酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第八部-3 弁天 3

浮かれ蝶・婚礼・宴会・マイセン・大晦日

 根岸和津矢(阿井一矢)


        

 ・ 浮かれ蝶

董君たちイギリス留学生の一行と松井源水の一行は、あらぶれた横浜の町を見ながらイギリス船に乗り込みました。

船は長崎に寄港した後、上海を目指し早ければ2ヶ月ほどでロンドンに到着の予定だそうです。

紅海から建設途上のスエズ運河を抜けて地中海の船旅を楽しめると言う話でございます。

ようやくに町も落ち着きが見られだし再建のための槌音が響きだしています。

太田新田の港崎遊郭はやはり再建されないことになり埋め立てられたまま今はその跡地について何も決まっておりません。

跡地と言えば倒産した後整理が進んでいたデント商会は4番にはベール氏が入り5番にはクラブが被災したWH・スミスさんがユナイテッドクラブを開く予定だそうです。

今はカーチスの2軒とミッチェル・ラプレイス商会のコロニーホテルの3軒のホテルだけが無事な姿をとどめていますが、これだけでは需要に追いつきません。

そんな中、リズレーさんは103番の自宅に組織した「帝国日本芸人一座」を呼び寄せました。

自宅に泊めたのは予約したホテルが火事で消失してしまったためです。

「コタさん頼みがある、人間が多くて俺の家では雑魚寝するにも狭すぎるんだがね、何にかそちらで泊まるところを世話してくれませんか。ホテルとはいわんがどうだろうか、なんせ私のほうのものと合わせて25人もいるんじゃどうにもならんのだよ」

「神奈川の宿のほうではいけませんか」

「日にちも迫っているし、できれば野毛か元町あたりにないだろうか、サンフランシスコをかわきりに、ニューヨーク、パリ、ロンドン、オランダと回るのに出発前から宿舎でもめるのはかなわんのだよ」

後見人の高野廣八さんも口をそろえて寅吉に頼むのでした。

「実は28日から晴天壱日限りということで紫胡蝶太夫の一座が弁天の馬場で横浜のために興行を打ちます、これは入場料を取らず子供と同行一人という入場制限をつけての興行です。これに壱回だけでよいですから壮行会という名で参加していただけないでしょうか、もちろんそうしていただければ宿舎に食事つきで今晩から18人の面倒は見させていただきます」

「本当ですか、18人全部引き受けてくださるなら文句などありません」

廣八さんが引き受けて「それなら午前午後と二回の壮行会を晴天に限りやらせていただきます」

リズレーさんも顔がほころんで「やっぱりコタさんは頼りになるよ助かったよ」と満足げでした。

「どうしましようか、一座のものはどこに行けばいいですか」

「野毛の俺の家が今晩から空くから暮れ六つまでに来てくれないか、今寝泊りしている子供や年より達はよ、今朝ほとんど行き先が決まって部屋がいくつか空きが出たんだ。今まで3つの部屋で50人いたんだから18人くらいなら楽なもんだ、部屋割りが必要なら廣八さんがこれから来てくれれば割り振りもつきやすいよ」

「では私は野毛についていきますから、リズリーさんは先にそのように座長にお便へくださいますか」

寅吉はリズリーというよりもリズレーというような発音に近く聞こえるのでいつもその様に発声していますが、ほとんどの方はリズリーというようでございます。

「いいとも、それでは廣八が帰ったら宿舎の移動できるように準備しておくよ」

二人で野毛に戻り早速お松津さんと相談して部屋割りを決めることにしました。

廣八さんと座長は一部屋ずつ、後は廣八さんが割り振って四つの部屋に収まってもらうことにしました。

残っている年寄りや子供は20人でした、太四郎がこの人たちの住む家の心配もしているそうで間も無くきまるとお松津さんは言っています。

翌26日の朝、神奈川に宿を取っていたお夏、お春の姉妹が若い衆がお供について挨拶にまいりました。

顔見知りの芸人たちですので話は盛り上がり、どのような出し物で盛り上げようか話は尽きないようでございました。

桜花亭で今晩行う歓迎会は人数が増えても大丈夫という返事が来て、寅吉はここでも大出費になるというのでお松津さんなど懐を心配しております。

「旦那、旦那ばかりの懐でやらずに、燃え残った大店からも賛助金を集めればよろしいのにさ」

「そうもいくめえよ、あちらさんはあちら、おいらたちは焼け出された子供たちが気がめいらねえように仕組んだことだからよ」

「それに紫一座は紀重郎さんの顔で宿代だけで来てくれたんだ、粗末にゃ出来ねえよ」

その日の夜は暮れ六つ前から桜花亭に集まり、双方の一座で34名にもおよび紀重郎さんに寅吉も参加して賑やかな食事と宴席でございました。

夜舟で神奈川に戻った紫一座はあけて27日の朝の船で弁天の境内に集まり馬場での地取りと、どのように進行するか話し合っておりました、奉行所からも古田様が小者を従えて話し合いに参加してくださいました。

「明日も晴れが続きそうで幸いだ」

「左様でございますね、風さえなければそれほど寒くならないでしょう」

「お前さんの裏技とでも言うのか、大層な数の芸人が参加してくれるそうじゃねえか」

「ハァたまたまでござんすよ」

そう話しているところに廣八さんを先頭に三々五々と野毛から芸人たちが集まり「みなで野天でやるのは久しぶりだ、派手で受けのよい芸をやらせていただきますよ」

「そうでござんすか、それでどのようになさいますか」

「馬場の中で芸を見せるということなので、外からぐるりと人が見るのなら何箇所かで違う芸をして順繰りに見て回っていただくことにしました、胡蝶太夫さんも承知してくださいましたので後は明日のお楽しみでござんす」

古田様も「楽しみにして居るぞ、わしらは役得で見回りと言う名の息抜きじゃな」

「楽しみにしてくださいませ、子供だましだけでなくアッというような芸を披露させて頂きますよ」

28日は西洋暦では12月4日火曜日で、普通なら寒さも一段と進んだ陽気でございますが、幸いにも風もなく朝から陽が出るという恵まれた日でございました。

野毛の町から火消しの先導で芸人たちはかさの上で桝やマリを回しながら思い思いの芸をしながら弁天の馬場に入ってまいりました。

四つの開始を待てずに朝早くから来ていた子供や付き添いの大人たちも火消の頭たちが木遣りとともに入場すると大きな歓声で出迎えるのでした。

入りきれない人たちを見てカション神父が学校の庭でも芸を見せてはどうかと廣八さんに相談をしています。

廣八さんは一蝶さんと波五郎さんに相談の上「宣うございます、壱日二回公演等といわずに今日は交代で休みながら何度でも芸をお見せいたしやしょう」

足芸のものが一休みしているところで相談して、お春さんとともに校庭に移動していきました。

廣八さんが大きな声で「本日はご参集いただきありがとうございます、お後の方も詰め掛けておられますので隣の学校の校庭でも芸とおやつなどご用意しておりますので赤い幕に従ってお入りください」

さすが世話役だけあって火消しの人や紀重郎さんの配下のものをたくみに使って入り口に幕を目印に張って誘導して馬場がすいて来たところで外の人たちを中に入れだしました。

学校に廣八さんと来て見るとリズレーさんが急遽自分の率いてきた曲馬団の人たちと馬がなくとも芸は出来ると参加しておりました。

「リズリーの旦那さんなかなかやりなさるね、これならこちらも安心してみていられるでござんす」

「馬があればもっと見せ場があるのにそこまで気が回らなかったなぁ」

「仕方ありやせんよ、こんなに子供たちが喜んでくれるなどリズリーさんも思っても居りやせんでしたからね」

外人の子連れも目立ち、中には大勢の子供にまぎれて付き添いの振りで見に来ている大人も多いようでございますが、それは木戸銭もとらぬ関係で見逃しております。

幕のところでそれぞれに大福を二つ入った包みを渡しておりますが、昼前だというのに300個以上が出たという話でございます。

お怜さんがとらやのほかにも何軒かの和菓子屋から寄付していただき600個用意したということでございますが足りなくなりそうになってまいりました。

寅吉が来ていた春に耳打ちして弁天町のとらやに走り見世から団子や饅頭をあるったけ掻き集めて、紙に包んでまいりました。

湯茶を接待しているお怜さんのところにまいりますと「旦那予想以上の人出になって足りないものばかりになりそうですわ、芸が楽しみばかりかお菓子も楽しみらしくもう2回目だという子まで居りました」

「そうかどこか菓子など大量に手に入るところはないかな」

そう話しておりますと手伝いに来ていた町家のお上さんが「見世のものでよろしければお手伝いできますが、いえ御代は結構でございますが、ただ袋に店の名が入っておりますがよろしいでしょうかしら」

「風月堂のお上さんでございますよ」

お怜さんが傍から口を添えてくれました。

「西洋菓子や和菓子など雑多になりますがそれで宣ければお手伝いさせていただきます」

「お願いいたします、だれかお上さんについていって運ぶお手伝いしてくれ」

春と雅がついて風月堂さんまですぐさま向かいました。

30分もたたないうちに店主の松蔵さんが自ら菓子類を木箱に満載して運び込んできてくださいました。

「寅吉さんとは掛け違ってお目にかかるのは初めてでござんす松蔵と申しやす、お手伝いできて光栄でござんす」

寅吉は思い出しました馬車道の風月堂といえばあの大正当時の老舗の和洋菓子の名店でございました。

「お初にお目にかかり光栄でござんす、して西洋菓子まで御手がけておられますか」

「いやはやお恥ずかしい西洋菓子といってもカステラやボーロなどくらいしか扱っておりません、これからも勉強していろいろ作りたいと考えております」

「わからないことや困ったことがあればお手伝いして西洋人にも聞いて上げられますから何でもご相談ください」

この人も気風のいい職人でございました、横浜を守り立てる大事な一人なのでございます。

「店の名入りの袋しかなく申し訳ありやせん、包みなおしてる間などないとうちのやつが言うもんで」

「何かまやしませんのさ、それにお宅様の宣伝になれば助けていただいたのですから、うれしい事でござんす」

「そういっていただけると安心でございます、皆様がお名前を出さずにおられるのに気が引けて仕方ありやせんでした」

「安心してください、そちらはあそこでお怜さんが皆様と相談して今日のお菓子の提供のお店のお名前を書き出されておりますよ、どうですあれで安心でしょう」

大きな張り紙で何枚も、今日のお菓子の提供されたお店を、出された数と関係なく書き記されて居りました。

「オオさすがお怜さんのお手並みはすばらしいものですね、お店の名がすべて書き出されていれば、私のところだけ宣伝したなど言われずに済みます、ありがとうございます」

安心したかのようにうなずきながら松蔵さんはからの箱を持って見世に戻られました。

昼時になっても詰め掛ける人並みは途絶えることなく続き、芸人たちは変わり番子に休憩を取るとまた馬場や校庭に散っていきます。

本町通に続く表には甘酒と飴などに鮨の屋台まで出ていました。

弁天の境内にも多くの人が出て界隈は火事以前にもまして華やかに人であふれていましたし茶見世はどこも満員盛況でございます。

多くの外人も散歩がてら軽業を見たり手品を見たりして、子供たちと同じように盛んに拍手したり声をかけておりました。

馬場に戻ると一蝶さんが身の丈より大きなこまを設らへた台の上で振り回していました、こまは台の上で一人で回っているように見えるほど一蝶さんは陰に隠れてしまいます。

菊治郎さんが出てきてこまをいくつもまわし座員がロープを待って走り回るとそのこまが生き物ようにロープの上を行ったりきたりしています。

学校に行くと足芸の定吉さんが三味にあわせ小桶を足で回し、その上に放り上げられた桶を受けてさらにその上へと積み上げられていきます。

釣り合いが崩れた桶がぐらぐらとゆれながら回り始め、三味線が乱調子になると次々に高く放り上げられてそれを脇のものが器用に頭や背で受け止めます。

波五郎さんは傘を背中から出したり消したりと幕の前で見せるかと思えばついと幕から離れ背中を見せたまま傘を何本も取り出して見せました、どこに隠してあったのかわからず見とれていた多くの人から歓声が盛んに上がっています。

胡蝶太夫と二人で観客の近くによって手の内から出した蝶を何頭も飛ばして幕に引き下がりました。

「親方の手妻はいつ見ても冴えていらっしゃいますわ、いい物を見させていただきました。幕がなくともできるなど親方だけでございます」

「何あんたの師匠の方が上だよおいらのは派手に見せてるだけさ、ただあれは袖口にあるのを隠すために袖をいつも柔らかく震わせるのがコツさ」

「ありがとうございます練習して親方がお帰りになるまでに人に見せられる芸に仕上げさせていただきます」

二人で盛んに傘を出したり消したりしているのを辰さんと千代は感心してみておりました。

「オイオイ、お二人さんここでやっても観客が少なすぎるだろう」

「ではまた表に出て練習をそのままお客に断りながら見てもらいましょう」

一座のものが手品で楽しませている脇に出ると声を張り上げて「私、明日より外国に旅立ちに付き、本日は皆様に外国でのお客様に見てもらうための練習の手品をいくつか見ていただき、直すところがあれば遠慮なくお声をおかけくださいませ。種が見えてもそれがご愛嬌となりますので失敗したと思わずこっからは見えるぞとお声をいただけば次には立派に隠してご覧に入れますればいざ眼を見開いてごらんくだされましよう」

先ほどの傘の芸から今度はまりを出し傘の中に消すと見て座員の背から取り出したりと色鮮やかな糸を繰り出してそのうちより大きな箱をだして見せました。

箱を開け中が空なのを見せた後、ふたを再度開けると色とりどりの布が舞い降りてきました。

その布を二人の者が広げて波五郎さんを隠すと、中から大きな赤い傘が開いて高く舞い上がり三味と太鼓の音がさらに大きくなり、布が引かれると波五郎さんは衣装を残し消えておりました。

見ているものがきょろきょろと顔と目を動かして見渡せばはるか向こうから「こちらにござ候」と衣装を変えて大だるの上から盛んに蝶を繰り出して居りました。

その日の最後の出し物として最高の盛り上がりを見て一座の人たちも自分たちのできばえに満足して馬場から引き上げてゆかれました。

自分たちのものは銘々が持って行きましたが後片付けと掃除は紀重郎さんが指揮を執ってちりひとつ残さぬほどきれいに掃き清められました。

寅吉が学校の小者たちに金一封を差し出して「後にちりなどが残っておりましたらご面倒でもお方付けくださいませ、これで慰労の会を行うには少ないかもしれませんがお納めください」と金包みを支配のものに差し出しました。

「いいとも、お前さんたちのことだ、きれいになっているのは目に見えているが後で見て廻りますよ」と受け取ってくださいました。

弁天通りの横浜物産会社に集まり、みなで湯屋に出かけて普段着に着替えるとそろって立花に出かけて天麩羅や鮨を注文して今日が日本の食事は最後とばかりにたらふく食べるのでした。

明日は早朝から旅立ちと言うこともあり男たちも、あまり遊ぶところもあまりないこの際早寝ということになったようでございます。


 ・ 婚礼 

江戸に出てお夢さんの婚礼のお祝いを申し上げて、さびしそうな先生のお顔を見ながらそれでもお付き合いをしておりましたが、そろそろ引き上げようかという其の時でございます。

「コタよおめえもそろそろ身を固めなよ、何お前が歴史を変えてしまうかと思っていたがそれほど変化などないじゃねえか、だからお前が世帯を持ったって変わるほどのことは無いだろう」

「そうですよコタさん、あんたが前の世でも誰かと一緒になっていたかもしれないじゃないの、自分自身から聞いてないのかい」

「それなんですが、わっしの祖母については墓参りをした記憶はあるんですが、名前も戒名も記憶にないのでござんすよ、ジジがはっきりと教えてくれなかったのか、父親はそのことを重要とは思わなかったらしく、詳しいことなど教えられておりやせん」

「なら寅吉さんは世帯を持っていたんだろうさ、選ぶとなればあの人なんだろうに、白状したほうが気も楽になるよ」

二人に後押しされるようにその足で連雀町に戻りおつねさんにも相談して見ました。

「いいことじゃないか、住まいはこの二階を片付ければここに住む事ができるよ、あたしだってせっかく親子の縁を結んだんだ孫を抱いてみたいやね」

お文さんも賛成してくれて、裏の長屋の寅吉の荷物は早々と二階に引越ししてしまうのでした。

「オイオイまだいつ世帯を持つかも知れねえのに気が早かあねえか」

「何いってんだい、ほんの着替えしかないのに気が早いもないもんだ、布団やなんかもあつらえるんだから早々に嫁の家に挨拶にいっといで」

気が早い江戸っ子といってもマァなんということか二日あまりで、かつ弥とも話が付き、八百茂さんとも仲人に河嶌屋さんがなってくださり、挨拶に出向いてくださいました。

おきわさんもかつ弥が寅吉と世帯を持つというので大騒ぎで支度を始めました。

10日の日にはお座敷もすべて挨拶が済んで、

「サァ今日からはもう座敷もないから二人で深川に挨拶に行っといで」

かつ弥と二人で大川を越えて深川の八百茂さんに挨拶に出かけました。

「このような時勢でございますから簡素に婚礼も挙げたいと存じます、お身内の方のみのご披露となりますことをお許しください」

「うれしいぜ、コタさんがこいつと一緒になってくれると聞いた時にわよう涙が出たぜ。このまま一生芸者を続けさせるのかと思っていたが、幸いというか昔馴染みのコタさんに貰われるなんて容は幸せなやつだ」

藤吉さんもたいそう喜んでくれて、「よかったぜコタさんに貰われるなんて容は幸せなやつだ、こんな兄貴だがよろしくたのマァ」

ひとつ寅吉より年がうえの藤吉さんはまだ嫁さんを迎えていませんが、妹のことを本当に心配していたようでございます。

それでも婚礼は先生はじめ養繧堂さん親子、岩さん夫妻など数多くの方が出てくださり、祝福された二人は新婚旅行ならぬあいさつ回りに明け暮れました。

17日には野毛に戻り、横浜でも二人は千代や辰さんを共に挨拶に廻るのでした。

「旦那はお嫁さんをどこに住まわすんです、野毛にしますか元町にしますか」

「それなんだがおつね母さんが当分自分たちの二階住まいにしろというのさ、横浜がもう少し落ち着いたら山手にでも住もうかと考えているのさ」

お怜さんもお松津さんもそれに賛成してくれました。

ピカルディでは顔見知りのこともあり皆が喜んで歓待してくれました。

「マァこんなところで何を勉強していますのさ」

容は寅吉の部屋のさまざまな実験器具に驚くやらあきれるやらでございました。

普段冗談や遊んでばかりいると思っていた寅吉が、商売ばかりでなくこんな勉強もしているのかと、説明をされるさまざまな器具に興味を持ってみる容でした。

翌18日は雨のクリスマスイブ、早くも仮宅で商売を始めた切見世は大工や人足で引きもきらぬ盛況だそうで横浜で稼いだ金は横浜で落とされていくようでございます。

お金が廻れば零細の商人たちも息を付き活気が戻る速さは驚くばかりでございます。

容も小雨がけぶる中、寄り添うように寅吉の商売仲間に、愛想を振りまきに出かけてくれました、この日は順吉が付いてくれてツリーの飾られたウィンザーハウスの食堂での昼となり顔見知りの商人たちに次々に紹介いたしました。

アルのところではソフィアも来ていて「コタさんのお嫁さんきれいね」と容の手を握っては何くれとなく聞いておりました。

お江戸に興味があるらしく、どのようなところか詳しく聞きだしているようでございます。

順吉には先に元町に行かせて、3人でメアリーの店に出かけました。

ここで容に洋装の服を季節に合わせて作ることにしたので、毎日横浜にいる間は採寸と着付けに来て欲しいといわれましたので「あと3日ほど居るので毎日必ず越させます」と約束いたしました。

マックの店でお茶を飲みながら競馬場の話題になりました。

「コタさんよ、競馬も火事の影響で後ふた月は延びそうだというじゃねえか」

「そうらしいな、9月に馬場は完成して盛んに調教に訪れるものが居ると聞いたが、何でも居留地規則だとかをもう一度練り直す間待ってくれということになったようだし、観客席なんぞは後一月はかかるとよ」

「そうだろうな、税関や役所を先に作らなきやしかたないものなぁ、コタさんのところは何を走らせる予定だよ、今のところ三十頭くらいは出るらしいから五回くらいのレースが組めるだろう」

「俺のところはラッパリーとオレンジが有力だ、ウィリーはパリスを登録しているしガイはドラゴンを登録しているよ」

「ところで奥さんには馬を紹介したのかい」

お容さんには陳君がお茶を接待しながら、ところどころ二人の話を通訳しています。

「アラ、馬もたくさん飼っているんですか」

「そうだ、晴れたら牧場にもいってみよう、今あちこちで十頭以上の馬に牛も飼っているんだよ」

「驚きました、馬をいただいたということは聞いていますが、そんなに居るんですか」

「そうだよ、二つの牧場には八人位働いて面倒を見てくれているんだ」

「横浜に居る間に行って見たいわ」

「いいともお天気が悪かったら晴れるまで横浜に居てもいいだろ」

「もちろんですわよ、あなたがいろと言えば何時までも」

「そんなことしたら、おつね母さんが怒り出すぜ、まとりあえず一回り俺の仕事の場所を廻るまではここに居ろよ」

「ハイそういたします」

二人の会話を今度は陳君がマックにわからないところを翻訳して話しております。

「オオなんと、新婚夫婦の会話とは甘いもんだ、コタさんが女の人には優しいのは知っているがこんなことを見たり聞いたりしたのは初めてだ」

「陳君そんなことは教えなくていいよ」

寅吉が急いでいうほど陳君が必死になって容にも教えているので耳まで赤くなった寅吉はあせっておりました。

「前来た時とお店の雰囲気が違いますが、どうしてかしら」

「そうか、ここに越してからは初めてだったか。前の店からこっちに去年の暮れに引っ越しをしたんだよ」

「そうでしたかそれでお店の雰囲気も違い広々と感じるのかしら」

「そうでそうです、前の店より広くなったし裏に庭もあるので明るいです、それにこの陳君という青年がよく働いてくれて、店もきれいに保たれています」

話は横浜のこと長崎のことなど付きませんが日暮れまでに元町に廻ろうと、谷戸橋から出てとらやで待って居る順吉と合流しました。

藤沢で父親が茶店を開いているという釜吉を紹介して「こいつの親父は字が違うが俺と同じとらきちだそうだ」

「始めてお目にかかりやす、釜吉と申します今年16の若輩者でございます、よろしくお引き立てください」

「一生懸命働けば旦那様もあなたを大切しなさいますわ、いろいろな仕事を覚えて早く責任のあることをさせて頂ける様になりなさいね」

「ありがとうございます」

半蔵も出てきてこちらにも励ましの言葉をかけて順吉を先頭に野毛に戻ります。

「夏と違って冬場は日が落ちるのが早いからあちこち廻るには不便だな」

「仕方ありませんわよ、あなた」

「そうだ例の千代な、俺たちが世帯を持ったら一緒になりたいやつが居るそうだ」

「アラ、それならあたしたちが仲人にならないといけませんわね、此方に居る間にお話を纏めてあげて下さいませ」

「順吉よ、お前千代のほうの話は煮詰まっているのか」

「橋本さんがこの間話を聞いておりましたが、料理屋でもやらせるかなどと、千代の兄いと相談しておりやしたぜ」

「そいつはいいや、吉田町の埋め立てが進んでるから、どこか太四郎に言って手に入れようぜ、あのあたりなら千代も通うのに便利だしな、お怜さんの話では仲居の経験のあるものや子女に使って欲しいものは大勢居るそうだ」

「ハア、今は人出が余っておりやすから選り取りみどりでござんすよ」

三人が製鉄所を通り過ぎ、土手沿いを進んで港崎の跡地に向かって神妙に手を合わせて冥福を祈ってから吉田橋に差し掛かると、入舟町から千代と辰さんに幸助が出てまいりました。

「ちょうどいいや千代に話があるんだ、三人とも用事がなければ俺の部屋まで付き合ってくれ」

「どうなさいました」

「いや容が千代の仲人をするというのでその話さ」

幸助にそういうと「オヤでは千代さんいよいよ年貢の納め時ですか」

「おいら、何もしらねえよ」

「なに行ってんだ、俺が世帯を持ったら、お鳥と一緒になるといったじゃねえか」

「そうわ言いましたがね、あいつは芸者を辞めたがりませんぜ」

「芸者は辞めたくなくても、料理屋の女将になれば好きな三味もやり放題だろうぜ」

「旦那、いくら女将でも好き勝手に座敷に出たり、遊山のやり放題とは行きませんぜ」

これは辰さんの言葉でしたが、

「そうかも知れねえがよ、一生そのまま芸者を続けるわけにもいかねえじゃねえか」と寅吉はかつ弥に芸者を辞めさせていけない事をしたかと気になるのでした。

「あなた、心配しなくともあたくしに任せてくださいな、あたくしもいきなり芸者を辞めて俺と世帯を持てといわれたときは、うれしい、と同時にやめられるのかとほんの一瞬迷いましたわ、でもうれしい気持ちのほうが強く心に響きました、そのお鳥さんだって千代さんの仕事の邪魔にならないかとそちらに気が行くのでしょう。それで強いことを言われておられる気がいたします」

「そういうもんか」

「そうだと思いますわ、千代さんが万事任せてくれるなら私が会ってお話を聞いて見ますわ」

「かつ弥さん、いやさご新造さんにお任せいたしやす、旦那すべてお任せいたしますのでよろしくお頼みいたします」

歩きながらですが野毛橋を渡りきる前に話は付いたので「辰さん先に行って橋本さんと朝吉の都合がよければ俺の部屋まできてくださるように便へてきてくれ」

太四郎の住まいに順吉を行かせて呼び出し、寅吉の部屋には9人が集まりました。

隣の部屋とのふすまを開けて風月堂から届いたカステラを切ってワインの栓をあけ、まずは千代が世帯を持つということを承知したという口実で乾杯をいたしました。

「カステラをわさびしょうゆで食べるなぞ言いますが、ワインにカステラはおつなもんですな」

橋本さんは厳つい顔に似合わずそれほど飲める口ではありませんが、おいしいもんだと何度も言いながら幸助が差し出したカステラまでいただいております。

「今日は異人たちのクリスマスイブという此方で言う祭りの宵宮のようなもんだからよ、ワインで乾杯としゃれてみたが、たまにはいいもんだろう」

ここ居留地ではクリスマスといえば異人たちの敬う神の誕生日のお祭りと誰もが承知しております。

「それで相談だが、前にお怜さんも言っていた、義士焼きの女たちが年をとっても働ける場所として料理屋を開いたらどうかという話だが、前に話したかもしれないが吉田新田の埋立地に地所を手に入れて、お鳥さんに女将になってもらおうと考えている、軍師は橋本さんと、容になってもらってまずお鳥さんを口説き落とすことにする、軍資金は俺の金から300両出す、それから千代に300両貸し出して合計600両で店を開かせる費用と必要な支度金に当てる、とらやからは別に100両だして運営資金にしようと考えているが朝吉の考えを聞かせて欲しい」

「金は大丈夫ですがとらやの分は貸し出しですか、祝い金ですか」

「サァそれだ、料理屋を株組織で運営しても、ホテルと違ってうまくいくかよくわからないことが多い」

「旦那、それなんですが料理で客を呼ぶか、芸者で呼ぶかでやり方が違うと思うのです、お容様がそのあたりご承知だと思いますが、まずお鳥さんの意見を聞いて貸付金で出すなら、成り立つように季節季節に何回か貸し付けて、軌道に乗るまで返済を待たないといけないでしょうが、祝い金なら後はお鳥さんの腕次第ということでお任せしてしまうこともできます」

「祝い金としてとらやから出せるというのかい」

「お怜さんが承知してくださり、仲居としてお鳥さんと気が合いそうな人を送り込めるなら大丈夫でございます」

「会計がそれでいけそうだというなら、とらやだけでなく横浜の会計を集めて分担してもいいだろう」

太四郎が土地と家のほうは受け持ち、お鳥さんを橋本さんと容が口説き落とすことになりました。

夜になり雪になった中それぞれは引き取り、寅吉と容は二人でお鳥さんにやらせようという料理屋の先行きの話をするのでした。

 

 ・ 宴会

19日のクリスマスの朝は火曜日、昨晩の雪は解けて陽が上ると、ぬかるんだ道を二人で洲干弁天までおまいりに出かけました。

帰りに弁天通りの店により、吉岡さんに昨晩のことを話しました、笹岡さんには今日順吉が話しを通しに行っており、お怜さんには太四郎が話しに出かける約束ができておりました。

「いよいよ千代も年貢の納め時ですか、わしも考えなきゃいかんかのう」

「あてがあるならそうなさいまし、ないなら相談にのりますぜ」

「オイオイ旦那よ、お前様が世帯を持ったらそんなに世話好きになるなんぞ予想もしていませんでしたぞ」

これにはお容さんもたまらず笑い出してしまいました。

吉岡さんが容に横浜の最近の移り変わりを判り易く、冗談を交えながら話してくださいましたので、寅吉が後で詳しい話を容にせがまれるまま話すことになりました。

本町の大通りの話ですが、外人たちの申し入れで馬車が走れるように、石畳になるようでございます。

今まで走っていた馬車もそれほど早く走れるわけでないし、道が狭いということを受けて通りは広く取られるようで、簡単に新しい家を建てさせてはくれないようになるそうでございます。

本町一丁目から西波止場までの海岸の埋め立てに着手したので、人手は足りないくらいですし、景気がよくなりました。

フランス語学伝習所は御老中稲葉美濃守様の肝いりで海岸通二丁目に設立されました。

担任はフランス天主教会のメルメ・カション神父となりました、神父が教会から離脱との話はうわさだけだったのでしょうか。

横浜仏蘭西語伝習所としては弁天池の北側にありましたが、これで完全に仏蘭西語の伝習は海岸通り、兵隊の訓練は大田陣屋となりました。

フランスから新たに士官が来て指導に当たると大鳥様が話していますが、もうじき着任となるでしょう。

聖心教会派の宣教師プチジェアン師の仏蘭西語の学校には生徒が50人ほども通っているそうで、仏蘭西語の喋れるもので溢れそうなくらいだと大鳥様は笑っております。

太田町三丁目の佐野屋茂左衛門さんが塵芥掃除受け負人を命ぜられました。

代人に理七さんがなって受け負人として街中の掃除塵芥の処理に当たることになり大通りも路地もきれいになることでしょう。

橋本さんが順吉を連絡によこして来ました、お鳥さんと八つ過ぎに浜野の家で女将を交えて会う約束ができたと告げてきました。

「ではもう一回りして洲干丁に戻るとするか」

ピカルディに周りお茶を飲んでからメアリーの店によって、その後は朱さんの店で容を紹介しました。

「これが俺の嫁さんだよ」

「気立てのよさそうな娘さんだね、しかもしっかりしていそうだ。いい人を嫁さんにしたね」

朱さん親子も容が気に入ってくれたようで、お世辞とは思えぬ挨拶をされました。

昼過ぎに弁天通りの再建の様子を見ながらとらやに戻り、隣の蓮杖さんと大里庵でそばを食べることにしました。

全楽堂も前のところはあきらめ此方の店を広げて営業も順調に進んでいます。

横浜の先行きなど盛んに話し合い、時間を見てとらやに戻ると橋本さんが出てきておりました。

「では出かけましょうか」

「では、あなた行って参ります」

二人はすぐ先の洲干丁の浜野に向かいました。

「ごめんくださいませ、とらやからまいりました、お鳥さんは御出でに成っておられましょうか」

「お入りください」出てきたのはやり手な様子が顔に現れた、中年のやせぎすの女性でした、この人は浜野の女将でお濱さんと後で知れました。

「大体の話はこの子からも、橋本さんのお使いの人からも聞いています、売れっ子のこの子を手放すのはつらいけど、いい話のようだからじっくりと聞かせていただきましょうか」

話はあっさりと容のほうから切り出すことにいたしました「うちの人足の取締りを任せております千代松が、此方のお鳥さんと割りない中となり久しく日がたつようでございますが、世帯を持ちたいというお気持ちはございませんでしょうか」

「この子は駆け引きもできないうぶな子でね、売れている今、世帯を張るには借金を棒引きにするにもそれほどのこともないがさ、いまさらぼろを下げての暮らしもできまいじゃないか」

「世帯を持ってくださるなら、私どもで後押しをさせていただき料理屋の女将としてお迎えしたいと、主の寅吉が申しておりますがいかがなものでございましょうか、お鳥さんが千代松と世帯を持っていただけるお気持ちがあれば、よいお返事をいただきたいものでございます」

「私のほうから言わせてもらえばお宅の寅吉さんは気っ風の良いお方らしいが、たかが人足の取りまとめ風情じゃ後々お鳥が苦労しそうじゃないか」

橋本さんが話の後を引き受けて「千代がことは人足の取り纏めとは言いますが、実際は私どもの会社組織の中心的な存在でございましてな、旦那もその腕を見込んでおります、江戸に横浜と彼の配下には50人以上の人間が働いております」

「それで今はどれほど稼いでいるのさ月に直して五両やそこらならその辺の大工でも稼ぎ出しますよ」

「千代は今、月に十五両の手当てをいただいております、格から言えば私の下で働いているように見えますが、私は野毛を預かる大番頭、千代は旦那についでこの私どもを動かす四人の内の一人でございます」

「若いのにたいそうなものじゃないか、お鳥はそのことを知っていたのかい」

「いえ、今はじめて聞かされました、俺はだんなの言うとおり動くでくの棒で、人足の取り纏めぐらいが関の山だのといつも言っていますから」

「そうかい、それでお鳥は、千代さんと世帯を持ちたいのかよ」

「この間とらやの旦那が此方さまと祝言を上げられたあと、俺と世帯を持つかと聞かれました」

「だからそれで返事をしたのかい」

「いえ、芸者を辞めたくないからこのままでいいと申しました」

「では世帯を張る気はないのかい」

「でも、千代さんに嫌われたくないし、できれば今のままで付き合ってるほうがあの人のためにも良いかと」

「じれったいねこの子は、別れるのがいやなら一緒に住めばいいじゃないか」

「でも、あたしは針も持てないし、料理もできないからあの人の足手まといになっちまいます」

「なんだねぇこの子は、そんなに千代さんが好きなのかよ」

きつい調子ですがお濱さんは人情家のようで、本当にお鳥さんのことを心配していられるようでした。

お容さんが二人の会話をニコニコと聞いていましたが「お鳥さんは千代さんから聞いているでしょうが、私もこの月の初めまで柳橋でかつ弥という名で芸者づとめをしておりました、今あなたが針も料理もできないからというなら料理屋の女将になってから少しずつでも教われるように仲居頭に気の効いた人をお付けいたしますよ、ぜひ私たちとこの横浜で働いてくださいませ」

「お上さんもこの横浜にお住みになられますか」

「残念ながらしばらくは江戸に住むことになるでしょうね、義理の母が神田から動きたくないというのでこちらに来てくださる気になるまでは、行ったり来りと言う事に成りそうです」

「では旦那とは別々にお住まいになられますの」

「家の人が、こっちに住めといってくださればいつでも来たいという気に変わりはありませんが、義理の母のことはあたくしも寅吉も大切に思いますので、お気持ちが動くまではお待ちする覚悟でございます」

「おさびしくはないのかい」これはお濱さんがお容さんに聞くのでした。

「寅吉から世帯を持とうといわれたときに、そのことは返事をする前に言われていましたので、覚悟はできておりました」

「まるでお武家のお嬢様みたいなお覚悟ですね」

「父親は深川の八百屋ですが、手習いの師匠も踊りの師匠も元はお武家さまのお家でした、それと三年程お旗本のお屋敷に行儀見習いに出ましたので、その様に自然と仕込まれております」

芸者になりたいと願い、その様な人生を過ごしてきた容でございますが、自分では普通の覚悟でも人には大変な覚悟で、寅吉と世帯を持ったと受け取られるのかもしれません。

お濱さんがお鳥さんに向かって「この人たちの話を聞けば誠実ないい人たちじゃねえか、こんないい話は逃したらもう巡っては来ないよ」

「お母さんも言うなら私も言いますが、千代さんと別れる気持ちなどありません、だけど三味や踊りをやめたくないの」

お容と同じ芸事が好きでなった芸者のようでございます。

「それなら心配しないでくださいな、私たちの母も元は芸者でしたし、芸事にかかわることを止める人は居りませんよ、それどころかお会いするのを楽しみにしてくださいますわよ」

「決めましたよ、お鳥がこれ以上ぐずぐずと駄々をこねたら首に縄をつけてもとらやさんにほおり込みますよ」

橋本さんが昨晩話し合ったとらやの方針を話し、お鳥さんが好きなように運営するも、とらやの使用人になるも好きに選べると申しました。

「ではなにかい、お鳥に料亭の女将になるに付いてとらやさんから金は出るが、お鳥の好きなようにしてもかまわないということなのかい」

「ハイ左様でございますよ、100両は祝い金、300両は寅吉旦那からの祝い金とお考えになってかまいません、千代さんにお貸しすると言う300両も催促のない利息も付かない金でございます。これを見ても千代さんが私たちの大切な人だということがお分かりいただけると思います」

「本当だ、世知辛い世の中でこんな鷹揚な話しなんぞ聞いたことがないよ、なに泣いてんだよこの子は、あたしまで眼が潤んできたじゃないか」

お鳥さんの借金や買い取る必要のあるもの支度金など、橋本さんが間に入って話はまとまり、この月の内に芸者家業から足を荒い、料理屋の女将としての修行が始まることになりました。

土地がきまればすぐに建築を始められるように太四郎が調整を始めることになりました。その晩の野毛のとらやではお容さんを中心にお怜さんたち女性の集まりがあり、持ち寄った惣菜の味自慢に自慢話と場も弾み、お松津さんの漬物を皆がほめ、江戸から届いたいろいろな佃煮と膳はきれいに彩られました。

お酒に強いもの弱いものも、プンチュにホットパンチと温かい飲み物に酔いも廻り、笑い声が大きく響きます。

寅吉は挨拶もそこそこに、皆から冷やかされながら横浜物産会社のほうに引き下がりました。

三味が持ち出されそれぞれが歌い賑やかに騒いでおります、お容さんにも三味が渡され「何かお江戸の流行でもお願いします」とお松津さんに言われて歌わされることになりました。

根占もあわせてお容さんが歌いだしました。

 ♪  世の中おもしろ節

風の吹く日にゃ 傘はさせぬ 無理にさしたら骨が折れ

     亭主大事にしやさんせ このおもしろやア。

「次のは江戸から上方まで広く歌われていますから横浜でも歌う方もいるかしら」

 ♪  たらちねの 許さぬ仲の好いた同士 

許さんせ罰当たり 猫の皮じゃと思わんせ

惚れたに嘘は夏の月 秋という字はないわいな

「もう一度最初のからお願いしたいわ」とお怜さんに誘われお容は歌うのでした。

さらに今度は賑やかのをお願いとねだられて、

  ♪ ぎっちょんちょん (二上り)

  高い山から 谷底見れば

    ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

  瓜やなすびの花盛り

    お山がどっこいどっこいどっこい

   よういやな ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

  からす鳴きでも 知れそなものよ

    ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

   明け暮れあなたの 事ばかり

    お山がどっこいどっこいどっこい

   よういやな ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

  丸い卵も 切りようで四角

    ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

   物も云いようで 角が立つ

    お山がどっこいどっこいどっこい

   よういやな ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

甘いもので話もはずみ、お容さんの育った深川やお屋敷の様子など聞きたがるものが多く居ましたが、世も更けてここに泊まるもの家に戻るものと名残惜しそうに別れて行きました。

今晩寅吉は横浜物産会社に泊まり、お容さんはお怜さんお松津さんと三人でひとつ部屋で休み、お鳥さんのことを寝もやらず話し合うのでした。


 ・ マイセン

161番にあるジャーマンクラブから寅吉の元に仕事の依頼が来て春と共に通詞の平太郎さんの三人で向かったのは午後のことでした。

カスパル・ドレイヤー(kasparDreyer)という責任者の方とお会いしました、寅吉は初めてですが春は何度かお目にかかっていて寅吉と直接取引きがしたいと申し出が有った模様でございます。

製鉄所もできて西の橋も架かりたいそう便利な場所になってきましたが、商売の場所としては、はずれの感の否めない場所でございます。

用件は自国で焼かれた磁器と、ガラス工芸品の取引でございました。

春とは日用品は取引をして居るそうでございますが「わが国の商人は少ないしオランダやフランスにイギリスなどの商人に扱わせるのは気が進まないのです、それで君に頼むことにしたのだが、どうだろう引き受けてはくれないだろうか」

「それでどのくらいの品物があるのですか」

「磁器は、マイセンからのもので東洋の陶器や磁器が高いのでそのつもりで持ってきたのだが、長崎では商売にならないようなので横浜にもってきました。ですが本当によい品物なのです、まず見てください」

梱包された木箱から出されたそれは絵付けの皿と品のよい人形の焼き物でした。

「皿が300枚柄は3種類、人形は20体同じものは入っていない、価格はすべて買ってくれれば二千五百ポンドです」

寅吉は見本の品物を見てこれはプロイセン商人のやり方で一番良いものをだして値踏みさせていると直感いたしました。

「春、お前はどう見る、俺は高いように感じたが、平太郎さん俺たちの会話はそのまま通訳してかまわねえよ、後で説明する手間が省けるからそのまま教えてあげてくれ」

「よろしいのですか、駆け引きに強いのが彼らの商売ですよ」

「大丈夫ですよ、家のだんなの方針ですべてその様に取引しておりますから」

平太郎さんがそのまま通訳するということをドレイヤー氏に便へて通訳を始めました、それにあわせるように寅吉たちも考え考えゆっくりと相談を始めました。

「旦那様、いくらなんでも二千五百ポンドでは取引になりません、伊万里でも高級品の輸出値段でさえそんなにいたしません。とても売れる値段ではありません、好事家の人がどうしても欲しいから輸入してくれとでも、頼まれなければそんな値段を付ける商人はいませんよ」

「そうだな、此方の国の値段はヨーロッパの国々に比べればすべて安いからなあ、あちらでは通用してもこの国では買う人はいないだろう」

「皿を一枚あたり二十両で売っても六千両です、人形のほうが売れなければ儲けにもなりません」

寅吉の見るところジジが扱う陶器類でも、あのころそんな高いものはなかったように思いました。

値段の交渉はやめて「そのお値段では私たちではお役に立てません、せめて半分以下にならなければ無理な値段でございますので、今回の話は無かった事にさせてください」

「残念だよ、君は男気のある人だと聞いたが値段が高いと言う一言で取引をしないといわれるとは思わなかった」

「そうでは有りません、私たちの手に余る品物だということです、わが国ではその様な高級品を見て楽しんだり、飾っておくのは裕福な商人やお大名の中でも金に余裕のあるほんの一握りの人々ですが、今この国では武器や船に金を出しても工芸品に大金を出せる余裕のあるお大名方は少ないのでございます。日用品なら私たちでお役に立てますが美術品を横浜物産会社は扱っていないのでございます、普段使うことができる皿やカップの類ならいくらでもお役に立つことができます」

「それは価格にしていくらくらいのものなのか教えてくれませんか」

「皿は高くとも1枚3両まで、カップは1両まで、ガラスのコップは2両までです」

「わが国から持ってきても日本では安く売れないし困ったものだ、銃はオランダ商人やイギリス商人に先を越されていて食い込めないし」

「清国なら金持ちが多くいますから売れるのではありませんか」

「いや、上海でも売り込みをしているようだがわが国のものは高くて人気がない、わずかに売れるだけで商売としては成立しないのですよ」

せっかくの話でしたがお断りして辞去することにいたしました。

横浜の成金でも壊れ物に手を出す者はまだ居ないと言う事が、今日のことでもわかりました。

スネル兄弟が銃器のことで会いたいと言われていたので店を訪ねることにしました。

仮住まいの三十二番のベリュウさんのところでお二人にお会いしました。

「焼け出された後仕事にあぶれているが銃器をプリュインさんの紹介で扱う約束ができているんだが、売り込み先などを紹介してくれないか」

「そうですね今武器が欲しいのは薩摩や長州など西国のお大名が数は買ってくれるでしょうが新規の業者から買うかどうか難しいところです、穂積屋の卯三郎さんが江戸におられますから紹介いたしますよ、後は私が手紙を書くから今晩取りに来てください。それからあとはグラバーも紹介しますから新しい銃も買うことです、決して捨て値で買えるからと時代遅れのものを扱わないことにしてください」

そのほか越後や会津の知り人に紹介状を持たせて廻らせることにしました。

「今ドイツのクラブに行って来ましたが磁器の皿や人形が売れなくてお困りでしたよ、力になっておやりになれば、いい事が舞い込むかも知れませんですよ」

「プロシャの領事館に勤めたがあの国の人は細かいことを言い過ぎて商売に向きませんね」と兄のヘンリーが言うと弟のエドワルドが「俺はスイスの総領事館で働いてくれといわれているんだがどんなもんだろうか」

「いいんではないですか、通訳を兼ねながら商売は合間にやれるでしょうし、ファヴルブラントさんを知っておられるでしょうからあの方とも手を結べば仕入れや売り込みも楽になりますよ」

「コタさんは何でもこなすが銃は扱わないのかよ」

「私は扱いませんが銃はいろいろ持って知っておりますよ」

「なにがいいだろうかプリュインさんはエンフィールド銃五百丁とスペンサー銃二百丁を送って来ると言う話でした」

「どちらも引き取り手は多くいますよ、信用取引で仕入れられるなら数を多く入れても大丈夫ですよ、エンフィールドは先込めですがスナイドル銃に改造も可能ですから安ければ数が売れることは間違いないですよ」

「同じものはハード商会も亜米一も英一も扱っているんだろ、それでも大丈夫だろうか今の俺たちは若さだけしかとりえがないよ」

「ヘンリーよ、もしよい商売をしたいならもう一人当てがある、うちの永吉や幸助について名古屋と大阪を廻り京まで行ってみないか、足代や泊りのことは心配するなよ、うちのお客として横浜物産会社でだしてやるから行ってみるか」

「本当ですか、何時頃出発できますか」

「江戸に行ってかえって10日あれば一回りまわれるだろうから来月の4日のグラバー商会の船での出発でどうだ、そっちの暦だといつか調べてみな」

皆で暦をだして付き合わせてみると1月の9日水曜日でございました。

「判りました、早速明日江戸に出て教えていただいたところへ売込みがてら訪ねてみます、通訳は誰がいいでしょうかね、私たちも喋れますが字が書くのが難しいので誰か連れて行こうかと思いますが」

「ツナキチの手が開いていたら頼むといいよ、あいつは字もきれいだし言葉もしっかりしているぜ、本人がだめでも塾生から選んでくれるよ」

紘吉とは長い付き合いで彼も最近は語学の塾を開き、本人は講義には出なくとも通訳の仕事をしたいと横浜に来るものに教えて居りますが、時々は自分も頼めば出向いてくれています。

22日に江戸に出たヘンリーと紘吉は卯三郎さんを訪ねました、そして渡航準備で忙しい卯三郎さんが同道のうえ川本幸民さんを訪ねました。

先生は横浜で出された新聞を読んでいるらしく盛んに性能のよい銃器はどれかと訪ねます、ヘンリーは寅吉から聞いているので自分の元に来るほかにスナイドルも買えると約束をいたしました。

その日のうちに三田藩の上屋敷に訪れて白洲様と殿様を交えて壱挺を三十六両で三五〇挺納品する約束をいたしました。

その足で佐久間町の横浜物産会社を卯三郎さんが紹介して寅吉への急使が横浜に出向いてゆきました。

「良かったな、寅吉の手紙だと上海から往復四拾日あれば確実に入ってくると約束できるそうだ、同じジャーディマジソン商会が扱うものでもグラバーを経由しておけば横浜へ入っても儲けは多くでそうだよ」

「ハイ、英一で買うといろいろ制約があるので助かります、それで後の銃の売り先の当てがあるでしょうか」

「それもコタさんからの手紙に書いてあったぜ、明日紹介してあげるから今晩はゆっくり休んでおきなよ」

最初の日から商売の道が付いたヘンリーは不安な気持ちも消え自信もわいてきたようでございます。


 ・  大晦日

大晦日といっても西洋暦なので横浜ではそれほどのこともない一日になっています。

異人さんたちも新年は祝いますが大晦日だから掛取りが飛び回るなどということはないのでしょうか、寅吉たちは毎年そのことが疑問に上がるのでございます。

お容さんは来月の朔日の千代の婚礼を済ませ、六日の日に江戸に出ると連絡員が江戸に出るときに連雀町に手紙を届けていただきました。

フランス公使館の東側の役宅が取り壊されて新たにプロイセン(ドイツ)とデンマークの領事館が作られることになりました。

「ほんとにマァなんて忙しい町でしょう江戸が生き馬の目を抜くなら、横浜は馬に乗っていても鞍を盗られてしまいそうね」

お容さんは寅吉と歩いたり、お松津さんと一緒に千代や辰さんがお供について、街をまわって歩くたびに、様変わりしていくのに驚いております。

本牧にもハンナたちと出かける約束をしたようでございます。

寅吉は長崎から出ていた俊介に、ヘンリーから連絡のあった銃をグラバー商会に連絡して、横浜32番ベリュウ商会内スネル商会に三五〇挺のスナイドル銃を売り渡すように要請いたしました。

この取引で最低でも千二百両程度はスネル兄弟の手に入ることになり後々の取引に付いて資金に困ることはないはずです。

この当時すでにスナイドル銃が南軍の降伏で生産過剰となりジャーディマジソン商会を通じて在庫整理に拍車がかかっていることは間違いないことでしょうが、寅吉はそのことは店のものにもおくびにも出さないように気をつけるのでした。

シャスポーライフル銃を寅吉が手に入れましたが五挺で600両と言う値段でしたものを、卸値段と言うこととなり半額で手に入れました、そのうち二挺は太田様のお手元に弾薬三百包と共にお届けいたしましたが、しろ磨きのためさびが浮きやすく日本には向かないようでございます。

備中守様は銃器にやはり興味があるのか、たびたびご家来を寅吉の元によこされて、ためし打ちの様子など詳しい話を書き留めていかれます。

( 慶応二(1866)年十二月にはナポレオンV世により二個連隊分二千挺のシャスポー銃が幕府に贈与されます。幕府伝習隊が装備しました。明治政府が江戸城から接収したときは弾薬の供給が間に合わず死蔵されたまま時代が過ぎていきました。手入れも難しく活躍の場は少なかったようです。明治元年でも横浜で30両いたしましたが人気はありませんでした。 )

銃器は扱わないという店の方針とは別に寅吉の趣味と言うべきなのか、各国の軍人や公使館の人間と試し撃ちに付き合うこともありました。

ファブルブラント商会は175番に建設するということで紀重郎さんの元に設計の依頼が来ていましたが早々と今日開店いたしました。

寅吉が岩蔵たちとお祝いに出かけたことは勿論のことですが、エドワルドもスイス領事館の人たちと出てきていました。

商売の手引きをよろしくお願いしたことは言うまでもありませんし、ゼームスさんが快諾したことは言うまでもありません。

翌日の横浜は1867年になったので盛んに新年の挨拶が交わされていました。

居留地の商館では出身地の旗が飾られていたり、万国旗がロープで屋根から玄関にかけて飾り付けられています。

ピカルディでも日本の旗から手持ちの各国の旗をすべて立て並べて飾っています。

日曜以外は営業と言うこともあり今日も賑やかに人が集まって居りました。

ここでお茶を飲んで日も高くなってから谷戸橋を渡り、元町から石川村に出て牧場で小助と与助夫婦と3人の女の子が管理している馬を見たり、カーチス夫婦の畑を見学してから、迎えに来ていた畑蔵が引いてきたオレンジに地蔵坂を上ってからお容を乗せて、畑蔵が手綱を取って根岸に向かいました。

坂之上からは富士がくっきりと見え、横浜で見るよりも近く見えるのは錯覚かと感じるほどなのでした。

寅吉が自分の家を立てる予定というガリバーさんの家の花畑では管理をさせている足助の連れ合いのお藤さんに子供たちとも話しをして、根岸まで向かうのでした。

根岸の坂を上ると競馬場が見えてその大きさにも驚く容でございました。

「ビックリしましたわ、まるで横浜の町が一つ入ってしまうように見えますわ

「それほどでもないが、大きいのには俺も驚いたよ、まだまだこれから建物も増えるということで、このあたりも人も多く行き来するだろうよ」

牧場でこの間居留地で紹介してあり、今日来ることを教えておいたのでガイを筆頭に馬を並べてお容の到着を待っていてくれました。

「今日はこれから馬場での調練に時間をとってあるからすぐ行きましょう、後15分で予約時間です」

馬場に向かい寅吉もオレンジで一回りしました、畑蔵もリユーセーに乗り、ガイに牧童もそれぞれの馬に乗って次々に一回りして容を楽しませるのでした。

「この馬の額の星がいい感じね」と畑蔵が乗って容の前に来た時、手を伸ばして額をなぜるようにした容に甘えたリユーセーが首筋を擦り付けてきました。

「アラこの馬はあたしが気に入ってくれたみたいね」

「リューセーという名前はソフィアが名づけてくれたんだよ、本当は流星と言う名のイギリス語のMeteorと言う名が本当のこの馬の名前なんだがその呼び名でRyuusweと言うつづり方で登録してしまったよ」

「そうリューセーってすごく呼びやすくてよい名前ね」

それぞれの馬の名前も話してリューセーの父親のラッパリーも紹介しました。

「この馬は長崎のトマスグラバーの馬だが此方で預かっているんだが、ガイがお気に入りで、自分の馬のように大事にしているよ」

畑蔵から聞いていたガイが、

「オイオイ俺はどの馬も同じように大切に扱ってるぞ」

其れを聞いていた畑蔵も牧童たちも大声で笑うのでした。

「なにを笑ってんだ本当のことだろう」

本気で怒るガイにそのことを通訳して聞かせた容までが笑うので仕方なく、

「そうだよ、そうだよ、俺はラッパリーを贔屓してるよ」

其れを聞いてまたまた笑い転げる牧童たちでした。

牛の牧場でホルスタインの種牛を見て大きさに驚いておりました。

「なんと大きい牛でしょう、この牛からなら乳もたくさん搾れるでしょうね」

ヤギから搾った乳は相変わらず乳の出が悪い人から喜ばれ、今は雄一頭にメスヤギが五頭いて毎日乳が二升ほど搾れるそうですし、ホルスタインのほうは種雄一頭に雌二頭が居ります、此方は毎日八升の乳が搾られています。

ジャジーの種牛は雄一頭に雌三頭で八升の乳が搾られています。

ここにはプリュインさんの牧場で生まれ留吉さんが引き取る日まで預かっている子牛もいますので農場には5人の人が海造の元で働いています。

馬や牛の排泄物はウィリーも引き取るしここで栽培している野菜農場でも堆肥として利用されています。

寅吉は食肉用の牛のことは容には話さず内緒にしています。

牧場に戻りリューセーの母馬のベデローテにも挨拶して大きくなったおなかを見て「もうじき生まれますの」

「後ふた月はかからないだろうな、今度のは父親が違うのだがパークス公使に約束で子馬は差しあげるのさ、ガイが日本から契約が切れてイギリスに帰るときは、母馬をボーナスとして持って帰ってよいことにしたので、管理にも精が出るようだ」

Maison de bonheur」と名づけられた孤児の家は「幸福の家」とでも訳すのでしょうか、牛乳を届けるという海造と畑蔵を後にしてオレンジに乗ったお容と寅吉は、先に孤児の家に向かいました。

お二人のマドモアゼルへの新年の挨拶もそこそこに、孤児たちも容を気に入ったようで歌を歌ったり折り紙を折ったりと、広間で容にいろいろな遊びをせがむのでした。

海造が届けた乳を温め、砂糖で味付けをして子供たちと一緒に体によいからと進められて寅吉や容も飲むのでした。

「日本人はヤギは大丈夫でも、牛の乳はお腹がゴロゴロ鳴る者はあまり多く飲まぬほうがいいらしいが体にはいいそうだ」

「この乳はたいそうオイシウございます、砂糖で甘くしてあるのも口当たりがいいのでしょうね」

「子供たちには砂糖はあまり入れないほうがいいそうだが、週に一度だけ入れて飲ませるそうで、今日がその日のようだ」

マドモアゼルノエルとマドモアゼルベアトリスに挨拶をし、夕暮れ時に畑蔵に馬を返して地蔵坂を降り、植木場で待機していた辰さん達のちょうちんやランプを先頭に野毛に戻りました。

 
   
   

 酔芙蓉 第三巻 維新
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幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
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 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
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幻想明治 第一部 
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其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
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其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
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カズパパの測定日記