横浜幻想
 其の六 三奇人 阿井一矢



登場人物
 (年齢は数えと満とに分かれています1870年)

ケンゾー 1849年( 嘉永2年 )生まれ 22歳
      
( 吉田健三 Mr.ケン )

正太郎  1856年( 安政3年 )生まれ 15歳

清次郎 13歳 花 9歳 まつ 7歳 (正太郎の弟妹)

おかつ 玄三 勝治 千寿 辰次郎 寅吉 容 春太郎 千代松 伝次郎

井関盛艮(知事・もりとめ)安部弘三 斉藤敬之

佐藤政養(與之助)  佐藤新九郎(立軒) 

亀次郎 倉 駒形町新地 → 尾上町

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太 松太郎 孝 ( 街の子供たち ) 

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト  

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 6才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 26才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 27才

天下の糸平    ( 田中平八 )

海坊主の伊兵衛親方( 丸岡の親方 )俊 境町二丁目

喜重郎      ( 丸高屋の親方・高木喜重郎 )駒形町三丁目

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地(常盤町五丁目)

内田清七     ( 京屋 清七 )真砂町 


 三奇人

ついに今日はThe Gaiety Theatreのこけら落としだ、MJBの言うにはTheater openingだそうで吟香さんは劇場開きと約した。

表では英吉利第10連隊第一大隊軍楽隊のにぎやかな演奏が繰り広げられていた。

開場時間は午後の一字、今日はオープニングセレモニーとしてハンナがピアノを弾いてガティが歌を歌った。

「ハンナのピアノの題Ritter vom SteckenpferdKnight of the hobbyとでも約すからさしずめ玩具の騎士だな」と吟香さんが正太郎に教えてくれた。

ガティのは宗教音楽だった。

Joy to the world! The Lord is come
Let earth receive her King
Let ev'ry heart prepare Him room
And heaven and nature sing
And heaven and nature sing
And heaven and heaven and nature sing

「其の侭約すとおかしなことになりそうだな」吟香さんは首をふっていたが

「世界に喜びを主は来られる、世の全てが彼女の王を受け入れなさい。そう約せばいいかな」と歌が終わった後も考えながらささやいた。

正太郎もいろいろと考えていたが歌詞を書いてもらわないと無理だなと思ったし「天国で主が歌うでは可笑しな約し方なのかな、其れとも普通に自然が唄うでいいのかな」と幕間の間吟香さんがアラディンという名前の劇の内容を話してくれている間も考えていた。

「アラビアのおとぎ話だ」そういってから大体の筋を教えてくれた。

歌舞伎のように女性の役を男の人がするのはあまりしっくり来なかったが、それなりに筋立てが分かりランプの精をキンドンがやったときには思わず笑ってしまったが、劇場中が同じように大笑いで和やかな雰囲気で劇が終了した。

「可愛い坊や」という一幕ものが次に有るのに、東京に居たはずのアーネスト・サトウが出て行くのを見た吟香さんが「正太郎君、今出て行ったすらりとした紳士がコタさんの友人の英吉利のMr.Ernest Satowだよ」

「エッそうでしたか、僕の所からは見えませんでしたが東京に居ると聞いたばかりでした。横浜に用事でも出来たのかな」

「そうかもしれないな、先月英吉利から戻ってきたが日本中を飛び回って忙しく活動しているようだ」

何時もながら吟香さんは話が大袈裟だなと正太郎には思えたが、忙しい人だというのは本当だ。

其の吟香さんだって最近は寅吉旦那より忙しく飛び回っているのだ、去年結婚したばかりなのに目薬の販売、稲川丸の単独経営、天津氷は実現していないが旦那の函館の氷の池を譲り受けて、中川屋さんの横浜氷会社の向こうを張って東京で横浜氷室商会を開いて、氷の販売を始める予定で函館まで出かける気だ、ヴァンリードさんと決別してもしほ草の編集から離れた分「閑なんだ」と言うのだ。

忙しい人といえば蓮杖さんもその一人で馬車屋にリキシャ、写真館と乳牛の牧場、写真館の近くには寅吉の旦那が貸していた舶来茶屋という名の店を譲り受けて一階はビリヤードの台を置いて遊技場、二階はコーヒーハウスを開いた、正太郎はこの人の働くすさまじさを寅吉の旦那が横浜三奇人といつもからかうのを聞いて尤もだと思うのだ。

「コタさんこそ前は忙しく働いていたのに、最近は自分では商売の手を広げないのは横浜七不思議だ」と応酬しているのを何度も見かけた。

三奇人とは、高島嘉右衛門さん、岸田吟香さん、下岡蓮杖さんのことだというのは直ぐに分かったが、七不思議の由来はまだ分からないのだ単なる例えなのかも知れないと正太郎には思えた。

寅吉の旦那は横浜では蓮杖さん、高島屋さんの影で資金の提供に甘んじているほうが多くなっていたのだ。

旦那が建築は高島屋さんと丸高屋のほぼ半分の権利を持っているらしく神戸へ出た太四郎さんの後釜を虎屋からは選ばなかったし、横浜物産会社以外はどんどん独立しろと働く人を応援していた。

虎屋の春さんは「いやです、俺は此処で十分です」と自分の下の人には独立を薦めても自分は動くことを拒んでいたのだ、その春さんの配下の人も同じように独立することを選ぶ人は少なかった。

其のアーネストは寅吉の待つ牧場まで馬を急がせていた。

恩賜による一時帰国前に海舟先生から貰ったhusimiで、帰任したときに石川村の寅吉の厩舎から引き取っていった愛馬だ。

Ernest Satowから預かったDragonはどうしても頭を取れないのでそろそろ引退かと治助が言い出していた、このシーズンも春に続いてリューセーが一着を取っただけだったのだ。

アーネストは寅吉と馬を見て、「もう少し何とか為らないか」「そうさな、まだ八歳だからあと二年は走れるだろうが二着が多いのだよ」「だめかな」そうともいえないが最近の馬は強くなってきたから、そしてグラバーも建て直しを考えようといってきていると聞いて「では来春使って頭が取れなければ最後にしよう、乗馬用なら使い道は多い」と決まった。

「矢張りガイに替わる指導者が居ないといけないかな」

「其れも考えたが今のスタッフは横浜ではトップクラスだとおもう、だが最近は騎手に適した清国のものやインドの者までが多く来ているからな。乗り手のせいもありそうだ」

「騎手の養成が必要か、馬と騎手の両方では金も掛かるな」

「そういうことさ。日本人の馬主が参加できる競馬が出来るようになれば金を出すものも居るだろうが、儲けにはならないし自分の馬を走らせるのに一年で百ドルでは足りないだろうな」

「俺の馬にそんなに請求書は回ってきていないぜ、ほぼ二年留守にしたのに八十ドルだけだったぜ」

「そりゃそうだ、出場料とえさ代アンガスの親父の手間代しか請求していないからな。普通はそれに厩舎費用、牧童の手当て訓練の経費が必要だ」

「そういう計算か、それなら高い馬を買ってきて走らせれば勝てそうかい」

「いや英吉利や仏蘭西から連れてきてもそう上手くは行かないさ、例のラッパリーだって時間が掛かったからな。買い付け費用とレースの賞金では釣り合いが取れないのだぜ。でもなオレンジの子供達が三頭今年三歳になって来春にはレースに参加できるから面白いかもしれんぜ」

「では一頭は俺の馬にしてもいいか」

「帰任祝いを出していないから好きな奴を選べばいいさ」

畑蔵が牧童に連絡をして治助、小吉、準之助の三人が三頭の牡馬を連れてきた。

「オッ全部牡じゃないか」

「この年の牝馬は買いたいというものに売ってしまったのさ、去年の牡馬は西郷兵部大丞の帰国祝いに上げてしまったからあと牡馬と牝馬が一頭ずつだ。今年の馬は牡馬が三頭に牝馬が一頭残っている」

「あのミカンという馬がそうか、母馬は英吉利の馬だと自慢していたそうだぞ。コタさんから貰ったならペデローテの子供か」

「そうだ馬の系図は要らんというので渡さなかったから詳しく覚えていないのだろう、牧童をつけたから其れに聞けば分かるのに気にしない所はあの人らしい」

「そういえば吉之助の一番下の小兵衛はどうしている」

「時々横浜へ来るが一年のほとんどは鹿児島で殿様の下でお役についているらしい。西郷先生がおまんは東京の毒にあたることは無いとこっちにはほんの連絡にしかよこさないらしい」

「吉之助の若いときに一番似ていると昔聞いたことがあるが本当なのかと疑うほどいい男ぶりだったぜ」

「西郷先生も島流しに会うまでは細身で筋肉質だったそうだと聞いたことがあるからそうなのかもしれないぜ」

そうは言っても西郷先生のあの体格はそんな昔を思わせる影もなかった。

Yuzuは白鹿毛、Lemonは黒鹿毛、Limeも黒鹿毛、オレンジに似ているのは色が違うがゆずが一番だなと寅吉と畑蔵が勧めたのでアーネストはyuzuに決めた。

「前に磨墨と言う馬の話を聞いたが真黒だそうだな」

「今から八百年も前のことだからな、伝わる話では黒い馬だったそうだが、墨黒といわれている毛色だそうだ」

「墨の色か、それで磨ると言う字で磨墨なのだな」

日本の字にも堪能なアーネストらしいと寅吉は「それならyuzuと言うのも説明は要らないな」と水を向けた。

「勿論知っているさYuzu orangeと言う名で知られている香りのよい果物だ寅吉は知らないだろうから教えてやるとラテン語と言う欧州で通用する言葉でもyuzuと言うんだぜ、清国ではyo^uというそうだ。其れより黒鹿毛にオレンジとつけたのはなぜだ、今まで気にもしなかったが急に知りたくなった」

「あの馬を買ったときにたまたま家に橙というオレンジに似た果物が有ったのさ、其処から思いついたんだ」

「アアあのJapanese bitter orangeか」

苦いオレンジというのが英吉利人の橙につけた名前だ、アーネスト・サトウの博識はとどまる所を知らなかった。

話は高輪に居るパークス公使のことになった「ついに公使は鮫島との会見をしなかったぞ、もう船はPacificOceanの真ん中だろう」

「ああ、グレゴリオ暦の11月25日の土曜日に出たからもう11日目だ、サンフランシスコまで順調なら25日もあればつくだろう」

同じ船では横浜の有力商人や大蔵省などの随員を従えた伊藤さんも亜米利加へ向かった「鮫島さんは苦労するだろうな」と寅吉はおもった、何もデ・ロング亜米利加公使やウートレー仏蘭西公使にブラント独逸公使に会ってしまってからパークスというのはいかにも英吉利を軽んじた行いだ。

そのJapan号には領事館のラウダー夫妻も恩賜休暇で乗り込んでいた、アーネスト達が帰任しての恩賜休暇だ。

横浜からは増田嘉兵衛、吉田幸兵衛、鈴木保兵衛、橋本竹蔵の四名がワシントンに赴き各方面の産業状態を調査するのだ。

政府は財政制度調査(貨幣制度視察団)のために米国へ福地桜痴・芳川顕正も同道して二十一名を送り込んだ。

「仏蘭西ももうだめだな、皇帝が捕虜になるようではどうにもならんだろう。今の政府はまだ仏蘭西に未練があるのかな」

「そうでもないだろうが、木戸参議はパークス公使と馬が合わないようだ。せめて伊藤さんがもう少し上の役になっていればともかく英吉利優先とは行かないのだろう。寺島さんも其れで苦労が絶えないようだし独逸への留学生が盛んにプロシャのことを褒め上げてこれからの日本はこの国をお手本にするべしと意見書を送ってきているらしい」

アーネストはプロシャと聞いてフフンと鼻を鳴らして一蹴した

「俺が帰ってきたら向こうで聞いた話と違い佐賀に主導権をとられて居たのに、今度は長州の裏工作の巻き返しだ。坂本が死んだら土佐は後藤の放漫が目に余るし板垣はむくれて引っ込んでしまうし、吉之助は薩摩の人間に総引き上げで国へ帰って来い等、無茶を言っているらしいしどうにも目茶苦茶だぜ。勝がせっかく骨を折ったのにまた幕府のときのように肩書きだけの高給取りばかりじゃないか。大久保と木戸だって間を取り持つものが居ない今は、岩倉だけじゃあの二人中々歯車がかみ合わんぞ。大隈と江藤は辛抱をして時期を待つということが出来ん、あれはバーベックの影響だな土台佐賀の人間は理想に走りすぎる」

普段あまり愚痴を言わないアーネストにしては珍しく雄弁だった、日が落ちるまで根岸に居た二人はウーロン君と食事の約束しておいた多満喜へ向かって馬を急がせた。

其のころケンゾーはまだ神戸で仕事をしていた、英一の依頼の売り込みのことでウィリーと一緒にこちらの商館に来ていた。

大阪で土佐藩の九十九商会との商談の進行が遅いので其の話し合いに出てきたのだ、大阪にはグラバーも出てきていて岩崎は土佐藩の夕顔丸で海運にも乗り出していた。

九十九商会は長崎土佐商会を閉鎖した後、堀江の土佐藩蔵屋敷で土佐大阪商会、土佐開成社と名前が次々と変わり今は後藤に代わり岩崎弥太郎が指揮を取っていた。

夕顔丸は龍馬も何度か乗り込んだ慶応三年に土佐藩が買い込んだ蒸気内車鉄船で659トン、この当時ではさほど大型の船ではなくなっていた。

この船を長崎で扱ったオルトは大浦屋との茶の取引からも手を引いて大阪へ移りさらに横浜へ出てきたが昔の勢いは無いと言われていた。

九十九商会はケンゾーたちに蜜蝋や土佐の木工品を売り込むばかりで船を買い込む余裕は無いというばかりだった。

神戸にやってきた岩崎とグラバーをケンゾーは十五番のガンダーバートの料理店に招待した。

フランス人のガンダベルは料理にもうるさく国から呼んだ料理人に最近店を開かせたのだ。

鴨のロティに甘鯛のポワレ、温野菜に赤ワインという食事はウィリーには堅ぐるしく感じられたようだ。

「俺には一品料理で十分だ、お堅い食事会は堅苦しくていけないですよ。昨日の常盤花壇での食事も気詰まりでしたよ」

ビーフシチューかチキンスープにパンがあれば十分ではケンゾーも招待のしがいがない奴だと最近は外で一緒に食べることが減っていたのだ。

そんなウィリーにグラバーは「君は将来のジャーディン・マセソンの横浜の責任者になるだろうとコタさんも言うほど期待がされているよ。今から其れではいけないぞ。遊びもいいがこういう料理屋へ取引相手を誘って相手の緊張を引き出して仕事で優位に立つ事も必要だよ。くだけた連中なら清国料理、遊びなら遊郭という手もある」

ケンゾーには相手の緊張感と商取引の駆け引きということの意味がこの時には理解できなかった。

「なんだ、何時も長崎でホテルへ誘ったのはそういうことだったのか」

岩崎はそういって豪快に笑った、マナーなどくそ喰らえといわんばかりの豪快な笑いで他に客が居なかったのが幸いだった。



Ernest Satowの正式名はErnest Mason Satowだ、だが誰もアーニーとは呼んでいるのを聞いた事がない、多分兄弟ならそう呼ぶのかもしれない。

泊まっていたグランドホテルから元町に寅吉が居ると聞いてやってきたのは九字ころ、漸く陽も雲から出てグレゴリオ暦12月にしては暖かい日になった。

「前にアーネストの給与は700ポンドになったと聞いたがあれからあがったのかい」

「ああ、今度の日本帰任の時に820ポンドになったよ」

「そりゃいい、俺の予想だともう直交換レートが替わってポンドは値上がりするだろう」

「そいつはいいな、日本の金は一両一圓(円)だと聞いたが1ポンド2.5圓からどのくらいまで騰がる予想だ、給与を日本の金に替える時期で大分違いそうか」

「そうさなぁ、一ポンド四圓くらいまで日本の金の値打ちが下がるだろう、というより、ポンドがドルやフランに対しても強くなるから圓にも強くなるということさ」

「大英帝国万歳ということだな。そうすると鉄道の百万ポンドの外債を返すのは大事だなぁ、それならコタさんはポンドの預金は残してあれば大金持ちだな」

「日本に持ち込めばということさ、ドル建てならそれほど変化が無いだろうなということで全て支払いの決済はドル建てがお勧めだ」

取らぬ狸の皮算用ですなと同席している護衛の佐多が笑いながら話しに加わった。

「ところでオルトとグリーン夫人が大分損を出しているということを知っているのか」

「噂でしかないが山城屋に資金を出して生糸相場に手を出したが、フランスの情勢が悪くて半分も回収できないと聞いた」

「其れでグランドホテルはどうするんだ」

「俺のグループは2200ポンドしか出してないからベアトにワーグマンの3000ポンドにそのほか株主の4800ポンドも含めて10000ポンドを精算して新たにWH・スミスさんも入れて建物も新しく建て10人くらいの共同でやろうかと考えている、其の分はクラークさんが回収できると見込んでくれた。グリーン夫人みたいにオルトに亡くなったホイの煽てで奇麗事のホテル経営では儲けは出ないさ」

「ヨコハマホテルもだめかな」

「向こうもトンプソンがオルトのわがままに嫌気が差して辞めたがっている。もう一度カーチスとやりたがっているが、どうなるか俺にも見当がつかん。せっかくひとり立ちさせたのにオルトとグリーン夫人の手練手管にだまされたようなもんさ」

「コタさんが分からないという事はもうだめだというのと同じだな」

「そうでもないぜ、見込みがありそうだとおもった土佐の後藤様は期待はずれさ、手放した函館氷は大当たりしているしな。綱島の氷の池も水屋のために冬場以外は大した事ないと権利を貸せば大もうけで受けに入っているよ」

「ハァハッハッハ、其れよりグランドホテルを建て直すなら誰にやらせるんだ、WhatmanBridgensか」

Bridgensの設計さ、鉄道用地の埋め立てが終われば高島屋が建築を請け負いたいといっているからWhatmanが建てる事になりそうだ。しかしまだグリーン夫人があがいて損は取り返せると言うオルトを信じているらしい。長崎以来の腐れ縁だからな」

アーネストは其れよりどんな建物にする予定だと新しいホテルのほうに興味があるらしい。

「両方の顔を立てるのは日本式だな」

「そうさ、居留地といっても此処は日本だからな」

「そうか、そうだよな。しかし帰ってきて驚いたのは会津が大分ひどいいじめられようだな、奥羽諸藩の窮状はひどいことになっている」

「しかし会津の人たちは辛抱強いし勉学の志は強いぜ。横浜にも何人か来ているが桑名の人たちと仲良くやっているようだ」

「蝦夷の開拓史の黒田が亜米利加へ教師を探しに行くことを知っているか」

「いや、黒田様の事はなにも聞いていない、開拓史は前の島様で大分みそをつけたからな。函館氷は中川さんと吟香さんに全てゆだねたし、淀屋さんのほうもあまり黒田様のほうとは付き合いがないようだ」

「少し短気だが気のいい奴だぜ、其の亜米利加へ留学生を集めて開拓史の金で送り込むそうだが、其の中に大蔵の弟の健次郎が選ばれて東京へ来ているぜ」

「そいつは初耳だ、出来のいい弟だとは聞いたことがある」

「そうらしい、できるだけ各地の人間を選んで連れて行くと言うことらしい。其れからここなら人の耳がないから打ち明けるが公使が鮫島の赴任について日本政府に腹を立てていることの本当の理由の一つには、ホレィショー・ネルソン・レイの借款問題もあるようだ、俺が居ない間のことで詳しくは知らないのだが友人の行き過ぎがあるにしても公使を抜きにしての直接交渉に前島と上野をロンドンに送った事も其の一つのようだ。おまけに其れをデ・ロングの入れ知恵でオリエンタル・バンクに全てを任せるなどするからだ」

「だが公使とオリエンタルは結構上手くやっているじゃないか」

「其れは表向きだ、公使はあのグループに足を掬われたと思い込んでいる。Mr.Layの事もそうだが最近自分の頭越しに日本政府がオリエンタルと癒着しだしたと思い込んでいる。自分が育て上げた日本だと自負していたのに今度のように自分の面子が潰されることには我慢が出来なくなっている」

自国最優先、公使に信頼を寄せていたアーネストにしては珍しいことだ、英吉利に戻っていた間になにがアーネストを変えたのだろうと寅吉はおもった。

ほとんど一瞬の間にMr.LayMr. Howellにジャパンタイムズを譲り渡しジャパンメイルに名前が変わった新聞を思い出していた、タイムズの社主であったMr.Rickerbyの淋しげな帰国時の乗船の見送りが少なかったこともだ。

「矢張りデ・ロング公使と上手くいっていないことが大きく響いているのかい」その記憶を振り払うように寅吉は尋ねた。

「そうだ、前のヴァルケンバーグ公使とは持ちつ持たれつだったが先任公使と言う立場も何のそのと揚げ足取りばかりしてくるデ・ロング公使に対抗意識が強くなりすぎていることを心配しているのは俺ばかりじゃない。ましてアメリカは鉄道建設の権利取り消しの入れ知恵はハリー卿だと邪推しているらしい」

「其れは俺も聞いた、日本人が鉄道を作らなければ鉄道用地、駅周辺を亜米利加の土地として提供することになるだろうと警告したそうだとな」

「其処までは本当だ」

「それなら邪推じゃないのではないか」

「だから邪推だというのだ。共に新生日本を作り上げようとこの国に肩入れをしてきたのに抜け駆けをするなと警告したのさ。国を取りに来たのではない。この国を開明に導くために来たのだということを再認識させようというのが通じなかったのさ」

パークスはこの年四十三歳、自分が日本の新国家成立を成し遂げさせたと自負していたのだが、寅吉にすれば金のことについては細かいと最近思い出していた、英吉利の懐がどうすれば豊かになって相手国にも其れを気づかせずに喜ばれるかと言うことを考える天才だった。

公使館へ寄ってさらに領事館で打ち合わせをして午後に東京に戻ると言うアーネストに昼を食べてから帰れと言うと「鰻でなければ付き合うぜ」と冗談交じりで言われて承諾をする寅吉だった。

座敷の予約と食事の内容を台の田中屋へ人をやって伝えておいた寅吉は馬に乗れる正太郎を呼び出して供にさせ、田中屋へ用事の済んだアーネスト一行と馬を並べて向かった。

めがね橋まで行くと馬上から青木橋までの埋めたての様子がよく見えた。

「もう直に神奈川まで道が通じるぜ」

「鉄道がなくてもこの道を通れば大分行き来が楽に成るな、一昨日より大分工事も進んでいるなぁ。船も大分使って大層な工事だ」

田中屋からは眼下に鉄道予定地が良く見えた、昨日今日と天気もよく忙しげにもっこを担ぐ人足の姿に混ざり泥水を掻き出す蒸気ポンプの様子がよく見えポンプの音がこの座敷までかすかに届いていた、嘉右衛門はこの田中屋のさらに上の台地に自分の指揮陣地を置いて全てを監視して指図しているのだ。

護衛の人たちも少しは英吉利を理解できるようだが正太郎とサトウには寅吉は英吉利でやり取りをした。

「神戸と大阪の情報では長州の井上は山城屋と手を切って自分で何か始めるらしいがアーネストは何か聞いていないか」

「西国の米を売り込むのに山城屋では信用できないと五代と手を結んだようだ。しかし其れで困った山城屋は兵部省から金を借り出したと聞いたぜ」

正太郎は町の噂ですがと断ってから「山城屋は春の遷座祭というお祭り以後横浜では目立った動きはありませんが、フランスの生糸相場で身動きがつかないと聞きました。其れと兵部省の出張所が横浜に出ると聞いてから横浜は大川さんという番頭に全て委ねるということにしたそうです。そして自分は資金の回収に仏蘭西の戦争が終わったらパリまで出かけるとお茶場で働く人たちの噂話がひろまっています」

「パリかどうせモンブラン伯あたりに手を回してどうにかしようというのだろうがそう上手く行くはずもない。相場の損を向こうに行ってどうにかできるなぞ考えるまでもなく無駄なことだ」

「そういうなよ、長州の人たちは薩摩の人と違って藩の金は自分たちの資金だと勘違いしている人が多い。そうでないのは広沢参議と伊藤さんくらいだ。井上馨さんだって政府の金と自分の懐の違いを理解していない。会津をいじめて飽き足らずに今度は盛岡藩の問題を持ち出して何かしそうだと高島屋が話していたぜ」

「あのコタさんが言っていた易者の商売人か」

「アーネストは国に帰ってから口が悪くなったな」

「船で往復してみろよ、穏やかなままではいられないぜ、船員に普通に話していては埒が明かん、勢いこのような口調になる。それに公使館に居てはこういう口を聞くわけに行かず何処かで発散しないと息が詰まる」

「なんだ横浜で吐き出して高輪で静かに過ごすきか」

「そういうことだ。勝さんでも常時東京に居てくれれば少しは違うがね、鮫島も伊藤も居ないし鬱憤の持って行き場がない。東京では馬で走り回る所もないしな」

「そんな事は無いだろう、あちらこちらに馬場はあるはずだ」

「其れがな、兵部省の連中がだめだと使わせてくれないそうだ、アダムスなどがかんかんに怒って怒鳴り込んでも今整備中ですといつも其ればかりだそうだ」

「何か始まっているようだな。条約改正の話もあるらしいがそれがらみでもあるまいがなぁ」

「今その話は問題が多いからやめておこう、なぜハリー卿の機嫌を取ることを日本の政府はやらないのだとだけいっておこう、十万や二十万の金には換えられんだろうにな」

「結局お公家様たちでは昔の老中と変わらないということがはっきりしただけさ」寅吉はそういって後は料理の話と下の埋め立てで魚の住処が変わり捕れる物が違って来たという話と高輪や築地の話をアーネストや護衛の人たちから聞きだしていた。

アーネストたちを滝の川まで見送り青木町で笹岡さんと打ち合わせをしてから正太郎と寅吉は横浜へ戻り野毛で馬を降りて千代が供について歩いて緑町へ入り金毘羅の金花亭に六代目の桂文治が出ているというので下足番に聞くと「いま梅之の義太夫が出番に成りましてその次でござんす」というので寄って見ようということになった。

そういえば連絡員の新三さんが娘義太夫の竹本芙蓉さんと所帯を持ったんだなと正太郎は思い出した。

娘義太夫もこのごろは黒紋付き肩衣を着けて中々に凝った見台を前にして色気だけでは無い様子を見せていた、ひらかな盛衰記四段目の神崎揚屋の「どなたか知らぬがこの御恩。死んでも忘れぬ。死んでも忘れぬ。」と嬉しいやらこわいやら、拾ひ集むる心もそゞろ。袖引きちざり三百両。包むに余る悦び涙。鎧がはりのこの金と、おし戴き押し戴き、勇みいさんで走り行くと結んで奥座敷の段へ入るところで高座を降りていった。

座も落ち着き前は文楽を名乗っていた文治が出てくると話が始まる前から緊張が客席に広がっていくのが正太郎にも感じられた、圓朝とは違う洒脱な語り口の大岡政談が始まり唐茄子屋政談の中で誓願寺店が出てきたときは吉田先生と歩いた浅草が眼に浮かんできた。

「情けは人の為ならず」と話が結ばれて三人は寄席を出た。

旦那と千代さんは弁天町の見世へ向かい、正太郎は家で着替えて立軒先生の講義を聞くために洲干町へ向かった。


昨日と変わり朝から冷たい雨の横浜。

番傘を差して公園予定地へ出向くと子供たちは東屋で寄り添っていた。

「家へ来るかい」

「いやこれから伝助親分の所へ行く予定なんだ、あと二人来るのをここで待っているのさ。五つまではいつも此処に居る事にしてあるので誰もいないとかわいそうだからな」

正太郎は昨日見た泥水を吹き出している蒸気ポンプの話を小さな子たちに少し大げさな身振りで話して時間をつぶしていた。

子供たちの中には鉄道の事に詳しい子もいて「青木町は切り通しを造って通して東海道には橋をかけると聞いたけど六郷はどうして渡らせるか知っているかい」そう正太郎に話しかけた。

「どうやるんだい」正太郎は知らないというそぶりで話を引き出した。

「橋をかけるのさ、うんとこさ丈夫な奴で鉄の車が乗っても潰れない頑丈な奴だ」

「そいつはすごい、では吉田橋のような奴だね」

「いや金が掛かるから木トラスで作るんだとさ。土台はしっかり作るらしいが鉄で作ると金ばかり掛かるってけちけちしているんだ、青木橋の方は陸の上だけど向こうは水の上なんだぜ」

「松ちゃん、トラスって何」

「トラスってのは三角の事さ、ほらかねの橋のけたが三角に為っているだろうああいう作りをした物をトラス構造というんだぜ」

手で三角を作りコウという女の子に説明した。

「フ〜ンそうなんだ。松ちゃんは物知りだ」

小さな子に言われて松ちゃんは気を良くしたか「おいら大きくなったらあそこで働きたいんだ。前に写真を見せてもらったSteam Locomotiveって言う奴を操って見たいんだ」

「そいつは良いな、松ちゃんが動かすSteam Locomotiveに皆で乗りにいく事にしような」

子供たちは駅の予定地の埋め立ての様子など楽しそうに話して後れていた子が来ると揃って相生町の伝助親分の家に向かった。

残った正太郎は家に戻りおかつさんの給仕で朝飯を食べて居留地の図書館へ向かう用意を始めた。

九字過ぎにイギリス領事館から水町通りへ入り横浜パブリック・ライブラリー&リーディング・ルームズで受付のMiss Margueriteに札を示して中へ入った。

「お久しぶり、今日は一人なの」

Mr.ケンは今神戸です。Steam Locomotiveの写真の本が見たいのですが」

「今出してあげるわ、昨日新しい本も入ったのよ。アメリカの大陸の横断のSteam Locomotiveの写真と新聞からの記事を集めたものよ」

「ワァ、其れはすばらしいですね。此処の会員でない子でSteam Locomotiveが好きな子も多いのでうらやましがるだろうな」

わくわくしながらMiss Margueriteが持って来てくれた本を持って図書室の隅へ陣取った。

喜代さんがイチロー君を連れて図書室へ入ってきた。

「お久しぶり」

「こんにちは」

「イチロー君こんにちは、奥様本当にお久しぶりですね。この前は遷座祭のときにお会いしたんでしたっけ」

「そうね、確か其のとき以来だわね。イチローとは時々顔をあわせているようね」

「ええ、角蔵君と山手の48番のバラ先生のところで週に一度くらいですが、バラ先生のお嬢さんとフランス語の本の読み合わせに付き合いますので」

「それで家の子も時々フランス語を話すのね」

「そうなんですよ、バラ先生がこれからは英吉利も仏蘭西も理解できないといけないと言われています。独逸の言葉まで覚えるかなどといわれていますよ」

「大変だわね、そんなにいろいろな言葉でしゃべられたらお手上げよ」

三人で小さな声で話していたが、今日は他には誰も図書室にいなかったが習慣で大きな声ではしゃべる事がなかった。

「ショウタローなにを読んでいるの」

「此れは亜米利加のSteam Locomotiveのことを書いてある本だよ。大陸を横断して線路がつながったときの新聞と、其のときの二つのSteam Locomotiveの絵と実際の写真さ。此処には1869年5月10日に、Promontoryの大平原で、あそうかState of Utahにある平原さ、The Union PacificCentral Pacificのレールが繋がってアメリカ大陸横断鉄道が全通したと書いてあるよ」

1869年6月5日号のHARPERS WEEKLYの彩色画も載っていた。

「すごいな、僕も亜米利加をSteam Locomotiveで横断したいな」
二人の少年の夢は大きく膨らんだ。

「ねえショウタロー横浜も同じのが走るの」

「此れは大きなSteam Locomotiveで横浜では少し小さな物になってしまうそうだよ。いろいろな国のSteam Locomotiveが売り込まれたけど英吉利にしかない少し小さなものが値段も安いと偉い人が決めたんだって」

「ふぅん、お小遣いがあまりないのかな偉い人って」

どうやらおもちゃを買うのにお小遣いがないから安いものにしたと勘違いしたようだ。

昼から正太郎はMaison de bonheurに出かけた、清次郎と約束してあった子供向けの亜米利加の絵本が買えたので届けに行きながら近況を家に知らせるために二人で手紙を書くためだ。

小さな子供たちの昼寝の時間にミチと清次郎に会って本を渡して言葉の意味を清次郎へ二人で教えながら通読して見た。

「ミス・ノエルが持っている仏蘭西の本にも同じ話があったわ」

「そうだよ、この本はアンデルセンというデンマークの人が書いた本の翻訳なのさ。だからいろいろな国の言葉で本が出ているのさ。アンナーセンというのが正式なデンマークでの呼び方だそうだよ」

本の話をしている所へミス・ベアトリスが「いいかしら」と聞いて入ってきた。

「聞いた、正太郎」

「なにをですか、ミス・ベアトリス」

「あら二人から聞いてないのね、Enfants de rueの事よ」

「子供達がどうかしましたか」

Mr.中野が、外務権大丞に転任されたでしょ、其のときに井関知事と約束されてMr.ベンソンと交渉してくださったのよ。公園の完成するまで大岡川沿いに仮小屋で雨から避難できる休憩所を幾棟か建てて良いということを承諾してくださったのよ」

「其れはすばらしい事ですねでもどの位の物が建てられるのでしょうか」

「まだお金の事と大きさは決まっていないけどミスターケンや高島屋さんそれとコタさんたちが500ドルほど集めてClarkさんに預けてあるお金で建てることになるそうよ。Mr.デンスケが世話人の一人に選ばれたそうよ」

ミチと清次郎もその話は詳しくは知らないようでミス・ベアトリスの話を聞きながらうれしそうに肯いていた。

「早ければ来週には建物を建てられそうよ」

「それで今日伝助親分の所へ子供達が呼ばれていたのかな」

「お友達のヨシボウのこと」

「はい、そうです」

「ならその話に間違いないわよ」

此れでこれからの冬の間だけでも雨風から身を守る事が出来ると正太郎は喜んだ、しかし聞いた話では百五十人とも二百人とも言われる子供たちをどこまで仲良く同じ屋根の下へ置いて置けるかと正太郎は管理を任される親分に同情した。


朝雪混じりの冷たい雨が降った。

公園の子供たちはおかつさんが呼びに行って小さな子を台所で甘酒を飲ませ身体を温めさせていた。

由坊たちは全員が集まるまでここにいると言って、寒い中を我慢して東屋の下で寄り添っていた。

仲間の最後の子が来て由坊達はようやく家にやってきた。

「昨日は親分から仮小屋の話を聞いたかい」

「聞いたよ、俺たちの知っている他の子供の集まる場所を教えてくれというのさ、それで親分が地図に印をして長次さんや玉吉さんが回って俺の知らない子供たちの事も調べに行ったよ」

「俺の聞いた話では仮小屋の建築だけだったけど他に何か聞いたかい」

「けんかをしないように大人の人が交代で付いてくれるそうだけど、まだ吉田先生が言っていた小さな子供たちのための学校は決まっていないらしいよ。でも子供達がどのくらいいるのかわかれば何箇所かで子供たちに字や言葉遣いなどを教える事になりそうだってさ」

学校はまだ大分先になりそうだと正太郎は思ったが大人が付いて仮小屋の管理をするなら喧嘩が起きる事は少ないだろうと思うのだった。

まだ正太郎たちは知らなかったが井関知事は車橋と製鉄所の間に同じようなものを建ててよいと伝助たちには伝えてあった。


ケンゾーが横浜に戻ってきた、どうにか神戸でもジャーディン・マセソンのための商談が纏まりウィリーの売り込みも先ず先ずの成果を見せた。

ウィリーの弟も同じ船で神戸から戻ってきた、ジェームスは20歳のとき横浜来てもう既に三年目で横浜ではウィリーの先輩格だが忙しく飛び回っていて二月ぶりに神戸でやっと顔を合わせることが出来たくらいだ。

シーベル&ブレンワルトではジェームス・ウォルターは無くては為らない存在で通称ワタリさんと日本人の商館員の間で呼ばれていた。

正太郎から仮小屋のことを聞いてケンゾーは相生町に伝助を訪ねた。

「やぁ、吉田さん神戸はどうでした」

「大分に町の仕組みも整ってきたよ。まだまだ日本人の商人は少ないがこれからも長崎に替わって貿易の中心として横浜と肩を並べることになりそうに見えたな」

「向こうに負けてるわけにゃ行きませんぜ」

「そう意気込みなさんな」

伝助の負けず嫌いはこんな所にも現れていた。

「公園の川沿いの所ですが公園の整備が終わるまでという約束ですが例の子供たちの収合場所が決まりました、それと製鉄所の裏手にも二百坪ほどが貸しさげられるそうです。此方は五年の期限付きです」

「それでもこの冬だけでも乗り切れるのはありがたい。聞いた所では各町内でも子供たちの行く末を心配していろいろ手を差し伸べてくれるという事は聞いたが其方はどうなっている」

「例のクラークさんの所にあれからも寄付があって八百五十ドルあるそうです。それで二ヵ所に二十坪ほどの仮小屋をまず二棟ずつ建てて様子を見て増やす事になりそうです。県からは金は出せないが取り締まりの役人を一日一度は見回りに出してくださるそうです。其れと夫婦者のお小屋を建ててそちらは町会所もちで留守居を置いてくれることになりました。屎尿会所も協力的で向こうもちで幾つか厠を作ってくれるそうです。東屋の親方が水は瓶を置いて切らさず運んでくださると決まりました」

「大分いい方向に話が進んでいるじゃないか」

「其れも吉田さんや長十手の旦那のおかげでござんすよ。あっしたちも此れで町の中で悪さをする子が居なくなれば万々歳でござんす。高島様の言うには此れで昼の食事が出せればもう言う事は無いと仰られて居ります」

「その事は考えたがなんせ二百人は居るだろうという子供全ての食事となると賄いをしてくれる者と食費で月に五十ドルは掛かるだろう、その上教師もとなるともうお手上げだぜ」

「其れなんですがね、政府は新しく学校制度を作るための準備をし始めたそうでござんすよ」

「ホオ、そうなれば良いがね。中々実現は難しそうだな、まず金をどこが出すかで揉めるだろうな」

「そうかもしれませんね、横浜だけというわけにも行かないでしょうから六十四州全てを含むと為ると容易じゃないとは分かりますがね、まずできるところからとでも行かないのですかね」

「各国へ派遣される人たちが意見を挙げてそれから検討するとまず一年は掛かるだろうからな。私学校が先でそれから順次制度にあった学校が増えるということで落ち着くんじゃないかな。寅吉旦那が心配していた日本人の男を全て兵隊にするためにまず子供のうちから天子様への忠誠を学びさせる為の手段に学校を作るとも言われているが、それでも全ての子が勉強をする機会があるだけでもいいことだ」

「高島様も自分で指導者を養成するための学校を作ってその卒業生でさらに小さな子供たちの学校を増やそうと寅吉の旦那たちと話が進んでいるそうですぜ」

「高島屋さんは自分でいっぺんに何でもやろうと意欲的過ぎるな。少しは人を選んで任せないとやりきれないだろうに」

「そうでござんすよ、一体どうやればあんなに働けるのか不思議なお方でござんす」

「手習い師匠の数も横浜の人が増えすぎて足りないし、東京から人を呼ぶしかないのかも知れんな。後は子供好きなお上さん連にでも呼びかけて手伝ってもらうかだな」

「其れもいいかもしれません、一人当たり一日一字間ほどなら来てくれるかもしれませんね。ねえだんな立軒先生のお嬢さんなど適任だと思うのですがね」

「士子さんかい、そいつもいいかもしれない。あの年齢の人なら子供たちもなついて教えてもらう気になるかもしれないな」

二人はその後も様々な人のことを思い出しながらそれぞれが個別に当たってみることになった。


ヘボン先生のところで教え始めたミス・キダーと同じころ築地居留地でもCarrothers夫人のJuliaさんがA六番女学校を開いていた、しかし町の子達が通える寺子屋、手習い師匠に払う束脩とは大分開き気があり裕福な子しか通う事が出来なかった。

ジュリア・カロザースさんは築地で新しい政府の要人の娘や裕福な商人の子供たちを選んで入学させるために学費が高いという評判だった。

モレル氏が気に入って妻に迎えた梅さんはまだ十八だったが気立ての良い面倒見の良い人だ。

いくら高給取りのモレルさんでも共にセイロンで苦労してきた人たちの面倒まで見ていては所帯を維持するのは大変だとケンゾーと寅吉が話していた。

モレルさんで月三百四十ポンド最低の技師では四十ポンドしか支給されていなかった、勿論日本人から見れば高給には違いないが仕事量も半端ではなかったし、セイロンやオーストラリアで掛かったマラリヤが完治していない人が多く医者も静養第一というほか手立てが無いのが現状だった。

共に苦労してきた十九人の仲間の中でもモレルさんが一番具合の悪いのに率先して測量に出かける姿は壮絶な様相を呈していた。

梅さんは「旦那さまの体が心配です」と近親者に漏らすほどであった。

寅吉たちもその事は井上勝さんや佐藤先生からたびたび聞かされて気にしているのだった。

「旦那が言うマラリヤですが医者は肺病だろうという話だそうです」

「そうかもしれんがな、あのように時々高熱でうわごと言う人が多いというのは湿地帯に多いマラリヤ蚊のせいじゃねえのか。もっともプロシャで昨年あたりからマラリヤという名前で知られだしたばかりだそうだから英吉利の医者が賛同しないのは仕方ねえだろうがな。ほら昔から瘧という名で呼ばれる病があったろ、寒気がしたり急に熱が出たりする奴だ」

「そういえば、おこりと同じような症状の人が多いですね」

正太郎は旦那がいろいろな国の雑誌や本を読んでいるのは知っているが病気の事までも感心があるのに驚いて聞いて見た。

「旦那最近はプロシャの雑誌も読まれるのですか」

「俺にはドイツ語は読めないが、ジャーマンクラブに簡単にでもいいから情報をくれと頼んであるのさ。たまたま其れが最近牛痘のことで雑誌を取り寄せたのでついでに翻訳してもらったのさ。キニーネと言う薬草が利くそうだが使い方を間違うと阿片より始末が悪く死んでしまう事があるそうだ」

「怖い薬なんですね」

「そうらしい、プロシャでは蚊から何か病気の虫が人の血液に入るんでは無いかと研究しているらしい。それで脚気もそういう虫の性だろうという話だが松本先生たちは栄養障害で幕府の海軍が乾パンを食べさせていたときにはそんな病気が出なかったといっていたから、脚気は虫のせいとは違うだろうさ、俺の店や丸高屋では人足も手代もいや全てに銀舎利だけ出してはいけないと、様々工夫して食事を出しているので脚気にかかるものは出ていないぜ、パンがもっと普及すれば街でも脚気にかかるものは減るだろう」

最近測量と埋立地の概算が出て横浜東京間の鉄道施設費用九万六千七百四ポンドほぼ二十四万千七百六十両とモレルさんが井上さんに示したそうだ。

もっとも高島さんの埋め立ては請負で築堤は長さ七百七十間、幅四十二間、鉄道線路五間、道路六間、そのほかの幅員三十一間は請負人の私有地としてよいという請負契約で六月十一日に調印が行われていた。

八月に始まった工事は来春二月朔には引き渡し期限とされていた。

袖ヶ浦の漁師にとっては死活問題であって鉄道建設の阻止を訴える人も多かったが、工事請負の高島さんはその人たちを仕事に付かせる斡旋もして自分の配下に取り込んでしまった。

「旦那鉄道はそんな予算で引けるのでしょうか」

「正太郎、お前しっかりしろよ此れはSteam Locomotiveも人件費も別の事だよ。人件費だけでも月に八千両は掛かるから当初の二十ヶ月で出来上がっても十六万両だ。上方と同時に作るには二年で百五十万両は見ないと無理さ。もしかするとそれでも足が出る、薩摩の人たちはそれで船なら二十艘は買い付けられるという話でいまだに反対だと黒田様が騒いでいるそうだが大隈様が逃げて大久保様が此れまでと違い説得に回って宥めているそうだ」

「大久保利通様ですね」

「そうだ最近大久保様は政府の指揮を一手に引き受けた様子で大忙しだそうだ」

そんな寅吉がふと漏らした話がなぜか正太郎の胸を打った。

「木場の遠州屋さんの婿の津国屋こと細木香以さんが二月ほど前に無くなった」

つのくにや、さいきこうい、正太郎には初耳のその人の人となりと恩を受けた人、取り巻きで遊び歩いた人その全てに慕われていた様子など、旦那はあまり付き合いが無いがと断りながらもその人のことを教えてくれた。

維新の前に既に家業は立ち居かなったが一時下総寒川に隠棲していても河竹新七さんたちが尋ねた事、浅草吉原稲本楼の小稲という人の話などを自分のことや河嶌屋さん、淀屋さんなどの昔話、お容様のお爺様吉野家さんの話も珍しく旦那が話してくれた。

梅が香やちよつと出直す垣隣、というのが香以さんの辞世の句だったそうだ。

四世清元延寿太夫と奥さんの清元お葉さんの話、その二人に近しい会長のおつねさんとの出会いが安政の大地震といわれる大災害の後のこと、養女に出された妹の琴さんのこと、そうそう琴さんといえば最近は薬屋も近代的に成らなければと新しい輸入薬も扱い店は昔に比べて繁盛していると前に松本先生と佐藤先生が二人で立軒先生を尋ねてこられたときに聞いたのだった。

其処から話が可笑しく成り出した。

「俺は正太郎の年には吉原も若様や淀屋さん遠州屋さん河嶌屋さんに連れられてずいぶん通った、別にお女郎と寝ろというわけでもないさ、お前もそろそろ新吉原へ出入りして雰囲気だけでも味わっておく事さ。ケンゾーがこんな調子ではあそこや他の所でも悪所遊びに縁が無いだろうしな」

正太郎は知っていた吉田先生は立軒先生のお嬢さん士子さんが好きなんだということを、少し気が強いが面倒見は良いし、分け隔てなく立軒先生のお弟子さんに接する様子に惹かれていることを、そして士子さんも同じ気持ちだという事もだ。

「お前達も知っている卵屋の藤太郎も港崎へじい様が連れて行ってやってくれと頼んできたのが十五のときだった、十六に成ったらと言われたのさ」

ケンゾーは笑いながら「十六に成ったら必ず連れて行きます」と寅吉に約束したのだった。


月曜日の今日付けで政府の役所の移動が行われた。

工部省は同日民部省から分離されて次の掛が置かれることになった、鉄道掛、造船掛、鉱山掛、製鉄掛、電信掛、灯台掛の六掛だ。

正式に井上勝さんが工部省鉄道掛の頭に任命され、佐藤先生は助となり神戸大阪と京都間の鉄道敷設の責任者となった。

中でも横浜での話題は神戸の近くでは切り通しの替わりに石屋川隧道という場所はトンネルという穴を掘るものだそうで先月の十月に着工されジョン・ダイアック、セオドール・シャン、トーマス・グレー、ウィリアム・ロジャース、ノルデンステッド各氏が指揮を取っていた。 

かしらとは昔風にかみと読ませるそうで正太郎たちや町の子供たちには「古くせえや」と評判が悪かった。

早いもので月曜日の今日公園予定地の外れには子供たちの集会所が建てられ出していた、亀の橋西側の集会所は先に番人のためのお小屋が建てられ始めていた。

既にお小屋に住んで呉れる者も決まり手当ても町会所が負担することになった、石川様や吉田様が骨を折った結果だ。

幼児の世話をしてくれる人が辰さんの口利きで消防組の関係者からそれぞれの集会所に五人の女の人が来てくれることになった。

由坊たちは嬉しそうに大工が働く姿を見ていた「朝は五つから夕方の七つまで出入りは好きにしていいらしいぜ、ただ来たときと出たときに自分の名札を指定された所に掛ければいいんだとさ」

鉄道好きの松が「正太郎のように普段は利用しないものでも町のなめえと自分のなめえを告げれば臨時の出入りもかまわないと決められたんだとさ。あんまり厳しいのもいやだけど、何も約束事が無いのもどうすりゃいいか判らねえからちっとは決まりがあるのもいいかもな」と話しかけてきた。

「雨のときに屋根の下で休めるのはいいことさ。後は手習い師匠でも来てくれて読み書きができるようになれば大きくなって働くときに助かるよな」

清次には自分たちの仲間内でも読み書きが出来ないまま大きくなっていく小さな子の様子を心配していたが、此れで少しは先が見えてくるような気がしていた。

「昨日、虎屋の旦那と吉田先生が話していたんだが、読み書きと十露盤を一日一時間週に五日ほど先生になってくれる人を探して公園の集会場の土手際に教室を開くことにするそうだよ。其れと亀の橋も今土地を探しているけど集会所から五十間以内に同じような教室を開くことにしたそうなんだ」

「其れは全員が教わりに行かないといけないのかい」

「いや今のところは希望者だけに教えることになりそうだな」

「じゃ遊びたいものは集会所でぶらぶらしていて良いのかい」

由坊は出来れば全員が学べる場所が欲しいと何時も正太郎に話していたのだ。

「其れなんだけどね、あまり小さい子はまだ其れより集会所で遊んで皆と話すことで成長すると吉田先生は言うのさ、それから六才くらいの子にはかな文字、そのくらいは知っている子には往来物を習ってもらおうというのさ。其れと十露盤は習いたいものには年は関係なく教えてくれることになりそうだ、アア十露盤は教室に備え付けて出来の良い子供には自分用のものを貸し出してくれるそうだよ」

「それなら良いや。後できれば英吉利や、仏蘭西の言葉も習うことが出来ればなぁ」

「そいつばかりは先生の給料が高いからなぁ、由坊たちのように俺と話しているうちに自然と話せるようになれば金も掛からないのにな」

「そうだ正太郎が先生になればいいんだ」

「其れがな、俺は先生や寅吉の旦那との約束で自分が先生になるよりも先生になれる人を援助できるように金を稼いで、其れで皆を応援することにしているんだよ。高島屋の旦那もいろいろな事業をしているけど今度はガス灯という町を明るく照らす灯篭のようなものを始めるそうだけど、其れにあわせて先生を育てるために学校を開こうとしているよ、ほら其処の先の石川屋さんの角蔵君も今はバラ先生のところで習っているけど、学校が出来たら其処にも通うそうだよ、もっともバラ先生を先生に迎えたいと高島屋の旦那が何度も通ってきたからだそうだけどね」

「いいなぁ、俺たちもそういう学校で勉強したいな」

「まだはっきりしないけど横浜ユナイテッドクラブのスミスさんたちが奨学金というものを集めて勉強をしたい子を応援しようとお金を集めているそうだよ」

「でも其れをもらえるのは頭のいい子だろ、俺たちみたいに本物の学校にも行っていないものには無理だよな」

「そうか、簡単に金を出してもらうというわけには行かないのか。何かいい方法は無いか吉田先生にも寅吉の旦那さまにも話をしておくよ」

「頼むよ、俺たちの仲間でも頭はいいんだけど手習い師匠にも通わせてもらえないものが沢山居るんだ。せめて読み書きだけでも習うことが出来ればその先も見えてくると思うんだよ」

千寿さんたちの仲間もそういう子に簡単な字や絵を書いて話のついでのように小さな子にいろいろなことを教えてくれてはいるが、横浜には手習い師匠が人の増える数に追いつかないのだ。

確かにいい学校は数多くあるが今は町の子が教わるべき始めの一歩に相当する勉強の場が少ないのだ。

松ちゃんが「正太郎、今居留地で道路を穿り返して何か埋めているけど何をしているんだい」

「あれはこの公園や灯台の設計をしているRH・ブラントンという人が指導して下水道という奴を埋めているんだよ。台所や厠の汚れた水を波止場の先へ流すための管を埋めているんだよ」

「厠というと汲み取りをしないで海へ流してしまうのかい」

「そうらしいよ。昔山手でも寅吉の旦那が計画したけど其のときは北方のお百姓さんが畑の肥料に欲しいからため池を作るから其処へ流してくれということでそうしたそうだよ。ほら松ちゃんの石川村にも同じような場所があるだろうあれを其の侭海へ流すそうだよ」

「なんかきたねえな、こえたごの薄めた海なんて外国人は可笑しな奴らだ」

「本当にそうだね。この間居留地の図書館で仏蘭西の読み本を見たら向こうの作家が同じようなことを書いていたよ。ヴィクトル・ユゴーという有名な人だけどパリという町の厠の汚れを全て川に流すのは犯罪と同じだと書いていたよ、川下の人の事も有るけどその厠の屎尿でどれだけの畑が潤うか、飼料代が助かるかまでを書いてあったよ」

「へ〜、厠のことを本に書くなんて可笑しな先生が外国にはいるんだな」

レ・ミゼラブルのことをあまり詳しく話してもまだこの子たちには無理かなと思った正太郎はその事はいわないで置くことにしたが「レ・ミゼラブルという本で仏蘭西の歴史の中で町の人たちがどういう暮らしをしているかを書いた本なんだよ」と話しておいた。

「そのれみぜらぶると言うのはどういう意味だい」

「そうだねえ、レはあまり意味は無いのさ、Miserableは貧しくて哀しい人とか悲惨な生活をさせられた人という意味かな」

「なんだ俺たちと同じような人の話かい」

「少し違うけど、お金持ちが罪に落とされて貧乏人になったという風に思って良いかな」

「それじゃ孝の家の話と同じだ。あそこのお父上はお旗本だったけど今は逃げ回っているという話だよ」

「家の父上は逃げ回っているわけじゃないわよ松ちゃん。それに父上は本当の父上じゃなくてあたいの父上が上野で亡くなった後母上と横浜へ来たときに助けていただいたのが今の父上よ。リキシャを引いて母上がお茶場で働いてあたいが大きくなったら亜米利加へ留学するお金をためるんだとがんばってくださっているのよ」

「それで孝の父上はあんなに若く見えたのか。本当の父親はなくなってしまったのかい」

「そうなの彰義隊に入って戦死してお家は取り潰しになってしまったの」

「それで今苗字はなにを名乗っているの」

「一応は坂崎なんだけど本当は名乗ってはいけないといわれているの。ここだけの話にしてね」

「良いとも」正太郎はそうは言ったが寅吉の旦那が指令したお旗本の坂崎様の若様のことかもしれないと思い自分では判断せずにお容様に伝えて調べてもらうことにした。

「それで父上はどこのリキシャを引いているんだい」

「翔風舎よ」

「成駒屋の蓮杖さんの翔風舎だね」

「うん写真屋の蓮杖さん」

「じゃまたね」

正太郎は由坊たちに分かれて元町に出て旦那とお容様に連絡をつけたいと連絡員の順吉さんへ頼んだ「もしかすると旦那から指令があった坂崎様かもしれません」と伝えておいた。

「蓮杖さんの所か、もしかするとたあさんかも知れねえな」

「確か弓太郎さまでしたよね」

「その弓を外せば太郎さんのたあさんの可能性はあるな。俺は弁天町に行くから其処から野毛にも連絡をつけてもらおう。正太郎は馬があるからお容様が山の家にいるか廻ってみてくれ。いないときは弁天町の虎屋のほうへ来てくれよ其処へ出来るだけ早く旦那にも来てもらうから」

「承知しました、では馬はお借りしますお容様がおられたら馬へお乗せして向かいます」

二人は前田橋で分かれてそれぞれの場所へ向かった、順吉は足の速さは雅さんとどっちが早いと店でも評判の健脚だった。

天主堂まで来た順吉に休みのはずの新三が声をかけてきた。

「どうしたい朝からそんなに急いでよ」

「いいところであった、新三は今日休みだったろう」

「アア、今嬶を寄席に送った帰りだよ、最近娘義太夫の三味線引きに頼まれて忙しいのだ。今朝も早くから読みあわせとかで呼ばれたのさ」

二人は歩きながら先ほどのことを話し合うと新三が境町から野毛へ向かってくれた。

「確か旦那は今朝は弁天通りに居るはずだがお容様がどこにおられるかわからねえんだ」と順吉が言うと快く引き受けてくれたのだ。

「野毛で連絡が付かないときは直ぐ俺も弁天通りまで戻るよ」

そう話が付いて順吉はいいところでいい奴に出会ったと弁天通りへはいっていった。

四丁目の翔風舎の前をそれとなくとおり一丁目の店に入ると旦那が春さんと話しているのを見て早速に正太郎の話を伝えた。

「あのたあさんかそういえば侍上がりのようにも思えるな」

春さんがそういうと「そんなやつがいたのか」と旦那が聞いてきた。

「夏ごろにHackさんが連れてきて雇うことになったそうですよ、玉突きで遊ばないかとHackさんと二人で誘いましたがいや子供が淋しがるからと付き合うことは無いのですが年の割りに落ち着きのある人です。Hackさんに聞いても口を濁すのであまり突っ込んで聞いた事が無いのです」

「そうかそれならその人の可能性はあるな。お容が来れば直ぐに知れるだろうがお孝という娘にあってみたいな」

新三が店に来て「お松津さんの話ですとお容様は馬車で山の家へ向かったそうです」と伝えた。

その話をしていると正太郎が馬で着いた。

「お容様はもう直此処へいらっしゃいます」

「ではお容が来たらまずお孝ちゃんに会いに行こうか正太郎は先に行って公園の何処にいるか見てきてくれ、そこいらにいたら俺たちが行くまでまっててもらってくれ」

お容が店についてその馬車に寅吉が乗り込んで境町へ向かい正太郎たちの家に馬車を停めて公園へ行くと建築場の近くに馬が見えたので其処へ近づいていくと正太郎を囲んで町の子達がいた。

お容がお孝ちゃんに「わたしは容というのよ。この娘は明子仲良くしてね」そう明子を紹介すると小さな二人は直ぐにお互いが気に入ったか手を繋いで嬉しそうに何事かを話し出した。

二人をそのままにして兄貴分の由坊に「寅吉という正太郎の兄貴分みたいな親父だからお前さんたちとも兄弟付き合いをさせてくれないか」と申し入れた。

「旦那の事はよく存じています。兄貴分だなんてもっていねえことでござんす」

由坊と清次はいっぱしの口を聞いた。

「其れでな、俺の神さんの元のご主人の行くえを探しているんだ」

「その人がお孝ちゃんの父上かもしれないんですね」

「そうなのその人は坂崎弓太郎という人なの、今は横浜にいるらしいということなんだけどこの半年探しているけどどうしても行方が分からなくて困っているの」

「それでその人だと分かったらどうするんだい。俺たちとは関係ない話だけどお孝ちゃんのことがしんぺえだからよ」

「そうねまず今のお仕事で満足しているのかどうかね。その仕事が好きならいいけどそうでなくお金のためだけで働いているなら、お金の稼げる仕事をお世話したいわね。後お孝ちゃんの教育が十分できるようにもしてあげたいわね」

「そんならいいや、おいらたちもお孝ちゃんが好きだから身の立つ仲間が一人でも出てくれれば言うことなどありやせん。だけどもよおかみさんもし違ってもお孝ちゃんが勉強できるように面倒を見てくれませんか」

由坊は話してるうちに口調が改まってきて真摯な気持ちで仲間内から一人でも勉強が十分できるように面倒を見て欲しいと願うのだった。

「わかりました。お孝ちゃんの事はこの話のいかんにかかわらずあたしが受けあいます。それでいいかしら」

「おかみさんよろしくお願いいたしやす」

由坊と清次に紋太の三人がいっせいに頭を下げてお容に頼むのだった。

「お孝ちゃん、坂崎様というのはあなたの新しい父上なのね」

「内緒なのよ。あたいは昔は坂東という名前だったそうなのでも本当に父上には内緒にしてね」

「任せて頂戴、由坊さんというのはどの子なの」

由坊が「俺です。由太郎といいます。俺の右手に居るのが清次で左手が紋太、後ろにいるこいつが松太郎、後は彼方此方でだべっているのが仲間です」とお容に伝えた。

「では由太郎さんとお孝ちゃんが翔風舎まで付き合ってね坂崎様がおられたら正太郎に伝えてね私と寅吉は直ぐ後から行きますからいないときはお店の前で待っていてね」

二人が先に弁天通りへ入り間に正太郎その後ろから明子を抱いた寅吉と容が続いた。

「父上」お孝がつい叫ぶように呼んだので二十歳前後の苦みばしった男が振り向いて由坊といるお孝を認めると饅頭笠をとった。

「どうしたお孝」と傍によって「どうかしたのかい」と由坊に聞いた。

小走りに駆け寄ったお容が「まあ、若さま水くそうござんす」と声をかけた。

「ヤァ見つかってしまったか」と悪びれた風も無く孝を抱き上げて片方の手で頭を掻いた。

「若さまは恐れ入る、容の事は何度か見かけたがつい声を掛けそびれてな」

「弓太郎さまですね。私容の亭主の寅吉でございます。ここで立ち話もなんですから暫く時間をいただけませんか」

「よろしいです。今Hackが居りますのでわけを話してきます」

中へ孝を抱いたまま入りHackと共に出てきた。

「ヤァついに見つかりましたか。寅吉の旦那いままで隠していて申し訳ありません。この弓太郎は道場の相弟子でして知らせないで呉と頼まれた手前私から言うわけにもいかず困って居りました」

Hackまで仲間で隠していたのでは中々行方が知れないはずだ、Hackにこれこれこういう人を探しているということを頼んだがその人間がぐるで隠していたのでは見つかるはずも無かった。

由坊も連れ立って一丁目の義士焼きの店に入り子供たちには義士焼きと甘い紅茶を出して話を始めた。

「若様は水くそう御座います」

またお容は珍しく愚痴からはいったが寅吉がなだめて「其れよりこの娘の事を留学させるためにリキシャを曳き出したと聞きましたが実入りの点なら相談に乗りますよ、奥様の事も含めてお身柄をお任せくださいませんか」

「其れはいいが俺は道場剣術以外何のとりえも無いのだよ。この孝の母親は町育ちだったからとりあえずは身が起つだけの物は一通りは学んでいるがね」

「どうでしょう小さな子の為の読み書きを教えることなどは出来ましょうかね。四書五経などではなくいろはから千字文あたりまでの筆の持ち方などですが」

「其れくらいは俺も静も引き受けられる、できればそういう生活にあこがれてはいるがなんせ彰義隊の生き残りだからな」

「出島松蔵様が蝦夷地へ渡られましたがその前にあなた様のことを私どもに託されました。お父上もお母上も今は駿府でお健やかにお過ごしです」

「ありがたい。其れだけが心残りであったが後はお二人に全て任せる。自分ができる事は少ないが小さな子に初歩の勉強の手ほどきなら自信というほどではないが行えると思う、二年前の自分には無理だったかもしれんがこの孝と静のおかげで心の平安と穏やかな日常に不満など消し飛んでしまった」

弓太郎はこの横浜でいい経験を積んで生活にゆとりさえ感じていたようだ。

子供たちへのお土産を持って正太郎とお孝に由坊は先に店を出て行った。

「では静とも話し合って仕事の辞める日取りが決まりましたら虎屋さんのほうへ揃って伺わせていただきます」

「お待ちして居ります」

話も決まり今は武士の意地を捨て去ることに気も座った様子の弓太郎に寅吉は男気を感じていた。

容も此れで一安心と境町まで出て正太郎の家で少し打ち合わせをして待たせていた馬車で山を登った。


横浜幻想 − 三奇人 了 2007 04 19

今回も横浜は平穏、相変わらず吟香・蓮杖・嘉右衛門の三人は忙しく事業の手を広げています。 
    阿井一矢

幻想明治 第一部 
其の一 洋館

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
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 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
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明治5年1872年
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大正2年1913年
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明治2471891
 


カズパパの測定日記