酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第九部-1 弁天 5

・磨墨・だんぶくろ・ティン・リジー・ヨシノ・日時計

 根岸和津矢(阿井一矢)

        

慶応31111867215日 金曜日 

弁天 − 磨墨

N・P・kingdonキングドンこと通称キンドンさんがヘクト(ヘフト)さん達やガワーさん達と新しい消火用のポンプを居留地消防隊で導入するという話を競馬場で聞いた虎吉は同じものを一台自分にも買わせて欲しいと申し入れました。

ヘクトさんは息子が今日の第一レースにショーターに乗って出るというので興奮気味でした。

ラッパリーもこのレースに出るので虎吉はどちらを応援したらよいのか悩むのでした。

なぜかそんなときに母と横濱座で見た芝居を思い出しました。

確か椿姫の翻訳物と白蓮紅蓮という話でした。

筋をほかの芝居や映画とごちゃ混ぜに覚えているらしく、虎吉には正確な話を思い出せませんが、あの頃の母は芝居や映画館から帰っても、父やジジに興奮して内容を話していました。

母は歌舞伎よりも芝居に映画とよく見に行くのでした、幸がまだ小さく連れて行けないときでも、梅に預けて寅太郎を連れて出かけました。

幸は梅があやしていれば母が半日出かけていても辛抱して泣くことはありませんでした。

山手から伊勢佐木町に朝、梅が懐に抱いて母が運転する車に乗り、氷川商会の二階で夕方帰るときまで梅が付いていたせいかも知れません。

顔見知りのほとんどの人が出てきたかと思えるほど大勢の人が根岸に集まってきました。

公使館、領事館の人たちも最低限の人員を残して出てきたかと思うくらい顔ぶれがそろっています。

十一時に最初のレースが行われることが通知されていたのに、九時には観覧席がもういっぱいになるほどの盛況でした。

席は日本人には割り当てられませんでしたが、それでもお役人には何枚か割り当てたのか髷がちらほらと見えるのでした。

馬見所に陣取っていた寅吉の元には何人も馬の調子はどうだと聞きに来る人が多く、個人で賭けをしている様子が伺えるのでした。

景品つきの馬券がクラブで発行され売り上げの中から時計やドレスの景品を出すそうです、勝ち馬には50ドルの賞金が出ますが其れよりも今日の勝利の名誉が欲しい人が多いようでございます。

ガイはいくら体重を減らそうとしてもどうにもならず、やけくそだと本人も妹のエイダまでも虎吉に耳打ちいたします。

ガワーさんの馬もこのレースに出るので盛んに騎手に声援を送っています。

「ミスターコタ、おれの馬はどうだい、いい調子じゃねえか」

「そう見えますね、毛艶もいいし申し分ないですが興奮しすぎてますよ」

「ばれたか、今朝コーヒーを甘くして飲ませてみたんだが少しやりすぎたかもしれないな」

この当時横浜では興奮剤の投与に規制などありませんでした、でもこの馬場で興奮しすぎた馬がカーブを曲がりきれないのを調教しているときに何度も見ています。

ガイはカーブの前で外から中に上手く切り込ませるように指導していました。最後の直線の距離が短いので要注意だと何度も乗り手に教えています。

「ラッパリーも調子がよさそうだな、だいぶ訓練したな、俺の馬と一騎打ちになるかも知れねえな、あのヘクトさんの息子が乗る馬は華奢すぎて勝負になるまい」

30分前に馬場に入った馬たちを観覧席で見るためにほとんどの人がいなくなりました。

「コタさんは行かないのかよ、席はあったんだろうに」

「アア2枚有ったけど、抽選にもれてしまったキンドンの親父とヤング中尉にあげたよ」

「どこで見るのですか、あちこち人で溢れて近くには寄れませんよ」

「ほら其処の高くなった場所があるだろ、あそこに屋台があるだろう上が俺の特等席さ、あそこからだと最後のカーブからゴールのところが良く見えるのさ」

「でもあそこはゴール地点と反対で見えませんぜ」

「一緒に来るかい、全部で四、五人しか上がれないが、留さんの分はあいているよ」

「ではご一緒しましょうか、わたしが面倒を見た馬も走ることだし」

甘酒やお茶のサービスを二人でしている小屋の上に二人で上がると、先客の大鳥様が「いいとこだぜ、これなら全部見れるぜ、お前もいいとこに目をつけたもんだ」

「これはこれは、大鳥様も今日は調練がお休みなのでしょうか」

「教官もあそこの席が手に入ったので今日ばかりはこっちが優先だとよ、留太郎さんよお前さんもこいつで見ると良く見えるぜ」

寅吉が用意しておいた双眼鏡を大鳥様から手渡され、観覧席や発走前の馬を眺めています。

本馬場の形は楕円形で周囲827間(約1503m外周約1768m)これは中心でOnemile(約1609メートル)に相当するという話ですので、レースはすべて一回りで行われます、今日の三レースと2週間後の三レース、これは今回の2着までに入った馬は優先的に出場できます。

観覧席から反時計回りにスタートしてすぐ下り坂になり、坂を登ると直線となり其処からは平坦のカーブがあって観覧席の前がゴールとなります。

審判は抽選で3名が選ばれ審判長は互選でW・H・スミスさんが選ばれました。

後の二人はストインズさんとフリーマンさんです。

審判長が大きな旗を振るとロープが渡されて馬がその後ろまで下げられました。

「1分前」

大きな声が響き渡り固唾を呑んで旗が振り下ろされるのを待ちます「10秒前」その声で騎手も馬も興奮して前に出ようとしますがロープがあるため前に出ることは出来ません、ガイとヘクト青年は少し後ろに下がり旗が振り下ろされるのとロープが揚がるのが同時でした。

一頭が慌ててロープに騎手が引っかかりそうになり大きな「アーッ」と言う声が響きましたが、馬に振り落とされることなくスタートしてゆきました。 

ガワーさんのキャプテンが坂を威勢良く下り先頭で上りに懸かりました、向こう正面でラッパリーとショーターはキャプテンから三馬身離されて二着を争っています。

直線の終わりでラッパリーは遅れだして後ろから来た馬と位置取りで争っていますがキャプテンが距離の近い内から最後のカーブに入ったのに比べショーターは大外からゴール目指して中に切れ込んできました。

二頭の争いになり最後の直線ワンハロン(一マイルの八分の一)のところで首の差でショーターが出ています、馬は間を大きく開いて走っているところにラッパリーとコップさんのラッキーが割り込んできました。

ラッキーが首差で前に出たところで後50メートルショーターが猛然トラストスパートして半馬身差で勝ちました。

二着はキャプテンが指し返し、三着がラッキー、ラッパリーはラッキーと首差で負けて四着でした。

抜きつ抜かれつの争いは大勢のもが興奮して馬が観覧席の前に帰ってきても興奮した人々の歓声はやみませんでした。

次のレースは十二時30分発走なのですが馬見所に行く人はあまり出ず、盛んにヘクト君に声援を送っています。

観覧席の前から待機所に帰るショーターに飛びつくようにハンナが駆け寄り馬と一緒に観覧席の脇を通るときには盛大に「ブラボーショーター、ブラボーヤール」と何度も声がかかり見えなくなるまで続きました。

ヤールとはヤーヘルト・ヘクト君のあだ名だそうで同年代の者は彼をそう呼んでいます。

「コタさんよ、一周どのくらいだった」

two minuteeleven secondです」

「よく計っておられましたね、わたしなど走る前から興奮して時間を計る等思いつきもしませんでしたよ」

「こういうのが好きなものですから」

虎吉はそういいながら着順とタイムを書き込むのでした。

「惜しかったですね、ラッキーにあと少しのところでラッパリーは負けましたがいい勝負でした」

「そうですね、キャプテンがもう少し柵によって走ってくれていればラッキーにも勝ち目があったように思います」

「そうだ、あそこで前に出たラッキーにあわせてキャプテンが寄ってきた分、馬が嫌がってラッパリーのほうへ体を寄せた分だけ負けたように見えたぜ」

「さすが大鳥様良く見ておられます、ショーターが離れていた分影響を受けずにすんで最後の伸びがあったように見えました」

「しかしいい勝負だった、次のレースまで下で何か食うか」

「いいですね甘酒におでんが煮えていますよ、昨日長崎から天麩羅が届きましたので特別に入れさせましたから美味いですよ」

「エッ、天麩羅ですか、鍋に入れたら衣が溶けませんか」

「ハハハ、長崎や薩摩の天麩羅はこっちで言う練り物を油で揚げたやつさ、俗に言うさつま揚げだよ」

「なんだそうですか、驚きましたよ」

甘酒は遠慮してビールとおでんを食べているうちに「10分前」と言う声が聞こえ慌てて上に上がりました。

したから「コタさんよ俺も上げてくれ」と言う声がしますので覗くと嘉兵衛さんでした。

はしごを下ろして上がらせるとまたはしごを引き上げておきました。

「だいぶ見晴らしがいいとこだなぁ、大鳥様もいいところに目をつけましたね」

「お前さん、ここにコタさんがいるのをどこで聞いてきたんだよ、馬鹿に鼻が利くじゃねえか」

「いえね馬見所でウロウロしていましたら、千代さんに出会いまして旦那がいねえじゃねえかと聞くと、あそこの屋台の上で見物していますからここまで来るのが億劫になったんでしょうなど言うので来て見たんですよ、オレンジが出るのに馬見所で見ないのは自信がないのかい」

「あの馬は南部馬だがいい馬で速いことは請合うぜ、なあ留さんよ」

先ほどの他人行儀名呼び方と違い仲間内のようにお酒を飲んだ気安さか、これが歩兵頭とは思えぬほど気さくな大鳥様でございます。

「ハイ大鳥様の言うとおり、今日の馬の中では飛び切りでございますよ、あとはミスターホーンがどのように乗りこなすかだけでございましょう、でも烈風をどうして参加させませんでした」

「あれは次の競馬会に出す予定ですよ」

「そうですか、わたしが預かっているラッキーをもう一度登録してみますが希望者が多いとはねられるかもしれませんね」

「1分前」

慌てて皆で双眼鏡を覗き込みました、新しいものが好きな嘉兵衛さんもどこからか調達したか遠眼鏡とも言うか単眼の物で見ていますが「よくわからんな」というので予備の八倍のツァイスを渡しました。

「オオこれは良く見える」「10秒前」

今度はみな慎重にロープから離れて待っていて旗が振りおらされてもあせって飛び出すことはありませんでした。

なんということかマックはオレンジを盛んにあおって単独で坂を駆け下り駆け上がってきました、後続の馬があせって追いかけますが虎吉たちの前を通過したときには十馬身くらいも離して独走しています、コーナーに入るときでもまだ八馬身以上は楽にあるように見えました。

コーナーを抜ける頃にはあとの馬も団子状態で追いかけてきますが、四頭が競っているのでなかなか抜け出せないでいるうちに後one furlong、後続から一頭が抜け出しましたが後50メートルのところで失速してオレンジは四馬身以上の大差でゴールに飛び込みました。

「ヒェーツ、なんて馬だあんなに強いなんて想像もしなかったぜ」

two minutethree secondです」

「驚きましたよ、今朝マックが任せておけよ、相手の馬や乗り手の癖は良く知ってるんだ、秘策があるなんていってましたがあんなに先に出るなんて勇気があるなぁ」

「本当ですよね、あれなら戦場で抜け駆けした馬の子孫だというのも信じられる話ですね」

「なんだなんだ、あいつはそんな馬の血を引いているのかよ」

「本当かうそか磨墨の血を引いていますというのが売り込み文句でしたよ、だけど南部馬と言うよりも韃靼の馬そのままに見えますけどね」

「そりゃ蒙古の馬ということかい」

「シベリヤだそうですが元は同じじゃないでしょうかね、磨墨はだいぶ大きな馬だったそうですが、オレンジは普通の南部馬より大きいですから先祖がえりをしたんではないでしょうか」

「そうだよな、調練に使う馬よりサラブレッドに近いかも知れんな、尾張で飼っている馬や将軍家の牧場の馬に引けをとらない大きさだ」

マックは大得意で観客に投げキッスまで送って引き上げていきました、先ほどのショーターに勝るとも劣らぬ歓声が響きました。

下に降りてまたビールとおでんで時間が来るまで話を続け「10分前」の声で上に登りました。

今度はドラゴンに乗るアーネストが出番ですが、ここには審判長のスミスさんほか三人の共同の馬のアポロが出ています、そして最大の脅威といわれるフランク・ホールさんのバイキングが出ています。

「1分前」

もう興奮は極限に近ずき「10秒前」では声援で時間を知らせる声が聞こえたかと思うほどでした。

アポロが飛び出し一列で坂を下り登ってきました、前のふたレースと違い一列のままコーナーに差し掛かるとたまらなくなったアーネストのドラゴンが飛び出しました。

続いてバイキング脇にアポロが並び後one furlongのところで後続場の中から鹿毛の馬が飛び出しました。

「あれはジュピターだ」

そのままあっという間にほかの馬を引き離しゴールを駆け抜けました。

アポロ、バイキング、ブラックと続き最後はドラゴンでした。

「あれほど最後のコーナーを曲がり切るまでは前に出るなといわれていたのに、仕方ねえなぁ」

「そんな作戦でしたか、覚えておきましょう、今度使わせていただきますよ」

留さんはその様に心積もりをしたようでございます。

two minuteseven secondです」

「いい時間じゃねえか遅く見えたが最後の足が利いたようだな」

「そうですね逃げをうつより追い込んだ馬が強かったようですね」

馬が待機所に下がると馬場には楽隊が出て演奏して歩きました。表彰式が行われる前に、籤の抽選が行われ、一等の馬を当てた中から三人に金時計が送られました。

同じく三着のドレスの仕立券が送られ、そのほか10人の人に福袋が渡されました。

Onefurlongの距離を競争する人たちを声援する声も大きく響き、砂で足をとられる人には大きな声で笑い転げたり賑やかに時間がたちました。

三頭の馬と騎手、それに馬主が呼び出され金一封が手渡され、馬には大きなマントが着せ掛けられました。

三々五々家路に着く人の波は暮れ懸かる頃まで途絶えることもなく続きました。

虎吉は牧場でガイたちの帰りを待ち皆の労をねぎらいました。

アーネストはしょんぼりしていました。

「すまん、俺があせって前に出てしまった、ガイに言われたところまで我慢できなかった」

「仕方ないさ、本職じゃねえし、あれだけ動きがないと遅いと感じてしまうのは当たり前さ」

「エッ、遅くはなかったのかい」

「アア、ショーターの時より時間は早いぜ、オレンジと比べてもfour secondしか違わないよ」

「本当かあそこで走っていると無我夢中でそんな気などぶっ飛んじまうぜ、しかし負けてもあれだけ馬を走らせると気分は爽快だぜ」

牧童も畑蔵も総出で馬の手入れをしてくれる傍で、今日の反省会をかねて皆で話し合いました。

「しかし驚いたぜ、慎重なマックが真っ先に飛び出すんだものな、ほかの連中も度肝を抜かれたみたいだぜ」

話は次回の競馬会にも及び、女性だけでなく騎手の制限は人種にも及ぶそうです。

「畑蔵が騎手として出られればまける気はしないがどうもクラブの連中は反対らしい」

「やはりだめなのかな、清国人もいかんと言う人がいて、怒っている馬主も多いという話だ」

「そうだろう、自分のうちの清国人を出せないのに、白人ならどこの国のものでもいいなど何かおかしいよ」

「しかし、あの連中は自分たちで居留地を仕切っていると思い込んでいるから、議論をすると喧嘩を売ってるのかと意気込んでくるやつらばかりだからな、ここに来る前にもカルカッタや上海で威張りくさってきたやつばかりさ」

「しかしな、普段は面倒見のいい気さくなやつなのに、なぜかクラブのことになると偏屈になるので困りものだとクラークさんまで困っていたよ」

「ところでそうなると烈風には誰が乗るんだ、まさかゴーンさんは乗れないだろう」

「明日にでもヘクト君と交渉してみるか、今日のことで明日からは居留地の英雄だろうから引く手あまたで俺の馬に乗れとあちこちから誘いがあるだろう」

「俺は英雄にはなれないのかい」

マックが情けなさそうな顔で聞くので居合わせた皆は大笑いでなかなか笑いが止まらないのでマックまで引き込まれて笑い出しました。

「マックはヘクト君と違って、彼女が飛び出してきてキスをしてくれるわけじゃないからやはり英雄は彼のほうさ」

「オイオイ、本当にハンナにキスまでしてもらったのかよ」

「待機所にいたものはみな見ていたぜ、あれじゃ町の噂で今晩は全員が知ることになるだろうぜ」

「ブキャナンさんはどう見るかな」

「あちらの親父に頼まれて商売を仕込んでいるが、婿に来てくれるなら文句などあるまいよ、あのじゃじゃ馬娘にはおとなしいヘクトの息子がお似合いさ」

蹄鉄の具合をほかは弟子に任せて来てくれたアンガスの親父がそういってニコニコとした顔でマックに「お前さんも誰かいいのを見つけて飛び出させていればヒーローだったのによ」

「無理を言うなよ、遊び人の噂ばかりの俺に本気でほれてくれるやつなど居やしないぜ」

「そうなのか、元町のほれ今はどこに住んでいたか、あの娘はどうなんだ大分いれ込んでいるそうじゃねえか」

「まさかコタさんの情報かい」

「いや俺じゃねえよ、ボス、お前さんどこから仕入れたよ」

アンガスさんは時々ボスと言う呼び名で呼ばれます、親分と言うより親父と言う言葉に近い使われ方のようです。

「俺が元町のビリヤードで遊ぶ仲間たちの間ではみんな知っているよ、お前さんはあの娘に商売物の簪や櫛までやったそうじゃないか、しらねえほうがおかしいや」

マックはどこか底抜けのお人よしで少し気に入った娘が居ると、髪飾りを与えたりすぐに食事に誘ったりするのでした。

しかし遊女や芸者には遊び以外での付き合いはしないことで有名でした。

ガイも後は畑蔵たちに任せ元町の中川屋に座敷を予約してあるので、アンガスの親父も誘って夕食を取りに太四郎が連れてきていた貸し馬に皆で乗って根岸を後にしました。

 

慶応31201867224日 日曜日 

弁天 − だんぶくろ

11日の競馬で勝ったジュピターを見にマックとベトリさんの商館を訪ねました。

清国からもってきたという馬は鹿毛で6歳になり、きれいに手入れをされていました。

清国の人間がこの馬の面倒を見ながら「いい馬でしょう、直線なら横浜でこの馬に勝てる馬などいやしませんよ」

自慢するのも、この間勝った事もあり当然のことでしょう、持ち主のベトリさん、騎手のハワードさんそして面倒を見ている氾さんの誇りです。

「うちの馬はほかの馬の評判に隠れていて儲け物のようなものだ」

等と口ではいいますが、相当自信は有ったようでございます、あの日以来見学に来るものにお茶や菓子を出して接待するのにも疲れた様子もなく、うれしそうに話すのでした。

「次のレースにだすのですか」

「イヤやめておくよ、ほかのものに俺たちと同じように勝利の喜びを味あわせてやるのさ、出れば勝てることは間違いないさ、でも登録はしなかったぜ」

虎吉とマックは次のレースに出すなら見に行くのはやめようと話していましたが、昨日19日の土曜日に登録が締め切られ、ジュピターは登録していないと聞いたので、101番のベトリさんのところを尋ねたものです。

「25日のレースはこの間1着になった馬はどれも走らないそうだね」

「ハッハッハ、みんな気持ちは同じさ、マック達だけには打ち明けるけれど、今度走ってぼろ負けしたら恥をかいてしまうからな、秋に開催されるときまで待つことにしたのさ」

「俺たちもそうだぜ、ブキャナンさんの所も同じようなこと言っていたぜ」

マックも相手がそう切り出してきたので、つい調子に乗って自分たちのことまで打ち明けています。

「ブキャナンさんの馬を見に行こうか」

「お暇なのですか、今日は日曜なので馬を見に来る方も大勢居られるでしょうに」

「だからだよ、俺が居なけりゃ遠くから見るだけであきらめるだろう、早く行こうぜ」

3人そろって、97番のブキャナンさんの家まで歩き、馬の手入れをしていたハンナとヘクト君に挨拶して中に入りました。

ここには今家族用を含めて三頭の馬が飼われています。

「ミスターブキャナンは居ないのかい」

「山手の家に出かけていますわ」

「そうか、俺たちは馬を見に来たからそれでもいいや」

マックとヘクト君は馬から離れ何事か相談しています、ベトリさんは馬を前後左右から眺め「この馬が勝つとは思っても見なかったぜ、よっぽど乗り手が良かったんだな」

「アラ、ヘクト君も上手だったけど、この馬はおとなしいけど根性があるのよ、ほめてあげると喜ぶわよ」

「まるで人の言葉が判るみたいに聞こえるぜ」

「お宅の范さんだって、競馬場で今日はうちの馬が勝ちたいといってるよ、という風にあたしに言っていましたよ、あの人も馬と話せるんじゃなくて」

「あいつは馬と一緒に赤ん坊のときから育ったそうだからそんなことぐらい朝飯前さ」

「ショーターだって、子馬のときから私と育ったから少しは通じるのよね、ねえショーター」

うれしそうにいななくショーターにハンナは首筋をやさしくたたいて「お前の実力は私が良く知っているわよ、今回は皆の意見でレースにだして上げられないけど我慢してね」

まるで、自分は出たいけど走らせてあげられないのが残念と言う風に聞こえました。

「ハンナは、今回も出したかったのか」

「そうなんだけどね、母が今度はほかの人にも栄誉を与えるためにもあきらめなさいというのよ、人を押しのけても勝ちたいという人が多いのに私の家族は気持ちが優しくて、そういう風に言われればそれでも出すなんていえないわ」

「いいじゃないか、うちのジュピターも出ないしオレンジも登録してないから三頭とも出なければ少しは気持ちも収まるだろ」

「そうね、ベトリさんだけはだすかもしれないと思っていた昨日までは母を恨んだりしたけど、あたしっていけない娘ね、気持ちばかり逸って反省しています」

おやハンナにしてはやさしい言葉が出ます、少しは恋する乙女になってきたのかと虎吉はほほえましく思うのでした。

マックたちもお茶の支度をして戻ってきて、庭の日当たりのよいところにいすを出してビスケットをつまみながら話を続けました。

日曜で調練が休みのせいか、伝習隊の兵がだんぶくろ姿で居留地の中を歩く姿が目立ちました、士官たちよりも体格も体力もある兵隊達は、調練の最初の頃に比べ今は休みともなると有り余った体力を発散させるのに昼間から洲干丁に出入りしてその勢いのまま居留地までのしてまいります。

さすがに酒に酔ったまま出入りするものは少ないのですが、大勢でがやがやと話しながら歩くさまはハンナならずとも顔を背けたくなるときもあります。

ピカルディは休みですが義士焼きはあいていますのでそちらにも顔を出すものが居るそうで、異人の奥さんや娘たちの顔をじろじろと見るのには閉口するという話でございます。

「コタさん、コタさんじゃねえのかい」

だんぶくろの兵から声をかけられ見ればどこか見覚えのある兵がいます。

「コタさんだろ、俺だよ俺、須田町の団造だよ」

「オオ見違えたよ、長屋以来あっていないから、それに散切りになってよく似合うじゃねえか」

「よせやい、隊長の大鳥様まで散切りにされてしまっちゃ断れやしないから仕方ねえのさ、コタさんのことは竹屋の親父からも横浜に居ると聞いていたが久しぶりだ」

マックたちに断りを言って外に出て「久しぶりだどこかで昼を食いながらビールでも飲まねえか」

「いいともよ、どこか近くにあるのかい」

「太田町に出ればいくらでもあるが、どこかこれから行くところでもあるのかい、そちらのお連れも一緒にどうだよ」

「ビールがのめるならどこへでも来る連中だよ、なぁいいだろう」

五人の仲間の兵も引き連れて七人で寅吉が行きつけの玉屋の本店に上がり、二人が昔話や最近の調練の話など盛んにしている傍で大いに飲み食いする兵たちでした。

「新しい教官はどうだよ」

「イヤ厳しいの何のって軍曹が叱り飛ばされるくらいすごいですぜ、17日についてからしごかれっぱなしでまいりますぜ、今日が日曜でなけりゃぶっ倒れるとこでさぁ」

仲間の兵の中で最古参だという佐吉がそういいます。

鳶、火消し人足と言うものが多い兵たちでさえ、鉄砲を担いでの野外での訓練に比べればいくら厳しくても歩行訓練などへの河童と思い込んでいたのが、一日中やらされるとは思っても居なかったそうです。

士官の中には途中でぶっ倒れるものまで出たということでございます。

肉の煮えた鍋も空になり、兵たちとわかれ際に「休みの日には野毛の俺の店に声をかければ、俺がどこに居るかわかるから時々はこうして飯を食おうぜ、必ず声をかけてくんな、須田町の頭のところに居た辰さんに連絡をつけるか、俺に連絡が付くようにしておくからよ」

兵達は懐がさびしくなれば町で悪さをしないとも限らず、大鳥様も上にも気を使い兵の待遇を良くしようと懸命ですが、取締りの奉行たちは事なかれのものも多く大変のようでございます。

弁天通りの店は日曜だというのに混雑していましたが、連絡員の文弥を連れて元浜町の「平専」で石炭や灯油の話を専蔵さんとして買い付けの約束を交わしました。

文弥が指示されたことを書付に書き入れて春と吉岡さんに連絡をつけに先に行かせました。

春に任せてもよいのですが、彼が仕入れる以外にも寅吉がこうして商談を纏めてしまうので石炭などだいぶ数多く抑えてありますが、アル等はまだまだ足りないといってあせっておりますが値段が上がり買いにくくなってきたのは間違いのないことです。

寅吉が直に交渉すれば何か儲け話の情報が聞きだせるかと店主自らが値引きにも応じる事もあるので、こうして暇があれば歩き回っています。

虎吉はやはりじっと部屋で待っているという旦那気分の商売には向かないようで、自分でもやはりジジと同じように店は分割して10人程度の店を動かした方が性分に合うように思い「なんだ俺自身じゃねえか、当たり前か」と納得してしまのですが、今はこの勢いで多くの人間に仕事を与えようと励むのでした。

伝次郎の話ではトマスが佐賀藩などと協力して石炭を掘り出す計画もあるそうでございます。

坂本さんは蝦夷地なら石炭が豊富にありそうで、ロシアも其れを狙っているらしいと噂があるといっていました、この話は社中の方が横浜に仕入れに来た時、直に虎吉に便へてくれました。

平専も生糸の取引が多くなり石炭屋では儲けが少ないというので商売替えもあるかもしれません。

横浜の繁栄はやはり生糸相場に左右されています、寅吉の元からも何人かが儲けたいとの一心から相場に手を出して店をやめていきました。

成功したのは数少なく、借金を抱えて国に逃げて帰ったものも多い中で、成功した話ばかりが聞こえてくるのは仕方のないことでしょう。

競馬のクラブでのレースの組み合わせと申し込みの馬の数の発表があるのが午後3時と言うのでクラークさんの事務所まで出向きました。

「どうでしたか今回の馬の出場数は十五頭を超えましたか」

「18頭いて三頭を振り落とすのに苦労したが、アポロとキャプテン以外は抽選で決めたよ」

「誰が落ちましたか」

「お前さんのレップーは受かったが俺のスネークは落ちてしまったよ、あとヘクトさんのダンクも落ちたし、ヴァンリードのホワイトが落ちたのであいつが大荒れで困ったよ」

「6頭立てにしろなどと言い出す人はいなかったのですか」

「いたいた、ヴァンリードなど抽選できまったあともそれで大揉めさ、あいつはこれで居留地に敵を多くしたな」

「あの人は夫婦そろって気が強いですからね、親切で味方も多い代わりに一度嫌いになるとヴァンリードさんとは付き合わんと言う人もいますから」

「お前さんも肌合いが違って付き合いが少ないだろう、あそこに雇わせたホシも江戸に帰るときそういっていたぜ」

「そうですかあの男も人を見る眼があるので期待しましたが、商人が目的でなくて銃砲の知識が欲しかったようですが、はったりだけのヴァンリードさんでは其処まで教え切れなかったようであちこち付き合って、もう十分と見切ったようでございますね」

「ホシは今どうしているんだい、小さい男だったが胆力と知識は大鳥さんといいい勝負のように思ったが」

「今は江戸に戻って芝で塾を開いて兵学を教えているそうですよ」

富田先生の引きもあり東北各藩より多くの若者が教えを乞いに来ているそうです。

「コタさんよ話は違うが、前の帝が亡くなって新しい帝はどういう人にきまったんだよ」

「今度の帝はまだ16歳の祐宮睦仁といわれます、私はこの時期に天皇が亡くなるのは幕府と朝廷の仲が悪くなりはしないかと心配です」

「若いなあ、取り巻きのものがよほどしっかりとしていないと不安だな」

「左様でございます、パークス公使が幕府の応援をしない分、フランスが肩入れしているのも心配です」

「俺には商売関係と違いよくわからんが、なぜパークス公使は幕府に見切りをつけたんだ」

「私が集めた情報では、幕府のうえの人たちが物事をしっかりと捉えていないのと、物を決めても都合が悪くなるとお役ごめんで、またもとの木阿弥で誰も責任を取らないことです」

「オイオイいくら俺が日本語を少しはしゃべれるようになっても、もとの木阿弥とは何だよ、英吉利で頼むよ」

It returns beforeとでも言うのですか、昔ある殿様が亡くなった時、代わりに木阿弥と言う人を連れてきて、殿様の代わりをさせたのですが、若様が成長すると解雇されてまたもとの木阿弥と言う町のものに戻ったという話です」

「身代わりか、影武者というのを聞いたことがあるぞ、日本では良くある話なのか」

「今はないと思いますが、300年近く前の時代にはこの国も戦いに明け暮れていたのでそういう話も多かったそうです」

「そうか、言い回しまではなかなか覚え切れないな」

クラークさんは親切だし何事も勉強と、付き合う方も各国の人がいて言葉もいろいろな国の言葉を話すことが出来ます。

「仏蘭西から持ち込んだジャスポー銃はどうなるんだ、話を聞いたかい」

「弾の売込みが盛んに行われているようですが、取り扱いの詳しいことは今度来た教官もあまり詳しいことを知らないらしいです、江戸のお城に収めてしばらくは様子見だそうです」

「最新式といっても、薬包が紙や布製では雨に弱いだろう、それならスペンサーやスナイドルのほうがいいだろうし、ミニエー銃のほうが改造できるだけましかもしれないな」

「エンフィールド・スナイドル銃が実際に撃った感じでは手応えも連射速度もいいようでした」

「そうだろう、そうだろう、其れはホシがコタさんと試射してそう感じたと話していたよ、新式がすべてよいとはいえないとも言っていたぜ」

「星さんがいるうちにジャスポー銃が来ていれば一緒に試せたのですが、大鳥様と試しましたが取り扱いが日本には向きませんね、夏の日本は雨と湿気が多いですからだめでしょうね、それに薬包が国産しにくいとなるとことさら普及しないでしょう、スペンサー銃は連射のとき引っかかることがあるので改良されればいい銃です」

「あれか、やはり戦闘状態では単発のほうが安全らしいな、スネルのやつが盛んに売り込みに廻っているそうだが、コタさんの引きで有卦に入っているらしいな」

「最近ファブルブラントさんの引き合いでドイツからも銃を入れようとしているらしく俺に何がいいか聞いてきましたがね、あちらではツンナール銃というのが優秀だそうですが試していないので見本がほしいとは言っておきましたら、バウムガルテン銃とか言うものを推薦してきました、2ヶ月ほど前ジャーマンクラブのカスパル・ドレイヤーさんとあった後でエドワルドにたずねるように言って置いたらそんな話を持ち込んできたそうです」

「そうか、其れは初耳だがその銃の弾はほかのものと共有できるのか判るかい」

「見本が来るのはうちの岩蔵の話だと早くても4月だろうという話です、20挺買ってくれということなので、ファブルブラントさんとスネルが五挺ずつ、俺が10挺を引き受けることにしました」

「コタさんは商売するわけでないのにそんなに買ってどうするんだよ、また彼方此方と配るんだろう、いくら位するんだ」

「壱挺に弾が200発ついて来てそれで全部で250ポンド送料はあちら負担と言うことになっておととい金は俺が払い込みました」

「何だ二人の分も立替払いかよ、気のいいにもほどがあるぜ、ピカルディの建物も英吉利の人間を住まわすのに建て増しをしたらしいじゃないか」

「あれは単なる下宿人ですよ、パルメスの親父の関係で領事館に勤務するのに部屋がないというので貸しているだけですよ」

「マア、それでコタさんがいいなら何も言うことがないがね、いくら焼け出されたといってもいくらでもいくとこがあるのに」

虎吉は先のことを考えあそこの地主がマックだけの名義なのでゆくゆくは公使館、領事館の人間に地所の一部でも貸してそのものの名での登録の必要も有るかと考えています、グリーン夫人が此方に来るにはまだ時間がかかりそうなので、其れまでは維持して引き継ぎたいと考えています。

ウーロンと言う青年とは気が会い長い付き合いになりそうな気がする寅吉でございました。

 

慶応3211867326日 水曜日 

弁天 − ティン・リジー 

どうやら居留地も競馬の興奮から冷めてきました。

ラッキーが今回は前回の雪辱を果たして第一レースで一着を取り、留さんはもう喜びでいっぱいでした。

烈風は残念ながら3着でした、この組は当日の第2レースでキャプテンとアポロも同じ組でした。

最初はやはりキャプテンが内々と回り先頭を走り最終コーナーで前回と違い内から外へと逸れながら入りました、其れにあおられるようにアポロはうちに逃げ、烈風は外から中に入ることが出来ませんでした。

アポロが首差で負け、さらに僅差で烈風が入りました。

残りの二頭は大きく遅れて入りました。

第3レースはホープと言う馬で、フリーマンさんの持ち馬でした。

このレースは激戦で3頭がほぼ同時にコーナーを廻り五頭が入線するのに2馬身とは離れていませんでした。

「いいレースでした、この組に回された馬はどれもいい馬でほかの組に行けば一着を取れたかもしれません」留さんは自分の面倒を見た馬が第一レースで勝って気がよくなり盛んにほかの馬をほめています。

烈風はヘクト君が風邪を引いているのを無理して乗ってくれましたが、やむをえない結果でした、レース後ふらふらのヘクト君を看病するハンナの姿が印象的でした。

「体が浮いているようで、何がなんだかわからないうちにレースがおわってしまいました、勝てなくて申し訳ありません」

「イヤお前さんは良くやってくれたよ、今度ばかりは俺たちの作戦を読まれて大外から切り込めなかったからで相手の作戦勝ちさ」

ガイもマックも集まった者たちすべてがヘクト君の健闘を讃えて「誰がのってもあれ以上の走りをレップーにさせることなど出来ないよ」と口々に言うのでした。

帰りを心配した寅吉がゴーマーさんに相談して、提督の勧めで馬車にヘクト君が乗せられ、早々とハンナと共に帰宅させました。

ゴーマーさんは前回、横浜に居らず見にこられませんで、今回も席がないというので来る予定はありませんでしたが、アーネストが「寅吉たちの見晴らしの良い処で見ることが出来ますが少し寒いですよ」と誘うと馬車でやってきました。

愛用の遠眼鏡は倍率もよく寅吉の双眼鏡と交換してのぞいて見ましたが騎手の表情までま直にいるように見えるものでした。

「寒いなど言っていたら船の上で風に吹かれてなどいられるものか、ここは下で煮炊きをしているから暖かいくらいだ」

ご機嫌で馬の批評や戦い方など船の戦を例にたとえながらご機嫌で話してくれました。

大鳥様は調練でこられず、留さんは恐縮しながら小さくなっていましたが気さくなゴーマーさんに誘われるように自分が面倒を見ている10頭の馬たちの話をして居りました。

アーネストとゴーマーさんはブンチュで酔ってご機嫌でいろいろと話をしてくれました。

アーネストとウーロン君は年が近く仲がよく、今日もここに誘って五人で屋根の上を占領して遠眼鏡で見物していたのは、見に来ていた日本人たちにはうらやましく見えたようです。

寅吉が出した屋台の近くには前回の様子に習って、何ヶ所も屋台を組んだ上での見物人が居りました、煮売家で酒を商い屋根の上の桟敷料で大分儲けた見世も居たようでございました。

朔日の朝、寅吉は野毛から大田陣屋を廻り、お三ノ宮にお参りをしてから乗馬のまま能見台に向かった。

横浜では寅吉が士分として認められているので、乗馬のままあちらこちらと出入りしてもとがめられることはなかったし、異人の案内で出歩くことが多いので其れほど珍しいことではなく自然と見られるのだった。

大岡川から離れ笹下の谷あいから岡に上がり、田中の立て場の茶店を尋ねると、今日も元気に藤次郎さんが働いていました。

「お元気そうで何よりでござんす」

「コタさんも嫁さんを迎えたそうで遅ればせながらお祝いを申し上げます」

「ありがとうござんす、夏にはまた横浜に来ますからそのときは金澤にでも遊びにまいりますので、そのときに寄らせていただきます」

「楽しみにしておりますよ」

今日は藤太郎君と約束していた鶏の様子を見に来たので村に入り、名主の屋敷を尋ねた。

主の藤吉さんに挨拶をして待っていた藤太郎君に案内されるまま村の鶏を飼育していただいている人たちを訪ねて廻った。

「お聞き及びでしょうが、今日は昼の支度を深沢様のお屋敷にご用意していただいて居りますので御出でくださいませ」

ほぼ10軒の飼育農家を訪ね、必ずお集まりくださるように頼み、要望やこれからの飼育方法などを話すため、名主の屋敷に先に横浜から届けられていた料理を囲んで話をするのだった。

卵の値段は安定しており需要が増えた分現金の収入が増え、村は豊かにみえ小作といえどなかなかの生活をしているのだった。

横浜に出る若者の多い中、この村からは動くものは少ないという話を聞き、これからもよろしく頼みますとお願いをして日が暮れぬうちに金澤に出るのだった。

江戸から箱根に湯治に出ていた河嶌屋さんの一行が今日明日には金澤につくというので横浜までの案内がてら出てきたものです。

先行していた千代と辰さんには、千代元に宿を取るように言ってありましたので町に入ると馬を預かってくれる所にオレンジを預けて、千代元に向かいました。

金澤は異人たちもよく遠出に来るので馬を預かるところも2軒あり寅吉とも顔見知りになっています。

河嶌屋さんの旦那様と手代に小僧さんそれと町の鳶の者が二人ついての遊山旅で旅の疲れもなく昨年よりいっそう元気なだんなの顔を見て、寅吉は安心をするのでした。

「お元気そうで何よりです、昨年は風邪を何度も引かれたそうで健康を心配しておりました、湯治の効果があったようにお見受けして安心をいたしました」

「コタさんに一度は助けてもらった命だ、大事にしないと撥が当たるよ」

笑いながらその様な冗談もでる旦那のいつもの軽口に安心をする寅吉でした。

その夜は景気付けだと芸者を五人も揚げ皆で大騒ぎで夜を過ごしました。

翌二日は暖かい日差しに桜の花も綻び出していました。

「今年は梅が遅かったがもう桜か、一年が早く過ぎ去るようで俺も年を取ったようだ」

冗談とも思えぬ口調に寅吉はだんなの健康は見た目よりも良くないのかと心配になりました。

オレンジを受け取り、旦那を鞍の上に載せて手綱は寅吉が引いて歩き出しました。

田中の立場で一休みして昨日の道を戻り、上大岡から大岡川沿いにくだり蒔田から野毛に入りました。

寅吉の家で着替えて旦那は寅吉が案内して、ほかのものは雅に春がついて日本人街と居留地を案内いたしました。

「始めて来たがなかなかの町じゃねえか、火事で丸焼けになったと聞いたが建築中の家も外国風で変わっていやがる」

旦那も寅吉と二人だけになったせいか口もぞんざいになり、元気が出てきたようでございます。

175番のファブルブラント商会に向かい、旦那が手に入れたがっていた金時計を手に入れました。

さまざまな時計に心を引かれた旦那ですが、時刻は計れても日常の時間は昔のままの不定時法なので冬と夏では大幅に違う時間で生活している日本人にはそれほど役に立つものではありませんでした。

「コタさんが言うように、これをもっと頭の訓練になるというから毎日昼の鐘とあわせては後の時刻をつき合わせているよ、本当にそれだけでいろいろと外国のことなど自然と考えるようになって勉強している気分だ」

ブラントさんを喜ばせるようなせりふをすらすらと言える旦那は流石商人というべきか本心なのかは寅吉には判断できませんでした。

だいぶ以前に寅吉が差し上げた時計は、この旅に出る前に遊山旅に時間に縛られたくないと、跡取りの晋太郎さんにあげて来ました。

141番に周り営業を開始した洗濯屋を見に行きました、ここは隣の朱さんとの共同経営で職人の多くは清国人です。

日本人は3人ほど働き全部で10人の人間が忙しそうに働いていました、責任者は表向き曹という清国人ですが実際は春が取り仕切っております。

河嶌屋さんが中華料理を食べたいというので隣の珠街閣でメニューを見ながら食べられそうなものを相談してだしてもらいました。

「肉料理は何が旨いのだ」と聞くのでここの「東坡肉は最高ですぜ、試してみますか」

「食べてみたいな」

「では、其れも追加してください」

紹興酒はお気にいった様で「強い酒だが旨い」と前菜を食べながら楽しそうにくちに運ぶのでした。

102番の時計屋ファルコの店で寅吉が中古の懐中時計を二つ買い求め、108番の店では外套を二つ旦那へのお土産に買い入れました。

そのほか毛布など買い求めてお土産に江戸に寅吉から送ることにしました。

保税倉庫も昨年完成して、いちいち税のことを気にしての買い物をしなくてすみ楽に買い物が出来るようになりましたので、居留地の取引はsmoothになっております。

ピカルディで一休みして馬車で吉田橋の際まで戻り後は歩いて野毛に戻りました。

今晩はここに泊まり、明日は品川に泊まりあさってに新川まで帰り着くという予定で、無理をしないたびは旦那の足でも楽になっておりました。

3日の朝寅吉が神奈川まで送り、一行は江戸を目指しました。

横浜物産会社にたあさんからの手紙が来ていました。

昨年末、長崎に大洲の物産を積んで船出したいろは丸に乗った国島様が商売の不振の責任を取って自刃したとの知らせでした。

国島様のことは伝次郎からも坂本様からも一方が入っては居りましたが、自信の詳細については判りませんでしたが国許との調整が取れずに自刃なされたという細かい事柄がこれでわかりました。

12月24日の早朝とのことでございます、38歳残念なことでございます。

船はこのままでは使い道がなくなるとの心配からたあさんが長崎に出向き、細かいことを取り決めることになったそうでございます。

一度しか会ったことがない国島様ですが、あの日の切畑でのお会いした活発な面影が思い起こされる寅吉でございました。

権現山には異人さんたちが逍遥に訪れ早くも咲き出した桜を眺めてはそぞろ歩いておりました。

船で順吉と横浜に渡り新しく造っている一丁目のとらやの見世を見ました。

太四郎も来ていて、TJと相談をいろいろとしていました。

TJよう、今度の建物はハイカラに作るそうだがペイントもするのかい」

「そうですよ、明るい居建物で色は今検討中ですが旦那がよければピンク色にしたいと考えています」

「面白いじゃないか、ここらあたりじゃ見かけない色だが、白を強くしてあんまり強調しないでくれよ」

「やっぱりな、ほらタシロー、旦那は色つきの建物で言いと言うだろうといったろう」

「マイッタナァ、旦那が承知なら仕方ねえでしょうといっていたところですよ、あの派手な色をべたべた塗りつけるというので困っていたところですよ」

「見本に其処の板に塗ってみろよ、白をもう少し入れて落ち着いた色で明るい感じが出せねえか」

「こんなところでどうですか、塗ってから3日もすれば落ち着いてきますよ」

「いいだろうよ、後お怜さんがなんと言うかだが、其れはTJが説明しろよ」

「いいですよ、仕事が出来ればそのくらいお茶の子さいさいです」

「言い回しも日本風になったじゃねえか」

若い芸者を引かせて身の回りの世話をさせるようになってから言葉を不自由なく使えるようになったようでございます。

「お怜さんは先ほど二丁目で仕事を指図していましたから、程なく此方に御出でになりますよ」

言っている傍から馬車道として整備している道を横切って、お鳥さんを従えてやってまいりました。

板に塗られたピンクを見て「やっぱりだ、TJさんは旦那にもこの色を塗りたいとこわ談判をしておりますか」

「なんだもう聞いているのかよ」

「昨日からうるさいのですよ、俺に任せろ派手で土語もを抜くような目立つ見世にするとうるさいのですよ」

「何だそれなら後はTJとお怜さんに任せたぜ」

「旦那はどう思われるのですか」

「俺はいいと思うぜ只あんまり派手派で椎野は困るから白っぽくしろといっているのさ」

「あまり白いと周りから見るとさびしいですよ、ここはみどりが眼に入りますからピンクが勝っていたほうが浮き上がってきれいに見えます」

「昨日からこればっかりです、もう根負けしそうですよ」

「いいじゃねえかやらせてみようぜ、だめなら落ち着いた色に塗りなおしてもいいしな」

「そうしたら儲かるのはTJばかりでしょ」

皆が大笑いで話は決まり来月のはじめには見せも完成し、ペンキのにおいが取れたら開店と話もまとまりました。

「旦那二丁目の跡地の相談がありますが今日は話をする暇がありますか」

「あれはもう決まってるのじゃないのかい、入る予定の人間でももう話があるのかよ」

「そうなんですよ、お鳥さんお知り人が小さくとも煮売家を開きたいというのですよ、何でも料理人だった旦那がこの間の火事であぶれて、お鳥さんに使ってほしいといってきたんだけど、吉田町はもう決まっているし」

「そうか、それで資金はあるのかい、店の改装も必要だろう」

「イヤさあの義士焼きの店をそのまま使えば入れ込みの店で十分だから、貸してはくれまいかと言うのですよ」

「それならお怜さんの裁量に任せるよ、どうせあそこは建て直しを使用かと考えているんだ犬木でよければ安く貸しておやりよ、裏の長屋や全楽堂さんとの出入りで困らぬように倉庫は取り壊して道をつけておけば困ることもないだろう」

「では太四郎さんそういうことでご承知おきくださいね、此方にうっつたらすぐに倉庫も片付ける手配もよろしくお願いします。お鳥さん行こうかその人たちを紹介しておくんなさいよ、広太郎も見つけて連れて行かなけりゃいけないし、忙しいからだんなこれで失礼しますよ」

忙しそうに精力的に動くお怜さんに引きづられるようにお鳥さんは挨拶もそこそこに吉田橋のほうへ歩いていきました。

難しい話でもあるかと思えばその様なことでお怜さんはもう心積もりが出来ていた話を寅吉と確認しただけのようでございました。

太田町に多満喜といううなぎやが開店したのでぜひ行こうと辰太郎さんに誘われていましたのを思い出し、何時も此方に来ると入り浸っている平専を覗くとやっぱり若旦那はお茶をご馳走になっていました。

「相場は今日はお休みですか」

「今日は昼を食ったら昼寝だよ、昨日遅くまで騒いでいたので寝不足だ。コタさんは食べたのか」

「若旦那が居たら多満喜でも誘おうとここへ顔を出しましたよ」

「そりゃ好都合だ、春のうなぎは油が乗っていない分味に深みがあって旨いそうだ、専蔵さんもまだならコタさんにたかろうぜ」

結局平専に来ていたもう一人の若者と五人で太田町通りまで歩きました。

話はもっぱら辰太郎さんがしてほかのものは聞き役に廻りました。

藤吉と言う若者は口数が少なくぼそぼそと話していますが根性と才知はひらめきを見せていました。

あまり変わった話も出ずもっぱら生糸に茶、そしてこの間の競馬の話をして過ごしました、ふっくらと焼きあ上がったうなぎは江戸前のたれと味がしてどこかの名店の出店かと思うほどでございました。

「仲居さん、俺はうなぎが大好きだがこの味はいいな、うなぎも厳選してあるらしく横浜には珍しいよい出来だ」

「アイ左様でございますか、此方の板前さんは江戸茅場町の岡本で修業いたしまして、このお店に来るについては旦那様からたれを分けていただいての味自慢でございます」

「おうそうかい、俺も岡本では何度かうなぎを食べさせてもらったが其れは懐かしいことだ、これは板前さんにご祝儀だよ」

二朱金をすばやく懐紙にくるみ仲居さんに手渡せば「アイありがとうござんす早速にお神さんに申して板場に通してまいります」

そういい置いてしたへ。下がってゆきました

「ただいまは職人にありがたいお心ずかいありがとう存じます」

様子のよい若女将が現れ、後ろには50近いにこやかないかにも年季の入った様子の板前がついておりました。

「過分に頂戴いたしてありがとう存じます、横浜はまだなじみがございませんがご贔屓のほどよろしくお願い申します」

二人は礼を述べるときれいに部屋から引き上げました。

「鮮やかなもんだな、女将の様子もいいしあれはどこかいいとこの娘が婿でももらって店を出したというところか」

辰太郎さんがうがったことを言うと「旦那さん、うちの女将は独り者でございますよ」

「おやしまったそれならもっと俺がはずんで引っ掛かりをつけるのだったぜ」

等とおどけたことを言うので酒をぷっと吹き出したのは平専でした。

「すまんすまん、申し訳ないが、辰太郎さんはいい女と見るとすぐちょっかいを出すから危なくていけねえ」

「アラ、ではあたしは安全ですね」

渋皮の向けた年増の仲居はそんな風に言いながら、畳や平専の着物のすそを丁寧に拭いております。

「お前さんのような様子のいい年増には必ず男がついて居るだろうから、俺には手を出す勇気などないよ」

本気かうそかわからぬかる口に笑いながら、寅吉が勘定を済ませ見世を後にいたしました。

3人と別れ順吉と野毛への戻り道で吉田橋を渡る頃、なぜ女将に懐かしい雰囲気を感じたのか考えていました「ティン・リジーかあの車から降りる母の顔を思い出しました。

そうか、あの母の顔は女将と似ていたな」そう思い出して車がこの町を走り出したのは何時頃だろうかと考えているうちに野毛の家に着きました。

「旦那、お鳥が例の煮売家のことでお話がしたいといってますが、ご都合はどうでしょうか」

夜になって千代が寅吉の部屋に現れてそう切り出しました。

「いいよ、何時がいいんだ」

「今玄関先に着ておりますが、連れも降りますがどういたしましょう」

「遠慮することなどないぜ、通ってもらえよ」

千代が表に呼びにいきお鳥さんと夫婦物を連れてきました。

「旦那様、此方が先ほどお話したご夫婦で文弥さんとお蝶さんです」

30前の苦みばしったいい男と垢抜けた元は芸者でもしていたのか垢抜けた年増盛りのいい女でした。

廊下からかしこまって挨拶するので「其処は寒いから中にお入り、俺は寒がりでコタツに入ったままで失礼させてもらうが、お松津さんが火鉢を運んでくれるからお鳥さんそういいつけてきておくれよ」

座が改まり座敷に入った男は「お初にお目にかかります、火事までは南仲通の滝の屋で働かせていただきましたが、あの後店を再開しないというので今は彼方此方と助て廻っております、江戸の深川生まれで文弥と申します」

「お蝶と申します、生まれも育ちも神奈川でございまして火事の前はこの人と同じ滝の屋で仲居をいたして居りましたが、今は神奈川で二親と煮売家を商っております、この人とは夫婦といっても横浜と神奈川に別れて今は働く身の上で同じ処で働くことを考えて、このたびのご相談となりました」

「そうかい、俺のほうはお怜さんが承知のことならそれで十分だよ、俺に改まっての相談とはどういうことだい」

「ハイ競馬場で旦那様が出しておられた、おでんと言う鍋ですがあっしも料理人をしていますがお目にかかったことがない旨さでした、あれはどのようなものでございましょうか。出来ますれば新しい店での売り物にしたいと考えましたが工夫がつきません、お鳥さんに相談しましたがあれはあのときにだんなが味付けも支持したものでどこも扱っていないという話だそうでお教え願えないでしょうか」

そういえば大鳥様も留さんも元町で寅吉が暮れにお容に味付けを教えて作らせたものを食べたので不思議ともおもわず食べていましたが、店では来る者が不思議そうに出されたものを食べていましたことを思い出しました。

「あれは清国の料理人が自分達用に昆布のソップに肉や野菜をいれて煮ていたのを見て工夫したものだよ、だしは鰹節の上物をたっぷりと使って昆布は巻いたやつを出汁代わりに入れておくだけさ」

「あの中の大根は、よい料理人が扱ったようでなかなかの味がしておりました」

「ハハ、そいつは良かったあれはお怜さんにふちを削いで置くのと、隠しに包丁を入れるように教えておいたのさ、味がしみたのがいいと言う人のために前日から下煮をしたものと味がしみていないものを左右に入れておいたら、味がしみているほうの売れ行きが良かったそうだ」

「旦那がですか、そいつは御見それしました、しかしあの味でお店を出しませんのはもったいないことでございます」

「それほど難しい工夫でもないから、本職の料理人にはかなわねえよ、其れよりお前さんたち横浜に来て働くのなら店が開くまで俺の処で働いて見ないか、人足や手代たちの食事世の話の人間が後10日あまりで国に引き上げるというのでつなぎに夫婦で働けばその間に見世で出す味付けも人足や町の女子供の舌に近づくことが出来るだろうぜ、滝の屋といえば高級料亭で俺たち町のものには淡白な味付けだからよ」

「ハイありがとうございます、こいつも俺の味付けのままでは煮売家には向かないと神奈川の二親に言われて、どうすれば腕を落とさず街道を行く人や町で働く人の舌に満足を与えられるか考えておりました」

「あの鍋もおでんと言うのは勝手に俺がつけたが、味噌田楽よりも売れ行きがよいのには売っている者まで驚いていたぜ、もっとも俺と大鳥様がずいぶん食べてしまったがな、味付けは醤油をあまり入れないことが第一だよ後は人足たちの舌を信頼して工夫してごらんよ」

二人は明日にもいまの働く場所を引き払い弁天町の長屋に移り人足の朝晩の食事の支度を手伝いながら義士焼きの店での自分たちが働きやすい改造をどうするかを太四郎と話すことにしました。

 

慶応32151867320日 水曜日

弁天ー − ヨシノ

河嶌屋さんが横浜にきたとき咲いていた、早咲きの桜は散って山桜の蕾が付き出しました。

八重桜が多い山手の桜道はまだ先になりそうです、野毛にも桜の木が数多く植えられそちらはヨシノと言うのだと教えられました。

江戸へ五日ほど行ってきた寅吉は、新しいとらやの派手な開店を控えて忙しく働く二丁目の店の女たちを、見るともなく眺めていました。 

「旦那、今度の料理人は腕がよいですぜ、朝晩と毎日味付けに工夫があって、味噌汁一つでもあっしとは大違いでさぁ」

明日で国許の足利へ引き上げるという皓造という中年の親父は寅吉にそういうのでした。

「お前さんは本職の料理人じゃないから仕方がねえよ、だが横浜から引き払うのは残念だ」

「あっしもここが気に入ってるんですがね、兄貴が病身で国の親父からもういい加減で帰って来いといわれては親孝行をしないわけにいかなくなりました」

「今晩は俺が主催で送別会を開くから、派手にやろうぜ」

人足、手代、小僧たちからも親しまれていた皓造は、やはり横浜を去るのがさびしいのでしょうか、涙をにじませて「ありがとうござんす、あっしのような食い詰め物をここまで雇ってくださりお礼を申しておきやす」

文弥が出てきて「旦那これから買出しをしてお先に野毛のほうで今晩の支度をしにまいります」と告げて大八を引いて仕入れに出かけていきました。

文弥が今夜の料理を担当して宴席では、芸達者な横浜物産会社のものも多いので賑やかになることでしょう。

野毛の広間をつなげて、吉岡さんのほかに30人ほどが膳について皓造を送る宴席は賑やかに行われました。

昼間礼を言ったのも忘れたか、酔うほどに皓造が礼をくどくど言うので「オイオイ、もういい加減にやめねえよ、お前さんの晴れの門出だ明るくお別れと行こうぜ、このあたりで俺は失礼するが後は吉岡さんよろしく頼むぜ」

自分の部屋に戻り、お松津さんに布団を引かせて早々と寝てしまう寅吉でした。

翌日は明け方前に起き出した寅吉は酔いを醒ますように庭に下りて、型で体をほぐし汗をかいて朝風呂と決め込むのでした。

炬口にいた宗助爺さんは「だんなの型は見慣れていますが、今朝は殺気がするほど恐ろしいものでした、何かございましたか」

「オイ見抜かれたかよ、まだまだいけねえな、ちと面倒を見たやつに出し抜かれたのが気になってなぁ、おいらもまだそんなことを気にするようじゃたいしたことはないな」

「それなら例の男の事でござんしたか」

「そうだよ、お前さんが注意してくれたときに早めに手を打たなかった俺のせいさ」

「しかし、ご損が少ないうちで幸いでした」

「ウン、そういう請った、ほかで取り返すさ、儲かったり損したりが商売だ、いい事も悪いこともあらあね」

ゆったりと風呂から出ると、お松津さんが用意してくれた着替えに替えて朝の膳に向かいました。

皓造が旅立ちの支度をして現れ、昨晩の続きのように礼を言うのに「これは俺の餞別だよ、道中いい思いをしながら行くには不足だろうが持っておいき」

ひざの上に印伝の財布を置いてから「国に帰ってもいい儲け話があれば連絡をよこしなよ、こっちで商売になるか当たってあげるからよ」

「ありがとう存じます、お名残はつきませんがこれで失礼をいたします」

足利には実の母と体が弱いという腹違いの兄貴が居て、母親に気を使わせないように横浜に出てきた皓造ですが、兄貴から俺は体が衰弱してお前が頼りだという手紙を見ては、年老いた父母のためにも国に帰らぬわけには行かない皓造でした。

弁天通りに出て吉岡さんはじめ店のものに挨拶をして、船で神奈川に渡り、街道を江戸に向かう皓造は、横浜への未練を忘れて急ぎ足で歩くのでした。

昼近くになると春の日差しは暖かく寅吉はもう時期は春分かと気が付き学校で習った春分の日は陽暦の22日、明日だったなと思い出しました。

陽暦はうるう年以外月の日にちも決まっていて、陽気の変化のでわかりやすかったから日本も早くそうなればいいが何時から変わったのだろうと考えておりましたが、無理なことだと気が付きました。

これから起こることは学校で習ったこと、知識として覚えたことが多くとも、あの当時の虎太郎の年齢ではすべてを知るのは無理なことでした。

判ることは慶応から明治に変わるまで後1年余りしかないということくらいです、先生の大舞台への出番が近づき、坂本さんの遭難までもがま直に控えて来ました。

先生に相談して夏までにそのことを坂本さんに「くれぐれもご用心が肝心」と言うことを話す許可を頂きました。

「あいつは歴史がどう有ろうと生かしてやりたい、これからの日本には居なくてはならない大事な人間の一人だ」

先生もその様におっしゃられて坂本さんの危機を連絡する機会として秋になったらすぐと言うことになりました。

辰さんが迎えに来て弁天通りの横浜物産会社に向かいました。

昼にこの間の多満喜で留さんほか何人かの馬仲間の人とうなぎを食べることにしてありました。

それぞれが博労というよりは牧場主と言うほうがよい位の人たちですが、馬が好きということでは寅吉など足元にも及ばぬ人たちでございます。

それぞれがガイにラッパリーの種がほしいと申し入れて「ミスターコタの了解がないとだめだ」というので直接寅吉に談判をするための会合だそうです。

うなぎ好きの寅吉の弱点を知りぬいている留さんが参謀で、ここのうなぎはうまかったという話から昼の食事をしながら談判することにした模様でございました。

辰さんは横浜物産会社で待つということなので店には一人で入りました。

「虎屋でございますが、若松さんは御出でに成っておられますか」

仲居に案内されて部屋に入ると若松留三郎こと通称留さんが早速に。

「お待ちしておりました、うなぎが焼けるまでの間に例の話をさせてください、仲居さん人間がそろったから早速支度をしてください、其れまでビールと煮凝りでも出してくださいよ」

話は種付けのことで一回いくらかと言うことと、種がつかない時の保障についてでした。

「10日に一度程度の種付けを実施します、各自一頭ずつくじで順番は決めてください、料金は1両、種付けがうまくいかないときは後追加を1回だけ一分で行います」

「どうでしょうか各自一回こっきりでなくて、何頭か種付けをさせてもらえませんか」

「25日から始めると五人の方の最後が4月の末になりますし、それ以降のことはまたそのときにしていただけませんか、ガイとの契約を更新して横浜にいてくれるのか帰国するかがまだ決まっていませんので其れもありますから」

「判りましたではその条件で承知しました、あの馬の種がその値段で分けていただけるとは思えませんでとんだ苦労をいたしておりました」

「そりゃすみませんでした、何ね種付け料といっても本当にしやしないでしょうがあの馬なら1回5ポンドは取れるとグラバーは言うのですが、それでは種をつけたがるものなど居ませんでしたのさ」

話も済みうなぎも焼きあがって十分堪能した寅吉は、先にぬけることにして多満喜を後にしました。

弁天通りには行かず洲干丁から弁天の境内に入りました、なぜか馬場のほうまで歩き坂本さんのことや、地蔵坂や車坂を難なく登る母の車を思い出していました。

父はオートバイと言うなの自転車にエンジンをつけたものにまたがり、白いマフラーをなびかせて毎日会社に通っていたのを思い出しました。

大山弥助さんを大きくしたような感じがした父は、眉毛が濃く寅吉の今の上背と比べても遜色がないかと感じるくらいでした。

オデオン座で幸が生まれる前に見た活動写真や、その当時の横浜駅に桜木町の駅、ここが昔は横浜駅だといわれたことなど思い出して、今はまだ野毛の山の下の海面を眺めていました。

「どうなさいました、先ほどから海を眺めて橋を渡るでもなくぼんやりしておられますが」

多満喜の女将が小女を共に連れて後ろに立っておりました。

「仮橋も取り壊して海面を埋めたてると言う話を聞いて野毛まで渡って戻りましたら、旦那が海を眺めて遠い眼をしておられるので心配で見ておりました、何事も無い様なので安心をいたしまして声をおかけしました」

「イヤ、心配をさせて申し訳ねえ、遠くの国で活躍している友人のことが心配で考え事をしていました」

「左様でございますか、最初は深刻そうに見えた横顔が途中から懐かしいものを見るようなやさしい顔になられて、それでやっと声をおかけすることが出来ました。江戸の奥様のことでもお考えでしたか」

「そうじゃねえのだよ、実は安政の大地震のときに生き別れになった二親のことを思い出して、あの時はこうだったなど心の中を旅していたのさ」

「オヤ、あの地震でご両親をなくされましたか」

「イヤ生きているとは思うのだが、俺のほうがその頃の記憶が地震のせいであいまいでどこに住んでいたかはっきりしないのさ、このあたりに住んでいたらしいがよくわからねえよ」

「わたいも、あの地震で母親がなくなり父親の手で育てられましたのさ」

「女将は江戸の人のようだが」

「アイ、木挽町で生まれました、父親は今の見世を開くにあたって私を女将にして自分は板場でうなぎを裂いておりますのさ」

「そうかいこの間の板前を職人と呼んだのがそのせいか」

「よく覚えておられます、左様でございます、たかがうなぎ裂きというのに板前は気恥ずかしいといいますので」

語るともなく身の上話をして歩き、馬車道と名がつくことになった大通りの処で別れました。

「見たぜ見たぜ、コタさんよ、お前なかなか艶福家じゃねえか、あんないい神さんをもらったばかりで評判の多満喜の女将といい仲になるなんてよう」

「まさか誤解でござんすよ、たまたま弁天の先の仮橋のところで出会って此方に来ただけでござんすよ」

全楽堂の店先で立ち話をしていた蓮杖さんに捕まってしまいました。

「よせやい、俺はお前さんが太田町の通りから洲干丁の方へ入るのを見たんだぜ、多満喜の女将が留守なので、迎えに行ったと見たのはひがみかよ」

「まいったなぁ、先ほど多満喜でうなぎを食ったことは、ばれるだろうから白状するが、出会ったのは本当に偶然だよ」

留さんとも仲がよい蓮杖さんに隠し事をしても始まらないので、あっさりと白状しましたが、後々尾ひれがついて困った噂が流れ多満喜の女将には迷惑をかけてしまいました。

聞けばまだ十七歳だそうで、見た目には二十四か五は行っているだろうと思っていた寅吉は後で年を聞いて驚くのでした。

辰さんを呼び出して千代の店がどの程度出来ているか見に行きました。

来月には開店できるという話で、陣屋から大岡川にかかる大田橋を渡るきわで、元吉田町と言う名前になるそうでございます、清正公へは橋からまっつぐといける場所で、今ははずれの場所ですがみなが勧めるのと、確かここは長者町と言う名の色町だったし、橋も長者橋だったという記憶がありました。

大鳥様など「陣屋からの帰りによって飯が食える」など自分のうちのように利用するお考えのようでございました。

寅吉は石置き場のところでまた昔を思い出していた。

「そうかあの頃は長者橋と名前がつい居たっけ、大田橋だって今の吉田橋の旧名だし本当に名前ばかり変えやがってどこがどこだかわからなくなるじゃねえか」

「何か言いましたか」

「イヤ独り言さ、町の様子がどんどん変わっていくから、町の名前を覚えるにも一苦労だと、ぼやいていたのさ」

「さいです、江戸と違い埋め立てられるたびに町が増えますから、関内のほうも大変なことになってますぜ」

「そういえば留吉さんの牧場はどこに作ったんだ、代地のどの辺に決まったんだ」

「あそこはだめで末広町に決まりました、水路のねきですから便利はいいみたいですぜ」

「やっと決まったか、フレッチャーさんのところに間借りするのも気が重いだろうからな」

「いくら錠吉さんが居て、前はここで働いていたといっても自分の牧場とは違いますからね、気を使うでござんしょう」

「あの代地だってまた名前をすぐ変えて、そのうち訳が判らなくなりそうだ」

「昔の名前と今の名前をつき合わせるには手控えでも造らないといけなくなりそうでござんすよ」

二人で建築が進んでいる新しい料亭を眺めていると、お怜さんとお鳥さんがやってきました。

「そんなふきっさらしでどうなさいました」

「こうして眺めていると大きなものだな」

「ご自分で太四郎さんに眼いっぱい金をかけろと言ったくせによく言いますこと」

「本当にこれで予算のうちで出来上がるのかい」

「はい太四郎さんが言うには予算は余るということでございますから、後は皿や小鉢にテーブルなどは横浜物産会社から付けで買えるということに橋本さんが決めてくださいました、皆様が協力してくださって立派な建物に良い調度品がそろいそうでございます」

「何時開店にするか決めたのかよ」

「桜が終わり、落ち着いた頃と考えております、三月の半ば過ぎとすることになりそうでございます」

「人は集まったかい」

「お怜さんが集めてくださったのと、私の知り人からこれはと思う仲居連中を訪ねて十人ほどになりました。板前と下職のものも車屋の親方が手配してくださって、お年寄りですが腕の立つお方を紹介していただきました。西洋の料理にも熱心に取り組みたいと江戸からこられましたがなかなか良いところが見つからず、車屋さんが気になさっておいででしたが、お会いして千代さんも私もたいそう気に入りましたので決めさせていただきました。今は自分の気に入る板場に出来るように盛んに建物の中で指図までなさっています」

「この間話していた人がそうか、千代に言って、中川やさんや珠街閣の味も調べるようにしなよ」

「ハイ左様でございます、うちの人にもそう申し便へます」

「旦那、あたしも珠街閣のお店に連れて行っておくんなさいよ、女だけだと入りづらいからさ」

「いいぜ、今晩はどうだい、今からならお松津さんも誘って3人を招待するぜ」

「あらうれしい、では支度をしに行きましょうよ、お鳥さんも支度を直しておいでよ」

「それなら、俺は家のほうに行ってお松津さんにそういって支度させるから、辰さんもたまには清国の料理を付き合いなよ、今晩は用事がないだろ」

「ではあっしもおめかしをしてお供いたしよすか」

「そうしねえ、たまにはぞろりとした、格好で居留地に入るのも悪くなかろうぜ」

鑑札もとらやの女達はそれぞれが持っていますので、何時でも出入りが即できるのでこのように話もまとまり、渋るお松津さんまで引っ張り出しての夕食となりました。

千代はどこにいるかと思い横浜物産会社に寄ると、粋な格好の男となにやら椅子やテーブルに触っては裏を覗いていました。

「どうしました、テーブルがご入用ですか」

「ア旦那いいところへ、この人がこんだうちで働いてくれる角次さんでござんす」

「そういゃあ、先ほどお鳥さんから聞いた板前と言うのはあなたですか」

「お初にお目にかかりやす、浅草の生まれで聞けば千代松さんとは隣町内の元鳥越町で生まれまして、八百膳を皮切りに彼方此方腰が定まらぬ半端者でございますが、お引き立てのほどよろしくお願いいたしやす」

「おいらが寅吉でござんす、こんな若輩者ですがよろしくお付き合いください」

「ご丁寧に、ありがとうござんす、背いっぱい働かせていただきます」

「いいところでであった、千代も一緒に珠街閣の店で夕飯にしょうぜ」g

「少し前に家に寄りましたらお鳥が着替えて出るというので、俺たちもどこかで飯にしようと思い出てきましたが、旦那のお誘いならお鳥たちに遠慮する事もねえからお供いたしやすよ」

「何だ、もう尻にひかれているような科白だな、見ねえ辰さんまで笑ってるぜ」

お鳥さんに遠慮しているわけでなくお松津さんお怜さんに遠慮しての科白とわかっていても鎌をかけられたのも気が付かぬか賢明に弁解する千代でございます。

待ち合わせの野毛橋の袂についたとき子の神社から三人の女丈夫が出てきました。

「お待たせしましたかしら、まだ日暮れには間もありますがそろそろまいりましょうか」

「店が込んでいるようなら、空くまで源宗行で部屋を使わせてもらえよるようにしておいてくれ」

千代と辰さんには先に行かせ段取りをつけることにしました。

あんずるより生むが安しとはこのことで、到着したときにはぞろぞろ店から人が出てゆくところでした。

テーブルについて、聖玉が「いらっしゃいませ、コタさんだいぶメンバーが違う顔ぶれですね」

「紹介しよう、その右に人が千代のおかみさんだよ」

「あら、千代さんの奥様ですか、ではそのお隣は」

「その人は俺の家の主でお松津さんといって住まいのほうの取締りをしてくれている人だ、その左は顔くらい知っているだろうがとらやのお怜さんだ」

「ハイナァ、お怜さんは有名ですもの」

「アラァいい噂、それとも悪いほう」

「とても面倒見がいいミセスだと評判です」

「困ったわ、まだ嫁入り前なのに居留地ではmissと誰も言ってくれないの」

「知りませんでしたごめんなさい、これからはmissお怜さんといいます」

「いいのよ只のお怜と呼んでくれれば十分よう」

軽口の応酬もすんだようなので寅吉は「さあ注文して何か食べようぜ」

「もうジァンが勝手に作っていますよ、何かいいものが入ったとかで張り切ってますよ、ほらコタさんのいつもの前菜とビールがもう出て来ましたよ」

「もう一人新しい人を紹介しよう、今度吉田橋の先に料理屋を千代の夫婦が開くので、其処の料理の責任者の角次さんだ」

「私、聖玉です、日本式にせいぎょくと呼んでください、私の旦那さんここの料理の責任者ですあとで挨拶に来ますからよろしく」

「丁寧にありがとうござんす、清国の料理はおくが深いそうで勉強させてもらいます」

聖玉と愛らしい最近朱家角から来たという双子の姉妹が、紹興酒をそれぞれについで廻り、上海で最近作られだしたというビールも勧めてついで廻ります。

「朱家角というのはどのあたりだい、上海の近くなのか」

「コタさん前に珠街閣は上海の田舎と教えたでしょ、その珠街閣のことを朱家角というの、あたしたち朱家の故郷よ」

「そうなのか覚えておこう」

前菜から野菜の炒め物と柔らか煮がでて見た事もない野菜が旨く煮えていました。

「これはなかなかのものですねえ、日本人でもこれならいけますね」

お怜さんはお酒も入りご機嫌で、盛んに二人の姉妹に野菜の名前を尋ねては、呑んで食べて人に勧めてと忙しいことになっております。

寅吉が必ず食べるという東坡肉は足りないくらい好評で、鳥の丸焼きのおなかに詰めた香草までも食べたがるのでした。

「どうですか、今日の料理は」

朱さんが顔を出して聞きますので「大変おいしいですよ、ジァンは気合が入ってるようで、旨いものばかり出てくるから、まだ食べられそうだよ」

「後何かリクエストがあれば作るけどね、ないならお任せで後一品出すよ」

「任せるよ」

「では、基炎に言ってすぐ用意しますからまっていてください」

10分ほど話を続けていると、蟹粉排翅、上海蟹肉入りフカヒレの姿煮込み、珍味のフカヒレの元ビレと上海ガニの味噌と蟹肉を一緒に煮込んだものだそうです。

「蟹は時期が最後です、上海では陽暦の12月までがうまいという人が居ますが、俺は桜の季節の蟹が旨いと思うので氷付けにしたものを今度の船で100匹買いました、今日の昼についたばかりなので、明日にでも愛玉から連絡をピカルディにつけようと思っていました。先ほどの人たちは上海から日本に来た人たちで噂を聞きつけて押しかけてきた人たちです」

ジァンが出てきてそう話してくれました。

スープをすするというより食べるスープと言う感じで旨いものでございました。

「途中で満腹になっていたら出さないつもりだったのかい」

「まさかそういうことではなく、明日も来て下さいと言うつもりでした」

「其れでもう売り切れなのかよ」

「いえ後20人前ありますが、コタさんだからうちあけると、10人分は自家用であと10人分しかありません」

「では明日、アーネストに大鳥様を招待するから3人前、いや誰か来るといけないから5人分は確保してくれるかい」

「後論です、同じふかひれのスープでいいですか」

「そうしてくれ、後は明日の楽しみで今日はこの辺でお開きにしょうか」

「もう旦那が後の注文をしても手を出せるこっちゃないですよ、降参降参」

お怜さんがおどけてげっぷまですると、うれしそうにジァンと朱さんが「満腹するまで食べてくれて私たちも満足ね」そういってからさらに「中国の料理屋でテーブルが汚れるのとげっぷが出るほど食べてくださるのは、旨いと言うよりさらにうれしいね」

「勘定をしてくれるかい」聖玉に告げると勘定書きを閉めてもって来ました。

すべてで7ドル25セント、いい値段でしたが上海からの蟹といわれれば仕方のない値段でしょう。

勘定を済ませ表に出ると聖玉がアーサーに送られて帰ってきました。

「ヤァ、今帰りかい」

「アラァ、もうお帰りですか、残念だわぁ、アーサー今日もありがとうね、早くおやすみなさいね」

「ハイ、では明日また、コタさんの旦那も明日も良い日でありますように」

「アーサーにも良い日が来るように、お休み」

「おやすみなさい」

ピカルディに帰るアーサーは16歳となり、背も高く幼い少年だったあの日から確かに成長してきています、最近は五左衛門さん達と混ざりパンをこねることを学びながら空手の型も寅吉から教わり自立すべき勉強に余念がありません。

「旦那ご馳走になって申し訳ねえが、あの値段は高いのですか安いのですか」

「安くしてくれて入るだろうが、日本の料理屋からすればべらぼうだろうぜ、大体五両二分くらいなものだろう」

「七人で割ると一人3分以上ですか、たいそうな値段ですね、江戸でも一流料亭でもなかなか取れない値段でございます」

「今はビールが高いから仕方ない値段だよ、料理だけならそれほど取れるものじゃねえよ、お鳥さんよお前さんのところでも酒は儲けても料理は安くという風にやってくれるとうれしいぜ」

「ハイ角次さんとも話をしまして必ずそういたします、一人一分で済まないなんていう高級な店にはしない所存でございます」

「あっしも包丁は冴えを見せてもおごりのない値段で人様を喜ばせたいと考えております、今の店の豚肉の柔らか煮はあちらこちらと試しましたが、長崎の角煮なぞより格別味付けに工夫がありました」

「そうかい、参考になるといいね」

春の満月は山手の上にあがり居留地を照らしてちょうちんもランプもいらぬほどでした。

角次さんはまだ洲干丁に間借りしているそうで、馬車道の角でわかれて入舟町を千代と辰さんを先頭に吉田橋を渡り野毛にかえりました。

橋からはまだ埋め立てがすまぬ内海に月が写り、出来上がりつつある新吉原に明かりもついていてが幻想的にみえました。

家ではお秋と宗助爺さんが玄関を明るくして待っていました、挨拶を受けてから家に入り酔いが廻ってきた寅吉は、お松津さんとお秋が布団を引いて着替えさせるや、間も無く寝てしまいました。

 

慶応32171867322日 金曜日

弁天 − 日時計

春分のこの日太陽は明るく輝き、寅吉は午前中に用事を済ませて、ピカルディの庭に作った日時計を見に行った。

仏蘭西から取り寄せた、円盤型の日時計は三尺ほどの大きさで花畑の奥に置かれていた。

トビアスと比べてみていると、12時ジャストに日時計の陰も12時を差し、30秒ほど後に時の鐘が鳴る音が聞こえてきた。

「あってやがるじゃねえか」合っているのが不思議だという思いもする寅吉ですが、大正時代の明石標準時とは違い、日時計と今の時間が合うのは不思議な事ではないと気がつき「うかつだったな」と反省するのでした。

あの頃の時間間隔は明石より横浜のほうがマイナス時間なので先に日時計が12時を指すのが当たり前になっていたのでした。

「どうしたの」ハンナが昼食を終え庭に出てきました。

「日時計と懐中時計の時刻を合わせていたのさ、時の鐘が聞こえてくるのもほとんど同時だったよ」

「横浜の時の鐘は日本の物も天主堂のも鳴るから良く間違えてしまうわ、よく聞けば音が違うんだけど家の中だと間違えてしまうのよね」

それほど厳密に時刻に縛られる事も無いこの時代では大体の時刻がわかれば生活に支障などおきないのでした。

ジジがよく「鉄道が出来てから時刻がやかましくなったようだ」といっていたのを思い出しました。

父は笑って「俺たちの頃は学校が時刻にやかましかったから、子供の頃からなれていてそれほど喧しいと言う気はしなかった」と二人で笑いながら話していました。

母は「お芝居はその日によって終わる時間が違っているけど映画は必ず時間通りに終わるから、やっぱり映画のほうが文明ということかしら」など不思議な意見を言っては父に笑われてしまい「いいわよそれならあたしの意見等もう言わない」などと脹れるのでさらに父とジジの笑いを誘うのでした。

「どうして今日に限ってそんなに真剣に時刻を気にしますの」

「今日はVernal Equinox Dayだよ」

「あらそれなら昼と夜の時間が同じ日なのね」

「そうだよ、日本ではこれから日の出る時間が長くなるから、暖かい日が多くなるのさ」

「あら、ロンドンだってニューヨークだって同じことでしょう」

「オオそうだったな、どこに行っても、でもないか」

「どこか違うところがあるの」

「ほらオーストラリアとかニュージーランドなどずーっと南の国は季節が反対だそうだぜ」

世界の地理をしばらく話してから寅吉は元町に出て釜吉を連れて野毛に向かいました。

釜吉の実家で使っている大臼にひびが入り、もうじき使えなくなりそうだから新しいのを買うように手紙が来たので、野毛の店にある臼を実家に届けさせるためです。

「一人で大丈夫か」

「ハイ臼のひとつくらい軽いものでございます。明日の朝出れば大八を引いても、日のあるうちには藤沢には入れますから」

急ぎでは、大臼はそう何処にでもあると言うわけでなく簡単に買えないのですがたまたま五つの臼を野毛で買い入れたので、話を聞いた寅吉が明日から三日の休暇を釜吉に与えたものです。

「親父は酒を飲むのか」

「下戸でござんす」

「お前と同じかよ」

「あっしも、ビール一本が良いところですが、親父に飲ませたら三日は寝込みますぜ」

信じられないことですが二日酔いどころか三日酔いになってしまうそうです。

寅吉も店の者たちに比べあまりのめる口とは申せませんが、虎吉さんは伝次郎といい勝負のようでございます。

釜吉は一人で大丈夫といいましたが、坂も多くあり土産や帰りに藤沢から買い入れてきたいものもあり、大八を引きなれた人足の中から旦次という若い者をつけることにして明日の朝出かけることにしました。

橋本さんからこまごま言いつけられたことを書付にしたため、今晩は寅吉の住まいの大部屋で寝ることにさせ家に連れて行きました。

旦次は宴席や何かでこの家に入りなれていますが、元町で働く釜吉は初めてのことで部屋の広さに驚くばかりでございました。

「広いものですね、隣も20畳もあるのですか、こんなに広いと寝られるものじゃありませんね」

お松津さんは笑うだけでしたが、お秋が「なに言ってんだよ、贅沢言わないもんだ」

「釜吉さんはこの家は始めてかい」

「はい、左様でございます」

「ここは旦那が人足の人でも手代たちでも小僧でも、何処の店から何時来ても泊まれるように考えて大きく、作ったのさ表は義士焼きの店だけだけど、この裏は虎屋の人や横浜物産会社のものの長屋もあるからね」

「では旦那はいつも店の者たちと寝起きをしているようなものですか」

「そうだよ、元町だってだんなの部屋と、働く人たちの部屋は廊下があるだけで続いているだろ、ここは庭が間にあるだけの違いさ」

「こんな大きな家をお二人で管理なさっているのですか、大変だなぁ」

「何なまいってんだい、長屋のおかみさんが昼間はここで働いて家をきれいにしてくれているのさ、旦那はたとえ僅かでも現金が稼げるように、女たちで出来る仕事はやらせてくれるんだ」

お秋さんに押し捲られて自分たちの布団も運びいれ、それでも寒いといけないと考えたのか贅沢に毛布まで出してくれました。

お松津さんが仕立て下ろしのとらやの半天とこざっぱりした着物に着替えさせ「だんなのお供で居留地まで行くんだ、髷もきれいにしてやるよ」とお秋さんが二人の髷もきれいに元結を替えて仕上げてくれました。

二人は何がなにやらわからずきょとんとしていましたが「支度が出来たら行こうか」と虎吉が声をかけると「ヘイ」と返事をして後に従うのでした。

「大鳥様お待ちどうさまでございます」

「オオ俺も今来たところで、今茶が出てきたところだよ、では行くか、今日の供は見慣れないやつらだな」

「いつもの連絡員と違いまして元町や野毛で働く若い者でございます」

「俺は大鳥と言う、覚えて置いてくれ」

「ハイ、承知いたしました」二人とも伝習隊の荒くれどもを取り仕切る隊長ということは知っているので、供をするにも小さくなってついてゆきます。

「話ではアーネストも呼んだそうだが、あいつは横浜にいたのか」

「はい、仏蘭西の公使館はがら空き状態ですが、英吉利公館は人で溢れていて彼は帰ってきています」

「カションは仏蘭西でロッシュは大坂か、ヴァルケンバーグは江戸でふん何をたくらんでやがるか気が知れねえ」

「この間大山様が横浜に来たときですが、パークスはまだまだ薩摩に武器を買え、坂本さんにも扱わせて、大名たちにも買えと勧めろとせっ突いているそうでございますよ」

「おいコタさん其れは困ったことだぜ、おいらたち伝習隊はいいが軍隊としては規模が小さすぎるのに彼方此方の大名が連合して幕府に反対したら太刀打ちなど出来やしないぜ」

「将軍家がその取り纏めを出来るならよろしいのですが」

「無理だな、若様育ちの通用する時代じゃねえよ、みなよ薩摩だって長州だって上のものより下のやつらのほうが威張っているぜ、どんでん返しは近いな」

「声が大きいですよ、隠密にでも聞かれたら事ですよ」

「馬鹿あ言うなよ、隠密なんぞ怖くて伝習隊などで訓練してられるかよ、おいらにはこの国の先行きが心配なのさ」

いつもながら過激な大鳥様でございました。

二人の若者は後から居留地の中、其れも大きな料理屋があるシナ人たちの一角に入り込んでびくびくしておりました。

珠街閣に入り「いらっしゃいませ、どうぞ席が用意されています、此方でございます」

双子の姉妹に案内されてアーネストが待っている席に着き「お前たちは同じテーブルだと落ち着かないだろうから店のほうに用意してもらいな、料理は同じものだぜ」

二人はやっと人心地がついたという顔でメイリンに案内されて店のほうに行きました。

「お前のほうは、インリンでいいのか」

「どちらで呼ばれても結構ですわ」

「よせよ、それじゃ区別がつかねえじゃねえか」

「親でも間違えるね、コタさん間違えてもおかしくないね、だからいいと思うよ、でもあたしインリンだから間違いじゃないよ」

「そうか安心したぜ、これからは思いついた名前で呼ぶことにするか」

「其れがいいね、飲み物は紹興酒、それともビール」

「ビールでいいよ、大鳥様はどうします」

「俺もビールでいいよ」

「ではすぐに運びますね」

打ち明け話や英吉利の方針などと、仏蘭西の腹積もりなど三人で納得するまで語り合い

ふかひれのスープには歓声を上げて楽しみました。

店の前でアーネストと別れ二人の若者を従えて大鳥様と虎吉は例のノーゲノヤマカラノーエと大きな声で歌いながら吉田橋の関門を通り抜けて月明かりの野毛の町に帰りました。

二人をお松津さんに任せて、虎吉はさっさと寝てしまうのでした。

「驚いたな、鬼の大鳥様とまるで兄弟分のように付き合うなんて、旦那には驚かされることばかりだ」

「しかし釜さんよ、シナ人というのは贅沢な食べ物を考えるものだな、あの蟹と一緒に煮てある不思議な食べ物何ざぁビックリするくらい旨いもんだ」

「あれはふかひれと言うんだぜ、奥州からの荷に良く入ってくるけど買うのは清国の料理人だけさ、あんな魚のひれや尻尾があんなにうまい料理になる何ざぁ、考えても不思議なもんだな」

「しかしあのビールは旨いな、釜さんが一杯で良いと言うので俺は余計に飲めて幸せだ」

等など取り留めなく今晩のことを話していましたが何時の間にやら眠りに就いたようでございます。

翌日17日の朝曇り空の中、二人は野毛の坂を後ろから釜吉が押して登っていきました。

「釜さんよ、雨にならなきゃいいな」

「雨になったら宿にでも入ってしまいやしょうぜ」

「いいのかよ、おいら銭なぞ余分に持ってきてないぜ」

「けさお松津さんから、途中で団子でもお買いといって包みをもらったが、中に壱朱の銀が五枚もも入っていたぜ、二人で団子をいくら食べたって使い切れる物じゃねえよ」

「まさかよう、幾ら気前がいい旦那だからと承知していても、たかが俺たち下っ端にそんなに小遣いを渡してくれるなんて驚いたぜ、しかしよ其れはしまっておきねえよ戸塚でおやっつぁんやおっかさんに土産でも買いねえ」

「其れも臼の中に入っていると今朝お秋さんから言われたよ、何から何まで気が付くだんなだあな」

「やっぱり何だな、お前のオヤが同じ呼びなだと言う事と関係がありそうだ、お前さんのことが気に入ってくださっているのさ」

「俺も今は酒や各地の物産、干物など商わせてもらってるが、蕎麦屋の修行がしたいからあんまりだんなの役に立ちそうもねえな」

「そんなことねえよ、千代の兄貴がよく言うのさ、旦那は儲けを出すことだけが店のために成るんじゃねえ、その人にあった商売をしてその商売なりの利益を出すことがだんながいっとう喜んでくださるんだ、だから自分の仕事が儲けに繋がる事がねえからといってうらやむんじゃねえとさ」

野毛を下れば保土ヶ谷を過ぎるまで、道は平坦で気楽な旅を二人はしています、交互に大八を引きながら足取りも軽く権太坂に差し掛かりました。

「アンちゃんたち後押しをさせてくれよ、おいらは小さいから仕事がすくねえんだ、二人ではこの坂は大変だからおいらにも押させてくれよう」

近在の子か小遣い稼ぎに坂ノ下で荷車を待っている力貸しの中から、10くらいの子供が出てきて声をかけました。ほかのものは二人での荷車なので無駄と見て出てきませんでした。

「そうかでは右の方を頼むぜ」

「まった、釜さんよ先に駄賃を決めねえと後で揉めるぜ」

街道を何度も荷を運んでいる旦次にそういわれて「お前の手間賃はいくらだ」

「おいら大人の半分で八文だよ」

「そうかそれなら上の団子やで団子付きで頼もうか」

「本当かいそれなら本気で押してやるよ」

「何だ八文だけだと力が出ねえのか」

「けさは早くから出てきたから、朝飯など食う暇がなかったのさ」

本当かうそかわからぬながら面白い餓鬼だと二人は話しながら権太坂の上に上がり、駄賃を渡した後、茶店から団子を買って松の根方に座り、三人で水筒の水を飲みながら団子を頬張るのでした。

「アンちゃんたち横浜から来たのかい、近くの人じゃ無いね」

「そうだ俺たちは横浜から来たんだ、この大臼を藤沢の宿まで運ぶのさ」

「帰りもここを通るのかい」

「そうだがどうしたよ」

「おいらも横浜に出て稼ぎたいんだけど、働くとこがあるだろうか」

「お前まだ10くらいか」

「おいらこれでも12だぜ、家が貧しい上に弟や妹が多いので少しでも稼ぎたいんだ」

「親が承知なら連れて行ってもいいが、うちのだんなが承知するかどうかわからねえぜ」

「それでも横浜でだめなら道がわかれば帰る事もできるしよう、お願いだ連れて行ってくれよ」

「俺たちが人買いじゃねえとどうしてわかる」

「だって丸に虎の字の法被を着てるじゃねえか、おいらの村の善吉兄いがこの間帰ってきたときにその法被を着ていたぜ」

「善吉か、釜さんは知ってるかい」

「イヤ元町にはいねえよ、何処の店か聞いてるか」

「野毛で働いてると言ってたよう」

「俺も野毛だがしらねえな、どんな人だい」

「のっぽで顔が長いのが特徴だよう」

「何だ長吉のことか」

「ながきちって誰だい」

「ほら洗濯物を集めたり配達しているやつさ、ぜんきちならぬ、ながきちで通ってるじゃねえか」

「アアあいつがそうなのか、気のいいやつだから、あいつに頼めばよかろうによ」

「本当はおいらの家が本家筋なんだがよう、今は落ちぶれてしまっているけど善吉の兄いの世話にはなりたくねえのさ」

「人足にはちいせえし、何ができるかなあ」

「馬や牛の世話も出来るから、何かやらせてくれるように頼んでくれよう」

「あさっての昼に、この茶店の前で待てるか、そうすればお前の家に行って承諾してもらえば連れて行くぜ」

「いいのかい旦次さんよ、安有卦あいしてよ」

「いいじゃねえか、だんながだめといったら二日ばかり横浜を見物して帰すという話にさせてもらえばよ」

「そうするか、お前の家は近くなのか」

「宿の、くめうし道を壱丁ほど入ったところだよ、おいら正太郎と言うんだ」

「正太郎か、金沢に抜ける道なら、ここで待ち合わせればそのまま進むことが出来るから、無駄がねえな、必ず雇えるという保障はねえと親に言うんだぞ」

「ウン判った、あさっての八つ頃にはここに来てるよ」

話を纏めて二人は次のやきもち坂目指して下るのでした。

   

 酔芙蓉 第三巻 維新
 第十一部-1 維新 1    第十一部-2 維新 2    第十一部-3 維新 3  
 第十二部-1 維新 4    第三巻未完   

     酔芙蓉 第二巻 野毛
 第六部-1 野毛 1    第六部-2 野毛 2    第六部-3 野毛 3  
 第七部-1 野毛 4    第七部-2 野毛 5    第七部-3 野毛 6  
 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
 第九部-1 弁天 4    第九部-2 弁天 5    第九部-3 弁天 6  
 第十部-1 弁天 7    第二巻完      

  酔芙蓉 第一巻 神田川
 第一部-1 神田川    第一部-2 元旦    第一部-3 吉原
 第二部-1 深川    第二部-2 川崎大師    第二部-3 お披露目  
 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
 第四部-1 江の島詣で 1    第四部-2 江の島詣で 2      
 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  
       第一巻完      


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
 港に帰るー3      第一部-3 吉原    
 港に帰るー4          
    妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編  
 幕末の銃器      横浜幻想    
       幻想明治    
       習志野決戦    
           

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       目次のための目次-3

 習志野決戦 − 横浜戦
 習志野決戦 − 下野牧戦 
 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid



       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
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大正2年1913年
   横浜真景一覧図絵
明治2471891
 


カズパパの測定日記