第伍部-和信伝-壱拾肆

 第四十五回-和信伝-壱拾肆

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

五月十七日(陽暦千八百零五年六月十四日)

巳の刻に結の波止場に徐(シュ)老爺の船が付いた。

五日程滞在することになった。

上手く空きのある船の日程がつかめないせいだ、蘇州(スーヂョウ)まででいいかと話し合った。

「どうせならこの船で揚州江都へ行きますか、そこから蘇州なら幾らでも居ますぜ」

「たまには淮揚菜で宴会でもするか。付き合えよ。船の番人にも差し入れさせるぜ」

これは宜綿(イーミェン)の希望の様だ。

日程が決まれば與仁(イーレン)の方はそれに合わせて仕事も多くなる。

二十二日に大風が吹いて出られない、二十四日、二十五日と上流で大雨でも降ったか流れが急で船が出ない、上ってくる船も見当たらない。

笑うしかない。

二十八日にようやく収まりだして六月二日(陽暦千八百零五年六月二十八日)ようやく夕刻に出られることに成った。

「では明日の卯の刻に船出だ」

前日に乗り組むことに成った。

檀飛燕(タァンフェイイェン)と香鴛(シャンユァン)に別れを言って結の港へ船で出た。

三日卯の刻前、多くの人に見送られて徐(シュ)老爺の五百石船は港を離れた。

「やはりまだ流れは速いな」

「こん位普通でさぁ。ま、上るにゃ辛いですがね」

少しでも上りたい船が両岸で太綱を二十人ほどで引いている。

「あんなに金をかけて急ぎは大変だ」

下る船はあるが、上る大きな船は港から出てこられないようだ。

 

四日夜明け前、六合縣の停泊地を出て京杭大運河へはいり、邵伯鎮(シャォポォジェン)へ午の下刻に着いた。

前にも泊ったことが有る、その時も船は徐(シュ)老爺だった。

此処からでも十九日有れば最速運河でも到着する。

間が悪きゃひと月かかる。

酒を飲みながらどうするか相談することにした。

徐(シュ)老爺は一緒に行きましょうやという。

與仁(イーレン)もこのまま行こうという。

二人とも呑んで考えても同じだと思っている。

崙盃(ロンペェイ)大酒店がお勧めだと埠頭の役人が話してくれた。

五銭の銀(イン)を與仁(イーレン)が渡して道順を聞いた。

上から来た船の舳先で男が「哥哥」と大声で叫んでいる。

のっぽの哥哥は遠目でもわかる。

「おいおい、ありゃ弟弟だ」

梁冠廉(リィアングァンリィエン)が「どちらへ」と聞きながら舫を止めている。

「こっから運河で行くか、上海へ出て天津へ行くか決めてないんだ」

「南京(ナンジン)ならお客が減るんで二十人は楽に乗れるんですがね」

「その南京(ナンジン)から来たばかりだ。長江登りはまだ強(きつ)いぞ」

「何かありましたか」

「上で大雨でもあったか南京(ナンジン)で長逗留してしまった」

徐(シュ)老爺が替わって長江の様子を説明した。

冠廉の船からどんどんと踏み板を踏んで人が次々降りてきた。

水夫が荷物を降ろして確認をさせている。

女連れが子供と降りてきて同じ手順で街へ向かっている。

彭(ペン)が冠廉に「早く着いた分と余分な客の分割り戻しをしてくれ」と言ってきた。

「六両の四日分で二十四両ですね」

金庫番の水夫に銀(かね)箱を出させて盆に十両二枚と两両二枚の銀票をおいた。

「余分な客と言いましても今朝乗せた人の分のいくら差し出せばよろしいので」

「六人だ、船賃の四半分でいい」

「三両の四半分ですから」

「七百五十文」

「左様ですね。銀(イン)七銭と五十文でよろしいでしょうか」

「それでよい」

金を出させて盆に置いた。

「まことに有難うございました。次の機会がありましたらよろしくお願いいたします」

「いい扱いだ、贔屓にするぜ。京城(みやこ)へ来たら顔を出せ」

深く礼をして見送った。

その男を待って大勢の学者風の男たちがぞろぞろ街へ向かっていった。

「ずいぶんと横柄な奴だな。どうして怒らない。我慢するにもほどがある」

宜綿(イーミェン)は怒っていた。

「いえね。あの中に姐姐(チェチェ)に頼まれた人がいるんですよ。それも今年の進士がほとんどでね」

「今のも進士か。やけに銀(かね)に細かいな」

「ほかの人たちも困っておりましたよ。前はあんな人じゃなかったという人がいましたぜ」

「名は」

「皆さま彭(ペン)哥哥と」

「これからどうする」

「明日長江(チァンジァン)出口の港まで出て決めます。南京(ナンジン)へあと二人運びますので、皆さま今日は」

「さっき與仁(イーレン)が聞き込んだ店で宴会でもするさ。徐(シュ)老爺の方へ出前を頼むからそっちは何人分頼めばいいんだ」

「わっちを入れて十三人。それと客の分おねだりしても」

店の名を聞いて夜に顔を出すと約束した。

崙盃(ロンペェイ)大酒店は名前にたがわず大きな店だ。

徐(シュ)老爺は與仁(イーレン)と、出前をしてくれるか店と相談をして船を告げて届けさせた。

申の上刻(平均午後三時。午後三時四十分頃)が過ぎ宴席へ案内された。

水辺の宴席は見渡す景色も料理の一つだ。

丁(ディン)の妻の郭絃青(グオイェンチィン)もインドゥ達と旅慣れて最近は遠慮もなくなった。

「娘は行くなというけど孫も大きくなりすぎて可愛げがない」

なんて言っている。

徐(シュ)、曽(ツォン)も帰りは遠慮が無くなって宜綿は満足げだ。

夕日が水辺を染める頃、冠廉がやってきた。

「さっきの進士及格(ヂィグゥ)の人たちもこの宿ですぜ。此の反対の棟で宴席が始まるようです」

こっちはもう食べ終わったが「どこかで軽く飲もう」と宜綿(イーミェン)が誘った。

與仁(イーレン)、インドゥ、昂(アン)先生に徐(シュ)老爺の六人で小部屋を取ってもらった。

球花露(ヂゥファルゥ)、瓊花露酒(ヂィオンファルゥジュ)を勧められた。

つまみは清溜河蝦仁

河蝦仁(フウシィアレェン・川海老)は酒とよく合って美味い。

「此の塩味が酒に好いですね」

 

冠廉は合肥(ハーフェイ)の蝦とはだいぶ違うという「あそこのは油で揚げるほうが旨い」というと仲居が「ここらでもお客様が望めば油で揚げてぱりぱりしたのを楽しめますわ、もちろん頭も一緒です」と勧めた。

インドゥが「其れ人数分」と頼んだ。

先ほどの宴席でも川蝦の雞蓉蝦仁(チーロンシャレン)と言って出されたのを食べたばかりだ。

さっきは蝦だけじゃなく鶏の餡がかかっていた。

料理長が「油泡(パオユウ)は此の酒で試してください」と瓶を自ら持ってきて勧めた。

洋河大曲(ヤンハーダーチィ)だ。

「これを飲んだら宿遷(スーチェン)まで戻りたくなるな」

冠廉はまだ酔いもしていないはずだ。

「蝦はパリッとして美味い。酒が美味い」

宜綿(イーミェン)は上機嫌だ。

與仁(イーレン)は「この頭が美味い」といって、「頭の油鍋(ユウクオ)で一品作ったら丸儲けだ」と笑い出した。

「実は京城(みやこ)で甫箭(フージァン)に聞いたのですが。阮品菜店の二儿子(アルウーズゥ・次男)が幹繁老の杏梨(シィンリィ)の婿の話しはお聞きでしょうが、親父さんの阮永徳が嫁を貰いました」

「そろそろいいころだ」

「それが富富(フゥフゥ)と同い年で」

中々気を持たせる言い方だ。

「いやに勿体無い風な言い方だ」

「いえね。知らない方が面白い」

「そんな驚く相手か」

「実は府第の使女」

皆がいろいろ想像しだした。

「わからん、娘娘の使女くらいだが」

方小芳(ファンシィァオファン)は簡単に手放さんだろうとインドゥも首を傾げた。

「わかりゃ大変なものですがね。双蓮(シィァンリィエン)さんですぜ」

「ありゃ色っぽいが十三のはずだ」

宜綿(イーミェン)びっくり眼だ。

「それがね子守っ子に出る時、仲介に十歳じゃなきぁ相手の気に入らないというのでそれを守っていて、湯老媼(タンラォオウ)も聞き込んだときは仰天してご注進となったそうです。四つ、いや五つだか年が違うそうでね」

其れと婚姻が結びつかない、冠廉もそれ以上は聞いて来なかったという。

姐姐の系図話と船の事で頭が混乱したという。

只、夫婦になって王(ゥアン)さんの後の食堂を引き受けたことは覚えてきた。

「王(ゥアン)は大舅子(ダァーヂォウヅゥ・妻の兄)の具合が悪いと言っていたから後でも引き継いだのだろうが。よく府第に勤める気になったものだ」

中年男と双蓮が上手くいくことを願って乾杯した。

 

「肝心のどちらで行くか決めてませんぜ」

そういゃ酒を飲みながらと昼間いったばかりだ。

「あっしの船、南京(ナンジン)から蘇州へ回りますぜ」

そのあとの予定は無いという。

蘇州、長江の運河は千石船も通れる運河になった、だが、インドゥは考えている。

「三百石でも天津(ティェンジン)は問題ありませんぜ、千石の方が空いてりゃ乗り換えてきますぜ」

やけに誘うなと徐(シュ)老爺が笑っている。

「この際、蘇州(スーヂョウ)は郭絃青(グオイェンチィン)の望みに任せよう」

決断できずに逃げを打った。

丁(ディン)の侄子(ヂィヅゥ)に郭絃青の侄女(ヂィヌゥ)が嫁いで雑貨を扱いだした。

「行きの時、寄ったばかりだが」

二人を呼び出した。

「エエッ、私に任せるんですか」

考えていたが卓の川蝦を見て「蘇州で陽澄湖(阳澄湖)の六月黄をごちそうしてくださいな」とほほ笑んだ。

イァンチェンフゥかそういや六月の蘇州(スーヂョウ)は覚えがないと與仁(イーレン)が言い出した。

「まだ脱皮中の物も多いですぜ」

丁(ディン)も食い物に誘われるようになったか。

徐(シュ)老爺は「俺は大閘蟹(ダァヂァシエ)に負けたか」と言って冠廉と献杯して話は決まった。

「じゃ、明日は船を探して無錫(ウーシー)、蘇州(スーヂョウ)と行こう」

「十日に南京(ナンジン)を出ます。千石船の予定じゃ河口鎮から七日についたはずですぜ」

この時代天候で遅れても連絡は簡単につかない。

冠廉は皆と献杯して船へ戻っていった。

徐(シュ)老爺は泊まりだ「朝、港へ一緒に行こう」與仁(イーレン)と打ち合わせをして部屋へ引き上げた。

宜綿(イーミェン)は進士の及格(ヂィグゥ)の恩賜休暇だなと言って「昂(アン)先生も誘って、も少し飲もう」と誘った。

仲居は酒壷を出して「和国琉球のクース(古酒)と言います。店主のおごりだそうです」酒飲みとみて自分用の物を提供したようだ。

「礼を言っていたと伝えてくれ」

甘い香りがして飲み過ぎてしまいそうだ。

「旅程の換算を内務府は五尺一歩,三百六十歩一里としたが、旅程の方は冊子によっていい加減だ」

「統一したくとも布告は浸透しないうちに、また変わると皆が思ってるからな」

弟弟は同じ話題でも切り口を変えて議論したい口だ。

「大体尺自体が物差しで違う。尺で指二本の厚みが出る」

裁衣尺・量地尺・営造尺と使い分けることになる。

服屋と大工で話がかみ合わないことなど、しょっちゅう起きる。

インドゥは二十七歳の時、裁衣尺五尺一寸(181センチ)と言われたが、大工の尺だと五尺六寸以上となる。

それからも少し上背が伸びたという。

武進士、御前侍衛にはそれ以上の者は多いが街では頭一つ抜け出る。

隣の部屋もだいぶ賑やかになってきた、お国言葉でよく聞き取れないが酒が入ってそれで打ち解けたようだ。

「彭(ペン)先生はケチくせえ。ここまでもおいら下僕には酒はいらぬと仰せだ」

「うちの旦那が金を出して用意してくれなきゃ今夜もなしのところだ」

「これまでも徐(シュ)先生に二人の孫(スン)先生が交互に出してくださったから飲めたが、それも嫌な顔してにらみやがる」

五人ほどの声が混ざって聞こえる。

「うちの先生は出不精だから毎日酒を飲んで来いと小遣いをくれたが五人分くださいは言えんもんな」

どうやらこの夜はこの下僕の主が気を使ったようだ。

こっちは里程に酒の種類からだんだん食い物の話になった。

昂潘(アンパァン)は邯鄲(ハンタン)の人で「飯が食えれば極楽だ」など嘯くが実はうまい食い物が大好きだ。

隣が地元自慢の食い物話になると半分耳が向こうへ向いた。

「どうやら安徽の者がいるようだ」

「よくわかるな先生」

寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)の言葉に似ているという。

巣湖(チャオフゥ)の白尾(パァイウェイ・シラウオ)に蟹は蘇州より美味いなど自慢が交互に始まっている。

「うちの旦那に仕える前は巣湖の漁師だ。船網で上げた白尾(シラウオ)をジャン(魚醤・イージャン)を垂らしてさっとかき込むのは最高だぜ」

「いや、油鍋(ユウクオ)のほうがうまい」

「蟹なら絶対に蘇州の大閘蟹(ダァヂァシエ)だ」

立ち上がって声が大きくなった。

昂(アン)先生が「おいおい、食い物で喧嘩するな。それも目の前にないやつでなんて」というとそろって暖簾上げて顔を出して「すんませんつい飲み過ぎて」と謝った。

飲み足りなくてだろと弟弟が「どうだ珍しいのがあるから一緒にやろう」とさそった。

「先ほど船でお見掛けしました」

インドゥに声をかけたのを船端で見たらしい。

仲居に「主がこの酒をまだ持っているなら、頼んでくれ。つまみは泡油(パオユウ)が出来たら頼む」と声をかけた。

すぐに酒が届き下僕の連中大はしゃぎだ。

「大閘蟹(ダァヂァシエ)は時期に入ったのか」

どうやらこの老爺だろうと聞くと「陽澄湖大閘蟹(イァンチァンフゥダァヂァシエ)の六月黄は最高ですぜ、うちの旦那の小姐(シャオジエ=お嬢様)が嫁に行った先でごちになりましたが、ありゃ極楽でした。太湖(タァィフゥー)の岬が見える場所で太湖と陽澄湖の物をたべっくら迄しました」と口角泡を飛ばすとはこのことだ。

昂(アン)先生以下気が付いた、旦那とは陳先生だ。

梁冠廉に姐姐が銀(イン)を出したのはこれだと思った。

三人はとぼけている、インドゥは「お前さんたちの乗った船の船頭は扱いが良かったかよ。のん兵衛で俺の事哥哥、哥哥と言って会えばいつもたかるんだ」と悪ふざけだ。

「扱いはよござんでしたぜ。水夫も俺たちも同じ飯を出してくれました。もちろんうちの先生たちも同じで、不平はいつもお一人だけ」

「なんで食い物に不平が出るんだ。旅の飯は高いものは出やしない」

「最初の泊まりで注文をケチったら払いの時、船代に入れてますと聞いた後は、こんなものかと不満たらたらでね。船頭が気を使ってお好きなものを追加でと言ったら自分だけ豪勢に食べておりやした」

そのあとは話題を変えて都の様子をしゃべらせ、十分飲ませて散会した。

 

五日の朝、與仁(イーレン)と徐(シュ)老爺が波止場へ出ると冠廉がちっこい男と話している。

「この人杭州(ハンヂョウ)迄明日出るそうですぜ。十人くらい無錫(ウーシー)までなら明日の朝辰に出ても、夜船をかければ朝には着くそうですぜ」

「無理せず鎮江(チェンジァン)泊まりは可能かい」

「船頭が六人いますので宴席に六両奮発して下さりゃようがす」

與仁が頭をひねっている。

インドゥ・宜綿・昂(アン)先生・與仁・丁(ディン)、郭絃青・羅虎丹・徐(シュ)・曽(ツォン)この九人のはずだ。

「冠廉、俺たち九人だ」

「あれ、姐姐(チェチェ)は十人でと言っていましたよ。まいったな十人で交渉したんだ」

「いいよ。その金額で十分だ」

「まだ船代を言ってませんぜ」

十人、無錫(ウーシー)迄十二両だという、長江(チァンジァン)を横切る乗り合いと同じくらいだ。

銀票でいいというので十両の銀票二枚出して「六両込みだ。釣りは取っといてくれ」と言って渡した。

徐(シュ)老爺は手をたたいて喜んでいる。

「どうした」

「一度やってみたいと河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で聞いた」

もらった方も大笑いで袖に入れた。

長江(チァンジァン)を渡り、潘家の艮倦(グェンジュアン)酒店で一晩泊まり、七日未の上刻には無錫(ウーシー)の波止場に降りた。

香潘楼(シャンパァンロウ)へ行くと香燕(シィァンイェン)が甲斐甲斐しく店の前を掃除している。

昂(アン)先生が声をかけるとにっこりして「いつまでご滞在ですか」と聞いてきた。

すでに婿になる男はいて店を継ぐことも決まっている、男は媽媽(マァーマァー)の従姉弟、働き物で今十五歳だという。

あと二年遅くも三年で婿に来るという。

「今日明日と泊めてもらうよ」

女老板(ヌゥーラオパン)の潘燕燕も出てきて挨拶を交わして部屋を割り振ってもらった。

一人、與仁(イーレン)を見て顔を赤らめたのがいる。

昂(アン)先生、あ、あの時のはあれかとすぐ気が付いた。

翌八日は分かれて街をぶらついた。

昂(アン)先生はインドゥと羅虎丹の三人で広福寺素面を食べに向かった。

梁糖河沿いの香潘楼から広福寺は歩けば一刻半だが、何軒か寺の許しで同じものを食べさせるという。

それで教えてもらった店へ向かった。

ムゥア(木耳)、ミェンマァ(面麻・麺麻メンマ)がたっぷり乗りあっさりとした味に仕上がっている。

「前に広福寺門前で食べたものと変わらぬうまさだ」

「酒の後にもってこいですかね」

「しまった、その手もあったか」

インドゥたちはその日は酒を飲まなかったが、近くの男たちもその声で「やや、あなた方の言う通りですな」と賛同してきた。

見れば学者風の五人連れだ。

一人が「そちらの背の高いお方に、見覚えが。はてどこだったか」と考えている。

孫爾準(スンウァールヂゥン)と名乗ったので「和孝(ヘシィア)と申します」と名乗った。

昂(アン)先生が羅虎丹の袖を引いた。

「すまんすまん」

入ってきたのが邵伯鎮で酒を酌み交わした下僕を連れた初老の男だ。

「おっ、お前さんこっちの人だったか」

「せんだってはごちになりやして。そっちの先生の酒の強いのにはまいりました」

「なんだ豊泉(フェンチュァン)知り合いか」

「邵伯鎮で一緒に酒を飲みやした、大閘蟹(ダァヂァシエ)を食べに行きますかい」

「ああ、明日は蘇州で食べる算段だ」

今の時期予約した方がいいと燕燕が勧めるので繁絃(ファンシェン)飯店へ使いを徐(シュ)・曽(ツォン)に先行させた。

二人は漸くお役に立てると勇んで向かった。

太湖(タァィフゥー)の蟹は地元では人気だが、なぜか宣伝負けをしているという。

孫爾準は「こちらの蟹だってうまいですよ。でもいうといや違うと食通が言っているんだと論破されてしまいます」と嘆いている。

香潘楼もあえてインドゥたちには勧めてこなかった。

話しているうちに二人分来たので過ぐに食べだし、話は途切れたので席を立とうとしたら孫爾準は「そうだあなたがた此処の蟹を食べて蘇州のと比べてみませんか」と誘ってきた。

「幾人招待してくれます。俺たち七人でここにきてるんだが」

「よろしいですよこちらも七人いるんだ。数は有ってる」

おかしな理屈だが面白いと承諾した。

孫爾準は母の兄が料理屋をやっているのでそこで如何と言ってきた。

梁糖河沿いの香潘楼を教えると一里も離れていない斐永(フェイイェン)酒店だという。

昂(アン)先生が店は知っているという。

「宴席の予約がとれたら連絡します」

それで分かれて梁糖河沿いの香潘楼へ戻った。

 

先生が羅虎丹に「和孝(ヘシィア)は子供の時の名だ。俺は子供の時から昂潘(アンパァン)で、そちらは和良輔(へリァンフウ)」と教えた。

燕燕に孫爾準の誘いを言うと「まぁ、進士に受かったとうわさが聞こえてきましたが、お戻りでしたか」と驚いている。

「ここも知っているようだったぜ」

「溺れ死んだ丈夫(ヂァンフゥー・夫)と小さい時の学友だったそうです、何度かお見えになられました」

若く見えたというと、三十二いや三くらいという。

父親は十五年ほど前に亡くなったという。

「ありゃ出世するぜ」

「まぁ、おごられると思って」

「いや本気だ最低でも総督位にゃなる。長生きできればいい政治家だ」

まるで弟弟張りのご宣託だ。

「学者でなくて政治家向きだ」

「どうして」香燕は不思議そうだ。

「初めて会ったわしらを飯に招待した。学者にはなかなかいない」

申の鐘後に手紙が来た「今夕酉の鐘にお迎えを」としてある。

申(平均午後四時、午後四時四十分頃)、酉(平均午後六時、午後七時頃)大分日が伸びて酉の鐘が鳴ってもまだ明るい。

紙の裏に“承知天爵”と記して渡した。

「和孝(ヘシィア)様では」

「号天爵(ティェヂュエン)」と答えた。

「私がお迎えに参上します」

なかなかきびきびした少年だ。

「子供ではなさそうだ」

「ご長男ですよ。弟弟が私くらいかな」

二人子供がいるようだ。

「お父上は廣西巡撫でしたよ。病気で早く亡くなりました。」

燕燕は土地の有名人一家だという。

「叔叔(シゥシゥ・叔父)は安徽布政使まで勤められました」

その晩の宴会は大盛況だった。

 

お開きにしようとの声で献杯した後インドゥと宜綿(イーミェン)は孫爾準に別室に呼ばれたので他の者に先へ戻るように伝えた

その部屋には年寄りの男女に子供が二人床に平伏していた。

孫爾準も平伏し「先ほどのご返事の文字拝見いたしました。天爵道人でお間違いないと叔叔(シゥシゥ・叔父)が申します。固倫和孝公主(グルニヘシィアォグンジョ)様を連想し、失礼と存じましたが香潘楼にゆかりの者にも問い合わせました。豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様、豊紳宜綿(フェンシェンイーミェン)様で御座いますか」

「確かにそうです和孝(ヘシィア)は私の子供の時の名です」

嫗が「わたくしの連れ合いが亡くなった後。和珅(ヘシェン)さま和琳(ヘリェン)様のお口添えで大事に至らず。フォンシャン(皇上)のご厚情迄いただけました。わが家が生き残れたのもお二方のおかげで御座います」と涙を浮かべて拝礼した。

「さぁ、もうお立ちください」

インドゥが嫗に宜綿(イーミェン)が老爺(ラォイエ)に手を差し伸べて立ってもらった。

「先ほど爾準さんと出会ったとき、一緒に居たのは私たちの棍(グゥン)の先生ですが、戻ってすぐに総督には出世できると太鼓判でしたよ」

それを聞いて子供たちの堅い顔にも笑みが浮かんだ。

宜綿(イーミェン)が子供たちに「父上を見習って勉学に励んでください」と優しく伝えた。

「今日の蟹はいかがでしたか」

「紹興酒に誠に会いますね」

「蘇州の蟹の味をこの店へ伝えてくださいますか」

「もちろんいいですとも。贔屓なしで辛口評価をいたしましょう」

これには老爺(ラォイエ)も笑うしかないようだ。

老爺(ラォイエ)を舅父(ヂォウフゥー)と紹介した、此処の主だ。

 

九日、朝辰の上刻(六時三十分頃)に運河の波止場へ行くと大勢がたむろしている。

船の順番も切手を買えば次々に船が出てゆく。

蘇州虎丘までほぼ直線八十里(四十キロ)のゆったりした船行だ。

呼ばれて集まってきたのは昨晩いた五人もいて二十八人が乗船した。

「いゃぁ、昨晩は楽しかったですね」

「孫(スン)弟弟の奴、大奮発ですな。こうなれば蘇州の蟹はうまかったと書き送らにゃなりません」

「孫(スン)哥哥、蘇州(スーヂョウ)は最近越して来たはず。それでも贔屓しますか」

インドゥ面白い人たちだと思っていたら「どうです今度は私たちがご招待ということで」與仁(イーレン)が口をかけている。

どうやら王鋆という同年配の男と気が合ったようだ。

「王均お前さんが奢るはずだ。招待を受ければ二軒食べることになるがどうする」

「孫(スン)哥哥、こうなりゃ二軒付き合っていただきましょう。徐(シュ)哥哥の家に着いたらすぐに甫(フゥイ)に大閘蟹(ダァヂァシエ)を都合つけさせますよ」

王鋆どうやら相手かまわず哥哥というようだ、見た目より若いのだろうか。

「えっ、甫(フゥイ)ですか」

「知っていますか長州縣の平家巷の瓶莱(ピィンラァイ)酒店(ヂゥディン)」

「店は知らないが、知り合いの弟弟だ

「もしかして甫寶燕(フゥイパオイァン)の事かね」

アッばれたなとインドゥと宜綿(イーミェン)は顔を見合わせた。

「ご存じで」

「わしの女儿(ニィア)の婿殿の岳母(ュエムゥ)じゃ」

「私ども東源興(ドォンユァンシィン)にはよくお世話になっております。目の前の繁絃(ファンシェン)飯店にはよく泊まらせていただきますので。そこの料理人がその二人の間の人ですよ」

「妹妹といっとったな」

「そうです料理にひかれて毎回泊まらせてもらいます」

インドゥ上手く切り抜けたが時間の問題だ。

與仁(イーレン)も丁(ディン)も裏の事情まで知らないから、はらはらしどうしの会話が続いた。

進士と言っても金持ちと貧乏は自らあるが、今日の人たちは郷土に資産があるのか気持ちにゆとりがある。

昂(アン)先生は豊泉(フェンチュァン)と気が合って舟歌など二人で櫓に合わせて歌っている。

船頭もそれに合わせてひなびた声で歌いだした。

「なぁ、豊泉さんよ、これから行く宿でやってる阮繫老(ルァンファンラォ)という菜店が巣湖(チャオフゥ)の近くの合肥(ハーフェイ)の料理を食わせるんだ」

「この前、一緒に飲んだ漁師あがりの」

「そうそう、あの男の故郷さ。こっちに来れば自慢の蟹と比べさせられた」

「白尾(パァイウェイ・シラウオ)もたいそう自慢しやした」

「食べてみたいが遠すぎるな」

船頭が交代して客に小高い場所の説明を始めた。

「その先に塔が見えましょ。海涌山の虎丘雲岩寺塔でがすぜ」

城門から虎丘まで運河が開削されたのは唐の白居易のおかげだと陳鴻墀(チェンフォンチィ)が博学ぶりを披露した。

船は上糖河へ入り、閘門前の船着きで留まった。

まだ巳の鐘は聞こえてこない(十時頃)。

この船は山塘河へ入るが、外城河への乗り換えは焼き判の板をくれる。

右回りで一回り遊ぶこともできる。

孫原湘は東南の葑門(ファンメン)で降りた。

東北の婁門(ロォウメン)で王均(ウヮンヂィン・王鋆)と徐頲(シュティン)が降りた。

家では無錫(ウーシー)からの及格(ヂィグゥ)と客を連れて来るの知らせで準備ができていた。

妻と子供たちの笑顔に疲れも飛んで、親族も多く集まってきて笑顔で迎えてくれる。

中でも干爹(ガァンヂィエ)は大げさに喜んで婿を抱きしめた。

「俺の眼に狂いはない」

自画自賛だと徐頲(シュティン)は可笑しかったが、その笑顔は自分に向けられたと干爸(ガァンヂィエ)は勘違いしている。

自分の一族も次々挨拶をしては入れ替わってゆく。

王均はと見ると妻が素早く椅子に座らせ茶を注いでいる。

出来た妻だと自慢したくなった。

忙しそうに動く三人のはずの女中が五人に見える。

子供たちも挨拶が済むと宴席へ向かっていった。

漸く妻の邱美鈴(チゥメェイリィン)と話ができた。

三人の媽媽(マァーマァー)とは思えない美貌は、変わらぬ若さを伝えてくる。

嫁いで七年二十五歳のはずだ、徐頲(シュティン)時々十代ではないかと勘違いしてしまう。

「おめでとうございます」

短い言葉にすべてが込められている。

「三日ほど王均を泊めて、進士の仲間と連日宴会が待っている。他は余裕がないと断ってくれ。申にはここを出て路西街で宴席があるのだ」

二刻くらいしか余裕がない、美鈴はその手配の手助けを媽媽(マァーマァー)に頼んだ。

徐頲(シュティン)の父母(フゥムゥ)はすでに亡くなってこの家は美鈴の思うままに動いている。

「よろしいのですか」

王均、孫(スン)哥哥、陳鴻墀先生、この三人の進士に断れる人なら受けられますというんだよ

孫原湘先生の断りができる人などいませんわ。奥様のお仲間が騒ぎまくりますわ

「だろ、だから断って大丈夫さ。女中が多くなった気がする」

媽媽(マァーマァー)が「子供も多いのだから」と手伝いに寄こしてくれましたと臨時のような言い方をした。

宴席の正面にはうず高く祝いの品が積んであった。

もう客は酔って声が大きくなっている。

王均の周りに親戚の子供が集まり、自分の作った詩の評価をしてと頼んでいる。

徐頲(シュティン)に見せるつもりが、大人たちに押しのけられて近寄れなかったようだ。

丁寧に読みながら「ここを省略してこの言葉を使うといい」など丁寧に受け答えしている。

未の鐘で来客も減り、湯あみをさせて着替えもした。

王均と二人で平家巷の甫礼緒(フゥイリィシィ)に会いに出た。

「なんだ、大閘蟹(ダァヂァシエ)で大宴会だぁ、幾人くるんだ」

「まぁ、ざっと十七人かな」

「なんだいい加減だな。いいよ二十人があきれるくらい用意するが、明後日にしてくれ」

「それは好都合だ。今日は路西街繁絃(ファンシェン)飯店でやはり六月黄での宴会だ」

「まてよ、王均さん。聞いて居ないのかい」

「何をだ」

「その店の料理長は俺の姉だ」

「そんな話誰もしなかったぞ。お前の姐姐(チェチェ)は東源興(ドォンユァンシィン)の嫁だろ」

「その下の姐だよ
船で話していたはずだ、徐頲(シュティン)は王均の耳の穴を覗いてみたいと思った。

なんだ俺たち網にかかった小魚と一緒だと笑い出した。

「銀(イン)は俺の受け持ちだ」

「なら、思いっきり踏んだくれる」

「俺はな。進士及格(ヂィグゥ)の祝いで銀(イン)はいらんというのを期待してた」

「そりゃ二人ならともかく大勢は気持ちがそうならんよ」

王均(王鋆)は南通の物持ちの跡取りだ、百や二百では小遣い程度だと誰でも思うが本人以外と顔もヂォウパァパァ(皺巴巴)なら銀(イン)にもしわい。

「ここに十両銀票十三枚ある。これで頼む」

十三枚ときざむのが王均らしいよと三枚戻した。 

何六月黄と仲買は売り込もうと必死だが、九圓十尖にはかなわない。

六月黄一杯銀(イン)一銭100文)前後で取引される。

店が倍とっても銀(イン)二銭(200文)脱皮中の子蟹ならそれ以下だ。

二百杯用意して二十両で仕入れられる、友達がいに元値で出せば酒はいくらでも用意できる。

いっそ一瓶二十両という白蘭地(ブランデー)を仕入れておこうと、五本買い入れることにした。

判る奴にはわかるだろうと甫(フゥイ)は満足した。

 

申の鐘迄道中の話題で盛り上がって、瓶莱(ピィンラァイ)酒店を後に閶門(チィァンメン)から出て、時間に余裕があるので山塘街を歩いて行った。

回り道をしても半里と違わない。

閶門の先の橋は五百石船なら楽に通って行ける、千石船は大勢で綱で引く、太鼓橋ではなく一段高くなっている。

「いやいつ来てもここは繫華だ」

王均は人込みを縫うように歩いてはしゃいでいる。

 

同じ時代の閶門(チィァンメン)だが大分印象が違う。

姑蘇門図・雍正十年・千七百三十二年

00-00-1732

 

盛世滋生図(姑蘇繁華図)・乾隆二十四年・千七百五十九年

00-002-1759

 

 

山塘河の波止場で降りて路西街南側、繁絃(ファンシェン)飯店へインドゥたちが向かうと徐(シュ)と曽(ツォン)が飯店の前で待っていて、自分の店の様に中へ声をかけた。

陳鴻墀は東源興(ドォンユァンシィン)へ入っていった。

甫寶燕(フゥイパオイァン)が出迎えその後ろから関栄(グァンロォン)陳胡蝶(チェンフゥーディエ)が満面の笑みで出迎えた。

店わきから母屋へ蝴蝶(フゥーディエ)が案内し孫たちと対面させた。

「フゥチンおめでとうございました」

「お前も息災で何より」

「ま、半年前にお会いしたのに」

「決まり文句じゃよ」

「それでな、今晩から三日ほど厄介になる」

「離れにお部屋をご用意してあります。豊泉は前の宿へ一部屋取りました。その方がお酒も十分飲めますわ」

「それがな。今別れた人たちと意気投合してな、毎日宴会の約束じゃよ」

「ま、それは一大事」

「なんだ」

「今晩岳母(ュエムゥ)の妹妹のほうで大閘蟹(ダァヂァシエ)の大宴会が」

「なんだこちらも六月黄で大宴会というとったぞ」

甫寶燕が来てそれを言うと「同じ相手で御座いますよ。今店の前で別れた御一行ですよ」と安心させた。

「ほかにもあるぞ、平家巷の何やらいう店」

「弟弟の瓶莱(ピィンラァイ)ですか」

「進士になった仲間が其処の知り合いでな、蟹を用意出来たら宴会だと騒いで居った」

「まぁ、いつになるか聞き合わせておきますね」

関栄もやってきた。

「干爸(ガァンヂィエ)も大変で御座いますね。付き合いは大事といっても飲みすぎ、食べ過ぎには気をつけてください」

関栄らしい言い方だ。

「康演(クアンイェン)がいないな」

「ここのところ忙しくて京城(みやこ)、広州(グアンヂョウ)を往復しております。この間三日ほど顔を見せてまた出かけました。哥哥も一緒の事が多くてめったにまいりません。この前も余姚(ユィヤオ)の和信(ヘシィン)様のお供で行きかえり共に一泊しただけでした」

「丈夫(ヂァンフゥー・夫)は関栄に本年中に店を任せて公公(コンコン)の仕事を受け継ぐと申しております」

忙しい家族だが関栄はここへ腰を落ち着け、商売に励んでいると知り、女儿(ニィア)の幸せな顔に満足した。

 

インドゥたちの部屋割りも済んでいて、離れに部屋が用意されていた。

隣に丁(ディン)と郭絃青の夫婦が入る、いつも同じ部屋が割り当てられた。

豊泉は與仁(イーレン)が隣へ誘って割り振らせた。

城内の人三人呼んでいるので泊まりの支度と與仁(イーレン)が頼んでいる。

甫映姸(フゥインイェン)が六月黄を五十杯用意し、脱皮中の小さいのを百杯手に入れたと言ってきた。

「おい映姸大変だぞ。人が増えて足りないかもしれん。お前さんの弟の店でも六月黄で宴会するので誘われた。まだ何時になるか判らないのでそれが済んでから天津(ティェンジン)行きの船に乗るようだ」

宜綿(イーミェン)にいわれて「食べつくしてもまたわいてくるのが陽澄湖(イァンチァンフゥ)大閘蟹(ダァヂァシエ)の凄いところですよ」とうそぶいている。

映姸はすぐ料理人を仲買へ走らせて買い入れをさせた。

押し車で配達人が木箱を四箱運んできた。

羅虎丹・徐・曽の三人が茶を飲んでいて「いくつ買えた」と聞いている。

「ひと箱に脱皮中の子蟹が百杯、残りの三箱で六月黄七十五杯。全部食べてくださいよ」

九圓十尖の時期にきてくれれば良いのにと料理人らしい誘い方だ。

桂(グイ)という十七.八の料理人は箱をしまうと三人に九月は雌、十月は雄の旬だと話をつづけた。

雌の甲羅の中、シィエフアン(蟹黄・カニの卵)がおいしいとよだれが垂れんばかりに力説した。

 

その晩の繁絃(ファンシェン)飯店は大忙しだ。

どう伝え聞いたか孫(スン)哥哥の友人という人たちが五人増えた。

孫(スン)哥哥は妻が王均主催の宴には伺いたいと言っていたと伝えた。

昂(アン)先生の友人も十人来ている。

それで與仁、丁(ディン)、郭絃青、羅虎丹、徐(シュ)、曽(ツォン)に豊泉で阮繫老へ逃げ出した。

 

陳鴻墀(チェンフォンチィ)に甫寶燕(フゥイパオイァン)と関栄(グァンロォン)が前から出てきて盛況に驚いている。

「陳(チェン)先生」

誰だと思えば寧波(ニンポー)の童槐(トォンファゥイ)だ。

「なんでここに」

「お前こそ三日も前に宿を出たじゃないか。何してんだ」

「今晩どこか泊まろうと探してたんですよ。昨晩は無錫(ウーシー)で泊って今日は蘇州(スーヂョウ)を回っていました」

ちょっと待てと後ろを振り向くと「今年の進士及格(ヂィグゥ)の一人だ。部屋があるか聞いてくんか」と頼んだ。

寶燕が中で芳(ファン)に聞いて「今取りました。汗を流したらご一緒に食事をとりましょう」と勧め「今騒いでる人達も一緒ですよ、知り合いもいるかもしれません」と中へ呼び入れた。

 

汗を流して食堂へ来ると進士の中間が皆で歓待してくれた。

酒が入りおなかが膨れると泣き出した。

「や、や、こいつ泣き上戸か」

見かねて昂(アン)先生が訳を聞き出した。

親父風な物言いが心に答えたようだ。

「陳(チェン)先生を置いて先に出たんですが、宿遷で道連れを女に頼まれまして、満家溝の宿で朝目を覚ましたら。紅包に入れてあった銀票と消えてしまいました。道中の銀(イン)は別にしていてどうにかここまで来ました」

陳(チェン)先生「腹ぼての女房が心配だと慌てて一人で道中するからだまされるんだ」と辛らつだ。

「まぁ、まだ若いし、女が一人で足弱とでも言われ、用心棒をしてやる自摸だったのでしょう。みぐるみはがされなくて幸いと思いなさい」

寶燕が「家の孫たちに届け物の船が四日後に余姚運河(余姚江)で余姚(ユィヤオ)迄参ります。それで陳(チェン)先生とお帰りなさいな」と勧めた。

「助かります、が船代が乏しくて」

「家の船ですから。船代はいりませんよ。それより産みつきは」

「七月七日予定だと産婆が」

「なら余裕を持って戻れますよ。余姚(ユィヤオ)からはご自分で戻れますよね」

すっかり子ども扱いだ。

「余姚城から四十里ほどです」

なら朝出ればその日のうちに着くと陳(チェン)先生に言われ同船を頼み込んだ。

「俺たちの船の話し聞いて居ないのか」

「いや俺は知らんよ」

休暇の後、飯を食いに行かなかったという。

陳(チェン)先生と同じ出不精中間だと孫(スン)哥哥に笑われている。

子蟹の泡油(パオユウ)が出てきて燃える酒を上からかけた。

うまそうな匂いにまた食欲がわく一同だ

「蟹の後でなんですが長江の川蝦の油鍋(ユウクオ)も試してくださいな」

映姸が持ってきた、手が出るのが早い。

「お決まりはここまでですが。注文があればいくらでもどうぞ。帰れない人用に二十人は泊まれますから」

芳(ファン)がにこやかに言うと「鳥は何かできるか」と聞かれた。

「ジアオホワジー(叫化鶏)もしくはチィガァイジー(乞丐鶏)なんてどうです」

今からできるのかと驚いている。

「私たちの夕飯」

と言われてどっと沸いた。

「蝦仁鍋巴(おこげのエビあんかけ)、これは料理人に食べさせる残り物」

「ほかに残り物は」

「ウーシーパイグ(無錫排骨)」

最近の芳(ファン)はくだけている。

昂(アン)先生たちはどこかへ出かけ、此処へ泊るものだけになった。

陳(チェン)先生と甫寶燕に関栄は前の家に戻った。

「船に乗る前に大閘蟹(ダァヂァシエ)の食べ放題をやるからな。出てくれよ」

「大閘蟹(ダァヂァシエ)は高いそうじゃないか。割り前を払う余裕はないのだ」

「心配するな、もう前払いした。先ほどの女老板(ヌゥーラオパン)の話じゃ五百じゃきかないくらい買えますよ。もちろんお酒もたっぷりついてだそうだ」

「ここのは」

「ここも銀主がいるが裏の方へ行ったきりだ」

インドゥが「阮繫老(ルァンファンラォ)と云う店もやっていて、そっちへ七人ほど移ったよ」と安心させた。

その七人が戻ってきた。

「食べ比べの軍配は」

徐(シュ)が酒を注いでそう聞いた。

「最後の紹興酒の炎の分、こっち優勢かな」

童槐は初耳だ。

「なんです食べ比べって」

孫(スン)哥哥は「無錫(ウーシー)の孫(スン)が自分の舅父(ヂォウフゥー)の店でご馳走してくれたのさ。条件は一つ。蘇州と食べ比べで結果報告だけでいいとさ」こともなげに言った。

「明日のご予定は」

「巡撫公署へ出て汪志伊(ゥアンヂィイー)様に報告がある」

「お仕事ですか」

「いや友人の妻が男の子を暮れに産んだ報告だ」

徐頲(シュティン)がインドゥに聞いてきた。

「もしかして偶然続きですが。高信と宋慧鶯(ソンフゥイン)の子供の事でしょうか」

「知り合いですか」

「友人です。それと慧鶯は従妹の。うっ、もう少し遠いかな。ま、親戚です」

言い方に皆で大笑いだ。

「ところで友人とはどのような」

「子供のころ。この色男と一緒に遊びまわった中です」

宜綿(イーミェン)自分のこと言われて焦っている。

「子供の頃の話はよく聞きました、陳洪(チェンホォン)様、陳健康(チェンヂィェンカァン)様、豊紳宜綿(フェンシェンイーミェン)様、豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様、昂(アン)先生、あと皇族にかかわるので内緒と言っておりました」

推察するところ背の高い方が殷徳(インデ)様と言って拝礼迄しようとするので慌てて弟弟(ディーディ)が止めた。

「まま、そんなことはしないでください。付き合いにくくなってしまう。お互い名乗るだけで十分でしょう。ほれ戻ってきた男たちに、郭絃青だって友達付き合いですよ」

 

第四十五回-和信伝-壱拾肆 ・ 23-02-12

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

 

       
       
       
       
       
       
       
       

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     



カズパパの測定日記

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