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文化十一年十二月一日(1815年1月10日)・薬研掘
此の日五つ前から薬研掘の屋敷では、猪四郎と大野が次郎丸の養子祝い金の締めをしている。
信濃から戻った後も届いた分が有ったからだ、猪四郎は手代の吉次に金を置かせると「新川で打ち合わせ通りに話しを決めて来てくれ、報告は吉次が夕刻家へ戻って来てからでいいよ」と出向かせた。
「猪四郎さんは今日も若さんをどこかへ連れ出す気ですな」
「大野様深読みのしすぎですぜ」
「様子じゃ夕刻まで野放し状態の様ですな」
猪四郎の目論みは何だろうと大野は考えている。
養子祝い金五百両、追加二百両・加賀、越前、越中、越後、出羽
養子祝い金五百両・陸奥、磐城
養子祝い金百五十五両二分、追加十五両二分(江戸送り)・白川領内
江戸預かり養子祝い金二千二百両、追加二百二十両・関東及び以西
合計 三千八百九十一両
藩上納金 二千両
残金 千八百九十一両
・白川藩深川下屋敷用地取得三千百五十坪五百両
(東上六百坪、東下四百坪、中上東五百坪、中下千六百五十坪)
藩上納深川下屋敷用地千坪
(東上六百坪、東下四百坪)
・売却見込み深川土地代二千百五十坪(二千二百五十坪)五百両
(中上東五百坪、中下千六百五十坪)
「大野様下屋敷のお庭整備に五百両、若様御仕度に五百両、“ なほ ”様親子御仕度に五百両使える目途が立ちました」
「若の仁徳じゃな」
「無理な取り立てなど一件もないと新之丞様のお墨付きです」
七代目鯨組醍醐新兵衛が格安に譲ってくれた土地は、一文の損も無く反対に儲けを生む塩梅だ。
十二月の下屋敷、薬研掘の三ケ月分の支給と女性たちの分は別会計の金で賄った。
雅姫を迎える邸の建物調度は松代藩持ちだが、次郎丸の手元からも追加を出すのは大野に猪四郎も計算の内に入れてある。
千十郎が樋口与五右衛門と支給の報告に遣って来た。
腰元、女中の分は別として大野の会計と合わせて一年二百石六十一人扶持五十五両の四半期分が出て行く。
「百五十八両三分三朱二百文が深川と薬研掘を合わせた三ケ月分でした。薬研掘で新規の幸吉なぞ有頂天で御座った」
文化十二年四月以降の一年は年二百石(三百七十五両)、六十一人扶持(二百五両三分二朱)、五十五両。
年間六百三十五両三分二朱が両屋敷の男たちの分に為る。
松代藩の支給は年内八百両、二百両は庭整備に必要だ。
下屋敷裏門の富吉町に、新婚でも住めそうな六部屋ある売り家が出たので結で買い取り、千十郎の住いとし、女中に下男と料理人で三人雇った。
下屋敷に一部屋、薬研掘に一部屋と自在に動けるようにした。
とよ、美代、富代、のぶ、四人は深川下屋敷の賄いに来てくれるという。
とよが仕込んだ金庫番の役目を直枝が中屋敷で受け継ぐことに為り、深川は美代がとよの後を受け継ぐことに為る。
史代も“ なほ ”の希望で中屋敷へ奉公と決まった。
“ つかさ
”乳母とり、“ 貞四郎
”乳母あやの、乳兄弟に為る譲吉、腰元にお元(素代・もとよ)、お初(初枝・はつえ)を合わせて七人も上屋敷の許可が出た。
“ なほ
”を入れて九人、さらに軽輩から二人、中間二人、料理番二人、下女一人の十六人が許される限度だと冴木が大野に申し入れてきた。
九月新規雇いの幸吉など前払い計算に浮かれている。
九月一日に九月の三分三朱二百六十七文と十月、十一月、十二月の三ケ月が出たうえ、十二月一日に一月、二月、三月の三ケ月が丸ごと現金支給。
おまけに中間部屋で朝晩の飯は十分出るうえ、昼も持ち出しなど滅多に無いのだ。
年に五両二人扶持も法外な支給で有るうえ、四半期ごとに二両三分三朱を前払いで出して貰えている。
ちくまやの三人は薬研掘出入りが続いていて、深川下屋敷へ次郎丸が移れば常雇いと大野が請け合っている。
樋口は「お国入りの会計は大変だったと聞き及びますぞ」と大野に話しを振った。
「善光寺に草津、伊香保の物の値が高いと脅されて居りましが、話し半分くらいの物で御座います」
伊香保仁泉亭清算四泊五日三両二分。
草津やまもと清算四泊五日八両二朱五十六文。
「此の草津は土産代と送料が半分以上で、掛りは一日一両一分迄行きませんでした。一人一日二朱ほどでしょう。本会計累計三十六両二朱十文も土産代に息災祈願料を除けば九人でも一日二分も掛からぬでしょう」
個別会計十五両三分三朱百九十六文、結投資七十五両。
「このうち大野殿に、未雨(みゆう)の出した心付けが大きいようですな」
「新之丞殿からケチっては為らぬと大分持たされたようですぞ」
切り餅三つ七十五両の他に十八両と細かく千六百二十二文が持ち帰れたと言う。
「土産の栗は喜ばれましたうえ、栗きんとんにしたのは“ なほ ”様も大層褒めて御座った」
栗五斗(唐辛子等ともに江戸送り送料とも)十二両二分百二十文は大きい出費だが喜ばれた人が多く大野は満足していた。
「良い買い物で御座いましたな。小布施の栗は江戸では高直ですからな」
三千の方の接待費用に予定した五十両は半分使わずすんでいて、御供への包金は腰元、供侍二分二十人、駕籠かき奴一分十六人の十四両を出しても十八両余ったと書付を出した。
「次の接待をするときの予備費にしよう」
次郎丸が話しに加わった。
「甘いものと普段手を出さぬ下世話な鮨が良いという方ばかりで助かり申した。寺島の方も実は猪四郎殿、新兵衛殿が金主で助かり申した」
大野は樋口と褒め合っている。
「あの日の出銭より“ 庸(イォン)さんの鶏 ”を完成させる方に金が掛かりました」
猪四郎も自慢げだ。
「こり過ぎだよ。倉造りの厨房なんて初めて見た」
お由(およし)が呆れていたと猪四郎が打ち明けた。
「天麩羅より低い油の温度が大切だというのに手間が取れました。火加減を丈助が旨く操れるまでが勝負でした」
次郎丸は「伏見で庸(イォン)さんが、立会いの様に火加減を真剣に操る様は見事だったよ」といつものように庸(イォン)さんを褒め「丈助が一流の料理人になると見抜いた宗久さんの目が確かだった」と猪四郎の義父を持ち上げた。
「丈助に何か作らせるつもりですね」
「新兵衛兄いに指図させ、豆腐の餡かけにせせりを油で揚げて煮込んだ物を試させたいな」
「鰻(うなぎ)に鰌(どじょう)。天麩羅(てんぷら)に鮨(すし)。王子の玉子焼きならお由(およし)に子供たちも付き合いますぜ」
「明神下の神田川へ、昨日二人で行ったばかりだぜ」
「だから家の家族とね。和泉橋の春木へ入ったこと無いので其処なら俺もね」
田原町奴うなぎで開店して十五年ほど、明神下の神田川は開店して十年足らずで奴、春木にも劣らぬ人気店だ。
「催促してますな」
大野は笑っている。
「毎日は恐れ入る」
樋口も笑っている。
猪四郎の自宅目の前の駒形(こまかた)に前川が有るが、猪四郎とは何年か前に一度入ったきりだ。
弥助と幸吉を呼んで「和泉橋向う代地の春木で五人と三人で合わせて八人、昼九つでうなぎ丼を頼んでくれ。幸吉は春木の約束が取れたら戻って報告、弥吉は三軒町の猪四郎の本宅へ親子でうなぎを食べに来るようお由(およし)に伝えて春木迄ご案内してくれ」と命じた。
千十郎に「お前さんと樋口殿、大野に儂と猪四郎で五人だ。昼の約束が取れたら出かけるぞ」と伝えた。
弥吉は次郎丸の供で春木へは二度ほど行ったことが有る、二度とも横山町銭屋江戸店の藤吾、洋栄(ひろはる)との会食だ。
四つの鐘が聞こえてきた。
少しして幸吉が「座敷を開けてお待ちしておりますとのことで御座います」と戻ってきた。
「茶より向柳原で甘酒呑んで刻をつぶしましょう」
とよに「春木の後、深川の下屋敷の庭を見て戻る」と伝えておいた。
「神田川から屋形で油掘へ出られますか」
「そいつが一番楽だな。待たせておけば俺たちが降りて、猪四郎も途中で気が替わることもなく駒形(こまかた)まで戻れる」
大野は次郎丸を急かして広小路へ出た。
新し橋先に屋台が出ている、二手に分かれて熱いのを呑んだ。
大野が一杯十二文を五人分、四文銭でそれぞれの娘に渡している。
和泉橋を渡ると遠くに弥吉たちが見える。
弥吉に「春木に無事到着と報告してくれ」と屋敷へ行かせた。
店の前で落ち合い二階座敷で改めての挨拶だ。
喜一郎、光次郎が二人で次郎丸達大人に立派に挨拶している。
お由(およし)は「昨日も鰻、今日も鰻。若さんもよく家の人に付き合います事」と笑っている。
「あと十回くらい付き合わんと寺島の礼に足りないと思ってな。今日はおいらが勘定を持つからな」
「若さん、まだ違う鳥料理を丈助に遣らせる気だぜ」
猪四郎がちくっている。
「それはお楽しみ。御裾分けに私たちも御馳走してくださいな」
上手を行く返答に猪四郎も遣るしかないかと思い出したようだ。
「今が鰻の旬だが穴子の鮨も捨て難いし、小肌も新子が待ち遠しい」
「まぁ、若さんは家の人以上に食い意地が張っていますわね」
どちらが誘っても付き合うのは昔からだ。
店は律儀に九つの捨て鐘と同時に九人分の丼を二階へ運び込んだ。
「弥吉っあんは九つと言って急かしたけど時間通りという事は若さん相当の常連ね」
「おいら二回きりだよ。一緒に来たもんが常連に為ったようだ」
店主が茶の継ぎ足しに来て「銭屋さんは十日に一度は新しいお客人を連れて来て下さいます」とにこやかな顔で話していった。
横山町一丁目からは、ほんの一跨ぎでしかない。
猪四郎は「深川のお屋敷を廻って六つ半前までには戻る予定だ」とお由(およし)に話している
お由(およし)親子とは店の前で別れた。
久右衛門丁の馴染みの船宿山勘で、往復の約束を二分払って船を出させた。
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