横浜幻想
 其の十七 Le Petit Trianon 阿井一矢
ル・プチ・トリアノン

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Lundi Mardi  Mercredi Jeudi  Vendredi Samedi Dimanche

Paris1873年1月23日 Thursday

昨日まで伊藤たちについてエヴルー(Evreux)の町のリンネル(Liniere )の工場とレヌ(laineウール)に水力を利用した設備の見学に正太郎は出かけていた。
サン・ラザール駅から2時間の鉄道のたびは車内での伊藤の話に田中も笑わされてあっという間に終わった。

ラシャの工場も有り、羅も紗も薄い絹織物の事を指すが、羅紗は絹とは何の関係も無いのだ。
ラシャは羊毛で地は厚く組織細かく毛羽立たせた毛織物でリンネル・リネンは亜麻でランジェリー(lingerie)の語源だそうだ。

ジュディ(木曜日)の朝、正太郎は馬車でル・マガザン・デュ・リスに伊藤たちのドレスを受け取りに出かけ、アルフォンスに遅れた訳を説明してマヌカンに着せてあったドレスの出来をほめてそれぞれのあて先の確認をし、預かった手紙を中へ仕舞った。

フランス郵船へ一時預けジュモーのプペ・アン・ヴィスキュイが届いていることも確認してM.ブリュツクに「後何体か人形を買ってきますのでそれから送り出してください」と断りシャレントンのゴーチェの工房へ向かった。
正太郎は馬車を待たせてフランソア・ゴーチェとその夫人に6体の人形と換えの服2着を包んでもらった。

2体を伊藤から頼まれた物、1体ずつは正太郎からの贈り物としたためて伊藤に長田、村田の三人と根岸明子と指定し、6体の受け取りは伊藤の2体分を別に書いて貰い、綺麗に箱詰めされた物に但し書きして店をでると馬車に積み込んでもらい「次はアブロン街6番地です」と馭者に告げた。

スタイナーの店でも同じように6体の人形を買って同じように但し書きをつけ受け取りは伊藤の分を別にしてもらった。

「次はサン・ジル街のメゾン・ユレにお願いします」

「わかりやしたがM.ショウ、今度は人形屋でもはじめなさいますか」

「いや今ジャポンから来ている人たちに頼まれた買い物だよ。あの人たち忙しいからね」
メゾン・ユレでは割合大きな物も作成していて話をしていると昔のフアッション・プペも有るとマダムが言うので見せてもらった。

「最近は藤蔓で編んだマヌカンが多くなりこの様な物は注文が無いのよ」と話すので売る物はあるかと聞くと「10体あるが買ってくれるなら換えのドレス付で700フランで出す」という話だった。

「換えのドレスはいくつありますか、もし他の人形も扱わせてくださるなら出来るだけ多く買いたいのですがね」

「ドレスは調べないと判らないけど足りない物はすぐ作りますけど1体に1着余分と言うことで勘弁してくださいね。ムッシューがもし50体の人形を現金で注文してくれるなら換えのドレス付13フランでお受けしますよ。今顔は5つのモデルしか無いので各10体ですが良いですか」

少し高いなと思ったが顔が此処の物が一番正太郎の好みだったので買い入れることにした。
1350フランを札と金貨で支払い「届け先は此処へと」フェルディナンド・フロコン街4番地の事務所を指定して先に大きなほうだけでも配達してほしいと頼んだ。

その後、伊藤への1体と贈り物とした4体を包ませて「これはいくらで良いですか」と聞いた。

「卸売りの65フランで結構です」

「では申し訳ないが15フランと50フランで受け取りをいただけるでしょうか」

「よろしいですとも」
マダムは快諾して新たに2枚の受け取りを呉れた。

フランス郵船へ戻りM.ブリュツクと共に荷置き場でもう一度送り先の確認をした後虎屋の弁天通店への発送状にサインし、保険も確りとかけて送り出してもらうことになった。

オテル・ダルブまで送らせ、馬車は帰して中で伊藤がいるか聞いてロビーでカフェを頼んで待った。
伊藤が降りてきて「今晩何処で飯を食おうか」とのっけからそういう話になり、正太郎が頼まれた人形のほかにお嬢様へのプレゼントも其れを書いて送る事にしたと告げておいた。

話をしているところに今日は夜まで忙しいはずの村田が帰ってきた。

「どうした早かったね」

「盲人の学校が休みで明日と言うことになりました。田中さんと福地さんはインターコンチネンタル・ルグランの方へ帰りました」
田中光顕はインターコンチネンタル・ルグランへ随行の安場たちに1等書記官の福地源一郎と共に小旅行から戻った後に移って村田が随行の物と此処へ来たのだ。

なんだ調べが足りなかったかと笑って、それなら一緒に飯をと話は其処へ落ち着いた。
伊藤が立ったところへ公使館の高野と西園寺、大久保が連れ立って入ってきた。

「大久保様どうされましたか」

「大変なことが起きた。山城屋が自裁したそうだ。詳しいことは鮫島君がもうじき此処へ来るから話してもらおう」
その鮫島は30分ほどでオテル・ダルブへやってきた、岩倉卿に木戸や理事官の滞在するシャンゼリゼの公館で報告をしてきたそうだ。

「先月29日山城屋が自裁いたしました。此処まで連絡が遅れたのは陸軍内部で事後処理を内密に行っていた模様です」

「詳しいことは判るかね」

「其れが其処までは書かれておりませんでした、これもロンドンからの電信なので日本からはまだパリへ来て居りません。岩倉様木戸先生には報告して来ましたが、報告が遅いと言うことはおかしなことです」

「これは全て闇に閉じ込められたな。金は戻ることが無いぞ。この洋行の予算は30万ドル、船賃を自腹で払えば山城屋の使った金と同額だ。大きい損失だ」

「伊藤君は長州だが山縣の責任は取らせるべきだといつも言っていたが、全て闇かもしれんな」
大久保は同じことを繰り返したが「離れた東京では手も足もでんよ。これは帰るまで皆忘れてくれ。いや忘れた振りでよいからそうしてくれたまえ」

大久保と鮫島は仕方ないという顔で「其れよりショウは部屋を埋められたのかな」と話題を変えてきた。

「伊藤様が接待へ廻られるので此方は鮫島様長田様高野様にマーシャルご夫妻の5人と村田様西園寺様私とMlle.ブリュンティエールにMlle.アンクタンの5人です」

「後ふたりはどうしたね」

「空けてあります、もしどうしてもという方が出たときの予備です」

「其れは助かる実は新納君が参加を希望しておるのだ。其処へ押し込んでくれんか、鮫島君これで義理も果たせるというものだ」
新納は正太郎も顔なじみで参加させる事は大歓迎だ。

「ショウ、あと1人空いているならわしの先生を入れてくれんかな」

「村田君の先生というと誰かな」

「大久保先生、女性ですよ。村田さんがアコーディオンの先生に為って貰う事にこの間決まった人がいます」
伊藤はすかさず大久保にクラリッサ・アルベルティーニの事を喋った。

「ホォ村田君も隅に置けんね」

「先生、違いますよ、勘違いです。アコーディオンの先生はショウの彼女が見つけてくれた人です。Mlle.アルベルティーニは僕とは何もありませんよ」

「何もないは無いだろう。先生になってもらうのだからね」
伊藤が可笑しそうに口を挟んで先ほどの重苦しさは微塵もなくなった。

其れはそうだと西園寺までが言い出して笑い出した。
鮫島が「部屋の割り振りだがわしをショウの方へ振り分けて村田君と先生をマーシャル君の部屋へ入れてくれないか、そうすれば女性が二人ずつとなり話も弾むという物だ」

伊藤が「ショウそうしなさい」と助言して正太郎がノートに割り振りを書き出した。
冬のため開演時間が7時30分終演は10時とサラに教えられていたのでそれも伝えておいた。

行きたい人が増えるときはビエの売り出される2月1日の時までに田辺まで申し出るように通知がされているが、よい席のビエが取れるかは判らないのだ。
既に招待客には通知が出ており外務大臣のシャルル・ド・レミュザ氏は喜んでお受けするが大統領はその日公務がありパリに居られないので残念だと伝えてきていた。

この年75歳になったティエール大統領は老いの身をなげうってフランスのために働いていたのだが、王党派の巻き返しはマクマオン将軍の手で密かに図られていた。

インターコンチネンタル・ルグランから田中光顕が通訳もつれずに1人でやってきた。

「1人で出てきたのか」
伊藤が驚いたが「前田もいないので、此処の名を告げたらどうやら判ったらしいのでつれてきてもらった。5フランやったら釣りもよこさずに行ってしまったが多かったのか少ないのかわからんよ」と憮然とした表情で「他に細かいのは持っていなかったのですか」と鮫島に言われて「5フランのほかは20フランの札ばかりだ」と言った。

「良かったじゃないか、20フラン出して持っていかれるより」
いくら近場は2フラン、チップ50サンチームと言っても誰も其れを別のポケットに入れるという配慮はしていないので通訳がいない時でも出歩く人はいい加減に支払ってしまうのだ。

「田中君は長野が好きでないのかね、彼をホッポリ出してこちらの前田君を連れて行ってしまうので困るよ」
ホッポリだしたは言いすぎだが1月15日使節一行と別れていて、1月19日に佐々木高行と林も共にマルセイユを出航して帰国の途に着いていたのだ。

「伊藤さんはショウが使えるじゃありませんか」

村田も東久世理事官の随行を富田に代わってもらって大分自由に歩き回れるようになったが、今日のような公式訪問にはやはり出ないといけないのだ。

朝からコンセルバトワール・ナシオナル・デ・アール・エ・メティエ、通称コンセルバトワールを通訳は多くの施設を混同したままコンセルワトワルと発音するがいくつもの場所にあるので工芸館のはずが音楽院に連れて行かれて眼を白黒した話しなど村田は、東久世卿と立ち往生したと面白く話して「今日は間違いなくミュゼ・ナシオナル・デ・テクニークの隣だと言わせて間違いなく連れて行って貰えたぞ。近くの鋳物工場も見学できたし800人も居る工場の内部まで仔細に見てきたが、総額4000フランの日当だそうだがこれは安すぎるような気がする。平均が5フランの職人の中には女もいたからあれらは相当安く働かされているようだ。横浜のお茶場の女より此方はひどい有様のようだ」

正太郎が知るお茶場の女は普通、日に三朱(明治六年ごろは請負人にピンハネされ実際に女達が手に出来たのは天保銭二十枚程度で二朱くらいだったようだ)これはほぼ1フランで物価が3倍のパリでは生活が苦しいのはお茶場の女たちと同じように明白だ。

パンは町のパン屋では1キロ1フラン(食パン1斤は340gほど。バゲット1本65cm程度では250gほど)というのだから男でも生活費を稼ぐのは大変で女工では3フランも貰えないだろうと伊藤も話して「わが国でも下層民の生活を安定させなければパリ・コミューンの騒動がおきるかもしれん。其れを昔のように鎮圧するだけでは国の損失だ、いま西郷先生が軍を抑えておられて反乱、暴動が起きていないそうだが其れを範としていっそうの下層民の生活の糧を与えるためにも産業の育成が大事だ」

「いいぞ伊藤君その通りだ。君が薦めた鉄道も我が輩は反対で海運こそが大事だと思ったが、わが国ではどちらも同じで産業立国を考えなければ全ての国土に繁栄が望めんよ。昔のように東京と大阪に繁栄が集まってはいかんな。黒田君が進めている蝦夷地の開拓に続いて日本各地に産業を興さなければいかん。まぁ堅い話はそれくらいで村田君は音楽院へ連れて行かれて眼を白黒させたというが君にとってはそのほうが良かったようだな。東久世卿はそういっていたぞ、各教室各楽器に興味を示して半日いて往生したのは向こう様だろう」

盲学校は25日サムディの午後に改めて訪問と決まったようで明日は休みとなったので今晩は好きなところで遊んでよいと言うことになった。
謹厳な大久保が珍しく飯を食べたら何処かへ遊びに行こうと言い出して西園寺までが眼を白黒させた。

「この間木戸さんが行った劇場はどうだ」

「其れは好都合です。今は牡蠣も出るようで」

「いや生牡蠣は止めておこう。田中君はボストンで懲りたのを忘れたかね」

「残念ですな今は旬なのですがな」
5時でまだ時間が早いがどうするか正太郎が考えていると西園寺がどうですパリの安食堂なぞいかがと言って「ファラモンはどうだろう。其処なら8人で押しかけても十分だし食事も早手回しに出てくる。大久保先生もパリの下町の味を試してください」と正太郎と大久保に言って了解を取った。

馬車に分乗してサン・ミシェルを渡ってシテ島に入り、レ・アール市場近くのグラン・トリュアンデリー街へ向かった。

ビストロというにふさわしい下町のこの店は日本人がぞろぞろ入って来て驚いたが顔なじみの正太郎に西園寺がいるのを見て安心したようだ。

大久保、伊藤の両副使も西園寺が来るくらいだからと安心したのもつかの間、出てきたのが自慢の牛の胃袋、タマネギ、リークネギ、リンゴ酒(シードル)、カルヴァドスを入れて煮込んだトライプという物、鍋ごと持ち出されたには肝をつぶしたようだ。

田中は一口食べて気に入ったようで「焼酎でもあれば言う事有りませんな」とビールでご機嫌だ。
村田に高野もこわごわよそって食べていたがすぐに自分でお替りをして鮫島が少ししか口にしないのをよそに3杯目をついで食べるのだった。

パンにはそれほど手が出ずに「ル・グラン・カフェでも軽い食事が出ます」と言う伊藤の言葉で控えたようだ。

ル・グラン・カフェでは同じ出し物でも改めて面白さに気が付き、可笑しさが倍増したように村田に伊藤も大喜びだった。
大久保さえ鮫島と可笑しさをこらえるのに懸命な様子だった。

シャンパンとつまみだけでお腹も十分な一行は迎えに来させた馬車でそれぞれのホテルへ戻って行った。

伊藤は馬車の中で村田に「まだ飲めそうですな」「左様左様」と二人で肯きあって西園寺にも同意を求めた。
「仕方ないなぁ、ショウどこか開いているかな」

「まだ10時ですから開いてはいますが、レストラン以外だと左岸では女どもがやたら煩い店ぐらいですよ」

「何ショウはそういうところへも行くのか」

「右岸でもフォリー・ベルジェールやキャバレ・デ・ザササンくらいですが、こちら側だとまともなのはサン・タンドレ・デ・ザール街のスルタン位ですかね」

「其処は近いようだね。其処の広場と同じ名の通りじゃないか」
伊藤もホテルの周りは覚えたようだ、通りの名が町の名だと言うことはもう浸透していた。

「そうです其処から続いている通りの名前です」

「其処は酒場なのか」

「そうらしいです。僕は入った事はありませんが下宿の仲間が良く行く店ですので、余りひどい店というわけでも無いようです」

「では行くか」

「いきましょう」
伊藤と村田は乗り気で馬車から西園寺を引っ張り出して店へ出向いた。

正太郎が先にたって寒空の道を歩き、ホテルから300メートルも離れていない場所にその店を見つけた。
席に付くと早速のように1人に1人の女給が付いて盛んに酒をねだりだした。

正太郎が4人に5フランのチップを出してやり、伊藤は大様に好きなだけ飲んで良いとシャンパンをついでやり自分は村田とブランデーを煽った。
1時間ほどぐいぐいと飲んであっさりともう帰るかと立ち上がった。

58フランという勘定は1時間にしては高いと思ったが伊藤は10フランの金貨を7枚出して残りはチップだとセルヴィスに言ってさっさと店を出た。

「ショウ、馬鹿にあっさりと帰るな」

「本当ですね。もっと長引くと思いました」

そんな二人を尻目に前の二人は、よさ来い節を歌いながらよろよろと歩いてホテルへ向かった。
丁度歌が終わったところが広場で月は中天に椀のような形で繋っていた。

「ショウあっさりしていると思うだろう」

「ええそう思いました」

「付いてきてはいないようだな」

伊藤は周りに気を配っている村田に言って自分も鋭い眼を月明かりに光らせた。

「そうですな。店の前でこちらへは来ませんでした」

「俺たちの後から目つきの悪い奴らが二人入って来て、女をからかうでもなく見張っているようだった。こっちへ来たら捕まえようと思ったが来ないようなので歌をがなって酔いが廻った振りでふらふらしてみたが諦めたようだ」

「あいつら誰かに雇われましたかな」

「ショウも知っているだろうがあれは内海の手の者だろう。何処かの探偵でも使って俺や村田さんの事を調べているのさ。この間から気になっていたが木戸先生に讒言したり山城屋のことも裏で糸を引いたりしていたようだ」

「其処まで判っても手を出しようもありませんか」

「後をつけられているだけではどうにも出来んよ。だから今日は捕まえようと隙を見せたが網にかからなかった。とんだ散財だ、あれ以上飲めば酒豪の村田さんや俺でも本当に危ないところさ」

「しかしほっといてもいいのですか」

「何山城屋が死んではもう何も出来んよ。此方の負けさ。後は大久保先生が日本に戻ってどうされるかそれだけさ、たいてい東京では木っ端役人が辞めさせられて穴埋めを兵器の水増しでもして誤魔化してしまう気さ。これじゃ徳川よりひどい」

「伊藤さん、いくらパリでもそれ以上は危険ですぞ」

「判っているよ村田さん、しかしね今のままの井上さんや狂介見たいのをはびこらせては上手く行かんぜ。清濁併せ呑む、俺には其処まで度胸が無いよ」

伊藤は盟友の井上の最近の動きも察知しているのか井上の清濁併せ呑む大きさを心配していた。

「其れはそうだが、井上さんは巻き添えを食いそうだな」

「そんな話もでていますか」

「そうさ。ショウ、井上さんは頼まれればおうと返事をしてしまう所が有る、其れは長所だが短所でもあるのさ。おぼれる奴らは勝手におぼれろと言うことが出来ん人さ、あの人はな」

さぁ帰ろうかと立ち上がってホテルへ戻り西園寺も正太郎と田中たちが移ったあとの部屋へ入れてもらい寝る事にした。

「ディマンシュはどうする予定だね」

「その日はお休みを頂いていますので晴れていればエメとヴェルサイユに行きます」

「鉄道かね」

「いえ馬車を予約しましたので」

「そりゃお楽しみだね」

西園寺とそんな話をしながら眠りに付いた。


Paris1873年1月24日 Friday

沼間守一は益田克徳を連れて伊藤を訪ねて早朝からオテル・ダルブへやって来た。

沼間は「兄から聞いたパリとは随分違うので驚いた」と正太郎へ道中のことを話してくれた、吉田と寅吉を通じて正太郎とは顔見知りだったのだ。

須藤時一郎は沼間の長兄で横浜鎖港談判使節団の一員として1863年にパリへ入っていたのだ。
横浜仲間の益田とはよく遊ぶそうだが川路利良や井上とは気が合わないので出歩かないと言って「あいつらのような田舎者には困った物だ」と言って益田に注意されていた。

彼らのパリ入りは新聞でよく書かれていない事情はパリの日本人には嬉しくない話なのだ。

川路は使節団のパリ入り後も1人で街を歩くことが多いそうだと評判だ、言葉が通じない町でポリスの様子を監察しているとも聞いた。

「君がパリにいる事は知っていたが此方は司法関係の勉強で忙しかった上に使節団の通訳に借り出されて自分の勉強にも支障が出て困る」

沼間はそういうが言葉は街中では伊藤のほうが通じるくらいだとも聞いた。

正太郎に「成島甲子太郎に合わせたいから明日にでも付き合え。此処へ朝9時に迎えの馬車で来る」と盛んに言いたいことを言って伊藤と大使公館へ向かった。

沼間は庄内で降伏、帰国した林は函館と場所は違えど旧幕府の軍で大鳥たちと共に戦ったのだ、このパリには司法省フランス法制度調査団の一行として8名が来ていた。

団長格は司法少丞河野利鎌、本来は江藤司法卿が団長としてくるはずが三条卿の要請で残り岸良兼養、沼間守一、名村泰蔵、益田克徳、川路利良、鶴田皓、井上毅で構成され、成島は東本願寺の大谷光瑩の欧州視察団に通訳を出来ると言うことで昨年のグレゴリオ暦10月15日にフランス船ゴダベリー号で横浜を出航しマルセイユに11月28日午後6時30分に到着、30日の午前11時にマルセイユを発ってパリ入りは12月1日午前4時20分だ。

井上毅、益田克徳、名村泰蔵は最初江藤司法卿と共に来る予定が狂い3人は2週間遅れてパリへ入った。

正太郎は村田が昼に「焼き魚が食いたい」と言うので朝市で見つけたドラード・ロワイヤル(Daurade royale)をLoodに届けてあり11時過ぎに行くと連絡をしてあるので其れに合わせて歩いた。
「伊藤さんもパリで鯛が食えるとは知らなかったようだな。さっき迎えが来てシャンゼリゼに向かう時の顔を見たか」

「まだ機会がありますよ、ベルギーやオランダでも手に入るでしょ」

「其れはどうかな、向こうは厳寒の最中だぜ」

そのLoodには伊藤が益田といてちゃっかりと鯛を分け合ってビールを片手にパエリアも頼んで食べていた。

「あれ沼間はどうしました」

村田は二人だけなので伊藤に聞いた。

「彼は公館にまだいるよ」

「ショウ、こいつはいいな。日本を出て鯛の塩焼きが食えるとは思えなかった」

「お二人で1匹を分け合うとは仲がよろしい事で」

「これは3匹目だよ。君たちの分がなくなるといけないから全部食べるのは遠慮したんだ。また買える様なら岩倉卿にも届けて公館の食堂で焼かせるか」

「1匹3フランで朝市に出ていましたけど、魚屋に頼めば手に入る事もあるそうですよ」

「必ずあると言うことは無いのか」

正太郎はママンに聞くと「高いからね。家でも余り買わない魚だよ。ショウが買って届ければ安く提供してもいいけどね」

「やっぱり此処でいつも置いてくれると言うのは無理な相談か」

「そうね。伊藤さんが毎日お客を送ってくれるなら置いてもいいけど5フランで食べてくれとお客には言えないよ」

「そうか、2フランや3フランでは無理か」

「4月に為ればその位になるよ。でもまだ時期が早いからね。今年の走りだからボルドーまで行けばいいけどルーアンやル・アーブルではまだ無理な様さ」

ママンはそういって正太郎と村田の分の鯛の焼きあがり具合を見に入っていった。

「牡蠣が食いたいが木戸先生に煩く言われるからな。隠れて食うのも後でばれると夜遊び何処の騒ぎじゃなさそうだ」
伊藤はやはり木戸に頭が上がらないようだ。

「ナポレオンは1日百個の牡蠣を食べたといいますよ」

「そうだよな、牡蠣が食えんとわびしいもんさ。土手鍋が出来ればいいが味噌も無いしな。ショウ、鯛は5匹しかなかったのか」

「そうです、今は鱈やリマンド (limande)と言うのがならんでいましたが鰈なのか平目なのか判りませんでした」

「左平目に右鰈だよ」

「其れはなんですかね」

「口を置いて眼が上に来るほうさ」
正太郎はそうなのか覚えておこうと思った。

「焼き鰈もいいが。平目の刺身もいいな。公館の料理人が市場で買い入れればいいがどうも日本食を作りたがらないので困るのだ」

料理人は連れてきていても大勢に日本食を提供は出来ないようだ。

正太郎と村田は伊藤たちと同じようにビールとパエリアで鯛の塩焼きを食べることになった。

「しかし沼間は何だってショウを成島さんに会わせようと言うのだ。あちらさんは沼間たちと何か接点があるのかな」

「どうなんですかね。同じインターコンチネンタル・ルグランにいますがめったお会いしませんのでどういうことか判らないのです」

益田はそういって残った骨でスープが取れませんかねと伊藤に話しかけた、成島の事より鯛の骨のほうが気になるようだ。

「止めておきなさい、日本人は骨までむしゃぶると言われるのが落ちだ」

伊藤に言われママンが下げる皿を名残惜しそうに見ていた。

村田はソース・デュ・ソジャをたっぷりかけて「この香りが堪らんな」とパエリアの米と一緒に口に放り込んで楽しげに食べだした。

「今日はこのあと予定は」

「いえ、私のほうはありませんが」

「ショウ何か面白いところでもあるか」

「お酒が良いですか、女性つきが良いですか」

「酒が飲めれば可笑しな女がいないほうが気がらくだ」

「では風呂で垢を流して私の下宿へ行きますか。あそこならどんなうわばみでも呑み切れないほどワインがありますよ」

「そうかショウの下宿は一度も訪ねていないから行って見るか」

話が決まりオリエンタルで汗を流してフェルディナンド・フロコン街の事務所へ向かった。

届いていた荷物の確認をしてそのうちの一体を解くと伊藤は「ほぉー」と感心して「高かったか」と聞いた。

前はこれが売り物のドレスの見本を着せて店に置く物で100フランはしたそうですというと「女子供へのお土産にはちと高すぎるな」と諦めたようだ。

事務所で連絡事項の打ち合わせをして歩いてソウル街へ向かった。

マダム・デシャンは正太郎の話しに大喜びで「お好きなワインを選んでください。その間に簡単なつまみになる物を用意します」とMomoに倉庫へ案内させた。

3人が1本ずつ選んだあと正太郎は自分の分から2本を取り出してノートに記入しておいた。

食堂にはクストーさんが間に合わせとは思えない豪華な盛り合わせの皿が用意されていて、竈では鳥を焼くいい匂いが食堂に漂っていた。

選ばれてきたワインを見て「皆さんお眼がたかいですわ。丁度飲み頃の物を選ばれました順番はお任せください」とこの間Momoが選んできた10年物のシャトー・ベイシュヴェルを開けた。

「暫くお待ちいただく間に此方をどうぞ」

マダム・デシャンはシェリーを1杯ついで勧めてワインは次々に栓を空けてデキャンタに移した。
「益田さんいいものを選びましたがあのワインをご存知でしたか」

「いやわからんが船の絵が気に入った」

ただの偶然だったようだ。

「しかしショウが何もアドバイスをしないのはどうしてだ」

「其れは高い物を選ばれたら大変だからです。どうしても聞かれればいいものを勧めざるをえませんから」

「そうかそうだな。そういうことだよな」

よくわからないことを村田は言いながら注がれたワインの香りを楽しんだあと一気に飲み込んで「う〜ん、こりやいい。こいつは俺の喉に合っている」などと言いながら「それでショウが持ち出したのはいいワインなのか」とたどたどしい言葉ながらMomoに聞いてみた。

「あれは買うことが困難なワインで30フラン出しても手に入れられるか判りません」
Momoは商売上手な一面を見せて正太郎のワインの価値を大分にほめておいた。

正太郎はラネッサンが半分壜に残っていたので「Momoとマダム・デシャンで付き合いませんか」と勧めてそのワインを飲んでもらった。

「1857年は最高ね。M.ポンティヨンのところで58年も呑んだけど此方のほうが美味しいわ、鳥の香り付けに使っていいかしら。鳥の味が引き立ちますわ」
正太郎がそうしてくださいというと「ショウはいい伝が出来てこんな素敵なワインを毎年買えるなんて幸運ね」と持ち上げてくれた。
マダム・デシャンはMomoよりほめるのが上手だ、さすがだなと正太郎は感心した。

3本目のワインがあけられタンドリで焼かれたコック・ノルマンディが出された。

普通の鶏だと正太郎には思えるのだが雄鶏の力づよさに加えてワインがもたらした効果か甘みまで感じて4人は1羽では物足りなさまで感じていた。
最後のワインが注がれるとクストーさんが生ハムとメロンにチーズを出してきた。

「どうしたの冬にメロンだなんて」

「これは今朝頂いたの。カサブランカから着いたばかりよ」

ゲッ、いくら取るんだろうと正太郎はふところを抑えて逃げ出したくなった。
もうこうなったら食べなきゃ損だとワインよりもメロンにハムを乗せて一生懸命に食べる事にした。

5本のワインのあとにマダム・デシャンがこれは私のおごりと持ち出したワインも飲み終わる頃には下宿人も帰りだして食事も始まっていた、Momoにはあとで請求してねと頼んで馬車を頼んでホテルへ戻ったのは9時を過ぎていた。

「たまには早く寝よう」とさすがの伊藤も今日は満足したようだ。

翌日、昨日と変わって晴天になったパリの街を沼間が迎えに来た馬車でインターコンチネンタル・ルグランの成島と逢いに出かけた正太郎は西園寺よりも若い大谷光瑩にも面会し、パリの街のことを話したが沼間が何の目的で此処へ連れてきたか判らないままだった。

明日はエメとの約束があるのでお天気のほうが気になる正太郎はメゾンデマダムDDへ戻ると昨日の清算をした。
全部で62フランだというのを「メロンがでた割りに安いんだね」というと「あれは勘定に入れていないもの」とMomoが打ち明けてくれた、すぐに支払うと明日の仕度を整えてオテル・ダルブへ戻った。

伊藤が戻ってきたのでその話をすると笑って「沼間という奴不思議な奴だとは聞いていたがほんとに何を考えているのかよくわからんね」と村田と可笑しそうに笑うのだった


Paris1873年1月26日 Sunday

朝まだ陽が登らない6時半アロルドはベルリーヌ馬車にかみさんのリーズを乗せてオテル・ダルブへ正太郎を迎えに来た。

ル・プチ・トリアノンはヴェルサイユの宮殿と違い開放されていてディマンシュでも入場料1フランで自由に建物内部の見学ができた、アロルドに話すと二つ返事で自分のかみさんにも見せたいが、助手として連れて行っていいかといわれ正太郎は承諾して1日20フランで契約した。

汽車だと1時間でいけるが正太郎はエメと馬車の小旅行をしようと思い立ったのだ、ヴェルサイユの庭園は見学できるので、日曜ともなると汽車が満員になるほど人が行くので、冬で花も少ないけれどマリー・アントワネットが愛した王妃の村という小さな庭園がよいというエメの希望に沿った小旅行だ。

エメの仕度も済んでいてリュカたちに送られて馬車は月が眉の様にブローニュの上に掛かる中ヴォージラール街を一路西南に向かった。
道はビクトール街道とぶつかりポン・オートゥイユでセーヌを渡らずに川に沿って南へ向かった。
暫くセーヌの蛇行に合わせて中州を見ながら進み、セーブルの磁器製作所を遠くに見ながら緩やかな坂を登った。

「この町にもポンパドゥール夫人の館があったのよ」

ルイ15世の寵愛を受けその権勢は比類なき物といわれ、数々の庭園にその名が残されていた。
鉄道の線路が見えそれに沿って走るうちに朝日がようやく昇る気配が見えてきて道は広い並木道になった。

アロルドが「さぁもう此処は宮殿の入り口でさぁ」そう声をかけてきた。

大きな広場には馬車が何台も止まっていた、アロルドは外れに馬車を止めて顔見知りらしい男に馬車を預けた。

「9時から入れますから暫く散歩して門のほうへ行きましょう」とかみさんの手を取って先へ進んだ。
大厩舎はそれだけで王宮のように見えてしまう大きな建物だ。

柵の外からオランジェリーとスイス人の池という場所を見てその大きさに正太郎は驚いた、シテ島がこの宮殿に入ってしまうかと思えるくらいの大きさが其処に感じられたのだ。

シャトー・ヴェルサイユはルイ14世が建てたそうだ、使節団は1月1日に此処で大統領と祝賀を交わしたあとパリへ戻り特別公演のコメディ・フランセーズでブリタニキュスを観劇したのだ。

「出来た当時はこんなに綺麗な宮殿なのにお客様用のトワレットゥがなくて木陰で用を足したのよ、それでお客は自分用のトワレットゥを持参しなくちゃいけなかったの」

「今日は用意してきたの」

「150年も前の話よ。今はあちらこちらにきちんと設備があるわ」
観光客もあまりムードの有る話をしていないようだ。

朝日が昇ると共に観光客が鉄道の駅からだろうか、オムニバスで続々とやってきてルイ14世の騎馬像が見える柵の傍に開園時間を待つ行列が30人ほど出来た。

入り口の門が空けられて案内人の後を進むように言われ、中へ入ると見渡す限りの石畳がひかれていて宮殿の間の門からさらに奥へ進むと庭園の広さに感嘆の声が一斉に上がった。
水庭から下を見るとその先には両側に森が広がり眼の先には建物もなく噴水から吹き出す水の先には青空が広がっていた。

アロルドはかみさんと正太郎たちに案内人よろしくこの運河は1650メートル向こうまで続いていると説明して水庭の向こう側から階段を降りてラトナの泉水の向こうまで進んで後ろを振り返らせた。
表から見るよりも数倍大きく見える宮殿が其処に現れた。

遠くに見える運河の十字型のところの右手にはグラン・トリアノンといわれるナポレオンも愛した建物がありその手前を先へ進むと今日の目的地のル・プチ・トリアノンが有る。
道の両側には木立が並びトワレットゥの設備があることが書かれていた。

宮殿から1000メートルほど下るアポロンの泉水まで案内し、トリアノンへの道を二人に教えると「ではお昼すぎの1時にはアポロンの泉水までお戻りください」アロルドはそういってかみさんと手をつないで左側の迷路のほうへ向かって行った。
グラン・トリアノンは1683年に王妃が亡くなった後、ルイ14世と愛人のマントノンは秘密裏に結婚し、このトリアノンで余暇を過ごしたといわれている。

プチ・トリアノンは、ルイ15世が愛妾ポンパドゥール夫人のため、1762年から1768年にかけて建てた離宮だと正太郎は本屋で20年前の此処の地図の図版を手に入れていたので、エメと其れを見ながら入り口の番人に1フランを払って中へ入った。

ポンパドゥール夫人は1764年に完成を見ることなく亡くなり、この場所はデュ・バリー夫人に贈られ、1774年、ルイ16世が即位すると、王妃となったマリー・アントワネットがこのプチ・トリアノンを譲り受けて庭園をイギリス風に作り変えた。

王妃はポリニャック伯爵夫妻などのお気に入りの廷臣・側近たちしか出入りを許さなかったため夫である王も招待されないときは訪れることが出来なかった。
そのことは王妃の宮廷内での人気を落とし、貴族民衆からの支持を落とす一因とも為ったと言われていた。

5年前の1867年皇后ウージェニーが王妃を偲ぶ美術館とし、王妃の使用した家具や食器類を展示して市民が入れるようになり、建物の庭園に面したファサードから建物内へ入るようになっていた。

中に入ると黄金色に塗られた階段があり今でも王妃の紋章は残されていた。

エメは階段を一歩一歩確かめるように登り「私ここが開放された年の夏に来たことがあるの。まだほんの子供だったけどこの階段を上がるのが嬉しかったわ。両親と伯母に二人の兄さんも一緒だったわ」メドゥーサの彫刻の前では「これって兄は怖いと言っていたけど私にはかわいそうな人に思えたわ」エメはギリシャ神話をアテーナーの嫉妬によって利用された報われない神と捉えていた。

「王妃は自分をアテーナーにたとえて此処の建物に許しを得ないで入ることを拒んだんだわ」

「それでポリウーコスに例えて自分の住まいの出入りを制限したの」

正太郎もギリシャ神話に大分詳しくなったようだ。

「その例えは有っているかもしれないわ。これはアテーナーがメドゥーサを自分の楯に使って侵入者を阻んでいる験といわれているわ」

二人は薔薇の花を持つマリー・アントワネットの肖像画の有る控えの間に入り、 オーストリア皇帝ジョゼフ2世の大理石像とルイ16世の大理石像を見た。
ドアは開けられているが中へ入れないようにコルド(corde縄)が張られた部屋は大食堂に、ビリヤード室だ。
暖炉に大きな鏡が目立つ部屋はテーブルもなく正太郎が不思議そうな顔をすると「下の部屋で食卓に用意した物がそのまま此処へ運ばれたそうよ。その真ん中が開いて上がってくるんですって」

「そんな大掛かりな事していたんだ。まだUne moteur de la vapeurなんて無かっただろうに大勢の人の手が掛かっただろうね」

「フフ、ショウはそういう風な頭の働きをするのね」

「エメはどう思ったの」

「招待した人を料理人や召使いにわからないようにしたんじゃないかしら」

「秘密の会食をしたと言うこと」

「王妃自ら、お客にさぁどうぞなんてワインを注いだりして」

次の扉も開けられていて大きなハープが置かれてあった。
此処は仲間内の会食にあてがわれた部屋らしく暖炉の上には綺麗に彫刻された時計が置かれてあった。
ルイ15世の肖像画とともに飾られているポンパドゥール夫人を描いた美しい庭師の絵にエメは暫く見とれていた。

デュ・バリー夫人の寝室は王妃も使ったそうで夫人を憎んでいたという王妃がそのまま使ったと言うのは正太郎には納得できなかった。
そのデュ・バリー夫人もイギリスへ亡命していたが、革命のさなかにフランスに戻り王妃が処刑された1793年10月の2月後の12月に処刑された。

トワレットゥはエメの話では水洗式だったらしいと言うが、いくら先進国だったオーストリアとはいえ水洗式のトワレットゥがあったかとエメと議論する正太郎だが王妃のフルネームまで言えるエメに勝てないのだった。

マリア・アントーニア・ヨーゼファ・ヨハンナ・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン、これを覚えるのは一苦労だと正太郎には思えた。
おまけに幽閉されたタンプル塔にも浴槽を持ち込む事が許されたというにも及んで「綺麗好きだったのよ」と一言で片付けるエメだった。

革命の露と消え豪奢な生活が国民の怒りを買ったと言っても、1785年から続いていたフランス大飢饉の際には、宮廷費から多額の寄付をしているが、王や王妃の浪費は止まず、貴族と王の間の反発は強まり革命への引き金が何時引かれても可笑しくなくなったのだ。

館を出てフランス式庭園へ出て王妃の劇場といわれる建物に入った。
中は豪華だが席は12席しかなかった。

フランス式東屋へは行かずにプチ・アモーへ向かった二人は、岩山から見晴台へ登りその先のイギリス庭園の茂みを抜け、王妃が休憩のために建てたテンプル・ダムール(Temple de l'Amour愛の殿堂)へ出てそこにあるクピト像の下で休み、小川を越えて丘を下ると鴨に混ざり白鳥のいる池の岸辺が凍りかかっているのを見た。

「白鳥や鴨は此処から暖かい池には行かないのかしら」
エメは水に指先を漬けてその冷たさに鳥たちは平気なのかしらと首を傾げた。 

池の向こう岸には水車小屋もあり実際に王妃が此処で作物や果物を作らせていたと言うのもうなずける農村の一風景がそこにあった。
王妃の家に鳩小屋、酪農小屋、塔なども配置され中へは入れないが見かけと違い洗練された内装が施されていると言う話だ。

「この池で王妃は子供たちと釣りをして遊んだのよ」

「だけど此処に来てたまに遊ぶならいいけどいつも此処にいてヴェルサイユの宮殿に殆ど王妃が居ないと言うのは困った人だったんだね」

「そうよね。貴族や大臣と王の間を取り持つべき人が留守では王も困るし、仕える人も多くなるばかりでやりくりに困って普通では無い人たちまで出入りさせてお金を集めたと言う話もあるわ。年中博打をして沢山の金が動いたと言う話も聞いたことがあるし」

皇女から王妃となったわがまま娘が好き勝手をすればその浪費は天文学的になるだろうしお金は誰かが持ってくるのが当たり前くらいに思っていたのだろうかと正太郎は思えるのだった。
日本の金持ちとは桁違いの金が動く大陸では日本よりも虐げられた人は多かったんだろうなと思えた。

エメは革命の時此処に酒場が置かれてにぎわったと言う話をして正太郎はよく建物が無事で残ったものだと思った。
ようやく池を一回りして元のマルボロー塔まで戻ると農場の柵越しに放牧された牛やヤギを見て温室まで行くと時刻はもう12時になっていた。

「3時間なんてあっという間だね。今度春から夏にかけて花の時期の宮殿に来ようね。時間があればまだまだ見たいところもあるし、この近くで一晩泊まってもいいかもしれないよ」

「そうね、ショウが連れてきてくれる気があれば5月に為ったら来たいわ」

「いいとも、薔薇の時期は僕がパリへ来た時は終わりに近かったけどそのあたりなのかな」

「そう5月はまだチューリップも咲いているし色々な花が咲きそろうわ」

二人はまだ見て居たかったが帰りにセーブルで買い物をする時間が気になり、待ち合わせのアポロンの泉水まで戻った。
バシーヌ・アポロン( Bassin d'Apollon)は海の怪物と4頭の馬に牽かれた戦車に乗って戦うアポロンの姿を再現した物だ。

アロルド夫婦と落ち合い、長い坂を登ると噴水の一番上にいるのがラトナで、2人の幼い子供をつれているのがよくわかった。
アロルドが「その子供の一人がアポロンで、もう一人は月の女神アルテミスです。その周りを取り囲んでいるのがたくさんのカエルたちで、その中にまだかろうじて人間の姿をとどめている村人達も数人います」其処で立ち止まってリーズとかわるがわるラトナの神話を話してくれた。

セレスの泉水へ廻るために左の道へ入り、アポロンの水浴の木立を登るとピラミッドの泉水に行き当たり、ニンフたちの水浴の先には水の遊歩道が見えた。
その先にあるネプチューンの泉水とドラゴンの泉水までは行かずに今日は引き上げる事にした。

「ねえアロルド。名残惜しいけど今日はここまでにして、暖かくなって薔薇の季節にまた来ようと思うんだ。その時にはまた付き合ってくれるかい。出来れば何処かへ一晩泊まっておいしい物でも一緒に食べようよ」

「馬車のお供はいたしやすが。夜の食事は別のほうがよろしいのじゃありませんか」

「まぁ其れはその時のこととして5月が近くなったら打ち合わせようよ」

「かしこまりました。そのときはまた二人でお供させて頂きます」

馬車を預けてある厩舎へ戻り、2頭の馬をベルリーヌ馬車につなげてセーブルへ向けて道を下った。
途中に有った小さな食堂で食事をして温まった後、セーブルでローズ・ポンパドールの飾り皿と、テのタッセ(紅茶カップ)王妃のイエロー、タッセ・ア・テ・スクープ(Tasse a the soucoupe)に抓みが両側に付いた王妃の薔薇が描かれた、タッセ・ア・ラ・レーヌ・スクープ(Tasse a la Reine soucoupe)を買い入れた。

全て二つずつだが630フランもした。

エメは「これでフォリー・ベルジェールの店で半年働いた分が全部出てしまうわ」そういって正太郎を見て微笑んだ。

エメは自分の家にある磁器が高価な物と知ってから普段用に買い入れた物を使いコレクションとしてよい磁器を国別に集めようと考えたようだ。

正太郎は普段用のセーブル・ブルーのカフェ・タッセを10組180フランで買ってエメに贈り物にした。

アロルド夫婦も正太郎と同じ物を2組嬉しそうに笑いながら選んでいて正太郎と同じ柄になったことを自慢した。

「ムッシュー、あっしたちと同じ美的感覚だね。ショウのだんなもフランス人と同じ物が綺麗に感じますか」

「セーブル・ブルーは僕の好きな色だよ。普段用としては高いかもしれないけどこのくらいなら飾るよりも使う事がタッセにとっても幸せだよね。エメが選んだのは毎日使うには僕たちでは値段を聞いたら手が震えてしまうよ」
はは、ショウの旦那は冗談がお好きだとアロルドは笑いながら金を払い販売所を後にして馬車に乗るためにドアを開けてくれた。
エメの買い入れた物は丁寧に梱包されアロルドが座席の上にベルトで縛り付けてくれた。

夕日がサン・ジェルマン・アン・レーに落ちる寸前にポン・セーブルを渡りポン・オートゥイユでもう一度セーヌを渡るとビクトール街道をすすんでヴォージラール街へ左折した。

パリで一番長い通りと言う町筋をレンヌ街で右に入ればノートルダム・デ・シャン街のエメのアパルトマンだ。

アロルド夫妻にも手伝ってもらい荷物を運び込むと今日の礼を言って20フランに5フランのチップを渡して別れた。

エメと二人で飾り皿を出して眺めて何処に飾ろうかを話し合った。

「皿はその時計の隣の棚がいいよ。今ある本をどかしてピンクの皿を置けば時計の金色も引き立つし」
その棚は奥行きが広く皿が倒れても床に落ちる事が無いと正太郎は思ったがパリは地震など無く横浜みたいに年に何度もゆれて物が落ちたり倒れたりの心配は無用だった。

エメは置いたあと部屋の反対側から眺めて「少し角度を変えて、そう時計の正面から見ると其れが良いわ」そのあと部屋を横切りながら何度も見直して角度の調節をして今度は本を時計の下の段に置くのに30分かけてようやく気に入ってくれた。

「タッセはまた今度考えるわ。お食事に行きましょうよ」

「何処にする」

「歩きながら相談しましょうよ」
8時に部屋を出てサン・ジェルマンの市場まで歩くと、この間から気に掛かっていた炎の上がるタルタルステーキを食べることにした。

シェフが前掛けをするように渡して周りの客にソワイエ・プリューダンスと声をかけて熱した油を上から注ぐと大きな炎が上がった。
タルタルステーキにはソゥス・ア・ドゥミグラスが掛かり炎と共に匂いが広がり二人の食欲は高まった。
鶏肉のグラタンも味がよく二人はお酒を飲まずにカフェのお替りをして会計をしてもらった。

夜の町は冷えてきてエメはこの分だとセーヌが凍るかもしれないと言いながら正太郎に寄り添って部屋へ戻った


Paris1873年1月30日 Thursday

昨日からメゾンデマダムDDに戻っていた正太郎は朝日が出ないうちにオムニバスを乗り継いでオテル・ドゥ・ヴィル河岸へでて修復もままならないオテル・ドゥ・ヴィル(市庁舎)へ入る役人を掻き分けるようにアルコル橋を渡った。

ディマンシュから続く寒波の影響でセーヌは氷が上流から流れてきていて荷舟も動きが困難に見えていた。
ニコラは今日明日にも凍りついて蒸気船でも動けなくなるだろうと教えてくれた。

朝陽の上がる時間は早くなってきているが寒さは厳しくなるばかりだ。
シテ島の左岸側のドゥーブル橋の上で時計を見ると7時56分まだ日の出には30分以上ある時間だ。

この橋は昔2ドゥニエの橋銭をとったところから名前がつけられたそうだが、25年前にアーチの綺麗な橋に架け替えられたばかりだ。
正太郎はその氷の流れる様子を暫く眺めていたが寒さに手が悴んで来て、その手をこすりながら外套の襟を立てラ・アルプ街のオテル・ダルブへ歩き出した。

使節団は今週文部大丞の田中不二麿と随行員が先に帰国の途に着くというので昨日は伊藤や田中光顕、前田も付いて宴席が開かれたが、正太郎は大久保に呼ばれて西園寺、村田と共に夕食を取るためにオテル・デュ・ルーヴルにいた。

普段厳しい大久保だが西園寺や正太郎には優しい眼でその話を聞いてくれた。
「そうか伊藤君たちは人形を娘のお土産に買ったか。わしの所は男ばかりでな、女の子も一人はほしい物だ。上の子二人はフィラルデフィアへ留学させたから家内もさびしいだろう」

家族の事を話す大久保は遠くを見るように眼を細めていたが「ショウ、君も我々と諸国を廻る気には為れないかな」と言い出した。
「その話は伊藤様へお断りをさせて頂きました。私は官に付くより今のように商人として働きたく存じます」

「やはり気は替わらんか。それも一つの選択だ、確り働いて日本のためになることを学んでくれたまえ」

伊藤も勧めてくれたが寅吉や吉田と同じように、商人として稼いだ金で多くの人の勉強の手助けをしたいと言うのが正太郎の本当の気持ちで、其れはこのパリで遊んでいても商売の事を考えている時でも替わらないのだ。
オテル・ダルブで伊藤が起きたか問い合わせるとすぐにロビーへ降りてきた。

「すぐ行くぞ」

「他の方はいないのですか」

「西園寺君か君がいれば済む事だよ」

辻馬車を拾うとアルバレート街のアパルトマンへ向かった。

馬車がモンジュ街へ出るとようやく陽がシャラントン・ル・ポンあたりから上がってきてモンジュ街は見通しがよくなった。
西園寺は起きたばかりらしくまだ朝食も食べていないと言うのを伊藤はあとで朝昼兼用で何かご馳走すると連れ出した。

「何処まで行くのですか」

「ビュット・カイユ」

「そこに何かあるのかい」

西園寺は伊藤が何か考え事をしているようなので正太郎に聞いてきた。

「木戸先生に野村さんに差し上げたジュレ・ロイヤルを差し上げるために買い入れるそうです」

「なら僕は何の役目だい」

伊藤は「わしからと言うより君から差し上げてほしい」と言ってまた考えにふけりだした。

「伊藤さんは気を使いすぎですよ。ご自分から差し上げても喜ばれますよ」

「だがわしからだとお使いにならんかもしれん。野村君のことも話して経過がよいからと勧めてほしい」

「判りましたそのお役目お引き受けいたします」
正太郎がレザベイユのマダムにこの間の経過がよいらしく他の人にも勧めたいのでというとどのような状態の人か教えるように言われた。

伊藤が話す状態を正太郎と西園寺が話し合いながら訳して伝えると「其れは胃が荒れているのと血液の量が少ないのだと思います。ジュレ・ロイヤルは胃弱や血液の少ない方には最適です。ただお断りしておきますが万能薬ではありません。あくまでも栄養が偏っておられる方または老化を防止する効果が報告されているので病気が治ると言うことでは有りません」と親切に教えてくれた。

前回と同じように3個の壜を99フランで買い入れ伊藤が10フラン金貨10枚を出して釣りを受け取りマダムに礼を言うと店を後にした。

「そろそろ次の分を野村さんに届けるようですかね」

「そうだな、1壜持ってきてもらおうか。あのワイン倉のような設備があれば家で預かって置けるが置く場所が無いのだよ」

「まぁ今は冬ですから室内でも火の傍で無ければ大丈夫らしいですよ」

「まぁ君のところで預かって貰うのが一番だよ。ところで伊藤さんこれは全部木戸先生に届けますか」

「そうしてくれますか。わしはオテル・ダルブで降りるからこれで飯でも食べてください。くれぐれも君たち二人からと言うことにしてくれたまえ」
伊藤は10フラン金貨を2枚正太郎に渡すとせかせかと馬車を降りていった。

正太郎が馭者に「オテル・ド・ジブラルタル、サン・トノーレ街」というと「旦那サン・イアサント街のじゃありませんか」といわれてしまった。

「あ、そうだすまんね、ついサン・トノーレ街で降りる積もりだったのでそういってしまった。パサージュ・ジャコバンのまえだったね」

「そうでさ、ではオテル・ド・ジブラルタルの脇でよろしいですね」

「頼むよ」
馬車は川岸をポン・ヌフまで進んでセーヌを渡ってオテル・デュ・ルーヴルのところからサン・トノーレ街へ入りマルシェ・サン・トノーレ街へ曲がるとオテル・ド・ジブラルタルの脇へとまった。
正太郎は5フランの料金に2フランをチップに渡して待たなくていいよと声をかけた。
朝と違い徐々に雲が厚くなり雪でも降りそうな空模様になってきた。

幸い木戸はホテルに居た。
「いいところに来たね。今西岡君が帰ったところだが、お土産にオレンジを呉れたよ。二人で食べたまえ」
木戸は二人に籠に入ったオレンジをテーブルに置いてくれた。

西園寺はマダムが言う事をメモした紙とジュレ・ロイヤルの壜を置いて「朝昼晩とこの小さなさじ一杯ずつを召し上がってください。そのままですと酸いがきついので紅茶か白湯に溶かすと効果が減らないそうです。1壜で30日が目安だそうです」と木戸に薦めた。

「そうか蜂蜜の中でも特に効果があるものなのか。蜂蜜は体に合うらしく胃にもいいがそれ以上なのか」
嬉しそうに保存方法や使い方を反復してためしに一口含んでみた。

「こりやきついが、癖になりそうな味だよ。その野村君はこれで体が丈夫になったのかね」

「まだ半月足らずですが早足で歩いても息切れがしなくなったと一昨日言っておりましたから、効果はあると思います」

「判った欠かさずのみましょう」

正太郎と西園寺がオレンジを一つずつ食べて辞去しようとすると「まだ少しいたまえ。今日は午後3時まで暇なので昼でも食おう。この裏にスペイン料理のサガロという店が美味いんだぜ」と昼を誘った。
西園寺は一も二も無く「ありがとう御座います。ご一緒いたします」と受けて儲けたなという顔を正太郎に見せた。

木戸に昼をご馳走になった二人はコンコルド橋を渡ってブルボン宮殿前から馬車トラムに乗ってモンジュ街まで行き着くと其処で降りた。
8番地のメゾン・カイザーで幾つかパンを買い入れると西園寺のアパルトマンまで小雪のちらつく中を歩いた。

「まだお金が余りましたが、途中で何か買い物をしましょう」

「いや今日のところはいいから君が貰って置き給え。普段出費が多いんだそのくらいの余得はふところに入れてもいいだろうよ」

ではまた使う事もあるでしょうからと正太郎は別のポシェに入れなおした。

アルバレート街へ戻り3階へ上がると高梁がカフェを入れてくれた。

暫く話しをしているうちに4時をすぎたので一度オテル・ダルブへ顔を出すことにして部屋を辞去してのんびりと雪は止んで陽が射している街を歩いた。
オテル・ダルブには村田がロビーで寛いでいて傍には川路と井上毅が座っていた。

「ショウ今日はどこへ行っていたのだ」

「今まで西園寺様のところですが昼は二人とも木戸先生にスペイン料理をご馳走になりました」

「ショウは飯を奢らせるのが上手だ。ところでこの二人が焼き魚を食いたいと言うので例の店に行ったが今日は魚が無いと言うので明日行く事にした。今晩どこかへ遊びに行こう」

「よろしいですよ。それで何処が良いですか」

「まず例の風呂屋でそのあとお主が言っていたフォリー・ベルジェールとか言う店はどうだ」

「ご案内いたします。伊藤様はどうされたかご存知ですか部屋でしょうか」

「いや部屋にはいなかったぞ。ショウは明日の事も言われていないのか、俺たちには関係ないが。ウトレー公使や各省庁の長官との宴席があるのだが」

「其れは夕刻からと前に報せがありました。伊藤様は前田さんと他の用事で忙しく出られないそうなので、私は通訳に出なくていいそうですので明日は午後にでも下宿へ戻る予定です」

「では今晩は此処へ泊まるのか」

「そうです」

「では遅くなっていいと言うことだ。川路さんこれで夜の予定は立ちましたぞ」

「いいだろう。そのフォリー・ベルジェールと言うのは遊郭なのか」

「いえ見世物小屋にレストランと酒場が付いていると言う方があっていますが。女遊びが出来るほうがよろしいですか」

「よか」

「川路さぁちっとはちゃんと喋らんとわかいませんど。井上さぁもこれでゆうと話が通じもすね。ショウ川路さんはフォリー・ベルジェールでいい、遊郭でなくていいと言っているのだ」

「そんごっだ」
言葉数の少ない人のようだなと正太郎は思った、司法省の警保助兼大警視といえば昔の与力筆頭いやそれ以上の町奉行に当たるのだろうと正太郎には思えるのだが偉ぶるでも無くただ単に薩摩言葉なので喋るのが面倒だと余り話さないのかと思った。

井上も寡黙な男だった「この二人は喋らずに1日同じテーブルにいても平気だ」と沼間はこの間正太郎と成島に言ってさらに「田舎もんは仕方ない」とまで言って同席した益田は、はらはらしていた。

4人で馬車を呼んでオリエンタルへ向かい馬車には7時に迎えに来てくれるように頼んだ。

垢を落とさせて風呂に浸かり、綺麗になった下帯とシャツに着替えた。

正太郎と村田のスリップ・ド・クストゥを興味深げに見る井上は「パリのふんどしですか」と聞いて村田は可笑しげに笑った。

「今使節団でこれを穿いていない者は数えるくらいですよ。川路さんも井上さんも穿かれて見ませんか。ショウ今からでも買えるかな、わしから今二人にプレゼントしたい」

「大丈夫ですよ。店の上が住まいですから」

「ではフォリー・ベルジェールへ行く前に寄って行こう」

クストー街で馬車を待たせてまだ開いていた店で二人に3つずつ買い与えた村田は其れを包ませて「大きさが不満ならショウに言えば調節してくれるから」と勝手に決めて自分用にと2枚買い込んだ。

フォリー・ベルジェールで入場料を8フラン払って中へ入り外套を預けた。

外の寒さと違い中は暑いくらいに人が多かった。
セルヴィスに案内された席は舞台がよく見える仕切りの有る8人掛けの特等席だ。

シャンパンを2本とソーセージとジャガイモのフライの皿にハムの皿を頼んで後は鳥の蒸し焼きにし、セルヴィスに注文を伝えてすぐに女の子が来る前にやって来たのは子分を連れた賭屋だ。

「ボンジュー・ムシュ・ショウ」

「ボンジュー・ムシュ・ブルジョワ。景気は如何ですか」

「よくないね。君たちもあれ以来競馬はやらんし、お客のふところはお天気と同じだ。カジノでは勝ちっぱなしらしいね」

「たまたまですよ。イギリスで言うビギナーズ・ラックという奴で素人のまぐれ当たりです」

「ふむ、そうかもしれんね。ところでエメとは上手くいっとるかね。彼女には幸せになってほしいからね」

「イルサンタンドゥトゥヘビアン」

仕切りの向こうからM.シュリーの声が聞こえた。

「おや、その声は、M.シュリー」

「そうだ僕だよ。気が付かなかったかね」

「いや気が付かずに失礼しました。おやお連れは」

大男のジャン・ブルジョワは背伸びして隣を覗いた。

「そう警視総監のM.ダニエル」

「テュアヘゾン」とニコラの声がして「ジュポンスキラヘゾン」とかぶせるようにサラの声がした。
ジャン・ブルジョワは隣の席へ行き何か話して店を出て行った。

「今何を話していたんだ」
村田は早口すぎてよく判らなかった様だ。

「うまく行っているよ。君の言うとおりだ。彼のいう通りよ。3人が次々に言いましたが最初にテーブルに来た人は競馬の賭屋の親父で、僕と彼女がうまくやっているのか聞いたのです」

「ほうそうか」

隣からサラが出てきて耳元で「ショウもうじき総監が帰るからこっちに来るわね」と言って席へ戻った。
女が4人来てシャンパンをねだり正太郎は5フラン4枚を一人に握らせてあとで呼ぶからと席から立たせた。

「どうした。帰してしまったのか」

「今僕に耳打ちした人がすぐ此方へ来ますから、その人が帰ってからでいいと思いました」

ニコラが手を振って総監とM.シュリーを連れて出て行くとサラとマリー・エロイーズにマノン・ミリュエル、アン・マリレーヌの4人が笑いながら此方へ入ってきた。

村田は驚かなかったが川路と井上は先ほどの女たちとは違う豪華な衣装と振る舞いに圧倒されたようだ。

セルヴィスがグラスとシャンパンの壜2本を追加して、サラたちと乾杯をして井上と村田はたどたどしく話をしだしたが川路は黙って正太郎が言う言葉にうん、うんと頷くだけだった。

アン・マリレーヌが「ショウ私この人知っているわ」と急に言い出した。

「何処かであったの」

「この間私の兄が教えてくれたの。夜警の番の時にこの人をオテル・エスメラルダまで送ったそうよ。昼間私と買い物している時にすれ違って教えてくれたんだけど迷子になる名人だそうよ。5回は迷子になったと評判のジャポンだって」

村田は意味がわかったようで急に笑い出し、其れに釣られたようにサラやマリー・エロイーズにマノン・ミリュエルまでが釣られて笑い出した。

舞台ではカンカンのショーが始まり正太郎は女優たちのためにデセールの盛り皿を取り寄せ何か飲むか聞いてそれもセルヴァーズを呼んで頼んだ。

1時間ほどでサラたちは席を立ち「初日に来てくれるのを楽しみにしているわ」と投げキッスをして去っていった。

見送る正太郎を見て先ほどの女たちが他のテーブルから立ち上がって此方へ来て男たちの間を選んで座った。
正太郎はすぐシャンペンを2本追加して何か食べるかを聞いてあげた。

「私たち今日はアリババが入っているのを聞いたの其れを頼んでいいかしら」

「勿論いいよ。好きな物を頼んであげるよ」

正太郎はセルヴァーズを呼んで注文してあげた。
サラが忙しげに戻ってきて正太郎に皮袋を出して「これお小遣いにしなさい」とあっけに取られている正太郎の手に渡すと出て行った。

「なんだお小遣いだ。ショウはサラから小遣いを貰う仲なのか」

村田がからかい顔で正太郎に言い出した。

「まさかそんなことありませんよ、あれは冗談でこの間届けた日本からの雛人形のお金ですよ」
正太郎はYokohama写真や浮世絵と共に内裏人形をバーツとサラに届けてあるので、その礼にたまたま持っていたか、貰った金を寄越したのだろうと思ったのだ。

「いくらくらいある」
井上は興味深げに聞いてきた。

「横浜で30両程度の物だそうですから300フランだとは言ってあるのですが」と重さから見てそのくらいと見て告げた。

女たちも舞台が一息つき其れを見たそうにしているので、ほかの席から見えないテーブルの端へ積み上げると32枚の10フラン金貨がでてきた。

「320フランか、58両ほどだな船代を見ればそんなところが妥当だな」

井上がそう言って仕舞う様に促して「今日の勘定はショウが持つ事に決まりだな」と宣言してセルヴィスにシャンパンを2本頼んだ、これで8本目のシャンパンだ。
川路はシャンパンに酔っているようだが見た目にはそれほど変わらずに見えたがだんだんと女に言葉を直されながら話出してきた。

盛んにポリス、ポリスと言う言葉が混ざりどうやら警察機構の勉強をしに来たと話しているようなので正太郎が井上に聞くとそうだと返事が来たので「残念な事をしました。先ほど女優たちといたのは警視総監でしたのに。私は川路様が何を学びに来られたか知らないものですから」というと「おいは総監よりも実務を動かす人間を知りたいのだ。警察の事務方を知らないか」と言い出した。

「明日午前中は時間が有りますか」

「大丈夫だ」

「では9時にお迎えに行きますからオルフェヴル河岸までご案内します」

「なんだ其処は何かあるのか」
女たちはオルフェヴル河岸のオルフェヴルで判ったらしく川路に色々言う物で面食らった川路は「何を言っているか判らんぞ、少し静かに出来んか」と顔をしかめた。

正太郎が「少しの間ジャポンの言葉で喋るから」と黙らせて其処がパリ警視庁のあだ名で、其処に先ほど総監といた人が事務で働いているから誰か適当な部署の人を紹介してもらいましょうと言うと納得して「では今晩は深酒はやめて早く帰ろう」と言い出した。

村田が「まぁ、そうあせらんでこの女たちが食べ終わるまで待ちたまえ」と舞台を見ながら言って振り返って川路の顔を見た。

「よかろ」と一言言うと女がシャンペンを注ごうとする手を押しとどめて「J'ai cesse de prendre champagne」とゆっくりといった。
川路の何処がいいのか正太郎の隣の女に最初に川路に付いた女がふたりして川路を挟んで艶っぽく話すが川路はよく判らない様で迷惑そうな顔でフンフンと聞いていた。

舞台もショーの時間が終わり奥のバーの喧騒が伝わってきて、そろそろお開きにしようと勘定書きを持ってこさせ、皮袋から18枚の金貨を出してチップ込みで清算し馬車を呼んでもらった。

女たちにまた5フランずつ握らせたので店の外まで送りに来て馬車が見えなくなるまで手を振っていたと井上が後ろを見てそういった。

「ショウは一体5フランの金貨をいくら持っているのだ。手品みたいにでてくるな」
正太郎は4つの隠しを見せて「此処に5枚の5フランが入ります。ここには50サンチームが2枚ずつ。家を出るときには52フランを入れてでます」

「それだけでは今日のようなときには足りないだろう」

「あとは此処に100フランの札を入れておきます。途中で商売の手付けに必要な事もありますので」と襟の背中側をたたいて見せた。

「井上君ショウは財布にいつも50フランの札6枚は入っているぜ。暇そうにしていたら飯をおごらせる事さ」

「村田様、その様なことまでばらさないでくださいよ」

「いやすまん、すまん」
大きな声で笑い出して「でも本気でもあるんだぜ」と更に愉快そうに笑った。



Paris1873年1月31日 Friday

夜中に降った雪も積もるほどでなく陽がでる頃にはなくなっていた。
約束どおりに村田と連れ立ってサン・ジュリアン・ル・ポーヴル街へ歩いて向かった正太郎はオテル・エスメラルダで川路と井上に落ち合って4人でプティ・ポンを渡りシテ島に入るとオルフェヴル河岸まで歩いた。

「今日は非公式訪問ですから鮫島様から外務省へ連絡を入れてもらうようにして下さい。そうすれば下準備が出来ているのですぐ公式に何処でも入れてもらえると思います」

「やはり外務省を通さんと駄目かね。面倒な事だな」

「実は前に他の方を公使が直接紹介したら外務省から此方へ連絡しないと困ると言われたそうで。今日は僕がたまたま友達に紹介したと言うことで公式な訪問ではないと言うことにします」

「ショウは本当に気が廻るな。おいが手伝いばせんか」

「僕は此処で商売の勉強に来てまだ勉強中ですので通訳や、人のお手伝いを専門にする余裕が無いのです。今僕の下で働く20人ほどの人が僕抜きでは困りますので」

「そっか」
やはり川路さんは言葉すくなに言って後ろの村田と井上の顔を見て「駄目だそうだ」と言って挨拶の仕方をもう一度練習させろと言葉をかけた。

「まず昼間ですのでボンジュール、男ならボンジュール・ムスィウ、女性にはボンジュール・マドモアゼルなどが良いですね。後お年の方にはマダムとして構いませんしお名前をご存知ならお名前をつけてください。たとえば今日紹介するのはニコラ・シュネーデルと言いますのでボンジュール・ムスィウ・シュネーデルと言うのがよろしいです」

「判った」
川路はその言葉を反復して練習した、1月以上パリにいてどうやって挨拶していたんだろうと不思議に思う正太郎だった。

「昨晩おんしは風呂屋でもフォリー・ベルジェールでも玄関番にまで挨拶していたがあれはわが国の者を下に見られよく無いぞ」

「川路様、フランスではたとえ大統領でもドアを開けてくれたドアマンにはメルシーといいます。この国では店へ入るときに必ずボンジュール・ムスィウもしくはボンソワ・ムスィウと声をかけるのが国民性なのです。何も買わなくともお客として料金にチップを添えてもメルシーと相手も客も共に言います。昨晩の様に酒場女にでも別れの時はオ・ルヴォワールと声をかけてください」

「判ったメルシー・ショウこれでいいかな」
川路は今の言葉もすぐに反復してすぐさま綺麗な発音が出せるようになった。

10分ほどでオルフェヴル河岸について会計部のニコラ・シュネーデルを呼び出してもらった。
4人も無事挨拶が済み事情を話すといきなり総監室へ連れて行かれたには4人とも驚いてしまった。

秘書にニコラが話をすると「総監にご都合を聞いてきます」とドアの中に入るとすぐに出てきて「どうぞお入りください」と5人を中へ入れてドアを閉めた。
総監のM.ダニエルは快くニコラの話を聞いてくれ「いいでしょう今日は非公式と言うことで外務省のM.ド・レミュザには非公式だったと報告します。正式に公使から大臣に申し入れてくださればどのようなことでもお役に立たせていただきます」と快諾してくれた。

「ところでショウと言うのは君かね」

「はいそうです」

「ふむ、いい青年じゃないか。昨晩は失礼した」

「いえ此方こそご挨拶もしませんで失礼いたしました」

「構わんさ、エメとも上手く行っているようだし気にはしとるがね。忙しくて会う事も出来んでな」
正太郎が不思議そうな顔をしたのでニコラが援け舟を出してきた。

「もしかしてショウはエメから伯母様の事聞かされなかったか」

「僕は亡くなって部屋を相続したとだけ」

「まいったなぁ。知っているとばかり思ったぜ。総監はエメの伯母様の義理の弟になるのだ。わが町ランズの生まれなのだよ。親類と言っても俺とはご先祖が同じというくらいだがね」

「エメは言わなかったか。まぁそれもあの娘らしいじゃないか、サラ・ジャンヌはわしの兄の嫁でね、学生時代は二人の世話になったのだよ。それで何処から見学したいかね。ニコラ君は戻っていいからジュリーを呼んでくれたまえ彼女に案内させる」

入ってきたきつい顔の背の高いやせぎすの人をMlle.ビゼーと紹介してそれぞれと挨拶を交わすと「この人たちを任せるから署内の案内をしてください。いずれの場所もわしが許可を与えたといいなさい。ここはまずいと君が判断した場所は断ってよろしい」

「はい総監」
総監と挨拶して4人はぞろぞろと後について署内の見学をした。

「捜査官はどのくらいいますか、その中でも敏腕といわれる人にぜひ会いたい」という川路の言葉を伝えると、警部のM.デュクロという中年のアンスペクタ(私服警官)を紹介してくれた。

川路の聞きたいことを伝えると丁寧に話をしてくれ「もし必要ならデスクを一つ用意するから毎日来て実際の捜査を学んでみないか」と誘われた。

「私たちの監督官の了解を得ますから明日にでも此処へご返事にまいります」と川路は正太郎の助けを借りながら自分でM.デュクロに伝えた。

「よろしいです。貴方の真摯な気持ちは私に伝わりました。何言葉なぞ全部伝わらなくとも自然にわかるようになりますよ」

M.デュクロは川路と握手して「明日の御出でを楽しみにお待ちします」と言ってくれた。
Mlle.ビゼーに様々な場所を案内してもらい4人は礼を言ってオルフェヴル河岸をあとにしてオテル・エスメラルダへ戻った。

階段脇の食堂で太ったマダムにカフェを頼み、お天気の事を話すと明日にはセーヌが凍り付いてスケートができるとマダムは話した。
司法少丞で監督官の河野利鎌が外出から戻り川路が事情を話すと「通訳無しで大丈夫か」ときき通訳をつけてやるゆとりは無いぞと川路に言った。

「大丈夫です。一から基本を学ぶので自然と言葉も判るはずです」
では其れが君の役目だとあっさりと承認が降りた。

「ショウすまんが明日一回だけは付いて行ってくれ」
正太郎は手帳を出して何も伊藤から言われていないのを確認し「では何時にお迎えに来ますか」と尋ねた。

「今日と同じでいいか」

「判りました、朝9時にお迎えに来ます。ところで下穿きの具合は如何ですか」

「オウ穿いていることを忘れるぐらいだから良い様だ。トワレットゥも楽でいいぞ」

その話から昼を食べ損なっていた事にようやく気が付いて昼を食いにLoodへ行く事を思い出したようだ。
馬車を呼んでオテル・エスメラルダをでたのは12時半だったので、Loodに付いた時は昼の忙しい時間はようやく終わるところで席はすいていた。

イレーヌがプンチュを出してくれた。

「こいはよか」
川路と村田は一気に飲んで「おう、体が温まるこいわよか、御代わりがもらえるか」とからのカップを差し出してやかんからついで貰った。

どのように作るかを聞くと「ラム1リットルに茶を1リットル、サトウ100グラムを入れて熱くなるまで鍋で温めたらライムを一個くらい絞り込みます。生姜を入れると寒い時は体が温まるので入っています」と話してヴォートカでも作れますとゆっくりと村田に行って正太郎のほうにウィンクをした。

「なんだ妖しいぞショウ」
井上が見つけてそういうと「このプンチュというお酒のレシピ、ショウがママンにこの間教えたのよ」とばらした。

「なんだ詰まらんショウの新しい彼女が増えたかと思った」

川路はまたそのカップを飲み干すと黙って差し出してまた注がせると今度は手を温めるように包み込んだ。

イレーヌが向こうに行くと「だが総監とショウの彼女に関係があるとは驚いたな」と今更の様にいいだした。

「僕もですよ。直接かかわりが無くても何処で血縁関係があるかと思うとフランスも案外狭い国に思えます」

「オツ、こやつ大きく出たぞ」
すきっ腹にプンチュが効いたか村田は楽しそうに笑った。

焼き魚は鯛に似た黒い魚だったが白身のその味に4人は満足した、Loodでは焼き魚に香辛料を控えたパエリアが日本人の定番になっていて殆どが其れを目当てに此処へきていた。

10日も空くと無性に来たくなると村田が言うと「昨日はごめんね。先に5人もきて売り切れだったのよ」とママンが新しいプンチュをついで廻った。

「これは1杯いくらなのだ」
村田が言うと「お替り自由ですよ。でもジャポンだけよ」とウィンクされた。

村田が付いて川路たちは公使館へ出かけ正太郎はいちどメゾンデマダムDDへ戻るとセディに今月の給与を渡すために事務所へM.アンドレに会いに出かけた。
メゾン・ユレからの人形の箱で事務所は大分狭く感じられたがモニクにジャネットは5体のプペ・アン・ヴィスキュイとこの間伊藤に披露したマヌカン人形を飾って良いといわれたので大喜びであった。

「このマヌカンはいくらで手放すか何人も聞きに来ましたよ。メゾン・リリアーヌに飾られたのを見て欲しいと言う人が居たそうでここを教えたそうです。もう作られていないそうですね」

「そう着替え付きで120フランでいいよ。着替えがもっとほしければメゾン・リリアーヌで作らせればいいさ。この服は大分まえの流行のものだから貴重だと言うのだよ」

「判りました、はいこれがショウの分とセディの分です」

「メルシー、今月も順調だね。来月もいい月が続けばいいね」

ジャネットが思い出したように正太郎に告げた。

「そうだショウ、ボルドーの売り上げが倍になりましたよ。向こうでは真似する店が出たので例の書付を渡して此方の品物を置くか、20パーセントのロイヤリティーを払うように弁護士を派遣したそうです」

「そりゃ大変だ。此方も製作の人を増やすようかな。テオドールとマリー・アリーヌと相談するようだね」

「そうしてください、それとこの上が空きましたけどどうします」

「此処と同じ間取りだよね」

「そうです。それと屋根裏も貸していいと言って来ました、ガラクタは話が決まればすぐ片付けるがそのままでよければParis Torayaに呉れるがどうするかと言っていますよ」

「へぇ、よほどのガラクタなんだね呉れるなんて」

M.アンドレが話しに加わって「椅子や机に汚い絵が6点に飾り棚などがありますけどあんな絵でも洗い出せば見栄えがしそうですから貰いましょう」

「ではそうしてください。部屋のほうと屋根裏でいくらになるかな」

「大家は110フランほしいと言っています。契約は3年、契約金に300フランほしいそうです」
その話をしているまさに大家のマダム・コメットが大きな体をよたよたとやってきた。

「こんにちは大家さん」

M.ショウがいたなら丁度良いわ。貸したいと言っていたけどあれは無しにして頂戴、それと此処を売る事にしたので悪いけど契約を解除したいの、もうじき弁護士も来るわ」

「困りましたね、買い手は決まりましたか」

「まだなの。いくらで売れるかが判らないけど医者が暖かい町へ行かないと体に悪いから地中海の町へ移り住めと言うの」

「ねえマダム・コメット。今の住んでいる家とこの建物でいくらぐらいと思うのですか」

「此処は1年で4560フランの家賃が入るのまとめて借りる人がいるなら安く貸してもいいけど其れより4万フランで売りたいのよ。家は2万フランだろうと不動産屋は言うの」

正太郎には不思議に思うのはジュリアンのルピック街12番地やマガザン・デ・ラ・バイシクレッテの大きな物より此処のほうが高いように感じられたがマダム・コメットの住まいの庭は広く部屋数も多いのに2万フランは安いと感じられた。

此処の契約の時に来た弁護士のあとから心配そうなマリー・アリーヌとサラ・リリアーヌが上がってきた。

「どうしょう、今此処から移るのは大変だし、この近く空いているとこなど無いのよ」

二人が心配そうに座ると弁護士が「3軒の立退き料に1年分の家賃に相当する金額を支払うと言うのですがいい条件だと思いますがね」

「不動産屋と話し合いましたか」

「下話はしたが住人がいなければ両方で5万フランでと言うのでマダムと話がまとまらんのだ」

「どうですかね僕にその5万フランで売りませんか。マダムが其処から立退き料に相当する3600フランを引いて呉れればですが」

「待て待てどうなっているか計算しよう」
マダムも弁護士が計算した紙を覗き込んで確かに3軒で3600フランだと納得して「大分安くなるけどショウが買ってくれるなら4万6400フランなら良いわ」と納得してくれた。

M.アンドレ、モンマルトル・オランジェ銀行の本店にはいくらあるの」

Paris Torayaの口座は3万1212フラン80サンチーム、Shiyoo Maedaに4万8千フラン丁度です。ショウの個人口座に5万フラン」
M.アンドレは空で即答した。

「では僕の個人口座から出そう。マダム・コメット、ムッシュー・カゾーラン、モンマルトル・オランジェ銀行で手続きをしましょう。正式契約の手続きは僕の代理人のMarie Emilienne Brunnetiereが行いますので書類を頂に明日うかがいますが其れで良いですか」

「すごい、きみこんな事を即決できるとは思ってもいなかったよ。僕の事務所を何かあったら利用してくれたまえ」

「メルシー。さぁ銀行が閉まらないうちに行きましょう、M.アンドレも一緒に」

二人の下宿人仲間に「帰ってきてから話し合おうね」と言ってあっけにとられている4人を残して前の銀行に行って現金を引き出してその場で仮契約をしてマダムは自分の口座に入れた。

「ショウ貴方あの家に住むの」

「いえ僕ではなく知り合いの夫婦に住まわせる予定です」

「それなら家具付でお譲りするわ。話が早すぎて言う暇がなかったけど残していく家財もそちらで処分してくださるとありがたいわ」

「ではムッシュー・カゾーランそのことも正式契約には記入して置いてくださいね」

「良いですとも、それでマダムはいつまで住んで良いですか」

「何時ごろまでに南へ行かれるかで話し合いましょう」

「向こうに家具付2万フランで売り物があるの。今のメイドに執事夫婦も行ってくれるというので従兄妹にすぐ買わせるわ。此処の家の倍も庭があるのでみんな行ってくれると言うのはありがたいわ。ほんとはあと30年くらい遊んで暮らせるくらいの余裕は有るけど思い切って売る事にして良かったわ」

「では家が買えたらM.アンドレに連絡をください。M.アンドレ相談に乗ってあげてください」

「承知しました」
その話を事務所でして二人には「今までどおりだけど此処へ家賃を入れてください。丁度明日から月が始まりますからいい切り替え時期でしたね。それからあなた方の契約料は書類を受け取りましたら僕のほうで頂いた事に手続きをします。それでねサラ・リリアーヌに相談ですがこの間ご両親を呼び寄せると言っていましたがどこか住まわせる当てでもあるのですか」

「まだ無いの、私と3人で住むとなると値段も高いしね、手ごろの家に心当たり無い」

「今買い入れたマダムの家はどう。モンマルトル・オランジェ銀行の裏だしいいんじゃないかな」

「だってあそこじゃ広すぎるわ、部屋だって15以上もあるでしょ」

「あそこは二つに家が分かれているでしょ、だから半分をあなた方親子でどう。確かマダムが使っていた棟は1階に応接間と暖炉のあるティールームで反対側が食堂に台所でしょその奥に執事のいた部屋とお風呂にトワレットゥもあったかな」

「よく覚えているのね、でも高いでしょ払いきれる金額で貸してくださるの」

「お父さんコックでしょ」

「サラマンジュよ、Mereと二人でやっていたけどあまり流行っていないの、家賃を払うのもやっとよ」

「残りの半分を下宿屋にしてメイドを二人雇えば自分たちの住まいの分も出ますよ。もし僕に雇われるなら支配人として働いていただいてもいいけど」

「いい話ね、二人と明後日にも話してみるわ」

「そうしてくださいね。下宿人も僕の国の人を紹介しますからそのほうが僕も助かります。ご両親にそういってくださいね」

「ショウも其処へ移るの」

「いや僕は今のままさ。来年一杯の部屋代も払い込んであるしあそこ居心地がいいもの」

「プレジダンディレクト・ジェネラル」

「なんだい、Mlle.ベルモンド脅かさないでよ」

「ショウ、その買い入れた家ですけどジャポンの人じゃないといけませんの」

「そんなこと無いよ。でも部屋代と朝食つきだと高くつくよ」

「50フランくらいで借りられますの、今の下宿は38フランで食事なしなので朝がつくなら払えますわ」

「そうだね社員割引で受けあうか」

「なら私にも1部屋お願いしますわ」

Mlle.シャレットも其処へ住むと楽よねと乗り気だ。

「いいともでは契約が完了したら大工に入ってもらうから自分たちの部屋にしたいところは好きに改造してもらいなさい。2階か3階どちらでもいいけど上のほうがいいかもね」

「あらどうしてかしら」

「ジャポンの人は男だから夜遊びで遅くなることが多くて酔っ払って帰ると煩いだろ」

そうね男は何で酔うとあんなに煩いのかしらと自分たちの言葉が今煩いとは気が付かないようにお喋りが始まったので「メゾンデマダムDDによってオテル・ダルブへ行くからね」と脱出した。

正太郎は歩きながらどうしてM.アンドレはあんなに4人が傍で話していて平気でいられるのだろうと不思議に思った。

正太郎は馬車屋へ先に行きメゾンデマダムDDまで迎えに来てもらいノートルダム・デ・シャン街へ廻って馬車には少しまってもらった。

エメは学校に休みを出して弁護士のところへいってくれる事になった。

「ショウ、明日M.アンドレと一緒に弁護士のところへいってお昼までに登記を済ませておくわね」

「頼みますね、僕のほうもオルフェヴル河岸へ川路様を送ってすぐこっちへ来る予定だけど時間が判らないから。でもお昼までにはこられると思うんだ」

そのあと総監の話が出てエメは「ごめんね驚いたでしょうけど、身内面したくなかったの」

「いいんだよ。僕は君が好きなんで、身内に偉い人が居ようと其れは関係ないんだ」

正太郎がオテル・ダルブへ戻ったのは7時で伊藤も戻っていたので明日の事を話した。

「ほうやっと川路さんも勉強するか。しかしいきなり警視総監とは驚いたろう」

「ええ下宿仲間が紹介してくれるのは刑事くらいかと思い込んでいたところでしたし、昨日総監と居たのはどうしてか等考えても居ませんでした」

「しかし下宿屋か、面白い事ばかり遣るなショウはよく金があるよ」

「下着がもう偽者が出そうでボルドーでは弁護士に注意させたそうです。1月5千枚位出だしましたからそういうこともあるかもしれませんね」

「どのくらいふところに入るんだ」

「1枚10サンチームのロイヤリティーにあとは店の利潤の20パーセントです。それだけでもう5千フラン以上は儲かりました。基本デザインとしての登録ですから類似品もある程度までロイヤリティーの請求が出来るそうです」

「ほんとかね、ではふんどしも登記すれば稼げるかね」

「其れは駄目ですよ。僕のは下着でも今までに無い形ですから登録が認められましたがふんどしはしらべれば昔からあるとがわかって却下されますよ」

そりゃそうだなと笑っているところへ村田が帰ってきた。

「なにやら面白い話でも」

「ショウが家を買って下宿屋をやるそうだ。君も其処へ入れてもらうかね」

「良いですな。そうすれば大家に夕飯とワインが集れる」

「それで余った金で遊べると言うことか」

「そうじゃね川路ドンも入れてやろうかいな」

「そんなに夕飯を集られてはいくら家賃を貰っても足が出ますよ」

「そいがな、今のオテル・エスメラルダは1月朝夕付で240フラン掛かるそうだ。ここに比べて半分、この間まで居たインターコンチネンタル・ルグランに比べればえらく安いが彼らは留学生と違うので月300フランだがそれではどうにもならんから何処かへ移ることにしているが今のままでは言葉が通じんので困るのだ」

「判りました。金額その他はあとでと言うことでお引き受け出来るように考えてみましよう」

「しかし正式な交換レートは町では通用せんな。この間1ポンド25フランと聞いたが24フランにもならなかった」

「普通手数料を取りませんと言いながらも23フラン40サンチームから60サンチームが相場ですよ」

「そうなのか1フラン20銭というとったがそちらはどうだ」

「パリではそのくらいでしょう、昨年末に18銭から19銭に円が下がった言うことですからポンドも横浜では昨年春の4円から4円50銭になったそうです」

「わが国の貨幣価値は落ちるばかりじゃこの辺で歯止めが効かんものかな。一昨年かなコタさんがポンドの一人勝ちでしょうと言うとったが本当に為ったな。わしたちがロンドンで聞いたのは1ポンド5円だという銀行があった」

「其れは手数料に取られすぎたかもしれませんね」

「やはり使節団に財務の確りした物が居らんといかんな大久保様はそちらを書記官に任せすぎておられるからな。さぁ堅い話は其処までで飯だ飯だ」

「何処へ行きますか。レストランにしますか安食堂にしますか」

「変わったとこを知っていそうだな」

「まだ入った事はありませんが例のオルフェヴル河岸に居るM.シュネーデルが教えてくれた店が近くにありますシャ・キ・ペッシュという店ですが面白い話しも付いています」

二人が話せよと催促して正太郎は聞いた話ですがと話し出した。

「この近くの河岸沿いにある店ですが昔魚をセーヌ河で上手に捕まえる猫が本当に居たそうです。ドン・ペルレという彫金家が連れていた猫だそうです。見習いの聖職者が悪魔と見なして猫を殺して河に流してしまったそうです。その後一時姿を消した彫金家が戻ってきた時に魚を釣る猫を連れていたそうです。猫を殺した者はその後ギロチンに掛かって死んだと言う話から店の名に釣りをする猫亭としたそうです」

「フランス版化け猫は有馬の猫よりおとなしいな」

3人で笑って其処にしようと5分ほどでいける店へ出かけた。
セーヌの氷は厚みを増したか船は河岸に引き上げられガス灯の明かりが不思議な影を落としていた。
3人でドアを開けるとアコーディオンの賑やかな演奏が迎えてくれた。

「ボンソワ・ムスィウ」

「ボンソワ・ムスィウ寒い中ようこそ」

髭の立派な支配人らしき前掛け姿の太った男が出迎えて呉れた。

「ムッシューは初めてのようですな」

「そうですM.シュネーデルから紹介されました」

M.シュネーデル」

「そうニコラです」

「おーニコラね、歓迎しますよ何が良いですか。お酒、料理、女。おー女はマダムとセルヴァーズだけしかいないから席には付きませんよ」
面白い人だなと正太郎はいっぺんでこの店が気に入った。

「シェリーを出してください。それと暖かいシチューに鳥のグラタン、他にお薦めは」

「肉は大丈夫ですかな」

「豚でも牛でも羊でも」

「では子牛のすね肉のシチューを出して鳥のグラタンの後に柔らかいステーキとジャガイモににんじんの温野菜では如何です」

「結構ですね。お酒の摘みになる物がすぐ出れば其れを、暖かいお酒は有りますか」

「ヴァン・ショー(Vin chaudホットワイン)をシェリーに代えて出しますか」

「其れにしましょう」

「ではすぐお持ちします」

「何がでるんだね」

「ワインにスパイスを入れて暖めた物だそうです。ウィスキーのお湯割りでも出してくれるといいのですが、お酒は何があるか聞いて見ましょう」
ヴァン・ショーと共にハムとチーズが出てきたので正太郎がお酒はどこのものがあるか聞いてみた。

「スコッチもあるしヴォートカもアブサンもあるよ」

正太郎が二人に相談するともう飲み干していて「どれがいいかな」と言うのでヴォートカにお湯をくださいと頼んだ。
ヴァン・ショーは正太郎には少し癖あるなと感じられたが二人はもう用意されたヴォートカにお湯を入れながらご機嫌だった。

最初の1杯が呑み終わらないうちにシチューの熱々が出てきた。
3人はアコーディオンの楽しい音を聞きながら騒ぐ男たちに気を取られることなく食事を楽しみヴォートカを楽しんだ。

グラタンの鳥はほろほろと口に解け伊藤は「ロンドンの食い倒れ、パリの着倒れと聞いたがわしゃパリのこういう店が一等いいな。お偉方との会食よりこの店のほうが一番だ」と言って村田と愉快そうに笑った。

ステーキの肉汁は美味くパンを皿にこすり付けて「こればかりはレストランの気取った店で遣るわけには行かんぜ。金持ちは可愛そうな者すな」とは村田だ。
政府の勅任官二等の伊藤に奏任官四等の村田は一介の平民の正太郎に友達のように話し、酒を楽しみアコーディオンの陽気な音と騒ぐ男たちにも楽しそうに手を振った。

この二人、木戸や大久保には頭が上がらないがそれでも川路利良(正之進)の司法省奏任官六等警保助(七等大警視兼任)や監督官の河野利鎌の司法少丞の奏任官五等に比べれば政府高官なのだ。
沼間が川路に対等に口を利くのは先ごろまで司法省七等出仕と同階級のこともあるからだ。

井上毅は司法中録という判任官十等だが川路はその差を感じさせない話し方なのに沼間は旧幕の出身ながらいまだ気位が高いままだ。

セルヴァーズの提げてきた皿を見たシェフは嬉しそうに出てきて「いかがでしたかお口に会いましたか」と聞いた。
「セボン。美味かったよ。また来たい物だよ」とたどたどしく村田が言ったが其れは嬉しい言葉に響いたようだ。

残ったチーズをかじりながらヴォートカを追加しようか考えていた二人は相談していたが今日はこれで止めようと決めたようで伊藤が勘定を頼んだ。
3人で楽しんだが11フランという勘定は伊藤には安く感じられたか10フラン金貨を2枚出して「チップ込みだが向こうの楽しそうな人たちに一杯奢れるだけあるかね」と正太郎に言わせた。

「充分ですムッシュー、これからもご贔屓に」そういうと奥の人たちに「このムッシューから君たちに一杯おごりだそうだ」と声をかけた。
立ち上がる3人にボンソワレーと全員が声をかけてきて正太郎たちも「メルシー・ヴゾオースィ」と声を返してアコーディオンの浮き立つような音に送られて寒風の表に出た。

「ウォッ、コリャ寒いなホテルでホットウィスキーでも飲んで寝るか」
まだ村田は飲む気のようだ。

正太郎も襟を立てて急ぎ足でガストン街を二人の前を歩いてホテルへ戻った。


Paris1873年2月1日 Saturday

パリの朝は凍りつくように寒かった、いやセーヌは完全に凍り付いて流れはその氷の下にあるのだろう。

正太郎はわざわざ遠回りして時間を調節し、朝日がセーヌの氷に映える中をオテル・エスメラルダへ向かった。

プティ・ポンの橋袂でかもめが氷の上に降りて群れている様子を眺めて居ると、餌を投げ遣る人が居てその周りには100羽くらいが集まる中、逸れているの発見して何か可笑しかった。

9時に近くなりホテルへ向かい、中へ入ると時間を気にしながら川路が階段の手すりに寄りかかっていた。

「お待たせしました」

「いやまだ1分ある。正確だな」

正太郎はこの人も約束を守るのが好きな人なのだと思った。

オルフェヴル河岸へはサン・ミシェル橋まで河岸を歩きシテ島へ渡った。

まずニコラへ挨拶してM.デュクロの部屋へ向かった、大勢のアンスペクタ(私服警官)にアジャン・ド・ポリス(制服警官)が屯していた。

警部に挨拶をして示された机に向かうと若いアンスペクタが近寄り「ボンジュール・ムスィウ。僕はクリスティアン、クリスティアン・ボネだ。君の担当になったから一緒に活動してくれたまえ」

その言葉がわかったのか川路は進んで自分から話し出した。

「ボンジュール・ボネ。モン・ノ・エ・ラ・カワジ(Mon nom est le kawaji)マサヨシ・カワジ。呼び名は正之進です」

M.ボネは「M.カワジですね。僕はムッシューはつけずにクリスと呼んでください。そうしないと話が長くなるし、この部屋で誰の事を呼んだのか誰も判らないですからね」とカワジに言ったが其処まではまだ理解できないようなので正太郎が訳した。

「川路さん彼は自分のことはクリスと呼べと言っています」

「オッそうか。私はマサノシンと子供の頃から呼ばれて居ます。どうぞマサノシンと呼んでください。そうすれば私は貴方をクリスと呼びやすいのです」

「いいともマサーノ」

クリスは勝手に進を省略してしまったが川路はその友達感覚が気に入ったか周りに集まっていたアジャン・ド・ポリスにも「モン・ノ・エ・ラ・マサーノ」と言って盛んに握手をして廻った、人に溶け込むのが上手なようだ。

中には既にホテルヘ送った警官もいたらしく「言葉が通じるようになったようだね。これでホテルまで送らなくて済みそうだ」と言って部屋に笑いが広がった。

正太郎はクリスに「僕はこれで帰りますが、ゆっくり話してくだされば普段の会話は判るようですが、専門的な言葉は綴りを書いてあげてください」と頼んだ。

「いいとも任せておきな。現場を歩き回るうちに自然に身に付くさ。それに彼には管理面を中心に教えるように警部から言われているから其れをまず覚えてもらって、どのように警官が動くかを見てもらうつもりだ」

正太郎は今の言葉を川路に伝えて勤務時間などはクリスから教わってくださいと伝えた。

「メルシー・ショウ。後は自分で1から勉強するよ」

日本に帰れば東京のポリスの取締をするこの人がフランス警察の仕組みをしたから勉強するという気持ちは正太郎には嬉しかった、上からではなく市民を守るポリスを日本に定着させてくれる事を願ってシテ島をでてクレディ-リヨネ銀行へオムニバスで向かった。

引き出したのは18000フラン残金は43900フランになっていた。

正太郎は1000フランの小切手5枚と1万フランの小切手を受け取り、100フラン札20枚に20フラン金貨を50枚貰ってサックに放りこんでフェルディナンド・フロコン街へ辻馬車で向かった。

事務所にはエメが既に帰っていて正太郎を待っていた。
M.アンドレに事務員や新しい店子となる下の2人にも集まってもらい家賃のことを話し合った。

Mlle.ボナール4階は仕事がスリップ・ド・クストゥ専門の作業場にしますから家賃はブティック・クストゥが払い貴方には場所を提供すると言うことにします」

「では私はそこでスリップ・ド・クストゥを仕上げてブティック・クストゥへ卸すと言うことでいいのね」

「そうなります、縫い娘2人分は充分稼げるような仕事を出しますから向こうから来る人とも上手く貴方が調整してくださいね」

家賃は1階メゾン・リリアーヌ120フラン、2階マダム・ボナール100フラン、3階Paris Toraya80フラン、4階ブティック・クストゥ80フラン、屋根裏Paris Toraya30フランを正太郎の個人口座へ支払ってもらう事にして早速Mlle.シャレットが領収書を切ってM.アンドレが受け取った。

3階と屋根裏はParis Torayaが借り受ける事にして4階はブティック・クストゥから2人とマダム・ボナールから2人を出してもらいスリップ・ド・クストゥの生産をしてもらう事にした。

「では此方も人を増やします」

「そうまず一人雇ってくれる、其れでマシーヌ・ア・クードゥルを2台上に運んで縫わせるのはどうだろ、下で裁断までして上では縫うだけでいいだろ。クストゥ街からも2台のマシーヌ・ア・クードゥルを運んで縫い娘を此方へ2人まわしてもらえばいいだろうし、君のキャミソール・デ・マリーにスリップ・デ・マリーが忙しく為ったらまた考えようよ。その人たちをボルドーへ派遣してもいいし。まず製品は君のほうとブティック・クストゥのほうと、はっきり分けるようにして置いてください」

「そうね向こうからスペイン方面に売り込んでもいいな」

Mlle.ボナールはもう先を見たがっているようだ。

「まぁ急がずにボルドーとも手紙で話し合うか誰か行って貰ってもいいしね」

「ショウは行かないの」

「ブドウの花が咲く頃には行く予定だけどまだ大分先の話だよ」

M.アンドレに1万フランの小切手を渡して個人口座へ入れて置くように頼んでモンマルトル・オランジェ銀行へ出向いてもらった。

正太郎とエメがクストゥ街へ出向いて話を決めてくることになったが今朝Mlle.シャレットが下話はしてあるので考える暇はあったので、すぐ決まるだろうと思った。

メゾンデマダムDDへよってジュレ・ロイヤルを1本取り出してもらうとサックにフラールに包んで入れた。

テオドールは快諾してお針子へ話をすると2人がフェルディナンド・フロコン街へ行っても良いと申し出てくれた。

「ではテオドール、此方も新しい娘をまず一人増やしてください。仕事はまだまだ増えそうですよ」

「判りました。早速募集しておきます。それで向こうへは何時から行かせます」

「テオドールが一度向こうへ行ってM.アンドレとも話し合って掃除が済んだらマシーヌ・ア・クードゥルを2台運んでください。仕事はMlle.ボナールと話し合って進めてくれれば良いですよ」

「判りましたこれからすぐ行って来ます。向こうの仕事場はMlle.ボナールが仕切ると言うことでよろしいですね」

「頼みます」

エメはジュリアン夫人にお茶をご馳走になっている間ジュリアンと仕事の打ち合わせをしてシャンパンを3000本、月末までにフランス郵船へ届けてもらう事にして小切手で2000フランを前金とし、残りは計算がでたらと言うことにして貰うことにした。

「3月10日ごろにマルセイユへボストン氷を積んだ船が入るそうなんだ。それに乗せればインド洋で破裂しないで運べると言うのでシャンペンを運んでもらう予定なのさ」

「いいとも任せておきなよ。ワインは大分儲かったがシャンペンはどうなんだ」

「まだ珍しいから売れているという位らしいよ。でもホテルが増えれば需要も増えるから高い物も売れ出すさ」

「其れを信じて買い入れも増やしておくか」

「そうだねジャポンが駄目でもこれからはアメリカからでも買い付けに来る商社が増えるよ」

「そうだな、でもオーストリア方面は本当に駄目になるのか。ウィーンでは博覧会で盛り上がって買い付けも増えているそうだぜ」

「今年1年でしょうね来年春にはその兆しが出ると思いますよ」

「では年内は大丈夫か」

「そうですよ。後12ヶ月をめどにウィーンとの取引は現金にしてフランかポンドにして貰うことですね」

「ウィーンの後は他の国は大丈夫か」

「まだ其処まで判りませんがフランスは当分大丈夫でしょうね。プロシャへの賠償も払う目途があるし、あの戦争で大分損が出たでしょうがプロシャのほうが不況に先になるかもしれませんね」

「どうしてそう思う」

「戦に勝っても国民には税の負担が重くなっただけで何も旨味は有りませんし、ユンカーだって領地が増えるわけでもなく植民地からの収入も思ったほど揚がりませんからね」

「やはり植民地が重要か」

「何処から吸い上げなければ豊かにはなりませんよ、遅れた地域をいたぶらなければ儲けが簡単に揚がるはずもありませんよ。でももうそんなことしては駄目な時代が来ていますね。商売はオランダ、イギリス、フランスに適わないでしょうし、僕は出遅れた東洋に眼を付けてジャポンへ色々美味い事をいって近づく気がしますね」

「其れはジャポンにはいいことかな」

「まぁ今の政権を担う人たちが健在のうちは大丈夫ですが、次の世代は危なそうですよ。鮫島様によればベルリンにいる人がこれからはヨーロッパの盟主は独逸であると、岩倉様がまだ此方にいるうちから盛んに申し入れて来ているそうですから、その人たちがジャポンに帰る頃からが危なそうですね」

「世代交代か、どこの国でもそういう危険はあるな。マァ俺たちはその危険をかいくぐって儲けるしか有るまいぜ」

「そういうことですね。せいぜい眼を光らせて巻き込まれないようにしましょうね」
正太郎はその後マガザン・デ・ラ・バイシクレッテによって何か必要なことがあるかを聞いてからエメを伴って馬車を拾ってメゾン・ユレへ向かった。

「着替え用の衣装を100枚作ってほしいのですが」

「はい何時ごろまでに間に合えば良いですか」

「25日までに間に合いますか」

「それだけあれば大丈夫ですよ。でも柄やデザインはどうします」

「ばらばらのほうがいいな、できれば10種類はほしいのですが」

「なら10種類10枚ずつで良いですか」

「そうしてください。それとフアッション・プペはもうありませんかね。新しく作れる人はいないのでしょうか」

「そうねこの間と同じ値段が出せるなら10体作らせても良いわよ」

「それお願いします。着替え用も今度は余分に30着附けてください。それで両方でいくら支払えば良いですか」
マダム・ユレは考えて計算をしていたが「プペ・アン・ヴィスキュイの衣装は250フラン、フアッション・プペは30着の衣装付で800フランにしますわ。ドレスの種類は3種類にさせてくださいね」

「いいですね、それでお願いします。支払いは100フラン札が良いですか銀行手形がお望みですか」

「札で良いですわ」

正太郎は100フラン札10枚と10フランの金貨で5枚を先払いして領収書を書いてもらい「届け先は前回と同じParis Torayaフェルディナンド・フロコン街4番地へお願いします」と告げた。

待たせておいた馬車でパリジェンヌ商会へ向かった。
馭者はプレ・デ・バスティーユで運河沿いにセーヌへ出てナシオナル橋の先のベルシー河岸のパリジェンヌ商会へ着いた。

「ここも暫く待ってください」

2人は馭者に断って工場へ入った。

アイムは上機嫌で2人を向かえた。

「今年の50台の契約はそろそろ支払いをしようと思うんだ。12000フランは現金かい銀行小切手がいいのかな」

「銀行小切手でいいよ」

「モンマルトル・オランジェ銀行のでよければ月曜に届けるから。それと別に20台を支払うからフランス郵船へ月末までに納めてください」
正太郎は1000フランの小切手を3枚出して「後は月曜日でいいかな。それとも現金がほしい」とわざとじらしてみた。

「そりゃ現金を拝めりゃ君たち2人をレストランへ招待してやるよ」

エメは可笑しそうにコロコロと笑い出した。

「なんだ、何でエメはそんなことが可笑しいのだよ」

正太郎は黙って100フランの札を10枚出して金貨の入った袋を二つ其処へ出して一つから20フラン金貨を40枚積み上げた。

「ゲッ、ショウは何時からそんな手品みたいな事するようになったんだ。持っているなら素直にだしゃいいじゃないか」
エメはまた笑い出し其れに釣られて事務員も笑い、仕方なさそうにアイムも笑い出してしまった・

「しょうがねえ、俺が言い出したんだ好きなところで飯を奢るぜ」

「そういうと思ってエメも僕もまだお昼を食べていないんだ。エメ好きな物を好きなだけ注文しても大丈夫だよ。懐の金は向こうさんのものだから」

そういって残りの袋をポシェに仕舞った。

アイムは事務員に「バイシクレッテ売り上げ20台4800フラン。交際費60フラン」と言って3枚の金貨を自分で取った。

工場へ入りルネに「エメとショウに昼飯を食わせに行くから後を頼むぜ。今日20台を月末までにフランス郵船へ納めてくれと注文が入った」と注げてマリウスに後を頼んだぜと声をかけて馬車に乗る前に服を替えに行った。

アイムは「何処がいいのだよ」と正太郎に馬車の外から声をかけた。

「最近ル・グラン・ヴェフールへ行って無いからそこがいいな」

「おお、よくゆうよ。昼からそんな贅沢してよ。ル・グラン・ヴェフール。パレ・ロワイヤルだよ」
馭者に声をかけて乗り込んで実は俺もあそこにしようと60フラン持ってきたんだと正太郎に打ち明けた。

川岸をカルーゼル橋まで進み右へ曲がって門をくぐり、リヴォリ通りを横切りリシュリュー街をデ・プチシャン街まで進んで右へ入ってル・グラン・ヴェフールで10フランの金貨で「チップ込みだよ」と渡した。

ヴォワチュリエが「M.オリビエ、M.ショウ、Mlle.ブリュンティエールお久しぶりで御座います」とドアを開けてくれた。

セルヴィスがすぐ席へ案内してくれてシェフドランがメニューを出しながら「皆様がお知り合いとは存じませんでした。M.オリビエ今年は初めてでしたか」

「そうだねM.ショウはよく来るのかな」

「昨年は3回ほど来て頂きました」

カクテルを頼みワインは控えてアミューズにオマールコンソメとジロール。
鳥料理にコルヴェールのコンフィに付け合せはポム・ベアルネーズを頼んだ。

メインに仔羊の肩肉、そら豆とトマトのコンフィ、花キャベツとブロッコリー入りのクスクス。
デセールはモモのロティ。

「昼間だからこれくらいにしようかな」

エメは正太郎にまだ他に頼むと聞いたが「それ以上は無理だよ」というとアイムが遠慮するなよと言い出して自分はそれにフォアグラのソテーィを追加した。

「まだ3時なのによく入るね」

「俺も昼抜きさ。夜を控えればどうってこと無いぜ」

「これだけ食べれば夜はパンにチーズで充分だよ」

「正太郎はいいだろうがエメは足りないかもしれないぜ。食い物をケチって痩せてきたらどうするんだ」

ジュリアンと同じようなことを言うのでエメは可笑しくてしょうがないらしい。

モモのロティの後ショコラ・ショを頼んでその香りをゆったりとした気持ちで楽しんだ。

「ワインを飲まないで呉れたから勘定が楽だ」とアイムはご機嫌で28フランに5フランのチップを置いてパレ・ロワイヤルの回廊へでた。

「明日は雪かもしれないな」
パリ育ちでは無い3人が西のトロカデロに落ちていく夕陽を見ながら庭園の外れまで歩き「パレ・カルディナルと言われていたそうだぜ。リシュリュー卿が住んでいた頃と違って歓楽街と為っていた時期も有ったが今はカジノも1ヵ所、昔は娼婦の館もあって不夜城と呼ばれたそうだが今はすっかり寂れたよな」

「その不夜城といわれたのは何時ごろなのかな」

「俺の生まれる前の話だそうだ。50年位前だとうちの夜警の爺さんが言ってたぜ」

コメディ・フランセーズ側の出口から外へ出てアイムは馬車を拾って工場へ戻っていった。
2人はテュイルリー宮殿の焼け跡の残る公園をオレンジ温室まで歩きコンコルド橋を渡った。

サン・ジェルマン大街を歩きボン・マルシェへよってモントー(manteauコート)をおそろいで買い入れた。
ハリスツイードはイギリス製だそうで、正太郎はエメが選んだ薄い青色をエメは濃い青を選んで買い入れた。

二つで286フランはいい値段だが「これなら長く使えますからお徳ですよ」という店員の勧めもありエメは手触りが優しいし肩に掛かる具合も良いわと気に入ったようだ。

残りが少なくなった袋をエメに預けて支払いをしてもらって「残りはエメが使っていいよ」と言って買い入れたモントーを正太郎が持った。

歩きながらサラが呉れた金貨や小遣いがまだ240フランあるからというと「あの日本の人形のお金なの」と察しのいいことを言った。

「そうバーツと同じ物を譲ったお金さ。320フラン呉れたよ」

「まぁ、サラも景気が良くなった様ね。この間の日曜にワインをお土産に貰ったのも効いたのかしらそれでショウにお金をすぐに支払ったのかもね。いいことだわ。バーツも少しまじめな生活をすればいいのにね。」

「気が多いらしいけど先生一筋でもないという噂ばかり聞こえてくるよ」

「困った人ね。だから鑑札をとらないと、なんて言われてしまうのだわ」

道の反対側にある人形の店を覗き込みながら暫く話をしていた。

「これ16フランもするのね。あらこれは6フラン大きさも違うけど衣装がずいぶん違うわね」

「そうだねエメも一つ飾るかい」

「人形は良いわ。置物より磁器や陶器が好き」

「磁器の人形の置物にもいいものがあるよ」

「当分いらないわ、ショウは今晩はオテル・ダルブへ帰るの」

「そうなんだよ7時までという約束なんだ」

「あら大変もう6時よ。馬車を頼んでから部屋へ荷物を運びましょ」
6時40分にと頼んで上にあがりエメは下着まで替えさせて正太郎を送り出した。

オテル・ダルブのロビーは賑わっていた。

川路が寄ってきて明日はクリスが休みでランディの8時半から出て来る様に言われたと予定表を見せてくれた。
オテル・エスメラルダの人たちが全員ロビーにいて伊藤や村田と其処に来合わせた田中と話をしているのだ。

田中がこちらに来て先ほどまで木戸先生がインターコンチネンタル・ルグランへ来ていたが先ほどお帰りになったので此処へ来たらこんなに賑やかな事になっていたと話して「どこかで飯を食おう」と誘った。

「あの人たちはどうします」

「ほおって置いても良いだろう。そうはいかんか」

田中は頭をかきながら伊藤の傍によって「ショウと飯を食いに行きますがどうしますか」と聞いた。

「飯かオリエンタルで汗を流してフォリー・ベルジェールでもいくかね」

「私たちはこれで失礼します。ホテルに食事の仕度を申し付けましたので」

河野利鎌はそういって立ち上がった。
川路は「ショウと打ち合わせがありますので私の分は分けて食べてください」と沼間に頼んで「ショウ少し相談に乗ってくれ」と頼んだ。

伊藤は河野に丸めた札を渡して「この次は無いかもしれないからこれで時間が有れば英気を養ってくれ」と渡していた。
堀江が西園寺と野村を連れて遣ってきた。

「いいところへ来た。これから風呂へ入って遊びに行くんだ付き合いなさい」

「実は野村君のジュレ・ロイヤルをショウから受け取ろうと思いまして」

「野村君体は少しはよいのかね」

「はい大分回復してきました。医者もジュレ・ロイヤルは薬と共に呑んでもいいと言ってくれていますし最近は早足で歩いても息切れがしなくなりました」

「其れは結構な事だ。ショウ今日取りに行ったのかな」

「はい、此処に持ってきました」

正太郎はフラールごと野村に渡した。
今の野村は正太郎より一つ上の19歳になっていたが背も低く体もひ弱で年下にしか見えない。

野村はたまには付き合えという堀江の言葉に「ではお世話になります」と言って伊藤に頭を下げた。
2台の馬車に分乗してオリエンタルへ向かい汗を流し垢もごしごしとこすり落としてもらいアイロンのかかった下着に着替えると意気揚々と馬車でフォリー・ベルジェールへ向かった。

10時からのショーはもう直という時間に間に合い8人は席を分けて座ることになった。

「男ばかり8人で肩を寄せ合っても仕方なかろう」

伊藤がそういって田中に西園寺と堀江を自分の席へ誘った。
正太郎は野村に村田と川路が席に付きカクテルに始まり色々と料理を選び特に野村には野菜スープにラグー・ド・ブフ(Ragout du boeufビーフシチュー)を頼むと他の者も其れは何かと聞いてラグー・ド・ブフを頼んでくれと正太郎に言った。

注文が終わると女たちが遣ってきた何時もの御馴染みの顔が混ざっていたので正太郎は5フランを握らせて僕たちは食事をするけど君たちは好きな物を頼んでいいよといって先にセルヴィスにシャンパンを2本出すように言った。
先に出てきたカクテルを4人が飲み終わる頃にはチーズにハムの皿が運ばれシャンペンもセルヴァーズが栓を開けて女たちに渡した。

8人がショーの邪魔にならないように静かにグラスを上げて乾杯して一気に呑んで次を注がせた。
今度はチーズやハムを食べながら舞台を見つつ女たちの今は何が行われているかの説明を聞いて運ばれてきたラグー・ド・ブフを旨そうに食べた。

女たちは頼んだ菓子を野村に食べさせようと懸命だ、其れを面白そうに見ていた村田は「ほれもっと勧めないと食べないよ。色男はつらいね」と女たちにもっとその男の世話をしろとけしかけた。

川路が「ショウどうもこの服ではあそこにそぐなわん、どこかあそこに着ていく服を作れんかな」と聞いてきた。

「相談ってそのことでしたか」

「そうなんだ。わしだけこの黒服ではどうもな。帽子も替えないと可笑しなもんだ。制服の警官なら其れを支給してもらう手もあるが私服ではそうもいかん」

「では明日9時半にお迎えに参ります。西園寺様のアパルトマンの先に吊るしの服を商うよい店があります。それと体に合わせるのは僕が遣っているブティックの支配人が名人ですから其処へ誂えましょう」

「余り高いのはいかんぜ。東京と違いここでは手元にそれほど金が無い」

「では、お帰りになりましたら僕の席がある横浜の虎屋へ払って下されればその分を立て替えておきますから安心していいものを作られる事です」

「ショウ。それわしにも頼めるか」

「良いですよ。でも村田様は急ぎでなければ吊るしはやめて誂えだけにしたら如何ですか」

「そうか川路君のように今日明日と言うことも無いか」

「それで吊るしだといくらぐらいだ」

「新しい物でも12フランくらいからありますよ。安物なら5フラン中古なら3フランが相場らしいです」

「そうだショウ僕もこの間作らせたのが13フランだった。小さくても同じだというにはまいったよ。中々釣るしだと体に合わなくて困るのだ」

「西園寺様みたいにロンドンに居たときに作ると生地のいいものがありますが。こちらでは生地を輸入するので少し割高になりますね。生糸が織り込まれた上級品は偉く高いですがニューヨークほど驚く値段は請求しませんよ」

「本当にそうだパリは安いのか高いのかよく判らん町だな。安物がほしければいくらでも安く手に入るのは便利な街では有るな」
女達が退屈しているようなので正太郎は「まだ飲みたければシャンパンかカクテルにするかい。村田様や川路様はどうされますかブランデーが良いですか」

「ブランデーにしよう」

「そうしもそ」
雰囲気を察したセルヴァーズが来て女たちの注文を聞きコニャック・ルイ・トレーズを1本注文した。セルヴァーズよりも女たちは其れを聞いて嬉しそうに、にっこりしたのを川路は見逃さなかった。

「何を頼んでそんなにあれらは嬉しがっているのだ」

「コニャックは産地です。レミーマルタン・ルイ・トレーズと言うのがありまして、それがそのシャンペン3本に相当しますから彼女たちに1人1フランは店から出るはずです」

「そうか、酒を頼めば女の懐に入るのかそれなら自分たちも懸命に飲むわな」

「でも客に飲ませずに自分ばかり飲むものは嫌われて席に呼ばれませんからね」

「だかこいつら呼ばんでも来るぞ」

「其れは僕や僕の仲間がいつも席に来れば5フラン遣るので酒を余り呑まなくてもすむのでいい娘が権利みたいにして席に来るんですよ」

川路は席の女たちに笑いかけながら顔を見回し「トワレットゥはどこか」と聞くと一人が案内に立った。
正太郎は伊藤に席から出てもらいトワレットゥにいく振りで金貨の袋を渡してこの間サラから貰った残りですので伊藤様からこれで勘定をしてくださいと手渡した。

伊藤はにっこりと笑ってポケットの中にジャラジャラと流し込んで袋を返すと正太郎とならんで小便をしながら覗き込んで「ホウホウ」と可笑しな声を出して悠々と先に席へ戻っていった。

変わり番子に女に案内させてトワレットゥに行くと村田と川路は女にルイ・トレーズの追加だと言って「君たちも好きな物を追加したまえ」と鷹揚に言って女の手を叩いて笑った。
2本目のルイ・トレーズがテーブルに立つているのは壮観だった。

伊藤の席では女たちが嬌声を上げて此方の席を覗き込んではまた可笑しげに騒いでいた。

「また伊藤さんは何か女に冗談でも言って笑わせて居るぞ」

「あの人の女扱いは神戸でも有名でしたからな。オセンシのふぐり以上で御座る」
2人はその後野村や正太郎に判らない言葉で何か言い合っていたがよいも手伝ってか爆笑しだした。

女たちも其れに釣られて野村にちょっかいを出し、村田たちは其れを酒の肴にニコニコと見ていた。
「村田さんも川路さんも人が悪いですよ。僕ばかりこうじゃれ付かれてもかなわんです」と悲鳴を上げれば上げるほど女たちに絡まれていた。

「おかしいな、先ほどから金を上げたショウには女たちが普通に話しだけで余りしなだれかからんぞ。ほれわしたちの隣の女はこうして膝に手をおいてなにやら言うとるが、ショウの隣の娘は野村に両方から迫っとるぞ」

野村が其れを聞いて隣の女に「そっちのショウになぜ愛想を言わんのだ」と聞いた。
女が耳元で野村に何か囁くと野村も2人に顔を寄せさせて相談を始めた。

「村田先生、これらが言うにはショウの彼女は此処の資本を大分持っているそうです。それに暫く店へ出ていたので踊り子や給仕たちにも人気があったそうです。だから遠慮して手を出さないのが礼儀だといっています」
正太郎のほうが驚いたエメはどういう人なのか判らないことになってきた、伯母や義理の伯父、その弟もしかするととんでもないブルジョワなのかと考えてしまうのだ。

ショウが呆れていると女たちのところへ隣から入れ替わってと声がかかり一度女たちが席を立って暫くすると向こうの席と入れ替わった。
正太郎は仕方ないなと席に付いた女たちに5フランずつ渡した。
今度は女たちの眼が今までと違うのに気が付いたのはやはり川路だ。
やはりポリスの眼は普通とは違うようだ。

川路は野村に「何か今度は違う眼をしとるぞ酒を奢って聞き出せ」と言ってセルヴァーズにまたルイ・トレーズを追加して女たちはどうするか聞いてカクテルを取ってあげた。

カクテルが来てようやく口が滑らかになると野村が顔を寄せさせて話を聞きだした。
切れ切れにウタマロ、ホクサイなどの言葉が混ざって聞こえた。

向こうの席から女たちが此方を覗き見しているのを正太郎は気が付いたが、伊藤の笑う声ばかりが目立った。

「両先生。こやつら伊藤様からなにやら可笑しな事を吹き込まれたそうです。ショウは歌麿か北斎だと言っています。何のことかさっぱりわかりません」

其れを聞いて村田と川路は腹を抱えて笑い出した。
其れを女たちとならんで伊藤が可笑しげに笑っている顔が覗いた。

「よかよか、野村にはわからんでもよか」
2人はどうにも堪らんと女たちに「歌麿じゃウタマロじゃ」と正太郎を指差して笑い続けた。

伊藤は此方の席へ出て来て村田の肩をたたいて笑って「さぁ勘定じゃ勘定」と西園寺に勘定書きを持ってこさせて金貨で支払い、笑いながらコートを受け取って馬車を呼ばせた。

馬車の中でも野村は村田に「私だけのけ者ですか」と散々食って掛かっていたらしい。
川路のホテルへ先に廻りオテル・ダルブへ戻るとすぐに伊藤は上機嫌で正太郎に「お休み」と声をかけて部屋に引き取った。

村田と「明日は川路様と一緒にブティック回りをしますか」と聞くと「明日は休みだから朝から付き合うぞ」と正太郎の肩を叩いて自分の部屋へふらふらと入っていった。



Paris1873年2月2日 Sunday

「そういえばMlle.アルベルティーニの授業はどうでしたか」

「オオ昨日は2時間受けたが中々に面白かった。知っている曲だといけないといきなり難しい曲を聴かされてな。譜面を見ながら1列の分を指で抑える盤を教えてもらいながら遣ってみた。この鍵盤をこの指で引かないと次の音を出すのに感覚がずれると言うのでその指を動かすことから教わった。2時間などあっという間だ。今日も夕方の4時に西園寺さんのところで教わる事になった。あの人も人が下手な音を出しても平気だと言うのだからおかしな人だ。昨日もわしが可笑しな音を出しているのを見て喜んで居った」

村田は楽しそうにアコーディオンの事を話した。
夜明け前に降っていた雪は止んだが街は一面真っ白くなっていて、オテル・エスメラルダまで行くと川路はカフェを飲んでいて2人に同じ物を頼んでくれた。

「歩きづらかろう近くとも馬車を頼むか」

「今日は廻るところが遠いので借りきりにしましょう」

サン・ジュリアン・ル・ポーヴル教会の前にある馬車屋で1日18フランで契約してマガザン・デ・ラ・エマニュエルのあるゴブラン大街へ向かわせた。

幸い上着は手直しがいらないようでパンタロンも裾を詰めるだけ、10フランで其れを買い入れてクストゥ街へ向かった。

店主は2日で直しますと言うのを断ってテオドールに無理を言ってすぐ遣ってもらうつもりだ。

ポン・サン・ミシェルをわたるときセーヌは不思議な趣があり、一面の雪に川の上には多くの人が箱や布を持ち出して其れに乗って遊んでいた。

「危なくないのかね。氷が解けたら大事だろう」

その言葉が聞こえたかのように制服の警官があちらこちらに立っていて笛を吹いて人が大勢氷の上に降りないように注意しているのが見えた。

ビガール広場は大勢の子供が遊んでいて雪の玉を投げ合っていた。

「雪合戦か仲間に入って遊びたい物だ」

川路は子供のような事をいった。

時間がかかりそうなので馬車はジュリアンの店の脇から中へ入れてもらった。
馭者の面倒はイヴォンヌが見てくれ暖かい飲み物をだしてもらっていた。
テオドールは快くその場で手直しをしてくれ、僅か40分で体にぴったりとしたその服は、まるで川路のために新しく誂えたようだ。

村田は「ほうさすがだな。ショウが褒めるだけのことはある」と褒めるのでテオドールは気持ちよく2人の採寸をして明日には型紙を起こして仮縫いを出来るようにしますから明後日以降の都合のよい日においでください、M.ショウに勘定を附けるなら精々よい生地にされる事をお薦めしますと冗談とも本気とも付かぬ事を言って生地の棚から幾つかを出して体に当てて鏡に映した様子を検討しながら「お二人は体も大きいし肩幅もおありだから淡色よりも少し明るい大きな柄が似合うようです」

「おいはこれがよいな」

「おいはこれが気に入った」
正太郎は傍で男も女もおんなじだなと思いながら眺めていた。

「やりがいがありますな。此処のところ10日に一着は仕上げていますので腕は衰えていないのが判って仕事が楽しいのですよ」

テオドールはそういって2人にシャツもこの際作りなさいと奨めて替えも含めて注文を取った。

「ねえ、テオドール、君は注文を取るのが上手だね」
其れが村田たちは理解できたか愉快そうに「今払わなくて良いと思うといいものを作れるし、パリにいる間はこの手で行くか」と豪快に笑った。

ジュリアンの台所へ2人を連れて行くともうすぐお昼だから食べて行きなさいと誘われ店と地下倉庫のワインやシャンペンを見学させてもらった。

店に昨日のルイ・トレーズ(Louis treize)があるのを見て「昨晩はフォリー・ベルジェールへ大勢で押しかけたがこいつを3本空けた」と村田が言うとジュリアンは大げさに手を広げて「君たちはすごい事を平気でやるね。あそこではこれは30フランとるんだぜ」とさも驚いたと自分の店では16フラン50サンチームでの小売だと値札を見せて説明した。

「まずいな。伊藤さんには大分散財させてしもうたな」

「もう手遅れじゃからの。呑んでしもたらしまいじゃ」

その後薩摩弁でどじゃらごじゃら話して豪快に笑い「3本もこいがテーブルに並んだときは豪勢に見えた」と村田はジュリアンに言ってまた笑い出した。

「そうだろうビガール街の妖しげな酒場では空き瓶を買い集めて安いコニャック (Cognac)にアルマニャック (Armagnac)を詰めたりするんだぜ。酔っていても安酒場では高い酒を頼むのは馬鹿な奴がやることだよ」

「そうかショウが居ない時は高い酒は飲まずに置こう」

「そうじゃ」

3人は意気投合したらしく肩を叩き合って「ショウが勘定を持ったら高い酒、自分持ちなら安い酒」と合言葉のように言い合って笑い出した。

「お土産に伊藤さんに1本持っていくか」

「仕方なかろう3本も空けては相当懐に響いたろう」

2人で10フランずつ出し合って「ルイ・トレーズとあと残りで買えるブランデーを頼む」と20フランを出した。

ジュリアンは迷っていたがシャボーエクストラスペシャルという割合いい物を出してきた。

「値段は大分サービスしました、割合いい奴ですから試してくださいよ。2本とも包みますか」

「そうしてくれ、パリを出てから呑んでもらうように話しておこう」

ジュリアンはでは此方を昼に空けましょうとアルマニャックのシャボーエクストラスペシャルをもう一本出して正太郎に渡した。

丁寧に包んでサックに入れると村田に渡して「そろそろ昼のしたくも出来たでしょうから上にあがりますか」と正太郎を促して先に行かせた。
2階は暖かく居心地が良かった「エメ、グラスを5つ出してくれる」と頼んだ。

「あら誰か来たの、4つじゃ足りないの」

「君も呑んだほうがいいよ」

「ほんと嬉しいな」

「少しだけだぞ」

ジュリアンはそういって自分でグラスを取り出して、村田と川路に席を勧めてグラスに注いで廻ってお先にどうぞと勧めてエメが支度した料理を並べた。

「ほぉ、これはよか酒じゃ」
川路は村田と顔を見合わせて嬉しそうに呑んだ。

エメもおいしそうに呑んでからシチューを皿によそって勧めた。

パンもふっくらとして暖かく男たちは皿に残ったソースを附けて美味そうに食べた。

「パンが暖かいが出来たてですかな」

「家内が其処の竈で焼いた物です」

「ほぉ、たいした奥さんですね。そこらのレストランなぞ足元にも及びませんな」
アルマニャックの香りを楽しみながら出されたハムをパンに挟んで美味そうに口に運んだ。

イヴォンとマルクも降りてきてジュリアンが「うちの従業員です」と紹介して暖炉の脇のテーブルに座らせエメがシチューをよそって出して食べさせた。
「ショウ、フランスでは主人と店のもんが同じ場所で食事をして奥さんがセルヴァーズをするのが普通なのか」

「そうです。其れは金持ちや昔の貴族の人の家ではありえませんが、街中では同じテーブルに附かせるのは普通に行われています」
2人は感心してやはりフランスは民権が確りしとると納得したようだ。

川路に帰りがけに帽子屋へ連れて行き、ニコラやクリスたちが被る帽子を買ってオテル・エスメラルダまで送り届け、村田がアコーディオンは西園寺のところにあると言うのでそのまま送り、正太郎は一人でオテル・ダルブへ戻った。

伊藤は部屋に居らず伝言も無いので二人からの土産のブランデーを「これは村田様と川路様から伊藤様へのお土産ですがお酒です。パリから他の町へ出てからお飲みくださいと言っておられました。私はノートルダム・デ・シャン街12番地に居ります」と言う伝言を伊藤の従僕の常助に渡して馬車を拾うとエメのアパルトマンに向かった。

エメには昨日小耳に挟んだ事は言わないように気をつけ、フォリー・ベルジェールへ8人で繰り出してルイ・トレーズを村田さんたちが3本も空けたことを話した。

「まぁ知らないのかしら。あそこでは30フランもとるのよ」

「そうだってね。今日ジュリアンのところへ寄ったらそう話してくれたのさ。二人は驚いて支払いをした伊藤さんにお詫びもこめてお土産にジュリアンのところから買って届けたよ」

「ふふ、あの人たち気は優しいのね。大きな体にいかつい顔をしているのにさ」

「そうだよね、村田さんがアコーディオンを演奏して陽気な様子なんて自分の眼で見ないと信じない人も多いだろうね」

「そういえば昨日から授業、西園寺さんの家で始まったんでしょ」

「今も送ってきたんだ。もう始まっているよ。4時からだと言っていたから」
正太郎は川路の服装が刑事達と同じにしたいと言うので吊るしを買って、テオドールに手直しさせ、2人がブティック・クストゥで新しい普段着を誂えた事など、最近行った店の事を話して聞かせた。

久しぶりにショウのマンドリンが聞きたいと言うので新しく覚えたThe Lastrose of Summerを弾いた。

「大分上手になったわよ」
エメは体を寄せて幸せそうに正太郎に囁いてイギリスの詩をつぶやきながらもう一度弾くように頼んだ。

陽は大分伸びて5時半になってもまだ明るく、窓の先に見える隣の屋根には溶け切れずに残る雪が見えた。
暖炉やストーブの煙があがる煙突が増え、ようやく街は暗闇が広がりガス灯が順に明るくなる様子が窓からも望めてパリの街は夜が訪れた。

エメが最近覚えたというピッザを作ると言うので正太郎も手伝ってソースが焦げないようにかき回してヴェルミセルが茹で上がると其れにかけて食べだした。

エメが時間を見てオーブンをあけると焼きあがったピッザを木の皿に乗せて運んできた。

片側には鴨の薄切りに茸が乗せられて半分は季節はずれなのにトマトに玉葱とベーコンがチーズの下に見えた。
エメはふたつの素材が行き渡るように半分に切ると正太郎に渡して「トマトは今日果物屋に行ったらスペインから入ったと言うので買ってきたの少し酸っぱいからピッザにちょうど良いわよ」と勧めた。

「美味しいよ」
そのピッザを幾口か食べてから正太郎はエメに言った「此処のところ色々なお店でおいしい物もご馳走になったけどこうしてエメと食べる食事が一番美味しいよ」

「もうショウは口がうまいんだから」
2人は全部食べ終わると仲良く台所で正太郎が汚れ物を洗い其れをエメが点検して綺麗に拭いた。

正太郎がプレゼントした新しいカップをエメが出して来て、カフェを入れて飲みながらブローニュの森でスケートが出来るという話をエメがし、正太郎が滑る事ができるというと靴を貸すところを知っているから来週は遊びに行こうと約束をした。


Paris1873年2月9日 Sunday 

昨日から続く雪の中、ブローニュの湖は130センチの氷が張っていると情報が伝わってきた。

何処から話が広まったかリュカにジュディッタはともかく、ジュリアン夫妻やメゾンデマダムDDの住人にParis Torayaの事務員にアロルド夫妻までが参加するという事態で馬車屋のものまでがスケート靴を持参して8時にブワ・ドゥ・ブローニュのシュペリユール湖南側に集合する事になった。

使節団の通訳はボアデブロンと言うので、正太郎はよくわからなかったが前田が此処の事だと教えてくれた、先週使節団は此処の鶉の繁殖場等を見に来たそうで雪の後で風が冷たかったと話していた。

広い敷地内には動物の飼育場もあり中にはそう呼ばれる公園があるのかとも思う正太郎だった。

アンフェリユール湖との間には休憩所にテントが張られていて正太郎が驚いた事にこの天気にもかかわらず300人以上が遊んでいて、アーク燈が灯され雪の中でその周りが幻想的に浮かび上がっていた。

正太郎は何処で蒸気タービンを回しているのだろうと見回したが近くには見つからなかった。

湖上のあちらこちらを照らす明かりもガス灯ではなくアーク燈が輝いていた。

正太郎はやっと滑れるくらいだがジュリアン夫妻は大きな湖を難なく1周してきてまだ300メートルも進んでいない正太郎を追い越していった。

エメも正太郎に構わずリュカとセディを引き連れるように先へ進み正太郎の周りはラモンとM.アンドレくらいしかいなかった。

マダム・デシャンさえ正太郎が一回りしてきた時にはもう2回目でもう一回りしてくると元気に出て行った。

正太郎は諦めて小さなほうの湖にラモンと向かいそこで練習する事にした。

「ショウ、滑れると言うのはもっと楽にすべるように進むことよ。貴方のは歩いているというほうが合っているわよ」

正太郎と同じ程度で滑るジュディッタにそういわれても反論の仕様が無いが、これほど雪が降っている中で滑った事が無いので前に進むのがやっとなのだ。

馬に板を引かせた管理人が雪をどかせて滑りやすくする作業も頻繁に行われていて島には管理人が焚く焚き火に大勢の人が濡れた服を乾かしに集まっていた。

森の中には20軒ほどの集落と15年前に作られたプレ・カトランにはぶなの林もあり、昨年植えられたカルフォルニア原産のセコイアを見に行こうと何人かが雪道をランタンを手に向かっていった。

スキーの板を担いで歩く人も大勢いて小さな坂を何度も上り下りしていた。

正太郎が息を切らして休憩所にラモンとやってくると暖かいレモネードをMomoが配ってくれ、体の中から温まる気がした。

Momoはやっと立てるぐらいなのでベティに附いて貰い教わりながら一回りして来て諦めたようだ。

一番上手なのはジュリアン夫人のエメでジュリアンがその次に早く滑れると話してくれたのはリュカとセディだ。

2人も大人たちの間を縫うようにすいすいと滑り、右に左にと湖を最大限に利用して遊んでいた。

湖の隣の競馬場は、ほぼ完成して秋からレースが出来るという話を周りの人たちが話していた。

仮設のトワレットゥには人の列が出来ていた。

一行はマダム・デシャンがヴァルミー公爵の館で昼食をと言うので馬車で5分も掛からない館へ向かい暖かい室内で一休みさせてもらった。

主はいないようだ、ここは狩りをするための別荘だとマダム・デシャンが正太郎に説明して広い食堂で持参したお弁当を広げて給仕されたカフェを頂いた。

3台の馬車は館の前で別れてそれぞれの住まいへ向かった。

エメは凱旋門からシャンゼリゼへ入りラデュレで大量に菓子を買い入れて戻った。馬車屋のヴェルデ夫妻も馬車から馬をはずして伯楽に預け、部屋へ上がってきてリディとエメが入れたテ(The紅茶)にブランデーをいれマカロンを食べて話しに加わった。

リュカにもリディはブランデーを少し入れ、不満そうなリュカに「貴方は子供なんだから」と済まして自分にはたっぷりと入れた。

妹のモニクは両手にマカロンを持ち食べ比べるように少しずつ齧っていた。

マカロン・リスは3種類でモニクは右手のバタークリームを置いて果物などのジャムのコンフィチュールと左手のアーモンド風味のパート・ダマンドと食べ比べていた。

「リディ、この娘パテシェの素質があるんじゃないの」

馬車屋のおかみさんに言われて「ただの食いしんぼじゃなきゃいいんだけど」と心配そうに見つめたがモニクは食べるのに夢中で大人の話は耳に届かないようだ。

ジュディッタは自分で注いでいたブランデーに酔ったようで早めに部屋へ引き取り、台所もリディたちが綺麗にして帰ったのでやる事も無くなった2人はぼんやりと寄り添って窓の外に降り続く雪を見ていた。

「あと一週間ね」

「う」

「使節団よ」

「ああ、そのこと、そう今度の土曜日にサラの舞台を見て次の日に大統領が主催する晩餐会が開かれれば、17日のランディにベルギーへ出発さ」

「正太郎はそうしたら此処へ来るのが少なくなるの」

「そうしてほしい」

エメは怒って正太郎の腕を思い切りつねり上げた。

「いたっ。冗談だよ」

「冗談でもそういう事言うと許さないわよ」

エメを引き寄せてキスをしようとすると腕を突っ張って嫌がるエメを強引に抱き寄せて頬を寄せて「ジュテーム・ド・モンクール( Je t'aime de mon coeur心から愛しているよ)、ジェム・マリー・エミリエンヌ(J'aime Marie Emilienne)」と囁いて耳にキスをした。

エメは力を抜いて自分から正太郎にキスをして「ショウはすぐ冗談にするんだもの」と拗ねて見せた。

横座りにひざへエメを乗せて抱き寄せると「ごめんよ、つい癖になったようだ」とあやまった。

「普段は仕事も忙しくなって来たから来られないかも知れないけど君が休みの日は一緒に居られるように必ずするよ。約束する。それと留学も横浜には延長してくれるように連絡したんだ」

「本当なの、嬉しいわ。正太郎に横浜へ帰ってほしくないけど、貴方の仕事の邪魔には為りたくなくて悩む事もあったの。今は1日でも長くパリにいてほしいわ」

2人は今の幸せが続く事を願ってキスを交わした。

「最近はどんな本を読んでいるの」

「ノートルダム・ド・パリ(Notre-Dame de Paris)だよ。ユゴーのさ。あの人の本を全部そろえようかと思っているんだ」

「カジモドはかわいそうだけどショウは私のグランゴアルよ」

エメはこの本も読んだようで放浪詩人の名前も覚えていた。

翌日雪が積もる中、エメを学校まで送った正太郎はオテル・ダルブへ行くと伊藤も村田も今日は何も無いと言うのでメゾンデマダムDDまで一緒に向かった。

ストレーへ寄り道してアリババを10個も買い入れてお土産にしたのでマダム・デシャンは大喜びだ。

早速そのお土産でカフェを入れてMomoも一緒に5人で楽しく談笑した。

「使節団の訪問、今日はお休みですか」

「いえマダム午後から、ロワ・デ・ロレイヤの香水工場と石鹸工場へ見学に10人ほどが出向きます」

M.イトウは行かなかったのですか」

「私の担当は違うのでこのような施設の場合は他の人が訪れます」

「あら、雪だから逃げたわけじゃないのね」

伊藤は当たったかのようにビクッとっしたが「違いますよ、マダム」と手を顔の前で振った。

何昨日からの雪で大使随行の野村たちに役目を押し付けたのは見え見えだ、工部大輔の伊藤が行かないのは普通ありえないのだ。

その様子が可笑しかったかマダム・デシャンはコロコロと笑って「お昼を食べていってくださいね」と誘った。

「僕の事務所を見ていただくので12時半に戻ります」

「良いわ、その時間に用意するから遅れないように戻ってきてね」

前に来たときは上がらなかった正太郎の部屋を見に2階へあがった2人はその質素な部屋に驚いていた。

家を出ながら伊藤は正太郎に話しかけた。

「ショウの生活を見ているともっと派手な部屋に住んでいるかと思ったよ」

「此処は横浜の虎屋と吉田先生が出してくださった留学費用で借りていますので贅沢をしては申し訳がありません」

「よしよし、其れが本当だ。各地の政府留学生はまともじゃない奴らもいるが、出来うる限り切り詰めて生活するのが学生の本分じゃ」

村田もそれには賛成だと言って「今パリで普通に生活するにはどのくらい必要になるのだ」と聞いた。

正太郎は事務所へ向かう道で「村田様、この間話した下宿屋ですが其処では朝食付50フランで社員に貸す予定です。今の住まいは朝食つき1日2フラン50サンチームです。これには部屋の掃除や広間書斎を使ってお客を招待してもよいという条件があるので街中より割高ですが、忙しくても部屋が綺麗でシーツなども週一度替えてくれるので助かります。単に部屋を借りるだけなら30フランくらいからまともな部屋があります」

「そうか4等の留学生はフランスでは100フランと言うのは町に住むのは大変なのか、つき19円といえば権少録だが、其れで遊び歩くと言うのは普通では無いな」

この頃伊藤は月400円の俸給だ、徳川の時代でいえば若年寄よりも位が上だろう、村田の250円は2段階下だった。

「ショウ、使節団がパリを離れればわしも下宿を探さねばならんがその下宿入れるかな」

「今の持ち主が今月中には暖かい南の地方へ移るのでその後改造が済み次第入れますから、お受けしますよ」

事務所で二人を紹介して仕事の打ち合わせをしてからマダム・コメットの家を見に出かけた。

Mme.コメットは3人の来訪を喜んでくれ「電信で家が買えたと言ってきたので詳しい事が書かれた手紙が着き次第引っ越すわよ」と言って館の各部屋の案内をしてくれた。

隅々まで磨き抜かれた館は暖房が行き届かない部屋があり、その設備を至急入れるくらいで他には特に必要な物はなさそうだった。

「ではマダム予定が決まりましたらM.アンドレまでお知らせください」

「良いわよ、この家大事に扱ってね」

マダム・コメットに別れを告げてメゾン・リリアーヌでその話をすると「うちの二親も喜んで支配人兼料理人で働くと言っていたから日にちにが決まり次第移らせるわ」とやはり雇われるほうを選んだようだ。

メゾンデマダムDDに戻ると食堂にはいい匂いが立ち込めていた。

「こりゃベフスチュの匂いじゃ」

伊藤は鼻をうごめかして昔のロンドンで覚えた下町言葉で言って腹が減ったなと村田と顔を見合わせた。

席へMomoが案内してシェリーが出されクロワッサンにジャガイモのフライ、チーズの入ったスフレリーヌ(モン・サンミシェル風オムレツ)にサラダが出されラグー・ド・ブフはカルバドスと一緒に出された。

「いやぁ、昼の食事には豪華すぎますな」

伊藤も村田も健啖振りを披露してクストーを喜ばせた。

「ショウはいつも食事が少ないのでシエフはガッカリしますのよ。あなた方のように食べてくださると作りがいがあって喜びますわ」

「いやいやこれだけ美味い物を出されて少食なぞ問題外ですぞ」

伊藤は料理の腕を褒めてクストーを喜ばせた。

3人は馬車屋まで歩きオスマン大街のオ・プランタンへ寄った。

伊藤が欲しがっていたコートを買い入れるためだ。

正太郎が先の貸しに上乗せしておくと言うので320フランというすばらしいコートを伊藤に付き合って村田も買い入れ、ご機嫌でオテル・ダルブへ戻ってきたのは夕暮れ時で雲はなくなり、明日はよい天気になるとホテルのヴォワチュリエが正太郎に話した。

正太郎たちを追いかけるようにセディが馬車に乗ってやってきた。

ロビーで話を聞くと「電信が横浜から来たのでマダム・デシャンが馬車で行くようにと料金を先払いして乗せてくれました」と言って2通の束に為った電信の用紙を渡した。

其の1通は鴻上春太郎からで正太郎を正式にパリ代理店社長として役員会で決定した事が書かれていた。

別会社として立ち上げて取引は自由裁量に任すこと、留学期間が終わった後は虎屋役員として給与が支払われる事、バイシクレッテが好評で取引を横浜物産会社で1年間引き受ける事が記されてあった。

もう1通は横浜物産会社からで今回のバイシクレッテ50台は前回同様1台305フランで引き取った事が記されていた。

前回8840フラン掛けた物が1万65フランになり、今回は運送費保険込み1万3400フランで送り出して1万5250フランになり儲けは3075フランになったのだ。

セディに電文を翻訳して聞かせているのを村田がそばで聞いていて「あのバイシクレッテという奴か、ざっと3千フランの儲けか、すさまじい物だな」と感心していた。

「しかし、ショウお前そんな子供にまでそんなに儲けた事を教えていいのか」

「彼はまだ10歳ですが、商売のなんたるかを知っていたほうがいいと思うのです。これは儲けた事だけが記された電信です、ですがこれだけ儲けるのにどれだけ他にお金が使われたかを知れば、自分の働きと手に入るお金が正当な物かどうかがわかります。そうすれば自立した時に困らないだけの知識が頭に入り儲けだけが商売ではない事を知るでしょう」

「それであれは日本ではいくらぐらいで売る事になるのだ」

「3年前の倍くらいなりましたが60円ほどですから100円はするのではないでしょうか」

寅吉が半値になると予想したのは外れた、次々新しい物がでて日本の貨幣価値が下がった分価格が倍になってしまったのだ、確かにファントムやボーンシェーカは安くなり日本に送れば儲かるかもしれないが、それでも船賃を考えれば5台や10台と少ない数を買う人しか見込めないし、ペニーファージングではとても売れる自信は無いのだ。

寅吉は42両がイギリスの売値で其れが安くなるとその当時は正太郎にも話したが、日本の貨幣価値は半分に落ちてしまうことはその時点では予測できなかったのだ。

「百円か、其れで売れると予測するお前もすごいが、まだ売れてもいないうちから追加の注文をするお前の店もすごいな」

正太郎はセディを表で待たせていた馬車に乗せてメゾンデマダムDDに返すことにし馭者に話を聞いた。

「往復と待つ時間を入れて5フランとチップの2フランを先に頂きました」

別に2フランを渡して「寒い中ご苦労でした。これで暖かいものでも腹に入れてください」正太郎は顔見知りの馭者に頼んでセディに7フランを渡した。

「セディ立て替え分はこれでマダム・デシャンかMomoに渡してお礼を言っていたと伝えるんだよ」

「はい判りました。オ・ルヴォワール・ショウ」

「オ・ルヴォワール・セディ」

明後日メルクルディは満月に成るなと正太郎は大きく見える月を見上げた。

あの電信にはもっと重要なウィーンの危機が予想されると寅吉と高島嘉右衛門の話を正太郎に伝えてあった。

嘉右衛門は博覧会が始まる頃に疫病が東ヨーロッパに広まると予測し、寅吉は同じ時期にウィーンから投機の失敗で銀行が危なくなると知らせてきていた、スミス商会には寅吉から情報が流してあるから心配しないようにとも但し書きがあった。

伊藤が降りてきて村田と話をしていた。

「話は終わったようだな釣り猫亭にへいこう」

伊藤は勝手にシャ・キ・ペッシュを日本語に置き換えた。

立ち上がって村田に「今日も子牛のすね肉のシチューでヴォートカだ」と楽しそうに笑い常助に「お前もついてこい」と4人で夜の町へ出た。


Paris1873年2月15日 Saturday

昨日からパリは晴天が続いていた。

今日はサラが所属するコメディ・フランセーズのレノス・デュ・フィガロの初日だ。
西園寺との約束もありエメと3人で朝ドゥ・クリメ街のサラの家を訪れて舞台が成功するように激励した。

「3人ともありがとう、夜の舞台を期待してね。私あのシェルバン役好きなのよ、きっといい舞台にして見せるわ。シュザンヌでは私の個性が生かせないのは自分でもわかるもの。舞台がはねた後食事にご招待したいのだけどご都合は如何かしら」

「メルシー、其れが判っていれば良かったのですが残念な事に木戸先生に通訳替わりに誘われまして仮装舞踏会とか言うものに行く事になりまして11時にはシャンゼリゼにいないといけないのです」

「残念ですわ。エメが投資したお店の開店に行くつもりでしたのに」

「僕もです。替わってもらえるならショウとでも替わって欲しいのですが、エメが睨んでいますので」

サラが何時もの可愛い声で笑い「其れはそうよねショウをとられては食事に誘って食べていても気が気じゃないわよ」とエメのほうを見てウィンクをした。

「それで使節団の方々は17日にご出立ですか」

「はいパリから日本へ戻られる方にパリで勉強のために残られた方と別れてベルギーへ、午後ガール・デュ・ノールからブリュッセルへ向かいます」

12時にドゥ・クリメ街の家から待たせておいた馬車でレ・アールのファラモンへ向かいそこで馬車を帰した。

「あら此処は」とエメが道のプレートを指差した。

「モンデトゥール通りがどうかしたかい」

M.西園寺はジャン・バル・ジャンを読みませんか」

「まだ其処まで読む力が無いが、ショウは読んだかい」

「はい読みましたけど」

「まぁ、ショウらしくも無いわ。バリケードよ」

「あ、ジャン・バル・ジャンが戦った場所かい」

「そうユゴーは此処でバリケードを守ったと書いていたわ。なにかお話ではなく本当に此処にジャン・バル・ジャンが居た様な気がするわ」

エメは小説の中に歴史を見ているように熱くジャン・バル・ジャンの話を語った。

やっと目の前のファラモンへ入り暖かい鍋料理を食べられた西園寺はほっとした表情になって食べる事に集中した。

「西園寺様、木戸先生そんなに夜中まで出歩いて大丈夫なんですか」

「其れがね、パリへ来た当時はともかくここの所夜遊びが激しいそうだよ。この間田中さんが来て木戸先生がグランドへ来たと言っていただろ」

「確か一日の日でしたね」

「そうそう、あの頃から夜遊びが激しいと聞いたよ。昨晩もパレ・ロワイヤルで食事した後何処へ遊びに寄ったそうだジュレ・ロイヤルが効いたかな」

「まさか、即効薬じゃないでしょうにあれとは違うでしょう」

「なぁにそのジュレ・ロイヤルと言うのは」

「蜂蜜の中でも女王蜂のための特別の蜜だそうだよ。弱ったからだの回復には効果があるそうだけど、10日や20日で効果が顕著に出る薬では無いそうだよ」

3人で仕方ないさ奥様も同伴で無いのだからとプロスティチュエを買うのもあるだろうと納得した。

「では劇場で会いましょう」

正太郎とエメは西園寺と別れて市場へ入った。

2人は買うでもなく様々な商品の間を抜けてルーヴル街へ出ると川岸に出て氷の上で遊ぶ人たちを眺めながらポンデザールを渡って学士院の前に出た。

キャバレー、オ・ラ・クワイ・アドールのあるサン・タンドレ・デ・ザール街54番地へ向かった。

マキシム・ジェラールがジュリアンの協力で新しく開く店だ。

「ショウ、彼の相談に乗る事にした。俺のほうで酒は5000フラン分送り込む。頼りにされた以上半端な品揃えにするわけにいかんしな、ショウも資金面で協力してくれないか、最初の人集めと調度品に3000フラン投資して貰えると彼も充分力が発揮できるだろう」

「どの程度の規模の店なのかな」

「間口は10メートルで奥行きは22メールくらいある、それにラ・キュイジンヌ(la cuisine調理場)、付属設備と2階に個室では無いが仕切りのできる食事ができるスペースも取れるし、3階に住まいが付いている。セルヴァーズにセルヴィスを3名ずつ、ドアマン、シェフドラン、シェフに見習い3名、それとマキシムが働くから」

「13人だね。割合大きな店のようだね」

「そうだなキャバレ・デ・ザササンと同じくらいで同じようなやり方でやるそうだ。最初は小さな店と考えていたがあそこが空いていると聞いて奨めてみたんだ」

「なら、近くのスルタンより上品な店に為るようだね」

「ショウ、お前あんな店に行ったのか」

「ほらM.イトウたちが夜中にどこか開いていないかと言うので、ニコラに聞いたあの店に1回だけ行ったけど1時間くらいで出たよ」

「あそこは連れ出すのにシャンパン1本が合図さ、5フランで付き合う女がいる危ない所だぜ。ニコラも変なところを紹介したもんだ」

「紹介じゃなくて、あのあたりだと夜中まで開いている所はあそこだけと話のついでに聞いただけさ。たいていプロスティチュエの取締の下調べでも行ったんじゃないの」

「そうか、それならいいが、俺が騎馬警官の頃から裏の社会に繋がっている危ない店だから要注意と言う店だぜ。あの頃の仲間が今でも危険な店だから酒など取引するなと警告してくれたのさ」

「其れはいいけど、僕の横浜の店の方針を一つ守らせて欲しいのだけど」

「なんだ」

「たとえ株主共同経営者。家族といえども勘定はそのつどきちんと精算して余分な割引はしないこと。少しは連れの手前の割引は仕方ないけどね」

「そんなことか。いいだろう俺とショウの勘定でもきちんと計算して請求しろと言うことだろ」

「そう、パリの習慣は知らないけど最低其れは守って欲しい、そのほうが店に行きやすいし配当が出るなら早く其れが出ることに繋がるからね」

「そうだな店が儲からなければ投資したものが戻らないのは困るからな。きちんと其れは言っておく」

その様なやり取りがありエメの名で3000フランの投資をしてマキシムは自分で6000フランを集めての開店にこぎつけたのだ。

店はまさに開店準備で忙しいようだ、サラの舞台の跳ねた後で26名が入れるように頼んでは見るが表で待たされることになるかも知れないと正太郎は思えるほどに働く者に活気があった。

ジュリアンと共にジャン・ピエールとバスチァン・ルーも来てバーの棚を点検し担当のセルヴァーズが帳簿と照らし合わせていた。
ティル・ブッション(ウエイターズナイフ)を幾つかトレーに乗せて磨いている女性を「彼女がバルマンとソムリエを勤めるジャンヌだ」とマキシムは紹介した。

「ジャンヌ、此方が今回共同経営者になったMlle.ブリュンティエールとM.ショウだ」 

「よろしく、あなた方のおかげでいい給与で引き抜かれたの。ジャンヌ・アランよ」

「よろしく、ヂアン・ショウもしくはショウと呼んで下さい」

「貴方がヂアン・ショウなのね、噂は聞いているわ」

「いい噂なら嬉しいですけどね」

「いい噂よ」

そういって手を出して握手をした。

「私はエミリエンヌ・ブリュンティエールよ。皆さんエメと呼んでいますのよ。貴方もそう呼んでくださいね。M.ジェラールもお願いしますわ」

「それなら私も、マキシムと呼んでくださらないと」

「良いわね、そうしましょうね。ジャンヌはカクテルの種類はどのくらいご存知なの」

「今レシピ無しに作れるのは30種くらいですが、バーが充実すればすぐ倍には出来ますわ。単なるワインやシャンペンを出すバルマンには為らないつもりですの」

「いい事ね、これからもよろしく」

「此方こそいいお付き合いをさせてくださいな」

2人はマキシムに案内されて店内の調度を見て廻りシェフのM.ダルデスパンに紹介された。
さらに店のラ・パーソネル(Le personnelスタッフ)に紹介されて廻った、今日から3日間は5人のセルヴァーズを臨時に頼んだのだ。

マキシムはその中から一人か二人を追加して常雇いに選ぶ予定のようだ

最後にシェフのM.ダルデスパンに今晩の26名の食事について相談をして必ずその分の食材を揃える事を約束してくれた。

「着いた人から順にサービスを始めてください」

「かしこまりました」
正太郎は混雑を予想して全部の人が着いてからと言うのではきりが無いと思いそう頼んで置いた。

M.ダルデスパンもマキシムも「カルバドスからドンペリニヨンまでがうちの方針です」と幅広く客層を広げる方針だと話しながら「料理を楽しみ、音楽と歌を楽しんでいただく店を目指す」とも話してくれた。

「それでいい歌手や、バンド・デラ・ミュージックは見つかったの」

「ええ、男のほうは年寄りですが、女性もいい人が見つかりました。ただ10時から12時までの約束でしてその前後をM.ブレが勤めます」

どこかで聞いた名だなとエメを見ると「ほらキャバレ・デ・ザササンでお会いした方じゃないの」と思い出してくれた。

「そうかもしれないね。話も面白いし味のある歌い方でその人ならいいかもしれないね」

何時までもいて邪魔になるだろうとジュリアンたちが働く中を今晩の支度が有るからとアパルトマンへ戻った。

5時半をすぎても明るい中をメゾンデマダムDDからベルリーヌ馬車で来たベティと共に西園寺を迎えに行き、4人でコメディ・フランセーズに着いたのは6時半、開演時間まで1時間の余裕があった。

ヴォワチュリエにサラへの伝言を渡して返事を届けてもらえるようにした。
使節団の人たちに簡単に挨拶をして部屋へ案内されると前回と同じようにシャンペンにアソルティマン・ド・デセールが用意され、セルヴィスが二人配置されていた。

村田、Mlle.アルベルティーニ、長田、高野、マーシャル夫妻、西園寺、鮫島、正太郎、Mlle.ブリュンティエールにMlle.アンクタン、新納と7時までに部屋に人がそろい鮫島と長田はもう一度挨拶回りをして戻ってきたのはオーケストラの演奏が始まってからだった。

「皆さんおそろいでしたか」

西園寺が聞くと「ああ、滞りなく席に着いて頂けた、後は劇が終わるまで楽しませてもらうよ」とシャンペンを片手に楽しそうに語った。

「わたし、この部屋はいやだわ」

「どうしてだい。ここは二人のご主人にも近くて便利じゃないか」

「もし伯爵があなたを外へお使いに出されて、その間にこの部屋に押しかけてきたらどうする気なの」

「なんだと、それはどういうことなのだ」
シュザンヌとフィガロのやり取りの場面が終わりサラのシェルバン(ケルビン・ケルビーノ)が現れると今まで騒然としていた劇場が締まったように正太郎には感じられた。

椅子をめぐるシェルバンとコンテ(伯爵)の所作に客席からは笑いが生まれてきた。
シェルバンはコンテッセ(伯爵夫人)を通じてコンテへのとりなしを頼みにきていたのだという話を納得した伯爵は「自分の連隊に空きポストがあるから配属する、直ちに任地に向かえ」と命令した。

シェルバンをからかう、もう飛ぶまいぞこの蝶々の歌をフィガロが歌い第1幕は幕となり。客席はざわざわとしだした。

第2幕のどたばた騒ぎは日本人にもわかるおかしみが多く鮫島も可笑しそうに笑うのだった。
軍服姿のシェルバンが別れの挨拶に来て自作の恋の歌、恋とはどんなものかしらを歌う場面では場内のあちらこちらから溜め息が漏れるのがわかった。

Voi che sapeteはサラによって新たな命が吹き込まれた。

ヴォイケサペーテケ コーザ エ アモール 

ドンネ ヴェデーテスィーオ ロー ネルコール

Voi che sapete Che cosa e amor Donne vedete S'io l'ho nel cor.

恋とはどんなものか ご存じのあなたがた、さあ、判断して下さい。

僕がそれを心の中に抱いているかどうかを

その澄んで高い声はEnoliaで聞いたときより音響効果のよいコメディ・フランセーズでは少年らしさに溢れていた。
  Voi che sapete

ヴォイ ケ サペーテケ コーザ エ アモール

Voi che sapete Che cosa e amor

ドンネ ヴェデーテスィーオ ロー ネル コール

Donne vedete S'io l'ho nel cor

ドンネ  ヴェデーテスィーオ ロー ネル コール

Donne vedete S'io l'ho nel cor

新納は恋とはどんなものかご存じのあなたがた、さあ、判断して下さい。僕がそれを心の中に抱いているかどうかを。と翻訳して見せたが正太郎はそれではオペラらしくないと心の中では前と同じで次のように訳していた。

ご婦人方よ、見て下さい 私の心は恋していますか。
ご婦人方よ、見て下さい 私の心は恋していますか。

庭師が二階から誰かが飛び降りて鉢を壊したと注進するので、伯爵はシェルバンが逃げたと騒ぐがフィガロが飛び降りたのは私だと巧みに言い逃れをして誤魔化していると、マルチェッリーナがフィガロの書いた証文を持って登場してきて返金か結婚かの裁判を要求する騒ぎになって幕が降りた。 

第3幕の裁判の後のドン・バルトロとマルチェリーナの間に生まれた子供がフィガロだとわかる場面はエメがこの芝居の前の経緯を幕間の間に話したので鮫島や西園寺にも理解できたようだ。

コンテッセ・ロジーナ役のマノン・ミリュエルが歌うレチタティーヴォとアリアに聞きほれその後の展開もよく第4幕への期待が高まった。
第4幕でコンテがコンテッセとシュザンヌの入れ替わりに気が付かぬ場面で、くすくす笑いは広がりコンテとコンテッセの最後のやり取りの後伯爵夫妻を祝福する歌で幕となった。

ジャン・ムネ・シュリーの伯爵は良い出来だという声が場内から聞こえ、マノン・ミリュエル・ケ=デルヴロワの伯爵夫人の優雅さも評判のようだ。
マリー・エロイーズ・デュポンが演じたシュザンヌ(Suzanneスザンヌ)も良かったと自分の贔屓の俳優を褒め称える声が場内に響きビスの声が其れに変わって現れた俳優に惜しみない声援が送られた。

サラが前に出たときには使節団一同のブラボーの声に釣られたように一段と大きな賞賛の声が沸き立った。

鮫島と長田に高野は後で顔を出すと約束して使節団の方へ出向いていった、ベティは正太郎が新納にエメと同じ馬車でメゾンデマダムDDまで送り届けてから3人はオ・ラ・クワイ・アドールに向かった。
店について2時の迎えを約束して馬車が去ると、ジャン・ピエールとバスチァン・ルーが傍に来た。

「やぁ。一緒に食事をする」

「俺たちは今、酒の補充の予備の待機さ。ほらあの馬車に積んで倉庫代わりの番人だ」

「そんなによく出るのかい」

「大変なもんだぜ、下は足の踏み場も無いよ」

そりゃ大変だとヴォワチュリエが開けてくれたドアから入りセルヴィスに案内されて2階へ上がる階段から見ると黒髪の少し太めながらすばらしい声の女性が歌っていた。

「いい声だね」

「メルシー。お客様の評判もよろしくてあのように初めてながら盛況で御座います」
既に村田はMlle.アルベルティーニ、マーシャルご夫妻と共に席についてシャンパンをサービスされていた。

「先にやっているぞ」

「ええ、私たちもサラたちを待たずに始める予定です」

廊下を挟んだ此方でも3人の仕度をしてもらった。
その後を追うように鮫島が伊藤を連れて高野と3人でやってきた。

「田中君は遅れて次の馬車で福地君と長田が付いてくるよ。もしかすると誰か余分に来るかもしれんが大丈夫かな」

「26人で頼みましたから大丈夫です」
2階にセルヴィスとセルヴァーズが3人ついてラ・キュイジンヌから上がる料理の給仕に忙しく働いていた。

階段したから時ならぬ拍手が巻き起こりサラたちが到着した様子が2階へ伝わってきた。
M.シュリーにマリー・エロイーズ、マノン・ミリュエル、アン・マリレーヌに後3人の中年の女優更に2枚目の2人の男優も一緒だ。

それぞれが席へ案内される中、サラは正太郎たちのコンパートメントへやってきた。

「いいのですか向こうでなくて」

「いいのよ」

サラは平気だ。
伊藤たちの席は6人掛けだったのでM.シュリーにマリー・エロイーズ、が入り、マノン・ミリュエル、アン・マリレーヌの席へ若い男優が入ったが中年の女優は遠慮して別席へ入った。
田中は福地と長田に小松の4人で来て1部屋をあてがわれた。

これで24名と正太郎は勘定して「どうやら26名予約したから正解のようだ」とサラに伝えた。
「もう来ないの。やはり西園寺は舞踏会へ行ったのね」と残念そうだった。

其処へマキシムに案内されて前田と大久保がやってきた。
新納は遠慮して席を譲り前田と中年の女優の居る席へ移った。

正太郎から見れば中年といえサラより若いと聞いてよく見ればそう見えるし、見ている事に気が付くと投げキッスまでしてくるのには、まいってしまう正太郎なのだ。

「ほらショウが見たりするからこっちにも幸運を持ってきなさいと投げキッスをされるのよ。お返しをしてやりなさい」
といわれ其れを大久保に翻訳するのに真っ赤になる正太郎だった。

皆に食事が行き届いた様子を見てマキシムが歌手とヴァイオリン弾きをつれて上がって来てそこでシャンソンが歌われた。

通路を歩きながらそれぞれに挨拶をしてエメには特別に手を取って挨拶をして歌い終わると下へ降りていった。入れ替わりに老歌手のM.ブレがアコーディオンと共に来て味のあるシャンソンを2曲歌って去った。

先ほどの女性歌手が食事の済むころを見計らって上がってきて椅子をエメのとなりへ置いてもらい「お久しぶりエメ」と挨拶した。

「サラもお元気のようで嬉しいわ。マキシムはお名前を教えなかったので貴方だとは思わなかったわ」
2人は顔見知りらしく暫く話をして改めてサラ・ベルナールと大久保、正太郎に「歌手のサラ・マリー・ニノン・ボードゥワンをご紹介します」と伝えた。

「サラ・ボードゥワンと覚えてくださいませ」その人はそういって「大女優のサラ・ベルナールと同じサラで光栄ですわ」と続けた。

「いえあなたの事はフォリー・ベルジェールで1度聞かせていただきましたしエメからもお聞きした事がございますわ。とてもすばらしいお声で羨ましい限りです」
サラは心から尊敬していますと手を取り合って互いを褒め称えた。

正太郎が大久保に其れを通訳すると「2人の偉大なサラに乾杯だショウ、シャンパンを頼んでくれ」とつたえたが、そのシャンパンに即座に反応したのはセルヴァーズのニコールと先ほど席に付いた時に名乗った娘だった。

ア・ヴォ-トル・サンテ(A Votre sante)の声にあちらこちらからア・ヴォ-トル・サンテと声が上がり大久保も愉快になったらしくサラに何か歌って欲しいとおねだりをした。
2人は相談していたが下へマキシムを行かせた。
マキシムはM.ブレと共に現れ階段には楽器を持った人たちが並んでLe temps des cerisesを演奏しだした。

3人は声の打ち合わせをして歌いだしはサラ・ベルナールがとってそれに合わせるようにサラ・ボードゥワンにM.ブレが続けた。
長い歌ながら最後まで歌うと階段を降りて下のお客に今のことをわびて其処で同じように歌い挨拶をして3人で戻ってきた。 

大久保はこれはわが国の金貨です。昔の物は持ち出す事が出来ませんのでこれを記念にお受け取りくださいと10円の金貨をそれぞれに受け取らせて鮫島たちを連れて帰っていった。

席がまばらになりM.シュリーが此方へ入り伊藤たちの席へ若い女優が入り伊藤は大久保様と違い私はわが国の金貨を持ってきていないのでと女優6人と男優3人に20フランの金貨を記念に受け取ってくださいと渡して歩いた。

1人の男優がおどけて先ほどの金貨はわが国の物に換算するとどの位の価値があるかを聞いてきた。

わしは大久保様より身分が下で価値が少ない物を差し上げたと逃げる伊藤に食い下がるので新納が「先ほどのは53フランほどだ」と少しつっけんどんに言った。

サラ・ベルナールは驚く様子もなかったが若い俳優たちは驚きを隠せない様子だった。

伊藤が少しむっとした様子が見えたかサラ・ベルナールが呼び寄せて手を取って「皆さんに気を配っていただき嬉しく存じます。使節団の皆さまが諸国を廻られお帰りになる時にパリへ寄られる日を心からお持ち申し上げます」とあの人を魅了する声で言うと伊藤の機嫌はすぐに回復した。

サラは「ショウとエメは私の家まで来てくれなければ駄目よ」と言ってくれたのを汐にマキシムに勘定をしてもらうようにたのんだ。

大人数であったが勘定は280フランだった。
有名レストランに比べればまずまずの料理に酒が出てほどほどの値段だった。

正太郎は用意した50フラン金貨6枚を出してさらに20フランを置いてチップ込みで頼みますとそれぞれがベルリーヌ馬車からあぶれないように3人で見送って最後の馬車に乗り込んだ。

M.シュリーはサラを自分のお抱えの馬車に乗せようとまだぐずっていたが諦めて立ち去っていった。

表には寒い中ジュリアンの顔が見えたのでそばに行くと「シャンパンが350本も出たぞ。表の馬車に置いておくだけで500本用意してきてよかったぜ。あと4時間店を開く予定だそうだが夜が明けないうちに帰れるかどうかわからんよ」と嘆いた。

ジャン・ピエールが起きてきて「時間だよ、ジュリアンが仮眠しろよ」と声をかけた。

「バスチァン・ルーは帰ったの」

「いや、中で酒の入れ替えをしているのさ。邪魔になる空き瓶を後ろに止めた荷車に積んでこっちから運び込むのさ」

「あんまり働きすぎると後が大変だよ」

「何今日だけで後は何とかなるだろうよ」

立ち話をしている間にエメたちは痺れを切らして馬車の窓を開けて正太郎を呼ぶので「オ・ルヴォワール・ジャン」と告げて馬車へ向かった。

「オ・ルヴォワール・ショウ」言う声を聞きながら馬車に乗り込むとドゥ・クリメ街へ馬車は走った。
満月はすぎたがまだまだ丸く見える月は午前3時のパリの街の真上に輝き明日も冷えそうだなと正太郎は思った。

エメとサラは道中ずっと今日のせりふの出来不出来を論じていた。
ドゥ・クリメ街17番地の家は真夜中だというのに明るく輝いていて、帰ったとばかり思ったいつもの3人の女優が広間で寛いでいた。

「上手くまいたようね」

「だってジャンはしつこい物。あの人と付き合っていたら寝る間もないわ」

4人はそういうが正太郎は早く寝かしてほしいと思う時間だ。
3人はサラが頂いた日本の金貨を見せてとフラールにくるまれた金貨を宝石のように手にとって眺めた。

「さっきショウが支払いに50フランの金貨を出したのを見たけど其れより価値があるのね」

その話をしたサラにエメは自分の手提げを開いて正太郎が渡しておいた50フランの金貨を出して比べさせた。
1857年のナポレオン金貨だ(通常は20フランをさすことが多い)、重さは16グラム以上ある持ち応えのあるものだ。

その10円金貨と重さは替わらないようで正太郎が手にとって重ねると10円の縁が覗く大きさで僅かに重く1グラムと替わらないというとその分が3フラン程度の差になるのねと皆が納得した。紅茶にブランデーを入れてビスクを食べている間に夜明けが近いのか小鳥の声がしだした。

「あら大変、もう6時よ。あなた方帰らなくていいの」

3人はまだ早いとがんばりエメと正太郎にもまだ話しをしようとせがむのを振り切り2人は夜明け前の道を眠気覚ましに歩くとサラに別れを言って家を出た。

心配したほど風もなくピット・ショーモンの岩山には朝日が当たっていた。
2人は馬車屋へ行くと早朝にも係わらず疾風のアルマンが馬の手入れをしていた。

「ボンジュール・ムスィウ」

「ボンジュール・ムスィウ、マドモアゼル」

朝から元気なM.アルマンにノートルダム・デ・シャン街まで頼むと若い者が出てきてすぐに馬をつけて疾風のアルマンが送り出してくれた。
エメが5フランを出してチップ込みよというと「メルシー・マドモアゼル」とうれしそうに馬車を返して帰って行った。

リディが起きてきて火種とカフェの入ったポットを持って上まで付いてきてくれて部屋を暖めカフェを入れてくれた。

「もうくたくた」

そういうエメに「暖かくしてお休みなさい。11時半に食事の仕度をしに来るから」と言い残してベルのセットを11時にして降りて行った。

ベルの音で正太郎が起きるとエメはもう起きて正太郎に着替えさせる服の用意をして髪のセットをしていた。
正太郎が顔を洗い髭を剃ると頭を熱いくらいのサビエットで包みごしごしともんでくれた。
其れが終わると新しい物と替えてもう一度こすると香りの良い香油で髪をセットしてくれた。

ノックがしてエメが開けるとジュディッタとリディが入って来て台所で仕度をはじめる中エメは正太郎の身支度を整えてくれていた。
食堂の仕度が出来たと二人が呼びに来て給仕をしながら昨晩の事を話すようにせがんだ、その話を一刻も早く聞きたかったようだ。

1時間以上も舞台の話をしてオ・ラ・クワイ・アドールでの一幕も話すと「その若い俳優も馬鹿なことを聞くもんだよ。20フランも貰って人の懐に入ったお金を気にするなんてそいつは出世は出来ない奴だね」とリディが言うと2人も賛成した。

ノックがしてリュカがモニクと入って来て大人の話を聞いていたが退屈してきたようだ。

「エメ僕は西園寺様のところによって5時にはオテル・ダルブにいる予定だよ」

「判ったわ、連絡する事が出来たらオテル・ダルブのほうにしますね」
正太郎が部屋を出るときリュカはモニクを置いて付いてきた。

「ショウ、ショウはよくあんな話を聞いていられるね。僕退屈しちゃったよ」

「僕だって退屈するけど其処を我慢して聞くのが紳士の務めさ」

「なら僕は紳士でなくていいや」

「駄目だよ、そんな事言うとMereが悲しむよ」
口を尖らしていたが馬車屋まで付いてきて馭者台に乗ってアルバレート街まで手綱を取らせてもらって帰っていった。

「オ・ルヴォワール・ショウ」

「オ・ルヴォワール・リュカ」

西園寺はやっと起きたという顔でテを飲んでいた。

「どうでしたか仮面舞踏会は」

「う〜ん、面白かったといえば面白いがあれは浮気したい上流の人が身分を隠して遊び相手を見つけるような物だね。でも誰だかわかるのに判らない振りをしてるように僕には見えたよ。そっちはどう」
何のことは無い正太郎は此処でオ・ラ・クワイ・アドールのことを根掘り葉掘り全て話さなければいけなくなってしまった。

オテル・ダルブまで戻ると伊藤は出かける用意が済んでロビーで村田と話をしていた。
村田はこの間誂えた服と言うことは宴会へ出ないようだ。
迎えの馬車が来て伊藤を送り出すと「さぁ今日は何処へ行こうか」と村田は張り切って聞いてきた。

「まだ時間が早くて食事をするのも早い時間ですよ」

「そうか昼まで寝ていたからな。時間の感覚が狂ったな」

そんな話や昨日のことを話す内に川路が井上と出てきて「村田さ、飯にいこ」とさそった。

「ほらショウがぐずっているからつかまってしまったぞ」

村田はそういってもう少し待てよ、まだ時間が早すぎると正太郎の受け売りが始まった。
陽が暮れ出したのは6時をすぎてからで日中雲の厚かった空が夕焼けに染まっていた。

4人でオリエンタルへ出かけ垢を落としてアスティエに向かった。
4人で食べて飲んで22フラン昨日の勘定に比べれば安い物だと正太郎は思ったが、今年に入って交際費が1000フランを越し、少し引き締めないといけない正太郎だ。



Paris1873年2月17日 Monday

公館のほうでは今日の出立に大騒ぎで準備が進んでいる中、オテル・ダルブの伊藤は落ち着いていた。

12時までにシャンゼリゼの公館に着けばいいと言うことに為っていたためだ。
11時過ぎに伊藤は馬車に乗り随行員や従僕とともにシャンゼリゼの公館へ向かった。

正太郎は伊藤がオテル・ダルブを出た後、其処へ移ってくる成島と3人の人を迎え入れようやく2時半に西園寺とガール・デュ・ノールへ向かった。

「3時45分発だな」

「そうです駅には30分前にはいる予定だそうです」

ホテルからガール・ド・レストまではほぼ直線、サン・ミシェル橋でシテ島に入りシャンジュ橋で右岸へ渡るとリリック劇場の脇からセバストポル大街を直進して行き着く先にはガール・ド・レスト(東駅)がある。
手前のマジェンタ大街を左へ入ればすぐ其処に北駅が見える。

「大分早かったな」

「そうでも無いでしょう。もうあんなに見物の人もいますよ。ポリスも多いようですね」

馬車を降りて駅へ向かうとポリスが2人近寄ってきて「お見送りですか」と聞いてきた。
正太郎がそうですと答えると駅舎の控え室へ案内してくれた。

「どこかで日本人かどうか指揮を執っているみたいだな」

「そうですね何処で判断しているんでしょうね」

控え室には10人ほどの留学生が来ていた。

待つほどもなくベルリーヌ馬車が続いて駅前について先頭に大久保が先導するアジャン・ド・ポリスと駅に入ってきた。
正太郎たちへ軽く肯くとそのままプラットフォームへ入っていった。

その後を伊藤が続き「ショウまたな。西園寺君バイバイ」と手をふって大久保の後に続いた。

岩倉卿の前後に多くの随行員が歩き、鮫島と木戸に山口がその後から続いて駅に入ってきた、大分少なくなったといえ50人以上がブリュッセルへ旅立つのだ。
一番後からパリへ残る村田や、帰国する福地たちが見送りのためについてきていた。

見送りのM.ド・レミュザ他10人ほどの政府要人もプラットフォームに入ると軍楽隊が日本の国歌に替わり行進曲を演奏した。

定刻の3時45分列車は汽笛も勇ましく駅を出て行った。
村田は他の者と別れて西園寺と正太郎のところへ前田とともにきて「昼は食べたのか」と聞いた。

「いえホテルで成島さんたちの部屋割りのお手伝いをしていたので食べていません」

「そうかここの所ご無沙汰だからLoodへいこう」

「お供します」

出てきた長田たちに挨拶をして4人で馬車を拾いLoodへ向かった。
馬車は何度か角を曲がりカジノローマの脇からグラン・ブルヴァールへでた。

ヴァリエテ座の先からリシュリュー街へ入りカトセンブル街の角にある店の近くへとめた。
正太郎は2フランと20サンチームを渡して馬車を降りてLoodへ顔を出した。

「いいかな」

「ショウなら良いわよ。何人」

「4人だよ」

話しながらドンドンと店に入った。

「今日でみんな行っちまったんだね」

「大丈夫、村田さんや川路さんは残っているよ」

「そう、でも寂しいな」
ママンは若い随行員やお付きの者にはいい母親役を務めてくれていたのだ。

「つい癖で大分魚を入れたから安く調理するよ。やっぱり焼いたほうがいいかい」
正太郎は何があるか見に行くと太刀魚らしき魚が銀色に光っていた。

「これと鯛を塩焼きで」と頼んで氷の中を掻き分けるといわしが沢山入っていた。

「ママンこれはどういう風に料理するの」

「酢漬けにするかオリーブで煮る位だね」

「しょうがとソース・デュ・ソジャは沢山ある」

「5本あるよ。しょうがは近くの八百屋で買えばいいけど」

「じゃ手のひらと同じくらい買ってきて細かく刻んでよ」
ラ・キュイジンヌの外で正太郎が腕まくりでいわしを指で裂いているのをママンは面白そうに見ていた。

鍋を借りてソース・デュ・ソジャと安いBlanc vinを入れて砂糖で味をつけてバルサミコを少量足すと其処へいわしを並べて上にポロねぎの青いところを載せ火にかけると、見つけておいたマーマレードをさじで2杯入れた。

内蔵の整理をして火加減を見て沸騰する手前で弱火にすると「5分したら火からおろして置いて」と頼んで食事にした。
焼き魚を食べ終わると鰯の味を確かめてもう一度火にかけて温まると皿に盛ってテーブルへ運んだ。

前田は「いゃあ久しぶりですよ。煮魚など5年は大げさだけど」と言いながら自分の皿にとるとビールと交互に口に運んで「ショウに料理の心得があるとは思わなかった」と褒めながらどんどんと口へ運んだ。

ママンがでてきて「ショウあれフライパンで焼いてからパンにはさんで食べても美味しいね」といった。
もう試したようだ「本当はニシンでやっても美味しいそうだけど試した事が無いんだ」と言うと「今度やってみるよ。オランダやデンマークではニシンを食べるので市場には入ってくる事もあるんだよ」と教えてくれた。

「豚肉を同じように煮てからフライパンで炒めると美味しいと横浜のシーヌの調理人が教えてくれたけど色々香辛料を入れるらしいよ」

「へぇ〜、シーヌのコックに知り合いがいるから今度教えて貰おうかね」
でてきた親父さんも話しに加わった、親父は地中海料理だと言いながら何でもやるのだ。

村田や西園寺が少しだけ手をつけただけなのに前田は1人で殆どを食べて「これも良いですか」と言うと皿ごと自分のほうに引き寄せた。

2人の愉快そうな顔を見て「いゃ、お2人が遠慮されいてる間にこんなに頂いてしまいました」というには皆で笑うしかなかった。

前田は鮫島が岩倉の許しを得て総額8871フランにその分の利をつけて支払ってもらえる事になり、肩の荷が降りたと正太郎に話していて、此の頃は通訳を頼む者が増えて収入も安定していた。

正太郎が観劇の打ち合わせに公使館を訪れた時に伊藤も同席していて、モンブラン伯爵からの請求書を大久保の扱いで岩倉卿が支払いを承認したがと、その請求書を正太郎に見せて意見を聞かせてくれといった。

「私が聞いている横浜、マルセイユは1等でも2400フランでした、4004フランは大分高い気がします。誰か2等かもしくは3等で連れてきたのでしょうか」

「そうだろう。マルセイユからパリは1等で140フランのはずだ計算が合わん、いい物を食べさせたにしても納得は出来んが争うのも恥だと大久保様が言うのだ。前田君は当時モンブラン伯爵に全て任せておりましたので記録をとっておりませんと言うのだ。前貸し金4675フランは本人も認めたので仕方ないとしても業腹だ。おまけに年6パーセントの利まで請求してきた。パリの留学生が1月最大で140フランでやっている中を、モンブランめ足元を見おって」

普段温厚な鮫島が珍しく憤っているのを見て正太郎はモンブランが薩摩藩から甘い汁の吸い収めと取れるものは取って置こうとした様だと感じた。

「ショウ、前田には言わんでくれ。先のある者だ。かれの勉学の邪魔になる」

「はい承知しました。前田さんは植物に興味があるようでル・ジャルダン・デ・プラントでは有名だそうです」

「そうか、留学が終われば伊藤さん彼もわが国の農業の一翼を担う男になるでしょうな」

「そうかもしれませんな。期待しましょう」
そんな話も3人だけの秘密となった。

Loodの前で前田と別れ、3人でオテル・ダルブへ向かった。

「村田様、例の下宿は20日から内装を工事しますから月末には入れます」

「そうか其れは助かるな。Mlle.アルベルティーニの授業も其処で受けられるなら来て貰うのも彼女の家に通うのも楽になる」
Mlle.アルベルティーニはヴィラ・サン‐ミシェル14番地というからモンマルトル墓地の北側だ、下宿屋まで歩いても30分くらいだろう。

正太郎は自分の荷物をクロークから受け取り村田、西園寺に別れてメゾンデマダムDDへ戻った。Momoが荷物を整理して洗濯屋へ出すものと出さなくて良いものにわけアルコールで拭き風通しの良い所へ干してくれた。

サラ・リリアーヌとマリー・アリーヌがメゾンデマダムDDへ戻るまで時間が有るので正太郎は事務所へ向かいM.アンドレと4人でマダム・コメットが引っ越した後管理をしてくれているサラ・リリアーヌの両親に会いに行った。

2人とまだ細かい契約をする間がなかったのでM.アンドレが作った書類を見てもらい二人のマドモアゼルを証人としてそれぞれがサインをした。

「ショウ、明日からM.ギャバンが仕事に入るそうです。何か追加する工事はありますか」

「いえ、特別な事はありません。ジャポンのものは風呂が好きなのでその設備さえきちんとできれば問題は有りません」

二棟のうち南側の1階に玄関に続く応接間と暖炉のあるティールーム、北側の棟に15人は入れる食堂、其処には内玄関があり木戸からオルデネール街へ出られるのだ、今はオスマンによって広くなったとおりだがこの家が建てられた当時は庭が広く有って其処を削られてしまい可笑しな造りと為ったようだ。

ラ・キュイジンヌは大きくその続きに執事のいた部屋とお風呂にトワレットゥがあるので其処にサラ・リリアーヌ・ルモワーヌの両親ミシェル・ダヴィドとジェイド・マティルドの夫婦に住んでもらうことにした。
執事室は内玄関とつながり出入りはそこでチェックできるようになっていた。

2人はダヴとマーテと呼ぶように正太郎に頼んだ、長年やってきたサラマンジュでそう呼ばれていたのでという事なので正太郎をショウと呼ぶと言うことで了承した。

2階は応接間の上に上がる広い階段から廻り廊下に奥へつながり屋根裏に上がる階段脇にドアをつけて下宿と仕切ることにした。

2階のその部分はマダム・コメットの住まいだったのでそのままサラ・リリアーヌ・ルモワーヌの住まいに好きに使わせる事にした。

条件は120フランの家賃を二親が働く賃金との相殺と言うことになり親子は大喜びだ、支配人の給与は時間も不規則なため夫婦で260フランと決め娘の家賃を引いて手取りは140フランになる衣食住の心配が無い賃金としてはいい給与でしょうと誰もが得心してくれた。

「それなら今の家賃分をお小遣いに出来るわね」

「そんな、ご両親のお小遣いに上げるのが本当じゃないの」

エーッとサラ・リリアーヌは不満そうだがM.アンドレにも言われて「皆さんが言うから」というと「いいよ、気にするな買いたいものはお前にねだるから」といわれ「その方がお金掛かりそうじゃない」と笑い出した。

此方の棟はその上は屋根裏部屋で物置になっていた。
M.アンドレがM.ギャバンと掃除して使えるものと捨てるものを整理するそうだ。

「机や家具は磨いて使えるものは事務所の上に運ぶか下宿人の部屋へ置いておこうよ」

「判りました。絵も大分ありましたよ」

「其れは誰か探して綺麗にしてもらって部屋に飾ろうよ」

「そうですね。風景と花の絵が多いですが人物はどうします」

「それはまとめて誰を描いたか調べてからにすればいいさ」

そうしますと決まり制服をメイドと共に支配人夫婦にも支給する事も取り決めた。
下宿に使えるのは木戸から入るうち玄関の脇にある階段から2階へ上がり階段はマダムのいた部屋へつながっている。

執事室の上がメイド用の2部屋とトワレットゥに風呂場、ラ・キュイジンヌの上に新しく大きめの風呂場とトワレットゥを新設し、食堂の上が2部屋あり其処へ村田と川路に入ってもらうつもりだ。

Mlle.シャレットにMlle.ベルモンドが入るのは3階で5部屋の内メイド用のトワレットゥ、風呂場の上を同じに作り変えるのだ。
4部屋のうち二部屋は空き部屋で女性を入れることにしていた。

此処にも屋根裏部屋がありM.アンドレは此処にメイドを入れれば二部屋を余分に貸せると言うのを正太郎が押しとどめて画家のアトリエにでも貸せばいいから開けておきましょうと掃除だけすることにした。

メイドはルモワーヌ夫婦が探す事にし給与はメイドとしては破格の部屋食事付65フランで探す事にした、交互に調節して週一度は休みを取れるようにしてその日も働きたいものはM.アンドレが仕事を手伝わせる事にした。

「事務所のビルの掃除は人が決まったの」

「ええ毎日来て上から下まで綺麗にしてくれています。日払いですがよくやっています」
街の工場では汚れ仕事をする人は2フラン50サンチームが相場だそうだが正太郎は賃金を弾む代わりに建物自体を清潔に綺麗に保つ事を条件に雇った、掃除婦に3フランは中々払ってもらえないのだ。

メゾンデマダムDDの食事時間が近づきM.アンドレと分かれて3人はメゾンデマダムDDに戻りクストーさんの料理を楽しみお茶の時間には、正太郎にフィガロの舞台の様子を話させて、伯爵夫人の衣装や伯爵の衣装も昔と違ってきたことを議論しだした。

ベティに根掘り葉掘り聞いただろうに女たちの興味は尽きないようだ。


Paris1873年2月20日 Thursday

朝のシュレーヌは風が強く小雪が混ざっていた。

アリサと正太郎は別荘からセーブルへ向かい、セーブルブルーのタッセ・ア・テ・スクープを5客買い入れた。

この間エメに買ってあげたものと似ているが此方は高級品だ。
アリサが昨年から予約した物がようやく手に入る事になったと連絡が来たのは一昨日、昨日の夕方にシャンゼリゼで落ち合い馬車を拾ってシュレーヌの別荘へきていたのだ。

セーブルの指定販売所で1000フランは正太郎が出してアリサへの贈り物とした。
正太郎はまだ廻るところがあるからと、ぐずるアリサを馬車に乗せて送り出すと一人で街の中を歩いた。

先月、正太郎が頼んでいた物を集めてくれている店を訪ねるためだ、絵皿に描かれたガラス工場、大工、職人についての説明を受け飾られていた40センチほどの純白のビスキュイ婦人像も譲って貰った。

12枚の絵皿とその像に金貨で1600フランを払うとフランス郵船へShiyoo Maedaの名で届けてもらう事にした、先生に半分の皿を送り残りは寅吉宛で送り出すので皿は二つに別けて貰った。

店を出るとアリサが立っているのに出会って驚く正太郎に「お久しぶり」とおどけて言うアリサに笑いながら「お元気でしたか」と返す正太郎だ。

「もう何をしに別れたかと思えば買い物なら私を追い払わなくてもいいでしょ。それとも誰かとこれから会うの」

「いや後は製陶所の隣の美術館による予定だよ」

「それなら1人じゃなくてもいいのに」

「他の人と一緒だと自分の見たい物の場所で立ち止まっているのも気を使うから」

「ふん、どうせ私はロシアの田舎者よ」

「はは、そんなに拗ねなくてもいいじゃないか」

正太郎はラッコの外套を羽織ったアリサを抱き寄せてキスをした。

「もう、こんなところで恥かしいことしないでよ」

自分でも正太郎を引き寄せておいてそんなことを言うアリサだ。

「何を買ったの」

「ジャポンの先生と会長への贈り物の絵皿だよ」

「パリの販売所では買えないの」

「売ってはいるけど高いのさ。此処へ頼むと時間は掛かるけど20パーセント以上は安く買えるんだ」

「沢山買うことは出来るの」

「無理のようだよ。馬車はどうしたの」

「お昼までどこかで時間をつぶして橋の袂で待つように言って置いたわ」

「しょうがないわがまま娘だな」

「いやになった」

「為らないから困るんだよ」

ふんと鼻を鳴らして甘えて肩を寄せて腕を絡ませてきた。

「道が滑るから危ないよ」

「いやね、私を何処の生まれだと思うの。雪や氷に驚く事など赤ん坊の頃から無いのよ」

「お嬢様、其れは御見それいたしました」

「よろしい。それで美術館に何があるの」

「行けば判るよ」

2人はじゃれあいながら陶磁器製作所の隣の美術館へ向かった、此処は元ポンパドール夫人の館だった、個人でこれだけの物を作らせる財力のすごさにいまさらながら驚きを隠せないのだ。
2階への階段には様々な絵と共に絵皿が掛かっていた。

「こういうものを買ったの」

「そうだよ、裏の製作所で作られた物は君のように中々手に入らないけど偽者というより一度売られたけど手放す人のを集める業者も有るし、余り上手では無い作品は安く手に入るんだよ」

小声で話しながら展示室に入ると3メートルはあるかと思える大きなつぼが飾られいた。

1760年代の壷や庭師の花の花束と題された飾り皿もあり正太郎が目当てのポンパドールピンクの壷があった。
大きさは90センチ近くそれと対のようにセーブルブルーの壷も展示されていた。

「買うにはひと財産掛かるような値段でしょうね」

「そうだね。これが欲しくて製作場を作らせたそうだからね。その分元を取ろうとすれば1万フランは貰おうと思っても不思議じゃないよ」

「商売上手な王様と王妃がいた時代ですものね」

小さなDeux pichetsの繊細な線描には心がときめいた、デルフト焼き(オランド)の工場1690年としてあった。

「他の国の物もあるのね」

「その様だよイタリーのステル・ドゥランテ(イタリアCastel-durante)ベルギーのアンヴェール(Anversアントワープ)オランドのデルフト(オランダDelft)とエスパーニャのアルコラ(スペインAlcora)としてあるよ」

室内を廻りまたピンクの壷に戻った正太郎は暫くアリサを忘れたように周りを廻っていた何度目かに壷の向こうの正太郎を見るアリサの眼に気が付いた。

優しく子供を見るように微笑んでいるアリサは普段と違いまるでポンパドール夫人が現代に現れた様にさえ見えた。

「アリサ、君の髪の色がブリュネットならポンパドゥール侯爵夫人みたいだよ」

「まぁショウはお上手も言うのね。私はあの人ほど知性も美貌も持ち合わせていないわ。30近い年齢での肖像画であれですもの、私と同じ位の時はどのくらい光り輝いていたことか判らなくてよ」

そうだろうかと正太郎は思ったが其処までは言わずにアリサの手を取って美術館を後にした。

「あらもういいの」

「馬車の時間だよ。此処はまた来られるし、鮫島様が昨日戻られたから公館へ行くのさ。モンソー公園まで廻ってもらえるかな」

「良いわよ。もう1台頼むのは無駄ですものね」

結局アリサに押し切られた形の半日だった。

馬車はポン・セーブルでセーヌを超えてポン・オートゥイユの手前を左へ道をとりそのままアルマ橋まで行くとアリサが馬車を止めた。
ディーボルトによるアルジェリア歩兵と擲弾兵、アルノーによる猟兵と砲兵の像を見たいと冷たい風の中窓を開けて橋を往復させた。

橋を戻るとモンテーニュ街へ入りシャンゼリゼを横切って左側の道を進んでオスマン大街も横切るとその先はラ・レーヌ・オルタンス街へ行き着く、左へ曲がれば公使館が見える、その公使館の角で馬車から降りてアリサと別れた。

「ご苦労様でした」

「やぁ、ブリュッセルはパリより寒いよ。使節団一同は大変だ。ベルリンへ入る頃は暖かくなっていればいいが。わしもその時期には行かなければ困るしな」

「やはり1人で掛け持ちは忙しすぎますよ。体を大事にしていただきませんと」

「しかし予算が無いのさ」

イギリスは寺島が来てどうやら収まったがまだパークスがごねていると言う話も伝わってきていた。

「それで新しい公使館は決まりそうですか」

「まだだ、長田君が探しているが中々条件にあう場所が無い。やはり角地で無いと目立たんからね、それと公使館の人員も増えてきたからね」

正太郎はセーブルの飾り皿が無事に買えた事の報告と礼を言って公使館を後にして事務所に戻り今日の領収書を渡して個人からの出費とした。

「2600フランですか。大変ですね」

「仕方ない出費さ。恩になっている人へのプレゼントだからね」

正太郎はアリサのことは言わずにそれも横浜へ行く物のように話しておいた。

「今月は大分横浜へ荷物を送るようになりますね」

「そうだね。セーブルにバイシクレッテ、シャンパン。後はボルドーからワインが出るのとまだ何かあったっけ」

「ショウ、プペ・アン・ヴィスキュイを届けて有りますよ。今月の便で送るのでしょ」

「そうだ前月も送り出したから取り紛れて忘れていたよ。事務所も大分片付いたね、また買うかな。其れで衣装とマヌカンは来たの」

「まだ着いていませんがそろそろ来てもいい頃ですね」

マヌカンは最初のは5体仕舞ってあり3体は此処と下の1階と2階に貸し出し、2体は売って新しい物から6体とメゾン・ユレのプペ・アン・ヴィスキュイの40体を横浜へ送るのだ。

「そうか25日の約束だから出来ればそれも積み込みたいしね」

正太郎は馬車屋へ行くとフォーブル・サン・トノーレ街の陶器屋へ向かわせて5客のタッセ・デ・カフェ(tasse du cafeコーヒーカップ)を200フランで買い入れてフランス郵船へ出向いて荷に追加してもらい、セーブルからも荷が着くはずと頼んでおいた。

時間は7時になり半月の月は雲間に見え隠れしていた。
珍しく正太郎は1人でサントトリニテ教会の脇を抜けて宵のビガール街を歩いた。

ポリスの笛の音が街に響くと通りにいた女は一斉に姿を消したが、ポリスの足音も響かずただ静まり返った街に正太郎の足音が響くばかりだ。

ゴヤの前でいきなり後ろから声が掛かり振り向くとクリスと川路が何処から現れたか後ろに立っていた。

「ショウ、どこかへ出かけていたのか」

「フランス郵船へ荷物の確認に行きましたが何か起きましたか」

「此処のところ2人東洋人が殺された。2人ともシーヌのようだが。気をつけて歩いてくれ」

「判りました、この近くですか」

「死体が見つかったのはパッシー墓地とトロカデロだがこのあたりの宿に最近居たらしいと言うので探索中だ。何処へ行くのだね」

「ルピック街12番地の友人宅です」

「アアあそこか」

「マサーノは知っているのか」

「酒屋ですよ、マガザン・デュ・ヴァン・デ・クリストフ・ジュリアン・ドゥダルターニュ」

川路はクリスと通じ合うほどにはフランス語を話し出していた。

「ああ、あの酒屋か気をつけて行きなさい。まだ宵の口だがこの辺は何が有るか判らないからね」

2人に別れてジュリアンの店へ着いてその話をしながらカフェをご馳走してもらった。
其処へ先ほど別れたばかりの二人が尋ねて来た。

「ショウ。Chen fanruo(チェン・ファンルォ)という男に心当たりはあるかな」

メモを見て言いにくそうに名前を読み上げた。

「有りますが。去年日本へ行きましたが」

「サムディの15日にパリへ着いたそうだ、オテルではそう言って2人で宿泊したそうだ。何でも金を稼ぎに行くと出かけたままだそうだ。医者の話ではディマンシュの夜から翌朝までに亡くなっていると言う話だ。死体が見つかったのはランディの夕方だ。其れで本人かどうか確認して欲しい。死体には身元を示すものは何も無いそうだ」

ジュリアン夫妻に気をつけて風邪をひくなよと送り出されて二人と馬車でオルフェヴル河岸まで出向いて死体と対面した。

ひとりは確かにチェン・ファンルォに間違いなくもうひとりは見覚えが無いと言うと「ショウ、もしかすると日本人かもしれんぞ、その足を見ろ指が親指と次の指が離れているだろう。これは草履や下駄を履いていた証拠じゃないかな」

「アッ」

「知っているのか」

思わず日本語になった川路に山城屋の手代ですとつげた。

「何を言った。知っている顔なんだな」

クリスが言うと後ろにすいと下がった川路が首を振った。

「今M.カワジが日本人ではないかといわれたので思わず声がでましたが、見知らぬ男です。ジャポンらしい顔立ちと指の様子ですが」

「そうか、日本人らしいか。シニアとジャポンか身元はわからないか。そのチェンは何をしていたのだ」

「通訳と酒の仕入れをしていたようですが僕に一緒に働かないかと誘われましたが断りました。1回アプロディータの館で働いた時にお客で来ました。その後Mr.ラムレイという方に雇われた時にカジノへ一緒に、その次の日にマルセイユへ発たれて其れきりです」

「アプロディータの館というとお偉方も出入りする場所か厄介だな。誰かに恨まれているという話は聞かないか」

「いえ僕にまで声をかけてくれる人でしたから親切な人に思えましたし。敵がいるようには思えませんでした」

他のアンスペクタも帰ってきたが他に手がかりは無いようだった。

「ショウ、夕飯は食べたのか」

「食べ損ないました。どこかで食べて帰りますよ。もう良いですかね」

「何か思い出したら頼む。シニアに、ジャポンかもしれない名前がわからない男か。まいったな」

「ああ、そうだ」

「思い出したか」

「そうでなく、チェン・ファンルォの名前と、どうして僕が繋がるのかです」

「メモに42, Rue Saules姜寿となっていて、聞き合わせたらヂアン・ショウと読むと判って君の遊びの時の名前だと判明したのさ」

「住所がわかっていたのになぜ僕のところに来なかったんでしょうね」

「その暇もなかったんじゃないか。土曜日にオテルへ着いて日曜の朝出たきりだそうだからな。せめてマルセイユとカレーにル・アーヴルでわかればいいが。明日朝一番で問い合わせて夕方かなその3つで船を降りていないと厄介だな」

M.ボネはもう帰りますか」

「アアそうするよ。マサーノも帰りなよ。疲れているだろうが朝9時にはでてくれないか」

「判りました。オ・ルヴォワール・クリス」

「オ・ルヴォワール・マサーノ」

二人でオルフェヴル河岸に出た頃、署内では「あのふたり、顔に見覚えがあるのを隠したみたいだ」とクリスがM.デュクロに報告していた。

「そうか顔に見覚えがあると言うことからも、君はショウは犯人じゃないと思うかね」

「その様です。あの驚き方は最初何処であったか判らない顔から、思い出した顔に変わりました。マサーノが言うなと合図でもしたかもしれません。日本人に間違いなさそうですね。確かにヤマシとか聞こえましたが」

「なら放っておくさ、前にニコラが調べていたろ、あの金をぶりまいていた男がヤマシローとかいう男だろ。身元が判明して連絡先がわからなければ死亡を広告して終わりだな。何処へ金をせびりに行ったにせよ、まともな所じゃないのだろう」

「ああ、あの金を湯水のように使って遊び歩いていた男ですか。それなら国の恥とでも考えて隠したのかもしれませんね。そんなことしないほうが楽でいいのですがね」

「彼らには彼らの事情もあるのだろうさ」

そんな話を交わしているとは知らない二人はサン・ミシェル橋を渡ってオテル・エスメラルダへ向かって歩いていた。

「ショウどこかで飯を食うか、この時間じゃホテルの食堂も仕舞っているからどこかで食べる積もりだったんだが」 

「ではこの間開店したキャバレーのオ・ラ・クワイ・アドールに行きませんか」

「近いのか」

「500メートルもありませんよ」

「では其処へ行こう。食事だけならそれほど掛かるまい」

「そうですね、シャンペンでも頼めば大分掛かりますがカルバドスくらいでやめるなら大して掛かりませんよ」

店は今日も混み合っていたが、奥まったところの席に案内された。
正太郎は給仕に2フランを渡して川路の食べられるものを聞いて注文を出し「先にヴァン・ショーを出して料理が出たらカルバドスを出してください」と頼んだ。

マキシムが来て毎日忙しくて臨時の中からセルヴァーズを3人選んで2階を受け持たせないと間に合わないと話していった。

「賑やかな店だな。ショウ俺が黙っていろと合図したのは良くなかったかもしれんな」

「そう思われますか」

「ああ、どうやらクリスは感ずいたようだが。あの刺し傷は剣の達人のようだ」

「もしかして使節団の関係者か留学生にでも」

「あれだけの腕は使節団でも山田顕義さんか内海か、わしや村田さんではあの突きはできんな。剣を携えている人はいないがイギリスで買ったステッキに仕込まれた剣を自慢していたのは何人もいたからな」

「でも面識は無いでしょう」

「内海なら有るかもしれんぞ、手代だというたろう」

「アアそれで」

「そうだ、山田さんが其れをやることはあるまいが、あれならそういうこともあるかもしれんよ」

「ではもう調べても無駄ですね、相手は国外ですし証拠も出ないでしょうね」

オムレットにジャガイモを焼いたものとソーセージを炒めたものにヴェルミセルとベーコンを刻み込んだものがでてカルバドスで陽気になった川路は、もう山城屋のことは忘れたように、今さら厄介なだけだとぼやきながら食事を詰め込んだ。

「明日俺からクリスにショウが思い出したと言っておくよ。日本の商人の山城屋の手代で去年パリに来ていた奴だとね」

川路は馬車の中で正太郎にいってオテル・エスメラルダで降り、正太郎はMomoが起きていればいいがと思いながらメゾンデマダムDDへ戻った。

馬車の音でMomoがドアを開けてくれて中へ入るとニコラが起きていてどうしたと聞いてきた。
ジュリアンが来てチェン・ファンルォのことを話していったそうだ。

経緯を話して明日川路から報告する事になったと話すと「其れがいいよ。後で思い出したと言うことで報告さえ出ていれば済むことだ、隠してもわかるものは判るからな」といって「明日一番にジュリアンにも話しておくことだな」と部屋へ戻っていった。

翌朝も小雪が混じり道は歩きにくく事務所で打ち合わせをした後M.ギャバンの仕事を見にいった。
メゾン・デ・ラ・コメットはダブとマーテの夫婦によって仕事の終わった部屋は何時でも入れるように整理が行き届いていた。

「何時もながらいい仕事だね」

M.ショウは忙しいようだね」

「そうだったけど、やっと手がすいて暫くは暇になりそうだよ。何時ごろまでに此処は片がつくの」

「またどこか仕事があるのかい」

「今はまだ考えているだけさ。決まったら連絡しますよ」

M.ショウの仕事なら優先的にやらせて貰うよ。何時でも声をかけてくんな」
仕事の邪魔に為らないようにサラ・リリアーヌの部屋になる場所と屋根裏を見に行く事にした。

「マーテ、此処は良い部屋だね。早くサラにお婿さんでも見つけてあげるようだね」

「あの娘仕事が楽しくて今はそれどころじゃないなんていうのよ」

「そうなんだ。あんなに美人で気立てもいいのに彼氏がいないはずは無いと思うけどね」

「いて呉れればいいんですけどね。自立心が強い娘だから。男が寄り付かないのかしら」

「仕事柄男の人に会う機会が少ないですものね」
Mereは子供の事が心配のようでショウにまでいい人がいたら付き合うように勧めてくれと頼んだ。

オムニバスでルピック街の下まで行くと雪はやんで雨混じりの氷雨に変わっていた。

「やぁ、どうだった」

「やっぱりチェン・ファンルォだったよ。もう1人はヤマシローの使っていたジャポンだった」

「それで」

「パッシー墓地とトロカデロでと言うのは昨晩聞いただろうけど刺し傷は1ヶ所それも心臓を正確に突いていたよ」

「フェンシングの名人にでもやられたか」

「川路様はジャポンだろうといっていたよ。何でもあのような突き業を得意とするエコール(学校・流派)があるそうなんだ」

「ふむ、ショウはカタナが使えるか」

「僕は使い方を習った事が無いから振り回すくらいだよ」

「なら疑われる事も無いな」

「そう願いたいね。しかし15日にパリへ戻ったという話しだからマルセイユだと13日くらいの船だろうと思うけど調べがつけばいいけどね。僕のメゾンデマダムDDの住所とヂアン・ショウのシーヌの字で書かれたメモがあったそうだけど他には何も身元がわかるものが置いてなかったそうなんだ。旅券や何かはどうしたんだろう」

「そいつはオルフェヴル河岸に任せておけば良いさ」
正太郎も其れしかないかと思いチェン・ファンルォと名前の知らない男の冥福を祈った。


 
 2008−06−07 了
 阿井一矢


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 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一 La maison de la cave du vin
 其の十二 Moulin de la Galette
 其の十三 Special Express Bordeaux
 其の十四  La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六 Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七 Le Petit Trianon
 其の十八 Ca chante a Paname

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