横浜幻想
 其の八 高島町 阿井一矢



登場人物 (年齢は数えと満とに分かれています1871年)

ケンゾー ( 吉田健三 Mr.ケン )

1849年(嘉永2年)生まれ 23才 

正太郎 (前田正太郎)1856年(安政3年)生まれ 16才

おかつ 玄三 勝治 千寿21才 辰次郎30才 源太郎19才

寅吉29才 容24才 春太郎23才 千代松24才 伝次郎30才

井関盛艮(知事・もりとめ)安部弘三(取締) 

斉藤敬之(居留地ポリス) 杉浦譲(駅逓権正)

佐藤政養(與之助)    佐藤新九郎(立軒) 

亀次郎 倉 (富貴楼)駒形町新地(明治3年)→尾上町(明治6年)

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太 松太郎 孝 ( 街の子供たち ) 

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

Augustin Van Buffet Goone ゴーン 1834年生まれ37才

Mary Van Buffet Goone ゴーン夫人1837年生まれ 34才

Sophia Van Buffet Goone1856年生まれ 15才

JohnJackyMac Horn 1838年生まれ 33才

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト 1821年生まれ 50才 

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 7才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 27才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 28才

天下の糸平    ( 田中平八 )1834年(天保5年)生まれ38才

海坊主の伊兵衛親方( 丸岡の親方 )俊 境町二丁目・入舟町

喜重郎      ( 丸高屋の親方・高木喜重郎 )駒形町三丁目

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地(常盤町五丁目)40才

内田清七     ( 京屋 清七 )真砂町 

益田徳之進 ( 中屋徳兵衛・進・孝徳・孝 )24才

大谷嘉兵衛 27才  西郷小兵衛 25才  西郷従道 29才

伊藤博文  31才  陸奥宗光  28才   勝安芳  49才


 高島町

グレゴリオ暦の3月22日になっても野毛や桜道のヨシノの蕾はまだ固く当分咲きそうも無い中で早咲きの彼岸桜がちらほらと咲いていた。

横浜に係留中の独逸海軍の軍艦から朝八字に国王誕生日を祝う祝砲が21発放たれた、其れに応じて台場からも同じ21発の祝砲が放たれ本町通りでは軍楽隊が行進をして国王の誕生日を祝った。

前日の朔日に井関知事に面会をした嘉右衛門は訪れていた井上勝立会の下、横浜停車場地先の海面3万坪の埋め立てを成し遂げて鉄道敷地、国道用地を引き渡すと共に自分の取り分について高島町と命名する権利を下賜された。

工事開始からおよそ二百日、日本有数の埋め立て工事にしては晴天日数から見ても早い出来上がりだ、工事に雇われた人間はおよそ六百人、述べ稼動人員は数え切れぬほど膨大であった。

埋め立て用地へ杉材の丸太を打ち込み、船十艘で伊豆や館山から石材を運びSteam Mud machineで泥水をかき出した後石垣を築きながら海底を掘り下げ石を沈めてから埋め立て用の土を入れて突き固めながらかさ上げをするという念の入れようだ。

指図役には品川、神奈川の台場を築いたものを多く集め、Edmund Morelの指示したカーブを利用し袖ヶ浦を分断したダムが波を消し去る効果を生みだした。

Edmund Morelさえ「此れなら100年は築いた土手が弛む事は無い」と絶賛する念の入れようだった。

昨年末に種紙の詐欺をしたストロフの行方は上海から先がどうしても調べがつかなかった、同じ手口の横行は後を絶たず粗悪品を売りつける売り込み商人と詐欺を行う外人も後を絶たず知事もポリスも頭が痛む毎日であった。

安部やポリスの斉藤は麻薬以外にも悪徳商人に目を光らしてはいるが、抜け駆けして儲けたいという業者の心理を突くあくどい商取引までは中々介入できないのだった。

前に山城屋がらみの事件で指揮を取った斉藤利行が刑部省から追い払われてしまった事も現場での捜索に悪影響を与えていた。

長州藩出身の官吏と公家が手を結んでいる政府中央は、佐賀藩関係の人たちが不正を見逃すまいと目を光らせてはいるが、寅吉やケンゾーには似たり寄ったりとしか映らないのだった。

大隈重信邸の築地梁山泊には五代才助、伊藤博文、井上馨、副島種臣などが出入りしていた。

横浜に来た勝と食事をしたときに「佐賀の江藤も、副島もさらに大隈も書生の理想論さ。確かに不正は横行しているしかし其れは今の政府を否定しない限り無くす事など出来やしないぜ。長州の井上や山縣がいかんといっても其の上の木戸が居る限り二人を簡単に追い払えるもんか。薩摩の五代のように政治にはかかわらんというのは長州の人間には無理さ。お前たちが手を焼いている山城屋だって後ろには澤宣嘉様に東久世様が居るがまさか三条様、岩倉様までが関与はしていまいがな」

「しかし勝先生、井上馨さんは周りから持ち上げられてという事もあるでしょうし大隈様との関係もありうわさだけかもしれませんが山縣さんはどうにもいけません」

「吉田君其の通りかもしれん、だが今わが国の軍隊の編成の為には吉之助さんの度胸と山縣の繊細さが必要なのだよ。従道では細かいことを作り上げる力が無いのだよ」

「では先生は今のまま傍観するおつもりですか」

「仕方ないさ、俺は慶喜様がお返しをされた政権を争わずに新政府に引き渡した張本人だからな」

ケンゾーには寅吉も横浜の多くの商人が財を築き上げるのを横目に儲けを分散して多くのものに分けてしまうのを不思議なことだと感じてしまうこともあったが「ケンゾーが思うほど俺は儲けをフイにしてしまうほどお人よしじゃねえよ。お前さんが知らないところで何とかなっているのさ」

「そうだそうだ、コタは子供の頃から損などしねえよ。ただ他の物と争ったり蹴倒おたしてまで儲けを独り占めしないだけだ、それで相場でのやり取りを国内でやらねえのさ。その代わり百万ポンドのダイヤの鉱山主とまで噂が出るくらいだ」

其れと寅吉から勝先生はどうせ軍隊の編成を陸軍と海軍に分けるときがくればお呼び出しをせざるをえないとまで言われて旦那はそんな先のことまで読んで仕事をしているのかと自分の事を考えて反省するのだった。

「それで陸軍はどうしても山縣さんで無いといけないのでしょうか」

「そうとばかりはいえないが今から向こうに送って物になるのは時間が掛かりすぎるのさ、今ドイツに居るはずの弥助に弥二郎が牢屋の大鳥と組めばいい軍隊ができるだろうがそいつは木戸が賛成しないだろうし、海軍はどうしても薩摩に人材が多いから陸軍はなんとしても長州でと木戸が佐賀と土佐を邪魔にするさ、土佐の人間に其れを冷静に判断して行動できる人材は居ないな」

どちらにしても西郷さんたちが上京してくればいろいろと替わるよ、あの人次第の政局さと其の日は東京へ出る勝と分かれたのだ。

一月三日に鹿児島を出た西郷と、大久保が山口から木戸、高知から板垣を伴って漸うに東京に到着したのは今朝のことで夕方にはケンゾーの元にも辰さんから其の情報がもたらされた。

「早いですね、今朝ついたという事は午後の船で連絡が来ましたか」

「そうですぜ、旦那が弁天通りの横浜物産会社にいてこっちにも連絡を入れろというのでよらせてもらいやした。此れで政府の改革が進めばいいがと寅吉旦那はまだ不安そうでしたぜ」

「そりゃ、木戸先生はあれで身びいきが激しいからな。しかし実行力のある人が東京に集まれば廃藩置県も進むだろう」

「版籍奉還で殿様が知藩事でしょ。今度は其の役もお取り上げで殿様が居なくなるのですかね」

「替わりにあまり役に立たないお公家様に無駄な給付が出て国の経済は徳川の時代より町のものには辛くなるさ。貧乏人にはいつでも回ってこないのが金さ」

「寅吉旦那のおかげであっしたちは楽に生活していますが、長屋の住人は大変ですぜ。聞けば一昨年の冷害に加えて奥州では国替えや半地された殿様のために家来までが逃げ出したなんて話もありますぜ」

「まさか其れはただの噂話だろう」

辰さんは「此処が最後の連絡場所で後は家に帰るだけだ」と断っておかつさんが出すカステラと紅茶にはSugarを沢山入れ甘くしてから口にした。

「噂だけならいいですがね。娘を身売りする百姓が多くて女衒も金をあまり出さずに連れてくるそうですぜ」

「遊女もかわいそうな身の上の者が多いからな。芸の覚えの良いものは大事にされるが見栄えのしない上に芸の無いものには辛いことだ」

「さようです、抱主の中にも身を切るようにして余分に引き取って下働きをさせても良いと考えてくださる人も居りやすがね」

「そういう人は僅かしかいないから尚更に目立つのさ。いつになっても男はそういう場所で遊ぶのが好きだからな」

「家の旦那のように遊郭は付き合うが、好きでは無いので我から進んで行かないというのは珍しい部類ですからね」

「辰さんは旦那の子供の頃からの付き合いだから遊び場が好きじゃないのはどうしてか知っているのだろ」

「其れがね、あの頃から娘っ子にも遊女にも優しいことには変わりがないのでござんすよ。吉原も行けば品川も行く芸者遊びもする。そりゃほんとに十五か六くらいの頃から付き合えといわれて断る人じゃござんせんでしたよ。それでも遊女を抱いた事もないという話ばかり聞こえてきましたぜ。ほら上総にお国替えになった殿様が部屋住みの頃に連れられて吉原に出かけても遊女に世話をさせて一晩よっぴいて英吉利の本を読んでいたなんて話がありますから。何でも経済のことを書いた難しい本を二人で夜っぴて議論していたそうですぜ。たいこ持ちの何とか言うのからじかに聞きやしたから間違いござんせんよ」

「それじゃ如何してかまでは知らないのかい、ごしんさんに遠慮していたのかね」傍に居たおかつさんが堪らず口を挟んできた。

「お容様がまだお屋敷づとめの頃ですからね、どうしてかといわれると噂だけで旦那の女だといわれる人は多いのですが、妾やてかけということでは無いようですぜ。今でもほら異人の奥さんや子供たちと友達付き合いでござんしょ、あれがそのまま昔からの旦那ですぜ」

「正太郎に目をかけてくださるのもそのような人との付き合いが出来るからのようだな」

「正坊も小さいときから不思議と異人さんでも町の子供たちにでも分け隔てなく普通に話をして、へりくだる事も大柄な口を聞く事もありやせんし、寅吉旦那と同じような勉強家だしよく似たもんでござんすよ」

辰さんは散々町の噂や流行物などをおかつさんに聞かせて挙句には最近の流行の都都逸まで聞かせ暗くなる頃に漸く腰を上げて帰って行った。

話に出た正太郎は東京で旦那の妹の養繧堂のお嬢さんお琴さんにフランス語の指導に近くの虎屋から通って集中講義をしていた。

琴は今年十九才松本良順の早稲田蘭疇医院で医療看護の講義を受けて店でも漢方だけでなく、これからは様々な消毒薬新しい傷薬に包帯等の医療品までが必要と手広く扱いだしていた。

覚えの良い琴は正太郎の教えるフランス語に瞬く間に上達していった「何も難しい言葉や言い回しなど今はいいの、手当てに必要な言葉の英吉利、仏蘭西、独逸語との対応が理解できれば後は自然と覚えられると思うのよ。だから普通に挨拶に簡単な言葉の使い方が出来ればかまわないわ、たとえば頭が痛い、足が痛い、手が痛いなどの使い方ね」

La te^te est douloureuseThe head is painfulなどは普通頭が痛いということです頭痛という単語はMal de te^teHeadacheです」

「そうそうなのよ、後はどの程度の痛みなのか、Heavyなのかlightなのかとかを片言でも通じ合えればいいの。そうすれば其れに足とか手とか、お腹という言葉を覚えれば少しは意思が通じ合えるでしょ、私は医者になりたいのじゃなくて医者の必要としている品物を調達できる薬屋を目指しているのよ。ただそのためには少しでも多くのことを知っておきたいのよ、包帯も今はさらしを使うけど今京都の織物やさんで目の粗い柔らかな木綿の生地を作らせているのよ」

さすが寅吉旦那の妹さんだけあってすごい人だなと感心してしまう正太郎だった「此れなら一日三時間の講義でも二ヶ月もあれば日常会話など簡単にマスターしてしまいそうだと正太郎は思ったしそう、お文さんやおつねさんに言うと自分のことのように二人も喜んでくれた。

「明子にもう一年もあっていないから正太郎が戻る大神宮のお祭りにはあたしも横浜へ行こうかね」

「其れがよろしいですよ、昨年は大層にぎやかでしたが今年もきっと同じように盛り上がりますよ。旦那に手紙か連絡員に伝えればきっと喜ばれます」

「ではお文さん何人か同行してくれる人を選んで寅さんに伝えておくれな」

「承知いたしました。お京さんも同行していただきましょうか」

「いいわねそうしておくれ、それから深川のおすみさんにも声をかけておくれ」

「承りました。早速連絡をつけてまいりましょう」

気の早い江戸っ子の人たちは二月先の祭りへ、もう既に行く人の人選と其の準備に掛かりだした。

養繧堂では養い親はすっかり楽隠居というわけには行かないのは琴の縁談が帯に短し襷に長しと頭を痛めているためだ「お父様もお母様も心配なさらなくてもいいですわ、今の私を認めてくれる方で、ご両親様のことを信頼してくださる人そういう人が必ず出て来ますわよ。兄も何も心配せずとも世の中が落ち着く五年のうちには何とかなるさと申して居りましたからあのときから後三年も残って居ります」

「それならいいけどあたしたちは、無理じいはしませんからねあなたの好きな人でいいのよ。お店のことにそんなに力を入れてくれるのは嬉しいけど仕事ばかりでは其れも心配でね。たまには横浜へでも息抜きに出かけてごらんなさいな」

「ありがとう御座います。松本先生が兵部省へ出られることに決まって病院も政府直々の経営になりそうなので私は来月で卒業ということになりそうなので、そうしたら一度兄の処へ遣らせて頂きます。お父様もお母様もご一緒しませんか。兄もきっと喜びます」

「そうだねえ。店は三人が出かけても困らぬようになっているし、いいかもしれない。今は馬車に人力車が有るから此処からでも半日で楽に行かれるからね」

此方でも横浜行きが決まりそうだ。

一月二十一日に布告された郵便制度は実施日が三月一日で後一月足らずに近づいていた。

江戸日本橋から川崎宿まで百文、横浜まで二百文と決められたが、飛脚も組合を結成して東京横浜間の書状、手形等の送料を引き下げて東京横浜間を最低料金百四十八文と決めて対抗の姿勢を表したが東海道の東京大阪間一貫五百には対抗できず早々と駅逓の雇われになる者もでだした。


東京の人力車組合のうち出島屋の出店として源七が始めた川崎と神奈川の間を二人引きで4人乗りまるで大昔の牛車のようだと見てきたものの話だ。

其の営業の好成績に刺激を受けた神奈川横浜の篭屋の組合がそろって人力車に乗り換え横浜から川崎、横浜から藤沢の間を走ることになった。 

一人乗りで川崎まで三分、藤沢まで一両二朱藤沢までが割高なのは坂が多いので後押しの人間が必要なためだ、此れは123番のシールス組合の乗合馬車に対抗しての料金だ、二人乗り、三人乗りまでも作られていて料金は相談に応ずるとうたっていた。

シールス組合の馬車は小田原まで六両、藤沢まで三両などと信じられない定価を示したがさすがにそれでは客が付かず四両と二両に値下げしていた。

翔風舎はそれには参加せず西は戸塚まで北は鶴見までと決めて横浜市中を持ち場と決めて近場での勝負に心がけていたが「其のうち客の要望を聞いて一日いくらで雇ってもらえば替えの人間つきで遠出も引き受ける」そのようにHackがケンゾーに玉突き遊びの合間に話しをした。

昼間に町をうろつく子供も大分減ると共に町には手習い師匠の数が増えてきたのは、全国から職のなくなった士分の内で横浜に流れてきた筆の立つものが長屋の一角で五人、十人の少人数にも教え始めたからだ。

ケンゾーは重四郎に頼んでそれらの内訳も把握してもらい子供の人数に合わせて筆や硯に鉛筆を支給することにした、それらの師匠の内優秀な人は出来るだけ引き抜いて嘉右衛門の開く学校へ奉職してもらうためと政府が開こうとしている学校への奉職の道があることを教えて其の準備のためにも自身の学力を高めてもらうためだ。

横浜では西の人も多く増えてきて手習い師匠というより寺子屋の先生と言う人が増えてきていた。

しかし横浜はそれ以上に流入する人の数が増えていて貿易の低迷に比べ小商いの見世は大幅に増えていた、中でも港町を中心にはやりだした麦湯の店では見栄えの良い娘を雇い客の応対に出す店もあれば客が連れ出し料を出せば外へ連れ出すことを許す店までが増えてきていた。

ケンゾーはこの日神田から出てきた岩蔵と連れ立って175番にファヴルブラント商会を尋ねた。

旦那とケンゾーが資金を出して岩蔵が店を神田へ出すことになったので其の仕入れをファヴルブラント商会が引き受けることになったので契約書の交換のための立会だ。

「イワゾウもついに独立するか、俺たちも応援するぜ。コタさんの好きな時計は最近、RoskopfPatek PhilippeLonginesさらにTissotと替わってきたからな。うちも忙しいぜコタさんの言う時計は高いが良いやつが多いから必ず売れるよ。中でもロンジンは薩摩の太守が西郷に贈るほど高価なものだしパティックフィリップは水戸の徳川昭武が三台も買い込んだほど良い物だ、英吉利でもクィーンがご愛用だそうだ。コタさんは鍵巻きなぞもう終わりでa stem-windingがこれからは主流だというがなに値段が安くなれば鍵つきでも需要は多いぜ、俺の故郷の時計工場でGeorges Favre Jacotは絶対にお勧めだ」

盛んにいろいろなメーカーの特徴に値段をガトリングのように繰り出すゼームスに二人は予算と数量を書き出してきた紙を示して契約料として三万ドルの手形を示した。

「ホオ、こんなに出せるなら俺のほうで三万ドル分の品物を預けるから売ってみないか、年8パーセントでいいぜ」

「其れはいいのですが此方で指定した品物以外では利を払うなと旦那が先に見越して話して居ります」

「矢張り、コタさんは俺の気性を見越しているな。いいだろう其方の予算だと仕入れ価格がいくらになるかは計算次第連絡の上で正規契約をしよう。其れまでこの手形は換金せずに預かっておこう、それでいいのか」

「はい旦那は、ゼームス・ファヴルブラントさんは信用できるから先に証拠金として預けて、荷が届いたら後金を支払うように申しつかりました」

「いいだろう、其れだと此方の言い値で引き取るように聞こえるが其れでいいのか」

「まさか、そのためにMr.ケンが附いて来てくれました。亜米一、ヘクト、英一などに新しく開店したコロン商会での引き渡し予想価格は既に調べてありますのでこちらへ数を揃えて注文すれば其れより安いだろうと踏んでまいりました」

「マイルナァ、コタさんのお仕込みが良すぎるぜ。だがイワゾウの店開きだそのくらいは此方でも利を削っても仕入れてやるよ。任せて置けよクニフラーやシュルツ・ライスには値段でも品質でも負ける事などは無いぜ」

二人は交互にゼームスと握手して店を後にした。

「ケンゾーさん、ブレンワルトにコロンも有るのにゼームスさん一人に任せていいものでしょうか」

「岩蔵さん、あんたのほうが旦那との付き合いが長いだろ、旦那のやり方は彼方此方の店の値段を比べても最初は必ず一軒に絞って取引をなさる。其の取引が大きくなれば増えた分のうちから他所へも回す、其れが旦那のやり方ではありませんか」

「そうだったな。家の旦那はそういうお人だ、俺は恥ずかしいよ自分の店だと思うとつい目先の欲が出てしまう。決めたよ俺はファヴルブラント商会と日本を席巻する時計屋に成って見せる」

「其の意気ですよ。私と旦那の出費は三年据え置き、後は十年間年5パーセントでの運用益という緩やかなものですから、必ず儲けてくださいよ」

「しかしケンゾーさんは大したもんだ帰国して僅か一年でよく此処まで来たもんだ」

「なに私の力などたいした事はありませんよ、マックさんの一族と旦那のおかげで自然と儲け話が転がり込んだだけですから」

「しかしWhiskeyWineね、それほど儲かるものですかね」

「酒飲みの岩蔵さんらしくも無い。これからは外国の人間も多く旅行に来ますし、日本人もBeerWineWhiskeyChampagneBrandyと色々な酒を飲むようになりますよ」

「しかしねWineが一瓶十フラン、Champagneが八フランには驚きですな。何でも100フラン以上の物まで有るそうじゃないですか」

「其れは高級品でね。私が入れるのはもっと安い物ですよ、元は半分以下ですよ積荷保険とかなにやら掛かりますからね、旦那のBoston氷とハムを入れるときに一緒に船積みするので途中でシャンペンが破裂することも無いので良い儲けなのですよ」

「旦那もハムのために氷を入れるなんて可笑しな事だと昔は思いましたしね、ケンゾーさんも英吉利から帰国以来伊太利亜と何であんなに取引をするかと思ったら仏蘭西の物を伊太利亜経由で輸入したほうが安いなど俺には考えもつきませんでしたよ」

「其れはねえ、仏蘭西からあの位の量を買うと割高ですが、伊太利亜の商社が大量に安く買う品物を此方と英吉利のスミス商会へまわすので三方全て利が出るのですよ」

「商売とは不思議だな。でもスミスと名乗る商会が多くなったのにはまいりますね」

「ほんとだね、後クラークも多いしね。時計も、これからはスイスに負けないくらいアメリカでもドイツでもいいものがでてきますよ。其れまでしっかりとファヴルブラント商会と共に儲けることです」

「そうしよう。ゼームスさんとも相談して世界情勢に目を光らせて儲けることに徹するよ」

二人は亜米利加領事館の前で別れて岩蔵は野毛へ向かった。

ケンゾーは寅吉がお容さんに買ってあげたPatek Philippeの七宝焼きの蓋のついた時計を見たときの驚きを思い出した、奇麗なペルシャンブルーと紅白の花が昼の東屋でお容さんの帯の間から取り出されると、其の芸術性の高さにクイーンビクトリアまでが魅了されたのは尤もだと思った。

明子お嬢さんの小さな手の上で蓋が開けれ繊細な時計のカチカチと動く音までが素敵に響いた。

「どうだ、ケンゾー。これからはこのa stem-windingが主流だぜ」

寅吉は鍵巻きより最新の其の時計が自慢だった、彼方此方の伝で入れた懐中時計の中からお容さんへプレゼントした物と同じものは一つも売らずに金庫にしまいこんだと岩蔵が昨日話して呉れたのだ。

境町に戻ると季節早めのキス釣りに出かけた寅吉旦那と喜重郎さんが来ていて台所で嘉市爺さんとビールを飲みながらてんぷらを揚げて食べていた。

料理は釜吉が引き受けて三人は嬉しそうに揚げ立てを頬張っていた。

「オッ帰ってきたな。岩蔵は如何した」

「話はまとまりましたので野毛へ向かいましたが、ご用事があれば呼びに行きます」

「いいよいいよ、あいつが居ると酒がまわりすぎていけねえ。ケンゾーから話を聞ければそれでいいよ。アナゴも有るからお前も一杯やれよ」

仲間に加わって揚げたてのキスにアナゴを呼ばれるケンゾーだった。

「魚助がめごちを捌いて届けてくれたのでそっちも食べてくださいよ」

釜吉は昨日横浜に出てきたが三日ほど寅吉に付き合う予定だそうだ。

「この次は皇大神宮のお祭りにかみさんと出てきます」

ケンゾーにもそういいながらも手を休めずに鍋に次々とアナゴを入れだした。

最近はかみさんとかみさんの弟二人が仕事を覚え、店を任せても大丈夫になってこうして年に何回か横浜へ出られるようになったと釜吉が手を休めずにケンゾーへ話した。

おかつと玄三も付き合えと勧められ二人は台所に腰掛けて早めの夕食にした。

「こっちも飯を呉れ」

板の間に胡坐をかいていた喜重郎がおかつに頼んで飯をよそってもらった。

嘉市爺さんはビールで良い気持ちになり「久しぶりに釣り船のお供をしましたがカサゴやメバルが野毛の先でつれなくなった換わりにアナゴが寄ってきて今日はおもしろうござんした」

「そうよなアナゴなど釣り上げるとは俺も思わなかったぜ、はぜでも掛かれば上出来と思っていたが面白いもんだったな」

「こんだぁ堤防の内側の袖ヶ浦でハゼでも釣るか」

「そうだな夏ハゼの天ぷらもいいもんだ。一つ目沼も埋め立てられていけば鰻が居なくなるだろうからお三の宮辺りでしか取れないかな」

「鰻なら袖ヶ浦のほうに大分移った様ですぜ、新田間橋のあたりが大きいのが居ると漁師が話していましたぜ。アナゴが取れなくなって鰻が来たということで」

「ホウあっちには鰻は少ないと聞いていたが埋め立ての影響はそんな所に出てきたのか」

今年も蒸気船で金目や鰹にメジマグロでも買いに行かせるかと喜重郎さんが言い出して盛んに食い気の話で盛り上がった。

「明日は深川飯でも食うか。魚助にそういってハマグリとアサリの剥き身を買わせるからこっちにも届けさせよう」

「いいですねおかつさんの甘みそ仕立ての味は美味いですよ。正太郎も大好物です」

「そうかい、俺も深川育ちのお容のおかげで本場の深川飯だったが、お容が横浜に来てからあの甘っからい味のほうが美味くなったらしくて二人で飯にぶっ掛けて食うのさ、最近は鯖の味噌煮にさえ梅干しだけでなくネギをたっぷり入れて煮させているぜ」

フランス料理だ佐野茂の料亭料理だ、清国の料理だと食べ歩いていながら昔のように町の味が好きだという旦那が、ケンゾーにはとてつもなく嬉しい事だった。 


横浜駅は明後日の22日に鍬入れと決まった、青木町の切り通しもほぼ終わり駅の予定地も青木橋を横浜側に五十間と決まり神奈川駅という名が付けられる事になった。

二十三の鉄道橋は六郷川のみ木トラス、他は木桁橋で架けられる事も決まり品川までは一年で工事が完了できる予定だが八山の切り通しに高輪から先の埋め立てが完了していないのだ。

Steam Locomotiveに客車に荷物車などは七月頃から順次横浜に着く予定だそうで其れまでに線路を神奈川まで引いて試運転を直ぐにでも行う予定だそうだ。 

嘉右衛門から高梨が使いに発って寅吉とケンゾーに呼び出しが来て夜の七字に高島屋へ行くと、益田と高梨の息子の沼間守一が同じように呼ばれていた、守一と徳之進はトワンテ山の赤隊に通った元治二年以来の付き合いだ。

昨年黒田から高島に委託されていた留学女子学生のためのリストを改めてみてくれというのだ。

東京からは築地ホテルで働いている津田の娘で梅子八才、静岡から勝の娘の逸子十二才に益田の妹で養女に出された永井繁子十才などに混じって十人の名前が書き出されていた。

「嘉右衛門さんこのリストにはありませんが正月に出た留学生の山川という青年の妹に確か十一才くらいの子が居りましたよ。其の娘もぜひリストに入れてくれませんか、あの家は優秀な人が多いので其の娘も必ずお役に立つでしょう」

「会津の山川かいいとも調べて見よう、そういえばコタさんはあの家とは付き合いが長いそうだな。仲介はスネルか」

嘉右衛門はそんなことまでつかんでいるようだ、勝先生の娘の名もあったが此れは駄目だなと寅吉は思った「亜米利加へ行っていればジジが話したはずだ、俺が聞いていないという事は何処かで外されたな」心の中で寅吉は思ったがお逸さんの事は口を挟まないことにした。

申請は却下されたことだが益田たちが出した横浜東京間の鉄道申請や高島が出した青森東京間の鉄道事業について盛んに話しが出たし、上水を多摩川から引く話が嘉右衛門を中心に盛んに議論された。

横浜に出店を設けた喜八郎も寅吉の代わりに出資する事で了承済みだ。

「寅吉さんが知っているPruynは面白い人だったが、Harrisは気難しい人だったな。クララ先生は昔老婆だと思ったが今も昔のままに見えるという事はあの当時の俺が子供だったんだな」

などと昔の話を始めた徳之進は背の高さが寅吉と同じ五尺七寸ほどもあり異人たちの中でも見劣りがしなかった、董の事もまだ信吾どころか佐藤桃三郎といっていた頃からの付き合いで同じく39番のHepburn塾でクララに教わっていたのだ。

亜米利加にコロラドで渡り苦労の末帰国した高橋和吉や同じ船で渡った鈴木六之助とは塾へ通った時期が違うが弟の克徳を通じて知り合いだそうだ。

話の中で中山譲治が徳之進の義兄だということに話が及んでガス会社に益田も一枚噛んで、十一日の入札では千百七十灯を示して四百五十灯の差で独逸に勝って日本社中は工場予定地の野毛山下の石炭倉跡の地ならしを開始しだした。

居留地の中ではドイツ側がガス灯の柱を立てる権利を獲得したが其の瓦斯の供給は全て嘉右衛門側に委ねる事になった。

Mr.Punchはどちらの味方をするでもなく両方の自分のほうに申請をするように盛んに宣伝に努める様子を2月号に描くだけにとどめていた。

通商司が町会所に瓦斯灯建設資金五万両を貸付け、其の金は嘉右衛門が借り受けて工事に使う予定だ。

徳之進が中徳社中として境町で始めた英学塾には八人ほどが入学したそうで朝七字から夕六字まで休みを入れても十時間の授業だ、徳之進は其のうち午後の三時間を受け持っていたし、中山も午前と夕の二字間ずつを受け持っていた。

其の中徳社中の広告の載った先月の新聞に載った最近の様々な記事の良否を徳之進が話し始めた。

伝書鳩の話になり「明らかに間違いだぜ、この里というのは日本の里とは違う距離だ。いくらなんでも一字間二百二里なぞ飛べるものか、其れだと馬関まで行ってしまうぜ」

寅吉が受けて「そうだ、英吉利や仏蘭西の本でも此方の里に直せば十五里位だそうだ。風の力に乗って飛んでも三十里が良い所だろう。大方仏蘭西のキロメーターを訳し間違えたのか一日の事さ」

それでも202キロメートルは早いと皆が口を揃えた、どこまでかなという話で「横浜からだと岡崎くらいか船だと百二十里だから少し手前か真っつぐ測ればそのくらいだろう」嘉右衛門がそう計算を出して示した。

「東京までだと二十分もあれば付くか、電報を届けてもらうより早いな」

まさかそう計算どおりは飛ばないだろうと話が収まり又新聞の拾い読みが始まった。

沼間が俺ならこうすると盛んに言うので「守一さんが編集長になったらうるさ型で記事を書くものは苦労するぜ」と寅吉にからかわれていた。

「そう言えばコタさんは蒸気船を買ったそうだな」

「あれは川蒸気の小さな奴だよ。前からのは大分船が傷んだからな、この間修理に出したよ」

「なんだそっちの蒸気船か。俺は大きな外洋船かと思ったぜ」

「よしてくださいよ沼間さん。俺のほうはそんな船を買う余裕などありませんぜ」

「よく言うぜ。前に百万ポンドの鉱山を持っているというのは噂だけだったがそれでも半分の五十万ポンドは英吉利にあるという話だろう」

「噂半分というが其れも嘘ですぜ。Mr. Mac Hornのスミス商会と共同での五十万ポンドですぜ、確かに一時は合計で百万ポンドはありましたが半分売って俺は後十万ポンド分の株券を持っているだけですよ。其れだって此処のところ値動きが無いから何時値が下がるか知れませんや」

ケンゾーは其のマックの妹のMiss,Aureliaたちに資金の提供を受けて最初の商売に乗り出したので、経緯やどのくらいの相場なのかに今も注意が行くので半分売って後は運任せというスミス一族の人たちと旦那はたいした度胸だと思うのだ。

しかしまだ益田に中山たちは残っているが、ガス会社は利益が見込めないと脱落者が相次ぎ嘉右衛門は頭を抱えていたのが実情だ、だが嘉右衛門は其れにもめげず横浜学校の創設の準備も坂戸に命じていた。

「コタさんよ、例のホテルはうちに任せてくれるんだろうな」

「其れはもう決まったよ。後はブリジェンスの設計待だ。高島屋さんで建築してもらうにしても手を抜かずにいい物を建ててくれて、それで儲けが出る程度には支払う予定だ」

「なんだ此方の請求どおりに支払う気はないのか」

「当たり前でしょう。此方は素人集団ではありませんぜ、きちんと計算をして設計書通りなら少しは上乗せしますよ」


後れていた桜も満開になり野毛の大神宮では訪れる人で溢れていた。

山手の桜道は吉野が咲き揃ったが八重やボタンは三分咲きだ、それ以上に訪れる人で溢れていたしリキシャで桜廻りをする人が多く居て翔風舎のHackは車夫の全てが出払うほどの忙しさで嬉しい悲鳴を上げていた。

昨年来の天然痘の流行は収まる様子がなく、神奈川宿にも接種の場所が置かれて横浜から毎日医師が派遣されて近在から来るものに対応した。

種痘接種所には医師への謝礼は断らせていただくとの張り紙が出されていた。

それでも礼に畑で取れた野菜や山芋などを置いてゆくものが多く居て豊かでない医生たちの食卓をふるやかにした。

県庁では川崎宿、厚木宿、戸塚宿、藤沢宿で日を決めて接種を行うと触れがまわり其の派遣される医師の手当てに忙しかった。

クラークさんから召集が掛かり寅吉はケンゾーとショウタローの参加も取り付けて珠街閣へ六字に向かった。

治助と畑蔵も呼ばれて居て緊張の面持ちで席についていて、ビールが配られ焼き豚とハムにフレンチポテトという変わった取り合わせの皿が各人に配られてきた。

クラークさんの話は今回の競馬会で特別レースを組むという話だった。

「5月10日よりの三日間の開催に間違いは無いが毎日レースに参加してよいことになった。二日目に第六レースと第七レースを組んで前日に参加した馬でレースを組むことになった、当日朝十字までの申し込みでよいが資格は前日のレース参加馬が優先される、一レース八頭まで認め成績優秀馬から上位十六頭を振り分けて不足のときは新規登録も12字から先着順に受け付けて認めることになった。三日目は第六レースで二日目に勝ち馬になった七頭のみの特別レースだ。Mr. Nicolas.P.Kingdonが今までの実績を引っさげて申し込んできた。其の意見にTomが賛同して多数決で決まった。後は新馬戦だが申し込みがここに集中したら最終日に一レース特別に組むそうだ、コリャおまけレースということだな。其れと日本産の馬だけのレースに清国からの馬だけのレースも二日目と三日目に組み込まれた」

TomとはThomasThomasのことで競馬会の理事の中では最若手ながら一番の発言力があった。

カーチスもジェラールもそれなら受けてたとうでは無いかと盛んに負けん気を発揮した「ナァ、コタさんよリューセーが此れまで負け知らずだというのを承知で今まで同じレースでモクテズマが走っていないのを良いことに挑戦してきたんだぜ、Mr. LindauのサムライがMr.Leeに替わってから力が落ちたのに勝って実力が付いてきたと勘違いしているんだぜ。後ろにはベンソンが付いているに決まっている。キンドンの親爺め馬のことなら任せろと兵部の役人にも函館大経にも見栄を切っていたそうだ」

函館大経は元の名を小野儀三郎、昨年秋競馬で勝ち鞍を挙げて福岡の黒田公に馬術指南に雇われ、東京で行われた昨秋と今年春の招魂社競馬で兵部の軍人の乗る馬に勝ち続けていたので根岸では誰の馬に乗るかが注目されていた。

招魂社競馬は一回り4ハロンと100ヤードほどの小さな馬場で根岸よりもカーブがきつく乗り手にとってスピードの出しすぎは危険であった。

最近は東京に出かけて招魂社で行われる競馬会での優秀馬の引き抜きや各地の伯楽の売り込み、さらには上海から持ち込んでくるものも多くなっていたがモンゴル馬は永い距離に強いと評判だ。

将軍家にフランスから送られたアラブ馬の系譜は御料牧場に引き取られたがいまだ競馬会へは出てこずリズレーさんの亜米利加から持ち込んだ馬も子供が出てくる気配がなかった。

「クラークさんところで特別レースの距離はどうなりますか」

「オオそうだった、二日目と三日目の特別レースはOneMileFourFurlongだ、フランス式だと2400メーターだそうだ。それで自分で参加したいレースを予め選んで申し込んでよいことになった。初日のなんレースと申し込んで其れが多すぎた場合全て抽選ではなく実績で三頭後は抽選で選ぶことになった、レースは毎日第一レースが新馬戦Halfで行われる。二日目からは特別レース以外は抽選となったが最大十頭までレースに参加できることになった、オレンジの子はチャンス到来だ毎日どれかをHalfに参加させられる。コタさんが言うようにfive Furlongまでなら絶対だというのが此れで実証できればイギリスに帰ったガイに自慢できる」

「ではTwoMileRyuusweを出さずにOneMileに出そう」

二周の競馬は軍馬の参加が多く見込まれモンゴル馬やアラブ馬の独壇場になりそうだった、寅吉は治助と畑蔵にあまりきつめの調教はするなと指示を出して二人に細かな指示を出しだした。

二人は寅吉の指示に解らない所や不満の所も盛んに申し述べて意見の齟齬がないようにメモを取って、二人で見比べながらあれこれと相談を始めた。

愛玉が顔を出して「一段落したようなので料理を出していいですか」と尋ねた。

愛玉は地蔵坂の上にホテルを出すためにインターナショナルホテルをやめて店を手伝っていた。

「アア、頼むよ」クラークさんがそう答えて「ではビールで乾杯をして来月の競馬会の勝利を祈ろう」とカップを差し上げた。

食事をしながらマックが尋ねた「Ryuusweはどこへ出す」「Nippon Champion Plateにしようかと考えても見たが賞金目当てでキンドンやリーが狙ってくるだろうから他にしようぜ」

「賞金は安くとも初日からモクテズマに当てることなぞ無いさ」クラークさんもそういって一同に賛同を求めた、名義人はそれぞれに分かれていてもクラークさんはこの会合に集まった面々の相談役で重要な人であった。

「話が遅れたが秋競馬からは10頭に登録が満たないレースにはレース直前でも参加させられるということになった、一日何度でも出せるということだそうだ。しかし此れだと無理をして馬を走らせることになりよくないことだし、せっかく其処へ参加させたいと思っていて有力馬が居ないと喜ぶ馬主に喧嘩を仕掛けるようなものだ。今年はもう決まってしまったが俺は反対だが皆はどう思う」

「そいつはいけませんぜ。馬のためもありやすが、今のサムライやモクテズマなどがまいレース出てくるなら気の弱い人は走らせる前からまけた気がしてしまうでしょうし参加させる気がなくなると困るのはクラブのほうですぜ」

「そうだな俺も反対だ。大体キンドンは馬をただの道具としか捉えていない。人間としては良い奴だが調子に乗りすぎると人のおだてを鵜呑みにしすぎるようだ、本来一開催一参加が本当だ。今回は毎日参加というので何頭かを挑戦させるというのはいいがね」

「俺もマックに賛成だ。できれば毎日の連闘も辞めさせたいくらいだが今年だけは避けられないというのが本音でもあり意地でもある」

「そうだカーチスの言うとおりだ避けられないということでの参加は仕方ないしかしいくら強くて稼げる馬でも其の馬が一日何度も走るのでは見に来るものの興味さえ失う危険がある。いくらジャーマンクラブやブリティッシュクラブの会員でも最後には見放されてしまう」

「今はキンドンにベンソン、それにストラチャンやトーマスがついて其の後押しがパークス公使だからな、アーネストもハリー卿にはあまり強いことなどいえんだろう」

「レイモンは人情家だし馬も詳しいのに其の意見が通らないのは俺たちに力がないからだ。まったく申し訳ない」

Mr.Van Buffet Goone仕方ないのだよ、Yokohama Race Clubは寄り合い所帯だしな。ところでコタさんのほうは見物の出店はどうなっている」

「俺のほうはお怜さんのほうで仕切るのが二十軒、組合が出来て其方へ申し出たのが四十軒ほどでどうやら今年は六十軒を越える様子です」

「ホオそいつはすごいな。大分人気も出てきたのにクラブが水を差すことをやっては申し訳ないな」




長崎から可笑しな話が寅吉の元に伝わってきた。

大浦屋のお慶さんが絡んだ話でタバコの買い付けと売り込みの保証人になったが相手に逃げられたという話だ、三千両の保証はしても全てが大浦屋に被ることは無いだろうというのが横浜すずめの噂だ。

寅吉はわざわざ人を出して「力になれる事が有れば遠慮なく相談してくれ」と手紙のほかにも口頭で伝えさせた。

ケンゾーが聞いた話ではオルトが買い受け人で仲介は熊本の遠山一也という人物であったが詳細は横浜には伝わってこなかった。

「オルトがらみか、山城屋が裏にいそうなきな臭い話だな」

「そのようです。旦那また山城屋とオルトだという事は例のお公家様も一口絡んでいるのでしょうか」

「其れにしては額が小さいな。保証金が三千両だそうだが違約金は半分取られてしまうとなると合計で四千五百両か今のお慶様には少しきつい話だが、此方から勝手に金を出すというのも可笑しな話だからな」

心配そうな旦那にケンゾーは「いざとなったら私が使者に長崎へ行きましょうか」

「いや、其れまでしなくともいいだろう。やせてもかれても大浦屋だ、そんな金で左前になる事も無いだろう」

ケンゾーは不安だった、旦那は昔の長崎を知ってはいるが今の長崎はグラバーを見るまでも無く昔日の勢いは無かった。

造船所に炭鉱は勢いがあるが輸出入は戊辰の戦役以後振るわないのだ。

横浜でも栄枯盛衰は目まぐるしく神戸に渡ったフライさんは病気で商売を止めたそうだし、相棒だったクックは一時キャメロン&クックの造船所を115番で開いたが今は単独経営になった、しかしヨットの製作は一流だが蒸気船の製作はいまいちであった。

二人が話し合っていた横浜物産会社の事務室へ羽織袴の体格の良い人がずいと入ってきた。

「オヤ、山川様では有りませんか、お久しぶりで御座います」

「久しぶりじゃのう。久しく借銭も払わずに捨て置いて済まんな」

「よろしいですよ支払いは後へ繰り越せば済むことです」

「我が斗南ではほんに金が無い、藩士も窮乏しておるに東京へ公用で出るにも金の工面に苦労じゃ。廃藩置県との話も有るが、我が藩の行く末が心配じゃよ。それについて何か情報があれば教えて呉れまいか」

「伊藤さんも陸奥さんも今頃は亜米利加で詳しくはわかりませんがどうやら斗南は弘前に統合されそうです。知藩事は身分が改められて東京へ集めて住まうことに為りそうです」

寅吉はうろ覚えながら学校で習った中の記憶をたどってそう答えた。

「斗南だけでは成り立たんから併せるのも良いかもしれん、それでは容大様も東京へ出ることになるのか」

「其れより容保様、喜徳様が紀州より船で横浜へ来られるのですか。廃藩置県を機に謹慎が解かれるかもしれませんね」

「矢張り知っておったか、ではお二方が和歌山から斗南へお預け替えとなるのはその布石か、小参事の永岡久茂を東京へ常駐させて情報を集めることにいたそう」

其れがよう御座いますと答えてケンゾーを紹介してお近づきを願えと挨拶をさせた。

「其れはそうと黒田様が亜米利加からお帰りになると開拓使の第二次留学生の募集が行われそうで御座います。今度は女の子を集めて亜米利加の家庭に預けて教育を受けさせるそうで御座います」

「おなごか、難しそうだな手放す親が居るかな」

「其れですが高島屋が幾人かリストアップして黒田様に示すそうですが。山川様の妹ごは留学させる気は御座いませんか」

「妹といっても操は許婚もおるし、咲子はまだ12だぞ」

「其の咲子さんですよ、出来れば十才から十五才位の娘を募集するようで御座いますよ」

難しい顔をして考えていたが「健次郎も向こうに居るしいいかも知れんな、当人とも話して母の承認が得られれば応募させよう」とうなずいた。

「何事も黒田様が帰られてからですが開拓使ではそのほかにも多くの留学生を送るほかに学校も開くそうで御座います」

「我が藩でも乏しい金を使いながら藩の学校を開いたし自費で横浜に出てきているものも多い」

横浜修文館のSamuel Robbins Brown先生の噂や奥羽からの人たちが大勢横浜に居ることなども話題になった。

大きな藩から選抜された者や政府からの留学生もこの横浜から大勢渡航して行った。


朝五字には陽が昇りだして今日は待に待った競馬会初日だ、居留地では朝から花火が上がり盛装した紳士淑女は馬車や自分の馬で続々と根岸へ向かった。

第一レースのHalfではErnest Satowyuzuが頭を取り東京から出てきたサトウを喜ばせたが第二レースのTwoMileでドラゴンは又も2着に甘んじた。

第三レースはNippon Champion Plateでモクテズマはサムライを破り1着と為った。

キンドンはもう有頂天で近くに居るものに「明日も頂だ」と盛んに吹聴してははしゃぎまくっていた。

第四レースのRyuusweは向かう所敵無しでOneMileに参加してきた強敵を難なく負かした。


この日の第一レースではカーチスのLimeに第二レースでのヤールのMagicTailと勝ち鞍を挙げ、第三レースではコロジオン伯爵の持ち馬ThorがコープランドのTiwを破って兄弟対決に勝ちを収めた。

第四レースでMr.クラークのHydeが馬群から抜け出せず三着に終わった。

この日の注目はMr.ThomasWiil O'the Whispがでた第五レースだTwoMileレースの二周目に入ると鮮やかに馬群を抜け出して残りOneMileを独走した。

Mr.ブキャナンのMarxはヤールが乗ったがはるかに遅れての二着だった。

函館大経はパークス公使に請われて福岡の黒田公から借り出され、ストラチャン&トーマスのThomas名義のSingerの登録名Wiil O'the Whispに乗ることにしたのだ。 

ケンゾーはウィリーと共に英一のサロンとも言うべきテントで領事館の医者のMr.Wheelerとコーヒーを楽しんでいたがベアトにワーグマンが来て明日の最終レースへThorを出すが賭けに応じないかと申し込んできた。

「どういう賭けにするんだい」ウィリーが興味深げに聞いてみた。

「俺の馬にそっちが選んだ馬との五分五分の賭けだよ」

「どの馬でもいいのですか」

「勿論といいたいが、リューセーとモクテズマは駄目だぜ」

「両方ともこれからですよ。明日出られるかどうかも分からないじゃないですか、今走ったトーマス・トーマスのWiil O'the Whispでどうです」

「ウ〜ン、あいつか仕方ない良いだろう」

「では10ドルでいかがですか」

「ウィリーも案外閉まりやだな、Mr.ケンも同じだけ賭けないか」

「いいですよ。では此処に20ドルありますが誰に預けますか」

「俺が預かろう、Mr.ベアトも持ち合わせがあるなら預かっておくよ」

Mr.Wheelerが双方に申し出て預かってくれた、Bookmakerと違いウィラーなら後で勝ったほうが一杯おごれば済むだろう。

ベアトたちが他へ賭けを申し出に出て行ったあとで「なぁ、ウィリー今度東京の競馬会でいい馬が居たら買い取って来年、いや秋には俺も参加させようと思う。根岸牧場に預けるとRyuusweと同じレースに参加できないといけないので何処かいいところに心当たりは無いか」

Mr.Wheelerがケンゾーに聞いてきたので飛松の処を紹介することにした。

「銀閣の飛松というのが石川村の横浜物産会社の牧場の近くに大きな牧場を持って居りますからあそこならMr.Wheelerの家から車橋へ降りて川沿いに500ヤードほど南へ上って玉泉寺の手前です」

「其の牧場を見に行きたいが付き合ってくれるかね」

「よろしいですよ、最後のレースが終わったら帰りがけに寄りましょう」

「頼んだよ」

第六レースがLadies Purseまたもモクテズマはサムライを破った。

はしゃいでいるキンドンの声がケンゾーたちのところまで聞こえてきた。

第七レースのRyuusweは簡単に馬群を抜け出して頭を取った。

函館大経が出たということでモクテズマに乗ったMr.Bohunが張り切りすぎて日本人の騎乗した馬に一着二着を取らせてなるものかと闘志を燃やしてしゃにむに突っ込むかもしれないと寅吉が心配してマックに相談した。

Singer事ウィルオウィスプの走りっぷりを見て寅吉が無理な勝負を避けることを全員に通達したのだ、勿論賭けをするのも控えめにすようにしたほうが良いと申し添えてだ。

畑蔵や小吉はベストを尽くしたいと直談判したが「無理な飛び出しや競りかけをしない程度の事で、勝負を捨てろということじゃないぜ。Ryuusweの持ち味は十分発揮しなければ馬券を買った人に申し訳ないからな、ただあの馬とだけの勝負なら問題ないが必ずモクテズマは無理にでも勝負をするだろうから馬が故障しないように気を置いてくれ」

牧場まで附いて行った面々は明日の競馬は遊びのつもりで楽しもうとそれぞれの家へ帰っていったが、寅吉とマックは部屋と女たちの予約を取りに新吉原まで出向いて富士見楼のやりてのキミに頼んでお職の白妙の約束を取り付けた「旦那異人さんのお約束ですか」「いやそうではない根岸牧場の牧童たちだよ、昼夜の約束で夕刻から深夜まで外国人料金の買いきりでいいよ。付き合いたい奴がくるかも知れねえからな。何お部屋入りまでは太夫の方で初会はしないだろうから早めに顔を引っ込めていいよ。小藤に花蝶其れとかなめは押さえておいてくれよ。後は芸達者なものにお茶を引いている奴を集めておいてくれ。大将は家の牧場の治助で附いてくるのは小吉と準之助、其れと畑蔵のほかに十五人がついてくるからすべてで十九人だ。俺は来ないからよろしく頼むぜ取りあえず此処に三十両あるから後は店に請求してくれ」

「まぁ、虎屋の旦那さま此れじゃ多いくらいで御座いますよ。何も異人さんの料金をいただくほどの事もありません。万事はこのキミにお任せくださいませ」

「まぁ、遠慮せずにふんだくっていいよ。其れよりお前さんと相棒のか弥に別に包むから受け取ってくれ」

寅吉はそういって二分金を六枚出して目の前で二つに分けて懐紙にくるんで二つともキミに預けた。

「まぁ、何時もすみませんね。このキミが全て受けあいました。明後日という事は競馬の会の後の日でござんすね、二十四日でよござんすね」

「そうだよ。ドンタクの前の日だ」

其処へ出てきたか弥へ「おか弥さんよ、今寅吉の旦那から頂いたお捻りだ一つはお前さんの分だよ」盆の上の二分金二十五両の封金と小判で五両に二つのお捻りを見せて一つを渡した。

寅吉が店を後にすると、今聞いた話を寸分たがわずか弥に伝えてから後を任せて内所へ金を持ってはいった。

マックと寅吉は馬のまま吉田橋を渡り多満喜へ入って夕食をとることにした。

「ナァコタさんよ、何でWiil O'the Whispに勝てないと読んだ」

「いや、あの馬なら畑蔵に経験が上乗せされてくればまけることなぞ無いさ。しかしキンドンと騎手のブーンが最終コーナーで無理をしても割り込んでくる気がしたのさ。其れと三日目とも為ると末足が伸びないだろう、同じ事はモクテズマも今日TwoMileを走ったWiil O’the Whispも同じさ、Ryuusweにはあと三年は走ってもらいたいので今年はあいつらに飴をしゃぶらせるのさ」

「そうか春に負ければ秋が有利だな」

「そういうことさ」


競馬会最終日第一レースのVan Buffet GooneAlfred GerardLemonが難なく勝ってこの日も根岸牧場の優勢が続くかと思われた。

しかし最終レースに出てきたWiil O'the Whispが向こう正面からのスタ−トからレースの主導権を握りスタンド前を二馬身差で駆け抜けていき一コーナーの下りを上手く回り込んで二コーナーの登り出口で五馬身前に出て向こう正面の残りFour Furlongで追い付いたRyuusweとならび二頭の争いとなったところへMoctezumaが後を二馬身差で追いかけて他の馬を三頭が引き離した。

ヤールのMagicTailにコロジオン伯爵のThorなども懸命に追いかけるが10馬身の差がついて馬もやる気がうせたかのように其の差が縮まらないまま三コーナーを廻って先頭のWiil O’the Whispが四コーナーに差し掛かり、間に割り込むように入って来たMoctezumaに大外に振られたRyuusweが体勢を建て直したものの附いた差を挽回できずWiil O'the Whispが頭を取りMoctezumaが首差で二着さらに半馬身離れてRyuusweは三着と為った。

最終レースでRyuusweが負けたのに根岸牧場の打ち上げ会は盛大だった。

「まったく地獄の火を手に入れ奴にはかなわんよ。本当に赤い汗を掻いているように思えたぜ」

汗血馬の血を引くとの噂のUncle NedPardaloteの交配で生まれたこの栗毛の馬は満五歳の今年がデビューで鮮やかな勝ちっぷりを示したのだ。

「本当にコタさんが昨日見て賭けには乗るな、あいつには勝てないかもしれない。万が一勝てるとしたら集団のまま最終コーナーへ入る以外は無理だと言ったとおりになったな。矢張り実力が出るTwoMileなら二頭で争う状態のレースができる」

「其れもそうだがモクテズマめあんな所へ割り込んできやがって、あれが無ければ勝ち目もあったのによ」

「マァそういうな、直線があと一ハロン長ければ勝てたかもしれないが其れがレースだ。Ryuusweが負けたというので喜ぶ奴も居て秋の賭けは楽に成立するさ」

マックが集まった牧場関係者を慰めるように言って秋競馬への期待へ話を振っていた。

例によって寅吉が皆に賞金と配当の分配を行い一番少ない牧童見習いの真吉でも20ドルが与えられた。

マック他の面々はそれぞれの賭けや賞金で懐は暖かく牧童たちへの配当への上乗せをしてくれたおかげだ。

Ryuusweの初敗北だというのに本当にガッカリしているのは畑蔵とSophiaの二人だった「そうガッカリするな大経は各地の草競馬で鍛えられているんだ、畑蔵も草競馬の乱暴な騎乗に慣れればあれくらいは楽にこなせるさ。まだまだ後ろを見る目が無かったということでいい勉強さ。ガイに教わったことを参考に自分なりの騎乗方法を身につけることさ」

「クラークさんが言うとおりだ根岸では数が少ない騎乗でまだまだ経験不足なのさ。明日はコタさんが招待での遊びだから畑蔵も其れで今日の事など忘れられるさ」

「そういうことだ俺たちはこれで打ち上げ会にいくが牧場関係は明日留守番を頼むから打ち上げには全員出るのだぜ。馬が心配だというのは言い訳にゃならんぜ、ガンキたちが与助と留守番に来てくれるんだ」

Sophiaはまだ一人むくれて皮バケツを蹴飛ばしていたがメアリーとハンナになだめられて大人しく馬車に乗った。

寅吉たちは明日の打ち合わせをきちんとしてから馬や馬車に分乗して長者町まで向かった、安部川では支度が出来ていて女性は既に集まっていて寅吉たちがつくと直ぐに料理が運ばれてきた。

「此処も店が出来た頃と違ってにぎやかに為ってきたな。石置き場が近くにあったときとは大違いだ」

「そうですわ。町の名前も何度も変わって今度は橋と同じ長者町でしょ。分かりやすいからいいけど関内はもう頭の中がぐちゃぐちゃよ」

「新道に新地に代地でしょ。ほんとに何度変われば気が済むのかしら」

「今度又知事でも入れ替われば直ぐにも名前を変えるかもしれないぜ」

「まるで地図屋と組んで売れ行きを伸ばすのが目的みたいよね。あの写真屋の蓮杖や蒸気船屋が又儲ける事になるのかしら」

蓮杖事下岡久之助や吟香事小林屋銀治は新しい地図や細見等を出しては懐を豊かにしていたのだ。

「ケンはベアトと賭けをして儲けたそうね」

ハンナがいきなり話を振って来た。

「儲けたといっても10ドルだけですよ。僕とウィリーがそれぞれ10ドルずつ伯爵から巻き上げたんですよ」

「なんだそれだけだったの。Earl collodionが100ドルふいにしたと騒いでいたわよ」

「それなら僕たちのほかにも賭けを持ちかけて負けたんでしょう、モクテズマとRyuuswe以外なら受けて立つといっていましたがヤールのMagicTailにも負けたから勝てたのは相手がChipsBigJohnに賭けた場合だけですから」

「ヤールはかけたのかい」

「ええ、20ドルでどうだというので受けました。キンドンは盛んにモクテズマと勝負しろと迫っていましたが逃げられてガッカリしていましたよ」

Earl collodionは二日目に稼いだ賞金を最終レースの賭けで全てなくしてしまった様だ。

其のベアトはアメリカ海軍に同行して朝鮮に遠征のため明後日には上海から戻ってくるコロラドで江華島へ向かう予定だそうだ。

北京駐在アメリカ公使Lowがコロラドに上海から乗船していったん横浜で合流して装備を改めてグレゴリオ暦5月20日には横浜を出帆の予定だ。

Rodgers提督率いる五隻の軍艦とコロラドに乗る海兵隊に役人たちで横浜は賑わっていた、競馬の賭けに勝って街で大騒ぎしては下士官に捕まる水兵も彼方此方で見られた、

慶応二年の秋アメリカの商船シャーマン将軍号が通商を求めて平壌の近くまで入ったが、断交の上焼き討ちされた事件の解明のためと朝鮮開国のための交渉のための派遣だ。



亜米利加へ市場視察に出かけていた増田嘉兵衛、吉田幸兵衛、鈴木保兵衛、橋本竹蔵の一行は伊藤達と共にグレゴリオ暦の4月中に滞在地のNew YorkからSan Franciscoへ向かうとの連絡が入って来た、来月のジャパン号で帰浜するということになりそうだ。

生糸他の輸出は相変わらず低調で売り込み商は振るわなかった。

明治元年以来減り続けた生糸輸出高はついに半額に暴落した、昨年蚕種紙一枚一両三分二朱ほどだったのに今年は三分三朱がやっとだ。

それでも生糸各種は七割五分程度の安値ではあったが回復基調に乗ってきて、横浜物産会社はいち早く製品の輸出に切り替えるべく各地の取引業者に羽二重の量産を勧めていた。

一月からの三月で僅か五十万枚、四十七万両しかない種紙取引のうちプロシャの商人サイドが10万余両分の蚕種紙を搾取した挙句、フランス船にて逃亡を図った。

北ドイツ連邦のライス領事の要請で追跡船がフランス郵船の協力で仕立てられたが香港では取り逃がしたがシンガポールへ電報が打たれて其処で取り押さえることになったそうだ、両国の雪解けも間近と横浜は其の協力に安堵の吐息が漏れてきた。

サイドが搾取した相手は日本の商人だけでなく伊太利亜、仏蘭西、瑞西の各国の商館も含まれていたのだ。

新任の総領事代理のE・ザッペ氏は怒り心頭に発していた、かれの資金提供を受けていた商社も5000ドルの損害を受けていたのだ。

同じようにフランス領事のオスカル・コロー氏も相当な痛手を受けたと噂が広まっていた。

街は大神宮の祭りが近づき少し浮ついた気分が広まっていた。

昨年と違い寒い日が続いていたが漸くと汗ばむ日差しが降り注ぎだした。

先月の25日グレゴリオ暦5月14日にコロラド号が入港して上海経由で横浜へ到着したのはヘボン先生の息子のSamuel Debit Hepburn、廈門で生まれヘボン先生の日本への伝道の為にアメリカで預けられていた彼も今年26才で夫人を伴っての来浜であった。

亜米利加で流行っているベースボールの道具を二チーム分携えてきた、養父の商売の手助けと自分の趣味をも兼ねているようだ。

横浜にはクリケットチームは六チームもありスワンプの埋立地には公園が出来るまでの仮のクリケット場もあったがベースボールチームは無く横浜物産会社や丸高屋の若者がボール遊び程度でしか行っていなかった。

早速居留地では亜米利加領事館を中心に早速チームを組んで太田屋新田の埋立地のクリケット場で体力造りをかねての練習が始まった。

シェパード領事は自ら出向いてはバットの振り方や投球の仕方など指導に当たった。

何でも屋イートンも勿論参加してきた、彼は彼方此方と勤めては休みには小旅行に出かけ其のときの一つ話に「旅券を渡して手続きに時間が掛かるのが面倒なので、ジョン、レザム、オウエン、イートンとカタカナで書かれた自分の書類を出して此れは四人分の旅券で右からジョンさん、レザムさん、オウエンさんそして私がイートンです」といったら「はあそうですか」と通してくれた。

そんなお惚け見もあるかれは今ヘクトさんの薦めも有りコープランドの下で働いていた。

運動会を兼ねて行われる陸上競技と共に此処横浜ではレガッタにヨットレースも年々盛んになってきて定員25名限定のYokohama Rowing Clubはジョージ・ウイットフィールドが率い、人数制限のために其処に入れない人の作ったJapan Rowing Clubの二つのクラブがあった上に新たなClub結成の動きもあった。

今年レーン・クロホードに雇われたアラン・オーストンやJ・エフォード船長は漕艇の名手と評判が高かったし、クック船長はヨット作りの評判が高く其の操作にも定評があった。
二つの会をまたぐレガッタ委員会による競技会は年に何回も開催されていたしまだ艇数は少ないがヨットのレースも同時に開催されていた。


横浜幻想 ー 高島町 了 2007 06 10

 横浜も欧州の戦争による貿易不振、特に種紙の輸出にかげりが出ています。
売り込み商の詐欺(種紙の欺瞞)買い取り商の詐欺(代金不払い)が数多く出始め未解決の事件が多く出始めました。
其の中で居留民は競馬にスポーツにと遊びも盛んになっていきます。
ホテルの変遷も多くなり下宿程度の宿泊所も多くなり其処にたむろする下級船員による暴力沙汰が日常的に増えていき居留地取締の仕事は増える一方でした。
この前後高島嘉右衛門による新規事業は枚挙に暇がないほど増えてゆくのでした。
  阿井一矢
幻想明治 第一部 
其の一 洋館

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

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 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
   横浜真景一覧図絵
明治2471891
 


カズパパの測定日記