酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第七部-1 野毛 4

暗殺・亀山・製鉄所・密航U・弁天通り・写真機

 根岸和津矢(阿井一矢)


        

・ 暗殺

 

慶応と年号が変わったという事が横浜に伝わったこの日、マカオから来た船が衝撃の話を居留地に知らせました。

4月9日にリー将軍がアポマトックスという場所で降伏して南軍の主力がジョンストン将軍の軍だけとなったという話を3日ほど前にプリュインさんから聞かされたばかりだったが、4月14日にEW・ブースという刺客によりリンカーン大統領が狙撃されて翌日死亡したというのでした。

 

いかに寅吉がその話しを覚えているとはいえ今この時期だったとは記憶に残っては居ませんでした、奴隷解放のリンカーンが暗殺という歴史と南北戦争終結前という歴史のこまかいところまでは13才(満12才)の虎太郎には無理な話でした。

横浜に来ていた大鳥様たちが寅吉に情報を集めるように要請しそのあとの亜米利加の動きなどについて質問されました。

しかしどのように答えても「将軍家に匹敵する大統領が暗殺されるとはこの先戦争が収まるとは思えぬ」の一点張りで御座いました。

 

千代に新三をつけて先生にすぐにそのことをお知らせいたしました。

アトランタを徹底的に破壊したシャーマン将軍は本当に英雄なのか殺戮者なのか寅吉にはよくわかりませんが、戦争のない世の中を望む寅吉は英雄と言う言葉が嫌いです。

ナポレオンにしてもカエサルにしろ戦争なくしては英雄と呼ばれぬ人たちです、海舟先生とも話したことですが、先生の英雄といわれるよりののしられても平和的解決の道を望むことこそ新の英雄と呼ばれるべきという言葉に感動したものです。

 

日本国内でも第二次長州征伐と騒ぐ人たちが増え、その長州も攘夷の力のないことに気がつきながらも、藩の屈辱的な幕府への態度に高杉さんを主体とした人たちが倒幕の兵を起こそうとしていました、井上さん伊藤さん達もその意見のようで天皇が長州の意見を入れないのは会津、桑名、後見職イヤこのときは禁裏守衛総督というお役目でしたか、その慶喜公が、将軍とともに天皇を動かしているとの考えで自分たちの正当性を鼓舞していました。

昨年江戸に帰られた先生はこの際とばかりに和漢の古書を読み漁っていますし、坂本さんは薩摩の胡蝶丸で鹿児島へ向かったようで御座います。

先生を江戸に閉じ込め、坂本さん達を野に放てば騒乱が起こるのは目に見えて居ります、寅吉の覚えている薩長同盟と倒幕はすぐそばに来ているようで御座います。

前に長崎でトマスが話していた武器の需要が亜米利加で収まったあと何処にその余剰品が来るかといえばシナか日本だろうと彼も読んでいました。

寅吉のところに入る情報は多岐に渡っていますが、薩摩も今回の長州征伐には反対するようで御座います、すれば幕府のよりどころは西国には土佐で御座いましょうが坂本さんを野に放ってしまった今、幕府との間を取り持つ人が居なくなりました。

春嶽様もこの征長には断固反対らしく建白書を藩主のお名前で出されたそうです。

 

大久保様は隠居して一翁と名乗られているそうで御座います、この時期有為の人々が幕府の要職から追い出されてしまうことになり、だれが警鐘を鳴らすのでしょうか、ご自分たちの保身と権威の幻の楼閣を見ていられるのでしょうか。

小栗様を初めフランスに影響されている方々は、亜米利加のあと仏蘭西対英吉利の利権争いに巻き込まれてしまうことの恐ろしさに気がつかぬようで御座いました。

わが日本は小さな国では御座いますがシナと違い激しやすい性格のものが多く争いの種に困ることはありませんでした。

午後の陽だまりで寅吉は海を見ていました、紀重郎さんも来て椅子を並べてフランス波止場の先を見ています、ボートを停泊させ海で泳ぐ人の便を図ることになりましたので軍人が調練をかねて泳いでいます、おおかたは寅吉の知っている平泳ぎのようなものや抜き手に近いものでした。

「あいつらこんなに水が冷たいのによく泳ぐ気になるよな」

タバコをふかしながら紀重郎さんが言うこの日は5月1日でグレゴリオ暦では5月25日まだ水は冷たく泳がされている人も長くは水の中に居られないようでした。

 

「紀重郎さんの泳ぐのは見たことは有りませんがね、旦那は大分遠くまで泳げますぜ」

「俺だって大川を泳ぎきるくらいはなんでもないぜ、ましてここは波があってもながれは少ないから青木町くらいまでなら泳げそうだ」

キセルを指先で器用にくるくると廻しながら自慢話を始めました。

「辰さんはかなづちだから浮くのも難しいらしいな」

「何ででやしょうね子供の頃は泳げたんでやすがね、昨年旦那たちと川にはいったら体が沈んで苦労しましたぜ」

「ホンとかよ俺も此処何年か泳いでないから、浮ねえかも知れねえのかな」

「此処は塩水だから辰さんでも紀重郎さんでも大川よりは楽に泳げるさ」

「ホンとですかでは今度試してみやしょう」

「俺も梅雨が明ける頃には水も温かだろうから泳いで見るか」

「そうしろよ、海は気持ちいいぜ、少しあいつらの泳ぎでも見て泳ぎ方を覚えてみるか」

三人で波止場から暫く見ていましたがTJが来て紀重郎さんは仕事に出かけました。

 

翌日本町三丁目に商人集会所が設立されて、町の有力者たちが会合を開くそうです、蚕種紙の正式輸出の話しをするそうですが、10人ほどの者に売渡の特権を付与されるように聞いて居ります。

そしてその日、製鉄所を作るための埋め立てが始まりました、丸高屋さんでも20人の人足を集めてきて仕事の一部を請け負いました。

稼動はしていましたが、屠牛場の規則が定められ山手北方村字小渓山下に正式に発足いたしましたのは10日のことでした。

 

その頃寅吉は永吉と千代に辰さんと新三を連れて長崎行きの船の中でした。

「今回は前のような賭けをしているわけではないのに自棄に飛ばしていますぜ」

「そうだな、何か儲け仕事でも有るんじゃねえか」

新三は船旅は初めてですが船酔いもせず元気に船の中を見学していますが、永吉は「今回はどうも具合がよくありません」と船室で横になったままです。

横浜を出て4日目に大阪に着くと一日停泊するというので町に出てみました。

幸助が来ているので連絡所に向かうことにしました。

「旦那どう致しました、永吉さん具合が悪そうじゃないのかよ」

「長崎に行く途中で船が明日の昼まで動かないので一休みさ」

「俺はどうしたことか船酔いしちまって2日ほどリンゴ以外何も食っていねえんだ、何か柔らかいものでも食わしてくれ」

幸助のなじみの店でかゆを炊いてもらい、白身の魚をほぐしいれたものはなかなか美味い物で永吉は大喜びでした。

「美味くともいっぺんに食うなよ、胃のほうが今度はいかれてしまうぜ」

惜しいなぁといいながら一杯でやめておくことにしたようです。

寅吉には上方風の鰻のまぶしを出してくれ其れのお茶漬けも美味く、寅吉は感心して居りました。

その日の夜は連絡所で働く者たちと新町遊郭に向かいました。

辰さんと幸助が掛け合いで娘道成寺の一節を歌いながら浮かれています。

どうにか人心地の付いた永吉も元気が出てきたようです。

 

煩悩菩提の撞木町より、浪波四筋に通の木辻の、禿たちから、室の早咲き、

それがほんの色じゃ、

ひい、ふう、みい、よう、夜露雪の日、しもの関路も共に此身は、なじみ重ねて中は圓山只丸かれと思ひ初めたが縁じゃえ。

 

やはり新町の四筋の道と長崎の丸山を連想してのことのようです。

連絡所のものは三人で幸助が見込んだだけ有ってしっかりした若者たちです。

「旦那様お江戸では上方はうどんとお思いの方が多いようですが、此方の砂場の2軒の蕎麦屋はなかなかのもので御座いますよ、明日の船にのる前に一度手繰って見て呉れませんか」

「そうかい朝一で食べられるか聞いてみてくれよ」

新三が早速聞くと、

「朝も六つ半に店を開くそうです、船には間に合いますぜ」

「では明日の朝は此処でそばにしようぜ」

話もまとまりその日は扇屋という店に揚がり、顔合わせも済んで遊びにも堪能致しました。

 

 

・ 亀山

 

長崎には陸奥さんが居ました、海軍塾が閉鎖になり仲間と薩摩に行ったものや、坂本さんと活動している人たちと離れて、此処長崎で坂本さんの指示によりグラバー商会と接触していました。

 

伝次郎とも話し合いかねてから坂本さんとも話していた貿易会社を開くための資金に1000ポンドの手形を持参してきた旨をつたへました。

トマスに預けてあることを陸奥さんにも話して、会社の設立に伴う貿易品の保証金に使うように致しました。

坂本さんは下関に居るようですが各藩の有力者を訪ねて飛び回っているため、いどころはさだかではありません。

土佐藩では開成館という名の商社をすでに大阪に置いて藩の物産の売りさばきを実行していましたが此処長崎にも進出を考えているそうで何人か視察に見えたそうです。

坂本さんには会えぬまま今回の長崎での商談に精を出す寅吉でした。

 

万才町の小曽根様を尋ねて援助を御願いしたり、お慶様とも遊び歩いたりとなかなか忙しい毎日でした。

「コタさんよ、亜米利加の戦が終わってもう本国から武器を買えと催促が来たぜ、しかし余剰品は時代遅れのものだろうな」

「ソウカもう来たのかしかし古物はあつかわねえほうが無難だぜ、売りつけられたほうも迷惑だが長く付き合うなら新式のものを扱うことだぜ」

「コタさんは平和主義者で武器は嫌いじゃなかったのかよ」

「アア俺は武器はあつかわねえよ、有れば戦が起きることになるだろうからな、しかしな、誰かが欲しがれば誰かが売りつけるという需要と供給の連鎖は切ることなぞ出来ねえよ」

「そういうものかよ、長崎奉行に頼まれたり、幕府に反対する長州に頼まれたりするので俺が戦を起こそうとしているように見えて気が重いんだ」

「仕方ねえよ、俺やトマスが扱わなくとも誰かが出てきた売りつけるのはどうにも出来ねえだろう、それならトマスが良いものを選んで売って呉れたほうがましなのさ」

「そうか、それで気も落ち着いたぜ、ところで線路を見たかい」

「アア見たぜ、見本にしては長く引いたじゃねえか」

「本当は丸く円を描くように引きたかったが、steam locomの買い手はないようだからそれほど金がかけられねんだよ、俺の趣味みたいなものさ、600yardがいいとこさ、いよいよ明日は走らせるので線路に載せるので大騒ぎになるだろうから其れはぜひ見てくれよ」

「線路に載せてすぐ走らせられるのかよ」

「アア台車だけでテストに人足に引かせて幅は確認ずみさ、明日は本番だぜ」

どうにも気の早い男で明日の走行が待ち遠しいのか仕事どころではない様子でした、色々と画や写真を見せては説明し興奮して居ります。

寅吉にとっては生まれ育った町で普段見慣れていた蒸気機関車ですのでそれほどのこともありませんが写真で見るのが古い型の面白い物に興味がわくのでした。

 

翌日は暗いうちからアイアンデュークを見に大勢の人々が参集して居りました。

アイアンデュークとはイギリス人たちがフランス系の商社に対抗してつけた名前に違いないと寅吉は思って居ります。

大騒ぎのうちに線路に載せられて機関車は英吉利人の機関士が三人で整備しており、釜をたく機関車からは黒い煙が立ち昇り石炭の匂いが周りを包みました。

一刻ほどで走る準備も整い汽笛が鳴らされ、ゴトンゴトンと線路の上を走り出しました、最初は歩く人と変わらぬ速度でしたが、あっという間に終点に近づき速度を落として停まり、今度は慎重にバックしてきました。

その間には客車が二両線路に載せられていて戻ってきた機関車に連結されました。

「陸蒸気だ」という声が聞こえ「そうかここらで陸蒸気という名が付いたか」ということに気がつく寅吉でした。

今度は先ほどよりスピードを出して終点まで一気に走りまたバックしてきました。

そしていよいよ人を乗せて走ることになり、寅吉たちとトマスは後ろに前の車両には町の人から選ばれた何人かが乗り一往復しました。

今日乗りたい人は此処で記帳してくださいと商会の人間が受付の台を出すと、見物人が我先にと記帳しに並びました。

「明日から10日の間一日5回走らせますから乗りたい方はグラバー商会で申し込んでください」そう宣伝にも余念のないトマスでした。

 

夜に陸奥さんが高松太郎さん早川次郎さんの二人を同道してホテルまで食事に来ました、ベルビューホテルでの食事は賑やかに進み坂本さんの到着までに会社の場所の確保などに動く予定であるということなどを話されました。

「伝次郎には申し付けてありますから、家賃などの必要な資金はお貸しできますから遠慮なく申し付けてください」

そういって例の財布を出して陸奥さんに渡して「会社から給与が出るまでのつなぎにお使いください」と申し上げました。

トマスがホテルに来たので話は貿易に及び今なにが売れるのか、今何を輸入すれば儲かるのかなども話し合いました。

土佐の方々に加えて各地から坂本さんを慕う人たちが次々と集まってきました。

「コタさんよこの人たちを旅館に泊めておいては経費の無駄だがどこか20人ほど入れる家に心当たりがないかい」

「そんな大きな家がすぐ空いてるとは思えませんが5人ずつ位に別けてなら伝次郎に探させますぜ」

「そうしてくださらんか、そう経費ばかり掛かっては薩摩にばかりたかるわけにもいかんのさ」

「任せてくださいませ、2日程で連絡をつけます」

約束どおり伝次郎と啓サァが探してきた家は小曽根様の紹介で亀山の酒屋の持ち家とその付近の空き家でした。

 

陸奥さんと近藤さんに見せたところ「じゅうぶんじゅうぶん」というので人手を集めて家を洗い出して奇麗にしてから生活に必要なものを集めました。

家賃などは2軒で月3分でよいと格安で御座います。

あとはこられた方の人数により貸家を探すということにしてまずは2軒の家を年寄りで家の掃除などをしてくれる夫婦者を啓サァが探し出してきました。

五郎兵衛とおつねという夫婦は長崎生まれで息子夫婦に家を譲って6畳一間に土間という物置小屋を改造したところですが、「じゅうぶんで御座います」といってくれました。

もう一人料理人を探していますが長崎についた中島さんが「心当たりがある」というのでお任せしました。

中島さんと来られた佐柳高次と名乗られた方は何度もお会いしていますが、讃岐は塩飽の出身にて咸臨丸で先生と亜米利加に渡ったお仲間で御座います、確かもとの名は前田常三郎といわれたように記憶して居りましたのでそう聞くと、

「よく覚えていてくださいました、今の名は兵庫から退去した時に坂本様がつけてくださいました」ということでした。

陸奥さん中島さんとは事に気が合うようで御座いました。

 

前に乗った船の船頭で政太郎というものの話をして「今は船を降りて暫く私のところに居ますから、船の運航をするときは伝次郎に話してお使いください」と御願いしておきました。

「同じ塩飽から出た船頭なら願ったりですよ、早速話だけでもしたいものです」

店まで案内して引き合わせて話しをすると、父親同士が従兄弟だという事が判明致しました。

「早く船に乗りたいものですが、蒸気船の方に口がないか探しています」

「そうかい、ぜひ口をかけるからわたしたちの力になってくださいよ」

二人の息もぴったりと合うようで、坂本さんが長崎に到着すれば早速にもトマスの手引きで会社組織にして貿易品の売買に乗り出すでしょうから早速にも仕事はあるでしょう。

 

・ 製鉄所

 

坂本さんは亀山社中と名づけたカンパニーを設立したあとも下関に向かい薩長の中を取り持つ相談を取りまとめる努力を続けているようです。

薩摩は西郷さんを大番頭として外交の全権を任せることになったようでございました。

「今度来たパークスという公使は辣腕だという話じゃねえかよ」

「少し強く出る癖がありますが、話せばわかるという評判ですよ」

アーネストはそういう風にいいますが恫喝外交と噂が残る気難しい人と言われています。

上海では叩き上げらしく盛んにシナ人に対して恫喝で外交を行い本国からも要注意人物と見做されていたと言われます。

ジィから聞いた話も「よいところも悪いところも有るが、付き合い方しだいの男だよ」ということでした、英吉利のやり方が恫喝外交といわれだしたのは英吉利と仲が悪くなってからというのは本当かもしれません。

 

この時期には将軍家は京で長州の問題で困難な毎日をすごされている事と思われます。

老中の阿部正外侯、本庄宗秀侯が独断で兵を率いて上京したのはこの年の2月でそのときは容保侯と朝廷から詰問されて兵を引いた事がありますが、一橋・会津・桑名は朝廷寄りと考える幕閣と、将軍家の周りの方達の軋轢は進むばかりでした。

長崎で仕入れた品物は幸助が大阪で永吉が名古屋で売り出して好評のようで、伝次郎があとの仕入れに飛び回って居ります。

ここ横浜では、亜米利加の戦争終結で武器商人が売り込みに来るらしいとの噂が飛び交って居ります、プリュインさんはパークス公使に警戒を強めて居りますが幕府に必要以上には肩入れをしない方針のようで御座いました。

仏蘭西の協力で横須賀製鉄所も作られる予定と聞いて居ります。

これは造船所になるそうで、小栗様たちの周旋で仏蘭西からの技師も呼んでいよいよ日本国での鋼鉄製の軍艦の製作が可能となることになりました。

しかも仏蘭西は慶応三年の春に予定されているParis万国博を機会に幕府への急接近を図る方針になったようでございました。

 

卯三郎さんは幕府に働きかけ各地の物産ほか、今から万国博覧会に向けての準備に掛かるようで盛んに江戸と横浜の間を行き来しています。

しかしいまだ仏蘭西から正式には参加要請がないという話で「何処で話が停まっているのかわからん」と卯三郎さんは困惑気味で御座いました。

小栗様から卯三郎さんが聞いた話では、造船、造機、修船の3部門に分かれた製鉄所は9月には着工されそうだという話です。

 

パークス公使から寅吉に呼び出しが掛かったのは22日金曜日の早朝で御座いました。

早速話し合いの場所に指定されたイギリス軍の病院にいくと「オールコック卿から引き継いだ話と下関で有ったイノウエ、イトーの二人からの話やサトーの話から想像していたより、若いな」

「ハァ22才になりました」

「そんな若さでよく各地の人間から信頼されているということは、やはり千里眼ということは本当なのか」

「まさかそんなことはありませんが、人より早く情報を集めることと、分析する事が得意で御座います」

「イトーたちから聞いたが、この国の行く末に関心があるのだ、幕府は信頼できるか」

「其れは難しいご質問ですが、今の体制のままでは無理で御座いましょう、何人かの方が申しておられるように幕府ではなく、諸侯から老中に匹敵する政治閣僚を選べる体制にしなければ今の情勢を打破できないでしょう」

「そうか矢張り君には先見の明があるようだ、わが国の予測も今の幕府ではこの国が混乱の渦の巻き込まれることは必定と見解が出ている。それでその打開策はあるのか、イトー達は幕府を倒して天皇の親政を考えている」

「イエス、それもひとつのあり方だと思います、今の幕府から遠ざけられている人たちの中でも、幕府が政治の権をお返しして諸侯の一員として政府を構成すべきと唱える方が居られます」

「其れはだれと誰か」

「松平春嶽侯、大久保一翁様がその一番の推進者でございますが、一橋慶喜侯は賛成はしていません、今は天皇が一橋侯をご信頼していますから時期が難しくなっております」

「そうかでは薩摩、長州の2国で幕府に対抗できるのか」

「其れは無理で御座いましょうが、2国の連合が成立すれば攻め切る力は今の幕府にはなく戦いが長引くでしょうから、開戦しても早めに停戦交渉をするようになると思います」

「では戦うのは幕府にとって有益ではないというのか」

「そうです、一橋様はご自分の意思というよりも天皇の意見という形をとって戦いを始めると考えられます」

「将軍はどうなのか」

「将軍家はご自分の意見よりも天皇と一橋様の意見に引きずられることになりましょう、ご老中の中にも開戦に反対の方が居られれば少しは違うでしょうが今はその意見の方は遠ざけられているのが現状で御座います」

「君は戦争に反対と聞いたがそうなのか」

「有意義な戦いというのは歴史を見てもありえない話で御座います、武器による自国の防衛という目的でも行き過ぎればその武器を使いたくなる軍人の台頭を抑えることは難しいと考えて居ります、しかし侵略には断固闘わなければなりません」

「そうか戦いを好まぬ者も、武器を取れば戦士なりうるということか、武力の後押しでの外交といわれるわが国の外交だが、本国では内乱になるより貿易での利益を望んで居る、武器商人たちが儲かるだけの内戦はアメリカの例を見てもわが国の利益とはならなかったようだ、一部の大きな商人が操る武器の売買と投機の儲けを狙うやからがのさばるだけだった」

 

ジィが話していたようにパークスは恫喝外交だけではなかったようです。

外にも細かいことまで質問されて2時間ほどの話し合いの後にアーネストとともにピカルディに来てお茶にしました。

「コタさんどうだったようちの公使は」

「話せばわかるという人だという感じだね、だが仏蘭西に対抗して朝廷の味方をするのに、薩摩などの西国の大名の応援に回りそうな気がするよ」

「そうかい、ジャーディン・マセソン商会も両方に武器が売れないか公使に接触してきたぜ、気をつけて商売をしてくれよ」

「任せろよ、俺はどちらに転んでも大きな内戦にならないように働くつもりさ、町のものが困らぬようにしてくれるものの味方なのさ」

「そうだ侍も偉いやつだけの犠牲ならよいが、いつの世の中でも犠牲になるのは俺達みたいの下っ端さ」

「オイオイ、アーネスト・サトウといえば通訳だけでなく英吉利を代表する切れ者と評判だぜ」

「まさか、俺なぞただの下っ端さ、だが戦争は最小にしても犠牲が出るのは押さえられないかよ」

「そうだな、亜米利加みたいにはならないように、うちの先生も考えているだろうから、いざとなればお呼び出しが掛かるさ、諸外国の公使や領事にも顔が利くから困れば先生を呼び出すほか手はねえよ」

「勝さんは人気がありすぎるのさ、何処の国にも顔が聞くし、薩摩どころか日本国中に勝さんの意見を尊重する人が居るものな、幕府のお偉方には目障りなんだろうな」

矢張りアーネストは目端が利き日本の国内のこともよく調べて居りました。

 

・ 密航U

 

卯三郎さんと浅草寺近くの駒形で泥鰌を食べることになりました、暑さが残るこの日、二人で汗を流しながらフゥフゥ言いながら熱い鍋を囲んで酒を飲みながら飯も掻き込むと言う荒業で御座いました。

 

「やっとロッシュ公使がご老中にパリ万国博に幕府の参加を要請したぜ」

「それで金はどうなります」

「小栗様が二万両貸し出してくれるそうだ」

「そりゃ豪儀だ、しかし返すあては有りますかい」

「むこうから其れに見合うだけのものを輸入して売るしかねえさ、あとはもって行くものを選んであちらで売りさばくさ」

「出発までほぼ壱年ですか、卯三郎さんのほうで何人か人を連れて行くのですか」

「芸者に芸人たちが行ってくれればいいんだが、胡蝶太夫は断られてしまったよ、だが何とかするさ」

「芸者はなにをさせるのですか、唄はあちらのものにはわからんでしょう、踊りの衣装に派手なやつでも着せればそのほうが引き立ちますぜ」

「よしそのIdeaもらったぜ、後はよく考えてみるさ」

「実は内緒ごとなのですが、五代さんと松木さんですがね」

「おおそうだ近頃連絡もねえがどうしている」

「実は今頃は英吉利でサァ」

「エエッ」

「シィー声が高いでやすよ」

小声になった卯三郎さんが、「鮒は安いか」と笑わせてくれますので二人で大きな声で笑った後「三月二十二日にグラバーの船で串木野郷羽島浦という処から船出したそうですぜ、しかも新納様を筆頭に19人ほども出かけたということです、トマスから直に聞いたので間違いはないですぜ、上海から先はまだどうなったか知れませんが無事着いていれば遅くも今頃はロンドンですよ」

「それならパリで出会えるかも知れねえということか」

「そうなるかもしれませんね、横浜で松木さんをお渡しした時の、若い方々も一緒らしいですぜ」

「あの時のは、確か鮫島といったっけ」

「左様です、鮫島尚信さんあとは市来勘十郎さんと東郷愛之進さんといいました」

「薩摩も思い切ったことをするなぁ、19人といえば半端な金じゃないぜ、オイもしかすると薩長同盟がもう決まったのかよ、まだ長州のは3人残ってるだろう」

「まだ同盟までは行かないようですぜ、なかなか薩摩のほうも長州の事を信じ切れない様子ですしね」

「しかし幕府のお偉方はそんなこともしらねえのかな、小栗様など戦になれば勝ち目など無いといつも言ってるぜ」

 

小栗様が主戦論の張本人だと思っていた寅吉は卯三郎さんから小栗様の心のうちを少しずつ聞かされて、何処で気持ちが変わったのか変換点は何か考えてみることにしました。

「ところでsteam locomが横浜に来るという話を聞いたが本当か」

「さすが早耳ですね、トマスがだいぶ儲けさせてくれたお礼に幕府に献上するために横浜で展示することにしました。マァ宝の持ち腐れで始末に困るだけでしょう、なんといっても線路を引かないと動かすことも出来ない代物ですから」

「お前さんは、steam locomは必要ないという口かい」

「いやそうではないですが、今はまだ時期が早いのと、時期が悪いのが重なっているからですよ」

「そうかでは見るだけで動かすまでは無理か」

「そうなりますぜ、それにその金を造るあてなど今の幕府にはありませんや」

「そういやそうだな」

「話は変わりますが、例の材木やですが丸高屋さんの話ですと後三月もあれば出てこれるそうですぜ、出てきたらあってみてくださいよ」

「お前さんはあわねえのか、お前さんが一番面倒見たんだろう」

「娘婿がしっかりしていますし、仕事に困る人ではありませんから、別に今すぐ会うこともありやせんよ」

出てくれば横浜に来ることは知れていますから、何もあせらなくとも自然と会うことになると寅吉は読んで居りました。

 

神田への道すがら福井町にも顔を出して、横浜の話で皆を笑わせて時間をつぶして夕方薄暗くなる前に出て、藤見そばに寄ってそばを手繰って大阪で食べた太目のそばの話をして「ここもだいぶはやっているようだから横浜に支店でも出すかよ」

「旦那にその気がおありなら此処は松吉に任せて私が行ってもようがす」

そう銀治が言うので「なら一度店を休んで皆で横浜見物に5日ほど出て来いよ、細かいことはブンソウか岩蔵に相談して来月の末にでも出てきなよ」

店の女衆など大喜びでもう横浜に何を着ていくかなど話し合っていますし小遣いはだいぶ用意しないと物が高いのかとか心配までしだしました。

「心配スンナよ、くる時には、7人全部旅支度にあご足とも虎屋が負担するし小遣いも店の余剰金から出すようにしてやるよ」

「旦那本当ですか、そりゃいいですね、お土産代だけ持っていけばいいなんて嬉しくて踊りだしたい気分ですよ」

「そうだな、義士焼きの店のものもこの次は来れるように話をするか、この店のものだけでは片手落ちだものな、順繰りに横浜見物に出られるようにしょうな」

寅吉は佐久間町に顔を出してブンソウにもそう便へ、吉松さんと相談して岩蔵が来たら時期や予算の相談をするようにしました。

暮れ六つの鐘がとっくになった頃神田に顔を出してねぐらに潜り込みましたがまだ眠くならず仕方なく明かりを増やして本を読んでいるうちにいつの間にか寝てしまいました。

 

翌日勝先生の下にお尋ねいたしました、かねてお探しの本を持って永吉が神田に来たので同道いたしました。

本の話は後回しで、

「ド・ロートルというのが横浜製鉄所の責任者に決まったそうじゃねえか」

「まだその話は聞いておりませんでした」

「ナンダ、家に居る俺のほうが早い話か、ヴェルニーという若いのが横須賀のほうの責任者だろ」

「はい左様で御座います、そちらは承知して居りましたが、横浜のほうは知りませんでした」

「金が大変だよ、毎年60万ドル払うんだろう、小栗さんも思い切ったことをやるもんだ、生糸を担保にする話は立ち消えてしまったし、関税で支払うにしても長州征伐なんぞあほなことに金がかかるのでこれからはいよいよ行き詰まるばかりさ」

「坂本さんが大活躍だそうで」

「あれだって手綱を放せば勢いがつきすぎて何処まで突っ走るか知れねえしな」

「会社はもう武器や船を商うので買い手には困らぬそうで御座いますよ」

「ほれ○○が買ってくれるから、だがそれでは困るのは此方さ」

「ほんとに困ったことで御座います」

永吉には話せないことも聞かせられないこともありますのでこんな会話が続きましたが先生も寅吉も其れは承知のことでございました、それでも永吉は坂本さんが討幕派に組したことはよくわかったようで御座いました。

 

・ 弁天通り

 

町が広がりかねて借り受ける予定だった弁天町の一丁目に二区画百二十坪と二丁目の義士焼きの隣二百坪が借り受けられることになった。

前の住人が港崎の近くに越した後を優先的に割り当てていただいたものです、あと弁天通りと南仲通にはさまれた前の商家が二軒空く予定で其処も借り受ける予定で手はずを整えています。

 

豚屋火事がもう直に起きるだろうとの懸念から商品を置くよりも消防用の備品と丸高屋さん横浜物産会社の消火要員の住まいが中心に作られる予定です。

義士焼は一丁目に移し二丁目は横浜物産会社と虎屋になる予定ですし、将来は青木町が手狭になったのでそちらの人間の多くを此方に移す予定を立てています。

女子供は火事の時は仮橋から野毛に逃れることと、火事見物に行かないことをお怜さんも徹底的に仕込み、たとえ小火であろうと火の始末をして逃げないで火事を見物に行ったものには厳罰で臨み、減給か仕事を辞めるかとまで厳しく言い渡して居ります。

お怜さんの威令は寅吉よりも強く、働くものには逆らってまでというものなどいませんのですが矢張り寅吉にしてみれば心配なのでした。

「旦那本当に此処二年以内に大火事になりますか」

「アア例の材木やが牢から出てきた後なのは間違いないから、今年の冬と来年の冬は要注意だ、時期がずれることもあるだろうから今から来年一杯は気をつけてくれよ」

「わかりました、旦那が言うのだから間違いはないでしょうがこの間紀重郎さんと聞かされた豚屋が原因というのは間違いないでしょうかね」

「それなんだがこうも肉料理を商う店が増えるとどの店がということもわからねえしなぁ、火に気をつけてくれといって回るくらいしか手はないんだ」

「火消しの頭達にはどの辺りまで話してあるんです」

「料理屋に火の始末に気をつけて欲しいとくらいまでしか言ってねえよ、それ以上は俺だって強く出られるものじゃねえしな、それに火事は此処だけじゃなくてあちこちで起きるから、そっちはほっておくというわけに行きゃしねえ」

 

岩蔵に春も弁天町に来ていて新しい土地の使い道を相談しています。

「春よ、此処に洗濯屋に必要な商品の倉庫を建てる予定だが、お前の必要な規模を太四郎と相談して置けよ、とりあえず仮小屋程度で我慢してくれ」

「はい承知いたしました、家が空き次第地割など相談しておきます」

岩蔵が相談事があるというので、義士焼きの奥に皆で集まりました。

「旦那さま最近私たちのところまで、武器を扱いませんかと尋ねてくるお大名が居りますがどなたを紹介いたしますか」

「前に渡した銃の名前と性能についての書付を渡して旧式はおやめなさい、くらいでいいじゃねえのか、ブルール兄弟商会かファヴルブラントさんに回してしまえよ

「ミニエー銃ならよろしいのですが、安いからとヤーゲル銃かゲーベル銃でいいという人が多いので其れはおよしなさいというのですが、何数さえ揃えばよいというので説明に困ります」

「仕方ねえお侍が居るものだ、今はもうスナイドルやスペンサーの時代だぜ」

「旦那そのスナイドルというのは聞いた事がありません」

「岩蔵ともあろうやつがしらねえか、他のものはしらねえだろうから説明すると、まずスペンサーだがな、まだ出来て五年とたたねえ新式銃で、何発も連続で撃てるんだぜ、一挺でミニエー銃五挺に匹敵するのさ。だから値段が倍でも本当は安い買い物なんだが、故障すると厄介なので実戦では単発のほうがいいみたいだが弾込めは一呼吸の間も、かかりゃしねえよ、プリュインさんのところで撃ってみたが150ヤード先の的に俺でも5発のうち3発当たったぜ、それも団扇にだぜ」

「そんなにすごいのですか、日本にはまだ入らないのですか」

「入っては来ているさ、しかしな、ゲーベルなら7ドルくらいで売れるけどな、ミニエーを24ドルは法外だぜ、スペンサーは横浜に来れば35ドル位になるだろうし、新式銃のスナイドルというのはアメリカやイギリスでも20ドルはださねえと買えないという話だそうだから、来れば最低2倍の40ドルだろう」

「そのスナイドルというのは見たことはおありですか」

「いやまだ写真しか見ていねえよ、去年の新式銃だそうだ何でも800ヤード先まで届くそうだぜこいつを持った軍には太刀打ちできやしねえよ、寝込みを夜討ちでもすればともかくよ」

「旦那の銃器のホンには後どんなのが乗っているんです」

お怜さんも気になるのか身を乗り出して聞いています。

「ガトリングという人が作った連発式の銃があってこいつはすごいぜ、連発で180とか200発の弾丸を続けて撃てるそうだ、しかし3000ドル以上するというんじゃ買えるやつはいやしねえよ」

「想像も出来やしませんよ、何でそんなに数多く撃てるんです」

「何でも銃身と玉がつながって回転しながら撃つそうだが写真ではよくわからなかったよ」

「どちらにしてもそんな物を持てるのは滅多にいやしませんね」

「そういう請ったよ、銃よりもポンプの性能にいいのと遠くからでも水を引けるように工夫が出来ればいいけどな」

 

その後また火事の時の工夫なども話し合い、新しい土地の建物の予算などに義士焼きの店の移転で人を増やす人数なども話し合いました。

「蓮杖さんがこっちに移りたいと言ってたが、場所は大丈夫かい」

五丁目の角から此方の弁天に近いほうへ移りたいと言うのは、吉田橋から来た客を取り込みたいとの思惑もあるようで御座いました。

「はい大通り側なら場所は十分有りますよ」

「それなら蓮杖さんとはお怜さんが話しをして場所を決めてやってくれよ、俺は内田屋でタバコの吟味をしてくるから後は頼むぜ」

千代を連れて内田屋さんでタバコを仕入れおつねさんの分はすぐに野毛からの江戸への便で送ることにしました。

相変わらずタバコはすわなくとも煙管に煙草入れは凝っていて、風呂屋に行けば顔見知りに中身をやってしまう寅吉でした、家に風呂があっても3日に一度は今どのような話題が話されているかなどを知るために風呂屋に行く寅吉でした。

 

・ 写真機

 

とりあえず義士焼きの店の建築から始まり、棟上げは今日済みました。

とらやからの祝儀で、棟上げに来た46人に一人一分のおひねりが渡されました。

義士焼きは当分一丁目と二丁目で競わせることになりました。

山手ではそれらも全て含めての建築契約でしたが、此処では町の慣例にしたがって、集まった鳶10人にも同じお捻りと酒肴料が出て威勢をつけてもらいました。

「何宣伝費だよ、お怜さんの計算だと全部で30両はかからねえという話だ」

「景気がいいんだね、俺の店はそんなに金が賭けられねえよ」

蓮杖さんはそのように言いますが、横浜に来たら写真をとろうという人でごった返していますので、半端な儲けであるはずがありません。

「蓮杖さんの店は此方では仮店程度にして、お客を今の店に案内するだけにすれば、そんなに大きく作らないで表構えだけ広くすればいいじゃねえか」

「本当に角店に造ってかまわねえのかい、コタさんの店が脇に霞んじまうぜ」

「俺のところは此処にまだそれほど金を掛けられねえからさ、弁天通りには徐々に作るからまだいいんだよ、だから二丁目を完全に仕舞うことにしたら奥に広げられるように空き地にしておくから遠慮することはねえよ」

「本町の大通りと弁天通りの角店なんざぁ豪儀なもんだな」

紀重郎さんも交えて賃金の話になりました。

丸高屋さんでは人足の賃金もこの月から値上げされて、通いは銀五匁、住み込みで銀四匁となりました、普通より高いそうですが丸高屋さんでは定雇いには外の仕事も有り様々な手当てもつくので働き手に困ることはないということです。

大工は普通の職人でも銀七匁腕の良いものは十匁から三十匁払うそうです。

ひと月全部働けるわけでもないので大工は手間がよくないと集まらないそうです。

横浜物産会社関係ではもちろんもっと高額の賃金のものは大勢居りますが、銭よりも銀のほうが今は相場に強く働き手も安心できるようです。

 

きのうは銀壱匁で銭135文でした、寅吉と丸高屋さんが横浜に出て来た頃には108文でしたから大分銭が安くなってしまいました。

「コタさんのところは月に10両以上の稼ぎ手が多いそうじゃねえか」

「俺のところはそいつの働き次第で上がるようにしているからな、年四回の査定で上がるやつは居ても下がるのはめったにいねえよ、其れより例の写真機買い入れるかよ」

「今のとそれほど変わりはねえんだろう、ベアトのところではそれと同じやつで写しているそうじゃねえか、新式ならともかく同じようなものならいらねえよ」

「そうか、俺が買うのはレンズがいいやつが付いているから気が向いたら声を掛けてくれよ、ベアトに負けずに風景も撮っておいてくれ」

「いいとも、お前さんの機械を借り出して弟子たちと練習してみるさ」

「なんだ買わずに使うつもりかよ」

「ほかに買うやつもいねえんだろう、ならいいじゃねえか」

「仕方ない先生だな、弟子達に焼き付けだけでなく写す方もやらせてやれよ」

「そいつはもうやらせて俺は写しに来たやつの形を整え足り、背景のほうさ」

「楽して金儲けかいいご身分だぜ」

「コタさんだって同じようなものじゃねえか」

これでは紀重郎さんもたまらず大笑いでございました。

 

結局大通りに面した元の生糸商の高須屋さんの跡地の場所に全楽堂の受付場所を作り様子を見て此方に移り住むことになりました。

「太田町の通りのほうはどうするんだよ」

「そっちはまだ貸し店舗のまま小商いに任せる予定だぜ、大きくなって移り住めるまでになれば俺のほうで何か考えるさ」

「そんなに大きくしてどうするんだよ、何か別の商売でも始めるかよ」

「写真やでも開店してみるか、どうやら儲けも大きいらしいしな」

「オイオイ脅かしなさんなよ、お前さんがやるとなると此方はお飯の食い上げだ、其れより鶏卵紙をもう少し安く出来ないのかよ」

「蓮杖さん、お前さんが作ったり、輸入するより一分は安く買えるのに無理をいいなさんな、撮影に一両などと吹っかけておいて鶏卵紙を安くしろはないぜ」

「だってよう今一分二朱も出してるんだぜ儲けが出るか考えてみてくれよ」

「輸入品は1ドルの小売りだぜ、数が纏まったって二分にはしてくれめえ、其れより安いんだ我慢しろよ、おいらのほうがデント商会のより品物が優秀なのは間違いなかろう」

「チェツしっかりしてるなぁ、まぁ大家には逆らわねえ方が無難か」

「そうしなせえよ、なんといっても本町一丁目の全楽堂と名前がうたえるんだ言うことはあるめえよ」

紀重郎さんにまでそういわれてはさすがの蓮杖さんも「いや弁天通りの全楽堂で売ってるんだ、いまさら本町の名わいらねえよ、値下げは失敗か」と笑って「客からもっと搾り取ってやるか」など奇声を張り上げています。

「コタさんは卵で儲けて黄身では義士焼きを美味くして儲けて、白身で鶏卵紙と無駄がねえや、殻でも何か儲けているんだろ、そういえばこの間話していた写真に色を付けるというのはどうなった」

蓮杖さんが思い出したように唐突に聞いてきました。

「あれわよぅ、浮世絵の手法で写真の上に簡単な色を乗せられたらと思ったが、すり師は無理だと言うんだ、蓮杖さんのように腕のいい絵師が一枚一枚色を乗せていたら安くは出来ねえから無理かも知れねえな」

「そうか、俺のほうでも考えておこう」

「そうしてくれよ、何か好い手があれば儲けに成ることは間違いねえぜ。お前さんの弟子で横山松三郎というのは見所がありそうだ、もっと勉強させて独立させてやらねえのかよ」

「あいつは絵も美味いからコタさんが言っている彩色写真が普及したらその一番手になるだろうよ、其れまではうちで働いてもらわねえと俺が楽出来ねえよ」

「なんだお前さんの楽ができるのはそいつのおかげなのか」

紀重郎さんに突っ込まれてぐうの音も出ない蓮杖さんでした。

「雨が降ると商売にならねえから、色つけの勉強でも皆でするかな」

「そうだ雨では焼き付けが出来ねえんだったな、明かりの強いのでもあればいいがランプでは弱すぎるか」

「おてんとうさまにかなう明かりはねえよ」

「今は無理でも誰かいい手を考え付くさ、写真機だって機材だって進歩してるじゃねえか、亜米利加じゃフラッシュとか言ってマグネシウムを炊いて明るくして写し撮ることを始めたらしいぜ」

「ホンとかい、でも駄目だなゆっくり50くらい数えないといい写真にはならねえからその間同じように明るくさせることなんぞ無理だろうぜ」

「直にいい機材が入るさ、蓮杖先生も何か考えてみなよ」

 寅吉が知っている乾板写真やFilmによる写真はマダマダ遠い先のようで御座いました。

 

   
   

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