李宇(リィユゥ)が提案があるという。
「どうだね。わしと婿殿が先導で三台を馬で引き取りに行かせるのは」
「馬方と荷車の補強をして出しましょう。四日ください」
「なぁ、婿殿。わしも娘の新居を見たいので大回りしても先に興寿鎮に着きそうだが」
荷車はだれか道案内が着くと決まり、親芋の保管場所を戻るまでに整備することに為った。
相談がまとまり二人は明日にも京城(みやこ)へ出ることにした。
于鴻(ユゥホォン)は「礼雄さんの実家用にいい服を持って出てください」と笑みで言い出した。
「娘娘の拝領をもっていくよ于鴻(ユゥホォン)。段仙蓬(タンシィエンパァン)も連れて行っていいかな」
柴信先生と于鴻(ユゥホォン)も賛成した。
翌日早朝四時三十分に村を出て、安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)で着替え、安定門から入り東四牌楼で馬車を預けた。
興藍行で挨拶して幹繫老(ガァンファンラォ)へ三人で二部屋二泊の予約に人を頼んだ。
三人は府第の通用門で案内を乞うた。
昂(アン)先生が案内して公主へ挨拶をした。
「ムゥチィンもいい婿が二人も出来て幸せね。老大(ラァォダァ)の嫁取りにもお祝いは弾むわよ」
李泰(リィタァイ)はまだ十三だ。
どうにか酉(午後七時頃)の閉門前に崇文門(チョンウェンメン)を抜けて正陽門(ヂァンイァンメン)先の幹繁老へ着くと新館へ案内された。
「湯浴びをしますか食事をしますか」
「簡単に汗を流して普段着に着替えて來るよ」
新館の支配人は寥鈴玲(リィオリィンリン)が勤めている。
夫は新館の料理人の寥西寶(リィオシィバァオ)だ。
夫婦に子供三人は平大人が新館建て増し時に蘇州から招いた。
飯の話題は北京の街の多くがヂゥァン(砖・煉瓦)でできていることだ。
「今ある多くの家のヂゥァン(砖・煉瓦)はパァンヂィアクゥ(潘家窟)で造られたと聞いて居ますよ」
「一軒で独占ですか」
「明の時代に値を下げて配達までして競争相手を蹴散らしたそうです」
「商売としちゃ仕方ないですが、相手は困るでしょうな」
「同じにして儲けを減らしてやっと同等ですからね。安売り合戦は始めたらきりがありません」
「今でもあるのですか」
「子孫の方が作られて居ますが、昔とは状況が違いますから。子供の頃は掘った土や瓦礫山の傍でよく遊びました」
広渠門(グァンチィーメン)と左安門(ヅゥオウェンメン)の間のパァンヂィアクゥとよばれる場所だ。
「子供たちは城壁を挟んで東西に地下空間が繋がってると信じていましたよ」
城壁の東に鉄帽子王豪格家族墓が並ぶ一帯がその上にあると言われている。
鉄帽子王豪格家は肅親王永錫が当主だ、八旗の都統を歴任している。
邸は北御河橋の南東にあり、中御河橋の西側には天主堂がある。
「抜け穴ですか」
「怖くて近寄れませんでしたよ」
翌朝、粥を食べてから着替えをして礼雄の実家へ向かった。
北小一、中四条胡同の曽家まで五里半ほどある。
途中老大(ラァォダァ)の店を覗くともう出てきている。
「哥哥」
「おう、早いな」
口をもぐもぐさせている。
「俺の嫁の父母(フゥムゥ)だ」
慌てて飲み込んで挨拶を交わした。
「食うか」
「いやいいよ。何を食べていたんだ」
「ナァン(南瓜)の種だ。福州の土産にもらった。旨いのにな」
「ちょっと待ってくれ。本当にナァン(南瓜)の種か」
皿を突き出したので見ると焼かれているが見覚えのあるナァン(南瓜)の種だ。
三粒ほど手に取って李宇(リィユゥ)に渡した。
「これで終わりかよ」
「ほしきゃやるぞ。俺は一升ほど貰ってまだ半分以上はある。奶奶(ナイナイ)の所にそのくらいはあったが食べつくしたそうだ」
そういって戸棚から小袋を取り出した。
清代の一升は約一リットル。
確かにナァン(南瓜)の種だ。
「有難い、生のままだ」
「当たり前だ。食う分以上に焼いてたまるか。医者は一度に手のひら一杯が限度だというぞ。滋養にいいが食い過ぎると胃に悪いんだとよ」
「勉強に植えたい人がいて探していたんだ」
「なんだ。早く言えよ。この間なら手つかずだったんだぜ」
ざっと見八百粒くらいとみた、大事に背の箱を下ろしてしまい込んだ。
「礼は増やせたら実を幾つか持ってくる」
「駄目だ。幾つかじゃなくて十個だ」
「分かった。そう伝えておく」
中四条胡同の曽家で父母(フゥムゥ)に、ヅゥフゥムゥ(祖父母)と互いに挨拶を交わして新居へ向かった。
門が開いていて大工が出入りしている。
乳母だった朱(ジュ)が出てきた。
「慧鶯(フゥイン)久しぶり」
「ウゥガァ(五哥)、この前来たのに知らんぷりはひどいですよ」
「ここに届け物でも」
「ダァグァ(大哥)に呼び出されて此処へ勤めるんですよ」
「ほんとか。さっき哥哥にあったが何も言わなかったぞ」
「そういうお人ですから」
「呉(ウー)が料理人も決めたと言ってたな」
「もう来ていますよ。大工の昼も作らせています」
礼雄の知らないところで準備が進んで居る。
中へ入ると居間はもう出来上がっている。
三人を座らせて料理人を呼んできた。
桑亮(サンリィアン)という三十過ぎに見える太った男だ。
「南昌(ナンチャン)で料理人をしていましたが、曽泰の番頭さんに誘われて京城(みやこ)へ来ました。曽泰の方で此処の厨房を預かるように言われました」
「もう直に嫁も来るから宜しく頼む」
呉(ウー)も来たので嫁の父母(フゥムゥ)と紹介した。
于鴻(ユゥホォン)からあらましを聞いて居たようで三人に紅包(ホォンパァォ・祝儀)を渡して「後はまだ決まっていないのですか」と聞いた。
呉(ウー)が呼んできたのは三十前くらいの身ぎれいな女だ。
「シェンリィンリン(諶鈴鈴)と申します。大奥様から言われてまいりました。夫が曽泰の番頭を務めております。この度は私たち夫婦にもお小屋を与えてくださりお礼を申し上げます」
シェン(諶)は京城(みやこ)ではチェンと呼ぶそうだがと断りを言った。
料理人桑のイー(姨・母方伯母)だという、その縁で料理人が呼ばれたという。
女中頭にえらばれたと言うが礼雄はこれ以上増えてはたまらないと思っている。
「子供はいるのかい」
「十八の娘がいましたが、今年嫁ぎました」
三人はそんな年の娘がいる親には見えなかったので驚いている。
岳父(ュエフゥー)はホォンバオ(紅包)を渡して「娘と小間使いは田舎者なので至らぬところはよろしくご指導を」と頼んでいる。
ツォンタイ(曽泰)は大奥様孫麗楓(スンリィファン)の持っている料理屋(料亭)だ、商人宿も付いているし小物も商っている。
番頭が三人いて各地の名産を集めに回っている。
南小市上堂子胡同のこの家から五十歩ほどの南小市を挟んだ下堂子胡同に、ツォンタイ(曽泰)がある。
花の市場が立つ花児市大街が表通りで裏通りになる場所だ。
その大街を西へ進み南城の興隆街は木廠胡同、草廠胡同で中城へ入り、水路を渡ると鮮魚口から大柵欄へ出た。
「大分入り組んだ胡同が多いですね」
「この辺り大家に小商人の家が入り組んでいますから」
粮食夹道の曾双信(ツォンシァンシィン)の実家を案内した。
双信哥哥の岳父(ュエフゥー)と岳母(ュエムゥー)と紹介した。
父母(フゥムゥ)が慌てて店の奥へ案内しそれぞれが拝礼を交わした。
表で老大(ラァォダァ)が「礼雄の岳父に岳母にもなるという事か」と話しかけた。
「そういう事です」
「家を見に行ったのか」
「それなんですが、大きすぎて手に負えませんよ」
「仕方ねえさ。マァーマァー(媽媽)はお前さんのほかは皆遠くへ養子に出したからな」
「礼玄(リィンシゥァン)の事も聞きましたか」
「礼信から聞いたよ。礼雄は京城(みやこ)を出る気は無いようだから望まれればいい家なら承知しなきゃ可哀そうだと言ってたぜ」
「哥哥は最近も二胡を」
「お呼びが来れば付き合いも大事だからな。礼信も師匠から後を任されて忙しいのでな、妓女は俺の方へ声をかけて來る」
「付き合いなら姐姐も許しますか」
「泊まりじゃなきゃ大丈夫だ。大店の若旦那をおだてるのも商売のうちだ。礼信はそういうのは苦手だから」
「そういえば礼信哥哥にナァン(南瓜)の種をもらったがここでは取扱えないのか。天津の手代はやっていないと言ってた」
「急ぎじゃなきゃ取り寄せるぜ」
「当てはあるのかね」
「俺んとこは穀物問屋だが何でも屋に近いからな。売り込み屋には便利屋が多い。都合は付くだろう」
「俺の裁量で買えるのは一斗までで百両が限度だ」
「馬鹿いえそんなにするもんか。一升で銀(イン)二十銭がいいとこだ」
「なら、倍まで出すから銀(かね)百両迄買い漁ってくれ」
「俺の買値で無く、倍の一升銀(イン)四十銭で買ってくれるんだな」
「引き受けるよ。粒の不ぞろいや高い時は相談しよう」
「任せておけよ。大口は無理でもそういうのは得意だ。種まきの終わる五月過ぎに半端もんが船で来るはずだ。二斛くらいでも引き取れるかよ」
「ものが良きゃ踏ん張ってみるさ。来年まで寝かせる価値はあるはずだ。金詰りなら食用に売っても済む」
二斛は十斗(一石)約束値段は四百両になる。
四人が談笑しながら奥から出てきた。
「瑠璃廠で買い物がしたいそうだ」
「道順なので界峰興で顔つなぎをしてからいきましょう」
午の鐘が聞こえてきた。
甫箭(フージァン)が店にいて「前にも旦那が服を買わせたが、今回も買って来いと言ってたぜ。礼雄だけじゃなく興延にも婚礼に出られる服を買わせるんだとよ。鄭玄(ヂァンシァン)もおまけだ」
「俺はおまけですか」
「嫁のあてがあるのか。興延と一緒で持てた話を聞いたこともない」
ひでぇ話だと言いながら手代になった三人に店を任せて付いてきた。
瑠璃廠でユァンタァイ(元泰)に入ると店の手代たちがわらわらと溢れ出てきた。
「俺以外の人に普段着と余所行きを見繕ってくれ。本人の言うことなど聞いちゃだめだぜ。あんたがたの腕を見たいからすべて任せる」
手代たちも必至だ。
それでも半刻もかからず全員の服がそろった。
五人分で六十八両だという「安かったな」の声で仕舞ったという顔つきの手代も居た。
翌早朝、粥を食べてから、荷物持ちを雇って東四牌楼の馬宿へ出た。
馬車に何時もの馬をつないだ
本当は名所見物と思ったが、李宇(リィユゥ)の気が南口鎮に向いているので目的を忘れず、急ぐことにした。
安定門(アンディンメン)外の料理屋(料亭)迄向かった。
店で饅頭を一人二つ当て買い込んで先を急いだ。
南沙河で船を雇い入れて北沙河の昌平路荘村に日があるうちに着いた。
宿をとり、翌朝卯の下刻(朝六時二十分頃)に出た。
南口鎮まで四十里、およそ二刻半で村へ入った。
礼雄の懐中時計は十二時十分になっている。
遠くで午の鐘がなっていた。
李宇(リィユゥ)夫妻を紹介し、村の頭(長・おさ)が貯蔵所を見たいというので案内したと言って、見学させてもらった。
李宇(リィユゥ)は興寿鎮で種芋の取引があるとしゃべっている。
村の差配はちらと礼雄を見たが「来年はこっちでも買い入れてください」と穏やかな顔で頼んでいる。
「今年の成果次第で倍は取引できるので半々でお願いします」
礼雄はまぁそんなものだろうという顔で貯蔵のガゥンシュ(甘藷)の残りを見ていた。
「こいつらはいつ苗床へ移すんです」
「あと五日くらいだよ」
一晩泊めてもらい酒が入った李宇(リィユゥ)は普段より熱心に畑の事をしゃべっている。
「其の荒れ地のシゥ(黍)は、今年は無理ですか」
「この三十日に振り分けですから今年は間に合いませんな。雪の降らない土地ならガゥンシュ(甘藷)の秋植えも出来るのですがね」
「そうですな広州(グアンヂョウ)あたりでも年二回での秋植えは難しいと聞きました。種芋の改良が進めば百日でも味のいいのが出来るでしょうが。百二十日は最低ほしいものです」
「やはり苗は八月が限界ですか」
「星が降るような夜空になると霜が降りて弦が腐ります。早くても掘り出さないと芋迄が腐ります」
今年は試しに七月に十五回に分けて苗を植えつけると聞いて結果を知らせてくれと頼まれていた。
翌朝、村の人たちに見送られ興寿鎮へ向かった。
興寿鎮ではガゥンシュ(甘藷)の種芋の交渉から始めた。
「種芋は百斤銀(イン)百銭、苗なら十本十銭は前と同じだよ」
「総予算は二百五十両、銀票で持参してきました」
李宇(リィユゥ)は鷹揚に駆け引きなしで打ち明けた。
「二千五百斤の種芋になるとほぼ二千五百本だ。一歩一歩に苗五本が基本だ」
苗は種芋一つから五本になるという、手間代ということだがその分時間は節約できる。
「明日村から于鴻(ユゥホォン)が付いてくるはずなのでそれからでもいいでしょうか」
「明日ならそれでいいでしょう」
その晩李宇(リィユゥ)は礼雄に最初の予算で種芋二千斤、追加予算で苗五百本と言い出した。
「苗はすぐ植え付けをしないとまずいですよ」
「やはり于鴻(ユゥホォン)に聞いてからの方がいいか」
五月二日朝、辰の鐘(七時三十分頃)の後に空の荷馬車が到着した。
于鴻(ユゥホォン)は徒歩で荷車に付いてきた。
やはり空車でも河渡しに時間がとられて二泊三日となったと話した。
百里を河渡しがなければ一日節約できるがそのような道がない。
礼雄が選ぶ高麗営鎮を抜ける道なら遠回りだが二日で済む、坂が多く二頭引きで無いと苦労する道だ。
于鴻(ユゥホォン)の決断は早く、先に李宇(リィユゥ)夫妻に村へ戻り、一歩一歩に苗五本を百の畝で植え付け準備にかかるように進言した。
「其の分のシゥ(黍)を刈り取って畝を準備だな」
急に弱気になっていうがままだ。
「お願いします。村へ着くのが二日は遅れますので」
銀(かね)の支払いと分量の話が済むと礼雄を急がせて帰路に着いた。
高麗営鎮で泊り、大興荘には三日の未の下刻(午後三時三十分頃)に入った。
村に残る差配と手代を集め“一歩一歩に苗五本を百の畝”の話しで十家の畑地に割り振った。
礼雄は于鴻(ユゥホォン)が戻るまで村に滞在した。
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