花音伝説 | ||||
第二部-九尾狐(天狐)の妖力 | ||||
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富察花音(ファーインHuā yīn) 康熙五十二年十一月十八日(1714年1月4日)癸巳-誕生。 |
西六宮 平面図 |
東六宮 平面図 |
第八回-五台山-1 乾隆十五年一月一日(1750年2月7日)庚午
和碩和婉公主十七歳-乾隆十五年二月降嫁-夫・德勒克巴林郡王家長子。
この時の記録には三十八か寺中西蔵仏教寺院は九か寺のみだった。 菩薩頂には100 人余のラマ僧が居たという。
フンリは二回目の西巡に出て妃嬪とともに五台山を訪れていた。 さまよえる花音(ファーイン)の魂は、弘暦たちの西巡について行くと、五台山(清涼山)で天狐の妖力を持つ妲己にとりついた九尾狐に出会った。
ヨンファンが咳をしているのに気が付いたが、根が丈夫な子だからとフォンシャンに付いていくことにした。 前の西巡に東巡の時は、なぜか出かけた事にも気付かぬうちに戻っていた。 奴婢の話から分かったくらいだ。 「また、いろいろな闘争劇を見逃したみたい。どうなってるか付きまとってみよ」 心配性より噂好きの姑姑にでもなったようだ。
巡行も終わりが近く十六日の朝が来た。 四十歳のフンリは雨にげんなりしている、フンリは登る前から佛頂庵に、黛螺頂(ダァイルゥオディンDài Luó Dǐng)と名を付けた。 有り余る体力は階段で登ることも考えたが、雨で濡れる階段は滑ることを心配した皇太后に止められた。 「皇帝が階段から転げ落ちたなぞ言われるのは恥です」 ファーインは雨の止んだあとの大顕通寺への階段下で、不思議な女乞食を見た。 乞食とは思えぬ奇麗な髪をしている、ただ巻き上げただけに見えるが見る者には優雅さを覚えさせる。 欠け茶碗ならぬ奇麗な湯呑を前に出し「シュ」と息を吐くと人の足が止まり「後生楽」と呟く女乞食に乾隆通宝を二枚三枚と湯呑に入れていく。 小さいからすぐに山になりそれを腹の袋に流し込むとまた「シュ」と声をかける。 「あれあれこの調子なら参両くらいすぐね」 此方を一度にらんだが直ぐにまた「シュ」が始まると、裕福な女たちは大目に与えている。 一刻ほどが過ぎて立ち上がると此方を手招きし、菜店の裏へ回り腹掛けの銭を数えもせずに店主に預けた。 「もうひと刻程稼いでくるから明日の仕入れは豪勢に頼んだよ」 足取りも軽く厠で用事を済ませて出てきた。 今度は石碑の龍と虎がある門前で僧侶に何事かささやくと座り込んだ。
政府は銀一両=銅銭1000 文 康熙23年-銭の鋳造を開始した頃の京師の銭価は銀1両=800~900文 雍正~乾隆初期(1720~1740年代)に銀1両=銅銭700文
だが街ではそれでは通らず二割は損をする、勢い裏で儲けを出させなければ納める品物の質が落ちて困るのは寝殿の主だ。 宮に付く太監の待遇にも響き、生真面目な妃嬪に付いた奴婢は給付だけで役得もない、影で悪口を言う。 真面目がいいのか融通が利くほうがいいかと言えば、生真面目な妃嬪ほど人気がない。 街へ嫁入りした奴婢たちの間ではその様な話はすぐに伝わり、斡旋を生業とする商人も噂に敏感になる。 ファーインは後ろ盾に恵まれ、金払いもよかったので、そのやり口は奴婢仲間から漏れて仕える主人に教えたので、実践すれば太監に奴婢も余禄にあり付ける。 賄賂と違い誰に咎められることもない、夜なべの手仕事を増やすことで宮女たちにも手当てが増える。 下賜されたものは売れないが。模造品ならお咎めがない。 ファーインは自分の手巾を二人の宮女に真似をさせて街へ出すのだ。 二人の家は品物を待ち望む商人でにぎわうことになる。 二人のやり口はファーインの手巾を見せて、自分のは色違いで此方なら金にしてもよいと言えば有難く買い受けるのだ。 仲介するものは出入りの物持ちに「紫禁城から出た品で。内緒ですが高貴なお方に由来します」とささやく、西二所の品という必要もない。 佳玲(ジィアリン)に蝴蝶(フゥーディエ)は六宮へうつリ住んでも春李(チゥンリ)たちと同じように自分たちの掌事宮女には仕組みを代々受け継がせている。 春李(チゥンリ)の家はその中継を引き受けてくれていて、今でもファーインが形見分けで二人に残したそれぞれ五十枚ほどの手巾の図柄を参考に仕上げている。 月に一度の休みに三枚も売れば銀で二両は受け取れる様になる、春李(チゥンリ)など嫁入りした先まで訪ねて「続けて呉れ」と頼まれて月二枚約束させられた。 嫁入り後も春李(チゥンリ)と春杏(チゥンシィン)は協力して手仕事が増え、小遣いは潤沢で延禧宮へ上がるときも相手に恥をかかせない身なりが出来る。 余分にできてもそれを売らずに月二枚だけにしている、それで有難味が増すのだ。 商人も時には素晴らしい生地を持ってきて「これで特別に余分をお願いします」と言われれば務めたときのファーインの手巾から商人に図柄を選ばせる。 見たほうは次はあの図柄でと欲がわき、出入りの家で話すと娘のためにどうしても欲しいという金持ちには「お高くつきます」それで手間代も余分に弾んで生地もいいものを持ち込む。 春李(チゥンリ)の物は買い手のほうから勝手に値を釣り上げてくれる。 「花音様のお手本は何枚くらいあるのですか」 図々しい奴もいるのでそういう時は「チゥンシィンチェチェとで百十枚は」というと、それを金持ちの家で手に入るかもと儲けを夢見て話すが買えるはずもない。 つい調子に乗り「皇貴妃様に仕えたお方で春李様と言われる方の刺繍です」と話してしまった。 商人は息子をしかったが納品の品の出来栄えの見事さにお手本がどの様なものか拝見したいと頼まれた。 条件は他の取引の条件を能くすることと手巾に春李の印をつけて貰うこと。 「その替わり、今の倍の値で月一枚買いたい」 商人が春李(チゥンリ)の所へ息子もつれて出て平身低頭で頼み込んだ。 日を決めて春杏(チゥンシィン)の物から十枚、自分のほうも十枚を並べて物持ちの母子に拝観させた。 二人は条件そのほかの事もその場では決めないで見て貰うだけにした。 ただ決めたのは図柄にこれからは「李」か「杏」の文字を加えることを約束した。 街で咎められても下賜された手巾は有るのでそれ以上は咎められることもない。 商人に簪を誂えれば高く納品させることで銀票とつり合いがとれる。 自分の給与だから賄賂ではないので、内務府も知らん顔だ「良い品物が手に入りましたね」位が関の山。 値切ったり、安物を買う妃嬪は太監から話が漏れて待遇が微妙に落ちてくる。 代々の奴婢に恵まれるのはジィアリンやフゥーディエが金(銀)遣いが上手いからだ。
ファーインが付いてくるか見て、麓の掘立小屋が五つ並ぶ端の小屋へ入った。 乞食小屋に似合わぬ整頓された内部には奇麗な布団が置かれ、壁際に太い蝋燭が灯っている。 「媽、こいつは今日までの礼だ、しばらくはこれで酒が買えるよ」 一つかみの銭と驚くことに銀塊の小さな塊片手一杯になるほど手渡して二人で夕飯を食べ、さっきの湯呑で酒の回し飲みを始めた。 媽が寝るとファーインを手招きし「このばあさんは起きないようにした。なんで俺の体に何かあるのか分かったんだい」と不思議そうに見つめた。 「私が見えるのね」 「ああ、十五か六の小娘の霊かと思ったが子供を二人産んだな。おいおい一人は昨日亡くなってるぞ」 ファーインの霊は九尾狐に永璜が二十三歳の若さで急死したことを知らされた。 乾隆十五年三月十五日(1750年4月21日)庚午-永璜(ヨンファン)二十三歳死去。 やはりヨンファンが呼んでいる気がしたのは気のせいではなかった。 患ったと云ってもまさかこんなに急に亡くなるとは思いもしないファーインだ。 「ほぅ、昨日今日の霊魂ではないのか。それで冷静なんだな。門の前に座り込んだあの時に、覗こうとしたら二郎真君が出てきて目の前で門を閉じやがった。そのあと帰りがけにもう一度門を開けようとしたら金剛夜叉が現れた」 不思議そうに聞いているのはファーインだ。 「それですっ飛んで逃げたが気が付けばお前さんがしょんぼりと付いてくるだけだ。どこで道教や仏教の神や仏に守るように頼んだ」 「知らない。それに段々と昔のことを忘れてる」 しげしげと九尾狐はファーインを見て「ラマだな」といって不思議そうに眺めている「この山なら俺様の力も倍に増えて、いろいろ見えるから知りたきゃ教えてやる」と話しを促した。 「仕えた王府の隣が、ラマの寺院になる建設をしていたくらいで。知り合いにラマの僧侶はいないわ」 「名前は覚えてるか」 「なんの」 「その小さな坊主だ。塀から覗いてるぞ」 「テンペー」 ファーインは思い出した、塀の上に顔を覗かせて一度声を交わした子だ。 十歳に満たない子坊主だ「あれは乙巳の年の十月だわ。でも空が広いって話をした事しか覚えていないわ」 「そいつに後で会わなかったか」 「覚えていないわ」 時期が来たということだなと女乞食に入った九尾狐は言う「その子坊主がお前の守り本尊だ。活仏だ」とまで言うが、本当にファーインには何のことかわからない。 「仙姑・道姑・仙女・仙人誰でもいいから息子の蘇りは虫がいい話かしら」 そりゃ無理だと九尾狐は「人なんて勝手だ」とそっぽを向いた。 「禹歩をふんで祈れば魂も呼び戻せると、話しに聞いたことがあるわ」 「話しだけなら死人も踊る、召鬼なんざ娘娘でもやらん」 がっかりしたのはファーインだ、てっきり自分も「蘇りさせる事が出来る仙人くらいいるものだ」そう思っていたのだ。 「大体この体の中が見えるなんて、お前修業もして居ないようだが、へんだぜ」 「だって階段の下で物乞いの女乞食にしては不思議で観ていたの、化けてるなんて思いもつかないわ」 「化けているんじゃない。入っているんだ。人に入り込むとそいつの命を縮めないと出られないんだ。この殻は明日死ぬ運命さ、最後の願いは腹いっぱいで死にたいんだとよ。妖力の一部で銭を恵むほうも後生がいいと思い込むのさ」 聞きたがりのファーインは天狐に話しをせがんだ。 「なんで、銭勘定もしないで渡していたの」 「あそこの店主が重さで測るのさ、いちいち勘定するやつなど山にゃいない。山の乞食は貰う銭をみんなで分け合う決まりだ。此のばあさんだけは死ぬのが分かって長が認めたのさ」 「じゃ貰いが少ないからと空腹を抱える人は出ないの」 「長の言うことに従わなけりゃ追い出されるのだぜ」 「ぶたれることは無いの」 「女は俺が来てからないが、男は時々女が欲しくなるから身ぎれいして街へ送り出すんだ、乞食だと知っていても銭は長が景気よく支払うからな。山の女に手を出したら張り倒されるかおん出される」 「女のほうが損、遊びにも行けない」 「此処は修業の山だぜ。山での女犯は殺されても文句は言えない。女乞食が置いてもらえるだけ幸せさ」 二人はその後たわいのない街のうわさを朝まで話した。
そのばあさんが店主に渡した紙には達筆で 趙玉蓮 と名前が記されていた。 |
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第九回-五台山-2
「小屋に入ったときよ。ああいう人は多いの」 霊体のファーインを人の来ない屋根の上で九尾狐は成り行きを教えた。 「此処じゃ女乞食は今あの媽が仕切ってる。俺が代々の乞食の仕切りをさせてきたその一人だ。行き倒れに近いあの女が此処へたどり着いたのが十日ほど前だ。それまで付いていたやつが死ぬ五日ほど前だ」 最後の願いの腹いっぱいになって死にたいと言うのを聞きだし、菜店の主に媽が掛け合って「参千文くらいたまったらそれで腹を一杯になるほど良いものを用意してくれ」と頼んだと打ち明けた。 五台山には女乞食だけでも十人は暮らしている。 食い詰めて家族で来る者もいて子供を買う女衒に、宦官にする子供を探す人買いまで現れる。 寺も住持の心がけの良いものは救済に乗り出すがたいていは見ぬふりだ。 「前のやつが死んで、新しい女に乗り替わって三日目にお前が来た」 空狐に成る修業中と聞きだしたファーインだ、修業と言っても悪さは許される、人を食わなきゃ多少は平気だなどファーインには理解できない話ばかりだ。 「もうじき三千年というのは本当なの」 「ご親切に歴史を記録する役目が、いつの時代にもいて、今何年目か覗きに行くのさ。後長くても二十四年で一段上の空狐に登れるのだ」 「年数はあってるの」 「先達の狐が言うには、残り一年になると分かったそうだ。最後の一年は妖力が落ちて危険だとさ。昔の話しに山を為(つくる)に九仞なるも、功を一簣に虧くなんて言った奴がいる」 「他にもお仲間がいるのね」 「五台山に来て三百年、俺がどけば後釜に来たいやつは大勢いる」 年に一つの割で霊体が修業に来るので、狐狸精以外にも人から抜け出た幽体の仙人も、たまに現れるそうだ。 「不老不死の薬でもあるの」 「そいつは道士の寝言さ。さしずめ西遊記でも読んで当てこもうとする偽物だ。昔始皇帝だと偉ぶったやつが徐福という老人に、蓬莱から不老不死薬の樹を探して来いと船出させたがそれっきりさ。霊体になれば狐狸でも五百年は普通だ」 話すうちに九尾狐はファーインの記憶を深くまで読み取った、昨日と違って二郎真君も金剛夜叉も扉の向こうで控えていたが邪魔はしなかった。 「お前の子は病気にさせられたようだな」 「分かってもなにもできないわ」 「いくつか見えるが、敵でも打つか」 「それよりフォンシャン(皇上)は狙われないの」 「お前から見えているほどいい奴じゃないぜ」 「それでも守りたいの、手はあるの」 「死んで何年たつ」 「乙卯の歳の七月だから」 指折り数えようとして止めが入った。 「遅い、今年は庚午だから十六年だ。そろそろ出来るかもしれん」 「何が」 「う、お前死ぬ前は頭の切れる娘だったはずだ。この霊体にお前を取り込んでも消えないで済むことがだ。ふらふら男の後をついて行くより面白いぞ。ラマもそれでお前を五台山へ引き寄せたようだ」 「いいことあるの」 「入り込むのが女の体なら、フンリに抱かせればお前が抱かれたと同じだ」 「あなたは見返りがあるの」 「皇帝ともなれば助ける神仏も有るから、精を漏らせば此方の糧(養分)になる」 「寿命が短くなることは」 「今朝、皇帝を見たが五十年残っている。皇太后というのも曲者だ。子供に孫の寿命を少しづつ取り込む狐狸精が時々手助けする様だ」 「仲間割れしないの」 「してもいいさ、あと五年潜めば誰も怖くない。五年で入り込んだ人間と話もできる。少し霊力でもあれば早くなる。お前が敵を討つのも自由だが、産まれて来た子には手を出すな、仏を敵に回していい事なんて何もない。体に障害の出ない水子にするのが一番だ。仏も水子は手を出さん」 しばらく話し合い、潜り込めそうな妃嬪たちは麓に居るので探すことにした。
この年も風雨が荒れ、三日の間台頂で文殊菩薩を拝むことは敵わなかった。 敬愛する祖父の康煕帝が五台山(大朝台)を廻ったことで、自分も祖父にあやかりたいと願いは強くなるばかりだ。 フンリと妃嬪は各寺院の修繕を約束し多大な貢物を届けさせた。 小朝台の黛螺頂へは大智路で煩悩の10倍の1080段の石段があり、下から見ても霧でけぶっている。 雨上がりの小石交じりの道、弘暦(フンリ)は騎馬で祖父が広げた坂道を上っていった。 天王殿の手前で馬から降りここでは拝礼だけで先へ進んだ。 文殊殿では出迎えた僧侶が内へ導いたので、四月四日には間もあるが弘暦は祖父に倣って供養をした。
乾隆十五年三月十八日(1750年4月24日)庚午 妃嬪たちは麓の寺を分散して今日も祈祷をしてもらうために訪れている。 花音(ファーイン)の霊は弘暦(フンリ)の守りと、わが子を虐げた嘉貴妃への復讐の為、天狐となった九尾狐の助けが必要だった。 ファーインの霊と天狐は妃嬪を一人ずつ病気持ちかどうかを調べている、麓の僧侶に、天狐とファーインの霊がさまようのを悟れるほどの高僧はいない。 若い修行僧や巡礼に訪れる者には気配は感じられても、霊山ならあり得る話と気にも留めない。 妃嬪巡りの前にと天狐は金閣寺の大雄宝殿、国清寺を見せてくれた。 嘉貴妃(ジャーグイフェイ)の金欣妍(シンイェン)の様子を窺ったがファーインが嫌がるし天狐も「欲が深すぎる」と利用することを避けることにした。 本当は入り込んで寿命を縮めたかったが、天狐の背で見るとあまりにも邪悪でいやになった。 「こんな殻でフォンシャン(皇上)に抱かれたくない」 「本当だ妲己といい勝負だ。満州、蒙古の部族が滅びるな」 「そんなにひどいの」 「ああ、こいつの子供が皇帝なら国が亡びるな。これから生まれる皇帝にふさわしい母親を探そう。フンリを見ると今の子たちに父親に負けぬだけの徳がないし、お前が期待している五番目の子は治せない病が潜んでいる」 「そんなことまで見えるの。何の病気」 「骨が腐る病だ、治せる医者など天上天下何処にもいない。お前の後ろ盾の金剛夜叉にはラマが付いてる。だから組んでも俺様に損はない。それで組むのもいいかと思ったのだよ」 次に大文殊殿にいた嫻皇貴妃(シェンファングイフェイ)の祥曖(シィアンアィ)を探ると強い霊力に守られている。 「狐狸精とは違うようだ、ファーインは関わるな」 そう言うと背に負って早々と仏殿から外へ出た。 次の仏殿には陸貴人静麓(ジンルー)に愉妃佳玲(ジィアリン)と純貴妃景環(ジンファン)がいる。 「三人とも子供はもう無理だ」 「えっ、静麓(ジンルー)はまだ三十前よ」 「ダメなものは歳と関係はない。体を養うのと子種は別だ、寿命と引き換えにするほど魅力はないはずだ」 そういって他をあたろうと生前のファーインと付き合いのない妃嬪を探した。 「そういえばジンルーはフォンシャン(皇上)好みじゃないわね」 「お前が好みだったはずだ」 「高綏蓮(スイリン)の方が好みだったわ」 「はっはっは、そいつかお前の子供にまで悪さをしても見逃されたのは」 見えるのと聞くと「お前が頭に描けばそのまま見える。今はこうやって体や手が俺様の毛をもっているからなおさらだ」とさらに笑ったがそれは上品な女の笑い声だ。
「そいつだその皇后に書を習ってるやつだ」 魏桃華(ウェイタアォハァ)だ、長春宮(チャンチュンゴン)で手取り足取り書を習う姿を見たことがあるので、その時のことが思い浮かんだのを九尾狐は見逃さなかった。 十九歳で魏貴人になってからでも五年、今や令妃の身分で二十四の女ざかり熟れ盛り。 天狐は「しゃぶりがいがありそうだ」とファーインに告げ「妲己ほどの悪女でも玉環程の男たらしでもない。それに若すぎないのがいい」とファーインに勧めた。 「出来るかどうかよりやってみる根性がある。それに綺麗好きだ。こいつなら入っている俺たちも気持ちよく過ごせる。欠点は自分が出来ることは他人もできるはずなんて強情な処くらいだ」 ファーインは自分が死んだ年より上の年齢でも、あの当時の自分より若々しい桃華(タアォハァ)に魅力を感じた。 それならばと、二十四歳になっても子供の出来ないタアォハァに的を絞る事にし、ファーインの霊は天狐の五通に自分を同化させ、子宝に恵まれようと一心不乱に祈る令妃の心の隙に付け入った。 塔院寺で祈る桃華(タアォハァ)は冷気が体を通り抜けた様子にはっとしたが、僧侶のたたく鐘で仏像を見ると笑う顔に見え、願いが届いたかと思い違いをした。 大白塔を拝んでいる魏桃華(ウェイタアォハァ)の後ろ姿に見とれる若い僧侶や、参詣に訪れたものは神々しさに打ち震えた。 仙女が降りてきているとの噂は瞬く間に隣の祥曖(シィアンアィ)達にも伝わり興味を持ったシィアンアイは見に行くことにした。 まだ居たということは一刻ではきかない時間此処で祈っているのだろう。 魏桃華(ウェイタアォハァ)を人はタァファと呼びかけることが分かったのは、皇貴妃の祥曖(ホイファナラシィアンアィ)が「タァファ妹妹」と振り返ったタアォハァ(táo huā)に声をかけたからだ。
天狐は宿に戻った桃華(タアォハァ)の体の隅々まで調べると「五年は掛かる。その前に妊娠すれば難産で親子でお陀仏だ」とファーインに告げた。 「まず見た目と違い強靭な骨格にする」 天狐は時間をかけてでもタァファを改良するつもりだ。 「メイメイにどうやって分からせるの」 「この女の前世はフンリの前世と悲運に終わっている。寿命は九十八年残りは七十三年、ただ五十を越せば病で苦しむ、この世で少しは幸せを得るには子供一人に八年は寿命を縮めるしかない」 「子供を産んでも体を傷めないためね」 「そうだ子供に体の栄養を取られていては衰弱するばかりだ。寿命と引き換えなら体は傷まない」 令妃の心の奥底に潜んで花音(ファーイン)と天狐は同化した妖力が強まるのを待ち続けた。 五台山でのうわさを聞いてタァファがそれまでと違い清楚にみえている妃嬪は多く、シィアンアイに付いた地仙は「何が護身をしたのかわからん」と知り合いの仙人に相談の上でタァファを見たが、ファーインを守る二郎真君を見て二人とも手を出すのをやめた。 「あいつを怒らすと何をするか見当もつかん」 「触らぬ神に祟りなし」 五台山から戻りシィアンアイは皇后に冊封された。 乾隆十五年七月十日(1750年8月11日)庚午-冊封嫻皇后
夜伽に令妃と皇后が召されることが増えた。 珠鈴(ヂゥーリィン)に昔ほどの関心を示せない弘暦(フンリ)だが、六月に一度は手抜かりなく妃嬪全員夜伽をする事になる。 敬事房では記録を確り取るので、そろそろ出番かとそれとなく準備させる。 弘暦(フンリ)が久しぶりに静麓(ジンルー)の永寿宮(ヨンショウゴン)でお茶をしている。 魏桃華(ウェイタアォハァ)に焼きもちをさせようと考えて、見せつける様に表に太監たちと侍衛が並んでいる。 ほんの少し立ち寄るつもりが碁に負けて熱くなり、もう一番はじめて仕舞った。 二度目は余裕をもって勝ったので気をよくして部屋を歩き回った。 「どうされたんです」 「何でもない」 タァファが怒鳴りこんでくるかとかってに想像していたが、焦らしは向こうのほうが上手だ。 勢いで静麓(ジンルー)に夜伽を命じてしまった。 部屋の色取り取りの酒壺と瑠璃の酒の瓶が飾ってある。 「毎日飲むのか」 「これは飾りで中身のあるのは仏蘭西(フランス)の一本だけです」 手にもって眺めていたが昼酒でもあるまいと元の場所に置いた。 夜に養心殿へ来た静麓(ジンルー)の体から仄かに麝香の香りがする。 綏蓮(スイリン)はきつい匂いがしたが、ジンルーからは気にしなければわからないくらいだ。 胸は相変わらず小さいが押すと押し返えしてくる弾力がある。 唇を吸うと仄かに薔薇の匂いがした。 全てが控えめなジンルーに征服欲が溢れてきて、閉じた膝を両手で強引に押し分けた。 ジンルーとヂゥーリィンの凸凹な様子の二人を答応にして競わせたが、寵愛では圧倒的に珠鈴(ヂゥーリィン)に負けていたが、いかもの食いも偶にはいいくらいの気持ちで夜伽をさせてきた。 不思議と会わなければ思い出しもしないことが多いジンルーだが、会えば別れにくくなる、今日もその気になってしまった。 乾隆十五年に円明園の西側、養馬場の牧草地だった地に清漪園(清蔬園・頤和園)の工事が始まった。 タァファが集めた情報を天狐がファーインと検討してみた。 「随分なことしてくれるわね」 「五年とは性急な事だぞ」 「費用の見積もりが八百万両は何処で手に入れるつもりかしら、税収のひと月分を超えているのよ。富察皇后が聞いたら泣いて抗議しかねないわ」 円明園の維持費も莫大で隣にまた大掛かりに造って、贈られる皇太后もそれで嬉しい年になったようだ。 富察皇后が率先して行った倹約も、シィアンアイには弱みもあり諫めることが出来なかった。 弘暦(フンリ)の構想は大きい。 西湖の西に高水湖、養水湖を掘削して拡張した。 弘暦(フンリ)は三つの湖を合わせて「昆明湖」と命名。 掘削で得た土砂で甕山を拡大し「万寿山」と改称。 見晴らしの良い地に楼閣を立て上から全景を見渡せる九層の大層なものを考えた。 大報恩延寿寺を邸内に建立する。 「どういうつもりなんだろう」 「狂ってきたな」 「狐狸(フーリーhúlí)でも取り付いたのかしら」 「そいつは言えてる。あの親子あれでも守る神仏がいるのは確かだ、お前のもだが、周りの者から寿命を奪っている」 「私もなの。どのくらい減らされたの」 「無理いうな全部見えるわけない。そうだ訳もなく衰弱はしないだろう。だが勘違いするなそれは皇太后も、弘暦(フンリ)も知らないことだ」 「退治できるの」 「無理な話だ。この世ではどうにもできないことはたくさんある。天上も極楽地獄も誰かの作り話だが、説明できない力が俺様のような者を操っている」 逆らうのは無理だが不利な立場に落とされるのは避けられる、また禅問答が始まった。
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第十回-魏桃華-1
フンリは噂を信じていなかった、だが夜伽の心地よさは、ただのわがまま娘から妃になって成長したなと思った。 しなやかでやわらかい体を蹂躙し、一息着くと少しすねた顔のタァファを夜伽に不満なのかと少し怒って尋ねた。 「何が不満だ」 「これだけ寵愛を頂いているのに子に恵まれません」 そんな愚痴なぞいう者は多い、綏蓮(スイリン)で飽きるほど聞き飽きた。 つけている香水の匂いが少し替わっているのに気が及んだ。 「前のは薔薇だった様に思うが似ているようで違いがある」 「ムーチン」 そういうと太ももで弘暦(フンリ)の顔を挟んで「宣教師が」と言って腰を持ち上げた。 「宣教師がどうした」 おもわず膝だちとなり両手で乳房を強くつかんだ。 「ハイビスカスという名前だそうです」 「なんだ、そんな事か、思わせぶりおって」 二人が果てるとふたつの霊はタァファの頭の中で話を始めた。 「これでも子種がないの」 「そうだあの地仙のやつ陰嚢の最後の子種まで吸い取りやがる。いくら精力に優れたフンリでも十日は妊娠させる力は出ない」 天狐とファーインの言葉は届かない、タァファは満足して気を失っている。 此処まで俺は女を満足させられると、四十男のフンリは自分に満足している。 「また呼ばれるのは令妃なの」 知らせに来る太監に嫌味を言うのは主が命の掌事宮女だ。 娘娘の尊称なんてつかえない、使えば主の欣妍(シンイェン)の眦が吊り上がる。 事が終わったばかりでにやにやと弘暦(フンリ)がタァファを見ながらシィアンアイの仕草を思い出している。 臈長けたシィアンアイの仕草は落ち着きを弘暦(フンリ)に与え、心は休み、寝屋の仕草も目を見張るように成長し、遅咲きの女ざかりかと思える肢体を堪能出来る。 おまけに令妃はじめ他の寝宮へ出かけても、焼きもちを焼かない嫻皇后は安心できる。 湯で温めた白磁のようなすべすべした白い肌が、フンリの手によって赤みが増すと、もう我慢も限界のフンリは高まる気持ちを抑えるのに必死だ。 令妃と言えば夜伽の数は増えても妊娠の兆しは見えない、召されてから六年目もう妊娠しても良い頃と、文殊に祈る毎日だ。 天狐は笑う「文殊が聴くのは書生の学問の上達に、書の上達だ。何処から子授けに利益があると広まったのか分かるか」と高笑いだ。 「五台山が子授けを言い出してまだ三百年」 また始まったとファーインはあきれ顔、まだタァファにそれを聞ける力は無さそうだ。 「フォンシャン、今度はいつ」 またタァファの甘えが始まった、昨晩あれだけフンリを疲れさせて、もう次は、それじゃ皇后のところへ行きたくなるのがファーインにもわかる。 嫻皇后についてる仙人の霊が子種を吸いつくし、空の袋で令妃の所へよこすのは天狐には判っていても、今は殻(タァファ)の体力作りが先だとファーインに言って何やら瞑想する毎日だ。 ファーインは不思議だといつも思う、あれだけ寝屋で弘暦(フンリ)を満足させるには相当の体力が必要で、それに耐えるのが出来ても子供を産む体力に何処に違いがあるのだということにだ。
乾隆十六年一月一日(1751年1月27日)辛未 やせっぽちでのっぽの静麓(ジンルー)が珠鈴(ヂゥーリィン)に遅れる事十年で嬪になった。 乾隆十六年一月二日(1751年1月28日)辛未-慶嬪 冊封は遅れて六月八日に行われた、なぜ遅れたかは謎だ。 なぜ正月の二日に陸貴人から慶嬪とあわただしく位階を上げたかと言えば、何時ものように夜伽が気に入った、それに尽きる。 その日、蝴蝶(フゥーディエ)と魏桃華(ウェイタァファ)が囲碁の勝負で二勝二敗で止めるかどうか悩んでいるとフォンシャン(皇上)が顔を出した。 良い切っ掛けと二人はやめて翊坤宮(イークゥンゴン)で嫻皇后とお茶にすることにして出て行った。 置き去りにされ碁盤を恨めしそうに弘暦(フンリ)が見るので「私とされます」と静麓(ジンルー)が誘った。 「さっきの二人なら必ず勝てるのに逃げられた」 「マァそう言わずに」 その言葉を待ってましたと白のほうへ腰かけた。 三番で勝ち越したので機嫌よくやめにしてようやく何をしに来たか思い出した。 実家の陸氏が地元の酒を暮れに送ってきたので、珠鈴(ヂゥーリィン)に分けたのを飲んで、此処に来れば古酒の好いのがあるはずと狙ってきたのだ。 「酒の菜はもう直に来るはずだ」 「それは嬉しいことで」 何行事疲れを此処なら気兼ねなく取れると踏んでの事だ。 飲みすぎても養心殿は目の前。 差しつ差されつ盃を重ね卓の上の料理も暖かい肉料理は箸が進んだ。 燜肉を浮かべたスープは蘇州生まれと言っても味わったのは初めてだ。 「どうだ気に入ったか」 丙万雷(ビンウァンレェィ)の料理は自慢の種だ、富察傅恒が気に入って連れてきたのを月のうち半分は自分の料理を作らせる約束だ。 全部と言わないところが俺のいい処なんて自己陶酔している。 下戸の関玉(グァンユゥ)はこの二人何処まで飲むのだろうと心配している。 こういう場は下戸のほうが良い、酒を飲ませると際限のない藩徹(ファンチュァ)では「ゴクツ」なんて喉を鳴らしかねない。 料理を下げて酒も飽いて、酔った頭で碁をすることになった。 翌朝、関玉(グァンユゥ)になんであそこで碁を打つ事になったか覚えてるか聞いた。 「フォンシャン(皇上)が純貴妃娘娘と暮れに互角で打つたと陸貴人に自慢したからです。では一回勝負でいかがと誘われました」 コテンパンに負けてそのまま夜伽へうっぷん晴らしに誘い込んだのは覚えているようだ。 冬だというのに二人は汗まみれで夢中になっている。 その汗で酒の気も抜けたようで陶酔は高まる一方。 身ぎれいにして抱き合った二人の熱で布団の中は春が来たかのように暖かい。
若い妃嬪よりシィアンアイとタァファに寵愛は偏り、舒妃(シューフェイ)はふて腐っている、子供の事をどう思っているのだろうと。 ジィアリンの掌事宮女依藩(イーファン)が不思議そうに蝴蝶(フゥーディエ)と話をしている。 「普段なら前々から名前の候補を決めておいて、誕生と同時にお披露目するのに」 「なんでも欣妍(シンイェン)娘娘の指金と聞いたわよ。街でも噂だと桂英(グゥイィン)も聞きこんできたわ」 桂英(グゥイィン)も早耳で、嫁にいっても街の噂を伝えてくれる大事な耳だ「名前を早く決めると相克が働く」まさかフォンシャン(皇上)が信じているとは信じたくないファーインだ。 陰陽五行に従えば何をしても悪ければそのせいにできる。 「木は土に、土は水に、水は火に、火は金に、金は木にそれぞれ剋つ」 舒妃(シューフェイ)は十阿哥を産んだがひ弱で、太医たちは手を尽くすが寿命は直に尽きてしまった、フォンシャン(皇上)は名を付けるのをためらっていた。 乾隆十六年五月十九日(1751年6月12日)誕生。 乾隆十八年六月七日(1753年7月7日)三歳死去。
妊娠中はあれだけ佳玲(ケリェテジィアリン)に偉そうにしていたが今はジィアリンと静麓(ジンルー)に慰めてもらう毎日だ。 暫くほおって置かれたモンゴルのお姫様、狩りのお供だけでなく寝屋にも呼ばれることが増えた。 芳紀二十一歳の女ざかりの色気が出始めたのに弘暦(フンリ)の触手がうごめいた。 乾隆十六年六月八日(1751年6月30日)辛未-冊封穎嬪(インピン) 奔放なお姫様は勇ましく寝屋にも挑む。 弘暦(フンリ)は元々おとなしい女より激しい女が好きだ。 最初が高綏蓮(スイリン)、あれだけ皆から高慢ちきと言われていても、富察皇后も手が付けられなかった程寵愛された。 シィアンアイのしとやかな仕草も好きだが、たまには箍の外れたお姫様の好き勝手に付き合うと二十歳のころの自分が戻ってきたと思ってしまうほど元気があふれ出す。 噂の主、欣妍(シンイェン)はいまや嘉貴妃(ジャーグイフェイ)、舒妃(シューフェイ)の好敵手だったのだが。 十一阿哥を産んで嘉貴妃(ジャーグイフェイ)の鼻が一段と高くなって、タァファが入れ込んでいる。 「この子は母親に似ず良い男だ」天狐とファーインの話しがタァファに通じる様になってきた。 五年が半分で少しは通じ合える、天狐も驚くほどあっさりと二つの霊を信じた。 嫻皇貴妃(シェンファングイフェイ)が皇后になり嫡子の十二阿哥と五公主を授けようと狐狸精(フーリーチン)か仙人(シィェンレン)なり仙女(シィェンヌゥ)が助けていると伝えた。 「何も仙人(シィェンレン)にかき回されていると正直に教えることもない」 それはファーインだけに聞こえる天狐の声だ。 「争うのは無理なの」 ファーインにもかすかに見えるようで「シィアンアイが誰の助けにすがったかによるわね」と二つの霊には無理だと伝えた。 「娘娘の寿命は」 「残りは少ない、三人目を願えば運命は狂う」 「いつまで寿命はもつの」 それは言えないし見てもぼやけていると天狐は逃げて沈黙した。 「何も全部正直に教えていては違いが出たときに信用しなくなる」 「全部見えるのと違うの」 「見えたのが全部正確な未来とは違う、それは神仏でも見えるわけではない」 「まるで高僧の説法みたい」 「俺様がみた未来と、娘娘が見せる未来は、ラマの未来とぶつかる事も有る」 「そうするとどうなるの」 「誰にも分らないということさ」 「堂々巡りじゃない」 「だから修業が必要なんだよ」 こんなやり取りなんどしたのだろう。 天狐となっても妲己と同化した後遺症は三千年を経ないと消えないと、四年過ぎたあたりからタァファにも二つの霊の考え方が自然と自分に同化しているのが解かりだしていた。 「余命と子供を引き換えるというの」 「そうだ、欲をかけば産まれる子の運も逃げるし寿命も縮む」 「皇子は産めるの」 「男二人、女二人は見えるが」 「フォンシャンより長生きできる」 「弘暦(フンリ)の運気が強すぎる」 「それはどういう意味なの」 「今のままでは男は親王、郡王が好いところさ」 「皇太子は無理なの」 ファーインが二人の会話に割り込んできた。 「メイメイが長生きすれば無理ね」 ファーインにも天狐の妖力が全てとまではいかないが、覗けるように為って来ている。 「長生きするとどうなるの」 「子供の葬儀を見るだけだ」 「子供をたくさん産むにはもう年を取りすぎたわ」 「祥曖(シィアンアィ)を見ろ、三十歳を過ぎて皇貴妃となっても、子供に恵まれなかったのに、手助けが入った」 祥曖(シィアンアィ)も床上手になり子供にも恵まれた。 「この年で子供を授かるなんてフォンシャン(皇上)のおかげです」 昔の寂しげな顔色からは想像もできない色気が溢れている。 嫻皇后にも皇子が産まれてフンリは十二阿哥が嫡子と喧伝している。
十一阿哥母親嘉貴妃(ジャーグイフェイ・シンイェン) 乾隆十七年二月七日(1752年3月22日)壬申-永瑆(ヨンシィン)誕生 十二阿哥母親嫻皇后祥曖(シィェンファンホウ・シィアンアィ) 乾隆十七年四月二十五日(1752年6月7日)壬申-永璂(ヨンチィ)誕生 璂-読み琪と同じqi、ドラマではjiと読ませる事がおおい。 産褥明け、嫻皇后というよりシィアンアイと呼ぶほうが似合うほど弘暦(フンリ)の前では乙女に戻ってしまう自分の心に、嫻皇后は戸惑いを覚えている。 朝の集まりで威厳に満ちた様子とは一変して、寝屋では純真な西二所のころを彷彿とさせる。 夜伽が再開すると弘暦(フンリ)に呼ばれ、張り詰めた乳房を吸われ、それだけで気が行ってしまった。 「ヨンチィだけに与えるには惜しい」 そう言って子供の様に乳房を舌で弄び、手のほうは段々と下へ降りてゆく。 張り詰めた乳首から勢いよく乳が飛んでフンリの顔を濡らした。 喜んだフンリは向きを口のほうへ変えて揉み込むとまた勢いよく出てきた。 次の高まりは深く到達しシィアンアイは顔を引きつらせて呻くと気をやった。 |
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嫻皇后に五公主が生まれた。 乾隆十八年六月二十三日(1753年7月23日)癸酉-五公主誕生。 公主の名は伝わっていない、もしかすると妃嬪のいずれかとかぶったのかも知れない、ヨンチィの例もある。 弘暦(フンリ)は嫻皇后の翊坤宮(イークゥンゴン)にするか啓祥宮(チィシャンゴン)にするか迷っている。 シィアンアイの妊娠中はタァファかシンイェンか迷ったときは啓祥宮(チィシャンゴン)の札(翻牌子)を返すか急に押しかけて驚かした。 最近儲秀宮(クシュゴン)へ行くと聞かされるのは景環(ジンファン)の事でこんなことされた、あんなこともしてくる。 そこに行くとタァファは妃嬪たちの事など言わないが街の噂話をしたがる。 思い悩んでたまには碁でも打ちながら書画の事を話に行こうと、夕暮れにまだ時間があるので「散歩だ」と吉祥門を咸和右門へ曲がろうとしたら出合頭に静麓(ジンルー)と出会った。 最近目の前の永寿宮(ヨンショウゴン)は足が遠いことを思い出して「何処かの戻りか」そう声を掛けると跪こうとしたのを手をさし述べて「起来吧」と優しく言った。 「謝皇上」と恥ずかしそうに立ち上がり「景環(ジンファン)チェチェと碁を戦いました」。 「勝負は」 「わたくしの一勝三敗ですが、お情けの一勝です」 可愛いことを言うともう三十くらいかと幼さの残る顔をしげしげとみてしまった。 「朕と碁を打つ気はあるか」 「フォンシャン(皇上)となら互角です」 挑発するように言うので後(うしろ)の永寿門へ、手を引いて入って行くと永寿宮(ヨンショウゴン)の太監が吃驚している。 三番続けて弘暦(フンリ)は負け、悔しそうに「茶」言って出させると今日の気持ちに合うようで少しは気が落ちついた。 いつもと違って話も面白い事に気が付いた。 今更と思いながら「幾つになった」というと「十日前に三十歳に」と恥ずかし気に答える。 強気に為ったり、いきなり恥ずかしがったり、可笑しなやつと思ったが、三十の生誕に何もしなかった事を思い出した。 三年前に慶嬪になったが寵姫は昔欣妍(シンイェン)と景環(ジンファン)が争い、今は皇后の祥曖(シィアンアィ)と桃華(タァファ)が競う、その狭間でかろうじて嬪の弱い立場だ。 「もう一番」 「何処かへお出かけでは」 「碁を打ちたくて散歩に出た。此処で打てれば言うことない」 「遅くなるといけません。此方で食事をとられますか」 淡鵬(ダァンパァン)に御膳房へ行かせ、関玉(グァンユゥ)がくすくす笑う中をまた白で勝負する気だ。 食事の支度が出来るまでに早碁で二番勝ち上機嫌で食も進んだ。 「ブランデー・ド・モンタル」と声を出して静麓(ジンルー)の後ろに置いてあるボトルの字を読んだ。 「うそでしょフォンシャン、そこから小さな字が読めるはずありませんわ」 「前に来た時と同じだ。その時覚えた」 油断も隙も無い弘暦(フンリ)だ。 「飲まれますか、お酒ですよ」 「飲まんでどうする。酔うための酒だ」 不思議な会話が続き、用意した小さな瑠璃のコップに半分注がせ、一気に空けるとのどが焼けるくらい強くて香りがよい。 弘暦(フンリ)はその後はじっくりと味わって三杯でやめて、ジンルーにも勧めた。 ジンルーはその一杯をゆっくりと飲み干した。 前に延禧宮(エンシゴン)の蝴蝶(フゥーディエ)の所でブランデーを盃で五杯飲んで、そのうえ菊花酒を飲まされてもしゃんとしていて、佳玲(ジィアリン)は「たまげた」と笑い出した。 「いつも猫被っているのね」 何て二人に笑われるが、酒で酔ったことは一度もないジンルーだ。 「も一番付き合え」 その一番に勝って「やれやれこれで互角だ」と上機嫌でジンルーの手を引いて寝床へ押し込んだ。 「湯あみもまだです」 「たまには良いではないか」 服を脱ぐのを手伝わせ、自ら衣を脱ぐジンルーが待ち遠しい弘暦(フンリ)は、剝ぎ取るように裸にした。 やせっぽちだったジンルーも、三十歳に為ってふっくらした肩のいやらしさに欲望は高まった。 小さな胸の膨らみは同じだ、大きな乳頭に口を付けて吸うとジンルーは膝に力が入りまるで乙女のように身を固めた。 「何人初めての女の新鉢を相手にしたと思うんだ」 心の中でそう一人で叫んで膝を割って身を重ねた。 交わりの後始末をし、抱かれたジンルーの体は、燃える様に熱く、弘暦(フンリ)を興奮させる。 「真冬に召せば湯たんぽ代わりだ」 房事が終わったばかりで何考えてるんだろうと、ファーインが聞いたら怒り出しそうだ、 祥曖(シィアンアィ)なら慎ましく身ごしらえが先、桃華(タァファ)なら終わっても太ももを押し付けてくる。 欣妍(シンイェン)は終わればもう用事はないと気を失った振りで寝てしまう。 景環(ジンファン)はしがみ付いておねだりを呟く。 じっと抱かれるジンルーに可愛げがあると思う弘暦(フンリ)が、遅ればせの誕生の祝いの品を届けたのは五日後の事だ。 吟味に大分時間をかけて贈った。 乾隆二十年、五年辛抱した機会はついに訪れ、天狐の五通は少しだが力を増やしている。 啓祥宮(チィシャンゴン)の規範見習いに、とってもかわいい娘が来たと評判だ。 タァハァとファーインもお気に入りだ、蘭華(ランファ)十二歳。 規範見習いに啓祥宮へやってきたのに本人は宮人と一緒に掃除までする。 ようやく心の中を自在に通じ会える天狐まで「すごい」と運勢を見て驚いているのが桃華(タァファ)にも直ぐに分かった。 長生きさせてあげたいとまで言い出した。 「なぜ」 「此の娘はお前の子供の守り神としての運を持ってきた。だからどうしても死ぬ運命だ。だからと言って長生きさせればお前の子は全て弘暦(フンリ)より先に死ぬ。そして実家もこの娘が死んで守る。長生きすれば親が替わりに死ぬ」 「困るわ」 「俺も困るが、困らない」 「何訳のわかんない禅坊主みたいなこと言うのよ」 「ファーインもタァファの影響で口が悪くなったな」 「私もわからない」 「そりゃ俺様これでも霊になってからでも、四千年じゃきかないんだぜ」 ファーインは笑いたいのをこらえた、タァファに潜んでいて、何度ほらを聞いたことか。 それでも五年など一晩の夢のように短かった。 「この娘がタァファのところへ来たのも運命だ。もしかして文殊にでも遣わされたか」 「確かに五台山で子供を授けてと文殊にお願いしたわよ」 「その後俺たちがお前に潜り込んで子供が産める体にした。だがそれも文殊が先読みしたのかもしれん」 確かにあの時はタァファは願いが叶うと思ったのだ。 「あの冷気を感じたとき」 「なんだ」 「文殊様がほほ笑んだわ」 天狐はがっかりした声で「娘娘、俺の先行きまで仕組んだか」と声高(こわだか)に言ってから「運命の揺り戻し(撚り戻し)」と呟いた。 五台山で好き勝手しても娘娘は許してくれると豪語してたのも見逃しては居なかったようだ。 「この娘の死んだ後に産まれる子は大臣にまで上り詰める、長生きさせたいが。両方は望めない運命だ」 タァファは自分の一字に口を足して嘩蘭と名前を替えさせた。 乾隆二十年二月十六日(1755年4月7日)入宮-嘩蘭(フゥアラァンHuā lán)索綽多氏(ソチョロ)十二歳。 父親は工部侍郎徳保 桃華(タァファ)と天狐、ファーインの話しは長引いた。 それでも桃華(タァファ)自身は宮女に太監を指図して部屋を今日も掃除に余念がない。 同時に幾つもの仕事をこなしながらでも天狐にファーインと意識は通じあっている。 「完全に出入り自由になるには後十年だ」 「まだそんなにかかるの」 「三千年から見ればあっという間だ」 「時々言葉付きが替わるけどあなたは雄なの雌なの」 いまさらのように桃華(タァファ)に疑問がわいた。 「そんなもの疾うに関係ないさ、人間の女に取りつけば男の精、男に取り付けば女の精を吸うだけだ、取り付けないときは悪戯を仕掛けるのさ」 「修業に励む気はないの」 「妲己に取り付いたときにすべて無駄になったさ、だから娘娘のほうも少しは大目に見てくれるのさ」 「いったい九尾狐という存在は幾匹おられるの」 「娘娘が望むだけいる。今は俺だけだと思う」 「三千年の間に」 「時は無限にある。俺様がいない場所ならいつ出てきても不思議じゃない」 「紫禁城に二匹ということは無いの」 「今は天狐だが、空狐になれば何処かに、天狐が出てくるだろう。そいつは昔の俺かもしれない」 あぁまた禅問答だと花音(ファーイン)は欠伸を堪えて居る。 神足(じんそく)は外に抜け出なければ役に立たないが、生きている体から出ても力を使えるか天狐にもまだ自信はないようだ。 天耳(てんに)は魏桃華の中では半里(200m)四方がやっと。 他心(たしん)は魏桃華の中では手を触れなければ解からない。 宿命(しゅくみょう)は憑依しても眼前に来れば走馬灯のように千年も前から見えていたそうで、タァファの中でも衰えはない。 天眼(てんがん)は弘暦(フンリ)の八十余の寿命を教えた、あと四十九年も生きなければならない。 漏尽(ろじん)は抜け出た後でとファーインにも納得できた。 三千年が過ぎ人を食べずに過ごせるか天狐にも自信はないようだ。 男の漏らす精のみで満足すれば、野狐に戻ることもないと五台山に潜んでいるとき自得できたそうだ「男に入り込むには危険も多い」とこの千年行っていない、だから僧侶に入ったことは無いのだそうだ。 人を食らえばただの狐さそういう言葉を何度聞いたことか。 時々天狐はファーインの霊を外に出し、聞こえてこない方角から噂話を集めることもやらせるようになった。 天狐の方で息とともに吐きだせばタァファから抜け出るのは最初から簡単にできて、やろうといった天狐のほうが驚くくらいだった。 ただ戻るときはタァファが寝ていないと天狐の手が口から出てこないので捕まる手段がない。 出られても一人で戻るのは難しい。 それでも何度か経験するとコツをつかんでファーインだけでも自在になった。 弘暦(フンリ)に抱かれているとき気に入らないと、勝手に抜け出て終わると戻っていたのが最初だ、なんで戻ったんだろうと自覚していない様だった。 |
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第十一回-魏桃華-2
天狐も「待ってるだけでは運気も読めない」と助け舟を出した。 「何も夏じゃなくてもいいのに」 「愚痴を言うな。まだ夏という名前だけでそれほど汗の季節じゃない。誰のための、寝宮巡りだというんだ」 それを出されると言い返す言葉の出てこないタァファだ。 一巡りして「やはり欣妍(シンイェン)は落ち目だな。後はつまらん」のくらいで成果は無い様だ。 相変わらずファーインは欣妍(シンイェン)が大嫌いだ、弘暦(フンリ)が欣姸(シンイェン)と夜伽の時はファーインにつられてタァファの機嫌が悪くなって香苑(シィアンユァン)は困ってしまう。 一番の収穫は嘩蘭(フゥアラァン)が古手の掌事宮女や寝宮の主のほとんどに良い印象を与えたくらいだ。 皆、自分が入宮したときはこのくらいあどけなかったと、勝手に自分の思い出を創って仕舞う雰囲気のある娘だ。
乾隆二十年 妃嬪と寝宮 啓祥宮(チィシャンゴン・Qǐ Xiáng gong)の主は言うまでもなく魏桃華(タァファ)令妃-魏氏(ウェイ)。 偏殿は嘩蘭(フゥアラァン)索綽多氏(ソチョロ)。 きれい好きのタァファの上を行くのが掌事宮女の香苑(シィアンユァン)。 新しい太監なんて動きが緩いと「さっさと動けないなら他で仕事をもらいなさいよ」くらいは日常、「啓祥宮にいれば余禄が多い」と奴婢の間で評判、盗みなどするほど根性の曲がったのは来ないし、来れば天狐が追い払う。 お隣は言うまでなく桃華(タァファ)のご主人だった英鶯(インイン)の仙館。
長春宮(チャンチュンゴン・Cháng chūn gong) 長春仙館-孝賢純皇后富察英鶯(インイン)祭祀殿。 姑姑の香梅(シァンメェイ)が今でも皇后の霊に仕えている。 さすがにここから始めないわけにはいかない(許されない)タァファだ。 頭が高いと欣妍(シンイェン)に悪口言われる桃華(タァファ)でも、六十過ぎの香梅(シァンメェイ)には今でも丁寧だ。 さすがに妃という位階の手前もあるが、礼拝をすませれば冗談も出る。
咸福宮(シャンフーゴン・Xiánfú gong) 怡嬪(イーピン)-柏氏(パァイ) 偏殿に白貴人(バァイグイレン)-柏氏(パァイ)
儲秀宮(クシュゴン・Chu xiu gong) 金欣妍(シンイェン)嘉貴妃-金佳氏(ジンギャ)
翊坤宮(イークゥンゴン・Yì Kūn gong) 輝發那拉祥曖(シィアンアィ)嫻皇后-那拉氏(ナラ)
永寿宮(ヨンショウゴン・Yǒng shòu gong) 陸静麓(ジンルー)慶嬪-陸氏(リゥ) 偏殿に揆常在(クィグイレン)-金氏(ジン)
鍾粋宮(ユンツイゴン・Jung t’sui gong) 穎嬪(インピン)-巴林氏(バリン) 偏殿に忻嬪(シィンピン)-戴佳氏(ダイギャ)
承乾宮(チァンチェンゴン・ Chéng qián gong) 納蘭珠鈴(ヂゥーリィン)舒妃-納蘭氏(ナーラン)・葉赫那拉氏(イェヘナラ)
景仁宮(ジンレンゴン・ Jǐng rén gong) 蘇景環(ジンファン)純貴妃-蘇氏(スー) 偏殿に林貴人(リングイレン)-林氏(リン)
延禧宮(エンシゴン・Yan xi gong) 陳蝴蝶(フゥーディエ)婉嬪-陳氏(チェン) 偏殿に慎貴人(シェングイレン)-索綽多氏(ソチョロ)
永和宮(ヨンホゴン・Yǒng hé gong) 海佳玲(ジィアリン)愉妃-珂里葉特氏(ケリェテ)
景陽宮(ジンヤンゴン・Jǐng yáng gong) 鄂常在(ウーチャンザイ)-西林覚羅氏(シリンギョロ) 偏殿に祥答応(シィァンダァイ)-欧氏(オゥ)
なんだかんだで五日かかって全部回った。 「何か始める気かしら」 なんて言う奴婢の噂が広まっている。 欣妍(シンイェン)はファーインが何もしなくとも自滅への道へ踏み込んでいた。 五公主のひ弱さに付け込んで悪戯が過ぎて亡くなると嫻皇后の復讐が始まった。 乾隆二十年四月二十二日(1755年6月1日)乙亥-五公主三歳死去。 嘉貴妃(ジャーグイフェイ)はあれよあれよという間にフォンシャン(皇上)から疎まれ気鬱になりファーインが思っていたより簡単に衰弱死した。 「本当に衰弱だけなの」 奴婢の間で信じてるものは見つからない。
乾隆二十年十一月十五日(1755年12月17日)乙亥-嘉貴妃四十三歳死去。 追封は淑嘉皇貴妃。 ファーインは欣妍(シンイェン)が格格で西二所へ来たときは、可愛くて着飾るのが大好きな女の子だと思っていた。 それがシンイェンの印象だったが、自分の死んだ後のジィアリンやフゥーディエへの仕打ちを見るたび、腸が煮えくり返る気持ちに何度あわされたかと、かわいそうという気持ちより「面倒ごとが片付いた」の方が、正直な気持ちと分かった。
いつも天狐は言う「歴史には揺り戻し(撚り戻し)がある」という通り嫻皇后にもそれが訪れた。 嘉貴妃(ジャーグイフェイ)の亡くなった後、嫻皇后祥曖(シィアンアィ)に十三阿哥が誕生したが早世した。 乾隆二十年十二月二十一日(1756年1月22日)乙亥-永璟(ヨンジィン)誕生。 乾隆二十一年七月二十四日(1757年9月7日)乙亥-永璟(ヨンジィン)二歳死去。 そのころタァファは人とのつながりを強固にするため穎嬪(インピン)に接近していた。 静麓(ジンルー)がその仲介にたち、嫌われていたと勝手に思い込んでいた穎嬪(インピン)の誤解を解いた。 一度懐へ飛び込めばタァファの人誑し(ひとたらし)の腕は紫禁城一だ。 蝴蝶(フゥーディエ)に佳玲(ジィアリン)もそれを喜んでくれた。 景環(ジンファン)は来れば拒まずの反対で、どこへでも親しげに付き合うので人気は高い。 三阿哥、六阿哥、四公主の三人と嘉貴妃(ジャーグイフェイ)の四阿哥、八阿哥、十一阿哥の三人とは、いい勝負だと見られて居たが欣妍(シンイェン)の残された子供たちの後ろ盾は居ない。 天狐とファーインがタァファに助けになる妃嬪を探すように求めると「わかったわ、フォンシャン(皇上)から子供を奪う気はないのよ」と快諾した。
乾隆二十年十二月二十九日大晦日(1755年1月30日)乙亥 四歳の十一阿哥永瑆(ヨンシィン)の義母に陳蝴蝶(フゥーディエ)が天狐の推薦で候補に挙がり、タァファも納得して根回しをした。 四阿哥永珹(ヨンチェン)十六歳は鈕祜禄氏(ニオフル)阿里袞(アリグァン)の娘と今年成婚したので王府が与えられた。 八阿哥永璇(ヨンシァン)九歳は何人もがもうし出て呉れたが嫻皇后は擷芳殿で養育と決めた。 祥曖(シィアンアィ)から出てゆく仙人(シィェンレン)に代わり、何かが入ったという。 「格段に力の差がある。守り切れるかな」 天狐は関係ないことだとそれ以上詮索しない方がいいと、花音(ファーイン)に近づいては駄目だと約束させた。 二つの妖力に助けられ弘暦(フンリ)の精は桃華(タァファ)の養分となり、令妃は立て続けに妊娠出産を繰り返した。 産褥から回復期の終わるのも、もどかし気にフォンシャンがタァファを求めるためだ。 貴人にされた頃より肉付きの良い肢体は、嫻皇后の磁器のように弾力にかける体より数段上と思う弘暦(フンリ)は、少し前までの蕾のように締まったタァファの体を覚えていない様だ。 「タァファ、子供を産む前より具合がよい」 寝屋で事が済むと満足したフンリは、タァファの体を抱きしめたまま嬉しがらせをささやく。 天狐が妊娠を五年辛抱させた効果は絶大だ。 驚くことに年子が続いても二つの妖力は令妃の体を守り続けることができた。
乾隆二十一年七月一五日(1756年8月10日)丙子-七公主誕生。 乾隆二十二年七月十七日(1757年8月31日)丁丑-十四阿哥永璐(ヨンルゥ)誕生。
乾隆二十二年(1757年)乾隆帝は西洋人との交易の窓口を広州に限定するようにと上諭した。 欧州へのお茶商人も倭国へ絹を出していた商人もこれには手を焼いた。 倭国(和国)は国内の絹製品の増産が行われだしている。 英吉利は印度に大規模の茶園経営を応援している。 英吉利、伊太利、阿蘭陀、倭国との貿易をする商人は結社を組む道を選んだ。 浙江は貿易の要だ、取り締まりはきつく、密貿易、河族と手を結ぶ結社は川をさかのぼる魚たちのように緩やかに広がっていった。
桃華(タァファ)に三回行くと他の妃嬪にも翻牌子で選ばれる夜が来る。 入りびたりになると皇太后にお小言を食らうからだ。 春になり桃華(タァファ)が「また妊娠した」と寝宮の宮女から話が広がると「番がくる」と敬事房からの連絡が待ち遠しい日が続く。 永寿宮で囲碁か、景仁宮で棋譜の検討か悩む日もある。 そんな時は咸和右門までに宮女に出会えば景仁宮へ、太監なら永寿宮へ、誰にも会わなければ御花園へと決めて「散歩する」と関玉(グァンユゥ)と養心殿を出る。 その日の気分で如意門から出るか、前の養心門から尊儀門へ出るかで、追いかける関玉(グァンユゥ)はじめ侍衛も慌てる。 六十歳近い関玉(グァンユゥ)は淡鵬(ダァンパァン)に先へ行かせることが多くなった。 花音(ファーイン)は如意門は永寿宮へ行きたいのを取り繕って居るだけと見ている。 その間に静麓(ジンルー)は位階が上がり珠鈴(ヂゥーリィン)と同じ妃になった。 「遅いよ」ファーインはお冠だが「どこが取り柄かわからない、不思議」が舒妃(シューフェイ)の相変わらずの言い草だ、それでも変わらず接してくれる静麓(ジンルー)は大切な友人だ。 それと年下の珠鈴(ヂゥーリィン)に「チェチェ」と敬ってくれる従順な静麓(ジンルー)は捨てがたい。 妊娠中のタァファの処の嘩蘭(フゥアラァン)にお手が付いた。 タァファは英鶯(インイン)の掌事宮女だったので天狐の言う「歴史の揺り戻し(撚り戻し)」なんだろうと思いフォンシャンを恨むこともなかった。 規範見習いだ何時かはお手が付く、タァファは宮女以上に働くフゥアラァンをなんだと思っていたんだろう。 お手が付く何て生易しい物ではなく一時は寵愛を独占していた嘩蘭(フゥアラァン)は答応の儘で日が過ぎていく。 可愛い、芯がある、特技は寝技では位階が上がらない。 規範見習いのお手付き、本人はタァファに忠心を尽くして(妊娠中に他の寝宮へ寵愛が向かない事)いるので満足しているようだ。
清楚で芯の強い嘩蘭(フゥアラァン)は見た目はまるで昔のタァファそのままだ。 初めて夜伽でフゥアラァンが養心殿へ運ばれてきた時は、夜番の淡鵬(ダァンパァン)は心がときめいた。 初夜の作法はタァファから聞かされていても、フンリの鋭い目は布団の上から裸の自分を見通されたようで怖かった。 「心配するな、心も体も任せておけばよい」 フンリは高まる気持ちを抑えて布団を優しく剥ぐと、左手で和毛から太ももにかけて優しくなで、右手で締まった細い体を抱えて起こすとその手を後ろから回し脇を引き寄せて乳首に添えた。 天狐に寄り添うように言われたファーインも驚く処女の擬態に「私もあの位出来ればよかったのに」と思うのだ。 無意識で寝屋の極意を得たのかフゥアラァンは弘暦(フンリ)が処女の証を布で確認したを見て恥ずかしそうに「もう一度」とフンリを誘った。 「痛くなかったのか」 「痛すぎて覚えがありません」 「なら今度は一緒に行こうではないか」 それでフンリの興奮も極致に達してきた、先ほどに負けぬ多くの精を放出してフゥアラァンの喜びの声とともにふたりは果てた。
今日も弘暦(フンリ)は夜伽で嘩蘭(フゥアラァン)を呼んでいる。 「そらそら」子供と寝屋で雙六を楽しんでいる。 「フォンシャン(皇上)私の上り」 無邪気にはしゃぐ嘩蘭(フゥアラァン)の手を引いて肌の香りを楽しむのが最近のフンリのやり口だ。 五十が近くなって読み漁る道人の書に書いてあることを実践している。 魔羅から若さの元を吸い上げる、まだ出来てはいないが出来るはずと信じているようだ。 嘩蘭(フゥアラァン)の囲碁の先生はタァファなので腕は上がらない。 「景環(ジンファン)に教わりなさい」 根回しされて嫌々通うので、やはりタァファと二目おいて勝ったり負けたりと進歩しない。 乾隆二十四年六月二十二日(1759年8月14日)己卯-冊封瑞常在-十六歳(ルゥイチャンザイRuì) 乾隆二十四年十一月二十日(1760年1月7日)己卯-冊封慶妃(チンフェイ)。 乾隆二十四年十一月二十日(1760年1月7日)己卯-冊封令貴妃(リングイフェイ)。 乾隆二十四年十二月十八日(1760年2月4日)己卯-冊封穎妃(インフェイ)。
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第十二回-魏桃華-3
この冬は寒さが一層厳しく大雪に京城は見舞われた。
春がもう直に訪れる京城へ、道中寒風の吹き荒れる中を法蒂瑪(ファティマ)がウイグルからやってきた。 三か月掛かった旅も終わった。 前夫-霍集占(ホージャ・ジャハーン)-乾隆二十四年(1759年)死去 天狐まで震えがくるほどの美人だ。 桃華(タァファ)の眼を通してファーインも驚いた。 大きな瞳は桃華(タァファ)のようになんにでも興味を持つ特徴のある眼で、青みが勝っている。 唇は引き締まって、いたずらっ子のように見える、鼻はイリの美人の特徴の直線的、額は広く理知的。 鼻は高くても亜剌比亜人(アラビア)や猶太人(ユダヤ)の鉤鼻、鷲鼻とは違いがある。 眉は濃ゆめで長く弓型にそり眼を大きく見せている。眉の手入れはしていない様だ。 白い肌は首筋も際立たせている、髪は黒髪で結わずに布で纏めている。 寶月楼に住まわせると聞いて、タァファの焼きもちが始まった。 まず回教を捨てなくてよい、回教の寺院を建てる。 「言いなりじゃないの。それも夫が死んで三年の喪も許さず手を出そうだなんて」 お付きの使女は三人イリから連れてきた、一人は四十を過ぎた銀髪の大きな女性で蒙古が話せる。 夫を亡くしたばかりのファティマはすでに二十七歳。 お付きの姑姑はファティマは1147年ジュマダル・ウッラーの月 (第5の月・寒い月)13日誕生で27歳と弘暦(フンリ)の用意した通訳と話した。 ウイグル、蒙古語に満州語、漢語も交えての必要な事項の打ち合わせだ。 年齢から誕生は雍正十二年九月十五日と換算できた。 宣教師は懸命に資料を読みグレゴリオ暦1734年10月11日。 ユリウス暦1734年9月30日と計算した。 ファーインは桃華(タァファ)やインフェイまで動かし入れ込む弘暦(フンリ)の為に手助けした。 「まるで駄々っ子よ、遊ぶなと言われて意地になってる。このままでは嫻皇后まで熱くなるからその前に」 しぶしぶ桃華(タァファ)は皇太后を動かして話を進めた。 祥曖(シィアンアィ)は普段優しく控えめだが、嫉妬深く陰湿、執拗、と天狐は見抜いた。 表と裏の差は激しいが、裏の顔は仙姑(シィアグゥ)によって今は潜められている。 桃華(タァファ)も裏がのぞいた時の祥曖(シィアンアィ)を富察皇后の宮女のころ幾度か見ているので、ファーインの要請に応じないと大ごとになると判断した。 令貴妃(リングイフェイ)と穎妃(インフェイ)の根回しで和貴人と位階が定められ、結局嫻皇后が折れて規範を学ぶのは嫻皇后祥曖(シィアンアィ)自ら教える事に為ってしまった。 あまり渋ると維吾爾(ウイグル)が困るとファティマは判断したうえで、しぶしぶ夜伽に応じる振りをした。 ラビー・アル=アウワルの月24日(第三の月・春の月)に冊封式を行うという。 天狐はタァファにどうせ半年は熱は続かないという。 「なぜ」 「フンリはあの服と髪型に半分、容姿と顔に半分惚れてる」 「それで」 如意を使う髪型にして清服に為れば半分になるという。 「後は寝屋でファティマが自分を楽します気が出れば半年は持つが、冷たくすればふた月で飽きる」 頭は良さそうだからフンリを手玉に取れるかもしれんなどと言っている。 「自分が入り込みたいの」 「タァファ、本当に考え無しだわ」 笑うファーインにタァファは怒っている。 「なんでわらうの」 「ファティマに入っても相手がフォンシャン(皇上)しかいない」 漸くタァファは理解して笑い出した。 その時はファーイン相手に囲碁の勉強をしていたので、周りの者は「良い手を思いつたようだ」と勝手に誤解した。 「待ちかねた」 「わたくし寡婦です」 「そちは我がもの、従ってほしい」 二人もようやくこの程度の蒙古での会話が出来る、弘暦(フンリ)は出来てもまだファティマの方の勉強が進んでいない。 香水とは違う肌の香りに陶酔して、衣服を脱ぐファティマを寝台まで抱き上げて運んだ。 経験あるファティマは初めての夜を思い出すように振る舞い、弘暦(フンリ)はそれを「うぶなのだ」と勘違いして無理な体位は求めなかった。 二人はともに絶頂を意識し到達した。 そんなことは無いというのが天狐の話でどうせ誰かの書いた仙人や道人の秘書を信じてるのさ、ファーインにそんなことを桃華(タァファ)の秘所の愛液を飲みたがる度に話しをしてくれた。 「思い込みは本当だと錯覚すればするほど効果がある」 「じゃ効果が出るのね」 「山に来た道人が房事の最中に、魔羅の先から女の養分を吸い取れるように為れば、いくらでも寿命は延びるとおだを上げていたぜ。でもな、そいつ抱かせてくれる女など見つけられないほどヨボヨボだった」 三度目で十分堪能したファティマは、これならフンリで十分満足できると昔を忘れて楽しむことに決めた。 フンリはいつもの事だが自分勝手にまた一人征服したと満足して眠りについた。 明け方、仄かな安眠香の匂いがした、が嗅ぎなれた香とは何か違う。 眼を開けると横にファティマの寝顔がある。 肌寒い日なのに薄着で布団から出て、縮こまって横向きの顔を此方に向けている。 おもわず肩を抱き寄せるとしがみついてきた「愛しい奴め」また勘違いだ。 ファティマは夫に抱かれる夢の中だ。 習慣で寒さしのぎに抱き合って寝るのが二人の寝床での毎日だった。 抱かれているのがフンリと悟ると胸をわざと押し付けて甘え声を出した。 「やるなら徹底的に骨抜きにしてあげる」 そう覚悟が決まれば自分も楽しんで相手が満足するこつを覚えることにした。
三月には避暑山荘(ピーシュシャンチョワン)木蘭囲場へも誘ってつれていった。 避暑山荘はまだ完成していない、変更の工事に手間取るのと治水に予算がとられ度々中断するためだ。 普陀宗乗之廟というラマ寺院の建設にも莫大な予算をつぎ込んでいる。 テントを張り、遊牧民の生活を紫禁城に為れた妃嬪たちに経験させるのも、遊牧民の先祖を忘れぬためだ。 ヨンチィたち侍衛だけなら片道二日で十分だが、道悪もあり馬車をガタゴト進ませれば四日掛かる。 十人の足自慢に競わせたら最初に勢いをつけた者は半道も行かないうちに歩き出す始末だ。 朝日の出前、寅正刻に出立と決めてある、日暮れまでにたどりついたものは居ない。 一番早いもので戌初二刻、遅いものは子正刻と日が変わる頃だった。 馬はというと同時に出ても替えを二回用意して酉の初初刻、足自慢の者に褒美を与えぬわけにいかない結果だ。
ヨンチィは道の整備、宿駅の整備が追い付いていませんと報告した。 「苦役ではなく災害の避難民の為の救済事業なら、街道わきの開墾を許せば人は集まります。あとは監督をするもの次第でしょう、手当と食事を私腹の肥やしにしない者を選ぶべきです」 侍衛は永琪(ヨンチィ)に指揮をさせて連れてきた「帝王学を学ばせるため」と桃華(タァファ)には言って置いた。 侍衛に馬比べを命じると穎妃はまだ負けないとばかりに、自分とヨンチィを競争させろとフンリに強請り(ねだり)だした。 「年を考えなさい」 「まだ三十ですっ」 「ヨンチィは二十歳だ、昔の五歳や八歳のときとは大違いだぞ」 言い出したら引かないわがまま娘は相変わらずだ。 穎妃が内周りでテントの周りを大きく二回りする間に三馬身は離され「もう一回今度はあの丘の上まで往復よ」というので侍衛に旗を持たせて其処へ留まらせた。 「馬を代えてはだめよ」 自分の馬は長丁場に向く七歳の蒙古馬だ。 ついてきていたファティマも自分の馬で参加したいとなり、三人は弘暦(フンリ)の合図で飛び出した。 ファティマのは着いたばかりの波斯(ペルシャ)の馬だ。 弘暦(フンリ)がやっと手に入れファティマにご機嫌取りに贈った。 丘の下までは首差で頴妃(インフェイ)が前に出ていたが、左へ馬首を向けて大周りしようとする永琪(ヨンチィ)と右へ大周りのファティマにかまわず正面につっ込みすぎて馬をあやしているうちに、大回りしたヨンチィとファティマに後から回り込まれて二人が前に出て坂を下った。 ファティマの馬は余力が無くなり、穎妃(インフェイ)の馬と並んでヨンチィを追うが二馬身差で追いつけなかった。 「手を貸してやれ」 ヨンチィは迷わず穎妃(インフェイ)の馬を抑えた。 「そうそうそれよ」 桃華(タァファ)の中のファーインだ。 「なぜ」 「ファティマの方へ行けば、後でフォンシャン(皇上)の機嫌が悪くなるわよ」 それもそうだと桃華(タァファ)も納得し、ヨンチィと穎妃(インフェイ)のそばで「おそかったわね、でもヨンチィは負けてあげなきゃだめよ」とわざと穎妃(インフェイ)を見て言った。 「ふんっ」 言った傍から笑い出して「わざと負けたりしたら許さない」とフンリとファティマのほうを見て「行きましょ」と桃華(タァファ)の手を取った。 侍衛たちの競争に混ざり綿徳(ミェンドゥ)や綿恩(ミェンエン)たち十代の若者も参加している。 嘩蘭(フゥアラァン)の位階があがった。 位階上昇の速さでは納蘭珠鈴(ヂゥーリィン)程の事もないが、ファーインにしてみればフォンシャンの好みはつかみきれないと今でも思っている。 乾隆二十五年一月十一日(1760年2月27日)庚辰-冊封瑞貴人(ルゥイグイレン)十七歳
穎妃(インフェイ)は暫く弘暦(フンリ)の寵愛から外れたが、思い出したように鍾粋宮(ユンツイゴン)へ通う姿が見える。 ファティマ-和卓氏(ホージャ)がやってきて入りびたりだったが、味くらべでも考え出したか。 鍾粋宮(ユンツイゴン)の穎嬪(インピン)を穎妃(インフェイ)に先んじて冊封していたのはつり合いでも考えて先に位階を上げたのか。 「寶月楼は、ほっといていいの」 「では、これから行こう」 「もう服を脱いだのに、裸で行くなんて用意が早いと褒められますよ」 「着させてくれ」 「朝に為ったらお手伝いします」 なんのことは無い、穎妃(インフェイ)になっても想うことは直ぐ口に出してしまう奔放なお姫様そのままだ。 十二年になるだろうか、蒙古から好奇心いっぱいで紫禁城に現れた日から変わったのは引き締まった肢体に、ほんのりと年相応の色気が滲んでいることだ。 「今日も朕の勝ちだ」 弘暦(フンリ)の自尊心はここに来れば自信に満ちて、養心殿へ帰ることが出来る。 これがシンイェンだったら弘暦(フンリ)の事などお構いなしにわめいて絶頂へ行ってしまう、そんな我満が大好きだったフンリは少し寂しい。 寶月楼は憩いの場所になった、不思議とあの香りは房事の後でしか嗅げない。 朝茶を二人で飲みながら傍の関玉(グァンユゥ)に「匂わんか」と聞くと怪訝な顔をされる。 姑姑に聞いても使う香水を持ってきて試したがそこにはない香りだ、本人も言われても思いつかない。 フンリは最近本当に相手が達したか不安のうちに果てることが多くなりだした。 フゥアラァンだってまだ経験が浅いから満足してるが、一年もたてばどうなるか不安だ。 当然自信を持てない寝宮には、足が遠のいてしまう。 最近心ものぞくファーインには「思い過ごしですよ」と言ってやりたい母心が芽生えている。 啓祥宮でタァファと弘暦(フンリ)が遊んでいるとフゥアラァンがやってきて三人で五台山の事が話題になった。 まだお供したことがないフゥアラァンは美しい景色と壮大な伽藍の話に興味深げだ。 来年は行こうとなって話しは弾んだ。 「来年こそは全山制覇」なんて言っている、その日はタァファが寝床で激しく燃えた。 やはり傍に寵愛を受けたフゥアラァンがいると思うとタァファも負けん気が出てくる。 弘暦(フンリ)は二人同時に相手をしたらと考えたが、さすがに言い出せない。 「酒池肉林」など国を亡ばす元と思っている堅い男だ。
和貴人の冊封式が終わると寶月楼は落着きを取り戻した。 弘暦(フンリ)は入りびたると謂うほどではなくなり、ファティマはほっと胸をなで降ろした。 十四阿哥が亡くなった、桃華(タァファ)は子供が亡くなる悲しみは二度と味わいたくないとファーインの霊に縋った。 「あなた欲張るから、天狐が言う揺り戻し(撚り戻し)がきたのよ」 「だって望みはあるか聞かれたのよ」 「子供じゃあるまいし、待ってれば皇貴妃だって向こうから勝手にくるわよ」 「本当ね、約束できる」 「ほら言う傍から自分で欲しがる。なんで男は焦らせて平気のくせに、自分は我慢できないの」 乾隆二十五年三月八日(1760年4月23日)庚辰-永璐(ヨンルゥ)四歳死去。 瑞貴人嘩蘭(フゥアラァン)は偏殿に住んで、気持ちは掌事宮女のようにタァファに仕えている。 ファーインは偏殿についてゆくと二人の宮女に「令貴妃娘娘にあなた達も私以上に尽くすのよ、シィアンユァンチェチェの言うことをよく聞いて、仕事の手をやすめないようにね」何てこと言っていた。 掌事宮女香苑(シィアンユァン)が「二人は宮女を増やさないと仕事が回らない」と愚痴っているその言葉を聞いていたようだ。 フゥアラァンがそれだけ働き者(きばたらき・気働き)だった証拠だ。 ようやくフンリの欲望は満たされた、味比べはファティマに軍配が上がったようだが、ほかの妃嬪にお呼びがかからない日が続いた。 ウイグルから来ていた茶碗に自分の詩を刻んで喜んでいる。 玉椀来徊部 輸誠貢闔間 召公懐不宝 韓子戒無当 異致白毛鹿 引恬赬尾魴 労来非力并 天眷奉昭彰 この茶碗三年前に朝貢した使節が齎した(もたらした)ものだ。 景環(ジンファン)が亡くなった。 肺を病んで居ましたと太医は言うが普通の肺病とは違うようだ、呼吸が苦しい日が続き頬はこけて痛々しさは見舞いに訪れる妃嬪を泣かせた。 乾隆二十五年三月二十四日(1760年5月9日)-皇貴妃 乾隆二十五年三月二十五日(1760年5月10日)急かさせるように四公主和碩和嘉公主(十六歳)が福隆安(十五歳)と成婚式を挙げた。 乾隆二十五年四月十一日(1760年5月25日)-册封皇貴妃 乾隆二十五年四月十九日(1760年6月2日)-蘇景環(ジンファン)四十八歳死去。
啓祥宮に弘暦(フンリ)が来たときタァファは妊娠を告げた。 喜んだフンリは暫く和貴人の事を忘れて啓祥宮通いだ。 椅子の上で膝にタァファを乗せ話が弾むと、手を秘所の上に持っていくので腹のほうへ持っていかないと濡れるまでいじられてしまう。 夜が更けるとフゥアラァンのほうへ行くように勧められ、嫌々行くふりで内心しめしめと偏殿へ押しかける。 声を殺して善がる様子は、養心殿では味わえぬ心地よさで「フゥアラァンも子供を産んでくれ」と嬉しがらせを耳元で囁きながら放出する。 共に声を押し殺しての房事は秘密めいて楽しい様だ。 いつもの様に彼方此方さまようのはファーインの霊だ。 寶月楼の和貴人はつつましく生活している、皇太后はすっかり掌に乗せられていると聞こえてくる。 円明園のお供にも付いて行くように言われると云う話が、奴婢の間を飛び交っている。 最初のうちは通訳する姑姑が必要だったが、今は困ったときだけで必要な会話も修練した。 元々頭の切れるお姫様で穎妃(インフェイ)とは気が合うのか、お付きの掌事宮女たちも仲がいい。 双方ともに優秀なお付きが付いてきていたようだ。 皇太后に二人が付き添って円明園には度々遊びに出かける。 花音(ファーイン)は皇太后の策略と考えている。 桃華(タァファ)の妊娠中に寶月楼に入りびたるのを防ぐためのようで、和貴人(ファティマ)も聡明にも皇太后の手に乗って見せる。 隣の庭園に清蔬園と名がつけられたが、完成まで後五年近く掛かりそうだ。 遅れているのは費用が莫大で、困って予算を減らしたせいだ。 すでに銀二百五十万両を超す金をつぎ込んでいる。 見晴らし台の塔は弘暦(フンリ)の「気に入らぬ」との言葉で土台からやり直しだ。 「其れだものいくら何でもお金のかけすぎっ」此方はファーインの声。
乾隆二十五年十月六日(1760年11月13日)庚辰-十五阿哥永琰(ヨンイェン)誕生。 「約束の四人は産ませたぞ」 「でも一人亡くなってしまったわ」 「そいつは此方のせいじゃない、意地汚く貴妃(グイフェイ)にしろなどフンリにねだるからだ。運気も揺り戻し(撚り戻し)は起きる。紫禁城の妖気はファーインの霊でも分かる通りいくらでもさまよっている。タァファの体でこちらは精一杯だ、あと三十二年の余命で何ができるか考えろ」 「もう三十三歳なのよ。これから皇子を産ませる自信は」 「皇后を見ろ、嫡子を産んだ時にすでに三十五歳だ、欲張るから後の二人が犠牲になってフンリを守った。タァファよ此方はお前と十五阿哥(シゥウァガ)に二人の公主で手一杯だ。約束の四人は守ってやる。子供を望むなら二人のうち一人は犠牲になる」 「一人なら長寿を約束できるかしら」 「二人に一人だ。弘暦(フンリ)の力が強すぎて一人は犠牲にしなければだめだ。フンリより先に二人ともが死ぬ事はない。一人しか産まぬならその子はフンリよりは先に死ぬ。フンリは残った余命は三十四年ほどで、お前は三十二年に減った。残った一人なら其方へお前の寿命が尽きた後手助けできるが、あと十六年に減るぞ。無理してもそれ以上はできない相談だ。後言っとくが皇后なぞ望むなよ、お前だけでなく子供たちまで危うくなるぞ」 「一人犠牲になれば公主二人と皇子二人は長寿なの」 「公主は皇太后に余命を与えた。今は皇太后の運勢次第で不安定だが婚姻はできるが、その先が見えない。男二人はファーインにも手伝わせる」 「私の霊もファーインのように残れるの、それと私は五十を過ぎると多病なの」 「ファーインが教えたか」 「天狐の気が漏れてるの」 天狐にも油断はあるようだ。 「霊がこの世に残れるか、それはお前次第だ、此方は狐狸精と同じ妖物だ。お前が自分のだけで無く他人の子供たちも守るのなら手助けしてやる」 「お礼は」 「もう一度言う、他人の子に手を出さないことだ」 「それだけでいいの」 「それが人間に一番難しい修業さ。フンリのように人の犠牲の上に立つて長生きできるのは狐狸精と変わらぬ憑きものさ」 乾隆二十六年一月一日(1761年2月5日)辛巳 チャンキャ・ルルペー・ドルジェ-ジャサク・ラマは四十五歳になった。 (Lcang skya rol pa'i r do rje)(康熙57年1717年丁酉生まれ) 直接会って話しはしなくとも青雲法師(シェンユンホッシ)の意識が自分を呼んでいると知った。 五台山のラマは青雲法師に力を貸すまでの法力はない。 フンリに西巡へ同行したいと申し出ると喜んで支度を整えてくれた。
西巡三回目・乾隆二十六年(1761年)二月~四月 令貴妃は五台山に着くと空狐とファーインが話す女乞食頭の媽に会いに出かけた。 宮女に太監がぞろぞろついての訪問には乞食たちは腰を抜かした。 瑞貴人嘩蘭(フゥアラァン)は恐れげもなくタァファの前を歩いた。 媽は空狐の話ではもうじき八十二歳だという。 十五人が暮らすという女乞食は統制がとれている。 朝は門前の掃除、夕はぶらぶらとしながら落ちている屑を集めて小屋の前で燃やすのが仕事だ。 たまには薪を燃やして酒盛りもする。 河の漁師の差し入れが来れば串に刺して焼けば酒もすすむ。 生臭ものの煙もこの谷からは外に出ない、乞食(こつじき)に出る前は身を清めて出る、薄汚いままでは喜捨も集まらない。 女乞食になったものにも姻戚は有って心配してくれている。 元は家族できて子供を養子という名目で引き渡す、人手が欲しい老いた河漁師は大勢いる。 人買いの手を経ずに代々の媽が子供のために養子に出す事も度々ある。 男が亡くなれば女は媽の所へ張が送り込む仕組みだ。 参詣者に物をねだるのは三日に一度、回ってくる順番に出て、銭は菜店で預かる仕組み、取り決めで銀の小粒に有り付けば懐へ入れてよい仕組みだ。 一辺に十五人もの女乞食が出ては憐れみを誘えない、この集団に入ると長生きするものが増える、勢い稼ぎが分散してしまう。 仕組みは代々の張と媽が話して造り上げた。 張の蓄えは地方の金持ち以上と寺では見ている、自分で物乞いに出ると人の三倍は貰いがあると自慢だ。 「なぁに、あの店は乞食の統領がやらせてる」 桃華(タァファ)が驚かないように馬車の中で仕組みを教えながらここまで来た。 「ファーインは知ってるの」 「ファーインは言わなくてもわかる」 ことごとにそれを言われ、時にはすねる桃華(タァファ)だ。 「そいつはフンリの前でやれ」 すげない天狐の言葉だ。 媽は元気だ、タァファの中に天狐とファーインがいるのも一目で見抜いた。 小屋へタァファが入ると掌事宮女香苑(シィアンユァン)に瑞貴人嘩蘭(フゥアラァン)が表に立った。 「良いときに現れてくれた。あっちはもうじきお迎えだ。後は誰にやらせればいい」 「毛という若い足の悪い奴だ」 天狐が来て直ぐに媽が頭に描いた女だ、天狐も初めて見る顔だ。 タァファの口から出る言葉とは見て居なきゃ信じない。 「ちょいと見栄えがいいので男どもがしつこいんだ。出の前の体を洗うのを覗くやつまでいる」 「まじないをしといてやる。手を出せば雷(いかづち)が落ちれば良い。何度かあれば張が手を出すやつを張り倒すさ。今日は居るのか」 媽が表に出て女を連れて来た。 名前を聞くと銭氏の儀薫(イシュンYí Xūn)だという、毛は元の夫がそう名乗っていたという。 夫婦でここへ来たのが四年前、その時十五で乞食にまで夫婦で落ちぶれた、洪水で村が全滅した様子が桃華(タアォハァ)の頭に浮かんだ。 続いて夫が崖から落ちて女が取りすがって泣いている。 タァファが軽くおでこに指をあてると意識が飛んでタァファの手に宿った。 「明日からお前が媽だ」 うなずく女に媽とタァファが指をあてると天狐が拵えた知恵と勇気が宿った。 先代の媽となった老婆は「明日からお前の名前はない」と告げて玉の腕輪を抜いて新しい媽の腕に付けた。 「これで嫌な男も寄り付かないよ。長生きをおし。あっちが死んだら此処を掃除してお前が住むんだ、あっちの銀は全部お前に残す」 銭氏という女は頷いて出て行った。 タァファは嘩蘭(フゥアラァン)を呼び入れて太監に持たせてきた銭の袋を持ってこさせた。 用意した刺しの乾隆通宝で銭を千文渡し、自分の袂から銀の小粒を十個渡した。 「これはまさかの時の為にね、医者を呼ぶ必要なことも有るだろうから」 他人がいれば口調は優しい。 翌日は連絡が付いた男だけの乞食の集団、三日目は家族で乞食まで落ちぶれた者たち。 それらには銭だけが渡された。 その合間に寺院詣でを精力的にこなす令貴妃の後姿を拝む参詣者は後を絶たぬとの噂が、五台山に広まってゆく。 前回の訪問の時の立ち姿が伝説に為っている。 青雲法師(シェンユンホッシ)まだ三十歳に手が届かない修行僧だが、全山上げてこれからの指導者の一人と認めていた。 そのタァファの噂を聞いたのか、ジャサク・ラマとの約束の前に、仲介をしたい富豪の頼みで会うことになった。 まだ遠くへの意識は相手が求めてくれないと飛ばせない法師だが空狐が花音(ファーイン)の霊と桃華(タァファ)の体を守護してるのは見えたようだ。 輝發那拉祥曖(シィアンアィ)の時はついている仙故に「下がれ」と首を振って祥曖(シィアンアィ)には軽く会釈しただけだが、タァファの中の空狐には見覚えもあり、花音(ファーイン)の門を守る金剛夜叉に拝礼した。 その様子を見ていた妃嬪に宮人、太監、侍衛たちは数多くいて、桃華(タァファ)の事を仙女、女観音菩薩の来臨と信じた者は多い。 「なんでフォンホウには素気無いの」 「前の仙人は逃げ出して、今はたいしたことない、さがない仙姑(シィアグゥ)が憑いてるだけだ」 天狐はフォンホウに厳しい、仙故でも何仙故ならファーインだって名前を知っている。 大同から来ていた富豪は青雲法師の寺への寄進は、年銀千両を超すとの噂だ、その富豪もつれてきた老いた母親が、タァファに手巾をせがんでいるのを見て慌てたが、優雅に「これでいいの」と手渡しでよこした。 ついている掌事宮女香苑(シィアンユァン)は「媽はお元気のようでよかったですね。これからも福に恵まれますよ」と嬉しがらせを言ってタァファの後を追った。 伏し拝む老いた母親を見て淵(ユァン)という富豪は、涙がこぼれて止まらなかった。 「役者だ」 「さすがね」 二つの霊もタァファの芝居と気付いているようだ、乞食にも慈悲を、富豪にも同じように慈悲を、噂だけで自分を全山上げて女観音菩薩と敬われる存在にしてしまった。 女乞食の媽に会うだけのつもりが、これだけ大袈裟に噂を広める腕は、並居る妃嬪も太刀打ちできない。 今年も冷たい雨が山を覆い、全ての峰を巡れないフンリは不機嫌だが、青雲法師とジャサク・ラマの法要の後で会いたいと希望は伝えた。 さすがに二人の出会いを邪魔することは控えるのだった。 女観音菩薩がお供に仙女を連れて現れたと聞いたフンリは淡鵬(ダァンパァン)に調べさせると、魏桃華(ウェイタァハァ)こと令貴妃が瑞貴人と乞食に供物を渡したのだというので嬉しくなり、峰を登れぬ不運も忘れた。 二人は俺のものだと自慢して連れ周りたいくらいだ。 ジャサク・ラマ(チャンキャ・ルルペー・ドルジェ)は三世と言われている。 前二代の生まれ変わりと尊敬も深い。 ジャサク・ラマは人々からチベットと思われているが、蒙古の多倫諾爾(ドロンノール)彙宗寺(フフスム・青の廟)から七歳で京城の雍親王府へやってきた。 南半分はフンリの王府になり北側にラマの寺院が設けられ、乾隆九年(1744年)にフンリから全体が寄進された。 ファーインと出会うのは雍正三年十月十日(1725年11月14日)早朝、朝露に濡れる茶花を描きに裏へ行くと塀から顔を覗かせている小坊主と眼があった。 「空が広いね」 「僕が生まれたところは回り一面空だったよ」 「大きくなれば分かるけど地面と海の上は全部空だよ」 「テンペーだよ」 「私はファーイン」 それだけの会話だが、チャンキャ・ルルペー・ドルジェは「悟りを得た」のはこの時だと自得した。 マハパリ・ニルヴァーナの世界は思うがままにテンぺーを高みへ導いた。 教える僧はニルヴァーナは涅槃であり解脱すべき肉体は余分という。 テンペーの意識は光明に包まれた未来を見せてくれた。 教学を学べば一回ですべてを覚え、自分自身を先生として学んでいった。 ファーインの霊は空狐の庇護下にあると飛ばした意識は教えてくる。 生きながら涅槃を悟るという、それは人に説明できない。 椿-山茶花・茶花(チャンチン・チャァファCháhuā) 青雲法師(シェンユンホッシ)はジャサク・ラマの為に無住の荒れ寺を整備し待ち受けていた。 二人は文殊師利仏土厳浄経をその荒れ寺で唱え、法師は此処を新しいラマの為の寺院にどうかと勧めた、ジャサク・ラマの弟子を五台山へ迎えたいと希望を伝えた。 ジャサク・ラマも既存のラマ寺に送れば軋轢が生じると思い、申し出を受けることにした。 フンリは自分に新しい伽藍を寄進させてくれと申し出、監督官を劉氏に決めた。 弘暦(フンリ)は巡行の帰り道、タァファを夜伽に呼んだりすると霊験が亡くなるかと円明園に着くまで我慢のし通しだ。 皇太后が「何処か悪いのか」と心配して太医たちに診察を命じたほどだ。 フォンシャン(皇上)が途中で精を漏らせば、ご利益を失うと思い込んでいたのを誰も知らなかった。 言ったりしたらすべてが水の泡、誰かに吹き込まれわけでも無さそうだ。 天狐たちはタァファにもわかる様に笑いながら帰りの馬車で教えた。 その馬車にはお供に瑞貴人嘩蘭(フゥアラァン)と掌事宮女-香苑(シィアンユァン)を乗せ、二人には眠ってもらい永琰の世継ぎは間違いない事を意識の底に潜ませた。 二人は夢の中でタァファとたわいのない噂話を続けているつもりに為っているはずだ。 特に嘩蘭(フゥアラァン)には桃華(タァファ)の為に生まれてきたと何度も教え込んだ。 乾隆二十六年四月四日(1761年5月8日)辛巳 円明園で行われた祭事は皇太后を喜ばせた。 この年皇太后は六十八歳、弘暦(フンリ)は五十一歳になっていた。 桃華(タァファ)が部屋に来た時、弘暦(フンリ)は高ぶる気持ちを抑えるため、食も細くなり淡鵬(ダァンパァン)が心配するほどだった。 床へ誘うのも、もどかしく桃華(タァファ)を抱きしめて口づけを小鳥のようにせわしくせがんだ。 落ち着いている桃華(タァファ)に、いつもと違うと気が付くと女観音という言葉が浮かんで、なおさら気持ちが高ぶってきた。 裸の立ち姿を見たいとせがみ、いつもと違う高貴な姿に嫌が応にもたまらず、後ろから抱き着き、乳房を強く(きつく)押さえて抱きしめた。 「いたい」 すまぬと弘暦(フンリ)は手を緩めた。 「痛いのはそこではありませんわ」 弘暦(フンリ)は焦って帯玉を外しもしていなかったことに気付くと、タァファを振り向かせて帯を外させた。 脱ぎ終わるまで我慢するのも修業の続きだ、そう自分に言い聞かせた。 部屋の外の淡鵬(ダァンパァン)は、五台山で見たタァファの立ち姿から着ているものを脱がすところを思い描き、裸のタァファを想像して、無いはずの男のものが起ち上がる様にうずいた。 弘暦(フンリ)は裸になると一歩下がってタァファを上から下まで眺めた。 よく知っているはずの体に、今更のようにうずくフンリの男は、これでもかと天を向き、今までにない勃起にタァファまでが興奮した。 「何よこんなに高ぶるなんて、二度や三度の夜伽の経験しかないうぶな娘じゃないわよ」 可愛そうなのは外の淡鵬(ダァンパァン)だ、関玉(グァンユゥ)は先に紫禁城へ戻って円明園にいない。 淡鵬(ダァンパァン)は四十三歳の男盛りだが、宦官になって三十六年経つたがこんなに興奮させられたのは初めてだ。 体をよじって耐えるしかない、弟子の嘉淵(ジャユアンJiā Yuān・小淵子)は十三歳でまだ夜番は無い。 それを見ている侍衛は「宦官じゃなくてよかった」と家に戻れば妻女を抱ける自分をほめたくなった。 フンリは興奮が冷めたが、隣で息をついているタァファの汗が愛用のムージンのかぐわしい香りに混ざって、懐かしい香りがしてくるとまたもや興奮したが、さすがにもう役に立つだけの余力はなく、タァファを後ろから抱きしめるだけで満足して眠りについた。 ファーインは途中で呆れて抜け出していたが、中にいる天狐とは意識が通じていて「タァファめこれで少しはおとなしくなるか」と疲れた声でファーインと話をした。 タァファが寝返りをうってフンリを布団にくるむと、ファーインがいる方を向いて「ニッ」と笑った、どうやらファーインの香りでフンリが落ち着いたと分かったようだ。 幾度話し合ってもスミレの香りは天狐もファーインも意識したことがないし、なぜ人がそれを感じるか謎は残った。 タァファは自分の体を濡らした布で拭くと、フンリにかまわず自分の布団にくるまって寝に付いた。 静かになった部屋の外で淡鵬(ダァンパァン)は「やれやれ」と落ち着きを取り戻し気を鎮めた。
年末が近づき寶月楼は慌ただしい。 貴人に冊封されて寵愛は他の妃嬪以上なのに位階はそのままに二年近くたってしまった。 弘暦(フンリ)は「住み込んでもいいくらい今でも寵愛しているのになぜだ」と皇太后に言われ皇太后懿旨で嬪に冊封された。 乾隆二十六年十二月十日(1762年1月4日)-冊封容嬪(二十八歳) ムスリムの暦は1175年第6の月9日、タァファが姑姑から聞き込んだ話では寒い月というらしい。
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第十三回-魏桃華-4
舒妃が三十五歳、慶妃はもう三十九歳だ。 嫻皇后(四十五歳)の元にはよく顔を出しても、夜伽は月一度お約束のように呼ばれる。 若い妃嬪に何か足りないものがあるのだろう。 確かに嘩蘭(フゥアラァン)は十九歳、汪氏(十七歳)など若い美人は居ても書画、囲碁、象棋などで弘暦(フンリ)の話に付いて来れない物足りなさがある。
容妃が胡旋舞を妃嬪の前で踊った。 フンリも目にしたのは初めてだ。 「なぜ今まで披露しなかったのだ」 「安禄山に楊貴妃が得意げに披露したと教わりました。皇帝を惑わしたその二人を忌避しました。今日は皇太后のお許しもいただきフォンシャン(皇上)のため披露させていただきました」 フンリは白居易(白楽天)の詩を朗誦し容妃を称賛した。 「胡旋の女 空しく舞ふなかれ しばしば此の歌を唱ひて明主を悟らしめよ」
春の暖かい日が続き、最近のお気に入りは慶妃だ。 理由は囲碁で互角に勝負できる相手が他にいないから。 嫻皇后は昔ほど囲碁に興味を持ってくれないのを敏感に悟って、碁が戦いたいときはまず永寿宮(ヨンショウゴン)を覗いてみる。 前みたいに思わせぶりの訪問はしない。 延禧宮(エンシゴン)か鍾粋宮(ユンツイゴン)へ出かけていなければ大抵自分の所で碁を打ちに来る獲物を待っている。 また弘暦(フンリ)という大物が引っ掛かった。 本人は互角のつもりだが、三番なら最初に負けて気分を上げてくれる。 弘暦(フンリ)は「若しかして」と勘ぐることも有るが、三番連勝のことも有るのですぐ忘れる。 三番目は静麓(ジンルー)の気分次第、早く追い返したいときは早打ちでコテンパンにやっつける。 ところが今日のフンリはしつこい。 「もう一番」 そう言って石を集めだした。 一番接戦で勝ったフンリは気をよくして「もう一番」と粘る。 桃華(タァファ)が永琰(ヨンイェン)と手を繋いでやってきた。 直ぐに静麓(ジンルー)が自分のほうへ抱き寄せた。 「ねぇ、メイメイ妊娠でもしたの」 「見破られたぁ、まだ太医に見せてないのよ。今呼びに行かせたとこ」 弘暦(フンリ)は驚いている。 「フォンシャン(皇上)、ジンルーチェチェにこの子の養育をお願いしたいけど考えて下さい」 「近いんだ、行き来して永琰が望めばそうしてよい」 タァファにジンルーはもう決まったと同じという顔をしている。 結局碁のほうは有耶無耶になってフンリは永琰(ヨンイェン)を抱いてタァファの啓祥宮(チィシャンゴン)へ向かった。 その静麓(ジンルー)に永琰(ヨンイェン)が預けられる話が本決まりになり、永寿宮(ヨンショウゴン)は一辺に十人も人が増えた。 乾隆二十七年五月五日(1762年6月26日)壬午の午後乳母に連れられて永琰(ヨンイェン)はにこにことやってきた。 掌事宮女の春燕(チュンイェン)はジンルーよりも喜んで大はしゃぎだ。 弟がやってきたとでも思うらしい。 「マーマきたよ」 ウーニャンでもムゥチィンでもなく媽媽とジンルーを呼んだ。 タァファを「ウーニャン」、ジンルーを「マーマ」と二歳の頃から呼んで居る。 「今日からチェチェがウーニャンで、メイメイがマーマに成るんだよ」 「謝慶妃娘娘」 可愛くお礼を言われてしまった。
令貴妃と空狐の約束通りの子供を得ることができた。 乾隆二十七年十一月三十日(1763年1月13日)壬午-十六阿哥。 乾隆三十年五月九日(1765年6月26日)乙酉-令貴妃は令皇貴妃に冊封。 乾隆三十一年五月十一日(1766年6月17日)丙戌-十七阿哥永璘(ヨンリィン)。 「今回の皇貴妃はお前が呼び込んだわけじゃないから、二人ともなんて事に成らないだろう」 天狐は安心させるように普段より優しい言葉をかけた。
乾隆二十一年から以後、ファーイン、天狐がタァファの手を使わせず、みのがしたのは腹の子が公主の時だけだった、腹の子が男なら妃嬪たちの体に害が出ないうちに流産させた。 「そんなに早く男女が分かるの」 妊娠を本人が分かるかどうかの時期に男女を言い当てるので、タァファには不思議にうつる様だ。 何産婆の中には三月足らずで男女を言い当てるものが、この京城だけでも十人は下らない。 疑問だらけのタァファに「俺をだれだと思ってるんだ」いつのもように天狐の自慢が始まると、飽き飽きしているファーインは妃嬪たちの様子を見まわった。 一番面白いのは相変わらず静麓(ジンルー)には高飛車の舒妃(シューフェイ)だ。 本人は悪気など感じた事など全くないが静麓(ジンルー)も慶妃となって受け流すのもうまくなった。 忻嬪(シィンピン)-戴佳氏(ダイギャ氏)の六公主(乾隆二十年)と八公主(乾隆二十二年)は無事に産ませたのだが、忻妃に冊封されて半年後、忻妃は難産で親子ともども死去した。 乾隆二十年七月十七日(1755年8月24日)乙亥-六公主誕生。 乾隆二十二年十二月七日(1757年1月16日)丁丑-八公主誕生 乾隆二十四年八月二十六日(1759年10月16日)己卯-六公主五歳死去。 乾隆二十九年四月二十八日(1764年5月28日)甲申-忻妃三十歳死去。 乾隆三十二年五月二十一日(1767年6月17日)丁亥-八公主十一歳死去。 真に悲劇の親子としか言葉がない。 「そこまでは手を回せられない。今度も公主が産まれるはずで見守りの隙をつかれたようだ。タァファが手を出していないことは承知だ」 フンリは忻貴妃を追贈した。 乾隆二十九年三月二十二日(1764年4月22日)甲申-那常在-譚氏(タンTan)十一歳 乾隆二十九年三月二十二日(1764年4月22日)甲申-武常在-武氏(ウー)二十八歳 ファーインは昔、穎妃が那常在に冊封されたときどうして那を使うのか嗅ぎまわったが誰も知らなかった。 また同じ字を使うには理由があるのだろうか。 武常在は十二歳の時、今の穎妃の宮人として蒙古からやってきた。 主に忠実と位を弘暦(フンリ)が与えた。
南巡四回目。 乾隆三十年一月十六日(1765年3月07日)離京・四月二十一日(6月09日)帰京。 随行-嫻皇后、令貴妃、慶妃、容嬪等 この時皇后が弘暦(フンリ)と争い髪を切って抗議したという。
この時はファーインは情報集めに紫禁城に残り久しぶりに城外の春杏(チゥンシィン)に春李(チゥンリ)の家を見に行き子供たちの成長に目を細めた。 最初に天狐と組んだ時、孫か弘暦(フンリ)どちらかを選べと言われ「孫は丈夫に育つ」というのを信じて今も見に行くことは無い。 チゥンリの子はもう二十歳で商人として一家を構えているという。 チゥンシィンの方は上の娘が嫁に出てもう孫がいる。 行き遅れていたジィアリンのところのイーヌオの話題が聞けた。 夫は何度か見た覚えがあるが、年がだいぶうえで隠居したはずだ。 子供が官吏と婚姻して孫が出来たと噂をしている。 どうやら昔の掌事宮女たちの繋がりで噂を共有しているようだ。 そんな外回りと噂を集めていたら、福隆安が馬車を引き連ねてやってくる。 福隆安の所は二人男の子が生まれて居る。 「何事だ、今頃は山東州で舟遊びでもしてるはず」 見ていると馬車から誰か降りて、輿に乗り換えた。 幕が張られた輿は翊坤宮の前まで横づけだ。 降りてきたのは嫻皇后シィアンアイだ。 皇后那拉氏-乾隆三十年二月十八日(1765年4月7日)杭州より帰京。 乾隆三十年三月十七日(1765年5月6日)-十六阿哥四歳死去。 約束された結果とはいえ桃華(タァファ)の心は痛んだ、心を鬼にして十五阿哥永琰の為に天狐との約束を信じた。 弘暦(フンリ)がフゥアラァンの夜伽の日、まだ十六阿哥の死から立ち直れないタァファは不機嫌だ。 理由はフゥアラァンというよりもこんな時にまで、当てつけのようにフゥアラァンを夜伽に選んで、他の妃嬪を焦らして喜んでいることがだ。 その夜のフゥアラァンからは御花園で咲く茶花(椿・チャァファCháhuā)の香りが漂った。 二人は何度も達し、フゥアラァンはもう起き上がる力もでない。 「夏痩せしたの」と静麓(ジンルー)が聞くほど急にほっそりとした嘩蘭(フゥアラァン)。 やせっぽちの静麓(ジンルー)が心配するほど痩せてきた、普段白かった顔が少し赤みをおび下膨れの美人顔に見える。 ファーインは「何とかならないの」と無理を承知で天狐にすがった。 「命運は尽きている」 定めとはいえタァファもファーインも太医たちに縋るしかないが「こいつはファーインと同じ病だ。神も仏も助けられない」と決めつけた。 乾隆三十年六月九日(1765年7月26日)乙酉-瑞貴人嘩蘭(フゥアラァン) 索綽多氏(ソチョロ)二十二歳死去
乾隆三十年十二月二十日(1766年1月30日) 蝴蝶(フゥーディエ)の五十歳の生誕に内務府は恩賜銀二百両を届けてきた。 フォンシャンも銀三百両と祝いの品を届けてきた。 四十歳の時は何もしてもらえなかった。
乾隆三十一年一月一日(1766年2月9日)丙戌 この年の冬は大雪。
天狐が骨の腐る病と予言した五阿哥永琪(ヨンチィ)が十ケ月ほど患って亡くなった。 佳玲(ジィアリン)の嘆き、いやそれ以上に弘暦(フンリ)は後を継げる逸材を失った悲しみから寝込んでしまった。
乾隆三十一年三月十五日(1766年4月16日)丙戌-永琪二十六歳死去 残された子供は男子六人と女子二人。 生前榮親王と冊封されていて、榮郡王と冊封されるはずの綿億が家系を残すと天狐は見ている。 「見えるときと見えないときの差はなぜ出るの」 「相手次第だ。可笑しな狐狸でもついてるなら退かせるが、霧のようにぼやける時は俺にもわからぬものが付いたか、将来に神仏が介入する時、何もなければ三代先まで見える」 フンリはひそかに阿公こと呉智雷を隠居所から呼び寄せた。 フンリはどう言おうか迷っている。 「綿恩(ミェンエン)様のことですな」 「なぜわかった」 綿恩、定親王永璜次子この時二十歳、侍衛に支持者が多いと噂の青年だ。 「昨晩、花音(ファーイン)娘娘が夢枕に立ちました」 「そうか、やはり綿恩を頼むと言ったか」 「いえいえそうではありません。すでにフォンシャン(皇上)の御子に皇帝たるべき方がお生まれで、そのお方を指導鞭撻を御自ら為されるよう告げる様に頼まれました」 「誰の事をだ」 「お名前はもうさせれません。ただフォンシャン(皇上)の方から見れば凡庸に見えても、それは目が厳しいせいで、歴代の皇帝陛下に劣ることは決してない。そう仰せでした」 「花音(ファーイン)は自分の孫が可愛くないのか」 「可愛い、愛しい、と仰せでした。お二人のお孫様の生末(行く末)を案じてはおられました。それと皇統をつなぐことは別で、自分はフォンシャンをいつでもお守りしていると仰せでした」 フンリは時々感じていた仄かな董の香りはそのせいかと思ったが、口には出さず「阿公も体をいとおえよ」と八十六歳の呉智雷を供を付けて送り出した。 控えていた馮英廉 (ファンインリィェン)に入るように伝え「聞いたか」と、どう思うかを話させた。 「阿公は大阿哥の信奉者です。お二人の御子のうち弟君を応援しておりました。その阿公が綿恩(ミェンエン)様を押す機会を逃すにはそれなりの思惑もあるはずです」 「なんだ、申せ」 「今フォンシャンが退位して上皇に成られたら国が収まりません」 「なぜだ」 「満、蒙はフォンシャン(皇上)を支持しても周辺諸国はこの機会にと反乱を起こすでしょう」 「では阿公の言うように朕の体が持つうちはこのままが良いと、粘竿処(チャンガンチュ)はどう見てる」 「御秘官と同じくフォンシャン(皇上)に忠誠を、全て私が纏めます」 「長を隠居しても官を辞することは許さぬ。朕を最後まで支えよ」 「畏まりました」
五阿哥の事があって桃華(タァファ)は花音(ファーイン)に大阿哥の事やその子たちの事は気にならないのか聞いてきた。 「昔ね、二兎を追うものは一兎をも得ずって教えてもらったの」 「それで」 「永璜(ヨンファン)が亡くなったというのは悲しい、でもあの時フォンシャンを守りたいって決めたの。自分の孫まで気を回したら虻蜂取らず」 「それで平気なの」 「噂は佳玲(ジィアリン)に蝴蝶(フゥーディエ)の所で聞けるし、気が向けば春李(チゥンリ)に気を送れば調べて呉れるわ」 「春李(チゥンリ)にも気を送れるそんな力があるの」 「チゥンリは受けられても返せないわ、噂を集めるくらいは出来るし、それを蝴蝶(フゥーディエ)に披露させるだけ」 長子綿徳(ミェンドゥ)はもう二十歳、次子の綿恩(ミェンエン)はひと月遅れで誕生した、共に学問武芸に満足できる若武者だ。
フォンシャンから遠ざけられていた皇后が亡くなった。 乾隆三十一年七月十四日(1766年8月19日)丙戌-嫻皇后薨去。
乾隆三十一年 大婚は重華宮で催行された、それで話題は西二所の事から始まるので話は尽きない。 永和宮の主に鍾粋宮の主、永寿宮の主、啓祥宮の主、寶月楼の主、景仁宮の主と良くこんなに延禧宮に集まったもんだ。 内務府から珍しい水菓子まで来てる、フォンシャンが曾孫誕生を喜んでる証拠だ、いや富察家とまた婚姻で縁が濃くなったことかな。 乾隆二十五年に四公主和碩和嘉公主と福隆安(富察傅恒次子)が縁を結んでいる。 乾隆三十二年一月一日(1767年1月30日) 平穏無事の一年。 夏 花音(ファーイン)の孫(綿徳)に子供が生まれた。 「奕純(イーチゥン)」とつけたと蝴蝶(フゥーディエ)の所で内輪でお祝いしてくれた。 「何てこと、私が曾祖母だわ、ヅァンヅゥームゥーなんて響きがよくないわね。村の媽の事なんて呼ぶんだろ」 タァファから「曾祖母のムーチン」だなんて念が送られて来た、庭の向こうで佳玲(ジィアリン)と爆笑してる。 なに話してるかと思ったらジィアリンが「ファーインが居たら曾祖母(ひいばあ)さん」て事を話題にしてる「あんただってもう直よ」。 乾隆三十二年八月十六日(1767年9月8日)丁亥-奕純(イーチゥン)誕生
乾隆三十三年一月一日(1768年2月18日)戊子 この年フォンシャンは五十八歳。 令皇貴妃桃華(タァファ)四十二歳、慶貴妃静麓(ジンルー)四十五歳、婉嬪蝴蝶(フゥーディエ)五十三歳で愉妃佳玲(ジィアリン)五十五歳との話から花音(ファーイン)は自分はと考えて「何も指折り考えなくてもフォンシャンのふたつ下、佳玲(ジィアリン)の一つ上、なんだまだ五十六歳だ」桃華(タァファ)にまで呆れられた。 「自分の年位考えないでよ」 最近タァファは花音(ファーイン)のみ成らず、天狐が気を抜いた隙に今何を思っているかが見える様になってきた。
天狐は気にしているが奴婢に人気のない汪氏(ワン)永常在が貴人になった。 後で大事になるからと先読みしたらしい、桃華(タァファ)が気にして教える様にいうが「今は不安定だ」の一言で教えない、おかしいぞ絶対何か企んでる。
乾隆三十三年一月二十七日(1768年3月15日)-冊封永貴人(イェングイレン)- 汪氏(ワン)二十三歳 「絶対に何か企んでる」 桃華(タァファ)も同じ考えだ、でも天狐の本意は調べようもない。 「入りたいと思える容姿でも無いわね」 「儲け仕事になるのかしら」 挑発しても瞑想してるので何も響いてこない。 慶妃(チィンフェイ)の元で規距を学んでいた平得子(ピィンディズゥ)が常在になった。 七月十二日の生誕祭は派手にやろうと静麓(ジンルー)と桃華(タァファ)は大喜びだ。 兄は今年一等侍衛になった平儀藩(ピィンイーファンPíng yífān)だ。
乾隆三十三年五月二十一日(1768年7月5日)戊子-冊封平常在-平氏(ピィン)十七歳 平得子の後を追うように永琰の養母として桃華(タァファ)を支えている静麓(ジンルー)が皇太后の支持を得て慶貴妃(チィングイフェイ)となった。
乾隆三十三年六月五日(1768年7月18日)戊子-慶貴妃・陸氏(リゥ)四十五歳 乾隆三十三年六月五日(1768年7月18日)戊子-容妃・和卓氏(ホージャ)三十五歳 乾隆三十三年六月五日(1768年7月18日)戊子-順嬪-鈕祜祿氏(ニオフル) この月位階が上がる人に降格した人悲喜こもごも。 乾隆三十三年六月二十日(1768年7月21日)-降格・蘭常在-鈕祜祿氏(ニオフル) 静麓(ジンルー)は自分の位階が上がったが、偏殿の蘭貴人が降格、平得子は平常在と冊封されて心の中は複雑だ。 七月十二日得子(ディズゥ)の生誕祭 静麓(ジンルー)が主催、これは永寿宮(ヨンショウゴン)の主として当然。 桃華(タァファ)に佳玲(ジィアリン)、蝴蝶(フゥーディエ)もお祝い品満載でやってくる。 こういうお祭り騒ぎが好きな珠鈴(ヂゥーリィン)は欠かせない。 うるさ型の穎妃(インフェイ)だって水菓子を前から内務府に言いつけて太監、宮女総出でも食べ切れるか心配するほど贈ってくれた。
乾隆三十三年十月六日(1768年11月14日)戊子-冊封慶貴妃・陸氏(リゥ)四十五歳
桃華(タァファ)の皇貴妃冊封以来いろいろ言う人が今でも出てくる。 弘暦(フンリ)でも漢族のフォンホウは輝發那拉氏以上にできない相談だ。 遣ったら反乱が起きかねない。
乾隆三十三年十月 皇貴妃一名・令皇貴妃 貴妃一名・慶貴妃 妃五名・愉妃・舒妃・豫妃・穎妃・容妃 嬪二名・婉嬪・順嬪 貴人四名・林貴人・永貴人・祥貴人・慎貴人 常在十一名・柏常在(白常在)・陸(禄)常在・明常在・新常在・蘭常在 那常在・鄂常在・宁常在・晋答応・平常在・武常在 ・寶月樓 容妃-和卓氏(ホージャ) (西六宮) ・咸福宮(シャンフーゴンXiánfú gong) 柏常在(白常在)-柏氏(パァイ) ・長春宮(チャンチュンゴン・Cháng chūn gong) 長春仙館 ・啓祥宮(チィシャンゴンQǐ Xiáng gong) 令皇貴妃-桃華(タァファ)-魏氏(ウェイ) ・儲秀宮(クシュゴン・chu xiu gong)・麗景軒 順嬪-鈕祜祿氏(ニオフル) ・翊坤宮(イークゥンゴンYì Kūn gong) 永貴人-汪氏(ワン) 偏殿-明常在-陳氏(チェン) 後殿-新常在-顔氏(イェン) ・永寿宮(ヨンショウゴンYǒng shòu gong) 慶貴妃-静麓(ジンルー)-陸氏(リゥ) 偏殿-蘭常在-鈕祜祿氏(ニオフル) 後殿-平常在-平得子(ピィンディズゥ)-平氏(ピィン) (東六宮) ・鍾粋宮(ユンツイゴン・jung t’sui gong) 舒妃-葉赫那拉氏(イェヘナラ)・納蘭氏(ナーラン) ・承乾宮(チァンチェンゴンChéng qián gong) 豫妃-博爾済吉特氏(ボルジギト) 偏殿-那常在 後殿-林貴人-林氏(リィン) ・景仁宮(ジンレンゴンJǐng rén gong) 穎妃-巴林氏(バリン) 偏殿-陸(禄)常在-陸氏(リォウ) 後殿-武常在-武氏(ウー) ・景陽宮(ジンヤンゴンJǐng yáng gong) 鄂常在-西林覚羅氏(シリンギョロ) 偏殿-祥貴人-欧氏(オゥ) ・永和宮(ヨンホゴンYǒng hé gong) 愉妃-佳玲(ジィアリン)-海佳氏 (ハイギャ) 偏殿-宁常在-陳氏(チェン) ・延禧宮(エンシゴン・yan xi gong) 婉嬪-蝴蝶(フゥーディエ)-陳氏(チェン) 偏殿-晋答応-富察氏(フチャ) 偏殿-慎貴人-索綽多氏(ソチョロ)
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第十四回-陸静麓
最近永琰(十歳)が養母に代わって四目置いてどうやら勝負になるようだ。 でも静麓(ジンルー)と四目ではボロボロにやられてしまう。 そうすると道の向こうの啓祥宮(チィシャンゴン)で桃華(タァファ)をコテンパンにしてくる。 フォンシャン(皇上)がその愚痴を桃華(タァファ)から聞かされる。 「子供の成長を喜ばんか」 四十三歳になっても囲碁は弱いままだ、時々二つくらい石をごまかそうとして見破られている。 「一石ならともかく欲張るな」 フォンシャンも呆れてる。 公主にも負け続けのタァファはそれでも碁盤に向かうのが好きだ。 「下手の横好き」 天狐は口が悪い。 花音(ファーイン)と勝負するときは、一人で石を交互に置くので見ている太監は勉強熱心だと仲間内でほめる。 花音(ファーイン)は列と行を言うので、今の石の場所はと考えなくても場所が判断できるようになる。 「それで上達しないのはなぜなの」 「生まれつき囲碁の才能がないのだ。佳玲(ジィアリン)といい勝負だ」 天狐は厳しい。 花音(ファーイン)はと言えば十歳の時には大人でも難しい棋譜を暗記したほどだ。 黄龍士「血涙篇」-黄龍士対徐星友の十番勝負 見ている方は黒が勝っても白が勝っても桃華(タァファ)の腕に見える。 掌事宮女-香苑(シィアンユァン)は「お嫁になんか行かない」と強情だ、もう直に三十になるはずだ。 囲碁の腕は桃華(タァファ)以上だ、時々相手をさせるが容赦ないので、念が送られてくる「次何処がいい」知らん顔してやる。 長年見てきたシィアンユァンでさえ「うちの主児(チャール)は勉強熱心で綺麗好きだから、寝宮は何処より整っている」と自慢しまくり。 それが奴婢を通じて噂話が広がる、得な生まれに恵まれた美貌と才覚。 天狐はほくそ笑んでる「美貌だとな、何時の事だ」。 この間見ていたらあんまりひどいのでつい三手先まで教えたらしつこく念を送ってくる、傍に居ない振りしてやった。 「子供っぽいことしないでよ」 「臣妾二十三為」 花音(ファーイン)に「最近皺が増えた」と嘆くが「まぁ、たくさん子供を産めば普通はそうなるわね」と突き放す。 慰めてくれるのは永璘(四歳)を養育してくれてる穎妃-巴林氏(バリン)と静麓(ジンルー)が愚痴を引き受けている。 時々フォンシャンは年とっても昔馴染みと話しをしたいと札を選ぶ。 久しぶりの養心殿に静麓(ジンルー)は落ち着かない風情は昔の儘。 勢いはなくても技は忘れない。 二人は満足して眠る、疲れる夜伽では得られぬ満足感に弘暦(フンリ)も目覚めは爽快だ。 昔馴染みの妃嬪は朝もきちんと身だしなみをして、弘暦(フンリ)の眼ざめを待ってくれる。
乾隆三十五年一月一日(1770年1月27日)庚寅 十五歳の七公主の婚姻前に固倫和静公主と封じられた。 降嫁先はラワンドルジ、花音(ファーイン)には小生意気な子供に見える。 結婚祝いは京城(みやこ)に七公主府を建ててそこに住めるようにした。
フォンシャン(皇上)は六十歳になった。 皇太后(孝聖憲皇后)-鈕祜禄氏(ニオフル)は七十八歳。 還暦の祝いと皇太后の八十の祝いが近いと地租と人頭税を免除した。
桃華(タァファ)も令皇貴妃となって五年、がっちりと弘暦(フンリ)の心をとらえている。 若い妃嬪は不満も言うが、六宮全体の給付もいいし、内務府も公平に寝宮を扱う。 大きな諍いは起きていない。 瑞貴人嘩蘭を亡くしてからは、静麓(ジンルー)が頼りだ。 乾隆三十三年には皇太后の強い推薦もあり慶貴妃(チィングイフェイ)と為って桃華(タァファ)と二人で六宮の管理をしている。 五歳の永璘(ヨンリィン)が穎妃(インフェイ)とやってきた。 兄の永琰(ヨンイェン)と桃華(タァファ)の囲碁を見飽きずに椅子に腰かけて盤面を見ている。 「あっ」 「閉嘴(ビーズィ)」 兄に怒られた、それでやっと桃華(タァファ)は自分の手が間違いだと気づいた。 「五歳の子に教わるとは情けない。三歳の翁、百歳の童子とは此の事か」 天狐が厳しいこと言うので五手先まで教えたら、永琰(ヨンイェン)が苦労してる。 永璘(ヨンリィン)は何処で囲碁を覚えたのだろう、穎妃(インフェイ)はあまり強くないはずだ。 せっかく形勢が良くなったのに眼を離して居たら逆転されていた。 固倫和静公主がやってきて一辺に庭先は華やかになった。 春風は心地よく長閑な午後だ。
満洲正紅旗の鈕祜禄氏(ニオフル)の一族の和珅(ヘシェン)が京城へ戻ってきた。 満州正紅旗といっても実家は貧しく「御秘官」が武術の腕に目を付けて引き抜いた。 目を付けたのはその当時長の馮英廉、書に優れていたからとも言われている。 雍正帝が咸安宮(乾隆十七年官学移転、壽康宮)に設けた官学が尚衣監へ移転しそこで弟と共に学んでいたという。 今ここは寶蘊楼という名で呼ばれている、当時は咸安宮(シェンアンゴン)が使われていた、門に咸安門の額が残る。 「御秘官」は粘竿処(チャンガンチュ)を隠れ蓑に使っていた、相当早くから和珅(ヘシェン)兄弟に目を付けていたようだ。 乾隆三十七年(1772年)-和珅(ヘシェン二十三歳)下級の侍衛に就任。 三等侍衛、早く言えば警備員を兼ねた庶務だ。 親は代々の三等輕車都尉が世職で福建副都統だった常保(チャンポー)、満洲正紅旗鈕祜禄氏(ニオフル)。 こう書くとなんで福建副都統の家がまずしいのだと言うだろう。 三歳の時母親嘉謨氏(ジャモ)は難産で和琳(ヘリェン)を産んで亡くなった。 九歳の時父親の常保が亡くなった。 家は継母が仕切った、奴婢の劉全が兄弟をかばって面倒を見たという。 継母は自分の子供に期待がかかるのは必然だ、悪く言えば厄介者扱いされたようだ。 「御秘官」の組織が送り込んだ太監とは違う系列の男だ。 すでに阿公の時代は終わり組織は次の長を英廉にすることを弘暦(フンリ)が認め、二十二年間務め官職のほうが忙しくなり交代している。 元長の馮英廉(ファンインリィェン)は孫の馮霽雯(ファンツマン)を和珅(ヘシェン)に嫁に取らせる事にしたのは馮霽雯(ファンツマン)が十八歳、和珅(ヘシェン)十九歳でチンハイへの旅の直前だ。 嫁入りというより婿に迎えたようなものだ、四年を超す巡遊の留守を新婚の妻を残してよく出かけてくれた。 馮英廉、内務府漢軍鑲黄旗、孫を今は身分は低くとも満洲正紅旗鈕祜禄氏(ニオフル)と姻戚関係を結んで、和珅を出世させることも馮氏の一族にはできる。 これまで 蘇州(スゥー ヂォゥSoshū)、クワンチョウ(広州Guǎngzhōu)、吐蕃のチンハイ(青海Qīng hǎi)などを四年掛けて歴遊し「御秘官」の組織の人集めを担当する者たちを差配する為に、顔を覚えさせてきた。 語学の天才でもある。 まだまだ城内には太監の組織が選んだ者たちが大勢いるので組織内の上部は頭打ちだ。 亡くなる皇子が多く、運のなさを嘆く「御秘官」も多くなったので役職は低くとも組織幹部がいるのでその繋がりを覚えるのも一苦労だ。 徒党を組むのを嫌がるフンリでも、この二つの組織だけは婚姻も自分で管理しているので大目に見ている。 乾隆三十八年冬至、待ちに待った十五阿哥永琰が十三歳でフンリから皇太子に選ばれた。 これは天狐が妖力で秘密建儲制の中身を読み取って共有した秘密で、ひそかに和珅(ヘシェン)の耳に入れた。 まだ二十四歳と云えど長の候補の一人。 たかが輿の担い手と云えフォンシャン(皇上)の身辺を警護するだけの武術は心得ている。 和珅(ヘシェン)からの情報で「御秘官」の組織は次の皇帝は永琰と見定め、永琰を守るほうへ力を注いだ。
乾隆三十九年甲午二月、永琰の嫡福晋に喜塔腊氏(ヒタラHitara・喜塔臘)が選ばれた。 永琰十五歳(乾隆二十五年十月六日生) 喜塔腊氏十五歳(乾隆二十五年八月二十四日生)。 乾隆三十九年四月二十七日(1774年6月5日)乙未-婚礼喜塔腊氏冊封福晋。
ジンルーが死んだ、ファーインはタァファのなかで泣き騒いだ。 自分が生きているとき会った事もない静麓(ジンルー)の死がこんなに悲しいなんてどうしてだろう。 悲しいのはタァファも同じで、十五歳に為った永琰(ヨンイェン)が声を殺して涙を流すままにしているのを見て、さらに声をあげて泣いてしまう。 あれだけたかびゃしな態度をジンルーに取り続けた珠鈴(ヂゥーリィン)は「なんで私を置いていくのよ」と泣きわめいている。 蝴蝶(フゥーディエ)は声もなく放心している、誰の声も耳に届かないのか、その姿に宮女たちは声も掛けられない。 佳玲(ジィアリン)が抱きしめて二人は震えている、悲しすぎると声も出ない。 やせっぽちの静麓(ジンルー)。 早くから見込まれていても、フォンシャン(皇上)の気を引けなければ位階は上がらない。 敵なんて一人もいなかった、綏蓮(スイリン)だって悪口を言わなかった。 ファーインは珠鈴(ヂゥーリィン)はいつも高飛車だったが、あれは静麓(ジンルー)がいじめられるのを身をもって防いでいたんだと、タァファに入ったときタァファもそう思っていたのを知った。 みんなに好かれていたやせっぽち、亡くなる三月前、顔色が赤みを帯び「少しふっくらした」なんて言われていたっけ。 「ファーインと同じ病だ」と天狐に言われたとき、もう助からない命の炎が輝いていたのだと信じた。 ジンルーの特徴、そう聞かれれば「誠実」必ず人はそう言う。 囲碁、あんまり強くないわ、書、奇麗で繊細、画、奔放。 囲碁が弱いのは妃嬪に挑まれたときだけ、フォンシャンに桃華(タァファ)は知っている、本気を出されたら純皇貴妃でさえ持て遊ばれていたことをだ。 そう自分自身を開放していたのは画を描くとき。 弘暦(フンリ)など型にはまらないその画に不機嫌さを隠せない。 タァファは永琰(ヨンイェン)の養育を頼むとき、ただその画才を信じて託すといった。 子供に恵まれないで寂しくしていた静麓(ジンルー)を選んだ。
この後弘暦(フンリ)は貴妃を自分の後宮に置かなかった。 生前貴妃となったのは穎妃(インフェイ)で嘉慶三年十月(1798年)太上皇の弘暦(フンリ)が穎貴妃(六十八歳)、そして嘉慶帝から穎貴太妃と尊称が贈られた。 この時「フォンシャン(皇上)も死期を悟ったな」と空狐は桃華(タァファ)に話した。
静麓(ジンルー)陸氏(リゥ) 乾隆三十九年七月十五日(1774年8月21日)甲午-慶貴妃五十一歳死去。
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自主規制をかけています。 筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。 |
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功績を認められないと代替わりに位階がさがった。 ・和碩親王(ホショイチンワン) 世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅郡王(ドロイグイワン) 長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。 ・多羅貝勒(ドロイベイレ) ・固山貝子(グサイベイセ) ・奉恩鎮國公 ・奉恩輔國公 ・不入八分鎮國公 ・不入八分輔國公 ・鎮國將軍 ・輔國將軍 ・奉國將軍 ・奉恩將軍 ・・・・・ 固倫公主(グルニグンジョ) 和碩公主(ホショイグンジョ) 郡主・縣主 郡君・縣君・郷君 ・・・・・ 満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。 ・上三旗・皇帝直属 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ) 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ) 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ) ・下五旗・貝勒(宗室)がトップ 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ) 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ) 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ) 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ) 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ) ・・・・・ |
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第八回-五台山-1-2021-06-17 | 第九回-五台山-2-2021-06-18 | 第十回-魏桃華-1-2021-06-19 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十一回-魏桃華-2-2021-06-20 | 第十二回-魏桃華-3 -2021-06-21 | 第十三回-魏桃華-4 -2021-06-22 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第十四回-陸静麓 -2021-06-23 | 第二部 完 |
第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。 18歳未満の方は入室しないでください。 |
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第一部-富察花音の霊 | |
第二部-九尾狐(天狐)の妖力 | |
第三部-魏桃華の霊 | |
第四部-豊紳殷徳外伝 |