酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第七部-2 野毛 5 

彗星・火事見舞い・牧場・栗名月・勅許・黒幕

 根岸和津矢(阿井一矢)


        

 ・ 彗星

トマスからの手紙とこの春に生まれたリューセーの系統図が届きました。

トマスが英語名でMeteorと名づけられたこの馬はStockwellの娘が母親で、父は長崎のトマスの元で飼われているThe Baronの孫だそうで二親ともにバロンの孫という血を受けつぐのです。

母馬は今、寅吉の牧場で馬好きの羨望の的で見学者と俺の馬と交配しろとうるさく迫るものに、トマスが選んだ系統の馬で無ければ交配できないと言う書付を見せて断るのに忙しいくらいです。

Pardalote(宝石鳥)と呼ばれた黒鹿毛のこの牝馬は明治二年にイギリスに戻り、Dr.Syntaxという馬と交配されてGrisetteという名の牝馬を1873年(明治6年)に産むことになりました。

ともにサラブレッドの元になったダーレー・アラビアンの血を受け継ぎ優駿と言われる馬を代々出してきました。

100年前にはリューセーの先祖にEclipseという有名な馬が居るということも書かれていました、同じ褐色(栗毛)の馬で同じ様に後ろ足が白くなっていたそうです。

1764年の皆既日食が見られた日に生まれたEclipseは、5歳でデビューし、18戦18勝して種牡馬となり、1780年に始まったダービーにも産駒が3頭(2回4回5回・ダービー最初の栄冠は DiomedFlorizelSister to Juno)も優勝するなど貫禄の違いを見せつけました。 

そしてこの馬はGodolphin Barbと共にDarley Arabianの血を受け継いでいることも書かれていました。

サムライ競馬といわれ何年か行われてきた洲干弁天の馬場もありましたが横浜新田といわれた土地に競馬場がもうけられました。

24日の日曜にはサムライ競馬と呼ばれ奉行所の役人と各国の代表による競馬が新しい競馬場でも行われます。

横浜新田堤塘競馬場と名づけられた此方は、根岸が完成するまでと小さいな物でしたが、レースの無い日は馬好きのものが調教に訪れては楽しんで居りました。

寅吉はリューセーの親子を度々連れて此処へアーネストやカーチスと訪れました。

Pardaloteは気立てがよく乗り手を選びませんでしたが、あまり強く調教せず子馬が不安がらない程度に歩かせる寅吉に親子共によくなつき、手入れに付いて来た畑蔵が世話をこまめに見てくれます。

「そろそろ帰ろうか」

畑蔵に声を掛けて二人で手綱を引いて歩き出しました。

前田橋から出て製鉄所の煙を見ながら石川村まで歩く途中でも何人かの異人さんが地蔵坂を馬でくだって来るのにすれ違いました。

「旦那あの人たちは馬が好きではないのですかね」

「なぜだよ」

「だってアンナ下り坂を乗ったまま降りれば馬の足が痛みます」

「あの人たちだって馬は好きだと思うぜ、だがよあの人たちは馬が主人を乗せるのは当たり前の仕事と思っているから其処までは気にしないのさ、俺やお前みたいに馬も友達のうちと感じるの人も大勢いるよ」

「そうですか、俺は馬が自分の仕事なら仕方ねえとまで思えないんです、矢張り人間と対等とまでは行かなくともそれだけの敬意を持って接したいと思います」

「そうかその気持ちを大切にしろよ」

主従というより寅吉は友達扱いで畑蔵にいつも話すのでした。

馬を預け寅吉は珍しく一人で山手に上がりトワンテ山までの道を歩いてみました。

昼時は秋とはいえまだ暑さが残り、木立を通る風が心地よく身体を撫でてくれます。

浅間社のさらに上から見る居留地は寅吉が来てからも大きく広がりを見せ住む人間も急激に増えてきました。

イギリス病院で足りないものは無いか御用聞きまでして、谷戸橋から入りピカルディにはよらずにマックの店に行って、仕入れや売り込みの話しをしました。

「今山から此処の運気を観測したが、来年夏まではいいようだが秋から下りそうだから川沿いに店を移さないか」

「それでもいいが場所に心当たりがあるのかい」

「一時的に、倉庫と仮店舗を今の馬場の先に来年移すだけでいいから、場所は朱さんが手配してくれるよ、此処は必要最低限にしてホンの半年ほどの辛抱さ」

「また戻れるということかい、俺は別にここでなくてもいいが馬場の先ではなぁ、海岸ぺりは駄目かよ」

「36番が空くそうだがあそこでも商売になるのかい」

「そいつは好いや、ゴーンさんの近くか話を纏めようぜ、此処では本当は何軒も入っているので手狭になってきたんだ、俺が移ればベルさんも喜んでくれるさ」

「では早速にも話しをしにいこうぜ」

二人であちこち回って来春そうそうにはスミス商会を36番に移すことにしました、そしてとらやにゴーンさんウィリーそしてアルのために倉庫を馬場の東側に建てることにしました。

「マックは結婚しないのかよ」

「そういうコタさんはしないのか」

「俺はまだ22だぜいつでも出来るさ、マックはもう30だろう早くは無いぜ」

「そうだよな、俺は国に帰る予定も無いからここに住む覚悟のあるやつでないと困るからな、日本人ならもらってもいいか」

そんなやり取りをしながらも港崎で遊ぶ二人でした。

この日は岩亀楼で会う人も居たのでそちらに上がり、マックと二人で相談ごとも頼み、そして仕事についても話がまとまりました。

「コタさんや、お前さん俺たちにそんなに儲けさせてくれてもそちらに回せる仕事は半端仕事ばかりだ、すまねえな」

「よろしいのですよ、此方は大きい儲けより人が動かせる仕事が欲しいので御願いしていますから」

「それならいいが、人手ばかり掛かって儲けが少ないと番頭も心配していたから、少しは欲を描いて儲けを大きくしなよ」

「では此方の勘定は旦那持ちということぐらいで、よろしいのですがね」

「ハッハッハ、そう来たか、そいつは引き受けた、で後は弁天通りと太田町通りの話しだが全てお前さんの言うとおりに話がまとまったよ」

「ありがとう御座いました、例の火事の備えも怠りませんようにご用心ください、車屋の親方にも配下に気をつけてくださるようお頼みしましたが、気をつけてくださるそうで一安心でございます」

「後一年程という話しだが油断は大敵、火事は怖いものさ」

「はい左様で御座います、どちら様もご用心が肝要で御座います、弾左衛門様の方へもお話をして、此方の方の方たちと連絡も怠り無くさせていただいて居ります」

「あの方達も此方の屠牛場に仕事が多いので、異人と混ざって仕分けも習わせているそうだ、住まいもお前さんの手配がきいて北方で土地が割り当てられて、お奉行も安心したそうだ」

「なんといいましても、あの方たちは皮の取り扱いが上手で御座いまして、肉だけでなくこれからは馬や牛の皮の仕事が増えることと思いますので、潤うことで御座いましょう」

「いくら将軍家と同じ清和源氏といっていても、世に出るのは難しいからなぁ」

「それでもこの居留地のように全てのものが同じよう働く世のなかがきっとまいりますよ、其れがよいことかどうかは別にしましてもね」

「天子様の下での平等か、いつになるかな」

「マダマダ先のことでございますよ、世の中がどう動こうと日本の中のことは日本人の手で動かす世の中でありたいものです」

「ロッシュ公使の事かい、どうにも幕府に肩入れして反対勢力は叩き潰してしまえなど、ちと物騒な人のようだ」

「心配はイギリスが対抗して薩摩に長州と肩入れして戦争が大きくならないことを願うばかりです」

マックにも時々通訳しながら話しをして各国の公使や領事の動きに惑わされないように三人で確認を致しました。

「マックよそんなに、その膳の料理が美味いかよ」

黙々とあきずに食べるマックにあきれて声をかけると、

「そうだぜ、この魚のフライや肉を甘く柔らかく煮たやつは俺の故郷では絶対に食えない美味さだぜ、お前さんが手をつけないならおれに呉れよ」

あきれて寅吉が自分の天麩羅と東坡肉をマックに上げるのでした。

話も済んで奇麗どころが現れて新しい酒が運ばれ、賑やかになりました。

 

 ・ 火事見舞い

夜中に江戸から神田が火事になって店が火除けのため取り壊されたと連絡が入り、大急ぎで辰さんと千代に岩蔵を連れて江戸に向かいました。

日本橋を渡ったのがまだ七つ前でそれぞれに打ち合わせた場所に向かわせ、寅吉はまず養繧堂さんへ向かいました。

「こちら様ではどなた様も無事と聞いて安心致しました」

「寅吉さん横浜からもう着いたのですか、早い連絡が付いたのですね」

番頭さんは驚く速さで横浜に付いた連絡により出てきた寅吉に驚くのでした。

「兄さん、おつねさんは此方に居りますよ」

旅姿のまま庭先に回るとおつねさんとお文さんが疲れた様子も無くお茶を飲んでいました。

「火事見舞いの人に此処でお礼を言うのでつかれたよ、焼け跡に取り壊しの後を見たかい」

「通りすがりに三河町の焼けた後を見たがこちらには火がこなかったようだな」

「アアそうだよ連雀町で停まって南に移ってそこで停まったそうだ、岩さんのところは焼けなかったよ」

「詳しい話は後でゆっくりと聞くが建て直しははやいほうがいいな、前に話していた隣は借り受けられたのかよ」

「家は借り受ける事が決まったが焼けちゃしょうがないよ」

「何言ってんだ地主は養繧堂さんなんだから、大家に言って同時に立て直せば済むじゃねえか」

「金が掛かるねえ」

「しんぺえするなよ、金は虎屋がだすんだ心配することなぞねえよ」

「アアそうか、昔風に自分の懐勘定をしてしまって損したよ」

「よく言うよ、懐に入れるなんて無理なくらいの金を抱えていてよ」

「だって使っても使って使い切れやしないじゃないか、昔みたいに明日の心配が無いだけましだけどさ」

「ある金が苦労の種とは困ったこった、家の調度に金でもおごりねえ」

「無理を言いなさんな、あたいの貧乏性が簡単に取れるもんか」

どのような逆境にも相変わらず負けることの無いおつねさんは、あの安政の大地震の後の時と同じでした。

「そう決まったら落ち着いてなんか居られやしない、なにからやろうかね」

「家の後始末はどうなってる」

「ブンソウが来て由松とボンさんが全て取り仕切ると今朝話していったから今日明日には片付いているはずさ」

お文さんも付いて三人で焼け跡を見ながら連雀町にくると大家に番頭さんも来てくれていてもう地割の相談をブンソウがしていました。

「どうだい元のうちと新しい地所の分は建てられるのかい」

「ハイ番頭さんが前もって大屋さんにも話しを通してくださっていたので今度は地借りという事で話が纏まりました」

大屋さんには義士焼きの店を娘に2軒任せていることもあり今度の店のことでは進んで協力してくれて居ります。

結局表長屋3軒分の敷地を二つに分け新しい虎屋と、とらやを建て、義士焼はその奥の長屋の入り口に建てることになりました、此処は大家の娘のおはんさんが引き受けてくれることまであっという間に決まりました。

寅吉の住まいだった長屋も最近は虎屋で借りてとらやなどで働くものばかりなので建てなおしても、借り手が変わることもなく大家の勘兵衛さんは気が楽なのも有りますか「好きなように建ててやるぜ」などと言って居りますが何長屋などどんなに気張っても高が知れて居ります。

間口四間奥行き土間一間半で座敷8畳として新しく立て直す家は、裏に回るのにはこの土間から4尺の通路が座敷の脇から抜けておりましたここから部屋の隅に腰掛けて品定めをされるのは常連さんです。

表座敷の奥に大きく広げた台所と食事所が付き横手におつね母さんの居間がありここが8畳間、其処に小さな庭が付いて路地で裏の寅吉の家と表の道に出られました、2階に6畳2間と4畳半があり、同じ作りのとらやが隣にも作られます。

長屋は北東側に入り口2畳の土間は流しも付いています。

下に6畳間と四畳半、廊下があって厠と反対に階段が付き2階に4畳半この作りの家を三軒長屋で二棟、それぞれ住み易く改造して、店員が使いました。

其処までの設計が済んで寅吉は火事見舞いのお礼に回ることにしました。

淀屋さんに行くと番頭さんが「コタさん、かつ弥さん達が横浜に遊びにいく話しを聞いていますかい」

「イエ火事騒ぎでまだ福井町に顔を出しておりませんので、存じませんが」

「うちの旦那の招待で芸者衆を6人選んで、後の月見に横浜に出かけますのさ、その中にかつ弥さんも入っているそうですよ」

「そうですかあの娘は横浜がお気に入りのようですから、大喜びでしょう」

「オヤオヤ、何で横浜が好きなのかご存じない」

「ハァ其れはどういうことでしょう」

「困ったお人だ、よく考えておくんなさいよ」

寅吉はそう言われても思い当たる事が無く淀屋さんを後にして浅草の知り合いを回って歩くのでした。

先月の十五夜に会ったとき口を吸い、互いに好きだということは確認しましたが、それだから横浜が好きという事にはつながるとは思いも付かないようでした。

新門の親方は慶喜様に従って京に上がり火消しのほうは仁助さんや知造さんが仕切りお春さんが一蝶師匠の後見で奥山の面倒を見ています。

留守宅に挨拶をしてから一蝶さんを尋ねて暫く話して神田に戻り、佐久間町で用意した宿に今晩も泊まることにしました。

その晩は横浜から来たものも集まってそれぞれの家の話しをして夜遅くまで岩蔵に神田の見取り図を見せて此れからの方策などを話しました。

神田の店の建て直しはブンソウと岩蔵が責任を持ってみることになり、由松が金の相談に横浜に戻る寅吉について参りました。

辰さんだけは江戸に暫く残り淀屋さんの一行と横浜に戻ってきます。

急遽横浜から取り寄せたポンプの扱いを、教えてくることにしたためです。

水さえあれば竜吐水よりも五間は遠くまで水が届くという優れものです。

野毛に各会計責任者が集まり、今度の建物はとらや、虎屋だけでなく佐久間町も含めた横浜物産会社も共同出資した建物にすることを話して、会計の分担金の割合を任せました、寅吉とは関係なく皆で話し合いをして分担金の割合もすんなりと纏まったようです。

7日の日には江戸に戻る由松について各会計責任者も江戸見物がてら付いてゆかせました、新しい店の地割などその眼で見て横浜の此れからの参考にさせるためです。

その日プリュインさんから呼ばれてコマーシャルホテルで夕食を一緒にとる事になりました。

「後半年ほどで交代要員が来るので俺はニューヨークに戻ることになったよ、それであとのことは新しい公使が付いたらまたそのときに紹介するが、従兄弟が南部に見切りをつけてこっちに来たいと連絡が来たんだ、小さな農場で乳牛を飼育していたが戦争のあおりで財産もなくしてそれこそ渡航費用まで借り受けての日本での再出発になるそうだ、例の牧場をやらせてもいいがこちらに来なくてはやるかどうかも解らんからな」

「左様ですかご帰国時期と重なっては仕事も見つけるのが大変でしょう、ぜひお力添えをさせていただきます」

「頼むよ、気のいいやつだが少し人見知りが強くて気が弱いという厄介なやつだが、こっちに来るくらいだから少しは良くなっているんだろうと思うんだ」

「わかりました船が着きましたらご連絡ください」

ピカルディの権利はこの際全てをマックに変更しておくということでしたし、スネル兄弟にやらせていた牧場は寅吉に従兄弟が来るまでは面倒を見てくれるように頼むのでした。

後は孤児たちの話や各国の公使の噂話などをして食事を楽しみました。

来年赴任予定の公使はヴァルケンバーグさんと言われるそうですが少し気難しい頑固親父と言う噂だそうだということも教えていただきました。

帰り際に「どうもいかんなぁ、ロッシュ公使は幕府に肩入れしすぎている、パークス公使がその反対の行動に突き進む可能性が出てきたぞ、早く長州と和解しないとこの国のためにならんぞ」

そう教えてくれて注意を促すのでした。

パークス公使の事が氷解しても新たな脅威が迫っているようでした、甘い話というのは怖いという事がここに潜んでいたようです。

日本のため幕府のためと盛んに文明の推進をしてくれているのが、よい方向にだけ作用しないとは困ったことで御座いました。

 

 ・ 牧場

明日は十三夜といってもグレゴリオ暦ではもう11月、夜はだいぶ冷えてまいりました。

予定では淀屋さん達の一行が昨日は大師様へお参りして、今朝川崎を立っての遊山旅で、昼には横浜に到着予定だそうです。

桜花亭が全てを取り仕切り、今日明日と泊まって明後日には江戸に戻るということで御座いました。

此処のところプリュインさんは副業の商館の後始末などに忙しく動き回っています、本国に帰れば弁護士の仕事が待っていますが、ここで行った商売を引きずることはせずにあっさりと始末して帰国するそうです。

スネル兄弟は牧場よりもプリュインさんの商売を引き継ぎたい様子で、その打ち合わせなど忙しく行き来して居ります。

留吉さんがその間二人の若者と牛乳を搾ったりと忙しく働いて居り、今は十一頭の親牛と3頭の仔牛が居てさらに二頭が年内に生まれる予定でした。

此処は新しく倉庫を共同で作る場所にも近く馬場にも近いので寅吉も何度も訪れて留吉さんとは親しくなって居りました。

「寅吉の旦那、此処はどうなってしまうのでしょうね、プリュインさんが帰国すれば閉鎖でしょうか」

「そうではないよ、俺が暫く面倒見るようになるかもしれないが、もし閉鎖となってもどこかで自分で牧場を開きなよ、此処では需要も多いし最近は日本人でも肉も食うやつが多いし乳も飲むようになってきたじゃねえか」

「でもそんな金を造る当てなどありぁしませんよ」

「心配するなよ光吉とは知り合いなんだろう、俺のほうでどうにか為るだけの物は融通してやるから此処の様子を見て独立してもいいじゃねえか」

「本当にそうしていただけるなら、太田町に牧場に適した場所が300坪ほどあるのですが、話を聞いていただけますか」

「良いとも、どの辺りなのだよ」

「八丁目の埋め立てが済んだばかりのところですが、まだ人家も無いので今のうちなら借り易いのですが」

「アア掘割のところ辺りなら先に手を打って置いてやるよ、此処が駄目になったら其処に移りなよ」

「後、肝心の牛なのですが、プリュインさんのジャージー牛やホルスタインのようなのは手に入りません」

「博労にも知り合いが居るからそのときには日本の牛も揃えてやるよ、それに今から生まれた仔牛を買い取っておけば困ることは無いぜ、プリュインさんには話しをつけておいてやるよ、とりあえず今の仔牛は雌だからちょうどいいじゃねえか」

「そうしていただけると安心して此処で働く意欲がわいてきました」

「頑張ってくれよ、今はプリュインさんの好意で孤児たちのmilkも心配ないが此処が無くなったりしては此方も困るんだ、だから頼んだぜ」

「ハイ一生懸命に乳を搾ってお困りしないように毎日お届けいたします、旦那は肉料理が好きなようですが、例のモツの煮込みの伊勢熊は行きなさいますか」

「俺はまだ入った事が無いが大層流行っているそうだ、丸高屋さんの者の話では仕入れがまにあわねえさうだといっていたよ」

「あそこの親父が此処にも来て肉用の牛は飼わないのかと聞いてましたぜ」

「肉牛は北方でたのんで飼ってはいるが、まだ売り出すほどの数がいねえよ、大坂から船で連れてくるので月2頭くらいしか運べねんだよ、ジラールの分は着くとすぐ解体して氷室に入れたりホテルで出したりするしなぁ、臓物も行き先が決まってるので、伊勢熊の親父まではとてもまわらねえよ」

「最近肉料理がはやって牛に豚にと盛んですが、入舟町に太田町それと末吉町まで盛んに店が出ています」

「牛の臓物は割合手に入るが、豚のほうはシナ人と取りっこで大変らしいと聞いた事があるぜ」

そんな町の話しを春たちを交えて3人で話しているうちに10時頃に千代が探しに来て「大鳥様がお目にかかりたいといっておられます」

「それで何処にいるんだい」

「前にお住まいになっていた家に、もうお一人お連れでお待ちになっていやす」

留吉さんと別れ前田橋から一丁目の家に向かいました。

何度かヘボン先生のところでもお目にかかって居る嘉兵衛さんといわれる40代の壮年のお方でした、氷のことで何度か相談を受けた事があります。

「すまんな、実は嘉兵衛さんとヘボン先生に頼まれて氷のことで相談があるんだ、今年のボストン氷は値段が高くてどうにも大変らしい、この人が富士やあちこちから集めてはいるが数が揃いそうも無いそうだ、此方の氷室のを別けてくれないか」

「お急ぎですか、もし10日お待ちいただけるなら大八に満載にしてお届けできますが」

「オイオイコタさん脅かすなよ、夏をこした今どこをどうすればそんなにあると言うんだ、ヘボン先生やこの人が苦労してるのにどうやった」

「蝦夷地の氷を仙台の氷室に預けてあります、其処からほれ対岸の安房の小湊や木更津にも氷室を確保してあります」

「それほどの氷を夏にも溶かさず確保しなさるにはわけがおありでしょうか」

嘉兵衛さんは富士からでも、冬に横浜まで来るのに半分になる苦労をしていますようで大分しつこく聞きますので話すことにしました。

「屠牛場の関係で、弾左衛門さんのほうからも頼まれて肉を日持ちさせるためにも数を集めて居りますし、後はチーズの倉庫の温度調節にも使って居ります」

「その氷売り出せば大もうけは確実だろう」

「本当ですよボストン氷など二貫目ほどで今年は三両もしました」

「それなら手間を考えれば安いくらいでしょう、私のほうでも各地の氷室の管理を頼むので十貫目で七両は掛かります、安くするには蝦夷地からじかに横浜に船で千貫以上運ばないと無駄になります、この間計算を出させましたら二万貫を切り出して船をたのんでも十貫目で三両と出ました」

「その話、わたしにやらせてもらえないでしょうか、こちら様にはご迷惑で御座いましょうがよろしく御願いいたします」

「俺のほうでは氷として売り出す予定は無いから、自由にやってかまわねえよ、俺のほうは淀屋さんという廻船問屋さんでたのんでやってもらっているからよ、函館辺りに伝があれば大きな池で冬に切り出すことだよ、それで今日はどのくらい必要です」

「半日ごとに二貫目ずつ10日の間、手に入るなら早急に御願いいたしたいのですが」

「良いだろう四貫目で日に三両出してくれますか」

「承知しましたそれでもボストン氷の半分で住みます、助かりますヘボン先生のところに届けていただけますか」

「千代よう急いで植木場に行ってくれ、善三さんか源さんに言って氷室からヘボン先生のところに朝昼夜と日に三回二貫目ずつ届けさせてくれ」

千代が急いで地蔵坂まで出かけたので三人で氷が届くまでの間は暫くあるので話しを続けて居ります。

「嘉兵衛さん大鳥様氷は溶けますから、そのくらいないとすぐなくなってしまいます、壱回分は私のサービスで御座いますよ、しかし安くしても日に三両の負担までして必要とは穏やかでは有りませんな」

「今は秘密ゆえ話せぬが勘弁してくれ」

「なにを言われます、ちと好奇心がうずいただけでございますよ、此処のものも外でもらすようなことはありませんからご心配なく」

「それでほかでもないがこの男が肉屋を始めたいというのだが、いい場所に心当たりは無いか、というのもこの辺りに目をつけてお前さんのところに来たんだよ」

「肉の販売ですか、料理屋ですか」

「両方を兼ねて始めたいのですがね、イギリス軍の調達を引き受けられそうなので、この辺りが便利なのでよろしくお引き回しを御願いしたいのです」

「それなら此処を改造して通りの塀を壊して庭の半分を肉屋にして残りを入り口として庭を通り抜けるようにすれば高級感が出るんじゃ有りませんか」

「この家で御座いますか、わたしにこんな大きな家は買いきれませんよ」

「大鳥様に前は貸していたんだ、今度は嘉兵衛さんに貸しておけばそれで同じさ」

「それで月いくらで貸すよ」

大鳥様も興味があるか話に入ってきました。

「そうですねえ、月に参両出せれば店のほうと庭も造って御貸しいたしますよ」

「其れは助かります、資金が掛からずに店さえ開ければ後は商売で取り返しますので御願いたします、いつごろから営業できるでしょうか」

「そうさな明日あさってと棟梁を交えて話し合えば、一月と掛からずに始められるよ、部屋はこのままで良いだろうから調理場をどうするかだけだな、明日の昼にここに来てくれますか、店を洋風にするか日本風にするか其れまでに考えて置いてくださいよ、master carpenterのワトソンさんにも来て貰うからどちらでも思いのままでサァ」

二人はヘボン先生のところに氷のことも含めて話しをしに戻り、寅吉は千代が戻るまで寝転んでいることにしました。

千代が戻り「ヘボン先生のところに届けてまいりました、先生も大層喜ばれて先に参拾両頂いてきました、其れから氷室は後弐百貫をきるそうですので補充を指示してまいりました」

小判で30両風呂敷からだしますので「よし其れでいいぜ、金はお前少し持っていてくれ」といつもの振り分けにしまわせて春もつれて三人でマックが改築中の36番の商館に向かいました、陳君も来ていて内装の監督をしていました。

「どうだい」

「ハイこの分なら来月には引っ越してこられます、住まいはその後になるそうなので暫くは通うことになりそうです」

「そうかい、それでマックは今何処にいる」

「ウォルシュ・ホール商会でお茶をして居られると思いますがご用ですか」

「いやいいんだ、俺はこれから弁天町を回って野毛に帰るだけなので暇だからよ、それだけのことさ」居留地の人間は気が早く来年という話も、店が開けるなら一日も早くと大工をせかしています。

そのまま道沿いに運上所を抜けてから人ごみを避けてバンドに出ました。

本町通りに曲がるとそこで騒いでいる水兵に出会いました「あいつら昼から酒に寄って騒いでいますぜ」千代が酒に酔ったらしく千鳥足の水兵を指差して寅吉に知らせます。

寅吉が見ると囲まれているのは芸者らしき3人連れ、思わずすっと小走りに中に入り込み英吉利水兵と見ると「Don't make noise here. The honor of a country falls」と出来るだけ大きな声で言いますと、そのうちの一人が寅吉に何度か品物を買ってもらったJimmieでしたので「Can it be explained?」と聞くと「すまんこいつらが芸者を見て港崎にいこうとしつこく言うので留めていたんだ」

「では説明してやってくださいこの人たちは江戸から見物に来たので港崎の芸者とは違うのですよ」

仲間の水兵に話す間も無く脇からかけてきた勢いでいきなり殴り掛かる短気者がいました。

Jimmieが留める間もないくらい素早く寅吉に投げ飛ばされ勢い余って群衆の中まで飛んでいき、どうされたかもわからずまたも殴りかかってきました。

拳闘でも習っているのかジャブをしきりに出してきます。

見物人は寅吉に声援を送るのでJimmieが止めてもその手を振りきり盛んにジャブとストレートを繰り返し出してきます。

寅吉が体を入れ替えざま、すみ落としを決めると同時くらいに馬車の上から大声で叫ぶ声が聞こえました。

What is the matter?けしからんこんなところで喧嘩とは何処のだれだ」

Admiralゴーマーだ」

蜘蛛の子を散らすようにさっと消え去る水兵たちでした、寅吉の後ろでかつ弥たち3人が「ざまぁ見ろ、だらしがねえ」など威勢のよい声で叫んでいるのを無視して寅吉はゴーマーさんのところに挨拶に行きました。

「いつ此方へ、上海はいかがでしたか」

「オオコタさんか見たところうちの水兵ようだが何事もなくてよかった」

「イエイエあれはフランスの兵で御座いますよ」

「そうかなわしの目が悪くなったか、マァそれでもご婦人方に詫を言わせてもらおう」

3人にゴーマーさんを引き合わせ「イギリスのAdmiralゴーマーさんだよ」

「此方は江戸のかつ弥、珠吉それとコノコはしらねえな」

「あたいは小春」

「そうか小春さんか、ゴーマーさんsmall springだそうです」

「ハッハッハ、small springね気に入りました」と手を出して握手をしようとしますと小春は驚いて後ずさりするのでかつ弥が「挨拶だよ外人は手を握って挨拶すんだよ」そういって握手してみせて小春にもさせました。

ゴーマーさんが寅吉に一礼して馬車で走り去ると見物人も潮が引くようにいなくなりました。

「駄目だなぁ、案内人もつけずに奇麗どころだけで出歩いちゃいけねえよ」

「淀屋さんの人が来ていたんだけど、忘れ物をとりに引き返した直後でさ」

「そうか気をつけなよ、今日みたいなことはめったにないが船が着いてやっと上陸できた水兵は酒と女がなにをともあれお目当てだからよ」

其処へ手代の治兵衛さんがすっ飛んできました。

「よかったコタさんもいられましたか、水兵が芸者と喧嘩して投げ飛ばされたなんて話ながら行き交う人がいたので肝を冷やしてすっ飛んできました何事もなくてよかったです」

「後でこの人たちから聞いてくださいよ、私達は仕事があるので先に行かせていただきます」そういう寅吉の袖をかつ弥がしっかと握って離しません。

「どうしたよ、この人たちと見物が有るんだろう」

「コタさんが案内してくださいよ」

「俺たちは仕事だといったろう」

「イヤ、ねぇ千代さん仕事なんていってコタさんは逃げることばかり考えてる、いかなくても済む仕事でしょ」

「旦那、かつ弥さんがそういうんだ諦めて一緒に回ってあげなさいよ」

「そうです寅吉さんが一緒ならこんなに心強いことはありません」

「仕方ねえな、その振り分けを寄越しな、おめえ達は野毛で待ってろよ」

「へえそういたします」寅吉に挨拶もそこそこに千代と春はさっさと退散してしまいました。

寅吉とかつ弥が先頭で後ろに3人という並びでバンドを散歩してから太田町まで歩き入舟町では伊勢熊が明るいうちからもう人で一杯の様子を見てから桜花亭までおくりました。

「明日の十三夜待ちはこっちに来てくれますよね」

「アア少し遅くはなるが月が出るまでには必ず来るよ」

かつ弥はいつに似ず寅吉から離れがたい様子でした。

 

 ・ 栗名月

後の月見といってもこの年は閏がありふだんの年よりも大分に寒い日でした。

朝も6時頃日が出ても寒く夜の寒さが気になる寅吉でした。

お昼時に元町で嘉兵衛さんと待ち合わせ丸高屋さんから来た棟梁とワトソンさんと店の構えと庭の動かし方、木の配置など細かく打ち合わせて予算は気にせずにとにかくよい材料で造ってもらうことにしました。

肉用の保存はそれぞれが知恵を出して茶箱をヒントを得て中に簀をひいて氷を置き中にもうひとつ箱を入れるように造ることにしました。

アイスキャンディが食べたくなると寅吉は一人で小豆と牛乳で造っています、これは秘密のことでキャンディを食べた人は坂本さんと勝先生の二人だけです、奥様も岩さんまでにもまだ秘密の食べ物でしたがアイスクリームは年に何度かは道具を持参してお食べいただきました、昨年ピカルディの寅吉の住まいの二階に秘密部屋を作り最新式の実験道具を輸入しておいてあります。

元町からジラールの店に出てお茶をご馳走になりながら氷の話で盛り上がりました、アルと話しをしているのは機械製氷ですが機械は取り寄せましたが300両も掛かった上動かすのも大変で実用には向かず夏に困った時に動かすしか用のないものでした。

「まいったぜとんだ物入りだったな、あれではおもちゃ位のもんで売るだけの氷を作るには10倍は無くちゃどうにもならんぜ」

「コタさんは新しいものにすぐ飛びつくからだよ、もう少し慎重にしないといけないです」

「そうだな新しい機械があると聞くと欲しくなるなんざぁ子供と同じだ、しかしあのアイスクリームメーカーはいいだろう」

「あれはいいな、スジャンヌもあれだけはいいもんだとべた褒めだよ」

「なんだよ、あれだけなんてひでぇじゃねえか、リズレーのところより美味いアイスクリームが作れて安上がりと来ちゃ褒めても当たり前さ」

千代は機械好きが講じて秘密部屋にこもる寅吉を内の旦那の遊びと心得ていますので、こんな話のときは遠慮なく口を出して寅吉を冷やかします。

「旦那が機械いじりをやらなければ金の使い道に困ってなにを始めるやらそっちのほうが心配でやすよ」

「馬鹿あいうなよ、毎日機械とあそんじゃいめえし、あそこにこもったからといってそう珍奇なことに時間を使っちゃいねえよ」

「しかし機械氷が大量に出来れば氷室の小さいやつで、肉や飲み物を冷やせるから便利です」

「そうだよな家に小さな氷室のようなものを置ければ傷みも少ないから新鮮なものが食えるな」

「また旦那の食い気が始まった」千代と辰さんが大笑いでアルと騒いでいます。

「チェツ俺の食い気のせいで義士焼きもピカルディも商売になってるんだ、今度は蕎麦屋も作るから後は鰻屋とでも思ってるんだろうがそうはいかねえよ」

「なにを始めるんだよ、芸者屋でも始めるかい」

「オット、アルの旦那そいつはもう一軒やっていますぜ、旦那が影の金主ですがね」

「前に見たあの可愛い子達かい」

「そうそう、かつ弥さんときみ香さん達ですよ」

「ではなにをやりますか」

「義士焼きも少し先が見えてきたからお怜さんに話しているんだが、女たちを辞めさせねえで料亭でも始めさせようかと考えてそれとなく話しを進めてるよ」

「どの辺りを考えているんだい」

「太田新田の埋め立てが終われば内海の埋め立ても始めるだろうからその辺りを三軒ほど始められるように今から運動しているのさ」

「大分先のようだね」

「そうだね、あと一年では無理だろうが早く話しをしておけばその回りに同じような店を出そうと考えるやつも出るだろうさ」

「パン屋は増やさないのかい」

「それも考えているんだが手を増やしても同じような製品が作りにくいしな、兵吉や五左衛門さんが独立するなら、20番の義士焼を閉めて職人を分けてもと考えているがあいつら今はまだ早いですと抜かしやがる」

「いい人たちじゃ有りませんか、元造さんはどうなさるのです」

「そうなんだよいいやつ等なんだが独立して自分の味にしようというところまでは自信がねえらしい、元造にはパルメスさんが国に戻るなら20番をこのままあと二年もいてくれるなら元町に竈を造って任せようと考えて、お前とパルメスさんで話して決めるように言ってあるよ」

夕暮れが迫り寅吉たちは桜花亭に行く前に野毛で風呂に入り着替えてからしばらく話しをして明日の打ち合わせも済ませました。

寅吉たち5人が桜花亭に着くのを待っていたように宴席が始まり、淀屋さんがおどけてお酒を注いで回ります。

「旦那其れは私たちがいたします」たか吉やかつ弥が言っても、「お前さん達は私のお客だから今日は此方が接待さ」

年とともにひょうきんさが増してきてさらに貫禄がついたと評判が高まる淀屋さんでした。

月も出て明るく港を照らし、ここから見るとその下の大船も幻想的に浮かんでいます。

「コタさんや、今晩は返しませんから覚悟してのんでくださいよ」

何度も何度も注ぎにきては寅吉を酔い潰さんとばかりに飲ませる淀屋さんは自分は一滴も飲めないのでした。

「さあさ番頭さんや今日はお客様に普段の芸事をご披露ご披露」

店の手代番頭にも接待接待と煽って騒ぐのでした。

夜も更け虎屋のもの達は先に帰り淀屋さんと番頭さんに寅吉、かつ弥たか吉の5人が広間に残り「コタさんやたか吉が私の孫ということは承知だろうが、この子には芸者が性に会ってるらしく嫁に行くより芸者屋の女将がよいなどといって困らせるんだ、今のご時世どう転んでも芸者を呼んで騒ぐ人も少ないしあんまり感心しないんだが何かよい手はないだろうか」

「旦那だから申し上げますが、柳橋芳町は今より盛んになることは無いかもしれません、しかし深川、新橋という今は火の消えた場所に遠からず大きな遊び場が出来て盛んになると思います、私も新橋に芸者屋を開くものがいれば後押しをしてもよいと考えています」

「新橋なぁ、そうか西国がらみか、品川は同なんだ」

「あそこは今までのしがらみが多く新規のものは辛い土地になるでしょう、人の一生のうちで済むなら此処横浜もいいところですが浮き沈みの波が大きいと存じます」

「たか吉お前おふくろに言って新橋に伝を造っておきなよ、かつ弥さんはどうさせる気なんだいコタさんお前だってこの子に責任が有るだろうよ」

「かつ弥は好きでなった芸者ですから、おきわさんが後見でやっていますから何処で出てもそれほど辛いことにはならんでしょう」

「なんていうかなそういうことでなくて」

「旦那さま、コタさんにそういう話は通じやしませんよ」

たか吉に言われて寅吉はさらに何の話なのかよく判らないことになったようです。

「旦那あっしはもうよいが回っていけやせん、仲居に行って部屋に引き取らせてくださいよ」

「そうかい、マァ今夜はこのくらいにしておこう、かつ弥コタさんの部屋は知ってるだろうから案内しておくれ」

二人で離れに引き取らせ「やれやれコタさんはどうなってるんだ、かつ弥がアンナ眼で見てもなんとも感じないなど可笑しいじゃないか、あれで千代達に聞くといい仲のが5人くらいいそうだなんて話が違いすぎるぜ」

「旦那様それでも二人で部屋に送り込めばいくら堅物のコタさんだって気がつきますよ」

「しかしたか吉は其れでいいのかよ、お前だってコタさんにまんざらじゃないんだろうに」

「だってあたしより先にかつ弥姐さんと知り合いだったんだし、姐さんの話だと始めてあったときから他人の気がしないなんて聞かせられているのですもの、あたしがもらうなんぞいえるものじゃありませんわ」

寅吉とかつ弥が部屋でなにを話したか、其れは他の者は知りません、十三夜の月が夜更けに雲の中に隠れたのは気を利かせたのでしょうか。

 

 ・ 勅許

坂本さんからじかに頼まれたと口頭で連絡が来ました、内容は下関で集めた情報の知らせと最新式の武器についての情報が欲しいとのことでしたので、幸吉と共に二人の人間に大坂まで出向かせ坂本さんとの連絡をつけることになりました。

英仏米蘭、四カ国の公使が打ち揃い、9隻の軍艦に分乗して横浜を出て行ったのは兵庫開港についてと、もろもろの幕府との交渉を将軍家の居られる大阪でじかに行うという目的のようでした。

プリュインさんは動かず代理公使としてポートマンさんが出向きました。

後でわかったことですが、このように政局は混乱してめまぐるしく変わっていました。

9月16日 徳川家茂公が京に入り長州征伐の勅許を乞われました。

9月21日 長州再征の勅許が降りました。

9月22日 徳川家茂公は参内して勅許を賜りました。

9月24日 坂本さん西郷さんが京をはなれました。

9月27日 横須賀製鉄所起工されました。

10月1日 将軍徳川家茂公は朝廷に条約勅許と兵庫開港を願い出ます。

10月2日 将軍徳川家茂公は将軍職の辞表を提出します。

10月5日 長崎・横浜・箱館の開港勅許が降りました。

また幕府に対し条約改正の勅命が出される。 これは慶喜公が朝廷に対しての工作が実った結果といわれ後々反幕府勢力からの攻撃の材料とされました。

そして安部公松前公のお二人は罷免されました。

10月6日 幕府は3港開港勅許と条約改正の勅命について、4ヶ国の公使に通知がなされました。

相変わらず長州征伐は害こそあれ利無しと言う意見を無視しての勅許は、幕府を見限る有力大名を増やすことになってしまいました。

龍馬さんは危ない中神出鬼没で大坂にも京にも現れているそうで、薩摩と長州の間を取り持つ努力を続けておられます。

朔日の朝にはそのようなこともまだ知るよしも無く、寅吉は新しく働くことになった人たちを訪ねて馬で回りました。

根岸の競馬場の近く台地の上に5000坪余の土地が借り受けられ乳牛のための繁殖牧場と馬のための牧場を作り始めたのは5月ごろで、馬の牧場はこの春に英国から調教の仕方を教えに来てくれたGuyHawkins(ガイ・ホーキンズ)という若者が主任で住まいは居留地に用意しましたが此処にも寝泊まりが出来る部屋も用意して有ります。

妹のAdaHawkinsも来日しています、エイダと言うこの少女はこの年17歳になったばかりということで、この春からピカルディで働いていますが、兄と違い馬に乗ったことが無いと言うことです。

そして畑蔵がリューセーと共に移って来ました、牧童に 治助、小吉、準之助の3人を雇い入れました。

畑蔵は賢くて日常会話に困ることはないようですし、ハンナや寅吉が早朝にガイと共に来る事が多くそのときに連絡事項などは話し合うので困ることは少ないのでした。

公使が国へ帰るときには乗馬用の三頭を此処へ置いていって呉れるそうなので今は石川村においてある六頭と此処の五頭でいまは楽な管理のようで御座います。

乳牛用の牧場はイギリスからジャージー種の牡と繁殖用に雌牛を三頭買い入れました、なんとトマスが言うには破格のサービス値段だといいますが1200ポンドも取られてしまいました、三千両なんと恐ろしい値段だろうと皆が驚く中での買い入れでした、留吉さんの同僚の海造という若者がこちらに来てくれましたので彼が主任で後は近在の農家から土地を提供してくれた光次郎さんと、おかみさんのおすみさんが手伝いに来てくれます。

シュネル兄弟も公使の仕事の引き継ぎの口を聞いてやった替わりに、暫く管理の方法などを教えに来てくれますし、弾左衛門さんのところから交配の時期などの指導に権伝という老人が毎日出向いてくれています。

ウィリーやアルのためもありますが肉牛のための牧場が手狭になり、そちらも北方と千代崎に新しく立て直しました、それでもやっと12頭の仔牛を集めたのみで御座いました管理にそれぞれ3人の人間が働いています。

肉牛の繁殖は坂本さんやタアさんが国許で引き受け手を見つけてくれたので、年に16頭ほどは入ることになりました。

豚は藤吉さんが蒔田の近くで飼ってくれる人を集めてくれました。

「なんだコタよ、おめえすっかり博労になった見てえじゃねえか」

横浜においでになった、備中守様と遠乗りのとき、作りかけの牧場を見てもらったときにそういわれる始末で御座いました。

204番によって二人のマドモアゼルに挨拶をした時に備中守さまが「今は出先で少ないが寄付をさせてください」とおっしゃり持ち合わせの全額それでも20両ほどでしょうか「殿様といってもコタさんと違い自分の金を持たせて呉れぬのでこれだけで勘弁してくだされ」

通訳すると「なにをお言いになられます、神様はそのような金額の多少など気になさいません、そのお気持ちが大切で御座います、ありがたく使わせていただきます、神様のお助けがあなた様にもありますように」

お二人は本当に天使のように幼子に好かれて居りました。

牧場ではガイが畑蔵にリューセーの鞍をつける練習をさせて居りました。

まだ人を乗せるには早いそうで外の馬にも鞍をつけて坂道で歩かせるところから教えて居ります。

「競馬場を見てきたが小さいから馬の足に負担が大きそうだ、大きな馬には不向きだな」ガイが言うようにほぼ1マイルの周回コースが形作られています、この牧場から谷を挟んだ向かいに作られている馬場はそれでも日本においては最大の馬場であることは間違いないでしょう。

今ある居留地の馬場は650間の円形馬場でそれから比べると此処は内周で827間あるそうです。

「この分なら後一年しないうちにレースが出来るだろう、ガイは自分でレースに出るかよ」

「いや私には調教はできても体が重いからハンナか畑蔵くらいの体重のほうがいいだろう、今は子供でもあと3年もすれば力も附くし、駆け引きも出来るだろう」

「そうかリューセーはあと2年くらいレースに出せないだろうからどの馬がいい」

「母馬は系統もいいが例の公使の馬と交配しなければいけないんでしょ」

「仕方ねえよパークス公使が奉行所にまで手を回してきちゃ断りきれねえしな、系統もUncle Nedはダービー馬のBeadsmanの異母兄だそうだからな、トマスも断ることなど無理なことさ、しかし生まれた子を呉にはまいったぜ」

「いいじゃないですか、トマスの代理人ということで競馬場の出入りが自由に出来るんでしょう、馬はまた作れますが後押しがパークスさんとサトウさんなら文句は出ないでしょう」

「そういうこったな、交配時期は冬でいいのかい、ガイが付けている日誌はグレゴリオ暦だろうから来年の2月、後3ヶ月くらい先でいいのかな」

「この辺りは俺の生まれたスコットランドより暖かいからあと2ヶ月もすれば十分だろう、リューセーは今10ヶ月目だろうからそんなところだろうな」

「公使の話だとUncle Ned Legendary Golden Horse の子孫だそうだがそんな事があるのかい」

「アア聞いた事がある中国に伝えられた赤い汗をかく馬の血が混ざった馬がいるらしいと」

「汗血馬という伝説の馬の子孫か、そういえばパークス公使は中国に長くいたからな、その関係かな」

「そうかもしれませんよ、ダービー馬の兄といっても年齢が登録されていないから正確にはわからないというのもその辺の絡みかもしれませんね、でも十才位かも知れませんね、十一才以上ではないでしょう」

「備前守様が呉れた烈風はマイルまでなら速そうだが、後サトウから預かったドラゴンは小回りがきいて良いかも知れませんよ」

「そうかい、あと一年は余裕があるだろうから馬も人間も鍛えてくれ、頼んだぜ」

外のものにも声をかけて牧場を出て谷あいの道をたどり乳牛場にも寄りました。

「旦那この牛たちの乳は濃くて味がよいと、ミス・ノエルが褒めていましたぜ」

海造が嬉しそうに話かけてきました。

広い牧場はいくつかに別けられ牡牛は一頭だけ隔離させられていて隣にはヤギが三頭放されています、此方のメスからも乳が搾られて矢張り孤児たちの飲むために届けられているほか、近在から乳の出の悪い人が別けてもらいに来るので、寅吉は野菜などと交換してよいと云う事にしています。

ここでも留吉の独立についての話をしてプリュインさんのいとこが来てからの話だが、牧場を引き継がなければそのままあそこで留吉が続けるか、錠吉がやってもいいだろうという話しをしました。

「その錠吉ですが、この間女のことで相談を受けたのですが、牛の世話をしてくれる女でないと嫁に来てくれてもどうにもならんが嫌がるものが多くて母親が止めて呉と言うので困っているそうです」

「そうなのか、其れはしらなかった、今度よく話しを聞いてみるよ」

寅吉はそう約束して石川村で馬を預けて、畑蔵はよく働いていると小助爺さんに話して与助のかみさんにさっきの錠吉の話しをしてみました。

与助たちの子は十才と六才三才になり、すべて女の子で上の子は馬の世話もよく見てくれますので彼女たちの後々のこともあったので、心当たりがあれば知らせてくれるように伝えておきました。

  
   

 ・ 黒幕

トマスが馬と共に横浜にやってきました。

幕府に機関車を献上するための話と商売が目的でした。

Rappareeと呼ばれる7歳の黒鹿毛の牡馬はリューセーの父親です、前年秋に持ち込み馬(Meteorを受胎)のPardaloteと共に長崎についてトマスが自分の乗馬用に手元に置いていたのですが、支店まで連絡に訪れた太四郎から今回の経緯を聞き、競馬も開催されるならこの馬を走らせたらどうかと連れてきました。 

牧場のオーナーは寅吉ですが競馬会が結成された時はマックの名前で登録することにパークス公使がWH・スミス氏に話して呉れています、寅吉はグラバーの代理人という資格で競馬場への出入りは出来ますが話を纏めているスミス氏が「誰か馬の持ち主登録をしてくれる人を決めたほうがよい」と忠告してくれたためです。

ブキャナンさんはハンナと二人でべつに登録すると教えてくれました、噂で「持ち主が直接馬に乗れ」というものがいて大分強硬らしいので予防措置だという話です。

マックは大柄ですが馬の扱いは上手ですし、Rappareeは力のある馬なので居留地にいる在来馬やシナからの馬に負けるとは思えませんが、競馬はその日のConditionに左右されますしカーブのきつい馬場では足への負担が大きく馬をつぶさないためには無理をしてまでスピードをださせるわけにいかないのでした。

トマスと例の部屋で秘密の話を致しました。

幕府の先行きが危ないこと「トマスは聞いているだろうが坂本さん達の仲介で薩摩と長州が手を結べば西国の多くの大名は慶喜公に逆らって今度の戦に積極的に動かんぞ、いくら勅許が出ても将軍家が号令を出しても黒幕は慶喜公と思われているから天子の命令と信じてはもらえないだろう」

「なぜそうなるのだ」

「其れは長州寄りの公家があちこちに手紙を出したり、京にいる志士という者にそう話すからだよ、天子は幕府に脅されて仕方なくそういう命令を出したという風にさ」

「それじゃ本当は天子が直接長州を叩けと命令したのは本当なのか」

「そうさ、しかし日本ではそういう風に人は思わないのさ、昔の幕府が力で脅して朝廷に無礼な振る舞いをしたという記憶だけが残っていて、天子と将軍家が協力してるという風には思えないのさ」

「それじゃ伊藤や坂本はなぜ幕府を倒そうというのだよ」

「それわな、今の将軍の下に老中と政治参与のような役職があるからいけねえのさ、慶喜公がただの老中として政治に参与してるならいいが今のように将軍家を動かすような体制にしたままでは国の行く末が成り建たんという事さ」

「それで幕府を倒した後はどうなる」

「今すぐ倒れると内乱は避けられんが、あと2年持てば西国の諸大名対北国の大名の争いになるだろうから大きな内乱とまではいかないよ」

「其れがわからねえよ、アメリカみたいに二つに分かれて争うことにはならないのか」

「そう見てるのは俺だけじゃねえよ、坂本さん達は将軍家も一大名にしてしまい、天子を頭に戴いてその下でイギリスやアメリカみたいに議会を開こうとしてるのさ」

「オイオイ其れのほうが難しそうじゃないか、自分の権利を老中や将軍が簡単に手放すとは思えないぜ」

「其れがよ、今のままでは幕府に金など無いのさ、あるように見えてもホラあそこに見える砲台な、あれだって大名に金を出させて作らせたものさ、此処の防備に来ていた大名だって金など無いのさ、だから居留地の防衛は各国に任せるなどとていのよいことになってほっとしているのさ」

「そんなにひどい窮乏状態なのか、他の大名はどうなのだ」

「お前さんの国やヨーロッパの国でも教会のためなら財産をつぎ込む人間がいるだろう、此方でも天子のための国づくりならと金を出す人間が大勢いるのさ、長州だって薩摩だってそのようなものが金を出してくれているのさ」

「そうか小倉屋の白石か、それだけであれだけの金が払えるのか」

「いや他にも数多くいるよ、ただ現金では全部払いきれないだろう」

「そうだ半分は物産の持ち込みになっているぜ、しかし戦が長引きすぎるとそれもどうなるかわからんな」

「そこでだが、トマスよお前さんは掛で仕入れがどのくらいまで出来る」

「そうだな100万ポンドまでなら今は動かせるな」

「船では大分儲けたからな」

「よせよ、それほど俺の手元になど残りゃしねえよ」

「ハハ、其れは冗談だが、幕府がつぶれれば後は内戦だろうが長引かせないためには薩摩長州だけでなく、佐賀に大村や土佐にも近代兵器の最新式のものが無けりゃ収まることにならねえよ」

「そうか兵器に差をつける事が内乱を長引かせないことに成るのか」

「そうさ、トマスが掛け売りで売りつけて差がつけば着くほど早く方が付くのさ、しかしなあまり長く続ければ破産する危険も出てくるぜ」

「そんな事が怖くて取引など出来ないぜ、しかし後どのくらい続けられる」

「3年だな其の先は俺にも予測がつかねえよ、北の大名にカリスマ性のある人間がいればどうなるかわからんがな」

「会津の容保はどうなんだ、大分人気がありそうだが」

「あのお方はよ、尾張の殿様や桑名の殿様の兄弟でご養子だが他の大名には好かれていねえよ、越前の春嶽様ならともかく付いて行く人は少ねえよ」

「越前の殿様は戦に反対だそうじゃないか、それでも人気があるのか」

「だから戦になってもまとまらねえのさ」

「それで寅吉は俺が武器を売ってもかまわねえといったのか、なぜ幕府の話を俺に回したんだ戦になれば長州と長引くことになるだろう」

「いやそうはならねえだろう、幕府の本体はなかなか前にでねえよ、貧乏くじは小倉の小笠原様さ、戦にならねえ様に努力したのにつまらねえこった」

「ウ、なんだか寅吉は先の事が全て見えてるように聞こえたぜ」

「そうか、ある程度は予想がつくぜ、薩摩が相手になってしまえばもう幕府に勝ち目は無いぜ、ご老中方や慶喜公と違い家来も身分の低いものが藩を動かしている薩摩長州とは気構えが違うよ」

「坂本の土佐はどうなのだ」

「あそこもなかなか人物はすくねえよ、だが岩崎というやつは見所がありそうだ後は後藤象二郎という人を大切にしてくれよ」

「覚えておこう、俺もこの国を動かす一人になりたいものだ」

「オイオイあんまり物騒なことを考えるなよ」

「今、船の修理工場と燃料の石炭の発掘とビール工場を考えているんだがどう思う」

「いいんじゃねえか、全てうまく行くよ」

「寅吉が言うならもっと真剣に金をつぎ込んでみるか」

「なんだ考えているだけだったのか」

「アアそうだよ、今から人と金を算段しても遅い事とはないさ」

「どうせならビールはプロシャ式がいいな」

「黒ビールは嫌いか」

「日本人向きじゃねえよ、オランダのも軽すぎるしオーストリアかプロシャが俺には美味いと思えたな」

「よし独逸にしよう、少し苦味が強いがホップが利いて美味いと俺も思うぜ」

「なんだトマスもそうだったのか、横浜にも作れるやつが来るといいなと思っているんだ」

「自分でやりゃいいじゃねえか」

「めんどくせえよ、職人や技師がいれば金を出すのはいいがな」

「長崎で成功したら俺がこっちに出してもいいぜ」

「期待して待ってるよ」

半日近くもカタログや実験道具をいじくりながら此れからの商売の打ち合わせも終了いたしました

Rappareeを引いたトマスと石川村まで歩き、Pardaloteと対面した後オレンジと名づけた寅吉の馬と、帰りのトマスを乗せるために普段はカーチスが乗っているパリスを引き出して、並んで地蔵坂を登ってから騎乗して根岸に向かいました、オレンジもパリスも名前は輸入馬らしくついていますが、どちらも南部馬で御座います。

途中行きかう人も寅吉の馬上姿は見慣れていて「コタさん今日も牧場かい」

「左様ですよ、たまには寄ってください、この黒鹿毛を今日からガイに預けますから」など挨拶を交わしながらすれ違います。

「ガイよこの人が長崎のMr.トマス・グラバーだ」

「よろしく御願いいたします、私がここを任されているガイ・ホーキンズです、生まれと育ちはスコットランドです」

「ホンとかよ俺はブリッジ・オブ・ド−ンだ、アバディーンで学校に通ったぜ」

「私はインバネスです、代々羊と馬の放牧をしてきました。父親は私を祖父に預けるとアメリカに商売をしにわたりましたが戦争が始まると妹を連れて戻ってきました」

「俺のうちは船乗りが多くて馬はよくしらねえのでこっちで面倒を見てくれよ」

「いい馬ですね、少し乗ってきていいですか」

「もちろんだとも、今からはすべてガイの思うように扱ってかまわねえよ、交配も全て任せるよ」

「嬉しいですね、其処まで信頼してくれたのはコタさんとMr.グラバーだけです」

「遠慮するなよ、俺のこともトマスでいいよ」

「では、トマス行ってきます」

少し一緒に歩いてから何か馬と相談していたようですがひらりと飛び乗り不動坂方面に歩き出しました。

リューセーと対面して「コリャいい馬だ、名前が多くて困るがどの名で呼べばいいんだ」Meteorは登録名、流星は仮の名そしてリューセーがみなの呼び名だと説明してリューセーという呼び名が一番あうと言う事にトマスも納得いたしました。

30分ほどで帰ってきたガイは自分で汗を拭いてやり「よしよし、いい馬だなお前は」と声をかけながら足先も奇麗に洗い蹄鉄の具合も見て居りました。

「毎週月曜にアンガスの親父が蹄鉄の検査に来てくれますが、ここでも誰か習わせることにしましょうか」

「そうだった、畑蔵にも教わる様にさせてくれ、それと牧童連中も習いたいやつにはアンガスに頼んで習わせてやってくれ、せめて釘の緩みくらいは直せると楽になるだろうし馬の足に負担も少ないからな、アンガスは此処の帰りに石川村にも寄ってくれるが言葉が通じなくともどんどん仕事をしてくれるので助かるぜ」

「親父さんは出張しないなど噂がありますがここにはどうして来るようになったのですか、この間聞いたがマァそんなことはいいじゃねえかというだけでそれ以上は聞いても知らん顔されてしまいました」

「なにただの遊び仲間だよ、元町に置いた古いビリヤードの台でただで遊ぶのに付き合うくらいさ、あそこなら賭けはご法度だから、ハスラー連中はこねえから気楽に玉が突けるのさ」

「そんなことでですか、とても信じられません」

「俺にも信じられねえよ、アンガスといえば長崎にも聞こえてくるほど腕がよくて変人だというじゃねえか、3人の弟子も腕がいいそうでそろそろ独立させるという噂で呼びたいやつが多いそうだ」

「そんなに仕事があちこちあるのかよ」

トマスまでがアンガスの親父を知っているのにも驚きますがそんなに貴重な職人とは寅吉も知りませんでした、ガイに聞くと「親父の腕は一流ですよ、どうして此処横浜に来たかも話しませんでしたが、弟子も腕がいいとは教え方も巧いのでしょうね」

「今は日本の馬だってわらじで歩くやつは少なくなってきてるぜ、寅吉は何でも知ってるくせに、おかしな事をしらねえで不思議なやつだ」

「ホンとですね、馬も日本人でサラブレッドのことまでよく知ってるのに、飼い葉や寝藁の敷き方などはてんで駄目ですからね」

「オイオイ馬の名前を知るには本を読めば書いてあるが、汗の拭き方や水の遣り方以上のことは俺には無理だよ」

「そうだろうなRappareeだって此処一年俺が面倒見たが段々来た時より変わってきたので此処に持ってきたのさ、寅吉が知らなくて当たり前さ、しかし俺が馬をやるといったときに最初は断ったくせに此処までのめりこむとは思いもしなかったぜ」

「本人だってそう思ってるよ、ガイのことを聞いたときにすぐさまカルカッタから電報を打ってまで来てもらうことになるなんぞ一年前は考えもしなかったぜ」

横浜には多くの異人さんが来ていますが軍隊以外にはサラブレッド八頭、アラブが五頭のほかはみな在来馬か清国から持ち込んできた馬に乗っています。

アメリカから軍隊の馬が戦争終結で来るかと期待したものも居りましたが、いまだ姿は見ておりませんでした。

トマスは3日ほど横浜にいて忙しく働いた後長崎に戻りました。

11月に入り風も冷たくなりだしました、元町で嘉兵衛さんが蝦夷に渡って氷の切り出しを見学してくるというのでその送別会を催しました、店と軍への納品は息子に任せてというのでは困ることも多いと思いますが何事も早めにやらないと気が済まないようです。

2頭ほど牛も手にいれ搾乳にも手を染めるという、なんとも気の多い方で御座います。

「蝦夷は寒いなんて物じゃないそうですぜ、装備には十分気をつけてください」

「ロシヤ人から毛皮を譲ってもらったから着込んで行きますよ、両3年くらいで此方に持ってこられるように向こうで段取りをつけるようにしたいと考えています、コタさんの紹介してくれた函館や他の人たちにも会って準備してきます、そして夏に今度は確実な話を纏められるようにするためにもう一度行って来ますよ」

翌日仙台に向かう船で横浜を出て行きましたが果たして何日で行き着くのか冬の海は危険も伴うというのに、嘉兵衛さんはつわもので御座います。

 酔芙蓉 第三巻 維新
 第十一部-1 維新 1    第十一部-2 維新 2    第十一部-3 維新 3  
 第十二部-1 維新 4    第三巻未完   

     酔芙蓉 第二巻 野毛
 第六部-1 野毛 1    第六部-2 野毛 2    第六部-3 野毛 3  
 第七部-1 野毛 4    第七部-2 野毛 5    第七部-3 野毛 6  
 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
 第九部-1 弁天 4    第九部-2 弁天 5    第九部-3 弁天 6  
 第十部-1 弁天 7    第二巻完      

  酔芙蓉 第一巻 神田川
 第一部-1 神田川    第一部-2 元旦    第一部-3 吉原
 第二部-1 深川    第二部-2 川崎大師    第二部-3 お披露目  
 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
 第四部-1 江の島詣で 1    第四部-2 江の島詣で 2      
 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  
       第一巻完      


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
 港に帰るー3      第一部-3 吉原    
 港に帰るー4          
    妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編  
 幕末の銃器      横浜幻想    
       幻想明治    
       習志野決戦    
           

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 第二部目次
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       酔芙蓉−ジオラマ・地図
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 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

 習志野決戦 − 横浜戦
 習志野決戦 − 下野牧戦 
 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid

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 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
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カズパパの測定日記