横浜幻想
 其の五 鉄道掛 阿井一矢



登場人物 (年齢は数えと満とに分かれています1870年)

ケンゾー 1949年( 嘉永2年 )生まれ 22歳
      
( 吉田健三 Mr.ケン )

正太郎  1856年( 安政3年 )生まれ 15歳

清次郎 13歳 花 9歳 まつ 7歳 (正太郎の弟妹)

おかつ 玄三 勝治 千寿 辰次郎 寅吉 容 春太郎 千代松 伝次郎

佐藤政養(與之助)  佐藤新九郎(立軒)井上勝(野村弥吉) 

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太  ( 街の子供たち ) 

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト  

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 6才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 26才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 27才

天下の糸平    ( 田中平八 )

海坊主の伊兵衛親方( 丸岡の親方 )俊 境町二丁目

喜重郎      ( 丸高屋の親方・高木喜重郎 )駒形町三丁目

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地(常盤町五丁目)

内田清七     ( 京屋 清七 )真砂町




 
  鉄道掛

グレゴリオ暦の9月の末だと言うのに朝から横浜はうだるような暑さだった。

ケンゾーは寅吉と共に根岸の牧場にいた「いい馬になりそうだ」昨年産まれた子馬には登録名ミカンmikanが付けられていた。

母親はペデローテ、父親はオレンジで日英の混血馬だ、母親はガイが昨年12月に帰国したときにラッパリーと共に英吉利へ戻った。

ラッパリーとペデローテの交配には1865年産まれ三年連続で勝ち鞍を上げこの春にも一勝をあげている寅吉お気に入りの馬、いくつもの名で呼ばれMeteorと言う登録名と居留地の競馬ではRyuuswe(リューセー)と呼ばれている五歳馬がいた。

グレゴリオ暦9月30日から三日の間開催される競馬に向けて寅吉たちの馬はガイが去ってからも順調に仕上がってはいたが成績はいまいちだった。

老アンガスが跡継ぎのジョーキャンベルと次の牧場に向かったあと、馬に乗った二人連れが入ってきた。

「西郷様と鮫島様では有りませんか、お久しぶりです西郷様。このたびは兵部大丞につかれたそうでおめでとう御座います」

「あまりめでたくは無いが軍の建て直しを命じられた、しかし前原さんと山形さんが兵の募集方法について対立しておってな。話が中々まとまらんで息抜きに来た。弥助ドンも弥二郎ドンもおらんけな纏まりがつかん」

西郷従道は前月二日に帰国その直後に兵部大丞、山縣有朋は兵部小輔に任じられた、木戸孝允が六月に参議となっていて山縣を兵部大輔とする布石だ。

「鮫島様も外交官として欧州へ渡ると聞きましたが本決まりですか」

「オッ、油断ならんな、もう話が広まったか」

「噂では英吉利、仏蘭西、プロシャを担当すると聞きましたが少し無茶ではありませんか」

「今のところ各国へ人を送るだけの余裕が国にないのだよ」

「さようですか、パークス公使に根回しをお頼みすれば何事についてもよい結果につながりますよ」

「そうなんだが、外務卿は一国に偏った外交はいかんと考えているので困っておる」

「しかしながらかの人を抜きにしては後で意趣返しが怖いですよ」

二人は本気にはしていないのか話題を馬に向けてきた。

「其の子馬いいな」

従道さんはミカンが気に入ったようだ「ミカンと名づけましたが母親がいなくなった分甘えん坊で困ります」

「何の子供なのだ」

「私の乗馬のオレンジと英吉利のペデローテと言う馬で母親は昨年イギリスへ戻りました」

「わしに譲らんか」

「そうですね、いいでしょう遅ればせながら帰国祝いに差し上げましょう。今日連れて行きますか、それとも、もう少しの間面倒を見ておきましょうか」

「気が変わらんうちに連れて行きたい」

「では牧童を一人付けますのでミカンが東京になれるまで其方で其の者を預かってくださいますか」

「いいだろう、そうしてもらうと助かる」

話がついて牧童頭の治助が弁蔵と言う16歳になるミカンの担当を西郷さんへ紹介した。

「おまんがこの馬の面倒をみちょるか」

「はい、弁蔵と申します。よろしくお引き回しください」

「よかよか、わしらは明日まで横浜におるが東京は道を知っておるか」

寅吉が引き取って「私がついて今日の昼に此方を出ますから大丈夫でしょう」

「それならよか、今はれいなん坂の松平大和の前にあるもと同家下屋敷に住んでおる」

話がついて「では子馬なのでゆっくりと歩ませますので今日は川崎どまりで明日の夕刻前にはお屋敷へ届けます」

「頼んだ」そういうと二人は三之谷方面へ馬を進めていった。

ミカンと共に寅吉、ケンゾー、弁蔵の三人は元町へ向かった、前田橋から境町に入り正太郎も東京へ同道させる事にした。

「野毛を一字に出て今晩は藤屋で一泊だ」

野毛に戻るとお容さんにそのように伝えてケンゾーたちを待った。

弁蔵の支度が終わったと千代が連れてきたので四人で連れ立って野毛を出たのは一字に少し前。

川崎では弁蔵は馬が心配だと言うので伯楽宿にミカンとともに泊まらせた。



翌朝芝田町四丁目の分かれ道で赤羽橋へ向かう弁蔵と寅吉に別れたケンゾーと正太郎は木挽町へ向かった。

外務省は築地二の橋から木挽町五丁目旧松平周防屋敷へ移っていた、ケンゾーは石川寧の紹介で寺島外務大輔に会いに行くのだ。

「ヤァよくきたな、今日は千客万来だ。こっちは穂積屋の清水卯三郎君だ」

「寺島サンこの吉田君とはコタさんの所であったことがありますよ。この少年は正太郎君、そうだよね」

「はいそうです。花火の話を教えて頂きました」

「ハハあれは教えたというより、こちらが教えられたと言うべきだな、六月の花火はきれいだったろう」

「はいあんなに大きくて丸い花火は始めてみました」

卯三郎は機嫌がよくなっていくのがよくわかった、元来ほめられる事が好きな男だった。

寺島を交えて江戸の花火やロンドンの花火の話に花が咲いた。

ケンゾーの訪問は寺島にパークス公使の動静とジャーディン・マセソンからの要請で船の商談の下話であった。

長州の一部の官職に就いた者が其の職権を利用して公金の流用をしている話や官費の無駄遣いが旧幕府以上にひどい状態であることなどが寺島の口から漏れたりして卯三郎は抑えるのに懸命だった。

「五代君のように気楽になりたい」と言うのが寺島の口癖になっていた。

「實吉は戊辰戦役で死んでしまうし、町田君は教育のほうへ移りたいとごねるし、佐賀は佐賀で口やかましい、長州は玉石混交で収まりがつかん。西郷先生と板垣さんが上京せにゃ納まりがつかんよ。直に廃藩置県を行うと方針が決まっていても今の有様では身動きがつかん。紀州は欧州へ送った陸奥君を戻せといってやったのに代わりの人間が居ないので来年まで待ってくれといってくるし、どうやりくりしてもまともな人材が足りないよ」

「陸奥さんをどう使うつもりなのですか」卯三郎さんが聞くと「各地の知事の中でも今横浜の大事な事は判るだろう、まずあそこの知事にして人材の育成をさせなけりゃいかん」と直ぐに答えが返ってきた。

寺島さんは日夜人材の発掘とどこの部署へその人を当てはめるかを研究しているんだと正太郎は考えていた。

實吉は東郷愛之進、町田君はこのとき外務大丞の町田久成だ、鮫島と共に英国留学の仲間、このとき生まれた友情は薩摩の若者に大事なのは軍事もさながらに教育と外交だと思い知らされていた、同時期に英吉利にいた長州の井上勝こと野村弥吉は鉄道、遠藤謹助は大坂で造幣、山尾庸三は工部省に工部大学校の設立をそれぞれが目指していた。

午後には仕事が控えていると言う寺島に別れを告げて卯三郎はケンゾーたちと木挽町で宿を決めた後、風呂屋で汗を流してから待合へ入って早めの夕食をとりながらの商売の話を始めた。

ケンゾーに様々な花火の色付けに使う薬品の輸入と印刷機のカタログを至急届けて欲しいと言う話だノース・アンド・レー商会が薬局をやっているが俺が頼みたいたいものは持っていなかった。それに聞いたら法外な値段を言うのだ」と卯三郎さんは打ち明けた。

横浜から全国に様々な器械が売られていく様子は凄まじい物だった。

ケンゾーには手に取るように外国商館に儲けられていく様子が分かりあんまりにも暴利をむさぼるやり方には賛成できず出来るだけ安いコミッションの商館を紹介することが多かった。

「ところでサミュエル・コッキングと言う男を知っているか」

「はい横浜ではサミーもしくはサムエルで通っていますが近々独立すると言う話です」

「そうだそうだ、それでうちと取引をしないかといって来ている」

「当てになる男ですよ、しかし資金の当てがないのが欠点です。誰か後ろ盾になって輸入商品を引き取って上げられるといいのですが、日本からの輸出は中々食い込むのも難しくなっていますからね」

「それなら俺とコタさんで少しは資金を出すか、薬品に工作機械はまだまだ数多く必要だ。機械を作る基の器械さえあれば何外国に負ける事は無いはずだ」

集まってきた芸者にも仏蘭西で見た宮殿や庭園の話や英吉利の掏摸の話、船での嵐の体験談など面白おかしく話すので時間はあっという間に過ぎていった。

座についていた芸者も小龍と波留の二人になってそろそろお開きとなった。

小龍は横浜のフッキローへ来たときにケンゾーや正太郎とも顔なじみになっていたのだ、小龍の名は六丁目の木挽町はつねやの元女将の旧名をもらったものだ、置屋は柳橋のたか吉が女将となった同じ六丁目の木挽町まつやの売れっ子芸者だ。

「こりゅうは正太郎君が気に入ったようだな」

「あれそう見えましたか、国の弟によく似て居り横浜で会った時から気にして居りました。聞きましたがあたくしと同い年あたくしはもう直十六だから少しお姉さん」

にっこりと微笑んだ様子は色気と言うよりは落ち着いたやさしい笑顔だった。

ケンゾーたちはまだ八字を漸く過ぎたばかりで昼の熱気が残る町を歩いてその日の宿に向かった。

遅くなる事は知らせてあったので宿で蚊帳の吊るしてある部屋で卯三郎さんの話の続きが始まった。

松木さんといっていたころの寺島さんに五代さんが英吉利の軍艦の捕虜になってかくまった話、今はアメリカアナポリス海軍兵学校で学ぶ市来勘十郎さん勝小鹿さんなどと亜米利加であった話など「コタさんがいれば思いつく名前がまだまだあるが中でも沢井鉄馬と名乗っていた森有礼さんのことが気になるのだ。廃刀論を持ち出してこれからは武士といえど刀を差してのお役など無用と言うのが嫌われて、今は鹿児島へ引っ込んでいるのは惜しい」と寺島さんが欲しい人材の名前を次々と挙げた。


三日の朝卯三郎さんと別れてケンゾーたちはエドホテルを見物に出かけた「ヤア、ケンゾーと正太郎じゃないか」

なんと中から寅吉と出てきたのは鮫島さんだった。

「おいはこれから仕事じゃけん、さらばじゃ」

そういって従者も連れずに一橋の方向へ馬で向かっていった。

つい二月ほど前このホテルの先の海面でホイト兄弟のシティー・オフ・エド号が機関の爆発で沈没して乗員乗客のうち半数以上の八十四人がこの事故でなくなったのだった。

それでも稲川丸、弘明丸などで横浜と行き来する人は減らなかった、何しろ時間の節約と馬車よりは安いのと波さえ穏やかなら楽だと言うので利用者は後を絶たなかった。

正太郎が昨晩は卯三郎さんと同じ宿で異国の話や寺島様たちの留学の話などためになる話が聞けましたと報告すると「そうか俺も鮫島様と亜米利加へも渡ったときの様子など聞かせて貰ったよ。まだあのとき英吉利から亜米利加に渡った人で残っている人がいると言う事も聞かせてもらった」

「森様と言う方が亜米利加でご一緒に学んだそうで、今は薩摩に引きこもって居られると言う事も卯三郎さんはおっしゃって居りました」

「そうそう、其の森さまだがもう直お呼び出しでこちらに出て来るそうだ、鮫島様が欧州、森様が亜米利加と言うことになるそうだ」

話しながら居留地の電信機役所へ向かう寅吉と共に明石橋を渡った。

「ブレゲー指字電信機はもう古いな、新しいモールス印字電信機でないと通信のスピードがあがらんだろうケンゾーが輸入して納入すればいいだろうに。今の一分で五文字では遅くて仕方ないし一文字の銀一分は法外だが十字に県庁に千代が電報をとりに来るので九字までに発信して貰うのさ」

今八字十分と時計を見ながら役所の門をくぐって登録した。

「電文は、ミ、ブ、ト、の三文字でよろしいですか、発信人はトラヤトラキチ、受け取りは電信役所留め置きトラヤチヨでいいのですか」

「其れでお願いいたします」

金を払い外に出て横浜まで張られた電線を見ながら「故障さえなければ電報は利用価値がある。予め取り決めた文面で伝えれば安くつく」そう寅吉は二人に説明した、正太郎は「ミカンが無事に着いた寅吉と言う文面ですか」

「そうだ、だがトは東京と言う意味だ。名前は発信人で確認できるからな、其れと其の電報が着いたら今日は午後の馬車と決めてあるのさ。明日になるときは、ブの代わりにアと言う文面にする予定だったのさ」

寅吉がメモ帳を正太郎に見せて文面別の連絡事項をいくつか見せてくれ、居留地を廻ると言う二人を残して寅吉はリキシャを捕まえて神田へ向かった。

ケンゾーたちは築地の洋館群を見て歩き鉄砲洲を出て入船町五丁目に伊勢勝造靴場を訪ねた。

年内に兵部省に一万足の軍靴の納入に追われていた工場は大忙しだった「吉田君横浜からの牛革が間に合わんよ。船はまだか」

「上海を陽暦の9月25日に出る約束なので三日前には船が出ています。今月十日にはここに届けられます」

「頼むよ、横浜物産会社も渡辺ももう手一杯らしい。佐倉でも集めてくれてはいるが、浅草の長吏の方が向こうで靴の製造を始めると言い出してこっちに廻すのは兵部のほうから言ってもらっても中々よこさないのだ」

新島原へ誘われたが「これからまだ回るところもありますので船が着きましたら早速お知らせの上お届けいたします」

西村に約束をして二人は南八丁堀南側の大名屋敷跡に建つ新島原を廻って真福寺橋を渡って白魚橋のたもとに出た。

京橋まで河岸を進んで南紺屋町の喜佐久という見世で昼を摂った。

「あんさんたちお江戸の人じゃないね」若い仲居の人がそう聞いて来た。 

仲良く話す二人を兄弟でもなく使用人を連れた商人でもなく見えたのだろう。

「俺は横浜の貿易商だよ。こっちは俺の書生さ」

書生と言う言葉も街で使われだしていたがいまだに江戸と言うこの人は定めしこの町で育ったのだろうと思い「江戸が東京となってもまだお江戸と言うほうがこの街らしいね、明日まではお江戸見物の息抜きさ」

「さようでしたか、今日はどちらを回りました」

「朝から鉄砲洲の居留地で電報と言う奴を扱う役所を見たよ。其の後新島原を横目に此処まで来たのさ。この後は上野から浅草へ出て何処かに泊まり明日は午後の馬車に乗る予定さ。乗れないときはもう一晩とまってもいいな」

ケンゾーは横浜で電信役所など珍しくもないがと言う顔などせずに珍しいものを見たように説明した。

「横浜の人なら元町にいた勝蔵と言う人をご存知かい。尾張町の木村屋と言うところで働いているのですが」

「もしかしてパン職人の勝蔵さんですか」

「あれ、知っていましたかい、どんなお人ですか」

正太郎が20番の義士焼きの店の事、パルメスさんが神戸に移ってから元造さんと五左衛門さんからパンを作る事を教わった事と、自分は其の義士焼きやピカルディを開いている虎屋さんで働いている事なども話した。

「横浜にいたときは寡黙で仕事熱心、遊びはせずにタバコは吸わず寝酒が少々と言うおとなしい人、暇があると仕事の工夫をすると言うので木挽町のピカルディから文英堂へ引き抜かれたと聞きましたが」

「そうなんですよ、文英堂さんのお店が火事で焼けて再建するについてパン職人を本格的に雇うと言うのでね、店の名前も変えて木村屋となさったのさ。其処の旦那が授産所で働いているとき指導に来ていた梅吉さんと五左衛門さんというお方にパン作りを教わったそうで、其の伝で五左衛門さんのお弟子の勝蔵さんをお雇い下さいましたのさ」

ケンゾーが話を引き取って「大分木村屋さんのことや勝造さんのことを詳しく知っているようだがお知り合いですか」

「あらやだ、縁があって見合いを致しましたのさ。いい人だと思うのですが何か大人しすぎるのが気になりましてね。あたしはみよと言いますのさ」

「それならこの正太郎が受けあいますよ。私は少ししか知りませんが悪い噂を聞いたことがありませんからね」

正太郎も五左衛門さんが知りあいの元の文英堂さんに悪い人を紹介するはずがないと口を添えた。

飛んだ所に知り合いがいたもんだと驚いたが二人は喜佐久を出て東海道を尾張町まで戻り木村屋を覗いてみた「少し夕方に食べる分を買ってみるか」

「はいそういたしましょう。勝蔵さんがどのようなパンを作っているか興味もあります」

二人は店に入り種入りのパンをいくつか買った「正太郎じゃないか」暖簾を掻き分けるように勝造が顔を出した。

「お久しぶりです、勝蔵さんもお元気そうで何よりです」

「それで今日はどうしたい」

「此方の方は今旦那の言いつけで勉強の為に書生として附かせて頂いている吉田健三さんです」

「吉田です、私は元町の虎屋から暫く英吉利へ留学させていただき半年ほど前に帰国いたしました」

「お名前は知っていますよ。同じ横浜にいても掛け違ってあまりお目にかかりませんでしたが。ちょつと待って下さいよ」

そう断ると店主の安兵衛に「この人はイギリスで様々なパンを食べてきて居りますから家のパンの味について相談しちゃいかがですか」

「オオ、其れは願ってもない。どうぞ此方で休んでいってください」

二人はケンゾーの手をひかんばかりに座敷にいざなった。

味を見てくれと盛んに言うが二人とも昼を食べたばかりだから其れは明日昼に寄るといって英吉利の山型食パンだけを少しにさせてもらった。

「さっき買った種入りパンの味の報告を明日寄って行いますから今日はもう勘弁してください」ケンゾーは漸くと試食を断って店を後にした。

日本橋へ掛かるころ「まいったなぁ、木村屋へ寄ったのは余分な事だった」そうケンゾーは正太郎に言って、また明日パンを沢山食べさせられるぞと脅かした。

「ほんとにまいりました。あんなにテーブルに並べられるとお腹がすいていても、もう沢山と言い出したくなるでしょうね」

二人は通りかかった二人引きのリキシャに二人で乗り込み浅草まで走らせた。

走らせたといっても前引きが付いても道が悪いのでそうは早く走れるわけではなかったが30分もかららずに門前町の並ぶ浅草に入った。

本願寺手前菊屋橋で降りて車夫に二分二朱を渡して盛んに礼を言われる中を新堀川に沿って本願寺の裏手に廻り誓願寺内塔中の長安院を尋ねた。

横浜から携えてきた旅行鞄から注文の小さな伊太利亜の細工物を納め、出された茶を飲みながら四方山話をすると「其のパンと言うのはまだ食べた事がないのう」と老院主が言うので木村屋のパンを差し出して食べてもらった。

「不思議な味じゃな」

「どうしても異人たちが食べる味のままなので茶や白湯ではそれほど美味しくないかもしれませんが、甘い蜜などをつけて食べるとおいしう御座います。此れは尾張町の木村屋という店のものでして、近くの木挽町五丁目にはピカルディという横浜から出てきた店も有ります」

「さようか、次は蜂蜜でもつけて食べてみよう」

ケンゾーはついでとばかり買い入れたパンを全て置いてゆくことにした。

長安院を出て九品院の蕎麦食い地蔵を訪れた二人は「また明日嫌と言うほどパンを食べさせられるかもしれないから今日は江戸料理でも食べさせる宿を取ろう」「そうですね寅吉の旦那ならさしずめ鰻にするかと言うでしょう」二人で笑いながら門を出た。

誓願寺店を出て田島町から奥山へ回り、仕事終わりの芸人や小屋がけの芝居者、吉原へ行く人たちの雑踏を避けるように花やしきの脇から浅草寺へ入った、淡島堂を覗くとお座敷へ出る前に御参りに寄る芸者の箱屋を従えた後ろ姿が見えた。 

本堂へお参りして随身門から馬道へ出て店をしまっている茶屋で聞くと花川戸のきくすい亭と言う料理宿を教えられて其処へ入った。

隅田川が見渡せる部屋に通された二人に「食事はいかが致しますか」と仲居が聞いてきた。

「これからでも用意できるかい」

「はいお任せでよければご用意させていただきます」

「江戸情緒豊かな料理が出てくるならぜひ頼みたいが」ケンゾーはよく見えるように二分金を二つ別々に包んで「一つは板場に、此方はあなたにだよ」と渡した。

「板場に申し付けてご満足できるように腕を振るわせます」

女中は心づけを帯の間に挟んで「直ぐにお茶をお持ちいたします」と出て行った。

昨夜と違い風も涼しく川風に乗って離れから三味線の音に乗って歌声が聞こえて来た。

ちょうちょとんぼやきりぎりす
 山で 山でさえずるのが 松虫鈴虫くつわ虫
 オッチョコチョイノチョイ オッチョコチョイノチョイ
竹に雀は仲よいけれど
 切れりゃ 切れりゃ仇の 切れりゃ仇のえさしざお
 オッチョコチョイノチョイ オッチョコチョイノチョイ

庭の芙蓉は盛りと咲き木立の下には赤白の小さな花と黄色い花をつけた草木が茂っていた。

「芙蓉は旦那が好きで元町にもピカルディにも多く咲いていたが横浜でもよく見かけるあの小さな花はなんと言う名前だろう」

「先生、あれは御所水引です、金色は金水引といいますが種類が違うそうです。紅白は蓼の仲間で金色はバラだそうです」

「ホウ、あれもバラの仲間なのかい」

「はい、吟香さんがそう教えて呉れましたが英語の名前は知らないといっていました。そのうち調べようといっておられましたがまだ教えていただいて居りません」

「ハッハッハ、吟香さんは忙しいからな、もう忘れているころさ」

庭を覗き込むと部屋の下には桃色の花の群れがあった。

「此れはハンナさんが教えて呉れました、光吉さんが盛んに増やしていますので横浜でも数が増えるはずです。October plantと言うそうですがみせばやと言う名前で知られているそうですが、吟香さんはシーボルト先生が欧州に紹介したのでSedum Sieboldiiと言う名と教えてくださいました」

「お客さんがたは花の学者さんかね」

お茶を運んできた仲居が聞いてきた。

「いや、俺は横浜の貿易商人さ、こっちは俺の相棒だよ」

「あら、そんなにお若いのに商売人でござんしたか」

正太郎はケンゾーが言うままに貿易商の振りで「今は此方の吉田様の下で商売を勉強させていただいているので駆け出しですよ」とうけた。

「其れより三味もいい音だし、歌声もよく通り中々のものだね」

「ほんに、あの紫胡蝶太夫は何時聞いてもよい声でござんす、手妻も見事ですが声は一品でござんす。本日は山城屋さんのお座敷へ呼ばれて居られますのさ。今頃は紙型の蝶をお座敷で飛ばして見せているころでござんしょう」

ケンゾーと正太郎は山城屋と聞いて驚いたが顔に出ないように「手妻のご披露ですか、さすが金持ちは違いますね小屋で見るよりお座敷で芸を見るとわね」

「兵部省の偉い方を招待されて江戸芸の粋を見ると仰せですので五人ほどの様々な名人を手配させて頂きました」

其れはいいですね私たちも時間が有れば奥山で小屋を覗きたい物ですと仲居に話を合わせるように続けた。

「後少し食事はお待ちくださいね。料理人が腕を振るう機会到来と喜んでおりましたからご満足いただける料理が出てきます」

仲居は茶を入れると出て行った、先ほどの心づけが効いたのと貿易商と言う言葉で板場に煽りをかける気になったようだ。

「失礼いたしますよ」障子を開けて二人のよく似た艶やかな裃姿の人が入ってきた。

「私紫胡蝶太夫其れと妹の小春太夫と申しますが、此方様あやめ姉さんに聞きましたが、横浜の貿易商人だそうでお呼びがあるわけではござんせんでしたが、お話をお聞かせ頂けませんでござんしょうか」

「よろしいですが、私は半年ほど前に横浜に戻ったばかりで詳しくないので、此方の前田正太郎にお尋ねください」

正太郎が「胡蝶太夫とおしゃられますと、横浜駒形町の丸高屋さんとご兄妹では」

「アラ兄さんをご存知でしたか、最近あって居りませんが息災でしょうか」

「はい五日ほど前に虎屋の旦那さま共々マックさんたちと多満喜と言う料亭にご招待して頂きました」

「アラあなた虎屋さんをご存知なの」

「私も、此方の吉田様も虎屋で働いているも同じで御座います」

「そうなの、ではコタさんの所の人だったの」

「さようで御座います。私は今此方の吉田様の元で外国人との付き合いの仕方や商売のことを学ぶように寅吉の旦那さまから言い使ってこのように引き回していただいて居ります」

「其の多満喜と言うのはもしかして鰻やさん」

「さようです」

「やっぱり、コタさんは今でも鰻にこっているようね」

「はいさようです、人を誘うときは支那料理か鰻屋で御座います」

二人は本当に可笑しそうに笑いながら「昔とちっとも変わらないわね」と二人で肯きあった。

「手妻師小春太夫とは借りの名で本当は手配師と言うほうが合っているのよ。今日は姉の介添いで附いてきたの。早変わりに二人で一人に見せるのよ」

手の内を寅吉の知り合いの二人へ明かすように話した。

仲居が何人も膳を運ぶ人を従えて入ってきて、先ほどの話のように江戸風の大層な膳が並べられた。

本膳や懐石とは違うようだが形式ばらずにその日の旨いものを並べるようだ。

前八寸には栗柿白和え、長いも柚香焼、出し巻き玉子があった。

「鱸の洗いがお勧めです、板場の話では旬を過ぎたと言うがこの時期の鱸は特に洗いにするのがお勧めだそうでござんす」

仲居が膳を出すのと同時に座敷の隅に下がっていた胡蝶太夫は「料理も出ましたようで私どもは此れで失礼させていただきます」と挨拶をして座敷から引き取りケンゾーたちは料理を堪能し始めた。

「林巻大風呂吹大根で御座います。此方は浅茅田楽で御座います」

大根を早く煮るために剥いた物を丸めて煮て有ったし豆腐の田楽も工夫が凝らしてあった、宿に入って半刻もしないうちに出てきた料理とは思えないできだ。

浅茅とはちがやのことで切りゴマが田楽の上でまばらにまぶされている所から付けられたようだ。

正太郎にも酒を勧めたケンゾーは「一杯だけでも付き合いなよ」とそれ以上は勧めなかった。

暫くして新たに膳が運ばれ「焼き魚は止めて煮魚に致しました」湯気の立つ皿が目の前に置かれた。

「房州で今朝あがったワラサで御座います。ご膳は其の侭の白飯で御座います」

「ホオ、これはいいものが出たね、もう冬が近いと言うことかい」

「はい後の月見のころには鰤になろうかと言う頃合のものでございます」

正太郎も箸をつけて「横浜でもまだ出てこないよいものに出会いました」と大喜びで綺麗に食べつくした。

正太郎は料亭料理や支那料理を数多く食べた事はなくとも虎屋の賄いは季節の良い食材を夕食には出すので普通の子供よりは舌が肥えていたし、おかつさんは家庭料理とはいえ美味しいものを出してくれていた。

吸い物の椀には鶏肉の細切りと豆腐のお澄ましに木の芽が浮かんでいた。

「旨い澄まし汁だ。こんなにあっさりしているのに奥が深い味わいだ。旨いとしか言いようがないね」

そして料亭料理の凝った炊き込みご飯より白い飯が大層おいしく思われて「いやぁ、白いご飯がこんなに美味しいとはね、煮魚に合うのは此れが一番だね」そう大袈裟かなと思うくらいほめておいた。

離れのほうではさっきまでのゆとりのある遊びから大袈裟にさんざめく騒がしい遊びに変わったようだが離れた棟なので苦にはならなかった。

「驚いたな、あれだけ騒いでいるのに先ほどの太夫の三味や歌声ほどは声が遠くまで通らないね」

「本当ですね騒ぎ声と良く通る声と言うのはまるっきり違うのですね」

二人は食事も終えてお茶でくつろぎながらロンドンの話を始めた、山城屋と兵部省の者がいると言うなら横浜の話は止めておこうと判断したのだ。

「スエズ運河が完全に通行できるようになったから船を乗り換えなくともすむし、大型船で地中海の綺麗な海岸線を見ながらロンドンまで行くのが楽しみだぜ。正太郎も一度は行くといいよ。其のときには俺が資金を出してやるよ」

話が帰りの船のことになると今日のケンゾーはそのように正太郎に留学を勧めるのだった。



朝八字にはきくすい亭を出て随身門から浅草寺に入って一昨年の神仏分離の太政官令によって、三社大権現改め三社明神社となっていた神社に手を合わせた正太郎は「先生が勧めてくれたように英吉利へ留学できますように」そうお願いをした。

更に観音様にもそのようにお願いをした「大分熱心に拝んでいたね。何かは聞かないが願いは必ず成就するよ」ケンゾーは昨晩話した留学や弟のことだろうと察してそのように受けあった。

昨年の六月十六日の事だったそうだが、神祇官役人が訪れて秘法本尊を勅命と称して改て行ったことがあったそうだ。

仁王門を出て役店の水茶屋はもう開いていて客に団子やいなり寿司を勧めていた、二人はきくすい亭から紹介されたと寺男に話して伝法院の庭を拝見させてもらうのだった。

小堀遠州作庭と伝えられる庭は落ち着いた雰囲気の中に遠大なものを感じさせた、大泉池を中心とする廻遊式庭園にはどこまでも続くような錯覚さえ覚える二人だった。

「どうだい」その寺男の声に漸く長い時間を過ごしたことに気がついた二人は「すばらしい庭園ですね。心が落ち着きます」と返事をして礼を述べて伝法院をあとにして平店を抜けて風雷神門のあった場所から広小路に出た。

駒形堂まで来ると向こうから来る粋な櫛巻きに黄八丈、赤茶のビロードの昼夜帯が良く似合う年増の人に「昨日は失礼しました」そう声をかけられた。

二人が驚いて見つめていると「あらやだ、穴が開いちまう、あっちは小春太夫でござんすよ」と打ち明けてきた。

「驚きましたよ、昨日とはまるっきり違うしこんな艶姿の人とどこであったかと考えても思いつきませんでした」

「昨日は姉様のお手伝いさ、化粧を落とした普段のこっちがあたいのほんみさぁ」

言葉も江戸のひと其の侭に奔放に次々と二人に問いかけて昨日からの行動をすべて話させてしまうのだった。

「姐さんどうかしましたか」何時の間にか仕事師の若い衆が四ったり周りを囲むようにしていた。

「この人たちは横浜の兄さんの知り人だよ、此方が吉田様、若いかたは前田様だよ」名前も覚えてくれていた。

「なんだそうですかい。ではあっちたちは先に馬道へ行きますぜ」

「先に例の話を進めておきな」

四人をあっさりと先に行かせると駒形堂の茶店に腰を下ろした。

二人も差し向かいに腰を降ろして話を続けた、お春はどうやらケンゾーを気にいった様でなかなか席を起たなかったが、漸うに腰を上げて仕事に向かうことにした。

「浅草へ来たら声をかけておくれなさいよ、馬道か奥山でお春と聞けばたいていは判るからさ」

「承知しました、お春さん」

ケンゾーも自分と同年くらいのこの開けっぴろげな性格のお春のことを好ましく思った。

お春と分かれてから二人は森田町で店にいた卯三郎さんに声をかけた「尾張町の木村屋に知り人が働いていました。これから味見を頼まれまして寄ることになりましたので、帰りは明日になる予定と変更しました」卯三郎は「そうかい、では今晩また木挽町あたりで遊ぼうか」

「其れはよろしいですがまだ宿も決めて居りませんので連絡がつきません」

「これから俺も同道するよ、パンの試食とは面白い。パリ、ロンドン、ボストンとパンを食ってきた俺の舌も役に立つさ」

盛んに売り込んで今日は店を番頭に任せて出歩く気になったようだ。

三人で浅草橋をわたらず神田川沿いの左衛門河岸を新シ橋まで出て渡り大きな道筋を避けるように彼方此方と曲がり紺屋町へ出て竜閑川は地蔵橋で渡った。

其の侭真っつぐと進み塩河岸を左手に道浄橋を渡れば伊勢町に入り江戸橋へ出た「卯三郎さんどこをどう歩いたかさっぱり判りません」ケンゾーはすっかりお手上げのようだ。

「此ればっかりは江戸に長年住んでいないと判るもんじゃねえよ」

江戸人だという卯三郎さんも生まれは武州羽生在だ。

其の侭曲がらずに進んで白魚橋まで来て漸くケンゾーにも卯三郎がこの道を選んで歩いたのが理解できた「ここが白魚橋と言う事だと尾張町は直ぐ其処ですか」「そうだ、案外近いだろ」卯三郎は自慢げに正太郎にも顔を向けて話しかけた。

三十間掘りにそって進み三原橋の角を右に折れると尾張町一丁目、右手は尾張町新地と言う名前で呼ばれだした場所、木村屋へ顔を出したのは一字を回ったばかり「ごめんください、昨日お尋ねした横浜の吉田で御座います」店の者にかけた声を聞いた店主の安兵衛が飛んで出てきた。

「よかった来てくださって本当によかった。聞きましたぞ、おみよが勝蔵さんと所帯を持ってくれる気になりましてな。あんたたちのおかげで店も万々歳で御座います」

勝蔵も顔を出して満面の笑みで迎えた、奥に通りパン工場に入るとなんと五左衛門さんまでが来ていた。

「ヤァ、正太郎君久しぶり」相変わらず優しい笑顔の五左衛門さんが手を出して歓迎の挨拶を正太郎と交わし「入れ違いになっていますが私が五左衛門です、吉田さんとはあまり横浜でもお目にかかれませんでしたがお噂は旦那さまからもウーロンさんからもよく聞かされて居りました」

安兵衛の二人の息子も紹介されて「今はこの三人が此処で日夜新しい日本人の口に合うパン作りをしています」と誇らしげに竈や小麦粉に様々な設備を見せて廻った。

ピカルディ譲りの清潔な工場と竈が三箇所「此れは勝蔵さんがそれぞれが自分の竈で焼いて精進すればさらによいものが出来ると言うので五左衛門さんの薦めもあり作らせました」

ピカルディも義士焼きの店も出入り自由に振舞わせてもらえた正太郎が見ても十分近代的な設備だった。

「サァサァ、試食をしてくだされよ」

工場のテーブルに大きな布がかけられ其処に様々なパンが並べられた「今日は普段作るパンのほかにこれからの試作品も作らせました。全てを食べるのは無理でも手にとって匂いだけでもかいでくだされ」紅茶と砂糖が置かれた盆をそれぞれに渡して安兵衛は後ろに下がった。

「忘れていた、このお方虎屋の大事な取引先の穂積屋卯三郎様で御座います」ケンゾーは其れまで口を開く隙などなかったことに改めて卯三郎を紹介した。

「穂積屋様と言うと水戸様と御一緒にパリへおいでになられた」

「さようです。私穂積屋の清水卯三郎で御座います」

「さようですか、欧州と亜米利加へもおいでになったお方と渋沢様からもお噂をお聞きして居ります。ぜひとも今日は忌憚のないご意見をお聞かせくださいますようにお願いいたします」

「此れで家の旦那が揃えばパンの味については十分な試食会だな」

五左衛門さんが正太郎に笑いながら話していたとき、工場に顔を出した女の人が「旦那さま五左衛門様にお客様ですが、此方へお連れ致しますか。虎屋様と仰っておいでですが」まさかの旦那のご入来だ。

安兵衛が見世に出て行って二人の客をいざなってきた一人は寅吉、もう一人は山高帽のやせぎすな男だ。

「腰越さん、腰越次郎さんではご座いませんか」

「いかにも腰越だが、どなたかな」

表から昔竜馬さんがよくしたように眼を眇めて工場を覗き込んだ、ケンゾーからは表がよく見えるが外からはよく見えないようだ。

「健三です。いや吉田健三郎で御座います」

其処に土下座でもしかねない様子で足が萎えた様に動けないケンゾーに駆け寄るように近寄った腰越が抱え込むように抱き起こして「よかった、よかった無事で留学を終えて帰国したと今朝コタさんから聞かされたばかりだ。俺のほうもいろいろ遭ったが今はこうして無事に帰国したところだ」

どうなっているのかと考えるまでもなく集まった人たちで時ならぬパーティの様相をきたした試食会となった。

「健三郎、俺はな陸奥さんと三月ほど欧州を見て考えも変わったよ、作太郎も俺と行き違いのように欧州の陸奥さんのところへ出かけたそうだが行けば人間が大きく変わる。そう信じるよ」

「はいそうです。私も其れまでの自分とは違う人間に生まれ変わったと感じました」

様々な意見が交わされて「木村屋さん私が始めたピカルディは紅茶やコーヒーにスープで食べるパンですが、あなたはぜひお茶で食べられるパンを作り上げてください」寅吉はこの人たちが日本人のためのパンを作るように薦めるのだった。

勝蔵が「寅吉の旦那、前に賄いでの試食に義士焼きの餡を食パンに挟んで食べましたがあれなぞいかがですかね」

「しかしあれでは餡とパンが別物になってしまうだろう。パルメスさんも元造も工夫はしているがどうにも甘すぎてうまく味が落ち着かなかったろう」

そうでしたねという言葉に「どうでしょう、饅頭のように蒸してみては」

「だがそれではパンじゃなくなるぜ兄貴」と息子の英三郎に儀四郎という二人の若者が身を乗り出すように話に加わってきた。

「種入りパンに小豆の粒を入れるのはどうだろうか」

「そいつはいいだろう、固めの小豆なら其の侭潰れもしないだろう」と父親も話に加わった「其れと饅頭のパンだがもう少し勉強して味の工夫もしてみよう。勝蔵さんは幸い義士焼きの店でも修行して餡の味にも堪能だそうだし、五左衛門さんも近くにいて何かと面倒を見てくださるだろう」もうすっかり饅頭をパンに取り入れることに決まったように話を取り仕切った。

「どうでしょう腰越様の帰国祝いもかねて今晩は木挽町で食事でもしながら異国のお話をお聞かせください。虎屋さんも穂積屋さんも含めて吉田様正太郎さん全て招待を受けてくださいませ、息子たちに勝蔵さんも同席させますゆえよろしくお願いいたします」

遊ぶことが好きな腰越さんに否やはなく「では大急ぎで帰国報告をして参るが、どこに行けばよい」

「木挽町一の橋きわ四丁目の角のたか源という料亭があります、近くには心安い宿もありますのでぜひ私に世話をお任せくださいませ」

卯三郎さんも承知して飛脚やに頼んで手紙を大急ぎで店に届けさせることにして筆を出して書き出した、腰越はリキシャというのが捕まえられればそれでと表に安兵衛と出て行きたか源には儀四郎が予約に出て行った。

「そうだ宿はどこになるのだろう」

「大口屋弥四郎という名前は大層な宿ですが小さな商人宿が私どもの定宿になって居ります」

「ハッハッハ、おとつい其処に泊まったばかりだ。いい宿だぜ蚊帳も匂いのよい香が炊いてあるし気分のよい宿だったよ」

「其れはよう御座いました。主が聞けば喜びます」

寅吉はケンゾーと昨日からの経緯を話していた「しかし山城屋が招待していた兵部省の人というのが気になるな」

「もし、山城屋というのは被服御用の看板を掲げたあの山城屋でしょうか」

「そうだが知り合いかい」

「私どもは付き合いがありませんが、天子様の被服御用を務めたと噂を流しておいでですが、伊勢勝の社長など眉唾と仰っておられます。アッ此れは余分なことを親父様には内緒にお願いいたします」

「これ、聞いたぞあからさまに人の悪口を言うもんじゃない。とはいってもあれは悪徳商人で御座いますな。しかし可哀そうな所もあって長州の兵部省の人々に儲けも大きくさせる代わりに盛んにむしられて居りますな」

「そうかあなた方伊勢勝と同じ佐倉の方でしたな」

「エッ、虎屋さんはどうして其処まで」

「私の商売の元は情報屋も同然で御座いますよ。勝蔵が此方様へ厄介になるというときに伊勢勝の西村様からも授産所の木村様からもお聞きいたしました。伊勢勝の西村様とは横浜でもお世話になって居ります」

此れはまいったと安兵衛は頭をかいた。

「実を言えば其の前に五左衛門から木村屋さんの事は授産所時代を含めて聞いて居りました。将来性のある方のようで気に留めて居りました」

嬉しそうに安兵衛はまた頭をかいて「勝蔵はよい人たちのところで働いていたんだな。うちに腰を落ち着けてくれるというので私たちも嬉しい限りだよ。寅吉さん今朝方勝蔵の縁談がまとまりましてな、披露の式は明日にでも行いたいのですが出てくださらんか」

「ケンゾーたちはどうする」

「私たちは予定も過ぎており明日には横浜に戻りませんといけませんが旦那様はどうなのですか」

「俺は今日明日と江戸で腰越さんと付き合う約束さ、合間に式に出てもいいだろう。神田には広太郎に雅も来ているから連絡にはこまらねえよ」

「寅吉の旦那ありがとうござんす。この年で神さんを持つというのも恥ずかしいものでござんす」

「なにを言っているんだ。お前まだ三十前じゃないか」

そりゃそうだ早くとはいえないが、遅いと恥ずかしがるという年じゃないとそこにいた皆が口を揃えた、五左衛門だって三十に為ってエイダと結ばれたのだ。

夕方まで知り合いのところで茶でも飲もうというのを抑えて「宿を先に紹介しますので先に其処までお付き合いくだされ」安兵衛が先にたって三原橋を渡り左に曲がれば右手におおぐちや弥四郎の看板が目立つおとつい泊まった宿「お客さまをお連れしたよ。今は部屋を取るだけだが五人ほど泊まれるかい」

「部屋は三つ空いて居りますがどう致します」

「ではとりあえず抑えて置いてくだされ」

「おとついは厄介になりました」卯三郎さんが顔を出した。

「あれ森田町の穂積屋様」

主が驚くそばから正太郎も今晩もご厄介になりますと顔を出した、安兵衛は英三郎が宿の話をしたところは聞いていなかったのか、ここでも頭を掻いて驚いていた。

「おやピカルディの五左衛門さん」

「はい此方は私の旦那さまと知り合いでしてよろしくお願いいたします」

「ところで五左衛門さんがいるのに知り合いがいると先ほど聞いたようですがお近くにでも」と安兵衛さんが思い出した様に聞いた。

「六丁目の木挽町はつねやというのは寅吉旦那の持ち物でござんすよ」

五左衛門がすっぱ抜けば木挽町まつやも寅吉旦那と知り合いの芸者屋さと卯三郎さんも話してしまった。

「では同じ六丁目のはつ花という元の小龍姉さんの待合も寅吉さんのですか」

「だめだぜすっかり化けの皮がはがれちまったじゃねえか」

今度は寅吉が頭を掻く番だった。

其処へ儀四郎が追いついてきて「たか源では暮れ六つまでに芸者も揃いますので其のころを見計らっておいでくださいとの事でございます」と報告した。

入り口に座っていた面々は「では其の時刻に」ということで寅吉と五左衛門に卯三郎も出て行きケンゾーと正太郎が残って部屋に入って荷物を降ろした。

日暮れ近くに宿に卯三郎さんが戻りケンゾーたちの部屋へ来て「先ほどのパンはどうだった少し酸味がきついがどう思う」

「あれはパン種の性でしょう。ビール酵母に替えるかイーストを使えばもう少し改良できます。ビール酵母は横浜で手に入りますから其方は直ぐにでも何とかなりますが五左衛門さんのほうがどの様な味に為って居るのかも試しませんとなんともいえません」

「昔、五左衛門さんは酒だねを使うと聞きましたが今は使っていないのでしょうかね」

「其方はコタさんとも話したが五左衛門さんも同じように酒だねを使う手もあるかと言っていたぜ」

「旦那はどうでしたか」

「五左衛門さんのところもパルメスさんよりは甘くなったそうだ、パルメスさんはもう少し塩気が強いそうだが、コタさんはそれでも好いと言っていたぜ。俺には自分の味を主張しないコタさんをはじめて見たように思う」

正太郎が口を開いて「旦那はパルメスさんが神戸に移るときに俺がいなくなればそれぞれが自分の味を出すようになるだろうが、旦那は其れを黙ってみていられますかと聞かれたそうです。旦那はそれぞれが独立したと同じで自分の味を出すのが本当だと答えたそうです。前に富田屋さんが独立したときも同じようなことを言われたそうです。あくまでも自分は共同経営者であって味の鑑定人では無いと言われたと春太郎さんから聞きました」

「ではコタさんは自分が食べたくてはじめたピカルディなのに味に口を出さないと誓ったのかい」

「それほどのことでは無いのだと思います、元造さんに明日はこうゆう味でパンを焼いてくれと注文を月に一度くらい出して居りますから、其れから五左衛門さんは奥様のエイダさんがついていますから英吉利の田舎の味だと前に仰っていました」

「そうか街中のパンの味でなく田舎のパンの味か、家庭で焼くパンは英吉利ではあのような味なのかもしれないな」

「そういえば、マセソン老人の家に呼ばれたときに料理人が焼いたパンは木村屋さんのパンと同じ味でした、やはりビール酵母やイーストが違うのでしょうね。安兵衛さんには其れを伝えていろいろと試すことをお勧めしましょう。其れと種を時々五左衛門さんと交換すれば味も引き立つのかもしれません」

其の話の安兵衛さんが下に迎えに来たというので部屋に呼んで今の話をしてからたか源に連れ立って出かける面々だった。

たか源には既に腰越さんが来て所在なさげに部屋にぽつねんとしていた。

「遅くなりました」

「イヤイヤ俺も今上がってきたばかりで茶も出ないうちだよ」

そういう腰越は久しぶりの畳に座りづらそうだった。

「腰越さんはテーブルのほうが似合いますね」

「健三こそ日本に帰って暫くは座れなかったろう、今の俺がそうさ」

「座布団を何枚かしいて座るしかありませんよ。私は二日ほどでなれましたよ」

「そうか俺もな今日は陸奥さんの手紙を紀州さまへ届けたが、重役方の前で先に断りをゆうて散々笑われてきた」

寅吉と五左衛門が部屋に現れて仲居が「部屋の支度も済みましたので此方へおいでくださいませ」と一堂を案内した。

部屋では勝造いか三人が出迎えて既に芸者も次の間に控えていて座が決まるとすぐに入ってきた。

上座には腰越と寅吉が並び右脇にケンゾーと五左衛門、左に卯三郎と正太郎下座に今晩の招待をした安兵衛達が座り挨拶が済むと両脇へ座を改めた。

次の間に居た芸者が次々に置屋の名前とそれぞれの源氏名を告げて部屋へ入ってきた。

十人の芸者の内には小龍も混じっていて正太郎にはそっと顔を向けてにっこりと挨拶をした。

目ざとく腰越が見つけ「おっ、小龍は正太郎君を見知っているようだな」と話題を振ってきた。

「あい、あちきが助に横浜のほうに呼ばれたときに知り合いになりました。此方のはなゑさんも其のときに呼ばれて虎屋様のほうにはお世話になりました」

今日ははつねやのほうからは誰も来ていないようで正太郎の知った顔は他に見えなかった。

「どういうことだいコタさん」と隣の寅吉へ今度は話をふった。

「横浜に知り人が新規の待合を開きましてね、町の祭りで芸者不足なのでこっちから助っ人を出したのですよ。三日の間の借り切りでね」

腰越の隣へ入ったはなゑが「あの時は大層ご祝儀も頂いて出かけたものは大層うらやましがられましたのさ」

「ホウ、三日でどのくらい稼いだ」

「あちきは、手元に十二両も残りましたがそれでも少ないほうでござんした。往復も含めて七日間遊ばせて頂きました」

「其れはすごい、お大尽の座敷に出て小判でもまいてもらわないことにはそうは稼げない」と安兵衛さん。

「それでも横浜では遊びが野暮でござんす。此方の寅吉の旦那には申し訳ありませんがただ騒いでにぎやかにやれば客筋もお喜びでござんす。最近はお江戸でもそのような方が増えまして残念でござんす」

はなゑは江戸育ちか最近の成り上がり官吏が嫌いのようだ。

「俺もな洋行帰りで、元は長崎での派手なかんかん踊りで騒ぐのが好きな男だ。すまんなぁやぼてんで」と腰越さんはおどけて杯をぐいとあけて見せた。

「いけませんよ、腰越さん初手から脅かしては、ねえさんこのお方昨日の夕刻にフランスから帰ってきたばかりでな、今日横浜からお江戸に上がってきたのさ」

神戸に下りて和歌山に寄ったことを省いてそのように寅吉が言うと「そうだそうだ、久しぶりの日本で御座るぞ、江戸の芸者の粋なところを見せてくれ」

其の声を待っていたかのように三味と小太鼓が鳴り響き様々な唄に踊りが披露された。

芸者も途中で入れ替わったが小龍がはつねやの美代吉とはる奴を連れてきて自分は、はなゑが寅吉の横に座を移したので腰越の隣へ入って座った。

「そういえば小龍ねえさん前は小兼という名で出ていた様に覚えているが名前を頂いたのかね」

「あい木村屋様の言うとおりでござんす、こかねでは金を稼ぐ商売人にとってちと呼びにくい名だと言われまして、その場で小龍姉さんから頂きましたのさ」

ケンゾーと腰越が長崎仕込みの不思議な唐人踊りを披露すると五左衛門もそれに加わり座は賑やかになった。

寅吉が野毛の山を始めると芸者衆も其れに加わり三味を肩に担いで踊りだした。

先ほどああ言ったはなゑまでが踊りに加わり踊り終わると「アア、やんなっちゃうねえ。こんな踊りがはやるようじゃ芸の磨きをかけるのが無駄事じゃないか」と腰越さんに飲まされて居た酒がまわったか盛んに言うので「ではすまんが二上がりで新内でも」寅吉が誘いをかけて蘭蝶のさわりを始めた。

正太郎もケンゾーも驚いた旦那がこのような粋な唄もこなしていたとは。

縁でこそあれ 末かけて
約束かため 身をかため 世帯かためて落ち着いて
あぁ嬉しやと思うたは  ほんに一日あらばこそ

「コタさんがそう来るなら俺は明けがらすだまだ帰ったばかりで声は出ないだろうが負けておられんぞ」

たとえこの身は泡雪と
共に消ゆるもいとわぬが この世の名残り
いま一度 逢いたい 見たいと しゃくり上げ

と謳いだした。

「それでは私は都都逸などを」と安兵衛さんが興に乗って三味を誘って喉を披露した。

待つ身になっても辛かろうけれど

待たせて行かれぬ身も辛い

と後を小龍に任せて切り上げた。

小龍は「季節は違いますが江戸小唄に端唄など江戸生まれでは無い身でおこがましきはお許しくだされましょう」と断って披露をした。

「梅は咲いたかは季節外れも凄まじき物とお笑い下されましょう」
梅は咲いたか
桜はまだかいな
柳なよなよ 風次第
山吹ゃ浮気で
色ばっかり しょんがいな

「深川は場所違いで御座いますが」
猪牙で行くのは深川通い
渡る桟橋 アレワイサノサ
いそいそと
客のこころは うわの空
飛んで行きたい アレワイサノサ
ぬしのそば

「縁かいなは来年はいとしいお方と川開きを御一緒に」
夏の涼みは両国の
出船入船屋形船 上がる流星 ほしくだり
たまやが 取り持つ 縁かいな

「そして秋の唄として江戸小唄から」

お互いに 苦労もしたしさせもした
厭で別れた仲じゃなし
よりを戻した二人が仲は もと木にまさるうら木なし
酸いも甘いもかみわけた 例えていわば 後の月

そう唄い納めて後をはなゑに任せた。

「後の月にあわせまして」

たらちねの 許さぬ仲の好いた同士 

許さんせ罰当たり 猫の皮じゃと思わんせ

惚れたに嘘は夏の月 秋という字はないわいな

そう唄い納めるように三味を置いた。

「イヤイヤこれはこれは皆様派手なものばかりじゃと思いましたら、中々の喉で安兵衛驚き入りまして御座います。さぁ芸者衆も最後は四季の歌で座をお開きとしていただきましょう」

はなゑが直ぐに三味を持つと小太鼓の老芸者が「さぁ気を揃えてにぎやかに閉めましょう」とまずとんと一つ調子を合わせるとはなゑが三味を弾くに任せて小太鼓が続いた。

春の野に出てサ 白梅 見れば サーヨオィ
露に びん毛がサ いよみな濡れる
よしてくんさい おぼろ月

夏の夜に出てサ 蛍狩りに サーヨオィ
露に 団扇がサ いよみな 濡れる
よしてくんさい お月さま

秋の夜に出てさ 七草つめば サーヨオィ
露に 小褄がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 女郎花

冬の夜に出てサ きぬたを聞けば サーヨオィ
露に衣がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 寒念仏

賑やかに踊りも終わり芸者も華やかに引き取り、安兵衛達が宿まで一同を送り明日の再会を寅吉と約束して「明日は日暮れ前に店に来てくださいませ。披露の場所は近くゆえお待ち申し上げて居ります」と名残惜しそうに別れて行った。

五左衛門も門口から店に戻り腰越を筆頭に五人は宿へ入って部屋で欧州の最近の事情を腰越から聞いた。

「仏蘭西はいかんかもしれんな。俺が船にマルセイユで乗るときには開戦したと聞いたがナポレオン三世皇帝は自分を昔のナポレオン皇帝と同じ器量の持ち主と勘違いしているようだが、外交ではドイツの中のプロシャにさえ劣る、この戦勝てるはずもない」

「やはり仏蘭西はいけませんか」

「そう見えたな。ドイツの国々は鉄道建設を盛んにしてすべて仏蘭西方面に主要都市からの線路を完成している。国境まで兵士を輸送するのに十分の線路とSteam Locomotiveを備えているが、仏蘭西は線路をドイツの方向に一本だけの幹線路しか持っていない相変わらずの馬とあのChassepot 銃にたよって居る有様だ。プロシャとてツンナール銃だがそれでもあのChassepot よりは性能がよい」

「連発銃や亜米利加のガトリングは装備されていませんでしたか」

「話は聞いていない、独自に開発はされているだろうが亜米利加など後進国だと悪口を言うものにしかお目にかからなかった」

ケンゾーが「英吉利のボクサーを使う銃は軍隊には装備されていないのですか」

「スナイドルかあれは好い銃だが軍隊には備えられていないようだ。此れはプロシャも仏蘭西ももっていないようだ。プロシャは前に墺太利と戦をしたがあの時は相手が徳川の兵のように先込め銃主体のために僅か二月ほどで片がついたが仏蘭西とでは半年は片がつかないだろう」

「横浜では独逸と仏蘭西は中立国内ということで戦争を起こすことは出来ませんが外海に出ればどうなるか見当もつきません。商船も出るに出られず盛んに売りたがっているという話も聞こえてきますし、横須賀や横浜の製鉄所のフランス人も動揺しています」

「そうだろうな」と寅吉が続けて「薩摩の大山様と土佐の林様長州からは品川様が視察に横浜を出たのは先月の二十八日どうやらお偉方にも情勢判断がつくらしく行き先はベルリンのようでグレート・リパブリック号でサンフランシスコからニューヨークへ出てロンドンへ渡るそうです。心配は通訳が英吉利の中浜万次郎さんでした」

「そうかでもベルリンには長州から青木君という人が留学中と聞いた。向こうに行けば何とかなるだろう」腰越さんはその辺は大雑把に自分に当てはめて俺が平気なら大山さんだって大丈夫と笑っていうのだった。

「それにロンドンには陸奥さんも居る」

「しかしですね品川様を送るというのはこの時期何か可笑しな気がするのです。うるさ型の海江田様を大村のことに託けて追い払い、今度は落ち度が見つからない品川様を遠くへ送り出す。さも大山様や最初板垣様も送り出す予定にしてあったそうで、三藩の重要人物を送り出す佐賀の策略に見せかけて本当は品川様の排除では無いでしょうか」

「そいつは考えすぎだろう」

「そうだといいのですが腰越さんは人がよい分、ご損をしそうで心配でござんすよ」

「俺の人がよいと見ているならそれに乗って生きるのも人生さ。伊藤様が神戸でよく話していたよ、人は締め付ければ撥ねがきついが緩めておけば長所が見えてくるとさ。コタさんが心配しているのは木戸先生が山縣一派に踊らされないかだろう」

「さようです。さすが腰越さん帰国して直ぐ其処に気が行きましたか」

さすが切れのよい推理は腰越さんと寅吉は胸のうちで思ったが口には乗せないでしまっておいた。




五日の朝、昨夜遅くから降っていた雨がまだ止まぬ内に宿を出たケンゾーと正太郎は日本橋四日市河岸へ向かった。

馬車に乗って京橋を渡るころにはすっかりと晴れて雲も切れていた。

成駒屋は此処から吉田橋までコブ商会は居留地の境橋際から共に一人三分の料金だった。

蒸気船のほうが二分で割安と其方が込み合うのを見越して馬車にしたのだ。

弘明丸に稲川丸、明石丸がこの時期には就航していた。

「蒸気船は値上がりして馬車は値下がりか鉄道はどの値段を設定するか楽しみだ」

「先生鉄道は何時頃になりますか」

「普通なら高島様の埋め立てが終わる来年夏までには線路が引かれるだろうが、そう旨く目算通り進めるかどうかだな」

「何か支障でもありますか」

「大蔵と民部がまた7月に分かれて民部大輔が大木喬任様になったろう、其れが何か影響するかは判らないが、其れと横浜の埋め立てはともかく出来るだけ線路を真っつぐに引きたいと言っていたが、ほら其処の脇坂様と伊達様のお屋敷あたりが駅になるそうだ。そうすると東海道の海側に引くにも山側にも田町の島津様が良いだろうとでも言わない限り無理があるから其処の海岸をも埋め立てることになるだろうさ、高輪あたりはずっと海に土手を築くことになるだろうな」

二人の話は横浜のことになって「先生、弁天の修文館ですがブラウン先生の授業は人気が高いそうですね」

「正太郎君が通う佐藤先生も修文館だし、あそこは桑名と元の会津の人たちが多く学んでいるから此れからあの人たちも報われるだろうな。そうだ会津といえば斗南では大勢の人たちが開墾で大変だと聞いたよ」

「苦労されているそうですが山城屋の大川さんが会津の人を養女になさったそうですね」

「俺も其れを聞いたよ、まだ六歳だそうだが親元を離れても苦労した子らしく養父の大川さんの言うことを良く聞く娘だそうだ」

「ヘボン先生の奥様が大層お気に入りで養母の方とよくお見えになられていると聞きました」

「其れも吟香さんの情報かい」

「はい、佐藤先生のところでお会いすると横浜の話題を英語で話されるのでつい勉強といろいろ聞いてしまいます」

そういう二人も危ない話は英語やフランス語を交えて話すように普段から気をつけていたから馬車の相客にはただのうるさい会話くらいにしか聞こえないはずだと思っていた。

「ヘボン先生といえばブラウン先生と共に亜米利加から来たMiss Mary Eddy Kidderという宣教師の人がクララ先生の替わりに授業を行うことになるそうだと聞いたよ」

「先生、替わりではなくて共に教えると僕は聞きましたよ。クララ先生は忙しいので半分受け持ってもらうそうです」

「オヤそうだったのか。町の情報は正太郎君のほうが早いね、それに正確だ」

馬車は早くも六郷へついて馬車の乗り換えも済んで川崎を通り過ぎたのは十字になる前だった。

ケンゾーがうつらうつらし出し正太郎は考え事をはじめ思わぬ東京行きだったが収穫はあったと思っていた「山城屋は兵部省のもとの仲間に脅かされているのかもしれない、いやもしかすると利用されているのかもしれない」そう取ると山城屋も被害者なのかと考え腰越さんの言った「人がよいと見ているならそれに乗って生きるのも人生さ」という言葉の裏が見えたような気がした。

横浜の街が近くなり石崎からの馬車道はリキシャまでが行き来して混雑していた。

「ゆれなくなったと思ったらもう横浜か」

移動した石炭倉の跡地を見て「高島様が此処にガス会社を置こうと運動をしていると聞いたが」そう正太郎に話しかけた。

馬車の相客が「私、中山譲治と申して其の話に興味があるのですが、何かご存知ですか。詳しくお聞かせください」

「間も無く終点ですからよろしければ波止場の茶屋でよければ分かる事はお話いたしますよ」

「其れはありがたい、では馬車が止まったら暫しお付き合いください」

そう話がまとまり成駒屋で降りて港町の茶屋の腰掛けに座り焼き餅と茶を頼んだ。

詳しい話は聞いて居りませんがと断りを入れてガス会社の見込みや誰がどのように始めようとしているか正太郎を交えて話し出した。

「今のところ弘明商会の鈴木保兵衛さん、高島屋の高島嘉右衛門さん、伊勢勝の西村勝三さん、糸平の田中平八さんなどが話を進めておられます」

其のほか何人かの名前を正太郎が挙げて「まず町を照らす灯篭のようなものを道に設置して其れを各家にひけば明かりの代わりとゆくゆくは煮炊きも其れで賄うようにしたいと聞きました。居留地のフランス人の商社でも企画を考えておられる方があるそうです、それと水道事業というのも話が進んでいますよ」

盛んに聞きたがることを二人が教えると「いやお世話になりました、此処の勘定は持たせていただきます、早速にも高島様に会って一口加えさせていただけるように話に行きます。あ其れと私亜米利加人から英吉利の言葉を教わっていますがあなた方の話は半分も理解出来ませんでした、勉強不足なんですね。もっと努力しませんといけないようです」

其の若い中山という人は勘定を済ませると新地の高島屋へ向かって歩き出していった。

「正太郎君壁に耳ありというのは本当だ」

「そうですねあまり可笑しな話をせずに居てよかったです」

二人は水門橋から公園予定地を伝って境町へ戻り荷物を降ろすと「常盤町の椿湯へ行ってくる。ついでに昼飯も食ってくるよ」とおかつさんに言い置いて昼湯へゆったりと浸かって末広町に出来た双葉寿司で軽くつまんで家に戻った。

正太郎は支度をして洲干町の佐藤先生の家に出かけた。

途中芸者組合の集会場では新しい流行唄の練習らしき唄声が聞こえた、子供たちも其の歌を口ずさんで楽しげに通りすぎた。

恋ぢやへ 恋ぢやとて往かりよかのんし 佐へサツサコレ 佐へサツサコレ

佐渡は四十九里ヤンレ波の上 権兵衛が茶屋まで三里は無いぞへ

来いとて来なけりやかつさき待つぞへサツサコレ サツサコレ

あつみさ鶏はみんごやの、サツサコレ サツサコレ

かはい男のヤンレ目をさます 

少々からくともなんばん畑でやつてくれ

枯木に花が二度咲くか サツササツコレ サツササツコレ

何か子供たちに混じって足が自然にはずんでくる正太郎だった。

佐藤先生の塾には吟香さんがもう来ていて新九郎先生が戻るまで英吉利の授業が行われていた。

正太郎は部屋の外のテーブルでこと子さんからお茶を入れてもらって授業を聞いていた、すぐに吟香さんの授業も終わり出てくると「俺にも頼むよ士子さん」と催促して椅子に座った。

「正太郎君お帰り、東京はどうだった、横浜では新しい建物が増えてるがヘクトさんの劇場は見たかい」

「中は見ていませんが表のポールが綺麗に並んでいるのは見ました」

「日本の芝居小屋に似ているが観客は作りつけの椅子で見るんだぜ」

「教会のベンチのようなものですか」

「そうそうあんなふうに作られていたよ」

「高島屋さんの建築だそうで居留地でも目を引く建物になりそうですね」

「同じWhatmanが立てるものでも設計が違うと雰囲気も大分違うな」

「そういえばポール繋がりですが、ヘクトリリエンタールの生糸検査技師のポール・ブリューナさんはまだ戻らないのでしょうか」

「アア今頃は上州で製糸工場の候補地選びで歩き回っているころさ」

二人がそんな話題を話すそばで士子は裁縫に余念がなかった。

「士子さんは良く働くな、立軒先生は再婚なさらないのかい」

「勧める方もあるのですけれど、私と妹が嫁に行ったらといつも言うのですわよ。早く嫁に行けということかしら」

「そういうことでは無いでしょうがね」

今年十八になるが蒲柳のたちであまり子供には縁が無さそうでお嫁に行っても婚家に迷惑が掛かりますというのが士子の口癖だ。

五字を過ぎて立軒先生が帰り先生の授業を受ける子達に混ざり大人の人たちも集まりだした。

その日正太郎が家に戻ったのは八字丁度、おかつさんが用意してくれていた食事を取って自分の部屋で勉強をして早めに寝ることにした。




朝いつもの公園予定地へ出かけた。

「遅かったじゃねえか、東京はどうだった」

由坊には言わずに出かけた東京だが子供たちは知っていた。

「横浜のほうが俺には好いな、でも東京は広いよ、横浜の何倍も家が建ち並んでいるんだぜ、其れと大きな屋根のお屋敷やお寺が多いのが目立ったよ」

正太郎にははじめての東京だったが向こうがうらやましいとは感じられなかった。

子供たちの話を聞いたり遊んだりして朝の食事時間になるので帰ると言って家に戻ったのはまだ七字だった。

今はいいが冬の寒いときあの子達大丈夫だろうかと其のことをまた心配する正太郎だった、由坊や清次は大丈夫だが赤ん坊を抱いた子は母親が帰るまでどう過ごすのかが気になるのだ。

ケンゾー先生やMissノエルたちが言う小さい子たちのための学校は中々出来なかった。

場所はあっても其処で働いてくれる人小さい子達のためになにを教えるか、どのくらいの子を預かれるか問題は多かった。

昼に為って寅吉からケンゾーに呼び出しが掛かった。

「旦那が山手のほうのヘクトさんのお屋敷まで来て欲しいといっていますがご都合はいかがでしょうか」

辰さんが若い衆を二人引き連れて連絡に歩いていた、これからゴーンさんとマックさんジラールさんにも参集を頼みに行くということだった。

幸い家に居たケンゾーは直ぐ伺いますといってしたくもそこそこに前田橋から元町へ入り箕輪坂を登った。

「ヤァすまねえな」そういう旦那の脇には写真で見たグラバーさんが立っていた。

「よろしいのですか長崎から出ても」

「かまわないのさ、もう破産宣告もでたし、家は残ったし、炭鉱はオランダ貿易会社と佐賀藩の経営に決まってその代わり給料も呉れるというので遠慮なく貰うことにしたから気楽なものだ」

大胆な人だとは聞いていたがなにをしに来たかと思えば「実はビール工場のことと競馬が気になってなぁ、コタさんはRyuusweの出来は安定しているというがラッパリーの居ない牧場の勢力増強の相談に来た」というではないか。

そういえばオレンジが引退した後各商会から委託された馬もこの春は勝ち馬が居なかった、ただ一頭Ryuusweの活躍が目立ったのみだ。

この秋は3日間で24レースが予定されているが寅吉の牧場では六頭が登録されているだけだった。

ビールもHegtBreweryもコープランドのSpringvalleyBreweryも醸造を開始して今日は試飲会を行うことになっているそうだ。

そろそろとは思っていたが正太郎も其の事は知らなかったようだ。

「実は山城屋は神戸でもなにやら可笑しな動きがあるとトマスが調べてきてくれた」

他の者が来ないうちにと三人で庭の樹下でお茶を飲みながら話を始めた。

葉は落ちたがまだ青い花梨の実がたわわに生っていた。

「神戸で生糸の相場に手を出して失敗したらしい」

「なんだ山城屋は相場に弱いな」

「其れと、堂島の米相場にも手を出しているらしい、どうやら長州藩の意向で動いていると噂があった」

そんな神戸で聞き込んだ話と太四郎から旦那に伝えてくれと口頭での伝言を様々と話すのだった、まだ其のことを横浜について話す余裕がなかったようだ。

寅吉が朝の船で付いた所へグラバーが艀から降りてきたそうでざっと横浜に来た経緯を聞いて直ぐに招集をかけたようだ。

「其れより前原様が辞任された」

「本当ですか、長州は木戸先生の巻き返しですか」

「やはり木戸先生は広沢様を抑えて山縣を兵部大輔に推薦する気のようだ」

ヤールがやってきて「競馬の話ですか」「そうだ、牧場の建て直しの相談だよ」と丁度よいと話は其方へもって行った。

「そうですか最近強い馬が増えましたからそろそろ牧場の馬の補強が必要かと考えていました」

「そのための相談をMJBに言ってビールの試飲をかねてビヤホールを開くことにしてもらったのさ」と二人でやり取りをしているうちにメンバーが揃った。

Mr.William CurtisMr.Alfred GerardMr.John Mac HornMr.Augustin Van Buffet Gooneの何時ものお仲間が集合してビヤホールへ降りていった。

MJBNoordhoek Hegtは前掛けを腰できりっと締めてすっかりビヤホールの支配人然と客を迎えた。

今までは見本のビールとしての仲間内での試飲だけだったが明日からは本格的に売り切れ御免の営業を開始するのだ。

三字にはMr.Copelandも自分のビールを引っさげて参加するとMJBに伝えてきていた。

二字半になってMr.Emil. Wiegandがビールの樽を軽々と担いで入ってきて台に据えた。

「まず自分が居なくなってからのJapanBreweryのものを飲んでください、もしMr.Copelandが来たら其方を私たちのものより先に飲んでいただきます」

値段は競争を避けてHegtBreweryは樽代込みで五ガロン、2ドル50セント、日本式にいうと一斗二升、亜米利加ガロンで六ガロンに相当するそうだ。

全てババリアビールで試してもらうということになっているそうだ。

つまみはゴーダチーズとカーチス特製のスモークハム、鰯のフライが出された「一回り呑んだらフレンチポテトにチキンのローストが出る手はずだ」

ヤールが陶製のジョッキを配りながら伝えて自分で樽から適当な量をついで来るように伝えた。

「苦味が少ない」という意見が多く「子供の飲み物だ」「水代わりの代物だ」と評判が悪かった。

コープランドが現れて同じ意見を述べて自分の樽を据えた。

黙って皆が言う意見を聞く体制をとっているコープランドに「苦味が申し分ない、しかしあっさりしている」とグラバーが口を切った。

「やはりそうか」他のものが口を開く前にコープランドは少しがっかりした表情を見せた。

「しかしすっきりした味わいと酸味の調和が良い英吉利人より北欧人向きの味のようだ、独逸とは違う味わいがある」

コープランドは驚いて「コタさん、俺は生まれ帰郷のことを話したことがあるか」と聞いてきた。

「いや俺は知らないが、誰か知っているか」

そういわれてもアメリカ人だと思っているものばかりでCopelandの故郷を知っているものは誰も居なかった。

「そうか、俺はノルウェーという国のアレンダーという港町で生まれて、そこで5年の間ビール工場で働いたのだ。だからどうしても国の味から離れられない。この味で通用するだろうか」

「心配ない、JapanBreweryのものより数段上だ、それにこの酸味のあるさわやかさは日本人には絶対に受ける。俺にはもう少しこくがあるほうが好きだが其れは人好き好きで全てのものが良いという味などないさ」

Copelandの顔に安心感が広がってきていた。

Copelandさん私がロンドンやリバプールの醸造所で直接飲ませてもらったのはこくのある癖の強いビールばかりでした、英吉利人向きには黒ビールに近い味のものを出せばよいのでは無いでしょうか」

MJBが「うちは本物のババリア人だから」とEmil. Wiegandの生まれを話して自慢を始めた。

Bavariaの生まれとはBayernの英吉利風の発音でドイツ南部バイアーンのことだとヴィーガントは説明して自分の樽を据えた。

「ババリアと言うと直ぐこれだぜ、此れがなければいい奴なんだが」そうMJBはいいながらも自慢そうにヴィーガントの肩に手を置いてさあ来いという風に皆がビールを注いで呑み出すのを見ていた。

「あっさりしている、しかしアルコール度は十分ある」

「切れはいいな。苦味は少ない、ガラスのコップに注げば淡麗なビールが引き立つだろう」

「口の中でソーダ水のようにはじける感じがいい」

「難点は呑みすぎてしまいそうなとこだな。ビールには可笑しな表現だが熟成感がない。出来たてというところか」

それぞれの表現を聞いていたヴィーガントにコープランドは自分のビールと人のビールを呑み比べてそれぞれの長所と欠点を話し合っていた。

二人にかまわず他のものは勝手にビールを注ぎ出して「もうどれがどれだか判らない」とマックがいうほどになって来た。


五月六日に居留地住民の為に作られた山手公園ではテニスコートも整備され訪れる人も多かった。

近くの妙香寺では薩摩藩洋楽伝習生がイギリス陸軍第十連隊第一大隊付軍楽隊の隊長ジョン・ウィリアム・フェントンの指導を受けて週に四日の訓練を続けていた。

この薩摩軍楽隊四十二名は鎌田真平や中村裕庸という若者が中心であり通訳は原田宗助、フェントンの指揮を受けて山手公園野外音楽堂で初の演奏会を開催することになった。

第一大隊付軍楽隊も出演するというので多くの人たちが見物に山手公園へ出かけていった。
普段でも土曜日になると各国の軍楽隊は練習を兼ねて町をパレードしていたし山手では英吉利二十連隊の軍楽隊も十連隊の軍楽隊もそれぞれがパレードしていたし公園予定地では各国の軍楽隊の練習も毎日のように見られ町のものにはおなじみだった。

正太郎はケンゾーと共に百段に上がって街を遠眼鏡で見て楽しんでいたが、演奏の始まる時刻を見計らって公園に向かった。

公園には多くの見物の人が集まりマイケルことミカエル・モーゼルとベアトの二人がそれぞれの写真機で東屋の軍楽隊を写していた。

Mr.Blackがあちらこちら飛び回って見物に集まる人々から話を聞いて廻っているのが正太郎たちのところから良く見えた。

ベンチに座る貴婦人の姿が公園の人たちの眼を引いた「Mr.Brookのご家族は目立ちますね」「そうだね居留地の独身の男たちは誰があそこの娘を射止めるか注目しているよ」と二人は遠眼鏡であちらこちら覗きながら演奏の始まるのを待った。

JapanHeraldの記者のブルックさんは良い記事を書くと評判もいいそうですね」

「来年には主筆編集者になるという噂もあるよ、スミスさんがア、WHスミスさんのほうだが上の娘さんと結婚の噂もあるとウィリーが昨晩うらやましそうに話していたよ」

「ガティお嬢さんはスミスさんと大分年が離れていますよ」

「そうらしいね確かスミスさんは今年三十八くらいかな」

正太郎はMr.Brookの家の事もいろいろ知っているようだ。

そのガティの傍には小さな男の子を抱いたメイドと正太郎と同じくらいに見える少年が居た。

遠眼鏡で覗いていた正太郎は「先生あそこに居る少年はブラックさんの長男のヘンリーと弟のジョンですよ」

ガティと其の妹らしい二人と親しそうに話している少年はなにやら楽しそうに二人に話しかけ、そうすると二人は楽しそうに笑う様子がケンゾーには羨ましく思えた。

行進曲や日本風の楽曲などを披露した薩摩の軍楽隊の後で第一大隊の演奏が始まった。

薩摩の若者に混ざり県庁のお偉方や薩摩の重役たちも其の演奏のすばらしさに感激していた。

「これからの日本はやはり軍隊の威容を示すためにも、ただ武器を取って行進するだけでなく楽器に合わせて揃って行進して意識の統一を図ることが肝要で御座るな」井関知事は県の抱える兵を訓練しようと心に誓った。


昨日夜半から降り続いた雨は明け方近く暴風となって横浜の町を駆け抜けていった。

横浜は各町が大きな被害をうけていた、特に吉田八丁縄では116戸の家が倒潰し太田村陣屋で焚出しを行ない人々には空いている役宅や羽衣町に仮小屋が与えられ、横浜の有力商店、地主は協力して復旧に努めていた。

各国の兵も町の復旧に軍営の保全より先に山を下りて協力していた。

羽衣町の下田座佐野松は休席として老人と子供たちを収容して行き先が決まるまで面倒を見ると申し出た。

前日演奏会を開いた薩摩の若者たちは率先して被害を受けた人たちの治療の手伝いをしていた、次々と太田陣屋を訪れるけが人は後を絶たず医薬品も足りなくなると傷口に高価なジンやブランディをかけて消毒する事までが行われた。 

ブラウン先生や立軒先生も生徒と共に町の復旧に手を貸すために授業のない朝から修文館につめて家を失った人たちの身の振り方の相談に当たっていた。

ブラウン先生の娘のラウダー夫人Juliaさんも教え子の蓮杖さんのところで怪我人の世話をしていた。

蓮杖さんは俺の先生はウンシンだと言い続けているがラウダー夫人の前では大きな口を叩けないのだ。

それらの街ぶれと共に十日の日には湾内でオーストリア軍艦が同国皇帝誕生日の10日に軍艦の祝砲を放つ事と神奈川台場においても祝砲を打つので驚かないようにと知らされていた。

この朝横浜の事はお容や千代にすべてを任せた寅吉は、馬でトマスと江戸へ出て伊藤や井上勝に会って同道の上、木挽町の外務省で寺島と会っていた。

閏10月3日はグレゴリオ暦1870年11月25日出発の貨幣制度視察団団長の伊藤に随従する役人の人選が進む中、横浜からは増田嘉兵衛、吉田幸兵衛、鈴木保兵衛、橋本竹蔵の四人が産業状況視察に同行許可を求めていた。

同じ船では亜米利加経由で鮫島が欧州へ向かうことになったと寺島が教えてくれた。

「正式に決まりましたか」

「そうだ、だが身分は少弁務使であり代理公使と同じだ」

「また名前が古めかしいままですか」

「困ったことだよ、いちいち説明しないといかんとわな」

伊藤も寺島も下級公家がこのような名前にまで口ばしを入れてくるのに嫌気が差してきていた。

「それでパークス公使とお会いになられましたか」

「まだなのだよ、先に自分に相談がなかったことで気を悪くしているようだし、外務卿はそのうちいつものように折れてくるさと本気にしておらん」

しかしこのときのパークスは鮫島の身分が外務大丞という県知事以下の身分のものを英吉利へ派遣することに腹を立てていて、我が帝国への公使が日本の小さな県の頭より下のもので済ますとは何事かとイギリス本国にも不満を申し伝えていたのだ。

寅吉が心配して其れを伝えても「あの男はかっとのぼせても直ぐに此方の苦衷を察して手を結んでくれる」と気にもかけぬ風だった。

「其れより前原さんが辞任した後の兵部省の後任人事が決まらん、山縣を後任にする事は押さえているが久我様ではなんの押さえにならん」

久我様は世間では、くがと呼ばれることが多いが、こがであることを寅吉は最近知ったばかりだ、

「其れより今日は安息日で異人たちも休みだ評判の圓朝を聞きにいかんか。この先の茅場町の宮松亭にまた圓朝が出ているので今から行けば入れるだろう」

身分をいって割り込もうとはしない寺島さんは何時もこういうときは着流しでふらりと入るそうだと伊藤さんが教えてくれた、日本語が達者なトマスもどの様な所か行きたいというのでリキシャを五台連ねて白魚橋を渡り松屋橋で帝釈天に出て、北島町を走り抜ければ薬師堂門前の宮松亭、人気のある圓朝は昼席も二回掛けて夜席とで三回も出ていた。

「朝から夜まで忙しいことだ。横浜でもすごい人気で入れない人まででるがさすが東京だ午後の後席は余裕があるみたいだ」

寺島さんがなれた様子で下足札を受け取り中へ入ってお気に入りの壁際へ陣取った。

その日は菊模様皿山奇談が始まりで間にしっとりと新内を入れて一休みの後根岸お行の松因果塚の由来をしんみりと聞かせた。

トマスまでがいい話だと言うと「今日の圓朝はいいできだ」と寺島さんが盛んに圓朝を持ち上げた。

伊藤はコタさんが居るから今日は鰻を豪勢におごらせようと岡本へ「五人だよいい座敷を頼む」と入っていった。

寅吉がいっとう最後に雪駄を脱ぐと「あらやだコタさんじゃありませんか」渋皮の向けた粋な大年増が声をかけた。

よく見ればひいさん「オヤ嫁に行ったと聞いて淋しくおもっていたがどうしたよ」

「出戻りでござんすよ。亭主がオッちんじまって丁度此方で人が足りないというので頼まれましたのさ。横浜へ来いと多満喜のお玉さんから誘われましたが此方のほうが間に合うまでの奉公でござんすよ」

二人で話ながら伊藤さんたちの入った部屋へ着くと「仲居さんはひいさんかいな。コタさんが今日は財布の当番で遠慮は入らぬからお茶などいいからビールが有れば其れを出して鰻が焼けるまでは煮こごりに佃煮やうざくに玉子焼きなどどんどん出してくれ」そういいながら上座にトマスと寺島さんを座らせて井上さんを右に半円を描くように自分は下座に座り寅吉を左へ座らせ自分の財布から一分の金を二つ出して案内の多代とひいさんの手に滑り込ませた。

席で揉める閑もないあっという間の出来事で「此方の旦那さまは仕切りがお上手で御座います」仲居がそういうほど鮮やかなものだった。

「最近横浜はどうだ」と寺島さんが聞いてきた、勿論山城屋と兵部省関係のことだ。

「昨晩の嵐の後今日は朝から横浜は大騒ぎでござんすよ」

そ知らぬ風でそんな風に話し出したが勘の良いトマスは「今朝早く約束があるからと後を託してきましたが、神戸で山城屋が生糸相場で失敗したという話がありますよ」と寅吉に先を促すようにふってきた。

グラバーが横浜に現れたと知った現職の外務大輔からの呼び出しが昨日遅くにあり、まさかそれを袖にも出来ず共に出てくるように要請されたトマスと朝早くに二人で馬に乗って出てきたのだ。

「大坂の店のものが五代様から聞いた話で御座いますが、米相場を山口藩の資金で張っているとかと聞いています。其れと井上馨様が其れを山城屋へ任せたとの噂もあるのですが」

「おいコタさん其れは本当かい聞多さんが藩の金を増やそうと考えているとは聞いたが相場はいかんぜ、投資とは訳が違う」

伊藤さんは心配そうに井上勝さんと相談していたが料理が出てくると話題を変えて鉄道の話になった。

「大隈さんが投げ出してしまうとはな、困ったことだ」

「しかし後はよろしくと言われた大久保様のほうが驚いたでしょう。今まで反対といい続けていましたからね」

「だからあの人は面白いのだよ。西郷先生といい大隈さんといい投げ出された後を自分で片付けて歩いて、それで批判されては詰まらんことだ。しかし伊藤君と井上勝君に全て任せると決断されたのは鉄道建設をこのまま続けるということで決着だ」

伊藤は「私は亜米利加へ半年は掛かる用事で出ますから井上さんと佐藤さんの独壇場ですよ」と井上さんへ全て任せてしまうようだ。

「高島屋は埋め立てで大分人を集めたそうだな」

「ええ、高島屋さんは野毛から青木町までを来年二月までには埋めたるぜと毎日山の上から遠眼鏡で旗振りを使って指図していますよ」

元気なもので権現山を切り崩した土を青木町海面へ運ばせ石崎の元伊勢山の切りくずしの土を同時に見張らせる台町の一里塚のうえの岡から指図していた、石垣は伊豆石に金澤は乙艫の先の山からさらに房総の山からと、様々かき集められるだけのものは掻き集めてきていた。

「鹿島のほうも早々と高輪の縄張りうちへ砂利の運搬道を作りだしたからもう直、埋め立ても始まるだろう」

此れは勝さんが直接指図して埋め立てをさせているそうだ。

幕府は海岸を石垣で積み上げていたが鉄道局はそれを築堤に使い海岸の建物を取り払って道路を拡張していた。

「そういえばグラバーさんの負債総額はいくらだった。こんなこと聞いてもいいかな」

「かまわんさどうせ直ぐ知れることだ。八万七千四百ドルだよ。払えといわれても会社の分割で俺の所には手形の決済をしてもそれだけ足りなかったのさ」

オランダ貿易会社は貸付金の換わりに炭鉱の共同経営件を手に入れたことで満足したしジャーディン・マセソンはとっくに儲けを取り込んでいて泣きを見た商社等ないに等しかった。

残っていた銃器はそれぞれ捨て値で競売にかけられて引き取られていった。

「丁度俺もコタさんと同じように戦で儲けるのがいやに為っていたのさ」

淡々と料理を口に運びビールを飲んで鰻飯が出てくるのを待つ五人の口は軽くなり、鉄道から世界情勢特にプロシャの軍隊の話になった。

「プロシャのツンナールが改良されてボクサーの薬莢を使うようになるとかなう陸兵は居ないだろう、わが国も早くそれを作れればいいが、軍隊があまりにも強大になり、仏蘭西、英吉利、独逸、露西亜、亜米利加に勝てると錯覚をするもの達が出ると困る」

其の軍隊組織を山縣は整えようと国の民を全て兵にしようと考えているようだ、後に参考にしたのはプロシャのビスマルクの政治とヘルムート・カール・ベルンハルト・グラフ・フォン・モルトケという天才参謀、この二人の居るこの軍隊は強かった、寅吉はそれを手本にした日本の軍隊が国の政治を軍隊のための政治としていく様子を見ていたし軍国少年と化して行く友人を数多く見たのだ、この時代に来て確かに徳川から天子の元での国づくりに変わったがいまだに天子の絶対性などかけらもないことに驚いても居た。

西郷先生、大久保先生、勝先生でさえも強い軍隊は必要だと考えていたし、外国の侵略を食い止めるためには必要だと誰でもがおもっていた。

寅吉は歯止めが利かず国民を軍隊が引きずる世の中の一端を見ていたため、歯止めのためには西郷先生と大久保先生の延命こそが必要と勝先生に話していて二人の融和が肝容と動いていた。

寅吉がそんなことを連想している間に話は鉄道に戻りアイアンデュークの行方がついに分からないということに誰もが唖然とした。

煙のように横浜から消えたとしか思えず、製鉄所で溶かされたと信じるほかないのだった、小栗様が生きていれば分かるかともおもったが書類も一切ないという現象は亡霊を見たのかと思えるようだった。

来春には最初のSteam Locomotiveが中古ではあるが二輌到着して横浜で窯焚きの練習が始まると勝さんが皆に説明した。

工部省の設立が本決まりとなり鉄道掛は其処へ所属することになるそうだ。

「大坂神戸間の鉄道も来月末には着工に決まった、これからは毎日忙しい日が始まる」

勝(まさる)さんは本当に嬉しそうだった。



トマスと寅吉は朝早く馬で街道を下って横浜に向かった。

六郷は昨日と変わって水量も大分少なくなり流れも穏やかに為っていた。

青木町で東海道に架けられた仮橋から切り崩された土砂を運ぶ様子を眺めとらやで一休みしてから岡のうえの嘉右衛門さんの所へ出向いた。

何度かトマスと嘉右衛門さんは会っていてガス灯や水道についての話が弾んだ、其の合間には傍らに居る旗振りに指図しては滞っていそうな場所に人の応援を回して平均して埋め立てが進むようにしていた。

「綺麗なカーブだな」

「そうなんだ、あの曲がりを出さないとSteam Locomotiveが脱線してしまうとさ。大隈様の決断でコタさんが言っていたより幅の狭いRailを敷設するのでスピードも制限されるそうだ」

「やはり大隈様の置き土産はもう変更が聞かないようだ。まだRailをひく前なら何とかなるだろうと伊藤様に掛け合ったが、いまさら予算の追加は今の状況では鉄道そのものの計画中止にまでなりかねないと井上勝様共々だめだといわれたよ」

「仕方ねえよ、コタさんのように千里眼で先を見ているわけじゃねえし、これ以上は木戸様も鉄道に金をかけるというのは反対されるだろう。俺のほうの卦で見ると山のつく名前の人の浪費が激しく犠牲者が出ると出たな」

「其れは山縣と、山城屋の両方に当てはまりそうだな」

「うん、政府の行き先を占ったがこの先まだまだ騒動が多いと思う卦ばかり出る。山の峠もしくは頂と谷底の諍い、けんか過ぎての棒千切りとなるものが大勢でそうだ」

「それでこの鉄道の行く末はどうだい」

「コタさんの予想通りだよ。鉄道はどこの土地でも必ず儲けにつながると出た。どうだい政府は神戸大阪の次に京まで引くだろうし其の後佐藤先生の中山道の案が通れば残るは東海道に奥州街道だな、そのうちどちらかを請け負わないか、出資を募って上野から弘前までだよ、途中の青森から蝦夷地まで海の底に穴でも掘ってつなげられればまだ先につなげられる」

話は更に雄大になりそうで底の知れぬ嘉右衛門さんの想像力にはトマスも驚きを隠せなかった。

「俺はもう事業への意欲は無いが、彼方此方と相談されれば出向いて手助けをするという気楽な人生を送ることにした、幸い生活に困らぬ配当が日本中から入るはずだからな」

「グラバーさんは無茶な新規投資さえやらなければ、これからもいい人生がおくれるでしょうよ」

そう嘉右衛門さんが保障するようにトマスに受けあった。

 

   
横浜幻想 其の五 鉄道掛 了 2007 03 26 

今回はケンゾーと正太郎君の周りに事件は起きずに、寅吉の出番のほうが多い有様になってしまいましたが、次回からまた二人の出番が多くなりますのでご期待ください。

 阿井一矢

幻想明治 第一部 
其の一 洋館

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

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 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
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慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
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明治4年1871年
 
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明治5年1872年
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大正2年1913年
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カズパパの測定日記