酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第九部-1 弁天 4

仲通り・谷戸坂・辻占煎餅・師走・新聞

 根岸和津矢(阿井一矢)


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 ・ 仲通り

朝冷たい風が吹く中、辰さんたちは町の中を見回り火事の心配のないように注意の声をかけて廻りました。

人々も風の強い日には特に気を配り、外で火を焚くものは居りませんでした、大工に鳶たちも寒さに堪え、たとえ塵っぱひとつでもやたらと燃やさぬように気を配っております。

朝からお鳥さんは仮親の浜野の女将の手で磨きたてられ、迎えに来た鳶たちに守られるように洲干町を出てきました。

桜花亭がぜひともうちの座敷で披露宴をと申し入れてきたので、その好意を受け入れて昼前の四つ半から、簡単な料理を並べた膳を囲んでの嫁取りを行いました。

江戸から駆けつけた両親も、お鳥さんに始めて挨拶されてその初々しさに喜びを隠しませんでした。

「コタさんのおかげでこいつも一人前になれ、夫婦ともどもお礼の言葉も見つかりません、よい嫁も見つかりこのたびはお仲人まで引き受けていただき、重ねて御礼を申し上げます」

「なに、千代が自分で見つけた三国一の花嫁だ、お宅の息子をほめてやってくださいよ」

「そうですわよ、ご両親様も立派な息子を持って自慢しても、誰一人とがめるものなどおりませんわ」

寅吉夫婦も千代を信頼していますし、店のものも年にかかわらず千代を信頼し、かわるがわるご両親に挨拶をいたします。

主役は千代ですが寅吉夫婦の披露を横浜で行わなかったので、できるだけ多くのものを招待いたしました。

笹岡さんが代表して宴の終了を告げるまで、あっという間の時が過ぎてゆきました。

「仁助さんは此方に何時までいられますか」

「そうさなあ、横浜は初めてなので明日午前いっぱいは街を見て廻ろうと思っています」

「できるだけ町を見て異人たちの様子も建物も見て廻ってくださいよ、明日いっぱいといわずもっといてもらいたいが、何時までも引き止められるものじゃねえし」

「ハイ、やはり明日の午後に発って、川崎に泊まりお大師様を廻って夕刻には安倍川町に戻りたいと考えておりやす」

千代たち夫婦は人足たちに取り囲まれ、野毛に与えられた新居に大勢で向かいました。

吉田町の土地も川沿いに上にのぼった石置き場の先の橋袂に決まり、あとは地面が落ち着いたら料理屋も建築することになり、遅くも来年の春の終わりには店開きとなりそうでございます。

ここは新しくできる遊郭からは離れた場所ですが、橋本さんも太四郎も、

「今は端でもじきに埋め立てが進めば人家が増えて繁華な場所になるでしょう」

そういって寅吉や千代に勧めた場所です。

昼下がり風もやみ、仁助さん夫婦には辰さんが案内について、復興の槌音も高く響く町から焼け残った繁華街に、居留地では海岸通りを歩いてウィンザーホテルからピカルディなども見て元町に廻りました。

元町にある異人たち相手の店に感心したり、とらやで出すドーナツが気に入り「辰さんよ、こいつはなかなかうまいもんだな、カステラもいいが俺はこいつが気に入ったぜ」

揚げたての少し熱いものを夫婦でおいしそうにいただくのでした。

前田橋から居留地に再度入り、天主堂を見て運上所の新しい建物が建てられるさまも見て北仲通りにある旅籠に落ち着きました。

「では明日は七つにお迎えに参上いたします、通訳できるものも連れて来ますから異人の商館にも入っても大丈夫ですよ」

「なにから何までお世話になって助かりました」

千代の新居は朝のうちに見たし中にも入ったので新婚の夫婦の邪魔にならぬように、離れた宿を取るという気配りも、昨日神奈川に着くとすぐに千代や寅吉に申し入れておいたものです。

それと夜は昼間の宴席に仕事で出なかったものたちとの宴会がある千代夫婦でした。

翌朝、辰さんと太四郎が北仲通り二丁目の小田原屋に迎にいくと、支度も済んでいた仁助さん夫婦の荷物は横浜物産会社に預け、フランス公使館や沖に集まる大船を見て、居留地のスミスベーカー商会、スミス商会、ゴーン商会と周り、ビールソンさんの店では買い物もいたしました。

シナ人の多く集まる場所では「なにを言ってるかよくわからねえが、たいそう繁華な感じがしてるな」

「ここらは居留地の中でも自分たちの日用の品物を数多く扱っていますから、買出しに来る使用人が多いのですよ」

「それで浅草のような雰囲気があるのか、大きな商社よりこっちのほうが落ち着きますぜ」

弁天通りに戻ると、千代夫婦が来ていました「おっかあ、荷物になるから重いものは店のものに預けて別便で送らせなよ江戸にはおっかあ達より先に届くぜ、土産も弟たちや妹の分は俺が一緒に荷の中に入れたから」

「おやすまないねえ、あと横浜の案内や絵等も欲しいよ」

「そいつも買い集めておいたぜ、波も穏やかだから船で神奈川に渡れとだんなの指図で用意ができているぜ、昼は神奈川で食べるがいいと旦那が言うのでそうしたぜ」

すっかり町のお神さんになった様子のお鳥さんの様子に目を細める仁助夫婦です。

「旦那にも挨拶して行きたいがどうしょうかねえ」

「旦那は青木町の店に行っておられるから向こうで合えるよ」

荷は千代とお鳥さんが持って二人は身軽になって船に乗ると、船頭も心得て沖の大船に近寄り声をかけると水兵が出てきて手を振る様子が見えました。

神奈川に着くと笹岡さんと寅吉が出迎えておりました。

笹岡さんが仁助さん夫婦と千代夫婦に向かって、

「昼は親子で食事が出来る様に料理屋を予約させたから、ごゆっくりとご歓談くだされ、千代さんや場所はむさしやさんだよ」

むさしやでは温かい汁に、ぶりの照り焼き、アナゴのてんぷらなども出て親子での語らいに時を過ごしました。

神奈川の宿はずれで名残を惜しみながら別れの挨拶を交わすのでした。

「体に気をつけるんですよ、千代は聞かん気でわがままだから、あんたのような人が嫁になってくれて安心しました、これからも親子として仲良くしておくれな」

下町のお神さんらしく涙よりも笑って見送れと、気丈に後ろも見ずに街道を歩くお浜さんです。

千代たちも青木町に戻り今日は休みを貰っているので、夫婦で歩き野毛に戻ると笹岡さんと寅吉に告げて台町の坂を上ってゆきました。

「いいおとっあんとおっかさんであたいはうれしいよ」

「そうか、親不孝ばかりしてきた俺の分も孝行してくれるとうれしいぜ」

「アイ、江戸と横浜に離れていてもできることはやらせていただきます」

「旦那の話ではもうじきに江戸と横浜に蒸気船の航路の許可が出そうだというから、一日で往復するのも可能になりそうだ」

「あれ、そんなに早く行き来できますか」

「そうだぜ、あと弁天から街中を廻っている馬車な、あれも申請しているらしいから街道を走れるようになるとよ、江戸まで二刻あまりでいけるそうだから、こいつも便利かも知れないぜ」

「馬車は揺れが激しいから好きじゃないよう」

「慣れだよなれ、そのうち便利なので皆が乗るようになるさ」

「寅吉の旦那は千里眼だそうだけど、いろんなことを知ってなさるようですね」

「旦那は俺たちの集めてきた話を集めて考えてくれるのさ、そうすると普通のものが思いつかねえような先行きのことが見えるそうだ」

「では占いや神おろし見たいのとは違うのかい」

「アアそうだぜ、旦那の言うのには推理と言うそうだ、考えて思いついたことを俺たちに話して、また情報を集めて其れをまた推理すると、人には先が見えると思われるそうだから決して占いなどとは違うそうだ」

「でも高島の旦那さんなどは易で先が見えると評判だよ」

「其れはうちの旦那も認めていなさるよ、あの人の占いは当てになるそうだ、だから牢にいるときも丸高屋さんを通じて蔓をたやさねえようにと気を配っていなさったよ、しかしこの話は内緒だぜ」

「アイ承知したよ」

「そうだ、前にだんなの知り合いの長崎のグラバーさんという人が、陸蒸気とか言うのを献上したのを一緒に見たろう、あれもあと10年もすれば江戸と横浜を走れるようになるかも知れねえとよ」

「ほんとかい、あんな大きいのが街道を走り回ったら怖いねえ」

「よせやい、街道は走らねえよ、だんなの話では別に道を作って走らせなきゃならないので、今すぐと言うわけには行かないんだとよ」

「あんたは長崎で走るのを見たんだよね」

「そうだよ、あん時は驚いたぜ、弁天から谷戸橋くらいの間をほんのわずかの間で往復したぜ、馬で走るのと同じくらいで走るんだが、機械だから何度走っても息切れなんぞしないのさ」

「だけど横浜にまで走らせるんじゃどうやって入らせるのさ、あんな重そうな機械じゃ山を越えるのは大変だろう」

「そうさな海でも越えてくるかな」

「やだよこのひたあ、海にあんなからくりが浮かぶわけないじゃないか」

「そこが旦那さ、この間ワットマンさんという人が高島さんとピカルディに来たときに海に土手を築いてその上を走らせるしかないだろうと話していなさったぜ」

「埋めたてをするにしても海じゃ大変だねえ、いくら埋め立てで出来上がっている横浜でも、そこまでするには何かいいことでもなきゃできる仕事じゃないさね」

「そうだなぁ、旦那はあと10年もたてば横浜はもっと大きな町になるだろうといってなさるから、将軍様でも命令して作ることになるんだろうぜ」

たわいのないことや街のうわさなども話す二人は尽きることない話題で道もはかどっています。

「あたしは明日からお怜さんについて廻って、料理屋で働く人間の品定めをしようと思うのだけど、どう思いなさる」

「いいんじゃねえか、お怜さんとお松津さんを軍師にして人を選べば鬼に金棒さ、だがよう遠慮することはないぜ、お前の使いやすい人を選ぶのだぜ」

「判ったよ、あたいも伊達に働いていたんじゃないさ、人を見る眼はあるつもりさ」

「俺を選んだようじゃ、眼力もたいしたことないんじゃないか」

「やだよ、この人はあたいが選んだのかい、お前さんが選んでくれたんじゃないのかさ、どうなのさ」

「どっちでもいいやな、夫婦になるには二人で納得しなきゃいいことはないもんな」

「あたいを大事にしておくれよ、浮気なんぞしたら承知しないから」

「大丈夫だよう、そんな暇などありゃしないぜ」

若い二人は道を歩くにも幸せな気持ちで歩き続け、早くも切通しから野毛に降りるところまできていました。

寅吉の住まいでお容さんに「無事に二親も旅立ちました、おっかあ、おっと、母からもお礼を申し上げるように言付かりました」

「アラやだよう、千代さん別に改まらなくてもおっかさんでいいじゃないの」

しばらくお鳥とも立ち話をしていましたがお松津さんに呼ばれてお容さんは家に戻り、千代とお鳥さんは横浜物産会社で橋本さんにも挨拶をして家に戻りました。

「かめさん戻ったよ」

「お帰りなさいませ、こんばんは此方で食事になさいますか」

「そうしてくれよ、明日からは俺は食事をこっちでするときはお鳥に話しておくからそのときは用意してくれよ」

「あたいも明日からはお怜さんの都合で食事をどこで取るか判らないから旦那と同じでいるときだけ話すことにするよ」

「ではそうしてくださいませ、ではお菜の支度をいたしますから何か食べたいものでもありますかね」

「今日は昼におごったものを食ったから入り卵に湯豆腐でもあれば十分さ」

「ようございました、明日の御付けのみに使おうと2丁も買っておきました」

「気が利くじゃねえか、これからもその調子で頼むぜ」

「あとお容様から金目の開きと、粕漬けを3枚づついただいてありますがどういたします」

「お前粕漬けは好きかよ」お鳥さんに聞きますと「あいそれもちょっぴりいただきたいね」

「そんなら二人で一匹あればいいよ、残りの粕漬けはかめさんも米蔵さんといただきなよ」

「いただいてもいいだかね、ジイ様も喜びますだよう」

寅吉が建てた長屋にいた米蔵夫婦は、留守勝ちの千代の家の留守番と食事の世話が必要だろうということで雇われました。

元は夫婦でほや磨きに出ていましたが、かめさんはそちらはやめて今は家の掃除に食事の世話などをするのが仕事になりました。

千代の入った家は台所を向かい合わせに挟んで二軒で建てられていて片方に千代夫婦、反対側に米蔵夫婦と言う風に別れています。

寅吉が太四郎と相談して長屋作りもそうすれば、ゆとりのある生活が出来るだろうと働く者のために考えたものです。

支度が済むとかめさんは自分の家に戻り、新婚の夫婦で暖かい湯豆腐で食事が始まりました。

 

 ・ 谷戸坂

曇り空の港には三日ほど前に上海からの荷を横浜に運んできたグラバー商会の船が停泊しています。

船長には永吉・幸助と手代二人にヘンリースネルの五人が乗ることを便へてあります。

江戸での成果に気を良くしたヘンリーは、エドワードに後のことを頼んで名古屋へと出発すべく支度に忙しくあちこちを走り回っておりました。

寅吉は自分が武器の供給をグラバーやスネルにあおって戦を起こさせているかのような気持ちになることもありますが、自分が其れを行わずとも坂本さんはじめこの時期必ず武器商人は上海などに山積されたアメリカの余剰武器や、イギリスの生産過剰になっている時代遅れの武器が格安で出回ることになるだろうと自分を納得させて居ります。

勝先生も備中守様も「同じことだよ、コタが扱わなくても誰かが売るし紹介したからといってしないからといって、どう変わるなんてこともないさ」とこともなげに言うのでした。

「コタさんが売らなくともおらがこればあ売っちゅうんだ、今武器を売らん商人をさなぐすほうが難しなんぼいさ」

坂本さんたちもそういって一笑に付し相手にもならんと大声で笑い飛ばすのでした。

船に乗ったヘンリーは、名古屋での商談に見切りを早くつけて15日には京にのぼり、会津公に気に入られて見本の武器を何種類か取り揃えるように要請されたということでございました。

グラバー商会の船が出たあと寅吉はお容さんと江戸のおつねさんに手紙を書いて、手紙が付いた頃遅くも九日には江戸に戻りますと書いておきました。

スエズ運河の開削が進み地中海への出入り口のポートサイドの港にはミニエー銃にゲーベル銃が野天のまま山積みされているという噂も聞きました。

寅吉が止めても止めても、その山積みされた旧式の銃は日本に流れ込んできました、横浜でも一山いくらと言うかゲーベルを100挺なら160両などで卸すからどうだという話まで飛び交わされています。

一山当てるつもりで買い込んでみたものの壱挺五両などではとんでもないという話で慌てて投売りしだしたので値崩れしているのですが、安値に飛びつくお大名の多い事は呆れるばかりでございます。

その中で川本先生の見識と言うべきか出来るだけよい銃ということで、スナイドルを買われたことはよいことでございました、しかしこの銃も二年もたてば時代遅れになることでしょうが、新式銃は性能的に適正を試験するには戦争と言う試練をくぐらなければならず、高価なものを急いで買って失敗する危険を冒すよりはよい決断の時期でございます。

「なにそれほどの性能の差などありゃしません、違いといえば薬包の工夫と弾道の着弾の距離くらいで、先込めだと距離が伸びないだけでございますなどと騙されるのは田舎の小大名のご家老たちだよ」

「でも江戸や長崎に勉強に出てきている人もいるでしょうに」

「なんせ五年前までは火縄銃でもなかなか持っていない人たちだ、簡単に武器商人に騙されてしまうのさ、其れになまじ勉強した人たちは尊皇に佐幕だという争いで命を落とされる方も多かったからなあ」そのあと話は吟香さんや彦さんの事になり、彦さんが新聞をやめることに成ったのは吟香さんが辞書のお手伝いで忙しくなったせいかということに及びました。

「其れもあるだろうが生糸の取引で損をしたのが響いているのだろうよ」

「彦さんは長崎に行かれるそうですが本当ですか」

「春の話ではこの月末には長崎に移って本間さんの店を任されるそうだぜ」

千代や春を相手にこんなことを話していると早朝からの訓練帰りだという大鳥様が野毛の横浜物産会社に御出でに成りました。

「今日は朝だけで昼からは休みだ、ここのドーナツが食いたい」というので最近は野毛でも揚げ立てを売り出したので早速用意いたしました。

橋本さんと三人で伝習隊の最近の話題なども話して、銃器の話もすると寅吉の持っているさまざまな銃器の特性などを知りたいというので千代を共に連れてピカルディに向かいました。

アーネストと途中で行き会い同道して国での銃器の開発や軍隊での使用している銃なども教えてもらい、寅吉も新しく買った銃のこと等を話しました。

「コタさんそのフランスの銃を俺にも撃たせてくれないか」

「いいとも、だが街中で撃つ訳に行かないから大鳥様に頼んで演習地まで行くかい」

「いやここなら駐屯地に上がるほうが早いぜ、俺が何丁か担ぐからそこに行こうぜ」

大鳥様も承知してピカルディから持ち出した五丁の銃は三人で分けて持ち、薬包の入った箱は千代が背負ってイギリスの軍営の射撃場に向かいました。

谷戸橋を出て谷戸坂を上り、トワンテ山のイギリス軍の軍営地に入りました。

アーネストの顔もあり難なく銃を中に持ち込んで、立会いの士官が二人興味深そうにシャスポーライフル銃にStarr Carbine(スタールカービン銃)シャープスM1859カービン銃シャープスM1859マスケットライフル銃を見ています。

「撃たせて貰えるかね」ヤング中尉がそう聞くので「よいですともそれぞれ玉を50発用意してありますから大丈夫ですよ、ただこのフランスのは少し癖がありますぜ」

スナイドル銃は取り扱いに慣れているのか手にもって手入れの状態を見ていたギブソン少尉が「手入れはいいね、これならうちの兵隊に見本に見せたいくらいだ」

「あまり撃つ機会がないからきれいなだけですよ」

「謙遜しなさるな、コタさんは銃器の取り扱いがうまいのさ」

大鳥様も銃の手入れには感心してくださいました。

50ヤード先にある的に向かいそれぞれが思い思いの銃で試しうちを銃は換えて何度も試しました。

アーネストが「このフランス製の銃は、将軍様にプレゼントされるという話ですがミスター大鳥は聞いていますか」

「いや聴いてないが、本当かい」

「何でも大量にフランスから送られてくるらしいですよ、製鉄所や何かで儲けているお礼じゃないですか」

「俺としてはスナイドルやスペンサーのほうが扱いやすいが、この薬包が手に入らなければ後々フランスに儲けさせるばかりだろうぜ」

寅吉は聞いたばかりで知っていました「左様ですね、いくつ来るかこの間この銃を買ったときに聞いたら二千挺は来るそうですぜ」

「ほんとかよ、伝習隊に持たせてもこいつは手入れに泣かされそうだ、参ったなぁ」

「噂はありますが大鳥様までは聞こえてこないですかね」

「俺のほうは伝習で忙しいし、年が変わる頃に新しい伝習の教官が来るから其れまでに仕込んでおこうとビュラン軍曹の気合が入っているのさ」

「そういえばミスター大鳥はまた出世したそうですね」

「歩兵頭並なんぞと行っても少佐位だろう、それでも千人の兵がいるが士官になかなか人材が揃わねえよ」

「江戸では四千人以上の歩兵を解雇したそうですが大丈夫なのですか」

「あっちのことはよくわからねえが、吉原で暴れたりと大変らしいと聞いたよ、こっちでは今は大隊規模だが教官が来ればニ大隊に増やされるそうだ」

「其れは大変だ、大田陣屋ではそんなに収容できないでしよう」

「そうなればどこか広いところに移動になるだろうな、船が使えるようにどこか海沿いでも埋め立てるつもりじゃねえか、それともお三の宮のあたりを埋め立てる予定だそうだからあのあたりかもしれないぜ」

仏蘭西語も英語も話せる大鳥様は、何事もないように会話に入り不自由はない様子でございました。

「しかしこの銃はいいかも知れねえが供給される薬包の確保が大変だな、ほかの銃と共有できないようだしこっちで作るには厄介そうだ、お断りしたいがそうも行くまいし、何度も言うようだが兵は手入れに泣くぞ」

アーネストたちは自分たちとは無縁と笑っておりますが、取り扱いになれた三つバンドやスナイドルに改造した銃などになれた兵は新しい銃に戸惑うことになりそうです。

「二大隊分くるということは、全員に持たせるのかな」

「そうも行かないでしょう、今までの兵はそのままで新規の兵に新式銃となるのではないですか」ヤング中尉はそう話していました。

「それにしてもオランダ式イギリス式の兵とフランス式の兵がいては調練も大変でしょう」

「号令ひとつでも違うから厄介だぜ、進め、止まれというのさえ今はフランス式にアタンシオン(注目)サリュ(敬礼)アルト(止まれ) アバンス(前進)だからな」

「大鳥様はじめ士官の方も普段は真っ黒になって訓練をしてなさいますから町に出て遊ぶ体力の残っていないようですね」

「そうでもないぜ最初の頃は大変だったが今はだいぶ楽になってきたよ」

銃器の手入れをしてから山を降りてピカルディでお茶にすることにして、チーズスフレを持って寅吉の部屋に落ち着きました。

紅茶にブランディーをたらしていただくチーズスフレは旨い物でした。

「アーネストは今晩暇なのか」

「いや夜はコマーシャルホテルでビリヤードさ」

「何だ、かもになるやつでも見つけたのか、あんまりいたぶってはいかんぜ」

「そんなことないですよ、今晩のはお付き合いで手ほどきをするだけさ、もう少しうまく成らないと賭けをするにも無理な相手だよ」

「それならいいが、お前さんとウィリーにかかっては互角に戦うのも大変だ」

「よく言うよ、コタさんは金がかからないときは強いが、金をかけるというとなんだかんだいってやめてしまうから実力が良くわからん」

夕暮れになり大鳥様と寅吉は千代を連れて野毛に戻りました。

大鳥様とは野毛橋を渡ったところで別れ、横浜物産会社に連絡に行く千代とも別れて家に戻りました。

江戸に送る荷もあらかた片付けていた容に迎えられて着替えをする前に風呂に入り、体に染み付いた煙硝のにおいを洗い流しました。

「お着物に火薬のにおいが付いておりますが、焼酎で拭くとよいとお松津さんが言いますのでそういたしてよいでしょうか」

風呂の外から容が聞くので「アアそうしてくれいつもはお松津さんにやってもらっているが教えてもらってやってごらん」

石鹸で頭からごしごしと洗い流し少し寒い廊下を頭は乾いた手ぬぐいで巻いて部屋に入りました。

「アラおぐしまで洗いましたか、では結いつけましょうか」

「いや今晩は紐で後ろを結わくだけでいいよ、其れより良く乾くように乾いたもので拭いてくんな」

お容さんが乾いたタオルを持ち出してきて髪を拭き、新しい着物にどてらも用意して着替えさせました、寅吉は暖かい部屋でお容さんが用意した、小鍋の鯛の雑炊を差し向かいでいただきました。

翌五日は晴れて落ち着いた朝になりました。

お鳥さんたちと足慣らしに本牧まで行くという容達は、太四郎におなじみの藩文杓が用心棒がてら付いて行きました。

お松津さんお怜さんも支度をして大岡川沿いに西の橋まで歩いて、そこから地蔵坂に出て桜道まで上りました。

「ここは桜の時期はたいそう人が出てきれいでございます、ぜひ御出でくださいね」

「これからは寅吉がどういおうと何度でも押しかけてまいりますわ」

「そうなさいませ、あたし達が付いておりますから旦那に遠慮することなどアリャしませんのさ」

太四郎たちは後ろから女たちの怪気炎に呆れながらものんびりと付いて歩きました。

妙香寺の門前から本牧に降りて十二天の社に参り、とらやの出している茶店で休みました。 

この遊歩道沿いに出した三軒の茶店は名前を土地の名や働く者の名前でだし、小さくとも義士焼きと団子にラムネやジンジャービール等を置いて管理はお怜さんが責任者でございます。

お容たちが海を見晴らす場所で休んでいる間にも、外人たちが乗馬で何人も立ち寄り、ラムネなどをさっと飲んでは団子を頬張りながら出てゆきます。

「このような場所でも異人さんたちからはoneセントのチップをいただけるので働くものは実入りがよくてたいそう稼ぎますのさ」

お怜さんが勘定をしているのを見てお容が「ご自分の店といってもいい場所で勘定をするのは寅吉が指図でしょうか」

「そうなんですよ、店のものが勝手に飲み食いしては店が立ち行かないこともありますから、試食に回すもの以外は破棄して決して持ち出さないという約束事でござんす、そうすれば余分に作り過ぎない注意も行き届き、其れが儲けにつながって給金にも返ることになりますのさ」

「あたしも見習って店を開きましたら、その様に始末してとらやさんにご恩返しをさせていただきとう存じます」

もう始まっているお容さん、お鳥さんの教育に太四郎も感心して聞いています。

英吉利語で藩さんは太四郎にそのことを聞きただして「なるほどなぁ、とらやさんたちはだから給金もいいのか、俺も自分の店をもてたら必ずそうしょう」

「どんな店を始めたいのだ」

「やはり食い物やだな、人がいる限り食わなければ生きていけないからな」

「自分で包丁を握れるのかい」

「イヤ俺には才能がないらしい、しかしな美味い不味いはわかるから腕のよい料理人を雇えばどうにかなるさ」

二人の会話を聞きつけたお怜さんが「なにをあちらの言葉で話してるのさ」

「いやこの藩さんが料理屋を将来は開きたいという話です」

「お上さんたち安くするからそのときには贔屓してくださいよ」

「いいとも、腕のいい料理人を雇えたら必ず食べに行きますよ」

知らん顔をしていてもお怜さんは英吉利語がわかるらしいのです。

其れに気が付かぬ藩さんは「お怜さんが贔屓にしてくれたら店は流行る事請け合いね、早く店が開けるようにがんばるね」というのでございました。

帰りは北方から汐汲み坂に上がり、箕輪坂から元町に降りました。

そこでそろってお茶を頂、夕暮れ時に野毛に戻ってきました。

 

 ・ 辻占煎餅

風が夜中から強く吹いていましたが朝の日の出と共にやみ、心配していた火事も起きなくてほっとしていたのは寅吉たちばかりではなかったでしょう。

本町大通りが馬車道として拡張されることになり、弁天通りも一丁目が拡大されることになりました。

朝早くから旅立つ前の打ち合わせに来た手代たちの話では、入れ札で土地の割り当てがきまるそうですが寅吉は二丁目の横浜物産会社を広げ、新しく広がる一丁目の南側に虎屋、北側に二軒の義士焼きをまとめてとらやの義士焼きと茶店を予定しています。

今の一丁目の義士焼きの店と長屋は建てて間もありませんが道の反対に移し二丁目の義士焼きの場所には改築をして料理屋を開こうと考えています。

お容とも話し合いましたし、お鳥さん、お怜さん、お松津さんにも話しはしてあり、仲居として女将として働けるものを探す予定で居ります。

まずはお鳥さんが次の世代の店を任せられるものを育てることになります。

「生きがいになりそうです、千代さんにも言われておりましたが、旦那たちと共に大勢の人を育てるお手伝いが出来て幸せでござんす」

早くも料亭の女将としての自覚も生まれて来た様に感じられ、うれしい気持ちがする寅吉です。

今日は川崎泊まりときめて、朝の五つ半に野毛をたつことにして有りましたので、忙しい旅立ちにはなりませんでしたが、見送りの大勢の人たちに送られて寅吉とお容さんは足ごしらえも厳重に江戸に向かいました。

「道中お気をつけて行ってらっしゃいませ」

「オオ任せておきなよ、大事な嫁さんだ無理はさせねえぜ」

寅吉が代わってそういうと、見送りの人たちがいっせいに、

「早くお帰りになってくださいね、お待ちしております」

「20日あまりで、もう一度こちらに戻ります、皆さんしばらくのお別れでござんす」

挨拶も元気に交わし野毛の坂を太四郎と江戸に戻るボンさんを従えて登りました、切通しから横浜を振り返り「すぐ帰ってきますよ」と小さくつぶやいたのはお容さんでした、寅吉の耳には聞こえたようでございまして、二人でにっこりと微笑を交わすのを見た二人の共は「俺たちはいい旦那とお神さんを持って幸せだ」と期せずして言っておりました。

道は行きかう人で賑わいを見せており奉行所の入り口付近では、顔見知りのものも多く、軽く会釈して通る寅吉たちに声をかけてくださる与力、同心の方もおられました。

坂を下れば戸部の町並みが続きその先は石崎橋、この橋もそうですが道幅とほぼ同じで三間ほどもありました。

平沼橋との間にも人家が増え茶屋も道筋の右左にありました、この橋からは神奈川の宿も横浜も見え、道行く人もしばし立ち止まって左右を見ておりました。

新田間橋まではすぐ近くてそこからは芝生村、東海道を江戸に下る道には寒さもあるか行きかう人もまばらでした。

台町の坂を上り林の中の関門を過ぎると道は下り、右手海側には料理屋が多く立ち並び田中屋では玄関を磨きたてておりました。

左手には大網金毘羅神社その前には一里塚、そこを過ぎれば本覚寺の山門前、権現山のすそを廻るように街道は緩やかに右に回り込みさらに左に折れて甚行寺の先には普門寺その隣は洲崎大神、横浜物産会社では笹岡さんと軽く挨拶をして「しばらく江戸に出たあと、また戻ってまいります」容がそういうと「お待ちしております」挨拶はそのくらいでお土産に若菜屋で亀の甲煎餅を求めてから宿に入り、滝野川を越えれば問屋場がありここでは威勢のよい声が飛び交っておりました。

宿を抜けてしばらく行くと東子安村の一里塚、江戸から六里の道しるべが建っております。

生麦の手前、原町の立場で一休みして寅吉が時計を見れば12時12分「川崎に入ってお大師様におまいりする前に宿に荷を預ければ明るいうちにお参りできそうだ」

「それでは今日中にお大師様にお参り致しましょうね」

四人は生麦を通り鶴見でサボテン茶屋、しがらき茶屋の繁盛を見ながら通り過ぎ市場にある一里塚までまいりました。

「さあ川崎はもうじきだ、お土居を過ぎれば川崎に入ったも同じだ」

何度もこの道を行き来したお容さんも寅吉の言葉にうなずいております。

小土呂橋を渡り砂子小土呂のところあたりからは人家が増え人の行き来も多く成り出しました。

砂子町の高札場を見て、問屋場を過ぎれば左右には旅籠に料理茶屋が軒を連ねております。

定宿の藤屋で荷を預け、二人でお大師様にお参りに出かけました。

ここは大本山金剛山金乗院平間寺といういかめしい名前でございますが、江戸っ子には川崎のお大師と言う名で初詣に泊りがけで出かける人も数多く見られます。

久寿餅という呼び名もここ川崎の久兵衛さんが工夫したことに由来すると聞いたことがあり、名物を売る店も数多く立ち並んでおります。

寅吉が子供の頃食べた長十郎梨はこのあたりの特産でしたがこの時代にはまだなくて、いつごろできたものか興味がありますが、その様なものはこの時代見たことがありませんでした。

今年本厄のお容さんは、暮れの横浜に出て新年になったら後厄のお参りもして神田に戻るということも寅吉とついこの間話したばかりでした。

お払いを受けてお札も頂、宿に戻る頃は夕暮れになり、早くもちょうちんに灯を入れる人も増えております。

寅吉のトビアスでは4時30分でした「今日は良く歩いた気がしたが、冬で陽の出ている時間が短いからまだこんな時間だ、夏ならまだ日暮れまで2時間以上あるぜ」

「寒くありませんか」

「俺は平気だがお前はどうだよ」

「あたいは平気サァ、ついこの前までは足袋などはいたことがないのに、今は足袋もはいているし道中着の中にお松津さんが唐辛子を包んでくださったから、暖かいくらいさ、こんなにぽかぽかするなんて知りませんでしたよ」

「そうかい、そいつぁよかったな」

「皆さん親切なお方ばかり、おなたが皆さんを信頼しているのが良くわかる訪問でしたわ、旦那と使用人というより、お仲間だとあなたが言うお気持ちが良くわかりました」

「そうか、そこが判ってくれると俺もうれしいぜ」

旅籠の周りも呼び込みの女たちや番頭たちが「これから品川まではつろうございます、ぜひお泊まり下さい」など江戸の方向に向かう人には袖を取らんばかりに声をかけて廻っていました。

「お帰りなさいませ」顔なじみの仲居が出ていて二人のすすぎをすぐに取ってくれました、「お風呂も今すいております、お入りになるのでしたらすぐにでもお入りになれます」お容さんが部屋に入るなり心づけをわたし「旦那様もわたしもすぐお風呂にいたします、食事は4人一緒にいたしますから此方にお支度をお願いいたします」

お容とは別の階段なので風呂に入りに行くときに部屋の前で分かれて、寅吉は太四郎たちにも声をかけて「お前たち風呂がまだなら一緒に行こうぜ」「旦那がお帰りになってからと思っておりましたのでまだでございます」というので、一緒に階段を下りて風呂場に向かいました。

冗談を言いながら、ボンさんがおどけ口調で江戸の物売りの真似をするのを聞きながら、ヒノキの香りのする板敷きも新しい風呂場で、背中を太四郎に流してもらいました。

「ボンさんよ、お前本当に声色が上手だ、寄席に出ても受けるんじゃねえか」

「旦那からかっちゃいけやせんよ、あっしのは風呂場で聞くからごまかしがきくんでさあ、これが寄席や講釈場とかお座敷だと広すぎて声が届きやせん」

「何だ、ボンさんどこかでやってしくじったように聞こえるぜ」

「おっと、太四郎さんはごまかせねえ、ほんの前座でげすが、子供の頃弟子入りしましたが二年でお払い箱でした」

「やっぱりか、それで素人離れしていたのかよ、よっ風呂場の名人てとこですか」

「さいですよ、おいらにゃそのあたりが芸の見せ所でげす」

三人で十分暖まり部屋に戻ればお容さんは早くも部屋に戻って浴衣にどてらで、くつろいでおりました。

この宿は料理旅館の部屋が上の間で、普通の旅人は建物が別口になっています、寅吉たちは金目のものはあらかじめ鍵のかかる帳場にあるたんすに預けることにしています。

お膳も出ていて寅吉たちが階段を上がるのを聞きつけたか、お鯉さんが暖かい汁碗とお櫃を持った女中を従えて現れました。

「さぁさぁお食事にいたしませ、今だんなの好きな鯊やあなごをてんぷらにして持ってまいります、うなぎの蒲焼はいらねえとお供さんが申しますのでやめにいたしました」

ほんに冗談と判っていても寅吉はおかしくなって大きな声で笑ってしまうのでした。

「マァうちの旦那のうなぎ好きは此方様でも評判ですか」

「はいそうなんですよ、かならずこれを言わないとうなぎを食うかと旦那が言うので、だしてくれるなと千代さんにもたびたび言われております」

笑いの絶えない食事は楽しく進み、皆が満足して食べ終わると「明日は六つ半に出るからそのつもりで夜遊びもほどほどにしろよ」二人にはそういって部屋に引き取らせました。

翌日は風もなく歩くにはよい日和でございました。

六つには朝餉も済み、足ごしらえも済んで「少し早いが出かけるとしょうか」と時間を見れば7時15分陽も出てきて六郷に出ると船を待つ人も大勢出てきていました。

船賃を払い順番を待ち乗り込んで冷たい川風に身をすくめている寅吉でした。

渡し場から土手に上がる頃曇り空になり少し風が出てきた街道を梅屋敷まで進み、ここで梅干と和中散を求めてボンさんに持ってもらった。

鈴ヶ森を過ぎて泪橋を渡れば品川の宿、南品川本宿の問屋場の春駒屋さんで挨拶をして、お雪さんと婿さんの政司さんが働く義士焼きの店に顔を出しました。

お雪さんは寅吉がお容と一緒になる前の10月に婿を取りました、今はまだ大旦那が元気なので義士焼きの店と煮売家をまかされています。

この店で辰太郎さんがビールをおごってくれたのは夏の頃で、義士焼きを任されていたお雪さんと政司さんが相思相愛で旦那に「一緒にさせてあげてくださいと」口を聞いたのは辰太郎さんでした。

綿屋さんは政司さんの親戚筋だと言うことで前々から親しく辰太郎さんが行き来していた関係で仲人口をきいた形でしたが、なに旦那はとっくに承知で何時になったら一緒になるというか待っていた節もあります。

まだ時間は10時を廻ったばかりでこれならどういこうと陽のあるうちに神田に戻れると寅吉はゆっくりと歩くことにして、目黒川を渡り三田を目指します。

泉岳寺の門前を通り、高輪の大木戸も通り過ぎて、増上寺門前も今日は通りすがりに挨拶代わりに拝んでいくだけにしました。

日本橋を渡ったのはのんびりと歩いたせいか、八つの鐘がなり終わった頃「やはりお江戸は賑やかですね」容はそういってわずか半月ほど留守にした町を懐かしげに見渡すのでした。

雉子町では養繧堂さんで帰着の挨拶をして連雀町に入りました。

「今帰りました」容がそう声をかけると「お帰りなさいませ」店の女たちがぞろぞろ出てきて挨拶を交わしおつねさん、お文さんも座敷から出てきました「さぁさぁ、そんなところで挨拶ばかりしていないで足を洗うすすぎの用意をして、お前さんたちも早く座敷に上がりなさいよ」

二人の供は荷を降ろすと「佐久間町へ廻りますが何かお言付けはありますか」

「いや別にないよ、ご苦労だったね」

彼らは茶も飲まずに佐久間町の店に向かいました。

「蕎麦を頼んでくれよ、俺も容も昼抜きで腹が減ったよ、鍋焼きで頼むよ」

「マァなんですねえ、コタさんは何かというと挨拶より其れが先だ」

「お母様、このたびは横浜へ行かせていただきありがとうございました」

それでも座敷に上がり座に着くとすぐに容がきちんと挨拶をして座がしまりました。

「そうそう、それでなくっちやいけませんよ、コタさんは何時までたっても子供だからお容さんがしっかりしないといけませんよ」

「お母様、もうここの嫁ですから容と呼び捨てにしてくださいませ」

「マァいいじゃないか、そのうちなれるからさ」

そんなたわいのないことから前におつねさんが見た横浜と火事の後にどう変わって来たかなど、こもごも話すのでした。

「遊女が大勢焼け死んだそうだが可哀想な事をしたよね、コタさんがあれだけ気を配っても火事だけは不意打ちのことだから仕方ないといえばそれっきりだけどさ」

「それでも備えがあるからあれでも多くの人を助けられたと、感謝される方も多くおられました」

「そうさ、そういう人もいなけりゃ火消したちだっていざというときに力も出ないよ」

「そうそう、お母様が行きたがっていた十二天の海岸まで行ってきました」

「お容さん、あたしも気をつけるからあんたも、おっかさんというくらいでかんべんしなよ、お母様はこそばゆいよう」

「おっかさん」「なんだい」

二人は顔を見合わせて「フフフ」と声をそろえて笑うのでした。

あの日お怜さんたちと遊んだことなど、事細かに話しをしているうちにそばが来て、あつい鍋焼きをいただきました。

町年寄に出していた内風呂の許可が下りて、新しい井戸を掘る許可も出たので春になったら掘り出すことになりましたとお文さんがお容さんに話しています。

日が暮れないうちに風呂屋に向かい旅のほこりを落として温まり、虎屋に戻ると佐久間町から出てきたブンソウと元治郎さんの話を聞きました

特別変わった話もなく、江戸の商売は順調でございました、ただ町の中が落ち着かなくなってきたことは確かでございました。

「このあとは街中の物価が上がり、町の人の暮らしも楽ではなくなるだろうが皆も気を引き締めて働いてくれよ」

「はい判りました、やはり西からの脅威は江戸の町を襲うことになるでしょうか」

「そうなるだろうよ、勝先生も心配しておられるがアメリカの余剰品の武器が流れ込んでいるから西の諸国に対抗して、俺たちだって天下を狙えるなどと考えるやからが出ないことを願うばかりだ」

「石鹸と香水は相変わらず売れ行きがよいですが、ランプはまだ売れるというほどは町に普及しません」

「其れは仕方ねえよ、ほや磨きに手間が取れるし、まだ夜は暗いというのが当たり前でそれほど不便を感じない人のほうが多いからな、あまりやきもきしないでランプは適当に商売していればいいさ」

「旦那、明日は何かご予定がありますか」

「明日は容と福井町に出かけてそのあと穂積屋さんで打ち合わせさ、その後吉松さんのところへ寄るから、帰りは何時になるかわからねえよ」

「では連絡員を朝のうちに此方によこしましょうか、お容様のお供はどういたしますか」

「そうしてくんな、容はお滝が付いていくだろうから、福井町で時間がかかるようなら二人で帰るだろう」

ブンソウの話がおわり、由松が会計の報告と暮れの割増金を出した後の残金の報告をいたします。

「とらやと虎屋の二つの会計は今年も黒字となる見込みでございますが、余剰金は800両あまりでございます、このうち積立金は400両配当金が400両になる見込みでございます、配当金は二つの店の分と総合の分で帳面を締めて、会計が確定する1月の末に各会計と相談のうえ分配金となりますが時期は其れでよろしいでしょうか」

「其れでいいよ、此方での今配当を受け取れる人はすべてで何人いるんだい」

「江戸関係は前からの四人と今年からいただける四人の合計8人でございます」

「そうか人も店も増えて大変だろうがよろしく頼むぜ」

さらに佐久間町の会計の元治郎さんが報告いたします。

「私どものほうではお恥ずかしい話しながら余剰金の見込みは120両ほどにしかなりません、ただ割増金が出ますので仕方のないことではありますが会計責任者として申し訳なく存じます」

元は大店と呼ばれる店で番頭まで勤めた元治郎さんは白髪頭を下げて恐縮しております、今年六十ではありますが足腰もしっかりしており寅吉は信頼しております。

「仕方ありませんよ元治郎さん、先月三千両もの品物の代金を払ったばかりですから旦那様も其れはご承知ですよ」

「仕方ないどころか俺としては無理に儲けの報告のために仕入れをしないで品物がなくなるよりはありがたい話だよ、とらやのほうは仕入れの在庫を置かなくて済む分、佐久間町がかぶるのは当たり前だよ、配当を受け取れるはずのブンソウや元治郎さんにはすまねえと思っているくらいだよ」

「左様でございますよ、こちらで働くわたしたち配当をいただけるものは佐久間町には足を向けて寝られませんよ」

「そんなら今度佐久間町にきたら天ぷらそばでもおごりなさいよ」

ブンソウにそういわれて「しまったおきていても足を向けるわけにいかなくなりました」

これには寅吉も元治郎さんもたまらず大笑いでございます、ブンソウはなにがおかしいか考えて気が付いたらしくあとからひざをたたいて笑うのでございました。

お容さんがお茶の入れ替えに出てきて「おや皆さん楽しそうに、そんなにおかしな話でも有りましたらぜひお聞かせくださいませ」

ブンソウが今の話をいたしますと、「ホホホ、男の方達はその様なことでも大きな声で笑えて楽しそうですこと」

「この煎餅は固いが美味いな、どこのだい」

「お文さんが、草加から取り寄せたそうでございますよ、塩煎餅と醤油味がことのほかうもう御座いますと仰っておられますよ」

「難点は美味く割らぬと飛び散ることだな、ゴマの付いたやつは売っていないのかな今度聞いてみてくれよ、横浜で売っているのは、やわっ子いのばかりで物足りねえんだ」

「おっかさん達は近江屋の羽衣煎餅のほうがいいと言いながら、それでもおいしそうに食べておられましたよ」

「オイオイ、おっかさんたちだって夕飯前だろうに、いいのかよそんなに食って」

「まさか一枚くらいでおなかが膨れるわきゃありませんよ、辻占煎餅を銭湯に行く途中でいつも買って食べるのが楽しみなくらいですもの」

お容はそう言ってからお茶を注いで戻ってゆきました。

 

 ・ 師走

寅吉が迎えに来てお容は元町から前田橋をとおり弁天通りの店にむかった。

おとといの夕刻に横浜について翌日には元町の店の様子を見に来たところを、お怜さん主催の忘年会に誘われて元町で一夜を楽しく過ごし、寅吉からも明日の昼頃迎えに行くといわれていたのでそのまま元町のとらやでドーナツの揚げ方などをカレンから教わっていました。

「奥さんお上手です、ソウソウ丸くしたほうがおいしそうに見えますよ、きれいに丸くなりましたよ」

「うれしいわ、これでも売り物になりますかしら」

「まだ無理のようね、でも揚げる方は大丈夫よ、油から揚げるタイミングがいいですわよ、まるではなくてツイストにしたほうはきれいに出来ているから売り物になりますよ」

「ではこれは皆さんでおなかの中に処分しましょうね、私が買い取りますわ」

「大丈夫ね、これは試食品にしますから心配要りませんよ、其れに失敗するたびに買い取っていたら働く人がいなくなってしまうわ」

「あら、ほんとね、最初から上手に出来るくらいなら買わずに自分で作る人ばかりになってしまうわ」

寅吉が来たのは昼少し前で、容の揚げたドーナツや、パンにハムを挟んで昼にした。

「なかなか美味く揚がっているぜ」「うれしいわ、これからもドーナツやお菓子を作ることを教えてくださいね」と同じテーブルでお昼にしたカレンやリサに頼む容で御座いました。

ホムラ道から途中寄り道をしてS・ジェームス商会のコープランドさんを尋ねて牛の話や輸入品の到着予定などを教えてもらいました。

横浜牧場の共同出資者としてハワード・フレッチャーさんと共に経営者の一員となっていますがS・ジェームスさんが輸入商・フレッチャーさんが牧場、コープランドさんが販売と輸送業と仕事を分けて経営されています。

元は公使だったプリュインさんが資本家でジェームスさんが雇われていましたが帰国後に3人の共同組合組織になったものですが、寅吉は先行きにいい印象を持っておらず、気の弱いフレッチャーさんが追い出されないか気にしています。

プリュインさんも気になると見えて、根岸に牧場を造っておくように頼まれたのもその予防措置でした。

太田町へ出て再建がなった留吉さんの牧場を左に見て「ここは光吉の知り合いがやっている牧場だよ、前の火事のときはいち早く牛を前田橋の際まで誘導できたから被害は家だけで済んだんだ」

「牛は火を見ても怖がりませんのかい」

「そりゃ間近で見れば暴れもするだろうが、いつも歩かせる訓練をしていたから素直に歩いたそうだぜ」

光吉に借入金の返済の猶予の申し出があり一年間の無利子での猶予を便へたのは火事のすぐ後でした、牧場の再建資金のほうは大丈夫かと聞くと「その分は資金があります」との返事で思った以上に牛の乳が金に成るので蓮杖さんなど「俺も牧場を始めたほうが儲かるかな」などと光吉に話すほどで御座いました。

焼け出されたかたがたを援助された中には、弁天通り四丁目の野沢屋の茂木惣兵衛さんや三丁目の亀屋善三郎さん、勿論そのほか大勢の方が再建に尽力されたことは事実なので御座います。

弁天通りのとらやでお容は働く人たちと共にお客の相手をしている間に、寅吉は横浜物産会社で橋本さんと打ち合わせをして、お容を迎えにいき共に入舟町あたりを覗きながら吉田橋を渡った。

野毛に戻っても今日は特別の用事もなく、二人で喜斎さんの描いた横浜の在りし日の様子や、今の横浜との建物の違いなどを話しておりました。

「亜米一の建物はずいぶん様子が違いますね、英一も前より大きくなったようですし、張り合っているのでしょうか」

「その様だ、今度はだいぶ洋式になったから、横浜もロンドンやニューヨークに近くなったという話だよ」

「では横浜に来ればロンドンやニューヨークが見られるということでしょうかしら」

「そのままと言うことはないだろうが、よく似た町並みになるだろうぜ、ほらこれがロンドンの写真だよ」

「マァ大きな建物ばかり、横浜はまるで箱庭くらいのものじゃないですか」

「そうかもしれないよ、今回は下総から石を切り出してきて本格的に土台から作っている洋館もあるが、まだまだ向こうの町並みとは違いがありすぎるかもな」

「でもいつかは同じような町並みになるのでしょうかしら」

「近づくことはあっても、日本人はなかなか木の家から石造りのいえに移り住むのは難しいだろうぜ、せいぜい洋館風の建物にするのが精一杯だろうぜ」

太四郎が書いた寅吉が住みたい家の設計を、喜斎さんが絵にしてくれたものなど見ながら、二人の話は弾みました。

同じように千代とお鳥さんもコタツで晩酌をしながら、料理屋の間取りと使い勝手について盛んに話しております。

「太四郎さんとワトソンさんにTJの三人で描いてくれたものだが、お鳥の意見も聞いて手直ししたいところがあれば、教えてくれと言う話しだ」

「この間取りだと、今までの料理屋と違い贅沢な造りだねえ、部屋と部屋の間に廊下が必ずあったり厠が何ヶ所もあったりさ、あたしたちの住まいだって三部屋もあるじゃないか、使いきれるもんじゃないよ」

「其れなんだが、俺の客や仕事関係のものが来たときに、店を使わずに個人の部屋を使えるように旦那がそうしろと考えてくれたものだそうだ、ほれこの部屋など十畳もあるだろう、だから普段は使わなくてもいいんじゃねえか」

「そうかい、ではお前さんの個人的なお客が来たらそちらで接待することにするかねえ」

「そうしねえ、そうすりゃ店に迷惑がかからずにすむだろう」

朱の筆で何箇所か印をつけて太四郎に回すことにして二人は休むことにしてお鳥さんは銚子につまみの皿などを洗いに台所に行きました。

ほとんど手直しのない図面は、明日にでも太四郎に届けようと千代は布団を出して自分も着替えるのでした。

翌日、暮れの26日はここ横浜もせわしく人が行き来しています。

火事で焼け出された人たちも落ち着く先がほとんどきまってきて、店の様子にも活気が戻り、暮れの商戦に小間物や日用品を扱う店から、武器商人までもが忙しく立ち働いて居ります。

お容も今日は野毛のとらやでお客の応対に追われて居りました。

「今度来た売り子の姐さんは様子がいいね」

「本当だ、お江戸で磨かれたような垢抜けたお人だよう」

そんな声が表から聞こえるほどお容さんの働く姿は生き生きとしておりました。

まだ勘定が間に合わない様子にも、微笑んで待ってくれるおかみさんや、使いっ子の小娘たちさえポーッと見惚れるほどでございます。

「いらっしゃいませ、なにになさいますか、ドーナツも揚げたてでおいしうございますよ、義士焼きはもう少し待ってくださいね、いま少しで焼きあがりますから」

列を成すほど待ってくださるお客にお愛想を言いながら次々に来るお客に忙しく応対をしております。

「おかみさん、少しは休みながら応対しないと疲れますよ、ここはわたしたちがやりますから少しお休みください」

きん、と言う娘がそう声を描けて、容を少し座らせて義士焼きを包んでお客に渡す仕事を換わりました。

昼前にようやく人が途切れて「いつもこんなに忙しいの、あなたたちも大変ねえ」

「まさか一年中こんなに忙しかったら体が持ちませんよう、暮れと春先は特に忙しいので午後は人が何人も手伝いに来てくれますから楽になりますよう」

「アラ、前来たときはあなた達だけだったけど新しく雇ったのかしら」

「いえ忙しい日は大体わかるので、昼からは横浜物産会社で働く方たちの、おかみさんが何人かずつ別れてあちこちの義士焼きのお店に手伝いに出るのですよ」

おきんと、同じ年頃のお兼も口を添えて、

「義士焼きを焼くのも、あたしたちでも出来るようになれという春さんの指導で、交代で焼くことにしていますから、此方の栄蔵さんも午後は息抜きが出来ますのさ」

「お昼からと言うのは何か理由でも有るの」

「家の掃除や洗濯物など始末してから出られるように旦那が九つから七つまでにしようと決めてくれました、後片付けはあたし達で行いますから、おかみさんたちはまた亭主や子供たちの世話に戻りますのサァ」

容は夏が暇なのも聞きだして、何か夏の仕事にもおかみさんたちに出来るようにしてやればお足が稼げてよいだろうと、寅吉にどうしいているのか聞こうと心に留めるのでした。

その頃寅吉は137番のS・ジェームスさんとW・コープランドさんに呼び出されていました。

「やはり三人で仕事の分担をしていても、利益の分配でなかなか足並みがそろわんのだ、プリュインさんから困ったときは君に相談するように言われているので相談だが今期の配当を持って組合の解散をしたい、君はどのようにすべきかその様なときの事を聞いているのか、各事業収益の割合で持って財産の配分をしたいのだがどうだろう」

「あのときのことは、クラークさんが公正証書にしたためてあります、土地についての権利は牧場はフレッチャーさん、この137番はジェームスさん、そして同程度の土地の権利金に相当するものをコープランドさんに優先的に割り当て、残りの保有金品の60パーセントを三人で等分に分けて、さらに40パーセントのうち10パーセントをプリュインさんが権利を持っています、これはご存知の通りでございます」

「そこまでは判っている、しかしこの証書を改めて読んでみると、残りの30パーセントは商品、金高、その他の有価物品となっている、これは牛も含んでいるのか」

「ですが其れは公使が退職するときに口頭でフレッチャーさんに贈与されたことはご存知でしょう、組合は牛の乳を販売するだけのはずです」

「では牛は除外しても、わたしたちの商品も含まれるのか」

「其れは公使から金品として余剰金をもって100とすると申し出がありましたので、牛もそうですが此方の商品は日にちをきめて、その日の残りの商品はお二人で分配してよいということになっています、これはクラークさんが覚書をお持ちになっておりますからフレッチャーさんは牧場と余剰金のうち20パーセントの権利があるだけです」

「判った、では私も新しい土地の権利金と20パーセントの金に商品の残り50パーセントの権利があるんだね」

「待ってくれ、それでは私が損じゃないか、品物の輸出も輸入も私がやっているようなものだ、其れを君に50パーセントも取られるのではたまらんぜ」

「待ってください、余剰金のうち30パーセントの話がまだです、日にちを決めるということはすべての商品を売るか、品物の決算を行うかということをしないと確定しませんよ、フレッチャーさんは細かいことは言わないでしょうからお金の30パーセントを取るか商品を取るかそれとも共に半分にするかはお二人で相談してください、もし決着が付かないようでしたらクラークさんに立ち会っていただいて今の話をして決めていただくのも手でございます」

「どうだろうジェームス、今ある商品を棚卸して其れは君のものにしてこれからの会計から別にしていいから、今ある余剰金を100として、計算しようではないか勿論その中から200坪に相当する一年間の地代を私が受け取るということでどうだろう、売掛金は100のうちに算入して君が受け取る20パーセント以上なら君が責任を取るという条件付だが」

「其れはいいかもしれない、フレッチャーが其れで納得すればだが」

「其れはお任せください、牧場が残ればそれでさらに20パーセントのお金を分けていただくということでお話を纏めます、ただしクラークさんを交えて、決算書を出してくださいますか」

「判ったではこれから三人でクラークさんの事務所にいって話を纏めよう、フレッチャーには其れからでもいいのか」

「はいフレッチヤーさんには日本に来たときにプリュインさんが立会いで何事が有っても寅吉が取り決めたことに従うという書類にサインをいただいてあります」

「驚いたぜ、本当に用意周到ださすが敏腕弁護士のプリュインさんだけのことは有るな」

「いやジェームス、寅吉が千里眼だという噂は本物だということじゃないのか」

「まさかただの噂でござんすよ、公使がスネル兄弟を牧場よりも商売が向いていると見込んだときに、やはりフレッチャーさんを商売に不向きだと考えて、細かいことは私に一任されたからそう見えるだけでございますよ」

「スネルといえばあの兄弟着々と根を下ろして儲けも大きくなっているらしいな」

「あれもプリュインさんが亜米利加の余った武器のうち程度のよいものだけをえらんで送ってこられるので、買ったものが信頼してまた注文を出すからですよ、ほかの品物にしても送り主の信用が有るから売れるのですよ」

三人で話し合いながらクラークさんの事務所で新しい契約を結び、明日からクラークさんの事務所員が立ち会って決算書を作成することになりましたので、寅吉は牧場に向かいフレッチャーさん一家に報告いたしました。

「そうかやはりあの二人は仲たがいしたか、仕方ないことだが俺はここが維持できれば何も言うことなどないぜ、それに払い込んだ組合費は高々300ドルだから本当を言えば其れが戻れば何も言うことはないが、なになくともどうと言うことはないさ」

「大丈夫ですよ、実は売掛金は私が把握しているだけで二千両は有るはずです、ドルにすれば2670ドルあまりですから資産状況によっての配当は750ドルを下ることなどないですよ」

「本当かい、それじゃあいつらが夢中になって二人で分けたがるはずだぜ、半分にしてもすごいことだな」

「感心していてはいけませんよ、元はといえばあなたと公使の金が40パーセントの組合ですよ、もらえるものは貰っておきましょうや」

後の話ですが、現金で1755ドル20セント、売掛金が2400ドル45セントで4155ドル65セントあまりでした。

一人当たりの配当は771ドル33セントでした。そして公使は386ドルを受け取ることになり、あらかじめ取り決めてあったとおりに孤児の家に寄付されることになりました。

コープランドさんはご自分の配当と一年間の地代の他にジェームスさんと折り合いの付いた金額を手に入れ、翌年の4月に仮事務所から134番に新しい事務所を開きました。

話は暮れの26日の横浜に戻り、寅吉は元町で連絡をつけ夜はアルの夫婦やゴーンさんの一家とウィンザーハウスで食事をすると伝えました。

「どうだ、アルよ山手の水は売れ行きがいいのかい」

「前の車橋のうえの水も人気だが、こっちの水も美味いと評判だよ、あと貸家の向こう側天沼あたりの湧き水も美味いが運ぶ荷に苦労しそうなのであきらめた」

「そんなところまで調査したのかい」

「喜兵衛さんが教えてくれたのさ、68番と病院の間の道を北方へ抜けるだろう、あそこを少し下ったところさ、俺の住んでいる貸家と山を挟んで向かい側だよ」

「それなら同じ水脈みたいだな」

「水屋の連中もそういっているよ」

今日のメインディッシュは平目のムニエルでした、お肉が食べたいというソフィアのためにライオネルが用意したものは、ハンガリアンパンケーキでした。

ポテトのパンにビーフシチューを挟んだように見えソフィアは大喜びでした。

ライオネルが気を利かせてほかのものにも試食してくださいと小皿に取り分けて分けてくれました、熱いシチューにポテトの味が良く相って美味いものでございました。


 ・ 新聞

元旦に後厄のお払いをかねて川崎のお大師での初詣をした後、春駒屋さんにも言われていたので品川に泊まり、この朝江戸の町に入った寅吉夫婦はまず勝先生の家に向かい新年の挨拶に伺いました。

この当時の挨拶は「初春の御慶申しあげます」など堅苦しい中にも決まりを守ると割合に楽な面もありました。

御喰積みというか、にらみ鯛のようなものをみせて下さるという風習が寅吉にはなんかなじめませんでした。

「寅さんよくおいでくださいました」、などと小太郎さん(孝子)に言われ照れてしまう寅吉でした。

「寅さんがコタロウから寅吉になってその分あたしが孝子より小太郎と言う方が、おてんばなお前に似合いだなど言われるの」と面白おかしくてぶり身振りで話すお嬢様は寅吉がこのお宅に来た頃と同じ活発なままです。

先生は「この一年また静養でもするかい」などのんきなことを言っておられますが、あちこちと手を打って回るのに忙しいのは、もう直に終焉を迎える幕府の命運をかけてどのように対処すべきか、その時にじたばたしないように上から下までの手当てに忙しいのでした。

「母ちゃん新年明けましておめでとうござります」

「かあさま新年おめでとうございます」二人でおつね母さんの家に行き、屠蘇を頂きコタツで転寝をしておりますと、「あけましておめでとうございます」とお琴の声がするので起き出して居間に行き互いに挨拶を交わしました。

「兄ちゃんに相談があるんだけど」

「何でい、言ってごらんよ」

「実は父様が脚気のような症状なの、我が家のクスリでは効き目がないし、何かいい治療法か養生の方法を居留地のお医者様に聞いていただけませんか」

「いいとも、だけど今はまだ治療法のいいのが見つからないのがなぁ」

とため息をつくと「あなたそんな他人じゃあるまいし、すぐにでも横浜に人を遣ってくださいな」

正月で連絡員もいないので「よしよしちょっくら岩さんのところに言って誰か人を借り出してくるか、お琴もおいで、母ちゃんとお容は少ししたら来ておくれよ」と二人で岩さんのところに挨拶に出かけました。

お京さんと岩さんに新年の挨拶のあとで人を横浜に手紙と詳しい話をして早で行くように頼みました、二階で相談しょうと岩さんに言うと心得顔で「お琴さんも先生が来て昼寝しているから挨拶していきな」と誘って上に上がりました。

もう家から外に出てきている先生の神出鬼没には驚いてしまいます。

脚気の話をすると「おいらの親父もそれで苦しんだよ、脚気はわるくなると心臓にも来るから大事にしないとね」とお琴を慰めてくださいました。

「実はそのことなのですがね先生、おいらたちの時代に脚気はビタミンてぇやつ、何でもオリザニーとか聞いた覚えがあるんでやすがね、そいつが不足して起きるということは解っているんでやすよ、しかしその治療ぅ手やつが厄介で、何でも米の胚芽というあの角っ子のやつ精白すると取れるやつが必要なんだそうですぜ、それで麦がよいとかとか玄米を食べろとか言うので美食になれた旦那衆は治療するのに苦労があるんでげす」

記憶の糸を手繰るように寅吉は話すごとにいろいろ思い出してきました。

「米ぬかを食べても限界があるので、その中の滋養分をどうにかして取り出せるかわかりゃ簡単なんでげすが」というとお琴が「兄さん米ぬかから滋養分を取り出すならクスリと同じように煎じて見ればどうにかなるでしょうか」

「マテマテ、おめぇち横浜に人を遣ったんだろ、そいつが帰ってだめならおいらが良順さんに聞いてみるよ、だめというよりゃ今は江戸に来ているから一緒に行こうぜ、おめえ達の事を話してもこん人は信頼できるからでえ丈夫サァ」という話がまとまってお琴の家にはお京さんがお琴のお供さんを帰して行き先を告げていただき、4人で下谷和泉橋際の医学所近くの先生のお宅まで向かいました。

暮れに江戸に薬や器具を調達に来てまだしばらくは江戸に居られるそうでした。

松本先生に相談すると「そりゃ脚気に苦しむものには良い情報だが、こん人たちのことが本当だとその情報を公開してしまうのは危険じゃ」

事細かに寅吉のことを話すまでもなく、寅吉のことは董くんからも聞いていたらしく簡単に了解してくださいました。

「どうすべぃ、どうだどうしても困っている人以外には使わないと約束しようじゃないか、それでどうすりゃいいんだ」といわれるので先ほどのビタミンの話などお知らせすると、涙を流して「先君のお命を少しでも永らえさせるのはそんなことで良かったのか、慶喜公が将軍になられて早一月だが食事から気をつけていただかないといかんな」と涙を流しながら「安定させるには、ナンじゃかんじゃぬ〜〜ぬ〜〜」とうなりながら「お琴さんとやら中から栄養を取り出して安定させるにゃ酢で煮るしかないかもしれんぞ」

「ヘ、酢でござんすか」岩さんが頓狂な声をだすと「そじゃそじゃ、酢なら栄養が閉じ込めたまま溶けて出るじゃろ」「しかし酢だけじゃ飲めるもんじゃないから、糠一升に酢を二合ほどと後は水をどのくらい加えるかじゃな」

「解りました、店の者に命じて色々割合を変えて試させて見ます、兄さんあと気をつけることはな〜に」

「そうだな、さっきゆったとおりに食いもんに気をつけて、おかずも糠漬けに納豆、あときらずを味に気をつけて野菜と炊き込むとかしてごらん、パンが食べられるのなら毎日でも届けるからそれも良いんじゃないかな、魚も干物にしたものを少しでも食べていただくように気をつけなさい」

「オイオイパンが毎日手に入るなら2、3回に1回くらいは届けなさい」と松本先生がおっしゃり、海舟先生も「焼きたては格別、格別」というのでお届けの約束をいたしました。

松本先生が「ワイが顔を出して指図したことにすればそれで病人もいやがらずにお琴さんに従うじゃろ」と皆でお琴を送りながら雉子町の養繧堂さんまで籠を連ねて向かいました。

岩さんは駕篭かきの兄いと冗談を交えて急ぎました。

養繧堂さんではお上さんが心配して帰りを待っておられましたが、勝先生と松本先生が「ごめん」とずいと入っていかれるのを見てびっくりなさっております。

「ご主人の脈を取り見たところ話に聞いたとおりのようじゃ、お嬢さんに詳しい治療法を話しておいたからすべて指図に従えば回復間違いなし」と御殿医の権威のままにおおせられると「間違いなくお指図の通り養生いたしまする」とご夫婦で私たちを伏し拝むように約束なさいました。

早速お琴と私は台所に下り、大きな鍋に湯を沸かしさらしを袋にして糠を小丼1杯に酢を少量ずつ溶かしいれながら酸味が強くならない所で止め煮出すことにいたしました。

何度も糠を入れ替え十分に詰まったところで器に移し替えあら熱を取り、病間に持参居たしました。

この間に先生が処方されたクスリを番頭さんが取り揃え店で煎じてくれていました。

二つを混ぜ合わせながら、「どれどれ」と味見した松本先生は「これで効き目が薄ければまた往診に呼びなさい」といかにも自信ありげにおっしゃられ湯飲みに一杯飲み干すのを診て、「何杯でも飲めるだけ飲んで良いから、出来るだけたくさんのみなされよ」といい置かれてから籠でお帰りになられました。

「美味いもんだよ、お琴やもう一杯飲ませておくれ」というのでお琴が注ぐとすぐさまそれを飲み干して「なんだか力がわいてきた気がするよ」と効き目があったように思いました。

私と岩さんは先生と共にまたも岩さんの家に向かい、来ていたおっかさんとお容から再度、新年の挨拶を受けご機嫌で夜遅くに「寒くていけねぇや、年には勝てねえね」など皆を笑わせながらお帰りになられました。

良順先生は江戸をあとにまた京に呼び出されたそうで月半ばにはまた京に上がりました。

先ほども出ましたが寅吉にとっては最後の将軍として記憶がある慶喜公が将軍の宣下を受けたということは、おくり名を孝明天皇といわれたあの方がなくなるのもま近いかもはやお亡くなりになったかのことであろうと思うのでした。

パンでございますが、パルメスさんが日本についたのは文久三年の五月でしたからそれからもう三年以上もたちました。

最初は一年の契約でしたが契約を更新して働いてくださっています、昨年の寅吉の配当は60両となり赤字は解消していますので暮れにあと一年の契約を結ぶ代わりに一月からの給与を月45両に値上げいたしました。

出来るだけ稼いで日本で隠居仕事に後継者を育ててもいいという気持ちになったようでございます「兵庫が開港したらコタさんが出す店の傍に店を開いても良いな」など言うこともあるのでございました。

卯三郎さんは17日に横浜から仏蘭西船のアルフェー号でパリに旅発つ予定です。

仏蘭西の教官たちを乗せて来る船です、予定では13日までには横浜に到着いたします。シャノワーヌ参謀大尉を隊長とする軍事顧問団で副隊長に選ばれたのは、ブリュネ陸軍砲兵大尉です。

何度も父やジジに聞かされた名です、あの榎本様や大鳥様と函館で戦われたブリュネさんです。

シャノーワーヌさんは横浜ではシャノワンというほうがとおりがよかったとジジが言っておりました、後に陸軍大臣にまで出世された方です。

正月は穏やかな日が続き七草も過ぎて寅吉は横浜に戻ることにいたしました。

「次は何時頃」

「そうさなぁ、一月は忙しいだろうから二月半ばになるかも知れねえよ、おっかさんと仲良くやってくれよ」

「はい、あなた風邪など引かぬように気をつけてくださいね」

「オオせいぜいうなぎでも食って体力をつけておくさ」

こんなときにもうなぎの話をする寅吉でした。

横浜に戻る岩蔵と共に街道をくだり増上寺に三明様をお訪ね致しました。

「久しぶりじゃな、だいぶ忙しいそうで結構じゃ、時に天子がなくなったのは聞いたか」

「エッ、本当ですかまだ耳にしておりませんでしたが、やはりお亡くなりになられましたか」

「やはりと言うのを見れば、何か予感でもあったか、暮れの29日のことだそうだ」

「横浜の噂では、慶喜公が将軍職をお受けいたし西国諸藩は快く思っていないという話で、何事もおきなければよいと思っておりました」

「ここは将軍家の多くが眠る菩提寺じゃによってな、世間には漏れぬ話も聞こえてくるのだが、大きな声ではいえぬので岩蔵さんは少し座をはずしてくれぬか」

岩蔵が廊下に出ると三明様が手招きして寅吉の耳元で「どうもなあ、信憑性にかけるが帝は暗殺されたのではないかなどという噂が聞こえてくる、帝は世間のことは知らぬし慶喜公がお気に入りでな、先行きのことを考えると討幕の密勅をだそうという動きまであるらしいので、帝が邪魔になったという話まで聞こえてくる」

まさかと耳を疑うようなお話でございました。

これも三明様が寅吉を信頼しての噂話程度でも商売に影響がでないように気をつけよとの配慮でございましよう。

昼前に安養院を出て品川で昼を食べて、春駒屋さんで話を仕入れて商売もして船で神奈川に渡ることにいたました。

「コタさんや、歩くより今日は蒸気船が横浜まで出るそうだ、乗るなら今手代が荷を届けるから一緒にいって交渉してみたらどうだ」

乗れなくてもともとと思い、手代の長吉さんと荷船で沖に向かいました。

「旦那あれはペガサス二世ですぜ」

「オオそうだな、こりゃ助かったな上海に行っていたからこっちにゃいないと思ってたぜ」

「虎屋さんはご存知の船でございますか」

「アア、何度か長崎や、大阪に行くときに乗ったことがあるぜ」

「何でも今回は上海から新潟、函館を大回りして此方に来たそうでございますよ、春駒屋でもロシアの昆布や塩鮭などを仕入れました」

「あの船長も山っ気が多いから、冬の北の海に乗り出すくらい平気の平左なんだなあ」

そのとき思いついたのはあの嘉兵衛さんの顔だったのは偶然でしょうか、交渉するまでもなく船に乗り組みMr.Balfourに再会の抱擁をされて横浜までの便乗を快諾してくださいました。

航海士のJoeと嘉兵衛さんが艫から出てきたのには度肝を抜かれました。

「コタさん、やったぜ氷の目処がついたぜ、五稜郭の堀と池の氷を切り出す権利を取り付けたよ、この船で二百貫の氷を試しに運んできてどの程度目減りが起きるか今調べてるところだ」

「其れはおめでとうございます、氷室の中で夏まで寝かして七割くらい確保できれば商売として成り立つでしょう」

「俺もそう思うぜ、やはり石作りの土蔵に眼張りを施して造るのがいいかな」

「そうですね、横浜では下総や房州から石を切り出して洋館を作っていますがあれを利用して日の当たらぬがけ下などに穴倉を掘って土蔵を中に造るのが一番でしょう」

「穴だけではだめかな」

「山手付近では水が出ますから、穴だけでは氷が溶けてしまうでしょう、ここは金がかかっても二重三重に用心するのがよいでしょう」

「異人たちにも相談して氷室を至急作るか、氷は只みたいに手に入るから、金をかけても損はないだろう」

「それでどのくらい一回に運べそうでございますか」

「100トンの氷を運んでこれるが、それだけの設備がないからそっちが先だな」

横浜までの二時間あまりでの間嘉兵衛さんの蝦夷地でのおかしな風習やロシアの商館の話などあっというまに横浜に付いてまだ話し足りない様子の嘉兵衛さんとわかれて、岩蔵を弁天通りに行かせ寅吉は野毛に向かいました。

10日の日に168番にお住まいのイギリス人宣教師ベーリー Buckworth M. Bailyさんが予告していた万国新聞紙が発行されました。

この頃寅吉はガイが調教している馬の様子が気になり毎日のように根岸に通っていました、明日11日は陽暦の2月15日金曜日でございまして、根岸での正式の競馬が三レース組まれておりました。

参加希望者が多く一レース五頭での三レースとなり、マックの名でオレンジ、ガイのなでラッパリーが出ることになりました。

アーネストはドラゴンに自分が乗って出るということになりました。

ガイは勝負よりも最初だからとラッパリーに乗りますが重いから負担が大きいので勝たないだろうといっております、マックの乗るオレンジが一番有力ですが抽選でレースが振り分けられます、ガイには委員会から同じ牧場で調教してるのだから三レースに振り分けると通達がありました。

カーチスのパリスはアンガスさんが蹄鉄が緩み癖が有るので競馬に出さないほうがよいといわれウィリーはくさっています、石川村に下げて乗馬用にしなさいと言われてしぶしぶ断念しました。

中でも一番張り切っているのはハンナですが、女が乗って出るのは困るというので仕方なく父親の店の中で乗馬が得意な、ヤーヘルト・ヘクトという若者に任せることになりました。

毎日ガイの牧場まで来て2時間ほど手ほどきをここ3週間ほど受けております、ハンナと意気投合して馬を中心として和気藹々とする様子に、ガイもマックもあれは恋愛に発展するだろうと見ています。

ショーターは今6才の牡馬ですが、去勢されていておとなしい馬で小柄なためヤーヘルトにもっとやせろとせっついています。

「もう5ポンドも減らしたのにまだ減らせというんだぜ、家のお嬢さんにも困ったもんだ」

オランダ系のこの青年はそれでもハンナのために、懸命に努力しています。

  
   
   

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幻想明治 第一部 
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カズパパの測定日記



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