横浜幻想 | ||
其の二十二 | Femme Fatale | 阿井一矢 |
ファム・ファタール |
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Lyon1874年1月21日 Wednesday メルクルディの日セーヌは凍り付いて蒸気船もアルジャントゥイユまでしか登ってこられなくなった。 セーヌは昨年より10日も早く凍りつきパリは昨年の雪が積もっていないだけ救いだ。 「夏はあれだけ暑かったのに冬は去年より寒いとはなんなんだ」 正太郎と同じ時期にパリへ入ったラモンが冬は外で絵を描くのもつらいから、暖かいマルセイユでも行きたいものだと不満顔だ。 「なら少しはましなリヨンにでも遊びがてらでかけてみるかい。今度5日間は向こうにいるんだぜ」 「ショウがあご足持つなら付き合ってやるぜ」 そんなやり取りのあとリヨンへ降り立ったのに、凍りつくような冷たい風は容赦なく駅の中を吹き抜けた。 「ショウ雪が無いし川も凍っていないが、やけに風が冷たいじゃないか」 「本当だ。ぼくもこんなはずとは思わなかったよ」 明日の10時にM.デボルド・ヴァルモールと契約の約束をし、正太郎のほうからM.ビュランへも連絡すると話した。 バイシクレッテの店にもそのことを伝え、待たせた馬車でサン・ポリカルプ街の入り口まで着くと馬車を返した。 「馬車を帰して良いのか」 「打ち合わせが終わればどこかで食事をして、それからキャバレーで遊ぼうと思うのだけどホテルへ戻るかい」 「いやな事いうなよ。付き合わずに1人でさびしくホテルで食事は願い下げだ」 ビュラン不動産まで路地を入り明日の契約に立ち会うように頼んだ。 「10時ですねブティックのほうで良いですかい」 「そうM.デボルド・ヴァルモールの店は工事が始まったからブティックのほうがいいと言っていたよ」 パリよりは日没が遅いと言っても15分ほど、5時半にはガス灯の灯が点かなければ月の無い夜は歩くことも出来なくなる。 6時近く、広場をはさんでオペラ座を見渡せるスクレ・サレの2階席のブション(ビストロ)で、軽くビールでソシス(ソーセージ)豚の塩漬け、フリッ(ポテトのフライ)、ザウアークラウトを頼んで二人で分けて食べた。 下の喧騒に比べ2階は3組の客がいて、静かに話しながらカフェを飲んでいた。 「静かな店がいいかい。煩いくらい派手な店がいいかい」 「派手な店は女が付くのか」 「其処は席につかなかったよ」 「なら普通のキャバレーがいいな。其の前にカフェ・コンセール程度の店にも行きたいな」 「ラモンは注文が煩いんだな。何処がいいかな」 「やぁ、お久しぶりえーと名前は聞いたかな」 「アンヌ・セシール・コティですわ。此方はお友達の方で私をセシールと呼んで下さいますの」 「それで其の店は何処ですか、マダム・コティ」 「あら、ムッシューもセシールとお呼びくださいな。この裏手ですがまだ開いて居りませんの。此方のマダム・デスランが経営者でこれからお店に行かれますのよ。あと5分ほどお待ちくださればご案内しますわ」 「ラモンは其の店でいいかい」 「勿論ご一緒するのが礼儀だろ。よろしければぼくたちが勘定を」 2人は下でお待ちしますと先に店を出て待つことにした、寒さが厳しい夜空を見上げるとオペラ座の真上には三日月が鮮やかに輝いていた。 正太郎が20フラン金貨を3枚と5フラン銀貨4枚を「此処の分と此れから行く店の分だよ」とラモンのポシェに落とし込んだ。 セシールたちが降りてきて二人は「店へ仕事に行きますの、後で来て下さいね」とオペラ座の先へ歩いていった。 ラモンがマダムの手を取って路地に入り、同じような店の角から3軒目の明かりが漏れている店に入った。 「お客様が一緒よ。お店を開けて頂戴」 店の中ほど右手には一団高くそこで演奏が出来るようになっていて、それを囲むようにソファが配置され奥の席は店に入っても演奏の台で隠れるようになっていた。 「此処も高そうだな」正太郎はラモンに渡した金で足りるのと心配になった。 「ドンヌ・モワ・トン・モントー」 奥からいなせなバーマンが現れ「なにを召し上がりますか」中々渋い声だ。 まずお薦めのカクテルというと早速青い色のカクテルとオレンジが食べやすく切られ皿に輪を描いて出された。 「ボンソワ・ムスィウ。ボンソワ・マダム」 声をかけて幾人かの女が入って来て奥へコートをかけ、舞台のある片隅でギターとバイオリンを弾いてムードを盛り上げた。 「何かつまみになるものを」 「ハムとサラダでもよろしいですか」 「其れとボジョレーから何か選んでください」 「シェナでよろしいですか」 「其れが良いです」 マンドリンに載せてカンツォーネ・ナポレターナが歌われ、其の頃には10人ほどの客が入って来ていつの間にか女給も増えて、ギターを弾いていた女性が客のリクエストを受けてシャンソンが歌われた。 「如何ですか、ムッシュー愉しんで頂いておられますか」 「ええ、とても雰囲気のよいお店ですね」 サラミと生ハムの皿に林檎の細工された飾りが添えられ、ラモンは其れを見てカルバドスを頼んだ。 お客が何人か台に上がり歌いだし、マダムが正太郎たちにもいかがと振ってきた。 店内は割れんばかりの手拍子が起こり、ギターは次の曲を弾くとマンドリンを持つ若い娘がラモンを誘うように愛のカンツォーネを歌い上げた。 イタリア語フランス語スペイン語の入り混じった不思議な空間がそこに出現した。 其の後はシャンソンを歌う客で店は落ち着きを取り戻し、ラモンに一杯奢る客が相次いだ。 正太郎も台に呼ばれセレナータをマンドリンの娘の弾き語りに合わせて歌った。 マダムが正太郎にミニヨンを知ってると聞いてきた。 正太郎とマダムが台を降りると若い女給がふたりアコーディオンに乗せてラ・ヴァルス・ブリューヌを歌った。 正太郎が時計を見ると11時30分を過ぎていた「もうこんな時間だよ」ラモンに言って「明日もあるから今晩は引き上げるよ」と告げた。 大分に食べて飲んだはずだが奢られた分が多いのか22フランなのでラモンはチップ込みだと20フラン金貨に5フラン銀貨をマダム・デスランに渡した。 部屋の前で「ぼくはリヨンでは朝の散歩が日課だから8時に食堂で」と伝えて別れた。 「やれやれ1軒だけで助かったな、でもラモンは残りの金を返してくれないや。明日は小遣いはやらなくてもいいか」 ジュディの朝6時、リヨンの街は昨日に比べて暖かく感じられた。 暗い中、川筋をサンジャン大聖堂へ向かって歩いた。 ポン・ボナパルトでプレスキルへ渡りサン・タントワーヌの店の前をソーヌに沿って遡ってポン・デ・ラ・フェイェを渡って戻った。 「ムッシュー・ショウ。今日は朝の散歩からいつもより早いお帰りですね」 「今日は半分で止めにしたんだ」 「昨日は満足したかい」 「ああ、だがあんまりにも多く勧められて飲んだのでついもう一軒と言うのを忘れたぜ。今日もどこか連れて行ってくれるんだろ。昨日あった女達が店へ来てくれと言ってたのにショウは無視したな」 「あの人たちの店は高いんだ。そうそう通えないよ。フォリー・ベルジェールより金が掛かるんだぜ」 レセプシオンで預けたセルヴィエットを受け取り、馬車でブティックへ向かった。 時間が来てM.デボルド・ヴァルモールがM.ビュランと現れクレディ・リヨネ銀行の手形20000フランに1000フランの手数料も手形で支払った。 M.デボルド・ヴァルモールは1000フランの小切手を不動産屋に渡した。 「此れで契約は成立しました。それでM.デボルド・ヴァルモールは何時まで住んでいられます」 「ジャネットから申し出たようにニースの家に移られるまでは今のままで構いませんが時期がわかれば幸いです。店の改装が終われば三階の模様替えをするくらいですので」 「家は決まったよ。何度か向こうと此方を行き来したいので明け渡しは2月の末まででいいかな」 「承知いたしました。ジャネットもバスティアンも其れでいいね」 「はい私たちは其れで結構ですわ。実は式をサン・ポータン教会で挙げたいのでデボルド・ヴァルモール夫妻に立会人になっていただきたいのですがよろしいでしょうか」 「其れは構いませんとも。それで何時にするね」 「ぼくのほうはテオドールとでてくればいいだろ」 「はい後の人たちは店もありますし。ぼくたちが2人ともパリへ出ては今困ることも起きますので」 「では私のほうは15日の前後6日くらいはリヨンに居る様に調節するからね、M.ショウのほうでパリへ戻られて都合がよい日の連絡をお待ちします」 判りました、早めに電信で連絡をしますと約束をしてノートに書き入れた。 「ムッシューが昨年こられてから1年経たないうちにリヨンに立派な店を2軒、それも私が危ぶんでいた地区で成功するとはたいした眼力がおありです」 「イエイエ、私だけの力ではありません。ジャネットとバスティアンが力を併せてリヨンに腰をすえて働く気になってくれたからこその成功です。まだまだM.ビュランにもお力添えいただくこともあるでしょうからよろしくお願いします」 M.ビュランも正太郎にこれからもご贔屓にお願いしますよと手を出して握手を求めた。 「此方で織って頂いたフラールはもうじきYokohamaに付く頃です」 「どんな評価をされるか心配ですよ。Yokohamaのハブタエのほうが大分安いと言うのに大丈夫なのですかね」 「心配ありませんよ。リヨンの絹織物の評判は昔から高く評価されていますからね、電信で連絡が来次第此方へどのような評価かお知らせに上がります」 「忠七も明日にはナポリあたりですかね。25日にはトリエステだという話でした」 「3月の13日ごろにはシャンガイ(上海)に到着ですよ。ロイド会社シンド号は寄港地が多いですから船旅も退屈しないでしょう。其れと先に帰った2人もそろそろ帰着の連絡の手紙が来る頃ですよ」 「M.ジルベールもさびしがって居ますよ。張り合いが無いとね、ショウのほうから慰めてやって呉れませんかね」 「ナタリーとブティックに顔を出すようにいってくださいよ。何か頼む仕事があるかも知れませんし。荷車をロバか馬で動かす仕事もお願いしたいこともありますから」 「話しておきますよ。何か使ってくだされば張り合いも出るというものです」 工場を出てグルマンでクッサンにオランジェットを買い入れ、ラモンに此処にジャポンから織物の勉強に3人来て居たんだと其の家を指差して教えた。 遠回りしてマセナ通りのカドラの前を抜けることにした。 其処からサン・ポータン教会までの600mは一本道、ジャネットとバスティアンが式をしたいという教会だと教え、ガンベッタ大通りのギヨーバラ園へ出た。 今日は大分歩かせたけど大丈夫かいと聞くと「メゾンデマダムDDからシテ島まで金が無ければ毎日でも歩くんだから此れくらいなんでもないぜ」と元気な声で言った。 昼からビールでタブリエ・ド・サプールとクネルを頼んだ。 「夜は気取ったレストランに行くかい。リヨンのレストランはパリでも有名だよ」 「俺は其れより此処のような店が好きだよ。冬に飲むビールも美味いしな」 ママンの耳に届いたらしくタブリエ・ド・サプールを運びながら「いい事いうねそちらのムッシューは。ショウもリヨンに来ると時間が有れば来てくれるのさ」とご機嫌だ。 「お店の中をスケッチして良いですか」ラモンの言葉に「良いですとも、あんたがた有名な画家が店のなかを描いてくださるとさ」と大きな声で客に了解を求めた。 持ち歩いているサックから画板に挿まれた紙を出し、1枚は鉛筆でもう1枚はそれに色の付いたチョークで仕上げて其れをママンに渡した。 太ったママンは絵の中でにっこりと口元に笑みを浮かべ、エプロンは実際に無いバラまでが描かれ見た目よりほっそりとしていた。 ラモンの美的感覚はわからんと正太郎は思うのだ、太った裸の女性を描くくせに服を着た女性はほっそりと描く事がだ。 「まだ絵が高く売れませんが其のうち有名になるかもしれません」 「其の時はまた描きに来てくれるだろ」 ママンは其の絵をピンで壁に貼り付けてラモンにビズをし、ラモンもお返しにママンのほっぺにビズを返した。 クロワ・ルースへ向かいながら「ラモンはモンマルトルやシテ島で似顔絵を描いたほうが実入りはよさそうだな」と言ってみた。 「なぜだ」 「今の絵のように服を着た女性を描くと必ず見た目より痩せて描くだろ、それに笑い顔は天下一品だし、ラモンは愛想もいいしな」 「そりぁ違うぜショウ。俺は自分の好みの女を描くときだけああなるんだ。誰でも愛想良く出来ないのはわかっているだろ」 「だからってMomoやエメにぶすっとした態度は止めろよ」 「そうはいかないのが悩みなんだ、自分でもどうにもならんのさ。エメはショウの彼女だ、普通に話せと頭で思っても口に出ないのだ。ジュリアン夫人のエメなら大丈夫なんだがな。ショウみたいに誰かれなく同じように口が聞けないからつい酒を飲むのさ」 「良く言うぜ。マダム・デスランの店でも痩せた女給と一緒に景気良く飲んでいただろ。結局どっちでも飲むじゃないか」 そのジスカールは制服のセルヴァーズと席に付くドレスの女給と別れていたのだ。 「ばれたか、人の金だと幾らでも入るのが俺の胃袋だ。此れが自前だとカンバスが買える。絵の具が買えるとつい頭に浮かんで飲めなくなるんだ」 マダム・アッシュ・アンジェルの店に顔を出すとタブレーに座らされて織り娘が直ぐにカフェ・クレームを運んでくれた。 「ショウはこの店でいい顔のようだな」 「ほらサラたちにプレゼントした絹布ここで買ったんだよ」 「サラ・ベルナールのあの衣装はアルフォンスの自慢の出来らしいな。800フランでもいいから同じのを作れといわれたらしいぜ」 「ぼくも聞いたよ。生地がありませんとお断りをしたらしいよ。その代わり他の色のティスュ・ド・ソエで作ったらしいよ。あと6着分はアルフォンスに預けてあるんだよ。それ以外は買い入れてくれることになったんだ、たしかルージュ・アルダンにクラモアジー、ローズペーシュ、ニゼル、シクラメン、オランジュ・ルーシーだったかな」 店の娘の耳に入ったようでマダムは嬉しそうに2人に「そんなにあの時のティスュ・ド・ソエは気に入って頂けましたか。嬉しいことです、うちの娘が耳に入れたサラ・ベルナールというお方、まさかあの時のマダム・ロジーヌのことなのですか」と聞いてきた。 「おいショウ、あの時サラと買いに来たんだろ。どうしてサラ・ベルナールだといわなかったんだ」 「だって本人がサラ・マリー・ロジーヌだといえと言うのだから、ばらすわけにも行かなかったんだよ」 「やっぱりそうなんですか。様子はいいし生地を肩にかけた立ち姿がとてもよくて見ほれてしまいましたわ。知らなかったのが残念ですわ」 色見本から5種を選んでパリとブティックにそれぞれ600m届けてもらうことにした。 ナタリーは25m以内でのデッサン、アルフォンスは22mを目安に考えているようだ。 ラモンはマダムに1人分幾ら位か聞くと、其の値段に驚いて白目をむいて天井を仰いでいた「サラの話しをした時には800フランにおどろかなかったくせに」正太郎は可笑しくてもう少しで口に出すところだった。 受け取りは半分の1500フランずつにしてもらい店を後にし、ソエ・イルマシェにも顔を出して小間物を1200フラン買い入れ、フランス銀行の手形で1000フラン、50フラン金貨4枚で支払いパリへ送ってもらうことにした。 キュイール街まで坂を上りクロワ・ルースのベキュ&ブランディーヌで10種6000mのティスュ・ド・ソエを買い入れた。 受け取りは2軒に分けてもらい、店を出てからラモンは「此処のほうが安いようだが一人分幾らぐらいだ」と好奇心丸出しで聞いた。 「25フランから16フランの間だよ。ドレスを作る時の量でそのくらいの違いが出るそうだよ」 「なにが違うか良く判らんが。ショウには判るのか」 「生地は同じ絹糸で織られているけど此処のは動力のジャカール。丘のしたの店は同じジャカールでも手で織ったものだよ。リネンならもう少し安いのさ」 「此処は安い分送料を取ると言うことか」 「そいつはどうかな。店の方針みたいだよ」 ラモンは紹介が済むと座り込んで正太郎とアランが話しをしている間スケッチに余念がなかった。 「じゃランディまで居るのか。サムディにはまた朝まで飲むか」 「ぼくなんか問題にならない酒豪を連れてきたんだからね、飲み負けないように頑張ってごらんよ」 其れが聞こえたようにラモンは振り向いて朝まで飲んでも良いのかと笑い出した。 「お近づきに夕飯をシェ・ママンで食べるか」 「昼に行って来たよ。アランが奢るならまた行ってもいいよ」 「あそこだけなら奢ってやるよ。その代わりサムディはショウが持つんだぜ」 「いいけどあまり生牡蠣ばかり注文しないで呉れよ。そうだ前に紹介したぼくのメトレスがパリへ出てくればブロンの牡蠣を幾らでもご馳走するとさ」 「やあ、儲けた」 「なんだい、パリへ出る用事でも有るのかい」 「婚約した彼女の両親と式の打ち合わせさ」 「結婚か、何時ごろになりそうなの」 「今年リセを卒業するから9月ごろにする予定だ」 「あの娘そんなに若かったんだ」 「もうじき19だから若すぎることも無いだろ、姉のほうのオルガは今年21になるはずだ。それからエメとはショウからの紹介じゃないぜ」 「えっ、そうだっけ」 「ジャン・パプテスト・ギヨー老人さ」 「ジャン・パプテストって息子さんの名前じゃないの」 「息子はジャン・パプテスト・アンドレ・ギヨーだよ、たいていはアンドレと言っているが身内はジャンと言っているからややこしいのさ」 「アランは呼び捨てにしたけど親しいの」 「アンドレは俺の兄貴と軍隊仲間さ。其の関係とコンテッセの関係で此処に流れ付いたのさ、リヨンに来たのは戦争が終わった後だ」 「アランの年は23位だと思ったけど兄さんと大分離れてるのかい」 「フェルナン兄貴は今年36、僕は29だよ驚いたか、我が家は皆若く見えるそうだぜショウは22くらいか」 「ぼくは19だよ」 「何そんなに若いのか。それであれだけ仕事をしてメトレスも居て羨ましい限りだ。エメは学生か」 「去年からソルボンヌとコレージュ・ド・フランスの両方に通ってるよ。其の前はデカルト学校さ。去年の10月から校名を元のサン・ルイ・ルグランに戻したそうだね」 「おいおい、凄い才女だな。商売の名人と学業の秀才かよ。生まれる子は凄い天才の事は確実だな。サリー・マリーヌ・ボワイエ・ド・フォンコロンブと言うのが婚約者だがそのデカルト学校の最終学年だ。噂に聞いたことがあるがエメと言うのはマリー・エミリエンヌのことか、確か老人はマドモアゼル・ブリュンティエールと紹介したぞ」 「其のマリー・エミリエンヌ・ブリュンティエールだよ知ってるの。いや聞いたことがあるの」 「サリーの友人だよ。ていうより仲のよい先輩だそうだ。驚いたな世間は狭いぜうっかり悪口なんていえるもんじゃないな。最終学年をパスしてバカロレアに受かってグランゼコール準備学級も1年で跳び越したんだよな」 「そう言ってたよ」 「よし、其処までつながりがあるんだ、パリに出たら遠慮なく牡蠣をたらふく食わせてもらおうじゃないか。30日から2月3日までパリのオテル・ダルブ住まいだからな」 「あそこに泊まるの」 「知ってるのか」 「一年前はジャポンの使節の通訳に借り出されてあそこに暫く居たんだ。近くにバール・ア・ユイトルというオイスター専門の店があるよ」 「なら話は早い。パリへ出たら連絡するぜ。楽しみが増えたというもんだ。2日をあけておくよ」 ラモンがようやく腰を上げたので「7時でいいかな」と都合を聞いた。 「其の時間にシェ・ママンで会おうぜ。今夜はシェ・ママンの勘定は俺もちだ」 「ショウに隙が無かったら怖くて近づく事も出来ないよ。時々ぼけてくれるので助かるのさ。人間的に甘いところ隙があるから友人として付き合えるんだ。あまりコチコチ人間にならないで呉れよ」 「其れって酒を奢れという都合に聞こえるね」 「そういうことだ、さっしがいいじゃないか」 この間の絵の300フランもあっさりと払ってくれ、最近金回りはいいようだが中々自分から飲みに行こうとは言い出さないラモンだ。 ホテルの裏側、サン・ポール教会の正面だ、不思議とこの道は歩いたことが無く教会をいつも裏側から見ていたことに気が付いた。 教会の北側の道をソーヌに出てホテルの正面に戻り、部屋に入ったのは陽が陰る5時40分、昨日と違いソーヌは風も無く寒いというほどの事も無かった。 ソーヌと新市街はまだ夕陽が差しているがホテルは丘の影に入り、部屋の中はランタンをつけるようだ。 ドウシュを浴び着替えをしてクロワールに降りるとさっぱりとしたラモンが新聞を読んでいた。 「やっぱり其れか、Momoのお気に入りだな。さすがにジーンズはもう駄目か」 「もう少しで肩幅が合わないしテオドールがもう肩を広げるのは無理だというのでMomoが今回で着納めだと入れたのさ。冬でお蔵入りは確実だよ、バイシクレッテに乗り出してからどんどん足も太くなったし肩幅も広くなってね。横浜で餞別に頂いたのは完全に合わなくなったよ。ジーンズもほころびて来たし」 正太郎は新しいジーンズを買いたかったがパリで扱う店が見つからないのだ、「輸入したら」とMomoに言われ子供用から大人用までスミス商会に頼んでボストンからサンフランシスコとニューヨーク製の500着が月末にはル・アーヴルに付く予定だ。 「輸入するジーンズの上着はともかくパンタロンだけでも体に合えばいいんだけどね」 「自分で着る服が欲しいから商売にするなんてショウじゃなきゃ考えつかないぜ。上は水兵が好む縞のシャツでフラールをつければいいじゃないか」 「それじゃまるでジュリアンと瓜二つだよ、酒屋があれで良いのかね」 「いいんじゃねえの。何事も新しい事は最初奇抜に見えてもそのうち酒屋は皆あの格好になるかもよ」 ビールの樽を担いだ水兵が街の中を走り回る様子が目に見えるようだ。 6時半までクロワールで話しこんでいた二人は約束のサラマンジュへ出向いた。 ポン・ボナパルトまでソーヌ沿いに降り、橋を渡ってベルクール広場の先の路地を右へ入った。 「同じものでいいか」 「其れで良いよ」 「料理も先に頼んだから」 ヴァン・ショーを3人が飲み干す前にオニオングラタンスープが出てきた。 サラダ・リヨネーズ、セルヴェル・ド・カニュが出てきて「ビール3つだママン」此れはアランだ。 今日のサラダはポテトのボイル、カリカリのベーコン、ニンニクのフライ、ゆで卵のトランシュがアスパラやレタスの上に乗ってムタールがたっぷり添えられガレット・ソシス(ソーセージのクレープ巻き)が皿の周りを飾っていた。 「今日のサラダは豪華だね、マヨネーズまで1人にひとつ付いてきたね」 「お客様だからな張り込んだのさ」 こんなに食えやしないだろうと心配したが顔見知りになった役場づとめのアンドレが入って来た。 「やぁ、アンドレ1人かいこっちへ来いよ」 6人は座れるターブルも大きなアンドレが入ると小さく感じられた。 アランが「ショウの友達の画家のラモンだ。ドゥ・ペルソンヌで昨日来たそうだ」と紹介し、ビールを追加して「一緒にやろうまずはこいつを平らげてくれ。まだ後も頼んだがショウはあまり食わないからな」と勧めた。 アンドレはラモンと握手してビールが来るとサラダを自分の皿にたっぷりとりわけ「ママン、ムタールとビネガーをたのむ」と声をかけた。 「あいよ、直ぐ持ってくよ」 「今日はソーセージ攻めだね」 「気が付いたか」 手のひら大のパンにクリームが塗られてオーブンで焼いたものだとアンドレが不思議そうな顔のラモンに説明していた。 ラモンがセルヴェル・ド・カニュの入っていた皿を指差してこいつをもう一皿頼んでいいかとアランに言うのを聞いたママンが「父ちゃん、セルヴェル・ド・カニュ追加だよ」と皿を片付けながら怒鳴った。 「ビールはどうするの」 ママンは他のターブルの客にも注いで回り空になると奥から新しい壷を持ち出した。 「ショウたちはこれからどこか行くのかい」 アンドレが「ラモンは其の店を知っているのか、実は誘おうと思った店だ、サン・クロード通りだぜ」と正太郎のほうを見ながら聞いた。 「昨日の夜紹介されて遊びに行ったよ」 「なら其処はぼくのおごりだ。ぜひ行こうぜ。アランも2時間くらいならいいだろ」 「12時前にお開きなら付き合うぜ明日も仕事だからそれ以上は付き合えんよ」 「充分さ。飲んで歌ってそのくらいでお開きが丁度いい」 テーブルの上も片付いてアランが22フラン払ってラモンが3フランのチップを乗せた。 4人でグランドホテルの前から馬車でサン・クロード通りの入り口まで行くと正太郎がチップ込み5フランでいいかと馭者に言ってから渡した。 店は満杯だったがコントワール(カウンター)でいいかとアランが言って店の奥のほうへ進んだ。 どうやら4人が其処に並んで立つことが出来、アンドレは壁にもたれるように横向きに立った。 「まずヴァン・ショーから」 「そうだな悪くないな」 サルが空きましたよとマダムが呼びかけターブル席へ座らせセルヴァーズが「何か出しますか」と聞いた。 アランはここでもブルゴーニュのシャサーニュ、ブランがあるか尋ねて2本出させた。 「此処のお薦めのつまみは」 「豚肉か鳥のベニエにフリッ」 「フリッはポンム・フリッだよな」 「そうだよ、この辺りじゃフリッと言えばポム・ドゥ・テールだよ。林檎と間違える奴がいるからな」 ベニエは衣を付けて揚げるのだ。 「それらを頼んでくれ、林檎は揚げないでくれ」 アンドレが見ていたムニュには次のように長い名前が書かれていた。 ロワーゾー・ア・フリッ・デ・ラ・ヌーリテュール ラ・ヴィアンドゥ・ア・フリッ・デ・ラ・ヌーリテュール 「何で肉のほうは豚とか牛とか羊として無いんだい」 「ポールしかないからだよ」 「昨晩来た時にはラ・キュイジンヌが有るようには思えなかったけど」 「あのバーマンの窓の奥がラ・キュイジンヌさ。この向こうの路地のブションの調理場さ、いわば出前の窓さ3軒のカフェ・コンセールとつながってるよ」 不思議な街リヨンだ、マダム・デスランが「今晩はプーレ・ロティが出せるくらい好いブレス鶏を仕入れてるよ、4人で一羽食べるなら今オーブンで焼きあがるわよ」とラモンのよだれがたれるような話しをした。 昨晩アコーディオンを弾いてくれた太った髭の若い衆がやってきた。 「おーぃ、アレックこっちの空いている席へ座ってくれ」 正太郎が「昨晩はお世話になりました。僕はジャポンから来たショウといいますあなたがアレックさんですか」と握手して席へ座らせた。 出てきた料理はアランがワインに飽きたかカルバドスを頼み5人で食べ、代わる代わる台に上がり、歌を楽しみ好い気持ちで約束の12時まで遊ぶと、アランは正太郎達の馬車に乗せてアンドレと別れた。
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Lyon1874年1月25日 日曜日 朝と言っても冬の5時は凍りつくような寒さがリヨンにもやってきていたが、サン・タントワーヌを出た7人の仲間は其れを感じてもいないようだ。 正太郎とラモンは店から戻るセシールとマダム・デスランを送るために一緒の馬車に乗った。 ラモンは意気揚々とマダムと店の脇の階段を上がり、正太郎はふらふらとセシールに支えられながら4階の部屋へ上がった。 タブレーに座るとモントーを脱ぐようにいわれセシールが壁にかけてくれた。 「今の時間にこんな熱いのが出せるなんて誰か一緒に住んでいるの」 「此処は1人よ。いつもこの時間に帰るので此処のメイドが熱いお湯を私や他の住人の部屋へ置いておいてくれるの」 「こっちへ」 正太郎が起きたのは陽がのぼった9時を過ぎていた、ル・リにはセシールが正太郎を見つめるように半身を起こしていた。 「もう起きたの。いくらかは寝たの」 「すこし」 煙草の香りがした。 「髭を剃るなら昔の男が遺していったかみそりがあるわよ」 「いいさ、これから遊びにいく訳じゃないから」 ラモンの声がして「帰るぞショウ」といわれ時間を見ると11時だ。 「今起きたところだから10分待ってくれ」 「少ないけど」 ラモンは焦れてまたドアをガンガンと叩いた。 正太郎は鏡で口紅の残りを確認して拭うと「待たせたね、行こうか。オ・ルヴォワール・セシール」とドアの前で抱いてから階段を降りた。 オペラ座前の広場には多くの観光客らしき集団に、先生に率いられたエコール・エレメンタールの生徒がいた。 其の人たちの間を縫うようにオテルドビルの狭い路地を抜けテロー広場に出た。 「ショウ、お前大分もてたようだな。いくらかやったのか」 「金は受け取らなかったよ。また来いと言うんだ困ったもんだ」 「困る事はないだろう。今日のように遅くまで遊んだ時にはいいねぐらが出来たと同じだ」 「夜中に尋ねたら男がいたなんてのが落ちさ」 「ふん、冷静だな」 「ラモンこそいい思いをしたんだろ」 「オオお互いにな、まさか女のほうから引き釣りこむとは想像もしていなかったぜ。ましてあのマダムが1人住まいなぞ想像もしていなかったのさ」 ようやく人波が途切れ2人はホテルへ戻った。 「昼はどうする」 「抜いても良いさ、俺はパンとカフェ・クレームで朝を済ませたよ。ショウは」 「ラモンがいらないなら夕飯を早めに食べに行けば良いさ」 「ディマンシュでも開いてる店があるのかい」 「イタリア人の店でヴェルミセルか他にも観光客相手のレストランがあるよ」 「其のイタリア人の店でいいぜ。じゃ5時に下でな」 3時前に目が覚め受け取りを見ながらノートの整理と残金の確認をした。 「サン・タントワーヌは一晩255フランとマダムたちの65フランか、バスティアンの結婚前の遊行費としては仕方ないか。7人で割れば37フランもいかないのか。大分シャンペンを空けたわりに安いと思わなければいけないかな」 代わる代わる10人ほどの女給が付いてシャンペンが16本も空いていたんだと思い出した。 もって出た600フランあまりの硬貨は155フランが残っていた。 「大分チップを配ったようだ。札は残ってるのかな」 「こいつは無事だ。445フランの散財か、今回1000フランの予算でラモンを連れて来たが殆ど使い切ってしまいそうだな。幾らなんでも経理から出して呉とはいえないからな」 155フランはポシェに、札を襟にしまい、カフェが飲みたくなって下に降りていくとラモンもカフェを飲んでいた。 「起きたか。大分すっきりしてるな。カフェでもどうだ」 セルヴァーズに自分の追加と新規だと頼んでくれた。 「随分飲んだな、7時から朝の5時まで飲んだのは久しぶりだ。ショウも随分強くなったものだ。あの大男のアンドレが潰れるほどだから相当飲んだんだろ。いくらとられたんだ」 「サン・タントワーヌは255フランだよ。其の前のジスカールはアンドレで、その前のスィッチと言う店はバスティアンが払ったのさ」 「最初が4人で次は6人に増えて最後は何処で1人出てきたんだ」 「ポールはオペラ座の前で馬車に乗るときさ、フラフラ歩いていたのを捕まえたのさ。ラモンはアランたちと先に出ていたから気が付かなかったんだよ」 「しかしあのマダムが追いかけてくるとは思わなかった。どうして店がわかったんだ」 「よせよ、あれだけセシールに誘われているのにショウが行かないと言うからなんてラモンが何度も言うからだよ。アランが此れから行こうと言い出したんだぜ」 「それでマダムは店を閉めたあと3人女を連れて出てきたのか。10人で255フランなら仕方ない値段か、ショウがフォリー・ベルジェールより高いというから1人40くらいは取られたかと思ったぜ」 「すこし夕飯には早いから陽が落ちる前に街を馬車で一回りするかい」 「いいな馬車で体中を揺すられればビールもうまい」 「まだ飲む気なのかい」 「パリへ戻ればこうは飲む機会なぞ中々無いからな。たっぷりと体を酒で満たしてやるのさ」 「ラモンはそれで10日くらい飲まなくてもすごせるんだから不思議だよ」 「其れでなければ絵筆を持った手が震えるようになってしまうぜ。アル中の画家で有名になるのはごめんだ」 馬車を頼んでプレスキルの名所めぐりをし、ポン・デ・ラットル・デ・テサージュからパール・デューへ入った。 陽が落ちた街の上にはすこしくぼんだ横顔の月が見え星空が綺麗に輝いていた。 デデュー街のブルーノは明るく何人もの客で賑やかな声がしていた。 パスタ・エ・ファジョーリ(豆とパスタのミネストラ)とヴェルミセルをラグー・ド・ブフで食べたいとママンに伝えビールも忘れないでくれとラモンが追加した。 「ショウはこういう店にも顔が聞くのか」 「バイシクレッテのほうで働いてる子供がいたろ」 「ああ、ミシェルといったな。はしこそうな奴だ」 「其の子が此処の人たちのお気に入りさ」 バスティアンは新しい店舗をポールとユベールに任せバイシクレッテの練習は交互に出られるように2人の新しい店員をそちらへ廻し、今の店はミシェルと2人で中古を主に扱う予定にした。 「年3回の査定をして売り上げに応じて給与を徐々にですが上げてやる心つもりです」 「良いだろうよ。其のうちもう一軒どこか店を出すときは2人の内どちらかを其処へ出てもらって君は社長、2人が支店長とでもなってもらうように考えてくれたまえ」 「ディジョンにも店を開きたいのさ。情報を集めてもらったが小さな店が1軒あるらしいが月の売り上げは6台がいいところだそうだ。まだまだ売り込み先は増えることが見込めるよ、できれば来年にはブティックと混みで考えてるのさ」 「ショウは本当に商売人だな。ここがやっと土地を買って落ち着くように見えたらもう次かい」 ビールをまた追加する頃には熱いパスタ・エ・ファジョーリが出てきた。 「パンをあまり食べると後が食えなくなるよ」 「トレボン、確かにいい味だ」 飲むというより食べるというほうが当たっている濃厚なスープだ。 「明日は何時だといったっけ」 「ガール・デ・リヨン・ペラーシュ11時45分発だよ。明日は朝ブティックで打ち合わせを開いて、DDのお土産のショコラを買うんだよ」 「じゃ今晩はおとなしく寝るか」 ブルーノは2人でチップを置いても6フランだラモンは自分がと言って支払った。 ヴァンと言う店は賑やかだった「やぁ、ショウ久しぶりです」ネオと其の仲間だった。 ヴァン・ショーを頼んでソーセージとポテトのボイルをマスタードとマヨネーズで食べながらヴァン・ショーのお替りをした。 3杯ほど飲んで勘定をすると5フラン、此処は正太郎が支払って表に出て駅前に有る夜中でも開いている酒屋でカルバドスを1本2フランで買い入れ、ラモンに渡して馬車でホテルに戻った。 ラモンの部屋で1杯飲んでから全部のみなさんなよと正太郎は自分の部屋へ入った。 ランディは26日6時に起きてランタンに灯りを入れ散歩に出た正太郎は、この前歩いた道と反対にサン・ポール教会の前の道をトンネルのうえに上がった。 建て掛けのバシリカから見る東の空にはベガが輝き、南にはスピカが其の輝きを誇っていた。 ローマ劇場は静まり返り大昔の人が集った夢の後のむなしさを感じた。 「此れが昼間ならまた違う感じ方をするんだろうな」 ホテルに入るとラモンは起きていてクロワールでカフェを飲んでいた。 「タルトでも買って列車で食えば良いさ」 「ではそうしよう仕度をしてブティックに行くから30分したら降りてくるよ」 ポルトゥールが馬車に積み込み駅で何時ものように荷物を預けブティックに向かった。 「隣の改装が済んだらこの上を建て増して2人の住まいを作るから自分たちの希望はジャネットに言うんだよ。3人でよく相談して後で不満が残らないようにね」 ラモンは其の話をしている間、表を一回りしてきて「裏の空き地は何か作るのか。空き地のままじゃもったいないな」と言い出した。 「今は使えるお金が無いんだよ。ラモンが出して何かやるかい」 「冗談じゃない」 その日のパリはまた雪が降っていた、メゾンデマダムDDに戻った正太郎を3通の手紙が待っていた。 差出日は11月8日10日12日だ。 最初の書簡には西郷先生が10月23日辞表提出の上同月28日品川より乗船し鹿児島に向ったことが記されていて身分はいまだ陸軍大将のままであること。 参議兼外務卿・副島種臣、参議兼司法卿・江藤新平、参議・板垣退助、参議・後藤象二郎他の政府重要役職をなげうって下野したことが記されてあった。 その影響の予測、勝先生の重要役職への就任について、海軍大輔から参議兼初代の海軍卿となられたこと。 伊藤様がこれからの重要なお役目の要になる参議工部卿就任、寺島様も参議外務卿と為られた事などが事細かく書かれていた。 2通目は虎屋の正太郎の10月までの収支計算書。 3通目は横浜の街の様子に吉田先生が所帯を持ったこと新居は今の家を其のまま使うことなどだ。 電信で簡略に連絡が来たことを詳細に記される手紙の要点をMomoにも話しておいた。 「ジャポンの国も上の人たちは大変なのね。こっちは大統領が変わるし、首相は替わったばかりなのにアルベール・ド・ブロイ
からエルネスト・クルトー・ド・シセ に入れ替わるし大臣も入れ替わりが多いけど、ジャポンは内乱は起きないの」 「手紙では其の心配は今すぐと言うことではないようだけど、小さな反乱はもうおきたようだけど直ぐ鎮圧されたみたいだよ。僕がジャポンを出る時に会長が話してくれたことが本当に成りそうで心配なんだ」 「其れは何」 「政府の役人が辞職して反乱を起こそうとしても上手く行かなくて個別に鎮圧されるだろうと言うことさ」 「でも其の辞職した人がまとまれば今の政府は潰れるかもしれないんでしょ」 「会社からの手紙では其処までまとめる人がいないと言うことが書いてあるんだ、出来る人は陸軍大将の西郷と言う人だけだけど簡単には動かないだろうというんだ」 「その人を動かすことはできるの」 「まず無理だろうね。大義名分が無い限り自分で軍隊を指揮しないだろうというんだ。やるなら辞職をしないで其のまま軍を動かすはずだよ」 暫くフランスの政府の事とジャポンの政府の事を話して2階へ上がってル・リに入った。 27日のパリは晴天、また雪は積もったのは僅かで大通りの雪は午前中に消えていた。 ラモンと事務所に出てリヨンの報告をした。 3点の絵が気になると別にして暫く考えていたが「この絵の大きなものはルーブルにあるのですが、此れは本人が書いたものか弟子のフランソワ・イポリット・デボンが描いたものだと思うのですがサインが無いのでわかりません。このカンバスの最後まで絵の具が残っていて削った様子から見ると元の絵はもっと大きかったのでしょう」 「それでそのルーブルに有ると言うのは誰が書いたのかね」 「モデルはクリスティーヌ・ボワイエ。画家はアントワーヌ=ジャン・グロです」 「あのナポレオンが贔屓にした画家かね。それなら其の弟子のデボンという人に鑑定してもらうことは出来ないかな」 「残念ながら2年ほどまえ僕がパリに入る直前に亡くなりました」 「では鑑定は無理か」 「新古典主義といわれた人たちはほとんどいませんからね。調べてみます。それから此れはオダリスクで有名なアングルの模写でしょうが其れにしてはよく描かれていますね。ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像といわれる絵です。最も僕も模写でしかお目にかかっていませんが此方のほうが品もありますね。最後のは僕もよく知ってるシャヴァンヌですよ。同じような構図の絵はマネさんが持っていますよ」 「絵のタツチが壁画と全然違うよ」 「でも此れもかれのサインですよ。注文でなく手慰みで描いたのじゃないですかね。それとも贋作か例の落選時代とか年度が書かれていないので判別不能ですよ」 「脅かすなよ105センチの68センチか。パンテオンの壁画で見るシャヴァンヌとは随分違うね」 「壁画は描く要素が限定されますからね」 「確かめられるかい」 「駄目でしょうね、小さなものや習作だと全部の資料を残す人ではありませんから」 マネやベルト・モリゾとも親交があり一時はサロンへの出品がことごとく落選とされる不遇の時期があった。 「しかし此れは余りにも日常的過ぎるね。船で寝る赤子と漁師か。裏寂れた入り江に小さな漁船、どう見ても売れる絵じゃないね」 「だからマネさんも持ってるのじゃないですかね」 M.アンドレ他事務員一同は清楚な様子はパリ生まれで無いエメだが誰よりも理想のパリジェンヌそのままだと褒めた。 縦が160センチもあり横は106センチだった、本棚の隙間は横が160センチだったので花瓶に花を挿さなければ収まりがよいと置いていったのだ。 「ショウはまだ帰ってきてからエメに会っていないでしょ」 昨晩はメゾンデマダムDDにラモンと直接戻ってきたのだ。 「うんそうだよ。今月は試験で忙しいから週末まで会えないんだよ」 「ルノワールさんが手直ししたあと、さびしがると思ってルノワールさんから頂いて其のまま持ってきたのよ。ショウに安く売りすぎたとルノワールさんは言っていたそうよ」 「僕には言わなかったけど、150フランは4月に開く展覧会の費用になるらしいよ。マネさんも同じ値段で良いと描いてくれたけどまだ渡してくれないんだ」 「安いわね、幾らなんでも150フランわね4倍はとらないと。其れでね其の展覧会に出品して売却済みの札を貼って景気をつけるそうよ」 「考えたねこれから売るんじゃなくてもう売れた絵なら確実だもの。僕も其れまでに小遣いをためておくかな。安かった分を補えるようにね」 「ショウ俺のも買い入れてくれよ。すこし遊びすぎて苦しいんだ」 「えっ、何時の間にそんなに金を使ったの。一昨日は残らなかったの」 「あれはあるが先月の付けが溜まってるんだ」 「仕方ないな、今月の給与で幾つか買い入れるよ。280フランなら今もってるよ」 「全部であと380フランはあると助かるんだ」 M.アンドレがモニクに言って100フラン出して正太郎に渡した。 「此れは今月のまえ渡しにしておきますよ」 全部で436フランあった。 「来月の下宿代は残ってるのかい」 「リヨンに行く前にMomoに預けた」 「それだけ困ってるのに絵を買わなくても良かったのに」 「勢いだよ、払う予定だったが相手が留守だったので其れをまわしたんだ。其れよりリヨンで使いすぎて来月は大丈夫か」 「リヨンから例のアランがオテル・ダルブへ30日にやってくるからね。バール・ア・ユイトルに席を予約したいんだ。それからジャネットの結婚式は15日の予定でテオドールには出てもらう予定だけど花嫁の付き添いにモニクは出られるかい」 ごまかしても駄目よという顔でモニクは「牡蠣ね、エメも一緒でいいのね」とわざわざ念を押した。 「全部で4人、アラン・ド・サン=テグジュペリの婚約者も招待だよ、来月の2日に予約して欲しい」 ラモンもリヨンの事で口を滑らさないようにわざわざさっきの絵を見直してM.アンドレと屋根裏へ仕舞いに上がっていった。 |
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Paris1874年2月2日 Monday 今日のレストランは5人に増えた、アランからオルガ・ポーリーヌも招待して欲しいと申し入れがあったためだ。 バール・ア・ユイトルに7時、オテル・ダルブに6時半集合にしてレストランで挨拶を交わすのを避けた。 アランとはリヨンで会っているがサリー・マリーヌは学校で、オルガ・ポーリーヌはソルボンヌでと個別にエメとは知り合いなのだが、こうして一同にあってみていまさらのようにと挨拶をしながら笑いが絶えなかった。 ラ・アルプ街から夜のカルチエ・ラタンの人ごみへ出てサン・ジェルマン大街を東へ2分も歩けば目指す牡蠣料理の名店だ。 エカイエ(ecailler牡蠣殻むき)が表で威勢良く殻をはずしていた。 「この寒い夜でも表なのね」 シャンペンで始まり、アミューズに牡蠣のムース。 シャブリ・グラン・クリュ・レ・クロが選ばれ、オードブルはお目当てのブロン産の1号の生牡蠣にレモンが添えられ、黒パンとバターが付いてきた。 そして別の皿にはワインビネガーに刻んだエシャロットが浮かんでいた。 スープは牡蠣のビスク、フローレンス風。 ポワソンは蟹のクリームソース、ヴィアンドゥは鴨のグリエ、アスパラガスとトマトのサラダ添え。 アントルメにガトー・サヴォワと書けば正太郎にエメは食べきれるのかと心配だが60個の牡蠣はそれほど食べないうちに姉妹とアランが殆ど片付けていたのだ。 128フランやはりレ・クロ2本は高い物だと改めて思った。 アランとは明日の午後アスティエに行く約束だ。 「明日の午後6時に迎えに来るよ。ラモンにメゾンデマダムDDの男共が一緒だよ」 オテル・ダルブまで歩きエメと正太郎は3人と別れてノートルダム・デ・シャン街へ戻った。 翌日正太郎はダンとニコラにはオテル・ダルブへ直接出向いてもらい、ラモンとは馬車で一緒に出かけた。 2台の馬車でプチヴァッカスのまえ、トール・ジャルダンのあるトゥールネル河岸からトゥールネル橋でサン・ルイ島に入りマリー橋で島を抜けてバスティーユ広場を抜けてアスティエへ向かった。 大通りは行き交う馬車も少なく十六夜の月はまだ上がってこなかった。 店について中へ入ると庭の見える席へ案内された。 それぞれが食べたいものを勝手に頼んだが生牡蠣は96個頼んだ。 シャブリはグラン・クリュ・レ・クロを2本出してもらいリヨンの出来事やアランが聞きたがるパリの遊び場の話で盛り上がった。 アランはパリへ入った30日に正太郎とラモンの3人でフォリー・ベルジェールで軽く遊んで翌日はおとなしくド・フォンコロンブ一家と式の日取りを話し合ったのだ。 「ところでショウ。メゾン・デ・ラ・コメットの隣の土地は買う気が有るのか」 「考え中なんだ。54000フランは大きすぎるよ」 「公園でも作れるくらいの土地だからな。火事で部屋が使えないから取り壊したあと土地を売り払ってサン・ドニの駅付近に移りたいというんだろ」 「向こうなら半分以下だからね。同じ広さで好い建物が建てられそれでも金が残るさ」 「商売にはむかないかな」 ノエルは今度の百合根の12万フランを正太郎が半分取るべきで其れで買い入れれば良いと言うのだが、エメはノエルの名前で買い入れてもいいのではないかと子供たちとも相談中だ。 シャブリの良い物を5本も開けたせいか235フランも請求されてしまった。 アランは1人でオテル・ダルブに帰し4人はメゾンデマダムDDに帰った。 「牡蠣はひとつ1フランくらいの上物みたいだな」 「牡蠣は安物ならダースで2フランもしないで食べられるけど高級店は見栄も入るからね。それにシャブリでも10フラン以下のは頼みにくいからビストロあたりで食べるほうが財布の心配が無いね」 「それにしてもアランは噂どおりに牡蠣をよく食べるな。興味があるから最初から勘定してしまったぜ。あれでもまだ食べられると言うのだから恐れ入るよ」 馬車がメゾンデマダムDDに着いて話が途切れたが、クロワールに落ち着くと早速蒸し返すニコラだ。 「ショウが8個こいつは少なすぎるな。俺が22個、ニコラが18個、ラモンは24個」 「えっ、そんなもんだったか。もっと食ったと思ったぜ」 「4人で60個。普通ならよく食べたという数だ」 「そうすると半分以上はアランだというのかよ」 「11ダースで132個、あいつが72個だ」 あの最中によく数えられた物だ正太郎は確かに追加分を2個しか食べなかったのでアランはよく食べるなと感じたが、其処まで食べていたとは驚きだ。 「其れで他の料理は食べたの」 「今日は牡蠣のグラタンにクルヴェットに鶉が出たよ。牡蠣はレモンに後はビネガーにシャンペンが入っていたものを交互につけて食べたよ」 「1人で馬車に乗せられたときは誰かこのあと誘ってくれないのかと情け無い顔だったぜ。またフォリー・ベルジェールでも行きたかったんじゃないか」 「僕はお断り、そんなに小遣いが続きませんよ」 「交際費じゃおりないか」 「ヴィエンヌの金が公使館の話だと今月入れてくれると言うのでそれでも入らないとM.アンドレがいい顔をしませんよ」 翌日の朝、4日の日は天気も好いし暇だというラモンとアランの見送りにリヨン駅まで出かけた。 サリー・マリーヌはオルガ・ポーリーヌと姉妹で見送りに来ていた。 リセ・アンリ4世の傍のブーランジュリ・ルネでパンを買い入れ、オ・ポール・サリュの前を抜けるとリュクサンブールの北側からイエナ橋を渡りトロカデロまで出て、凱旋門から遠回りしてメゾンデマダムDDに戻った。 定時連絡の電信にはリヨンで織られたフラールが好評で1枚18フランで引き取ったと記されていた。 百合根の4回目は5日に船が出てマルセイユへ3月25日到着予定、上海まではヴォルガで積み替えてマルセイユ直行便で5万球を送り出し後は夏以降であるから、連絡をすることが念を押されていた。 価格は送料保険混み314200フラン、そちらから申し出のあった人形、文箱、贈答用高級茶、薩摩焼酎、醤油など五万フラン相当も送り出すので資金は不足分が出たとされていた。 この頃正太郎は公使館で東京から不平士族の小規模な暴挙が続き各地に下野した政府高官を指導者に祭り上げる気配があり、心配であると聞かされたがそのことについては何も連絡はかかれていなかった。 まだパリへは報せが入っていなかったが佐賀では不平士族が元参議兼司法卿・江藤新平を頭目に担ぎ上げ、軍資金に小野組から20万円あまりを強奪していた。 「やれやれついに赤字か、ビスクドールの400体5200フランと機関車の模型が500フランで10台、向こうで幾らになるかな、着くのは3月2日か」 「ショウまた百合根が上がったのね。ノエルが言うように半分貰うほうがよくないの」 其のノエルがアランたちの馬車で事務所にやってきた。 「今日はショウに膝詰めで談判に来ました。商売なのですから私たちの留学費用が充分すぎるほど集まったのに自分の取り分を取らないのは商人として失格です。今回から私たちの取り分は2フランにします。あなたは貴方の会社の社員に対しての責任があるのですから儲けはきちんと出して社員に其れを配分すべきです」 「それからパリの土地はエメの名義になっているようですが今度の話は会社で買い入れて置くのですよ。仕事はいつも儲けが出ることばかりではありません。そのとき会社資産があると無いでは違いが出ます。事務所もいずれ其処へ建てる建物に移してもよいと言う準備をするべきです」 「判りました。今回からShiyoo
Maedaで利潤をきちんと取り会社に儲けさせることにいたします」 M.アンドレに「あの土地を買い入れてくれたまえ、会社の口座にそのくらいはあるのかな」と聞いた。 「出せますよ。ヴィエンヌの金も入ることだし月末まで特に大きな支払いはありませんから」 早速アンドレがM.ダヴィドとM.カゾーランにアランを連絡に出し地主の身を寄せるオテル・エデンには自分が出かけた。 地主のM.ミシュランと夫人を伴い事務所に戻ってきた時には不動産屋も弁護士もやってきていて早速契約が交わされた。 フェルディナンド・フロコン街側が60m奥行き45mの2700uを54000フラン、正太郎にM.アンドレは一同とクレディ・リヨネ銀行でM.カゾーランに300フラン、M.ダヴィドに2700フランが支払われミシュラン夫婦には54000フランが支払われた。 リヨンと違い売り手側が負担することがないのだ。 不動産屋はM.アンドレと登記に出かけ夫婦はモンマルトル・オランジェ銀行に其の金を改めて預けると正太郎に送られてホテルに戻った。 「ええあの土地代金でモンルージュなら今の家が5軒買えますからね、セーヌでも2万フランでした。クリシー大通りに半分の土地に大きな建物があるのでも買える値段ですから」 「そうなの悪いことをしたかしら」 「そんなことありませんよ。ただノエルがパリで生涯をすごすならそれに見合った土地と家を買い入れておきたいと思ったものですから」 「それなら後で今の家を買ってもいいのよ。あまりごたごたした市街地より落ち着いたあの家が好きよ」 エメが帰宅する頃を見計らって送りますとメゾンデマダムDDへ誘いMomoが入れてくれたテを飲みながらマダム・デシャンを交えて話しをした。 「そう買い入れたのね。でもあの火事で隣のメゾン・デ・ラ・コメットが何も被害が出なかったのは良かったわ。ショウのことだから保険は掛けてあったでしょうがね」 「ぼくのほうは何時でも新築が出来るくらいは掛けてますよ。M.ギャバンの現場にもね。それにしてもなぜミシュラン夫妻は自分の家に保険が掛かっていたか話さないのかな」 「そういえばあの人たち其の話しを誰ともしていないわね。私がこの家に来た時にはもうあそこに住んでいたみたいよ。マダム・コメットが結婚した頃にあそこに住み出したそうだから30年以上はフェルディナンド・フロコン街の住人よ」 「昔はこのあたりも安かったんですか」 「そうよ今は土地より建物が安いけど、私が来た頃は100uの土地が100フランしなかったわ。だからあの土地も建物付で5000フラン以下だったはずよ」 「でもあの古い建物では保険屋もあまり高い保険では受けなかったのでしょうね。土地に比べて家は表だけで奥行きはありませんでしたから」 「それでショウはあそこをどうするの。ノエルは今の家で好いのね」 「ノエルが今の家が気に入ってるようですので、暫くはあそこに住んでいただいて、タカが成長して留学を終えて帰った後にでも隠居屋敷を手に入れますよ」 「いやよ隠居だなんて、ショウはあたしをおばあさんのように言わないでよ」 「あそこにはM.アンドレが賛成してくれれば将来事務所を移動する余地をメゾン・デ・ラ・コメットとの間に残してロレーヌとサラ親子が心配している孤児院を卒業した後働く人たちのアパルトマンにしたいと考えているのですがね。本当はもっと土地の安いとこをでと考えていたのですが」 「百合根のお金がそういうことに使われるなら賛成ですよ。4階建てで屋根裏も住みやすくすればメイドも雇えますし苦労してきた分部屋が個人に与えられれば狭くともそれだけで幸せに思う人もいるでしょう。働いてお金が溜まれば上の学校で学べる人も出るでしょうし、受け皿が有れば孤児院も次の子供を引き受ける余裕ができますわ」 馬車屋まで歩きノエルをLoodに誘った。 「此処のお店は横浜で食べたように魚の塩焼きをしてくれます。ミチやタカもパリに慣れたようですからこれからは月に一度くらいお連れになってもよろしいでしょう。午後が休みの水曜日あたりにお店に予約を入れておけば魚をそろえておいてくれますよ」 「そうねタカは横浜をなつかしがる事はあってもけなげに勉強しています。そろそろご褒美にこういうお店につれてきても良いわね。ショウのほうで予約してくださるかしら」 「前の日にアランに言えばこちらに連絡して市場で魚を買い入れてもらいますよ」 レ・アール中央市場で買い物をして馬車を探してノートルダム・デ・シャン街へ向かった。 ノエルはエメと正太郎に馬車屋まで送られモンルージュへ戻っていった。 「ショウ、あなたそんな考えがあったのに今まで言わなかったのはなぜ」 「今日あそこを購入する話しをしたときに思いついたのさ。それでサラ・ボードゥワンには君が話しをして置いてくれるかな。うまくいけば夏までに建物をM.ギャバンに設計させるから」 「百合根のお金を回すのね」 「そうだよ、今回の分で土地、次回の分で建物、後は入る人の人選と管理人。それから仕事もせわしないとね」 「そっちが一番大切ね。食べるために身を落とす仕事を選んでは元も子も無いわ」 「ジーンズは何処で売るの」 「殆どはリヨンへ送ったよ。ブティック・クストゥには50着だけ。僕用に5着除いたんだ」 「全部で幾らに付いたの」 「750ドルに送料が220ドルで970ドルは4850フランさ。僕の分を引いて計算しても10フランまで行かないよ」 「幾らぐらいで売れそうなの」 「サンフランシスコで僕が買ったのが3ドル、だから15フランで売ってしまおうと思うんだ」 その日は陽が落ちたあと正太郎は馬車でメゾンデマダムDDに戻った。 |
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Lyon1874年2月13日 Friday 3人でリヨンに降り立ちル・フェニックス・ホテルで正装してからマダム・シャレットへ向かった。 テオドールはバイシクレッテの店へ向かい時間の打ち合わせをして戻ってきた。 7人でレオン・ド・リヨンでの晩餐の予約をジャネットに取らせてあるのだ。 6時を過ぎてフルヴィエールの丘の向こうへ落ちてゆく太陽に替わって、街はガス灯の灯りに包まれていった。 バルトルディの泉の見えるカフェで3人は式の事や新居になる家についての話しをしながら時間が来るのを待った。 M.デボルド・ヴァルモールは正太郎に任せるとムニュを渡した。 ワインがコート・ドゥ・ローヌのブラン、コンドリュー・レ・カシーヌ アミューズに牡蠣のムース。 サラダ・リヨネーズに続いて黒トリュフのスープ。 ポワソンに川鱒のクネル、バターでソテーしたキノコ。 ワインはルージュのエルミタージュ・ラ・シャペルがソムリエの勧めで選ばれ、ヴィアンドゥに子牛肉のロースト。 チーズ料理はフロマージュ・ブランを使った熱々のセルヴェル・ド・カニュ。 アントルメにフランボワーズのソースが掛かったサン・トノーレ。 充実した顔合わせをかねた晩餐だった。 「ショウはどこか行きつけの店が有るの」 「例のアランが好く行く店とポールたちバイシクレッテの仲間と行くキャバレーがあるよ。この近くだと客が歌えるカフェ・コンセールといろんな外国の芸人が出て賑やかな店もあるよ」 カフェ・コンセール・マルメに2人を連れて行くことにした。 10時になり店は賑やかな音楽で包まれていた。 「昔のパリの店のようですね」 エレデロス・デ・アルグエソを出させチーズとハムの皿とポテトサラダにオレンジを出してもらった。 モニクも店の雰囲気に圧倒されていたが、次第にその雰囲気に体が同調していった。 「ショウは面白い店を知っているのね。ここなら煩い女給がまとわることも無いし楽しいお店ね」 お酒の追加はいかがと二人に聞くと「今日はもう充分頂きました」とテオドールが言うので2時間ほどで切り上げ、歩くのも面倒になりヴォワチュリエに馬車を呼ばせ「近いけど此れで頼むよ。ル・フェニックス・ホテルだ」と10フランを渡して乗り込んだ。 翌日のサムディ、テオドールは散歩から帰った正太郎に今日の日程を尋ねた。 「列車で話したように今日僕の方はバラ園へ仕事の打ち合わせで何軒か回るし、モニクはブティックでジャネットたちと大工の費用についての打ち合わせだよ。テオドールは僕と回ってもいいしブティックやバイシクレッテの店で何か気が付いたことをアドバイス、あコンセイユしてほしいんだがどうだろう」 「私で役に立つことがあるかどうか改築の現場を見ておきます。後の連絡はどうします」 「昼に1回、夕方に1回店に寄るよ。ジャネットもバスティアンも昼からは明日の仕度に休ませて上げたいし」 朝の食事を3人で摂りながら打ち合わせをして部屋へ戻った。 1月3日横浜発、マルセイユ着2月18日フーグリーでの百合根の到着と正太郎が何時リヨンへ来れば良いかの相談だ。 話し合いの結果数が多いので26日に来ればどうかとなり、ギヨーバラ園が1万球を現金、5千球を後払いの卸分。 ギヨー老人は「結婚する人へのプレゼントは決まったから、これからブティックに娘と買い物がてら出かけて来るよ」となにやら言葉に含みを持たせて正太郎と別れた。 その後クロワ・ルースのM.ランボーの出店で次回の送り出し日の確認をした。 「3月半ばには送り出す予定だよ」 「では送り出しましたらまた支払いに参りますので連絡をお願いいたします」 「判った船がわかったら電信を打つよ。それから3月10日にM.デュブルーユとM.ラシャルムがパリへ出られるからよろしく頼むよ」 「はいこの間の家でお世話いたしますので到着予定が決まりましたらご連絡ください」 夕方までいるというジャネットをモニクが説得して2人で必要な品物の確認にパンシオンに向かった。 「どうだい店の様子は」 「今のところ欠点はありませんね。ブティックも大きいですね。倉庫を小さくして陳列を多くしたと言うのは驚きました」 「ジャネットは本職じゃないから斬新なことを考えるようだね。16mの奥行きを使って真四角な店をお客様が巡回するように考えたそうだよ。裏の小窓も全て大きくして明かりが入るようにしているんだ。その代わり日焼けした品物を直ぐソルドやヴァントプリヴェを週一度開いて処分するそうだよ」 「パリでは余りやらない売り方ですね。うちでも月一ですよ」 「お客様に遊びに来てもらう、そうしていつも品物が変化していることを覚えてもらう。そうするとぐずぐずしてると売れてしまうと焦らせるやり方だそうだよ」 「それで今の店舗はドレス専門と言うことですが」 「ティスュ・ド・ソエの卸問屋の紹介でいいデッサンをしてくれる娘が見つかってね、その娘のデッサンの物を中心に飾って特定の人を顧客に選んで売り出すつもりだよ」 「パリの高級店と同じやり方ですか」 「あれに近いね。ただ此方はもう少し値段を抑えて100フランから500フランを上限に考えてるんだ。コンフェクションは20フランくらいが中心、もし高い物となればアルフォンスのデッサンのふんだんに生地を使う物を見せていただけるだけ頂こうとジャネットは言ってるよ」 正太郎はリガールの工場に行くとバスティアンに伝えてクレキ街までぶらぶらと腹ごなしに歩いた。 フラールが好評で1枚18フランで全て売れたと話し、また注文を受けてくれるかと相談した。 「前回1100mで1000枚でした。100枚をペルテに入れて1100mを製品に仕上げて引き渡しが1020枚7140フランでした。同じ柄を同じ値段で買い上げていただけるとカルトも無駄にならず助かるのですが」 「勿論ですとも其れで何時ごろになりますか」 「カルトは有るので2週間でフラールに仕上げられます」 忠七たちの住んでいた家が売りに出されていた。 「売り家か。M.ビュランに相談してみるか」 4軒が同じつくりで通りに面していて全て手織りの工場跡のようだ。 「何だナタリーの親父さんか。道のこちら側は区画が小さくて機械工場に向かないのかな」 工場に後戻りして聞くと息子がヴィユルバンヌに25000uの工場を建てるに付いて使っていない昔の手織り工場を処分することにしたとジャンが話してくれた。 息子のレーモンは将来今の規模では行き詰まると300台の器械を稼動できる工場を建てる予定だそうだ。 ローヌ川に面していて艀で積み出しも可能になるので便利だという話だ。 「工場と機械、機器で240000フラン、土地が12500フラン、操業資金に47500フランの300000フラン。株を発行して身内で228000フランは確保できた。残りは彼に相続させる分の土地建物を処分して宛てる予定なのだよ。そうすれば此処はナタリーの分にするとレーモンも納得したんだ」 「残り72000フランの資金集めですか。あそこのほかに売るところがあるのですか」 「あそこにはまだ住んでいる家も奥にあるので表側4ヶ所をとりあえず売却して裏側は担保に銀行から借り入れようと思うんだ」 「表側は全て同じですか」 「そう、18mの18mの区画が4ヶ所。建物は80年ほど前のものだからあまり評価はよく無いのだ、全て同じ324uで7000フランだ」 「4軒売って28000フラン。不足分が44000フランですか」 「そうだ、クレディ・リヨネ銀行と下話したが72000フランを貸すが此処の工場も向こうの敷地も担保に出せと言うのだ。そういうわけにはいかんとレーモンが断ってしまったのでほかを当たっているところだ」 「其れで明日の式に出るので来ました。工場を大きくするそうですね」 「今もその資金集めに奔走中さ」 「いま売り家の札を見て買い入れようかと来たんですよ」 「買ってくれるのかい。全部で12軒あるんだが売れるのは4軒しかないんだ。後は人が住んでいるんでな。全部売れれば84000フランを見込んでいるんだがクレディ・リヨネ銀行はそれだけでは担保不足だとごねるんで取りやめにしたんだ。おかげで何時工場を稼動できるかわからんよ。すでに建築に入ったのに機械が買えなきゃ仕事にならんのだ」 「その表側の4軒、次にリヨンに来る26日には支払いますが其れで良いですか。仮契約でいくらか入れますか」 「ショウなら約束は固いしそれで充分だ」 「それから工場ですが資本を外部からいれるわけには行きませんか」 「あまり賛成できないのだ。後で面倒だからな」 「もしぼくの会社でよければ資本参加しますがいかがでしょう」 「ショウなら俺もナタリーも反対しないよ。親父はどうだい」 「俺もショウならいいが、M.イルマシュがどうかな。彼は25パーセント出しているんだ無視できんよ」 78000フランは集めたが残りは家が売れないと折角立ち上げても工場を動かせないのだ。 「50000フランもしくはそれ以下の必要資金で相談してみてください。そうすれば、ぼくのほうで買い入れる28000フランとでお金の目途は立つはずです」 「それでこの売り家は不動産屋を通しますか」 「いや。息子の義父が公証人だから其処でやってもらうよ」 水鳥を眺めているうちに陽がかげりだし時刻は5時になっているので馬車を捕まえ、ブティックに戻るとテオドールも来ていた、二人でバイシクレッテの店に行き明日は教会へ直接行くと伝えてホテルへ戻った。 翌15日はディマンシュ。 午前のミサが終わると1時に結婚式だ、モニクは9時にホテルを出て花嫁の支度に向かった。 ポン・マレシャル・ジュアンまでソーヌの河岸を歩きプレスキルへ渡るとクレディ・リヨネ銀行の前を抜けてポン・ラファイエッでパール・デューへ入った。 「新しく広げたと言うのが良く判りますね」 「そうだね。教会にどいてくれといわないのがリヨンらしいね」 ゆっくり歩いたが30分も掛からなかった、それでもオドレイにシルヴィ、ナタリ−とお針子、売り子が正装して花嫁の到着を待ち受けていた。 「花嫁はマダム・ランボーとモニクが付いて直ぐやってきますよ」 教会の中からM.デボルド・ヴァルモールと夫人が現れ花嫁花婿を先導して中へ進んだ。 式は厳かに行われ上気した顔の花嫁が表に現れるとミシェルのブラボーの声で一斉に2人に祝福の米がまかれた。 ローマ時代からあるという尖塔には伝説があり、パレスチナ総督を罷免され追放されたピラトは、ヴィエンヌまで来てローヌに身を投げて死にその墓だと言われ、其れを見下ろす場所にあるオテル・ピラミッドが二人の宿だ。 リヨンから馬車で1時間あまり、明日の午後には帰るという予定の小旅行だが最初はグランドホテルでいいと言うのをギヨー老人が手配してくれたのだ。 「ホテルは此方で予約し、料金も支払済みだ。君たちはチップに料理、酒を追加したらその分は支払わなければいけないよ」 「帰りは馬車でも蒸気船でも列車でも好きな乗り物で帰って来るんだよ」 「さて此れでお役目は終わりだ。モニクは女同士での宴会を開いてください。僕たちは別行動だ」 「何よ。花嫁花婿はいないじゃないの。しかもやろうばかりでさ」 「それなら暇な女性たちを集めていいかい。400フランを使い切るのは此れだけじゃ無理だよ」 「そいつはマダムに任せるよ」 7人の名前をテオドールに紹介してバイシクレッテ仲間が後で何人か合流すると言うまにアランとアンドレがアレックをつれてやって来た。 アレックは一杯引っ掛けると早速アコーディオンを弾き出し次々と台に人を上げては歌わせだした。 マダムが30分もしないうちに着飾った10人ほどもつれてきて一段と店は賑やかに成り料理が何処からか出前されてきた。 「こんなに連れてきて大丈夫なの」 マダムは夕食代わりになるからと連れ出してきたようだ。 400フランはポールとユベールにバスティアンとテオドールの兄弟が100フランずつ支払ったそうで「あいつ自分で自分の祝いに支払ったが出られないんじゃ慰めもいえないよ」テオドールは可笑しげに話した。 正太郎は現れた女達にお祝いだからと10フラン金貨の入った袋を配りマダムとセルヴィス、バーマンにも受け取ってもらった、配っている最中にセシールが降りてきたので袋を受け取らせ、顔を知らないテオドールにアンヌ・セシール・コティ嬢と紹介した。 「この前ラモンと来た時に彼女が歌うキャバレーにいったんだよ」 「いい女だなショウ。ラモンは惚れなかったかい」 「ラモンは此処のマダムのほうがお気に入りだったよ」 「あの人はわからんね。ドレスの貴婦人はほっそり描くし裸の女は太目だしね」 「僕もだよ。だからもしかすると凄い画家になるかもしれないと時々は絵を売ってもらうんだよ」 「まさか。ショウは彼の生活費の援助になるからと買い入れるんだとジュリアンが言ってたよ」 「そういうことではないんだけどね。確かに彼はいつも金が無いからね」 暖かくなったらまた一緒に来るよというと「待っていると伝えてね」と別の人たちのところへ去っていった。 「ありゃあのマダムのほうがお熱かな」 「イャあよく食ったぜ。あれだけ上物はめったにお目にかかれないよ」 「いくつくらいか覚えてるかい」 「60以上は確かだな」 テオドールは驚いて「其れはパリへ来ていた間にですか」と聞いた。 「イヤ一晩さ。あの6日あまりで200は食べたんじゃないか」 「アランあの時ダンという人がいたろ」 「知ってるパリのバイシクレッテ競争のチームの1人だろ」 「彼は数学者で何でも数える癖があるんだ。君は72だそうだよ」 「そんなに食ったのか。でもまだ300には及ばんな。300食べるには10時間以上掛かりそうだ。伝説は本当か疑わしいな」 「しかしショウは食わんな10個もいかなかったろう」 「僕に大量に物を食えと言うのは無理だよ」 「幾つか覚えてるのか」 「ダンによると8個だけだったようだよ。1号となると大きいからね」 「じゃアランは1号ばかり72も食べたのですか。驚いたな」 「ショウのおごりじゃなきゃ食べられないよ。高いからね」 「でも君の婚約者も姉さんも牡蠣が好きな様で良かったな。あれなら結婚しても食べさせてもらえるね」 「あれは予想外に助かったよ。隠れて食べなくても済みそうだ。ショウあれはひとつ1フラン以上はしたんじゃ無いか」 「はずれニコラたちの話では今は超高級店でも1フラン以上は取れないそうだよ。加工して色々手を加えれば別だそうだけど普通は3号あたりを扱うそうだ」 「それにしても牡蠣だけで1月分の食費が飛びますね」 「そうなんだよ、夏から冬までためた金で冬場に何度か食べると蓄えが底を付くのさ。去年ショウと知り合って今度の冬は最高の冬だ」 「おや君はレ・ジュ・グリーゼだね」 「いやん、どうしてか夜になるとこういう色になるの。子供の時はアリコヴェール(お豆ちゃん)と呼ばれたのよ」 テオドールとお豆ちゃんは意気投合した様子でパリのファッションについて討論していた。 ポールが来て「何時お開きにします」と聞いてきたので時計を見ると9時だった。 「大丈夫よ。私の酒棚を空にしても400フランあれば大丈夫。高いものは仕舞いこんであるから」 「シャンペンと氷が足りないですが」 「100フランで何本調達できます」 「10本」 「ポール此れで此処を空にしても大丈夫だよ」 「入れてもいい」 正太郎が席をたって「僕たちの知り合いの結婚祝いで、本人達はいませんがどうぞ中で祝い酒を飲んで行ってください」と誘い入れた。 マダムにこの時間につまみになるハムや果物を調達できるかなと聞くと「任せなさいでも20フラン掛かるわよ。店に有るものじゃ駄目なの。なにがいいの」と言うので40フランを渡した「任せる。此れで調達できるもの」すっかり正太郎も出来上がっているようだ。 酔った足取りでお豆ちゃんと表に出るとマダムはすぐに戻ってきた。 20分もしないうちに2人のポルトゥールを引き連れてお豆ちゃんは戻ってきた。 1時も過ぎ、正太郎は馬車を頼んでテオドールとアランを乗せてユベールたちに別れてホテルへ戻った。 「アランまた25日くらいに来るから」 「待ってるぜ。夕飯をシェ・ママンで奢るからな」 テオドールもすっかりご機嫌で部屋へふらふらと入っていった。 翌朝、正太郎が散歩から戻るとナタリーとレーモンが来ていた。 「ショウ。大変よ」 「何事がおきたの」 「あなたリヨンでまた家を買う相談をまとめたそうね」 「ああ、列車で相談するつもりだったんだ。株にも投資しようという話もあるし」 レーモンとナタリーが互いに補い合いながら話しをしだした。 其れによるとレーモンが祖父から貰った土地は54mx72mの3888u、今回ショウに売るのは18mx72mの1296uでその3分の一。 ナタリーが相続するのは祖父の土地6499uの中から変形にはなるが2611u、其れは空き地が変形の1548u、195uの十字街指定地も計算に含まれた住居部分が1063u。 正太郎が申し入れた50000フランの株式参加を受け入れる替わりにナタリーの株式参加をさせるための資金に空き地部分を正太郎に買い入れてほしいと言う物だった。 「昨晩親族会議で決定したそうなの。私は出席しなかったけど、この際祖父から私が相続して、そのうち空き地部分を買い入れてもらえればそれを資本参加すれば操業資金に余裕が出て、製品に自家工場である程度して販売も出来ると言うことなの」 「それで、その空き地部分は幾らに計算したの」 「出来ればブティックのほうと同じ1u20フランの30960フランでお願いしたいの。そうすれば私がそのうちの30000フランを工場に投資できると親族、いえ祖父が強い希望なの」 「十字街指定地は除かれるの、空き地はそっち側でしょ」 「あれは私の私有地のまま残します。それで空き地の入り口が12mしかないの。でもわき道側に十字街の続きで24mあるの」 「整理するとレーモンの空き家4軒1296uに28000フラン。ナタリーの空き地1548uに30960フランで買い入れ合計が58960フラン、投資が50000フランの10万と8960フランか。よく出来てるね」 「えっ、何のことなのショウ」 「ナタリーは聞いたことあるでしょ、ヴィエンヌの話」 「ええ支払いが遅れているという話ね。ああ、確か13万フランほどになるとか」 「そう、実際は12万と7040フランあれが今月末には振り込まれるそうでね。モニク此処まで話が上手く行くとこの話は断れないね。M.アンドレにどういおうか」 「私が説得しますよ。百合根もいい値段になるし。メゾン・デ・ラ・コメットの増築もエメがだしてくれたから大丈夫」 「それで、投資金額や支払いは現金、手形」 「出来ればクレディ・リヨネ銀行の手形が良いですね。一度あそこへぶち込んで鼻を明かせてやりたいものです」 「では次回リヨンへ来る25日に用意してきますから26日に契約しましょう。前日に一度顔を出しますよ」 「待っていますよショウ」 「なんだろうね。パリよりもリヨンのほうの資産が大きくなってしまいそうだね」 「それでその家は何か予定でも」 「当分はこの街で働く人用に住まわせれば良いさ。そのうち商売が出来る場所になれば独立させて何かやってもらうか、ジャポン向けの製品を製造するか反対に向こうからの商品を売る店でもいいし」 |
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Paris1874年2月19日 Thursday 待っていたヴィエンヌからの振込がモンマルトル・オランジェ銀行本店の口座に振り込まれた。 間に合わなければ個人のほうから借り出してリヨンへ手形を持参するかと考えていたのが間に合い正太郎をほっとさせた。 早速ジョゼフィーヌ街75番の公使館へお礼に向かった。 「儲けの少ないのによく我慢してくれた」と感謝してくれた。 「いえ日本のためです。其れと私も最初そんなに売れるかと多寡をくくっておりました。最初から1万本は用意しておけば焦らずに済みました」 「向こうで追加した話しを聞いたかい」 「はいスミス商会で会期ぎりぎりに到着したようだと」 「あれは面白いことに入札で高く売れたそうだ。ロンドンの商社3社とヴィエンヌの商社が争ったそうだがえらく高く売れたと言ってきたよ」 「スミス商会は僕の方や横浜の値段を知っている分、高く入れなかったと言っていました。他へ取られたそうです」 「其れがねロンドンで今日本ブームだそうだよ。今センスを持っているなら至急ロンドンへ送り出すと良いよ」 「ありがとう御座います。帰りがけに商社によって見ます」 フランス郵船でロンドンの噂を聞いてテレーズ街まで急ぎ足で向かい先ほど聞いたロンドンの噂を電信で確認してもらうことにした。 事務所には正太郎が持ってきたセンスやウチワに文箱などが飾られているので商品は確認しなくとも品質は承知していた。 「ショウそれで今君は送り出せるのは何本あるんだね」 「今朝の時点で1等2等3等それぞれ3000本です。横浜からの送料混みで平均4フランです」 「そのくらいならぼくの独断で平均6フランの買い入れでロンドンに送るよ。後の荷は今度の船でも来るんだろ」 「でもいくつ入っているか書いてありませんでした。送った事は間違いないようですが」 正太郎は元値を1等6フラン、2等4フラン、3等2フランなので平均4フランだと話した。 「では8フラン6フラン4フランの平均6フランでの買い取りにしような。9000本だね、早速此処へ運んでくれたまえ。あそうだウチワはあるのかい」 「2000本は確実にありました」 「其れは幾らだね」 「パリで1フランの卸値です」 「そっちはそのままでいいかな」 「はい充分です」 「よし決まった、小切手でいいね」 馬車を捕まえフェルディナンド・フロコン街へ戻り馬車を待たせ、此処までとさらに往復でチップ込みの15フランを支払うと、事務員総出で荷造りをしてアランが配達に出かけた。 「事務所が大分楽になりましたね」 M.アンドレにアランがいて、モニクに、アンヌ、ダニエル(Danielle)、アメリーの女性4人に正太郎とで7人が机を並べているのだ。 「リヨン担当、ブティック担当、バイシクレッテ担当に分かれて其れを僕が統括。モニクにはメゾン・デ・ラ・コメット、メゾン・ヴァルダン、メゾン・ノエル・ルモワーヌをアランと受け持っていただき、輸出入は手が空いているものが行うと言うことにしておけば動きもよくなると思います。今、輸出入は殆どモニクなので仕事量は軽くなればいいのですが」 「それで増やす2人はどう使うの」 「入って直ぐに担当部署が与えられるほど優秀な人が来ればショウの秘書に動いてもらえれば幸いですがね。1人で動かれるとこの間のように大きな買い物をされるのでひやひやしますよ」 「アランを外交的な仕事に回してその分を新しい人間にすればバイシクレッテの売買、フランス郵船との交渉、スミス商会との商談にまわして仕事を覚えてもらうのもいいね」 「アランが聞けば喜びますよ。そうすれば給与も上げてやれますね」 「実績しだいで幾らでも取れるようになるさ」 |
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Lyon1874年2月24日 Thursday 正太郎がリヨンに出たのは予定より早い24日。 株式投資、フラール代金、ナタリーの空き地、4区画空き家の個別のクレディ・リヨネ銀行手形を用意してきたのだ。 明日の便でデボルド・ヴァルモール夫妻がいよいよニースへ永住するためにリヨンを離れるのだ。 「2階の事務所を先にしてもいいんじゃ無いか」 パリから様々なジャポンの品を送ったのでお受け取りくださいと食事の後に目録を渡して夫妻と別れた。 明日はいつも正太郎たちが利用するガール・デ・リヨン・ペラーシュ16時15分到着25分発の特急でマルセイユに発ち、一泊した後買い入れたニースの家へ向かうのだ。 翌日正太郎は何時ものように6時から散歩に出た。 何時もの魚市場の喧騒を抜けサンジャン大聖堂の先、ポン・ボナパルトでソーヌを渡った。 川沿いはガス灯が輝きランタンはもって出たが火を入れることもなかった、サン・タントワーヌの前はメルクルディだというのに帰る客でごった返していた。 「仕舞った向こう岸からは気が付かなかったな」 ポン・マレシャル・ジュアンの橋袂から商工会議所へ曲がりポン・ラファイエッに向かった。 後ろから急ぎ足に近づく女性の足音が近づき「ショウ。まって」と声が掛かったのは橋を渡る直前だった。 「何処へ行くのこんな朝早くにそんなに急いで」 「朝の散歩だよ。リヨンへ出てくると美味しいものばかり食べて体がなまってしまってね」 「ならうちへ来る時間くらいあるのね」 サン・クロード通りのジスカールの4階まで上がり、暫くまってねとガスに火をつけ冷めた湯を沸かしなおしてテにミルクをたっぷり注いで持ってきた。 正太郎がホテルに戻ったのは8時半近かった「予定より時間がかかってしまった」とランタンを渡して部屋へ入った。 ブティックとバイシクレッテの店は明日移転後、初のソルドを行うので今日は正太郎の用は無いのだ。 今朝歩きそこなったポン・モランを渡り、プレイス・マレシャル・リョーテイを散策して路地を北へ上がりデュケーヌ街へ出た。 そのまま進むと其処はローヌ川の河岸、手の入っていない自然の河岸には水辺まで潅木が迫り冬と言うのに多くの小鳥の声が聞こえた。 さらに上に進むとテット・ドール公園の西門が見えた。 水辺をさらに進むとローヌは蛇行し線路の先には森が広がっていた。 川向こうには建設中の工場に稼動している煙を吐く煙突が見えた。 「このあたりのはずだ」 40分も歩いた頃建築中の建物が幾棟か見えた。 大小の建物から幾人かの人が出入りしていて小ぶりの建物で声をかけるとレーモンが出てきた。 「出てきたよ。今日は工場の見学さ」 中を精力的に案内してくれ「今は蒸気が主力の300台を設置中だが、ショウが言ってたガソリンエンジンのを試そうと思う、電気モーターと言うのも面白そうなので試そうと思う、それはこの小さなほうだ」と敷地の西の端に分かれた工場も見せてくれた。 「蒸気式は経験があるし作るにも建築屋や技術者も多いが、エンジンにモーターはまだリヨンでも大学の中で研究してるくらいで中々人がいないのさ」 「此処は紡績工場だ。小さいがうちの工場で使う予定の半分は此処で補えるが染色工場までは手が回らないんだ」 一貫して紡績、染色、機織、製品仕上げまでを考えているようだ。 「ショウ、俺はこの先の空き地も資金の余裕が出来たら買い入れると持ち主に申し入れてあるんだ」 工場の西側、地続きの25000u、南側に小道を挟んで27000uの両方で26000フランだそうだ。 南側に従業員用に敷地を貸し出し、家を建てさせるか家を建てて家族共々住まわせたいと壮大な考えを話してくれた。 お茶に熱いミルクをたっぷりと注いだものを出してもらった。 「ショウは初めてだな。紹介するよ、俺のかみさんのマルグリットだ。マルグリットこの人がジャポンから来ているショウだよ」 「初めてとはとても思えませんわ、レーモンからもナタリーからもお噂は沢山お聞きしています」 「いいうわさならよろしいのですが」 「勿論いい事ですわよ。仕事熱心で決断力もおありだと」 「褒めていただくとレーモンが考えている従業員の宿舎と言うのに協力したいものですね」 「本当ですか。貸し家に住む人をあちら此方から出勤させるより近くに住まわせるほうが時間の節約になりますの。それでどのように協力していただけますの」 「レーモンは今日僕が契約する土地につながった土地があるだろ」 「だがあそこはまだ住んでいる人がいるよ」 「確か8区画2592uだよね」 「そうだが」 「あそこを担保に借り入れるか土地代金だけで売る気はあるかい」 「貸す条件は」 「25920フランを10年間年10パーセント、売るなら51840フラン」 「いい条件だな親父たちと相談してみよう。話が流れても悪く思うなよ」 「其れは構わないよ。その場合は僕が南側の27000uの買い入れを検討しても良いよ」 「13500フランだぜ。其処を貸してくれると言うのか」 「そう貸し家を建てて君に貸してもいいしね」 「其れはShiyoo Maedaの会社でやるのか」 「いや僕とエメ、其れと僕が世話になったノエルという人たちだよ。800フラン程度の5人家族が住める小さな家を40軒建てて貸し出してもいいし」 「そんな資金が直ぐ集まるのか」 「お金の運用を任されているから今月6万フランまでなら年10パーセントで運用できる投資先を探しているのさ」 貸し家40軒で3万2000フランと土地合計で4万5500フラン。 月35フランで40軒なら年16800フラン、3年で回収できるのだ。 後は改修費用を見ても年1万フランはかたいはずだ。 「きみ、ショウといったね。わしはこのマルグリットの父親のガストン。ミヒャエル・ガストン・グレヴィーだ。君の話は理路整然として頼もしい限りだ。レーモンぜひともこの青年と組むべきだよ」 「M.グレヴィーありがとう御座います。レーモンに私のできる努力を尽くして協力させていただきます」 「レーモン、もし家族で其処に住めば夫婦で働いてもらうのも楽よ。おかみさんは半日でも働きたい人は大勢いるのよ。子供がいて1日は無理でも午前か午後に働きたい人を分ければ人手に困らないわ」 「そうだ娘の言うとおりだよ。レーモンが考えている社員の住まいはぜひ実現させなさい。他の人は私が説得しても良いよ。君が承知ならふたつの案を私が話して回ろう」 正太郎はデデュー街まで戻りブルーノで遅くなった昼を食べてバイシクレッテの店に向かった。 パリとリヨンでの優勝バイシクレッテはガラス窓から覗ける位置に置かれこれまでの店舗とは違い格段に明るかった。 「凄いできばえだね。此れだけ明るい店は今までに無いつくりだね」 「ええ、バスティアンも大分力を入れてこのガラス戸にこだわっていますからね。夏場は入り口を開放してこのガラス戸の前には日除けを降ろして内側にターブルを置いて冷たいものでも出すかと言っていました」 「いいね其れ、カフェより此処で休む人が増えたらそれだけで宣伝になるよ」 ブティックの有る通りと違い大通りから3mほど下がっているので其れが可能なのを最大限利用しようと言うことのようだ。 「今度は何処でレースがあるんだい。パリは5月だそうだよ」 「リヨンは6月ですがその前にディジョンで4月、マルセイユで3月にあるそうです。ディジョンにはポールと学生仲間で組んだ4人が出てマルセイユは僕とアンドレたちが組んで5人で遠征します」 「パリはどうする」 「パリはダンやショウは今年も出ますか」 「今度は僕もペニーファージングで出るよ。君たちもペニーファージングで出るかい」 「其れで良いですか」 「ルネとの契約はリヨンだけのレースになっているはずだから他で走るときはペニーファージングでいいんじゃないか」 「判りました。ポールと2人で遠征します」 「今度のパリは改良されたペニーファージングが出てくるだろうから大変だよ。何処の会社でも命運を掛けて挑んでくるだろうからね。ミショーはあれで完全に経営をパリジェンヌ商会に任せる羽目になったくらいだから」 「ショウの話だとあの新型のパリジェンヌでは駄目ですか」 「パリでは難しいだろうね。と言うのもあれを買ったお客様に勝っていただきたいと言う気持ちも有るけどね」 「其れもそうですね。此方で6台、パリで12台でしたか」 「そう今のところね。5月までには倍に増えるだろうから其れで出るために買い入れたんだろうから。そろそろお客様に花を持たせる必要もあるのさ。ペニーファージングで勝てるなら其れは其れで構わないけどね」 「ショウはあの新型を後何が必要だと考えているのですか」 「チェーンとギヤの軽量化が大切さ。其れと坂道でのギヤの入れ替えができるような装置の開発だね。後はゴムを張るだけでなくもう少し丈夫なもので交換が少なくなればかな」 バスティアンのほうへ回りミシェルの働くのを見ながら今の話しをした。 「彼らはもともとレースを優先して良いと言う約束ですからね。レースがあれば参加していいんじゃありませんか。ショウが言うようなお客に勝たせるレースはまだ無理だと思いますよ」 「そりゃそうだ。僕だっていざスタートとなれば忘れてしまうだろうからね」 「ショウ、兄貴の話だとエドモンが今の倉庫をルネから自家生産のバイシクレッテ置き場に使いたいという話をされたそうですが大丈夫ですか」 「それなら心配ないよ。事務所の近くに土地を確保したからそこに20m四方の倉庫が二つ作れてひとつはバイシクレッテ専用だよ。2段か3段の棚を作れば150台は置けるよ。もう直ぐ倉庫が出来るから何時でも引き上げられるよ」 「其れより此処のM.キャステンは向こうを売った金でこの地続きを買い入れたそうだね」 「そうなんですよ、息子さんが、かねがね手に入れたがっていたそうです」 手を洗い身奇麗にするとジャネットとの3人で駅へ向かうデボルド・ヴァルモール夫妻と共に向かった。 16時15分に到着した列車に荷物を運びいれ、お別れの挨拶を交わして列車が出るまで見送った。 「ムッシュー、あの家を買うそうだね」 忠七たちがいた家だ、3人でいたときは2軒200フランだったのだ。 「借り手がいるかね」 「まだ考えていないが従業員の家族用にしても好いなと思ってるのさ」 「幾らぐらいで貸すんだね。忠七たちは随分高く借りていたがあんな値段では借り手などいないよ」 「リヨンでも100フランは高いのかい」 「そうさな、あの工場部分が余分だな。あそこに品物でも置いて倉庫にでもするならともかく普通の家族では使い道が無いよ」 ブティックも開店準備が整い明日からは元の店はシルヴィが主任でアン・マティルドがナタリーと協力していいドレスを提供していくのだ。 ナタリーも新しい店舗の飾り付けを手伝いに来ていた。 「ショウ今度はウチワだけのサービスなんですって」 「そう、センスは高いからね。その代わり800本を持ってきたし絵も綺麗だよ」 「見たわ、それで来た人全部にあげるのは前と同じね」 新しい店は二階へ上げる試着室などが無い変わり1階に2ヶ所設置した。 店の北側奥にトワレットゥと洗面所、4mほどの四角の部屋で真ん中にカーテンが引ける様にしてある試着室が二つ、道路側に事務室兼休憩室。 入り口は1ヶ所、ドアは両開きで4人が並んで入れる広さがあった。入ると3m先にガラス戸があり其処には服と絵に華が飾られ入ったお客は其れを見ながら両側に別れて進むようになっていた。 其処にあるドアは普段は開けられているが冬場も風が冷たい日には表と2重にしめて外気が入らないように工夫されているのだ。 中へ進むと右手は子供服、左手は男性用、その男性用の順路を進むと奥に行くにしたがって高級品とスリップ・ド・クストゥが並び、行き止まりとなる。 途中に右へ入るにはフネットゥの位置まで戻り左は帽子が並び進むと子供服の場所へ入る順路と、女性用のフラール置き場へ進み、その奥は旅行服にドレス、普段着が子供服から続いている。 その先は試着室の前を通る道とフラール置き場から紳士服の裏手に進む道でスリップ・デ・マリー、キャミソール・デ・マリー置き場だ、男性用も見本程度に置いてありタイユをいえば男性用から店員が持ってくるのだ。 店員とお客が今何処にいるかは店内の上部に5ヶ所鏡が設置されていて店員が一ヵ所に片寄らないようにしていた。 店の一番奥は裏へのドアとフネットゥ、ソルド用の棚が続いていた。 裏庭は先にあった小屋が取り払われ木製の柵で囲ったが内側は季節の花の花壇と3ヶ所にパラソルが建てられターブルにタブレーが用意されていた。 倉庫も建物に隣接しておかれ、裏から元のブティックへは木戸で通じていて表を回らなくとも行き来できた。 店員はオドレイが主任で売り子2人が男性用、アンヌ・マリーが売り子4人の指導役でフラール置き場、子供服から奥を受け持った。 売り子にもジャネットはお針子が出来る子を優先的に雇い入れ、下着の作成が出来るように指導して製作した数と出来栄えしだいで稼げることを指導していた。 事務室は会計を受け持つ中年の女性が常時いて、店の売り上げの管理をするのだ。 ジャネットは普段は顧客の応対をして会計を助け、おまけしてほしいと言うお客に値引きできるかどうかの判断をして売り子へ指で知らせるのだ。 夕方準備が終わり点検も済むと明日の心得をジャネットが話して店員を帰宅させた。 ナタリーと正太郎は暫く付き合ったがナタリーを送り届けてホテルに戻ることにした。 「ショウは兄から買う家をどうするの」 「まだ考えがまとまっていないけど店員の中で子供がいる人に安く住まわせてもいいかなと考えているんだよ。そのためにはすこし手直しが必要みたいだしね」 「今日レーモンと話したんだが、残りの家も買い入れるか担保にお金を貸そうかと話したんだ」 「まだ兄はお金が必要なの」 「工場の敷地を広げておいて従業員のための家を建てたいと言っていたよ。もしかすればの話だけど、ぼくのほうで建てて会社に一括で貸してもいいしね」 陽が暮れ大通りにはガス灯が灯され、プラタナスの枝がエトランジェの寂しさを誘った。 プレイス・マレシャル・リョーテイへ出てポン・モランを渡ると風は冷たくモントーの襟を立てても寒さが襲った。 「なんてこった。1人でこの橋を渡るのにさびしい思いをするなんて、僕はまだまだだらしなさ過ぎるぜ。横浜を出て2年も経つのになんなんだ」 いつもは気が付かなかった花売りの娘が目に付いた、その気配を感じたように「花を買って」と小さな娘が寄って来た。 1フランを出すと「お釣りが無いわ4スーでいいの」と正直に言った。 「良いさお釣りはとっときなよ」 オテルドビルの大時計は6時、その上には半月が淡い光を見せていた。 「イギリスの靴のような名前の店だ。片方は楽器か」 ラ・バルモラール、その名前に惹かれて正太郎は中へ入った。 痩せたセルヴァーズが1人ですかと聞いて席へ案内した。 「モーゼルかシャサーニュは置いてあるのかい」 「ツェラー・シュワルツ・カッツがあります」 「では其れを、スープはオニオン。鴨のロースト。其れとラグー・ド・ブフ」 「判りました。サラダはどうします」 「ポテトサラダがあれば少なめに」 「鴨は一羽だが良いでしょうかと聞いていますが」 「持ち帰るように半分できるならたのみたいが」 1人だと不便だなと思ったが出てきた料理は申し分なかった上にチップを置いても12フランと安かった。 土産に包まれた鴨を持って店を出て「鴨を食べてあれだけの味で12フランは安いな」正太郎はサラマンジュの2フラン程度で済む店でも美味しいと思える自分がおかしかった。 「旦那お恵みを」 元は良い物だった生地のモントーを寒そうに着た老人だ。 「やれやれ今日は不思議な日だ」 嬉しそうにポシェに落とし込むのを見て「なぁ、今レストランで鴨を食べたが食べきれないので貰ったが鴨は好きかい」老人は昔自分もレストランで食べたが今はパンのほうがありがたいといった。 「まぁ試してみなよ。パンは今ので買えるから」 翌日の26日朝、フネットゥから眺める街に雪が舞っていた。 あの老人はどうしたかと心配になった、いつも散歩コースから外れて昨日のあの路地を回ったが姿はなかった。 「ねぐらはあるようだ」 駅まで行き着いてソーヌの川辺に向かって歩きポン・ボナパルトまで遡って橋を渡って旧市街に戻った。 ホテルに戻り服を着替えクロワールに降りてカフェ・クレームを頼んだ。 朝の食事はクロワッサンとチーズにオムレット。 レセプシオンでセルヴィエットを受け取り馬車は借りきりにしてブティックへ向かった。 店にはすでに全員が揃って、ジャネットが全員と打ち合わせを済ませていた。 「今日は何か目玉でも有るの」 「子供服と、あのジーンズを目当てだと思います」 「ジーンズは上下で15フランでしょ。それでも人気があるのかい」 「ニューヨークとサンフランシスコと製造地別に並べて有るけど名前に惹かれてこられたようよ」 オドレイだけでは大変だろうと紳士用品はアン・マティルドも今日は手伝いに隣にいるのだ。 9時には20人ほどに人が増えたのを見てバイシクレッテの方へ向かった。 正太郎は声をかけた後、馬車に乗り込みギヨーバラ園へ向かわせた。 2階の事務室で今回の良品は29912球だと知らされた、88の不良品は横浜での検査が適切な証拠だ。 ギヨーバラ園の支払い分は105000フラン。 M.ジュイノーから振り込まれていると180000フランの2枚の手形を渡してくれた。 ギヨーバラ園の取り分は45000フランになり1球当たりは3フランでも大きいのだ。 残りは4912球だが老人は2ヶ月も掛からず売れるだろうと頼もしい話しをしてくれた。 次回の船便はマルセイユへ3月25日到着予定のヴォルガで五万球と確認し、取引数量は日にちが近づいてからでも電信でお知らせくださいと申し入れた。 2枚の手形を受け取り遅くも一月後には顔を出すと約束をしてリガールの工場へ向かった。 応接間には8人の株主になる人の顔が見えていた。 ジャン・ジャック・リガールと息子のレーモン・ジャック、娘のソフィー・ナタリー・イルマシェ。 レーモンの義父のミヒャエル・ガストン・グレヴィー。 ソエ・イルマシェのジャック・バスタン・イルマシュ親子 ジャンの弟2人ジュール・ルネにポール・アルマン。 ムッシュー・グレヴィーが代表して正太郎と契約を交わした。 空き家4軒1296uに28000フラン。 ナタリーの空き地1548uに30960フラン。 株式投資金が50000フラン。 10万と8960フランは3枚のクレディ・リヨネ銀行の手形で支払われ、株仲間がそれぞれサインした証書が正太郎に渡された。 「さてショウから昨日申し入れが合った話だが、非常に我々にも有意義な話しだ結論を出してもらった人から意見を述べてくれたまえ」 最初に口を切ったのはソエ・イルマシェの息子のジャック・フランソワだ。 「いい話だが、売り渡せばレーモンとナタリーの不動産が減ることになる。担保に借りれば利息を払うのにそれだけの儲けを見込める資本投下ではない」 「他には」 やはり2人の不動産がこれ以上減る投資はやるべきでないという意見だ。 「それでショウからもう1点申し入れがあった話しだが、レーモンが社員用に買い入れる予定の土地をショウのほうで買い入れ、社員住宅を建てて会社に一括で貸し出すと言うのはどうだね」 そしてイルマシュ老人がおもむろに口を開いた。 「わしゃ最近この青年と何度か話しをしたし、ハンナ・マルグリットが言うとるかみさん連中を午前と午後に働かせるという意見も聞いた。結論を言えば非常にいい話だ。ムッシュー・グレヴィーの話では6万フランまでは掛けても良いというならレーモンが買いたがっている土地を両方手に入れてもらいたいほどじゃがショウの意見はどうだね」 「私はその土地を手に入れるだけの分は今日、明日にでも用意できます。工場用地はまだレーモンも工場を建てる余裕は無いでしょうから当分は管理を委託して社員の遊び場にでも活用してくれればそれで構いません。資金ができたらいくらか上乗せして買い上げてくれれば此方も助かります」 暫くは話し合いが続いていたが反対意見は出なかった。 「ではショウのほうで12500フランと13500フランでふたつの土地を買い入れて社員住宅を借り上げるについては反対は無いね」 ムッシュー・グレヴィーが其れを念押しして、正太郎にどのくらいの住宅かを改めて聞いた。 ひと棟800フラン程度の予算で40棟32000フランの予算で建ててレーモンの工場に貸し出し、後は需要があれば住宅の数を契約に応じて増やすと話すと其れをムッシュー・グレヴィーがすぐさま書面にして工場敷地はあとでどのくらいの上乗せが希望か聞いた。 「年2パーセントを見てくだされば後は敷地の管理代での相殺で構いません」 「そうかそれなら5年たっても13750フランで買い上げられると言うことだな。そのくらいの利益があの工場で出なくては資金を出したものも困るからレーモンには頑張ってもらわんとな」 正太郎も6万フランの投資先が見つかり、ノエルに4年先には多額の配当が入る見込みが出来て良かったと思うのだった。 「どうだねショウ、君は今日忙しいだろうがその土地の支払いを直ぐにでもできるのかね」 「フランス銀行、クレディ・リヨネ銀行ともにリヨンに3万フランずつの個人預金があります。土地の所有者はオー・ド・セーヌ県(Hauts-de-Seine)モンルージュ・フェネロン街27番地のノエル・ルモワーヌになります。私が代理人です」 「その人は君とどのような関係かね。恋人かい」 「いえ私がまだYokohamaで働いていた時、言葉を教わった先生で、お生まれになられたのはランスです」 「ほう、その人は何でYokohamaへ」 「修道院の寄宿舎で一緒に学ばれたベアトリス・ドゥダルターニュという方と共に、Yokohamaに溢れている孤児のための家を建てるためです。お二人は私財をなげうってYokohamaへいらっしゃいました。私は働いていた会社からお2人の手助けをするために派遣され、そこでフランス語を教えていただきました。マダム・ルモワーヌは孤児院をあらたにこられた方々にゆだね、パリへの留学生3人の世話をするためにフランスへ戻られました」 それだけの人が出すお金なら喜んで受け入れましょうと全員が賛成し「後は一括借り上げと言っても金額が高くては後でもめる」とムッシュー・グレヴィーは公証人らしく慎重だ。 「1軒35フランでは如何でしょうか。40軒で1月1400フランです。敷地は11mx16mを予定しています」 「長く勤めてもらうには最初からその条件で人を集めれば、やる気のある者の将来に希望を持たせられる。其れに住宅費は全て会社負担ではなく従業員から天引きすればいい話だ」 全て会社持ちなのかと思ったとは末弟のポール・アルマン・リガールだった。 「幾ら会社で持つかね。10フランくらいか、それなら40軒400フランで済む、後の25フランを給与から引けばいいんだ」 レーモンと正太郎にムッシュー・グレヴィーが付いてクレディ・リヨネ銀行へ正太郎が借り上げた馬車で向かう事にした。 ナタリーはブティックの手伝いに出向くというので馬車に乗せ、遠回りしてクレディ・リヨネ銀行で手続きを済ませると土地の持ち主の家を訪ねて事情を話して売買契約を完了した。 M.リガールにフラールの手形を渡して公証人のM.グレヴィーと2人に頼みがあるので聞いてほしいと切り出した。 「早速ですが大工を紹介していただけませんか。私たちで使っているのはまだ当分仕事が続いて手が空きません」 「良いとも心安い者がいるから其れにやらせよう。予算は32000フランだね」 「ええそうです。それでレーモンのほうで誰か監督してもらえると助かるんですが」 「それならわしの方で見てあげるよ。支払いはどのようにやるかね」 「契約金5000フラン、着手金10000フラン、途中資金15000フラン引き渡し時残金の4回で如何でしょうか。其れと火災などの災害保険を建築中もかけておきたいのですが」 「それで契約金は何時用意できるね」 手形ならフランス銀行のものがありますというと「では直ぐ大工のところへ行こう」と工場へ出るレーモンと別れて二人で出かけた。 そこでの話はムッシュー・グレヴィーがして敷地の50パーセント、88u、2階に二部屋、1階に風呂場、トワレットゥ、台所兼食堂、クロワール、寝室という簡単な見取り図が書かれた。 3人で予定地に向かって実際の土地のどの部分に建てるかを話し合い、水回りの話しをレーモンに聞きに事務所に向かった。 浄水、排水も工場と同じ様にできると聞いてムッシュー・デシャネルも安心したようだ「玄関の色と屋根は何色かに別けておこう」建築家はレーモンに約束した。 工場の事務所で5000フランの手形を渡して証書が作られ、双方がサインをした。 「では土地の整備はどのようにするかね」 「そうでした此方では其れも請け負われますか、できればすこしかさ上げしたいのですが」 「住宅部分はどのくらいになるかな」 「着手金は何時ごろ支払えば良いでしょうか」 「土地が落ち着く一月後かな」 「では来月の25日から30日の間に参ります」 ムッシュー・グレヴィーは此処へ残ると言うので建築事務所へムッシュー・デシャネルを送ってブティックへ戻り馬車は帰した。 ブティックはまだお客が大勢入っていた。前の店は一時閉めてシルヴィもナタリーもお客の応対をしていた。 正太郎は邪魔にならないようにバイシクレッテの店へ行くと「今日一日で12台売れました。ペニーファージングは6台です。新型パリジェンヌは次がまだかと予約が2件入りました」バスティアンは嬉しそうに正太郎を奥のタブレーへ座らせて説明した。 「向こうは大丈夫かい」 「新しい店員をミシェルにつけてありますから」 「今日話しておこうか」 「そうしますか。店で話しますか、それとも外に出ます」 「昨日小さいけどいいレストランを見つけたよ。君たち夫婦と5人でどうだろう。やはりジャネットが知って置くべき事柄だと思うんだ」 「判りました。2人には伝えておきますが時間は」 ホテルに馬車で戻りレセプシオンでもうひとつのセルヴィエットを受け取り部屋で今日の決まった事やこれからの必要なお金の計算をして20フランを10枚と何時ものようにこまかい硬貨をポシェに納めて襟も確認して下に降りるとふたつのセルヴィエットを預けた。 7時半までクロワールで新聞を読んでいて半月がすこし膨らむ中を町へ出た。 「ありゃ通り過ぎた」 河岸を上へすこしのぼれば右手がランテルヌ通りへつながるプラティエール通りだ。 カフェの前には4人がすでに来ていた。 ラ・バルモラールでは昨日のセルヴァーズが迎えてくれた。 「コースにしますか、ア・ラ・カルトになさいますか」 「今日のお薦めは」 「鴨のコンフィ(confit
de canard)です」 では其れを中心に頼もうと4人に断ってシャンペンを頼み、ア・ラ・カルトから「前菜にフォアグラのテリーヌのアルマニャック入り、鴨のコンフィとシュヴルイユ(Chevreuil鹿肉)のステーキ、スープは其れに合わせて」と頼んだ。 シャンペンが終わり、コント・ジョルジュ・ド・ヴォギュエの赤を出してもらった。 「リヨンはどうします」 「ふたつの統括支配人がバスティアンで君たちは店舗の責任支配人だ。どちらが出るにしても立場は同じだよ」 「それでレースには出ても構わないのですか」 「勿論、店をその期間休んでも構わないし、店を任せられる人を育ててくれるほうが嬉しいがね」 「何時ごろになりそうですか」 「遅くも1年くらいを見込んでいるんだ。君たちがだめなら他の人を育てるのに時間がかかるかもしれないが」 「もう少し時間をください。今は新しい店の事で頭が一杯ですから」 「そういえばこのお店はどうして知られましたの。昨日の夜ナタリーでも誘ったの」 「昨日は工場の前まで送って別れたよ。そういえばナタリーと二人だけで食事をした事がなかったな。ああ、一度お昼にガトーでお茶を飲んだか」 「まぁ、ショウも晩生(おくて)ね。ナタリーはショウの事を尊敬していますよ、たまには食事にでも誘いなさいな」 昨晩の老人が路地から出てきた、ジスカールまでは後二つ曲がる角のあと当たりだ。 「おや旦那今日もご機嫌で」 「あなたも今日は顔色が良いですよ」 「まだこれから一仕事でさ」 「体をいたわりなよ」 角で振り向くとニッと笑って闇に消えた。 「ショウは不思議な知り合いがいますね。あの爺さん僕が子供の頃からあの格好で夜の街を徘徊してましたぜ」 「何だユベールも知ってたかい。俺の親父も前に小銭を恵んだ時にそんな事いってたぜ。いったい幾つなのかな」 「君たち考えすぎだろ。同じ格好をした別人じゃないのかい」 「それでも可笑しな事に夏に見た話は無いのですよ。秋の終わりから春の4月の頃は街のあちらこちらの闇の中から出てくるのですよ」 2時間ほど遊んで店を出て別れてホテルへ戻る正太郎の前にまたあの老人が現れた。 「お帰りですか、先ほどはありがとござんした」 「いや少なくて済まんな」 |
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Paris1874年2月28日 Saturday リヨンから戻った翌日、事務所でノエル・ルモワーヌの分での新たな投資の話しをして百合根の代金の手形は一度モンマルトル・オランジェ銀行へ入金した。 「ショウ、あと不足分の11200フランはどうします。次回分のを立て替えにしますか」 「大丈夫だよ。ノエルの方にはまだそのくらい出しても余裕はあるし、まだ全部支払うわけでも無いからね」 「それで来月は1万フランだけでいいのね。では貴方の立て替え分と来月分はフランス銀行で現金にして渡しますか」 「今日はもう仕舞っているのでランディにアランと出てきてください。この手形は置いてゆきます」 「あなたが持っていて頂戴、5万という大金を持ってすごすのはいやよ」 「でも4年目から1万フランも配当が出るなんて凄い話ね」 帰りにエメのアパルトマンに寄った正太郎はマネが共同出資会社に参加しなかったことを知った。 画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展という名で4月15日からキャプシーヌ大通り35番地のナダール写真館でモネ、ピサロの尽力で開催されることになった。 「でもなんでマネさんは参加しないんだろう。去年はあれだけ意欲的な話だったのに」 「可笑しいのよ、今年もサロンに出品するから出す絵が無いと言うのが理由らしいのよ。ピサロ先生も心配しているのよ。また話してみるとはおっしゃってはいるんだけど。最近後援者が増えたのも一員じゃないのかしら」 「誰か絵を沢山買ったの」 「去年の末に歌手のM.フォールが5点まとめて買い入れたそうよ」 「そういえば君のドレスで描いた絵も高く売れたと聞いたよ」 「そうなのよ。私のと殆ど同じ構図で人物だけ入れ替えただけよ」 ド・フォンコロンブ姉妹が正太郎とエメを昼食に招待したいと手紙が回ってきた。 すぐさま返事を持たせてスゥルの家へ届けに馬車屋で人を頼んだ、馬で直ぐ出ると出かけてくれた。 マネは4点をサロンの審査に出す用意をしているとラモンがメゾンデマダムDDに戻ってきた正太郎に話した。 Croquet Partieは72.5センチに106センチで、この画はサロンへは出さずに売ったそうだ、サロンはナダールの展示会の前に出品するため参加しないのだと言う話しも聞くとラモンは画家仲間の噂を教えてくれた。 「出さないと決めたのでエメのも渡したんだろうよ。最初は其れを出すつもりで細部は暈したままだったんだそうだ」 ラモンはエメのドレスは大きいので足は完全に隠れていてリュバンを軽く結わえたので大分画の雰囲気が違うよと教えてくれた。 「それで出資会社のほうは買う人は多いだろうか」 「予想では多く無いだろう。人は大勢見には来ても画商の食指が動く画では無いよ、彫刻も金にならないだろうし。安いものならともかく100フランを越せばどうかな。金持ちは家に飾る値打ちがあると認めては呉れないよ」 「ルノワールさんとピサロ先生、それとセザンヌさんの画を買おうと思うのだけどいくら位かな」 「ピサロ先生以外は300フランが妥当だろうぜ」 「それ以上は無理かな」 「俺は無理だと思うよ」 3月1日晴れのディマンシュ、エメとその場所フォセ・サンジェルマン通りのカフェ・プロコープへ12時に出向いた。 「コンテ・アルマン・ドリア」と紹介され二人は名前を告げると「ルノワールさんの画のモデルのマリー・エミリエンヌさんですね。画そのままの清楚なお方ですな。出来上がる前に拝見しました」とほめてくれ優しく手にビズをした。 コンテの案内でビストロ・ポリドールというリセ・サン・ルイと背中合わせにある店に案内された。 「そう、マネさんは参加しませんか。僕はポントワーズのピサロさんの家であったセザンヌという人の絵をよい絵だと思うのですが、サロンの絵は昔ながらの絵の具を無理重ねした努力の証がよい絵だと思い込んでいますからな」 人物画も昔と違う様式で、立派な立ち姿を絶対に描かないピサロ先生なのだ。 アルジャントゥイユにはモネが住んでいて、マネやルノワールたちが一緒に風景画を描くためにイーゼルを並べるのだ。 ランディは事務所でメゾン・デ・ラ・コメット2号棟完成の手続きと残金の支払いが済んでM.アンドレは5日後に引っ越しだと浮かれていた。 ノエルがアランたちと来るのを待ち、その馬車で小麦市場まで行くと、後戻りしてフランス銀行で5万フランをノエルの口座に振り込み、其処から新たに1万フランと3万4200フランの手形を振り出してもらった。 「ねえ、正太郎どこかで休みながら相談があるのだけど」 冬なのに暖かくもう此れで雪も降らないのかと隣の席で話している声を聞きながらノエルの話しを聞いた。 「ショウ、貴方のおかげで留学費用の問題もなくなったわ。それでね今すぐでなくても此方へ横浜からこられるだけの費用の当てが有る方で、コレージュへ入れるだけの学力がある人を2人ほど受け入れようかと思うの」 「其れはいいのですが、ジャポンの者にしますか、それとも向こうへ商売で出られている方のお子さんにしますか」 「出来ればお1人ずつコタさんに言って来年の7月ごろに到着できるように手配してもらえません。部屋は其れまでに増築して置きますから。其れとあの家もエメから買い入れれば、フェルディナンド・フロコン街の建築費用にまわせるでしょ」 「そうでした、敷地は広いから半分をエメたちへ貸し出して其処へ建てさせればいいんですよね」 「そういうことなのよ。8500フランに改築費用など色々掛かったでしょ、1万フランでどうかしら、安すぎるかしら」 「そんなことありませんよ。エメと話して決まったらお知らせします」 「次の百合根も入ってくるなら当分費用に困る事はありませんから、正太郎ひとりで負担すること無いのよ。エメとその建物のお金は私たちも負担をしますから遠慮しないでいい物を建ててね」 「それで留学生は女の子でいいのですね」 「其れで無いと同じ屋根の下で暮らすのに困りますわ。遊びではなく家の事、裁縫、園芸と学業以外にも仕事は多いのです、そのこともコタさんに伝えて遊びや勉強だけの人では困ります。学業だけなら私たちのところでなくともできるはずですから」 ノエルは第2次、第3次の女子留学生が送られるだろうという高島の言葉を信じていたのだが、高島学校も県に寄付という形で終焉していた。 理想どおりにはことが運ばないのだ。 ベルシー河岸ではルネがいて正太郎が倉庫の荷は今週末にフェルディナンド・フロコン街へ移動すると伝えると「すまんな。こちらも置き場がなくてな」とすまなそうに言ったが、それ以上に顔色が悪いのに気が付いた。 「どうしたんだ。いつもより顔色が悪いぜ、何処かからだが悪いのか、医者に見せたか」 「いや、行っても無駄なんだ」 「なら失恋したのか」 「実は女に部屋代や生活費を出していたんだが、5日前に荷物ごと行方不明だ。イギリスへ行くと大家には言って、全て清算して逃げ出した」 「確りしろよ。逃げた女なぞいいじゃないか。いい具合に向こうから別れてくれたんだくよくよするなよ」 「まだ兄貴には話してないが、新しいチェーンの改造の図面とショウが言っていたアブリ(abri保護)の図面ごと居なく為ったんだ」 「5日前だな、其れロンドンでの特許を取っていない奴かい」 「仕舞った。やられたかな」 「直ぐスミス商会で調べてもらうよ。パリだけでも登録を急いでくれたまえ。此方でやられたら大変だぜ。この前の話だと今までの応用だけでは無いんだろ」 「そうだ新案として受けてもらえる部分が多いはずだ。3年しか取れないはずだが、イギリス、アメリカでやられればわからんからな。直ぐ図面を作る。すまないが兄貴がマティニョン通り事務所に居るのでショウから話してくれないだろうか俺は提出図面を急いで描くからと言ってくれ」 「その前にひとつ教えてくれ」 「何だ」 「その女の事アイムは承知していたの」 「話していないがなぜだ」 「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットで知り合った女じゃないのか」 「なぜ其れを知ってる」 「前にサン・ジェルマンのサビーナへ行かなかったか」 「何度か入った」 「エメと僕が目撃したんだ。あの女か」 「知られていたのか。隠し事はするもんじゃないな」 M.カーライルとM.ギヌメールにロンドンでの探索を頼みシャンゼリゼへ急いだ。 「アイム。頼むからしかる前に対策を立てる相談から始めてくれ。今兄弟が分裂する事は毛筋でも人に気取られないでくれたまえ」 「判った、ショウの言うことを守るよ」 「大丈夫かな」 「後は特許が侵害されているという判断で此方のが優先されるか、女が其れに気が付かないのを祈るだけさ。その図面欲しさに逃げたとすれば厄介だ」 「未完成の図面なら何とか為るかな」 「見せられた相手次第だろ。バイシクレッテの工場に持ち込んでも新型のパリジェンヌと判れば無理な争いはしないだろうが」 「あの時ルネを置いてきぼりにしなければこんなことにはならなかったのに」 「まだ図面欲しさとは断定できないから、そう悲観しても始まらないよ。此れでルネのやる気が出たと言うことで前向きに考えようぜ」 「まったくショウときたらお前さんが年下とは信じられないよ」 M.ギャバンは管理人室のほかに28室の4階建て、メイド用の屋根裏部屋つきの図面を完成していて28600フランだと提出されていた。 隣に建てるアパルトマンは36800フラン18部屋だ、大分造りに差があるにしても上から下まで同じつくりなら安い物なのですよとM.ギャバンは正太郎とM.アンドレに説明した。 トワレットゥとドウシュ(シャワー室)は各階に、レ・ドゥ・ショッセにアンバン(風呂)は設置され応接室に書斎まであるのだ。 プルミエレタージュ(1er
etage1階)ドウーズィエメタージュ(2e etage2階)トロワズィエメタージュ(3e etage3階)の各階に4部屋6mx3mが通路を挟んで並ぶ8部屋の造りで階段は1ヶ所だが一番奥のトワレットゥ、ドウシュの脇から非常ドアが有り縄梯子で下へ降りられるようになっていた。 1階のトワレットゥ、風呂場が張り出していてその屋根へ下りられ、其処は普段は洗濯物を干す場所だ。 敷地はラントルポ孤児院から南西に1キロ、サン・ピエール・モントルージュ近くのアレシア街80番地に18mx24mの384uの土地がエメの名義で空き地になっていた。 「好きに使いたまえ」 エメはすでにM.ギャバンに前面を8m下げ8mx21mで敷地回りを空けた設計を依頼していた。 それでも資金は23800フラン、M.ギャバンによればそれほど安くはならないのだよと不思議そうな顔の正太郎に笑いながらどうしてそうなのかを説明した。 「これが投資でお金が帰るならね」 「仕方無いわよ。ノエルのおかげで土地だけでも手に入っただけ良かったわ」 夜、エメにノエルが今の家を買い入れてくれる話しをしに出かけた正太郎に「そのお金がディス・ミル、ショウがディス・ミル、私が5000、サラ・ボードゥワンとロレーヌは3000集めてくれるそうよ。此れで28000フランよ。1号棟は何時でもM.ギャバンにお願いして大丈夫よ。両方で52400フランですからね」 「僕が1万て何時約束したっけ」 「約束なんて無いわよ。でも」 「でも」 「でも、ショウのことだから足りなければ出してくださるでしょ。1号棟が資金に困らず運営しだせば、2号棟は色々な方からの寄付が集まるわ。1号棟の地代は年1200フランで良いとM.アンドレも約束してくれたから1室10フランでも全室埋まれば2880フラン、管理人、メイドの費用、地代その他で9200フランを見込んであるから最大でも6320フランの維持費で運営できるわ」 エメとサラ・ボードゥワンが話し合って決めたひとつだ、エメはラ・コメット2号棟の収入をこの建設費用と維持費に回す予定なのだ。 「このお金と寄付が集まれば8月までには2号棟も完成するわよ。ショウも私も不動産管理が仕事になってしまったわね」 そういえばこのアパルトマンも66号室まで有り最上階5階はエメの普段使う大きな15号室のほかに書斎用、来客用、応接用などで4室、ジュディッタが21号室とあと1人22号室に住人が居るのだ。 マルディは満月だ、朝起きて外を見たときにまだパリの街には月が輝いていた。 正太郎は1人で夜明け前のモンマルトルを歩いて、それを見るためだけに一番上の此処へ来たのだ。 メゾンデマダムDDに戻るとニコラはもう出勤した後でダンは出かける仕度をして玄関へ出てきたところだった。 「じゃな」 食堂ではラモンがこれからのようで新聞を読みながら支度ができるのを待っていた。 ベティとセディは学校へ出かけてMomoはこれから食事のようだ。 「マリー・アリーヌはもう終わったの」 「とっくよ」 「ショウのほうのパンシオンは殆ど入居人が決まったの」 「あと5部屋決まっていないそうだよ。こっちは」 「あと6部屋よ。食事なしの40フランでもなかなかいい入居率よ。マダム・デルモットの部屋が空いたからこっちへ入る人を探すんだけど部屋の大きさの割りに此処は高いから」 「でも食事が付くしMomoの世話が行き届いてるから高く感じないよ」 「其れはショウやラモンにダンのように外国から来た人にはそう感じられるのよ。ニコラやマリー・アリーヌには負担は大きいのよ」 「高いと思えばメゾン・デ・ラ・コメットへ移るというよ。それでもここにいるのは居心地がいいのさ」 Momoは嬉しそうに肯いていた、ショウやラモンにその様に言ってほしかったようだ。 1日2フラン25サンチーム朝食付き、昼は朝に予約して50サンチーム、夕食も同じで1フラン、食事は美味しくあちらこちら食べ歩く正太郎でも此処の食事は満足行くものだった。 Mr.ラムレイに当てて最近の自分たちの仕事、ノエルのこと、エメと一緒に孤児自立の支援の事、セディとベティの学校についての事を報告する手紙を書き上げ事務所に持参してアメリーに出しに行かせた。 早速メゾン・デ・ラ・コメット2号棟への入居が始まり空き部屋も2件申し込みがあったそうで、残り3室だ。 今日3月3日発行の新聞には事務員の募集の広告が小さく出されていて女性は経理の経験者もしくはコレージュ卒業以上の意欲のある人とされ、男性は健康であることの一点だけが募集条件だった、面接には自分の履歴を紙に書いて持参の事とされていた。 「此れだと給与について書いて無いんだね」 「そうです。面接しだいで3段階に分けた初任給を出します。ショウが僕を雇ってくれたようにもし優秀な人が来ればショウ次第で高級で雇い入れることもあるかもしれません」 「君のような人がそんなにはいないよ。でももし来てくれれば新しい事業に乗り出せるかもね」 「何か考えているの」 「ほらリヨンで手に入れた貸し家ね。あそこを何か活用しても良いだろうしね。其れと空き地もあるからジャネット達と別に学生相手のパンシオンやサラマンジュ、カフェを営業してもいいかと思うんだよ。そのためには其れを統括する会計士を送らないとね」 「そうねジャネットは今の状態では其処まで面倒を見るのはつらいわね」 「そう彼女をリヨン総支配人にしてその下にブティック部門、バイシクレッテ部門、事業部門の責任者を置かないとね」 「と言うことはバスティアンをバイシクレッテの責任者のままで、ジャネットはブティックから手を引かせるのですか」 「いやジャネットがブティックのディレクタールであることには変わりが無いけど、その下で実際の仕事をする副支配人を置いて店の運営をさせるつもりだよ」 「そう、こういうことだね。ジャネットは自分自身の監督もすると言うことなのさ」 10時前に面接に来た青年をM.アンドレとモニクが面接した。 事務所は8mx18mの細長いつくりで階段を上がってくると事務所中央付近のドアから入るようになる、ドアを開けると正面は受付兼事務員の顔が見え普段はアメリーが右、アンヌが左に見えるはずだ。 廊下は左手奥で男女別々のトワレットゥの入り口と4階の作業場へ上がる階段になっていてM.アンドレの机の脇からのドアも有る。 そのM.アンドレの机からモニク、アランの机があり受付の奥にダニエルの机と新しい2人分の机が用意されていた。 其処へ回ると応接セットその奥に正太郎の机と本棚が見える。 27才、ポール・ジャスティアン・シラクと青年は名乗った。 アンリ4世を出て陸軍の管理部門で勤務したあと大尉で除隊したと書いた書類を提出した。 「Nouvelle Franceでの勤務ですか」 「そうです」 「失礼ですが除隊理由と応募理由をお話していただけますか」 「除隊は隊内で決闘を行い相手に怪我を負わせたことでの責任を問われたものです。応募は聞きなれない名前の商社であるのと健康というだけの募集条件に興味を覚えたからです」 「そう此処は新聞に出したShiyoo
MaedaとParis Torayaというふたつの会社の管理部門で輸出入の商品管理、各傘下の商店の経理を行います。男性女性を問わずこれから経理を勉強していただき商品の売買を行う事、各傘下の部門との連絡が業務となります」 「それでは専門知識は必要ではないのですか」 「貴方の専門知識というべきものは何かあるでしょうか」 「私は学校では一般的なこと、軍では兵站を整えることを学びました。大尉と言うのは除隊時に階級を上げてくれただけで実際は中尉でそれほど自分の手で物を動かすほどではありませんでした」 正太郎は「M.シラク、私が社長のShiyoo Maedaです。私はジャポンから来て此処の人たちと様々な商売をして居ります。あなたが人に頭を下げて物の売り買いをすることができる、いやしようというお気持ちがあるなら此処でお気持ちを披露してください」そういう風に自分の机に戻ってM.シラクに伝えた。 「商売の内容もわからず来たので今は戸惑って居ります、実際自分はなにをしたらいいのですか」 「さしあたり、先輩について各店舗の状況を見て回ることからです。此方の判断は明日手紙でお知らせしますがあなたが働く気持ちがあるなら手紙が届いた翌日に此処へ御出でください。給与は見習い期間のひと月は1日5フラン、その後の昇給があるかは貴方の働きしだいです。朝8時30分から6時までの勤務ですが休み時間は特に決まっておらずその日の状況で交互にとることになります。昼は12時から1時間と決まって居ります」 青年はM.アンドレと正太郎、さらにモニクと握手をして帰って行った。 「特に特技は無いようですね。まぁ、その分将来性はありそうですね、それとこの時間に来ると言うのは仕事を真剣に探している証拠ですよ」 午後は昼休みに男性2人と女性が1人面接を待っていた。 マリー・アリーヌとサラ・リリアーヌは何時ものように応接セットで昼を食べて出て行った。 「今面接に来ていた娘は雇ったほうが良いわよ」 「知り合いなの」 「あの娘と直接に話しをしたことは無いけど、メールとは知り合いなの。母親の話ではショーメで働いていたのよ。売り子としてはいい腕を持っていると言っていたわ」 「それだけが推薦理由なの」 「そうでもないのよ。子供がいるんだけど父親については自分の親にも言わないそうなの。店をやめるときには随分貯金もあったそうだけど、働こうという事は男から養育費など出ていないようだから普通の人より働く意欲は強いと思うの。ほら、女は弱し、されど母は強しというでしょ」 「約束は出来ないけどモニクやM.アンドレともよく話し合ってみるよ」 その子持ちの夫人はエマ・リリアン・ゴーテイエと名乗り2才の子供がいると話した。 「男の子で私が働く間はメールが面倒を見てくれます。子供ができる前はサン・トノーレ街の宝石店で売り子をしていました。子供が生まれてから3ヶ所ほどブラッスリーとカフェで3ヶ月くらいずつ働きましたが昼間の勤めがしたくて応募しました」 「そう、此処は8時30分から6時まで、お昼は1時間、あとは交互に都合をつけて休むことが出来ますから身体が疲れるほどの仕事は有りません。あなたは帳簿をつけるか秘書として社長と共にパリを離れられますか」 「まだ子供が小さくパリを幾日も離れるのは無理です。それでは此処で働けないのでしょうか」 「そういう事はありませんよ。経理ができるか数字が綺麗に書ければここで経理を覚えることも可能です」 本人の履歴に書かれた字は綺麗で読みやすいので正太郎はモニクに新しい紙に線を引いてマダム・ゴーテイエに1から30までの洋数字を書かせてみた。 明日には合否の連絡をするが、見習い期間は1日4フラン、昇給があるかどうかは働き次第もし働く意志があれば翌日までに此処へ来る事を告げて帰した。 夕方までに男性5人、女性16人が面接に来た。 残る2人と6人に最初のM.シラクとマダム・ゴーテイエは残っていた、此処に残らなければ幾ら正太郎でも雇ったらとは言えないのだ。 女性はモニクも3人まで絞りM.アンドレは其処から1人落とした。 「どちらもいい線を行っているわね。明日まで待ちます」 「合否を保留で連絡するの」 「どちらもいいとは思うけど今ひとつ決定する理由が見つからないのよ」 「ショウはどちらが良いと思うの」 「マノン・クラリス・フェリーという娘はまだお嬢ちゃんだけど芯は確りしてそうだから」 「またショウは、あの娘はあなたより年上よ54年生まれよ。二つ上だわ」 「そうなんだ。僕とおんなじくらいだと思ったよ」 「まだ勤めた経験が無いのです。今は図書館で本を読んだり植物園やお城めぐりをしたりで、時たま募集広告を見て応募しますがまだ決まらないのです」 「ショウはもう一人のマダム・ゴーテイエはなぜ良いと思うの」 「深い理由は無いよ。サラ・リリアーヌが母親と知り合いだと話していたくらいかな」 合格者にはモニクが手書きで、働く気持ちに変わりがなければ4日ないし5日には事務所に普段着で9時から午後4時までの間に来るように書いて、特別な封書で配達店に持ち込んだ。 アランに新しい机をひとつ買いに行かせ事務所内の配置を変更した。 アランの机をついたての傍に置き其処へ並べて買い入れた机を置き、予定して買い入れてあったふたつの机は元のアランのところに置いたダニエルの机に並べた。 正太郎から見れば横浜の商社や、虎屋から比べて随分余裕がありそうだが其れを言うと自分の場所を削られそうなので黙って肯いておいた。 メルクルディの朝、6時30分に今日も寺院建築現場まで出かけた。 「気が付かなかったな。満月というと宵から輝くのは見てもこういう朝の月を眺めても美しいのは知らなかった」 「酔っ払って朝帰りした時の月を見ないのかい」 「よせよ、酔ってる時に月どころなわけないだろ」 此処へ住みだした当時は、6時半から7時半までに食堂へ入るという決まりがあったが、ラモンのためにMomoの食事時間と同じ8時にしてもらえたのだ。 最近住人は其れになれてMomoと同じ8時に食べると言って置きさえすれば何時でも8時から食べていい事になっていた。 「働く気に為りました」 「雇っていただけて嬉しいですわ。今まで面接に行った会社は私が幼すぎるとか覇気が無いと言って断られたんです。そんなことありません私体も丈夫です。やる気もあります」 「判りました。お断りしたわけではないのですから、此処は寒いですから中へ入りましょう」 「でも指定された9時になっていませんもの」 「構いませんよ。僕が社長ですからね」 「此処を開けてると中の人が寒いですから、お入りください」 アメリーに「早く来て時間まで表に居ると言うので中へいれたよ」そう断ってモニクとM.アンドレの机まで案内した。 「よく来て下さいました。歓迎しますよ。貴方の机は此処になります」 「マドモアゼル・フェリー。貴方の仕事は此処に有る書類ケースの名前を覚えることから始まります。インクで服が汚れないように上に着るお仕着せの事務員の服はこの3着です。体に合わないか窮屈で仕事がしにくいときには此方のマダム・モニクに言って下さい。この階の上下は私たちの関連のお針子の仕事場ですから直ぐに手直しをしてくれますからね」 M.アンドレは自分の机に戻りモニクが案内して廊下にあるトワレットゥと流し台とガスの使い方を教えた。 「ガスの火をつけている間は此処からはなれないこと、離れなければならないときはガスを停めること、それだけは守ってね」 同じ手順で仕事についての話などが行われた。 ダニエルはアランと巡回に出ているのでそのほかのものと名前の確認をして回った。 「僕はアンドレ・アドリアン・ベルトレが名前です。其処にかかれていますがどういう手違いかショウがM.アンドレと呼ぶのが定着しています。アンドレと呼んで下さると助かります」 ジャスティ、エマ、クラリスと呼ぶことに決まったようだ。 「では来客時に呼ぶときエマはマダム・ゴーテイエでよろしいですか。クラリスはマドモアゼル・クラリスでよろしいですか」 アンヌもアメリーも自分の紙に其れを書いて眼につくところへ張り出した。 「良かったわ、3人とも揃ったから私が案内します」 クストー街の店を案内して戻って来たのは12時を回っていた。 「明日からはお弁当を持参するか、簡単な出前を頼むか朝10時までに予約すれば50サンチームで此処のお昼が食べられます。予約はアメリーに言えばとってくれます」 食べ終わると「僕はここで用事があるので先に戻ってください。それから此処は月末払いの付けが利きますし、チップは必要ありません」と告げて3人と別れた。 「ショウ、其処で働くメイドですがうちのメイドのミリーは孤児院出身で自分は此処で働けてよかったが、いい働き口が見つからずに困っている者が多いそうです。メイドも孤児院出身者じゃいけませんか」 「いいんじゃないかな。掃除に洗濯が間に合わない人の世話が主な仕事になるけど同じ孤児院出身の人の世話をするのがいやでなければ2人探させて良いよ。それで建築が終わるのはこれからM.ギャバンと相談なので5月過ぎだから其れまで此処の屋根裏に手を入れて仕事を覚えさせたらどうだろう」 「君と同じ条件で、隣で働けるようにするけど、其れまでは君が監督して此処で仕事を覚えてもらうことにするから今日にでも構わないよ。今は何処で働いているの」 「先月まで5人で借りたアパートで掃除婦に出ていました」 「その2人がいなくなっても残る人たちは家賃を払えるのかい」 「アッそうでした、でも2人に言って此処の給金から今までと同じだけ暫くは出させます。其れと先ほどの話だと孤児院から出たばかりでなくとも隣は入れるでしょうか」 「其れはまだ決まっていないんだ。サラ・ボードゥワンが面倒を見て回っている孤児院を出なくてはいけない子から優先的に入れるために建てるのだからね。きっと半分はあくだろうからそうすれば孤児院の名簿から選んだ人達に割り当てることになると思うよ」 「それなら優先的に入れるようにサラ・ボードゥワンやエメに話して置くから希望を持って働くように励ますんだよ」 「ショウ、ああいう話からすると10フランと言うのも重い負担の娘がいるようですね」 「ほんとだ、僕やエメは其処まで考えが行かなかったけど、1日2フラン程度の仕事では大変なんだね。でもね食費の負担は出来ないけど暖房費やメイドの割り増しが無いから少しはいいかなと思っていたんだけど。こうなったら貧民窟にでもぼろアパルトマンを買うしか手立てが無いのかな」 「其処までしてはいけませんよ。自分の出来うる最良の事、理想があるのは良いですが自分が其処まで落ちてまで人を助けようとしたら困る人が大勢出ますよ。ショウの替わりはいないのですからね」 モンマルトル・オランジェ銀行で自分の個人口座から5000フランを手形にして降ろした、残りは38500フラン建築費用には十分だった。 モニクとM.アンドレは明日からの巡回に1人ずつ交代について周りどのような仕事をするのか見てもらうことにしたようだ。 正太郎はヴァンドルディのバイシクレッテの移動の手伝いの人員とM.ギャバンとの新しい建物の契約を頼んだ。 契約金5000フランは正太郎の預金から降ろしたと手形をM.アンドレに渡した。「仕事が始まったら1万フラン、途中で1万フラン落成後に残額と大体何時ものような契約で頼むよ。ノエルから1万フラン出れば其れをエメが此方へまわすことに話が出来たから」 「結局殆どがショウのお金ですか。あの家もショウ個人のお金で買ったものでエメは持ち主というだけですから」 「それでもラ・コメット2号館の収入を今度の建築費用に回すというから今月だけでも1200フラン以上でしょ。M.ギャバンに余裕があればアレシア街も同じような契約で話しを進めて構わないよ。そっちは一時エメが立て替えても構わないから」 M.アンドレ150フランと130フラン7部屋、110フラン8部屋が埋まって日割りを計算すると今月は1261フランだそうで10日までに約束の人は移ってくるそうでM.アンドレもサムディが予定日だ。 モニクはエメと同じように「ショウはすっかり不動産管理の大家さんみたいになったわね。でも一番儲かる社宅の一括貸し出しをノエルの名義だなんて」と不満そうだ。 「そうだ例の買い取った4軒ねあれも潰してアパートでも建てようか」 「もうこの間は向こうで働く人の社宅にしようかといったくせに」 「もうM.アンドレまで何よ。管理人の給与もあるのよ30ヶ月は掛かるわ」 「アパルトマンなら此方でしょう。今あるものは取り壊しに金もかかるしね。でも前の道路は広いな」 図面を見て正太郎の顔を見た「街路樹の分も入れれば22mだそうだよ。其処の枠は場所の名前のクール・モランに因んで地主が自主的に四角く道の四方に建物を建てないことにしてあるそうだよ」 「広い道ですね、この四角は対角にとれば70mくらいですかね。マルカデ街だってぼくの此処から向こうの建物まで30mくらいですよ。道としてもこの前の1.5倍はありますかね」 この事務所の建物は両隣より3mほど引っ込んでいるのでM.アンドレの場所から見ると見通しがいいのだ。 「やるなら誰か向こうへ常駐しないとねジャネットに今以上はまだ無理だよ」 3人は期せずしてジャスティのほうを見た。 「まだ無理ね」 「そりゃそうだよ」 「話は替わりますが買い入れた家のうち1軒をショウのリヨンの住まいに改装したらどうです。メイドを置いても食費混みで140フランも掛からないでしょう」 「ホテルだとお金や手形の入ったセルヴィエットを預けて安心だからね。家だと心配もあるよ、管理人のいるアパルトマンならいいけどメイドで其処まで信頼できるかな。いちいちジャネットに預けて出してもらうのもね」 「本当はジャネットに無駄使いを知られるのが怖いんでしょ」 「無駄にはしていないよ」 「本当かしら。この間のラモンの態度怪しかったわよ」 「あれはラモンのせいじゃなくてバスティアンの独身最後の馬鹿騒ぎに使ったんだよ。普段おとなしいからそういう機会じゃ無いとキャバレーもあまり行かないらしいからね。其れよりテオドールに聞いたかい、結婚祝いの披露宴を」 「私はそっちへ行って居ないし帰りもショウやテオドールは何も言わなかったわ。ダニエルが聞いてきたわ。ね」 「はい聞いてきました」 「僕は聞いて無いよ」 「結婚式のあとバイシクレッテの店員のあのポールやユベールの行きつけの店を借り切って花嫁、花婿を中心にパーティを開こうとポール、ユベール、テオドールが100フランずつ出すと言うことになって、ではとバスティアンも100フラン出したそうです」 「十分な金だな」 「そうなんですよ。でもバラ園のM.ギヨーがお祝いだと新婚夫婦に一泊の高級ホテル高級レストランを予約して新婚夫婦を馬車で送りこんだんですって」 「パーティが台無しだな」 「仕方ないのでモニクには別に女達だけのパーティを開くようにしたそうです」 「そっちは何度も聞いたよ盛大だったそうだね。でもなんで一緒にしなかったんですかショウ」 「人が大勢居すぎたんだよ。カフェ・コンセールのジスカールに40人も呼びようが無いし30人以上は女性だぜとても付き合いきれないよ」 「それで男だけで其処へ入ったらマダムは花嫁花婿が居ないとお冠で近所の女給に飲み放題、食べ放題でと無給で10人も集めてきたそうです」 「ところでこっちのアランは牡蠣が好きなのかい」 「はい大好きですが、高いですからねお袋が買うのは3号程度がいいところです。僕と妹で30は食べますからね」 |
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London1874年3月5日 Thursday 朝、北駅を7時に出た特急はカレーからの連絡もよくロンドンへ入ったのはまだ陽が残る時間だ。 カレーとドーバーの間は雪がちらついていたが波は穏やかだった、北駅からカレーまで5時間、海峡を横断する船は12時30分に出て3時30分にドーバーの港で船を降りると列車が待ち受けて、乗客の確認が済むとすぐに出発、ロンドン・ヴィクトリア駅まで1時間15分、午後5時15分にホームへ降り立った。 正太郎とルネに新型車に期待しているM.カーライルの3人でロンドン・ヴィクトリア駅へ降り立つとMr.ラムレイがMr.ホルダーと共に出迎えてくれた。 「いい具合に女はまだホテルから出ていない。明日申請を出してから女にあって書類を取り返えそう。それまで監視は確り出来るから安心してくれ」 「誰かに渡して申請したと言うことは無いでしょうかね」 「ホテルはとってあるがまず支店へいこう」 正太郎にとっては2年ぶりのロンドンだ、バッキンガム宮殿の前ザ・マルを進みネルソン記念柱からピカデリーサーカスを抜けてリージェント・ストリートを進んだ。 馬車から旅行カバンを降ろして店に入ると10人ほどの人がまだ働いていて、2階の応接室に案内されるとオウレリアが悠然とデスクの向こうにいた。 「よくきたわねショウ。いらっしゃいませ、M.オリビエ。待つていたわ、M.カーライル。あなたが送ってきたセンスは直ぐ売り切れたわよ。全てで3500ポンド以上に売れたわ。勿論ウチワも入ってだけど詳しい事は下で聞いて頂戴。2回めの荷は今交渉中よ」 1回目はセンス3種9000本とウチワ1000本だ、僅かの間に3万フランも卸値で儲けたらしい。 そのあとルネが持参した設計図をスミス商会との共同出願にする書類にサインしてイギリスへの独占輸入権の書類にも双方がサインした。 「此れでこの申請によるバイシクレッテはイギリスで製作するときはあなた方にロイヤリティが支払われることになります」 「部屋を取ってあるから直ぐホテルへいこう、それから食事だ」 「チップはいらんよ。彼らは会社の仕事で動いているから」 ホテルのポーターに荷を預けて彼らは帰ったが、ホテルのポーターには1人2シリングのチップをMr.ホルダーが渡した。 大きなクロワールがついて4部屋に分かれている立派な部屋だ、正太郎が呆れて「何処かの王族でも泊まるような部屋ですね」という始末だ。 「はは、フランスとジャポンの貴族がお泊まりだとほらを吹いたんだ」 「僕は一晩此処でお付き合いだ。Mr.ホルダーはまだ仕事で忙しいのだよ。今晩は誰の晩餐会だい」 「さてM.オリビエの話は明日のお楽しみだが、ショウからの手紙は読んだよ、エメとまた大掛かりなことを始める気だね」 「聞いていなかったのか。彼らは孤児院を出た後の街へ出ても中々自立しにくい子供たちのために、職が安定するまで安いアパルトマンを提供して、世間に慣れるまで世話をしようと言うのだよ」 「それでセディにベティの学校の話だが彼女のリセ進学時にはマダム・ルモワーヌのところへ預ける事は可能かな」 「それならいい話もあります。今の家をノエルは買い入れてジャポンから2人留学生を受け入れる予定です、新しく部屋を建て増ししますので其処へ入れてもらうことも可能です。マダム・デシャンとよく話してみます」 「そうしてくれると助かる、此方も伯爵がある程度の学費と自立するにふさわしい財産を信託してもよいと言ってきた。向こうで調べて得心が行けば年内にも吉報が聞けるだろう。親戚が前のような生活では危ぶまれたかもしれないが今の様子を調べれば財産狙いのまがい物と言われることも無いはずさ」 M.カーライルが戻ってきてそれぞれが身だしなみを整えてホテルに有るレストランへ向かった。 6日は金曜日、朝7時に部屋に朝食が運ばれた。 8時10分前、早くも支店では何人もの人が忙しげに働いていた。 打ち合わせは綿密に行われ、マダム・ロンデックスに対してどのように対処するか、提出書類に不備は無いかの確認も済みMr.ホルダーが先導する形で弁護士を含めて6人で特許庁へ向かった。 シティ・オブ・ウェストミンスターの地下鉄駅の近くの建物の中に有る事務所で申請書類は滞りなく受け取られ、3年間の特許が受理された。 「10日以内の同様の申請はありませんでした。まだ審査はありますが此れ以前に出された同様の特許を侵害しない限り取り消される事はありません」 弁護士はそのように言って「では次の案件も片付けましょうか」と馬車に乗り込んだ。 ホテルに入ると立派な紳士がMr.ホルダーに近寄り「例の夫人はザ・コンサバトリーで二人の客と談笑しています。おや、ミス・オウレリアが戻ってきました」見れば庭のほうからオウレリアが優雅な足取りで近づき「其処へ座って話しましょう」と誘った。 「向こうはMr.スワンが見張っています。話は決裂したようですわ、マダムは1万ポンドを請求していましたが、相手は書面を見てそれほどの価値は無いと言うのでマダムはお冠よ」 「そろそろ部屋へ戻る頃だわ。部屋は311号室よ。ショウとMr.ラムレイは先に上に行ってくださる。M.オリビエはM.カーライルとM.ダンロップと共に此処にいてくださいな」 オウレリアが入って来たドアからマダム・ロンデックスが着飾った服に似合わぬ怒りの表情でやってくるとエレベーターに向かった、後からすました顔の男が少しはなれてやってきた、Mr.スワンなのだろう。 オウレリアはMr.ホルダーに合図して同じエレベーターに乗り込んだ。 M.オリビエ、M.カーライル、M.ダンロップの3人はそのエレベーターがのぼりだすと隣の降りてきたエレベーターに乗り込んで三階まで上がった。 「人を呼ぶわよ。あんたがた何の用があるのよ」 「用があるのは僕だ」 ルネが前に出て「廊下で話すかい。それとも部屋で話すかい」と優しく聞いた。 「弁護士がいないとこじゃ。あんたと話す気なぞ無いね」 「私は弁護士のダンロップと申します。何かお困りでも」 随分豪勢な部屋を取ったもんだと正太郎は驚いた。 「お金や宝石はなにもいわん、書類だけは返して貰おうか」 「あんたがた、みんなこいつに騙されてるんだよ、特許庁じゃ受け付けてくれないし。買い取ってくれる会社もありゃしない」 しぶしぶ書類ケースごとターブルにさしだし、ルネが中身を全部確認した。 「全て揃っています」 「ではマダム、ロンドンをお楽しみください、我々は此れで退散しますがパリには戻られぬほうが身のためですぞ」 支店に戻り弁護士はルネと握手して帰った。 「簡単に片付いて助かったわ。M.オリビエも優しいのね」 「1年以上も付き合った相手ですから。その間此方もいい思いもしたし、その思い出を別れた後で引きずりたくありませんから」 「しかし1万ポンドとは吹っかけたもんだ。儲けにつながるには3年やそこらは掛かる話なのにな」 「相手も完成した図面で今すぐにでも商品化できる力があれば買い取ったかも知れませんよ」 「其れでもあそこで金を払ったら相手は大損でしたな。特許の申請をした後で受付拒否を言われたところを想像してごらんよ」 「それで明日にもパリへ帰るの。すこし遊んでいけばいいのに、明日は土曜日なのよ」 「では午後はゆっくりとロンドンを見て回りなさいね。明日は早いのでしょ、見送りには行かないから」 4時から2台の馬車で街へ出てシティからロンドン橋を渡ってロイヤル・ヴィクトリアン・シアターの周りの喧騒を眺めながら有名なSISや大きなバタシーパークを通り抜けた。 夜のロンドンの繁華街を抜けてまたロンドン橋でテムズを渡りロンバードストリートへでてダウニング街10番地に向かった。 100mほどもあろうかというビッグ・ベンは少しはなれたザ・マルから見たほうがその大きさがよく判った、明かりが付いた塔も昨日は周りを見る余裕などなかったので正太郎気がつかなかったようだ。 「この間来た時に見たはずのものが新鮮に見えます」 「年に一度は来れば良いさ。マルセイユへ行くより楽だぜ」 Mr.ラムレイはそう言って「案内しなくとも言葉は通じるだろ」とフランス語で言った。 「随分掛かりが高いでしょうね」 土曜日の朝、ヴィクトリア駅8時発の列車は大きな汽笛の音を残して見送るMr.ラムレイを残してドーバーへ向かった。 3方へ其処で別れ正太郎はメゾンデマダムDDに戻った。 ダンやラモンに聞かれるままロンドンでの様子を話した。 翌日はディマンシュ、正太郎はエメのアパルトマンに朝から来ていた。 ノエルはベティが進学したら此処へ住む事に賛成し子供たちも大喜びで早く来てほしいと今から待ち焦がれている様子を見せた。 「まだ本人ともマダム・デシャンとも話し合っていないのですが試験に通ればあそこでMomoの手伝いをする時間が取れなくなるのはマダム・デシャンにも判りますから賛成してくれるはずです」 42mx32mの1344u有る敷地は北隣には畑と果樹園を持つ農家と背合わせ、東は5軒ほどの小さな家が通り沿いに並んでいた。 最初メイドはいなくともやっていけると言うのをカントルーブ夫妻の手助けと調理を覚えれば働き口を見つけやすくなるのでと置いてもらうことにした。 「早速予算を組んでM.ギャバンに見積もりを出してもらいます」 新しく建てる2号棟はノートルダム・デ・シャン街とモンルージュの丁度中間に位置するので散歩に歩くにはよい距離だ。 エメと話し合って8000フラン程度から12000フランの間でなら今のノエルたちの生活から負担にはならないだろうと話し合った。 「其れでいくとあの家は安い買い物だったね」 「そうヴァルダン通りもそうだけど売主が焦っていて儲かったわね。中々そういう売り物は出てこないわよ」 陽が落ちてから2人は久しぶりにビストロ・ラルテミスへ向かった。 「明日の朝か夕方は雪かしら」 「今年は大雪というほど降らなかったけど、やっぱり雪になりそうかな」 よく見ると氷は厚みを減らし今にも流れ出しそうに頼りなく見えた。 シャルトル通りへ抜けてサン・トノーレ街をヴァレンティノまで歩いた。 2人は隅の席をと頼んでシャンペンにチーズと生ハムを出してもらった。 「もうお帰りなの」 「そう今晩はもう帰るんだよ」 「ふん、つれないのね」 ランディの朝エメを見送ると正太郎はオムニバスを乗り継いでジュリアンの店へ向かった。 「ヴァルミ河岸の倉庫に16000本はあるから20日までにあと6000本は大丈夫だ。フランス郵船に24日までに持ち込めばいいんだな」 「そう、4月5日のル・アーヴルでボストン氷と一緒の船だよ。僕はその頃はリヨンだ」 今回の荷は4軒の共同輸出という形になりShiyoo Maedaの買い取りではないので儲けが少ない代わり資金は楽になった。 ジュリアンは自分の店も倍に広くなり、建物も買い取り、ブティック・クストゥの倉庫、張り出し部分も広くさせ、後は子供部屋も新しい建物の屋根裏とつなげるか自分たちの従業員を移して4階に子供部屋にしてもいいのだがと話したが、テオドールたちは子供に今その様な贅沢はさせられない、此処へ住むきっかけを作ってくれたセディとベティが屋根裏住まいなのにと固く断るのだと話してくれた。 ジュリアンにベティのことを話し来年のリセ入学と同時にノエルが引き受けてくれることになったことを話すように頼んだ。 テオドール達の配当は今年から30パーセントに引き上げられ準備金も15000フランになったので今年からは全て配当にまわせることになった。 そうするとジュリアンにはいる3ヶ月の家賃は760フランとなり其れを話すと「月に直せば253フランかエメは小遣いが増えて喜ぶな」 「エッ、何時からそういう話になったの」 「給与はやれんがお前の好きに出来る金だと結婚したときに約束したんだよ」 今回から配当比率が上がったテオドールは1140フランが手に入り給与は据え置きでも月に直せば大きな収入だ、住居に金が掛からないので子供たちの将来のための積み立てにしてるとイヴォンヌは話してくれた。 「それでおなかの子は何時」 「母親が来てくれたがどうやら今週中のようだ」 お祝いはなにがいいかと言う話しをして「エメとも話して考えて置くからいい奴を頼む」と言うのを「ダコー」といって別れてオムニバスで事務所に向かった。 あたらしい社員は大分なれて来たようだ。 「随分可笑しな時期だな、何処で道草食った船だろう」 「ソース・デュ・ソジャは今度の百合根と一緒ですよね」 「そう前の百合根の時のはマルセイユから6日かかって24日にパリ入りしたから、今度のは上海で積み替えた船かな」 センスは半分6000本がスミス商会、後はM.タンギーがあちこちからの引き合いが有ると言うので39000フランで買い入れてくれた。 ジャスティをつれて馬車屋で往復になるだろうと告げ、フランス郵船の事務所に出かけた。 横浜、神戸を経て1月11日に長崎を出たゴルテンエンは上海でラ・ブルドネへと荷を積み替えて3月2日にマルセイユに着いたそうだ。 荷物はセンス9000本ウチワ1000本と博多素焼人形30体、飾り羽子板100枚にお茶壷10本がはいっていて、送り状と一緒に長崎で集めた物で、横浜本店で清算すると書かれた書状がはいっていた。 「電信をケチったようだよ。横浜でも長崎で連絡しただろうと連絡しなかったようだよ」 センスは80銭、ウチワが15銭、博多素焼人形6円、飾り羽子板2円、お茶壷は横浜の師岡社長から正太郎への贈り物、送料保険代4200フランとされていた。 M.アンドレが計算するとセンスは36000フラン1本4フランだ。 「センスはどうなんですかね。今までのと比べて2等と同じでは無理がありそうですね。せめて絵柄だけでもなん種類かほしいですね」 「5フランでM.カーライルに話してみようよ。見本をもってアランに行かせて呉れ給え。お土産だとお茶壷と人形に羽子板を持たせてください。見本にセンスが10本とね」 「初売り込みだわね、上手く行くかしら」 ウチワの値段も困った値段だね1フランで卸すしかないかとM.アンドレと正太郎は思案顔だ。 アランは2時間ほどで帰ってきた「M.カーライルはあのセンスをロンドンへ送りました。返事が来るまで4日ほど待ってほしいそうです」と伝えた。 やはり5フランとはいえ絵が貧弱と感じたのだろう、正太郎は其れを横浜に伝える電文を書きクラリスにダニエルをつけて発信局に行かせた。 リヨンのM.リガールからの手紙と神戸からの手紙が配達されてきた。 神戸は駒田太四郎からでその常七と伊兵衛が尋ねてきて正太郎への輸出の手続きと半金の納入を頼まれたが寅吉旦那の指示で全額2800両を支払い、正太郎が指示した色合いの正絹の反物500反を送り出すこと、そのほか西陣織100反1500両も買い入れて送る事が記されてあった。 「4300両ですか、21500フランになりますね」 1反は3丈5尺(約13.2m)幅1尺2分(約38.6cm)ほどになると手紙には丁寧に書かれていて西陣織については常七が明るい色を選んで持ってくると記されて、1月5日の日付で2月5日の横浜発のヴォルガに積み込む予定だとされていた。 その青色は送料を読み込むと1反6フラン、ドレスに3反使うと18フラン羽二重の色つきとすればまあまあの値段だ。 古い手帳を探し出すとアルフォンスの処にドレス代66フランとしてあり10フランのAigretteも買い入れたとしてあった。 「そういえば忠七さんがそろそろ香港に着いた頃だ、上海には13日だったな、乗り継ぎは神戸で下りるのかな、其れとも横浜行きなのかな」 正太郎は茶壷を本棚の隙間に5本入れると4本をジャスティに持たせ、自分は博多素焼人形と飾り羽子板を二つずつ、センスを10本、ウチワは3種類持ってオムニバスでルピック街へ向かった。 ジュリアンに茶壷と人形、羽子板をNagasakiからのお土産だと渡した。 「これが誕生祝いか」 「違うよ。きょうNagasakiからの荷が着いて其れが送られてきたのさ」 「安心したぜ、さっきおふくろさんとマネかモネの画でも買わせようかと話していたんだ」 「それなら、今度の共同出資会社の会場で選べば良いさ。4月15日からナダールの写真館だよ、でもマネさんのは出ないそうだよ」 「何かあったのか」 「よく判らないそうだよ。サロンとぶつかるのでそっちへ出すそうだよ」 2人で坂道を登りトロゼ街からまたルピック街に出た。 「ジャスティは此処へ遊びに来るかい」 「軍隊当時は仲間と何度か来ましたよ」 「酒は強いのかい」 「人並みですね」 「と言うことは朝まで付き合えると言うことかな」 「社長も強いのですか」 「僕はそれほどでも無いよ。酔って来るとあまり飲まなくなると友達は言うからそれほど強くないみたいだよ」 「きょうNagasakiから着いた荷です。これはお土産です。センスとウチワはいつもと違うので見本に置いてゆきます」 「此れは高いのかな」 「卸し値段が60フランです、そちらの板から人が浮き上がるのはHagoitaといって20フランです」 センスはあまり感心しないようで値段は聞いたがいつもほど反応はよくなかった。 Momoにジャスティを紹介して時々は此処に連絡に来るから頼むよと学校から帰ってきたベティにも紹介した。 「一度事務所に顔を出してくるよ」 事務所を閉める6時ごろには急に雲行きが怪しくなった、6時46分の日没と新聞には書いてあったが空は暗くなり雨か雪の気配がしてきた。 「昨日エメが雪だろうといってたが、明日の朝に雪がひどくて出勤できない人は休んで良いよ。無理して出てこなくても近くの人が出るから」 モニクにアメリとダニエルはメゾン・デ・ラ・コメットの住人だから4人は出てくるだろう。 「そんなに降りますかねもう明日は3月の10日ですよ」 「ま、ショウは先週忙しかったんだから明日は骨休めでも」 ニコラは出て行ったがダンは休みだといって食堂のストーブのそばでラモンと話をして動かなかった。 14日がエメの20歳の誕生日だ、贈り物はどうするかなとぼんやり考えているとMomoが「今年はロトリー・ピュブリックを買うの」と聞いてきた。 「そうか去年も今頃だったんだね」 「そうよ。去年は大儲けしたんだから今年も買うでしょ。13日のヴァンドルディが売り出しよ」 「去年はエメと20枚、ロレーヌと20枚か、今年はMomoとも20枚買うかな」 「其れってお金はショウが出してくれて配当は半分呉れると言うことよね」 「去年そうしたからMomoにも同じじゃないとまずいよな」 「今年は1枚2フランで同じだけど1等は10万フランよ、2等でも1万フラン3等の1000フランだって30本もあるのよ」 「そういえばMomoは今いくつだっけ」 「17よもう直ぐ18よ」 「3月31日よ。ラモンからの誕生日プレゼント期待してるわよ」 「はいはい、皆様お忘れなき様にお願いしますね」 「Momoはなにがほしいんだ。花か人形か」 「ショウが扱ったサラに上げたような二つ並べて飾るお人形」 冗談はよせよとラモンは本気で怒り出しそうだ、あんな高いの上げる奴などいやしないよと言って精々10フランまでだ、花束が良いとこだぜとダンに同意を求めた。 「ねえMomoお祝いの先渡しがジャポンの人形でよければ4人でいやマリー・アリーヌも入れて5人で出してあげるよ。事務所で好きなのを選べば良いさ。昨日着いたばかりだからさ。後で4人から元値だけ出してもらうけど卸値段は60フランに20フランだよ。サラやバーツに行ったのとは大分違うけど」 「頼むから20フランのほうを選んでくれ、そうしたら薔薇を一輪つけるから」ラモンはおどけてMomoに頼んだ。 |
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Paris1874年3月13日 Friday 朝事務所でM.ギャバンとあってメゾン・デ・ラ・コメット2号棟の出来栄えを褒め、新しく建てるラ・コメット2号棟、ラ・コメット1号棟の建築、そしてモンルージュの増築の図面と見積もりを頼んだ。 ラ・コメット2号棟の契約金も5000フランを手形で渡した、1号棟の分は正太郎がロンドンへ出ている間にM.アンドレから渡されているのだ。 「モンルージュには図面を描く前に一度訪ねて土地の様子と建物の配置を確認します」 事務所からメゾンデマダムDDに戻りMomoと馬車でパサージュ・ジュフロワまで出かけた。 新しくリヨンから来た生地からMomoにドレスをマダム・デシャンがお金を出して誂えると言うので付いて来たのだ。 アルフォンスが成長したMomoのタイユを測り、生地を選んでいる間正太郎はデボルド・ヴァルモール時計店で時間を潰した。 シクラメンの色が気に入ったようで戻ってきた正太郎に「本当にDDが払うのは仕立て代だけでいいの。この前も一着頂いたのよ」 「随分前の話だよ。あとブランで同じのを作って良いよ其れは僕が仕立て代も持つから」 仕立て代は1着50フランほしいと言うので20フラン金貨を5枚出して渡した。 最近リヨンで買い付けた生地を正太郎が送ってくるので生地も豊富で、訪れる人に不満を与える事は無く、店の売り上げも大きく伸びリヨンへ送る20フランから50フランで販売する服が彼の懐を豊かにしていた。 絹以外の生地は新しいお針子の腕を上げるための勉強にもなり、前々からの顧客の中にも安くて体裁のよいアルフォンスの店は受けがよいのだ。 「今度向こうへ行ったときほしいのは何色か事務所に連絡しておいて」 「ショウは昔エメに買ってあげたドレスを覚えているジャポンからの生地」 「覚えてるよ、この間手帳を見たら66フランだったよ、あの頃は凄く高いドレスだと驚いたんだ」 「そうね、あの頃はアルフォンスもサラや、バーツくらいしかあの服以上のものは売れなかったのよ。それでねあの色の生地がほしいの。この間ルノワールさんたちが描いた画のもうすこし濃い色かな。ハブタエという白い生地を染めたものよ」 「まだ船が着かないと判らないけどあれに似た色をジャポンから送ってくるはずなんだ。ついたら連絡するよ。でもあの生地もジャポンで色染めをしてきたのかな」 「判らないわ。持ち込んだ業者も其れっきりで3着分買ったけど、あとが欲しくとも手に入らなかったのよ。他を当たったらハブタエは白いままの生地のはずだというのよ」 暫くリヨンの話しをしてアルフォンスは思い出したように「Momoの白いドレス夏用でしょ、すこし刺繍をしてもいい」 「誰かできるの」 「この先に毛糸のお店があるでしょ。あそこのお嬢さんが上手なのよ。あっ、刺繍代は私が持つから心配しないでね」 正太郎はリヨンで買い付けるナタリーとアルフォンスに渡す生地を、個人の買い付けとしてShiyoo Maedaの会計とは別にしていた。 儲けとはつながらない個人的な付き合いとして処理しているのだ。 マガザン・デュ・プランタンまで出かけてMomoが買いたかったシャーレを探すのを付き合った。 ようやくシャーレ・ルージュを気に入った様で、買い物が終わり1階にあるロトリー・ピュブリック売り場で20枚を買ってMomoに預けた。 「ショウ、アランが持って来た話だがセンスを8000本買っていいが10パーセントまけないか」 馬車で直ぐに事務所にアランを向かわせ、500本ずつに荷造りした荷を持ってこさせることにした。 「ショウが来てくれて良かったよ。ほしい事は欲しいのだが値段がね」 「僕も困っていたんですよ。いつもと違う支店から直接送り込んできたものですからまだ此方の好みが飲み込んでいないようです」 「あとすこし色があればね。でもその値段なら此方も安く何処かへまわせると踏んだのだよ」 M.カーライルは36000フランの小切手を書いてアランに渡してくれた。 「社長どうぞ」 「送料を無視すれば丁度元値が出た。後はセンスを最低4500フランで売ればその送料も出るよ。どこか気が付いた新しい売り先が見つかったら売り込んでくれたまえ、70本以上見本に配って歩いて構わないよ」 「馬車で回るのは明日からジャスティにさせて君はセンスを売れそうな店に配って歩くのが仕事だよ。買う買わないはともかくParis Torayaと君の名前を覚えてもらうことだよ。1軒に4種類配って回るんだよ。卸は10本以上、7フラン、8フラン、10フラン12フランだと書いた紙も渡してくるんだよ」 「今回のは8フランですか」 「そういう値段で売り込むのさ。大きな取引になればM.タンギーと同じ卸し値段で出せるけど、その値段で取引が成立した後でなら、次回から数が多くなれば値引きして卸しますと言っていいから」 M.タンギーもヴィエンヌの噂を聞いてその値段に数の少ない店への卸値を値上げしていたのだ。 「お聞きしておきたいのですが」 「なんだい」 「その数が多いと言うのは何本からですか」 「合計数で100本以上」 「最初からいい成績が出せるとは思わないよ。ただ訪れた店のリスト、店の印象、応対した人の印象、オムニバスなどの経費のリストはそろえておくことだよ。まず3ヶ月は小間物や飾りなどを売る店を覚えることだね。その間の評価は君が作るリストからM.アンドレが判断するはずだよ」 馬車が事務所について馭者と話し合って12フランと3フランのチップで手を打った。 セディが横浜からの電信を持ってきた、長崎、神戸からの荷は代金を支払ったこと、薔薇は4000本を3万7600フランで全て販売できたこと、ワインはパリ発1月分6000本4万8千フラン2月分4万6800フラン、3月2日到着ビスクドール400体1万1200フラン、機関車の模型が8800フラン、バイシクレッテ1万6千フランの合計16万8400フラン。 長崎分4万2850フラン、神戸分2万1500フラン、横浜発送付分3万3千フラン合計9万7350フラン。 前回の不足分も計算して横浜預かり分は64250フランだがさらに百合根が別勘定で貸し越し31万4200フランとされていた。 「まぁ、横浜から当分お金は来ないと言うことね」 「M.ギヨーから百合根のお金が入れば済むことさ。今回どのくらい買い入れてくれるかだね」 五万の百合根をすんなりと引き取れるか不安なのだが、顔に出さずに直ぐ売れるさとモニクに言って安心させた。 そのM.ギヨーからの手紙が来たのは翌日のサムディ、3時まで事務所にParis Torayaは営業していた。 正太郎は買い物に行くために事務所に来ていたエメとその手紙を読んだ。 中身は百合根の販売が順調で自分の取り分を崩して13000球がはけて次の船が待ち遠しいと言うこと、M.ジュイノーが今度の船から2万球を引き取ること、自分たちも2万球を引き取る事が書かれていた。 「モニク大変だよ」 「どうしました」 事務所の反対側にいたM.アンドレが正太郎の机まですっ飛んできた。 「何事ですか」 「アンドレ百合根の現金が4万球分入るのよ、それだけで8万フランよ」 「何だそんなことか」 「違うのよ儲けだけで8万フランよ。ノエル基金が8万、後の26万が経費で入るのよ、あぁ、後は計算できないわ」 しっかりしなよとM.アンドレにいわれ「そうだ、M.ジュイノーの分は此方に1フラン2分の1が余分に入るのよね」 「そうだよ3万フランさ」 手紙の続きをエメが読んでいて「あらもうリヨンでは百合が咲いたそうよ。10日の日に15本の蕾が開いたそうよ」と驚いた声を上げた。 2ヶ月くらい早い開花だ。 「確か去年5月に行った時にバラ園の百合が咲いていたけどジャポンのが早咲きだと言うことかな」 「そうでもないようよ。3ヶ所の温室のうち1ヶ所だけが蕾をつけているとしてあるもの」 「モニクそれだけじゃなくて百合根は前回分から10万フラン近く入るよ」 「あの分の残りが全部売れたんですか」 「その様だよ。だけど夏以降の百合根は其処まで儲けが出るか不安だけどね」 「そう、其れは私たちのような商売の欠点よね。どうしても後から乗り込んでくるほうは安く売り込みますものね」 「ショウ、牡蠣がおいしいうちにみんなでお祝いをしないといけないわね」 バール・ア・ユイトルを予約するかと正太郎が話すとM.アンドレは嬉しそうに「一度はあそこで牡蠣を食べたいと思っていました。家内が牡蠣を嫌うので機会が無いのですよ。会社の付き合いなら大威張りで出かけられます」 「月曜日は事務所を閉めたら馬車で乗り込みましょ。全員参加よ。牡蠣が駄目な人も他の料理を頼むから付き合うこと。どうしても見るのもいやという人は申し出て頂戴」 アランはレオポルド・ベラン街でストレーの近くに母親と妹も一緒に住んでいるのだ、この間までアンドレ一家が住んでいたのもこの通りだ。 エメと2人でサン・トノーレ街へ出た正太郎は去年と同じア・ラ・シベッテでタバチュールを二つプレゼントした。 またロトリー・ピュブリックを20枚買い入れてエメに渡した。 「マドモアゼル、ムッシュー、ラ・ボンヌ・チャンス・ヴィヤン」 ポン・ヌフを渡り真ん中のアンリ4世の騎馬像の下で沈んでいく夕陽を眺めた。 橋を渡りきりサン・ミシェル河岸まで歩きシャ・キ・ペッシュへ入った。 「ボンソワ・ムスィウ、ボンソワ・マダム」 エメはいつの間にか此処ではマダム、ロレーヌがマドモアゼルと分けて呼ばれだしていた。 「ボンソワ・ムスィウ。きょうはエメの誕生日なので彼女に任せるから」 「マダムは今日が誕生日ですか。その宵を私どもの店で過ごしていただくとは光栄です。最初のシャンペンは店のおごりにさせてください。ご注文はどうされますか」 「ラグー・ド・ブフにオムレツ。スープは野菜たっぷり。あと今日のお薦めが有るかしら」 「ブレス鶏のいいものが入りましたよ」 「雄鶏」 「残念、若いプラール・ド・ブレスです。小ぶりですからお二人で十分食べられますよ」 「雌鳥ね、ではエシャロットで香りがつくようにロティして下さる」 「勿論ですとも食通も其れが一番と褒めますよ。近いうちにクリーム煮もためしにきてください」 「おお、あのマドモアゼルがきてくれれば3羽は食べられますよ。ロティにクリーム煮、キャベツと一緒にとろとろポトフなどがよろしいですよ」 「明日は開いていますか」 「開いていますとも、明日が食べごろのステーキにブレス鶏も用意できますよ」 「ではあした4人予約します。時間は5時でも良いですか」 「お待ちしています」 オムレツは二人で分けた、店でも心得ていてシェフが目の前で切り分けて暖められた皿に別け、ラグー・ド・ブフも美味しく食べているとローストのいい匂いが漂ってきた。 「これが最後のアニーだよ。もう此れでうちには高級品は無いからね」 鶏を切り分けてソースの熱々をかけてくれた。 「トレボン、明日また食べられるのが嬉しいね」 「ショウ、油断しては駄目よ、ロレーヌは人のお皿を盗むから」 「本当だロレーヌと食事をするときは気をつけないとね。でも明日はサラ・ボードゥワンも呼ぶから大丈夫だよ」 「そうか幾らなんでも母親が居ては其処までしないかな」 2回めの舞台がはねたロレーヌを呼び出して明日の晩、舞台の前に夕食を一緒にシャ・キ・ペッシュでというと父親に1回目の舞台をぬける許可を取りに行った。 「娘をよろしくお願いします。飲みすぎて2回目に踊れ無いなぞというんじゃないぞ」 ディマンシュ、正太郎は一度メゾンデマダムDDに戻り昼過ぎにノートルダム・デ・シャン街へ戻った。 シャ・キ・ペッシュでブレス鳥を堪能し、4月5日のディマンシュ・ドゥ・パークの贈り物の相談、ラ・コメット1号棟、アレシア街のラ・コメット2号棟の建設が始まることを伝えた。 「私たちのお金の準備は出来たわ、何時でもお渡しできるのよ」 「お昼にでも出られる日があれば事務所までこられるか、僕が出てきても良いですよ」 「ではお兄様明日のお昼にサン・ラザールの駅でいかが」 「近くにロトリー・ピュブリック売り場があるかい。去年と同じに2人の分で20枚買うから」 「ル・サンタ・ムールのあるパサージュ・デュ・アーブルの入り口の脇にあるわよ」 「なら、明日の11時30分でいいかな」 「良いわくじ売り場の近くに行くわ。お昼もご馳走してくださるんでしょ」 「またこの娘は。ごめんなさいね、すっかり甘えるばかりで」 16日のランディ、事務所で打ち合わせして6時までには戻ってくるからと公使館へ向かった。 佐賀では政府軍が城へ入り、乱は鎮圧されたが指導者はまだ捕縛されていないと電信に書いてあったことを話して、情報を聞いたがまだ何も言ってきて居ないと鮫島公使は憮然とした表情だ。 「鹿児島へ向かったかもしれんが西郷先生は前原ごときの話には乗らんよ」 長田と前田にも会って最近西園寺様と逢って居ないがお元気かと尋ねられた。 「これから人に会うのでそのあとお尋ねしてみます」 20分ほどで駅に着くと11時を10分過ぎていた。 「まだ余裕があるな」 大きく手を振ると嬉しそうに駆け寄り「早いと思ったけどもう来ていたんだ」と腕を取ってきた。 食事は少し違う場所だよと馬車に乗せて「ムフタール街からアルバレート街へ入るんだけど判るかい」と聞くと判ると言うので西園寺のアパルトマンに向かった。 30分ほど掛かったが西園寺は居て、アリスの台所へ行って昼にしようと思いますというと一緒に行こうと降りてきた。 「そういえばショウ、僕はこの人とは初めてのように思うが」 「エッそうでしたか、ヴァレンティノで引き合わせませんでしたか」 「如何ですか名前を呼んでくれる人が増えましたか」 「中々Bouitirouとは呼びにくいらしいので相変わらずムッシュー・サイオンジとかたい呼び方をされるのだよ」 ロレーヌが「イチローなら呼びやすいですのに」と言うのを聞くと其れで行こうとすぐに決めてしまった。 「公使館で心配しておりましたよ。たまにはお顔を見せないといけませんよ」 「ショウも忙しいらしくて中々こないし、家に来るのは中江さんが一番多いかな」 「彼も召還命令が出そうだ」 「本当ですか」 バール・ア・ユイトルにはエメも着いていて、予約した席で賑やかに会社の発展を祝った。 正太郎は5フラン銀貨10フラン金貨、20フラン金貨の入った紙袋をM.アンドレから全員に渡してもらった、正太郎もエメも其れを受け取った。 エメはParis Torayaの役員だからとM.アンドレが言って受け取らせたのだ。 「会社が大きく儲かればこうして食事会をして皆さんにお小遣いが配られるのよ。自分の与えられた仕事を確りとやってくださいね」 会計は268フラン、モニクは32フランをチップに出して会計をした。 店の前でそれぞれの家に思い思いに帰る人と別れ、正太郎とエメはカルチエ・ラタンを歩いてサン・ジェルマン・デュ・プレにでた。 月はなくともこの道を歩くにはガス灯の明かりが続き、何も不便は感じなかった、レンヌ街では腕を組んで歩き、1時間ほどの夜の散歩は終わり、エミールの馬車屋でエメと分かれてメゾンデマダムDDに戻った。 マルディの朝早く目が覚め外を見ると曇っていたが雨の心配はなさそうだった。 モンマルトルを30分かけて散歩をして戻ると食堂でセディやベティに混ざり朝食をとった。 2人は正太郎に学校の話しを楽しそうに語り食事が済むと出かけていった。 マダム・デシャンがでてきたのでベティのリセ進学について話した。 「あの娘勉強も出来て一年遅れた分も取り返してきたそうよ。先生は4年目を通り越してリセに行ったらどうだと言うのだけどどう思う」 「では来年試験が受かればそうしましょう。経費は私が持つわ」 「この間ロンドンでMr.ラムレイから伯爵家で扶養手当として財産信託をしてくれそうと聞かされました」 「そうなれば良いわね。では私は仮親としてある程度は負担させてね」 「勿論ですとも」 「来週リヨンへ行くけど5日ほど付き合えるかい」 「サムディまでに戻れるなら大丈夫だ」 「ではランディにでてヴァンドルディに戻ると言うのはどうだろう」 「それなら大丈夫だ」 「では23日に何時もの特急で出発だ」 事務所は昨晩の余韻が残っているようで少し浮ついていたが、ジャスティとアメリーが馬車で出かけた頃から普段の事務所に戻ってきた。 正太郎は例によって本棚から選んだ本を机に置いてからリヨンの買い入れた家と土地の活用の資金をどうするか考え出した。 「随分真剣に考えていたわね」 「うん、孤児のためのアパルトマンに入ってもらう人たちの仕事をどうすればいいか考えていたんだ。リヨンで買い入れた家があるんでそこでお針子や昔風の手織りのジャカールの勉強をさせてもいいかなと思いついたんだ」 「そうねパリに拘らなくてもいいんだし。先生さえ居ればいい事かもしれないわ」 「機織り(はたおり)は向こうでジャポンの人たちに教えていた老人がいるんだ。今はバイシクレッテやブティックの配達をしてもらっているんだけど午前は機織、午後はお針と勉強させてマシーヌ・ア・クードゥルも覚えさせれば僕達が雇ってもいいし、他で働くにも困らないしね」 其れよりこんな時間にどうしたのと不審に思って聞いた。 「9月から2月までの収支報告が出来たのよ」 2階の自分の場所も半分は下のメゾン・リリアーヌの倉庫なので家賃は半分、儲からないほうが不思議なのだがShiyoo Maedaからの手間賃は安いのだ。 「半期の純益は4465フラン、今までの積立金は2700フラン、積立金を4000フランに増額して株主配当は2600フラン、マシーヌ・ア・クードゥル買い取り500フラン、積み立てから借り入れて社員配当1800フラン」 「マシーヌ・ア・クードゥルも1台買ってくれるんだ」 「そうよ余り長引かせても悪いし今回思ったより利益が出たから」 ボルドーも今年から特別注文以外は全て現地に任せたのだ、それでないとスミス商会の注文が間に合わなくなりかかっているのだ。 カバネル・ビュシエールからの情報だとジル・ビュトール・デュシャン・ヴィヨンは開店18ヶ月で店を倍に広げる勢いでスペインへの売り込みをかけているそうだ。 はいショウの分よと机に出されたお金は1000フランと書かれた手形、1300フランの手形、500フランの手形、20フラン金貨5枚。 「この金貨は何」 「いま社員配当といったでしょ」 「僕も出るんだ」 「当たり前でしょ。給与もでる社員なのよ」 50フランとはいえマダム・ボナールの社員でもあり役員でもあるのだ。 「でもショウは働きが悪いから最低の社員配当よ、お針子は最高200フラン出してあげたわ」 「ゲッ、そんなに支払ったんだ。凄いな」 「此れからよ、支払いわね。よく働いてくれるもの。それでね相談だけどブティック・クストゥの娘も差がでると可愛そうなので考えてあげてね、実はね私のほうで雇うお針子に変更してくれないかな。2人も肩身が狭いような気がしているんだ。そうしてくれれば支度金という名目で100フランずつ出してあげようと思うのよ」 「暇が取れるならこれからイヴォンヌのところへ行こうか」 「行ってショウから話してくれる」 「同じ仕事をしているんだから、君のところで引き受けてくれるならイヴォンヌにも依存は無いはずだよ。それにそのほうがブティック・クストゥの経費が出ないからぼくのほうは助かるしね」 「ならみんなが喜ぶ話ね、後はポール・ジョアンナ(Paule)とパトリシアが承知してくれればね。其れとショウの方にも得になる話よ」 「私たちは其れでよろしいですよ。もともとショウはマダム・ボナールのほうでまだ人員を其処まで増やせないと言うので此方で働いてもらったわけですから」 3人の女丈夫は手を取り合ってこれからも助け合いましょうねと手を握って誓い合った。 イヴォンヌに頼んで今日までの日割りと1月分を袋に入れてもらった。 2階のお針子を伴って4階へ上がり8人のお針子に今決めてきた話しをしてジョアンナとパトリシアの気持ちを聞いた。 「私、ブティック・クストゥのお針子と言っても月に一度のお給料をいただく時にしかイヴォンヌとお会いしませんし、こちらへの所属替えで同じお給料がいただけるならそのほうが嬉しいです」 正太郎は「ではブティック・クストゥから君たちに今月の分の給与だよ。今月の日割りと1か月分余分に有るからね」と渡すと二人は驚いていたが嬉しそうに受け取った。 マリー・アリーヌは「皆さんよく働いたから今季の社員配当は大盤振る舞いよ。入って1年以内の人は150フラン。最初から働いてくださっているサンドラとセシルは200フラン。それから新規採用のお二人は支度金100フランが出ます。私は200フラン、ショウは普段働いていない社員なので最低の100フラン」 お針子は声をそろえて笑った、正太郎もそのいいようが可笑しく一緒になって笑い出してしまった、社員配当に1800フランも出すなんてShiyoo Maedaも顔負けのマダム・ボナールだ。 「ショウのところはどうするの」 「今モニクとM.アンドレが相談中さ。現金を幾ら出せるか検討中だったんで、まだ決まっていないんだよ」 「貴方のところが一番儲かっているんでしょ」 「横浜からの連絡が来たから収支が黒字に転換した事は間違いないよ、後は今月入るはずのお金が入ってくるかどうかだね」 モニクとM.アンドレをソファに呼んで今の話しを伝えて検討してもらうことにした、去年とは状況が違ってきているのだ。 「ショウ、収支は今度の百合根で黒字になりますが、税金分を考えると2000フラン以上は無理ですね」 「モニクそれだけで十分さ。此処の事務所以外は社員配当がなくとも事業所の配当を受け取れるからね。リヨンの2人には赤字でも200フランずつ支払うように、働く人には最高200フラン最低50フラン出させるよ」 「此処だけだと僕たちは役員配当が出るから除外しますか」 「其れは話が別さ。僕と君たち2人は350フランずつ、ダニエルにアメリーとアラン、アンヌの4人に200フラン新しい3人には25フラン」 「其れだと1925フランになりますね」 「いいところだろ。あの3人はやる気も増すだろうよ」 正太郎の給与は500フラン、M.アンドレが480フラン、モニクは役員待遇になった12月の時点で300フランに引き上げてあった。 そのほかの社員は日給計算で残業代が出ることもあるのだが、3人には其れも無い変わりの役員報酬だ。 |
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Lyon1874年3月23日 Monday ガール・デ・リヨン・ペラーシュ16時15分到着の特急は遅れもなく到着した。 駅には客待ちの馬車が並びポルトゥールのアルバンが正太郎を見つけて駆け寄ってきた。 「いらっしゃいませM.ショウ」 「やぁ、アルバン今日も元気だね」 「今回は何日くらいお泊まりですか」 部屋へ落ち着くまもなくラモンを誘ってマダム・シャレットへ向かった。 「其れはいい事ですが、わしがまた教師で良いのですかい」 「勿論だよ。あそこに必要な機材を集める準備と家の掃除を頼めるメイドを探してくれないか。住み込みが希望なら其処へ住めるようにジャネットに仕度をしてもらうから」 「どの家を使います」 「家は前にジャカールを置いてあった家で良いよ。出来ればすむ人間がいないから残りの家も毎日掃除して欲しい」 「それならリヨンにも孤児の家を出た娘で働き口を求めてるのは何人も知ってますから話してみますよ」 「そうかそういう娘はパリだけじゃないんだよな。その子達の事は爺さんに任せるからお針も教えられる人も探して手に職を付けさせよう。ある程度は孤児院で教わっているだろうから後は商売になるようにしてあげれば自立できるだろう」 「わかりやした。でこっちの仕事はどうします」 「爺さんは午後からだろ。昼前に向こうでと言うのは無理かな。あと1人爺さんの手伝いを出来るような人を探してもいいんだが」 「昔の仲間に話しをして見ますよ。わしと同じ条件で話して良いですか」 「其れで良いよ、テサージュを教えるにも2軒の家で交互に教えられるから」 「じゃ器械は2台用意しますかい」 「そうしてくれるかな。ジャネット此処に手形があるから君の名前でどこか新しい口座を開いてその分の費用にしてくれないか」 用意してきた3000フランの手形と細かい銀貨と硬貨で100フランを渡してあの住宅の費用はShiyoo Maedaで扱うから帳面を別にしてくれと頼んだ。 「それで2軒はいいけど残りの2軒はどうするの」 「同じように手織りのジャカールを覚えるのとお針子の仕事を覚えてスリップ・ド・クストゥやスリップ・デ・マリーの下請け工場にするのさ。マシーヌ・ア・クードゥルも2台くらい買い入れてもいいしね。そうすれば横浜から買い入れたハブタエで高級品を其処で仕立てられるよ」 今ハブタエはスミス商会から主に仕入れているが数が増えれば横浜のスミス商会から直接買い入れをして良いといわれているのだ。 「そんなに簡単に高級品が出来るかしら」 「先生次第さ、それに此処のお針子と、入れ替えても出来るくらいの腕になれば何処でも働き口は見つかるよ」 「では完成品の手数料を1等30、2等20、3等10で引き取るわね。不良品は練習用と自分たちで使うように帳簿で処理するわよ」 ナタリーが2階から降りてきていて「先生に推薦できる人に心当たりがあるので話してみますが、小さなお子さんがいるので1日は無理なのですが」と恐る恐る切り出した。 「ああ、あの未亡人」 「知ってるのかい」 「なくなった旦那さんは学校の先生でしたがね。確かマダム・マラルメとか」 「そうそのリュシー・ジョゼット・マラルメよ」 「いい人だよ気は優しいし、親切だが。子供はどうするね」 「別に子供を連れて来てもいいんじゃないのかな。本式の学校じゃないんだから。あの家の近くに住んでいるの」 あの家から歩いて5分くらいだとナタリーが言ってこれから紹介するわと正太郎とラモンをつれて出た。 夫人は在宅していたが「此処は学校の持ち物で今月中に出ないといけませんの。両親がディジョンにいるので其処へ行こうと思いますの」と寂しそうに話した。 「リュシーそれなら今の話しの家で生活なさらない。まだご両親に手紙を書いてもいないのでしょ」 どうやら事情があるようだ。 「マダム差し支えなければ事情をお話ししてくださいませんか」 夫人は「主人と結婚したあと此方へでてきましたが、向こうの兄嫁とは上手く行っていませんの、少しの滞在はともかく長くその家にとどまれません」と小さな声で伝えた。 「それならなおさらリヨンで働いたらいかが」 黙っていたラモンが「あなたが来て下さると困っている少女に、家と仕事が与えられます。此れも神のお導きぜひお引き受けなさい」と厳かな声でマダムを説得に掛かった。 こういう時のスペイン人のラモンの髭は高貴な雰囲気を出すのだ、とても飲んだくれている時の様子を思い浮かべる事は出来ない。 話は決まり家の掃除をするメイドもM.ジルベールが探すだろうし、運針の生徒も直ぐ集まるだろうと話しをした。 「マダム・シャレットというブティックをご存知ですか、ナタリーが手伝っている店ですが」 「はい知っています」 「明日は午前中おいでになられる時間が有りますか」 「でられますわ」 「では10時にお出でください。こまかい取り決めはそのときお話しますが仕事は運針の授業、家事のやり方など、社会にでて自立して生活するのに必要なことを教えていただきます。また其れまでは私たちの店の商品のスリップ・デ・マリーなどの製品つくりをお教えしますから、其れを覚えてください。お針子としての仕事を覚えて其れを教えていただくのが目的です」 「1日5フランです、日曜は休み。住まいと食費は此方で持ちますが其れで良いでしょうか」 「食費も出してくださるのですか」 「まだ人がいつごろ集まるか判りませんが、家は違えど共同生活と同じになりますから一人2フランを予算に計上して月ごとに余った分は貯めるようにします」 2人はナタリーを家まで送り佐倉常七と井上伊兵衛の手紙を翻訳して書き取ってもらった。 「すこし早いかな」 「開いてなければ何処でビールでも飲もうぜ」 ビールが出ると直ぐソシスとジャガイモのフリッが出てきた。 11時にはホテルに戻り、翌日24日は曇り、朝の散歩にプレスキルへ向かった、陽は出ていないが明るくなりかかる街を歩いた。 クロワ・ルースでローヌ川を見下ろす崖まで進むと6時半には朝日が昇りだした。 ラモンと食事をしながら昼間はどうすると聞いた。 「今日のところはショウと一緒に回るよ。明日は勝手にさせてもらう」 「そうかそれで今晩は夜中まで飲むか」 「付き合うぜ」 「随分重いな」 「使い切れなければ返してくれればいいさ。一緒のときは小さなものは其処から支払ってくれ」 フフフ、ファツファツハと笑い出して「ショウ何か大儲けの種でも見つけたか」と聞いてきた。 「まだ種だけでね、芽がでるかどうか判らないのさ」 新しい店は朝早くから表で眺める人が多くたかっていた。 一昨日のマルセイユ80キロレースでユベールは3着、5人で遠征費用を引いた残りの賞金を分配して、アンドレは800フラン、ユベールは500フラン、他の3人はけん引役で400フランずつ分配したと2人は店の中で正太郎とラモンにレースの模様を話した。 2人が獲得した賞金は3500フラン、其処から費用を引いた2500フランを分配したそうだ。 「それで帰って来た昨日も仕事だったのかい」 「そうなんです、僕はともかくアンドレは辛かったでしょうね」 次は4月19日のディジョン120キロレースだ、ポールはその長い距離は初めてだと心配そうだ。 「今月の新型は全部売れて、申し込みは10台になりましたよ。そのうち優先順位がついているのは4人でこれでは足りませんよ」 1500フランを1200フランで売り出しているがよくそんな高いのがよく売れると正太郎自身が驚いているのだ、其れもギヤを減らす人はまだ出ていないのだ。 Shiyoo Maedaに800フランで入り900フランで販売店に卸しているのだから1台300フランの儲けが出るのだ。 パリジェンヌ商会はShiyoo
Maedaとスミス商会に800フランでの年内の契約を結び、その他への販売店への卸値は1000フランで10台までとした。 「大丈夫さ今月の引き渡しから30台に増えたよ」 「100本のチェーンが来て此方は30台だけですか」 「まだ60台以上はよいものを作れないのさ。そのうちからスミス商会へ20台渡す契約なんでね、此方はそれ以上の取引は今のところ無理なのさ。それで今月入荷したら8台は此処へまわすよ。各店8台の24台、6台は倉庫へしまってある程度溜まったら10台に増やすから」 10時になる前にペニーファージングが2台売れ、一人はファントムを下取りにして欲しいと自分のバイシクレッテを見せた。 もう少し何とかできないかと聞かれ30フランのレース用のパンツでどうかというと、上下と靴にヘルメットの一式88フランのセットを欲しがった。 「バスティアン、今そのファントムは綺麗にすると幾ら位で売れるんだい」 「最近は安くなったので100フランがいいところでしょう。それでも新車で300フランしていますからね」 「そうなんだ、パリでも中古はそんなものになってきたそうだよ」 マダム・マラルメは二つくらいの可愛い女の子を連れてきていた。 「クリスご挨拶を」 「ボンジュール・ムスィウ」 正太郎が書いてきた契約書を読んでマダムはサインをする前にナタリーにも確認してもらった。 シルヴィとアン・マティルドが立ち会ってサインした紙の1枚は正太郎からシルヴィに「あなたが保管してください」と渡された。 「経費そのほか必要なものはジャネットが出します。此れは引っ越しと必要な家具を買ってください。其れと契約金として出すように手続きを取りますから報告の義務はありませんから自由に使って構いません」 「落ち着くまでナタリーとM.ジルベールに何でも相談してください。ナタリーも契約内容を把握して請求できるお金はジャネットに出してもらうようにね」 売り子として雇われた女性たちも下着の作製をすれば稼げるので、時間外に2人から習いながら働くものも増えてきていた。 ジャネットがM.ジルベールと若い娘を連れてやってきた。 「ナタリーから聞いたわ。その人が先生ね」 M.ジルベールが連れてきた娘はメイドとしてイギリス人の家で働いていたが帰国して仕事がなくなったそうだ。 「住み込みだと嬉しいと言うのですよ。給与は安くともいいそうだ」 「1日2フランでいいのかい」 「はい食べさせていただけて住まいがあるなら。その上お給金もいただけるのは嬉しいです」 「マダム・マラルメ、あなたとクリス其れと君の名は」 「はいレティシアです。アンヌ・レティシア・メイエ。17才です」 「レティと呼んでいいかな。3人の食費は1日6フランでやってください、後はお話したように、あ、其れと家計簿はつけられたことあります」 「はい、いまでもつけています」 「ではあそこでも其れをお願いしますね」 「レティはいつから住み込めるの」 「今日からでも大丈夫です」 「では貴方の支度金は30フラン上げるわ、それから仕事着はこれから買いに行きましょ。皆さんはここで待っていてね。まだル・リが無いから住むのは明日からね」 40分もしないうちに帰ってきて「マダム・マラルメの分は此れ、掃除の時汚れないよう此れに着替えてくださいね、ではナタリーが家を紹介して掃除の準備にかかってね。洗剤やモップなど必要なものはM.ジルベールが買って届けるわ」と仕事に戻った。 表に馬車が2台止まっていたので分乗してクロワ・モランまで向かった。 レティと同じ家のほうが良いとマダムが言うのでそうしてもらい当分はレティの仕事は4軒の家の掃除と決まった。 工場はもうじき稼動できるとレーモンは元気に2人を迎えてくれた。 馭者にもハンナがカフェを勧め3人が用地を見て回る間接待をしてくれた。 アルエッツ通りのM.デシャネルの事務所には運良く建築家がいて1万フランの着手金を渡した。 4月中に10軒、5月の末までに15軒、7月始めには最後の15軒が引き渡せるとされてあった。 「何段取りですよ、段取り。うちは五つのチームがいますがね、そのうち二つが最初の仕事に掛かり徐々にチームを投入しますから、一度仕事が先へ進めば後は早いもんですよ。これが1軒で1万フラン、2万フランの仕事となると建築主の注文も煩いので同じチームだけでじっくりやりますがね。だといって手を抜くわけでは有りませんよ。M.リガールとも話して4種類の家を工夫して並べましたから一見しただけでは違う家に見えますよ」 図面には綺麗に色分けされた家が隣に同じ形の家にならないように工夫されていた、それでいてでこぼこした感じではない様だ。 「将来あそこに橋が掛かれば川向こうも発展しますよ」 今度はガンベッタ大通りのM.シュワルツのギヨーバラ園へ向かった。 親子は温室で咲いている百合の花を自慢げに見せて歩いた。 最初の温室には500本ほどの百合が花を咲かせていた。 「此処は見本みたいなもんじゃ。明日には市場に切り花で15フランからのせりで売ると話しておいた」 「そうじゃないよ球根はまた来年花を咲かせてくれるからね。株分けしてもいいが其れだと大きな花を咲かせにくいからね。其れに来週のジュディ・サンには2000本は出荷できるし上手く行けばサムディ・サンまでにあと2000本は出荷できるよ」 「M.ジュイノーは間に合うのですか」 「う、そうか気が付いたようだね。そう彼もディマンシュ・ドゥ・パークに売り出すつもりだよパリとシャルトルにある農園で3000は蕾がついたそうだ。今年は色が混ざるが来年はタカコを中心に売り込むと言っていたよ」 卸売り4912球は30フランで完売。 ギヨーバラ園の取り分は47892フランで1球9フラン75サンチーム。 「其れで次は来月の3日くらいかね」 「そのあたりに出てきます。前回の薔薇はM.ランボーのほうと共で4000本が3万7600フランになりました。15000フラン程度の儲けが出ました。よい苗を送っていただきありがとう御座います」 馭者に次はクロワ・ルースのM.ランボーの薔薇店というと心得て向かってくれた。 幸いにまだM.ランボーは出店にいてくれた。 ここでも薔薇がたいそう評判がよいというとM.ランボーは今度赤い薔薇を多くしていいかねと聞くので賛成しておいた。 馬車は一回りして元のブティックに戻ったのは6時に近くなっていた。 「空き地にアパルトマンでも建てるの」 「来年辺りにはそうなる予定だよ。あと裏の空き地部分も来年には予定しているから君の負担にならないように此処もフェルディナンド・フロコン街の事務所のようにしたほうが楽だよ」 「そうね、3階の私たちの住まいがもうじき出来て2階の事務所が入れるようになったら雇うわ」 「あらこんなに出していいのかしら。まだまだリヨンは赤字なのに」 「其れは僕がどんどん土地を買うから仕方ないのさ。其れを勘定に入れなければとっくに資金は回収できているはずだから」 「では今月の給料日に増やして置くわ」 「事務室の調度は予算をかけていいものにしていいそうだよ。百合根がノエルのおかげでいい収入になったからね」 25日のメルクルディの朝、何時ものように散歩から帰ってもまだラモンはクロワールにいなかった。 ブティックに出てジャネットとフラールの話しをした。 「15フランで面白いように売れるわよ。リヨンの人じゃない方が多い見たいね。リガールで追加してくれるといいんだけど」 「それならまた2階から降ろしておけば良いさ。8フランをShiyoo Maedaからの仕入れで支払えばいいんだから」 「300枚買い入れて置くわ。ジャポンとパリはどうするの」 「此処で売れるならパリでも売れるだろうから帰る時にラモンと100枚ずつ持って帰るよ」 2000枚の注文を出して4月7日に1000枚、22日に1000枚と期日が決まり、次回正太郎が来る予定の4月2日前後の支払いを約束した。 「リヨンでもよく売れると言うので驚きました。あれ1枚でおとなの普段着が買えますからね」 ジャポン向けの柄が良かったようですねと話して正太郎は2号館へ引っ越してくるマダム・マラルメの様子を見に行った。 「先生は此処の掃除を先ほどまで私としていて、今はM.ジルベールの荷車で荷物を取りに行っています」 「もう帰りなのかい」 「今日は2時間だけなの。直ぐ着替えて手伝いに来ます」 家具は学校のものなのだそうで大きな荷物はなく質素な親子の引っ越しだった。 「頂いたお金で必要な家具も買えますから」 正太郎は、では後を頼むよとレティに言ってプレイス・マレシャル・リョーテイにいた旅行客の間を縫ってポン・モランを渡った。 「ショウ何処へ行くの」 「1人でお昼なの」 「そうよいつも1人」 ラモンはサン・タントワーヌで2時ごろまでアレックと飲んでいたそうだ。 「今朝ホテルの食堂に下りてこなかったけど帰ってきたのかな」 「今のところ用事は無いよ」 セシールの部屋は春のにおいがした。 「百合は何処で」 「シュワルツさんが10本お友達に届けてきたのを2本貰ったの」 「まだいいじゃないの」 「私に店を待たせてくれるの」 「僕には其処まで自由に出来る金は無いけどさ」 「そうよねショウはどう見てもまだ20才くらいだもの。25になった」 「私の夢は自分の歌が歌える小さな店で、若い人の溜まり場になるようなカフェ・コンセールかな。10人程度の入るお店で3人くらい人を置いて料理は仕出しを取れるような店の近所」 「下のマダム・デスランのような店では大きすぎるの」 「私にはマダムほど社交性が無いもの。そりゃ昔は結婚して亭主とあんな店が持てたらと思うこともあったわ。でも金を持ち逃げされてから男は信じないことにしたの。ショウと出会うまで2年は男無しだったのよ」 起き上がり正太郎にビズをせがんだセシールに応じて「実は来年当たりクロード・ベルナール河岸のサラモン・レナック街に家を建てて学生相手のアパルトマンに食堂とカフェなどを創めたいんだが其処を仕切れる人を探そうと思うんだ」と顔を寄せたまま話した。 「やはり噂は本当なんだ。ショウは若いけど実業家だという人がいたわ」 「僕がやっているというより雇った人がよく働く人たちでパリでもリヨンでもそれほど僕は働いていないのさ」 「それでもそれだけの物を建てるには小さな建物でも2万は掛かるでしょ。それだけ出せるのはざらにはいないわよ」 「いやそちらは会社が全部持つよ。君は食堂、カフェ、そして君が歌うための小さなカフェ・コンセールの管理をして欲しいのさ。あ、会計は別の人を付けるから働く人の管理と店を流行らせることに気を配って欲しいのさ」 「私にショウの女になれと言うの」 「違うよ、君とはあくまでも仕事のパルトネールだよ。レスプリ・パルトネールを守るお付き合いをしたいのさ」 「其れって、もうこういう事はしないと言うことなの」 「君が僕以外の男性を好きになるまでこういう関係も悪くないけど」 「もう、ショウはなんでそんなに冷静にものが言えるのよ」 ホテルへの道を歩きながら着替えないとセシールの香水が移ったなと袖を嗅いだ。 ホテルで金曜の朝までに洗濯すると言うので2着を頼んでおいた。 「今何時だ」 カフェを飲み終わる頃に降りてきて「さぁ行こうぜ腹が減った。朝軽く腹に入れただけなんだ」おお騒ぎで正太郎を連れ出した。 「何処へ行く」 「この間見つけたレストラン」 「へい、お久しぶりで。どこかへお出かけでしたか」 ランテルヌ街を右へ入りラ・バルモラールへ入った。 「ビールはあるかい」 鴨のロティにリヨンサラダ、オムレツを食べて2人で11フランだ、ワインを頼まないといい物を頼んでも食事代は安く、それでも11フランは街の中で稼ぐのは大変なことだ。 食事をしながらどこか行くかと言うとリドへ行きたいと言うので馬車で向かった。 26日の朝ラモンと食事を取ったあと、アランに会いに丘へ馬車で向かった。 夜の食事の約束をシェ・ママンでとして時間は7時というアランの声を後にメゾン・ド・ファミーユへ向かった。 「今回はあまりスケッチをしないんだな」 「今回は頭に叩き込むほうが先だ」 モンプレジールのジャンのギヨーバラ園の手前、線路の西側の小高い場所にその建物はあった。 施設長のメール・マティルドに来意を伝えてもらうと直ぐラモンと正太郎は中へ招じられた。 パリからの手紙は拝見しましたと来た目的も承知ですよとメールは眼を輝かした。 リヨンの紡績工場で働く貧しい人やメイドたちが産んだ、父親に認知されない子供を預かる施設でありその母親の健康、生活の援助にまで手を差し出していた。 正太郎が用意してきた500フランの手形と5フラン銀貨で300フランはこの施設の幾許かを助ける資金となるだろう。 「私どもでその家を訪問してよろしいでしょうか」 「勿論です。私は普段リヨンに居りませんが現在はメイドのアンヌ・レティシア・メイエが常時家の管理をしています。其れとマダム・マラルメがお嬢さんのエマと、ああ、マダムは普段クリスと呼ばせていますしメイドはレティです。マダムはいつも居られるわけではありませんが、元の大学通りのブティックで下着の作製を勉強されています。服は縫えるそうですが私どもの商品を作製できるように勉強中です」 「其れであなた方は迎え入れる人に給金を支払いながら勉強させると言うのですね」 「そうです。1日2フラン、授業をかねた仕事に8時間あとは自分たちの住まいなのですからその維持のために働かなければいけません。お針子として通用するだけの腕ができれば私たちのところで働くなり自立するなりも自由ですし、メイドのほうがよいという人はそれを選べば良いと思って居ります。あくまで自立の支援が目的なので其れを縛る事はありません」 「今は完全な体制が出来ておりませんのでマダム・マラルメに連絡をお願いします。私たちはパリからも5人無いし8人を引き受けるつもりで居ります」 「其れは私どものパリの施設でも知っていますか」 「まだ連絡は取っておりません。マダム・マラルメがいっぺんに其処まで出来ないと思いますので。其れとジャカールと手織り機を教えるのは老人ですが昨年までそこの家にいたジャポンから来ていた方々に教えていた方です」 待たせていた馬車でブティックに着くと馬車を帰した。 マダム・マラルメは2階でシルヴィからマシーヌ・ア・クードゥルでの下着の縫い方を教わっていた。 「ショウ、マダムはスリップ・ド・クストゥの手縫いは1時間でマスターしたわよ。今まで教えた方の中で最高よ、ほらマシーヌもこんなに線が真っ直ぐよ」 正太郎がメゾン・ド・ファミーユの話しをしてM.ジルベールのほうとで8人までは引き受けて欲しいと頼んだ。 「マダム教え子の人たちも同じですが完成品で合格したものには3段階で検査をして約束した手当てのほかに個別に5,10,20サンチームの手当てがつきます。4倍の時間をかけてもよい品物ができることを私たちが望んでいることを生徒さんに教えてください。数を望んでいるわけで無い事を徹底してください」 ジャネットはパリとは違うやり方で創めたことだが、お針子がコトンの上級品をハブタエと同じ価値に引き上げた裏にはこういうやり方をしていたと、モニクが報告していたのだ。 「そんなに手当てを出してやっていけるのですか」 「あくまで授産のためだけです。其れが生涯稼げる手段と勘違いしてはいけません。3年を限度、其れ以内に自立出来る人は次の人に機会を譲るべきだと考えていますのよ」 マダム・マラルメとジャネットにも1号館から4号館であと12人、今の2号館はレティを入れて3人だが後の3軒に4人ずつ住んで貰う様に話してそのためのル・リや生活用品の設備を充実してもらうことにした。 「ところでショウは社宅のほうは自分でやるの」 「ノエルの基金だからね、それに支払いは後4月1万フラン出来上がりに7000フランだからそれほど難しい話は無いし、お金は新たに口座を作って其処へ入れてもらえば済むし。今のところはお願いしなくともいいみたいだよ」 クレディ・リヨネ銀行へ向かい口座に34200フランのフランス銀行の手形で入金した。 新規口座をNoelle
Lemoyneの名前で開設し1300フランのモンマルトル・オランジェ銀行の手形で払い込んで代理人としてShiyoo Maedaで登録をした。 「此方はShiyoo Maeda様のサインでのみお引き出しとなりますが其れでよろしいですか」 「はい、本人から委託された証明書は此れです。リヨンでこの口座に振り込まれるお金について私に引き出しをまかされて居ります」 「小切手帳はどうしますか」 「この分もなくて結構です。面倒でも必要な時は足を運んで引き出しますので」 「なぁショウ。まだ17000フラン払うんだろ、どうして其れをノエルの口座に入れておかないんだ」 「支払いはぼくの個人口座から出して此処は受け入れ専門にするんだよ。1300もいらないけどあまり少ないと淋しいからね」 「よく判らんな口座に金が少ないからと言って風邪を引くわけでもあるまい」 「そりゃそうだ。此れも僕の何時ものやり方なんでね」 テルメ街へ出てマダム・アッシュ・アンジェルの上のカフェ・コンセール・マルメの前を左に曲がった。 「なにやら怪しい雰囲気の店だな」 店の前には不思議な絵の描かれた看板が掛かっている、腰みのをつけた黒人の女性が手を上に上げて腰を振る様子が描かれていたのだ。 「アランも知ってる店だから後でここに入るかい」 ローマ遺跡の脇道を上りクロワ・ルースの西の外れに着いた。 そこから左手にも広い道は続いているが市場は此処から東側で西は道は下りその先の崖からはソーヌ川が見えた。 2人は路地やトラブールを抜けながらテロー広場まで下ってカフェで一休みした。 「ショウは1人でリヨンにきたときも昼からビールか」 「まさか1人の時は淋しいもんさ。昼も晩もサラマンジュで簡単に済ませてるよ。昼間だってこんなにのんびりしたのは久しぶりさ」 「なぁ、ショウお前モニクにもジャネットにも言われたという家な。あのマダムたちの隣に建てたらどうだ。それにジャネットにセルヴィエットを預けにくいというが、いまさら金の出し入れがわかったところで困ることも無いだろう」 「そうかもしれないね」 「それに15人からの人間があそこに住むなら隣の空き地に4階建ての例のラ・コメット1号棟か2号棟程度のものも建てられるだろ、あの図面は見せてもらったが管理人にルモワーヌ夫妻のような料理人を置けば自立させる予定の孤児たちが料理も学べるぜ。所詮マダムは家庭料理だ。だが本職から学べば夫婦で店を持つのも可能だろ。女の子だけでなく男の孤児も沢山いるんだから相手も同じような身の上の料理人がいて不思議はあるまい」 ラモンにはジャネットにもその話しをしてくれと近くではあるが馬車を拾って店に急いだ。 ジャネットは店を任せるとバスティアンを呼んでバイシクレッテの店の3階で仕事をしている大工のM.ティラールを下に呼んで相談した。 正太郎が描く土地の見取り図を見てクールモランのあの場所は知ってると自分で見取り図を正太郎が言う土地の寸法で描き直した。 クロワ・モラン街の通り側が98mクールモランの側が40m其処から16m四方を塗りつぶした。 ガリバルディ通りは家の敷地が18mその先14mが今回買い入れた土地その先はまだレーモンの所有の家があるのだ。 正太郎にどの程度を建てるか聞いて紙を切り抜いて土地に当てながら正太郎の意見を聞いた。 「此れならどうです。ボアロー通りも18m残りますから後で建てるには18x55.5mありゃなんでも建てられますぜ。4階のレンガ作り、屋根裏部屋が必要でしょうね」 「そうです。1階は管理人室、家族持ちが入居可能の広さでそのほかに入居者のために大きな台所に食堂そしてトワレットゥ。20人は最低入れる様にしたいのですが」 「そうするとあと少し広げたいですねその今の家の空き地に張り出しても大丈夫ですかね」 2階以上は正太郎が話したラ・コメット1号棟と同じ6mx3mの部屋割りで各階に4部屋、通路2.4mで広く取り、階段は1ヶ所だが一番奥のトワレットゥ、ドウシュの脇から非常ドアが有り縄梯子で下へ降りられるようにしてもらうことにした。 「おいおい、ショウ自分の部屋はどうするんだ。あまり熱くならないで考えなよ」 M.ティラールは2階から上を5m引っ込めた処の北側部分はどうですかと提案した。 バスティアンはいっそ2階をマダム・マラルメの親子に住まわせて3階と4階をショウの部屋にすればショウがいない間は親子が寛げる場所になるし無駄がなかろうと提案した。 「では2階にもトワレットゥ、風呂場、台所兼食堂が必要になってしまうぜ」 ジャネットが今の話に3階にもトワレットゥ、風呂場で図面と予定価格を計算してとM.ティラールに頼んで話はまたと言うことになった。 「ところで何でラモンはあんなに強気なの」 「今日ぼくのリヨンでのフランス銀行とクレディ・リヨネ銀行の個人口座の残高を知られてしまったんだよ。だからShiyoo Maedaで出せなくとも自分で出すだろうと思われたんだろうよ」 「どのくらい掛かると思う。3万は見ておくようかな。来年この先に学生用のアパルトマンに1階にカフェとサラマンジュをと思っていたんだよ。そのための金をまた工夫するようだな。バスティアンが頑張ってくれれば来年M.アンドレがうんと言いそうな気もするけどね」 それで次は何時でてくるかという相談になった。 「そちらはマダム・デシャンがエメやサラ・ボードゥワンとうまくやってくれるよ。今年もシブーストが協力してくれてウフ・ド・パック200個にマカロンが800個もうお金は払い込んだし僕は今年いなくても大丈夫になってるんだ」 「それに今年はモンルージュの人たちも参加するから去年より回れるのさ、おかげでクストーさん夫婦にルモワーヌ夫妻そしてカントルーブ夫妻までが仕出屋に変身さ」 正太郎はジャネットにセルヴィエットを預けてラモンとシェ・ママンへ向かった。 ポン・ユニヴェルシテを降る船はもうランタンを灯していた。 マロニエ通りのシェ・ママンには7時に10分前に着いた。 2時間近くもかけて飲んで食べて料金は32フラン、大分ビールを飲んだ3人はふらふらしながら20分ほどかけてカフェ・コンセール・マルメまで坂を上った。 「明日はParisだよ。次はジュディ・サンに出てくるよ」 「すぐ出て来るようだな」 「そうなんだよ。特急ももう少し早ければ楽なんだがね。ディジョンで30分も待ち合わせするもんだから」 「そのうち3時間位でこれるようになるさ」 「まさか、そんなに早くはならないだろうぜ」 「まだでてるのかい」 「12時の鐘でねぐらに引っ込みさぁ」 「旦那もいい夢を」 「可笑しな爺さんだよな。前から来るよりいきなり路地から出てくるぜ」 |
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Paris1874年3月30日 Monday ラ・スメーヌ・サントに入り昨日のディマンシュから12日のディマンシュまで15日間学校は休みだ。 事務所で最近ピジャマの売れ行きがよいが自家製のものを売り出そうかと会議が開かれた。 どこか工場なり仕事場を確保する必要があり、どこかと提携でもしたほうがいいかもしれないと言うことになり、この話は先送りとなった。 「フラネレットの暖かいピジャマはまた冬に需要が増えるから夏用にハブタエで見本を作ってみようよ。テオドールにも話して幾つか型を作れば機会があれば沢山作り出すようにしても良いよ」 そのあと4人の役員会が開かれ今期からジャネットの役員昇格と報酬分配の話しになった。 「ショウはパーセンテージでやりますが今期から金額にしたら如何ですか」 「良いだろうね。Shiyoo
Maedaはこれから僕が1200フランでそのほかの人に600フラン。Paris Torayaは僕とエメと300フランずつでどうかな。其れとこれからも役員が増えたらShiyoo Maedaは600フランとして金額の改定は年1回、据え置きも引き下げもその時に決めて年2回の配当を行うことにしよう」 エメはParis Torayaだけの役員だが其れに賛成し、モニクとM.アンドレも賛成してジャネットを改めてShiyoo Maedaのリヨン担当役員と決めてM.アンドレが辞令を書いて正太郎に預けた。 メゾン・デ・ラ・コメット2号棟の3月の入居は空きが2部屋、まずまずの出だしだ、M.アンドレからエメに今月分ですと1285フランの手形が渡された。 エメは年内9か月分の地代900フランの手形をM.アンドレに渡した。 M.ギャバンはモンルージュの増築分は12280フランだと出てM.アンドレは「此れで大丈夫だろうがショウとノエルの決済を貰うから」とアランにノエルの了承を得てもらい、正太郎もリヨンから帰って了承したとM.アンドレに伝え2280フランを契約金として正太郎が立て替えて支払うことにした。 モンルージュは7月着工だ。 リヨンの孤児育成のアパルトマンの建設も、「此れですから秘書を連れて行ってくださいと言ったばかりなのに」と言っていたM.アンドレもラモンからの話しを聞いて快く了承した。 「百合根の分のうちの2フランはノエルのおかげで入るのですからショウが慈善にまわすのは仕方ありませんよ」とモニクも応援してくれたのもあるのだ。 Shiyoo Maedaからリヨンのバイシクレッテの卸し分だけで3月は12600フランになり開店以来105000フラン、バイシクレッテの店は開店以来37000フランの経常利益をもたらしブティックの分21000フランも合わせればブティック周りの買い入れた土地代69520フランは年内に回収できると言うのもM.アンドレの心を安らげていた。 2階への階段は幅2mで建物は道路側全体で20m。 店を開店したあと其れまでの保険に変えて新たに保険会社とジャネットが話し合い建物に12000フラン、商品に5000フランで月85フランの掛け金。 バイシクレッテ・バスティアンには見込みながらもう一度査定して替わることもあるという条件で10000フラン、10000フランの掛け金100フランとしてあった。 元の店は商品のみ3000フランで15フラン、倉庫の商品保険は3000フランで同じ15フラン、合計305フランが保険経費とされた 正太郎は全ての施設を同じように保険を掛けてあるのだ、横浜ほど火災は無いにしても保険に入っていない悲惨さをいやというほどみてきているのだ。 エメとサムディ・サンのお祝い配りが終わる時刻にはガール・デ・リヨンに何時もの特急で戻ると話して、日程の確認とお金の出入りの確認をした。 小三郎がやってきた。 野村は昨年6月に武之助がフーグリーで帰国して以来遊び相手がいなくて詰まらんと愚痴をこぼした。 ノエルに言わせれば「コサブローはソフィアにお熱なの。だけどミチはコサブローが好きみたいよ、難しい問題ね」だそうだが日本人のさがなのか口には乗せないようで、中々進展しないと教えてくれた。 正太郎が持っていけない事が多くなり、自分でメゾンデマダムDDまでジュレ・ロイヤルを取りにくるのだ。 正太郎はエメに相談して小三郎を誘ってLoodへ向かった。 ノエルにリヨンでの話しと新規通帳を見せ、写して来た建築の進行表を見せた。 「ショウ、百合根が商売になるのかい」 「薩摩や長崎で集めてくれる白い百合が一番で関東の山百合、後は鬼百合のオレンジが人気ですよ」 「そういえば小さい時は百合根となつめの入ったかゆをよく食わされた」 「しかし聞くところでは関税の事などで日本の商社が直に送り出せないのに、ショウはどうやっているのだ」 「横浜のマック・ホーンさんのスミス商会、バッフ・ゴーンさんのゴーン商会からフランス郵船を介して送る手続きで来ていますよ。二つとも私の会社と協力関係が有るので手数料は5パーセントで僕の荷は送られてきますので安く入るのですよ」 オランダ、イギリスでも百合根は人気で品薄なのだ、シーボルト以来輸入するのに喜望峰周りという欠点がスエズ経由と成り腐敗数が減りうまみが増したのだ。 正太郎が今リヨンで渡す5倍の値段がイギリスでの取引値段だとM.カーライルから聞いた。 薩摩からの小兵衛さんの手紙では百個で1円などと馬鹿にした値段で買い集めようとしたらしく1球50匁の重さを基準に10銭での買い付けをして防衛をしているそうだが、三菱は値上げしてもこの争いに入りこむ様相を見せだしたそうだ。 それでも50匁の百合根は横浜を出る時に5倍の価格になり途中での業者の儲けは大きいようだ。 「話しを聞くと簡単ではないんだな。徳川の腰抜け老中たちはとんでもない条約を結んだものだ」 「野村さん、あの当時の幕府は外交をまともに考えていないのですよ。外交交渉に1人も老中、若年寄りが立ち会っていないのですからね」 「何、ショウ其れは本当なのか」 「そうですよ、外交文書に署名したのは今なら外務大輔にも相当しない人たちですよ。其れに井伊大老は勅許がおりるまで調印は延期と命じていたそうですよ」 アメリカとの通商条約はハリスと日本側は下田奉行井上清直・目付岩瀬忠震が神奈川沖に停泊していたポウハタン号船上に置いて署名したのだ。 指揮を執ったのは外国奉行とされた目付岩瀬忠震、アメリカ・オランダ・ロシア・イギリス・フランスと安政5年6月(グレゴリオ暦1857年7月29日)から5ヶ国と次々に結ばれた修好通商条約には関税自主権が入っていないうえ外国人の治外法権を認めたのだ。 1ヵ月もしないうちに4ヵ国と、フランスとは1857年10月9日に結ばれたこの不平等な条約は全て岩瀬が調印しているのだ。 帰りの馬車で野村を降ろし2人はシャ・キ・ペッシュへ寄った。 31日の朝パリは暖かかった。 4月1日のパリは曇り、エメと事務所に向かい、リヨンで支払手形の金額をM.アンドレと書き出し、クレディ・リヨネ銀行の手形で用意して明日の旅立ちに備えた。 定時連絡とは違うのか薄い電信が届けられた。 「えっ」 ヴィエンヌからの出品物192箱マルセイユからのジャカール・カルトなどが失われた模様とかかれ吉田忠七は29日午前の時点で行方不明、上海で横浜直行のニールに乗船を確認、しゃちほこなど重量の重い大型貨物は上海に残留とされていた。 正太郎の眼から涙が止まらない様子にエメは電信を受け取りMomoやベティたちに聞こえるように読み上げた。 乗員乗客数、遭難者数、生存数については書かれてなかった、確認が取れてからの電信であろうと思えば忠七の生存の可能性は無いのだろう。 事務所で忠七の遭難を話しクリスへのお土産に羽子板を包ませた。 「そういえばショウはこのような日本物産を直営店で売らないのはなぜ」 モニクもM.アンドレも「そういえば店を開こうと今まで考えても見ませんでしたね」と言い出した。 「ねえ、リヨンにお店を出さない」 「明日、向こうでジャネットに相談してどこか借りられるか買い取れるか相談してみるよ」 「品物が少なすぎるよ。2人置いてやらせるにしてもまず品物を集めないとね」 電信の受け取りと更なる情報の連絡に、集めてもらう品物を書き出してダニエルとクラリスで発信局に行ってもらった。 「今度入った人は駄目かしら」 「エマですか、彼女子持ちでね、まだ幼いのですよ。1日以上あけるのは」 「ううん、あの若い娘」 「う〜ん、クラリスですかぁ」 「なにか問題でも」 「若すぎますよ、其れと」 「それと」 「ショウと2人で旅行に行かしてエメは気にしませんか」 「やだ、そんなこと気にしているんだ。私は気にしないわよ」 「それなら良いですがね」 「そんなに急でクラリスの用意ができるかな」 「私は何時でもでられます。したくはどのようにすれば良いですか」 「旅行服は持っているの」 「はい有ります」 「後はレストランへ入れる服に、ホテルで寛げる服を用意しておけば大丈夫だよ」 「リヨン駅ですね」 「モニク、休養日はディマンシュなのに頂いていいんですか」 「勿論よ其れとランディは事務所がお休みだから出てこなくともいいのよ」 待たせておいた馬車でジュリアンの店へ向かった。 眼はエメに似たはしばみ色になると傍でゲントから来た母親が自慢そうに抱きかかえた。 3月15日生まれで男子、ジュリアンの両親も会いに来てくれたそうでエメの母親はもうじきゲントに戻るのが名残惜しそうだ。 エメもタンギー画材店へ行きたいと一緒に丘へ登った。 エメは若い無名画家の絵を3枚380フランで買い入れた。 グーピル商会のテオという正太郎と同い年位に見える青年がやってきて、共同出資会社展の事をM.タンギーと熱く語りだした。 馬車を捕まえてエメはアパルトマンに戻り、正太郎はモン・スニからマルカデ街に降りた。 事務所で最後の打ち合わせをしてメゾンデマダムDDに戻りドウシュを浴びて夕陽が西の空へ傾くのを見て食堂に下りた。 食事が済み陽は完全に沈んでもまだ月は上がって来なかった。 墓地脇の階段を上がって頭を上げるとようやく丘越しに満月が昇ってきた。 ジュディ・サンの2日の朝6時に起きるとまだ月は西の空に有った。 8時にセディが呼んできた馬車でガール・デ・リヨンへ向かった。 指定席には夫婦と10才位の男の子が座っていた。 ディジョンで3人がおりていくとほっとした表情で「男の子が騒がないのはいいのですが、私の家族構成全てをしゃべらされたのには困りました」と手洗いに出て行った。 「社長はああいう時どうされますの」 「僕は相手の趣味を聞いてみるよ。ある人は自分の事を其れこそさっきの君のように全部喋ってくれるし、自分と同じ趣味がある人となら楽しい旅行になるしね」 「次は試してみますわ。それにしても時間が掛かりますね」 「其れでクラリスの楽しみは何」 「まぁ、社長は早速始めるんですか」 ドラクロアやルーベンスの事を話題に向けると活き活きと語りだした。 「ルーブルのマリア・デ・メディチの生涯の24枚には感動しました」 「あと2時間ほどで到着だよ。着いたらホテルにセルヴィエットを置いて直ぐ仕事だからね」 「はい社長」 16時15分に到着するとポルトゥールのアルバンが一等車の前で待ちかねた顔をしていた。 「いらっしゃいませ。今日は何泊の予定ですか」 「2泊でパリへ戻るよ。サムディ・サンの夜に約束があるのでね。此方のマドモアゼルは僕の秘書のMlle.フェリー」 「ようこそリヨンへ。マドモアゼル・フェリーお荷物は此方でお預かりいたします」 「30分したらここへおりてお出で。今日のところは服はそのままでね」 クラリスは丁度30分でおりてきた、馬車でブティックへ向かい馬車は待たせてまずマダム・デュポン&ナタリーと書かれた店につれて入った。 マダム・デュポンはシルヴィ・デュポンと言うことは伝えてありそれぞれが挨拶してデッサンを担当するソフィー・ナタリー・イルマシェ・リガールとお針子のアン・マティルドも紹介した。 ジャネットが手の空いている店員に次々紹介して「社長が無駄に買い物をしないように付けられた秘書のマノン・クラリス・フェリー」と紹介して回った。 「マダム・マラルメのところでクリスにお土産を渡してまた戻ってくるよ」 「3人のドゥモアゼルが集まったわ。ジャカールも揃ったしマシーヌも2台買っておいたわよ」 馬車でクロワ・モラン街の2号棟で親子と挨拶してお土産をクリスに渡した。 「空き地にアパルトマンを建てる話は聞いていただけましたか」 「はい承りました。でも子供たちと一緒にこの家のほうが気も休まりますわ」 「其れはいいのですがあなたが新しいアパルトマンへ移っていただけるとこの家にも4人の子供たちを引き取れますので。新しいアパルトマンにはレティの部屋も用意しますから此処には最大16人が入れます」 「そうでしたわ。判りました。それで図面を見せていただきましたがムッシューは3階へ直接入れないようですが、よろしいのですか」 「まだ図面はこれから見るのですが。2階からのドアの先に通路があり其処から僕の部屋へ入るほうが良いとM.ティラールが言っていましたし、ふだん居ないので3階から入るようには防犯のためにもしないほうがよいらしいです。あなた方が其れではお困りでしたら2階と3階を分けて作らせますよ」 「いえ、私たちはかまわないのですがムッシューが可笑しな噂を立てられてはお困りでしょうから」 「僕は出張が多い間借り人と考えてください。それでも後で考えが変わるかもしれませんのでドアをつけたうえで中から封印をしておき何時でも開けられるようにしましょう。レティに普段掃除をさせて4階はクリスたちの遊び場としてお使いくださって結構ですから2階からの階段は付けておきましょう」 「其れからメール・マティルド様がお出でくださいまして5人のドゥモアゼルを引き受けてくれないかとご相談でした。14才から16才の子供たちです」 「判りました、明日メゾン・ド・ファミーユへお尋ねいたしましょう」 生徒になった3人は16才が1人、後の2人は14才だそうだ、4軒の家は綺麗になっていてマシーヌやジャカールも埃ひとつなかった。 「今日は悲しいお知らせが有ります。実は忠七が行方不明になりました。ナタリーにはまだ話して居りませんがこれがジャポンから来た電信です」 「事故があった現場はYokohamaから蒸気船で16時間ほどの場所ですので其れだけ日にちがあると言うことは見つからない以上助かってはいないと思います」 ナタリーが帰ってきて「母さんなにがあったの」と抱き起こした。 正太郎とムッシュー・リガールが椅子に2人を腰掛けさせて「まだ遺体が見つからないと言うことは何処かへ流されてほかの船に救助されて遠い港に上げられた可能性もあるから」と慰めた。 正太郎とクラリスは工場を後にブティックに戻りジャネットとバイシクレッテの店に向かいバスティアンと店員たちを紹介した。 「M.ティラールは21850フランと刻んだ請求を出してきたわ。ドアを増やせば150フランくらい増えるかしら」 「屋根が乗ったら5000フラン、完成したら残金の清算。其れと家具の買い入れ資金は次回来た時にまた相談しょうよ」 「聞いてきた」 「メール・マティルドの話かい。アパルトマンも作ることだし引き受けようと思うんだ。明日には逢いに行ってくるよ」 「役員はジャネットだけだけど其れは会計責任者だからと言うことで勘弁して欲しい。バスティアンはエドモンと同じで支配人待遇と言うことしか今は報いて上げられないんだ。すまないが今はまだ我慢してほしい」 「良いわよ、夫婦なんだから2人で稼いでいるお金と同じよ。それにモニクに聞いたけどまだ私たちのほうが沢山頂いている上に、モニクやM.アンドレと違って住まいもただなんです物、言うことなど無いわ」 バイシクレッテの店を後にしてローヌ川を渡りマロニエ通りのシェ・ママンに入った。 「君お酒は飲むの、好き嫌いわ」 「お酒はすこししかいただけませんわ。食べ物は何でも食べますわ」 アンドレがやってきて同席していいか聞いたのでクラリスに聞くと「どうぞ」と席へ誘った。 「僕のお目付け役の秘書のマドモアゼル・フェリー。此方の紳士はムッシュー・ファロ」 食事代は正太郎が払うと「正太郎にクラリス共々ジスカールへ招待したい」と誘われ2時間だけと約束して出かけた。 11時になりアンドレに断ってホテルに歩いて帰るのも面倒で馬車を呼んでもらった。 3日のリヨンは春が駆け足でやってきたのがわかるほどジーンズで散歩にでたプレイス・マレシャル・リョーテイから上流、ローヌの岸辺も青々と草が茂っていた。 テット・ドール公園の西門は閉まっていたので其処から引き返し、ポン・ラファイエッまで川沿いを歩いてプレスキルに入り、ポン・マレシャル・ジュアンでソーヌを渡りホテルに戻った。 食堂に一緒に入り正太郎はクロワッサンに目玉焼きとカフェを頼んだ。 「昨日の紳士素敵な方ですね」 「アンドレのことかい」 「ええ、教養もおありだし歌もお上手だし」 「それにスポーツマンだよ」 「あら、そうなんですか。素敵だわ」 どうやら一目惚れでもしたようだ。 「それで社長今日の予定は」 バイシクレッテの店で飾ってあるバイシクレッテを見せて「これはアンドレが先月マルセイユで優勝したバイシクレッテ」と教えて中へ入りマルセイユから送られてきた新聞と写真を見せた。 ポールにユベールも同じレース仲間だと教えると尊敬のまなざしで見つめるクラリスだ。 「昨日シェ・ママンでアンドレにあってね。そのあとジスカールで奢ってもらったんだよ。彼上機嫌でね。バイシクレッテの事は言わなかったがマドモアゼルはアンドレがお気に入った様なのさ」 「ショウ、今日は忙しいのですか」 「夕方までには仕事は終わるよ」 「其れでしたら僕たち2人とアンドレでクラリスを招待して良いですか、リヨンらしいお店を紹介しますよ。これからもリヨンへこられるなら最初にいい店を覚えて欲しいですからね。でも決してシェ・ママンやジスカールが悪い店ではありませんよ」 「いいよ、其れはクラリスの時間外なのだから彼女に頼むんだね」 ブティックでジャネットにはクラリスから今日の予定を話してもらいマダム・マラルメがオドレイからキャミソール・デ・マリーを教わる様子を見てバラ園へ向かった。 今日もギヨー老人は元気だ。 マルセイユへ3月25日に到着したフグーリから降ろした5万球は検査に49910球が合格した。 ジョセフが入って来て百合根の送付箱の設計図と見本を見せた。 「パリの事務所に2組送るからYokohamaへ送って秋には使える様にしないか」 「ひとつの段に100球、ひとつ500球の荷だよ。此れなら等級が違うのも種類が違うのも一目瞭然だ」 大分と苦心したようだ。 「明日にもパリへ送っておくよ。それから聞いたか」 「えっ、なにをですか」 「ロンドンで百合根がオークションで100球出たそうだ。送り主はYokohamaのクラマー商会、取引価格は220ポンド、1ポンド25フランだと5500フランだよ。ひとつ55フランだよ。呆れた値段だ。我々の優位は変わらんよ。M.ジュイノーも大喜びで知らせてくれたよ。これが向こうの新聞だ」 その新聞を読むとジャパンから500の百合根が送られたが210が無事にロンドンに着き290が痛んでいたと報じられていて入手困難と煽っていた。 正太郎が「この商社も10パーセントほどの破棄率になれば大きな数を輸出してきそうですね」と老人に言った。 「君はイギリスの新聞も苦労なく読めるのかね」 「フランス語ほどでは有りませんが専門用語以外なら何とかなります」 「そうか60パーセント以上も使い物に成らんではしょうがない話だが10年もたてばわしらも危なくなるだろうな。でも仕入れ価格が倍までなら向こうが100パーセントの数字を出しても大丈夫だよショウ」 3月25日到着分合格品4万9910球 仲卸 ギヨーバラ園 6万フラン。 今回分より3800球卸売り売価30フラン Shiyoo Maeda 7万6950フラン。 ギヨー 3万7050フラン。 残数6110球 「驚いたかい、30フランですでに3800が売れたよ。此れもそのロンドンの値段のおかげさ。ショウがあの時うちの百合の花を見てくれたのがこんないい商売を引き寄せてくれたんだよ」 ジョセフもこの勢いなら残りは今月中に売り切れさと胸を張った。 ギヨー薔薇園は今回の計算表からだけでも9万7050フランが手に入り自分の買い受け分の金額を差し引いて11万2950フランの出費しかなかったのだ。 ロンドンの消息を知ればギヨーバラ園とM.ジュイノーのところへ多くの引き合いが有るのは目に見えていた。 モニクでなくても勘定が出来なくなる金額だ。 其処には肩をおとしたM.ジルベールもいた。 工場を出てレーモンの工場に向かった、工場の裏手の道沿いには家を建てる大工が大勢忙しく働いていた。 「あの忠七が行方不明か。ジャカールにカルトも海の藻屑か」 「機械が引き上げられればいいのですが其れも今のところわかりません。忠七さんとカルトに器機が無いと、先に着いた分だけでは仕事がはかどらないでしょう」 レーモンと社宅用地に向かいすでに基礎から立ち上がる家があるのを見て「仕事が速いですね」と話しをふった。 「あそこはこういう建物が得意なのさ。そりゃいいものも建てるが、安物の家でも見栄えがよくて住みやすいと言うのがあそこの売りだから」 馭者に川沿いを回ってベルナール通りのメゾン・ド・ファミーユへ向かって貰った。 施設長のメール・マティルドは暖かく2人を出迎え、正太郎が紹介したクラリスには「秘書というお仕事大変でしょうが、体に気をつけてお働きなさいね」と優しく言葉をかけた。 「いい家でしたわ。働くレティという娘も気立てがよいし、先生のマダム・マラルメも素敵な方でした。あの方にお預けする娘達は幸せですわ。M.ジルベールとM.アルカンのお2人も立派な紳士でよい技術を持たれている事は私たちの知り人が教えてくださいました」 「あなた方がこのまえ見てきた家の持ち主のムッシュー・ Maedaです。パリへお住まいなので普段はリヨンには居られませんが頼りになる方ですわよ」 「僕の名前はショウ・マエダですが。会社の人たちはムッシュー・ショウといいます。あなた方もショウと私を呼んでください」 「何か誓約書のような物を書いて出しましょうか」 「いえ貴方の事は色々な方から聞いて居ります、信頼できる方と信じて居ります。ただの慈善だけでなくご自分のご商売にも役立つ方を養成してと言うことは、一時の感情だけでなく長続きするお付き合いを出来るお方と信じられますわ」 馬車はそこで帰して2人で店に入りパスタ・エ・ファジョーリ(豆とパスタのミネストラ)とヴェルミセルをラグー・ド・ブフで食べたいと何時ものように頼んだ。 「ビールはいいのかね」 「クラリスは」 「私も頂きます」 「さぁて、食事をしたら散歩をかねてお店探しだよ。ここはリヨンのパール・デューという駅の裏側、此処からホテルの間の3キロほどを歩いてよさそうな場所を見つけるんだよ」 其処から丘を降りメゾン・ド・ファミーユの周りを回りこんでテット・ドール通りへ出てヴァンの脇から駅へ向かった。 クラリスには曲がり角のたびに今何処にいるかを教えた。 ヴィットン通りからクール・モランを通り抜けてプレイス・マレシャル・リョーテイに出た。 ポン・モランで見るローヌ川は水量を増していて遡る船足は遅かった。 グルネット通りに入りポン・マレシャル・ジュアンで旧市街に入った。 アランにクラリスを紹介して「彼女は今晩他に約束が有るから僕と飯でも食うか」と聞くと二つ返事で7時にシェ・ママンだと来た。 「そういえばクラリスは何時か約束したのか」 「あら聞いていませんわ」 「ショウはどうするんですか」 「僕は今アランとシェ・ママンで飯と決まったよ、その後はたいていジスカールかリドじゃないか」 待たせた馬車でホテルに戻りクラリスとまた明日は8時に食堂でねと分かれて部屋へ入った。 サムディ・サンの朝、散歩から戻り荷造りを済ませると8時丁度に食堂に下りてクラリスと朝の食事をしながら今日の用事を話した。 列車は遅れもなくガール・デ・リヨンに18時35分に到着。 Momoとベティに手伝ってもらい荷物の整理とお土産のクッサン・ド・リヨンにココン・ド・リヨンとアーモンドショコラを渡した。 ドウシュを浴びて着替えると馬車屋まで歩いてエメのアパルトマンに向かった。 「食事は」 「ショウがご馳走してくれるかと期待して待っていたわ」 2キロも無い道だが馬車で行くことにした。 店は今夜も繁盛していた。 「今日は去年より4ヶ所も多くウフ・ド・パックが配れたわ。シブーストも300のマカロンを下さって助かったわ」 「去年のように最後はランディ街のクリシー孤児院で歌って踊って楽しかったのよ」 正太郎とエメは馬車をヴォワチュリエに頼んで呼び寄せ、ヴァレンティノへ向かった。 3回目の舞台が始まる前に席に着くことができた。 舞台がはねるとロレーヌが席へ着いて興奮した様子で今日の出来事を正太郎に話した。 「明日シャ・キ・ペッシュで8時に食事をするけど」 「いくいく、行きますとも」 今日は最後までいてくださるでしょとロレーヌがエメを口説いていると中江が西園寺とやってきた。 西園寺にシャンパンとソシスにサラダを頼み中江にも後何か頼もうかと聞いた。 「ついに帰国命令が来たよ。6月5日のマルセイユ発の便船で帰れと期日も指定された。そのあと自費で留学するなら帰国費用は出さないと長田書記官から通達されたよ。あと二月だよ」 ロレーヌは仲間のナタリー・モーリアをつれて席へ来てターブルは賑やかに成った。 2時の合図をエメがしてきたので正太郎は勘定書きを取り寄せ78フランに22フランをチップだとセルヴィスに渡して席を立った。 「次は何処だ」 正太郎達の馬車が前を走りコンコルド広場からコンコルド橋を渡りサン・ジェルマン・デュプレでポナパルト通りへ入り、教会の前で二人が降りるのを見て中江は窓から顔を出すと「帰るまでには朝まで飲もうな」と怒鳴って馬車を出させた。 サン・シュルピス教会ではラ・ヴェイエ・パスカルが夜通し執り行われジェジュクリ(Jesus-Christキリスト)のレズュレクシオン(resurrection
復活)を祝った。 「ジュワイユーズ・パーク(Joyeuses
Paques復活祭おめでとう)」の声を交わしながらアパルトマンへ戻り去年と同じようにジュディッタとリュカに迎えられて朝食の仕度をした。 ディマンシュ・ドゥ・パークの2時、正太郎とエメはカフェ・クレームを入れて寛いでいた。 「そうか」 「どうかした」 「去年のパークだよ。モンルージュを買おうという相談を君とした日さ」 「そうか、此処で話しをしたのよね。えーと去年は13日だわ」 夕方まで寛いで2人はボン・マルシェに出かけた。 買うでもなく店内を見て周り6時半ごろに店を出てバック通りをはさんだ聖ビンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹修道会へ入った。 暖かい風が吹いているセーヌには観光客を乗せた遊覧船がのどかに下って来た。 橋を渡りカルゼール凱旋門から沈んでいく夕陽を眺め、ポン・デザールで左岸に戻り、サンミッシェル河岸のシャ・キ・ペッシュへ向かった。 ロレーヌはすでに来ていてワインをソシスで楽しんでいた。 「私にも同じもの」 「ロレーヌは料理を頼んでいなかったの」 「お兄様とお姉様が来てから頼む予定だったもの。聞いてくださらないんだもの」 「その顔を恋人にみせればいちころだな」 「そんなのいないもの。そりゃお誘いをしてくださるお客様はいますよ。でも恋人なんかにならないもん」 サンジャック通りのではずれに有るバール・ア・ユイトルの前では今晩もランタンの下でエカイエが働いていた。 「美味しそう」 「お嬢さん新鮮な牡蠣だよ。今朝ブロンから来たばかりさ。此処では毎日入ってくるんだよ」 「今食事をしてきたばかりなの。明日のお昼は開いているの」 「11時半から3時まではお昼の時間だよ。勿論明日も開いてるよ。予約したほうが良いよお嬢さん。生牡蠣はあと2週間くらいだよ」 ロレーヌは2人を見て正太郎の袖を引いて「ねえ、明日のお昼は此処で」と甘えた。 「勿論よ朝に食べても大丈夫よ」 「では3人で予約して」 「メールは」 サン・ジェルマン大通りへでてカルチエ・ラタンをボナールの写真店の前まで来た。 「明日の晩は此処でサラ・ボードゥワンも交えて8時から食事会だよ」 ロレーヌは「なぁんだ、それならあそこで教えてくれてもいいのに」 「わぁ、凄い贅沢」 エメが「Paris Torayaから私に役員手当てが出たからそのおすそ分けよ。メールには時間を教えてあるわよ」とロレーヌの手を取って「沢山食べて良いわよ」と優しく言った。 「このお部屋は始めてよ。落ちつていい部屋ね。お姉様はお金持ちなのね」 「此処は伯母が使っていた部屋よ。私が買ったのはその暖炉の上の絵とショウがア・ラ・シベッテで買ってくれたタバチュールに今使っているセーブル・ブルーのカフェ・タッセくらいなのよ」 翌日はロレーヌが11時にアパルトマンまで来て其処からは歩いてバール・ア・ユイトルへ向かった。 牡蠣のオムレット、牡蠣のグラタンだけにして店を出て、すこし物足りないというロレーヌに「今あまり食べると夜の楽しみが減るよ。緑の牡蠣を楽しみに待つんだよ」とさとした。 プティ・ポンを渡ると日曜のはずのシテ島の小鳥市が開かれていた。 市場の外れの店で聞くと「一年でこの日は特別にいろいろな業種が共同で開いているんだよ。向こう側にはガラクタ市に端布の市場もあるよ」と教えてくれた。 ロレーヌは馬車で一度家に戻り「8時にお店で」と2人に手を振って別れた。 海で育った牡蠣はクレールで最低2カ月間成熟させスペシャル・ド・クレールの名前の上級品。 ブロンの1号と同じ値段だ。 此処は表にエカイエを置いていないし、本当は予約を受け付けないのだがエメやサラ・ボードゥワンと孤児のための基金集めに賛同してくれている1人なのだ。 店の中では威勢のよい若い衆が牡蠣を剥いていた。 一人12個で頼んだラ・カバンヌ・ド・ユイトールはシトロンを絞り落として食べたが正太郎の半分はロレーヌに分けた。 「お兄様は牡蠣をそれほどお好きじゃ無いの」 「数は食べられ無いけど好きだよ」 「一晩で72個なの。呆れたわ」 ロレーヌのためにサビーナに入り4人でシュークルート・ガルニを3皿とミュスカを頼んだ。 此処もエメが勘定をして親子は馬車で帰った。 |
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2008−09−15 了 阿井一矢 |
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