酔芙蓉 第二巻 野毛 |
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第六部-2 野毛 2 切通し・商館・粽・百日紅・賠償金・地蔵坂・Pegasus |
根岸和津矢(阿井一矢) |
・ 切通し 約束の日寅吉は青木町で一行の到着を待っていた。 琴に約束した横浜遊覧に吉松さんに二代目と重政の二人の浮世絵師がつき、さらに初音やの6人と松家の3人に養繧堂さんから4人さらにおつねさんとお文さんを含んで虎屋、とらやからも人が出てという総勢22人の一行が昨晩は川崎泊まりで、もう直に神奈川に入る時間になって寅吉は落ち着かなかった。 着替えなど荷物になるものは横浜物産会社の別便でもう野毛に到着していたから身軽な旅とホンの手回りだけで歩く一行は、楽しげに語らいながらやってきました。 先頭はブンソウと弦爺が歩き、何人かずつに分かれて青木町に入ってきました。 横浜物産会社のものが大勢出てそれぞれにお茶などの接待をして、挨拶などもそこそこに、昼の仕度ができたことを新三が知らせに来たので羽多やに向かいました。 季節のてんぷらを揚げさせ、皆で頂く昼食は楽しく此れからの横浜見物を楽しみに話す様子に寅吉はほっとしています。 今朝の大雨が嘘のように晴れ昨日までの悪天候でぬかるむ道にも負けず前回来た時の話しを初めてのものに代わる代わる話す様子が楽しみをそそるのでした。 ここまで来れば後はどうにでもなるので、男達は先に行かせて、寅吉とブンソウ、弦爺が付いて残りの女子衆と三々五々芝生村から平沼橋を渡り戸部に入りました。 戸部役所の前を通り過ぎて坂を登れば野毛の切通し、そこから見る横浜は陽に照り映えて港の船までが一枚の絵のように明るく映えています。 前年よりも家が増え説明するかつ弥に、たか吉達も驚いています。 野毛の切り通しを抜けて下り坂をおりきると、とらやの女たちが待ち受けて「サァサァ此方でお休みください」と宿の客引きよろしく、それぞれが受け持つ人たちを引き受けて足を洗ったり着替えさせたりと忙しく立ち働いてくれます。 「よく仕込まれてるじゃねえか」 おつねさんも感心する女たちの様子に寅吉自身だって驚いているくらいですが平然と「そうかい、みないいやつばかりだからな」など返事とも思えぬことを言って居ります。 会所から出た鑑札もそれぞれが持ち、居留地の中に入り案内された場所を順に回りだしました。 寅吉はお琴と二人であちら此方と案内をして歩きましたが「兄さん、あたしたちの生まれた所はどの辺りなの」そうきかれると大岡川の上を指して「あの辺りだと思うがまだ埋めたてていないからあの葦の生えてる辺りじゃないかな」 「そう、あそこであたしたちは生活していたのね」 「其れとまだ貸家を立てていないが、あの先の山のほうにもジィと俺たちの家があったんだよ」 どの程度の記憶があるのかしげしげと見ていましたが「それで山の上と町の中の記憶が混ざっていたのね、父さんも母さんもまだ生まれていないんじゃ逢えるのはマダマダね」 「そうだね、俺たちが無事に生きていれば必ず逢える筈だから、その時期が来れば必ず逢えるよ」 二人ははるか先の横浜に思いをはせるのをやめ、寅吉が始めたパン屋に向かいました。 「俺の妹だよ」 そう紹介すると、義士焼きの店からも挨拶に異人さんたちが訪れて代わる代わる挨拶いたします。 物怖じもせず代わる代わる現れる異人さん達に挨拶をして、夕焼けに染まる富士を見ながら本町通りを歩き吉田橋から野毛橋と渡り横浜物産会社の店でも歓待され、ようやくにとらやに帰り着いたのは暮れ六つの鐘がなり終わる頃でした。 とらやの見晴台に登ると居留地は明かりが灯りあそこがウォルシュ・ホール商会あれがジャーディン・マセソン商会、こっちが港崎あれは何々と夕食の仕度ができたと呼びにくるまで説明しておりました。 翌日火曜日の案内は店のものが付いて行き、寅吉は商売に励みました、とらやからもピカルディからも人が出てくれて案内に困ることはありませんでした。 ハンナと意気投合した、たか吉、かつ弥の3人は春が付いて其れこそ町の隅々まで歩き回るのでした、朱さんの紹介で知り合った蔡武順という青年が護衛についてくれていたのもあるのかこんなところもあるのという、ハンナも知らない場所まで歩き回ったようです。 今回寅吉は3人から5人で組ませて歩くのに朱さんの伝で、シナ人を必ず一人付けて通訳をかねさせて回らせたので面白いところを見る目も日本人だけでは気が付かないところも見たようでした。 養繧堂さんのおかみさんもお琴にすがるように歩いていましたが、夕刻帰ってきたときには胸を張って「面白かったですよ、明日の朝は寄席で義太夫を聞いて、ホテルでLindaとランチを頂く約束をしました」等言うようになっていました。 ついてきたお志ずも、どうやら異人たちにもなれてきたらしく弦爺とあちこち見たところの話しをしています。 前年は居留地に入るにも規則がうるさかったのですが最近は少し緩やかになり、女子供でも出入りにあらかじめ鑑札をとれば、出入りに不自由を感じるほどでもありませんでした。 二人の絵師は横浜の移り変わりの速さに驚くばかりと見えて、スケッチに余念がありません。 やはり港の船の多さや、本町通りの繁栄に驚いたりジャーディン・マセソン商会の洋館に感心したりと二人で見た記憶をなぞらえるように互いの絵の違いを直しながら夜もふけるまで画帳に向かっていました。 野毛は寅吉があちら此方と買い入れたり借りたりと、とらやのほうと別に働く人たちの長屋に横浜物産会社のほうにも部屋が多く採られていますのでこれだけの大人数がきても何人かを元町に移すくらいですんでいます。 二人の絵師は旅籠のほうが気楽らしく明日からはどこか世話をして移らせて自侭に遊ばせる予定です。 「この間話した異人の絵に髪飾りや簪を旨く書いてくれれば、買い上げるからたのまぁ」 そういって一人10両の小遣いを渡してありますから旅籠代を出せば後は勝手に出歩くことでしょうから、「居留地に入って困ればこれを見せれば連れて行って呉れるぜ」とピカルディの住所を書いた紙を持たせましたが通訳無しでも絵師とわかると見物に来るものが多く往生したようです。 おつねさんはお文さんがついて案内はお怜さんと太四郎それに藩文杓というひょうきんな若者がついてくれました。 弁天町でも元町でも虎屋のご主人というので最初は緊張していたようですが、其処は世慣れたおつねさんの人あしらいが効いて、すぐにこの人なら寅吉のだんなが母親と敬うのは当たり前と感じられたようです。 午後のおやつの時間に董少年が寅吉を尋ねてきました。 紅茶でくつろぐそばでクッキーを頬張りながら町の噂や、勉強をしに来ている人が今どのような本を求めているかなどを話して行きました。 アルが珠街閣は卒業して、自分で商売を始めるために春と組んで食品の相場、仕入れのやり方、新鮮な野菜はウィリーが供給することなど今懸命の勉強しながら自分の事務所の整備を始めています。 Suzanneとの婚約も済んで、今は別々ですが新しい貸家が建てば結婚して其処を新居にすることにSuzanneの両親も了解済みです。 幸いにもカソリックの両家で宗教的な問題は起こりませんでした。 春は忙しくアルたちとの話のほかに、洗濯屋の経験のあるシナ人を世話してもらい、今は人間を何人集めればクリーニングに必要な店を開けるかを岩蔵が協力して考えているようです。 雨の後を機会に今日はアル、春それにウィリーを含めて三人で林の中に入り水を汲み出す井戸を掘るか小さな湧き水があれば其処を目当てにがけに穴を開けるか調査しているようです。 外人墓地の脇が駄目でも車橋の上でも日に100BARREL(亜米利加バーレル約165石)は大丈夫ですが、出来るだけ多くの水を確保しようとしています。 今は元町に2軒の洗濯屋があり居留地にも2軒有りますがまだまだ需要はあると見ているようです。 店は野毛に出す予定で日に2度人を回らせて注文と出来たものを配達することにしたようですのでどうやら春以外に6人は必要になりそうです。 着物の洗い張りの出来るものも雇えたといっていましたから、どうやらもっと手を広げることを考えているらしく見えたので、異人さんが使う熨の良いものも上海に注文させました。 ゴーンさんの奥さんの店で集まっては服のアイロンのかけ方や、どのラインが大事だとかを教わっているようですからもう直に店を開けるのではないでしょうか。 今は店の異人さん達の服も前掛けも毎日洗いアイロンをかけているらしく、笑い話に「これじゃァ擦り切れてしまう」などMaryが言っていたとお怜さんが言って居ります。 居留地の中に出そうとお怜さん達が言うのですが「其れは腕が上がってからにしようじゃねえか」と寅吉が押さえています、珠街閣の隣の彦さんの土地に空きがあるので其処はどうかと言っていますが「そういっぺんに手を広げるのはいけねえよ」と寅吉は今回慎重です。 |
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・ 商館 朝から晴れ渡ったこの日、先行して初音やの6人と松家の3人に吉松さんにブンソウと千代がついて江戸に向かいました。 養繧堂さん虎屋とらやの人たちは、後2日ほど歩き回ると張り切って居ります。 吉松さんはゴーンさんマックから簪、髪飾りのデザインについて寅太郎さんに描いてもらった下書きを参考に、新しいものを作ると張り切って帰りました。 弦爺は辰さんに頼まれて、笛やお囃子の指導に借り出され、今日明日と大和屋さんの集めた人たちと洲干弁天の境内で、練習に明け暮れるようです。 「弦爺は笛をもって来ていて、なでさすっていたから思い切り吹けて嬉しいでしょうね」 おかみさんに言われてニコニコ顔の弦爺はそれでも「見物のお供が出来ねえですまねえことでございます」 等といって居りましたが辰さんが迎えに来るとニコニコと出かけて行きました。 そうそう辰さんですが横浜では町の有力者にも可愛がられ、横浜物産会社の仕事の合間には「町の仕事を手伝うことにしてよい」と会社として外交係りの役職で飛び歩いて居ります。 居留地内でも小火が多く個人で消防隊を組織する人たちも増えてきてその方たちとも交流しているので、新しいポンプが来るたびに教わりにいっています。 新型が買えれば貸家の揚水に使っている竜吐水に替わり家の上においてある水桶に水を上げるのにも楽になりそうですが、遣っている水屋下職の者達は今のもので十分ですと新しいものに変えなくてもいいと太四郎に言っているそうです。 お琴が山手の貸家が見たいというので居留地を抜けようとピカルディによると、ハンナが自分の家を見てくれと言うので、三人で元町まで出かけました。 おつねさんとお文さんも元町で一服していましたが、ドーナツを買い入れてから箕輪坂を登りました。 ハンナの家は奇麗に手入れがされていて庭も人が出て花の手入れをしていました。 なんとウィリーも混じって指図しておりました。 リンダも来ていてあれっと思う寅吉に「あの二人お似合いと思いません」ハンナがささやくので「あいつら付き合っていたのかよ」「そうよ気が付かなかった」 「長崎に出かける前はそんなそぶりは見えなかったがな」 「ホテルの支配人になった頃から急接近したようよ、あの子もウィリーなら生活の不安がない働き者と気が付いたようね、もっともスジャンヌの影響かもしれないわ」 「そうか、話がまとまったら何かお祝いを考えないといけねえな、庭の手入れに雇ったのかい」 「いいえ、あたしの家の仕事を知ってパパに点数を稼ぎたいのよ、でも親切できてくれているのとパパには話してあるわ」 「ウィリーはホテルに野菜の販売だけじゃ不足なのかな」 「今は其れで満足してるように見せているけど、また別のホテルを出せる場所を探してるみたい、そんなに体が持つのかしらね」 「バルダンさんが国に帰るというがアルだけじゃあの場所を維持するのが大変だからホテルの場所が必要ならバルダンさんの後をアルと共同でホテルを開かせるのもいいんじゃないか、ブキャナンさんが資金を出してくれるなら株組織で金を集める算段をしてもいいぜ」 「ホント、じゃあパパにそういう話があると言う事を吹き込んでおきます」 お琴にもわかるように時々通訳しながら、お茶の仕度をしてウィリーとリンダを呼んでポーチでお茶にしました。 ウィリーと一緒に来ていたお百姓さん達も異国のドーナツはピカルディで食べた事があるらしく美味しく食べてくれています。 紅茶はさすがに美味しくないのか砂糖をたっぷり入れすぎるので「そんなに甘いと呑みにくくないかい」 「イエイエ甘くて美味しいです」 やはり甘くしてのまないと紅茶の苦味は駄目のようです。 若い百姓姿のものが笊にオランダイチゴを摘んで来ました。 「オイオイもうイチゴが取れるのかよ」 寅吉が言うと 「風の当たらぬように工夫して今年の初摘みだよ」 ウィリー自慢のイチゴは、ほんのりと甘く一人3個ずつでしたが記憶に残る味でした。 そう言えばギヤマンの板を大分に誂えていましたから、温室ででも栽培したのでしょうか。 ウィリーの元で働くもの達も新しい野菜や果物に好奇心旺盛に取り組んでいるらしく、生き生きとしておりました。 ご近所の庭の様子や、屋根の大きな樽に水をくみ上げる様子に感心したり、新しい家の土台の出来具合に下水用の水の導水試験を眺めたりして山を降り、元町に戻ると春がゴーンさんのところで用事があるというので、ハンナと分かれてお琴に春を伴ってゴーンさんの店に向かいました。 春とお琴を奥さんの店に行かせて寅吉はゴーンさんと打ち合わせを致しました。 それほど難しい話でもなく簡単に話がつきましたので奥さんの裁縫店に顔を出すと、お琴がモデルになって店のものが作った日本人向きの洋服を、とっかえひっかえ着せられている最中でした。 「これは家のソフィアとおそろいで作ったのよ、良く似合うから記念にプレゼントするわよ」 春が通訳すると 「そういわずにもらっていきな、横浜に来た記念に着る事がなくてもこういう服が異人の服だと店で見せるだけでもいいじゃねえか」 「兄さんがそういうなら記念に頂いていきます」そういって「Merci Beaucoup、ありがとうございます」と覚えたての仏蘭西語を交えてお礼を言うとメアリーが嬉しがって抱き付いて「嬉しい、気に入ってくれてとても嬉しいわ」 春が通訳するまでも無くお琴もメアリーの雰囲気で何を言っているのかが、わかったようでした。 奇麗に包まれて箱に入れた洋服を春が持って野毛に戻りました。 おはつさんと親子で代わる代わる着た後で、お志ずにも着せてから見よう見まねでたたみ、また箱に仕舞って「おとっさんにみせたらなんていうかしら」と楽しそうに語らっていました。 珠街閣のお店も仏蘭西語の出来る婿が来たので、マリーはピカルディで一日を通しで働くようになり明日の日曜日にシェリルはWatsonさんと結婚式を挙げることになりました。 そのしたくもメアリーさんが引き受けてくださり寅吉はお祝いに新しい貸家を1年間無料で貸し出す約束をしました、6軒は予約が完了していて残り4軒のうちアルとWatsonさんで残りは2軒となる予定です。 マリーの旦那さんは相変わらず船大工を続けています、此方はまだ結婚式を挙げる予定が有りません。 アルのもやはり1年間は無料で貸し出しますし、ウィリーは今のところ留守番代わりに住まわせているので3軒から貸家の収入がありませんが、太四郎の話では「赤字になることはないのですが、もしかすると山手も居留地として召し上げになるかも知れないと噂があります」と報告がありました。 寅吉の記憶では山手は全て居留地だったと聞いていますので其れは織り込み済みのことですし、ジィと家族が住んでいた家も220番と219番だったのでどうにかなるさと思っています。 「そうかそうなればそうなったでいいさ」 とあっさりしたものなので太四郎も旦那が承知のことなら心配することもないかと、気が楽になったようです。 日曜日は結婚式にお怜さんもおつねさんも出席して、天主堂で行われました。 信者以外にも式には出席しても良いということなので、店の人たちも大勢出て賑やかに行われました、パルメスさんがピカルディを代表して花嫁の父親役で付き添って其れは楽しい結婚式でございました。 二人の絵師がこれは出版は出来ないが書き上げたら記念に持ってきますと紀重郎さんに約束をしていました。 二代目は横浜の絵を何枚も出していますが、今回も熱心に商館や蒸気船のスケッチをしています、寅吉にたのんで乗せてもらえる船を紹介してもらい乗船して細部までスケッチしています。 寅太郎さんはやはり船で海からの商館などをスケッチして見せてくれました、そして来年当たりまたどのように横浜が変わるのか興味がありそうなので秋口当たりに来るように薦めました。 最近出来た肉を食わせる店も気に入ったようで、しし鍋よりはいっとう旨いというので、コマーシャルホテルでビフシチューを食わせると寅太郎さんも二代目も「コリャ旨い」とパンをなすって奇麗に食べきりました。 「明日はシナ料理の肉でも食うかい」 そう寅吉が訊ねると「よし其れもやっつけやしょう」と意気軒昂でございました。 翌日、曇り空の中今日で横浜見物も終わりとお琴達も「見逃したところはないか」と横浜案内と首っ丈で歩き回っておりました、寅吉の勧めで大和屋さんの工夫した下着なども買い入れていました。 女達はシナ料理は結構というので、出かける仕度をしているところに岩蔵が来たのでつれてゆくことにして、新三も入れて5人で出かけました。 おなじみ珠街閣で野菜から肉まで堪能して最後はあわびの干物を煮たものが出てこれは旨いものでした。 「甲州の煮あわびも旨いが、これはまた格別です」と岩蔵も肉はそれほど感心しないようでしたがあわびは旨かったようです。 絵師の二人は珠街閣の娘にスケッチの腕が鳴るのか盛んにポーズをとってもらい描くのに忙しいようでした。 店を出てから思い出したように「あの肉の柔らかく煮たやつは旨いものですな、江戸ではお目にかかれませんが、寅吉さんはここに住んでいて幸せですよ」 「オイオイ、俺だって毎日肉ばかりじゃ体が可笑しくなってしまうよ」 そういうと「旦那のように忙しくあちらこちら飛び回る人には精の付くものを毎日喰わねえと体が持たないでしょう」といわれました。 二人の絵師は吉松さんに言わせればゲテモノ好きの変なやつというのですが、寅吉と同じくらい肉が好きというだけでそれほどのこともないのでした。 二代目は「食い物のことだけなら横浜に移り住みたいくらいだぜ」など言うので寅吉は笑いをこらえるのに苦しむのでした。 明けて28日二人の絵師を残して養繧堂さん虎屋とらやの一行は野毛を後にして江戸に帰る道を歩き始めました、朝からよく晴れて歩くと汗ばむ陽気になりそうな気がしたので寅吉は「休み休み街道を進んでくれよ」お琴やおつねさんにくれぐれも頼むのでした。 |
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・ 粽 月初めからピカルディで揚げた鯉のぼりと旗を見にこられる方が多く来て、なぜこの日に飾り立てるのかを説明するのに忙しいようでした。 店には武者人形も置かれ日本人街の人形店でも今年の売れ行きは大変良いそうです。 アルの事務所も出来て、Suzanneもピカルディを辞めて事務所での帳簿とお客との応対に出ることになりました、両親がすぐそばにいてわからないことは聞けるので会計士としての勉強も進んでいてアルとっては有力な協力者です。 バルダン商会と横浜物産会社がバックにあるので、食料品でその日に間に合わないものはほとんど無いという評判で、船だけでなく個人でも買い付けに来てくれる客が増えてきました。 アルもウィリーも来月には結婚式を挙げることに決まりました。 アルは天主堂でウィリーは山手の貸家の庭で挙げる事になりました、太四郎が部屋の増築と庭の整備を引き受けて今から時期に間に合うように花などを植えています。 チューリップの時期は過ぎてしまいますが遅咲きの種類の中にはその時期に咲くようにウィリーが面倒を自分で見ているようです。 中でも見ものはバラで去年から面倒を見だしたとは思えぬほどの広がりをみせて、つぼみが増えてきました。 彼の畑を見渡せるこの家が自慢で暇を見ては庭を歩き回っています。 とらやでも粽を売り出すのに中にお手の物の餡を包んだ柏餅を売り出し、其れを笹に巻いた粽も好評です。 寅吉が好きな草団子にも中に餡を包み同じように笹に包み、蒸したものは予想以上になんども何度も買いに来られる方がいて、人手を増やしても追いつかぬほど忙しく働いているお怜さん達でした。 「人がいても蒸し器が足りないわよ」 そう言われても急に竈まで作るほどのことは出来ないので売り切れごめんの札を出して働く者達を休ませることにしました。 「本当に忙しかったわね、これ以上気張っても出来ないものは仕方ないもの、働く人だって朝早くから夜までここ3日間はよく頑張ってくれたわ」 「てえ変な売れ行きで来年は同じようなものを売る店も増えるだろうから、そう忙しくはならねえだろうよ」 「其れはありがたいのか、残念なのかよく解らない話ね」 「そうだな、売れなきゃ困るし、忙しすぎて身体を壊してまで働くのもてえへんだしな、いたしかゆしということか」 来年の心配をしてもしょうがないので今年の粽などはいつまで売ろうかと相談して、15日まででやめておくことにしました。 アルが来て最近「ジュラールやジェラールと呼ばれても平気で返事が出来るようになった」と、英吉利式の名前で呼ばれることにもなれて一々ジラールですと訂正しないでも平気になったことを話しています、水を売るのに単位をどうするかという話なので、ラム酒の樽を標準に売ったらどうだという話しをしました。 なんせ素人が考えることなので堂々巡りが多いですがなに水夫に聞けばすぐ解決することばかりです。 夕方、マックのところでアルとゴーンさんの来るのを待って、ウィリーに会いにコマーシャルホテルへ行きました。 ブキャナン氏は「話は娘からも聞いている、君が二つのホテルを経営するには補佐してくれる副支配人を両方に置かなければ無理な話だ、今のホテルはトンプソンでいいだろうが新しいホテルのほうに心当たりがあるのか」 「ハイ、実はアルとも相談しましたが竹蔵さんを副支配人にさせたいと考えていますがいかがでしょうか」 バルダン氏が「家で働いている竹蔵かい」 「はいそうです、彼はオランダも英語も理解できますし、フランスも日常会話は大丈夫ですから」 「そうかその男は皆も知っているようだが、反対のものはいないようならその男でいいだろう、其れで資金はどの程度をかんがえているんだ」 「今私の手元には200ポンドしかありません、出来ることなら開店資金と回転資金で1500ポンド必要になるでしょう」 「ホテルの建物にケチっていてはお客が来ない、其れと食事はどうするイギリス式では客は喜ばんぞ、フランスなら今のホテルでも出しているだろう」 「実はそのことなのですがイギリス軍のコックで退役するものに知り合いまして、日本で働きたいという話です、オーストリアの宮廷料理の伝統を引き継ぐコックから教わったというので、軍隊では腕を振るう機会が無かったそうです」 「そうかそれならソーセイジや詰め物が出来るのか」 「はいそうです、一度食堂で試させましたが、Bernardも褒めています」 「ベルナールが推薦するならいいだろう、外の人も依存が無いかい」 皆も依存がないようなので、総支配人はウィリアム・カーチスにさせることになりました。 「其れで株なのだが、バルダンさんの帰国後にあそこに建てるということで株を集めるのかい」 寅吉が代表して「そうしようと考えています」 「では、私たちが引退した後権利が娘のSuzanneに移るがその権利はどうなる」 「地主としては他の者が持ち寄る株の10%を無条件で譲り受けるということでどうでしょうか」 反対するものが無く集まる金のうち10%の株をSuzanneが受け取れることになりました。 バルダンさんが娘とアルを正式の相続人として200ポンドの資金提供を申し出ました。 ブキャナンさんが「わしは500ポンド投資しよう、もし2000ポンド以上集まるようなら私が全体の25%を保持させてくれ」 「解りましたでは皆さんの金額を聞いてからもう一回り聞いて回りましょう」 クラークさんは「将来の娘婿のために300ポンド出そう」といってくれました。 マックは150ポンドゴーンさんも150ポンド、アルが「私は今出す金がありませんが、寅吉さんが先行投資で150ポンド貸してくださるので其れをだします」 「私も150ポンド出します」これは寅吉、暗算で1800ポンド集まりSuzanneの取り分が180ポンドブキャナンさんが450ポンドになると25%丁度と判断できました。 この店の朱さんが「私にも投資させていただけないでしょうか」と聞いてきました。 ブキャナンさんが「寅吉も入るのだから君は駄目とはいえんな」といいながらも皆の同意を得るように見渡しましたが誰も反対は無いようです。 「では私も150ポンド出させていただきます、そのうち15ポンド分がSuzanneさんに権利が行くのでしたな、寅吉さんそれでブキャナンの旦那様は25%が保持できますか」 「ブキャナンさん、後100ポンドお願いできるでしょうか外の人が投資額の増額を申し出なければそれで25%は確保できるはずです」 全体で2050ポンド集まるのでブキャナンさんが540ポンドになり筆頭株主で26.34%と計算が出ました。 「よしいいだろう、バルダンさんにSuzanneとジェラールの株を足しても520ポンドか旨く計算が出来たものだ、バルダンさんが帰国する日までにクラークさんが代表で金の管理と株券の書類にサインを集めてくれますか」 「いいですよ、金は現金で保管しますか」 「それでいいですよ長い間ではありません、私たち夫婦も娘が結婚式を挙げれば後は時期を見て店を仕舞う予定ですからすぐ建物の建て替えにかかれますよ」 「建物は寅吉のほうで手配できるのかい」 「ハイ大丈夫ですが設計はどうしましょう」 「其れもClarkさんの手を煩わせるか」 「そうだな、ではウィリーとあともう一人誰か設計図を描く手伝いがいるな」 「私のところの太四郎というものはどうでしょうか、実際の建物はWatsonという人が丸高屋さんで責任者なのでこの人の意見も聞けば遣いやすく見栄えの良い建物が出来ると思います」 みなの意見も其処に落ち着いて最後にビールで乾杯して機嫌よく家路につきました。 |
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・ 百日紅 この日のしたくはメアリーが指揮を執って滞りなくすみ、二人の結婚式の日が来ました。 19番の商会が閉店するというので寅吉が薦めてゴーンさんの店とメアリーの店が移動してきました。 ゴーンさんの店とアルの事務所が海岸のほうに建てられ、メアリーの店がヘボン先生の家のほうに向けて建てられました。 ソフィアもピカルディの店に来ればお姉さん方が多くいて、ことにハンナとは大の仲良しで言葉も仏蘭西語、英吉利語、日本語と操り自由自在に話す明るい子に育っています。 朝から暦は秋と言ってもまだまだ、夏の日差しに照らされ天主堂では朝の8時という時間から人が集まり結婚式が執り行われました。 ピカルディもとらやも居留地で働く者達が全員出席して盛大に行われた結婚式がすむと仕度をしにいくものはすぐ山手に向かいました。 アルとスジャンヌは馬車で居留地内を一回りいたしました。 カーチス達も山手に向かい今度は自分たちの結婚式です、蒸し暑い日本の夏にあわせ形式ばらずに、正装しなくとも良いというので多くの人が参加できる結婚式は華やかでした。 寅吉もこの日はそれでも絽の紋付きを着ていましたが、多くのものはとらやの夏用の法被で参加いたしました。 最初寅吉は法被で参加する予定でしたが「旦那は紋付きで無ければいけやせん」そう店のもの達に言われ仕方なく着て出たものです。 山手は風がそよそよと吹いて涼しく、坂道に咲く百日紅やノウゼンカズラも美しいものでした。 ウィリーの庭では芙蓉が咲き誇り見る人を感心させています、ここに来るのが始めての人たちも山手がこのように好いとこらなら住みたいものだという人が数多く居りました。 アルは林の中に沸く水の出るところを見つけその水源を確保するためにも、寅吉にいま手に入れていない部分も買うか借り上げてくれるようにしてくれというので今交渉中です、77番になる土地は範囲も広く取ってあるのですがその上の崖地も水のために確保しようと寅吉も同意いたしました。 石川家からも人が結婚式に出てくれて、手代の国次郎さんが請け合って寅吉に買える様にしてやると約束してくれました。 夾竹桃や百日紅も庭を彩り、遅咲きのチューリップを抱いた花嫁は可憐で可愛く思えました。 マックでさえ「俺も結婚したくなってしまった」といわせるほど花嫁はすばらしい装いで、参加した日本の者たちまで見とれてしまうほどでした。 こう書いたからといって決してスジャンヌが見劣りしたわけではありませんが、先ほどの厳かな雰囲気から解放された人たちには、明るい日差しの中の花嫁が光り輝くのは仕方ないことでしょう。 牧師の執り行う式は簡素で庭とベランダ、家の中と軽食の支度とはいいながらも其処は皆が丹精した食事と飲み物は美味しくいただけました。 寅吉が工夫した冷やした飲み物は好評で、この壷を譲ってくれという人たちにはお土産に差し上げるほどでした。 パルメスさんがこの日のために用意したパンの種類の多さには感心してしまうほどです、元造、兵吉、五左衛門さん達が朝も暗いうちから焼いたパンは人の温かみが残るすばらしい味が致しました。 花婿花嫁を先頭に谷戸橋を渡り待っていた馬車で居留地を一回りさせるのに大騒ぎで見送る面々は楽しそうでした。 片付け仕事はとらやの人や喜兵衛さん達が行い掃除も済んだ頃に、花婿花嫁を新居となる63番に送り込みました。 アルは77番の家に入り敷地内の林にある水の確保にも朝晩と面倒が見られるので其処にも事務所を置くか考えているようです。 寅吉は「この二人は人の3倍は働くんじゃねえのかい」と人には言いますが、寅吉も他の者から見れば、超人的な働きをしているように見えるようです。 寅吉自身は時間で動いているつもりでも、休んでいても誰かが来て話しをしていますから、休みなく仕事をしているように見えますし、本も英吉利語なので勉強してるように見えるようです、実態を知っているのはお怜さんとハンナたちくらいでしょうか。 この当時はまだ山手は居留地ではなく番地はついて居りませんが、寅吉は勝手に番地を付けた訳でなくただ番号を付けただけのつもりで居りました。 ブキャナン夫妻は海が落ち着く11月にまず上海に渡り観光しながら、タイ、ジャワ、インド、エジプト、イタリアと渡り歩いて一年かけてボルドーに帰る予定だそうです。 亜米利加も回りたいと考えたそうですが、戦争がまだ続いているため諦めました。 ホテルの建設は9月からはじめ、ブキャナン夫妻はアルやウィリーが使っていたピカルディの部屋に仮住まいとなります、来年2月の開業を目指すため今から資材を集めて予算は二千両掛かるそうなので、寅吉は三千両までは建物調度と外装に掛かると計算して居ります。 50ポンドが株券などの手数料に掛かり残り2000ポンドのうち、1500ポンドまでは開業資金、500ポンドが運営資金と決まりました、もし赤字になっても借り入れで行い株の増額はしないことになりました。 食器などはゴーンさんが受け継いだ19番のホン商会の品物に銀の食器などがあり、皿や器などは横浜物産会社で調達します。 足りない普段用のスプーンなどとシーツベッドなどに必要なものと細かいものはマックが引き受けてくれました。 設計の手直しも完了して木材の加工は丸高屋さんの仕事場で着々と進んで乾燥も十分効かせる予定ですすんで居りました。 3月の末にサーカス団が来日してテントを張って興行を始めておりましたが、あまり見物に行く人が居ないようで閑散としていましたので、よけい不人気になり興行主をがっかりとさせたようです。 横浜の外で興行が打てれば大分違うのでしょうが其れは許されませんでした。 |
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・ 賠償金 勝先生たちの調停も儘ならず、長州は交渉に応じませんでした。 元治元年8月5目、英米仏蘭の四国連合艦隊が、長州藩に対して本格的な攻撃を開始しました。 軍艦17隻、備砲288門、兵員5014名からなるこの艦隊は、開戦後1時間で長州砲台を沈黙させ、長州は完膚なきまでに打ちのめされました。 伊藤俊輔さん井上聞多さんがロンドンから横浜に到着したのが6月10日だったそうで、オールコック公使を訪ねて来たのが18日で、アーネストがその日は1864年の7月21日で火曜日だったと手帳を見ながら話してくれました。 勉学半ばで居ながらこのままでは、お国が攻撃されると聞き、他の3人には勉強を続けることを約束させて攘夷は無理ということの説得のために命をかけて帰ってきたそうです。 この時期に国に帰れば命の危険は目に見えていながらも身を挺しての説得のため、帰国した二人の行動はアーネストたち英吉利人の感動を呼びました。 二人の説得もむなしく下関は連合艦隊に叩きのめされましたが、和平交渉が行われ、長州藩は下関海峡の外国船の通行の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、下関砲台の撤去などの条件を受け入れて講和が成立しました。 アーネストは「機密事項だったので公使も寅吉さんには一件が落着するまで内緒にしろ、ということだったのですみませんでした」と今日報告に来たのでした。 伊藤さん達の努力もむなしく過激な人々は禁門を犯してしまい朝敵とされてしまいました。 下関戦争に先立つ7月18日の夜、福原越後・国司信濃・益田右衛門介ら3家老が兵を率いて上京して、会津・薩摩両藩の兵と京都御所の蛤門付近で戦って破れ多くの有為の人材を失ってしまいました。 その当時のいきさつは幸助が大阪に居て龍馬さん陸奥さんからも聞いてきましたが、幕府のお偉方の中には長州の砲撃を4カ国の艦隊の指導者達にけしかけたという話も伝わってきました。 帰浜したゴーマーさんも其れらしきことを聞いたといっていましたから本当のことかもしれませんが、とんだことを言うお方には困ったものでございました。 京極様の後に神奈川奉行になられた方や、若年寄の中に多くその意見の方がおられると聞き国内を纏めるよりも幕府の威信の事のみを考え自分の権勢を誇るお方がいつの時代にも存在するのでございました。 オールコック公使と後任のパークス公使は寅吉の少年時代には恫喝外交として評判が悪い中、ジィは良い評価をしていたのを思い出しました、実際オールコック公使は平和の中に貿易による国益を主題としているように思われました。 先のニール代理公使もそうでしたが、貿易をしてくれるなら後は目をつぶるという方針と見えました。 薩摩でさえあの戦争の後、長崎で何艘も買い入れていて、貿易による利益は計り知れませんのかイギリスでは力を入れて後押しをしていると感じられます。 相変わらず横浜鎖港などという話が続いていますが、英国軍営も病院などを含み大きく膨らんだ駐屯地は寅吉の貸家を守るかのようで攘夷浪士も恐れて近づくことも無くて平和な毎日でした。 寅吉は江戸と横浜を相変わらず行ったり来たりして商売に励みますし、伝次郎は長崎の支店開設に今の連絡所の隣も買い入れることに決まり番頭一人手代3人小僧も6人に増やしました。 いよいよ支店開設の日が近づき寅吉も伝次郎と同道して10月には長崎に行く予定です。 今は時計商に奉公しても無駄で、其れより自分で時計店を開けるだけの商売の範囲を広げるように寅吉と話がまとまって居ります。 去年約束したファヴルブラントさんが居留地54番で店を開店して岩蔵とともにお祝いに出かけました、ゼームスと呼んでくれと寅吉と岩蔵に親しく付き合ってくれと約束をさせ早速新しい時計と懐中時計からくりのオルゴールなどの取引を結びました。 「コタさんは江戸が本拠だそうだが、岩蔵さんの家はどちらですか」 「生まれは江戸の神田ですが今は横浜に家を与えられています」 「この男は時計などの機械に興味があるので今は機械製品の担当をしていますのでこれからは、どうか時計などの仕組みなどを教えてください、出来れば商売の合間にでも修理の簡単な事がわかるようにしていただくとありがたいのですが」 「よろしいですとも、簡単な修理のために持ち込むのはどちらも時間と手間が無駄になりますから、修理のあるときは一緒に直して行きましょう」 ゼームスと呼んでくれという気楽な付き合いと大量の取引ができることで双方の利益も一致いたしました。 ブキャナン夫妻の店じまいと有って昨日までは引きもきらぬ来客でしたが、今日ピカルディに引っ越しが完了いたしました。 娘と別れるのは辛いでしょうがそれでも結婚した娘とは、別に住むのが普通なので其れは其れと気持ちが騒ぐことも無いようでした。 アルの事務所は前に移動してありましたが、倉庫を含めて全てを今日隣にころで移動させて無事移設が完了し、明日からは取り壊しが始まります。 リンダはウィリーに替わり家の庭と畑で指揮を取り、合間には相変わらずハンナの家の庭や近所の庭の手入れにも手を貸しています、こんなに働き者だったかと驚く寅吉ですが「やはりウィリーの働きの良さに刺激されてのことでしょうね」というお怜さん達の言葉にうなずく寅吉でした。 そういえばリンダは元々はリンダ・Cathie・Clarkという名でした、リンダ・キャシーとい名前が二つ続くというのもこの間再確認したばかりでした。 「だってリンダとキャシーと使い分けるわけでもないからひとつで十分でしょ」といわれればそんなものかとこれにも納得してしまう寅吉でした。 寅吉自身も通称が虎屋寅吉ですが、根岸小太郎寅吉と書くのが本当の名前だということは会社の幹部はみな知っていることです。 若様が呉れた名ですが、勝先生が命名したことは根岸という名でも明白でした。 ピカルディはこの一年赤字覚悟で開きましたが寅吉の予想の半分以下の100両を切る赤字でほっと致しました、パルメスさんには給金をアップする約束をしました。 ピカルディはパルメスさんとハンナに元造さんが居るので寅吉は安心して営業方針を任せっぱなしにしています。 |
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・ 地蔵坂 この日地蔵坂と車橋から上がる牛坂に挟まれた地域に貸家を建てる地鎮祭を行いました。 半年かけて林を切り開き段々になった山上に石組みも完成して居留地の知り人からも速く建てろと言われていた貸家を立て始める事が出来ました。 寅吉は山手の家から急な坂を降りて歩く子供のころを思い出していた「あの時この坂は谿手坂だったな、何時名前が変わったんだろうかな。地蔵坂はあのしたの地蔵と他に大きなものがあって同じ名前だったしシナ人のホテルまであったよなぁ。坂ノ下には鶴屋があって梅とよく買い物にいったっな」 この地域は便が悪くまだ先と思ってもいましたが、元町から溢れた商店が地蔵坂にまで増えたことも有ってそろそろ人の行き来も多くなり植木場を訪れては直接そこで買い物もしてくださる人が多くなりました、野毛に有るとらやでも植木や花を扱いますが、奉行所に勤める方たちが丹精した植木などを集めては、ここで展示して販売しておりますので種類も豊富でないものは江戸までも出向いて探してくるという積極的な商売が異人さんたちにも好評でした。 「善三じいさんよ、人手は足りてるのかい」 寅吉が責任者の善三さんに聞くと「アア今のところは大丈夫だぜ、ただ最近売れ行きが好調だから品物が来年には足りなくなりそうだ、どこか近くで苗を育てるところを増やさねえといけねえな」 「そうか心当たりがあるから、人を連れて様子をみに来るぜ、なにをどう育てるか教えてやってくれよ」 「いいとも、旦那が見込んだやつなら大歓迎だ」 「給金は不足が無いのか」 「なに、植木に囲まれて好きなことをやらせてもらった上、なにから何まで面倒見てもらっているんだ、使いきれるもんじゃねえよ」 「息子たちだって近くに居るんだ、孫に小遣いをやるに多いに越したことは無かろう」 「イヤね旦那、あいつらもとらやさんと横浜物産会社で夫婦で稼いでいて貸家にも入っているから金に不自由なぞしてませんのさ」 「そう、かいそれならいいが少し給金を上げてやろうと思っているんだぜ」 「わしよりもここで働くやつらに分けてやって下せえよ、若いうちは金を使う楽しみってものがありやすから」 「そうか善三じいさんがそういうなら考えておこうぜ」 「頼みやす、でも旦那は気前がよすぎやすよ、こんな植木でそれほどの儲けが出るとは思えねえのに人は多いし給金は良いしね」 「ハハ、会計がしっかりしてるからここだけで年に200両は残るそうだぜ」 「エッ、仕舞った先に其れを聞けば遠慮などしませんぜ」 「いいともじいさんの給与も一緒に上げとくように伝えておくよ」 寅吉は大様に伝えて待っていた紀重郎さんと元町に出てホテルの進行状態の様子を見るために谷戸橋を渡りました。 順調に基礎工事も終わり土台が固まったらいよいよ来週から本建築が始まります、外装も上海から取り寄せギヤマンの板も数多く輸入されて支度されています。 「この調子なら外観は二月とかからねえで出来そうだ、後は嵐が来ないことを願うばかりさ、占いにでも行って聞いてみるか」 「占いといえば、あの牢に居る材木屋はまだ出れねえのかよ」 「そうさな、出られるといえば出られるはずなんだが、どこかで書類が下積みにでもなっているかも知れねえよ。江戸に連絡して、また運動をしてみてくれよ」 「いいとも、コタさんは大分買っていなさるがそんなに大事な男かい」 「アアあの人の才覚はたいしたものさ、善悪の判断さえ基準を俺たちのような下積みの者に当てて呉れたらな」 「どうなるかは其れこそ神頼みの人間かよ」 「牢の中で何かつかんで来てくれれば頼りになるさ」 「生糸が入りだしたそうだが手を出すかい」 「いや、俺は生糸はやらねえよ、あれは博打以上に危険な賭けさ」 「いったい誰が大本だよ」 「今盛んなのは、この間あった大和屋さんなどさ、主な店は二代目の中居屋重兵衛、糸屋勘助、小橋屋伝右衛門、吉村屋幸兵衛、大和屋三蔵・徳右衛門を惣代として生糸荷受所を設置したからこの6人が大口さ」 「例の書付はどうしなさる」 「少し眠らしとくさ、今持ち出しても生糸の仲間に入れてくれと頼みに来たかと、勘繰られるのが落ちさ」 「例の男は大和屋さんに旨く喰らい付いたみたいだぜ、あの調子ならすぐ相場にも手を出すことになるだろうぜ」 「これから暫くは売り手市場さ、まがい物をつかまされなきゃ必ず儲かるよ」 「其れでもやらねえのは、コタさんも頑固だな」 「俺が売り込まないのは景気に煽られて、店の中が収拾付かなくなると困るからさ、俺は臆病者だからよ」 「何言ってんでぃ、何処が臆病なのか知りてえくらいだ」 「其れより長崎に行く気はないかよ、来月の鼻には伝次郎たちと行くことになっているんだぜ」 「俺が居なくても困ることも無いから、小平に任せて付いていくか、どのくらい日にちを予定しておけばいいんだよ」 「船の手配は済んだが、出るのが9月29日帰るのが10月18日頃の予定だ、早く帰れても遅くはならねえ予定だ」 「さすが蒸気船だ20日で往復できるのか」 「いや行きに6日帰りに10日の予定だ、長崎は10月8日の船だから嵐にでもあわなければ予定より早く着くさ」 「なぜ帰りのほうが4日も多いんだ」 「帰りだって10日はかからねえさ、だから早くなる事があっても遅くならねえということさ」 「そういうことか、では付いていって長崎でも見てくるとしよう」 「そう来なくちゃいけねえ、では船は一人追加しておこう、実は特別の金を出して機関をどんどん動かしてもらう約束さ、だから片道6日かからずに着いたら別に片道100両出そうと賭けをしたのさ」 「生糸の賭けはしねえといってるそばからこれだ、コタさんには呆れて物がいえねえ」 「今度乗る船は今あそこに泊まってるやつさ、明日の朝大坂までの荷を運んでとんぼ返りで27日に横浜に戻って29日に長崎に行く約束さ、どちらも横浜物産会社の荷が大半で予定通りに運べば閉めて250両の儲けになると船主と船長がホクホク顔で引き受けたものさ、嵐はいいわけにならねえということで危険は承知という賭けさ」 「其れだ其れだけ金を賭けるという事は何か儲けになるのか」 「あたぼうよ、内緒のことだがうまくいけば、500ポンドにはなるのさ」 「オッそのおすそ分けで俺にも長崎で羽を伸ばせという誘いかよ」 「分かったかい」 「わからいでか、長い付き合いじゃねえか」 ピカルディの庭でその話しをしながらビールを昼間から飲んでいると、朝吉、光吉、広太郎、新吉が千代と一緒にやってきました。 「ナンダなんだ、そんなに大勢できやがって、俺に給金の値上げでも交渉に来たかよ」 「旦那冗談は無しですよ、これ以上の給金は頂くほどの働きはできやしません、長崎の金の始末とそれぞれの会計の締めのことで集まりましたら、予想以上に金が残るので、そんなに儲けが上がるのは何かおかしかねえかと帳面と現金の確認をしていました」 「其れでどうしたよ」 「今品物は二万両分が横浜の各倉庫にあります、借り入れの残額が六千両、現金が八千両、春駒屋さんに預けて御座います荷が二千両ほど、これはあちらにいかないと確認できませんが売り上げの預けてある分が千三百五十両ほどになります、後はとらや関係の分で此方は年内の経費を引くと五百両ほど残りますそうで後は、未回収のものが千二百両ほど」 「オイオイそんなに金が有るのかよ、驚いたなせいぜい二千両もあれば驚きだと思っていたぜ」 「そういうことで、荷が二万二千両分、金の相殺をすると三千八百五十両もの現金が有ることになります」 「其れでどうしたよ」 「実際に金のほうはあるのでございます、江戸のほうはこちらでは解りませんが、植木場と貸家はこれに含まれて居りませんが、植木場はおお黒字だそうで、貸家はだんなの勘定ですので会社からは出ておりません」 「俺の会計は太四郎に聞けよ、あいつが全部帳面につけているぜ」 「ハイ太四郎さんには今朝会いまして伺いましたら旦那から預かった金以外は使っていないそうで、今度の貸家も計算上は今までの貸家の家賃で建つそうで残りが二千両有るといって居りました」 「ほんとかよ其れは驚きだ、紀重郎さんのところに借りは無いだろうな」 「俺のところは全て半金が前払いで入ってるぜ、貸家も儲けは出なくても今は赤字になる事が無いそうだぜ」 「後は春の水屋か、あれはジラールに会計を任すことになったから此方とは関係ないんだろ」 「ハイ別会社となりましたから、此方の取り分は全て旦那のほうに積み立てられるそうです」 「俺の積み立てはどのくらいになったんだ」 「伝次郎様に五百両の貸し出しをしても八千両があちこちに積み立てられて居ります、もちろん江戸関係は別で御座います、でも別勘定で旦那の承知している分はどのくらい有るのでしょうか」 「俺の積み立てで出してないものは八千両があちこちにあるよ、そうすると一万六千両になるということか、後はポンドで二千、ドルで千五百の手形が預けてある」 「すげえな、コタさんの理財のすごさは知っていても聞くと驚くわな」 「旦那」黙って聞いていた千代が「旦那の時計は自分勘定の分が20台ありますぜ、あれだけでもひと財産ですぜ」 「そうか、俺の勘定の品物はまだあったよな、伝次郎に貸付金を倍に増やしてやってもいいな、後弁天町の周りで貸してくれるか権利を譲ってくれる土地があれば借りたいと噂を流しておけよ」 「どういたします」 「おそらくあと2年くらいで横浜物産会社も居留地の中に進出してもいい頃さ、今の義士焼きの前辺りの所に500坪ほどの店舗と倉庫に働く者の家を建てるさ」 「何か新しい品物の取引のあてでも御座いますか」 「オオサ、春に出させる洗濯屋が必要な石鹸は扱っているが、まだまだ他に必要なものがあるだろうしな、その卸をするための人手も必要さ、今から準備をしておこうぜ、今ならまだ手を出すやつなどいねえからよ」 「そういえば洋服をかけるハンガーとか言うものですが、あれを売り込みにきたものが居て橋本さんが見本がてら100本ほど買い入れて居りました」 「そうか、いいかも知れねえよ使えるものか、マックのところにもって行ってみてもらえよ、いい職人が安く作れば横浜で売れる品物になるぜ」 いつものように雑談ながらも商売の話は進み火事についても寅吉は注意を促すのでした。 「シナ人達は厨房に広くすき間を取って石造りにするが日本では板の間で煮炊きをしてしまうから、火事になる事が多いからことさら火には気をつけてくれよ、それとポンプも各店においてあるが使い方は誰でも出来るように必ず教えておいてくれよ、後出来るだけ昼間の火事は危険だから水桶の置いてないところでは火を使わぬように気をつけてくれ」 辰さんもあちこちを回って火には用心するように気を配っています。 朱さんが会いたがっていますと連絡が入り千代を供に紀重郎さんと連れ立って出かけました。 聖玉の婿となった蔡基炎はジァンというのはわかりましたが苗字はサイなのかツァィなのかよく聞き取れませんでしたが朱さんが「サイでよろしいよ十分つじるよ」というのでそれ以上は聞きませんでした。 話は新しい貸家に自分たちシナのものでも入ってよいかということでした。 もちろん寅吉に依存は無く「俺が受けあうよ、でも何人くらい住める家が欲しいのだよ」 「日本で言う50坪ほどの家で出来れば此方の希望のように建てられませんか」ということでした。 「いいとも丁度此方が建築を引き受けてくれる丸高屋さんだから、太四郎を交えて何処がいいかも早めに決めて希望を聞けば設計しなおせるぜ」 「これからでもいいですか」 「もちろんいいぜ、商売商売」 「ハハ、では家の婿と娘たちを連れて行ってください」 千代に太四郎を探して地蔵坂上まで連れてくる様に頼みました。 愛玉と聖玉にジアンが寅吉と紀重郎さんについて前田橋から元町にはいると千代が太四郎と待っていました。 「簡単に見つかったじゃねえか」 「ヘエ前田橋を渡ったら山から下りてくるところにぶち当たりまして」 「良かったですよ谷戸橋から18番に行こうとしていましたから」 「じゃ話も聞いたかい」 「はい、承りました今予約された人は二人ですので後10軒は建てられます」 「220と219はどうなっている」 「あれは旦那が紹介してこられた、GulliverさんとSwiftさんにみせたところ借りても良いがこちらの希望の家を建てたいというのですがどういたしましょう」 「いいんじゃねえかただ少し高くつきますといえよ其れと敷地の半分は空けて、庭にして後で分割するということは承知してるはずさ」 「ハイ其れはご存知でしたがその半分の庭の手入れはそちら持ちにしろといわれましたので打ち合わせどおりに承知いたしましたが家はあちら様の言うように建ててもよろしいですか」 「もちろんさ、今度の場所は借り手のわがままを聞いてやることさ」 聞いていた愛玉が「コタさんのだんな様、あたしたちの家も高くつくの」 「そちらで金を出すなら地代だけでもいいよ、お前さん達には色々と世話になってるしな」 「では父にそういってお金を出しますが、こちらの希望の建物を建てられます」 「其れはいいが、シナ風の家は職人が居ないぜ、誰か指揮を取れるものが居るのかい」 3人がウフウフと含み笑いをしているので「どうしたよ」 「ハイ私の婿に来たジァンが国で大工をしていましたので任せていただけるなら設計と指揮を取らせていただきたいのですが」 「そりゃいいや太四郎よ、すりゃこの人に仕込んでもらってシナ風の家も、洋館も日本風も自由自在だ」 「では旦那の了解も有るので土地が決まれば設計を見て予算を立てましょう、ジァンさんよろしく御願いいたします」 「私はまだ日本の言葉がよくわかりませんので愛玉と聖玉を通訳にしないとよく理解できません」といっていると愛玉が通訳いたしますが、仏蘭西語で太四郎とはどうにか話が通じているようです。 寅吉が201から225までの25の区画に割った図面と実際に地蔵坂を登り、実際の日当たりを見て216の区画を選びました。 この場所は敷地の両側を道が通り地蔵坂の方向は段々に花畑になっている場所です。 「この花畑もコタさんのだんなの地所ですか」 「ここは植木場の人間が面倒見てる場所だが面倒を見れるなら遣ってもいいぜ、だが建物は駄目だぜ植木か花畑で無ければ駄目だ」 「花を植えるなら使ってもいいのですか」 「アアいいともここはただで貸してやるよ」 三人で相談していましたが「解りました後は地代だけですがいかほどですか」 太四郎が帳面を寅吉に見せて「これでよろしいでしょうか」寅吉が肯くと、 「ここは330坪あります年82ドルで建物つきで貸す予定でしたが、年24ドル出していただけるでしょうか」 「此方のわがままを聞いていただくのですものそれで父も納得いたしますわ、愛玉が全てを任されていますのでいいんでしょ」 「いいわお姉さま、あの段々の花畑も使わせていただけるのならその値段で十分ですわ」 紀重郎さんが換算がわからずに、 「月に直すと両でいくらになるんだい」 「一両二分だよ」 「そうか江戸ならともかくこんな山の上にしてはいい値段だ」 「よせやい、紀重郎さんよ山を削るのと整地と石垣でいくらとったよ」 「仕舞った、家で儲けすぎたのがばれてしまったか」 みなで大笑いで話がまとまったので山を降りて地蔵坂の植木場の下まであふれてきた店を覗きながら前田橋まで来て、愛玉たちと別れました。 ピカルディに戻るとなんと長州から伊藤さんが来て居りました、伍左衛門さんと庭でお茶をしていたのには驚きました。 「お帰りなさいませ、でいいんですよね」 「あん時は世話になった、この前横浜に来たときは気も急いていたし、なんせ国許にどうやっては入ろうかと其ればかり考えていたものだからな。寅吉さんのことを忘れていたわけじゃないぜ、連絡も取らずにすまなかった」 「イエそんな事はどうでもいい事ですが、ご無事時で何よりでした。井上さんもお帰りと聞きましたが」 「彼は帰ってきて攘夷論の急先鋒たちに付けねらわれて挙句に襲われたが、今は傷も癒えて元気に飛び回っているよ」 「左様ですか何はともあれ無事でよう御座いました。ところで今回は何の用事で横浜までいらっしゃいましたか」 「今回はな、井原主計様のお供でMr.サトウたちとバロサ号で今朝ついてオルコック公使とプリュイン公使に面会して談判が成立したのさ。わが藩のお偉方はいまホテルでぐったりしてるけれど、俺はMr.サトウに連れられて此処に来て見たのさ」 話していると後から「やぁ、コタさん元気そうだな」 二月ほど会わなかっただけで元気そうも無いものですがあいさつとしては、マァマァでしようか「おいらはいつも元気だがアーネストも元気そうで何よりだ」 アーネストの話では薩摩のときよりは双方の被害は少なかったようですし友好関係も結べ戦争の損害の賠償は幕府に請求する事になったそうです。 寅吉は不思議におもうのはヨーロッパの国々は戦はしても互いの利害が一致すればすぐに友好関係が復活し喧嘩した事など忘れたかのように貿易、人の交流が以前にまして活発になることでした。 子供の頃アヘン戦争初めさんざん欧米諸国の悪口を聞かされたときにジジが「いまの日本があるのは欧米諸国の後押しがあったからなのにその恩も忘れてはこれからの日本は危ない事だ」と父と議論していたのを思い出しました。 長州の事はさておき、伊藤さんのイギリス行きの苦労話はアーネストもはじめて聞くらしく、相槌を打ったりわからない言葉は寅吉が通訳したりしながらしばらく話を続けました。 「驚いたのは俺と井上さんが同じ船だったが、最初に間違えて話をしてしまったらしくて水夫の勉強に来たとおもわれてしまって散々こき使われてしまったよ。朝の点呼やオルハンと号令が掛かると総員で船の掃除や帆を畳んだり驚く事ばかりさ。おまけに海が荒れて予定より遅れて水まで底をつきそうになったりあんな苦労はしたくともそうは出来ないぜ」 寅吉の事務所に三人で移り日暮まで今度は長州の内情や各国との友好関係を結べそうな事等をお聞きしました。 |
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・ Pegasus 長崎支店開店の日は肌寒く感じられるほど冷たい風が吹いていました。 其れにもかかわらずトマスや啓サァにお慶様も来て下さり大勢の取引のお客様と、小売りの方にもお客様の途切れる事が無いほど盛況でした。 この日のために臨時に来てもらった人を含めて、打ち上げを行い翌日には長崎を出発の予定なので名残を惜しむ方たちが夜遅くまで寅吉を放しては呉れませんでした。 「まいるぜたった三日で長崎を見てまいりましたとはとても言えねえよ」案内をつけてあちこち遊び歩いていた紀重郎さんも打ち上げの会には出て来てそういうので「そういわずに今晩は丸山泊まりで好きに遊んで行きなよ、どうせ船に乗れば何もする事など出来やしないんだからよ」 其れもそうだとばかりに紀重郎さんを筆頭に啓サァ、トマス、寅吉、岩蔵に辰さんの6名は丸山に居残り、お慶様が招待してくれた家では暖かい部屋で芸者衆がてぐすね引いて待っていました。 「トマス明日は仕事じゃねえのかよ」 「友達が横浜からせっかく来たのに、働いて何ぞ居られるかい、其れに月曜日は大して仕事などありゃしねえよ」 適当な理屈をつけて先にたって騒ぐトマスでした。 深夜までのんで騒いで暖かい布団で寝て目が覚めると、昨晩意気投合した若いそめ女という名の芸者が同じ布団に寝ていました、考えても確か一人で布団に入ったことまでは覚えているのでそんな約束をしたかと首を傾げる寅吉でした。 「眼が覚めさんしたか」 「どうしてここに居るんだよ」 「旦さんが抱いてくれたら十両呉れるというから布団にもぐりこみましたがぜんぜん見向いてもくれしません、あたいも眠いので我慢できしませんでした」 そういって抱きついてきますが、寅吉が優しく背中をなぜながら「抱いてやる訳にゃいかねえよ、ちと大望があって暫く女はご法度さ」 じれる女の背中をやさしくさするうちに夜が明けてきたのか雀やカラスの声がしてきました。 寅吉がその乱れ箱を取ってくれと寝そべりながら言うと、ようやくに諦めたかおきだして箱を持ってきました。 箱から財布をとると中から五両を出して「これで勘弁しろよ、気に入ってそばに呼んだぐらいだから嫌いで抱かないわけじゃねえんだ勘弁してくんな」 着物の袖を通してもらい洗面に出ると隣の部屋から面々が現れてしきりに残念がります。 辰さんが「な、だんなは抱いてなぞくれなかったろう、それでもその分は埋め合わせてくれるというのは本当だったろう」 そういうと他の4人から一分ずつ徴収します。 「まいったなァ、堅物は知っていても据え膳までくわねえとは吉原の花魁と同じかよ」 「ナンだよ其れは」トマスが聞くので辰さんが昔の話しをするのでした。 難しい話の部分は啓サァが通訳して話しを聞き終わると「オイオイその話を知っていたらこの賭けには乗らなかったぜ、コタさんは女嫌いなのかよ」 「そんなことはありませんぜ、あっしの知ってるだけで3人は女が居ますぜ」 「辰さん3人とは初耳だ、俺の知ってるのは2人だけだぜ」 「親方の前ではいいにくいですが、その中にはお春さんも入っていますか」 「もちろんだぜ、あのじゃじゃ馬を飼いならせるのはコタさんぐらいだしな」 「あと春駒屋さんのお嬢さん、吉原の吉里花魁」 「今花魁とは寝なかったといったばかりだぜ」 そうトマスがいいますと、 「いえ其れがね、あの話は若様と勉強の本を夜っぴて読んでいてね、その話に尾ひれがついた物でござんすよ」 「かつ弥はどうなんだよ」 「あの子はまだねんねでやすからね、当分旦那のほうから手を出すことは無いでしょうよ」 寅吉が廊下を歩いてくる様子に隣の部屋に急いで引き上げる面々でした。 隣に引きげても話し声が大きく響くので「ナンださっきまでは静かだったがもう起きたのかよ」 「おう起きてるぜ、啓サァが朝飯にうまいものが食えるところが有るというから船に乗る前に腹ごしらえにしょうぜ」 船は12時出帆予定なので11時までに乗るにはあと3時間余裕が有りました。 「コタさんよ2時間で百両損をしなかった気分はどんなものかい」 「ははは、神崎鼻(こうざきばな)を過ぎて魚見崎を回るのに日が落ちるまでというのが平戸を抜けたときはやられた思ったぜ、その先の潮流が強くて速度が上がらずに帆をまんぱんに開いても効果が無くてよ」 「帰りはどういう約束だよ」 「ここを昼に出て6日目の日の入りまでに本牧の鼻を回れば向こうの勝ちさ」 「しかしそんな約束をよくするぜ、日本人はよくわからねえ」 「トマスよ、そういうがイギリス人は賭けといえば何にでも賭けたがるじゃねえか、横浜でも競馬場とか言うやつを造ってそれで賭けをするそうだぜ」 「サラブレッドの魅力は競馬だけじゃないぜ、馬を飼えばそのよさはすぐ解るぜ」 「そうか、外国人用の遊歩道が完成したら護衛がてら俺も馬でお供するか」 「そうしなよ、いい馬を紹介するぜ」 「いい馬などいいよ、本で読んだが蒸気船が買える位のまであるそうじゃねえか」 「それは、めったにいやしねえよ、わずか3万ポンドくらいさ」 「よせよ、小さな蒸気船ならそのくらいで手に入るぜ、もっともイギリスの価格の3倍から5倍で売りつけてるやつが、いるそうじゃねえか」 「困るなァ、内輪の値段をばらすなよ、儲け難いじゃねえか、俺は5倍でなぞ売ったことはねえよ」 桟橋まで送ってきたトマスは「来年にはSteam Locomotiveを輸入してここら辺りで走らす予定だぜ、よかったらそいつを横浜でも走らせて見ろよ」 「ほんとかよ、そいつはいい話しを聞いたぜひ実現したいものだな」 他の者たちにはちんぷんかんぷん見たいですが寅吉は話だけで興奮しています。 港には伝次郎たちも見送りに来ていました「いくら支店になったからといっても年に何度かは横浜に出て来いよ、俺も出来る限り長崎に出るようにするからよ」 「ハイ、旦那も身体に気をつけてくださいませ」 話は少し頓珍漢でも真心は伝わり同じ目的の商売仲間としての主従でした。 ハーウィッチの港から来たこのペガサス二世という船は、780トンあり蒸気スクリュー船として最新の船でした。 乗組員は48名いて船長はMr.Balfour(バルフォア)といって気が強くて人情家と航海士のJoeが話して居りました。 「Mr.コタ帰りはこの前のようには往かないぜ、船を操って空を飛ばしてでも横浜につけてみせるぜ」 船の名前どおり、空を飛ばせるものなら英雄ベレロフォンになってでも横浜までひとっ飛びさせるかも知れません。 あと少しのところで潮流の力に負けてしまった事が悔しいのかもしれません。 船の中では長崎で買い集めてきたロンドンの写真からSteam Locomotiveの写真と絵を見せて「この車が回転して馬より速く走るようになるんだぜ、力も強くて人間なら一度に100人以上は台車に乗せて走るのさ」 「とても信じられやせんぜ、勝先生だって亜米利加で見てねえんでやしょ、聞いた事がありやせん」 「こいつは値段が高いし船みたいに何処へでもいけるということは出来ねえから、そう簡単に作れねえのさ、トマスが言うようにまだ見本代わりに走らすぐらいが関の山さ」 12時丁度に出帆して長崎をあとにしました、この間苦労した角力灘も難なく突破して松浦を通り過ぎたのは夕刻にまだ時間の有る頃、この日は呼子の先の海に碇を下ろして明かりをつけて寝ずの番に9人が3交代で見張りに立ちました。 翌日、日が出る前に機関が動き出して昼前には小倉についてしまいました、ここで石炭の積み込みと荷物の受け渡しに3時間ほど掛かりMr.Balfourは時計と睨めっこでいら付いていました。 予定より15分遅れたと文句をいいながら出港して関門海峡に入りました、潮は船に味方してスピードが出てアッ言う間に周防灘に入りました。 この日の予定は下松の港で一泊、日の落ちないうちに港についてここでも荷の積み下ろしに余念がありません。 明日からは横浜まで一直線に航海するため港によるのは出来るだけしないと船長から通達が出ています。 「なぁ辰さんよ、この間はコタさんの女は3人だといったがな、もしかするとという話しをしらねえか」 「千代さんは知ってるようですがね、啓サァがいたから言わなかったですがお慶様なんかそうじゃねえかと思うんですがね、後珠街閣の妹娘にピカルディのハンナなんかはそうじゃねえかと思うのですがね」 「俺もそんなところと睨んでるが、コタさんは何もいわねえし、おめえの女かとも聞けねえものな」 「左様ですよ、親方そうじゃねえかと思うだけでね」 船は瀬戸内を抜けて外洋に出ると波も大きくなり辰さんはげんなりしていますが、紀重郎さんは元気一杯で外人達の飯も旨いといっています。 予定日の14日早朝船は大島沖を抜けて城ヶ島を見ながら大波に揺さぶられて其れから逃げるように浦賀の方向を目指します、波が変わりこちら側は穏やかですが船長はまだ苦虫を噛み潰した様な顔で海を睨んでいます。 寅吉たちは波の揺さぶりでげんなりしてしまいましたが、紀重郎さんは楽しそうに波しぶきを受けて居りました。 小柴沖に入りもう直にミシシッピーベイが見える頃時計はまだ1時30分「どうだMr.コタ俺の勝ちだぜ」 「まだ鼻も見えねえうちからいい気なもんだ」 「ハッハッハ、負け惜しみをいってもあとは帆だけでも着くが、機関を炊いて勢いよく港に入っていこうぜ」 港では何処から伝わったかペガサス二世号が夕刻までに到着すれば船長が100両の賭けに勝ったことになるという噂で人が大勢出て居りました。 日暮れまで2時間を残し船は港に入り錨をおろしました。 寅吉は水夫たちの前で百両の小判を渡して船長と握手をいたしました。 ワーッという水夫たちの歓声が上がりました、行きには負けてしまい帰りの100両が入らないと分配金までがなくなってしまうと不眠不休の活躍が無駄とならないことが嬉しかったのでしょう。 水夫頭に「荷降ろしは丁寧に頼むぜ」と20ポンドのチップを弾んで其れも水夫達に見えるようにわたしたのであとで分配されることでしょう。 迎えに来た船に手荷物だけ持って乗り込み、荷物は明日早朝に降ろしてくれと約束して桟橋に向かいました。 フランス波止場で陸に揚がり会所の前で紀重郎さんとわかれ吉田橋から野毛に向かいました。 横浜物産会社に顔を出してすぐに春駒屋さんと川崎に橋本さんが人を走らせ船の仕度を兼ねて打ち合わせて置いたように支度を頼みました、寅吉は江戸に長崎から持ってきた品物を届けに千代と新三をともに連れて出向きました。 六郷は街道を避けて川を渡り、子の刻前に品川に入り、春駒屋さんの仕立ててくれた二丁櫓の夜船で日本橋に向かいました。 明け方には日本橋の指定された店まで無事到着して品物を御渡ししました。 供の二人には説明しなくともこういう事が寅吉の便利屋としての商売のひとつと心得ております、中身といえば手紙となにやらよい匂いのする包みがひとつ。 「お早いお帰りですな、約束より5日以上も早い、さては船長との賭けに負けなさったな」 長崎の支店の開設と往き帰りのスピード競争を表出させることに成功した真の目的は宣伝にありましたので、この日から広目やが品物の横浜到着を広めて歩くことでしょう。 「残りの商品は今日船から降りますので、遅くも明後日には此方様にお届けにあがれます、無事予定通りのものが集まって居りました」 「よろしいです、では品物が着き次第支払いも手形でよろしいな、」 「ハイ結構で御座います、では品物の受け渡しは私もまたうかがわせていただきます」 3人はそのまま踵(きびす)を返し船で品川に戻ると飯を食って、船頭が入れ替わり同じ船で青木町に向かいました。 帆は風をはらんで走り、堂ノ間で春駒屋さんが支度してくれた布団に包まり3人は船が着くまでぐっすりと寝るのでした。 青木町の桟橋では店のものに到着を告げさせに新三を向かわせ、日本波止場までの渡船にすぐ乗り込みました。 紀重郎さんの店に顔を出すと品物の仕分けをしてくれていて江戸送りの分はすぐにまた寅吉が付いて青木町の店に戻りました。 笹岡さんが手配して先行させた新三と豊に千代の3人は陸路人足とともに品川に向かい、翌日待っていた昨日の船で寅吉たちは品川へ。 翌早朝荷駄を組んで日本橋に向かい、四つ時には広目屋が人を集めている中を羽澤屋さんのお店に着いて荷を卸しました。 「ササごろうじろ、この荷駄に積まれた荷物こそが蒸気船の船長と六日目までに横浜に着けば100両の褒美と賭けをして、見事負けてしまいましたということは、肥前長崎から横浜の港になんと六日で着いて其処から今日到着した、皆様お待ちかねの品物の数々で御座います、なんと長崎を出たのが今月八日のお昼時、今は十六日わずか九日目にはこの通り到着いたしました、店で荷を解きましたら帳面とあわせてすぐにも皆様にご披露いたします」 口上も鮮やかに面白おかしく長崎言葉を交えたり歌を歌ったりして見る者を飽きさせません。 会計も済み手形を頂き荷駄についてきた品川の人足は帰して佐久間町に向かいました。 三々五々江戸の町を眺めながら、千代だけを供に連雀町に入り他のものはそのまま佐久間町に向かいました。 「おっかあ帰ったぜ」 「お帰り、今度の長崎はどうだったよ」 「アレなんで知っているんだよ」 「この間寅太郎さんが横浜の絵を持ってきながら船長と片道百両の賭けをして出かけなさったといっていたよ」 「そうかここまで話が来てるようじゃ相当広まったな」 「何でそんな大層な額をかけたんだよ」 「今日羽澤屋さんに届けた荷が長崎からこういう事情で今朝到着いたしますと広めているはずだが聞いてねえか」 「アラあれかい、広目屋が昨日触れ回ってた長崎からホンの10日足らずでまいりました異国の珍奇な品物で御座いますとやっていたが其れかい」 「そうだよ、長崎で集めておいた品物を売るにはいい手だろう、二番煎じは無理でも来た客に船長と賭けをしてまで運んだと触れ回ればいい話題さ」 「其れで勝ったのかい、負けたのかい」 「往きは時間差で負けなかったよ、だがその分帰りは余裕を持って負けたよ」 「ナンダでは大損かよ」 「負けたのは百両だが今度の荷では千両は儲けが出たぜ」 「どういうことさ」 「22日が最終期限でその日までに荷が付かない時は一日二百両引かれる約束さ」 「まだ16日だよ少しは上前を出してくれたのかい」 「そんなことはねえよ、おいらは便利屋だからこういう商売しか出来ねえのさ」 「百両負けても千両の儲けかよ、それでも危険な賭けじゃねえか」 おつねさんは寅吉が、幾つになってもハラハラさせるので心配の種が減る事がありません、それでも儲けに繋がったのでほっとしたようです。 長崎の支店の様子など事細かにお文さんたちにも話しながら休むともなく腰をおちつけています。 会計の由松さんから最近の状態を聞き取りました。 江戸はとらやも虎屋も順調でおつねさんが昔のように飛び回ることはないようです。 「今日はとまって行くのかい」 「これから佐久間町に森田町と回るので夜は卯三郎さんがいればどうなるかわからねえ」 「忙しいこった、無理などすなよといってもむだか」 「今は体の疲れも出ないからでえ丈夫だよ、食い物には色々と気を使っているからよ」 「肉ばかり食わずに漬物や野菜も食えよ、小魚は切らさず食ってるのかよ」 「ホラ例の佃煮やが小魚の佃煮を切らさず届けてくるので家では毎回食ってるぜ」 「何言ってんだか、ほとんど居場所がさだまらねえくせによ」 等と無駄話ならぬ親子の会話も交えて暫く居りましたが、佐久間町に向かいブンソウたちから江戸の様子など聞き、其処でも長崎の話しを暫く続けてから森田町に向かいました。 卯三郎さんが留守なので観音様にもうでて行こうと向かい、暮れ六つにはまだ暫く時間が有るというころ境内に入りお参りをしてどちらにいくか話し合いました。 「千代はどこか行くところが有るのかよ、おっかあには挨拶しなくていいのか」 「いえとくに行かなければならない所はありやせん」 「そうかたまには仲にでも寄ってみるか」 「そういえばこの間のお倉さんの人気が高いそうですぜ」 「本当かよ、俺にはあの手の人は苦手でな」 「威勢がいいのはよいのですが、亭主が根っからの悪で困りものという話でしたが収まってますかね」 「仕方ねえさ、肝心のお倉さんが別れたくねえんだろ、それほどのいい男でもないが浮気癖が取れねえのと博打癖は一生物の病だろうよ」 後ろから賑やかな女ずれが近づいてきたかと思うと一人下駄の音も高く近づきながら「ナンだよ、コタさんは仲でも行くきかよ」 振り返ればお春さん、後ろには一蝶さんに胡蝶太夫とその一座の面々。 「おやおひさししゅうございます、どちらにお出かけでしたか」 「何頓珍漢なこと言うのさ、奥山の小屋が跳ねてその帰りじゃねえか」 「胡蝶太夫はわかりますがお春さんはまた入れ替わりに借り出されましたか」 思い切り口の瑞をつねられ声も出せない寅吉に「いい加減なことばかり行ってないで付いておいでな」 「千代よぅ今晩は仲になんぞ行っていられねえぜ、お預けだぜ、まいったなぁ」 「何言ってんのさ、千代さんお前さんも付いておいで」 先にたって安倍川町に入り「てっせん」に着きました。 「今晩は、親父さん10人だけど座敷は空いてますか」 「今空いたばかりで片付いてないからちょっと待ってくれよ」 そういうので店の中で腰掛けて待つまもなく女中が案内に立って二階座敷に入れてくれました。 賑やかに食べて飲んで丸高屋さんに千代と二人で泊めてもらう事になりました。 |
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酔芙蓉 第三巻 維新 | |||||
第十一部-1 維新 1 | 第十一部-2 維新 2 | 第十一部-3 維新 3 | |||
第十二部-1 維新 4 | 第三巻未完 |
酔芙蓉 第二巻 野毛 | |||||
第六部-1 野毛 1 | 第六部-2 野毛 2 | 第六部-3 野毛 3 | |||
第七部-1 野毛 4 | 第七部-2 野毛 5 | 第七部-3 野毛 6 | |||
第八部-1 弁天 1 | 第八部-2 弁天 2 | 第八部-3 弁天 3 | |||
第九部-1 弁天 4 | 第九部-2 弁天 5 | 第九部-3 弁天 6 | |||
第十部-1 弁天 7 | 第二巻完 |
酔芙蓉 第一巻 神田川 | ||||||
第一部-1 神田川 | 第一部-2 元旦 | 第一部-3 吉原 | ||||
第二部-1 深川 | 第二部-2 川崎大師 | 第二部-3 お披露目 | ||||
第三部-1 明烏 | 第三部-2 天下祭り | 第三部-3 横浜 | ||||
第四部-1 江の島詣で 1 | 第四部-2 江の島詣で 2 | |||||
第五部-1 元町 1 | 第五部-2 元町 2 | 第五部-3 元町 3 | ||||
第一巻完 |
幕末風雲録・酔芙蓉 |
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寅吉妄想・港へ帰る | 酔芙蓉 第一巻 神田川 | ||||
港に帰るー1 | 第一部-1 神田川 | ||||
港に帰るー2 | 第一部-2 元旦 | ||||
港に帰るー3 | 第一部-3 吉原 | ||||
港に帰るー4 | |||||
妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編 | |||||
幕末の銃器 | 横浜幻想 | ||||
幻想明治 | |||||
習志野決戦 | |||||
第一部目次 |
第二部目次 |
第三部目次 |
第四部目次 |
第五部目次 |
目次のための目次-1 |
第六部目次 |
第七部目次 |
第八部目次 |
第九部目次 |
第十部目次 |
目次のための目次-2 |
第十一部目次 |
第十二部目次 |
目次のための目次-3 |
酔芙蓉−ジオラマ・地図 | |||||
神奈川宿 | 酔芙蓉-関内 | 長崎居留地 | |||
横浜地図 | 横浜 万延元年1860年 |
御開港横濱之全圖 慶応2年1866年 |
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横浜明細全図再版 慶応4年1868年 |
新鐫横浜全図 明治3年1870年 |
横浜弌覧之真景 明治4年1871年 |
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改正新刻横浜案内 明治5年1872年 |
最新横浜市全図 大正2年1913年 |
1 | 習志野決戦 − 横浜戦 | |
2 | 習志野決戦 − 下野牧戦 | |
3 | 習志野決戦 − 新政府 | |
4 | 習志野決戦 − 明治元年 |
幻想明治 | 第一部 | ||
其の一 | 洋館 | ||
其の二 | 板新道 | ||
其の三 | 清住 | ||
其の四 | 汐汲坂 | ||
其の五 | 子之神社 | ||
其の六 | 日枝大神 | ||
其の七 | 酉の市 | ||
其の八 | 野毛山不動尊 | ||
其の九 | 元町薬師 | ||
其の十 | 横浜辯天 | ||
其の十一 | |||
其の十二 | Mont Cenis | ||
其の十三 | San Michele | ||
其の十四 | Pyramid |
酔芙蓉−ジオラマ・地図 | |||||
神奈川宿 | 酔芙蓉-関内 | 長崎居留地 | |||
横浜地図 | 横浜 万延元年1860年 |
御開港横濱之全圖 慶応2年1866年 |
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横浜明細全図再版 慶応4年1868年 |
新鐫横浜全図 明治3年1870年 |
横浜弌覧之真景 明治4年1871年 |
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改正新刻横浜案内 明治5年1872年 |
最新横浜市全図 大正2年1913年 |
横浜真景一覧図絵 明治24年7月1891年 |