酔芙蓉 第二巻 野毛

 

第八部-1 弁天 1 

登山・房楊枝・牛乳・農兵・jack in the box
 根岸和津矢(阿井一矢)


        

  登山

月初めに外国渡航の自由が許されました、最初の申請は芸人の一行でした。

隅田川浪五郎はアメリカ人興行師リズレーに率いられて亜米利加に渡るそうで御座います、お春さんの話では後見人の高野廣八を含めて総勢18名の芸人が秋の終わりには出かける算段で調整中ということですし、あの松井源水の一座も出かけるらしいとの話で御座いました。

そうで御座います曲馬団を率いて日本に来ましたが人気が出ずアイスクリンなどを売っていたあのリズレーさんで御座います。

3月には第一船渠の開削を始めた横須賀製鉄所にムッシュ・ヴェルニー(フランス海軍大技士)が、着任致しましたのは26日のことでございます。

完成した仏蘭西公使館でお会いしましたが物静かな方でございました。

横浜物産会社では寅吉を筆頭に大山に登り遊んできましたが、その間にも坂本さんからの消息が何度も届きました。

それらは連絡員が口頭で寅吉まで連絡に来て呉れました。

怪我の後、中岡様の媒酌でお竜さんと結婚をしたそうで御座います、その後薩摩の船で下関を回り長崎で近藤様の墓参をした後鹿児島へ向かったそうで御座います。

その後の連絡では先月の二八日に塩浸温泉で湯治中の小松帯刀様をお見舞いした後、霧島山へ登山し霧島温泉に宿泊したそうで御座います。

新婚旅行とでもいうようにお二人で自由闊達に薩摩の地を歩き回ったそうで御座います、薩摩の人々は男女が手を繋がんばかりに歩くさまは驚いたことでございましよう。

プリュインさんの帰国の日が近づきました、親戚のハワード・フレッチャーさん一家も自分の牛を引き連れ牧場に入り、スネル兄弟は商売を初めと、それぞれが落ち着くところに落ち着き、言葉がまだ不自由なため留吉さんと錠吉さんはそのまま働いています。

留吉さんの牧場は今整地が終わり建物を建築中で後3月もすれば移る予定で御座います。

公使の交代は遅れそうですが代理公使に任命されているポートマンさんは忙しく江戸と横浜大坂と飛び回っておられます。

スジャンヌがピカルディに買い物に来て馬の話をして帰りましたがリズレーさんがたまにヘラクレスに会いに来るそうです、アメリカから連れてきた馬のうちこの黒鹿毛には特に愛着が有ったようで御座います。

サーカスが巧くいかず馬を手放さなければ団員の給与も払えないという時にバルダンさんが間に入って相当の値段で売却した時にこの黒鹿毛をスジャンヌたち家族の乗馬としてバルダンさんが残したものでした。

今年中には一座を組織してアメリカからフランスへ渡るとこの間お春さんから聞いた話をスジャンヌにも話したそうです「今からアメリカの興行師に手紙で連絡して錦絵を送って劇場の手配もさせているそうよ、これで日本に来たときの借金も全て帳消しにすると張り切っていたわよ」

「そうかそれで牧場の牛も売りたいと買い手を捜していたのか、もう買い手は決まったのかい」

「まだだそうよ、輸入の牛が来出しているのにいまさら日本のではmilkの出が悪いですもの」

「そうかでは俺が買い手を紹介するからアルに買わせてくれよ、引き渡しは8月までまっても良いぜ」

「アルが帰ってきたらどのくらいで手放すか聞いて見るわね」

「頼んだよ」

寅吉は留吉さんに買わせる算段のようです、去年生まれた仔牛では当分乳を絞るわけに行きませんので日本の雌牛三頭は確保してあります。

九兵衛埋地がほぼ埋め立てられ末広町と名づけられました。

港崎に入る道筋にこれで人家も増え賑やかになることになるでしょう。

弁天通りに出て二丁目の店によると吉岡さんが忙しそうに立ち働いておられました。

「何だ支配人自ら急がしそうじゃねえですか」

「オゥ旦那か、今人が出払っていて荷造りをする者が足りねえんだよ」

「話があるのでほかの者にやらせて付き合ってくださいよ」

「オイ宗司よ後を頼んだぜ」

「ヘイ吉岡の旦那任せてください、大旦那お久し振りでござんす」

「オオ最近はこっちかい、江戸はどうしたい」

「ハイ、ブンソウの旦那が横浜で修行して来いと弁天に回して下さいました」

「そうかやりたい事があるなら吉岡さんに話してやらせてもらえよ」

「ありがとう御座います、お話はして有りますので時期を見てさせていただけるそうで御座います」

洲干丁に出て「はらのや」で座敷に上がって天麩羅とそばを注文して出てくるまで酒を飲みながら店のことなどを話し合いました。

「例の火事だがあちこちと小火が出てそのたびに肝が冷えるが今のところ大事にならなくて幸いだ、後半年は気を抜かずに気をつけてくださいよ」

「任しときなよ、今年一杯は夜遊びして寝過ごさないように気をつけてるよ、昼火事と旦那の予想で朝から火の元用心に寝ぼけ眼で居ちゃいかんと気を張っているよ」

「旦那は生真面目すぎますぜ、当番を決めて変わり番子に朝の番を決めて少しは気を抜ねえと体が持ちませんぜ、今日は仕事のことも有りますがそのことも心配でお話に来ました」

「すまんなそんなことまで気を使わせてな、実はこのようにしてから深酒が減って体の調子が良いんだ、身体も軽くなって息切れなんぞしなくて身体を動かすのが楽しいのだよ」

「左様ですか、それならよろしいのですが橋本さんといい吉岡さんといい責任を持たせた途端に頑張りすぎじゃねえかと心配でしてね」

「ハハ働きすぎるのが心配だなんて旦那らしいことだ」

二人でたわいのないことを話して大笑いで出てきたそばを手繰り間には天麩羅を頬張ると言う穏やかな初夏の昼で御座いました。

「旦那最近は仏蘭西ばやりなのかフランス語を教えるところが増えてきましたぜ」

二人で指折り数えてみると大小取り混ぜると五つほどもありその中でフランス語専門だけでも、元冶二年(四月七日から慶応元年)三月六日開校したメルメドカションの横浜仏蘭西語伝習所にアキス・ウートレーが海辺通2丁目にフランス語学講習所を昨年7月に建設、弁天大学と人が言うようになった。

「ホラ例の医者も学校を開いていますぜ、あそこには居留地のフランス人の子供達も自分の国のことを学びに来ているそうで大層流行っているそうですぜ」

「例の土佐の変わりもんはどうしているんだい」

「アア、篤助さんか、あいつは医者の塾で教わりに来たのに教頭をしていますよ」

「何だそりゃ、いくらフランス語が得意でもいきなり教えるほうじゃたいした塾でもないのかい」

「いやね先生のほうが忙しいので簡単な読み書きは篤助さんが教えているんだそうですよ、その後優秀なやつは先生直々の講義が受けられるそうでね」

「それじゃソフィア達は篤輔さんの教え子ということかい」

「そうなんですよフランスの子供達にフランス語を教えているのが日本人というおかしな塾だそうで有名ですよ」

店に戻りピカルディに夕方まで居ると話してから20番に向かいました。

午後お茶の時間に董少年が出てきて「イギリス留学の話があるので試験を受けようと思います」

「いいんじゃねえか、それで医学かいそれとも他を専攻するのかい」

「医学研修が希望ですが、幕府のほうでさせてくださるかはまだ本決まりではないようです」

「そうなのかよ、マァ文明の進んだ国の現状をよおく見てきなよ」

「まだ受かっても居ませんよ」

「お前さんの学力ならもう受かったも同然さ、幕府も今までの様に家柄だけで選ぶことなどないよ」

「コタさんの旦那がそういうならもう受かったようなもんです」

「何だ俺が駄目だろうといったら受けないつもりだったのか」

「まさかそんなこともありませんが、サトウさんがコタさんの旦那はどういうか聞いてみろよというので来たんですよ」

「ハハ、サトウもお前さんなら落とすほうが悪いと思っての話だろうぜ」

「自信がつきました、ぜひ医学研修が出ればいいんですが、其れはどう思われますか、五年ほどむこうにいられればいいんですがね」

「幕府が金を出すといっても医学を習うとなれば自分持ちで金の都合も付けなきゃいかんだろう」

「其れは林の父と父上のほうで集めてくれるそうです、日本と違ってイギリスの医者になるのは大変らしいですが頑張るように兄からも手紙が来ました」

「よしよし、困った事があれば俺のほうでも力になるから遠慮なく言って来いよ」

励ましてお茶を飲んで暫く話を続けてから董少年は塾に戻りました。

大鳥様もやっと英語が堪能になったのに、今度はフランス語での兵の教練となり、最近は多くの言語を操れないとやっていけない事になってきてしまいました。

夕方千代が連絡に来て二人で野毛に戻り橋本先生たちと、奉行所の下役の方たちと桜花亭に芸者を呼んでいただき食事を致しました。

早々と寅吉たちは引き上げ後は桜花亭の女将に任せて取り持ちをお願いいたしました。

「こらこら、招待のお前たちが引き上げては座が白けるだろう」

「まさか大川の旦那お鳥たちがお目当てでござんしょ、邪魔者は引き上げますから後はお任せいたしますよ」

下役の俸給ではここで遊ぶなど夢のようなお話ですが此方も植木など力に為って頂ける方が多くつきに一度は変わり番子にご招待して居ります。

松井様のように高価の物は作られなくともこういう役得がらみの招待は嬉しいもののようで御座います。

お鳥、お蝶、お静、など芸者らしくない源氏名ですが、港崎にも口が掛かる流行っ子を押さえるのには女将の腕がものをいうようで御座います。

お静は寅吉も何度か呼んだ事がありますがお蝶という子は始めてみる子でした、玄関に送ってきた時に聞くと、品川からながれて来たそうで御座いました。

お鳥は人気者で取り持ちがうまく何処の料亭でも呼びたがります。

様子も好いし踊りも巧いし旦那が居ないと来ては男連中もほっておくわけがありませんが、寅吉は知っています。

「千代おめえ白状しろよ、最近あのお鳥と巧くやってるそうじゃねえか」

「エ旦那本当ですかよ、俺も岡惚れしていましたがそいつは知らなかった」

光吉がさも残念そうにいうのにおおいかぶさる様に橋本さんが「止めとけ止めとけ、千代とお鳥はもう半年もいい仲のままだぜ、何も有りませんは通用しないさ」

すっぱ抜かれて千代は照れて何も言う事がないようでした。

「所帯を持つ気はないのかよ」と橋本さんに聞かれると「あいつは俺より四つも年上で所帯を持つよりこのままお前さんのお妾でもいいから、捨てないで下さいと言いやがるんでござんす」

など惚気られてみなの方が圧倒されてしまいました。

「そいつは困った、相手のほうは本気みたいだな、早めに所帯を持たせたほうがよいみたいですぜ、どうなさいます旦那」

「よし例の火事が起きたらその時が時期と見て所帯を持たせようぜ、年内火事が起きずに済めば春早々に笹岡さんに媒酌してもらって家を持たせよう、いいな千代お前も所帯を持っていい年頃だ」

「出来れば旦那の後にしたいのですがね」

「そうだ、旦那も諦めて所帯をお持ちなせえよ、相手は腐るほど居るんだ」

「俺がか、まさか女は居ても所帯を持つほどの仲のやつなどいねえよ」

「ほれ、女が居ることは白状したんだから後は選ぶだけでござんすよ」

橋本さんも千代も盛んに煽りますが寅吉は相手にせず、まつや に揚がりみなで先ほどの気詰まりな接待の憂さを晴らすのでした。

 

・ 房楊枝 

江戸に三日程前から出ていた寅吉は前日から先生の家に居りました。

富田先生とアメリカのことなど話し合って居りました処へ水野様より御用召しの奉書が届きました。

四つまでに礼服で登城すべしという内容なので、富田様が肝煎の妻木様まで出向きご用人に聞き合わせました。

「此方には沙汰がないし、出勤には及ばず」というご用人の言葉に富田様はいったんお戻りになられ奉書を持って再度妻木様まで出かけられました。

ご用人が富田様とおいでになられ「馬と家来をお貸しするから明朝礼服で御登城ください」と丁寧に先生に申し上げられました。

ご老中から急のお呼び出しに大層驚いたらしくあたふたとしておられました。

「ハハン、大層驚いたらしいじゃねえか、馬と家来を貸してくれるというからにはいかにゃならねえか」

先生はそんな皮肉を言って冨田先生に「先生茶化して居ちゃいけませんこれは将軍家から先生を大阪に御呼び出しに為られるご通知で御座いましょう」

「そんなもんかい、俺の首でも差し出せとでもいうのじゃないのか、ナァコタよ」

「まさかそんなことはないでしょうがね」

「だがよ、龍馬たちが薩長同盟を結ばせたことはそろそろばれる頃だぜ」

「先生、先生は今の将軍家が頼りにされる方もなく苦労されておられるのを承知でそんなことを心配なされますか」

「マァマァそんなことかも知れねえが、なにがあるか今はわからねえ世の中だから悪いほうを心配していればそれ以上悪いことにならねえよ」

本当にこのようなときにも江戸っ子の面目躍如の下町の先生で御座います。

奥では母上と奥様たちが寝もやらずに朝を向かへました、五つには妻木様よりこられたご用人と差し遣わされた御家来に付き添われ馬に乗ってお出かけに為られました。

お城に上がるとすぐに水野様がご対面になられ「軍艦奉行を申し付ける、急ぎ大阪に出向くように」

「御用は何で御座いましょう、お聞かせください」

「わしにはわからんのだ、将軍家直々のお召しである、断ることは許さん」

「此処両二年逼塞しておりまして旅費にも事欠きます」

「左様であるか、実はそのことでな特別の計らいで二年分のお手当てが下げ渡されることになっておる、そちの事じゃから断るなど言い出さぬようにもう用意してあるからすぐに屋敷に届けて使わす」

「ハァそこまでご手配をされてはお断りも出来ませぬ、お受け仕ります」

「よかった、おぬしのようなへそ曲がりはこじれるとごねるからと一翁からも言われて居ったからのう」

お城からお下がりになられたのは昼の鐘が鳴って間も無くでございました。

屋敷に入りすぐに附いて来てくれた妻木様の御家来をお返しになり、玄関にお迎えに来ておられた奥様に「首を寄越せといわれるかと思ったら無事だったよ」

寅吉には「大阪にいけとよ」とおっしゃれて、すぐに母上のお部屋に向かい「軍艦奉行に再任されました、大阪に主張を命じられました」仏壇に線香を立てられ家族に向かってこうお告げになられました。

廊下に居た寅吉や富田先生、高木先生も「オウ」と思わず声をだされて感激に打ち震えるのでした。

やっと連絡が付いた杉先生もおいでになられご家族と手をとってお喜びになられて居ります

「アアそうだ金を呉れるそうだ、三千両を届けてくれるそうだ、コタは見た事があるだろうが俺は初めてだ、みなで拝んでおこうか」

そんな事でもみなが大笑いするのは何年ぶりで御座いましょうか。

「先生どのような御用で御座いましょう」富田先生がお聞きすると、

「水野様にもわからないとよ、将軍家の直々の御下命であるから辞退はなるまいぞというだけで後はよくわからねえとさ」

お城の様子や茶坊主が桜湯を出す様子などご家族にもお話なされておられるうちに千両箱が三つ吊り台に乗せられて到着いたしました、寅吉たちが居間の中に運びいれると「これで家の雨漏りも直せるし書生部屋の布団も奇麗に出来るぜ」などまたも笑わせてくれる先生で御座いました。

夕刻になって岩さんがおいでになられました「オウしんぺえしたぜ、どういうこった」と寅吉に聞くので話していると先生が引き取って「首を寄越せというかと思ったら、体ごと大阪にこいとよ、向こうではややこしい仕事がまっていそうで気が重いよ」

「麟さん何を言いなさる、お前さんでなきゃ出来ねえという事はみなが承知だから呼ばれたんだろうに」

矢張り長い付き合いの岩さんには良くお分かりになって居りました。

「ところで龍馬さんはどうしてるんだい」

「今は長崎だと思いますが、先月買った船が嵐で難破して大損をだされたそうで御座いますよ」

「其れはいかんなぁ、嵐と火事は予測がつかないから困ったもんだ」

「どうしても最初から儲けの多い貿易品を扱うので儲けも多い替わりに船が事故を起こすと損失も多くなりますから苦しいでしょう」

先生が江戸を立ったのはそれから10日ほど後のことでございました。

大阪に着いたのは6月22日板倉様にお目にかかり薩摩から出されている出兵拒否の書付の受け取りをするかしないかと言う事をもめているそうなので京で話をつけるようにと言う事を申し付けられたそうです。

しかしこのときには幕府軍はすでに長州に攻め込んで居りました。

先生は戦に反対との意見を多くの大名の代表に話して周り会津や慶喜公にはうとわれて居るそうで御座います。

薩摩の書付はうやむやにしてしまった事で慶喜公にはさらに危険人物と思われているそうで御座います。

その頃には寅吉は横浜から長崎に向かい坂本さんの窮地を救うためにトマスと交渉をしていました。

「いいだろう、間に白袴の連中が入る事にして利潤が出るようにしてやるよ」

「すまんな給料分だけでも出ないと困ってしまうのでな」

「いいってことさ、俺のほうは大分儲けが出る取引をしてくれるからな大事なお客さ」

話は茶から生糸武器に及び「生糸を扱うやつらは今年は値段が上がっててえ変だそうだな」

「そうさ、去年種紙まで買いあさるからどうしても品不足さ、値段が上がれば持って行っても儲けがでねえから買うにも買えねえだろうしな」

「しかし約束した分は買って送らねえと破綻してしまうやつも出るからな、コタさんが言うので俺は止めておいて助かったぜ」

「損をしないと言うのはどんな気持ちだよ」

「其れがよつまらねえもんだな、矢張り儲けが出たという話のほうが威勢がよくて面白いぜ、損をしないというのはわかるが実感がないからな」

無茶な理屈で御座いました。

伝次郎の店で千代に春を交えてトマスが上げる怪意見を聞いてみなが笑うのでトマスは勢いついてさらにさまざまな事を話して呉れました。

「やぁおそろいですな」

噂をすれば白袴の陸奥さんが御出でになられました。

江戸の歯磨き粉や房楊枝に亜米利加の歯磨き粉などの物を買い入れに来たそうです。

歯ブラシは英吉利製品と仏蘭西製品を扱っていますがそれぞれ200本づつ買い上げてくれました。

あちこちの町にもって行くと飛ぶように売れるとのことで最近は大事な取引の商品だそうです、儲けの多いものだけの一発商売だけでなくこのような細かいものは陸奥さんの係りだそうで御座います。

「いやこの人は遊びも豪快です、この間上海でも」

「マァたまった、グラバーさんよそいつは此処では勘弁してくれ」

「なんですか面白そうじゃないですか、陸奥さんはなしてしまったほうが楽になりますよ」

結局二人で交互に上海の妓楼の話をして居並ぶものを笑わせてくれました。

「コタさんが言うように招待なら遊ぶのに場所は問わないと言うのは本当だったぜ、上海の商社の連中もあきれていたっけ」

遊びに誘われれば上海長崎でもというのは口先だけでない事を証明したようで御座います。

「帰りの船で薩摩の松木さん五代さんに会ったぜ」

「本当ですか、もう帰ってきたのですか、デお二人ですか」

「いやもう一人居たっけ、だが他の留学生の者は長州の者たちと異国で巧く付き合って勉強をしているそうだ」

「卯三郎さんが向こうで会えるかと期待していましたが、お帰りとは気がつきませんでした」

「ウサブローはなにをしにいくんだい」

「卯三郎さんは幕府のパリの博覧会の出品物の扱いを引き受けて品物の管理と芸者たちの取締をかねて出かけるそうですよ」

その後パリの万博の話と仏蘭西が幕府に肩入れをすると国内がもめるだろうと、陸奥さんも心配しておられました。

「イギリスは薩摩・佐賀・長州と西国諸国の応援に回る事に決したと松木さんが教えてくれたぜ」

「本当ですか、いよいよイギリスは幕府に見切りをつけましたか、俺が横浜を出るときにパークス公使が大阪に向かうと聞いたが、下関や鹿児島にも行くつもりかな」

はたして公使は6月18日には薩摩に赴いていました。

坂本さんはどういう事情かユニオン号を運航して下関辺りで幕府軍に砲撃を加えていました。

この日6月28日には長崎は雨が続いていて川もあふれんばかりでした。

めがね橋も濁流が流れ今にも橋が流れてしまいそうに渦巻いていました。

夏も終わりに近づいたとはいえ、どういうわけか肌寒い日もあるというおかしな陽気でした。

「長崎でも美味い鰻が食えるから今日はうなぎ飯でも食うかい」

「トマスは鰻が大丈夫なのか」

「俺も鰻は好きだよ、これから行こうか」

というので丸山まで出向き、瀧川 という店に揚がり陸奥さんの話を魚に酒を戴きました。

 

 ・ 牛乳

留吉さんの牧場が開業しました、牝牛六頭をそろえる事が出来ました。

売値は一合壱朱という高値ながら健康によいという評判で新しい物好きの日本人まで買いに来る繁盛で御座いました。

ホルスタインとジャージーはまだ乳が絞る事が出来ないので寅吉の根岸の牧場に置いています、この繁盛振りなら牛の買値が二十五両なのですぐ払えるでしょうし、牧場に掛かった費用もすぐ返済できると思われました。

噂ですが将軍家が亡くなられたらしいと、港で実しやかにささやかれています。

本当でしたら大変な事ですが、何処から漏れてきたのか寅吉は歴史が変わる事がなかったいう思いとともに、その事がもれてしまうと言う事が、信じられない気持ちでした。

「ハワード・フレッチャーさんのところは壱ガロンで弐ドルだそうだから、留吉さんのほうが少し安く売れるという事かな」

「そうですね壱ガロンだと2升と1合位でしょうか、ほんのわずかですが安くなるでしょうかね、あちらは半ガロン以上でないと売らないそうでそうは日本人には買い切れないでしょう」

国から二人のものを呼び寄せて三人で乳を搾り売りさばいて、どうやら毎日買ってくれる人も増えたようで御座います。

朝の仕事も終わり配達も済んで掃除が行き届いた牛舎は匂いも余りせず清潔感にあふれていました。

異人用に暖めて殺菌し、飲みやすくしたものは好評で毎日のみに来てくれる金持ちと家族用に届けさせるもので残る事はないそうで御座います。

「寅吉の旦那、後二頭はいつごろ買えるのでしょうか、それとも買えないのでしょうか、このままでは足りなくなりそうです」

「アアそいつはリズレーさんとこから来ることになっているから、後三日程待てば入るよ」

「助かります、其れでそいつはいくらでいいのでしょうか」

「アルが交渉してくれて三頭で15両だがこっちに二頭で10両だよ」

「ではその分は現金で払えますのでお持ちいただけますか」

「いいよ預かろう、太四郎お前預かっておいてアルに払ってくれ」

「ハイわかりました、これが受け取りですよ」

素早く紙に 

 金壱拾両乳牛代金受け取り申し候 

   慶応二年八月三日    とらや  と書いて留吉さんに渡して金を受け取りました。

「残りの一頭は誰が買うのですか」

「一頭は乳の出が悪く年も取ってきたので少し太らせてから食用になるそうだ」

「そうですか、この分ですと来年には倍に増やせそうです、人間も増えれば飲んでくれるものも増えるでしょう」

「そううまく行けばいいが、最近は牧場も金になると踏んで増えてきているから値段が安くなるかもしれないぞ」

「倍売れるなら少し安くしても十分引き合いますよ」

「そうかぜひ頑張って広げろよ、例の火事の予想だがそのときの避難のための訓練に牛を歩かせる道を決めて時々連れ出して逃げやすくしなよ」

「ハイ働いているものにも順路を決めて前田橋のほうと弁天のほうと二通りの道を宣伝をかねて歩かせています」

「そうかいそりゃいい考えだ、後配達用にワインのビンなどで出来ないか考えてみたらどうだ今のように缶で運んで量り売りよりは奇麗に見えるぜ」

「ビンの中を奇麗に洗えるように考えていますので其れの工夫が出来たらそうしたいと考えています、ビンは高価なので使い捨てというわけにはいきませんのでぜひ広口のビンがあるようでしたら別けていただけませんか」

「考えておくよ、5勺入りなら心辺りがあるが壜では100本くらいしかないかも知れねえよ、銅で作るものなら一つ一朱くらいでつくれるぜ」

「どんなものでしょうか」

「ホラ義士焼きで使って居るやつを見ただろう取っ手がついて種を流し込むやつさあれの小さいやつなら蓋も簡単につけられるだろう」

「いいですねためしに10個ほどお願いいたします、一々はかるより便利で喜ばれます」

「連絡をしてすぐ作らせて見るよ10日ほど待ってくれよ」

「お願いいたします、壜はどの位掛かるでしょうか」

「形が違ってよければ今日にでも数はそろえられるよ、二丁目のとらやのほうにいけば倉庫にあるはずだ、ナァ太四郎」

「エエ昨日はありましたからまだあるはずですよ、そんなに売れるものではないでしょうから残っているはずです」

「いまから一緒に行ってくれませんか」

「いいともこっちも商売だ、あれは誰の係りだよ」

「春さんではないですか、洗濯の材料を入れるときに上海から仕入れたようですから、先に行って連絡を取りますから後から御出でください」

「千代は20番のほうに行って向こうに居たら来てもらってくれ、吉岡さんに値段は教えてあるだろうが念のためだ」

「わかりました」と二人は別々に早足で出かけ寅吉と留吉さんはゆっくりと弁天通りを歩き出しました。

二丁目のとらやの倉庫に着くともう春と千代も来ていました。

「何だ千代はもう来ていたのか、いくらなんでも早すぎねえか」

「旦那がゆっくりしていたからですよ、どうせ全楽堂辺りで引っかかっていたんじゃないのですか」

「当たりだぜ、あのおっさんは話好きだからな、ところで全部で幾つあるんだよ」

春が帳面を出して参種類で合計しますと「百八十五本になります、マァ見てくださいませ」

菰包みを明けると透き通った奇麗なガラス瓶「いいもんですね」留吉さんも手にとって眺めて居ります「こいつは何を入れるものなんだ、コップとは違って大分厚く出来てるな」

「何でも胡椒の粒や山椒の実などを入れて店に並べる為の物らしいですよ、大き目の熨や洗濯用の機械を入れるときに買ってくれと押し付けられたので買い入れておいたものですがね」

そういいながら番号を確かめて他の菰を開くとそちらは色付き壜でした。

「この透き通ったものは幾つ有りますか、いくらで別けていただけますか」

「帳面には八拾本と書いてあるが全て割れや傷がないかまだ調べてないよ、まず全部買われるなら五両でいいのですが、割れや傷があればひとつ壱朱ずつ引かせていただきますよ」

「其れで検査は此方でしてもよいのですか」

寅吉が引き取って「もちろんいいとも、品物を渡して五日もあれば水漏れをしないか調べがつくだろうからそのとき駄目なものは返してくれよ」

「では支払いはその分だけ引いて払うという事でよろしいですか」

「オイオイ現金で払えるのかよ、待ってもいいんだぜ」

「大丈夫で御座いますよ、では牧場に届けてください、その透き通ったものに入れれば喜ばれる事請け合いで御座います。

取引としては小口ですが需要は増えそうな壜で御座いますがもう少し大きいものが必要となる時期が間も無く来るでしょう。

留吉さんは急いで帰りましたので春は人足に指図して大八に荷を乗せ「では旦那届けてまいります、伴三さんよゆっくりと気をつけて運んで呉よ」と太田町の牧場まで配達に出かけました。

太四郎と千代を共に連れて近くの大里庵でそばを手繰りました「寅吉の旦那、最近お見限りですね、ご自分の蕎麦屋を野毛に出されたそうでこちらは味があわねえかと心配しましたよ」亭主が顔を出してそんな恨み言を言いますが「そんな事はねえよ、此処の蕎麦も汁も申し分などねえんだぜ、俺のほうが忙しくてこっちで昼を食べる余裕がないだけさ、それと新しい店が出来ると試しに食うのでそうはここの蕎麦ばかり食ってわけにいかねえのさ」

「では、はらのやなど試されましたか」

「オオサ行ってみたがお上品で客と一緒ならともかく一人で行く店じゃねえきがしたぜ」

「左様ですか店も増えて最近は客も減るのでうちの味が落ちたかと気に病んでいました」

「そうさな、どうしても此処は人足や下職のものが多く出入りするから、ねた物は手抜きだと噂があるようだ、その辺り気をつければ横浜に見物に来たものを取り込めるぜ」

「どうやれば人が来るでしょうか」

「まずは宿屋の女中や番頭に半額やただの引き札を配って食べにこさせる事だよ、そうして口伝えで客の足をこっちに向けさせる事さ、そんな事くらいでも客はついてくるぜ、しかしたまに食べるやつは種物を頼むだろうから天麩羅は美味く出来るようにしたほうがいいぜ、手抜きだとの噂を消す事が肝心さ」

「矢張り冷めたてんぷらを忙しいからと出したのが響きましたか」

「そういうことさ、何事も手抜きはその場しのぎで仕方ねえことだが、いつもやるのはいけねえよ」

「旦那、ありがとう御座います、忙しいと手を抜いたのが此処まで影響するとは思ってもいませんでした、手代番頭といわれる人たちの足が遠のいたのは人柄の悪い人足のせいと、ひがみ根性の私の思い違いでござんした」

理解力に優れた二代目の亭主は親父の店を建て直すという、意欲に燃えた目をして居りました。

横浜物産会社に戻り戻ってきた春や人足の伴三たちに今の大里庵の話を千代がして居ります。

「そいつはよいこったこれなら近くで天ぷらそばの美味いのが食えるようになるかな」

「そいつはもう少し日を置いて見たほうがいいだろうぜ、あの亭主が気を置いてやる気になればいい店になるだろうぜ」

働くものも近くに美味い店が戻ってくるという事に嬉しそうで御座います。

 

 ・ 農兵

三田北寺町の大松寺までアメリカ代理公使ポ−トマンさんに呼び出されてお尋ね致しました、此処は6月より宿舎としてポートマンさんが江戸に出たときに利用されています。

「寅吉が留守の間に新しい公使が着任したから紹介しよう、公使この男が例の横浜物産会社の寅吉です、寅吉此方の方が新しい公使のMr.ヴァルケンバーグだ」

Good to see you. I am Torakiti.

I am Valkembarg. I want to associate with you as a friend.

「ありがとう御座います、私は信頼を裏切らない事を誓います」

Mr.プリュインが言っていた通りの男らしいな、ひとつ教えてくれないか、ポートマン君が英吉利は将軍を見放したというが本当なのか」

「横浜では将軍が亡くなられたともっぱらの噂です、その事がなくとも英吉利は仏蘭西に対抗して薩摩、長州と手を結んだと思われます」

「矢張り、本当に大君がなくなったのだろうか」

「ハイわが国では現在幕府は長州と対峙していますから、将軍がなくなられた事を秘密にしていると思われます普通では、なかなか町に噂が流れないのですが横浜ではもう15日以上前から噂が流れていますので大坂まで番頭と出向いて情報を集めてまいりました、幕府の軍は小倉城を放棄したとの噂もあります」

「それで幕府は次の大君を誰にしようとしているのか」

「普通は一橋様と思われますが、多くの方々が政権を天子にお返しして一大名として政治に参与されるべきとお考えですから、まだその辺りが不明で御座います、私の先生の勝がいま京に出て居りますが長州との停戦交渉に広島に出かけるそうです、勝が居なくともその線で話が進むこともあろうかと思います」

「本当に政治の権を返すだろうか」

「いま其れはfifty-fiftyではないでしょうか、ただ一橋公という方は権力に固執される方ですし家柄が良い事で他の方々を見下げた言動が多いそうです、其れがどのような影響を与えるかは、よくわからないのではないでしょうか」

「では我々も大阪に出て待機したほうがよいだろうか」

「ぜひそうなさるべきです、誰がリーダーになるにせよいまは大阪に京にとその代表が集まるようになって居ります、お国がどちらを応援するにせよ大阪で情報を集められる事が肝要でございます」

しばらく考えておられるので「このたび大阪に出向き聞き歩いた情報では、京に居られる一橋様は徳川の宗家は継ぐが将軍は受けないといわれたそうですが、誰も信じては居ないそうです」

「しかしわが国では軍艦も1隻しかないし睨みもきかんしな、まだ国内の戦争の傷跡がいえていないので日本に対して肩入れをしたくも出来ないのだ、訓令ではどちらにも附かぬようにといわれている」

「それでは中立という事で英吉利、仏蘭西の勇み足を押さえるようにしてくださいませ、何処の国にとってもわが国の内乱が大きくなれば武器商人が暗躍して戦を大きくしようとするでしょう、ぜひわが国のためにも中立の立場で大きな戦が起きぬように見張っていてください」

「わかった君は商人のくせに儲けより国の安定を願っているというのは本当だったんだな、Mr.プリュインが言っていた通りで安心したよ」

ポートマンさんと二人で相談をしていて「明日には品川から大阪に出発しよう」

決断にも優れたお方らしく頼もしさが伝わる事に寅吉は心強い気持ちが致しました。

噂どころではなく将軍家には前月の20日に大阪城に於いて21歳の若い命を儚くなされました、激動の中13歳で将軍家を継がれ苦労以外をしたことないままに亡くなられてしまいました。

そのさなか先生は後ろ髪を惹かれる気持ちを抑えて長鯨丸に乗り広島に向かい、長州との停戦交渉をなされて居られました、しかし交渉は成功したにもかかわらず慶喜公は天子の勅命による停戦との体裁をとられ、先生一人が長州を裏切ったかのような仕置きをされることになりました。

21日には慶喜公が宗家相続を宣下されて同日、帝におかれては長州征伐休戦の勅命を出すということになりました、9月2日に長防出兵停止の勅命が出て先生は二階に上がった梯子をはずされた事になりました、長州にしても裏切られた気持ちを先生に持ったのでした。

話は戻って将軍家が亡くなられた7月のことでございますが。

7月31日早くも家茂公の訃報を受け取った小笠原公は支配下の諸藩に何の断りもなく夜半になって幕府軍艦富士山艦に乗って戦線を離脱してしまいました。

このような状況下8月16日には幕府軍は関門海峡の封鎖さえ維持できなくなっていました。

先生との交渉により停戦が決まるなか、朝廷の命令で長州に幕府から停戦の使者が送られるというちぐはぐなことになり、坂本さんならずとも「幕府の命運も尽きたもう打つ手もない」という言葉が思い起こされるのでした。

このときの幕府軍は武士が兵士として出兵していましたが、長州は農兵民兵が主力でした、高杉晋作、大村益次郎などの組織を作る名人ともいえる人たちの組織した兵と戦術に翻弄されて仕舞いました。

装備も違いました、寅吉たちが反対した旧式のものを持つ寄せ集めの大名の家来には元込め銃もしくはミニエー銃を持つ兵士とは比べ物になりません。

坂本さんから聞いた話ではゲーベル銃の兵がまず一発撃ちかけると山に逃げ込ませ後を追ってくる兵を今度はミニエー銃隊などが迎え撃つという戦法だったそうです。

たかが農兵と侮る武士はよろいをつけて速度が遅いうえに銃を馬鹿にして槍刀での戦いを好んだそうです、其処へまるで近所に出かけるような軽装の農兵民兵にかき回されてしまったそうです。

初戦で敗退した芸州口の幕府軍は最新装備の予備軍(紀州、美濃大垣、幕府歩兵隊)を繰り出しますがこれも指揮官が家柄重視という情けなさで、5分の一の長州兵に翻弄される始末で御座いました。

大鳥様の言われるように兵には博徒、臥煙を集めたほうがまし、という言葉が実証される事になってしまいました。

幕府の海軍も小倉口の戦いでは坂本さんのユニオン号と砲戦になったそうですし、高杉様の指揮する丙寅丸には大島口で夜襲をかけられて翻弄される始末で、情けなさに後で知った先生の怒りが爆発する始末で御座いました。

石州口では、大村益次郎さんが自ら指揮して700人の兵で浜田城下を占領してしまいました。

先生いわく「紙くず拾いのような格好の兵に翻弄されるなどもう武士の世の中じゃねえよ」と後で江戸に戻られた時に話され「鎧兜で名乗りを上げる旧式の武士に勝ち目など無い」とまでいうので御座いました。

横浜では各国の公使が大阪に向かい偉いさんが居なくなってなんとなく町全体がほんわかとした気分になっていました。

野毛でお松津さんに柿を剥いて貰い食べながら報告に次々来る手代たちの話を聞いていましたが中でものになりそうな話があったので「圭史よう、お前それを扱ってみないか」

「旦那良い話ではありますがね、あんまり儲けにゃならねえのでどうしょうかご相談してからと思っていたんです」

「今は儲けにつながらなくともいいよ、損をしなけりゃ上出来さ」

「それでは私が扱うという事で百八番で契約してまいります」

「そうしてくれ、ビールソンさんには最近あっていないから俺も一緒に顔を出すから後少し待っていてくれ」

千代と辰さんもつれてホムラミチに入りました。

文具や服などを扱うビールソンさんは最近誂えの服を扱う人も増えてきて、輸入の服の売れ行きは悪くなっていると聞きました、日本人とは体系も違うのでどうしても身体に合わないということで困っているとききました。

天主堂の脇を抜けてコマーシャルホテルの近くのビールソンさんの店に着くとそれでも5人ほどのひとが品物を見に来ていました。

吟香さんが寅吉を見て「できたぞできたぞ」と袖を引いて表に連れ出します。

「和英詞林集成が出来上がったぞ」興奮して何度もそお言いますので「おめでとう御座います辞書の事ですね」

「そうだディクショナリーだ」董君がもうじき出来るといっていたが遂に出来上がったようで御座います。

「ところで印刷はどうなさいます、此処では活字が揃わないでしょう」

「先生は上海辺りで印刷できるか調べると今聞き合わせてもらってる最中だ」

「それで吟香さんは上海まで同行なさいますか」

「行くともかいがいとこうのための申請も済んだぜ、むこうでお土産でも買ってきてやるよ」

「お土産は良いのですが、購入してきて貰いたい物がありますから日にちが決まりましたら誰か店のものにでもご連絡ください」

「いいともよ、コタさんのほしいものはたいてい本だろうが、リストを書いてくれれば探してやるよ、行けば二月や三月は向こうに居る事になるだろう」

「董君にもロンドンで探し物を頼んだのですがあちらは早くても年内の出発でつくのは3月頃かもしれませんね」

「オイオイ、コタさんよあちらの選抜試験はまだ先のことだぜ」

「もう受かったも同然ですよ、英吉利はお手の物だし、英才の塊のような一家の出だし文句などつけようが有りませんよ」

「そういわれればそうだよな、落とすやつの気がしれんものな」

「後でヘボン先生のお宅にお祝いに菓子など持って伺いますよ、此処で少し取引が有りますから2時間ほどしたら伺います」

「では俺は先生の家で待っていよう、出来ればすしでも買ってきてくれ最近美味いやつにお目にかかってないんだよ」

「いいですよ、千代お前本町の三五寿司で特上のものを二両ほど買い入れてくれよ、先生のところにはどうせ10人くらいはごろごろしてるだろう」

「オ弾んだな、では湯でもたっぷり沸かさせて待っていよう、千代さんよ全部出来るまで待たなくともどんどん配達させてくれていいぜ」

「まいったナァ俺が届けに行かなくとも先に食べだす所存かい」

「有的なんぞ大食いだから30個じゃ足りないぜ、やせの大食いとはあいつの事だ、だが俺や彦さんにはかなわないんだぜ」

「参るナァ千代がすっ飛んで買いに行ったが、足りない時は他からでも間に合わせるか、辰さんよ、お前は元町の安田で巻物を50本も買って届けてくれよ、こいつも半分ずつでも届くようにしてやってくれ」

辰さんに二分渡して安田に向かわせました。

吟香さんと別れて店に戻り佳史がビールソンさんと契約が済むのを待ちました。寅吉とも握手して無事契約が済みました。

フランス製の絵筆と油絵の具と絵を描くためのsupporteaselの事だそうです)toile (canvasの事だそうです)を三セット買い入れました。

予想外に高いものでしたが絵を描くのが好きなお大名にプレゼントしなければいけないので奮発いたしました。

「日本でこれが売れたのは初めてだ」というイーゼルは寅吉が見ても使いやすそうでしたのでsupportは後幾つあるか聞いたところ「10本あるがtoileと全部買うなら安くする」という話でした。 

toileは幾つある」

「50枚有るよ」

買弁の黄さんはそういっています。

「では値段が折り合えば全部引き取るぜ」

「1200フランで同だろう」

「駄目駄目、さっきのsupporttoileの値段から100フランしか安くねえよ、それじゃ儲かりゃしねえよ」

「先ほどのも横浜物産会社さんへの卸値段ですよ」

「駄目だよそんなこといってちゃ、ビールソンさんに聞いてごらんよ、あの値段は普通の売値から少し引いただけさ大目に買いに来たものに言う値段と同じじゃねえかせめて900フランじゃなきゃ」

「勘弁してくださいよ、それでは儲けどころか赤字です」

「マァ聞いてみてごらん話は其れからだ」

ビールソンさんに聞かせたところ白墨がたくさんあるが、一箱に120本入りが10brutglossグロスのことです・120ダースになります)これを含めて2100フランで買ってくれないかと相談してきました。

「佳史よ白墨を知ってるよな」

「ハイ最近は黒い板に白墨で字を書くところがでてきましたが、まだそれほど需要が有りません」

「良いだろう、しめて2000フランなら買い取ろう」

主事の嘉内(かもんさんといいます)さんがビールソンさんに通訳して三人で相談するとビールソンさんが握手して来て「良いですよ寅吉さんのことだ負けましょう、また何か買いに来てくださいよ」話がまとまり弁天通りのほうに配達してもらうことになり支払いも済ませましたのでピカルディによってクロワッサンやビスケットにチーススフレーを持ってヘボン先生の家に向かいました。

待ちかねたとばかりにクララ先生が出てきて「待ってたわよ、家にはおなかを空かせている人たちがごろごろしているから」と冗談交じりで寅吉と佳史を広間に招き入れてくれました。

「おめでとう御座います先生」ヘボン先生や居合わせた人たちに挨拶して台にもってきたものを並べました。

ヘボン先生にシモンズさんに嘉兵衛さんまでが嬉しそうに集っていました。

「お待ちどうさまです」威勢のいい声がして続々と寿司や卵焼などが届きました、お茶ですしを食べるものやチーススフレーをクララ先生と頂く人も居て和洋折衷の宴会が賑やかに行われました。

「コタさんこのsouffleはいつでも店にあるの」クララ先生が美味しそうに頂きながら聞かれますので「曜日に拠って違いますがケイジャーダが火曜日チーススフレーが水曜日でライスチースケーキが木曜日です」

「あらそうなの董はビスケットしか買って来ないから知らなかったわ」

「今月に入ってから始めましたからまだしらないのでしょう」

泰然先生が「こやつはあそこでご馳走になってるに決まってますよ」

「いえぼくは食べた事が有りません、今月はコタさんのだんなは留守がちなので馳走になってなどおりません」

息張って言う様はもう大人と認めてくれといわんばかりの様子で御座いました。


 ・ jack in the box

6日の日に家茂様のご遺体が翔鶴丸に乗って江戸にお戻りになられました。

お迎えの方々も憔悴した近習の方々の様子に涙を流され、さらに悲しみを大きくいたしたそうで御座います。

23日に御葬儀が増上寺で執り行われるという事が聞こえてまいりました。

ロッシュ公使は相変わらず大阪に滞在していられるようで、此処横浜に聞こえてくる風聞では仏蘭西から軍艦を買うという話も聞こえてきます。

歩兵差図役頭取に5月になられた大鳥様は相変わらず忙しく調練に励んでおられます、横浜で行う調練は激しいものらしくお旗本の中には逃げ出したくなる人もおられると噂が聞こえてまいります。

ヨーロッパでは金融不安が広まり、そのあおりでデント商会が破産したそうで御座います。

いよいよ武器商人が自分の出番と張り切って新旧の武器を取り揃えて店に飾りだしました、寅吉は扱わずとも相談に来る大名の家臣には安物買いの銭失いという言葉が有りますので、まさにくず鉄同然のものに手をお出しなさらぬようにとお教えして居ります。

タアさんは藩主の加藤泰秋様にしたがってお国入りのため先月初めに伊予大洲に向かわれたそうで御座います、何でも鉄砲の買い付けに長崎に向かった国島様が龍馬さんと五代才助さんの斡旋で、オランダ人ボードインから蒸気船アビソ号を購入したという手紙が来ました。

アビソ号はイギリスで1862年に製造された四十五馬力・百六十d、長さ三十間、幅三間、外輪船ながら三本帆柱の外洋船で御座います。

価格は四万二千五百両で買い入れる約束だそうで御座います。

もとはサーラ(Sarah)という名の船で安行丸と名づけられ薩摩が運用していましたが75000ドルで購入したものを1865年11月ボードインに売却していたもので御座います。

「船の事は国許では重役一同も、藩主の秦秋様も快く思っておられないので心配だ」と大阪で幸助の連絡所から届いた手紙に書かれて居りました。

値段としてはよい買い物だと思われますが船を運用すべき人材が居ないという事がその不安材料の最もたるものだそうでございました。

寅吉が扱う大洲の物産を全て藩で取り扱うとしてもそれだけの利益を生むとは思えないので御座います。

「コタさん最近はとんとおみかぎりじゃないか」

喜斎さんと千代の3人で弁天の馬場で馬を見た帰りに富田屋により海辺から歩いてくると大和屋さんに本町の大通りで声をかけられました。

「あちこち飛び回って忙しいので御座いますよ」

「例のはき物に名前をつけたぜ、パッチではなんとなく冬物のようなのでフランス人がjuponというのをつけるそうだが男でも女でもつけられるようにズボン下としたぜ」

「あれはスカートの下につけるペチコートという奴ではないのですか」

「そうなんだが、最近はズボンというのが使われているから、そいつにしょうと決めて宣伝もしてから教えられたんだ、マァいいさと其れで行く事にしたよ」

パッチよりも少し緩やかで夏でも冬でもはけると足が冷える年寄りには好評で御座いました、女性でも昼間は恥ずかしいのでしょうかまだはき慣れていないそうでなかなかはいては呉れないそうですが寝巻きの時には穿く方が増えてきたそうです。

お針子もメアリーさんのところで雇っている人たちが請け負って、毎週木曜と金曜の午後とらやの座敷で仕事をして納めています。

「最近おもちゃを売り出してるそうじゃねえか」

「エエうちで働いている圭史というのがビックリ箱というのにほれ込みましていろんなやつを買いたいというので他のものも交えて買ってみました」

「面白そうなのでうちの子供にも買ってやったら飽きずに遊んでるよ」

「其れはありがとう御座います、あれはただ飛び出すだけでなくカードを咥えさせて数当て等すると面白いそうで御座いますよ」

「そうか、そんな事をして遊ぶものなのかただ飛び出してくるだけかと思ったよ」

カードでの遊びなどや簡単な手品の種などもお教えして大和屋さんと別れ、太田町をぶらぶら歩いてから珠街閣の朱さんのところで昼にしました。

吟香さんを招待していましたが彦さんも附いてきましたし、ヴァンリードさんもWH・スミスさんと連れ立って「ご馳走になりにきたよ」と噂を聞いたのか顔を出してこられました。

金華火腿とイタリアのパルマハムにスペインのハモンセラーノが揃ったので大鳥様を招待してありますのを聞きつけたので御座いました。

とらやがあちこちと伝を使いボストン氷を輸入する時に一緒にハモンセラーノにパルマハムを買い入れておいたものです。

金華火腿は今月に届くように買い入れをしたものです、ウィリーにもそれぞれを三本ずつ届けたのでそちらは来週の金曜に食事の会をゴーマーさんを招待して行うつもりです。

アルにも1本ずつとられたので売り物にするのは金華火腿が十本ハモンセラーノにパルマハムが三十本ずつしか残りませんでした。

いくら儲けを度外視して美味いものを喰いたいといってもちと高い買い物についてしまいました。

大鳥様も着いて昼になりハムを使った料理が色々と並んでビールを飲んで賑やかに昼の宴席が始まりました。

「コタさんいいハムで料理のし甲斐があるよ」

朱さんも喜んで料理の腕を振るってくれて、パルマハムのスライスを軽くあぶっただけに見えるものは美味いものでした。

「これはいいな、何か美味い香辛料を使ったのかい」

ヴァンリードさんもWH・スミスさんも絶賛です。

「いいえこれはうちの婿が軽く直火にあぶった後に白ワインでフライパンでフラッペしました」

「オオ、Wonderful」とみなでいっせいに褒めると基炎が顔を出して「マダマダいい料理が出ますよ」と大きな声で寅吉たちに言いながら料理の皿を出してきました。

スミスさんなどパルマハムを20本も買ってくれたのに「金華火腿も買えば良かった」と悔しがっているくらい調理が美味く味に堪能しました。

「コタさんまだハモンセラーノが残ってるよ、今薄く切りそろえてるから冷えたビールがいいかい、それとも紹興酒を試すかい」

「両方だ」スミスさんが声高に宣言して早くもってこいとばかりにビアーカップを差し上げます。

ハムの合間には野菜の炒めたものや海鼠などの料理も出てきました。

頂湯(ディントン)がでてその日の仕上げとなり、2時間に渡る昼食会が終わりました。

  
   
   

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幕末風雲録・酔芙蓉
  
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 習志野決戦 − 横浜戦
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 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid

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カズパパの測定日記


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