酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第五部-2 元町 2

チューリップ・酒種パン・クララ・ヘップバーン・フランス山・パーティ

 根岸和津矢(阿井一矢)

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・ チューリップ

5月の末に横浜停泊のクーパー提督の艦隊は、艦艇が揃った6月22日に7隻の艦艇がクーパー提督の指揮によりニール代理公使を乗せて薩摩に向かいました。

イギリス本国はラッセル外相が東洋より帰国してきた外交官の意見に拠って、強行交渉を指示してきたと寅吉に情報が入りました。

ドンタクの今朝早くに帰港した船は、戦闘の激しさを残しており、艦長が戦死という噂で誰がと心配する人たちで港は溢れていました。

9名の戦死者のうち士官は二人、ジョスリング艦長とウィルモット中佐と伝わり、戦の激しさが伝わるのでした。

遺体は海軍の伝統により海に沈められたそうですが、まだチューリップが咲き残る外人墓地に墓碑を立てるようです。

ここ横浜でなくなって埋葬される水兵をしのび花をささげに訪れるに日本人も後を絶たずと伝えられています。

20番では、シエリルやシェリダンが、遅咲きのチューリップの手入れをしています。

この間チーズを手に入れたときには、新たに球根もいくつか手に入れて来年は楽しみの多い庭になるだろうと皆が期待しています。

ここに勤めが決まってから異人さんたちが、空いている所は花壇を作り色とりどりの花が増えてきました。

植木場から移植してきた芙蓉も盛りとなり白と赤の花が咲いて居りますし、店の裏には朝顔も咲き残り、其方は少しわびしげな様子が見えます。

パルがいうにはオランダ人の知恵でチーズや食料品の倉庫のそばにチューリップを植えるとネズミが近寄らないといいます。

それを聞いた働くものたちが手分けして集めてきた花を植えチューリップは数が少ないのですが段々と増やす予定です。

球根を掘り出して網に下げておくのもいくつかあり、冬の訪れと共に植え付ける予定だそうです、種も取れるそうですが難しく本職の植木職人もチューリップは知らないようです。寅吉が知っているチューリップは鬱金草という名で書かれていましたがこの時期には少しずつですが輸入されだしていました。

遅咲きが有るということも始めて知り驚く寅吉にパルが、雪の多いところでは春から初夏に咲くが季節が日本みたいなところなら長く咲いても不思議ではないといいます。

寅吉にとっては新鮮なチューリップが多くあの時代と違うつぼみや花に見とれて皆に可笑しがられています。

「旦那、そんなに花が御好きですか」

「そういうわけじゃねえが、オランダでは昔は、この球根一個で家が建つほどだったという話しを聞いた事が有る、万年青でも高価なもので百両なんぞというべらぼうなものが有るが、こんな花で家が建つというそのものを見てみたいもんだ」

長崎から帰ってきた伝次郎と向こうで見た異国の花の話しをしながら「連絡員に3人の人間を雇って出張所にしてきました」と報告を受け下関の付近の物々しさと、フランスによる砲撃の話なぞをしてマダマダ薩摩が片付けば次は長州で各国の軍隊が報復をするだろうとこの間聞いた英吉利の情報などを話し合いました。

この間の薩摩行きの船には旗艦には通訳としてアーネスト・サトウという若者と、アレクサンダー・シーボルト十六才の少年が乗り込んでいました。

サトウは19歳ですが後年の活躍をうかがえる好青年でした、年も近くゴーマーさん達となんどか会食した時の印象では気転の聞く明晰な頭脳の持ち主と窺えました。
サトウは少し前まであの20番にあった領事館に住んでいた事があったそうですが今は日本人街との境にある貸家を借りているそうです。

シーボルトはあの有名なシーボルト先生の息子だと聞かされました。

日本に来て覚えた言葉もこの当時は母国語同然に喋り英吉利も寅吉よりは上等なものでございました。

ゴーマーさんの船にはなんと卯三郎さんが通訳で乗り込んで出かけておりました、江戸に帰るときにお会いして話しを聞きましたが拿捕した船にいた薩摩の五代さんとは顔見知りだそうで待遇には気を使いましたそうです。

「清国人の店で肉料理を喰わねえか」

「いいですね、うちのやつらはなかなか清国の料理に付き合いたがらねえのでご無沙汰ですよ」

伝次郎を連れて三人で新しく出来た、上海料理の店に行きました。 

「伝次郎も食わず嫌いで困りますが、長崎に行けば卓袱料理で付き合う回数も増えるだろうから慣れておけよ」

そういって強引に連れて行くことにしました。

上海料理・珠街閣 主人は蘇州の生まれで朱執信(ジュウ・ジュウシンと聞こえました)といい可愛い娘たちが働いており「娘たちですじゃ」と紹介され流暢に日本語でやり取りをしてくれて居ります。

今日注文した料理は下のものでほかに、粽の飯を出してもらいました。

刀豆拌鶏絲・オオトオバンヂス(さやいんげんと鶏の和えもの)

青豆蝦仁・チントンシャレン(えんどうとえびの炒めもの)

清燉青梗菜・チントンチンゲンツァイ(ハムの青梗菜煮込み)

東坡肉・トンパオロー(豚肉の柔らか煮)

糖醋全魚・ツーリーチェンユイ(魚の丸あげ甘酢あんかけ)

伝次郎は「この味に慣れないと長崎に住んでも食い物に苦労するぜ」とまるで外国に行くように卯三郎さんに脅されています。

卯三郎さんも寅吉もトンパオローが気に入りこいつは美味いもんだという言葉に朱さんが出てきてお礼を言われました。

「上海蟹を調理すると巧いが此方では手に入らないが蒸気船で運べばうまいやつを食わせて上げられるが高いものに付くよ」

「マァそいつは金持ち連中に任せておこうぜ、俺らは安くて旨い物が好みだ」

「お客さん達は金持ちの商人と違うのですか」

「普通の商人で、金持ちの仲間ではないぜ、働く人間を大勢使っているが自分の金なぞあまりねえよ」

寅吉のぞんざいな言葉もどうやら理解できる二人の娘は、ピカルディで見かけたということで寅吉が大きな商いをしている男と思うようでした。

「あそこのピカルディの庭で咲いている花はなんというのですか」

「下で咲いてるのがチューリップで木のほうは芙蓉というのだぜ」

「少し別けてもらえますか」

「いいとも切り花ならチューリップがお勧めだぜあそこでなければ植え木場にもまだあったから20本くらいならお安い御用だ、後5日ほどで仕舞いだそうだから早めに来ないとなくなるぜ」

「昼が終われば暫く出られますからご一緒してもいいでしょうか」

「いいとも勘定をしたら少しここで打ち合わせをしてるから仕度をして御出で」

朱さんが「娘のわがままを聞いてくださりお礼を申します」といいにでてきました。

三人で2ドルもしくは一両2分と言うのでドルで払いました。

伝次郎は高い料理に目をむいて居りますが「シナの料理には上限がないほど高いものが有るそうだぜ、わが国はなんにでも安いくらいのものしかないが、あちらの金持ちはこの国の資産と同じくらいの者までいるそうだぜ」

「旦那それは無いでしょうぜ、冗談が大きすぎます」

「それほどでなくてもお大名クラスでは金持ちには、はいらねえよ、札差位なら小金持ちくらいだぜ」

「左様でございます、白髪三千丈と言いますがそれほどに、金持ちの話しを大げさに言っても限りはありません」

朱さんが言う金持ちの話が面白く娘たちの仕度に時間がかかるのにも、気になりませんでした。

母親らしき人に見送られて店に出てきた二人は艶やかに着飾り、頭に飾る清国の簪もおおきなものでした。

「そういゃあ纏足はしていなさらないのかい」

「はい、我が家では纏足はしないという家訓があり決して娘たちにもさせることはありません」朱さんは胸を張り纏足は身体にもよくないし決してやることはありませんと強調いたしました。

二人の娘を間に挟むように20番に戻り、ハンナに言うと「ちょうど植木場から切り花が届いていますからお好きなものをお取りなさい」

そういって先にたって裏に二人を連れて行き選ばせてくれています。

卯三郎さんは今日は横浜ホテルに泊まり明日便船で浅草に戻るそうです。

切り花を選んだ二人がハンナたちに別れの挨拶をしているので、少し海岸から波止場を歩いて送ってゆこうというと嬉しそうに微笑むさまは店で見たときと違い、艶っぽい表情に見えました。

卯三郎さんと一人ずつエスコートしてジャーディン・マセソン商会から天主堂を巡り、140番の朱さんの店に送り届けました。

「清国人の娘もなかなか色っぽいもんだ」

卯三郎さんが言うので寅吉も、

「そうですねなかなかの艶っぽい処がありましたね、あの外出の衣装に着替えさせたということは町のものに見せるためではないですかね」

「そうかもしれん、着替えに時間がかかったし簡単に親父が承知したというのも機会が有れば家にはこんな娘がいるぞということを見せびらかしたかも知れねえな、おいらは一緒に歩いた聖玉という娘がいいと思うぜ、名前の読み方はなんど聞いてもよくわからねえから漢字で書いてもらった日本式に読んだらそれでよいといっていたぜ」
卯三郎さんはもうそんなことまで聞き込んでいました。

「今晩は用事が有るのか」

「いえ暇でござんすよ」

「通訳で薩摩と交渉することになるかも知れねえから少し情報が知りたいから、付き合ってくれ」

ホテルでコーヒーを頼み、先行きの打ち合わせをして、夜になって野毛まで戻りました。

 

もうここで書いておいてもいいでしょうが本筋とは関係ない話です。

ホテルでの打ち合わせにはヴァンリードさんが立会い、薩摩の松木弘安さん(卯三郎さんと勉強仲間・寺島宗則)と五代才助(五代友厚)さんはゴーマーさんが開放書にサインして連れてきてくれました。

捕虜はいらないという話で、薩摩に引き渡すか幕府に引き渡そうとしたところ、腹切りをさせられるのじゃないかという人がいて、クーパー提督が横浜で解き放すということにしたそうです。

話し合いの結果卯三郎さんが預かるということになり、江戸から故郷武州埼玉郡羽生村まで送り世間に出ても安全という事がわかるまで其処に潜むということになりました。

ヴァンリードさんがあちこちと話しを消して歩き、明日昼時に、寅吉が用意した船と水屋の仕度で青木町に送り、其処から寅吉も同船して荷舟に載せ、春駒屋さんまでいき、其処で着替えてもらい釣り船の客の振りで掘り留めの鈴木まで送りつけることにしました。

後は卯三郎さんが大川をさかのぼり故郷まで行けばなんとでもなるということになりました。

 

・ 酒種パン 

江戸に出るため品川に泊まり、12日の朝暗いうちに浅草に向かいました。

卯三郎さんにこの間の顛末を聞きに浅草に出かけて、ついでに鮒佐でこの間の礼をいいに寄りました。

「済みませんでしたね、うちのものが無理を言いまして」

「千代松はちっちぇときから知ってるからよ、それに新しい味に出会えて此方こそ礼をいわにゃならねえよぅ、あの味付けを売り出したいがいいだろうか」

「遠慮にゃ及びませんよ、それに此方で扱ってくださりゃいつでも買えて便利でござんすよ」

遠慮してか、まだ店には出していないという律儀な佐吉さんでした、利害関係も一致してどちらも大喜びの佃煮でございます。

ここは福井町にも近く、森田町とも橋を渡ればすぐ其処という便利さ、寅吉は雅と連れ立って穂積屋さんに昼前に入る事が出来ました。

奥で二人の落ち着き先を聞いて「来春には江戸に出ても大丈夫ですよ、何誤解が有るということだけならすぐに解けますから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

「しかし薩摩は京でも疎外されているし、今回の戦争で殺気立っているから船を燃やした責任を問われるかと心配だぜ、朝廷は薩摩藩の御所警備を解き、薩摩人の九門内の往来を禁じたままじゃねえか」

「それもすぐ解けますよ、来年には長州の騒動で薩摩を頼りにしなけりゃ事がすみませんよ、しかしヴァンリードという人は顔が広いですね親切そうですが表に出たがるのが難点ですが」

「それはそうだ、内緒といいながら二人が横浜で船から降りたということも人の口からばれる前に書いておこうと言う人だから、付き合い方を間違えなきゃ親切なやつだぜ」

「7日に薩摩藩の使者岩下方平様、重野厚之丞様が横浜でニール代理公使と話あったそうですが不調に終わったそうですぜ」

「オオ聞いたよ、薩摩からやはり通訳と交渉をしろといってきたから横浜に出る事が多くなりそうだ」 

昼を一緒に食べて、丸高屋さん、福井町、冨松町、佐久間町と廻る頃には日も暮れて、虎屋に付いたのはもう暮れ六つの鐘の後という時間でした。

糟屋大和守様が神奈川奉行の拝命を受けられましたのは13日でございます。

この日の夕刻にはお祝いを述べに訪れてお祝いの品物を奥様にお渡しいたしました。

14日も忙しく江戸を飛び回り淀屋さんでは石鹸の扱い量が増えてきたことを知らされました。

「番頭さん、やはり旦那は横浜の店を通じての直接取引きはしない方針ですか」

「はいコタさんそうなんですよ、あそこは小売だけで、輸出入の取引はしない方針です、コタさんがいつも言う難しい時期が来たら江戸の取引に影響が出ないように用心のための店だからそのときまでは動かぬようにしろといわれています」

「仙台や蝦夷の品物を売るだけではもったいない気がするのですがね」

「マァそれも旦那様しだいですから、コタさんが品物を納めてくださればそれを売るだけであそこの経費は出ますから、こちらは私と後二人が横浜の係りを受け持って切り盛りしますよ」

夕方から岩さんの所で久しぶりに先生と飯を喰いながら薩摩、長州のことと、海軍塾のことなど話しました。

「龍馬はよく働くよ、いいやつを弟子にとってオリャ楽が出きるよ、しかし塾を開くのに費用をこんなにかけても長続きしないというにまいるぜ」

「でも出来る時に遣るだけのことはしておかないと拙いでしょう、それともしものときに役立つ人たちが塾や操練所に来ますから有意義でござんすよ」

「おめえがいうからにはそうなる定めなんだろうなぁ、遣れるときにしっかりと勉強をさせてみるか、塾の方も与之助がしっかりと纏めてくれているから、操練所に与之助が教授に出たら竜馬を塾頭にするか」
「竜馬さんは迷惑なことですと嫌がりますぜ」

6月10日に卯三郎さん先生にもなじみの深い緒方洪庵先生がなくなったことを教えられました、54才でした、数多くの有為な人材を世に出された先生は皆に惜しまれつつ世を去りました。
先生から大鳥圭介という人が横浜へ英語の勉強に行くから引き回して遣ってくれと頼まれました。

そんなことを夜遅くまで話して先生は籠で帰りました。

15日は福井町と付き合って深川で月見、隠居になっても二人の老人は元気で恐れ入ってしまう寅吉でした。

長崎に出向いたとき伝次郎が知り合ったという当麻五左衛門という人が20番を尋ねてきました、ピカルディは日曜で休みなので義士焼きのほうに尋ねてきました。

ドイツ人の家でコックをしていたそうですが、横浜でのピカルディの話しを聴きどうしてもここで働きたいと伝次郎の伝を頼りに出てきました。

どういうつながりが有るのかジャーディン・マセソン商会の船で着き、そのまま20番に尋ねてきたそうです。

「ピカルディがお休みのようですが、此方に寅吉の旦那はおいでですか」

「パン屋に用事ですかい」勝蔵が応対します。

「はい、左様でございます」

「ちょっとまってくんな、パン屋のものを呼ぶからよ」

義士焼きのほうにも異人さんを雇っていますので、花の世話に来ていたHannahをよんでもらい応対していましたが、元造さんを呼んで用件を聞いてもらうことにしました。

「いや明日の夜には帰えれると思いますが、今は江戸に出て居ります、私はここで職人を務めている元造といいますが、何かご用件でもありましょうか」

「伝次郎さんにお聞きしたここの事が忘れられずに長崎から修行させていただきに来ました、パルメスさんに合わせていただけるでしょうか」

「逢うのはいいのですが、言葉が喋れますか、いま通訳がいないので働くもの達では完全に詳しい話を伝えるのは難しいのですが」

「左様でございますかドイツの言葉なら片言で通じるのですが亜米利加と聴いて来たのでそれでは無理でしょうね」

「ハンナさん、こういう事情だがわかるだろうか」

「大体は解るけど、コタさんがいないと大事なことは伝わらないです、困りました太四郎さんも江戸ですし春さんは名古屋について行ったしね」

「それでも伝えられることは伝えて見ましょう」と片づけが済んで風呂で汗を流し終わったパルメスさんに会いに裏の家にハンナも一緒に行きました。

わけを話すとどうにか意思が通じて「雇ってあげなさい、旦那には私からも口ぞえしてあげるから泊まるところと誰が責任を取れるか相談してください」

そういう風に話が出来、ハンナが腕を振り回して雇わなければあたしが話しを付けてあげるとまで後押しをしてくれるので、兵吉が自分もやむにやまれず出てきた故もあり、自分の部屋で同居させてよいから雇ってあげてくれと寅吉に頼み込むことになりました。

寅吉が16日の夜遅くに青木町まで戻ると、千代がその話をするので明日20番で詳しい話を聞こうとその日は太四郎に雅も青木町で泊まることにしました。

「どういうことなのだい、元さんよ」

「五左衛門さんから話は聞きましたが、本人から直に聞いてみてあげてください」

寅吉に経緯を話す五左衛門さんの真摯な態度に寅吉はうたれました。

「旦那ぜひ雇って上げてください、部屋は私の部屋に同居させてもいいですから」

「何バカなこと言ってやがる、あの部屋はおめえ俺の部屋じゃねえかよ、ベットまで占領していやがって俺の部屋が聞いてあきれるぜ」

「だんなの前ですがあのベットというやつはいけません、寝られないので下に畳を敷いてその上で布団を引いて寝ておりやすぜ」

「ほんとにバカ野郎ばかりだ、仕方ねえおめえたちでいいように仕込んでやれよ」

寅吉が乱暴な言葉を使うときは機嫌がよい証拠と、知っているもの達は安心して聞いて居りますが五左衛門さんは、はらはらしておりました。

元造さんが責任を取るということで寅吉も了承せざるを得ませんでした。

ハンナたちも様子のよい、五左衛門さんが働くことに喜んでいる様子が見える寅吉です。

マックにまた一人雇い入れる事の手続きを頼み、また一人ひとが増えました。

「ここで断られたらどうするつもりでした」スジャンヌが聞くと。

「表で雇ってくれるまで座り込むつもりでした」

「まだ暑いのにそんなことしたらすぐ倒れてしまうのに無鉄砲な人ですね」

異人さんたちの格好の話題にされる五左衛門さんでした。

交代で取る昼の時間に、弁当まではまだ余分に来ていないので、ご婦人方の中で食べるのには閉口してしまったようで「明日から兵吉さんたちとお昼をさせてくだされ」と泣きつく有様は寅吉たちの笑いを誘うには十分でした。

なれない異人たちの言葉にも、身振り手振りで付いてゆくさまは兵吉や元さんも感心するくらいです。

薩摩での戦争も事細かに絵入りで紹介されています。

ユーリアラス号を旗艦とする7隻のイギリス艦隊は,文久3(1863)年6月27日谷山の平川沖に錨をおろした。

7月2日イギリス艦隊は戦闘行動を開始し,薩摩の藩船3隻を捕獲した。

これにより薩摩藩の各台場は砲撃を開始した。

イギリス艦隊もやや遅れて砲撃をはじめ,荒天のなかで激しい交戦が続けられた。

鹿児島の砲台は全部破壊されたが一方艦隊も損傷をうけた。

7月3日,イギリス艦隊は,戦死者13名を水葬にして横浜に帰還。

 

長州での砲撃事件がここ横浜でも正確に伝えられていました。

6月1日に長門藩がアメリカ軍艦ワイオミング号を下関で砲撃したが逆に軍艦庚申丸・壬申丸が撃沈され、6月5日にはフランス水師提督ジョレース(C.L.Jean B.Jaures)が軍艦2隻をひきいて下関を砲撃、陸戦隊を上陸させて陥しいれたと新聞が書き立てています。

 

しかしこれだけでは終わることはないだろうと寅吉も卯三郎さんも思っていますし、ゴーマーさんたち英吉利人たちもそう噂をしています。

プリュインさんも今亜米利加は艦艇が少ないが、安全に下関付近を通行するには力で制圧するしか方法が見つからないという意見でした。

男の職人たちが月に一両2分と言う給与で働く中で、異人さんたちのうち、ハンナは一日36セントに昇給、大体月に25日働くので月9ドルも稼ぎます。

これは当時のレートで六両三分というものすごい額です。

いくら異人さんでもだしすぎとは思うのですが一日6時間の約束でも彼女はほぼ10時間は店や庭の手入れをしてくれています。

「もっと出してやりたいがよぅ、日本人たちにはそれほど稼げる者が少ないので勘弁してくれ」

「他の女の人たちに比べれば1日4セントも多く頂いているので、十分ですよ、ここにいれば被服費もかからないし、エプロンは毎日洗濯もしてくれるので奇麗なものが毎日着れるしとっても経済的よ、お昼も要らないし父は小遣いを出さずに済むので喜んでいるわ」

他の人たちは3時間16セントに昇給しましたがそれで月に4ドルになり、参両これでも当時の給金としたら破格です、一日のうち3時間でこれだけ稼げるものなど居留地で普通に働く女ではいないのではないでしょうか。

坂本さんからの手紙を持って昼に太四郎がピカルディにやってきました。

上方の消息ともう直に江戸に行くということでした。

午後に太四郎と箕輪坂の上の貸家を見に出かけました、ハンナがうちで一軒借りたいということだったので他の人たちに後を頼んで同行いたしました。

8軒の貸家のほとんどが完成しています、10日ほど後の日曜日に見学会をかねた招待を考えていますが、もうちらほらと噂を聞いて見学に来る家族も有るそうです。

英吉利の軍隊の駐屯地にも近く病院も建設していますから将来居留地になる可能性が大きいと判断したのでしょう。

幕府が攘夷鎖国などといっていても、商売人の目から見るとたわごとぐらいにしか見えないようです。

「この角の家がいいわ」屋根の緑の色も鮮やかに塗られた洋館風の家には庭も広く取られていて白いペンキが塗られたばかりのその家がハンナの気に入ったようです。

植木場から運んで来たさまざまな小さな木が植えられた庭には寅吉も満足な様子です。

「その家でいいのかよ、他の家の中を見なくてもいいのか」

「だって外観がよければ後は中を改装させてくれるなら同じことよ、後庭は自分で作りたいという人には植木をどかすサービスもしますというと喜ぶ人がいるわよ」

「マァそういわずに全部見てくださいよ、旦那と全部見て廻りますから、他にもあなたの目で直すところがあったら教えてください」

「そうそれなら付き合うわ、それで月にいくらなの、安くなけりゃいやよ」

「高いぜ、月に4ドルだ、一階はホールと食堂キッチンに居間と風呂に手洗いこれは水で流せる最新式のやつだぜ、二階のも同じ式の手洗いと風呂場が有るんだぜ、それと寝室が二つ、大家族には向かないがこれ以上大きな家は売り物でないと作りにくいんだよ」

「ナンダそんな安いの、ならあたしのお給料で借りれるじゃないの、サンフランシスコじゃそれじゃ小屋程度しか借りれないわよ」

そんなこともないでしょうが月に3両なら高いと思っていた太四郎でさえこの調子なら簡単に借り手が決まりそうだとニコニコしだしています。

「ナニサ、安すぎたかと考え出したのね、でももう駄目よ、高くしたら私が全部話してしまうわよ」

「そんなことはしませんよ、でもこの後は下のところで作る家は石垣を組む必要が有るので5ドル30セントを頂こうかと考えています」

「バカね半端を言わずに6ドルと吹っかけるのよ、そういう噂を話しておけば今のうちにこの8軒の家を借りてしまおうという人で一杯になるわよ、借りそこなった人があせってくればもうしめた物なのよ、では50セントお引きしますから予約なさいますかと言えば建たない内に借り手で満杯よ」

なんとハンナは商売人より上手でございました。

 

 ・ クララ・ヘップバーン

8月下旬、京では政変があり、長州の勢力が追い払われ、薩摩と会津が手を結ぶということが起こり、何処がどうなっているのか当事者たちでもわからぬ有様だそうです。

この月の初めに井土ヶ谷を通りかかったフランス人が、攘夷浪士と見られるものに切り殺される事件があり、外出には気をつけるよう神奈川奉行から通達が出されましたがそのくらいで物見高い異人さんたちは恐れる様子もないほどのつわものぞろいでした。

寅吉を贔屓してくれていた京極様が8日に長崎奉行に転任いたしました。

先生は9月2日には、順動丸に老中酒井雅楽頭忠績様をを乗せて品川を出帆しました。

龍馬さんも同船して大坂に向かいました。

15日着の便りには、9日に到着と知らせがあり京阪の騒ぎが大きくて此れからの先行きが不透明で有ると書いてあります。

ピカルディでは五左衛門さんも皆と同じようにパンの仕込から手ほどきを受けていて、チーズの味に意外とうるさいということもわかり、新しい味の開発に役立つとパルメスさんも喜んで居ります。

「寅吉さんという人はいるかい」

「どちらさんでしょうか、寅吉はいま元町のほうに居りますが、御用でしたら呼んで参ります」

「勝先生の紹介で、大鳥が来たといってくれるか」

「それでは船便がすぐ出ますから居留地までご案内いたします、入れ違いになるといけませんので陸のほうにも人を出させて回らせますからご安心ください」

笹岡さんが雅を陸から行かせる事にして、

「ピカルディのほうに行くから途中野毛にも伝えてから元町まで駆けてくれ」

船には善郎をつけて行かせました。

「お待たせいたしました、寅吉でございます」

「オオあんたがコタさんか、卯三郎さんや勝先生から話は聞いてるよ」

「それではご紹介も不要でございますが、住まいもご用意出来て居りますし、ヘボン先生は今日はご自宅におられますからご案内いたしましょう」

「今着いたばかりで汗まみれで失礼ではないかな」

「先生はそんなこと気にしやいたしませんよ、ではこう御出でください」

何、着替えたりなにやらするより裏に廻れば其処がヘボン先生のお宅、橋を渡るとき先生と挨拶したばかりで自宅にいることは間違いようもありません、庭で体操していたばかりです。

「先生、紹介いたします、こちらは今日江戸から来られた大鳥慶介様です」

「はいそうですか、my name is James Curtis Hepburnですね」

my name is keiske ootori, English was come to study.

「なかなかよろしい、それで住まいは決めましたか」

「寅吉さんがどこか借りてくださるそうでまだ見ておりません」

「私のところもいま、Wifeが塾を開く準備をしていますから、いつでも御出でください何人か出入りして居りますから共に学んでください」

「いまWifeに紹介しましょうね、付いて来なさい」

昨年来横浜に移り住んでいた佐藤泰全、林董親子が来ていてクララ夫人と英語でやり取りをしていました。

ヘボン先生が各自を紹介されまたそれぞれが挨拶をしているので、寅吉は先に帰ることに致しました。

「大鳥様、では店でお待ちしますから先に戻ります」

挨拶もそこそこに店に戻ると小一時間もした頃、董少年が大鳥さんと供にピカルディに来ました。

「ハンナさんいますか」スジャンヌにそういっている声が裏にまで聞こえます。

「アラあたしじゃいけないの」腰に手を当てて態と睨むと、真っ赤になって「いえ今日ハンナさんが本を持ってきてくださることに、お約束して有るものですから、お願いしますよ」

この店でも彼は人気者です、笑いながらハンナが本を持ってきて渡しながら、

「旦那がパンにお茶でもどうぞといってるわよ」

「私はドーナツのほうがいいです」

「こら贅沢いわないの」

大鳥さんはまだ其処までの英語のやり取りは理解できないようですが、董少年のように喋れる様になりたいと真剣にやり取りを聞いています。

「大鳥様裏でコタさんの旦那がお茶をご馳走しますというのでまいりましょう」

先にたって勝手知ったる他人の我が家とばかりに先導してきました。

「今日は自分の語学力にがっかりしました、名前のやり取りくらいしか理解できずに自分の勉強不足に驚いています」

「仕方ありませんよ英吉利人や亜米利加人たちと毎日話していれば自然と身につきますから暫く居留地で住めば自然と身につきますよ」

「コタさんの旦那、大鳥様はどこに住まわれますか」

「元町のとらやの前の家を手に入れて有るから其処に住んでもらう予定だぜ、家には年寄り夫婦が煮炊きと掃除をしてくれるから大鳥様は勉強に専念できるようにして有るよ」

「左様でござるか、しかし拙者は貧乏ゆえそのようなよい住まいはいらぬよ」

「心配しなさりますな、別に大鳥様用に用意した家ではありませんよ、年寄りを住まわせておくために手に入れましたが家が広くて部屋が多いので其処に用心棒代わりに住んでもらおうとずるい考えだけでございますよ」

心配させまいという言葉を大人の大鳥様は素直な気持ちで感謝の言葉を口べたながら述べられ、ドーナツを口にして「なかなか美味いものでござるな」と董少年と話して居ります。

紅茶も甘くしていただくのが董少年のお気に入りです。

「いいでしょ、私はパンよりこれが美味いというんですが、コタさんの旦那はチーズ入りのパンがお勧めだなどと無理に食べさせようとするんですよ」

「オイオイ、無理強いなんど人聞きの悪いこというなよ、一度も買って食べた事がないくせによ」

「だって、皆で食べろ食べろと勧めて下さるのですよ、買う暇などありませんよ」

これには大鳥様まで大口を開けて笑い出す始末でございました。

「董君はいつから横浜に来たんだっけ」

「昨年の6月ですからもう一年以上になります」

「ネェ大鳥様、彼くらい喋るには一年くらいいれば何でもありませんぜ、それに今年の春にクララ夫人がアメリカから帰ってきてからは向こうにいるご自分の子供代わりに毎日個人授業していますからこの人が特別なんですよ、半年我慢できればいままで習った勉強が生きて全てのことに理解が行き届くようになりますから、江戸との行き来も大変でしょうが、がんばってくださいませ」

「世話になります、長い間の滞在は出来ぬがなんどか行き来するうちには目鼻もつくでありましょうぞ」

「では、滞在のときに使う家まで参りましょうか」

元町に案内して老人夫婦に紹介して「後はお気兼ねなくご自由にお使いください」と挨拶して寅吉は虎屋でお怜さんから各店の売り上げ状態と、利益のあらましを聞くのでした。

山手の貸家も全て埋まり、来年に向けての新しい貸家のための土台作りが始まります。

「太四郎も次の仕事が始まるまで何か遣らせるか」

「そうねぇ、長崎でも見物させて上げなさいよ、あちらの洋館を見れば少しは参考になるでしょうから」

「そうするか次の連絡に来る人間と一緒にいかせてやるか」

「たっぷりお小遣いもあげてくださいね」

「そうしてやるよ、あいつは金を使えないやつだから、全部使うまで帰ってくるなとでもいってみようか」

「帰って来れなくなったりして」

「まさか其処までしまり屋ではないだろうぜ」

「それで長崎は支店としての機能はいつごろになります」

「伝次郎の都合も有るが、遅くも来年の冬までには向こうに行き詰めで大丈夫だろう、江戸をブンソウ達に任せてもそれまでには目鼻がつくさ、入れ替わりに春太郎も長崎を見にやらせるか」

「それがいいでしょうよ、伝次郎さんも長崎を知ってるものが此方にいれば話が通りやすいでしょうから順送りにやってくださいよ」

「オオそうしょうぜ」

貸家も安いと評判がよく次に建てる貸家について割高でも大きく造って呉と言う人まで出てきました。

「20ドルまでなら出してもいい」とまでいう人までいるのですから儲けを度外視していたのに太四郎の話では3年以内で取り返せるといいます。

「旦那、こんな機会ですから聞かせてくださいよ、山ノ上の貸家ですがなぜ儲けを考えずに貸し出すんですかね」

「あれかい、マァ儲けというより人付き合いだな、繋がりをつけておけば2年先3年先には少しずつでも商売が出来るということさ」

「旦那のやる事はじれったいくらいゆっくりとした先のことで、訳が判らないことが多いですから時々は何のためか聞かせてくださいよ」

「いいとも聞かれたことは出来るだけ教えるようにするぜ、実はなおいらもよくわからねえがやってるうちに先が見えてくることも有るんだよ、だから始めるときはただの山勘の事も有るぜ」

「旦那がよく言う行き当たりバッタリというやつですかね、失敗したなと思ううちになぜかそれで儲かる事が有るんで不思議なんですよ」

「俺もそれが有るから儲けを少なくしても、多くの人間が働く場所をまず確保してるのさ、大勢いれば儲けの巧いやつ、確実に仕事をこなすやつといてそれで巧く回転するのさ」

夕方の水船と共に野毛まで戻る寅吉でした。

 

・ フランス山

月初めに神奈川奉行による鎖国交渉は不調のまま行き過ぎて、横浜では大君の政治は老中の対策が駄目で行き詰まっていると評判になっています。

横浜だけ鎖港して長崎と函館はそのままという不思議なことを話してきたそうです。

神奈川奉行粕屋大和義明様は新番頭に転任「もう奉行の人事には困ったものだ当てにはならん」と各国の公使、領事に見放されてしまうことを平気で行っています。

「フランス山にはもうフランスの軍隊がいて、これで鎖国が聞いてあきれるぜ」

卯三郎さんが薩摩の代理人として交渉に来てこんなことをいいます、今日の昼は珠街閣で朱さんの東坡肉でビールを頂いています、井戸で冷やしてあるという冷たいビールはのど越しもよくて美味い物でした。

「このビールも横浜で作るやつが出ればもう少し安く飲めるのによ」

「噂では鎖港が不調に終われば、関税も安くなるそうで酒が安く手に入るという噂が有るそうですぜ」

「それでかい、買い込んだ酒を18番の倉庫で寝かしてるのはよ」

「おや、そんな事がもう耳に入りましたか」

「俺の情報もなかなかのものだろう」

「もしかして」

「そうだよ」

そういいながら近くに来た聖玉と愛玉に笑いかけるのでした。

「まいりました、ここで飯にしようというから、そういうことでしたか」

「変に勘ぐるなよ、この店の中だけでの付き合いで外ではあったこともないぜ」

「そうしておきやしょう」

二人で大声で笑っていたら朱さんが出てきて話に加わりました。

「最近は、駐屯地のフランスの士官の人たちが多く出入りしていますが、言葉がなかなか通じなくて困ります誰か働いてくれる人がいませんかね」

「ゴーンさんの従兄弟のアルフレッドという若者が年末にはこちらに来るという話だそうだ、ランスという町の生まれでゴーンさんと10才くらい年が離れてるというから、今20才位だろう、ゴーンさんの奥さんの妹のマルセイユの石鹸屋で働いているそうだが、こっちで一旗上げたいと言っているとよ、言葉が通じるようになるまで置いてみてくれるかよ、俺のところで頼まれたから朝はうちで手伝わせて、午後はここで働かせれば色々覚えられるだろう」

「ですが、言葉が通じないものに給金は無理ですよ」

「いやそれはうちで面倒見るから暫くここに出入りさせてやれないか、そうして言葉が出来るようになれば自分で何か商売を考えるだろうよ」

「給金が要らない手伝いなら、少しくらいのことには目をつぶるよ、夕飯くらいでいいかい」

「いいともさ、しかしあまりこき使いなさんなよ、それとパン屋のせがれというし、うちのパンで食いつなげるからそれほど食い物にも気をおかずに済みそうだぜ」

「それまで誰かつなぎでいませんか」

「少し給金が高い人間なら午後の3時くらいから夜の8時くらいまで働きたいものがいるぜ、ただしご婦人だがよ」

「その人仏蘭西語が話せますか」

「そうだが後は日本語は片言だぜ」

「私たちも片言ですが通じるようなら雇いたいですね、どのくらい出せばいいですか」

寅吉のところでは今は3時間で18セントですが考えて、「5時間で36セント出せるかい、月曜から土曜までで2dollar16cent必要だぜ」

そろばんを出して計算していましたが「合ってるね、いいでしょう一度あわせてください」

「とらやで朝の11時から午後の2時までの約束で働いているから、夕方にでも連れてこよう、旦那は69番で船大工の下職だよ、出来るだけ稼いでうちの貸家を借りたいという話だよ」

「お名前はなんと言いますか」愛玉が聞くので、

「マリーと呼んでいるが、ちょいと待ってくれよ」手控えをだして「マリーズ・アヴェリーヌが本名だそうだ、つづりはこう書くとよ」と手控えを見せてから紙に書き写しました。

Maryse Avelineフランス人だそうだが、旦那は英吉利の人間で、英吉利人のクックさんの造船所で働いているそうだからあちこちの言葉がわかるようだぜ」

「あそこは景気がよいそうですが下働きでは給金が安いのですか」

「景気がいいのはフライさんのほうさ、家の建築を請け負ったり色々手を出しなさってるそうだが、クックさんのほうは船一本だそうだ、共同経営という風に言っているがね実質はフライさんが仕切ってるようなものさ」

結局マリーが働くことになり、給金も様子見の3日が過ぎて実際に寅吉が言うだけのものを払うことになりました。

仏蘭西山の住人もピカルディに来てくれるようになり、軍の食料係とも親しくなり新しいパンの仕込みもパルメスさんを通じて交流しているようです。

兵吉と五兵衛さんは時々訪れてはパン種の交換をして試しています、あちらはホップだねが主力のようですが五兵衛さんが持ち込んだ酒種も試しているようです。

英軍の駐屯地も徐々に形が出来てきましたのでもう直に兵隊が多く来ることでしょう、今は海軍が主力ですが陸軍の部隊が連隊規模で来ることになりそうです。

20日の月曜日には、寅吉が建てた貸家と道を挟んだ形で海軍の病院も出来、谷戸坂を上り下りする人も増えてきました。

「旦那、彦さんに会いましたか」

「この間商館を開いたというので卯三郎さんと会ったよ」

「商売の話で合いたいというのですがそれは聞きましたか」

「卯三郎さんが間に入って江戸と取引することになったから、おいらのとこには関係ないぜ、此方に何か言ってきても聞く事はないぜ」

「それならよいのですが、大分苦労して為さるようで、あまりよい話も聞きませんので心配しておりました」

「でぇ丈夫だよ、生糸が横浜に直(ちょく)に入るようになるから、心配することもなく収まるよ」

「左様ですか、関税の引き下げの話はいかがでしょうか」

「もうじきまとまるさ、外国奉行に御老中までが賛成に廻っているらしいから、神奈川奉行がいくら反対しても3月とはかかるまいよ」

生糸も輸入関税も鎖港問題も我慢比べをしているようでどちらかが根負けするまでということになれば、日本人には待てずに勢いでどちらかに傾くことは間違いありません。

異人達はヤイヤイいいますが柳に風と受け流せるだけの度胸のあるご老中など居りませんでした。

 ・ パーティ

300人足らずの居留民が全て金持ちというわけではなく、雇い人として来日して其処から自分の店を持った人たちもいますが、取引に失敗して失意のうちに故国に引き上げる人たちも数多くいました。

ほとんどが男性で女性は2割も居なかったと言われています。

今日も珠街閣で卯三郎さんと昼を食べることになり、隣から彦さんを呼び出して一緒に食べることにしました。

「今日はリンカンのことは無しだぜ」

「それはいいが、俺が会ったのはブキャナンと言う大統領だぜ」

念をおさないとビールで酔うたびに聞かされるので卯三郎さんもまいっているようです。月初めの頃と違い取引の利益も上がって、気の大きくなった彦さんは港崎の玉泉楼の春山を身請けして居留地で同居しています。

彦さんはアメリカ国籍を取得した替わりに居留地の外に住む事が許されていません、日本人でありながらアメリカ人として横浜に住んで居りました。
「大分景気がよいそうで、最近は忙しいらしい」

「それはよいことでございますよ、私のほうは忙しいだけで景気のほうはいまいちですがね」

「コタさんは、人を使いすぎだからだよ、人を減らせば儲けも増えますよ」

「それは承知なのですが、自分でやるより人に働いてもらうのが楽なものですから」

「こいつはまいった、そういう考えもありましたか」

寅吉はあまり深く付き合う気がない様子で、あっさりと話しを交わしています。

卯三郎さんも薩摩の話の纏めのために情報を交換して、商売の中継ぎをさせるくらいにしているようです。

ハード商会に話が行くと彦さんは「あそこは気をつけて付き合うほうがようござんすよ」

やはり今の支配人のヴァンリードさんについては一歩引いて踏み込んでの商売には気をつけるようにやんわりと釘を刺します。

「コタさん、ハムのいいのが入ったが喰いなさるかね、上海からきたばかりだよ」

「そりゃいいや、今朝ライ麦パンというぼそぼそのがためしに造っていたからオープンサンドにしょうぜ」

「私にもご馳走してくれませんか、久しくハムやらサンドイッチにはお目にかかっておりません、亜米利加で・・・」

「おっと其処まで、コタさん話が長くなるからそのパンを夕方持ってきてここでパーテーィでも開こうぜ、ゴーマーさんたちも呼んでビールで乾杯といこうぜ」

オープンサンドはデンマーク語ではスモーブロー(バターつきのパン)と呼ばれる伝統ある日常食です。

薄くスライスしたパンに食材をたっぷり盛りつけ、ナイフとフォークでいただきます。

家庭ではチーズ、ハム、燻製、マリネ、ペーストなどをテーブルに並べ、好きなものをパンにのせて食べます、もちろんバターも。

鰻の燻製、ニシンやサバのマリネもあれば、大きな塊から切るチーズがあることもありパンはライ麦パンが普通です。

「シェリルとマリーに必要なものを届けさせるから部屋を頼みます、どうするかはシェリルがよく知っているはずです」

「もしかしてチーズも持ってきなさいますか」

「オオ其れもはさむそうだよ、必要な野菜は今度、ウィリアムという若いやつに畑地を貸してあるから誰かやって野菜も持ってこさせよう、面白いやつだから本人も来させることにしよう」

「どこら辺で野菜を作らせてるんだい」

「稲荷坂というところの南斜面の日当たりのよい畑地を1000坪ほど買い受けて、近くの家に住まわせてるよ、種は色々な物を輸入して与えたから来年には売れるほどにはとりいれができるそうだ」

「コタさんは何でも食うが俺はチーズにバターはだめだぜ」

「いれずに何か作らせればいいさ、からしを利かせて胡瓜とハムをはさんだだけでも美味いぜ」

「よだれがたれそうですよ、今日はいい日だ」彦さんは大喜びで自宅に戻って行き、寅吉たちもそれぞれの行き先に向かいました。

ピカルディでシェリルの薦めるものを書き出してから使いをあちこちに出して、新しく届いたパン用のナイフなどもひとまとめにしてからパンの代金を払って籠に入れて兵吉に届けさせました。

パンは店のものでも試食用以外は買い取りと寅吉とパルメスさんで決めたので、寅吉自身が破るわけにはいかないのでした。

売れ残りは数を数えてから試食用に廻しそれから破棄と決めて有ります、先日その分を持ち出そうとしたものは給金の一月分の半分没収か解雇するということを申し渡されたばかりです。

結局今のところは誰もそのようなことをしてまで持ち出そうとはしていません。

夕方には人が大勢集まり珠街閣では20人ほどで簡単な立食パーティとなりました。

「このように世界中の酒があると酔いも激しいものでござる」ゴーマーさんが連れてきたフランス士官はがぶがぶと飲んで倒れこむ始末でございました。

「何だフランス海軍はこんなもので降参か」

「いやマダマダ飲むぞ」

口だけは聞いて居りますが椅子に倒れこんで起きては来れない様子でしたので、荷車に載せて店から人をつけて送らせて行きました。

「ちゃんぽんに飲んじゃいけねえよ」と念を押していた卯三郎さんさえサンドイッチ用に耳を落としたものは気に入って、食べるは食べるはもの凄い食欲でした。

そしてビールにワインという風に飲み続け悪酔いしたか裏で戻してきてはまた飲むのでした。

「コタさんこのナイフ見たこと無いね」

朱さんがいうナイフは、先日寅吉が注文して作らせたのこぎり様の刃がついたパン用のナイフです。

「気に入ったなら今日のお礼に置いてゆくよ、今晩の勘定は素面のときに請求してくれよ」

「気にしない気にしない、今日は私のお礼ねおごり、おごりね」

「なに、おごりだぁ、よーしもっと飲むぞ」

卯三郎さんが底なしとは気が附きませんでした。

マリーの旦那のワットマンさんが来たので8時を過ぎたと知り、今日は散会となりました。

寅吉はワットマンさんたちと連れ立ち五人で前田橋に向かい、元町に帰る事にしました。

ミセス・ピアソンが店を開いた角を曲がればすぐに前田橋。

「Watsonさんやワットマンさん達は結婚してるのになぜ性は別だよ」

「私たち神父に結婚の誓約をしてもらってないですから、まだ完全な夫婦とはいえないです、家を借りれたらそのうちに独立しますからそうしたら結婚します」

「なぁあそこで働くよりも大工の仕事が出来るなら人を使って請け負ってみないか」

「しかしクックさんと今年一杯は契約していますから無理です」

「急ぐことわないさ契約が切れたら、俺が丸高屋に紹介するから、独立すればいいさ」

「人を使うのが下手なので其れは同でしょうか」

「では給与を契約して名目だけボスということにすればいいさ」

「そんなこと出来ますか」

「マリーとよく相談して考えなよ、急ぐことは無いぜ」

「ありがとう、よく考えて返事をします」

誠実な人間らしくきちんと仕事をこなすし、異人さんたち特有の人を見下げるということも無いワットマンさんにWatsonさんです。

前田橋まで二人が来て、其処で別れて川沿いを帰る二人は幸せそうでした。

   
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