花音伝説
第四部-豊紳殷徳外伝 和信外伝 壱

第二十七回- 和信外伝- 

阿井一矢   
 


 此のぺージには性的描写が含まれています、
18歳未満の方は速やかに退室をお願いします。

  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
  公主館00-3-01-gurunigungju

        

「御秘官」の御秘御用秘文は安徳帝の父親は義経と伝える。

 

嘉慶五年一月一日(1800125日)庚申 

正月初七日、フォンシャン(皇上)はこの日から北西は円明園、南西は盧溝橋、北東は北小河、南東は肖太后河の内は通行気ままとインドゥへ申し渡しが来た。

 

家系の存続-三等輕車都尉世職

豊紳殷徳(フェンシェンインデ)と固倫和孝公主は養子に福恩を迎えた。

父は豐紳宜綿、和珅の弟和琳の子だ。

そして和琳の娘を質郡王綿慶の嫡福晉と決まった。

質莊親王永瑢(六阿哥)第五子で乾隆帝の孫に当たる男だ。

 

インドゥと公主が生まれ落ちた和信(ヘシィン)と再会したのは嘉慶五年の春だ。

龍抬頭の祭りの日、それも前もって教えられた場所で船から通り過ぎた時に見ただけだ。

「前を向いた儘で、横目で指の先を見るんだ」

インドゥの指の先に七年ぶりのわが子を見た。

乳母と土手の上で通る船を見る我が子へ声を掛けたいのを我慢して通り過ぎた。

 

和信の記憶は三歳の誕生日(満二歳)、媽媽(マァマ)が手に墨を塗り手形を紙へ何枚も押させるところから始まる。

それを見ている自分がいるような曖昧な記憶だ。

翌年はそれを嫌がる様子をやはり傍観している記憶だ。

五歳の時からは確り記憶している、それまで媽媽(マァマ)と信じていたのが乳母で老爺は自分の御守の付き人と告げられた日の事だ。

両親を見たのは七歳の時、初めて京城(みやこ)へ上がって大きな飯店に泊まった。

宿は「大きな庭と料理店で有名」なんだと道案内の奮信(フェンシィン)が名前と同じように熱を込めて自慢した。

瑠璃廠東の廊房頭条胡同(ラァンファントォゥティアォフートン)幹繁老(ガァンファンラォ)という偉い人の屋敷かと間違えるほど大きい家だ、老は楼の事だとも聞いた。

部屋から大きな城塞が見える、媽媽が紫禁城(ヅゥヂィンチァン)と教えて呉れた。

下に広がる庭には大きな木も有るがまばらに散っていて、池は二つ大小があり滝のように水が上の小さな池から下の池に流れ落ちている。

西のはずれに大きな梅の木が花を咲かせていた。

 

 

嘉慶五年二月二日(1800225日)庚申

龍抬頭の祭りの日、富貴な人たちが船で通り過ぎるのを見物し、飯店で食事の時に媽媽(マァマ)に話しのついでのように「どの船が綺麗でした」と聞かれた。

「背の高い人が、椅子に座っている綺麗なおばさんに先を指さして、笑いかけていた、白い船」

「その二人が貴方のご両親です。お二人も貴方に逢いたいのを我慢しています。和信(ヘシィン)様もお二人の気持ちをお酌みください」

泣きながら媽媽(マァマ)に言われて従うしかないと悟った、違う船を言えば教えて貰えなかったようだ。

平大人の傍の老爺が眼を擦っているのが眼のはしっこに見えた。

その時の食卓の料理は鮮明に覚えている。

最初に「ツバメの巣のスープ」が出た、「大人はこんなのが美味しいと思うのか」と感じた。

肉の柔らかく煮たのは「ドンポーロウ」と料理を運んできた美人が教えて呉れた。

美人というのは老人たちの顔が笑眯眯(シィアミィミィ・にこにこ)しだしたから、そうなんだと思う和信だ。

卓の真ん中に春餅(チュンピン)が大皿にどっさりと置かれた、二人掛りで運んで来たほどの量だ。

その時の卓には六人で食事をしていて、三人が年寄りなのに食べきれるかと心配した。

平大人が一つずつ小皿で分配した。

その後、皿を下げて周りの卓へ「お祝いのお福分け」と配っていた。

老爺たちが鱶鰭だと大騒ぎしている「ユィチィ」と美人が言って卓を一回り見せてから平文炳(ピィンウェンピン)の前に置かれ、六枚の鰭を平文炳が小皿に分配したのを待っていた美人が配った「まるで儀式だ」と感じた。

大きいかなと思ったが美味しくて周りを見たら、皆嬉しそうに透明の口当たりの良いユィチィと掛かっていたたれを口へ運んでいた。

周りの卓でも料理人まで出てきて同じように自慢気に配っている。

もう一人の美人が「和国の俵物」だとわざわざ言いに来た、相当高いのかと思った。

「パァーパァォツァィ」

炒めた瓜(グゥア)がこんなにおいしいと和信は其ればかりより分けて食べたいのを我慢した。

普段老爺が「好みは人に知られないように」食事の時、偏らないように同じものを欲しがると叱った。

料理人も手のつかない皿があると悲しそうな顔で下げるので、子供ながら嫌いなものも我慢して食べた。

最後は扶龍須(フゥロンゥェ)という面条(ミェンティアォ)だ、やっと食べきって「満腹、満腹、もうはいらない」というと店の太った媽が「たくさん食べて呉れて嬉しい」と燥いでいた。

媽は「本当はもっと色々出したいけど、三品はお祭りの決まりで出さないわけにゃいかないの」そう和信にわびた。

「美味しすぎて、お腹いっぱい、これ以上出ても無理」

そう言ったら料理人まで出てきて礼を大袈裟に言った。

平文炳は教えなかったが、その日の客は和孝(ヘシィア)夫妻と和信を信奉する「結」に「漕幇(ツァォパァ)」の仲間たち。

和信の顔を拝見したい者から選ばれた幸運な者たちだ。

普段蘇州か南京にいる平大人についてやって来たものもいて、話はそれぞれの土地の風習が耳に届く。

奇麗な女の人に連れられた女の子がいて大人しく話を聞いている。

平大人とは知り合いらしい、食後に挨拶に来て、二人は親子だと教えて呉れた。

檀飛燕(タァンフェイイェン)と檀香鴛(タァンシャンユァン)で南京から来たという。

「さっき船を見物していた時、土手の下で大勢の人と一緒でしたね」

「観られました、兄たち家族と総出で京城(みやこ)見物に来たんですよ」

「あの時の人は」と周りを見渡して「眼鏡をずらして笑っている人に見覚えが」と言うと聞こえたようでその老爺はにっこりと顔が崩れた。

背中が笑っている人が振り向いた、何度か家に来たことがある公遜(ゴォンシィン)だ。

「あれ居たなら教えてくださいよ」

さっき迄そこに屏風があり丁度影に為っていた、親子が席を立って来たときにずらした様だ。

笑いながら傍に来て挨拶を交わした。

「妹に、姪です」

「もう、なんですか、秘密めいた事をして」

店は爆笑の渦だ、なんでこんなことが可笑しいのか和信(ヘシィン)にはなぞだ。

果たして何人が和信(ヘシィン)と檀香鴛(タァンシャンユァン)が姉と弟と知っているのだろう。

 

 

嘉慶五年二月二十八日(1800323日)

豐紳宜綿(フェンシェンイーミェン)は昂(アン)先生から学んだ棒(棍)術では身過ぎ世過ぎは難しいと去年から算命を勉強している。 

豊紳府へ来るとインドゥや昂(アン)先生と汗を流した後、算命の出来不出来などを話してゆく。

その日は昼前から何か言いにくそうに愚図ついている。

福恩は岳母(ュエムゥ)の公主の所で書の先生が来て教えを受けているので、帰るには早いはずだ。

宜綿(イーミェン)は算命学のほうで使う名を伊綿(イーミェン)にしたなど下らないことを言っている、もう何度も聞いた話だ、二十六にして老けて呆けたか。

先生が察して場を外そうとしたのを宜綿(イーミェン)が「一緒に」と引き留めた。

「金でも必要になったか」

「もっと悪い。昨日フォンシャン(皇上)から養心殿へお呼び出しがかかった」

「また何か蒸し返すやつでも出たか」

「もっと悪い。哥哥と探索命令だ」

「弟弟、遠くには出られないのはお互いだ」

「九江にある廬山に心当たりは」

「そういゃ前に輩江(ペィヂァン)と霊薬探しに行くかと話したことがある」

「俺の罰として哥哥とその霊薬を探して来いとさ」

「卦でも悪く出たか」

「女色に気をくばれと出た」

昂(アン)先生遠慮なく大笑いだ。

インドゥは誘いに弱い、宜綿(イーミェン)は見境ないと噂だ。

その先生だっていまだに前門付近の胡同に行けば、世話したがる女に事欠かない。

宜綿(イーミェン)とインドゥの旅行許可状を出して並べた。

「密命か」

「そうだ。旅行許可状は出たが、費用はお手元から銀票五百だけだ。俺たちがまだ銀(かね)を持って居ると思っている。内務府御茶膳房の鳳凰の出来が悪いから裏で流れていたら買い入れろともいうのだ」

「オイオイ大分んと場所が違うぞ。鳳凰なんぞ簡単に買える物かよ」

鳳凰は潮州名山、鳳凰山が産地だ。

輩江(ペィヂァン)が若くて体の大きい男を連れて来た。

「どうした」

「今度はこの蔡(ツァイ)がお供します」

「もうそこまで話が出来ているのか」

「えっ、フォンシャン(皇上)は伊綿(イーミェン)先生が承知したと言っていましたよ。費用も五百両手元から出したと大威張りでした」

太医の見習い蔡英敏(ツァイインミィン)十九歳だという。

「随分若いな」

「頭が切れすぎてね。少し哥哥に仕込んでもらおうと思いました」

何を俺たちに教えさせるというんだ、弟弟が一緒では遊びを止めるのも一苦労だ。

「荷物持ちはともかく誰が公主を納得させるんだ」

インドゥが説得しに行くと「鳳凰は無理でも、良いお茶が手に入るなら許します、緑、青は最低でも探してください。白茶は手に入りにくいので出来ればでいいわ」と条件を付けて来た。

旅は與仁(イーレン)に仕切らせることにした。

嬉しそうに出て来たので「腹ぼての妻子(つま、チィズ)をお袋に預けて、羽を伸ばす気だろうがそうはいかないぞ」昂(アン)先生に脅されている。

與仁(イーレン)の妻はもうじき五か月出産は七月半ばごろだろうと産婆が言っている。

湖北鄂州(オゥーヂョウ)からはるばる弟弟(ディーディ)夫婦と女の子に母親を呼び寄せたのはつい最近だ。

弟弟(ディーディ)は界峰興(ヂィエファンシィン)へ務めさせた。

ハァンは楊與仁(イーレン)を独立させようか悩んでいるらしい、この四十男大分気に入って使っている。

桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)の権洪(グォンホォン)に鳳凰茶の基礎知識を聞くと江西省河口鎮在河口三堡浙江會館への紹介状を書いてくれた。

「ここで駄目なら潮州迄行くしかないですね。十種の味が有ると噂ですが」

「前に肉桂(ロォゥグゥィ)と茉莉(モーリー)は飲ませて貰ったが飲めば思い出せるかくらいの物なのだ」

店で話して居ると「自分もお供したいがこれで」と妻子(つま、チィズ)がまた妊娠していると告げた。

店で算盤を弾いている若者に「お前がお供しな」と告げて挨拶をさせた。

ホォンの弟だそうで権孜(グォンヅゥ)十八歳だという。

葛籠を六人分ハァンから買い入れた。

一人銀票五百両、銀五百両、金百両を持つことにした。

別に宜綿(イーミェン)が頂いてきた銀票五百両がある。

銀三千両に金六百両に銀票三千両、小出しに與仁(イーレン)と権孜(グォンヅゥ)にそれぞれ銭と銭票を持たせた。

「薬屋の次が菓子屋で今度は茶舗か」

昂(アン)先生も旅は好きだが目的が商人並みには参っている。

蔡英敏(ツァイインミィン)の休暇許可状を見て呆れているのは先生だけじゃない、旅に出ない輩江(ペィヂァン)も「この取引裁量って何のことでしょう。おまけに発給日だけ」と不思議に思っている。

「自分で判断して取引していいという事なんだろうな」

「じゃ何かあればインミィンが決めたと言えばいいんだ」

宜綿(イーミェン)が言うとインミィンが「まさかそんな責任負えませんよ」と体に似合わぬ弱気を言っている。

「大丈夫だ。全部哥哥の言う通りにしてりゃ済むことだ。その許可状を命と同じに大事にするんだな。見つからなきゃいつまでも探していていいという許可状なんて初めて見た」

輩江(ペィヂァン)め大分脅かして楽しんでいる。

三日かけて支度をしたが公主は諦めたが、姐姐(チェチェ)が恨めしそうに睨んで来るには参った。

 

 

嘉慶五年三月二日(1800326日)

インドゥ、宜綿(イーミェン)、蔡英敏(ツァイインミィン)、権孜(グォンヅゥ)、與仁(イーレン)、昂(アン)先生の六人は船で鎮江(チェンジァン)迄運河の旅だ。

鎮江(チェンジァン)まで、戻り船と云うので二百八十両と船頭七人百六十一両の四百四十一両で折り合った、與仁(イーレン)も相場に強くなってきた。

 

京城(みやこ)、通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲から船で出た。

黄河(ファンフゥ)↓

淮安(ホァイアン)-十八日午の刻着

 

黄河を超えて淮安(ホァイアン)の街へ入ったらいきなり船止めの洗礼だ。

二十二日の巳の刻から通行できるという。

通行許可証の順番は百十一番の木札が渡された、船頭頭に二十一両渡して「これで遊んでいてくれ。俺たちは適当に遊んですごす」と告げて前に泊まった亥坤(ハァィクゥン)酒店へ向かった。

インドゥは「呉承恩の旧居へ俺は行くけど後は與仁(イーレン)が宿を決めたら小遣いを貰って遊びに行きなよ。與仁(イーレン)が葛籠番だ」と話したら弟弟(ディーディ)は物好きにも付いて行くという。

弟弟(ディーディ)に小さな銀塊を五.六個持たせインドゥは差しを五本に竹の弁当入れにバラで百銭ほど入れて貰って出かけた。

淮安府署迄向かい二頭獅子が首を傾げているのを左へ三里ほどで大きな門構えの家がある。

橋を渡り門の前にいた中年男に「拝観できるか」というと黙って手を出すので弟弟(ディーディ)が小さな銀塊を一つ出すと「ついて来なされ」と中へ入れてくれた。

話の中に明の祖陵が出たが湖の西で、泊りがけで往復四日無ければ無理だという。

「それに洪水で水浸しじゃよ」

半刻ほどで礼を言って外へ出て右へ行くと、大きな満開の桜の木の脇に幟を出した酒の店がある。

宿まで四里ほど二人で目配せして店で酒と菜を頼んだ。

はらり、はらりと散る花びらを見ながら二人で半刻かけ鳥の焼いたのを齧り、ちびちびやって二百二十文だという。

外へ出ると棒を持った五人連れがいちゃもんを付けた。

「どこの半端もんかしれないがこの街で大きな顔で歩くんじゃねえ」

「哥哥はこの男を片付けて呉れ」

宜綿(イーミェン)は後の四人の中で、が体の好い奴の腕を叩いて棒を奪うと脾腹を突いて気絶させた。

いきなり自分が襲われるとは思っていなかったようだ。

府署も近いというのに金で雇われたか、インドゥは小銭の風呂敷を置いて二足下がった。

少しは腕がたつ様だ「弟弟(ディーディ)め押し付けたな」と好きに振り回させて棒の鼻を押さえて回転をかけて鼻先を横殴りにした。

それでも兄貴分らしく鼻血を振りまきながら棒を回して威嚇した。

又二足さがると図に乗る様に上から打ち下ろしてくる。

桜の木まで下がると突いてきたので左へ避けると樹を突いて腕がしびれたようだ。

それでも棒を放さないので棒伝いに擦り寄り、拳で顎を擦ると簡単に顎が外れて戦意を失った。

弟弟(ディーディ)は三人と遊んでいたが、飽きたのか三人の棒を弾き飛ばした。

三人は慌てて逃げていく「忘れもんだぞ」その声も届かぬようだ。

腰でも抜かしたか「あわあわ」と涎を垂らす男を弟弟(ディーディ)が抑えたので、顎を入れてやった、十二の時、二人で組んで悪ガキの顎外しをして覚えた技だ。

平謝りの男に「いいってことよ。こいつの気付けをするから連れて帰れ」と弟弟(ディーディ)は起こして活を入れた。

喉が渇いたと二人は茶碗で酒を貰うとうまそうに飲んで銀の小粒を一つ娘の手に置いて「足りるか」なんて弟弟(ディーディ)は言っている。

今にも口説きそうなので急いで店を引き出して宿へ帰った。

「どこで気が付いた」

「呉家の門を入るとき遠目に見えた」

「ふん、あの気絶したやつは船を降りるときから見ていたぜ」

「そいつは知らなかった。五人で助かった」

「甘く見られたのさ。哥哥はのっぽでひ弱そうだ」

男と女じゃ見た目は変わる。

「俺たちと知ってか、いい家の道楽息子と思ったか」

「蘇州ならともかく、ここで哥哥を見知る奴は居まい。京城(みやこ)から先回りは特別な船か馬じゃなきゃ無理さ」

十九日

インドゥは英敏(インミィン)と宜綿(イーミェン)の三人で薬房を回って街で評判の医者に気鬱に聞く薬剤などを聞いて回った。

うろついて居たら昨日の酒店に出た、桜は花びらが風に流されて散っている。

娘が「あと三日がいい処でしょう」と言っている。

又半刻ほどちびちびやって弟弟(ディーディ)は好い気分で宿へ戻った。

「あと三日は来てくれという事かな」

弟弟(ディーディ)は娘を気に入ったみたいだ。

二十日

弟弟(ディーディ)は朝早くから宿を出たという。

インドゥが戻ると手紙が来て今日は戻らないと来た。

「どうやら酒店(ヂゥディン)の娘に惚れて口説き落とした様だ」

「あのうば桜ですか」

「そうそう、弟弟(ディーディ)は子供の頃からうば桜がお気に入りだ」

昂(アン)先生はそうだなと思い出し笑いをしている、英敏(インミィン)は寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)をまだ知らない。

二十一日

朝帰りの弟弟(ディーディ)は昼過ぎまで寝て、起きると「今晩は遅くも帰る」と言い置いて出て行ったそうだ。

 

 

淮安(ホァイアン)-二十二日発

長江(チァンジァン)↓

鎮江(チェンヂィアン)-二十四日着

 

宿はなじみの運河沿いの潘家の艮倦(グェンジュアン)酒店。

女中だと思っていたら與仁(イーレン)のなじみの女はこの家の娘で出戻りだと気安くなった船頭が長江を渡る前に教えてくれた。

今年「本命年」だと話して居ると、先生が「三十六歳ならこの前来たときは三十三か。そんな年には見えない」と話に加わった。

「旦那、今年二回りの二十四ですよ。婿を取るのを嫌がって子供に継がせるなんて言ってます」

ああ、子連れなのかとインドゥも昂(アン)先生も納得したが子供の年を聞き忘れた。

船頭たちにインドゥと宜綿(イーミェン)が一人五両ずつ出して別れた。

着いた夜に六人で大宴会だ。

明日は足慣らしで明後日南京へ向かうというと女は嬉しそうな顔をしている。

翌朝、與仁(イーレン)がインドゥの部屋へきて「哥哥、お願いが」と深刻な顔だ。

「実は去年五月に男が生まれていました。弟の子供の頃にそっくりでお袋にも似ていやす。一生かけてもお返ししますので百両お貸しください」

「相手が受け取るなら祝いに百両乗せるから二百受け取らせろよ」

自分の葛籠から二百だして手巾でくるんで渡した。

「返すにゃお前の出世払いで好い、結の仲間に入れて貰えるだけの男に為ったらでいいから、小さく稼ぐなど姑息な男になって呉れるな」

後で隣の弟弟(ディーディ)が「さすが哥哥は瘦死的駱駝比馬大だな」と言い出した。

「見て見ぬふりしてくれ」

「いいともよ」

朝飯前に與仁(イーレン)が女と二人で来た。

「受け取れるわきゃ有りませんよ。こんな女に自分の子かも分からず金を受け取れなんて馬鹿にしてる」

與仁(イーレン)平謝りで「頼む、頼む」の一点張りだ。

「なぁ、姐姐(チェチェ)と言わせてくれ。この金はお前さんに出す金じゃない」

「じゃ、なんです」

「こいつは男の子が無事に育つ為の守りの金だ。姐姐(チェチェ)が子供の為に預かるそういう気持ちにならないか」

女は涙を浮かべて銀(かね)の包みを大事そうに胸にあてた。

「あとは二人で話してくれ」

インドゥは店へ出て朝の粥を弟弟(ディーディ)たちと食べた、後一日船止めのせいで運河を下る逗留客ものんびりとしている。

米(ミィ)に玉米(ユゥミィ)の粒入りの粥に卵を落としたものはあっさりとして美味い。

翌朝、見送る女の脇には小さな男の子が台に座って一行を見送り、六人は旅を続けた。

 

 

南京(ナンジン)まで百八十里、二十七日申の鐘を聞きながら琵琶街の源泰興へ着いた。

蔡太医、権孜の二人が健脚なのは有難かった。

鎮江(チェンジァン)到着時に大至急便で出した手紙は着いていたが源泰興は二部屋、辯門泰へ二部屋、もう一軒新しく建てたという芯繁(シィンハン)酒店へ二人。

此の琵琶街(ピィパァヂィエ)一角檀飛燕(タァンフェイイェン)の一族で固めだしている。

新しい酒店(ヂゥディン)の主人夫婦が挨拶に来た、見覚えがあるという顔に「前に香鴛(シャンユァン)の乳母に来てもらったんですよ」と言われて思い出した、香鴛(シャンユァン)より三月ほど早くに男の子を産んでいたはずだ。

源泰興、辯門泰もこの際と全体を洗いだしたと各部屋が綺麗になっていた。

「手紙では三泊と在りましたが。此処からどちら迄」

九江にある廬山に江西省河口鎮さらに上饒(シャンラオ)の霊山付近、其処でかたが付かなきゃ潮州名山、鳳凰山」

「まぁ、一年かけて回る気ですか」 

飛燕大分大げさだ。

宜綿(イーミェン)を弟弟(ディーディ)と紹介した。

「どちらの弟弟(ディーディ)です」

「叔叔の長男だ」

「棍術の達人というお方ですか」

「そうだ、今は算命学の先生に為ろうとしている」

棍の達人が気に入ってにやにやしている。

「弟弟(ディーディ)はどこがいい」

「昂(アン)先生と一緒でいいよ」

「じゃ此処はインミィンが入るか」

それではと荷を飛燕に預けて回族の蒸し風呂で汗を吹っ切って戻った。

シャンユァンが卓の支度と料理運びまでしている。

源泰興で夕食を六人で取り、出て来た檀公遜(ゴォンシィン)に茶の話を聞いた。

酒を飲みながら聞いていると陪演(ペェイイェン)も貢院街(ゴォンユァンヂィエ)から出て来て話は盛り上がった。

陪演(ペェイイェン)に檀公遜(ゴォンシィン)も茶の卸小売りに飾り物が商売で、川向こうの孔廟裏の出店で隣り合わせに海産物の干物を扱っている。

お互いの妻が姉妹で仲がいいので、客も揶揄いがいが有ると言って機嫌よく買い物をしてくれる。

陪演が平大人と南京に来て、公遜に師匠になって貰った、新しい客は公遜が陪演を紹介して回してくれる。

公遜の妻子(つま、チィズ)の妹が陪演に惚れて最近所帯を構えたばかりだ、それで孔廟裏の出店の隣を買って二軒にした。

陪演は権孜(グォンヅゥ)とは顔見知りで、去年の茶の出来具合から今年の予想まで話が広がった。

陪演が帰り英敏(インミィン)が残り、三人に為るとゴォンシィンが「哥哥、豊紳済倫(フェンシェンジィルン)という方はご親戚ですか」と聞いてきた。

「いや富察家の出だよ、ただ額娘(ウーニャン)が公主だ」

「昨年から茶を異常に買い上げるそうで、どなたの指図か調べるとその方でした」

「確かフォンシャン(皇上)の覚えは好い様で戸部左侍郎のはずだ。良い茶を集めているのかな」

「いや、名前は銘茶なら出来不出来は買い入れの者は調べないようです。あくどいと評判の仲買を使っています。内務府御茶膳房の役人も不足分の買い入れに苦労していました」

「それでか、昨年の茶の出来が悪いと云うので裏で取引があるか調べるのも目的の一つだ」

インミィンも茶と水にはうるさい男とペィヂァンが選んだようだ。

「蔡太医、飲んで分かる茶はいくつある」

「無理言わんでくださいよ。いい水かどうかで味も変わります。薬のつもりで出来不出来を判断するくらいです」

「やはり水次第か」

「半分以上は水の力ですね。鉄瓶などで沸かすのが好いという人もいます」

話も済んで部屋へ戻ると寝酒を持って飛燕(フェイイェン)が遣ってきた。

「今度はお茶ですか」

「そいつは片手間のつもりだったが簡単ではなさそうだ」

「聞きましたよ。前はだいぶご損が出たそうで」

「聞いたか、今回も自腹は覚悟の上だが、楽しみもある」

「宜綿(イーミェン)様は京城(みやこ)へ出た時に聞かされましたが、好い噂が有りませんよ。二人で悪遊びでも企みなさるかえ」

「いや、南京(ナンジン)にいい女がいるので会いに来たかったのさ」

手を出して抱きかかえて口づけをして寝床へ引き込んだ。

 

翌二十八日、魁芯行(クイシィンハァン)へ五名の茶商が顔をそろえた。

ゴォンシィンの妻は出店を普段は任されているので、香鴛(シャンユァン)が来て大人たちの世話を焼いている。

公遜(ゴォンシィン)が明前茶の出来が良くて取引が好調だという。

陪演(ペェイイェン)は碧螺春(ピーローチュン)を飲ませてくれた、わざわざ今朝水を汲んできたという。

同じ蘇州でも茶畑の違う碧螺春を扱う茶問屋も自分の井戸を自慢して飲ませてくれた。

沸騰した湯を磁器の湯桶へ移し、もう一度磁器の湯桶へ移してから湯呑に注いでから茶葉を匙で大事そうに入れて葉が沈む迄待たせて飲めという。

「半分ほどで湯を足せば三回は楽しめる」

そうは言うがそう何杯も飲みきれるものではない。

香鴛(シャンユァン)が笑っている「お酒なら何杯も飲むくせに」と思っているようだ。

茶商達は水の違い、生産者の腕など、議論が激しくなっていく。

太湖周辺地以外でも最近碧螺春の名称を使って流通しているという。

「偽物は早く沈むからすぐわかる」

 

内務府御茶膳房が流通値段の半額でこの春生産の春前茶(今年は一月十一日より前)の二割を持って行ったそうだ。

内務府は白い産毛を見て選び、値段も役人が決め、良い物から必要な分量を持っていく。

明前茶の方は二月二十六日から十五日目にあたる節日三月節の十一日まで。

二十日が茶商の入札日で三人の代表が乗り込んでいるという。

陪演(ペェイイェン)たちは思惑通り買えそうだという。

同じ地域でも洞庭碧螺春も持って来た茶商が飲んでくれと湯をペェイイェンから分けて貰って振舞った。

香鴛(シャンユァン)が新しい湯呑を用意してくれた。

「洞庭湖とは違うのか」

「洞庭湖付近は君山銀針(ジュンシャンインジェン)と言います。こちらは太湖(タァイフゥ)の岬と島ですよ哥哥」

陪演(ペェイイェン)は上海の環芯(ファンシィン)と商売物の行き来があるのでこの辺りは昔より詳しい。

「あの盃岱(ペェイダァイ)から見える岬か」

「そうです、生産が少ないので扱うのも苦労です」

碧螺春と洞庭碧螺春は生産者茶畑も違うのだという。

茶商は緑、白、黄、青と産地で振り分けるという。

緑茶

杭州(ハンヂョウ)の龍井(ロンジン)、

蘇州(スーヂョウ)碧螺春(ピーローチュン)、

徽州(フゥイヂョウ)黄山毛峰(フアンシャンマァォファン)、

廬山(ルシャン)雲霧(ユンウー)

上饒(シャンラオ)婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)。

白茶

福建(フゥヂィェン)、湖南(フゥナァン)

高級茶が白毫銀針(パイハオインヂェン)。

普及品としての寿眉(ショウメイ)。

黄山毛峰や白毫銀針は名前が付いたのはつい最近で取り扱う茶商は限られているという。 

黄茶

洞庭湖(ドンティンフゥ)付近の君山銀針(ジュンシャンインジェン)、君山島が本物として知られている。

青茶

広東(グアンドン)の潮州(チァォヂョウ)鳳凰山(フェンファンシャン)、

福建(フゥヂィェン)武夷山(ウーイーシャン)を中心に生産されるという。

「普及品の寿眉(ショウメイ)を仕入れたくとも広州から阿蘭陀、伊太利、英吉利へ流れてしまいます。環芯(ファンシィン)と組んで京城(みやこ)の権洪(グォンホォン)へ扱わせれば儲けも大きいのですが、値段が高騰して安物なのに高くつくそうです」

「公主の土産を買いに遠くまで行くようかな」

廬山(ルシャン)・上饒(シャンラオ)次第で広州(グアンヂョウ)か蘇州(スーヂョウ)へ行きますか」

蔡太医はペィヂァン以上にお気楽だ、茶商達も店の内で取引の話を始めている。

一度飯を食うので源泰興へ戻るとシャンユァンが甲斐甲斐しく卓を整えてくれる。

その晩は魁芯行で作戦会議だ、酒抜きで始めた。

前に会った両江総督李奉翰は嘉慶四年二月十三日に激務に耐えられず任期途中で亡くなり、今の総督は費淳と言う六十過ぎの巡撫上りで意固地で頑固者だという、閩浙総督玉徳(ユデ)は情報がない。

「そういう男では相談事は難しいかな」

昂(アン)先生も「ばれなきゃ知らんふりで行こう」と言う。

「茶も大事だが、霊薬探しもしなくちゃだめだろう」

「江西省河口鎮(フゥーコォゥヂェン)と上饒の霊山は組めますよ」

九江(ジョウジァン)にある廬山を削るわけにいかない」

弟弟(ディーディ)はもっともなことを言う、地図も当てにできるほど正確ではない、路程も当てにできない。

九江の廬山から河口鎮其処から上饒の霊山で茶の動きと今年の作柄を調べて、さらに広州(グアンヂョウ)の茶商との懇談。

冊子の距離だと五千里もある。

廬山雲霧茶(ルーシヤンユンウーチャ)は権洪(グォンホォン)が最近の京城(みやこ)で人気があると言っていたが、最盛期に入った前期の早摘みは南京(ナンジン)でも人気は有るという。

公遜(ゴォンシィン)が今年は三月十一日から霧の中で摘み取りが始まったはずだと教えてくれた。

修静庵、八仙庵、馬尾水、馬耳峰、貝雲庵、蓮花洞、龍門溝が主な茶畑だと云う。

初摘み・前期・中期・後期と値段に差が出るという。

此処へは入札にやはり三人が送り込まれているという、後期は価格も安価で人気が高く、四月節の十二日が摘みとりの最後で四月二十日迄毎日どこかで入札の會があると云うので代表は気が抜けないそうだ。

議論に夢中になっていたら戌の鐘が響いてきた。

平大人が若い衆を供に連れて遣ってきた「哥哥が来てると聞いてやってきましたぜ」相変わらず元気だ。

「いい処へ来た。いつもの様に行き当たりばったりの旅とはいえ、今度は厄介そうだ」 

「旅慣れたお人ばかりなのに何言ってるんです」

道程を見せると鄱陽湖(ポーヤンフゥ)から信江をさかのぼれば河口鎮、さらに上饒(シャンラオ)迄船で行けると言う。

「なんで姐姐(チェチェ)に相談してこないんですよ」

「不機嫌でどこへ行くか詳しく言わずに出たんだ。鎮江(チェンジァン)までは聞かずともわかるので、ここまで来て公遜(ゴォンシィン)たちに聞くつもりだった。日にちに余裕があれば詳しく話させたんだが。付いて来そうで聞くのも危うく思えたのが本音だ」

平大人め薄ら笑いが漏れている。

「南京は何時まで」

「明後日には出る予定だ」

「梁冠廉(リィアングァンリィエン)が南京(ナンジン)にいるから船を探させますよ。此処まで来たんだ後四.五日遊んで行きなさいよ。私もそのあたりまで居て蘇州へ船で下ります」

南京から九江迄この時期十日で雇なら行けるという、普通の船便では二十日だそうだ、下りの四倍かかるという、早いのがお望みなら金次第だそうだ。

南京から九江まで長江(チァンジァン)は千百五十里有るという。

陸路千三百里と冊子に有るからどちらもまずまず合っていそうだ。

渋紙から百両の銀票を束で出して「こいつは哥哥に貸しますから、公主が喜ぶ高級茶でも買い入れてください」と瞬きして渡した。

ああ、バニラを売りさばいた時の銀(かね)だなと「有難く借りて置くよ。茶に金を掛けるつもりもなく出て来たので、土産以上に買えそうだ。こいつは心強い」と葛籠へ入れた。

「ところで何枚あるんだ」

「二百二十枚ですよ。千両の銀票では交換してくれるのは少ないですから」

去年の騒動以後、教徒の反乱も治まりを見せ、銀票に信用が付いて大きな街なら十軒や二十軒は百両の銀票でも交換に応じる商行があるようになった。

南京では一両の銀票、銀(かね)が制銭千銭と交換できる、ということは銀の値が上がってきている。

「茶の卸売でもするか。十三行相手じゃこの十倍は元手が必要かな」

伍敦元(ウートンユァン)の事が懐かしく思えた。

「與仁(イーレン)、広州(グアンヂョウ)の伍浩官まで行って今度は茶でも取引するか」

「カカオにバニラは好いんですか」

「儲かりそうだと手を出すやつが増えたそうだ。敦元(トンユァン)はバニラを内務府へ高く売りつけたくらいだ」

「その時の荷ですか徳海(ダハァイ)が家の旦那に金百両借りて買ったのは」

「ダハァイも其れだけ内務府御膳房に腕を見込まれたという事さ」

「明日は俺は大人が人を連れてくるかも知れないので、番をするから適当に遊びなよ、一人銀五両出してくれ。ここで銀(かね)百両だけでも一両の銀票にしておけよ。出る前に銀票に信用がこんなにあるなら紙のほうがよかったな。籠ってばかりで街の様子に疎かった」

霊山巡りが茶園巡りになりそうだ、うまい具合に廬山付近は摘み取りの最後で、高級品を買い入れた茶商に「儲けさせれば公主の分は手に入りそうだ」とインドゥは気楽に考えている

この男儲けるより手に入れるほうの優先順位が高いお坊ちゃんだ。

その代わり周りの者がその分儲けさせてくれているのを「有難い事だ」と思う気持ちが伝わるので、付き合いは長続きする。

「明日、一度は顔を出します」

平大人は戻っていった。

 

 

英廉から頼まれて劉全が面倒見ていた貧民と乞食は頭が幾人にも分裂して昔の様に乞頭と勝手に名乗りだしている。

福隆安、馮英廉が切り離そうと努力し、代々の直隷総督もいまだに官員の乞頭には手を焼いている。

頭家人(頭衆)と二家人(二衆)の系列は街の冠婚葬祭を仕切っている。

インドゥは騒動の前、峰勇胡(フェンヨンフゥ)と兮盃(シーペェィ)の夫婦を手なずけ、妓楼は湿地を埋める許可を五城兵馬司と歩軍統領衛門が出してそこへ建てさせた。

寂れていた大烟簡胡同がそれで生き返った、妓楼は延聘老(イェンピィンラオ)、後追いで二軒妓楼の申請が出て許可されたそうだ。
フォンシャン(皇上)も湿地のままの内城には手を焼いて妓楼を置いて地固めという言う上奏を採り上げた。

娘可愛さに阮老爺が豊紳府へ昂(アン)先生を訪ねて来て、兮盃の出過ぎた真似を謝って以来の付き合いだ。

昂(アン)先生を支持する前門、瑠璃廠付近の妓楼主を怒らせれば、与太者も城内の東城下(北城下)に南城下で生きていけない、ヨンフゥやシーペェィではそこまで読めていない

「公主と老梁が知り合いに為る可笑しな世の中だ」とインドゥに笑われて以来、阮老爺は豊紳府へ出入り自由になった。

気がついたら老梁(ラァォリィァン)の阮絃(ルゥァンシィェン)と昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)を含めて飲み友達になっていた。

外城の頭分も相談事があると、運河から裏門で豊紳府の昂(アン)先生を訪ねるようになった。

阮老爺は今年隠居して気楽になったと桿(ガァン)を持ったお供なしで街を出歩いている。

フォンシャンは平儀藩(ピィンイーファン)から劉全が貧民と乞食たちの暴発を押さえていたことを知り、国庫で貧民救済を行うべきと考え、内務府へ歴代皇帝の事績、内情を調べさせている。

 

 

平大人と梁冠廉は徐(シュ)という老人を連れて来た。

グァンリィエンは平大人たちと乍浦鎮(ヂァポゥヂェン)から南京へ船団を組んで、海帯(ハァイダァイ・昆布)、海参(ハイシェン・煎海鼠イリコ)、干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)、魚翅(ユィチィ・鱶鰭)など長崎からの荷を運んできたそうだ。

表向きの量の三倍は積み込んでいるはずだ、銭の船と沖で砂糖と俵物に昆布を交換して来るのは漕幇(ツァォパァ)や結の商売だ。

海賊を避けるには見張りも何艘かつけて取引しても抜け荷は大きな儲けに為る。

広東産の砂糖を過塘行に行って進口税を納めていては儲けに為らない、沖で俵物、昆布と交換して長江(チァンジァン)を遡ればそれまでの事だ。

なんせ宋朝、元朝、明朝の時代から塩業を守るため、海賊、河族、倭寇、偽倭寇と戦ってきた組織だ。

康熙帝には「御秘官」として協力し、海賊退治、匪賊退治の費用に密輸が康熙、雍正、乾隆と黙認されてきた。

嘉慶帝は上皇から言われ仕方なく従っているが、上皇の亡くなった今が一番不安定だ。

皇子の綿寧(ミェンニィン)は「御秘官」と「結」の銀(かね)を利用したいと今は友好的だ。

フォンシャン(皇上)は豊紳殷徳(フェンシェンインデ)と福長安(フチャンガ)を早く利用しようとしているが、豊紳済倫(フェンシェンジィルン・父-福隆安)がそれを差し止めている。

 

 

徐(シュ)老爺は南京から九江迄荷を運んで、上饒(シャンラオ)迄帰るという。

廬山(ルーシヤン)は客を何度か息子たちが案内したという。

船は老爺と息子二人に船頭六人の九人が居て三十人までなら寝泊まりできるという。

そんな大きな船が上饒(シャンラオ)迄行けるとは知らなかった。

「荷は急ぎかい」

「二日後に合肥(ハーフェイ)からの荷が来るのでそれからで好いですかい」

平大人が遊んで行きなと言うのは自分もその荷待ちかと聞くとそうだという。

「じゃ決まりだ。四月二日の午に出るのはどうだい。廬山(ルーシヤン)で五.六日案内してもらうのは可能かね。目的地は河口鎮だ

都合がいいことに午に出ても合肥(ハーフェイ)からの合流点裕渓河(ユィシーフゥ)の近くの停泊地がその時間なら陽の有る内に入れるという。

案内も話をすると九江(ジョウジァン)で荷を探すよりいい話だという。

三人が話し合って二百二十両と一日九両でどうだという事になった。

宿に泊まれば刺し三本(三百銭)は掛かる、全員船で寝る訳でもないだろうと思った。

「先渡しが銀で二百二十両、朝に毎日九両、廬山(ルーシヤン)は別に上乗せで案内賃に二人分一日二両でどうだい。詳しいことは船で話すよ」

銀票より現銀(かね)が好いというので了承した。

明日は平大人が弟弟(ディーディ)と二人泊りがけで付き合えというのでそれも了解した。

夕刻、昂(アン)先生と弟弟(ディーディ)が戻ってきたが、三人は酉の鐘が鳴ってもまだ戻らないので三人で飯にした。

香鴛(シャンユァン)は映鷺(インルゥー)ほどの商売気は無い様だが気配りは同じくらい確かだ。

「お酒は要らないの」

「たまには抜くさ」

そんな昂(アン)先生、弟弟(ディーディ)と昼間から飲んできたようだ。

シャンユァンは笑いながら戻っていった。

「見抜かれたか」

三人が戻ったので「與仁(イーレン)悪いが俺と弟弟(ディーディ)は平大人の御誘いで朝から出て泊りになりそうだ。明日は銀(かね)の番をしてくれ」と言いつけた。

 

 

三十日の朝、一昨日の若い衆が源泰興へ迎えが来たのが辰にはまだ間もあるころ。

弟弟(ディーディ)が「大人の家はどこにあるんだい」と聞いている。

「仕事の時はこの近くの泰淮河(タァィフゥアフゥ)鈔庫街(チァォクゥヂィエ)の倉庫についている家ですが休みの時は長江の水路の家にいます。歩くと一刻は掛かりますが、船を用意させています」

話しているうちに倉庫の前の船について乗り込んだ。

「ここも泰淮河なのか」

弟弟(ディーディ)は不思議そうに聞いている、泰淮河は本流と運河があるのを知らない様だ。

西へ向かい本流に乗せて北へ行くと長江へ一度出て上へ向かうと水路へ入った。

長江(チァンジァン)の水路にも夾江(ヂィァジァン)という名があり幅が一里ほどもある。

波止場が運河の様に作られ、幾艘もの運糟船が停泊する中を奥へ進んで停泊した。

何軒か同じような門構えの家が並びその内の猿の石像の門へ入った。

門の内は東側にまた同じような作りの門が三軒あり、狐の次の狼の石像の家の門を叩いた。

門を開けたのは大きな二人の男で一人が頷いて案内にたった。

家の前庭は広く取られていて様々な石像や焼き物の狸と狐が置いてある。

凉亭に平大人が幾人もの老爺たちと待っていた。

「今日来ているのは南京、合肥(ハーフェイ)付近の結(ジィェ)の仲間です」

「そうか、弟弟(ディーディ)は気付いているようだが、今日は正式に俺から和信(ヘシィン)の事を話すよ。その方が皆気兼ねなく話せるだろう」

簡単に説明すると一人が眼鏡を拭きながら「儂は京城(みやこ)で和信(ヘシィン)様が眼に留めたとあとで話してくれた」と自慢げに言った。

「大きな家だな、あの門は皆出入口かい」

皆がそれを聞いて笑いながら「船頭頭の家ですよ。大人の家の周りに順に建てたらああなってしまったんですよ」と老爺の一人が教えてくれた。

「船頭はこの裏側に二百軒ほどの家があってそこへ住んで居ます。船頭、船子の独り者は集会所で朝晩食事が出ますが。気の利いた妻子(つま、チィズ)たちは手当てが出る炊事番をして自分は賄を食べて金を溜めています」

「金を溜めて家でも建てるのか」

「いえいえ、ある程度金があれば互助で船を持たせます。頭に為れば儲けも大きいし、大きな家を与えられて家族も呼べます」

説明好きの男はどこにでもいる様だ。

大人が「ここは自分の直属の船ですが、両隣も結の仲間で、この男が北側、その眼鏡の色男が南側です」と教えた。

合肥(ハーフェイ)から来ているという二人も自分の名を教えて来た。

先ほどの大きな男が「龍莞絃(ロンウァンシィェン)と言います。親方の留守の時は弟弟(ディーディ)と此処を預からせていただいています」と言って茶の用意をさせてきますと家の方へ向かった。

「ウァンシェンは頼りになります、クアンイェンほど細かいことは気にしません。それでグァンユアンと気が合うようです、今回の取引もほとんど任せてみました。もう一人門にいたのは莞絃の弟弟(ディーディ)の莞幡(ウァンファン)と言います。グァンユアンが出過ぎない様に乍浦鎮(ヂァポゥヂェン)を任せようと康演(クアンイェン)と相談中ですが、ウァンシェンの留守を守る男を決めかねています」

 

この水路は北側で結の仲間が荷下ろしをし、荷を交換しては出て行くのだという。

中は五つの漕幇(ツァォパァ)が共同で運営し、南は個船や臨時に南京へ来た船が多いという。

長江(チァンジァン)を定期的に上り下りする船は長春港を利用する、其処で荷を受け取り此処へ持ってくる回船業者も出入りしていて賑やかだ。

 

茶と言いながらウァンシェンは瑠璃の容器に冰(ピン)を入れて持って来た。

後から異国風の顔立ちの若い女が三人と男が二人、手提げ盆にブランデーの瓶に杯子(ベェィズゥ)や茶の支度を持って来た。

摘まみに馬拉糕(マーラーカオ)と葱油餅(ツォンヨウピン)と干し杏に干し葡萄が来た。

「レミーマルタンか」

「ご存じですか」

インドゥは広州(グアンヂョウ)で飲んだというと「子供の頃、爸爸(バァバ・パパ)が綺麗な空き瓶をくれたが逆さにしても出てこなかった」と笑いながらも弟弟(ディーディ)は早く飲みたそうだ。

「広州(グアンヂョウ)から戻るとき、台風で船がひっくり返りそうに為って、もう一度飲みたいと思い出して揺れを辛抱した。京城(みやこ)へ戻ったら亡くなった上皇が同じ形の瓶を飾っていて聞いたら、若い頃初めて飲んでその勢いで格格を寝床へ誘ったら、大阿哥が生まれたと話をしてくれた」

「それで哥哥にも子供は出来たのか」

「出来たとは聞いてないが。教えてこないだけかもな」

平大人は笑いながら「広州(グアンヂョウ)でそれらしい話は今年も聞きませんでしたよ。はずれですね」と場が和んだ。

「戻っていった女たちは回族かい」

弟弟(ディーディ)め容姿が気に入ったようだ。

「あれは私の妹たちです。ムゥチィンに似たのですが、五代前迄同じ顔立ちだと老太太が自慢しています。ご先祖が土耳古(トルコ)の商人だと噂ですが、はっきりしません。男には遺伝しないですね」

ウァンシェンは妹たちが自慢の様だ。

話は広州で出会った伍敦元(ウートンユァン)や藺香蝉(リンシィアンチェン)が仲介料もしっかり稼いだこと、その爺爺(セーセーyéye)が古物商で儲けていたことなどをインドゥが聞かれる儘に話した。

「そうだ弟弟(ディーディ)にフェイイーの事話したかな」

「いや聞いてない。あのおちびさん広州生まれだと言っていたな」

「其のフェイイーが、嫁ぎ先の男が亡くなって実家の飯店を継いでいたんだが、京城(みやこ)へ戻って来ないかと誘ったら断られたよ」

「哥哥でも振られるんだ」

その言い方が可笑しかったので皆が大笑いで酒が進んだが、眼鏡の老爺は下戸らしく茶を啜っている。

昼近く大分日差しは強(きつ)くなってきた。

「今日は夜まで付き合えというならこの辺(あた)りで一度酒はやめて夜に飲めるように汗でもかくか」

弟弟(ディーディ)が「拳か棍」と云うので棒があるか聞くと四本も持って来た。

二人で選んで型を言いながら暫く体を慣らした。

「棍は弟弟(ディーディ)に敵わないからお手柔らかに頼むぜ」

すさまじいうなりを上げてインドゥに襲い掛かってくる、受けるのがやっとだ、四半刻も打ち合った。

「受けるだけじゃ勝負が付かんぜ、哥哥の受けは名人級だぜ、掛かってこないと隙が出ない。俺でもこれが限界だ」

遣れやれ丈夫な棒で助かったと座り込んだ。

「宜綿先生、四川で百人の反徒を一人で追い払ったと云うのは本当ですか」

眼鏡の老爺は聞きたがりの様だ。

「そいつは大袈裟だぜ、確かに相手が百は居たかもしれないが、道が狭く二人で来るのがせいぜいの崖っぷちさ、五.六人叩き落したら逃げ出して、後ろにいた郷勇が後を追いかけて討伐したのさ。しかし四川は散々だった、こちらは元年五月に総司令の福康安(フカンガン)、八月には爸爸(バァバ・パパ)もなくなる騒ぎさ。おまけに後になって福康安が死ぬ前面倒を見ていないと言掛かりまでつけられた。爸爸(バァバ・パパ)の死んだのも同じ病だぜ、病んだと思う間もなく体が干からびるかと思うように衰弱して、医師も手が付けられなかった」

弟弟(ディーディ)が愚痴を言うのは珍しい。

「命あっての物種さ。去年の騒動で富察もおなじくらい痛手を受けて被害のないのは富察でも豊紳済倫くらいだ」

「エッ、豊紳済倫(フェンシェンジィルン)様って哥哥の一族じゃないんで」

合肥(ハーフェイ)の二人が声を上げたということは富察の一族と知らなかったようだ。

「実は知り合いの茶商に昨日会いましてね。安徽の黄山毛峰の買い入れで豊紳済倫(フェンシェンジィルン)様の仲買に雀舌(チィアォウー)を横取りされたそうです。明前茶は一番を内務府御茶膳房の買い入れの残りを入札で買い入れたんですがね。儲け無しで出す始末で、その時に哥哥の名前も聞かされたそうです」

「話がよく見えないが、脅されたということかよ」

「漕幇(ツァォパァ)に結のことも聞いたというのですよ。寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)のことも有るので、哥哥の名を脅しに使っただけだろうとは言っておいたのですが」

「其の茶商に会えるかい」

弟弟(ディーディ)相当頭に来たみたいだ。

「南京の茶商と取引で明後日まで居ますよ。あっしの船で合肥(ハーフェイ)迄荷を運ぶ約束をしました」

平大人が「顔合わせは明日の申に鈔庫街の倉庫の事務所はどうだい。昨年から茶を異常に買い上げると南京でも悪評の仲買が絡んでいるそうだ」と場所を提供してくれた。

老爺たちもついて船頭の昼飯の終わった集会所へ向かった。

平大人どうやらインドゥを結の男たちへ紹介するのが目的の様だ。

「杭州(ハンヂョウ)の関元(グァンユアン)もこのお人なら付いて行くと太鼓判だ。知っての通り爸爸(バァバ・パパ)の和珅(ヘシェン)様は犠牲に為られたが京城(みやこ)の御秘官も和孝(ヘシィア)様を支持している。結も漕幇(ツァォパァ)も賄賂など言われたことが無いのは皆も承知の通りだ。俺たちの活動は今のフォンシャン(皇上)次第だが、頼まれなくともやることはしなきゃならねえのは何時もの事だ。一番上の皇子は御秘官を支持していなさる」

オオッと歓声が上がり中にインドゥに会えての感激で泣いているやつまで居た。

「潰そうなんてことは無いでしょうね」

哥哥はどう思うかと聞くやつがいた。

「結と御秘官がつぶれて、漕幇(ツァォパァ)まで手を出せば京城(みやこ)に塩と米が入らない。それくらいは子供でも分かる。青幇(チンパン)、赤幇(フォンパン)だって次はと勘ぐれば国が亡ぶ。郷紳、郷勇だって武器に塩を止められては反乱が起きたら逃げるしかなくなるさ」

「やはり、塩ですか」

「こればかりは満、蒙、漢に限らず命と同じさ。宗教に頼っていくら弥勒下生を願っても、結の塩にはかなうものじゃない」

インドゥ物心ついた時から基本は塩だと劉全に教えられてきた。

普段の遊び人とは違うと宜綿(イーミェン)も感心している。

「今、国を揺るがす問題は阿片だ。こいつを止めるのは宗教反乱より難しい。なんせ異国の東印度会社は裏では阿片で国の一つ二つ潰しても儲けようという輩が多い。儲け仕事はいいが、こいつに手を出せば自分だけでなく家族親族が立ちいかなくなる」

男たちは漕幇(ツァォパァ)と共に阿片業者と人買いを潰すことを約束した。

海賊、河族、倭寇、偽倭寇たちと戦った血は今も息づいて居る。

漢人、満人、蒙人を問わず、土地と人を守るのが最大目的だ。

 

 

弟弟(ディーディ)が先に屋敷へ戻り、インドゥは船頭たちと暫く話をして屋敷へ戻ると宴席が用意されている。

平文炳(ピィンウェンピン)内外に五人孫がいる、南京(ナンジン)に娘が一人、孫は八歳と七歳の女の子が居て母娘に挨拶させた。

婿だという男は遅れたことを詫びて、塩問屋をしていると教えてくれた。

インドゥ「塩が基本だと言っておいてよかった」とほっとしている。

贅沢にも仏蘭西の香酒(シャンビンジュウ)が冷やされて出て来た。

インドゥ贅沢な男と思われているが、二十六歳になった今でもまだ二度しか飲んだことがないのだ。

公主との生活は普段は質素だ、公主府(元の和第)で人を呼ぶときは思い切り贅沢をする、普段贅沢していては有難味がないと二人は思っている。

三人姉妹の一番上の娘、弟弟(ディーディ)に惚れたようで何くれと無く世話を焼いている。

莞幡(ウァンファン)が隣の席で「蘭玲(ラァンリィン)姐姐、男嫌いは直ったか」など揶揄っている。

「こんないい女が男嫌いは勿体ない」

弟弟(ディーディ)に揶揄われても平然としている、男嫌いと言われる所以だなとインドゥ面白がっている。

莞絃(ウァンシィェン)が「中の妹妹(メィメィ)の縁談が有るのですが上が詰まっていて、嫁に行くわけにいかないというのですよ」とインドゥと弟弟(ディーディ)に卓の向こうから声を掛けて来た。

「私に遠慮しているなんて行きたくない言い訳よ」

「いやいやそう謂うものでもない。春鈴(チュンリィン)も相手を気に入って居るみたいだ」

兄弟姉妹で言い合っている「じゃ私が相手を見つけて家を出るなら婚姻するわね。約束して頂戴」と言い出した、中の妹が口を開く前にウァンシィェンが答えた。

「俺たちが請け合う」

「ねえ宜綿(イーミェン)先生。私じゃ後添いに不足がありますか」

いつの間に弟弟(ディーディ)め自分の家に嫁が居ないと教えたんだ。

「娘と、息子がいるがそれでもいいのか。妹が嫁に行くので女手が要るんだが、こんなだらしない男の嫁に為るのかよ」

「おやおやどこで口説き口説かれたやら」インドゥだけじゃない部屋全体が驚きで静かになった。

平大人が莞絃(ウァンシィェン)に「二親を連れてお出で」と言って迎えに出させた。 

漸く卓の料理に眼が行くと、旨そうな肉が出て来て湯気を立てている。

「そいつはそのたれをつけると旨いですぜ。料理人は薩摩の醤を付けてもうまいと言っていますのでその壺の醤も試してください」

美味いとインドゥが思ったが卓の肉はあっという間になくなっている。

「塩水鴨(イェンシィヤー)」

卓へ一羽ずつ家鴨の冷菜が出て来た、蘭玲が切り分けて卓へ配っている。

 

莞絃が「我父母(ジェシィウォフゥモゥ)」とインドゥと宜綿(イーミェン)に紹介した。

平大人が話をすると「道々聞きましたが、蘭玲が嫁に行きたいというなら異存は有りません」と言った。

宜綿(イーミェン)が立ち上がって「落ちぶれたこんな男ですが、大事にさせていただきます」と神妙だ。

「ささ、今日は吉日、皆で二人の門出を祝おう。ねぇ哥哥お屋敷から嫁に出していただけますか」

「いいとも、公主に手紙を書くから嫁さんを誰か京城(みやこ)迄、送ってくれないか」

莞絃が「私が送ります。何時にしましょう」気が早い男たちで、二人の都合などお構いなし。

 

フゥチンとムゥチィンを席に着かせて料理を運ばせて大騒ぎだ。

「私も京城(みやこ)が観たい」

一番下が「莞絃哥哥が一緒なら良いでしょ。寶絃姐姐にも会いたいわ」と父母に強請(ねだ)っている。

莞絃、帰りは一人で羽を伸ばすつもりの当てが外れた顔をしている、それをインドゥは面白がって「妹妹(メィメィ)の監視付きじゃ困るかい」と揶揄った。

「家の妻子(つま、チィズ)も連れてゆく積りですからそんな事ありませんよ」

ムゥチィンに「今考え付いたみたいだ」と揶揄われている。

どうやら普段から仲の良い楽しい家族の様だ。

「ついでだ家族全員で京城(みやこ)見物でもしたらどうだ。嫁入りしたらもう機会は無いぜ。俺たちは七月末、遅くも八月の中秋節迄には戻るからそれに合わせて出てきたらどうだ」 

インドゥは宿も平大人が手配するだろうと気楽なものだ。

平大人が「費用は俺が持つから行ったらどうだ」と莞絃の父母に話して居る。

もう宴席は二人の披露宴だ。

散々飲んで食べて大騒ぎで宴席は終わった。

平大人はインドゥと宜綿(イーミェン)の三人でもう一度この後の日程と行く場所の話をして寝床へ案内した。

 

 

翌日、四月一日の申の刻前に源泰興へ例の若い衆が迎えに来た。

インドゥと宜綿(イーミェン)に昂(アン)先生の三人で出向いた。

昨年来の話題の男は河口鎮建昌會館(河口四堡)元番頭の喬(ヂアオ)という男だと分かった。

南京の茶商と合肥(ハーフェイ)の茶商は手を組むことにした。

廬山は四月節後の二十日迄毎日どこかで入札の會があり、それぞれの代表に争わぬ様に手紙をインドゥに託す事にした。

平大人いうことに事欠いて「良い茶を公主に分ける様に書いてくれ。値段は十分儲ける様に忘れず書くんだぜ」と笑わせてくれた。

穀雨前の雨前茶は三月十一日から二十七日の間、ここが一番仕入れの旨味も出るはずだ。

雨前茶は十四日から市が始まるという。

 

 

十一日に九江について荷を降ろして翌日鄱陽湖(ポーヤンフゥ)廖家壟(リアオジィァロォンへ船を係留した。

茶商の集まる胡家壟(フージィァロォン)を訪ねた。

廬山には可笑しな動きも見えず、残っていた御茶膳房の太監も顔見知りでインドゥが開いた宴席で楽しく遊んでくれた。

話を聞くと今年は全摘み取りを少しずつ買い取る様に指示されているという。

「うるさ型に飲ませて違いでも調べるようです」

穀雨の開ける二十七日までは居る予定だそうだ。

茶商達とも仲良くなり、公主の為と云うので明前茶から二百四十斤の良茶を選んでくれ、価格は大卸の値段で折り合った。

一箱三十斤で四箱を一擔として二擔銀十八両、都迄の運賃二擔二十両。

権孜(グォンヅゥ)も廬山雲霧茶(ルーシヤンユンウーチャ)の雨前茶の手ごろなものを店へ四百八十斤買い付けて一緒に送ることを頼んだ。

廬山雲霧茶は年間にすれば四千四百箱は見込めるという。

ヅゥは四擔銀二十両、都迄の運賃四擔四十両の六十両を銀票で支払った。

ヅゥに貸し出すからもっと買ったらどうだというと河口鎮ではお願いしたいというので権洪(グォンホォン)からの指示でも有るのだろうと請け合った。

 

白鹿洞書院は表から見るだけで三畳泉の瀑布を見にいった。

香炉峰は遠くから霧の上に覗くだけで近くへは寄れなかった。

二刻半で南側を回ったが天候が下り坂となり、西側の含鄱口で五老峰と太乙峰を見るのは諦めた。

 

南香炉峰

李白 望廬山瀑布

日照香炉生紫煙 

日は香炉を照らし紫煙生ず

遥看瀑布掛長川(前川)

遥かに看る瀑布の長川(前川)に掛くるを

飛流直下三千尺

飛流直に下る三千尺

疑是銀河落九天

疑ふらくは是れ銀河の九天より落つるかと

 

北香炉峰

白居易(白楽天) 香炉峰下新卜山居

日高睡足猶慵起

日高く睡り足りて 猶起くるに慵(ものう)し

小閣重衾不怕寒

小閣衾(ふすま)を重ねて 寒を怕れず

遺愛寺鐘欹枕聴

遺愛寺の鐘は 枕を攲(さばだ)てて聽き

香炉峰雪撥簾看

香爐峰の雪は 簾を撥(かか)げて看る

匡廬便是逃名地

匡廬は便ち是 名を逃るるの地

司馬仍為送老官

司馬は仍 老を送るの官と爲す

心泰身寧是帰処

心泰かに身寧きは 是歸する處

故郷何独在長安

故郷何ぞ獨り 長安にのみ在らん

 

二十二日まで周辺を回って遊んで鄱陽湖廖家壟から信江(シィンジァン)へ入った。

 

 

船頭は河口鎮(フゥーコォゥヂェン)まで千里くらい有るというが三十日巳の刻前に着いた。

川を下るには五日あれば十分だという。

インドゥは三十両を慰労金として出して船頭と別れた。

教えて貰った宿は波止場から一里も離れていない河口二堡(リャンプゥ)大きな構えの興帆(シィンファン)酒店で、離れ二部屋なら八人までは泊まれるという。

宿を決めて権孜(グォンヅゥ)と河口三堡にある浙江會館を訪ねた。

権洪(グォンホォン)の手紙を出すと取引をする番頭を呼んでくれた。

浙江(ゼァージァン)は婿に入った茶舗の先々代の出身地杭州(ハンヂョウ)の繋がりで取引を手助けしてくれる。 

グォンヅゥとは前に京城(みやこ)で会ったようで話はすぐに通じた。

叶(イエ)と云う番頭は「武夷岩茶」が入って来ているという、孜(ヅゥ)が二十擔(八十箱)二千四百斤買い入れて都へ送る契約を結んだのでインドゥが銀票を三百六十両貸し出して支払った。

武夷岩茶は色々あるらしい、旧名の崇安(チョンアン)を使うことも多い、ここの會館取引は一箇年の生産高平均千八百箱だという、一箱三十斤で四箱を一擔として数えた、五万四千斤、高級茶はその内二万四千斤あまり。
武夷岩茶は全取引の一割程度だという。

製茶費及び諸掛一擔八両での卸取引なので百六十両、都迄の運賃二十擔二百両で請け合ってくれた。

これが高級茶の中でも特定品種となれば価格に限度がないという。

崇安(チョンアン)星村鎮から福州まで業者は高級茶を運賃一擔(四箱)四両で山越え九百里を三月から五月は七日かけて人の手で運ぶという。

高級品で一人二箱を一つにして二両、中級品は一人で四箱分担いでも二両だそうだ、よく四箱分百二十斤を振り分けで担げるものだと京城(みやこ)育ちのインドゥには思えた。

馬より安い脚夫(ヂィアフゥ)の費用なんだそうだ、馬で二擔だという。

こう聞くと簡単そうだが、福州から茶を広州へ船で運ぶのは禁止だ。

都へは福州から天津(ティェンジン)へ運ぶ船の為の船便もある。

河口鎮へ集まった茶は信江を下って贛江に入って、大庚嶺まで船で運んで、そこから脚夫(ヂィアフゥ)が担いで梅嶺関を越え、再び南雄より北江に沿って広州へ運ぶという。

河船は大体二百箱、五十擔積んで運ぶそうだ。

福州から星村鎮へさらに河口鎮を抜け広州となれば安物の寿眉(福建省建陽、建甌、浦城)が高級品並みの価格になって異国へ送られる。

「都で茶が高いのがこれで分かりました」

「ヅゥ、これで驚いて居たら英吉利の値段じゃ眼を回すぜ。此処の会館であつかう高級品のわずか二万四千斤の内半分以上が広州へ行くんだ。残りを取り合うんだ例の男が幾らでもいいなんて取引値を吊り上げたらどんな騒動に為るか恐ろしい事だぜ」

興という番頭はその噂はこの會館には聞こえてこないという、どうやら江南から遠くへは来ていない様だ。

「大紅袍」は御茶膳房の太監が献上品を受け取っていったという。

星村鎮(シンツゥンチェン)、桐木関(トォンムゥグゥァン)でなら武夷茶の良い物が買えるという「市はこれからが本番です。出稼ぎの妓女もここから出ています」と教えて来た。

良い茶がそこで買われて送られた後なら、福州まで追いかけることになりそうだ。

 

 

駐防官は陳洪(チェンホォン)だというので河口一堡の役所を訪ねると喜んでくれた、拳を子供の頃習った相弟子だ。

昂(アン)先生に弟弟(ディーディ)が一緒というと今晩宴席を設けるという。

ヅゥを先に興帆(シィンファン)酒店へ戻らせ、外へ出ない様に伝えさせたあと、暫く街の様子を聞いて過ごした。

蔡英敏(ツァイインミィン)という太医見習いが一緒で新薬、新薬草、保養薬の探求もしている事、公主が愚図るので各地の茶を土産にすると話した。

「さっき帰したのも知り合いの茶舗の弟弟(ディーディ)で勉強に着いてきたんだ」

「哥哥はどうせまたフォンシャン(皇上)の体を丈夫にする薬の探索だろ」

「見抜かれちゃ仕方ない。それもあるが俺の名を脅しに使って茶を集めているのがいるらしい。ただいいことは高くても茶の出来不出来は構わないそうだ」

「高くていいなら茶商は喜ぶだろ、どこがいけない」

「茶膳房はいつもの様に横柄に値を下げさせているようだが、そいつが買い占めれば小売りの店は安く茶が手に入らない」

「街の小商人が泣きを見るという訳か」

「それと、二人になりたかったのは献上茶と言われるものの品質が落ちているそうだ」

「大紅袍は献上品だけだ。今年は一斤位しかないそうだ」

「どこの情報だ」

「桐木関(トォンムゥグゥァン)の陳健康(チェンヂィェンカァン)だ」

「哥哥(ガガ)はそんなところにいたのか」

「地方回りも長くて退屈しているそうだ、哥哥 (グァグァ)に宜綿が行けば喜ぶぜ。馬で二晩泊まれば着くぜ、ま歩いて三日だからあまり変わらんが、行くなら馬宿を紹介するぜ」 

「公主に武夷岩茶の良い物を買いに行くか」

「そうしろよ、いつまでここにいる」

「潮州(チァォヂョウ)鳳凰山(フェンファンシァン)の鳳凰(フェンファン)の噂を調べるのに三日ほどいるつもりだ」 

「桐木関から山越えで百二十里、武夷山の西の星村鎮へ出れば筏船で崇阳渓を下って川下りを楽しみ、途中から乗り換えて閩江(ミィンジャン)で福州まで下るか。そこからなら歩いても船でも楽に行ける」

「それが一番近いのか」

「山越えを歩くよりましなくらいかな。本当は信江を下って九江で長江(チァンジァン)を下り、鎮江(チェンジァン)から杭州(ハンヂョウ)迄運河という手もある。これなら歩く事もなく行けるぜ」

そう言ってげらげら笑った、鎮江から来たのは京城(みやこ)出身の官員にはお見通しだ。

「実はな、上饒(シャンラオ)の霊山も回ろうと思っていたんだ」

「馬なら一日でふもとまで行ける、向こうで三日居ても五日遠回りするだけで済むぞ。二百五十里程度の回り道さ。一度ここへ戻ってもいいさ」

江西巡撫は評判の悪い張誠基、福建巡撫は海賊退治で名を馳せた汪志伊が福建布政使から昇進。

河口鎮から二百里で桐木関その先は百二十里で星村鎮九曲渓かとインドゥの心は動いた。

 

夕刻酉の鐘の鳴る前に陳洪(チェンホォン)は大きな男と二人で迎えに来た。

臨江(リィンジァン)飯店という大きな店へ行くと役人たちが十人ほど来て挨拶して「別室で支度があります」と庭の先の部屋へ案内されて移っていった。

大きな男は鄧双環(ダンシュアンフゥアン)と名乗って馬喰の取り締まりだという。

「普段はシュフゥアと皆が呼ぶんだ、馬喰は師(シィフゥ)と言っているよ。拳は俺より強いが俺が哥哥だ」

料理が出て来た、山の中とはいえ豪勢な料理が並んだ。

「哥哥、武夷の星村鎮まで替えの馬を含めて八頭、馬喰が十人、泊りの費用込みで俺の奢りだ。それと別に明後日に出て上饒(シャンラオ)の霊山まで往復で四日見たぜ」 

「なんだ、気の早い奴だな。さっき哥哥からどうするか聞いたばかりだ」

昂(アン)先生も驚いたようだ。

「ここへ戻って来なよ。その間に色々調べておいてやるから」

友は好いなとインドゥに宜綿も思った。

宜綿(イーミェン)が吃驚するくらいの美人が二人やってきた。

「宜綿先生、手を出しては駄目ですぜ」

「大丈夫だ、宜綿先生、先月婚約が成立してこの旅から帰ればすぐに婚姻だ」

インドゥがすっぱ抜いたら弟弟(ディーディ)情け無さそうに「俺だって見境なしじゃない」など言っているが信用できるか。

「一人は師の妻子(つま、チィズ)で、一人は師傅の実の妹妹だ。鈴凛(リィンリィン)に俺の嫁に為れと言ったが、妻子(つま、チィズ)に子供も京城(みやこ)にいるのがばれた」

本気なのかどうか分からぬ男だ、それからの酒は一層旨かった。

師傅の祖父と妹妹(メィメィ)がこの店を遣っているという話だ。

「婿に来るなら哥哥でもいいのよ」

陳洪「そんな事したら父母に縁を切られる。それに哥哥でもいいは酷い」と嘆いている。

向こうで愛嬌をふるまって来ると言って庭の向こうの部屋で酒を注いで回ってきた。

「昂(アン)先生、哥哥と内緒話があるんで今晩お借りしますよ。宜綿(イーミェン)先生が浮気の虫を起こさない様にお願いします」

師傅と三人あらかじめ用意された部屋へ向かった、二階のその部屋は昔は師傅(シィフゥ)の部屋だったという。

「実は師傅から聞いたが、豊紳済倫(フェンシェンジィルン)の使っている茶の仲買が哥哥の名を出すそうだ。江蘇周辺から来たものが話して居たんだとさ」

「どうもそうらしい。此処の會館の、元は番頭だと聞いた」

「聞いていたか、喬(ヂアオ)という中年の男だというと、敏い奴だがずるがしこいので追い出されたという話だ」

「だが、俺の名を出しても得になるかな」

「公主の事を知る者には十分効き目が有るさ。哥哥が思う以上にね」

師傅が聞いてきた噂話を色々と教えてくれ、三人でどう対処するか酒を飲みながら相談していたら大分遅くなった。

インドゥを残して帰るというと女たちが部屋の片づけに遣ってきた。

「哥哥を残していくから朝飯を食わせて帰してくれ」

鈴凛(リィンリィン)が笑いながら帰る三人を見送って部屋へ戻ってきた。

「婿に来なくていいから抱いて下さい」

「おいおい、陳洪じゃ駄目なのかよ」

「ここの人じゃない方がいいのです。嫁に行くなんて御免です。まして婿何てに来たいのは軟弱な証拠です」

「困ったな」

「私じゃ不足ですか」

「そうじゃ無くて、美人に弱くてな。手も出せないんだよ」

「奥様は美人じゃないとでも」

ぐうの音も出ないとは此の事だが、俺が手を出したわけじゃないと言い訳しても始まらない。

さっさと服をはぎ取られ、自分も服を脱いで寝床へ座って手を出してきた。

初めてじゃないのかと思い大胆になった、顔も美人だが胸は白く灯が映る様に輝いている。

膝たちで膝を割ると和毛は短く巻き毛だ。

乳を両手で押すと体を後ろへそらして喘いでいる。

息を吐いて嬉しそうな顔で「これで本当の女に為れたのね」と言い出した。

「まだ本当の女じゃないよ」

「どうしたら本当の女に為れるの」

「痛くないかい」

「痛かったけど、今は痛痒いというほうが本当ね」

「気持ちよくなって、気が行くことを覚えたら、それが本当の女になったという事さ」

「では哥哥が教えてくださいな」

初めてだぞこんな娘と戸惑いながら腰を柔らかく使いだした。

「そうだ、そういう風に動きを合わせるんだ」

まるで教師だ、「これなの、これなの」と言って腰を合わせて来た。

「大丈夫」

「痛みは有りますけど、妓女たちが言うほどではないですわ。早く本当の女にしてください」

一息つかせようと「リィンリィンとはどういう字を書くんだい」というと、「鈴に厳格の意味の凛です。ひどい人がいて凛は寒いとか怯えているなんて言うんです」

きつい口調で言う「それで強がりになったか」と納得した。

これが美人の得な処かと、後始末をして布団をかけてやると「行くというのはこういう事なのね」とほほ笑んで涙を流した。

「なぜ泣くんだ」

「だって哥哥は京城(みやこ)へ戻るんでしょ」

「会いたく成れば京城(みやこ)へ来ればいい」

「この土地を離れたくない」

愛おしくなり布団を剥いで抱きしめた

強(きつ)く抱きしめると足を絡げて「歓喜、歓喜(ファンシィ)」と仰け反って体を震わせた。

 

 

閏四月一日の朝、日の出は大分早くなった、川霧の向こうに小高い岩山が見えた。

朝の粥を食べて宿へ戻り蔡太医とヅゥを連れて薬房巡りだ。

申に宿へ戻り六人で宴会だ。

「明日は上饒へ馬で出るから重い荷を担いで歩く事もないぞ」

「今回は銀(かね)も重くないし船が多かったので楽なものですよ」

與仁(イーレン)めだいぶ楽してると、インドゥはなにか持たせてやるかと悪だくみだ。

弟弟(ディーディ)が「哥哥は昨日あの後大分飲んだのか」と探りを入れて来た。

「ああ、例の仲買の話と上饒(シャンラオ)の霊山の話で気が付いたら夜半を過ぎていたな。陳洪(チェンホォン)め相変わらず酒に強い」

「ありゃ昂(アン)先生が悪い。俺たちが悪ガキどもを懲らしめると、よくやったと煽てて酒を飲ませたからだ。銀(かね)もないから大して飲めないのに門前の女たちが喜んで奢りやがった」

「俺も後悔してるよ。悪ガキの顎外しをした後で悪さをするなというついでに仲直りの酒を奢ってしまったら、あいつ等がそれを聞いて喜んで奢ったのも、お前さんたちがいい男になりそうに見えたんだろうよ」

後で昂(アン)先生にばれたが、陳洪(チェンホォン)と宜綿(イーミェン)の二人は初物食いの妓女で有名な慎梨(シェンリィー)に男にしてもらった。

弟弟(ディーディ)の年上好きはあれ以来だ、インドゥ自分はと言えば、姐姐(チェチェ)と十八も違うのを気にもしていない。

十四歳の時に寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)はもう三十二歳だった。

此方に話が来ない様に淮安(ホァイアン)の武勇伝と、弟弟(ディーディ)が酒店の女を口説いた方へ持っていくのに成功した。

 

 

二日の朝、卯の正二刻に興帆(シィンファン)酒店へ師傅が八人の馬喰と来て「儂もお供しますで」と荷を振り分けに乗せ、河口鎮から上饒へ向かった。

馬喰は杖を持って居る、聞くと三本目の足だと笑っている。

廟完磯頭(ミィァオウァンヂィトォウ)の渡し船で信江を渡り、田植え前の山道を進むと半里ほどの河が有り、そこにも渡しが有った。

馬も船に為れているようで大人しい、馬喰が時々棒で鞍の付近を擦ってやると嬉しそうに鼻息が漏れてくる。

申の鐘が鳴る中、街を抜けて大きな三廟(儒・釈・道)の先の郷燕(シィァンイェン)酒店へ馬を止めた。

「儂たちは馬喰宿へ行きますんで此処へ泊まって下さい。話はついています。朝は辰にお迎えに来ます」

婺源仙枝茶(ウーユアンシィェンヂィチャ)の茶商が訪ねて来た。

陳洪が河口鎮の茶商から話を通してくれたそうで探し回る手間が減った。

婺源仙枝茶は婺源県が主な産地で一芯一葉一番茶と一芯二葉二番茶で摘み取り時期で価格に差が出るが高級品は茶商が南京(ナンジン)、京城(みやこ)へ高額で売りさばいているという。

茶商は此処での淹れ方を教えてくれた。

まず一人が一芯一葉一番で、もう一人が同じ手順で一芯二葉を淹れた。

茶壺、茶杯、茶海に湯を注いで温めてから茶壷の湯を流した。

茶壺に茶葉を多めに入れ、湯を茶壺いっぱいに注いだ。

茶壺の上から湯をかけて冷めない様に蒸らし、茶海の湯を切り、茶水を注ぎ切ると茶杯六つに注ぎ分けた。

インドゥにはさほどの差は無さそうに思え、権孜(グォンヅゥ)と蔡英敏(ツァイインミィン)も分からないという。

インドゥは「一芯二葉二番茶のほうが飲みごたえがあるが」と聞いてみた。

四人の茶商の内、年長者が「私たちもここの水で飲む分には同じように感じます。南京で昔飲み比べをしたときは、一芯一葉一番茶は軽く、一芯二葉二番茶には重さが有ると言われましたそうです」と言う。

「軽いは、上品という事かな」

「いえますね。二番摘みの一芯二葉に人気が出れば土地の茶業農家も潤うのですが」

「富貴な人たちだけでなく、街の者が手軽に飲めるにはこっちへ来て運送費次第だと痛感したよ。安物でも都へ送れば運送費だけでも莫大だ」

「実は茶以外にこの地は売れるのは筍に米、辣椒(ラーヂィアォ・トウガラシ)くらいです。竹製品も外へ出せるほど盛んではありません」

若い茶商が「広州へは河口鎮の業者が入らないと送れないので値段が抑えられているので、一芯二葉二番茶が行き場を失っています」と憤慨している。

「それは値段が合わないという事かい」

最上級一芯一葉一番茶一擔制銭三千五百銭が買い付け業者の提示、一芯二葉二番茶一擔制銭二千二百銭だという。

百二十斤二千二百は確かに辛そうだ。

一斤二十五銭は最低でも欲しいと皆が口をそろえる、擔(ダァン)に三百五十銭負担がかかるそうだ「擔の代を引けば千八百五十銭。使いまわしを許してくれませんのでこれでは売れません」と言っている。

此処でも銀は一両制銭壱串(千銭)が動かないという、制銭で提示するのは金、銀の相場が上向きで銭が落ちると観て居る様だ。

「売りたい値が一擔銀三両ということかい、河口鎮で聞いた中級品の卸しよりだいぶ安い。間で儲けているという事か」

「仲買の蘆(ルー)茶商は此処のは中級品には入らない、というので決裂しました」

「今売りたいのはどのくらいたまっているんだ、茶市で売れ残つたと云うことかい」

「今年は雨前茶の茶市が成立しませんでした。その前にあまりにも明前茶の値段が叩かれて仕舞ったのです。春前茶は収穫が少なくやむを得ず言いなりで手放したのに酷い物です」

「いま私たちの組合で雨前茶の婺源仙枝茶が九百擔倉庫に有ります。半分言い値でさばければ息が付けますが、叩かれても売らなければ立ち行かないものも出そうになってきました」

「孜(ヅゥ)、お前さんの茶舗は周りに卸せる仲間が居るのか」

「はい、京城(みやこ)と天津(ティェンジン)に兄貴の取引仲間が五軒ほど」

「扱ってみるか」

「私には数多く扱う自信が有りません」

「喫茶指南をして売りさばけば香りに差がないことは分かると思う。それと金持ちより飯店、菜店、酒店(ヂゥディン)の親父に売り込みなよ」

「ああ、売り込み先を訪ねて売り込もうというのですね」

「そういうことだ。味を煩く言はない処なら香りで此処の物は何杯もお代わりできそうだ」

英敏(インミィン)も「三杯目でもまだ香ります。菜店当たりなら銅の湯沸かしに直に入れてもいいかもしれません」と言っている。

「もし、ここでは鉄瓶で直に葉を入れても香りが落ちないと年寄りは自慢します」

高級茶も鉄瓶が好いという者もいる、水に鉄分が微妙に溶けるのは体にもいいと聞いたことがある。

都までの運送費用が分かるかというと「近くに運糟の老爺が居ますので連れてきます」と出て行った。

婺源仙枝茶が六百擔それと運送費用だと胸算用してみた。

「やはり哥哥の御一行で」

遣ってきたのは徐(シュ)老爺だ。

前に聞いたのは信江の波止場に三艘の運糟船を置き、息子五人が入れ替わりで自分と動いていること、家は支流を十里ほど上がるが運糟船は小型船しか家まで来られない事と言う事だった。

「何ね今竹屋が南京(ナンジン)迄荷を運びたいが運送費で折り合わずにもめていたんですよ。来いよ遠慮なんかいらねえよ」

若い男が窮屈そうに立って居たが徐(シュ)老爺に椅子をすすめられて「許斐(シュフェイ)といいます」とがたいのいい割に小さい声だ。

「さっきの威勢はどうした」何て言われている。

「言われて料金の帳面を見たら京城(みやこ)までだと南京経由で十擔百両ですぜ」

六百だと六千になってしまう。

「徐(シュ)老爺よう、お前さんの船を借り切って京城(みやこ)まで行く余裕があるか。行けるならいくらで借り切れる」

「本気ですか。息子たちを呼んで好いですか、おい若いの店まで走れ。うまく行きゃお前の荷は半分で運べる話だ」

許は慌てて出て行くと茶を一服啜るまでもなく二人を連れて来た。

「哥哥の荷ですか」

「そういうことだが、まあ聞いてくれ」

経緯を徐(シュ)老爺親子に話、茶商に「雨前茶の婺源仙枝茶が六百擔買うが一擔三両で好いな」と念を押した。

口をそろえて「有難いお話です」と言う、茶の代金は千八百両だ。

「徐(シュ)老爺の船なら茶の六百擔なら負担にならんだろうが、六千も運送に負担する余裕はない」

三人で話して居たが「借り切って下さるんで」と値切りに応じる様だ。

「その許の荷も乗せられるなら儲けにすればいい。それと南京で茶は百擔降ろしてもらうから、余裕があれば積める荷を受けてもいいぜ。急ぎの荷じゃないんだ」

「千六百出してくだされば十分ですがいかがでしょう」

「よし決めたぜ、許の兄いもせいぜい安くしてもらいなよ」

南京の陪演(ペェイイェン)と権洪(グォンホォン)への手紙を明日朝までに書いて渡すと約束して上饒(シャンラオ)で銀票を交換するか、支払いを銀票で好いかそれとも金錠でもと確認した。

徐(シュ)老爺は金錠でいいというので與仁(イーレン)に一両金百六十両と銀百六十両を渡して「手紙は今晩書いておく朝取りに来てくれ、茶商から荷が届いたら船を出してくれ。京城(みやこ)で羽でも伸ばして来いよ」と送り出した。

茶商達も金錠で好いというので與仁(イーレン)に百八十両出してもらった。

茶商達も明日中に徐(シュ)老爺の船へ届けると礼を言って帰ると「ヅゥよ送料込みで一擔六両以下だこれなら売れる値段に為るだろう」とヅゥの算段で売りたいと買値と売値を兄貴に伝える手紙を書くように言いつけた。

二人で手紙を書いていると昂(アン)先生が「ついに哥哥も茶商の仲間入りだ」と弟弟(ディーディ)といつの間にやら酒盛りに為っている。

手紙を書き終わると南京の陪演(ペェイイェン)の住まいの所を書いて封をし、権洪(グォンホォン)の方は孜(ヅゥ)の分と一緒にした。

與仁(イーレン)から会計の報告を聞いた。

残金-銀千五百九両に金二百八十両と銀票二千四百八十両、一両銀票五十五両。

宜綿(イーミェン)先生銀票五百両、哥哥の持ち分に百両銀票二百二十枚だという、残りは一両銀票に銀塊と銭でこれは全員の持ち金が分からないので保留だという。

インドゥはヅゥを大分買っているようで、河口鎮で銀票を三百六十両貸し出したほか上饒(シャンラオ)の分として一両金三百四十両と銀百六十両の内銀換算三千両を投資した。

権孜(グォンヅゥ)は店から三百両の銀票を渡されまだ二百四十両あるという。

「そいつは最後まで手元に置いときなよ。まだまだ序の口みたいだ。ヅゥには貸し出しは先の三百六十で今度のは投資だ。結へ推薦できる商人に為れよ。桐木関に星村鎮でも売り込まれそうだ。陳洪(チェンホォン)め茶商の手助けに送り込んだようだぜ。ご馳走するはずだ。こっちがどのくらい持っていると踏んだか次第だな」

「平大人の分は知らんだろうが、公主の土産と言うから銀三千や五千は見てるな」

弟弟(ディーディ)め大分大雑把だ。

「弟弟(ディーディ)の言う通りだ。河口鎮へ一度戻れは、陳健康(ヂィェンカァン)への連絡の時間稼ぎだろうさ」

「そういうことだな。俺たちも友人で相弟子なら健康(ヂィェンカァン)とも相弟子で同じ庭で汗を流した友人だ。任務地に金が落ちれば街が潤う」

二日霊山巡りで潰して上饒(シャンラオ)三廟の郷燕(シィァンイェン)酒店を閏四月五日に出た。

道々師傅が河口鎮に戻れば宴会が待っているという。

インドゥ今日は勘弁してくれと思ったが宜綿(イーミェン)は「あの店か」と嬉しそうだ。


その日のうちに河口鎮へ着いて興帆(シィンファン)酒店へ入った。

汗を流して着替えると陳洪直々にお出迎えだ、インドゥ居残ろうとしたが連れ出された。

與仁(イーレン)たちには此処で好きにしろと言うのがやっとだ。

臨江(リィンジァン)飯店では鈴凛(リィンリィン)が入口で出迎えて広間へ案内した。

昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)、インドゥに陳洪(チェンホォン)の四人でお疲れ様の乾杯だ。

卓に料理が運ばれると洋酒の瓶が出て来た「Château de Lacquy」のラベルが見える。

「白蘭地(ブランデー)の拉基城堡(シャトー・ド・ラキー)ですよ」

昂(アン)先生も驚いている。

「ついにここもブランデーを売り込まれたか」

「ああ、去年から売り込みが激しい」

「この間は出なかったぞ」

「そりゃそうだ。俺でもこいつを出せは懐が承知しない」

「誰の奢りだ。まさか茶商か」

「違う。リィンリィンの奢りだ。支度を頼んだら酒はブランデーを出すというのでそんな金は無いと言ったんだぜ」

一斉にインドゥを見たのは「惚れられたな」と察し取ったようだ。

三杯子鶏のこってりした後は魚餃と言う茹で餃子。

全寿鶏は椎茸が美味い味を出している。

「いゃ、こいつは美味い」

宜綿(イーミェン)めリィンリィンは諦めて、料理と酒を楽しむことにしたようだ。

餘幹辣椒炒肉という五花肉と將楓樹辣椒という辛い料理が出て、ブランデーが甘く思えて美味い。

料理が終わるころ師傅が来て拉基城堡の三本目が開けられた。

師傅も空いた瓶を見て眼が驚きで陳洪(チェンホォン)を見ている。

陳洪め眼でインドゥの方を指してきた。

「この間から可笑しいと妻子(つま、チィズ)が言うんだ」

女の感は鋭い、インドゥは知らん顔をしたが師傅は「あいつは男を男とも思わん乱暴者だが、手なずけるとは恐ろしいお人だ。宜綿先生の噂は聞いたがそれ以上か」と驚いている。

「なんで俺の噂がここで聞えてくるんだ」

「宜綿先生の噂は郷勇で四川へ出たもので知らない人は居ませんよ。私も一年お付き合いしましたよ。最も馬方で後ろの方で騒いでいただけでしたので顔も知らないでしょうが。馬喰の間ではお盛んなのは知れ渡っていますよ」

「おいおい、陳洪お前も一緒に話を大きくしたな。お前の悪さもばらそうか」

「宜綿先生、ばらせば一蓮托生なんだぜ。慎梨(シェンリィー)から始めるかい」

「参った、勘弁してくれ」やはり弱みの様だ。

又一本「Château de Lacquy」が出てきた、陳洪じゃないが自腹はお断りだ。

摘まみにチャオクリー(チョコレート)も出てくるには昂(アン)先生もまた驚いている。

香(か)はバニラ入りだ河口鎮おそるべしだなと思った。

「哥哥、こいつわな、この時期渡りの妓女たち目当てに売り込みに広州(グアンヂョウ)や寧波(ニンポー)に南京(ナンジン)辺りの菓子屋が来るんだ」

「高いだろう。この香りはバニラの香りだ」

「一箱制銭三串だそうだぜ、十人で分けりゃあっという間になくなる。博打でするよりましなくらいで、強請(ねだ)られたほうは酔った勢いで買い与えるそうだ」

鈴凛(リィンリィン)が「これで御終い」とまた一本出した。

「六本買って一本は家族で飲みました」

「俺は飲んでないぞ」

「だから今晩飲めばいいでしょ」師傅もこの妹にあしらわれている。

グラスに注げと椅子へ座ってインドゥにおねだりだ。

奢ってくれたんだ、飲んでもいいだろうと注いだら、ぐぃっと一気に流し込んだ。

又グラスを出すので大目に注いだら今度はちびちびやりだした。

卓の上も片付いてインドゥが「さぁお開きにしよう」と立ち上がろうとしたら袖を掴まれているのを横目に、師傅が陳洪や宜綿、昂先生を連れ出した。

 

 

「四人で飲み直ししましょうや。家に別のブランデーが二本有りますぜ」
一里も歩かぬ近くの師傅の家に行くと、直ぐに美人の夫人が支度をしてくれた。

「あらもう御一方は、四人連れてくるはずでは」

「おまえの言う通りさ。鈴凛(リィンリィン)が付き纏って離さない」

夫人が先に寝る様に言われ部屋から出ると「一蓮托生の話をしてくださいよ。気になって酔えません」など言っている。

「昔な、同じ女に男にしてもらった兄弟さ。筆おろしが生きがいで、京城(みやこ)じゃ慎梨(シェンリィー)に何人男にされた兄弟が居るやら。インドゥ哥哥に健康哥哥は捕まえ損ねたようだ」

「妓女ですか」

「五歳上だと後で知ったが、あの頃十九だ。臙脂胡同(イェンジィ)じゃ有名な売れっ子で男と寝ないで有名だった。つい自慢したら陳洪と筆おろしのお仲間だった」

「インドゥ哥哥に健康哥哥も、もてたんじゃないですか」

「その時にはインドゥ哥哥にはもう格格が居て、酒くらいの付き合いはしたが妓楼は嫌いだし、健康哥哥は婚姻まじかで遊ばなくなっていたんだ」

「若いのに妓楼が嫌いですって」

「インドゥ哥哥だがありゃな、纏足女が大嫌いで、音曲が分からないせいだ」

昂(アン)先生も話に加わってきた、宜綿(イーミェン)も調子が付いたようだ。

「不思議なのは棍も拳も四人の中では申し合いが一番弱い。弓に剣も親王家の息子たちに敵わない。それでも女にもてる」

「男から見るとひ弱だが、城内の奴婢の間じゃ評判だし、妓女にももてた」

「そうだ健康哥哥ほど男前でもないが魅力が有るという妓女が多かった」

「酒を奢る妓女に誘われても、露骨に迷惑そうな顔をするんで、反対にもてていたんだぜ。こっちに回せよと何度言ったか、言えばやれ助かったと逃げ出すんだ」

「それみなさん十四.五の頃ですか」

「其の二年くらいで胡同遊びは終わったな。自分の銀(かね)で遊ぶほど持って居ないせいだ」

後は昂先生の胡同での豪傑譚で朝まで飲んでみな高いびきだ。

 

鈴凛(リィンリィン)が用意した部屋へ行くとインドゥの服を脱がせ、寝床へ先に上らせると最初から上に乗って口づけをせがんだ。

 

 

六日の朝鈴凛(リィンリィン)はインドゥを送り出すとき「今晩も来てください」と甘えた。

「そう度々入り浸っては店に悪評が立つぞ」

「いやですの」

「いやじゃないから困る」

「戌を過ぎれば店を閉めて体が空きますから必ず来てくださいね」

鈴凛(リィンリィン)の腰を抱いて口づけをして別れを惜しんだ。

ヅゥと蔡太医(インミィン)を連れて今日も鳳凰(フェンファン)の情報探しだ。

陳洪(チェンホォン)と親しいという茶商は買い入れるなら白鶏冠(パァイヂィグァン)と言う鳳凰(フェンファン)に似た香りの茶を勧めてきた。

水金亀(シィヂィングゥィ)、小紅袍(シィアォホォンパァォ)などの武夷岩茶(ウーイーイェンチァ)などについても話してくれたが実物は持って居ないそうだ。

小紅袍(シィアォホォンパァォ)は大紅袍(ダァホォンパァォ)とは関係はないという。

大紅袍(ダァホォンパァォ)も接ぎ木で幾らかは採れてはいるそうだが流通は禁止されているという。

「噂では密かに飲ませる家が有ると聞いていますが。どこの誰がと言うことは誰も口に出しません。大きな屋敷の裏庭に有ると子供の頃聞いたことがあるくらいです」

思わせぶりな事を言う。

二人を帰して陳洪(チェンホォン)の所に顔を出すと二日酔いの儘事務を執っている。

「どうした」

「どうしただと。哥哥のせいでやけ酒の交歓で朝まで飲み続けたんだぞ」

「おいおい、ホォン。お前此処に妾が二人居ると聞いたぞ。振られて当たり前だ」

「誰がそんなこと吹き込んだ」

しかとすると「寝物語に聞き込みやがったな」としょげて居る。

大紅袍(ダァホォンパァォ)の噂を話すと健康(ヂィェンカァン)からだと言って話し始めた。

「星村鎮の頭は代々試飲できると噂で期待したが、そんな話去年は一度も来ないそうだ。接ぎ木したというのも噂だそうだ。あってもその家の当主が自分で楽しんでいるんだろうと言っていたぞ。今年話が来たら呼ぶと言っていたがまだ来ない。俺は茶より珍しい酒のほうが良い」

「もうないだろう。昨晩全部鈴凛の奢りで飲んだ」

「師傅の家に別のブランデーが有って四人で全部飲んだ。あとはこの街で探すんだな」

「今晩も飲むなら探してやるぞ」

「今晩は勘弁しろ、体が持たん」

「明日ならいいか。送別会もこちら持ちで開くのもいいぞ。店を押さえろよ」

「臨江(リィンジァン)飯店で好いじゃないか」

「この上お前さんと弟弟(ディーディ)の悪酔いに付き合うのは御免だ」

「恨まれても俺のせいじゃないからな」

それでも従卒に「繪老(フゥィラオ)へ行って明日の酉から二刻宴席の約束を取って呉れ。ブランデーが無ければ持ち込んでいいかも聞いてくれ」と送り出した。 

若い男を連れて戻って来て「香槟酒(シャンビンジュウ)と葡萄酒(プゥタァォヂォウ)ならあるそうですが持ち込むかお返事を」と男を指さした。

「始まりは香槟酒(シャンビンジュウ)二本、途中で葡萄酒(プゥタァォヂォウ)二本で好いよ。五人で支度してくれ。会計はこの男が持つ」

インドゥは「種類があれば高い方で好い」と銀塊を一つ駄賃だと渡した。

「高く請求されても俺を恨むなよ」

 

晩は皆で飯にして與仁(イーレン)に今夜も泊りだと戌の鐘で臨江(リィンジァン)飯店へ出向いた。

昂(アン)先生に弟弟(ディーディ)は察して軽く飲んで早寝だ。

飯店の有る胡同の手前で棒切れを持った三人の大男が待ち構えて「金を置いてゆけ。命までは取らずにおいてやる」とすごんできた。

與仁(イーレン)に渡された銭の包みを投げると一人が拾い「じゃ腕の一本へし折るくらいで勘弁してやる」と打ちかかってきた。

遠巻きに見ていた女たちの悲鳴が起きた時には三人が道で唸っている。

「その銭は治療費だ」

女たちの後ろから「どうしたどうした」と声がして出て来たのは師傅と妻子(つま、チィズ)の二人だ。

唸っている奴に「相手を見て喧嘩を売れ」蹴飛ばして怒鳴っている。

それでも逃げるのに棒切れは其の儘でも銭の包みを搔っ攫うのは忘れない。

「どうしたんですよ」

「お呼ばれしたんで出てきたら、あいつらが後をつけて来て因縁をつけられた」

この街で見たことない奴らだと周りの女たちに「知っているのは居ないか」と聞いてくれた。

「一昨日川下から街へ入るのを見ましたよ。長旅らしく大分埃にまみれていましたよ」

若い女が左の方向を指さして教えた。

老媼が荷を抱いて「びっくりしたよ、喧嘩相手に治療費を遣るなんて、変わってる」と余分なことも教えている。

鈴凛(リィンリィン)が騒ぎを聞いて飛んで来た。

老媼に「有ったのかい」と聞いてから「インドゥ哥哥が喧嘩してたの」と聞いて来た。

師傅の妻子(つま、チィズ)が「まぁまぁ、ここで道をふさいでいちゃ邪魔だよ」と胡同へ押し込んだ。

広間が空いたと卓へ老媼も連れて来て話をさせた。

「先に商売だ」

そう言って人頭馬(レミーマルタン)を三本出して「銀四十五両だ」という。

インドゥ「安い」と声が出た。

「本当かい、今度は倍も吹っ掛けてやろう」

「もう、哥哥は」

怒られた「倍はもりすぎだ」と言ったが老媼はへらへらしている。

路の反対から来た老媼は全部見ていたと鈴凛(リィンリィン)たちに話して居る。

「昨日宜綿先生から聞かされたが、哥哥は本当に喧嘩が強い」

「弟弟(ディーディ)みたいに実戦向きじゃないよ」

鈴凛(リィンリィン)が銀(かね)を持って来て、老媼に数えさせて送り出した。

「姐姐(チェチェ)たちは今晩どうしたの」

「私の媽媽(マァマ)からのおすそ分け」

包みから出て来たのは海帯(ハァイダァイ・昆布)、海参(ハイシェン・煎海鼠イリコ)、干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)、魚翅(ユィチィ・鱶鰭)だ。

「こんなに頂いていいの。インドゥ哥哥明日ご馳走するわね」

師傅が困っている「妹妹(メィメィ)残念ながら明日は送別会よ」と代わりに言ってくれた。

「聞いていないわよ」とインドゥを睨んで来る。

「陳洪駐防官から夕刻に話が来たばかりですもの。男五人で遣るんですって。場所は繪老(フゥィラオ)よ」

二人が帰ると部屋へ引きずりこまれた。

せわし気に服を脱いで寝床へ誘った。

「さぁ、白状しなさい。どこで星星(シィンシィン)と知り合ったの」

シンシンと聞こえたので「シンシンって誰だ」と聞いたら上で顔が怒っている。

「繪老(フゥィラオ)の女主よ。知らないとは言わせない」

「本当に知らんよ。俺があったのは若い丸顔の男だけだ」

「それなら星星(シィンシィン)の弟弟(ディーディ)よ」

「そのシンシンっていい女か」

「もう許さない」

「勘違いするなよ。怒るほどいい女なのか気になっただけだ。手を出す気などないよ」

「もう怒らないけど、この街で他の女を抱いちゃいやです」

甘えて声で男を殺しにかかった、胸の張りが柔らかな感触に戻り、抱き心地はこの女に勝るものはいないと思った。

美人顔の上にすべすべとした肌と柔らかな乳房、名前の様に鈴を転がすような声、抱いているだけで幸せだ。

「明日は未練が残るからお会いしません。でも時々はこんな女が居たと思い出してください」

宝貝(バオベイ)、まるで温泉で疲労が取れて行く(ゆく)ようだ」

「もう、仮令(たとえ)が可笑しいわ」

鈴凛(リィンリィン)は体を入れ替えて上に為ると身の上話を始めた。

「昔ね。算命学の先生が人相も見て男を殺す相だ。できれば婚姻は避けろと父母(フゥムゥ)に強く言うの。顔ではなく房事に溺れて男が駄目になる男殺しだというのよ」

「殺されたい男は多いだろう」

「私の顔に惚れる男は子供の頃から多かったわ。中には賄賂に私を使おうなんて考える人もいたわ」

「よく無事だったな」

「父母(フゥムゥ)はそれが原因で死んだも同じ、兄は四川へ郷勇たちと出ていて祖父母も疲れて寝込む寸前。兄の繋がりで街の丐頭(ガァィトォゥ)や赶脚(ガァンヂィアォ)、脚夫(ヂィアフゥ)たちが守って呉れなければ今はないわ。だから街への恩返しのためにも此処を離れられないの。哥哥に付いて行けないのはその為なの」

愛おしさで強く抱きしめると抱き返して来た、寅の鐘で目が覚めた。

鈴凛(リィンリィン)の「喜歡(シーファン)、哥哥」の声で二人は同時に果てた。

微睡んでいたインドゥが目覚めると鈴凛(リィンリィン)は着替えを手伝い、目に焼き付ける様に周りを回ってから送り出した。


興帆(シィンファン)酒店で朝の粥を食べて、その日もズゥに蔡太医(インミィン)と情報集めだ。

未には戻って與仁(イーレン)に銀(かね)の包みを亡くした事情を話して「ないしょだぜ」と念をおした。

銀百両と金十両、銀票十両三十枚を新しい竹の箱に入れて貰い、迎えが来るまで昼寝をして送別の宴席に備えた。

陳洪(チェンホォン)と師傅が誘いに現れ五人で繪老(フゥィラオ)へ向かったのはまだ陽の落ちないうちだ。

興帆(シィンファン)酒店から二里ほどで繪老(フゥィラオ)の有る胡同へ入った。

突き当りは船着きがある、興帆からだと臨江飯店と同じくらいの道のりだ。

店は臨江(リィンジァン)飯店と三里ほど南の運河沿いだ。

酉の鐘が鳴る中を店に入った運河の向こうに夕焼けの山が映えている。

「まあ、お約束通りの御到着で、支度は出来ております」

鈴凛(リィンリィン)は焼きもちを焼いたが「美人なんだろうな」とインドゥは思うくらいだが、昂先生にはいい女に見えたようだ。

そういえば前門の女たちに風情が似ている、弟弟(ディーディ)もうっとりしている。

平気なのは師傅とインドゥのようで、陳洪(チェンホォン)もいつも程陽気でもなく、緊張している。

乾杯は冷えた香槟酒(シャンビンジュウ)で行い卓には冷菜が並んでいる。

良い喉越しだ、二杯飲んだら瓶は空だ、次々に料理が来る。

燕窩湯(イェンゥオタアン・燕の巣のスープ)に蠔皇吉品鮑(ホウウォンガッバンバウ)だ、干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)が此処にも入荷したという事の様だ

五枚の鮑がうまく煮られていて好評だ、大分取られるなとインドゥは覚悟した。

一度席を外し主に「支払いは現銀と銀票とどちらが良い」と聞いた。

「銀票でよろしいです。混ざつてもよろしいですよ」両方払えると踏まれ、上乗せできると思うようだ、送る顔がにこやかだと、弟弟(ディーディ)の眼にとまったようで「言いつけるぞ」など勘違いをしている。

東坡肉(ドンポーロウ)は赤の葡萄酒(プゥタァォヂォウ)によく合っている、赤は冷えてなくてもいいとファンから聞いたが井戸で冷やしたと女中が自慢する。

Bordeaux」と云うのは分かるが他は分からない。

少し物足りないなと弟弟(ディーディ)を見ると「干白(ガンバイ)の葡萄酒(プゥタァォヂォウ)は置いているか」と聞いている。

「ございます。普魯士王国(プロイセン)の摩泽尔酒(モーゼルヂォウ)ですがご存じでしょうか」

「名前は聞いたことがあるが飲んだことがない、ぜひ二本あれば出してくれ」

出て来たのを見て弟弟(ディーディ)が「Zeller Schwarze Katz(ツェラー・シュヴァルツェ・カッツ)」と読み上げたのには皆が驚いた。

「飲んだことないとはどういうことだ」

陳洪(チェンホォン)など大きな声で詰めよった。

「飲んだことは無い。老爺(ヘシェン)の所でフゥチンが貰ってきて飾ってあった。宣教師が名前を教えてくれたが、フゥチンと宣教師で全部飲んでしまった。この猫が印象に残っているんだ」

甘い杏仁羹(シィンレェンガァン)とよく合っている。

女中に「井戸で冷やしたというが紙が濡れない工夫でもあるのか」と聞くと油紙に包んで笊へ入れると教えてくれた。

二刻宴席の約束だったが酒が美味くて少し伸びた。

勘定をしてくれと頼むと料理が銀八十八両に葡萄酒(プゥタァォヂォウ)六本に銀百四十五両の合計二百三十三両の書付が来た。

銀票二百三十両と銀三両を渡し、料理人に十両、女中二人に二両ずつ渡すように盆へ置いた。

陳洪(チェンホォン)は「こんな贅沢は奢りじゃなきゃ出来んな」とご機嫌だ。

臨江(リィンジァン)飯店とはだいぶ料理に値段の差がある様だ。

燕窩湯(イェンゥオタアン・燕の巣のスープ)に干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)じゃ高くて当たり前だ。

繪老(フゥィラオ)を出て師傅と別れ陳洪は興帆酒店の先が妾の家で其処へ行くことが伝えて有るというので興帆酒店の前で別れの挨拶をした。

昂(アン)先生は「安物の酒であそこ迄取るとは、臨江飯店には大分損をさせたな」と言っている。

広州(グアンヂョウ)で異国の酒の高いのに驚かされた記憶は消えない。

「この位のほろ酔いが一番だ」

弟弟(ディーディ)がいうので「昨晩臨江飯店に酒を届けて来たのが人頭馬(レミーマルタン)を三本銀四十五両で卸していた」と言うと「本物かよ」と驚いている。

「本物を知らなきゃ分りゃしない」

「そいつは酷い」と弟弟(ディーディ)が言っている。

「飲んだのか」

「飲みゃ本物かどうかくらい分かるさ。広州(グアンヂョウ)の印象は先生も覚えているはずさ。毎日飲んだからな。フェイイーが請求しないので値段は知らないが仕入れで銀三十はするだろう」

それで安く納品した謎が残ったままになった。

 

 

閏四月八日朝辰に師傅が出て来た、正二刻に馬方も揃い武夷山星村鎮桐木関へ旅立った。

河口鎮から二百里で桐木関その先は川沿いに烏石岩・白虎渓・瀧川大峡谷など百二十里で星村鎮九曲渓までの約束だ。

天后宮の前に師傅の妻子(つま、チィズ)に鈴凛(リィンリィン)と陳洪(チェンホォン)が見送りに来ていた。

鉛山河(チィェンシァンフゥ)張家蓬迄のぼり、渡しを超えて花定子村でまた鉛山河を渡しで超えた。

永平酒店で今日は泊まるという、裏の馬喰宿と別れて泊まった。

わずか五十里とは思えぬ刻が掛かった。

英敏(インミィン)は「歩きでなくて助かった」とほっとしている。

なんで替えを二頭連れて来たかと思っていたら、張家蓬で旅の親子に頼まれて此処迄乗せて来た。

馬方は「商売商売」と笑っている、一人十里百五十銭でも大事な客だ、拾えるかどうかは運しだいだ。

星村鎮九曲渓まで行くという「娘が足弱で銭には代えられない。歩いてから登り降りがつらいと気づいた。来たときはそれほどでもないが往復は辛い道だ」と師傅と交渉して二人で此処から銀一両と二百銭で折り合った。

ただし一行と桐木関で二日泊まるのを承知と言うので引き受けたようだ。

桐木関迄、陳洪(チェンホォン)は二日と言っていたが無理せず三日目に入るという。

石壟村まで八十里、日の出に出て陽が落ちる前にようやくついた、翌朝も日の出に出て桐木関に夕刻に着いた、馬喰には二百里と昔から伝わる道だという。

「じゃ河口鎮から桐木関で三千銭取るのかい」

英敏(インミィン)の問いに「そんなに取ったら誰も頼まない。十里百五十銭は延びれば安くする決まりだ」と笑っている。

桐木関は酉の鐘で締まる前に抜けることが出来た、閏四月ともなると陽の出ている時間も都を出た時と同じ六刻でも冬の昼一刻分は長くなっている。

一刻置きに馬を休ませても歩くより大分早い。

陳洪(チェンホォン)の連絡もあり、馬喰の許可状を顔見知りの師傅が駐防官に提示し、役人が馬の数と馬方と旅人の数が合うか確認して通した。

インドゥの所からも陳健康(ヂィェンカァン)の顔が見えたが厳めしく椅子へ腰かけている。

宿は決まっていたようで飯を食べている間に健康が遣ってきた。

「おいおい、人数が多いぞ。老爺と娘は顔見知りだからいいが。俺の面子も有るんだ」

師傅が謝っているので「途中で道連れになったんだ。勘弁しろ」と弟弟(ディーディ)が口を聞いた。

「宜綿先生にはかなわん」

「勘違いするなよ」何の勘違いだとインドゥは可笑しくなった、娘と言ってもどう見ても三十近い鄙びた女性だ。

老爺も一緒に詫びを言っている。

「俺は明日にも九曲渓へ降りるが、宿へ言っておくから着いたら宴会だぞ」

「明日明後日は茶商と相談の連絡は着たか」

「そこにいる老爺も茶商だぜ。知らずに道連れか。俺が紹介する男とは違うが情報は聞いておくんだな。明日と明後日に此処へ来さすよ」

健康(ヂィェンカァン)はまだ仕事があるから九曲渓で会おうと出て行った。

 

茶を飲みながら聞くと「薛(シュェ)といいます。家では年五百擔程度しか動かしていないですよ」という。

十六日の茶市で半分、長年の取引相手に半分が例年の取引だという。

四日の茶市の後親族の家まで来たという、今日十日にも市は有るがここ二回は出して居ないという。

武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)の長年の取引相手が来ないという。

更に州茶の取引相手が急に手を引いたという、聞いていると上饒(シャンラオ)で婺源仙枝(ウーユアンシェンヂィ)を値切った蘆(ルー)茶商と分かった。

同じ目に遭った親戚の家に行くと「半値なら引取ると言われた」というので此方へもどこかから値切られるかと急いで戻る途中だという。

年に茶で三百両程度の収入が半分に為れば大打撃だという、ほかにも収入は有るが雇人も多く茶が頼りだという。

親戚の荷も扱って上げたいが、引き取り手が儲けの出る価格で買い入れないと共倒れの危険もあるという。

十一日の辰に間がある時刻に二人の茶商が来た。

武夷岩茶(ウーイーイェンチァ)は今年の取引は後摘みの分の茶市の分しかないという、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ送られた後だそうだ。

老爺を孜(ヅゥ)に呼びに行かせて連れて来させた。

此処では駐防官の眼が有り例の茶商は来なかったという。

「どうも駐防官が此方へ来られる隙を狙って九曲渓の洲茶(ヂォゥチャ)が狙われたらしい」と老爺と話して居る。

話を突き合わせると御茶膳房の太監たちを駐防官が見送った後に入り込んだようだ。

老爺は「武夷肉桂が五十擔あるが不思議といつも来る福州の茶の仲買人が来ない」と言う。

茶商は「趙(ジャオ)さんは商売を引退したよ。手紙が来たが其方へ届いてないかい」と不審げだ。

インドゥは弟弟(ディーディ)と顔を見合わせた。

「もしかして後を誰かに任せているのかね」

「河口鎮にいた喬(ヂアオ)だよ」

洲茶(ヂォゥチャ)を餌に武夷肉桂を二人で組んで狙っているのかもしれない。

「半岩茶」を叩いて買いあさり「正岩茶」として売れば大儲けできると弟弟(ディーディ)が言っている。

仲買の蘆(ルー)なり喬(ヂアオ)の手の物が家に這いこんで居ないかと弟弟(ディーディ)が心配している。

「娘の元婿の母親を倉庫脇の小屋に住まわせています。婿の程(チェン)は博打に負けて家の銀(かね)に手を付たので離縁した後、去年の春に都から来た豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様の御家来と都へ行くと村を出てゆきました」

「ちょっと待ってくれ。この哥哥が豊紳殷徳(フェンシェンインデ)本人だぜ」

話が可笑しな方向へ傾いている。

上饒(シャンラオ)と同じような手で、安く巻き上げようと企んで居る様だ。

師傅が何か思いついたようだ。

「哥哥、例の追いはぎ」

「そうか、蘆(ルー)の仕業ならあり得るか」

「なんだ、なんだ追いはぎとわよ」

弟弟(ディーディ)と昂(アン)先生が初耳だというので師傅が説明している。

淮安(ホァイアン)の騒ぎも、その二人がらみで豊紳済倫(フェンシェンジィルン)直でなくとも一味かもと思った。

「大分と大勢が絡んでいるようだぜ。豊紳済倫(フェンシェンジィルン)の一味の狙いは茶だけではない様だ」

その名を聞いて「豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様と豊紳済倫(フェンシェンジィルン)はご親戚でしょうか」と聞く、何か心当たりがある様だ。

「実は殷徳(インデ)様のご依頼で済倫(ジィルン)様の格格に孫を仕えさせないかと、例の婿の母親が言ってきたのです」

陳健康(チェンヂィェンカァン)と顔見知りなら相談して見たかと言うと「ひとに言うと殷徳様にご迷惑と言うので息子の他は誰にも言っておりません」という。

健康とは義兄弟で「一番上が健康、二番目が哥哥、三番目が俺(イーミェン)で下が河口鎮の駐防官陳洪(チェンホォン)さ」と弟弟(ディーディ)が打ち明けた。

「相談したら仕掛けがばれる。哥哥の家に男の家来など一人もいない。昂(アン)先生が家を与えられているが家来じゃない。俺と哥哥は従兄弟で済倫というのは他人も同然だ、富察家の人間だよ。俺たちは鈕祜祿だが漢族の血のほうが濃くなった。其れよりも哥哥の一人歩きは駄目だぜ。女の所へ行くにも誰か付いて行くぞ」

豊紳府には老人の門番と若いのが五人、庭番が三人、料理番が三人、元の和第、公主府に十五人男が居るがインドゥの家来とは言われない、それに庭番と門番は外にはめったに出ない。

女は豊紳府だけでも二十八人もいて屋敷をいつも綺麗にしている、公主府は三十人、豊紳府より広い分人手は多い、半分公主が貰ったが掛かりは出何処がないので負担が増えただけだ。

師傅が笑って「それは宜綿(イーミェン)先生も同じですよ。昂(アン)先生が一緒か三人で出かけてくださいよ」と言い出した。

「とんだ藪蛇だ」

老爺の娘が顔を出したので「格格へ娘を出すほど若い時に婿を取ったのかい」と弟弟(ディーディ)が聞いている。

「その話、何のことですか。私に子供はおりませんよ」

話が入り組んで居る様だ。

「老爺の孫と聞いたが」

「それは兄の娘ではないでしょうか。フゥチンはどこでそんな話を」

「朱亞(シュア)が言ってきたんだ。雲嵐(ウンラン)は反対だと言っている」

「あの出しゃばり媼」大分嫌っている。

茶商も「明日はほかの者が参ります」と老爺父娘と連れ立って出て行った。


困るのは茶の取引で値を叩いてみたところで罪にはならない、うまく仕組んで居る様だ。

南京で聞いた話も言い抜けられればそれまでだ。

「茶の取引を正常に戻すには大分銀(かね)が出るな」

「やはり怡和行の敦元(トンユァン)へ話を持ってゆくしかないか」

「福州も食い込まれていると厄介ですな」

先生も気にしだした様だ。

「良い物が買えないと後が大変だ」

翌十二日に来た茶商も昨日と変わらぬ話で成果はなかった。

十三日卯の刻に桐木関の宿を出て尾根伝いから降りて川岸沿いを八十里、景観を馬上で楽しみつつ下り、瀧川大峡谷泊りだ。

十四日、のんびりと辰に宿を出た。

今日は四十里で星村鎮九曲渓の功成酒店(ゴォンチァンヂゥディン)までだ。

師傅はインドゥたちと宴会、馬喰たちはインドゥが十人分二十両出して別口で宴席を開いてくれと師傅へ昨晩伝えた。

妓女も大勢いるらしいが、師傅は客の送り迎えの時は女遊びに厳しいと馬方が孜(ヅゥ)に愚痴っていたそうだ。

午には酒店の前で別れて、父娘は師傅が付いて二里ほど離れた家まで送った。

馬方が一人慌てて酒店(ヂゥディン)へ駈け込んで来た。

「すぐ来てくださいと師傅が」

與仁(イーレン)に荷を任せて五人で馬方の案内で駆け付けた。

表に脚夫(ヂィアフゥ)十人ほどと師傅がにらみ合って牽制している。

娘が待っていて玄関先へ三人を案内した。

老爺と息子らしい中年の男が三人の男と言い争いをしている。

昂(アン)先生が娘に何かささやくと頷いて使用人と裏手へ向かった。

「やぁ、京城(みやこ)からお迎えですか。おめでたい事で」

「左様左様。どちら様が豊紳様のお使いでしょう。ご挨拶をさせてください」

英敏(インミィン)と宜綿(イーミェン)が芝居っけたっぷりで話しかけた。

若い男が背の低い男を「此方様が豊紳殷徳様の御家来で昂潘(アンパァン)様で御座います」と言う。

もう一人にやけた若い男は役者でもあるのか立ち姿は風格さえある。

表から陳健康が遣ってきて「豊紳府からおいでと聞きましたが。駐防官の陳健康がご挨拶いたします」この男もとぼけて居る。

「此方様が豊紳殷徳様の御家来で昂潘(アンパァン)様で御座います」

そう伝えると「黙れ、偽物め。誰の指図だ」気合の籠った声に男は立ちすくんだ。

「無頼を言うな。このお方は豊紳殷徳様、内大臣であるぞ」

昂潘役が声高に言うのを、待っていましたと有無を言わせず三人を押さえると、娘が荒縄を使用人と持って来て次々と宜綿(イーミェン)が縛り上げた。

三人ともだらしなく庭先へ座らされ、陳健康が尋問したが若い男はまだわめいている。

「教えてやろう。お前を捕えた、この厳つい怖いお方が私の師匠の昂潘(アンパァン)先生だ。隣の背の高いお方が豊紳殷徳様、後ろのお方が棍術の名人豊紳宜綿先生だ。早く白状しないと痛い目を見ることに為るぞ」

豊紳殷徳役の男がべらべらと内幕を喋りだした、追いかける様に昂(アン)先生役の男も「福州で雇われて娘を売る手伝いを頼まれただけだ」と泣き言を並べている。

「陳駐防官、表は師傅に手伝っていただいて引っ立てて牢へぶち込みました。ちと狭いので扱いを早く決めて追い払いませんとその三人柱へ結わいつけておくようです」

陳健康(ヂィェンカァン)が三人を役人たちにひったたせ、連れて行くとやっと落ち着いて話が出来る。

老爺が茶と菓子を支度させ、庭に壺が有り腰かけに使うようでそれを集めて来た。

インドゥが息子に一同を紹介してもう一人旅の差配役がいる事も話した。

娘が武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)だという茶は肉桂(シナモン)の香りがする。

「この香りから名が付きました。加工はしておりません。家のは半岩茶となりますが、こちら側より山向こうの水簾堂付近は武夷正岩茶(ウーイーイェンチァ)として価格が十倍増しです」

茶の入れ方もヅゥに丁寧に教えてくれた。

蓋碗と茶杯は湯を注ぎあたため、黒褐色の茶葉は強く縒られている。

湯をきった蓋碗に茶さじ二杯の茶葉をたっぷり入れ、熱湯を注いだ。

蒸らしに五十数え蓋を少しずらし、指で蓋を押さえながら茶杯に注いで配ってくれた。

白い茶杯に注がれた茶は琥珀色で透き通っている。

「味と香り共に水簾堂に引けを取るとは思えませんが、茶畑が低いというだけで値段が抑えられています」

インドゥは「孜(ヅゥ)、お前は扱ったことはあるか」と聞いた。

「私たちでは高級過ぎて手に負えませんが、老椴盃(ラォダンペィ)で正岩茶を飲ませていただきました。こちらは肉桂だけでなく花の蘭の香りにも近いですし、こくが有ります。摘み取りから日にちが経って居ないせいでしょうか」

「俺もそう思うよ。あそこのは一昨年の分が最後の買い入れのはずだ」

「私が頂いたのは昨年の春でした。年を越すと香りの成分も変化するのでしょうか」

奥から十五.六の可愛い娘とそのムゥチィンが湯気の出ている饅頭(マントウ)に包子(パオズ)を持って出て来てヅゥに経緯を聞かされている。

今更のように京城(みやこ)への格格どころか、人さらいの餌食にされるところと聞いて震えている。

「もう大丈夫だよ。本物は拳(チュアン)に棍(グゥン)の達人の方ばかりだから」

娘の眼がヅゥも達人の様に見えている様だと、弟弟(ディーディ)とインドゥは可笑しくなって腹が揺れている。

老爺が孫に言って壺に厳重に封がされ丙辰嘉慶元年と戊午嘉慶三年と書かれたのを出してこさせた。

少し出してまた厳重に封をしてすぐ仕舞わせた。

皆で飲み比べたが今年のとそん色のない香りがする、ただ軽く感じると孜(ヅゥ)は言う。

息子が「お前さんの言う通りに私も感じるよ。爸爸(バァバ・パパ)はどう思う」というと「你的回答是対的(ニーダフゥイダァシィドゥィダ」とヅゥの肩を叩いて老爺は喜んでいる。

「本来、年がたつほど深みが減る代わり飲みやすくなりますじゃ。封さえ厳重にすれば香りは残りますでな」

師傅が戻って来た。

「片が付きました。脚夫(ヂィアフゥ)たちは罰棒三十で追い払いました。三人は口書きを取ってから処分を決めるそうです。人さらいだけでなく裏が有るかもとは言っていました」

まだ陽は高いが申が近いと宿へ引き上げることにした。

 

 

その晩、陳健康と師傅にこちらの六人の八人で宴会だ。

師傅は十八日までここにいるという、明日半分の五頭を先に帰すそうだ。

弟弟(ディーディ)は興に乗って「哥哥、どうせならあの薛(シュェ)家の茶を孜(ヅゥ)に扱わせないか」と言い出した。

「俺もそれを考えた。あの壺の様に封をして、景仁宮の鈕祜祿氏へ公主から献上するなら壺代を含めても、少しぐらい金が掛かってもいいかと思う」

景仁宮の鈕祜祿氏は皇貴妃で、前の皇后が亡くなった後の六宮を取り締まっている。

冊封は来年と決まっているが実質的にすでに皇后だ。

此処へ献上すれば城内の妃嬪に、亡くなった上皇の太妃達へも回るはずだ、内務府より動きは好いはずだ。

「どのくらい揃えれば間に合うのだ」

「陳哥哥、十斤の壺を百それで足りないとは言わせない」

「そんなに武夷岩茶(ウーイーイェンチァ)の好いのがあるのか」

「老爺は武夷半岩茶(ウーイーパァンイェンチァ)肉桂(ロォゥグゥィ)五十擔と言っていた。一擔百二十斤だ。十擔買えれば公主の分も出る。最上級は御茶膳房にお任せだ」

弟弟(ディーディ)が「五斤の壺で二百にすれば香りも落ちずに飲めそうだぜ」といいことを言う。

武夷正岩茶(ウーイーヂァンイェンチァ)はどうするという話になった。

「次の市に出なきゃ、武夷宮か水簾堂下梅村へ行くしかないか」

陳健康(ヂィェンカァン)は壺へ話を戻した。

「景徳鎮の高級壺でもいいのか」

「何か伝でもあるのか」 

景徳鎮から小ぶりの茶壷の売り込みが来ているという。

「毎年売り込みに来ているそうだぜ。今回は十八日まで居て戻るそうだ。小ぶりの壺を持ち込んで茶市目当てで売り込みに来ている。実は妻子(つま、チィズ)に子供たちと同じ船で河口鎮から戻るそうだ。幾つ来ているか知らんが荷車で十一台関を通ったのを見た」

「奥方が来ているなら明日挨拶に行こう」

「そうしてくれ、公主に手紙でも書いて置けよ。届けさせるから」

「昼に尋ねると伝えてくれ、今晩はまずい、酔った字では帰ってから怒られる」

俺のも頼んでほしいと昂(アン)先生と弟弟(ディーディ)が言っている。

「いいとも宜綿先生とは妻子(つま、チィズ)も昔馴染みだ」

師傅が何か聞きたそうだ。

「錦鶏と言えば妻子(つま、チィズ)に宜綿先生とすぐわかる。俺たちの隠語だ」

「あの派手な鳥ですか。たまに冬場に現れますが」

「そうだ俺も今年久しぶりに見たよ」

「どこかで前に見たということで」

「おいおい、陳哥哥、お前さん何を言い出すんだ」

「困るのか」

「俺が困る事などない」

「昂(アン)先生の知っている錦鶏だぞ」

昂(アン)先生たまらず酒を噴出した、「ああ、あの錦鶏か」とインドゥも顔を思い出したが話が繋がらない。

「よくわからん」

「慎梨(シェンリィー)の親の錦鶏(ヂィンヂィ)は知っているはずだ」

師傅も慎梨(シェンリィー)の事はこの間宜綿から聞いたと言う。

「宜綿先生の年増好きは知っているはずだ」

「まさか」

「そのまさかさ。妻子(つま、チィズ)と一緒になって三日目だ。瑠璃廠から前門大街へ二人で向かう途中の石頭胡同(シートォフートン)の入り口でばったりさ。妻子(つま、チィズ)も婚姻で挨拶をしたばかりだ。錦鶏(ヂィンヂィ)と宜綿先生、朝帰りならぬ朝の御勤め帰りだ。こいつは今日まで秘密だったがもういいだろうさ」

弟弟(ディーディ)も男だけだというので開き直りだ。

「母と娘とはその時は知らなかったんだ。まさかあれが寶絃(パォイェン)姐姐(チェチェ)より年上だなんて」

「おいおい、こっちに振るなよ」

「お互い年増に好かれるんだ、好いじゃないか」

「哥哥も年増が」師傅もそいつは初耳だ。

「相手が惚れ抜いて今でも首ったけだ。子供を抱いている哥哥にかまわず付き纏うので有名だ」

錦鶏(ヂィンヂィ)と慎梨(シェンリィー)母娘の話を煙に巻こうと懸命だ。

英敏(インミィン)は権孜(グォンヅゥ)に姐姐(チェチェ)の事を聞いて驚いている。

「確かにあの頃の錦鶏(ヂィンヂィ)は慎梨(シェンリィー)と姐姐(チェチェ)、妹妹(メィメィ)と呼び合っていたからな」

上手い昂(アン)先生と叫んで酒を奢りたくなるインドゥだ。

「ところで孜(ヅゥ)よ。武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)を最低十擔、余分に買えたら南京で売る、京城(みやこ)へは壺入りだけだ。それで交渉してくれ」

「景徳鎮の壺は」

「老爺と相談して買い入れなよ。持ち込んでいるならそう高くもないだろう。お前さんの付けた値段分は俺が保証するから大胆に買えよ。洲茶の方も相談に乗ってやってくれ。その分は京城(みやこ)と南京(ナンジン)、上海(シャンハイ)、天津(ティェンジン)といくらでも引き受けて大丈夫だ。老爺の親戚の分も受けて良いぜ」

陳健康(ヂィェンカァン)が驚いている。

「なんだインドゥ弟弟は茶商になったか。陳洪弟弟はフォンシャン(皇上)の薬探しと書いてきたぜ」

「そいつも聞いて回っているが、新しい保健薬など簡単に見つからないのさ。潮州鳳凰山の鳳凰(フェンファン)だけのつもりが大袈裟になってしまった」

表に馬の嘶きが聞え陳健康(ヂィェンカァン)が出て行った。

「解放した奴ら、空の輿を担いで福州への街道を夜道をかけているそうだ。行き先を掴んだら何か様子が分かるかもな。三人が交代で後ろにいて、前が一人福州への道を歩いている」

今晩の月なら提灯も要らない、ちゃんとひも付きでの開放だった、さすが抜かりない。

福建巡撫が福州にいれば報告することにしてあるという「留守なら福建布政使の役所で報告としてある」と皆に話した。

福建巡撫汪志伊(ゥアンヂィイー)は既に六十歳だが評判はいい。

福建布政使は李殿圖(リーディェントゥ)、福建按察使からの昇進だがすでに六十五歳と老年にはいってのお務めだ。

又一人来て「媼が夜逃げしました。高(ガオ)が後をつけています」と報告して戻っていった。

「さ、これで今日はお開きだ」

陳健康(ヂィェンカァン)の言葉でお開きとなり部屋へ引き取った。

 

 

十五日の朝の粥の後、権孜(グォンヅゥ)は薛(シュェ)家へ出向いた。

哥哥は銀票二千二百五十両と一両金錠八十両持たせてくれた。

話は老爺と雲嵐(ウンラン)が聞いてくれた。

「値段が折り合えば出すのは構わんのだが、条件がある」

「承ります」

「まず去年の市以外の取引は武夷半岩茶肉桂(ウーイーパァンイェンチァロォゥグゥィ)二十五擔。その内福州の趙(ジャオ)家は二十擔。それを引き取ってくれ」 

「承知しました」

「価格は昨年一斤二十五銭、二千四百斤で銀票六十両でも良い」

「承知しました」

一箱三十斤で七百五十銭は四箱一擔で三千銭(三串・銀三両)と孜(ヅゥ)の頭は目まぐるしく算盤をはじいている。

随分と安く出しもらえる、孜(ヅゥ)の心は弾んでいる。

「壺への詰め替えに封をするので一つ十銭負担してくれ、五斤ずつ分けて入れるなら四百八十必要になるから四千八百銭」

「承知しました」

「壺は今日にでも買う算段をするが実費を出してくれ」

「承知しました。此処迄の事を帳面につけてもいいですか」

「良いだろう」

娘が孜(ヅゥ)を気にしながら茶を出してきた。

雲嵐(ウンラン)は「向こうへ行っていなさい」と追い払った。

「今年は好い。だが来年からだ。毎年買ってくれるか」

「承知しました」

孜(ヅゥ)なかなかの男ぶりだ。

「運送にだいぶかかるが実費を負担して其方で遣るか此方へ任せるかだ。河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄一擔二両は此処から掛かる。任せるなら河口鎮から都まで十擔百両が相場だ、壺にしても総額で受ける」

「承知しました。運送費込みで受けてください」

「承知した」 

銀票六十両と四千八百銭、運送費は二百四十両と確認した。

壺入りだとがさばるはずだが負担してくれるということだ。

「もう一つ洲茶(ヂォゥチャ)は明日の市の値段でなければ出せない。これはほかの茶商の手前曲げられないが二百擔までなら出せる」

「承知しました、その値段で引き取らせていただきます。支払いは値段の総額が決まり次第お届けします」

「京城(みやこ)へ戻らなくとも支払えるのか」

「お任せください」

「去年は洲茶一擔二千百六十銭に擔の負担が三百五十銭で二千五百十銭だった。それから行けば銀五百二両だよ、送料も莫大だが」

ヅゥは算盤をはじいて答えを出した。

「送料は二千四百両となりますが両方で二千六百四十両。こちら様が河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で船を雇えば二千二百両以下で送れるはずです。上饒(シャンラオ)では六百擔の送料に手当込みで千七百六十両でした。それなら買い増しも出来ます」

「師傅と相談して見よう」

「師傅とお付き合いが」

「ある」

「では運糟の徐(シュ)老爺をご存じですので相談してください。それと同じ値段なら買い入れるつもりですが運糟費用を別途では京城(みやこ)で売れる値段には無理が有ります」

「それは河口鎮への運送費も出せないという事かね」

「先ほどの一擔二両以下なら負担します。あくまで同じ船で送る手配をしていただくことです」

「家で仲介の口銭をとってもいいのかい」

「こちらの茶と同じ品質を保証して頂ければ明日の茶市の値段までは保証します。私の方は河口鎮からの運糟の問題だけですので」

「分かった河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄一擔二両までで運び込む。船は権孜(グォンヅゥ)哥哥の言葉を信じて二千二百両で請け負うよ、安く済めばお土産でも送らせてもらう」

「それは嬉しいですね。兄嫁が喜びます」

「哥哥には嫁さんは、約束した相手でもいるのかね」

「居りません、この旅から戻ったら探そうと思います、兄嫁が独立するにも嫁さんを探せと喧しいのですよ」

「年はいくつになったんだい」

老爺が一段落したようだと新しく茶を出させて聞いてきた。

「十八歳になりました、姐姐(チェチェ)が二人と哥哥が三人いて一番下です。下の兄が桂園茶舗へ婿入りして私を雇ってくれました

「ご両親は」

「一番上の兄と飯店を京城(みやこ)で遣っています」

「最後の条件だが、聞いてくれ」

「承知しました」

「聞かないうちでも承知だね」

「命を寄こせは哥哥や宜綿先生の手前困りますが。それ以外ならどうぞ」

「寄こせとは言わないが預けて呉れ」

「穏やかではありませんね」

孜(ヅゥ)肝が据わっている。

「そうなんだよ。婿に来いは無理でも娘を嫁にしてくれ」

「私の知っているのはこの方だけですよ」

娘が丁度孜(ヅゥ)に茶杯を置いたところだ。

「そうだ、嫁に出しても息子がいるから大丈夫だ」

「私には嬉しい話ですが小姐(シャオジエ=お嬢様)の方は大丈夫ですか」

「今年十六で、本人もヅゥ哥哥を気に入ったようだ」

真っ赤になって逃げて行った。

「ほれ、あの通りだ」

「あっ、困りました。また旅の途中なので連れて行けません」

「それなら茶と一緒に京城(みやこ)へ行かせるが、承知してくれるか」

「ありがとうございます。私も昨日話をしていい人だと感じておりました。どなたかご一緒に来ていただけると安心です」

老爺が「心配だろう。人が居なけりゃわしが行くよ」と安心させてくれた。

話を聞いていた媽媽(マァーマァー)が娘を連れ戻して来て、嬉しそうに言葉を交わした。

娘の名は薛朱蘭(シュェジュラァン)だという、孜(ヅゥ)あろうことか名も聞かないうちに婚約が成立している。

 

薛雲嵐(シュェウンラン)と権孜(グォンヅゥ)で景徳鎮の業者の泊まる家を訪ねた。

薛家の何倍も広い庭先に覆いをかけた荷車が三十台ほど留めてある。

話より多いのでヅゥは驚いたが、ここは雲嵐(ウンラン)に任せた。

賀(ハー)と言う業者と挨拶を交わし、屋根の下へ飾ってある見本の壺を見せて貰った。

「茶壷の売り込みに来たんだ、数をまとめて買えば交渉に応じてもいいよ」

言わないうちから売れそうだと踏んだようだ。

幾種類かの絵柄に三種の大きさがある。

大は茶二十斤、中は十斤、小は五斤入るそうだが値段は同じだという。

「なぜでしょうか」

つい孜(ヅゥ)は聞いてしまった。

「絵柄に工夫がある分小さくても値が張るのを持って来たんだ。同じ値段に揃えた方が面倒ないだろ。高級な壺が欲しければ見本帳から選べるよ」

気が合いそうな気さくな親父に見える。

「小はいくつある」

「千八百持って来た。あと千五百ある。傷があればここにいる間なら交換する」

「肝心の値段を聞いてないぜ」

「一つ刺し三本、百買えばどれでも三個おまけにつける」

百では三十両だ、四百八十買っても百四十四両。

「六百買おう、家まで運んでくれるか、其処で女たちに傷を見させるが良いかね」

「支払いは銀がいいのだが銀票でも百八十両で好いよ」

雲嵐(ウンラン)がヅゥを見たので「銀票か一両金錠ならその場で」と請け合った。

手代たちが脚夫(ヂィアフゥ)と荷車を調べている間に相談した。

「武夷正岩茶(ウーイーヂァンイェンチァ)の最上級が手に入れば百斤は最低ほしいのですが」

「値段は」

「武夷半岩茶の十倍までは私が請け合います」

「それなら任せておきな。大事な婿だ損はさせないよ」

「では中の壺を余分に買いましょう。十斤ずつ入れたいので」

「良いだろう家の勘定で五十買っておくよ」

追加の話に喜んで五十の壺をより分けてくれた。

「おまけ分はどれが希望だ」

「大を貰いましょう」

「では二十つけるよ」

 

老爺が壺詰めの人を集めていてその人たちが屋根の下で壺を布で拭きながら検査をした。

銀百八十両は孜(ヅゥ)が銀票で、十五両は銀で薛(シュェ)家が支払って受け取りを二通貰った。

二人は細かい計算は良いだろうと気が揃った。

此処は女たちに任せて空荷車の後を功成酒店(ゴォンチァンヂゥディン)迄三人で向かった。


哥哥と宜綿(イーミェン)達も戻ってきたところへ三人が着いてまず茶の話を了解してもらった。

インドゥは孜(ヅゥ)が一人前の取引をこなしてきて満足げに笑みを浮かべている。

「それとご報告が」

「何か起きたのか、銀(かね)が不足したか。まだ運糟費は好いんだろ」

「哥哥、実は嫁を貰うことにしました」

宜綿(イーミェン)が「あの十五.六の可愛い娘かい」と老爺に聞いている。

「孫の朱蘭(ジュラァン)を貰ってくれるというのですよ。年は十六になりました」

インドゥもあの様子ならあり得ると「良い事だが一緒に連れては歩けない。誰か都まで送らないとな」と心配そうだ。

「茶の船で私が孫を送っていこうと思います」

「いや、待てよ。なぁ、相談だが三日あれば支度できるか」

「何かあるんですか」

「ほら景徳鎮の手代たちの船に陳駐防官の奥方が乗って都へ戻るんだ。十八日に此処を出るそうだ、そこへ混ざれば道中も安全だぜ。老爺もどうだい」

「市は明日ですので間に合います」

「孜(ヅゥ)、茶舗の景園(ジンユァン)が腰を抜かさない様に兄貴へ手紙を書いて置けよ。陳の奥方に一緒に頼んであげるから安心しろ。戻るまで産婆の王(ワン)の媼に預けりゃ安心だ」

桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)も大騒ぎになるだろうとインドゥも愉快になった。

昂(アン)先生も「家の妻子(つま、チィズ)にもう一通手紙を書くようだ」と二人で手紙を書いている。

序でだとインドゥも公主に経緯を書いて老爺へこれをまとめて持っていって呉れと渡して帰した。

「さぁ、もう一度奥方に挨拶に行こう」と孜(ヅゥ)も連れて四人で出かけた。

奥方も道連れが増えて「楽しい旅になりそうだわ」と喜んでくれた。

「ねぇ、哥哥その話の献上の御茶、此方へも回してくれるでしょうね」

「もちろんそのつもりですよ。嫁さんの老爺に渡した手紙に公主から陳洪(チェンホォン)と陳健康(チェンヂィェンカァン)の家も忘れないでくれと書いておいたよ」

出世に縁のない二つの陳の家は奥方に商家の娘を迎えるのに反対もなく、幸いにも共に富貴な家から嫁に来てくれたので、家計に苦労はないので舌も肥えている。

南京(ナンジン)では琵琶街(ピィパァヂィエ)の源泰興(ユァンタァィコウ)へ案内人に連れて行ってもらえば繁華街に近くて便利だと教えた。

宿へ戻ると師範が来て「ヅゥ哥哥が嫁取りですって」と早くも話が広がっている。

「どこで聞いたよ」

「聞いたも何も雲嵐(ウンラン)が来て船の手配やら、二人馬で送れやら散々聞かされましたよ」

「船は間に合いそうかよ」

「茶の船はまだ先ですよ。一度河口鎮(フゥーコォゥヂェン)迄戻らないと此処じゃ手配は無理ですよ。嫁入り支度に必要なものも後から茶と送ります」

「そうか、体一つで来いは可哀そうか。孜(ヅゥ)の家も探さないとな」

英敏(インミィン)は「そう一遍に片付きませんよ。心配は公主と輩江(ペィヂァン)太医にお任せで好いんじゃないですか」とお気楽だ。

「ナァ蔡太医」

「どうしました」

「宜綿先生が南京で婚約、星村鎮で孜(ヅゥ)が婚約。太医もどこかで嫁探しはどうだい」

「昂(アン)先生、何もそんなに嫁が待っている街があるわきゃ無いですよ。嫁より薬草に薬剤がないと本当に国中うろつくようになりますよ」

「こうなりゃ茶の薬効でも纏めるほうがよさそうだぜ」

昂(アン)先生、なんど探しても新しい薬草に巡り合えないので飽きもある様だ。

 

 

十六日は星村鎮茶市で何日も前から大勢の仲買が脚夫(ヂィアフゥ)と集まってきている。

五日おきにある茶市でこの前後近くの泊まる宿は臨時の妓楼に早変わりだ。

福州から出張った妓女は三十人だという。

河口鎮(フゥーコォゥヂェン)からも二十人ほど妓女が来て脚夫(ヂィアフゥ)たちは顔を見に前をうろついて居る。

孜(ヅゥ)は雲嵐(ウンラン)に誘われて茶の品定めの勉強に余念がない。

勉強に手控えに自分なりの指値を書いてみた。

札を入れ終わった仲買の格好の話題は薛(シュェ)家の騒動だ。

雲嵐(ウンラン)はどうせならと仲買に孜(ヅゥ)を「あの騒動のおかげで娘を嫁にもらってくれる」と紹介して回った。

可笑しな推測が飛び回っていたのがそれで収まり、薛(シュェ)家の繁栄を祝う男たちが増えて行った。

雲嵐(ウンラン)の頼んだ仲買は札が一番札百八十両千二百斤の武夷山正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)を落とした。

其処から三百斤婚約祝いに手数料なしの四十五両で分けてくれた。

雲嵐(ウンラン)は二百斤を三十両で孜(ヅゥ)に分けるという。

「はいでは二十の壺へ封をして一緒に送ってください」

「いいともでは明日清算しよう。まだいろいろ手続きが有るので先に帰りなさい」

孜(ヅゥ)を送り出して茶商達と手続きと、品物の引き渡しなどの相談が始まった。

 

 

功成酒店(ゴォンチァンヂゥディン)へ戻ると與仁(イーレン)とインドゥに三百斤の水簾洞の武夷肉桂が仲買の手から薛(シュェ)家に渡り二百斤分けて貰えるので二十の壺に十斤ずつ分けて送ることになったと報告した。

「公主娘娘から特別なお茶として贈り物に出来ます」

「よくやってくれた礼を言うぜ、これで武夷宮付近を探し回らずに済む。皇貴妃娘娘に五つ贈って惇妃娘娘にも五つ贈れば面目もたつ。その分の手紙も言づける様だ

幾つもの手紙を受け取る公主の戸惑う顔を思い浮かべて笑みが浮かんだ。

預り金-銀票二千二百五十両と一両金錠八十両

清算予定-銀票三千百七十二両・銀二十四両・百銭

支払い済み-銀票百八十両

手控えから写して與仁(イーレン)へ出すと銀二十四両に差しで百銭に銀票の不足分銀錠九百二十二両を出して「哥哥一両金錠八十両は持って貰って居てもいいですか」と確認した。

「そうしておいてくれ、細かい計算で差が出てもそれで足りるだろう。それから婚約の祝い金に薛(シュェ)家へ金百両届けるので、台を探しておいてくれ。明日の朝與仁(イーレン)と昂(アン)先生に俺が行くようするから」

孜(ヅゥ)は平伏して拝礼するのへ「お前が一人前になる先払いだ。嫁を大事にしろよ」と言って立たせた。

與仁(イーレン)が手控えと実際の銀を勘定したのをインドゥに確認してもらった。

-百両

-五百四十六両・十両銀票九十両・一両銀票五十五両

インドゥ-百両銀票二百二十枚

イーミェン-百両銀票五枚

後は小出しに三十両ほどと孜(ヅゥ)の手持ちの金八十両に茶舗の銀票二百六十両だという。

「大分軽くなるな、銀票を現銀にしてお前が持つかい」

「福州迄は十分ですよ。此処の買い物は終わりでしょ」

「重いのはいやそうだな、だが銭は一人刺し二本くらいは持っていくほうが良いぜ出る前に用意しておきなよ」

両替をするところも大忙しだ、師傅によると河口鎮や福州の乞丐(チィーガァィ・乞食)頭が博打場を開いているという。

馬方が博打好きは先に帰したと残りの者が蔡太医に話して居る。

十七日に薛(シュェ)家で茶清算が済むと改めてインドゥが婚約の祝いを述べた。

こういう時のインドゥの風格は流石の物で、與仁(イーレン)に孜(ヅゥ)も見とれてしまうほどだ。

老爺に雲嵐(ウンラン)も畏まって挨拶を受け、與仁(イーレン)が出した婚約祝いの金に驚きの表情を隠せない。

流石に年の功で老爺が「有難く頂戴させていただきます。朱蘭(ジュラァン)の嫁入りの財産として持たせてやることが出来ます。重ねて御礼を申し上げさせて頂きます」と拝礼を親子揃って行った。

「今晩この家で仮祝言を上げたいのですが」

「好いですとも。旅立つ前にお祝いをしましょう」

申の刻までに祝いの席の支度をするというので、孜(ヅゥ)と與仁(イーレン)を薛(シュェ)家に置いて後の相談をさせ、インドゥは昂(アン)先生と足取りも軽く功成酒店(ゴォンチァンヂゥディン)へ戻った。

昼酒と宜綿(イーミェン)と銀(かね)の番の蔡太医も呼んで四人が庭先で冷やされた酒を飲んでいると弟弟(ディーディ)が「おんやぁ」と伸びをした。

指さすので見ると川べりで孜(ヅゥ)が與仁(イーレン)に手を合わせている。

「何が有ったかな」

「それにしてはヅゥの顔色が真っ赤だぜ」

「昼酒なら與仁(イーレン)も好きだが変だな」

與仁(イーレン)が笑いながら手を振って戻って来る。

弟弟(ディーディ)が呼び込んで酒を飲ませた。

遅れて孜(ヅゥ)も来たので付き合わせて「薛(シュェ)家で酒でも振舞われたか」と弟弟(ディーディ)が聞いている。

「いえ茶を飲みながら京城(みやこ)の話をしておりました」

「ほぅそれだけか」

それで耳まで赤くなっている。

「ほれ白状しろよ」

俯く孜(ヅゥ)に「ばれたようだぜ」と與仁(イーレン)が言っている。

「実は朱蘭(ジュラァン)と口づけしていたところを與仁(イーレン)さんに見つかりまして」

「はぁ」

弟弟(ディーディ)も驚く早業だと皆思っている。

インドゥも腹を抱えて大笑いだ、壺の茶入れの合間に二人で逢瀬を惜しんでいたようだ。

「これなら婚姻後も心配無さそうだ。手も出さない男よりましだ」

「だが商売女に教わるなよ。可笑しな癖が付くと後で困るぞ」

「お前が言うセリフか」とインドゥはまた可笑しくて大笑いだ。

これが京城(みやこ)でなら和国の絵本でも、祝いに上げるのだがとインドゥの頭によぎった。

この前読み本好きから手に入れたのは極彩色の立派なものだ。


その日の夕刻に薛(シュェ)家で仮祝言を上げて祝いの宴席が開かれた。

健康哥哥夫妻が仮親を務めてくれた。

お床入りの部屋が用意されていて、孜(ヅゥ)を置いて戻ることにした。

「あいつ大丈夫かな」

「ひとのお床入りの心配などしても仕方ない話だ。どうにかするのが男の務めだ」

「そりゃ哥哥はそうでもなぁ」

弟弟(ディーディ)はインドゥの最初の女がフェイイーだと知っている。

つい妓女遊びをしないわけを言う序でに口を滑らした。

師傅が「哥哥って本当に妓楼で女遊びをしないんですか」と聞いてくる。

此処にいる中で妓女と戯れたのを誰も知らないというと不思議なものを見る様に「女の方からほれるのは遊び人だとばかり今までおもっていました」と言い出した、何度聞いても信じていない様だ。

「一番遊ばないのは健康哥哥さ」

「遊んでいる振りは洪弟弟だ」

それは言えると師傅も賛成している。

 

そのころ二人は新婚の寝屋で気を落ち着けるために茶を飲んでいる。

「白状することがあるんだ」

「はいお聞きします」

「朱蘭(ジュラァン)が初めての女なので、どうすればいいかは耳学問でしか知らないんだ。間違うことも有るかもしれない。痛かったり気持ちがよくないときは正直に言ってほしい」

「はい、わたくしも初夜の心得は夫に従うとしか知りません。孜(ヅゥ)様の言う通りに従います」

「二人で順々に覚えて行こうね」

「はいそうさせていただきます」

可愛い女だと孜(ヅゥ)の心は燃えている。

「友達や兄貴はいきなり男の物を差し入れてはいけないと教えてくれた。女の壺は触って濡れるまで男は我慢するんだと言われた」

孜(ヅゥ)は口づけをして着ている物を脱がせ、小さな乳首を見て興奮したが抱き寄せて寝床へ運んだ。

自分も裸になり可愛い乳首を口に含んで甘噛みすると可愛い声で「ああっ、ああっ」と息遣いが早くなってきた。

膝を揃えて立てているので手で太ももを擦(さす)った。

和毛は疎らで細く巻き毛の様だ。

「膝を開けるかい」

「恥ずかしいです」

「口づけと乳首を吸うのとどちらが良い」

答えを待たずにへその周りを口で吸うと膝が緩んだので、間に体を入れることが出来た。

「可愛い顔を見せておくれ」

手をどけたので口づけをした、離すとき名残惜し気に舌が覗いている。

その舌を吸い上げると膝の力が抜けていくのが分かった。

湯あみで使った茶化の匂いがする。

「もう少しの間我慢できる」

「我慢できます」

「ゆっくりと息を吐いてごらん、それからゆっくりと息を吸うと楽になると教わったから試してごらん」

「はじめての時は気が行くまでの人は少ないそうだ。もう少し付き合うんだよ」

「はい、言う通りにいたしますから、優しくしてください」

少しは耳学問で激しいのは痛いと聞いた様だ。

孜(ヅゥ)は、逸る気持ちを押さえてゆっくりと腰を動かした。

序々にそれに合わせて朱蘭(ジュラァン)の腰も上下してきたので腰から手を放して乳首を指で挟んで乳房を包み込んだ。

「ああっああっ」

声が潤んで可愛い声で「これでご夫婦に為れたのですね」と顔が幸せを知らせている。

「とてもいいよ」

「嬉しいです貴方」

秘所からわずかに血が精と混ざって流れて来た。

それをふき取ると二人は幸せに包まれて抱き合い、口づけを深くかわした。

「朱蘭(ジュラァン)のあそこがこんなに気持ちいなんて俺は幸せ者だ」

「嬉しいです貴方」

「ああ、ニィン、ニィン(あなた、貴方)」

「とてもいいよ朱蘭(ジュラァン)」

初めての夜に朱蘭(ジュラァン)の体も心も幸せで溢れていく。

気が戻ってくる気配に「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)。朱蘭(ジュラァン)と夫婦に為れて俺は幸せ者だ」と耳元で囁いた。

「私こそ孜(ヅゥ)様と一緒に為れて国一番の幸せな女です」

気が付くと後始末をしてくれる孜(ヅゥ)に気が付いた。

「申し訳ありません。私の役目なのに」

「良いんだよ。任せておきなさい。花嫁さんなんだから」

その言葉で胸の底から孜(ヅゥ)が愛おしくなる朱蘭(ジュラァン)だった。

抱き合って寝て孜(ヅゥ)の目が覚めたのは鶏が啼き始めるまだ日の出に間があるときだった。

寝顔迄可愛いと孜(ヅゥ)はこの旅へ送り出してくれた兄夫婦と、噂以上に人にやさしい豊紳殷徳(フェンシェンインデ)、旅の仲間たちへの感謝で一杯になった。

起きた朱蘭(ジュラァン)に「貴方は小姐(シャオジエ=お嬢様)だからいつも朝の支度が済んでから起きるの」と聞いた。

「まさか、夜明けとともに起きて家の仕事をし、朝餉の支度も女一同の役目ですわ。あなたに許していただければ直ぐにでも、普段の様に致したいのですわ」

「そうしてください。俺が離さなかったなど思われても恥ずかしい」

二人は起きて洗顔して孜(ヅゥ)の髭を剃ってくれた。

「では呼びに来るまでは此処にいてくださいね」

朱蘭(ジュラァン)は普段の仕事へ部屋を出て行った。

媽媽(マァーマァー)より普段から早起きの朱蘭(ジュラァン)が厨房で湯を沸かしているのを姑媽(グゥマァ・姑姑)が見て心配している。

媽媽(マァーマァー)が起きて来て「どうしたの。まさか嫌われたの」と心配そうだ。

朱蘭(ジュラァン)は誇らしげに答えた。

「とても素敵な旦那様です。今朝も私が普段通りに厨房へ出たいというと優しく送り出してくださいました。こんな素敵な方と夫婦に為れたのも家族が此処迄育ててくれたおかげです。京城(みやこ)へ出てもここの事は忘れずに旦那様に尽くします」

三人で普段通りに家族の食事の支度を済ませ、それぞれの担当の掃除を行って新しい家族の孜(ヅゥ)を呼びに部屋へ行くと孜(ヅゥ)は椅子で帳面の整理に算盤を前に置いて行っている。

ああ、私はこういう真面目な人と夫婦になったんだと幸せな気持ちが深まる朱蘭(ジュラァン)だ。

家族そろっての朝食は孜(ヅゥ)と朱蘭(ジュラァン)の夫婦にとって最初の団らんだ。

食べ終わり、片付けは媽媽(マァーマァー)と姑媽(グゥマァ・姑姑)が引き受けてくれた。

戻ってきた二人も椅子へ座らせた。

雲嵐(ウンラン)から二人へ「豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様から頂いた祝い金は二人が店を独立したときの為の大事な金だ。朱蘭(ジュラァン)が大切に管理するんだよ。夫婦の金だということを忘れない様に」と伝えられた。

「俺からは祝いしか言わない。都へ孫を置いて戻るかもしれない。孜(ヅゥ)に向こうで会えないかもしれないが二人の幸せを願っている」

「ありがとうございます。私が稼いだ金も朱蘭(ジュラァン)が確り管理できる人だと思っております。こんなに好いお嬢様と夫婦にさせていただいて感謝しております。またこの旅へ送り出してくれた兄夫婦、面倒を見てくれた豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様、旅の供の一同への感謝と恩返しができる男に為ります。またそれは朱蘭(ジュラァン)が助けて呉れると信じております」

媽媽(マァーマァー)も嬉し気に、そして誇らしげに娘の幸せを願っていると孜(ヅゥ)に伝えた。

姑媽(グゥマァ・姑姑)も「わずかの付き合いだけどこんなに立派な口が利けるとは驚きでしかありませんよ」と夫婦の幸せを願っていると言ってくれた。

弟弟(ディーディ)の康顔(カァンリィェン)も二人が末永く幸せでいる様に祝ってくれた。

すぐさま旅支度をして二人の脚夫(ヂィアフゥ)が来て荷物を背負って功成酒店(ゴォンチァンヂゥディン)で雲嵐(ウンラン)がインドゥ達に挨拶した。

健康(ヂィェンカァン)哥哥の妻と子供たちを乗せた馬と家宰の韓(ハァン)に脚夫(ヂィアフゥ)が三人やって来て残りの馬へ二人を乗せ、健康(ヂィェンカァン)哥哥が別れの挨拶をして一同を見送った。

「あの新婦の幸せな顔つきだと旨く乗りこなしやがった」

一同が見えなくなると弟弟(ディーディ)が孜(ヅゥ)の肩をどやして豪快に笑った。

父親の雲嵐(ウンラン)までが「心配して損した。婿にふさわしい男でよかった」と肩を叩(はた)いている。

新しく親子になった二人は、茶の相談が残っていると薛(シュェ)家へ向かった。


健康(ヂィェンカァン)哥哥が付いて筏下りの予約を取りに向かい、明日の午に武夷宮までの約束と料金の支払いを與仁(イーレン)がした。

今日の客が乗るのを見ると竹竿を並べて麻縄と蔦で繋がっている。

客が坐るのか台に縄が有り腰縄で繋がって落ちない様に工夫してある。

「面白そうだ。大分濡れそうだな」

「暑い時なら爽快だというぞ」

「経験ないのか」

「俺は好きじゃない、十里も揺られて下るなんて何が面白い。妻と子供たちは二度も下って喜んでいたぜ」

「峡谷に景観が広がっていると冊子にあるぞ」

「インドゥ弟弟は庭園だ景観だなんて年寄り趣味だ」

「ふん、堅物め、坐って一刻の間、景色が眺められて河で体を洗われるなんて爽快そのままだ」

「マァいいさ、教えた宿へ行けば福州迄の船が待っているはずだ、明後日の朝の出の約束にしてある。向こうは揺れないそうだぜ。川幅が狭い処もいくつかあるそうだが四日で着くとよ」

「なんだよ。哥哥は福州まで行くのに山越えで船は乗らないのか」
「まだ利用したことは無い。哥哥が向こうへ着くころには例の話も片が付いているだろうぜ」

「そう願いたいな。どうせ豊紳済倫(フェンシェンジィルン)まではたどり着けない様に筋書きが出来ての事だろうがな」

「俺もそう思うぜ。名前を使われたで終わりだな。それと程(チェン)は博打に弱いと仲間が言っているが、去年きたという哥哥の家来だというやつは誰なのか口を割らん。知らんと言うのが本当かもしれんよ、都どころか福建から出てもいない様だ。福州へ送るか人さらいの未遂は鞭三十で放免だ」

「鞭三十じゃ。半月は動けんぞ、引き取り手がないんじゃ、牢で養生させるしかないぞ。野垂れ死にされたら健康哥哥の責任だ」

「俺もそう思うよ。福州へ送れと云うほうがまだましだ。頼むから引き取りに来てくれと願っているんだ。そうそうあの逃げた媼な」

「どこかへ行きついたか」

「一日中歩いて苗(ミャオ)の部族民に助けられたとさ。どうやらそこが故郷らしい。出て来なきゃそのままだ。見張りも引き上げろと命を出した。あんな媼にそうは人手も使えないからな」

「そりゃ仕方ないよな。関からこっち範囲は広すぎる」

「それが悩みだ。都と違って官員はわずかなものだ。村人の協力なしではお手上げだ。しかしこの騒ぎで儲けたのはあの若いのだ。村で評判の器量よしだ引く手数多(あまた)だが都なら安全だ」

「本当だ。元の親戚に悪さを仕掛けられ悪い噂が出ないうちで、好い判断の出来る父親でよかったぜ」

 

 

嘉慶五年閏四月十九日1800611日)

九曲渓からの筏下りに一行はずぶぬれで武夷宮近くの宿へ入った。

船頭が来て健康哥哥からの申し出は百六十両だという。

「それでは帰りの荷が見つからないと困るだろう。官の協定なのかい」

「そうです。協定は百四十両で駐防官から二十両上乗せを指示してきました」

「おいおい、お前さん正直すぎるぞ。與仁(イーレン)四日分上乗せして二百両払ってくれ」

恐縮する船頭に與仁(イーレン)が「気前がいいのが旦那の一番の取り柄だ遠慮するな」などと言って受け取らせた。

二十日

朝卯正三刻に武夷宮前の船着きから船で崇陽渓を下った。

左手から川が合流し二百五十里下ったと船頭が言う。

甌寧県の街道沿いの飯店に泊まった、この辺り河の名は建渓だという。

二十一日

河は大きく蛇行し百八十里下ったと船頭が教えてくれる。

合流が有り流れの行く先の左へ入ると川幅が広がり、此処から閩江(ミンジャン)だという。

入り江に船着きが有り多くの船が留(とど)まっている。

合流した松渓に西渓などの水量で川幅は一里ほどもある。

船頭たちも同じ宿と言うので十二人で大宴会をして十八両だというので與仁(イーレン)などこれなら毎日宴会出来るなど船頭に大見えを切っている。

対岸の岡には三層の楼閣が有る夕日で屋根が光っていて壮大だ、宿の女が九峰山だと教えてくれた。

二十日

この日は二百五十里下り安仁渓の合流する手前の入り江に停泊した。

この辺りは既に福州の範囲だという閩清県(ミンチンシィェン)だ。

 

 

二十一日

福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)へ入ったのは申の鐘が街へ響いている最中だ。

四日間の船旅は楽しかった、冊紙の案内は九百里、船頭の話を合わせると八百六十里。

船頭たちは福州(フーヂョウ)の街をフッチュと呼んでいる。

インドゥは船頭六人に五両ずつの割り増しを払って別れた。

波止場から烏山西路を東へ進み、黒い塔が夕日に浮かんでいる城塞に沿って歩くと南門が有りそこから入って北へ安泰橋を渡り、都合十里ほど歩いて鼓楼にある平大人から教えられた歓繁(ファンファン)酒店へ着いた。

平大人は買范(マァイファン)の老椴盃(ラォダンペィ)の風呂場並みですぜと言っていた。

「今は来ませんがね、昔は往来も盛んで和人の風呂を真似したんだと言いますぜ。食い物も美味い店で長逗留したく成ること請け合いです」

自分の店の様に自慢した。

部屋の割り振りも付き、代わり番子に湯殿で汗を流して飯と酒でようやく落ち着いたのは戌の鐘が響いてきた後だ。

「和孝(ヘシィア)殿と言われる方はおられるかな」

インドゥが見ると老爺が若い女と此方へ近づいてくる。

「私の旧名がヘシィアですが」

「なら豊紳殷徳(フェンシェンインデ)殿で間違いないかな」

「はい然様です」

李殿圖と申す。老爺(ヘシェン)には若い時に世話になった。グォンジャウ(広州)へ来られた時は海賊退治を一緒にやったもんだ」

「えっ、広州(グアンヂョウ)へ若い時に行ったとは聞きましたが、そんなこともしておりましたか」

人に見えない様に結の手印を見せて来た。

「老爺はあの頃十九くらいかの。若い癖に言葉も色々喋れてこれからチンハイまで行くというとった」

「それはそれは世話をしていただいたのは、爸爸(バァバ・パパ)の方でしょう、どうぞお座りください」

椅子を二つ孜(ヅゥ)が持って来ている、気遣いが利く様になってきている。

「確か福建布政使に御出世と聞き及んでおりますが」

「マァ野暮用ばかりの老人の御奉公じゃ、健康(ヂィェンカァン)から申し出の男たちは脚夫(ヂィアフゥ)溜まりで大人しくして居るよ。茶商達は此処には現れた形跡がないが、建陽で先月何やら起きたらしいが取引のいざこざは訴えがないと手を出せんのだ。星村鎮に引き取りの役人を按察使が出したよ。異国への人さらいの拠点でもあるなら退治しないとな」

そこまで手をお掛けさせてはご迷惑でしょうと言うと「健康(ヂィェンカァン)が書いてきた茶商を連れて来た。話しを聞いて取引できるなら扱ってくれ。儂は夜が弱いでもう帰るよ。表に供が居るから送らんでいいよ」そういって飄々と出て行った。

女は牌双行(パイシュァンシィン)の孟紅花(モンホンファ)と名乗った。

長年取引していた趙(ジャオ)が茶商を引退し、引継ぎしたという喬(ヂアオ)という男は年が明けてから連絡がないという。

叔父から昨年店を引き継ぎ、例年の様に茶市で買い入れた茶が引き取り手のないまま二百擔抱えてしまったという。

何軒も安く買おうという話が舞い込んでくるが、実体のない店だと教えられて途方に暮れているという。

知り合いから「喬(ヂアオ)はやばい橋を渡っている」と聞かされ祖父の友人の李殿圖へ相談したところ今日になって此処へ連れてこられたと話した。

父母は業種違いの福州脱胎漆器や油紙傘(ユーズーサァン)の問屋で助けにはならないという。

蔡太医が同情して「哥哥、星村鎮のようにここでも手を指し伸ばすのは無理でしょうか」と言っている。

宜綿(イーミェン)も「助けてやれよ」とどういう茶かも聞かずに人頼みだ、女の顔に見とれていて上の空だ。

「昨年の実績と同じ量を入れたのかい」

「そうです福鼎(フーディン)まで出向いて戻ったらこれでは店じまいでもしないと立ちゆきません」

「福鼎(フーディン)」

「そうです」

「もしかして白なのかい」

「左様です。上海(シャンハイ)へ行くはずの白毫銀針(パイハオインヂェン)三十擔と広州(グアンヂョウ)へいつもなら送る寿眉(ショウメイ)百七十擔です」

「上海へ直の売り込みは難しいのかい」

趙(ジャオ)さんを叔叔(シゥシゥ・叔父)の時代から三十年以上も頼っていて相手までは聞いておりませんでした。聞きたくても福鼎へ出ている間にお亡くなりに」

「孜(ヅゥ)、公主の言っていた白茶だがこの白毫銀針(パイハオインヂェン)の事だろうか」

「星村鎮の干爹(ガァンディエ)の話では最近名前が付いたというので、公主娘娘も名前までは御知りに為らなかったようです」

紅花(ホンファ)に聞いてみた。

「そうなのかい」

「叔叔(シゥシゥ)の話では私を养女(イァンヌゥ・養女)にと決まった年と聞きましたのでまだ二十年ほどでしょうか」

其れならこの女、二十歳は超えているなと皆が思った、それにしては若く見える。

「茶の海上輸送は禁止と聞いたが、上海(シャンハイ)は許可が出るのかね」

「上海、天津から京城(みやこ)へは許されております」

「昨年の取引価格なら損は出ないのかい」

「昨年並みならゆうことは有りませんが寿眉(ショウメイ)は広州(グアンヂョウ)で無いと取引価格は安くて儲けは少ないですよ。最も儲けているのは脚夫(ヂィアフゥ)の親方たちですが」

「運送費が茶の何倍も掛かるとは最近身に染みているよ。半年前はなんでこんな茶迄が高いんだと文句をつけていたのが恥ずかしい」

一芯二葉摘みの「白芽茶(パイィアチャ)」が白毫銀針(パイハオインヂェン)と説明を受けた、産地は福建の福鼎(フーディン)に政和の物が名乗ることを許されているそうだ。

寿眉(ショウメイ)も一芯二葉があるが主に三葉を加工した「白葉茶」だという。 

「では白芽茶と白葉茶の二つが大きく分けると有るんだね。明日、この孜(ヅゥ)と味を試させて貰いに行きたいが都合はどうだろう」

駄目駄目と宜綿(イーミェン)が騒ぐ。

「俺か昂(アン)先生が一緒じゃなきゃ出ては駄目だ」

「何かあったんですか」

「二回ほど与太者に絡まれたのさ。どうせなら全員で伺っても迷惑じゃないかね」

「それでよろしいですわ。少しお待ちになって下さいね」

表で何か話してくると五十近い太った男を連れて来た。

「先代から店で働いている莫(モー)と言います。明日お迎えに寄こしますが何刻に来させますか」

「辰の後ならいつでもいいよ」

「では辰をあまりすぎない様に此処へお迎えに来させます」

「買い手はこの孜(ヅゥ)が相手だから間違わない様に。星村鎮のこの男の干爹(ガァンディエ)も信頼して良い物を買わせてくれている。安くてもこの男が好しと言う物でないと買えないのだよ」

「分かりました。ではいくつかの箱から選んで味見をお願いいたします」

女は礼を言うと戻っていった。

弟弟(ディーディ)が「あれで独り者なら蔡太医のお相手に好いな」など牽制している。

 

 

朝の部屋から南の丘に白い塔が朝日に輝いている、冊子には于山の報恩定光多宝塔と出ている。

昨日夕方城壁際で見た夕日の黒い塔とは場所が違う、東西の丘に建てられたようだ。

黒い塔は烏塔で崇妙保経堅牢塔だと出ていた。

朝の粥を食べて寛いでいると辰の鐘が聞こえ莫(モー)が迎えに来た。

城内の住まいには見本程度なので選んでもらうために倉庫と事務所がある城外の琉球館近くの牌双行(パイシュァンシィン)の事務所へ案内された。

事務所には孟紅花(モンホンファ)が茶の支度に湯を沸かして待っていた。

擔が六個置いてあり、白毫銀針が四つ、寿眉が二つある。

「お好きな方から箱を選んでください」

孜(ヅゥ)がふたを開けそれぞれ一つの箱を取り出した。

箱にも茶の名前が有るので素人でも間違えずに済む。

まず寿眉(ショウメイ)から入れて貰った。

孜(ヅゥ)は葉を一つ貰うと匂いを嗅ぎ、紙へ置いて様子を見ている。

紅花は普通の茶器の他に透明の瑠璃の入れ物にも茶葉を入れて見せた。

珍しい砂時計を見せて「一度で一刻の四十分の一の刻が図れます」と教えた。

六人では一度に入れては一人当たりの量が少なすぎるので三人にしてくださいと言う。

沸騰した湯を二度ほど入れ替えて冷ますと茶器の葉の上から少しずつ注いで蓋をした。

砂時計を反して目の前に置いた。

瑠璃の方へは何度か冷ますために入れ替えてからやはり優しく注いでいる。

その手順が終わると砂時計の砂が全部落ちた。

湯呑へ入れると手に取る前からいい香りがする。

「それで一番安い茶か」

昂(アン)先生も驚いている。

インドゥに孜(ヅゥ)、蔡太医が飲むことにした。

武夷の茶よりも色は薄いが香りは高い、だが味わいは武夷のほうが深みがある。

瑠璃の方を前に出すので見ると葉が開いて踊っている。

孜(ヅゥ)が紙へ置いた方も空気に触れてわずかに開いて来ている、孜(ヅゥ)はそれをまた匂いを確かめている、どうやら薛(シュェ)家で教わったやり方の様だ。

瑠璃の椀で一芯二葉と一芯三葉が混ざっているのがよく分かった。

同じ手順で白毫銀針(パイハオインヂェン)も淹れてくれた

白毫銀針のほうが白い産毛が目立つほかは味が柔らかいだけの様にインドゥには思えたが孜(ヅゥ)は感動している。

瑠璃の方の茶葉が沈みだすと孜(ヅゥ)は口に含んでブクブクと口中で味と鼻へ抜ける香りを確かめている。

話を引き延ばしながらぬるくなった白毫銀針(パイハオインヂェン)と寿眉(ショウメイ)を何度も口中に含みその間にも紙へ置いた葉の香りを確かめている。

その真剣な表情に弟弟(ディーディ)も息をつめて見守っている。

蔡太医さえ口を挟まない、與仁(イーレン)は息苦しくなったようで表へ出て行った。

「売る量を教えてください。買える金額の範囲なら引き取らせて頂きたいものです」

「今年は好いのですが来年の補償はできますの。新しい取引と言ってもこれっきりなら思いっきり張り込んで頂かないと」

後(うしろ)で莫(モー)が心配そうな顔で見つめている。

「指値をしろと言うことですか」

「来年までの保障なら昨年の取引価格、十年付き合っていただけるなら交渉次第でお引きします」

「分かりました京城(みやこ)の桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)の名誉を掛けて、十年のお取引をお引き受けします。ここからだと京城(みやこ)までの運糟を引き受ける業者をご存じですか」

「父母(フゥームゥー)の取引で使う店がありますが」

「そこでは自家の船ですか」

「そうです。上海(シャンハイ)から広州(グアンヂョウ)迄沿岸をいくつか拠点に幅広く荷を動かしています。京城(みやこ)へは寧波(ニンポー)で天津(ティェンジン)へそこからは運河で積み替えて運ぶそうです」

孜(ヅゥ)が眼で合図するので頷いた。

「こちらで運送費込みで受けますか、それとも運送費別で後は運糟業者を紹介していただくということにしますか」

「運送費までは分からないので茶の販売でどうでしょう。業者は紹介させて頂きます」

「分かりました、売れる数と値段を示してください」

莫(モー)が帳面を出すと「小売店へも回すので買い上げていただけるのは白毫銀針二十五擔と寿眉(ショウメイ)百五十擔です」と告げた。

莫(モー)が別の冊子を出すと「白毫銀針が一擔八千五百銭、寿眉は一擔二千二百銭です。もちろん擔は新品へお入れしてあります」

孜(ヅゥ)は洲茶は二千五百十銭に送料と思いいくらか安いと判断している。

算盤を出して「白毫銀針(パイハオインヂェン)二十五擔で銀二百十二両と五百銭。寿眉(ショウメイ)百五十擔銀三百三十両で合っていますか」と確認した。

莫(モー)と紅花(ホンファ)は別々に算盤を出して計算し確認して紙へ書き出し「合っております」と伝えた。

銀五百四十二両と五百銭だ。

「銀錠、金錠、銀票どれでの支払いがお望みですか。それと船の交渉が済むまでの保管料はどうします」

インドゥはヅゥの成長に目を細めている。

「金錠か銀錠だと何時頃支払えます」

「私の葛籠に金錠で五十四両、銀錠二両と五百銭は與仁(イーレン)さんを呼べば出せます」

「その支払いをしていただけるなら船の都合もあるでしょうから三月の間は保管料無しでお受けします」

「哥哥三月あれば鳳凰山へ往復できそうですね」

「ああ、そうだな。陸路でも千里だと書いてあったぜ」

紅花(ホンファ)が「何かご用事でも」と不審げだ。

「実は鳳凰(フェンファン)の事が知りたいのだが、情報が少なくてな、潮州まで行こうかと考えているんだ」

「今年の献上品の船は先月もう出ましたよ。流通分は二番摘み以降ですよ」

「一番は流通が無いのかい」

「二十斤程度の取引で昨日の李布政使と福建巡撫の汪(ゥアン)様が一斤ずつ手に入ったと大喜びするくらい難しいですね」

「あと誰の手に入ったかわかりますか」

金を出しながら孜(ヅゥ)が聞いている、英敏(インミィン)が與仁(イーレン)を連れて来て葛籠から刺しで五百銭かき集めた。

金錠で五十四両、銀錠二両と五百銭、莫(モー)が確認して受け取りを渡した。

「杭州(ハンヂョウ)の船主が五人で、後は広州(グアンヂョウ)の貿易商五人に此処の金持ちが十二人で分け合ったそうです。あと一人は私の祖父」

一斤買うのに四十両も出したそうだ、希望者が多くなって売り立てへ参加するのも身元保証を布政使がしたという。

一人一斤で二十五箱、均等一人一枚入札、重なれば抽選で三十人いたそうだ、ということは五人外れだ。

一斤四十両は高いが金持ちの道楽なら安いものだと街の噂だそうだ。

「広州(グアンヂョウ)の貿易商は分かるが杭州(ハンヂョウ)の船主の保証をよく出来たな」

「海賊退治のお噂は」

「聞いたことがある」

「その時に協力した方々だそうですよ」

関元(グァンユアン)を思い出したが海賊退治は十年も前の話だ、其の頃はせいぜい十くらいの話で違うだろうと忘れた。

 

 

「あぁ、天佑(チンヨウ)いい処へきた。家の瘋癲は何処に居るの」

「今裏から坊ちゃんと入ってきましたよ」

「上なら引きずりだしてきな。すいませんね。つい地が出ちまった」

宜綿(イーミェン)は驚いている。

「子供がいるのかい」

「男が六歳で、女が三歳なんですよ。小さい方は今乳母とムゥチィンの方へ行ってます」

インドゥも年の見立て違いかと見直してしまった。

子供が顔を出して「爸爸(バァバ・パパ)が嫌だって言ってるよ」と言ってきた。

紅花(ホンファ)が出て行くと何やら言い争っていたが入ってきたのは関元(グァンユアン)だ。

「なんだ。何時此処へ婿入りした」

「お知合いですか」

「よく知っているが。婿入りしたとは爺様も知らなそうだ」

「婿じゃないですよ。居候みたいなもので」

「船を降りたのか」

話がよく分からない。

紅花(ホンファ)が「私が十七の時うまく騙されたんですよ。まさか十四に成ったばかりの小僧っ子とは気が付きませんでした。子供が出来ちまって、さぁどうするんですよ、というと船で和国迄逃げ出す始末で」と言っている。

「おめえ、そりゃ言い過ぎだ、仕事と逃げ出したじゃ大違いだ」

「おや、知った口をお聞きだよ。半年に一度くらい大きな顔で出入りしやがって。家族が抑えなきゃ首を引っこ抜いてやるとこだ」

まあ、まあとインドゥが留めなきゃ際限なく続きそうだ。

「グァンユアン哥哥、大人は曾孫の事知っているのか。南京で会ったが何も言わなかったぞ。杭州(ハンヂョウ)にも子がいるはずだ」

「そいつは紅花(ホンファ)には教えましたが、この事は内緒に」

「高くつくぜ。それによ、さっき聞いたら鳳凰(フェンファン)の買い付けに杭州(ハンヂョウ)の船主が来ていたそうだ、ばれているんじゃないのか」

「爸爸(バァバ・パパ)の仲間ですが知らないと思います」

「ははん、だからあんたは抜けているんだ。家の老爺とお仲間だ、知らないはずあるか」

どうも手を出したときから尻に敷かれて居る様だ、宜綿(イーミェン)など代わりたいという顔している。

「昨日、李先生が来た後、可笑しくなったのは和孝(ヘシィア)様の事だね」

どういうことかと宜綿(イーミェン)が聞いてみると護衛代わりに歓繁(ファンファン)酒店まで一緒に来てくれというと急に用事を思い出したと雲隠れしたそうだ。

そりゃ雲隠れもしたくなるなと昂(アン)先生大笑いだ。

「話がまとまっても城内の事務所での話し合いだと油断してしまった」

「だから、あたしを引っ掛けるなんてドジを踏むんだよ。後先考えな」

「おめえ、可愛くてな、人に獲られたくなくて。そんな後先考える余裕もなかったんだぜ」

紅花(ホンファ)真っ赤になっている、根は純情そうだ、きついのは関元(グァンユアン)の時だけの様だ。

子供も平気で椅子で見ているのは何時もの事の様だ。

「まさかいきなり十四で子持ちとは気も動転するはずだ。俺でも逃げ出すぜ」

弟弟(ディーディ)に今更慰められても後の祭りだ。

これが胡同の高級妓女なら、いつ身籠ることなしに行えるかを教えられて居るが、素人には無理な話だ。

昂(アン)先生の教訓の一つに「妓女が男を振るときは妊娠しやすい時期だ」と子供の頃教わった。

鳳凰(フェンファン)を試し飲みも難しそうだと英敏(インミィン)も残念そうだ、孜(ヅゥ)も「やはり行くしかなようですね」としょげている。

「私の所の老爺の分を飲ませて呉れと押しかけますか」

「大丈夫かねこんなにたくさん行っても」

「一両くらいくすねてもいいでしょうよ」

一両は一斤の十六分の一位だ、それだけあれば十人が一番煎じを楽しめる。

インドゥが飲ませて貰えたのは、五番煎じくらいだがそれでも香りは十分楽しめた。

その言葉に勇気をつけられて近くだというので関元(グァンユアン)も子供の手を引いて向かった。

運河を超えて半里も行かないところに大きな門構えの家が有り、そこへ入った。

孟景旛(モンジィンファン)は喜んでご馳走してくれるという。

「実は入れ札で試飲してから惜しくて飲めずにいたんだ。客と一緒なら心置きなく楽しめる。まず水で口を濯いで落ち着いて楽しもう」

紅花(ホンファ)が支度を整えて湯が沸くまで味について話してくれた。

「三十年前に喫したときと同じ香りでな。どうにもほしかったが二票入っていてわしが引き当てた。嬉しかったな」

「それで、今回のはどの分類の香りでしたか。私は肉桂(ロォゥグゥィ)と茉莉(モーリー)しか知らないのです」

「鳳凰(フェンファン)は十種以上も香が有ると聞いたが、試飲で出て来たのは梔子(チーツー)だったよ。紅花(ホンファ)ちょっと待て」

「何」

「その葉、可笑しい」

皆で茶器へ入れる前の葉に集まった。

「これ武夷の洲茶(ヂォゥチャ)に似ています。香りは梔子(チーツー)です」

「そうだな安物にくちなしの香(か)を着けたようだ」

表が騒々しくなり二人の老人が息せき切ってやって来た。

「孟老爺、飲んだか」

「これか、今可笑しいと気が付いた」

「俺たちも二人で楽しもうとして香が違う事に気が付いた。こりゃただの梔子(チーツー)茶だ」

汪志伊(ゥアンヂィイー)に李殿圖(リーディェントゥ)を騙すなど呆れたやつらが居る。

「今急いで買い入れた全員に知らせる様に手配してきた」

会を開いたやつはこの近くだから、ここへ連れてくるように人が向かったという。

連れられてきた庄(チョアン)という男は真っ青な顔いろだ。

茶を見せられて驚いている。

「私が見本に選んだ茶ではありません。倉庫で二十六の箱包みから一つを私が選んで皆様に飲んでいただきました。確かに梔子(チーツー)の本物です。それは試飲された方もご存じのはずです。どうやってすり替えたか分からないのです」

千両だまし取るのに手が込んでいる、一斤は集まったものが多くすべて飲み切ってしまった、それで四十両ではひどい話だ。

「誰が持ち込んだ」

「趙(ジャオ)が亡くなって跡を継いだという喬(ヂアオ)です」

「ちょっと待てよ。建陽でいざこざ起こしたやつ、確か趙(ジャオ)の名前だしてないか」

「汪(ゥアン)大人、そうです。でもその時には死んでいて間違いだろうと有耶無耶に」

「李先生。汪(ゥアン)大人。喬(ヂアオ)は三月に徽州(フゥイヂョウ)で黄山毛峰(フアンシャンマァォファン)を買い入れていたようですが」

「それです。その雀舌(チィアォウー)は私が買い取りました。その茶がほしくて手数料なしで鳳凰(フェンファン)の入れ札を行いました。大卸の値で分けると持ち掛けられました」

「庄(チョアン)。千両支払えるか。それで土産でも持参すれば此処の三人は訴えを内緒で済ませてやる。あとの者にも俺たちの面子が有るから内緒にしてもらえる様に話は付ける」

「そんな、たかが茶商にそんな銀(かね)出てきません」と泣いている。

インドゥも口を掛けた。

「喬(ヂアオ)が使っていなければいいのですが」

「だがどうやって行方を探す」

「あの人さらいのやつら住処を知りませんかね」

「程(チェン)て云うやつは知らない、自分も騙されたの一点張りだ。役者どもはどう見ても日雇い仕事の様だ」

「どうですかね嫌疑不十分で出して後をつけるのは」

「逃げられると厄介だ」

「実は陳駐防官は母親の後をつけて苗(ミャオ)の部族民の所へ行ったそうです。そこが連絡場所かもしれません」

「歩ける程度に鞭を振るわせるか。買収された振りでもさせればいいだろう」

「じゃ健康(ヂィェンカァン)に連絡が付いたら実行しよう。豊紳殷徳(フェンシェンインデ)殿も其れまで足止めだ」

庄(チョアン)がギクッとまた一段と青ざめて李先生に耳打ちをした。

「おいおい、哥哥。お前さんの指示で喬(ヂアオ)は動いているとさ。大物が此処にいたぜ。安心しろこっちは本物だ。う、もしかしてお前あっていないか偽物に」

「昂(アン)先生という方がおりましたが。内大臣は後姿しか」

昂(アン)先生は「俺が昂(アン)だが似ているか」と前に出た。

「このお方ほど肩幅は有りませんでした。程(チェン)と云うのは知りません」

「程(チェン)に分からない様に外へ出して首実検させよう。役に立つて金が戻れば見舞い品だけで勘弁してやるよ。だが当分監視付きだぞ、ふけたらどこまででも追いかけてやるからな」

三拝九拝して「お助け下さい」と懸命だ。

二人は役人に「聞いた通りだ当分食客に為れ、後で交代を行かせる」と付いて行かせた。

布政使事務所で作戦会議だと息盛んに出て行った。

 

「哥哥、当分足止めでは私と蔡太医で鳳凰山へ行きましょうか。用心棒に宜綿(イーミェン)様」

「良いぜ。三人で羽でも伸ばしてこよう」

関元(グァンユアン)が口をはさんできた。

「哥哥、千二百里はたっぷりありますぜ。山道じゃ片道十五日かかりますよ。汕頭(シャントウ)まで船で行って韓江(ハァンジァン)を上る船を雇えば往復十日以上は確実に浮ますぜ」 

「関元(グァンユアン)その船が簡単に見つかるなら苦労はないぜ」

「哥哥、見損なわないでくださいよ。目算が有るから言うんですよ。明日には広州(グアンヂョウ)へ行くんで、ちょいとスワトウ(汕頭・シャントウ)へ寄り道」

「あんた、また出る日を黙っていたわね」

「怒るなよ。すぐ戻るから。それでねスワトウ、おっとシャントウへ十二日後にお迎え。それだけあれば五日は最低でも鳳凰山にいられますぜ。河登りの船もお仲間に言えば金次第で案内込みで十二日は付き合いますよ」

「與仁(イーレン)銀票三千を銀錠に交換してくれ。それだけあれば旅費に買い付けも出来るだろう。送料も船で此処まで持ってくるくらい出るだろうさ。関元(グァンユアン)すまないが両替できるところへ案内してやってくれないか」

歓繁(ファンファン)酒店へ先に戻ればいいですか」

「そうしてくれ。俺たちもすぐ戻る」

インドゥは三十枚の百両銀票を預けて二人を送り出した。

「本物が手に入ったら此処で宴席でも設けてください」

「良い話を待っているよ」

紅花(ホンファ)を倉庫へ送って城内へ戻った。

 

 

清国の正式な刻は九十六刻制(一刻は十五分)が採用されている。

一時辰を初刻と正刻の二つの小時に分けた。

午後11時台を例に取ると以下このように分けた、良く出る寅の刻は午前四時に成る。

初初刻(1100分・子の初刻)・初二刻(15分)・初三刻(30分)・初四刻(45分)・正初刻(1200分・子の正刻)・正二刻(1215分)・正三刻(1230分)・正四刻(1245分)

民間では不定時法の地域が有るように話を複雑にした。

閏四月二十五日は夜中の雨で街は寒いくらいの夜明けだ。

蔡太医と孜(ヅゥ)に宜綿(イーミェン)は船に案内されていくと壁に時計のある部屋へ案内された。

時計は五字二十分を指している「この時計と刻の鐘が合うのは午位ですよ。毎日一度捩子を巻くのが面倒でね時々止まるんで飾りですよ」と云うので蔡太医が「年に二回は正確になると宋輩江(ソンペィヂァン)太医が言っていましたよ」という。

「そりゃ何時です」

「春は啓蟄から清明の間にあるそうだ、秋は白露から寒露の間、この間はほぼ時の鐘と同じになるそうだ」

「医者はそういうのも勉強するんですか」

「脈診するにも本来は昨日見た砂時計に合わせたほうが正確だがね。古ぼけた太医たちが居なくなった分、新しい分野の勉強が多くなってしまった」

「それは好い事なんですかね」

「そりゃそうさ。いまだに千年、二千年前と同じ病しか無いというのは可笑しなことさ。宜綿先生の爸爸(バァバ・パパ)のような病気の治療法一つ載っていない。原因を調べる方法を見つけるのもこれからの医者には必要だが外科医は馬医者と同じでは戦の役に立つ医者が育たない。宋輩江(ソンペィヂァン)太医のお知り合いには優秀な馬医者に外科の達人が居る、この人たちを使って優秀な医者を育てないとケガをしても薬湯で直せじゃ手遅れになるばかりだ」

宜綿(イーミェン)も孜(ヅゥ)に教えている。

「そういうことだな四川へ出た時に役に立ったのは馬医者の方だった。馬医者の地位が低いのはなり手が少なくなる原因の一つだ」

宣教師も数は少なく異国の医者も来てが少ないという。

関元(グァンユアン)は船出の準備だと出て行った。

「それで新薬草探しも難しいのですか」

「そういうことだ、昔の本にない。それで撥ねられていた分野だからな。地元の医者で研究熱心な人を訪ねるのも大事な事の一つなんだ」

「やっぱり茶の効能を本にした方がよくないか」

宜綿(イーミェン)も難しいなとこの旅で感じたようだ。

「茶の一番は水を沸かすことなんです。そうすると水に病気の元が潜んでいてもいなくなると宋太医が教えてくれました。薬湯の効果の一番は薬草と水を沸かすという二つが合わさって効果が出るそうです。川の水を飲んで腹を下すのは何か上流に病の元が流されているというのが今の太医院の意見です。井戸の水でも沸かすのが一番だと言っています」

「水が原因では怒られるな」

「そうなんですよ。清潔にしろとは言いますが、病の元は水では金にもなりません。高い薬ですよと脅して薬湯に煎じなさいが使えません」

三人で笑い転げている間に船は梅東鎮の鼻を過ぎて外洋に出たらしく波が高くなった。

「なんで昂(アン)先生でなく宜綿先生が此方へ来ることに」

太医は疑問に思っている、口では羽根を伸ばそうと言うが街場にいたほうが遊び場は多い、気の合う哥哥と二人のほうが遊べるのにと思っている。

「蔡太医、それなんですが、昂(アン)先生船に弱いんですよ。兄に聞いた話だと河船は平気でも海に出ると寝込んでしまうそうです。宋太医も薬はあるが気休めだなんて言ってたそうです」

「船酔いというやつか」

「何か酔わない方法は無いんですかね。関元(グァンユアン)さんたちは酔わないんですかね」

「時間は有るから後で聞いてみるか」

浪が穏やかになり揺れなくなったので外に出ると東西に陸地が見える。

この日は荷下ろしで未には火焼港という名前が物騒な処で停泊と言われている。

この辺り福清(フッチャン)だという、昔は台湾、琉球への港町で栄えたそうだ。

福建は台湾も含まれていてこの辺りからなら海上二百五十里と教えてくれた。

陽の有る内に荷下ろし、荷積みも済んで船で夕飯となった。

陸から温かい料理が運ばれてきて船子達もご機嫌だ。

「良い待遇ですね」

「客が居れば銀(かね)が入るからな」に船頭、船子達は大笑いだ。

「普段は違うんですか」

「そりゃそうだ。こんなご馳走毎日出してたら船主が怒り出す」

船長だという王という大男が笑っている。

関元(グァンユアン)は水夫頭なんだと言うが、船長は話しかける言葉も丁寧だ。

往復三人で五十両インドゥが出して乗せた客だ、毎日ご馳走でも使い切れないと船長はグァンユアンと飯をかきこんでいる。

この船、乗組員一同家族同然に話をしている。

若い船子は関元(グァンユアン)を兄貴の様にしたっている様だ。

流石に茶ではなく湯が注がれている。

「水は出さないのですか」

「この船ではいろんな港の水を調べてるが、ここの港の水は生では飲まない方が身のためだ。腹下しが昔出てから沸かして飲んでいる」

太医院より民間の方が進んでいると蔡太医は思っている。

「そうだ、船長、この船では船酔いしたらどうするんですか」

「慣れしかないよ。平たくなって寝ているくらいしか方法がない。寝てりゃ腹もすくから我慢比べだな」

「酔い止めの薬は効きませんか」

「効くやつと効果なしと半々だな。薬嫌い程効果が出ない。薬を信じてる奴は直ぐに効く」

やっぱり気休めだ、そう云うと簡単な答えが返ってきた。

「一番は仕事で追い回すことだ。酔っている事も忘れるくらいな」

これには全員が大笑いだ。

次の停泊地は有名な泉州(チュエンヂョウ)福州の港からわずか三日で着いた、六百里来ていると教えてくれた。

此処で荷下ろしと積み込みで明日一日かかるという。

明後日は巳の刻の出だというので、船長が関元(グァンユアン)に「案内してやれ」と云うので船を降りて四人で街を回った。

「道院や寺は行かなくていいぜ。景観を楽しみたいのは哥哥くらいだ」

先にそう宜綿(イーミェン)が言うので関元(グァンユアン)はごみごみした街を巡って今夜泊まる宿だと瀟洒な酒店へ連れて行った。

翌日は蔡太医の希望で薬材探しだ、宜綿(イーミェン)も目的はそっちだと素直に従っている。

二十九日、泉州(チュエンヂョウ)船出は巳の刻。

五月一日は船で明かした。

二日、漳州府について翌朝卯に船出と云うので船で過ごした。

三日この日も船で明かした。

四日の夕刻汕頭の港に到着、船は明日荷の積み下ろしが有るという、関元(グァンユアン)が付いて鳳凰山の案内と往復の船を探した

司(スー)という船主の荷船で往復十二日、三十五両で案内もするという。

孜(ヅゥ)が三十五両に案内の特別手当だと五両上乗せした。

明日六日の辰正二刻にこの裏から出ると云うので三人を預けると、宿の名を告げてそこへの案内も頼んで船へ戻っていった。

十八日までに戻れば迎えが来るまで宿で待機とは諄いほど言われた。

「明日船頭が辰の刻までにお迎えに来ます。お支度は済ませて置いてください」

若い男はそう告げて戻っていった。

宿の飯はうまく酒も進んで宜綿(イーミェン)は陽気だ。

 

 

五日の朝、辰の刻前に迎えに来たのは中年の女だ。

「船は船頭何人ですか」

関元(グァンユアン)は総額だけ決めたが孜(ヅゥ)は五両上乗せの他にもインドゥの様に日にいくらか上乗せと考えている。

「六人ですよ」

「私たちの他は乗せないのですか」

「まさかね。借り切りではあの値段では無理ですよ、運ぶ荷が有りますから狭いのは辛抱してください。鳳凰の梔子(チーツー)を一番にと云うのでその近くの波止場で十四日から十七日までは待機します。案内は娘たちが茶の事に詳しいので案内します」

船は西港から梅渓を抜けて韓江を遡り潮州の街に入った。

湘子橋(シァンズーチィァオ・広済橋)を抜けた時宜綿(イーミェン)は奇麗なものだと感心した。

真ん中は船を使った浮橋だ、大きな船を通すときは動かせるという

広済楼を振り返って今これを造ろうとしたらとんでもない金額が計上されるだろうと思った。

街を抜けて山が迫るところの波止場で停泊した。

百里有ると言うが河を遡った割に陽の有る内に宿へ入れた。

開封飯店という店の飯はうまく案内の二人の娘も喜んでいる。

姐姐(チェチェ)は二十をいくつか越したかと思える物腰で妹妹(メィメィ)は十五.六の様だと宜綿(イーミェン)が孜(ヅゥ)に耳打ちして来た。

豊順県鳳凰鎮が集積地で、百里の山登りだという。

「無理せず途中の村で宿が有りますから泊まりましょう、急ぎならここから馬で行けば朝寅に出れば陽の有る内に入れますが、五頭の馬と替え二頭雇うようになりますよ」

「金の高より刻のほうが大事なのです。今晩頼めますか」

「好いですよ、少し時間をくださいね。遅くも十七日には降りるんですね」

二人で出て行くと小さな男を伴ってきた。

「往復で三十両出してくれますか。手付十両、向こうで十両戻って十両」

孜(ヅゥ)この旅の経験で十日なら二十両が相場かと思い宜綿(イーミェン)に「どうします。贅沢をしますか」と聞いた。

二日山登りかとうんざりしていたようで「良いよな宋太医」と責任逃れだ。

「そうしましょう。出してあげてください」

十両手にして嬉しそうに「寅には出られるように宿の支払いも先にお願いしますよ」と出て行った。

姉娘は「値切ると思って吹っ掛けられたようですよ」と後になって言う。

「値切れば値切れるだろうが慣れない山登りより、気持ちよく乗せて貰う方が先だ。あんたがたも遠慮なく吹っ掛けな。ああ、もう無理か船代先払いしてしまった」と宜綿(イーミェン)先生珍しく軽口をたたいている。

さあ早寝だと部屋へ別れたが宜綿(イーミェン)の部屋へ姉娘が忍んで来た。

言葉も交わさず寝床へ入り込んで宜綿(イーミェン)の口を吸ってきた。

慌てずに服を脱がせ、手を差し込むと和毛は疎らだ。

宜綿(イーミェン)我慢が限界と「行くぞ行くぞ」と耳へ囁いた。

「まだ我慢してください」

「帰りまでにまた付き合ってくれるかい」

「喜んで、山にもこの時期は金で寝る女が居ますが、呼んではいやです。私だけならお金の心配もありません」

「それでは俺だけ得をしてしまう」

「後家で、街で噂になりたくありません。こんな気持ちになったのは五年ぶり、お会いした時からお情けが欲しかったのです。寝坊しないでくださいね」

そう言いながら身の始末をつけて部屋を出て行った。

 

 

翌六日寅の刻前に宿の前へ出るともう馬が用意されている。

振り分けの荷台が無いのは道が狭い証拠だ。

「山から茶を降ろすのはどうするんだ」

宜綿(イーミェン)が隣へ並んだ姉娘に聞いた。

「脚夫(ヂィアフゥ)が運びます。馬より安いんですよ。虎頭村で茶市が有ります。余裕が出れば回りますか。良いでしょ馬(マー)」

「ちょっと待て。昨日から考えていたんだ。お前瓢(ピィア)の弟弟(ディーディ)の一人じゃないのか」

「ゲッ、ばれましたか。昨日吹っ掛けた時後ろにおられるのに気が付いて、やばいと思ったんですよう、最後の十両はもらいませんのでご勘弁してください」

「馬鹿言うな。俺の銀(かね)じゃない。話はついてるんだ遠慮するな」

「どういう関係なんです」

「四川へ馬方で出たのは覚えてるだろ。景蘭(ヂィンラァン)」

「そりゃ爸爸(バァバ・パパ)に丈夫(ヂァンフゥー・夫)がそこでおっちんじまったんだ。覚えているさ」

「その時家の兄貴が旦那の馬丁さ」

「エッ、それじゃこの旦那が宜綿(イーミェン)先生」

「そうだよ聞いてないのかい」

「だって京城(みやこ)の太医院の蔡太医の御一行で、霊薬と霊茶が目的だと関元(グァンユアン)の旦那が言っていたんだよ」

「後ろでおっかなびっくり馬にしがみ付いているのが蔡太医だよ。俺は用心棒。俺は名前も知らないが瓢(ピィア)と年中酒盛りしている呑兵衛だと記憶していたんだ」

「えへっ、あの頃は年中旦那に奢られていました。改めてごちになりました」

「帰るまでにどこかで美味い酒でも飲もうぜ」

「虎頭村の茶市は後十日で終わりで、まだ大勢妓女がたむろしていますぜ」

「馬(マー)おじさん、承知しないよ」

「何怒ってんだよ。お前の亭主にゃ親父に内緒で散々女を世話しろとせっつかれた。こっちの身にもなれよ」

軽口で道も捗り日暮れ前に鳳凰鎮に着いた。

山の上と聞いて鄙びた村と思っていたが裕福そうな家が並んでいる。

孜(ヅゥ)が馬方から聞き出したのは虎頭村へ降りて潮州へ行く道は広いので馬に振分荷を付けても大丈夫だという話だ。

その晩のうちに姉娘が村の長へ紹介し、鳳凰梔子(チーツー)の偽物が出たという話に仰天して村の主なものを呼び集めてくれた。

拝み倒されて一斤を分けたという老人は「そんな大それたことに使われるなんて」と泣いている。

黄枝香もしくは鳳凰梔子(チーツー)は分かりやすく流通させるために茶商が言い出したという、なぜなら茶の樹ごとに味わいが違い特定の香の樹は数が少ないという。

飲んだ茶が肉桂(ロォゥグゥィ)なり茉莉(モーリー)の風味があるのはその樹だけの特徴で献上茶の他には名を使っていないという。

接ぎ木したものは此処では鳳凰水仙と統一して出すそうだ、調合を任されるのは村で三人、そのすべてが同意した後で市へ出しているという。

皆自分たちの茶に愛着がある様だ、接ぎ木の低地の摘み取りも終わり茶市へ出すものも送り出したという。

「また明日まいります」

孜(ヅゥ)は宿へ戻り「見本の分は此処のに間違いないようです」と蔡太医と宜綿(イーミェン)に報告した。

雑魚寝と来る前は聞かされていたが宜綿(イーミェン)の事をマーから聞いた家の主が大きな部屋を離れだと提供した。

此処は麓でまだ標高は低い、茶摘みをする村は高い土地ほど茶が高価なのは武夷と同じだ。

黄梔(ファンヂィ)香が手に入らないなら芝蘭(チーラン)香で後摘みが手に入りやすいと妹娘は勧めて来た。

鳳凰水仙は市へ出す調合師と呼ばれる人が選り分けたもので高くても香に責任を持って居るという。

芝蘭(チーラン)香、黄梔(ファンヂィ)香など名前は村では付けないが大卸という茶商が仕分けにつけるという。

「茶市で手に入れた仲買の物から少しでも分けて貰うか」

宜綿(イーミェン)の言葉に二人も賛同した。

黄梔(ファンヂィ)の親樹は十五本、若木が百株、芝蘭(チーラン)の親樹は十四本、挿し木して今二百株ほど若木の収穫がされているという。

此処で云う若木は百年に満たない物だそうだ。

昨年は献上品に含まれているという、芝蘭香は三百年以上の老木の数が多いそうだ、献上はそれぞれ二斤の六斤が贈られた。

嘉慶四年-芝蘭香・茉莉香・桂花香

嘉慶五年-黄梔香・茉莉香・肉桂香

二百年以上の老木は二十煎に耐えるが、偽物なら五煎で味、香が落ちてくるという。

今年献上されたものは三種、黄梔香は三百年以上の老木で三年ぶりの摘み取りだという。

献上茶の親樹は二十本三年から五年に一度摘み取るという。

「では入れ替えられたか調べるには今年の黄梔香は二十煎に耐えたかどうかで分かるのだね」

「そうですわ。黄梔香の百年以上の老木は十五本、その内の一番の老木です」

「ということはまだ市場に出ない老木の分はいくらかでも有るという事かな」

「そこがむずかしい処で、値が上がるのを見越して隠す人は此処には居ないと思いますが。市での取引までは私たちには中身がつかめないのです」

「そうか、見た目で判断は難しいのかな」

孜(ヅゥ)も味わっていない茶の見た目で判断が難しいとなると何を頼りにすればいいか困っていると相談した。

姐姐(チェチェ)と妹妹(メィメィ)は老木はもう摘み取りが終わり、若木は今、鳳凰鎮が終わって奥の村が最盛期だという。

孜(ヅゥ)も真剣に聞いている、ここは特別な地区の様だ、鳳凰水仙の名で出たものが数量も一番安定しいる様だ。

大卸が名を付けたからと言って老木とは断定できない。

鳳凰鎮より低地には鳳凰の名は使えないという。

宜綿(イーミェン)は蔡太医と「悩んで寝ないと明日頭も鼻も、それに舌迄が言うことを聞かなくなるぞ」と考えるのはいいが悩むなと無理なことを言う。

飯を食いながら「俺を御大臣と勘違えているぞ、マーの名前はなんだよ」と今更のように聞いている。

「あっしは爛(ラァン)でがすよ」

「そうかレンと云うのもいたようだが」

「あたしの死んだ亭主が廉(リィエン)でレンと云うのはここらの方言ですよ」

「なんだ昔馴染みが揃ったか。瓢(ピィア)はどうしてる」

「今じゃ馬喰の親方ですよ」

「ラァンは親方じゃないのか」

「あっしは二十人程度ですが、兄貴の所は五十は馬に人も常備して居て繁殖までしていますぜ中の兄は梅州でやはり馬喰です」

「じゃまだ使用人が居てお前が出て来て大丈夫なのかよ」

「息子がおっかぁとやって呉れてまさぁね」

「足の速い奴がいたが、名前が思い出せん。豪くやせっぽちだった二百五十里の使いを朝出て翌朝に戻ってきたには皆驚いていたな」

「宋(ソン)の瘦せですよ。今でも痩せていますぜ。この下の虎頭村で雑貨に化粧品をやっていますぜ」 

「こんなところで店が成り立つのか」

「旦那、田舎だとお思いでしょうが、厦門(シャーメン)から此処を抜けて梅州(メイヂョウ)へ行く下街道ですぜ。街道筋で、なんでも置いてれば夫婦と子供三人食うには困りませんや。看板娘が愛嬌もんでね、親父が居ない方が若い男の客がよりつく、隣で休みどころでも開かせろなんて馬方に揶揄われて怒るのが面白いですぜ」

「そんな大きな娘がいる年だったか」

「三周りが近いはずでさぁ。この辺りは馬方に船方で出ていましたから、病気以外で死んだ奴は出ませんでした。痩せの大食いと言いますがあまり食わないし酒もわずかで酔う口で安上がりに出来ていまさぁ」

広い部屋でさみしく寝るかという宜綿(イーミェン)の元へまた姉娘が来た。

「女好きだと四川帰りの船方に馬方の評判でしたが、四川でも私のような押しかけなんですか」

「半分本当さ。俺の息子の岳父に為るインドゥ哥哥もそうだが、二人とも美人を見るとびくついて声も掛けられない口だ」

「じゃあたしなんて簡単に引っ掛けることが出来るんですね」

「引っ掛けたのかい、引っ掛けられたのかい」

 

姉娘は景蘭(ヂィンラァン)と呼んでくれという。

宜綿(イーミェン)がその名を口にすると嬉しそうにしがみ付いてきた。

 

 

七日の朝、霧が降ってきたが、陽が高くなると徐々に消えてさわやかな風が吹いてきた。

孜(ヅゥ)は姉娘と村長の所へ出かけたので蔡太医と爛(ラァン)に相談して虎頭村へ様子を見に出かけた。

妹娘が付いて来て三頭の馬で山から下りた、片道五里だという。

街道は曲がりくねった坂道だ「下るにゃいいが登るのは大変だ」と蔡太医は馬で良かったという顔だ。

蔡太医が娘に景鈴(ヂィンリィン)と声を掛けている、彼方は彼方で上手くいっているようだと宜綿(イーミェン)は馬上でご機嫌だ。

この辺りも茶の畑がある「ここいらのでも広州(グアンヂョウ)の仲買は鳳凰なんて平気で付けて送り出すそうですぜ」そう爛(ラァン)が馬の脇で説明している。

二里ほど下ると右手からの街道がある「蔡太医、この道を歩き二日で潮州の港へ下れますよ」景鈴(ヂィンリィン)が教えている。

「馬で一日は無理かい」

「脚が持ちませんよ。下るほうが負担も大きいんですよ」

それもそうだと医者の頭で理解した。

半刻も掛からず眼下に街並みが見える「あそこが虎頭村ですよ」そう教える脇を二人の男が急ぎ足で通り過ぎた。

「おいおい、宋(ソン)急いで何処へ行く」

「おお、馬(マー)の親方か。家に戻るとこだよ。急いじゃいないぜ」

足を馬に合わせて歩き出した。

「俺の客に見覚えないか」

見上げてぎょっとした顔で「首領(ショォリィン)様じゃありませんか。お久しぶりで」と大きな声で言い出した。

後で太医が何だという顔だ。

「ひさしぶりだなぁ、首領(ショォリィン)は懐かしい。お前そんな大きな声出る様になったか」

「いや普段は神さんに聞こえやしないと怒られますんで、人に話をする時には気張って張るんですよ、地じゃ有りません。なんでこんな田舎へ御出でで」

「後ろの京城(みやこ)の医者の用心棒さ」

「ご冗談でしょ」

「ところが冗談でもないんだ。この辺りで新しい薬草でもないかと探しているのさ」

家に寄って下さいと言うので「良い話でも聞かせてくれ」というと「疲れますんでお先へ行かせて頂きます」と足早に村へ入っていった。

「相変わらずだな」

「ほんとですぜ。馬と歩くと遅いから疲れるなんて、他じゃ聞いたことないですぜ」

村のはずれというか、向こうから来れば入口に宋(ソン)の店がある。

店脇の縁台で久しぶりの挨拶に妻と娘に息子が同じ様に挨拶して店へ戻った。

「さっきいた若いのも足が速そうだ」

「ありゃ弟で、あっしより最近は長く歩けると自慢でさぁ。さっきの薬草ですがね。福州の医者がこの奥で茶の樹の近くで草を栽培させてるんですよ。春と秋の二回乾燥させたら届けるんですがね。医者の言い分が面白いんですよ」

蔡太医が興味深げに聞いている。

「その草にいくつかの薬を混ぜて白酒に付け込むのと、煮出したのを人に合わせて勧めんですがね。体の弱い人には効果があるが丈夫な奴には無駄だ、男に効くが女には効かない。三年続けりゃ丈夫になる。五年続けりゃ子無しに子が出来るなんてね。安い薬草でもそれだけ続ける努力が必要だそうで。ねぇ首領(ショォリィン)様本気だから怖い」

「その医者の名は分かりますか。ぜひ会いたいものです」

「明後日福州へ出るんで都合を聞いて来ますが十日待てますか」

「一緒に行くわけには」

「五日で歩けるなら、足を緩めますが」

普段四日で福州まで歩くという。

「蔡太医無理だよ。馬でも替え馬付きで無きゃこの男と歩けない。一刻でも一緒に歩くやつを見たことないんだ。三千の兵と郷勇の中でだぜ。都合が付くなら哥哥の宿へ連絡を付けてもらうほうが良い」

「そうですね。此処まで来たんだ。福州へ遅くも二十五日には戻れるはずなんだ焦るのはやめましょう。船が遅れずに来てくれればあとわずかな辛抱だ」

宋(ソン)は蔡太医から鼓楼の歓繁(ファンファン)酒店の場所と和孝(ヘシィア)の名を書いてもらうと「間違えなくお伝えします」と受け取った。

「そうだ、旅の費用は如何ほど負担すればいいですか」

「何首領(ショォリィン)様の用事と同じだ気にしないでください。頂くと気詰まりです」

「教えてください」

「なんです」

「なんで宜綿(イーミェン)先生が首領(ショォリィン)様なんです」

「そりゃ親方連のまとめ役となりゃ首領(ショォリィン)様が当たり前ですよ」

よくわからない理屈だが馬(マー)もそれで納得しているようだ、後で聞こうと思った。

 

戻り路、馬(マー)に聞くと「博打は負け知らず。宴会は奢り。女遊びは首領(ショォリィン)様は煩かったが、妓女なら見て見ぬふり。自分が遊んでいるように言われても部下をかばって弁解もない。誰だって首領(ショォリィン)様には従いますぜ」と持ちあげている。

「河口鎮の馬方は一緒じゃないんですか」

「あっしたちと入れ替わりで九江の船方、馬方と一緒に助に来たんで。ほとんど知りやせんね。喧嘩っぱやいのを押さえる大きな人位しか覚えてないですよ」

師傅かもしれないとは思ったが交流は無い様だ。

宿へ戻ると孜(ヅゥ)から伊綿(イーミェン)に相談が有ると言われた。

「献上品に出来る樹の茶は駄目だそうです。これはあらかじめ無理と承知の事ですが、百年樹の物はわずかずつでも分けて呉れるそうです」

「そりゃ朗報だ。それを福州で騙された者に分ければ慰めに為る」

「はい。私もそう思います。それで二十五本の百年樹の物を三斤ずつ分けていただけるそうです」

「良い事だ。三等分すれば」

「そうなんです。福州の方々。フォンシャン(皇上)。公主。それでよろしいでしょうか」

「よい話じゃないか。困った顔をしているのは高いのか、それともほかに問題でも」

「金額は一斤一両で私の判断でも困る金額ではありません。今回の二十五本の樹の名札を宜綿様に書いていただきたいというのです」

「俺の字でよければ喜んで書くよ。名誉なことだ、だが本当に俺で好いのか」

「この辺りでは宜綿様は英雄です。村の者は来てくださったことで喜んで居ります」

「引き受けた。それと茶だが一斤に分けて名を書いてもらえよ」

「実は御面倒でも宜綿様にそれもお願いしたいと」

「なんだ、数が多いとひるんでいたか。一日あれば十分お釣りがくる任せておけよ。ただ字を間違えると恥だから楷書で書いて誰か付き添ってくれ」

「はい、では早速村長へ伝えてまいります」

「良いだろう。だが墨と硯は村で一番の物を用意させてくれ、筆は細書き中筆と太筆がある。それと」

「はい、なんでしょう」

「茶の銀(かね)だが。おれの方から出す。せっかくフォンシャン(皇上)が路銀に出した銀(かね)だ。人の役に立つならお喜びに為るだろう」

二十五種三斤は七十五両。

孜(ヅゥ)が出かけると母屋に出かけ墨と硯を借りて哥哥へあてて手紙を書きだした。

それが終わると馬(マー)の所へ行くと頼み事をした。

「明日の朝、虎頭村へ行って宋(ソン)にこの手紙を例の歓繁(ファンファン)酒店へ届ける様に頼んでくれ」

その晩景蘭(ヂィンラァン)はやってこない。

八日

朝の粥を食べ終わる前に馬(マー)は戻ってきた。

その日は日暮れまで看板書きと包みが来るたびに書き入れをして過ごした。

夜部屋へ戻ると景蘭(ヂィンラァン)が来て、腕も気もお疲れでしょうと揉み療治をしてくれた。

思う以上に力もあり壺を上手に揉んでくれる、按摩(アンモォー)が気持ちよく眠りを誘って足を叩いて貰う内に寝てしまった。

目が覚めると景蘭(ヂィンラァン)が添い寝している、そのまま抱きかかえて寝る宜綿(イーミェン)はフォンシャン(皇上)へ報告している夢を見ている。

 


九日

孜(ヅゥ)に百両銀票の儘ではまずいので一両銀で支払ってきてもらった。

「清算は福州でしよう」

「ハイそのほうが良いですね、それと箱を二つ頂きました。渋紙で目張りも確りとされています」

孜(ヅゥ)が戻り「明日の虎頭村茶市で仲買を紹介してくれるそうです。二人来て下さると云うので馬(マー)さんに頼んできました」と報告が有り、今日はだらだら過ごそうと娘たちと近くの茶畑をうろついた。

話の中で此処から五十里ほどで爺爺(セーセー)の家が有るという。

一晩泊まる様だと今日は無理だから十一日に行こうというと案内していた若い男が「今日午後に山へ行くので伝えておきます」うまい具合に連絡を引き受けてくれた。

 

十日-虎頭村茶市に行くと宋(ソン)の弟弟(ディーディ)に、馬宿へ馬を置いた馬爛(マーラァン)を見て、こちらに気が付いたようで挨拶をされた。

「哥哥は昨日巳の刻前に福州へ旅立ちました」

「年に何回も行くのかい」

「今年は三度目です。飛脚代わりに使って下さる方もおりますので私も二度往復しました。今日は鳳凰鎮のお方も御出でとは茶市ですか」

「そうだよ。良い物を買えた茶商に少し分けて貰おうと思っているんだ」

「出がけに可笑しなやつが一人いるから注意しろ言われたのですが。後ろを見ないでください今通り過ぎる男です」

確か淮安(ホァイアン)で最初に気絶させた男だ。

「マー。今のやつ何処へ行くか調べて呉れ。俺の顔を覚えていると厄介だ」

二人で付いて行った、村で二人組めばどうにでもなるだろう。

着ている物も違うし顔を合わせなければめったにばれないだろうと思い孜(ヅゥ)と蔡太医には周りに気を置くように頼んだ。

鳳凰鎮の男たちにもこういう男が旅先で絡んできたことがあると話しておいた。

鳳凰鎮の男も気を置いて行動すると約束してくれた。

宋(ソン)の弟弟(ディーディ)が戻って来て「朝の入れ札で鳳凰水仙を落とした仲買ともめています」という。

鳳凰鎮の男たちにも仲買の名前を言うと大変だと走り出した。

途中でマーが戻ってきた。

「首領(ショォリィン)様大変だ。豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様のお使いで公主様への献上にするから買値でよこせと因縁をつけてます」

「馬鹿いえ、哥哥の使いだと、化けの皮ひん剥いてやる」

あの男がすごんでいる後ろで、派手な服に身を包んで偉そうにふんぞり返る男がいる。

「申し上げます。豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様のお使いのお方に御挨拶させてください」

ふんぞり返って此方を向いたが見覚えはない顔だが、脅していたやつは「アッ」と叫んで逃げだした。

すかさずマーが足払いをかけて転がし、二人は鳳凰鎮の男たちに取り押さえられて誰が持って来たか、がんじがらめに縄を掛けられた。

馬方だと言っても戦場(いくさば)で鍛えているマーは俊敏だ。

「無礼なことをするな。儂は内大臣様公主様のお使いだぞ」

村の役人が来ておろおろしている。

英敏(インミィン)は思い出してあの自由裁量と書かれた許し状を出して「フォンシャン(皇上)から直に命じられて鳳凰茶の現状を調べている。内大臣様は福州までおいでだが、われらはそのお使いで此処へきている。こちらは豊紳宜綿様だ」と大きな声で伝えた。

宜綿(イーミェン)の名は絶大な効果がある、マーはじめ幾人も四川へ出た郷勇が「間違いない我らの首領(ショォリィン)様、司令様だ」と周りに伝えている。

麻縄を掛けられた二人は村の牢へ放り込まれた、仲間らしき男が三人逃げ出したがすぐ馬方に取り押さえられて連れて来られた。

茶葉は孜(ヅゥ)に任せ、村の役場で役人と打ち合わせた。

わざと牢の前で話をした。

「ここは広東巡撫が管轄か」

「そうです。潮州に按察使の出張署が有ります」

「福州武夷で人さらいの事件を起こしたものが内大臣の名を騙った。同じ仲間かもしれん。茶の買値の脅しでは罪にならんが、人さらいに官名を騙るのは重罪だ。福州で福建布政使李殿圖(リーディェントゥ)様は未遂でも鞭三十と仰せだった、按察使の手で調べて貰おうか。白状するまで拷問でもしてもらおう」

村の役人も調子に乗って「ここでむち打ちではいけませんか。三十も打てば街道で野垂れ死にでもしかねませんが、鞭の調子も調べる必要が有りますので」

蔡太医も調子に乗っている。

「いっそのこと福建巡撫の汪志伊様に引き取っていただきますか。潮州按察使から福州迄くびきでの道中に海賊退治の荒っぽい汪志伊様ならどんな荒くれでも白状するでしょう」

宜綿(イーミェン)が蔡太医に耳打ちした。

「そうですね薛(シュェ)家の婿の程(チェン)と首実検させますか、あいつも捕まってるし罪が軽くなれば白状するでしょう」

家来という男がブルブル震え「白状しますから御助けを」というとすごんでいた男に蹴飛ばされた。

「ほうお前が頭か、行く先々で面倒起こさせてくれたな」

「知らん知らねえ。こいつが頭で筋書きに乗っただけだ」

「お前が引き込んだくせに何を言いやがる」

「おいおい、白状すればお慈悲もあるぞ。千両騙ったのは誰の指図だ」

宜綿(イーミェン)妙な考えを思いついて役人と蔡太医を連れ出した。

「いいかもしれませんね。そいつも嘘だと吹き込めば使われたほうは仰天しましょう」

牢の前に戻り思わせぶりに茶を飲んだ。

「今聞かされたが。豊紳済倫(フェンシェンジィルン)様の名も騙っていたそうだな」

これには家来だという男も仰天して「お前が豊紳済倫(フェンシェンジィルン)様の肩入れだというのはうそか。よくも喬(ヂアオ)と一緒に騙したな」と騒ぎ立てた。

河口鎮の喬(ヂアオ)かというと頷いた。

「馬鹿野郎が升落としにかかりやがって」

豊紳済倫が大元だと白状したも同じで、升落としに掛かったのはお前の方だと言いたいくらいだと役人も留飲を下げている。

二人を先に潮州按察使の出張署へ五人付いて送り出した。

老爺の村役人は「京城(みやこ)のお方は流石です。自分が引っ掛かったとは知らないままでしょうな。豊紳済倫(フェンシェンジィルン)様とはどなたでしょう」と不審げだ。

「今宋(ソン)の弟弟(ディーディ)を呼びに遣らせたから書いた文を読むから聞いてれば分かる」

来るまでに簡略にあらましを書いた文を用意した。

宋(ソン)は手紙を読み上げられ口頭で福建巡撫へ哥哥の方で連絡をと言われ、旅費に蔡太医から二十両も渡され吃驚したが「四日で向こうへ届けます。何、寝るのは馬の籠でも寝られます」と出て行った。

「おいおい、本気みたいだぜ」

「そうなんですよ。兄貴に負けたくないと夜寝るより朝夕に馬の振り別けで寝て夜も昼も歩くそうです。千里を四日と云うのは、あの兄弟だけで御座いますよ」

「こいつらどうするんだ」

「ひとが戻ればまた送らせます。容赦なく追い立てれば一日で着きますから三日目には戻ります」

「来るとき歩きで二日と聞いたぜ」

「そりゃ街の人に一日で登れは言えませんよ。おいでの様に馬で来なきゃ無理ですな」

宋(ソン)だけでなく周りが皆健脚の様だ。

孜(ヅゥ)たちから話が終わったとマーの手下が呼びに来たので案内された家に向かった。

「脅し取られるより気持ちよく買っていただく方が冥加です」

そう言って買い入れた中から五擔の鳳凰水仙茶を「五十両の落札値に五両下さい」と言って其の五両に見合うほかの茶を付けてくれた。

儲けは儲けという根性は宜綿(イーミェン)の気に行ったようでにこにこしている。

七擔の茶葉は山を下りるときに脚夫(ヂィアフゥ)十四人、一人一両と刺し二束と決まった。

寄せ場で孜(ヅゥ)が先払いして十六日に山を降りると約束した。

「先に出て良いぜ。場所は景鈴(ヂィンリィン)さんに聞いてくれ」

景鈴が船を言うと簡単に通じ、十四日の申には荷を降ろしておくという。

日暮れ前に鳳凰鎮に着くと宿は今日湯だらいに入れると大きな桶のようなたらいへたっぷりと湯が溜められている。

十日に一度くらい客の要望があれば支度をするそうだ。

庭の二つの大釜に湯が沸いている、集まってきた女たちが桶に運んでその序での様にちらちら男どもを見ていく。 

馬方の男たちは大喜びで代わり番子に浸かりに集まってきた。

中くらいの樽にも湯と水がある、それで体の垢を流す様だ。

マーが宜綿(イーミェン)の背中をごしごしとシィァンヅァォで洗ってくれる。

「どこで手に入れた」

「宋(ソン)の妻子(つま、チィズ)が旦那の背でも流せと呉れました。湯だらいの日だと知ってたようです」

巣の子の下は泡だらけだ。

マー達馬方は梅州に泥温泉が有りそこへ行く客を乗せるという、湯につかる楽しみは格別だと鼻歌を歌って長湯をしてマーに「でろ出ろ」とどやされている。

湯が垢で汚れると足し湯を残ぶりと注ぎ込んで、垢を浮かせて流し出す騒ぎで庭は大騒ぎだ。

流れた湯で低い処に池が出来た。

男たちが終わると稲架(はさ)に葦簀が回されて女たちの嬌声が聞こえて来た。

子供の中には「いやだいやだ」と逃げる者もいてまるで祭りだ。

広間で馬方も一緒に茶が手に入った祝い酒だ。

蔡太医は「明日山登りだそうだから飲み過ぎは駄目だぜ」など云うがマーが語る宜綿(イーミェン)の今日の活躍と四川の武勇伝で終わる気配がない。

宜綿(イーミェン)が終わりだ終わりだと酒を止めさせなければ夜明かしでも続きそうだった。

「四川でもこの調子だったの」

「四川じゃ親方が留める前にぶち倒れるのが日常だ。教徒のやつらご丁寧にも夜はおねんねの時間だから夜は暇だった」

「じゃ女遊びは何時よ」

「ありゃ噂だけさ。兄貴に聞けば一番わかる。誰かの拵え話を面白おかしく広めたのは兄貴だ」

「呆れた」

「噂なんて中身はそんなもんさ。うまく撒き餌に食いついて女がいる様だと酒を持参で遣ってくる奴は毎日のように居たぜ」

「陣中にも妓女が」

「陣の一番後ろで、明かりで蛾を集めるようなもんさ。俺たちが遣ってると勘違いしてるにゃ大笑いだ。あいつらもどの司令(スゥリィン)の後ろが安全か本能で分かるみたいだ」

陽気に馬方たちと笑いながら寝部屋へ入っていった。

景蘭(ヂィンラァン)はこの晩は執拗に宜綿(イーミェン)に迫った。

三度目には「プーグアンリーニードゥオユエン、ウォードウシーフアンニー不管离你多,我都喜歓你・どんなに離れていても、あなたのことが好きです)」と泣きながら腰を押し付けて善がっている。

二人は精も根も尽き果てて到達した。 

「もう俺も年だ息が続かん」

それを聞いて抱き付いて「私と同じくらいな年で年寄りの振りなんて」そう言って抱きしめて来た。

「年齢と体の年は人によって違うのさ。俺の家系は老けが早い」

もう冗談ばかりと笑う顔が美人に見えてしまう酔っている宜綿(イーミェン)だ。

わずかの間微睡んだようだが景蘭は自分の部屋へ戻ったようだ。

確かに宜綿(イーミェン)の父和琳(ヘリン)は四十四歳死去、祖父常保(チャンボー)五十一歳死去といずれも任務中の死去でこの時代としても若い。

和琳(ヘリン)の兄は和珅(ヘシェン)姓鈕祜禄氏,原名善保,字致斎,自号嘉堂。

 

 

早起きの雄鶏の声が遠くから聞えてくる。

宜綿(イーミェン)は汗ばんだ体の酒の気を振り払うかと庭で手頃な竹竿で型を使って汗を流した。

軽すぎると立ててある振分荷の天秤竿で本気で打ちと払いを続けた。

陽が霧の上に出ると水を浴びて着替えをした。

普段の算命学だ女漁りだと人が言うのと大違いだ、不思議と体の疲れも汗と一緒に出て行ったように爽快だ。

マー達もそれを見ていたようだ「さすが首領(ショォリィン)だ。酒に酔ってるときとは大違いだ」と云うので「それでも褒めているつもりか」と笑ってしまった。

「首領(ショォリィン)は強いのは知ってやすが、よく聞かされた和孝(ヘシィア)哥哥とどっちが本当は強いんですかね」

「哥哥は形はいいが申し合いに弱い、それは相手をぶちのめすまで戦わないせいだ。おれでも隙が見つけられない。相手が殺す気で来れば容赦しないだろうな、強いくらいのやつは顎を外されて終わりで、もう少し強けりゃぶちのめされる」

「じゃ弱い奴は」

「手を出さないよ。そういうのは俺の役目だ」

「じゃ昨日のやつは前に首領(ショォリィン)に」

「そうだ、一度ぶちのめした、その時哥哥に顎を外されたやつは雇われの様だな、ここには来ていなかった」

「そんな強いんで」

「そうさそのとき相手は棒で来たが、哥哥は素手で簡単に顎を擦(こす)って外したんで腰を抜かした。それで二人で入れてやったらペコペコ平謝りで逃げ出した」

蔡太医も起きて来た「私や宜綿先生は後で聞かされたんですが、河口鎮で三人の棒を持った奴らに襲われたのを簡単に退治したそうです。見ていたものが言うには殴り掛かったやつらの間を舞うように通り過ぎたら三人とも道の両側に飛ばされていたそうです」身振り手振りで話して居る。

全員そろって朝の粥を食べると、馬方が馬を庭まで引いてきた。

此処からも二人同行希望が居て七頭の馬へ乗り込んだ。

マーからは疲れが馬に出たらその者はしばらく歩くんだと孜(ヅゥ)は脅かされている。

鳳凰鎮の者に「その時は私が歩くから心配無用です」と言われている。

出たのは辰に近くなっていたようだ。

村から降りて街道を横切り川に架かった橋を渡り山道を北西に進んだ、湖を見下ろす道はやがて下り湖の先のつり橋を馬から降りて渡ると、二十軒ほどの集落が有り、山肌では茶の摘み取りが行われている。

馬上から鳳凰鎮の男たちは声を卦けて通り過ぎた。

「ここでは朝摘みはしないのです。巳から申の間に摘み取ります」

岩肌に多くの茶の樹が見える、中には人の背丈の倍以上の樹もあり景鈴(ヂィンリィン)がこの辺りから「分けて貰えた茶を摘んだ樹」が散在してくると教えてくれた。

路のすぐわきに丸太を繰り抜いた水のみ場が有り、馬をそこで休ませた。

マー達は早く飲みたくて焦る馬を押さえて丸太の水を流して布で汚れを落としてから馬に飲ませている。

普段「生水は」など言う蔡太医が率先して竹樋から流れ落ちる水を飲んでいる「美味い」と言って竹筒の水を入れ替えている。

山の上と言えど閏があった後の五月の日中は暑い。

谷間の向こうに三十軒ほどの集落がある、景鈴は「あの村の上が祖父の家」だという。

鳳凰の名はあの山の事だと指さした先に険しい山肌が見える、その向こう側が天池だそうだ。

烏崠山(ウートンシャン)だという、崠は冠だという。

鳳烏髻(フェンウーヂィ)と男たちが谷の向こうに頭をのぞかせている山を指して教えてくれた。

蔡太医は口には出さないが「鳳に烏の髷だぁ、烏に冠だぁ、何処から見りゃそう見えるんだ」と一人で喜んでいる。

谷を迂回して山肌を進むと雑木に緑の実のなる樹に茶の大木らしきものが見え隠れしている。

「この樹は宜綿(イーミェン)先生が書いて下さった札がもう掛かっているわ」

景鈴に教えられ孜(ヅゥ)が馬を降りて見たが、どう見ても樫の樹だ。

笑いながら「下に立札があるでしょ」と言う、見れば宜綿(イーミェン)先生の札の下に矢印が出て岩脇百年寿順治甲申五黄とある。

回り込むと岩に守られる様に葉を茂らせている。

大きな樹だ人の背丈の三倍は有りそうだ。

「その年に百年目だったという事かな、どのくらい前なのだろう」

周りは雑木と小さな茶ノ木が群生している。

宜綿(イーミェン)先生が「今年が庚申(ガァンシェン)だ、前の甲申(ヂィアシェン)は俺の産まれる前の乾隆二十九年だ、その二回り前だ。よくわからんがその年にもう百年寿なのか、その時植えて百年目に立てたのか、どちらにしても百五十年から二百五十年の樹だ」

算命の伊綿(イーミェン)先生というだけあって年次に詳しい。

樹の周りは雑草に覆われている。

蔡太医が興味深げに草を眺めている。

「どうした珍しい薬草か」

「ここにあるとは知りませんでした。広西の奥地に蛇嫌草(シゥーシィェンツァォ)に蛇舌草(シゥーシゥーツァォ)が有ると言われていましたが蛇嫌草ではないでしょうか」

「何の効果だ」

「腸の補整、虚弱体質改善と王之政神医が宋太医へ手紙で知らせて来たそうですが、前の老大医たちに一蹴されてしまったそうです。宋太医が行方を捜していますが吉安に弟子が居るのですが先生の行方が分かりません。草の墨絵は見た事が有りますがこれがそうなのか判断できません」

「蛇舌草も何か効果が有るんですか。家の裏山に昔からそういう名の草が有りますよ」

鳳凰鎮の男が言うには自分の茶畑は先ほど通り抜けた村だという。

「女たちに働かせて手伝わなくていいのかい」

笑乍ら「茶の下仕事までは女たち、夜にそれを揉捻(ロォウニィェン・揉む)して乾燥が男の仕事」だという、昼間付き合っていていつ寝るのだろうと蔡太医は不思議そうだ。

太医が簡単な薬草の絵を描くとよく似ているという。

「こいつは女性の冷えや胃のしこりに聞くと言われています。宋太医の所へわずかですが持ち込まれたのを見たことが有ります。困るのは乾燥させた後しか知らないので道の端に生えていても見逃しているかもしれませんね」

孜(ヅゥ)が見たのは景蘭(ヂィンラァン)に景鈴(ヂィンリィン)が何か言いたそうに袖を振るっているが「家について爺爺(セーセー)に聞いてから」と言っているように思えた。

集落を過ぎ葛籠折れの道の上に五軒ほどの家がある。

小さな子供が家に「ちたよ~~」と叫んでいる、子供らしいいい様に疲れが飛んだ。

マー達馬方はこの先にいつも旅の者を泊める家が有ると案内されていった。

八十くらいの老爺が出迎えてくれた。

「楊(ヤン)で御座います。ご苦労様で御座います。こんな山奥までようこそお出で下さいました」

丁寧に挨拶され宜綿(イーミェン)も神妙に挨拶を交わした。

蔡太医も孜(ヅゥ)も続いて挨拶をしている間に、円台に茶の支度がされている。

温(ぬる)めに淹れられた茶は甘く何か香のような匂いが混ざっている。

「これは三年前に献上された樹の子供みたいな樹からの摘み取りじゃよ。ただのう、毎年味が変化するので昔から献上にも市にも出せないのじゃ。今年になって芝蘭香と昔人が言う香が強く出た様じゃが摘み取りから三年寝かしてあるよ」

話して居ると蔡太医と宜綿(イーミェン)の顔に赤みがさしている。

孜(ヅゥ)も茶に酔うと云うのはこれかと思い出した。

「失礼ですが、同じ香は熱い湯でも出ますでしょうか」

「湯が熱いと甘味は減るよ。ただ長く刻を掛ければ旨味と苦みの調和がとれる」

宜綿(イーミェン)が老爺に問うた。

「私が書いた札には樹の名前は有りましたが、香を区別しては有りませんがなぜでしょうか」

「香は安定しないのじゃ、村の記憶に天気次第で変化すると伝わっている。三百年樹と言われる樹でも周りの雑木の状態にも影響を受けるほど微妙じゃ。実は孫からの知らせでおいで頂きたいと手を打ちましたじゃ」

蔡太医が招かれていたんだと、景鈴(ヂィンリィン)を見ると俯いている。

「十年ほど前、王先生が雑草を刈るのを見て止められて以来の付き合いじゃが。蛇除けの雑草を床下へ入れるのだが、すべて刈っては如何(イカン)と言われた。この草が樹を守ると教えられて以来気を配って一部しか刈っていない。あなた方が宋(ソン)の痩せから王先生の事を聞いたというのでな。先生が教えるかどうかより孫が蔡太医に惚れてしまった。教えてくれと使いに寄こした男も大分惚れ込んでいるようだという。それなら余分に分けるには若樹を殺しかねないことを知ってもらうために呼び入れたんじゃ」

それで山へきて日が経った後で此処の話をしたと蔡太医も気が付いた。

良い女だとは思うが、「嫁」とまでは思う事のない蔡太医だから手は出していない。

「孫の勝手な思い込みでご迷惑だとは思うが聞き逃してくだされ」

「はい、良いお孫様と思っております。それで山道で樹の札を話題に持ち出して教えてくれたと気が付きました。お礼を申し上げます。決して王神医の迷惑になることは致しません。ご安心ください。フォンシャン(皇上)の事は福州(フーヂョウ)に戻って王神医を説得いたします」

「ありがとうござる」

老爺は丁寧に言おうとしたようだ。

宜綿(イーミェン)が思い出したように言い出した。

「蔡太医、昂(アン)先生の言葉覚えているか」

「何か言われていましたか」

「やっぱり覚えておらんか。宋太医が言うように頭が固いと言うが本当だ」

孜(ヅゥ)のほうが先に思い出した。

「南京(ナンジン)と星村鎮(シンツゥンチェン)の事ですね」

「アッ」

思い出した様だがそれ以上は言わずに耳が赤く染まってきた。

「今頃茶に酔ったか」

宜綿(イーミェン)が言うと皆が笑って話は途切れた。

鳳凰鎮の男たちは用が有ると庭から出て行った。

ここの家は狭いというので蔡太医が此処へ宜綿(イーミェン)は裏の家、孜(ヅゥ)は息子の家に泊まって呉れと分散することになった。

「山の中でこんなものしかありません」と言われたが街では食べる事の出来ない山菜と山鳥の肉の鍋を囲んで汗をかき乍ら楽しく食べた。

急なことで酒の買い置きが少ないと壺で出した酒を分け合って川魚の日干しを焼いて食べた。

「明日はこの地で天池という水源迄案内します」

鐘は下の集落で鶏が鳴いた後に突き、そうすると村が動き出します。

そう言われて用意された寝床へ別れて案内された。

宜綿(イーミェン)の元へ、この日は景蘭(ヂィンラァン)は来なかった。

 

 

十二日宜綿(イーミェン)が目覚めると遠くに鐘の音がする。

家の女たちの起きだした気配が伝わってくる。

馬たちも目覚めたか嘶きが聞こえる、外へ出ると東の空が赤くなってきた。

靄だろうか谷の底から這いあがってくる。

「もう起きたのですか」

景蘭(ヂィンラァン)と景鈴(ヂィンリィン)が野菜を入れた箕を抱えている。

「もうひと仕事してきたのか」

「蚕豆(ツァンドォゥ)を摘んできました。晩の酒の摘まみに為りますよ」

「もう収穫できるのか」

「宜綿様、五月と言っても閏の後の五月ですよ。麓なら終わりに近いですよ」

「いかんな。季節に遅れたか。旅に出ると日にち迄あいまいだ。だがずいぶん多いな」

「まだこれでは足りないと総出で摘んでますよ。皮を外せば驚くほど少なくなります。茶摘みに出る前に莢を外してくれるそうです」

「しかし鳳凰鎮(フェンファンチェン)からこっち女たちは良く働くな」

「この時期だけですよ、この辺りじゃ米も麦も取れませんし。茶畑もつる草くらいしかとりませんから手も掛かりません。夏はアケビや甘ヅルを探して楽しむくらいなものです」

「作物はまるっきり駄目か」

「玉米(ユウミィ)はこれから取れますから茹でて食べたり、干して粥へ入れたりしますよ」

「生えているのは見てないが」

「だって茶を見るのに家の裏の畑を回るわけないです。紫子(ヅゥスゥヅゥ・荏胡麻)の花でもみますか」

女たちが五人やって来て「ぐずぐずしてると朝飯抜きに為っちまうよ」と追い立てられていった。

天池(ティェンチィ)はすぐそこの峰の向こうだと言うが曲がりくねった峠道は五里進んでも振り返ればわずかに上っただけだ。

人の乗らない馬には振り分けで荷が積んである、弁当も用意したと景蘭が言っている。

「マーよう、お前天池迄行った事あるのか」

「年に一度くらい酔狂な客を連れて行きますぜ」

「俺たちもそいつ等の仲間入りだ」

「その丘の先は下るだけですぜ、後二里ほどでさぁ」

景鈴は蔡太医と作物の話をしている、昨日慕わていると聞かされてから景鈴(ヂィンリィン)の一挙手一投足が気になってきた英敏(インミィン)だ。

「紫苏(ヅゥスゥ)は栽培していないの」

「潮州(チャオジョウ)の老爺(ラォイエ)は薬の卸問屋へ頼まれて沢山栽培しいます。此処では生育もよくないし、子(ヅゥスゥヅゥ・荏胡麻)と種が混ざると困るので爺爺(セーセー)の代からはやめたそうです」

「勧めようと思っていたけど、理由があって栽培しないんだ」

英敏(インミィン)は気にしていなかったがこれで船頭のムゥチィンは潮州(チャオジョウ)の人で、フゥチンで四川(スーツゥァン)に出て病で亡くなったのが此処の人だと分かった。

「フゥチンと姐夫(ヂィエフゥー・姉聟)が亡くなっ病気は何か知っているの」

大將軍和琳(ヘリェン)様と同じ、身体から水気が無くなって仕舞ったそうです。潮州(チャオジョウ)から郷勇で出た船方、馬方から五人程がこの病で亡くなったそうです

「今の太医院では三つの原因を上げているんだ。体に熱がたまりすぎて汗で出てしまう。飲み水に病気の元が有って下痢が続いて水分がなくなる。伝染病でまだ医者の知らない異国からの病」

「多くの人が亡くなっても原因は分からなかった。そういう事でしょうか」

「私もそうですが、紫禁城で働くには昔の指南書を丸暗記しないと試験に受からないんです。病の元を調べる事を今は宋太医を中心に勉強を始めたばかりなんです」

「お医者さまって大変なんですね。この辺りでは人を見る医者より馬医者の方が多いくらいです。アッ天池が見えてきましたよ」

馬の背の様な尾根の下に大きな池がある、西は岸辺から一里ほどで斜面に為っている。

流れ込む川はない、北から東へかけては岩山だ。

湧き水の気配もない、英敏(インミィン)は不思議な物を見ている気持ちになった。

「どうされました」

「水の源が分からない」

「昔から岩山からしみ出すと言われています」

「だけど烏崠山(ウートンシャン)の高さから考えれば枯渇しないのは不思議だ」

宜綿(イーミェン)が「英敏(インミィン)自然の驚異は考えるのじゃなくて感じるのだ。鉱山師に為るわけじゃない、分からない物に取り付かれると心が病む」武術から得た悟りなのだろうか、自然に逆らうなと教えたいようだ。

「そうでした、私を育ててくださった周先生も病を治すのに自分が悩んでいては助かる病人も不安に負けると教えてくださいました。宋太医も同じ様に教えて下さりこの旅で掴んで来いと送り出してくださいました」

真面目に考えている。

「おいおい、そう真剣に言うなよ。宋太医は俺と哥哥の両方見れば中庸という言葉の意味も分かるぐらいの気持ちさ。孜(ヅゥ)を見ろよ茶に向き会った時の顔とここで見る景色を楽しむ顔が違う、南京(ナンジン)迄の孜(ヅゥ)と今じゃ大違いだ、英敏(インミィン)も早く吹っ切れて京城(みやこ)で宋太医を喜ばせてやりなよ」

はい努力しますという顔はやはり固い、育ててくれたと云う周先生はよほど厳格な人だったんだろうと宜綿(イーミェン)は感じた。

持って来た弁当を草原で食べることにした、馬で持ち込んだ水は割合と冷えている。

どうなってると宜綿(イーミェン)が聞くと樽へ水を入れてその中へ飲み水用に瓢箪を入れて来たという。

「馬で無きゃこんなことできませんよ。馬は樽の温(ぬる)い水でも文句言いませんから」

万頭(マントウ)、に餡餅(シャーピン)の中身は野菜の漬物だ。

「こんな日に此処で酒でも飲んだら帰るのが億劫に為るな。朝聞き逃したが今晩の酒はどう工面するんだ」 

「今頃下から持って来ていますよ。船から降りた時媽媽(マァーマァー)が潮州(チァォヂョウ)で買って届けると言っていましたから。昨日着いている筈だったんですよ」

「運び込むとなると此処の酒は高くつくな」

「その代わり呑兵衛に為る者もいませんよ。此処は米も脚夫(ヂィアフゥ)が街へ降りると帰りに持ってきますし人がおもうより食べる物も豊富に流通しておりますよ。最近は馬鈴薯(マァーリィンシゥー)や甘藷(ガゥンシュ)も作る人が増えました」

「新しい作物なのに良くやる気になったな」

「王先生のおかげで苗を売る人がいろいろ持ち込んできます。此処で作る紫苏子(ヅゥスゥヅゥ)の油が高く売れるので馬(マー)の一族は汕頭や梅州迄届ける仕事が多いんです。下の方で取れる油菜子(イゥツァイヅゥ・菜種)は灯りに紫苏子(ヅゥスゥヅゥ)は食用にと茶以上に収入を得る人も出ています

英敏(インミィン)の世話は景鈴(ヂィンリィン)がつきっきりなので、孜(ヅゥ)はマーと温泉の話で興じている。

梅州の泥温泉とは言いますが、底の見える物から泥が肌に良いというやつまでいろいろありまさぁね。女には言えませんがあそこに擦ると鋼の様に堅くなると信じてる奴は多いですぜ」

「またまた、それも馬方の人たちを使って客を呼ぶ手段じゃないですか」

「テヘッ」と鼻を擦(こす)ったが白状はしなかった。

山道を下り楊(ヤン)の屋敷へ着くと二頭の馬が見える。

「首領(ショォリィン)様~~」と大きな声でよたよた来るのは三十くらいの太った男だが、やけに憔悴している。

妻子(つま、チィズ)らしき女がペコペコお辞儀を繰り返している。

「首領(ショォリィン)様が山にいると聞いて今生の別れに気力を振り絞ってやってきました」

「何大袈裟なこと言ってやがる。売り物の酒でも食らって酔っているのか」

潮州の医者三人に見放されてということを二人でくどくどと言っている、蔡英敏(ツァイインミィン)が黙って手を引いて脈を計っている。

「生に近い肉か生焼けの内臓でも食べたか」

「内臓料理の出来が悪かったです」

「それだな、薬が有ればすぐ直るよ」

「本当ですか。助けてください」

「海人草(ハァィレェンツァォ)は有るんだが石榴皮(シーリュウピィ)を持って居ない、どこかに石榴(シーリュウ)の樹でもないだろうか」

楊(ヤン)老爺が「下の集落に有りますよ」という。

「石榴皮(シーリュウピィ)か根の皮でもいいですから尺もあれば助けられます」

息子が貰ってくると駆け出したので鍋に湯を沸かしてくれと蔡太医が景蘭(ヂィンラァン)と景鈴(ヂィンリィン)に頼んだ。

マーはどうやら虫だと気が付いたようで「長いのが出てもあわてるな、御虎子(イーフゥズゥ・おまる)でじっと我慢するんだ」と言っている。

「馬医者に聞いたのか」

「さいでさぁ。田舎周りの馬医者ですがやけに虫に詳しくてね。馬だけでなく人間もマクリを呑めと言うんですよ。なんで海藻で虫が出るんだと言っても笑うだけでね」

楊(ヤン)の老爺が虫下しは家にもあるという。

「海人草(ハァィレェンツァォ)は田舎周りの小間物屋が持ってきますが、石榴(シーリュウ・ザクロ)にも効き目が」

「相性がいいらしい。私の師匠は何十人も其れで助けていた」

造り酒屋の主という男は「こんな青膨れになっても助かりますか」とまた心配になったようだ。

「食いすぎさえ、やめれば長生きできる」

宜綿(イーミェン)に言われている、昔から大食いの様だ。

「こいつに俺の料理番を遣らせたのが間違いだ。戦場(いくさば)に来て太ったのはこいつくらいだ」

それには周りにいたものすべてが大笑いだ。

「夫婦で同じ薬を飲んで恥ずかしくても我慢するんだ、自然に虫が落ちるまでの辛抱だ」

景鈴(ヂィンリィン)にも手伝わせて二つの鍋でマクリと石榴皮を煮出した。

味を確かめ二つを合わせると空いた鍋で、いつも持って居る香りのよい薬草を煎じた。

その鍋に醒めたマクリに石榴皮をゆっくりと注いで混ぜ合わせた。

夫婦はマーが組みたてた御虎子(イーフゥズゥ・おまる)の強度を試している。

「黎(リー)が座って壊れなきゃ十分だ」

夫婦に薬の飲み方を教えた。

「半時ごとに湯のみで一杯、三回飲むんだ」 

楊(ヤン)老爺の部屋で寝るから二人の虫が下りたら起こしてくれと言って二人に「夕飯抜きだぜ」と宜綿(イーミェン)に言って貰った。

「そんな、昼も食べていません」

「そりゃ好都合だ。虫も薬をがぶがぶ飲んで早くくたばるぜ」

マーは医者以上だ。

酉の刻近いか山も夕日が落ちている「明日虫が落ちたら燃やしますので表に用意してくださいますか」と頼むとマーが薪で囲いを組んだ。

夫婦に念を押してこっちはこっちと息子の家で酒盛りだ。

マーが夫婦を乗せて来た馬方も誘っていた。

護国菜(フーゴクツァイ)は甘藷(ガゥンシュ)に茸が入った湯、反沙芋(ファンスアオウ)は芋を油で揚げて甘い餡を掛けてある。

蚕豆(ツァンドォゥ)は塩ゆでと単に茹でたものが出された。

鹵水鵝片(ロウツイゴーピアン)と云うのは鹅(ウーガチョウ)を鹵水(ロウスイ)で煮てある。

流石に英敏(インミィン)は三杯でやめた。

 

 

下の集落の鶏の声で眼が覚めると「あと少しですよ。我慢してくださいな」と声がした。

起きて伸びをしたら老爺も起きだした、笑っているとこを見ると唸っているのも聞いたようだ。

「男の方が気が弱い様だ」

「そりゃ女はお産をする位ですから。我慢強くないと困ります」

医者の言葉らしいと老爺はそれにもおかしみを覚えている。

鶏に遅れて鐘の音が聞こえて来た。

「落ちた落ちた」と男の声だ。

「入りますよ」

声を掛けて部屋へ入り箸で口と尻を確認した「切れずに出たようだ」ともう一つの御虎子(イーフゥズゥ・おまる)を見ると蛔虫(フゥイチォン・回虫)と虫(タァォチォン・条虫)が出ている、そいつも確認した。

「これでもういないと思うが、十日後に同じように飲めば安全だ、煮だし方は書いておく、それと二人分の薬剤には十分足りるだけあるから持って行きなさい。今日馬で山を下りても大丈夫だ」

朝一番で湯を沸かすようにお願いしてあるから、湯浴びをして体を綺麗にしてくれと頼んで裏の井戸端へ行かせた。

老爺と御虎子(イーフゥズゥ・おまる)をもって外の薪の囲いの中へ置いた。

物好きにもマーが遣ってきた、老爺が墨壺で火種を運んできて三人で見守って火をつけた。

そのころには息子の家族たちも出て来て、まだ炎が回り切らない箱を恐々覗いてゆく。

「馬より早起きだな」

「へへへ」と笑って「馬医者はなんで紐の虫が馬にも感染するか知りませんでしたが、マクリだけじゃ出なくて衰弱するやつもいるんですよ。その馬医者が内緒の薬種を煎じると出たので驚きやした。ありゃ柘榴でしたか。馬が豚を食うなんてことありませんし」

「あれは虻(マァン)なんかに刺されてうつるというぜ。それと柘榴以外にも効く薬種が有るのかもしれない。馬と人じゃ効き目も違うだろうしな」

「あんな小さい奴からですか」

「ひとは蚊子(ゥワンズ)からでもいろいろ病気に為ると教わったぜ」

朝の粥を食べて、黎(リー)の夫婦に薬種と処方を書いて渡した。

「いくら払えばよろしいので」

「石榴皮をくれた人に一両、世話になったこの家に一両、処方に一両だな」

「そんな値で好いんですかい」

「我が師もそれ以上取れば怒るだろうよ」

妻子(つま、チィズ)が三両出して紙に包むと楊(ヤン)の息子へ二つ渡して「一つは石榴皮を分けてくれた家へお届けください」と丁寧に頼んだ。

英敏(インミィン)もひとつ受け取り「大食を控えれば長生きできる強靭な体に為るよ」と請け合った。

昨日と違い夫婦の顔色も見違えるほどよくなっている。

孜(ヅゥ)も「病は気から」は本当だと思った。

揃って鳳凰鎮の宿へ向かい、昼過ぎまで黎(リー)の夫婦は宜綿(イーミェン)たちと昔話をしてから山を降りて行った。

「なぁ英敏(インミィン)、内臓料理と言っていたが本当にそれで虫が湧くのか」

「いえ、原因など同でも良いのです、妻子(つま、チィズ)から移されたと思わせないための方便です。自分が原因と思えば夫婦の亀裂は起きません。あの虫は困ったことに湧いても大きくならないうちに落ちて、気が付かない人もいるそうです」

「さすが輩江(ペィヂァン)が見込んだだけあるな。その機転が自分の為に働かないのは困りもんだがな」

「宜綿(イーミェン)様、お願いが有ります」

「景鈴(ヂィンリィン)なんだ。英敏(インミィン)と間違えてないか」

「其の蔡英敏(ツァイインミィン)様へお仕えしたいのです。妻子(つま、チィズ)としてくださいとは言いません。格格でも良いのです。いえ婢でも良いのです。ぜひ京城(みやこ)へお連れ下さい」

「頼むのは俺じゃないぜ。この蔡太医に言ったらどうだ」

「蔡太医様お願いします。妹妹(メィメィ)の事をお願いします」

姐姐(チェチェ)と揃って頭を擦り付けて頼んでいる。

「待ってください。しがない見習い医者では景鈴(ヂィンリィン)さんが苦労しますよ」

「苦労よりお傍に居たいのです。ご迷惑なら都の片隅でも良いのです。お傍に居たい。同じ家が御嫌なら何処他所で働きます」

景鈴(ヂィンリィン)が引っ込み思案をかなぐり捨てて必死で訴えて来た。

「私と生涯苦労してくださるのですか。こんな意固地で面白みのない男で好いのですか」

英敏(インミィン)も諄く云うのは、自分の収入に自信がないのだろうか。

「はい、苦労は私が背負います。どうぞ十分に自分のやりたいことをしてください」

「ありがとう、一目見た時から惹かれていましたが、こんな我儘医者の妻子(つま、チィズ)になって呉れなど言えないと我慢していました。私を助けて一緒に病人を治してください」

こんな時でも病人の事を心配する英敏(インミィン)に景鈴(ヂィンリィン)の恋心は萌えている。

宜綿(イーミェン)と蔡太医は手紙を書いて楊(ヤン)の家へ急いで届けてもらうことにした。

「今から出れば日暮れ前に着きますから行ってきます。明日の昼前にお返事に戻ります」

宿で頼んだこの男も健脚の様だ、宜綿(イーミェン)が二両出して戻ったら一杯やってくれと送り出した。

「さぁ、後は景鈴(ヂィンリィン)の媽媽(マァーマァー)にどういって許してもらうかだな。孜(ヅゥ)、さすが昂(アン)先生は慧眼だな俺の算命より確かそうだ」

「こうなると予想は為さっていたんでしょう」

「予想は算命じゃないよ」

その晩宜綿(イーミェン)の所へ景蘭(ヂィンラァン)が来た。

「お前さんも京城(みやこ)へ来るか」

「駄目ですよ。私は此処を離れません」

「どうしてだよ。亭主は亡くなったんだろ」

「それとは違う話です。此処にいる間可愛がって頂くだけで十分です」

話を続け乍ら手慣れた動きで抱き合った。

その晩は一度で満足したようで「景鈴(ヂィンリィン)が心配するから」と部屋を後にした。

 

 

翌朝宿の支払いの後宜綿(イーミェン)は「哥哥が出した汕頭往復とそれ以降の経費はフォンシャン(皇上)の銀(かね)で賄うから福州(フーヂョウ)へ戻ったら清算してくれ」と改めて孜(ヅゥ)に頼んだ。

「はいそうさせていただきます」

孜(ヅゥ)は素直に宜綿(イーミェン)に従った。

宿は間が空いた分は取らずにすべてで三十三両二本を請求した。

「馬子の分も取ってくれてか」

「はい、湯たらい、宴会も要れてだそうです」

「出るときに五両女達で分ける様に出してくれ」

「はいそうさせていただきます」

二つの茶の箱は姉妹が背負えるようにマーが細工し胸先でずれない様に紐が付けられた。

楊(ヤン)老爺の言づけをもって息子が来たのは山を降りる支度が済んだ巳の刻すぎだ。

潮州迄お供します。侄女(ヂィーヌゥー・姪)の老爺(ラォイエ)には私から話をさせてください」

「判った。お願いする」

宜綿(イーミェン)が替わって頼んだ。

その日は峠を降りた塘仔(トンヅ)まで五十里下るという。

午の初三刻に出て陽の有る酉の初三刻には淀團(ディェントァン)という宿に着いた。

田舎とは思えぬ大きな建物は奥に馬宿が有り、行きかう商人たちで盛況のようだ。

東の離れに宜綿(イーミェン)と孜(ヅゥ)に蔡太医の三人が入り、西の離れに楊康麟(ヤンカァンリィン)と景蘭(ヂィンラァン)に景鈴(ヂィンリィン)が入れた。

湯殿もいくつかあり離れはそれぞれに湯番が付く至れり尽くせりの宿だ。

飯の時「こんないい宿があるなら歩きで登ってもよかったな」というとお呼ばれしていた馬爛(マーラァン)が「首領(ショォリィン)様そりゃ殺生ですぜ」と本気で嘆いた。

馬方にも明日で別れと酒といい菜を頼んでおいた。

一晩ゆったりと過ごし早起きの商人達が出払った辰に宿を出た。

孜(ヅゥ)は「あれだけの宿で馬七頭の分まで入れて刺し六十五本でした。銀は壱串でしたので七両出して刺し五本釣りで貰いました。あれだけ良い物を食わせて良く遣って行ける物です」と驚いている。

「俺たちがこの旅で贅沢に為れてしまったんだ。食い物の値段はこの辺りは河口鎮(フゥーコォゥヂェン)や南京(ナンジン)に比べれば材料に奢っていないせいだよ」

後にいた楊康麟(ヤンカァンリィン)も「これが半日離れた潮州の街なら三倍は取ります」と少し大げさに大きな声で言ってきた。

四十里ほどで韓江(ハァンジァン)へ出て河上へ行くと船が見える。

「オ~~ィ、司(スー)のおっかさんよ~~」

その声で景鈴(ヂィンリィン)、景蘭(ヂィンラァン)の母親が顔を出した。

「ありゃ、大伯(ダーバイ)お珍しい」

「弟妹(ディメイ)に相談、いや事後報告だが家のフゥチンも承知だが景鈴(ヂィンリィン)を嫁に出してくれ」

「お相手は誰なんです」

「そこの赤い日よけ帽の蔡太医なんだ」

ええっと声が出るくらい驚いたようだ、まさか案内に出した娘が客を婿に連れてくるなんてと誰でも驚くはずだ。

「それでな、司(スー)老爺と老媼に俺から話をするために付いてきた」

船へ楊康麟(ヤンカァンリィン)が乗って司(スー)家の者たちに事情を話した。

孜(ヅゥ)がマーに最後の十両を渡すと名残惜し気に別れていった。

兄たちが出て来て蔡太医と抱き合って「妹妹(メィメィ)をよろしく頼む」と肩を叩きあって義兄弟になったことを喜んでくれた。

妹夫(メェィフゥー)がこんなに好い男なら鼻が高いと二人は大喜びだ。

茶の擔も着いていて、一同が乗り組み潮州(チァォヂョウ)の湘子橋(シァンズーチィァオ・広済橋)の下流の上の中洲、仙洲(シィエンヂォゥ)にある船着きにつけた。

一同で一段高みにある司(スー)の本家へ向かった。

茶の擔は景鈴(ヂィンリィン)の兄たちが一度家まで運び込むと請け合ってくれた。

一族の長という司峰完(スーファンウァン)は楊康麟(ヤンカァンリィン)の話を聞くと一本欠けた前歯をのぞかせ大きな声で笑った。

「景蘭(ヂィンラァン)ならともかく景鈴(ヂィンリィン)が惚れただと。こいつは良い冥途土産だ。よしよし、今晩盛大に旅立ちの祝いだ」

酒を買い出しに行くもの、料理の支度をするもの、大騒ぎで二十人ほどが支度をしてくれた。

さて席について「こりゃ参った。都の医者は良いが婿殿の二親の許しは貰っていないですよ」と司峰完(スーファンウァン)の妻子(つま、チィズ)が言い出した。

蔡英敏(ツァイインミィン)が寧州(ファージョウ)地震で二親が亡くなり医師の周皓延(チョウハァオイェン)が親代わりで育てて呉れた事。

宋太医の師匠の招きで天津(ティェンジン)で開業し、周皓延の亡くなった後宋太医の招きで京城(みやこ)の太医院へ招かれ、今回の旅へ送られたことを手短に話した

雲南、寧州(ファージョウ)の地震は記憶に有るという、五千里離れた此処へも災害の大きさは三月もせずに伝わってきたという。

「司令(スゥリィン)が親代わりで婚姻させてください」

景鈴(ヂィンリィン)の姉の景蘭(ヂィンラァン)が頼んで二人が仮親を務めて婚姻が行われた。

床入りの部屋へ送り込まれた二人は想いが叶った嬉しさで抱き合って口づけを交わした。

「医者で針も習って経絡は分かるが女の人と寝たことがない。至らないことは教えあって仲良く老後を迎えたい」

「何が有っても貴方についてゆきます。夫婦の事も勉強と思えばあなたに教えていただく通りに従います」

「俺と同じで頭が固いと苦労する。もっと自分を出してください。その方が二人で幸せになる近道だと思う」

「はい、二人で好い家族を増やします」

「一杯子供を産んでくれると嬉しい、兄弟もいない俺に家族が増えるのは楽しい事だ。景鈴(ヂィンリィン)を大事にするよ」

服を脱ぐのも恥ずかし気な景鈴の服を脱がせて寝床へ横たえた。

見た目よりふくよかな乳房は、手で揉むと柔らかな弾力で英敏(インミィン)の欲望を高めてくる。

膝の間に体を入れて手で秘所を探ると柔らかな和毛の感触と固く閉じた秘所が熱を帯びて来た。

「自分で触ったことは」

「恥ずかしい」手で顔を隠すところを見れば好奇心で触ったことはある様だ。

「はじめては痛いというからその時は言うんだよ」

「はい」声はもう切なげだ。

「我慢できる」

「はい大丈夫です」

「我慢できなくなれば云うんだよ。ウォージェンダアイニー我真的)」

声もなく手を上にあげるので指を絡ませ腰を少しひいては奥へ押した。

しばらく続けると景鈴と息があってきた。

「ああっ、ああっ、ああ」

「行くよ行くよ」

グオライ、グオライ、グオライ(来て、来て、来て)

我慢できずに精を送りこむと景鈴がしがみ付いて震えている。

「初めてでこれ以上我慢できなかった。一度抜いても良いかい」

「ええ」

「ウォーアイスニーラ(我愛死你了)ウォーアイスニーラ(死ぬほど愛しています)」と景鈴(ヂィンリィン)は腰を英敏(インミィン)に合わせるようになった。

刻が過ぎてゆく、景鈴の可愛い顔が歓喜に震えている。 

「プゥーシィン、プゥーシィン、プゥーシィン(不行・駄目)」

景鈴の声が切なげに聞える。

「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓・好きです)」

その声で英敏(インミィン)の高まりは絶頂が近くなってきた。

「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓・好きです)」

「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓・好きです)、シーファン、シーファン、シーファン」
木霊のように声が遠のき景鈴は幸せに包まれて到達した。


片付けが終わった厨房で景蘭(ヂィンラァン)は姥姥(ラァォラァォ)に「司令(スゥリィン)の所へ寝酒をもっておゆき」と言われている。

出がけに「確りおやり」と歯の抜けた口でにっと笑った。 

人頭馬(レミーマルタン)はさっき三本では全員に行きわたらず、飲めなかったものまで出た高価な酒だ。

宜綿(イーミェン)の部屋へ行くと孜(ヅゥ)が居たが、一杯付き合って出ていった。

「まだ隠してあったのかい」

「姥姥(ラァォラァォ)が仕舞って置いたそうです」

「貴方も飲みなさい」

「少しだけお付き合いします」

「昔ね」

「はい」

「従弟が先代のフォンシャンに聞いた話だけど、この人頭馬(レミーマルタン)を呑んで格格を寝床へ誘った夜に大阿哥を妊娠したそうだ」

「では私にも子供を授けてください。たとえ今宵一晩の妻子(つま、チィズ)でも子供を授けていただければ一生の幸せです」

宜綿(イーミェン)は瑠璃のグラスに注ぐと栓を固く締めた。

二人で酒を空けると寝床へ優しく導いた。

山で見たよりも色白に見える乳房の色気に宜綿(イーミェン)はそそられた。

柔らかく押し合ううちに景蘭の高まりは限界に近くなってきた。

「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓)、ウォシーファン(我喜歓)」

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)

宜綿(イーミェン)に抱きしめられ気が戻ってきた景蘭が下から抱き返してきた。

「ウォシィァンニ(我想你)、ゥォーシャンニー(我想你・あなたを想っています)」

「これだこれだ」宜綿(イーミェン)の心は浮立って居る、この秘所の密着感がたまらんと腰を押し付け合った。

「ウォーアイスニーラ我愛死你了・死ぬほど愛しています)」

景蘭(ヂィンラァン)の押し付けてくる肌の温みが心地よい。

ようやく落ち着いて始末をし、抱き合って寝た二人は河船の歌声で目覚めた。

夜明けまでまだ間が有るのか、薄明りの刺す部屋の景蘭は恥ずかし気に起き上がって口付けをして部屋を後にした。

 

 

朝の食事を済ませると旅立ちの支度だ。

「景鈴(ヂィンリィン)はどうしましょう」

「ばかもん」宜綿(イーミェン)の一括に緊張が走った。

「俺たちの仕事はなんだ」

「フォンシャン(皇上)の薬草探しと鳳凰茶の探索です」

「それは片が付いただろ」

宜綿(イーミェン)の声は優しさにあふれている。

「まだ福州(フーヂョウ)で王神医との面談が」

「帰り道じゃないか。向こうはインドゥ哥哥が捌いてくれるよ。よしんば話がまとまっていなければ蔡太医夫妻の共同事業だ。そう思わないか」

「はい、わたくしにもお手伝いさせてください」

「だろ、一緒に京城(みやこ)へ行くのに何の障壁がある」

「ありがとうございます。二人で壁があれば乗り越えてでも前に進みます」

「苦労も楽しみも分け合うのが仲間だぜ。今日から景鈴(ヂィンリィン)も仲間の一人だ」

四川に出た郷勇に、首領(ショォリィン)様とまで慕われる司令(スゥリィン)はこういう人柄だからなんだと孜(ヅゥ)も感銘を受けている。

旅の着替えなどの他は宜綿(イーミェン)がインドゥ哥哥と話して支度すると媽媽(マァーマァー)に話して安心させた。

「引っ越し荷物を担いでいっても英敏(インミィン)は宋太医の居候だ。置くとこもない。まずは家を探すことだ」

船まで茶の擔は景鈴(ヂィンリィン)の兄たちが運んでくれていた。

汕頭(スワトウ・シャントウ)には申に着いて宿まで脚夫(ヂィアフゥ)を頼んで荷を運んだ。

宿では船が付いているというので早速到着の連絡を出した。

景鈴(ヂィンリィン)は媽媽(マァーマァー)と旅に必要なものを取りに家に向かい、兄が荷物を持って宿へ送り届けた。

孜(ヅゥ)の部屋へ擔を積み上げて早めの食事にした。

孜(ヅゥ)は一人残り、戻ってきた宜綿(イーミェン)と入れ替わりに食事にした。

落ち着いたら関元(グァンユアン)が遣ってきて荷を見て「明日の辰に水夫を連れてきます」と告げて戻っていった。

 

 

予定より早く十七日の午には汕頭(スワトウ・シャントウ)を出て二十五日に福州(フーヂョウ)へ着いた。

関元(グァンユアン)の言った通り歩きより余裕がある旅だった。

二つの擔は鼓楼の歓繁(ファンファン)酒店へ、残りの七擔は牌双行(パイシュァンシィン)で預かってもらった。

関元(グァンユアン)は歓繁(ファンファン)酒店まで付いてきて昂(アン)先生と何か打ち合わせをして戻っていった。

 

哥哥とまずは王神医の消息だ。

「おいおい、笑い話だ。昂(アン)先生と見物でぶらぶらしていたら陽に当たってへたり込んでいる老媼(ラオアウ)を医者に担ぎこんだ、そこに居たのが王之政ご本人だ」

まずは冷やせと言うので頭に濡れ手巾、昂(アン)先生と扇で仰いで体の熱を飛ばし、足は若い奴が金盥に井戸のひゃっこい水を汲んできて足を浸けて水をどんどん飲ませたら元気になった。

薬よりこの方が効くんだというんだ、面白い医者だと思ったが居候だと大威張りだ。

其処へ宋(ソン)という痩せっぽちが汗みずくでやって来たので俺たちは宿へ戻ったら、その痩せが和孝(ヘシィア)はいないかと訪ねて来た。

「弟弟(ディーディ)は四川で司令(スゥリィン)だと言っていたが、いつから首領(ショォリィン)様になった」

二人のやり取りを聞いていて、もじもじしている景鈴(ヂィンリィン)にようやく気が付いたが話は茶になった。 

話があちこちに飛んで孜(ヅゥ)には収拾がつかないが、昂(アン)先生、宜綿(イーミェン)には筋道が分かる様だ。

宋(ソン)の弟が来てフォンシャンへ献上する茶の話は通じていた。

「こっちは罠に引っ掛かって一味の場所が分かって五人捕まえた。千両のうち三十両減っていたが庄(チョアン)が負担して返すことになった。明日にも茶を孟老爺から福建布政使へ届けて貰おうぜ」

「哥哥、鳳凰山(フェンファンシャン)という山は無かったぜ」

「じゃ何処の茶を手に入れた」

「鳳凰山とは周りの山すべてを含めた名だそうだ。茶は烏崠山(ウートンシャン)という山で摘み取って加工したら鳳凰鎮(フェンファンチェン)のまとめ役へ渡すそうだ。手紙にゃ書けないことが多い。帰り道に講談師よろしく聞かせてやるよ。一番の収穫は蔡英敏(ツァイインミィン)が嫁を貰ったことだ」

又もや王神医から脱線だ。

「女を口説けるほど器用じゃないはずだ」

「景鈴(ヂィンリィン)というんだが、蔡太医に惚れて捕まえた」

捕まえられたは酷いと英敏(インミィン)は言うが孜(ヅゥ)が見ても蔡太医が捕まえられたが本当だ。

それやこれやバタバタしていると茶問屋の庄(チョアン)が遣ってきた。

鼓楼の歓繁(ファンファン)酒店は足止め以来哥哥の商行になったようだと與仁(イーレン)が孜(ヅゥ)に耳打ちして来る。

庄(チョアン)の後ろから顔を覗かせたのは上海(シャンハイ)にいる筈の環芯(ファンシィン)だ。

挨拶する環芯(ファンシィン)に庄(チョアン)が「知り合いかい」と聞いている。

「京城(みやこ)に居るときにお世話になった人たちだよ」

話は陸環芯(ルーファンシィン)の干爹(ガァンディエ・義父)の所へ来るはずの白毫銀針(パイハオインヂェン)十擔の連絡が途絶え、同業の所に来る三十擔も連絡が付かなくなり派遣されたという。

趙(ジャオ)の取引相手か」

「そうなんです。亡くなったと噂が来て喬(ヂアオ)が後を引き継いだというので交渉に来ましたら、此方の庄(チョアン)が騙されて困ったという話で事情を知りたくてお伺いしました。そしたら都の茶商が買い受けて呉れているというので連れて来ていただきました」

そこまで一気に言って「哥哥が茶商に転身ですか」と笑っている。

「これ環芯、笑うんじゃねぇよ。茶商はそっちだ」

「孜(ヅゥ)じゃないか。独立したのか」

「桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)から哥哥のお供にとついて来ました」

「なら哥哥が茶商の親玉だ」

「それより、干爹(ガァンディエ)とは何だよ、いつ妻子(つま、チィズ)を貰った」

「手紙、着いてないですか。三月の十五日に出したんですよ。界峰興(ヂィエファンシィン)と権洪(グォンホォン)に出して豊紳府へも連絡を頼んでありますよ。孜(ヅゥ)は知らないのか」

「環芯(ファンシィン)さん、そりゃ無理だ。都を出たのが三月二日だもの」

「南京(ナンジン)の陪演(ペェイイェン)は出してないのか」

「南京(ナンジン)へ出る荷船に託しましたよ」

「俺たちが南京(ナンジン)にいる間に着かなかったようだな」

孜(ヅゥ)が白毫銀針(パイハオインヂェン)二十五擔・寿眉(ショウメイ)百五十擔・鳳凰水仙茶五擔・(鳳凰)普及茶二擔しか無いですと言うと哥哥は大笑いだ。

庄(チョアン)を代理にして趙(ジャオ)の取引の行き場がなくなった白毫銀針(パイハオインヂェン)が五十擔に寿眉(ショウメイ)三百五十擔を売る算段しているとこだという。

「このおっさん、千両負担が三十両で済んで、なんでも手伝うというのでいい処へ環芯(ファンシィン)が飛び込んできたということだ」

「上海で欲しいのは白毫銀針(パイハオインヂェン)五十擔、寿眉(ショウメイ)百擔です」

「ほい、庄(チョアン)の旦那、お前の出番だ。こっちの荷は五日後の船出だ、環芯(ファンシィン)も旦那に言って乗せられるか聞いてもらいな」

「ちょっとまって下さい。値段が高騰していると聞いたのですが受けられる値段でしょうか」

「環芯(ファンシィン)さん、こちらの旦那様が茶商へは白毫銀針が一擔八千五百銭、寿眉は一擔二千二百銭、私は今回手数料なしと福建按察使とお約束したので旦那様の方の手数料を」

「良いってことよ昔馴染みだそのまま出してくれ」

「哥哥、去年より安いですが良いんですか」

「そいつが趙(ジャオ)の儲けだったんだろうよ。上海で正直に言ってお前の費用に出してもらいな。庄(チョアン)の旦那、残りの寿眉(ショウメイ)二百五十擔は広州(グアンヂョウ)へ送る業者を探してくれ。一月で見つからなければ京城(みやこ)へ此処の特産品と送れば引き受けさせる」

「はい、喜んで遣らせていただきます」

飯店の主に「今日から四日ほど泊まれるかい」と環芯(ファンシィン)が聞くと哥哥を見て「どうしますか」と聞いてくる。

戻ってきたものとこの男の分も用意してくれと頼んでくれた。

「哥哥、俺たちは茶と一緒か」

「昂(アン)先生のことも有るから逆戻りも面白いだろうぜ」

孜(ヅゥ)が「陸路で戻るなら白毫銀針(パイハオインヂェン)を一擔星村鎮へお土産に届けたいのですが」と恐る恐る言い出した。

「良いとも。お前の荷だ何処へ持っていくにも遠慮はいらないぜ。そうだ都へ二十擔、南京(ナンジン)で四擔売るか、鳳凰水仙茶一擔もお土産に南京へ持って行こうぜ。星村鎮(シンツゥンチェン)まで脚夫(ヂィアフゥ)を頼むにも一人などケチな事言うより十四人となれば雇いやすい」 

そうさせて頂きますと話がまとまると宜綿先生が「哥哥、今度の鳳凰鎮の往復費用、献上茶の銀(かね)はフォンシャンの銀票で決算しよう」と相談した。

「そいつは好い、報告するにもつじつま合わせが楽になる。與仁(イーレン)と清算してくれ。此処の足止め費用も持ってくれよ。料理は別請求に頼んである。良い物食いやがってなんていうやつが出そうだからな」

「そうしよう。あとは河口鎮(フゥーコォゥヂェン)の宿に上饒(シャンラオ)桐木関(トォンムゥグゥァン)なども入れて置こうぜ」

「宴会分は與仁(イーレン)が抜いてあるはずだ。少し足が出るくらいで報告してくれ。それから環芯(ファンシィン)、茶葉は俺の方で仲買には支払い済みだ、庄(チョアン)が責任者で精算するから数字が出たら俺の銀(かね)で支払うようにしなよ。上海で集金したらお前が預かっておいてほしいから頼むぜ

「そうさせていただきます」

庄(チョアン)も後払いより楽なので嬉しそうだ。

景鈴(ヂィンリィン)は、蔡太医から船であらましを聞いているので、哥哥の懐が広いのに驚いている。

庄(チョアン)について環芯(ファンシィン)が自分の荷物を取りに出て行った。

飯店の親父が今日の料理の書付を持って来て昂(アン)先生と相談している。

「哥哥、蔡太医と環芯(ファンシィン)の祝いだいつもより張り込みますか。仏跳墻は昨日頼んだのでは足りないので間に合いますかと言っています。仏跳墻はこれから増やすのは無理だそうです

「おお、大量買い付けのお客様だご馳走攻めにしてやれよ。お客優先で好いよ、遠慮したら俺たちは毎日ご馳走で飽きていると言ってやれよ」

景鈴(ヂィンリィン)は可笑しな人たちだ事と楽しくなっている。

さぁ夕飯だと環芯(ファンシィン)が戻るとそれぞれがそれまでの経緯を楽し気に語り合い、話題の中心は蔡太医と景鈴(ヂィンリィン)だ。

翡翠珍珠鮑-干し鮑と干し貝柱を蒸して熱いたれを掛ける。

仏跳壁(仏跳墻)-各種の干物を壷に入れて、長時間蒸し上げた濃厚な湯。

鼎辺糊(ディンビィェンフー)-野菜・干し蝦の湯

肉燕(ローイェン)-豚肉を練りこんだ皮で作るワンタン。

景鈴(ヂィンリィン)は炒飯(チャーファン)は初めて食べたそうだ、葱と卵に叉焼(チャーシュウ)の刻み込んだものが美味しいという。

景鈴(ヂィンリィン)には食べたこともない美味しい料理が続いた。

「貴方、私こんな豪勢な御料理作れる自信が有りません」

「何を言い出すかと思えば、私だってこの旅で初めて食べる物ばかりだよ。普段からこのようなもの、哥哥でさえ食べてはいないよ」

「京城(みやこ)では皆さま毎日が宴会と噂でしたもの」

「宜綿先生だって鳳凰鎮の出されたもので余分な注文付けたことないのは知っているじゃないか。安心しなさい。私の居候している宋太医の妻子(つま、チィズ)の胥幡閔(シューファンミィン)様に一から教えて貰えばすぐになれるよ」

「おいおい。蔡太医、京城(みやこ)じゃ毎日宴会の連続だと正直に教えておきなよ」

「もう、與仁(イーレン)さん酔い過ぎですよ」

一同大笑いだ、環芯(ファンシィン)も「哥哥が宴会だと言えば大騒ぎできますが、朝は宿のお決まりの粥で文句ひとつ聞いたことがない」と言っている。

「さぁみんな寝る前に忘れず歯を磨けよ」

何時も言う宜綿先生の食事が終わる合図だ。

宿は蔡太医と景鈴(ヂィンリィン)の為に離れの二階を開けてくれた。

下は宴会の為の広間だ。

風呂場は綺麗な桶に水がためて有り体をふくだけのものだが、湯は頼めば運ぶという。

厠所(ツゥースゥオ)は使い終われば置いてある桶の水で流せと女中が教えてくれた、置いてある紙は溶けやすい薄紙だ、桶は十も積み上げてある。

「ほかの紙では流れないことも有ります、詰まったら恥ずかしがらずにこの紐を引けばいつでも掃除人が来るからお願いします」

英敏(インミィン)も初めてで驚いた仕組みだ。

「前に泊まった時は見無かった」

「十日前に出来たばかりです。私たちもこの部屋で試して評判が良ければ増やそうと思います」

二人に為ると交互に使ってみた。

「贅沢な部屋ですこと、良いのでしょうか」

「京城(みやこ)へ着くまで、哥哥と宜綿先生はあなたを大切に扱って下さるおつもりのようだ。短い付き合いだが遠慮しないことが哥哥や宜綿先生が喜んでくださるはずだと思っているんだよ。景鈴(ヂィンリィン)も甘えて旅をした方が喜んでくださるはずだ」

船で我慢していた分も二人は体を求めて萌えた。

「アアッアアッ」切なげな声が続き「シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」と英敏(インミィン)に訴える。

「グオライ、グオライグ、オライ(过来・来て)」と手を差し伸べて英敏(インミィン)の肩に爪が食い込むほど力を入れて掴んできた。

手をほどいて指を絡ませて腰の動きを強くした。

「プゥーシィン、プゥーシィン、プゥーシィン(不行・駄目)」

その声に合わせて「行くよ行くよ」と精を送ると眉をひそめていたが「あああっ」と声を残して弛緩した。 

絡ませた指をほどいて腰を押し付けると気が戻って、足を絡ませて喘いでいる。

可愛い顔で「ウォーアイスニーラ、ウォーアイスニーラ(我愛死你了)」と英敏(インミィン)に口付けをせがんで悶えた。

 

 

 

二十六日の朝早く、孜(ヅゥ)が下へ降りると與仁(イーレン)が外から戻って女中から葛籠を受け取っている。

「やれ、もう見つかったか」

「どこかへお出かけでも」

三坊七巷の郎官巷天后宮へ日参しているという。

「もう直に妻子(つま、チィズ)の出産だ。せめてもの神頼みだ」

「でも天后(ティェンホォゥ)は航海・漁業の神様じゃ」

「気は心、願えば叶えてくれるのが媽祖(マァーヅゥー)の有難い処だ。孜(ヅゥ)も年が行けば有難味が分かるさ」

腹ぼての妻子(つま、チィズ)が七月には出産、戻れるぎりぎりともなれば焦る気持ちも分かる。

都を出た時は早くて半年、もしかすれば一年と脅されて出た旅だ。

朝の粥を揃って食べて王之政(ゥアンヂィヂァン)との交渉に蔡太医夫妻にインドゥが向かうことにした。

環芯(ファンシィン)は計算が出たら一度哥哥の金で精算するように言われているので庄(チョアン)と運送費込みの金額の確認に出て行った。

宜綿(イーミェン)たちは残って銀(かね)の清算だ。

孜(ヅゥ)が清算書を出して與仁(イーレン)に確認してもらった。

 

閏四月二十四日、預り金、銀三千両

支払い

往復船代金五十両、哥哥先払い。

宜綿先生分百九十三両刺し三

孜(ヅゥ)六十三両刺し四

残金二千七百四十三両刺し三

與仁(イーレン)は「宜綿(イーミェン)様のお支払いいただく宿泊費は都で精算しますのでその後でお願いできますか」と聞いている。

「五百を少し出る位の清算書にしてくれ。銀票は先に渡すから頼むよ」

「それにしても茶とは恐ろしい物ですね。金額がめちゃくちゃですよ」

関元(グァンユアン)が孟紅花(モンホンファ)と来たので孜(ヅゥ)と宜綿(イーミェン)が二十五種の茶をもって老爺(ラォイエ)孟景旛(モンジィンファン)の家へ向かった。

「今日の内に汪志伊(ゥアンヂィイー)様へ届けに行くよ。良い話が続いて嬉しい限りだ。明日は午後に此処でお茶会だと哥哥にも伝えてくださいよ」

「分かりました。未では早いでしょうか」

「いやいや暑い盛りのほうが茶も美味い」

本当なのとホンファが笑って私たちも来て良いのというと「明日は杭州(ハンヂョウ)へ出る日だと云ったはずだ」と関元(グァンユアン)は逃げるきだ。

関元(グァンユアン)は「昂(アン)先生と約束があるので申迄戻れない」とホンファを倉庫まで送ると、孜(ヅゥ)たちを急かして歓繁(ファンファン)酒店へ戻った。

何をそんなに急かしていたかと言えば冰淇淋(ビンチーリン)だという。

「なんだよそれは」

「行ってのお楽しみ」だと秘密めかしている。

昂(アン)先生に戻ってきた環芯(ファンシィン)も連れ出して五人で郎官巷天后宮の前を抜けて二梅書屋へ案内された。

この家は代々頭のいい人が出るという、今の林家の息子は挙人だという。

関元(グァンユアン)は祖父の代からの付き合いだと遠慮もせずにどんどん入ってゆく。

「支度は」

「今用意できて何時でも始められる」

関元(グァンユアン)と同年代の痩せた男は卓に色々と道具を置いて箱から出したものを桶の様な鉄の機械へほおりこんで腕木を回し始めた。

「よしもう少しだ」

奥から若い女性が二人来て「もう一回やらないと媽媽(マァーマァー)が怒るわよ」とけしかけている。

「良いさ次は俺が回す。哥哥は先に食べなよ」

出来上がった黄味がかったものを女性がさらに取り分けて匙と一緒に配ってくれた。

一回で十人分だと言うが五人で分けた。

関元(グァンユアン)は次の支度をしてせっせと腕木を回す傍で五人は匙で掬って口に運んだ。

「う、美味い」

昂(アン)先生大喜びだ、冷たくて甘い、酒飲みの言うことかと孜(ヅゥ)は可笑しくなって顔が笑っている。

二度目は五人分をもって女性たちが出てゆき残りを分けて食べた。

「驚いたな」

「今年ようやく手に入れて二回目なんだ」

「関元(グァンユアン)のおかげだ」

「いや、哥哥が聞きつけたから手に入れることが出来たのさ。それにこの家で無きゃ材料も揃わない」

話を聞いていると亜米利加から墨西哥経由で広州(グアンヂョウ)へ機械は来たそうだが買い手が居なかったそうだ。

桶一回の材料を揃えることが難しいそうだ「冬なら手に入りやすいが食べるきにゃならんでしょう」というがその通りだ、こんな冷たい物冬はお断りだ。

夏に冰(ピン)を手に入れられるのには銀(かね)とこねが必要だ。

後は卵に砂糖に牛の乳だという、塩を冰(ピン)にかけると早く冷えるという。

「それじゃ今日の支度に十や二十じゃきかないでしょう」

環芯(ファンシィン)は興味がある様だ。

「だから、此処なのさ」

聞こうとすると宜綿先生に抑えられた「良い思いをした後で内輪の事を聞いたら台無しだ」と昂(アン)先生も頷いている。

女性たちが戻って来て桶や皿を持って行った。

「それじゃまた来たら連絡するよ」

「今度は干鰒魚(ガァンフゥーイ・干鮑)でも土産に持って来いよ」

「おお、俺に良い物食わしてくれるなら持ってくるぜ」

軽口をたたいてあっさりと家を後にして歓繁(ファンファン)酒店へ戻った。

ホンファを連れて来ても良かったんじゃないか」

「あいつ前に食わしたら甘すぎるなんて御託を言うんですぜ」

明日は杭州(ハンヂョウ)へ出ますと分かれて行った。

「なんか夢でも見たような気がします」

「酒に酔うより面白い」

昂(アン)先生本気なのかと孜(ヅゥ)は可笑しくなった。

インドゥ達三人は戻っていた。

昂(アン)先生が冰淇淋(ビンチーリン)というものを関元(グァンユアン)が食わせてくれたというと「アイスクリーム(ice cream)」だという。

「食べたことが有るのか」

「無いよ、だが作り方は知っている。桶の仕組みは仏蘭西の本に出ていた。うまかったか」

「おお不思議なものだが美味い」

「じゃ誰かに桶を造らせて試すか、材料は伊太利菓子で間に合う」

「関元(グァンユアン)は異国の機械と云うのを手に入れたそうだ。二梅書屋という家で食わせてくれた」

「こっちは良い話だ。王神医は京城(みやこ)迄一緒に行ってくれるとさ、あの夫婦も気に入ったようだがペィヂァンにぜひ会って意見交換がしたいとさ。年をとっても勉強に限界、限度は無いんだそうだ」

二十九日までに出られるように準備すると決めて来たという。

福建巡撫にまず足止めを解いてもらって三十日にはここを出て、星村鎮(シンツゥンチェン)から河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で船の手配で後はのんびりと船旅だということになった。

環芯(ファンシィン)は與仁(イーレン)と茶の代金の仮払いの相談だ。

與仁(イーレン)なぜか顔が綻んでいる。

昂(アン)先生が見て何を喜んでいると聞いた。

「いえね、孜(ヅゥ)から銀錠が戻ってきたのを回せば荷が軽いですから」

そういうことかと笑っている。

白毫銀針(パイハオインヂェン)五十擔、寿眉(ショウメイ)百擔

四十二万五千銭-四百二十五両・二十二万銭-二百二十両・送料四百五十両

総計千九十五両

與仁(イーレン)がこっちの送料も支払おうと計算をした。

京城(みやこ)送料

白毫銀針二十擔・寿眉(ショウメイ)百五十擔。

鳳凰水仙茶五擔・低地普及茶二擔・総計百七十七擔

送料千七百六十両

両方で二千八百五十五両

孜(ヅゥ)の残金に百十二両足せばいいと出た。

明日の朝、二人で銀(かね)をもって庄(チョアン)の店へ支払いに行くことにした。

明日のお茶会は孜(ヅゥ)にインドゥ、宜綿(イーミェン)と昂(アン)先生の四人で行くことにして新婚の二人は街を見物しろと宜綿先生が言いつけている。

その晩の夕食も楽しい時間となり英敏(インミィン)と景鈴(ヂィンリィン)は早めに部屋へ引き取った。

二人で京城(みやこ)での生活など話し合い、英敏(インミィン)は「実は今日王神医の話からも気が付いたんだが」と話し始めた。

「宋輩江(ソンペィヂァン)さんの家庭の様に妻子(つま、チィズ)が産婆の知識を持てば女の患者の妊娠時の治療に大変役に立つ。産婆の王(ワン)さんに医者と産婆を兼ねた胥幡閔(シューファンミィン)さんに先生になってもらってこの英敏(インミィン)を助けてください」

「貴方、妻子(つま、チィズ)が丈夫(ヂァンフゥー・夫)に尽くすのは私の本懐です。貴方のお役に立てる妻子(つま、チィズ)に為ります。至らない処は叱って下さい」

「嬉しいよ。景鈴(ヂィンリィン)と夫妻(フゥーチィー・夫婦)に為れるなんて最大の幸せな男だと思うよ」

「貴方と一緒に為れて私こそ国で一番幸せな女です」

堅く抱き合い口づけを交わす二人は幸せに包まれている。

「言っておきたいことが出来た」

「はい」

「王神医(ゥアンシェンイィ)が道連れだと医薬の話に夢中になるかもしれない。だがそれで景鈴(ヂィンリィン)を忘れたという訳では無いんだ」

「蔡太医と言わせていただきます。其れこそが私の惚れた蔡太医です。勉強にお邪魔に為る女ではありません」

「ありがとう。我真的(ウォージェンダアイニー・とっても愛してるよ)景鈴(ヂィンリィン)」

 

 

五月三十日の朝、皆と粥を食べて環芯(ファンシィン)は名残惜し気に船へ向かった。

船は光明港(グァンミィンガァン)の船着きでもう荷積みも終わっている、巳の初二刻から潮が引くのに合わせて福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)へ出るという。

上海の荷と京城(みやこ)の荷は寧波(ニンポー)で積み替え、上海への船と天津(ティェンジン)への船に分かれて運ぶことに為る。

光明港から寧波(ニンポー)海上千九百里という。

哥哥の一行は福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)から閩江九峰山迄船で登りそこから馬での山越えだ。

同じ福州閩江北港(ミンジァンペィガァン)と言ってもこちらは三十里も河上の烏山西路の波止場だ。

巳に出て閩清県(ミンチンシィェン)の波止場に酉には着けるという。

一行九名と脚夫(ヂィアフゥ)七人の十六人で星村鎮(シンツゥンチェン)への旅立ちだ。

行程九百里の内約半分四百三十里は船で稼げる、脚夫(ヂィアフゥ)は既定の銀四両に宿代も荷主持ち、半分は船という好待遇に大喜びだ。

おまけに戻りは庄(チョアン)に頼まれた荷もある、往復で稼げるのは安心できる仕事だ。

王之政(ゥアンヂィヂァン)・王神医下僕丁(ディン)

インドゥ・宜綿先生・昂(アン)先生・與仁(ヤンイーレン)・権孜(グォンヅゥ)・蔡英敏(ツァイインミィン)・司景鈴(スーヂィンリィン)

付き合ってみて王神医(ゥアンシェンイィ)は気さくな親父だと分かりインドゥは愉快な旅になりそうだと安心している。

王之政、乾隆十八年(1753年)生まれ、この時四十八歳。

 

閩江九峰山で星村鎮迄十頭の馬を雇って山越えだ。

星村鎮(シンツゥンチェン)に着くまで、お約束の様に申が近づくと通り雨が来た。

脚夫(ヂィアフゥ)の中年の男がいつも雲を見つけて暫く雨宿りだ。

「風の匂いが違う」という、便利な男だ。

 

此処で三日骨休めとここからの馬を探した。

星村鎮で馬を河口鎮まで雇ったが十頭しか雇えず、荷は脚夫(ヂィアフゥ)を雇う事にして桐木関(トォンムゥグゥァン)へ向かった。

桐木関(トォンムゥグゥァン)で一晩旧交を温め先へ進んだ。


三日目に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ入ると前の宿興帆(シィンファン)酒店は「六人しか無理だ」というので蔡太医夫妻(フゥーチィー・夫婦)とインドゥは臨江(リィンジァン)飯店へ向かった。

蔡太医も此処は初めてだ。

鈴凛(リィンリィン)が南北の離れを用意してくれた。

興帆(シィンファン)酒店へそっちはそっちで飯にしてくれと使いを出してもらった。

「いつまで居られます」

「船が見つかるまでさ」

「せっかく戻ってきたのです。船が見つからない方が嬉しい」

部屋へ案内すると抱き付いて嬉しがらせを言って来る。

僅かの間にそんな手廉も覚えたのかと思ったが、しがみ付いて離さない。

「さぁ、おかみさんに戻りなさい。上饒(シャンラオ)の徐(シュ)老爺には義理もあるからまず口を掛けるので三日じゃ出られない」

「本当ですね。約束ですよ。せっく思い切ったのに罪なお人です」

口づけだけで大人しく部屋を出て行った。

落ち着く間もなく陳洪(チェンホォン)が昂(アン)先生とやってきた。

「ばかに早耳だな」

「何を言う。役所前を行列が通って見逃すはずがない。小物が後をつけて興帆(シィンファン)酒店へ入った報告が来た

よく仕込んである。

「いつまで居るんだ。福州のごたごたは済んだようだな。詳しく教えろよ」

「良いとも船が見つかるまではやることもない」

「どこまで船だ」

「南京(ナンジン)迄か出来れば都までさ」

「ということはすべて落着か」

「太医院の宋太医が探していた王神医(ゥアンシェンイィ)も見つかって京城(みやこ)でフォンシャン(皇上)の診察もしてくださるそうだ」

上饒(シャンラオ)の徐(シュ)老爺に船の口を掛けて駄目なら細切れでもとにかく南京(ナンジン)へ出ると話しておいた。

なんで昂(アン)先生も来たんだと聞いたら「用心棒」だと笑わせて来た。

「それよりな王神医(ゥアンシェンイィ)がここまで来たんだ上饒(シャンラオ)の霊山へ三.四日行かせてくれと云うんだ。ちょうどいい具合だと承知しておいた」

「昂(アン)先生と英敏(インミィン)に行ってもらうか。俺も孜(ヅゥ)と船探しにこの間の郷燕(シィァンイェン)酒店へ行こうと思っていたんだ」

「いくら片がついてもその二人じゃだめだ。宜綿先生に行かせろ」

「ホォン哥哥、お前さんも苦労性だな。いっそ全員で上饒(シャンラオ)で船に乗るか」

「おいおい、哥哥おまえ本気でそんな事、鈴凛(リィンリィン)に言ってみろ、少しは女心も考えろ」

「怒るかな」

「哥哥より付き合いは長い、師傅に聞いた通りなら町中敵に回るぜ。なんせ街の守り神と思われているんだぜ。女を怒らせるな」

「困ったな」

「困る事あるか、あんないい女に好かれてこの果報者が」

「昂(アン)先生。其れじゃ王神医は頼むよ、山なら英敏(インミィン)より景鈴(ヂィンリィン)が適任かな。それと孜(ヅゥ)には弟弟(ディーディ)に付いて行ってもらおう。俺は此処で籠城でもするか」

「そうしてくれ。英敏(インミィン)夫妻(フゥーチィー・夫婦)と五人で霊山巡りをしてくるよ」

「なんで五人に為る。それに景鈴(ヂィンリィン)たぁ誰だ」

景鈴(ヂィンリィン)の顔が庭の向こうに見えたので「英敏(インミィン)と二人で来てくれ」と呼び寄せた。

景鈴(ヂィンリィン)は二人でお供と聞いて嬉しそうだ。

「あと一人は王神医の下僕が荷物持ちで付いて行くよ」

ホォン弟弟は話が半分しか飲み込めていない様だ。

「じゃこれから師傅の所で馬方の雇の相談に行ってきます」

昂(アン)先生がうまく連れ出してくれた。

「昂(アン)先生、俺たち十年超えた付き合いだが、女心の機微が分からん哥哥がなんで女にもてるんだか、いまだにわからん」

「俺だってそうだぜ。子供の頃だって、妓女たちも嫌われているのが承知で哥哥を好きだという奴(やっこ)は多かった」

「女に弱いくせに女心もよく分からない。なんでもてるんだ」

「焼くな、焼くな。其れより孜(ヅゥ)の嫁さん見ただろ」

「驚いたな。馬方の噂じゃ女の方の熱が高いと言っていたが本当かよ」

「例の人さらいの俺の偽物退治の時にな。孜(ヅゥ)が人さらいの手口を説明している間も見とれていたくらいだ。親も孜(ヅゥ)を気に入って持ち掛けられたんだ。宜綿先生も相手が言い出したそうだし、英敏(インミィン)もほれられたんだぜ」

「女が惚れる。あの太医にだぁ。世の中可笑しくなってないか先生」

「あり得るな。イーミェン先生の御宣託だと後一年で京城(みやこ)が災害に遭うとよ。奥方にも災害に備える様に手紙を出しとけよ」

「その話、この街の女乞食が大きな街が来年洪水だと触れていたのに似た話だな。捕まえようとしたら前日雲隠れして行方が分からなくなった」

「地震や暴風を言う奴(やつ)が時々出るからな。算命だ星が告げたは偶には当たる。災害に備えて悪いことは無い」

「そうしよう。留守を守る手配りとして書いておこう。ほめりゃ備え位するだろう」


その晩の鈴凛(リィンリィン)は萌えた。

服を脱いで寝床へ座ると初めての時の様に手を指し伸ばしてインドゥを誘った。

足を絡げて引き寄せられた「これでは動けない」というと手を指し伸ばして体を起こしてという。

首筋に手を回してしがみ付いて耳元で「喜歓、喜歓、喜歓(シーファン)」と囁いてくる。

そのままで「シュゥフゥマァ(舒服・気持ちいい)」と聞いてきた。

「とってもいいよ」

「ねぇ、この続きを教えて貰ってないわ。どうやれば喜んでもらえるの」

「なぜ気に為るのだ」

「次にお会いできるのは無理でも此処にいる間は私の体を楽しんでほしいの」

「手をほどいてくれないと無理だぜ」

どうぞそれで気がまぎれます様に願って般若理趣経十七清浄句を頭に描いた。

妙適淸淨句是菩薩位

慾箭淸淨句是菩薩位

觸淸淨句是菩薩位

愛縛淸淨句是菩薩位

一切自在主淸淨句是菩薩位

見淸淨句是菩薩位

適悅淸淨句是菩薩位

愛淸淨句是菩薩位

慢淸淨句是菩薩位

莊嚴淸淨句是菩薩位

意滋澤淸淨句是菩薩位

光明淸淨句是菩薩位

身樂淸淨句是菩薩位

色淸淨句是菩薩位

聲淸淨句是菩薩位

香淸淨句是菩薩位

味淸淨句是菩薩位

三回繰り返したところで鈴凛(リィンリィン)の方の高まりは教えを守れる状態ではなくなったようだ。

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」

美人顔が驚喜に震えている。

身体をずらし乳首を甘噛みし、持ちあげた乳房に何度も口づけを繰り返した。

「どうしたんです。赤子みたい」

気が戻った鈴凛は気持ちいいのか、それともくすぐったいのか何方だろうと思った。

「鈴凛(リィンリィン)を食べたいくらい好きなんだよ」

「もうふざけてばかり」

口とは違い体はまだ続きを欲しているようだ。

「これなのこれなの」

鈴凛(リィンリィン)は喜びの声を上げている。

「動かなくても行きそう、いきそうです。ああっ、切ないわ。落ちる落ちるわ」

そのまま気を遣って弛緩していく。        

後始末をしていると気が戻った鈴凛(リィンリィン)は「男の人は動くほうが良いの。其れとも今の様に抱き合っただけでも気が行くの」と聞いてきた。

「鈴凛(リィンリィン)の様に抱き応えのある体は抱くだけでも気持ちいいよ。でもそれだけで行くのは女の経験が少ない若い頃の話だ」

「じゃ動いたほうが良いのね」

「まだ知りたいのか」

「だって他の男に抱かれたくない。だから哥哥に全て教えて貰いたい」

「いろいろ男は要求するがすべて気持ちいい事だけじゃないよ」

「なんで気持ちいい事じゃなくてもやりたいのか分かりません」

「好奇心さ。こんなやり方が良いかとか、こうすりゃ喜ぶかと試したくなるんだ」

「遣ったことが有るのね」

「そりゃな。和国から来た絵本に有るのを試そうとしたが嫌がられてやめた」

「試してください」

「良いのか」

「哥哥の女の一人より、この女だけがさせてくれたと覚えてほしい」

「当たり前のことも半分も知らないうちにそんな事」

「だってだって」

「可愛い奴、だがそんな事覚えて良いことないよ」

抱きしめて宥めた。

「では哥哥の気持ちの良いやり方をしてください」

「気持ちが乗らないときは正直に言うんだよ

「向きを変えたらどうだ」

顔が見えるほうが気は乗るようで反動をつけて善がりだした。

「ダオシャンミエンライ(到上面来)」

気が行きそうになって慌てて下へ降りてしまった。

腰を懸命に押しつけて思い出したように時々蜜壺を締めて来た。

「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」

声が高まりを告げて到達したように腰を押し付けていきなり力が抜けた。

「そうだそうだ。それが気持ちいいよ。行くぞ行くぞ」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

その声に乗って精をこれでもかと送り込んだ。

わずかに遅れて鈴凛(リィンリィン)も到達し、呼吸が整うまで抱き合ったまま口づけを続けた。

胸が柔らかくなり抱いている幸せをインドゥは感じている。

「重くないのか」

「このまま哥哥の重みを感じていたい」

「良いです。とってもいいです。もう我儘は言いません。此処にいる間は私を愛してください」

「別れても鈴凛(リィンリィン)の事は忘れたりしないよ」

「嬉しい、とても幸せです」

始末をしてまた抱き合ってふたりは幸せな眠りについた。

 

 

翌朝、王神医(ゥアンシェンイィ)は英敏(インミィン)と景鈴(ヂィンリィン)を迎えに来て七人は馬で上饒(シャンラオ)へ向かった。

與仁(イーレン)は戻るまで臨江(リィンジァン)飯店へ泊まらせることにした。

師傅が遣ってきた、今朝、星星(シィンシィン)は豊紳殷徳(フェンシェンインデ)様が戻ったなら家で宴会をと妻子(つま、チィズ)に立ち話で誘ってきたという。

「チェンホォン弟弟に言われて此処を動くとやばそうだ」

「シィンシィンに狙われると」

「それに俺と與仁(イーレン)二人じゃ様に為らない。王神医(ゥアンシェンイィ)が戻ったら一晩位良いか」

「その方が無難ですね。人が多けりゃごまかせる」

「それにな、この前で味を占めて吹っ掛ける気が満々だ。いくら物持ちでも陳洪(チェンホォン)に付けるのはまずかろう」

「噂には聞きましたがそんなにすごいですか」

「あいつの家もそうだが嫁さんの家がすごい。嫁さんのウーニャンが嫁ぐ前も五台山へ年千両寄進してもびくともしない大金持ちだが。嫁に入った後十年経たずに三倍に資産が増えたそうだ」

「確か大同の絹商人」

「息子が年上の女に惚れて婚姻したが連れ子が居て、それが大同に赴任してきた陳洪(チェンホォン)に相惚れで五年前に婚姻した、年千両の持参金付きだ」

「年ごとにですか」

「じゃなきや賂を取らずに笑って辺鄙な駐防官で我慢できるものか。三年前嫁さんが腹ぼてで京城(みやこ)で留守番だったが、ここへは呼ばなかったようだな。ここもそろそろ配置換えだろう。利権狙いのバカ息子が来なきゃいいがな」

「そんな噂でも、まだ一年目ですよ」

江西巡撫は評判の悪い張誠基、身びいきが激しいと噂だ、駐防官程度は簡単に配置換えだ。

「困りますよ。せっかく街が上手くいっているのに」

「上役に賂を送るくらいのやつならとっくに出世しているんだが」

師傅が帰ると與仁(イーレン)が荷を預けて天后廟へ出て行った、河口二堡の興帆(シィンファン)酒店の真裏だ。

此処からだと三里ほどある様だ「半刻ほどで戻ります」と云うので「急ぐこともないぜ」と送り出した。

浙江會館の叶(イエ)番頭が遣ってきた。

福州の噂が此処にも来て広州(グアンヂョウ)へ出て行かない茶を取引したい業者が居るという。

「孜(ヅゥ)が戻ったら行かせるよ、五日待ってくれ。だが広州(グアンヂョウ)で引き取らないのは安茶でも値が張るんじゃないのか」

「そうではないのです。蘆(ルー)茶商が叩いて買い集めようとしたせいで、生産者が売らずに手を組んだので、他の仲買も買えずに撤退寸前で駐防官の手で話がまとまり、此処へ一時期に茶が集まりすぎて送り切れないのです」

中型の河船にその先の脚夫(ヂィアフゥ)迄一時期に出払うほど忙しいそうだ。

「景気は上向きですが次の市も迫っていて生産者も持って来たくも倉庫が空かないと置く場も無くなります」

蘆(ルー)茶商は星村鎮や福州の騒動が聞こえてくると、行方を眩ませたと云う。

どういう役割なのかただ単に儲け仕事と割り込んだだけかが分からない。

まだいるうちに徐(シュ)老爺の息子が遣ってきた。

「おいおい、王衍(アンイェン)早耳だな。上饒(シャンラオ)から来たのか」

「いえいえ、昨日九江から河口鎮(フゥーコォゥヂェン)へ着いて明日は上饒(シャンラオ)へ戻るんですがね。今さっき師傅に此処へお泊りと聞いて、ご挨拶に。今頃フゥチンは京城(みやこ)も飽きて帰りも半ばでしょう」

遅くも四十日で着いたはずだという、それだと五月十五日には通惠河(トォンフゥィフゥ)で荷下ろしの準備をできるはずだという。

「今朝な、例の茶商の孜(ヅゥ)が弟弟と郷燕(シィァンイェン)酒店へ向かったんだ。船の手配をたのもうと思ってな」

「何人です。家には弟弟の海淵(ハァィユァン)が居ますぜ

「九人だ。荷は今のところ少ないがこの番頭さんと話がまとまれば荷が増える予定だ。ところで番頭さん、最大幾つくらいの商談だね」

「私の方は八十擔ですが口は全部で」

計算していたが「多くても五百を超えません」という。

「なんだ大袈裟に言ったな。二千もあるかとビビったぜ」

「ヘヘヘ」

照れ笑いをして「では五日後に孜(ヅゥ)さんの御出でをお待ちします」と出て行った。

「どうしたんで」

「何、広州(グアンヂョウ)行きの荷が滞っているんだとよ」

「向こうの河筋はあまり大きいのは入れませんから。贛州府(ゴォンヂョウフゥ)まで一艘二百擔が限度でしょう。此処からも見えますが川向こうには大きいのとちっこいのばかりですぜ。ゴォンジァンへは行かない物ばかりで」

「船が無いんで荷が滞ったんだとよ」

「じゃ今晩か明日には孜(ヅゥ)さんと弟弟(ディーディ)で話が纏まればどっちかが京城(みやこ)迄お供と云うことで。どっちの船でも六百は楽に積めますから」

「そうしてくれ。南京で三日の他は適当に港へ入る予定だ」

「船で寝るのも親父の船より設備は好いですぜ」

「じゃうまく調節してくれ、荷が増えれば割り増しは俺が承知と孜(ヅゥ)に言ってくれ」

徐王衍(シュアンイェン)を送り出すと與仁(イーレン)が帰ってきたようだ。

女中たちを笑わせている声が聞こえてくる。

「生まれるのは南京に着くあたりかな。あそこの夫子廟(孔子廟・文廟)にお御籤も有るから引いてみな」

「へへ、哥哥の前ですがね。南京(ナンジン)だって天后様はいらっしゃるんでござんすよ。琵琶街から五里も歩けば着きますんで」

「こりゃ参った。天津(ティェンジン)以来お前さんの守り本尊はどこにでもいらっしゃる」

「へい、その通りで」

書畫家の愛好家で此処を知らなきゃ潜りだと言っても無駄だと引っ込めた。

「福州の天后廟のご利益はあのふくよかな女中だったな。此処でももう目を付けたか。興帆(シィンファン)酒店のちび女に恨まれぞ」

「いやですよう。あのおちびに手は出して無いですよう」

鎌を掛けたが躱された、福州(フーヂョウ)は願掛けの間の荷物番を餌に女を引っ掛けるのを両天秤で成功したようだ。

毎晩女の前で葛籠に封印するのを見せていたので「ははん」と昂(アン)先生と二人で気付いたのを知らん振りしたのだ。

本人隠し通せたと思っていたようだ。

二人で飯を食うと別れて部屋へ戻った。

何時もの聊斎志異を読んでいて鈴凛(リィンリィン)が来たのにビクッとした。

「なんですよう。そんなに驚いて」

「今読んでいるところで美人の首を細君の首と取り換えたところさ。美人が来れば驚くさ」

「うまいこと胡麻化して」

そう言いながら寝床へ座って知らん顔して見ている。

隣へ座って肩を抱き寄せた。

昨晩で懲りたか無理強いはしないで抱かれる儘大人しくしている。

「ねえ、その本いつも読んでいるんですか」

「読み返すたびによく出来た話と感心することが多い。旅に出て読みたくなって買うことも有るので同じ巻が書斎で何冊も出てくる始末だ」

「他に好きな話は」

「庚娘(ガァンニィァン)という話が有る。死んだはずが墓の中で生きていたというのはどうだ」

「墓で生き返るという話は子供の頃、脅されて怖かったですが、その話などが元なんですね」

「それより菜店の方は好いのかまだ何人が居るんじゃないのか」

「家の後家さん連を口説きたい者ばかりに為ったので出て来たんですよ」

「口説いていいのか」

「口説かれたって誰も困りゃしませんよ。後家さんで嫁に欲しけりゃ口説き落としてごらんよと言って置きゃ、浮気じゃ口説きは出来ない弱虫ぞろいですよ。其れより葡萄酒(プゥタァォヂォウ)と白蘭地(ブランデー)とどっちがいいです」

「両方あるのか」

「白蘭地(ブランデー)は人頭馬(レミーマルタン)、葡萄酒(プゥタァォヂォウ)は前にあったでしょあの老媼がもう直来ますよ」

パタパタ草履の音がして「老媼(ラォオウ)が来ておりますが」と簾の向こうで声がする。

「冰(ピン)は箱に入れたのかい」

「はい仕舞いました」

「老媼(ラォオウ)はこっちへ寄こしとくれ。ちょっとまっと呉れな」

「ねえ、哥哥どっちを飲みたいの」

「レミーマルタン(人頭馬)が好いな」

「じゃ鉢へ冰(ピン)を欠いて入れて人頭馬(レミーマルタン)と一緒に、それと菜もね。あとの冰(ピン)は砂糖水でも作って御飲みな」

「はい判りました」

あの老媼が二人の若者とやってきた「たくさん買うと思ったらいい人が来たんだ」年の功か臆面もない良いようだ。

「いくらだい」

「マァ見ないで買うとは景気が良い」

箱を開けて「香槟酒(シャンビンジュウ)、六本、白六本、赤六本。全部で銀九十で好いよ。氷は二両分だ、明細はこれだよ」とこっちを見た。

「おや大分成長したようだ」ひよっ子扱いだ。

鈴凛(リィンリィン)は椅子に置いた提げから銀(かね)を卓へ並べた。

若いのが勘定して持って来た手提げにしまい込んだ。

さっきの女中が人頭馬(レミーマルタン)を持って来たのに「勘定は済んだから床下へ入れておきなさいよ。厨房迄運んでくださいな」と交互に伝えた。

老媼は「はい御免なさいよ」ととことこと出て行った。

「なぁ、この間の白蘭地(ブランデー)が奢りでちと気恥ずかしい。今度は銀(かね)をしっかりとってくれ」

「じゃ食事と宴会をしてくださいな。その分は頂きますが、寝酒までは奢りじゃなきゃ出しませんのさ」

「分かったわかった。損しないように頼むよ。俺が銀(かね)を出したら怒る気なんだろ」

「怒らせない様に可愛がってくださいな」

酒を飲みながら戯言で時が過ぎてゆく。

「今朝な、師傅が来ただろ」

「ええ、何かあったのですか」

星星(シィンシィン)が師傅の妻子(つま、チィズ)にな」

「姐姐(チェチェ)になにか」

「俺が来たことが知れ渡っていて、店へ来てくれと言ったそうだ」

「行ってあげればいいのでは」

「いいのか」

鈴凛(リィンリィン)が頷いている。

「おいおい、自信が出たのか」

「そうではありませんよ。行かなければ貴方の器量が疑われてしまいます。それは私が行かさないと言われる以上に悲しいです」

酒の手が止まると今晩は一人で休んでくださいと部屋を出て行った。


二十二日夕刻まだ陽は山の上にある。

孜(ヅゥ)たちは王神医(ゥアンシェンイィ)の一行も乗せて船で戻ってきた。

馬も乗せて来たという、馴れたもので板を踏み外す馬は居なかった。

宜綿(イーミェン)と昂(アン)先生が付いて王神医(ゥアンシェンイィ)は先に興帆(シィンファン)酒店へ向かった。

「前回と船は違いますが河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で荷を積むかもというので同じ千六百両と百六十両で契約して先払いをしてきました」

「それでいい、後の銀(かね)はまだ持って居ろよ、番頭やら茶商を接待するなら其れを使っていいぜ。與仁(イーレン)と蔡太医夫妻を入れ替えて泊まらせる。それと孜(ヅゥ)への投資はあと五千用意した。確り買い入れろよ」

葛籠から取り出して孜(ヅゥ)にも数を確認させて渡した。

與仁(イーレン)が十枚ずつ紐で縛ってくれたので楽だ。

送ってきた徐王衍(シュアンイェン)に二十両渡して「二十五日の巳の刻の旅立ちの予定だ。遅れればまた遊び代を出すから我慢してくれ」

「そのようなお気遣いはご無用でござんすよ。こうしろとおっしゃればよろしいでござんす」

銀(かね)を大事そうに持って二人が出て行くと、與仁(イーレン)が戻って繪老(フゥィラオ)で明日酉の刻から十一人で予約を取り、香槟酒(シャンビンジュウ)五本、葡萄酒(プゥタァォヂォウ)の赤で五本出すことに為ったと伝えた。

「なぁ、料理はお任せと言ってきたろ」

「料理は品書きがあるか聞いたら、お任せ下さいと言いだしてご満足していただけるものを用意すると言っていました」

聞いた鈴凛(リィンリィン)は「與仁(イーレン)さん、言ったとおりでしょ。言い返す暇などないでしょ」という。

「なんだ、そんな事話して送り出したのか」

「テヘヘ、あの孔雀のような衣装に早口では、あっしのような小物じゃ太刀打ちできやせんや」

鈴凛(リィンリィン)に「師傅と陳洪(チェンホォン)駐防官へ連絡を頼む」と言ってから「蔡太医、何かめっけもんでもあったか」と話を振った。

「駄目ですね、王先生も疲れ損だとがっかりしていました」

 

 

翌日朝から孜(ヅゥ)は河口三堡浙江會館の叶(イエ)番頭に会いに出かけた、護衛は昂(アン)先生が付いてきた。

「待ちかねたよ。旦那は引取れるようにおっしゃっていたんだが。安物を抜かすと二百五十擔が良い物だった。金額が張るんだ」

「ま、品物を持っている業者を回りましょう」

前回より積極的になっているが叶(イエ)番頭は気が付かない。

最初の仲買の所に薛(シュェ)家の姻戚の有る高門村より東の五府山の二葉一芽が十擔あった。

八十両だという。

「一回りしてきます」と約束せずに次へ回った。

五軒の茶商に二十三擔の武夷山正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)が有ったが値段はまちまちだった。

一番安いのが十五両、高いので二十二両だという。

薛(シュェ)家で一斤百五十銭、十五両だと百二十五銭、二十二両だと百八十三銭。

「高いのは脚夫(ヂィアフゥ)に手数料なら仕方ないか」

「そうですね一擔じゃ値が取れないと十五でも売りたいからでしょう」

浙江會館の手数料はどうします」

「今回値段に関わらず一擔刺し三本でお願いできますか」

「それで集めて船積迄」

「遣らせていただきますよ。昨日の船ですね」

「そうなんだけど二十五日朝巳の刻の船出予定なんです」

「前日でもいいですか」

「そうお願いします」

その間にも武夷肉桂を買い入れて京城(みやこ)で茶具の好い物と組み合わせて売るかと考えている。

それが届いたか景徳鎮の賀(ハー)が店から出て来た。

「今日も売り込みですか」

「ここでね茶器を千二百組、壺を三千個の注文で今収めたところですよ」

「今晩体空いています」

「良いですよ、良い話でも」

「和孝(ヘシィア)様たちと旅立ち前の宴席があるので混ざりませんか、叶(イエ)さんもどうです。その運河の向こうの繪老(フゥィラオ)で酉からです。挨拶のあとの席は私と三人別に設けます」

「家の手代二人も招待してくれますか。今晩奢ると言った手前一人は気まずいので」

「ねえ、すぐそこだ三人で繪老(フゥィラオ)まで今予約に行きましょう」

三人で行くと「喜んで五人ご用意します」と請け合ってくれた。

「お酒どうします」

「同じものまだ余裕ありますか」

「五人なら三本ずつ用意します」

「じゃ、こっちは私に別会計で。銀票でも良かったですよね」

話がまとまり賀(ハー)と夜の約束を確認して、叶(イエ)番頭と先ほどの店を回って話をまとめて貰った。

十五両一擔、十八両三擔(五十四両)、二十両十五擔(三百両)、二十二両四擔(八十八両)合計四百五十七両。

全て銀票、銀錠で決算が出来た。

最初の店に戻り他に売り物は無いのか聞くと黄山毛峰雀舌(チィアォウー)が二擔と二箱だという。

「半端だね。いくらで出す」

「前のを買ってくれるなら十両で好い」

「良いよ。合わせて九十両だねあとは」

「白毫銀針二擔と一箱、桂林の白茶二百擔で全部だ」

桂林は貢茶龍脊茶で有名だが白茶は普及品だ。

「なんで広州(グアンヂョウ)行きじゃなくてこっちへ」

「例のあんたがたの騒動で喬(ヂアオ)が捕まったからさ」

「そいつは御難だったね。でも騙されないうちでよかった」

「よくないよ。広州(グアンヂョウ)へこれから送れば運送費こちら持ちだ」

「それで桂林のは幾らに為れば儲けになります」

「ちょっと待ってくれ今日払ってくれるのか」

「折り合えばね」

「じゃ千五百両出してくれ」

「ちょっと待ってくださいよ」

算盤で出すと七両と五百銭だ、運送費に大分取られている、喬(ヂアオ)は何が目的だったのだろう献上茶は青のはずだ。

「きちっとしてるね。全部で千五百両で買ってくれるなら、白毫銀針二擔と一箱もつけるよ箱は見本と思ってくれ」

「桂林は見本は無いのかい」

叶(イエ)が替わって聞いてくれた。

「見透かされたか三箱あるから持っていって呉れ、あと寄せ集めで一擔分の茶が有るから上げるよ。箱に名が有るから売るより楽しんでくれ」

この際店を空にして新しく買い入れようと思ったようだ。

二百十八擔分に為る、これ以上苛めて怒りだしても損と千五百両で手を打った。

孜(ヅゥ)が銀票で払い、叶(イエ)番頭が一度浙江會館へ運んでくれと頼んだ。

浙江會館で手数料二百六十二擔分、銀錠七十九両で刺し四本釣りを出してもらい受け取りを貰った。

朝から回って昼も食べずにもう申の鐘が鳴っている。

「また明日残りは回りましょう、焦って今日回って好いことないし」

昂(アン)先生もやれやれ今日はお役御免だとほっとしている。

臨江(リィンジァン)飯店へ戻り哥哥に経過報告をして宴席へ四人呼んだことを了承してもらった。

「先に了承を頂きませんのに申し訳ありません。お許しください」

「良いってことよ。何も遠慮することもない」

「御本がいつものとは違うようですが。大分手擦れが」

「これか、剪灯新話と言って完本は無いという噂の貴重本だ。此処の老爺が先代の残した本が三百くらい有るというので午前中蔵でひっくり返して一冊見つけた。家のとは違うので百で分けて呉れと言ったら怒られた。本好きを待っていたんだろうから、ただなら呉てやるとさ。京城(みやこ)で仲間に自慢してやるのが楽しみだ」

インドゥは百両銀票をこれからは孜(ヅゥ)が管理しろと包みを預けた。

「責任重大ですね」

「この後大きな銀(かね)は孜(ヅゥ)の取引ぐらいだ。今日の勘定は與仁(イーレン)に任せるんだぜ」

「桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)の分がまだあるのでそれでと思っていたのですが」

「おいおい、黙っていたが景園(ジンユァン)の土産に景鈴(ヂィンリィン)の土産も福州(フーヂョウ)で買ってないだろ。星村鎮は茶でもこっちの二人に土産は必要だぞ。南京(ナンジン)で良い物を土産に買う銀(かね)にしなよ」

「ありがとうございます。自分の事ばかりで土産まで気が回りませんでした」

「良いってことよ。実は俺もな、何時も自分の本や書を買って公主の土産を忘れる口だ」

人が揃うと與仁(イーレン)に孜(ヅゥ)が必要な分を包んで出た。

繪老(フゥィラオ)では星星(シィンシィン)自らお出迎えだ。

宴席は広い部屋を屏風で仕切ってある。

インドゥもあえて一緒にと云うのは控えてくれた。

仕切りの隣は何処からの旅の途中のようでもう大分飲んだらしくて陽気な声がしている。

叶(イエ)番頭に賀(ハー)と手代二人が来て孜(ヅゥ)はインドゥ達へ挨拶して席へ案内された。

叶(イエ)番頭に賀(ハー)は隣へ呼ばれて大きな声の男にペコペコ頭を下げて出て来た。

冷菜の皿でまずは冷えた香槟酒(シャンビンジュウ)で乾杯だ。

鶏蛋(ジータン)の湯の後は蠔皇吉品鮑(ホウウォンガッバンバウ)の皿が出て一人一杯という贅沢だ。

棒棒鶏(バンバンジー)は辛くて口直しのワインが美味い。

暫くして與仁(イーレン)が来て女中を揶揄い座は賑やかになった。

「なんだい気後れしてたのかい」

「ここの主に圧倒されました」

あの衣装にあの顔で間近で言葉を掛けられ、手代二人は舞い上がっていたようだ、挨拶するたびに顔を寄せて一言声を掛けてゆく、ぞくぞくする色気を漂わせていた。

星星(シィンシィン)のいない向こうでは「陳弟弟、お前の言うのと観相が違うぞ、この前とは大違いだ。男たらしより恋女だ」と耳打ちしている。

「俺にも訳が分からん。先月はきつい顔だったが、なんだあのとろけた顔。男が出来た顔だぜ」

「最近のようだな」

「どうもそんな様子だ」

星星(シィンシィン)が與仁(イーレン)を手招きしている。

「ここの酒も足すようなら頼んで来るぜ。白蘭地(ブランデー)を奢りな」

孜(ヅゥ)に銀(かね)包みを預け、瞬きして出て行く、瑠璃盃に冰(ピン)が山盛りに瑠璃の盃の大き目のが来た。

孜(ヅゥ)が遣るまでもなく、女中が冰(ピン)を竹ばさみで取り分け支度をしてくれた。

菜は叉焼(チャーシュー)が出て来た、乾き具合が酒に合う、皆大喜びだ。

「遅いな向こうの席へもどったかな」そう思っていると半時ほどで戻ってきた。

星星(シィンシィン)が向こうの席で何が楽しいのか陽気な声で話をしてこっちの席へ来た。

孜(ヅゥ)の席から星星(シィンシィン)が與仁(イーレン)の背中を抓って出て行くのが見えたが、ほかの四人は気が付かないほど星星(シィンシィン)の顔に見とれていた。

叶(イエ)番頭など「年に一度くらいこの店へ来るんだが、ここ五年ちっとも変わらん。年を取るのを忘れたんじゃないか」と言い出している。

賀(ハー)も「ほんとだ私は十年前と三年前に来たんだが、色気が増しただけで年が分からん」など言っている。

與仁(イーレン)はニタニタして白蘭地(ブランデー)を呑んでいる。

女中がそれをきいて「本当に家のヌゥーヂゥーレェン(女主人)は何時までも若いままですわ」と肯定している。

女老板(ヌゥーラオパン)は使いづらいなと皆思っているようだ。

孜(ヅゥ)は二人の様子に星星(シィンシィン)を口説いたかと思った。 

「あるはずのないことが起きるのも旅ですね」

何て鎌をかけても「そうだ孜(ヅゥ)だけじゃない。宜綿先生、蔡太医迄奥方を見つけたんだ」と酔った口調になっている。

賀(ハー)は自分が壺の売り込みに初めて来た頃は建昌會館と浙江會館しかなくそれほど大きな街とは思わなかったという。

「それが南昌會館も出来、まだまだ手伝う会館は増えていく様子だ」

この街はまだこれからも取引が大きくなるという。

叶(イエ)番頭は建昌會館が此処の一番古手で四堡に最初の会館が出来て五十年だという、浙江會館のできる二十四年も前から活動しているそうだ。

建昌會館は遼寧承徳府の商人、浙江會館は華東浙江の商人、南昌會館は江西南昌の商人の互助組織だ。

丁(ディン)が来て「そろそろ締めて呉れと言っています」と告げに来た。

部屋別に請求が来る前にこちらの客は孜(ヅゥ)が見送って御帰りねがった。

戻ると與仁(イーレン)が星星(シィンシィン)と銀(かね)勘定している、向こうの料理は八十八両、こっちが四十両、酒は向こうが百十二両で此方が六十六両の三百六両。

十両銀票を三束出して勘定させて一両銀票で六両出した。

「確かに御座います」

「心づけは旦那と相談するから一緒に来てくれ」

女中に銀票を「帳場に預けておいで」と盆に乗せて渡した。

哥哥に書付を見せて「心づけは如何ほど置きますか」と相談している。

「二部屋分だ、料理番に十五両、女中が入れ替わりで分からんから十五両を分けて貰いな」と銀錠を出させた。

結局孜(ヅゥ)の包みは紐も解いていない。

陳洪(チェンホォン)と師範は店の前で別れた。

哥哥と蔡太医夫妻を昂(アン)先生と孜(ヅゥ)で臨江(リィンジァン)飯店へ送り、二人で戻る道で「なぁ、後ろでこそこそ與仁(イーレン)と女老板(ヌゥーラオパン)が抓りっこしていたようだが、心当たりあるか」と聞いてきた。

昂(アン)先生は後(うしろ)にも眼があるんでと聞いてみた。

「そのくらい酒に酔っても分かるさ」

「実は先生の方を中座してこっちへ来たら、女老板(ヌゥーラオパン)に呼び出されていました」

「戻ってこなかったが、そっちへ行ったのは目晦ましか」

二つの部屋を行ったり来たりしてうまく誤魔化すつもりが胡麻化しきれていない様だと報告した。

「なんで與仁(イーレン)なんだ」

「銀(かね)番と分かって色目でも」

「不思議と哥哥が贔屓にしてから後家が寄って来る、あのニタニタは覚えがある。早でひと仕事務めたようだ」

「半刻足らずで。ですか」

「女の方がその気なら楽なもんだ。與仁(イーレン)はニタニタくらいだが、女老板(ヌゥーラオパン)め中年男が大分(だいぶん)とお気に召した様だ」

「景徳鎮の賀(ハー)さんは十年前から容姿が変わらず色気が増した、叶(イエ)番頭も五年前から同(おんな)じだと持ちあげていました」

「そういう女も確かにいるな。昔馴染みの前門の胡同な、俺より年上だったはずが今でも若いままのが何人も居る」

ばか話で道も捗り興帆(シィンファン)酒店の前で「内緒にしといて遣れよ」と念を押された。

 

 

そのころインドゥは部屋で鈴凛(リィンリィン)と寝酒を呑んでいた。

「哥哥、お供さん此処にいたときは家の娘と出来たかと思いましたが。今日お迎えに来たときの様子じゃそんな素振りも有りませんが、あれはどう見ても女が出来た顔つきですよ」

「女老板(ヌゥーラオパン)が気に入ったか、気に入られたかのどっちかだ」

「星星(シィンシィン)がですか。まさか」

「あいつ出戻りに好かれることが多い」

「そういや昔聞いたような気が」

「いつの頃だ、昔だなんぞ」

「私が十の時だから八年前、そのころ評判のピャォリャン、ヌゥーヂゥーレェン(美人女主人)で後家さんと師傅が噂していました。ああ思い出したあの年の冬に繪老(フゥィラオ)のヂゥーレェン(主人)が亡くなったんだ。三十も年が下の女と再婚したのがいけないと騒がれていました」

「土地の娘じゃないのか」

「どこかは聞いたことないのですが、広州(グアンヂョウ)訛りが有ると師傅が、父母(フゥムゥ)と弟弟(ディーディ)も呼び寄せたのはそのころでしたよ。フフフ、師傅今でも星星(シィンシィン)の前だと冗談も言わないでしょ」

「確かにな、陳洪(チェンホォン)と二人で傍に来られると緊張してたぜ」

 

 

噂の與仁(イーレン)、実はここから天后廟へ日参していた時に星星(シィンシィン)と知り合った。

挨拶は交わしていたが、インドゥの使いで店へ来るまで名も知らない男だった。

自分の美貌に自信が有り、男にすり寄ればドギマギするのを楽しんでいたが、この男は隣で願掛けしても平気の平左。

天后廟でまさか手管も使えないと悔しい気持ちの男が店へ来た。

宴席の約束を取って戻っていった後「天后廟と父母(フゥムゥ)の家に行く」と弟弟(ディーディ)に告げて繪老(フゥィラオ)を出て歩いていたら天后廟への入り口で荷を持って歩く與仁(イーレン)を見て声を掛けた。

「どこかへお出かけかえ」

「お仲間と部屋を交換したのさ。興帆(シィンファン)酒店へお引越しだ。シィンシィンさんもお参りかい」

おやこの男馴れ馴れしいと揶揄うつもりで「お供さんも毎日お参りで」と例の猫なで声で聞いてみた。

「妻子(つま、チィズ)が頭胎(トォゥタァイ)で来月が産み月だ。天后様だよりだ」

楊與仁(ヤンイーレン)この時四十歳の男盛り。

「じゃ一緒にお参りしましょう。私も願って上げる」

お参りして裏の父母(フゥムゥ)の家の二階へ連れ込んだ「ふん、ひょいひょいついて来やがって。手を出したら騒いで直ぐに追い出してやる」と客を客とも思わぬ女は、気のいい中年男を弄(なぶ)るつもりで甘く見ている。

ムゥチィンが茶を出して降りていく、眼の下に天后廟の屋根、先には信江(シィンジァン)の向こう岸の岩陰に大きな船と小さな河船が係留されている。

「ここから通うのかい」

「いえさ、店に部屋が有りますのさ」

「狙う男が押し寄せて店は大繁盛。なにを天后様に願うことがあるんだ」

「お供さんの様に様子の好い男に合わせてくださいとお願いしていたのさ」

ここまで来ても「願うなら若くて頑丈な良い男と願ったらどうだ」なんてとぼけている。

悔しくなった星星(シィンシィン)が「あたしのような不美人じゃ気に入らないかえ」と迫って来る。

「おいら旦那持ちで此処には長くいないぜ」

「あれをしてもらうのに手続きでも必要なのかさ」

星星(シィンシィン)自棄になってきた。

與仁(イーレン)に服を脱がされ、寝床へ置かれてもまだぷんぷんしている。

ちやほやする男ばかりの毎日だが「こいつ馬鹿にしてる」と気が高ぶっているのだ。

口を吸われ胸を触られても「手続きはどうし為さった」とまだ言っている。

「これが手続きだ」

「こんな手続きじゃ不満か」と脚を持ちあげられた。

「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」と言いながら耐えている。

與仁(イーレン)に「少し動かないで」そう言った。

與仁(イーレン)これを言うと女が足を絡げて「いやいや」と云うのを経験で味をしめている。

この日も「離れちゃいや」と抱きしめられて口づけを迫られている。

星星(シィンシィン)は自分の美貌に自惚(うぬぼ)れていたがこんなに顔に興味を示さない男は初めてだ。

「良い女は御其処(おそそ)も上品だ」

等下卑た事を言われても星星(シィンシィン)は男が愛しくなっている。

「ねぇ、明日の宴席の後泊まって下さいな」

「おいらはお供だと言ったろ、できるわきゃ無いだろ」

「うまく時間を造って下さいな」

 

宴席で盛り上がっていた一組が帰り、與仁(イーレン)が部屋を出て孜(ヅゥ)の方へ行くと刻を図って呼び出した。

奥の部屋へ連れ込んで服を脱ぐのももどかしく與仁(イーレン)をさそった。

「どうしたそんなに気が行くのかよ」

「だってなかなか部屋を出ないから」

大分焦れていたようだ。

宴席を抜けての行いは二人を高みへ急がせた。

始末をして身形を整えて、先に與仁(イーレン)を部屋から送り出した。

 

 

二十四日の朝降った雨で街は冷やされている。

「ナァ、孜(ヅゥ)星村鎮までは夕刻のとおり雨だが、桐木関(トォンムゥグゥァン)からこっち午後に雨が落ちないのはなんでだ」

「昔聞いたのは海側と山の此方は気象が違うので雲が湧きにくいそうです。ほら脚夫(ヂィアフゥ)の雲見の男、あれなんか気配で分かると言いますから聞けば教えてくれたかも」

朝の粥を食べて孜(ヅゥ)は茶商巡りだが持ち歩く金が増えたので宜綿(イーミェン)が護衛について出た。

 

王神医(ゥアンシェンイィ)が街を回るというので丁(ディン)と昂(アン)先生が共について官埠頭から県公所への道を山へ向かった。

先の道を西からきらびやかなものが前を通ったと思ったら星星(シィンシィン)だ。

「昂(アン)先生、また今日もあれが天后廟の日参だ」

「気づいていましたか」

丁(ディン)が二人で天后廟裏の家に入るのを見かけたよ」

「知らんのは御当人ばかりは本当だ」

「狙いが分からんね」

「私も昨日から考えていますが。どこに惚れたやら見当もつきません」

その與仁(イーレン)は誰もいないので葛籠を背負って日参に出た。

お参りして門を出ると星星(シィンシィン)が待ち伏せして手を引いて家に連れ込んだ。

「お参りは済ませたのか」

「来ないから家で時間潰しをしていたのさ」

「裏を返したのにまだ」

云い終わらぬうちに服を脱いで迫って来る。

「嫌いなのかえ」

「嫌いならついてこない」

口づけしながら與仁(イーレン)の服を脱がせて誘って来る。

自ら寝床へ上がり足を抱えて與仁(イーレン)を誘い、顔が綻んで来た。

「今日の顔は一段と明るく冴えている。街一番の女だ。ビャオリャン、ビャオリャン(漂亮・美しい)」

ついに言わせた、勝ったと思った星星(シィンシィン)を快感が襲う。

「ダオシャンミエンライ、ダオシャンミエンライ(到上面来)」と逃げて足を上げ與仁(イーレン)を上にさせた。

「アアッ、アアッ、アッアッアァア」

声が悲鳴に近い。

「良いのかいいのか」

與仁(イーレン)の方も行きそうだ。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

星星(シィンシィン)は軽く行ったが、息が突けるようにり「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」と腰を押し付けて悶えている。

シーファン、シーファン、シーファン(喜歓、喜歓、喜歓)」

勝ったつもりの星星(シィンシィン)だったが、打ちのめされている様だ。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

「ウォーアイスニーラ我愛死你了・死ぬほど愛しています)」

もう完全に與仁(イーレン)に参っているようだ。

首筋から乳房を口で弄られ星星(シィンシィン)は味わった事のない満足感に包まれた。

與仁(イーレン)が自分と星星(シィンシィン)の後始末をしている。

垂れている物を見て「なんでこんなもので」と死んだ丈夫(ヂァンフゥー・夫)の大きかったものを思い出した。

「まだ満足しないのか」

「だって、なんであんなに大きいのか不思議だよ」

「おいらを男にした妓女が教えてくれた。大きさじゃないんだとさ。物が恋すると言われた、そういう女とフゥーチィー(夫妻・夫婦)に為るなと」

「なんでさ。気が合ってあれも合うなら良いじゃないか」

「どちらかが早死にしてしまうとさ」

「女のことも有るのかい」

「これが好きじゃない女だっているそうだ」

乳首がすれて與仁(イーレン)は気持ちがいい。

まだ奥まで突かないが、星星(シィンシィン)には気持ちが好くて気が落ち着いてくる。

「男が強すぎればそれに答える女が疲労する。女が強ければ男の腎が枯れる。うまい具合に妊娠すれば少しは女も長持ちするのさ。妓女は女に溺れちゃだめだよと教えてくれた」

「いつの話さ」

「もう二十年以上も昔だ、都に出る前の事だ」

何処か星星(シィンシィン)があの妓女に似てるなと思った。

「あんたの妻子(つま、チィズ)は大変だ」

「婚姻して三月で頭胎(トォゥタァイ)だ。俺が旅の間はムゥチィンが面倒見てるし、仲のいい人に宋太医という人が居て上手い具合に妻子(つま、チィズ)が産婆だ。それでもつい天后様にお願いしてしまう」

お別れ前にもう一度と言われ、すぐに星星(シィンシィン)が行きそうになっている。

脚を降ろすと腰の動きが早くなり「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」と誘っている。

力強さに耐えるのがやっとのシィンシィンだ。

「バオベイ、ウォアイニー(宝貝,我愛你)、シィンシィン」

その声で絶頂に達してしまいそうなシィンシィンが「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)来て来て来て」と叫んでいる。

まだあったかと思うほど多くの精が奥を突いてイーレンはシィンシィンと揃って到達した。

 

 

與仁(イーレン)が宿に戻るとまだ誰も戻っていない。

未の鐘が響いてきた。

今晩は臨江(リィンジァン)飯店で別れの宴、昂(アン)先生は別れの献杯で後は無しだというから早く終わるだろうと思った。

いくら何でも昼間の三回のお務めは強(きつ)い、酒を引っ掛けて昼寝をした。

 

孜(ヅゥ)は三軒回って半端物を三十擔引き受け格安の二百九十両。

武夷正岩茶肉桂が十擔混ざってだ。

「これで終わりか、あっさりしたもんだ」

宜綿(イーミェン)がもう終わりかと言い出した。

「いえ、旦那この後の二軒が大口で」

 

叶(イエ)がまだ先があるという、孜(ヅゥ)もどこの茶か興味が有ると言っている。

韓(ハン)という茶商は親子で応対し売りたい茶の効能を喋りながら味を試させてくれた。

小さな砂時計を持って来た「昔京城(みやこ)で土産に幾つか買った。こいつがこの茶に有っていた。時計で測ると目盛り三つだ」

孜(ヅゥ)は福州で見た砂時計やこの砂時計を大口の客が買う茶に合わせて配ってもいいなと思った。

豫毛峰と言っているが京城(みやこ)では緑茶の信陽毛尖(シンヤンインジェン)で通っているという。

春前茶は手に入らず、明前茶一芯二葉と雨前茶一芯三葉を百擔ずつ持って居るという。

それぞれ五十擔は売れる見込みで五十擔ずつを早く売りたいという。

明前茶一芯二葉は一擔八六十銭、雨前茶一芯三葉は四串が希望という。

「雨前茶一芯三葉はお望みの値で引き取れますが。このお味では明前茶一芯二葉が高すぎます。運送に銀(かね)が掛かったのは分かりますが京城(みやこ)で売るには買値が六串がいい処ではないでしょうか。なぜそんな遠くから仕入れを」

河南信陽までは千六百里は有る、湖北鄂州(オゥーヂョウ)迄陸路六百里、長江(チァンジァン)を船で九江まで下り河口鎮まで運ぶだけで茶の数倍の値段に為る。

其れから見ても雨前茶一芯三葉は捨て値に近い。

親子で相談していたが雨前茶一芯三葉五十擔を二百両で引き取ってくれと決まった。

最期の店だというところは大きく七人ほどが忙しく出入りしている。

董(ドン)という中年の太った人は昨日繪老(フゥィラオ)で大きな声で騒いでいた人だ。

叶(イエ)番頭に景徳鎮(ジンダーチェン)の賀(ハー)さんもお得意様の様でぺこぺこしていた。

「買ってくれるんだと」

「良い物で安いものが希望です」

「なかなかいうな。家のは高いぜ」

「都へ運んで商売に為る値段にお願いします」

「ならんよ」

「どうしてでしょうか」

「今噂を造るに三年かけた。今年から売るために五人の人間の財産が掛かっている」

「叶(イエ)さん、いえ浙江會館も関係しているのでしょうか」

「そうだ。お前さん見込まれたんだ。俺に命を預けられるか。大儲けは間違いない話だ」

「私は和孝(ヘシィア)様へ命を預けました。それを簡単に商売のためとはいえ預けられません」

「よし、合格だ。叶(イエ)お前さんも大した目利きだ」

「何のことでしょう」

傍で宜綿(イーミェン)も唖然としている。

「首領(ショォリィン)様、あっしに見覚えは、五年前は半分くらいでした」

宜綿(イーミェン)は手を出してみろと両手を出させた。

「なんだ董(ドン)何て云うから分からなかった。お前傅(フー)の兄貴か」

「さいで、傅皓皓(フーハオハオ)でござんす。首領(ショォリィン)様は命の恩人でござんす」

「処でなんで孜(ヅゥ)が合格なんだ」

「ご存じでござんしょ結」

「ハオハオも仲間内かよ」

「そうでござんす。で、叶(イエ)に頼まれたはいいがどういう男か分からないのでね」

素性に手腕を調べたそうだ。

「和孝(ヘシィア)様に一口お願いしてこっちで九口声を掛けるでござんす。それで資金は十分でござんす」

「何を遣らせる気だ」

今三か所で別々に新しい茶を売り出すという。

何処が生き残れるか分からないが自分たちは福建安溪の仲間と違う土地で茶樹を十年かけて増やし、完品年間二万斤まで増やしたという。

今年の茶市場には出さずにしまい込むか、売り出すかここ半年茶商を調べて行き着いたのが権孜(グォンヅゥ)だという。

青茶(チンチャ)の名は「鉄観音」(ティェグワァンイン)に決めたという。

『安溪鉄観音』さらに『南岩鉄観音』と独自に本物はこちらで売るという。

三か所それぞれ此方が本家で遣ると決めたそうだ。

「その仕事を董(ドン)の岳父から去年引きついたんでござんす」

今までどうしていたんだと聞くと名もつけず、すべて安値で広州(グアンヂョウ)へ送ったという。

宜綿(イーミェン)が一里も離れていない臨江(リィンジァン)飯店からインドゥを連れて来た。

「結は承知した。売り込みも手助けもする。ティェグワァンインの噂は福州(フーヂョウ)で耳にしたが亡くなった上皇様が名を付けたなんていうのは信じていないよ」

「あれは私たちではございません」

「それならいいよ、一口結へ推薦だけで好いのか」

「十分でござんす、和孝(ヘシィア)様はもう応援されているとか」

「そうか、孜(ヅゥ)の背一杯の頑張りが見たいものだ」

「では十人に為ったら誰か京城(みやこ)へ行かせますでござんす」

話は急転回でまとまり、孜(ヅゥ)が春前茶一芯一葉五十擔六千斤を一斤刺し三本千八百両明前茶一芯二葉五十擔六千斤を一斤刺し二本千二百両、雨前茶(明後茶)一芯三葉五十擔六千斤を一斤百五十銭九百両で引き取った。

婺源仙枝茶(ウーユアンシィェンヂィチャ)は一芯二葉の雨前茶一斤二十五銭に比べてみれば桁違いの高級品だ。

百五十擔で三千九百両、高いというだけのことはある。

旨味と香りは武夷肉桂に勝るとも劣らない、淹れ方はどれがいいかはまだ特定出来ていないという。

鳳凰を甘くしたというべきか、見た目は薛(シュェ)家の肉桂に似ている。

茶の入れ方もヅゥに教えた、それは薛(シュェ)家と同じだった。

蓋碗と茶杯は湯を注ぎあたため、黒褐色の茶葉は強く縒られている。

湯をきった蓋碗に茶さじ二杯の茶葉をたっぷり入れ、熱湯を注いだ。

蒸らしに五十数え蓋を少しずらし、指で蓋を押さえながら茶杯に注いで配ってくれた。

白い茶杯に注がれた茶は琥珀色で透き通っている。

年四度の茶摘みで春前茶一芯一葉、明前茶一芯二葉、雨前茶(明後茶)一芯三葉、雨後茶と等級に差が出る、しかも高地に為るに従い価格は上昇するという。

よくここまで揃えられたと言うべきだろう、十年の間三十人以上の生活を支えて来たという。

茶商、結、だけでない「酔狂な金持ち」も加わっているようだとインドゥは思っている。

武夷山正岩水簾洞の武夷肉桂(ウーイーロォゥグゥィ)一斤百五十銭の茶市相場だ、仲買の運送費に口銭が掛かれば河口鎮で一擔十八両が二十二両には為ってしまう。

一擔が三十六両、二十四両、十八両、と高価だが売り出す努力はしたという。

孜(ヅゥ)は船の運送費を無視すれば売れる品に為ると見ている。

孜(ヅゥ)の頭は春前茶一芯一葉一斤刺し三本を卸で五十銭の口銭、小売りで刺し五本の上乗せ、金持ちなら一斤刺し八本は香に味が合えば安いと思ってくれるだろうと考えている。

問題は雨前茶(明後茶)一芯三葉をどこまで安く提供して売り切るかだ。

一斤七十五銭に二十五銭の口銭、小売りは百五十銭にしないと卸で買ってくれた店に迷惑が掛かる。

武夷の洲茶なら孜(ヅゥ)の仕入れと運送で一斤四十銭、卸に二十銭の口銭、小売り百銭を予定している。

卸で四十銭、小売りで五十銭の差を目の肥えた味と香りにうるさい茶商が認めてくれるかが勝負だ。

来年の買い付けが出来るかは年内に売り切るだけの孜(ヅゥ)の努力が必要になる。

街の富裕層、妓楼、高級飯店が相手に為るだろうと、気が引き締まってきた孜(ヅゥ)だ。

その晩の宴席は賑やかだった、別れの献杯が孜(ヅゥ)の「結」への参加の祝いとなって白蘭地(ブランデー)を六本も空けてしまった。

人を送り出して宴席に出ていなかった鈴凛(リィンリィン)はインドゥの部屋に来た「別れに抱いてほしいけど体の都合でまだ駄目なの」と口づけし、腰を抱かれて過ごすと戻っていった。

 

 

嘉慶五年六月二十五日1860815日)

巳の刻の船出に備え辰には臨江(リィンジァン)飯店へ集まった。

迎えに徐王衍(シュアンイェン)が店にきていた。

韓(ハン)茶商親子が叶(イエ)番頭と慌てて飛び込んできた。

インドゥに「お助け下さい」と三人で叩頭した。

「何を助ければいいんだ」

「昨晩遅くに、韓(ハン)の所へ取引相手の急死の連絡が入りまして売れるはずの豫毛峰の行き先が消えてしまいました。今その品が動かないと店が危ないのです。どうぞ孜(ヅゥ)さんへおとりなしを」

「俺には茶の取引は分からんよ、孜(ヅゥ)と話し合ってくれ」

孜(ヅゥ)に申し出の銀高で買い上げて呉れという話だ。

「ちょっと待ってください。アンイェンさん

「おう」

「まだ茶箱が乗る余裕が有るのですか」

「二百までは載せられる」

「韓(ハン)さん、急いで運ぶことが出来るなら申し出に応じます。無理なら送料を負担して送る様になります」

「二刻下さい」

アンイェンさん、二刻遅れて今日の泊りは大丈夫ですか」

「未に港入りの予定だ、酉と言っても夏の陽だから大丈夫だ」

「哥哥、二刻遅れますが大丈夫でしょうか」

「良いともよ。與仁(イーレン)に天后様へ航海の安全祈願に出る刻が出来る」

韓(ハン)のフゥチンには残ってもらい、叶(イエ)番頭と息子は脚夫(ヂィアフゥ)集めに飛び出していった。

明前茶一芯二葉は一擔六串で百擔六百両、雨前茶一芯三葉は四串で五十擔で二百両「それと約束なので叶(イエ)さんへ四両刺し五本届けてください」と鈴凛(リィンリィン)に頼んで交換してもらって渡した。

「それは私どもで負担させて頂きます」

「いえいえ、茶でご損が出ているのにそれは困ります。私と叶(イエ)さんの取引ですからお願いします」

一同を伏し拝んで手伝いに出て行った。

「おい、與仁(イーレン)まだいたのか早く祈願に行って来いよ」

「朝、行きましたので好いでしょう」

「ふん、早く行ってこい」

與仁(イーレン)も訳が分からず孜(ヅゥ)に荷を預けて出て行った。

アンイェンも船の方で驚くといけないと船着きへ出て行った。

茶を飲んで思い思いに刻を潰して居たら師傅と陳洪(チェンホォン)が来た。

「なんだ遅れるだと、船頭が来て荷が増えたと大騒ぎで場所をあけていたぜ」

「なんでも取引相手が急死して孜(ヅゥ)に助けを求めて来たんだ」

「ああ、その話ですか、家のやつらが駆り出されていきましたぜ」

脚夫(ヂィアフゥ)どころか馬方まで借りだした様だ。

「面白い事があったぜ」

「なんだよ」

「星星(シィンシィン)が波止場へ来たんだが、船頭と何か話したらいきなり駆け出した。何があった」

「一人天后廟へ祈願の追加に行かせた」

「それと何が関係するんだ」

「ホォン弟弟(ディーディ)、お前さんの仕事場近くに天后廟の他に何がある」

考えていたが師傅に「星星(シィンシィン)の父母(フゥムゥ)の家」と言われたが合点がいかない様だ。

昂(アン)先生が「この間與仁(イーレン)が中抜きで孜(ヅゥ)の方へ行っただろ」と言っても繋がらない様だ。

「まさか」

「まさかさ、天后様のお導きで出会ったようだ」

信じていない様だ。

 

「待ってくださいよ」

「なに慌てているんだ」

「一緒にお参りを」

二人は天后廟で航海の無事祈願をあらためてし、どちらが誘うでもなく星星(シィンシィン)の父母の家に上った。

せわし気に服を脱ぎ棄て床へ誘い合うように上がった。

「プゥーシィン、プゥーシィン、プゥーシィン(不行・駄目)」

星星(シィンシィン)の声はまだ行きたくないというように聞こえる。

「ブーシンラ、ブーシンラ、ブーシンラ(不行了・もうだめ)」

「グオライ、グオライ、グオライ(过来・来て)」

奥まで気が行く星星(シィンシィン)の声が切なく「ファンシィ、ファンシィ(歓喜、歓喜)」と響く。

「ウォーアイスニーラ我愛死你了・死ぬほど愛しています)」

「ウォーアイスニーラ我愛死你了・死ぬほど愛しています)」

言っているうちに気が飛んだようで蜜壺が緩んだ。

與仁(イーレン)が始末をして服を体にかけ、部屋を出ても動けないようだ。

「プーグアンリーニードゥオユエン、ウォードウシーフアンニー」

(不管离你多,我都喜你・あなたからどれだけ離れていても、私はあなたが好きです)

その声は與仁(イーレン)に届いたのだろうか。

 

一同がそろそろ船へ向かうかというときに與仁(イーレン)が颯爽と戻ってきた。

「願いは聞いて貰えたか」

「丹念にお頼みしてきました」

なんか昂(アン)先生も揶揄いづらいようだ。

念慮ない駐防官は「色女に別れを言ったのか」と念押しだ。

「早く忘れろと言い聞かしてきました」

これでは駐防官もお手上げだ。

「どうやるんだ、あの女を口説き落とした話は初めて聞いた」

王神医(ゥアンシェンイィ)が「反対のようだ。口説かれたようだよ」と言うのでさらに驚きが増した様だ。

荷が波止場にまだ残っている、師傅や駐防官は船出迄いるとインドゥと話が弾んでいる。

韓(ハン)の親子が孜(ヅゥ)と哥哥に拝礼して「助かります。恩は忘れません」と何度も言うのを哥哥が立たせて「損は直ぐ取り返せるさ」と宥めている。

波止場に星星(シィンシィン)は来ない、荷の最後が積まれ一同が乗り込むと河口鎮に別れを告げて京城(みやこ)迄旅立ちだ。

河口二堡(リャンプゥ)の波止場の先は官埠頭その先に臨江(リィンジァン)飯店、河口三堡の浙江會館に新顔南昌會館が並びその先、街へ入る運河の際河口四堡小高い処に派手な服装の星星(シィンシィン)が手を振っていた。

與仁(イーレン)が手を振り返すと気が付いたようで、何か叫んでいたが声が届かぬうちに遠く離れた。

 

 

船の中で孜(ヅゥ)は與仁(イーレン)に河口鎮(フゥーコォゥヂェン)での取引の明細を確認してもらった。

 

嘉慶五年七月一日1800820日)に鄱陽湖(ポーヤンフゥ)廖家壟(リアオジィァロォン)へ着いた。

長江(チァンジァン)の下りは早い、七日に南京(ナンジン)着、平大人の船着きへ付けて船子達は大部屋なら引き受けると言ってくれた。

龍蘭玲(ロンラァンリィン)、龍春鈴(ロンチュンリィン)、龍雲嵐(ロンユンラァン)の三姉妹は父母(フゥムゥ)に兄の龍莞絃(ロンウァンシィェン)が付いて三日前に都へ向かったと留守を預かる龍莞幡(ウァンファン)が教えてくれた。

インドゥ一行を孔子廟まで船で送ってくれた。

源泰興は三部屋、インドゥ、宜綿(イーミェン)、昂(アン)先生、辯門泰へ二部屋王神医(ゥアンシェンイィ)と丁(ディン)、芯繁(シィンハン)酒店へ蔡太医夫妻と與仁(イーレン)が入った。

孜(ヅゥ)は鳳凰水仙茶一擔を飛燕(フェイイェン)への土産ですと持ち込んできた。

「こんな多くていいのかい」

「四つの箱に為っていますから分けるのも楽ですよ」

「じゃムゥチィンに一つに、ゴォンシィン哥哥に一つあげておこう」

早手回しに配ってきた。

孜(ヅゥ)も哥哥が茶を扱うんだから箱を開けたら壺に入れるくらい知ってるだろうとあえて言わなかった。

哥哥と昂(アン)先生に内緒の話が有る、宜綿(イーミェン)は二人を自分の部屋へ誘った。

「実は俺の習った五種の算命を総合すると俺の寿命は五年から二十年とすごく曖昧だった。

最初に習った算命は天文暦法だがそれでは長命だと出ていたが勉強するうちに矛盾が多くなった。

陰陽五行、干支五行、も当てに為らず観相手相もすべてが違う方向を示している。

福恩は家系を継承して絶やさないと出る、それで殷徳(インデ)を占うと俺と同じように不安定で掴み処がない。

和信(ヘシィン)は観相が出来ないが七十前とは出てこないので長命だろうという。

フォンシャン(皇上)は後二十年安泰と出た、危険は干支一回りの後に病と出る。

公主はフォンシャンの後までは大丈夫だが五十が目途だという。

昂(アン)先生は八十の長寿とどれもが安定している。

で、二人だが早ければ五年、遅くも十七年としか分からない、どう見ても二十年は無理だと出る。

「こいつは俺の先生の意見だがそういう卦なり星周りは流行り病に罹るかどうかだという。そういう病気の蔓延している場所に行くかどうかで運命が決まるそうだ。大将軍も福康安(フカンガン)も調べると俺たちと同じ卦が出てくる」

死ぬはずのない年に死ぬのは大災害、疫病だと思うという。

「遣りたいことは早めに遣っておくことだ。明日へ先延ばしは出来ないということだ。坊主に道人、仙人にでもなる気が有ればまた別の卦が出るだろう」

インドゥは「五十は無理だと思っていた。其れなら其れで悔いのない人生を楽しもう。くよくよするなど無駄なことだ」と二人へ告げた。

「ただ公主には言うなよ」

そう念を押しておいた。

酒を止めて女を遠ざけ三厭五葷を守る、そんな枯れた生き方は御免だとインドゥは思っている。

 

 

王神医は夕食後「二人の観相が変わった。何か吹っ切れたか」と聞いてきた。

昂(アン)先生も含めて四人で算命について話をした。

「二人とも不思議な相でどういう事かと心配したが、あの薬酒を呑めば十年健康で過ごせる。流行り病には薬が効くかどうか誰にも分らない」

「二人とも今日良くても急に疲れが出ることが有ります。汗をかくと爽快になり元気が出るが、これしきの事でと思うのに急に体がひだるくなる」

「脾臓、腎臓に疲れがたまるのかもしれない。武術を極めると普通人が疲れるくらいは感じないので体に負担がかかる」

昂(アン)先生も酒を控えろと言われてしまった。

「どのくらい」

「三日に一度飲むくらいなら良いだろう。だが一時に大量に飲んでいいとは言わんよ。坊主に道人、仙人に為るならともかく女を近づけるなとは言えんしなぁ。酒と女を絶っても食い気に負けては元も子もない」

昂(アン)先生も「長寿でもヨボヨボはいやだな」と贅沢を言っている。

「酒と女を諦めろよりましだな」

三人とも体は医者に任せようと気楽になったようだ。

「明日に残さず遣れることは今日やる」

そうすれば後は天が決めると三人の心は同じになった。

 

 

その晩、孜(ヅゥ)は公遜(ゴォンシィン)と魁芯行(クイシィンハァン)で買い入れた茶の話で盛り上がっている。

「だが哥哥もすごいね。全部預けて運用しろはちょっと桁外れだ。結の資金も注ぎ込めと言うには驚きだ」

「私も妻子(つま、チィズ)が来てくれるので商売の励みになります。嫂子(サァォズゥ・姉さん)や洪(ホォン)哥哥の為にも一年後の独立を目標に商売に励もうと思います」

「それが良いよ。まず権洪(グォンホォン)や桂園茶舗(グイユェンチァプゥ)を手助けして独立すれば双方が良い目を見られる。なぁ南京に先に来た荷は元値に送料負担分だけだったのでだいぶ儲かった、今度の荷も預けてみないか。支払いは俺が約束するよ」

「嬉しい話ですね。南京(ナンジン)で売れれば噂が広まりやすいですから」

「でもこの仕入れ値を教えて良いのか」

「口銭は負けませんよ」

「ははぁ、大分取引が巧妙になったな。駆け引き上手な負けろ負けろが通用しないか」

「時間の無駄ですから」

貢院街(ゴォンユァンヂィエ)から陪演(ペェイイェン)が遣ってきた。

「やぁ弟弟、お前も乗るか」

「儲け話ですか」

「孜(ヅゥ)も結の仲間に為るそうだ」

「そりゃいい、独立(ひとりだち)は何時ごろだ。あんないい娘を妻子(つま、チィズ)だなんて幸運続きじゃないか」

案内人が長春港から船で薛(シュェ)家の老爺に孫娘、陳健康(ヂィェンカァン)の妻子(つま、チィズ)に子供たちを源泰興へ五人案内してきたそうだ。

インドゥが此処なら繁華街に近く遊び歩くのも退屈しないと勧めた、一行は南京(ナンジン)で三日ほど遊んで都へ向かったという。

夫人は秦淮燈船を観たいと河沿いの酒店で二刻も、船で奏でられる音曲やさざめく歌声を楽しんでいたという。

「こっちに口が掛かれば一口乗るが、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)の方で集まりそうだとよ。インドゥ哥哥は率先して認めたそうだ」

「哥哥は約束の十人どころかもうじき二十を超しそうですぜ。おいらの時でもう十人は超えていましたから」

二人で今回の仕入れを見て孜(ヅゥ)が見本として持って来た青の明前茶一芯二葉武夷正岩茶肉桂(ウーイーイェンチァロォゥグゥィ)、緑、雨前茶一芯三葉豫毛峰・信陽毛尖(ユーマァォファン・シンヤンインジェン)、青の雨前茶(明後茶)一芯三葉鉄観音(ティェグワァンイン)の葉を齧ってみている。

「明日、こいつを呑んで決めよう。それで俺たちが気にいれば鉄観音(ティェグワァンイン)の売り込みを手伝うぜ。武夷は一擔ずつ買い入れにこの口銭で好いのか」

「はい半端物ですから、入れた店別の値で結構です。その代わり見本は二十両の物です。二十二両刺し四本と云うことです。十八両でも二両刺し四本の口銭です」

「じゃ此処に書いてある鉄観音・春前茶一芯一葉も口銭一斤二十銭で好いのか」

「はい、今回の取引は運送費を入れずに行いますので大卸で一擔取引はそれで行きます、鉄観音・春前茶一芯一葉一箱もしくは十斤単位は斤三十五銭上乗せで行こうと思います」

口銭を一擔卸は統一、茶商卸は品物別としたという。

「じゃ小売り茶商でも一擔なら大卸の扱いにするという事か」

「あくまで店の格ではなく取引量で行きますが、商売人以外は小売値段を曲げません。その代わり大量に買って頂けたら、お土産に刻を計れる砂時計でもつけるか、茶器を差し上げる様に考えています」

「そいつは好い、孜漢(ズハァン)の旦那に仕入れさせて納入させればいいぜ。旦那は時計好きだから砂時計は持ち掛ければ喜ぶぜ。良い物がなければ造らせるのは請け合いだ」

「ええ、桂園茶舗にも旦那から置時計がいくつか来ています。今はそれで刻を図っていますが針を見つめ過ぎて眼が痛いですから、砂時計は喜ぶと思います」

 

 

翌八日、二人は青の明前茶一芯二葉武夷正岩茶肉桂(ウーイーイェンチァロォゥグゥィ)を五擔ずつ買うとその分の現銀を用意してきた。

「じゃ、一人百十二両だ」

そう言って二人分を孜(ヅゥ)に渡してくれた。

婺源仙枝明前茶一芯二葉百擔七百五十両も陪演(ペェイイェン)が預かっていると全額支払った。

「その代わり鉄観音だが一人三種五擔ずつ後払いで好いか」

「宜しいですとも、口銭も今回は現銀と同じで半年待ちます」

「そんな甘い事で好いのか」

「お二人だけですよ。あとは内緒でお願いします」

「環芯(ファンシィン)はどうする」

「実はそれなんですが、運送費がかさむのでお願いしにくいのですよ」

「早けりゃ明日には来る予定だぜ」

「まさか先月福州(フーヂョウ)でお別れしたばかりですよ」

「脱胎漆器(トゥオタァィチィーチィ)や油紙傘(ユーズーサァン)を持ってくる約束だぜ」

「そんな話言っていませんでしたよ」

そんな環芯(ファンシィン)が遣ってきた。

「陪演(ペェイイェン)の店へ行ったら孜(ヅゥ)が来ていると聞いたが。どこで遊んでいたんだ、大分刻が掛かってるぜ」

「環芯(ファンシィン)さんこそ忙しい事ですね」

まぁ、茶を一服と飲まされている。

「おいおい、良い茶だな」

葉をしげしげと見て「鳳凰でもなさそうだが甘味は武夷よりあるし、何処の茶だねグォンホォン哥哥」と首を傾げている。

「さぁ、それだ名前は有るが産地不明だ」

「当てっこじゃあるまいし」

「いや、本当だぜ。名は鉄観音」

「いやだぜ、福建泉州は安渓の産だ。乾隆帝が自ら名を付けたと評判だが高すぎる」

「よく知ってるな、だがなそいつはインドゥ哥哥も作り話っぽいと言ってたぜ」

こいつはまだ産地を福建名産で売ろうという人たちの茶で、今年は孜(ヅゥ)が売ることに為ったと代わりに説明してくれた。

「それなら俺にも分けて呉れ」

帳面を見せてこういう売り方で遣ると説明した。

「値段は鳳凰並みだが、売れそうな気がする。だがその銀(かね)を今払えない。哥哥の方へもここで会うとは思わずに来たので金がない」

「ゴォンシィン哥哥にペェイイェン哥哥と同じでどうです、ファンシィン哥哥」

「う」 

二人が笑って「結」の弟弟に孜(ヅゥ)が為ったと話してくれた。

「ほんとかよ、俺にも一口のさせてくれ」

「それがな、俺たちものけ者だ」

「なんでだよ孜(ヅゥ)、水臭いぞ」

「そうじゃないよ。その茶を孜(ヅゥ)に任せたい人たちの後押しだ、和孝(ヘシィア)様だけは抜かす分けに行かないと申し入れがあって了承されたそうだ」

「もし口に余裕があれば必ずいうんだぜ」

「お願いします」

「ところでこの茶どの位扱うんだ」

帳面の他の所を見せてこの通り五十擔ずつ買い入れてきましたと見せた。

「おいおい、孜(ヅゥ)買値迄書いてあるのを見せてどうする」

「今回分に限りお二人には運送費を乗せずに一擔二両刺し四本の口銭でお願いしました。内緒のつもりがもう無理になりました」

「俺をのけるつもりだったのかよ」

「だって上海へ届けて運送費無しでは桂園茶舗が潰れます」

「大袈裟な野郎だ。でも十擔ずつ買うとなると大ごとだな」

「運送費を掛けて儲かりますか。払いは半年待ちます」

「今回往復で荷を積むんで借り切ってきたから三十くらいは乗せて帰れる」

「おっと」という声で店先を見ると與仁(イーレン)だ。

「なんと半周りずつして再会とは面白い」

天后廟へ出かけた帰りのようだ。

「茶は売れたかい」

「大分予想より多く引き取っていただきました」

脚夫(ヂィアフゥ)が荷を天秤に振り分けて通って戻ってきた。

「旦那、彼方へ六擔、此方へ六擔でよろしいですね」

「其の板の上に置いてくれ」

「何を持ち込んだ、碧螺春かい」

「いや前に話した寿眉(ショウメイ)を安く手に入ったので持って来た。上海までの船賃上乗せで好い」

「ばかに気前がいいな」

「孜(ヅゥ)に負けるのも癪だからな。哥哥のおかげで干爹(ガァンディエ)の面目もたって二十擔買えたのでこっちへも持って来た」

遅ればせながら二人が婚姻の祝いを述べた。

二両二百銭に送料三両の五両二百銭だという。

「一人三十一両と刺し二本だ」

二人は急いで支払った、南京(ナンジン)相場は寿眉(ショウメイ)一擔八両が安値だそうだ。

白毫銀針(パイハオインヂェン)はないのか」

「孜(ヅゥ)の帳面にあるはずだぜ、上海までの船賃上乗せで十一両五百銭だった」

「妹妹に鳳凰水仙茶を土産に持って来たが白毫銀針は聞いてないぞ」

四人一斉に孜(ヅゥ)を見た。

「四擔此処で卸すつもりで持ってきましたよ」

「高いのか」

「福州(フーヂョウ)で格安で手に入ったんだぜ」

環芯(ファンシィン)がばらしてきた。

「隠したのか」

「こまったなぁ」

「何が」

「前にお会いした茶商の人たちへも売ろうかと」

「どうして分ける」

「お二人が鉄観音をその人たちへ卸してくれるなら白毫銀針も卸していただけますか」

「なんでだ」

「実は福州(フーヂョウ)で牌双行(パイシュァンシィン)から十年の買い入れ約束をしたんです」

「えっ、そうなのか」

環芯(ファンシィン)が驚いている、鳳凰鎮へ行く前だから細かい話は聞き逃している。

「だからあの値段で他の茶商も納得して環芯(ファンシィン)哥哥へも回せたんです。道筋で福州、上海、南京なら好都合なんですがね」

「ということは鉄観音が河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から南京(ナンジン)京城(みやこ)だけでなく此処から上海(シャンハイ)と考えているのか」

「そうなんですよ。お二人が、いやお三人が協力してくださるなら手土産に置いても良いのですよ。四擔で十六の箱が有りますから見本に多く取れますしね。気にいれば来年よろしくと、福州から上海(シャンハイ)は庄(チョアン)さんの方で引き続き請け合いますからそれを此方へ売れますので。私の方は直に京城(みやこ)への約束です

元値で三十両以上を手土産には三人とも呆れている。

與仁(イーレン)も船で聞いた時は正気かと思ったが、環芯(ファンシィン)が儲かる話に哥哥に宜綿先生は大笑いで賛成していた。

三人で一擔ずつ受け取り残りは十斤の壺入りにして十軒配って二つは見本に飲ませることになった。

「まあ、希望者が増えたら能書きを聞かせて少し分けるか」

そう言いながらゴォンシィン哥哥が笑い出した、結局周り持ちで権洪(グォンホォン)も入れて五人がもうかればいいと為った。

この嘉慶五年 

檀公遜(タァンゴォンシィン)三十四歳

陸環芯(ルーファンシィン)三十歳

林陪演(リンペェイイェン)二十八歳

権洪(グォンホォン)二十七歳、孜景園(ズジンユァン)二十八歳

権家は間に長女、次女の四男二女

権孜(グォンヅゥ)十八歳、薛朱蘭(シュェジュラァン)十六歳

 

 

荷下ろしは九日に船へ脚夫(ヂィアフゥ)を集めて分配と決まった。

十日の朝から暑い南京(ナンジン)だ。

船で送られ平大人の船着きから長江(チァンジァン)を下り都へ向かった。

二百里を一気に下り日の有る内に大運河に入って揚州(ヤンヂョウ)邵伯鎮(シャォポォジェン)へ着いた。

此処から通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲まで二千七百里船止めに合わなければ十九日で着く予定だ。

十一日に安宜鎮(アンイーヂェン)迄二百四十里、波止場に徐(シュ)老爺の船がいる。

「お~~いフゥチン」

艫から顔を出したのはまさに徐(シュ)老爺だ。

「大分と垢抜けしたな弟弟(ディーディ)と一緒に遊び歩いたか」

「馬鹿いえ。天津(ティェンジン)と三往復して仕事ばかりでやっと帰れるんだ」

インドゥ達も声を掛けあって陸へ上がった。

「なんでこいつと」

「福州から逆戻りに為ったのさ。人も荷も満載さ」

「イー、アル、サン、嘘云っちゃいけやせんや九人しかいやせんぜ。こいつの船なら二十人乗っても余裕が有りますぜ」

「そこへ河口鎮(フゥーコォゥヂェン)で茶をごっそり買い入れて押し込んだのさ。南京(ナンジン)で六十ほど卸して息が付ける様になった」

波止場の前の宿へ入れて話が弾んだ。

孜漢(ズハァン)と権洪(グォンホォン)に大分(だいぶん)と歓待されたようだ。

「荷を全部降ろしたら天津(ティェンジン)までの仕事が有ると孜漢(ズハァン)という旦那が二度も使ってくれて都合三度往復しやした。大分(だいぶ)儲けさせて頂きました。おろした茶を二百擔直ぐに売るとは京城(みやこ)の人は素早いですね」

「なんだフゥチンは遊んで遅いと思ったら、仕事してたのか」

「当たり前だ、お前とは違うわ」

翌朝は靄っていて出るのが遅れたが百十里稼いで十二日の申に淮安(ホァイアン)へ着いた。

弟弟(ディーディ)は街へ出たいようだが南へ行く船が先が詰まって宿が空いていないので船で過ごした。

十三日、黄河(ファンフゥ)を横切り、二百里で宿遷(スーチェン)へ入って宿で湯あみが出来た。

十四日は百五十里で邳州(ピーヂョウ)へ着いて大きな飯店で美味い飯に有り付いた。

王神医(ゥアンシェンイィ)までが「こりゃ美味い」と褒めている。

十五日は二百里で韓荘鎮(ハァンチァンヂェン)小汚い宿だが出された面条の五花肉(ウーフゥアロォゥ)との相性が好くて一同感心して食べた。

十六日に運河は微山湖(ウェィシャンフゥ)と繋がり百里で王庄(ワンヂィアン)へ着いて泊まったのは眺めの良い宿だ。

一晩で発つのが惜しいくらい取り持ちも良かった。

十七日、同じ湖だと思うが宿の女はいくつもの名があると教えてくれた。

南北に四百里という、南から微山、昭陽、独山、南陽と名が替わるそうだ。

河も四十本流れ込んでいるという。

十七日二百里進んで北の端にある濟寧(チィニン)に着いた。

孔子、孟子の故郷だという、蘇州に比べられる繁栄と風光に恵まれている。

どうしてか「江北小蘇州」と此方が影の存在という。

十八日、百二十里で南旺鎮(ナンゥアンヂェン)。

十九日、二百五十里稼いで聊城(リャオチェン)着

二十日、百五十里で臨清(リィンチン)へ着いて九人で宴会だ。

此処は隋の時代から運河のおかげで繁栄した古都だ。

紫禁城の城壁は此処の産だという。

二十一日、二百二十里で徳州(ダーヂョウ)へ着いた。

二十二日、百五十里で東光(ドングァン)着。

明日は卯の刻に出るというので寝酒を呑んで早寝した。

二十三日、三百里稼いで静海鎮(ジンハイヂェン)へたどり着いた。

明日はのんびり天津(ティェンジン)へ入れるという。

與仁(イーレン)に「夜船を探して先に京城(みやこ)へ先行して老椴盃(ラォダンペィ)に王之政(ゥアンヂィヂァン)先生の宿をとってくれ、二部屋にして呉れよ」と言いつけて置いた。

二十四日、百里で天津(ティェンジン)府三会海口へ着けた。

上手い具合に夜船の空が有り雇わずに済んだ。

その日のうちに孜(ヅゥ)は茶舗を幾軒か回って見本を置いてきた。

藩羊肉菜館で揃って飯にして紹介された宿へ七人が向かい、與仁(イーレン)は三会海口で夜船、インドゥは藩羊肉菜館へ泊まった。

二十五日、二十六日と蔡太医夫妻は元の医院を受け継いでくれた医者を訪ねたり、懐かしい街を巡っていた。

王神医(ゥアンシェンイィ)も丁(ディン)と昂(アン)先生の三人であちこち見て回っている。

インドゥと宜綿(イーミェン)は孜(ヅゥ)と三人で土産物屋を覗いて回った。

南京の土産に何か買い足した様だ。

二十七日、百十里で武清(ウーチン)へ泊まった。

二十八日、武清(ウーチン)を辰に出て百八十里で通惠河(トォンフゥィフゥ)大曲着へ帰ってきた、河口鎮(フゥーコォゥヂェン)から長江への合流の九江迄八百里。

九江から長江(チァンジァン)千四百里。

運河は二千七百八十里、合わせて四千九百八十里、三十三日間の船旅だ、これだけの急ぎ旅はインドゥにとって初めての事だ。

その日のうちに豊紳府から帰着の連絡を出しておいた。

 

   第二十七回- 和信外伝- ・ 2021-09-18
   
自主規制をかけています。
筋が飛ぶことも有りますので想像で補うことをお願いします。

   

功績を認められないと代替わりに位階がさがった。

・和碩親王(ホショイチンワン)

世子(シィズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅郡王(ドロイグイワン)

長子(ジャンズ)・妻-福晋(フージィン)。

・多羅貝勒(ドロイベイレ)

・固山貝子(グサイベイセ)

・奉恩鎮國公

・奉恩輔國公

・不入八分鎮國公

・不入八分輔國公

・鎮國將軍

・輔國將軍    

・奉國將軍

・奉恩將軍    

・・・・・

固倫公主(グルニグンジョ)

和碩公主(ホショイグンジョ)

郡主・縣主

郡君・縣君・郷君

・・・・・

満州、蒙古、漢軍にそれぞれ八旗の計二十四旗。

・上三旗・皇帝直属

 正黄旗-黄色の旗(グル・スワヤン・グサ)

 鑲黄旗-黄色に赤い縁取りの旗(クブヘ・スワヤン・グサ)

 正白旗-白地(多爾袞により上三旗へ)(グル・シャンギャン・グサ)

 

・下五旗・貝勒(宗室)がトップ

 正紅旗-赤い旗(グル・フルギャン・グサ)

 正藍旗-藍色(正白旗と入れ替え)(グル・ラムン・グサ)

 鑲藍旗-藍地に赤い縁取りの旗(クブヘ・ラムン・グサ)

 鑲紅旗-赤地に白い縁取り(クブヘ・フルギャン・グサ)

 鑲白旗-白地に赤い縁取り(クブヘ・シャンギャン・グサ)

・・・・・

   
   
     
     
     


第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  



カズパパの測定日記