酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第三部-3 横浜    

横浜・初天神・品川宿・目黒川・22番館

 根岸和津矢(阿井一矢)

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明治4年1871年
 
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・ 横浜

元旦から寅吉は横浜居留地に居た、前年胡蝶太夫から頼まれていた付き添いと通訳それに用心棒を兼ねた、寅吉の商売の便利屋そのままだった。

穂積屋さんがクーパー提督から頼まれて日本の手褄を見たいという願いを聞いて仕掛けた余興に紫一座が正月興行を3日休んで出てきたのだった。

師走の12日に馬道で座長の一蝶さんが、新門の親方と相談していたのはこのことだった。

森田町で見せた早変わりを大仕掛けに2回興行で行い、興行料は特別多くはないがあちこちの伝を使って卯三郎さんが急遽仕掛けたものです。

もちろん寅吉に断れるはずもなく昨日から横浜についてきました。

お春は人目にわからぬように変装して、芸人らしくない格好で寅吉に付いてきてお夏は胡蝶太夫そのままで出歩いて人目に付くようにしています。

舞台は紀重郎さんが土地の顔役と相談の上、秘密を守る約束でしつらえました。

「コタさんよ、クーパー提督を紹介するぜ」そういって卯三郎さんに連れられてイギリス公館に連れてゆかれました。

この日は胡蝶太夫が同行、男三人英語でやり取りしてきわどい話が出ても、意味がわからぬ胡蝶太夫はにっこり微笑むばかり。

其処へいかめしい軍服姿の軍人がまいりました。

「紹介しよう、此方はPost captainのMr.Goumeaです。この二人は江戸の商人の穂積屋と虎屋の二人だ」

call me kota」「oh yes kotasanMr.Goumeaは日本式にさんをつけて呼んでくれ、日本通の様子でした、寅吉と卯三郎は「Mr.ゴーマーもしくはゴーマーさんと呼んで良いでしょうか」と聞くと「勿論それで良いですよ」と言ってくれました。

同じように卯三郎さんも「usaburosan」ウサブロサンと呼ばれていました、Mr.Goumeaは親しみやすく此れからのお付き合いが長く続けられることを願うのでした。

「かれはもう直にcaptainになります、そうすれば艦隊を指揮できてAdmiralと呼んでもいい身分になります」とお世辞混じりにクーパーさんが言うのは家の家格が高いのかもしれません。

「明日のマジックを楽しみにしています」という話から国のcrownの話と同じ発音でclownとは道化師のことでcrownというコインがありビクトリア女王が刻まれているのを記念にいただきました。

お二人にはこのようなときのために用意していた蝶の髪留めを、それぞれに差し上げました。

「おおバタフライ、私のAdmiralは蝶の名前にもあるのでこれは嬉しい、それに胡蝶太夫さんは、swallowtailのように美しいのです」英国紳士はどんなときでも女性を褒めますので通訳して喜ばせることにしました。

「お二人の今言ったのは胡蝶太夫が揚羽蝶のように美しいといわれました」といえば前に教えたように右の足を後ろに引き美しくお辞儀をしましたのでさらにお二人が褒めてくれます。

翌日朝10時1回目の公演が始まります、寅吉と卯三郎さんは懐中時計で時間を合わせ開始時間を告げます。

「これより行われますのは日本の誇る手褄使いの紫一座のヒロイン胡蝶太夫とその一座の演技でございます」

[手褄 usage's purple whole company's heroine butterfly which, as for being carried out from this, it is [ of Japan ] proud of tezuma it is performance of an actor]

卯三郎さんが通訳して演技が始まりました。

寅吉が薦めた進行は、まず胡蝶太夫が蝶の舞を披露して、見物のど肝を抜きます。

風の影響のない様に張り巡らせたテントが要らないので、急遽明かりの入るほうをあけ広げたので、陽に映える蝶が見事に舞い踊ります、最後に落ちた蝶のうち今日は一蝶さんの大仕掛けによって多くの蝶が舞台から再度飛び発ち、見物の紳士淑女の上に舞い降ります。

我勝ちに手に採ればそれは紙を切り抜いた物と知り大きな歓声「BRAVO BRAVO」の声と拍手が鳴り止みません。

一蝶さんが例のヨボヨボの年寄りに扮し身の丈より大きい独楽を廻して引き下がるときにも大きな拍手が鳴り響きました。

今日は一座のもののほかに助っ人に来た、娘たち8人で艶やかに踊りながら傘の上で色々な物を廻しながら交互に踊り、藤娘の格好で出るかと思えばくるりと回り引き抜きで鮮やかな早乙女に代わり舞台の両端から色とりどりの鞠や布を投げて舞台を盛り上げます。

「いよいよ本日の最後となりました、華麗な水の競演をお楽しみください」

Please enjoy the contest of the splendid water which became today's last still more

卯三郎さんが声を張り上げ引き込むと舞台は鮮やかな太鼓橋と池が現れ唯一人胡蝶太夫が水芸を始めます。

衣装は水色の肩衣に背に緋鯉を書き、大振り袖は花しょうぶの黄色が目立つ黒の袷、袴は紫の段だら(あけぼの)染め。

髪は桃割れに紅い櫛はことさら大きくして、前には四分一ながら緋牡丹が咲き蝶が下がる二本ざし。

この日のために工夫して色取り取りの水が生き物のように右から現れたり左に移りとしばし見とれているところに上から幕がさっと降りて「ハァ〜イ」の声で入れ替わります。

現れたのは髪を島田に結い櫛は大出来の黒塗り、前に挿した簪からは大きな蝶が飛び立つように見えます。

肩衣は黒に背には富士の山、紫の小袖に白百合が袖にゆれ、袴は茜に染まる艶やかさ。

「これより前に挿してある簪を淑女の帽子に指してプレゼントいたします、ご希望のご婦人はお二人のみなのでお急ぎ前においでください」と申せば前列のご婦人が二人立ち上がり舞台の前階段より上がる其処へ髪からはずしてお春さんが直接希望のところに寅吉の指示で挿して上げます。

髪を解き解いて手ですくいげ、大きな帽子をかぶると同時に幕が再度引き下ろされ、すぐ「ハィツ」と声が聞こえ幕が上がれば其処には髪を解いて帽子をかぶった胡蝶太夫が先ほどの衣装で登場。

「オオッ」という津波のような歓声で場内が沸き立ちます。

舞台を降りるときにさらに蝶が舞い立ち黒子が出て太鼓橋を片付ければ何もない平らな板の間が現れるだけでした。

舞いながら帽子を放り上げると大きく回転して舞台の袖から現れた老人の上に舞い落ちさらに老人が投げ返せば其処から桜吹雪が舞台一面を色取り、舞い降りれば見とれるうちに二人の姿は消えうせました。

encore」「encore」「Encore」の声に胡蝶太夫が現れ解いた髪を廻しておすべらかしにし、そのまま帽子をかぶり、どこから取り出したのか扇子を客席に何本もほうります。

手からはもう10本ほども投げたのにさらに開いた扇子が現れ、袖に投げれば早乙女姿の娘は受け取りながら舞台をヒラヒラ扇子を振りかざし、走りぬけて片方の袖に消えてゆきます。

歓声が鳴り止まぬ中「これで午前の部は全て終了いたしました、忘れ物のない様にお気をつけてお帰りくださいませ」

Now, all the parts of ante-meridian should give mind and should return so that there is no ended thing left behind」卯三郎さんの声に我を取り戻した観客はさんざめきながら席をたちました。

午後の部は2時から開演して少し趣向が違いましたが無事終了して胡蝶太夫が座長と卯三郎さんで挨拶回りに出かけました。

一座の片付けをよそに、お春は寅吉と二人で青木町に戻り店のものから居留地で聞いた評判に気をよくするのでした。

「あんな大仕掛けになるとは思いもしなかったけど面白いもんだ」これは伝次郎。

幸助が「ほんの少しだけ覗けましたがあの髪を解いて物狂いの様子は外人のご夫人にはとてもよい印象のようでござんす」そう聞くと嬉しそうに「あれはあたいの工夫さ、あそこだけ姉さんと同じにしねえとあちらさん達には顔がよく見えねだろうからさ」

工夫が巧くつぼにはまり嬉しいお春です。

「でもあの簪はおしかったように思うな、コタさんの物入りになっつまったろうに」

「アア、あれはねああすれば同じものをほしがるご婦人が出て、スミスさんかゴーンさんにいくしかないから、そうすりゃ結句俺んところに聞き合わせが来ると言う、卯三郎さんの口に乗ったのさ」

「そうなりゃいいねえ」皆で興行の成功を祝い一座とは別に横浜物産会社で打ち上げの宴会を羽田やで開き、お春さんを主賓で行いました。

「今日はうなぎじゃないのかい」

「まさかうなぎで祝杯はないだろう」

熱々の揚げたての天麩羅と蟹を使った味噌汁に舌鼓を打ち、台の料理も美味く、笹岡さんが色々な声色でふざければ座が笑いに包まれます。

お春さんは扇子を使いさまざまな手褄を披露して見せます。

虎太郎は普段見せない芸を披露して、フランスカルタを手の内で消したり、出したりとして見せました。

これには伝次郎もビックリ「旦那にそんなかくし芸があるとは知りやせんでした、いつの間に覚えなさった」

「先生はお春さんさ」と済ましたもの。

実は小学生の頃トランプの手品をいくつか覚えていたのでお春さんに改めて見てもらい少しは見られるようになり、一蝶師匠がそれを自分たちの芸に取り入れようとさらに研究しているものです。

お春さんがそれを受け取り右の手からはじくと山に飛んで出て、それが左の手の中に収まり、皆が拍手でこたえました。

伝次郎が「サァさあこれでお開きお開きだよ」そういって下に勘定しに下りていきました。

「旦那ごめんくださいやし」それぞれが挨拶して帰るところで「笹岡さんと千代はすまないが俺が宿まで伝次郎と来てくんな」声をかけ大晦日より泊まっている和田屋に向かいました。

お春さんはとなりの部屋で休みこちらは4人で打ち合わせに余念なく、夜も更けて散会として寅吉も休みました。

 

・ 初天神

前々から約束していたこともあり、お琴を亀戸天神の鷽替えに連れて行くことにしました。

「コタさん、今年はお琴ちゃんも行くんだろ」かつ弥にそういわれたのは横浜から帰ってすぐの四日のことでした。

「そうか今年から湯島ではなくて亀戸が方向がよいから連れて行ってくれと、お上さんに頼まれていたんだったな」

「忘れてるのかよ、あたいともいく約束だから、皆で行くしきゃないだろ」

「そうするとあと誰が行くんだ、養繧堂さんからは弦爺にでも来て貰うとして」

「こっちはあたいと、たか吉も連れて行ってくれよ」

「風がなけりゃ船で行くか」

「それも風流だ、そうすりゃ三味も連れて行けるから道中退屈はしねえよ」

「新しい歌でも仕込んだのか」

「最近は土佐と長崎の賑やかなのを覚えたから、それはそれは面白い唄だぜ」

「そりゃ楽しみだ」そんな話しを福井町でして雉子町のお店で話すとおかみさんに、お志づちゃん、弦爺も行くことになりました。

弦爺に話すと大喜びで「柳橋のかつ弥姐さんにたか吉さんとは豪勢な鷽換えだぁ」

自慢の笛が吹けるとあってもう今からそわそわしています。

 

25日は曇り空、風はありませんが雪でも降りそうな寒い日です。

八兵衛さんにたのんで船を都合して、朝の五つ半には柳橋でかつ弥とたか吉を乗せて出ました。

かつ弥はともかく、たか吉は他の芸者屋なのでこの日の連れ出し費用に三分払うことになり、おきわさんが負担してくれたようです。

もっともかつ弥の費用はあちこちで負担しているので使いきれずたまる一方、それに本人がお座敷を選ばず、歌わしてくれて三味が弾ければ大喜びなので、のどが自慢の木場の旦那が大喜びで連れまわしてくださり、淀屋さんが贔屓と知ればさらに付き合いのある旦那がかつ弥を呼んでくださるので、金はたまる一方。

今日は二梃櫓の屋根で、岩さんのところからの辰さんも附いてくれて一行7人が賑やかに大川に出ます。

大川に出ると早速辰さんが真鶴の呼びかけを始めるとかつ弥が受けて手古に進む、という風に早速始まりました。

♪  真鶴

呼び イョォー オー ォォ オォーィ ヤァルヨー

受け エー エェー ィヨォー オォー

 

♪  手古

呼び オー イヤー アー ァァレテ

受け テーコーセー ィエーエェェ ホォーォォ イヤァーァァーネェー

呼び エーェェ ィヨォォーオー ォォー ォォ ゴクゥロォー

受け ハーコーレーハーセー ィエーエェェ ホォーォォ イヤァーァァーネェー

呼び エーェェ ィヨォォーオー ォォー ォォ メデェータァー

受け コーレーハーセー ィエーエェェ ホォーォォ イヤァーァァーネェー

呼び エーェェ ィヨォォーオー ォォー ォォ シメェーロォー

受け コーレーハーセー ィエーエェェ ホォーォォ イヤァーァァーネェー

姐さんはいつもいいこえだぁと辰さんが持ち上げます。

船で踊れないのが悔しいがと、たか吉は言いながら三味の音を抑えて。

♪  よさこい節

土佐の高知の はりまや橋で 

    坊さんかんざし買うを見た  よさこい よさこい

御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸を開けて 

    月の名所は桂浜   よさこい よさこい

言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 

    潮吹く魚が泳ぎより  よさこい よさこい

土佐は良い国 南をうけて 

    薩摩おろしがそよそよと よさこい よさこい

わしの情人(といち)は 浦戸の沖で

    雨にしょんぼり 濡れて鰹釣る よさこい よさこい

よさこい晩にこいと いわんすけれど 

    来てみりゃ真実こいじゃない  よさこい よさこい

西に竜串 東に室戸

    中の名所が 桂浜 よさこい よさこい

思うて叶わにゃ 願かけなされ

    はやる安田の 神の峰  よさこい よさこい 

来るか来るかと 待つ夜にゃこずに

    月の種崎 まつばかり よさこい よさこぴ

土佐の名物 珊瑚に鯨

    紙に生糸 鰹節 よさこい よさこい

 

♪  諫早のんのこ節

 

ハアー 芝になりたや (コリャサイサイ) 箱根の芝に ヤーレ

諸国 (コリャサイサイ) 諸大名の敷き芝に のんのこさいさい

(シテマタサイサイ コリャサイサイ)

 

ハアー 花の諫早 (コリャサイサイ) つつじにくれて ヤーレ

踊る (コリャサイサイ) のんのこにぎやかに のんのこさいさい

(シテマタサイサイ)

持ってけ 針箱 持たぬがましたん こりゃさいさい (コリャサイサイ)

こりゃさいさい (コリャサイサイ)

 

ハアー 三味の音のする (コリャサイサイ) 太鼓の音する ヤーレ

中にゃ (コリャサイサイ) 様じょさんの声もする のんのこさいさい

(シテマタサイサイ コリャサイサイ)

 

ハアー ここの御亭主さんは (コリャサイサイ) 福よなお方 ヤーレ

潮の (コリャサイサイ) 満つごと金の夜 のんのこさいさい

(シテマタサイサイ) はいこめ はいこめ はいこめ はいこめ

こりゃさいさい (コリャサイサイ) こりゃさいさい (コリャサイサイ)

 

ハアー 枝も栄えて (コリャサイサイ) お城下も見えぬ ヤーレ

おろし (コリャサイサイ) 下され一の枝 のんのこさいさい

(シテマタサイサイ コリャサイサイ)

 

ハアー あなたどけ行く (コリャサイサイ) 重箱さげて ヤーレ

わたしゃ (コリャサイサイ) 四面橋蛍見上げ のんのこさいさい

(シテマタサイサイ) あら 持て来い 持て来い 持て来い 持て来い

こりゃさいさい (コリャサイサイ) こりゃさいさい (コリャサイサイ)

 

ハアー 旅の土産に (コリャサイサイ) 見ていかしゃんせ ヤーレ

皿が (コリャサイサイ) 舞います諫早を のんのこさいさい

(シテマタサイサイ コリャサイサイ)

 

ハアー しばしこの唄 (コリャサイサイ) 朝日でとめて ヤーレ

あとは (コリャサイサイ) 何とか しかえましょか のんのこさいさい

(シテマタサイサイ) それでも歌かん 泣こよりゃましたん

*こりゃさいさい (コリャサイサイ)   *繰り返し

 

長い歌詞にも皆が手拍子ではやしたて、船の中はにぎやかに川を上ります。

三味に笛の競演で宮戸川と名が替わり、右に折れれば其処からは静かに話し声がもれて、今の流行についての噂と替わり、枕橋から北十間川いつか業平橋も過ぎ、横十間川に入ればもうすぐ亀戸天神、鷽替えの人が行きかう中、茶店で休んでひとしきり近況報告。

「兄さんは神奈川まで店を出しながらなぜ居留地に近い横浜に店を構えませぬ」

お琴に聴かれ「今は青木町にあるほうが便利なのでそうしているが、人が増えればだんだんと店を増やす予定だよ」

「横浜にも行ってみたい」といわれ「できるだけ早くつれていけるようにするから辛抱しなさいよ」といえばおかみさんが「あたしも行きたいからコタさん連れて行ってくださいな」たか吉もかつ弥も口々に行ってみたいと申します。

「お琴達は横浜がもう少し開けて奇麗になるまで、かつ弥には4月頃に江ノ島にいけるようにおきわさんが調整してるからその帰りにでも」と言うと「ほんに江ノ島に連れて行きなさるかよ」とうれしそうでした。

「私も行きたいがうちの御かみさんはそういうことにうるさくて」とたか吉。

「私たちは、それなら何時ごろ」お琴が念押しをするので秋までにはと、約束させられました。

鷽替えもすんで皆がお土産に葛餅を買って船に戻り、元きた川筋を戻らずに深川に向かいます。

小名木川から平作川に入るともう其処が堀多喜の桟橋、八百茂に挨拶に寄っても、時間に追われるように船で柳橋に戻るともう七つ下がり、雲の具合もいつ何時雪になっても可笑しくない様子に早々と神田柳原に戻り、家につく頃にはちらほらと降り出して来ました。

 

・ 品川宿

明ければ雪は2寸ほども積もり一日違いの鷽換えに胸をなでおろすのでした。

この日も虎太郎は迎えに来ていた千代と連れ立って横浜に出かけます。

江戸は伝次郎が仕切り横浜は幸助と永吉が走り回るという忙しさ。

伝次郎が心きいた、やる気のある若者をまた三人ほど見つけてきて面接をして雇い入れることにしたので、少しは伝次郎も楽になるだろうと道々、千代に話すと「あっしが入れた新三が雅という気の付くやつを推薦していますがどうしますか」そういわれ「店のほうかい、それとも下働きかよ、お前の下につく奴なら笹岡さんが了解すればそれでいいよ」

「店の手代の候補なら幸助、永吉、伝次郎が会って決めさせなよ」

「あっしの下での走り使いに使ってくださいと頼まれました」

「では笹岡さんが会ってお前が推薦ということで雇いなよ、笹岡さんとはお前が薦めた奴はできるだけ雇えと話ができてるよ」

「だからよ、こういう風に話し合えるときは俺に言うがいいが、まにあわねえときは独断で、笹岡さんに言ってかまわねえよ」

「あとなぁ辰さんがこの間、屋根から落ちてから火消しにむかねえと零すので、岩さんが俺のところで使えないかといってきてるんだ、丸高屋さんでだめならお前の下で使えるか試してそれがだめなら藤見やに置こうかと思うがどうするよ」

「辰兄いならあっしの上でもようがすよ」

「それは俺がゆるさねえ、使いと荷扱いはお前が責任者だ、他のものにはやらせねえよ、辰さんはあそこにいれば兄いで通るが、俺のところにくれば下っ端からやらねえといけねぇ」

「だんなぁそれで辰さんが収まりますかい」

「それが承知できると踏んだら、お前が面倒見ておくれ、承知してくれたら岩さんにはそう伝えて辛抱できるか本人と談判しなさるそうだ」

「わかりやした今度の商談の帰りの時までにお返事いたしやす」

「雪がひどいから春駒屋さんで少し休んで打ち合わせをするからお前どこかで遊んでこいよ」懐から小粒を何枚か握らせて「八つまでに迎えにこいよ、これ以上降り積もるようなら品川どまりかそれまでに決めるから」

「では旦那八つに春駒屋さんに伺います」宿の中ほどの問屋場で寅吉は春駒屋さんに入っていきました。

雪は降り積もるばかりで寅吉は泊まることにして、東海道を急ぎで上る便が春駒屋さんから出るというので、青木町に使いを出してもらうことにして手紙を託しました。

其処には永吉が決済してよいということを笹岡さんにつたえる、寅吉の委任状の書面が入っています。

「旦那お出かけになりますか」

千代が聞いてきたのはぴたり八つの鐘が響く中でした。

「俺はここで泊まるよ、お前も急ぎがなければ泊まっていけよ」

にっこりして「では明日の朝五つにお迎えに参ります」と外に駆け出していきました。

「コタさん、どこに泊まるのさ」むすめの雪さんが言うので「そうさなどこか遊郭でも遊びに行くか」そういうと「いけ好かない、うちには空き部屋がたんとあるんだから布団くらい貸すよ、それともお女郎の肉布団がよいかよ」

「オイオイ、すげえこというじゃねえか」

「コタさんよ、マァここに泊まって例の商売ものでも扱えるか話そうじゃないか、三明様が例のものを納めるように言うから、コタさんが動かなきゃ商売にならねえんだよ」

「ではそうさせていただきましょう」

「ふんだ、素直に最初からそう出りゃいいのにコタさんは収まりがわりいよ」

「こらお前さんはどうしてそう口が悪い、いくら男どもを使う商売でも少しは優しい口を利きなさい、この間も不巌和尚にそんな口を聞いていたろう」

「ここにいりゃいやでもこんな口調になっじまうよ、仕方ねえこった」

「仕方ないはこちらが言いたいせりふだ、見ろコタさんが笑っていなさるじゃねえか」

「三明様の時計はお気に入りで毎日ねじを巻いては、昼の鐘にあわせて喜んで為さるそうだ、1日クォーターとは狂った事がないそうだよ、何でも最高でファイブミニッツだそうで喜んでいなさるよ」

「坊さんも英語で時間を言いなさるほどあちらの言葉が使われるとは、驚きでござんす」

「坊さんといえどあちらからくるバテレンに負けねえようにこちらから、出向いて仏の教えを広めてえと、勉強なさる方も増えて来ましたよ、それにはまずあちらの言葉を知らないといけないという僧正様のお言葉で、何人か選ばれて言葉の勉強を始めるそうですよ」

「それはよいことを聞きました、あっしも及ばずながらお力になれることがあればお役に立ちやすぜ、幕府の中にも外国の言葉を話せる方を大切にされてきましたし、トミーというニックネームの立石という若い方など中々のものでござんすよ」続けて寅吉が。

「唯残念なことに少し偏屈に出来た方で徒弟奉公式の教え方でなきゃ教えないという方で多くの門人に教える事がないそうです」

「おやそれは困りました、ほかにどなたかよい方はおられますか」

「あとは咸臨丸で行かれた福沢様が塾を開いておられますがまだ本格的にお弟子を増やしてはいないようですが、伝があるならお勧めでしょう」

「私が学んだ勝先生のところも今富田先生が英語の授業に熱を入れだしましたからここは身分にかかわらず入門させますからお勧めです」

「福沢先生と勝先生ですか、そうそう例の穂積屋さんはどうですかね」

「卯三郎さんはあっしと同じで腰が落ち着きませんから人を教えるにゃ向きませんが、あちこち伝が多いのでお呼びして見るのもよい手だと思います」

「コタさんよう、穂積屋さんは商売敵と違うのかよ」お雪さんが言いますので。

「あの方は私の商売の先生ですよ、持ちつ持たれつということで、結構巧くやっておりやすよ」

「そんならいいけど、コタさんは人がよすぎて心配だよ、誰かいいかみさんでも見つけて締めなきや底なしに金をぶり撒いてるじゃねえか」

「そんなことありやせんよ、しっかり儲けさせていただいて居ります」

「今持ってる時計はこの間三明様に差しあげた時計に似てるがまた手にいれなさったのかい」

「お雪さんも時計に興味がありなさるか」そういって手渡すと蓋を開いて中の彫刻に目を瞠ります「たいしたもんだ、前のより中はすげえじゃねえか」どれどれと、春駒屋の旦那が手を出してみて「う〜ん」とうなります。

すぐれた彫刻師が彫るのか線彫りながら異国の美女がにっこりと微笑む顔が浮き彫りになり淡く肌の色が乗る様子はすぐれた芸術品でございます。

「いくらで手に入れなさった」

「これは60両の品物が売れないので、私勘定で店から買いうけそいつと交換いたしました、店は損がなく済みまして笹岡さんは安心で、私はそれを餌に売りたくないとごねていたこの時計を手に入れました」

「好事家なら100金でも欲しがりそうじゃないか、もうけた取引ということかな」

「おつねさんには呆れられましたがね、こいつは私のうなぎ好きと同じで止められません」

かわるがわる見る二人は寅吉の時計好きにあきれるように話しをするのでした。

「コタさんは煙草をすわぬのに煙草入れにこるし、根付けも凝って、時間が鐘と合わない時計にも執着するなんて変わってるよ」お雪さんはそういって新しいお茶を入れに席をたちました。

「ナア、コタさんよあんなおきゃんな娘だが、あんたのこたぁ心底ほれているようだ、嫁にして呉とはいわねえが、大事にしてやってくれよ」親父が頭を下げて言うのでした。

お雪さんが台所から帰る気配がすれば、そんなそぶりはおくびにも出さず「新三郎にコタさんの帳面を持ってくるようにいっておくれ」と言いつけます。

番頭さんが部屋に来て入れ替わりに旦那が部屋から出てゆき、寅吉の帳面の金の出入りの話しをいたしました。

「コタさんのおかげで増上寺様との取引が増えてこの二月で倍になりました、お礼を申し上げます」

「いやそれは番頭さんのお力で、私は好き勝手に飲み食いのお付き合いをさせていただいただけでやすよ」

「それそれ、下心丸だしの御用商人にあきておられる三明様たちがコタさんを贔屓される気持ちが私にはよくわかるのでございますよ」

「此方のダンナさまご夫婦も、お雪お嬢様もコタさんを信頼して居られる事は私以上でございます」

「番頭さん煽てちゃいけやせん、浅草のはじき猿じゃねえが煽てりゃどこまでも踊ってしまいやすよ」二人で勘定書きに見える数字が増えることを確認して、「コタさん使える金が五百両、品物が三百両の預かりでこのまま行けば金子の預かりは千両に近くなりますよ、何か投資しなさる予定ですか」

「実は横浜には店をあと三箇所増やす予定でござんす、小さい店でやらせて、独立で採算が取れるように小商いをさせるつもりでございます、パン屋というあちらの食い物屋も考えておりやす、それと二年くらいの先には長崎に支店を置いて上海から情報をいち早くつかんで品物を押さえる算段をして居ります」

「左様でございますか、して誰をおやりになります」

「伝次郎に二人ばかり人をつける予定で今仕込めるものを集めて居ります」

「どうでしょうか私の甥で気の強いものが芝に居りますが、使えるかあってやっていただけないでしょうか」

「今幾つでござんすか」

「16歳になりますが太四郎と申しまして、日本橋は瀬戸物町の伊勢や藤治郎で海産物を扱って居りましたが、手代仲間と折り合いが悪く家に戻されました、根がいいやつですが気が強く、若旦那のご機嫌取りに夢中の手代仲間に邪魔されまして、家で不手腐って居ります、ここでとは考えましたが私がいれば甘えも出るだろうしと思い、聴けばコタさんが人を集められるならとふと思いつきました」そばで聞いていたお雪さんも。

「太四郎ならお役に立つからぜひ使ってやってくださいよ」

そう進められた寅吉は「では伝次郎が今は佐久間町三丁目に虎屋出店、横浜物産会社という看板を掲げた店を開いていますから、其処に顔を出すように伝えてください、何伝次郎がいないときでも心聞いたやつが、誰かにつないでくれますから何時でもよこしてください簡単な受け答えとお客に愛想が言えれば大歓迎でございます」

旦那が戻って聞いて「コタさんよあの子は番頭さんも将来性が有ると見込んで商家に出したんだ、気働きは一人前以上にすぐれたやつだということは私が保証するよ」

会わぬ内からこのように皆が太鼓判を押す太四郎に寅吉は興味を覚えるのでした。

 

・ 目黒川

朝、千代が来た時刻には雪はやんでいた、降り積もった雪で道は歩けぬほどひどい状態だった。

「コタさん船でいきなよ、裏の川口から袖ヶ浦までの便船がもう直に出るからよ」

お雪さんが二人に朝の給仕をしながらそういうので、乗ることにして空きがあるか問い合わせてもらい、乗ることになった。

ここからの舟便は初めての経験だった、雪が降っているときと違って海上は穏やかに晴れていた。

「旦那これなら座っていても着くから楽なもんです」

「だがよ、蒸気船ならともかく、何時になりゃつくかトンと見当が付きやしねえぞ」

「八丁櫓何ざぁ豪儀なもんでさぁ、何でも半日で着くそうです」

「そうか眺めがいいからよいが、風でも出たひにゃのりたかぁねえよ」

「旦那は籠も好きじゃねえし、歩きがよいですかい」

「そうでもねえがよ、横浜で走ってる馬車が街道を走れりゃあっという間に着くだろうから、あれが居留地の外を走れねえかと考えているがよう、ご法度でまだ外には出られないからなぁ」

「大八も馬が引きゃ荷も多く詰めますからお許しが出りゃ引かせるやつも増えるでしょう」

などと話すうちに富士が日に映えて美しく輝いてきた。

「いいもんですねぇ、あの山を見ると自分の心の中まですがすがしい気持ちになりやす」

「千代、おめえいいやつだな」

「何です旦那」

「おめえが、気持ちがまっつぐで、いいやつだということだよ」

「テヘッ、照れやすぜ旦那に褒められるとこそばゆいですよ」

しばらく富士を見て黙っていた千代が「旦那ところで春駒屋さんとはどうしてお知り合いになられました」

「そうさなぁ、あれは一昨年の冬のなか頃か、卯三郎さんの紹介でスミス商会に簪の見本を見せに横浜に出かけたと思いねえ」

 

文久元年の10月3日の朝早くに神田を出て横浜へ急ぐ虎太郎です、東海道は人が少ない日でした。

大木戸を過ぎて右にイギリス公使館のある東禅寺の近くまで来た虎太郎は角から飛び出してきた若い娘に危うくぶつかるところだった。

「おっと、気をつけなせえ」

「おやごめんよ」

「どうしなすった、そんなにあわてて誰かに追いかけられてでもいるのかよ」

「其処の東禅寺の門前で異人になにやらなんくせをつけられて逃げてきたのさ」

門口から出てきた赤ひげの大男が,

「何で逃げるのですか、髪飾りはどこで買えますか、教えてください」

Please let me know With what does it escape? Where can he buy a hair ornament?

「この娘さんは英語がわかりませんので驚いて居ります、私がお話を替わりに承ります」「I hear the talk instead The daughter is surprised This daughter of the does not understand English.

「オオそうですかではあなたから聞いてください、その娘さんの頭の飾りを欲しいのですがどこで買えるか聞いてみてください」

「まってください、あなた方はこのお嬢さんにいきなりそう聞いたのですか、あなたのお国ではレディファーストという言葉があるくらいなのに、道であったばかりの人にいきなりそう聞くことは失礼に当たりませんか、まず非礼をこのお嬢さんに謝ってください、お話はそれから改めてお伺いいたします」

I suggest you make up with her

「判りました、失礼をお許しください、それでは改めて聞いていただけますか」

虎太郎が経緯を説明して「あなたのお名前は、私は虎太郎といいます」

「雪と申します、簪は日本橋の伊勢やで買いました」

それを伝えると日本橋は遠いともう一人背の高いやせぎすの男と話しています。

「私は輸出用の見本を横浜に見せに行くのですが、見るだけ見てよければ売っている店を紹介しますよ」虎太郎がそういって風呂敷を指差すと。

「私たちも自分たちの国へ日本から輸出したいと考えています、あなたはどこの商社に行くのですか」

「紹介されたのはマジソン商会とスミス商会、ゴーン商会の三社です」

「オオそれで誰が紹介しましたか」

「卯三郎・穂積屋です」

「オオあなた運がよい、私スミス商会の仕入れ担当のジョン・マック・ホーンです、此方の背の高い人は、 ヴァン・バッフ・ゴーンさんです」

「卯三郎は今、東禅寺にいます、来なさい」

my name is kotarouPlease call me Kota」虎太郎は改めて名乗りを告げます。

「コタさーん、と呼んでいいですか、私はマックと呼んでください、こちらの方は皆さんがムッシュゴーンとよんでおられます」

お雪さんに「一人で帰られますか、私は友人が東禅寺に来ているようなので寄っていきますが、どうしますか」

「送ってくれるならもう少し付き合います」なにか興味を覚えたらしく附いてくることになりました。

卯三郎さんが門から出てくるところに出会って二人の外人は横浜に帰るというので「では私はお供して横浜に行きましょう」ということになりました。

「あなたの家はどちらですか道が反対なら卯三郎さんが送ってくださるように頼みますが」

「品川南本宿ですからご一緒できますのでお送りください」

「それなら俺も品川まで行って昼を食おうぜ」卯三郎さんがそういってマックとムッシュゴーンに通訳して道案内に横浜から来ていたものも含め六人で品川に向かいました。

目黒川を渡ってすぐのところの問屋場に春駒屋の看板のある家の前で「ここがわたしの家です、母親が近くで料理屋をしていますから昼を食べるならご案内いたします」

卯三郎さんが「頼むよ」とその店に連れて行ってもらい、紹介されてお雪さんとは別れて、座敷で外人向きの食べ物を作らせ五人で食事をしました。

「コタさんよ、どうせならここで見本を見せなせえ」食事の後卯三郎さんに言われ風呂敷を開いて行李から見本を並べて見せました。

一目で牡丹の大輪のついた簪が気に入った様子のマックは手にとってあちこち引っ張っては強度を試し、重さを量るように釣り合いを取っては仔細に観察いたします。

「これはいくらで売る予定ですか」

「十本で20両ですが数がまとまれば値引きできます」

「品質が均等に作れるなら、私のところで100は欲しいがその値段は高すぎです」

「その花に使っている金の細工の品質を落とせば安くはなりますが、それだと釣り合いが取れない粗悪品になるのでそのまま注文を出すと、100で170両以下ではお受けできません」

値段を聞いてゴーンさんも気が動いたか他には持っていないのかと聞かれ、ぴらぴら簪の吉松さんの作品を見せました。

此方は大振りに作っただけで江戸風の小粋さも兼ね備えているもの、共に見本で十本個づつ持ってきました、卯三郎さんも気になるらしくしきりに手にとって「コタさんよ、不思議なもんだ全て大降りにできていやがる」

「ハハばれましたか、外人さんの髪に挿しても目立つように全て大振りにしつらえました。

卯三郎さんが通訳してくれて二人は納得した様子で「今まで髪飾りが欲しかったがどうしても国の方で小さすぎると、やかましく行ってきているので値段を安くと思っていましたが、コタさーん、この品物100本170両で契約します、何時までに納入できますか」

「100全てが揃うにはひと月猶予が必要ですが、50づつ分けていただければ、15日で50、次の15日で50お届けできます」

「ではそれで契約したい、横浜まで来てくれますね」

それで横浜までいくことになってここからは四人で横浜に向かいました。
馬の二人に合わせて歩くのも辛くはない虎太郎ですが、道案内の男も中々の健脚の若者です、名前を聞くと「紘吉(つなきち)でございますよ」口数が少ない若者です。

マックと契約を交わし五本の簪は見本ですと差し上げてゴーンさんの店に向かいました。

牡丹の花は虎太郎の予想以上に安く出来上がりこの値段でも見本の十本を含めても70両は残る勘定です。

道々話しながら歩きムッシュゴーンがぴらぴら簪と言う名前も覚え「あれはいくらで売る予定か」と聞かれ思い切って吹っかけてみました「あちらは十本で25両です、数にかかわらず値引き出来ないのです」そう申しますと「どうだろう家には半端ものだがいろんな薬品があるからそれと引き合う量を相殺ということで取引しないか、それでよければ二百本までは買い取る」と持ちかけられました。

養繧堂さんで前に聴いていた薬品があるか名前を言うとrhubarb(大黄)ならたくさんあるというので見本に少し出してもらい品質を養繧堂さんに見てもらうことにしました。

最もしっかりしているゴーンさんは五本の簪とこれだけと勝手に決めて出した量は少なく感じられましたが養繧堂さんで「この量なら30両で引き取りたいついてはこの10倍までなら即座に引き取りたい」と番頭さんに言われ、吉松さんの簪を出来上がった分の五十本と新座という職人の作る牡丹の簪を五十本、あとは見本を色々持って、最近知り合った伝次郎という若者を荷物運びの手伝いにたのみ、横浜に出かけました。

吉松さんのほうは他の注文を断って虎太郎の専属のように人も使い下拵えをさせても追いつかない忙しさの中、ムッシュの仕事を優先しました。

「コタさん私損してる気がする」ゴーンさんがそういうほど大黄ばかり欲しがる虎太郎に不思議そうに言うのですが、何横浜で相場が安いから他にはその値では引き取り手がつかないのです、だからといって値引き交渉するとたんにへそが曲がり出すとこの前来た時にスミス商会で教えられました。

半端ものが多すぎてまとまりのないゴーンさんですが、虎太郎と似ていてこまめに取引をしているうちに利益を生み出しているようです。

荷物を引っ掻き回すように調べていた虎太郎はなにやら見つけるとこれはあとどのくらいありますか、量と値段を調べてください」と御願いしてスミス商会にマックさんを訪ねます。

帰りに寄ってみると「真那蛮という名前で買ったが売れやしない、これしかないがこんな木のくずみたいが売れるのかい」そういうゴーンさんは匂いをかいでも信じられないといいますので、ストーブの上で香りを嗅がせてもまだ信じられない顔つきです。

幅6寸長さ尺2寸ほどに割られたものが10枚「これしかないが仕入れはともかく現金なら20両でいいよ」それで即座に支払うことにしました。

「日本人はよくわからん」まだ不思議そうに言うゴーンさん。

「大黄もそれでお仕舞いもう無いから、後は何かほかのものと交換しょう」というので了解して江戸に戻ります。

帰り道、品川でこの間の店で食事をして近くで泊まれるところを聞いてもらい今晩は品川どまりにしました。

食事が終わる頃お雪さんがどこかで聞いたか顔を出して「商いはうまく言ったかよ」

そういうので「アアうまくいってるがなかなか大もうけにゃ程遠いや」

「フゥンそんなものかよ、簪やさんなのかい」

「いやなんでも扱う小間物屋さ」

「そっちの人も同業かよ」

「この人は最近知り合った肥前の人で江戸に仕事を探しに出てきなさって、今日は荷物を運ぶ手伝いに頼んだのさ」と伝次郎さんを紹介しました。

「今日は行きかい、帰りかよ」

「横浜の帰りだよ」品物を見たいというのでもっていった残りと持ってきた香木を見せると「おとっさんに言えばこの木っ端売れるかも知れねえよ」

やはり木屑くらいにしか見えないようです。

旅籠に行く前に春駒屋さんにより真那蛮を見せますとさすが問屋場の役をつとめるだけあって香木とわかり「これをどこで売るおつもりか」

「まだ伝はありませんがお寺かお武家の好事家の方にお見せしようと思います」

「明日の朝娘がついていって紹介するから増上寺のお坊様の三明様にお見せしないか」

「よろしくお引き回しください」即答をいたしますと大いに気をよくして「では明日朝五つに娘をやりますから」
話がまとまり宿で伝次郎さんとせんべいをかじりながら茶を飲んで語り合いました。
伝次郎さんは虎太郎と違い一滴も酒はいけないそうですので付き合いで茶を飲んでいます。

「ねえコタさんよ、なんか面白いことをして居なさる様だが、あたしを使ってくださるわけには行かないでしょうか、これでも駆け引き人扱いはうまいほうと自信を持ってはいましたが、自然体のコタさんには何かがあるようで、一緒に商売をしてみたいと今日一日でそう決心いたしました」伝次郎さんは何を思ったか行き当たりばったりの出たとこ勝負の虎太郎に「ねえコタさんいや、旦那と呼ばせてくれませんか」

「わっちのほうが年は下ですが、こんなわっちに使われたいなんて伝次郎さん相当変わりもんだね」

「ヘェそうなんでございますよ、国でもへそ曲がりの強情者と言われておりましたから」

「よぉし気に入りましたよ、一緒に商売をしょうじゃあ有りませんか、虎屋に戻ったらおつねさんにそういって一緒に働いてもらうことにしゃしょう」

「ありがとうございます、では旦那一杯おやりください」と茶を注ぐ伝次郎さんはしゃれもわかるひょうきんな男でございました。

翌日お雪さんの案内で目黒川を渡り街道を江戸へ向かい金杉橋を渡れば直ぐに増上寺、安養院をたずね三明様にお目にかかり真那蛮をお見せいたしました。

「これは・・・」と絶句されて火鉢に小さくきり落としてくべれば、ふくよかな香りが漂い部屋の中に広がります「真那蛮でござるな酸味があり上もので、色も極上中々これだけのものは手には入らぬでござろうの、春駒屋さんの手紙にもこの色珍品にて真那蛮かと思われるがいかがと書かれておる、わしも左様に思うがどうじゃ」

「はい横浜の業者も左様に申しておりました」

「手放すご所存かな」

「はい左様でございます、ですがどのような値をつけてよいやら素人で判りかねて居ります」

「正直でよろしい、どうじゃここにある全て100両で手放さぬか」

「エッ100両ございますか」

「ちと安いか」

「いえとんでもございません、昨日見つけて買った値は20両でございました」

「ハハハ、商人とは思えぬ正直者じゃのう」

「ヘェまだ若くて未熟なもので駆け引きが得意ではありませぬもので」

「よしよしちとまちなされよ」

香木のうち半分ほどを持って出て、しばらくして二人の中年のお坊様を伴い部屋に戻り「この二人が三枚ずつ買うそうじゃ、わしが4枚で40両この二人が30両ずつで60両と小判で出されて伝次郎が目を剥いて居ります。

「何も言わなくてよろしいこの二人には話しを通してあるからお前さんの儲けじゃよ、これからも度々遊びにおいで」易しく言われお雪さんに伴われて辞去いたしました。

また品川まで戻り春駒屋さんでお礼の言葉を述べ「横浜土産の外国のキセルのようなものでござんす」とメノウのパイプをお礼に受けてもらいました。

あとで伝次郎が「20両もしたメノウのパイプを惜しげもなく礼に出すなんざぁ肝が冷えました」と驚いて居りましたが自分の趣味で買ったものでおつねさんに見つかりゃあ怒られるのは目に見えています。

お雪さんには、この次通るときにお礼に大阪の櫛を持ってくると約束しました。

「よさこいみたいだ」というので「なんですそりゃ」と聞くと「土佐の人たちがよく土蔵相模で騒ぐときに歌う歌が、坊さん簪、買うの見た、と歌うから坊さんからの金で簪の代わりに櫛を買ってきなさるからそう思ったよ」といいます、面白い子だと思う虎太郎でした。

伝次郎が歩きながら勘定して「なんだかあちこちの品物をやり取りしているうちに儲けが増えて藁しべ長者になった様でござんすね」

「こんな日もなきゃ足を坊にして歩き回る気にゃならねえよ」

二人で笑いながらまた儲け口はないか考えることにしました。

こんな話をしているうちに船は袖ヶ浦は神奈川の船着き場に着き、そこから青木町まで雪の道をたどってようように店に入ことができました。

 

・ 22番館

「今頃先生は大阪への途上かもう天保山沖当たりか」
28日の夜は笹岡さんたちと食事を共にしながら、そんな順動丸に乗る坂本さんたちの話と神奈川の台場にまつわる話しをしました。
先生がアメリカに行っている間にも二人の佐藤さんが指揮をして万延元年の夏には大砲十四門が乗る西洋式の台場が完成いたしました。
海舟先生を有名にした神奈川台場は伊予松山藩が幕府の命で作ることになり、先生の設計を門人の佐藤政養さん達が縄張りしました。

佐藤さんは酒田の生まれで、長崎でも先生と共に海軍伝習所で学んでいます。

其の佐藤さんが居留地を街道筋の神奈川から、横浜村にするように幕府に進言したといわれています、本当なら横浜の恩人は佐藤さんでしょう。
開港から早くも三年がたち居留地の中も整備が進んで居ります。

 

其の横浜に雪が解けてぬかるみの中を寅吉と永吉がスミス商会に出かけていった。

日本人町の船着き場まで舟で行き其処から歩いての道は歩きにくかったが、時間には余裕があり途中で甘い紅茶を飲んで時間をつぶした。

名前を出せないが22番館に在る、ある商会へ先生の依頼で品物の検分に行くのだったが、二人は気が重かった「旦那いくら勝先生のお頼みでも少しアブねえ話と違いますか」

「それは判るが先生も義理のある方からのお頼みでは仕方あるめえ」

「安いからと飛びついておいて、品物が着いたら話が違うとごねたって引き取らねえというのは商売人ではないでしょうに」

「其処がお武家上がりの悪いとこでよ、商人なんぞ強く出りゃ頭を下げるとしか考えてねえんだよ」

「マァ、マックにたのんでどんな品か見てそれから考えようぜ」

「石鹸ということしか解らねえんですか」

「そういう話だよ」

スミス商会で連絡を取ってあったマックに会い詳しい話を聞くのだった。

「コタさーん、雪でこないかと思っていました、江戸からよく雪のなかきましたね」

「蒸気船で江戸と往復出来るようになれば楽でござんすが、まだ難しいようで、しばらくすれば定期航路も出来るでござんしょう」

「オオ、そうなれば商売も楽になりまーす、テレグラフが通じればもっとよいですね」

「まだそれは難しいでしょう、なんせ頭が文明についてゆかない方が多いですので」

「それは、ここだけの話でしょうね、頭の堅いのはわが国の代理公使もそうでーす」

22番館に同行していただき品物を見ました、相手の話はSoap for washだという話をしてるのに体を洗うための石鹸と解釈したようです。

袋の口をあけるとレンガ大の大きさの洗濯石鹸で香りもなく唯の汚れ落としにしか使えぬものでした。

先生からは「買い付け費用が500両だが見本が来た時点で間違いに気づいたが、すでに船が出ているので何が何でも買って呉と言うので困っている、違約金代わりに短銃を2丁くれるというから何とかならねえか」

そう言われているので荷物がつく日を聞いてマックの都合も聞いて今日にしました。

「いくらなんでも洗濯用の石鹸は身体を洗うのにゃむかねえよな」

相手の商社の通詞も困りきった顔「私の言葉も足りませんでしたが、このままでは腹を切るしか責任を取れません」

「マァマァ、こんなことぐれいで腹を召されることはありやせんよ、この石鹸の始末は横浜物産会社が引き受けやしょう」

「しかし、秋元様の言葉を当て込んで倍の3000袋が来て居ります、あの契約は20ポンド袋で1500袋ですが其の値なら倍は売れるというお言葉を信じて仕入れてしまいました」

「まさか、そんな話は受けられませんですよね、旦那様」

「永吉よ、値段さえ折り合えば引き取ろう、そちらのカンパニーでもお困りでしょうから値引きしてくださればお引き取りしますよ」

二人の通詞と役員が二人で顔を寄せあって相談して居りましたが。

「スミス商会さんに出している寄せ木細工の箱を取引するから値段はそのままで買ってくれないか」と言いますので「それは困りますあれはマックにだけ出していますので値段にかかわらず年内はお売りできません、必要ならばスミス商会を通してください」

「おお、サムライ、コタさーん感謝します」マックが握手して大げさに喜んでいます。

「では仕方ないランプを20個つけるから1000両で買ってくださーい」

「旦那、ランプはいけやせん、あっしが買った30個のも評判が悪くて売れねえで困っています」永吉が止めますが。

「よいか、今回はあちこちの義理で買うんだ、まだ服を石鹸で洗う人はいねえだろうが、俺が考えて使う人が増えるようにするよ」

「支払いは十日後、品物は其のときにいただきますが、見本に10袋だけ先に渡していただけませんか、もちろん3000袋の計算に入れていただいて結構です」

寅吉は自分で言わずに通訳の言うことを聞いています。

マックも気配を感じてか寅吉の英語が堪能なことを改めて紹介しないようにしてくれています。

スミス商会に戻り礼を言ってマックと別れ、会所に行くと丸高屋さんが差し向けてくれた大八に石鹸を10袋積んできてくれました。

「船で運ぶか、道が通れるようになったら大八で運ぶかして、青木町に運んでくれよ」とたのんで一袋だけ降ろさせました。

頭を抱える永吉に「しっかりしろよ、雪の道をわざわざ来たのはこいつを買うためだぜ、いらねえ物なら来やしねえよ」

「エッ旦那どういうわけでしょう」

「わけは道々話すからこいつを二つに分けて持っていこうぜ」と二人で前後五個ずつの振り分けに担いでから、弁天通りを洲干弁天に向けて歩きました。

洋品を売る店で少し買い物をして荷物が増えましたが昼を二人で食べていると「オイオイ、コタさんじゃねえか」

「おや全楽堂さん、最近は大流行で忙しいというのに暇があるのですかい」

「暇といやあ暇だがよ、昼位は喰はねえとぶったおれちまぁ」

正月に卯三郎さんの紹介で知り合った下岡蓮杖さんの写真店はこの近く「コタさんよおめえ家を買う気は無いかよ」

「どこらあたりですか」

「野毛だが切通の下側だよ」

「どのくらいで買えますか」

「50両だが、建物は新しいぜ、間口は五間で奥行きが六間、家は平屋だが部屋数が多いのと庭が広いぜ」

「そりゃいいかも知れねえですね、野毛はちと不便だが雪が解けたら見に行きますよ」

「そんなこといわねえで、どうせならこれから行かねえかよ」

誘われて店に行くと本日休業の札を出して休んでしまいました。
石鹸は一時其処に置いて、
道々弁天通で義士焼という今川焼き風のものを売る店の心当たりが無いか聞くと「貸し店でよければ家の近くの二丁目に空きだなが有るぜ」というので借りれるように話をしてくれと頼みました。

吉田橋から野毛に出て家を見て買い入れることにして明日金を届けることにいたしました。

居留地の戻り船で青木町にようように戻ったのはもう暗くなってから、笹岡さんに今日の経緯を話して、手紙を書いてもらい、千代に勝先生のところまで誰か明日早朝に使いを出すようにたのみました。
「どうせ先生は何時帰るか知れねえから富田先生から例のお大名の家中に一件落着とご連絡いただくようにしてくださいと奥様にお頼みしろよ」

「千代は残ってくれよ、家を買ったから、明日橋本さんと永吉と三人で全楽堂さんに金を届けてくれ、それと永吉は承知だが弁天通に家を借りるから、とらや、の名で契約をしてきてくれ」

「それからランプの薄汚れているのを三つほど出してくれよ」

石鹸をのこでひいて小さくして糠袋に詰めて、湯に浸して汚れを拭けばあれほど手を焼いたものが買ったとき同様にぴかぴかになります。

「どうでぃ、こんなところでよ」

永吉や雅にもやらせて「こいつをランプを買ったが苦情を言って来ているところへ人をやって磨かせようぜ、ナア笹岡さん年寄りで小遣い稼ぎをしょうという暇なやつを集めて廻らせようと思うがとりあえず三人ほど人を集めて見てくれねえか」

「いいとも男でも女でもいいのかい」

「それは任すぜ、薄汚ねえ格好では困るから、お仕着せも用意してくれ」

永吉に売った先のリストを出させて、其の家に店の者と行って、只でひと月毎日磨かせるようにするようにしました。

後は笹岡さんと相談してひと月いくらの契約か石鹸を売るようにするということで話がきまりました。

江戸も伝次郎のところで同じようにやらせるつもり、それは今日の約束のランプを引き取ってからの話。

   
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