六月十四日(陽暦千八百零五年七月十日)申の刻(午後四時三十分頃)
崇明(チョンミン)の停泊地へ錨を下ろした。
結の小舟が来て李可瓊を宿へ案内した、インドゥの一行は船出が朝五時と早いので船から降りてこない。
ほかに三人道連れが出来たと告げられた、四十くらいの小さな男と十五くらいの娘二人だ。
其の男やたらと調子がいい。
「だんなぁ、どこまで乗るんです」
「広州迄乗せてもらう約束だ」
「あっしらもですぜ。見れば学者先生の様だが、会試を受かりなさっての帰郷ですかい」
「よくわかるな」
「えへっ、南京でも幾人か落ちた人には会いましたが。旦那は風格がある。この人は受かりなさったと思いましたんで」
どうやら宿の方から進士の帰郷と聞かされたようだが、ふれないで置いた。
自分たちは手品師と音曲師を広州で集めて河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄興業を打つので参加する旅だという。
十一人の寄せ集めだが、先に八人行かせての三人旅だという。
二人がよく似ているというと「双子でさ、手品の時に早変わりで衣装を次々変えて客の目を楽しませるんだ」という。
先へ出た組は百面相に竹竿のぼりで曲芸を得意とするのもいるという。
「あっしに似ないで母親似でね。あれで十八だが子供っぽく見えるので客受けが良くてね」
言われてみればそれなりの旅芸人らしいやつれが見える。
十五日になるとインドゥたちの船は早くに出てゆき、次々大型船が錨を下ろした。
並ぶ順があるのか間を開けて船尾に番号の旗を揚げている。
「でかいねえ」
いつの間にか娘の一人が後ろへきて声をかけてきた。
「三千石船だな。聞いた話だと先頭の船には大砲も積む許可が出ているそうだ」
「じゃ、あの窓のようなところかねぇ」
その船からガタイの良い男が下りてきた。
「あなたが李可瓊(リィクゥチィォン)さんですか」
「お世話になります。これを蘇州の甫寶燕(フゥイパオイァン)さんから渡すようにと二通預かりました」
龍莞絃(ロンウァンシィェン)は自分宛を読んで「じゃ万一の時のために雷稗行(レェイヴァィシン)へ私から渡しておきます。一人と聞いたが奥様ですか」わざと聞いた莞絃だ。
娘はしなをつくり「まだもらってくれる人が現れないんです」と言っている。
「二番の船が付いたら私といっしょに来てください。三人と聞いたが遅れているのかい」
「今支度して出てきたのがフゥチンと妹妹ですの」
「あんたも荷を持ってきた方が好い。今来たのが俺の船だ」
「大きい船ばかりなんですね」
「六隻全部三千石の大船さ。客用のしゃれた船室がないんだ荷物と同居で勘弁してくれ」
「無理を言って乗せてもらえただけでもありがたい」
小男も大げさに礼を言っている。
どうやら広州の丐頭(ガァイトウ)の行う興業のようなことを言っている。
李可瓊の部屋は弩(ヌゥ)の格納室のようで矢の入った箱が積んである。
水夫が箱を並べて上に布団を置いてくれた、これが榻(寝台)になるようだ。
翌朝、いつの間にか船が動き出している。
外へ出ると小男はこの付近の海を知っているようで「あそこが杭州(ハンヂョウ)。こちらが寧波(ニンポー)」などと教えてくれた。
温州まで南下して翌十七日申の刻(午後四時四十分頃)港に入った。
翌朝も日の出を待たず港を出て翌朝福州(フーヂョウ)へ到着。
荷下ろし荷積みの関係で二十日の船出だという。
「宿へ泊まってください」
四人は小体な酒店の二階へ落ち着いた。
「明日の夕刻申の下刻(午後五時四十五分頃)に迎えに来ます。ここは特約の家で支払いは必要ありませんが、酒代や特別な注文は自腹で願います」
案内した若い水夫は言いなれているのかよどみなく言って船へ戻った。
食事が並ぶと李可瓊は酒を注文して先払いし、小男にも酒杯を渡した。
酒は好きなようだが飲むと眠くなったようではやばやと部屋へ引き取った。
ゆっくり飲んで部屋へ戻ると姉娘が榻(寝台)にいる。
「部屋を間違えたようだ」
「ここでいいんですよ。船じゃできないことをしてくださいな」
つい手を出してしまったが「片手落ちじゃ不味いので妹妹を寄こします」と言って出てゆくと入れ替わるようにおずおずと妹妹が入ってきた。
すまなそうに服を肩から落とした。
翌日の粥の時二人の娘も小男も普段と同じように話してくる。
酔って見た夢かと思うがそうではないはずだ。
若い水夫が迎えに来て船に戻った、新しい客が二人紹介された。
どちらも小間物装飾品の売り込みに広州(グアンヂョウ)へ見本を持っていくのだという。
海上千里二十四日に汕頭(シャントウ)の港に入り明日の昼の船出という。
二十七日の午には広州(グアンヂョウ)の港に入り案内に従い停泊地に錨を下ろした。
小男は名残惜しそうに「時間がありゃわしらの芸を見てもらうんですがね」
そういって船長にも盛大に礼をして小間物屋たちと先に降りて行った。
莞絃(ウァンシィェン)は「早く着いたが荷がそろうのが来月五日なので六日出航で変わりは有りません」
若い水夫が李可瓊を雷稗行(レェイヴァィシン)へ案内し甫寶燕(フゥイパオイァン)からの手紙を渡して船に戻っていった。
「今日は宿を紹介します。手紙では酒以外は払わぬようにしてくださいとあります」
珠海楼(ズーハイロォウ)へ案内し「酒以外は請求しないでくれ」と言って「明日発たれますか」と聞いてくれた。
出来るだけ早く出るつもりだというと「間に合わないと思ったら予定日を知らせてください。探しておきますので」と戻っていった。
「この宿は新築ですか」
「いえ、娘が婿を取ったので洗い出しました」
そういえば老舗のような風格さえ感じられる宿だ。
旨い飯が食え自腹でわずかな酒でいい気持ちで寝た
壮快に目が覚めると「アッラー」の声が響いてきた。
昨日合わせた懐中時計は五時二十五分だ。
粥は下の時計で六時だと聞いてあるので、髭をあたって道中記を読んで時間をつぶした。
粥を食べ、忘れ物はないか点検して珠海楼を後にした。
六時三十分に出て、四十八里の道を休み休み歩いて、陽のあるうちに村へ入った。
わが家で訪うとまろぶように父母(フゥムゥ)が出てきた。
「受かったぞ二甲だ」
其処に涙を流して喜ぶ父母(フゥムゥ)と妹たちが見えた。
長兄李可端は嘉慶元年三甲進士、弟弟李可藩は嘉慶七年二甲進士、そして李可瓊が嘉慶十年進士、三兄弟がそろって進士となった。
七月四日早朝家を出てその日のうちに雷稗行(レェイヴァィシン)へ挨拶に訪れた。
「おや、お早いお付きで。今晩例の宿へ泊りますか」
「いいのか」
「もちろんですとも。私が案内しますが直に莞絃(ウァンシィェン)さんが来るのでちょっと腰かけてお待ちください」
莞絃から明日の申までにお迎えを出すと決まって珠海楼へ案内してくれた。
六日珠江(ヂゥジァン)を下り、上海(シャンハイ)直行で十六日到着した。
「東源興(ドォンユァンシィン)への荷船が出るので少し待ってください」
荷を積みかえその船に乗って蘇州に着いたのは十七日の朝八時五分。
船から荷とともに来ていた若い水夫が東源興(ドォンユァンシィン)で「ただいま帰りました。荷受けの方はよろしく願います。李先生と前で飯にします」と話しをして「行きましょう」と前で「二人朝飯を食わせてくれ」と繁絃(ファンシェン)飯店へ入って声をかけた。
「大分と陽に焼けたね」
「丸ひと月船の上だから」
「粥も欲しいかい」
「あるの」
「急ごしらえでよきゃだすよ」
「頼みます」
李可瓊、口をはさむ余裕もない、厠所(ツゥースゥオ)を借り、顔を洗って戻るとすぐに料理が出た。
野菜の油鍋(ユウクオ)に饅頭、少しして粥も出てきた。
前から甫寶燕(フゥイパオイァン)が出てきたのを見て慌てて立ち上がった。
「お礼を言う前に食事など誠に面目ない」
「よろしいんですよ礼なんて。それよりうちの悪ガキがいたずらでもしませんでしたか」
「息子さんでしたか。きびきび働くいい水夫とばかり思っていました」
「それより媽媽(マァーマァー)、今年もあのちびの匡(コアン)の爺さんが乗ってきたぜ」
「また広州から回るのかい」
「それと例のお化け娘も一緒さ」
関玉(グァンユゥ)はだいぶ口も悪い。
「福州で乗ってきた小間物商いの二人に十八だなんて言っていたぜ。それもよ十五くらいの娘さんじゃ旅も大変だろうなんて言わせてからさ」
「わしにも十八だと言っていたぞ」
「おれのちっこいときから十八のまんまだぜ。何時十九にするのか楽しみにしてるんだ」
こうして話していると少年の顔が時々のぞく。
二十日の船迄ここへ泊るように言われた。
朝から風呂の支度もしてくれ、船旅の垢をすっかり流したら疲れがどっと出て昼寝をしてしまった。
関玉が来て「徐(シュ)先生へ着いた報告をしてきます」というので一緒に出掛けた。
繫絃から歩いて半刻くらいでつくはずが二人とも足がうまく地をつかめない。
二人で交互に笑いながら獅子淋の徐頲(シュティン)の邸へついた。
戻った報告をして一休みさせてもらった。
「どうした」
「船旅のせいか足が地につかない。歩くのが苦手になったようだ」
「運河の時は平気だったろうに」
「あの時は毎日のように降りたからな。船の上をぶらぶら歩くのも気が進まぬしな」
「兄のように慣れれば動き回ることも上手になりますが、まだ新米で。最初は普通に歩いていたんですが二里くらいから変に体が浮くんです」
「繁絃(ファンシェン)飯店に部屋を取ってもらったから何かあればそこへ連絡してくれ」
出る前の晩は全員繁絃に泊まれればいいかと徐頲(シュティン)の心配性が出たようだ。
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