酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第九部-3 弁天 6

境木・十二天・金川・袖ヶ浦・美国平文

 根岸和津矢(阿井一矢)

        

慶応32201867325日 月曜日

弁天 − 境木 

1日にアメリカ人のウエストウッド(Carle Westwood)さんが幕府に江戸・横浜間の鉄道敷設認可を求め認可が下りましたが、横浜での債券募集はうまくいかない模様です。

額が大きく収益がそれほど見込めない江戸・横浜間では個人的規模の開発では難しいだろうと居留地では見られています。

藤沢で親に甘え、旦次は歓迎され二晩を面白おかしく過ごしての帰り道、境木の茶店の傍には正太郎が、それでもきれいに洗った着物を着てまっていました。

「もう行く支度をして来ていたのか、気がはええな」

「家ではおっかぁがアンちゃんたちが来るのを、待ってるよ早く行こうぜ」

「待て待て、お前のうちには小さい子が居るといってたな、幾足り居るんだよ」

「弟に妹が二人の3人だよう、其れがどうかしたかい」

「今土産に団子を買ってやるから、其れを持っていこうぜ」

地や店で焼き餅を三人分買って食べた後、釜吉が10本の団子を包ませて正太郎に持たせて二番坂、一番坂を下り、程谷宿の中ほどの弘明寺道に入りました。

川の先にある正太郎の家、元はそれでも立派だったと思われる家ながら、大分草臥れた屋根からは雑草が生えていました。

「おっかあこの間のアンちゃんたちを連れてきたぜ、これは清次郎やお花におまつへの土産だよ、アンちゃんたちが買ってくれたんだ」

団子の包みを渡すと小柄な働きぬいても貧乏から抜け出られないという風情の、疲れ切った母親が出てきました。

縁側を勧められ其処へ腰を下ろすと、手を突かんばかりに頭を下げて「正太郎が無理をお願いして申し訳ございません、父親は働きに出ておりまして留守でございますがなにとぞよろしくお願いいたします。聞きますれば分家の総領も働く虎屋さんと申されるそうで、無理とわかったときは一人でも帰れる年でございますので、なにとぞ連れて行くだけでもお願いいたします」

さぞ元はいいうちで育ったかと思われる物言いの人で、釜吉も旦次も必ずだんなを説得いたしますと約束するのでした。

宿の荒物屋で足ごしらえを整えてやり、三人で街道をくだり芝生村から新田間橋を渡りました。

「ほらあそこにみえるのが横浜の港に来ている異人たちの船だよ」

「すげえなぁ、おいらここまで来たのは初めてだ、こんなに遠いのにあんなにでかくみえるんだね」

「平沼橋を渡れば野毛はすぐ近くだ、あの向こうの坂を越えるとすぐだよ」

石崎橋を渡るあたりから人家も増えて、とらやののぼりを出した茶店も見えます。

「アレェ、とらやとひらかなのお店がある」

「アア、あれも俺たちと同じ仲間のお店だよ、俺は元町の虎屋で働いているのさ、乾物とか酒の卸や小売をしてるのさ、旦次の兄いは横浜物産会社というところで働いているんだよ」

「俺は人足だがよ、横浜から神奈川や保土ヶ谷に荷を運ぶのが主な仕事だよ、丸高屋さんというだんなの知り合いが人足の束ねをしてる関係で、俺たちも店の仕事以外でも頼まれると荷を運ぶのさ」

前年横浜町から神奈川宿まで(約一里)の賃銭が次のように定められていました。

荷物一駄につき124文、乗懸荷は人と共で124文、軽尻馬1疋が人足1人で60文と定められました。

吉田橋から保土ヶ谷までもほぼ一里の道のりでした。

戸部の町の上り坂から右手に伸びる道はくらやみ坂を通り、程谷(保土ヶ谷)まで伸びておりますが、上り下りがきつく大八を引いての通行はきつく避けて通りましたので「正太郎よう、この道をまっつぐ歩めば程谷の宿までは迷わず帰れるが、横浜からは居間来た道のほうがわかりやすいか」

「あんちゃんよう、横浜につかねえうちから帰りのことなど心配したくねえよ」

「そりゃそうだ、一本取られたな」

戸部の町を抜けると奉行所のいかめしい門の前をとおり抜ければもう其処が切り通しで、野毛の町と横浜の港が見えます。

「すげえなぁ、程谷なんぞとは大違いだ」

しばらく呆然としていましたが大八の後を追いかけて坂を下る正太郎でした。

橋本さんに報告をして会計を済ませた後、正太郎のことを相談するのでした。

「しょうがねえなぁ、連れてきちまったんじゃ、おいそれと帰れとはいえねえしな」

千代が横浜物産会社に居てそういう風に言っているのを、小さくなって旦次と釜吉が口々に「なりは小さくとも、働く気はありますから、何とか育ててやっておくんなさいよ」

「其れはいいんだが、さて何処で働かせるかだよ、お前たちの口利きだからといって人足には背も不足だし小僧のほしがってる店は今のところねえんだよ」

「そんなこといわずに考えてやってくださいよ」

そばで聞いていた橋本さんが千代にこんなことを言いました。

「ミスベアトリスがこの間うちは男の手が足りないが、大人では小さな子の面倒を見るのには向かないし誰か男の子で働いてくれる子は居ないかといっていたぜ」

「その話は聞きましたが、あそこではそれほど賃金を払うことが出来ないでしょう、聞けば仕送りもしたいというし、出来るだけ給金の良いところで働かせてやりたいものです」

この人たちは困っているけど、本当に俺のことを心配して考えてくれているんだと正太郎は少年ながら、感謝の気持ちで一杯になるのでした。

つなぎの連絡員が来てだんなが元町に入るといってきました。

「どうだ、旦那にも相談して孤児たちの処で給金がもらえるように交渉してもらってだめなら俺が引き受けよう」

「いいんですか、ここでは人では余っているんでしょう、俺のほうは其れでもいいのですが」

「仕事は人が居れば自然とあるもんだよ、とりあえず釜吉が今の話を旦那のところへ通じてくれればいいから、元町へ連れて行ってくれないか」

「承知いたしました、正太郎喜べよもうこれで働けることは間違いないんだ」

「ありがとうござんす、皆様私のできることは力いっぱい働かせていただきますのでよろしくお引き回しをお願いいたします」

「オイオイ、立派な口を利くじゃねえか、これなら旦那の目でも駄目だなんていうことはねえな」

正太郎には旦那と言う人がさぞかし怖らしい人のように聞こえました。

店の脇で旦次と釜吉が財布を出して相談していました。

「旦次の兄い、いろいろ使ったがよ、泊まりの分として会計から金が出たんで、これだけ余ったが、三等分して正太郎にも分けてやりたいが其れでいいだろうか」

「三朱と銀が二匁に波銭か、俺と釜さんが壱朱ずつで後は正太郎にやりねえよ、給金が出るまで其れで何とかなるだろう」

「気前がいいな、俺も其れでいいよ」

「正太郎、俺と旦次の兄貴からの小遣いだ、お前が必要なものはこれで整えろよ、財布は持ってるか」

首から吊るした小さな巾着を懐から出しますので其れに入れろと手渡すと「ヤァ壱朱の銀じゃねえか、兄貴達いいのかい、おいらこんな金を持ったのは初めてだよう」

「大事に使えよ、旦那に気に入られていい仕事が出来るようにがんばるんだぞ」

気のいい旦次は僅かの付き合いの正太郎の兄貴になった気分で励ますのでした。

二人は吉田橋を渡らず埋立地の土手を野毛に向かい、製鉄所の門の前から橋を渡りさらに、西の橋を渡って元町に入りました。

大きな製鉄所の煙突にもびっくりしている正太郎ですが元町の活気にはもっと驚いております。

「野毛の町も人が多かったが、こっちは異人たちがたくさん居て何か怖い感じがします」

「オイオイ、さっきの話のミスベアトリスと言う人も異人さんだよ、怖いなんていってると横浜では働くことも出来ないぜ」

「大丈夫です、権太坂ではいろんな国の異人さんを見かけているし、あの人たちは駄賃の払いもいいので、感じがするだけで怖いことはありません」

精一杯虚勢を張ってるなと釜吉は感じましたが、自分も祖父の元へ遊びに行った帰り横浜に寄り道をしたときのことを思い出すと、やはり正太郎と同じように人からみえただろうと思うのでした。

釜吉は幸いにも祖父から横浜の知り人への手紙を言付かり、その縁で幸運にもお怜さんに雇ってもらったのでしたが、今度は俺と旦次の兄いが正太郎に幸運を分けてあげられるかと思うのでした。

「さぁ、ここが俺の働く虎屋だよ」

「ただいま帰りました、変わりはございませんでしょうか」

「お帰り、こっちは相変わらずだよ、釜さんは今日まで休みなんだから店は任せて置きねえよ」

半蔵と勝治が口々にそういって旅の疲れを取るように行ってくれました。

順吉さんの顔を見たので「旦那は今どちらに居られますか」と釜吉が聞きますと「今其処の廊下で本を読んでるよ、何か用事かい」

「こいつを働かせてやりたいと思いまして、保土ヶ谷の人間ですが、千代さんと橋本さんには野毛で話はしてきましたが、ミスベアトリスの処で人探しているそうですが」

「アアそうかじゃ其処の木戸から庭に廻りなよ、何遠慮することなんかねえ旦那だから安心しな」

「さぁ、行こうぜ」

正太郎は二人に促されて木戸を入りました。

「ただいま戻りました、釜吉でございます」

日が暮れる様子の中、本を寝転んで読んでいた虎吉は目をしば立たせながらこちらを見て「オウ帰ったか、どうだ久しぶりの藤沢わよ、おっかさんに甘えてきたか」

「ありがとうござんす、妹たちにも会えて無事に過ごす両親ともどもお礼を申し上げます、小遣いまで頂ありがとうござんした」

「よせよ、あれっぽっちでそんなに礼を言われちゃ照れるじゃねえか、処で後ろの小僧は誰だい見たことのねえやつだな」

釜吉に促されて「おいら程谷の生まれで、正太郎といいます。横浜で働きたくて釜吉さんと旦次さんに無理を言ってつれてきていただきました」

「どういう知り合いなんだ」

そう聞かれた釜吉が最初の出会いやこれまでのいきさつを手短に話すのを聞いた虎吉が「それならこれからミスベアトリスに交渉に行こうか、釜吉も疲れているだろうが何事も縁だから付き合いな」

そういうと順吉を呼んで「太四郎か春は何処にいるかわかるか」と聞くのでした。

「太四郎さんは石川様と仏蘭西の軍営に行かれましたがもう帰ってくる頃です、春さんはジラールさんの庭でTJさんと打ち合わせをしています」

「じゃ春が居たら呼んで来てくれ、俺は先に地蔵坂からミスベアトリスに会いに行くから、お前も後から追いかけてきてくれ」

「承知しました」

正太郎は100人以上働く店のご主人とは思えぬくらい気さくな様子の虎吉に驚くのでした。

「お前、正太郎と言うのか」

「そうです」

「そうか、話では金を稼いで少しでも家の足しにしたいといったな、月に幾ら仕送りをしたいか希望はあるのか、たくさん何ぞ望んでもお前の年では稼げるわけじゃないぞ」

「おいらも、そんなに稼げるとは本心から思っておりません、おいらが後押しで稼げるのはせいぜい日に40文から60文くらいなものです、其れも晴れてる日だけで毎日ではありません」

「日に60文か月に直せば稼いでも千八百文というところか」

「そんなに稼いだことなどありゃしませんが、異人たちが来ると壱匁もくれることがあって取りっこで大騒ぎでした」

「よしよしじゃこうしよう、お前は横浜物産会社で雇おう、給金は衣食住会社もちで月一分これはお前が小さいし最初の給料から大人並という訳にゃ行かないからな」

「衣食住とは何でしょうか」

「釜よ、お前説明してやれよ」

「其れはよう、住まいと食い物と着る物は会社持ち、会社と言うのは町で言うお店のことだよ、すべて持った上で給金をくれるということさ」

「程谷のお店では、おいらの友達など同じように働いても年に参両だそうだから同じですね」

「そうだよ、何処の町でもお前の年ではそれ以上は呉やしないさ、デモな俺たちの旦那は年に4回の査定と言うやり方で、働きを調べてよく働くものはすぐに給金を上げてくださるのさ、俺など今は月に参両頂いているんだぜ」

「オイオイ釜よ、お前の年で参両とはすげえじゃねえか、見損なったぜ、いい働きをしてるようだな」

寅吉は細かく給料までは把握していないようでした。

「釜吉のあんちゃんは今おいくつですか」

「俺かおれはいま17だよ」

「エッ17で月の給金が参両ですか、びっくりしたなぁ、そんなに稼げるのなんてどんなに働けばいいのか見当もつきません」

「心配すんなよ、仕事は幾らでもあるんだよ、只仕事の中身で給金に差があるのは仕方ねえがね」

「何が一番稼げますか」

「そりゃなんといっても旦那の連絡員に取り立てていただいて俺たちを動かせるようになるか、手代、番頭となって商品の取引ができるようになるかだな」

「おいらも其れになれるだろうか」

「正太郎よ、お前が稼げるようになるにはあと3年は辛抱していろんなことを勉強しなけりゃ無理な相談だ、だからミスベアトリスのところに居れば仏蘭西と言う国の言葉が覚えられる、そうすりゃ手代として異人たちと取引もできるようになり給金も上がるという寸法だ」

寅吉そういわれると、そうなんだと納得できる気がする正太郎でした。

「わかりやした、異人たちの言葉を早く覚えて手代にしていただけるようにがんばります、でもそのミスベアトリスというのはどんな男の人ですか」

「ハハハ、男じゃねえよ、ミスというのは女の人のことでミスターと言うのが男の人を呼ぶときに俺たちが旦那様とか使う様の代わりだよ」

「その人のところで何をすればいいのですか」

寅吉が引き取って「行けば判るから楽しみにしてろよ」

地蔵坂を登りきって、大きな家が並ぶ間の道を少し下ると、男の人がちょうちんを振っていました。

「旦那お待ちどうさまでした」

「何だ間の路地を通ってきていたのか」

「エエ、どうせ旦那はあの坂道は嫌いだろうからこっが早いと順吉さんと近回りをしました」

五人で「Maison de bonheur」の門をくぐり孤児たちの家の玄関に入るとミチが出てきて迎えてくれました。

「ミスノエルかミスベアトリスにあえるかい」

「いらっしゃいませ、今お二人とも子供たちに混ざってお勉強中ですがよろしいですよ、どうぞお上がりください」

広間では英語の勉強を居留地からこられた三人の異人さんが先生で教えておりました。

「ミスノエル、ミスベアトリス、コタさんがお見えです。お話があるそうですがよろしいですか」

「いいわよ、ではここは皆さんよろしくね、あなたたち先生のお話しをよく聞いてくださいね」

居間に入ると手狭なので寅吉と春に正太郎が中に入りました。

「この間お話になっていた少年のことですが、この少年ではいかがでしょう」

「お名前は、お年はいくつ」

簡単な会話は不自由無く使えるお二人はそう聞かれました、正太郎は日本の言葉で聞かれて安心しました。

「正太郎と申します、年は12歳になりました」

「そう、いい子のようね、でもお給金がここは安いの、其れは聞いていますか」

寅吉が其れを引き取って「彼は横浜物産会社で雇ってここに働きに出向かせます、部屋と食事の世話を此方でまかなってください、給金は子供のことですから此方ではたまに小遣いを与えてくださるだけで結構です、彼の着る物と給金は横浜物産会社が負担いたします」

春が仏蘭西語で通訳しながらお二人と細かいことを打ち合わせています。

「大事なことなんだけど、ここは小さい子が多いのよ、それであなたがお兄さんとして子供たちの面倒も見ることが多いのよ、そういうことが出来ますか」

春から細かく通訳もされて「ハイ、俺のうちには小さい弟に妹が居てその面倒も見ていましたので大丈夫です」

お二人が気に入ってくれたので寅吉は満足して春や、正太郎にこう告げました。

「給金は月壱分、後は会計の評価でほかのものと同じように評価対称にする、正太郎の評価は語学力とする。管轄は野毛の横浜物産会社で、身元引き受けは旦次と釜吉、橋本さんを後見人とする。俺が決めたということで報告してくれ、今晩は釜吉が面倒を見て明日野毛に連れてきて、お仕着せに着替えなどを持たせて春か太四郎が此方へ連れてくるようにしてくれ」

春はお二人に通訳して話がまとまり正太郎は明日からここで仏蘭西語や英語そして日本の読み書きも勉強できることになりました。

「よかったなぁ、ここで勉強して早く店で働けるようにがんばれよ」

「うん、釜吉のあんちゃん俺がんばるよ」

「正太郎、お前も商人として一人前になりたければ返事はハイというように応えるんだぜ、何時までも子供言葉のままではいけねえぜ」

「ハイ、旦那わかりました、早く大人になりてえなぁ」

坂を下りたところで元町に帰る二人と別れ寅吉たちは野毛に戻りました。

釜吉は風呂屋に向かい二人で背中を洗いっこしてとらやに戻り、自分の部屋に正太郎を泊めるためにお鯛さんに布団をひとつ出してもらいました。

翌日21日の朝は雨、食堂でほかの従業員に正太郎を紹介してお鯛さんに給仕をしていただいて朝食を頂きました。

この日は火曜日で、朝はめざしとわかめの味噌汁、香の物は糠漬けが一皿。

糠漬けの皿には大根ときゅうりが乗っていました、めざしは大振りのものが二匹。

「ご飯と味噌汁はお代わりできるけど、お菜はそれだけで食べるんだよ」

釜吉に教えられて正太郎はご飯のお代わりを頼みました。

お鯛さんが多めによそってくれて「お前さんは、今日だけの特別だからこれをお食べよ」そういって茹でた卵の殻を向いて一つくれました。

「ありがとう、おいら卵は大好きさ、久しぶりだよ」

「そうかい、釜さんからさっき聞いたがたまにはお店にも顔を出すんだよ」

「はい、お休みを頂いたら必ず寄らせていただきます」

寅吉から昨日言われたことを守り、言葉の使い方も様になってきています。

食堂の時計が7時半になると一人二人と人が出てゆき釜吉がそろそろ着替えて野毛に出かけようと立ち上がりました。

正太郎は着替えるほどの着物は持っていませんが、それでも歯を磨いて帯を締めなおして釜吉につれられて野毛に向かいました。

傘はすぐいらなくなり西の橋を渡り、土手沿いを歩くうちに陽も出てきました。

野毛で橋本さんに挨拶をすると「話は聞いたよ、お仕着せも用意してあるから着替えて少し待っていなさい、釜吉はもう帰っていいよ」

「失礼いたします、後のことはよろしくお願いいたします、正太郎これで当分は会えねえが言葉が良くわからなくても気を張ってよく働くんだぜ」

「はい、必ず言いつけを守って人から頼られる人間になるよう励みます」

橋本さんが「春が来たら長吉に保土ヶ谷まで正太郎のことは連絡してもらうようにするから、安心して働くんだぞ」

「お願いいたします、家でも安心します。善吉の兄さんにもよろしくおつたへください」

権太坂で出会ってから僅かの間でも、人がこれほど成長するかと釜吉は眼を見張る思いをかみ締めながら元町に戻りました。

旦次が仕事の合間に顔を出して「聞いたよ、孤児の家で働けるんだってな、よく勉強して役に立つやつになれよ」

「旦次のあんちゃん、ありがとうございます、おかげを持ちまして横浜で働けることとなりました」

約束どおり春が来て、正太郎を山手の孤児の家まで連れて行ってくれました。

「正太郎君だったね、仏蘭西語は覚えると役に立つから毎日の挨拶から覚えることだよ、Bonjourがお早うとか、こんにちはの意味で、Bonsoirがこんばんはだ」

「ボンジュールがお早うとか今日わで、ボンソワールが今晩わですね」

「そうだそうだ、なかなか発音の仕方もいいぞ、まず挨拶が出来れば後は気合だ、気合だなんていうが、本当に真剣に相手の言うことが何を言おうとしているか、聞き取る努力をすることだよ、小さい子たちも居るからすぐに覚えてつかえる様になるさ」

内海も埋め立てが進み小さくなりましたが、堀を行きかう船は数多く見ることが出来ました、製鉄所の前で橋を渡り、西の橋まで道々挨拶の仕方や二人のマドモアゼルのことを教える春でした。

ミスと言うのは英語風で仏蘭西ではマドモアゼルですが、横浜ではマドモアゼルは言いにくい人が多いのでミスと言う風に言う人が多いことなどを話すうちに、地蔵坂の途中まで来たところで太四郎と出会いました。

「太四郎さん、この子がこの間から孤児の家で探していた手伝いに横浜物産会社から派遣されることになった正太郎と言う子ですよ」

「今ミスノエルにあって、春さんがもう直に連れてくるという話を聞いてきたところだよ、旦那が橋本さんを後見人にしたと言うことは見込まれた証拠だからがんばって勉強しなよ」

「ありがとうございます、皆様のご期待に沿えるように努力いたします」

「挨拶も、しっかりしているじゃねえか」

太四郎とは軽い立ち話で別れ植木場の間の細い路地を登り、昨日来た孤児の家にたどり着きました。

「この道が、昨日の話の坂道ですね」

「よく聞いていたな、その調子で人の話の要点をつかむことだよ、それから俺たちに用があるときは、さっきの背の高い人が太四郎さんで俺は春太郎、皆は春と呼んでいるからつめて春でいいよ」

「春さんですね、先ほどの人が太四郎さんですね」

「そうだよ、会社のことはだんだんと覚えるといいさ、旦那の名前は虎屋の寅吉、後ひらかなのとらやに横浜物産会社も同じ会社だよ」

ミチに改めて紹介してからミスノエルとミスベアトリスに正太郎を引き渡しました。

「では後はよろしくお願いいたします」春は手を振りながら自分の仕事に戻ってゆきました。

「では、ここで働く人たちを紹介しましょうね、この子はミチ、あなたと同じ年よ」

台所で働いている人、赤ん坊の世話をしている人、次々と紹介され「一度にすべての人の名前を覚えるのも大変でしょうが、早く皆さんと仲良しになってくださいね」

ミチがついて歩いて大きい子達の部屋で「あなたたちのお兄さんとして今日からお勉強のお仲間に入る正太郎さんよ、まだ仏蘭西語も英語も話し方を知らないからあなたたちが教えてあげるのよ」

そんな風に紹介してその次は庭の手入れに来てくれている、リンダさんに紹介いたしました。

正太郎にはもう誰が誰だか訳が判らないくらいでしたが、リンダさんという人がホテルの経営者の奥様でホテルは旅籠のことだということは理解いたしました。

「お散歩の時間だから、正太郎は二人の子の面倒を見てね、昨日までは私が五人も見ていたの、大変だったけど今日から楽が出来るわ」

リンダさんが二人の子と手をつなぎ、三人で七人の子を引き連れて桜道と言うところを下って白い桜が五分ほど咲いている中を歩いて上り下りいたしました。

「ミチ、もうすぐ八重桜も蕾が開きそうね、お花見の時期が近いわ」

「いいわね、お弁当を持ってピクニックに行きたいわ」

「そうね馬車を借りてみんなで行けば小さい子も連れて行かれるわね」

「馬車は乗ったことが無いの、本当に馬車にのれるといいな」

「コタさんに相談してみようか、あの人は遊びごとが好きだし、お容さんがまた桜が咲いたら来るといっていたから、それと十二天まで行く約束もハンナたちとしているらしいし、実現するかもね」

正太郎はピクニックってなんだろう、楽しいことみたいだと思い、コタさんと言う人も孤児の家を助ける一人なのかなと思うのでした。

 

慶応3228186742日 火曜日

弁天 − 十二天

この年は暖かく、桜は例年より10日以上早く咲きだして、寅吉が江戸へ出ている間にヨシノは満開になっていました。

お容さんを伴って野毛の切り通しの見える戸部に入るあたりは散り始めたものもあり、風情がある中を横浜に入りました。

「これからは八重桜が満開になるから桜道や十二天はきれいだぜ」

「ハンナにもそういわれて誘われていますの、お花見のお付き合いで私も参加したいですわ」

「そうしねえよ、孤児の家の方からもピクニックをかねて馬車で行きたいと話があったので、二台の馬車を3日の日にアーネストが手配してくれたから、馬に乗れない小さな子も馬車で行くことが出来るよ」

「3日といいますと桜はその頃まで咲いているかしら」

「おっと行けねえ、グレゴリオ暦の3日の水曜日だ」と手控えを出して見ると「オイオイ明日だぜ、間に合ったということだな、ついたらすぐに参加の連絡をしないといけねえ」

「あなたったら、お忘れでしたのかい」

「いや、そういうわけじゃねえが、お前に見とれていて忘れていたんだ」

「何を言い出すやら、本に気が知れやせん」

寅吉はここのところ昔のことを重ねて思い出したりして、頭の中が混乱しているのか日にちを度忘れするので自分でも呆れる事が多いのでございました。

其れもあと一年ほどで幕府が瓦解してしまうことが、心の中の大半を占めて、其れを言えない事が一因だろうと思うのでした。

そして最近父母のことを思い出す回数がふえたこととも、関連があるのかとも考えています。

後ろを歩いていた辰さんなど、荷物を持ってついて来ていた店のものとくすくす笑って、なにやら話しもはずんでいる様子でした。

切通しから見る野毛の先には港崎の移転先の埋め立ても済み、家も建ちだしていました、完成ま近の様子でした。

「もう直に出来上がるらしいが、後二月後で無いと引き移る事は出来ないそうだ、何でもあの火事の後、瘡に懸かる水兵が多くて、各国の公使連名で検疫病院とかいうものを作れというのでその手の医師を派遣してもらうまでまっているそうだ」

「病気は怖いですわ、あなたも気をつけてくださいね、おもてになるそうでお話はよく聞かされますわ」

「噂だけだよ、俺が誰とでも気安く口を利いたり歩いたりするから、そんな話をするやつが居るのさ、本気にしちゃ駄目だぜ」

野毛の家に入り着替えをするまもないまま、辰さんと二人で寅吉は横浜物産会社にいた人足たちと波止場まで出かけ、丸高屋さんが荷揚げした荷物と弁天通りまで運んで、荷物の仕分けを指示していた吉岡さんと配送先などの相談をしました。

必要なものを何人かに持たせ、マックの店に出かけました。

マックは何か上の空で話をして、用事があるとそさくさと店を後にするので、陳君に聞くと「うちのボス、恋煩いね、コタさんの旦那と行ったお店の人にボーっとして、仕事が手につかないよ」

「なんだそりゃ珍しい、いつもの贈り物攻勢はどうしたんだ」

「効果ないみたいですよ、其れとコタさんの彼女だという話を聞いて、余計ぼんやりしてるよ」

「おかしいな、最近マックといったのはうなぎやくらいだぜ、俺の彼女なんているわけ無いじゃねえか」

「でも、メアリーさんのお店でそう聞いたといって、ふさいでるよ」

「間違いだろうよ、あそこの女将さんなら俺とは何の関係も無いし、どこの誰かははっきりしているのかい」

「いえ、今度だけは口が重くて話が良くわかりません、壇さんボスに聞いてるかい」

「いえ聞いてないですよ」

これはメアリーに聞くのが早いと後は陳君たちに任せてメアリーの店に行きました。

「俺の彼女って何処の誰か判るかい」

「なあに、コタさん唐突ね、自分の彼女が誰かわからないなんてどうしたの」

「いまマックの店の陳君から聞いたが、俺の彼女にマックがほれて、恋わずらいだそうだ」

Amour il est bruyantのことかしら英吉利だとLove it is noisyと言うのかしら」

「騒々しいんじゃなくでふさいでいるぜ」

「あら恋しくて落ち込んでいても其れでいいんじゃないの、恋する病なんてマックらしくないわね」

「其れで誰のことを恋しくてふさいでいるか判るかい」

「タマキというお店の女将さんだそうよ」

「あの女将は別に俺の彼女でもなんでもないぜ、それにマックは何時その女将に会ったんだい、俺といったときは顔を見せなかったぜ」

「ほら、弁天の義士焼きがもう直に移るというので、建築中の新しいお店を見に行ったときに、たまたま義士焼きとドーナツを買いに来たのを見てボーッとなって見とれていたそうよ、お店の人に誰なのか聞いたらタマキの女将さん、と言うので其れから毎日通っていたそうよ」

「初耳だな、俺が江戸に行っている間その調子かい」

「昨日まではね、ここでレンジョーと出合ってコタさんの彼女らしいと聞かされて、それからふさいでいるんじゃないの、帰る頃には頓珍漢な受け答えをしてたもの」

「困った野郎だな、よしんば俺の彼女でも奪い取るくらいの根性がないと、結婚したくても弱腰のままでは決まらないぜ」

「本当ね、それで誰がそう伝へるの」

「アルに頼むか、ゴーンさんに頼むか」

「そうねアルのように万事手早い人が一番でしょうね」

「そうするか、ではそう頼みに行ってこよう」

アルの店ではスジャンヌがいて「アルはいま裏にいるから呼んできましょうか」

「頼むよ、二人に相談もあるし」

「あら深刻な話」

「少し込み入ってるから」

二人がお茶を用意してきたので「俺の彼女にマックが一目ぼれして困っているんだ」そう切り出すとアルはびっくりしてお茶を「ブッ」と吐き出してしまいました。

「何を言い出したかと思えば、恋の鞘当ですか、それで決闘でもしますか」

「アル、何を言い出すのよ」スジャンヌは吃驚してそう夫をたしなめながら服についたしみを丁寧にふき取っています。

「マックがうなぎ屋のマダムに惚れたそうだが、俺の彼女だという噂を聞いて悩んでいるそうだ、さっき会ったが話が上の空なので、いまメアリーのところで聞いたら、俺の彼女だと蓮杖さんに聞かされたらしい」

アルは喜んでしまって「フォンのところで相談しょうぜ、後は頼む」と袖を引かんばかりに寅吉をゴーンさんの商会に連れて行くのでした。

三人で相談した結果これは荒療治でタマキに連れて行って、マダムからコタさんとは付き合ってない、と直接言わせるのが一番だということに決まりました。ゴーンさんが今晩連れ出して多満喜に夜7時半に連れて行くことにしました。

アルと寅吉は二人が入った後、多満喜に偶然来たというように入り、部屋で心づけをはずめば女将が挨拶に来るから、其処で一気に話を煮詰めようということになりました。

「何マダムがマックと付き合うかどうかはどうでもいいが、俺の彼女だなんて噂は速く消しておくのが一番さ」

「新婚のコタさんとしては、まずいよな」

「本当だぜ、それにマダムといっても相手はまだ子供だそうだぜ」

「エッ、そうなのかい」

「アア、何でも今年17になったくらいだそうだぜ」

「17なら別に子供でもあるまい、ロミオとジュリエットの話は聞いているだろう」

「英吉利の話じゃないのか」

「シェークスピアと言うやつが書いた話しだそうだが仏蘭西でも評判の劇だよ、ジュリエットは13だったという話さ」

「だがあいつは悲劇だからな、マックのほうは旨く纏めてやりたいもんだ」

寅吉は話がまとまると、「アルは弁天通りの店に7時頃来てくれよ、俺もそのころまでに店にいるからよ」そう話がまとまり、ピカルディでハンナたちに明日の花見にはお容も参加するから集合時間を教えてくれるように聞きに出かけました。

「よかった、明日の花見にお容さんが間に合うか心配だったのよ、お店は特別休暇と言うことでお休みにしたので変更が効かないです物、集合は植木場であそこの入り口よ、時間は朝の9時30分、15分以上遅れた人は後からくるか諦めるのね」

「それで馬車はどうしたい」

「二台確保できたわ、孤児の家から大人が二人と子供たちが9人の11人が参加するわ」

「そんなに乗れるのかい」

「ミスノエルとベアトリスが分乗して小さい子は詰め合って乗れば大丈夫よ」

馬に乗れない人は桜道の降りたところあたりまで、先に行った馬車が戻って迎えに来て、其処から十二天までは乗っていけることにしたからそれほど大変でも無いわよ、春さんか太四郎さんがついて来てくれることになってるし、お弁当は中川屋さんが引き受けてくれて、先に届けてくれることになったから気楽なピクニックよ」

「そうかでは明日は楽しんできてくれよ、容は誰かに送らせて時間通りに行かせるからよろしく頼んだぜ」

「任せて頂戴、明日も晴れれば楽しいピクニックになるわよ」

「雨の事も考えたのかい」

「そのときは馬車が桜道を何度も往復することにして、孤児の家で遊ぶ予定よ」

「完璧な計画だな、それでは明日は楽しんできてくれよ」

寅吉はパルメスさんと話をするため仕事場に入りました、パン釜の余熱で暖かくテーブルにお茶を出して話をしました。

「聞きましたか、グリーン夫人の紹介でこの間来た人が長崎で亡くなったこと」

「いや聞いてないが、ホテルを開くに、ここがよさそうだとグリーンさんから聞いてきたという人だろう、俺は会っていないのだよ」

「昨日アーネストさんが来て、長崎でなくなったそうですと話してゆきましたよ。エーエーット何とかホイという人でしたっけかな」

「なんだい其れは、俺に話すやつがみんな違う名前を言うのでわからねえが、ホイというだけじゃないのかい」

「そうかもしれないね」

五左衛門さんも自分の釜から手があいたと出てきて話に加わりました、元さんも話しに加わり新しい味にも挑戦しようと何がいいか話し合うのでした。

「明日は店が休みでピクニックには行かないから、兵吉の店で何ができるか相談に出かけることにしてあります」

元さんと五左衛門さんがそういうので「乾燥したフルーツが最近多く入ってきているから其れを練りこんでみようと考えてる」とパルメスさんも自分の考えを話しました。

「明日試してみて、今度の日曜に平吉もこっちに来させて勉強会を開いたらどうだい」

三人とも大乗り気で平吉にも明日伝えてそうすることになりました。

「こっちでやれば経費で落とせて平吉の負担も軽いから喜びますよ、幾ら乾パンで儲けても店を自力でやって行くのは大変ですからね、開発費を持ち出しにならないですむのは喜びますよ」

「あんまり儲かってないのかい」

「そうでもないようですが、やはり日本人が買うのは数が少ないですからね、うちを含めて何軒もパン屋がありますから」

「129番のヨコハマベーカリーが一番強敵かも知れねえな」

「ロバートクラークの焼くビスケットは旨いと評判ですよ、時々は食べ比べて勉強していますがね只塩っ気が強いのにはまいるけど」

「あの塩味が良いというものもいるから売れるんだろうな、アジはさまざまでいいと思うよ」

パルメスさんは「自分の味を守るというよりも勉強だからいろいろと試すことさ」と、こともなげに言うのでした。

元さんにマックの店に行かせて寅吉は元町を廻ってから野毛に帰ると便へさせて、谷戸橋から元町に入りました。

野毛でお容に明日の予定を告げて「今晩は、my sweetheartに会いに行くから、早々と風呂で磨いて着替えるぜ」

「なんですの、そのマイスイートハートってのわさ」

「俺の恋人だと噂のあるうなぎ屋の女将に会いに行くのさ、お前も来るかい」

「いいんですかあたいも付いて行ってしまっても」

「かまわねえよ、支度が済んだら弁天通りの店で時間まで、経緯をゆっくりと話してやるよ」

風呂が沸きましたと知らせをお秋さんがしてきたので「一緒に入るかい」とお容さんに言うと「たいがいになさいまし」といわれ仕方なさそうに手を広げ「先に入るからお前さんも入るなら着替えの準備もしておきなよ」

弁天通りに行くとアルが早々と来ていました、春と品物を見ながらあれこれと相談をしてこいつはあまり売れないとかこれなら売れそうだとか喧々囂々とやっていました。

「大分賑やかじゃねえか」そう声をかけると「コタさんお前さん恋人に会いにいくのに奥さんも一緒かよ、スジャンヌも行きたがっていたがつれてこなかったよ」

「お前の神さんが来ると、話の周りが早くて収集がつかねえよ」

「何だ、スジャンヌがおしゃべりみたいに聞こえるじゃねえか」

「そうじゃねえが、明日のピクニックで町中のものが知ってしまうよ」

「そうか、明日のピクニックかそうだよな気分が浮き浮きとして話すだろうな、間違いないな」

アルと春を交えてマックの勘違いと女将に一目惚れした話をお容に詳しく話し役割分担もするのでした。

三人で話がはずみ出したので、寅吉はシェークスピアの話から横浜座を思い出し母の顔が連想で多満喜の女将とダブりました。

「あれもしかしてマックが俺の爺様なのか」と指折り勘定しておりましたが「なんだおふくろは明治18年生まれだから、後20年も先かありえねえな」と納得いたしました。

「何で指を折って勘定していますのさ」

「マックが惚れた女の数を勘定していたが、多すぎて諦めたのさ」

「其れで、ありえねえななんていいなさったのかい」

思わず声に出していたようでございました。

約束の時間が近づき石畳がひき終わり柳の木などが歩道と言うところに植えられた、馬車道と名づけられた道から太田町通りに入りました。

全楽堂は道から下げられましたが奥に余裕があったので家を引くだけですみましたし、奥庭に店を広げたので裏側は日当たりもよく商売には最適な場所になりました。

もう店は閉まりまた何処で蓮杖さんは遊んでいることでございましょう。

多満喜には明かりが灯り、風情のある様子に見えました。

仲居に部屋はあいてるかと聞くと「マックさんが来ていますが同じお部屋にしますか、ほかにもあいていますが」

「一人で来ているのかい」

「いえもうお一方異人さんと一緒にお見えです」

「では都合を聞いてよければ俺たちも同席でいいよ」

案の定、仲居さんが話を通し偶然を装い四人で部屋に入りました。

「ヤァ、ゴーンさんだったのかい、相席ですまねえな」

お容さんもいるのでマックは驚いた様子でしたが、其れでも愛想良く「お容さん此方へと自ら部屋の隅から座布団を運ぶのでした。

アルが打ち合わせどおり二つの紙に包んだ壱分金を渡して「これはあんたたち仲居さんとと板場へのチップだよ」と便へました。

仲居は帯に挟んでビールと煮凝りを頼み、うなぎはうな重でいいから後は何ができるかな」

「今日はいかだの白焼きなどいかがでしょう」

「其れを先に出してくんな」

「かしこまりました」と下がって間も無く女将と板場の親父が例によって顔を出してきました。

アルに向かって丁寧に頭を下げて「此方の旦那様には初めてのお目通りと存じますが、過分にお心使いを頂きありがとう存じます」

そう話をして引き下がる様子に寅吉が「女将さん、ちと相談がるのだがいいかい」そう聞くと「承知いたしました」と中に入り障子を閉めました。

「実は、俺と女将さんのことがおかしな噂になっているらしい、嫁入り前のあんたにすまねえ事だとは思うが、うわさの出所はこの間仮橋からの帰り道を見られたことから広まったらしい、話を広げたおっさんは口が軽くて評判で、誰かはわかっているので俺からも釘を刺しておくから勘弁してくんねえ」

「私も聞きましたが、浮名が流れて困るほどの事もありませんのさ、でも旦那さんは奥様がおありでお困りでございましょうが、しばらく放って置けば立ち消えとなりましょう」

17とは思えぬ大人びた人でございました。

「いい機会だ紹介しておこう、これが俺のかみさんだよ」

「おやまあ、これは御見それいたしました。様子がよくて何処ぞで出ておられる芸者のお姐さんかと勘違いいたしました」

「あれ、地が出ていましたか、ほんの三月前まで柳橋で出ておりましたのさ。本日は寅吉がマイsweetheartに会わせると言うのでついてきましたのさ」

「ホホご冗談ばかり、旦那も奥様もお人がわりいでござんすよ」

説明しなくともここ横浜で暮らしてその様な言葉も覚えたらしい様子でした。

「其れはさておき、マックのことだが、どう思いなさる、勘違いして俺の彼女に手を出すのは不味いと悩んでいるそうだ」

「マックさんには贈り物も頂いて感謝はしておりますが、今は商売が面白く色恋には興味がござんせんが、困るという気持ちは少しもござんせん」

つれない言葉は異人だから嫌いと言うよりも誰に対しても同じように接したいという女将としての心構えのようでございました。

女将が引き取り、煮凝りが出されビールで話もはずんでマックの顔にもいつもの生気が戻ってきました。

「俺は惚れたぞ、誰よりも惚れたぞ」

自分の台の物を食べつくして、寅吉の物をねだるいつものマックに戻っていました。

いかだの白焼きをわさびで食べるのは、フランス人の二人には苦手のようでそれも食べてしまうマックに容は呆れて見ているばかりでした。

うなぎの佃煮があるというので其れも出してもらい、アルとゴーンさんは安心した様でその後、漸くにうな重が出てまいりましたので暖かいうちに頂くことにしました。

春はここが始めてらしく「噂では聞いていましたが、これは旨いものですね、旦那が贔屓にするのもわかります」

「だから、噂が出たりするんだよ」

マックもいつもの軽口が出るほど明るく話を進めています。

話は明日のピクニックのことや、商売のことなど弾んで食べ終わってもしばらく続きました。

仲居のおすみちゃんが出てきて、お茶を入れてくれて「台の物を下げてよろしいですか」と聞かれ「いいとも其れと勘定をしてくんなよ」

「俺が払うぜ」マックが引き取りました。

「全部ご一緒ですかお分けいたしますか」

おすみちゃんに「全部俺が払うよ」とマックがかぶせて言いましたので、そろって「ごっちやんです」と最近流行っている相撲取りの言葉でお礼を言うのでした。

まるで市川荒二郎の芝居を見るようだと、何でもありの芝居が賑座で公演されたときのことを関連なく思い出すのだった。

塩原太助あおの別れだったけかな、哀れな話のように思っていたのに梅など帰ってきてから怒りまくっていたけど、父や母は思い出して話すたびにおかしくて涙が出るなどと話していたっけ、マックの恋愛もそんな話と似たり寄ったりで、やはり英吉利人はどこか日本人とは違うようだと思うのだった。

onedollar(三分)とhalfdollar(一分二朱)ですが日本のお金だと四分二朱でございます、一両ニ朱と言うことになります、ドルと混ざっても結構でございます」

チップも入れてと断って壱分金を五枚渡すマックに「毎度ありがとう存じます」と中井たちが玄関先まで見送りに現れて送り出されました。

言い方も横浜らしくドルと両を交えた不思議な言い方ですが十分これで通じて不自由はありません、fiftycentよりhalfdollarのほうがわかりやすいという事もありもっぱら使われています。

野毛に戻る道すがら「マックもあれで得心したろう、本当に恋仲の女のところに、女房連れで行くやつなどいねえものな」

「でも、かわいい子ね、年より更けて見えるようにお化粧もして着る物も地味にこしらえて、多満喜のお店を繁盛させる努力をしているのね。あなたもマックが好きになってしまうなんて残念に思っているんじゃありませんの」

「ばかぁ言うなよ、そんなことに気を回すなよう」

二人がそんな話をして歩く姿を春はいい夫婦だなぁと思いながらついてゆくのでした。

「そうだ、明日ピクニックへ出かける前に壱丁目に開店する義士焼きの店を見に行こう、驚くぜ、なぁ春よ」

後ろを振り向いて突然そんな話を春に振り分けるのでした。

「ハァ、御かみさんも驚かれると思いますよ、とっぴなことで評判になっておりますから」

「あら其れはどんな風なお店なの」

「其れは明日の朝のお楽しみさ」

寅吉は思わせぶりにそういいます、野毛に入ると春はとらやの前まで二人を送り自分の家に戻りました。

翌日は29日グレゴリオ暦では四月三日水曜日、暖かく雨の心配も無いと宗助爺さんが話してくれました。

朝は虎屋の従業員と同じものを出してもらい、お容さんにもこれと同じものが住み込みのものや通いでも店で食べるものに出す食事と話しながら食べるのでした。

海苔が焼かれて、一枚を八つに切った物に生卵か納豆が付き、香の物はたくあんが三切れにcabbageの浅漬け、味噌汁は豆腐でした。

「野毛では人足でも手代小僧まで同じ食事だよ、飯と味噌汁はお替りが出来るのさ。後ゆで卵は金を出せば好きなだけ買って食べられるが不公平になると行けねえからお菜の持込は禁止しているのさ、朝から出かけるやつには握り飯に佃煮をつけた弁当を持たせることもできるんだよ」

ゆっくりと食事をして7時半頃に吉田橋から弁天通りに向かいました。

馬車道の柳のきわを通り抜け、一丁目に入るとイヤでも目立つ義士焼きとらやの看板とピンクの店がありました。

「もう開店しますの」

「後10日くらいで開ける予定だよ、千代の店は18日ころになるといっていたぜ、下足番も仲居も決まってあとはお鳥さんの腕次第さ」

「二丁目のお店はやはり取り壊しますの、もったいないですね建てて間もないのに」

「あそこはお鳥さんの知り合いが煮売家を開きたいというので、倉庫の部分は取り壊して入れ込みの店はそのままで店を貸すことにしたよ、ほら俺がおでんだといってシナの鍋から思いついたやつさ、練り物を煮込んだ鍋を中心にして煮売家として開ける予定だそうだ」

「では二丁目は乾物のお店と前の横浜物産会社が残りますの」

「虎屋も二丁目から壱丁目に移してあそこは長屋を残して後は独立するもののための店として貸し出すのさ」

「ご自分で商売を始める方もおいでですか」

「そうだよ、よそでは長年勤めねえと暖簾分けをしてもれえんだが、俺のところは同業でも違う商売でも応援して独立させるようにしているのさ」

「商売敵が増えれば大変でしょうに」

「そうでもないよ、横浜ではほかと違い人だどんどん増えるし、異人たちとの商売もまだまだ増えるから俺だけですべてを取り仕切ろうなんざ無理な話だよ」

ためつすがめつ飽きるほど見ても、驚きが消えることなどない奇抜な店でございましたが、異人さん達は旧弊な日本の商店と違い面白い店だと開店前から見に来る人が居られました。

今は雨戸が入りピンクが目立ちますが雨戸を開ければ中は特注のガラス戸が入り店にはあかるく陽の入る店のつくりでございました。

店は南向きで前の店と違い、虎屋を北向きとして乾物などに陽が当たらぬようにいたしました。

雨戸が開けられ「あれ旦那様おいででしたか、御かみさんもおいででしたか中をごらんになられますか」

「少し見せてもらおうか」ペンキの匂いが少し残る店内は朝日が少し入り明るい雰囲気でした。

入ると左手が義士焼きを焼く台を据え付ける所で壁は石造り、右手が椅子にテーブルを置いてあり中で食べたり待つことが出来る10坪ほどの店,仕切りの後に石造りで囲まれたドーナツや饅頭などを揚げたり、蒸かす場所が10坪ほどとゆったりと作られていました。

店の外にはお客用と従業員用のtoiletが仕切られてはいますが母屋と屋根続きで設置されています。

店の中から外に出る扉には看板が掛けられ、後架toilet toilette と看板が書かれていました、足で足元の踏み板ペタルを(pedal・ぺだる)を踏むと竹ざおから水が出るという事も書かれていました。 

時刻が近づき地蔵坂まで急いで歩く容と寅吉はそれでも9時28分に地蔵坂の入り口に到着しました。

「急いでよかったですわ、でもあんまり急いだので息が切れました」

「大丈夫かよ、つい俺の脚に合わせさせてしまって時間一杯まで店にいたのが悪かった」

「でも面白いお店だし、中も工夫されていますね」

「ほかの野毛や元町も同じように順番に作り直す予定だよ、只なぁ、あの色気だけはまいるよな」

「いいではないですか、横浜らしくて奇抜なほうがお客も喜びますわよ」

「お容がそういうならお怜さんを説得して、同じ色合いの店にでもしてみるかな、今日ハンナやエイダにも聞いてみてくれないか」

「ええ、そういたします」

待ちあう場所には人が集まり、ついて来ている清国人や黒い肌のものまでも来ていました。

20番のとらやのほうも休みにしたので、マリーやマリアに元町のリサとカレンもお怜さんが特別に休ませたので参加していました。

二年前と違いエイダも馬に乗れる様になり自分の馬を引いていました。

アグネスは相変わらず馬に乗れないのでお容と歩いて行くことになり、うれしげに話をしていました。

お供についてきたものも含めて五人が歩きで行くことになり大人数のピクニックは出発いたしました。

ここから帰る寅吉とメイド達は三々五々西の橋や前田橋から居留地の中へ入りました。

地蔵坂の上ではもう馬車に乗った孤児たちの声が楽しげに響き、ハンナがついたときには春が出発と号令を掛けて馬車が動き出しました。

後から騎馬のハンナたちが続き、春を先頭に歩きの者が桜道を下りました。

白い桜は散りだしていて桜吹雪の中を行く馬車は幻想的に見えました。

八重桜など赤く花が咲き出したものはまだ落ちる事もなく咲き誇り、騎馬の者は馬に任せてゆったりと歩んでゆきました。

歩くお容さんの方は白い花びらがまるで花飾りをしたように髪を飾り、アグネスも「日本の髪を結えばあたしもそのように髪飾りが出来たのに」とうらやみますが、緑の帽子に白い花びらが積もる様子も美しく春には見えるのでした。

妙香寺台を下に降りると馬車が待っていて十二天まで乗せてくれました。

海岸で借り出した毛氈を引き、お昼を楽しく頂、子供たちが波打ち際で遊ぶ様子を見ながら語り合うのでした。

毛氈を帰しながら茶店で手洗いを借りて身支度を整えて、正太郎と言う少年が歩く代わりにアグネスが馬車に乗り込むことになりました。

「春さん、今度は一緒に歩きますのでまたいろいろ教えてくださいね」

「いいとも」二人はなにやら異国の言葉で話し合いながら先頭を歩いて妙香寺台に差し掛かりました。

「お神さんに紹介するのを忘れてた」

春たちが立ち止まり「お容様、こいつは孤児の家にこの間ほんの10日ほど前から住み込んだ正太郎といいます、程谷のものですが釜吉と旦次が紹介して、橋本さんが後見と言うことで横浜物産会社の人間として住み込ませています。日本の字やフランスの言葉を勉強させています」

「そうなの、容といいますのよ、10日ほどにしてはよく言葉を覚えたようね、しっかりお勉強をして立派な人になってね」

「ハイありがとうございます、寅吉旦那にもおかみさんにも喜ばれるように、懸命に勉強をいたします」

しっかりした受け応えでこれからの成長が楽しみな少年とお容には思えるのでした。

待つほどもなく約束どおりに馬車が戻り、孤児の家まで坂を登りついたのは三時にはまだ余裕がある時間でした。

ここでしばらく時間を過ごして、解散となりお容には春がしたがって野毛に戻るのでした。

 

慶応33101867414日 土曜日

弁天 − 金川

一丁目の「とらやが本日辰の刻に開店致します、場所は弁天通り二丁目から壱丁目に移りましたが目印は桃色の看板と入り口のギヤマンの扉でございます」とふれる広目屋の声が朝の弁天通りから聞こえてきます。

声は馬車道から太田町、入舟町と触れ回り代地の隅々までも廻るのでした。

「商うものは義士焼き、大福、饅頭、ドーナツなど前の店と相変わりませずご贔屓をお願い奉ります」

広目屋はとんがり帽子をかぶり、大きな幟を持つものと与助を持つもの笛を吹くものと三人で廻っていました。

声を出しているのは先頭を歩く幟を持ちながら歩く洋服の男でした。

「今日も何かサービスがあるかもしれないよ」

女子供はとらやがいつもサービス満点なのを覚えていて広目屋があえてその事に触れずともその様に思うのでした。

この日野毛、20番、元町の3店を含む四ヶ所の店では応援のものも含めて朝早くから開店準備に追われていました。

各店舗の入り口には、二代目が書いた新しい店の絵と、本日弁天通り一丁目の開店日に付き二品に一品の付録が付きます、お買い上げと同じものをサービスいたします、としたためられておりました。

20番ではそれに英吉利と仏蘭西で書き足された紙が、入り口に張られています。

弁天通り以外のお店は何時ものとおりに9時に開店していますが、早くも人が並んでおりました。

お容さんも野毛の店で注文を聞いて紙に書いて、どんどん洗濯バサミに挿んで吊るしていきます、頼んだ人には番号入りの木札を渡しておりました。

店の中ではその注文の書付をはずして計算をして、包んである品物とサービス品を一緒に包んで、お金が渡しております。

義士焼きだけはさすがに作り置きはしないようにと寅吉がうるさいので、開店にあわせて焼きあがるようにしだしましたので、どうしても別口で待って頂く事が多くなってしまうのでした。

義士焼きを包むのは手馴れたおかみさん連中でも忙しいくらいでした。

何時もは一台の義士焼きを焼く台を、この日のために奥に一台置いて焼いていますが忙しいのなんの、時々息抜きをするのがやっとと言うのが昼過ぎまで続きました。

義士焼きの職人は江戸から横浜見物を兼ねて、四人の人間が出てきて今日に備えていました。

弁天通りは普段二台の義士焼きの台を三台にしてあっても、忙しい日でございました。

タバコを吸った後と手洗いを使った後は必ずシャボンで洗うように指導してあり、忙しい職人もタバコを一服した後、手を洗いうがいをしてはまた仕事に戻るのでした。

蓮杖さんとその様子を眺めていた寅吉は「何時もの義士焼とかわらねえのにサービスが有るとよく売れるもんだ、この分だと3000個の義士焼きが売り切れてしまいそうだ」

「何時も不思議に思っていたが、どうやって勘定をしているんだ、一個ずつ数えて売るのかよ」

「まさかそんなことはしねえよ、たとえば義士焼だが一回に20個が焼けるようになっているだろう、あのうち10個をまず焼くのさ、そうしたら碁石を一個木箱に入れるんだ、そうして其れが焼けるまで待つ間に、次の10個を焼く支度をして焼き始めるとまた碁石を入れて、最後にその数を数えるのさ」

「なんだそんなことか、簡単なことなんだな」

「そうさ、白の碁石が百個用意してあってな、其れがなくなると箱を替えて、黒の石ひとつを別の箱に入れるのさ、そうすりゃそこで壱千個の義士焼きを焼いたということが知れるのさ」

「コタさんの知恵かい」

「いや俺じゃねえよ、ほれそこで焼いている宗太という若いやつが考えて、今じゃすべての店で行っているよ」

「若いのにやるじゃねえか」

「弟もなかなか賢くてな、安房の国から兄弟で出てきたが、宗司といって横浜物産会社で働いているよ」

「そういやぁ多満喜のおかみのことは悪かったな、てっきりお前さんが手を出していると勘違いしてしまってよ」

「いいってことよ、マックのやつがおかみに本当に惚れていることが判っただけでも、もうけものさ」

「どうしてだよ、あんないい女を人に譲るような按配だろうに」

「俺が手を出すわけねえよ、女将がマックを気に入ってくれれば、あいつの岡惚れ病も納まるだろうさ」

多満喜の女将の、お玉さんと言う人は年に似合わず落ち着いているし、親父さん思いで商売も上手くて、横浜では成功すると感じられるのでした。

マックと一緒になって横浜に根を下ろしてくれれば、言うことはないと寅吉は考え楽しくなるのでした。

「そういやぁ、国際結婚というのかな、勝先生のところの梅太郎さんはクララとか言う人と結婚したことが有ると聞いたことがあったな」

等思い出しながら顔は蓮杖さんと向き合って居留地との、境の通りや港崎の後の広場に公園を作ることなど取り止めの無い話をしていました。

「コタさんよ」

「なんだい」

「俺は何時も不思議に思うんだが、お前さん俺と話していても遠くを見るような眼をするだろう、あれは例の千里眼に何か見えるんじゃねえかと考えるんだが、そうじゃねえのか。俺だけには見えたことをそっと教えてくれよ」

何時ものおどける様子もなく、手を合わせて寅吉に頼む蓮杖さんです。

「よせよう、まるで借金の言い訳をしているようだぜ、俺が考えている横浜の先行きはこの道から江戸まで馬車を走らせるかということや、長崎でトマスが走らせてこっちで展示したスチームロコモとか言うやつを江戸と横浜の間で何時走らせるのだろうかなどということさ、マァその前に蒸気船の小ぶりのやつで江戸と横浜を結べば一日で商売をして帰ってこれるのにとか、などさ」

「まるでこの道を馬車が走っているのがみえているようだぜ」

「コブ商会のマークとかいう若いやつが馬車を走らせてこの界隈を廻っているだろう、あいつが江戸までこの間、馬で往復して八時間で往復は可能だとカーチスに話していたそうだ、馬車で六郷の渡しを渡るには橋がないのでどうするかだとよ。其れが解決すれば商売にすると話していたとよ」

「そんなことを考えているのか、そいつは其れを彼方此方で話して、人に商売を先にやられては不味いんじゃねえか」

「会所を通じて奉行所に申請する権利を居留地の仲で取ったそうだ。あいつらはそういうことはしっかりしているぜ、後はrailroadrailway)の権利を幕府から取り付けたやつとかたいしたもんだぜ」 

「籠に馬でゆったりと街道を行くのはもう時代遅れになるのか」

「そうなるだろうぜ、いまはここの上がりの税も製鉄所や戦支度の鉄砲に化けているが戦がなければあちこちと文明の発明品が来るだろうぜ」

「コタさんはそういう方面には手を出さないのかい、船便や馬車は俺もやってみたいな」

「いま俺がほしいのは、蒸気で動かすポンプだよ、そいつがあれば火事のときに遠くから水を引いてきて家の焼けるのを防げるかも知れねえ」

「また新しいポンプを買ったそうだな、今度のは手押しじゃねえのかい」

「いやどうも蒸気で動くやつではないらしい、馬車で牽くと聞いて頼んだが只大八のような車の上に乗せてあるだけらしいや、拉致もねえ話さ人が一緒に乗っていけるから早く到着するということだけらしい」

「まったくコタさんは新しいものが好きだなぁ、そういう話を聞くと千里眼じゃねえのかとも思えるし、よくわからねえ」

「だから何時も言うだろう、見えているんじゃなくて考えてそうなるんじゃねえかと思うことを言うだけだってよ」

「だがよ、商売だって、この間の火事だって二丁目は燃えずに残っただろ」

「まさか、只の偶然さ、蓮杖さんも知っているじゃねえか、最初弁天通りに空きがないか探してきたのは蓮杖さん自身だぜ」

「ホイ、そうだった、忘れていたぜ」

一丁目から全楽堂の前の腰掛に移って、二人で茶をすすりながら馬車道を眺めて話は弾んでいます。

「商売は順調なんだろう、失敗したという話を聞いたことがねえよ」

「そうでもないぜ、長崎関係のうちの店は順調だが、ほかへ投資した1000ポンドは帰らないみたいだし、商売の損を数えだしたらキリがねえよ」

「其れじゃあ、遣り繰りは忙しいのかい」

「其れは何処でも同じさ、只うちは掛売りが少ないので何時でも現金があるように見えるだけさ、会計など忙しくて眼が廻るほどだといっているぜ」

「其れがわからねえ、ただ金勘定だけしているように見えて何で急がしいんだよ」

「まさか、金の計算だけしているなんてことはないよ、あいつらは店が閉まってから売り上げを集めてその日の各店舗の働き具合や、仕入れのための準備など夜が忙しいのだよ、昼間だって各店舗を廻って足りない品物とか人間を増やすかなどの面倒も見ているのさ」

「たいしたことはなさそうだな」

「俺や、蓮杖さんみたいにこうやって日なたで茶を飲んでいるものは、仕事で飛びまわっているやつらが、どのくらい大変か知らないだけだよ」

「そういうなよ、俺だって忙しいときは眼が廻るくらい大奮闘しているんだぜ」

「そういう蓮杖さんを見てみたいもんだ」

二人で笑いながら陽気がよくなった店先で午前中を過ごしてしまいました。

長崎から船が着いて伝次郎の使いと坂本さんからの使いの人がやってきました。

伝次郎の使いは幸助で方が付く話なので任せて寅吉は、腰越次郎さんとお会いしました。

坂本さんの苦衷など苦労続きの白袴の人たちはそれぞれの夢もあり、饅頭屋さんがなくなってからは金の苦労が無く為らなくなってしまったそうでございます。

佐賀に御出での丹後田辺藩の石黒寛次さんや久留米の田中久重さん親子のことなどお話していただきました。

佐賀では独自にアームストロング砲を開発していましたが、この春グラーバー商会より新たに二門の110ポンド砲を購入したそうでございます、亜米利加のスペンサー銃も五百挺購入と聞いたので佐賀藩の装備は最新となりつつありました。

いろは丸を借り上げる話や、後藤様と会見した結果土佐藩の土佐商会との関連で新たに組織の改造をするという話も出てきたそうです。

いったん江戸に出てまたとんぼ返りで4日後の船で長崎に戻りたいというので、お引止めはせず、いけるところまでは歩くという腰越様と青木町まで船で出て、神奈川宿のはずれまで歩きそこで、お別れいたしました。

江戸からの連絡役が来て、吉野屋さんの手紙と言付け、勝先生の近況などを信司郎が便へてきました。

台町の桜屋へ連絡に来た信司郎と揚がり、詳しく話を聞き取りました。

勝先生は3月5日 海軍伝習掛を命じられたそうでございます。

オランダの教官を招いてあるのにイギリスに伝習を頼んだという、ややこしい問題を解決できるのは先生だけと思われての起用のようでございます。

夕刻の横浜は穏やかで袖ヶ浦を渡る船も気持ちの良い心持でした。

忙しかった義士焼の店舗もようやく落ち着きを取り戻し早々と閉店準備を始めております、寅吉が覗くとお容が「お帰りですか、ではあたくしも戻りますから先に部屋にお戻りください」そう声をかけて「お金さん後はよろしくお願いしますね、皆さんお先に失礼します」

「お疲れ様でした」お金にお兼や、手伝いに来てくれていた女たちに見送られて奥に入りました。

長屋へ続く路地から玄関に入った寅吉と容は部屋でお茶を入れてくつろぐのだった。

「忙しかったろう、疲れていないか」

「大丈夫ですよ、みなが気を使って時々座れせてくれましたから」

「そうか、俺では義士焼きの店の役には立てないからなあ」

「其れはそうですわよ、あなたが其処まで働いては横浜物産会社のほうで困りますわ」

「会社のほうも虎屋の方も俺がいなくとも十分機能しているよ、お前と長崎にでも遊びに行っても困ることはないさ」

「そうは行きませんよ、江戸の方だってあなたが一月も顔を出さなければいろいろと支障がございましょうに」

「そのための連絡役さ、飛脚と同じように俺の代わりに行ったり来たりと、忙しいのはあいつらさ」

「本当に千代さんはじめあの人たちの役割りは大変ですね、あたくしにも出来る仕事はどしどしと言いつけてくださいね」

「お容は出切るだけ働かなくていいよ、といっても江戸でだけの話だがね、おつねさんを出来るだけ遊山に連れ出してやってくれよ、最近足腰が弱ってきたようだからせいぜい歩かせて足のほうだけでも達者にしたいからよ」

「そういたしましょう、あちらこちら半日程度の遊山なら疲れることも無いし、お江戸の名所をすべて廻るまでとでも行って連れ出しましょか」

「そいつはいいや、不動様でもめぐって歩くうちにはそのうち歩くことが楽しくなって次は何処にいくかなどいうようになればしめたもんだ、話は違うが今日来た連絡ではお琴が医学所に通って西洋式の包帯の巻き方を習っているそうだ、これからの薬屋はそのくらいのことがお手伝い出来なけりゃいけないでしょうと言っているそうだ」

「あの子は頭もいいし働き者ですから、遊びたい盛りでしょうにね」

「なんか皮肉みたいに聞こえるぜ、俺なんか遊んで廻ってばかりいたからな」

「あらそうだったんですか、あなたが15歳くらいのときはあたくしお屋敷奉公に上がっていましたからよく存じませんのよ」

「そうだったかね、あのころにはおつねさんの店も順調で、塾の人や木場の旦那衆や新川の旦那衆に彼方此方と引っ張りまわされたからな」

「ではお江戸に出てくる今と同じようでございますね」

「そうだな、旦那連中は年を食って暇になった分、余計俺のようなものの話を聞きたがるようだ、それからあと一つ、なんかお前の兄貴の藤吉さんだが」

「兄がどうかいたしましたか」

「吉野屋さんからの話だと最近柳橋に通っているそうだ」

「あらきみ香さんにでもお熱でしょうか」

「そうではなくておきわさんらしい」

「それなら福井町に通ってるのかい、それでおきわさんのほうはどうなのさ」

「其れがな、吉野屋さんが言うには、相惚れらしいのだが」

「それなら問題ないだろうに」

「お前さんの両親はどうなのだよ」

「何も心配することなどないでしょうよ、現にあたしを芸者に出してくれたんだ、おつねさんだっておっかさんとは従姉妹だし、うちの家族に芸者が嫌だと言う人などいないわ」

「吉野屋さんは相談を受けたが、年の差を心配しているようだ」

「だってたった四つ位の差じゃないか、おっとりした兄さんにはうってつけさ」

gentleと言う言葉があるが、藤吉あにさんは本当にそのとうりの人だな」

「あれ、あちらの言葉でもおんなじような言葉がありましたか」

「そうだな、やさしいとかやわらかいという意味に使うみたいだが、仏蘭西語はdouxとでも言うみたいだな、おきわさんが八百屋のお神さんに治まってくれる気があればいいが」

「でもそうすると、初音やは誰が面倒を見ますかしら」

「きみ香を引退させて女将にしようと思うがどうだろう、もうあの人も今年は二十四

くらいだろうし、お軽とともに本来は木挽町に移らせようと考えていたんだが、おきわさんが藤吉あにさんと世帯がもてるなら木挽町はもう少し後でもいいさ」

「おっかさんが気にするなら、おきわさんの歳が三十になるということぐらいかしらね」

「吉野屋さんもそういうことが心配だという話だよ」

「お前が江戸に戻ったら深川に顔を出して話を聞いてやってくれ、おつねさんと河嶌屋の吉造さんを軍師にして、あにさんが望むようにしてあげておくれ」

「あい、そういたしましょう、男嫌いのおきわさんに惚れるあにさんもあにさんだけど、男嫌いは当てにならないということかしら」

「そうでもあるまいよ、出会いがなかっただけだろうよ」

「でもまぁ、なんて福井町は縁談の多い家でしょう、お初さんに、お金ちゃん、あたしと続いて今度はおきわさん、きみ香さんにも幸せになってほしいですわ」

「しかしあの子は気が多い癖に、本気で惚れたりしないみたいだね」

「そうなのよ、役者にのぼせたりはするけど、浮気で男について行くなんて事はしないし、毎日接していたから、男の気配がないことはわかりますものね」

「初音やもおつねさんや吉造さんと相談してきみ香に任せることを早めに決めねえといけなくなったな」

翌日も晴れてお容さんが前から行きたがっていた浦島寺へ遊びに出かけました。

帰国山浦島院観福寿寺と耳にしていますが、護国山ともかかれています。

御伽噺と信じていた浦島太郎がここに眠ると聞いてから、たづねたくてうずうずしていたお容は朝から上機嫌で歩きます。

青木町でとらやで一休みして神奈川宿に入り滝野川を渡り、高札場を通り過ぎて問屋場では「コタさん、江戸まで戻られるのかい」と声をかけられるたびに「浦島寺まで遊びに行くのさ」と答えるのだった。

わき道に入り熊野社に二人でおまいりして、仲木戸横町に出て左手に折れて、街道とは離れて進みました。

妙仙寺の先の畑道から笠脱稲荷に出て遊女や遊郭で働く人たちからは、かさのぎ稲荷大明神とおまいりにける人も多いとなど話しておまいりもしました。

「ここの前を通ると自然と笠が脱げるのでつけられたと聞いたよ、其れを誰かが瘡に置き換えて御利益を願ったものらしい」

「お前様はおもてなさるからおまいりして瘡になどかからぬようにしてくださいませよ」

「人が言うほど遊んじゃいねえから、そんなに心配するなよ」

等人が見ていたらなんと言うやら、じゃれあっているようにしか見えない二人でございます。

その先の丘を登れば其処は浦島言われる高台、別名白幡の丘とも言われるところに浦島寺はありました。

話は二つ伝わり父母のなくなったのを知り、落胆した太郎は神奈川の浜から亀に乗って竜宮に戻り、再び帰ることはなかった話と太郎はこの地で亡くなったという話が伝わっています。

太郎の墓に詣で亀の背に乗った浦島観世音浦島寺という碑を背負った亀の台座を見て歓声を上げ、丘を降る二人でした。

このあたり桜の老木があちら此方にありまだ花を咲かせているものもありました。

道をたどり神奈川宿の江戸見附近くの長延寺に出て街道を新町から青木町に向かう二人でした。

横浜物産会社に入り笹岡さんにお茶を入れていただき一休みした後船で横浜に渡る二人はうららかな午後の袖ヶ浦に浮かぶ大小の船と、英吉利波止場の沖の大船たちを見比べてはて居りました。

「いまどの古来の異国の船が来ているのかしら」

「そうだなぁ、軍艦が十隻と商船が十六隻位かな、商船のほうはもう少し多いかも知れねえよ」

「そんなにいますかい、ではあの船の陰にもまだいるということでしょうか」

「そうだなここからだと数を数えようとしても全部はみえないからね」

「江戸の付近にはまだ来ないのかしら」

「品川から先には入ってはいけないことになっているが、いま申請を出してる人がいて小さな蒸気船なら人を乗せて大川に入れるかも知れねえよ」

「そうなればあなたのことだから、江戸と横浜をとんぼ返りで行き来するんでしょうね」

「江戸にはお前がいるからその日のうちに変えるなんてしないよ」

なんて甘いことを人には聞こえないようにささやく寅吉でした。

お容さんは寅吉の袖をぎゆっと握りうれしそうに微笑むのでした。

波止場から上がり、馬車道を南に進むと新しい義士焼きの店に顔を出し、昨日の開店の急がしさをねぎらってから、野毛に戻りました。

 

慶応33251867429日 日曜日

弁天 − 袖ヶ浦

久しぶりの晴天に恵まれたドンタクのこの日、喜重郎さんにキス釣りに誘われて袖ヶ浦で糸をたれました。

陽気もよくキス釣りやはぜ釣りの船があちら此方に見えています。

大物を狙うらしく少し沖き合いにも蒸気船、帆船に混ざり、ほかけ舟がゆったりと浮かんでいます。

「穏やかで良い日だな」

「そうだなぁ、こんなにのんびりと釣り糸をたれるのは久しぶりだ」

水舟の船頭の松さんの知り合いの嘉市という老人が櫓をこいで、野毛から台町付近まで出てきました。

「ここまで来ると往来の船も少なくて、釣り船ばかりだな」

「前、野毛の仮橋があったころあのあたりで釣をしようとしたら朝のうちはよかったが、そのうち船の往来が激しくて釣りをするのには向かなかったぜ」

「手じかで済まそうなんてコタさんらしいや、それなら磯で釣るほうがましさ」

そういっているうちにしろぎすが懸かりだして二人はめまぐるしく釣り出しました、おおよそ二百匹ほど釣った所でもう飽きた寅吉が釣竿を投げ出して「もうやめた、これ以上釣っても食いきれるものじゃねえよ、文平が昨日つってきたらてんぷらにして人足たちの夕食のおかずにしますから、たんと釣ってきておくんなさいといったが、漁師と違って根気が続かねえよ」

「よかったぜ、俺も何時言おうかと思っていたんだが、根性で釣っていたぜ」

「旦那方、キスに飽きたらメバルでもやってみますかい、まだ昼には間もあるし少し動けばこの時期いいところがありますぜ、それにその辺り船が誰もいませんぜ」

嘉市の親父がのんびり吸っていたタバコをやめて、そう勧めます。

「いいとも昼の鐘が聞こえるまでそいつをやろうか、でも支度がしてあるのかい」

「任せてくんねえ」

そういって親父が近くの船端の高い船に声をかけます。

「お〜ぃ、滝よぅメバルつりの仕掛けが欲しいが持ってるかよぅ」

「何人ぶんだぁ」

「三人分欲しいがよう、どうだい」

「分けてやるぜ、こっちもそろそろメバルかと思っていたから、お前の目安のところについていってもいいかよ」

「いいともよお前、野毛側について両脇から攻めようぜ」

向こうの船の客もキスに飽いていたらしく釣り糸を納めて後を着いて参りました。

台場と洲干弁天の中間辺りで船を止めて「このあたりは深いですが、底までたらせばカサゴもつれますぜ」

「そいつはいいや、カサゴの煮つけなど絶品だぜ、お前のところの文平に任せて今晩は宴会が出来るぜ」

「釣ねえうちから何を言うんだか喜重郎さんは楽天家だな」

「旦那方、あっしに任せてくんねえ、飽きるほどメバルにカサゴを釣りましょうぜ」

「竿を三本と言うからにはお前さんも釣るかい」

「松っあんに約束しましたのさ、旦那方に必ず飽きるほど釣らせてやってくんなとね」

「夜の宴会の席にお前さんも来るかい」

「いいんですかい、旦那方と違ってがさつでござんすよ」

「よせやい、人足や大工が多いうちや横浜物産会社だって同じようなもので、何遠慮することがあるかよ、なぁコタさんよ」

「当たり前だい、俺のところの人足など元はいろんなやつが多くて話を聞いているだけで面白いものだぜ、ダンブクロになるには体力がないやつばかりで、人足が聞いて呆れるやつが多くてな」

「仕方ねえだろう、俺のところで力が足りないやつばかり送り込んだんだから、お前さんのところのやつは半人前がいいところさ」

「こらこら、何を言うのやら、喜重郎さんは何もかまわず雇ってから俺に振り分けやがってよ」

「稼ぎたいやつは多いんだ少しでも働きたいやつは俺が引き受けるといっていたろう」

「そうは言ったが、お前のところでざるの目からこぼれたやつばかりじゃねえか、少しはいいのも回しなよ」

「いいじゃねえか、俺のところより安いんだ、それで勘弁しときなよ」

悪態は突いても中の良い二人です。

結局は松さんも市蔵もつれてくることになりました。

したくは嘉市がしてくれてお旦那釣りとは行かないまでも二人は軽口をたたきながら、まずメバルの棚あたりを言われたとおり八尋まで糸をたらしました。

およそ30秒ほどであたりがあり三人はあっという間に最初の釣果を得ました。

向こうの船も遅れて上がりだしたか、華やかな女の声も混ざり喜重郎さんが立ち上がって覗き込めば「なんだ浜野のはま次にこと奴じゃねえか」

「マァみっかった、旦那方お久しぶり」

船端まで出てきてやっと誰かわかった寅吉も「いいご機嫌らしいが、旦那は誰だよ」

顔を覗かせたのは大和屋さんと金子さん其れと見知らぬ赤ひげの外人でした。

此方は小さな釣り船、あちらは胴のまで料理ができる大振りの仕立て舟でございましたので、10人ほどの人が居られる様でございました。

挨拶や何かを交わした後、また釣りに没頭する二つの船は次々に上がる魚でにぎわうのでした。

「そろそろカサゴにしましょうか、糸は全部出して底に着いたら軽くしゃくりあげながら左右に振りながら上げてくださいよ、ほれこうやるのでさぁ」

嘉市が手本を示してニ分ほどもしたころ大降りのカサゴが上がってきました。

「ヘェ〜エ、こんなところで釣れるとは今まで信じてなかったよ、もっと沖き合いに出ないと釣れねえと思っていたぜ」

「ここらあたりだけですがね、親父が言うにはどうやら海の中の道に当たるらしくてメバルの下にほんの僅かの幅のところで釣れる様でござんすから、ほかではだめのようでござんすよ」

五分ほどで喜重郎さんにもあたりがあり、小一時間ほどで三人は10匹ほども吊り上げました。

仕掛けをしまい、嘉市は隣の船に声をかけてから、へさきを象の鼻へ向けて漕ぎだしました。

「いやぁいい午前中を過ごしたな、コタさんが用意した氷もまだ溶けずに魚が新鮮に保たれてるぜ」

「贅沢なもんですね、この氷買えばたいそうな値段でござんしょう」

「虎屋の氷室にはくさるほどあるぜ、一貫目で壱両もとって売るんだそうだ」

「たいしたものでございますね、それではこれで四両がとこは融けてしまうのですか、やはり旦那方は違いますね」

「ハッハッハ、其れは売り物の話だよ、こいつはこのコタさんが遊びで作った氷でな、売り物には出来ないやつさ」

「氷を作ることが出来ますか」

「その機械が高くてなぁ、この男の遊びみたいなものさ」

「やはり虎屋の旦那はすげえお人でござんすね、松の野郎が心服してるのも納得でさぁ、横浜で遊びに金をかける人は多いですが、旦那方お二人のように仕事や人に金をかける人は珍しいと評判ですぜ」

「異人たちの中にも金儲け以外に、人のために金を使うやつは大勢いるよ。俺達と同じように消防や貧乏人に援助してくれるものは10人じゃきかねえぜ」

洲干弁天の先を廻り橋たもとの船着きで降りて、人を頼んで弁天町まで魚を運んでもらいました。

「とっつあんよう、夕刻の七つに弁天通り二丁目の虎屋に必ず来ておくれよ、待っているぜ」

約束の金と何がしかの割り増しを喜重郎さんが払い、そう約束を交わして分かれました。

虎屋では文平がもうついた魚を裁いて下ごしらえをしては、氷の入った箱に並べておりました。

「旦那方たいそうな量でござんすね、おみそれいたしやしたよ」

「船頭がよかったのさ、料理は任せるから今晩は七つ過ぎから宴会だよ、お客に今日の船頭も呼んだから、腕を振るってくれよ」

「任しておくんなさい。文弥のやつと先ほど賭けをして壱足を越したらあっしの負けとやったんですが、あっさりと壱朱ふんだくられてしまいやす」

「ハッハッハ、おめえ其れは俺とコタさんを馬鹿にしてるぜ、船頭がついての釣りだぜ、釣れない訳がないだろう」

「そうだお前金を届けるなら、ほれ壱分出すから時間にあわせておでんの支度を届けるように伝へてくれよ、いまからならネタを増やしてしたくも出来るだろう、春に言ってビールも20本ほど冷やさせておいてくれよ、俺たちは港亭にでも伯円を聞きに言ってくるからよ」

吉岡さんにも便へて6時から宴会ときめて仕事から帰ったもの、休みのものにも便へて食堂と広間を掃除させました。

「千代の始めた阿部川はどんな具合だよ」

「たいそう人が来てくれて込み合っているよ、新吉原の外の会所にも近いし、大田陣屋の大鳥様の引きでフランスの仕官やお旗本で込み合っているそうだ、地回りも近づかないのは紘吉が手を回してくれているそうだ」

「あの通詞の紘吉はそんな顔も聞くのかい」

「そうらしいぜ、砂利兼とは兄弟分らしいので、そっちからも話が通っているとよ」

「ヘェ、そいつは初耳だ、うちも柄の悪いのでは負けていねえが、コタさんの所は火消しにダンブクロがついているから、手を出したりするやっなどいねえだろうがな、其れに砂利兼はおいらやコタさんとは人の融通もしあう仲だしな」

ダンブクロの兵隊は火消しガエンやくざと何でもありの大鳥様のまとめる兵でございますし、横浜ではにらみの聞くものたちでございました。

午後も二人は仕事そっちのけで講釈場に出かけて時間をつぶしました。

代地に建て替えた港亭で鼠小僧実記を松林伯円(桃林亭東玉・松林東玉)が昼席で熱演しておりました。

虎吉の子ども時代(大正)と違いまだ次郎長物などない時代の話も面白おかしく軍記物とは違うものが増えてきていました。

あのころの伯円の先代だろうか寅吉は考えながら話にのめりこんで行きました「そうかジイと行った講釈場でもこの話は聞いた記憶があるぞ」その様に思いながら聞くと懐かしいあの赤灯台の隣の寿亭での浪曲師の物まねなどまでが思い出されてくるのだった。

港亭を出て新しく真砂町と名づけられた町の南にある金毘羅に詣でました。

前は坂下町にあったものでこの馬車道の吉田橋際に移ったものです。

吉田橋の関門も橋向の吉田町に移り入舟町は町屋が増えております。

堀沿いに末広町に回り留吉さんの牧場で時を過ごしました、江戸に出ようかと考えて入という話や、故郷に牧場を作りたいという話など喜重郎さんとともに聞くのでした。

寅吉はそういえば前田牧場の話はジジから聞いたことがなく、根岸の外人の牧場のことくらいしか覚えていないのでした。

もっともジジは80を超えていて矍鑠とはしていても、すべてのこの時代のことを虎太郎に伝えていたとは思えないのでした。

外人たちからはhale and heartyな親父と言われていましたがノートを見るでもなく取り留めなく思い出話程度を虎太郎にするくらいでした、なぜあの時期にあんなに元気旺盛で仕事などを指揮しだしたのか、寅吉には自分のことながら不思議に思い出すのでした。

小柴沖や根岸の沖で釣り船に乗り遊んだことや、花月園で遊んだことなどが眼によぎりました。

「そうか明治天皇の前で乳絞りを実演したという人がこの留吉さんかもしれない、俺がまた虎太郎自身をこの時代に送り込むときのためにも出来るだけ多くの情報を集め、戦争の無い時代を作る努力を惜しまないようにしておこう」そう心に誓う寅吉でした。

喜重郎さんと留吉さんの話も終わりに近づいたようなので「留吉さんよ、関村に帰るよりここにも其村のものが来ているだろう、その人を向こうの責任者にして留吉さんが経営したらどうだい、せっかく軌道に乗ったここを手放すのは惜しいだろうに」

「そうかそういう手もあるか、どうでも自分でやろうというのがよくねえか」

「そうしなよ、せっかくの牧場にブリュインさんからの小牛も、もうじきに乳が搾れるんだしよ」

留吉さんもそれで納得がいったようでした。

話はそれくらいで新しい居留地との間の役宅や会所に境の大通りなどを見ながら二丁目の虎屋に入りました。

「一丁目に移るのは何時にするんだよ」

「そうさなぁ、後五日もしたら新しい荷が着くから、其れを向こうに持って行って順次片付けるそうだから、こっちは四月半ばには片がつくだろうぜ」

「ではそのくらいから仕事に入るか」

「そうしてくれよ、小平の息子はどういっているよ」

「アア重次郎か、入り口を仕切って後は厠と台所をどの配置にするか太四郎と打ち合わせは済んでいるそうだぜ、俺やコタさんが遊んでいても仕事は勝手に進んでいるさ。後この台所や広間は取り壊して長屋だけにするんだとよ」

「ほうそうなのか、それなら店を貸しても奥に広げるなり庭にも出来るな」

虎吉も感心する段取りで話は進んでいるようでございます。

「仮宅がなくなるとこの前を使って商売に出ていたやつらも大変だな、川向こうに商売換えか」

「そうだな、その代わり夜がさびしいので夜の商売のやつらに貸そうと考えているのさ、どうやら6軒分の貸し店に出来ると太四郎は話していたぜ」

「前の横浜物産会社はそのままなんだろう」

「あそこは動かせねえよ、青木町が手狭なのでどうしてもここや野毛が頼りになるからな」

「義士焼きの後の店は良いな、あいつはいい料理人だぜ、小平も常連だそうだ」

のげでんには早くも贔屓のものが付いていて店は連日大入りだそうでございます。

小机が並べられて寺子屋風のつくりの部屋と間違えそうですが、寅吉の指図でこの上に料理を並べて宴会の仕度が始まりました、長屋のかみさんも手伝い女達は台所でそれぞれが持ち寄った惣菜も並べて、男たちとは別に宴会を始めるのでした。

鍋のおでんも持ち込まれて「後から味噌田楽も届きますから」と言うお蝶さんの声に「オオ、頼むぜこいつらはお宅のおでんが楽しみな連中だからよ」

吉岡さんの言葉ににっこりと微笑んで「では、お後をお楽しみにお待ちくださいませ」

そう告げてまた店に戻るのでした。

「108番から嘉内さんが来ました」と横浜物産会社のほうから人が来たので春が出て行きました。

戻ってきて「旦那、れいのpencilですが、1000ダースが五百両だそうですがどういたしましょうか」

「ホウたいそうな値段だな、1ダースで5フランと言う計算か一分で六本か、何時入るのか店で聞いてみよう」

二人で中座して「pencilだけかい、fountain penなどは入ってなかったのかよ」

「ペンは入っておりませんが、前に入れたものが20本ほど残っております、1本2両でございます」

fountain penを10本もらおうか、pencilは1000ダース引き取るぜ、値段は言い値で良いよ」

「本当ですか、ではfountain penのほうはサービスさせていただきますよ」

「いいのかいそんなことしてよビールソンさんが怒らねえか」

「大丈夫でございますよ、横浜物産会社さんでお買い上げいただけば其れが相場で通りますから、私のほうも顔が立ちます」

「そうかい、春よ明日橋本さんに便へて野毛のほうで引き取ってくれよ」

「判りました、では明日一番で野毛の店から108番に廻って取引は佳史にさせてよろしいですか」

「アアそうだった、佳史にやらせてくれ、よく気が付いてくれたぜ」

ほめられて春はうれしそうに「嘉内さんこういうわけで、明日の午前中に佳史をお宅に廻らせますからよろしくお頼みいたします」

「判りました、では明日のお越しをお待ちいたします」

嘉内さんが帰り宴会に戻る寅吉に「言い値で買われるとは思いませんでした」と春が話を振ります。

「あれはな、最近嘉内さんがシナ人たちに商売に負けて、売り上げが伸びずにビールソンさんから大分絞られてるからさ、吟香さんが上海から帰れば少しは売り上げも伸ばせるだろうが、この間の手紙では後ひと月は無理だそうなので、少し甘くしたのさ」

「佳史にも言って服や何か仕入れるのは嘉内さんを通じて取引するようにしてくれるように頼んでおいてくれよ」

「そういうわけですか、佳史には明日頼んでおきます」

天麩羅、煮付けに野菜の炊き合わせなど並んだ膳も片付きだしてビールも終わり、酒を飲むものは手酌が始まりだすと「俺たちは先に上がるから後は笹岡さんお頼みします」

寅吉は春と連れ立って、瀧の湯に向かいゆったりと体を洗い町の人の話す言葉を聞いて知り合いの多くと言葉を交わしてから、野毛に帰りました。

「お帰りなさいませ、今日の釣果はよかったそうで」

「オウ喜重郎さんと飽きるまで釣ってきたぜ、キスにメバルにカサゴが満載さ、弁天町で其れを肴にいままで宴会さ」

「はい、水屋の市蔵さんが夕刻参りまして、俺も招待されたとうれしそうに話していかれました」

「なんだ筒抜けか、少しは心配させようと連絡を入れないようにしたのに無駄だったか」

「マァ、何でござんしょう、何時もと違い連絡のものが来ないと思いましたら、その様なことを。昼間お鳥さんがこられまして、たいそうな評判で店は忙しいそうでございます」

「そうだってな、張り合いが出ていいことだ」

「お風呂の支度をいたしますか」

「いや吉田町の瀧の湯によって来たよ」

夫婦で茶を飲みながら阿部川の話、清正公付近の最近の家数の増え方の早さなど話ました。

三日後にはまた江戸に戻るお容さんは話し尽きることがないとばかりにいろいろと話すのでした。

 

慶応44151867518日 金曜日

弁天 − 美国平文 

季節は夏になり、江戸にお容さんを寅吉が送ってから10日ほど経ちました。

弁天通りの虎屋の方も引越しが終りました、虎屋は元町のほうが主力ですが、此方の店も小左衛門が仕切り順調に売れ行きを伸ばしております。

春は各店舗の売れ行きを見ながら人や商品の仕入れなども面倒を見ていて、寅吉が見ても人一倍に働いています。

小左衛門の下には、茂助、長次郎、弥助が働いていて元町の三人での手代が同じように競争して働くのとは違う仕組みになっています。

春は野毛も元町も同じようにしようと寅吉に相談をしましたが、誰を責任者にするかでなかなか其れを決めることが出来ません。

この日寅吉は笹岡さんに橋本さん吉岡さんを誘い台町の田中屋に上がり、昼の支度をさせて相談をするのでした。

「朝吉と春に太四郎の三人をを横浜支配人として幸助と永吉をそれぞれの支店とはいえ、伝次郎と同じ社長という責任者にしようと思うのですがいかがでしょうか」

「何時ごろに旦那が切り出すか待っておりましたよ」

笹岡さんが口を切り橋本さんも吉岡さんも賛成をしてくださいました。

「後、岩蔵だが旦那はどのようにしなさるつもりだい」

「岩蔵はもう少ししないと何処の責任を負わせるか考えが付かないのですよ、できれば江戸の責任をブンソウと分担させようかと考えているのですが、なかなか横浜ほど岩蔵の活躍する場所が見つからないのですよ」

「やはりそうですか、あの男は仕事も出来るしやることにそつがないのですが、なぜか人を使うことが上手ではないので独立させるほかないのでしょうかな」

「其れも考えていますが機械だけではまだ時期が早い気もしますし、本人がどのように考えているか機会が有れば話して見ますよ」

そのほか人事についても話を聞き組織の分割と役割の分担など話し合うのでした。

笹岡さんに店の前で別れて、三人は船で横浜に渡り弁天通りの虎屋でしばらく話してから橋本さんと野毛に戻りました。

お容から寅吉を追いかけるように手紙が着いて、藤吉とおきわさんの婚礼が25日に行われることが決まり、冬木町に家を借りて新居として店に夫婦で通うことになったことなどこまごまと書かれていました。

きみ香も女将になることを承知したとの事も書かれていました、急遽芸者の抱えを二人新たにきめて三人の抱えの芸者を持つことになったそうです。

「橋本さんよ、また江戸に出ることになったぜ」

家から横浜物産会社にまた戻りそう告げる寅吉でした。

「何か急用でも出来ましたか」

「ほれ、容の兄貴がこの間話したように嫁取りをするのさ」

「おきわさんと決まりましたか、其れはおめでたい、何時出かけますか」

「10日後の25日の婚礼になるから、したくもあろうから月曜日に発とうと思う」

暦を見て陽暦と見比べてから「そうすると18日ですか、誰かつけましょうか辰さんはどうでしょうか」

「良いだろう、其れと小僧から二人くらい連れて行こう、江戸を見たことのないやつから選んで置いてくれ」

各店舗にも連絡をして支店開店日の近い忙しい時期、寅吉の予定のやり繰りをさせるのも大変でした。

岩蔵が来たので用事のあるなしを聴いた上で、阿部川に千代を伴い出かけました。

「岩蔵よお前年はいくつになった」

「22に相成りました」

「そうか、今回俺はお前を横浜の支配人にしなかったよ、それでお前が時計と機械を扱う商人として独立するなら後押しをしたいと考えいてるが、お前の気持ちはどうなんだ」

「だんなのお気持ちはありがたいのですが、まだ時計商として独立しても、私の力では店を維持するだけの売り上げを出すことは出来ません。前にも旦那にお話し頂いたように、この国の時間が異国の時刻と同じ計りかたをするようになるまで、ここで働かせてください。私の気性がほかのものには疎んじられる事もあり、永吉さんが名古屋に行けば、いづらい事も承知しておりますが、だんなの困ることは一切いたさぬ所存でございます」

「そうか、其れを承知で俺のところで働いてくれるか。お前の働きは俺に引けをとることない売り上げを上げてくれているし、伝次郎も永吉もそれどころか幸助も含めた多くのものがお前を支持してくれているよ」

「ありがとうございます、これからの事もありますので人とのつながりに気を配って齟齬の無い様にいたします」

二人のやり取りを聞いていた千代も「岩蔵さんよ、俺たち連絡員もあなたの働きが人一倍優れていると認めていますよ。やっかみを含めた陰口は聞いておりますが、其れもあなたが一人でどんどんと商談をまとめるからでしょう。誰か手代なり小僧を同席させてくださいませんか」

「千代さんありがとう。忠告は必ず守ります」

話も落ち着き、夕刻も近づいたので千代に頼んでビールとつまみになる物を出させて三人で町の噂や居留地の人の出入りなどを話すのでした。

深刻そうな話に、心配そうだったお鳥さんも三人の笑い声が響きだして安心したのか、挨拶を兼ねて長崎から届いた唐墨を薄く切ってもって来ました。

「わっしはこれが好きでたまりやせん」

岩蔵がうれしそうにお鳥さんに言ってビールのあてにからすみを食べています。

「其れが好きなら富山からも、くちこが届いていますが試してみますか」

「そんな高級なものが来ておりますか、驚きました。食べてみたいものです普段はいかの烏口などで飲んでおりますので今日は口福でございます」

岩蔵がそういうのでお鳥さんは軽くあぶったくちこを三人分持ち出してきました。

ここで出されたものは、月締めで千代が直接寅吉に請求をして、勘定をすることにお鳥さんとは取り決めてあるので、店の持ち出しに成ることはないので高いものが出ても寅吉は気にしておりません。

岩蔵が満足した様子に「ここで夕食まで粘って食べていくか、それとも嘉兵衛さんのところで肉でも食いに行くかよ」

岩蔵に聞くと「中川やさんは一度しか上がったことがありませんが、また行ってみたいものです」

「嘉兵衛さんが作るブンチュでも呑みながら飯にするか、あそこまで歩くうちにビールの気も抜けてまた呑めるな」

酒豪の岩蔵を誘うようにその様に話をする寅吉でした。

「永吉がいたら、一緒に連れて元町の俺の部屋まで来てくれよ」

千代に言いつけて先に阿部川を出て、新しく家が増えて来て清正公横丁と名が着いた町から堀沿いに出て、製鉄所まで歩き橋を渡り、前田橋まで歩いて、フレッチャーさんのところで話をしてから橋を渡りました。

部屋で岩蔵と時計のあれこれを話して、向こうの新聞の広告などを開いてみていると、千代と永吉がやってまいりました。

「みなで、地蔵湯に入ってから隣に行こうぜ、後30分後に約束したからそのくらいの時間はあるさ」

地蔵湯は三丁目にありなかなか豪勢なつくりで、手代たちが行く春の湯とは違う雰囲気がありました。

顔見知りにつかまり、なかなか上がれずやっと約束の時間に中川屋に入ることが出来ました。

嘉兵衛さんに例のブンチュと鉄鍋に薄く切った肉をひいて野菜と煮込んで食べたものは

汗が出るほどでしたが風呂上りの火照った体は其れも上手いと感じられるのでした。

「このねぎは味がしみて美味い物だな、ついぞ食べたことが無いほど太いもんだ」

「気が付きましたか、うちのだんなが今度江戸にも店を出そうというので高輪のあたりで作らせたものでございます」

「なんだ嘉兵衛さんは江戸にも店を出すのかい」

「旦那が今ブンチュの新しいのを造っていますから、直接お聞きくださいませな」

待つほども無く熱いブンチュを持って嘉兵衛さんが顔を出しました。

「コタさんよ芝のあたりに伝があって共同で店を開くことになったよ、英吉利の公使館から頼まれて新鮮な肉を卸すための場所に、名主が畑の一部を貸与してくれたので、屠牛場と牛肉販売店を開くのさ、付いてはまだ函館の氷は本格的に入らねえので、当分はお前さんが頼りだ」

「なんだ話が先で氷が後かよ、嘉兵衛さんらしいや、良いともよ木更津の氷室の分はすべて回してやるよ、あそこからなら船で運べば楽だろう」

「助かったぜコタさんなら何とかしてくれると安心して話をまとめてよかったぜ」

廊下をドタドタと歩く足音が響き、なんと言うことか吟香さんが入ってきました。

「やったぜやったぜ、印刷も出来た、製本も出来たこれだこれだ」

何時もと同じ吟香さんがそこにいました、久しぶりだも、元気かも無い普段通りの吟香さんでした。

「お帰りなさい、マァお座りくださいよ、してヘボン先生ご夫妻は家に戻られましたか」

「オウ今家まで見送って嘉兵衛さんの店に来たら、コタさんもここにいるというので来て見たんだ」

「では先生に挨拶に伺いましょう」

寅吉が席を立とうとすると「まった待った俺は腹がすいてるんだ、先生もピカルディででいろいろ買い込んで帰ったから今食事中だ、明日で良いよ、其れより俺はうなぎが食いたい」

「ここの肉料理ではいけませんか、それに鮨好きの吟香さんらしくも無い」

「鮨は長崎に寄った時に飽きるほど食ってきた、あれから六日めだまだ鮨はいいよ、其れより五ヶ月もの間蒲焼にお目にかかれていないから、昨日あたりから無性に食いたいんだ。横浜は火事で様がわりしたようで俺の行きつけの店もどうなったかわからん」

「確か海岸通りのよし川でしたかあそこは焼けて店じまいですよ」

嘉兵衛さんがそういうと「ではコタさんどこか連れて行ってくれよ」

仕方ないので千代に多満喜に四人分の席を用意させに先に行かせました。

岩蔵には前田橋のコブ商会にいき、太田町まで馬車に載せてもらうよう交渉に行かせ残った四人で店を後にしました。

「旦那四人と言うことは誰が後おいでになりますか」

「お前だよ、永吉さんだよう」寅吉はもう良いが廻っているようです。

「私はもう腹がいっぱいで何も入りませんよ」

「俺だってそうさ、吟香さんが全部平らげてくれるから俺たちは見ているだけで、においだけでも良いだろうさ」

「はい、そうですね」

笑いが顔いっぱいに広がった永吉は、吟香さんの底抜けの大食いを聞いているので笑い声が漏れるほどに弾んだ様子でした。

「船から下りたときは興奮していてよく見なかったが、このあたりはまるっきり焼けたのか」

町会所の辺りは其れこそ以前の面影も無いほど建物が変わっておりました。

「アッ港崎が無いぞ、あれも焼けたか」馬車から夜の街を眺めて感慨にふける吟香さんを多満喜に案内いたしました。

「岩蔵と千代はもう帰っても良いぜ、永吉が後は引き受けてくれるよ」

「承知いたしました、あまりのみ過ぎないようお気をつけくださいませ」

「だから岩蔵を帰すのさ、お前がいたら深酒どころか酒漬けになってしまうぜ」

笑いながら馬車の賃金を千代が払い多満喜には四人で入りました。

「お支度が出来ております、うなぎもすぐお持ちできますがどうなさいますか」

「全部重なって良いから、ビールと一緒に出してくれよ」

「承知いたしました」仲居の志免さんがすぐに部屋に通してくれて料理を運びに下に降りていきました。

本当にしたくもすんでいたのか、総がかりの様子で次々に料理が運ばれてきました。

女将のお玉さんも料理を運びながら「ようこそおいでくださいました、マックさんとガワーさんがおいでですがお知らせいたしましょうか」

「いや良いよ、こっちは勝手にやっているから、何かあれば志免さんに頼むよ」

「承知いたしました、ではごめん下されませ」

吟香さんも嘉兵衛さんも目を細めて様子を見ていましたが「仲居さんよ、女将さんはいい女だなぁ、亭主は居るのかい」

「一人身でござんすが、思い思われのお方が居られますようでございます」

「オヤ残念なことだ、まさかコタさんじゃねえだろうな」

「コタさんはお前さんが上海にいる間に神さんをもらったよ」

「そうなのか、其れは祝いをしなきゃいけないが俺は貧乏でな」

「お気にしませんように」

「そうこなくちゃいけねえよ、コタさんには気の毒だがあんな言い女が傍に居れば食い物も上手いな、おっとお前さんも十分いい女だよ」

取ってつけたように言いながらも、箸はどんどん伸びて煮凝りも佃煮もかば焼くも食べた後で、うな重も食べたいと言い出す始末でございました。

上海での話など志免さんを散々笑わせながら四人前はたっぷりと食い尽くした吟香さんは満足した様子でございました。

目薬や氷まで上海で売り出しかねない話には、永吉ならずとも付いていけない様子でございました。

お玉さんに、もうしばらく座敷を借り受けていても良いか聞かせ、承諾を得たので嘉兵衛さんの江戸進出や蝦夷地の氷の話し、豚屋火事のことなど話は夜がふけるまで続き、籠で帰る二人を送り出した後勘定をして野毛に戻りました。

「驚きましたね食べる事も考えている事もすごい人ですね、彦さんが長崎に行ってしまったから誰か同志を募って新聞を出そうかとか、江戸と横浜の廻船を誰か金持ちをだまくらかして始めようとか、旦那の話を聞くが早いか自分のものにして、話を広げるなんざ回転の速さに追いつけませんでした」

「そういう人だよ、嘉兵衛さんといい吟香さんといい生半可な気持ちでは付き合っていられねえよ」

「其れはそうと辞書を五十冊も買い入れる約束をなさいまして大丈夫ですか」

「大丈夫だよ、十冊は此方の店に配って残りの四十冊を売れば、後また二十冊買っても良いさ」

「そんなに売れますかね、高いものですから儲けなど出ませんぜ」

「あれは大切なものだから、こっちで印刷できればすぐ半値になるだろうが、まだ先になるだろうな、横浜物産会社の買値が十四両なら格安値段だろう吟香さんは小売十八両といっていたが江戸の書肆に持っていけば二十五両以上で売ることになるだろうぜ」

「そんなになりますか」

「江戸はおろか全国津々浦々で買い求めるだろうよ、二千冊は一年ほどもあれば売れるかも知れねえぜ」

「まさか其れは無いでござんしょうが、名古屋と大坂も二十冊は持ち込み見ましょうか」

「そうしなよ買取資金は貸付金を増やすから其れで買い取って自分の儲けにしなよ、伝次郎にもそうして二十冊は渡してもいいな其れと勝先生のところに10冊届けたいから其れも追加してくれ」

「追加が七十冊ですか、しめて百二十冊で千六百八十両でございますか」

「そうだな、俺の金で扱っておこうか、明日朝吉にそういって金を出してもらいなよ、その後早速俺とヘボン先生のところにうかがって本を買い取ろうぜ」

吟香さんの勢いに押されたか虎吉も血が沸き立つようでございました。

早速翌朝に金を持ってヘボン先生のところに赴き荷揚げしたばかりの本を頂、長崎に話をしたためて船便で20冊を送り出しましたし、勝先生のところには雅に手代をつけて十冊の辞書を届けました。

その日の夕刻には話を伝え聞いたものが、ちらほらと寅吉の元に価格の打診をしてきました、何でもヘボン先生のところでは十八両での販売以外受け付けず、いまは横浜物産会社のみが扱う形だそうだという話が、町に広がっている様子でございました。

「旦那、卸の相談を聞く書肆がありますがどういたしましょう」

幸助が聞いてきましたが「十八両以下の話は無いといっておけよ、100冊まとまってもだめだといってかまわねえよ」

「判りました、小売値段なら幾らでも売り渡すということでよろしいでしょうか」

「何でも二千冊は印刷したそうだから、現金なら五百冊は家で扱えると吟香さんも請合ってくれたよ」

「早矢仕さんはどうしましたか」

「あの人も家と同じ値段で二十冊いただけるそうだが、金の手配でてんてこ舞いだそうだ、相談があれば融通する方針で居てくれよ」

帰国して翌日にはもう引き合いがある人気の本でございました、待ちかねていた方が多いのが伺えるのでございます。

各店舗には壱冊ずつを手代番頭たちのために置いて勉強の助けにいたしましたし、春に孤児の家にも参冊届けさせました。

「一冊はここに書いてあるように正太郎に渡して、自分専用だが意地悪して人に見せないなど言うんじゃねえとお節介な事だが、念を押しておいてくれよ」

寅吉は一度しか話していない正太郎の何処を見込んだのかと春は不思議なものを見るように辞書を見て、考えながら孤児の家に届けに行きました。

「旦那の言うとおり伝えるから聞いてくれ」そういい置いて寅吉が言ったとおりに便へ「正太郎よ旦那のところではこの本は十八両で最低の値段なんだ、お前を見込んで渡してくださったんだ、ここの人たちと分け合って大切に扱うんだよ、ミチもほかの二冊の管理をよろしく頼むよ」

「ありがとうございます、英吉利の言葉で判らないところはこの本と付き合わせて勉強できます、ここの子供たちも聞き分けがよく、みなで大切に扱います」

ミチも同じように春に告げて二人でうれしそうに胸に抱いて、ミスノエルに報告に行きました。

ここには村上英俊のあらわした仏語明要が二冊ありましたので、其れと対比すれば英語と仏蘭西語との違いも勉強出ることになりました。

17日はドンタクでピカルディは休みですが、寅吉は自室で実験道具のわからない単語を辞書と首っ引きで調べていました。

吟香さんがピカルディを訪ねてきたので二階に上げ、部屋でコーヒーを入れて二人で飲みながら辞書の話や汽船の話をしました。

「やはり船に参萬両は必要か、一日百両の儲けが出ないとどうにもならないか」

「左様ですよ、売れないで余ってしまった船を後払いで約束しても三年は掛けなければいけないでしょう」

「こりゃあ辞書の取り分をつぎ込んでも無理かな」

「運送業務はよほどのことがないと儲けには簡単につながりませんぜ、個人では儲けるのはよほど大仕掛けで遣らないと無理でござんしょう」

「誰もやらないとなると、遣りたくなるのが俺の性分だからなあ、ひとつそのときは助てくれよ」

「良いですよ、どうやらヘボン先生のおかげで辞書では儲けさせていただけそうでございますから」

「壱冊四両では取り置き分の20冊の二百八十両を出すのに七十冊も売らないといけねえぜ、何処が儲かるんだよ」

「そうですね、多分五百冊は年内に売れるでしょう」

「本当かい俺たちの方では佐藤先生が五百冊位だろうと踏んで計算したが、合計壱千冊か、後また印刷しないといけなくなるか」

「今度は版が残されているでしょうから、大分経費がかからずできるでしょうね」

「ああ、壱冊五両くらいまで下げられるだろうから同じ値で売れれば大もうけさ」

取らぬ狸の皮を地で行く吟香さんの計算でございました。

順吉が買ってきた鮨をつまんで昼として吟香さんはヘボン先生の家に向かい、寅吉は元町を廻って野毛に帰りました。

その日の夕刻には寅吉に直接交渉をすれば辞書を安く買えるかと書肆の店主たちが何人か交渉に来ましたので藤見屋で二階を借りて橋本さんと話を聞きました。

「私のところでは18両以下での販売は例え業者の方でも致しません。ヘボン先生か吟香さんに直接伺ってくださいませんか」

「お二人とも会ってくださいません、書生の方が横浜物産会社さんでのみ小売いたしますといわれましたので、こうして代表が三人雁首をそろえてまいりました。どうか分けていただけませんでしょうか」

「佐藤先生とはお会いできませんでしたか、先生も十八両で手放されるはずでございますが」

「ですから、其れは小売のことで仕入れは普通半金と承知してのお願いでございます」

「其れはありません、私どもはうそ偽り無くそれほどの利を出さずに売る約束で扱わせていただいています。橋本さん仕入れ伝票をこの人たちに見せて納得していただいてくださいよ。私どもは壱冊四両の利しか取っておりませんのでそれ以下での販売は致しかねるのです」

「まさか、その様なことがあるはずが無いじゃありませんか、横浜物産会社さんは本の値段をなんとお考えなさいますか、それでは書肆が成り立ちません」

「ですが、これは本当の話でございますよ、ヘボン先生だとて何万両ものお金をかけて印刷されたものです。そうそう安く手放しては赤字が出てしまいますよ」

三人は仕方なく六冊の本を見本代わりに手に入れて、すごすごと帰宅いたしました。

「旦那良いのですか手の内をさらけ出して」

「良いのさ、五日もしないうちに十八両で五十冊は買い受けてえと、争って押しかけてくるさ」

「一人50冊ですか、三人でなくてですか」

「アア、そういう予感がするのさ、朝吉に千八百両ほど俺のポンドを換金して払う準備をさせておいてくれよ、足りないときは永吉や幸助のための本も先に回してくんな」

「では、旦那が居ない場合でも100冊は買い受けられるように、準備しておきましょう」

橋本さんは半信半疑ながらもそう約束を致しました。

よく月曜日朝から寅吉たち主従四人は江戸を目指して野毛から切通しを抜けて行きました。

小僧には辞書を十冊と藤吉さんへの土産を背負わせて、寅吉と辰さんは振り分けだけの軽い旅立ちとなりました。

「今日は八里の歩きだから気張って歩けよ」

辰さんに脅かされて今にもへたばりそうな子達ですが「こらこら、辰さんよいまから脅かしてはいけねえよ。こいつらが何処まで歩けるか試すのが目的だから行けるところまで行けば良いさ。それに今日中に神田に付くには明け六つに出なけりゃ大変な道中さ」

「それでも、旦那芝を抜ける前に日が暮れては厄介ですぜ」

「旦那様、あっし達も旦那様の足に遅れぬように懸命に歩きますから、任せておくんなさい。なあ竹さんよう」

「左様でございます、佐吉ともども在所ではいたずら小僧で野山を駆け回っておりましたから、足には自信がございます」

「ほんとかよ、マア生麦あたりまでは足慣らしでこのくらいで良いだろう、なあ辰さんよ」

「さいですね、野毛を出たのが7時、生麦あたりは9時15分くらいなら順当でしょうか」

「そうだなサボテン茶屋で一服といこうか、後は品川で昼飯にするか」

「2時半ころになりますか、腹が減ってもひもじうないで行きますか」

「途中の川崎か大森で団子でも食えば大丈夫だろうぜ」

「お前たち、旦那が品川で昼にしようというからには、上手いものお食わしてもらえるぜ、団子もほどほどにして気張って歩けよ」

「ハイ承知いたしました」

等言ううちに台町の関門も過ぎて青木町で寅吉は三人を先に行かせて笹岡さんと立ち話をして後を追いかけるのでした。

昔と違い参勤の大名で込み合うこともなく、街道は道がはかどるのでした。

子安の一里塚を過ぎて立場を過ぎれば生麦、その先すぐに大きなサボテンが五本ほども立ち上がるかのごとくのサボテン茶屋、ここ鶴見の入り口で時刻は九時三十分まずまずの時間でここまで来たのでございました。

茶と焼餅をひとつ宛て出させて休むとすぐに発ち、川崎まで一気に歩きそこで船を待つ間茶と団子で一休みいたしました。

時刻は十二時二十分、大森を通り品川に着いたのが三時丁度、辰さんの足からすれば少し緩やかですが小僧たちにすればやっとの道中でしょう。

この時代三時よりも三字と言う風に使いましたが其れはさておき、春駒屋さんに挨拶をしている間に、辰さんが煮売家で昼の支度をさせて居りました。

四時に品川をたって今日橋を渡ったのが六時丁度、連雀町に付いたのは七時で日が落ちて逢う魔が時とでも言うか暮れ六つの鐘が響いています。

荷を降ろすとすぐに四人で銭湯に向かい街道のほこりを落としました。

虎屋ではお容さんが四人のために食事の支度をして待っていてくれました。

酒は出さず暖かい飯に急いだ仕度とは思えぬほどお菜も並んでおりました。

鯵の煮付けにがんもの焚いたもの、たこといかの刺身。

「ホウなかなか豪勢じゃねえか、どうしたい」

「お刺身は宝やさんに言ったら切ってくださいましたのさ、後はあり合わせさ」

大根のべったら漬をぽりぽり齧りながら虎吉も驚く夕食に小僧たちも黙々と食べておりました。

おつねさんが出てきて小僧たち二人に「寝しなに食べな」と買ってきたばかりの義士焼を三個包んで渡すのだった。

壺阪霊験記の読み本の話と義士焼きからの連想からかジジが大切にしていた銀座から買ってきた三光堂のレコードの機械と桃中軒雲右衛門の義士銘々伝を思い出すのだった。

塩辛声のあのレコードはどうなったのだろうか、ジジが好きだった赤垣源蔵徳利の別れの話に感動したものだった。

神田伯山の清水次郎長伝をもジジは好きだった、一度しか聞かぬ間にこの時代に来てしまった寅吉はやがて出会うだろうあの時代の演芸に早く出会う日を心待ちにしているのだった。

そんなことを思い出しながら食事も終わり、辰さんが長屋に二人の小僧とともに寝に行くとおつねさんにお文さんも交えて藤吉さんのことを話すのだった。

自分用に持ってきた辞書をお容に預けて寅吉は盛んにこれからの福井町から新橋に何時移らせるかを話し合うのだった。

   

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幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
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 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
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 其の十   Antelope
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 其の十九  Aldebaran
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 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid


カズパパの測定日記