酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第五部-3 元町 3   

山手・ヤンチー・カリフラワー・連合艦隊・ホテル

 根岸和津矢(阿井一矢)

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・ 山手

「ミスターコタ、昨日はいけなくて済みませんでした、少し熱があったものですから」

普段から丈夫で風邪等ひきそうも無いウイリアムは、畑仕事で鍛えられたたくましい風貌で、元町に寅吉を訪ねて山を下りてきました。

「珍しいじゃねえか、風邪でもひいたかい」

「そういうほどのものではないらしく、早寝したら今朝はもうこの通り元気なものです」

「新しい野菜の種が手に入るからそうしたら連絡するぜ、最近は土の扱いも上手になったらしいじゃねえか、やはり馬糞より牛の糞のほうが堆肥としてはいいのかよ」

「そうなんですが、牛は数が少なくてなかなか堆肥にするほどは手に入りませんが、丸高屋さんで集めてくれたものと、植木場から来る落ち葉で十分とは行きませんが間に合うようです、あと御願いですが二人ほど春までに人を世話してくださいませんか」

「人手が足りないのかい」

「自分で畑の世話をしていると野菜の取引の時間が取れません、このままではいい時期に売れるものがあっても間に合いません」

「例の喜兵衛さんのところで小作を回してもらうようにたのんでおくよ、畑仕事の畝作りなどは上手だろうから手間賃が取れれば喜んで働くものがいるだろうよ」

「ではそういうことで御願いいたします、来年は美味いトマトにピクルスを届けられますよ、ニンジンの植え付けは終わりましたが、キャベツをどのくらい作るか考えています、春は虫がつくと厄介なものだそうで困り者です」

「どうだい特別の分だけ蚊帳を吊るす気はないかい」

「どう言うことですか其れは」

「くいを打って、オット蚊帳をしらねえか」

「エエそれはなんでしょうか」

「ちょっと待ってくれ、松さんよ俺の部屋の蚊帳を持ってきてくれ」

庭で木に吊るして広げ「この下で栽培するんだよ、大事な分をここで栽培すれば虫を防げるだろうぜ」

「そいつはいい考えです、新しいものは高いですか、高ければ古いものでもいいですから出来るだけ集めてくれませんか」

「いいとも古ものを扱うところに話しを付けておこう、こいつは持っていってどのように吊るすか工夫してくれよ」

籠からキャベツとほうれん草を出して「今朝はこれをもってきましたあとで召し上がってください、コタさんのおかげでキャベツは人気が高いです、春にも虫がつかなければ数多く収穫できるでしょう」

「たくさん造ってどしどしと売ってくれよ、横浜は人が増える一方だからよ」

「しかし鎖港問題で噂が飛び交っていますよ」

「心配しなくても大丈夫だよ、いまさら鎖港などといってもイギリスやフランスが承知しやしないよ」

「そうですか安心しました、しかし今日はコタさんに会えてよかった、普段はなかなか会えなくて聞きたい事がたまっています」

「寅吉さんいなさるかね」

噂をすればその喜兵衛さんがやってきました。

「カーチスさんも居るならちょうどいい、頼みがあってやってきただ」

「どうしました、何か困ったことでも」

ウイリアムにも通訳しながら話しをしました。

「コタさんの貸家だがどうして裏側は作らないで畑にしてなさる」

「アアあれは厠の水を流すところがないので、どうしようか考えてるところだよ」

「聞けば海に流してしまうというが勿体ない事だがね、太四郎さんに聞いたら最初は畑地に流して浸透させるという話だったそうだが同だろうか、うちの土地まで流してくれないだろうか、上になるところにそのための池を作ればそこで堆肥をつくことが出来て助かるのだが」

「どのくらいの量なら受け切れますか」

「100人分くらいの量なら、うちの息子が大丈夫といってるよ、病院のは困るけど丈夫な人のは欲しい肥料で、捨てるのはもったいないというのだ」

「其れでなぜウイリアムがいれば都合がいいのだい」

「カーチスさんの畑の真ん中に水路を作ると楽なのだがよ、其処に浸透してしまうと困るだろうからその相談もありますだよ」

ウイリアムに話すと「私の畑の中は困ります、私たちは馬や牛の糞で肥料は作りますが、人のは困ります、売れる野菜が作りにくいです」

「そうだろうな少し考えさせてくれよ、実は来年作るほうはこちら側に導水路を造って掘り川に落とそうと考えているんだ、焼き物で作るために太四郎が今長崎で相談しているから帰ってくれば使えるものかわかるだろうよ」

「それならよいですね周りをもれないように出来れば、何処を通してもかまいません」

喜兵衛さんに通訳して小作人を手伝いにまわせるか話すと「現金で払えるなら喜んで働くものは大勢いますよ、導水路のほうが決まれば何人でもお世話いたします」

双方が納得できる話にまとまりそうです。

今の畑で足りないくらいの需要が出来るようなら石川村で畑地が借りられる話も喜兵衛さんがしてくれました。

「そいつはいい話しを聞いた、おれんとこの買った土地の下当たりなら好都合だ、ウイリアムが、其方にも手を広げる気が有るなら話をまとめてやってください」

それから1時間ほど話して山に戻るウイリアムでした。

寅吉がピカルディに顔を出すと、サトウとシーボルト少年に董少年の3人が来ていました。

庭に椅子を並べ、久し振りの暖かい日差しの中でお茶を飲んでいます、寅吉も自分用のポットに紅茶を入れて仲間に加わりました。

「アーネストは今日は仕事じゃないのかい」

「今日は午後から出ればいいのであと2時間くらい暇です」

「薩摩の話はまとまりそうかい」

「機密ですよ其れはいえませんね」

「そうかい、俺の聞いた話じゃあと2日くらいで決着しそうらしいぜ、薩摩は幕府から金を借りて払うことにして、自分たちの金でイギリスから船を買う約束辺りで、決着しそうだぜ」

「マタ出ましたね、どこが話の出所かは、大体想像がつきます」

「ヘヘンそんなものかい、それで無理押ししないで呉れりゃいいんだがよ」

「いいことを聞きましたからこれから独り言を言います、ニール代理公使は一番館で取引が出来るようなら国でも文句が出ないといってるけど本当かなぁ」

そういうとシーボルト少年に片目をつぶって「サァ仕事に行こうか」

「まだ早いですよ」

「お役目が終わったのに、油を売ってることはないだろう」

董少年に別れを告げて「ここで聞いたことは寝言だから起きたら忘れるんだよ」

「まだ寝てるから聞こえません」

二人が去ってから董少年は「コタさん、お茶とドーナツをお替りしていいですか」

「いいともよ、俺にもビスケットを持ってきてくれ、試食用がなきゃほれこれで買って来いよ」と一dollarの銀貨を渡しました。

「自分の店なのに買うなんておかしな旦那ですね」

「オイオイ、勘定はしっかりしないと皆がそんな事しだして店がつぶれてしまうよ」

「オッケー、ではいってきます」

水兵の真似で敬礼して店に行きました、なんと一ドル全部使って大盛のドーナツとビスケットをお盆に持ってきました。

「こんなに食うきかい」

「あまったら、クララ先生にお土産に持って行っていいですか」

「バカヤロウ、最初からその気でいやがる、奇麗なハンケチで先に包んでもらえよ、店に行けばハンナが出してくれるよ」

少年が店でハンケチに包んでもらった残りを二人で食べながら、陽だまりで話しをして寅吉は波止場から船で青木町に向かいました。

 

能見台の茶屋で海舟と龍馬を先頭に歩いてきた一行は足を休めていた、金澤に泊まり今朝もゆっくりと地形を見ながらここまで来て横浜に出るために地図を見比べていた。

「旦那方どちらまでいくだね」

「オオ、俺たちはこれから地形を見ながら横浜まで行く予定だよ」

「井土ヶ谷のほうに出れば楽ですのによう」

「俺たちは船乗りだから普段は海の上から見ている陸を山から見ながら行こうとしてるのだよ」

「左様でございますか、では根岸から本牧に出ればようございますだよ」

「この先を右手に降りてゆけばよいのかよ」

「左様でございますだ、根岸の海岸まで出て、その先を左に行けば北方から元町に出られますだよ、其処をさらに右手に行けば本牧の十二天に出て海岸沿いにやはり元町に出ますだよ」

「詳しいじゃねえか、親父も横浜によく行くのかい」

「はいよぅ、この辺りじゃ横浜に売る卵と鶏肉を家の息子が纏めさせてもらっておりやすだよ、最近は1日おきに配達すようになって孫もよく行くだでおらも物知りになってきた気がするですよ」

山の親父にしては様子もよく腰の煙草入れもほどの良いなかなかのものです。

「先生」

「どうしたよ」

「あの親ととの煙草入れ、コタさんのじゃ有りやーせんか」

「よく似てはいるが、少しくたびれてるじゃねえのか」

「聞こえますだぞ、これはもらい物で横浜のとらやの旦那が使い込んでいたものですじゃ、おたくらが言うコタさんから頂いたものですじゃよう、旦那様は寅吉さんとお知り合いですか」

「此方は、勝先生と行ってコタさんの先生ちや」

「ヒェー、其れは存じませんで失礼しました」

親父は驚いて地べたに座り込んで頭を擦り付けてしまいました。

「とっさんよそんなに恐れ入るなよ、おいらもお前もこの国の同じ人間だから、立ってくれよ」

龍馬が立ったり立ったりと囃すように手を引いて親父を立たせてしまいます。

「ほら見てみろよ、ここにおるおらたちは先生の門人やけど、先生とぶっちゅう台に腰をかけちゅうろう、先生は人間みな平等ということを大事になされちゅうから、遠慮することなどないぜよ」

龍馬の土佐弁もどうやら理解できて、親父もいつも寅吉が言う勝先生という人を間近に見て驚いただけのようで、動悸も治まれば其処は年の功で楽に話しも出来るようになりました。

「コタが元町にいるなら寄ってみるか」

「そうやき青木町におるにせよ道からすれば、元町に寄れば何処におるか連絡も付くでしょう」

「あいつは忙しいやつだから毎日何処にいるかわかりゃしねえ」

「旦那方とらやさんに寄るなら息子と孫が卵を届けに行く仕度をしてるから、連絡を付けておきますかよ」

「そうだな、俺たちは回り道をするから元町に入るのは4時間、ふた時ぐらい先かな」

「ではそのように言付けをさせますだ、ほかに伝える事がありますだかよう」

「いやそれだけでいいよ」

息子といってももういい親父と16.7の若者が背負い籠を担いで店先に来たので親父が用件を二人に言いつけて居ります。

「卵はそんなにいい商売になるのかい、全部売っていたら元の雌鳥が駄目になると困るだろう」

「ハイ、毎回200個ほどは届けて居りますこれで餌代などを引いて壱分ほどになります、現金がこれだけ入ると楽が出来るでございます、それと、とらやの旦那が親鳥を世話してくださいまして、今は10軒の家で800羽ほどになりました、毎日産んだ中の八割ほどを届けてあとは仮親に抱かせて孵化させて増やして居ります」

「コタがそんなことまで指図してるのかよ」

「ハイ、指図書のようなものを書いてくださいまして餌や、イタチなどの防ぎ方なども教えていただきました、もっと食肉用に買いたいと、尋ねてくるものもありますがこの辺りはとらやさんを通じて卸すものばかりで、私が仲買をさせていただいて居ります」

「いつごろから始めたんだい」

「梅雨前ごろですか、旦那方が江の島の帰りにここで休まれたあと、尋ねておいでになって鶏を飼っている所を知らないかと聞かれたのが付き合いの始まりでございます」

「わずか5ヶ月足らずで商売になるまでになったかい」

「ハイ旦那が手を回してくださって信濃や奥州からも親鳥を集めてくださいました」

「それじゃ雑種なのかい」

「ハイ左様で、それで卵の産みのよいやつと、丈夫なものを探すように10軒の家を帳面片手にこいつに廻らせてどの親鳥が成績いいのか調べさせて居ります、寅吉の旦那様がこいつを見込んでゆくゆくはこの方面の養鶏と食肉の販売で今の10倍は需要が出るから、その準備をしろと何かと仕込んでくださって居ります」

「そうかい、おいら勝と言う親父だよ、何かあったらコタに言っておいらのところにも遊びにおいで」

「では先に行かせていただきます」

親子は籠を背負い先に元町に出かけました。

「サァおいらたちも出かけようか」

龍馬が一分出して「親ととさん世話になったな、こいつを取っておいてくれ」

「こんなに頂いては多すぎますだよ」

「気にしなや、いいってことさ」

能見台を降りて、上大岡の台地を左に見ながら海沿いの道をたどり磯子から根岸と周り、浦賀を出てからのここまでの防衛線などを話し合いながら来ました。

「先生、これはどう見ても陸からの防衛は無理がありますね、船で来るやつは船で迎え撃つしか方法がないです」

「そうだろう、しかしな砲台があると気休めにはなるから作らぬよりはましさ」

「先生其れはあまりにもひどいです、気休めで作らされるお大名はたまったものではありませんよ」

「だから攘夷なんど言わずに、こちらで作れる人間を養成しなきゃいかんだろう、俺たちは運行は出来ても造艦出来ないから、これからはそちらのほうの勉強もできないと追いつかないだろう」

6人の師弟は本牧まで出て、北方村から台地に登りました。

「先生、この畑はキャベツを栽培していますよ」

「おおそうだなここも異人達用に栽培しだしたんだろうよ」

5反ほどのその畑地はキャベツやにんじんなどに混ざり小松菜、ほうれん草なども栽培されているようでした。

眼下に横浜を望み改めてその発展振りに驚愕の面持ちを隠せませんでした。

坂道を降りて町家に入り、とらやと聞くまでもなくすぐ其処に義士焼きの幟が立っていました。

店は繁盛していて何人もが焼きあがるのを待っているようで、威勢のよい声が飛び交って居ります。

ピカルディと書かれた店は香ばしい揚げ物の匂いがしていて龍馬は鼻を突き出すように店の中に入って行きました。

「そいつはなんという菓子だい、ひとつでもいいか」

「結構ですよすぐ食べますか」

「アアそのままでいいよ」

それでも紙の上に乗せて「油で手が汚れますから、こうしてお召し上がりください」

渡されたドーナツを遠慮なくむしゃむしゃとかじってから「先生、滅相もなく美味いものですぜひとつ食べてみてくださいよ」

外に声をかけると「どこか腰掛けられるかい」と改めて声をかけています。

「坂本さんそんなところで立ちんぼで食っていないでこっちに御出でくださいよ」

寅吉に声をかけられて、あわてて表を見れば誰もいない通りから寅吉が入ってきました。

「何だお前さんか、先生達はどこに行った」

「こっちにいますよ」と店の脇から庭に出ると縁側で脚を洗ってもらっています。

「わしだけ置いてきぼりはひどいですよ」

「馬鹿なこと言うな、おまんさぁが食い気で夢中で金も払わずに食っているからだよ」

夢中になると子供に返る龍馬さんは相変わらずのようです。

「オイ、夢中で金を払ってこなかったぞ」

みなが大声で笑い出すので「ここは私の店ですから大丈夫ですよ、異人さんの中には国を思い出すのか香りを嗅ぐだけで満足する人もいますぜ、坂本さんも外人の血が騒ぐのですかね」

「本当だ、こいつは日本人といるより外人たちといるほうが様になるようだからな」

「あの靴というやつを買ってはいてみようか」

「あれは足にあわせないといけないのでどれでも大丈夫というわけにゃ行きませんぜ、上手な職人に作らせないとあとで苦労するそうですよ」

「茶店の親父に聞いたが卵までも手を広げてるのかよ」

「そうそう、連絡が青木町まで来たのでこちらに来ましたが能見台の親父さんには大分に世話になっていますよ、清国のものは豚や鳥がよいみたいですが、異人達は牛がいいというのですが数が少なすぎて足りませんね」

聞けば一橋慶喜公が浦賀で汐待をされていたので順動丸(ジンキー号)にお載せさせ申したという事でした。 

居留地事情や薩摩の交渉のこと大鳥さんたちと英学所、鎖港問題など話しを進め、

「今晩此方に泊まられますか」

「ソウダな急いで帰って来いと言う事ではなかったからもう一晩くらいいいだろう」

「では港崎にでもあとで遊びに行きましょう、坂本さんと先生にはもう少し話に付き合っていただくとして、近藤さん陸奥さん達は先に案内をつけて行って頂きましょう」

春と雅に言いつけて五十鈴楼に案内をさせて3人は部屋で内緒の話を続けました。

このときです寅吉が自分のみの上を始めて坂本さんに話して、先行きの日本についても先生の了解をとり、ある部分までは話しをしました。

「そういう事が本当にあるとは知らなかった」

最初は目を飛び出させるばかりに驚いた坂本さんも理外の理ということがあるのかと納得されたようでした。

それで私の世界で伝わる歴史を、と言っても私が12歳頃までに記憶したものですから順序がばらばららしいと言うことは、先生とも最近の各藩の動きから確認していますがね。

それで大きな幕府の方針と家茂様の御世が長くは続かず、幕府が行き詰まると言う事をお話いたしました、どうしても先生と坂本さんにはお話できないのは坂本さんの遭難についてですが、くれぐれも身辺にはお気をつけ下さるようお二人に念を押したのでございます。

私も安政2年にこの世界に来てからこの文久3年10月で早くも八年という年月がたち20歳になっていました。

この年の動きで私が覚えているのは暮れに将軍さまが海路上洛されるはずなので、天候にご注意するよう申し上げたのですが、果たして暮れの28日に家茂公が再度上洛のため先生もまたも京師に上がられました。

日が暮れる頃、三人で連れ立ち五十鈴楼に向かいました。

 

・ ヤンチー 

朝先生と外灘を散策しながら、後にフランス波止場と呼ばれる突堤の工事を見学しました。

3日ほど前に着いた船を遠目に見ながら「いい船じゃねえか、何処の船だい」

「ヤンチーといってデント組合のものだそうですが、アメリカはニューヨークで作られたものだそうです、戦争のあおりでアメリカに戻ると徴発されるのでこちらに荷を運んで来たのを幸いに売り込みをかけて居ります」

「そうか、見ることは出来るかい」

「話してみましょう」

亜米一に案内して船を見学させてくれと頼むと早速に案内してくれました。

「どのくらい馬力がある」

「350馬力です、作られて5年目ですがいい船ですよ」

船長も愛着があるらしく大層褒めて居ります、船商のギャビストン(Gaveston)さんは20万dollarでどうですと言って居ります。

「どう思う」

「高すぎですよ、どう見てもあと5万は安く売れるはずですね」

「やはりそうかよ、聞いてみろよ」

話をしても、そんな値段ではとても売れないの一点張りで、とりあえず機関、船長室などを見て舟を降りました。

ピカルディで休みながら「あの舟は売りたがって居りますから少しじらせば手放すでしょう、何薩摩や長州が買いたがっているとは言っていますが、間にはいるものが手数料を稼ぎたがっているので当分売れるものではござんせんや」

「大鳥さんがこっちに来てるだろ、時々舟の情報を伝えるように頼んでくれよ」

「はいそういたします、私も耳をそばだててどのくらいで売るかの情報を集めてみます」

元町に人が揃ったと言って来たので、土産の品を辰さんに持たせ先生に同行させて、江戸に行かせました。

 

「ただいま戻りました」

太四郎が長崎からロシア船で戻ってきました、ロシア人の船が横浜によるというので其れに便乗してきたそうです。

「どうだったい、長崎わよぅ」

「なかなか商売が盛んに行われる町という印象は薄うございましたが、それでもお茶に生糸は盛んに取引されていました」

「そうかい、遊びのほうはどうだよ」

「ハイ、俊介さんがあちこち案内してくださってくたびれるほど遊ばせていただきました、大浦屋さんでも歓待してくださいまして、ぜひとも今度は旦那様もおいでくださるようにお伝えくださいと頼まれてまいりました」

「そうか伝次郎も言うし、一度は支店を開く前に行きたいものだ」

「そうなさいましよ、旦那が行かなきゃ始まらないこともあるでしょう」

お怜さんもそういうし一度は出かけてみるかという気になっています。

「千代でもつれていってみるのも悪くはないか」

「あっしも長崎ですか」

「あっちで少し手足を伸ばして遊ぶのもいいだろうよ」

千代は遊び好きで稼いだ金は仲間におごり、宵越しの銭はもたねえという江戸っ子気質そのままの男でございます、少年から青年になる成長期のものにとって仕事も遊びも盛んに行うのはいつの時代でも人間を育てるようです。

「其れと伝次郎さんからの言付けで、例の排水路のための焼き物ですが安くてよいものを焼いてくれるところが見つかったそうです、見本がすぐ送られてきますが今戸辺りの瓦職人なら簡単に焼けそうだとも言っておりました」

「そうか、あちらはあちら、こっちはこっちで焼かせれば安上がりに出来ていいな、そいつは春に受け持たせてブンソウにもそういっておけよ」

「はい判りました、其れと今あちらで流行の建物の写真がこれでございます」

オルトという商人の建築中の家と例のグラバーの新居という話です。

長崎の洋館の写真を見せて新しく作る家の参考にしようと相談をしていきました。

 

日刊英文紙「デイリー・ジャパン・ヘラルド」がイギリス人ハンサード(Hansald)の手で26日に創刊され店のものと読み比べていますと、 

「新しい本と手紙が着きましたよ」

ジャーディン・マセソン商会に着いた本と長崎からの手紙を頼まれたと持って、ピカルディに早矢仕さんがやってきました。

「コタさんはこんな読み物が好きだなんて変わっていますなァ、ちょいと開かせていただきましたが話がよくわからないものでございますよ、よくこんなのが読めるものです」

「そうですか、その話は面白そうだと思ったものですから、サイラス・マナーという男の話だそうですぜ、あちらの人の生き様を知るにはよい話ではないかと思って頼んでおいたものですがね、それにほとんどが当て読みですよすらすら読めるのはもう少し易しい本でないと無理ですね」

「ジョージ・エリオットですか、聞いた事のない作家ですね」

「何でも女の人らしいのですが、ここ10年くらいで人気が出たそうだと言っていましたよ」

「ほう、女の作家ですか、其れはあちらのお国らしいお話ですなぁ、わが国では紫式部以来そのような話はあまり聞きませぬ」

「私のようなあまり勉強が好きでないものにはちょうど手ごろな勉強道具でございますよ、医療も軍事も専門書がありますがなかなか商売の指導書などはないもので、このような本からあちらの方の考え方などまなんで居ります、ということにして置いてください」

早矢仕さんは笑いながら本を置いてヘボンさんの39番に廻るといって出て行きました。

寅吉はウォルシュ・ホール商会からよくアメリカのポーのものなどを取り寄せていますがイギリスからも便船ごとに何かを取り寄せては読んで居ります、子供のころに読んだ翻訳物を思い出しては懐かしくなるようです。

グリーン夫人からBelle Vue Hotel の名入の封筒に入った、手紙が来ました。

今度共同でホテルを開設したから長崎に来たら、是非泊まってくれという話です。

この間の約束もあり、伝次郎に手紙を書いて誰かホテルで働きたいものを探して、預けて勉強させるようにしました。

庭で日当たりがよくて風の当たらぬ場所で早速本を広げていると、

「旦那さん炭が野毛に着いたそうです」

「そうか、ではいつもの通りに別けてくれたのかよ」

「ハイ全て分別と検査のあと別けることにしてあるという話でございます」

今日は岩蔵が連絡に来て寅吉と時計の売れ行きと、石鹸の売れ行きについての話をしていきました。

炭はあちこちから買って居りましたが最近は丹沢近くのものを数多く扱うようになっています、横浜物産会社の主要な商品で足柄からも多く来ますし薪や附木なども近在の農家にたのんで入会地などからのものを扱って居ります、江戸の薪炭問屋からも全国各地のものを取り寄せては試させています。

神奈川宿に古くからある綿屋という薪炭問屋からも引き続き買い入れていますが、居留地の中でも、石炭をはじめ横浜物産会社から買う方が増えてきてくれだしています。

とらやの食品部門は小売りが主で鶏肉と卵にパン、チーズなどのほかにも色々な物を扱っており横浜物産会社が卸を引き受けて居ります。 

夜になって除隊したスミス中尉が居留民も参加出来る組織として、66番に共同サービス・クラブを開設したので卯三郎さんを誘って遊びに出かける約束をしました。

文久元年に造られた英軍の陸海軍人クラブの伝統を引き継ぐものだそうです。

元町で待っていると大鳥さんと卯三郎さんが連れ立ってきたので、大鳥さんも誘ってクラブに出かけ、ヤンチーの買い取りを出来るだけ匂わせて、希望額は13万dollarだがどんな物だろうかという噂を流しておきました。

寅吉は背の高い軍人達に混ざっても見劣りがしないので、ご婦人たちまでが話しをしに来ますが、話題は髪の飾り物についての値段や今度来る帽子、お針子の腕の良いのは誰とかいう話に巻き込まれて身動きが着きません。

大鳥さんはこの機会にと自分の発音の手直しをなんども発音しては確かめて居ります。

 

・ カリフラワー

 

先日、先生が来て例のヤンチーを買い入れることに決まりました、組合には13万5千dollarが入り、間にはいる亜米一に英一などが1万dollarを取ることになり寅吉にも恩恵があることになりました。

ウイリアムさんがカリフラワーを持って来て、この間の話の石川村の土地を借りてくれるように頼まれました。

「いいとも其れでどのくらいあればいいんだ」

an acre(エーカー)ほどは借りたいがどうだろうか」

「ちょっと待ってくれ今計算するから、40are(アール)でいいと言うことか、1反が10アールくらいだから、単位が違うが4反歩くらいなものだろう、その倍くらいは大丈夫だよ、大体の広さは畑を見て決めればいいさ」

「では今日のご都合はどうでしょうか、出来ればイチゴの苗が手に入るというのですぐにでも植えたいのですが」

「せっかちなやつだな、今連絡に人をやるから少し付き合えよ、今日人に会うので紹介して置きたい者がいるんだよ」

「いいですよ、では会いに行きましょう」

落ち着きがないというか忙しく動き回るのが好きなウイリアムです。

「そうだコタさん、俺のことだけど、ウイリアムとかカーチスさんとか他人のようでいけません、コタさんと言うように俺のこともウィリーと呼んで下さいよ」

「いいともよ、それではウィリーさん、いやそれじゃいけねえかウィリーといこうか」

「そうそう、その調子で御願いします、だけどコタさんの、さんは、ないと型にはまらないので取りませんよ」

「いいけどよ、それでもよ、どうせコタというのは二人くらいしきゃいないからよ」

「誰ですか其れは」

「勝先生という俺の先生と、啓次郎様という俺の友達の中でも身分の高い人さ」

「そうですか、では俺は友達くらいには扱ってくれますか」

「もちろんだよ、ウィリーは大事な友達だよ」

「オッケー、嬉しいですね、友達、友達ね」

ハシャイデなんども友達、友達と言って居ります。

ゴーンさんのところでマルセイユから着いたばかりの、アルフレッド・ジラールに紹介されて、住まいはピカルディに、アルフレッドとウイリアムのために二部屋増やしたところと、決まっていますのでゴーンさんも連れ立って20番に向かいました。
ウィリーは外に住んでいましたが、寅吉に63番に住んでよいといわれてから住所を20番のピカルディに住んでいることにしてほとんど63番に入りびたりです。

部屋に荷物を置いて、とらやでマリーを紹介して珠街閣でも働く時間が同じなのでとりあえずは言葉を覚えてくれということになりました。

改めてそれぞれを紹介してウィリーにはジラールが日本に慣れてきたら畑の作物の売り込みなどの手伝いもやらせてくれるように頼みました。

「ジラールにはゴーンさんたちも協力して早く商売の道がつくようにしてくれと頼まれているから、ウィリーも頼むぜ」

「いい人を紹介してくれました、私とこの人が組めば英語と仏蘭西語で取引の幅が広がりますね、農家になるのは無理でも売り込むには関係ないですからね」

「そうだな、まず清国人の考え方を学んでそれからここで日本人のことも学んで其れからだな、早ければ3月もすればどうすればいいか見当がつくさ」

それぞれが通訳しながらですが意思も通じてジラールもいきなり日本人の中にほおり出されることもなく、安心したみたいです。

繰り返しですが、寅吉がそれぞれに説明を繰り返します。

「ジラールにはまずここで朝の掃除と店の準備をして店の手伝い、午後は朱さんの店の掃除と手伝いをして夜は何をすればいいか自分で考えて呉れ、慣れたら野菜や食品の売り込みから始めてほしいんだが、其れに慣れれば自分で商売になることを始めればいいさ、パン屋と料理屋で3月もいれば人と付き合うコツも覚えるだろうぜ」

「本当だ、まずここで商売するには頭が上がりっぱなしでは、儲けも逃げていくばかりだということを覚えることさ」

ゴーンさんも苦労人らしく口を添えます。

パルメスさんもフランス語は理解できるのでジラールにとっては居心地の悪い思いはしなくて済むでしょう。

二人の若者は互いに「アル」「ウィリー」と呼び合って言葉を交わしています、マァなんといっても寅吉とは年が近いですがこのとき、寅吉20才(21才)ウィリー22才、アル26才でした。

寅吉の年を聞いて一番驚いたのはウィリーで「俺より年が下だなんて気が尽きませんでしたよ、驚きました」

アルはゴーンさんから聞いているらしく驚く様子はありませんでした。

驚いていたのはそばで聞いていた店の異人さんたちで「日本人は若く見えるものだと思っていましたが、旦那がそんなに若いなんて驚きました」居合わせた皆がwonder-struckということです。

「まだ先になるがよ、ホテルを開こうと思うんだがな、そのときは支配人にウィリーになってもらいたいのだよ、其れまでに農園が軌道に乗ってかかりっきりにならずに済めばだがな」

「其れはいいですね、自分の農園で作る野菜を出せるしね、でも料理人のいいのがいないでしょう」

「そいつが難点だが、料理人のいいやつがいたらそれも引き込んでやろうぜ」

「私たちも混ぜてくれますか」

ゴーンさんや休みなのに花の世話に来ていたハンナも乗り気ですが「でもだんなさん、金はどこから都合するのですか」

「でェ丈夫だよ、今三千両ほど居留地から出せねえ金があるんでな、そいつを何かに使おうと思ってるのさ、一口100dollarで何人か集めてもいいか」

「そのくらいなら10人くらいはすぐ集まるでしょう」

「1年間は赤字を覚悟でただの捨て金を承知してくれるものだけで、始めようと思ってるから、儲けを期待しての投資は無理と思ってくれよ」

「それで心当たりがあるのですか」

「大有りさ、実は男爵には貸しがあるんだよ、あいつが引退するなんど言うので仮の支配人を置いて営業してるだろう、そのときにホテルごと買い取れるだけの金はもう渡してるのさ、だから男爵が引退すればすぐ誰かにやらせるつもりだったが、あと一年くらいでシンガポールに行くということで調整してるそうだ」

「では、ロイヤル・ブリティッシュ・ホテルはもう旦那さんのものといってもいいのですか」

「そうなんだが俺の名義ではここで営業は出来ないのさ、いい時期にウィリーが農園を開きたいと来たのを捕まえた、捕まえたはひどいか、それなら知り合ったということさ」

「自分には負担する金などありませんよ、やっと農園が赤字にならないくらいのものなのに、無理ですよ」

「心配するなよ、野菜と果物の需要はどんどん増えるぜ、安心して任せて置けよ、それに負担金は後払いでいいさ、赤字のままだったら其れも免除してやるよ」

「そんな美味い話が本当にあるのですかね」

「コタさんが言うなら大丈夫だよ、おれたちも応援してやるから頑張ってみろよ」

アルにも皆でかわるがわる通訳して「お前も頑張れば皆が応援してくれるから信頼される人間になれよ」というふうにゴーンさんに言われています。

「ところで仕事が巧くいったら奥さんか恋人を呼び寄せるのかい」

ゴーンさんがこれにはたまらず吹き出すので怪訝な顔の皆です。

なにやらアルに聞いてから「やっぱりだ、こいつは恋人に振られて自棄になって日本に来たいと言い出したそうです」

アルが雰囲気を察したか懸命にゴーンさんに言って居りますが、ウンウンというようにうなずきながらも「なんてやつだ、みなにわかると恥ずかしいというけど見返すよりも、新しい恋人でも探して此方で家族と暮らしたいんだとさ」

「家族というとフランスのかい」

「イヤイヤ、新しい恋人の家族だとさ、まだいない恋人の家族まで心配してるよ」

これには英語がわかるもの全員が大笑いでした。

昼近くに喜兵衛さんを連れて勝治がパン屋にやってきました、石川村の土地はウィリーが借りたいときは寅吉の名義で借りるという話がついていたのであっさりと契約が完了しました。

石川家の差配とも連絡をつけて働く人間の手配も住みました。

これで春の種まきまで心配事は何もないことになるかと思いましたら、連絡に来た太四郎を通訳に従えて、ウィリーはもう「すぐに畝作りだ、今植えられるのは他にも何かあるか」など忙しく畑まで喜兵衛さんも連れ出して、出かけました。

アルにゴーンさんと3人連れ立って寅吉は朱さんの店に出かけていきました。

珠街閣でそれぞれを紹介して、あとで改めてマリーと来るからと話しをしてアルに働くための服を何着かゴーンさんと折半で買い与えました。

卯三郎さんは薩摩の話が済んでここ暫くは横浜に来ておりませんが、番頭さんが時々顔を出してくださります。

生糸がはいらず困る人が多いと嘆くのは毎度のことですがあるところにはあるもので、どうにか息をしている店ばかりというわけではありませんでした。

交易新聞などは一糸も入らずなどと書いて居りますがね。

それでも生糸の代わりに綿花の取引が盛んに行われていますが、木綿を売ればそれだけ国内が困るということに気がつかぬのは困り者です。

弁天町にも空き家が目立つようになりましたが其れでも全体の人間の数は確実に増えて居ります、ただ入れ替わりの激しさはすさまじいものがありました。
アルはどうやらスジャンヌが気に入ったらしく、毎日のように盛んに話しかけて居ります、彼女は働くときに20台といっていましたがやっと20才になったばかりだそうです。
18番の彼女の家にもよく行くらしく、バルダンさんとも親しくなって休みには二人で散歩に出かけてはウィリーの畑で何かと手伝う様子です。

 連合艦隊

この日の朝寅吉は江戸から帰る途中で品川沖を南下する艦隊を見てこの船が日本の精一杯の力を振り絞った現状であると思い、小学生のころ横須賀で見た連合艦隊に思いをはせるのでした。 

軍国日本を苦い思いで見ていたジイは「勝先生が心配していた事がどんどん行われている、国の力以上に軍事に力を注げばいつかは破綻してしまう」そういつも言っていたジイは明治の有力者たちが老人となり、夢が現実の世界となっていく様を自分たちの力と過信していく様子が見えることを、心配していました。

仏蘭西は幕府に肩入れをして失敗、英吉利は薩摩、長州を応援して亜米利加が南北戦争で日本からの利益配分から出遅れたままの中、明治政府と協調して自国の利益に結び付けましたが、その恩恵と英吉利の方策のおかげで成り立っているということを忘れてしまう様を危ぶんでおりました。

先生にはそのことの幾分かしか伝えられませんでしたが、十分理解されて朝廷と幕府連合の政府の成立と国力の充実を目指すと約束されてくださいました。

短い間の操練所になることは先生も承知なのですが、坂本さんを交えて話したときに、危険人物の入所を控えて長く経営できないでしょうかと坂本さんが言うと、「ばかぁ言うなよ、危険人物の第一人者はおめえじゃ無いかよ」これには3人ともに大笑いで涙が出るほどたまらない可笑しさでした。

このとき参加された艦艇は蒸気船だけでも10隻にのぼりました。

      翔鶴丸(蒸気)    将軍家茂公の座乗船 艦長 肥田浜五郎 
              司令長官 勝麟太郎

      朝陽丸(蒸気)     艦長 伴鉄太郎。  咸臨丸の姉妹艦

      蟠竜丸(蒸気)     頭取 浜口 卓右衛門 

      第一長崎丸(蒸気) 長崎奉行 定役 鈴木 卓太郎    

各藩艦隊

    黒竜丸(蒸気)        越前

    安行丸(蒸気)        薩摩 船将大山彦介

    観光丸(蒸気)        佐賀幕府貸与、日本最初の蒸気船

             番頭並 浜野 源六  

    錫懐丸(蒸気)         加賀発機丸(発起丸)と改名されます。

             軍艦奉行 岡田 雄次郎

   大鵬丸(蒸気)        筑前   松本 主殿 

    第一八雲丸(蒸気)  松江 奉行  杉原 杢 

帆船

千秋丸(バルク・帆船)幕府    荒井藤太郎

広運丸(バルク・帆船)盛岡 

  そのほかの帆船も何艘か参加したそうですがメモを残し忘れてしまいやした。

 

春駒屋さんで昼をご馳走になりながら番頭さんから最近の取引の現状をお聞きしました。

横浜の関税引き下げの噂がこの辺りにも聞こえ取引が渋滞しだしたということです、相変わらず生糸の江戸廻漕令によって横浜への入荷が滞っています。

春駒屋さんでも石鹸はよく売れるそうで品川では遊郭で盛んに使われているということです、岩蔵は税率が下がるまで必要最低限しか外に出さないように気を配り、足りないということはないのですがそれでも春駒屋さんで扱う量は膨大な物になっていて、もっと入れて欲しいということでした。

「雅よ悪りぃがここから先行して正月用に整えて有る品物の確認をしてくれよ、横浜について打ち合わせが済めばまた江戸に戻るから、頼むぜ」

「ハイ、わかりやした、それで旦那は今日どういたしますか」

「夜には青木町まで戻るから、笹岡さんと打ち合わせがてらそこで泊まるよ」

「では、お先に失礼いたしやす」

雅を先行させて寅吉は帳面に署名をして2時頃に品川を出ました、風が冷たく吹く中、六郷を渡るころには先を急がねば雪にでもなりそうな雲行きになってまいりました。

しがらき茶屋を過ぎる頃には日も暮れて行き交う人も途絶えてきました。

「オイ金を出せ」

見れば尾羽打ち枯らした貧乏浪人、攘夷浪士ともみえず街道を行き来するごろつきでもあるのか、それともやむにやまれぬ金の入り用でも出来たのかよく見ればそれほど悪人面でもありません。

「どのくらい入用ですか」

「有り金全部だ、こんな夕暮れ時に先を急ぐからには懐も暖かいだろう」

「金を出すのはいいですが、あっしも商人としてただ金を差し出すのは困りやすぜ」

「なればこれに物を言わせようか」

刀を抜かずにいるのは腰の物まで金にした様子。

「附いてくれば必要な金はご都合付けやすぜ、切り取り強盗の真似をするより働く気はありやせんか」

「急ぎの金が必要なんだ出してくれ」

「わかりやした、この財布に二十両入っておりやす、私の連絡先も書付が入っていますから、働く気が有るなら青木町までおいでなさいよ」

そういって財布を手渡しますとひったくるようにとり、川崎に向かって一散に駆けて行きました。

「病人でもいるか、腰のものは金にしてしまったか」

寅吉はひとりでに足を速めて青木町に着くと熱い風呂で先ほどのことを思い出すのでした。

あのように侍という肩書きが邪魔をして、働く場所に困る人たちをどのようにして生活させればいいのか悩むのですが、寅吉に解決策はなく少しずつでも働く人の場所を確保したいと願うのばかりでした。

風呂から上がり正月に向けての店の方針などを打ち合わせて、出来るだけ使用人達への正月手当てを出すように会計の朝吉の報告を聞きました。

「今期の余剰金はいまのところ三千両ほど出ますがとらやさん側では五百両との報告が来て居ります」

「そうかよ、江戸ではひと月分を手当てさせてきたが、こっちでも出せるかい」

「ひと月としますと私のほうで青木町、野毛で扱うものが三百二十両になりますがよろしいでしょうか」

「其れでいいよ、月二両以下のものには少し特別に出してやれないかよ」

帳面を見て「三十六人居りますがどのくらい出しましょうか」

「一人二分だけ上乗せしてやってくれ、其れと三両以下は一分出せるかい」

「今その間の給金のものは五人しか居りませんので大丈夫でございます」

「三百三十九両一分か、正月明けに気張って稼いでくれるように気合を入れてやってくれよ」

「旦那関税のほうはどうなるでしょうか、来月下がるまで品物を止めますか」

「いや、必要なものは留めずに出してくれ、其れと木綿が大分取引されている様子だそうだが、こっちにも何か言ってきてるかよ」

「大分売れ売れといってきて居りますが、すこしずつしか出さぬようにして居ります」

「例の生糸の抜け荷騒動ですが、こちらにも品物が置いてあるか調べが来ました」

「何もないので驚いていたろう、樽に隠したり沖で取引したりとバカなことばかりするやつがいるから、彼方此方とばっちりが来るのさ、各国の公使や領事が言っても後半年は埒が開ねえよ、お役人は袖の下の多いほうの言う事を聞くやつばかりさ、埒もねえ」

「鎖港はどうなるでしょう」

「朝廷が勅許という奥の手で行おうとしてもここまで異人たちが来ている現状を変えられるものかよ、恥の上塗りをするだけだよ」

「打ち払いということはないでしょうか」

「無理だよ、いまは長州が攘夷の先鋒だが京の情勢は当事者たちにも先が見えねえことになってるよ、今日の友は明日の敵、其れと反対のこともあるから何があるかわからねえよ」

「では私たちは今出来る仕事をやるということに全力で取り組むということですね」

「そうさ、無理しても先が見えねえでは仕方ねえよ」

現在の所、最高給与を取っているものは寅吉と、伝次郎、永吉、幸助を別として、お怜さんが十五両、笹岡さんが十五両、橋本さんと千代が十二両ずつであと朝吉に春と太四郎たち10人が十両を取って居ります。

これで百五十四両の出費ですが寅吉としてはもっと出したいのですが、今は長崎の準備に金が必要で横浜としては限界と朝吉に言われています。

この年末に横浜では異人さんを含めて八十六人の人間が働いておりました。 

少ない給与の物は簡単な仕事の者や朝だけとか午後だけの者が殆どです、人足でも二十日も働けば五両以上稼ぐものが大勢居ります。

この当時江戸の大工で一人前の腕があれば一日銀二十匁稼げたそうですが、月に三十日働いて六百匁、十両ほどになるでしようか、ただ横浜物産会社では衣服に食事と家は会社もちですので家族持ちで自分の家から来るものには稼ぎに応じて幾分かを支給して居ります。

アメリカ  1ドル  三分
イギリス 1ポンド 二両二分
フランス 10フラン 一両
10両(テール) 九両

壱両=四分=十六朱=銭六千四百八拾文=銀六十匁

文久3年当時はこのくらいの交換レートでしょうか、パルメスさんの三十両を含めピカルディの分は寅吉の負担なので計算外ですが月々二十両程度の赤字で済んでいました。
9人分でこのくらいなら当初の予想より少ないと寅吉は安心しておりました。

 ・ ホテル

前日から寅吉は精力的に野毛から元町、20番と回り夜にはマック、ゴーンさんと連れ立って男爵に会ってホテルのことを話し合いました。

「トンプソンはどうしましょう」

「手が空いていたら呼んでくれないか」

トンプソン氏が部屋に来ると寅吉がこうきり出しました。

「経営者の名義が変わるが、いままでと同じように支配人として働いてくれるかい、ただ料理はフランス式のものにするからあなたはバーでの軽食程度になるがどうだろうか」

「男爵と入れ替わりということでしたら願ってもありません、其れとお願いがあります」

「なんだい、無理なこと意外は聞いてやるよ」

「噂は聞いていますが、若い人と働くのにうまくいかないと私の立場がありません」

「オオソウカ、其れはウィリーと会って見てからもう一度話し合おうぜ、あなたの支配人という立場が悪くなるようなことにはならないと、ここにいる3人が保障しますよ」

「解りました、コタさんの言うことは信頼できると思って居ります、あと給与ですがいままでと同じ分を出してくださるのでしょうか」

「男爵、どうなっているのだよ」

「月に25ドル、部屋と食事つきです」

「とりあえず同じだけだそう、経営がうまくいくようになったら値上げすることも約束しよう、其れと被服費を実費でこぎれいに出来るようにしてあげます」

「ありがとうございます、でもいまの部屋数では売り上げが急速には増えませんよ」

あなたの部屋と男爵の部屋を改造して客室にします、庭の北側に倉庫付きの離れを建て二階にあなたの部屋と1階にはコックたちとメイド用の部屋にします、ホテルのサロンのinformation clerk(クローク)に部屋をつなげて一人ないし二人が泊まりこみ出来るようにもします、こうすれば12部屋の確保が出来るし、食事だけの人も受け入れて食堂の売り上げも増やすようにしようと考えています」

「ウィリーは何処に寝ますか」

「彼にはいま山の上に家を貸しているし20番にも部屋があるから、ここに泊まるときはクロークに寝るだろう」

「其れと経営者は、ここに来ている3人の共同だよ、あと株仲間を何人か集める予定だから金がたまったら仲間に入るといいよ、自分の持ち株があれば働き甲斐もあるだろうさ」

「いくら必要でしょうか」

「一人One hundred dollarで10人、現在は3人で2000ドル用意したので合計3000ドルの株さ、thousand dollarで男爵から経営権をかいとってあるからあと500dollar引退するときに払う約束さ、残りの金で建て増しと改装をするのさ、ここにいる3人の経営権には口出ししないという契約だよ、株を持てば、あなたが働けば働くほど収入が増えるということさ」

thousand thanks是非参加させてください」

宿泊料は朝夜の2食付で日に2ドル、月決めは先払いで30日50ドル31日のときはサービス、2月は47ドルと決めました。

食事は食べなくても割り引きは無し時間は厳守、朝は6時半から8時の間、夜も6時半から8時の間に食事を始めることとして、朝8時半、夜10時に食堂を閉める、お客を呼んで同じものを出すときは夜1ドル、特別料理を食べるときは予約制で宿泊客は割引をするなど細かいことは来年度改めてウィリーも交えて決めるということにしました。

バーに有る玉突き台も最近は痛んできたので新しいものを注文することにして、食堂も改装して庭で食べられるようにガラスの屋根をひさし代わりに出せるようにすることにしています。 

ネズミとゴキブリの退治の仕方なども細かく書いたものを渡していまから清潔に気をつけるようにたのんでおきました。

男爵は3月一杯でシンガポールに渡るということなので日本の暦に直すと2月の24日でした。

便船の関係で遅れるときは引退してからホテルの客として船の出るのを待つという約束もして、500ドルは現金で最終日に渡すことも約束しました。

「フランス式の食事にするということでしたが、コックのあてはあるのですか」

「朱さんの推薦でこの間あって試験したがなかなかの味だったよ、スープの取り方に工夫があるようだあとは材料がそろえられれば本式のものが出せると言う話だった」

「そうですか、私も食べてみたいものです」

ゴーンさんの話に男爵も食指がうごめくようでした。

「コタさんが一番気に入ったのはビーフシチューだそうだ」

「まったくコタさんと来たら日本人にはいないのに平気で肉料理も食うしチーズでもバターでも平気だからな」

マックがあきれるくらい寅吉は肉料理に偏見がありません、それは子供のころに食べたビーフシチューの味を忘れていないからでしょう。

横浜や東京で食べた味は今でも覚えていて、よいコックがいればすぐによしあしの判断にビーフシチューを作らせればいいと固く信じています。

ソーセージを作れるものがいればよいと心から望んでもいますが其れはまだ無理のようでした。

「この横浜にいれば世界中の食い物を作る人間が集まって来るから好き嫌いなどいわねえほうが美味いものにありつけるというもんさ」

寅吉はいつもこういって新しい味を試すことにしています。

「インドで食べられているカリーというものはシチューのようで少し違うという話しだが食べてみたいものだ」

「あれはハッシュドビーフを辛いのにしたようで不思議なものだよ」

マックがそういっています。

「ソウソウ、彼らは手でつまんで食べるか、ローティという薄べったいパンに似たものですくって食べていたよ」

ゴーンさんも日本に来るときにカルカッタで食べているのを見たそうです。

「ところで、コタさんこの間のヤンチーだが安い買い物をしたそうじゃ有りませんか」

「あれは俺が口を聞いたというほどの事はねえよ」

「でもうちに来る軍人さんたちも領事館の人たちも、よくあんな値段で手放したもんだといってるよ、ギャビストンさんだって前のライモンの時には20万dollarを五千dollarしか引かなかったそうじゃないですか」

「いくら鉄船だからといっても、あれは高く買いすぎてるのさ、それでまた同じように売りつけようとしたろうがそう美味い話ばかり転がってはいねえよ、それに勝先生にリベートは通用しないからね、去年の同じ鉄船のジンキーさえ十五万dollarだぜ、今度のは機関が性能がいいから買おうという話さ」

「元の値段がわかっていたのかという噂もありますよ」

「情報が有ったのは確かさ、あれは新造船の時にseventythousanddollarだったという話さ、俺のところでは、大体の元値がわかるが日本まで来るからには見合うだけの儲けを出してやらにゃあいけねえだろうぜ、実際は6万もしねえはずだがよ」

「其れが十四万五千dollarという値段の根拠ですか」

「ソウソウ、デント組合の取り分がhundred thousanddollar、ギャビストンさんがten thousanddollarということだがあれはデント組合からもten thousanddollarはいるはずさ、亜米一どころかジャーディン・マセソン商会も入ってtwenty thousanddollarとるからあちらこちらの儲けがすくねえのさ、その残りのfifteenhousanddollarをいろんなところで別けるそうだぜ、それでも前に儲け過ぎだと言うのが誰にでもわかるから強く出れねえのさぁ」

「コタさんはいくらか貰えたのですか」

「直接は入ってこねえよ、だってtwohundred thousanddollarを勝先生がfourhundred thousanddollarの一点張りだったのを最終的にfivethousanddollar上乗せしたが喜んだのは幕府の勘定方くらいのものさ、だから外国奉行の方から商売の種を少し融通させてくれるという話だけさ」

「あてになる話とは思えませんね」

「そうだよ、生糸でも扱って入れさせてくれれば大もうけは確実だがそんな話は微塵もねえよ」

男爵にこれまで情報を流してくれたお礼も日本を離れるまでにしなければと考えている寅吉でした、シンガポールに持ち込めば確実に金になる日本のものを持たせようと考えています。

   
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 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
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 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
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