第伍部-和信伝-

 第三十五回-和信伝-

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

平文炳(ピィンウェンピン)事平大人が率いる一行は無事に瑠璃廠東の廊房頭条胡同幹繁老(ガァンファンラォ)に正月二十六日午の下刻(北京太陽暦二月二十五日1300分頃)に到着した。

海燕には初めての正陽門でその大きさに驚いている。

はじめ通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲で船を降りても「南京(ナンジン)と変わらない」と見上げるだけだった城壁、東便門外の寂れた様子も「これで京城(みやこ)なの」と思っていた。

 

平大人が豊紳府へ使いを出し、荷は小舟で宿まで運ぶというので歩いて門を通り抜けると護城河の北にそびえる城壁の高さと角楼の巨大さに驚かされた。

城壁は三丈をはるかに超える高さがあった。

三里(1.2キロ)ほどで崇文門、そこから五里(2キロ)ほども歩いて正陽門に行き着いた。

平大人が「此処までが都の半分で先がここまでと同じだけあるんだ。ここは正陽門(ヂァンイァンメン)というのだが前門(チェンメン)のほうがとおりがよいのだ」と教えた。

正陽門の城壁の上の箭楼の巨大さに驚いたが「箭楼で高さ十一丈、門の中に入れば驚きの連続だよ」そのように期待を持たせる言い方をした。

門前の護城河は水が奇麗で平大人が「冬は奇麗だが夏は大分濁るんだ。河を浚うにも費用が膨大に掛かるんでね」と嘆いている。

「大人が費用を出すわけでも無いでしょ」

「宿の周りに悪臭が漂うこともあるんで、銀(かね)を皆で出し合うことになるんだ」

皇帝は金持ちだと聞いたが、町の者に負担がかかるとは海燕には理解できない話だ。

 



幹繁老(ガァンファンラォ)は自分が生まれた榮爾飯店(ロォンゥアールファンディン)の倍はあるかと驚いた。
「前より奇麗になった」
龍のおっかさんは前に泊ったことがある、一家で長逗留したのだ。
「洗い出したばかりだからさ」
平大人があっさり肯定した。
「部屋に厠所(ツゥースゥオ)と風呂も付けたぞ」


宿に入ると大きな食堂に通された、庭の方が窓の上にある。

七人と付き人に南京(ナンジン)から来た四人の十一人が隣に泊まるという。

信(シィン)のほうは十六人で来るが六人が此処へ泊る予定だと平大人が一同に告げた。

前は信(シィン)の方だけで満杯だったが、昨年三階の新館を建てて十八部屋を増やし、食事も蘇州(スーヂョウ)から料理人が一家族五人で来てくれたので好きな料理が選べるという。

「どうしてそんな大きなものにしたんですか」

「前は風呂の設備が間に合わなかったんだよ。いい水屋と契約出来て使っている飲み水より落ちるが、風呂には勿体ないくらい好いものを配達してくれるんだ」

三階まであげる水龍(シゥイロォン・手押しポンプ)も手に入り、井戸に頼る必要もないくらいで、それならと売りたがっていた南隣を手に入れたという。

庭を指さしてあの屋根の下の樽まで表の馬車から上げるんだよと海燕(ハイイェン)に教えた。

隣はそれをもう一台のポンプ(水龍)でさらに上の部屋へあげるという「三階の水専用の部屋にはあの樽五個が置いてあるんだ」そう自慢した。

四階建ての水部屋だという建物もあると言っている。

昼の食事は軽く済ませると言っていたように温かい野菜中心の料理が並んだ。



 

一同が新館を見回ってそれぞれの部屋に落ち着いた。

子供一人で使うには立派過ぎる作りだ。

仲居が一部屋一人ついて木札を渡して「御用の時は私がうかがいますので。これを誰にでも見せれば私が参上いたします」と子供ながらに恐縮するようなことを言って部屋についている風呂や厠所(ツゥースゥオ)の説明をして戻っていった。

海燕は香鴛と二人で庭に出て、京城(みやこ)のことを改めて教えてもらっていた。

「だけど平大人はずいぶん派手な飯店を建てたものね」

「康演(クアンイェン)の小父様と親子で張り合っているのよ。機会があれば案内するけど茶食胡同にある楊閤(イァンフゥ)というお店を小父様が経営しているのよ。そこはここより食堂は大きいけど二階建てなのね、三階は去年から許可が出て正陽門の城壁より低ければよくなったの。見張り場ならその上でも城壁から見て上に見えてなければいいのよ。それで負けず嫌いがこうじて大きくしてしまったのよ

京城(みやこ)は人が増え二階では城内の宿にやってきた人々が収まり切れなくなっていた。

「じゃあそこの樽の建物より城壁のほうが高いのね」

「そういう事ね。役人が見て高いと判じれば打ち壊しされるわ。昔おバカな人がいて低い土地なら高い建物を建てても目立たないと、役人を買収した人の話を聞いたわ。そうしたら大水が出て低い土地は周りの水が押し寄せて台無しにしてしまったそうよ」

二人が卓を数えたら十一卓で四十四人が座れると分かったが香鴛(シャンユァン)が覚えていた楊閤(イァンフゥ)は十七卓六十八人だという。

「よく覚えられるわね」

「ほら私のところも飯店、酒店で泊まれるようにしてあるから人のお店も気になるのよ。自分で経営するにはここまで大きいのは人も大勢仕込まないとうまく回りきらないわ。大人におじ様は自分でやらずに人に任せるから、任された人は懸命に働くわ。私には人任せは無理ね」

そのように香鴛(シャンユァン)は言っているが媽媽(マァーマァー)は人の使い方もうまく、四軒の飯店に分けて経営している。

二人は蘇州(スーヂョウ)の康演(クアンイェン)の店の前に「結」に参加した人の飯店が繁盛している話に興じた。

二人とも飯店育ちでこういう話は船でも盛り上がって、時間を忘れるほど熱中した。

「哥哥もこういう話は大好きなのよ」

「どの哥哥」

「フゥチンのことなの。哥哥と言った方が普段は通じやすいしね」

 

夕方大分陽が伸びたようで薄暗くなって時計を見に行くと、午後の六時を過ぎていた、まだ酉の鐘も響いてこない。

「食事ですよ」

鐘の後、係りの仲居が呼びに来て大食堂に集まると「明日は公主娘娘に御挨拶に出向きます。朝は巳の刻に着くように辰の刻、今だと八時半ころに出られるように支度をしてください。服が届いているので体に合わせてください。哥哥は正午には遅くもお戻りになられます」平大人がいつもと違って丁寧な口調で伝えた。

蘇州料理と聞いていたが三っの卓には冷菜の盆が置かれ一人に一匹の蒸しあげた蟹が配られた。

仲居の戻った後、背の低い男が出てきた。

「今年は今日が最後の機会だね。陽澄湖(ヤンチェンフー・イァンチェンフゥ)の蟹で全部雄だよ。氷に漬け込んで運んで来たんだよ」

料理人がそう宣言して戻ったが、氷漬けとは大層銀(かね)も掛ったろうにと誰もが思った。

海燕は「信(シィン)哥哥は食べられないのね。かわいそうね」というと「蘇州(スーヂョウ)を通るから本場で飽きるほど食べられたはずよ」と香鴛(シャンユァン)に教えられた。

もう一皿の蟹が供された。

「酔っぱらっても責任取らないよ。本当は十月の雌が最高だよ」

子供たちにそう言って片目を瞬いた(しばたいた)。

紹興酒(シァォシィンヂウ)漬の酔蟹(スイシエ)は海燕には大層美味く思えたので龍のおっかさんにそう伝えた。

「四月になったら唐揚げが美味しくなるから遊びに行こうか」

おっかさんは丈夫(ヂァンフゥー・夫)からもらったので二杯の酔蟹(スイシエ)で酔っぱらったのか気が大きくなっている。

「蘇州から京城(みやこ)まで酒浸り(びたり)の蟹の様だな」

大人にそうからかわれている。

蘇州(スーヂョウ)付近で氷漬けされた蟹は天津(ティェンジン)まで千石船で運ばれ半分が京城(みやこ)へ夜船を連ねて送られてくる。

京城(みやこ)では二月からは禁止されているので、これが最後は本当の様だ。

叫化鶏(ジアオホワジー)が出てきて仲居が切り分けて皿を配った。

無錫排骨(ウーシーパイグ)が出てすぐに蛋花湯(タンファータン・卵のスープ)も出てくると、追いかけるように具のない饅頭が出た。

アツアツの饅頭は美味しいと海燕がいうとおっかさんも頷いている。

空になった冷菜の皿に替わってビスケットにチョコレートが置かれた。

瑠璃の冷えた盃(ペェイ)に香槟酒(シャンビンジュウ)を注いで回っている。

暖かい部屋で美味しいと海燕は知らん顔して飲み干したら、また注がれてしまった。

香鴛(シャンユァン)は二杯目も飲み干してビスケットを咥えているがもう注いではくれなかったので、盃をもてあそんでいるしかない。

おっかさんは丈夫(ヂァンフゥー・夫)の分まで分捕っている。

海燕はチョコを取ると美味しさに顔がほころんだようだ。

「苦くないの」

「ほろ苦くて甘いわよ」

「私は苦手」

お酒は飲むくせに、まだ子供なんだからと笑いたくなる海燕は大分と酔っているのかもしれない

 

正月二十七日は南の暖かい風が優しく吹いている。

それでも下の大時計が六時を過ぎてもまだ陽は射してこないが、宿は動き出している。

ようやく卯の刻の鐘が聞こえてきてしばらくしたらいっぺんに街が明るくなった。

食堂の粥は六時から食べられると聞いたが今朝はお腹が空いていない。

厠所(ツゥースゥオ)を済ませてもぼんやりしていた。

香鴛(シャンユァン)が呼びに来たので降りてゆくとおっかさんが「粥を食べればすっきりするよ」そう言って二人によそってくれた。

熱い粥で頭もシャンとしたようで胃も動き出したようだ。

 

身支度をして下へ降りてゆくともう皆が支度を済ませて待っている。

食堂の時計が八時を指したが鐘はまだ鳴らない。

「もう直に辰刻だから早めに出るか」

大人が言ったそばから鐘が聞こえてきた。

前門はくぐらずに崇文門(チォンウェンメン)まで進み内城へ入り、東単牌楼 就 日 の額下を潜って進んだ。

春麗(チュンリー)が疲れたようなのでお供が背に負ぶった。

何時も負ぶわれているようで慣れたものだ。

東四牌楼ではろくに額を見ていない、香鴛(シャンユァン)とおしゃべりが弾んだ。

一つ先を左に曲がり「此処は寺の門前町で隆副寺町だよ」と大人が教えてくれた。

大きな寺の門前通りを過ぎて今度は右へ曲がった。

小商人(こあきんど)が大勢集まって荷を分けているのを横目に進むと、病人らしい人が幾人か路地に屯していた、路地の行列には奴婢のような人たちが行儀よく並んでいた。

奇麗な門があり並んで立派な門、そして少し内に下がった小体な門があり香鴛が窓口をたたくと門番が顔を出し「お早いお付きで、今門を開けます」そのようにいうより早く門が開いたので海燕はびっくりした。

いかつい体つきの人が顔を出し「香鴛(シャンユァン)は今日も元気だね」と笑いかけた。

ぞろぞろと中へ入ると「娘娘も気がはやってお茶を飲み過ぎたと言っていますよ」そのように告げていると大きな内門を幾人もが開いている。

「そこを通り抜けるのですか」

「演習ですよ。本番で油切れで恥をかくのも詰まらんですから、ささ、ご案内」

大人は海燕と香鴛を前へ出ろと手招いて先へ歩ませた。

門を抜けると大きな二階建ての建物が見える。

左上-固倫和孝公主居間 ・ 右白扉--馮霽雯(ファンツマン)霊廟 ・ 右黒扉-豊紳殷徳(フェンシェンインデ)居間

花の間を抜けて階段を上がると使女が二人で扉を大きく開いた。

華やかな衣装の様でも色は地味だわと海燕が思っていると娘娘は香鴛(シャンユァン)を抱きしめて「待ちかねたわ」そう言ってから海燕(ハイイェン)も抱きしめた。

「よく来て下さったわ。会いたいと待ち焦がれていたのよ」

しげしげと顔をのぞいてから「本当に雲嵐(ユンラァン)の妹か子供で通るわ」ともう一度抱きしめてくれた。

春麗(チュンリー)はよちよちと近づくと抱き上げて頬擦りをされ春麗はにこにこと笑った。

供は外でというのも中へ入ると一杯になるからだと分かった。

部屋の明るさに為れると大人が改めて挨拶をし、龍夫妻が続いた。

改めて香鴛(シャンユァン)があいさつし、それをまねて「爾海燕(ゥァールハイイェン)ともうします。ジャワの泗水(スーシュイ)で生まれました。今年で十一歳になります」と告げた。

「何か清国の言葉のような街ね」

「はいそうなんです。土地の者はスラバヤと言っていました。」 

泗水(スーシュイ)はオランダ東インド会社の解散でイギリス人が増えてきたと海燕が話した。

ポルトガル人、スペイン人も威勢が無くなったと子供心に感じていたそうだ。

パングン通り(Jl.Panggung)で榮爾飯店(ロォンゥアールファンディン)という清国人向けの宿を経営していたというと「哥哥も聞きたいでしょうから面倒でも同じことを話してね」と優しく言われた。

哥哥が戻ったらお茶にしましょうと言って「ロンフゥーチィー(龍夫妻)は雲嵐のところへ行ってあげなさいな」と使女に案内させた。

香鴛はその隙に供から荷物を受け取って「天津(ティェンジン)土産に麻花(マーファ)を買い入れてきました。雲嵐(ユンラァン)様へはおっかさんがお土産に、こちらは昂(アン)先生の分に姐姐(チェチェ)の分でしょ。それと紫蘭(シラァン)様にも」いくつもの大きな袋を使女に渡している。

使女は先立って配りに行ってなさいね、お客は後から行くからお茶などで引き止めないようにと念を押されている。

 

潘蓬蓮(パァンリィエン)が来て、娘娘に「爾海燕(ゥァールハイイェン)様と香鴛(シャンユァン)様にお会いしたいとこちらへ向かわれています」と報告した。

「おやおや子供の頃の自分に早く会いたいのかしら」

「本当に瓜二つです」

花琳(ファリン)が「娘娘の七歳の頃ともよく似ておられますわ」というそばから雲嵐が入ってきた。

十歳の海燕(ハイイェン)は満州(マンジュ)の血の濃い公主に比べ幼く見えるのだろうか。

「まぁ、媽媽(マァーマァー)が言うように子供の頃の私に会ったみたいだわ」

海燕(ハイイェン)をしげしげとみて思わず抱きしめた。

いい匂いがして海燕は母親に抱かれたように安心を覚えている。

「わたしには、お土産はないので笛をお聞かせしたいですがいいでしょうか。香鴛(シャンユァン)がよければ次の曲は一緒に」

「待って待って、哥哥が残念がるといけないから戻ってからにして頂戴」

大人もそうしなさいと勧めたので香鴛と何を吹こうか打ち合わせをしておいた。

昂(アン)先生が公主に提案している。

「ではお二人をしばらくお預かりして邸内を案内しましょう」

豊紳府00-3-01-Fengšenhu

大人は打ち合わせがあると夫妻で残った。

春麗(チュンリー)も行きたいというので昂(アン)先生が抱きかかえた。

花琳(ファリン)と昂(アン)先生が先導し、雲嵐が二人の手を引いて裏手に回って姐姐(チェチェ)の館を訪ねた。

莱玲(ラァイリ)が出迎えてくれ、春麗(チュンリー)に自分の玩具(おもちゃ)を「あげるわ」と差し出した。

「謝謝」

可愛く受け取り海燕に「うれしいわ」と笑って蓮燕(リィェンイェン)と三人で何処かへ出て行った。

姐姐(チェチェ)は「二人が来ると聞いて用意したのよ」そう言って蒔絵の箱から綾巾(リィンヂィン・手巾、シォゥヂィン)を取り出した。

「お土産のお礼よ。春麗を含めて三人に上げないと片手落ちだから奮発するわね。白の一枚はベネツィアから来たそうよ。桃色は春杏(チゥンシィン)様という方の作品なの、もうお年なので昔ほどうまくできないとは仰っていたけど中々なものよ」

春杏(チゥンシィン)は八十八のお祝いの後「年を忘れた」と人に会うというそうだが九十二歳になったはずだ、西二所で花音(ファーイン)達と仲の良かった婉貴妃は九十を越してもまだ白い歯が光ると評判だ。

「良いのですかそんな貴重なもの」 

値打ちのわかる香鴛(シャンユァン)は驚いている。

春麗の分は香鴛が預かって媽媽(マァーマァー)に渡すことにした。

同じ鴛鴦(ユァンイァン)を三枚そろえるのは時間も銀(かね)も掛ったことだろう、今日に合わせたというのでは出来ない相談だ。

海燕のほうは刺繍の二羽の鴛鴦に「素晴らしいですわ。どうやったらこの色の糸を手に入れられるのですか」そう感嘆の声を上げた。

「刺繍糸ならこれから案内される紫蘭(シラァン)妹妹のところで聞けばいいわよ。ベネツィアから来たものはプント・イン・アリアといわれる技法で作られているそうよ。私たちではとても真似できないわ」

春麗(チュンリー)たち三人が戻ったので紫蘭(シラァン)の館へ向かった。

 

雲嵐(ユンラァン)の館の間を抜けた右の棟が紫蘭の館だ。

子供三人と大人婦人、雲嵐の母親へと五枚の自作の手巾を出してきた。

「急いで受け取っていただく方の名を刺繍したのよ」

なかに雲玲・紫とおっかさんの名と自分の紫の印が縫い取りされている物もあった。

「あぁん、あたしも」

莱玲の言葉に三枚を箱から出して「好きなのをあげるわ」に莱玲は茶花(チァフゥア・山茶花)を選んだ。

紫蘭が青い糸を出し莱玲・紫と縫い取りをして莱玲に手渡した。

手さばきの鮮やかさに二人の娘は感心している。

「蓮燕(リィェンイェン)にも上げてね」

莱玲は人に優しい、紫蘭は喜んで応じた。

選ばせると梅の花が枝に一輪といくつかの蕾がある可愛い絵柄を選んだ。

同じように蓮燕・紫と刺繍をして手渡すと紫蘭と莱玲にお礼を可愛く伝えた。

紫蘭(シラァン)の刺繍の腕は師匠の驚くほどの上達を見せ使女、奴婢のあこがれの的でもあった。

実家に帰省と聞けば「家族へのお土産」と頂けるのを楽しみにしている奴婢は大勢いる。

紫蘭の部屋を出ると奴婢を引き連れた夢月(モンュエ)が北の食堂から出てきた。

早番の営繕の娘たちの食事を面倒見ていたようだ。

蓮燕は「ウーニャン」と駆け寄り手巾を見せて「莱玲様がね、紫蘭様のお客様へお土産というのを私にも分けてくださいとお願いしてくださったの。奇麗でしょ」と広げて見せた。

夢月が莱玲にお礼を言っている。

「私も頂いたので妹妹(メィメィ)にもとお願いしたのよ。大事な妹妹(メィメィ)ですもの同じに頂くのは当然よ」

雲嵐は自分の子のように大事な莱玲が、甘えん坊から大きく成長していると嬉しかった。

その成長は蓮燕が邸へ来たからだと雲嵐(ユンラァン)は思っている。

夢月たちと別れて「一度私の部屋で」そう言って一同を誘った(いざなった)。

使女が扉を開けて子供たちを迎え入れた。

龍氏夫妻はまだ部屋にいて海燕が「おっかさんへの頂き物」と縫い取りの有る手巾を手渡し「春苑(チュンユアン)さんのも頂いたし、こちらの二枚は春麗の分よ」と姐姐(チェチェ)からの二枚も見せた。

おっかさんは卓に広げて「南京(ナンジン)で自慢できる」と鼻をうごめかした。

温芽衣(ウェンヤーイー)が小箱を幾つも奴婢に持たせてやってきた。

「娘娘が話を聞いて手巾入れに届けるように言われました」

一人一人に手渡して「莱玲様と蓮燕妹妹(メィメィ)の分もありますよ」と茶花と梅の花の模様の小箱を手渡した。

海燕が驚くのももっともだ、わずかの間に話を聞いて茶花と梅の花の小箱を探し出したのだから当然だ。

 

「哥哥が戻られました」

袁純雪(ユエンシュェジン)が告げにきて蓮燕と莱玲を連れて出ていくと一同は公主の館へ戻り、豊紳殷徳(フェンシェンインデ)に挨拶を交互にした。

海燕は初めてで、船乗りの話では和信(ヘシィン)を細くして大人にすればと思っていた以上の立派な哥哥に興奮した。

挨拶も無事に済むと一同にお茶が振舞われた。

「こんな素敵な香りのお茶は初めて味あわせて頂きましたわ」

おっかさんは昨日の香槟酒(シャンビンジュウ)以上に興奮している。

「そうでしょ。私も初めてなのよ。お客様でも来ないと私も哥哥も、もったいなくて飲めないのよ」

公主の言葉に反応したのは香鴛(シャンユァン)だ。

「これが噂の鳳凰(フェンファン)茶ですの」

「そうよ嘉慶五年十一番老延寿と名前がついた樹の一番茶なのよ。嘉慶五年茉莉香茶(モォーリィーフシィアンアチャ)というのを兄が勿体ないがと飲ませてくれたけどよく似ているわね」

哥哥は隣の部屋から一覧表をもってきて「献上茶の孫樹としてあるよ、茉莉香とまでは控えにないけど間違いなさそうだ」と公主に見せている。

潮州名山、鳳凰山、鳳凰鎮(フェンファンチェン)が産地だ。

五年もの間仕舞われていた貴重な茶だという「此の十一番はなんだか飲む機会が無くて眠っていたんだよ。五年分があるから今年いい機会だから順に振舞おう」と哥哥は伊太利菓子馬里托佐(マリトッツォ)と合うなと目を細めている。

「そうだ二年前のは弟弟にねだられて大分少ないな」

蜂蜜(ファンミィ)の香りがお茶の香りと混ざって部屋を甘い匂いで包んでいる。

「哥哥もしかしてこの蜜糖(ミィタァン)茉莉花(モォリィフゥア)から採取したのかしら」

「そのようだね。わずかに百合(パァイフゥ)の香りもするようだ」

「あら本当だわ。水源の近くに百合の群落でもあったのかしら」

茉莉花(モォリィフゥア)はジャスミンで百合も夏の花。

公主は蜂蜜(ファンミィ)業者は遠く満州(マンジュ)から南は蘇州(スーヂョウ)まで広く移動して採取している業者を特にひいきにしているという。

周徳海(チョウダハァイ)の使う蜜糖(ミィタァン)は、豊紳府の水源地香山村南側菜園近くの業者が、茉莉花(モォリィフゥア)の群落で採取していたものだ。

海燕はその微妙な香りを嗅ぎ取った哥哥を尊敬した。

王李香も「哥哥はお茶の嗅ぎ分けも最近上達しましたから」と認めている。

「これだけ周りに茶の名人がいれば少しはわかるさ」

先生がたくさんいても弟弟(ディーディ)は進歩していないというと公主に「哥哥と同じくらいは宜綿弟弟も嗅ぎ分けますよ」としっぺ返しをされている。

「雲嵐(ユンラァン)が妊娠して三月目というのは本当でしょうか」

おっかさんはうれしそうな顔で王李香(ゥアンリーシャン)に聞いている。

実は十二月の慧鶯(フゥイン)の出産の後、公主が「此処ではだれも」と嘆いたのを「娘娘、実は雲嵐(ユンラァン)様妊娠の可能があるのですが」と打ち明けた。

 

高信(ガオシィン)と宋慧鶯(ソンフゥイン)のフゥーチィー(夫妻)は予定日が大晦日から正月五日くらいと李香(リーシャン)が判定した通り大晦日の明け方から陣痛が始まった。

李香(リーシャン)と娘の胥幡閔(シューファンミィン)が呼ばれ、手伝いに雲嵐(ユンラァン)も公主の命で付き添った。

弟子筋の担当産婆も来ていた中、到着して一刻程、未の下刻には無事出産した。

嘉慶九年十二月三十日誕生の老大(ラァォダァ)は高叡(ガオルゥイ)と名がついた。

二人は女の子かと思っていたようだが胥幡閔(シューファンミィン)は「男の子で間違い無いですよ」と七ヵ月を過ぎると言っていた。

高信(ガオシィン)のムゥチィンは赤子を抱き上げて「あんたは父親とそっくりだわ」と嬉しさがこみ上げている。

身寄りも少ない慧鶯(フゥイン)にとって初めてのわが子に尊敬の念で対面した。

心の内で「耳は哥哥の子にまちがいないわ」とこれまでの疑問は消え、自信も生まれてきた。

高信(ガオシィン)は泊り番から陣痛の激しい時に戻ってきて、産室へ入れてもらえず寒さをこらえて庭をうろついていたが、生まれたと聞いて抱き上げるのに「先ず体と手を温めるように」と母親から注意された。

慧鶯の乳母が用意よく温めていた服を出し、着替えさせると高信はお湯に手を浸した。

自分の甥が生まれた時と同じ顔つきに加え、ムゥチィンの言葉に嬉しさが満杯の顔で慧鶯と対面し、考えていた名前を高らかに告げた。

「高叡(ガオルゥイ)とはすばらしい名前ですわ」

慧鶯(フゥイン)の誇りに満ちた顔は高信(ガオシィン)の誇りでもあった。

産婆の手伝いから二人残し、三人は豊紳府へ戻り報告した。

「予定日の初めの日に産まれるなんて、なんて律儀な子なんでしょう。花琳(ファリン)お祝いを調達して届けて頂戴」

「すぐに人を使わします。紫蘭(シラァン)様がよいでしょうか」

「赤ん坊に対面させるのもいい経験だわ。そうして頂戴。でもこの屋敷では暫く産まれる子もないのね」

寂しげに言う公主は子供好きだ。

「娘娘、実は雲嵐(ユンラァン)様妊娠の可能があるのですが」

王李香の言葉に「ええっ」と雲嵐自身が驚いている「五日ほど遅れてはいるのよ。でもそのくらいは時々ありますわ」と怪訝な顔だ。

あと十日もすれば確実なのですがと親子で頷いている、産室で気が付いたが確信が持てないので黙って戻ってきたという。

この屋敷ではとはいうが二軒南の蔡英敏(ツァイインミィン)のところで司景鈴(スーヂィンリィン)が最近男の子を産んでいるのだ。

嘉慶九年十月十六日男子誕生、蔡英元(ツァイインユァン)と名がつけられている。

 

おっかさんの話しから哥哥は子供への祝いの追加を思いついた。

高信自身は位も低く収入も少ない、陳洪(チェンホォン)のおかげで食いつないでいるくらいだ。

「シィア、相談だが」

「哥哥どうしました」

「買い戻したニィンの農地だけど、葉タバコの収穫も順調なので一部を高信(ガオシィン)の子供の名義にしてほしいのだが」

「あら其れ好いですわね。春播く作業がこれからですから責任者事二十万本分の畑を譲りましょうかしら」

「六万斤ほどは収穫できそうかな。姐姐(チェチェ)を呼んでこよう」

人をやって呼んでこさせると帳簿を見て「齊(チィ)に差配させましょう。莱玲の隣村をお祝いに附ければいいですわ」と調べだした。

六万斤は十六万銭ほどの収入になる、差配に一割、諸税に三割で六割が手に入れば農家が半分で三割四万八千銭、高家にも三割四万八千銭、それぞれに四十八串の銭(銀四十八両)が入ってくる。

「葉タバコの農地のほかは自由裁量ですから、農家もそちらだけでも三十人は養えます」

「では名義の変更を早速してね」

「すぐに連絡を取ります」

姐姐(チェチェ)は急いで門番詰め所へ向かって代人へ連絡を取りに行かせた。

公主の居間では音曲の宴が始まった。

午後の日差しは入らないがそよ風は暖かくそよぎ、扉や窓を開けたので笛の音は奴婢の作業所まで届いた。

姚杏娘(ヤオシィンニャン)は奴婢の手を休めて花園へ椅子を持ち出して皆で聞きほれた。

夢月も営繕の外に奴婢を出して音曲を楽しんでいる。

豊紳府ではめったにない機会だ、門番たちも浮かれている。

今日は海燕(ハイイェン)も香鴛(シャンユァン)に合わせた浮きたつ曲を続けて吹いている。

音曲に興味のない哥哥までが体を揺らして微笑んでいる。

大人は昂(アン)先生と顔を見かわして笑い出した。

「ふん、可笑しいかよ。俺だって笛や太鼓で浮かれることもあるんだ」

之には公主までもがくすくす笑い出してしまい、最後には身をよじって笑っている。

 

「明日は宜綿(イーミェン)様へ挨拶に行ってきます」

宜綿の邸は豊紳府とは皇城を挟んで西側の西四牌楼北側驢肉胡同になる。

此処は和珅(ヘシェン)、和琳(ヘリェン)の兄弟の生まれた邸だ。

後(のち)に宜綿(イーミェン)死後一度取り上げられたが、その後(ご)公主逝去の後(あと)福恩に下げ渡された。

明の時代に建てられた家で、豊紳殷徳(フェンシェンインデ)や豊紳宜綿(フェンシェンイーミェン)の祖父福建副都統李常保が拝領した邸だ。

 

明日の正月二十八日は信(シィン)の一行の都入りの予定、余裕を見て二十九日は静養、二月一日午前に両親への挨拶、二月二日夕刻からは龍抬頭の祭りで廊房頭条胡同幹繁老(ガァンファンラォ)で結の宴席が開かれる。

幹繁老(ガァンファンラォ)は信(シィン)一行を含め三十六人の選ばれた人の集まりだが、二十四人が別部屋で交互に挨拶を交わすことが出来る。

交流の為に来た人は楊閤(イァンフゥ)でも一日と三日に宴席が設けられているので信(シィン)は顔だけでも出す約束だ。

信(シィン)の一行は十六人で来ると聞いているが都を五日の昼の船出の予定、南京(ナンジン)の組は翌六日に豊紳府で別れの宴を開き七日の昼に通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲で船に乗り込む予定だ。

 

清国の正式な刻は九十六刻制(一刻は十五分)が採用されている。

一時辰を初刻と正刻の二つの小時に分けた。

午後11時台を例に取ると以下このように分けた。

初初刻(1100分・子の初刻)・初二刻(15分)・初三刻(30分)・初四刻(45分)・正初刻(1200分・子の正刻)・正二刻(1215分)・正三刻(1230分)・正四刻(1245分)

民間では不定時法の地域が有るように話を複雑にした。

 

大人は香鴛(シャンユァン)と海燕(ハイイェン)と龍夫妻の四人と荷物持ちの供二人の七人で辰の刻を待てずに新館を出た。

この嘉慶十年の正月二十八日は北京太陽暦千八百零五年二月二十七日になる。

 

瑠璃廠付近はすでに人で込み合って商店も賑やかな声が飛び交っている。

茶食胡同(チァシィフートン)にある楊閤(イァンフゥ)の前で香鴛は立ち止まって海燕とおっかさんに教えている。

大人は「三日の日はここで海燕と香鴛を漕幇(ツァォパァ)の人に紹介するのでそのつもりでいなさい」と知らせている。

「知っている人も来ているはずだから安心できるよ」

子供たちが知らない人ばかりだと気後れしないかと気を配ったようだ。

宣武門(シュァンウーメン)を潜ると左側に象の館がある、外へ象の声が聞こえてきた。

「ずいぶん大きな声で吠えるのね」

「だって体が大きい物。今の象は昔のより小さいそうよ」

「大きな象は観たことあるの」

「ないわ、今のだって夏でないと見れる人は限られてるわ」

「夏」

「そう、表の河で水浴びさせるそうよ。来てみたいな」

単牌楼の 瞻云 額の下を潜り先へ進むと人がたくさん集まる四牌楼がある。

大市街 と額がかかっている。

「東と西は違う額だよ」

東へ回ると 行儀 、西へ回ると 履仁 だ。

北側は南と同じ 大市街 だった。

「昨日の額は観たかい」

「大市街しか気が付かなかったわ。同じなの」

「そうなんだよ。知らずに来たら道に迷うぞ。東側と西側ではまるっきり違うからね」

西四牌楼北側、宜綿の生まれた邸の有る驢肉胡同(ルゥロゥフートン)に一家は住んでいる。

「天上龍肉地上驢肉(ティェンシァンロォンロウ・ディーシァンルゥロウ・天上には龍の肉あり、地上には驢馬の肉あり)」

大人は歌うように口ずさんでいる。

此処は大水で通りは溢れたが邸の中にはそれほど水が入ってこなかった場所だ。

訪れの声を大人がかけると門がすぐに開いた。

痩せた老人に「やぁ、元気そうでよかった」と大人が声をかけた。

「どうぞ」

言葉少なに邸の中へ手を指した。

「いらっしゃい」

雲嵐(ユンラァン)の姉は裴雲玲(ペイユンリィン)とよく似ている。

おっかさんは「二十七歳になるのよ」と言っていたが若く見える。

そういうおっかさんはまだ四十八歳だ。

伊綿(イーミェン)の継妻蘭玲(ラァンリィン)の子は福祥(フゥシァン)という嘉慶六年生れの五歳の男の子。

長男の福恩(フゥエン)は十一歳の利発そうな男の子だ。

香蘭(シァンラァン)は八歳だと自分から名前と年を告げた、おしゃまな様子とさぞかし美人に成りそうな顔立ちだ。

全員がまじまじと海燕(ハイイェン)に見とれている。

大人が「自分で」というので香鴛(シャンユァン)と海燕(ハイイェン)も自分の年齢と名前を名乗った。

おっかさんが「お土産がたくさんあるから」と告げて香蘭の手を取って家の中へ入って行った。

龍の小父さんは大男なので窮屈そうに家に大人(ダァレェン)と入っていった。

家は二百年以上は経っているようで大分古びている。

おっかさんが沢山のお土産を広げている。

天津(ティェンジン)のお菓子は幾種類もあって子供たちも目を丸くしてみている。

香鴛(シャンユァン)が「止めても聞かないのよ。次々手に取って全部っていうのですもの」と笑っている。

これだけあるという事は天津(ティェンジン)で海燕(ハイイェン)が見たのはほんの一部の様だ、後から届けられたのかもしれない。

二人の供の持ってきたのもおっかさんの荷だったようだ。

「雲嵐(ユンラァン)の事聞いたかい」

「本当なのね。しばらく行かないのでもしかしてとしか聞いていないよ」

「春鈴(ロンチュンリィン)はもう直に三人目が生まれるよ。今度は女の子が欲しいものさ」

「産婆さんはどういってるの」

「男じゃないかって」

上二人が男の子で女の子が生れるのを期待しているようで、産婆のいう事など信じたくはない様だ。

嘉慶六年、嘉慶八年そして嘉慶十年と子だくさんはいいが、娘からは男ばかりだと嘆いている。

「莞絃(ウァンシィェン)哥哥に莞幡(ウァンファン)弟弟のところは女ばかりじゃないの」

「ちっとも私やあんたたちにも似てやしない。つまんないよう」

「贅沢言っちゃだめよ。兄貴は美人に成ると親ばか言っていたわよ」

「ふん、本当に親ばかさ、わたしゃ産めるなら香蘭(シァンラァン)のような娘が欲しい」

龍のおとっさんは「いい加減にしろ」と怒鳴っている。

大人と宜綿(イーミェン)はワインの瓶を持ち出して二人で庭で飲んでいる、つまみはお土産の麻花(マーファ)をしっかりとくすねている。

おとっさんはいけない口なので誘われていない。

「龍莞鵬(ロンウァンパァン)のとっつあんこっちで伊太利菓子でもつまみなよ。茶は香蘭が入れてくれるさ」

おとっさんは誘われてのそのそと表に出て行った。

「アラ、この香り娘娘が飲ませてくださったのに似てるわ。少し香りが重いけど」

香鴛(シャンユァン)が言うと蘭玲はうなづいた。

「嘉慶五年十一番老延寿を用意すると聞いたわ。でもうちで分けてもらえたのは嘉慶八年の分からの小分けなの、でもこれが一番茶なのよ。二番と三番は飲み切ってしまったの。伊太利菓子の蜜糖(ミィタァン)の香りと似てるのでまたおねだりしなくちゃ」

宜綿(イーミェン)が庭からもう酔いが来ているような声で答えた。

「去年のはまだ手つかずであるから手控えで気に入った茶を強請(ねだ)ってこよう」

「あら、十一番老延寿はこの機会に年代順に飲ませるとおっしゃってましたよ。ね、おっかさん」

「海燕(ハイイェン)のいう通りさ。私たちが帰るころには十一番は底が見えるんじゃないかい」

宜綿(イーミェン)は泗水の亜米利加人がよくやる様にもろ手を挙げて「しまった手遅れになるのか」と騒いでいる。

おっかさんは「此処は次の子に女の子がいいねぇ」と宜綿(イーミェン)に声をかけた。

宜綿(イーミェン)は聞こえないふりだ。

蘭玲は知らん顔して茶を継ぎ足している。

香蘭(シァンラァン)が笑いながらおっかさんに答えている。

「大丈夫、爸爸(バァバ・パパ)の占いだと次は娘で長寿で出世間違いなしなんですって。でもねウーニャンにはしばらく子供が出来なくて三十五歳には妊娠出来るんですって」

「おや、娘で出世と言えば貴妃に皇貴妃かしら」

「家からですか、ちょっと難しい」

自分で占いをして信じていないのはどうしてだと大人に言われている。

「三十五歳といやぁあと八年ある。自分が占ってもどういうことだと気になると余計わからなくなりますよ」

昼は菓子で腹が膨れたからいらないと大人が言って午の鐘の後しばらくして帰ることにした。

 

宣武門(シュァンウーメン)を出ると茶食胡同(チァシィフートン)にある楊閤(イァンフゥ)の前に康演(クアンイェン)がいた。


「あれお前、信(シィン)様と一緒だったのか」

「いや、そろそろつく頃じゃないですか。関元(グァンユアン)が間に合って別の用事で出てきました」

「中で打合わせでもするか」

二人につられて小さな食堂の椅子に座った。

「海燕(ハイイェン)とは初めてか」

「噂通りですね。あとは笛でも聞かせていただければ」

「長引くとまずいので、今日は置いて来させたのさ」

香鴛(シャンユァン)はここにも泊ったことがあるので龍のおっかさんに聞かれるままに答えている。

姚翠鳳(ヤオツゥイファン)が康演用の特別茶だと「洞庭碧螺春」だと言って皆に振舞い、料理長で爸爸(バァバ・パパ)だと背の高い男を紹介した。

香鴛(シャンユァン)は洞庭碧螺春に碧螺春も知っているので「去年のですの」と康演(クアンイェン)に聞いている。

かわって翠鳳が「そうなの。旦那様のいる時しか私たちも飲めないのよ。特に去年は出来が良くて競争が激しく、普段の倍もしたと興藍行(イーラァンシィン)が言っていましたよ」と告げて戻っていった。

「ははは老大(ラァォダァ)に聞いても無駄だ。酒ならともかく茶は俺と同じ素人だ」

大人と康演(クアンイェン)は二人で大笑いしている。

楊與仁(ヤンイーレン)が蘭園茶舗(ラァンユェンチァプゥ)のために高くとも仕入れてきた特別品だ。

蘇州(スーヂョウ)に住んでいても住人には無縁の高値の品なのだ。

南京(ナンジン)、合肥(ハーフェイ)、上海(シャンハイ)の業者と組んでようやく二十擔手に入れ、都へ三擔だけ持ってこられたのだ。

申し合わせで南京(ナンジン)七擔、合肥(ハーフェイ)七擔、上海(シャンハイ)三擔、京城(みやこ)三擔の分配だ。 

流通していても容易に手に入らないのは鳳凰茶、鉄観音、武夷肉桂茶などだが香鴛(シャンユァン)は舅父(ヂォウフゥー)の教えで淹れ方に味は知っている。

洞庭碧螺春も最上級は内務府御茶膳房が選りによって持っていく。

おっかさんも「うまい茶ばかり続けて飲めるとはいい日だ」と眼を細めている。

酒飲みのくせに茶にも興味があるようだ。

「何を飲んできたのだい」

「今日は鳳凰茶の去年のいやもうおととしだ、十一番老延寿の一番茶、昨日は嘉慶五年十一番老延寿一番茶」

「ゲゲゲ、本気かい」

いくら茶は素人でも哥哥に宜綿の苦労話でそのくらいは知っている。

「娘娘、蘭玲」

「二人とも太っ腹だな」

「客が来て今年はようやく手を付ける気になったそうだよ」

大人も話の裏打ちをして可笑しがっている。

一斤銀(かね)五両出しても手に入るか難しい茶だ。

十斤五両が上茶と言われ其の十倍は覚悟がいる飲み物だ。

十人に一杯づつ回せば一両(一斤の十六分の一位)は必要な量だ。

いくら二番目(二煎)、三番目(三煎)でも味が好いのだと言っても、金額は出せる金持ちでも伝手が無ければ手に入らない。

前に福州(フーヂョウ)では鳳凰茶一斤四十両出して本物を手に入れたと思わせて二十五人が騙された。

京城(みやこ)なり広州(グアンヂョウ)へ来るまでに擔あたり十両程度が産地(集積地)からの送料に取られる。

一箱三十斤で四箱を一擔と数えた。

一擔百二十斤、一斤は明、清の時代今の596グラムと考えられている。

一擔71.5キログラムとして人力輸送の場合何キロを担がせたのだろうか。

量(かさ)がはるから上級茶で一箱17.9キログラム、寿眉(ショウメイ)などの普及茶で二箱35.8キログラムを振り分けで担いだのだろうか。

倍担いで一日歩けるだろうか。

夏に冰(ピン)を入れた冷えた茶に一両出せても、冰(ピン)が高価な時代、中の茶は鳳凰茶などは使えない道理だ。

「口直しにタルトタタン」

料理長がそのように言ってめいめいにおいたのは“林檎タルト”「伊太利菓子で教わってきた」口数少なく言うとでてゆき翠鳳が新しく茶を注いで配った。

「不思議な菓子だな」

それもそうだ周徳海(チョウダハァイ)が仏蘭西人から教わったものだ。

“伊太利菓子”は店の名で伊太利亜の菓子ばかりじゃなく、なんでも挑戦する「仏蘭西の菓子は甘ったるい」が周の口癖だ。

 

第三十五回-和信伝-肆 ・ 2023-01-19

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   

 

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。

時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

     
     
     

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     






カズパパの測定日記