第伍部-和信伝-

 第四十一回-和信伝-拾  阿井一矢  
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

無事に羅箏瓶(ルオヂァンピィン)の婚礼も済んだ。

富富(フゥフゥ)の時は安聘(アンピン)菜館が仕切ったので、今度は家でと甫唐燦(フゥイタァンツァン)が孜漢(ズハァン)に申し出た。

幹繁老は祝いの客の接待を引き受けてくれ、新館、旧館共に関連の客で大食堂は賑わった。

阮品菜店は前日に奇麗に洗われた。

新居は孜漢(ズハァン)が用意した、娘娘から出物はないのと言われて祝いにいい家が有ると証書の書き換えも急いで済ませている。

店から五十歩も歩かない炭儿胡同だ。

前の住人が大儲けし、鮮魚口端に大きな店を出し、空いたのを周甫箭が何か店でもと秋口に買い入れたものだ。

二軒建てられると判断し、自分の住まいを新築、もう一軒は貸そうかと界峰興で扱う事にしていた。

「そんなに縁起のいい家手に入れるなんて、甫箭(フージァン)は目端が利くわね」

娘娘は大喜びだ。

宋太医の表門へ公主府の馬車を二台まわし、インドゥと娘娘は南通用門を開けて宋太医の庭先で家から出て来る箏瓶を見送った。

提灯は豊紳府と公主府、二つを提げ、隆福寺街を抜けて東四牌楼では祝いの人で混雑した。

崇文門を出る馬車は付いてくる人が五十人ではきかないくらいいた。

前門、大柵欄は遠慮して大街を下り、遠回りして三里河街を西へ向かい前門(チェンメン)大街は小市街(珠市口)で横切り煤市街を北へ上がって、廊房頭条胡同で馬車を降りた。

あとの一台からは父母(フゥムゥ)が降り、知り合いと挨拶を交わしている。

取灯(チィーダァン)胡同の周りは嫁が廊房頭条胡同へ現れた時からお祭り騒ぎだ。

幹繁老で式を挙げ、阮品菜店へ夫婦でやって来る時には最高潮に達していた。

翌日から、忙しい毎日が始まり、新婚の甘い夢は見られなくとも、満足できる丈夫(ヂァンフゥー・夫)の扱いに、嫁に来てよかったと思う日々だ。

 

富富(フゥフゥ)は年下の姐夫(ヂィエフゥー・姉聟)が大層気に入り、自分の客扱いを勉強しろと教師ぶりを発揮している。

近所の娘たちも箏瓶と気が合うのか店へ来るのが楽しいと言っている。

富富(フゥフゥ)はこれからの孜漢(ズハァン)の旦那の食事会は、箏瓶が仕切るんだと家族で会議して決めさせた。

街の娘たちにも「箏瓶(ヂァンピィン)がこれからはあんたたちの姐姐(チェチェ)だ」と告げて「お腹が大きくなったら店には出ない」そう哥哥に宣言した。

永凜(イォンリィン)は妹妹が出しゃばらないか気を揉んでいたが富富(フゥフゥ)の心意気に感心してほめて回っている。

さぁ、次は弟弟の婿入りねと娘娘は遅れていた祝いの品を詰めだした。

「孜漢(ズハァン)、あなたお嫁さんを一度連れてきて」

孜漢(ズハァン)は衣装を整え豊紳府へ富富(フゥフゥ)を付けて送り出した。

「まぁいいわね。だいぶんと目立ちだしたわ」

まだ四月目に入るかどうかで気にしなければそれほど目立たない。

甫杏梨(フゥイシィンリィ)は初めての豊紳府に、おっかなびっくり富富の後をついて娘娘の居間へ入ったが、気安げな公主に驚いた。

「婿さんに優しくしてね」

「娘娘、そいつは反対だ。婿の方に言う言葉だ」

「いいでしょ。こんなに可愛いんだもの、泊り客におだてられて旦那に悋気の虫でも騒いだらいけないわ」

二人はこんな夫婦いいなと改めて思った。

杏の模様が浮き彫りされた簪を、インドゥから「お祝いだよ」と差し出されて自然と笑みが浮かんだ。

「ありがとう存じます。大切に使わせていただきます」

娘娘は「使わせていただきます」という杏梨が可愛く思えた。

そのあとは信たちの様子に四恩たちのことで話が弾んだ。

富富(フゥフゥ)がそばにいて頼りになるとつくづく思った。

四恩の大食いを揶揄いつつも「大切にしている余姚(ユィヤオ)邸の人たちは好いお客です」という言葉もインドゥがうれしいと言ってくれた。

富富(フゥフゥ)は遠慮なく「哥哥、娘娘」と言って話を盛り上げた。

面白い話か街の話題は何かあるときかれた。

「高信様がお友達といらっしゃいました。蘇州の親戚から会試へ出るので世話をしてほしいという人とご一緒でした」

「高信め、最近現れないな」

「蘇州の親戚は会試に受かったら宿代をもってやる。そう約束した手紙が来たんです」

なかなか面白い話だわと娘娘は身を乗り出した。

「朝陽門(チァオイァンメン)から入って高信様を道案内にするつもりだったようです」

「おやおや、反対に住んでいるやつに道案内させたか」

「面白い方で、本を読みだすと食事を忘れるんです。それも試験に必要なご本を投げ出して読み本あさりや、お知り合いの方に詩歌の本を持って来させてます」

そんな知り合いがいるんだとインドゥは話を続けさせ、小芳を呼ばせた。

「小芳(シィァオファン)は使女の内で一番淹れ方が上手い」とインドゥはおだててお客に腕を見せてくれと言いつけてくれた。

伊太利菓子も届き居間は温かい雰囲気で包まれている。

「その知り合いはお年寄りで、東便門からひょこひょこ何時も午の刻に現れてご一緒に面条を食べてゆかれるのです。その方も朝を食べるのを忘れたりするんだと聞きました」

娘娘はその老人に興味がおきた。

「なんという方なの其の蘇州の親戚から紹介されたかた挙人覆試は通ったの」

徐頲(シュティン)は難なく突破した。

二万人は受けただろうというが、二月十五日その一日の試験で一等に選ばれている。

半分が会試へ進んだがそこで最大でも四百人にふるい落とされる。

「まず一歩目は受かったのね。でもまだ只には成らないのね」

「フゥチンは最初から取らないつもりで引き受けたんですが、言うと気が抜けるなんて言ってます」

娘娘は面白そうに聞いている。

 

十二日には康演(クアンイェン)は天津(ティェンジン)にいた。

鹽坨地(イェントゥオディ・塩塊地)の李公楼橋の袂、春蓬楼(チュンパァンロォウ)に泊まっている。

最近紀経莞(ヂジングァン)の開いた二店目の栄興(ロォンシィン)近くで海河沿いに有る。

此方は穀物中心の取引用だ。

広州の荷を買い受けられるかの相談で何日か街中も通った。

栄興の主はなぜか渋い顔で出迎えた。

「切れが悪いな」

「荷を運ぶ船が法外な運賃を言うようになった。その荷で損を出しては康演哥哥に回す金がない」

間に入ってくれと頼まれた。

十四日の晩、京城(みやこ)で船を約束した淹(イェン)と云う親父がやってきた。

「まだいたのか」

「当たり前だ船はまだ出やしない。お前こそ早いじゃねえか」

「あたりめぇだ。客より遅くちゃ金がとれねえ」

「馬鹿じゃねえか。十人分三百両払ったぞ」

「おめえたちだけで上海(シャンハイ)へ行ったら大赤字だ。息子が荷受けの窓口で探し出した」

「単独行で客がいるのか」

「揉めてはいるらしい。それで早く切り上げた」

どうやら連れていた水夫たちに大盤振る舞いでもやらかしたようで、懐に風が吹き込んだようだ。

「ところで橋の名の李公って誰だ」

「しるか、俺たちが、餓鬼だったころ聞いたが、誰も知らないという話だ」

女たちは水夫と意気投合していたが、早めに定宿へ行かせて二人で飲み明かした。

二人になり話しは海賊や護送船の捐献(ヂュァンシィェン・献納)など秘密の事も多くなっていった。

十五日朝には宿へ来た取引でもめている漕幇(ツァォパァ)の杜西煉(ドゥシィリィェン)と、紀経莞(ヂジングァン)の仲立ちをしていた。

船は錦州府からきているという、杜西煉(ドゥシィリィェン)の紹介だが今日も、西煉めもめて逃げ出した。

「此処でも黄旗の取引が有効だと」

「出さなきゃ汕頭(シャントウ)は御免だ。上海(シャンハイ)の先は危なくて旗なしじゃ無理だ」

「積み荷の三割寄こせは商売になるものか」

こんな調子で三日無駄にしたと紀はお冠だ。

旗売りは表に出てこない、誰が元締めかしれてこない。

「千石船で船賃に二千八百両、旗が八百四十両、出してたまるか。しかも二十日出港だとよ。荷が早めに集まらずに護衛付きは出たばかりで、次は来月だ」 

「いやならほかの船主へ言ったらどうだ」

「いつからそんなに船賃が上がった。広州(グアンヂョウ)千石船二千二百両のはずだ」

康演(クアンイェン)も少しむかっ腹だ、酔いが取れていない。

「経莞(ジングァン)二十日でよけりゃ俺が頼んだ広州行きへ相乗りするか」

「康演(クアンイェン)哥哥、そんな船聞いてないぞ」

「家の南京船が十艘組んで二十九日に広州へ行く。上海(シャンハイ)は余裕を見て三月五日の約束だ」

「無茶だぜ、上海まで空でも飛ぶか」

「いや、江淹に京城(みやこ)で出会ってな。上海(シャンハイ)まで人を運んでもらう約束した」

上海で俺の着くのを待てと南京(ナンジン)と上海(シャンハイ)へ連絡は出したという。

「上海(シャンハイ)にはもう一船団と護衛の船が待っている予定だ。あいつのは千石船だ、一緒にくればいい話だ」

「俺は聞いてないぜ」

若い船頭が話の中へ入ってきた。

「おめぇ。誰なんだ」

康演(クアンイェン)大分腹が立っている。

「葫蘆島の江洪(ジァンフォン)だ、江淹(ジァンイェン)は俺のフゥチンだ」

錦州府興城県葫蘆島(フゥルゥダオ)の船で壺漕幇(フゥツァォパァ)と云われる組合だ。

「京城(みやこ)へ出るために来たのか」

「暇つぶしさ。フゥチンも昔なじみと会ういい機会だとよ」

「ははぁ、親父と違って色男で商売も上手そうだ」

紀は湯気でも立てそうになってきた。

「なんだと、お前江淹のバカ息子か。この野郎、俺からむしる気だ」

経莞(ジングァン)め相手の素性を知らなかったという事だ。

妹妹と出来ているとは杜西煉(ドゥシィリィェン)から聞いているようだ。

紀経芯(ヂジンシィン)は二十八の女盛りだ、二十五位に見える色男が出来て不思議じゃない。

七年前に運糟船の船主と婚姻したが、男は嘉慶六年の大水害の時、北運河で船がひっくり返って亡くなった。

「フゥチンが嘆いてたぞ。あちこちの女に八人も子を産ませたとな」

「銀(かね)が必要なんだよ。食わせにゃならねぇ」

之には二人もあきれている。

 

「船代どころか黄旗(免劫)も作り話か」

隣の部屋からフゥチンが出てきてひっくり返っている。

康演と江淹(ジァンイェン)は昨晩ここに泊まって飲み明かした。

「飲み過ぎたところへお前の声をきいちゃ出るに出られねえ。往生したぜ」

江洪(ジァンフォン)が話の元は、旗売りに会って広州ひと往復三百両で話を聞いたという。

「相手との連絡は船に三本黄色の流しを下げろと言われた」

江淹も海賊とは手を組みたくないようだ。

「試してみるか」

「いや逃げられるとあとが厄介だ。此処の総兵官でも絡んでたりすれば商売が止まる奴が増える」

康演(クアンイェン)はそういう事は慎重だ、小者じゃいくら捕まえも先は見えない仕組みだ。

 

直隷総督は顏檢(イェンヂィェン・廣東連平州人)駐保定。

嘉慶七年九月一日1802927日)着任。

普段は保定の総督府にいる、守備範囲は直隷省・河南省・山東省と広い。

昔貿易港の時代は年の半分は天津に駐在した(後に天津が駐在地となる)。

乾隆二十八年(1763年)より直隷総督が直隷省巡撫を兼任した。

直隷布政使は裘行簡(ヂゥシィンヂェン・江西新建人)駐保定。

嘉慶九年十二月二十四日(1805124日)着任。

山東巡撫は全保(チュァンパァォ・杭阿坦氏)駐濟南。

嘉慶十年正月二十六日(1805225日)着任。

河南巡撫は馬慧裕(マァフゥイイー・漢軍正黄旗)駐開封。

嘉慶七年四月八日(180259日)着任。

 

十八日朝に與仁(イーレン)一行が約束の春蓬楼(チュンパァンロォウ)に顔を見せた。

康演は「広州行きの船団が上海で合流して俺が乗ってゆくが。蘇州(スーヂョウ)上海(シャンハイ)は時間がかかるのか」と聞いた。

「いやどっちも連絡の確認だ。荷は無いから顔合わせだけだ」

「なら福州(フーヂョウ)まで一緒に行くか」

哥哥と宜綿に相談すると「間に合うのか」とそれでもよさそうだ。

江淹(ジァンイェン)の親子を引き合わせて明日の朝の卯の刻、朝陽が出たら出ようとなった。

遼寧の半島の先っぽ青泥窪口(チンニィワァコウ)へ向かいそこから南下する普段取らない航路だ。

「こんな海流初めて見た」

哥哥も驚いている、普段は烟台(イェンタァイ)へ海岸沿いに東へ進み、威海衛から半島を回って青島(チンダオ)へ。

それを青泥窪口から威海衛の東方へ出た、四日後日暮れ前に青島(チンダオ)の入り江に錨を降ろした。

「巧い操船だ」

宜綿も感心している。

江淹(ジァンイェン)も老大(ラァォダァ)が褒められて得意になって「これで女たらしじゃなきゃすぐにでも継がせるんだが」と言っている。

まるで女たらしも自慢の内みたいだ。

 

二十七日。

黄河(ファンフゥ)河口の南、城(塩城)の沖に停泊した。

「海賊が来たら終いだ」

「ここいらまで来る勇気はないさ。昔の倭寇じゃあるまいし」

黄河の砂で遠浅の海岸線に造られた塩田地帯を皆で眺めた。

 

「此処の四半分が結の塩田です。塩税はここらで二百万両を越しました」

「そいつはすごいな」

江淹は感心している。

「昔、高貴妃の哥哥は両淮の塩税の上り(あがり)を掠めたそうです」

四百万両にも上る賄賂を分け合ったという、それがもとで一族分裂がおきた。

 

両淮-淮水(淮河)をはさみ、北は黄河(旧流域)から南は長江(揚子江)まで。

 

両淮鹽运使(両淮巡監御史とも)高恆は三年で三万両を受けとり戸部侍郎へ転任。

後釜(後任)に従兄弟の高晋が赴任したが、乾隆帝の信任のある高恆へ賄賂が流れ、高晋は怒って上奏した。

調べたのは富察傅恆、高恆には四百六十七万両の不正が発覚、最初傅恒は左遷を言上したというが、乾隆三十三年1768年)処刑された。

之には後日譚があり高恆長子高朴(高樸)は玉の不正流通疑惑で、乾隆四十三年(1778年)処刑。

家系は高恆第四子高杞が継承し陜甘総督署理を受任している。

この物語に出る高信(ガオシィン)は高晋の孫になる。

 

この時代不正を見逃せば同罪とされる時代、生き残るのは生半可な事ではない。

 

昨年嘉慶九年の「結」の塩業は黄河(ファンフゥ)以南で塩税四百万両を優に超えたという。

 

この当時の黄河河口は七百年近く城(塩城)の北で黄海に開いていた

開封から北上したのは咸豊五年六月二十一日(千八百五十五年八月一日)咸豊黄河大改道により済水(大清河)の流域を飲み込み黄河本流となって渤海へ注いでいる。

その後も洪水はやむことなく続いた。

光緒十三年八月(千八百八十七年九月)の大洪水の時は九十万人が死亡したと伝わる。

 

「なぁ、今年も漕幇(ツァォパァ)で話題に出たが、結は万両の銀(イン)をくれるというのは本当かよ

「まさか、くれたりしないぜ。預かるんだ」

康演(クアンイェン)は両方へ加入しているものも居るのに、そいつに聞けと突っぱねた。

「三十年来の仲じゃねえか。こうして同じ船に乗ったんだ教えてくれ」

康演(クアンイェン)とは子供の時代からの付き合いだという。

「そこの背の高いお人が長だ」

「ずいぶんと若いじゃねえか」

康演(クアンイェン)まだ四十四歳、インドゥこと豊紳殷徳(フェンシェンインデ)は三十一歳になった。

長と言っても康演(クアンイェン)が代行しているも同じだ。

「預かった銀(イン)で何の商売に使おうと勝手だ」

「なら、むらうも同じだ」

「貰いっぱなしと思うやつ等(やつら)、入れる(はいれる)もんか。条件は有るのだ」

「やっぱりなぁ」

「余裕が出来ればな、十人に千両の提供が義務だが、余裕が無ければ待ってくれる仕組みだ」

「返すのじゃなく次の奴へ出すというのか」

「そういう事だ、利は不要だ。だがこの長になられた方はもう二十五人を超す推薦をした」

「大分ともうかるようだ」

「黙っていて年万両」

「おい康演、言い過ぎだ。手元になくていつの時も借りてばかりだ」

船端では皆で大笑いだ。

「俺の息子は入れるのか。京城(みやこ)で聞いたら遠戚でも無いのじゃ無理だろうと言われた」

「あの男なら紀経莞(ヂジングァン)の野郎が請け人なら簡単だ。船の操作は一人前だ。今幾つだ」

「今年で二十三だが。栄興(ロォンシィン)の紀経莞(ヂジングァン)となんの親戚関係はないぜ」

「藩羊肉菜館の紀経芯(ヂジンシィン)を知ってるだろ」

「江洪(ジァンフォン)の新しい女だ」

「紀の妹妹だ」

「そんなこと聞いたような気が」

「五十前でもう呆けたか」

二人のやり取りを回りは楽しんでいる。

「二人とも結の古株だ」

「馬鹿ぁ言うな。あの女どう見ても二十そこそだ」

聞いたら喜ぶだろうとインドゥは笑い出した。

「嘉慶六年の水害で丈夫(ヂァンフゥー・夫)が死んだ、寡婦で確か二十七か八だ」

インドゥもたまらず口をきいた。

「其れにしたって古株たぁ、なんですい」

紀の本家は天津でも有名な名家だが、此方は先代が放蕩者の一族だ。

紀経芯(ヂジンシィン)は二十八になる。

「そうだ俺が七歳の時に経莞哥哥と初めて出会ったんだ。ありゃ青島(チンダオ)の帰りだ。そのあと二、三年で経莞哥哥が結へ入ったと、後で聞いたぞ。妹妹は十六位で加入しはずだ」

「藩羊肉菜館は癸丑の年ですぜ。あっしの最初にお供で出た年でさぁ」

與仁(イーレン)が指折って「十二年まえでさぁ」と言った。

宜綿が大笑いで「今年は何だ」と言っている。

「乙丑ですぜ」

「指折るほどのもんかよ。ちょうど一回り十二年目だ」

「そうすと、十二年前なら十六歳で結に入れるんで」

江淹(ジァンイェン)はお国言葉で語尾がはしょられる。

「十四位はざらにいるぜ。女の方が多いくらいだ」

「そいつはいいこと聞いた。いい女捕まえたもんだ」

「咥えこまれた方じゃないのか」

宜綿の言葉に一同で手をたたいて騒いでいる。

 

二十八日夜明けとともに錨を上げ長江河口を目指した。

風が幸いして一気に五百里南下して冲がかりした、二十九日岬を回って長江(チァンジァン)へ入った。

「陽が落ちるのが遅くなって幸いだ」

崇明(チョンミン)の砂州に近づきすぎないように錨を降ろした。

二月二十九日(陽暦千八百零五年三月二十九日)予定より二日は早い。

手旗で合図すると結の船がやってきた。

「大分早いですね。連絡は今朝付いたばかりですぜ」

「天津(ティェンジン)を二日早く出られたんだ。俺のほかに九人降りて蘇州で仕事を片付けて来る」

小舟を呼んで島へ降りた。

上海(シャンハイ)の陸環芯(ルーファンシィン)にはその晩のうちに連絡を付けて蘇州で会う事にさせた。

夜はそこで泊まって朝に蘇州へ出た。

 

蘇州(スーヂョウ)は阮映鷺(ルァンインルゥー)の阮繁老には予約が入っていて泊まれず、繁絃(ファンシェン)飯店に泊まった。

翌日、丁夫妻は、一日遊んでいさせて康演は自分の店で留守の手配をした。

三儿子(サンウーズゥ・三男)関玉はもう戻っていた。

十日の天津出航の護衛付きに最初から載せる手はずで京城(みやこ)へ連れて行った。

朝から界峰興が寄こした徐(シュ)と曽(ツォン)は景延(チンイェン)がうまいもんでも食おうと連れまわしていた。

この二人も小さい時から仕込んだ者たちだ。

映鷺(インルゥ)は「家だってうまいものだしてやれる」とお冠だ。

 

インドゥと宜綿は虎丹(フゥダァン)に與仁(イーレン)の四人でひる酒だ。

昂(アン)先生は古なじみに呼び出され、どこかで宴会でも開くようだ。

虎丹は丁が言っていたように酒に強い。

「酔っぱらいの太医はまずいだろう」

「私は話に聞く外科が望みです。いくら酒好きでも毎日は飲みません。飲まないのも修行の内です」

など言いながら付き合っている。

 

夕方に上海から陸環芯が夫婦でやってきた、繁絃飯店で部屋は取れた。

「なんですよ、與仁さん。呼びつけるなんて。寄ればいいのに」

「與仁の奴、群れるのが好きなのさ」

「癖になってつい付いて来てしまったんだ」

軽口をたたいて今年の買い入れと上海引き取りの確認だ。

苑芳(ユエンファン)が「信様の帰りはどうなってます」とインドゥに聞いてきた。

「通惠河は予定の通りに出たよ」

「なら月始めの予定はそのままでいいですね」

「運河の方が倍は日にちがかかるからな」

先に着いていたと知れば関元も驚くだろう。

 

三月三日の朝にはまた上海(シャンハイ)へ戻って五日に福州(フーヂョウ)を目指した。

江淹(ジァンイェン)の船は寧波で康演の荷を積んで広州までの約束が出来たうえ、帰りの荷を積むとの契約でホクホクだ。

おまけに護衛船がついての極楽旅だ。

南京の結に漕幇(ツァォパァ)は「海賊の黄旗(免劫)なぞに銀(かね)が払えるか」の急先鋒で、沿岸の結と五つの漕幇(ツァォパァ)は戦船を五艘捐献(ヂュァンシィェン・献納)している。

康演は「ほかに総兵官にも別に金を集める手伝いもした」と酔った勢いで漏らしていた。

何、わざと酔った勢いの振りで仲間に入れようとの算段だ。

 

紀経莞の栄興(ロォンシィン)も広州で康演が買い入れた荷を引き受けるというので江洪(ジァンフォン)も浮きたっている。

往復四千四百両に上乗せ千二百両で荷も人も運ぶことにしてきた。

結局黄旗(免劫)に金を払わずに天津を出た。

三月九日、福州(フーヂョウ)ではインドゥに昂(アン)先生、丁(ディン)夫婦に虎丹(フゥダァン)が残り、宜綿(イーミェン)と與仁(イーレン)が徐(シュ)十八歳、曽(ツォン)十九歳を連れて汕頭(シャントウ・スワトウ)まで出かける。

汕頭(シャントウ)では広州からの戻り船に四人を乗せることも了承した。

海路往復千二百里を十二日目に早ければ戻る約束だ。

「風任せだ、遅れても連絡はつかねえよ」

江淹(ジァンイェン)め最近は自分がこの船団を率いてるかの様に意気盛んだ。

 

天津から広州まで海路六千八百里を積み荷の交換をしながら九十日での往復だ。

風次第で百十日は覚悟がいるが、行きより戻りの方が沿岸に南風の日が多くなる。

潮州(汕頭)から天津六千二百里、十三日という話もあるが、南風頼りの昼夜休まず直行だろう。

康演は江淹(ジァンイェン)の船に八張りの弩(ヌゥ)を積ませた、半分は倉庫に入れてある。

 

なんせ護衛船が寧波で一隻加わり三隻になり、二十二艘の大船団が行く先々で荷下ろし荷積みという仕事で潤うのだ、結の護衛船は商船も兼ねている。

海賊の情報網にこの船団の装備も伝わっているはずだ。

浙江の海賊(蔡牽)も結と漕幇の吹き流しと官許の旗を見れば近寄りもしない。

この鳳尾帮、水澳帮の流れを汲む蔡牽は越南の海賊の凋落に付け込んで勢力が広がりだした。

 

インドゥと宜綿はこの幇(パァ)と玉徳(ユデ)の繋がりを暴くのが目的だ。

 

相打ち覚悟で砲戦を仕掛けても儲けが出なきゃ手下に反乱を起こされてしまう。

結がマニラガレオンと手を組んだ噂も浸透してきた。

噂は想像以上の恐怖心を与えていた。

河に港なら夜討ちも可能だが、沿岸を離れれば近寄る前にマストから発見され、三倍は届く砲で殲滅されてしまう。

海賊だって仕返しされるのは敬遠する。

 

三月九日、福州(フーヂョウ)出航、三月十四日汕頭(シャントウ)出航。

船団は香港の鄭一(チェンヤッ)の跡目を継いだ張保仔(チョンポーチャ)の出方を見ていたが、無事に湾内から上げ潮に乗せて珠江(ヂゥジァン)を遡って広州(グアンヂョウ)へ汕頭から三日目巳の上刻に着いた。

三月十七日(陽暦千八百零五年四月十六日)

 

両広総督に赴任した那彦成(ナヤンチェン・章佳氏満州正白旗)はフォンシャン(皇上)の懐刀だ。

嘉慶九年十一月二十三日(18041224日)着任。

軍機大臣のままというのは噂で終わったが、代わりに陜甘総督を四か月軍機大臣と兼任させて広州へ送り込んだ。

それに合わせるかのように広東巡撫に百齡(張氏漢軍正黄旗)が広西巡撫から起用された。

いよいよ広州近在の海賊退治が本格的になる。

 

天津を二月十九日に出て、二十八日目、上海、蘇州で日にちを取ったにしては素晴らしい速度だ、しかも何度も荷降ろしで時間を取られている。

船団の帆の操作能力が高まり、遅い船は遠くへ送らない方針が、龍(ロン)兄弟の作戦だ。

「こんなに風に恵まれるとは」

「おお、まるで帰りの速度と同じくらい出てたな。遅れる船も出ないで幸いだ」

どの船でも同じような会話で安堵している。

 

三月二十三日汕頭到着には遅くも二十日には荷を積んで出る必要がある。

先行した船団は五日前に出たと聞いた、汕頭(シャントウ)は素通りの船団で、すれ違った頃合いは、こちらは汕頭(シャントウ)、潮州(チァォヂョウ)で荷降ろしの最中だ。

戻りは広州(グアンヂョウ)で仕入れてある葛布を汕頭で降ろして、菜種油を載せる約束も成立した。 

 

康演(クアンイェン)は初めての大船団での広州入りで、満足げに江淹(ジァンイェン)に「壺漕幇(フゥツァォパァ)も福州(フーヂョウ)まで来るなら二隻は砲を積める船が必要だな」と勧めた。

二人で荷降ろしは任せて、昔泊った珠海楼(ズーハイロォウ)へ「久しぶりに顔をだそう」江洪(ジァンフォン)へは「あとから来いよ」と店へ行くと、女老板(ヌゥーラオパン)が血相変えて怒り出した。

「なんだなんだ」

康演が焦るとなんと江淹(ジァンイェン)の胸ぐらをつかんでいる。

「腹ぼてのわたい残して逃げやがってどうしてやろうか」

「俺はしらんが何時の事だよ」

康演(クアンイェン)呆れている。

「十五年前だ。忘れた、知らないとは言わせない」

女がきぃきぃごえで騒いでいると背の高くて奇麗な姑娘が出てきた。

「媽媽(マァーマァー)何騒いでいるの」

「お前の親父だ。棒でも持ってきてぶっ飛ばしておやりよ」

姑娘にはとても十四、五には見えない妖艶さがある。

江淹(ジァンイェン)、旧悪をすっかり忘れていたようだ。

「お前何度か一人で来たのか」

「五度くらいだ」

「確か二年ほど勘当食らったよな」

「そん時だ。叔叔(シゥシゥ・叔父)が迎えに来て戻ったんだ」

葫蘆島(フゥルゥダオ)に三人子供がいて、勘当食らって広州(グアンヂョウ)まで流れてきたようだ。

親子で何という事だ(女たらしめ)と呆れているが、康演の老大(ラァォダァ)関元も前科がある。

とにかく纏めようと「謝らせるから勘弁してくれ。俺を覚えてるか」と灯を顔の前に持ち出した。

「おや平大人の老大(ラァォダァ)」

「思い出してくれたか。どうすりゃ許してくれる」

「此処の親父になるかい」

「そんな無茶な」

未練がなきゃそんな口は利かないなと康演はどうにかなりそうだと頭を絞った。

「娘の名は何だい」

「呉美麗(ンメェオリィ)」

娘が自分でそう告げた。

「こんな人がフゥチンじゃいやだ」

〆たと思った。

「婿入りして来たらいやなのか」

「そう」

媽媽(マァーマァー)も手を放して落ち着いた。

頭のいい娘のようで、手管の一つを見せたようだ。

「勘弁してくれれば出来ることはかなえて見せる」

「ふん、あんときとおんなじだ」

大言壮語は昔からの江淹(ジァンイェン)だ、これで喧嘩に何度引きこまれたことやらと思った。

「美麗が来月婿取りだが、店は汚いので肩身が狭いんだよ。友達のような奇麗な飯店に模様替えしたいんだ。サァできるのかよ」

江淹(ジァンイェン)め康演の方を見てきた「千とまとまった銀(イン)なんて今都合付かないぞ」と泣き言を言っている。

先払いの船代を使わない頭は有るようだ。

「娘の友達かい」

「そうだよ。遠い親戚だ。昨年奇麗な飯屋を始めたんだ。見てくりゃいい」

「店の名は」

「絃盧菜店(シィェンルゥツァイディン)」

げっ、聞いたことあるぞと思った。

「燈籠巷(ダァンロォンハァン)の江(ジァン)の大女儿(ダァヌーアル・長女)なのか」

「知ってるのか康演」

「聞いたことがある。知ってるだろ雷稗行(レェイヴァィシン)」

「昔、息子が人さらいから子供を奪い返したと評判だった」

絃盧菜店の江春鈴(ジァンシュンリン)の従兄妹だと説明した。

「おい、呉美麗(ンメェオリィ)、親戚は間違いないのかい」

媽媽(マァーマァー)が「その雷稗行の先代がアタイの哥哥だよ」

姥姥(ラァォラァォ)になる女将は華麗な女だった。

「呉運咸(ウーインシィェン)の妹か」

「ああ、だが媽媽(マァーマァー)はお妾だから、あたいも娘も白い目で見られてきたんだ。それでも腕のいい料理人が婿に来てくれると決まったのさ」

呉運宣(ンインシュアン)は美麗の従兄妹だということだ。

「もしかして結というのは聞いたことあるか」

「聞いたけどあたしんとこくらいじゃ無理な話さ」

「そうでもなさそうだぜ。江洪(ジァンフォン)が来るのをまとう」

「そいつは誰だよ」

女老板(ヌゥーラオパン)は知らないようだ。

美麗(メェオリィ)の哥哥だ

「言うのかよ。恥ずかしいじゃねえか」

何をいまさらと怒りたくなった。

「其れよりお前の息子たち、みんないい男なのか」

「そうだ、俺に似てるな」

威張っていやがると可笑しかったが、美麗(メェオリィ)は江洪(ジァンフォン)に何処か似ている。

やってきた江洪(ジァンフォン)は可笑しな雰囲気に不審げだ。

「江洪、お前さん結に入る気はあるのか」

「おいらにゃ無理筋だろ」

「それが出来ちまったんだ」

「どうしてだ」

「天津(ティェンジン)で女が出来ただろ」

「ああ、寡婦と好い中になったぜ。おいらも一人もんだ嫁に来いと口説いた」

一人もんが呆れるが、婚姻はしていない女達に産ませた子が八人もいる。

「もし婚姻が成立すれば俺が一番筆で十人集めてやる。どうする」

「仲立ちしてくれるのか」

「してやる」

親父の顔を見ていたが「フゥチンが許してくれれば婿になりたい」と言ってきた。

こりゃ話が難しいと思ったら「いいだろう二儿子(アルウーズゥ・次男)が最近やる気だから、お前の好きにしろ」と快諾した。

なんだこの親子と思ったが、もう一つ片付けることがある。

「其れなら待つことぁない。早速俺が一筆書く。広州(グアンヂョウ)であと九人は俺が見つける。船出の前に万の銀(イン)を出させる」

親子で呆れた顔をしている、呉(ン)の母娘も口が開いていた。

「其れでな、十人集まったら妹妹に一筆書け」

「俺に妹妹なぞいやしねぇよ」

「その目の前の姑娘が妹妹だ」

親父の顔を見て笑い出した。

「今まで内緒かよ」

「今日初めて会ったんだ」

説明がややこしいが全員納得させた。

「哥哥一人じゃ千両だけなの」

「俺も書く。それに呉(ン)の兄弟。持って行き様によっちゃ江春鈴(ジァンシュンリン)、其れと呉(ン)の義妹たちも書いてくれるように俺が話す」

「絃盧菜店並みに出来るよ。媽媽(マァーマァー)。よかったね」

女老板(ヌゥーラオパン)さっきの勢いは何処へやらわぁわぁ泣き出した。

聞けば十六で娘をはらんだという、まだ三十そこそこだが見た目は老けている。

さぞ苦労して来たのだろうと同情した。

 

サァ忙しいぞと康演は店を飛び出て雷稗行(レェイヴァィシン)へ急いだ。

「壺漕幇船の荷は降りましたよ。明日には汕頭、上海、天津への荷も積み込みます」

儲賢(チューシィエン)が手控えを見ながらこっちを見もしないで話している。

「ほかの船も皆さん大忙しで河岸は混雑が凄いですよ」

呉運宣(ンインシュアン)が戻ってきた。

「おや康演さんどうしました上気した顔で。昼酒ですか」

哥哥はいつも平静だ。

二人を座らせていきさつを詳しく話した。

「珠海楼(ズーハイロォウ)の呉美麗(ンメェオリィ)に婿ですか。ありゃ従兄妹ですぜ、いいでしょうよ。一族総出で応援します」

さすが一族のまとめ役を引き受けるだけのことは有る、即決で応諾した。

「俺と哥哥は必ず入れてくれ」

「その哥哥もこちらで」

「これから王太太のところで人選を」

「いや、康演さん以外は此方で、でなきゃ恥でございますよ」

インドゥが頼りにしたわけだ、どんどん大きな男に為ってゆく。

 

慌ただしい一日が暮れ、珠海楼(ズーハイロォウ)へ呉運宣(ンインシュアン)が王太太や船頭八人とやってきた。

「家の者は来ませんが、この人たちが顔合わせついでに銀(かね)を運んでくれました」

卓脇に大きな箱を四個ずつ積み上げた。

「それからこれが、あなた方兄妹の証書です。一度目を通して王太太へ渡してください」

通過儀式だ、二人はこれで正式な「結」の一員だ。

「普通二千は手元に置いて次の人へ承認の銀(イン)にしています。無理な投資だけ気をつければ自由に使えます」

二人は証書を見て王太太へ渡した。

箱は二千五百両入りだ一箱で百六十斤(九十五キロ・中身だけ)ほどになる。

独りで担ぐには重すぎる、荷車が必要だ、二人で担ぐように棒を入れる金具もある。

「家に置くのが不安なら雷稗行(レェイヴァィシン)なり王太太へ預けてください」

女老板(ヌゥーラオパン)の呉幡桃(ンファンタァオ)が「家の直しの分で一箱、三箱は雷稗行で保管してください」と頼んだ。

「俺の方は船に運びこむよ。うちの水夫に取りに来させる」

船頭が受け取りを出して三箱運び出し、王太太は後を附いて行った。

「さ、手続きは完了だ。あとは康演さんに任せました」

呉運宣(ンインシュアン)が笑いながら出て行った。

残された一同はあまりの事に暫く呆然としている。

徐々に店の喧騒が耳に届いたようで話に花が咲いた。

仲居が「飯はどうします」と云うので「じゃんじゃん頼む」と江淹(ジァンイェン)が浮かれていった。

仲居が支度に出ていくと「江洪(ジァンフォン)、今晩は銀(かね)と寝るんだな」と笑っている。

 

翌十八日朝、女老板(ヌゥーラオパン)が最高の笑顔で粥を注いでくれた。

江淹(ジァンイェン)は偉く疲れた顔で降りてきた。

あまり飲まなかったはず、しげしげとみると下を向いて粥に専念している。

女老板(ヌゥーラオパン)の方を観ると真っ赤になった。

「くそっ、撚りを戻しやがった」

心の中で舌打ちする康演だ。

早々と江淹(ジァンイェン)を連れ、自分の荷の仲買の店を回った。

「ふん、腰がふらついてるぞ」

「揶揄うなよ。娘を産んで寡婦のつもりで働いてきた。そう言われちゃ」

「老大(ラァォダァ)の事笑えるか。あそこは定宿じゃねえから知らなかったが親子代々手が早いのか」

「お前といい勝負だろ」

 

十九日は朝暗いうち雨が降り、「アッラーフ・アクバル」の声が湿っている。

また二人で街を回った、與仁(イーレン)に聞いた城内の日和見の事を思い出して帰りの日和見を聞いた。

「これから先、三十日は南の風で嵐は来ない」

いいご宣託だ、二人は銀票一両ずつ奉納した。

「今降りてきたが其の色男に子供が出来る。今年は孫も生まれる」

ほんとかよと思ったが江淹(ジァンイェン)は思い当たりが有るので、子供の事は本気にした。

天清門を出て橋を渡り太平街の王太太の店を訪ねた。

二人で礼を言って海賊の状況を教えてもらった。

「面白い話が聞こえてきたよ。結のガリオン船が南下しているそうだ」

「泗水(スーシュイ、スラバヤ)へでも行くのかな」

「台湾の海賊が和国の船を襲おうとしてね、琉球の東へ出たそうだ。結の南京船が小島へ運ぶ食料の話しを聞いて出てきたとの噂だよ」

「いつの事です」

「今朝の船が教えてくれた。二月十三日だそうだ。海賊の奴ら逃げ足の速い船でガリオンといい勝負だそうだ」

琉球付近から一月で広州に来る船は英吉利か阿蘭陀だろうと思った。

此のところ各国入り混じって港は混雑している。

「考えてるね。墨西哥だよ、桑方西斯哥(サンファンシィスゥコァ)から来た船さ」

種明かしもしてくれた。

「聞いたことない街だ」

「あたしも初めて聞いた。アカプルコより北の街だそうだ」

墨西哥の船と情報交換でもチィェンウー(銭五)はしているのだろうか。

 

三月二十日広州

卯の刻に引き潮が始まるというので順番待ちで混雑する中を「結」と漕幇(ツァォパァ)の二十二艘は後ろからのんびりと岸を離れた。

「これだけ多くがくだっちゃ海賊も赤柱(チェクチュウ)から出られないだろうぜ」

赤柱(チェクチュウ)付近は張保仔(チョンポーチャ)の本拠地と思われている、香港島の先っぽの村だ。

小さな入り江に小島が密集していて大型船は近寄れない。

二十三日の未下刻(午後三時頃)ようやく汕頭(シャントウ)へ着いた。

荷物の積み替えが明日となって宜綿の一行へは明日の午に迎えを出すと連絡を出した。

潮州(チァォヂョウ)での積み替えは三艘だけで寄らずに韓江へ回っていった。

 

第四十一回-和信伝-拾 ・ 23-02-02

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

     
     
     
     
     
     

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     





カズパパの測定日記

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