横浜幻想
其の十一 La maison de la cave du vin 阿井一矢
      ラ・メゾン・ド・ラ・カーブ・デュ・ヴァン

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Paris1872年5月18日 Saturday

Maison de MadamDD La maison de la cave du vinと呼ばれている。

この家の住所は42, Rue Saules 18 eme , Paris Franceだ、日本式に言えばフランス国パリ市18区ソウル通り42番地で今風に言えば42 Rue des Saules75018となる。

MadamDDマダムDelphine Duchampデルフィーヌ・デュシャン夫人だ、さらに言えばマダムDDの家の正式な呼び名はラ・メゾン・ド・ラ・カーブ・デュ・ヴァン日本語にすればワインセラーの家で地下にあった昔の納骨岩窟を何軒かの家で分割してDDの祖父が健在だったはるか昔からワイン倉としている。

場所的にはサンピエール教会(St. Pierre de Montmartre)の北西にあるサンヴァンサン墓地(Cimetiere St Vincent)を北側に降った所だ。

St. Pierre de Montmartre1147年に完成し、サン・ジェルマン・デ・プレ教会(St. Germain des Presは542年に建てられた修道院が其の起源といわれている)、サンマルタン・デ・シャン教会(Eglise St Martin des Champs)に続いてパリで3番目に古い由緒ある教会なのだ。

この時代から少し経つとユトリロの絵によって当時の風景が窺える。

モンマルトルではこの時代二階建てや三階建てが主流で今のような五階建て六階建てになるのはまだまだ先の話で野菜畑にブドウ畑がこの丘の大半を占めていた。

Montmartre(Mont des Martyrs)地域に人が増えだしたのはナポレオン三世時代にパリ大改造が始まり郊外のこの地に住まわざるを得ない人が増えたことによるし、この丘には女子修道院があってぶどう酒が造られた時代の名残が残っていた。

21世紀のフランスの首都パリ市は20の行政区に分けられてその周辺の地方行政区画は、1964年に再編成され、パリ市は市であると同時に県でもある。パリ議会が市および県の議会を併せた機能を果たすこととなった。現在、パリ議会はパリ市長を議長とする163名の議員によって構成されている。


正太郎は横浜をグレゴリオ暦1872年2月28日の水曜日に太平洋郵船会社のアメリカ号でサンフランシスコへ向かい日付変更線をまたいで日付を一日前に直したし、この年はうるう年でカレンダーを持たないものは船長や航海士に日にちを確認しないとわけが判らなくなっていた。

大陸横断鉄道を乗り継いでニューヨークからフランス郵船会社のコロンビア号で大西洋航路をポーツマスへ向かった。

倫敦経由でドーバーからカレーの港に渡り其処から鉄道で八字間かけてパリの北駅ガール・デュ・ノールへ着いた。

パリは各方面へ出発する駅がルーブルを囲むように円形に並び21世紀の今はメトロが其の駅を連絡している。

駅に降りた正太郎はほっとした気分になってプラットホームでしばらく人波が引くのを待った。

手にはトランクひとつ、大きな荷物などは別便で予約したオテル・モンマルトルへ今日明日には配達してくれるはずだ。

すべてジャーディ・マセソンの倫敦支店のMr.ホルダーが手続きもして発送もしてくれた。

「ショウ、手荷物は少ないほうがいいよ無くすと困る現金と手形に小切手は自分の責任で肌に確りと巻いておくんだ」

横浜で誂えたマネーベルトをイギリス製の形の良いものに変えてくれた。

バッグには小銭と其の日に必要と思える分だけをいれ着替えだけを持ってのパリ入りだ。

紐育で誂えた服は駅から出た正太郎の目に見たパリの通行人の中でも見劣りはなかった。

駅前のオテル(ホテル)のエントランスを入りレセプションで「ジュブドレルコンフィルメマレゼルヴァシオン」と予約の確認をしたが、さらに日本から来た前田正太郎で倫敦から予約が入っているはずと受付係に言うとすぐさま荷物が着いているが部屋へ運びますかと聞かれた。

人間より早く荷が届くなんてフランス人の仕事が早いのか英一のおかげかわから無いがなんにしても素早い事だ。

礼を言って階段を上がり二階の部屋へ案内してもらうと三人のギャルソンが荷を運んできた。

二階とは日本風に言えば三階にあたりこのオテルではエントランス、一階の家族用の大きな部屋、二階が男性ツーリスト用になっていた。
1階 Rez de chaussee (レ ドゥ ショッセ)
2階 1er etage (プルミエレタージュ)
3階 2e etage (ドウーズィエメタージュ)
4階 3e etage (トロワズィエメタージュ
というのだとジラールさんにゴーンさんが注意してくれたのでこの旅で困ることは無かったが横浜風にエントランスとも言わないのには困った、玄関でさえラントレと発音するようだ。

ホルダーに言われていたのに正太郎は一人について一フランのチップを渡すと「メルシーボクー」と声をそろえて三人はにっこりとした。

「私を呼ぶときはショウといえばいいよ」

「ウィ、ムッシュー、ショウ。御用があるときは其処の紐を引いてください。階段の脇に部屋係が待機しています。トワレットは其の階段脇です、ユヌ・ドゥシュの部屋も其の少年に言えば順番を早めてもサービスします。アンバンは月曜日水曜日金曜日の五時からですがサウナはオテルの近くにあります」

ドウシュがシャワーでアンバンはお風呂のことだったとすぐに思い出して「今日アンバンはいいよ、すぐプランドル・ユヌ・ドウシュ、其の後着替えたいけど頼んでくれるかい、其の子の分のチップだ」

シャワーすぐ浴びるよとまた一フランを出した。

「用意されるペニョワールはシャワー室から部屋へ戻るときだけのものです。この階の廊下以外へ出るときはきちんとした服装でお願いします」

丁寧に案内しながら説明をして引継ぎをしてくれた、椅子に座っていたギャルソンは仲間から渡されたチップを見てポケットにしまうと「すぐ用意します」とタオル地の白いペニョワールとサヴォンを渡してくれた、どうやら正太郎はパリへ入って気が大きくなったようだ。

シャワーを浴びながら30サンチームもやれば十分でサービスが悪いときは20サンチーム以上やってはいけないといわれたが大盤振る舞いしすぎたかなと正太郎は後悔した。

しかし其のせいか少年たちの正太郎に対するサービスはとてもよいし夜間には老人に代わり気難しいので言葉に気をつけてくださいということまでも教えてくれた。

正太郎は此処までの旅費と必要なお金として寅吉から渡された300ドルと100ポンドの現金と虎屋から仕事の勉強代に渡されたオリエンタルの手形700ドルを身につけてきたがまだ880ドルと50ポンドが残っていた、それをカレーで現金を全部フランに換えると手数料が引かれて2050フランとなった「残った金はお前さんの小遣いさ、向こうで受け取る滞在費は生活に必要なものと勉強に交通費として使いな。きちんと収支の報告が出来るようにするのも勉強だ。だが俺とケンゾーが渡した小遣いの分はつける必要は無いぜ」

寅吉や吉田にマックそしてカルノーたちが手配して各地で必要なチケットの手配はエージェントを通じてスミス商会払いで行う様にしてくれていた為、旅行費用に手持ちの金が出ることがなかった。

正太郎の仏蘭西での滞在費は寅吉と吉田が一月130フランと計算して16か月分2080フランを仏蘭西郵船パリ支店気付で送付してあるし、正太郎の自分の商売用の金30000フランも同じ手続きで顔を出せば引き出せるようになっていた。

Mr.ケンについて商売をするうちに正太郎は僅かの間に1600ポンドあまり儲け預金ができ、そのうちからフランに換えた分を送金してもらったのだ。

クロークで明日からランスへしばらく行くが荷物を預かってくれるところはあるかと「Ou est le vestiaire?」オ・エス・ラ・ベステァレときいてみた。

それで支配人に意は通じて英語で聞きなおす必要もなかった。

「此処では一日20サンチームで今日の荷物なら預かるが、それ以上多くなるときはひとつ10サンチームです」

そんなに安いかと正太郎は安心して、では明日にはランスへ行く朝の切符を取ってくれという意味で「ラ・ビエ・デュ・トレイン」と頼むと、「ウィムッシュー朝のランスへの切符ですね。出発はガール・ドゥ・レストです、すぐ手配致しますが往復だと割安ですし10日以内は有効ですがどういたしますか」親切な受付係に感謝して「それでお願いします。遅くも5日以内には戻る予定です」と伝えると「等級は何がお望みですか」「三等の切符でいいです」というやり取りがありギャルソンにその場で言いつけてくれたので往復の切符代を一覧表から計算して88フランとチップに一フランを渡した。

「このチップは多すぎますよ。50サンチームが決まりです」と50サンチームを返してくれた。

「今日はこれから街の観光用の馬車が出ているが乗りますか説明はイギリスの言葉と仏蘭西語ですが大丈夫ですか」と聞かれ「ウィ、ラ・ヴィジット・アコンパニェ・エタ・ケルール、イングリッシュ・ガイド・オーケー」ガイド付き見学は何時ですか英吉利語でも大丈夫というなら此れで良いかと思い聞いてみた、それで意味が通じたようで30分後にオテルの前から契約している観光馬車に空があるというので料金の50サンチームを払ってチケットを受け取った。


二頭立ての馬車は8人ほど乗れそうで蓮杖の成駒屋の物より古ぼけてはいたが手入れが行き届いた茶色の車体に緑色の布の屋根が付いていた、中にはもう亜米利加人らしき服装の老夫婦とその孫でも有ろうか正太郎と同じくらいの少女が乗っていた。

東洋人と見て老人は少し顔をしかめたが「Cette place est libre?」カテ・プレ・エステ・レバ(この席は空いていますか?)と聞いてみたが小首を傾げたので今度は席についてもいいですかとゆっくり「Est-ce que c'est bon au sujet de ce siege?」と聞いた。

Ici cela va est votre siege」イセ・ケレ・ヴェ・エスバル・シィとたどたどしくかわいい口調で(此処は貴方の席のようよ)と少女が答えてくれたので亜米利加風に「Thank you. Was it a pleasant trip? I want to enjoy Paris in the same way」サンクゥ・ウァイアープレズントサビーナ・アイウォンッ・エンジョイパリ・インジサムウェィ(ありがとう。楽しい旅行でしたか?私は、同様にパリを楽しみたいです)横浜で鍛えたサンフランシスコ訛りだ、もしかしてドイツ人かなイタリア人かなとはふと感じたが。

今度は老婦人が「アラあたし達サクラメントから来たのよ。貴方シーヌのお方なの」

ジパンと発声してからヨコハマ・ニホン、アン・ジャパネーズというと「オォー・ファンタステックジャパン」と少女はすっかり正太郎に興味を覚えたようだ。

「マイネーム・イズ・ショウ。仲良く見物しょうね」

「オーケー、ショウ、私はコニーよ」

老人は手を出して握手を軽くしたが名前はいわなかった。

老婦人が其処にお座りなさいと指し示したのは三人が並んでいた正面のベンチで御者のすぐ後ろだった。
「フランス人は亜米利加の言葉がつうじんで困る、孫がどうにかフランス語が話せるので食事には困らないが細かいことが判らん」

「アラ貴方、其のほうが面白いですわ。言葉がすべてわかっては紐育へ行ったのと変わりないですもの」

其の後五分もしないうちに二人の夫人が乗り込み残りのビエの回収が終わった御者はギャルソンが乗客たちの方を向く形で席に座ると馬に相談するように鞭で背をなでた。

馬は手綱を弛ませたままでも慣れた道筋をゆっくりと進み曲がり角も優雅に曲がり広々とした通りに出た。
「ラ・ファイエット」とコニーが正太郎に地図を指し示した、馬は鉄道馬車を横目に大きな建物や寺院の前では歩みを止めた。

其のたびに思い出したように御者がパレスガルニエだのミュゼドゥルーブルにバスティーユとかノートルダムと大きな声で叫んだ。

そうするとギャルソンが少したどたどしい口調ながら英吉利語で其の建物について説明をした。

パレスガルニエはまだ内部の工事が終わっていないが外観は綺麗に仕上がっていた。

ルーブルは今世紀に入って美術館として公開され誰でもはいることが出来るようになったなど通り一遍の説明の後、オテルで特別なツアーを組めば一日6時間のコースで一人について五フランで案内人が付いて街を巡り歩くことが出来るとも説明した「ただしお一人だけの場合は12フランかかります。お二人の場合はお一人7フランで三人目からが五フランです。申し込みはお泊りのオテルで其の日の朝10時までなら受け付けています。ツアーの出発時刻は10時と午後の2時のコースがあります」と料金の説明も付け加えた。

「何だぁ、このツアーは案内をするのではなくて本格的にパリの観光をする人間に案内人を付けてみて回ればゆっくりと好きなところを回れるという宣伝か、それで料金が安かったか。ニューヨークだと50セントで一字間といっていたものな」

正太郎は口には出さなかったが笑い出しそうな面白さを感じた。

此れも商売何かヒントを掴んだのかもしれない。

セーヌを渡る橋では「Pont Marieだわ」とコニーが言うとギャルソンが「其の通りお嬢さんのはいい発音です」と仏蘭西語の発音をほめた。

サンルイ島へ渡った馬車は川上への道を進み崩れたままのつり橋の根元で止まった。

「此処がダミエット橋の跡よ」コニーは地図を見ながら正太郎に教えて「この島はサンルイ、其の次のつり橋がコンスタンティン」ギャルソンに案内されて歩いて其のつり橋を渡った。

馬車は別の大きな橋で渡り川沿いに進んでPont de la Tournelle(トゥールネル橋)をわたってきてune touriste(ユヌトゥーリストゥ・ツーリスト)を待っていた。
馬車に乗り込むと、西日に照らされたシテ島の一番下流側の橋ではPont Neuf(ポンヌフ)といってもう一度馬車を降りるように勧め、ギャルソンが案内しながら橋を歩いて渡った。

説明に忙しいギャルソンには少し遅れて歩き「川風が気持ち好いわ」と少女が帽子に手をやりながら正太郎に微笑みかけて「この橋がなぜポンヌフというか知ってらっしゃる」と聞いてきた。

正太郎は本では読んで知っていたが「新しいというけどだいぶ出来てから経っているようだね」と答えた。

向こうではギャルソンが其の説明を始めたようだがこちらはこちらだ。

「そうよこの橋は出来てからもう270年も経つのよ、それでも出来たときのまま新しい橋と今でも言うの。それまでの橋は上にお店があったりしたけどこの橋には最初からそういうものは作られなかったのよ。あそこに見える大きな教会はCathedrale Notre Dame de Paris(カテドラル・ノートルダム・ド・パリ)というけど私たちはその大聖堂のある大きな街を巡っているの。昨日までランスという街の戴冠式が行われた格式の高い教会に行ってきたのよ」

「そいつはご機嫌だ。僕は明日其のランスへ行くんだ」

「ホント、素敵な街よそれにシャンパンがおいしいの。グランパがお前は子供だから少しだけとグラスに半分しかくれなかったわ」

少し憤った口調で小さな口を尖らす様子はかわいいと正太郎には思えたが自分と同じくらいというのは違ってもっと年が下のようだ。

正太郎は東京でも、あたらしばし、しんばしと何時までも名前がそのままの橋があることを思い出した。

「ショウは誰とランスへ行くの。パリへはどうやってきたの」

橋を渡りきるまでギャルソンの英吉利語での説明を聞くでもなく少し遅れて歩きながら矢継ぎ早に聞いてきた。

正太郎が横浜から此処までの乗り物を列挙したときにはセーヌの北側で待っている馬車に乗り込む順番が来ていた、今度は二人で席の一番後ろ側になった。

馬車はリヨン駅まで進みまた川を渡りオステルリッツ駅モンパルナス駅と回って其処で馬車が止まり駅構内を巡り歩いて駅名の由来とナポレオンの自慢話が始まった。

Gare d'Austerlitz (ガール・デュ・オゥステルリッツ)は昔のナポレオン皇帝がオーストリア・ロシア連合軍をAusterlitz(アウステルリッツ・チェコのスラスコフ)で打ち破ったことを称えて付けられ駅は其の戦いから四十年ほど後(実際には戦いは1804年で駅はパリオルレアン鉄道が1840年に建設)になって建てられそのほかにもナポレオン皇帝の記念碑がこのパリには数多く残されているなどなど。

老人は「フン、ポナパルトめ」とつぶやいたが聞こえたのは正太郎とコニーくらいだコニーと正太郎は老人が遅れだしたので其の話しの前半部分を聞いていなかったので此処の駅と勘違いしたようだが実際は隣のオゥステルリッツ駅の説明だった、案内のギャルソンが二つの駅の説明を一回で済ませてしまったのだ。

路線のことから連想したかオルレアンの少女のことが二人連れの夫人から質問されたギャルソンは得意げに其の話を始めたが御者がホルンを吹いたので「時間です、馬車に戻ります」と夫人たちをせきたてたので「あらもっと聞きたかったのに」と一人が残念そうに言った。

「ではほかの方がご迷惑でなければご説明します」そういって話しをする間に馬車は柳の木が続くl'Avenue des Champs-Elysees(アベニュー・デ・シャンゼリゼ)からArc de triomphe de l'Etoile(アルク・ド・トリヨーンフ・ド・エトワール・凱旋門)へ向かった。

シャンゼリゼ大通りでは七字で夕暮れが近くなってもさすがに此処は人であふれていて老婦人は「明日はここで買い物よ」そう言ってコニーと意味ありげに顔を見合わせて笑い出した。

「ショウ、お爺様はこの間も此処で私たちが買い物している間不機嫌だったの。なぜか判る」

「いやそんなことわかるわけ無いよコニー」

「それわね。5日前にパリへ着いたときにお婆様と賭けをして駅から出て最初に話した人が仏蘭西人か英吉利の言葉が通じなかったら買い物はだめ、亜米利加人英吉利人以外のほかの国の人と話が通じたら好きなものを二つまで買っていいと決めたの。今日も馬車に乗って最初に話が通じる人がという同じ賭けをしたのよ。お爺様は御者やギャルソンは仏蘭西人だから絶対勝だというからそれはだめ、後残りの三人が亜米利加人英吉利人以外で言葉が通じたらという賭けをしたのよ。だから貴方が来たときお爺様が顔をしかめたの、でもあたしは貴方が仏蘭西語で挨拶したとき本当にガッカリしたのよ。でもサンフランシスコ訛りで聞いてきたときにはグランマも私も吃驚したけど嬉しかったわ。だってランスへ行く前に買い損なった洋服と新しいお店らしいけどrue Scribeのルイヴィトンでバッグを買うの」

そういえばオウレリアさんが横浜へ来たときはそのルイヴィトンのワードロープという名のトランクをお供の娘が抱えていたのを思い出した。

「あんなコットンのバッグのどこがいいのかね、なぜ旅行カバンが皮製の頑丈なもので無いのか理解できんよ」

「マァ、グランパったら賭けに負けてそんな意地悪いわなくてもいいでしょ。グリ・トリアノン・キャンバスというのよ。パリでは貴婦人の間で流行っているし英吉利や亜米利加でもこれから人気が出るのは間違いないわ」

「サクラメントに帰れば誰もそんな名前なぞ知っているものか」

老人は正太郎のほうを向いてウィンクをして舌を出した。

馬車は其処からはモンマルトルの丘の上のSt Pierre de Montmartre(サン・ピエール教会)が見える道をたどりガール・デュ・ノール近くのオテル・モンマルトルへ戻った。
「ショウはこのオテルなの」

「そうです、私は二階の男性専用のツーリストのための小さな部屋です」

「そう私たちは一階の続き部屋なの。食事はどうするの」

「夜は近くの安食堂を聞いて其処に行く予定です」

「私たちと付き合わない」

「残念ですが今晩は明日ランスでお尋ねする人達へのお土産や荷物の整理があるために時間が取れないのです」

「そう残念だけど仕方ないわね。ではよい旅をしてくださいね」

「ありがとうございます。あなた方もよい旅をされる事を神にお祈りいたします」

エントランスで正太郎は受付係から部屋の鍵を受け取って階段を上がった。

 


Reims1872年5月20日 Monday

オテルの隣の床屋は朝が早く六時から開くというので前夜に予約を入れてオテルの食堂も駅に合わせて五時に開くというので一番にC'est du cafe sur le pain avec la soupe de poissons de la palourde(パンにコーヒーそしてクラムチャウダー)という簡単なお任せを食べた。

髪の手入れとうっすらと生える髭をそってもらって一フラン、チップが三十サンチームだ、正太郎はオテルのクロークで一週間分の預かり料金一フラン四十サンチームに一フランのチップを払って荷物の管理を頼んだ。

正太郎は二軒の家への土産の入ったトランクと着替えの入ったトランクを持って行くことにした。

朝八字にGare de l'Est(ガール・ドゥ・レスト)をでる予定のUne vapeur locomotif (蒸気機関車)は七分遅れて駅を出た。

其処まで荷物を持ってくれたギャルソンにも一フランを受け取らせた「昨日も多めにいただいています、規定の50サンチームでよろしいです」というのを無理やり受け取らせて「ランスから帰ったら君たちの仲間とCabaret(キャバレー)という場所に行きたいから其のときの案内賃だと思ってくれ。勿論其のときも僕のおごりだよ。三人くらいは一緒に行かないと大人たちに馬鹿にされるといけないから頼むよ」

「本当ですかショウ様。僕たちも行きたいのですがなんせ料金が入るだけで50サンチーム、ギムレット1杯で1フランも取る店が多いので僕など一度しか入ったことがありません」

「早ければ五日後、遅くも七日目にはランスから戻るから君や其の仲間から時間が取れそうなものを探しておいてくれ、多くても僕を入れて五人までだよ」

「判りました、私はアレク、友達のアルフレドと今月は勤務時間が同じ朝の4時から午後の6時までです、それから少し年上ですがクロークのグレグが同じ勤務時間です」

では其の三人に声をかけてくれ、戻ってきたら其の晩か次の晩に遊びに行こうと約束して入ってきた汽車に乗り込んだ。

座席まで案内してくれて「ボンボヤージュ」(旅をお楽しみください)とアレクは正太郎に向かって言うとオテルへ戻っていった。

3時間の旅は殆どが畑の中、果樹園の中を走っていた。 

大きな駅はパリとランスの間では見かけなかった。

ランスの駅は大きく立派だ駅前は大きな広場になっていてまるで公園の中に駅があるようだと感じた。

大きな桜の木が赤っぽい花を咲かせているのを見つけたときには嬉しかった。

予約のある最後のオテルはオテル・ブリストルだ駅前の公園の近くにあるはずといわれていて住所はHotel Bristol 76, Placeというので見回してみると左手の方向に新しいのに重厚な雰囲気をかもす建物があった。

昔はこの土地に住んでいた田舎貴族が鉄道の敷設に伴い自分の住まいとして建てた新しい家をオテルにしたものだ。

そのブリストルオテルのエントランスへ入り予約を確認した。

「はい、倫敦から確かに貴方の部屋が予約されています。お名前はMr.ショウ・マエダでよろしいですか」

「そうです。此れが向こうで渡された書類です」

「結構です、貴方の部屋は二泊で予約されていますがそれでよろしいですか。料金は振り込まれていますので此処にサインをお願いいたします」

正太郎はShiyoo Maeda 前田正太郎とサインして「Je suis venu de Japon日本では私の名前はこう書きます」と告げた。

珍しそうに其のサインを眺め「すぐお部屋へ案内します。荷物はそれだけですか」

「そうこの二つです」

遠くから来たわりに荷物が少ないなと思ったようだがすぐにギャルソンに「28号室だ」と鍵を渡して自分が先にたって案内をした。

例によって正太郎は二人に一フランずつのチップを差し出した。

「メルシー」と二人は嬉しそうに受け取った、受付も支配人ではなくて雇い人のようだ。

Mlle.ノエル・ルモワーヌMlle. ベアトリス・ドゥダルターニュの家の住所と簡単に書かれた地図を渡してどの位の時間が掛かるか聞いてみた。

「受付に詳しい地図があります此処にお持ちしますか」

「いや受付なら其処へ行こう」

またエントランスへ戻って出てきたdirecteurと受付係が検討しだした。

「こちらのMailly Champagne ムッシュー ドゥダルターニュの館なら馬車で30分くらいですがムッシュー ルモワーヌの館までは1時間以上掛かります。もしかして貴方はマドモアゼル ベアトリス・ドゥダルターニュのお知り合いですか」

ランスのマイィシャンパーヌ村のドゥダルターニュ家のことを知っているようだ。

「そうです。日本の横浜でお二人のお手伝いをして仏蘭西の言葉を教えていただきました」

「そうでしたか。お二人で横浜へお出でになったとはお聞きしましたが、お元気でしょうか」

「はいお二人ともお元気でもしかすると一、二年の間にはこちらへ戻られることにされるようです。それでこれから近いほうのマドモアゼル ベアトリス・ドゥダルターニュのお父上にお目にかかりに行きたいのですが馬車を頼めるでしょうか」

「はいそれならすぐに手配いたします。御者に五フラン払ってください。此処でお待ちになりますか」

「すぐにお宅へ届けるお土産を持って降りてきます」

正太郎はトランクから着替えを出して其処へマドモアゼル ベアトリス・ドゥダルターニュの家への土産を詰めてエントランスへ降りた。

道には白い顎鬚を伸ばした年寄りがbuggyの脇で待っていた。

「行き先は聞いています。すぐ出かけますか、荷物はそれだけですか」

「そうです此れだけです。料金は五フランと聞きましたがそれでいいですか」

正太郎は新旧の五フランの銀貨を出してどちらがいいか聞いてみた。

古いほうの銀貨を御者が取りウィンクをして「わしゃ爺さんより女神のほうが好きじゃ。荷物は結わえますかい」と笑ってセレス(農業の女神)銀貨を受け取り、荷物を確りと紐で結わえた。

オテルの前から細かく曲がり割合広い道へ出た、此処は石畳が引かれがたがたゆれはするが雨には強そうだ。

途中街道は五差路に別れrotatif(ロータリー)を右へ回ってそのまま進んだ。

川を渡ると人家がまばらとなりブドウ畑とキャベツが植えられた畑が続いていた。

御者はシャンソンを口ずさみだした、なかなか哀調を帯びた其の歌声が田舎道に合って正太郎の心に響いた。

はるか先になだらかに続く丘が見え遠くブドウ畑にところどころ果樹園だろうか大きな木が植えられていた。

其処からは小麦畑が続き刈り入れが近付いているのかもう赤茶けた穂が風に揺れていた。

先ほど通ってきた線路だろうかそれを横切ると線路に沿うように南へ向かい、なだらかな丘の上に出て「あそこがムッシュー ドゥダルターニュのお館でさぁ」と告げた。


バギーが止まると年老いた雇い人らしき人がふんわりと広がったスカートをなびかせて出てきた。

「ヤァ、ハナ日本からお客だ」

「アラ大変、旦那様に伝えてくるから此処で待っていてね」

木戸を開け放したまま急ぎ足で家に戻っていった。

二人はバギーから降りてWineChampagneについて立ち話を始めた。

「この館のWineは上手いぜ、なかなか手に入れるのは難しいんだぜ。なんせ甥っ子のJulienのやつが商売熱心で白耳義の金持ちや巴里のオテルに売り込んだので品薄だ。Champagneなぞ高級すぎて此処のやつは飲んだ事が無いくらいだ」

そんな事を聞き出している間に館から10人ほどの人が連れ立って出てきた。

「ヤァ、メイブスその子が日本からのお客かな」

Bonjour, je suis venu de Japon. Mon nom est Maeda siyoutarou

(こんにちは、私は日本から来ました。私の名前はマエダショウタローです。)

「オオよく来た。ベアトリス からも五日ほど前に手紙が来たよ。待っていたよさぁおはいり。メイブスお前も中へお入り、今ワインを選ばせているからお前もやっていけ」

「ありがとうございます、旦那」

大きな台所へ全員が入り込んで正太郎は次々に現れる人に挨拶をしだした。

「サァサァ挨拶はそれくらいで空いている席に座りなさい」

威厳のある老婦人が皆に声をかけると自分の席が決まっているのか其処に座りだした。

「メイブスは此処でいいだろう」と青年が椅子を自分の脇に持ってこさせて座らせ正太郎にも其の上座側に座らせた。

「さて挨拶はそのくらいでまずはWineで乾杯じゃ」

なみなみと注がれたカップが配られて「ア・ヴォートゥル・サンテ」という声でそろって飲み干した。

正太郎が横浜での二人のマドモアゼルの話を始めると皆が聞き耳を立てて話を聞き逃すまいとした。

そしてトランクから風呂敷に包まれたBeatriceからのお土産や横浜の写真を取り出すと食い入るように見つめだしてそれぞれが説明を求めて正太郎の周りに集まった。

「あなた方私が聞きますから少しは黙っていなさい」

「母さん、聞くなら姉さんたちが来てからの方が好いだろう。この人がまた同じ事を聞かれても我われだってまた後で同じ事を聞くより好いさ」

そういう傍からまた何人かドアから人が入ってきた。

「さ、これで人がそろったようだから正太郎に説明を聞かせてもらいましょうか」

Maison de bonheurの写真を改めてもう一枚出して「こちらは写真の上から色をつけたものです。ですから絵と違って本当のマドモアゼル方がお世話をしてくださる孤児の為の家の写真です」皆が其の写真を回している間老夫婦は先ほどの写真のアルバムから其の写真を見つけて食い入るように見つめた。

左のページには色つき、右には色無しのMaison de bonheurの写真とマドモアゼル二人の間に正太郎とミチが写っている写真だ。

「此れが写真に色を着けたとはこうして二つを見ないと信じられないな。日本人は器用なんだな」

それがムッシュー ドゥダルターニュの率直な感想であって見つめるほかの人達の気持ちでもあった。

正太郎は蓮杖のサービスで二組余分にアルバムと同じものを渡されたのだ。

「アルバムは保存用こいつを説明用に持って行きな。絶対に役に立つぜ」

其の通りそれは行く先々で役にたった、ムッシュー ドゥダルターニュの館でアルバムと含めて二組を渡してさらに自分のほうのから出した写真を説明して同じものが三枚あってもこの大人数では椅子をたって覗き込む者が後を絶たなかった。

Wineを飲むのも忘れたように様々な写真の説明に聞き入る人で時間はあっという間にたっていった。

「お客人に夕食をご馳走しなくちゃね時間はいいんでしょ」

「私は明日にはマドモアゼル ルモワーヌのお父様の館へ訪問しますが馬車のほうの都合もあります」

「さいでさぁ奥様、あっしも何時までもここで待つわけにはいきませんが時間がわかればお迎えに来ますぜ。オテルのほうでも心配しまさぁ」

「いいわよ、ショウのほうは此方で送らせるから貴方は帰ってオテルへそういっておいて頂戴。これはお土産よ。でも馬車に乗りながら飲むのはだめよ」

ワインの壜を土産に貰ったメイブスが帰りムッシュー ルモワーヌの館には明日昼ごろ日本からの客を連れて行くと連絡へ人が出かけていった。

「明日はムッシュー ルモワーヌの館から此方へ戻っていらっしゃい。部屋を用意しますからオテルは引き払うのよ」

夫人はそう取り仕切って正太郎が告げたショウという呼び方がどうに入ってきた。

ミスベアトリスの二人の姉のうちLydianeはラディアーヌとリディアーヌの間のように正太郎には聞こえた。

一番上の姉Sabine(サビーヌ)も子供連れで来ていて誰と誰がどのような姻戚関係かもう頭がぐちゃぐちゃになっていた。

少ししか食べられず飲まない正太郎に遠慮しているのかと聞いてマダムは盛んに料理を勧め「日本人はあまり食べることが出来ないのです」と正太郎が伝えると、皆が大笑いで「こんなおかしなことを聞いたのは初めてだ」とさらに勧めるので正太郎は大弱りだ、何か文法でも違ったかと思ったがもう頭は完全に酔っ払い状態だ。

今日二度目のラ・マルセイエーズだ長い歌を全員で合唱する、それも皿を洗いながらうたう女性たちの力強いこと日本の女性とは大違いだ。
歓迎会は三時間以上も続き今朝Parisのオテルで合わせた時計は九字を指していたがそれでも西へ傾いた太陽はまだ完全に沈んでいないのだ。
仏蘭西へ入ってから日の長いことは驚くばかりの正太郎だった。

漸くテーブルの上も片付いてきた、女たちも食べるし飲むしで忙しいが其の合間には流しでお喋りをしながら沸かしたお湯で洗い物をこなすという手馴れた作業をしていた。

あまりの賑やかさに飲んだWineよりも其の賑やかさに正太郎は疲れきっていた。

ムッシューただいま帰りました。ムッシュー ルモワーヌの家では12時までにお出でになるように頼んでくれと言われて来ました」

それを引き取ってマダムが「メルシー、ジュリアンあんたにはまだ仕事があるんだが食事をしていくかい」

「いえMadamムッシュー ルモワーヌの館で一杯飲まされてフォアグラとチーズのソテーをご馳走になってきました」

「そうなのでね、物は相談だけどこの人をオテルまで送って欲しいの」

「勿論いいですとも、それと明日の送り迎えもでしょ」

「さっしがいいわね。其のとおりよ。それからその人の荷物も明日オテルから受け取って此方へ届けて頂戴。明日からしばらくこの家で面倒見るわ」

「ヤァそいつは困ったな、あちらでも同じようメサァジュを言付かりました」

「では明日はムッシュー ルモワーヌの館その次は此方ということにしましょう」

正太郎の意見など聞いてくれる人は誰もいなかった。

 


Reims1872年5月21日 Tuesday

La princesse de la rose qui est rouge a un bras droit, la princesse de l'hortensia du bras gauche

ラ・プリンセス・ド・ラローズ・クァイ・スルージェ・アンブラドリェ

ラ・プリンセス・ド・イオルテシ・ドゥブラゴシュ

正太郎にはその様に聞こえているが少し違うのか訛りが有るのかわからないものの、右の腕に赤い薔薇の姫、左の腕の紫陽花の姫とでもうたっているのだろうか。

ムッシュー ドゥダルターニュ先ほどから同じフレーズが繰り返されていますが何か思い出でもあるのですか」

ムッシューマエダ、俺のことを朝からムッシュードゥダルターニュといっているが単に名前のジュリアンでいいよ」

「それでしたら私のこともムッシュー Maedaはやめてショウと呼んでくださいますか」

「いいともショウ、歌が気に障ったか」

「いいえムッシュー ドゥダルターニュいえジュリアン。歌声がすばらしいのになぜ同じところばかりが思い出したように出てくるのか不思議だったものですから」

「ハハハ、そいつは参った。こいつはアントワープで窓の女を見に行った時に女を冷やかして歩いていたやつが歌っていたんだ。昨日からだいぶ飲まされたからな、まだ気分が高調しているんだろう」

窓の女とはどうやら吉原のすががきをしている女たちを冷やかすのと同じことかと悟った。

Bouzy(ブージィ)村はマイィシャンパーニュ村より南に丘を越えたところと聞いていたが此処までは昨日と同じ道を通り麦畑のところから右へ丘越えの道があり其処へ馬車は入っていった。

「俺の家はそら其処だ」

もうじき昼が近いこの時間ちょうど逆光の谷間にある家は緑色の屋根が木立に隠れて見分けるのに苦労した。

「あそこは吹き上げる風がこのあたりでは一番強いので母方のひい爺さんがあのように周りをオリーブで囲んだがこのあたりじゃ収穫など当てに出来ないくらいで風除けにしかならないのさ」

ぶどう園の多いこのあたりでオリーブでは金にならないのだろうと感じた。

昨日メイブスさんが甥っ子のJulienといっていたのはこの人かと思い聞いてみることにした。

「昨日メイブスさんはジュリアンが白耳義や巴里でWineChampagneを売り込んでいると話してくれました。私も横浜でお酒を扱う店で働いています」

「オッそれじゃお仲間じゃないか。ベアトリスやマドモアゼル・ルモワーヌの紹介で日本へ輸出しないかといっては来ているんだが俺には手に余るし、アントワープやアムステルダムのやつらは輸出手続きの費用をあまりに高く見積もったのでやめにしたのさ」

「それでしたら私のプロフェッサーが英吉利の二つの商社と組んでイタリアやフランスからのワイン(Wine)にシャンペン(Champagne)、イギリスのビール(Beer)にスコッチウィスキー(Scotchwhiskey)を扱っています。私も商売の勉強を兼ねての留学ですので持ち金を使って日本へ送り出す品物を集めようと考えています。本当はボルドーのワインが日本では売れるのですがシャンペンもブルターニュ地方からのシードルと同じくらいは売れるようです」

「よせよ、りんご酒なんぞと同じにするな」

ジュリアンは本当に怒ったように叫んだ。

「すみません。まだ日本ではシャンペンの本当のよさもいいシャンペンも簡単には手に入らないのです」

「よしきた。それなら俺が本当によいものを選んでお前に買わせてやろう。巴里に下宿するんだってな。モンマルトルに俺の知っている銀行家がとびっきりのワインやシャンペンを持っているから紹介してやるよ。其処で勉強して此れだと思うシャンペンがあれば俺が買える様にして横浜へお前が送り出せばいい。何儲けよりシャンパーニュの名誉のためだりんご酒になぞ負けてたまるか」

「メルシー、それは嬉しいです。私が住むアパルトマンがモンマルトルなのですので都合がいいです。メイブスさんはドゥダルターニュ家ではワインもいいがシャンペンはもっといいと褒めていました」

正太郎この旅で人を乗せるのも上手くなったようだ。

丘を降りる道はなだらかで昼の太陽は斜面のブドウ畑の手入れをする人達を照らしていた。

横浜でジラールが育てていたすずらん(lis de la vallee)が道脇の斜面の下に群生しているのが見えて正太郎の気持ちをやわらげてくれた。

「此処は俺たちの村と同じように最高のシャンペンを作っているが英吉利野郎たちはメニル・シュール・オジェ村やエペルネ村をありがたがっていやがる」

「それで横浜に来るシャンペンの内高級品はエペルネのドンペリニヨンが多いのですね」

「マアあそこは別格で俺も文句は言えないがな。あそこがなければシャンペンがこんなに有名になることはなかったからな、ビンテージというのはいいものの証だがあそこのはプレステージシャンペンのひとつだ。ショウもシャンペンやワインの歴史も図書館や酒屋などで勉強すれば商売のことにもいいことがあるぜ」

「はいそういたします」

「それと有名銘柄では無い安物のノン・ビンテージ・シャンペンにもいいものがあるということを覚えておいてくれ。何事も自分の舌で覚えるのが一番だがソムリエと友達になるのも大事だぜ。俺などそれにかこつけてパリへ出ればキャバレーに行くのが勉強に商売だとお袋をごまかしているのさ」

話にお袋と出て奥さんが出ないのは独身かなと思った。

「ペリエ・ジュエというもう出来てから50年ほどになるかな、其の会社が俺たちのマイィ村に古くからあるブドウ畑を最近買い入れたのもエペルネのよりも俺たちの村のブドウ畑がいいからさ、あそこは英吉利では女王がお気に入りだとかで最近手を広げだした。此処は隣のドンペリニヨンと同じで見学させてくれるぜよかったら連れて行ってやるよ。あそこの旦那の母親は俺の母親とまた従兄弟だから旦那と俺は親戚のうちさ」

「ぜひお願いいたします。少なくとも五日はランスへ泊まって大聖堂やシャンペンやワインのことを少しでも知りたいと思っていました」

「いい心がけだ。其の間俺がこのあたりを案内してやるよ、今は売り込み時期では無いので俺も暇があるからパリへ行くときは俺の商売がてら知り合いを紹介についていこう」

「重ね重ね親切にしていただけるなぞ私は幸せ者です」

「何お前さんの心意気に惚れたのさ、それにそんなに若いのに勤めていた店ぐるみで応援してなんぞさぞかし商売も上手いのだろうと興味もあるんだ。ベアトリスからの手紙でも盛んにお前のことを自慢して褒めていたそうだ」

正太郎はベアトリスが自分をそんなに皆に自慢していたなぞ露知らなかったが嬉しい気持ちで一杯になった。

ベアトリスは気立てもよいしノエル共々横浜では美人の方でフランス郵船のムッシューカルノーからだけでも去年二回もプロポーズされたと街の子達は言っていた。

そんなベアトリスも此方へ帰って誰か待つ人でもいるのか首を縦に振ることはなかったし、献身的に孤児の世話をする姿を見ればその様な気持ちになる暇も無いと人は見ていた。

「それに俺の家ではブドウとは関係なく小麦が主力だ、代々の畑ではレ・ブレドォルといわれているくらい良質の小麦が取れるんだぜ。最近は栽培も進んで種まきの80倍以上も収穫できるのでそれ一本でもやっていける。これから冬小麦の収穫が始まる一月ほどは目が離せないのさ。なんてな俺の兄貴が家を継いだので俺はめったに畑を手伝わんのだ」

「ではマイィ村の入り口付近の畑はみなこれから収穫ですか、このあたりはビールの原料の大麦畑は無いのですか」

「もう少し北へ行くと大麦が多くなるがこのあたりでは見かけないな。フランスより白耳義のほうがビールを飲むからな。ショウの店では大麦や小麦も扱うのか」

「私たちの旦那はパン屋もやらせていますし、ビール工場にも投資していますのでそういう穀物にも興味があります。今は英吉利や亜米利加の商社が横浜へ主に入れていますが独逸や仏蘭西の物にも興味があります。ビール用のホップはまだ日本では作れないのです」

「ホップかぁ、白耳義なら何人かそれを作っているがあいつらの言葉が難しくてな仏蘭西語で話をしても通じんのさ。あれなら阿蘭陀語で済む北側のやつらのほうがいいくらいだ」

どうやらベルギーは幾つかの言葉が使われているようで薩摩の言葉のように日本の中でも難しい言葉があるのでそれなのだろうと思った。

マドモアゼル ノエル・ルモワーヌの父親の館は丘の下に降ってからだいぶ先にあった。

20軒ほどの家が寄り添うように街道沿いに並び左手には小川が流れ、雑貨屋に肉屋が並ぶ其の先を右手に入ると大きな門がありそこから家まで並木道が続いていた。

先ほどの小川だろうか其の上に石造りの橋が掛かっていた。

「だいぶ広い敷地ですね。あそこに見える集落まで500mくらいありますが」

「あれは村じゃないよ、もう門を入っただろう。全部ムッシュー ルモワーヌの身内と雇い人の家さ」

「エッ、あそこのいえ全部がですか」

「驚いたかい、村の半分はムッシュー ルモワーヌの一族さ」

「さぞかし大家族なのでしょうね」

「そうさな、ドゥダルターニュ家よりは多いかもな。親戚関係を含めたら近辺の村で200軒はくだらないだろう」

まさかとは思う正太郎だがそんなことにはお構い無しに仏蘭西の家族は従兄弟なら家族で其の先の親戚でもどこまで系図がたどれるか考えるのも恐ろしいくらいだとほら話に近いことを家の前の池を回る道まで続けた。

約束の時間が近くなっていて家の前には大勢の人が集まってきていた。

二人が荷馬車を降りると小さな子達は待ちかねたようにいろいろと質問しながら正太郎の周りに集まってきた。

それを掻き分ける様に背の高い太った中年の人が「ジョス待っていたぜ。その人が正太郎か」

「ヤァ、ゴッチそうだ日本から来たお客人だ」

Bonjour Je vous vois pour la premiere fois aujourd'hui.正太郎・前田です。よろしくお願いいたします」

「ヤァよく来たな。俺はNoelleの兄のGustaveだ。早速家族に紹介するからこっちに来てくれ」

ギュスターブは俺のことはみなゴッチとしか言わんお前さんはショウで良いかと聞いて子供たちに荷物は応接間に運べと言いつけてジュリアンと正太郎を玄関先の集団のほうへ連れて行った。

50過ぎの立派な紳士が「よく来なさった、わしがNoelleの父親のHenriで此方が母親のJosselineじゃ。兄のギュスターブとは紹介済みのようじゃな」

Bonjour ムッシュー ルモワーヌBonjour Madam Lemoyn。日本から来ました正太郎前田です、マドモアゼルノエル・ルモワーヌに日本でお世話をしていただいています」

「フムフム、なかなかよい発音だわい。娘からも手紙でショウのことは言ってきておるぞ。なかなか優秀な少年だそうだな」

「お恥ずかしうございます。まだまだ未熟でパリで様々な勉強を短い間ですがさせていただきに参りました」

この家でもMadamが取り仕切っているのか応接間に入りきれるだけの家族とジュリアンに正太郎を詰め込んだ。

30人くらい入るともう入りきれない人達は窓の外やドアの外から一言でも聞き逃すまいと耳を澄ませていた。

また挨拶を交わした後トランクからノエルのお土産や写真を取り出すとドゥダルターニュ家とは違って静かな雰囲気で興味深げに正太郎の説明を聞いた。

最初から部屋にいた年老いた夫人が「あの子も立派なことをしてくれていて一族の誇りだよ」と少し甲高いが耳あたりのよい声で話をしだした。

笑いながら横浜のことなど次々に質問をし続けた。

Lisette母さん、もうそのくらいでbanquetのしたくも出来たらしいから庭に出てはじめましょう」

マダムの声でぞろぞろと庭へ人が出てゆきだして、マダムとムッシュー ルモワーヌに正太郎が残った。

「パリの連絡先がわかるなら書いてゆきなさい。家で作っているワインとシャンペンを送ってあげるよ。それから今日は此処に泊まることでいいんだね。荷物をジュリアンがつんできたところを見ると承知してくれたようだね」

「はい昨晩ジュリアンさんからお聞きしました。ドゥダルターニュ家では今日向こうへ泊まるようにと言って下さいましたが、それは此方にお任せして明日は自分の方へ泊まるように勧められました」

「ウィ。それでよい。では今晩は腰が抜けるまで飲んでもらおう」

正太郎はエッと心の中で叫んでしまった、もう昨日から自分の血はワインと入れ替わったかと思うくらいなのに「これ以上は飲めません」と断る勇気はあるだろうかと飲まないうちから自問自答していた。

なんていうのかなJe ne peux pas boire de vin plus que ceでいいかなと受け答えを両親としている間にも頭の半分は其の言葉が渦巻いていた。

池の脇にテントが張られていて其処にはもうリゼッタ母さんが椅子に座ってチキンにかぶりついていた。

「お前たちがなかなか出てこないから勝手に始めたよ」

「かまわないともリゼッタ母さん。皆もワイン樽が幾つ空になるか試して見ろ」

ムッシュー ルモワーヌの言葉で乾杯も何も合図がなく子供までが盛んにワインを飲みだした。


Paris1872年5月25日 Saturday

ジュリアンとショウの二人は朝一番8時発の特急でランスをたってストラスブルグ駅(ガール・ドゥ・レスト・東駅)に9時20分に着いた。

「やはり特急は早いな、しかも一等車両になぞ乗ったのは初めてだ」

「ええ、私もランスへ行くときは普通列車でしかも三等にしましたので座席は固いし時間は掛かるわで往生しました」

普通では3時間、特急で1時間20分しかもパリ行きの特急はランスには1日1回しか止まらないのだ。

車内で話しあって正太郎と同じオテルにジュリアンも宿泊することにしたのだ。

ジュリアンの話では騎馬警官に就職したのに軍隊で中尉のまま退役していたのでボルドーの第10騎兵部隊に配属され、リプルヌの町で駐屯したまま戦闘に参加しないうちに終戦になったことや赤痢が蔓延して600人の部隊から30人が死亡した事などを聞かされた。

「其のときさワインは赤痢が蔓延するのを防ぐという噂が出て俺が其の買い付け係さ」

「本当に効果があるのですか」

「まさか、ただ水や食い物の腐りかけなどを配給されたのが原因に決まっているさ。そいつをシチューなんて名前で出されて食べたやつが罹ることがおおいのさ。其の証拠に士官や将校は一人も赤痢なんぞ罹るやつはいなかったぜ」

ガール・デュ・レストの駅からポーターに荷物を押し車に積ませてオテル・モンマルトルの有る26 rue de Dunkerqueに向かった。

レセプションで正太郎は「ランスから戻りましたが友人が同行しています。部屋を二つ用意できますか」

「この間の部屋と其の隣をご用意できます。料金はそれぞれ3フラン60サンチームです。何泊のご予定ですか」

「今回は三泊を予定しています。アパルトマンがすぐ入居できないときは伸びるかもしれませんがそれは今日これから行きますので明日までに予定が立てられます」

「結構です。一泊分の前払いをお願いできますか後はお泊りが続く時は三日ごとの清算になります」

話が決まり二人は一泊分の3フラン60サンチームを払った。

「君、君はジョルジュじゃ無いのか。ジョルジュ・ルグラン」

「はっ、中尉ではありませんか。ルグラン軍曹であります」

「そうか元気でよかった。俺は故郷に戻ったが相変わらずのワインの買い付けと売り込みだ」

「自分は除隊した後会計士の資格を取りましてここで働いております」

「そうか非番になったら昔話でもしような。俺はこのムッシューショウとしばらく商売の付き合いで此処に泊まらせてもらうから時間はたっぷりとある」

「判りました、第10騎兵大隊ボルドー中隊の仲間にも声をかけてみます」

「何人か心当たりがあるのか」

「はっ、あの絵描きのピエールAがパリにいます。ノートルダム=デュ=シャン街に最近部屋を借りましたのですぐ連絡がつきます」

「それなら今晩ショウの招待で近くのフォリー・ベルジェールに誘われているが時間は有るかい」

「ムッシューショウがお帰りに為られたら、ギャルソンやポーターにクロークたちを招待されると聞いておりますが私もそちらへ参加してもよろしいのですか」

「勿論さ、ショウたちは若い者どおし、俺や君は部隊仲間のテーブルと別れればいいだろう」

「彼らは喜びますよ。最近東洋の人で大盤振る舞いをする人がキャバレーやドゥミモンドの館へ現れるそうです。ムッシューショウもそういう金持ちの東洋人では無いかと彼らは言っています」

「そりゃ勘違いだ。ショウは自分の商売のために君たちと遊んでパリの遊び場の流行を覚えて儲かりそうな流行物を横浜へ輸出したいのさ。とりあえずはワインとシャンペンからというので俺がついてきたんだ。部屋で着替えたら18区のダウィン街6番地と同じ18区のソウル街42番地へ行きたいが馬車を頼んでおいてくれ」

「了解しました。場所はお分かりですか」

「ソウル街はモンマルトルの丘の向こう側だそうだダウィン街も其の近くだと思うのだが最近其処へ引っ越したばかりで詳しく知らないのだ」

「では部屋から降りられるまでに地図で調べて御者にも聞いておきます」

「頼んだよでは30分したら降りてくる」

ギャルソンたちがクロークから正太郎の荷物を持って階段下で待っていた、彼らの先導で1階、2階と階段を上がり正太郎の部屋へ向かった。

ジュリアンが傍にいてチップを弾んだ、この間の正太郎と同じ一フランだ。

マドモアゼル ノエル・ルモワーヌの実家からアパルトマンの大家さんへのお土産のシャンペンを取り出すとオテルのボーイは驚いた様子で「こいつは貴重ですよ、此処の食堂のソムリエでもこいつはめったに手に入らない高価なChampagneだ」そういって幸運を喜んでくれた。

ジュリアンが自分の部屋へ向かいそれぞれ着替えてエントランスへ降りて行った。

「ドゥダルターニュ中尉、馬車が来ております。それと此れが見取り図ですが二つの家は道路の筋向いのようです」

「まさか通りの名前が、ぜんぜん違うじゃないか」

「其のまさかです。ご覧くださいこの角から入るのがソウル街其の途中の角がダウィン街です。この辺りはMONTMARTREORANGE(モンマルトル・オランジェ銀行)のもち物だそうです」

「それなら間違いないだろう。ムッシューダンヴェルスの家だったところにあのポンティヨン大尉が住んでいるはずだ」

「あの海軍士官ですか」

「そうだ最近二人目の子供が生まれて大きな家に引っ越したんだ。其のお祝いとボルドーワインの講義をお願いするのさ」

話ながら表へ出て馬車に乗り込むと御者は心得てすぐにモンマルトルの丘を東回りに進みだした。

コーランクール街に入るとすぐにソウル街其の四辻を右に折れるとラメゾンドラカーブデュヴァン(La maison de la cave du vinMadam Delphine Duchampの館が見えた、正面に馬車が二台は入れるくらいの前庭があり屋根付きのポーチが可愛い家だ。

西側の玄関は午後の日差しを受けて明るく輝いていた、屋根に何かが埋め込まれているようだ。

馬車を降りて二人が玄関のノッカーを叩き付けるまでもなく中からどちら様ですかと可愛げな声で聞いてきた、馬車の車輪の音が響いたのだろうか。

「私はムッシューカルノーの紹介でジャポンのヨコハマから参りましたショウタロウ・マエダです。Madam Delphine Duchampはお出ででしょうか。一緒に参りましたのは案内をしてくだされたムッシュー ドゥダルターニュです」

中から可愛い少女が現れ此処でお待ちくださいと玄関内の広間へ通された。

待つまでもなくエンタシス調の2本の柱の影から優雅に小走りに両手を広げて小柄ながら優雅な雰囲気の婦人が現れて正太郎を抱きしめて叫んだ。

「お待ちしていましたわ。ムッシュー Carnotから電信と手紙が来ていますよ」

Delphine Duchamp夫人は未亡人の四十台半ばに見えるふんわりとした赤毛の小さな声の、優しげな雰囲気をかもし出していた。

お名前の発声はデルフユヌ・デシャンと正太郎には聞こえた、カルノーは、住所と名前は教えてくれていたがデルフィーユ・ドゥシャーと言っていたのを思い出してジュリアンに言うと違う呼び方が有るんじゃないかといっていたとおりだ。

ジュリアンとも挨拶を交わしたマダム・デシャンにムッシュー Carnotからの手紙を見せると手紙を読みながらも「Sylvainから前もって手紙も来ているし彼の提示した金額はこちらもそれで良いわ」と早口で正太郎に告げた。

一日2フラン25サンチームただ朝食はつくがお昼は朝に予約して五十サンチーム、夕食も同じで一フランかかるということで、独身者といっても学生が多く時間が不規則だろうと朝食も六字半から七字半までに食堂に入ることに為っている決まりだ。

船では食卓の時間が決まっていたのでHotel並みに時間にゆとりがあるのはありがたいと感じた。

ジュリアンの持参したシャンペンとルモワーヌ家からの贈り物のシャンペンを渡すと嬉しそうに小間使いに渡して地下室にしまうように命じた。

「我が家の酒蔵はとても良いものがあるのよ」と聞いたジュリアン共々其の小間使いと共に地下室へ降りて酒蔵を見学した。

少女は「私はMomoよ。貴方はなんてお呼びすればいいの。この家では私はメイド役なの」

「私のことはショウと呼んでください」

「俺はジュリアンさ。時々は此処へ寄るから覚えてくれ」

「ジュリアンとショウね。さぁここがマダムのご自慢の地下室よ」

ジュリアンが驚く品揃えで棚に並ぶビンの数の多さに「こいつはたまげた酒屋でも此れだけ揃えている所なぞ少ないぜ」

Momoは自慢そうに鼻をぴくぴくさせて「この付近は昔修道院があってワインの生産が盛んだったの」という話や自分の父親はBordeauxの有名な酒蔵で働いていることなどを話してくれた。

ジュリアンがなかなか上がりたらず自慢げに案内していたMomoも痺れを切らして「さぁ、もう良いでしょ。マダムがお茶の仕度をしてお待ちかねよ」

追い立てるように名残惜しそうなジュリアンを広間へ導いた。

本当にマダム・デシャンがテーブルにお茶の仕度をして二人の婦人と話をしていた。

おやと言う顔のジュリアンだったがマダム・デシャンが「此方はブールジュから来られたMorisot夫人とお嬢さんよ。この人達は此処に住んでくださるジャポンから来られたムッシュー・マエダとお友達のムッシュー ドゥダルターニュですわ」

ジュリアンの苗字を一度聞いただけで覚えてくれたようだ。

「ボンジュールマダム・モリゾ、マドモアゼル・モリゾ、私は正太郎、前田です。日本の横浜から来ました」

「ボンジュール、マダム、マドモアゼル、俺はランスから来たジュリアン・ ドゥダルターニュです。ボナアプレミディー」よい一日をとジュリアンが挨拶すると「ヴゾオースィ」貴方もと二人は手を差し出したので正太郎はジュリアンのまねをして手にキスをする真似をした。

二人の後ろの壁に飾られている絵から目が離せなくなり少し話が上の空になってきた正太郎にマダム・デシャンが気づいた。

「あらムッシューマエダはこの絵がお気に入ったようね」

「はいなぜか懐かしい気がしました。このご夫人と景色になぜか心が惹かれます。同じ人でしょかこの2枚は」

「そうかショウ、お前もか、このご夫人俺の知っている人の奥方に似ている気がしていたんだ。一度だけパーティで会っただけなんだが」

「それわね、この絵をかいたのはこのマドモアゼル・ベルト・モリゾでモデルはお姉さんと其の娘だからじゃないの」

「では,もしかしてMadam Pontillonのことですか」

ポンティヨン大尉の奥方だと悟ったようだ。

「そうですわよ。Edma Pontillon をご存知」

「奥様とはあまり話をしたことがありませんがアドルフ・ポンティヨンとは戦友です。もっとも彼も私もこの間の戦争では戦いの場へ出ることは有りませんでしたがね」

此れからその新しい家を訪れる事等を話したリしているうちにMomoが「ショウのための部屋の案内をします」と入ってきた。

ジュリアンと正太郎はMomoの案内で2階の8号室へ向かった。

部屋数は六室がUn locataireで1号室は男性用トイレ、2号室は女性用トイレ、9号室がシャワー室、10号室がバスだと説明しながら入居者についても教えてくれた、詳しいシャワー時間とバスの時間は入居したら教えるとMomoは伝えた。

現時点では男性が正太郎を含めて三人、女性は二人、空き部屋が一室7号室で来月までには入居する予定だそうだ。

8号室は八畳間ほどもあり隅にUn litが置いてあり、書き物机と椅子それとClosetがある日当たりのよさそうな部屋で、扉がついたPlacardが有り其処に洋服や普段着をcrochetで吊るす様になっていた。

横浜で作るhangarのように型が崩れないようなものはなく単なるhookに横棒が付いただけの物が引っ掛けてあった。

三階への階段もあって屋根裏部屋と三階部分がありMomoが屋根裏部屋、料理人夫婦が大きな部屋それと物置部屋があった。

今日は其処までで下へ降りた。

下へ降りると先ほどのマダムモリゾが正太郎に様々の質問してきた。

問われるままに横浜のこと、江戸から東京に変わった街の様子と先ほど絵に興味を持ったのは広重や芳幾と知り合いだと言うことなどだ。

「オオ広重・歌麿ワンダフルビューティに街の絵が素敵ね」

そして卯三郎がパリからの土産の競馬の絵を寅吉旦那にあげた事などを告げて、其の競馬場かなと思いましたと告げた。

「此処はTrocaderoと言う場所よ。確かに此処で競馬が行われているわ、でも誰の絵でしょうね」

トロカデロという場所だとマドモアゼル・ベルト・モリゾは正太郎に告げた。

「たしかあの絵はマネと言う人の絵でした」

「本当では Edouard Manetと書いてあった」と綴りを示した。

「エドワルドと言うのは覚えていませんが題は覚えています。Racetrack Near Parisと聞かされていますが競馬場の名前は絵を買って来た清水卯三郎さんも知りませんでした。絵は馬の正面から描かれていて5頭前後の馬がまさにUn debut(スタート)する瞬間と感じました、絵の左側には観客が身を乗り出すばかりあふれていて手前に日傘を差すご婦人が描かれていました。絵の奥は小高い丘になっていましたが此処にある絵のような塔は在りませんでした」

パリ近郊のトラックという事しかわからないようだ。

「それとこの絵はもうひとつの絵の続きで次の姉が入っただけよ。本人の希望で少し若く描き過ぎたかしら」

此れにはマダム・デシャンも大きな声で笑い出した「近くへ寄ればご本人とわかるわよ。それにマダムは十分若いですわ。Berthe さんに私も描いて貰いたいわ、勿論10歳は若く描いてね」

一同が笑い疲れるくらい賑やかにお茶の時間は過ぎていった。

二人のご夫人がジュリアンと正太郎に「では娘の家で待っているわ」と告げてMomoに送られて玄関へ向かった。

マダム・デシャンは一階部分の案内をした、一階はエントランスの応接間に食堂それとマダム・デシャンの居間と寝室があり「居間と寝室は私のUne piece secreteよ」と片目をつぶって笑った。

立ち入り禁止区域ということだとジュリアンが判りやすく解説をしてくれた。

翌日にオテルから荷物を持ってきます。後二晩はジュリアンと約束があり町を巡るので夜はオテルに泊まります」と告げると「明日は昼食をご一緒しましょう。勿論のことムッシュー ドゥダルターニュもいらっしゃってね」

「ありがとうございます。明日の昼12時までにショウの荷物と一緒に私も参ります」

やはりMomoが玄関まで送ってくれて明日は遅れないでね、10分以上はマダムが煩いの。パリ時間はだめですよ」

「ランスでは30分は当たり前だぜ」

「ダメダメ、此処では定刻どおりか2分前が一番よ」

「では10分前に表に来て3分前に玄関先に馬車を乗り入れよう」

「そうそれが良いわね。ではまた明日」

二人は馬車を先導してダウィン街6番地へ向かった、ソウル街42番地から出て左へ20mほど先を右へはいる道がダウィン街だ。

話を聞いていたようでアドルフ・ポンティヨン氏は玄関を開けて今や遅しと待っていた。

「ヤァ、Jules久しぶりだな」

「ポンティヨン大尉お久しぶりです」

「固い挨拶は抜きだ。テーブルにワインが用意してあるまず乾杯だ。其の青年が日本から来たムッシュー・マエダか」

「そうだ君もショウと呼んでやってくれ。ランスで案内をしているうちに友人となったんだ。手紙でも伝えたとおりワインと商売などの勉強に来たのでよろしく頼む」

「ワインは任せておけ。ボルドーのことならどんな小さなシャトーでも俺の庭同然だ。しかしブルゴーニュのことは誰か見つけろよ」

「そいつは任せておけ」

そんな話をしながらも客間へ着いて先ほどの二人と、小さな赤ん坊を抱きスカートのすそにつかまるように茶色の柔らかい髪の長い娘を連れた夫人が出てきてジュリアンと挨拶をした。

ポンティヨン氏がワインのコルクを抜いてグラスに注いでそれぞれに手渡した。

「ア・ヴォートゥル・サンテ」

声をそろえて皆がおいしそうに飲み干した。

「此れは昨年のシャトーマルゴーだが当たり年だな、後5年寝かしたらどこへ出しても引けをとらん。そうだマダム・デシャンの館のワイン倉も俺のに負けず立派だぞ。俺のほうは人の預かり物が多いがあそこは希望者には売り渡してくれるから良い勉強が出来る。いいところを選んだものだ。誰の推薦だね」

横浜へ出てきているフランス郵船のムッシュー・カルノーと言う方ですといきさつを説明した。

「それで後商売の勉強と聞かされたがどんな商売だね」

「横浜で勤めている会社は酒と食料品の輸入と卸小売をしており、関連の会社は雑貨を扱っておりますので、パサージュと言う商店街のことを調べて横浜で同じようなものを作れるようにしたいと考えています。建築関係は今手を引きましたが関連の会社に会長ほかの役員が資金提供をしています」

「ジャポンと言うからたいしたこと無いと思うのは間違いだな、なかなかどうしてたいした会社じゃないか。それでショウはどういう身分なのだ」

「私は社長付き役員心得と言うだけではっきりとした役はありません。自分で見つけた商品に利をつけて会社経営の店に卸したり、卸売りの値段で買い受けてよそへ売ることが許されていますし、会社を通さずに自分での取引も許されています」

「すごいな、それで一年の取引額はどのくらいまで出来る」

「フランスでは3万フランの現金取引を出来るように手配がしてあります。ただ後払いでの信用取引は危険が多いので現金を全部すってもそれ以内で行う予定です」

ジュリアンも信頼できると話してくれ、この家族を見てすぐに正太郎は信頼できると感じていた。

女たちも絵の話になると「ジャポンの絵は手に入る。お茶は手に入る」とエドマ 夫人が聞いてきた。

「フランス郵船で会社の会長と其の奥様がパリへのお土産用に送ってくださったお茶に、横浜や各地の風景の版画が届いているはずです。マダム・デシャンの館に落ち着いたら荷をリシュリュー街68番地の支店まで受け取りに行きますから此方へもお届けできます」

「お茶はいくらくらいで分けてくれるの」

「いえ此方へは特別の授業料として受け取っていただきますのでお金はいただけません。ただ沢山お分けするほどは送られ来ないと思うのでそれはご承諾ください」

「良いわ、約束したわよ」

エドマ夫人は確りした人と感じられた。

夜は約束があるからと5時にオテルへ戻った二人は今晩のメンバーに9時にフォリー・ベルジェールに着くようにどこで待ち合わせるかを打ち合わせた。

「ではカフェモンクに8時でいかがですか。彼らも着替えておしゃれにそのくらいの時間は必要でしょう」

そのカフェに正太郎とジュリアンが着くとすでに皆がそろっていた。

ジュリアンは「ショウが日本人だとばれないように聞かれたらシーヌの人間でオテルの見習いポーターだと言ってくれ、もしシーヌの言葉で聞かれても彼は方言を含めて話せるから大丈夫だ」

そういってから1862年の5フラン銀貨をそれぞれに手渡し「ショウのためにいい話を女たちから引き出してくれたまえ、これは必要が出来たら特定の女に払っていい金だ、それからこの一フランはチップに弾んでいい金だ一人5フラン預かってくれ適当にチップをあげていいんだ。俺とルグランでひとつ、ショウと君たちでひとつのテーブルだ。ルグランがオテルの若い連中をひきつれて遊びに来たと言うことで繰り出そう。それぞれ自分の席に着いた娘に酒や菓子を頼ませていいぜ、俺が財布を預かったということにしよう」

分厚い財布をジュリアンが皆に見せてやるとうれしそうに「今夜はすげえことになった」ともうフォリー・ベルジェールの色気たっぷりの女たちにサーカスの芸人の余興、レビューなど興味深げに見てきたような話が始まった。

店を時間を見て後にすると正太郎はすぐに見習いらしく振舞い出して先輩のあとをついて歩く練習までして皆を笑わせた。

アレクにアルフレッド、グレグの三人は相当遊びなれた様子でもう先輩風を吹かしだした。

「そうそう其の調子だ。女たちの前でも其の調子で頼むぜ」

ジュリアンは皆をおだててジョルジュと歌を歌い出した。

「中尉それくらい声が通ればシャンソニエの歌手デビューが出来ますぜ」

「馬鹿なこというなよ。俺のは人様に聞かせて金を貰うなど無理さ。せいぜい金を払って聞いてもらうくらいだ」

もうすっかり仲間気分がいきわたった6人がフォリー・ベルジェールに着いたのは9時を3分ほど過ぎた時間だった、たそがれ近くこうもりが飛び交っていた。

入り口で12フランの入場料をジュリアンが払い店内に入り二つのテーブルが並んだ場所に案内させてセルヴィスに皆からだと5フランを渡した。

すぐにシェフドランが来て礼を言って何がお望みか聞いてきた。

「ワインはソムリエに言って若くて力強いやつ、ミモザにポテトのフライあとフランクフルトがあればいいだろう、それと話し好きの女を席に呼んでくれたまえ。今晩はオテルモンマルトルの従業員の慰安会だから賑やかにしたいのさ」

ルグランが早速手の内を明かす振りで話を持っていった。

「オテルモンマルトルといいますと北駅のですか」

「知っているかい。俺はレセプションで働いているジョルジュ・ルグランだ、後はクローク主任にギャルソンたちに、ポーター見習いのシーヌから来た男だ」

「シーヌの人ですか此処には東洋人のかたは珍しいです」

「たまには来るのかい」

「ジャポネにシーヌ、コーチなど時々お出でになります。アラビアやトルコの商人に王族は珍しくありません」

そう話してすぐに女たちを6人送り込んできた、すぐにジュリアンと正太郎が1フランずつ全員に手渡すと皆は自分の両隣の女に渡して届いたワインを注いでもらってご満悦だ。

マリィという娘が「この人景気がいいのね」と正太郎はフランス語が判らないと思ったかアレクに聞いた。

「そいつはまだなれないからジュリアンさんについて同じようにしろといわれているのさ、フランス語も少しはわかるから話してやれよ」

其のマリィと正太郎の間に座ったエメという娘が「ボンソワール」とおそるおそる話しかけてきた。

Je suis tres heureux ici ce soir.Veuillez m'appeler un ショウ」

「ウィ、ショウでいいのね。少し訛りが有るけど判りやすいわよ」

すぐに打ち解けて話題が競馬とシャンソンはどのような歌が流行りなのかを教えだした。

「チャィナではボンジュールはどういうの」

「ニィハォです。オーヴォワーはサィチェンで此れはまた逢いましょうということです」

エメは発声練習をしてすぐにさまになった。

「上手いですよ。私なぞフランス語をそんなに簡単に話せませんでした」

エメは煽てに乗りやすいのかうれしそうに正太郎の肩に手を置いて「今度町を案内するわよ休みの日を教えて」とうれしがらせを言って気を惹いた。

ほかのものも自分の隣の娘が気に入ったようでひそひそと何かを囁いてチップの上乗せをして女に飲ませる酒や飲み物を注文させ出した。

正太郎は「明日もきっと来るよジュリアンさんがきっと行こうというだろうから二人で来ることになるだろう」そういうとエメはブリュネット(Brunette栗色)の髪をなで上げて顔が正太郎に見えるように明かりが射す位置に立って可愛い顔で伝えた。

「すぐ来るからほかの娘を呼んじゃいやよ」

「それなら君の好きな菓子や果物を頼んでお出で」

エメは若そうだがいくつなのかなと正太郎は推理しだした。

話し方だと18くらいかな、見た目はもう少し幼そうだけど相当化粧が濃いのか色白なのかが判らないななど、楽しんでいるとそれぞれの娘たちが休憩時間なのか席を立って同じように何事かを頼まれていた。

「ショウお前の娘は少し子供過ぎないかもう少し大人の娘にしたらどうだい」

「そんなに幼いのですか」

「いやなマリィがエメは17になったばかりで此処では新米だと教えてくれたのさ」

正太郎は自分たちの話に夢中で隣まで気を配れなかった自分を反省したが「僕だってまだ17ですからちょうど良いようですよ。あそこで此方の気を惹きたがっている娘も同じくらいのようですがね」

「ショウ、あれは去り行く人やリュイ・ブラスで有名なサラという女優でもう30くらいだぜ。ここらあたりでは有名人さ、其の傍の人のほうが年下だぜオペラ・ブッファのヴァルテス・ド・ラ・ビーニュだぜ」

「驚いたなぁそんなに年上ですか。若く見えるのには驚いたな」

「もう酔っ払っているんじゃないのかい。そういう俺も妖しくなってきたようだがね」

ジュリアンとジョルジュもこちらのテーブルに来て品定めが始まった。

ジュリアンは「さっきトイレに行くついでにで新たにチップ用に1フランを一人5枚用意した」それぞれにコインを渡してポケットにしまわせた。

それぞれ酔いも手伝い気が大きくなっている様子が正太郎には面白く感じられた。

「今晩の出費は200フランぐらいかな、三十六両か岩亀楼でのお大尽遊びと同じくらいだな。1000フランくらいは遊びに使っても良いとジュリアンに言ったので気が大きくなっているぞ」

心の中で今日明日くらいしかこれない店だなと感じていた。

其の二人は女の子たちが去ったテーブルへやってきた。

「あの娘たちが帰ってくるまでお話しても良いかしらジャポネの人」

「こいつはチャィナですよマドモアゼル」

「アラだめよ。カフェで内緒話を聞いてしまったもの」

正太郎はあのときの薔薇の匂いはこの人だったのかと気がついた、あの時確かに仕切りのカーテンの向こうから薔薇の香りがほのかにしたことを。

「仕方ないなぁ。内緒に頼みますよ」

「いいことよでもその代わりあたしたちにも何かおごりなさい」
ほかの男たちがうらやましそうに此方を覗き込んでいるのが良く判った。

「ではあちらのテーブルで私ジュリアンとショウがお相手しましょう。君たちは適当に遊んで帰って良いよ。例の硬貨は適当に使ってくれたまえ」
二人と二人でジュリアン達がいたテーブルに移った。

「本当はエメが聞いていたのよ。それで私たちに御注進と来たの。あの娘私と同じ香水がお気に入りでお金がかかるのチップを弾んでやってね」

「此れじゃパリで内緒ごとに出来ないかな」

「アラ大丈夫。エメも私たちも口が堅いしあたしが内緒といえば誰も話さないわよ。ショウというのねその人のことは日本人の振りをしたがるシーヌよと言ってあげる」

ジュリアンについていた娘に彼が1851年の5フラン銀貨を3つ渡して「向こうのテーブルに後二人呼んで賑やかにやってくれこっちはエメにサービスさせるから」と頼んだ。

「良いわよアラ懐かしい銀貨ね」

「そうさ俺のところは新しいものには縁が無いので昔のものさ、お袋をだまくらかしてくるのさ」

なに本当はカレーで札にしますか硬貨にしますかと聞かれた正太郎が5フラン銀貨100枚5フラン札100枚後は20フラン札で混ぜてくれと言ったらいろいろな5フランがあったのをジュリアンが分けて袋に入れたのだ。

フランカというイタリア人ぽい名前の娘が承知してエメを残して向こうへ行った。

正太郎はそれでエメは俺がシーヌか試すためにシーヌの言葉を聞き出したかと若そうに見えるこの娘の手練手管を見定めたいと思った。

二人の女優は私たちはエメを妹のように大事にしているからショウはこの娘を贔屓にしてねと頼んだ。

「いつも入りびたりというわけには行きませんが出来るだけ顔を見せましょう」

「あらそうじゃなくて昼間のお付き合いよ。お店ばかりではお金が大変でしょ。あたしたちによってくる大金持ちや成り上がりそれに外国から来た貴族ならいくらでも手玉に取れるもの」

明日のロンシャンはいけるかと聞かれてジュリアンは「残念ながら明日は昼に約束があります」と言い残念そうな顔をした。

「では其の次のシャンティはどう昨年は中止されたPrix du Jockey Club(ジョッケクルブ賞・フランスダービー)が開催されるのよ」

ほかの男達が聞いたら目を剥いて怒り出しそうなことをさらっと言われて目を白黒させるジュリアンだった。

「良いでしょう。二人で何を置いてもお供します。王侯貴族とは行きませんがあと一人友人を連れて行って良いですか」

「どんな人」

「ルノアールという絵描きですがご存知ですか」

「アラあの人よく此処へ来ますわ。いつもモネさんマネさんたちと一緒ですわ」

エメが知っているというのでジュリアンもどうでしょうと聞きなおした。

「良いわよでは私たちは一般席しか入れてくれないから手を回して6人分の席を予約しておきますわ。日本から大金持ちが来てお金を私の叔母のところで使っているのを聞いたことが有るけど貴方では無いわね」

「私ではありませんよ。誰でしょうね日本の貴族の遊び人でも来たのですかね」

「知りたそうね、今度叔母に聞いて置いてあげるわ」

まさか山城屋では有るまいと正太郎は思ったが誰か政府の高官で遊興費が使えるのはいないはずと思い、鮫島様に会ったときに聴いてみようと心にしまった。

「エメを連絡係にしていいですかね」

「そうしてあげてね。でもこの娘に合う衣装が無いわ」

やられたと正太郎は思った、こういう持ち掛け方で衣装を客に持たすのかと思っては見たが顔は笑って「シャンゼリゼでどこか良いところを知りませんか」

「あそこでなくてもモンマルトル大通りのPassage Jouffroy(パサージュ・ジュフロワ)にLe magasin du lis(百合の店)というお店が私の顔が利くのよ」

「では其処へ明日の午後5時ごろいかがでしょうかね」

「エメは其の時間大丈夫なの」

「はい空いています。3時まで学校なので大丈夫です」

「日曜も学校なの」

「エエ、特別授業があるので行かないといけないのです。リセの第1学年で最終をパスしてバカロレア資格を取ろうと思います」

「エメは頭が良いんだね」

ヴァルテスはいまさらのようにつぶやいた。

まだ勤務が有るエメを残して店を4人で出て家に帰るという二人を馬車で送った。

二人が降りた後「驚いたなあんなに浮名が流されている女優に簡単に会えるとわな此れもショウの人徳か」ジュリアンはまだ動機がすると胸を抑えて見せた。

「だが服をねだられたのは驚いたな。俺たちも競馬場行きの服を買わないとまずいかな」

「そんな事をしたらルノアールという人のも準備してあげないとまずいでしょう。貸服ではいけませんか」

「そうだ、そういう手もあったな。エメの分は仕方ないだろうが10フランも出せばあるだろうがあの二人が附いてくると倍は覚悟しないとな」

「でも今日の出費の165フランに比べればたいしたこと無いですよ。今月は後300フランまではつかえます。でも来月からは小遣いは30フランくらいに抑えたいと思いますからエメが何と言おうとフォリー・ベルジェールに通うのは無理ですね」

「心配するなそのときは俺がおごるよ」

ジュリアンは帰りがけにフランカに何か囁いていたから明日行く約束でもしたのだろう。


Paris
1872年5月29日 Wednesday

ラレーヌオルタンス26番地日本弁務使公館へジュリアンと正太郎にエメが付いて訪れたのは漸くメゾンデマダムDDへ荷物を運び部屋も片付いてポンティヨン家に贈り物も届けた翌日のWednesdayになってからだった。

公館を訪れると受付には高野という日本から鮫島と共にフランスへ渡った書記官がいてすぐ鮫島へ都合を聞いてくれた。

「君が前田君か、鮫島様から来たらすぐ連絡をといわれている執務の都合を聞いてくる間此処で待っていてくれたまえ」

高野が奥へ入ると「オイ、ショウお前すごいな簡単にCharge d’Affairesに会えるなんて大物じゃ無いのかい」

「そうでは有りませんよ。内の旦那様が鮫島様と10年来のお付き合いが有るので私も顔見知りなのです」

鮫島が執務室から出てきて細身の顔が少し疲れた様子だがそれでも声は確りしていた。

「正太郎よく来たな。西郷さんから手紙が着いたがなかなか来ないので心配したぞ、それでそちらの方々は」

「お久しぶりでございます。紹介いたします、此方の紳士はジュリアン・ドゥダルターニュといって私のワインのための先生をしてくださいます」

ジュリアンは今日は粋な白シャツに赤いマフラー青いパンツスタイルだ、二人は握手をしてそれぞれが自分の名前を名乗りあった。

「この淑女はEmilienne Brunnetiere(エミリエンヌ・ブリュンティエール)と申しまして今大学入試を目指しながら夜は働いているというがんばりやで私の商売のための店の配置や商品の陳列に仕入れの方法などを教わっています」

エメは黒の半袖に前ボタンに長めの腰紐のUne robe(ワンピース)に決めていて差し出す手をやさしく握って軽くキスをする鮫島もエメも優雅なしぐさをすると正太郎には見えた。

「エメと呼んでいただきたいものです。ショウがどういったか判りませんが私は学生ですが学費を稼ぐために夜はフォリー・ベルジェールで働いています」

秘書官として働いているフレデリック・マーシャルが二人のために正太郎が言った事を通訳してくれ「今の貴方の言葉をCharge dAffairesに伝えてもいいのですか」とやさしく聞いてくれエメの言葉を正確に伝えてくれた。

「フォリー・ベルジェールね入ったことがあるよ。世間の噂とは違う店だということも知っているから君がショウの先生なら私も君を敬います」

まだたどたどしいながらも仏蘭西語でどうにか意味が取れるように言ってくれた。

「鮫島様もうフランス語が喋られる様になったのですか凄いです」

正太郎が思わず仏蘭西語で言うと「待ってくれ。こちらから喋るのはどうにか意味が通じる程度になったが聞き取りはさっぱりなのだ」此れだけ言うにも単語をつなぎ合わせてのたどたどしい物であったが全員が意味はわかると鮫島を持ち上げた。

応接室に通され高野とマーシャルは仕事に戻りメイドがカフェを淹れてマカロンを配った。

正太郎が船の旅にニューヨークのことポーツマスで東郷と酒を酌み交わしたこと、パリへ一度入ってランスへの旅でジュリアンと知り合ったことなどを話した。

「あのお喋り平八が良く辛抱している」

鮫島は懐かしそうに話してカフェを上手そうに飲んだ。

ジュリアンの話も彼がゆっくりとランスでの仕事、アントワープでの酒の卸売りの店を持っていることなどを説明するので理解できたようで難しい言葉は正太郎に聞いて頭に入れるようにメモを取った。

マーシャルが話しに加わってもらうほうが良いだろうと鮫島が呼び入れて交互に通訳の手助けをしだした。

「ところで此方のマドモアゼルとはどこで知り合った」

フォリー・ベルジェールの店へジュリアンたちと遊びに行ったときに気が合ったのと、二人の女優に内緒話が漏れてなぜかそれが縁で友達になり6月2日の日に行われるPrix du Jockey Club(ジョッケクルブ賞・フランスダービー)の観戦に行くことを約束したのも正太郎は隠さず話し、例のお大尽遊びの日本人がいるらしいとの話もした。

「凄いな君たち、白耳義のプリンスがこいこがれていると噂が出てる人達と友達だと、うらやましくて頭をかきむしるものまで出るぞ。決闘だなぞと言う騒ぎを引き起こさないでくれたまえ」

笑いながらそんなお大尽に心当たりがありますか鮫島様と聞いた。

首を傾げていた鮫島は「今そんな様子の日本人はいないようだが」と言う話をジュリアンに通訳しながら続けた。

日本人では無いかもしれないが、ヤマシローという男がBrandyを買い付けたいとCognac(コニャック)Armagnac(アルマニャック)パリを通訳付で歩き回っていたという話をエメが話してくれ、ジュリアンもシャンパンを探している東洋人がヤマシローと呼ばれていた事を思い出した、それで山城屋に違いないと二人とも思い当たった。

「鮫島様、やはり山城屋はパリでdemi monde(ドゥミ・モンド)の館で大盤振る舞いしているということだと例の話は本当らしいですね」

「正太郎、君は君の出来るやり方でもう少し情報を集めてくれたまえ、ムッシュー・ジュリアンとマドモアゼル・エメも正太郎に協力してくれませんか」

二人がショウのためになることならムッシュー鮫島にも協力を惜しまないと約束した。

鮫島がありがとう君は仕事に戻ってくださいとフレデリック・マーシャルを下がらせ「此れは当座の活動資金だから自由に使いたまえ使い道を報告しなくとも良いよ」と5フラン札を20枚取り出して正太郎に渡してくれた。

「お預かりします。大事に使わせていただきます」

悪びれずに正太郎は受け取ってカバンに入れた。

西郷からも手紙でそれとなく知らせがあったという話やドイツやイギリスへの留学生の中には山城屋からの援助を受けているものがいるらしいので鮫島の身辺にスパイがいるかもしれないから足元に注意ということも知らせがあったと話して「こちらでもドゥミ・モンドの方面に詳しいものがいるので聞いてみよう」と情報収集を皆が力を併せることを誓った。

其の日は此れから出勤の仕度があるというエメをアパルトメントの有るノートルダム=デュ=シャン街12番地へ送り34番地のルノアールの家へ向かった。

「ヤァ中尉お待ちしていましたよ。もう出かけますか」

「君のも俺のももう準備が出来ているだろう後は受け取るだけさ、だが日曜まで着て出かけるなよ。月曜には返すんだから汚さんでくれよ、損料が高くなる」

「もう中尉は何時までも俺をがき扱いですな。ところでPrix du Jockey Clubはどれに賭けますか」

「このショウは馬の写真と新聞の絵を見て2頭を選んだ。俺は成績と系統から2頭を選んだ、君はどれを選ぶんだ」

「今年は波乱なぞ起きないでしょう。どう見てもRevignyが本命でしょう」

「俺もそう見たが2着をどうするんだ。Une personne du pari(賭屋)ではショウの選んだ1着2着に8倍の配当をつけると煽っているぜ」

「牝馬のLittle AgnesCondorがいいでしょう」

「ショウは其のLittle Agnesの2着を予想しているぜ、俺はCondorがいいと思うがどうだ」

Poule d'Essai des Poulainsで勝ったRevignyの1着は堅いでしょうな、父親はあのOrphelin(オルハン)母がWoman in Red(赤毛女)か騎手のアルは此処のところ調子がいいしな。それで行きますか」

「では3人でショウの選んだ其の組み合わせで賭屋に申し込むか、コンドルはこの際敬遠しよう、ショウは100フラン出すそうだ、俺は50フランお前どうする」

「50フラン出そうリュエル画廊に絵を買ってもらったので懐に余裕があるんだ。しかしショウは景気が良いな」

「其の絵のことだがショウが小ぶりのものを3点買いたいというのだが」

「良いとも一月くれるかい、題材は何が良いんだショウ」

「出来れば川沿いの風景と遊んでいる人達を連作でお願いできますか」

「よし12号で行こう、150フラン出せるか」

「勿論です。支払いは何時でも出来ますがどうします」

「先に貰うとキャバレーで人に奢って描く気がうせるから半々でどうだ」

正太郎は20フラン札3枚と5フラン銀貨3枚を渡した。

「受け取りはどうする」

「この紙に半分の代金75フランと書いて3部連作代金としてください」

厚手の紙を出してサインをしてもらい大事そうに封筒にしまった。

「出来れば其のアラビア風の絵が欲しいのですが買い手はあるのですか」

「こいつか此れはサロンの展覧会に出そうとしたら撥ねられたよ。こういうのは敗退的だとよ」

1620×1303の100号campusという大物だ。

「ショウはこういう構図が良いのか」

「いえ私の会社の社長へのプレゼントにしたいのです」

「そうかいくら出せる、それとアラビア風ではなくてアルジェ風だよ」

「ピエール、それはたいした違いは無いじゃないか」

「イエイエ中尉殿。此れはポリシーというものです」

ウームとうなってしまうジュリアンであった。

「500フランぐらいでいかがですか」

「オッ良いだろう」

正太郎はえっそんな安いのと思ったが向こうが大喜びしているということは高く言い過ぎたのかと思ったが「ルノアールさんはもっとやすくても良いと思ったのですか」

「そうだなサロンで入選したらそのくらいの価値はあると思うが落ちたからなぁ。俺はいいものだと思うがもっとおとなしいエロチシズムを表に出すなと老人は思うようだ。日本の版画で北斎を20枚くれるなら半分で良いがどうだ」

「画材はどれでも良いなら20種類を二枚組み合計40枚送らせます」

「良いだろうでは金は十日後くらいまでに用意できるかい」

「はい競馬が終わった後のルノアールさんの都合のよい日に絵を持って私のアパルトマンへお出でになりませんかキャバレ・デ・ザササンの坂下です。お昼か夕食をご一緒できればうれしいです」

「良いな。ではシャンティの日に詳しい打ち合わせをしよう」

「アパルトマンは42, Rue Saules 18 emeMaison de MadamDDです」

3人で貸衣装屋へ出かけて寸法どおりの貸衣装を受け取って正太郎が預かりアパルトマンへ戻った。

ジュリアンとルノアールはこの後部隊の仲間との会合がありジュリアンは明日木曜日は正太郎とMaison de MadamDDで昼を食べた後もう一晩オテルへ泊まる予定、そして金曜日はマイィ村で一晩泊まり土曜日にはパリへ戻る予定だ。


Paris 1972年6月2日 Sunday

Dimanche(日曜日)の朝7時にはマダム・デシャンとMomoがどう見ても難癖が付けられないほど様子が立派になった正太郎は、オテルモンマルトルに泊まっているジュリアンとルノアールを乗せてくる馬車を待った。

「いくら相手が売れっ子の女優でもこんな早くからしたくしておめかしなぞ行き過ぎでしょう」

「何を言っているの。シャンティにお供すると聞いただけで羨ましく死んでしまいたい人も出るわよ。普通夜も眠れないほどうれしいはずよ」

Momoはそういうけど同じ馬車で行くわけでもないのだぜ」

「そんなことは馬車から降りるところを見なけりゃ誰も信じないわよ」

仕方ないなぁとは思いながら張り切るマダム・デシャンとMomoに任せて仕度するのだった。

29日から此処へ泊まる仕度も済んで住人としてほかの住人とも親睦の夕べを3日のLundi (月曜日)の夜に行うことも決まりまだ落ち着かない毎日が続いているさなかの競馬場行きだ。

三人のマドモアゼルたちは別の馬車が迎へに出掛けていて9時にサンドニで待ち合わせることになっていた、それらはすべてエメが知り合いの貸馬車屋に手配してサラとヴァルテスにふさわしいものを借り出したのだ。

すべての費用は男性3人の割り勘と決まって正太郎は100フランを覚悟しないといけないとジュリアンに言われた、馬車だけでも朝から夜中まで御者助手を含めて88フランという高級なものだ。

「横浜や江戸の芸者の一日連れ出し料は売れっ子芸者なら十両はかかるから十八両なら負担としては妥当かな」

ジュリアンにそういうと「それで遊び回るだけなのかジャポンも女の有名人と遊ぶのは大変なんだな」とホッしたようだが正太郎は本当にうかうかしていると金が底をついてしまうと気を引き締めた。

「お金は持ったの。足りるの」

「5フラン銀貨がこのホルダーには20枚、20フラン札が胴巻きに前に10枚後ろに10枚後小銭で30フランくらいはあるよ」

「ショウ全部使っちゃだめよ。馬券が当たったらあたしも何かおねだりしようかな」

「当たればね。8倍の配当を賭屋が約束して受けたそうだから、今日の出費を大目に見てもだいぶ残るさ」

「やだショウもう当たったように言うじゃないの」

脇玄関から広間にDanielが駆け込んできた。

「マァはしたない。ダン何事なの」

Momo大変だ表の馬車からサラ・ベルナールとヴァルテス・ドラビーニュがお供を引き連れて入ってきた」

ダンが表でいつもの体操をしていて止まった馬車を覗き込んだようで、彼女たちがギャルソンの開けたドアから降りてきたときには吃驚して呼吸が止まったと後でMomoに語った、ダンは部屋に女優の写真やポスターを沢山と飾っているのですぐ判った様だ。

Momoは「あら大変」と正太郎をほっぽり出して玄関に走りドアを目一杯開いて有名女優二人を迎えた。

bonjour(ボンジュール)Momo」サラは正太郎が家のメイドはMomoという娘だと言ったのを覚えていたようだ。

Momoは白いドレスに赤い薔薇のCorsage de l'epaule(ショルダー・コサージュ)黒白マーブルの帽子にグリーンのスカーフのサラにポーッといっぺんで参ったようだ。

Je suis honore pour etre capable de vous voirおいでいただいて光栄です。我が家のマダム・デシャンもあなた方を歓迎いたします。どうぞお入りださい」

Momoは脇によりサラとヴァルテスにエメの三人と後に続いてルノアールとジュリアンそして黒人のメイドが入ってきた。

ヴァルテスはこげ茶のストールが目立つ水色のドレス、スカート部分にはレースが3段に分かれている、青い羽根飾りのついた帽子、少しオールドファッションスタイルに決めてきた。

エメは皆が絶賛したLazuli Lapisを思わせる群青色のドレス、腰部分が高く裾は絞りぎみで肩繰りは膨らましてrobe montante(ローブモンタント)は首の長いエメによく似合っている。

Momoはエメを「とても素敵よ。そのAigretteがドレスを引き立ているわ、ドレスもこんなに柔らくて薄いうえに強そうな生地ね」スカートの裾を触らせてもらい心から褒めた。

「ありがとう、此れは友人の方々からのプレゼントよ。とても自前では買えないわ。今日の競馬のための衣装なの。生地はショウの国からの羽二重よ」

正太郎も生地の素性までは知らなかった「そうすると旦那がゴーンさんに卸した生地でも使われているかな。エメは僕が金を出したとMomoに言うのを控えたのか、Momoはそんなこと気にしないだろうし」など一瞬の内にその様な思いが頭の中を巡った。

エイグレットは白鷲の羽毛を飾るそうで其の白さがドレスを高級に見せていた、ジュリアンがその気になってしまい正太郎に66フランのこのドレスに10フランのAigretteを買わせたのだ。

「何例の山城屋の探索に使う金から経費で出せば良いだろう」

「そうも行きませんよ。ドレスは私が持ちますからAigretteを其の経費で落とします」

後で鮫島から金を預かったときにジュリアンはそう言ったが心の中では何か元が取れるような情報でもと思う正太郎だが、ジュリアンはそれ以上の交際のための経費だぜと暗に匂わせているようだ。

「どうしました。待ち合わせ時間までまだ時間が有りますよ」

「そうなんだけどお馬さんのことが気になって朝からサラが大騒ぎなの。それで早めに家を出たら途中でジュリアンたちの馬車を見つけて後を附いて来たのよ。迷惑だった」

後の迷惑だったは聞く人によっては女の甘えに聞こえただろうが、そういうことには疎い正太郎で「いえ迷惑どころか私を含めてこの家の人たちすべてがあなた方を歓迎します」精一杯紳士らしく振舞おうと少し背伸びをした返事だ。

広間にはこの家の住人一同が集まり3人のドレスを褒め、周りを取り囲んだ。

「さぁさあそれくらいにしてTabouret(タブレー・スツール)に座っていただきましょう」

マダム・デシャンのご自慢の赤いラシャ織りの布が張られた四角い豹の足の形のタブレーだ。

マダム・デシャンがカフェを手ずからいれ小さなカップに注いで大き目の皿に乗せて渡した。

優雅にカフェを楽しみ「ではショウをお借りしていくわ。貴方はエメをエスコートしてねジュリアンとピエールAはあたし達のほうへ乗るのよ。アリスはお目付け役でエメのほうに乗せるわ」

Momoに何か耳打ちしてサラとジュリアン、ヴァルテスはルノアールに手を預けて馬車へ向かった。

「ショウ貴方100フランもRevignyLittle Agnesの1着2着に賭けたんですって」

「ジュリアンとルノアールさんも同じ馬に50フランずつかけたよ」

「あなた方の賭屋の情報は今朝変わってその組み合わせは3対8になったわよ。良い時に賭けたわね。サラが昨日の7時に賭屋にあったときにはもう3対14になっていたのよ」

「サラはそれで賭けたの。4.7倍か一昨日の僕たちは8倍で今朝は2.66倍なんでそんなにこの組み合わせに人気が出たんだい」

「あなた方が賭けをしたときはTom JenningsFrederic de LagrangeCondor(コンドル)が一番人気だったの。サラはそれに500フランもかけてしまったの」

「何か良い情報でも掴んでいたのかい」

「そう、馬主のFrederic de LagrangeRevignLittle Agnesも前走では勝っているが距離が2400mの今度は疲れが残ってCondorの敵ではないというの」

「そんな馬鹿な、僕の横浜の旦那が持っている馬でもそんなことは系統を調べればすぐ判ることで2週間開いていれば馬の力が前より伸び盛りの若い馬には関係が無いといっていたよ」

「そう私も思うのジュリアンはこの前そういっていたし、サラに言ってあなた方の賭けが8倍で成立したというと。前の賭けがフイにならないように100フランを工面して昨晩賭けを成立させたの。ショウの運勢にヴァルテスも100フランかけたわ」

「でもそれくらいなら掛け率が低くなる要素は無いね。誰かが多く賭けたか倍率が良いので其処を狙う人が増えたかな」

「そうかもしれないわね。私も昨晩なけなしの50フランをかけたの、2頭が順番で入らないと今月の生活が苦しいわ」

「エメもばかだなぁ。賭けに手を出すと怖いよ、際限無しにのめりこむかもしれないよ」

正太郎は自分の賭けをさておきエメの無謀を諭すようなことを言って「でもね、あの2頭で決まるさ。僕も横浜で数は少ないけど馬を見てきたし、何と言ってもジュリアンとルノアールさんは第10騎兵大隊ボルドー中隊のつわものだからな、あの二人がCondorはだめだリトルアグネスにも勝てないだろうと言っていたよ。騎手のムッシュー・カレもよく知っているようだしね」

Revignは前走がプール・デッセ・デ・プーラン(2000ギニー)でロンシャン競馬場の1600mLittle Agnesの前走は此処シャンティのPrix de Diane(パリ・ディアヌ賞)の2100m共に勝鞍をあげていた。

系統を見ても距離に不安は無いしリトルアグネスの騎手のムッシュー Gorringhamは牝馬使いの名人といわれていた。

「そうね後は入れ替わってリトルアグネスが頭にならないことを願うばかりね」

正太郎もジュリアンもそれを考えることすら忘れるくらいRevignに夢中だった。

若い二人は其の後正太郎が気にしていた山城屋の情報をサラの叔母が集めてくれることや、Maison de MadamDDの住人のダンの彼女のロザリーが其のサラの叔母のロジーヌのお気に入りなので便宜を図ってくれること、新しい衣装がとても気に入ったことなど正太郎の腕を抱え込むようにして話が弾みベルリーヌ馬車の揺れを二人は楽しんでいた、同じ馬車の前の席にヴァルテスの黒人のメイドのアリスがいても居眠りをしていて4人乗りを二人きりで占有しているのと同じような道中だ。

Avenue de la Porte de Clignancourtを進んでSaint-Denis(サン・ドニ)で線路を横切って更に北へ街道を進むとたわわに実った小麦畑は刈り入れの真っ最中で日曜も仕事をする農民で忙しそうだ。

「私の家も小麦に野菜畑が主で両親も二人の兄も今頃忙しくしていると思うの。私だけ遊び歩いているのが悪い気がするの」

「仕方ないさ、勉強と其の学費のための仕事と割り切れないのかい」

「まだどこか子供のままの私がいるようね。綺麗な服を着てこのような立派な馬車に乗ってすまない気持ちがあるのに夜の仕事に入るとその様な気持ちはどこかへ飛んでしまうの。ショウはそういうことは無いの」

「僕は何事も仕事と思うことにしているよ。勿論遊びだって仕事になるまでの投資だと思っているのさ。だから遊びは楽しむもので悩んで仕事にするための遊びではいけないと思うのさ。エメも遊びは仕事の一部、だから楽しまなければだめだよ」

「なんだか良く判らないけど遊びも仕事の一部、仕事は苦しんでするものでなくて遊びと同じように楽しみながら行うと言っているようね」

「そうさ。仕事も遊びも楽しまなくちゃ。思い込みが強すぎてそれに溺れてはいけないのさ」

サンドニの大聖堂の周りはDimancheの市で賑わっていた、様々の服装の人が行き交い街道が錯綜する町外れではParisからシャンティに向かう馬車が増えてきた。

Sarcelles(サルセル)を通り過ぎるとシャンティへ向かう馬車の行列が30台ほども繋がった。

カーブのところで前後を見ると二人乗りからオムニバスまでが田園地帯に続く北街道を競馬場目指していた。

「すごい行列だね。此れだとシャンティにつく頃に大変な数だろうな」

「5000人以上は集まると賭屋のジャンが言っていたわ。馬車だけでも500台は来るんですといっていたわよ。そのうち上流階級の人のが100台はくだらないでしょうとも言っていたわ」

しばらく田園地帯が続いたがLe chateau de Ecouen (エクアン城)が見えるあたりから人家が目立ちだした。

街道が三角の山を越すように曲がりLe chateau de Champlatreuxを通り過ぎると谷あいの道は上りとなり丘の上に出た、Chaumontel(ショーモンテル)には夏の日差しが逆光となって建物を照らしていた。

「このあたりはパリから遊びに来たり静養に来たりする人達の別荘やオテルが冬を除いていつも人で溢れているそうよ」

此処までほぼ一時間半遊びに来るには手ごろな距離だろう。

右手に道が折れて降り出すと2キロほど先に馬場が見えてきた。

「もうシャンティに着いたのかな」

「あれは訓練用の馬場よ。あそこで騎手や調教師が馬の訓練をしているのよ。そして新しい騎手の養成もするのよ」

11時近く42, Rue Saules を出て3時間あまりの道中も楽しく過ぎ、シャンティ駅近く操車場と引込み線の線路が近付き、踏み切りをゴトゴトと渡るとすぐ先にシャンティの競馬場が見えた、其の先には駅舎が見えて此処までUne vapeur locomotifで来た人達が競馬場まで歩く様子がよく見えた。

下馬、下車場には貴賓、有名人を見ようと多くの人が集まってきていた。

サラは先に下りたジュリアンに手を預けて馬車から降りてきた。

「サラよ」「サラ・ベルナールよ」彼方此方でサラの名が囁かれたがジュリアンのことなどもとより誰一人知る人はいなかった。

「ヴァルテスも一緒よ」

「あの先に降りてきた人はルノアールよ。あの画家のルノアール」

「なるほどねさすが遊び人と噂が高いルノアールならヴァルテス・ド・ラ・ビーニュの彼氏ということも納得できるな」

其の声が聞こえたかどうか4人はエメと正太郎が馬車から降りてくると先へ進んで一般席ながら1コーナーの特別スタンドへ入った。

メーンのPrix du Jockey Clubの発走は4時ジャスト、今日は内馬場のダートでの5レース行われた後Un cours du gazon (芝コース)2400m登録12頭(牡馬9頭・牝馬3頭)で今のところ取り消しはなさそうだ、今日のレースは5時半の古馬優駿が最終で7レースが行われるがサラの一行はPrix du Jockey Club以外は適当に遊ぶつもりだ。

サラとヴァルテスの元には入れ替わり立ち代りいろいろの人が挨拶に来てゆっくりと話も出来ない有様でジュリアンにピエールは「有名人というのもつらいものだ」と投げやり状態だ。

「ショウ、馬見所に行こ」

「良いよ、次の第3レースの馬券でも買うかい」

「ううん、もう賭けをする余裕は無いもの」

「僕が一レース20フラン出すから君が予想しなよ。当たったら儲けの分は山分け、外れたらデート一回でどう」

「いいわ。それなら大穴ばかり予想しちゃおうかな」

競馬新聞の売り場を覗いてChantilly drap de la rechercheというのを選んだ。

第3レースの馬はすでにdu cours de la salete(ダートコース)に出て向こう正面の発走トラップ近くに集合していた、新聞の予想とあたり具合を見るため二人は予想屋とブックメーカーを兼ねたUne personne du pari(賭屋)のパイクという看板を出した大きな太った男の傍で見守った。

「其処のお嬢さんと東洋から来られた紳士、お二人さんこのレースはかけないのかね」

「このレース馬も見ていないし、新聞もまだ買ったばかりで読んでいないのです」

「お嬢さんそれなら1から8までの好きな番号に5フランかけないかね。配当はどれでも3倍をつけるよ」

「そんなことして良いのかい、本命はいないのですか」

「おや東洋の紳士はフランス語がわかるようだね。このレースダービーのはずれ馬ばかりの3歳馬なので予想が難しいのさ、本命がいない替わりにまるっきり駄目というのもいないのさ」

二人とのやり取りを聞いていた連中が「俺たちも其の掛け率で良いか」と聞いてきて何人かが番号札と引き換えに5フランを差し出した。

正太郎が見ていても大雑把にサインした紙に大きな字で1〜8までの数字が書かれていてそれに丸が付けられたものだった。

エメは「5番」と正太郎に言うので「cinq(サンク・5番)に5フラン」と銀貨を渡して紙を貰った。

5番は英吉利で生まれた馬で5戦2勝と善戦していた。

ほかの人達の様子を見るとtrois(トロワ・3番)とsept(セット・7番)に人気が集中しているようだ。

パイクはトラップから馬が出ると踏み台の上で実況を近くのものに聞こえるようにしゃべりだした。

「今1600mdu cours de la salete(ダートコース)を8頭の馬がいっせいに発走。まもなく直線が終わり3コーナー手前で一番のデァナが飛び出したが後に続いて3番のゴドヒィルが鞭を入れて並びかけた。3コーナー出口で7番が追いついてきた更に5番のバルビヨンが大外から一気にごぼう抜きだ、系統的に長距離の血筋が騒ぐのか最終4コーナーで三馬身いや更に鞭が入ったダービーの無念を晴らす気か五馬身以上の差でreussi a echapper(逃げ切った)。お嬢さんおめでとうさぁほかに当たった人はいるかな三倍だ三倍、第3レースは5番のバルビヨンだ」

エメは先ほどの紙を渡してパイクが腹掛けから出した5フラン銀貨3枚15フランを受け取った。

「約束だから5フランはいただくわよ」正太郎に残りの10フランを渡して「今度は20フランかけていいのね」とにっこりとした。

4レースは、はずれで20フランがふいになったがエメとの一日デートが約束され、5レースはパイクが3番のマチルダは2倍で無ければ受けないと客に告げていた。

「エメは大穴を狙うといっていたけど2倍じゃほかのにするかい」

「でもほかに好きになれそうな名前が無いのよ」

「何だ馬の調子じゃなくて名前で選んだの」

「そうよ、馬は顔と名前で選んだのよ」

「なァパイクさん。マチルダに50フランかけてもいいかい」

「オッそんなに賭けられるのかいいいとも受けて立とうじゃ無いか。さぁほかにかける人はいないかい、1番は10倍、2番は5倍、3番は2倍、4番は5倍だ。5番から10番までは3倍だよ」

「マチルダはそんなに人気があるとは思えないよ」

「ほかの予想はどうかな」

「お兄ちゃんどこもマチルダは本命だよ」

近くでエメを見つめていた紳士然とした老人が教えてくれた。

「マァ、ジェローム先生、どうしましたそんなにふけた格好をして」

「アハハ、判ったかいエミリエンヌ・ブリュンティエール君僕は本当に老人さもうじき50だぜ」

「また先生はその付け髭はおやめなさいませ。まるでピサロ先生みたいですよ」

「彼の髭を真似して作らせたのさ。此れなら60過ぎに見られるだろう」

エメは正太郎に学校では彫刻を週一度教えに来てくれる画家のJean-Leon Gerome先生と紹介してくれた。

「此方はショウタロー・マエダ少しわけがあってジャポンのまねをしているシーヌの人でショウと言います。サラがそうしておくことと皆さんに通達していますのでよろしくお願いね」

「面白いな。良いでしょうお芝居を町中で見られそうだ。サラはどこだね。ヴァルテスと一緒に来ていると聞いたが」

「1コーナーの特別席でルノアールさんたちと一緒よ」

「へぇ〜ルノアールめなかなかやるな、ほかにお仲間は来ているかな」

「画家の方はお見かけしませんでした。ルノアールさんをピエールAと呼ぶ軍隊仲間のジュリアン・ドゥダルターニュさんが一緒です」

パイクが正太郎に「賭けは引き受けるが後5分で締め切りだよ」と催促してきた。

「100フランでも受けるかいパイク」

「勿論だとも、ほかにいれば受けて立つよ。さぁ居ないかいないか」

正太郎は20フラン札で五枚を出して先ほどと同じような紙に大きな字で3番マチルダ・100フラン2倍と但し書きが書いてあり3の数字に大きく丸がついているものを受け取った。

パイクはポーターに100フランを持たせて走らせてから「後2分」と叫んで客を呼んでいた。

締め切るとエメに「Prix du Jockey Clubはどうするのかね」と聞いてきた。

「1着Revigny2着Little Agnesでパリの賭屋で買ってあるわ」

「其の組み合わせは今朝組合で3対8となったよ2.7倍くらいだな。一昨日までは8倍でも客が少なかったがLittle Agnesの人気が出て単勝でも4倍になったよ。Little Agnesに賭けてみないかね」

「ショウどうする」

「賭けるならRevignyだよ、リトルアグネスはおとなしい馬らしいから混戦には弱そうだよ」

「そうRevignyならどのくらいの配当なの」

Revignyは3対4でしか受けられないよ。30フランで40フランの配当だね」

「じゃ掛け率のよいときにかけた人はラッキーだったのね」

「勝った時の話ですよ、お嬢さん」パイクは踏み台から背伸びをするようにしてトラップに集まった馬の実況を話し出した。

混戦のまま4コーナーを曲がりきり直線で3頭が競り合いそのままゴールに飛び込んできて、パイクは1番3番が同着のようだが此処からでは良く判らないといって「1番の投票をした人は誰だい、幸運の女神が傍まで来ているぞ」と大声で客の気を惹いた。

結果は3番が首差だと言う話がゴール付近から徐々に人伝えで聞こえてくると1番の紙を持つ男たちは悄然として新聞に目を落とした。

パイクから3番の投票に参加したのは3人だけだった。

正太郎は受け取った20フラン札五枚と5フラン銀貨20枚から5フラン銀貨10枚50フランをエメに渡した。

「そろそろスタンドにもどろうか」

「そうね喉も渇いたし戻りましょうね」

パイクに手を振って戻ることにしてジェローム先生を探したが見当たらなかったのでenclos(パドック)でダービーへ参加する馬を見た。

「リトルアグネスの調子は良いようだわ」

「本当だ、でも最終の掛け率が優先しないで契約したときの掛け率で支払うという賭屋は大変だね」

「本当にそうよ、だから競馬場の正規の馬券より人気があるのよ」

正太郎は横浜も同じようなやり方だけど最初の掛け率を設定する人は責任重大だなとエメと話し合った。

「今回のように最初はCondorに人気が集中したときはなおさらね。でもショウ本当にCondorではだめかしら」

「見た目は綺麗に仕上がっているようだね。ジュリアンたちがこの馬を推薦しないのは何か今回のレースに不向きなところが有るのじゃないのかな」

二人はスタンドの休憩所に戻り仲間とサンドウィッチをつまみながらアリスが持ってきたカフェを飲んだ。

「見てみてヴァルテス、正太郎がこんなに儲けさせてくれたの」

5フラン銀貨を11枚ターブルへ並べた。

「ショウはそれでいくら儲かったんだ」

「投資が最初5フランで3倍、次が20フランで負け」

「じゃ25フランかけて15フランしか戻らなかったのか。10フランの損じゃないか。どこで儲けた」

「エメが予想して僕が金を出したけど、外れたときは1回デートなので僕は損したわけじゃないですよ。それで次の4レースのマチルダの頭に2倍で100フラン出しました」

「すごい度胸だな」

「まったくジャポンは判らん、ヤマシローというやつもわけがわからん遊びをしてるしな」

「ピエール其の話後で詳しく話せ。今は其のマチルダが勝って100フラン儲けた話で十分だ、俺たちも一人頭10フランでもうけたんだがショウのほうがすごいぜ」

「それで配当の半分を私が受け取る約束なので50フラン貰ったの」

「それで5フラン銀貨で11枚あるのか。ショウも儲けたんだな」

「はいそうですピエールさん。僕は125フランの投資で儲けはプラス35フランですがデート1回がおまけについてきました」

「じゃエメが一番得をしたな。アリスにも俺たちで金を出してやって10フラン儲けさせてやったがそっちのほうが上手だ」

馬たちが馬場に出てきて2400mのスタート地点へ向かいだした。

サラたち一行の場所からは一番見難い場所だが此処はゴールした馬の勢いがまだ衰えず勝った騎手が観客の声援を一番受ける場所で、戻ってきた人気騎手の表情が一番わかる特等席だ。

予定時間の4時を過ぎてもまだトラップ地点ではスタートの合図がなく騎手と馬がいらつきだしていた。

スタートから1コーナーまでの直線は長く12頭の馬は混戦のまま貴賓席を通り過ぎた「少し遅めだな」「中尉此れだとリトルアグネスの優位のまま行きそうですぜ」「そうだな此れで完全にCondorの出番は無いな」

正太郎には良く判らない展開への評価だ。

2コーナーの先のグランド・エキュリ(大厩舎)に向かうように下り坂でコンドルが先頭に出てきた「よし此れでコンドルの潰れは決定だ」「いけいけアル」「其処だアル出ろ」まるで自分の馬のように騎手のアルフレド・カレに声が届けとばかりにコースま近の観客が声援していた。

エメも正太郎の手を握り締めていた。

調教師のアンリ・ジューネも固唾を飲んでいた、父親は幾たびもこのレースを制覇していたがやっとポール・アーモンのRevignyの調教を任されアルとのコンビでロンシャンのPoule d'Essai des Poulains(2000ギニー)を制覇して万全で迎えたこのPrix du Jockey Club(ダービー)だ。

リトルアグネスが向こう正面で飛び出してコンドルに並びかけ其の後ろ一列になった馬の後ろから1頭、1頭と居並ぶ馬たちを追い越してRevignyが前に出てきた。

其のRevignyについて2頭の馬が3コーナーで一気に前に出てきた、コンドルは此処で前にジュール・タフ、ユリウス、リトルアグネス、レヴィンを見て五番目に下がった。

コンドルが起死回生の大博打を4コーナーでの上り坂にかけて大外から一気のごぼう抜きを見せた。

悲鳴とも聞こえる歓声がシャンティに響いた。

「どうしたアル、どうしたレヴィン」其の声が合唱となって聞こえたかRevignyが直線でリトルアグネスを従えてコンドルに迫り一気に追い抜いたのはゴール200m手前、そのまま3頭が競り合うが順位は変わらずにゴールした。

エメも正太郎も飛び上がって叫んだ「ブラボー」「ブラボー」其の声はスタンド全体を巻き込んでChantillyに響き渡った。

調教師のアンリ・ジューネも馬主のポール・アーモンも正面スタンド前の芝へ出て手を振ってアルの乗るレヴィンを待っていた。

サラの一行は最後のレースは敬遠して馬車溜りへ向かった。

有名人を見ようと多くの人が其の馬車溜りにいた。

係りのものが名前を呼んでサラたちの2台のベルリーヌが入ってきて、Chantillyに来たときと同じメンバーで乗り込んだ。

パリへ入るのは遅くなるので途中のレストランで休んで食事をして帰るということでヴァルテスの知っている店に寄ることに為っていた。

Ecouen (エクアン)の城が見える丘の上に其のレストラン、ル・プティ・ミラノはひっそりと立っていた。

「ル・プティ・ミラノはイタリア料理風なのよ。此処は値段が高いけれど格式にこだわらない私たちでも気軽に入れるところよ、連絡を入れたらジャポンは初めてだといっていたから歓待してくれるわ」

ワインはメルキュレのド・ヴィレーヌが出された。

ブランケット・ド・ヴォー(仔牛のクリーム煮込み)

アッシェ・パルマンティエ(マッシュポテトと挽肉のオーブン焼)

プレット・バスケーズ(バスク地方風雛鳥のトマト煮込み)

スープとパンのほかに煮込み料理が多く出て、後はデザートにクレーム・ブリュレを給仕された。 

女たちがそれぞれ出発の支度に席を立っている間に三人で勘定書きを取り寄せてジュリアンが勘定を支払い後で3等分することにして6人分109フランと別室で食事をさせていたアリスや御者たち5人分61フランにチップを20フラン乗せて190フランを支払った。

「同じ料理でもワインが違うと差が出るな」

「左様でございます。今日のブルゴーニュの赤はお勧めでございます。実はあちらへも価格は落ちますが同じ地区のものが出されております」

「それはいい判断だ後で話題が出ても困らないな」

少しほろ酔い気味の御者は歌が出るほど機嫌がよく「旦那方ご馳走になりました今日はよいお供が出来て楽しかったです。残りの道中も気を張って進みますのでご安心ください」ジュリアンやピエールにそう請け負った。

ヴァルテスの眉よりも細い月が西の空に見えて夜が広がりだしたパリへ11時過ぎ頃入ってきた一行はそれぞれの住まいへ送られていった。



Paris 1972年6月3日 Monday

夏が近付くこの時のパリの正太郎が下町で見かける働く女性たちはたくましく上がブラウス下は裾広がりのスカート首には汗拭きにも使うスカーフというスタイルで八百屋も洗濯女もさらに言えばお上さんもみな代わり映えがしない服装だ・

メゾンデマダムDDの朝は昨日のシャンティでの競馬の話題で盛り上がっていた。

正太郎は夜にはルノアールさんもジュリアンも来てくれるので其の時に詳しく話しますと早々と切り上げてラレーヌオルタンス街26番地の日本弁務使公館へ歩いて出掛けた、つく頃には9時ごろになるだろうし日本を出てから歩くことが少なくなっていたのでちょうどいいと出掛けたのだ。

「正太郎いいところへ来た。モンブラン伯からも山城屋の行状のことを知らせてきて今朝至急公文で電信を外務省の副島様に山城屋和助こと野村三千三の本国召還命令を出すように要請した。上海まで一日其処から長崎まで引かれたから長崎から三日で東京に着くだろう、念のためロシア経由のも送っておいた。遅くも6日以内には届くと電信局は請合ってくれたよ。詳細は後から順次送ることも付け加えた、これ以上公金を無駄遣いされては堪らんがこちらではそれが公金であることを証明できんからな」

「判りました近いうちに私をシナ人のギャルソン見習いとして山城屋が開くパーティへ出られる手配もしてくれています。ジュリアンもエメも協力してくれています。それとメゾンデマダムDDの住人たちもそれぞれ情報を集めてくれていますので今週中には次の報告に参れると存じます」

「頼んだぞしかし無理はするなよ。相手は奇兵隊上がりの歴戦のつわものだぞ。いざとなると何をするか判らん油断するな」

「はい十分注意いたします。ではまた連絡に参ります」

正太郎はシャンゼリゼの大通りの店を覗きながらぶらぶらとエトアール凱旋門へ出て其処から左へ2本目の道を選んでトロカデロへ向かった。今は馬場が残る見晴らしのよいところだが卯三郎たちが巴里万博に来た頃は大勢の人でにぎわうパビリオンが立ち並んでいた。

高台から望めば遠くにブローニュの森セーヌの向こうにはモンパルナスの町並みまでが見えていた。

「ベルト・モリゾさんの画いたエリゼ宮殿も見えるけどあそこを大統領の住まいにする話しというから中には入れないな」

などと思い出しながらセーヌ岸をたどってシテ島方面へ向かった。

ルーブル宮殿の美術館は休みで中には入られずに有名なSevres-Babyloneのボン・マルシェ(24 rue de Sevres 75007)へ向かうためポン・ロワイヤルでセーヌを渡った。

新しい建物の隣にはさらに大きな店を建てている最中で少し埃がたってはいたが中は涼しく清潔だった。

ラントレのレ・ドゥ・ショッセには日用品が数多く並べられていた、人が多く市場のように込み合っていた。

プルミエレタージュは夫人の為の外出着が多く並べられ化粧品も置かれているのかよい香りで充満していて吹き抜けの天井からステンドグラスの明かりで室内を彩っていた。

2階まで階段を登り紳士用品売り場に上がると店員がこちらを見るので「普段着で散歩など近くを歩くときのものと歩きやすい靴を欲しい」と要点を伝えて何着かを見たうち灰色のルパーシカに水色のパンタロンに皮製のブーツを買い入れた。

「此方はロシアからの仕入れで縫い目も丁寧で夜の冷えにも対応できます」

店員は季節の先取りと秋口には必要になると今から此れを買うのがお勧めと正太郎に売り込んだのだ。

「まさか今から秋の服装は早すぎるだろう」と感じたがこのやり方は横浜でのパサージュを創めるにはいい手だと感じていた。

そのほかに下着など数点で30フラン分の買い物をして、お届けしますというのを包んでもらわずに此れが入るバッグがひとつ欲しいと売り場まで運んでもらって買い入れた布製のバッグに入れて持ち帰った。

正太郎はパリの街を今日始めて独り歩きしたが同じような服を着ている正太郎を見返るものすら居ないことに驚きを感じていた、此れがアメリカやイギリスでは皆がどこの国から来たかとかどこへ行くんだとすぐに聞いてくるものが居たのにこのパリではそういうことに無頓着のようだ。

先ほどの橋からセーヌの右岸に渡りモンマルトル大通りに向かい其処のカフェにたむろする画家や芸人たちの傍を通り抜けてこの間も来たフォリー・ベルジェール劇場の傍を通り抜けた。

今晩ルノアールさんも含めてジュリアンも参加するメゾンデマダムDDでの宴席が楽しみになってきた正太郎だった。

其処からサンバンサン・ド・ポール教会(Eglise Saint-Vincent-de-Paul)の前に来た、此処は裏へ回ればオテルモンマルトルがすぐ其処にある場所で北駅はすぐ傍にある場所、出来てからまだ20年とたたないパリでも比較的に新しい教会だ。

北駅からモンマルトルの丘に登りサンピエール教会の前の店を覗きながら丘の向こうのサンバンサン墓地へたどり着いたのは2時になったばかりだ。

「お帰りなさいショウ」

「ただいま。久しぶりに沢山歩いたら足が疲れたよ」

「朝の話のようにすべて歩いたの」

「そうだよそうしたら始めてパリへ着いたときと随分違う街だということに気がついたよ」

「それで何をボン・マルシェで買ってきたの」

「此れはまだ季節を先取りしたというロシアから来たルパーシカという上着さ。それに合わせたパンタロンに靴だよ。街歩きのときに着ようと思ったのさ。ところでMomoは何が欲しいか決まったのかい」

「普段はマダム・デシャンが全部そろえてくれるからお休みのときに着られる外出着がいいわ」

「お安い御用だ。マダム・デシャンが半日お休みをくれたら何時でも付き合うよ、St-DenisPassage du PradoMontmartre大通りのPassage Jouffroyあたりでどうだい」

「マドモアゼル・ブリュンティエールが言うにはモンマルトル大通りのPassage Jouffroy(パサージュ・ジュフロワ)にLe magasin du lis(百合の店)というお店があってそこで昨日の衣装を誂えたと言っていたわ。私も其処が良いな」

「了解。それでは都合がついたら馬車で行こう。出来合いのものならそのまま着て帰れるよ」

「それで十分よ。誂えなんて高望みはしないわ」

Momoはそれで十分満足のようだ。

5時ごろ住人が次々に帰ってきてダンが正太郎を部屋へ誘った。

「例の話、ロザリーとイレーヌがオーケーしてくれたよ明日の晩ショウがポーター見習い、俺とジュリアンがギャルソンで潜入だ」

「ありがとう。早速それなりの服を借り出さないといけないな」

「そっちの手配も全部オーケーさ。なんせサラから話が通っていて、みな面白がっているぜ」

「では君に全部お任せで僕とジュリアンは附いていくだけでいいんだね」

「其の通りただイレーヌに30フラン渡してくれれば向こうで分配してくれることになっているのでそれだけは頼んだぜ」

「任して下さい。お金は十分用意できます。明日の夜が済んだらどこかで情報交換をかねて騒ぎましょう」

「そいつはいい考えだ」

ダンは其の後サラやヴァルテスのことなどの面白おかしい男遍歴などについて正太郎に話して笑わせてくれた。

ルノアールさんが絵を持ってジュリアンはワインを持って馬車で来て10時に迎えに来てくれるように頼んで返した。

「何を買い入れたの」

早速Momoは興味を持ってあけるように頼んだ。

「アルジュリア風のパリの女たちとでも言ってくれたまえ、前のアルジェの女はサロンに入選したが此れは退廃的でだめだというのだ。ショウの日本の会社の会長へのプレゼントにしたいというので譲ることにしたのさ

マダム・デシャンも興味深そうに「拝見していい」と聞かれ「ショウどうする」

「もしよろしければ日本へ送るまでマダム・デシャンがどこかへ飾られていただいてもよいので披露して下さい」

紐を解き包んでいた紙を広げると出てきた絵に皆が感嘆して声を上げた。

「どうも俺が肌を出した女を画くとエロチシズムが出すぎてよくないと評価されるらしい前のオダリスクがよくて此れがいけないのは肌が出ているせいらしい」

「でも此れは良い絵よ。パリのモデルを使ったせいで審査員が知ってる顔だったんじゃないの。本当にアルジェへでも行って画いてきたら入選したんじゃありません」

「そうかもしれないな。今度は顔をパリ風にしないで画いてみよう」

それにはみなモデルに為った人が怒るわよと言い出してルノワールを困らせた。

ジュリアンがこの間の清算をしようというので正太郎の部屋へ3人で上がった。

食事代170フラン、チップ20フラン、貸馬車一台88フランとチップ20フラン、貸衣装が一人22フラン合計で436フラン、普通はあの3人の連れ出し料などに100フランは付けないといけないが今回は請求が来ないだろうからと計算をしないで一人145フランほどと為った。そして賭屋から今日受け取ったと20フラン紙幣の束を出して「1600フラン全部が20フラン紙幣でよこしたぜ。勘定するのに往生した。二人は145フランの負担でいいぜ」そういって4つに分けた分を正太郎にふたつとルノワールにひとつ渡して勘定させた。

正太郎があっさりとあっていますと調べたのにルノワールは20枚の札を数えるのに苦労していた。

それぞれが其処から145フランをジュリアンに渡した。

「ルノワールさん此れは絵の代金です。北斎は先週の内に電信で日本へ頼んであります早ければ9月ごろ遅くも11月には届くはずです」

20フラン札12枚と5フラン銀貨2枚を渡した。

ルノワールは金を無造作にポケットに突っ込んだ。

「今回はあの淑女たちが幸運を運んできてくれて出費が多い割りあいに幸運だった。損をしたのは聞いた限りではサラだけの様だ」

ジュリアンたちもサラがコンドルの単賞に500フランも賭けたのを聞いたようだ。

「中尉それでも向こうさんには俺たちが幸運を持ってきたと感じているでしょう、サラもレヴィンとリトルアグネスの1・2着に賭けて少しは取り戻したでしょうからね」

「それではショウが一番の稼ぎ頭か、エメとの逢引に賞金がルノワールに払った分を引いても其処にだいぶ残っているぜ」

「いったいパリについてからいくら儲かった。だいぶ使い込んでいただろう」

「今日までで300フランはお金が増えています。細かい計算は帳面で調べないと判りませんが」

「使った金を帳面につけているのか」

「ええ、会社に報告するときに困りますから、総会計としての帳簿を毎日つけています。そうしないとたちまちの内にすべてを使い切ってしまいそうです。銀行とフランス郵船に預けてある分はまだ使わずに済みそうです」

「そうだよな俺が見ていても無尽蔵にそれも無造作に金を支払っているように見えるものな。買い物だけでも相当したろう」

二人で聞き出した金の出し入れは驚く金額でそれを上回る山城屋の話は二人を呆れさせるのに十分だ。

「それなら俺の絵を500フランという金額を提示して日本へプレゼントしたいというのも判る気がする」

ルノワールは自分なりに日本での正太郎の立場や恩人のことを理解したようだ。

ダンを呼んで来て明日の潜入の話を再度してもらった「俺は無理だな、女たちも俺の顔を知っているだろうから知らん振りも出来にくいだろう」とルノワールは残念そうだった。

食堂の支度が出来たとモモが呼びに来て食堂に下りるとすべての支度が出来ていて正太郎とラモンの歓迎会が開かれた。

ラモンと正太郎が招待客の数に合わせて費用を2対3にするとマダム・デシャンが二人の了解の元で開かれたのだ。

料理人のクストー夫妻に横浜では此れほどおいしい料理は食べたこともないし巴里へ来るまで泊まった様々なホテル以上だと伝えると嬉しそうにメルシィと小さく正太郎の耳にささやいた。

シャンペンが二本とジュリアンが改めて届けてくれた三本のワインがあけられ、さらに追加されたワインでUn locataireは陽気に騒いで歌までが飛び出した。


Paris 1972年6月4日 Tuesday

朝メゾンデマダムDDの住人は昨日の騒ぎを忘れたように普段どおりの生活が始まっていた。

「ショウでは午後の4時に例のオテル・モンマルトルの近くのカフェモンクでいいな」

「はい其処に4時までにはジュリアンと一緒に行っています」

「俺のほうはイレーヌとロザリーを連れて行くから其処で金を渡してくれ5フランの銀貨で頼む」

「判りました用意しておきます」

ダンは学校へ出掛けていった、こんな風のダンだが頭はよいらしく数学者としては有名だそうだしカルチェラタン付近に住まずにこんな遠くに住むにも理由があるというのだ。

まず其の1に此処なら帰る心配があるから飲みすぎない深夜まで遊ばない。

其の2として学生として体を鍛えるために毎日bicyclette(バイシクレッテ)で通うことで健康に為る。

ただその理由付けは雨の日は通用せず帰らぬことが多いのでMomoは雨が降ると待つことをしない事にして早めに門を閉めてしまうのだ。

結局お天気しだいで遊ぶ口実にしているのだ。

3時にメゾンデマダムDDを出た正太郎はオテルモンマルトルでジュリアンを呼び出してカフェモンクでカフェを頼んだ。

「いよいよだな、実はドォミ・モンドの館Aphroditaアプロディータ)など高級なcourtisane(クルチザーヌ)と付き合いなど無いのでな少し緊張しているんだぜ」

「そうは見えませんよ。何か楽しそうですよ」

「それもあるんだ。ああいうところの女たちは男なぞなんとも思っていないようだしな。パリにはロレットだとかプロスティチュエなんていわれる女も沢山いるがサラやヴァルテスのような女はそうはいないし、それよりも男を手玉に取るのが上手い女が沢山いるのも恐ろしいことだ」

「自分の知っている各国にもそういう人たちはいますよ。でもこのパリでは売られてきてプロスティチュエになる人は居ないと聞いています。私の国では遊女という自分で進んで体を売る人が居てそれを憂いている人が大勢居ますが国が貧しく救う事が難しいのです」

「そうかどこでも女は悲しい立場なんだな」

二人はしばらく其の考えにとらわれていたが、ダンが来ると其の気持ちはいっぺんにすっ飛んだ。

バイシクレッテを押しながら一緒に連れてきた二人の美女にその様な気持ちなぞ胡散霧消したというのが本当だ。

「ジュリアン、ショウこの人たちが今日の手引きをしてくれるマドモアゼル・イレーヌとマドモアゼル・ロザリーだ」

二人があわてて挨拶すると二人の淑女然とした女は笑いながら「今晩のことは、サラからも聞いていますし、ロジーヌも乗り気で胸をたたいて引き受けたとおっしゃっていますから相手を骨抜きにするつもりで腕に縒りを懸けるそうですわ」

正太郎は用意してきた5フラン銀貨6枚をfoulard(スカーフ)で包んで渡した。

「それから此方は連絡や馬車が必要なときに使うお金です、急ぎのときは遠慮なくお使いください。それとほかの方を連絡によこされるときのお駄賃に使うこともあるでしょうから受け取ってください」

そういって5フラン銀貨を同じように6枚ずつ二人へ渡して頼んだ。

二人は「遠慮なく使わせていただくわ」と受け取り「そろそろ準備に行きましょう」と待たせておいた馬車にはイレーヌとロザリーが先に乗り込み正太郎とジュリアンも続いてそれに乗り込んだ。

後をダンがバイシクレッテで着いてきてサンマルタン門近くのRue.Meslayのアプロディータの館へ着くとジュリアンが御者に支払いをして帰らせそろって路地の裏門から入った。

ロジーヌがすぐに出てきて正太郎とジュリアン、ダンに「後で気が抜けるといけないから今から使用人に対する態度で接しますから気を悪くしないでね。貴方たちも今からポーター見習いとギャルソンになる事にしなさいね」

そういって表の部屋へ戻った。

「さすがだな。あれで無ければこういうところを仕切れないのだな」

ジュリアンはそういって用意されていた制服に着替えだした、正太郎もダンもそれに習って格好は見られるようになった。

給仕頭と女たちの取り締まる役の人が来てイレーヌから5フランを受け取ると「確り働きな、遠慮なく仕事を言いつけるが気を悪くしないでくれ」

「判りました。よろしくお願いいたします。確りと働かせていただきます」

三人は新しく雇われた使用人としてお目見えが済んだ様なほっとした気持ちになった。

お客が到着するまでの準備が館中で始まりメイドもギャルソンも其の受け持ちを正太郎たち3人に分けて清潔にして塵ひとつ無いことが確認された。

料理人たちも5フランずつ受け取り正太郎の仲間になる、Florent (フロラン)とはすぐ仲良くなった。

「シーヌから来たんだってな。言葉を少し教えてくれよ」

「いいですよ」と普段の挨拶や街の名前などを判りやすく漢字とどう読むかを教えている間にお客の到着が告げられた。

正太郎は2.3回しか会っていないのでばれないだろうと思ったが上海なまりに聞こえるような仏蘭西語で注文を聞いた。

「オウ、なんだ日本人かと思ったら、シナ人か。さっさと注文を控えて下がれ」

「メルシー、なんといわれましたか」

「なんだ俺の言葉がわからねえか。仕方ねえしな人じゃしょうがねえか」

通訳として附いて来たシナ人の男が「我被从香港雇用,但是時是什地方的出生(俺は香港から雇われてきたがお前はどこの生まれだ)」

「我来自了上海附近的珠子街个的市被雇用了的人破,里起作用(私は上海の近くの珠街という町から来ました。雇われた人が破産して此処で働かせていただいています)」

「そうか困ったことがおきたら、俺に相談しなよ。今は通訳だがいつかはこのパリで一旗あげるつもりだ。陳藩若というんだ」

「ありがとうございます。私の言葉は香港でも通用するでしょうか」

「大丈夫だ。北京へ行くとだいぶ言葉が違うようだがそのくらいは通用するよ。それからこのお方は日本の山城屋といわれる大金持ちだ好かれるようにすればいいことがあるぜ」

「ありがとうございます。では注文をお聞かせください」

「ワインの前にシャンペンだブランデーには煩いから料理人にソムリエには注意するようにな。それから此処は五回目だから好みは判るはずだから後はお任せでもいいだろう」

「承知いたしました。ではそのように厨房に伝えて、マダムにも支度が済み次第此方に出ていただきます」

正太郎と入れ替わりにジュリアンとダンが給仕頭の指図に従って席の準備とテーブルの支度を仕切りだした。

「さっきは何を話していたんだ。さっぱり判らなかったぜ」

「生まれたところやパリへどうして来たか等を聞かれたのさ」

「ふぅんシナ人の言葉はさっぱりだ、あのジャポンは何を怒って居たんだ」

「なんだか良く判らないけど日本人だと思ったら言葉がわから無いと怒っていると教えてくれたよ」

「なんだジャポンの言葉はわから無いのか」

つまらなそうにいうと女たちの支度が済んだかを見に行って呼び出してきた。

山城屋が招待した銀行家らしき人物に商人らしい男が現れて座はいっそう賑やかになった。

男たちを楽しませるより自分たちの好きなことをして遊んでいるように正太郎には見えたが、それでも場がしらけそうになるとすぐに次の遊びをマダムが勧めて、話題はヴァルテス・ド・ラ・ビーニュの新しい芝居やオデオン劇場からコメディ・フランセーズに引き抜かれたサラ・ベルナールの今度の出し物は何になるかなどをしゃべりだしたが銀行家が熱心に女優たちの動静を知りたがるので山城屋は退屈そうだがシャンペンを飲みながら付き合って聞いていた。

「サラのドナ・マリア・ヌブールはよかった。オデオンもサラが抜けて次の主役を探すのは大変だ」

「先月契約が済んでオデオンは裁判を起こすと大騒ぎですわよ。冬のシーズンには新しい劇で舞台に立つでしょうがどのような役がつくか興味がありますわ」

女たちも懸命に集めた情報を小出しにしながら山城屋の気持ちに合わせるように「ヤマシロー様はお酒が強い上にサムライで剣の達人と聞きましたが」

「昔のことさ、今は天子の御用を承る酒に服の商人でしかないよ」

「それでもパリで此れだけ豪遊されるからには資産が相当おありで無ければ出来ませんわ」

「何、俺が言えば日本の国の偉い人たちはいくらでも金を都合してくれるから商売の資本に困ることは無いのさ」

「オージパング・ゴールドシャトーがあるそうだけど、本当なの」

「そうだ、俺の国にはゴールドのなる樹があるんだ」

女たちは本当かしらという顔で山城屋の顔を見ていたが20フランの金貨を5人の女に配り其の後此れが日本の金貨で5フランの価値があるという小判もお気に入りのPaula(ポーラ)に渡した。

「アラ思っていたより小さいのね。この間の話ではもっと大きいかと思いましたのに」

「そいつが今度はもって来られなかったのさ。小判というのは重いからな国から持ち出すのは手形や小切手でのほうが便利なのさ、先月だけでも3万ドルは遊んだがそれだけ小判を持ってはこれんのさ」

「でも私たちの5フランは銀貨でジャポンは金貨ではそちらが損をしそうですね」

「そうなんだ、そちらのムッシューBusser(ビュッセル)の銀行や商社でも其の差益で俺の国からの貿易で大もうけをしているんだ」

雲行きが怪しいと見たロジーヌはポーラと山城屋を部屋へ追いやって残されたビュッセルとCampagnola(カンパニョーラ)という酒の仲買にも女を薦めて部屋へ引き取らせた。

残った通訳の陳藩若もイレーヌが部屋へつれて出て後の片付けは自分たちがやると給仕頭がいうのでジュリアンと正太郎はダンと共に着替えて馬車を捕まえてバイシクレッテも積み込みジュリアンをオテルモンマルトルで降ろすとメゾンデマダムDDへ帰った。

遅くても帰るといわれていてMomoが眠い目をこすりながら開けてくれたドアから部屋へ戻ると正太郎は今日の顛末を手紙に書いてからlit(ベッド)に倒れこむように入ると眠りに付いた。

 2008−03−16 Moulin de la Galetteへ続く
 阿井一矢

今回のワインセラーの家は前回と話がかぶっている分、詳細な正太郎の動きに合わせた当時のパリの街歩きに挑戦しようと思います。
前回であれそうだっけと気がついた方も多いかもしれませんが、正太郎君が省略した話、勘違いした部分など此処で実際の話と比べられます。

 横浜幻想パリ幻想歩き
セーヌの右岸と左岸
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ラメゾンドラカーブデュヴァン


横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一 La maison de la cave du vin
 其の十二 Moulin de la Galette

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