酔芙蓉 第一巻 神田川


 

第二部-3 お披露目

お披露目・大横川・首尾の松・多喜川

 根岸和津矢(阿井一矢)

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

       

・ お披露目

朝早くから福井町では勝弥のために総出で支度が始まります。

この日のために特別に仕立てた留め袖は、裾に鮮やかな揚羽蝶を散らし髪には卯三郎さんから頂いた紅色の櫛、簪は京の町から取り寄せた竜宮をまねた鼈甲の後ざし、江戸のもので銀、四分一のぴらぴら簪の前挿し、鯛が泳ぐように歩くたびにゆれて見事に映えます。

つぶし島田に素足の深川の粋を伝える工夫があちこちに施されて勝弥が座敷で草履をはくと皆が座ってホーッと歓声を上げます。

特別に来てくれている髪結いのおたきさんにも「これならどこに出しても恥ずかしくない別嬪さんだよ」とたいそう褒められ、おきわさんが「サァいきやしょう」と格子戸を開けたのが四つの鐘が鳴り響いたすぐ後です。

表には箱屋の源司と仁助にとびの若い衆が二人待っていて、源司が今日の口上を述べて回ります。

まずは町会所で、旦那衆に挨拶、川岸を上(かみ)から下(しも)へ料亭を回ります、道順はあらかじめ決められた順路で料亭を廻り、「お披露目でござい、新しく出ますかつ弥でございます」

そうして印ものを配り次の店に挨拶に回ります。

柳橋を渡り柳原同朋町で休み場所に決めてある芸者屋の松やで帯を直し、吉川町、米沢町と一気に廻ります。

初音家に戻ったのが七つ半、息をつく暇もなく、風呂で磨き髪を結い直し、衣装も着替えて、河半におきわさんと出かけたのが暮れ六つの鐘が響く中という強行軍。

蔵前の淀屋さんがお座敷に入る前にと急いで店に入り、脇座敷に控えます。

淀屋さんは虎太郎が世話になっている勝先生の紹介で知り合い大層贔屓にしてくれております。

「お呼び頂きありがとう存じます」「はつの御目見えで無調法はお許しください」

それぞれがお礼の言葉を述べ淀屋さんと卯三郎さんの近くによりお酌をいたします。

卯三郎さんはきょうくることも内緒にして驚かそうとの算段でかつ弥もおきわも驚いています。

「ヤアヤァ驚いたかい、コタさんにも話さないように淀屋さんに内緒にしてもらっていたんだよ」そういって「あの櫛を早速挿してくれてありがとう」すぐに身の回りの品に眼がいく卯三郎さんでした。

お座敷も一通り挨拶が済み時間が来てお開きとなり初音家に戻り明日挨拶の残りがあるか打ち合わせに余念がありません。

 

「コタさんは来なかったね」

「あたいも淀屋さんのお座敷にこられるかと思ったよあの薄情もん」

「おなたは何を言うのやら、今日からはコタさんだってあなた達をそう簡単にお座敷に呼び出しちゃくれないよ」

「あんたは芸者という商売を始めたんだ、そういうことはおつねさんがしっかりとコタさんに教えてここに顔を出してもお座敷で顔をあわせない工夫をするのが本当さ」

今日の為の掛かりと仕度に忙しく深川、神田、と飛び回り忙しいはずのコタさんはたあさんと近くの鰻やで一杯やって門出を祝して帰ったことはこちらでは知らない話。

「なんにしてもめでたい」

「左様で、やっとこれで肩の荷がおりやした」

「それでコタさんはお座敷に呼んでやらぬのか」

「ハイ、そういう風におつねさんも言いますし、自分もこれ以上でしゃばらねえほうがよろしいかと思います」

「お披露目が済んだばかりのお酌に色がいたら困るもんなぁ」

「たあさん、色はねえでやんしょう、あっちは唯の知り合いで、後見してる人たちに厄介になっている若造でござんすよ」

「うぁっはっは、コタさんよおめえさんから若造なんぞと聞かされると寒気がするよ」

「そりゃいけやせん熱いのをたんとお飲みなさいやし」そういって替わりの銚子を運ばせます。

日も暮れて花散らしの冷たい風が吹く中を、例によってぶらぶら歩いて和泉橋で別れ家に戻ります。

土手の八兵衛さんの前でなにやらもめている男女が別れて此方に逃げる女「アレコタさんちょうどよい」

「なんとお春さんかよ、どうしなすった」

「またあいつがしっこく呼び出しを掛けやがって、うるさいからこれっ切りにしてくれと愛想尽かしに出てきたのさ」

「かまわぬほうがよいのに、困ったおてんばだ」

「何かいコタさんは困っているあたいをほっとくのかい」

「困ってる風にはみえねえがなぁ、それに今日は地回りもいねいじゃねえか」

「新門のほうから手が回って、あたいに手を出すやつなんかいなくなったけどあいつが未練たらしく言い寄るのがいやなのサァ」

「仕方ねえ送っていくかい」言いながらも足は和泉橋を渡り鳥越明神に向かいます。

昨日も送った家を通り過ぎて、門口になにやら家業を現す雰囲気の家に入り「今戻ったよ、お客も一緒だからそうおとっさんにいっとくれ」

座敷にとおると貫禄のある50過ぎの親父「オイ、コタさんじゃねえか」よく見れば淀屋さん出入りの人入れ家業の丸高屋さん。

「ここは元締めの家でしたか、それではお春さんはお嬢さん」

「ハッハ、こいつはお嬢さんなんてたまじゃねえですよ、かつ弥さんのお披露目にはいかねえでいいんですかい」

「今日も明日も座敷とは縁無しでやすよ、さすがに今日は近くで知り合いと影での祝いをしてきやした、お座敷は淀屋さんが適任でござんす」

「では、穂積屋さんが旦那とかつ弥さんを呼んでなさることもしらねえですかい」

「オヤ、穂積屋さんは何も言っていませんでしたがね、にぎやかしにおいでくださったのでしょう、何事にも親切が売り物の方ですから」

「さいでがすな、うちの姉娘もあの方に大層贔屓にされておりやすから」

「どこかでお座敷にでも出ておられますか」

「ほれあの紫胡蝶」皆まで言わぬうちにお茶を持ってきたお春さんが「あっ、おとっさんのおしゃべり」あとから入ってきたよく似た娘が「ほれごらん、おとっさんに内緒ごとなど無理な相談だよ」二人を比べてみれば少し年に差があるかなというくれいでよく似た二人。

「エッどういうことなので」

「あたしがお夏で、胡蝶でござんす、そっちは妹のお春」

「というとてっせんにはお春さんが来ていたので、まさかお夏さんではないでしょうね」

二人でしばらく笑っていたが「あの日はこのお春がすりや置き引きを見張りに袖で見張りをしていましたのさ、若旦那の誘いの手紙がどうしてかこの子が見てしまい、姉さんがいやならあたいがいって断ってくると、止めるのも聞かずにいきました」

「左様でございますか、それで舞台より外では若く見えましたか」

「おきづ気になられましたか」

「はい、しかし身のこなし声があまりにもそっくりなので見間違えました」

「あの大きい方、あの方も間違えたので姉さんの真似でご挨拶いたしやしたのさ、前にすりに狙われていたこともあってご注意しましたが、余計なことのようでござんした」

「たあさんと申しますが、あの方もお春さんたちは何か武芸を学んでおりそうだと申しておりやしたぜ」

「オオ見抜かれましたか、こいつらにとっては師匠の一蝶、あれは私の弟ですが琉球渡りの手ぇを学んでおりやして、こいつらがちいせえ時から転ばしちゃ跳ねさせと何くれとなく仕込んでおりやした」

「合間に教えた手褄が今ではお夏の家業でござんす、普段は奥山の小屋で興行しておりやすが、この春は両国に来てくれと言うので一蝶ともども出張ったんでござんす」

「はて、一蝶さんはどこに出ましたか」

「ハハァ、あの年寄り癖え扮装にだまされやしたか、独楽で少し時間稼ぎをしていた爺ぃでござんすよ」

「あの方が師匠でしたか、完全に年寄りに化けておられました、そういえばお春さんもお夏さんに化けたりしていますのは師匠譲りと、とと」お春にまたも腕をつねられ最後まで言わぬうちに「誰が化けてるってさ、あたいたちは似てるだけだ」

「それでも胡蝶さんと昨日の町娘は似ても、にに」つねりがつよくなりました。

「よせよせ、ぜんてえお春は、気に入った相手をつねる癖があっていけねえ、コタさんごめんなさいよ」

「だって化けてるなんてばかにおしでないよ」

「それでもよ二人で今年の正月に芝と浅草に別々に同じ扮装で初詣に行って、人を化かしてきたじゃねえか」

「アレは一座のために仕組んだ余興じゃねえか、それとこれたあ違うよ」

親子で言い合いをしてるのをニコニコ見るお夏さんは「まあそれくらいにしなさいな、お客さまが驚いてらっしゃいます」

「今日も私の振りで出かけて若旦那に愛想ずかしをしてきたんでしょ」

「なぜ判るよ」

「昨日とは着付けが違いますよ、それに眼が殺気立って出かけましたよ、気をつけなさいよ」

「それで平気で一人で出しましたか、大丈夫ですか、かか」

「かとはなんだよ、かとわよ」手のほうが早いお春さんです。

「あの若旦那もう来ないでしょうよ」

「なぜ判るよ」

「このうちに入るとき後から来てたから、どのようなうちか判ればもう手出しはしないでしょう」

「後ろに眼がないのにそんな事がわかるかよ」

「気になるなら誰かをやって近くの店に、こういうのがここの事を聞きに来なかったか、聞かせにやればわかりますよ」

「それなら兄さんに頼んでこよう」そういっておくに入りしばらくして戻って。

「そうだってよ煮売り屋の爺さんのところで酒を飲みながら家の様子を窺ってあれやこれや聞いてったやつがいたそうだ」

「やはりコタさんは千里眼だあな」

「なんだいそれはおとっさん」

「ウ、それわな、このコタさんが商売のことなど先のことをさまざま言い当てなさるからそう言われているんだそうな、淀屋のだんなも信頼していなさる」

「そんなら、あたいがほしがった櫛も必ず金が入ると思いなさったかえ」

「それとは違いますよ、信用できそうな方と無理な方とは見分ける事ができるだけでやすが、千里眼とは違いますよ私にそんな力などありやせん」

しばらくあれこれと話した後「またおより下せえよ」という言葉を聴きながら家に戻る虎太郎でした。

 ・ 大横川

但馬屋さんのご隠居と吉野屋さんのご隠居お二人の主催で中秋の名月を楽しむ会合が、入舟町のおか喜で催されました。

おはつさんとのお別れ会もかねています。

昼間は、但馬屋のご隠居の家で杯ごとが行われました、吉野屋さんはご隠居と呼ばれるのにまだ慣れていませんで呼ばれても自分のことと気が付くのに時間がかかります。

「鶴屋さんおめでとうございます、陽気はまだまだ暑いですが道中にはよい時期かもしれませんな」

「ハイ、この時期が一番街道を歩くにはよい頃でございます」

おはつさんとこれが最後かも知れぬお別れも、めでたい門出にふさわしい月夜になりそうで集まる面々も浮き立つ気持ちを隠せません。

「ご両親様にも掛川においで頂けることになり、まことに嬉しく存じます、これもひとへにコタさんのおかげでございます」

照れて頭をかくしかないコタさんを置いて爺さん連中は口々にコタさんを褒めるので穴があれば入りたいくらいこそばゆい虎太郎です。

明日の四つ前には深川を立ってその日は川崎どまり、時々は歩きながら鎌倉、江ノ島と名所めぐりをしながら箱根の湯本で3日休み、箱根をこえて三島まで足を伸ばすのが一番の強行軍というゆったりとした旅。

掛川まで13日かけてたどり着こうという遊山旅。

お金ちゃんは就いていかない代わり新しく掛川付近の菊川から来ていた人を見つけて来たのは、河嶌屋の番頭さん。

いま15ですが愛くるしい目のくりくりっとした愛嬌もので名はお奈よ、父親がなくなり「江戸に未練はござんせん」というので二人の年寄りの手足となり面倒を見ることに決まりました。

おか喜までぞろぞろと歩いて移動して、広間で騒いで、江戸の月を見てお別れしようと言う算段。

「いヤァすごい盛況で驚きます」たあさんも呼ばれて来ましたがご本人が上座はご勘弁と花婿花嫁に譲り、虎太郎と脇座に座り込みます。

いかにお侍とはいえ皆が顔なじみの面々、遠慮も最初のうちだけ。

かつ弥におきわ、松葉やさんのかねにすみも来て、残り少ない深川に住む芸達者な者も呼んでの大盤振る舞い。

暮れ六つには月も煌々と輝きだして、江戸湊にその姿を映しています。

かつ弥の三味でおきわがうたい、お金とおすみが踊りましたのは。

 

♪ 銀のびらびらかんざし(端唄)

銀のびらびらかんざし 誰に買うてもうろた
ちょいとちょいと おとっつあんの江戸みやげ

銀のびらびらかんざし 誰に買うてもうろた
ちょいとちょいと おとっつあんの江戸みやげ

 

♪ 芋頭(端唄)

世の中に めでたいものは 芋頭
子に子ができて 孫抱いて 成人すれば
末広の 朝は 黄金の 露宿るらん

 

踊りも面白く続き、次はお金の笛とおすみの太鼓で賑やかに深川勢が踊ります。

♪ 四季「江戸小唄」

春の野に出てサ 白梅 見れば サーヨオィ
露に びん毛がサ いよみな濡れる
よしてくんさい おぼろ月

夏の夜に出てサ 蛍狩りに サーヨオィ
露に 団扇がサ いよみな 濡れる
よしてくんさい お月さま

秋の夜に出てさ 七草つめば サーヨオィ
露に 小褄がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 女郎花

冬の夜に出てサ きぬたを聞けば サーヨオィ
露に衣がサ いよみな濡れる
よしてくんさい 寒念仏

 

賑やかに宴も進み、最後の歌も終わりお開きとなりました。

最後は歌沢で吉野屋のご隠居でした。

 

♪ 浮き草 (歌沢)

 

浮草は 思案の外(ほか)の 誘ふ水
恋が浮世か 浮世が恋か
一寸(ちょっと)聞きたい 松の風

問へど答へず 山ほととぎす
月やはものの やるせなき

癪(しゃく)にうれしき 男の力
じっと手に手を なんにも言はず
二人して 吊る 蚊帳の紐 
 

 

宴も終わり柳橋の4人はここに泊まります、ついてきたお金ちゃん箱やも部屋が与えられ、そのほか川向こうの面々も近くの宿屋、隠居所などに分散してお泊まりして鶴屋さんの一行をお見送りします。

 

夜が明けて但馬屋さんの家に集まった面々が鶴屋さんを送りに高輪まで付いてゆきました。

「おはつさんからだには気をつけるんだよ」おつねさんが名残惜しそうにこまごまと話しをし別れの昼餉を楽しむまもなくついに別れの時間が来ました。

時間に合わせてきてくれた岩さんが六郷まで行くというので、虎太郎とたあさんもついていきました。

おきわさんとかつ弥は時間に縛られているので仕方なくここでお別れ、言葉に尽くせぬ気持ちを歌うことでお別れの挨拶にしました。

やはりこの歌かねと決めたのは。

♪ 芝で生まれて (端唄)

 

芝で生まれて神田で育ち 今じゃ火消しの アノ纏(まとい)持ち

 

金の中にも要らない金は かねがね気兼ねに アノ明けの鐘

 

離れ離れに歩いちゃいれど 何時か重なる アノ影と影

 

お月様さえ泥田の水に 落ちて行く世の アノ浮き沈み

 

嬉しがらせてそれゃ真心か 兎角女は アノ迷い勝ち

 

憎い人じゃと言うては見ても 濡れた昔が アノ忘らりょか

 

鶴屋さんと手代、小僧さんが二人、お奈よちゃんが歩いて、留蔵・お年のお二人とおはつさんの親子三人は籠ですが、時間があるときは出来るだけ歩きます。

六郷にきても舟がすぐに出たので、川崎までついて行きました。

船を下りて茶で一休みして、ここでついに際限がないのでお別れ、長い間世話になった虎太郎も掛川までおくるわけにも行かずついに諦めて帰ることにしました。

まだ日も高く秋の陽気に浮かれて男三人が馬鹿っぱなしをしながら道を急げばたちまち高輪まで戻ります。

芝で一休みするまで一気に足を伸ばしたのでまだ七つ半、家についたのがもう暗くなったが五つ前ですぐ三人で辰の湯で汗を流してそばをすすり、酒は軽く仕上げて仕舞いとしました。

たあさんが二日屋敷を明ければ困るのですぐ帰りましたが、夜もふけるまでお京さんが話しをやめないので虎太郎は若い衆と雑魚寝になりました。

 ・ 首尾の松

今年の後の月見は、深川で行われていましたが、虎太郎は用事を理由に参加しませんでした。

塾の帰りに虎太郎は、常盤橋ご門内に若様をたずね塾のこと横浜のことなどをお話し、此れからの日本についての勝先生の意見などについて話しをいたしました。

お世継ぎとして兄君の御養子になられて、資美様と名乗られることに為りました。

暗くならないうちにお屋敷を辞去して、帰りは神田橋御門からでて、鎌倉河岸から雉町の養繧堂さんで、お琴と共に月が上るのを見ました。

虎屋に顔を出すとお春さんが来ていてこの間の勘定の清算をして虎太郎が帰るのを待っていました。

「遅かったじゃねえか、かえりそびれて暗くなったから送ってくれよ」

おつねさんが「コタさん、もてて、持てて、てえへんだぁ」

虎太郎はそれを無視してお春ちゃんに「何を言ってんだか、暗いくれえなんでもねえんじなかったのか」

「何かい、コタさんは若い娘が一人で浅草に帰るのにしんぺえじゃねえかよ」

「まいるなぁ、仕方ねえ送ってくるよ」

「こんないい女と歩けるのに何が、まいるだよ」自分で言うお春ちゃんです。

「送ってくるから帰りは裏に直接寝にいくよ」そうおつねさんに断ってまた外に出ました。ちょうちんを下げて柳原土手を下り、新橋を渡ると「大川に出て月を見ようぜ」そうお春ちゃんが男言葉でいって先にどんどんと歩きます。

「そんなに急ぐと、ちょうちんがまにあわねえよ」

「月があるからでえ丈夫だよ」そういう頃には地獄橋を渡り元鳥越町に入っているのに、其処から栄久橋を渡って、浅草お蔵のほうに出て、首尾の松の近く五番掘りあたりで、川風に吹かれながら月を見ました。

川面には風流人たちが月を見ながら船で遊ぶ様子が見えます。

「風が冷たいからそろそろ帰ろうぜ」

「もう少し、ここにいたい」

何がよいのか虎太郎には判りませんが寄り添うようにお春ちゃんが立ち、月を空かずに眺めます。

やっとのことで帰る気になってくれたようで、森田町から菊屋橋を渡り元鳥越町に入りました。

「弱虫」お春ちゃんがそう怒鳴って家に駆け込むので、虎太郎は「アアそうか、なぁんだ」やっとそうなのかと気がつきました。

何か心の中にさわやかな風が吹いて、微笑む虎太郎です。

ここまで来たついでと虎太郎は三味線掘りに出て、高橋を渡り、其処から新橋近くの冨松町の源兵ヱ店の吉松さんを訪ねました。

ここは虎太郎の商売物を預かってくれているので度々訪ねては品物の入れ替えをします。

表から明かりを確認して「虎太郎です、起きていますか」声をかけると「オウコタさん入れよ」そういう声があったので中に入ると、簪の飾りに使う細かい細工の磨きだしをしていました。

「どうです景気は」

「あんまりよくねえがよ、どうにか食いつないでるよ」

「ということは暇がないということだぁ」

「そういうこった」手を休めてお茶を入れてくれました。

「どうですか、毛唐に向きそうな品物の算段はつきましたか」

「やつらは大雑把だがこまけえことにうるさいという、訳のわかんねえコタさんの注文が、考えてみたがこんなのはどうでぇ」

そういって奥から出してきたのは髪飾りでも大振りで、ぴらぴら簪のようで細工は細かいが何もかも大きいという代物。

「やあこりゃいい、このくらい図抜けてなけりゃあいつらみたいに大きい人間たちにゃめだたねえですから」虎太郎が大げさに褒めるもので吉松は「そういうもんかよ、おいらにゃなんだか大雑把で粋って言うもんがねえ気がするがよ」

「それですよ、それがコツだと思いますよ、粋に誂えたものはそれはそれでやつらも認めますが、数をおおく売るにゃ派手に見えなきゃいけません」

それで十ほど作る材料費と時間はどのくらいかかる予定です」

「そうさなあ十まとまりゃ、時間は五日材料費は少しおおめに見て五両と別に銀が百匁がとこ必要だな手間はひとつ壱分弐朱くれるかい」

「てことは10枚で三両三分だね」

「オイオイ、コタさん計算が速いけどあってるのかよ」

そういうので仕方なく「拾分と弐拾朱だろ、弐拾朱は5分だから15分、だから4両から一分引いて参両参分だよ」

「めえるなぁ、計算は苦手だからよ、材料費なら頭の中で纏められるがよ、オラァやはり商売人にゃむかねえよ」

「マアいいさ、損をしないようにお互いに気をつけていりゃいいじゃねえか」

「そういうこったな」

「そうだよ」

「そうすると吉松さんが急ぎの仕事がないときゃ材料が有れば五日で10枚と、こっちの支払いが八両三分と銀が100匁」

「どこくらいで売るきだい」

「1枚2両なら充分引き合いがあるだろうよ、同じようなもので金ぴかに光るやっなら、倍にゃなるだろうよ、下がりは四分一でも先に無垢で花でもつかねえかよ」

「知り合いにボタンでもあちらの花でも絵さえありゃいくらでも本物そっくりに作れるやつがいるぜ」

「そりゃいいなぁ、見本を作ってみてくれるように頼んでくれよ」

「とりあえずここに2両ほどあるからそれで何ができるかみてみようぜ」

「一個で2両かよ、まさかだろ」

「そうだよ最初は時間がかかるだろうから、見本に2両わたして作らせてくれよ、それで次からは10個で材料費、手間代、時間がどれくらいでやってくれるかを知りたい」

「判ったよ、それで俺の方はどうする、時間は明後日から空いてるぜ」

「明日にでもおつねさんから金をもらえるようにしておくけど、こっちに届けるかい、それとも取りに来るかよ」

「来てくれるとありがたい」

「よいとも明日迎えにくるから夕飯でも喰いながら話しをつめようぜ」

「久し振りだ鰻でも食いいてえな」

「よしよしうめえのをご馳走するぜ、茅町の多喜川はどうでえ」

「オオあそこはうめえよ、そいつでたのまあ」

「明日の夕刻の六つ前にゃ迎えに来るぜ、例のたあさんも来るかも知れねえよ」

「奇麗どころもくりゃいうことなしだぁ」

「そいつは請け合えねえよ」

「マそいつは仕方ねえこったな」

そう話がついて夜中に虎太郎は家に戻りぐっすりと眠りました。

 

・ 多喜川

いつものように八つ半に氷解塾を出て連雀町まで急いで戻りました、今日うなぎの話しをたあさんとしていたら、富田先生が「蒲焼きはわしも好きだぜ今度はわしも誘えよ」といわれて、勝先生も「そうだそうだ家のもの皆が好きだ」とはやされ、仕方なく先生なじみの切畑の岩附屋から、うな丼を十五も取り寄せることになりました。

塾を出て氷川神社から溜池近くの切畑に出て岩附屋により出前を頼みました。

大振りの丼を頼んだので、お代が心づけを含めて〆て参分弐朱というものいりに虎太郎はげんなりしますが、たあさんは可笑しがるばかり、最も虎太郎の懐はいつも暖かいのでたまには仕方ない散財です。

塾では勝先生はじめ久し振りのうな丼に奥様が香の物などの仕度で大忙し「子供たちは分け合うから人数分入りませんよ」といってくださいいましたが、子供たちも楽しみにして待っているのでそうもいかず、出来たものから届けるように頼んだので、心づけが大目に必要でした。

ひとつ銀三匁(三百二十四文)という大極上のものを頼んだので「届いたら奥様が目の玉を向いて驚くぞ」とたあさんが笑い飛ばします。

おつねさんが用意してあったお金を懐に入れ「小遣いはあるかい」の声に大丈夫だよと返事をしたときはもう家の外。

冨松町に顔を出したのが、約束の暮れ六つにはまだ時間のある日暮れ時、其処から福井町に顔を出してから、多喜川に向かいます。

「おきわさん届け物だよ」声をかけると出てきたのはお金ちゃん「ありゃコタさんまたうなぎかよ」

「ここへ顔だしゃうなぎと思うなよ」

「違うかよ」

「ちがやしねえけど、おきわさんに聞かれるとうるせえ」

「聞こえてるよ、今日はかつ弥が昼座敷だけでさ、空いてるから連れて行ってやっておくれなよ」

「まだ夕食は食べてねえのかい」

「そうだ、あたしたちも蒲焼きをごちになりてえものだ、うちには、よったり残るからさ出前を頼んどくれよ」

「きみ香はお座敷かい」というまに、きみ香とかつ弥が「仕度ができたからいこう」とばかりに出てきました。

「オオ奇麗どころが揃った」と吉松兄いが嬉しそうにいう言葉に「あれ、ほんにこの兄さんは気がきくこと」ときみ香がいうので吉松もう有頂天。

「コタさんコリャお座敷で蒲焼きを食べさせてもらえるみたいだね」

「仕方ねえでござんす」きみ香にその口をねじられ「仕方ないはないでござんしょう、花代がないだけ掛かりが出なくてようござんしょうに」何のことはない恩に着せられてしまいます。

「コタさんはうらやましいぜ、奇麗どころにつねられてよ、おいらも一ひねりおねげえしてぇもんだ」

「たあさんお久し振りでござんす、吉松さんもようこそ」かつ弥が先に気が付いてたあさんに挨拶。

きみ香はまだたあさんと初対面「ここで挨拶もなんだから多喜川に付いたら紹介しよう」虎太郎がそういって皆を促して歩かせます。

「吉松さん、たあさんもこの人は初めてだろうが、きみ香さんといって初音やで看板借りで出ていなさる姉さんだよ」

「きみ香と申します、ご贔屓ありがとう存じます」

「わしゃコタさんの友人でな、まあたあさんとでも呼んで下され」

「ヘエヘエわっちは吉松といいやして飾り職を渡世にしておりやす」

それぞれが初対面の挨拶もそこそこに蒲焼きが出るまでお酒を飲みながら、にぎやかに最近はやりのことなどの話で盛り上がります。

「それじゃ何かいコタさん今日は蒲焼きをみなに大盤振る舞いかい、お大臣だねぇ」

「とんでもねえこった、おいらは唯のひよこだぁね、皆にむしられて丸裸のかわいそうなひよこだよ」

「そんなら懐に入れてあっためてあげるよ」きみ香さんがそういうと「わっちも寂しいから一緒にあっためておくんなさい」吉松がおどけて縮こまりぶるぶる震えていますので、「そんなら熱いのが来たからおあがりなさい」ときみ香姉さんがお酌して、たあさんにはかつ弥が注ぎます。

蒲焼きも出来上がり仲居さんが「初音やさんにもお届けに出ました」とかつ弥にはなし「アイ、いつもお世話様、ここのはほんにおいしくてみなが大喜びさ」お愛想を言う口調も板についてきたかつ弥です。

二人が先に帰り、三人で打ち合わせなどして「吉松さんこれが例の金だよ確かめてくんな」風呂敷から出した小さな包みを開いてわたします。

「オッこいつはすまねえ、手間代まで先ばらいたぁいつもながら気前がいいねえ」

「なぁにおめえさんのこった、仕事はきちんとしなさるからおつねさんもあんしんだぁ」

たあさんも最近は卯三郎さんの影響もあり、塾の方針も国政(軍事)と経済に主眼が置かれていて関心があるのです。

「コタさんよおいらは来年には父上の見習いで勘定方のお役目が決まったぜ、藩の経済も最近はてえへんだがうちのお家は産業が少なくてなぁ、和紙と木蝋くれいじゃ高が知れてるよ、一度は国の現状を見に行ってこいとご家老様じきじきに仰せ付けられたぜ」何時になくまじめな顔でたあさんが言うので虎太郎が「ではまもなく塾には来るのが難しくなりますね」

「仕方ないさ、コタさんにはご馳走に為りっぱなしで申し訳ないが、いまだ部屋住みの有様では小遣いもないしな、すまんことだ」

「何を言いますか、柔術を共に習うことで、角田(すみだ)先生がいないときには稽古の相手をしてくださって感謝しきれるものじゃありやせんよ」

「わしゃ剣術は眼が出ないので柔術と思ったがこれもたいしたことはない、仕方ないから勉学と思いついたがこれも半端じゃ仕方ない」

「そんなこたあ有りやせんよ、ご自分で天狗になっている自信満々の方がたよりゃ、頼りになられるからでえじょうぶですよ」虎太郎は心底そう思っている様子が聞いている二人にも伝わり三人が身分は違うが、自分の持ち分をきっちりと仕事で表す約束をいたしました。

「たあさんはいつもながら立派でござんすねぇ、身分にこだわらずコタさんへも対等に扱いなさるし、わっちの様な小物にも見下すような事がありやせんで嬉うござんす」

「イヤイヤ、吉松さんよお前さんは立派な職人で一流の腕を持っている、確かにいまは身分で縛られわしが上座となっているが、そんな世の中は長く続くまいよ」

「左様でございますか、わっちなぞその日その日がやっと息をしている状態で世の中の事がよくわかりませんがね」

「コタさんも言うがの、塾の中でもせんせが言うのさ、諸外国のものがどしどしこの国に来れば、今までのようにはいかんじゃろう、攘夷攘夷と騒がしいが、それも時代が変わる魁じゃと思う」

三人で冷えた酒に気が付き、酒の追加に勘定を言いつけ、熱いのを飲んでから席をたちました。

帰りは冨松町で三人は別れ「できたら届けてくんなぁ」そう吉松さんにいい虎太郎は橋を渡ってかえります。

 
 第二部-3 お披露目 完  第二部 完  第三部-1 明烏 


 酔芙蓉 第三巻 維新
 第十一部-1 維新 1    第十一部-2 維新 2    第十一部-3 維新 3  
 第十二部-1 維新 4    第三巻未完   

     酔芙蓉 第二巻 野毛
 第六部-1 野毛 1    第六部-2 野毛 2    第六部-3 野毛 3  
 第七部-1 野毛 4    第七部-2 野毛 5    第七部-3 野毛 6  
 第八部-1 弁天 1    第八部-2 弁天 2    第八部-3 弁天 3  
 第九部-1 弁天 4    第九部-2 弁天 5    第九部-3 弁天 6  
 第十部-1 弁天 7    第二巻完      

  酔芙蓉 第一巻 神田川
 第一部-1 神田川    第一部-2 元旦    第一部-3 吉原
 第二部-1 深川    第二部-2 川崎大師    第二部-3 お披露目  
 第三部-1 明烏    第三部-2 天下祭り    第三部-3 横浜  
 第四部-1 江の島詣で 1    第四部-2 江の島詣で 2      
 第五部-1 元町 1    第五部-2 元町 2    第五部-3 元町 3  
       第一巻完      


幕末風雲録・酔芙蓉
  
 寅吉妄想・港へ帰る    酔芙蓉 第一巻 神田川
 港に帰るー1      第一部-1 神田川    
 港に帰るー2      第一部-2 元旦    
 港に帰るー3      第一部-3 吉原    
 港に帰るー4          
    妄想幕末風雲録ー酔芙蓉番外編  
 幕末の銃器      横浜幻想    
       幻想明治    
       習志野決戦    
           

 第一部目次
 第二部目次
 第三部目次
 第四部目次
 第五部目次
 目次のための目次-1
  第六部目次
 第七部目次
 第八部目次
 第九部目次
 第十部目次
 目次のための目次-2
 第十一部目次
 第十二部目次
       目次のための目次-3

       酔芙蓉−ジオラマ・地図
 神奈川宿    酔芙蓉-関内    長崎居留地  
 横浜地図    横浜
万延元年1860年
   御開港横濱之全圖
慶応2年1866年
 
 横浜明細全図再版
慶応4年1868年
   新鐫横浜全図
明治3年1870年
   横浜弌覧之真景
明治4年1871年
 
 改正新刻横浜案内
明治5年1872年
   最新横浜市全図
大正2年1913年
     

 習志野決戦 − 横浜戦
 習志野決戦 − 下野牧戦 
 習志野決戦 − 新政府
 習志野決戦 − 明治元年

横浜幻想  其の一   奇兵隊異聞 
 其の二   水屋始末  
 其の三   Pickpocket
 其の四   遷座祭
 其の五   鉄道掛
 其の六   三奇人
 其の七   弗屋
 其の八   高島町
 其の九   安愚楽鍋
 其の十   Antelope
 其の十一  La maison de la cave du vin
 其の十二  Moulin de la Galette
 其の十三  Special Express Bordeaux
 其の十四   La Reine Hortense
 其の十五  Vincennes
 其の十六  Je suis absorbe dans le luxe
 其の十七  Le Petit Trianon
 其の十八  Ca chante a Paname
 其の十九  Aldebaran
 其の二十  Grotte de Massbielle
 其の二十一 Tour de Paris
 其の二十二 Femme Fatale
 其の二十三 Langue de chat
     

幻想明治 第一部 
其の一 洋館
其の二 板新道
其の三 清住
其の四 汐汲坂
其の五 子之神社
其の六 日枝大神
其の七 酉の市
其の八 野毛山不動尊
其の九 元町薬師
其の十 横浜辯天
其の十一
其の十二 Mont Cenis
其の十三 San Michele
其の十四 Pyramid



カズパパの測定日記