項目別バックナンバー[6]:その他情報:7

人数制限

まもなく冬期オリンピックです。直前に人数オーバーで参加取り消しが発生し て、初めて種目別の1ヶ国のエントリー人数以外にも参加人数制限がある事 を知りました。
よく考えれば当然ですね、各国が無制限にエントリー数を決めては、受け入れ 側の準備・対応が無理ですので制限は必要です。
何故今までは表面化しなかったのかと考えれば、一人が複数の種目に出ること はあっても、増加した種目数にバラバラに多くの選手が出る事がなかったか らでしょう。
参加する事に意義があるは、制約もクリアして参加する事の意味だったと分か りました。


友引

縁起とは無関係の時代になるかと思っていましたが、いまだにあるいはずっと 単純なもの程避けられないで残るように思います。
葬式の日を、友引は避ける(友人を死の世界に引き寄せる)事は何故かいまも 強く生きています。友引の日は葬式は、ほとんど無く、その翌日は2日分あ る事実が明白にものがたっています。
1日だけ、日を遅らせるだけで避けられるという容易さが、あえて昔からの言 い伝えに逆らう必要もないと考えさせると思います。
これが、非常に厄介で実行が難しければ意外と早く変わってゆくのだと思います。


書評「シリウスの道」藤原伊織

広告代理店を舞台にしたミステリです。個性的登場人物が描き分けられており そこに絡む複数の謎が展開します。作者の詳しい分野であり、未知の多くの 人には広告代理店の仕事内容だけでも、充分楽しめます。
広告媒体として、新しい技術が登場しますし、何より「ネット証券」というタ ーゲットの広告戦略の競合(複数社の広告受注競争)自体が、ネットに興味 がある人にとって見逃せません。


主観採点競技から得点競技へ

今、冬期オリンピックでのフィギュアスケートでの荒川選手の金メダルの話題 で一杯です。
その中で、次第に多く取り上げられるようになったのが「新採点方式」です。 元々は不正採点対策から始まった(2年前)と言われています。従来は、満 点に対して審判が演技を採点するシステムでした。これを、いくつかの要素 に分解して得点を設定しています。同時に違反・ミスに対する減点も決めて います。
従って、演技プログラムを決めた段階で全くミスなく行った時の最大得点が、 決まります。もしプログラム内容が劣ると演技する前に最大の得点を得ても 目標とする点や競争相手にはほぼ負ける事が分かります。
事前に分かる事は公平とも言えますが、従来の印象やミスの有無の影響が大き い方法に慣れていると、結果が出る前には分からないと思いがちですが内容 を知っている人にはほぼ正確な結果が見込めるようです。
採点競技は、客観性が弱いために次第に得点設定の方向に移行しています。体 操・シンクロ(水泳)等と同様です。
スポーツとしての公平性の増加と、主観的な芸術性の低下が伴います。


プレーオフ

ラグビーの日本選手権は引き分けで双方優勝です。
野球は現在は延長回数か時間で制限しています。これも引き分けが有ります。 無試合か引き分けかは、大会ごとに異なります。
サッカーはリーグ戦は勝ち点性、トーナメントは延長+PK戦が普通です。
囲碁や将棋はリーグ戦とトーナメントで異なりますが、引き分けは再試合でリ ーグ戦の時は成績が同じ時は、順位優先かプレーオフでの決着になります。
大リーグ・NFL等のプレーオフは、延長ではなくあらかじめ実施が決まってい ます。成績が同じ時とは異なり、単なる決勝トーナメントです。
さて、成績が同じ時の決着は順位かプレーオフかどちらが良いのでしょうか。 相撲で同じ成績の時は、横綱優勝では面白くありませんが、日本では優勝は プレーオフで決まる方式がなじむようです。逆にリーグ落ち(相撲ではクラ ス落ち)は順位で決まるのが普通です。非対称な感じですが何故か一番すっ きりなじんでしまっています。


少人化とニート

最近、高齢者控除の制限が順次厳しくなっています。ただ所得制限は残ってい るのは当然でしょう。
当事者の不満はありますが、予備群の不安はそれ以上でしょう。
しかしその背景を考えれば当然予想される所です。少し前までは戦後に苦労し ながらも子供を育てた世代が高齢者と呼ばれていました。子供は団塊の世代 とも呼ばれ社会の経済活動の中心になり、結果的に高齢者の生活も支える力 にもなりました。
そして、団塊の世代が退職して高齢者と呼ばれる段階に達しました。それでは その後の世代はどうでしょうか。統計的に少人化が進み、個人能力の低下が 指摘され、そして多数のニートの存在に繋がります。
個人主義や自己責任と言う人もいますが、日本全体の人口比や経済活動を考え るとこれらの人に支えられる世代の高齢者は、それ以前の人と同じ優遇を期 待する事はできません。子供の教育や人格成長を考えると、社会や政府を嘆 くよりも、自身の子供世代への対応を反省する必要を感じます。
そして、恐ろしいのは現在の傾向に歯止めが見られなくはたして立ちなおれる か見通しがたっていない事です。


コピーワンス

著作権と違法コピーの問題は解決する事はないように見えます。 特にデジタル時代ではアナログと異なりコピー劣化がないので問題化が顕著です。
コピーとバックアップの違いは何かの問題がついてまわります。デジタル機器 が壊れる事がある以上、ソフトのバックアップは必要な事はいうまでもあり ません。しかしこれと違法コピーを区別する事は非常に難しいです(客観的 に)。その結果、コピー回数の制限が考え出されてきます。そのひとつが1 回のみコピー可能(コピーワンス)です。バックアップのみとの考え方です が、作業の失敗や編集しない事が前提にある等の問題があります。 いつも討議されていつも解決しない問題です。
違法コピーは著作権の無視であり、新しい著作物の登場を抑えてしまい長い時 間で見れば、コンテンツの質の低下になり利用者の不利益になるとの考え方 は、たぶん本質的でしょうがコピーフリーにする程の力はないのが現状です。


書評「千畝」ヒレル・レビン

しばらく前にテレビで放送された「日本のシンドラー・杉原千畝」は謎の多い 第二次世界大戦時に外交官杉原がユダヤ人に発行した日本の通過ビザの謎の 1解釈です。
本著も同様ですが、出来るだけ客観的にこの謎にせまろうとしています。
ただ本著にも書かれていますが、この謎が大きく取り上げられるようになった のは杉原の死後です。そして1外交官の資料の少なさと本人以外ののちの証 言しか得られないため、結果的に最後は「本当かもしれない。そうでないか もしれない。死人に口なし、なんともわからない」が本当の所でしょう。
歴史の解釈はいつもいつも謎につつまれていることを感じます。


異常気象??

天気予報が当たらない。異常気象だ。観測開始以来はじめてだ。と最近は毎日 のように報道されています。
そもそも地球の歴史の上で、観測期間は無いといってもよいくらい短いです。 その期間に起こらなかった事・ほとんど起こらなかった事が異常と呼ばれて いるだけです。
経験則では、正常と呼んでもあくまでも経験上に限られます。
異常という言葉を、気象に使う時は単にわずかな観測期間では無かった事の意 味でしかありません。
何が正常かが分かり難い時代ですが、少なくても気象での異常は単に予想出来 ないぐらいの意味と考えた方が正しいでしょう。

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