山影に陽が落ちかかるころ(午後七時頃)ファンファシェン(奉化縣)シィカオチェン(渓口鎮)の波止場に停留した。
イェタァイユェンプゥ(玉泰塩舗)という店舗の前を一里ほど東北へ道なりに行くと、朗旺が利用するシィカオヂゥディン(渓口酒店)という宿を兼ねた店へ入った。
「四人泊まれるかい」
「一部屋でいいなら寝床は用意できるよ」
「どうしますか」
宜綿は「構わんさ。與仁の鼾を我慢すればいいだけだ」と承諾した。
ファンファユェナァイトォウ(奉化芋艿頭)の時期だという。
主は似ているけど似ていないと禅語のようなことを言って何種類かの芋料理を勧めて来る。
猪肉(豚肉)のユェナァイトォウパァイクゥボォ(芋艿排骨煲)は白濁の湯も旨い。
猪肉(豚肉)のユェナァイトォウコウチョウボォ(芋艿頭扣肉煲)はハァォイョウ(蚝油)にシァォシィンヂウ(紹興酒)が使われていた。
共に手が込んでいて味わいがあると宜綿と與仁は大喜びだ。
小麦の粉を練って重ねて焼いたものに岩海苔の粉と胡麻を振りかけた餅は、酒の摘まみに適していた。
翌朝、朗旺が宗風の都合を聞きに行くと、作業の後、未の刻(午後二時二十分頃)当たりに酒店(ヂゥディン)へ行くという。
チャンソンフゥン(張宗風)は話の通りの頑固者だ。
「安茶の仲間には入りたくない」
白茶一ムゥ(畝)で荒茶七十斤には怒りだした。
「製茶で十四斤だと、寿眉(ショウメイ)なんて茶の同類などごめんだ」
與仁(イーレン)が話した茶畑に植える樹の本数にも不満を言う。
「一ムゥ(畝)五十六本だと。お前ら狂ってるんじゃないのか。一ムゥ(畝)の広さを教えてやる」
一ムゥ(畝)は十六歩に十五歩だという。
「七十五尺に八十尺くらいは知ってるよ。十六本の七列百十二本が最大だろうと俺たちは考えている。それを千鳥に植えて半分が最適と判断して崇安(チョンアン)に福州(フーヂョウ)では安茶の畑を増やして広州(グアンヂョウ)の要求にこたえている。ここでそれが出来れば京城(みやこ)へ安く送ることができる。いまの京城(みやこ)は安茶を広州(グアンヂョウ)に取られて街の者が呑む安茶さえ不足している」
「なんだと。良い茶を高く売るんじゃないというのか。安い茶を京城(みやこ)の者に飲ませるだと。慈善のつもりかい」
「儲けは大事だ。俺達も儲けるが贅沢をできない奴らに、安茶でも旨い茶を回したいのだ。京城(みやこ)は今、驚くべき速さで人が集まってくる」
これから挿し木し、茶畑を増やしても四年後の収穫だと話はそっちへ向かった。
「銀(かね)も時間もかかる。今の畑では遣る奴は居ない」
「それは承知だ」
「どのくらい引き受けられるのだ」
「製茶三十万斤」
「二千五百擔、味、風味を揃えろというのか」
「そのため、指導者に配合師がいるのだ」
やはり茶の話しとなると詳しく知りたくなったようだ。
「相当広い範囲でやらないと無理だぜ」
「一ムゥ(畝)十斤から始めると三万ムゥ(畝)」
「無理ばかり言うじゃないか」
百ムゥ(畝)の農家三百家となれば奉化縣全体に広げるようだ。
十二ムゥ(畝)でようやく一擔の製茶、四両では副業でしかない。
一家二十擔ならどうにか食う事が出来る、四十擔で専門の茶農家と言える。
張宗風でさえ三百ムゥ(畝)で二十五擔でしかない。
「ちょっと待て。お前さん安茶の事ばかりで、明前茶に雨後茶の一芯二葉に触れていないぞ」
「気が付いたか、その分は高く売れる、四番が摘み取れるなら捨て値でも日銭稼ぎくらいにはなる。寧波(ニンポー)の業者はツァイ(乳茶)用のツェンチャ(磚茶)に安く買おうとしている」
脅かしやがると笑い出した。
一番、二番で三十六ムゥ(畝)製茶三擔の六擔でも農家に一擔五両以上になれば家族を養える。
二番、三番を與仁達、四番をツェンチャ(磚茶)業者と話した。
「四年持ちこたえる資金はあるのか」
「銀(かね)二千五百両は保証できる」
「一家二十両で百家だと年二千両必要だ」
「お前さんも相当無茶だな」
「無理は承知だ。百ムゥ(畝)以上茶畑に出来るのが、そのくらい居るということだ」
宜綿(イーミェン)は苟朗旺(ゴウラァンワァン)に相談した。
「今年の分は間に合うが。来年分だ。老大(ラァォダァ)に房恒徳(ファンハンドゥ)の方を早めに結へ入れるようだぜ」
「なんだと。結の後押しもあるのか。ガンションディ(干兄弟)の聖亨もこの仕事に絡ませるのか」
「俺の老大(ラァォダァ)だ気に入らんのか」
「いや、あれが絡むならお前さんより信用できる」
「ひでぇ事言いやがる」
婚儀には夫婦で参列もしてくれたのだ。
四恩が買い出しから戻って来た、宗風は“おや”という顔で見ている。
「朗旺と親戚になると聞いた時は悩んだぜ。宇蝉が紹介してきたから付き合うくらいのもんだ」
「この男が宇蝉の老大(ラァォダァ)だぜ」
「なんだと、四恩か道理で見覚えがある顔だと思ったんだ」
「本堂の布袋の画前で寺の事など教えてくれた方ですね」
「覚えていたか、十五年以上たつはずだ」
「七歳の時ですから十七年になります」
「お前もこの話に絡んでいるのか」
「千両投資しました」
「儲からんぞ」
「十年で元が取れれば十分です」
「驚いたな朗旺の仲間は俺の姻戚で固めやがった。良いよ仲間に入れてくれ」
與仁(イーレン)は驚いて聞いた。
「四恩とも姻戚なのかい」
「四恩から聞いて居ないのか」
「おれ、姻戚ですか」
四恩も驚いている。
「遠縁には違いない、俺の張(チャン)家とお前の鄭(チョン)家は血縁があると言われている。どの辺りかは聞いたことは無いがな」
「どこかで嫁を迎えたくらいかね」
宜綿も気になって聞いてみた。
「そうだろうな。宇蝉のバァ(爸)も詳しく知らずに俺のバァ(爸)と付き合っていたくらいだ」
「爺爺(セーセー)は前葛村(チィェングゥツゥン)の出と聞いて居ますが」
「そうだよ。四恩と逢ったのも䔥王廟へ来た時のことだ。親類は俺くらいしか居なくなっても桃の仲買や茶の取引などの商売柄何人かと付き合いは有った」
今は銭の値が下がり、銀(かね)に価値が付いたが、五十年以前は八百文と言われた時もあった。
税の納付は銀(かね)だが、あくどい役人は其の銀(かね)を銭千文に交換させて差額を懐に入れた。
そのために銭をかき集める商売人の必要が有ったが、銭が安くなりうまみも消えた。
宇蝉達はその最後の生き残りだったようだ、儲けで生活が成り立つ時代では無くなりつつあった。
土地の鹽行は真っ先にその交換をさせられる、認可と引き換えを匂わされるのが一番効く遣り口だ。
知県で税二千両の地方なら交換だけで四百両手にした時代もあったという。
国庫への納付分は銀(かね)なのでまたいくらかは上司への賄賂になる。
知県の養簾銀は千二百両、知府ともなれば倍の二千四百両支給された。
これが武官だと一品総督でも二千両に過ぎない。
「俺たちの仲間はボォゥチャフィ(博茶会)という組合を作った。宗風が参加してくれるなら自前の製茶場を幾つか用意したい」
「俺も資金を出すようなのか」
「結へ入る気が有れば推薦する。そうしてその銀(かね)で製茶場を運営すればいい」
「いくら資金を提供されるんだ」
「十人が推薦して一人千両」
「そんなに推薦人がいないだろう。おりゃ意固地のへそ曲がりと評判だ」
「岳父(ュエフゥー)と四恩が一筆書くさ」
「後八人もだぜ。そんなに結の奴に知り合いは居ない」
與仁(イーレン)はここぞと一押しした。
「俺と俺の仲間の茶の仲買いで集める」
「やっぱり結の奴らはおかしな奴ばかりだ。千両十人儲かるはずもない」
「だから、儲けが先ならこんな面倒な事やりゃしないさ」
「聖亨の方の推薦人は居るのか」
朗旺が話に入った。
「聖亨の老爺(ラォイエ)の方へ問い合わせしている。五人はすぐ集まるはずだ」
順番はシェンリィン(絃林)苟聖亨とランシァン(蘭祥)房恒徳を入れてから張宗風を推薦することにした。
與仁(イーレン)は三枚の証書を書いて四恩へ預けた。
四恩も三枚書いて一緒に仕舞った。
「手回しがいいな」
「こうなると思ってさっき四恩に紙を買いに行かせた。寧波(ニンポー)を出るときそこまで気が回らずに出て来たんでな」
「ところでボォゥチャフィ(博茶会)というのは何人いるんだ」
「與仁さんの代人を宝玉と箏芳が。朗旺さんが差配人、助で聖亨さんと恒徳」
「四恩はどうして入らない。それと宝玉に恒徳というのは誰だ」
「私は銀(かね)だけ参加しました。もう一人銀(かね)を出していますが、口出しはしません。宝玉は恒徳の嫁で箏芳と同輩です」
もう少し詳しく聞かせろというので、自分のこと、余姚の邸から公主府、蒙古の事を話した。
結は江南で鹽業、漕運が多くいて質金融は少ないと話した。
「此処の鹽行も入ってるのか」
「奉化縣渓口鎮には聞いたことないですね。私のマァー(媽)の実家が紹興の鹽行で、そこで帳付けしてた時も聞いて居ませんよ」
しばらく話してから明日前葛村の茶畑を見に行く約束をした。
「そこでだ、気になったことがまだあるんだ」
「なんでしょう」
「もう一人資金を出したという男だ。危ないやつじゃ困る」
「実は女の人です」
「女でそんな度胸のある人がいるのか」
「私の恩人のウェイフゥンチィ(未婚妻・婚約者)なんですよ」
「会うことは出来るのか」
「寧波に居られますから、おいでに為ればいつでも紹介します。お仲間へ入られて知らないままでは気になるでしょう。こちらへ来るのは仕事が有るのでちと無理のようです」
此方の話しがある程度進んだら寧波(ニンポー)へ出てくるという。
朗旺が銀票を取り出して二十両十枚に十両十枚を渡した。
「三百両でしばらく活動してくれ。必要が出れば俺の店へ連絡を頼む、しばらくはシェンリィン(絃林)をボォゥチャフィ(博茶会)の連絡場所にする。家の方の話し合いが付けば、老大(ラァォダァ)に店を任せてほかの子供たちと夫婦で別家する」
「城内は面倒だから市場と碼頭の付近にしろよ」
「そうするつもりだ。倉庫も用意するようになるのでな」
「今のは駄目か」
「あそこでは狭いよ。二千擔は置くようになるつもりだ」
「奉化縣だけじゃそんなに期待できないぜ」
「杭州(ハンヂョウ)からこっちとタイジョウ(台州)ドゥチャオジェン(杜橋鎮)から此方と売り込まれてはいるんだ」
「天台山雲霧茶でも狙っているのか」
「そういうのは昔からの仲買いに任せるよ。華頂山には係るつもりはないよ」
「安心したぜ。高望みしての諍いはごめんだ。ところでそちらの武術家のように見えるお方は無口ですね」
「おれか、茶は好きだが商売は苦手でな、最近は看板書きで号のヨォウグゥ(有谷)の方が通りがいい」
首領(ショォリィン)様の方が仲間内では通用していることはまだ與仁も黙っている。
「有谷先生、さぞかし腕が立つんでしょうな」
「俺より腕の立つのが来ているんだが、まだ寧波(ニンポー)について居ないんだ。他の荷をそろえるのに手間取って汕頭(シャントウ)へ置いてきた」
蘇(スゥ)老師と手代の乗る船がそろそろ寧波(ニンポー)へ着く時分だ。
白茶にするのは自分の茶畑の物はパイハオ(白毫)が有るので、そのままでも通用するが、白毫銀針(パイハオインヂェン)の一芯二葉の名を変え、一芯一葉上級茶をのみ白毫銀針(パイハオインヂェン)と名乗らせると聞こえて来るという。
「白毫銀針と寿眉の間に名をつけるという事かい」
「どうやらそのようだ」
「しかし一芯一葉のみで商売が成立するほど収穫はないだろう」
「献上茶にして残りを一斤三十両と聞いた」
その話が葉だけにして一葉と売り込む業者の手口と似ている。
「福州で昔使われた手と似てるな」
「偽の鳳凰をつかまされた話か」
「聞いたか」
「豊紳宜綿(イーミェン)様という方と豊紳殷徳(インデ)様が協力して偽を暴いたと聞いた」
四恩がたまらず「首領(ショォリィン)様」と声を出した。
宜綿が一度にらんだだけですくんでしまった。
宗風はそれを見て「四恩、何が言いたいんだ」と聞いた。
「ははは、こいつ俺の正体を言いたくてたまらぬらしい。俺の本名が豊紳宜綿なんだ。今回は俺の出番はないので知らないだろうと黙っていたんだ」
「ヨォウグゥ(有谷)先生が豊紳宜綿(イーミェン)様ですか」
寿眉を売り込みに来た仲買いが“玉麒麟”の大活躍宜しく、教徒の反乱の時の大活躍から福州(フーヂョウ)での大捕り物、鳳凰鎮(フェンファンチェン)のあらましを講釈師宜しく吹聴したという。
「金剛力士(ジィンヂィリィシィ)か張飛(ヂァンフェイ)の生まれ変わりのごとくに話すので、こんなメェイチャンフゥ(美丈夫)なお方とは想像してもいませんでした。それにお若い」
二十歳そこそこで四川での大活躍など皆が驚いて当たり前だと與仁が教えた。
「そうでしょ。私の頭の中の宜綿様は髭面でもっと年が上の方です」
褒められているのかがっかりしているのか、よくわからなくなった。
四恩めここぞとばかりにしゃしゃり出てきた。
「お仲間になったんですから首領(ショォリィン)様の由来も話した方がいいですよ」
「仕方ねえ奴だな。このお調子もんが。おまえの好きなように教えていいよ」
話し終わって四恩はすっきりしたようだ。
「茶の話しに戻るがニンポーバァイチャ(寧波白茶)とするにはそれなりの特徴が必要だぜ」
「明前茶一芯二葉は茶畑の特徴重視、雨後茶一芯二葉と三番の混ざりを統一しようと思う」
「明前茶(雨前茶)は今までの仲買に任せるというのか」
「共同の買い付けを望むなら博茶会へ誘えばいいことだ」
「俺たちの情報では平地に近いところでは清明節までが一番茶、穀雨前が二番茶とした方がよさそうだ」
「山間部より先に摘めという事か」
「そうした方が葉先は柔らかい」
「だがそうすると揉捻に耐えられないぞ」
「揉捻をしない」
「なんだと」
「だからバァイチャ(白茶)とするんだ」
屋外、もしくは屋内で萎凋(クゥェイ・ウェイ)させて発酵させるのだ。
清明節までが一番茶、穀雨前が二番茶ともに明前茶(雨前茶)となる。
三番茶が雨後茶の一芯二葉、三葉混合でそこがボォゥチャフィ(博茶会)の主力とする。
宗風はだいぶ考えていたが「茶樹の本家で争うよりバァイチャ(白茶)の本家になるか」と決断した。
「俺のところを親樹にして仲間へ分ける。それでいいだろうか。もちろんそのためには収穫が見込めない分ボォゥチャフィ(博茶会)で支えてくれるだろうか」
「いいとも。今年の茶の売上はいくらあった。経費込みで良い」
「四百五十両の売上だが実収は半分だ」
與仁が話を聞いて紙に計算して皆に回覧した。
張宗風、三百ムゥ(畝)親樹一万二千本。
挿し木一本一銭、一ムゥ(畝)五十六本、百ムゥ(畝)五千六百本、五百六十両。
百家、五十六万本、五万六千両。
「どうだ何人迄仲間に入れられる」
「俺が出来るのは一年三十家で十七万本までだろう。それ以上は親樹が死んでしまう」
「親樹一本十五本以下にするか」
「だが一家五百六十両は到底負担できんぞ」
「それをボォゥチャフィ(博茶会)が相応な分引き受けるのさ」
「買値で叩くことは無いだろうな」
「ない。それが結だ。鹽業、漕運五百年それでやって来た」
「俺が儲かりすぎないか」
「なら挿し木費用を割り引いてくれればいい」
また與仁が新規に書きだした。
挿し木十本一銭、一ムゥ(畝)五十六本、百ムゥ(畝)五千六百本、五十六両。
「おいおい、いきなりひどい数字にしたな」
「この五十六両の三十家分千六百八十両が宗風の一年の取り分だ。親樹を提供できる仲間を増やせるかを考えてくれ」
「農家の負担は」
「ボォゥチャフィ(博茶会)で引き受けてもいい」
「畑さえあれば参加できるという事か」
「食えるまで面倒を見る必要もあることを忘れるなよ」
「俺が結へ入れるなら、ボォゥチャフィ(博茶会)へ資金を出せば済むという事か」
「一人じゃない。房恒徳(ファンハンドゥ)、苟聖亨(ゴウシュンフゥン)の三人で負担すればいい」
「ならば苟朗旺(ゴウラァンワァン)も結へ入れて四人なら、四恩たちと同じ千両で四千両になる」
ボォゥチャフィ(博茶会)の資金総額は七千両、年二千両で三年農家を支える資金になる。
少なくとも宗風が金策で困ることは起きないはずだ。
「認める気が起きたか」
「こうなりゃ断る理由もない」
さっそく、與仁と四恩が朗旺の分を書いて他のものと一緒にした。
細かい取り決めは日を置かずに明日決めようと為って散会した。
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