酔芙蓉 第二巻 野毛


 

第六部-3 野毛 3

新年・孤児院・門松・ペインター・クリーニング・ピクニック・桜道 

 根岸和津矢(阿井一矢)


        
・ 新年

グレゴリオ暦の新年は穏やかだった、クリスマスはホテルで会食の会を設けて新しいホテルの関係者が集まり、もうじき完成するホテルの名前もイギリスのウィンザー城にちなんでウィンザーハウスと名づけられました。

新しいホテルに置くピアノがオーストリアから着いて披露され今日の会合にあわせて猛練習したハンナが腕を披露しました。

外国人達は感心して拍手が鳴り止みませんが寅吉以外の日本人にはなにやらうるさい音ぐらいにしか聞こえないようでございます。

その日の料理は新しいホテルのコックのLionel (ライオネル) Olsen (オルセン)が調理して腕を試されました。

料理は美味く、不服を言うものは居りませんでした、もっとも竹蔵と紀重郎さんには味が強すぎたようですが寅吉は熱いフランクフルトをマスタードで食べてその美味さに驚くのでした。

居留地ではオランダ正月と昔風にいう年寄りも多くいて、それでも外国人の正月ということで旗や国旗をかざす商店が多く見られました。

ピカルディでも持ち合わせている各国の旗をかざして正月を祝いましたが、義士焼は店を開けてもピカルディは日曜なのでお休みしました。

プリュインさんとオールコックさん達公使は幕府に居留地の拡大を申し入れたそうです、鎖国話など何処吹く風ということでしょうか、フランスなどに配された使節はなすすべもなく追い返されてきたそうです。

帰国後処罰されたそうですが無理な話を押し付けられた方こそ、大迷惑な話でございます。

ジラールの事務所でお茶を飲んでいた寅吉も近頃は片言の仏蘭西語も話せるようになり、ソフィアが良い先生とばかりに本の話しをしています。

グリムやアンナーセンの話も英語の翻訳があるので其れを読みながら仏蘭西語、英吉利語、日本語と混ざった言葉でおしゃべりをします。

隣のホテルも今は外装も終わり、内部の細かいところをウィリーの指導で竹蔵さんが付きっ切りで仕事を見守って居ります。

2月までに開業できるだろうと踏んで、早々とパンフレットを浮世絵で書いてフランスとイギリスにそれぞれ100枚ずつ送っておきました。

亜米利加からはもう直に戦争も終わるでしょうから、其れからはこられる方も増えると思い対策も考えているようです。

長州討伐の軍はどうやら長州内部の政変があり恭順の意向のようで、莫大な戦費の負担から解放される諸藩と幕府はほっとしている様子でした。

長崎奉行の服部長門守常純様が江戸においでになる途中で横浜においでになり、先の神奈川奉行の京極様と岡部駿河守長常様が寅吉をお呼び出しになりました。

ご老中様方よりもご相談があり最新の武器の調達の相談でした、勝先生、太田様のこともあり寅吉に相談を持ちかけたものと思われます。

「小栗殿より穂積屋を紹介されたが武器は扱いませんというので、そちをどうかと思うたが、そなたも武器は扱わんというではないか、今までの御用商人は利ざやが多すぎてこのようなご多難の時代にそのようなことでは幕府自体がなりたたん」

「それで直接取引きをすることにしたが、勝先生のように話が簡単には我らでは参らん、これ以上先生を小さなことにかかわらせていては幕府、いや日本の損じゃぞ、おかしな讒言で閉居などもってのほかじゃ」

幕府の要職にある方までがこのように幕府の方針を不平を漏らすことも異常で御座いました。

「私は扱いませんが直接取引きをするならジャーディン・マセソン商会の代理商人に英吉利の購入価格、運送費、利潤を明確に出させて行うのがよいでしょう、見込み価格で余分の手数料を稼ぐものからは買い入れないことです」

「そのような人物がおるのか」

「横浜でも長崎でもおりますが今は横浜の代理商人は生糸にお茶の利潤のほうが大きいのでアメリカの戦が終わるだろうと予測できる来年夏まではやりたがらないでしょう、その後なら使い古しのものを売り込む可能性は十分あります」

「では長崎か、何人もおるが何処がよい」

「付き合いのあるのはグラバーですが、彼はジャーディン・マセソン商会とそのほか数社と代理店契約を結んでいますから、先ほどの条件で適正な値段で売るように誠実に話せば解ってくれるはずです、船や武器の仲介商人が大きく手数料を稼ぎたがるので出来るだけ御用商人を間に入れないことです、また入れても余分の稼ぎを求めるものは断固拒否できる後ろ盾をお作りになることです」

「やはり後ろ盾があってのリベートの拒否が出来るということか、正当なコミッションは認めても」

rebatecommissionなどやはり長崎奉行神奈川奉行の経験の有るお二人の言葉で御座いました。

「勝先生のようにはなかなかいかんのわな、われらは親類縁者などの絡めてからのしがらみに弱いということよ」

「そうじゃ勝先生は大奥の中にも子供の頃の知り合いもおるし、今でも先生の大叔母のお力は残っているそうだ」

「しかしこの時期に勝先生を軍艦奉行から罷免などと、後見職もご老中もとちくるって居るわい、困ったものじゃ」

そのようなことまで承知でここに寅吉を呼び出したということは、何人かの候補に挙がる貿易商のうち幕府を手玉にとって、儲けをむさぼる連中を篩いにかける作業に寅吉を選んだようです。

「左様で御座いますね、横浜での、知り人も多いのですが武器はどうでしょうか、54番のファブルブラント商会も国に兄弟がいて武器は使うでしょうが彼に頼むとデント商会とハード商会が介入するでしょうが、ヴァンリードは彼とはうまくいっていますので扱うかもしれません」

「そうであるか、では長崎のグラバーに話して適正な価格で納入させよう」

「横浜で武器を扱うのはあと2年もすると値崩れしますが、安物を買うとあとでお国のためには大迷惑となります、必ず最新式な物を現地の値段と運搬費を見積もらせることです、武器の会社の名前にだけとらわれずに年式と性能にお気をつけください」

「やはり、備中守殿の推薦したものだけのことはあるのう、おぬしが受ければ必ず一万両以上の仲介料がはいるものを、欲のない男には勝てんわい」

「長崎の造船施設ですが巧く稼動しないそうで」

「おおそうなのじゃ、働くものが怠慢なのと、機材が揃わんのじゃ」

「私が長崎で聞いた仄聞では、機械に堪能なものは身分が低くて、一々上のものの意見を聞かないと何も出来ないそうです、身分の高いものは取り除かない限り機能しないでしょう」

「其れなのじゃよ、無駄な人員が多すぎてやる気のあるものが働きにくいのじゃ、どうしたものかのう」

「身分にかかわらず仕事着で作業につくことが出来ませんと難しゅう御座いましよう」

「勝先生もそういわれていたよ、今のままでは宝の持ち腐れになってしまう」

「本当は仕事の出来るものだけで運営できれば一番でしょうが、なかなか難しいのはこの国難の時代にも、保身ばかりにとらわれる方が多いせいでございましょう」

「頭の痛いことを言うわい、人事もなぁ同じ役職のままで俸給が上がるように出来ないのが今の制度じゃよ、同じところに長くいれば出世とは無縁だしな」

「あちこち飛ばされるのはいいが、外国人には日本人は責任がないと言われても反論も出来ん、わしなぞ見てみよいい例じゃ、ここに来て半年足らずで長崎其れも長崎に在勤せぬまま転出じゃ、そして騎兵奉行この次はナンだというのじゃ、じっくり腰を落ち着けることも許されんぞ、どこに行っても一年足らずで移動しろじゃ何もできんぞ」

「困ったことで御座るよのう不正を防ぐ意味で複数の奉行をおくのはよいがな、二人に同等の権限を与えるものじゃから片方が承認しても事が先に進まぬうちに交代してまた新しい者が来て最初からやり直しになってしまう」

「改革がすすんでこれからは正と副にしない限り巧く機能しないだろうな、今月ここに着任したがなにやら場違いなところに行かされそうだと今日聞いたばかりじゃ」

「駿河殿本当で御座るか横浜についてまだ3日ほどじゃろうに、このような大事な時期の神奈川奉行をただの踏み台にしてはどうにもならん」

「ウム、本当だとしたらあいさつ回りだけして、はい左様ならでは仕方ないことじゃのう」

お三人はこのような制度を改革しない限り行く末が心配と暫くお話された後、寅吉を帰しまだ相談を続けておられたようで御座います。

 
・ 孤児院

暮れも押し詰まり明日は大晦日だがこの居留地ではそんなことには影響されることもなくいつもと同じような忙しい日々が続いているのだった。

ピカルディでも人が入れ替わってきたが相変わらずハンナを中心に異人さんの奥さんお嬢さんたちが働いて、店は華やかだった。

メアリーがエプロンも年齢に合わせチロル風に作ったり日本の前掛け風に工夫したりと、相変わらず腕を振るってくれていた。

カーチスの新しいホテルのために雇われた人たちの訓練もトンプソンが引き受けて、コマーシャルホテルで接客の訓練を受けています。

竹蔵も支配人としての訓練に、ホテルの内装にと朝から晩まで忙しく立ち働いており、ボーイと日本風に仲居と呼ばれるメイドさんを日本と中国のものを合計で8人雇い入れました。

ぜひ働きたいと志願してきた愛玉はハンナの推薦もありましたし珠街閣で働きを見ている人たちの賛成でメイド頭となることに決定しました。

竹蔵はかみさんのお吉さんとともにホテルのクローク奥に作られた離れに夫婦で住み込み夫を助けて帳付けを行うことになりました。

「コタさん、新しいビリヤードはいいだろう」

ウィリーがサロンに置いたビリヤード台の前でキューを磨いていた寅吉に声をかけてきました。

Mr.サトウはまだ来ていないのかい」

「今顔を洗っているよ、序でに髭もそってくるそうだ」

開店前のホテルの部屋でアーネストは自分の家のように振舞っています、もっとも寅吉たちが宣伝のために開店前に彼に一部屋を自由に使わせて使い心地を試させているためですが、遠慮などしないところが彼のよいところでもあります。

ここのところ寅吉とは好敵手で勝ったり負けたりの繰り返しです。

「ヤァ待たせたね、早速始めようか今日はどっちにする、Nineballかい、Rotationかい、ダンスでもいいぜ」

「よせよ、ballといってもこっちだぜ」

「ホンとだぜ舞踏会はここでは無理だぜ」

「なに、ホンの冗談さ」

結局ROTATIONということにしてゲームが始まりました。

何人か見物に来ましたが、ウィリーの一人勝ちで決着がつきました。

「まいったまいった、一勝負onedollarにしといてよかったぜ、ポンドで賭けていたらとんでもないことになったぜ」

「よく言うぜこの間ポンドでやった時はアーネストに捻られるし、コタさんはあの日は都合が悪いと逃げるしよ」

「そうだ、私の調子のいい日に限ってコタさんは勝負してこないからな」

「お前さん達本職のビリヤード野郎と勝負など飛んでもねえこった、おいらはただのお付き合いのビリヤードさ」

「そうかな、その手つきなど英吉利仕込みの本格のやつから教わったとしか思えないぜ、何処のハスラーから習ったよ」

「馬鹿を言うなよ、見よう見まねさ」

とても信じられないという顔の二人ですが、なぜか賭けていない時は寅吉にコテンパンにやられた時のことは覚えていないようです、お金が賭けらると寅吉は自然と深入りしないように避けているということも気がつかないようでした。

父親や爺と家でやっと踏み台でキューが届いていた頃から仕込まれているとは気が附く筈はありません。

ポケットのないスリークッション用の台で遊んでいるうちに夜も更けウィリーはコマーシャルホテルに戻り、寅吉とアーネストは食事をしにプリュインさんと約束していた51番のタイクーンホテルに同行しました。

この日マックも例の少年を連れてくるという約束なので、アーネストにたのんでインドに帰るか日本に残るかを本人にも選択させようと思っています。

この少年の父親は上海で成功したが少年の母が死んで、日本に来ようと決心して来日して半年つい10日ほど前に58歳で脳卒中によってなくなったものです。

タミール人の彼は香辛料や茶の貿易で財産を築き少年が此れからの将来に生きていくための必要な金は十分残されていました。

マックのスミス商会がそのうち70パーセントを引き受けていて残りは東洋銀行が預かって運用しています。

ホテルで食事の仕度ができる前に話しを進め、少年の意見でホテルのボーイから始めて大人になったら日本かまだ見たことの無い故郷のタミル・ナードゥ州はマドラスの港町に帰りたいということでした。

十四才の彼には上海と横浜以外に故郷がないと同じで、寅吉の昔と代わりのない身の上でした。

アメリカ公使とイギリスの通訳とはいえ顔の広いアーネストは食事をしながらも相談を続けていました。

アーサー(Arthur)ラクシュマン( Lakshman)という少年は(吉兆を持つ者)という意味の姓名だといいます。 

マックは少年に後見人になりそうな人の心当たりはいないといわれ、どうしたら一番よいのか考えあぐねての今日の相談になったものです。

寅吉をここに呼んだ目的は、寅吉ならどこか引き受けて手に心当たりでもあるだろうかという気持ちも有ったのでしょう。

「どうだ、コタさんウィンザーハウスでボーイとしてもう一人増やしてくれないか、ウィリーにたのんで彼をボーイからホテルの経営を任せられる人間に育ててくれるようにしてくれないか」

「住み込みで働かせるのはよいが部屋とこの子の面倒を見てくれる人間がいないよ」

「御願いします、どんな仕事でもやります、自分の面倒も父から仕込まれて小さい時から洗濯でも食事でも一人前の仕事は出来ます父の商売柄、香辛料を使う料理も得意です、コタさんぜひ御願いいたします」

「そう言われちゃ、引き受けないと男じゃないとまで言われそうだな、よし引き受けた、君を一人前の男に仕立て上げるまで面倒見よう」

「よしきた其れでこそ日本男児だ」

アーネストは人を煽て揚げるのも上手で御座いました。

「序でといってはナンだが最近捨て子が多いと聞いたが本当なのか」

「アア私も聞いた事がある、なんでも混血児が多いという話じゃないか」

「そうなんです、世話をしてくれるところさえあれば食い扶持は都合しょうと言っても赤ん坊の時はいいのですがその先物心のつく頃にはよそで面倒を見てくれといわれています、奉行所からも頼まれただけで今18人の子を北方村で預かってもらっていますが先行きが心配です」

「それなんだが、わが国も仏蘭西も英吉利もだが伝道師の派遣を要請してそのような子供たちを引き受けてもよいという話が出ている、特にパプテスト教会は乗り気ですよ」

「伝道師というとヘボン先生のような方たちですか」

「そのような人たちも含めてだが、主に修道女といって日本の尼さんのように神に使える人たちです」

「其れは朗報です、金は此方でも集めます、幕府にその人たちの活動が阻害されないようにアーネストもプリュインさんも運動をしてくださいませんか、私のところでは面倒を見る場所がこれ以上増やすのは無理があります、せめて10歳になれば働きながら学べるように出来ますがその前の小さな子を教育できる場所も施設も今の状況では難しすぎます」

「寅吉の貸家が有る山手だがあの周りを居留地に申請しているんだがそうすれば其処に尼さん達が子供を世話する土地を確保してくれるかい」

「よろしいです居留地になれば安心ですし、土地は今家付きで貸し出してありますから、そのまま名義を引き継げます、新しい場所はここから離れていますが必要な広さがわかれば確保しておきます」

「日本で言う500坪という広さで十分子供たちが外に出なくとも遊んだり体操したり出来るだろう」

「では今700坪の区画が空いて居りますから明日にでもマックのなで契約したことにしておきます」

「其処は地代家賃はいくらで貸す予定なのだ」

プリュインさんが聞くので「詳しいことは家の太四郎に聞かないと解りませんが、年間家付きで120ドルの予定だと思います」

「そうかでは私のピカルディの権利料の年間60両を其れに出そうじゃないかそれで80ドルになるんだろう」

「コタさん、そういわれてしまえば俺がもらう60両も其れに充当してくれ、そうすれば40ドルは家の修繕費と維持費に使えるだろう」

「ありがとうよ、そうさせてもらうぜ、公使是非その修道女という人たちの早い来日を御願いいたします」

「引き受けたよ、本国の戦ももう直に終わるだろうから申請しておこう、約束するよ、ただこの国はキリシタンの禁令を解かないので布教活動と一緒で無いと難しいかも知れんな」

「公使、英吉利もその話を本国に伝えます、各国公使の方も連絡会のときにぜひご賛同を取ってください」

「解っているよ、孤児の問題は日本だけの責任じゃないのは承知だ、前任者がスワンプなど作らせたのが間違いさ」

隠語を子供がいるので使いますがあの場所が有るからということだけではないはずです。

「最近食肉の処理場が動き出したから肉が手に入りやすくなったとコックが喜んでいたよ、町のあちこちにも肉やが増えたそうだな」

「エエ日本人も最近は肉料理の美味さを覚えてきました、ただチーズとバターはまだいけないものが多いようです」

「そうだろう、私たちでも味噌に醤油だけでは生きてゆけないように、日本人もバターとチーズで食事の味付けをしろと言ってもこれは無理だな」

話が落ち着いたところで明日公使がカーチスに会ってArthurの保証人にマック寅吉アーネストの4人が成ったと伝え、ホテルで仕込んでくれと談判することになりました。

そして今晩はマックが世話をしてくれて、明日の朝からこの間までバルダンさんがいた部屋にアーサーを住まわせることになり荷物は順次運び込むことになりました。

ウィリーがどのような顔をして話を聞くのやら、顔が見たいものですが其れは公使に一任いたしました。

翌日早朝マックが荷物を大八に載せ、陳君に引かせてアーサーとピカルディにやってきました。

寅吉は3人に手伝って荷物を運びいれArthurに家の中の間取りなどとどのような人たちと暮らすかをそれぞれ紹介いたしました。

兵吉が手が空いたので元町に連絡に行ってもらい、太四郎の都合でこっちに来てもらうことにしました。

アルも事務所を開けたので挨拶して、スジャンヌともども困った事があれば相談に乗るといってくれました「なにウィリーは引き受けるよ、だめでも働く場所に困ることはないさ」なんとも楽天的でマックが心配しているほどのことはないと受けあいました。

ゴーンさんも店を開けたので紹介して昨晩話が出た孤児の話しをしました。

メアリーが「お腹がすいてない」とアーサーに聞いてくれましたが「大丈夫です」そういうそばから「グー」とマックとアーサーのお腹がなって一同を笑わせてくれました。

陳君も含めてパンと野菜にかも肉のローストで朝食をご馳走になりました。

「さっき話していた修道女なんだけど、サンモール修道会でも修道女を派遣したいという話でしたけど今のこの国では正式に派遣されるのは無理だと思うの、何処の国でもそのことでは同じでしょうね、でもねここだけの話ということは知ってる人は知っているんだけど何人かのマザーが来日しているそうよ、ただ布教活動は出来ないので一般の人たちの中で生活して慈善事業へのお手伝いの出来る場所を探しているそうよ」

「そりゃ初耳だ、いつきたんだい」

「私もその話は聞いてないぞ、本当なのかよ」

ゴーンさんも驚いています、ソフィアがこのように聞いてきたと話してくれました。

「昨日の夕方の話なのよ、外でライラたちと輪を転がして遊んでいたら、前の日に船から降りてきた観光に来た様子の二人のおばさんがね、仏蘭西語がわかる子はいるの、と聞かれたのでお話をしたの、そうしたら親のない困った子は何処でお世話してるのと聞かれたので、山の向こうで何人かが共同で生活してるわ、詳しいことは解らないのといったら、誰に聞けば解るかしらというの其れでね、ピカルディのお店を紹介したから訪ねていくんじゃないかしら」

「其れがどうしてサンモール修道会のマザーだと思うんだよ」

「この子が聞いた話だと、パレ神父の志を無駄にしませんようにと話しながら歩いていったというのよ」

「聞き違えじゃないのかい」

「そんなことないもん」

「何はともあれ、俺を訪ねてくればどういう用事かすぐわかるよ、まさか人買いという事も有るまい」

「奴隷のことか、困ったことだシナからもだまされて亜米利加に連れて行かれたものも大勢いるそうだ」

暫く話してから寅吉はピカルディに戻りハンナたちにも紹介しておきました。

ハンナは腕を振り回して「ウィリーが承知しなければぶちのめしてやる」などと物騒なことを言って居ります。

そういえば誰のことだったか寅吉にもそのように迫って承知させてやるといきまいていた事があったと聞きました、なんとも乱暴なお嬢さんで御座います。

「女の人が尋ねてくるかもしれんが仏蘭西語しかわからんらしい、Maryがいないときは隣に行って通訳してもらえよ」

「アラ、あたしだって少しは喋れるわよ」

「本当かよ先生はだれだい」

「ソフィアよ」

「ナンだそれじゃ俺とかわらねえんじゃねえか」

「馬鹿にしないでよ、旦那よりは実戦で鍛えられてるわよ」

10時ごろその二人が寅吉を訪ねてきてくれました、やはり二人では無理なのでやってきたマリーが細かいところは通訳しながら話し合いました。

正式なマザーとしての訓練は受けていないということですが、サンモール修道会の活動に感銘して個人の資格で東洋の子供たちを手助けしたいと願いやってきたそうです、活動資金は1年間は大丈夫だがホテル住まいではお金が掛かるので篤志家を募り活動を長期にわたり続けたいというお話でした。

今はお怜さんがてて無し子といわれる赤ん坊などを北方村で人を雇って育てているという話しをして、4歳になるまでといわれてその後をどのようにするか方策がたっていないと話すとその後を私たちが面倒見られるように場所と資金の援助をこの国ではどのようにすれば得られるか相談を受けました。

プリュインさんがこられて「アーサーのことはうまく行った」と言う話で、「昨晩の孤児の話でこういう話がある」というと公使が「任せろよ」とフランス領事のところへまず挨拶に連れて行ってくれました。

 
・ 門松

門松をたて旗や幟も立てるという和洋折衷の飾り立てのピカルディでは大売り出しを行いました。

新しいチーズを大量に買い入れたため倉庫からあふれそうな古いものと新着のものを8分の一に切り分けて二つをくるんでどちらがよいか後で投票してもらう約束で、たとえドーナツひとつでも先着50名にだすと言う事を前日に張り出しておいたところ暗いうちから人が並びだしたため大慌てで元町に兵吉が飛んできました。

元町でも並びだしたので、品物が揃わぬうちからあけることにして急遽チーズも予備を出してきました。

そして人を集めて開店を7時半に行い、外で「まだパンの数は揃いませんのですが、チーズは倍の数を用意いたしました、何度並んでも結構ですから3人ずつお入りになり中で買い物をしてください」

と異人さんが英吉利、仏蘭西語で交互に言わせました。

倍とはいいながらも寅吉のことで、あるったけのものを出しても倉庫には有るんだからサービスしてしまえとお怜さんにも発破をかけています。

「そうさね、サービス品は旦那の持ち出しだそうだからどんどん出していいよ」なんて店のリサとカレンにもそういってどんどんと切らせています。

その間にもドーナツはどんどん揚げるそばからなくなるしで義士焼のほうの人間も応対に忙しく働いて居ります。

20番のほうに出かけた寅吉は此方もすごいことになっているので驚きましたが、パンを元町に届ける人間もいつもの半分位しか揃わぬ内から駆け足で向かう有様でした。

「私4度目ですがいいの」と聞く奥様に、

「結構ですともクロワッサンひとつでもドーナツひとつでも結構ですから私たちのところのチーズがなくなるまで何回でも並んでください」

表で其れを聞いていた人たちは「あと何回並ぼうかしら」など、肌寒い朝の風をものともせずチーズにパンを籠にあふれんばかりに買い込んでいました。

ハンナが「あと16人」と言う大きな声が聞こえ、Maryが表に跳んで出てきて数を数え出しました。

「ハイ奥様で終わりです、残念ですがチーズはもうあとがありません、本日は朝早くからありがとう御座いました」

そう声をかけると後ろの人たちのうち何人かは残念そうに帰りだしました。

それでも10人ほどはそのまま並んでいるので「チーズはもう無いのですよ」

「アラあたしはパンをもう少し買って帰るのよ」

「ありがとう御座います、英吉利パンは数がありますがクロワッサンは時間が掛かりますがよろしいでしょうか」

「どのくらいなの」

「あと15分くらいです」

「それなら列がお店に入る頃には出来るじゃないの」と動じません。

寅吉が店に戻ると五左衛門さんが「どうも前に旦那がサービス品の引換券を出した時の2番煎じを待っているようですぜ、ほれまた後ろに人が増えました」

「仕方ねえなこっちだけならわかるが元町まで満杯じゃ向こうから持って来様も無いぜ」

「どうやら家族で手分けして向こうとこちらに並んだらしいですぜ、シナ人のメイドや使用人達は諦めて帰ったようですがほれまだ30人くらいいます」

「仕方ねえな卵の2個ずつでもお渡しして景品はもうありませんと表の人に断って先渡しをしてしまえよ」

「いいんですかそうすると買わずに帰るものも出ますよ」

「いいじゃねえかこれ以上はどうにも出来ねえよ」

連絡員の当番の新三に元町に走らせて同じようにして張り紙も張り出す様に伝えたところお怜さんのところも同じようにして人を帰していたそうです。

「明日の仕込みの分の卵は有るのかよ」と義士焼きのほうに聞くと、

「ハイ大丈夫です、冬なので5日分は確保してあります」

「そうか俺がしんぺえするほどのことはないか」と安心して野毛に向かいました。

新三に先に往かせて大和屋さんで少し話をしてぶらぶらと弁天通りをぶらつきながら吉田橋をわたりました。

藤太郎が祖父の藤治郎さんと横浜物産会社にきていました。

「正月というのにどうなさいました」

「孫と横浜見物ですじゃ、家にいると来客でうるさいのでな、今年から息子を当主としてわしは隠居ですじゃ」

「左様ですか、では誰か案内につけましょうか」

「たまにはこいつと二人で本町から海岸付近をぶらついてまいります、済みませんが今晩は泊めて下され」

「よろしいですとも、荷物になるものはお預かりしますから此方においでください」

とらやの方に案内してお松津さんに荷物を預け二人を野毛橋まで見送りました。

義士焼は年中無休で人が入れ替わりで休んでいますが正月は特別手当がつくので進んで出たがるものに苦労いたしません。

江戸と違いここ横浜では正月という行事にこだわっていては異人さんたちとの商売になりません。

「売り上げはどうだい」

「旦那今日は特別数が出ますぜ、朝から1000個は焼いてもこの通り並んで待っていただくようです」

「そうか俺に手助けは無理だから、適当なところでやめてしまえよ」

「いいんですか、そんなこといって」

「アアいいとも早めに閉めて家で正月気分でも味わって来いよ」

其処にお怜さんから使いが来て「今日は元町も午の刻には閉めますから此方もその時間に閉めてくださいと連絡に来ました」

「ナ、そんなとこさ」寅吉は部屋で炬燵に入りうとうとしているうちに暗くなりだし、正月の日が暮れました。

藤治郎さん達も戻りお松津さんが「お世話を任されていますから、此方へどうぞ」という声が聞こえてきました。

新三が「橋本さんがお呼びです」と来たので横浜物産会社に出かけ話しを聞いて指示を出してから寅吉も夕食を食べに家に戻りました。

翌日2日の朝、居留地に入れる鑑札も用意してきたというので二人を連れて当番の千代と居留地に入り、新しいホテルの様子を竹蔵さんに声をかけてから中を見て回りました。

ビリヤード台を不思議そうに見ているのでこうやるんだぜとNineballを使いポケットに次々と番号どおりに落としてみせました。

「ここのはあたらしいから駄目だが元町に古いのを持っていったからやってみなよ」

「難しそうですね」

「初めてのときはだれでもそうさ」

千代も見よう見まねでつけるのですがさすがに新しい台では気が引けて手を出しません。

四人でウォルシュ・ホール商会とジャーディン・マセソン商会デント商会などを回り元町で約束のビリヤードで遊んでから植木場に向かいました。

善三さんは今日も出ていて見に来ている人の案内をして居りました、藤太郎とは顔見知りなので此方にやってきました。

新年の挨拶もそこそこに「親父さんはどうしたい」

「昨日から祖父と横浜見物に来ました、父は家で新年の挨拶周りにこられる方の挨拶を受けて居ります、私の祖父の藤治郎です」

「初にお目にかかります、善三と申しここの責任者をやらせていただいて居ります、お見知りおきください」

「イヤイヤご丁寧な挨拶痛み入ります、藤治郎と申して今年は息子に家督を継がせて隠居で御座いますれば、これからも息子に孫ともどもよろしくお付き合いくだされ」

「此方こそ苗の世話をお引き受け下されて、ありがたく存じて居ります」

藤吉さんは近くの村人も誘って5人ほどで苗を育てたり、売れ残った木を来年の花の季節まで面倒みる仕事を請け負ってくれました。

寅吉と藤太郎は挨拶の長さに辟易としてこの時期に咲く花を見に上のほうへと上がっていきました。

水仙の咲くあたりは何人かの人も見えており、植木場の女たちがここで茶の接待をして居りました、寅吉が来ても軽く会釈する程度なのは普段から仕事中は挨拶にとらわれることなく軽く会釈する程度にとどめるという虎屋全般の申し合わせによるものです。

梅はまだつぼみながら囲いの中にある盆栽の蝋梅は匂いが大変よく落ち着く気が致しました。

その先はマンサクが咲き寒椿は今が盛と大きな花をつけていました。

其処には与吉が下職のものを指図して掘り起こした椿の根を包んでいました、珍しそうに二人で見ていると「旦那これはカーチスさんの紹介で54番のストインさんのところでお買い上げでサァ、詫助の変わりと斑入りの新種ですぜ、1本20両と善三さんが値をつけていたのをあっさりとお買い上げでサァ」

「そいつはたいしたものだ、その班の入ったのは有るのもしらなかっぜ」

「こいつは珍しいものでここまで丹精するのは並大抵ではないそうですぜ、どこやらのお寺様で出来たものを別けていただいてきた方が、さらに工夫しなさったそうでね、もうこれが最後であとは苗を預けて来年までに20本は売れるようにしたいんでやすよ」

「そうかよろしく頼むぜ」

さらに上に行くと其処はまだ小さな木が有るだけなので先ほどの水仙の所に戻り腰を下ろしました。

善三さんがあがって来たので「蝋梅の鉢植えが有るが、高いのじゃないのかよ」

「左様で、ひとつ5両から100両まで値がついて居ります、どれも預かり物で夜は家に仕舞う約束です、昨日今日とそれでも五つほど売れましたが締めて250両で此方は半金が入る約束でお預かりしています、安いものほど口が掛からぬのは不思議で御座います」

「すごいじゃねえか、松井様の紹介かよ」

「左様で御座います5人の方が丹精したもので今年はそれぞれのお家に二つだけ残されてあとは現金にて始末したいと申し出が御座いましたので、いつものように買い取り価格とお預かり価格の違いを申し上げて、七草までのお預かりと昨日の昼に20鉢を、お預かりしてきました」

「すごいものですね寅吉の旦那様、さすが横浜の景気は違いますね」

藤太郎はその値段のすごさに肝をつぶした様子でした。

「いやなに、すごいのはこの蝋梅がここに出ると噂が広まって、しかも今買わぬとあと何年かは手に入らないという話が出たからだよ、植木場は一年のうち半分以上は植木の世話だけでつぶれてあとの半分のうち、お客が来ない日のほうが多いのだよ」

「そうだな、一年中こんなに売れていたら日本中が植木屋だらけになってしまうかも知れねえよ」

まさかそんなこともないでしょうが、そんな話をしているうちにも蝋梅を見に来た方がちらほら見えて善三爺さんは忙しく応対に出ました。

聞こえてくる声は「こん鉢が気に入ったが、ひとつ100両はちと高い、もう少し何とかならんかな、家の旦那様が贈り物にするので二つで100両までならと言われてきたのですがね」

「此方は75両そいつは35両の棚で御座いますよ、その二つなら5両引いて100両にいたします」

「そういわずに75両の分を二つで100両にしてくださいよ、わたし達も商売人で仕入れ価格は見えますからそれでも儲けが出るのでしょう、符丁が書いてあるでしょう其れを見て何とかしてくださいませんか」

「七草まで100両の鉢も75両の鉢も残りましたらどちらでも二つ100両でお譲りしますが、今は駄目で御座いますよ」

町の噂や植木のことなど休むまもなく話す手代らしき男は根気良く粘り、善三さんも光吉も、根負けしたかついに100両の鉢二つで160両、75両の鉢二つで125両と値下げ交渉に負けたようです。

此方では寅吉たちが卵の話に鶏の話をしながら聞き耳を立てていましたが、話がついたとたん「ではその値段で四ついただきましょう、締めて285両は店で支払いますから高田屋の本町店までもって来ておくれ、私は手代の友太郎だよ、店では必ず350両の品物を285両に致しましたと番頭さんに便へて金を受け取ってくださいよ」

「へい承知いたしました、いま供のものがすぐ出られますが一緒においでになられますか」光吉がそういうと「其れはいいね、ではすぐ包んでおくれよ」

番号の書かれた樽に確認しながらひとつずつ入れて善三さんの字で、

紙にそれぞれを書き上げて貼り付けた上で、大風呂敷に包み下職のものが4人背負子で背負い光吉とともに出かけて行きました。

「ご苦労様でしたな、しかし大店の手代と言うものは粘り強いものですなぁ」

「なあに今日の人は半時も掛かりませんでしたが、ひどい時は半日もやられてしまいますよ」

「私にはとても植木屋は務まりませんね、あそこまで粘り強く話しを聞いていられません」

「其れが普通さ俺だって其処まで我慢できねえよ、善三さんや光吉だから出来るのさ」

「あちらもあれならば店で自慢できるでしょう、虎屋は値切りには応じないと有名ですから、しかし植木だけは其れが楽しみでこられる人も居られるので、仕方なくあなたには負けたと思わせるのも商売で御座いますよ、光吉さんがいないときは与吉か私が交互にその役をいたして少しだけ負けるのですがまさか四つを買い受けるとは読みきれませんでした」

「あれは四つで300両以下になれば買おうとしていたのさ、二百八十五両になったとたんに声が変わったぜ」

「左様でしたか旦那様はさすが見ないでもわかりましたか、光吉さんも仕舞ったという顔をして居りました」

「しかし何処に付け届けに送るのでしょうかね、アンナ高価なものめったなところには呉れやしませんよね」

「ソウダなぁ、公使館領事館のお偉方だろうかな、あとは商館の手代連中かあいつらの中にはリベートを受け取ると首だが植木や花程度なら少々高価でも受け取ってもよいという申し合わせみたいなものが出来ているからな、そいつをまたよそに付け届けに回すのさ」

藤吉さんが「しかし奉行所のお役人には植木屋はだしの腕の良い方が多いですな、私たちでは鉢物にあれだけの丹精は難しいことで御座います」

「それわな、代々植木の好きな人たちがここという時に金にするために丹精しているのさ、横浜に来るまでは小普請の人が多かったろうから生活は楽ではないはずさ、江戸ではあまり高値(こうじき)なものがはけねえが、ここなら三割り増しで売れるのさ、みていなよ来年は江戸の親戚に声をかけてないはずのものまで出てくるさ」

寅吉はもう来年の予測まで立てるので、「やはり旦那は千里眼じゃないのかよ」と女たちが話しています。

水仙を切り取ってきて元町と野毛で飾ってくださいと与吉が持ってきました。

其れを奉書で包み藤太郎が持って帰ることにしました。

下の道に出ると早々と光吉たちが帰ってきました。

「同だったい、払いはすぐしてくれたのかい」

「ハイどうやら用意してあったらしく300両の封印を切ってすぐ払ってくれました、おまけに番頭さんに値引きは小声で報告しろといわれていたのでそうすると、ご苦労様ここまで来てくれてすまなかったねえと大きな声でおっしゃいまして、それぞれに一分の駄賃を出しておくれと手代に声をかけました、景気のよいところをお客に見せる宣伝のようで御座いました」

「皆ご苦労さんだった今日は早仕舞いにして一杯やりな」と寅吉が小粒をいくつか光吉にわたして分かれました。

「寅吉の旦那、おっしゃるとおりでしたね、三百両で買う算段だということは値段の調べに昨日か今朝にでも人が出ていたようですね」

「そのようだな、手代連中でどの位安く買えるか話して代表にあいつを出したんだろうぜ」

元町では今日も店を早仕舞いにするらしく掃除に余念がありませんでした。

「マァ奇麗」大きな花の束をわたされたお怜さんはリサとカレンにも別けて上げていました。

前田橋からホムラミチを抜けて吉田橋までの間の港崎への明かりが点きだして金毘羅の周りは特に奇麗でした。

「藤太郎もそろそろあそこで遊びたい年頃かな」

「そうですな旦那こいつが16になったら連れて行ってくださいよ今年の3月で16になりますから」

「オイオイ爺さんがそんなことけしかけていいのかよ」

「息子は堅物でそのようなことは気がつきもしませんがそろそろ遊びも師匠がついて覚えないとこれから横浜に来るたびに不満であふれてしまうでしょう」

「16までの辛抱と楽しみがあれば仕事で出てくる楽しみもあるということか」

「左様で御座いますよ、食い物も出来るだけ異人たちのものを食わせてやってくださいませんか、少しでもこいつには文明の味を知ってもらいたいもんで御座います」

「引き受けたよ、ところで字や計算を教えて回らせている松下さんはどうしている」

「あの人は3ヶ村を2日ずつ回っては2日休むということで、家と食い物に小遣いがつくので大助かりじゃとご満悦で御座います、御陽気な御酒で何処の家でも呼びたがって腰が落ち着く間もありませんようでございます」

「いい人なんだが、欲が無い上に子供好きでなぁ、誰か嫁に来てが無いかと考えているのだが心当たりが有れば世話してくれないか」

「ハイ家のばあ様もそのようなことを心配していましたから誰か探してきてくれるでしょう」

「頼んだぜ」

道ははかどり虎屋について夜はここで食べると伝えてあったので仕度も済んであとは火を通すだけになって居りました。

 

・ ペインター

ワトソンさんが知り合いという大工のT・J・スミスさんという人を連れてやってきました。

横浜で大工の仕事をしに来たが居留地は看板が寂しいので自分は看板を書くのが巧いのでその仕事もしたいといいます。

ピカルディの看板を書いてもらうことになり昨日の休みに書いた看板は、

p i c a r d i e と太い字ではっきりとかかれました、アーチ状に書かれた字の看板は店の上に上げられ、パルメスさんも満足げに見上げるほどのできばえでした。

元町の看板も同じように書かれ夕方に上げる手はずになっています。

「日本の字が書ければ仕事は増えるぜ」

「看板だけでなく、建物などのペイントも手がけたいので仕事があったらまわしてください」

「いいとも、連絡先は丸高屋さんでいいのかい」

「イエス、今は丸高屋さんでワトソンさんの下で働いていますが、独立しても大丈夫とボスも言うけどまだそれだけの自信がありません」

「そんなことねえよ、字体が何種類か書ければ看板の仕事だけでも途切れることはねえよ」

「そうだと嬉しいのですが心配で独立できません」

日本まで来るくらいの独立心が有るのになんとも不安性の男で御座います。

「飾り文字も書けるかい、あと日本の字でもカタカナというのは直線だから書きやすいから手本をやるから練習してみろよ」

「飾り文字も出来ますが読みにくいので喜ばれません、カタカナですか、どのような字ですか」

ピカルディという字を大きく書くとそのとおりに書いてくれました。

「巧いじゃねえか、これがピカルディという仏蘭西の土地の名前の日本の字だよ」

「こういう字なら手本を見ながらならすぐに書く事ができます、どのような字が有るか手本を書いてください」

イロハを全て書き出して、「見本がわからなければここに来て書いてもらい、注文主に了解が取れたら書けばいいさ、新しいホテルの看板を出すので紹介しよう」

春に「ウィリーが18番にいなければ先に行って探してきてくれ」と辰さんも連れて18番に出かけました。

あと少しで出来上がるホテルは時間も掛け、お金も掛けたので建物は立派に見えました、本格的な石造りはまだ無理なので中は木造ですが見た目は立派な洋館作りです。

WINDSOR HOUSEと見本の紙に書いて竹蔵さんに見せている間に春がウィリーを探し出してきました。

「ピカルディの看板を書いた人はあんたかい」

「はいそうです、此方でも仕事をさせていただけませんでしょうか」

「字は気に入った看板の取り付けと字の色や大きさを相談しょうぜ」

「私の名前は難しいのでTJと呼んでくださいワトソンさんもそう呼んでくれます」

ウィリーはもう乗り気でさっき書いた見本の紙に色々と但し書きを書いたりして二人であの色はどうだこの色はどうだと話しています。

字は簡潔に大きく間を開けること、ピカルディのようにアーチ状に表の門の上に鉄製の取り付け用の柱を作り其れに掲げるなどそしてホテルの色がグリーンなので白い地に黒い字で書くことなどを話し合っています。

WINDSOR HOUSE と書いてみてその字をアーチに沿って丸みを帯びて広げるということで落ち着いたようです。

「看板はまた書き直すことも出来るさ、だからいい字と見栄えがする看板を書くようになったらまた書いてくれればいいさ、ゴーンさんにペンキの色を取り揃えてもらえばもっと明るい奇麗な看板の注文が増えるぜ」

「看板の字の色に変化を付けるのですか」

「そうさ、字に影をつけて浮き出させたり変わった事も覚えてやってみなよ、日本人街にも看板を書いてくれと注文が入るようにしてやるよ」

「本当ですかぜひ御願いいたします」

ウィリーは鍛冶屋にアーチに看板を取り付けるようにする工夫をさせにTJを連れて早速出かけました。

寅吉は春と孤児たちのための家を見に出かけました崖地を整地した場所ですが朝日が差し込むまずまずの土地で家はもう屋根が乗っています。

マドモアゼルベアトリスが目ざとく見つけて、

「あらコタさん、見に来てくださったのですか」

「アア、そうだよいくら安物の建物でも手を抜くわけにゃいかねえよ」

「寄付も500ドルも集まりましたから、当分の食費に困ることはありません、あと子供用の服はマダムメアリーとミセスピアソンが身体に合わせて造ってくださることになりました、着物は大和屋さんが子供用に50着も寄付してくださいましたので、当分困ることはありません」

「其れはよかった、北方のほうもこれで楽になるから先の心配がない分懸命に世話をしてくれているそうだ」

「ハイ昨日も見に行ってきました、子供達も奇麗にされていて安心しました、家が出来次第10人が此方に移るので向こうは楽になると喜んでいます」

「石川様も細かい心配事でも相談に来るようにおっしゃっているから春や太四郎を通訳にして相談に行くことだね」

「今朝早く見に来てくださいましたが言葉が巧く伝わらず、なにがおっしゃりたいのかわかりませんでしたがそういうことでしたか、お優しそうなよい方という事しかわかりませんでしたが、わたし達にお野菜と小麦粉を寄付してくださいました」

「付いて来た方が英吉利が出来たのでどうにかわかりましたが、私たちがフランス人だということだけはご理解していただけたようですマドモアゼルが発音しにくいのでミスでよろしいですよというとほっとしておいででした」

「そうかでは俺達もMissベアトリスでよろしいでしょうか」

「もう太四郎さんや紀重郎さんはそういわれていますよ」

「ナンだ遅れていたのは俺だけか」

こんなたわいのない会話でも笑いが起こるのは行く先の明るい話題が大きく作用したからでしょう、マドモアゼルベアトリスもマドモアゼルノエルも宗教を広めに来たのではない事が奉行所でも認められて各国公使の後押しもあり時々フランス公使館に連絡に来るだけでこの場所に住む許可が出ました。

「庭の掃除と草花の世話も何人か申し出がありまして、交代で毎日どなたかが来てくださることになりました、お金はあれば助かりますがこのような地道な手助けをして下さる方が居られると本当にうれしゅう御座います」

来日してから30日あまりでここまで話が進んだのは神様のおかげですと感謝する二人は本当によい人たちで御座いました、まだ20代にしか見えない二人は「同じような志の方も多く居りますが、ジャワにアユタヤにとお出かけの方も多く日本まではなかなか人が来てくれません、ここに来るだけで100ポンドもの英吉利のお金がなければ来れませんもの、2500フランといえば大変なお金でわたし達の様に親からの財産を受け継いだものでなければとても負担が出来ません」

「そうなのです、早くこの日本がわたし達の神を受け入れてくだされば、マザーと呼ばれる方々の手助けも容易になります、わたしたちとは違い一生を神に使えてこの国の貧しい人たちをお救いに来られることでしょう」

「今は宗教のことで私たちのような民間のものしかこのような居留地の外での活動が出来ないそうですが、早くマザーたちが来て下さる事がこの国の幸せでもありますわ」

二人の真摯な子供たちを救おうという気持ちは寅吉たちと働くものも気持ちを打たれ、紀重郎さんのところの荒くれ者もこのお二人には丁寧に話しをしている様子でした。

二人はまた雑草を集めて穴に落とし堆肥としますというので自分たちの仕事に戻りました。

朱さんの方の家も土台が済んで今日は棟上げをしています、ジァンも来ていてワトソンさんと図面を見ては角度を確認していました。

「どうだい予定通り進んでいるかい」

「コタさん順調だよ、風が冷たい分材木も締まって狂いが少ないよ、これならあと2ヶ月で人が住めるね」

ジァンも嬉しそうに「これで聖玉にも胸を張ってどうだといえます、愛玉も心配していたようですがここまで来れば後は家の中のことなので女たちが自分の使いやすいように口を出してきてもそれほど変更する事はありません」

「オイオイいくら婿さんだからといってシナでも女がそんなことまで口を出すのかい」

「コタさん、これは必要なのですよ、女の意見を無視しすぎるとあとで文句が多くなります、思うとおりにさせるようにみせて此方の思惑通りの家にするのがコツね」

「そういうもんかよ」

「そうさコタさんは女にもてるが奥さんがいないからまだ其処までは無理ね」

ワトソンさんまでそういうのには太四郎と春が後ろで大笑いをしています。

「バカヤロウ、おめえたちだって独り者じゃねえか、これから神さんになるやつのために二人からこまらねえように教わりやがれ」

そういうとあとを見ずに山を降りていきました。

4人で大笑いして春は挨拶もそこそこに寅吉を追って山を下りました。

 

・ クリーニング

ようやく自分の仕事に自信を持ち始めたTJはジャパン・ヘラルドに広告を載せて仕事の数を増やすことを考え出しました。

紀重郎さんのところの仕事より優先的に、看板書きや塗装に人を使ってよいという取り決めもして少しずつ増えた仕事に気持ちが萎縮することもなくなったようでした。

この日ピカルディを初めとらやの各店舗でも雛人形を人形屋顔負けに飾り立てました。

雛祭りと言う事と、聞かれるたびに「女の子の成長を祝うお祭り」と説明させました。

雪洞に明かりを入れて店の中に日本の雰囲気を少しでも出せるように強調しました。

欲しがる人には太田町の誉田やさんを紹介して其処から預かった値段表をわたすようにしました。

この5日間で紹介のパンフレットを持ってきたうちの6人の人が買い入れたという話でした。

2月初めには完成していたホテルも、オーナー達の申し合わせで、今日まで招待客だけを泊めて従業員の訓練をしまして、やっと開店の日を迎えました。

予約は3人だけでしたが、夕食時には待っていたとばかりに20人ほどが来てくれてウィリーはほっとしています。

10日には10人の予約がありますが「マダマダこれから」と成り行きを各ホテルのオーナーも見守っているようです。

寅吉は横浜の虎屋横浜を自分の個人商会として春と太四郎を出行してもらう形で横浜物産会社から借り受けて運営して、横浜物産会社は虎屋江戸と虎屋横浜が持ち株会社となって運営する形にしました。

長崎は支店と言う名ですが事実上の独立会社にしてしまいましたので、寅吉と伝次郎に横浜物産会社がそれぞれ3分の1ずつの株を持つということに致しました。

とらやは前から虎屋江戸の子会社ですのでそのまま各店舗の自主運営に任せてあります。

売り上げの1割を集めて、赤字店舗は閉鎖して次の店に投下するというやり方なので店は増える一方で、まだ閉鎖したところは出ていません。

義士焼きよりも茶店としてのほうがよい場所はそのほうに力を入れてよい、ただし義士焼きの幟と義士焼は売るということで働くものの自主に任せた事が成功している店が多いことでも証明されています。

横浜はお怜さんがとらやの指揮全般を取って寅吉はほとんど口を出しません。

虎屋横浜はいくつかに別れ、ピカルディ、貸家、食料品、植木場が主な仕事です。

洗濯屋はまだ人件費を取り返すのがやっとで春が躍起になっていますが、「忙しい割り合いに売り上げと経費がつりあいません」と報告が来たので、何処がいけないのかじっくりと計算しなおすことにしました、「仕事は多いのですから設備に賭けた金を計算に入れなければ黒字は間違いないのです」と春は自信なさげに言っています。

「食料品の黒字を全部つぎ込んだってかまやしねえ」と発破をかけることもいつもと同じ寅吉でした、お怜さんにまで「かまやしないから人を増やしてどんどん仕事をさせてりゃ儲けも出るさ」なぞとすごい勢いで煽られていました。

水屋連中とも巧く行っているようで、どうやら春に使って欲しいというものまで出てきたようで人望はあるようで御座います。

植木場は光吉が善三さんと二人で人とお金に分けて仕切っていて、横浜物産会社と兄弟会社の間柄になっています、光吉はピカルディの会計も見に来てくれるので忙しいのですが苦にせずに働いてくれています。

食料品も今は春が仕切りジラールが外国向け、春が国内向けと大まかに割り振って卸と小売りをしていますが、それほど明確に仕切りがあるわけでもなく、お客も品物も融通しあって営業しています。

貸家は話が出ている山手が居留地になるまでで打ち切り、太四郎はそのあと兵庫で商売できるように今から各商会の責任者から兵庫に出る時期とだれが行くのかをこまめに聞いて、準備するように指示をしました。

ピカルディは寅吉が責任者として直接指揮を取る形ですが、実際はパルメスさんと元造が仕切っていますし、異人さんの責任はハンナが雇い入れと俸給の管理を任されています。

そうそう連絡員と人足の取締の千代に辰さん達ですが、横浜物産会社の社員という肩書きに寅吉のほうから職務に対する交際費が出ています。

横浜は五人江戸が三人でその上に千代と辰さんがいます。

千代は15両の俸給と10両の交際費、辰さんは10両の俸給と10両の交際費、新三と雅に順吉が8両と5両の交際費となっています。

交際費は別に取り決めはなかったのですが自分たちで話し合って使い残しはためて新年会などの会合の時にまとめて使いたいと申し出があり、寅吉も了承いたしました。

翌日から20番のピカルディと義士焼は店内の改装のため日曜日までお休みとなり外国人遊歩道を馬に乗れる者と歩くものに別れて皆でピクニックに出かけます。

パルメスさんと元造は店に残るというので五左衛門さん兵吉に駒太郎、吉蔵、鎌太郎 など義士焼きの面々は歩きのものについていきます。

マリー(Mary・マリーズ・アヴェリーヌMaryse Aveline)仏蘭西語

マリア(マリア・フォスターMaria Foster)英語 

ハンナ(ハンナ・ブキャナンannah Buchanan)英語 仏蘭西語

シェリル・ワトソン(シェリル・シェリダンSheryl Sheridan・ワトソン夫人)

新しく入った二人は馬に乗れないので歩きの仲間です。

エイダ(エイダ・ホーキンズAda Hawkins)  英語・18才

アグネス(アグネス・ロートンAgnes Laughton)  英語・25才

ピカルディの元町店はまだパン窯を造っていませんのでお休みにして、元従業員の2人もそれぞれの夫がぜひ参加させてくれと申し入れがあり一緒に出かけます、最も忙しい時は積極的に店を手伝ってくれるので元というわけには行かないと寅吉は考えています。
スジャンヌ・ジラール(スジャンヌ・バルダンSuzanne Bardin・ジラール夫人)

リンダ・カーチス(リンダ・キャシー・クラークLinda Cathie Clark・カーチス夫人)

リサ(リサ・ゲーンズボロLisa Gainsborough

カレン(カレン・ジャーマンKaren German

寅吉とあと八人は馬に乗れるので不足している2頭の馬を都合いたしました。

寅吉の持ち馬を3頭、ハンナの家から2頭、リンダの馬が2頭、プリュインさんが都合してくれた馬が2頭の9頭です。

ファー兄弟商会からソーダ水とレモネードを仕入れて売る権利を虎屋が手に入れて、お怜さんの茶屋においてあるので、明日はサンドウィッチといなり寿司を持っていくくらいで済みます。

寅吉の預けている馬はトマスが呉れた親子を含め五頭居ますが、子供とそのメス親は厩舎に残すことにしました。

1月の末に横浜に来た時はまだ生まれていなかったのですが、着いてすぐに生まれたのは牡で寅吉はその額の星にちなんで流星・meteor(メテオ・shooting star)と名づけました。

石川村のカーチスの畑の脇に春駒屋さんで博労をしていた与助とその連れ合いに3人の幼い娘が馬の世話をするために来て呉れたのは1月の初めでした。

足の骨を折って軽く足を引きずるようになり長く歩くのが辛いという話を聞いた寅吉がカーチスの畑の番人と、その持ち馬の世話もかねて家族ともども来てもらったものです。

あと小助という老人とその孫の畑蔵という10才くらいの子が全部で7頭の馬の面倒を見てくれています。
イギリスからGuy Hawkinsと言う若者を雇うことにしましたので根岸台付近に牧場の用地を確保することにもしました。
Guyはまだ到着して居りませんが妹のエイダが着いてピカルディで働いています、何でも母親が幼いときに亡くなり母方の親戚に預けられて学校を卒業したばかりだそうです。
兄が日本で働くということを聞いて自分も神秘の国日本へ行きたいと親戚を説き伏せてやってきました。

 
・ ピクニック

それでもリンゴにオレンジらしきものをSuzanneが用意してカレンがオランダイチゴの赤く熟れた物を用意してきました。

7時に元町に集まったのは飛び入りで出てきたソフィアとその友達のライラを含めて、18人という大勢でした。

地蔵坂の上までは各自馬を引いて上がり、ライラはMaryが、ソフィアはハンナが自分の馬の背に乗せて歩き出しました。

桜道の三分咲きの桜は奇麗に陽に照り映えて、坂道を下る馬と良く映えていたと後ろから歩いてきたものがあとでそう教えてくれました。

馬の11人は先行して十二天まで行きお参りしたり海辺で波と遊んだりしているうちにあとの徒歩の者が追いついてきました。

此処で果物を食べて井戸で冷やされていたレモネードを飲んでから次の合流点のミシシッピーベイまで向かいました。

寅吉は自分の馬に怖がるエイダを載せて引いて歩き、スジャンヌはアグネスを前に乗せました。

スジャンヌの黒鹿毛のヘラクレスと名づけられたアラブは何処の馬よりも力強く寅吉の知っているペルシュロンではないかと思うほど大きな馬でした。

「あらペルシュロンという農耕用の馬はヘラクレスよりフタマワリは大きいわよ、でも走らせたらこの馬の半分も早く走れはしないわ」

「そうか競馬場が出来たらサラブレッドとアラブで走らせるのも面白いかもしれないね」

「距離が長ければこの馬に勝てる馬などなど居ないけど、根岸の馬場は小さいからこの馬には向かないわね」

「小回りは効かないのかい」

「そうね、大きな競馬場か直線でなら勝ち目は有るわ、ハンナのショーターには勝てそうもないわ」

「ウンウンそうよ、そうなのよ、うちのショーターはMileまでと小回りの馬場ならヘラクレスに勝てると思うわよ」

「そういうものなのかね」ゆっくりと春の風に吹かれながら根岸の海岸で馬を歩かせながら「どうだい馬もゆっくり歩かせればそれほど怖くもないだろう、そろそろ降りて歩くかい」

「エエそうします、やはり乗りなれないと疲れますわ」

「時々はハンナたちと練習すればそれほど難しいものじゃねえよ」

エイダは兄と違い馬に乗るのが駄目なようでした。

徒歩の者が追いついて来たので不動坂から根岸に上がりました。

馬場もまだ形が整うまでに至らない様子で台地の上の畑を残す様子が此処でピクニックの昼食をとるには都合がよかった。

見晴らしのよいところに作られた茶屋は客がまだ少ないと働くものは言うが、それでも遊歩道を馬で来たものが呉れるチップは馬鹿にならないという話です。

「そりゃそうよね、馬に水をやって自分達も休ませてもらって、ビールも冷えてればレモネードもありでチップは一人1セントでいいなんてただみたいに思えるんじゃないかしら」

ハンナたちが英吉利オランダ仏蘭西語で書いてある張り紙を見ながら口々に言います。

「ハァそうですか、3日に一度チップを交換に来る安蔵さんが呉れるのは一分二朱にもなる事がありますのでここはいいところで御座います、其れに毛氈の貸出料がよい実入りになります」

「換算表は置いて有るんだろうね」

「はい置いてあります、安蔵さんも其れを見せた上で計算してくれます」

「此処は何人働いているんだい」

「五人で変わり番子に休みますので五人全部が揃うということは、ほとんどありませんが昼には四人居る事が多いです」

「これからは、人も多く出てくるから実入りも多くなるよ、元気で働いてくれよ」

「はい旦那も時々はおいでくださいませ」

「オウそうするよ」

各自が持参した物やいなり寿司にサンドウィッチなどに鴨肉のロースト、果物や飲み物を毛氈に並べて海の見えるところで早めの昼食にしました。

菜の花も咲き誇り黄色が空の青さに映えていました、手入れをしていたものに話してスカーフに包めるだけ包んできたカレンは花束を抱えて得意そうだった「言葉が通じないかと思ったら、外人だとビックリして日本の言葉を喋っているのがわからなかったみたい、すぐにわかったらしくお金は要らないというのよ嬉しいわ」

よかったねと子供たちが変わる替わる、鼻を寄せて匂いを嗅いでは花粉を鼻の先につけて、はしゃいでいました。

「このまま蜂になって蜜をすいたい」とライラなど蜂の真似をしてぶんぶんとカレンの周りを回っています。

馬も休養が十分取れたので歩きのものと別れて、先に石川村に行き寅吉たちの馬を預けました。

残りの4頭の馬の手入れもして呉れている間に、カーチス夫人の案内で野菜の生育を見て周りました。

流星が牧場を歩く姿を見てソフィアが「リューセー」と呼ぶとそばに来て鼻を差し出して甘える様子は寅吉が見てもほほえましいものでした。

「ねえ、コタさん仏蘭西語ではリューセーのことはなんていうの」

皆で相談しましたがどうやら流星をトマスがmeteorとして登録をしたので、仏蘭西語は「」というようです、「やっぱりメテオよりリューセーのほうがかっこいいわ」二人の子供はそういうので、「リュウセイ」ではなく「リューセー」にすることにしました。

馬の手綱を引いて二人の子は鞍に乗せて地蔵坂に来ると上から降りてきた一行と出会いました。

元町で休んでお怜さんからお風呂に入りなさいといわれた皆は、代わる代わる風呂で汗を流し日本風に浴衣姿になり嬉しそうでした。

ハンナとスジャンヌの馬は同じ厩舎で預かっているので五左衛門さんが吉造と預けに回りました。

プリュインさんの馬は春が兵吉と返しに行き、あとのものは男たちが送ってそれぞれの家に戻りました。

寅吉は太四郎と夕暮れ時の道を紀重郎さんの家に向かい、そこで遅くまで打ち合わせをしていました。

 

・ 桜道

この間ピクニックに行ったときは三分咲きの桜道の桜が今は満開で「仕事のあと夕方に桜吹雪の中を歩くのは気持ちが好い」と風流なことを紀重郎さんが野毛の桜花亭で花見の宴会の席で酒を飲みながら上機嫌で話しています。

「コタさんよう、うちのボスは最近にあわねえ風流なことをいうので驚きやすよ」

小平さんまでが驚く紀重郎さんの代わりようです。

「バカヤロウが、今は文明の世の中だ、奇麗なものは奇麗と素直に言うのが進んだ人間というものだ、桜が咲いても酒で浮かれて桜など見やしねえのは遅れた野蛮人ばかりだぜ」

丸高屋さんでは相変わらず親方も働く者達も無礼講で口は乱暴でもしっかりとした絆で結ばれています。

TJにワトソンさんも仲間に入り楽しく騒いで居ります、大工も左官も土方という仕事上の職場があっても同じ丸高屋の仲間ということでまとまって居ります。

横浜物産会社からは太四郎と春に辰さんが参加して総勢55人という桜花亭を昼から借り切っての二刻の宴会は楽しくあっという間に終わりました。

三々五々帰るものたちを送り出して紀重郎さんと寅吉は辰さんの案内で太田町に出向き何人かの人と会合を持ちました。

「良く来てくださった、かねがねあなた方には消防のことで世話になっていて礼もしたいが掛け違って会えず、漸く今夕刻ならというので来て貰いました」

「いえ私など何処へでもお呼び出しをしていただけば都合をつけて出向きますものを、申し訳ないことで御座います」

「いやあなたが千里眼という噂も江戸の頃より聞かせていただいておりますが、かねて辰さんも火事は家を取り壊すだけでなく、ポンプの優秀なもので消すことも考えないといけないという話ですが、なかなかそれだけ優秀なポンプが間に合いません」

「はい、私も其れは気にしており外国の優秀なポンプが売る出されるたびに買うことにしていますが、風の強い日には延焼を食い止めるのは難しいと悩みがつきません」

「それでまもなく横浜に大火があると予測していなさるとか」

「易と夢占い程度とご承知の上でお聞きください、日本人街はあまりにも家が増えすぎました、そして一番の心配は土間でなく座敷で火を使う料理屋が街中に増えてきた事が火事の大きな火種になると思われます、防火用水が必要なことはもちろんですが、出来るだけ多くのポンプと水源を確保してくだされたくて、辰さんを通じて申し入れて居ります」

「そのことはわたし達も心配の種ですのじゃ、此処においでの頭連中も今のドンドコ回りで夜の火付けは防げても昼火事が恐ろしい」

「左様で御座います、夜の見回りと火付けを警戒して昼の失火の発見が遅れることになりはしないかと心配ですじゃ、それにこれ以上火消しの人数を増やすには経費を集めるのも苦しいのじゃよ」

「異人さん達も最近は各自で消防隊を組織しだしたようですが、なかなか消火に間に合わずに苦労されているようです」

「江戸にも負けぬ家の建て込みようでは消火が間にあわぬ事が懸念されるが、どの様な方策が有るでしょうかな」

「今はポンプの優秀なものを数多く集めることと、扱える人を増やすこと、水のくみ上げられる場所の確保の三点で御座いますが、特に昼火事の際の見物人の排除が肝要で御座いましょう、そのような見物人を整理する人手を火消し人足から取られれば火の飛ぶのを防ぐのが困難になります、お上に頼ってもこの横浜では武家地もなく其処までの面倒ごとは見ては呉れないでしょう」

「火消しと町人の整理のための人間か、二通りの役目をしてくれるものをあらかじめめ決めておくしかないか、丸高屋さんでも人足を訓練してくれているそうだが臨時のものではいつまでこの町にいるかわからぬしな」

「出来る限りのお手伝いはいたしますから町役人と会所関係の方々のご理解を御願いいたします」

話も済んで、頭連中の3人と紀重郎さん寅吉、辰さんは五十鈴楼に向かい楼主の善次郎さんにもこの廓の中の消防隊の話しを纏めて頂く相談をいたしました。

いつもその話を熱心に聞いてくださる善次郎さんは白髪頭を振りふり「コタさんよお前さんのポンプはうちの若い衆でも扱えるようになったが、この間話した昼火事は家の様な見世では一番の怖いことだよ、コタさんが夢で見た火事と言うのが本当なら消えたと思う時が一番怖いというのは俺の子供の時の火事の経験からも本当のことさ、何度も話したか知らんがあの時は火の粉が見えないのに火の手があちこちから起こって俺はこのまま焼け死ぬかと思ったくらいだ」

「そういう経験がおありならなおさらに、くれぐれも風の強い日には火事にお気をつけ下さるように御願いいたします」

「話は変わるがお前さんたちが今晩来るというので、芸者衆にも話したら喜んじまって10人くらい集まるようだ、ほれあの賑やかなのがその座敷だよ、お前さんがた6人の主役が来ないうちから抜け出してくる花魁も交えて大騒ぎさ」

楼主自ら案内してくれた大広間で頭達も大もてで、夜もふけるまで大騒ぎで過ごしました。

翌早朝、紀重郎さんが「夜桜ならぬ朝桜を見ようぜ」身体に似合わぬ風流な事を言うので辰さんまで吹き出す始末です。

三人で連れ立って地蔵坂を登り桜道に来ると朝日も昇りきり、はらはらと風に舞い落ちる桜は幻想的で野毛とは違う不思議な感じのする朝で御座いました。

「こりゃ極楽に来たみたいだ」辰さんまでがそんなことを言うほど散ってくる白い桜に混ざり八重桜が咲く道は本当にすばらしいものでした。

「イヤこれほどいいものとは昨晩まで思いもしなかったぜ、いい経験をさせてもらった、一生に何度もこういう日はないかも知れねえ」

「ダロウ、俺の言うことに嘘は有るめえ」

自慢げに言う紀重郎さんも歩くのを止めて、散る桜の下でしばしたたずんでいてから「サア仕事だ仕事だ、うちのやつらが来る前にミスベアトリスとミスノエルのところに行って部屋の様子を見なけりゃいけねえ、お前さん達も来てくれよ」結局二人も連れ立って孤児たちの家に行くことになりました。

早くもほとんど完成した家では子供たちと遊ぶ二人のフランス人の声がしていました。

「おはよう御座います、ミスベアトリス、ミスノエル、家の様子はいかがですか」

「おはよう御座います、ムッシュキジュロウ、ムッシュコタさん、ムッシュタツサン皆様方のおかげで、あとわたし達の寝室が残るだけですが今は子供たちと寝るので急ぐ必要はありませんよ」

子供たちが二人の周りで遊ぶ様は最初から此処で育った子供達かと思うほど親密に見えました。

「子供たちの世話に3人の女の人が交代で毎日来て下さることになりましたので、7人で10人の子供たちの食事と洗濯が交代しながら出来るので楽になりました。10人の子供と二人の方が北方から来た時は言葉も通じず、予想以上に大変でどうなることかと心配で夜も眠れないほどでしたが、神のお導きで親切な方を雇う事が出来ました」

「よかったですね、これからも子供たちのことはよろしく御願いいたします」

「はい此方こそ皆様のお力で、望みのように何事も進み感謝いたして居ります、其れにこんなに小さなお子達ですがわがままも言わずに小さな赤ん坊の面倒も見てくれるので大助かりです」

困難も苦労もいとわぬお二人が子供たちの幸せを望む様子はまことに神々しいくらい美しいもので御座いました。

「肩に桜の花びらがついておられますが、桜道を通られましたか、わたし達も昨日の夕刻に桜道を散歩してその美しさに感動いたしました」

「左様です今朝早く桜道を歩いてから此方の様子を見に伺いました、あと5日ほどでヤエサクラも散り始めそうで寂しくなります」

「花は散っても心の中に咲く花はいつまでも咲いて居ります、では子供たちの朝の支度がありますので失礼いたします」

紀重郎さんは新しいうちの出来具合を確かめてから、そのほかの貸家の出来具合を見て回って仕事に出てきた小平さん達に指示を与えだしたので、寅吉と辰さんは元町に向かいました。

久し振りに卯三郎さんが彦さんと吟香と呼ばれる人をつれて元町に来ました、新聞の発行を月2回の定期刊行にする話でした。

才気ばしった男という気がする岸田さんという人で、ヘボンさんのところやヴァンリードさんの所でもよく見かけます。

「十部の定期購読をしますからピカルディに配達してください」

と約束を致しました、各店舗に置くにはそのくらいないと足りないことになりそうです。

   
   

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カズパパの測定日記