花音伝説
第四部-豊紳殷徳外伝 参

第二十四回-豊紳殷徳外伝-3

 阿井一矢  

 此のぺージには性的描写が含まれています、
18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 豊紳府00-3-01-Fengšenhu
 公主館00-3-01-gurunigungju 
        

嘉慶元年一月一日(179629日)

嘉慶帝は即位し、フンリは太上皇として廷臣を養心殿において指揮した。

嘉慶帝は毓慶宮(イーチンゴン)で事務を執ることにした。

 

嘉慶元年(1796年)-新たなアヘン禁止令を発布、清国は徐々に国外の魔手に蝕まれて行く。

 

公主、インドゥともに二十二歳。

上皇は流石に延命薬「保精丹」と秘薬「活精丹」の話を持ち出さなくなった。

公主が養心殿へ出向くと喜んで宝飾品を土産に持たせて帰す、ただ一人残った公主の我儘は幾らでも聞いてあげたいようだ。

内務府の買い上げが予算で控えられると和珅(ヘシェン)に買い上げてもらうのが業者の中で広まってきた。

その中から上皇とフォンシャン(皇上)へ最上級の物が献納される。

寧寧(ニィンニン)が豊紳府へ来て三年。

インドゥは月一度の同衾で納得してもらっていた。

六月二十六日その約束が破られた、寧寧(ニィンニン)と庭で月が出るのを見ていた。

夜半を過ぎて漸く眉のように細い月が出て、凉亭の酒や菓子はそのままで寧寧(ニィンニン)を寝屋へ誘った。

「約束が違います」

「いやなのなら一人で寝るから」

そういうと抱き着いて「冗談ですよ」と口づけをせがんだ。

汗ばんだ体から仏蘭西香水の「董」のほのかな香りがしてインドゥの欲情が高まった。

寧寧(ニィンニン)の限界が近くなってきた。

「喜歓、喜歓、喜歓(シーファン)」

何時もより言葉が大きい、相当気持ちが高ぶってきたようだ。

「喜歓、喜歓、喜歓(シーファン)」

寧寧(ニィンニン)は嬉し気に抱き着いて弛緩した。

それを見てインドゥは身震いするほどの感動に襲われて抱き返した。

 

翌日、公主が黙ってインドゥを寝屋へ連れ込み服を脱がせて迫った。

そう言われてもまだだよと言ってやりたいインドゥだが黙って腰で押し合いを続けた。

「到上面来(ダオシャンミエンライ)」

そういわれて仕方なさそうに公主が体を入れ替えた。

「オオゥ、オオゥ」

インドゥを快感が襲い精をこれでもかと送り込んだ。

 

嘉慶二年一月一日(1797128日)

インドゥは二十三歳になっている。

今でも通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲近く月河(ユエフゥ)胡同の飯店からとの暗号で呼び出しが来るといそいそと出かけていく。

昼間の房事は秘密の遊びと思い込んでいるのは相変わらずだ。

潘寶絃(パァンパォイェン)も、四十一歳になった。

顔に目尻の皺が目立ってきた、小ぶりの顔で笑うと小さな口から白くて大きな前歯がのぞく、白い布で髪の毛をまとめ舳先に立つ姿は船乗りの憧れの的だ。

色黒だと自分でも思うらしく化粧は控えめだ。

最近は愚痴も「捨てないで」も言わない。

ただひたすら逢瀬を楽しむ、それだけで人生楽しいと、悟ったように気楽になった。

最近筋肉質だった腹に中年の脂がのったようにつやが出て、ほおずりするインドゥに愛しさがつのるチェチェだ。

姐姐(チェチェ)は背を預けてうっとりしている、インドゥの右手は大きな乳房を持ち上げる様に揉んでいる。

「哥哥」

「どうした」

「子供が欲しい」

「今までできないのに無理だろうに」

「哥哥がどこかで産ませた子でもいいから育てたい」

香鴛(シャンユァン)の顔とおくるみの和信(ヘシィンHé Xìn)の顔が浮かんだ。

「誰かに産ませてきて」

「無茶言うなよ」

乳房をインドゥの顔に押し付けて来た。

「こんなに大きいのよ。きっと乳もたくさん出るわ。そうだお乳母さんに雇ってもらえばいいんだ」

「どこのだ」

「知ってるわよ、格格の娘が妊娠したでしょ」

吃驚して顔を覗き込んだ。

「あら、呼び出しに行った練燕が聞いてきたわよ」

なんだそうかと簡単に了解とすませた、あっさりとした男だ。

本気で乳母にしかねない男でもある。

「おろして」

気分が高まって来ているようだ。

年とともに深く到達して気を飛ばすことが多くなった。

ただ泣かなくなったのはどうしてかインドゥには謎だ。

身体を拭き終わってもまだ気が戻らない、呼吸は荒い。

乳房の下へ手を入れて胸を揉んで居たらようやく気が戻ってきた。

「喜歓(シーファン)、哥哥」

と口づけをせがんできたので思い切り舌を吸い込んだ。

暫くすると気が落ち着いたようだ。

「ずるいわよ哥哥」

「何が」

「あの時に名前を呼ぶなんて狡い」

男とは違う感情で気が昂るようだ。

 

公主が勧め豊紳府に入っていた格格の寧寧(ニィンニン)。

嘉慶二年五月十一日(179765日)烏に脅され尻もちをついた、打ち所が悪かったか難産の末、その日のうちに親子ともども亡くなった。

一時は公主が親子で亡くなったとの噂が出て、和珅(ヘシェン)は何時妊娠したのかと仰天して馮霽雯(ファンツマン)と豊紳府へ駆けつけたほどだ。

噂のでどこは公主府と見たが追求するわけにもいかず、フンリの耳に噂が入る前にと和珅(ヘシェン)は養心殿へ急いだ。

 

嘉慶帝はフェンシェンインデに優しい、弘暦(フンリ)と親子で争うように世話をしたがる。

この男出世したくないのに勝手に位階が上がる事に困惑している。

自分の時間がどんどん減る、息抜きは出張を命じられた時くらいだ。

ただその間公主の機嫌が悪くなる、寧寧(ニィンニン)が居たときは安心して任せた。

夫婦仲は良すぎるくらいだ。


嘉慶二年八月-正白旗漢軍都統

漢軍と言え上三旗だ。

佐領参領都統貝勒(皇族)

内大臣も同役の顔を立てて汚れ仕事は率先してやる、老爺の同役は上から命じても堪えないこの男に評価は高い。

堪えないどころか取り回しもうまい。

 

十三日に呼び出しがあり、嘉慶帝が上皇から聞いたと延命薬「保精丹」は手に入るかと聞いてきた。

和珅(ヘシェン)が手にいれた道人は行方不明の儘(南昌とは別の道人の事)だという。

延命薬「保精丹」と秘薬「活精丹」が区別付かなくなっているようだ。

フォンシャン(皇上)はまだ三十八歳、太医の事はあまり信用していない様だ。

公女七人のうち四人もが早世しては考えたくもなる。 

残る三人のうち一人は十歳で亡くなっている。

幸いと言うか皇子は三人のうち二人は健在、二阿哥綿寧(ミェンニィン)は十六歳で聡明と評判の若者だ。

三阿哥はまだ二歳、藩屏となるべき皇子が欲しいというのは当たり前だ。

父親も苦しんで自分は十五阿哥だったことを思えば身体の衰えない準備は必要と考え出した様だ。

何かの時折に、和珅(ヘシェン)の献上した薬を耳に留めたのかもしれない。

「老爺に聞いてみます」

「それは待て、インドゥが独自で探してくれ」

「それではあまりにも雲を掴むような話過ぎます」

「いいことがある。ふた月探索して、ふた月京城(みやこ)で勤務。どうじゃ」

そんなふた月でどうやれと言うのだとは言えない。

「三月、三月なら年に二回り。南と西へ回れます」

「そうか馬で回れともいえば大事で何の探索か探られるかもしれん。太医の見習いを一人つけるなら、各地の名医を訪ねる、新しい薬草を収集していると隠れ蓑に出来る」

「それならば、私も仕事でと言い訳もできます。表向きはそれで行きましょう」

大分考えての呼び出しの様だ、断われないと決まれば決断は早い男だ。

正白旗漢軍都統とはいえ、事務は部下、統率は貝勒を任命してもらえばと相談はまとまった。

 

翌日には予定順路を書いて差し出した。

今年は閏があり八月はもう秋も半ばだ、十八日に出て蘇州から杭州、寧波迄で戻る。

インドゥのたてた予定では十二月二十日には戻る予定と書きだした。

二回目は二月六日に京城(みやこ)を出てと書いて、行く先は上饒霊山として置いた。

口上として「一度では回り切れないことも有るので、これなら噂も集めやすい」と大きな地図を広げて話した。

昂先生と調べたら片道三千二百里、四十日で探索しながらいかないと駄目の様だ。

九江にある廬山を訪ねれば船便で南京へ下る手もある。

フォンシャン(皇上)の許しを得て養心殿で弘暦(フンリ)に旅へ出る挨拶をして、もう一度毓慶宮(イーチンゴン)戻り、用意された腰牌を拝領した。

太医見習いの宋輩江(ソンペィヂァン)と言う小太りの男が呼ばれていた。

フォンシャン(皇上)の言葉に「このまま出ますか」何て気楽なことを言っている。

「豊紳府で支度させてくれるか」

「そうさせていただきます」

神武門を出て地安門から東へ、豊紳府で公主に引き合わせた。

話が弾み「福州まで足を延ばせば台湾はまじかです」と話が広がってゆく。

その晩の公主はお冠だ「まさかまた半年、一年留守にするおつもりですか」と角が生えた。

抱きしめてもいやいやをする、口づけしても機嫌が直らない。

ペィヂァンめ余分なことを言いやがってと腹で怒っているうちに本当に怒りたくなって、勝手にしろと布団に潜り込んだ。

背中合わせでもふたりは怒っているのをお互い感じて眠れない。

「一年留守にした事など一度もない」

ぶつくさいうのが聞こえているようだ。

「八か月と七か月ですっ、合わせて十五か月」

起き上がって「合わせて何て言ったら留守の日を全部たすきか」と怒った。

公主も起きて「そんなこと言いません」と舌を出してふざけた。

抱き寄せたらすんなりと体を預けて来た、機会を待っていたようだ。

「うゎあ」

一辺に気が行ってしまったようだが、意識していないのに足を絡げてくる。

西遊記は良かったが、色々話せと読み進むうちに、インドゥの蔵書を片っ端から調子を付けて読めと講釈師よろしく扱いだした。

「金瓶梅は余分だった」

水滸伝からの続きの話として読んだはいいが、宴会へ誘われただけでも焼きもちを焼く、困ったもんだと言いながら腰を使っている。

前は寧寧(ニィンニン)の部屋へ行っても悋気は起きなかったが、亡くなってから始まるとは思ってもいなかった。

動きを止めて顔を覗き込んだら悪戯を見破られたという顔つきだ。

「気がついたのか」

この夫婦八年経っても新婚時代より濃密だ。

どうやらこの男は新鉢よりも姥桜に子供を産んだ女性のほうが性に合うようだ。

 

 

嘉慶二年八月十八日(1797107日)

幾度も通いなれた道だ、輩江(ペィヂァン)は初旅、産まれて初めての遠出だそうだ。

急ぐので運河に船を待たせてある。

八月二十日、天津(ティェンジン)には朝、日の出前に着いた。

此処で二日。

昂(アン)先生も連れ、三人で輩江(ペィヂァン)の恩師が隠棲している家を訪ねた。

王瓢養と言う老人は快く相談に乗ってくれた。

「耳にしたことはあるが。特効薬ではないはずだ」

有ったとしても、やはり補養と言う言葉が使われるか、それに類した配合だろうという話だ。

翌日、紀経芯(ヂジンシィン)の藩羊肉菜館で昼を食べ、明日の昼に此処で落ち合うことにして紀経莞(ヂジングァン)の店へ一人で出向いた。

その晩インドゥはジンシィンの家に泊まった。

「和孝哥哥、お見限りね」

「お役の手前、そう気易く出歩けない」

八月二十一日未の刻に天津(ティェンジン)を発ってその日は陽のあるうちに経莞(ジングァン)に紹介された劉魁老(リュクアイラオ)と言う街道沿いの宿に泊まった。

ペィヂァンは「自分の足慣らしなら気にしないでください」何て言っている。

道々街道沿いの安宿と思って話が弾んでいたようだ。

「すげえね」

與仁(イーレン)は此処を前に通った時に見た覚えがないようだ。

昂先生、阮奕辰(ルァンイーチェン)と苑芳(ユエンファン)の夫婦に子供と乳母に荷物持ちの六人で泊まったそうだ。

金持ちが道楽で始めたと聞いてどんな宿かと二日泊まったと云う。

贅を凝らした宿で湯殿も立派だ、買范(マァイファン)に話したらこの春に新婚の妻子(つま、チィズ)を連れてわざわざやってきたそうだ。

翌日、粥を食べて與仁(イーレン)が勘定をしている間に宿を後にした。

追いついて最初に「安くて涙が出る」何て権洪(グォンホォン)に大声で話して居る。

七人で二千四百五十銭だという、「銀は八百銭だと言うので三両と五十銭。老椴盃に一日で一人三両。世の中これで好いんですかね」何て聞こえてくる。

「あの宿で一人三百五十銭は安い」

京城(みやこ)にも少ない高級な宿だ、それが話題で道も捗る。

昼に腹ごしらえをして陽が落ちる頃、康達荘(カンダーチャン)と言う村のような名の酒店へ入った。

宋輩江(ソンペィヂァン)め汗みずくでやっと着いたかと言う顔だ。

「昨日の軽口は何処へやった」

「参りました。これが毎日ですか」

「明日はたった五十里だ。滄州のはずれに何度か泊まった飯店がある」

ゲッと言う顔をしている。

「痩せてしまう」

「痩せる前に脚に豆でも出来ているんじゃねえのか」

徳州まで二日掛かった、輩江(ペィヂァン)の疲れもひどいので一日やすんで昂先生と街で医者を聞くと針医を教えてくれた。

二人は足の疲れを取りたいと頼んで治療を受けながら名医が居るか探った。

徐霊胎、叶天士共に今はなく、名医は何処。

王之政が今は名医として江蘇では名高いと知れた。

輩江(ペィヂァン)に話すと「上医は発病前に、中医は発病後に治す」と言う。

「上医は世に隠れて名前が伝わらない」

「それでは隠れた名医は見つけられないぞ」

困ったことだ。

『千金方』に曰く

「上医は患者の声、中医は顔色、下医は脈で診断する」

「上医は発病前に、中医は発病直前に、下医は発病後に治す」

「だから私のような下医では発病後でなければ治療が出来ません」

「まぁ、直せる腕があるならまともだな」

「困るのは脈診で分かる病は少ないです。産婆ではなく女医が認められる世に為ればお産で苦しむ人が減るのですが」

『傷寒論』を学んで医者に為っても実際の患者に対するとその者に合った治療が必要だという。

 

王之政-江蘇省-乾隆十八年(1753年)~道光元年(1821年)六十九歳卒

字献廷、号九峰

 

徐霊胎-江蘇省呉江出身-康熙三十二年(1693年)~乾隆三十六年(1771年)七十九歳卒

名は大椿、晩年は洄渓老人

 

叶桂・叶天士-江蘇省呉江-康熙五年(1666年)~乾隆十年(1745年)八十歳卒

号は香巌(南阳)・晚号上津老人 

 

張璐-蘇州出身-萬歴四十五年(1617年)~康熙三十八年(1699年)八十三歳卒

字を路玉、号は石頑。

 

話をさせると長いのが欠点だとインドゥは思うのだ。

フェンシェンインデというよりフォンシャン(皇上)がインドゥと言い出してからは右に倣えの世の中だ。

「結」の仲間はヘシィア、ヘシィアォと呼ぶ、最近言葉が省略され哥哥だけの事も多くなった。

昂先生が道々疲れを紛らわそうと話をさせたら「葛根湯」だけで一刻近く話され止めさせるきっかけが掴めず、インドゥと一緒に後を歩いていた與仁(イーレン)は笑いをこらえていた。

「旦那、次は黄連解毒湯でも話させますか」

「與仁(イーレン)が付き合って聞いてみたらどうだ」

「御免だすぜ」

済南(ジーナン)に着いたのは九月二日昼過ぎ。

ペィヂァンの為にこの先へ行くのはやめて宿をとった。

十五日目で済南ならいいかとインドゥは思っている。

「痩せてしまう」 

何て言ったが見た目何も変わらない、本人は胴が締まったというが、腹が引っ込んだ様子はない。

「彭城(徐州府・スーヂョウ)迄八日で歩く。一日七十里」

「えっそんなにですか」

「秋は陽の落ちるのが早い。卯の正刻に出て申の正刻に宿に着く必要がある」

「もっと気楽な旅と上役が言っていましたが。騙されました」

「前に上皇が出かけた南巡のように船の旅なら楽だぜ。問題は旅の費用で往復二千は出してもらわないと、そこまで出してくださいとは言えるわけないさ」

環芯などゲラゲラ笑うので「これファンシィン。黙っておけよ」と叱った。

前にこの道を二十二日掛けて歩いたのは四年前だ。

その前年は彭城(徐州府・スーヂョウ)まで遊びながらふた月以上掛けた。

公用旅にそんな事をしたら大目玉だ。

彭城(徐州府・スーヂョウ)で三日かけて王之政の情報を集めると、今は吉安だという、今回は諦めることにした。

目的は蘇州から杭州、寧波、予定より遅れるが仕方ない。

彭城(徐州府・スーヂョウ)で二日丸々休んだ。

「次は南京まで八百里、八日で歩いて三日休む」


九月二十日、南京に暗くなって着いた。

飛燕が飛びついて来た。

「心配しましたよ。五日も遅くなるなんて」

「足弱が居て休み休み来た」

見ても男七人だ、顔なじみのないのは輩江(ペィヂァン)ただ一人、さすがにここまで来ると顔立ちも引き締まった。

「女の方でも増えましたか。居られませんが」

昂先生大爆笑で輩江(ペィヂァン)を前に押し出した。

「初旅で十斤は痩せたそうだ、京城(みやこ)を出るとき一石はあったらしい」

檀香鴛(シャンユァン)がやってきたが、インドゥが呼んでも不思議そうに見ている。

五歳になったがこの前は産まれて三月だ、覚えているはずもない。

「爸爸(バァバ・パパ)だよ」

飛燕が言うと「逢いたかった」と床に膝をついたインドゥに抱き着いてきた、飛燕の母親と言うのがやってきて挨拶された、普段は光明と言う村に住んでいるので初めて会う。

丁寧に挨拶をかわしていると隣から公遜(ゴォンシィン)がやってきた。

また挨拶の応酬だ。

インドゥが源泰興へ入り、辯門泰へ昂先生と輩江(ペィヂァン)。

後は近くの開封飯店へ、前に泊まっているので顔なじみだ。

ムスリムの蒸し風呂で汗と旅の垢を流して部屋へ戻ると、飛燕が一人でやってきた。

「シャンユァンはどうしたよ」

「媽が一緒に連れて行きました。住まいを近くに買い入れたのさ。それで媽を村から呼びました」

遠慮して手紙も寄こさない、シャンユァンの事はゴォンシィンや「結」を通じて息災と知れるだけだ。

茶を入れ、柿を剥いて二人で食べた。

茶と柿は合わないと思っていたが「不思議だ」と云うと、湯桶から酒を注いで渡した。

一刻も肩を寄せ合って黙って酒を吞んでいる。

睦言も世間話もない、酒が切れると布団に入って裸で抱き合って寝た。

旅の疲れと酔いでインドゥは直ぐに寝入った。

飛燕は布団を抜けて衣服を付け、柿や湯桶を片付けてくるとまた、裸でインドゥの隣へ入った。

手を取って両手で包みこむようにし、胸の上にもって来ると、安心したかのような寝息が聞こえる。

インドゥが目覚めると腕を抱きしめた飛燕が「眼が覚めましたか」と聞いて上に乗ってきた。

眼を開いて「来てください」と哀願するような声で囁いた。

二人は何度も到達した。

二人が目覚めたのは烏が騒いでいる声でだ。

「やけに騒ぐなぁ」

「最近増えましたのさ」

妓楼の誰かが河へ万頭を投げたのを目当てに寄ってきたそうだ。

一度覚えると、いくら追い払ってもまた寄ってくるそうだ。

インドゥは輩江(ペィヂァン)と二人で総督府へ出向いて新しい薬剤探しと告げ、明日明後日と南京に滞在すると両江総督李奉翰へフォンシャン(皇上)の許可状と腰牌を提示した。

二日前に赴任にしたばかりと聞かされた。

話をしてみると都を出たのはインドゥより五日ほど早い。

八月に就任したばかりとは言え、漢軍正白旗都統の豊紳殷徳(フェンシェンインデ)に対して漢軍正藍旗都統李奉翰は応対も丁寧だ。

前の総督は赴任せず刑部尚書が一年の間代行していたという。

この部署激務で交代が激しい。

「三日だけですか」

「今回の目的は杭州と寧波での新しい薬剤、名物医者の情報集めが主ですので」

江蘇巡撫もこの十年で五人入れ替わっている。

前回世話になった江蘇巡撫奇豐額(チーフェンウゥ)も昨年来の葉爾羌(ヤルカンド)辦事大臣だ。

その前は新疆准部で庫爾喀喇烏蘇領隊大臣と軍務ばたで重用されている。

 

飛燕(フェイイェン)は毎晩インドゥの部屋へ早い内からやって来る。

下の店では食事の騒ぎが収まらないうちに、客の方が気を利かせて追い払う様だ。

毎晩、湯桶の酒を二人で分け合う、たまにはつまみでもとは思わない様だ。

夕の食事の時「明日は昼に南京から無錫へ」と話した。

その晩は「蟠桃が手にはいりました」と出してきた。

孫行者(斉天大聖)の蟠桃会の大暴れを思い出して顔がほころんだ。

「いやですよ。思い出し笑いなぞして」

「聞いた事ないか、斉天大聖」

「講釈の」

「そうだ」

最初逢った時、俯いてしゃべるので、飛燕(フェイイェン)は頭の回転が遅いのかと邪推したが、客とのやり取りは、機転が利いている。

算盤(サァンパァン)は前においても、見るだけで計算を出している。

「結」の男たちも一目置いている。

どうもインドゥに惚れてしまって強く出られない様だった。

とインドゥは思っている。

酒で調子に乗って桃を盗み食いして大暴れを一席、面白おかしく聞かせてしまった。

公主に何度もせがまれ、この回は本がなくても大聖の大暴れを語れる。

くすくす笑っていたが酒が切れるとめずらしく「酒のおかわりは」と聞いてきたが手を引いて立ち上がると、寝床へ二人で倒れ込んだ。

せわしく着ているものを脱ぎながら胸を強く揉み込んだ。

飛燕は諸手を上げてインドゥを迎え入れた。

烏の泣き声で目が覚めると飛燕の顔が近くにある。

大分長く覗きこんでいたようだ。

「お目覚めかえ」

夜が明けそうだ、厨房で料理人も起きだして火がたかれる音が聞こえる。

卯の刻の鐘の音が聞こえて来た。

頬を胸にうずめて「帰りはどうなります」といきなり聞いてきた。

「早くてひと月だ」

インドゥも薄情なことを平気で言う。

若しかしてこの二人前世で「老年の仲が良い夫婦」でもあったかと思えるほど気が合っている。

 

 

南京を九月二十四日の昼に源泰興で揃って面条の皮肚面(ピードウミェン)を食べて旅を続けた。

その日は祁家荘の小さな飯店で聞くと三部屋で十人は入れるというのでそこに決めた、七人なら余裕がある、足りない寝床は床に板を敷いた。

ペィヂァンの足慣らしにこの位がいいと與仁(イーレン)が言うからだ。

「その為の昼の旅立ちでございますよね」

うがったことを言う、飛燕が早立ちはいやですと言ったせいだとは誰も知らない。

インドゥもせっかく懐いた香鴛(シャンユァン)と別れたくないが「ひと月経てばまた会える」と言い聞かせて別れて来た。

無錫(ウーシー)まで四百五十里、六日掛ける予定だと昂先生が皆に伝えてある。

宿場から宿場は大体八十里間隔である、休みを入れても一日五刻くらいで十分歩ける、足が達者なら三日で歩く、間いの宿もあれば小商人の為に小さな村でも泊めてくれる場所はある。

この時期、日暮れが早いので途中で夜にでもなると厄介だ。

 

今回は公用なので泊る場所は、ほぼ決めてきてある。

ただインドゥが面倒(めんど)くさがり、人任せで歩いている。

酒をふるまった、與仁(イーレン)がペィヂァンに前は五日で歩いたと自慢している。

権洪(グォンホォン)はいい気持ちで歌など歌いだした。

早寝をして夜が明けるのを待って街道へ出た。

 

九月二十九日、陪演(ペェイイェン)を先に行かせて宿をとらせた。

無錫(ウーシー)十月一日、七日目の到着だ。

ここまで雨は一日、その日宿で過ごしただけで遅れは少ない。

南長街の香潘楼(シャンパァンロウ)は前にも泊まった。

前ほどの活気がないが、大女は相変わらず気さくだ。

離れが空いているというので入ることにして與仁(イーレン)とペィヂァンを同じ棟にした。

前の宿から道連れの小商人は「亭主が女中と逃げた」と教えてくれた。

大女は潘燕燕(パァンイェンイェン)だという、イェンイェンの腹が膨れて産み月が近くなった年末に逃げたという、その二人は盗賊集団に襲われ命を取られたという噂だそうだ。

千里も逃げ、江蘇贛楡の徐福故里への街道沿いからそれた峠道で、十人の旅人たちが同時に襲われたという。

半年後に盗賊が討伐され、二人の遺品が見つかって死んだことが分かったという、小商人は皆情報通だ。

夜、ペィヂァンといる所へ娘を連れてやって来て娘を挨拶させた。

潘香燕(パァンシィァンイェン)四歳だという。

「あの時、侄女(ジィヌゥ・姪)の婚礼だと蘇州で聞いたがお前さんのことだったか」

「はいそうなんです。お泊り下さった後幾日もせずに婿取りをしました」

一月七日生まれと聞いて「もしやして」と思ったが、あえて言わないのにと聞くことは控えた。

輩江(ペィヂァン)は道々小商人から事情を聞いていたらしく同情している。

「子ずれでは再婚も難しかろう」

「もういいのですよ。二十五で二度も亭主が死んでは貰い手も有りません。私の従弟が今七歳なので娘と一緒にして店を継がせます」

「哥哥、手助けしてやってくださいませんか」

輩江(ペィヂァン)随分と人情家を発揮している、道々インドゥが多くの飯店、菜店に投資していると聞かされたせいだろう。

「老爺たちは」

「もう昔ほど動けないのです。その分番頭と女中頭が夫婦で支えてくれています。その息子も二十で今年嫁を迎えて調理場を任せています」

「明日の朝の喧騒が済んだら番頭夫婦にお前さんと話をさせてくれ。行きがかりだペィヂァンも付き合いなよ」

戌の鐘の後、大女が忍んで来た。

「和孝(ヘシィア)様とお聞きしました」

「確かにそうだ、哥哥と皆が言うのでそうしてくれ」

「あの子は哥哥の子です。女の私にはわかります」

「女の感は当たるからな」

床へ誘いながら「冷たいおひとです」と言う。

衣服の下の体は乳房こそ大きいが骨が浮いている。

善がり声は大女じゃない、隣は空いている、その向こうは與仁(イーレン)の部屋だ。

「おお、あいつもお盛んなことだ」

そう言って仰け反る様に腰を押し付けて今にも行きそうだ。

身震いして足を絡げて抱きしめられた。

気が戻ったところへの衝撃にまた体中で喜びを表現した。

翌朝の喧騒が済んで老夫婦に番頭夫婦、イェンイェンが揃った。

 

前に泊まった時ほどの活気がないようだと言うと番頭が「昔の料理人は迎えた婿殿に追い出され、故郷の玉山(ユイシャン)で開いた店が大当たりで呼び戻せません。息子では安宿程度の食事しか用意できず。上客に逃げられました」と残念そうだ。

玉山(ユイシャン)は江西上饒だそうで、ここから千里もあると云う。

「誰か資本をつぎ込むか、良い料理人に心当たりは」

「前に蘇州の知り人が仕込んでやると言ってくれたのですが、此処の代わりが居ません」

聞いたら蘇州(スーヂョウ)の安園菜館だという。

「俺が資本を出した店だよ。代わりの者さえいればもう一度修業する気があるか確かめて呉れ」

番頭夫婦が息子夫婦を連れて来て拝礼をして「お願いいたします。此処を任させて頂ける腕に必ず成ります」と天に誓いを立てた。

安園菜館に急ぎの脚夫(ヂィアフゥ)に手紙を届けさせた。

夜明け時、卯の初初刻に平康演(クアンイェン)と安園菜館の安願斌(アンユァンピィン)に三十代の女と三人が船で来たと起こされた。

クアンイェンめ遠慮などない奴だ。

「なんで、付いてきたんだよ」

耳打ちをして「家の妻子(つま、チィズ)の妹妹(メィメィ)の甫映姸(フゥインイェン)と言います」と言う。

「なんで小声なんだ」

「隣へ遠慮」

何て言う、俺に遠慮したことない癖にと笑ってしまった。

「隣は空いているよ。それで」

「インイェンは腕の方はいいのですが、一人で店を切り盛り出来ないので今は安願斌に預けています。前から此処へ送り込もうかと相談は出来ていましてね」

「亭主は居ないのかよ」

「行かず後家なんですよ。若い時に約束した男が洪水で亡くなってね」

「また哥哥は余分なこと言わないでよ。父親の店を手伝っていたんですよ。弟が寧波(ニンポー)で修業して戻ってきたので店を任せただけです」

「ねぇ、哥哥手紙じゃ、都の太医が一緒で手助けしろ言ってると有りますが、銀(かね)を注ぎ込みますか」

「ここの内情は良く分からないが、まずは店のあく抜きだな。建替えなくとも手を入れるだけで済むだろう。活気さえ戻ればいい店のはずだ。亭主運が悪いと運気が下がったようだ。インイェン姐姐(チェチェ)は銀(かね)勘定は得意の方かい」

「それが出来なきゃお雇いで終わりですよ。仕入れの原価に見合う料理で儲けを出すのが本分です」

面白い姐姐(チェチェ)の様だ。

「店が落ち着いたらゆっくり話そう」

そういうとクアンイェンを置いて調理場へ行くと二人で出て行った。

「まさか、ここのちっこい娘」そう言って親指を動かして目で話した。

「可能性は有るんだ」と小声で伝えた。

インドゥ、手が早いと云うより、女の誘いに弱いと思われている。

調理場に見習い小僧を入れ、インイェン姐姐(チェチェ)を三食、住まい付き衣服支給、月決め銀十五両で雇うことにした。

インドゥが銀(かね)を三百両出して番頭の息子夫婦の部屋を調理場として造作をして、店を広げる事にした。

インドゥの銀(かね)と知らせず、東源興で千両用意して店の洗い出しと補修をすることにして、出来るまで隣の空店を借りて食事を出すことにした。

午後の船で一度蘇州へ戻り、折り返すようにインイェン姐姐(チェチェ)が此処へ戻ると、入れ替わりに番頭の息子夫婦を安園菜館で安願斌(アンユァンピィン)が二年みっちり仕込むということになった。

安園菜館ではインイェン姐姐(チェチェ)に調理場を任せるか、もしくは任せたい店がある様だ。

共同の店にするのは大女が嫌がり、老爺に老媼は事情があると察したか返済その他は孫が承知なら任せるという。

返済は月に利とともに銀十両、十年均等と決まった、投資とは言えない。

インドゥの銀(かね)は返済など曖昧で特に決めないことで大女が了承した。

大女が了解すれば老爺に老媼も異存はない。

 

三日掛けて無錫(ウーシー)の医者と薬房を回ったがこれと言う話はない、皆ペィヂァンが知っている話だけだった。

 

昂(アン)先生が珍しく広福寺素面が食べたいと言い出した。

黿頭渚の寺門前に店がある、精進料理を面条にしたものだ。

阮奕辰(ルァンイーチェン)を送ってきたとき食べたそうだ。

蘇州には上皇が昔食べたという奥灶面という美味い面があるという。

「昂先生が食い物の講釈を垂れるのは初めて聞いた」

環芯(ファンシィン)は驚いている。

この名前、時々女と間違えられる、親に聞いたら「儒者が男ならこの名が良い、指導者になる名前だと言うので決めた」そう言われて吹っ切れたそうだ。

そろそろ店を持たせていい年だ

「鳥か魚の唐揚げを載せてある。此処はあっさり向こうで濃厚」

前回、與仁(イーレン)は行動が一緒で動いていたが、環芯(ファンシィン)たちは銀(かね)の番で昼間の街を知らない。

 

陪演(ペェイイェン)を康演(クアンイェン)の戻りの船で出してあるので宿は手配するだろう。

 

 

五日の朝に無錫(ウーシー)を出てその日のうちに蘇州城外山塘河近く路西街苑芳(ユエンファン)の繁絃(ファンシェン)飯店に着いた。

案じていたが店は繁盛している様子が表からも見て取れる。

大部分の部屋は小商人の為の安宿、高い部屋は二つの離れを東西に置いてある、三間もある大層なものだ、改築次いでに昂先生が勧めて造らせた。

離れ二つで銀五百両「公主の銀(かね)だ遠慮するな」と言ったがやっぱり仲間だ「儲けてます」と言ってそれ以上は取らなかった。

残りは四百両で全部済んだ。 

離れの客は聘苑(ピンユェン)をまねて造られた特別な湯殿が使える。

小商人の中には成功したら泊まりたいと夢を見て、何人もが一晩泊まっていった、表の部屋なら百五十銭、朝の粥が菜の漬物が食べ放題で三拾銭、夕飯がお決まりなら五拾銭で済む。

一晩豪勢な食事付きで銀三両、大成功した商人でなくとも年一度くらいは泊まれる。

公主への手紙では片方は今親娘の住居にしているそうだ。

今までの部屋は改造して客室を増やしたという、隣も買い入れ、通り側は三軒の小店に貸して裏は住み込みの者が使っている。

買い入れた家には庭もあるそうだ、東の離れの客が喜ぶように手入れは怠らないという。

安宿の料金で設備は良いと評判だ、顧客はしっかりついている。

街中の宿でも安宿は湯あみなどできないが、ここにはさすがに湯船はないが湯はふんだんに使える。

仕組みは厨房で火を絶やすわけにいかないから何時でも湯は沸いている、それを溜めるだけだ、大釜で十杯は楽に溜められる。

蓋付きの湯船が厨房の隣にある、からくり仕掛けで傾ければ最後の湯も柄杓で掬える、その部屋の先が湯殿だ。

そんな仕組みは京城(みやこ)で甚が教えてくれた、蘇州の聘苑(ピュンイェン)から阮奕辰(ルァンイーチェン)の仲間の大工が聞いて設置した。

「面倒でも毎日湯船の湯は抜いて掃除しなきゃだめだ」

甚は細かいことも教えていた。

食事だけでも三十人は入れる造りだ、手紙では下働きの見習いも入れたと言ってきた。

街は木犀(ムゥーシィー・ムージン)の香りに包まれている。

「まだ咲いているのか」と昂先生も香りに酔っている。

去年春に阮奕辰(ルァンイーチェン)が早打肩で亡くなり、七歳の映鷺(インルゥー)と店を切り盛りしている。

七歳でと思うだろうが店の奥で、可愛く座っているだけで昔馴染みの小商人は気持ちよく泊まってくれる。

飯の男たちも大人しく酒を飲むようになったという、あんまりうるさいと読んでいる本で机をたたく「ウヘッ」と言って大人しくなるのは客のほうだ。

自分の娘、孫娘のように大切にしてくれる。

平文炳と会うと自分の孫のように、それを自慢してくる。

 

部屋が一部屋、離れしか空いてないという、それで陪演(ペェイイェン)がインドゥの聘苑(ピュンイェン)に行くと五部屋空きがあって取っておいたという。

陪演め安宿を嫌って高級な方を選んだ「安園菜館は泊まれないが、香廉飯店なら安いだろう」と思った。

昂(アン)先生に「香廉飯店は空いてなかったか」と聞かれている。

「あいにく一部屋だけでして」

其れじゃしかたない、この時期安宿は小商人で満杯だそうだ。

そういえば南京も小商人がいつも泊まれると安心していたが駄目で、相部屋でどっちが寝床で寝るか賭けをしていた。

負けると簡易な涼み台みたいなものへ寝かされる。

インドゥは連絡の都合もあるので繁絃(ファンシェン)飯店に泊まり平康演(クアンイェン)へ連絡を取った。

目の前だ クアンイェンは着いたのを見ていた。

仲間たちと五人で来て酒を簡単に酌み交わし、明日また来ますとあっさりと帰った。

昂先生を誘って何処かへ行くらしい、ペェイイェンに言付けをさせたようだ。

最近、護衛は居なくてもインドゥは大丈夫だ、道中さえ無事なら街はお役御免にした。

店を閉め、苑芳(ユエンファン)が映鷺(インルゥー)と乳母に付いて来ていた香凛(シァンリィン)と三人で離れの部屋へ来た。

酒と菜(さかな)に蓋付きの瑠璃の椀にいれた菓子まで持ってきた。

昔の思い出を語り、インルゥーに京城(みやこ)のインドゥのお屋敷で産まれたことを香凛が教えた。

昔話で盛り上がったが、さすがに駆け落ちまでは言えない。

戌の鐘が鳴り出した、大分近くで鳴っている、遠くからも追いかける様に聞こえて来た。

鐘はこの刻が最後て明けの寅までは静かになる。

朝の早い映鷺(インルゥー)が眠そうなので香凛が寝屋へ連れて行った。

イーチェンのフゥチン、自分の両親もなくなり、子供だけが支えの事をくどくど述べている。

こんな愚痴っぽいこと言う娘だったかと昔の頃を思い出したが、公主への受け答えもはきはきとした頭のいい娘だった。

ぼんやりしていたらしくいきなり脚にすがられ「どうした」と聞いた。

「お礼も出来ません。この店は若様と公主様の物です、私を奴婢とお思いに為って抱いて下さい」

話しの筋道がよくわからないうちに立ちあがると、着ている物を脱いでインドゥに迫った。

「お慕いしておりました」

インドゥも嫌いな女じゃない、可愛い声と顔が近くにある、息子が突っ張って痛い。

椅子から立ち上がって寝床へ運んだ、庭の木槿の香りと思ったらファンの肌からも匂う。

「こりゃ見た目と違い房事がすきそうだ」

二十四歳にしては顔が幼い、それでも熟した女ざかり。

寡婦を守れるかなと気になった。

「こんな気持ちよくて、凄いのは初めてです」

ファンも気持ちよくなっているようだ。

終わった後の顔は、若い時のままの可愛い顔に戻っている。

乾いた手巾で汗ばんだ体を拭いて、呼吸が楽になったファンに話をした。

「一人で店をやっていけるか。無理なら嫁に行け」

「いやです。そんなに私が邪魔ですか」

「店を守れるなら何も言わんよ。困ったときはクアンイェンを頼れ」

抱き付いて「もう生涯抱いて下されなくとも我慢します。此処に私がいる事を忘れないと約束してください」と可愛い声で言われれば「分かったよ。俺もお前が好きだ」と言うインドゥだ。

 

インドゥが寝ている間にファンは戻ったようで、朝日が瑠璃の小窓からさしてきて店の喧騒が伝わってきた。

起きて手洗い歯磨き、髭も当たった、済んだ頃を見計らったかのようにファンが清ましてやって来ると「朝の支度はこちらへお持ちしましょうか」と聞いた。

「いや店で粥を食べるよ」

部屋を出ようとすると背にすがって「愛してくださいますか」と尋ねる。

振り向いて口づけをして「忘れはしない。愛しているよ」と耳へ囁いた。

「帰りには寄って下さいますか。離れはこのまま空けておきます」

「ひと月くらい先になると思う」

もう一度口づけをして店へ向かった。

ペィヂァンを待って金門から城内へ、江蘇布政使の役所へ出向いた。

フォンシャンの指示書を出して今日から三日繁絃(ファンシェン)飯店へ泊まっていることを伝えた。

江蘇巡撫の岳起が来て挨拶を交わした。

この年三人目の任命だ、奇豐額の後、四年足らずで五人、激務とはいえ腰を据えて任務に着けない。

城を金門で出て金門路を西へ寒山寺(ハンシャンスー)を訪ねた。

途中から道は倍の広さになり半時ほどで運河に着いて橋を渡ると、右手に鉄鈴関がある楓橋。

 

張継の楓橋夜泊・日本語訳-一般的(新解釈)

月落烏啼霜満天

月落ち 烏啼きて 霜天に満つ

(月 烏啼に落ち 霜天に満つ)

江楓漁火対愁眠

江楓 漁火 愁眠に対す

姑蘇城外寒山寺

姑蘇城外 寒山寺

夜半鐘聲到客船

夜半の鐘声 

客船〈かくせん〉に到る

 

橋を見て二人は後戻りだ、ペィヂァンは興味無さそうなのでそこまでにした。

留園(リィウユェン)の前を通り抜け一段北へ、一里も行かぬうちに東源興に繁絃(ファンシェン)飯店が見える。

店にインルゥーが居たので使いに出られる者を呼んでもらった。

小さいけど気の付く子だ「将来の女主人の風格がある」何てペィヂァンが太鼓判をおした。

 

聘苑(ピュンイェン)へ使いをだして一人呼び出した。

来たのは與仁(イーレン)、連絡は伝わってちゃんと銀(かね)を三百両入れた葛籠を背負ってきた、三人で夕暮れまじかの街へ繰り出した。

いくら形骸化したと言え上皇は官員の妓楼への登楼に厳しい。

インドゥは招待なら断れないが、自ら登楼は出来ない。

三人で妓楼の前を通り抜けて恨めしそうな與仁(イーレン)に「おいなんでお前が来たんだ。残念だが妓楼は厳禁だ、俺が上がれないことは承知だろうに」と振り返りもせずに言うと「本当だ。私も官員のうちだぜ」と追いかける様に言われてべそをかいている、もう年は三十七くらいか。

弘暦(フンリ)もいい気なものだ、自分は好き勝手出来ても臣下には厳しい。

妓楼への官員の登楼は禁止、いくら何でも酷いと思うものは多い。

妻を娶ることが出来る者、妾を置ける者はいい、下級官員は妓楼での憂さ晴らしも出来ない。

「前に南京では妓楼で飲んだでしょう」

「あれは歓待しろと上皇様が命じたからだ」

「あっしは何のために」

「荷物持ちに一人欲しいからだ」

城の堀を北回りで娄門(リロウメェン)の近くの大きな屋敷へ入った。

「お待ちしておりました」

玄関わきに積まれた古書を二人で確認して二百両渡して引取った、相手も書物に未練はなくあっさりしたものだ。

平大人が教えてくれた昔の写本だ。

與仁(イーレン)の葛籠は重そうなので、少しペィヂァンとインドゥも自分の葛籠へ入れた。

東源興で平康演(クアンイェン)に「平大人に買えたと報告してくれ」と頼んだ。

本を葛籠から出して豊紳府へ送り出してもらう事にした。

與仁(イーレン)は旅の間「背負って歩かされる」と思っていたようだ。

大分重かったようでほっとしている、雨の時もある、濡らされてたまるか。

與仁(イーレン)に「銀(かね)はそのまま持っていろ」と言いつけ聘苑(ピュンイェン)へ戻らせた。

平康演(クアンイェン)もついて繁絃(ファンシェン)飯店の離れへ入って用意されていた酒と菜で三人は宴会だ。

「本当に言い値で買ったんですか」

「そうだよ、板橋(ヴァンチィアォ)の書なんてそこらへんに転がってないぜ」

インドゥ画には興味を示さない、弘暦(フンリ)が幾らいい画を見せても褒めるのもおざなりで一緒にいる者が取りなすほどだ。

「そうなんですよ。南京ではその話を半日も聞かされました」

南京にあるかと前に飛燕に頼んだのだが、手放す人が居なかった。

亡くなって三十年は経っているがいまだに人気は高くなる一方だ。

揚州府で科挙に受かる前に食い扶持に書を売っていた、南京に科挙の試験場江南貢院がある、その時代に写本の手伝いしたのが十冊混ざっている。

鄭燮(ヂァンシィエ)、号板橋(ヴァンチィアォ)、字克柔(クゥロォゥ)。

自らの書を六分半書(リゥフェンバァンシゥ)と称した。

画は揚州八怪の一人、揚州に隠棲後、大幅は六両、中幅は四両、小幅は二両と自ら値を決めた。

雍正十年(1732年)に南京郷試学人。

乾隆元年(1736年、44歳)に進士、翰林院に入る。

乾隆7年(1742年)に范県知県。

乾隆11年(1746年)に濰県知県。

書は上手くないインドゥでも、見る目は有る、真似をした偽書でも字が良ければ本にそれだけの値打ちもある。

 

二人が帰ると苑芳(ユエンファン)が女中を連れて来て「部屋を片付ける間に湯浴びでも」と湯殿へ送り出した。

戻ると卓の上に酒の支度がある、台の上に布が被せられた大ぶりの湯桶に、小盥まで添えてある。

怪訝な顔をすると「新しいのを用意しました」と注いで寄こした、湯桶はあの後に使う気だなと思い当たった。

動き出したファンが、新しい手巾でインドゥを奇麗に拭うと抱き合って眠りに着いた。

インドゥが目覚めるとまだ朝日が差す前だ。

胸に顔を乗せてファンが起きている。

「我最喜歓你了(ウォシーファニーラ)。別れたくない」

「また会えるさ」 

「本当ですね。付いて行きたい」

「無理は言うな」

「だって」

泣き顔になるのを抱き寄せた。

「そんな弱いお前じゃないはずだ。子供の為にも強くなれ」

堅く抱きしめられ「きっとまた来てくださいますね」と涙声だ。

「馬鹿だなぁ、戦場に行く訳じゃない、ただの薬草探しだ」

顔はまだ心配そうだ。

「それより店は儲かっているのか」

「はい、あの人が亡くなって店を畳もうか平文炳(ピィンウェンピン)様にご相談したら、年寄りでもいいかと腕の良い料理人を紹介してくださいました」

泣き顔から笑顔に戻っている、大分感情の起伏が激しい。

「今では十五人もの人が働いても月々貯えが増えています」

「助けてやれるのは銀(かね)ぐらいしかできない。平康演(クアンイェン)にも頼んでおくから世間に負けたりしては駄目だぜ」

インドゥ時々言葉がぞんざいになる。

最近水滸伝を読んだせいか、読み本に直ぐ影響される。

「我愛死你了(ウォーアイスニーラ)、我想你(ウォーシャンニー)」

ファンはインドゥへの憧れが、夫の死で高まっていたようだ、言葉が積極的すぎる。

かぐわしい匂いがする、従弟が「朝の匂いは臭い」と聞いたと自分ではない様に話して居た。

次いでのように教訓まで垂れた「睡前刷牙(寝る前に歯を磨け)」そんな教訓何処にあるというと「俺が作った」呆れた従弟だ。

相役の老爺の中には城内では顰めっ面で過ごしても、宴席で秘話を得意気にしゃべる者もいる、話を向けるとどっかで読んだような話を自分の事のように喋り出す。

まだ気を遣ったままで舌を舐られても気が付かない。

湯で体を拭いて居たら気が付いて笑い顔になった。

「男殺しのわらい顔だ」

インドゥは京城(みやこ)へ呼ぶ気は起きなかった。

「たまに遊ばせてもらえれば幾人男が出来てもいいさ」

そう思えば付き合いも楽だ、銀(かね)を必要なら都合すればいい、食うに困ることも無いはずだ。

 

 

蘇州(スーヂョウ)、九月七日。

重陽節の支度で街は賑わっている。

「九月九日に高い山に登って菊花酒を飲めば疫病から免れることができる」

本気で海涌山へ集まる人は多いそうだ、酒飲みだけではなく女子供もたくさん遊びに行く。

朝の喧騒が収まった食堂でインルゥーと話すと、虎丘(フゥーチゥ)と言うらしい、映鷺(インルゥー)が詳しく書かれた冊子を貸してくれ、説明もしてくれた。

山と言っても低い、傾いている雲岩寺塔を見物に行く人は多いという。

平らな岩の上には千人座れるという話だ。

この先の運河にある舟着きから屋根付きの舟でも行けるが、去年歩いて往復で二刻、そのうち向こうで一刻は遊び回って居たという。

「今年ならもっと早く歩けるわ」

ファンは一緒に行きたそうな顔だ「残念だ、その日には杭州へ旅立たないと間に合わないんだ」と先手を打った。

ペィヂァンが迎えに来たら「いつまで蘇州におられます」なんてインドゥが居ないところで聞いていた。

人の話を鵜呑みにしないのは、人の出入りの多い商売では、好い事かもしれない。

城の東側へ二人で回り町医者の話す名医の噂を小半時聞いた。

「収穫がありませんね」

「見つかりゃ奇跡だ、杭州では道人たちにでも聞き合わせるか」

「怪しげなのでは困ります」

「だからペィヂァンが居るんだろうに」

「本当だ」

とぼけた野郎だ。

「明日は足を延ばすか。最後の日だ金鶏湖あたりまで弁当持参で行くか」

「どのくらい歩きます」

「往復三刻、向こうで二刻。朝卯の刻に出て戻りは未か、日暮れまでに戻る様に歩こう」

「朝辛いですね」

「俺の部屋の隣に寝床があるからそこへ泊まりな」

「それしか有りませんね。荷物を持ってすぐ行きます」

「二人で酒を飲むより来る者が居たら連れて来いよ、大勢のほうが酒もうまい。それと弁当持ちに二人選んでくれ」

「その二人も泊めますか」

「部屋があればそうしよう、酔って床に寝させるのも可哀そうだ」

繁絃(ファンシェン)飯店の前で待たせて店に入ると、机にインルゥーが居たので「二部屋あるか」と言うと「お二人様お約束~~」と壁の木札を裏返した。

輩江(ペィヂァン)は人を選びに行った。

素早い子だ、離れの奥の部屋にも一人泊めるというと女中に支度を言いつけた。

「今晩も宴会」

「そうだ、四人は来るんだが。増えるかもしれない」

壁の小窓から「全(チュアン)哥哥、宴会」と声をかけると十五くらいの小太りのが出てきて「何人来ます」と言ってきた。

「最低四人、来てからでも支度は間に合うかい」

「十人くらいなら、宴会大丈夫です」

「じゃ人が来たら追加」

インルゥーがあっさり片を付けた、これで七歳か、自分の家で生まれていなきゃ信じないところだが、厨房も女中も平気で受け答えしている。

金鶏湖へ行く目的の一つは今日聞きかじった陽澄湖大閘蟹(イァンチァンフゥダァヂァシエ)が旨くなってきたという噂だ。

まだ繁絃(ファンシェン)飯店は出して居ないのは女中によればまだ高すぎて手に入らないというのだ。

インドゥ変なところでしわい処も出たりして宛行(あてがい)で余分なものは頼まないことが多い。

陽も落ちないうちにペィヂァンが二人連れて来た。

「昂(アン)先生はお付き合いで留守でした」

「與仁(イーレン)と陪演(ペェイイェン)は留守番か」

「はぁ、賽で負けて荷物番です。明日のお供は環芯(ファンシィン)・権洪(グォンホォン)が決まりました」

席がまだ空(す)いているので店にいると、遅れて昂(アン)先生がやってきた。

インルゥーにもう一部屋と言うと嬉しそうに「宴会一人追加~~」と言いながら札を返した。

黒の札はあと一枚、今日も盛況だ。

「お支度が整いました」

ファンが迎えに来て五人、ぞろぞろつながって離れに向かった。

結局は昂(アン)先生と二人残って、ペィヂァンは表の宿の方へ寝かされた。

「案外弱い」

「医者ですからのん兵衛よりましだね」

話題は紹興酒、数がありすぎて「本物はどれだ」が決まらないまま思いつく名前を並べだした。

ファンは出入りしていたが諦めたようで「あとはお願いします」と酒壺を置いて出て行った。

先生相変わらず強い、丑の刻近くまでインドゥと議論してやっと寝る気になったようだ。

朝早くから起きだして支度をして店へ出た。

昂(アン)先生物好きにも金鶏湖まで付いてくる気だ。

五人分の弁当を受け取って店を出たのが卯の正二刻ごろ。

外城河に沿った盤門路を東へ向かった。

昂(アン)先生半道も行かない間に汗みずくだ。

「酒の気が抜けて気持ちいい」

そういえばペィヂァンも汗はかいているが脚は早い、観察していると腹も大分引っ込んでいる。

結局無駄足を踏んで戻ってきた。

「明日の朝、向こうの会計を済ませたら、與仁(イーレン)にこっちのも会計をするように伝えてくれ」

店で環芯(ファンシィン)に言いつけて、インドゥは前の東源興へ入った。

繁絃(ファンシェン)飯店で困ったことが起きたら面倒を見て呉れと改めて頼んでおいた。

「いい娘でしょ」

「気遣いもいい、客あしらいもうまい。根っからの飯店のお神だな」

「両親と違って商売人でさあね。父親は料理人としては一流でも経営はいまいちでしたから」

「繁盛しているじゃねえか」

「表向きはそうでも苑芳(ユエンファン)妹妹(メィメィ)じゃ綺麗ごとで遣ろうとしますから。小姐(シャオジエ=お嬢様)が大きくなった、それだけのお人ですよ」

「間に合わねえときは連絡よりも俺の銀(かね)を回してやれよ」

「例の銀(かね)ですか」

「いくらくらいある」

「香潘楼で千両出ても千五百二十両有ります」

「悪い男でもつかなきゃ、それで足りるだろう。とりあえず帰りまで重いから預かってくれ」

金錠で五十両出して渡した。

「珍しいですね哥哥が自分で持っているなんて」

「例の本さ、重いのを我慢して運んで来た。公主は物好きだと笑いやがった」

話題は出店の事になった。

「上海は諦めたんですか」

「実はな環芯(ファンシィン)か権洪(グォンホォン)に出店か独立か決めかねているんだ。孜漢(ズハァン)は権洪を手放したくないらしい」

「戻りの時、宴会でも開いて聞いてみましょうか。二人同時では駄目ですか」

「上皇にもらった許し状には場所は無いから、上海でなくても大丈夫だが」

「寧波はどうです」

二人の様子と何をやりたいかを探ることにした。

「私かフゥチンが「結」へ推薦しましょうか」

「ウェンピンの眼で見て貰うのもいいだろうな」

話は決まり前へ戻った。

「哥哥はどっち」

「なんだいきなり」

「聞いてなかったの。全がジータンにしますか、ヤァタンにしますか聞いていたのに」

「すまん、すまん。鶏蛋(ジータン)にしてくれ」

映鷺(インルゥー)に言われて前を見たら全(チュアン)が前にいる。

「お酒は」

「白酒(パイチョウ)」

「高粱酒(カオリャンチョウ)ですが良いですか」

「十分だ」

インルゥーはつまらなそうだ。

「今日は宴会しないの」

「昨日、飲みすぎた。明日は昼に出るからと云って、二日酔いで旅立つのはまずからう。今日は昂先生たちも汗みずくで歩いて大変さ」

チンリュフェシィア(清溜河仁)」と言いながら全(チュアン)が酒と小皿を一緒に運んできた。

「おれのか」

「店の奢り、お酒だけではお腹に悪い」

小さな声でチュアンが言ったのは、向こうの席にも女中が同じものを運んでいる、ついでに作ったらしい。

厨房に戻ると直ぐに頼んだ野菜の甘煮と卵の湯を持ってきた。

食べている間に席は埋まりだした。

顔見知りになった飾り物の小商人を席へ呼んで酒を注いでやり最近の流行りを聞いた。

その男が頼んだ料理が来たので席を立ってインルゥーに勘定をさせた。

百六十銭と言うので差しを二本置いて余りで積んである月餅をもらって部屋へ戻った。

インルゥーの商売がうまいのか、昔からの釣銭で買わせる算段か。

インルゥーに借りた街の名所案内を読んでいると平大人がやってきた、南京から着いたばかりと言う。

「年寄りのくせにやけに元気だ」

平文炳(ピィンウェンピン)この時五十三歳。

「哥哥こそお若いのにお酒が過ぎます」

「昨日の事、聞いたのか」

「昂(アン)先生も限度を知らないから。クアンイェンめこの間はぶっ倒れるまで飲んだそうでね」

離れに来るとき酒は持ってこない様に念を押してきたそうだ。

その後は近寄ると声を潜めて「和信(ヘシィン)様は最近書の上達を先生に褒められたそうです」と言ってきた。

教えないとは言いながらインドゥについ言ってしまったようだ。

にこりとして「孫より可愛いか」とわざと小声で言ってやった。

和信(ヘシィンHé Xìn)は乾隆五十九年十二月十九日(179528日)に生まれると直ぐに平文炳(ピィンウェンピン)に預けられた、いま四歳それで書が上手いとは親馬鹿以上だ。

平文炳(ピィンウェンピン)内外に五人孫がいる、一番上は十七歳で杭州が本拠だ。

「あのがきゃ言うことを聞きやがらねえ」

相当な強情者らしい、琉球へ三度渡って船頭からも信用が高いとパォイェンチェチェが言っていた。

絹を売って酒と薩摩の醤油に黒糖を買ってくる。

「御秘官」の別動隊、結の結社(密輸が多い)で平氏一族の御曹司、どうもこの男が和信(ヘシィン)を可愛がっているようだ。

漕幇(ツァォパァ)にも人脈があると聞かされた。

平関元(グァンユアン)は父親の元を十三歳で飛び出して杭州の一族の家に転がり込むと船に乗り、本領が発揮されたように大活躍、偽倭寇と戦った先祖の血が騒ぐようだ。

インドゥはまだ知らないが、平氏一族は馮氏(ファン)を上位の家柄と扱っているようだ。

 

信長、小西行長、秀吉が中華侵攻を企てたのも、宣教師が齎(もたら)した此の一族の秘密にある様だ。

マルコポーロが奝然(僧侶)の事跡から此の一族の事を嗅ぎつけたとも言われているが時代が違う、ほかの僧と間違って伝わっているようだ。

 

普通の声に戻ると「環芯に上海、陪演に寧波、権洪に広州てのはどうです」と派手な提案だ。 

卓に指で結と書いて「妥当でございますよ」わざわざ大きな声で言っている。

「三人に連携させて大豆に酒でも扱わせるか」

「そうすりゃ家の持ち船も儲かります」

江南の結社に参加しているのは三十艘の大船に小型運送船が長江流域や安徽の合肥(ハーフェイ)を本拠に二百艘、蘇州に二百艘。

平氏の一族直属は三艘の大船と三十の羅江船に沙舟が活動しているとパォイェンチェチェが教えてくれた。

まずは「孜漢(ズハァン)を口説かなければ」とインドゥたちが戻りの時に南京から平文炳が一行と離れて追う様に都へ行くということになった。

康演(クアンイェン)に任せりゃいいのに一か所にじっとしていられない性分だ。


 

客が帰るとファンが茶の支度をしてやって来た。

さすがに「酒はいらない」がひと払いと気が付いていたようだ。

「明日は昼の御発ちと聞きました」

「ああ、都合で七里巷でお泊りだ」

話が途切れると膝の上に乗って口づけをせがんで胸を押し付けてきた。

椅子が壊れるかと変な方へ気が行くインドゥだ。

ぐったりとしていたが「湯殿はお使いになりますか」と頓珍漢なことを言い始めた。

「まだ入れるのか」

「私がしたくします。湯は釜に残すように言いつけました」

湯殿に入ると小盥が三つ小窓から入れられた。

「いけない着替えを持ってこなかった」

窓へ言うと「新しいのをご用意してあります」と言う。

イーチェンとは背も違うし可笑しいなと思ったら察して「無錫へお着きと聞いてすぐ誂えました」と言う。

今日の汗を流して部屋へ戻ると「脱いだものはお帰りまでに洗っておきます。こちらを明日は着てください」と真新しい服を持ってきた。

まるで恋女房だ。

「よく丈が分かったな。昔より肩幅も大きいのに」

「陪演哥哥に聞いておきました」

ふん、あいつめ報告もしやしない。

ファンが明かりを摘めて服を脱いで寝床へ誘った。

目を開いたファンが首をのばして口づけをせがんだ。

「適悅淸淨句是菩薩位、愛淸淨句是菩薩位」昔読んだ経文が浮かんだ。

声を出さずに経文をなぞった。

下のファンの顔が喜びに震えている。

ファンは眉を顰めあの時の顔になりすぐに変わって、天女のような輝きを放ったようにインドゥには見えている。

「我喜歓(ウォシーファン)」つぶやきが聞こえる。

そのまま抱き合ってふたりは息が上がって呼吸が激しい、ともに感じている相手の鼓動は一体になった喜びとなった。

インドゥが目覚めるとファンはもういなかった。

毎朝の行事の歯を磨き髭をあたって身支度をした。

飯の時間か食堂のざわめきが聞こえてくる、出ていくと昨日の小商人が手招きする。

隣に座ると朝の粥が運ばれてくる。

座れば出てくる、それだけの事だが毎度嬉しくなるインドゥだ、旅で無ければ味わえない喜びだ。

「今日は二日酔いしてませんね」

「昨日は歩き疲れて、おとなしく飯の時だけで、後は飲まずに寝たよ」

大皿の漬物を皿の箸でたっぷりと粥の上にのせて匙で食べた。

最後の一粒の米も残さず掻き込んだ。

家でこんなことしたら公主に眉を顰められる。

「お先に失礼します」

小商人がたち、後へ近所のよく見る老爺が座った。

やはり座れば粥が置かれる。

この老爺いつもお代わりを食べる、合図があるようで拳なら湯を持ってくる。

指一本上げると御代わりが来る。

インルゥーに聞いたらお代わり二杯、合計三杯追加料金無しだそうだ。

「銭勘定するより、お決まりのほうが楽」なんだそうだ。

御代わりは十人に一人もいないそうだ、昔、何杯食べても好いとやったら十杯毎日食べに来る男と女がいたので三杯までに決めたそうだ。

インドゥもその老爺に「お先に失礼します」と席を立ち、用意してきた三十銭を女中の持つ勘定の為の箱に乗せた。

振ると丁度三十の銭が溝に収まりいちいち数をあたらなくて済む。

インルゥーによると慣れれば一振りで銭が収まるそうだ。

見せてくれたのは箱を横に振って片方の手で角を軽くたたく、そうすると勝手に銭のほうが溝に収まった。

ファンとインルゥーは旅発つ者の宿泊費の勘定に大わらわだ、いつもの朝の光景も今日は楽しく見ていられる。

見ていると銀塊用の天秤の他に部屋別の箱があって銀(かね)での支払い用にすぐ対応できるように釣りも用意してある。

「今日までそんなとこ見てもいなかった」

庶民と長く触れ合ってきていても、気はそこまで及んでいなかったと気が付いた。

喧騒も収まったころ與仁(イーレン)が離れにやってきた。

「勘定が済みました。いつ出ますか」

「人が揃えば早くてもいいさ」

ぞろぞろと人が集まり最後にのそのそとペィヂァンがやってきた。

蘇州十月九日に発って次は杭州。

今日の宿は二刻も歩けばつく郊外の宿だ。

この旅、ペィヂァンの足を考えて時々半日で宿へ入るのがお約束になってしまった。

「行ってらっしゃいませ」

「お帰りをお待ちしております」

母娘に見送られて南へ向かった。

その日、四十里ほどで着いた宿は瀟洒な作りの保養の宿だ。

太湖の南のはずれ眺望もいい。

平康演(クアンイェン)の妾が女将だ、贅を凝らした作りは聘苑(ピンユェン)以上だ。

此処で今晩宴会だ、インドゥわざと供の誰にも言って居ない。

クアンイェンが昂(アン)先生と相談してイーチェンの仲間を集めて故人を偲ぶ会を兼ねている。

蘇州に着いてやったはずが、しんみりしすぎて「今度は騒ごう」と集まりたいだけだ。

日暮れ前に集まりだして、年齢はバラバラで全部入れれば二十二人と大勢が集まり、中には「インルゥーを息子の嫁に」など気の早いものもいる。

陽澄湖大閘蟹(イァンチァンフゥダァヂァシエ)が持ち込まれて食べるのに夢中になっている。

蘇州から杭州(ハンジョウ)まで三百五十里、五日かける予定だ。


西湖十景

「蘇堤春暁」「花港観魚」「曲院風荷」「南屏晩鐘」「平湖秋月」

「柳浪聞鶯」「双峰挿雲」「三潭印月」「雷峰夕照」「断橋残雪」

今回遊びは日程的に無理だ。

十月十四日に杭州に着いた。

宿は銭塘江に近く、明日は銭塘江大潮が見られるという。

「河縁によられると危険です、遠く見えても波はすぐ来ます」

その宿、繁盛(ハンチャン)飯店では念を入れられた、宿の付近は川幅が狭く六里しかないという、この辺り油断は禁物だという。

先月は波も高く、十里ほど上で五人流されたという。

この前寧波に来たとき河口は船から見えただけでも五十里あると言われた。

そういうと宿の者は「そのあたり入り江ではなく河口だ、二百五十里は有る」とお冠だ。

智化寺へも行ってみた、

岳王廟岳飛の死から約八十年後に建てられたという。

三日かけて収穫はない、同するか相談しているところへ平関元(グァンユアン)が二人の老爺と訪ねて来た。

じい様から手紙が来て回って呉れていたらしい。

その連れて来た老爺が知っているという。

南へ五十里ほど行くと大きな柳の樹がある孔湖村に住む四十ほどの道人だという。

「わしが若い頃も四十くらいの道人が住んでいましたんじゃ」

そうもう一人が言う。

付近の者に年寄りが少ないという噂があるという。

ただ、村はよその者が入りにくい様に家が道を複雑にしているという。

二人も村の中までは、入ったことがないという。

「おれと宋輩江(ソンペィヂァン)で訪ねてみよう」

付近は川が複雑に入り組んでいるという、二人の老人のうち一人が村の外まで付いて来てくれることになった。

翌朝、夜明け前に二人は老人と川を渡って一度東へ大回りして孔湖村へ向かった。

昼には村の入口へ着いた、老爺も足が達者で太医が追い付くのにやっとだ。

約束通り老爺が先へ宿に報告に戻っていった。

警戒されない様に昂(アン)先生もついては来ていない、二人で千両持ってきた。

村に入ると無人のように静かだ

大きな柳の先は川だ、目当ての家らしき門が開かれた家がある。

二人は門の前で礼をし「御免申し上げる」とおとなった。

小さな男の子が出てきて「何用」と聞いてきた。

「老化を防ぐ薬を分けてほしい」

「あぁ、あんた方か、老師がお待ちだ」

二人で顔を見合わせた。

老師に似合わぬ若い男が茣蓙に寝転んでいる。

「おいでですよ」

起きてこない、二人は打ち合わせした訳でもないが、片膝をついて「お願いがあって参上しました」と言うと「わかった。千両全部置いていきなさい」と座り込んだ。さっきの子が盆に瑠璃の鉢に仙丹らしきものを持ってきた。

「そこに二十の仙丹がある。調べて気に入ったら半年後に二人で来なさい。百までは別けてやるが三千両持ってきなさい。二月の末以降だよ」

銀(かね)を茣蓙へ手巾を引いて置くと二十歳くらいの女が来て盆に入れて持って行った。

「その鉢の儘持っていきなされ」

そういうので手巾でくるんでペィヂァンの葛籠へ入れた。

「日暮れまでには戻れるだろう。わしの事は内緒じゃよ」

気を呑まれた二人は早々に宿へ戻った。

翌日、インドゥと昂(アン)先生で平関元(グァンユアン)の住まいへ行って礼を言って二人の老爺へと一人五十両の銀(かね)を渡してもらった。

グァンユアンに礼金を払う野暮なことはやめ、宿へ戻り明日は蘇州へ出立と告げた。

 

七日かけて蘇州へ入った。

繁絃(ファンシェン)飯店の前で女中と目が合った。

吃驚して声もなく店へと飛び込むと「お帰りですよぅ」と大きな声で叫んだ。

インルゥーが飛び出してきて「おかえり~~」と飛びつくように手を引いて店へ入った。

番頭、ファンにチュアンに幾人もが店へ出てきて口々に「おかえりなさいませ」と挨拶をする。

「部屋は」

「離れはそのままですが前は二部屋しか空いてないんです」

もう埋まっているということは長逗留の客が多いということだ。

ペィヂァンと陪演が此処へ入り環芯が聞き合わせに出て行った。

「宴会します」

インルゥーは商売人だ「そうだな七人で遣ろう」というと厨房へ「宴会七人様~~」と伝えている。

離れに女中が飛んで行って卓と椅子を運び込んだ。

湯殿で汗を流しているうちに料理もそろい七人で宴会だがまだ一人戻らない。

環芯が戻ってきて「聘苑(ピンユェン)で二人、香廉飯店で二人です」とインドゥに伝えた。

昂(アン)先生とペィヂァンが聘苑(ピンユェン)にした方がいいと環芯が申し出て、入れ替えて泊まることになった。

あらかた片付いて宴も終わりにして、宿へ向かう者を送り出した。

寝床で転寝をしていたらしくファンに起こされ、歯を磨いて顔も洗った。

「おひげがだいぶ伸びました」

膝に乗って頬を擦り付けて来た。

「痛いだろう」

インドゥこのところ髭が濃くなっている。

ファンは両手で髭を逆なでして口を寄せた。

身をよじって乳房を押し付けてまた喘ぐように「ヘシィアさま」と言って涙をこぼした。

「ほう初めて俺の名を言ったぞ」

インドゥは冷静だ。

「薄情です。ヘシィア様」

「俺がか」

「だって私がこんなに焦がれているのに」

抱き上げて寝床へ運んで着ているものを強引に脱がした。

インドゥは置いてある小盥へ湯桶からまだ熱い湯を注いで手巾を濡らし、動けないで喘いでいるファンの体を拭いた。

漸く起き上がれるようになったファンが今度はインドゥを丁寧に拭き上げた。

「もう一日蘇州で明後日南京へ向かうよ」

 

蘇州を十月二十八日に発ち無錫(ウーシー)で一泊。

香潘楼(シャンパァンロウ)はひと月足らずで活きかえった。

大女の顔は最初の時のように明るい、子供も明るい顔立ちになっている。

一晩で明日は辰に出るというと引き留めたそうな素振りだがじっと我慢をしている。

甫映姸(フゥインイェン)の料理は美味い。

借りている隣の空店を買い入れても良いかなと思うほど腕は確かだ。

住まいをまだ決めかねているそうで、離れを一室宛がわれているという、残りへ七人を振り分けて貰った。

戌の鐘が鳴り終わると大女が忍んで来た、此方の棟はインイェンと與仁(イーレン)が入っているが、與仁(イーレン)は女を呼び入れたようだ。

昂(アン)先生も入る影を見たが、どの女か分からないようだ。

イェンイェンは寝床へ上がり衣服を取ると手を出してインドゥを引き上げた。

気持ちに余裕が出来たせいか体に年増の脂が乗ったようだ。

「肌がすべすべしてとても手触り、抱き心地が好い」

「太ってしまって」

始末をしてイェンイェンが「朝が早いので」と名残惜しそうに出て行った。

寝床に座るインドゥの目の前にインイェンが立って居る。

「インイェン姐姐(チェチェ)どうした」

「どうしたじゃ有りませんよ。両隣であんなお祭り騒ぎで寝る何処じゃ有りませんのさ」

「申し訳ない。あとで埋め合わせは取らせてもらう」

「後なんて待てませんよ」

服を脱ぎ捨て「責任は取ってもらいます」とインドゥの服をはぎ取った。

 

格格を入れるとき劉全が呉れた和国の清長に雪鼎の絵本で覚えたやつだ。

「こんなに大きいのは二千年前の嫪以来伝説だけです。和国の者も誇張しないと絵に為らないと笑っていました」

大きさに驚かない様にそっと教えてくれた。

 

寅の鐘が聞こえると長鳴き鶏が何羽も競うように鳴き出した。

其の後、インイェン姐姐(チェチェ)がようやく始末をつけて部屋を出て行った。

インドゥは半刻ほどもまどろんだがどうにか起きることが出来た。

隣に借りた食堂で粥を食べていると與仁(イーレン)が眠そうな顔でやってきた。


ペィヂァンは体力もついてきて先頭を與仁(イーレン)と元気よく歩いている。

「来るときとは大違いだ」聞こえるように言うと、振り返って「先輩たちに引っ込んだ腹を早く自慢したいんですよ」と満足げだ。

日が暮れるのも早くなった。

南京(ナンジン)の手前、この間泊まった祁家荘で聞き合わせると二部屋だという、長逗留の客がいるらしい。

まだ昼だ足を延ばすか相談して陪演にどうすると聞くと「私に環芯、権洪の三人が先行します。哥哥は此処で泊まって明日南京へお入りください」とうまく仕切った。

四人は此処に残り三人を先へ行かせた。

南京まで五日で十一月四日に琵琶街の源泰興へ着いた。

源泰興で四人泊まれるという、先行した三人は辯門泰へ移ると荷物を持って行った。

「帰りは急ぎで、明日一日休養したら出達だよ」

纏わりつく香鴛(シャンユァン)に諭すように話した。

寝酒をもって飛燕(フェイイェン)が遣ってきた。

何時ものようにおつもりになると寝床で抱き合った。

察したかのようにフェイイェンが手を指し伸ばしてきた。

指を絡ませ押し合うように二人の気が揃うとインドゥが精を放った。

奥まで届いたようでフェイイェンはニコッと笑って気を遣って、力が抜けていく。

後始末をして抱き寄せると嬉しそうに体に手を回してきた。

抱き合ってそのまま朝まで寝て、起きるとフェイイェンはもう寝床から抜け出して化粧をしている。

「今日は何処かへお出かけかえ」

「香鴛(シャンユァン)を揶揄って休養だ」

朝餉の時「今日は久しぶりに好きなところで遊んで来な」と與仁(イーレン)から三両ずつ配らせた。

「荷物はこっちで預かる」そういうと「私はこれが心配で手放せません。私が預かりますから。哥哥はお嬢さんと遊びにでも」とペィヂァンが申し出た。

インドゥと飛燕は親子三人で橋を渡り、夫子廟の混雑を楽しみ、休みどころでは餡餅を売っていたので買い入れると、座らずに立ち食いをした。

その晩また飛燕(フェイイェン)が寝酒とやってきた。

何時もの笑いが浮かび今日は深く到達したようで手が宙をさまようようにインドゥを誘う、指を絡ませると安心して体から力が抜けていく。

フェイイェンの上に被さるように倒れ込んだ。

この日はフェイイェンのほうが先に動いて体を拭いてくれた。

両手をインドゥの胸に突いて息をはずませている。

「体を拭いたのが台無しだ」

「気持ちいいの」

笑顔が可愛い飛燕(フェイイェン)は、昔に返ったように恥ずかしげだ。

そうして体を寄せ合って布団を引き寄せると眠りに着いた。

 

 

南京(ナンジン)を十一月六日に出達し済南(ジーナン)へ向かった

千里の道とはよく聞くが千六百里ある。

ペィヂァンには内緒だが前はぶらぶら十九日かけて歩いた。

十六日目に済南(ジーナン)の宿へ入った。

十一月二十二日は休養を取ることにした。

十一月二十三日済南(ジーナン)を出た、冬の空は雲も寒げだ。

石家庄(シージャーズォアン)迄七百里。

前に此処を四日で歩いたと與仁(イーレン)が自慢している。

無理せず八日で宿に入った、普通此処を六日で歩くそうだ。

あの時は石家庄(シージャーズォアン)の先の宿場に、済南(ジーナン)の半日手前で宿をとった事、季節は春から夏で陽が長いことも伏せておいた、自慢話も道が捗る力になる。

石家庄は十一月三十日に到着。

石家庄十二月一日に街道へ踏み出した。

天津府(ティエンジン)迄九百里。

與仁(イーレン)が何かゆうかと思ったら黙っている。

自慢にゃできない、十一日かけたのだから。

冬の日暮れは早い十一日目に天津(ティェンジン)に入れたのは儲けものだ。

急いだ分此処で一日休んだ。

紀経莞(ヂジングァン)にも連絡を取らず寝転んですごした。

天津(ティェンジン)十二月十三日発

急いで歩いて四日目に京城(みやこ)に朝陽門から入り豊紳府へはペィヂァンと二人で向かった。

京城(みやこ)十二月十六日昼到着

豊紳府から急いで毓慶宮(イーチンゴン)と養心殿へ帰着の連絡を出し明日巳の正刻に毓慶宮(イーチンゴン)へ報告に上がることを伝えた。

十二月十七日、二人は毓慶宮(イーチンゴン)でフォンシャン(皇上)に帰着と補正薬を手に入れたので太医院で検査する許可を頂いた。

上皇と違いフォンシャン(皇上)は疑り深いのでそのまま飲んだりしない。

フォンシャンの許可を頂き上皇へお目通りを願い道中の草草をお話し申し上げて豊紳府へ戻った。

百十八日目で今回の任務が終わった。

久しぶりの家でくつろぐインドゥ、公主はいそいそとインドゥを夕餉の膳に着かせた。

その晩の話題は七歳になった映鷺(インルゥー)の事だ。話し方や仕草も声色で話させて喜ぶ公主だ。

その晩、公主はまたその話から和信(ヘシィンHé Xìn)の事になり、手形を見ては泣く公主を慰めるのにインドゥは困り果てた。

翌日、ペィヂァンが着替えを取りに来て公主が映鷺(インルゥー)の事に触れると我が事のように生き生きと様子を語った。

「私に仕えてくれないかしら」

宋輩江(ソンペィヂァン)は「そんな事したらあの乳母に、母親までここに来ます」そういうと笑って「無理な相談よね」と諦めた。

 

寶絃(パォイェン)チェチェは帰ってきてもインドゥが忙しくて行けないという手紙を読んで泣き暮らしていると平大人が聞いて会ってきたという。

まだ帰って三日目だ、昨日書いた手紙で、そんな事あるかいと思う。

仕事は外甥(ワイシォン)に任せて、もう十日余り韓泰飯店に居座っているそうだ。 

「もういい年なんだから、そんなことでめそめそするなと言ってみたんですがね。恨めしそうに睨みつけやがってしょうがねぇ。哥哥も手紙位毎日あげてくださいよ」

「おい、老爺。俺がそんなまめな男だと思うかよ」

「そりゃそうですがね。私も四十女の泣き言を聞かされたきゃ有りませんよ。これが十七八(じゅうしっぱち)の娘なら親身にってもいいですがね

「それより、孜漢(ズハァン)の方はどうなった。今日はその話だろ」

「陪演(ペェイイェン)を南京、環芯(ファンシィン)を上海で手を打ちました」

「洪(ホォン)は駄目か」

「言ってきませんか。可笑しいな」

「なんだよ」

「あいつハァンの娘と出来てね」

「はぁ、だって三人とも嫁に出したろ」

「一人、相手が馬に蹴られて一昨年死んだことはご存じで」

「知っているよ。茶鋪を商っている家だろ」

「その景園(ジンユァン)って長女と出来ていたんですよ。もう六月で」

腹を手でぽてれんの真似をした。

「そっちの出来たもかけての出来たか」

「茶舗の爺さんもグォンホォンなら婿に欲しいそうで」

「それで結はどうする」

「入れてもいいですか」

「三人纏めて俺が初筆でどうだい」

「願ったりかなったりで、ではこれから早速ハァンと打ち合わせを」

「まぁ、焦るな俺も出かける支度をするから」

「一緒に」

そういって瞬きした。

「お迎えに来られちゃ仕方ない、どうせ道筋だろ」

 

飯屋の店へはいると掃除しているパォイェンチェチェが来た来たという風にニヤッとした。

「ウェンピン老爺を小僧っ子みたいに使うんじゃねえよ」

纏わりついて二階へ引っ張り上げられた。

部屋は暖められてある、支度して待ち受けていたのが一目両全だ。

この部屋自分専用にしてしまった。

返事もせずにインドゥの服を脱がせて自分の服も脱ぎすてた。

寝床へ腰を掛けてわざと脚を重ねて閉じている、期待に乳首がツンと上を向いた。

肩を押して寝床へ倒し、わざと抜いて乳房に武者ぶり付いてやった。

「不行了(ブーシンラ・もう駄目)」と足を上げて誘ったので押し込んだ。

我慢していたのが一気に高みへ向かっていくのが顔で分かるほどだ。

仰け反ってインドゥが繰り出す腰に合わせて喘いでいる。

何時もより大人しい善がり方だ、お腹を擦って腰を捕まえた。

我儘な事言いだした、仕方ない気が済むまでこうしているか。

顔をじっと見てやる。

気配で分かったか「いやだ孔が開いてしまう」手でインドゥの眼をふさいで足を開いた。

まだ、満足しきれないのか誘っている。

「宝貝,我愛你(バオベイ、ウォアイニー)」

腰を押し付けると押し返して笑い顔になった、「宝貝」をあそこと寶絃(パォイェン)の名前に引っ掛けて言ったのが分かったようだ

身体を寄せて「チェチェの体は最高だ。初めての時からずっとこの体が大好きだ」と耳元で囁いた。 

始末をして体を拭いていると「さっきは何をお言いえだえ」と聞いてくる。

「空耳だろ」

「いいえ。何か言われていました。意地悪言わないで教えてくださいな」

知らんぷりしてやった「恥ずかしくてもう一度なんて言えるか。本当は聞こえていたくせに」が本音だ。

「十日は此処にいます」

「仕事は好いのか」

「今年いっぱいは外甥(ワイシォン)にやらせます。もう二十一だし勉強させないと」

「後を継がせるか」

「本当。ならここへ住んでもいいかしら。ね哥哥」

「呼び出しを架けないならな」

「ふんだ、意地悪」

ウェンピン老爺が言うのが本当だ、これが十七八のうぶなら溺れこんでしまう。

 

 

後日談

太医院は成分のあらかたを判別できたが、三っつだけ見本もないと言上した。

後は確かに強壮滋養の薬剤で出来ているという。

宣教師に嗅がせると一人は「カカオ」、もう一人は「チョコレート」と答えた。

どうやら元は同じらしい「バニラ」という香料も入っているという。

太医院の老医師は菓子を薬と偽る不届きものと上申し「捕えよ」と早馬が出たが村には老人ばかり「若い男に女は働きへ外に出て村にいない」というばかりで、雲を掴むように有耶無耶になった。

インドゥも尋問されたが、主なものは公金を無駄にしたとの誣告によるもので内務府、刑部が計算させると四人の旅費(決まりの範囲内)以外書類が出されていないことが判明した。

これは與仁(イーレン)に命じて最初から四人分の安宿の分の受け取りが出してあるのですべて歩いて調べる役人などいない。

訴えたほうが叱られて停職の目にあった。

 
仙丹の千両も懐に入れたと誣告され、インドゥが立て替え、まだ請求されておらずこれはインドゥが損をした形で処理された。

「蘇州に飯店、菜店を営業している」

これも上皇の許し状が提示され、上皇が「出した」と嘉淵(ジャユアン)の証言で収まった。

老爺和珅(ヘシェン)の断罪の時も、また持ち出す者が居た。

フォンシャンが助け舟を出して公爵の位階が無くなっただけで終わった。

伯爵でフォンシャン(皇上)のほうが手を打ってきた。

 

その後に産まれた嘉慶帝の皇子と公主は嘉慶三年(三十八歳)から十年(四十六歳)まで正史に記載はない。

第八公主-名前不詳-嘉慶十年(1805年)二月八日誕生、早世。

第四皇子綿忻は嘉慶十年(1805年)二月九日誕生、二十四歳死去。

第九公主慧愍固倫公主は嘉慶十六年(1811年)一月二十五日誕生、五歳死去。

第五皇子綿愉は嘉慶十九年(1814年)二月十七日誕生、五十歳死去。

   第二十四回-豊紳殷徳外伝-3 ・ 2021-07-27 
 増補 ・ 2021-08-01 ・
 
自主規制をかけています。
筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   
   

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  



カズパパの測定日記