酔芙蓉 第一巻 元旦


 
第一部-2 元旦
元旦・書き初め・初詣・薮入り・墨堤・日本橋・十軒店
 根岸和津矢(阿井一矢)


 ・ 元旦

深川のお正月の朝は静かです、年始周りの人も午前中は少なく家族3人とお玉で初日の出を拝み、お食い積みを飾った部屋で挨拶を交わし屠蘇を祝い、雑煮で御節を頂きました。
ここらあたりではそろそろ午後あたりから近所のあいさつ回りが始まり、よその土地には二日から回ります。

ようやく表戸を開け手ぬぐいと酒樽を据えて来客を待ちます。
まず最初は金助と太兵衛、茂吉の3人がやってきました。
金助が残り二人は帰りましたが与吉旦那があいさつ回りに出ました。

初夢用の「お宝〜、お宝〜」と売る声がします。

「なかきよの、とおのねふりの、みなめさめ、なみのりふねの、おとのよきかな」という回文の歌が書いてあり「どこから見ても良き夢」を洒落ています。

お容ちゃんの声、 

♪ 初詣

明けてめでたき 繭玉に
宝尽くしの 数々を
結ぶ縁(えにし)の 神々へ
二人そろうて 初詣

その声につられるように、初詣と新年の挨拶回りの誘いに来たお多加ちゃんとお芳ちゃん、お吉ちゃん、お春ちゃん、お千重ちゃん、お松ちゃん の7人で新しい三味線の師匠の喜知弥師匠(きちや・踊りも手習いも教えてくれます、前からの二人に加え3軒から7人そろって教わりに回っています)であけましておめでとうございますと挨拶を交わします。

文弥(三味線の師匠)師匠は「あけましては、けつかうな春でございます」と挨拶が返り、久米次郎栄(手習いの先生)先生のは「御慶あらせられます」と昔風ですね。
二人の先生のところは小さい子が増えたので、近くに越してきた喜知弥師匠を文弥師匠と次郎栄先生から紹介されました。

喜知弥さんは若くまだ30前なのです、ここは女の子だけということで教わりに来るのはお容ちゃんたちのほかは、若い芸者さんたちと、お屋敷づとめのための必要な教養を身につけるための勉強にこられる十才から十三才くらいまでの子達です、

粋な黒塀に囲われた庭先には盆栽やらの鉢物がたくさんあり、老夫婦の雇い人が丁寧に手入れをしてあります。
そのほかに15才位のかわいらしい子が小間使いともう一人師匠と同年輩の琴と裁縫を教えてくれるお松津(まつ)さんという方が居ります。

「弁天様だけ拝むたぁまずいだろ」
「そりゃそうさ、八幡様に行かなきゃ深川っ子じゃねえよ」
「今年はうそがえに天神様に行くかい」
「亀戸は遠いから大人がいかねえと許しちゃくんめえ」
「家のおとっあんが明後日に行くからついてくるなら一緒に初詣にどうでぇ」とこれはお千重ちゃん、こちらのうちは米問屋で裕福なので旦那は鷹揚ですし子供好きでいろんな催しに積極的に参加されています。

「そりゃいいや、おねげえしておくれよ」とみなの意見もまとまり、八幡様におまいりして冬木町に戻りました。
帰り道ではあちこち堀をはさんで凧揚げに夢中の子が多く、冷たい風も気にせずに時間も忘れたように競っています。

これはお容ちゃんとお多加ちゃん

 梅にも春

梅にも春の色添えて 若水汲みか車井戸

音もせわしき鳥追いや

朝日に繁き人影を もしやと思う恋の慾

負けじとお千重ちゃんたちが5人でそれぞれ声を川風になびかせて、粋な声で歌います。

♪ 春雨

春雨にしっぽり濡るヾ鶯の 羽風に匂う梅が香や

花に戯れしおらしや

小鳥でさえも一筋に ねぐら定めぬ気は一つ

木遣りも歌い深川っ子の競いに道行く人も声援を送ります。

「小娘たあ言い乍すげえうめえもんだ」
「ヨッ深川小町」など褒めてるつもりの掛け声に嬉しそうににっこりするお容ちゃんに、「もう少し年がいってりゃ捨ててはおけねえ」など不穏当なことまで聞こえます。

正月の歌の「梅と松」を歌いながらそれぞれ手をつないで家に戻ります。

♪ 梅と松

梅と松とや若竹の 手に手ひかれて 〆飾り

ならばうそじゃないぞえ ほんだわら

海老の腰とや千代までも 友白髪ヨイヨイ

世の中よいところえ ゆずりはの

てもまあ明けましては めでたい春じゃえ

 
 ・ 書き初め

今日は2日で書き初め、近所の手習い子はそれぞれの手習い師匠の家で書き初めをいたしました。

お容ちゃんたちは新しい喜知弥師匠の家で書き初めとお茶にお菓子で午前中過ごしました。

 
 ・ 初詣

朝から初詣のお出かけにおおわらわのお容ちゃんに、付きっ切りでお玉とおすみさんが忙しく仕度を整えます。
この日のいでたちは
頭は京風の雄鴛鴦(おしどり)に花簪、黒の総鹿の子の京絞りで裾に梅の花をあしらい、八掛(はっかけ)には紫を薄く引いて、帯は鹿の子絞り昼夜帯をだらりに結び、下着は紅地に更紗模様と粋な姿に変身。

今日の遠出のために誂えたといわんばかりの下ろしたてのラシャの羽織、裏は甲斐絹の桜模様を羽織ってお多加ちゃんが出てくるのを待ちます。

今日の道順は松嶋屋さんから来た手紙に書いてあるように二梃櫓の屋根船が二艘で舟は掘割から仙台堀に出て、大横川を遡り小名木川を右に折れて横十間川に出て左に曲がり亀戸に入ります。

天神橋際で降りて船橋屋で一服して、亀戸天神に参詣、再び船に乗り北十間川に出て業平橋を左に見ながら通り、大川に出て浅草寺の五重塔を右に見ながら大川橋をくぐり隅田川を下ります。

神田川を上り昌平橋で船を下りて、神田明神にお参りします。

そのあとお千重ちゃんの希望で虎太郎さんが仕入れた唐渡り、オランダ物のスカーフ、ハンドカチーフなるものを買いに行く約束。

この品物はおつねさんから見本が来て暮れに子供たちで見たときにお千重ちゃんが是非にというので今日の順路に入りました。

朝の五つに冬木を出て八つ半におつねさんの店に入りました。

皆でお店に上がりこみ、品定めに目の色が変わります。

今日は店の見本も含めすべてに目を通すとばかりに目の前に並んだ品物にどきどきしてみています。

「このうす桃色のハンドカチーフが良いのー」

「あたしゃ、この薄墨がよいわ」

「この珊瑚珠もう少しこぶりで色の濃いのがほしい」など女の子の品定めはさすがのおつねさんもたじたじです。

虎太郎さんが入ってきて、「お容ちゃんにプレゼント」とつい言ってしまうと、「そのオランダ語はどういう意味があるの」と銘々が聞くのでコタロウさんも苦し紛れで「こりゃ口が滑った、お容ちゃんだけじゃ片手落ちだから皆さんに店に来てくれたお礼ですよ」

そういうと抱えていた紙の箱からきれいな色とりどりの風呂敷様の縁に飾のあるおらんだ物のスカーフを人数分取り出してくじ引きで7人に分けてくださいました。

「皆さんにお詫びを申しますが」と虎太郎さんが切り出され「一枚残ったこの赤いものは似合う着物を着ているから、ぜひとも黒の絞りのお容さんに差し上げたい」と肩口から折口も奇麗に掛けてくださいました。

「アラ贔屓じゃぞえ」「なんとナンと」と皆で口をそろえて冷やかされました。

それぞれの財布にあった買い物も済み、身支度も整い重い荷物は松嶋屋さんの手代の竹次郎さんが持ってくれ、松嶋屋さんを先頭に昌平橋下まで歩きました。

船まで虎太郎さんが送りに来てくれてこの日の初詣と初買い物は無事帰路に付きました。

買い物に一刻ほどは掛もう日が暮れかかる時間が近づいて居ました、大川を下る頃には薄暗くなりましたが、男衆の居ない女の子たちの船では歌声が流れ合間に、お容ちゃんを冷やかしたり「お容に気が有ることは明白じゃ」「明日は何かおごれよ」「うそがえには船橋屋で葛餅でも買って来いよ」など大騒ぎでございました。

「旦那様お嬢様方は寒さもこたえずお元気でございますね」

「あの子達の元気にゃ恐れ入るってもんよ、一緒の船でなくて良かったよ」

「買い物だって付き合いきれるもんじゃない」などこちらは旦那と手代に小僧さんの3人なので行火に足を入れても気のほうが温まりませんが前を行く女の子たちの舟はもう大変に賑やかに歌声が響きます。

数え歌が聞こえる頃は小名木川から大横川を下り、ちょうちんの火も船行灯も点けるくらい暗くなりました。

♪ 数え歌

一つとや 一夜明ければ賑やかで 賑やかで

お飾り立てたる 松かざり 松かざり

二つとや 双葉の松は色ようて 色ようて

三がい松は 春日山 春日山

三つとや 皆さんこの日は楽あそび 楽あそび

春さき小窓で 羽根をつく 羽根をつく

四つとや 吉原女子衆は手まりつく 手まりつく

手まりの拍子の おもしろや おもしろや

五つとや いつも変らぬ年おとこ 年おとこ

お年はとらいで 嫁をとる 嫁をとる

六つとや 無病で結んだ玉ずさを 玉ずさを

雨風ふけども まだとけぬ まだとけぬ

七つとや 南無阿弥陀仏と手をあわせ 手をあわせ

後生願いの おじじさま おばばさま

八つとや やわらこの子は千代の子や 千代の子や

お千代で育てた お子じゃもの お子じゃもの

九つとや ここへござれや姉さんや 姉さんや

白足袋雪駄で ちゃらちゃらと ちゃらちゃらと

十とや 歳神様のお飾りは お飾りは

橙九年母 ほんだわら ほんだわら

という歌が終わる頃仙台掘りに入り、冬木から堀を下り、堀多喜さんの桟橋に無事付きました。迎えにそれぞれの家々から人が来ていて、賑やかにお別れと松嶋屋さんにお礼を申し上げてお別れいたしました。

「お容ちゃんの声が一番川筋から聞こえたよ」とお玉が言えば「いんやおれよりゃお吉ちゃんが一番だろうよ」と人を立てることも覚えてきたお容ちゃんです。

「その羽織からみえる紅い奇麗な布はどうしたえ」

「こりゃコタさんのプウレゼントさ」と覚えて来たばかりの言葉をしゃべると「ばてれんのことばぁ何を言ってるか解らんよう」とオランダ語らしきことはわかる様です。

 
 ・ 薮入り

「お帰り、あんちゃん息災で何よりだ」
「容も相変わらず元気でよいの」

待ちかねて表で待つお容ちゃん、聞こえてきた声に与吉もおすみも飛び出してきました。

「ただいま戻りました、ご両親様も息災で何よりでございます」大人びた挨拶に昨年とは違う息子を見て潤む目をこぶしでぬぐい「何他人行儀言ってやがんでぃ、サァ上がれあがれよぅ」とあとを押すように家に引っ張り込むのでした。

十六才に今年なる藤吉は奉公先の八百喜から藪入りで戻ってきました、五年の年季奉公の約束の半分が過ぎて大きくなったからだと、大人びた物言いに家族の皆も驚くのでした。

お玉も驚くくらい大人びた挨拶をされ、どぎまぎとしてしまうくらいでした。

「奉公でつらいことはないかえ」

「いえ、旦那様もおかみさんも、私たち小僧も手代も変わりなく大事に扱って下さり、最近はお得意様周りもさせていただき、商売のコツもお教えいただいて居ります」

芝とはいえこの時代は奉公先においそれと訪ねることも出来ず、気にしていても便りがないのは無事のしるしと思い待っていた薮入りで大人びた息子を晴れがましく思うのでした。

 
・ 墨堤

今年は、桜も早くから咲き墨堤の桜をおつねさん達が見に来るので、お容ちゃんたちも集まりました。

こういう集まりなら是非にと松嶋屋さんが仕切り、前日の曇り空がはれほっとしたのはお容ちゃんだけではなかったようです。

おつねさんたち、今年は養繧堂さんからお琴ちゃんとおかみさんに弦爺(げんじぃ)という若い衆、用心棒代わりのコタロウ君といなせな火消しの若い衆、おつねさん(小津袮)におはつさん(小波津)が与七さんの船で来て、牛御前社内で待ち合わせです。
こちらの深川からはこの間の初詣の人数に松嶋屋のおかみさん、喜知弥さんも加わり、総勢12人のところへ二人の若い芸者衆まで飛び入りで加わり、賑やかに船出いたしました。

帰りは隅田川を下りながら神田組は日本橋川を上り、外堀の一石橋際で降りて歩く予定。深川組みは永代の下流の越中島から大横川に入り途中から左にそれて冬木まで上がろうとの算段。

それぞれが得意の楽器を手に船が岸を離れるや賑やかに繰り出すのです。

♪ あの花が 

あの花が 咲いたそうだが 羨まし

さっと雨もつそのときは

妾(わし)もあとから咲くわいな

♪ 春風さん (本調子) 
春風さんや 主の情けで咲いたじゃないか
何故に吹いたか 夕べの嵐

♪ 葉桜や (三下り)
葉桜や 月は木(こ)の間をちらちらと
叩く水鶏(くいな)に誘われて
ささやく声や 苫の船

皆にせがまれて喜知弥さんが長いものですがと、

♪ 京の四季(端唄)

 

  春は花、いざ見にごんせ東山 色香競う(あらそう)夜桜や

   浮かれ浮かれて 粋も無粋もものがたい

   二本差しても柔こう 祇園豆腐の二軒茶屋、 みそぎぞ

   夏はうち連れて 河原に集う夕涼み 

   ヨイヨイヨイヨイ ヨイヤサー

 

   真葛が原にそよそよと 秋ぞ色増す華頂山

   時雨をいとう唐傘に 濡れて紅葉の長楽寺

   想いぞ積もる圓山に 今朝も来て見る雪見酒

   エー そして櫓の差し向かい ヨイヨイヨイヨイ ヨイヤサー

後ろの船も負けじと芸者衆がのどを競いますので歌が途切れることなく川沿いを歩く人も楽しませます。

「あれ見ねえな、おめえのコタさんが手を振ってるぜ」

「何を言いやがる、お千重だってこのじゅう、いい男になんなさると、言うて居たぞ」

「ホンにお前らは気がきかねえ、おいらたちゃ子供で、あちらも子供、色気にゃちと早いだろう」なんだか子供か大人か区別がつかぬ下町の子です。

おつねさんが松嶋屋の旦那に挨拶をはじめ子供たちは花を見ながらあちらこちらとさ迷い歩きます。
長命寺に至り桜も散り始めた樹が有り、そぞろ歩く娘たちがいっそうあでやかに見えるのでした、来ていた若い衆たちも子供達より旦那に従うおつねさんや芸者衆のほうに目がひきつけられ花とまごうほどの艶やかな様子に酔いました。
山本やで桜餅を買い入れ毛氈を引きしゃみが聞こえ、歌声が次々と冴え渡り、通りすがりの人たちもつい立ち止まるほどの優雅さでした。

「お容ちゃん御屋敷が決まったそうだね」
「はい喜知弥師匠に一緒についていただき、雛飾りを拝見させていただきながら御目見えに参上いたしました」オヤしばらく振りに聞くお容ちゃんの言葉が丁寧になってきたのは、喜知弥師匠のお仕込みがよろしいようで。

「先月の末の28日でございますが、駿河台の坂崎様のお屋敷にお師匠様と参上いたし、雛を拝見いたし奥様に拝謁いたしました。」

 

「幸次郎出迎え大儀」

「ハッお希和様にはご壮健で何よりでございます、父も何かとお世話になっておるそうで御礼申し上げます」

裏の通用門からと思っていたお容でしたがいきなり表門で御用人様がお出迎えに出られ面食らうのでした。

「よいよい、世話になっておるのはわらわのほう、じゃによって礼は此方から申そう、なかへあないを頼む」

「ハハッ、いざ此方へ御通り下されませ」と表玄関に通され物怖じしないお容とて身震いがしてしまいます。

寄り合いとはいえ三千八百石の御大身ゆえ御裕福と聞き及んでおりましたが、町内が丸ごと入るほどの広い邸内に目が眩むようでございます。

まず広座敷のひな壇を拝見いたしているところへ、黒地小紋の小袖に松竹梅を裾へあしらった年のころ18くらいの侍女が現れ、「お希和様にはご壮健であらせられ祝着至極でござります」としとやかに挨拶をされました。

「オオ朱鷺ではないかそちゃまだお勤めを続けていたかえ」

「はい左様で御ざいます、お嬢様がお放しくださいませんので延び延びになっておりますゆえ、あと1年あと1年とつい今年もご奉公いたして居ります」

「由喜江もわがままで困るのう、じゃがかわいい姪じゃに拠ってあと少し辛抱してくりゃれ」

「勿体のうござります、朱鷺は奥様にもかわいがられ果報者にござりますれば、この家が御栄えする事が生きがいでござります」

「奥様もまもなく此方へござりますれば今しばしお待ちくだされませ」

お容は、上身を赤紫、裾を淡色とした曙染の振袖へ時期が早いが菖蒲の青と緑がひきたつ装いで帯は紅地に菊五郎格子が赤紫の隠れ模様の吉弥結び。

髪はおとなしく割しのぶで珊瑚飾りの花櫛であっさりと仕上げました。

静かに廊下を歩む音がして廊下より「希和が来てくれて嬉しく思うぞ」と声がしたのでお容は平伏して声のかかるのを待ちます。

「姉上様にもご壮健であらせられ希和も嬉しく存じ上げます」

「次郎兵衛も壮健じゃそうな」

「はい、老いても若き子達に囲まれ楽しく日を過ごして居ります」

「左様か、そなたも生まれた、所に近くでの町家暮らし、明るくなって姉は嬉しく思うぞ」とご姉妹でいたわるお気持ちが伝わりほのぼのとして気持ちが落ち着く容でした。

部屋の中に入られ座が決まると「頭を上げなされ、容と申すか」と声がかかります。

「お容さん、奥様です、ご挨拶申しなされ」と師匠から声がかかり、「容と申します、本日はお目どおりお許しいただきお礼申し上げます」少し堅くなりながらもご挨拶をいたし顔を上げますと、優しい目をした喜知弥師匠とよく似た面立ちの奥様と目が合い、其処は物怖じしないたちの容がにっこりと微笑み、「結構な雛を拝見いたし目の保養が出来ました」とお礼を申し上げると、「気に入りました、日を選んで遅くも冬になるまでに奉公に出られますか」と聞かれたので、「私のほうに異存はございません」と申し上げます。

「これお朱鷺、容を連れて、由喜江と弓太郎に引き合わせて挨拶させよ」

「そのあと行儀見習いのものたちとも対面させよ」と先ほどのお方に申し付け、お嬢様と若様にご挨拶申し上げました。

お仲間となる、この家に奉公に出ている5人の子とお女中、婢にいたるまで引き合わされこれから3年ほどは奉公のお仲間になる方たちに、何が出来るか聞かれたり、町の噂など話しているうちに帰りの時刻となり、師匠と共に御用人に挨拶をして深川に戻りました。

帰り道師匠に「驚きやした、奥様と御姉妹などとは露に知らずにいやした」

「ホホホ、驚きましたか、黙っていて悪かったが、次郎栄師匠からも御目見えが済むまでは黙っているよう言われたので、許しておくれ」と易しく言われてお容は気使いが嬉しく「師匠が今日まで黙ってくれたので硬くならずに済みました、知っていたらこうは巧くお話が出来ません」というと「お容ちゃんありがとう、お前様はやはり次郎栄師匠が見込んだとおりの良い子じゃえ、これからも素直な気持ちで精進されなされ」

「はい、そういたします、行儀見習いにでるまでよろしくご指導のほど御願いいたします」とここまでは堅い話でしたが、おつねさんの家について一休みする頃からいつものように会話も深川の言葉に戻り「お屋敷でも此方の一日の売り出しを心待ちにしておられる子が居りました、知り合いというと売り出しの目玉を知らせて下されと頼まれてしやいやした」

「あれ来月は2日の売り出しで一日はお花見じゃ」

「アラそれは困りましたどういたしませう」

「おはつさん坂崎様のところは誰が来てなさる」

「お朱鷺さんとお仙さんがよく見えられますよ」

「今日魚熊さんが来たらちょいと連絡つけてもらいなよ、お容ちゃんちょいと手紙を書いとくれ」と日にちと特別の3品を書き出しておはつさんが受け取りました。

先ほど驚いた話をして良いものか悩んでいましたら師匠のほうから「実は、、、」と切り出してくれて雛壇の話やお庭の奇麗なことなど話すうち、師匠のご実家は本所で高島様という小普請支配をされていて次郎栄師匠は其処のご用人をされていて、今は坂崎様に御長男、高島様へはお嬢様の婿殿が御用人としてお勤めで自分は子供たちに時代の先行きが不安なため教育が大切と進んで町に出て手習い師匠になられたそうです、まず読み書きを教えその先に進める子には道をつけるという地道な努力をされているそうです。

「今日は思いもかけず目が開けた気がいたします」と船での帰り道、歌の稽古に行儀見習いに必要なこと、仕度に必要なことなど話すことは尽きませんでした。

 

花見の宴も終わり3艘の屋根が隅田川を墨堤の花を見ながら下り、右に1艘左に2艘と別れ宴の終わりを告げます、といいたいところですがお酒の入っている旦那と芸者衆はさらに陽気になってきました。

♪ 奴さん (端唄)

ハア  コリャコリャ

 エー  奴さん  どちらに行く  ハア  コリャコリャ

 旦那  お迎えに  さても  寒いのに  供揃い

 雪の降る夜も  風の夜も  サテ  お供は辛いね

 いつも  奴さんは  高端折  アリャセ  コリャセ

 それも  そうかいな  エー

ハア  マダマダ

 エー  姐さん  ほんかいな   ハア  コリャコリャ

 きぬぎぬの  言葉も  交わさず  明日の夜は

 裏の窓には  私独り  サテ  合図はよいか

 首尾をようして  逢いに来たわいな  アリャセ  コリャセ

 そうも  そうかいな  エー

 ハアコリャ  コリャ


  ・ 日本橋

その日の朝おつねさんたちが出がけに、「お文さん留守を頼みますよ」「いっておいでなさいませ、此方の店は御言いつけどおりに開けておきますから、来た方には札を渡して予約できるようにしておきます」

「重なったものには、お名前のしるしを頂戴していつものようにしておきますのでご安心くださいください」お文さんは商家に育ち芸者にも出て袋物商のおかみさんに成りましたが、今はここで働く意欲に燃える年増の人当たりの良い方です。

お子が出来ず離縁となりいまさら芸者にも戻れずに居たお文さんに声をかけ、ここで働くように勧めたのはおはつさんです。

今はとなりの店には3人おつねさん、おはつさんのほうも通いでお香さん、お鈴さんが来ていますがこちらのほうには、今日は大戸を下ろして半額の安売りはお休みです。

お文さんが仕切るほうは普段から小間物といっても日用品が主なものなので見切りの安売りはいたしません。

此方には通いのお美代ちゃんと住み込みの下女としてお時ちゃんが居ます。

普段から交互に休みが取れるように、虎太郎くんが采配しています。

「いってらっしゃいませ」の声に送られ養繧堂さんに向かい待ちかねたお琴ちゃんたちと土手の八兵衛さんの小屋まで歩きます、そこで与七さんが二梃櫓の屋根で待つという算段。

船に乗ったのは総勢7人神田川を下り大川を遡り、三囲神社の近くの竹屋の渡し付近で船をつなぎ、牛の御前で松嶋屋さんの一行に出会う約束、あちらから三日ほど前二十八日の昼に連絡が来て、晴れるとよいなぁと心待ちしていた花見の宴。

「あにさん、お天気が良くて川風が気持ちいい」とおかみさんのお初さんの膝で楽しそうです、今年五才になり話すこともしっかりとしてまいりました。

「そうだね、大川に出れば花も奇麗だからもっと楽しみが多いよ」

「ホンに良いお天気に恵まれ、長命寺も堤の桜も奇麗でござんしょう」

「おかみさんにも本日は連れ立っての花見においでくだされ、虎太郎感謝いたして居ります」

「なんの、なんのホンに此方こそお誘いくだされうれしゅうござんすよ」

「お琴も遠出は初めてなので楽しい」といえば、皆がかわるがわる、歌を歌い三味を弾き、弦爺が笛で盛り上げます、呼び名が弦爺でも本当は三十前で白髪が多いのでいつの間にかそう呼ばれて居る下男です。

「このしとぁ、ホンに芸達者さね」とおはつさんが言えばおかみさんのほうのお初さんが「お祭りと聞くと目がなくて真っ先に屋台に上がりだすんだから旦那様が呆れるくらいさ」「何を言われても笛があれば機嫌よくなんどきでも吹き続けるよ」などおかみさんに言われ「ヘエわしゃこれが好きで好きでたまりやせん」三味にあわせ今日のお供に選ばれた事が嬉しくてたまらない弦爺です。

よ組の半纏をまとった若い衆は、のどが自慢で今日のお供に願って出ただけあって、おつねさん、おはつさんが、感心するくらいのよい声です。

「これなら深川の組にゃまけねえよ」と艫取りの与七さんが手を休めずに漕ぎながらともに居るコタロウ君に声をかけています。

二梃櫓とはいいながら、与七さんが仕込むための若い衆なのでみよしで櫓を漕ぐ若い衆は当てにしないだけの腕があります。

大川もこの時間は上げ潮でこのあたりは楽には違いありませんが達者なものです。

「まさかあちらのほうは喜知弥師匠がついての、おなじみの子達、今日は張り切っておりやしょう」

「それにお宅のお芳ちゃんはなかなかの美声じないですか」といえば嬉しそうに笑いながら、こういいます「家の芳坊よりお容ちゃんお吉ちゃんがうめえでやんすよぅ」

「出掛けに聞いたんですがね、あちらは昨晩噂を聞いた芳町の芸者が二人、あちらの船に乗ることになったそうですぜ」

「朝早いのに、そんなこたあどこで聞いてきたえ」とおつねさん「船七の元ちゃが船のしたくしながら、こっちに昨晩からお泊まりで仕度を持った箱やが早くから来て大騒ぎよ、と教えてくれたよ」「オヤ旦那はおもてになるから大変だ、あそこはおかみ様も芸達者で今日はたいへんだぁね」とおはつさん。

そんなこんなで大騒ぎのうちに牛の御前まで着いてみればあちらはまだ来ないので、コタロウ君がお琴ちゃんと弦爺の三人で船附まで迎えに出ました。

宴も終わり船は分かれて此方は永代橋を右側に拠ってくぐり日本橋川に入りました。

橋をいくつも潜り抜け一石橋まで上がり其処で船はぐるりと回して深川に戻ります。

日本橋下は混んで船をおりにくいのでここまで来て、降りた面々は金座横から日本橋瀬戸物町に出て大通りを神田に向かい、にんべんで買い物をしたりしながら、ゆるゆると酔いを醒ましながらそぞろ歩くのでした。

 

・ 十軒店

十軒店まで来てちょうちんに灯が入る、灯ともし頃になっても季節柄雛飾りを売る店は忙しく、人の出入りが絶えることなく続き、外からみえる店の内(なか)の人形も雪洞や、百目ろうそくで照らされ明るく華やいで見えます。

横浜の家に有った雛飾りを思い出す虎太郎は、やはり見つめていたお琴に気が付くと、手を引き店の前を離れます。

前のお琴ちゃんがなくなったときに雛飾りも供養のため燃やされたと聞き、今は飾る事がないかとおもうとお琴がかわいそうになり胸が切なくなる虎太郎でした。

「奇麗ね」その一言で胸が一杯になるお琴に、虎太郎も黙って手を握り返してあげることしか出来ませんでした。

「コタロウさんもおつねさんたちもみな家にお寄りくださいね」とお初さんが言うので、おつねさんを見るとうなづくので一行は雉子町で養繧堂さんに寄る事にしました。

「アレ小頭どうしました」と清吉さんが声をかけると、「オウサ少し帰りが遅いから迎えに来たのさ、帰る道はここと聞いていたから行き違うこともあんめえとでてきたのさ」

「お迎えご苦労様」とおかみさんが言っているうちに、皆は養繧堂さんにまもなく到着いたしました。

清吉さんが先行してお帰りだよと告げたので番頭さんやら旦那さんまで店の前に出て迎えてくださいました。

何事が始まったかとおもうコタロウさんも、おつねさんが平然としているので聞くわけにもいかずおはつさんと顔を見交わすばかりです。

「旦那様、お支度はできましたか」

「はい全部済んだよ、三代目(原船月)が約束に間に合わせてくださって、岩さんが持ち込んでくださったよ」

「岩さんご苦労様です、皆で白酒でも頂きましょう、小肌も鯵も鮓がついているはずですから皆で頂きましょう」

客間に入ると其処には奇麗に飾られた十五人飾りが七段に飾られ、先ほど久月で見た雛飾りよりいっそう引き立つ見事さでした。

「マァ奇麗、すてきな飾り」とぺたんと座ったお琴に「気に入ってくれたかい」と聞く吉兵衛さんに、「これは私のためのなの」と聴くお琴に「そうだよ、お琴のために新しいお人形を頼んだのが今日夕方に着いたんだよ」と易しく言う吉兵衛さんでした。

お琴が感激のあまり立ち上がり「嬉しい、おとっさんありがとう」とむしゃぶりつくのを見て嬉しそうに涙ぐむお初さんが「嬉しいかいお琴」と声をかけると、今度は「おっかさんありがとう、お琴嬉しい」と涙ぐみながら母に抱きつき言うのでした。

番頭さんと小間使いのおきんが、「白酒の仕度ができました、皆さんお召し上がりください」とお膳と豊島やの、しろ酒を運んできて岩さんがサァサァお仕度ができたところで賑やかに頂きましょうと声をかけ夕べの宴が始まりました。

「本日はめでたいので賑やかなのをいきやしょう」、三味線を抱えたおはつさん、おつねさんが弾き出すと弦爺が縁側で笛を吹き、その後は清吉さん岩さんが兄、弟で木遣りを歌いだします。

歌い終わり、すしはおみやに包んでいただき、今日の宴は親子に任せお客は退散とばかりに辞去いたしました。

「兄さん三日の日には来て下さいますか」とお琴が言えば「ぜひおいでくださいね」と、おかみさんが言うので虎太郎が「是非にもお寄りさせていただきます」といいながらお店を後にいたしました。

虎太郎が岩さんに道すがら礼を言うと「秘密にするについちゃおつねさんと家のかかあの他は知らせねえようにするのがてえへんだったぜ」とうちあけるのでした。

おつねさんも笑って「皆を留守にして今日の日を空けるにゃ、苦労したよ」と打ち明け今日の花見がそのために大事な朔日の日をつかう理由と思い至ったのでした。

   
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 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
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幕末風雲録・酔芙蓉
  
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