酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第四部-2 江の島詣で 2 

切り通し・びわ島弁天・バンド・青木町・オルゲール

 根岸和津矢(阿井一矢)

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

      

・ 江の島詣で 2 切り通し

江の島詣に江戸を出て5日目、朝の食事もそこそこに恵比寿屋の人たちに見送られ腰越まで船で渡った一行は七里ヶ浜の浜辺を歩き稲村ヶ崎に向けて歩くのだった

浜ではわかめを刈り入れる様子が見え、波がたたない相模灘は日が照り映え穏やかであった。

左手の山際に小道があり其処をたどり稲村ヶ崎の近くで「ここが世に言う新田義貞公が神仏に祈り波が引いて鎌倉に攻め入ったところでございます」

其の稲村ヶ崎の手前から小さな川沿いの道があり急坂を乗り越えて鎌倉へ入る道がある。

極楽寺が見え、「この道を開いたのは極楽寺を開山した忍性さまといわれているそうでございます」とこれも与次郎さん。 

名も知らぬ白い花が咲き誇るがけの間を通る途中に成就院への階段が見えた。

「この上から望めば鎌倉の町が一望できるといいますが今日は止めて置きましょう、100年ほど前はあそこまで道が高かったそうです」

指差すのは寺の門がある辺りなるほどあそこなら眺めがよいはず。

頼朝公が鎌倉に入ったときはまだこの道は無かったそうで、鎌倉が天然の要害という事がわかる気がします。

御霊神社の前で力餅を買う間に参詣に回り、かつ弥と寅吉にお金とたか吉がついて来た。

なかで案内してくれる人がいて「芝居の暫くで有名な鎌倉権五郎景政様を祭っている」と説明してくれた、「梶原景時公のご先祖様で鎌倉の支配者だった」ということでした。

「元は五霊神社と言われ大庭、梶原、長尾、村岡、鎌倉という平氏五家の祖先を祭る神社でございまして何時の頃縒りか定かではございませんが、景政様ただお一人を祭るようになりました」

長谷の観音に詣でる道には、花菖蒲が咲きほこり、数多くの赤や黄色い花が咲く階段を一番上まで上がり、本堂の中に安置されている、大きな観音像に皆で残りの道中の無事とお天気に恵まれるように祈るのだった。

金箔で光り輝く仏像は 長谷寺は「坂東三十三観音」の第四番霊場の十一面観音菩薩、見上げると驚くほどに大きく見え、身の丈三丈の余あると坊様が説明して居りました。

表に出ると休み處があり見晴台がついていて人が大勢来ていた、其処から見る景色は雄大で三浦の岬の先までずっと見渡せるのだった。

力餅をここで少し食べて茶を飲んで下の道を大仏に向かう一行、まだ時間は9時と寅吉の時計は指していて、これなら日暮れ前に六浦に入れそうだと思うのだった。

高徳院の大仏を見て昔は屋根がついていたという話を与次郎さんから聞いていたので、今は汚れた体も元は奇麗にされていたかと思うのだった、案内の坊様がいて「この仏様は、阿弥陀仏にて元は木造でしたが、度々の地震、火災により消失し金銅造りになられました、当寺は大異山高徳院清浄泉寺(だいいざんこうとくいんせいじょうせんじ)と申します」

「後に津波により大仏殿が流出いたしましてその後は露台のままとなって居ります」

皆が見上げて感心しながら拝観の後で八幡宮に向かいました。

「上野のお山の大仏より大きいとは驚いたぜ」

「かつ弥は奈良の大仏がもっと大きいのは聞いた事がねえのか」

「たか吉だって見たこと無いくせによく言うよ」同い年の二人は気が合うか遠慮ない口の聞き方は常の事です。

甘縄神社から八幡宮参道の段かずらに出た、ここにもつつじが咲きほこり色が豊富なのには皆が驚きの声を上げるほど奇麗だった。

「海はどっちだよ」道がうねりあちこち廻るうちに方角がかつ弥にはよく判らなくなったようだ。

「バカだねこの子は、本殿があるのが山で反対が海だよ、ここが二の鳥居でほらあそこに小さく見えるのが一の鳥居で大鳥居と言うのさあの先が由比の浜さ、昔は一の鳥居が反対にある社殿の方を言ったそうだ、この道は十一丈あるそうだし海に近い方はもっと広がってるんだとよ、真ん中の道は段かずらさ」

「あれ姐さんは物知りだ」

「さっき聞いたばかりだもの当たりめえだ、忘れる間もねえよ」

歩きながら与次郎さんから話しを聞いたようです。

四丁ほどの段かずらを抜けると三の鳥居に出会う赤橋と言う名で呼ばれる太鼓橋が有り其の下で源平に分かれた池に大きな鯉が泳ぎ岩には亀が甲羅を干していた。

「あんな遠くにまた階段があるじゃねえか」

「あの上が本殿だよあの下にある、大銀杏のところで実朝公が殺されたんだよ」

「お参りしたら戻って池のところに有る茶屋で昼にしようぜ」

話がまとまり元気に階段を上がり上でおみくじを引いて吉が出て喜ぶたか吉に、

「おいらは凶だ、なになに末は望みかない家内繁盛だとさ」

「いいじゃねえかおみくじは何が出ても先はよくなると信じることだ」

かつ弥を慰める寅吉でした。

池の脇にある茶屋で座敷に上がり昼にしましたのはそれからまもなくの事。

源氏池と言われる東方の池の近く 旗上弁財天 が池の中に浮かび藤の花が奇麗に社殿の周りを飾っていた。

鳥居の前の道、横大路を東に向かって六浦道を歩き出したのは寅吉の時計で一時十分だった。

左にいくと法華堂ここには頼朝公の墓所に向かう入り口に続く道がありましたが其処までで道に戻ります。 

宝戎寺門前で左に曲がれば西御門川、筋違橋を渡りなおも進むとこのあたりは、鎌倉に縁の古い屋敷が続いている。

江柄天神への参道を見て先に進むと、板東三十三観音霊場第一番札所の杉本寺「ここは御参りして行こう」と急な階段を上り、有名なわりに小さな仁王門をくぐると、細い石段の両脇に「十一面杉本観音」の幟がはためき案内をする坊主に心付けを弾んで、堂内に入ると五体の十一面観音さらに案内されたのは、行基作・恵心僧都作・慈覚大師作といわれる三体の十一面観音を拝観致しました。

道に戻りさらに太刀洗い川沿いを上にさかのぼると小さな橋があり対岸に渡れば、右手の崖が削られた痕も生々しく残り、崖沿いに右に曲がるや其処に対岸に見えたのは、太刀洗いの水と言われると先ほど手に入れた案内にもかかれている由緒ある水場。  

其の先でまた小さな滝があるが道に水が溢れて歩きづらくなってきたので女達はそれぞれ手を引かれて滑らぬように歩くのだった。

坂を登り其処にある茶店で一休みしてから朝比奈の切り通しを抜けると後は下るだけだ。

武蔵久良岐郡の金沢六浦は米倉丹後守が領する土地とはいえ古くから景勝地として人が多く訪れる場所だった。

小柴沖には黒船が2月余りも停泊していたこともあり横浜より早くに異人と触れ合う人々がいたようだ。

鼻かけ地蔵が見えここが武蔵と相模の国境との石柱があった、時計は4時30分「ほぼ七つ近くになってきているようだぜ」寅吉が言うと「では日が落ちる前に野島に渡れるようじゃねえかよ、案外早くに着いたもんだ」おきわさんの言葉に皆がほっとした様子。

小川の橋を渡り皆で見上げて見れば柔らかい石が風化してあちこちがはげて落ちている。

六浦の港から舟で野島に渡った、夕照と詠われる景色にはまだ時間が早いが穏やかな入り江は情緒に溢れていた。

野島は島といっても陸続きで回り道をすればかなさわの八景を楽しむことも出来るが、宿にあった広重の絵で楽しむ一行だった。

江戸でもあれこれ楽しんで道中記や浮世絵を買い集めては楽しみにしていたが、季節が違う時期の物で、回るのは無駄と思うのだった。

入り江に面した宿の先を行きかう舟を見ては「あれがこの絵の様だ」空を飛ぶ鳥を見ては「落雁とはああいう様かね」そして山影に落ちる陽に照らされる海が郷愁を呼んでか、見惚れる女たちだった。

「裏山に登れば遠くは房州の山までが一望できます」という仲居の言葉にもうなずき「落ち着いたいいところじゃねえか」とおきわさんがいうとおりの岬の宿であった。

春駒屋さんの紹介が有るからというより、もてなしに手抜かりのない様はさすがと思われるのだった。

料亭旅館「 たからや 」というこの宿は出来てから間もないそうだが、丁寧な応対に心が安らぐ一行だった。

夏の夕景は日が落ちそうで暮れずに続き、暖かい夕景色が平潟の入り江に見えた。

 

・ 江ノ島詣でびわ島弁天

朝起き出した一行は、船で一度村田屋の桟橋まで渡り、びわ島の弁財天におまいりして、かなさわの地を旅立つのだった。

ここにも江の島と同じように福石といわれるものが有り、由緒まではわからぬながらも、おまいりする一行だった、ひらかたの入り江の中に突き出した形がびわに似ていて、尼御前が琵琶湖に浮かぶ近江の竹生島弁才天を勧請したといわれるそうだ、立ち姿が美しく其処から「立身(たちみ)弁才天」といわれ、さらに「りっしん弁財天」というように名づけられ江戸人に好まれて訪れる人が増えたそうな。

三島明神の参道近くの海岸には東屋・千代本・扇屋が立ち並び、大山詣でや江ノ島詣での帰りの面々が精進落としと言う名の大騒ぎの遊びをしていくのだった。

能見台に出て山道を田中の立場に出ると茶店がありこんなところでと思い休んでいると存外に人の行き来があるのに驚いた。

昔のかまくら道ということを茶店の親父に聞き、いまさらながら春駒屋さんの博識に驚くのだった。

春駒屋さんの書いてくれた案内を与次郎さんが手に茶店の親父と相談していたが「やはり昔の道の通りに井土ヶ谷に出て大岡川沿いに野毛に出るのが早いそうです」

「さうだがよゥ、おらもこの間ばあ様に任せて息子と横浜まで行ってきただが戸塚や程谷に出るこたぁねえだよ、道は狭いがよっぽど早いだよ」

「上大岡から弘明寺、井土ヶ谷と抜けるのがよいそうです」

「ではそうしょうぜ、今は9時30分だから4つにはまだ間がある時間だ、出かけるとするか」皆に声をかけ山道をたどるのだった。

坂の多い上大岡という場所では、のどかな田園風景に目を休め話の通りの道筋をたどり、谷間を流れる大岡川を渡り、案外に道がはかどり くめうし道 から、すぐに井土ヶ谷の立場に出る事が出来た。

ここから程谷に出る道と横浜に出る道に別れ、細い道ながら野毛に向かい半時ほどで野毛山が見えてきた。

野毛の大通りに出て野毛坂の下にある義士焼きの店についたのは1時15分。

「アアおなかが空いたヨオ」かつ弥とたか吉が言えば「本当だよぅコタさんよどこでくわしてくれる」きみ香までが催促します。

「お待ちしておりやした」と店から出てきたのは幸助と雅の二人。

「おおけえったよ、どうだい商売のほうは」

「何事もなく順調です、お昼は桜花亭に用意がたのんであります、早速にお出かけくださってようございます」

「マァまぁここで荷を降ろして汗を拭いてから食ってもよいだろうよ、それとも先に喰いに行くかよ」

「八つには御着きと連絡して置きましたから、ここに荷を下ろされて御出でくださいませ、風呂も沸かせてあります」そういわれて荷を降ろして、汗を流してから江戸から着いていた、一張羅に着替えた一同を、雅が待ち受けていて 桜花亭 に案内をしてくれました。

ここは幸助たちが商売の相手を接待に使うところで顔が利くところ。

寅吉達は遊郭での接待はできるだけ控えるようにしてこういう店を利用しています。

さすがに男たちのほかは、豚肉料理、牛肉料理は食べられないものが多いので鳥の塩焼きとか鳥と野菜とを甘辛く煮たもの、豆腐に蒟蒻の田楽、さわらのひとしおという普通の献立ながらよい料理人がいるので、それぞれの味を引き立て旅の疲れを取る献立になっています。

渡り蟹の味噌汁には全員が「ホーッ」と感心するうまさ。

「家で昼寝でもしてから居留地の見学に行こうぜ」寅吉に言われ、義士焼とらや にて昼寝いたします。

この家は蓮杖さんから50両という安値で買った家で、其の後100両かけて20人ほどは何時来ても泊まれるように建て増ししたので、寅吉の自慢は風呂が寅吉の住まい部分、客用と従業員用の3箇所と厠が四つもあるという普通では考えられない宿屋以上の作りです。

部屋も20畳ほどの道場というような大部屋が二つ続きもありと、大小取り混ぜたつくりになっています「今となりを買う相談をしてるが、奥の家と隣が買えそうだ」

「そんなに大きくしてどうするよ、人間を多く雇うことにしてるのかよ」

「そうだよ、あと元町にも家を買う予定だ、横浜だけで80人ほどは働くようにしようと、考えてるがもう少し多くなるかも知れねえよ」

「そりゃびっくりだ」大げさに驚くかつ弥たちです。

永吉が顔を出して「4時にお迎えに来ますから参組に分かれてご見物に御出でください」

「案内は旦那の組、私の組、幸助の組それぞれに一人の荷物持ちがついて行きます」

「それじゃカードを参色にしてくじを引こう」トランプのスペードを抜かして9枚3色のカードを一枚ずつ引かせて組わけ致しました。

ダイヤが寅吉、クローバーが永吉、ハートが幸助と決まり、あとはこういう組わけとなりました。

寅吉組・・・源司、かつ弥、たか吉

永吉組・・・きみ香、仁助、お金

幸助組・・・おきわ、与次郎、辰

まずは全員で吉田橋から会所を通り居留地内に入りスミス商会に寄って、マックからパン職人がきまったが給与の要求が高いがどうするか決めろといわれるが其の給与で契約の約束をしました、明日の便で連絡を取れば3ヵ月後には来日できるから場所をどこにするか相談を公使と擦り合わせるようにしました。

マックがついてきてくれて、その後ゴーンさんの店にも寄り、其処から22番地の商会でスイスから来た時計商の一行に紹介されました。

ファヴルブラントというものがイギリスを話すので寅吉と親しくなり二人は時計のあれこれについて話すのでした。

寅吉が知っていたオルゲール時計はスイスでも作るものが少なく、横浜には数が少ないので、スミス商会の取り扱いに拠って20台千二百両で輸入できるようにしてくれる約束が出来ました、懐中時計にもオルゲール付きを作ることができるほどの技術者と聴き寅吉の食指はうごめくばかりです。

リュージュというのが土地の名でなく人であり優秀な技術者の一家であるということも始めて知る寅吉です、シャルル・リュージュという名もはじめて知りました、その人が作った物がどこかの荷物にあるというので時計商たちが荷物の中から探してくれることも約束できました。

修理もトケイヤ・フヲルコ以外はまだいないので技術者がいれば誰か来ないかなども話、離浜する日の前に先ほどのオルゲール時計を分けてくれるということなので、あす朝の10時にもう一度会う約束を致しました、其のときまでに荷の中から目当ての物を見つけてくれる約束。

波止場に出ていよいよ日本人街で参方に分かれての散策が始まります「辰さんときみ香よぅ、明日の買い物の下調べをしときねえ、二両以上は自分で出すのだぜ、今日欲しけりゃ永吉と幸助にそういって買わせりゃいいさ」

日暮れまで弁天通の土産物屋を経巡ります、二丁目に出した義士焼きの店にも寄って一服。

同じ二丁目の野木屋で中に入り外人向けの土産などを物色、此れからの商売の流行にも目を光らせ、二人の芸者の様子に店員があれこれ付きまといますが「明日も来るから今日は見るだけだぜ」と顔見知りの寅吉が言うと「横浜土産にたくさん買ってもらいなさいませ」など煽るのでした。

弁天通五丁目下田長屋にある蓮杖さんの店によりランプの明かりを多くしてかつ弥とたか吉の二人の写真を撮らせました、蓮杖さんは盛んにウンシンから譲られた写真機といいますがこれはJ・ウイルソンのことで、なんど言っても「いやウンシンと聞こえた」と言い張るのでございます、ここに開業して早くも一年余り数多くの方がここで写真を撮られました。

野毛で開いた店を閉めて昨年ここに移ってからは訪れる人も増え順調のようでございます。

暗くなってきてそれぞれの組が野毛に戻ってきました。

夜は義士焼きの店で働くものたちの心づくしの手料理で話しも盛り上がりをみせ、今日見た珍奇な品物の話しをそれぞれが話すので夜が更けても寝るのが惜しい女たちです。

 ・  江ノ島詣でー2 バンド

翌日小雨の中昨日の参組の組別けのまま、吉田橋から思い思いに日本人街に入っていった。

寅吉たちは居留地内に入り、ROUTE DE HOMURA(本ムラミチ)から日本教区長ジラール神父が80番に一昨年の文久元年12月に開設した天主堂を見て「これがバテレンのお寺だよ、他にも有るはずだ歩いてるうちに見つけたら教えてやるぜ」と説明をしました。
86番のロイヤル・ブリティッシュ・ホテルのコーヒーハウスにより、コーヒーや紅茶でヨーロッパの菓子や中国の菓子をつまみ此れからの買い物の相談をするのだった。

かつ弥とたか吉は、20両ほど買い物用に用意してきてはいるが、ここの物価を理解できるとは思えないようで「そんなにするのかよ」と半信半疑だった。

今飲んでいるコーヒーが一杯一朱という値段では驚くのも無理はない値段だ。

寅吉がたまに煮出して、砂糖で甘くして飲ませるより、甘く切ない香りがして二人の異国情緒に浸る様子は源司にも理解でき、買い物の相談にも熱が入るようだった。

男爵が顔を出して「コタさん昨日も居留地に来てたね、たまには顔を出しなさい、私このホテル手放すかもしれない」

「どうしなすった、儲からないのかよ」

「白人の中には私が経営してるというと露骨にいやな顔するものがいるよ、経営者は白人にしょうと思うだよ、私は奥で働くのがいいみたいだ」

「それもひとつの手かもしれないな」

ここ横浜でもそういう風に人種の差を露骨に顔に出す商人が多いのです。

プリュイン(アメリカ公使)さんが、コーヒーを飲みに来たので昨日のパン職人の話をして、店の場所を探すのはスミス商会に任せるということになりました。

28番でマックと落ち合い、約束の10時ちょうどに22番館に廻ると昨日のファヴルブラントさんが仲間と来ていてくれて昨日の話の時計を見せてくれます。
「これは見本なのでこの場では渡せない、でも帰りのときでよければオルゲールつき懐中時計は、32ポンド、オルゲール時計は
20ポンドで渡すよ」勿怪の幸いと52ポンドで買い取ることにしてマックに其の手続きのために、65ポンド渡して品物を船が出るときに渡してもらう約束が出来ました。
「よろしい、よろしい、とても気前がよいです」ファヴルブラントさんは、寅吉の即断即決にこの何日か値切り交渉ばかりの商人に嫌気がさしていたことなど話すのでした。
同行の仲間からも、何種類かの時計に懐中時計と、引き札(パンフレット)
をみせられ値段によっては買いたいものがあったので5種類ほど印をつけマックを代理人に指定してそれぞれ5台ずつで買うか、10台ならいくらになるかを改めて交渉してもらう約束をしました。
むこうさんは出来れば同じものを50台という数で売りたいようでしたがまだ其処まで売りさばけるほどの需要がありません、5年先には数が必要になるがまだ今は時刻の計り方が違うということをマックに手伝ってもらって説明いたします。
それでも懐中時計は手に入れたい寅吉をよく知るマックが取り仕切ってくれました。
「任せなさいコタさんが損が出ない値段で渡せるようにしてあげるよ」マックは最近はどの品がどのくらいの値段なら横浜物産会社で売りさばけるかを承知してくれています。

70番の横浜ホテルの前を廻り、76番のゴーンさんの店にも顔を出してマークル(Maquillage)石鹸の売れ行きが好調でどちらもホクホク顔の付き合いですから話も弾みました。
76番を出てまた86番の前をとおって新川(堀川、中村川・大岡新川)の近くを散策し39番のヘボン博士の家から谷戸橋の関門を見て「あの川向こうに見えるあそこいら辺りを500坪ほど買い入れて有る、それとあの山の上近くの平らなところが二万坪ほど買う段取りが出来てるよ」そこから川沿いに下り港に出て「ここにグランドホテルがあったよな」心の中でジジや両親とクリスマスのディナーのことを思い出しながら外灘を散策した。

居留地の南半分を一回りして、ジャーディン・マセソン商会でウイスキーとビールを注文して120ポンド、三百両の支払いを附いて来た文崇(ふみたか)ことブンソウにやらせ、其の手並みを見て満足して買い物に夢中の3人の様子を見に行った、荷は明日には青木町につくという話。

やはり女は俺とは違うと思ったのは紅い網状のスカーフを肩に羽織って気に入った様子、二人でぐるりと廻っては互いに確認していた、一枚9ポンド二十二両二分、インドからの絹織物で広げると一片が5尺ほどもあり大きなものだった。

手に持つと羽のように軽やかで日本ではまだその色合いを出すのは難しそうだったが、鶴屋さんがシルクの買い付けの激しさに藩の重役と相談の上、掛川で製品にして輸出をしようとハンカチーフ・スカーフの製造を始めていますから染料のいい物があれば其の色合いも可能になるでしょう。

商社のものと相談すると20枚なら卸値段でよいという、聞けば100ポンド、二百五十両契約をして品物はその場で包ませ、背中の荷のかるくなったブンソウに背負わせた。

「あといくら残っている運上所の支払いには足りるのかよ」

「はいあと二百両残っておりますので、運上が酒が三百両で壱百五両の織物は二百五十両ですから五十両あわせて百五十五両ですから大丈夫です」

「そうかおいらはポンドが200とドルが500のオリエンタルの手形が有るがそいつは遣わずに済みそうだ、では次は日本人街に行こうか、其処でそばでも食おう、源司さんはなにか買うかい」

「いえあっちは昨日見た小物を弁天通で買いますからここはよろしいです」

5人は店をあとにして西波止場からイギリス領事館の玉楠を見て、運上所に出て会計を済ませてから会所に顔を出してから蕎麦屋に入った。

本町通りの よしだや という蕎麦屋で、寅吉はあられそばを食べ、源司はざる、かつ弥とたか吉に文崇は天ぷらそばとそれぞれが自分の好きなもの、たか吉もかつ弥も運上を入れても十五両でよいとブンソウに言われて気持ちがウキウキしていまして、残りの金で何を買おうか二人で相談しています。

食べ終わると通りを見て廻り、源司さんとブンソウは買い物に末吉町の 野木や (弁天通とは別の店の野木やと屋の字がひらがなです)に入り、寅吉たち三人は、洲干弁天(しゅうかんべんてん)のオランダ総領事館まで歩き其処で人待ちをしていた馬車で、関内の日本人街を一回りしました。

がたがた揺れる馬車に若い3人は気分が高揚してきます、途中で他の組に行き会えば手を振って声を掛けると言うはしゃぎ様でした。

弁天前から会所まで行き着いて、本町通りを西の果てまでという一回り20分くらいのものですが案外と乗るものが多く3台の馬車がいつも人を乗せて廻っています。
二丁目の野木屋で買い物をして、待ち合わせ場所にしたとらやで義士焼を食べて全員が揃うのを待ちます。

寅吉が約束した二両の土産も二人に買いいれ、辰さんはそれを岩さんとお京さんへのお土産に託します、寅吉が横浜案内を買い入れて、江戸で見ようと何冊か買い求め与次郎さんと源司や仁助へも渡しました。
もちろんのこと寅吉が人数分以上に土産として伊勢勘の親父から20本の南京傘(こうもり傘)を買い求めて、船便で青木町に送り其処から江戸に送ることにした、見慣れぬ食べ物よりもなんとなく異国のものという感じがしたものだ。

夕刻まで遊びまわり、日暮れ時に吉田橋から港崎遊郭を見ると、富士見楼には早くも明かりが灯りだしていて、まるで海中から出現した竜宮のように見えました。

ここのことをマック達はスワンプ(SWAMP・沼沢)という隠語で話すので、どこのことかわかりませんでしたが廻りの沼地のことをさして言っているのでした。

豚屋火事という名は子供心に残っていましたが、いつ起こったかまでは知らない寅吉です、できれば火事は未然に防ぎたいのですがあの公園のところに昔遊郭があったということしか覚えていない自分に歯がゆい思いがするこの頃です。

「あそこに早く行きたいんだろう」たか吉が寅吉や源司にそういいますが「お前たちを送ったら辰兄いの歓迎会をあそこでやるが、泊まることはねえよ」

「誰に遠慮する必要もねえだろうよ」

「そりゃそうだが、泊まりたいやつだけが、あそこに行くわけじゃねえよ、特に今日はキャプテンゴーマーとマックにゴーンさん、公使のプリュインさんも招待してあるから忙しいのだよ」

「本当にしておこうぜ」

吉田橋を渡りきり、野毛橋を通る頃にはすっかり日も落ちてとらやに入り、男達はさっぱりとしてまた街へ出てゆくのでした。

寅吉、永吉、幸助と辰さんに千代、雅に春太郎の7人と与次郎さん源司に仁助が来て合計10人が五十鈴楼に予約してあるので、ぐるっとひと回りして港崎に入ったのは8時過ぎ。

岩亀楼には、先に伝次郎が太四郎と来ていて異人さんたちと通詞の紘吉さんが来ていてもう30分以上も盛り上がっていたといいます。

パン屋の話の打ち合わせを異人さんのほかには通詞と伝次郎に立ち会わせて、スミス商会と公使には家を借りて保証人になる代わりに、家賃のほかに保証料という名目でそれぞれに六十両という配当金を出すと決まりました。

通詞も伝次郎も「それでは儲けにゃ程遠いでしょう、月三十両の給金もべらぼうなら報奨金まで出そうなど気前がよすぎます」

日本語で話すと皆が不安がるので英語で話しました「おいらはこう考えているんだ。日本にパンが定着するにはまず職人を養成しなくては、話にならない。だからイーストと肝心の技術を教えてくれる職人が必要なのだよ。聞けばパルメスさんは最近家族が事故でなくなって日本で再出発をかねて技術の伝授をしてもよいという話じゃねえか。だからこそ高い給金よりも其の心意気にほれたのさ。」

これは其の言葉がパルメスさんに伝わることを願い異人さんたちに聞かせる言葉です。

プリュインさんも「南北の戦いに親戚同士も戦いあいっているので心が痛む」と心情を吐露いたします。

座が少し沈みましたが此方に歌の上手な女たちを大勢呼んで賑やかに遊んで廓の外に見送りに出て馬車に乗る異人さんたちを見送りました。

「席に戻り、騒ごうぜ」伝次郎と紘吉さんに言って皆のいる、五十鈴楼に戻り真夜中まで遊んでここに泊まる辰さんたち4人を残して野毛に戻ります。

「旦那、パンのほうの儲けは度外視なのですか」伝次郎が聞くので「そうだよぅ、年に七百両ほどかけて、別に店の仕度に五百両、合計で年内には千二百両ほどの出費だが、こいつは懐中時計で稼ぐ予定だ」続けて寅吉は「パン屋が出来る前に元町に買った土地だがよ、洋館を丸高屋さんに建ててもらうのに誰か責任者を決めて置けよ、一丁目はお怜(りょう)さんに野毛と両方のとらやを任せる予定で了解が取れたぜ、それからと三明様の話はどうなった」

横浜物産会社はまだ隣りの土地が買えないので、青木町が主力です。

「はいランプと石鹸が新たに注文をいただきました」永吉がそういって「あの洗濯石鹸ですが新たに買いたいというのが出てきましたがいかがします」

「フフン、あのお大名は今頃悔しがってるだろうが、こいつは貴重な商売だどしどし輸入の契約を結べよ、22番のブルール兄弟商会は大喜びだろうぜ、本職の機械屋より安心だぜ」

「ハイ先日様子を聞いたら1回1000袋以上輸入をしてくれるなら安く出すと言って居ります」

「其のうち洋服の洗濯用にもっと使う奴が増えるから用途は広がるさ」

「お怜さんが洗濯屋も開きたいといってるが、誰か働く奴に心当たりがありゃいいが、シナ人でも始めそうな商売かな」

「着物から洋服になれば洗濯屋も儲かりそうですが、着物ではまだ無理かも知れやせん」

太四郎がそういう風に言っているので「じゃ、もし商売になりそうならお怜さんと話しをつめろよ、お前が来月横浜に来て土地と家のほうの面倒を見るかよ」

「エッ、私でよろしいですか」

「伝次郎どう思う」

「もう独り立ちできるように遣らせるのがこいつの為に為りやしょう」

「よし決めた、太四郎に丸高屋さんとの打ち合わせと、お怜さんとの連絡係をやらせるぜ、洋館の建て方なぞも勉強しろよ、時間はかけてもいい物を建てりゃ異人さんたちが借りてくれるから、口づてで建築の依頼も増えるさ」

仲間からも祝福され太四郎がひとり立ちするための試練が始まります。

「そうだ、太四郎よ、風呂と厠は特にうるさいのが多いからそれにはやつらの意見をよく聞いてから、紀重郎さんに設計図を引いてもらいねえよ、ペンキはゴーンさんに早めに注文する請った、あとは永吉や幸助に手伝ってもらうことが出来たら遠慮なんかするなよ、二人もお前を使えるときには忙しくても仕事を言いつけるだろうからよ」

「頑張れよ」 「期待しているぜ」 「俺たちに遠慮せずに使えることは言いつけろよ」若い者たちの仲間意識は盛り上がりをみせます「これじゃまた宴会でもしなきゃいけねえか」皆で笑いながら夜中の道を帰ります。
「そうだ、春よちょつとこっちにこいよ」寅吉が近くに呼んで頭をひとつたたいて「こいつめ生意気に俺ならもっと旨く餡をこねられるなど能書きを言いやがって、義士焼きのほうに遣られてぇかよ、千代の下じゃ不足か」

「いいえそう言う訳じゃりやせんが、あんまりも餡の練りが雑なものでいくら安い義士焼きでもあれじゃ小豆がつぶれてしまいやす」
「そうか小豆かァ、皆も少し食べ比べてみてくれよ、いくら作り手が違っても同じような味にしといたほうがいいかも知れねえ、一番いい具合の味の店のものに順番に店を廻らせてできるだけ同じようにしょう」
「旦那そうでござんすよ、あっちもそう思うからお怜さんに睨まれてもつい口を出しました」
「言いだしっぺのお前が責任を取って餡の味と皮の味を同じようになるまで面倒見ろよ、ほれ手を出せよ」予備にいつも二十両ほど入れて有る皮財布を手の上に載せて「こいつは給料と別におめえの歯が抜けるほど甘いものを食わなきゃならねえ代償だ」
「旦那こりゃアメ一で買った皮財布じゃありやせんか、よろしいのですか」ずっしりと重い財布より高価な財布に驚く春太郎です。

「バカやろう」とまた頭をはたかれてしまいます。
今晩の寅吉は少し酔いのせいも有るようでしきりに手が伸びるようです。
「千代、おめえこいつが怠けねえように尻を引っぱたいても、江戸から横浜まで駆けずり回って味を確かめさせろよ」
「おっと合点だ」千代もいつもよりお調子者になって「春よ怠けやがったら港から叩き落としてやるぞ」そういうと腕まくりして背の高い春の頭をひとつ伸び上がってはたきます。
「いてえよ兄い、勘弁してくんな」五尺五寸も有る春ですが、寅吉は春よりも背が高く五尺七寸当時のものから比べたら大男でございます、千代は五尺二寸がやっとでも当時は普通の背丈。
「何だ旦那にたたかれても痛くなくて俺がたたくといてえかよ」
「飛び上がった分力が入りすぎだァ」口では負けぬ春ですが、腕力は千代は辰さんといい勝負、横浜物産会社の人足でも中々勝てません、春ではとても勝負になりゃしません。

 

 江ノ島詣でー2 青木町

朝、五つには港崎から帰ってきた辰兄いと源司、仁助と与次郎さんが、茶漬けで腹を満たし、辰さんは野毛に残して、3人は道中姿に着替えて女子衆の仕度が済むのを待っています。

寅吉もわらじをはいてかつ弥の結いつけ草履の紐を結んでやった。

たか吉のも固く結んでやり、それぞれの支度が済むと、とらやの女子衆に「また来てくださいよ」 「アイ必ず遊びに来ます」それぞれ短い間でも親しくなった者たちの別れの挨拶が済むのを待って横浜道を登って切通に向かった。

「元町の箕輪坂下の家は、義士焼だけの営業ですか、この前旦那が言われたように住む人間が急速に増えてきました」

「あそこは広いからパン屋が出来たら、働くやつを其処に住まわせてもいいし雑貨も扱える人間がいれば、パンも含めて少しは元町でも販売をしようと考えてるぜ、パン屋で働く人間を多く雇えばそのくらいは焼けるだろうよ、ついでに居留地で遣るパン屋でも義士焼も始めるか」

「そうですね、そう出来れば職人が来る前に店のしたくも出来ます」

「よしそうするか、江戸の義士焼きの店から誰かこっちに来る気があるか調べてみろよ、パンの焼き方を覚えたい奴でもいいぜ、お怜さんのほうはすぐには人が集まらねえから、居留地の中まで含めて4軒では無理だからよ」

「そういたします、虎屋の本店にいる由松に調べさせます」

「そうしてくれよ、どんどん仕事をさせてみて、今の自分に満足してる奴にはそれ相応の仕事でいいが、もっと向上したいというものには冒険させてみろよ」
20番はマックが見つけてきた場所でイギリス領事館が運上所近くに越す前は一時的に領事館として使われていました。

平沼橋を渡りきり、あとから来るものを待って先に行かせます。

一番後ろに下がり伝二郎と太四郎に此れからのための話しをいたします。

江戸の人間は伝次郎が育てており、後を任せられるものも追々と増えてきています。

「太四郎よ、江戸に付いたらすぐ支度してまた横浜に戻ってこっちで住んでくれよ、とりあえず野毛の家に住んで成り行きで元町に移れよ」

「解りました、荷物などほんの少しのものですから何処へ行くにも気楽なものです」

「頼むぜよ、青木町からは伝次郎と先に街道を進んで呉よ、お前たち二人だけなら今日中には佐久間町の店に戻れるだろう、大変だろうが頼んだぜ」話をするうちにも土手の一本道は歩きやすくて、浅間下についたときにはまだ9時前、東海道を台町目指して歩きます。

遠く居留地も見え直に台町の京見付を過ぎれば神奈川宿の入り口。

「青木町で休んで次はサボテン茶屋辺りで一休みして、昼は遅くなるが川崎にしようぜ、大体1時には着くから少し休み休みでもいいだろうよ」と、おきわさんに相談。

暮れ六つ前に品川宿に入るには、八つ半までに六郷を越えたいという算段。

江戸まで荷物は横浜物産会社のものが3人ほど附いて行きますから、荷物は持ってくれるので女衆は身軽です。

この八日ほどの旅行の疲れも見せずにかつ弥達は歌を歌いながら歩いて居ります。

台町を下り船着き場を過ぎれば其処が横浜物産会社のある洲崎明神下。

店では千代が茶の仕度をしていて皆に何くれとなく世話を焼いてくれます。

「旦那、時計は全部お持ちになりますか」

「オオそうするぜ、頼まれたのは4台だが後一つ残すより江戸においておくさ、金がいただけたらまた買っておくか」

「コタさんは本当に時計好きだね」

「おきわさんもひとつ持つかよ」

「そんな当てにならないものもっていても何の役にもたちゃしないよ」

「そういうものでもないぜ、今の時刻の割り振りは鐘が頼りで、異人と付き合うにはこの時間のほうでやらねえと旨くねえのさ」

「あたしゃ異人と付き合うことなどないからいいよ」

「マァ、今は必要ないが其のうちに、これがなきゃ困る世の中になるさ」

笹岡さんも店の前で「また此方にも遊びに御出でください、お天気がよければすぐ其処の船附から渡船で渡れますから野毛にも西波止場にもすぐに着きますから、渡船組合とも話がついて会社の特別便が日に2往復出せるように、今朝話がまとまりました」

寅吉が指図しなくともどんどん話しを進めており、荷の扱いも増えてきて、会社の発展に働く皆が意欲を出して居ります。

一休みして元気が出た女衆も次の休みどころのサボテン茶屋まで元気に歩いてくれました。

お金はことに元気が出てきたようでかつ弥ときみ香に冗談混じりに話が弾むようで「お金よう、おめえ江戸にいいのでも待ってるのかよ、やけに元気が出てきたじゃねえか」

「そんなことないですよう、いやですよぅからかわんでくださいよ」18になるお金にいい人がいたって不思議じゃないのでどうやら図星のようです。

一歩一歩江戸に近づき六郷を渡ればあと一日ということでことさら弾む心が歩く足にも表れて川崎に着いたのは1時頃。

「新田屋名物のはぜにするか」という言葉に、与次郎さんが先行して店で予約して仕度をさせてくれましたので着いたときにはてんぷらを含めて取り取りのはぜ料理が仕度してありました。

「こりゃいい物を食べた」と喜ぶ女衆に男たちも舌ずつみを撃つほど満足な様子。

六郷の渡しも少し待つだけで乗れて、参勤の行列と行きかう回数も少なく6時前には品川の宿について春駒屋さんに顔を出して帰着の挨拶をして、今日の宿に案内をしてもらいました。

中の橋を渡り北本宿一丁目の かどや という宿「此方が今日の宿でここは飯盛りが居りません」案内をしてくれた春駒屋さんのものが外で呼び込みの女中に声をかけてくれます。

顔見知りらしく冗談を言って居りますが何くれとなく足ごしらえを解いてくれてすすぎも手早くしてくれます。

「ではごゆっくりとお寛ぎください、あとで春駒屋もご挨拶にまいります」そういってかえって行きました。

風呂に浸かり今日のほこりを洗い落として寛いでいると「ヤァヤァようやくのお帰りで、道中は楽しかったですかね」と春駒屋の旦那のお出まし。

「すまんがここは女衆だけで食事をしてくだされ、男衆は私が借り受けますでな、宿にも食事は女衆の分だけだと前もって言ってござれば」

そういう風に話が決まればおきわさんたちも自分たちの楽しみもあり喜んで男どもを送り出します。

連れてかれたのは目黒川沿いのみうらやという大きな料亭。

青木町から来た3人の若者もこういうところになれないのかまごまごしていますが、其処は若さか異人たちの取引で度胸がついているのか、すぐに雰囲気にもなれ、取り持ちの芸者、仲居にも冗談が出ます。

中でもブンソウは面白おかしく異人の言葉で笑わせて居ります。

与次郎さんたち箱やも、そういうことでは引けをとるわけもなく大層なご機嫌。

「ヤァヤァこれでは招待した私の出番がない」というほどに大騒ぎでの精進落とし。

かれこれふた時ほども続く大騒ぎにも疲れ、皆が宿に引き上げることになり「コタさんは今日は預かるから」と春駒屋さんが与次郎さんに言って旦那の家に向かいました。

そこで酒に酔った頭でも横浜の事情など相談をして、いつも泊めていただく部屋で休んだのは、とっくに九つの鐘が鳴り終わっていました。

 

・ 江ノ島詣でー2  オルゲール

朝、寅吉はかどやに入り大勢で茶漬けを食べてブンソウと春駒屋に戻った。

他のものには先に江戸に帰るようにつたへて、二人は増上寺に納品に行くことにした。

道々ブンソウは寅吉に商売についての心得を聞かされながら街道を歩くのだった。

「旦那最近の商売は大もうけの話ばかり持ち込むものが多いですが、眉唾が多いでしょうか」

「それほどでもないと思うがよ、今は茶と生糸に目が言ってる奴らばかりだが、相場が安定しねえものは儲けが多くても大勢の人間で遣る商売じゃねえよ、何人かは、成功しても其の影で店じまいするものが出るというだけで本当に儲かるのは異人だけだよ」

「やはり輸出は生糸に茶が本命でしょうか」

「ほかに売りたいものがあればあちらは何でも買いたいはずさ、今のこの国は人手が余っているから何でも安くできるからな」

「つかぬ事を伺いますが旦那の個人の懐は時々聞かされますが膨らむ一方でしょうか」

「そうさなぁ、この時計が売れたから次に入るオルゲール時計は店の扱いにして、俺のほうは懐中時計だけにするか、ここ二月で頼まれた口利きだけで二千両ほどの積み立てが出来たがこれは元町と山の上に買う予定の土地と建物に使うからよ、前から有る三千両は残して懐中時計の売り買いでパン屋を運営していける見込みだよ」

「よく仕事を回してくださる方が、儲けが少なくて悪いがといってきますが数をこなすといつの間にか月に百金、二百金となるのが不思議でございます」

「伝次郎が最初の頃わらしべ長者の話しを思い出すといってたが、それと同じで小さな商売は転がすうちにだんだんと利益が積まれて来る物だよ」

二人がそんな話をしているうちに金杉橋を渡り、安養院に三明様をお尋ねいたしました。

「お待たせいたしましたようように昨晩品川まで戻り、他のものは先に江戸まで帰らせて、このものと品物をお届けにまいりました。

「おおよく来なさった、時計の金子も用意して待っていましたぞ、早速二人を呼びに遣りましょかい」小坊主に言いつけてお二人を呼んでくださって金子も約束どおり頂き品物とともに保証書も差し上げ「もし故障が出ましたら春駒屋さんに申し付けてくだされば、横浜で新品同様に直させていただきます、此方はまた新しく来る予定の時計の引き札と写真でございます」ファブルブラントさんから預かった写真を御見せ致しました。 

「これはどのくらいの大きさなのかね」

「左様ですね、其処に有る文机ほどの大きさでしょうか、オルゲールといいまして時刻が来るとあちらの楽器が音をだす仕掛けになって居ります」

「どのくらいの数を入れるのだ」

「ハイ20台の約束です、後懐中時計も音の出るものが入る予定でおります」

「高いのじゃろうな」
「ハイ向こうではそれほどではないのでしょうが此方で売れる数が限られておりますので20台で千二百両ですから運上が三百六十両私のほうで出すのが千五百六十両と言う約束でございます」

「音の出る時間の調節はできるのかい」

「はいできますが6時間おき、12時間おき、24時間度との3種類に調節できます」

「夜中に鳴のは困るから調節できるなら良いのう、昨年長崎から来た時計は毎時うるさくなるのでお蔵入りという始末じゃ」

「それは調節が出来ませんか」

「時計師に見せたが出来ぬという話であったよ、この写真暫く預かってよいかな」

「同じものを3枚手に致しましたからどうぞお納めくださいましてよろしうございます」

「相談じゃが、この長崎からの時計を預けるから6時間置きに音が出て夜中だけならぬように工夫が出来ぬか調べてくれんか」

「ハイ明日には横浜に戻るものが居りますからそのように伝えて調べさせます、スイスという国からきている時計組合のものがあと五日は横浜に居りますから誰かそのような手立てを知っているものがいるかもしれません横浜に行きがけにお預かりに寄らせましょうか」

「面倒でも今日もって行ってくれんか、其のほうが手間がかからぬ」

「ハイ解りました、では預からせていただきます」

小坊主が蔵から持ち出してきて、見れば大きさは高さが尺五寸、幅が尺は有るかという掛け時計風の物、それほど珍しいつくりとは思えませんが見れば時報がなるだけのもの「三明様これはいけません1時間に1回時報がなる仕掛けでオルゲール時計とは違い鳴らぬか鳴らすかの二通りしか細工が出来ません」

「何だそうなのか、では鳴らぬだけなら動かせるということか」

「はい、こうやってなかの打撃用の小槌をはずせばあとはここで時刻の遅れ進みを調整できます」とねじを巻き時刻を合わせて、針を進めて空打ちさせて御見せ致しました。

毎時5回の打撃をするだけで時刻で回数を鳴らす作りとは違いました。

「これで無駄にはならぬがオルゲール時計との触れ込みでもってきおったが、コタさんのはどのような音がするのかな」

「見本が五日後には一台手に入りますから入り次第お持ちいたします」

「そうしてくだされよ、楽しみじゃな、どのような音をだすものか」

 

二人が佐久間町に戻ったのは午後、それでも八つになった頃だったので伝次郎も太四郎もまだ其処にいてくれたので見本が手にはいったら寅吉がいなくても三明様に見せに持ってくるように連絡が付いた。

其処から岩蔵(伊和造)を供に連れて辰さんの土産の預かり分と、買い入れた傘のうち数本を持って連雀町に向かった。

残りの傘のうち福井町の分は太四郎とブンソウがこれから福井町に届けて、太四郎はそのまま今日は品川まで行き、あすには青木町に顔を出して野毛に部屋を用意してもらうようになっている。

伝次郎の話では岩蔵は無口では有るが時計に興味がありぜひ自分に扱わせて欲しいとのことだそうな。

道々寅吉が問いかけても「エエ」「はい」というくらいの返事しか帰らず時計売り込みに向いているかの判断は寅吉にはつかないのだった。

須田町で岩さんに簡単に旅の報告をし、お京さんに横浜土産の色々を渡して連雀町に戻った。

「おっかさんただいま」

「お帰りよ、何も無く無事に帰れたようでおめでとうよ、おやその子は始めて見る子じゃねえか」

「こいつは岩蔵といって佐久間町で生まれ育ったそうだが、なんせ無口でよ、ほれ挨拶しねえか」

「おはつにお目にかかります、水の屋の岩蔵でございます、おっかあが此方さまには大層ご贔屓になったそうでお会いしたら、ぜひお礼を申し上げるよう言われておりました」

「やだよ、コタさんこの子はちゃんといっぱしに口を聞くじゃないか、そうすると水の屋の登喜ちゃんのお子さんかい」

「ハイ左様でございます、3番目ではございますが総領でございます、姉は此方へ買い物に来てお目にかかったといって居りましたがご存知でしょうか」

「アア知ってるとも、あの子達の弟さんかよ、此方こそよろしくたのまぁ」おつねさんがにらむので「ナンダよう岩蔵おめえ立派な口が聞けるじゃねえか」

「旦那の前ですが、千代の兄いにも丸高屋さんのお身内にも散々噂を聞かされておりましたので、おっかねえ旦那だとばかり思い込んでおりやした」

これには寅吉もおつねさんもお文さんまで含めて笑うしかない。

「千代の野郎め、俺がことをなんていって怖がらせてやがるんだよ」

「土手の天狗の噂と、かわらなら10枚重ねを軽く割る事ができるなど聞かされて居ります」

「オイオイ俺が何時10枚重ねた瓦を割ることにされちまったんだ、困った野郎どもだ」

「仕方ないよ、丸高屋さんで女親分と仇名の有るお春さんと空手の型事を見せてしまった寅さんがいけねぇよ」おつねさんが笑いながらいうのではもうこれ以上いう言葉がありませんでした。

「ところで岩蔵は今幾つなんだ、伝次郎からまだ詳しいことも聞いてねえが」

「弘化三年の丙午の生まれでございます、ただいまは18になりました」

「機械に興味が有るのかよ」

「ハイ特に旦那がお持ちの懐中時計の細かい細工には興味がわきます」

手に取らせて扱い方を教えてみれば器用に蓋の開け閉めもこなし中の細工に驚きの眼を隠しません。

「こんな小さな細工を出来るなぞ異人達は大層器用な連中でございますね」

「なあに日本人だって小さな細工を出来ねえ訳じゃねえが、このぜんまいや歯車を作る技術が今はねえだけだよ、すぐにできる奴が現れるさ、それともおめえがそいつを造れるように為って見るかい」

「でも誰に教わればいいでしょう、時計師はこんな小さな歯車を作れるもんは居りませんでしょう」

「ファブルブラントさんという時計屋が話によっては日本で商売をしたいというから、もしかしたら横浜にもう一度来るかも知れねえよ、あと時計屋ファルコが居留地の102番で店を開いてるから其処にもぐりこむかよ」

「噂は聞いて居りますがファルコさんは偏屈な親父だそうで修理は教えてくれないそうで無駄になりそうでござんす」

「オオ聞いてるのかい、それならファブルブラントさんがまた日本に来るか、よい人間が見つかるまでは家で時計の担当をしてみるか、見本がもう直に手に入るから横浜に行って働くか」

「本当ですかそれはぜひ遣らせてください」

「よし伝次郎には俺から話しをしてやるからこれから太四郎を追って品川に行くかよ、急いで佐久間町に行こうぜ」おつねさんたちがあきれる中を、忙しく佐久間町に戻り伝次郎に話しをして手紙を書いて太四郎を追わせて品川に立たせました。

   
   第四部-2 江の島詣で 2 完   第四部 完  第五部-1 元町 1 


 酔芙蓉 第三巻 維新
 第十一部-1 維新 1    第十一部-2 維新 2    第十一部-3 維新 3  
 第十二部-1 維新 4    第三巻未完   

     酔芙蓉 第二巻 野毛
 第六部-1 野毛 1    第六部-2 野毛 2    第六部-3 野毛 3  
 第七部-1 野毛 4    第七部-2 野毛 5    第七部-3 野毛 6  
 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
 第九部-1 弁天 4    第九部-2 弁天 5    第九部-3 弁天 6  
 第十部-1 弁天 7    第二巻完      

  酔芙蓉 第一巻 神田川
 第一部-1 神田川    第一部-2 元旦    第一部-3 吉原
 第二部-1 深川    第二部-2 川崎大師    第二部-3 お披露目  
 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
 第四部-1 江の島詣で 1    第四部-2 江の島詣で 2      
 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  
       第一巻完      


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
 港に帰るー3      第一部-3 吉原    
 港に帰るー4          
    妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編  
 幕末の銃器      横浜幻想    
       幻想明治    
       習志野決戦    
           

 第一部目次
 第二部目次
 第三部目次
 第四部目次
 第五部目次
 目次のための目次-1
  第六部目次
 第七部目次
 第八部目次
 第九部目次
 第十部目次
 目次のための目次-2
 第十一部目次
 第十二部目次
       目次のための目次-3

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

 習志野決戦 − 横浜戦
 習志野決戦 − 下野牧戦 
 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年



カズパパの測定日記