幻想明治
 其の四 明治18年 − 弐 阿井一矢
汐汲坂

   

 根岸寅吉 (根岸虎太郎)

1911年 明治44年4月18日生まれ(天保14年1843年)

横浜市末吉町5丁目54番地に生まれる。

 根岸 容 

弘化5年1月5日(1848年2月9日)生まれ

江戸深川冬木町に生まれる。 

 根岸明子 

明治元年12月10日生まれ(1869年1月22日)

久良岐郡野毛町三丁目に生まれる。

 佐伯 琴 (根岸 幸) 

1920年 大正9年9月9日生まれ(嘉永5年1852年)

横浜市末吉町5丁目54番地に生まれる。

 根岸了介 

1877年 明治10年11月7日生まれと届出

神奈川県久良岐郡横浜町末吉町5丁目54番地に生まれると届出。

(神奈川県第1大区4小区)

(明治10年5月5日山手220番生まれ)

 根岸光子 

1885年 明治18年5月31日生まれ


明治18年(1885年)4月4日土曜日

正太郎から陸奥がパリ入りしたと報告があって2週間、ベルリンへ向けてまもなく出立予定の日が近づいて来た。
清国との交渉もわが国有利で進んでいると情報が入って来た、一度北京入りした伊藤大使一行は1日に天津に戻り李鴻章との談判に入っていた。

横浜ではいよいよ新式水道の工事が始まる準備が整い顧問土木技師はパーマー、工費予算総額110万4700円。
送水路は相模川水源地から野毛山貯水池にいたる30.58マイル、用水取入口は相模川左岸の津久井郡三井村字川井で相模川の支流道志川だ。

了介の入学式も済み6日から汐汲坂の元街小学校へ通うことになった。
山手256・7番にパブリック・ホールと名前が決まっているヘクトたちが建築中の建物はほぼ完成し18日が開場式だ。

「旦那洋銀相場はまだ安定しませんね」

「伊藤さんたちが有利な条件で交渉を締結して帰らなければまだまだ不安なのさ。今月戻ってきても相場が収まるのは遅ければ7月、其のころまでには紙幣の価値も安定して来るだろうさ」
寅吉は洋銀相場に手出しは危ないと昔から手を出さないのだが一攫千金を狙う弗屋は南仲通へ集まっていた。

雛と明子は午後3時10分発でロスリンデイル・ヴィレッジから南駅へでて6時の待ち合わせ時間までクインジー・マーケットで時間を潰した。

「お店を見て回って買い物をしないなんてなんだか申し訳ない気がするわ」

「ヒナは目的がないと洋服屋へ行ったりしないの」

「そうよ。だって何を買うか決めていくほうが気も楽ですもの。アキコの様に買う気がないのにぶらぶら覘いて歩く勇気がないの」
明日はイースターでジャパンからの球根から咲かされたらしいイースターリリーが数多く飾られた店や其れを売る花屋で賑わっている中を抜けて2人はマーケットを出ると港に出てパーチェスストリートの喧騒に添って南駅に戻ると大きなNY & NERの南駅と小ぶりのOCRの南駅を右に見ながらサウスベイの入り江を歩いた。

「アキコあそこがもうハイスクールよ。戻らないと遅れるわ」

「ほんとね。ワシントンストリートでグローブ座へ出ましょうね」
ハイスクールとヨシカたちのアパートメントの間はサウスベイが間にあるが此処も何時の日か埋め立てられてしまいそうだアキコは入り江になっている港を歩きながらヒナとその事を話し合った。

「横浜と同じで人が増えれば何処でもそういう事態が来るんでしょうね」
一つ目沼が埋め立てられていく様子を見ながら育った二人は此処も同じなんだろうと思うのだった。
現実にバックベイは殆ど埋め立てられ人家が増えてきているのだ、北へ向かって通りを歩きグローブ座の前に来た時は約束の時間に15分の余裕があった。
5分も待たずに黒い髪をなびかせたミーナと金髪のジーンがやってきて夕陽がハーバードの上に落ちていく中をオクスフォードストリートに有るバンビーノという店へ向かった。
イタリア系の人たちはこの地区からノースエンドへ移りだしてチャイナの移民の人が増えてきたとジーンが説明したが本当に行き交う人も東洋系の顔立ちが多い地区だ。

ビーフカルパッチョ(Beef Carpaccio)から始まりバターナットスクウォッシュ・ポタージュ(Butternut squash soup)がお腹を温めてくれた。
明子たちが目を見張る幅が広いパッパルデッレ(Pappardelle・幅広パスタ)のミートソースにパンプキンパイ(Pumpkin Pie)という食事はアキコとヒナには多すぎるくらいだったがやせ気味のミーナでさえすこし物足りないわねとジーンというには呆れてしまうのだった。
それでもあまり食べ過ぎてまぶたが重くなると困るかもとやめてくれてほっとする2人だ。

グローブ座に着くとジリヤール夫妻が約束の7時40分ぴったりに現れミーナが2人を紹介してくれた。
ジリヤール夫妻は親切な様子で遠来の2人を温かく包み込んでくれ、ミーナがママGMamma GLillian Gilliland)と呼ぶ婦人が「今晩の招待を受けてくださって嬉しいわ。泊まってくださるそうでお食事と思いましたがミーナが先に済ませて来ると言っていたので軽いアソルティマン・ド・デセールなどでお茶にしましょうね」ケーキのワゴンといわずにパリ風に言うところは教養も豊かの人のようだ。 

ヒナとタマの合同パーテーィの時ミーナが「私の父親の事業のお仲間のジリヤール(Ezra Gilliland)家でグローブ座が跳ねた後泊まりに来るように誘われていますの。アキコにヒナもお誘いしてよろしいですか」とパムに聞いた。

「その方もしかして、エジソン電子ペン(Edison's electric pen)やダイヤル電信器(Dial telegraph instrument Gilliland Telephone Manufacturing Company)で有名なジリヤールさんかしら」 

「ええそのジリヤールさんです。昨晩お会いした時に同じ日にグローブ座に席を取ったので帰りに家によって泊まるように誘われましたの。父とは様々な投資で歩調を合わせておられます。特にエジソンエレクトリック社(Edison Electric Light Company)とは密接な関係ですわ。其れとジャパンからのお友達と話したらフィラメントの事でジャパンのバンブーに興味を示されましたわ」

「あらミーナもうエジソン社では沢山のバンブーをジャパンから買われていますのに」
アキコはその事をなぜまた聞きたいと言い出したのか不思議に思った。

「そうなのアキコ。私詳しい事はわからないのよ。それならなおさらアキコに来ていただかないと」
ミーナはどうでも2人をジリヤール家へ連れて行くつもりだ。

ドアの音が舞台裏から響き幕が降りて芝居は終わりを告げた、アンコールに応えて出演者一同は幕が引き上げられると演出者のマイク・サンダースを真ん中に挨拶をした。
ヘレナモジェスカの出来はすばらしくアルフォードのヘルメル役の出来もまずまずに思えた、自立する女性へと変身したノラはこの後どうなるのか4人は舞台がはねた後表に出るまでもなく議論を始めていた。
正面玄関ではジリヤール夫妻が4人を待ち受けていて呼ばれた3台の馬車を連ねてビーコンヒルへ向かった。

馬車はコモンを反時計回りに半周し州会議事堂を過ぎて右へ曲がり緩やかな坂を登りすこし欠けた月の下を進んだ。
明子の馬車に乗ったジーンがこの道はジョイストリートだと教えてくれた。
夫妻が先に馬車から降りて馭者に何事かを言いつけていたが通りに面した玄関が中から開かれ夫妻の案内で4人は広間へ通された。
部屋には大きな花瓶に何十本という数の百合の花が活けられていて聖土曜日に相応しい雰囲気に包まれていた。

3人のメイドがお茶の支度やケーキのワゴンを運びいれミーナは夫人に言われてピアノの前に座って弾き始めた。
そのピアノはハープが上についた不思議な形でアキコとヒナだけでなくジーンにも初めての形だそうだ、その脇にもレッド・サンドゥルウッド(紅木紫檀)のスタインウェイ・アンド・サンズのピアノが置かれていた。
ピアノ型ハープとでもいうのだろうか春の夜にふさわしい柔らかな調べが室内に溢れた。

「アキコはハープを弾けるの」

「ツィターなら学校で習いましたが大きなものは扱った事がないのよ。でもこれならピアノが弾ければ出来るのかしら」

「そうね大丈夫よ、アキコはピアノが弾けるのね。ではこの曲もご存知なの」

「手ほどきくらいは習いましたのよ。ベートーベンのムーンライトと呼ばれている曲ね、楽譜がなくてもどうにか弾く事が出来る曲のひとつよ」

「そうこの曲は私の一番のお気に入り。其方のピアノで私に合わせてくださるかしら」

Beethoven's Moonlight SonataMondscheinsonate 
Klaviersonate Nr. 14 op. 27 Nr. 2 cis-moll Quasi una Fantasia

夫人がどうぞと勧めるのでミーナに断って指慣らしをして息を合わせて弾き出した。
演奏が終わりアキコを含め一同は素敵だったとミーナを褒め、ミーナもアキコの演奏につられて自分の実力以上の演奏が出来たわと謙遜した、夫人はアキコにとてもよい演奏ですわよ、良い先生についてミーナのように弾く事が出来れば何処の演奏会へ出ても直ぐ通用しますよとアキコの欠点を特に指摘はしなかったがその様に薦めた。

「とてもよいピアノですわ。私の力以上にベートーベンが活きますわ。スタインウェイは横浜で買い入れた人が有ってヨーロッパの物と違って大きな劇場でも通用する音色が素敵でした」
ハンナが新しいホール用にと昨年取り寄せたのを弾いた事があるようだ。
紫檀のビクトリア朝スタイルのつくりとアイボリー(象牙)の白鍵はピアノが高価なものだと言うことを表していた。

夫人は「10年前の結婚10周年に夫がプレゼントしてくれたのよ。其方のハープが付いているのは一昨年ウィーンへ行った時に見かけて買い入れたのよ。面白いでしょ」
そしてテーブルでお茶とケーキを楽しみながら今日の舞台の粗筋について6人で語らった。

ケーキもアキコが知っている中ではとても上品で美味しくその事を話題に乗せると「最近出来た新しい店で評判も良いのさ。後10日もするとイチゴが出てきてそいつは美味しいと店主が言っていたから期待できるよ」とミスタージリヤールが店の宣伝のような事を話した。

「ところでアキコはMr.プリュインと知り合いだそうだね」

「ハイそうです。私の父は若い頃横浜に来ていたMr.プリュインの紹介で貿易の仕事を始めたそうです」

「ではトラキチと言うのはアキコのファーザーなのかい」

「はいそうです。トラキチ・ネギシといいます」

「これはMr.プリュインからではなくスミス商会というイギリスの商社の社員から聞いた噂話だが昔ダイヤモンド鉱山の株でミリオンポンド稼いだと言うのは本当かね。いくらなんでもフォーミリオンダラーに相当すると言うのは大げさだろうと話したんだが」
どうやら明子たちがボストンに留学したと言うことがスミス商会にも伝わり寅吉の事が話題に上ったようだ。

「勿論ですわMr.ジリヤール。父の話ではあの当時4千ポンドの投資が8万ポンドになり一緒に資金を出したスミス商会の人たちと合わせて40万ポンドになったそうです。話しが中継の電信局からもれてインドで膨らんで100万ポンドになりいつの間にか一人で稼いだという風に噂されたそうです。現在は3社で20万ポンド分のアフリカ鉱山株式を所有していると聞いた事がありますがミリオンポンドは噂に過ぎませんわ」

「そうだろうな、しかしそれでも20万ポンドはすばらしい金額だね。今日は本当の事が聞けてよかったよ。きみのファーザーはアメリカに投資はしないのかね」

「シアトルに父の関係する会社数社で支店を出して居りますからそれ以外にもいくらかはしているのではないでしょうか。私も留学期間内に2000ドル程度は短期投資に使うつもりで余分に持ってきて居りますの」

「そうか、いまお勧めはマベルに、エジソンエレクトリック、メトロポリタンスチームシップ(The Metropolitan Steamship Company)というところかな」

「ボストンでは鉄道会社にストリートレールウェイ(Street railways)が増えていますが有望ではありませんか」

「鉄道は直ぐに儲けにつながらんしな、ストリートレールウェイは規模が小さすぎるよ。ボストンにある会社を幾つか統合しても資金の割りに配当が小さすぎるね。私はいまの馬の時代からエレクトリックモーターの時代が来てからで良いと思うよ。家庭にもエレクトリックが配線されれば電球の重要は際限無く伸びるよ」
この人も自分の父親と同じように遠い未来を夢見る人なんだとアキコは思い、この間パムが読んでいたダイムノベルにそういう話しがあったと思い出していた。

「私に任せるなら幾つかに分散して投資をしてあげるよ」
アキコは直感でこの人は信頼できると思い「では本日500ドル月曜日に学校の帰りに1500ドルお届けしますが何処へ届ければよろしいでしょう」と切り出した。
ジリヤール氏は吃驚した「こんな小娘と思っていたが父親のミリオンポンドの噂は伊達ではないのかもしれんて」と腹の底でうなった。

「私の事務所が良いだろう」とそこは大人の貫禄で北駅の先の事務所の地図と名刺を渡してくれた。
アキコは襟の後ろの糸をヒナに抜いてもらうとそこからベンジャミンを5枚出してもらった。
その様子を一同は興味深げに見守っていてアキコが差し出した100ドル札をMr.ジリヤールはランプにかざして眺めて「全て本物のベニーだ。驚いたよアキコ。良くこんな大金を普段持ち歩ける物だ」と驚きの表情を現した。

「今日500ドルと言うのは小切手でも書くのかと思ったよ」
そう言ってすぐ投資資金2000ドル内金500ドル仮領収書と書いて渡してくれた。

「あさってこれと引き換えに会社から正式の領収書を出すから大切にね」

「銀行でおろすお金は手形と現金どちらがよいでしょうか」

「銀行手形で良いですよ。銀行はどちらですか」

「フェデラル・ストリートのマサチューセッツ銀行です。では月曜日には午後の授業がないので2時頃までには事務所へお伺いいたします」
そして日本の竹についてという今日の本題の話しに自然と話題が移っていった。
この当時京から神戸を経て送り出された竹のフィラメントはさらに改良され連続2000時間を越える寿命を持つようになり、1日10時間で200日以上もの間部屋を明るくしてくれるようになっていた。

その後3月には暖かいフロリダで過ごしてきたこと、フォートマイヤースに土地と家を購入した事などを婦人が楽しそうに語りミーナを羨ましがらせた。

「対岸のウッドサイドパーク(Woodside Park Winthrop)に夏の別荘があるから4人も遊びにおいでなさいな」
夫人は7月にはいれば海も暖かくてヨットで遊ぶのも気持ちが良いわと誘ってくれた。
対岸と言ってもイーストボストンのさらに東、ウィンスロップの大西洋に面した岬の内側だそうで波も穏やかで初心者でも直ぐヨットを扱えるようになれると誘った。

「今年はトーマスも誘おうか」

「そうねお子さんたちも呼んであげれば良いでしょうね」

「エジソン君を紹介してあげられるよ」
明子と雛に向かってにこやかに話しを振った。

「エジソンエレクトリックのミスターエジソンですか」
ヒナは有名人に会えると言うことに興奮して尋ねた。

「そうだよ。彼は昨年奥さんを無くしてね。子供たちの世話をするのも大変なんだよ。あまり家庭的な男でもないしね」
夫人が新しい物を考え出すと顔も洗わずに何日も没頭するのでフケで大変なのよとミーナたちを笑わせた。

このときエジソン38才、メロンパークの家には3人の子が残されていた。

マリオンエステル    Marion Estelle   February 18, 1872
トーマスアルバ・ジュニアThomas Alva, Junior January 10, 1876
ウィリアムレスリー   William Leslie   October 26, 1878

その晩は遅くまで暖かい広間で楽しく過ごし客間に案内され1部屋2人ずつで泊めて貰った。

翌日は日曜日でイースター、朝8時半の朝食の約束に下へ降りると朝の挨拶と祈りの後、朝からこんなにというほど賑やかに盛られた食材の豪華さに驚く明子とヒナだった。

「ママG、幾らなんでもこれはいきすぎよ」
ミーナまでがそういうからには普段泊まってもこれほど豪華な朝食と言うことはないことなのだろう。

「やはりそう思う。実を言うとね昨日の夕食用に買い入れたのよ。その後あなた方が食事をしてくると言うことを聞いたのを思い出したの。それで今朝の食卓がこういうことになったのだけどもったいないから頑張って食べてね」
夫妻は笑いながら4人でもう駄目だというまで頑張ってもらわんとなと言ってスープを美味しそうに食べだした。

To be or not to be, that is the question
突然ヒナがハムレットのせりふを口に出した。

「やはり食べるほうが先でしょうね」
ジーンは言う事も現実的だ「それにするべきかどうかより、あなたは食べなければなりません(She must eat)のよ」と野菜サラダをたっぷりのソースをかけてもりもりと食べた。

ヒナは食べるべきか食べずに済ませるか其れが問題だといいたかったのだろうと明子は可笑しさをこらえながらいつも唐突な事をいうのはこの子はことわざやお芝居の台詞で言葉を覚えたからかしらと思い黙ってパンにバターをたっぷりと塗りママGが勧めるターキーの燻製にニシンを自分の皿に取り分けてもらった。
食卓の話題はママGが前に見たマダム・モジェスカの舞台へ移ったのはいまのハムレットの台詞からの連想だろう。

「オフィーリアはモジェスカの当たり役のひとつよ。でも悪者役のクローディアスはともかくハムレットまで息絶えるなんて。どうして昔の人は結末が大団円にならない話を喜ぶのかわからないわ。私が書くなら悪者だけが滅ぶ話にするのに」
なんだかんだと言いながら若い4人のいるせいか食事も賑やかに進み食卓もほぼ完食ということでママGは大満足だ。

「11時に馬車を頼んでありますから其れまでお付き合いくださいね」
Gはそう言って4人を書斎に誘い街の話題やマダム・モジェスカの事を色々と教えてくれた。

「私は又聞きなのですが彼女はポーランドで生まれて10年前に26才でアメリカへこられたそうなの、ポーランド語がわからない人たちとの集まりでポーランド語のアルファベットを朗読したそうなのよ。そのとき集まっていた人たちの多くは涙を流して聞いたそうなの。演技の力と言うのは言葉の壁を越えると言うことが証明されたと評判になったわ。その後の彼女はイギリスの言葉を完璧なまでに習得して今ではアメリカにとって大事な女優なのよ」

その後カミーラ(Camelias)役で地位を不動のものにした話しを自分自身がその舞台を見た時の感動を交えて4人に話しをした。

「ママGそのお話デュマのラ・ダム・オウ・カミーラのお話ですの」

「そうですわよ、ヒナは良くご存知ね。パリではサラ・ベルナールなどが有名よ。ヴェルディはイタリアでトラヴィアータというオペラに仕立て直したのよ」

1852年パリに滞在したヴェルディはデュマ・フィスの戯曲版『椿姫』の上演を見て感激。
ヴェネツィアのフェニーチェ劇場のために、1853年に作曲されトラヴィアータとして上演された。
その時の上演は失敗だったが翌年配役を変更して行われた再上演で激賞されるにいたった。
カミーラはヴァイオレッタなどと名前の変更も多い

デュマ・フィスのカミーラ(カメリア)夫人マルグリット・ゴーティエのモデルはマリー・デュプレシー(Marie Duplessisアルフォンシーヌ・プレシーAlphonsine Plessis)とされている、彼女は1847年23才でなくなりモンマルトル墓地に葬られた。
サラ・ベルナールは1880年にマルグリット・ゴーティエ役を演じている。

ジリヤール家で仕立ててくれた馬車に乗るとき「料金は此方で支払済みよ」とママGが言ってくれたが馬車を降りる時に明子はダイムを4枚チップに出した。

家の前でサムとジェニーが出迎えて呉れ陽だまりに置いた揺り椅子でパムは持っていたダイムノベルを閉じてどうだったと昨晩の舞台の様子を興味深げに聞き、ヒナが話すモジェスカの様子やその後のジリヤール家の不思議なピアノについて2人を促して話しをさせた。
充分満足したパムはまた本を取り上げたそうなそぶりなので明子は表題を覘きながら尋ねた。

「またフランク・リードなの」

「いいえ、今度はニューヨークの若い女性の話よ」
そういいながら表紙を明子が見える様に持ち替えた。

「レオニーロック・ザロマンス・オブアビューティフルニューヨークワーキングガール。随分とながい表題ね。それにローラ・ジーン・リビーという人は始めてかしら」

「そうだよ評判を聞いてぜひ読みたいと言っておいたのが漸く手に入ったのさ」
ダイムで買える手ごろな読み物はパムたちのお気に入りだ。

保安官ワイアットアープにリンゴキッド、ドクホリディの登場する実話物に空想小説のスチームマンの話しが大好きな一家だ。

「そういえばフランク・リードは書き手が替わっていたそうよ。Jr.が主人公になってスチームマンも変わっていたでしょ。どうやら随分と若い人が書いていると聞いたわよ」

6年ほど前からノーネーム(Noname)ながら16才のルイス・P・セナレンズ(Luis Philip Senarens)が起用されていたのだ。

「新しい話にElectric Manという新顔が出てるそうよ」
ヒナは学校で聞いたのだろうかそれとも読んだのだろうか。

1852年にフランスのアンリ・ジファールは蒸気機関をつけた飛行船の試験飛行に成功昨年にはシャルル・ルナールとAC・クレプスによる初の電動飛行がなされ、塩化クロム電池と9馬力電動モーターを使い、7.5qを23分間で飛んだ。
その事はフランク・リードJr.の話にも反映されてElectric airshipが登場していたのだ。

その話はどういうのというパムの問いに答えてヒナが聞いた話しを教えるように促したがオーストラリアへの遠征の話というくらいしか知らないようだ。
The electric man, or, Frank Reade, Jr. in Australiaという題名で3月に発表されたばかりだ学校で定期購読をしているものからでも聞いたのだろう。
イースターの一日は何事もなく過ぎていった。


明治18年(1885年)5月1日金曜日

昨晩は満月、朝の日の出は随分と早くなり4時50分には海面を輝かしく照らし西の空に丸い月が白く浮かんでいた。
明子は朝早く目が覚め庭に出ると新しく家族に加わったジョリーという母犬と5匹の子犬のいる納屋へ向かった。
新しい飼い主には馴染まないといわれていたがジョリー(Jolie)はお腹も大きいのに飼い主夫婦が海難事故で急死し、残された幼い子が親戚に引き取られる事になり犬までは無理だという話しをスーが18日の午後丘の家に持ち込んできたのだ。
パムが其れを聞いてアキコが犬好きだという話からこの家に引き取ろうかと家族会議を開いた。

「アキコとヒナが犬を飼って大丈夫だというなら良いだろう。この家から犬がいなくなって5年そろそろ新しい犬を飼う時期だ」
2人の息子はそうパムに言うので日曜日の朝パムはアキコにヒナの3人でその犬に会いに出かけた。

マッタパン(Mattapan)の入り江の奥に位置するリバーストリート(River St)のその家には子供たちと引き取りに来た親戚の女性がいて直ぐその後から荷物の整理と運び出す手伝いの男性が2人荷馬車でやってきた。

「助かりますわ。私の家は庭がないのでこの大きな犬を置く余裕がありませんの。兄の知り合いもすでに犬がいたりして中々引き取り手が無く困っておりましたの、彼らが子犬の産まれるまで餌をやりに来てくれる事になっており子供たちも離れるのは寂しがりますがあなた方が飼ってくださるなら訪ねさせてもよろしいでしょうか」

「勿論ですとも」

「其れと生まれる子犬ですが3頭までは子供たちの父犬に権利があるそうなんです。其れもご承知おきください、向こうへの連絡は私のほうでして置きます。たいてい4頭から6頭生まれるときかされて居ります」

「承知しましたわ。その方の連絡先とお名前だけでもお知らせください。私の家にテレホンが付きましたのでその番号はここに書いて置きます」
パムと夫人が話し合っている間に裏庭の犬のいる場所へアキコにヒナが案内され子供たちが「ジョリー」と呼ぶと真っ黒で大きな犬がのっそりと小屋から出てきた。
大きな犬には驚かないアキコにヒナもその大きさと黒い身体にたじろいだが囲いの外にヒナを残して3人で入ると座り込んだ明子の周りを回って匂いをかいでいたジョリーは大きな声で吠えたあと明子の身体に首筋を摺り寄せた。

「ビックリ」

「ホント」
姉妹はアキコになついたジョリーに驚いてしまったし吠えてもびくともしなかったアキコに感心してそう告げた。

「ニューファンドランドという犬種なの。カナダの人から父さんがもらってきたのよ。おなかの仔の父親はこのジョリーの父親の従兄弟なのよ。その犬の持ち主のブッシュさんは系図にも詳しくて元の犬までたどれる系図を教えて下さったのよ。ブッシュさんが言うにはニューファンドランド島にこの犬の先祖が来たのは200年以上前で100年ほど前にニューファンドランドという名前の親犬がいてそこまでたどる系図を頂いたのよ。その犬の祖先がチベタンなの系図はお預けしますから写しを取ったら私たちに返してくださいますか」

「良いわ約束する。子犬が産まれたら連絡するから見に来てくださいね」
10才くらいの姉と幼い妹は約束よと手を出してかたく握り合った。
ジョリーは4才、ヒナより大きそうで聞くと100ポンドはあるそうだ。

「いまはお腹に子犬がいるからもっと重いかもしれないわ」
2人はそう言って犬小屋を引っ越しの手伝いに来ていた人に頼んで明子たちの乗ってきた荷馬車に積んでもらった。
3台の馬車で丘のパムの家に向かいエディにビリーを呼び出すと納屋を改造してお産のための場所にした。

「もう何時生まれても可笑しくないと獣医のハリー先生は言っていらしたわ」
そのハリー先生が話しを聞いたとやってきて犬を診察して「後1週間くらいだな。あまり動かさないほうがいいがこの際仕方ない」といいアキコになつく様子に「これなら此処でお産しても大丈夫だろう。ジョリーもそのつもりのようだ、メグにナンシーも安心して良いぞきっといい子犬が産まれるよ」と姉妹を安心させた。
姉妹はジョリーに「此処で丈夫な仔を産むのよ。私たちはお別れしないといけないの。寂しいだろうけどアキコにヒナとパムが貴方の面倒を見てくださるわ。さようなら」かわるがわるジョリーに言い聞かせて涙ながらに納屋を後にした。

「アキコとヒナだね。これからは何かあったら私のところにテレホンを入れて呼び出してくれたまえ。お産の時は夜中でも来て上げるから」
先生はそう言ってから思い出したように「ニューフィー(Newfy)たちの父親はブチだから生まれる子犬は大方ブチのほうが多いはずだよ。そいつらはイギリスではランドシーアと呼ぶそうだ」と言ってパムにこの家のテレホン番号を聞いて書き留めると自分の名刺をテレホンの脇に貼り付けて帰った。

ニューフィー(Newfy)とはニューファンドランド(Newfoundland)犬の愛称でランドシーアとはこの犬たちを好んで描いた画家に因んでそう呼ばれだしたのだ。
姉妹は叔母と手伝いの人に促されて馬車に乗り込み納屋を眺めて「さようなら。でもまた会いに来るわ」と叫んで丘を降っていった。

翌週の金曜日の日に先生が回ってきて「今夜だな」とパムに告げて「夜10時にもう一度来るよ」というと「出来ればコーヒーをたっぷりとパンケーキを頼む」と往診に回ってくると出て行き夜中に戻るとお産が済むまで面倒を見てくれた。
土曜の午後パムが姉妹に連絡をして翌日26日にブッシュさんがメグにナンシーを連れてやってきた。

「6週間親犬とすごさせるので其れまで此処に置いてください。約束なので私のほうで3頭を頂きます。正式にどれにするかは其の日に決めますがブチのメスと黒のオスは頂く予定ですのでご承知置きください」
産まれたのは5頭、黒のオス1頭にブチのオス2頭、ブチのメスと黒のメス各1頭だった。

あれから1週間まだ子犬の目は開いていないが順調に育っている。
朝日が羽目板の隙間から漏れていてジョリーのいる囲いの上を暖めていた。
アキコが顔を覘かせると母親となったジョリーの穏やかな顔が見え此方を見上げて鋭い牙がウーといううなりでよく見えた。

「そう私が来て嬉しいのねジョリーは」
ヒナはその顔が来訪者を脅しているように見えるのにアキコは平気なのとしり込みしたが其れがジョリーの歓迎の挨拶よと言っても信用しない顔だった。
残った子犬はすでにエディにビリーの家族が抽選でもって行く事が決まっていてサムとジェニーは朝夕に納屋に顔を出すのが楽しみの一つになっていた。

ブッシュさんが子犬の餌やしつけ方など細かく書いた冊子を送って呉れて其れに添って育てる事にしたが絶対にやってはいけないものに玉葱と其れに類したもので作ったスープだそうだ。
ミルクもヤギのミルクならいいが牛の物をやってはいけないなどアキコが寅吉から教わった育て方よりさらに細かい指示が書かれていた。

「鰯の水煮は良いがオイル煮やマリネなどとんでもない」
先週パムがこれからは鰯のシーズンだからというと前に飼っていた犬にそういう食事を食べさせていたのですかと呆れた顔をされてしまったパムだ。
人の食べる食卓でチキンの皮や魚に肉をというとさらにとんでもない事だという顔で直ぐ飼い方の冊子を送るということになり先ほど話した禁止事項だけはと箇条書きにしてくれた。
鳥も香料を使わずに水煮にした頭はいいがそのほか手羽を含めた骨はいけない、魚も骨まで柔らかく水煮にして香料を使わない事、牛、羊、豚も同じように調理する事、できれば圧力鍋で柔らかく煮る事など。

「鳥の頭は安く分けてくれるところがありますから週一度配達させる事も可能ですよ。毎日与える必要は無いですが。それと生肉を与えるのが良いという人もいますが私はお薦めできませんな」
冊子を送ってくれた礼をテレホンで伝えたときその事を親切にも教えてくれ「お宅で3頭飼うならそれに見合った量を週一度届けてくれますよ、今は親のミルクで済みますが6月に入ればそうは行きませんからね」とパムがお願いしますというと今週から週一度お宅へ伺わせますと言う約束どおり火曜日にジムと名乗る青年がやってきて少量でも必ず定期的に届けてくれる事になった。

その肉屋はその時に必要なものがあれば一緒にお届けしますと扱う品物のパンフレットを置いていった。
鶏肉だけでなく野菜から牛肉や乾物まで扱う便利な店のようでスーの話では評判のよい店のようだ。

横浜では政府が新しい紙幣を出す事が通知され、先ず10円兌換紙幣が9日にキヨッソーネの描く大黒の絵柄で発行されると聞き見本を飾る銀行に人が大勢出向いた。

「いよいよ政府も兌換券に踏み切りましたね」

「洋銀相場がこれで収まれば良いがな」

「紙幣が一円三銭になりましたから手数料にもならんとドル屋が嘆いていましたぜ」

「それでも一万円で三百円だ充分のはずだぜ。其れより正太郎がニューヨークへ家族で出向くからアキコに会いに行くと電信が来たぜ」

「正太郎の子供たちは可愛いですね」

「母親似だな、清次郎にも連絡して東海岸へ出向かせるか」

「春さんの方へも連絡して打ち合わせますか」

「そうだな、伝次郎も呼んでどこかで一杯やろうぜ」
各店舗に連絡が出て住吉町の千登勢に集まり清次郎の処遇や追加人員の派遣などについて打ち合わせた。
氷川商会シアトルに次いでニューヨークに支店を置く事が決定し清次郎が統轄のアメリカ虎屋社長に就任と決まった。
3名の社員を3年間という期限付きで派遣する事も決まって希望者を募ることにして先ずこの男ならという候補がそれぞれの口から漏れた。

「この男たちが希望してくれれば文句なし、3名以上出たときはまた話し合おう」
寅吉の言葉に伝次郎も「出来ればもう少し人を増やして此方の品物を直接販売出来るようにしたいものです」と希望を語った。

「しかし旦那」

「なんだい」

「三菱と共同は困った物ですぜ。また可笑しく為り出しました」

「もうじき西郷さんや井上さんが痺れを切らして合同しろと号令をかけるさ。兵庫県の県令の森岡さんを呼び寄せて共同の社長に据えたのがその手始めだよ」

「運賃の割引はありがたいですがその勢力争いの渦中に引き込まれた会社は後が怖い事になりそうですね」
いま安い運賃で価格を設定すれば正常に戻った時の反動は大きく響くだろうと誰もが思っていた。
しかし悪い事ばかりでもないようで凾館は物価の下落による損失を運賃低下によって補填できた問屋は息をつく事が出来たのだ。


明治18年(1885年)5月11日月曜日

アキコは正太郎のお土産になにを持参しようかという電信にモーパッサンとヴェルヌの本が欲しいと返信を打った。
ヴェルヌの翻訳物は幾らか手に入るがモーパッサンは探しても見つからないのだ。

20日にパリを出てフレンチ・ラインでル・アーブルから30日にニューヨークへ上陸、其処から一度ボストンへ出てニューヨークへ戻りワシントン、ポーツマス、フロリダまで周り再度ニューヨークへ戻ってホワイト・スター・ラインで大西洋を渡り、リバプールからロンドン其処からカレー経由でパリへ戻る70日あまりの家族旅行ということだ。
長女のサラ・ヨーコは7才、長男ジュリアン・コータは5才になったばかり、サラが学校へ通いだす前にと思い立っての旅行だ。

丘の家に遠征から帰ってきたトミーが夕刻近くにやってきてパムに誘われて食事を共にした、球団との話し合いで1試合3人まで決め球のシュートでの登板という約束を取り交わしたそうだ。
盗塁も上手になり塁に出さえすれば確実に進塁出来るようになりセンターのポジションには欠かせなくなりつつありわがままも言えるようになってきたようだ。

ジョリーの話題になると「あの熊のような犬かい」と吃驚した。
「まるでザ・ボストンストロングボーイを家に置くようなもんだぜ」

「彼とは全然違うわ、それにジョリーは雌犬よ」

「産まれた子犬だって3年もたてば熊になるんだぜ」

「そっちはエディとビリーのほうの話でこの家ではジョリーだけなのよ」
話は犬からボクシングへとまるでアキコやヒナを女性とは認めていない話題へ移って行った。

「彼は負け知らずだからな、最近は酒場で試合相手を探すのをやめてツアーを組んでショーのような事をしてるんだ」

ジョン・L(ローレンス)・サリバン
John Lawrence Sullivan・ザ・ボストンストロングボーイThe Boston Strongboy
1858年生まれ 
身長5′10″half179センチ)体重213ポンド(約96kg)リーチ 74 "188センチ)

1885年初代世界ヘビー級王者認定。
1882年にパディ・ライアンとベアナックルにおいてアメリカ王座をかけて争ったのでその時点から世界王者に認定されたとされる記事もある。
ベアナックル「ロンドン・プライズリング・ルールズ」時代無敗の王者だった。
34才の1892年9月7日ヘビー級王座防衛戦(対ジェームス・J・コーベット、クインズベリー・ルール)に置いて21ラウンド1分30秒KO負け
1918年2月2日死去。
45戦 41勝 33KO 1敗 3分

今年になって1月12日にアルフ・グリンフィールド(Alf Greenfield)と因縁の再試合に勝ち、翌週の19日にパディ・ライアン(Paddy Ryan)と戦うも途中で警察の介入を引き起こしていた。

「此処半年まともな試合をしていないぜ」

「来月シカゴでジャック・バーク(Jack Burke)というミドル級の人と試合があるそうよ」

「へぇ〜っアキコはそんな事まで知ってるのか」

「だってハイスクールの友達に彼のファンが大勢いるんですもの。前回の試合がお流れになってがっかりした人は多いのよ」
サリバンはボストンアイリッシュの英雄だ、ロックスベリー(Roxbury)生まれの彼の少年時代を知る人は多いのだ。
ドミニクマキャフリーシ(Dominick McCaffrey)とは4月初めの試合が中止となりアメリカヘビー級王座をかけてシンシナティで8月29日にクインズベリー・ルールによるグローブを使用した戦いを行い、この試合の後サリバンは世界チャンピオンの称号を与えられた。

「其れよりトミーあなたとミーナはどうなっているの」
パムはいきなり核心に触れることを聞いた。

「どうせ此処へやってきたのはその事があるからでしょうけど」
最近この家での話題のひとつがミーナにお熱のトミーの事だ。

「見事に振られたよ。断りの手紙に送った手紙も添えて断ってきた。随分と脈がありそうな雰囲気だったがもう手紙を寄越さないでくれとさ」

「そう、残念だったわね。でもトミー私たちも貴方には悪いけど多分駄目になるだろう思っていたわ」

「おれがボストンアイリッシュであちらはオハイオのお嬢さんだからかい」

「其れが全てではないのよ。ああいう娘は恋愛とはすこし違う感情で物事を判断するのよ。ジーンのような娘とは違うのよ、地面に素足で立てる娘ではないの。先ず自分を満足できる生活をさせる事が出来る相手かどうかが先なのよ、其れで愛情がもてるのなら全てよしという娘なのよ。決して悪い娘ではないの、でも貴方がそれを与える事は出来ない以上恋愛感情を持つことは無いのよ」

「じゃ、金持ちなら年寄りでもいいと言うことなのか」

「其れは言い過ぎかもしれないけどお金持ちなら年寄りでも自分を満足させられる生活が出来るなら其れが愛情だと思う娘でしょうね」
人生経験豊かなパムはさまざまな階層の人に知り合いが多くミーナのことをそのように見ていたようだ。

今年就任したヒューオブライエン市長(Mayor Hugh O'Brien)だってアイリッシュでボストンには7万人以上のアイリッシュがいるのだが同じアイルランド出身でも宗教の違いもあり全てが同じというわけでもなかった。
移民たちへのマシーン(machine)の民主党(Democratic Party)への勧誘は集票能力に優れ州下院議員と中央政界、財界へと進出しだしていた。
この時代マサチューセッツ州知事は共和党(Republican Party)のジョージデクスターロビンソンでボストン市長は無所属、大統領は民主党のスティーヴン・グラヴァー・クリーブランド(Stephen Grover Cleveland)だ。
クリーブランドはリンカーン以来24年続いた共和党の大統領を民主党に奪い返した、ただしリンカーン暗殺の後を受け継いだ副大統領だったアンドリュー・ジョンソンは当時の経緯もあり民主党員だったのを除けばだ。 

「パムはパットの事を聞きましたか」

「どのパットの事」

PJですよ。パトリック・J・ケネディですよ、マサチューセッツ州下院議員で僕がパムのクラスに入った年に中退した」

「ああ、あの移民の子、随分仲間内で評判が良いと聞いた事があるわよ」

「税関に就職したハニー・フィッツと一昨日パットの店で飲みましてね。先生の噂にアキコ達の事やベースボールの事で盛り上がりましたよ」
ハニー・フィッツ事ジョン・フランシス・フィッツジェラルドはボストンラテンスクールからハーバードメディカルスクールで学んでいたが最近税関に就職したばかりだ、トミーとは同い年でパットは彼らアイリッシュの若者たちにとって兄貴的な存在だ。
パトリック・ジョゼフ・ケネディの父はパトリック・ケネディと言ってアイルランドから1849年にボストンへ来たがPJが生まれて10ヵ月後の11月に亡くなっていた。
3人の姉のうち長女メアリー(Mary L)はローレンスM.ケーン(Lawrence M. Kane)と次女ジョアンナ(Joanna L)はハンフリーチャールズマホーニー(Humphrey Charles Mahoney)と三女のマーガレット(Margaret M)はジョンコールフィールド(John Caulfield)と結婚しているそうだ。
1858年生まれの彼はこの年27才、家族で営む石炭屋に酒場(BAR Room)は盛況でボストン第2地区民主党の拠点だと言うことや最近の噂をトミーが話して帰って行った。

どうやら酒場で試合相手を物色していたというサリバンの事からパット達の事を思い出したようだ。
彼は移民の両親の5番目の子供で長男は父親に先立って同年の9月に死去、母親と3人の姉を支えるため14才のとき港湾労働につき23才で酒場経営と転進して5年、店は繁盛しイーストボストンでの人望は厚く仲間は後にマハトマと呼ばれた第8地区のマーティン・マイケル・ロマズニー(Martin Michael Lomasney)だ。 

「トミーは23だからまだまだいい娘にめぐり合うチャンスが有るわよ。お金持ちのお嬢さんに惚れたりしなきゃね」

「ジーンがトミーを好きだというのに気が付かないのかしら」

「そういうもんなんだよ。私から見りゃジーンのほうが幾倍もお似合いなんだけどね。まったく男たちは娘を見る目が無いんだから」

「男全部をそういうのはかわいそうよ」

「おやそうだった、我が家の双子の嫁さんはいい嫁だ。息子たちの眼力はたいしたもんだ」
取ってつけたように吾が息子達の嫁をほめだした、聞こえたわけでもないだろうがコニーがアンディとやってきた。

「どうしたい夜になって、エディと喧嘩でもしたのかい」

「まさか、テレホンを借りに来たのよ。来週チャールズタウンの家に行くので母さんに連絡したいのよ。昼間は落ち着いて話しが出来ないから」
まだ息子達の家にはテレホンを引く線が近くへ来ないのだ、チャールズタウンで酒類の販売店を営むライアン家は来週コニーたちの母の66才の誕生日で一族がお祝いに集まるそうでコニーは5人姉妹の一番下だ。
電話でアンディの声も聞かせ来週の約束も母親と直ぐ上の店を継いだ姉とも済ませるとアキコが入れた紅茶を楽しむように腰を下ろした。

「しかしあんたの両親は良く働くね。今でも夜中でも配達をしてるのかい」

「そうなのよ、バーに卸すには夜中でも間に合わせるのが商売だというのが持論ですもの。でも父も母も店に居るだけで外には出ないのよ。義兄のテッド(エドワルド)がその代わりに良く働くわよ。最近は人も増えて大分楽になったようだしね」
テッドは5人の店員を指揮して馬車で配達に回るほかにバイシクルでの小口配達もして販路をイーストボストン、ノースエンドにも広げていた。

いつも疑問に思っていたことをアキコはコニーに聞いて見た。

「教えて欲しいの、貴方のフランクリンはベンジャミン・フランクリンから取った名前でしょどうしてその名前が選ばれたのかしら」

「其れわね父さんは男の子が欲しいから今度の子にはセカンドネームはフランクリンだと仲間と酒場で酔った勢いで賭けに乗ったのよ。それで賭けは負けたけど悔しいからとコニー・フランクリンと決めてしまったの、ベンジャミンでないのが救いよ、それ以来酔っ払って賭けをしなくなったと母さんは喜んでいるけどね。私は普段コニーFで通しているんだけどコンスタンス・フランクリンだと必ずばれてしまうのよね」
自分でもその事が可笑しいといえるコニーは両親が大好きだ。
コニーの実家はバンカーヒル記念塔(Bunker Hill Monument)に程近くバンカーヒルストリートでliquor shop(酒店)を100年以上続けて開いている。

マンサンがバンカーヒルを案内してくれた時ポール・リヴィアが良く立ち寄ったバーのウォーレンタバーン(Warren Tavern)をおしえてくれたが其処へも卸しているそうだ。
最近はワインを頼むお客が増え置いてある酒が300種類ほどもあるそうだ。

「リカーショップでなくwine shopにしたほうがましだわと姉さんが言うほどよ。半分以上がワインなのよ」
コニーは自分の子供の頃と比べて扱う品物が豊富になったことをその様に説明した。

ヒナがポール・リヴィアの話しを振るとコニーはヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)の詩を口ずさんだ。

ポール・リビア・ライド Paul Revere's Ride ポール・リビアの騎行1861年

Listen, my children, and you shall hear
Of the midnight ride of Paul Revere,
On the eighteenth of April, in Seventy-Five; 
Hardly a man is now alive 
Who remembers that famous day and year 

お聞きよ子供達。これは聞いとくべきだよ
ポール・リビアの真夜中の騎行の話だ
時は75年(1775年)4月18日の夜
今はもうだれも生きてはいないよ
その有名な日と年のことを憶えている人は

コニーは立ち上がって最後まで一気に歌うように続けた。

(中略)
So through the night rode Paul Revere;
And so through the night went his cry of alarm
To every Middlesex village and farm,---
A cry of defiance, and not of fear,
A voice in the darkness, a knock at the door,
And a word that shall echo for evermore!
For, borne on the night-wind of the Past,
Through all our history, to the last,
In the hour of darkness and peril and need,
The people will waken and listen to hear
The hurrying hoof-beats of that steed,
And the midnight message of Paul Revere.

「凄いわコニー、こんな長いポエムを良く覚えられたわね」

「私の家族が好きで姉さんたちから小さい頃に毎日のように聞かされたのよ。私が学校へ通いだした頃に作られたポエムだそうなんだけどポール・リビアの事はもっと前から絵本で読んだわ。エマソンもこの時の事を一発の銃声が世界を動かした(And fired the shot heard round the world)と書いているわよ」
その後パムがロックスベリー生まれで今はウエスト・ロックスベリーとなっているロックスベリー・ラテン学校に学んだ英雄ジョセフ・ウォーレン(Joseph Warren)とポール・リビアについてアキコとヒナにわかりやすく説明してくれた。
ジェンジョーゼフウォレンJrと言うのが正式でザ・アメリカン・レボリューション(The American Revolution)以後ジョッセフ・ウォーレン将軍と言われているがその時の彼は少将に任命されていたが正式命令は届いておらず、一兵卒として6月17日のバンカーヒルの戦いに参加し戦死したが彼の名前は今フォートウォーレン(ウォーレン砦)としてジョージ島に残されている事などだ。
フォートウォーレンのFort Warren's sally portには1850と書かれているが1834年から南北戦争当時の1861年にかけて順次増築された。
捕虜キャンプと政治犯のための刑務所、そしてボストン港を守る砦として1947年まで使用されていた。

パムとコニーは興にのってヤンキードゥードゥルを歌いだした。

Yankee Doodle went to town,
a-riding on a pony;
Stuck a feather in his cap
and called it macaroni.
Yankee Doodle Keep it up,
Yankee doodle dandy.
Mind the music and the step.
And with the girls be handy!

ヤンキードゥードルが
子馬に乗って町へ行った
帽子に羽根つけて
イタリア仕込みの洒落男
ヤンキードゥードルその調子
ヤンキードゥードルいかしてる
音楽にあわせステップ踏めば
女の子たちもイチコロだ!

「なかなか賑やかにやっているようだが迎えに来たよ」
エディがコニーとアンディを迎えにやってきてパムにおやすみの挨拶して引き上げていった。

翌日の火曜日ハイスクールでツネたちが新聞を広げて議論をしていた。

「どうかしたの」

「アッアキコ貴方の知り合いのフランスの人の事が出ているのよ。ボストンへ来るのね」

Shiyoo Maedaの事」

「そうその人。パリで世界一周旅行中のスティーブンスが記事を書いてきてその中にShiyoo Maedaと夫人のMarie Emilienneの事がスケッチ付で出ているわ」
アキコが覘くと確かに正太郎とエメがオーディナリーを挟んでスティーブンスと握手を交わしているスケッチが載っていた。
昨年アメリカ大陸横断3700マイルを成し遂げた彼は先月リバプールへ向けて太平洋を渡っていた。
記事には5月末にはショウの家族がニューヨークやボストンを訪ねると言うこととスティーブンスがパリを出発してベルリンへ向かう事が出ていた。
その後はオーストリア、ハンガリーを経由してトルコへ向かう事なども書かれていた。
サマーストリートにあるBicycle Riding Schoolとワシントン通りに販売店のあるコロンビア社製のオーディナリーに乗る彼はボストンのリーグ・オブ・アメリカン・ホイールメンの会員の憧れの人物だ。

「135ドルでは簡単に手が出ないわ」

「特別製品はその倍も取るんだぜ」
友人達は自転車に憧れがあるようだアキコが横浜で自分の自転車を持っていたという話しをヨシカたちから聞いたらしくどこの製品がいいかと無理な質問とわかっていて聞いてきた。

「横浜でパンフレットを見たけどイギリスのスターレー(John Kemp Starley)のローバー(Roversafety bicycle)が乗りやすい新型を作り出したわ。前後の車輪が同じ大きさで女性でも乗りやすそうだったわ。もうボストンで売っていると思ったんだけど見た事が無いわ」
まだ街中にチェーン式の型があまり走っていないのはオーディナリーの人気が依然として高いということなのだろうとアキコは思い正太郎が推選しているバイシクレッテを販売する店が無いのならだれかがやればいいのにと思うのだった。

正太郎はその頃アメリカ向けに女性でも乗れる型の開発に成功したJKスターレーの積み出し準備に追われていた「360台は間に合うのかいジョン」二つ年上のジョン・ケンプ・スターレーとは資金提供の間柄というより気心の通う友人としてウイリアム・サットン(William Sutton)と共に新規開発の自転車に将来を賭けていたのだ。

「このバイシクルは叔父と開発していたものとは違い安全性も優れているし君が望んでいた女性用としても画期的な構造だぜ」

「そうだよジョンが言うように量産できれば君やスミス商会に16ポンドで卸せる事は可能だ」

「今回注文している1000台はその値段では無理かい」

「うちの儲けが出ないよ。今回は20ポンド出してくれよ」

「全てアメリカ向けに宣伝費と思ってどうだ。17ポンドなら男性用one thousand、女性用two thousandの合計3000台を余分に先払いで契約してもいいんだ」

「そんなに売れそうかね」

「パリにヨコハマ、ボストンへ送り出すにはその倍は見込んでいるんだよ。20ポンドでは送料を考えるとペニーファージング(オーディナリー)の130ドルから150ドルに対抗しにくいのさ」

「しかしパリジェンヌ商会があんな事で破綻するとは思ってもいませんでしたよ」

「本業以外に資金をつぎ込むほうがいけないのさ。僕があれほど止めたのに聞かないんでは参るよ。其れよりどうなんだ」

「今回の分も含めて5000台の注文なら受けようじゃないか」

「それで360台が来週船に積めて後は何時になるんだい」

「今月中に640台は間に合わせるよ」

「それなら1000台分の17000ポンドは今直ぐ銀行手形、1000台分は今月末にスミス商会から、残り51000ポンドも同じくスミス商会から6月の末に支払う事でいいかな。アレックスそれでいいかい」

「ショウ大丈夫だよ。君から金が来なくともうちで支払いを約束するよ。製品はどうせ一度うちの倉庫に入るんだからね」
冗談のようにアレックスは言うのだがスミス商会には常時3万ポンドは正太郎個人とParis Torayaの資金があるので大丈夫なのだし倉庫代の手数料もいい収入だ。

アレックスはAlexander Bruce Dunlopでオウレリア・マック・ホーンと結婚して10年目正太郎とはツーカーの間柄だ、ミセス・ダンロップとなったオウレリアは子供が生まれたのを機に仕事を引退し今では3人の男の子と家庭を守っていた。

Bicycles

ジョン・ケンプ・スターレー(1854−1901)John Kemp Starley
叔父に発明家でオーディナリー型自転車の発明者ジェームズ・スターレー。
1877年バイシクルエンスージアストのウイリアム・サットンとスターレー・アンド・サットン(Starley & Sutton Co.)を創業。
1884年からチェーン後輪駆動式の製作に乗り出し85年にローバー安全型自転車(Rover Safety Bicycle)を発売、1886年に前輪と後輪の大きさが同じになり本文にでてくる女性用も1889年までには発売されていた。
ダイヤモンドフレームは頑丈な構造で現代の自転車に受け継がれている。

コロンビア社は、アメリカのボストンでアルバート・A・ポープ大佐の起業した会社で1877年に創業。

1886年seamless tubing・ドイツThe Mannessman brothers are credited with the invention of the process to manufacture seamless steel tubing.

1888年ドクター(獣医)ジョンボイドダンロップが自転車のタイヤの空気圧の商業開発(87年特許)。(1845年にスコットランド人、ロバート・ウィリアム・トムソンによって申請が出されていた)


明治18年(1885年)6月3日水曜日

朝から降っていた雨も昼にはやんで急速に晴れ間が広がった。
ジョリーの子犬たちも順調に育ち納屋の前にビリーが作った柵の中で元気に飛び跳ねていた。

「来週にはこの仔達ともお別れね」
パムはさびしそうだ。

「二頭は近くにいるんだから何時でも会えるわ」

「そういうもんかね。やはり1月以上も面倒を見ると愛情が湧いてきてね」
ビリーと兄のエディは「出来れば取り合いにならないようにブチのオスを両方残して欲しいもんだ」と希望を述べていたが日曜に様子見にやってきたブッシュさんに相談すると「いいでしょお嬢さん。あんたに免じて頼みは聞き届けましたよ。今度の日曜に引き取りに来ますから其れまでよろしくお願いしますよ」と6週間分の餌のお礼だとこの前約束してくれた様々な犬の鎖や引き綱に子犬に必要なおもちゃなどを置いていってくれた。
早速兄弟は子供たちとやってきて最初に希望する子犬の特徴を書いた紙をパムに預けた。

「アラアラうまくべつの犬を指名したもんだ。これならけんかにならないね」
ビリーは茶と黒の斑が大きく顔に入ったほうでエディは顔の白いほうを選んでいた。

「ヤッタァ。キッドはうちのもんだ」
サムとジェニーは手を打ち合わせて喜んだ。

「ジェニーは顔の白いほうにも名前をつけていたのかい」

「そっちはジャックよ。伯父さんはどんな名前にするつもり」

「ジャックとはキャラコ・ジャックから取ったのかい」

「そうよ伯父さん」

「君達に敬意を表してジャックにしよう。父さんもジャックだったから丁度良いや」

「私たちの斑もね海賊のキャプテン・キッドなのよ」
キッドにジャックと聞いてすぐに海賊からと察したエディも相当なものだ、キャラコ・ジャックはキャラコ(Calico、白木綿)の衣装や帽子を好んだところから付けられた綽名だ、18世紀初頭カリブ海を荒らしたことで有名だ。
キャプテン・キッドはその残されたという噂の財宝を探す人が絶えない有名な海賊だ。

ブッシュさんが様子を見に来た時にジョリーはカナダのノヴァスコティアの人からもらった犬と子供たちに教えた事からキッドの隠した財宝の話しが載っている本を読んで思いついたようだ。
何度かパムの家に来たブッシュさんはすっかり子供たちと仲良くなっていて犬の世話の仕方も見る見ると上手になってきていた。

「ねェエディ伯父さん、本当にキッドの財宝はあるのかなぁ」
サムは直ぐにでもオーク島へ探しに行きたいような様子で訊ねた。

「オーク島にあると言う話だけで何処にあるのかは誰も知らないのさ。キッドの財宝はニューヨーク湾のガーディナーズ島にも隠されているといわれているよ」

「その本も読んだけどまだ誰にも見つかっていないんでしょ」

「簡単には見つからないように隠したからと言われているけどね。有るかどうかも疑問だけど、あるという話のほうが面白いよな」

「探しに行きたいな」
ビリーがその前に早く大きくなって自分で穴がほれるようにならないとなというと「その前に誰かが見つけたらまずいよ」と父親に直ぐにでも探しに行こうと言うのだった。

「キッドを宝探しの訓練をしてからでも遅くないわよ」
パムに言われて「そうかキッドを訓練して探させればいいんだ」とジェニーと2人で納得したようだ。

それから毎日のように2人は朝と夕方キッドに会いに来ては「お前の名前はキッドだよ」と子犬に言い聞かせていた。
不思議なものでキッドも2人が来ると兄弟の群れから抜け出ては2人にじゃれ付いてくるようになった。

アキコとヒナが学校から戻るとニューヨークから電信が来ていて6日の昼12時に清次郎も伴ってボストンの南駅に到着予定と言うこととホテルをオムニ・パーカーハウスホテルに取る事が決まった事が記されていた。

「大変全部で11人がボストンへ来るそうよ」

「そりゃ大事だ、家へお呼びするのも何時にしたらいいかね」

「ボストンについてから相談しましょうよ。時刻表だとその時刻に着く特急があるから駅へ出迎えにヒナと出て都合を聞いて見るわ。Mr.プリュインにテレホンして見ますわね」
アキコがテレホンのそばへ行く前にベルがなり交換局の女性の声でMr.プリュインからとわかった。

「明子のほうにショウからテレグラフが着いたかい」

「ええ、学校から戻ったら届いていて今其方へご報告しようとパムと話していたところです」

「この前ショウ夫婦がボストンへ来たのが8年ほど前の6月だったと思うがそのときはまだ子供が生まれる前だったので会うのが楽しみだよ」

「私もです。ヨコハマへ二人が見えたのはその後の9月でしたが帰国後の翌年4月30日がサラ・ヨーコの誕生日でしたわ」

「それで歓迎のパーティを開こうと思うのだが都合はどうだい」

「私のほうで300ドル用意しますから6日の夜にホテルか近所で歓迎会を開いていただけませんか。パムのほうで別の日にプライベートな歓迎会を開くのでその日はショウと相談しませんと決められませんが」

「いいですよ。わしのほうで後の費用を持たせてもらうから追加のお金のほうは心配しないで良いよ。人選はどうするね」
ボビーは寅吉とのこともありアキコが出すという300ドルもあっさりと聞きうけて遠慮せず出させた。

「私の関係は留学仲間やパムたちで最大20人と計算してください」

「わかった、後は此方で関係のあるスミス商会などと相談して集めるよ。パーティの事は此方からテレホンで連絡しておくよ」

「あらニューヨークのテレホンナンバーがわかりますの」

「おや知らなかったのかい。そうかホテルを聞いていなかったのか。此方からも入れておくが今読み上げるからメモをしなさい」

「ハイ、此処にノートがありますからお願いします。折り返し直ぐニューヨークへ連絡します」
プリュインから聞いたホテルへその場で連絡を入れると直ぐ部屋へ連絡を入れてくれ折り返し清次郎からのテレホンが帰ってきた。

「お久しぶりですお嬢さん」

「いやですわ。此処ではアキコと呼んでくださいな」

「ではアキコ、困ったどうも言いにくいですね。其方の下宿にテレホンが付いたのを知りませんでしたので失礼しました」

「そうだわ、ごめんなさい。シアトルとはテレホンがつながらないので番号を手紙に書くのを忘れていましたわ。4月に引いたばかりですの」

「それで最近はどうです。勉強は進んでいますか」

どうも清次郎の話は堅いほうへむき加減だが其方のほうは簡単に聞いただけのようで正太郎と入れ替わった。

「どうやら清次郎と3日ほど付き合って漸く日本語も滑らかに出だしましたよ」
正太郎はそう言ってアキコを笑わせてから土曜日に会うのが楽しみですとエメと換わった。

最初の挨拶は日本語でその後はフランス語でのやり取りを交わし、また正太郎に変わって呉れた。
プリュインとのやり取りの事を話しボストンでは歓迎会で大変よと伝えパムの家でのホームパーティを開く都合をその時に相談したいと伝えた。

「お嬢さんの学校の都合も有るでしょうから日曜の午後のほうが良いでしょう」

「連日になるけどよろしいの」

「土曜日は子供たちを先に引き上げさせますから大丈夫ですよ。此方はテレグラフでの連絡のように子供を入れれば11人ですが4人がパリのShiyoo Maedaの社員であと2人はメイドですので5人で伺わせていただきます」
15分ほども話しただろうか6日の日の再会を約して漸くアキコが受話器を置くとパムに今の話しをかいつまんで話した。

「日曜日ねやはりお昼からのほうが良いかね」

「そうですわね。私たちの誕生パーティと同じようにやらせていただきますわ。予算は100ドルあれば良いかしら」

「アキコが出す事は無いわよ。貴方は300ドルも出しますとMr.プリュインと約束したんで大変だろ」

「大丈夫ですわよ。この間の2000ドルの投資の話しを父に電信を打ちましたら私の口座に3000ドルがスミス商会から振り込まれてきましたもの、ボストンへついたときより懐は暖かいですわ」

「それならアキコに出してもらおうかね。30人くらい集まると見ていいかしら」

「其れとメグにナンシーも呼びましょうよ。ブッシュさんも子犬の引き取りにこられるでしょうし」

「そうね子犬たちとのお別れパーティもかねて賑やかにやれば寂しくないわね。スーも呼んで手伝いをさせ無くっちゃ」
スーはこういう集まりが大好きだしパーティと聞けば慈善であれプライベートであれ仕事とのつながりが付くので手伝いをかねて何処へでも顔を出していた。


明治18年(1885年)6月6日土曜日

土曜日学校を早めに抜け出したアキコとヒナは南駅まで歩いて向かった。
駅にはプリュイン夫妻が先に着いていてアキコが見えると夫人が急ぎ足でやってきた。

「お久しぶりね。元気そうで嬉しいわ」

「奥様こそお顔色もよくてとても素敵ですわ」

「まぁ、アキコはお世辞も上手になって。おばあちゃんをからかっては駄目よ」

「そんなことありませんわ。奥様はとてもお肌が綺麗ですものお化粧が映えますわ」
ふたりしてそんな嬉しがらせを言うなんてと2人を両の手で抱えるように夫のもとへ戻った。

ショウとエメの子供たちの事を話題にしていると汽笛が聞こえ駅へ向かって特急列車がやってきた。
列車から降りた人の中でひときわ目立つのは背の高い上にハットが目立つ正太郎と清次郎の兄弟だ。

清次郎が明子たちに気が付き正太郎に教えると急ぎ足でやってきた正太郎が「お嬢さんお久しぶりです。お元気な顔を見て安心しました、テレホンの声で活発にお育ちになられている事は気が付きましたが、寅吉旦那とお容様の良いところをすべて受け継がれたようで正太郎は嬉しい気持ちになりました」と明子の手を取り涙が溢れそうな目で見つめた。

「ショウ。清次郎にも頼んだように貴方も此処ではアキコと呼んでくださらなければ困りますわ。そうでないと貴方の事をショウではなくムッシュー・マエダと呼びますわよ」

「わかりました、忘れずにアキコと親しみを込めて呼ばせていただきます。エメもポールたちもそうしてください」
その後ヒナに「アキコお嬢さんのお友達の雛さんですね」と手を取って恭しくビズをした後Mr.プリュインに「お久しぶりです。お元気そうで安心しました。これからも事業へのお力添えをお願いします」と挨拶した。

プリュイン夫人のジェーンアンには「一番最後になってしまいましたが一瞥以来お変わりもなくあい変らずお美しくて私の家内も羨ましく思っていることでしょう。私達の子供たちに会ってください」とエメに道を明けて両手に掴まっていた子供たちを夫人に紹介した。

夫人は子供たちを代わる代わる抱きかかえてほっぺにキスをして名前を尋ねた。
子供たちも素直に自分の名前を夫人に伝えてエメと入れ替わった。
エメと夫人が挨拶を交わしている間に正太郎がMr.プリュインと明子たちに子供たちを紹介し清次郎や会社の人間も次々に紹介した。

「ショウ。幾らなんでもそういっぺんには覚え切れんよ。ホテルでゆっくりとこれからの事を相談して名刺の名前と顔を覚えさせてくれ」

「そうでした幾ら陽気がいいと言っても此処で夕方まで立ちんぼというわけにも行きませんね。清次郎お前馬車を探してきておくれよ」

「ああ行かんで良いよ。私のほうで手配してあるから。同じ型が揃わんが王侯貴族のパレードでもないからかまわんだろ」

「勿論ですとも。では皆さんホテルでお茶にしてゆっくりとお話を進めましょう」
ボーイを呼んで列車から降ろしていた荷物を運ばせながら15人の一行が駅前に出るとオムニバスが二台止まっていてこれに分散して乗ってくださいと夫人が割り振って荷物の世話も焼いて「ショウとエメはこっちの馬車よ」と何時の間に来たのかベルリーヌが二台停まっていて子供たちも一緒に先頭へ乗せ、自分たちのほうへアキコとヒナを誘った。
ボーイには清次郎が「一人ハーフダラーだぜ」と並ばせてシーテッド・リバティを支払った、普段ならダイム1枚かせいぜい2枚なのに気前のよい客に12人のボーイは大喜びだ。

ホテルに着くと馬車から荷を降ろすボーイに清次郎とポールと名乗った背の高い肩幅のがっしりした紳士が数を確認してからエントランスへ運び入れさせた。
馭者は「Mr.プリュインから頂いております」と言うのをポールが押さえてハーフイーグル(5ドル金貨)をそれぞれに受け取らせた。
部屋割りが済んで荷物を運び終わるとホテルの喫茶室で改めて一同が顔をそろえて6日間のボストン滞在の日程を合わせた。

「今日の歓迎会はアキコが300ドル出して主催する事は話した通りで費用の残りはわしのほうで持つから承知してくれたまえ。明日は午後1時からパムの家での歓迎会。そっちはアキコやパムにヒナたちがアメリカの一般家庭のホームパーティを開いてくれる予定だ。月曜は予定はなしで、火曜はテレホンで打ち合わせたバイシクルを使ってくれているリカーショップを訪問する予定だ、此処はワインも扱ってくれているので新しいバイシクルを贈呈するのでぜひともエメにも付き合って欲しいところだ」

「新しい物と前のパリジャンとを無償交換するというお話のお店ですね」

「そうだよ、いい宣伝さ5台の新型のRover safetyが街に出れば注目されて売れ行きもいいはずだ。スミス商会のロッドも宣伝には最適ですねと太鼓判さ」

「其れより船はつきましたか」

「大丈夫だよ。もう通関も済ませて弟の倉庫に入っているよ。ところでリカーショップにはまだ内緒にしてるのさ、いきなり行って驚かそうと思ってね。先ほども顔を出して来たばかりさ」

「ショウ」とエメが呼びかけると「ああそうか忘れるところだった。アキコへのお土産の本があるんだ」とミシェルという青年が持ってきた可愛いレイエ・キャンバスの小ぶりのトランクを色違いで二つ差し出した。

「中身の本はアキコへのお土産でトランクは茶色がアキコでベージュがヒナと思うのですが好みが違うようなら同じ物が後二つずつありますがどうします」
ヒナとアキコはどうなのという風に見つめて自分の好みのほうを指差すと正太郎が言った方をそれぞれが指差していた。
ポールが同じトランクを持ち出しプリュイン夫人に見せてどちらを選びますかと聞いてベージュを選ぶとメイドが持ってきたシルクの生地をそのトランクへ入れて手渡した。

「素敵な生地です事。さぞ素敵なドレスが出来ますわ」

「そのほかに私の部屋にパリで仕立てさせたドレスがありますの、3人へのお土産に受け取っていただきたいので中座させてお部屋で選んでくださいませんか」
そう誘って4人でエメの部屋へ向かうと20着近いドレスがメイドの手で飾られていてマダム・バルデュスとエメが呼びかけた若い人が世話を焼いて着替えさせた。
すぐさま体に合わせてくれ明日までには3着共に仕上げて置きますはと約束した。

「ミセス・プリュインも明日は明子のほうへおいでになられますの」

「ええ必ず伺いますわよ」
鏡に映してその優雅なドレスにうっとりとしている夫人が明日の事も約束してこのまま着ていたい位よと着替えをするのが惜しそうな顔だった。
時刻は3時を回り今夜8時の歓迎会での再会を約束して一度家に戻る事になった。

アキコは清次郎に「ドレスかしら振り袖にしようかしら」と相談すると「アキコに雛さんは振り袖が絶対にお似合いですよ。それにボストンの人たちも日本の着物を着たお二人を喜ばれると思います」
ヒナと相談するように顔を見合わせ「では7時までに振り袖でやって参ります」と約束してホテルを後にした。

「大変よアキコ振り袖だと頭はどうしょう」

「リボンで編みこみましょうよ」

「ああ、船でロシアの夫人から教えていただいた奴ね」

「そうあれだと着物に合うと思うわ。其れより着替えて直ぐに戻るようよ」

「ではこの馬車に待って居ていただきましょうか」

「そうしましょうよ、馭者の人も往復で稼げていい儲けになるから待って下さるわよ」
2人で勝手に決めて直ぐ着替えて家を出る事にした。
6時まで待ってもらうことにしてパムが淹れてくれた紅茶とビスケットを持たせて揺り椅子で休んでもらった。
パムは前にせがんで2人の着物姿を見ていたが「素敵よ明日も着るの」と真顔で尋ねた。

「明日はタマたちも来るから普段着よ彼女たちは着物を用意してこなかったんですもの。それに其れで無いと動き辛いし接待もパーティの支度も出来ないわ」
スーも台所から出てきて「二人ともとても綺麗よ。うっとりしちゃうわ」と二人の周りを一回りして帯の柄を良く見たいと眼鏡をずらせて仔細に観察した。
白地に家紋チラシの三献帯は2人の赤が基調の振り袖に良く似合っていた。
帯は振り袖用にもう一本西陣で織られた花柄の八寸袋帯もあるのだが2人でこちらを選んで着せあったのだ。

「8時までには2人でパーティに間に合うように行きますからね」
スーはコニーたちが後の支度の手伝いに来たら着替えていくからとヒナに「アキコより貴方のほうが着物は似合うわね。アキコだと肩が張りすぎているからかしら」なで肩のヒナはアキコが見ても見栄えが良いので同じように褒めた、容がヒナの母親の美津と特別に誂えた五枚重ねの銀色の草履は丸顔のヒナを引き立てるように4インチは背を高く見せていた。
明子の草履は背を詰めるように1インチの普通の草履で色は黒のものを選んだ。

二人に見送られて丘を降り町へ出て馬車を降りる時に約束の料金のほかに5ドルの金貨を馭者に渡した、行き交う人が2人を驚きの表情で眺めるのを自慢そうに見送り馬車に乗り込んだ彼を取り巻くように幾人もが「彼女たちは何者だ」と訊ねた。

「彼女たちはジャパンのレディさ。今晩此処でパリから来た人たちの歓迎パーティがあるんだぜ」

「どうすりゃそのパーティに出られるんだ」

「クラークストリート11番地のPruyn&Shiyooで顧客を招待しているのさ。顔見知りならレセプシオンで入れてくれるかも知れないぜ」

「そりゃ無理だな」

「諦めなよ。一目ぼれはお前の悪い癖だ」
馭者がレセプションを気取ってフランス風に言ったのも気が付かないのか仲間なのだろう若者達は其れであっさりとホテルの前から去っていった。

パーティの会場入り口ではスミス商会から支店長のロッドに3名の社員がプリュイン&ショウのフレッドと世話を焼いていた。

「アキコとヒナは其処の椅子で寛いでください。お客様がおいでになられたらご挨拶をお願いいたします」

「承知しました」

「ボビーは奥様とボブがついてサロンでお客様を接待してくださることにしました」

「ボブも来て下さいましたの」

「ええ、ニューヨークからね」

「え、どういうこと」

「あれ知りませんでした。彼は銀行家でオールバニでは名士ですよ」

「あら、セーラムの歯医者のロバート・カートライトさんではないの」

「ははは、違いますよ。ボビーの息子のボブですよ。父親と同じロバ−トなんですよ」

「知りませんでしたわ。覚えておかないといけませんわね。ボビーもボブもロバートの愛称なんですね」

「そうですよ。彼はロバート・クレメンス・プリュインですからね」
急いで紙入れを出して挟んであるペンシルで綴りを確かめて書き取っておいた。
早々とトミーが2人の紳士を連れてやってきて「連れを2人伴いましたが招待状は一枚だけなんだが」とアキコに助けを求めるように目をやった。

「かまいませんよ。そんなに形式ばったパーティでも有りませんから」
ロッドはトミーに伝えると「此処へ各自お名前を記入してください」と机の上のカードを3枚渡した。

3人はサインをして交換にナンバー01と番号の書かれたカードをトミーが受け取り02,03とそれぞれが渡されて中へ入った。

「もう中でお酒が出せますの」

「料理はまだですが、シャンペンと紅茶にコーヒー其れとカナッペにサンドイッチが真ん中の台に用意してありますよ。今の人を知っていますか」

「トミーはお友達ですけど、後の方は知りませんの」

「痩せたほうがビーンイーターズのプレーイングマネージャーのジョン・モリルで顎髭の人はフィラデルフィア・フィリーズの監督で前はビーンイーターズの最強メンバーの一人だったハリー・ライトですよ」
トミーは2人のアイリッシュの監督を誘ってやってきたのだ、昨日から3日間のボストンでの試合の合間に来てくれたそうだ。
トミーはパムには出番が増えたと言っていたが実際はあまり出番が回ってこないのだ、打率が向上しないと言うのがジョン・モリルの言い分のようだ。
続いて30組ほど来客がありアキコとヒナが知らない人たちも多く為り出した頃漸くパムとスーがドレス姿で現れた。

「マァ素敵よパム。スーのそのドレス素敵な生地ね。ボストンで誂えたの」

「残念でしたニューヨークで仕立てられたものよ」

「そうだ2人とも後でエメとショウにお願いしてパリから持参したドレスを見せていただきなさいな。私たちに分けてくださる事になったの、あなた方の気に入るのがきっとあるわ」

「ワォ。素敵な話ね、忘れずに紹介してね」
2人に約束して中へ入ってもらうと入れ替わるようにプリュイン夫人のジェーンアンがプリュイン&ショウのフランシス・プリュインと中から出てきて「ここはフランクと私がロッド達と引き受けるからアキコにヒナはフレッドと中へ入ってね。ボビーに言って私たちの息子たちにあって頂戴」と明子たちに告げた。

「今息子たちといいましたかしら。先ほどロッドからボブという方の話しを聞いたばかりですけど」

「フレッドは何も言わなかったようね。2人ともオールバニで仕事が忙しい中を来てくれたの、兄がボブで弟がチャックよ。兄のほうは3人の男の子に一人の女の子の父親なの今は銀行の頭取をしているのよ。残念ながら弟の子供たちの母親は昨年なくなってしまったけど3人の女の子が残ったわチャックは会社の社長になる事が決まったわ」
ジェーンアンは子供たちが自慢のようだ、フレッドは伯母に「言う間が無かっただけですよ」と言い訳をしていた。
フランクはボビーとひとつ違いですでに69才、仕事は長男のフレッド(フレデリックFrederick mason Pruyn)が取り仕切っている。
アキコが中へ入る前にセーラムからボブとディックのコンビが家族総出でやってきた。

「ヤァ、アキコ招待状は2枚だが12人も付いて来たが入らせてくれるのかい」

「勿論大歓迎ですわよ。まだショウの家族は降りてきませんがまもなくボビーのご挨拶が始まリますから直ぐ会場へ参るはずですわ」
ジェーンアンがてきぱきとサインをカードにさせて番号の入ったカードを全員に持たせた。

「これ皆がもらって何か使い道があるのかい」

「テーブルの席の順番といい事が待っているのですよ」
ジェーンアンがアキコにウィンクしてそういったが「あら何も聞いていませんが抽選でお土産でもいただけるのかしら」と首をかしげた。

「何だ、アキコが主催だとテレホンでボビーが言っていたのに知らないのかい」
呆れた顔で2人はアキコを眺めてボブは「まぁ、良いさ。今晩このホテルに泊まって明日はアキコの方のパーティにも全員で押しかけるぜ」と脅すように言ってアキコの手を自分の腕にかけさせて中へ入った。

ディックはヒナの手を腕に添わせて続き、二人の家族も賑やかに入るとボーイたちがそれぞれの席へ案内した。
その明子たちを追うようにタマたち4人がそろってやってきて続いてミーナにジーンがジリヤール夫妻と40代だろうか立派な顎鬚の紳士を伴っていた。

「ボビー随分多い人数ですがテーブルと料理は大丈夫ですか。もう120人を超しましたわよ」

「心配ないよ。カードは300枚用意して招待状は160枚今7時35分だからまだ半分も集まってないよ。カードなしのものが入ってきても良い様にスモーガスボード形式で料理が出るからね。そろそろ料理を出してショウたちを呼び入れようか」
息子たちに相談するように言うと「アキコに我々を紹介しないと」と催促され2人を慌てて紹介した。
その間にも続々と人が入って来て振り袖姿の2人を見つけると必ずというように挨拶に前を通ってテーブルに案内されていた。

チーフに合図して料理のワゴンが運ばれ各自のテーブルにはシャンペングラスとワイングラスが置かれだしてボーイが「シャンペンとワインをお配りしますがスープ以外は各自のお好みをお持ちいたしますしご自分でワゴンまで出向いていただいても宣う御座います」と告げて料理カードを配って回った。
後ろの目立たない席には幾人かがひっそりと座っていたがチャックとボブは「やっぱり入って来ましたね」とおかしげにボビーに言って肯きあっていた。

「何ですの」
アキコもそのテーブルが主賓席からだと陰になるし柱や鉢植えそれに花の陰になるので不思議な席だと思っていたのだ。

「2人とも覚えておくといいよ。ああいう席は招待状も表のカードも持たない人のための席なんだよ。パーティというともぐり込んでなにをするのか調べたり、飲み食いできるなら何でもいいやという人たちの為に必ず10人くらいの席を用意しておくのさ。其処から町へ出る噂がいいものならパーティの評判も主催者の評判も上がるというものなんだよ。特別によい料理をたらふく食べてもらうのが目的さ」
席はAA1から3の6人掛け、A1から30までの6人掛けのテーブルにB1から30までの4人掛けのテーブル其れとC1から5までの5人掛けのテーブルに分かれていた。

「スミス商会の社員やプリュイン&ショウの社員はどこに座るの」

「カードが残ればBにもしCがすいていたら其処へ交代で座ってもらうのさ。彼らにもあの席の事は事前に良く教えてあるから仲間のように扱う事になっているのだよ。8時になって余りにも少ない時は3軒のバーでカードを配ってもらう事に手配してあるのさ」
アキコは面白い話しだとプリュイン親子のやり方が気に入って其れを伝えた。

「そうか、アキコもそう思ってくれて嬉しいよ。パーティもぐりは大切なお客様なんだよ」

「でもよく酒場でお客が出て行くのを承知しましたね」

「そいつは裏の取引があってねカード1枚配ると安物だがワイン1本を店に出す約束さ」
人集めはそういうところにも気を配っていなければいけないようだ。

300ドルどころかTwo Thousand dollarは掛かりそうだと思いその話しを振ると「心配ないんだよ。プリュイン&ショウとスミス商会の宣伝費で落とす経費だからね。明子のお金は後で景品を出すんだよ。君達にも教えていないいいものが当たるんだよ」
予定時刻の5分前に正太郎とエメの家族に清次郎が一緒に会場に入って来てボーイと女給が一斉にシャンペンをついで回った。

8時丁度にMr.プリュインが挨拶をはじめた。
開会の挨拶と乾杯の音頭を取った後は打ち合わせた通り明子の事は英語にフランス語をShiyoo Maedaと同じ先生に学んだ事、Shiyoo Maedaはヨコハマからパリへ仕事に勉強を兼ねて派遣され其処で知り合ったマリー・エミリエンヌ・ブリュンティエールと恋に落ちたことや会社からパリ支店を任され、さらに自分の会社を立ち上げた事、結婚したあと世界一周の新婚旅行の途中このボストンへも訪れた事があることフランスではバイシクルレースチームが何度も優勝した事などを話した。
スープに客の好みの料理が運ばれだしざわついたところでアキコの紹介と今日の費用の大半を彼女が負担している事を話しアキコに挨拶させた、狙い通りお客の目は明子の振り袖姿に集まり会場のざわめきが収まりだした。

「ボンソワ・ムスィウ、ボンソワ・マドモアゼル。おいでの皆様方ありがとう御座います。私の幼ない頃にはすでに優れた才能を認められてパリで成功されたショウ・マエダと奥様のマリー・エミリエンヌをご紹介できる事を光栄に思います。今日始めてあう事が出来た可愛らしい2人の子供たちサラ・ヨーコとジュリアン・コータを皆様にご紹介します」
4人が台に上がりアキコとヒナが花束を渡すと一斉に拍手が沸き起こった。
4人が順にお礼の挨拶と来場のお礼を述べて壇を降りると静かに音楽が奏でられた。

アキコは席へ戻ったエメに次々に留学生仲間にジーンとミーナを紹介し特にミーナは歌唱とピアノが上手で昨年はパリへ遊学していた事などを話した、ジーンはエメに楽器はなにがお得意ですかと訊ねた。

「マンドリンが一番好きな楽器ですわ。歌を歌うのも聞くのも大好き」

「私とアヴェ・マリアをご一緒できません」
ミーナがエメを誘った。

「シューベルトの」

「ええ、シューベルトのアヴェ・マリアもそうですがグノーのアヴェ・マリアもラテン語で如何でしょうか」

「ラテン語もおできになるの」

「この歌だけですわ」

「楽団と相談してみましょうね」
ボビーが付いてマスターと相談して交互に歌うことになった。

「皆様に嬉しいお知らせです。おいでになられたミス・ミーナ・ミラーとマダム・マエダがアヴェ・マリアの歌を贈らせて頂きます。新旧ふたつのアヴェ・マリアをお聞きください」

   
Schubert's  Ave Maria

  
  Ave Maria Gounod

Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria Sancta Maria Sancta Maria ,
ora pro nobis peccatoribus, nunc, et in hora mortis nostrae.

2人の歌が終わると大きな歓声と拍手が起こりさらに違う歌を所望する人が立ち上がってマダムとミーナに懇願した。

「シューベルトのアヴェマリア本来のエレンの歌Vを贈らせて頂きますエメはそう断ってマスターにはシューベルトですと演奏をお願いした。

  Schubert's  Ave Maria

Ave Maria! Jungfrau mild,
Erhore einer Jungfrau flehen,
Aus diesem Felsen starr und wild,
Soll mein Gebet zu dir hinwehen.
Wir schlafen sicher bis zum Morgen,
Ob Menschen noch so grausam sind

O Jungfrau, sieh' der Jungfrau Sorgen,
O Mutter, hor' ein bittend Kind!
Ave Maria!

アヴェマリア、慈悲深き乙女よ
おお 聞き給え 乙女の祈り
荒んだ者にも汝は耳を傾け
絶望の底からも救い給う

汝の慈悲の下で安らかに眠らん
世間から見捨てられ罵られようとも
おお 聞き給え 乙女の祈り
おお 母よ聞き給え 懇願する子らを

エメはSilent Nightを英語の歌詞で歌いながらポールを呼び寄せるとフランス語でサン・ニュイ(Sainte Nuit)は同じ歌のフランス語で彼はこの歌が得意ですと紹介した。

  Silent Night

  Sainte Nuit
 

ミーナはマスターにThe Last Rose of Summerと告げて壇に立つと会場の期待に応えた。

  The Last Rose of Summer

会場の大きな声が2人に更なる歌の催促をしたがMr.プリュインは「皆さん2人にだけ期待して催促しても困ります。ところで入り口でカードを受け取ったのをお持ちでしょうね。このふたつの箱には其れと同じ番号の書かれたカ−ドとテーブル番号のカードが入って居ります。個人にはムッシュー・マエダが今回ボストンで売り出す新しい型のバイシクルが男女それぞれ1台、テーブルには、ア、動かないでテーブル番号はお渡ししていませんので引き換えと言うことはなく今お座りのテーブルへ今日のお土産にShiyoo Maeda&Paris TorayaからPruyn&Shiyooでの販売を委託されているボルドーワインを一人2本プレゼントします。それで動かないでといいました、自分のテーブルでなくとも今いるテーブルへお届けします」

小さな箱からカードを5枚取り出し「A5番。B12番。A15番。C2番。C1番。オヤオヤわたし達の会社の社員がいるC1番にも当たりましたがえこ贔屓では有りませんぞ」

人々を笑わせながら各テーブルにお土産用にきれいな木箱に入れられた見本を見せて「同じものを今人数分配って居ります。幸運のものに盛大な拍手を」と自ら手を叩いた。

木箱と其れを入れる綺麗なケースも配られて人々がボビーのほうへ顔を向けるのを待って合図で一段高い場所に光が当てられるとカーテンが引かれRover Safety Bicycleが人々の目に入った。

「マダム・エメ・マエダに女性用、ミス・アキコ・ネギシに男性用を引いていただきましょう。お2人どうぞ此方へ」

女性用はナンバー16番、男性用はナンバー188番に当たり「皆さん幸運の方に名乗っていただきましょう。男女のバイシクルは変更できますので安心して名乗り出てください。男性にあくまで女性用に乗れとは言いませんぞ」と笑いを誘った。

いい具合に女性用は若い夫人が名乗り出て男性用も私の兄に権利を譲ると言うことで2台のバイシクルはお持ちかえるか後でお届けが希望なら住所をお教えくださいと伝え「もしメンテナンスの必要が出た時の為に此方が証明書です」と手渡す事も忘れなかった。

ムッシュー・マエダの家族は小さなお子様も居られるのでムッシューが残りマダムとお子様はこれで引き上げさせていただきますが会場はあと2時間演奏が行われますのでダンスに歌でお楽しみくださいと言うことになり拍手のうちにショウの家族が引き上げた。

アキコはスーとパムにヒナの4人で後に続き先ほど頼んでおいたドレスを拝見させてもらいに四階のスィートへ入った。
昼に見たドレスはそのまま飾られていてパムとスーはうっとりと見とれていたがマダム・バルデュスに手伝ってもらいながら幾つかのドレスをまとった。

「アキコは買わせて欲しいと言うのですが、それはお断りします」

エメがそう言って明子たちにウィンクして「お一人1着だけですがプレゼントさせていただきます。アキコたちと同じで此方のアリエルが徹夜で明日までに仕上げると張り切っておりますわよ。すでに3人のドレスは仕上がっていますのよ、ヒナは着てみたいかしら」勿論とばかりに帯を解く様子をアリエルと呼ばれたマダム・バルデュスは興味深そうに眺め「とても素敵なキモノですわ。ショウがルノワールさんたちに譲ったものより落ち着いた柄で私は好きですわ」と帯を受け取り女ばかりの気安さから下着一枚の2人を仕上げしたドレスをエメと2人で人形遊びのように着せ替えた。

「このキモノはどのように畳むのかしら、ドレスは明日一緒に届けるけど2人にはわたし達が持ち込んだ普段着を着て帰ってもらいたいわ」
2人がたたむ着物と帯に長襦袢などを一回で覚えようと真剣なマダム・バルデュスだった。
着物は紙の箱に入れられ新しいバイシクル用の服が持ち出されて2人はドレスから着替えさせられた。

「その新しい下着はアメリカではブルマーという名前がついているそうよ。今回300セットをバイシクルと一緒に5サイズが到着してるはずなのよ」
エメが4人にそういうのだがパムもスーもまだ見た事がないと言った、スカートは短めで中は男性用のパンツのようだがひざ下のストッキングのところで紐で締めるようになっていた。

「履物もお預かりしますから今履いているもので帰ってね。この着物は明日一緒にもって行きますね」
スーとパムはプレゼントと言う言葉にドレスを選ぶのが気が引けるかと思いきや明子たちが大騒ぎで着替えをしている傍で盛んに意見の交換をして「これに決めましたわとエメに伝えた。

「まぁ、2人とも誂えたように体に合って居りますわ。アリエルどこか手直しが必要かしら」

「普段今の靴でドレスを着て歩きますならすこしつめてもいいのですが」

「そうね靴の底が高いなら今のまま今の靴だとすこしつめましょうか」
全身を鏡に映していたが2人とも腰周りがゆるいかしらとひだをひとつ増やしたほうがいいかしらとアリエルと相談を始めた。

「今ボストンでは腰をきつくするのが流行ですのかしら」

「今の若い人は緩めですがわたし達は昔風が好きですの」
漸く意見が決まりマダム・バルデュスがピンでつめた状態に満足した二人はドレスを脱いで惜しそうにエメに手渡した。


エメにお別れとおやすみのキスを交わしてサロンへ降りるとまだ100人近くの人が大きく広げられた真ん中で踊っていたしCのテーブル付近ではスミス商会の人たちともぐりの人たちが意気投合していた。
8人ほどもいたその人たちはそれぞれワインの箱を抱えてロイという青年に盛んに自慢話をしていたがアキコとヒナが着物から着替えたのを目敏く見つけて話しかけてきた。
ヒナにはショウたちのテーブルへ行かせてロイが引いてくれた椅子に座り「皆さんお知り合いなの。面白そうにお話が弾んでおられましたね」と年配の太った夫人に話しかけた。

「ロイとは今日始めてだよ。でもこの人たちとは様々な慈善パーティで顔を合わせるのよ。私はサウスボストンのミッチエルストリートに住んでるハートフィールドさ」

「始めましてハートフィールドさん。今宵は楽しく過ごしていただけましたかしら」

「いいパーティだよ。お土産も当たったしご馳走も美味しかったしね。家で待ってる子供たちにお土産に持ち帰りたいくらいだ」

「ロイ、貴方シエフに言ってこの方々へのお土産を用意できないかしら」

「聞いてきますミス・アキコ」
ロイはやっと開放されるとばかりにボーイに尋ねて料理の担当者に掛け合いに出かけた。

「そんな特別にしてくれなくともあそこから持って来てもいいのよ。まだ充分ご馳走があるじゃないの」
ロイがコック帽をかぶった太った人とワゴンを押して戻ってきた。

「8人分のチキンと果物が入っています。其れと此方の箱へ好きなものを詰めてくださいとのことです」
コック帽の人はジーンの顔見知りのアルだった「皆さん私の料理を持ち帰るほど気に言ってくれて嬉しいです。お手伝いいたしますからどうぞ、私はシェフのアルです」と8人を半分に分けて先ず4人をテーブルへ誘って自らパックに詰めた。
ロイが料理用にと何処から探してきたのかスカーフを渡して手に下げられるように包んでそれぞれに渡すとフレッドと共にホテルの出入り口まで出て契約していた馬車を呼ぶと「この馬車は借り切りにして有りますからチップも無用です。道順を馭者のジミーに教えてください。今晩は楽しんでいただけて嬉しかったです」と送り出した。

2人は黙ってサロンへ戻りC席にまだアキコが居てシェフのアルと親しげに話している傍まで来てさも可笑しくてたまらんと大きな声で笑い出した。

「ロイ、ロイそんなに笑うとみんながこっちを見るぞ」
アルはそういいながらもコック帽をとって一緒に笑い出した。
アルバートはYMCAでアキコと知り合いになった慈善音楽会の役員の一人だ、ロイもその仲間の一人でこういう時の息はぴったりだ。

「知らん振りも2時間以上続くと苦しいもんだぜ」

「俺がよそで見かけたと教えたら承知で入れたというには驚いたよ。君達のボスは太っ腹だな」

「バーで配る券も16枚しかなくて3軒のバーへ少なくてすまんがお願いしますとフレッドと出かけたら噂が広まっていて取り合いさ。その人たちはホラそこで飲んだくれているぜ」
Aのテーブルの壁際へさげたテーブルで盛んにスコッチを飲んだらしくパー爺さんが5人倒れていた。

「まぁ、5本も空いているわよ、家まで帰れるのかしら」

「そろそろ支度をさせて戻ってくる馬車で家に送り返すのさ。呑み助の家は酔わないうちに住所を聞いてあるんだ」
用意のいい事で2人はお土産にバーボンのビンを抱えさせて人を集めて下まで運び出した。

正太郎と清次郎はその頃ジーンが連れてきた紳士に勝負を挑まれていた。

「盛んにボビーがキミ達のチームがチャンピオンだと吹聴しているがわしのチームと競ってみないかね」

「でも此処にはチームとして来ておりませんし、僕を入れても3人しかバイシクルにのれませんよ」

「良いともわしの方も3人で勝負しようじゃないか。勿論1着を取ったほうが勝ちだよ」
ショウはそばで聞いていた青年に「ミシェル、バイシクレッテはどうした」と笑って話しかけた。

「荷物はホテルに届いて居りましたので私の部屋で調整済みです。ギヤはショウが1.27、ジャスティと私は1.36にして有ります」
ミシェルは万全だと受けあった。

「何キロ、いや何マイルくらいで坂は多いですか、片道それとも往復ですか」

「オールドステーツハウス(Old State House)からワシントンストリートでジャマイカプレーン(Jamaica Plain)まで登り5マイル、其処にロータリーがあるので帰りが降り5マイルでどうだね」
ショウは「ジャスティを呼んできてくれ」と告げて傍へ来たアキコにどういう道かを尋ねた。

「其れほど曲がりくねった道ではないけど高低差は70ヤードくらいかしら」

「それなら僕でも登れそうだな」
やってきた二人に「アキコは標高差が70ヤードくらいだと言うんだがギヤ比は君たちどうなんだい」と聞いた。

「60メートルくらいですか、行きが辛い分帰りは楽になりますね。ペニーファージングでも降りは楽にスピードが出せそうですね」

「きつい戦いになりそうだな」
アキコは傍にいたジーンにあの人は何処のどういう人かヒナと連れ立ってすこしはなれて聞いて見た。

「私は初めてなので良く知らないのよ。ママGはバイシクルの工場を経営しているMr.ポープと教えて下さったわ」

「まあ、其れって大変なことよ。コロンビアと世界一周旅行中のスティーブンスの事を知らないの」

「聞いた事がないわ」

「新聞にショウとスティーブンスの事が出たので新しいバイシクルの性能を試そうと挑戦してきたのよ」

「知らなかったのよ。ごめんなさい」

「ミーナが謝る事とは違うわ。それに挑戦するためにはママGにつれてきてもらう必要も無いし、酔ってきて誰かに自分の工場のオーディナリーを貶されたんじゃないかしら」
まさにアキコの推理どおりでバーから連れてきたほろ酔い連中がポープ大佐を捕まえて「これで君のオーディナリーも売れ行きが落ちる」とからかったそうだ。
ショウはポール・ジャスティアン・シラクとミシェル・ユジーヌ・バルデュスと2人を改めて紹介し「旅行中も怠けないように新型車を乗りこなそうと持参したので喜んでお受けいたします」と交互に握手を交わした。

「其れで何時にしますか」

「君の日程で3時間以上空くのは何時だね」

「月曜は予定を入れておりません。下見に試走するのに明日貴方のほうで馬での案内の人を出してくださいますか。12時にあそこで可愛い婦人と話しているミス・アキコネギシの家でホームパーティに呼ばれているので朝8時なら都合がいいのですが」

「良いだろうわしが案内するよ8時にホテルへ来るが其れで良いかね」

「お願いいたします」
また交互に握手を交わしポープ大佐はママGのテーブルへ戻っていった。

「ショウ大丈夫なの」

「アキコは僕達の力を知らないからな。この人たちは僕以上の実力者さ。2人はパリとリヨンの昨年のチャンピオンだよ。ボストンまでは名前が知れていないようだね。ボビーも知らなかったくらいだから」

「其れ何時ごろのレースでしたのヨコハマでは話題にも上りませんでしたわ」

「パリが11月2日でリヨンは11月30日だったよ。リヨンではポール・モルガン・ベルナールというチャンピオンが僕の大切なチームリーダーさ。もう一人ユベール・ロジェ・ミルランという男がいるんだが足の骨を折ってから成績ががた落ちでねコーチを引き受けてくれているんだ」
アキコがヨコハマを出航したのが11月10日まだパリでのレース結果は伝わってきていなかったのだ。

「その人バイシクレッテの事故で怪我をなさったの」
3人は顔を見合わせて笑いながら「違うんだシャモニーへスキーに出かけてスピード狂の女性に後ろからぶつけられたのさ。その女性と結婚したので事故が良かったのか悪かったのか今でもいい話題になるんだ」と話してくれた。

「パリで活躍したという数学の先生は」

「今はワシントンさ。此処にいれば誘うんだが忙しい人なのさ」
ショウが新婚旅行の時に話した事がよみがえるアキコだ、ダンがパリで優勝したのは11年も前の話だ、ポールは40才の今がピークだというタフな紳士だ。

「ムッシュー・シラクは本当にもう40才なんですの信じられませんわ。ポープ大佐は新聞で43才と出ていましたのに随分と違いますわね」
自分の父親とポープ大佐が同じ年だというのも信じられないがこの目の前の紳士が40才と言うのはさらに信じられない話だ。

「そんなに若く見えますか。貫禄がないからかな、今回つれてきていないが子供はまだ9才でしかないですからね」
ポールはアキコに笑いながらバイシクレッテに乗れますかと聞いた。

「勿論乗れますのよ。でも此方ではまだ手に入れていないのでどうしょうか考えていますの」

ショウは「それなら3台プレゼントしますよ。アキコとヒナにパムの分もね」とミシェルに「明日持っていけるかな」と聞いた。

「フレッドと相談してみます」

「そうしてくれたまえ」
フレッドはフランス語も通訳無しで通じるので傍へ行くと何事か相談していて戻ってくると「明日のパーティへ間に合うように倉庫から出してくるそうです」と報告した。

「そんなにプレゼントばかりして採算が取れますの」

「今回は50台を目安にプレゼントを考えているんですよ。別枠で僕個人でボストンでは10台を配りプリュイン&ショウで50台を宣伝費で落とす予定です。今年はアメリカへ3000台を売り込むつもりなので大丈夫ですよ」

「其れで幾らでの販売予定ですの」

Mr.プリュインは145ドルと言うのですがね。20ポンドが仕入れ値なのでレートが80ドルに送料で96ドルになるんで直接販売以外ではすこし無理だろうと話しているんですよ。現地生産のパテント料で稼ぐほうが良いと思うのですがね」
ショウは値切った事は黙っているつもりだ、
其処へボビーが弟のフランクにフレッドとロッドをつれてやってきた。

「大丈夫かい、あちらはもう勝ったかのように意気揚々と引き上げて行ったぜ」

「まけたら尻尾を巻いて撤退しますか」

「まさかリベンジをせずに引き下がれるものか」

「相手も同じ気持ちでしょうよ。それでどうです彼の会社にパテント料を取らせてやらせる値打ちはありますかね」

「そいつは勝負に勝てば可能だな」

「では3人で明日の下見の後作戦を練って勝負しますよ。上りがきついですが普段のレースの半分以下の距離ですので最初から飛ばせるでしょうしね」
相手を甘く見るとまずいぜとロッドは不安顔だ。

「其れよりアキコに今回の費用を出してもらった御礼を考えないとね」

「そんなショウ。さっき3台も下さると言うので充分すぎますわよ」

「いえいえ、そんなものでは少なすぎますよ。そうだ今度からバイシクルの販売の内から1台1ドルをエージェント料に出しませんかね」

「プリュイン&ショウのエージェントにするのかい。君がこっちに人を置いていないんだからアキコがその分の役員に相当する事にするかね」

「どうですかね。Roversafety bicycleの専門アドバイザー兼宣伝の顔と言うのは、もう一人先ほど見かけたアキコの友達という子が良いと思うのですが」

「エメと歌ったミーナの事かしら」

「金髪の背の高い娘ですよ」

「あらジーンのほうねあの娘ウォータータウンに住んで居りますのよ」

「其れはボストンから遠いのですか」

「其れほど離れておりませんわ、此処からだと私の下宿と同じくらいかしら。彼女にもエージェント料を出されます」

「そうだね彼女の場合月30ドルで衣装のドレスをこちら持ちでどうかな」

「衣装がもらえるなら大丈夫ですわ。靴もお願いできます」

「勿論上から下まで差し上げますとも」フレッドは大乗り気だ「月に6度くらい土曜の午後や日曜に5時間ほど付き合っていただくようになりますかね。勿論アキコはやる事が多いでしょうから月一度くらい出て呉れればよろしいですよ。連絡はテレホンで出来ますから」とジーンの起用に大賛成のようだ。
アメリカ人が見てもジーンの容姿は映りがよく見えるようだ。

「明日パムの家に来ますから紹介を改めてしますのでその話はショウかフレッドのほうから持ち出していただけますか」
話も決まり踊り疲れてテーブルに座って息をついているス−のほう行くと「もうかえりましょうか」とヒナを呼び寄せた。
タマたちは中座している間に帰ったようで大分サロンに隙間が増えてきていた。

馬車でスーを送り届けて丘の家へ戻ったのは12時を回っていたがビリーが留守番をしていた。


明治18年(1885年)6月7日日曜日

新橋停車場に降り立ったのは八字五十五分、今日は久しぶりの親子二人の列車の旅だ。
寅吉が昔風に旅と言うのがおかしいと了介には思えるのだが鉄道がないときには急いで歩いて八時間以上掛かったと列車の中ではなす父親との二人の小旅行が楽しい了介だ。
駅から出て二人引きの人力車で上目黒というと「西郷様のお屋敷付近ですか」と車夫は物知り顔で応えた。

「そうだ知ってるなら丁度いい、今日は息子の為に古川から渋谷川伝いに遡ってくれ、洋館のほうの入り口へという約束だ。十字に約束したから其れにあわせて地理を覚えさせたいのだ」

「わかりやした旦那。橋のなめえと合わさる川の名を知る限り怒鳴りやすので」

「オウ頼んだぜ」
威勢の良い車夫で前引きは紅白の綱を肩にかけて威勢良く駅を飛び出した。
芝の大神宮から金杉橋へ出て「其処が金杉橋で川は古川でさぁ、東海道と此処でおさらばでござんす」と橋を渡って右手へ曲がった。
赤羽橋と怒鳴り一之橋で川をまたぐと川に沿って左に折れ「向こうへ逃げたのが赤羽川でさぁ」と言い方も可笑しく了介に聞こえたが寅吉も其れを聞いてにこと笑ったので了介は揺れる人力の上で気持ちも弾んだ。

「二之橋」と短く怒鳴ると「左手川沿いが麻布広尾町で右は麻布東町でさぁ。麻布新堀町のどんずまりが古川橋でその先で古川はまた右へ曲がりやすのでござんす」と芝居のせりふ口調で車夫が教えた。
川がうねるように町並みもうねり「其処が笄川で天現寺橋を境に古川から渋谷川になりやす」とまた口調が変わった、寅吉はさもおかしげに黙って聞いていたがふと了介と目が合うと共に袖を引き合って笑い出した。
「へっへっへ」とそれにつられて車夫も笑い寅吉はたまらず大きな声で笑い出した。

麻布広尾町、富士見町と登れば其処は下渋谷村、小さな小川を越す時に「こいつはいもり川でござんす」と思いついたかのようにどなった。

「旦那此処で川と分かれてもよござんすか。それとも上まで遡って遠回りしても時間が有りやすぜ」
川の先には今年出来たばかりの日本鉄道の貨物線が見えている、旅客も扱うが上野からの線路は新橋まで来ていないので其れを補う路線だ。
品川から目黒駅、渋谷駅、新宿駅、目白駅、板橋駅を経て日本鉄道の赤羽駅までの13マイル弱
でそこら上野駅までほぼ6マイルほどだ。

「なら宮益橋を回ろうか」

「わかりやした。今通り過ぎるのが渋谷橋でござんすよ」

「稲荷橋でござんす。すぐ先が宮益橋でござんすよ。渋谷川は此処で終わりでござんして先は隠田川に宇田川と別れておりやす」
その宮益橋付近は谷底のように周りが高くなっていた、左手には出来たばかりの渋谷駅。

「ちょっと停めてくれ」

「どうしやした旦那」

「折角此処まできたんだ時間もあるし千代田稲荷へお参りしていきたいが」

「わかりやした宮益坂の上ですから周りやしょう。旦那はご存知かもしれやせんが今は御嶽神社と名が変わりやしたぜ」と右手の丘へ登った。
富士の峰が雲の上にのぞいていた。

「今日は富士が見えるな」

「さいで此処は昔富士見坂とも言われていたそうですぜ」
漸く稲荷の丘へ登ると茶店があり寅吉はそこで一休みさせた。

「オッこんなところでビールがあるぜ。お前さんたちビールを飲みなさるか」
二人の顔が崩れるようににこやかに成り「かっちけねえ。いい旦那だ」と持ち上げた。
焼きもちとビールの大瓶を三本とラムネを買い入れて口のみで一休みしながらも車夫の口は軽く「此処を降ればすぐ先が宮益橋で橋を渡って幾許もなく其処が西郷様のお屋敷地でさぁ。この道は相模の大山まで続いておりやす。旦那方は何処からおいでで」

「横浜だよ。家から大山へは歩いて1日だがこの道は町田へ出るのかい」

「よくご存知で一度出かけましたが道が悪くて往生しやした。親父たちの時代は籠でも苦労したそうでござんす」
綱引きを番に残し車夫が案内についてきた。

「父さんこの狛犬普通と違いますよ。狐でもないようですし」

「随分とすっきりしてるようだが狼のようだな」

「狼ですか」

「何か関連があるのかな」
第十二代景行天皇の御代日本武尊御東征のみぎり、難を白狼の先導によって遁れられたといわれることからとしか宮司にはわからず稲荷は片隅に祭られていた。

宮益坂
富士を見ることが出来たので富士見坂と呼ばれた。

御嶽権現、千代田稲荷
家康が千代田城を拡張したとき渋谷宮益に移り千代田稲荷と改称したらしい。
門前町が出来て次第に繁昌してきた正徳三年(1713年)町並地となり江戸町奉行の支配地にはいった。
稲荷は関東大震災で道玄坂へさらに戦後に百軒店の道玄坂2−20に移転。
(渋谷道玄坂百軒店商店街 ホームページより抜粋)

宮益御嶽神社渋谷区渋谷1−12−16

丘を降りて橋を渡り駅の先は急な登り坂が続いた、左手に小高い丘があり其処へ向かって車夫は向きを変えて一度坂を下った。
小高い丘を東から回ると大きな屋敷が見え「旦那西郷様のお屋敷地でござんす。洋館のほうへ回りやすんでしたね」と確認した。

「そうだ、丁度10時だ、門には迎えが出ているはずだ」
弁蔵が馬とともに門脇に寅吉親子を出迎えていた、寅吉に「旦那様お久しぶりで御座います」と挨拶した。

「お前さんもミカンもともに元気そうだな」
弁蔵がミカンと共に西郷家に来て15年、少年だった彼は従道に請われるまま従道家の家僕となり庭と馬の世話を引き受け、従道が此処へ兄のための土地を買い受けて以来此処へ移り住んで10人の下働きの人の上に立って務めていた。

車夫に1円銀貨を五枚渡して「今日は面白かったぜ。また新橋で顔を見たら頼むぜ」と弁蔵に案内されるままに邸内へ入った。
了介をミカンに乗せて道をたどった、池の西側に日本家屋、東から回ればそこへ出来てから3年ほどの白塗りの洋館がある。

洋館の東側にある玄関ポーチには4段ほどの石段があるが馬車で乗りつけるようにはできていなかった。
其処へ出てきた従道が「よくきたね了介君。弁蔵もミカンをつないだらベランダから入って来てくれたまえ」と伝えて「コタさんも気が付いたようだが此処は失敗だよ。日本には馬車での送り迎えが必要ないと思われたのかな。わしも外国で見てきたはずが其処まで思いつきもしなかったよ」

「池の向こうから見えるベランダがポーチかと思いましたよ。此方に西洋式の庭園を造って玄関から離れた場所に屋根つきの馬車停めを作られれば見栄えもよいですよ」」

「そいつはいい考えだ。バラの棚や百合に水仙で囲んで見るか」
従道、中々風流な事を考えた、
南に円形のベランダがつきその上部が二階のベランダという作りなので其処からも見るようにすればよいでしょうと勧める寅吉だ。

「ウム、あそことこの二階への階段は自慢できるしかしこの家の冬は寒い。コタさんの家とはおお違いだ」

「其れは池の位置ですよ」

「そうか、京都の庭師もそう言っておった。日本家屋でも夏の避暑に良いが冬は水をぬける池でないといかんというとった。どうも生まれが南国で水がないと夏の暑さがたまらんと池を中心に考えてしまった」
漆喰の格天井の見事な第1室は隣の部屋とのドアが開け放たれアーチ状のバルコニーからはいる日差しで暖かかった。
其処には従道の庶子で次男の7才になった豊彦と同い年の従徳が母親たちと寅吉を待っていた。

了介の事は伝えていないがコタさんは長い付き合いの友人だと言う事は常々話してあることや弁蔵を通じて人となりは知っているようで寅吉親子を貴賓を招待したかのように丁寧に出迎えてくれた。
子供たちの紹介も済み弁蔵がやってくると「子供たちをつれて庭園の案内をしてくれたまえ」と4人で紫陽花の咲く丘を案内するように送り出した。

夫人は支度がありますからと下がり豊彦の母親という人が紅茶にヴランデーを入れて供した。
その人も下がると「明子君から便りは来てるかい」と関心はボストンへ移った。

「手紙は10日に一度、合間に電信が来ます。どうやら私の娘と言うのが関心を引いたらしく投資を打診されているようです」

「それで君が幾らか投資するのかい」

「2000ドルを相手が推選した3社に分けて投資を委託したそうですので、追加資金が必要かと思い容と相談の上3000ドルを送金して置きましたがその分はまだ動かしていないようです。パリから正太郎が今頃ボストンへ入るのですが電信でエジソンとベルの会社への投資を推薦してあります」

「君の時代にもその二つは有望だったのかい」

「そうです。ベルのテレホンの話しは聞いておられるはずですが」

「ウム、エジソンはエレクトリックボール(electric bulb)とか言うのを作っておる会社だな」

「これから100年いやその後もふたつの発明は世界に必要な条件を備えて居ります」

「わが国にも有効な物だろうな」

「勿論ですとも、其れに伴うパワースティション(power station・発電所)が必要になりますがすでにわが国にも導入が図られて居ります」
ウオルシュ・ホール商会が横浜で発電所の建設請負をする事に決した事を寅吉は従道に話し大倉達が発起人で話しがまとまりかけているので応援を請う事も忘れなかった。

「横浜に作る気はないのかい」

「話しは出ています。私が無理にしゃしゃり出ると歴史に悪影響が出るといけませんので望欣台を動かして話しを進めようと思います」

「高嶋か、伊藤君に井上君は大分ご熱心だ。そうか、ねた元はコタさんだったか当たるはずだ」

「いえいえ、私の話はほんのヒント程度であの人の易はたいしたものです」

「まずそういうことにして心に留めておくよ」
清子夫人が入って来て「お支度がまもなく出来ます」と告げた。

「そうかでは花火を揚げるか、コタさんもおいで」
寅吉を誘い池の縁で花火を揚げると弁蔵に率いられた子供たちが夾竹桃の小道を下りて花菖蒲の脇を抜けてきた。

「お昼はビーフシチューだ。弁蔵も今日は一緒に付き合いなさい」
恐縮する弁蔵を了介の隣に座らせパンとビーフシチューに頂き物だというオランダイチゴが出された。

明治18年11月29日
東京電燈会社は東京銀行集会所より同所の開業式に点火すべき白熱電燈の装置依頼に応じ藤岡氏設計監督の下に同所に三吉電気工場製エヂソン型10キロワット直流発電機を据付け40個の白熱電燈の点火を試みたり。

東芝85年史には
藤岡市助の設計、監督により、三吉電機工場が製作したわが国最初の5kW白熱電灯用分捲発電機を用いてとある。(以上東京大学大学院・歴史的所蔵品 >発電機等より)

東京電燈会社
1883年(明治16年)2月15日、藤岡市助、大倉喜八郎、原六郎、三野村利助、柏村信、蜂須賀茂韶の6人からなる発起人は前年に出した企業創立の請願書が認められ国から設立許可を受けた。資本金20万円。
1886年(明治19年)7月5日企業活動開始。
1887年(明治20年)11月東京日本橋茅場町から電気送電開始。

食事の後洋館の部屋を子供たちが探検に出かけ二人は書斎に移って共同と三菱の合併について様々な事を相談した。

「ではやはり三菱が先行き会社を押さえてしまうのか」

「そうなりましょう。其れと私が子供の頃の記憶では日銀は富田先生が取り仕切るのを松方様が気に入らず岩崎のほうへ話しを持っていったと記憶していますし、川田も頭取を引き受けたはずです。その功で男爵になって居ります」

「経済に強いのは三菱か」

「其方は三菱でもよいのですが内閣が発足した後の憲法ですが今のままでは長州の思うがままの内容になります。幸い山縣さんが其方に詳しくないので伊藤さんと井上毅さんで作製するでしょうが曖昧な文章では後々隙を突かれます。私の子供時代生き残る維新の立役者は山縣さんのみになり西園寺さんでは押さえ切れないようでした」

「なにが問題になるのだ」

「軍部が国を動かす時代は今の人の時代はよいのですが子供、孫の時代になれば天子を敬うと言うことを逆手に取り天子が望むという一言で反対者を封じ込める動きが見えていました。出来ればアメリカの大統領のように最高責任者を国民の投票で決める事。軍部は天子親政でなく内閣の最高責任者が天皇の命により統帥することにするべきでしょう」

「其れは難しかろう。あにさの頃とは違うでな」

「西郷様と大山様伊藤様が私の子供時代まで延命されておられれば問題は起きないと思うのですが。残念な事に山縣さんが一番の長命を授かったようです」

「コタさんは勝先生と同じで狂介が嫌いだからな」

「しかしもう一度申し上げます。統帥権が天子から軍令部へ降りるという事は政府を今のように維新の功労者が動かしている間は問題が起きませんがその方々がいなくなれば内閣の命令を受けずとも行動できると憲法学者を名乗る人が必ず現れて政府の命令を無視できると言うことが必ず起きるでしょう」
従道は腕を組んで考えていたが「弥助ドンとも話し合っておく」とそれ以上の議論を避けてしまった。

四字に従道が我が家の馬車でと新橋まで送り届けてくれ新橋発五字十五分の列車で横浜へ戻った。


ボストンは朝の4時半にオムニ・パーカーハウスホテルの4階に朝日が射してきた。

漸く仕事を終えたアリエルがベッドに入るとミシェルが「ゆっくりとおやすみ」と抜け出そうとしたが「イヤ」と夫を放さなかった。

8時に大佐がエズラを伴ってホテルへ来たときにはミシェルとポールが出迎え、ショウはエメと子供たちに見送られて自分のバイシクレッテとエレベーターで降りてきた。

「待たせてしまいましたかね」

「いや、1分前に付いたばかりだ。早速出かけよう。遅いと思ったら声をかけてくれたまえ」

「いえ今日は途中まで馬にあわせます。10マイルでは馬もきついでしょう。わたし達は50分で走る予定ですので降りはスピードが出るかもしれません」
その言葉どおりOld State Houseからワシントンストリートへ出てもゆっくりと身体を温める程度で馬の速度にあわせて町並みと降りの石畳の感触を確かめるように進んだ。

「社長、明日はゴムを厚くしますか、それとも空気を入れた新式にしたほうが良いですかね」

「まだあいつでは無理さ。破裂したらレースにゃならんよ。これだって今日で車輪事交換だろう」

「予備に持ってきたものと帰ったら早速交換しますか」

「ああ、明日の分も合わせて検査のためにすぐロッドに預けてアレックスへ送らないとな」
ポールを先頭に出して二人は打ち合わせをするとショウが前に出て緩やかに右へのカーブを登った。

その頃先頭では「このスピードではあの3人の実力がわからんな」

「そりゃそうだ。もう少し前に出てみるか」

「あとすこしで石畳が終わるからそうしたら早めてみるか」
ボストンカレッジの先は道の真ん中の鉄道馬車の線路分が石畳でその脇は北側が砕石、南側はまだ土のままだ。
ポールが出てきて「ショウ、前を見てください。あそこから線路脇は砕石か土のままです。どちらを通りますか」

「線路から外れてみるかいジャスティ、馬も砕石へ出るだろう。単線のようだからどちらから馬車が来るかわからんからな」
サウスエンドで左へカーブしながら道は少し下りになり馬が速くなった分ミシェルが前に出てスピードを上げた。

登りに成りカーブを幾つか左右に切ると道は直線が続いた。 
左手には小高い丘が森林となり右手に線路が迫ってきた。
線路の下をくぐるかと思うミシェルの予想と違い右手の小高い丘へ馬は向かった。
丘の上は新しい家が並んでいてその手前に商店が並びオムニバスが並ぶロータリーが見えた、半周して馬を休憩させるために水呑場へ向かうとショウ達はエメが用意したレモン水を飲んだ。

「大佐、今8時40分此処まで28分でした。帰りはわたし達が馬の前を走りますから」

「良いとも君たちの実力を見させてもらうよ」
ショウは降りを22分以内と計算して途中の学校までポールとミシェルに任せることにした、砕石だと大分負担が足に来たようだ。

「のぼりは後5分ほどつめるくらいで土の戻り道が勝負かな。雨が降ったら線路を通るほうが無難だな」

「そうですね。砕石ではニューマチックタイヤが破裂しなければ有利でしょうがまだ其処まで丈夫ではないですね。明日は厚手のゴムにしますか」

「8号か、良いだろう」
この旅にニューマチックタイヤと5号6号7号8号とゴムの厚さを変えて持参してきていたが販売用の6号で今日は走ってゴムの傷みの試験をしているのだ。
タイヤには其れほど傷もないが明日スピードを上げればこれでは無理のようにミシェルは思ったのだろう。

「アレックスに手紙を添えて前後を早く同じ大きさにしたほうが交換に便利だと念を押しておこう」

「どうしてわざわざ後ろを小さくするのか私には理解できませんよ」
ポールも後輪の小さいのには首を傾げるばかりだ、僅か2インチといえギヤ比を上げても回転数に比べて前に出る力が弱いのだ。
5分休憩して二人に合図をして元の道へ飛び出す三人をエズラが追いかけて出た後大佐はオムニバスから出てきた5人に「彼らは登りで28分だった。話の様子ではまだ5分くらいはつめられるだろうというて居ったぞ。帰りは大分つめて走るだろう」と伝えて後を追った。

「平地でマイル3分がいいところだとして往復30分、35分で走らんと負けるぞ。ハミルトン先生の後輪駆動とは大分違いがありそうだ」

「ミック、我々がこの道を登るのに22分だった帰りは下りだ16分なら大丈夫だろう。38分を3分つめるのは容易ではないぜ」
彼らは寅吉達が手分けして道の整備状況を観察しながら登ってきた事に気が付いていないようだがそれでも35分と読んだのは力があると認めている証拠だ。
この時代手入れのされた走路でワンマイル2分30秒を切るかどうかがLAB(自転車連盟League of American Bicyclists)にLAWBostonでの話題のひとつだ。

ダン(ダニエル)・ハミルトンはパリから帰りクラブを立ち上げこの協会設立のメンバーの一人だ。 
コロンビア社のメンバーは全員新型のハイ・ホイーラー(ペニーファージング)50インチに乗っていた。

一般の人はペニーファージングもしくはオーディナリーと呼ぶこの型を彼らホイールメンはハイ・ホイーラー(High wheeler)と呼んでいた。
20分後彼らも道を下りOld State Houseまで15分05秒で余裕を持って着いた。
大佐が待ち構えていてどのくらいで走れたとリーダーに尋ねた。

「登り22分、降り15分05秒、往復で後1分は詰められるでしょう」

「35分では無理かな」

「馬車鉄道の石畳を走れれば切れるでしょう。でも相手も同じように有利になりますよ」

「明日は砕石用に厚めのゴムにすると言って居ったよ。今日と同じものは痛みが激しいから使えないようだ。明日の10時から40分の間使えるように交渉してこよう、前から来なければいいわけだろ」

「ええそうです、抜かされるなどありえません」
リーダーは自信を持ってそう答えた、大佐は新式タイヤが有ると言うことを聞き逃したようだ。
ポープ大佐とエズラ・ジリヤールは連れだってウエスト・ボストン・ストリートレールウェイへ出向き明日の運行時間の調整を談じ込んだ。

「その時間を私のほうで借り切ると言うことで40分だけ使わせてほしい」

「大佐の事だ、なにが目的です」

「明日急にバイシクルの競争をする事になったのさ」

「それではクラブのためだ10時から40分だけで良いんですね」

「そうだ、だがその時間にOld State Houseとジャマイカ・プレーンの間のワシントンストリートに馬車がいては困るのだ」

「運行時間をずらして調整しますよ、もしうまく調整できないときは待避線に停めて置きます」

「頼むよ。レース結果によっては売り上げにも響くんでな」
二人は事務所を出るとどちらともなく笑い出した。

「アル、君は勝てばあの新しいバイシクルを安く買い叩くつもりだな」

「ばれたか、負けてもうちで売り出すといえば飛びついてくるだろう」

「そいつはどうかな。あのショウと言うのは中々の奴のようだぜ。それにその会社のプレジデントは横浜では有名人だそうだ」

「そうなのか昨日も君はそう言っていたが、トラヤなぞ聞いた事がない名だぜ」

「表立って動かないらしい。代理人を全て立てるやり方だそうだ。Mr.プリュインもその一人だよ」

「随分詳しいな」

「俺のほうの投資に一枚かませようと娘に引っかかりを付けたが、16の小娘があっさりと2000ドルを此方に預けて寄越した。ミラーの娘と上手く友達になってくれてな」

「そういえばトマスが来るそうだな」

「20日から2週間うちのウッドサイドパークの別荘に親子で来るのさ。ミラーの家族も来る予定だ。あの日本の娘も招待してあるのさ」

「ところで線路を使う事を教えに行くか」

「そうしないとアンフェアといわれかねないからな」
二人はスポーツマンらしくホテルへ出向きショウに来意を告げて線路の占有許可を取ったので10時から40分間は自由に走れることになったと伝えた。

「ありがとう御座います。教えていただけて嬉しいですよ。明日のレースはいいタイムが出そうですね」

「期待しているよ」
二人が帰ると早速ポールを呼び寄せミシェルの部屋で対策を話し合った。

「今日のゴムの傷みなら明日は5号でもいけるでしょう」

「イヤ、案外と石畳は痛むから7号にしよう、6号が余分にあれば後輪だけでも変えるか。レースでなければニューマチックタイヤを試すんだがな」

「7号ですか、すこし重いですよ」

「おいおい、ミシェル差なんて5号と500gもないぜ」

「ジャスティはそういいますが」

「マア待てよ」ポールとミシェルの論争にショウが待ったをかけた「いい機会だ俺が空気入りタイヤ、ミシェルが5号、ポールが7号で走ってみよう」

「1台分なら6号がありますよ」

「ほんとかよ。そんなに持ってきたのか」
ポールは其処までの準備をしてあると知らなかったようだ、普段リヨンとパリに分かれていて今回も船が別でニューヨークで合流したのだ。

「ホイールは全て4台分用意しておきました。でもショウ、ニューマチックタイヤは破裂するとスピードが出せませんよ。危険ですがいいんですか」

「一人抜けても大差はないさ。ならジャスティは6号で行こうか。俺がいけるところまで最初から引っ張るから後は頼むぜ」

「エアーはどの位にします」

「一杯にして気持ち抜くのが良いだろう」

「では朝に調整して置きます」
ミシェルの部屋に備品があり3台を運び入れてあるので調整を頼んで出かける支度をしにスィートに戻った。
部屋にはクラリスとアリエルが来て持っていくドレスを紙製の手提げ鞄に入れてショウを待っていた。

「ショウ、アリエルとクラリスに付いてきてもらって明子たちがドレスに着替えたところを写真に撮ってもらいましょうよ」

「そいつはいいな。クラリスの写真の腕はパリ一だ」

「またショウは人を煽てすぎですわ」
子供たちが笑いそれに釣られて全員が笑いながら支度を進めた、エメは内線で受付へ連絡してもう1台馬車を呼ばせた。
ショウを寝室でエメが着替えさせ10時半に呼んだ馬車が着いたという報告が入りドレスを持ったメイドも付いてエレベーターで下へおりていった。
下には清次郎が待っていて馬車まで荷物を分けてもった。

「オーイ、ショウ何処へ行くんだ」
馬車に乗り込もうとしたとき向こうから呼びかける声で振り向くと勢いよくかけてきたのはダンだ。

「何だ、ボストンへ出てきたのかい」 

「火曜から丁度タフツ(Tufts University)に講義を依頼されたのさ。昨日の話で随分急な話だったがいい機会だから受けたんだ。世話になった先生の代理なんだがショウとエメの顔も見たかったしな朝一の特急で来たんだ」

「出かけるから一緒に乗りなよ。子供たちは詰めて乗れば大丈夫だから。荷物がないと言うことはもうチェックはして来たんだろ」

「ああ、チャールズタウン(Charlestown)の先生の家に厄介になるんで其処へ置いてきた。やぁ、エメ元気そうだな。サラは僕を覚えているかい」

「ええ、覚えているわ、ダニエル・ハミルトン先生よ。ジュールの2才の誕生日にお会いしたわよ。3年前よ」

「こりゃ驚いた。その日が最後だったかな」

「そうよ。だって私に4才の誕生日に会えないからと言って贈り物を持ってきてくれてその日にル・アーブルへ旅立つと言ってお別れしたんですもの」

「おいおい、ショウお前さんたちの娘は凄いな。俺なんぞ4才の時の事は思い出せることなんて何もないぜ」

「サラは特別さ。言葉も3ヵ国語で会話できるよ。ミチとタカにノエルとさらにソフィアたちとはジャポネ(Japonais)で手紙のやり取りをしてるそうだ」

「参ったね。なら僕がフランス語を思い出せなくても会話は大丈夫だな」
ダンが面白おかしく最近の生活を話しているうちに丘のパムの家に付いた。

「大分と大人数になったが大丈夫かな、写真機をクラリスが持ってきたから順番にドレスに着替えて記念撮影だよ」
アリエルとエメが順に着替えさせて日当たりのよいポーチで一人ずつの写真を撮りプリュイン夫妻が着いてすぐ着替えてもらうと全員揃ったところで集合写真を撮った。
その頃にはパーティに参加する人の大半が集まりドレスに着飾った5人を口々に褒めた。

クラリスは残りが3枚と気が付き「あと3枚残っているけどなにをとります」とエメに相談していたのを聞いたアキコがジョリーとその子供たちを入れた写真を撮ってくれるように頼んだ。
ドレスをジーンズに着替えてアンディにジェニーとサムも呼び寄せ、ブッシュさんに連れられて来て呉れたメグにナンシーも入れると納屋の前の囲いの中で写して貰った。

「子犬が動いた気がするからもう一枚」

クラリスにいわれてジョリーはアキコとヒナの間に座らせアンディはヒナの膝の上に抱き、黒の牡はアキコが捕まえ、4人の子供たちが子犬を1頭ずつ抱いてブッシュさんの足元に座り込んで写して貰った。
ブッシュさんは写真が出来たら此方へお送りくださいと名刺を渡した。

その頃にはボブとディックの家族が馬車を連ねてやってきて丘の家はおおにぎわいだ。
1時丁度にフレッドが馬車に3台のsafety bicycleを積んでやってきた。

目敏くダンが見つけショウに「これが最新の奴か。パリジェンヌと其れほど変わりがないな。前が28インチに後ろが26インチか。どうせレディ用なら前後とも26インチが良いだろう」と仔細に検討しだした。

「一番はファンとチェーンか。随分華奢になったな2000gは軽くなったか」

「その通り、丁度その分軽くなったよ。前後とも26インチは頂きだな、出来れば男性用は前後27インチにしたいところなんだ。あと気が付かないか」
暫く仔細に眺めていたがセラがスプリングで悪路でも尻に負担が少なそうだと気が付いたことを言った。

「そのセラが上下に簡単に動くのも新機軸だ、足の長短に合わせられるのさ。そうだダンも新しいのに乗るかい。学校に昔のように乗って行かないか、今はえらくなって馬車で送り迎えがついてるのかい」

「まさか今でもバイシクレッテだよ。パリから持って帰った奴に乗っているよ。そうだ名刺があるんだ」

リーグ・オブ・アメリカン・バイシクリスト(League of American Bicyclists)理事とリーグ・オブ・アメリカン・ホイールメン(League of American Wheelmen)ワシントン支部理事の肩書きが入った名刺を呉れた。

LABかアメリカには大きな団体がいくつもあると聞いたがその中でも有名だな」

「しってたか、それなら話しが早い。ハイ・ホイーラーが会員の多くが好む機種だ。俺たちが乗ったパリジェンヌの新型ではなぜかハイ・ホイーラーに勝てないようになってしまった」

「新型と言っても10年前だぜ、もはや旧型さチェーンが重過ぎるんだよ、やはり平坦地ではペニーファージングが強いのか」

「チームを組んで走ればそうは簡単に負けないと思うんだが」

「では10台分の本体と予備のために替えのホイールに新型のニューマチックタイヤ(pneumatic tyre)にギヤを昔のように3種類つけてプレゼントするからチームを組んでくれないか。今回販売用以外に20台分はレースチーム用の装備一式入れて送ってきてあるんだ」

「何だ、俺に呉れるつもりで狙ってたな。空気入りタイヤが実用になったか」

「まだ試験段階さ。破裂してしまうと直すのが大変だからな」
そういうわけだと二人で笑っていると最後の一枚の写真を室内で撮り終わったクラリスとアリエルが先に戻って写真の現像を頼みに行きますと待たせておいた馬車で市内に戻って行った。

「そういえばクラリスの旦那のジャスティがパリで優勝したんだよな。ショウの時代はもう終わりか」

「俺は短距離向きだな。10マイルがいいところだ。そうだ明日はコロンビアのポープ大佐に挑戦されてあそこのチームとさっき馬車で此処まで登って来た道で勝負するんだ」

「本当にやるのか、あそこのチームは強いぜ、しかし10マイルくらいかならショウに勝ち目がありそうだ。坂道も有利に運びそうだぜ、あいつら平坦地でのチャンピオンだからな」
家に入らずポーチに座り込んで二人で話し込んでいるとフレッドがジーンと出てきて契約が決まったと報告した。

「お嬢さんよろしくお願いします」

「でもバイシクルに乗った事がないのよ。最初のお仕事の日までに練習しませんと」

「そいつはボビーとも話したんだが覚えないで欲しいと言うことなんだ」

「なぜだい」

「リーグ・オブ・アメリカン・ホイールメンの連中も大勢来て貰って宣伝をするんだがその時にコスチュームに着替えてから初めての乗り方を指導してもらう予定だ。幸いスケートが上手だそうなのでバランス感覚がよさそうだ、すぐその場で乗れれば大成功さ。なまじ練習されると宣伝効果が半減してしまうと言うのさ。だからバイシクルの贈呈はその時に行うのさ」

「そういうことだそうです、確かミス・ジーン。えっと」

「ジーンは愛称でジョージアナ・ブリジット・ヴォーンですわ、ムッシュー・ショウ」

「ミス・ヴォーンですねよろしくお願いします」
ジーンは改めてジーンの名前の由来などを話しいっぺんに其処にいる人たちの中に溶け込んだ。

トミーが昨日の二人の監督とやってきた。

「今日は試合が12時30分に終わってしまったんだ。昨日ここでパーティがあると聞いていたのでやってきたんだよ」

「どちらが勝ちましたの」

「うちの大勝利さ」
ミーナともわだかまりなく話す様子にほっと胸をなでおろしたのはアキコだけではなかったようだ。
二人の監督はアキコにぜひトミーが話す球を投げるところを見せてくれと懇願してきた、グローブとボールを持ち出したトミーをアキコは軽く睨んだがすぐ柔軟体操をしてキャッチボールを始めて徐々にスピードをつけトミーの胸元をめがけて思い切り例の球を投げ込んだ。
グローブを押し込むようにボールはホップしてトミーは押さえるのがやっとのようだ。

「凄いな」
ボブとディックも驚きを隠せないようで二人の監督と握りと投げるタイミングを議論しだした。

「話は本当だ」

「こいつが常時投げられれば打てるもんではないな。トミーお前確りしろよ。お前プロなんだからもっとコントロールがよければな何時でも試合に出れるんだ」

「アキコすまんがあと2球投げてくれ」

「3球ほど肩慣らしをして投げて見ます。続けては肩と肘が壊れそうなの」

「良いとも今度はトミーの左肩付近から上に抜ける奴を投げてみてくれ」
二人の要望どおりに投げ終わると「すまないがもう少し付き合ってくれないか。俺たちも受けてみたい」と落ちる球とホップする球を2球ずつ投げさせた。
二人の監督も落ちる球の落差とホップする球の勢いに呆れた顔をしていた。

「さ、皆さん新しいお茶が入りましたから中へどうぞ」というパムの声でぞろぞろと中へ入った。

ジーンはトミーの世話を焼きながら今日決まったバイシクルの宣伝の仕事の事をどうだろうといまさらのように相談した。
「良いと思うぜ。なんと言っても平等の社会だ、どんどん女性が進出するのはいいことだよ」

「ではアキコもベースボールチームに入れるかしら」

「そいつはどうかな。素人チームには何人か居るようだがプロとなると簡単にいかないよ。オーナーが英断しても他のチームが賛成しないかもしれないしな」
誰が見てもジーンがお熱なのは明白だがトミーだけは気が付いていないようだ。

子供たちはミーナが相手をして食堂で楽しそうに歌っていてスーの特製ケーキとアイスクリームを食べさせてもらえるのを待っていた。
アキコがトミーたちにショウとエメを改めて紹介しモリルとライトの二人の監督に頼んでジミーから今朝分けてもらった写真にサインしてもらった。

「昨日はお顔も知らず失礼しました。父はベースボールが好きでよくレッドストッキングズの事を話していたのですがお名前までは覚えていませんでしたの」

「いいのですよお嬢さん。遠い異国の人に吾がチームのファンがいる事がわかってうれしい日になりました。ビーンイーターズになって3年目やっとこの名前も人に知られるようになりましたが今年は楽ではありませんよ」
フレッドが持ち込んだバイシクルにも興味を示し7年前にビーコンパークで行われた最初のバイシクルレースの事を話題に乗せた。

ダンもその話しを聞きに側へやってきた。

「あれはパーカーというハーバードの学生だったよ」
モリルはそう言って盛んにホイールメンたちの事をダンと話していたがビーコン・トロッテイング・パーク(Beacon Trotting Park)は来週開催だなと話題を変えるようにトミーに念を押した。

「そうです。うちの兄貴も今回は4レースに乗るそうです」

Mr.マエダはトロッターに競馬なぞお好きですか」

「競馬場には年2回ほどくらいしか行きませんよ。横浜本社のMr.ネギシは牧場も持っていて今は12頭ほどの競走馬がいるのではないでしょうか」

「ほお其れは凄い、さぞかしいい競走馬をお持ちでしょうな」

「聞いた話では今は其れほどの馬を置いていないと言うことですが、去年共同でケンタッキーから牡の種馬を買い入れたそうです」
ジーンとミーナがタマたちと交替して広間に出てきた。

エメとショウはアキコの部屋を見たいと3人で2階へ上がり其処から見えるアトランティック・オーシャンを眺めた。

「実はアキコと3人だけになりたかったの。この部屋を見て横浜へ報告する以外に投資の相談がありますのよ」
エメは優しく切り出した。

「私投資のことなぞわかりませんわよ」

「わからなくてもいいんだが、実は寅吉の旦那様が電信をくれてアメリカで投資をするならエジソンのエレクトリックにベルのテレホンだと言って来てくれたんだ。後は鉄道だがこいつはむずかしいと言って来たんだよ」

「あら其れ私もミーナの知り合いのジリヤールさんに勧められましたわ。個人の資金が2000ドルあるので投資に回していただきましたの。他には海運業者を推薦されましたわ」

「エメが2万ポンド。僕が3万ポンドの5万ポンドをマベルとゼネラルエレクトリックを中心に投資するつもりさ」

「凄い、そんなにアメリカへ投資なさいますの。いまだと20万ドルくらいかしら」

「そう、その代理人をアキコにお願いしたいのさ」

「無理ですわ。私そんな大金のお世話なぞ出来ませんもの」

「君は、わたし達の代理でプリュイン&ショウの役員という名目でこの投資金の管理をするだけでいいんだ。別に一年のうちに何度も売り買いをするわけではないから、株主への配当のお金の受け取りとその分の保管人が必要なんですよ」

「でもあと2年で横浜へ戻る事になりますのよ」

「そのときは清次郎に引き継がせます、どうやらニューヨークにも氷川商会と虎屋の合同で支店を置くらしいのです。このボストンでプリュイン&ショウにはわたし達の派遣した社員がいないのでお願いします」
エメもアキコの傍に座り「なにぶん取引相手の言い分だけ聞いている投資では不安なのよ。貴方が引き受けてくだされば配当金のうちからお小遣いが出ますのよ。そうすればお友達とこのようなパーティを開く時などの細かいお金のやりくりも楽になるわよ」と話しを進めた。
日本的な心情に訴えるショウに欧米的な利もあるのよというエメの言葉にアキコは何時の間にやらダイムノベルスの主人公になった気がしてきた。

「何かあたしってビジネスウーマンになっていくみたい」

「ふふ、アキコって面白いわ」
エメは18でいっぱしのそのビジネスウーマンになっていた自分を思い出して愉快だった。

「でもペールからの電信でというだけでそんなに投資しますの」

「実はパリで知り合ったオーストリアから来ていた友人がパリのコンチネンタルエジソンから此方へ来ているんですよ」

「ボストンですの」

「いえニューヨークのエジソンマシンワークスだそうです。手紙を出して有るのですがまだ連絡がつかないんですよ。彼は発電機の開発に役立つとパリのムッシュー・バッチュラーの推薦で此方へ来る事になったんですよ」

「その方若い人なのですの」

「確か僕と同い年のはずですよ、パリへ出てきた時に知人の紹介であった時に26だといっていましたから。でもエジソンはけちですね彼に週18ドルしか出せないといったそうですよ。それでも発電機の改良に成功すれば50000ドルの報酬を出すと言ったそうで其れに期待を込めて寝食を忘れるくらい打ち込んでいるそうですがね」

「でもそんなにけちだというエジソンさんが50000ドルも出すかしら」

「其れを心配してるんですよ。彼は一本気ですからねエジソンが報奨を出さないで自分の努力に報いてくれなければ会社を辞めるかもしれません」

正太郎はそのニコラという人のことを気にかけているんだという事がアキコにもよくわかった。

「アキコは16でしたよね、エメと出会ったのは17だったっけ」

「違うわあの時は5月だったから18になっていたわ。ショウは17だといっていたけどまだ16だったのよね」

「そうか25日だったな3月14日の誕生日から2月ほど後か、あの頃のサラは随分若く見えたっけ、エメと3つくらいしか違わないと思って傍にいたバーツのほうが年上に見えてアレクにそういったら笑われてしまったんだ、でもマリィがエメは17だと言ったんで暫くはそう思い込んでいたんだよ」
二人はアキコにざっとその頃の二人の馴れ初めを話しながら下へ降りた。

「じゃショウはエメがお金持ちだと知らなかったのね」

「そうショウは私が学費稼ぎに夜にフォリー・ベルジェールで働いていると勘違いしていたの。サラ・ベルナールに競馬場へ誘われてそのドレスを作ってくれたり、競馬で儲けさせてくれたりと優しかったのよ」
サラ・ベルナールの話をしているとジーンやミーナにタマたちが集まってその話の続きを聞きたいと集まってきた。

「エメのお嬢さんにサラ・ヨーコとつけたのはサラ・ベルナールから頂いた名前なのね」

「そうなの其れとヨウサマというアキコのメールからヨウという字にコをつけてヨーコとさせてもらったんですよ」
話しが通じない部分はアキコとジーンが説明役を買って出てくれてフランス語やら日本語やらが飛び交う可笑しな場になり笑いが絶えなかった。

「ジュールもフランスへ来たショウの友人第一号のジュリアン・ドゥダルターニュとコタさんという名で親しい人から呼ばれているアキコのペールから頂いたの。アキコとショウがフランス語を教えていただいたベアトリスとジュリアンは従兄妹なの」

ショウが競馬場に誘われ馬の事は何も知らないながらジュリアンや画家のルノワールからのアドバイスで800フラン儲けた話しをした。

「あの頃の自分には800フランは大金でしたよ」

「貴方今でも800フランは大金よ」

「ボストンでも160ドルは工場で働く人でも良い方で16週分の給料ですわよショウ」
パムは今でも虐げられた労働者が多いという話と女性は安い賃金で重労働につかざるをえないと話した。
実際ビーコンヒルあたりでは移民のアイルランド人の住み込み下女だと週2ドルだそうだ。

「あの頃のパリでは女性は1日10時間働いて4フランいただければ最高でしたわ」
あの当時サラ・ベルナールはショウとエメを自分の弟と妹のようにかわいがってくれた事などを話す二人だった。

ブッシュさんがメグにナンシーと3頭の子犬を馬車に乗せて帰るのを皆で見送り、トミーたちもパムに挨拶してショウと握手して帰っていった。

プリュイン夫妻とボブたちの迎えの馬車が着いてもう少し残りたいがと後ろ髪を惹かれるように帰って行った。

留学生仲間にジーンとミーナも帰りパムの家族が洗い物を引き受けてショウとエメは広間で子供たちにせがまれてジュールベルヌやシラノドベルジュラックの不思議な世界の話しをした。

パムとスーは清次郎が話すサンフランシスコや横断鉄道の話で意気投合していた。
コニーも片づけが終わり話に加わり「サラ・ベルナールは今何の舞台で何の役を演じているのかしらと聞いてきた、サラはボストンへも来た事があり人気があるのだ。

「4月からシアター・ポルト・サン・マルタンでユゴーのマリヨン・ドロルム(Marion Delorme)を上演していますわ。人気が高くてわたし達がパリを出る時も続演が決まりましたわ」

「そのお話読んだ事があるわ」
アニーが話しに加わりコニーは読んだ事がないと話しの内容を教えて欲しいとアニーに覚えている事を話させた。

アニーが話したことに補足するようにエメはユゴーがルイ13世が意志薄弱で迷信深く残虐な性格として描いたため上演禁止になってしまった事や翌1830年に七月革命がおき、コメディ・フランセーズで1831年になってマリー・ドルヴァルのマリヨン役で上演され華々しい成功を収めたと裏の話しをした。
この当時のユゴーはルイ13世を悪く書いたのが響いてたびたび上演禁止の処分を受けていたのだ。

ショウがリヨンに静養中のユゴーをサラ・ベルナールと尋ねた時の話にはパム親子は羨ましそうに他に思い出せる事はないかとショウに細かな事まで話させその時の食事についてもショウが思い出せる限りの事を話させるのだった。

其のユゴー先生も正太郎一家がフレンチ・ラインで大西洋を横断中の1885年5月22日に亡くなりパンテオンに遺骸は納められた。

ブッシュさんがコニーたちに話していたように明日から子犬たちを2軒の家に昼間だけ連れてゆき10日ほどたったら夜も留め置くようにというアドバイスで今晩は納屋で寝かす事になった。

ショウとエメの家族も帰りスーも楽しかったわと満足そうに帰るとアキコはジョリーに会いに納屋に行きさびしくなった小屋で子犬たちと遊んだ。

ショウはホテルでダンを連れて喫茶室によりポールとミシェルを呼び寄せた。

「お久しぶりです教授」
3人が交互に一瞥以来の挨拶を交わした。

ツール・ド・パリで新型パリジェンヌでチャンピオンになったダンは少年だったミシェルの憧れの選手だった。
その頃全盛と言ってもよいショウのチームは参加レースの2回に1回の割で勝利した。

73年10月26日ツール・ド・パリにポール・モルガン・ベルナールのペニーファージング。

73年11月30日リヨン・デュ・ツールはユベールで新型パリジェンヌ。

74年05月03日ツール・ド・パリのダンは新型パリジェンヌ。

74年06月14日リヨン・デュ・ツールはポール・モルガン・ベルナールの新型パリジェンヌ。

この時のチームは強かったと今でも言うがペニーファージングの改良も進められていて新型パリジェンヌも勝てない日が続いた。
そして10年の間に5回の勝利と数々の入賞をしたが二人のポール時代の交代したのが5年前、ポール・モルガン・ベルナールはチームの総監督としてパリとリヨン、ディジョンの三つのチームを率いた。

昨年パリで勝利したのはポール・ジャスティアン・シラク、39才になった彼は2回目のパリ制覇だ。

( 幻想明治は妄想幕末風雲録の酔芙蓉、横浜幻想の続きであり自転車の歴史とはずれがあります。後輪をチェーンで駆動したのは1879年、ローバーセーフティは1885年に前後輪を同一にし、実際の空気入りタイヤの実用化は1888年、フリーホイールは1896年になってからです。)

「大器晩成とは君のことだ」
ダンはそう言ってジャスティとの再会の喜びを表現した。

パリが11月2日でリヨンは11月30日のミシェル、どちらもパリジェンヌとローバーを使って改良した新型で今回のボストンで売り出すモデルになったバイシクレッテだ。
ミシェルの部屋へ移動してその時の写真を見せて明日のレースに使うローバーとの違いを話した。

「平坦地なら前後を同じ27インチにして前傾姿勢をとりやすくすればもっとスピードが出せます」

「そうなんだよな折角フリーホイールになってもギヤを交換しなければレースに勝てない。ショウは自分で工場を持てば幾らでも作れるのにアイムに遠慮ばかりして歯がゆかったよ。それでアメリカへはどのくらい輸出するんだ」

「年内3000台のつもりさ。出来ればパテント(特許Patent)料を取ってライセンス生産に切り替える予定さ。すでにスターレーとアメリカでパテントオフィスへの登録は済んでいるんだ。向こうへは86年度から3年間1台5ドル最低保障5000台の25000ドル、その後は此方へ金が入る契約さ」

「うまくやったな20ドルで契約すれば1台15ドルか。年5000台は固い契約だ」

「ダンそいつは甘いぜ。僕のほうでは3年で30000台と見ているのさ。その後も年間20000台を見込んでいるんだ」

「本気かよ。でもなパリジェンヌから10年しかし今度は3年で改良型が出てくるだろう」

「その分も横浜へエメと行った時トラキチ旦那と引いた図面を見たろ、あれに添ったパテントを各国へ申請してあるんだライセンスなしの生産は出来てもその申請国へ輸出される事はないのさ。後10年間有効だそうだから充分儲けさせて貰えるよ。問題はドイツとオーストラリアにジャパン、さらにロシアも脅威さ此処は国内で充分売るだけの力があるからな。裁判に金をかけるのもアメリカやイギリスにフランスのようにはいかないのが悩みの種だ」

「参ったなもうそっちの心配か」
4人で大笑いになったがダンは明日一緒に走りたいが此処には3台しかないのかと不満顔だ。

「レースは3人の約束だが一番最後に後れて出てタイムを競う気なら話してみるぜ。競技用のローバーにミシェルがすぐ組み立ててくれるさ、見本のレディ用のフレームでよければな。今日見たのと同じ奴に競技用のホイールを嵌めればオーケーさただし前後ともそろえられるが26インチになってしまうんだ」

「そのニューマチックタイヤが余分に有るのかい」

「有るんだよ、明日は僕だけがそいつを嵌めるんだ。ジャスティにミシェルはそっちの奴さ」

ミシェルがスィートへ出向いて女性用を1台降ろしてきた。

見ている前でホイールを入れ替えて「明日はショウと同じ圧にしますかすこし固めに入れて置きますか」と聞いた。

「パンパンでは石畳は辛いな」

「ではショウと同じに明日の朝に調節をして置きます。其れとも馴れるために乗って帰りますか。必要な工具は余分にありますからお持ちになってよいですよ」

そう言って皮袋をひとつとハンド式の空気入れを差し出した。

「もらって良いのか。帰す必要があるかい」

「良いよあげるから持っていきなよ」
ショウがそういうと嬉しそうに乗って帰るがニューマチックタイヤがパンクすると明日困るなといいだした。

「仕方ないミシェルもう一つ出しなよ。其れを背負って走るのは危ないから馬車を呼ぶよ、そうすれば前に填めてあった分も持って帰れるぜ。夕飯を食ってから帰るかい。明日の朝も予備と一緒に馬車で来るんだぜ」
ダンでは仕方ないとショウは言って予備を入れたズックを出させて馬車の事を念を押した。
ダンは明るいうちに一回りしてみたいと馬車を呼び寄せてもらうとすぐ帰っていった

明治18年(1885年)6月8日月曜日

月が出たのは夜中、ボストンでは朝日が昇る頃まだ西の空にその月が残っていた。

朝3人は軽くランニングをして身体をほぐしてから軽い食事を取った。

昨日までと変わり真夏のような陽射しが街を暑くした。

その熱気に負けぬようにエメが用意したレモン水をバイシクルに取り付け30分ほど街を一回り走ってオールド・ステート・ハウスの前に着いたのは15分前、すでにダンもついていて大佐と話し合っていた。

「君たちと話したように6人が出た後10分後にコロンビアのチームの人たちと一緒に此処を出る事になったよ。いいタイムがでればいいがな」

「一人じゃないならいいタイムが出そうですね」

「だがあのチームにこの間ペニーファージングでも30マイルで5分も引き離されたからな今日は目一杯最初から飛ばしてみるさ。帰りは下りだフリーホイールには絶対に有利だぜ」

「そういうことさ行きに先行できればこっちのもんさ」

大佐が自分のチームの面々を紹介しダンがショウ以下のチームの紹介を買って出た。

「君達ショウはパリでは僕に勝てなかった程度だが今日はそうはいかんぜ。新型車に新しいホイールとニューマチックタイヤがついているんだぜ」

噂に聞いたそのタイヤを興味深そうに眺めていたが触らせてくれという無礼なものは幸いといなかった。

「ダンあの予備のタイヤを大佐に預けて時間つぶしをさせていいぜ。まだ特許のおりていないものだがうちのほうで全て抑えてあるからマネをする事は出来ないのだよ。俺たちが出たらそうしてくれないか」

「わかったショウの事だ何か考えがあるのだろう。そうしておくよ」

各チームが3人縦に並び真ん中で大佐が時計を眺めて出発の合図を出した。

Mr.プリュインとエメに手を引かれた子供たち、清次郎にクラリスやアリエルの顔も見えて、噂を聞いたホイールメンの面々と街の人たちに見送られて10時丁度にワシントンストリートを飛び出していった。

ショウはなだらかな降りを利用して最初から猛スピードで漕ぎ出して後ろも見ずにワンマイルを2分40秒で通り過ぎた。

予想通りハイ・ホイーラーの3人はショウに食いつき自分たちのペースを忘れて置いていかれるのを防いだ、そのあとからミシェル、ジャスティと続いてサウスベイ(サウスコーブ)の海岸近くを通り過ぎていった。

サウスエンドの直線ワンマイルで後ろの3人の音を聞いたショウはさらに踏み込んで上り坂の手前まで全員を引っ張った。

案の定此処で前に出た三人を先行させジャスティが出てミシェル、ショウと並びを入れ替えた。

其処にいた連絡員が急いでポープ大佐に連絡に戻り報告を受けた大佐はにんまりとした。

「幾ら新式のタイヤでもうちのチームには勝てないようだ」

そのダンに渡されたタイヤの感触を試しながら「あとのチームとすれ違ったか」と聞かずにいられなかった。

「ええ、教授は真ん中で楽に走っていましたよ」

「彼はうちの実力を知っているからな無茶をしないんだろう」

エズラや街の大物たちと愉快そうに笑った、そのダンを入れて10人のグループは最初のワンマイルを3分で走り坂道を登る力を蓄えての走りをしていた。

ショウのチームは登りのワンマイルは無理をせず相手に合わせていたがジグザグの道が終わり目当ての教会が左手に見えると2人に声をかけて先頭に出た勢いのまま苦労しているハイ・ホイーラーの3人をごぼう抜きして先行した。

その直線を上り坂と思えぬスピードで乗り切り旗を持った者の指図で昨日の丘のロータリーへ出て鮮やかにカーブを曲がりきった。

ポールが10メートル、ミシェルがさらに10メートル、あとの3人はロータリー半周分遅れていた。

時計を見ると18分丁度は予想以上のスピードだ。

「こいつは凄いタイヤだ。それにしてもうちの2人も凄い奴だな俺の脚はくだりで持つのか」

ショウはそう思いながらも水分の補給を平坦な場所で摂りながら進みワシントンストリートへ出ると一気に道を下った。

直線はワンマイルハーフほぼ2400メートル途中登ってきた10人の者とすれ違った、そこを乗り切り後はジグザグをバイシクルの力に任せて足を休めて下った。

150ヤードほどで左右にくねるその道はあとから追いかけるハイ・ホイーラーの3人には予想以上に足に来る悪路となっていた。

「昨日のスピードなら難なく降れたがこのスピードには付いていかれん」

そう思いながらも車輪の動きをセーブする足への負担は大きく無理なブレーキ操作なぞできるわけもなくその差は縮む事はなかった。

サウス・エンドの平坦地へ出るとショウに追いついたジャスティが「後ろは大分離れましたがショウはまだ余力が残っていますか」と声をかけた。

「残りワンマイルくらいはまだ大丈夫だ」

「ではショウが先頭で進んでください。後ろが近づいたらミシェルを前に出しますから」

相談が終わると残りの道をショウは懸命にもがいた。

入り江の埋立地からの僅かなのぼりは大分きつかったがダウンタウンに入り見物に出てきた人たちの声援が力を与え最後の緩やかなカーブを切るとゴール地点のオールド・ステート・ハウスが見えた。

Mr.プリュインのピストルが見えそこを通り過ぎると空砲の音が響いた。

約束通りファニエル・ホールまで進んでそこで時計を見ると33分になっていた。

「おいジャスティ今何分だい」

時計を合わせると合っていて「帰りは14分30秒程度でしょう。凄いスピードでしたね」と健闘を称えた。

「君はまだ余裕がありそうだな」

「いやこれが精一杯ですよ。後ろを警戒していたミシェルはまだ大丈夫でしょう」

その頃にはハイ・ホイーラーの3人がショウ達に握手を求めてきた。

「いゃあ驚きました上りでリードするつもりがすっかりやられてしまいました。バイシクルの力以上に脚力の見事さに感服いたしました」

「いや、平坦地なら此処までよい結果が出せるかわかりませんよ。降りは今のハイ・ホイーラーには辛かったでしょう」

「その通りです、ぜひ平坦地で争ってみたいものです」

「ダンがチームを組む気になれば援助するつもりですのでそのときは対戦してくれませんか」

「良いですとも楽しみにして居りますよ」

話しをして新式のローバーの仕組みにタイヤを見せているうちにダンたちが戻ってきた。

「35分以内で走れたぜ。そっちはどうだ」 

顔見知りのチームリーダーのMr.ハートフォードに声を真っ先にかけた。

「僕は33分20秒を切りましたが完敗です。ショウは33分台前半でしょう」

「ウェツ、そんなにだしたのか。道理でくだりのスピードが凄いと思ったぜ」

ダンは4人でほぼ同時にゴールしたようで「昨日乗ったばかりにしては大したもんだ。俺もまだまだ捨てたもんじゃないな」とご満悦だ。

レディ用に大ギヤを取り付けたローバーを食いつくように見るハイ・ホイーラーの面々は「レディにこいつで負けたりしたら恥だな」と笑い出した。

「オイオイ笑い事じゃないぜ。記録を破られる事はないだろうがいつかそういうスーパーウーメンが出る日が来るかもよ」

其れも冗談に聞こえるくらい今日のレースに負けた事よりも予想以上のタイムを出せたことに満足しているようだ。

決勝点から一同がやってきて大佐が正式タイムを伝えてくれた。

Mr.ショウ、君がトップで33分13秒だった。セカンドはMr.シラクの15秒、サードMr. バルデュス16秒、Mr.ハートフォード18秒、Mr.アストン22秒、Mr.ダウナー23秒。君達の完勝だその大きなギヤを動かした君達の力に脱帽だよ」

スポーツマンらしくMr.ポープは勝ち負けにかかわらず6人と握手を交わした。

あとの10人についてもトップはMr.ドレイクの34分26秒、Mr.ハミルトンは27秒で3番目だったとつけてきた記録を読み上げた。

やはり選ばれた3人はチームのトップメンバーだったようだ。


その朝のチャールズタウンは穏やかな風がそよいでいた。

バンカーヒルストリートのライアン家のリカーショップは入荷してきた商品の酒瓶の整理に追われていたがそこへ5台の馬車が着いて先頭からショウとエメが子供たちと降り立った。

「いらっしゃいませ。なにがお望みですか」

その言葉を引き取るように次の馬車からプリュイン兄弟が降り立った。

「おはよう。テッド今日は買い物ではないんだ。いい話しがあるんだ」

「では此処で立ち話もなんですから中へどうぞ」

フレッドがあとから清次郎とやってきたが奥の事務所は広くそこにいた連れ合いのアルマと両親にフレッドが次々にショウの家族を紹介した。

「それでいい話と言うのは新しい取引の事ですかい」

「其れもあるがね。今度売り出すバイシクルの事を聞いているだろ」

「ええボブからこの間聞いたばかりです」

「実は今日五台持ってきたんだ」

「安く売ってくれるんですか」

ボブはフレッドに話しをさせると彼を指し示した。

「テッドもっといい話だ君のところにある前のパリジェンヌと新型車を交換しようというんだ。君のところで余分に何台か買い入れるなら其れも特別値段で売るがね。とりあえず今の5台と新型5台を無償交換するつもりだ。条件は何もないんだ」

「馬鹿にいい話だね」

「うん、そうなんだぜ。君のところのWineの取引が此処3年で倍になったのでそのお礼もあるんだ。今日持ってきてあるんだが見てから決めなよ」

一同が店の前に出ると従業員たちも手を休めて新しいバイシクルに見とれていた。

「今回も配達の時に乗り降りしやすいように女性用の方を用意したが男性用のほうがお望みならこいつがそうだ」

そう言って6台目のバイシクルを指し示した。

「いや後ろに荷をつけると女性用のほうが停め易いからね。遊びとちがうのでそいつは扱いづらいよ」

「そういうだろうと思った。それでまだ荷台を取り付けていないが必要ならこの場ですぐ取り付けるよ」

「そこまで用意してきてくれたんなら早速お願いしたいね。チャーリーも新型に乗りたいだろ」

「噂は聞いています。ポープ大佐のチームに勝った新型だそうで、こいつで配達すれば自慢できますぜ」

フレッドを先頭にプリュイン&ショウの社員がすぐに荷台を頑丈な物に交換してブレーキ操作とフリーホイールの事を説明した。

「ペダルで停めるんじゃなくてこの取っ手を引くんですよ、同じようなブレーキですが今のより扱いやすいよ」

アルマがお茶の支度が出来たと声をかけてフレッドにそこを任せて一同は事務室に戻った。

「大分高い物だそうですが5台も頂いていいんですか」

「なあに宣伝費さ。幸い昨日行った勝負に勝ったし、もう町に新型車が走っているとわかれば予約も取りやすいからね」

「幾らで販売するんですか」

「140ドルで予約を取るのさ、今月ボストンで販売できるのは500台ニューヨークで300台がやっとなんだ。関税は安いと言っても輸入していては送料も掛かって高い物につくので3年後にはさらに改良して此方でライセンス生産をするつもりだがそいつはまだ先の話さ」

 

東京へ出て健太が案内に立って竹本綾瀬太夫の出ている浅草猿若町の文楽座へ向かった。

了介に八十松そしてお薗の玉之助に叔母である鶴勝のお勝さん更に師匠格の芙蓉が付き添っての東京見物だ。

若くしてなくなった竹本綱大夫が得意とした卅三間堂棟由来を二代目竹本津太夫が傾城阿波鳴門を竹本綾瀬太夫が語った。

卅三間堂棟由来、平太郎住家より木遣音頭の段より

妻はあたりを立ち退いて、奥を覗いつ立ち戻り、おづおづ傍へ立ち寄って、ゆり起こせども、夫は寝付きの高鼾。

梛と柳と契りたる、連理返りや楊枝村、女夫坂とて云ひ伝ふ、棟木の由来因縁を、語り伝へていちじるき。

舞台がはねたあと5人で師匠の楽屋へ挨拶に出向き綾瀬太夫が真打ちの大看板竹本京枝に紹介した。

「今はなにが出来るのかね」

「はい習っている物は」と本を見ずに語れるものを幾つか上げて京枝に物怖じせずに応えた。

「短い物を膝代わりに語ってみるかい」

綾瀬太夫が頭を京枝にさげて「お願いしてよろしいでしょうか」急遽舞台へ上がる事になった。

曲輪文章吉田屋の段を綾瀬太夫が京枝の許しが出て語らせていただきますと玉之助を紹介して座を譲った。

玉之助は絣の着物に散切り頭のままの舞台に恥ずかしそうであったが物怖じもせず年の内に春は来にけり一臼と語りだすと観客は幼い玉之助の声に聞きほれた。

玉之助が頭を下げると大きな拍手がおき綾瀬太夫が顔を見せると明日も出るのかと声をかけるものが続出した。

「ただいま私の弟子がついて横浜で修行して居ります。来春学校を卒業いたしましたら東京へ呼びますので暫くお待ちくださいましょう」

客席から月一度でよいからに混ざり日曜ごとにでも呼び出しなよと大きな声が掛かりお勝さんは目を細めた。

一同は竹本京枝の舞台が跳ねると一堂に挨拶をして猿若町から浅草寺へ出て三社様と観音様へお参りして仲見世を抜けて鉄道馬車で新橋へ向かい駅前で健太に別れ6時半の列車へ乗って横浜へ戻っていった。


話は正太郎のパリから大分ときも過ぎました。
横浜幻想のアンテロープ編の1872年(明治5年)からだと12年後の横浜です。
今回の話の中心は了介と明子になります。
2008年12月05日其の一あとがきより        阿井一矢


2009年12月14日 了


幻想と現代社会へ続く歴史の真実との狭間を探してくださいね。
教授からの原稿を小出しながら更新中 アイ

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid

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カズパパの測定日記