朝八字にはきくすい亭を出て随身門から浅草寺に入って一昨年の神仏分離の太政官令によって、三社大権現改め三社明神社となっていた神社に手を合わせた正太郎は「先生が勧めてくれたように英吉利へ留学できますように」そうお願いをした。
更に観音様にもそのようにお願いをした「大分熱心に拝んでいたね。何かは聞かないが願いは必ず成就するよ」ケンゾーは昨晩話した留学や弟のことだろうと察してそのように受けあった。
昨年の六月十六日の事だったそうだが、神祇官役人が訪れて秘法本尊を勅命と称して改て行ったことがあったそうだ。
仁王門を出て役店の水茶屋はもう開いていて客に団子やいなり寿司を勧めていた、二人はきくすい亭から紹介されたと寺男に話して伝法院の庭を拝見させてもらうのだった。
小堀遠州作庭と伝えられる庭は落ち着いた雰囲気の中に遠大なものを感じさせた、大泉池を中心とする廻遊式庭園にはどこまでも続くような錯覚さえ覚える二人だった。
「どうだい」その寺男の声に漸く長い時間を過ごしたことに気がついた二人は「すばらしい庭園ですね。心が落ち着きます」と返事をして礼を述べて伝法院をあとにして平店を抜けて風雷神門のあった場所から広小路に出た。
駒形堂まで来ると向こうから来る粋な櫛巻きに黄八丈、赤茶のビロードの昼夜帯が良く似合う年増の人に「昨日は失礼しました」そう声をかけられた。
二人が驚いて見つめていると「あらやだ、穴が開いちまう、あっちは小春太夫でござんすよ」と打ち明けてきた。
「驚きましたよ、昨日とはまるっきり違うしこんな艶姿の人とどこであったかと考えても思いつきませんでした」
「昨日は姉様のお手伝いさ、化粧を落とした普段のこっちがあたいのほんみさぁ」
言葉も江戸のひと其の侭に奔放に次々と二人に問いかけて昨日からの行動をすべて話させてしまうのだった。
「姐さんどうかしましたか」何時の間にか仕事師の若い衆が四ったり周りを囲むようにしていた。
「この人たちは横浜の兄さんの知り人だよ、此方が吉田様、若いかたは前田様だよ」名前も覚えてくれていた。
「なんだそうですかい。ではあっちたちは先に馬道へ行きますぜ」
「先に例の話を進めておきな」
四人をあっさりと先に行かせると駒形堂の茶店に腰を下ろした。
二人も差し向かいに腰を降ろして話を続けた、お春はどうやらケンゾーを気にいった様でなかなか席を起たなかったが、漸うに腰を上げて仕事に向かうことにした。
「浅草へ来たら声をかけておくれなさいよ、馬道か奥山でお春と聞けばたいていは判るからさ」
「承知しました、お春さん」
ケンゾーも自分と同年くらいのこの開けっぴろげな性格のお春のことを好ましく思った。
お春と分かれてから二人は森田町で店にいた卯三郎さんに声をかけた「尾張町の木村屋に知り人が働いていました。これから味見を頼まれまして寄ることになりましたので、帰りは明日になる予定と変更しました」卯三郎は「そうかい、では今晩また木挽町あたりで遊ぼうか」
「其れはよろしいですがまだ宿も決めて居りませんので連絡がつきません」
「これから俺も同道するよ、パンの試食とは面白い。パリ、ロンドン、ボストンとパンを食ってきた俺の舌も役に立つさ」
盛んに売り込んで今日は店を番頭に任せて出歩く気になったようだ。
三人で浅草橋をわたらず神田川沿いの左衛門河岸を新シ橋まで出て渡り大きな道筋を避けるように彼方此方と曲がり紺屋町へ出て竜閑川は地蔵橋で渡った。
其の侭真っつぐと進み塩河岸を左手に道浄橋を渡れば伊勢町に入り江戸橋へ出た「卯三郎さんどこをどう歩いたかさっぱり判りません」ケンゾーはすっかりお手上げのようだ。
「此ればっかりは江戸に長年住んでいないと判るもんじゃねえよ」
江戸人だという卯三郎さんも生まれは武州羽生在だ。
其の侭曲がらずに進んで白魚橋まで来て漸くケンゾーにも卯三郎がこの道を選んで歩いたのが理解できた「ここが白魚橋と言う事だと尾張町は直ぐ其処ですか」「そうだ、案外近いだろ」卯三郎は自慢げに正太郎にも顔を向けて話しかけた。
三十間掘りにそって進み三原橋の角を右に折れると尾張町一丁目、右手は尾張町新地と言う名前で呼ばれだした場所、木村屋へ顔を出したのは一字を回ったばかり「ごめんください、昨日お尋ねした横浜の吉田で御座います」店の者にかけた声を聞いた店主の安兵衛が飛んで出てきた。
「よかった来てくださって本当によかった。聞きましたぞ、おみよが勝蔵さんと所帯を持ってくれる気になりましてな。あんたたちのおかげで店も万々歳で御座います」
勝蔵も顔を出して満面の笑みで迎えた、奥に通りパン工場に入るとなんと五左衛門さんまでが来ていた。
「ヤァ、正太郎君久しぶり」相変わらず優しい笑顔の五左衛門さんが手を出して歓迎の挨拶を正太郎と交わし「入れ違いになっていますが私が五左衛門です、吉田さんとはあまり横浜でもお目にかかれませんでしたがお噂は旦那さまからもウーロンさんからもよく聞かされて居りました」
安兵衛の二人の息子も紹介されて「今はこの三人が此処で日夜新しい日本人の口に合うパン作りをしています」と誇らしげに竈や小麦粉に様々な設備を見せて廻った。
ピカルディ譲りの清潔な工場と竈が三箇所「此れは勝蔵さんがそれぞれが自分の竈で焼いて精進すればさらによいものが出来ると言うので五左衛門さんの薦めもあり作らせました」
ピカルディも義士焼きの店も出入り自由に振舞わせてもらえた正太郎が見ても十分近代的な設備だった。
「サァサァ、試食をしてくだされよ」
工場のテーブルに大きな布がかけられ其処に様々なパンが並べられた「今日は普段作るパンのほかにこれからの試作品も作らせました。全てを食べるのは無理でも手にとって匂いだけでもかいでくだされ」紅茶と砂糖が置かれた盆をそれぞれに渡して安兵衛は後ろに下がった。
「忘れていた、このお方虎屋の大事な取引先の穂積屋卯三郎様で御座います」ケンゾーは其れまで口を開く隙などなかったことに改めて卯三郎を紹介した。
「穂積屋様と言うと水戸様と御一緒にパリへおいでになられた」
「さようです。私穂積屋の清水卯三郎で御座います」
「さようですか、欧州と亜米利加へもおいでになったお方と渋沢様からもお噂をお聞きして居ります。ぜひとも今日は忌憚のないご意見をお聞かせくださいますようにお願いいたします」
「此れで家の旦那が揃えばパンの味については十分な試食会だな」
五左衛門さんが正太郎に笑いながら話していたとき、工場に顔を出した女の人が「旦那さま五左衛門様にお客様ですが、此方へお連れ致しますか。虎屋様と仰っておいでですが」まさかの旦那のご入来だ。
安兵衛が見世に出て行って二人の客をいざなってきた一人は寅吉、もう一人は山高帽のやせぎすな男だ。
「腰越さん、腰越次郎さんではご座いませんか」
「いかにも腰越だが、どなたかな」
表から昔竜馬さんがよくしたように眼を眇めて工場を覗き込んだ、ケンゾーからは表がよく見えるが外からはよく見えないようだ。
「健三です。いや吉田健三郎で御座います」
其処に土下座でもしかねない様子で足が萎えた様に動けないケンゾーに駆け寄るように近寄った腰越が抱え込むように抱き起こして「よかった、よかった無事で留学を終えて帰国したと今朝コタさんから聞かされたばかりだ。俺のほうもいろいろ遭ったが今はこうして無事に帰国したところだ」
どうなっているのかと考えるまでもなく集まった人たちで時ならぬパーティの様相をきたした試食会となった。
「健三郎、俺はな陸奥さんと三月ほど欧州を見て考えも変わったよ、作太郎も俺と行き違いのように欧州の陸奥さんのところへ出かけたそうだが行けば人間が大きく変わる。そう信じるよ」
「はいそうです。私も其れまでの自分とは違う人間に生まれ変わったと感じました」
様々な意見が交わされて「木村屋さん私が始めたピカルディは紅茶やコーヒーにスープで食べるパンですが、あなたはぜひお茶で食べられるパンを作り上げてください」寅吉はこの人たちが日本人のためのパンを作るように薦めるのだった。
勝蔵が「寅吉の旦那、前に賄いでの試食に義士焼きの餡を食パンに挟んで食べましたがあれなぞいかがですかね」
「しかしあれでは餡とパンが別物になってしまうだろう。パルメスさんも元造も工夫はしているがどうにも甘すぎてうまく味が落ち着かなかったろう」
そうでしたねという言葉に「どうでしょう、饅頭のように蒸してみては」
「だがそれではパンじゃなくなるぜ兄貴」と息子の英三郎に儀四郎という二人の若者が身を乗り出すように話に加わってきた。
「種入りパンに小豆の粒を入れるのはどうだろうか」
「そいつはいいだろう、固めの小豆なら其の侭潰れもしないだろう」と父親も話に加わった「其れと饅頭のパンだがもう少し勉強して味の工夫もしてみよう。勝蔵さんは幸い義士焼きの店でも修行して餡の味にも堪能だそうだし、五左衛門さんも近くにいて何かと面倒を見てくださるだろう」もうすっかり饅頭をパンに取り入れることに決まったように話を取り仕切った。
「どうでしょう腰越様の帰国祝いもかねて今晩は木挽町で食事でもしながら異国のお話をお聞かせください。虎屋さんも穂積屋さんも含めて吉田様正太郎さん全て招待を受けてくださいませ、息子たちに勝蔵さんも同席させますゆえよろしくお願いいたします」
遊ぶことが好きな腰越さんに否やはなく「では大急ぎで帰国報告をして参るが、どこに行けばよい」
「木挽町一の橋きわ四丁目の角のたか源という料亭があります、近くには心安い宿もありますのでぜひ私に世話をお任せくださいませ」
卯三郎さんも承知して飛脚やに頼んで手紙を大急ぎで店に届けさせることにして筆を出して書き出した、腰越はリキシャというのが捕まえられればそれでと表に安兵衛と出て行きたか源には儀四郎が予約に出て行った。
「そうだ宿はどこになるのだろう」
「大口屋弥四郎という名前は大層な宿ですが小さな商人宿が私どもの定宿になって居ります」
「ハッハッハ、おとつい其処に泊まったばかりだ。いい宿だぜ蚊帳も匂いのよい香が炊いてあるし気分のよい宿だったよ」
「其れはよう御座いました。主が聞けば喜びます」
寅吉はケンゾーと昨日からの経緯を話していた「しかし山城屋が招待していた兵部省の人というのが気になるな」
「もし、山城屋というのは被服御用の看板を掲げたあの山城屋でしょうか」
「そうだが知り合いかい」
「私どもは付き合いがありませんが、天子様の被服御用を務めたと噂を流しておいでですが、伊勢勝の社長など眉唾と仰っておられます。アッ此れは余分なことを親父様には内緒にお願いいたします」
「これ、聞いたぞあからさまに人の悪口を言うもんじゃない。とはいってもあれは悪徳商人で御座いますな。しかし可哀そうな所もあって長州の兵部省の人々に儲けも大きくさせる代わりに盛んにむしられて居りますな」
「そうかあなた方伊勢勝と同じ佐倉の方でしたな」
「エッ、虎屋さんはどうして其処まで」
「私の商売の元は情報屋も同然で御座いますよ。勝蔵が此方様へ厄介になるというときに伊勢勝の西村様からも授産所の木村様からもお聞きいたしました。伊勢勝の西村様とは横浜でもお世話になって居ります」
此れはまいったと安兵衛は頭をかいた。
「実を言えば其の前に五左衛門から木村屋さんの事は授産所時代を含めて聞いて居りました。将来性のある方のようで気に留めて居りました」
嬉しそうに安兵衛はまた頭をかいて「勝蔵はよい人たちのところで働いていたんだな。うちに腰を落ち着けてくれるというので私たちも嬉しい限りだよ。寅吉さん今朝方勝蔵の縁談がまとまりましてな、披露の式は明日にでも行いたいのですが出てくださらんか」
「ケンゾーたちはどうする」
「私たちは予定も過ぎており明日には横浜に戻りませんといけませんが旦那様はどうなのですか」
「俺は今日明日と江戸で腰越さんと付き合う約束さ、合間に式に出てもいいだろう。神田には広太郎に雅も来ているから連絡にはこまらねえよ」
「寅吉の旦那ありがとうござんす。この年で神さんを持つというのも恥ずかしいものでござんす」
「なにを言っているんだ。お前まだ三十前じゃないか」
そりゃそうだ早くとはいえないが、遅いと恥ずかしがるという年じゃないとそこにいた皆が口を揃えた、五左衛門だって三十に為ってエイダと結ばれたのだ。
夕方まで知り合いのところで茶でも飲もうというのを抑えて「宿を先に紹介しますので先に其処までお付き合いくだされ」安兵衛が先にたって三原橋を渡り左に曲がれば右手におおぐちや弥四郎の看板が目立つおとつい泊まった宿「お客さまをお連れしたよ。今は部屋を取るだけだが五人ほど泊まれるかい」
「部屋は三つ空いて居りますがどう致します」
「ではとりあえず抑えて置いてくだされ」
「おとついは厄介になりました」卯三郎さんが顔を出した。
「あれ森田町の穂積屋様」
主が驚くそばから正太郎も今晩もご厄介になりますと顔を出した、安兵衛は英三郎が宿の話をしたところは聞いていなかったのか、ここでも頭を掻いて驚いていた。
「おやピカルディの五左衛門さん」
「はい此方は私の旦那さまと知り合いでしてよろしくお願いいたします」
「ところで五左衛門さんがいるのに知り合いがいると先ほど聞いたようですがお近くにでも」と安兵衛さんが思い出した様に聞いた。
「六丁目の木挽町はつねやというのは寅吉旦那の持ち物でござんすよ」
五左衛門がすっぱ抜けば木挽町まつやも寅吉旦那と知り合いの芸者屋さと卯三郎さんも話してしまった。
「では同じ六丁目のはつ花という元の小龍姉さんの待合も寅吉さんのですか」
「だめだぜすっかり化けの皮がはがれちまったじゃねえか」
今度は寅吉が頭を掻く番だった。
其処へ儀四郎が追いついてきて「たか源では暮れ六つまでに芸者も揃いますので其のころを見計らっておいでくださいとの事でございます」と報告した。
入り口に座っていた面々は「では其の時刻に」ということで寅吉と五左衛門に卯三郎も出て行きケンゾーと正太郎が残って部屋に入って荷物を降ろした。
日暮れ近くに宿に卯三郎さんが戻りケンゾーたちの部屋へ来て「先ほどのパンはどうだった少し酸味がきついがどう思う」
「あれはパン種の性でしょう。ビール酵母に替えるかイーストを使えばもう少し改良できます。ビール酵母は横浜で手に入りますから其方は直ぐにでも何とかなりますが五左衛門さんのほうがどの様な味に為って居るのかも試しませんとなんともいえません」
「昔、五左衛門さんは酒だねを使うと聞きましたが今は使っていないのでしょうかね」
「其方はコタさんとも話したが五左衛門さんも同じように酒だねを使う手もあるかと言っていたぜ」
「旦那はどうでしたか」
「五左衛門さんのところもパルメスさんよりは甘くなったそうだ、パルメスさんはもう少し塩気が強いそうだが、コタさんはそれでも好いと言っていたぜ。俺には自分の味を主張しないコタさんをはじめて見たように思う」
正太郎が口を開いて「旦那はパルメスさんが神戸に移るときに俺がいなくなればそれぞれが自分の味を出すようになるだろうが、旦那は其れを黙ってみていられますかと聞かれたそうです。旦那はそれぞれが独立したと同じで自分の味を出すのが本当だと答えたそうです。前に富田屋さんが独立したときも同じようなことを言われたそうです。あくまでも自分は共同経営者であって味の鑑定人では無いと言われたと春太郎さんから聞きました」
「ではコタさんは自分が食べたくてはじめたピカルディなのに味に口を出さないと誓ったのかい」
「それほどのことでは無いのだと思います、元造さんに明日はこうゆう味でパンを焼いてくれと注文を月に一度くらい出して居りますから、其れから五左衛門さんは奥様のエイダさんがついていますから英吉利の田舎の味だと前に仰っていました」
「そうか街中のパンの味でなく田舎のパンの味か、家庭で焼くパンは英吉利ではあのような味なのかもしれないな」
「そういえば、マセソン老人の家に呼ばれたときに料理人が焼いたパンは木村屋さんのパンと同じ味でした、やはりビール酵母やイーストが違うのでしょうね。安兵衛さんには其れを伝えていろいろと試すことをお勧めしましょう。其れと種を時々五左衛門さんと交換すれば味も引き立つのかもしれません」
其の話の安兵衛さんが下に迎えに来たというので部屋に呼んで今の話をしてからたか源に連れ立って出かける面々だった。
たか源には既に腰越さんが来て所在なさげに部屋にぽつねんとしていた。
「遅くなりました」
「イヤイヤ俺も今上がってきたばかりで茶も出ないうちだよ」
そういう腰越は久しぶりの畳に座りづらそうだった。
「腰越さんはテーブルのほうが似合いますね」
「健三こそ日本に帰って暫くは座れなかったろう、今の俺がそうさ」
「座布団を何枚かしいて座るしかありませんよ。私は二日ほどでなれましたよ」
「そうか俺もな今日は陸奥さんの手紙を紀州さまへ届けたが、重役方の前で先に断りをゆうて散々笑われてきた」
寅吉と五左衛門が部屋に現れて仲居が「部屋の支度も済みましたので此方へおいでくださいませ」と一堂を案内した。
部屋では勝造いか三人が出迎えて既に芸者も次の間に控えていて座が決まるとすぐに入ってきた。
上座には腰越と寅吉が並び右脇にケンゾーと五左衛門、左に卯三郎と正太郎下座に今晩の招待をした安兵衛達が座り挨拶が済むと両脇へ座を改めた。
次の間に居た芸者が次々に置屋の名前とそれぞれの源氏名を告げて部屋へ入ってきた。
十人の芸者の内には小龍も混じっていて正太郎にはそっと顔を向けてにっこりと挨拶をした。
目ざとく腰越が見つけ「おっ、小龍は正太郎君を見知っているようだな」と話題を振ってきた。
「あい、あちきが助に横浜のほうに呼ばれたときに知り合いになりました。此方のはなゑさんも其のときに呼ばれて虎屋様のほうにはお世話になりました」
今日ははつねやのほうからは誰も来ていないようで正太郎の知った顔は他に見えなかった。
「どういうことだいコタさん」と隣の寅吉へ今度は話をふった。
「横浜に知り人が新規の待合を開きましてね、町の祭りで芸者不足なのでこっちから助っ人を出したのですよ。三日の間の借り切りでね」
腰越の隣へ入ったはなゑが「あの時は大層ご祝儀も頂いて出かけたものは大層うらやましがられましたのさ」
「ホウ、三日でどのくらい稼いだ」
「あちきは、手元に十二両も残りましたがそれでも少ないほうでござんした。往復も含めて七日間遊ばせて頂きました」
「其れはすごい、お大尽の座敷に出て小判でもまいてもらわないことにはそうは稼げない」と安兵衛さん。
「それでも横浜では遊びが野暮でござんす。此方の寅吉の旦那には申し訳ありませんがただ騒いでにぎやかにやれば客筋もお喜びでござんす。最近はお江戸でもそのような方が増えまして残念でござんす」
はなゑは江戸育ちか最近の成り上がり官吏が嫌いのようだ。
「俺もな洋行帰りで、元は長崎での派手なかんかん踊りで騒ぐのが好きな男だ。すまんなぁやぼてんで」と腰越さんはおどけて杯をぐいとあけて見せた。
「いけませんよ、腰越さん初手から脅かしては、ねえさんこのお方昨日の夕刻にフランスから帰ってきたばかりでな、今日横浜からお江戸に上がってきたのさ」
神戸に下りて和歌山に寄ったことを省いてそのように寅吉が言うと「そうだそうだ、久しぶりの日本で御座るぞ、江戸の芸者の粋なところを見せてくれ」
其の声を待っていたかのように三味と小太鼓が鳴り響き様々な唄に踊りが披露された。
芸者も途中で入れ替わったが小龍がはつねやの美代吉とはる奴を連れてきて自分は、はなゑが寅吉の横に座を移したので腰越の隣へ入って座った。
「そういえば小龍ねえさん前は小兼という名で出ていた様に覚えているが名前を頂いたのかね」
「あい木村屋様の言うとおりでござんす、こかねでは金を稼ぐ商売人にとってちと呼びにくい名だと言われまして、その場で小龍姉さんから頂きましたのさ」
ケンゾーと腰越が長崎仕込みの不思議な唐人踊りを披露すると五左衛門もそれに加わり座は賑やかになった。
寅吉が野毛の山を始めると芸者衆も其れに加わり三味を肩に担いで踊りだした。
先ほどああ言ったはなゑまでが踊りに加わり踊り終わると「アア、やんなっちゃうねえ。こんな踊りがはやるようじゃ芸の磨きをかけるのが無駄事じゃないか」と腰越さんに飲まされて居た酒がまわったか盛んに言うので「ではすまんが二上がりで新内でも」寅吉が誘いをかけて蘭蝶のさわりを始めた。
正太郎もケンゾーも驚いた旦那がこのような粋な唄もこなしていたとは。
縁でこそあれ 末かけて
約束かため 身をかため 世帯かためて落ち着いて
あぁ嬉しやと思うたは ほんに一日あらばこそ
「コタさんがそう来るなら俺は明けがらすだまだ帰ったばかりで声は出ないだろうが負けておられんぞ」
たとえこの身は泡雪と
共に消ゆるもいとわぬが この世の名残り
いま一度 逢いたい 見たいと しゃくり上げ
と謳いだした。
「それでは私は都都逸などを」と安兵衛さんが興に乗って三味を誘って喉を披露した。
待つ身になっても辛かろうけれど
待たせて行かれぬ身も辛い
と後を小龍に任せて切り上げた。
小龍は「季節は違いますが江戸小唄に端唄など江戸生まれでは無い身でおこがましきはお許しくだされましょう」と断って披露をした。
「梅は咲いたかは季節外れも凄まじき物とお笑い下されましょう」
梅は咲いたか
桜はまだかいな
柳なよなよ 風次第
山吹ゃ浮気で
色ばっかり しょんがいな
「深川は場所違いで御座いますが」
猪牙で行くのは深川通い
渡る桟橋 アレワイサノサ
いそいそと
客のこころは うわの空
飛んで行きたい アレワイサノサ
ぬしのそば
「縁かいなは来年はいとしいお方と川開きを御一緒に」
夏の涼みは両国の
出船入船屋形船 上がる流星 ほしくだり
たまやが 取り持つ 縁かいな
「そして秋の唄として江戸小唄から」
お互いに 苦労もしたしさせもした
厭で別れた仲じゃなし
よりを戻した二人が仲は もと木にまさるうら木なし
酸いも甘いもかみわけた 例えていわば 後の月
そう唄い納めて後をはなゑに任せた。
「後の月にあわせまして」
たらちねの 許さぬ仲の好いた同士
許さんせ罰当たり 猫の皮じゃと思わんせ
惚れたに嘘は夏の月 秋という字はないわいな
そう唄い納めるように三味を置いた。
「イヤイヤこれはこれは皆様派手なものばかりじゃと思いましたら、中々の喉で安兵衛驚き入りまして御座います。さぁ芸者衆も最後は四季の歌で座をお開きとしていただきましょう」
はなゑが直ぐに三味を持つと小太鼓の老芸者が「さぁ気を揃えてにぎやかに閉めましょう」とまずとんと一つ調子を合わせるとはなゑが三味を弾くに任せて小太鼓が続いた。
春の野に出てサ 白梅 見れば サーヨオィ
露に びん毛がサ いよみな濡れる
よしてくんさい おぼろ月
夏の夜に出てサ 蛍狩りに サーヨオィ
露に 団扇がサ いよみな 濡れる
よしてくんさい お月さま
秋の夜に出てさ 七草つめば サーヨオィ
露に 小褄がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 女郎花
冬の夜に出てサ きぬたを聞けば サーヨオィ
露に衣がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 寒念仏
賑やかに踊りも終わり芸者も華やかに引き取り、安兵衛達が宿まで一同を送り明日の再会を寅吉と約束して「明日は日暮れ前に店に来てくださいませ。披露の場所は近くゆえお待ち申し上げて居ります」と名残惜しそうに別れて行った。
五左衛門も門口から店に戻り腰越を筆頭に五人は宿へ入って部屋で欧州の最近の事情を腰越から聞いた。
「仏蘭西はいかんかもしれんな。俺が船にマルセイユで乗るときには開戦したと聞いたがナポレオン三世皇帝は自分を昔のナポレオン皇帝と同じ器量の持ち主と勘違いしているようだが、外交ではドイツの中のプロシャにさえ劣る、この戦勝てるはずもない」
「やはり仏蘭西はいけませんか」
「そう見えたな。ドイツの国々は鉄道建設を盛んにしてすべて仏蘭西方面に主要都市からの線路を完成している。国境まで兵士を輸送するのに十分の線路とSteam Locomotiveを備えているが、仏蘭西は線路をドイツの方向に一本だけの幹線路しか持っていない相変わらずの馬とあのChassepot 銃にたよって居る有様だ。プロシャとてツンナール銃だがそれでもあのChassepot よりは性能がよい」
「連発銃や亜米利加のガトリングは装備されていませんでしたか」
「話は聞いていない、独自に開発はされているだろうが亜米利加など後進国だと悪口を言うものにしかお目にかからなかった」
ケンゾーが「英吉利のボクサーを使う銃は軍隊には装備されていないのですか」
「スナイドルかあれは好い銃だが軍隊には備えられていないようだ。此れはプロシャも仏蘭西ももっていないようだ。プロシャは前に墺太利と戦をしたがあの時は相手が徳川の兵のように先込め銃主体のために僅か二月ほどで片がついたが仏蘭西とでは半年は片がつかないだろう」
「横浜では独逸と仏蘭西は中立国内ということで戦争を起こすことは出来ませんが外海に出ればどうなるか見当もつきません。商船も出るに出られず盛んに売りたがっているという話も聞こえてきますし、横須賀や横浜の製鉄所のフランス人も動揺しています」
「そうだろうな」と寅吉が続けて「薩摩の大山様と土佐の林様長州からは品川様が視察に横浜を出たのは先月の二十八日どうやらお偉方にも情勢判断がつくらしく行き先はベルリンのようでグレート・リパブリック号でサンフランシスコからニューヨークへ出てロンドンへ渡るそうです。心配は通訳が英吉利の中浜万次郎さんでした」
「そうかでもベルリンには長州から青木君という人が留学中と聞いた。向こうに行けば何とかなるだろう」腰越さんはその辺は大雑把に自分に当てはめて俺が平気なら大山さんだって大丈夫と笑っていうのだった。
「それにロンドンには陸奥さんも居る」
「しかしですね品川様を送るというのはこの時期何か可笑しな気がするのです。うるさ型の海江田様を大村のことに託けて追い払い、今度は落ち度が見つからない品川様を遠くへ送り出す。さも大山様や最初板垣様も送り出す予定にしてあったそうで、三藩の重要人物を送り出す佐賀の策略に見せかけて本当は品川様の排除では無いでしょうか」
「そいつは考えすぎだろう」
「そうだといいのですが腰越さんは人がよい分、ご損をしそうで心配でござんすよ」
「俺の人がよいと見ているならそれに乗って生きるのも人生さ。伊藤様が神戸でよく話していたよ、人は締め付ければ撥ねがきついが緩めておけば長所が見えてくるとさ。コタさんが心配しているのは木戸先生が山縣一派に踊らされないかだろう」
「さようです。さすが腰越さん帰国して直ぐ其処に気が行きましたか」
さすが切れのよい推理は腰越さんと寅吉は胸のうちで思ったが口には乗せないでしまっておいた。
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