酔芙蓉 第一巻 吉原


 

第一部-3 吉原     

吉原・桜・紅華緒・藤・玉姫稲荷・堀多喜・水神・葛布・芳町・手古舞・柳橋・色取月

 根岸和津矢(阿井一矢)

               

・ 吉原

「おや早かったね」

「おはつさん、早かぁねえだろうよ」

もう昼時になるこの日虎太郎は初めての吉原に昨晩招待されて出向いていたのだった。

「コタさん、旦那は朝早くに帰ってきたというに、どこにしけこんでいたんだよ」

「そうじゃねえよ、れいの若様のお屋敷で若原の爺様に捕まっていたんだよ」

「おや、やっぱり花魁とじゃなくて勉強して徹夜というのはほんとのことかえ」

「なんだ情報が早いな、誰に聞いたえ」

「旦那のお供についていったタイコの吉ちゃんがさ、今朝寄ってばか話をひとくさりさ聞かしてくれたんだよ」

「河嶌屋の旦那もとんだ金棒引きを連れて行ったもんだ」

「若様と花魁の部屋でオランダ語の勉強に精出すなんて気が知れやしない」

「そうは言うけどこの本がよ」といいながら風呂敷を解くと皮表紙の分厚い本が2冊でてきました。

「こいつは経済学概論といってフランス語をエゲレスにしてあるんだ、商売人には大事な事が書いてあるんだ、若様の藩も今はご多分に漏れず世話場の最中さ、デ部屋住みの若様に藩主の兄上様がお前の勉強の成果をこのたびの出府のときに上屋敷で披露せよというので、後ひと月で藩の財政の建て直しの方策を立てなきゃなんねえのさ」

「そんなときに吉原もないもんだ」

「それがよ、それがこの本だよ、こいつを持っていたのが木場の吉野屋という材木問屋の爺さまだあな」

「河嶌屋さんが間に入ってくれて、損料が50両で1ヶ月借り出したもんだ、内緒だけどこりゃエゲレス語なんだぜ、おつねさんもおはつさんも、内緒に頼むぜ」」

「そりゃいいけど、河嶌屋さんたちは知っているのかえ」

「それがよ、オランダ語だとばかりおもっているようだぜ、おいらがエゲレスも解ると言うのはまだ杉先生にも内緒で若様とおつねさんと、おはつさんの三人だけだよ」

「デ1ヶ月で読みきれるのかい」

「でえ丈夫だよ、もうほとんど読んであとは細かいつき合わせだけだから」

「それで徹夜かい、それで吉野屋のだんな様はお元気でしたかい」

「おつねさん顔見知りかい」

「そうなんだよ、それがさぁ、吉野屋の旦那に頼まれ、河嶌屋さんが吉ちゃんを御使者にさせた理由がね、そうそう、もう一人旦那衆が来ていたろう」

「オウヨ、何でも同じ材木問屋で但馬屋さんとかいう若い人だぜ」

「その人たちをコタさんに引き合わせる口実がその本みたいだね」

「なんだよ気味いわりいな、早く続きをいいなよ」

「その二人実はお容ちゃんの身内だよ、若様が来ていたので巧く言えなかったみたいだし、あんた達が本に見入って話しどこじゃないってんでこちらに話が来たのさ」

「実は吉野屋さんというのは、与吉さんの実の父親で、但馬屋さんはおすみさんの母親違いの兄さんさ」

「それでなんだというんだい」

「与吉さんは本来なら吉野屋さんの跡取りなんだけど、後妻さんと折り合いが悪く家出同然に家を出てしまったんだよ」

「おすみさんの母親は芸者に出ていたときに、但馬屋さんの先代にみそめれれて囲われていたんだけど子供が出来たのが奥様にばれて縁切りをさせられてから疎遠になって、おすみさんの母親はとっくになくなってしまったんだよ」

「だけどその隠居が吉野屋さんと、今度お容ちゃんが行儀見習いに出るための仕度と、もし芸者として一本になりたいなら援助したいが、与吉さんたちに直接言う踏ん切りがつかないというんだよ」

「なぁんだそんなことなら簡単じゃねえか」

「それがどこが簡単なんだい」

「まずなんだなぁ、喜知弥師匠に仕度の一切を任せているんだろ、なら師匠にたのんでつけは全て向こうに回していいか聞いてみりゃいいんだよ」

「そのあとお容ちゃんに会わせるということを喜知弥師匠が引き受けてくれるか、駄目なら八百喜の旦那に口を利いておもらいよ」

「もし巧くいかなけりゃ若様にたのんで強引に合わせりゃ其処は親子の情というものがあらあね」

喜知弥師匠におつねさんが会いに行って、話を通じるとそういう訳ならと、快く引き受けてくれてコタロウ君と若様が仲立ちで、河嶌屋さんと松嶋屋さんがおぜんだてをしました。

 

・ 桜

八幡宮の桜が散り始める中、若様と虎太郎はお容ちゃんと与吉さんおすみさんの5人で御参りして三十三間堂の近くの汐見橋から木場の入舟町の、おか喜へ向かいました。

「お容ちゃんはお爺様に会うのは初めてだったね」

「そうですわ、兄も今日は八百喜の旦那の計らいで来てくれるというし、こんなに嬉しい日はありやせん」と両親に気ずかいながらも嬉しそうです。

おか喜には藤吉も喜知弥さんもおつねさんも先についていました。

座敷に通り話が弾む中、女中に案内されて、次郎栄先生が先頭で、吉野屋の旦那様と但馬屋の旦那様とご隠居がしんがりに松嶋屋さんと河嶌屋さんを従えて入ってこられました。

「本日は日もよく、親子、家族が一同に会し、親しく話しをできまことにめでたい」

と次郎栄先生が、話の口を切りますと「この年寄りを許しておくれ、おすみ」と但馬屋のご隠居が矢も盾もたまらずに手を取ってすすり上げれば、吉野屋さんも与吉さんたちに平伏して「勘弁しておくれ私が意気地なしだった」と泣かんばかりの声で訴えるのでした。

「おとっつぁん、そんなこたぁありやせん、つまらない意地を張ろうとした与吉が親不孝ものです」とそれぞれが今までのことをさらりと水に流し、孫の二人の手をとり、これからはわたしたち二人のじじいにも時々は逢っておくれといえば、二人も声をそろえ「おじいさま、私たちこそ新しい家族が増えたことが嬉うございます」

「忘れないでおくれ、二人は私のかわいい甥と姪なんだから」と但馬屋さんが言ってにっこりとほほえむのでした。

若様も「こりゃ大家族が見舞えてめでたさも、大吉上じゃ」とおっしゃられ、「身もこのような席に招かれ、このような目出度い事は結構結構」

「サァサァ新しい家族の固めの杯じゃ杯じゃ」とこれは河嶌屋さん、それぞれが目出たい気持ちで席も賑かに話が弾みました。

虎太郎と若さまが連れ立ち、喜知弥師匠に次郎栄先生と河嶌屋さんの5人が続き、皆より先に辞去いたしました。

 

・ 紅華緒

「コタさんよ、俺はどうも兄上が出府されると暇がなくなりそうだぜ、塾にもいけなくなりそうだ」

「なぜでございますか」

「兄上にお子が出来ず、奥方もひ弱だし、ほかに側室をおきたがらないのでお世継ぎが居ないんだ、それでおいらが世子とされそうだそうな」

「よろしいでは有りませんか、普段のご持論を実践出来ることになるではありませんか」

「そうは言うがよ、実際に藩政を仕切るのは家老共だからな、外から言う様な訳にゃいくめえよ」

「三年先には国難も始まり、先行きが見えない世の中になりますから、今からご準備が肝要でございましょう、神奈川が開港されると毛唐どもが必ず貿易で一儲けしようと押し寄せてきますから殖産をする事が肝要でございます」

「何をやつらほしがるかな」「彼らはオランダ人と違い何でも買いあさるはずですぜ、わが国は鎖国を続けていたので物が安いはずですぜ、中でも絹とお茶を求めてくるはずです」

「そうか、心に掛けとくぜ」

ぶらぶらと八幡宮まで来て茶屋で一休みして何かと話していると「もしや啓次郎君ではござりませんか」

「ホイばれちゃしょうがねえ、治郎兵衛も息災で何より」

「もう10年も会いませぬのでご立派になられておられ、驚きのあまり人違いかとおもうて居りました」

「あの頃は、高島の隠居にゃ迷惑掛けたもんだ」

「お嬢様方はお嫁に出られた後でご存知ありませんでしょうが、こちらは太田啓次郎君でございますぞ、お父上同士が共に剣の同門でございましてな」

「話をもれ承りますれば、どうやらその話本当らしうございますぞ、私のところの婿殿の話だとお父上も兄上も健康がすぐれず、お世継ぎがきまらぬそうでございます」

「だけどよ国許にはお国御前の子で長吉郎というおいらより半年ほど早く生まれた兄が居るぜ」

「しかしそのお方は少しおつむのほうが」

「オイオイおそれながら、おいらにゃ兄だぜ」

「これは失礼をいたしました、この喜知弥師匠という方は与左衛門様のお嬢様のお一人でございますればお見知りおきを御願いいたします」

と二人をここで紹介いたしました。

「若様10年もめえから腕白でございましたか」

「左様左様、10にも満たないお子が木刀を振り回してはお小姓たちを追い回す様はそりゃ非道ございました、あき足らずに下屋敷を抜け出しては遊びまわるので、若原殿などやせる思いでおられました」

「許せ許せ若気の過ちじゃ、若原はあの頃より太っておるぞ」

「ホホホ、若さまいまでもまだ十分若うござります」と皆で一哂いして席をたちました。

河嶌屋さんがお供に三人で永代を渡り乙女橋から新川に至り河嶌屋さんの誘いで家によりました。

虎太郎がここでも幕府の先行きや、国の現状の有様など語り、侍だけでなく人々が力をあわせることなど話しました。

二人に注意していただくことは表だった行動は誤解を招くので控えて、先走りは身の破滅ということを確認いたしました。

「コタさんや、お前さん仙台物を取り扱って居るそうだけどあれは利が薄いんだろう」

「左様ですが、塾の仲間には小身の方も多く塾の費用の捻出のためのものですから、あの方たちの利が出ないと困るのです」

「左様なれば、利が出るといっておいそれと買い入れを多くできませぬなぁ」

「はい、それに長崎に往来する品物を杉先生の手引きで、勝先生が周旋されてくださいまして、今は唐物が多くの利を出してくれています」

「ワッハッハ、こいつは子供だ子供だと、塾入ったときには思ったが、商売のコツなんざ瞬くうちに覚えちまって一番の傑作は、長崎の下駄だぜ」

「それはどうしてでございますか」
「オイオイ河嶌屋さんよ、ここでおつねさんに仕入れた物の中に下駄の鼻緒がなぜかたくさん有ったろうよ」

「はい左様でございました、どこで間違えたか下駄でなくて鼻緒ばかり入ってきたのをコタさんが見つけて、分けてくれとお持ちになりましたよ」

「そいつを長崎に送って色に合わせた下駄を、先生のこれに」小指を立てて見せて「家が下駄屋なのでかわいらしく作らせたもんだ」

「そいつが町の子らに受けて作っても、作っても追いつきゃしねえと来たもんだ」

河嶌屋さんが「それで後から注文がたくさん来ましたか、鼻緒ばかりどうして必要なのか訳がわからないのがこれで納得いたしました」

「品物が京、大阪より江戸に来てから長崎に送るより、長崎から京、大阪に注文したほうがお安くなるでしょうに」とそばにいて座を取り持っていた番頭さんが聞くと「それがよ、塾の仲間も杉先生も言うとよ、こいつが言ったもんだ「それをやると荷物の出入りでまねをされやすくなりますから少々利が少なくなっても、江戸からの鼻緒に合った下駄を作るというところが味噌でございます、鼻緒と下駄を同じ紙に包み(くるみ)他の取り合わせではお売りできませんというところが受けたみたいだぜ、裏の長屋に下駄屋の職人上がりのいかにも様子のよい年寄りが居て、そいつにすぐさま鼻緒をすげさせて渡すから、娘っ子どころか近くの屋敷のつとめのものにもおおうけさ」

「草履は有りませんかというやつが居ても、注文を聞いてから、希望の色をそろえる程度で、余分には置きゃしねえ」

「それで普段用の下駄はどうしていなさる」

「はい、そいつは近くの下駄やから仕入れさせていただいて居ります、鼻緒をすげてくれる友じいさんが勤めていた店が、三河町にありますのでそちらから」

「利は出るかい」と若様「まさかひとつ10文位なものですが、ほんの普段用のものだけで」と話が商売のことばかり。

 

・ 藤

亀戸天神までおつねさんの誘いでお容ちゃんとお多加ちゃんが船で遊びに行くことになり、木場の但馬屋の隠居がコタさんも誘うが、朝は塾に行くので午後に茅場町の岡本で鰻をごちそうになることになりました。

約束は七つなので塾で八つすぎまで勉強していて友人の小松崎太吉郎さんを誘い二人で出向きました。

「いらっしゃいませ」

「吉野屋さんと約束があるのですが、お見えですかね」

「いえいえ、まだお見えではありませんが、先ほどお使いの方がお見えで今は新川で一休みしてお拾いでお見えに成られるそうです」

「それなら済みませんが、一人追加をしてください」

「お任せくださいませ」とここは若様と何度かきているので仲居とも顔見知り。

「たあさんここはいっちょ酒でも飲んでみますか」

「よろしいのか、わしゃ酒と聞いてはたまらんたまらん」

「ひぃさんよう、酒とこの人のつまみは煮凝りでも出してくだされ」

「あいしょうちだよ」と心安立てにすぐさま台のものに一揃い出してきてコタロウ君にはお茶を持ってきました。

「オイオイ、コタさんはのまんのかい」「あっしは酒は、ほとんどいけやせんので、たあさんをお誘いしてあっしの分まで飲んでいただくつもりですよ」

「そりゃあ、ありがたいことじゃ」といいながらもぐいぐいと飲み出しました。

「ありゃ此方さんは鯨飲だね」「オウサ、わしや鯨と同じで底なしさ」

「ひいさんといいなさるか、お江戸の仲居さんは粋じゃね」

「あれお口が巧いでしょ」「うむ酒も巧い」といいながら注されれば受けさされれば受け

銚子がからになり、後は客人が来てから頂くからしばし休憩じゃと、いいつつも杯を惜しそうに置くのでした。

「太吉郎さん遠慮は無用ですぜ」「いやいやまず目当ての鰻を食さねばいかんじゃろ」「まあ此方は食べるほうも盛んでござんすかい」

「そうじゃよ、鰻など川端の屋台くらいしか食べた事がないからのう」

「ひぃさんちょいと」「おやなんですよ」

「お客様がお見えですよ」と言ううちにお容ちゃんがはいってきました。

「コタさん、お早いお着きでお待たせいたしました」

「いやいや、今日はお招きでありがとうございやす」

「お久しぶりでございます」これはお多加ちゃん、「お待ちどうさまです」とご隠居がきて、また皆で挨拶が繰り返されます。

小松崎さんを紹介して「わしゃ伊予の加藤出羽が家中の小松崎治明でござるお見知りおきくだされ」とたあさんが名乗りますと、皆がそれぞれなを名乗りあいました。

上座にたあさんとコタロウ君、向かって左にご隠居とおつねさん、入り口側に二人の娘、取り持ちに仲居さん二人がついて熱々の鰻がまず白焼きをわさび醤油で頂、うなぎのいかだが出て、最後はうなぎ飯、後は酒を飲むたあさんと話が弾むのでした。

「亀戸の天神様の藤はそれはもう見事でございましたよ」

と身振りも交えお容ちゃんとお多加ちゃんが交互に話をします。

「そうかもう亀戸は藤が奇麗でおわすか、行って見たいものじゃ」

「おやたあさんは、風流人ですか、なら今日は亀戸も行けばよかったかな」

「酒があればな、風流は好きじゃよ」これにはたまらず吹き出すお容ちゃんでした。

一息ついてから三味をだして、

♪ 梅雨の晴れ間 (本調子)

梅雨の晴れ間の 青葉風 
振るる音も良き 風鈴に
偲ぶの色も軒深く
「金魚 金魚 めだか 金魚」
それと心も 飛び石に 庭下駄軽く 木戸の音
行き来の人も すがすがと
染め浴衣
 

と唄いだしました。

「いやほんにほんに、本日は口も腹も耳も果報に預かりかたじけない」

「そんならもう少し歌わせて頂きやしょう」とうたが歌えれば楽しいお容ちゃんたちです。

「それならば、ならこれはおつねさんに」

♪ 青柳(蔭) (二上り)

青柳の 蔭に誰(たれ)やらいるわいな
人じゃござんせぬ 朧(おぼろ)月夜の影法師

ご隠居も嬉しく楽しい時間が過ぎていくのが惜しいくらいでしたが、初夏の日はかげりそろそろ引き上げの時間となりました。

おつねさんのお供の振りで、コタさんとたあさんが続きます。

店の前で深川に帰る三人と別れぶらぶらと酔いを醒ましながら日本橋を指してかえります。

神田の店まで帰るとおつねさんと別れ、たあさんと御徒町の上屋敷まで二人で歩きながら新しい教科についての話をして、ここでも経済の話で藩の建て直しが先ということを、攘夷運動に巻き込まれぬように気をつけることなど話すのでした。

 

・ 玉姫稲荷

おつねさんは昨日からお春さんの家に泊まり、古くからの友人たちと夜遅くまでお酒を飲んだりおいしいものを食べたりと話に歌に興じたようです。

「お春ちゃん明日はどうしても都合が悪いかえ」

「駄目なんだよう、たまには遠出をしたいもんだが、なんせ大事なことで急な用事が出来ちゃ、仕方ないよう」

「せめて今晩は陽気にいこうか」

「そうだよ昔の深川羽織といわれた、柳橋の仲間がこうして四ったりも来てくれたんだからさ」と深川を離れてそれでも芸者として生きてきた自分たちを、今でも誇りとして生き抜いています。

「もう15年もたったかい」 「そうだよう皆ばあさんになってしまったよ」

「最近は色気より喰いけさ」「おや、さんちゃんはまたそんなこといって、お宅のじいさんは枯れたようには見えめえよ」「うちのは外だけ色気だよ」「何を言ってんだか」と世もふけてもここに泊まれる気安さで、おつねさんも好きなお酒を、ちびちびとやりながら「私ゃこの年になってまさかこんな商売人の才覚があるとは知らなかったよ、あの子達とめぐり合わなきゃ、今頃何をしてすごしていたかと思うとぞっとするよ」

「おつねさんはいいよ、あのコタさんてぇのは全体、どういう人か忘れちまったというじゃねえか、それでも学問と商才はすげえもんだ」

「ほんにねえ、あたしたちもそのおかげで、おつねさんにお酒や何やかやを、ふんだんに届けてもらえるし、コタさん大明神だよ」とこの人たちもコタロウ君がおつねさんを通じて、見本の品々を見せて回る役目をしてくれています。

商売をしなくても話のついで、という風で「こんなものがおつねさんのところに着いたそうだよ」という、口込みが物を言います。

神田連雀町は遠くとも見本に合わせてほしいといえば、実際の品物を担いでコタロウ君やおつねさんたちの誰かが深川まで来るし、買わずとも頼まれれば途中での買い物も引き受けるという、コタロウ君の苦労をいとわない商売が生きています。

まだ今は外に出られる、男の働き手はコタロウ君だけですが、たのめば長屋の人たちも荷物を届けることは何人も引き受けてくれることになっています。

夜もふけて皆が寝た頃にはもう時刻は四つをとっくに過ぎた頃でしたが、朝は六つの鐘が聞こえる前に起き出して、またひと騒ぎ話に花が咲くのでした。

大和町の堀多喜さんに朝の七つには勢ぞろいしたのは、但馬屋のご隠居、お供の正兵衛さん、おつねさん、お容ちゃん、お多加ちゃん5人を乗せて与七さんと若い衆が乗り、おかみさんのお愛想の声に、舟に乗せられて堀から出て行きます。

舟は掘割から仙台堀に出て、大横川を遡り小名木川を右に折れて横十間川に出て左に曲がり亀戸に入りました。

「ささ、降りたり降りたり」といわれ皆は助け合いながら土手を上がり参道を目指します。

この日の二人の子は黄八丈の町娘そのままで、髪も飾り立てた様子ではなくお六櫛、普段着で近くまで来ましたという風情。

おつねさんもご隠居もちょいとそこまでという風情で、気取らず隠居は時期が早いが黒無地の絽の十徳姿、おつねさんは鳶八丈の小粋な姿。

亀戸天神の鳥居をくぐり太鼓橋をはしゃぎながら乗り越え、池のほとりで甘いものとお茶で藤を眺め、池のなかの亀たちを見ながら一回りしてから、参道のお店で江戸張り子の亀を買い、船橋屋で葛餅を食べて、コタさんにもお宮にかい入れ、また舟にのりこみます。

空は曇っていても屋根のなかは賑やかに、与七さんの求めにも応じて、三味の音が聞こえてきます。

北十間川に出て押上、小梅村は川からではよく見えず、業平橋を左に見ながら、通り過ぎて大川に出て少し上に向かい、橋場で船から降りて玉姫稲荷におまいり、曇り空は晴れ間も時々のぞき、風も温かく歩くには気持ちのよい日です。

田舎道は草も青々と萌えて、周りの畑地ではのどかにひばりの声が聞こえます。

空に鳶が輪を書き、「ピーヒョロロ、ピーヒョロロ」と高く高く飛び去ります。

「お容ちゃん、口入れ稲荷もおまいりするかえ」

「そうだよ、今年は行儀奉公に出るからには、ここを抜かしちゃ罰が当たるよ」

「そんならわちきも御参りしておこう」

「無事奉公が辛抱できますようにと御願いするんだ」とおつねさんに言われ、二人そろって何事をか、長々と拝むのでした。

玉姫稲荷の本殿は大きく人の出入りも多く振るわっていました。

浅草寺には今回寄らずに戻り、舟から拝むのでした。

大川を下り蔵前から歩いて鳥越明神に御参りして戻り、永代をくぐって新川から堀に入り、舟を降り川端の茶店でやすみました。

「正兵衛、お前岡本に行ってあと少しでつくが、客人が見えたら先に支度してくだされと伝えてきなされ」

「はい旦那様承知いたしました」とさきに行かせました、気がつくようで店の近くでコタロウさん達がくるのを確認して戻り「旦那様、お客人はお二人でただいまご到着いたしました」「おやそうかい、どなたとおいでかな」といいつつ皆が連れ立って出かけます。

日も暮れてきた暮れ六つに近く、無事大和町に二人を下ろし、時間を見計らって冬木から迎えに来ていたお玉とおよしに二人をわたして、木場までは与七さんが送り、ご隠居の楽しい一日が終わりました。

 

・ 堀多喜

「皆そろったようだね」と与七さんが酒とつまみそろえ、2階に上がってきました。

まず一献と皆で杯を開けて「今年は本祭りだが、総代に松嶋屋さんが選ばれているのに、何にもしねえということはあんめえ」と与吉さんが口を切れば、松屋の旦那が「前に話したが、手古舞の人選を任されているだろう、それをちょっと贔屓めながらおいらたちの娘を出しちゃどうだい」「私もそれを考えたがここにいる7人がそろって娘を手古舞にだすのはどうかと思っているんだ」と松嶋屋さん。

「だんな方が遠慮してるのであっしがあちこち聞いてみましたが、わっちたちの娘を出しても漁師町も承知だそうですぜ、神明に8人、八幡に8人、春日に8人と24人と決まっていますから、8人のところに7人であと一人しか入れられませんぜ」

これは棟梁。

「どうだい少し小さいが権助長屋の、とりという子はよう」と乾物屋の相模屋さん。

「あのおしゃまか、年の癖によく口も回るし町内の人気者だけどよ選んでも仕度が大変だろうよ」とまた棟梁。

「そのことそのこと、差し出がましいようだが今年は木場の旦那衆が手古舞の費用にと100両がとこ寄付してくれるとよ」これは与吉さん。

「だれにきいたよ、ほんにそうなら選んでもいい子が多くて喜ばれるぞ」

「まあまあ、落ち着いて聞いてくれよ」と与吉さん。

「おいらの親たちが発起人で奉加帳を回したらなんと300両も集まって、手古舞に100両回すとよ」

「そりゃ木場だけでの話しだ、永代島でもまだ集計が出来ちゃ居ないが軽く200両は堅いという話だよ」と松屋さん。

「そういうことなら松屋さんと私もひと奮発してひとり頭10両もかけて、仕度をさせようじゃないか」

「松嶋屋の旦那と松屋の旦那だけに負担はさせられませんや、どうでいここに集まってもらったのも何かの縁だから自分とこの子だけじゃなしに大丹波に面倒見ようぜ」と棟梁が言えば其処は遊びにも気が合う仲間同士、すぐに話はまとまって、まずあちこちの町内から代表を選ばせて、其処から選別する、費用は会計持ちで、負担はなしその代わり自分の子だけ特別に着飾ることは許さない、これで総代の意見として通達するということに決まりました。

 

・ 水神

今年は閏が5月に重なり、梅雨の晴れ間に水神までおつねさんが来るというので、おすみさんが、子供たち8人と付き添いに出てきたおかみさんたち6人と総勢15人が二艘の舟をしたて、出かけました。

川筋はいつものように行くのではなく、横川を遡り、業平橋に出て左に曲がるともう直に其処が大川です。

竹屋の渡しまで上り其処で船をつなぐと折りよく、おつねさんたちも舟でつくところです。

この間、鰻やで出会った、たあさんも、おはつさん、コタロウ君も乗っています。

水神は雨上がりの緑に映え、川向こうに待乳山の聖天その先に五重塔。

富士までがうっすらと見え、今日の晴れ間を飾っています。

「水神とは粋な名前でござるな」

「ホホ、たあさんは何でも感心なさる」とはおつねさん。

「いやお江戸は名所が多く、勉強の息抜きには困りませぬ」

「今日は酒もたんと用意してありますから後ほど」

「楽しみでござる」ともう舌なめずりが出そうなほど顔が緩みます。

「やや、なんと女子しがたくさん居てござるぞ」と目を丸くして土手を見れば「コタさぁ〜ん」と呼ぶ子供たちの声が聞こえます。

「なんと華やかな様子だが声は子供しらしいですな」

「そうですよ、この間の子達と、付き添いのお上さんたちですよ」

「コタさんよコリャ大変なときに来たもんですな」

「そのようで、アンナに大勢でこの時期に出かけてくるとはただ事とは思えませぬ」

と二人で今にも逃げ出したいそぶりですが、舟の上ではそうもいきません。

水神の森で狛犬ならぬ亀の石像を見、三囲では名も知らぬ花によい、牛の御前で牛の石像を皆でなでと忙しく話も尽きぬ風情で元気に歩くお容ちゃんたちです。

「さぁさぁ、ここらでお昼にしましょよ」と見晴らしのよい茶店で薄縁を借り出し、水辺で賑やかに昼の仕度を広げました。

「コタさんよ、わしらは用心棒見たいじゃが酒を飲んでも大丈夫かな」

「そんなえんりょは無用ですよ」

「それでは頂くとしよう」ほんのお愛想でいっただけとばかりにひさごからついでもらいぐびぐびと飲み出しました。

「よい気持ちでござる」といえばお容ちゃんが「では酔い覚ましになるといけませんから歌は抜きといきやしょう」そういうと「いやいや美味い酒がいっそう、味が良くなるからぜひ御願いいたしたい」といえば、其処は芸達者な下町のお上さんと子供たちです。

待ってましたとばかりに歌いだします。

茶店にいた若い衆たちも「やんや、やんや」「それからどおした」と声をかけあいます。

のどが自慢の若い衆も盛んに歌うので一面、花見時のように賑やかに華やかな昼時の水辺です。

「ほんに、いずれがあやめ杜若というが、艶やかなものでござると」水路に咲く花を見て、歌い遊ぶ子達を見てたあさんは楽しく酔っているようです。

♪ 宇治茶

宇治は茶所 さまざまに 中にうわさの大吉山の
人の気に合う 水におう 色も香もある 好いた同士
粋な浮世に 野暮らしい ンこちゃ ゝ こちゃ
こい茶の 仲じゃもの

 

♪ <薄墨>(端唄・うたざわ)

  薄墨に 書く玉章(たまずさ)の 思いして

   雁鳴き渡る宵闇に 月影ならで 主さんに

   焦がれて愚痴な畳算 思い回して ままならぬ

   早く苦界を そろかしく

切ない歌も混ざりだして少ししっとりとしたところなのでコタロウ君は、たあさんとぶらぶらと菖蒲の花など所在なげに見て居ります。

♪<夕暮れ>(端唄)

  夕暮に 眺め見渡す隅田川 月に風情を待乳山

   帆上げた船が見ゆるぞえ アレ 鳥が鳴く 鳥の名も

   都に名所があるわいな

まだ日が陰るには間がありますが、川を渡り浅草山谷の八百善で、早めの食事をしてかえる算段。

「おつねさんにはまだ聞いてないだろうけど今日ここにいる8人の子が、富岡八幡宮のてこまいにでるんだよ」「今年は本祭りだし、今年を逃すとお容ちゃんらは機会がないと思って居たんだけど、宿六連中が気をきかしゃがって、24人の中に押し込んだんだよ」

「そりゃ物入りでみんなぁたいへんだぁ」

「それがね今年は特別だとかで寄付も多くて、手古舞は全て統一で、自前は許さない代わりに衣装からすべて総代会が負担だそうだよ」

「おや、じゃ松嶋屋さんは大変だ」

大人たちも子供たちも、まだ二月以上先の大祭の準備の合間に出てきたみたいです。

八百善はお高い料理屋と昔から言われますが、変わったものを食べなければ一人2朱程度で済んでしまいます、これは浅草山谷堀から神田連雀町までの籠代よりやすく済みます。

ここでもたあさんはたっぷりと飲み喰いしてごきげんでした。

コタさんはたあさんと歩いて帰りほかのものは船でそれぞれの家に戻ります。

「コタさんよ、お前さんは持てて持てて仕様があんめえよ」となれぬ江戸弁を交えたあさんがいうと「何を言いますか、おいらはまだ子供で色恋にゃ無関係でござんすよ」

「そんなもんではなくて、色恋抜きでもてるというのさ」「何でっす、そりゃいったい」と二人でほろ酔いの理由のつかぬ話題で笑いながら御徒町の藩邸に着き、門の外で別れました。

 

・ 葛布

朝、啓次郎様よりお使いが来て常盤橋内の上屋敷まで参上いたしました。

座敷に通すと格式などがうるさいとお茶室でお会いいたしました。

葛布の生産を盛んにして、現在の蚊帳と袴などから、嗜好品を作る技術者を養成させること、お茶の生産の増大と、荒れ地での木綿の生産への転換への奨励金の与え方など、勘定方の方と共にお話があり、御用商人との取引についても相談がありました。

兄上は体の具合が悪く心配だということと、祖父は隠居して逼塞しているが、そのお体が心配であるということでした。

お話が済むと、掛川より出てきている御用商人の方と引き合わされ、葛布で作り売れそうなものを考えることを約束いたしました。

「おつねさん帰ったよ」と台所から声をかけ、藩邸で頼まれたことをお文さんも呼んで話て、生地を見せて何か良い知恵を出してくれるように頼みました。

「コタさんちょっと相談があるんだよ」「なんでぃ、今日は相談事の多いひだ」

「他でもないお容ちゃんが、行儀見習いから帰った後、まだ芸者に出たいというときには、わたしに後見をしてくれと、おすみさんに頼まれたんだけどどうしょうかねえ」

「引き受ける気が有るのかい」

「私ゃ今の暮らしが気に入ってきてやりたきゃないんだけどさ」

「ならことわりゃいいじゃねぇか」

「そうは行かないから相談じゃないか、なに笑ってんだよぅ、真剣に聞いてくれよう」

「お容ちゃんの気性じゃ、ちっとやそっとじゃ諦めねえか、となると後は金のでどこだなぁ、今時は芸者家を開くにゃどのくらいかかるかい」と三人に聞くと。

「そうさね、家を借りたり人を置いたりすると月に三両は見なきゃ、芸者屋は無理かもさ」

「相談だが」というと「やだねこの人は、相談してるのこっちじゃないか」

「おはつさん、芸者家のおかみさんにならねえか」

「エッあたしかい、そりゃ無理というもんだ」

「なぜだい」

「だってそんな忙しいこと始めちゃ、二親のめんどうはだれがみるんだよ、掛かりだって払えやしない」

「それが相談さ、金と家はともかく人を雇うよりゃ両親と住めばいいじゃねえか」

「そうできりゃねがったりだけどさ、芸者が居なきゃ仕方ない」

「このじゅう、河嶌屋の番頭さんと太鼓の吉つぁんがよ、鰻を一緒に食べたと思いねえ」

「あれこのしたぁ、鰻が好きだねえ」とお文さんが笑いながら言いますが、それは笑ってごまかして。

「番頭さんの姪っ子のおきわという芸者がいるだろう」

「アア、芳町では有名だそうだ、何でも二十になるのに男嫌いで通してるけどという話だ」とおつねさんたちはこういうことは詳しいです。

「その子が親の代からの借金がかさんで苦しんでるが、額が大きくて、自分がどうにしてかやりたいが話を持っていっても断るので、困っているんだとさ」

「どのくらいあるんだい」

「何でも七十両ほどだそうだ」

「そりゃていへんだ、デどうすんだい」

「そこさぁ、まずおはつさんが両親と柳橋か芳町に芸者屋を開いて、子女の一人も置いてから、おきわをやとえばいいさ」

「お金はどうするよ」

「金子もとはおつねさんだよ」

「あたしにそんな大金があるわきゃないだろ、ばかだねこのひたあ」

「金は有るさ」

「どこにだよ」と話が白熱していますが、この間にはお客が来たりして人が出入りするので話しは長くなっています。

「まず、河嶌屋さんが金は五十両貸してくださる、こりゃ番頭さんが返済するからこっちにゃかぶらねえ」

「前に松嶋屋さんに借りた本の損料を返したいという話が来てるだろ、アレが五十両」

とこれで百両の当てがつきました。

「家が月に三分くらいかけりやこぎれいなのが借りれるだろうよ」

「三味も稽古用など取り揃えて、ここの人たちが時々教えにいきゃ、人も来るからかかりが出るだろう、後はお容ちゃんがけえるまで、おきわという子に稼がせりゃいいじゃねえか」

「そりゃ、ここの人たちゃ、集まって三味がおおっぴらに弾いて歌がうたえるとこが出来りゃ願ったりさ」と皆が、おおのり気になります。

「但馬屋の隠居が前に自分が負担してもいいといってた金も出すだろうから、話を持ってきゃ今からでもすぐに準備ができるぜ」

「なんか、こうあっさりと話が出来上がると世の中難しい話などないきがするよ」

など店の女子衆が替わり番子にお茶を飲みに来ながらはなしをきいて、うれしそうにいうのでした。

「ごめんくださいまし」

「はいお待ちくださいませ」と店に出ると「あれいやだよう」と笑いながらお容ちゃんとおすみさんを連れて座敷にもどりました。

「お容ちゃんたら声色なんぞ使ってすっかりだまされたよ」

「ホホホ、ごめん下されましょ」と言葉もまだいつもと違います。

それから例の話をしてお容ちゃんが柳橋で出たいというのであとは与吉さんが行儀奉公から帰ったあとで承知したらということで話を進めます。

「うちの人は口ではああいうけど、この子がやりたいことは止めやしませんよ、だけどお容、おとっつぁんの許しがあるまではこれはないいょだよ」と与吉さんは蚊帳の外で、話はまとまりお容ちゃんの三年後の準備にかかることになりました。

「あれこりゃかやの生地かしら」とおすみさんが手にとり、色分けされた何枚もの生地をお容ちゃんと眺めます。

若様の話をコタロウ君がすると、お容ちゃんが「絹で色糸を織り込んで金糸銀糸に紅糸を混ぜて夏用の女羽織が出来りゃいい」という話を聞いて「それりゃいいね、早速試させようや」

「後、小物がそろいで売り出せば夏のお出かけにゃ粋だよね」と話が進みコタロウ君は生地と色糸の見本を出してもらい外に素っ飛んで出ていきました。

日本橋馬喰町に出て、藍屋(あいや)という宿屋を探し、「此方に鶴屋さんの方が御られましたら虎太郎がきたとおつたえねがいやす」

「はい、おいでになられたら必ず通すように承って居ります」コタロウ君は汚れた足袋を脱ぎ、番頭について座敷に案内されました。

「先ほどのはなしの続きでございますが」と座が決まるとコタロウ君が切り出し借り出してきた色糸を束で生地に差し込み先程の話をすると。
「おおそうか、葛布を色で染めるよりそのほうが引き立ちますな、生糸は私どもが昔から扱って居りますから早速見本の品を作りましょう」
ととんとん拍子で話がまとまり「見本ができたら小物類だけでもうちの店で試しに売り出させてください」という話も鶴屋さんが引き受けてくれました。

「今日はお暇ですか」と鶴屋さんが言うので「はいもう今日は用事がありません」生地見本を風呂敷に包み、もちろん色糸を通したのは預けて、辞去しようとすると「これから付き合ってくだされ」と手代にお供を言いつけ三人で芳町に出かけました。

 

・ 芳町

途中で「陰間茶屋と料理茶屋ではどちらがお好みですかな」ときかれ、「陰間はどうも性にあいやせん」とこたえると「では芸者衆でも呼んで見ましよう」
堀留で澤多屋という店に入り手代さんに耳打ちしてから「ここで時間まで少しお話を聞かせてくだされ」
若様の行く末や、阿部様がなくなられてこの世の中がどう動くか心配ですということなど、「それと私の聞いた噂ですが掛川のご隠居様がまたお呼び出しがあるようです」
ジジに聞いた何度も老中に出た人の話を今になって思い出しお知らせすると「それは心配ですなぁ、水戸様ともご意見が合いそうもありませぬし、前のときは水野様の改革にも反対しての隠居逼塞ですし」
「しかし阿部様が居ない今、およびだしのうわさはありえますぜ」とコタロウ君が言えば「そうですか、若様からあなたの情報は信頼性が高いとも言われて居りますから、そういうことになりますか」と思案顔でした。

手代さんが戻り、「芳町の眞喜屋さんでお座敷と芸者衆をお二人予約してまいりました」「そうかい、誰が来るのかい」 
「おきわさんと富次さんがこられますそうで」と聞いて嬉しそうに「おおそうかい、おきわさんが空いていましたか」というので「お気に入りですか」とコタロウ君が聞くと「実を申せば、私にとっては大恩のある方の娘で、何かとお困りと聞いて江戸に来るたびに何とか面倒を見たいと申し出ても断られるので今日もその話が出るかもしれませんがご迷惑でもお付き合いくださいよ」

「なんと、世のなかぁ廻り持ちてなぁほんとのことでやすね」 
「何のことですそれは」 
「ヘェあっしの知り合いが芸者屋を開くについてそのおきわという人を雇い入れたいと先ほどまで相談しておりやした」といきさつを話すと「ぜひとも私にも金を出させてくだされ、どうしても聞かぬのでそういう話で雇われてしまえばこちらの意見も通りやすくなります、おきわさんの父親はお亡くなりになりましたが私にとっては大恩人、苦労しているとは知らず大阪で修行させられておりましたので、お助けする事が出来ぬまのこういうことになって」とおきわさんが芸者に出たいきさつの話を打ち明けられました。

最初はやはりお容ちゃんと同じ理由でしたが父親が病気になり、医者ににんじんが効果が有るといえば買い入れ、高貴薬の何が良いといううちに、身動きが取れないことになってしまったそうでした。

「旦那を取れ、いやでござんす、という話でこのところもめているので、そういうことなら早速にも話を通しましょう」と手代さんに神田まで虎太郎の煙草入れと先ほどの風呂敷を使いのしるしにお使いに出てもらい、おつねさん、おはつさんを呼び出し、河嶌屋さんにも人を向かわせ座敷には番頭さん、きっすけ、おつねさん、おはつさんがあつまりました。

「このたびは御助勢ありがとうございます」と番頭さんが口を切りおつねさんがいきさつをもう一度皆に説明して、芸者衆を呼び出して一渡り座が回ると、相仕の富次さんに座をはずしてもらい話をおつねさんが切り出しました。

最初固い顔をしていたおきわさんも、旦那ではなく雇いの芸子として働くと聞かされ心を動かされたようです。

其処へ河嶌屋さんも来れて、「おきわ、もうこうなったら逃げられませんよ」といわれては観念するほかはありませんでした。

 

話はとんとん拍子に進み、そこは気の早い江戸っ子たち15日の中秋にはもう家も決まり、小女に来る子もきまり、おはつさんの両親もともに移り住みました。

家は福井町三丁目酒井様御屋敷の塀際に良い家が見つかり、表格子も粋にしつらえ、玄関を入ると4畳半、右手に廊下と雪隠、左に小庭がつき座敷は8畳と6畳、その先に三畳と台所と勝手口、玄関からの続きの廊下があり奥に離れが6畳、二階は6畳二間、見に来た方も驚く大きさながら家賃は月に三分2朱、掛かりのうち負担が月に3両までと決まり、おつねさんが責任を持ち預かることになりました、そんなにゃ使えるもんじゃ有りませんというと、なにも使い切らなきゃいけない金では無いんだからということで。

おきわさんの借金も仲立ちのかたの尽力もあり六十六両あまりで片がつき、おきわさんの衣装代に三十両の予備資金が出来ました。

芳町からはというので柳橋に出を切り替えるのも話が済んでいよいよ御披露目となりました。

箱やも決まり通いで来る子たちも出来、おはつさんが生き生きと女ッぷりも評判になるほどの年増盛りです。

「なんだねこの先に越してきた芸者のおきわもいい女だが、あの足がわりいのを抜かせばおはつという大年増は粋でよい女だ」「そうだそうなおりゃまだお目にかかっちゃいねえが、振るいつきたくなる様が目に見えるようだ」「道であってもよ、愛想はいいしうちのかかあまで褒めていやがった」と、町内の評判も上々で訪れる番頭さんが旦那かと噂が流れ閉口されています。

「コタさん困りましたよ、私が酒や何かを届ければ誤解されるし、手代や小僧をやれば何やかやと聞かれて困るというし」 「その代わりぼく除けになってようござんしょう」

河嶌屋さんも笑うだけで番頭さんに任せたと口を挟まず、吉原へのお誘いに舟を出す間にも楽しそうに「良い事ずくめでお容ちゃんが奉公明けになる日が待ち遠しいくらいだ」とわらいます。

閉口している番頭さんも次第になれて、冬が来る頃には、おきわさんと連れ立って出かけても周りの目は気にならなくなってきました。

 

・ 手古舞

待ちに待った本祭り、今日は最終日、お容ちゃんたちが出ると決まってから手古舞用にと寄付が集まり使い切れぬほどでした。

短時間でしたくも、ととのうには浴衣に足袋に草履にと街中が御輿とは別にこれにも熱中いたします。

神明にお容ちゃんたち10〜12才の8人、春日には大熊町、蛤町から入舟町にかけての海沿いから背丈が同じように選ばれ、本命の八幡にはえり抜きの年のころ17、8の奇麗どころでそろえ、というように総代会も総代に選ばれた松嶋屋さんも工夫いたしました。

装束は、男髷に台肘(だいつき)の長襦袢を片肌脱ぎにして、肩抜き染めの上着と裁着(たっつけ)に重ねわらじ、神明の長襦袢は朱色で片肌を脱いだ袖に都鳥を散らし、春日は同じ朱でも赤みが強く其処にかな文字でみやこ鳥の古歌を流し書き、八幡には無地に見える中にも富士が隠れと、工夫が凝らされていました。

真鶴  手古  さらば と木遣りを歌いながら歩き、手には錫杖を持ち、先頭を練り歩く様は、御輿を待つ人も、その華やかさに、後を追いたくなるほどでした。

♪ ヤレーェーコーオリャーァーァーサイノォーゥー  (エーェー)

      めでためでたがぁ〜 三つ重なればぁ〜  (ヤーァー)

      庭にゃぁ〜鶴亀ぇ〜  五葉の松ぅ〜  ヤァーレコリャーァーエーェー 

「神明の先頭はよい声だの」「いやいや八幡のしんがりはぐっと来る色っぽさだぁ」

「なんの春日の先頭は中々のもんだ」など自分町内の子の肩を持つものが声をかけたり、御輿を担ぐ手を休めては噂話で盛り上がるのでした。

「お多加ちゃん、コタさんがいたのは見えたかい」とお千重ちゃんが言えば「コタさんは見えなかったけどたあさんの声はしていたからその辺にいたんじゃねえか」

「お容は二人に気がついたか」 「いんやおれは先頭にいたから役員の背中しか見えねえで周りがわからなかったよ」並びは、はなに一人、次に二人、二人最後に三人の八人で練り歩きます。

「おめえの前は5人も役員がよ、道に出てきやがるよそっ町のもんをどけるのにおおわらはで、おいらのほうが人の顔がよく見えた」とお吉ちゃん。

「だがよ先を切るのは、お容のような根性のあるもんが一番だとよ」

など休みがあると話すことは多く、歩き疲れることも、歌い疲れることもありませんでした。

夕刻に巡行から帰り、境内で24人が勢ぞろいした様は華やかで、御輿を納めた若い衆が、周りでいっせいに歌い納めをしてくれて、それぞれの町内の役員に引き取られて帰りました。

「おいらあのお夏という子がよく見えて色っぽいのにゃ改めて、おかぼれだぁ」「そうかおりゃ若いがお吉という子が良いのう」

「はなにいたお容が声も良し、器量も良しであと三年もすりゃ飛び切りだろうぜ」

「しまった先頭は見えねえで後ろ姿だけだぁあな」「勢揃いしたときゃどうしていたんだよ」「おいらのめえに、取りてき見てえにでけえのがよったりも来ていやがって、めえにでらんなかった」「またの下でもくぐっても見りゃよいのに」

など若い衆の言うことは手古舞に出た娘の品定めです。

家には早くもコタロウ君とたあさんに、おつねさんお文さんが来ていて、賑やかに今日の品定めに興じていました。

「お容ちゃん良かったぜ、声もかすれていなくてとおりも良くて、いつまでもきこえたぜ」とコタロウ君が褒めれば「さよう左様、印象がようござったがちと残念なのは、役員連中の影で横顔しか拝めなかったことでござるか」

「総代会の瀧田屋さんが離れてはいかんと、後ろを見ては言うもんでよ、そばについていないとにらむのでほんに瀧田屋さんの背中に歌を歌ってるようなもんだ」

とお容ちゃんは少し不満顔、たあさんがとりなすように「それでも後ろ姿しか見えねえのも風情があってよいもんだの」なれない江戸言葉を交えて慰めます。

与吉さんは総代会の手伝いでかえらず、金助はどこにいるか見えずと、この家の男は帰らぬ中で宴席も盛り上がり、おつねさんとお文さんは今日ここに泊まるので、虎太郎君たちは夜が更けぬうちに戻りました。永代を渡ってもまだ人の帰りの人並みは続き、川沿いに行くよりはと日本橋目指して永久橋に抜けて、暗くなった道を月明かりと提灯を頼りに、銀座を右左と曲がり、玄治店、長谷川町から小伝馬町をとおり新橋に出て、柳原土手を和泉橋まで出てから、二人はわかれました。

「コタさんじゃねえですかい」

「オオ清吉さんと長吉さんか、どこかの帰りかい」

「そちらこそ、深川ですか、わっちらも金助のやつのしりっぺたぁ拝みに行って来ましたが、お容ちゃんたちの手古舞すがた粋でござんした、それと勢ぞろいしたなかにゃふるいつきたくなるような、いい年増っぷリが多くてめん玉の保養でやした」

「そうそう、私たちも今日は八百茂さんの家におつねさんたちが行くのでそのお供さ、おつねさんとお文さんは、むこおでお泊まりだ」と立ち話。

「今お別れになったのは例の若様と違うお人みたいでしたが」

「そうですよ、若様は実はお世継ぎに決まって、ただいまは上屋敷で、藩の重役から藩政についての教えを受けてる真っ最中ですから、今までのように外出が出来ないんでね」

「ゲッ、それじゃあの方どこかのお大名になられるんですかい」

「しまった、おいらたち、心安立てにそこの麦茶でごちになっちまいやしたぜ」

「いいじゃないですか、後で自慢できますよ、正式に発表がされたら改めてご紹介しますよ、まだお家の名は申せませんが」

「かんべんしちくれよ、コタさんよう」

「ちょいと其処でそばでも手繰りませんか」とコタさんが手でチョコを傾けるしぐさでさそいます。

「いいでげすね、付き合いやすよ」と二人も同意で近くの尾張やで店が閉まるまで話を面白おかしく続けました。

 

・ 柳橋

「アレ、コタさんおいでなさいまし」とおはつさんが玄関に出てきて挨拶。

「今日はたあさんと鰻を喰いに行くから誘いに来たよ」

「マァ嬉しいけどさ、まさかあたしじゃないよね」「そのまさかですよ、この時間おきわさんを誘うわけにゃ行かないでしょうに」奥から「今日は時間が遅いお座敷なので誘ってくださいよぅ」と出てくるなりおきわさんが声をかけます。

「そうですかではどこがよろしいですかね」「この先に出来た多喜川が評判が良いそうですがまだ行った事がござんせん」「ではそこに行きましょう」と4人連れ立って出がけに、三人分届けますからと留蔵・お年の夫婦に伝え、隣の五郎兵衛じいさんにも声をかけます。

「うなぎ飯のほうがよろしいか」「ヘエおねげえいたしやす」「承知したよ二人前頼んでおくよ」とあとからたあさんと二人を追い店にはいりました。

焼けるまでこの人にはまず酒をと頼み、出前も頼みもう日髪も結って、したくはまだ一刻ほどの間があるとばかりのおきわさんはなぜか色っぽさが数段増したようです。

「コタさんもう塾からの帰りかい」

「そうですよ、いつも八つ半には塾もしまいですから」おはつさんは承知のことでもおきわさんにはまだそういう情報は良くわからないようです。

たあさんは何度か挨拶程度は交わした中なので、それほど話の座を取り持たなくても上座でお酒が出て三人の話しを聞くだけです。

「うむ、ここの酒は美味い、これなら鰻も美味かろう」「アイ左様で、板前はもう10年ほども修業してたれも自慢のものでございますよ」と仲居がじまんいたします。

「コタさんはほんに鰻好きじゃね」とたあさんがいえば「いつでも付き合うたあさんはもっとすきなんじゃありませんか」「うむうむ、この江戸に来て鰻を知ってからは月に一度は食っておるぞ、コタさんが誘うようになって2度くらいには増えたな」

と普段は川端の屋台の柳のしたの蒲焼きでもコタロウの誘いの高級店の鰻でもおいしくいただけるたあさんです。

「まず、白焼きが出て酒を飲み、鰻飯が出て酒を飲みと、今日は目の前に奇麗どころが線香なしで二人も居るんじゃ果報果報」とご機嫌です。

「褒められては三味がなくともひとつ聞かしやしょう」

 

♪ せつほんかいな(座敷唄)

 獅子は せつほんかいな 獅子は喰わねど 獅子喰い喰いと

  雨やあられや かんろばい ぞろりやぞろりや ぞんぞろり

  目出度いな 目出度いな

  橋の せつほんかいな 橋の欄干に腰打ち掛けて 向う遥かに

  見渡せば 弁天 松島 小松島 キュッキュと立ったは アリャ

  何じゃ あれかいな あれかいな

  昔々 その昔 ずっと昔の大昔 くろう せつほんかいな

  くろうほうがん 義経様は静御前を伴に連れ 吉野を指して

  落ちたもう ヨンボリヨンボリ ヨヨンボリ 烏帽子かりぎぬ

  烏帽子かりぎぬ 烏帽子おり ぞろりやぞろりや ぞんぞろり

  目出度いな 目出度いな

 

「オオこりゃわしの国さに近い阿波の歌じゃな、よかなよかな」とご機嫌です。

仲居さんも「姉さんはほんに良い声でこちらに出られて評判が上がりましたよ」

「アレそんな此方のお店で評判話す方が居りますかえ」とおはつさん「はいそりゃもう旦那方も町の若い衆もたいそうなもので、おきわ姉さんもそうですがお師匠さんも評判がようございますよ」とお愛想だけでなく本心で言うのでした。

お上さんが出て、コタさんが勘定を済ませて店を出て、第六天から平右衛門町に出て川沿いを少し上にのぼり右の道に入って、家の前まで送り分かれました。

「いまの店は中々のもんじゃが高かろうのう」

「なあに心配なさるほどのもんじゃありやせんが2分取られましたので2朱のご祝儀を仲居に渡したので、2分2朱がとこ採られました。

「それは散財じゃ、すまんのう」「何を言いますか、あなたの周旋でこの間お会いした讃岐屋さんが10両ほども儲けが出る仕事を回してくださるそうですよ」

「しかしそりゃまだ利が出るかも解らんじゃろうに、それにわしゃ紹介しただけじゃもの」

「いいではござんせんか、私も鰻がすきたあさんも鰻好き、美味い鰻を食える果報ということで」

「そうかそれならこれからも遠慮はしないでおこう」「今まで遠慮していたんですかい」とあきれるコタロウに「ウワッハッハ、こりゃまいった、遠慮などしたことなかったか」二人で笑いながら柳原土手を連雀町に向かいます。

後4日でお容ちゃんが行儀見習いに出るので、今日からおつねさんの家に来て家族とはなれてすごす手ほどきを受けています。

来月の朔日には坂崎様へ三年余りの奉公に出て外出するにも制約の多い日が続きます。

当日の朝には深川から両親もきてお屋敷に挨拶に出向きますがお屋敷に運ぶ支度もすみ、親戚への挨拶も済み、後はお天気の心配だけが気がかりです。

土手の下から「コタさんまってよぅ」と声が聞こえ道を上がってお容ちゃんがあらわれました。

「ヤァよくきたね、一人かい」

「いいえお玉がいま上がってきますわ」と下を指せば荷物を担いだお玉ちゃんが上がってきました。

あとからぶらぶらと歩き二人を先に行かせたコタロウ君に「あの子も三年たつとすっきりしたいい女になるぞ」とたあさんが言えば「そんなものですかね」とコタロウ君は反応なしです。

「いったいお前さん幾つになった」「14でござんすよ」「酒があまり飲めぬのは仕方ないが、そろそろ女の見方も勉強せいよ」大人びた物言いをするたあさんもまだ19です。

店についてコタロウ君もそちらに上がり「先ほど鰻を食べてきました」というと、お茶を持ってきた、おこひ(鯉)さんが笑って「コタさん今月何度鰻を食いなすった」「そんなに勘定しちゃいねえよ」「あたいの知ってるだけでこれで三度さ」 「他にも喰いなすったろう」といわれても仕方ないほど食べています。

「たあさん夕飯は喰いなさるかね」とおこひさんに聞かれ、「食べさしてもらおうか」とこたえると鰻でも取るかねと冷やかされました。

秋もここまで来ると秋刀魚にも油が乗り始めて長屋からはその匂いがしてきます。

「鰻の後の秋刀魚はかんべんしてくれ」と先手を打ち「野菜の煮物に酒があればたあさんはご機嫌だあね」と酒の催促をして家にもどりました。

 

・ 色取月

朔日の朝が開け深川から与吉さんとおすみさんが、舟で出てきました。

今日の付き添いには次郎栄先生と喜知弥師匠も来られ、おつねさんの店で時間を合わせて出かけます。

「お約束は、四つになったらここを出て伺うということに話がついて居るからまだ余裕が有りますのう」と先生が言う今は、冬でも日が出て暖かく「ほんに良いお天気でようございました」「これもお容ちゃんの日ごろの行いが良いからじゃ」と笑い顔で次郎栄先生が言えば「皆様にもほんに陽が明るく差しましてようございます、本日の容のために御出で下さりまして、まことにありがとうございます」しとやかに挨拶するお容ちゃんには大人の仲間入りをする日にふさわしい衣装です。

この日は、黒地小紋の小袖に松竹梅を裾に染め散らし。

帯は縞文様の天鵞絨(ビロード)白菊と桔梗に秋の赤トンボの文様をあしらい。

髪は島田髷で朱漆塗櫛、銀づくりに珊瑚飾りのびらびら簪の前挿し。

いかにも地味に見えますが今日は御目見え、本日は殿様もおいでになられ奥に通る前にお目通りが許されて居ります。

四つの鐘が聞こえると「サ行きませう」と先にたつ次郎栄先生に付き従い、ま、ず先に両親が歩き、お容ちゃんと喜知弥師匠が続き、あとからは岩さんはコタロウ君が引き清吉が押す大八のそばを歩きます。

門に付き岩さんたちは裏門へと案内されて荷物を降ろします、顔なじみの屋敷のものが手伝ってくれて荷を降ろし、先に引き上げます。

無事お目どおりが済み、奥に入り今日からは新参者として皆様の導きをお願いいたしますとの挨拶も無事済んで、お朱鷺さんが「嬉しいわあなたのような芸達者のかたが来て下さるとここもいっそう華やかになるわ」と手をとって喜んでくださいました。

最年少のお容ちゃんは「皆様に可愛がられる様あい勤めをいたしますので、お引き立てよろしくお願いいたします」と5人の行儀見習いの方にも改めて挨拶を交わしました。

奥女中のまとめをされるお富士様が「今日は無礼講ですが明日よりは厳しくしつけますから心置きますよう」にと挨拶されて下がりますと町娘たちの行儀見習い達は深川のこと神田の事浅草の様子などお容の知ることを聞き出すのでした。

今年は手古舞にだして頂いた話をすると経験した子、ない子がそれぞれのときとの話でふるわいました。

明日の朝から着る着物に飾りなどと仕事の分担、勉強すべきことなどの話をお朱鷺様とお糸さんに教えられ自分に割り当てられたお糸さんおすまさんの部屋に引き取りました。

其処には荷がきており三人であけて明日の仕度に必要なものを並べてから休みました。

お糸さんは13才でおすまさんは11才で、仲が良くなれる予感がする容でした。

   
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