横浜幻想
 其の七 弗屋 阿井一矢




登場人物 (年齢は数えと満とに分かれています1871年)

ケンゾー ( 吉田健三 Mr.ケン )

1849年(嘉永2年)生まれ 23歳 

正太郎 (前田正太郎)1856年(安政3年)生まれ 16歳

清次郎 14歳 花 10歳 まつ 8歳 (正太郎の弟妹)

おかつ 玄三 勝治 千寿 辰次郎 

寅吉29才 容24才 春太郎23才 千代松24才 伝次郎30才

井関盛艮(知事・もりとめ)安部弘三(取締) 

斉藤敬之(居留地ポリス) 杉浦譲(駅逓権正)

佐藤政養(與之助)    佐藤新九郎(立軒) 

亀次郎 倉 (富貴楼)駒形町新地(明治3年)→尾上町(明治6年)

相生町 の伝助 長次 玉吉(伝助の下っ引)

真砂町の重四郎 ( 長十手の旦那)惣治 冨次(重四郎の下っ引)

清次 由太郎 紋太 松太郎 孝 ( 街の子供たち ) 

ウィリー( Willy ) WilliamBWalter  

エリカ  ( Miss Mayer ) Erica Mayer 

Augustin Van Buffet Goone ゴーン 1834年生まれ37才

Mary Van Buffet Goone ゴーン夫人1837年生まれ 34才

Sophia Van Buffet Goone1856年生まれ 15才

JohnJackyMac Horn 1838年生まれ 33才

M.J.B Noordhoek Hegt  マリアヌス・ヨハネス・ベンジャミン・ノールトフーク・ヘクト 1821年生まれ 50才 

Charlotte Noordhoek Hegt 1864年生まれ 7才

ヤール( Jarl )JarHeldt Noordhoek Hegt1844年生まれ 27才

ハンナ( Hannah )1843年生まれ 28才

高島嘉右衛門   ( 高島屋 易の大家)入舟町新地(常盤町五丁目)40才

益田徳之進( 孝徳・孝 ) 24才   大谷嘉兵衛 27才

西郷小兵衛 25才  西郷従道  29才


1871年とグレゴリオ暦では年が変わり早くも五日目、ゲーテ座ではフランス公使夫人の主催する慈善音楽会が開かれていた。

オテル・デ・コロニーで開かれた会合でウートレイ夫人の肝いりでこの晩にフランス将兵の傷痍軍人への救済資金を集めるためだ。

後援はC,レヴィーのエコー・ドゥ・ジャポンが引き受けて宣伝に努めた。

近くの86番のコマーシャルホテルでは相変わらずラシャメンの出入りが多かった、トンプソンの手を離れたこのホテルは昔のようには人が集まらなくなり、今の支配人はジョルジュ・ガ−ドナーに雇われていて寅吉たちとは関係は無く、集まるものの目的は女に酒に賭けビリヤードだった。

トンプソンが37番のヨコハマホテルへ引き抜かれたのを契機に新しく立て直すよりも株を売って改めて其の金をインターナショナルホテルとグランドホテルへの投資へ向けたのだ。

其の86番のホテルから火が出てゲーテ座にいた人々は避難する者と消火活動に従事するものに分かれてどうやら隣の建物は焦げたくらいで済んだがホテルは中がすっかり焼けて屋根も落ちていた。

音楽会は後日開催と為り其の晩は火の番をたててゲーテ座では見張りのものが交替で休んでいた。

八字になって東京から境町に戻ってコマーシャルホテルの火災を聞いたケンゾーは近火見舞いにMJBを68番のゲーテ座に尋ねた。

シャーロッテと母親はこの日は87番の自宅ではなく山手のヤールの家にいて無事だった、MJBはグリーン夫人の二人の娘に囲まれて幸せそうだった。

温かいスープに火事騒ぎで焼け焦げたシャツのままストーブに当たっていたMJBに「ヘクトさんそんな薄着で寒くないのですか」と聞いた。

「さっきまで火勢にあおられて体が火照っている所に二人の美女と温かいスープだ、寒さなど感じ無いさ。さっきハンナとヤールが来てくれたが俺が元気なのですぐにシャーロッテとスージーに無事を知らせに帰ったよ。薄情な奴らだ片方残ってもいいのによ」

MJBのにやけた顔を見ればいくら子供たちでも呆れて帰るだろうとケンゾーは思った。

キンドンがやってきてスープの接待にありがたそうに椅子に腰をかけた。

「此れはマダムの手作りかい」

「いえあたしたち二人が作りました。味がお口に合いませんかしら」

「イヤイヤ、とても美味いスープだ。とても急場の間に合わせに出てくる味じゃ無いよ。ケンゾーも付き合いなよ」

「アラごめんなさい。Mr.ケンあなたも召し上がってね。もう直に叔母と一緒にAliceが追加を持ってくるはずですから他の方にも十分回りますから遠慮しちゃだめよ」

グリーン夫人の妹アンダーソン夫人はグランドホテルでともに働きアリスとはストランドバーグ夫人のことで今は神戸に住んでいるが、ヨコハマホテルを引き継がないかという話に下見に来浜しているのだ。

グリーン夫人ほどの色気は無いという二人の娘だがケンゾーには母親よりも二人の娘のほうが清楚で此方のほうがいい女に思えるのだった。

「異人さんたちの好みは判らん。マックやジェラールやカーチスはどうなのかな今度聞いてみるか」と二人からスープを受け取って口をつけてから「とてもいい味だ。ハムとセロリを細かく切り込んだのが舌触りが良くて気持ち良いよ」

「嬉しいわ、ケンはお世辞が上手ね」

姉のクラリスはケンゾーに嬉しそうに「もう一杯いかがと」カップを受け取って注いでくれた。

次から次へ現れる客に応対に忙しいMJBは追加が来たスープを勧めて直ぐに椅子に座り込んでいた、矢張り相当に疲れたようだ。

12日に改めて開催された音楽会では17500フランが集まりフランスへ送金手続きが取られた。

このときの相場では二千百五十両であり弗でも1850ドル以上になるので一晩の音楽会での寄付としては驚くべき金額であった。

お膳立てをしたフルマール氏、ラバルクリペー氏、レトレック氏、ジョバン氏の面々は大いに面目を施した。


仮名垣魯文の西洋道中膝栗毛の初編が出され横浜でも人気の読み物でたいそうな人気となった。

魯文、芳幾は広重との三人で盛んに横浜に出没しては異人たちの話す言葉や住まいの様子を写しては忙しげに東京へ帰るのだった。

広重は先代に当たる兄弟子の喜斎立祥の後の横浜を描くのに力を入れていた「兄さんの書ききれなかった横浜と移り変わる横浜を俺の手で日本じゅうに広めてみせる」そう酔うたびに豪語しては兄弟子と共に横浜で遊んだ日々を語り港崎と今の新吉原の違いについて「新吉原なんぞてんで夢がない遊び場だ」とまでこき下ろすのだ。

一丁目の静々舎へはおかつは毎月一度通って今も渡される薬を飲んでいて、あれ以来胃痛に悩まされることは無かった。

早矢仕先生も「おかつさんは細かいことにくよくよせずに楽しく暮らすことですよ」とあまり気にするほどの病では無いと請け合ってくれていた。

其の先生も先月から天然痘の予防処置に忙しく午後は一日おきに新吉原会所の牛痘接種に出向いていた。

ケンゾーは旦那が来るのを待って129番のクラークさんの事務所を尋ねた。

其処には旦那の仲間たちが参集していてグランドホテルの先行きについてどのようにするかを話し合っていた。

表向きはWH・スミス氏が取り仕切ることで合意は出来ているが、資本と建物の規模について話が中々まとまらないのだった「まだ、グリーン夫人が諦めていないから表立って如何こうするというわけには行かない」と言うのが大半の意見で資金は寅吉旦那が聞きこんできたポンドの値上がりに期待して積み立てることにして、マックのスミス商会が年8パーセントで運用することになった、俺ならもっと出せるというものはこのグループにはおらず「だとうな線だな」とスミスがクラークと話して決めた、全ては其の日がくるのを待つてグリーン夫人に引導を渡すことになった。

尤もグリーン夫人も次は神戸だと普段から人に公言しているので新たな資金の提供者の当てがあるのかもしれない。

クラークさんが議事録の合意事項を見ながら「設計はブリジェンスでいいな、客室は30室から始める。建物は予定通り高島屋、予算は一年間の稼動経費込みで13000ポンド、保険は必要経費として目一杯かける。スミスさんは忙しいから誰か支配人を置くとして英吉利人かそれとも亜米利加スタイルにするか」皆が料理人だバーテンだと又議論が始まった。

「亜米利加からホテルの支配人の経験の有る者を呼んだらどうだ。BostonNew Yorkならいろいろな国の人間に接しているだろう」

クラークさんの意見で亜米利加の人間でバーテンを連れてこられる人間を雇うことになった、料理人はボナのところに居るPaulinが良いというのが大方の者の意見だ。

ボナ商会は株式の30パーセントをジェラール夫人のスジャンヌとメアリーとで持っているので其方は問題が無いようだ。

ポーランはMonsieurポーラン・ムラールでSweetmeat CastleBonnatに雇われているのだ、ボナ自身も一枚咬みたいと申し出ているので問題は無いだろうというのがベアトの意見だ。

ムラールは日本人にはムラオー、居留地ではミュラールなどと呼ばれて居る、Paulin Muraourのことでこの頃L,Bonnatとともに最高の料理人と評判が高かった、ボナも日本人にはボンナやボナートなどと呼ばれる事もあった。

「バーテンはアメリカ人、料理人はフランス人、メイドは清国人と日本人。こいつで決まりだ」スミスは自分で全てを決めたような顔で皆を見回して賛同を求めた。

「コタさんのほうにパンの供給を世話して欲しいが誰がいいのだ」

「どうだい、ホテルで焼く手も有るぜ。何も外から買うよりフランス風のバゲットにクロワッサン、其れとイギリス式の角型を焼けばサンドウィッチも作れる、其れだけ焼ければ後は経費を出すために他のホテルに売ればいいだろう、工夫次第でどうにでもなる」

「そうだな、其れもいいかもしれないな。それならコタさんのほうで職人の手配もしてくれよ」

「そいつは任せてくれ、料理長の味にあったパンが焼ける奴を推薦して試験させれば良い」

今の建物を取り壊してブリジェンスが設計した横浜駅の設計を元に海岸線と違和感の無い建物を作り上げてもらうことになった。

出来るだけオリエンタルな雰囲気を出さないこと、伊太利亜式の円柱にバルコニーもつけないこと、客室は保温効果と湿度対策に外壁の内側に杉板張りにして其の部屋側に石板を貼り付けるという事もブリジェンスに申し入れることになった。

正面入り口はバンド側海岸通り、ビリヤードにバー、ボーリング場はホテルの客室とは別棟で散髪室に婦人用の美容室と食事だけの客を入れるための食堂を出入り口も水町通りのほうから入れるようにすることなどが決まった。

七百坪あまりの敷地を目一杯利用して第二期にはもう一棟を建てますことにして其処には公園風に東屋に花畑も作り従業員の宿舎は38番のデービスの土地に建てる事も決まり、早めに瀟洒な建物を建て其の金はブキャナンさんが出し部屋をカンパニーへ貸し出すことで賃料も合意に達した。

「何、ホテルの建設や開業が遅れても奇麗で設備がよければ借り手はいくらでも居るよ」そうブキャナンさんが言って請け負った。

「又来月会合を開いて自分の担当の事についての意見を話してくれ。遅くも73年の5月までには建物を完成させて、営業を始めたいしな。来年の内に今の建物を取り壊せるだけの準備を始めたい。グリーン夫人のやり方では年内持てば良いところだろう。後はコタさんが言うようにポンドの値上がり待ちだ。だが他に漏らすなよ。出来れば鉄道の開業に合わせたいがそういうわけにも行かないからな。ボナにも詳しい事はもらさないで置いて呉れよ、彼が駄目でも何とか成る事だからな」スミスさんがそう話しを締めくくって会合は終わった。

この頃の洋銀相場は100ドルで安政壱分銀八十七両二分、二分金で八十九両、古壱分といわれる天保壱分銀だと八十四両二分で弗屋では一ドルは三分二朱あたりが街の通り相場であったしポンドは三両二朱くらいが町の流通ルートであった。

弗屋は其の相場を上手く利用しての利鞘を稼いでいたのだ。

寅吉は一ドル壱円には無理があるだろうが一ポンド四円は硬いだろうと踏んでいたのだ。

いかにも秘密めいたやり方だがここに集まった面々はグリーン夫人の色香にはまいらないほどの強者だと自負してはいるがケンゾーは「本当にそうならいいが」と心の中で思った。

「コタさんはグリーン夫人の色香に参っているのかと思ったが案外冷静なのには驚いた」そういうEarl collodionMr.Punchのほうが篭絡されているとスミスさんは何時も二人をからかって居るのだ。

元々はホイが地権者で其れをプリュインさんとマックの名義にして其処へグリーン夫人が長崎から出てくるのを待ってベアトにワーグマンが参加してきたのだ、誰が見ても寅吉がグリーン夫人にイカレて居ると見えたのは否めないのだ。

ケンゾーが見ても旦那は日本人離れしているし、女の人に普通にしていても親切で、始めてあったものにも自然と警戒心を与えることなく打ち解けるのが不思議に思えるのだった。

特に小さな子に旦那が話しかけると、直ぐに友達になってしまうのには正太郎以上の不思議な才能だとウィリーとの朝のコーヒータイムの話題の一つだ。

 


十二月のグレート・リパブリック号には森有礼が少弁務使としてワシントンへ赴任していった。

其の三日に出航した同じ船には伏見満宮、元の輪王寺宮公現法親王が西園寺公望とプロシャへ留学の為に乗り込んでいた。

二月ほど前にバゼーヌ元帥指揮の18万人の将兵がメス要塞で降伏しパリは丸裸だという情報が横浜にもたらされて間も無くパリへプロシャの進軍が開始されたと情報がもたらされた。

風前の灯のパリに横浜のフランス人社会は気落ちした雰囲気で包まれていた。

それでもゴーンさんにジェラールたちは表立って独逸の人たちとあらそう様子は見せず、表では普段通りの付き合いと商売が続いていた、仏蘭西海軍のアルマー号とジブリキス号が独逸連邦のヘルター号にメデサー号を浦賀沖から出さないように監視を続け商船も浦賀からは出ないように監視をしていて横浜を含めて東洋ではフランスのほうが優勢なのだった。

インドから上海日本付近はドイツ連邦の船は港から出られず海軍も上海と横浜に封鎖されていてフランス系の船は自由に外洋を行き来していた。

ジャーマンクラブは懸命に商売の方策を求めているが芳しくないというのが傍目にも分かった。


暮れも押し詰まった二十五日グレゴリリオ暦2月14日、梅が咲き出した横浜ではこの日雪混じりの冷たい雨が降った。

この年の大晦日は二十九日なので正月の支度で弁天通りは賑わっていた、氷雨の中を人々は露天の店に群がり正月飾りを買い求め羽子板や笹飾りや大きな熊手に様々な飾り付けをした物も英吉利人や仏蘭西人に飛ぶように売れていた。

昼近く雨もやんで薄日が差し出していた。

「横浜は江戸とは違うな」

「何処が違うのでしょうか」

「そうか正太郎は横浜しか知らないからな。江戸、いや東京では酉の市でしか縁起物の熊手は売っていないぜ。正月の笹飾りは大阪今宮戎神社の10日戎が有名だが、此処では暮れから売り出しているからな。横浜では暮れから正月まで熊手に羽子板笹飾りといつでもあるから不思議だと思うのさ」

洲干弁天が羽衣町に移動した後も弁天通りでは露天商が多く出てこれ等を売り出していた、昔から横浜物産会社では暮れの五日間と七草までの間を見世の一部を閉ざしてこの露天の商人に昼間から店を出させて賑わいを演出させているのだ。

そのほかの商店も店を夕方早めに半分ほど閉めて露天に軒を貸していた。

寅吉とケンゾーは正太郎を連れて其の賑わいの中を通って馬車道から弁天通りを三丁目の中通りまで向かっていた。

このあたりは11日の夜中に出た火で四丁目の蓮杖さんの本店とHackの翔風舎も延焼したがカメラやリキシャ、雇い人に被害は無かったので翔風舎は仮小屋で営業を再開していた。

七月に新しく建てられたばかりの本町三丁目為換会社や隣の西洋式の二階家もほとんど丸焼け状態で火事場の片づけは終わったが空き地のままで、その空き地でも多くの露天商が店を広げて人を集めていた。

南仲通り四丁目の薬湯業油井長五郎方より出火したその火は南仲通りを中心に本町通り弁天通りの三、四丁目がほとんど燃えてしまって、二丁目の横浜物産会社の四軒隣で漸く火が止まったのは辰さんの指揮する蒸気消防ポンプの力が証明されたと居留地のビクトリア火災保険会社も急いで購入を決めたほどだ。

「すごいよな五十間先まで延ばした筒から水を吸い上げても出て来る水に勢いがあるんだぜ五十間くらい先まで大雨のように水が飛んだよ」と見ていた松太郎が正太郎に教えてくれた。

辰さんは店を中心に腕木ポンプ一台と竜吐水三台を使って水源や天水桶から蒸気ポンプまで水を送りそこから放水したのだ、町の人たちも桶で水を補給してくれて消防組の取り壊す家の先へ降り注ぐ水の勢いは家を取り壊すより大きな効果があった。

太田町通りではアメリカン・ファイア・カンパニーのボランティア号とボランティア・ファイア・ブリゲードのポンプ車が三台勢ぞろいして相生橋付近からの水を使って五丁目へ火が入らないように懸命に防火、消火活動をしていたし、英吉利領事館には第10連隊が腕木ポンプで海からの水を用水桶に満たしていて消火に協力していて、さらに海岸通りからは各消防組のポンプ車も消火活動に参加した。

県庁に燻っていた蒸気ポンプも引き出されたが此方は操作員がそろわずにそれほどの活躍を見ないままに終わった。

井関知事が強引に手に入れたが機関を焚く者を常時遊ばせておくだけの余裕が無いとの理由で腕木ポンプほどの活躍が出来ないのだ。

それでも本町の延焼を四丁目で食い止め、五丁目と北仲通りを守るほどの活躍を廛六消防と協力して行えたのだ。

長崎の伝次郎さんが長崎横浜物産会社の海藤真吉さんを社長に指名して横浜へ戻ってきた歓迎会が開かれるので、久しぶりに神戸の太四郎さん、大阪の幸助さん、神田の文崇さん、名古屋の永吉さんが揃って横浜入りをしていた。

正太郎とケンゾーは其の歓迎会への参加を寅吉から直々に伝えられていて一丁目の虎屋へ約束の十一字半に出向くと春さんと旦那が吉岡さんと相談中で「後は頼んだぜ俺は二人と先へ行くよ」と旦那が先にたって正太郎たちと三丁目の中通りから豊国橋を渡って若松町の鳳鳴楼へ向かったのだ。

この日は総会計責任者の朝吉さんに笹岡さん、橋本さん、吉岡さんら横浜物産会社の重鎮と連絡員代表幹事という肩書きの千代さんなど役員の中でも代表的な人に混ざっての正太郎とケンゾーの参加だった。

鳳鳴楼では千代さんと辰さんに文弥さんが玄関先で出迎えた。

「千代はここで出迎えなどせずに座敷で待っていればいいじゃねえか」

旦那はそういって「辰さんに文弥は全て揃ったら適当に時間をつぶしていてくれ、特別連絡事項も無いが会が終わるまで頼んだぜ」と玄関先の二人へ言葉をかけて千代さんの先導で座敷へ向かった。

後は春さんと吉岡さんだけだと千代さんが言う間も無く二人が座敷へ入ってきて今日の出席者が揃った。

旦那と伝次郎さんが上座に座り後は左右に席がしつらえてあった、台のものには大きな取っ手の付いたビール用の陶製のカップと玉子焼きと酢の物に鳥の蒸し焼きらしきものが置かれていた。

旦那の挨拶の後、例によって笹岡さんの音頭で乾杯が始まり一回り挨拶が済んだ後旦那が笹岡さんの隠居話を持ち出した。

「笹岡さんは今日限りで隠居して平沼に住むことになったが、相談役として横浜物産会社への助言をしてくださることになった。青木町は嶋田錠吉君が責任者として預かることになる。それで俺も社長から退いて後を伝次郎へ任せることにした。会長が根岸寅吉、相談役笹岡伊織、社長諸岡伝次郎という体制で吉岡さんと橋本さんが副社長だ。詳しくは明日には刷り物が各店舗に届くはずだが俺はそれほど働きがなかったからそれほどの変化は直ぐには無いだろう。伝次郎は野毛の子の神社脇に土地があるのでそこへ家族で住んで貰う事になった。それから虎屋も俺が会長で鴻上春太郎が社長だ、副社長は綿海小左衛門君、大町勝治君にお願いする、相談役にこの吉田健三君そして社長付き役員心得は前田正太郎君だ。今はまだ吉田君の下で勉強中だが鴻上君の直属の部下として此れからも贔屓にしてやってくれ」

後を受けて笹岡さんが挨拶をし、さらに伝次郎さん、そして春さんが続いて挨拶を終えると芸者衆が大勢現れて仲居が新しい酒の追加に温かい料理を運び込んで座は一気に盛り上がった。

とらやは代表してお怜さんが参加していたが此方は今のところ組織変更は無いようだ。

会合が終わりケンゾーと正太郎は立軒先生の家に鳳鳴楼で包んでくれた料理を持って訪れた。

「何時もありがとう御座います。これから夕食の支度をするところでこんなにご馳走があると父が驚きますわ。今日から授業もお休みですからご一緒にいかがですか」

「いえ、これから英一の商館を訪ねますので此れで失礼します。正月にご挨拶にまいりますが年内は此れが最後になると存じます」

「正太郎君は明日は来てもらえる」
「はい大丈夫だと思いますが四字でよろしいでしょうか」
「その頃でいいわ、論語の読み合わせをして来年からの授業の訓練をしたいの」
名残惜しそうな士子に別れを告げて二人は馬車道を海岸まで出た。

夕刻になると海岸通りには石油ランプの街灯に火が入れられて海岸線は奇麗な灯りの列を観に寒い中を大勢の人が出て来ていた。

九月ころに居留地のバンドに設置された街灯は日本人街にも広がり海岸通りは暮れが押し詰まったこの時期になっても物見高い見物客は飽きもせず参集してくるのだった。

英一にはスミスベーカーの大谷、亜米一のアーウィンと元亜米一にいた益田が来ていてウィリーと話が弾んでいた。

「待ちかねたぜ早く行こうぜ」

「なんだなんだ、何処へ行くというのだ。此処へ来いというだけで何も聞いていないぜ」

「なんだ、肝心の事は伝わっていないのか。お前さんのおごりでフッキローへ出かけて遊ぶんだよ。藤吉さんが寿美代と京嘉に雛与を呼ぶ手配もしてあるのさ、後はフッキローの抱がいくたりか座敷に顔を出すだろうさ」

益田は十四の時に善福寺の亜米利加公使館に出役し、十六の時には仏蘭西へ幕府使節と共に出かけている経験がありさらには矢田部たちと英国軍営に通ったりフランス伝習も学んで幕府騎兵の頭並まで進んだのだ。
Hepburn先生のところで英学も学び、最近まで亜米一に呼ばれて其処で働いていたのだ、最近境町にも家を借りてケンゾーとはご近所になった。
住まいと雑貨売り込みの店が弁天通り二丁目の横浜物産会社の並びにあり、この前の火事では危うく火消しに取り壊される寸前で助かっていた。

最近の流行で境町を堺町などと気取って書く人も多くなってきていた。

「そりゃ無いぜ年から言っても藤吉さんがおごるのが順当だろう。俺より稼いでいるくせにそりゃ無いぜ」

「そりゃ無いぜと何回も言うなよ。一昨日お倉に聞いたがMr.ケンが虎屋の役員になると聞いたぜ、今日は其の会合だったのだろ。横浜物産会社はそういう会合はひどくあっさりしているとお倉が言うので藤吉さんと相談して座敷を取ったんだぜ」

「そうは言うが、役員といってもただの相談役だ、給与も無い歩合のままだぜ」

「違う違う、まだ聞いていないのか笹岡さんと同じで月に三十両の手当てが出るそうだぜ、お倉の言うには其れと配当金が年二回支給されるそうだ。聞いていないのか」

「誰もそんなこと言わなかったぜ、な、正太郎」

「先生、この間笹岡さんが相談役になるときに相談役として月三十両の手当てが出る代わりに店に週一度は顔を出して何か気が付く事があれば伝次郎さんと春さんに直接申し出てくれということを旦那が先生の前で伝えていましたよ」

「だって其れは笹岡さんのことで俺のことじゃないぜ」

ケンゾーが俺は知らないと何度も言うのだが「先生も相談役になってくれと旦那がその後で聞いたときに、宣う御座いますお受けさせていただくで御座いますとご返事をなさいましたよね」

「確かにお受けしますと伝えたぜ」

「其のときに今までと同じ歩合だが相談役はそれなりの待遇を会社として取るという事も言って居りましたよ」

「そうだったが手当ての事は知らないぜ」

「そうですが金額は言わなくとも給与というよりは相談料として出すおつもりだと思います」

「な、正太郎もそういうんだお前さんの相談役を祝って今日は宴会だ」

もう言い争う気も無くなり「仕方ねえ悪い友人と付き合いをしている報いだ、俺がおごりで遊びに行くか。それでロバートにウィーリーも来るかい」
ロバート・Wアーウィンは長崎から半年ほど前に横浜にイキという日本人の奥さんを連れてやってきたのだ。

「行って良いのか、正太郎も連れて行くのかい」

「たかが芸者遊びに連れて行くかも無いもんだ。酒が飲めなくとも遊ばせてくれるのが芸者の務めだ」藤吉が年長の貫禄でそう宣言するように話を締めて結局六人で駒形町のフッキローまで行くことになった。

籐吉と徳之進の二人が先に出てケンゾーが富貴楼に時間を告げに人を頼んでから瀧の湯で湯に入り、着替えをして翔風舎のリキシャを頼んでロバートにウィリーも揃って四人が家をでたのは七字半を過ぎていた。

「おいでなさいまし」

式台にはお倉が出迎えていて「お二人はもうお見えになられましたよ。どうせ湯に入ってのんびりしているからな、先に始めるぞなんて仰っておられますよ」そう告げて座敷へ急がした。

 


昨日に変わって快晴の横浜では朝早くから新聞売りが馬車道に出ていた。

新聞を入れた箱を肩にかけて派手な半被姿の若い衆が売り歩くのだ。

今月の八日に創刊され十二日からは日刊紙となった横浜毎日新聞だ、蓮杖さんは早速自分のところで売り捌き所を開きたいと申し込んでいた。

横浜活版社の発行で編集は子安峻、長崎から井関知事が呼び寄せた印刷所と人材で始められて横浜の貿易、人、船の出入りなどが主な記事だった。

創刊号には一両は銀六十匁三分一厘、銭十貫三百四拾八文と相場も出ていた。

社員の相川尚清はHackやケンゾーたちと不二家のビリヤード仲間だ、印刷担当の陽其二も時々は顔を覗かせるがケンゾーとは大分腕が違い「もう少しお手柔らかに頼むぜ」とすぐ泣きが入り二階のコーヒーハウスへ行こうとさっさと逃げ出すのが日課だ。

蓮杖さんのビリヤード場では賭けはご法度で数を競うか勝負をするかだけでせいぜいコーヒー代を誰が持つかぐらいのもので、長い時間台を占領するものなど居ないのだ。

インターナショナルホテルでカーチスさんと張り合えるのは寅吉旦那くらいでスミスさんもさすがに勝負を争う事はないらしい。

居留地ではかけビリヤードの見物人から入場料まで取る船員相手の安宿もあり百台くらいのビリヤード台があるようだと蓮杖さんが言っていた。

ケンゾー先生は旦那に一度挑んだが簡単に五番続けて負けてさすがにそれ以上は勝負してくださいとは言えなくなっていたが再挑戦を狙っていると正太郎には見えた。

新聞はまだ広告も少なく中々採算が取れず知事の要請で横浜の商人に資金協力の要請が行われた。

一部が銀壱匁ではそうは気安く買える物では無いので新聞売りも苦戦をしていた、横浜の不定期の読売は普通四十文、特別版でも銀壱匁で町の噂が主題で此方のほうの人気が勝っていた、米は安くなったとはいえまだ銀一匁で二合二勺分しか買えないが馬車に鉄の橋を渡らせるよりは安く商店や金持ちの個人購入者の定期購読は確実に増えていた。

十月に樺太視察から帰京した開拓使次官の黒田清隆は米国及び欧州視察の船便の待ち合わせの為に横浜に出てきた。

米国留学の十七才に為ったばかりの山川健次郎を含めた七名の若者も始めての横浜に戸惑いを感じながらもあちらこちらを廻って歩いていた。

健次郎は長州藩士奥平謙輔の書生として東京の長州藩藩邸にいたのを黒田が広く人材を求めているというので推挙されたのだ。

忙しいはずの高島さんは自分の高島屋旅館に彼らを向かえて盛んに蝦夷地開拓と鉄道施設の重要性を説いていた。

「ぜひ横浜に開拓使の人材養成の学校とその婦人となる心構えを学ぶ女性のための学校を開くべきです」

高島さんは盛んに学校開校の重要性を説いて熱弁を振るった。

「おいも露西亜からの脅威を防ぐにな、蝦夷地の開拓と其の備えのための人間を蝦夷地に送い込むこっが重要と考えておう。おはんの意見は必ずおいが中央の人を説いて実現させてみせもす」

黒田さんの返答は高島さんの気持ちを東京・青森間の鉄道建設へと向かわすに十分な手ごたえがあった。

「それとな、オナゴ教育ほいならが亜米利加へ留学すうものを集めごとと考えておう。でくうだけ幼い子がよか、わが国の教育をあまい受けておらんものを選抜して五人んし七人位を向こうのlowSchoolから最高学府をす卒業すうまでん間、送い込みたいと考えとう」

「其れはすごいことですね、横浜の噂ではそれほどの学業意欲の無い人も大勢留学しているそうですが、其の人たちと比べ幼いころから勉学の意欲に優れた人たちを送り込めばいい勉強になるでしょうし、日本の女子教育のお手本となる人が育つで御座いましょう。私もまず学校を作り人材を育てて、其の者達が幼児から大人までを教育できるようにしたいと考えています」

「其れはすばらしこっだ、ぜひとも実現してくいやんせ」

嘉右衛門は黒田が帰ってくるまでに優秀な家系の子女を推薦できるように下調べをしておく約束をした。


海からの冷たい風が強く吹く朝、何時ものように正太郎は第一集会所へ顔を出した。

「正太郎君は俺たちと同じで年中無休だな」

「正月も休まないのですか」

「お茶工場が休みでも此処は休まないのさ。五日に一度は代わりの人が当番に来てくれるけど特に出かける用事も無いから結局掃除でもしてしまうのさ。まぁ正月は子供たちも来ないかもしれないがね」

集会所へ行くと何時もの仲間がすでに集まっていた、土間には大きな石炭ストーブが二台離れて置かれていて火がたかれていた。

「暖かいねここは」

「そうだよ、松ちゃんが火の当番の代表で毎日ストーブの火を入れて始末まで面倒を見るんだよ。松ちゃんの都合の悪い日は変わり番子に面倒を見るのさ」

今日は六十人ほどの子供達が来ていた、五つのグループだそうで頭株は正太郎の顔見知りばかりだった。

「今日は坂崎先生の授業の日だろ」

「そうだよ、朝は八字半からだよ。八字になると喜兵衛爺さんが鉦を鳴らしてくれるから其れが聞こえたら土手の教室へ行くのさ。最近人気が出て午前と午後の勉強に組分けされたんだぜ。集会所に登録していない人でも授業は受けられるんだ」

「そうか、知らなかったな、由坊は大分字を覚えたかい」

「覚える傍から忘れているような気がするけど、新聞も少しは読めるようになったから進歩しているよ。書くのはだめでも読めるだけでもたいしたもんだと自分でもそう思うよ。年内は明後日まで、年明けは四日から授業があるんだ」

傍から清次も口を添えて「静先生は車橋が午前こっちに午後、毎日小さい子にはいろは、習いたいものには裁縫を教えてくれるんだ、其れとゴーンさんがくれたマシーンでの裁縫はあそこのお針子が毎日交替で来てくれて使い方と洋服の作り方を教えてくれることに為ったよ」

「其れはすごいな、直に洋服をマシーンで縫える子が出来ても可笑しくないな」

「そうなんだぜ、孝はまだ背が小さくてマシーンは無理なんだけど静先生は今から使い方を覚えておきなさいとそっちも大きな娘に混じって授業に出ているんだ。男でも洋服職人になれるからとそのマシーンの時間は出る子も居るんだぜ」

「たいしたもんだね」

正太郎が家に戻ると辰さんが旦那からの伝言を持って来ていた。

「正太郎は小兵衛さんという西郷先生の一番下の弟に会ったことがあるかい」

「いえ自分はお会いしていませんが、吉田先生は一度お眼に掛かったことがあるそうです」

「そうだってな、昼にグランドホテルで旦那と食事をする約束されたんだが、都合がつけば正太郎とMr.ケンに出て貰いたいそうだ。集合は十一字五十分にホテルの喫茶室だ」

「自分は大丈夫ですが先生は今朝早くから外に出ているので連絡がつかないのですが」

「そっちは大丈夫だ此処へ来る途中の馬車道で出会ったら時間までに伺うということだったよ。これから港町で皿を買うとかいっていたが所帯でも持つのかい」

「いえ、何でも絵草子屋のご隠居さんが亡くなって出物が出るそうで其の買い付けらしいです」

「なんだ、おりゃ士子さんと縁談でもまとまったかと思った」

「まだ其処まで気持ちの整理がつかないようです」

「ふうん、そういうもんかい」

「其れより士子さんが例の子供たちの中で論語に礼記を教わりたいものに週二回の講義を受け持って呉れるそうです。其れと千寿さんの小さな子への人気は高いようですよ」

「そうかい、其れはいいんだがあいつがいない間は子の神社に来る子守っ子供が淋しがってなぁ」

「その子たちも集会所に登録すれば来ても良いし、登録しなくても臨時に来て遊んでいてもいいのになぜ来ないのでしょう」

「そりゃいろいろ事情があるんじゃねえか。自分の妹や弟ならともかく雇われの子守っ子には自由が無いのだよ」

「そうだったんですか、其処まではケンゾー先生も気がついていないようですね」

「そりゃ仕方ねえよ、それに集会所で横浜全部の面倒を見ろといってもそう簡単にいくもんじゃねえよ。必ず笊の目からこぼれるものも出るのさ」

グランドホテルには鹿児島へ帰る小兵衛さんを見送りに来た従道さんに旦那に先生がもう来ていてお茶をしていた。

「お二人に紹介します。この少年が正太郎です」

「時間とおいだな。虎屋はねんじゅこうなのかい」

小兵衛さんが時計を見て感心していた。

「そうですよ。仕事はそういう風に行わないといけません。昔のように大体の時間で動いていては外人相手の商売では困ることになります。Mr.ケンのように八分前正太郎のように五分前というのは基本ですよ」

「信吾兄貴はいけん思うんだ」

「これからは集会もしごっもそうなうぞ。夜明けから日暮れまでちゅうごとんかなくなう。冬でん夏でん八字から五字までがしごっとして一年を通じて同じごと働くのが文明ちゅうものだ」

「そよかけな、信吾兄さぁ日本は外国とは違うんだすっぱいあちらと同じでは日本にな向かん事もあうだろう」

「其れはほいならっとがうが、時間でんしごっと、暦に関してはあちらのよな仕組みが便利だ。昔のごと一日の内で一刻の長さが違うでは困うこっになうのは分かっとうだろう其れに昔の徳川の役人のように一日働いて二日休むでん言語道断だ。学校でん先生を待たせていては授業がすすまんだろう。其れと同じで何事も双方が時間を守らんといけんのだ」

正太郎にはとても付いてはいけないスピードで交わされる薩摩言葉に半分くらいしか理解できないが旦那とケンゾー先生は分かるようだ。

「小兵衛が向こうへ着くころにな兄貴は大久保さぁと国を出うころだろう」

「矢張い、勅旨を持ってのお呼び出しが岩倉卿と大久保先生のお使いでは背く訳にゃいかんでしょう」

「俺が行ったくらいでは中々承知はしてくれなかったが小兵衛を東京へつけてよこしたちゅう事は此方のあいごとが気になかけとうちゅうこっさ」

「そげなこっかもしれんが、聞いた話ではあまいいもひどかちゅうこつが多すぎう。昔の身分を言えば又物のしかも軽輩がまうで殿様以上の暮らしほいならんか。其れもたいしたしごっをせんじんえばいくさってばかいだ。徳川の時代よいひどいのになにが文明だ」

「其れも含めて兄貴が出てきてくれれば解決すう事も多い。まずは廃藩置県ちゅう大しごっをすうにな兄貴の力が必要だちゅうこっが小兵衛いもわかっただろう」

グリーン夫人がテーブルの支度が出来たと呼びに来て五人は食堂へ入った、テーブルへ案内されて小兵衛さんは従道さんの席の椅子の後ろで待って腰を下ろしてから自分の席に着いた。

正太郎も旦那たちや小兵衛さんが席に着くまで遠慮していたが「正太郎は何も其処まで遠慮する事は無いぜ」と従道さんに言われてようやく席に着いた。

「最近漸く信吾兄貴が従道で吉之助兄貴が隆盛だちゅうこっになれてきた」

「其れはどういうことですか」隣の席の小兵衛さんが言うことがだんだんと分かってきて正太郎は聞いてみた。

「吉之助兄貴は、隆永が諱ほいならけん、何時のまにやらリュウセイになってしもうた近頃は其れもタカモリと読むそうほいなら、信吾兄貴も隆興なのにジュウドウだそうだ、おいは諱が隆雄じゃけん小兵衛のままでよか」

ワインでパンを食べているテーブルにスープが運ばれてきて暫く話は中断して食事を楽しむことになった。

伊勢海老の大きなものが甘いクリームで味付けされた暖かい蒸し物には西洋料理に慣れていない小兵衛さんも旨そうに食べていたし、正太郎も始めての味に出会った喜びで感動した。

「マダム、とてもこの海老は美味しく仕上がっています」

「そう、今日の海老のクリーム煮はシェフの自慢の料理なのよ。次の鴨のローストも美味しいから沢山召し上がれ」

次の皿も美味しく最後のビーフシチューも申し分が無かった。

出されたワインのご相伴に正太郎はご機嫌だった。

「正太郎は酒が強そうだ」

小兵衛さんは酔うほどに言っている言葉がはっきりしてきたように思えた。

「勧めてはだめですぜ。まだ正太郎は子供だ」

寅吉はそう釘を刺した。

「なにを言うかね。俺なんざ十五のときから焼酎で鍛えられた」

薩摩の人たちは少年でも酒が強いそうだ、そういえばヘボン先生のところに居た仙台の高橋さんも酒豪だと聞いたことがある、北国と南国の人は酒に強いらしい。

「小兵衛たいがいにせい。おまえはきりが無い」

矢張り相当な酒豪のようだ。

場所を変えて隣のゴーンさんの店へ寄った五人は最近の仏蘭西からの便りでプロシャに追い詰められた新しい政府は講和条件を模索しだしたそうだと聞かされた。

ゴーンさんの貿易は品物が国からはいらずマックの店経由で亜米利加やインドからの物産の輸入に頼っているそうでマークル石鹸が入れられない打撃は大きいようだ、虎屋には後三ヶ月分も無いということで何とかしたいと頭を抱えていた。

「仏蘭西郵船もこの戦の片がつくまではどうにもならんと嘆いているよ。家は裏のドレスメーカのおかげで赤字にはならずに済んでいるが、亜米利加の内戦に今度の戦で全ての貿易の利権が英吉利に集中しだした。和蘭でももう追いつくほどの貿易は見込めない」

横浜の貿易の半分以上が英吉利一国に押さえられてきていた。

Sophiaがお茶とビスケットを持って事務所に来て「どうぞ召し上がれ。ごゆっくりしていってくださいね」と勧めた、小兵衛さんは異国の少女の口から流暢な日本語が出てびっくりしていた。

「ハハ驚いたかい、この娘さんはソフィアというゴーンさんのお嬢さんだよ。確か今年十五だったかい」

「まだ14ですわよ、コタさんの国と違って生まれた年は数に入れないのよ」

「そういうことだと、1856年生まれか、57年生まれだったか」

「もう直に15になるのよ。誕生日は56年の3月15日なのよ」

「もうレディと言ってもいい年齢だな。勉強は進んでいるのかい」

「フランス語の読み書きは最初の先生が中江先生、今はマドモアゼルノエルとマドモアゼルベアトリスから十分習っているし英語はMrs.Hepburnからこれ以上は英語の教師になるならともかく後は必要ないといわれたわ。残りは日本語くらいね」

「ドイツ語はどうだ」

「プロシャは嫌いよ」

「それでも覚えて損は無いぜ」

「ダンケシェン」

「いいぞいいぞ、其の調子、西班牙語に和蘭語も話せれば完璧だ」

「そんなことを言い出したら露西亜に葡萄牙まで覚えないといけなくなってしまうわ」

「そうすればいいさ、清国の言葉もいくつかの地方の言葉があるから全て横浜で勉強できるぜ」

「いやだわ、コタさんの言うことを聞いていたら頭の中が混乱して可笑しくなってしまうわ」

「小兵衛さん私のフランス語の先生はこのソフィアが最初です。ゴーンさんとはどうにか英吉利で通じていたので最初仏蘭西語は必要を感じませんでしたし、英語も本式に習ったというほどでもないのですよ。でも取引に必要な言葉から覚えていくうちに双方が日本語や英吉利、仏蘭西と取り混ぜて意思を通じ合える様になりました。横浜言葉とでも言いましょうかねいろいろな国の言葉が入り混じってしまっています」

「そうだ小兵衛、お前もついでだこんソフィアに仏蘭西を習って向こうへ留学すればよか、広い世界を見てくう事も大事だぜ」

「信吾兄さぁはそげなが吉之助さあはそげな事は賛成しそうもん」

小兵衛さんはそれでもソフィアといろいろなことを話して趣味や勉強のことにも興味を示していた。

正太郎は旦那たちと別れて境町へ戻ったがケンゾーはそのまま付き合うことになった。

「正ちゃんよ、ケンゾーの旦那はどうしなすった」

「先生は旦那方と野毛へ向かうということです、先生の夕食は支度せずともよいということでした」

「あれそうかい、アンポンタンのいいのがはいったから煮付けにしようと思ったのにさ」

「なんですか其のアンポンタンというのは」

「おや、知らなかったのかい、ほら家のやどが磯のカサゴは口ばかりと何時も長次さんのことを言うだろう、あのカサゴのことさ。釣り上げると口から舌を出してあかんべえをしている様なのでそういうのさ、中には旨くないカサゴもあるので外れるとこのアンポンタンめと魚屋への悪口で言うのさ」

「おかつさんお気に入りの魚助は外れた事は無いくらい何時も旨い魚を持ってきてくれますね」

「そりゃそうさ、寅吉の旦那や喜重郎の旦那が何時も良いのを買い入れるように賄いをしなさるから魚助も市場でも上等のものを入れてくるのさ」

「では夕食のアンポンタンを楽しみに洲干町へ行ってきます」

正太郎は立軒先生の家へ向かった、今日は士子さんに頼まれて集会所で小さな子供に教える準備の為に論語の読みあわせをする約束なのだ。

 


昨夜来の大雪に横浜は静かな一日が始まった。

ウィーリーが聞いてきた噂ではもうグランドホテルは長くはやっていけないだろうということだそうだ。

「矢張り昨日の旦那がグランドで食事をしようというのは其のことの下見を兼ねていたのかな」

「そうかもしれないな、ベアトもスミスも元金の回収が出来るうちにホテルを閉めて新しい体制で出直そうとしているようだ。横浜ホテルは他のものにやらせると決めてグランドホテル一本で行くからとまだがんばっているようだが何時まで持つかな。せいぜいあと一年がいいところだろう」

「それにしても大小、新旧取り混ぜてホテルと名前が付くものは多いがひどいものが多すぎるぜ。船員までが此れなら船のほうが安心だという始末だ」

「燃えたコマーシャルホテルの隣のアスターハウスなぞホテルというのも気が引けるものだからな」

「そうそう、あいつは燃えた奴と同じでいかがわしいホテルだそうだ。ケンの旦那のやっていたころのコマーシャルホテルはいいホテルだったそうだがな」

「仕方ないさ、持ち主が替わってはやり方も替わるからな。その代わりそういうホテルを目当てに集まる奴も多いということさ。春の競馬の賭けを引き受けるホテルの権利で裏取引で揉めているそうだ」

Bookmakerは儲かるからな、みな大穴を狙うから掛け率の設定が又おお事さ。この近くの昔の横浜ホテルが有ったという70番も小さな二つのホテルがあるが、あれも下級船員の集まる場所でひどいものだそうだぞ」

「安いというのがとりえさ。燃えたホテルなぞそれでも高級船員を目当てのもので料理はいいものが出ていたそうだからな」

ウィリーが仕事に出たあともケンゾーは家で落ち着いていた。

「正太郎は伊東玄朴先生という名前を聞いたことがあるかい」

「いえ知りませんが」

「昔シーボルト先生が長崎で鳴滝塾という医療施設を開いたときに其処で学んで牛痘種痘法を実践された人だよ。昨日から危篤状態だそうで教え子の人たちがお見舞いに横浜に来ているそうだ」

「そんな偉い人も横浜に来ていたのですか」

「海岸通りの四丁目の中通りの路地の奥の小さな家だそうだ。医者としてはもう時代遅れでそれほど多くの患者はいないそうだが、それでも人の良い老医者として貧乏人には慕われているそうだ」

将軍家の脈を取ったという経歴だけでも路地裏の医者として患者を集めるに十分であった。

埋め立てと瓦斯会社の設立で忙しい高島屋へオランダ領事のタック氏が尋ねてきたのは大晦日を明日に控えた28日の夜半だった。

「大型の商船が買い得な値段で買えるがどうかね」

「今は埋め立てと瓦斯会社のことで忙しいのだそんな余裕は無いよ」

「前に北航路を開いて函館との商売をしたいと言っていたがあれは止めたのかね」

「函館から氷を仕入れて売ろうと思ったりしたが先を越されたから其れは諦めた」

「しかし今アメリカへでている黒田とはいい付き合いをしているのだろ。彼が帰れば函館との交易に船を持っていると便利だよ。普段なら15万ドルもする船だが俺が貸した金のかたに抑えたんだが3500トンで船員をそのまま雇うなら安い給与でも働くといっているから明日にでも乗ってみてくれないか」

「其れはいい話だが俺には安くとも弗で5万も6万も払える余裕など無いぜ」

「まぁ、明日乗ってみてからにしてくれ、朝の7時に迎えの馬車を寄越すから頼むよ」

「馬鹿に早いじゃないか」

「いろいろ夕刻から付き合いがあるので午前中に済ませたいのさ」

「良いだろうでは朝七字に馬車が来るのをここで待っているよ」

高島は安い蒸気船というのに気持ちが動いたかタックの言うことを承知した。

「おい、坂戸はいるか」

「居りますがお呼びしますか」

「いやいるなら直接言いに行くよ」

手代の坂戸の部屋で寅吉への事付けと、もし都合がつけば来てくれということを頼んでリキシャで行くように言いつけた。

一字間もしないうちに寅吉を連れた坂戸が戻り、三人で船のことで話を始めた。

「嘉右衛門さん、タックの言う船は独逸のレーン号ですよ。確か25000ドルで手に入れたはずです」

「何でそんなに安いのだ。可笑しいじゃねえか」

「あれはフランスの睨みが聞いていて浦賀沖から外に出ればフランスの軍艦に撃沈されても文句が言えないからですよ」

「それじゃ買っても無駄かな」

「船が欲しいなら買っても損はしないでしょう。フランスはもう直に講和しますぜパリが陥落して今は講和の条件を話し合っているころでしょう。それでフランス側に鼻薬を利かせて追撃の手を緩めてもらえば外に出られますよ。公使や領事の神さんに贈り物を十分にしておくことです」

「其れでどのくらいで買えるかな」

「五万ドルまでなら損はしないでしょう。ただ船員をそのまま雇うということにしないと船を動かせませんぜ。給与で月に千ドルは見ませんといけませんよ」

「では経費の分を一万ドルほど見て四万ドルで話をしてみるか」

坂戸があわてて口を挟んできた「旦那さま、今うちにはそんな余裕などありませんよ其の半分も出しては後で困ります」

「それならいくら出せる」

「せいぜいが二万ドルですね」

「お前さんは固いからな、それだけは確実に余裕があるということか、ではコタさんから三万ドルは借りたいがどうだ一口乗れよ」

「勘弁してくださいよ、今大倉屋と、安田屋へいろいろ投資があるので自分の勘定で動かせるのは二万がいいところですぜ。船を転売して精算でもしてくれるなら良いですが自分で動かすおつもりのようですから採算が取れるかは直ぐには結果が出ませんよ」

「其れはそうだが、じゃ四万で買い入れて少し芝居をするか」

旦那其れはどういうことでという坂戸に「独逸の船だということを向こうも隠すだろうから、此方も聞かずに買い入れてフランス公使から船を出すなら撃沈するという文書を出してもらって、其れをタック領事に見せた上で一万ドル返させるのさ。そのくらいの芝居が観られればコタさんも良いだろ二万ドルで良いから出してくれ」

「分かりやした、嘉右衛門さんにはかないませんな。明日付き合えということですか」

「そうだよ朝七字に馬車が来るから其れまでに来てくれ」

寅吉は承知して「やれやれ寒いのに海の上で風に震える上に金の算段か、嘉右衛門さんにはかないませんぜ。明日の午後船が戻るまでに横浜物産会社のほうへオリエンタルの手形を用意しておきますよ」

そうしてくれ俺のほうも金の用意をさせておくと話が纏まって寅吉はリキシャで野毛に戻った。

 


大晦日が来た横浜は雪がまだ積もったままだ。

昼過ぎに駅逓権正の杉浦さんが井関知事と一緒に弁天通り一丁目に新しく建て直された福井屋へケンゾーと蓮杖さんを招待の連絡で三字に来て呉れということだった。

話は新しい仕組みの飛脚制度についてだった、杉浦さんは元甲府勤番の家で生まれ外国奉行所に勤仕して仏蘭西へも渡った経験を持つ人で前島さんが英吉利へ郵便制度の研修に出ている間の新しい制度の責任者だ、ケンゾーの英吉利での見聞とアイデアマンの蓮杖さんの知恵を拝借に来たと井関盛艮知事のおだてで出向いたのだ。

「寅吉も後で来てくれるはずだが、まずはこれまでの経緯とこれからの予定などを聞いて意見を述べてくれ」

井関知事は前に寅吉から「試験的に距離で今の飛脚のように値を決めて行い制度が知れ渡ったら順次料金を改定していけばよい」という意見を聞いて其れを元にして行うという方針が亜米利加と英吉利に居る伊藤、前島の了解が取れていることを告げた。

「横浜や小田原までなら馬車を使えば済みますし、神戸京都間も同じように出来るでしょう、しかしそのほかの街道の整備が進んでいない所では人が運ばないと出来ないので中々難しいのでは無いでしょうか」

蓮杖は自分たちの馬車が動ける範囲を持参した地図で示して江戸を中心に馬車が走れる範囲を示した。

「矢張り最初は郵便馬車やリキシャを改造して運ぶほかは船しかないでしょう。鉄道が全国にいきわたるまで三十年は掛かるでしょうから急がないことです」

様々な話が出てケンゾーが見てきたイギリスの鉄道郵便は車輛の中に仕分け所を設けていることを説明した。

「では、東京から西へ鉄道が延びたら其の中で県別に仕分けして駅ごとに降ろしていけば済むということか」

「制度としてはそのような仕組みですが詳しい仕組みは私より寅吉旦那が詳しかったようです。あちらの雑誌に写真入で紹介されたものもお持ちでした」

二人が様々なアイデアを話している所へ寅吉が到着した。

ケンゾーが話していた雑誌を持参していて「前島様が英吉利で手に入れてこられるか分からないので此れは杉浦様に贈呈いたします。詳しい事は英吉利語に堪能な方に訳させてください。写真の説明だけは私でも出来ますのでここで説明いたします」

ケンゾーの助けを借りながら杉浦と井関に説明をする寅吉だった。

「此れなら馬車の中でもゆれないようにゆっくり進めば出来るな。いや馬の付け替えの間の宿場ごとに行ってもすむか」

「そいつはいい考えだ、御者だけでなく仕分けをする人間を乗り込ませて二人で組めば交互に仕事が出来る。交替時間として中で寝させておくだけではもったいないからな」

杉浦も其の考えには賛成のようだった。

「横浜と江戸の間の文はどのくらいの値段で行えそうですか」

「今百文でどうかと前島様と相談して松田敦朝の図案で切手というものを印刷させている所だ、全てで四十三万枚ほどの四十八文、百文、二百文、五百文の切手を印刷させて其れが出来上がるころには大阪と東京の間だけでも仕事を始めようと申請をする文書などを揃えておる。早ければ正月末には布告が出せるようにしたい、四十八文は重い文の時の割り増し分じゃ」

「其れは安い」というのが集まったものの口から出た言葉だった。

「飛脚屋は。それでは太刀打ちできませんな彼らを雇うという話はどうなりました」

「其れは各知事や役所ごとに話を進めておるところじゃよ。しかしな此方が示す給与に中々首を振らんのじゃ」

「困りましたな、彼らを取り込まないと各町内の細かな家に届けるのがこんなんで御座いましょう」

「其れがうまくいけば今すぐにでも布告が出せるがせめて東海道の宿駅だけでも雇い入れて置きたい所じゃ、大阪まで三日が目標で値は一貫五百だ。飛脚屋では絶対に出来ない値だし公用文書でもまだ此れくらいの時間が必要なのだ」

「其れはすごい、四日限仕立飛脚だと四両は取られます。普通便で出すと銀三分も取って半月では届きませんし最速の三日半では七両もとります」

「其れだよ。京大阪との公用便の費用に音を上げてこの郵便制度が取り入れられることになったんだ。徳川の時代のように公用便にかける採算無視のやり方なぞ今は無理なのだ。其れと貨幣制度が変わるあと一年くらい先にはもっと安い料金で請け負えるように制度も改める予定だ」

「例の一両一円というものですか」

「そうだ百文で一銭、銀六十匁が一円だ。切手も其のときには五厘からとなる予定だ」

寅吉が推薦した何人かは既に話が通っているようで布告が出せるのも間近いなとケンゾーには感じられた。

横浜はこのとき七軒の飛脚問屋があり政府の指示に従うのを拒んでいた、一日千件からの往復書状の利益を放棄は出来ないというのがその理由だ。

横浜の関内元町野毛内なら二刻以内三十二文、神奈川までは午前までに持参すれば当日四十八文という飛脚屋の仕事は寅吉のように人を直接出向かせる余裕の無い小店には至極便利だったし、東京でも神田町内二十四文、神田須田町から浅草奥山、芝、深川へは三十二文、須田町から板橋、品川へは四十八文は簡単に手放せる権益ではないのだ。


明治4年の新年は雪が溶け出して道は泥濘んでいたが歩く人も少ないのは日曜日で異人たちの商社もドンタクのためだ。

ジャパン号には開拓使次官の黒田に率いられた亜米利加留学生が乗り込んで横浜を出航していった。

其の泥濘の北仲通りをケンゾーと正太郎は歩いていた、伊太利亜公使館へ頼まれていた九谷と伊万里の大きな絵皿を運び込むための荷車を後ろにしたがえていた。

「先生まるで古道具屋ですね」

「仕方ないさ、本職から買おうとしたらあまりにも高いから何とかしてくれとブルーナさんに頼まれたからな。いいものがいくつか買えたからどれか気に入るものがあるだろう」

「少しは儲けが出るのですか」

「幸田さんのつけた値段通りなら半分売れれば元が取れるが、少し安く値を言うつもりだから儲けにはなるまいよ。しかし日曜日に運び込んでくれといわれたが新年早々難儀なことだ。すまねえねぁ甚平さんよ」

「いいんでがんすよ。旦那にはいろいろと世話になっておりやすから、正月といっても横浜では異人さん相手に休んで等いられませんや。其れに大層に包んであっても中身は軽いでござんすから車輪を取られる事もありやせん」

息子に後ろを押させた甚平さんはケンゾーたちとは友達同然の付き合いでこの日も快く引き受けてくれたのだ。

公使館で通詞の前田さんを交えて交渉が始まった。

「そんな値段でいいのですか。商人達はもっとひどい品物でもそれ以上の値段を示しますよ」

「其れは後で値引き交渉をされたときのためでしょう。私は古物商では無いので今日は手に入る品物の内良質のものだけを選んできました。コミッションは私の最小のものしか入れていませんので値引きは出来ませんが、全てを引き取っていただけるなら三百ドルでお売りできます。傷は無いつもりですが指ではじいてくだされば音で傷の有る無しが分かるはずですのでお調べください」

前田さんが其れを通訳すると「全てで三百五十ドルの品物のうちコミッションを50ドル引くという事は本当のコミッションを聞いても良いかね」

「分かりました、仕入れ値は192両でした、256ドルに相当します」

「君の手数料はそんなに安いのかね」

「いえ本来の商売ではそれではやっていけません。今回はブルーナさんのお頼みで日本の磁器の中でも大きくて見栄えの良いものを探して呉との事で、最高の品物というわけではありません。本来なら最高の品物で高い値段を示すのが商売人でしょうが私の本来の仕事では無いので損がでなければそれでいいのです」

「分かった、君の言う値段で全てを買わせて貰うよ。公使もこの品物なら満足するだろう、現金を用意する間待っていてくれたまえ」

通詞の前田さんが「本当にあれで良いのかい、俺が見てもいいものに見えるし値段が安いように思うが」

「そうでしょう、此れは焼き物好きの方が亡くなり跡継ぎの方が其の趣味が無く売りに出されたのでまとめて引き取ったのですよ。後私のところには壷が三つ残りましたから其れを売れば二百両くらいにはなるでしょう」

「其れはそんなにいいものなのかい。そいつも売る気があるなら仲間内で話を通してみるよ」

「其れはありがたいですね。二百両で売れればコミッションは八十両になるので半分出せます」

「ではMr.ケンに百六十両はいれば其の三つの壷を手放すのだね」

「そうです。前田さんが話をされるなら五日は他へ話さずに置いておきます。境町の家に置いてありますので、私か正太郎がおればいつでもごらんになれます」

「正太郎君は俺と同じ前田だったね。俺は小田原の出だが君は何処だい」

「私は保土ヶ谷です。昔は少しですが家も威勢が有ったそうですが、祖父の代からは屋敷だけが残るただの百姓で御座います」

「屋敷というだけのものがあれば立派なものさ。君がこれからがんばればいくらでも良い思いが出来るようになるさ」

通詞の前田さんは正太郎が気に入ったようで「これからも遊びに来たまえ」とこれからの公使館への出入りを公使へ許してもらうと約束してくれた。

ブルーナさんが戻ってきて現金をケンゾーに渡してくれてMr.ケンが受け取りを書いて渡すと相談があるのだがと切り出した。

「わが国の商人へ売り渡された種紙だが粗悪品が多すぎる。誰か検査をして良いものだけ売ってくれるように出来ないか」

「伊太利亜へは年間百万両ほども輸出されていますよね」

「そうだ横浜からのほぼ35パーセントはわが国へ入ってきている。ヨーロッパでの蚕への伝染病とプロシャとフランスの戦で暴騰したり暴落したりと横浜も大変だろうが粗悪品をつかまされて破産するものまででている。政府へ対策を申し出たが買い入れのときに検査をされないのかと此方の不備を言うだけで対策を取ってくれん、此れでは大君の奉行より始末に悪い。不良品が多く出回れば日本にとっても良くないことになるはずだ」

「しかし生糸改所からのものにはそのようなものは無いと思うのですがどこかで密貿易のものが混ざりこんだ疑いはありませんか」

「そうかそういう事もあるか、あるとすれば寄港地で取り替えられるという事もありえるのか」

「どちらにしても改め印のあるものしか買わぬようにご指導の上出来るだけ取り扱い業者を公使館で指定してお国へ入れることです」

「では君のほうで信頼できる業者のリストを作ってきてくれ。其れと現在のわが国への入る業者のリストを見て商社と相談をしてみよう」

「分かりましたリストは十日以内にお届けいたします。三日有れば作れるのですが後の七日で現在の信用度を調べて見ます」

くれぐれも用心して信用できる業者を調べるように念を押されて公使館を後にした。

「先生あてはあるのですか」

「例の弗屋が相談相手さ、あの今村という若いのは根性もあるし才覚も優れている。あいつに聞けばおおよその事が分かるよ、糸屋に石川屋、増田屋、野沢屋だけでは当たり前過ぎるだろ」

今村は羽衣町で洋酒酒場を開いていて虎屋の上得意だし現在は元の平野屋と組んで洋銀相場でも活躍をしていた。

平野屋は佐藤先生ともゆかりの神奈川台場を請け負って財を成していたが生糸の暴落のあおりで商売を閉じていたのだ。

寅吉の旦那と伝次郎さんが岡本に来ていて二人を呼び出したので其の話を持ちかけた。

「ケンゾーよ其の信頼できるものをより分けるのもいい話だが政府がいくら布告を出しても効き目が無いと言うのは政府にそれだけの信用が無いのだよ。其れと富岡に決まったという製糸工場も二年後には仕事に取り掛かれるだろうから国内の需要も多くなるのさ」

「其の工場一箇所で影響が出ますか」

「今のように種紙を売ったり、生糸を売っているより製品の布生地を売るほうが利は多いはずだ。其れとパン種のイーストから雑菌を取り除けるとパスツールという人が発見したんだが其れと平行して蚕の悪性の病原菌の駆除方法も見つけたそうだ。それが後五年もすれば欧州に広まって日本や清国から種紙を輸入する事もなくなりそうだぜ」

「本当ですか、では今から国内の需要に向けて生産地は生き残りを考えないといけませんね」

「そういうことだ俺が伝次郎や春に後を任せて表から引くのも各地への投資が多くなると踏んで個人だけの損が出るだけで会社への影響をなくすためだよ。勝先生にもそのように話して今から諸国の物産の国内需要と消費のバランスをとる算段を考えるのさ。氷川商会という名で個人商店として輸出入も少しは行って手代の三人くらいで動かす予定だ」

寅吉は矢張り大きくなりすぎた会社より自分で動かせる小さな店で体を使う道を選んだようだ。

「それでいまは今村の弗屋は平野屋と上手くいっているのかよ」

「平野屋は今村にとって最初の奉公した店ですからね、あくまでも平野屋を立てていますが中澤屋への借銭が返し終われば今度は平野屋に欲が出るのは目に見えています」

「そうだろうな、あの親父め昔の台場のころから人使いは上手くなかったからな。種紙はどちらにしても検印のあるものでしっかりした店のものでないと引っかかりやすい代物だぜ。悪賢いのは外人と組んで日本人までだます奴が多いから安部様や斉藤様も困っておいでだ。井関知事も密輸の巧妙さに業を煮やしていなさるが運上所の方でも人手が少ないからな」

「まさか山城屋が裏で手を回して密輸にも手を染めるなんて事はありませんか」

「あるとすれば政府の役人と組んでの外人だましか。兵部の役人の仲には相変わらずの攘夷以来の異人嫌いがいるからな。其れと今年の米の豊作を当て込んで売りに回ったが相場が下がらず大分穴が開いているという話があるからな」

伝次郎が話を引き取り「そういえばどうして米相場が下がらないのでしょう。あれだけ豊作なのに可笑しなことです」

「後半年だな、今年の豊作が見込めれば政府の備蓄米がどっと出てくるよ。大阪と江戸には百五十万石ほどの備蓄があるから其の半分が出れば相場は下落して今の一両で一斗三升程度が二斗位になるさ、其の時期を間違えて買いに走れば大損は目に見えているよ」

「では山城屋は其れを政府の人と組んで売り抜ける可能性もありますね」

「大分兵部省からの資金を運用しているようなので有り得るかもしれんが伊藤さんの忠告で聞多さんと縁が切られてどうなるかが見ものさ」

正太郎は旦那と高島屋さんが組んで相場を張れば大儲けだと何時も歯がゆがっていたが旦那は其の相場には手を出すことが無いのだった。

「旦那は相変わらず相場をしませんが、横浜にも米相場の立会は出来ないのでしょうかね」

「もう少しこの横浜に米が集まればともかく、東京があるのに此処にもというのは難しかろう。だが生糸にかげりがでれば糸平や増田屋が様々な相場の取引所を設置する運動を始めるさ、野木屋などが仲間に加わるのさ」


伊東玄朴はこの日未明に息を引き取った。

幕府の医者の最高位まで極め法印まで進んで西洋医学所を率いたこの人も、晩年は高島屋や佐野常民の庇護で横浜に隠棲同様の暮らしをしていた。
息子二人は横浜で派手に商売をしているが内実は火の車だった、兄は海岸通り二丁目の門屋繁次郎、弟は同三丁目の門屋幸之助だ。

佐野はこのとき兵部少丞、玄朴と同じ肥前佐賀の出だった。

高島屋は旧名肥前屋小助というほど昔は佐賀藩の庇護の下、西村七右衛門と共に横浜での商売を成功させていたのだ、しかし小判の取引に関連して牢屋住まいの間に易を極めたのだ。

寅吉はマックたちと新年の挨拶を取り交わしに伝次郎と一緒にケンゾーと正太郎に辰さんを伴って商館回りをしていた。

17番のベアトさんのところではMr.Punchことワーグマンさんも来ていて競馬の話しに時間がとられたが漸く辞去して隣のインタナショナルホテルへはいり直ぐにカーチスも付き従って同じ敷地内のこぢんまりとしたジェラールさんの事務所に向かい其処でもジェラールさんも付いて19番のゴーン商会へはいった。

ゴーンさんのところにはヤールが来ていて寅吉たちに新年周りについてきていた人を交えて話題は競馬会の開催日や地代が削減されても資金不足でクラブが困っている話、日本の天子が千両もの金をクラブに寄付した話などをしてクラブの理事たちが此れから資金をどのように集めるかを噂話など交えて話した。

「矢張り3月の開催は寒すぎて人が来ないといけないから5月あたりが順当だろう」

「そうだろうな、桜が終わりチューリップの花の盛んになるころが一番だろう。そうすると日本の暦で三月初めあたりかな」

皆でカレンダーを見ながら5月1日は三月十一日の日曜日だというので其処から意見が分かれて盛んに自説を主張しだした。

「今まで日曜日に行ってきたが苦情が多い。これからは土曜と日曜日を外して行うべきだ」これはゴーンさんとカーチス。

「イヤイヤ、商館が休みになる日曜がいいはずだ」此方は旦那とマック。

正太郎は旦那達が議論することを楽しんでいるように思えるほど熱心に自分たちが決めることでもないことに熱中している様子を仲間とはこういう関係なんだと楽しそうに眺めていた。

「どっちにしても、三日の開催を連続で行って同じ馬を走らせないように考えているんだろうが今年はそう簡単に負けるわけにはいかんだろう」

「そうだそうだ、リューセーだけを頼りにしていることではどうにもならん。もうレップーでは勝てないしオレンジの子供の新しい馬が走り出す今年がチャンスだ」

Mr.Satowが二頭Dragonyuzu、マックがRyuuswe、カーチスのLimeに俺とジェラールのLemon、ヤールのMagicTailで必ず全部いただきだ」

「其れはいいが今年も牧場別にレースを組んでくれるかな」

「其れはそうだろう、根岸牧場は登録名がMr.John Mac Hornだからすべてマックの管理している牧場ということで同じに組むという事はしないだろう」

「そうすると、コープランドの分とクラークさんの馬にブキャナンさんのも同じにはしないということか」

「そういうことになるだろうよ、トーマス・トーマスにスミスが前々から同じ持ち主と同じ牧場の馬は同じレースに出せば馴れ合いで他の馬の妨害をしかねないという意見だからな」

「コープランドといえばラッパリーの子供は60ドルも出して買い入れたんだ、この前有ったときには今度こそ頂くよと見得を切っていたよ」

「しかしなぁ、ヤールあの四歳馬は母親が南部馬といっても体が小さすぎる気がするぜ」

「ゴーンさんそうは言うが自分が昔に乗ったハンナのショーターによく似たいい馬だぜ」

「そうかもしれないが、乗り手が問題だよ相変わらずMr.ハンスに乗らせるのだろ、治助や小吉にまで乗り方を指導したりするらしいじゃないか。迷惑なことだ」

Mr.ハンスは自信過剰なのさ去年の春に一度一着になったからな。家では馬を預かって普段の訓練もハンスが見に来ていたからな」

「コタさんは鷹揚過ぎるぜ、何もコープランドの面倒まで見なくてもいいのによ。天沼もジェラールが止めたのにMJBに相談してコープランドに権利を譲ったりしてよ」

「そういうなよ、MJBも両方で意見を交換しながらいいビールを造ろうと申し出て決めたのだから」

「ヤールも気が良いからな、親父もあれで中々風流人だし」

自分の趣味とはいえ劇場まで作り、安い使用料で貸し出しているのだ、さらに山手には空きが出れば借地権を手に入れようとしているようだ。

「ところでコロジオン伯爵の馬はいい馬だそうだな」

「あれはオレンジの弟だそうだ。両親とも同じだそうだぜベアトが銀閣の飛松に無理を言って探させたのさ。Bakeryのクラークの馬も調子がいいとMr.若松がこの間話していたが強敵も多いぜ」

コロジオン伯とはワーグマンが写真に引っ掛けてつけたあだ名だ、ワーグマンもMr.Punchのほうの通りがよかった。

パークス公使さえハリー卿というよりはスマイルズ卿というほうが居留地では有名なのだ。

ハリー卿は今年からRyuusweの弟のSingerを競馬に使うと決めて横浜に置いてあるのだ「父親のUncle Nedによく似たChestnutだが本当に赤い汗を掻くかな」

「まさかそんなことは無いだろうが長い距離が得意に見えて2マイルのクラスに出すそうだ」

「本当かそうするとRyuusweと同じ組になる事もあるのかな」

「一日5レース、3日間で其のうち3レースを2マイルにしたのだから当たると決まったことでもないさ」

「しかし2マイルに15頭の登録が集まるかな」

OneMileにあぶれた馬が出てきて数は埋まるさ、どっちにしても今年は数が多くて理事は嬉しい悲鳴をあげるに決まっているさ。クラブ費の前払いの通知が来ないという事はどうにかやりくりが付いているのだ、訓練に馬場を借りるものが増えた証拠さ」

「しかし俺たちのように時たまの賭けを楽しむならともかく年がら年中相場だ賭けだと騒いでいる連中の気が知れないぜ。仕事の合間に賭けをしているならともかく賭けの間に仕事をしているようなのまでいるからな」

「其れで思い出したが殺されてしまったホイも賭けの支払いの揉め事でやられたらしいとオルトが話していたぜ」

「本当かい、犯人は日本人だというので一人処刑されたろうあれが真犯人じゃなかったのかい。オルトにグリーン夫人と来たら賭けと聞いたらなんにでも手を出すからな。山城屋と組んで可笑しなことに手を染めているという噂も有るぜ」そのようにカーチスが話をした「生糸の密輸にも手を出しているらしいと噂があるし、何でも蚕卵紙の偽者がグリーン夫人の紹介した業者から送り出されたらしいという噂が出ている」

「よせよ、其れが本当ならとんでもないことだぜ、グランドホテルから手を引いたほうが良いかな」

寅吉が「其のことでベアトにワーグマンがスミスと組んで調べている。もし噂通りなら俺たちが手を引いて精算した上で新しいホテルを建てるという話を速めても良いだろう」

「そうだな。密輸まで始めていたらもうだめだ。今でもあまり営業成績が良くないのだ、スミスが流している噂かとも思っていたがまんざら噂だけでもないようだな」

「ミュラオールが直ぐにでも乗り込んでもいいという話もあるらしい。あそこも早めに一枚かみたいようだ」

「あいつの料理は美味い、コマーシャルホテルにいたセルジュ・ランベールは店を開くことにしたのか」

「ああ、横浜では少しまずいかと考えて木挽町に出来るレストランに推薦して勤めさせる予定だったが、文崇の紹介で神田佐久間町の三河屋という店に決まった」

「そうかコタさんは木挽町に大分御熱心だな。いいのでも出来たか」

「そうじゃねえよ。あそこは鉄道ができればここと同じように行き来ができて便利だからな、今のうちに手を広げているのさ」

「そういうことにしておこうか」

なんとなく話が落ち着いて経理の話になりそれぞれの仕事の経理を今までと違い個人経営でも複式簿記で行わないといけないと話し出した。

「今までのようにクラークさんの事務所に頼むだけでなく自分たちでも把握しないといけないぜ。コタさんのところはどうしているんだ」

「家はまだ完全な帳簿まで進んでいないがそれでも総売り上げ、掛け売り、総仕入れ、掛け仕入れと総会計の五冊に分けているぜ。勝先生のところでアメリカへ留学している富田先生が二月ほど前にニューアークの商業学校へ入学したそうだ。一時帰国したときに向こうの会計の方法を書いた本を持ってきたが其の実際のやり方を改めて学ぶそうだ。まだまだ大福帳で仕入れと売り上げ、掛け売りと一応の帳簿があっても不完全だからな」

富田はNew Jerseyのニューアークで簿記を学びだしたが高木は小鹿とともに同じNew Jerseyのニューブランスウィックで海軍兵学校へ入学するための基礎を学んでから今はHigh Schoolへ進学していた。

「話は違うが吉田新田が埋め立てられたら北側に店を移すというのは本当かよ」

「ああ、北六つ目の橋があるあたりだ、橋の向こうに油会所というのがあるだろう。あそこが埋め立てられたら悪水抜きに堀が開かれるのさ。今から其処へ俺の新しい会社をおきたいと埋め立て会社に申し入れて資金も出して置いたのだよ」

「何でそんな奥にしたのだ、不便で仕方ないだろう」

「今までの会社はそのままで、新しい俺個人の会社だよ。人も五人くらいで細かな品物を趣味で扱う店さ。昔のような簪や、櫛にはぎれに根付け等、後は財布やベルトの輸入や輸出などさ。だから船で荷を運ぶにしても小さな船でいければ良いから其のあたりが良いとふんだんだ」

「コタさんが狙うという事はそのあたり何かよいことでもあるのか」

「いや、弁天通りや本町通りはもう手一杯に人も店も込んできているからな。北三つ目から五つ目の此れから埋め立てる場所に少し店のものの住まいも建てて神さんたちに小さな商売の店をやらせるのさ」

「新吉原の先にまだまだ人が集まると読んでいるのかい」

「さうさな、羽衣町に洲干弁天が移ったのが何かのヒントになったのは確かだ。鉄道が曳かれれば東京からも人の行き来が多くなって遊び場も増えるだろう。人が狙うのは新しい駅の近くだろうから俺は其の裏を狙って埋め立てする此方にしたんだ」

正太郎は旦那の投資と博打は此方の方面で行うので相場の早い勝負には気が行かないのだと一人ごちていた。

「ところでChestの売れ行きはどうだ」

「いい売れ行きだぜ、お前さんたちのように茶箱に帯を貼り付けたりしているのを見られたらとても売れないがまだ誰もまねをしていないからいい塩梅だ」

「あれは、ハンナやリンダにスジャンヌたちの暇つぶしさ。服や本などに小間物をしまうのにあのほうが湿気は来ないのだとさ。日本では湿気が多いからな」

「そういうことか、俺のうちでもお容がハンナに教わって俺の本をしまっているよ。しかし探すときに苦労してしまうぜ」

「ははは、そいつは仕方なかろう自分の事務所を20番から移すときにしっかり確保しなかったコタさんが悪い」

「あれだけの大きさの書斎は中々作れないからな。だから今度の新しい場所が後二年もすればできるだろうから湿気の来ないように二階建てにして其処に趣味の事務所兼書斎にするのさ」

「其れが出来れば氷のキャンディが又食べられるのか」

「あれくらいならいつでも作れるさ、氷があれば後は簡単だからそれほどの事は無いぜ」

正太郎は其れを旦那が造るところは見ていないのでどのようなものか興味があったので聞いてみた。

「旦那其れは湊屋の掻き氷というのとは違うのですか」

「正太郎はまだ食べたことが無かったか、暑い日に作って見るか。ガラスの管を使って凍らせるのだが、蜜柑や小豆を使って凍らせるのさ、凍った蜜柑を食べたろ」

「はいMaison de bonheurにいたときは時々届けていただいたので食べました」

「あれのようなものだが果汁だけでなく実も砕いて入れて其れを固まらすのさ。氷室でも作れるが其れだと凍りすぎる事もあって食べにくいからもう少し凍りかけの時に食べるのさ。暑い日には良いぞ、美味いもんだぜ」

ゴーンさんは「別に暑い日になるまで待たなくともいいじゃねえか、ストーブの周りで食べるのも良いかも知れねえぜ」と夏まで待ちきれないようだった。

「そうだぜグリーン夫人が来て事務所のところに住むというので引っ越ししてから食べさせてもらってないからそろそろ作ってくれよ」

マックも舌なめずりをしそうな顔で催促した。

「まったくいい大人がシャンパンの栓を早く抜けと催促しているようじゃねえか、道具を明日揃えるから元町に午後の二時に来いよ」

「それじゃ明日な」といい大人がキャンディをもらえるのが待ち遠しいという顔で散会していった。

夕方高島屋から呼び出しがかかり境町にいた寅吉は二人を連れて高島屋へリキシャで向かった。

ニコニコ顔の嘉右衛門は得意げに三人に向かってタックから一万ドルを巻き上げた話を捲し上げた。

「結局それで手を打たせて後は岩亀楼に関係者を遊びに行かせることで手を打った、何五百両なぞ掛かるもんじゃねえさ、それで七千両は此方の経費に残ったぜ。コタさんの配当もこれなら出してやれる」

「まいりましたね、配当という事は貸付金でなく共同事業に巻き込まれてしまうのですか」

「いいだろうが、お前さんの荷は格安で積み込ませられるし配当も出てそれでもいけないときは船を売れば元金は戻る事は間違いないさ。ウートレー公使の言うには戦争が終われば七万ドルの値打ちはあるという話だ。タックのやつめまだパリが陥落したことを知らないのかも知れんな、講和の条件交渉の話は横浜ではまだ知られていないらしいが、寅吉は良くわかったな」

「自分の情報は確かですよ。英一でもまだらしいですが明日には新しい船が其の通知をもたらすでしょう」

「其の情報源が確かなら大儲けが出来るのに相場をやらぬのは惜しいな。俺も易で卦が出ても相場はやらぬことにしたが、あれだけは欲に駆られて余分なことをしてしまうからな。それでも当分は函館や新潟までも物資の輸送に使って後は定期航路用に船を増やすか諦めて売って懐を肥やすかだな」

取らぬ狸の皮算用とはこの事だと寅吉は腹でおもったが「あの船はそのくらいで私が買ってほかへ売る事も出来ます。尤も戦争が終わってからですが」とケンゾーが言うのでそうかもしれんなと寅吉も今から儲かったような気がしてきていた。

 


    横浜幻想 − 弗屋 了 2007 05 13

 横浜は文明開化の嵐に巻き込まれて日進月歩の毎日が過ぎ去ってゆきます。
為替相場の変動、欧州の不況の影響で右肩上がりの横浜の貿易も湿りがちです。
悪徳外人と其れに付随する日本人、清国人、それらに対抗する正直な商人の立ち上がる様子が徐々に対立の様相を見せだしています。
 現代の日本に通じる多くの外人に荒らされる日本市場と其れに付和雷同する金儲けのためにだけ奔走し、自分の生まれ育った国を共に食い荒らす悪徳商人たちが徐々に顔をもたげてきます。
         阿井一矢

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat

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