしてから、虎太郎に挑みかかります。

軽く身体を回し背と背が付く形から虎太郎が沈んで回るとその頭の上に足が飛び抜け、すかさず虎太郎トンボを切り離れたかとみると追いすがるお春の手を軽く回せば2間も向こうへ飛ばされます。

手がなんどもすばやく入れ替わり右、左と突きを入れますが虎太郎が体を軽く捻るだけで悉くはずされお春がじれて「どうして反撃しないよ」というと隙が出来たお春に体を近づけた虎太郎にあっという間に倒されて、突きを寸止めされてしまいます。

「まいりました」

お春が息が上がりもう力が出ないというほどなのに、虎太郎は平然としたままです。

見ていた人たちもあの噂が本当に虎太郎のやってのけた事と得心がいくのでした。

「千代よ、お前が俺に拳を当てたら、月1両の給金、だめなら壱朱しかやれねえが試してみるか」どこまでも普段と違う虎太郎は何か思うところでもあるのか千代にとことん従わせるように強い態度に出ています。

「ヘン女にゃ出来なくともおいらならやって見せてやる」

普段町でガキ大将の意地もあるのか出てきてけんか上手にも、手も振り上げずに殴りかかりますが簡単に体を入れ替えられてしまい、今度は足を出しますがそれは虎太郎の足に払われてまた不十分の体制のまま頭突きに出ます。

相当に喧嘩なれしている様子に虎太郎が軽く手を出すと、あのときの奴のようにふんわりと千代松の身体が浮き2間ほど向こうに尻から落ちました。

どうやられたのかも判らない千代松がまた向かってくるとまた虎太郎の手が動きまたも千代松が空中高く投げ出されます、今度はその下に虎太郎が入り千代松の襟を糠むとやんわりと締め上げます。

「まいったおいらの負けだぁ、でもよどうして飛ばされたかわからねえ」

その夜の丸高屋さんでは虎太郎の天狗話が面白おかしく話されたことは言うまでもありません。

「初めてコタさんの力を見たよ」小平などもう嬉しくって酒を飲んではなんどでも同じことを言うのでお春は自分が勝てなかったことも忘れ、ご機嫌がよいみたいです。

仁助さんもお浜さんも嬉しく酒を飲んで帰りました。

伝次郎、永吉、幸助の三人も自分たちの旦那が頭だけでなく技にもすぐれたということをみていまさらながらこの旦那についていく決心を固めていました。

千代は心底虎太郎に心酔した様子に見え、皆で丸高屋さんに泊めていただいて部屋に入り、寝るまで他の三人から何を自分がすればよいか聞くのでした。

 

翌朝眼が覚めてみなうち揃って連雀町に帰る道すがら、何くれとなく伝次郎が千代に自分の役割を教えています。

「なあ千代よ、旦那が言うようにおめえの役割は俺たちとのつなぎだ、いわば伝令、飛脚のようなものだ、しかし商売の利が出れば必ず旦那はそいつの果たした役割に応じて配当を下さる」

「本当にそんな事があるんで」

「さうさぁ、俺たちが商売をするのは利益を出すためだ、だがよそれはお店の利益じゃなく働くもの全部の利益でなきゃいけねえというのがだんなのお考えだ」

「それじゃあ、おいら一人の才覚で出た利益でも全員で分けてしまうのかい」

「そういう請った、でもよ考えてみねえおめえ一人でできるなら独立すりゃいい、しかし旦那が追い回してくださって見つけた仕事ならそれはだんなの仕事を手伝ったにすぎねえだろうよ」しばらく考えていた千代松「わかりやした、自分の役割をとらまえて励めばそれなりに引き立てて頂けるという事でござんすね」

前を歩いていた虎太郎が「千代おめえ中々飲み込みがはええじゃねえか」

「ここが俺たちの店の本店だ」連れてきたところは虎屋の暖簾のかかるおつねさんの店「となりのひらかなで書いたとらやも同じ店だから覚えておきな」

裏に廻り虎太郎の家に入り「ここが俺の家でしばらくはおめえがここに住んでくれ、おいらは根城があちこちにあるからよ、今年一杯は飛び歩くので急がしいからな、おめえもここで寝る暇もねえかも知れねえから覚悟は決めて働くことだ」少し脅かすような話ですが平然としている千代松はなりは小さくとも昨日の今日で充分大人に近づいたようです。

「おはよう、おつねさんこいつは今度小僧として追い回す千代松というんだ、よろしくたのマァ」

「おやそうかい、中々すばしっこそうでいい面構えだよ」

「おはつにお目にかかります、浅草は安部川町の生まれで千代松と申します」

連れてきた虎太郎も驚くくらい立派に挨拶、おつねさんなど喜んじまって「しっかりしたいい子じゃないか、年は幾つだい」「15になりました」「おおそうかいそれだけの口がきけりゃ十分だんなの役に立つだろう、コタさんこの子の給金はきまったのかよ」

「今はまだ月に壱朱だが直に一分に引き上げてやるつもりだ」

「千代さんよ、旦那は気前がよいから直に壱両にしてくださるから充分お役に立つんだよ」そういって手文庫から帳面を出して名を書き入れ壱朱銀を出して財布と共に千代松に差し出してこういいます「この財布ごと上げるから今月はこれで遣り繰りするんだ、来月からは朔日が給金の日だからね」「ありがとうござんす」受け取る千代松はまだ働かないうちからもらえるなんて子供がてらに驚いてしまいます。

「お仕着せはどうするよ」

「まず走りやすいように考えてくれよ、飛脚替わりに俺たちの間を飛び回ることになるからよ、しばらくは誰かが付いて安倍川町や品川の春駒屋さんあたりまで連れまわして青木町に店が見つかれば其処とも行き来させなきゃならねえからよ」

「千代よ、おめぇがこれという足が速くて気の利いたのがいたらもう一人雇うつもりでいるから、そいつは必ずお前の下に付かせることは約束するから見つけるのもお前の役目だ」

「ごめん、誰かいるか」表で声がしてずいと入ってきた立派な侍、大刀をはずしてどっかと腰を下ろした姿はなんとたあさん「お久し振りでございます」おつねさんが挨拶すると「いやぁ、久し振り」急に砕けた口調に変わり「コタさんもいたかちょうどいい上がらせてもらうぜ」そういいながらもう揚がって来ます。

千代松はとなりのお文さんがお仕着せの着物に着替えさせ伝次郎に引き渡しました。

「やっと昨日江戸に戻ったぜ、報告も済んで今日は暇が出来たのですっ飛んでここに来て見たが、コタさんもいてくれてちょうどよかった」

「元氷川にも顔を出すからコタさん暇なら来てくれよ」

虎太郎は今非常勤という形で塾は特別行くこともないのですが付き合うことにいたします。

「ところで行き返りと掛川によっておはつさんにも会っておつねさんには手紙も預かってきたぜ、前に連絡してきたろうがおはつさんは無事男の赤ん坊の親になったぜ」

「ありゃそりゃあ、おめでたい請った、それで何時生まれました」

「帰りに寄ったのが今月の朔日でその一月前の5月の2日に生まれたそうだ、俺の帰りによるという話が有り、生まれた子が丈夫に育つのを診てから手紙をとこれがおはつさんから言付かった手紙だよ」やっと差し出した手紙を受け取ったおつねさんは嬉しそうに明るいところで読んで「アア幸せが目に見えるようだ、字にも幸せがにじんで見えるよ」

「なめえはきまりなさったかよ」虎太郎に「同じ虎の字を書いて虎次郎でこじろうだそうだ、夫婦してコタさんにあやかろうと附けたと書いてあるよ」

「ほんとかよ、なんと恥ずかしい請った」

「そんなことあるかい、よい名じゃねえか」

そういう話も済んでたあさんと赤坂に向かうことにいたしました。

千代に荷を持たせ途中義士焼を買いお土産としました。

「これから行くとこはおいら達の先生のお屋敷だ、千代も出入りが許されるだろうから奥様には可愛がられるようにしろよ」そういって「たあさんこいつは千代といっておいら達の連絡係に雇いましたからおいらがどこにいるかはすぐにわかるようにしますので何かの用事のときはぜひ使ってやってください」

「よおしわかったぜ、儂は伊予大洲の加藤出羽が家中の小松崎太吉郎治明じゃ、名前を覚えて顔もしっかりと記憶せいよ」と後ろにずいと顔を突き出します。

いつもながらひょうきんなたあさんと馬鹿話で道も進み昼前には勝先生のお屋敷に付きました。

 
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幕末風雲録・酔芙蓉
  
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