第伍部-和信伝-弐拾弐

 第五十三回-和信伝-弐拾

阿井一矢

 
 
  富察花音(ファーインHuā yīn

康熙五十二年十一月十八日(171414日)癸巳-誕生。

 
豊紳府00-3-01-Fengšenhu 
 公主館00-3-01-gurunigungju  
 

嘉慶十二年四月十日

余姚(ユィヤオ)から信(シィン)の一行が京城(みやこ)へ入った。

鄭四恩(チョンスーエン)に湯晨榮(タンチェンロン)、趙(ジャオ)哥哥こと趙延石(ジャオイェンダァン)。

今回も双子の趙延壽(ジャオイェンシォウ)、趙延幡(ジャオイェンファン)が供に付いてきた。

率いているのは関元で七人すべて男ばかりだ。

三百石船で船長のほかに水夫など訓練を兼ねて十六人乗せている。

船長はこの運河通惠河(トォンフゥィフゥ)の隅々まで知っている。

関元に船長、水夫八人、見習い六人、賄い二人が乗り込んでやってきた。

 

嘉慶十二年四月十二日

天津へ平康演と甫寶燕が南京千石船の船団とやって来た。

京城(みやこ)へ上がる一行と一緒だという。

蘇州からも大勢来たと紀経莞(ヂジングァン)に名前を挙げた。

陸景延(リゥチンイェン)と妻の阮映鷺(ルァンインルゥー)。

老大(ラァォダァ)の陸景鵬(リゥチンパァン)も連れてきた。

上海瓔園(インユァン)の陸環芯(ルーファンシィン)も妻の朱紅蘭(ジュフォンラン)と老大(ラァォダァ)陸環萄(ルーファンタァオ)を伴っている。

奇しくも二人の子は嘉慶十一年三月五日生まれだ。

他に進士夫人が三人、子供五人連れで来たという。

積み荷は栄興(ロォンシィン)の注文に、妹妹紀経芯(ヂジンシィン)の入り婿江洪(ジァンフォン)と爸爸(バァバ・パパ)の葫蘆島の江淹(ジァンイェン)達の欲しい長江流域の産物だ。

なかでも広西の苧麻(からむし布)は重宝される。

蘇州の綿布、絹布、南京も綿布、絹布が此処で積み替えて各地へ送られる


十四日天津の興藍行(イーラァンシィン)へ奶奶(ナイナイ)という若い女が来た。

紀経莞(ヂジングァン)の店からの紹介だという。

二年前に店を任されたとき、哥哥が言っていた娘だと双信は思った。

マァーリィンシゥー(馬鈴薯)を扱いたいという、奶奶(ナイナイ)というのは綽名でまだ二十一くらいのはず、六年前に紀経莞(ヂジングァン)達と組んで大儲けしたはずだ。

「どのくらい扱いたいのですか」

「何時頃はいります」

「急ぎなら、去年の寝かしたものは南口鎮と興寿鎮へ三日で連絡、天津配送に十日。一万斤迄なら買えるよ」

「いくらで分けてくれます」

「一万斤で銀(イン)一万銭。ただし向こうで検品しないならこちら任せだ」

「銭では」

「二割増し」

「ひどい」

「銀錠、銀票どちらも千両でもいいのだがね。俺の方は品物が来て引き取らなくても他へ回せば済むよ」

「番頭に自分で検品に行けと言われたわ。支払いも銀票、向こうでしろというのよ。主人は留守だったわ。京城(みやこ)から戻るのがあと三日後。待てないわ。そう言ったら此処へ行けというので来たのよ」

「今の時期植え付け用の親芋でほしい人が多いんだ。誰でも今月中に種芋の植え付けを済ませたいのさ」

「芽が出ていたらどうしてくれるの」

「だから俺の方はそれを売るから構わない」

「着いたのをより分けてもいいの」

「そんな商売誰が受けるんだ。検品は自分が向こうでするか任せるかだ」

「誰かこの店から付いていくの」

「手代が二人、明日卯(午前六時頃)に北浮橋の波止場から船が出る。あと三人まで乗れる」

「三日も行きに必要なんだ。支払いは戻ってから十日後でもいいかしら」

「昼間に八人櫓で急がせても昼夜兼行で二十刻かかる」

李杏(リィシィン)が茶を置いて行った。

「奥さん」

「そうだよ。貰ったばかりだ」

「それで、待ってくれるの」

ちょっと待てと言って裏へ入ってすぐに正徳丁銀の細工物を持って出てきた。

「これを交換できるか」

奶奶(ナイナイ)は袖から二枚出し、割れ目を合わせ大黒があった方と交換した。

「荷を渡して十日後までだ」

紀経莞のものは哥哥が元文丁銀だと教えてくれた。

「ほかの土地にはまた違うものがいて、割れ目が合わないからそいつは気にしなくていい」

そう言って持っているのはまだ若いが奶奶(ナイナイ)と呼ばれていると教えた。

「次はまた交換に使えるから返しになんか来なさるなよ」

奶奶(ナイナイ)を手代に紹介して「行くのは何人だ」と奶奶(ナイナイ)にきいた。

「私を入れて三人」

「シィ(石)よ。食い物は良いもの出すんだぜ」

手代にシィと言ったとき肩先がびくっと動いたのを見逃さなかった。

奶奶(ナイナイ)が戻ってゆくと奥で李杏に受け取った正徳丁銀を預けた。

「これが保証の品になるのですの」

「まだ俺は入っていないがね、相互組織の身分証明だ。インドゥの哥哥がね俺を見込んでくれた証拠さ。銀(かね)が来なきゃ仲間が埋めてくれるということだ」

「儲けにはなるんですの。船の契約の時銀票四百五十両だったでしょ」

「あれは行きの荷での話しさ。マァーリィンシゥー(馬鈴薯)は前口、後口共に船代を入れていない」

「まさか、どうやって儲けが出るの」

「儲けないから儲かるんだ。じきに判るようになるよ」

不思議そうな顔だ。

少しは勉強してもいいころと天津の大きな商店の仕事は、儲けを無視してもやればどうしたって「あそこへ儲けさせて置こう」と番頭が仕事をまわしてくると教えた。

南口鎮と興寿鎮のマァーリィンシゥー(馬鈴薯)は植え付けを待つ親芋が四万斤、半分どうだと話が五日前に来た。

苗床が空いていない様だ。

一万斤は即刻船を出して引き取るが、後口はその船で知らせると即日連絡を出した、連絡費は銀(イン)二十両、三日以内で着く。

栄興(ロォンシィン)へ連絡を取ったが京城(みやこ)へ出た後で噂を流してもらったら食いついて来たのが一万斤。

すぐに全部引き取ると追加の手紙も出した。

そのあとまた一口食いついた、四百四十里の通惠河(トォンフゥィフゥ)経由に銀票四百五十両出したが行きの船で広西の苧麻(からむし布)と揚州のトゥプゥ(土布・手織りの綿布)を満載していくのだ。

買い手は徳勝門(ドゥシァンメン)外に拠点のある蒙古へ運ぶ布商人だ。

売り手とは運び賃に銀票三百両で受けおったし、買い手から銀(かね)を受け取らなくていいという楽な取引だ。

大曲で連絡を出せば護城河を回り、北西角楼の見える波止場で検品の番頭たちが脚夫(ヂィアフゥ)と待ち構えている。

その先は南長河を抜け、清河を超え北沙河に入る長旅になる、二百石が限度で普段は三岔口から先は五十石程度の小舟で荷を運んでいる。

シィ(石)はすべて同行し南口鎮のガゥンシュ(甘藷)農家、マァーリィンシゥー(馬鈴薯)農家と興寿鎮マァーリィンシゥー(馬鈴薯)農家とも顔なじみになっている。

向こうは玉米(ュイミィー)にシゥ(黍)、シィアォマァィ(小麦)を買ってくれる。

これも手数料稼ぎの仲介業務だ、杜西煉の方は良い稼ぎになると喜んで船を都合してくれる。

これで同じ相手と二年で八回取引した、迅速、安価、安全が売りだ。

急ぎの荷を二度栄興(ロォンシィン)の紹介で江洪(ジァンフォン)の船を使った、これで三回目だ、今回も江洪は乗り組むと聞いた。

普通の二百石積は最低六人、多くて八人だが、八丁櫓の人員も入れて十四人、今回は客八人迄と言われている。

漕幇(ツァォパァ)杜西煉(ドゥシィリィェン)の船は急ぎには向かないが、沿岸の取引はすべて任せている。

すべてを李杏に話すには早いと思っている。

手代の王(ゥアン)に栄興(ロォンシィン)へ一万斤の話しが決まり、二万斤すべて整ったと連絡に行かせた。

王李榮(ゥアンリーロォン)は十九になる天津生まれだ。

石環衛(シィフゥァンウェイ)は二十一歳、もう一人の手代が陳慧鶯(チェンフゥイン)で四十歳になる。

陳(チェン)は天津へ来てから雇った男だ、足を悪くして脚夫(ヂィアフゥ)が出来ないのを承知で拾った。

というより来てもらったのだ。

来歴は勇ましい、四川では郷勇で戦い、直隷大水害の後、乱も一段落して解散となり海賊退治の郷勇に参加し、右足を被弾して骨が砕けている。

秀才(シォウツァイ)にはなったが、三十の時それ以上は無理と諦めての郷勇だったと聞いた。

陳慧鶯(チェンフゥイン)に十両の銀票二百枚を渡した。

十枚を紐で結わえて再度勘定をして袋に仕舞った。

石環衛(シィフゥァンウェイ)には一両銀票三十枚、銀(イン)五十銭、銭をバラで百五十文渡して「八人分の食い扶持だ、報告はしろよ。贅沢しても構わんが足りないはだめだぜ」と脅しておいた。

今回も水夫船頭の分は船主持ちだ。

翌早朝、双信は北浮橋の波止場へ船の見送りに出た。 

貨物の税所(天津鈔關)がありここで積み荷が税の対象か検査を受けるのだ。

茶、塩、竹、材木が対象だ、鼻薬が利かないと荷をバラまかれてしまう。

前日江洪(ジァンフォン)の方ですでに済んでいて赤旗が立っていた。

奶奶(ナイナイ)と同じマァーリィンシゥー(馬鈴薯)の引き取りの手代三人は顔なじみらしく岸で煙草の交換をしていた。

先口は滄州河間府の阜城鎮の老舗穀物問屋廊永興だ。

最近尚村鎮の苗行へ娘が嫁いで不足分を頼まれたと話し、荷下ろしまでに苗行から銀(かね)が届くと約束した。

江洪がやってきて「揃ったら乗ってくれ」と催促された。

戻りはイァンリゥチィンヂェン(楊柳青鎮)で荷下ろし、奶奶(ナイナイ)の荷はそこで小分けして農家が引き取り、廊永興は船で子白河へ乗り入れ尚村鎮の苗行へ運ぶという。

江洪(ジァンフォン)を説き伏せて約束したと奶奶(ナイナイ)が言うのだ。

「行きは荷下ろしが済むまで火の気はなしだぜ。飯も停泊して船の外になる。飯代は興藍行もちだ、前回はいいもん食わしてくれた」

江洪は水夫たちにも聞こえるようにいつもの科白を聞かせていた。

「帰りは」

奶奶(ナイナイ)はわざと聞いて居る。

「同じセリフを船出の前に言うよ。先に言うと忘れるやつもいる」

シィ(石)の顔を見て「足りなきゃ貸すから上等なもの頼むぜ」とすごんでいる。

「その手は食いませんよ。上等な菜は自前ですぜ。船代に江洪さんたちのは入れてありますぜ」

何時ものお決まりの応酬だ、卯(午前六時頃)の鐘で舫をほどいて船は北運河へ昇って行った。

家に戻ると早朝の東浮橋菜市から王(ワン)母子が背負い籠に一杯のツォン(葱)を買ってきた。

「おいおい、当分葱料理か」

「見た目は多くても食えるのはわずかですよ。また金門萬の爺さんが外皮を拾い集めてましたよ」

「あれで造った湯がうまいと評判だ」

「食う方は裏側を知らなきゃ平気ですからね。爺さんが河で洗うので河の水も旨いだろうなんて冗談が出てますよ」

王美理(ワンメェイリィ)のツォンヨウピン(葱油餅)は手代、小僧たちにも評判だ。

冬場はタンファタン(蛋花湯)ツォングゥタン(葱鼓湯)が出てくる。

パイタン(白湯)も葱に生姜で鶏の臭みを消している。

チュンペン(春餅・春巻き)などヂゥ(韮)なしの時が多い。

 

孜漢は礼雄(リィシィォン)に嫁が京城(みやこ)へきて一人の住まいへ姑に小姑が押しかけては気遅れて、村恋しくて泣きを見ては不味いだろうという。

「では、どうすれば」

「お前の嫁と云ってもまだ小娘で世間を知らなすぎる。せめて姐姐位権高ならやり返すだろうがな。そこでだ」

少し間をおいて礼雄(リィシィォン)に考える間を置いた。

安聘(アンピン)菜館では少し忙しい、界峰興(ヂィエファンシィン)では御茶汲みになって仕舞うなど本題を先に延ばしている。

「もしかして、朱家胡同(ジュジャフートン)ですか」

「そうだ、買范(マァイファン)の所だ」

しばらく夢華(モンハァ)に預けて行儀(シィンイィ)に人扱いを習わせようという。

「朝家を出て、夜連れて帰る。村へ出るときは泊まりこませる。どうする」

「言い聞かせます。明日行くので納得させてきます」

二人のためだ、夢華(モンハァ)が「娘娘の使女だった」と言えば聞き分けるだろうと孜漢は思っている。

老椴盃(ラォダンペィ)は特殊な宿だ、客も選ばれた客でしか此処へ泊れない。

将来、礼雄(リィシィォン)が結へ入るときは李春(リィチゥン)の経験が役に立つだろう。

最近ご新規の客から一日銀(かね)五両、一部屋とした、お供にもそれを出せる客しか受け付けない。

朝の粥は奢っている、五種類の粥を日替わりで出す。

料理人は夕食を客に提供しない、客は夕食を食べるため宿で紹介する店へ出かけることに為る。

宿の主人家族と従業員はその分豪勢な食事が堪能できる。

六人の客に男六人、女六人の従業員が世話をする。

開店当時からわずかに変わったのはそのくらいだ。

買范(マァイファン)がインドゥに銀(イン)を出してもらって以来ひっそりと営業を続けている。

前の老椴盃(ラォダンペィ)は洪老爺という料理人に任せていた。

隠居銀二百五十両と小店を与えて宿は買范に任せた。

その時のインドゥはまだ十七歳だった、宿の改装費などで千両つぎ込んでいる。

張夢華(チャンモンハァ)は公主付きの掌事宮女から、十七歳で豊紳府へ使女として付いてきた。

二十五歳の年季明けを待って嘉慶二年に買范(マァイファン)と婚姻した。

子供も二人、嘉慶五年と七年に男の子に恵まれた。

李春(リィチゥン)が京城(みやこ)へ慣れたら、訪ねることもできる家になる。

新居に常にいても寂しくならないだろう。

小間使いと女中二人を置いて昼間家を磨かせればよいと孜漢に言われた。


真っ先に賛成したのは岳母(ュエムゥ)になる段仙蓬(タンシィエンパァン)の方だ。

元公主付き掌事宮女が作法を教えてくれる、身震いするほどありがたい話だ。

李春(リィチゥン)も、一人で身寄りのいない新居に住む寂しさを思い悩んでいた心の雲が晴れたようだ。

岳父(ュエフゥー)となる李宇(リィユゥ)も小間使いと女中二人が付くと聞いて京城(みやこ)へ娘を送る心配も消えたようだ。

手代の呂(リュウ)が「その小間使いですが村の娘ではだめでしょうか」と聞いてきた。

「もしかして呂蓮蓮(リュウリェンリェン)の事かい。ならうってつけだが。婿殿はどう思いなさる」

「確か十二だかの」

「娘娘が買い戻してくれた娘です。今は十三になりました。乙卯の八月生まれです」

「でも二人で宿屋へとは」

「まさか、お付きのいる女中はないですよ」

段仙蓬は手を振って慌てている。

「娘は気丈です。李春お嬢様を慕っておりますし、家を守るという使命があれば生甲斐にもなります」

「では、李春(リィチゥン)さんが連れて行こうというなら、責任をもってお引き受けいたしましょう」

礼雄(リィシィォン)もあの丸顔で愛嬌のある娘が付いてくるなら李春(リィチゥン)も寂しくないだろうと考えた。

李春(リィチゥン)は嬉しそうに手をたたいてはしゃいだ。

呼ばれて来た蓮蓮は輪をかけて喜んでいる。

「京城(みやこ)の小間使いは仕事が多いけど給与もいいんだ」

「いただけるのですか」

「奴婢で売られるんじゃないんだ。当然だよ。それと嫁入りまで世話するのが私の実家の方針だ」

奴婢で二年相当苦労したようで望外の話しに涙迄流している。

呂(リュウ)が京城(みやこ)を見たことがないというので一度来てみますかと誘った。

「今回はいくつか仕事で遠回りするのですが、一回りして十二日くらいですがどうですか」

李宇(リィユゥ)が「行ってきな」とあっさり許した。

興寿鎮と南口鎮でマァーリィンシゥー(馬鈴薯)とガゥンシュ(甘藷)の相談だというと李宇は于鴻(ユゥホォン)を呼び出してきた。

「柴信先生が話していた種芋の貯蔵所ですか」

「そうです。マァーリィンシゥーの植え付け時期が最盛期で苗床が一杯だと聞いたのですが」

「私も行きたい。村は頭に、段(タン)がいれば間に合います。種芋の貯蔵も学びたい。自分の所も劉(リゥ)が普段から仕切ってるので安心できます」

苗もあとは小豆の植え替えで二人抜けても支障はない。

礼雄(リィシィォン)の馬車に二人載せて行くことにした。


四月十二日の朝、卯の刻(午前五時十五分頃)に村を出て百里で興寿鎮。

そこから南口鎮までが五十里、さらに府第へ百里。

府第から安定門(アンディンメン)を抜けて李橋鎮、李遂鎮、南彩鎮南彩村を通り大興荘までが百十里、一回りで三百六十里。

この日は無理をせず高麗営鎮で宿に入った。

シゥ(黍)の後に何を植えるかで話が弾んだ。

前にマレーのナァン(南瓜・かぼちゃ)を、貰って食べた味が忘れられないという。

ひそかに種を植えたが育たなかったと二人で笑っている。

宿松の馬陵瓜子(マァリィングゥアヅゥ)と同じように広州(グアンヂョウ)では食用の種も売られている。

まだ寒冷地での栽培はされていないと云うのが多くの見方だ。

成功すれば天津、京城(みやこ)へ数多く入っているはずだ。

試して見たいなと二人は大乗り気だ。

「実を食べるものと種を食べるものとあるそうですよ。両方手に入れますか。食用でも種が熟れる迄育てれば食べられるとは聞きましたがね」

どこへ苗を植えるかまで議論しだした、

「植え付けを村の東西南北に分けてもいいな、わしん処は南に二十ムゥ(畝)、北に八十ムゥ(畝)、ともに一ムゥ(畝)程傾斜地で小豆の予定だがそこへ植えてもいいだろう」

「ぜひともお願いしますよ礼雄さん。頭に言えば傾斜地なら許しが出るでしょう」

すぐにでも手に入らないと間に合いませんよと、礼雄(リィシィォン)は苦笑いだ。

興寿鎮に未の下刻(午後三時三十分頃)に入った。

差配の家へ三人で挨拶に出向いた。

南口鎮の分は天津から引き取りが出来ると連絡が興藍行(イーラァンシィン)から入ったという。

種芋の貯蔵を于鴻(ユゥホォン)、呂(リュウ)が熱心に聞き取っている。

要点を帳付けして疑問はまた聞いて居る。

「種芋の病気と芽掻きは大事な要点です。温度の管理は怠れません」

「温度」

「そう仏蘭西渡りの瑠璃の器械です」

二人は見たことがないというので種芋の芽が出た畑と裾野にある貯蔵所へ案内された。

水の入った鉢が二つ置いてあり半分ほどの水がある。

八段の木製の台の上に藁床が敷かれその上に種芋が並べられている。

重ならないように大ぶりの種芋が並んでいた。

「大きいのは二つに割ります」

蒸れないように、乾燥しないようにが要点ですと教えた。

「この機械は三十年以上前から仏蘭西から来ているそうですがこちらで造れる人がいません。六年前に宋太医様たちのお力で四台分けて頂きました。とても買える値段ではありませんでしたが結という人たちが贈ってくれました」

台上に据え付けられているのはレオミュールの八十度計だ。

「この目盛りの範囲内で保存しています」

木枠に下と上と書いて線が引いてある。

「大分おおざっぱですが上という目盛りより下がらない、下という字より上に行かないようにしています。間に二本の線を引きました。この間が適温だったからです」

見せた後、箱のふたを閉めた。

「状態を見に朝来ると箱のふたを開け一回りして、計測した値を帳面につけます。箱を開けた直後とは少し違うからです」

猫達を招いてお供はいつもこの五匹の猫達ですと愉快そうに笑った。

「芽は出ないのですか」

「有りますよ。冬の終わり、収穫後の秋風が吹くころが多いですね。マァーリィンシゥー(馬鈴薯)は流水で泥を落とし、水気を切ってから仕舞います。そのあと芽掻きは欠かせない仕事ですが滅多に出ませんよ」

ガゥンシュ(甘藷)は泥付きで保存するという。

「これらも宋太医様たちのおかげで覚えました」

一晩泊まり、翌日は苗の畑、マァーリィンシゥー(馬鈴薯)畑、ガゥンシュ(甘藷)畑を回った。

村の二人に土産に種芋が五斤ずつ贈られた。

ガゥンシュ(甘藷)、マァーリィンシゥー(馬鈴薯)ともに注意書きも添えてある。


度量銜・清国

清朝の標準とされた庫平両は清滅亡後の1915年に596.816グラムと定義(ウイキペディア・斤)。

1庫平両 = 37.301g(ウイキペディア・両)

銀錠

庫平両=37.3125g 

海関両(関平両)=37.679g 

上海両(申漕平両)=33.824

一庫平両 = 37.301g 

 

一斤 = 十六両

37.301×16596.816g)

 

=百二十斤

一斤=十六両

一両=十銭

一銭=十分

一斤=590g

一万斤=約5.9トン

・一石=約70.8キログラム 

・百石=7.08トン 

・二百石=14.16トン 

・三百石=21.24トン

・五百石=35.40トン 

・千石=70.80トン

一石=二斛、一斛=五斗、

一斗=十升、一升=十合

(一斗=十リットル)

米換算

・一リットル833グラムで換算

・一斗=8330グラム

・一石=83.30キログラム

・百石=8.33トン

日本 米換算

一升=1.8039リットル

一升=約1500グラム

一斗=18.039リットル

一斗=約15000グラム

百石=約15.00トン

 

*和国 弁財船・樽廻船・菱垣廻船

重量換算千石船百五十トン(容積換算千石船百トン)


翌日南口鎮へ向かった。

西に山が控えた場所に差配の邸があり敷地内に大きな倉庫群があった。

終日畑を見て回り差配の邸に泊めてもらった。

曾双信(ツォンシァンシィン)の最初の手紙では引き取りは半分だけ。

「早ければ明後日に船が来るそうです」

追加の手紙から一日遅れてもう一通来て、半分決まったから全部買うという。

「思い切ったことする人だ」

于鴻(ユゥホォン)も驚いている。

「初めての取引相手らしいね。廊永興は知ってるが尚村鎮の苗行は聞いたことがないんだ」

「廊永興の娘が嫁入りしたんですよ。大分と肩入れしていると言いますよ。娘婿はまだ十八だと聞いて居ます」

「よくご存じで」

「私の親父が其の苗行廊元の先代の従弟という遠縁で、噂を聞きました」

「曽礼雄(ツォンリィシィォン)の家は代々京城(みやこ)では」

「十八代前からね。奶奶(ナイナイ)が尚村鎮の人なんですよ、先々代の姉だと聞きました。手紙のやり取りはあるようです」

翌十六日も畑を見て回り于鴻(ユゥホォン)はナァン(南瓜)についての意見を交わした。

「やはり清明から穀雨の間に種まき、立夏までに苗の植え替えをしないとまずいでしょう」

この年の清明三月一日、穀雨三月十四日、立夏三月二十九日。

「今年少しでも種があれば実らなくても試したいものです。二月後までならばやってみたいものだ」

礼雄は頭をかいて悩んでいる。

「高いから悩むのかい。ないから悩むのかい」

「汕頭(シャントウ)では鉄板で焼いた種を食べているのを見たが、銀(イン)一銭で片手一杯くらいだった。植え付け用の種だと三倍はするようだとみていたんだ」

五十粒くらい銀(イン)三銭でも実りが良ければ採算割れはないだろうと于鴻(ユゥホォン)は計算した。

曽礼雄(ツォンリィシィォン)は二年前に鳳凰鎮(フェンファンチェン)まで出たときに見たという。

「こっちで育てばいいが」

「自家用くらいでも育ててみたいなと思うんですよ」

于鴻(ユゥホォン)は日に日に思いが募るようだ。

礼雄もわざわざ輪をかけたように伊太利菓子の事を話してしまった。

「あれはうまかった」

周徳海(チョウダハァイ)は仏蘭西人にナァンクヮパィ(南瓜派)を教わったと手に入れた三個のナァン(南瓜)で二十八の菓子を作り、府第へ十五届け、持ち込んだ孜漢に八個分けた。

「広州(グアンヂョウ)で出来て直隷で出来ないは悔しいね」

午後に発つというともう一晩と引き留められた。

此方でも、村の二人に土産に種芋が五斤ずつ贈られた。

同じだけどと言ってガゥンシュ(甘藷)、マァーリィンシゥー(馬鈴薯)ともに注意書きも添えてくれた。

半日でも四十里は稼げるのだが礼雄は仕方ないと世話に為ることにした。

朝早くは出しませんぜと言われていて話を続けたいようだが、巳の刻(午前九時四十分頃)に出た。

四十里近く進んで未の下刻(三時三十分頃)、北沙河の昌平路荘村に宿をとり、翌朝に船で南沙河の向う岸へ回り、街道へ渡してもらう予約を取った。

「明日は京城(みやこ)の閉門に間に合うのですか」

呂(リュウ)が心配して尋ねた。

「安定門(アンディンメン)外に店で持つ料理屋(料亭)があるんで、そこに泊まります。馬車もそこへ預けて徒歩で京城(みやこ)へ入るようにします。それから門衛の人たちにからかわれても驚かないでください。朝は泊まり明けで気がたっています」

広間に賑やかに船頭たちが入って来た、どこか大店の手代風の人が混ざっている。

「えっ、若旦那様」

一人が礼雄の前で呆然としている、あとから来た二人も息を飲んで突っ立っている。

後ろから陳慧鶯(チェンフゥイン)が顔を出した。

「なんだ、礼雄(リィシィォン)さんか。いつの間に若旦那に昇格した」

若旦那と云った男もじろじろ見ていたが「そういえば顎が違うようだ」とほっとしている。

「だれとお間違いで」

「尚村鎮の孫剛磊(スンガァンレェイ)様です」

「孫剛磊といやぁ、苗行廊元の当代と聞いたが」

「知っておられますか」

「俺とは遠縁になるそうだが、会ったことはないよ」

陳慧鶯は「遠くて近きはなんてのがあるが驚いたな。そんなに似てるか」と聞いて居る。

「こちらの方は顎ががっしりとされている。ほかはそっくりです」

「京城(みやこ)の曽(ツォン)家の礼雄(リィシィォン)と云えば知っている人もあるだろうが、父は礼燦(リィンツァン)と云えば通じるでしょう」

「曽(ツォン)家と云えば私たちの廊永興ともご縁が」

「聞いて居ないが」

「六男礼玄(リィンシゥァン)様と私どもの天津本家とご養子の話しが」

「何時の事だい」

「天津を出る前の日に」

十四日だと後ろの若いのが口を出した。

「そうでした。十四日の午後に曾礼信(ツォンリィンシィン)様がおいでに為りまして、私ども当主鄧元永(ダンユァンイォン)も賛同して話がまとまりました」

老大(ラァォダァ)とは母親も違い顔立ちは似ていない。

「俺が都を出たのが八日だから哥哥の方で話が進んで居たとはね。俺の婚礼話で弟弟の事まで気が回らなかったよ」

弟弟は十五歳、嫁は十六歳鄧蓮麗(ダンリィェンリィ)だという。

母親は滄州河間府阜城鎮の老舗穀物問屋廊永興の当代の姉だという。

聞いて居た石環衛(シィフゥァンウェイ)が思い出したように言い出した。

「大変だ」

「何がだよ環衛」

「礼雄(リィシィォン)哥哥と家の旦那はもう直にガンションディ(干兄弟・義兄弟)ですぜ。親戚が一遍に増えてしまいます」

「なぁに今更驚くことはない。嫁さんの家の親戚は村の四半分は超えているというぜ」

于鴻(ユゥホォン)が笑って遠縁も入れれば三百人は超えると言って笑いだした。

「そうだ、南彩村も入れりゃもっと増えそうだ段(タン)の半分は親戚になる」

南彩村も段(タン)が多いのですか」

「百家はあるようだ、李家の数は少ないよ。代々男が少ないんだ村に八家だけだ」

興延に礼雄が調べたとき、差配の家での郷勇での戦死が多いのに気が付いた。

ドゥヂィ(闘鶏)のように勇敢な男たちだったようだ。

教徒の反乱の時でも于鴻(ユゥホォン)の弟弟、李宇(リィユゥ)の弟弟、高榔(ガオラァン)の爸爸(バァバ・パパ)が戦死している。

于鴻(ユゥホォン)に李宇(リィユゥ)も参戦したと云う。

「ところで哥哥たちはどこへ行くんです」

石環衛とは同年生まれだが二月礼雄が早く生まれていた。

興寿鎮と南口鎮を回って京城(みやこ)へ出るんだ。そっちはマァーリィンシゥー(馬鈴薯)を買いに来ると聞いたよ」

船は北沙河を遡って南口鎮迄行くという。

興藍行(イーラァンシィン)で船を借り切ったと石(シィ)が呂(リュウ)と話している。

その晩は礼雄(リィシィォン)持ちで宴会を開いた。

壷漕幇(フゥツァォパァ)の江洪(ジァンフォン)も参加して来た。

結が認められ、大運河漕幇(ツァォパァ)も参加を認めた。

奶奶(ナイナイ)達も紹介され、種芋をそれぞれが一万斤買い入れると云う話が弾んだ。

「環衛の方にナァン(南瓜)の種は入らないのか」

「天津じゃ耳にしませんね。交易も広州で降ろしてからでしょ。あ、朱濆がナァン(南瓜)奪い取って食い過ぎたなんて耳にしましたぜ」

「海賊かぁ、ここんとこ入ってこないので旨い菓子を食えないんだ」

「菓子になるんで」

「煮ても甘くないときは焼き菓子が良いそうだ。蜜糖(ミィタァン)を塗るので甘くて旨い」

「売ってる菓子店は天津には見当たりませんね。京城(みやこ)へ菓子の買い出しじゃぞっとしませんや」

こっちの菓子の話しに奶奶(ナイナイ)も食いついて「儲かるなら仏蘭西菓子に伊太利菓子もいいですね」と楽しそうだ。

向こうでは郷勇での四川の話しで盛り上がっている。

于鴻(ユゥホォン)、呂(リュウ)と陳慧鶯(チェンフゥイン)が部隊は違えど近い場所に居たようだ。

「妖術使いが出たなんて騒ぐ奴までいましたよ」

「聞いた、きいた。だが実際に出くわしたやつなどいなかった。噂に怯え恐れるやつも多かったな」
夜も更けて散会となった。


礼雄(リィシィォン)たちは安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)へ着いたのは申の下刻を過ぎていた。

礼雄(リィシィォン)の懐中時計で六時二十分、夕陽が香山村・清漪園の方向(西北)へ落ちていく。

「あの夕陽の方向四十里ほどに娘娘の乳牛牧場があります。機会があれば訪れてみましょう」

「こんなに遠出は滅多にできません。許されるなら行ってみたい」

「明日、娘娘の許しを頂いていきますか」

「許されるならぜひ」

その晩予定を立ててみた、十二日に村を出て七日目。

明日は興藍行(イーラァンシィン)へ声かけ、府第で許しを得て、界峰興(ヂィエファンシィン)、礼雄(リィシィォン)の新居に実家と回り、できれば東便門から出てしまい、護城河大通橋の東船着から馬車で安定門(アンディンメン)外の料亭へ戻ろうと話し合った。

手持ちの紙にあらましの順路をかいて「男同士ならこの位は歩けそうだ」と見せた。

馬車で足がなまった分いいとこだねと呂(リュウ)が言っている。

十九日早朝、身なりを整え四時三十分に料亭を出た。

護城河を渡っていると続々と人が増えてきた。

五時に卯の鐘が響いてきて門が開いた。

城内に入り南へ下れば親王府の先に倉庫が並び、豊紳府の塀が見える。

通用門で「一刻ほどしたら戻ります」と伝えて興藍行(イーラァンシィン)へ向かった。

朝茶を出してもらい、村の話しをしていたら六時五十分になったので府第へ戻った。

公主の食事は朝七時十五分と決まっている。

「食事中でも通しなさいと言われています」

公主使女の温芽衣(ウェンヤーイー)が通用門へ来ていた。

昂(アン)先生から聞いた話で、公主使女に陳(チェン)が多くいすぎるので温は母方を使った通称なのだそうだ。

質素な食卓に于鴻(ユゥホォン)と呂(リュウ)は驚いている。

粥と野菜の炒め物、卵を一つ焼いたものが置かれている。

娘娘はその温かい卵を粥に入れ箸と匙で黄身を崩して啜った。

「荘園から興寿鎮南口鎮の種芋を見てきました。私の新居と界峰興(ヂィエファンシィン)を案内する予定です」

「それだけなの」

自分の箸で野菜を食べているのを見て驚いている。

噂では“高貴な人はお付きが食べるものを一口分ずつ小皿へ別ける”と話す田舎回りの講釈師を信じていたようだ。

「せっかく出てきたので明日にも香山村の牧場へも回りたいというのですが許可を出してください」

「曽礼雄(ツォンリィシィォン)、あなたの腰牌を見せれば大丈夫のはずよ。でも今日はシュ(許)が来ているからちょっと待ちなさいね」

腰牌は鈴仙のために新たに作られたとき、興延に礼雄が常備帯同することにされ、予備が通用門へ一枚保管された。

シュ(許)が呼び出され「後を付いて来てください」と言われてしまった。

「礼雄、どうせなら今日にしなさい」

予定が朝から崩れてしまった。

二台の水馬車の後を安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)まで歩いた。

夕刻戻るはずではと馬番が驚いている。

「馬の前に荷車をつける塩梅だ」

料理屋(料亭)の馬番が笑うので銀(イン)二銭で黙らせ、二頭の馬をつけて後を追いかけた。

「講釈師が水は西直門(シィヂィメン)、糞便は安定門(アンディンメン)だと言いますが」

「そりゃ昔話ですよ。これだけ人が増えてそれではどうにもなりませんよ。フォンシャン(皇上)の水は今でも西直門(シィヂィメン)から入りますがね。だからと言って講釈師を虐めないでくださいよ。大事な祭りの雰囲気にゃ面白い話にゃ違いありません」

水馬車は来る時と違い戻りは乗っているのでなかな追いつかない。

こっちの馬車は二頭なのにと思っていると広善寺の裏手でやっと追いついた。

清漪園の万寿山が見えると道を左へ折れた。

丘の南裾の道を進むと香山村乳牛牧場の台上の逆さ船が見える。

「あの船が目印です、前の大水の時に活躍した記念です」

水源地は香山村南側菜園近く、東の紅門村の牧場に香山村北側の宿舎と乳牛牧場が点在している。

懐中時計は十一時五十分、割合と早く着いた。

シュ(許)は北側の宿舎で牧場長のシァ(夏)に「娘娘が丁寧に案内してほしいと言われた」と引き継いだ。

礼雄は顔なじみなので「大興荘の差配の于睿(ユゥルゥイ)さんと手代の呂(リュウ)さん」と紹介した。

宿舎近くの搾乳所から始まり、昨年生まれの若牝牛二十二頭の放牧場、牝牛の牛舎、牡の放牧場、山羊の放牧場を丹念に廻った。

三歳の牝牛八頭、五歳八頭、六歳八頭が主力だ。

引退牛が八頭、のんびりと草を食(は)んでいる。

若牡は農耕用に各地へ贈られるので毎年二頭のみ残されるという。

「一応十一歳で引退と決めて若く見える一頭は受胎させているんだが。乳の出は極端に落ちてしまう」

搾乳をして配るとき、温熱処理を忘れないように毎回口頭で伝えるとともに、子供は二歳を過ぎる迄与えないよう書かれた紙を渡すと話した。

 

九年前三歳の牝牛三頭から始まった牧場は営利ではないので維持費も膨大だ。

後宮、皇族へ献上される量は年々増えているが、その代わりに餌(牧草・雑穀)の提供は十分賄えるだけ届けられてくる。

インドゥは新しい荘園大興荘へ出来るだけ牝牛を提供しようと娘娘と話し合っている。

娘娘はインドゥに応じた。

「牡は引く手あまたで足りないので無理だけど、牝は年八頭を目安にします」

そのうち牛の花嫁行列が恒例になると娘娘を笑わせた。


その晩は街道沿いの宿に泊まった。

三人の話題は乳牛と水についてだ。

あの時刻に戻るには夜中に出る必要があるということだ。

「仕事は簡単そうでもそれぞれ苦労はつきものだな」

たかが水とはいえ貴重に扱う職分だと三人は同じ考えに至った。

翌朝卯の下刻(朝六時二十分頃)に宿を出て巳の下刻(午前十時五十分頃)に料亭について馬車を預け、身なりを整え安定門(アンディンメン)から入り府第の通用門で帰着報告を昂(アン)先生にして興藍行(イーラァンシィン)で経緯を話した。

崇文門(チョンウェンメン)から外城に出て界峰興(ヂィエファンシィン)へ向かった。

孜漢がいたので簡単に挨拶して出ようとしたら「老椴盃(ラォダンペィ)へ話しはした、いい機会だ空きがあれば今晩泊れ」と言われた。

四人は老椴盃で買范(マァイファン)に話したら「二階三部屋は今日明日予約がないから引き受ける」となった。

「二日もですか」

「明日は京城(みやこ)見物しておけということだな」

孜漢のおごりで安聘(アンピン)菜館で昼を食べた、此処は界峰興の者でも毎回支払いが義務で、付けは出来ない。

孜漢と別れ北小一、中四条胡同の曽家へ向かった。

老大(ラァォダァ)は店だろうと途中でのぞくと難しい顔で本を読んでいる。

「哥哥」

「おう、来たか」

「弟弟が養子ですと」

「聞いたか。良い家に押し込んだ」

「奶奶(ナイナイ)の親戚だそうで」

「二年前からそうなった。家を見たか、もうじきできるぞ」

「これから回ります。こちらは娘娘の荘園で差配の于鴻(ユゥホォン)さんと手代の呂(リュウ)さん」

「弟弟が世話をかけます」

「世話に為ってるのはこちらの方です」

とまぁこんな通り一遍の挨拶で辞去した。

曽家で父母(フゥムゥ)と爺爺(セーセー)と奶奶(ナイナイ)にも紹介した。

ヅゥフゥムゥ(祖父母)は「忙しいらしいが近くに住むんだ顔は見せに来いよ」と言う。

嫁と来いと言っているようだ。

新居を見に行った、呂(リュウ)は家の大きさに驚いている。

「何人住むので」

「五人程度と云ったんだが、マァーマァー(媽媽)は子供が出来たらどこへ住まわせるんだと先走ってね。気が付きゃこんなに大きくなっていたんだ」

于鴻(ユゥホォン)も親心とはそういうもんだと感心している。

ラォレェン(老人)が顔を出して怒鳴った。

「門口で何を騒いでる」

「老頭(ラオトウ)俺だ俺だ」

「ウゥガァ(五哥)じゃありませんか。自分の家の前でなんですよ。入ってくださいよ」

中を案内して回り「この呉(ウー)が家を任されましたからご安心を、料理番もいいやつを雇いました」としたり顔だ。

「父母(フゥムゥ)から聞いてないぞ。俺はそんな銀(かね)などないぞ」

「老大(ラァォダァ)から頼まれました、奶奶(ナイナイ)の孫(スン)様の言いつけだそうです。今更銀(かね)の事持ち出しても手遅れですよ」

頭を抱えている。

于鴻(ユゥホォン)と呂(リュウ)もどうなっているんだという顔だ。

「これじゃ大興荘に住まいを造った方がましだ」

「駄目ですよそんなことしたら大奥様がお怒りですぜ。嫁殿の教育は私が」

「おっと、そいつはだめだ」

「なぜです」

「公主様の元使女の方へお願いしてあるからだ」

公主様と言われては引き下がるしかないという顔だ。

「ここから当分通うが夢華(モンハァ)様というお方で老椴盃(ラォダンペィ)という宿の奥様だ」

「あの朱家(ジュジャ)胡同の老椴盃で」

「知ってるのか」

「高級な宿で普通じゃ泊まれないと」

「そうだ」

「公主様と関係が」

「大ありだ。元掌事宮女でシィアヂィア(下嫁)の時についてこられた」

駄目を押されてしまった。

「それから小間使いは村から來る。哥哥にやたらと人を雇うなというんだぜ」

「自分で言ってくださいよ」

「俺の言う事なぞ聞いてくれんよ。今晩と明晩は其の老椴盃に泊まるから。じゃ家は呉(ウー)に任せたぜ」

村の二人は呆れている、興隆街を抜けて鮮魚口へ出た。

午前(ひるまえ)ほどの混雑はないが買い物客があちらこちらの路地にあふれている。

大柵欄から粮食夹道を抜けようとしたら双信のアグゥ(二哥)に出会った。

ついでだと双信の実家も紹介しに連れ立って向かった。

「ひょんなことで双信哥哥とガンションディ(干兄弟・義兄弟)になります。前にもましてご厚誼をよろしくお願いします」

「友人から親戚になっただけだ」

老大(ラァォダァ)もそういって肩をたたいて喜んでくれた。

甫箭(フージァン)が見ていて手招いた。

「どうしました」

「旦那が京城(みやこ)へ来たんだ瑠璃廠で普段着に余所行きを買わせろと銀(かね)を預かった。お前は趣味が悪いから俺が見立てる」

いやも応もない、ユァンタァイ(元泰)という布店で三着ずつ買い与えられた。

「なるほどね。こいつは礼雄さんでは選ばない」

「でも村で着たら、俺たち後ろ指さされますぜ」

「何時かは役に立つさ。あの邸を訪ねるには丁度いい」

「礼雄の家かい」

「驚いたぜ甫箭(フージァン)さん。俺の建てようとした倍の家になって仕舞った」

「維持費がかかりますと給与を上げてもらいな」

「お願いします」

「俺じゃねえよ。旦那の方に言え」

「甫箭(フージァン)さんが旦那の代理で」

「よく言いやがる。あの家月三十は維持にかかりそうだ」

見ているようだ。

「老頭(ラオトウ)が番人で料理人迄決まったというんで困りますよ」

大笑いで勘定をして先に店を出ていった。

新しい服に礼雄は落ち着かない。

「しょうがない、宿で前のに着替えて飯を食いに行きましょう」

「宿の飯は」

「老椴盃は朝の粥だけなんですよ。近くに店の連中とよく行く店がありますからそこにしましょう」

取灯(チィーダァン)胡同の阮品菜店(ルァンピィンツァイディン)で軽くつまんで酒を酌み交わした。

チュンペン(春餅・春巻き)を持ってきた羅箏瓶(ルオヂァンピィン)の腹も目立ってきた。

洗い場と接客で近所の神さんを二人雇ったという。

「礼雄さん。前にヂィンシィ(進士)になる人たちが来たでしょ」

「大騒ぎで大量に食べてくれたという人たちかい」

「その方の奥様が三人幹繁老(ガァンファンラォ)へ泊られ、旦那様に教わってね、子供達を連れて一晩ここで食事をされたんですがね。家の人などひっくり返るほどのヂィアレェン(佳人・美人)がいたんですよ」

「噂は聞いたことがあるが、まだお泊りかい」

「昨日蘇州(スーヂョウ)へお帰りです」

残念そうな顔をしたようで「そんな顔するなら嫁さんが来たら言いつけるよ」と脅された。

「最近富富(フゥフゥ)に似て来てないか」

阮永凜(ルァンイォンリィン)が顔を出して「気性はそっくりになってしまったぜ」と言うと顔をひっこめた。

麻婆豆腐がでてきて于鴻(ユゥホォン)は「誰か頼んだかい」と怪訝顔だ。

「店の方針で追加は店任せ」

礼雄が「さっき目配せしたんで追加が出たのさ。何が出るかわからないのが困りもんだが」と常連らしく教えた。

「あと一品温野菜くらい入るかい」

呂(リュウ)が頼んだ。

八寶菜(パパウツァイ・八宝菜)が出て暖かい小皿も出た。

呂(リュウ)は「野菜料理がこんなに旨いとは驚きだ」とかきこんでいる。

于鴻(ユゥホォン)も盛んに手が動いて止まらない。

「いゃ、京城(みやこ)へ来て野菜がこんなに旨いとはおどろいた」

呂(リュウ)と同じことを言った事に気づいて笑った。

于鴻(ユゥホォン)が「勘定をしてくれ」と頼んだ。

「界峰興の雇人は店への付けで後払いです」

羅箏瓶(ルオヂァンピィン)が于鴻(ユゥホォン)へ答えた。

老椴盃へ戻ると「風呂の支度が出来ています」と二人を別の風呂場へ案内して若い衆が使い方を教えた。

湯たらいへ漬かりたいときはすぐ湯を運ぶと言われたが二人は「浴びるだけでいい」と同時に言っていた。

香皂(シィァンヅァォ)の使い方も教わり、背を流してもらって戻って来た。

替わりに礼雄が呼ばれて降りて行った。

一階の食堂で出された朝の粥の旨さに驚く三人だ。

その日は菜市口の処刑場から宣武門(シュァンウーメン)の象園を覗いたり、先農檀に天壇、金魚池をめぐってから妓楼街をさまよった。

瑠璃廠では土産に子供や妻たちへも服を買いそろえている。

その日も阮品菜店で飯を食べて戻り、風呂であかすりもしてもらった。

「長年の垢が抜け落ちて体が軽くなったようだ」

「顔まであか抜けしていますぜ」

「顔を香皂(シィァンヅァォ)で洗うなどしたことないから、野良へ出たらやけどでもしかねない」

一階で三人で茶を飲んでいると夢華(モンハァ)が挨拶に出た。

「昨晩は実家に出ておりましてごあいさつが遅れました。ごめんなさいね。お嫁様の事は確かに引き受けます。何難しいことなどありません。茶をうまく淹れるこつさえつかめばあとは自然と身に付きますから」

「よろしくおたの申します」

二晩世話に為って界峰興で礼を述べ、府第へ寄ってから鼓楼、鐘楼、雍和宮を巡り歩いた。

安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)へ泊り四月二十三日卯の刻(朝五時十五分頃)に都を旅立った。

道中食べるようにと熱い饅頭を二つずつ用意してくれた。

村に日暮れには間がある申(午後四時五十分頃)に着いた。

馬を預けて三人で李宇(リィユゥ)の邸で帰着報告をし、礼雄は于鴻(ユゥホォン)が家に誘った。

于鴻(ユゥホォン)の子供たちは京城(みやこ)土産に大喜びだ。

妻の余華双(ユウファンシュアン)は夫の服に加え、自分の分もあるというので驚いていた。

于鴻は礼雄と茶でくつろいだ、飯を食う気にならないと華双に言って買ってきた菓子を出させた。

「しかし礼雄さんの家には驚いたよ。孜漢さんが服を買えと言うのもわかった気がする」

「しかし行ったあとでは手遅れでしたね」

二人でくすくす笑った。

「でも家の家族は服装を気にしませんから。乞丐(チィガァイ)でも友達にしてしまうのが爸爸(バァバ・パパ)なんです。子供のころ庭で酒盛りしてるのをよく見ましたよ」

「しかし老大(ラァォダァ)といい口数は少ないでしたね」

「面白い哥哥でしょ。ああ見えて二胡は名人級の腕ですよ。今蘇州へ移り住んだ陸景延(リゥチンイェン)という私たちの店の先輩と十五年近い付き合いでね。私も二人に八歳の頃から仕込まれました、その縁で十五の時界峰興(ヂィエファンシィン)へ奉公にでたんです」

景延は通州の生まれ、十六歳の癸丑の年に界峰興(ヂィエファンシィン)へ奉公に出た。

二胡の腕を磨こうと付いた先生が曾礼信と同じで、年も同じでガンションディ(干兄弟・義兄弟)の約束をした。

阮映鷺(ルァンインルゥー)と嘉慶九年三月に婚姻し、本家綿屋の家業を継いで蘇州に住みだした。

「しかしいい嫁を迎える殊になって幸いでしたね。姐姐の方も興延さんの話しじゃ想像以上にうまく収まっているそうだし、礼雄さんの方も李春(リィチゥン)ならあのラォレェン(老人)と馬が合いそうだ」

「そうなりゃすべて万々歳です、呉(ウー)は口うるさくてね」

「そう、蓮蓮が間をうまく仕切りますよ。あれは苦労した分人付き合いも上手です」

さすが爸爸(バァバ・パパ)の裏で長年村を支え、村人の隅々まで目が行き届いている。

頭に軍師とまで言わせるだけの事はある。

呂(リュウ)は少し大げさに礼雄(リィシィォン)の実家を報告している。

夢華(モンハァ)の様子を話すときも、誇張が混じっても仕方ない立ち居振る舞いだった。

公主娘娘の朝の質素な食事風景は李春(リィチゥン)の心を和ませてくれた。

話す順序が逆なら不安になったままだったかも知れない。

呂(リュウ)はそのあと自分の家族にも同じ話をした。

小間使いに入る呂蓮蓮(リュウリェンリェン)は不安そうに見えた。

「ラォレェン(老人)のいうことをよく聞いて、親しくなればお前の助けになるさ。小姐(シャオジエ=お嬢様)を一緒に守ってくれと頼むことだ。味方は一人でも多い方がいい。見たところじゃ礼雄(リィシィォン)さんを大事に思っているようだった。気難しそうに見える人に限って心根は優しい」

話し終わると買いそろえた土産を卓へ並べた。

蓮蓮と妹妹に弟弟も燥いだ。

「こんなに買えたのですか」

「いや、俺の服は貰いものだ。それに係りは一文も出さずに、土産だけで済んだんだぜ。孜漢の旦那も気前がいい人だ」

京城(みやこ)へ出るというので家族で貯めた銀(かね)を持って出たようだ。


ガゥンシュ(甘藷)はシゥ(黍)刈り入れ後の八月半ばの植え付け、十一月末の収穫を柴信先生が話している。

もらって来た種芋が披露された。

「シゥ(黍)をひと月早く植えればガゥンシュ(甘藷)も早く植えられ数多く収穫できる」

「どうでしょ。今年黍を三十ムゥ(畝)程早めに刈り取り、牛の餌に回してそこへ順次作付けしてゆくのは」

呂(リュウ)の言葉で軍師が工程表を書き出してみた。

六月半ばに親芋を苗床で芽を出させる。

七月から刈り入れをはじめ十五に分けて二日おきに苗を植えてゆく。

数を採れる斜めに植えるもの、大きく育つ立て植えに分けたらという。

「興寿鎮では専門の畑でもう苗を植えていました。一五〇日で種芋にできるそうです。食用なら百日からと教わりました」

収穫日から逆算し、八月一日が最終だと言っている。

遅れれば霜に雪の心配も出てくる。

「前の会議の時に親芋に銀(かね)二百両と決めてある。追加で出してよいと決まれば五十余分には出せるがどうする」

四人は反対もなく頭に賛成となった。

「そこでだ、礼雄さんが親芋を入れてくださる話だ。もう村の一員だから手数料は抑えてくれるんだろうね」

「あちらの売値だと二千五百斤買えますが運送費がだいぶ掛かりますよ。船では大回りで銀(かね)二百両は取られます。荷車だと三台で六十両」

「村で引き取りに行けばただ同然だ」

「無理ですよ。今時三台で九人の人手が空きますか」

「馬に引かせりゃ三人で済む」

「馬の渡しは一か所銀(イン)一銭、十六ありますよ。往復で銀(イン)九十六銭かかりますし、馬宿へも二回泊めるようです」

「この前は一晩だったぜ」

「私のは二頭引きですから道悪でも進めます」

「頭の婿殿は難しことばかり言うぞ」

柴信先生が笑っている。

 

李宇(リィユゥ)が提案があるという。

「どうだね。わしと婿殿が先導で三台を馬で引き取りに行かせるのは」

「馬方と荷車の補強をして出しましょう。四日ください」

「なぁ、婿殿。わしも娘の新居を見たいので大回りしても先に興寿鎮に着きそうだが」

荷車はだれか道案内が着くと決まり、親芋の保管場所を戻るまでに整備することに為った。

相談がまとまり二人は明日にも京城(みやこ)へ出ることにした。

于鴻(ユゥホォン)は「礼雄さんの実家用にいい服を持って出てください」と笑みで言い出した。

「娘娘の拝領をもっていくよ于鴻(ユゥホォン)。段仙蓬(タンシィエンパァン)も連れて行っていいかな」

柴信先生と于鴻(ユゥホォン)も賛成した。

翌日早朝四時三十分に村を出て、安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)で着替え、安定門から入り東四牌楼で馬車を預けた。

興藍行で挨拶して幹繫老(ガァンファンラォ)へ三人で二部屋二泊の予約に人を頼んだ。

三人は府第の通用門で案内を乞うた。

昂(アン)先生が案内して公主へ挨拶をした。

「ムゥチィンもいい婿が二人も出来て幸せね。老大(ラァォダァ)の嫁取りにもお祝いは弾むわよ」

李泰(リィタァイ)はまだ十三だ。

どうにか酉(午後七時娘)の閉門前に崇文門(チョンウェンメン)を抜けて正陽門(ヂァンイァンメン)先の幹繁老へ着くと新館へ案内された。

「湯浴びをしますか食事をしますか」

「簡単に汗を流して普段着に着替えて來るよ」

新館の支配人は寥鈴玲(リィオリィンリン)が勤めている。

夫は新館の料理人の寥西寶(リィオシィバァオ)だ。

夫婦に子供三人は平大人が新館建て増し時に蘇州から招いた

飯の話題は北京の街の多くがヂゥァン(煉瓦)でできていることだ。

「今ある多くの家のヂゥァン(砖・煉瓦)はパァンヂィアクゥ(潘家窟)で造られたと聞いて居ますよ」

「一軒で独占ですか」

「明の時代に値を下げて配達までして競争相手を蹴散らしたそうです」

「商売としちゃ仕方ないですが、相手は困るでしょうな」

「同じにして儲けを減らしてやっと同等ですからね。安売り合戦は始めたらきりがありません」

「今でもあるのですか」

「子孫の方が作られて居ますが、昔とは状況が違いますから。子供の頃は掘った土や瓦礫山の傍でよく遊びました」

広渠門(グァンチィーメン)と左安門(ヅゥオウェンメン)の間のパァンヂィアクゥとよばれる場所だ。 

「子供たちは城壁を挟んで東西に地下空間が繋がってると信じていましたよ」

城壁の東に鉄帽子王豪格家族墓が並ぶ一帯がその上にあると言われている。

鉄帽子王豪格家は肅親王永錫が当主だ、八旗の都統を歴任している。

邸は北御河橋の南東にあり、中御河橋の西側には天主堂がある。

「抜け穴ですか」

「怖くて近寄れませんでしたよ」

翌朝、粥を食べてから着替えをして礼雄の実家へ向かった。

北小一、中四条胡同の曽家まで五里半ほどある。

途中老大(ラァォダァ)の店を覗くともう出てきている。

「哥哥」

「おう、早いな」

口をもぐもぐさせている。

「俺の嫁の父母(フゥムゥ)だ」

慌てて飲み込んで挨拶を交わした。

「食うか」

「いやいいよ。何を食べていたんだ」

「ナァン(南瓜)の種だ。福州の土産にもらった。旨いのにな」

「ちょっと待ってくれ。本当にナァン(南瓜)の種か」

皿を突き出したので見ると焼かれているが見覚えのあるナァン(南瓜)の種だ。

三粒ほど手に取って李宇(リィユゥ)に渡した。

「これで終わりかよ」

「ほしきゃやるぞ。俺は一升ほど貰ってまだ半分以上はある。奶奶(ナイナイ)の所にそのくらいはあったが食べつくしたそうだ」

そういって戸棚から小袋を取り出した。

清代の一升は約一リットル。

確かにナァン(南瓜)の種だ。

「有難い、生のままだ」

「当たり前だ。食う分以上に焼いてたまるか。医者は一度に手のひら一杯が限度だというぞ。滋養にいいが食い過ぎると胃に悪いんだとよ」

「勉強に植えたい人がいて探していたんだ」

「なんだ。早く言えよ。この間なら手つかずだったんだぜ」

ざっと見八百粒くらいとみた、大事に背の箱を下ろしてしまい込んだ。

「礼は増やせたら実を幾つか持ってくる」

「駄目だ。幾つかじゃなくて十個だ」

「分かった。そう伝えておく」

中四条胡同の曽家で父母(フゥムゥ)に、ヅゥフゥムゥ(祖父母)と互いに挨拶を交わして新居へ向かった。

門が開いていて大工が出入りしている。

乳母だった朱(ジュ)が出てきた。

「慧鶯(フゥイン)久しぶり」

「ウゥガァ(五哥)、この前来たのに知らんぷりはひどいですよ」

「ここに届け物でも」

「ダァグァ(大哥)に呼び出されて此処へ勤めるんですよ」

「ほんとか。さっき哥哥にあったが何も言わなかったぞ」

「そういうお人ですから」

「呉(ウー)が料理人も決めたと言ってたな」

「もう来ていますよ。大工の昼も作らせています」

礼雄の知らないところで準備が進んで居る。

中へ入ると居間はもう出来上がっている。

三人を座らせて料理人を呼んできた。

桑亮(サンリィアン)という三十過ぎに見える太った男だ。

「南昌(ナンチャン)で料理人をしていましたが、曽泰の番頭さんに誘われて京城(みやこ)へ来ました。曽泰の方で此処の厨房を預かるように言われました」

「もう直に嫁も来るから宜しく頼む」

呉(ウー)も来たので嫁の父母(フゥムゥ)と紹介した。

于鴻(ユゥホォン)からあらましを聞いて居たようで三人に紅包(ホォンパァォ・祝儀)を渡して「後はまだ決まっていないのですか」と聞いた。

呉(ウー)が呼んできたのは三十前くらいの身ぎれいな女だ。

「シェンリィンリン(諶鈴鈴)と申します。大奥様から言われてまいりました。夫が曽泰の番頭を務めております。この度は私たち夫婦にもお小屋を与えてくださりお礼を申し上げます」

シェン(諶)は京城(みやこ)ではチェンと呼ぶそうだがと断りを言った。

料理人桑のイー(姨・母方伯母)だという、その縁で料理人が呼ばれたという。

女中頭にえらばれたと言うが礼雄はこれ以上増えてはたまらないと思っている。

「子供はいるのかい」

「十八の娘がいましたが、今年嫁ぎました」

三人はそんな年の娘がいる親には見えなかったので驚いている。

岳父(ュエフゥー)はホォンバオ(紅包)を渡して「娘と小間使いは田舎者なので至らぬところはよろしくご指導を」と頼んでいる。

ツォンタイ(曽泰)は大奥様孫麗楓(スンリィファン)の持っている料理屋(料亭)だ、商人宿も付いているし小物も商っている。

番頭が三人いて各地の名産を集めに回っている。

南小市上堂子胡同のこの家から五十歩ほどの南小市を挟んだ下堂子胡同に、ツォンタイ(曽泰)がある。

花の市場が立つ花児市大街が表通りで裏通りになる場所だ。

その大街を西へ進み南城の興隆街は木廠胡同、草廠胡同で中城へ入り、水路を渡ると鮮魚口から大柵欄へ出た。

「大分入り組んだ胡同が多いですね」

「この辺り大家に小商人の家が入り組んでいますから」

粮食夹道の曾双信(ツォンシァンシィン)の実家を案内した。

双信哥哥の岳父(ュエフゥー)と岳母(ュエムゥー)と紹介した。

父母(フゥムゥ)が慌てて店の奥へ案内しそれぞれが拝礼を交わした。

表で老大(ラァォダァ)が「礼雄の岳父に岳母にもなるという事か」と話しかけた。

「そういう事です」

「家を見に行ったのか」

「それなんですが、大きすぎて手に負えませんよ」

「仕方ねえさ。マァーマァー(媽媽)はお前さんのほかは皆遠くへ養子に出したからな」

「礼玄(リィンシゥァン)の事も聞きましたか」

「礼信から聞いたよ。礼雄は京城(みやこ)を出る気は無いようだから望まれればいい家なら承知しなきゃ可哀そうだと言ってたぜ」

「哥哥は最近も二胡を」

「お呼びが来れば付き合いも大事だからな。礼信も師匠から後を任されて忙しいのでな、妓女は俺の方へ声をかけて來る」

「付き合いなら姐姐も許しますか」

「泊まりじゃなきゃ大丈夫だ。大店の若旦那をおだてるのも商売のうちだ。礼信はそういうのは苦手だから」

「そういえば礼信哥哥にナァン(南瓜)の種をもらったがここでは取扱えないのか。天津の手代はやっていないと言ってた」

「急ぎじゃなきゃ取り寄せるぜ」

「当てはあるのかね」

「俺んとこは穀物問屋だが何でも屋に近いからな。売り込み屋には便利屋が多い。都合は付くだろう」

「俺の裁量で買えるのは一斗までで百両が限度だ」

「馬鹿いえそんなにするもんか。一升で銀(イン)二十銭がいいとこだ」

「なら、倍まで出すから銀(かね)百両迄買い漁ってくれ」

「俺の買値で無く、倍の一升銀(イン)四十銭で買ってくれるんだな」

「引き受けるよ。粒の不ぞろいや高い時は相談しよう」

「任せておけよ。大口は無理でもそういうのは得意だ。種まきの終わる五月過ぎに半端もんが船で来るはずだ。二斛くらいでも引き取れるかよ」

「ものが良きゃ踏ん張ってみるさ。来年まで寝かせる価値はあるはずだ。金詰りなら食用に売っても済む」

二斛は十斗(一石)約束値段は四百両になる。

四人が談笑しながら奥から出てきた。

「瑠璃廠で買い物がしたいそうだ」

「道順なので界峰興で顔つなぎをしてからいきましょう」

午の鐘が聞こえてきた。

甫箭(フージァン)が店にいて「前にも旦那が服を買わせたが、今回も買って来いと言ってたぜ。礼雄だけじゃなく興延にも婚礼に出られる服を買わせるんだとよ。鄭玄(ヂァンシァン)もおまけだ」

「俺はおまけですか」

「嫁のあてがあるのか。興延と一緒で持てた話を聞いたこともない」

ひでぇ話だと言いながら手代になった三人に店を任せて付いてきた。

瑠璃廠でユァンタァイ(元泰)に入ると店の手代たちがわらわらと溢れ出てきた。

「俺以外の人に普段着と余所行きを見繕ってくれ。本人の言うことなど聞いちゃだめだぜ。あんたがたの腕を見たいからすべて任せる」

手代たちも必至だ。

それでも半刻もかからず全員の服がそろった。

五人分で六十八両だという「安かったな」の声で仕舞ったという顔つきの手代も居た。

翌早朝、粥を食べてから、荷物持ちを雇って東四牌楼の馬宿へ出た。

馬車に何時もの馬をつないだ

本当は名所見物と思ったが、李宇(リィユゥ)の気が南口鎮に向いているので目的を忘れず、急ぐことにした。

安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)迄向かった。

店で饅頭を一人二つ当て買い込んで先を急いだ。

南沙河で船を雇い入れて北沙河の昌平路荘村に日があるうちに着いた。

宿をとり、翌朝卯の下刻(朝六時二十分頃)に出た。

南口鎮まで四十里、およそ二刻半で村へ入った。

礼雄の懐中時計は十二時十分になっている。

遠くで午の鐘がなっていた。

李宇(リィユゥ)夫妻を紹介し、村の頭(長・おさ)が貯蔵所を見たいというので案内したと言って、見学させてもらった。

李宇(リィユゥ)は興寿鎮で種芋の取引があるとしゃべっている。

村の差配はちらと礼雄を見たが「来年はこっちでも買い入れてください」と穏やかな顔で頼んでいる。

「今年の成果次第で倍は取引できるので半々でお願いします」

礼雄はまぁそんなものだろうという顔で貯蔵のガゥンシュ(甘藷)の残りを見ていた。

「こいつらはいつ苗床へ移すんです」

「あと五日くらいだよ」

一晩泊めてもらい酒が入った李宇(リィユゥ)は普段より熱心に畑の事をしゃべっている。

「其の荒れ地のシゥ(黍)は、今年は無理ですか」

「この三十日に振り分けですから今年は間に合いませんな。雪の降らない土地ならガゥンシュ(甘藷)の秋植えも出来るのですがね」

「そうですな広州(グアンヂョウ)あたりでも年二回での秋植えは難しいと聞きました。種芋の改良が進めば百日でも味のいいのが出来るでしょうが。百二十日は最低ほしいものです」

「やはり苗は八月が限界ですか」

「星が降るような夜空になると霜が降りて弦が腐ります。早くても掘り出さないと芋迄が腐ります」

今年は試しに七月に十五回に分けて苗を植えつけると聞いて結果を知らせてくれと頼まれていた。

翌朝、村の人たちに見送られ興寿鎮へ向かった。

興寿鎮ではガゥンシュ(甘藷)の種芋の交渉から始めた。

「種芋は百斤銀(イン)百銭、苗なら十本十銭は前と同じだよ」

「総予算は二百五十両、銀票で持参してきました」

李宇(リィユゥ)は鷹揚に駆け引きなしで打ち明けた。

「二千五百斤の種芋になるとほぼ二千五百本だ。一歩一歩に苗五本が基本だ」

苗は種芋一つから五本になるという、手間代ということだがその分時間は節約できる。

「明日村から于鴻(ユゥホォン)が付いてくるはずなのでそれからでもいいでしょうか」

「明日ならそれでいいでしょう」

その晩李宇(リィユゥ)は礼雄に最初の予算で種芋二千斤、追加予算で苗五百本と言い出した。

「苗はすぐ植え付けをしないとまずいですよ」

「やはり于鴻(ユゥホォン)に聞いてからの方がいいか」

五月二日朝、辰の鐘(七時三十分頃)の後に空の荷馬車が到着した。

于鴻(ユゥホォン)は徒歩で荷車に付いてきた。

やはり空車でも河渡しに時間がとられて二泊三日となったと話した。

百里を河渡しがなければ一日節約できるがそのような道がない。

礼雄が選ぶ高麗営鎮を抜ける道なら遠回りだが二日で済む、坂が多く二頭引きで無いと苦労する道だ。

于鴻(ユゥホォン)の決断は早く、先に李宇(リィユゥ)夫妻に村へ戻り、一歩一歩に苗五本を百の畝で植え付け準備にかかるように進言した。

「其の分のシゥ(黍)を刈り取って畝を準備だな」

急に弱気になっていうがままだ。

「お願いします。村へ着くのが二日は遅れますので」

銀(かね)の支払いと分量の話が済むと礼雄を急がせて帰路に着いた。

高麗営鎮で泊り、大興荘には三日の未の下刻(午後三時三十分頃)に入った。

村に残る差配と手代を集め“一歩一歩に苗五本を百の畝”の話しで十家の畑地に割り振った。 

礼雄は于鴻(ユゥホォン)が戻るまで村に滞在した。

 

戻ってきた于鴻(ユゥホォン)は予定を一月早める相談をシゥ(黍)畑の小作達と相談することを李宇(リィユゥ)に勧めた。

「あれだけ計画したのに」

「六月二十日最終苗で十月二十日収穫だと立冬後になるので霜の危険が増すと聞いてきました。せっかくの試みですやってみましょう。シゥ(黍)はうまくいけば来年から早植えにしてもいいのですから」

今年の立冬は十月八日と出ている。

于鴻(ユゥホォン)にナァン(南瓜)の種の事を伝えた

「ナァン(南瓜)の種が少ないが手に入りました。一ムゥ(畝)は百二十粒で六ムゥ(畝)七百二十粒くらいは撒けるはずです」

礼信からもらったの種の礼は収穫後に十個の実だと伝えた。

「欲がない人だね」

「哥哥は、昔から商売人より学者向きだと言われていましたぜ」

シゥ(黍)の方は牛馬に山羊も喜んでくれると説得されて村人を集めた。

「甘藷の種芋にナァン(南瓜)の種が手に入った。五月十日から順次刈り入れて、畝を作る。そのころには苗の準備も出来るから、月内に植え付けを終えよう」

決断の遅い李宇(リィユゥ)が言うからにはと反対は出なかった。

ガゥンシュにナァンなら、自分たち家族の食生活も豊かになると信じているのだ。

李春(リィチゥン)は礼雄の滞在が長くなりうれしくてたまらない。

蓮蓮と京城(みやこ)へ出る日の事を話し、疑問の事を礼雄に話に行くのだ。

漸く甘藷の話がまとまり礼雄は京城(みやこ)へ戻った。

 

 

第五十三回-和信伝-弐拾弐 ・ 23-04-05

   

・資料に出てきた両国の閏月

・和信伝は天保暦(寛政暦)で陽暦換算

(花音伝説では天保歴を参照にしています。中国の資料に嘉慶十年乙丑は閏六月と出てきます。
時憲暦からグレゴリオ暦への変換が出来るサイトが見つかりません。)

(嘉慶年間(1796年~1820年)-春分は2月、夏至は5月、秋分は8月、冬至は11月と定め、
閏月はこの規定に従った
。)

陽暦

和国天保暦(寛政暦)

清国時憲暦

 

1792

寛政4

閏二月

乾隆57

閏四月

壬子一白

1794

寛政6

閏十一月

乾隆59

甲寅八白

1795

寛政7

乾隆60

閏二月

乙卯七赤

1797

寛政9

閏七月

嘉慶2

閏六月

丁巳五黄

1800

寛政12

閏四月

嘉慶5

閏四月

庚申二黒

1803

享和3

閏一月

嘉慶8

閏二月

癸亥八白

1805

文化2

閏八月

嘉慶10

閏六月

乙丑六白

1808

文化5

閏六月

嘉慶13

閏五月

戊辰三碧

1811

文化8

閏二月

嘉慶16

閏三月

辛未九紫

1813

文化10

閏十一月

嘉慶18

閏八月

癸酉七赤

1816

文化13

閏八月

嘉慶21

閏六月

丙子四緑

1819

文政2

閏四月

嘉慶24

閏四月

己卯一白

1822

文政5

閏一月

道光2

閏三月

壬午七赤

       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       
       

第二部-九尾狐(天狐)の妖力・第三部-魏桃華の霊・第四部豊紳殷徳外伝は性的描写を含んでいます。
18歳未満の方は入室しないでください。
 第一部-富察花音の霊  
 第二部-九尾狐(天狐)の妖力  
 第三部-魏桃華の霊  
 第四部-豊紳殷徳外伝  
 第五部-和信伝 壱  

   
   
     
     
     



カズパパの測定日記

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