豊紳殷徳(フェンシェンインデ)と豊紳宜綿(イーミェン)は水会の上奏について養心殿に呼び出され、浙江巡撫阮元(ルゥァンユァン)の後任に清安泰(チィンアンタァイ)を送ることが知らされた。
「玉徳(ユデ)が可笑しな事をしていると上奏がある。調べてまいれ」
やはりそんなことを押しつける代わりに水会(シィウフェイ)を容認するとの交換条件を付けてきた。
誰の上奏かは知らされていないが、海賊関連の対立だろうと二人は推測した。
インドゥは珍しく供に三人連れてきて神武門(シェンウーメン)前で待たしてある。
先に一人、楊閤(イァンフゥ)へ出して康演と姚淵明を興藍行(イーラァンシィン)へ呼びに行かせた。
「居なきゃ幹繁老(ガァンファンラォ)へ回ってくれ。界峰興(ヂィエファンシィン)で孜漢(ズハァン)も頼んだぜ」
興藍行(イーラァンシィン)へも一人先行させ、権孜(グォンヅゥ)に権鎌(グォンリィェン)、権洪(グォンホォン)を呼び出してもらった。
そして範文環(ファンウェンファウン)も呼び出すのに残りの一人を先へ行かせた。
神武門から地安門(ディウェンメン)を出て隆福寺街(ロォンフゥスゥヂェ)までのんびり二人で歩いた。
珍しく二人は何も話さずにぶらぶら周りを見物している。
「また隐祕の御用だ。水会の腰牌を下げ渡す代わりに押し付けられた」
四人分の腰牌が権鎌(グォンリィェン)へ渡され、一枚は楊閤(イァンフゥ)の姚淵明(ヤオユァンミィン)、一枚は範文環(ファンウェンファウン)へ渡すようにたのんだ。
「一枚がわっしとして、で、残りは誰ですか」
「これから来る孜漢(ズハァン)を口説くから、そいつをちらつかせて脅すんだ」
「哥哥もひとがわりいや」
さんざん與仁(イーレン)にも言われているので、ようやく「哥哥」と言えるようになった。
其れまでは豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様というばかりで範文環と一緒に飲み分けなんて仲間にしてもらえるとは信じられなかった。
海賊退治、水会(シィウフェイ)など係わる人たちと同じ中間になった感激はこの男に生きがいを与えた。
「ところで権鎌(グォンリィェン)の店はどうなった」
「與仁(イーレン)さんから話が来て、代人の手続きも終わり明日から店が開けます」
「確り働きな」
哥哥の言葉に、ああこの人の後押しがあったのかと思う権鎌だった。
名前の字の替えも親に老大(ラァォダァ)も喜んでくれた。
姉の婿たちも店に来ていて、それぞれの店は桂園茶舗支店、分店とはいうが独立した店に為って、協力は東権飯店も含めて一族が団結出来た。
権鎌の店は今の住まいの表通り隆福寺街(ロォンフゥスゥヂェ)の牌楼の西側だ。
店の名は東鎌酒店(ドゥンリィエンヂゥディン)と決まり看板は今日にも上がるという。
東鎌酒店の字は哥哥の知らない間に宜綿に頼んで書いてもらっていた。
「俺に内緒か」
「信様の訪問の日に書いた。あの前から今日養心殿で出会うまで会って無いからな」
タンション(堂兄・従弟兄)の子と謂えど先帝の孫だつい言い方にも丁寧さがにじむ。
東鎌酒店と字体を変え、二枚書いてもらい片方は居間に飾ったという。
西にするかと宜綿が聞いたが、老大(ラァォダァ)のあだ名が兮(シィ)で西(シィ)では哥哥と間違えられると「東で」と頼んだ。
東四牌楼に近いのでそれが好いかと気楽に応じてくれた。
二枚板書してもらうに與仁(イーレン)と権鎌は銀票二十両包んでいったら、其れを蘭玲(ラァンリィン)が紅包に包みなおし、「権鎌(グォンリィェン)の開店祝いだわ」と押し付けた。
「そういういい話はすぐするものだ」
「よせよ恥ずかしいじゃねえか」
孜(ヅゥ)達も来てあとは孜漢(ズハァン)と康演達だと言っているうちに漢(ハァン)がやってきた。
「また南へお出でですか」
「察しが好いな」
「孜(ヅゥ)たちが居るんじゃ茶の御用で」
「そいつは與仁(イーレン)の仕事だ。こっちは隠密仕事さ」
「海賊でも暴れてますか」
「そうなんだ。誰やら賄賂でも嚙まされたようだ。それもあるがお前さんを口説く話だ」
ギクッと音がしたかと思うほど緊張している。
「この年でお供は御免ですぜ。若いのを二人だすので勘弁してください」
之には店中が大笑いだ。
「駄目だ俺たちはお前が欲しい」
「そんな殺生な。こんな年寄り苛めないでくださいよ」
「そういうわけにゃいかなんだ」
宜綿(イーミェン)なかなかしつこい。
「こうなりゃやけだ。甫箭(フージァン)に店を譲って広州(グアンヂョウ)でもどこでも行きますよ」
「若い妾を置いて出てもいいのか」
「連れてゆくわきゃ、ありませんぜ」
哥哥をはじめこれにはまた店中が大笑いだ。
汪美麗(ワンメェィリィー)が茶を入れながら「皆さんもう勘弁してあげたらいかがです」と助け船だ。
メェィリィーをありがたそうに見ている。
インドゥは供の二人に「お役御免だ、先に戻っていいぜ。娘娘には不安が的中だと伝えておいてくれ」そう伝言をして戻らせた。
まだ弘珠(ホンヂゥ)が戻ってこない、通惠河まで追いかけたようだ。
「年だというが花甲(フゥアヂィア・還暦)過ぎたか」
「首領(ショォリィン)そいつは酷い。與仁から聞いていませんか」
「娘は俺たちより上のはずだ」
権洪(グォンホォン)のチィズ(妻子・つま)の景園(ヂィンユァン)は今年三十二歳だ。
「確かに甲午の正月一日に産まれましたぜ」
「ほう娘の誕生日を覚えているか」
「わっちと同じ正月一日だ、忘れやしませんぜ。わっちは乙亥の生まれですぜ」
「五十一で年寄りは泣かせる話だ」
宜綿さすがに干支に強い。
「弟弟、その辺で勘弁してやれよ。お前を欲しいのは水会(シィウフェイ)の方だ」
ほっとした孜漢はやけくそだ。
「ええ、こうなりゃどっちでも同じだ。好きにしてくださいよ」
旅に出ないならどうでもいいと腹をくくったようだ。
「親方こいつを受け取って下せえ」
「さっきからちらちら、うるせいと思っていたんだ。なんだね此奴は」
しげしげとみて「神武門(シェンウーメン)腰牌。エエッおまけに満字で出入りお構いなしとは何ですね」驚いている。
さすが孜漢(ズハァン)は満州文字も読める。
「噂にゃ聞いていましたが。いよいよですかい」
四か所に頭を置いて、寄合所を十二か所置くのだと聞いて驚いている。
「外城へ寄合所が八軒、東四牌楼の東西、十一阿哥の邸の両脇にする。神武門(シェンウーメン)出入りの目論見は一人のつもりだったが先手を打たれたぜ」
そうこうしていると姚淵明(ヤオユァンミィン)と範文環(ファンウェンファウン)が相次いでやってきた。
宜綿(イーミェン)が話を引き受けて権鎌が腰牌を差し出した。
「此の満文字は読めません」
與仁(イーレン)が説明すると二人が驚いている。
「俺も読めんよ。孜漢(ズハァン)の旦那が読めたんだ」
話しが一段落し、落ち着いて茶を飲んでいると、ようやく康演が弘珠とやってきた。
「南京(ナンジン)への船の見送りでね、お呼び出しとは水会(シィウフェイ)が本決まりですか」
インドゥが此処までの話をして銀(かね)の手配を頼んだ。
「それから腰牌が出た替わり與仁(イーレン)のお供で一回りだ」
「この前爺さんの葬儀の日、王神医(ゥアンシェンイィ)がフゥチンの診察に出向いてくれましてね。その時噂だがと教えてくれたそうですぜ」
食事会を姐姐の館で行ったときは人の耳が有るので親子は喋らなかったようだ。
「娘娘が心配なさるんじゃないかと思いやしてね」
娘娘と哥哥は上奏すればと考えていたのは知らん顔した。
インドゥは宜綿と豊紳府へ弘珠を供に戻ることにした。
與仁(イーレン)は水会(シィウフェイ)の方は康演(クアンイェン)に任せて広間を使ってもらった。
茶の相談と日程を権洪(グォンホォン)、権孜(グォンヅゥ)の三人で組み立てた。
漢(ハァン)が途中で抜けてきて明日にもお供の二人は此処へ顔を出させると言って清々した顔で広間へ戻った。
今度は康演が出てきて「宋輩江(ソンペィヂァン)の方と水会の話を煮詰めるから終わったら一緒に行こう」と言って戻った。
結局二月十六日に出る予定で、蘇州(スーヂョウ)、上海(シャンハイ)、船で福州(フーヂョウ)、汕頭(シャントウ)、そこから福州へ戻って武夷、河口鎮、南京(ナンジン)と六十八日の予定を立てた。
哥哥と一緒だと上乗せ十日くらいと三人は組み立てた。
まだ福州(フーヂョウ)で玉徳(ユデ・瓜爾佳氏)の裏を探るとは知らない三人だ。
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