五月十七日(陽暦千八百零五年六月十四日)
巳の刻に結の波止場に徐(シュ)老爺の船が付いた。
五日程滞在することになった。
上手く空きのある船の日程がつかめないせいだ、蘇州(スーヂョウ)まででいいかと話し合った。
「どうせならこの船で揚州江都へ行きますか、そこから蘇州なら幾らでも居ますぜ」
「たまには淮揚菜で宴会でもするか。付き合えよ。船の番人にも差し入れさせるぜ」
これは宜綿(イーミェン)の希望の様だ。
日程が決まれば與仁(イーレン)の方はそれに合わせて仕事も多くなる。
二十二日に大風が吹いて出られない、二十四日、二十五日と上流で大雨でも降ったか流れが急で船が出ない、上ってくる船も見当たらない。
笑うしかない。
二十八日にようやく収まりだして六月二日(陽暦千八百零五年六月二十八日)ようやく夕刻に出られることに成った。
「では明日の卯の刻に船出だ」
前日に乗り組むことに成った。
檀飛燕(タァンフェイイェン)と香鴛(シャンユァン)に別れを言って結の港へ船で出た。
三日卯の刻前、多くの人に見送られて徐(シュ)老爺の五百石船は港を離れた。
「やはりまだ流れは速いな」
「こん位普通でさぁ。ま、上るにゃ辛いですがね」
少しでも上りたい船が両岸で太綱を二十人ほどで引いている。
「あんなに金をかけて急ぎは大変だ」
下る船はあるが、上る大きな船は港から出てこられないようだ。
四日夜明け前、六合縣の停泊地を出て京杭大運河へはいり、邵伯鎮(シャォポォジェン)へ午の下刻に着いた。
前にも泊ったことが有る、その時も船は徐(シュ)老爺だった。
此処からでも十九日有れば最速運河でも到着する。
間が悪きゃひと月かかる。
酒を飲みながらどうするか相談することにした。
徐(シュ)老爺は一緒に行きましょうやという。
與仁(イーレン)もこのまま行こうという。
二人とも呑んで考えても同じだと思っている。
崙盃(ロンペェイ)大酒店がお勧めだと埠頭の役人が話してくれた。
五銭の銀(イン)を與仁(イーレン)が渡して道順を聞いた。
上から来た船の舳先で男が「哥哥」と大声で叫んでいる。
のっぽの哥哥は遠目でもわかる。
「おいおい、ありゃ弟弟だ」
梁冠廉(リィアングァンリィエン)が「どちらへ」と聞きながら舫を止めている。
「こっから運河で行くか、上海へ出て天津へ行くか決めてないんだ」
「南京(ナンジン)ならお客が減るんで二十人は楽に乗れるんですがね」
「その南京(ナンジン)から来たばかりだ。長江登りはまだ強(きつ)いぞ」
「何かありましたか」
「上で大雨でもあったか南京(ナンジン)で長逗留してしまった」
徐(シュ)老爺が替わって長江の様子を説明した。
冠廉の船からどんどんと踏み板を踏んで人が次々降りてきた。
水夫が荷物を降ろして確認をさせている。
女連れが子供と降りてきて同じ手順で街へ向かっている。
彭(ペン)が冠廉に「早く着いた分と余分な客の分割り戻しをしてくれ」と言ってきた。
「六両の四日分で二十四両ですね」
金庫番の水夫に銀(かね)箱を出させて盆に十両二枚と两両二枚の銀票をおいた。
「余分な客と言いましても今朝乗せた人の分のいくら差し出せばよろしいので」
「六人だ、船賃の四半分でいい」
「三両の四半分ですから」
「七百五十文」
「左様ですね。銀(イン)七銭と五十文でよろしいでしょうか」
「それでよい」
金を出させて盆に置いた。
「まことに有難うございました。次の機会がありましたらよろしくお願いいたします」
「いい扱いだ、贔屓にするぜ。京城(みやこ)へ来たら顔を出せ」
深く礼をして見送った。
その男を待って大勢の学者風の男たちがぞろぞろ街へ向かっていった。
「ずいぶんと横柄な奴だな。どうして怒らない。我慢するにもほどがある」
宜綿(イーミェン)は怒っていた。
「いえね。あの中に姐姐(チェチェ)に頼まれた人がいるんですよ。それも今年の進士がほとんどでね」
「今のも進士か。やけに銀(かね)に細かいな」
「ほかの人たちも困っておりましたよ。前はあんな人じゃなかったという人がいましたぜ」
「名は」
「皆さま彭(ペン)哥哥と」
「これからどうする」
「明日長江(チァンジァン)出口の港まで出て決めます。南京(ナンジン)へあと二人運びますので、皆さま今日は」
「さっき與仁(イーレン)が聞き込んだ店で宴会でもするさ。徐(シュ)老爺の方へ出前を頼むからそっちは何人分頼めばいいんだ」
「わっちを入れて十三人。それと客の分おねだりしても」
店の名を聞いて夜に顔を出すと約束した。
崙盃(ロンペェイ)大酒店は名前にたがわず大きな店だ。
徐(シュ)老爺は與仁(イーレン)と、出前をしてくれるか店と相談をして船を告げて届けさせた。
申の上刻(平均午後三時。午後三時四十分頃)が過ぎ宴席へ案内された。
水辺の宴席は見渡す景色も料理の一つだ。
丁(ディン)の妻の郭絃青(グオイェンチィン)もインドゥ達と旅慣れて最近は遠慮もなくなった。
「娘は行くなというけど孫も大きくなりすぎて可愛げがない」
なんて言っている。
徐(シュ)、曽(ツォン)も帰りは遠慮が無くなって宜綿は満足げだ。
夕日が水辺を染める頃、冠廉がやってきた。
「さっきの進士及格(ヂィグゥ)の人たちもこの宿ですぜ。此の反対の棟で宴席が始まるようです」
こっちはもう食べ終わったが「どこかで軽く飲もう」と宜綿(イーミェン)が誘った。
與仁(イーレン)、インドゥ、昂(アン)先生に徐(シュ)老爺の六人で小部屋を取ってもらった。
球花露(ヂゥファルゥ)、瓊花露酒(ヂィオンファルゥジュ)を勧められた。
つまみは清溜河蝦仁。
河蝦仁(フウシィアレェン・川海老)は酒とよく合って美味い。
「此の塩味が酒に好いですね」
冠廉は合肥(ハーフェイ)の蝦とはだいぶ違うという「あそこのは油で揚げるほうが旨い」というと仲居が「ここらでもお客様が望めば油で揚げてぱりぱりしたのを楽しめますわ、もちろん頭も一緒です」と勧めた。
インドゥが「其れ人数分」と頼んだ。
先ほどの宴席でも川蝦の雞蓉蝦仁(チーロンシャレン)と言って出されたのを食べたばかりだ。
さっきは蝦だけじゃなく鶏の餡がかかっていた。
料理長が「油泡(パオユウ)は此の酒で試してください」と瓶を自ら持ってきて勧めた。
洋河大曲(ヤンハーダーチィ)だ。
「これを飲んだら宿遷(スーチェン)まで戻りたくなるな」
冠廉はまだ酔いもしていないはずだ。
「蝦はパリッとして美味い。酒が美味い」
宜綿(イーミェン)は上機嫌だ。
與仁(イーレン)は「この頭が美味い」といって、「頭の油鍋(ユウクオ)で一品作ったら丸儲けだ」と笑い出した。
「実は京城(みやこ)で甫箭(フージァン)に聞いたのですが。阮品菜店の二儿子(アルウーズゥ・次男)が幹繁老の杏梨(シィンリィ)の婿の話しはお聞きでしょうが、親父さんの阮永徳が嫁を貰いました」
「そろそろいいころだ」
「それが富富(フゥフゥ)と同い年で」
中々気を持たせる言い方だ。
「いやに勿体無い風な言い方だ」
「いえね。知らない方が面白い」
「そんな驚く相手か」
「実は府第の使女」
皆がいろいろ想像しだした。
「わからん、娘娘の使女くらいだが」
方小芳(ファンシィァオファン)は簡単に手放さんだろうとインドゥも首を傾げた。
「わかりゃ大変なものですがね。双蓮(シィァンリィエン)さんですぜ」
「ありゃ色っぽいが十三のはずだ」
宜綿(イーミェン)びっくり眼だ。
「それがね子守っ子に出る時、仲介に十歳じゃなきぁ相手の気に入らないというのでそれを守っていて、湯老媼(タンラォオウ)も聞き込んだときは仰天してご注進となったそうです。四つ、いや五つだか年が違うそうでね」
其れと婚姻が結びつかない、冠廉もそれ以上は聞いて来なかったという。
姐姐の系図話と船の事で頭が混乱したという。
只、夫婦になって王(ゥアン)さんの後の食堂を引き受けたことは覚えてきた。
「王(ゥアン)は大舅子(ダァーヂォウヅゥ・妻の兄)の具合が悪いと言っていたから後でも引き継いだのだろうが。よく府第に勤める気になったものだ」
中年男と双蓮が上手くいくことを願って乾杯した。
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